≪明治三十六年≫
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鷸にありては百羽掻也、僕にありては百端書也月や残んの寝覚めの空老れば人の洒落もさびしきものと存候、僕昨今の境遇にては、御加勢と申す程の事もなりかね候へども、この命題の下に見るにまかせ聞くにまかせ、且は思ふにまかせて過現来を問はず、われぞ数かくの歌の如く其時々の筆次第に郵便はがきを以て申上候間願はくは其儘を紙面の一隅に御列べ置被下度候、田に棲むもの、野に棲むもの、鷸は四十八品と称し候とかや、僕のも豈夫れ調あり、御坐います調あり、愚痴ありのろけあり花ならば色々芥ならば様々、種類を何と初めより一定不致候十日に一通の事もあるべく一日に十通の事もあるべし、かき鳴らすてふ羽音繁きか、端書繁きか之を以て僕が健康の計量器とも為し被下度候勿々(十三日)
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今日不図鉄道馬車の窓より浅草なる松田の絵看板を瞥見致候。ドーダ五十銭でこんなに腹が張つた云々野性は遺憾なく暴露せられたる事に候。其建物をいへば松田は寿仙の跡也常磐は萬梅の跡也今この両家は御一人前四十五銭と呼び、五十銭と呼びて、ペンキ塗競争硝子張競争軒ランプ競争に火花を散らし居り候由に候。見識と迂闊は同根也、源平の桃也馬鹿のする事なり。文明は銭のかゝらぬもの、腹のふくるゝものを求めて止まざる事と相見え申候。(十四日)
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平民新聞の創刊に賀すべきは其門前よりも其紙上に酸漿提灯なき事なり各国々旗なき事なり市中音楽隊なき事なり、即ち一の請負、損料文字をとゞめざる事なり。ト僕ガ言つてはヤツパリ広目屋臭い、追て悪言を呈するこれは前駆さ、齷齪するばかりが平民の能でもないから、今一段の風流気を加味したまへ但し風流とは墨斗、短冊瓢箪の謂にあらず(十五日)
何も是れも俊秀なら、俊秀は一山百文だとも言得られる。さて其俊秀なる当代の小説家が普通日用の語をさへ知らぬ事は、ヒイキたる僕の笑止とするよりも、残念とする所だが今ではこれが新聞記者にも及んだらしい。けふの萬朝報に悪銭に詰まるとあるのは、悪の性質を収得と見ず、消費と見たので記者は悪銭身に附かずといふのと、悪所の金には詰まるが習ひといふのと、此二箇の俗諺を混同したものだらう。かゝる誤りは萬朝報に最も少かつたのだが、先頃も外ならぬ言論欄に辻待の車夫一切を朧朧と称するなど、大分耳目に遠いのが現はれて来た。これでは国語調査会が小説家や新聞記者を度外視するのも無理はないと思ふ。萬朝報に限らず当分此類のが眼に触れたら退屈よけに拾ひ上げて御覧に供さう。(十五日)
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日向恋しく河岸へ出ますと丁度其処へ鰻捕る舟が来て居ました。誰もよくいふ口ですが気の長い訳さね 或一人が嘲笑ひますと又、或一人がさうでねえ、あれで一日何両といふものになる事がある俺が家の傍の鰻捺ぎは妾を置いて居ますぜと、ジロリと此方の頭の先から足の先迄見下しましたこのやうな問答は行水の流れ絶えず昔から此河岸に繰り返されるのですがたゞ其時私の面白いと思ひましたのは、見下した人も見下された人も、殆ど同じ態度に近寄りまして更めて感に入つた一呼吸の裡にどちらもが妾のありさうにも有得さうにもないのゝ明かな事でした即ち妾を置きますのを、こよなき驕奢こよなき快楽としますやうな色が、其どちらもの顔一杯に西日と共に照渡つた事でした。(十六日)
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二の酉也、上天気也、大当り也と人の語り行くが聞え申候。看上ぐるばかりの大熊手を担ぎて、例の革羽織の両国橋の中央に差懸り候処一葬儀の行列前方より来り候を避くるに由なく忽ち之を河中に投棄て、買直しだ/\と引返し候を小生の目撃致候は、早十四五年も前の昼の事に候。けふ此頃の酉の市に参りて、エンギを申候ものにこの意義ありや、この愛敬ありや。年季職人の隊を組みて夜を喧鬨の為めに蟻集するに過ぎずとか申せば、多分斯の如き壮快なる滑稽は復と見る能はざるべしと小生は存候(一七日)
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往還よりすこし引入りたる路の奥に似つかぬ幟の樹てられたるを何かと問へば、酉の市なりといふ。行きて見るに稲荷の祠なり。此地には妓楼がありますでな、酉の無いのも異なものぢやといふ事でと、神酒の番するらしきが何ゆゑかあまたゝび顔撫でながら、今日限り此祠を借りましたぢや。これも六七年前。下総は市川、中山、船橋辺の郊行の興深からず、秋風の嚏となるを覚えたる時の事に候。(十七日)
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人目に附易き天井裏に掲げたる熊手によりて、一年若干の福利を掻き招き得べしとせば斃せ/\の数ある呪ひの今日に於て、そは余りに公明に失したるものにあらずや
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銀座の大通りに空家を見るは、帝都の体面に関すと被説候人有之候へども、これは今更の事に候はず、東京闢けて銀座の大通りの如く、転変の激きは莫しと某老人の申候其訳は外充内空の商略にたのみて、成敗の一挙に決せんと欲し候人の、其家構へに於て、町構へに於て、同処を利と致候よりの事にて、今も店頭に堆きは資産に非ず、負債なるが多きを占むるよしの結果に候、
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通抜無用の札を路次口へ貼つて置くのは、通抜らるゝ事を表示するやうなものだと言つた人があるが僕も先刻余儀なき用事で或抜裏へ一足這入るとすぐに妙なる二つの声を聞いた亭主曰く、いつまで饒舌つて居やがるのだ、井戸端は米を磨ぐ所で、油を売る所ぢやねえぞと。女房曰く、御大層な事をお言ひでないうちのお米が井戸端へ持つて出られるかえ其儘鳴りの鎮つたのは、辛辣な後者の勝に帰したのだらう(十八日)
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鉄馬創業の際、大通りの営業別を調べたるに、新橋浅草間に湯屋は一軒なりしと、旧けれどこれも其老人の話也。勢の自然と言つては堅過ぎるが、成程江戸時代から考へて見ても、湯屋と与太郎とは横町の方が語呂がいゝ。(十八日)
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駆落ちたりと申す語、今日の国民新聞に見え申候茶漬る的筆法の脱化とも申すべく候。(十九日)
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無論一部の事には候へども江戸つ子の略語に難有メの字と申すが有之、難有迷惑の意に候軽くメの字と略し切りたる洒落工合が一寸面白いと存候。(十九日)
親子若くは夫婦が僅少の手内職に咽ぶもつらき細々の煙を立てゝ世が世であらばの嘆を発し候は旧時の作者が一場のヤマとする所に候ひしも今時は小説演劇を取分けて申候迄もなし実際に於てかゝる腑甲斐なき生活状態の到底有得べからざる儀となり申候、即ち今時の内職の目的は粥に非ず塩に非ず味噌に非ず安コートを引被けんが為に候安縮緬を巻附けんが為に候今一歩をすゝめて遠慮なく言はしめたまへ安俳優に贈り物をなさんが為めに候。行跡の稍正しと称せらるゝ者も猶親に秘し夫に秘して貯金帳を所持せん為に候。要するに娘が内職するは親に関することなく妻が内職は夫に関することなし、一家の経営上全くこれは別口のお話とも申すべきものに候。お前さんのは其処にお葉漬かありますよ、これは儂が儂のお銭で買つたのですと天丼を抱へ込み候如きは敢て社会下流の事のみとも限られぬ形勢に候内職と人心、是亦忽諸に附す可からざる一問題と存候。(二十日)
拭掃除も面倒也、お茶拵へも面倒也内職婦人の時を惜むこと、金を惜むよりも甚しく候。煮染の行商はこれが為に起りて、中々の繁昌と聞き及び申候文明的に候(二十日)
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自分が内職の金で嫁入衣裳を調へた娘が間もなく実家へ還つて来たのを何故かと聞くと先方の姑が内職をさせないからとの事ださうだ(二十日)
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底あり蓋ありで親も咎めず、夫も咎めぬものをアカの他人が咎めても、ハイ、止しませうと出る筈のない事だが僕とても内職其ものを直々に不可いといふのではない、つまらなく手を明けない為めに始めた内職が内職の為につまらなく手を塞げない事になつて何にも彼にも免れぬ弊風といふのが時世なりけりで今では極点に達したのだ髪だけは曰く有つて奇麗にする年紀の娘がせつせと内職に夜の目も合はさぬ時は算筆なり裁縫なり第一は起居なりに習熟すべき時は五十仕上げた、一百仕方げたに教育せられ薫陶せられた中から良妻賢母も大袈裟だが並一人前の日本婦人が出て来る訳なら芥箱の玉子の殻もオヤ/\鶏に化さねばならない、さうなれば僕も山の芋を二三日埋けて置いて竹葉神田川へ却売りをする。内職ではない本業だ。(二十日)
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縁附きてより巳に半年となるに、何一つわが方に貢がぬは不都合なりと初手云々の約束にもあらぬものを仲人の宥むれどきかず達て娘を引戻したる母親有之候。聞けば此母親娘が或お屋敷の奥向に奉公中臨時の頂戴物もある事なればと不用分の給料を送りくれたる味の忘られず父親のお人よしなるに附込みて飽迄不法を陳じたるものゝ由に候。さては此母親の言ふに言はれぬ、世帯の魂胆もと知らぬ人の一旦は惑へど現在の内輪は娘が方よりも立優りて、蔵をも建つべき銀行貯金の有るやに候。間然する所なしとのみ只今となりては他に申すやうも無之候
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娘売らぬ親を馬鹿だとは申し難く候へども馬鹿見たやうなものだとは申得られ候。婿を買ふ者あり娘を売る者あり上下面白き成行に候
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裾曳摺りて奥様といへど、女は竟に女也当世の臍繰要訣に曰く出るに酒入つても酒、つく/\良人が酒浸して愛想の尽きる事もございますれど、其代りの一徳には月々の遣払ひに、少々のおまじないが御座いましても、酔つて居れば気の附く事ではございませぬ。
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縦令旦那様が馴染の女の帯に、百金を抛たるゝとも儂が帯に百五十金をはずみ給はゞ、差引何の厭ふ所もなき訳也。この権衡の失はれたる時に於て胸づくしを取るも遅からずとは、これも当世の奥様気質也、虎の巻の一節也。
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夫をして三井、白木、下村の売出し広告の前に立たしむればこれある哉必要の一器械なり。あれが欲しいの愬へをなすにあらざるよりは、毫もアナタの存在を認むることなし
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栄えよかしで祝はれて嫁に来たのだ、改良竈と同じく燻るへきではない、苦労するなら一度還つて出直さう。いかさまこれは至言と考へる。
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黒縮つくりで裏から出て来たのは、豈斗らんや車夫の女房、一町許行くと亭主が待つて居て、そらよと梶棒を引寄すれば、衣紋もつんと他人行儀に澄まし返りて急いでおくれ。女房も女房也亭主も亭主也、男女同権也、五穀豊穣也、三銭均一也。これで女房が車から下りて、アイと駄賃を亭主に渡せば完璧々々
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状使のこれは極めて急なれば、車に乗りて行けと命ぜられたる抱車夫の、御用となれば精限り駈けて駈けて必ずお間は欠かざるべし、されど車に乗ると云ふは、わが日頃の誓に反くものなれば仰せなれども御免下されたし、好みてするものはなき賤しき業の、わが身も共々に牛馬に比せらるゝを耻ともせず、おなじ思ひの人の車に乗りて命をも絞らん汗の苦しきを見るに忍びねばと、足袋股引の支度ながらに答へたるに人々其しをらしきを感じ合ひしがしをらしとは本此世のものに非ずしをらしきが故に此男の此世の車夫とは落ちしなるべし。定かや足は得洗はで病の為めに程なく没したりとぞ
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エモンを字の如くイモンと読んで衣に附けた紋と心得て居た小説家があつたさうだが、或若い御新造が羽織を幾枚こしらへても、実家の紋を附けるのを隣の老婢が怪んでたづねると、良人と儂は歳の十幾つも違ふのですもの、永く役に立つやうにして置かねばと何でも無しの挨拶に、流石おせつかいの老婢もそれはそれはで引下つたさうだ此処迄来れば憾みは無い。
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いつの年でしたか私の乗りました車夫が足元へ搦み着へた紙鳶の糸目を丁寧に直して遣りましたから、お前は子持だねと申しましたら総領が七つで男の子が二人あると申しました
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悠然と車上に搆へ込んで四方を睥睨しつゝ駆けさせる時は往来の奴が邪魔でならない右へ避け左へ避け、ひよろひよろもので往来を叱されつゝ歩く時は車上の奴がが癇癪でならない。どちらへ廻つても気に喰はない。
(以上十月二十日)
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さうだ、こんな天気のいゝ時だと憶ひ起し候は、小生のいさゝか意に満たぬ事あれば、いつも綾瀬の土手に参りて、折り敷ける草の上に果は寝転びながら、青きは動かず白きは止まらぬ雲を眺めて、故もなき涙の頻りにさしぐまれたる事に候。兄さん何して居るのだと舟大工の子の声を懸け候によれば其時の小生は兄さんに候如斯きもの幾年厭きしともなく綾瀬に遠かり候後は浅草公園の共同腰掛に凭れて眼の前を行交ふ男女の年配、風体によりて夫々の身の上を推測るに、例の織るが如くなれば心甚だ忙はしけれど南無や大慈大悲のこれ程なる消遣のありとは覚えず無縁も有縁の物語を作り得て独り窃にほゝゑまれたる事に候。御覧よ、まだあの小父さんが居るよと小守娘の指を差し候によれば其時の小生は小父さんに候。猶こゝに附記すべき要件有之兄さんの帰りは必ずよその家に飲めもせぬ一抔の熱燗を呼び候へども。小父さんの帰りはとつかはと馬車に乗りて喰はねばならぬ我宿の三膳の冷飯に急ぎ申候。今や則ち如何前便申上げ候通り、椽端の日向ぼつこに候。
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白氏が晴天の雨の洒落ほどにはなく候へども昨日差上げ候端書十五枚もより風の枯木の吹けば飛びさうなるもののみ、何等風情をなすべくも候はず、取捨は御随意に候骨の折れる事には随分骨を折り候男と我ながらあとにて感服仕候。日影弱き初冬には稀なる暖さに候まゝ寒斉と申すにさへもお耻かしき椽端に出でゝ今日は背を曝し居り候、所謂日向ぼつこに候日向ぼつこは今の小生が唯一の楽しみに候、人知らぬ楽しみに候、病むまじき事也衰ふまじき事也病み衰へたる小生等が骨は、人知らぬ苦を以て、人知らぬ楽みと致候迄に次第に円く曲り行くものに候。御憫笑可被下度候
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読むのもいや書くのもいや、仕方がないと申す時あるを小生は感じ申候。なまけ者の証拠と存候この仕方がない時江川の玉乗りを見るに定めたる事有之候、飛離れて面白いでもなく候へどもほかの事の仕方がないにくらべ候へばいくらか面白かりしものと存候たゞ其頃小生の一奇と致候は萬場の観客の面白げなるべきに拘らず、面白げなる顔色の千番に一番捜すにも兼合と申すやらの始末なりしに候度々の実験なれば理窟は申さず、今も然なるべくと存候愈々益々然なるべくと存候。認め了りて此一通の段落を見るに「と存候」の行列也、更に一つを加へて悪文と存候
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容易に胸隔を開かぬ日本人は容易に胸隔を閉つる日本人に候、失望の相ならざるなしと、甞て内村先生申され候。然り小生も日本人に候拒まざるが故に此言を為し候
(以上十一月廿一日)
底本:「明治の文学 第15巻 斎藤緑雨」筑摩書房
2002(平成4)年7月25日初版第1刷発行
底本の親本:「緑雨遺稿」木下出版商社
1907(明治40)年10月
初出:「平民新聞 第2、4、5、6、8号」平民社
1903(明治36)年11月22日〜1904(明治37)年1月3日
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。
入力:H.YAM
校正:noriko saito
2010年1月15日作成
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