歌舞伎芝居や日本音曲は、徳川時代に完成せられたものからほとんど一歩も出られない。もし現在の日本に劇や音楽の革新運動があるとすれば、それは西欧の伝統の輸入であって、在来の日本が生み出したものの革新ではない。それに比べると日本画には内からの革新衝動があるように見える。たといそれが、世界的潮流に乗っている洋画家の努力から見て、時代錯誤の印象を与えずにはいない程度のものであるにしても、とにかく現代人の要求を充たすに足りる新生面の開拓の努力は喜ぶべきことである。
 しかしこの十年来の革新の努力がどういう結果を生んだかという事になると、我々は強い失望を感ぜずにはいられない。美術院の展覧する日本画が明らかに示しているように、この革新は外部の革新であって内部のそれではないのである。
 美術院展覧会を一覧してまず感ずることは、そこに技巧があって画家の内部生命がないことである。東洋画の伝統は千年の古きより一年前の新しきに至るまでさまざまに利用せられ復活せられて、ひたすら看衆の眼を奪おうと努めている。ある者は大和絵と文人画と御舟ぎょしゅう龍子りゅうしとの混合酒を造ってその味の新しきを誇り、ある者はインドとシナの混合酒に大和絵の香味をつけてその珍奇を目立たせようとする。昔の和歌に巧妙な古歌の引用をもって賞讃を博したものがあるが、この種の絵もそういう技巧上の洒落しゃれえらぶ所がない。自己の内部生命の表現ではなく、頭で考えた工夫と手先でコナした技巧との、いわばトリックをろうした芸当である。そうしてそのトリックの斬新が「新しい試み」として通用するのである。
 目先の変更を必要としないほどに落ちついた大家は、自己の様式の内で何らか「新しい試み」をやる。主として画題選択の斬新であるが、時には珍しい形象の取り合わせ、あるいは人の意表にいづるごとき新しい図取りを試みる。しかしこれらの画家を動かしているものは、岡倉覚三おかくらかくぞう氏の時代の自然観、芸術観であって、その手腕の自由巧妙なるにかかわらず、我らの心に深く触れる力がない。
 文展の日本画を目安にして言えば、確かに院展の日本画には生気溌剌はつらつたる所があるかも知れない。しかし我々の要求するのはこの種の技巧上の生気ではない。奥底からにじみ出る生命の生気である。この要求を抱いて院展の諸画に対する時、我らはその人格的香気のあまりにも希薄なのに驚かされる。たまたま強い香気があるとすれば、それはコケおどしに腐心する山気の匂いであり、筆先の芸当に慢心する凝固の臭いであって、真に芸術家らしい独自な生命燃焼の匂いではない。もしこの種の外形的な努力が反省なしに続けて行かれるならば、日本画は低級芸術として時代の進展から落伍する時機が来るであろう。
 この危険を救うものは画家の内部の革新である。芸人をやめて芸術家となることである。
 院展日本画の大体としての印象は右のごときものであった。もし二、三の幸福な例外がなかったならば、我々はこの日本画革新の急先鋒たる美術院に失望し尽くしたかもしれない。
 例外の一は小林古径こばやしこけい氏の『麦』である。氏は示唆的な日本画の手法をもって、麦の収穫に忙がしい農村の光景を写した。その結果が何であるとしても、とにかく氏の描くところには感情がこもっている。画面の上に芸当として並べられた線や色彩ではなくして、氏の心に渦巻くものを画面にさらけ出そうとするための線や色彩である。そうしてそこには、確かに、我々の心の一角に触れる淡い情趣が生かされている。すなわち牧歌的イディリッシュとも名づくべき、子守歌を聞く小児の心のような、憧憬あこがれと哀愁とに充ちた、清らかな情趣である。氏はそれを半ばぼかした屋根やひさしにも、麦をふるう人物の囲りの微妙な光線にも、前景のしおらしい草花にも、もしくは庭や垣根や重なった屋根などの全体の構図にも、くまなく行きわたらせた。柔らかで細かい、静かで淡い全体の調子も、この動機を力強く生かせている。
 このような淡い繊弱な画が、強烈な刺激を好む近代人の心にどうして響くか、と人は問うであろう。しかしその答えはめんどうでない。極度に敏感になった心には、微かな濃淡も強すぎるほどに響くのである、一方でワグナアの音楽が栄えながら他方でメエテルリンクの劇が人心をひきつけた事実は、今なお人の記憶に新しいであろう。静かな、聞こえるか聞こえないほどの声で、たましいの言葉を直接に語り出させようとするような、あのメエテルリンクの芝居が、耳をろうするようなワグナアの音楽にも劣らず人心を動かしたのは何ゆえであるか。それを知るものはただ調子の弱さをもってこの画を責むべきでない。
 この画で問題になるのは、それが写生でありながら実は写実でない事である。といって自分は、この画に塗り残されたところが多いことをさすのではない。塗り残された未完成の画の示唆的なおもしろさ、それを巧妙に生かすのは日本画の伝統の著しい特徴であった。そこには多くの想像の余地が残される。不幸にもそれは堕落してごまかしの伝統を造ったが、それ自身には堕落した手法とは言えない。もし「意味深い形」を造る事が画の目的であるならば、思い切った省略もまた一法である。自分の問題にするのはそれではなくて、むしろ画家の対象に対する態度にある。小林氏は農村の風物を写生したかもしれない。しかし氏の描くところは、農村の風物によって起こされた氏自身の情緒であって、農村の風光そのものの美しさではない。もとより画家が自らの心を通して描く以上は、いかなる対象の美しさも画家自身の内にある美であって、「対象そのものの美しさ」とは言えないであろう。小林氏の感受した美が氏の描いた情趣と同一物であるならば、自分の言うごとき区別は立てられないかもしれない。が、事実問題として、ああいう美しさが六月の太陽に照らされたほの暑い農村の美しさのすべてであるとは言えないであろう。小林氏にしてもあれ以外に多くの色や光や運動の美しさを認めたであろう。しかし氏はその内から一の情趣をつかんだ。そうしてそれを描き出すに必要でないものはすべて省いてしまった。氏はこの情趣に焦点を置いて、この焦点をはずれたものを顧みない。この態度が、右のごとき焦点をきめずに、ありのままに感得した美を描いて、おのずからに情趣を滲み出させる態度と異なっている事は言うまでもなかろう。
 もっと具体的に言えば、氏はその幾分浪漫ろうまん的な感情を満足させるような景色でなければ描く気にならないのではないか。
 もとより自分は、対象の写実が正路であって自己情緒の表現が邪路であると言い切るのではない。いずれもともに正しい道であろう。しかし自己の道がいずれであるかを明瞭に意識しておくことは必要である。小林氏はもちろんそれを意識しておられるであろうが、この意識によって手法上の迷いはかなりに解決せられるはずである。
 氏が『麦』によってなしたところは、この方向に進むものとしては、あのままでいいのかもしれない。しかし自己の情緒を中心とする場合には、勢いその情緒の範囲の内に画が局限せられる恐れもある。従って一方には自己の情緒を深め、強め、あるいは分化させる必要が起こって来る。画の上で新境地を開拓するためにはまず内に新境地を開拓しなくてはならないのである。が、また他方では自然について学ぶということも一法であろう。すなわち情緒表現の道と並行して、純粋に写実に努力し、これまで閑却していたさまざまの自然の美を捕えるのである。宋画のある者に見られるような根強い写実は、決して情趣表現の動機から出たものではない。氏を浪漫的な弱さから連れ出すものは、おそらくこれらの方法のほかにあるまい。
 いずれにしても小林氏が自己の直接な感情を画面に投げ出そうとしているのは感情のない画の多い院展日本画にとっては心強い。氏が『竹取物語』のごとき邪路に入らずに、ますます自己に忠実な画の製作に努められんことを祈る。
 例外の二は川端龍子かわばたりゅうし氏の『土』である。日本絵の具をもって西洋画のごとき写実ができないはずはない――この事実を氏は実証しようとしているかに見える。小林氏が写生を試みて写実にならなかったのとは著しい対照である。また小林氏ができ得るだけ静かな淡い調子を出しているに反して、この画はでき得るだけ強いはげしい調子を出している。もし手法の剛健を喜ぶならば、この画は新しい日本画として相当の満足を与えるであろう。
 執拗な熱のある筆触、変化の多い濃淡、重厚な正面からの写実、――そういうものが日本画に望めるかどうか、それをかつて自分は問題にした。川端氏は黄熟せる麦畑の写実によってそれの可能を実証してくれた。昨年の『慈悲光礼讃』に比べれば、その観照の着実と言い対象への愛と言い、とうてい同日に論ずべきでない。
 が、この実証は自分に満足を与えたとは言えない。自分はこの種の写実の行なわれないのを絵の具の罪よりもむしろ画家の罪に帰していた。画家にして試みればそれはできるはずである。しかしそれが『土』のようにできたとして、自分は喜ぶべきであるか。
 実をいうと自分は、この画に対した時、画面の印象よりもまずその油絵風の筆触に眼を奪われたのである。そうしてその三色版じみた模倣にあきれたのである。しかし近よって子細に検すると、麦のくきや穂や葉などの、乾いてポキポキとした感じが、日本絵の具でなければ現わせない一種の確かさをもって描かれていた。黄いろい乾いた光沢なども、カンバスの上に油をもってしては、こうは現わせない。この画家の注意深い対象選択は確かに成功であった。また日本絵の具の性質をいかに活用すべきかもここに暗示せられている。が、こう思いながらも、さらに遠のいて観察すると、画面全体には光も空気も現われていない。個々の麦を描く場合に成功したことも、画の全体にとってはほとんど効果がない。写実として失敗である。
 たとい川端氏が日本絵の具をもって油絵以上のことをなし得たとしても、それが部分的であって画として効果がないとすれば、自分は半ば喜ぶとともに半ば悲しまなくてはならない。そうしてこの失敗の原因を探るとき、自分はさらに悲しむべき事実に逢着する。それは西洋画家が普通の事としてやっている対象全体への有機的な注意の欠如である。
 おそらくこの画は全体の構図と個々の麦の忠実な写生とからできたものであろう。従ってあの数多い麦は、かなり機械的な繰り返しをもって、ただ画面上の注意のみによって描かれたものであろう。個々の麦のおのおのに画家の初発的な注意や感情がこもっているとは、どうしても感ぜられない。いわんやあの麦畑の全体を直観した時の画家の感じは、全然閑却せられているように見える。これは写実の画にとってはその生気を失う最大の原因となるであろう。
 川端氏の画は日本画としては確かに一つの新生面である。しかし同じ道においてすでにはるかに高い所を油絵が歩いているとすれば、せっかくの新生面も安んずるに足りない。氏がこの道の上をさらに遠く高く進んで行かれる事は、我々の楽しい期待の一つである。
 真道黎明しんどうれいめい氏の『春日山』は川端氏の画と同じく写実の試みであって、さらに多くの感情を現わし得たものである。柔らかい若葉の豊かな湧き上がるような感触は、――ただこの感触の一点だけは、――油絵の具をもって現わし難いところを現わし得ているように思われる。また川端氏の画と違って光や空気に対する注意も幾分か現わされているようである。しかし若葉を緑色の塊として現わそうとする一本調子なもくろみが、あまりにも単純な自然の観照を暴露している。そうしてここにも機械的な繰り返しが、画面の単調と希薄とを感じさせるのである。特に画の下方のうるさいほどな緑塊重畳においてそうである。
 この画もまた川端氏の画と同じく遠のいて見る時に平板に感ぜられる。画面の前二尺か三尺のところに立つ時、初めて画家の努力が残りなく眼にはいって来るのである。これはおそらく絵の具の関係であろう。もしくはこの絵の具を写実に使う習練の不足によるのであろう。写実の歩を進めるとすれば、この点も考慮せられなくてはならぬ。
 が、この画家には川端氏のごとき山気がない。素直にその感じを現わそうとする芸術家的ないい素質がある。先輩の手法を模倣して年々その画風を変えるごとき不見識に陥らず、謙虚な自然の弟子として着実に努力せられんことを望む。
 ――例外の一と二とに現われた二つの道が日本画を救い得るかどうか。それは未来にかかった興味ある問題である。

底本:「和辻哲郎随筆集」岩波文庫、岩波書店
   1995(平成7)年9月18日第1刷発行
   2006(平成18)年11月22日第6刷発行
初出:「中央美術」
   1919(大正8)年10月号
入力:門田裕志
校正:米田
2010年12月4日作成
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