先日読んだ話のなかに燈火節キヤンドルマスといふ字が出てゐた、二月の何日であつたか日が分らないまま読んでゐたのを、今日辞書で探してみると、燈火節二月二日、旧教にては、この日に蝋燭行列をなし、一年中に用ひる蝋燭を祓ひ清むる風習あるを以てこの名あり、とあつた。先日読んでゐたのは聖女セントブリジツトの物語で、彼女は二月に生れた人で、古いゲエルの習慣では、聖ブリジツトの日に春が来ると言つて、ちやうどこの燈火節の日に春を迎へる祝ひをしたものらしいが、特に蝋燭だけではなくブリジツトはすべての火を守る守護神でもある。「ゲエルのマリヤなるブリジツト」といふグレゴリイ夫人の伝説のはじめに「ブリジツトは春の初めの日の日の出る時に生れた。母はコンノートの奴稗ぬひであつた。天の使が彼女に洗礼をさづけてブリジツトと名づけた、火箭といふ名である。」またフィオナ・マクラオドの「浜辺の聖女ブリジツト」といふ文では「二月の美しい女」「温い火の聖女ブリード」「浜辺の聖女ブリード」と三つの名を挙げてゐる。
 二月の美しい女ブリードは、キリストの養ひの母ブリジツトや、家庭をまもる聖女ブリジツトといふやうなキリスト教のにほひを持つ一人の女性とは違つて、それよりずつと古い時代の、ゲエルかそれよりも以前の民族に信仰されてゐた火と詩の女神ブリードの姿も一しよにされてゐるだらうと言つてゐる。ドルイドの司祭は彼女を片手には黄いろい小さな火焔を持ち、片手には火の赤い花をもつ「朝のむすめ」として礼拝してゐた。その火がなければ、人間の子たちも洞穴に住む野のけものたちと同じやうなものであつたのだらう。今も春が来るたびに「二月の美しい女」は思ひ出される。人の心に、昔の古い偉大な姿は消えても、をさなごキリストを一夜自分の胸に抱いて子守歌をうたつた養ひの母ブリジツトとして、人間の家庭の揺籠を夜も昼も守る女神として、また九十日の冬眠から天地自然が目をさまして春が生れる歓びとともに、二月の初めに生れた彼女を愛するのであらう。
 大西洋の灰色の波と寒いさむい雲霧に覆はれてゐたアイルランドの海岸や、海中の島々に初めて春が来るとき、そのとき聖女ブリジツトの来る前兆が見える。それはたんぽぽ、仔羊、海鳥、普通に都鳥とよばれてゐる鳥どもである。昔のむかしの何時からともなく、春がくれば先づ路傍に黄いろい花を咲かせるたんぽぽ、これが聖女ブリジツトの花とされてゐる。二月のブリジツトの季節になると羊飼たちは霧の中におびただしい仔羊どもの鳴き声をきくことがある、それに牝羊の声が交つてゐない時、それは聖女がそこを通られたしるしだと彼等は信じてゐる、聖女はやがてこの地上の丘にも野にも生れ出ようとする無数の仔羊どもを連れて通られるのださうである。西海岸や遠い沖の離れ島に住む漁師たちは「牡蠣捕かきとり」と呼ばれ都鳥とも言はれる海鳥のくりかへし鳴く声をひさしぶりに聞く時、よろこび勇む。それはすばらしい魚の大群がこの浜に近寄つてくる先ぶれで、それにつれて南風も吹き、僅かながら青い色が草の上に見えてくるし、どこからか小鳥らが籔を探してくる。さうすると鳥どもの歌も聞えて、地上のどこにも新しい歓びが来る。「浜辺の聖女ブリジツト」が顕はれたしるしである。
「旅びとの歓び」といふ別の名を持つてゐる路傍の黄いろい花のたんぽぽを聖女は胸にさす、彼女がその花を明るい空気の中に投げるとき、みどりの世界が現はれる。
 北と東の灰色の風を吹きつける沖のさびしい島で生きることは容易ではない、一本の流れ木も一つかみの泥炭も、異つた種類の小魚の入り交つた獲物も、どれもみんな悲しいほど尊い必需品である。その海岸にギルブリード(ブリードの僕)と鳴く海鳥の声をきく時、島びとは生き返へるやうな歓びを感じる。海鳥はするどい高い声でギルブリード ギルブリードとくりかへして鳴く、聖女がそのとき浜を歩いて行かれる。それは荒い海岸や孤島の話である。もつと豊かな農村の家庭でも、女たちはこの「二月の美しい女」黄いろい髪の親切な聖女にお祈りをする。聖女はをさないものの揺籠の上に身を屈める。赤んぼが微笑する時、母親は聖女の顔をまのあたり見るのだといはれる。
 今、私は寒さの中にちぢこまつて、もう幾日したら春が立つかと指折りかぞへて二月の初めを待ちながら、遠い西の国にむかし生れた二月のむすめブリードを思ひ出した。二月二日の祝日いわひびだといふ燈火節のことも考へた。

底本:「燈火節」月曜社
   2004(平成16)年11月30日第1刷発行
底本の親本:「燈火節」暮しの手帖社
   1953(昭和28)年6月
入力:竹内美佐子
校正:富田倫生
2008年10月14日作成
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