四人の切符の赤きを合はせて、紅梅の花に一片足らずと洒落れたる次第にあらず。されど、日曜の回遊列車の半額なるをさけて、土曜にくりあげ、日がへりの急がしきにならはで、『暗香浮動月黄昏』の趣を賞し、『月明林下美人來』の趣をも賞せむとする心根は、花神も汲まるべくや。路づれは三人、臨風となし、天隨となし、蝶二となす。
 竹外橋畔、殘んの雪にはあらず。清香までおくり來たるに、水戸の花信もそれと知られ、汽車の進行の早きを憾みしが、何の風情もなき停車場に、來る汽車を待ち合はさざるを得ざる單線の不便さ、じれつたさ。水戸に十一時過ぎに着くべき筈のものが、一時間ばかり遲れて、十二時過ぎに着きたり。汽車を下らば、先づ午食をなど話しあひしが、さて汽車を下りて見れば、未だ花を見ざる中は、食する氣にもならず。先づ、第一公園へとて、車を飛ばす。
 上市を行き盡して、萠えそめたる麥生かなたに一帶白くたなびけるは、花か雲かと云ひたきをなど考ふる間もなく、車は早くも梅林の中に入りぬ。極目その幾千株なるを知らず。而してその滿開なるもうれしく、車夫氣をきかして、走ることをやめて、徐行せしもうれしかりき。好文亭畔に車を下りて、歩して樂壽樓に至り、その三層樓に上る。千波湖、脚下にあり。矚望甚だ佳なり。
 仙奕臺とて、腰かけに代ふべき石の碁盤と將棋盤とを置きたるは、反つて俗意あり。仙湖碑畔の崖を下れば、崖下一帶に梅多し。人は清香を浴びつゝその間を縫ひて、常磐祠下の料理屋に投じ、淺酌して午食す。湖に面したる三階の上の、厭かぬ眺めはあれど、第二公園の梅に心ひかれて、醉歩蹣跚として去る。
 上市の北端、舊城址の一隅、梅はなほ昔ながらの香に匂へり。これを第二公園となす。第一公園は三萬坪あり。こゝは一萬七千坪に過ぎず。且つ第一公園のごとき眺望はなけれど、なほ梅花堆裡に弘道館の跡あり、孔子廟あり、鹿島祠あり、警鐘の樓あり、蕭散なる閑地なり。
 是に於て、梅花の觀は終りぬ。東京の附近の諸梅園の比にはあらざれども、余は、籬外溪畔、疎影暗香の觀ある吉野村、梅園村などの梅を取らむか。
 梅花の觀終りて、日猶ほ高し。臨風は舊遊の夢の名殘やしのばれけむ、これより土浦にもどりて一宿せむと言ひ出でたれど、余は那珂川を下りて大洗に一宿する方が、紀行の種も多くなりて面白かるべしと云ふ程に、崖下の汽笛頻に客を呼ぶ。さらばあの舟にとて、走りゆきて、湊町通ひの小蒸氣にのりぬ。行程凡そ三里、春水溶々として平らかなり。兩岸は麥ばたけ、こんもりしたる木立など相接し、その間にをり/\茅屋を點す。柴門の外の雁木にうつぶきて、水に纎手をひたせる少女は、澤につみたる根芹洗ふにやあらむ。堤上に舟と竝行せし行人、いつしか後になりて、はては寸大となりて霞の中に消ゆるもをかし。那珂川の海に朝する處、女波男波の雪をくづして川流とたゝかふ處、長橋波に俯して、湊町と祝町とを連絡す。こゝにて舟をすてて、祝町に上る。こゝは湊町をはなれて、別に一郭をなし、酒樓、娼樓、屹として海邊に立ちならべり。半里ばかり砂地を歩みて、大洗につきたる頃は、日はたそがれに近かりき。金波樓に投ず。
 磯前祠の下、直ちに海波に俯せる三階の上の、眺望定めておもしろかるべけれど、暮色既に太平洋上にみち渡りぬ。沖のくらきに漁火も見えず、惡魔の襲ひ來るばかりに凄き暗風、面を吹いて、氣持よからざるに、三年前に一見のなじみありし風光を、雨戸の外に閑却して、一浴し來れば、洋燈の光明に、隣席のつれこみのさゝめごと、しめやかなり。天隨、蝶二、いづれも酒場の剛の者なり。今宵一夜はこゝに飮みあかさむといきまきて、膳の來たるをおそしと盃とりあげしに、いづれも一と口にして杯を投じて苦顰す。酒惡しくして飮むべからざるなり。如何に『薄々酒優茶湯』の古詩を吟ずるも、遂に忍ぶ能はず。せめて處柄の磯節を聞かむとて、校書二人ばかり呼びぬ。都のうぶらしけれど、琵琶の女になずらふべくもあらねば、われらもまた江州の司馬にもあらず。程近き磯濱か、祝町かに一寸走りゆけば、たやすく得らるべき酒を、宿の者ぶしやうして買ひ來らむともせざるに、一同祝町に赴きて飮み直さむと一決す。天氣は如何にと窓を推せば、物すごく、暗き空に時ならぬ白雪紛々として降り來れり。この雪にと弱音を叶くものありて、車をと言ひ出だしたれど、四臺まではそろはず。さらばいざ雪見にころぶ處までと、宿の提燈かりて、闇を衝き雪を衝きて徒歩す。四位の少將は、斯かる夜にも小町のもとに通ひけむ。これは戀ゆゑ、われは酒ゆゑ、ほれて通へば千里も一里、半里の路またゝく間に行きつくして、祝町につけば、夜すでに十時、快く醉ひを買ひて一夜の夢あたゝかに、宿醉に重き頭をもたげて欄によれば、海上の旭日、既に三竿に及べり。また飮み直して立ち出づ。都生れの女、水頭に送り來りて何となく打萎れたるは、都にかへる人あるにつけて、慣れし故郷のこひしきなるべし。昨日の水路をさかのぼる。梯子飮みの蝶二、獨り舟中にて飮み、獨り醉ひて獨り元氣なるにひきかへ、天隨悄然として溜息をもらせるは、歡樂きはまりて哀情多きにや。名殘は盡きざれど、水戸より汽車に乘りてかへりぬ。鐵道の近き第一公園の梅依々として清香を送るに、後髮引かるゝ心地のみせられぬ。
(明治四十四年)

底本:「桂月全集 第二卷 紀行一」興文社内桂月全集刊行會
   1922(大正11)年7月9日発行
入力:H.YAM
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年11月28日作成
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