シヤガールの裸の女の繪を床の間においた。こんないい繪をわたしが持つてゐるのではない。『近代美人傳』の口繪を拜借した某氏から、この繪も添へて貸してくださつたのを、丁寧に床の間においたのだつた。
 送つて來てくれた人たちに、門口で挨拶して主人が歸つて來たのは、もう夜更けだつたが、室にはいるとすぐに、床の間の繪に目を走らせて、誰のです、と叫んだ。
 ああ、シヤガールね、どうも並々の畫ぢやないと思つた。
 と、さほど大きくもない額の前にしやがんで眺め入つてゐる。
 仕樣のないものだね、藝術わざといふものは――と呟いた。
 それからの毎日、拜借してゐる期間だけでも、眺めてゐるわたしたちの藝術的良心は高められ、ちたりてゐたが、暮から春へかけて、來客はかなり多いのだが、他のたれもがなんとも一言――といふよりは、よく見てくれるもののないのが、わたしの注意をひいた。若い男女の畫家もそのなかにはあつたが――
 氣忙しいのだ――と、よい方に思ひやつても、机の※(「廴+囘」、第4水準2-12-11)りにちらばつてゐる寫眞などには眼がゆくが、床の間まではのびない。すぐ傍にある鏡餅おそなへは大きなものだ、尺だらうといつた人は二三人ある、それは新舊の女流作家だつたが、シヤガールまではとどかなかつた。
 現實性のものへ――ごくよく解譯して、そんなふうに、現實性のものへ眼を奪はれるので、繪の方は見逃されたのだと思はうとしたが、シヤガールのこの裸繪の女は、なかなかもつて、躍動してゐるのだ、色こそ着いてゐないが、生ききつて、すこやかなること六月の若木の樹體のなめらかさと強靱さが充ちきつてゐる。
 ふと、おお、これだと考へついた。この香ぐはしく、のびやかなる肢體に、同性は目をそらすのだ。それは惡意あつてではない、めづらしくないのだ。その、繪のよさも描かれた繪畫よりも前に――といふより、もつと早く、直覺的に知つてしまふのだ。それは意識するとせぬとにかかはらず、觀賞よりもさきに、女の裸といふものに、あまりにも密接に自己を通して馴染すぎ、知りすぎてしまつてゐて、畫を見るよりさきに、もう澤山といふ氣持に、しらずしらずなつてしまつてゐるのだ。ゐるのだといつてわるければ、ゐるのだらうといつてもよい。だが、そこに、餘裕といふものがなんとなくとぼしいといふ氣がする。ものを見直すといふことを、直視するのをきらふといふ弊を、なにとやら如實に語つてゐるかと思ふ。で、また、もしさうでなければ、美に對しての感じがすこぶる鈍いといふことになる。しかし、ちと恐ろしいことだとわたしは教へられたものがある。
 これが、殊に、ただ氣忙しさに、一生を怱忙と暮す人々ならば、氣のつかぬもあたりまへのことで、こんなことをいふのは、テンから間違つてゐることだが、すくなくも今ここにいふ人たちは、さうしたことに關心のない人たちではないので、ちよいと首を捻つたわけだが、もとより何にも口にしないで、じつと心の眼で見ていつた人は幾人かあらう、口にするのを嫌味にさへ思ふ人たちも多いであらう。だがまた、それとはあまりにかけ離れた、實につまらない人事には、これはまたあまりに敏感すぎる人の多いのも事實だ。
 ここに、若い男の例を除外とする。なぜなれば、彼等がわたしの前で謹んでゐてくれる事をわたくしはよく知つてゐる。そこで、美術に對してまでおとなしくしてゐるのだと思ふ。これは、若い女とは反對に、シヤガールの名畫であらうとなからうと目をひかれないわけはないであらうから――
(「名古屋新聞」昭和十一年一月十二日)

底本:「桃」中央公論社
   1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「名古屋新聞」
   1936(昭和11)年1月12日
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月17日作成
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