あらすじ
室生犀星は、旺盛な創作力で次々と作品を生み出す作家です。周囲の人々を驚かせるほどの精力的な仕事ぶりは、まるで「仕事の雰囲気」を常に掴んでいるかのようです。インスピレーションは遠くからやってくるものではなく、常に手の届くところにあり、室生さんはそれを大切に扱っています。仕事に集中し、時には激しく格闘する姿を見せながらも、常に爽やかな顔つきを保つその様は、私たちにとって大きな学びになります。「神々のへど」の悲劇的な結尾のところに、「あをざめ切つた眼のふちは灰だみた濁りをながして、見樣によつて物すさまじい或る美しさを感じる」といふ一行がありますが、私は室生さんの書かれるすべての悲劇に、さういふ「物すさまじい或る美しさ」を感じるやうな見方からのみ、それ等を見てゆくやうにと心がけてゐます。さういふ私は、「神々のへど」集中でも「兄いもうと」及び「神々のへど」の二篇を最も好むものであります。
去年の五月頃、私はモオリアックといふ佛蘭西の作家のものを二三篇讀み、それから小説論のやうなものを少し讀んで、私のこれまでの「小説」といふものに對する考へが非常に變つて來かかつた矢先、――ふとしたことから、獨逸の詩人リルケを讀み出し、再び詩といふものに強く引かれて行き、さういふ状態がずつと今日まで續いて居りますが、今度、「神々のへど」などをゆつくり再讀してゐるうち、それらの諸作が何處かモオリアックのものと似てゐるせゐか、また、この頃、モオリアックのものを讀んで見たいやうな氣がしかかつてゐます。
何處が似てゐるかといふと、モオリアックの事をすこし詳しく書かなければならなくなりますが、まあ、一口に言へば、モオリアックといふ作家は、「とぐろを卷いてゐる蝮の群のやうな」神を見失つた人間どもの悲慘を描いて、逆説的に神のない世界の暗さを示さうとする(モオリアックはカトリックであります)作家であります。さういふモオリアックは、それ等の悲慘な作中人物どもの上に何處からともなく徐々に一條の神々しい、「冬の光線」に似た痛々しい光線を浴びせかけて行くのでありますが、その作品からカトリック的な要素を一切除いてしまつたら、そこには室生さんと大へん似通つてゐる一人の西洋の作家がゐるやうな氣がするのです。
又、モオリアックはかういふことを言つてゐます。「ドストエフスキイの描くところの、その不合理さ、不明瞭さの故に一そう生き生きとしてゐる。眞の人間を、佛蘭西特有の、合理的な、明快な額縁の中に入れて描くやうに、我々佛蘭西作家は努力せよ」と。ここで、モオリアックは室生さんにますます接近し、同時にその方法の上で、ぐつと離れてしまつてゐます。
室生さんも同じやうにドストエフスキイ的な人物を描かうと努力してゐるにせよ、モオリアックの所謂「合理的な」何處までも佛蘭西的な方法を採らない。もつと野蠻な、もつと混沌とした、室生さんの言葉を使へば、もつと「ずぼらな」ところのある方法を採るべきであるとされてゐる。其處に、室生さんの何處までも日本人らしい、最も獨創的な點があるのでありませう。――私は、室生さんの作品に於いてほど、「不合理なもの」に、その作中人物のみならず、作者自身までかなり意識的にも支配されて居ることが、深い效果を上げてゐる例を、私達の周圍の他の作家達に求めることは出來ぬと思ひます。――室生さんの作品をもつと知るためには、さういふ「不合理的なる」要素を、何よりも研究して見なければならぬと思ひます。
これは餘談ですが、この間、室生さんが或る新聞に「お乞食樣」といふ小品を書いてゐるのを讀んで、私は何となくレンブラントの乞食の繪などを思ひ出しました。
それから二三日經つてから、私はふとシャルル・デュ・ボスといふ批評家の書いた「モオリアック論」を拾ひ讀みしてゐましたら、その一番最後のところで、ボスはいきなり、どうだ、モオリアックのかういふ小説には、ちよつとレンブラントの繪のやうな美しさがあるだらうと言つて、讀者の前にぽんとレンブラントを頌したボオドレエルの詩句を投げつけておいて、さつさと本を閉ぢて居ります。
この二つの場合は正に暗合でありました。が、必しも偶然の、とは言ひ得ないやうな氣がします。
了
底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
底本の親本:「堀辰雄小品集・薔薇」角川書店
1951(昭和26)年6月15日刊
初出:「文藝通信 第三巻第四号」
1935(昭和10)年4月号
※初出時の表題は「室生さんに就いての雜談」、「堀辰雄小品集・薔薇」角川書店(1951(昭和26)年6月15日)収録時「神々のへど」と改題。
入力:tatsuki
校正:岡村和彦
2013年4月11日作成
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