此のトレドがリルケの生涯にはじめて現はれたのは、おそらく一九〇八年の秋ロダンに宛てた次ぎの手紙(丁度「マルテの手記」に筆を下ろさうとしてゐた時分である)で、それもトレドの畫家エル・グレコの鬼氣を帶びた筆を通してであつた。さういふ假初の出會をも遂に空しくしなかつた點など、いかにもリルケらしいと言へるのであるまいか。
一九〇八年十月十六日、巴里ヴァレンヌ街七十七番地
ロダン樣
私は展覽會でグレコの「トレド」の前に一時間ばかり過して歸つて參りました。この風景畫は私にはますます驚歎すべきものに思はれます。私はそれを見て來たまま、あなた樣に書かなければなりませぬ。それはかう云ふものでありました。――雷が裂けて、突然或町の背後に墜ちます。(その町といふのは或丘の中腹にあつて、その本寺の方へ急速に上り、それからまたもつと上方へと、その城を目がけてゐるのです。)さうして襤褸をまとつたやうな光線が地上を掘りかへし、搖すぶり、樹々の背後に、まるで眠れない夜のやうな、褪めた緑色に、其處此處に草原を浮かびあがらせてゐます。向うの丘の塊りからは一筋の細い流れが、なんの動搖も示さずに流れてゐて、その夜色を帶びた暗青色で、灌木どもの緑いろをした炎を怯やかしてゐます。驚愕して飛びあがつたやうな町は、かかる苦悶そのもののアトモスフェアを突き破らうとでもするかのやうに必死となつてゐます。
さう云つたやうな夢をもつべきではないのでせうか。
私はこの繪に一種の劇しさでもつて惹きつけられてゐますので、ひよつとしたら間違つてゐるかも知れませぬ。それにお氣がつかれたら、どうぞそれを私に仰やつて下さいませんか。
貴下にすべてを、
貴下の
リルケ