遠望であるから細かいところは見えないものと承知していただきたい。
 ごく大ざっぱな観察ではあるが、美術院展覧会を両分している洋画と日本画とは、時を同じゅうして相並んでいるのが不思議に思えるほど、気分や態度を異にしている。もちろんそれは文展についても言えることであり、すでに十何年の歴史を負っている事実でもあるから、今さらことごとしく問題にするには及ばないかも知れぬ。しかし僕の遠望観は、ぐるぐると回っている内に、結局この問題に帰着するのである。
 何人も気がつくごとく、ここに陳列せられた洋画は主として写生画である。どの流派を追い、どの筆法を利用するにしても、要するに洋画家の目ざすところは、目前に横たわる現実の一片を捕えて、それを如実に描き出すことである。彼らにとって美は目前に在るものの内にひそんでいる。机の上の果物、花瓶、草花。あるいは庭に咲く日向葵ひまわり、日夜我らの親しむ親や子供の顔。あるいは我らが散歩の途上常に見慣れた景色。あるいは我々人間の持っているこの肉体。――すべて我々に最も近い存在物が、彼らに対して、「そこに在ることの不思議さ」を、「その測り知られぬ美しさ」を、描かれることを要求する。従って彼らは、いかなる描き方をする場合にも、写実的な態度を失わない。
 しかし日本画はそうでない。そこに描かれるのは主として画家の想像である、幻想である。歴史的題材を取り扱う画において、特にこの傾向は著しい。人物を描けば、我々の目前に生きている人ではなくて、豊太閤である。あるいは狗子仏性を問答する禅僧である。あるいは釈迦の誕生を見まもる女の群れである。風景を描けば、そこには千の与四郎がたたずんでいる。あるいは維盛最後の悲劇的な心持ちが、山により川によって現わそうと努められている。さらに純然たる幻想の物語を、すなわち雨月物語を、画に翻訳しようとする努力もある。たまたま我々の目前にあるものを描くとすれば、それは模様のごとく美化された掃きだめである。あるいは全然装飾化された菜園である。そこに現われたのは写実によって美を生かそうとする意図ではなく、美しい色と線との諧和のために、自然の内からある色と線とを抽出しようとする注意深い選択の努力である。現実の風景を描いた画すらも、画家の直接の印象が現われているという気はしない。画家はそこにある情趣を現わそうともくろみ、そのために必要な自然の一面を雇って来るのである。時にはこの目的のために、すでに古い昔に様式化された山や樹の描き方を、巧妙に利用しようとさえもする。これらの選択や利用が、すべて画家のある想念に――主としていわゆる詩的な美しい場面を根拠とするある幻想に――支配せられていることは、何人も否み得ないであろう。日本画のこのような特質に注意を集めて、それを「浪漫的」と呼んでも、必ずしも不都合はないと思う。
 そこでこの二つの態度の比較である。態度そのものの問題としては、どちらかが間違っているとは言い切れない。ミケランジェロは最後の審判において彼の幻想を描いた。平安朝の大和画家は当時の風俗の忠実な描写をやった。しかもミケランジェロは今の洋画の祖先として似つかわしく、大和画家もまた今の日本画の祖先として似つかわしい。今洋画家が想像画を描くことは必ずしも邪道でなく、日本画家が写生画を描くこともまた必ずしも邪道でない。しかしながら、目前の問題としては、洋画の内の想像画に見るに足るものなく、日本画の内の写生画もまた見るに堪えないのである。
 それは何ゆえであるか。
 素人の考えではあるが、洋画の行き方で豊太閤の顔を描き出すことは、容易ではあるまい。いかに単純化した手法を用うるにしても、顔面のあらゆる筋肉や影や色を閑却しようとしない洋画家は、歴史上の人物の肖像を描き得るために、モデルを前に置いたと同じ明らかさをもって、想像の人間の顔を幻視し得ねばならぬ。このことは画家にとって非常な難事である。そうしてたといその困難に克ち得たとしても、彼はその労力に酬いられないことを感ずるだろう。なぜなら彼にとって、豊太閤という人物を十分に描き得たことと、自分の顔を完全に描き得たこととの間に、何らの重大な区別もないからである。この点において洋画は明らかにデモクラティックであって、題材の大小に煩わされることがない。しかし日本画は題材によって興味を呼び起こそうとする。有名な人物を描き得れば描き得るほど、何らか重大なことをなし得たような印象を与える。そうしてまたそれを描くことが洋画におけるほど困難でない。彼らは幻視し得ない点を省略して、ただ明らかに幻想し得る点のみを描くという巧妙な手法を心得ているのである。これは恐らく二千年の歴史を持った東洋画の伝統がしからしめるところであって、この特長を活用するところに日本画家の誇りも存するのであろう。洋画家の理想画や歴史画が幻想の不足のために滑稽に堕している間に、日本画家がこの方面である程度の成功を見せているのは、右のごとき事情にもとづくとも考えられる。
 このことは歴史画のみならず、一般に複雑な情緒や事件を現わす画についても言える。ある特殊な情緒に動いている人間の顔などは、モデルに頼ることができぬ。実生活のあるきわどい瞬間に画家の眼に烙きついた印象を生かすほかはないのである。そうしてそれは洋画家にとって困難であるわりに、日本画家にとっては困難でない。もとより洋画家の内にもこの事に成功した名人は少なくないが、――そうして洋画によって成功した方が結果は偉大であると思うが、――少なくとも日本画家の方がより多くこの種の画題を選むだけ、それだけこのことが困難でないという印象を日本画家に与えているのである。
 しかしこれらのことは直ちにまたその半面の事実をも暴露している。すなわち洋画家は手に合うものをしか描いていない。日本画家は手に合わぬものを弄んで、生命のない色と線の遊戯に堕する傾向を示している。
 洋画家の自然に対する態度はとにかく謙遜である。ある者は自然の前に跪拝きはいし、ある者は自然を恋人のごとく愛慕する。そうして常に自然から教わるという心掛けを失わない。しかし日本画家は自然に対してあたかも雇主のごとき態度を持している。ある気分、ある想念を現わすために、自然を使役し、時にはそれを非難することさえも辞せないのである。
 もとより右の傾向には、双方ともに例外がある。しかし大体の観察としては誤らないと思う。洋画家が日本画家のような大きな画題を捕えないのは、一つには目前に在るものの美しさに徹するということが、十分彼らの心情を充たすに足る大事業であるためであり、二つには目前の自然をさえ十分にコナし得ないものが、歴史的な、あるいは超自然的な形象を描き得るはずもないからである。また日本画家が目前の自然に対して忠実でないのは、その浪漫的な素質のゆえに、目前の卑俗な形象よりも、歴史的に偉大な、思想的に豊富な、あるいは詩的に精練せられた形象の方を、より重大に、より美しく感ずるからである。そうしてまたその手法が、この目的にとって便利であるからである。
 しかし両者の区別は、絵の具や画布などの相違の内に、もっと根本的に横たわっているのではないのか。僕は自ら絵の具の性質と戦った経験を有していないが、ただ鑑賞者として画に対する場合にも、この事を強く感ぜずにはいられない。油絵の具は第一に不透明であって、厚みの感じや、実質が中に充ちている感じを、それ自身の内に伴なっている。日本絵の具は透明で、一種の清らかな感じと離し難くはあるが、同時にまたいかにも中の薄い、実質の乏しい感じから脱れる事ができない。次に油絵の具は、その粘着力のゆえに、現実と取り組んで行くような、執拗な熱のある筆触の感じを出すことができる。日本絵の具はそれに反して、あくまでもサラサラと、清水が流れ走るような淡白さを筆触の特徴とするように見える。また色彩の上から言っても、油絵の具は色調や濃淡の変化をきわめて複雑に自由に駆使し得るが、日本絵の具は混濁を脱れるためにある程度の単純化を強要せられているらしく思われる。――これらの性質は直ちにまた画布の性質に反映して、その特質を一層強めて行く。洋画のカンバスと、絹あるいは金箔。荒いザラザラした表面と、細かいスベスベした、あるいは滑らかに光沢ある表面。
 これらの相違がすでに洋画を写実に向かわしめ、日本画を暗示的な想念描写に赴かしめるのではないのか。
 たとえば、日本画においては、ある一つの色で広い画面をムラなく塗りつぶすということは、非常に技巧の要る事だそうである。しかも日本画家はこの困難な仕事に打ち克とうと努力している。洋画にとっては、ムラなく単色に塗られた広い画面のごときは、美しいものの相反である。むしろ微妙な数限りのないムラがあればこそ、実在性の豊かな美しさが現われて来るのである。しかし日本絵の具で絹の上に、あるいは金箔の上に、洋画の静物の背景のようなムラのある塗り方をしたらどうなるだろう。それが不可能であることを承知していればこそ、日本画家はそれを避けるのではないか。そうして実際の印象とは縁の遠い、ムラのない単色の水面や板壁を描くことになるのではないか。すなわち画布や絵の具が写実を不可能にするゆえに、写実の代わりに、真実を暗示する色や線によって、ある気分、ある情緒を現わそうと努めるに至るのではないか。
 しかし以上はただ一方からの観察である。現在の状況を基礎として考えればこうも見られるであろうが、希望を基礎として考えれば事情は非常に異なって来る。日本絵の具といえども胡粉を多量に使用することによって厚みや執着力を印象することは不可能であるまい。写実も思うままにやれるだろう。古い仏画の内にはこの事を確信せしむる二三の例がある。これらの仏画を眼中に置いて現在の日本画を見れば、その弱さと薄さ、その現実を逃避する卑怯な態度などにおいて、明らかに絵の具の罪よりも画家の罪が認められるのである。色彩のみならず線の引き方においても、リズムの貧弱な、ノッペリとした現在の線は、絵の具や筆の性質によるのではなくて、明らかに画家の性質によるのである。僕は法隆寺の壁画や高野の赤不動、三井寺の黄不動の類を拉しきたって現在の日本画を責めるような残酷をあえてしようとは思わない。しかし大和絵以後の繊美な様式のみが伝統として現代に生かされ、平安期以前の雄大な様式がほとんど顧みられていないことは、日本画を真に偉大な未来へ導くゆえんではあるまいと思う。黄不動の線を凝視せよ。赤不動の色を凝視せよ。ここに日本画を現在の浪漫主義から救う唯一の道がありはしないか。
 僕は暗示的な描き方を排しようとするのではない。ただその狭い領域に立てこもることの危険を感ずるのである。
 さて右のごとき問題を抱いて諸家の作品を遠くからながめる。川端竜子氏の『慈悲光礼讃』は、この問題に一つの解案を与えるものであるが、我々はこれを日本画の新しい生面として喜ぶことができるだろうか。薄明かりの坂路から怪物のように現われて来る逞しい牛の姿、前景に群がれる小さき雑草、頂上を黄橙色だいだいいろに照らされた土坡、――それらの形象を描くために用いた荒々しい筆使いと暗紫の強い色調とは、果たして「力強い」と呼ばるべきものだろうか。また自然への肉薄、あるいは自然への跪拝を印象すると言わるべきものだろうか。僕の受けた印象はただ絵の具を駆使し画面を塗り上げて行く大胆な力のみである。そこには技巧がある。看者を釣り込んで行こうとする戯曲家らしい狡計もある。しかし芸術家らしい直観も感情もほとんど認められない。画面全体の効果から言えば、氏の幼稚な趣味が氏の技巧を全然裏切っていると言っていい。『慈悲光礼讃』という画題は、氏がこの画を描こうとした時の想念を現わすものかどうかは知らないが、もしこの種の企図を持ってこの画を描いたとすれば、そこにすでに破綻がある。もとより僕は画家が想念の表現に努めることを排するのではないが、その想念がかくのごとく幼稚で概念的で、何らの深い感動や直観に根ざしていない以上は、むしろ持たぬ方がいいと思う。椿貞雄氏の『石橋のある景色』や、片多徳郎氏の『郊外にて』や、山脇信徳氏の『浮木に空』などは、自然の前に拝跪する心持ちのほかに、何の想念をも現わそうとしたものであるまい。しかし『慈悲光礼讃』という言葉をあてはめるならば、これらの画の方にはるかに多くその心持ちが現われているのである。これらの画は美しい。しかしそれは工まれ企てられた美しさではない。自然を父とし、画家の心臓を胎として生まれた天真の美しさである。僕はこれらの画に心を引かれる。しかし『慈悲光礼讃』からは何の感興をも受けない。むしろ池の面に浮かんだ魚の姿を滑稽にさえも思う。
 小林古径氏が『いでゆ』によって僕の問題に与える答案は、はるかに興味の多いものである。この画は場中最も色の薄いもので、この点では竜子氏の画と両極をなしているが、しかし日本画として新しい生面を開こうとしていることは、同一だと言ってよかろう。『いでゆ』のねらう所は恐らく温泉のとろけるように陶然とした心持ちであろう。清らかに澄んだ湯に脚をひたして湯槽の端に腰をかけている女の、肉付きのいい肌の白い後ろ姿が、ほの白い湯気の内にほんのりと浮き出ている。その融けても行きそうな体は、裸に釣り合うように古風に結ばれた髪の黒さで、急にハッキリとした形に結晶する。湯のなかにはもう一人の女が、肩まで浸って、両手を膝の方へ伸ばして、湯のなかをでもながめ入っているらしい横顔を見せている。湯槽の向こうには肌ざわりのよさそうな檜の流し場が淡い色で描いてあり、正面の壁も同じように湯気に白けた檜の色が塗られている。右上には窓があって、その端のわずかに開いたところから、庭の緑や花の濃い色が、画面全体を引きしめるようにのぞいている。いかにも清楚で柔らかな感じを持った画である。
『いでゆ』を作者と同じ立場に立って批評すれば、第一に、温泉浴室の柔艶な情趣を生かし得た事において成功である。湯気のためにほの白くなった檜の色も、湯気に包まれてほのかに輝く女の体も、この情趣を画面にあふれ出させるには十分だと言っていい。次にこの画は、女の裸体を描き得たことにおいて成功である。デッサンが狂っていない。肉づきにも無理がない。ことに女の体の清らかな美しさを遺憾なく発揮した所は嘆賞に価する。第三に、日本画で現代の浴室を、しかも全裸の女を描き得たということは、一種の革新である。現代に題材を取っても、できるだけ詩的な、現代離れのしたものを選みたがる日本画家の中にあっては、確かに注目に価することに相違ない。第四に構図と色彩とが成功である。左右から内側へ曲げられた女の姿勢と、窓や羽目板の垂直の線と、浴槽の水平線と、――それで画が小気味よく統一せられている。さらに湯槽や、女の髪や、手や、口や、目や、乳首や、窓外の景色などに用いられた濃い色が色彩の単調を破るとともに、全体を引きしめる用をつとめている。湯の青色と女の体、女の体と髪の黒色、あるいは処々に散らばる赤、窓外の緑と檜の色、などの対照も、きわめて快い調和を見せている。濃淡の具合も申しぶんがない。――しかし難を言えば、どうも湯の色が冷たい。透明を示すため横線を並べた湯の描き方も、滑らかに重い温泉の感じを消している。それに湯に浸った女の顔が全体の気分と調和しない。あの首を前へ垂れた格好も(画の統一のため仕方がないとは思うが)、少し無理である。
 しかし立場を換えてこの画に対すると、非難はこれだけではすまない。なるほどこの画は清らかで美しい。けれどもそれはあまりに弱々しく、あまりに単純ではないか。我々はこういう甘い快さで、深い満足が得られるか。あのような題材からただあれだけの美しさを抽出して来るのでは、あまりにのんきすぎはしないか。湯は色の好みのために温かさを無視せられている。女の体には湯に温まったという感じがまるでない。白い柔らかさは抽出せられているが、中に血の通っている、しなやかな、生に張り切った実質の感じは、全然捨て去られている。全体を漠然と描いておいて、処々に細かい描写を散らしてあるのも、暗示的な描き方ではあるが、抽象的に過ぎる。思うに画家の目ざすところは、色と形の配合によって温泉の情趣を浮かび出させるにある。描かれるものの性質を確実につかむことによって、いや応なしにそこに在るものを再現しようというのではない。冷たい温泉を描きながら、しかも浴室の気分を彷彿せしむるなどは、その証拠である。
 これらの非難は『いでゆ』の画家にとっては迷惑なことに相違ない。なぜなら、画家があえて描くことを欲しなかったところを、その「欲しなかった」のゆえに非難せられるのだからである。あるいは、画家が好んでなしたところを、その「好んでなした」のゆえに非難せられるのだからである。従って非難は特にこの画家に当たるのではなく、この画家の態度を認容する現代日本画の手法そのものに当たるのだと承知していただきたい。
『いでゆ』が我々の目前の題材を深く突き込んで捕えたことは、確かに喜ぶべきことである。またそれが目前の題材から浪漫的ローマンチックな気分を取り出したことも、直ちに非難すべきではない。『いでゆ』は『いでゆ』として存立の意義があるだろう。しかしこの画によって日本画に新しい領土が切り開かれなかったことは、悲しむべきではなかろうか。もしこの画が現在の描き方で行けるところまで行き切ったものとすれば(僕はそう感ずるのであるが)、ここに画家の態度を変更する必要が示されているのである。これまでの日本画が欲しなかった所を欲し、これまでの日本画が好んだ所を捨てるという人が、竜子氏のほかにももう少し現われて来てよかろうと思う。それがない限り日本画の絵の具は今以上の事をなさしめないだろう。それがあるとともに絵の具や筆は新しい能力を発揮するだろう。またしても僕は赤不動を思う。

底本:「偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集」講談社文芸文庫、講談社
   2007(平成19)年4月10日第1刷発行
初出:「東京日日新聞」
   1918(大正7)年9月12日〜16日
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年5月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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