寫眞を出して並べたわたくしの顏は、どれもこれも、みんな違つてゐる。それは、自分の顏であるから、見違へるわけはないが、體つきと、着物と、髮の具合をとりかへたらばちよいと自分でも分明わからなからうと思ふのさへある。
 その時の氣分がこんなにムラなのかしら、と、反省させられるのだが、わたしはバカで、どうも、種々なことが、うちむかう人の氣分を察しすぎて、やりきれないほど疲勞くたびれてしまふのが癖で、そのあとで寫すと、屹度影響してゐるのでもあるだらう。
 で、誰しもがさうであらうが、朝起きた時とか、机にむかつてゐる時とかが、ほんとの自分の顏であると思ふが、寫眞には、殆どその顏がない。かつて、十五の歳の新春、友達と妹と四人で、金三十錢で手札形三枚の早取り寫眞をうつしたことがある。十五島田といつて、なんでも十五歳の春の三ヶ日のうちに、島田髷の初結ひを一度しておかなければいけないといふ古い習慣で、島田をのつけた子供の顏であつた。肩揚げも深く、前掛けをかけた平日着のままで、家のものは知らなかつたのだから、ありのままの顏が寫つてゐた。二人の友達が一枚づつ、わたしと妹とがあとの一枚をもつた。こんな氣に入つた寫眞はなかつたのだが、失つてしまつた。一人の友達は早く死に、一人の友達は別れて逢はず、その人も多分震災にあつたであらうし、古い古いことだから持つてはゐないであらう。小さな寫眞屋は、とつくにつぶれてしまつてゐる。
 きれいにとれても、賤しい顏や、意識したふうの見えるのは自分ながら厭だ。それよりもをかしいのは、寫眞は、レンズによるのか、といふより撮つてくれる方の眼、または趣味、またはその人の人格――ひつくるめて藝術が現はれる。つまり、わたくしならわたくしの顏の上にもその、なんといつて好いかわからない微妙なものが――それこそ、實にぽつちりであらうけれど加はるのではないかしら。假に、わたしを優しいと見た人は、優し氣なところを見だしてその角度から寫す。さういふ親切のうちで、一番、有がたいやうで迷惑なのは、わたしの髮が時流でないからとでも思ふのか、當世流に修正してくれる。さうなると、頭だけが借用物のやうで、そんなのを見るたびに、背中へ羽蟲が飛んではいつたやうにムヅムヅする。
 先日、朝日新聞に出てゐた、波を切る海豚いるかの寫眞のやうな好い寫眞――巧くとれて、それでゐて、海豚はいるかの美しさを見せてゐる、あんなふうな自分の顏にお目にかかりたいものだと思つてゐる。
――十三年七月一日・アサヒカメラ――

底本:「隨筆 きもの」實業之日本社
   1939(昭和14)年10月20日発行
   1939(昭和14)年11月7日5版
初出:「アサヒカメラ」
   1938(昭和13)7月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月17日作成
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