あらすじ
堺利彦と友人との会話を通して、葉書の面白さや可能性が語られます。政治、恋愛、日常生活など様々な場面での葉書の利用法が紹介され、葉書が持つ力強さやユーモアが、軽妙な語り口で表現されています。現代においても色褪せない、葉書の魅力が詰まった作品です。
 A 大隈侯(おほくまこう)が前(まへ)の正月(しやうぐわつ)に受取(うけと)つた年始(ねんし)の葉書(はがき)は無慮(むりよ)十八萬(まん)五千九十九枚(まい)で、毎日々々(まいにち/\)郵便局(いうびんきよく)から大(だい)八車(ぐるま)で運(はこ)びこんだと云(い)ふが、隨分(ずゐぶん)君(きみ)エライもんぢやないか。
 B 大隈侯(おほくまこう)のエライのに異存(いぞん)はないが、郵便局(いうびんきよく)から大(だい)八車(ぐるま)は少(すこ)しをかしいなア。
 A ナニそんな事(こと)はどうでもいゝ。計數(けいすう)の正確(せいかく)な所(ところ)が俺(おれ)の話(はなし)の特色(とくしよく)だ。
 B 成程(なるほど)、君(きみ)は子供(こども)の時(とき)から數學(すうがく)ではいつも滿點(まんてん)を取(と)つたと云(い)ふのだね。
 A さうさ。俺(おれ)が先達(せんだつ)て先祖(せんぞ)の計算(けいさん)をして、四十代前(だいまへ)の俺(おれ)の先祖(せんぞ)の數(すう)が、一萬(まん)九百九十五億(おく)二千一百六十二萬(まん)五千七百七十六人(にん)だといふ莫大(ばくだい)な數字(すうじ)を發表(はつぺう)した時(とき)には、三十三萬(まん)三千三百三十三人(にん)の『中外(ちうぐわい)』の讀者(どくしや)が一齊(せい)に僕(ぼく)の頭腦(づなう)の明晰(めいせき)を感嘆(かんたん)したんだからね。
 B 『中外(ちうぐわい)』の讀者(どくしや)はそんなにあるのかい。
 A ウン。ざつと三十三間堂(けんだう)の佛(ほとけ)の數(かず)の十倍(ばい)と見積(みつも)つたんさ。
 B ぢや大隈侯(おほくまこう)の葉書(はがき)の數(かず)も何(なに)かからの見積(みつも)りだらう。
 A イヤ、あれは本統(ほんとう)だよ君(きみ)。ちやんと新聞(しんぶん)に書(か)いてあつた。それを精密(せいみつ)に記憶(きおく)してるのが即(すなは)ち俺(おれ)の頭腦(づなう)の明晰(めいせき)なる所以(ゆゑん)さ。
 B さうかい。大隈侯(おほくまこう)ひとりの分(ぶん)が十八萬(まん)幾(いく)らあるとすれば、…………。
 A オイ君(きみ)。そんな不正確(ふせいかく)な話(はなし)はよしたまへ。十八萬(まん)五千(せん)七百九十九枚(まい)だ。
 B さうか。よし/\。大隈侯(おほくまこう)ひとりの分(ぶん)がそれだけあるとすれば、日本全國(にほんぜんこく)で使(つか)はれる年始(ねんし)の葉書(はがき)は大變(たいへん)な數(かず)だらうなア。
 A さうさ。非常(ひじやう)なもんだよ。君(きみ)は好(い)い事(こと)を聞(き)いてくれた。俺(おれ)の頭腦(づなう)の明晰(めいせき)を一層確實(そうかくじつ)に證據(しようこ)だてる機會(きくわい)を與(あた)へてくれた事(こと)を君(きみ)に感謝(かんしや)するね。待(ま)ちたまへ。大正(たいしやう)七年(ねん)の一月(ぐわつ)十五日(にち)までに全國(ぜんこく)の郵便局(いうびんきよく)で取扱(とりあつか)つた年賀葉書(ねんがはがき)の總數(そうすう)は三千四百五十六萬(まん)七千八百九十九枚(まい)といふ統計(とうけい)が示(しめ)されてる。
 B 九十九枚(まい)とはさすがの君(きみ)も少(すこ)し窮(きう)したな。僕(ぼく)なら二千三百四十五萬(まん)六千七百八十九枚(まい)と算出(さんしゆつ)するんだがなア。
 A 馬鹿(ばか)を云(い)つちやいかん。統計(とうけい)は神聖(しんせい)だ。勝手(かつて)に算出(さんしゆつ)して堪(たま)るもんか。それよりか君(きみ)、俺(おれ)の今度(こんど)の年賀状(ねんがじやう)の趣向(しゆかう)を見(み)せてやらう。
 B 又(また)俳句(はいく)だらう。先年(せんねん)電車(でんしや)のストライキのあつた時(とき)、あれは何(なん)とか云(い)つたつけな、妙(めう)な俳句(はいく)の樣(やう)なものを書(か)いてよこしたぢやないか。
 A ウン、あれは斯(か)うさ。『君(きみ)が代(よ)の電車(でんしや)も止(と)まる今朝(けさ)の春(はる)』さ。
 B もひとつ、何(なん)とかいふ首(くび)つりの名句(めいく)があつたぢやないか。
 A ウン、あれは俺(おれ)のぢやないけれど、斯(か)ういふんだ。『君(きみ)が代(よ)の社頭(しやとう)の松(まつ)に首(くび)くくり』さ。
 B それで君(きみ)の今度(こんど)のは?
 A 奇拔(きばつ)だよ。驚(おどろ)くな。口(くち)で云(い)つたんぢや面白(おもしろ)くないから書(か)いて見(み)せる。ソラ、これだ。
新玉(あらたま)の年(とし)立(た)ちかへる旦(あした)かな    隱居
目(め)の玉(たま)のでんぐりがへる旦(あした)かな    熊公
世界中(せかいぢう)ひつくりかへる旦(あした)かな    澁六
 B 何(な)アんだ、隱居(いんきよ)だの熊公(くまこう)だの澁(しぶ)六だのと。
 A 馬鹿(ばか)だなア、澁(しぶ)六とは俺(おれ)の變名(へんめい)ぢやないか。『立派(りつぱ)なユーモリスト』『日本(にほん)一のユーモリスト』として俺(おれ)の盛名(せいめい)を知(し)らないとは、親友甲斐(しんいうがひ)のないにも程(ほど)があるぢやないか。然(しか)しそれはマアいゝとして、『隱居(いんきよ)』と『熊公(くまこう)』とが分(わか)らないとは、君(きみ)の頭(あたま)は隨分(ずゐぶん)お粗末(そまつ)なブロツクだね。
 B ブロツク・ヘツドに分(わか)る樣(やう)に説明(せつめい)したらいゝぢやないか。
 A いよ/\馬鹿(ばか)だなア此奴(こいつ)は。凡(およ)そ、洒落(しやれ)、皮肉(ひにく)、諷刺(ふうし)の類(るゐ)を説明(せつめい)して何(なん)になる。刺身(さしみ)にワサビを附(つ)けて煮(に)て食(く)ふ樣(やう)なもんぢやないか。
 B 僕(ぼく)は折々(をり/\)刺身(さしみ)を煮(に)て食(く)ふよ。中々(なか/\)うまいものだ。
 A 仕樣(しやう)がないなア。ぢや説明(せつめい)してやる。よく寄席(よせ)で落語家(らくごか)がやるぢやないか。横丁(よこちやう)の隱居(いんきよ)が熊(くま)さん八さんに發句(ほつく)を教(をし)へる話(はなし)だ。隱居(いんきよ)が物識(ものしり)ぶつて『新玉(あらたま)の年(とし)立(た)ちかへる旦(あした)かな』先(ま)づこんな風(ふう)に云(い)ふものだと作例(さくれい)を示(しめ)す。すると熊(くま)さんが、『發句(ほつく)ツてそんなもんですかい、ぢや譯(わけ)アねえ』と云(い)ふので、『目(め)の玉(たま)のでんぐりかへる旦(あした)かな』とやりだす。落語家(らくごか)の見識(けんしき)からすると、『新玉(あらたま)の』は本統(ほんたう)の發句(ほつく)だが、『目(め)の玉(たま)の』は無茶(むちや)な句(く)だとして、それで聽衆(ちやうしう)を笑(わら)はせようとするんだが、俺(おれ)の見(み)る所(ところ)は之(これ)に異(こと)なりだ。即(すなは)ち熊公(くまこう)の口(くち)から自然(しぜん)に迸(ほとば)しり出(で)た『目(め)の玉(たま)のでんぐりかへる』といふ大膽(だいたん)な用語(ようご)が寧(むし)ろ奇拔(きばつ)でいゝね。そこで『立派(りつぱ)なユーモリスト』なる澁(しぶ)六先生(せんせい)之(これ)に和(わ)して、『世界中(せかいぢう)のひつくりかへる旦(あした)かな』とやつたんだ。どうだ分(わか)つたか。
 B 分(わか)つたには分(わか)つたが、君(きみ)の其句(そのく)の何處(どこ)が面白(おもしろ)い?
 A 仕樣(しやう)がないなア。ロシアも引(ひ)つくりかへつた。ドイツも引(ひ)つくりかへつた。今(いま)に世界中(せかいぢう)が引(ひ)つくりかへるんだよ。
 B それは分(わか)つてるが、あんまり面白(おもしろ)い事(こと)でもあるまい。
 A 面白(おもしろ)いぢやないか。『世界改造(せかいかいざう)』が講和會議(かうわくわいぎ)のモツトーになつてる。ウヰルソン大統領(だいとうりやう)は曩(さき)にドイツ國民(こくみん)に對(たい)して國家組織(こくかそしき)の改造(かいざう)を要求(えうきう)して、とう/\あの革命(かくめい)を勃發(ぼつぱつ)させた。日本(にほん)は英佛米伊(えいふつべいい)の四國(こく)と共(とも)に支那(しな)に勸告(くわんこく)を發(はつ)して、早(はや)く南北(なんほく)の爭(あらそ)ひを止(や)めて『世界改造(せかいかいざう)の偉業(ゐげふ)に參加(さんか)せよ』とやつたね。支那(しな)はお蔭(かげ)で南北合同(なんほくがふどう)の大共和國(だいきようわこく)になるだらう。今(いま)に此(こ)の筆法(ひつはふ)を以(もつ)て日本國内(にほんこくない)の政治(せいぢ)を改造(かいざう)せよと迫(せま)るものがあつたら、君(きみ)は一體(たい)どうする積(つも)りだね。
 B そんな事(こと)を僕(ぼく)が知(し)るものか、僕(ぼく)は政治(せいぢ)なんぞに關係(くわんけい)した事(こと)がない。
 A だつて君(きみ)も日本國民(にほんこくみん)の一員(ゐん)ぢやないか。
 B 日本國民(にほんこくみん)たる者(もの)は誰(たれ)でも政治(せいぢ)に關與(くわんよ)する筈(はず)のものかい。
 A 當(あた)り前(まへ)ぢやないか。
 B 然(しか)し今日(こんにち)まで誰(だれ)も僕(ぼく)に政治上(せいぢじやう)の相談(さうだん)なんど持(も)ちかけたものが無(な)いのだもの。
 A フン、それは相談(さうだん)をしない方(はう)が惡(わる)いんだが、向(むか)ふで相談(さうだん)しなけりや此方(こつち)から相談(さうだん)しかけたら可(い)いぢやないか。
 B 然(しか)し僕(ぼく)なんどが相談(さうだん)しかけたつて誰(だれ)も相手(あひて)になつて呉(く)れないだらう。
 A それだからいけないよ、君(きみ)は。何(なん)でも相手(あひて)にさせるんだよ。相手(あひて)にしなけりや承知(しようち)しないと云(い)ふんだよ。それが政治機關(せいぢきくわん)を改造(かいざう)する所以(ゆゑん)なんだらうぢやないか。
 B そんなに僕(ぼく)を叱(しか)つたつて仕樣(しやう)がない。
 A 或程(なるほど)、君(きみ)を叱(しか)つたつて仕樣(しやう)がない。今(いま)に俺(おれ)は大(おほ)いに外(ほか)の奴等(やつら)を叱(しか)つてやるんだから、今日(けふ)はマア君(きみ)と女(をんな)の話(はなし)でもしよう。其(そ)の方(はう)なら君(きみ)の專門(せんもん)だから。
 B 別(べつ)に專門(せんもん)といふ譯(わけ)でもないが、政治(せいぢ)の話(はなし)より女(をんな)の話(はなし)の方(はう)が面白(おもしろ)い。
 A Mさんの近況(きんきやう)はどうだね。健康(けんかう)は大(おほ)いに回復(くわいふく)したかね。
 B あゝ、大(おほ)きに此(こ)の頃(ごろ)はいゝさうだ。最近(さいきん)の報告(はうこく)に依(よ)れば、體量(たいりやう)が十二貫(くわん)三百五十匁(もんめ)になつたさうだ。
 A ヤア、君(きみ)も女(をんな)の事(こと)になると、大(だい)ぶん精密(せいみつ)な數字(すうじ)を擧(あ)げてくるね。
 B だつて、さう書(か)いてよこしたのだもの。あすのあさ來(く)る葉書(はがき)にはキツト又(また)五匁(もんめ)ぐらゐふえてゐるだらう。
 A あすの朝(あさ)、葉書(はがき)が來(く)ると極(きま)つてるかね。
 B うゝ極(きま)つてるよ。毎日(まいにち)、朝(あさ)と晩(ばん)と一枚(まい)づつ來(く)る。僕(ぼく)も毎日(まいにち)、朝(あさ)と晩(ばん)と一枚(まい)づつ出(だ)してる。
 A おや/\、驚(おどろ)いたねえ。お睦(むつ)まじいこツた。
 B だつて是非(ぜひ)さうして呉(く)れと云(い)ふのだもの。
 A イヤ大(おほ)きに結構(けつこう)。双方(さうはう)で一月(ひとつき)九十錢(せん)づつの散財(さんざい)だ。精々(せい/″\)葉書(はがき)の贅澤(ぜいたく)をやりたまへ。
 B 僕(ぼく)の友人(いうじん)には、旅行中(りよかうちう)、毎日(まいにち)必(かな)らず三度(ど)、留守番(るすばん)の細君(さいくん)に葉書(はがき)を出(だ)す人(ひと)があるよ。
 A おや/\。毎食後(まいしよくご)三十分(ぷん)を經(へ)て白湯(さゆ)にて用(もち)ゆかね。
 B 全(まつた)く。始終(しじう)葉書(はがき)を書(か)く癖(くせ)をつけると持藥(ぢやく)の樣(やう)なものだよ。
 A 持藥(ぢやく)は好(よ)かつたね。何(なに)しろマアそれでヒステリー病(びやう)だの悋氣病(りんきびやう)だのが直(なほ)れば結構(けつこう)だ。年始状(ねんしじやう)を無暗(むやみ)に澤山(たくさん)出(だ)したりするのに比(くら)べると、君等(きみら)のは蓋(けだ)し葉書利用法(はがきりようはふ)の上乘(じやうじよう)なるものだね。
 B まだ斯(か)ういふのがあるよ。矢張(やは)り僕(ぼく)の友人(いうじん)だが、國(くに)の母親(はゝおや)がひとりで寂(さび)しがつてゐると云(い)つて、毎日(まいにち)一枚(まい)づつ繪葉書(ゑはがき)を出(だ)してゐるが、モウそれを三四年間(ねんかん)一日(にち)も缺(か)かさずやつてるから感心(かんしん)だらう。
 A ラヴレターなら昔(むかし)から、馬(うま)に積(つ)んだら七駄半(だはん)なんて云(い)ふ先例(せんれい)があるんだけれど、母親(はゝおや)へ毎日(まいにち)缺(か)かさずは全(まつた)く感心(かんしん)だね。蓋(けだ)し葉書利用法(はがきりようはふ)の最上乘(さいじやうじよう)なるものかね。
 B まだ斯(か)ういふのがあるよ。矢張(やは)り僕(ぼく)の友人(いうじん)だが…………
 A 葉書(はがき)に關(くわん)する君(きみ)の知識(ちしき)は非常(ひじやう)に豐富(ほうふ)だね。女(をんな)の話(はなし)ばかりが專門(せんもん)かと思つたら、葉書(はがき)の話も專門(せんもん)だね。
 B 僕(ぼく)は自分(じぶん)が隨分(ずゐぶん)よく葉書(はがき)を書(か)くから、人(ひと)が葉書(はがき)を書(か)くのにも注意(ちうい)してる。其女(そのをんな)はね……
 A 女(をんな)かい、それは?
 B あゝ女(をんな)だよ。
 A それが君(きみ)の友人(いうじん)かい?
 B あゝ友人(いうじん)だよ。女(をんな)の友人(いうじん)があつたつて何(なに)も不思議(ふしぎ)な事(こと)はあるまい。
 A イヤ、別(べつ)に不思議(ふしぎ)とは云(い)はない。それで?
 B それで其女(そのをんな)はね。或時(あるとき)或男(あるをとこ)に結婚(けつこん)を申込(まをしこ)んだ。
 A 女(をんな)がかい?
 B あゝ、女(をんな)がだよ。女(をんな)が結婚(けつこん)を申込(まをしこ)んだつて何(なに)も不思議(ふしぎ)な事(こと)はあるまい。
 A イヤ、別(べつ)に不思議(ふしぎ)とは云(い)はない。それで?
 B それで其女(そのをんな)はね。私(わたし)の一身(しん)を捧(さゝ)げる人(ひと)はあなたより外(ほか)にはないとか何(なん)とか云(い)つてね。是非(ぜひ)この哀(あは)れなる悶(もだ)えの子(こ)を救(すく)つて下(くだ)さいとか何(なん)とか書(か)いたものだ。
 A 葉書(はがき)にかい?
 B イヤ、それだけは封書(ふうしよ)だつた、さうだ。所(ところ)が男(をとこ)の方(はう)では、まだ結婚(けつこん)なんどする積(つも)りがなかつたものだから、『そんな事(こと)を云(い)つてくれては困(こま)る。自分(じぶん)はまだ』何(なん)だとか斯(か)だとか云(い)つて曖眛(あいまい)な返事(へんじ)をした、さうだ。
 A をかしいぢやないか。其男(そのをとこ)と其女(そのをんな)とは、それより以前(いぜん)どんな關係(くわんけい)に在(あ)つたんかい。
 B うゝ、それはマア双方(さうはう)の間(あひだ)にキナ臭(くさ)い匂(にほ)ひぐらゐしてゐたのだらう。其中(そのうち)、女(をんな)が國(くに)に歸(かへ)つて、暫(しばら)くしてから其(そ)の手紙(てがみ)をよこしたんだ、さうだ。
 A 何(なん)だか少(すこ)しをかしいね。然(しか)しマアいゝや。それから?
 B それから翌月(よくげつ)の一日(じつ)になると、『御返事(ごへんじ)を待(ま)つて居(を)ります』と只(たゞ)それだけ綺麗(きれい)な柔(やさ)しい字(じ)で書(か)いた女(をんな)の葉書(はがき)が來(き)た。男(をとこ)は又(また)好(い)い加減(かげん)な事(こと)を云(い)つてやつておくと、又(また)その翌月(よくげつ)の一日(じつ)に葉書(はがき)が來(き)た。矢張(やは)り『御返事(ごへんじ)を待(ま)つて居(を)ります』と只(たゞ)それだけ書(か)いてある。男(をとこ)は何(なん)とも云(い)つてやり樣(やう)がないので、其(そ)のまゝ打つちやらかしておくと、又(また)その翌月(よくげつ)の一日(じつ)に葉書(はがき)が來(き)た。矢張(やは)り『御返事(ごへんじ)を待(ま)つて居(を)ります』とある。男(をとこ)は困(こま)つて了(しま)つて、あんな葉書(はがき)を度々(たび/\)よこしてはいけないと云(い)つてやつたが、矢張(やは)り又(また)その翌月(よくげつ)の一日(じつ)には『御返事(ごへんじ)を待(ま)つて居(を)ります』の葉書(はがき)が來(き)た。其後(そのご)、男(をとこ)から何(なん)と云(い)つてやつても、女(をんな)からは依然(いぜん)として毎月(まいげつ)一日(じつ)に『御返事(ごへんじ)を待(ま)つて居(を)ります』の葉書(はがき)が來(き)た。とう/\それが一年間(ねんかん)續(つゞ)いた。男(をとこ)もさすがに少(すこ)し心(こゝろ)を動(うご)かされたけれども、まだどうあつても結婚(けつこん)などの出來(でき)る樣(やう)な身(み)の上(うへ)でないので、仕樣(しやう)がないから葉書(はがき)を取(と)りツぱなしで、打(う)つちやらかしておいた。所(ところ)が葉書(はがき)は矢(や)つぱり來(く)る。そして依然(いぜん)として『御返事(ごへんじ)を待(ま)つて居(を)ります』とある。男(をとこ)は少々(せう/\)氣味(きみ)が惡(わる)くなつた。とう/\又(また)葉書(はがき)が十二枚(まい)たまつた。丸(まる)二年間(ねんかん)、小言(こごと)も云(い)はず、怨(うら)みも云(い)はず、只(たゞ)『御返事(ごへんじ)を待(ま)つて居(を)ります』で責(せ)められたのだから堪(たま)らない。男(をとこ)はとう/\落城(らくじやう)した。然(しか)し今更(いまさら)、何(なん)とか斯(か)とか長文句(ながもんく)の手紙(てがみ)も書(か)けないものだから、『承諾(しようだく)、直(す)ぐ來(こ)い』と書(か)いた電報(でんぱう)の樣(やう)な葉書(はがき)を出(だ)したんだ、さうだ。
 A 其女(そのをんな)が即(すなは)ち現今(げんこん)房州(ばうしう)に出養生(でやうじやう)の君(きみ)の細君(さいくん)だね。
 B ハハア、まあそんな譯(わけ)さ。
 A どうも永々(なが/\)と御馳走樣(ごちそうさま)。葉書(はがき)で始(はじ)まつた御縁(ごえん)だから毎日(まいにち)二枚(まい)づつの往復(わうふく)ぐらゐ當(あた)り前(まへ)だね。然(しか)し何(なに)しろ葉書(はがき)といふ奴(やつ)は面白(おもしろ)いものだね。くど/\と長(なが)たらしい事(こと)を書(か)いた手紙(てがみ)よりか『御返事(ごへんじ)を待(ま)つて居(を)ります』の葉書(はがき)の方が、遙(はる)かに君(きみ)の胸(むね)をゑぐる力(ちから)を持(も)つてゐたんだね。
 B 全(まつた)くさうだよ。だから僕(ぼく)は大(おほ)いにハガキ文學(ぶんがく)を唱道(しやうだう)してるんだ。
 A ハガキ文學(ぶんがく)は好(い)いね。ソラよく雜誌社(ざつししや)などで原稿(げんかう)を集(あつ)める一手段(しゆだん)として、諸名士(しよめいし)に往復葉書(わうふくはがき)を出(だ)したりするぢやないか。
 B あゝ、あれは駄目(だめ)だよ。葉書(はがき)一枚(まい)ぐらゐの短文(たんぶん)で、ちよつと氣(き)の利(き)いた面白(おもしろ)い事(こと)を書(か)き得(え)る樣(やう)な名士(めいし)は幾(いく)らも居(ゐ)ないからな。
 A 中(なか)には隨分(ずゐぶん)長文(ちやうぶん)の氣焔(きえん)を吐(は)いてよこしてる人(ひと)もあるぢやないか。誰(だれ)も讀(よ)みはしないだらうに。
 B 全(まつた)くだよ。あんな人(ひと)に限(かぎ)つて有數(いうすう)の惡文家(あくぶんか)、乃至(ないし)、駄文家(だぶんか)だから堪(たま)らない。
 A 待(ま)てよ。此(こ)の對話(たいわ)は『中外(ちうぐわい)』に載(の)せるんだから、そんな話(はなし)は少(すこ)し遠慮(ゑんりよ)して置(お)かうよ。それよりかモツト葉書(はがき)に關(くわん)する無邪氣(むじやき)な面白(おもしろ)い話(はなし)でもないかい。
 B あるよ。僕(ぼく)は一體(たい)、滅多(めつた)に封書(ふうしよ)といふものを書(か)かない。そんなに人(ひと)の見(み)て惡(わる)い樣(やう)な事(こと)を書(か)く場合(ばあひ)はないからなア。それで僕(ぼく)は何用(なによう)でも大抵(たいてい)葉書(はがき)で濟(す)ますのだが、若(も)し一枚(まい)で足(た)りなければ二枚(まい)續(つゞ)きにする。二枚(まい)つゞきにしたつて封書(ふうしよ)と同(おな)じ事(こと)で三錢(せん)だ。たまに三枚(まい)續(つゞ)きにする事(こと)もあるが、状袋(じやうぶくろ)に入(い)れたり、切手(きつて)を張(は)つたりする面倒(めんだう)がないだけでも、一錢(せん)五厘(りん)の値打(ねうち)はあるからな。
 A 成程(なるほど)、葉書(はがき)の二枚(まい)續(つゞ)き三枚(まい)續(つゞ)きはチヨツト變(かは)つてる。さすが君(きみ)は葉書(はがき)の專門家(せんもんか)だね。
 B 僕(ぼく)は又折々(またをり/\)葉書(はがき)で友人(いうじん)と論戰(ろんせん)する事(こと)がある。十枚(まい)づつも葉書(はがき)を往復(わうふく)すると可(か)なり面白(おもしろ)い論戰(ろんせん)が出來(でき)る。まじめな論戰(ろんせん)をやる事(こと)もあれば、惡口(あくこう)の吐(つ)きあひや皮肉(ひにく)の言(い)ひあひをする事(こと)もある。其間(そのあひだ)に顏(かほ)を合(あは)せる事(こと)があつても、口(くち)では其事(そのこと)は何(な)んにも云(い)はない。そして内(うち)に歸(かへ)つてから葉書(はがき)を出(だ)す。チヨイト面白(おもしろ)いものだよ。
 A 成程(なるほど)、それも惡(わる)くないね。今度(こんど)、君(きみ)と俺(おれ)とで一(ひと)つやらうか。
 B やらう。是非(ぜひ)やらう。葉書(はがき)の返事(へんじ)なら僕(ぼく)はどんな忙(いそ)がしい時(とき)でも直(す)ぐ書(か)く。オヽ、それからまだ斯(か)ういふ面白(おもしろ)い話(はなし)があるよ。矢張(やは)り僕(ぼく)の友人(いうじん)だが、――今度(こんど)は男(をとこ)だが――或奴(あるやつ)から少(すこ)し取(と)るべき金(かね)があるのに、どうしてもよこさない。いろ/\掛合(かけあ)つて見(み)たが埓(らち)があかない。忌々(いま/\)しくて仕樣(しやう)がないけれど、まさかナグリに行(ゆ)く譯(わけ)にもゆかない。そこで毎日々々(まいにち/\)催促(さいそく)の葉書(はがき)を出(だ)した。十日(か)も續(つゞ)けて催促(さいそく)したら何(なん)とか返事(へんじ)ぐらゐよこすだらうと思つたが、少(すこ)しも手(て)ごたへがない。いよ/\忌々(いま/\)しくて仕樣(しやう)がないので、又(また)十日(か)ばかり續(つゞ)けた。矢張(やは)り何(なん)の手(て)ごたへもない。もう斯(か)うなつて來(く)ると此方(こつち)も意地(いぢ)だ。畜生(ちくしやう)、いつまでゝも止(や)めるものかと根氣(こんき)よく書(か)きつゞけた。文句(もんく)は色々(いろ/\)に變(か)へて、或(あるひ)は強(つよ)く、或(あるひ)は弱(よわ)く、或(あるひ)は罵(のゝし)り、或(あるひ)はふざけ、種々樣々(しゆ/″\さま/″\)の事(こと)を書(か)いてやつた。中途(ちうと)で凹(へた)たれては全(まつた)く敵(てき)に降伏(かうふく)する譯(わけ)だから、例(れい)の持藥(ぢやく)のつもりで毎日(まいにち)書(か)いた。もう斯(か)うなつて來(く)ると、取(と)るべき金(かね)を取(と)らうと云(い)ふ最初(さいしよ)の考(かんが)へもなくなるし、又(また)それが爲(た)めに葉書代(はがきだい)を費(つひや)すのは損(そん)だといふ樣(やう)な考(かんが)へもなし、只(た)だ是非(ぜひ)とも仕(し)なければならない日課(につくわ)として、毎日々々(まいにち/\)根氣(こんき)よく書(か)きつゞけた。たまには、こんな事(こと)をしてゐて結局(けつきよく)馬鹿(ばか)を見(み)るのぢや堪(たま)らないと考(かんが)へた事(こと)もあつたが、モウ二ヶ月(げつ)あまり續(つゞ)けて見(み)ると、今更(いまさら)やめる譯(わけ)にはどうしても行(ゆ)かない。困(こま)つたものだとは思(おも)ひながらも、一(ひと)つは習慣(しふくわん)の惰力(だりよく)でとう/\五個月間(かげつかん)やりつゞけた。さうすると、どうだらう。或日(あるひ)先方(せんぱう)の奴(やつ)が突然(とつぜん)僕(ぼく)の内(うち)にやつて來(き)て……
 A 君(きみ)の内(うち)にかい?
 B うゝ、實(じつ)は矢張(やは)り僕(ぼく)のやつた事(こと)さ。
 A だらうともつた。君(きみ)が細君(さいくん)から施(ほとこ)された術(じゆつ)を今度(こんど)は敵(てき)に應用(おうよう)したんだね。
 B マアさう云(い)つた樣(やう)な譯(わけ)だらう。所(ところ)で奴(やつ)、突然(とつぜん)僕(ぼく)の内(うち)にやつて來(き)やがつて、『どうも五個月間(かげつかん)の葉書攻(はがきぜめ)には閉口(へいこう)しました。あなたの根氣(こんき)には實際(じつさい)驚(おどろ)きました』なんて云(い)やがつて、三十圓(ゑん)の金(かね)を置(お)いて行(い)つたが、僕(ぼく)ア實(じつ)に嬉(うれし)しかつたよ。あれで若(も)しいつまでゞも放(はふ)つて置(お)かれた日(ひ)にや、僕(ぼく)たる者(もの)、實(じつ)に進退(しんたい)きはまる所(ところ)だつたんだが。
 A さうさねえ。つまり根氣(こんき)くらべだね。然(しか)し如何(いか)なる人物(じんぶつ)でも、毎日々々(まいにち/\)葉書(はがき)で攻(せ)め立(た)てられちや放(はふ)つて置(お)けないものと見(み)えるなア。假(か)りに俺(おれ)が其(そ)の地位(ちゐ)に立(た)つたとして考(かんが)へて見(み)ても、事柄(ことがら)の如何(いかん)に係(かゝ)はらず、毎日(まいにち)葉書(はがき)で何(なん)のかのと云(い)つて來(こ)られた日(ひ)にや、實際(じつさい)やり切(き)れまいと思(おも)ふよ。別(べつ)に自分(じぶん)がそれについて弱味(よわみ)を持(も)つて居(ゐ)ないにしてもさ、永(なが)い間(あひだ)には何(なん)だか斯(か)う不安(ふあん)を感じて來(き)さうな氣持(きもち)がするね。
 B 全(まつた)く不安(ふあん)を感(かん)じるよ。薄氣味(うすきみ)がわるくなるよ。
 A 『御返事(ごへんじ)を待(ま)つて居(を)ります』がよほどこたえたね。ハハヽヽ。
 B ウフヽヽヽ、それからまだ斯(か)ういふ話があるよ。或學校(あるがくかう)で學生間(がくせいかん)に教頭排斥(けうとうはいせき)が起(おこ)つて、既(すで)にストライキをやらうとしたのだが、ストライキでは犧牲(ぎせい)を出(だ)す恐(おそ)れがあると云(い)ふので、ハガキ運動(うんどう)といふ事(こと)を誰(だれ)かゞ思(おも)ひついて、有志(いうし)の學生(がくせい)は毎日(まいにち)一枚(まい)づつ教頭(けうとう)に宛(あ)てゝ辭職勸告(じしよくくわんこく)の葉書(はがき)を出(だ)さうと云(い)ふ事(こと)に申(まを)し合(あは)せた。サア其(そ)の翌日(よくじつ)から教頭(けうとう)の宅(たく)に葉書(はがき)が盛(さか)んに舞(ま)ひこむ。初(はじめ)は二十枚(まい)か三十枚(まい)だつたが、追々(おひ/\)五十枚(まい)となり、百枚(まい)となり、二百枚(まい)となり、三百枚(まい)となつた。其(そ)の教頭(けうとう)は隨分頑固(ずゐぶんぐわんこ)な男(をとこ)で、こんな不都合(ふつがふ)な示威運動(じゐうんどう)に讓歩(ぢやうほ)しては學校(がくかう)の威嚴(ゐげん)が保(たも)たれないと云(い)つて、葉書(はがき)が何(なん)百枚(まい)來(き)ようと見向(みむ)きもしなかつたが、其(そ)の状態(じやうたい)が一月(ひとつき)ばかりも續(つゞ)いて、葉書(はがき)の數(かず)が五百枚(まい)に達(たつ)した時(とき)、とう/\教頭(けうとう)の奧(おく)さんが泣(な)きだして夫(をつと)に辭職(じしよく)を勸(すゝ)めた。其時(そのとき)には頑固(ぐわんこ)な教頭自身(けうとうじしん)もモウ好(い)い加減不安(かげんふあん)を感(かん)じてゐたのだから、お前(まへ)までがソウ云(い)ふならと云(い)ふ樣(やう)な譯(わけ)で、それをキツカケにして早速(さつそく)校長(かうちやう)の手元(てもと)に辭表(じへう)を出(だ)した。それでも學生(がくせい)の中(なか)の何人(なんにん)かは矢張(やは)り筆跡(ひつせき)が證據(しようこ)になつて退學處分(たいがくしよぶん)を受(う)けたんださうだが。
 A フーン、そいつア面白(おもしろ)い話(はなし)だね。學生(がくせい)としては少(すこ)し不穩(ふおん)な行動(かうどう)かも知(し)れないが、多數(たすう)の葉書(はがき)を受取(うけと)る人(ひと)の心理(しんり)を研究(けんきう)するには好(い)い材料(ざいれう)だね。君(きみ)は實際(じつさい)、葉書研究(はがきけんきう)の專門家(せんもんか)だよ。先(さ)つきの貸金(かしきん)の催促(さいそく)といひ、『御返事(ごへんじ)を待(ま)つて居(を)ります』と云(い)ひ、皆(み)な面白(おもしろ)い話(はなし)だね。
 B 所(ところ)が、此(こ)のごろチラと聞(き)いた話(はなし)だが、右(みぎ)のハガキ運動(うんどう)を選擧權擴張(せんきよけんくわくちやう)の要求(えうきう)に應用(おうよう)しかけてゐる者(もの)があるさうだ。
 A ヘエ? それはどういふんだね。
 B 僕(ぼく)は政治上(せいぢじやう)の事(こと)に趣味(しゆみ)がないから委(くは)しい事(こと)は知(し)らないが、何(なん)でも請願(せいぐわん)の代(かは)りに、多數(たすう)の人民(じんみん)から衆議院議長(しうぎゐんぎちやう)に宛(あ)てゝ葉書(はがき)を出(だ)さうと云(い)ふのださうな。
 A さうか。そいつは面白(おもしろ)いねえ。『普通選擧(ふつうせんきよ)を斷行(だんかう)せよ』『我(われ)に選擧權(せんきよけん)を與(あた)へよ』なんて云(い)ふ葉書(はがき)が毎日々々(まいにち/\)、何(なん)千枚(まい)も何萬枚(なんまんまい)も衆議院(しうぎゐん)へ舞(ま)ひこんだら、議員(ぎゐん)も萬(まん)ざら知(し)らん顏(かほ)をしては居(ゐ)られまい。
 B 何(な)アに、あれらは無神經(むしんけい)だから知(し)らん顏(かほ)をしてるよ。
 A だつて君(きみ)、若(も)しか國民(こくみん)の多數(たすう)が年始状(ねんしじやう)を出(だ)す樣(やう)な氣(き)になつて見(み)たまへ。俺(おれ)の計算(けいさん)に依(よ)れば、少(すくな)くとも三千四百五十六萬七千八百九十九枚(まい)の葉書(はがき)が衆議院(しうぎゐん)に舞(ま)ひこむ譯(わけ)だ。若(も)し君(きみ)の計算(けいさん)に讓歩(じやうほ)するとしても、二千三百四十五萬六千七百八十九枚(まい)が舞(ま)い込(こ)むんだ。
 B さうかなあ。議員(ぎゐん)なんて云(い)ふ連中(れんちう)でも、それだけ舞(ま)ひこんだら矢張(やは)り多少(たせう)の不安(ふあん)は感(かん)じるだらうかなア。
 A  それや君(きみ)、少(すこ)しは薄氣味(うすぎみ)わるくなるだらうぢやないか。只(た)つた十八萬(まん)五千七百九十九枚(まい)の年始状(ねんしじやう)が大隈邸(おほくまてい)に運(はこ)びこまれてさへ新聞種(しんぶんだね)になるんだもの。三千四百五十六萬(まん)七千八百九十九枚(まい)、若(も)しくは二千三百四十五萬(まん)六千七百八十九枚(まい)の選擧權要求書(せんきよけんえうきうしよ)が、毎日々々(まいにち/\)大(だい)八車(ぐるま)で衆議院(しうぎゐん)に運(はこ)びこまれるとしたら、如何(いか)に無神經(むしんけい)でも堪(たま)るまいぢやないか。彼等(かれら)は謂(いは)ゆる『世界改造(せかいかいざう)の偉業(ゐげふ)』に參加(さんか)すべき責任(せきにん)を有(いう)しているんぢやないか。國内政治機關(こくないせいぢきくわん)の改造(かいざう)を要求(えうきう)する人民(じんみん)の聲(こゑ)を無視(むし)する譯(わけ)に行(ゆ)くまいぢやないか。どうだい君(きみ)、君(きみ)はサウ思(おも)はないんか。
 B 僕(ぼく)か。僕(ぼく)は政治(せいぢ)に關係(くわんけい)がないのだから、そんな事(こと)はどうでもいゝ。然(しか)し事苟(こといやし)くも葉書(はがき)に關(くわん)する以上(いじやう)、其點(そのてん)で聊(いさゝ)か僕(ぼく)の注意(ちうい)を引(ひ)いてるのだがな。
 A 仕樣(しやう)がないなア。イヤ、然(しか)し有(あ)りがたう。お蔭(かげ)で色々(いろ/\)面白(おもしろ)い話(はなし)を聞(き)いた。俺(おれ)は之(これ)からモ少(すこ)し善(よ)くハガキ運動(うんどう)について考(かんが)へて見(み)なくちや。左樣(さやう)なら。いづれ又(また)。
(大正八年)
了

底本:「現代ユウモア全集 第二卷 堺利彦集」現代ユウモア全集刊行會
   1928(昭和3)年10月20日発行
入力:Juki
校正:染川隆俊
2011年5月3日作成
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