山形県には、秋田県へかけて、室町時代の芸能に関した民俗芸術が多く残つて居ります。黒川能は、その中でも著しいものゝ一つで、これと鳥海山の下のひやま舞ひとの二つは、特に皆様に見て頂きたいものであります。この黒川能が二十数年ぶりで上つて来るのであります。世話をして下さつた斎藤氏に感謝しなければならないと思ひます。

特にこの能で注意しなければならないのは、舞台構造であります。京都の壬生念仏を思はせるやうな舞台で、上下の廊下が橋掛りになつて居り、舞台の正面には春日神社の神殿を控へて居るのであります。即、舞台と神殿との間には屋根がかけられて、全体が内陣のやうな形をもつてゐます。以前は神殿だけが独立して居つたのですが、現今は、全体として完全な室内舞台の形式になつて居ります。奉仕する役者はといふと、上座と下座が二部落に別れて居り、こゝで能をする時は、上座は左橋掛り(正面から見て)から出て舞ひ、下座は右橋掛りから出て舞ふことになつて居る。これは最大きな特徴で、今度の公演に幾分でも実現出来れば結構だと思ひます。この神前演奏の形は、春日の若宮祭りの第一日の式と同形式といつていゝと思ひます。しかも、黒川では常にその形式を繰り返してゐるわけで、見物人よりも神に対する法楽を主としてゐることがわかります。

能は上下両座を通じて三百番も実演出来るといはれてゐます。果して正確にそれだけの数を演出することが出来るかどうか疑問ですが、今度の東上に際しては出来るだけむさぼり見たいと思ひます。地謡・囃子をはじめ、能そのものに対し、専門家或は同好家の一部からは、現在の東京の能謡を標準とした批難があることでせうが、それは謂はれのないことです。まづ、仮りに、おほよそ百年も前に首府附近の田舎の演能を見て居る気持ちで静かに観れば、正しい鑑賞が出来ると思ひます。中央の能にしろ謡にしろ、明治以後とても変化もあり進歩のあとも確かであるから、それ以前とても、幾度か変転を重ねてゐるに相違ありません。この能が、今の諸流家元の能の祖先ではありません。けれども或時代に血をわけた、極めて血の濃い親族芸であることを考へねばなりません。寧、固定して自由を失つて残つてゐるものと見ても、すぐれた芸が堕落してこんな姿になつたんだと思ふのはいけないと思ひます。たとへば泉お作、泉祐三郎などの照葉狂言などは、能とある点まで分離して考へれば、相当な価値もありましたが、能を標準とすれば、確かに堕落したものといへますけれども、それとこれとは大いに違ひます。

が又、この能が能楽の起原に近い形だと考へるのも間違ひです。可なり進歩したものであり又、相当に他からの影響も取り込んでゐます。それで尚これだけの特殊性をもつてゐる点は、専門家その他の方々がよくお考へになつていゝことだと思ひます。何も教へられることがなかつたと放言する人があれば、それは能楽の歴史を考へない人なのです。ともかく今の能もかういふ道を通過して来たのだなといふ静かな見方が一番正しいのです。或は、能を普及させようとする野心のある方などには、黒川能の演出などが参考になることが多いと思ひます。なぜなれば、意識した品格といふものを持ち過ぎてゐませんから、その点で却つて素人にはわかり易いと思ひます。つまり代々の名人の特殊の鍛錬を経なかつた、鍛錬を経て高級な発達をしなかつたといふ点を見るべきでせう。
面白いのは狂言です。表情にも言語にも必多少の驚きを受けられるでせう。殊に方言的な言ひ廻しなどには、つひわれ/\も見てゐて釣り込まれるものがありました。

今度は、出来るだけ番組に工夫がつまれてゐますから、黒川能の概念は十分に得られるでせう。私共は、まだ見たことのない「翁」を殊に/\期待してゐます。最後に、若しこの詞が黒川能役者の方々にもいふことが出来れば、これだけは申したい。「もうこれ以上に新しいものを取り入れるな」といふことです。大山能のやうになつては、存在の意義がなくなります。それは演技上にも、装束の上にも、総べてについていふべきことだと思ひます。
けれども、底を割つた話をすれば、東京の家元の舞台で舞ふより、黒川村の春日神社の内陣で行はれるのを見るのがほんとなのです。有志家には、一度彼の地へ行つて御覧になり、実感としての黒川能を得て帰られるやうに奨めます。この実感こそ芸の基礎であり、又学問的に組織する考察の土台にもなるのであります。

底本:「折口信夫全集 21」中央公論社
   1996(平成8)年11月10日初版発行
初出:「能楽画報 第三十一巻第九号」
   1936(昭和11)年9月
※底本の題名の下に書かれている「昭和十一年九月「能楽画報」第三十一巻第九号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:しだひろし
2011年2月10日作成
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