佐世保へいらっしゃるんですって、佐世男が佐世保にいくなんて、なんかおかしいですね――、オホホホホ。あなたさまは日本人でしょう、オホホそれならお行きにならない方がお幸せですわ。……雲仙の旅館の女中は手を振った……。日本人は相手にされませんよ、靴をみがこうとなさっても駄目駄目。
 オホホホ、女の子ですって、それこそ鼻もひっかけませんよ。それは北海道の果からも美人がおしかけておりますけれど、あきらめなさった方が、およろしいですよ、なにも佐世保ばかりが女の都といったわけでもありますまい、オホホホ。この雲仙にも、温泉でみがかれた玉の肌の女がおりますわよ――それに高い山の上ですもの霞をのんで生きているような美しい仙女ですよ。およし遊ばせ。ほんとの美人はこのような仙境に、がいしておるものですわ、オホホホ。お買物ですって駄目! 駄目! 日本語ではなんにも買えませんよ、タクシー、とんでもない、およし遊ばせったら、悪いことは申しあげませんよ。私は佐世保にいったことはありませんが、お客様がそのように申しているのを聞いたばかりなのですよ。およし遊ばせったら、およし遊ばせ。
 いやもう驚いた。この様子では、せっかく九州の旅をしているのに、佐世保だけがまるで、遠くはるかなる外国のような気がして、志気大いにくじけるではありませんか。
 佐世保のステーションに着いたのは黄昏時で、なるほど、下車する人を見ると米軍の士官や水兵達が大きなトランクや袋なぞをかついで、赤帽達が大わらわである。この調子で行くと雲仙の女中さんの話もまんざら嘘でもないらしいぞ。ちょいと心細くなって外へ出ると、タクシーがあった。恐る恐る話しかけて見ると、
 O・K・オーケー。
 と、ドアーを開けてくれた。やれやれとシートに腰をおろして外をながめると、軍港時代は知らぬがなるほど街は白い西洋菓子のように色どられ、ネオンのチューブがまるで青空の動脈のように色々大空にそびえ、あちらの岡、こちらの山肌とまるでグリーンに白、赤い屋根、白血球と赤血球が群り集ったような異国風景、星条旗がへんぽんとひるがえっている。地球上も時々大きな変化が起って、色々な色彩にぬりかえられるものよ、長生きすれば、するほどまったく、とまどいをしてしまう。
「運転手さん、ここは日本人をまるで相手にしないといわれて来たのだが、ほんとかい」
 と、聞くと、
「いや、そんなことはないですが、今はこのように、上陸する兵隊がまるで少くなったので、日本人でも結構相手にしますよ。盛りの時は、キャバレーなんかよりつけられませんな、何しろ外貨獲得で一生懸命でしたもの、日本人なんか相手にしませんでしたよ。しかしこの頃はこの通りでさァ――」
 と、なんとなくしょげ切っている。山水楼という旅館に旅装をといたのだが、一風呂あびて部屋に帰ると、アアッと驚いた。スーツケースもスケッチブックも、何もかもなくなって姿はない。さて泥棒かと、女中さんを呼べば、
「ハイ、みんな御あずかりしております」
 と、いうので、やれ安心。
「そんなに用心が悪いのかね」
 と、聞くと、
「いや、お客様のお持ち物を大切にするあまりでございます。まことに失礼致しました」
 と、いうのです。なんと親切な女中さんであろうと感心したものである。

 なにしろ、アメリカの艦隊や輸送船の上陸が制限されましたので、佐世保もこのところ困っているのですよ。ここへ落ちる金は莫大なものでごわしてな、それが中絶されたのでまことに不安状態になってしまったのですよ、それに朝鮮の問題が休戦にでもなろうものなら、灯の消えたようになってしまうのですよ。この街の人達も大いに良心的になり、めっぽう高い料金を取ったり、とほうもない価格をつけたり、暴利を注意しましてな、大いに土地の発展に力を入れたいと思っておるのですよ、今までは派遣軍はここで一休みをして英気を養い、戦場に送り込む方式になっていたし、又、戦地で戦った軍人達が一度このところで戦塵を洗い落して行くという、しごくよろしい方式になっておりましたが、米本国の婦人連盟などが、それは若い者にあまり利益にならず、かえって恐ろしきSASEBOKINという菌はこまる……。
「チョッチョットお待ち下さい、そのサセボ菌というのは」
 これは失礼しました。そのあのその……その菌というものは新たにキティ台風とか、何々台風とかいったように戦後現れたつまり新発生した菌でありましてな、これが米国本土の息子をもつ婦人連に問題になりまして、まったく汗顔の至りでございますが、これも何もこの土地ばかりが悪いのではなく、発生さした責任者の罪でございまして真にはや困ってしまったのでございます。まったく世の中というものはとんだ所で妙なものが生まれるものですなア――と聞かされたものです。

 何時ともなく、この問題の夜の街に現われて見たのです。岡の上に絢爛と不夜城の如くそびえる、銀座にもめずらしいというキャバレーカスパの豪華な入口にユニフォームも素晴しいボーイに送られて、恐る恐る肌もあらわのダンサー達の中に座をしめたのですが、なるほど、天井も高くまるでこの世のこととは思えぬ美しいキャバレーで、ありとあらゆる洋酒のビンがまるで壁の柄の如く飾られ、数人のバーテンダーが腕をまくり、よきハイボール、カクテルをいざ作らん意気込みであるのですが、この向うの霞むような広いホールに二、三人の水兵さんが、ゆらゆらと腰をゆすってマンボ踊りかなんかをやっているだけで、なるほど灯の消えたような淋しさ。そのかわり外人専門のこのキャバレーでも、美しいダンサーに取まかれるというチャンスを得たこの旅人は、何が幸せになるかわからぬといった風に、ハイボールを心地よくのみほしているのである。
「私は北海道よ」
「私は東京よ」
「ミーは大阪」
「この頃東京の盛り場は、ど――オ」
「しごく盛んで景気がいいよ」
「帰りたいわ」
「モー、サセボも駄目よ」
「不景気なんですもの、私達には休戦が一番いけないよ」
 私が東京へかえるのだというと、背のすらした銀色のイヴニングをピッチリ美しい姿体に張りきらした肉感的な女性が、
「こういう絵描きさん、知っている」
「知っているどころじゃない、飲み仲間だよ」
 というと彼女は、すみませんがと手紙をたくされたのである。土地に不景気風が吹くと、思わぬところでメッセンジャーボーイなぞにさせられるものであるとつくづく考えさせられてしまったのである。

 そういいますが、まだ夜の街は水兵で賑わい、まるで映画もどきのセーラーの喧嘩の華がところどころに演じられ、港サセボはなかなか華やかである。BARからキャバレーから夜の女の群へとさまよい歩いて見たのです。日本人専門のハーバーライトは、とてもこみ合って、港で儲けた旦那衆が美人を擁して踊りくるっていた。外人専門の米軍許可を得ている美妓のいる堀ハウスにもいって見たのである。愛らしい純大和撫子が蝶々さんのような和服を着かざったり、上海ドレスにきめの細かい雪の肌を包んで、若いアメリカ水兵さんのピンカートンぶりを愛していた。SASEBOKINもどこへやら、ここばかりは明るい光が窓に輝いている。なんとはなしに、かわいそうなお人形のようで、涙の人生のような気がしてならなかった。明るい夜の街、SASEBOも華やかに火花と輝いていますが、うごめいている人達は、なにか宿命のようなすてばちで、ただ暗い夜空をながめているようでならない。SASEBOは、朝鮮戦線の上り下りがまるで脈搏のようにはっきりひびいてくるのはなんとなく心細い様子である。新しく生きろよ、佐世保の港。歴史にのこる良港よ、もっと遠大な理想に生きてもらいたい。

底本:「猿々合戦」要書房
   1953(昭和28)年9月15日発行
入力:鈴木厚司
校正:伊藤時也
2010年1月27日作成
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