ロックリンの海賊どもがヘブリッド島の鴉に餌じきを与えた時から三年目の、しろき六月とよばれる月に、夏の航海者たちは又もスカイの海峡を下って来た。
 東風が山からあたらしく吹いて来た、明方と日の出ごろとのあいだにその風は向きを変えてクウフリンの岩の峯に触れて冷されて、やがて西北に向いて、風あしの白い泡をうしろから太陽のきらめきに捕えさせながら、飛んで行った。
「スヴァルト・アルフ」に乗っていた海賊たちはそれを見て笑った。水のしぶきは大船のまがりくねった黒い船首から飛び散って、船の跡はまぶしい光の中に躍った――その人たちが好んでいた海のクリームを今見ることができた。
 彼等は丈たかく美しい男たちだった。髪は黄ろいのも金いろのも、赤いのもあったが、それを編んでいる人もあり、あるいは、四月の栗の樹のつぼみが一時に咲き乱れたように捲毛のままで垂らしている人もあり、あるいは、風と潮との渦に巻かれた海草のように乱れたままで肩に散らばしているのもあった。彼等の青い眼はそのうしろに白熱の焔の炬光があるように輝いて、その輝きは、その人たちの頭を満すものが家であるか血であるかによって、優しくも激しくもなった。
「スヴァルト・アルフ」は、「しろき」オラウスの鴉の旗の下にロックリンを船出して来た三十の櫓船の一隊の先頭であった。海賊どもは好い旅をして来た。うたうような南風は彼等をファロオ島に吹き送った、そこで「片手」のマグナスから元気をつけられた、そして西の島々の案内にくわしくて海賊王たちの案内にたびたび使われた三人の男をやとい上げた。
 彼等はマグナス領から蜜糖水と酒と牝牛の肉を沢山に積み入れて船出した、帰りにはその代償として金の頸鎖や胸かざりやいろいろな貴重品も年少の奴隷たちも黒い髪と黄ろい髪の女たちも島ぐにの王たちの宝石の飾りある刀剣も思いのままに与えることが出来ると思って海賊たちは快く笑った。
 東北のつめたい曇り風が彼等の船をスザランドの岬にまっすぐに吹きつけた。船がラッスの岬をまわって山々の影の下に来た真ひるとき彼等はよろこびの歌をうたった。つぎの日の明方は空もあかく、みんなの剣も赤かった。その日彼等がうたったのは「剣のうた」であった、血のながれる時それほどふさわしい歌はなかった。トリドンの髪のくろい人たちは何の備えもなく破られた。その後七日間というもの、草原に硬くなって倒れている素はだかの屍体のそばの赤い血の池で鴉どもは飽きるほど飲んだ。焼かれた家々の火は雨が来るまでくすぶりけむっていた、一日二夜を経て荒野に逃げうせていた老女たちはしのび泣きながら帰って来た。ひと妻や少女たちは船にはこび去られた、「夏の島」に向い合った人げない海岸で九日のあいだ其の女たちの涙や笑いや無愛想な怒りや狂わしい元気や悲しいあきらめが金髪の男たちによろこびを与えた。九日目に彼等は南に運ばれた。
 スカイの北に当って「鴉の岩」と呼ばれた岩山の上にノルマンの貴族がアイルランドの王子から奪い取った大きな城を構えていた、そこに「白き」オラウスはしばらく息をやすめた。女たちは誰でも勝手に取って好いように其処で捨てられた、そのうち非常に美しい三人だけが船に残された、オラウスとその二人の大将ハコオとスウエノがその女たちを自分の物とした。
 北風が吹き出した夕方オラウスと十艘の櫓船は海峡を下った。
「鉄槌」のスウエノは西にそれてリュウスと呼ばれる大きな島に向い、「笑い」のハコオはハリスと呼ばれる島に向うべく、オラウス自身はいまのベンベクラである「千水島」と呼ばれる島のリョトルウィックの港に行き着く定めであった。
 船出の翌日の夕がた強風が吹き起って真すぐに北に向って吹きまくった。南行の櫓船は一艘を除くほか全部がスカイの南方の荒い海岸ぞいに避難した。暴風の暗黒のなかでオラウスはほかの九艘の船が自分のあとにつづいて来るものと思ってその強風の吹くにまかせて船をやった、部下の人たちは船中の風かげにうずくまり、琴手フィンリイルひとりが海の水泡と流れる血と剣の渦とのあらあらしい唄をうたっていた。
 夜が明けて三時間ほどして風は止んだが、濃みどりの海は、震える山々が火を噴く時に酔ったもののように揺れ止まぬ雪ふかい連山に似て、揺れやまなかった。この海では、風の先きに立って進むよりほかに、船のたすかる途はないとオラウスは思った。ほかに一艘の船も見えなかったが、彼は迷わずに西北に向いて進んだ。
 日没、南の風が東にまわった、真夜なかになっては星が清く光っていた。岩間に逃げていた海つばめの再び波の上に下りて来る白い翼が夜の青暗さのなかに見えた。
 夜が明けて太陽の雨がうれしそうに流れ、あたらしい東風が海峡を横ぎって吹きはじめた時、とおく北の方に吹き流されていたスヴァルト・アルフは青い空いろの眼の激しい光と笑いを載せて飛ぶように西南に走った、海賊たちはかいをうごかしたり塩水によごれた剣や短剣をみがいたりしていた。
 終日彼等は愉快に進んで行った。うしろには陸のうす青い線とスカイの青ぐろい山なみが見えていた、前には、北に向いても南に向いてもただ眼に入るものは西に濃くむらさきに浮き立っているヘブリッド島の輪廓だけであった。
「モルナ、あの向うの方のうす青い影がお前に見えるか」オラウスはそばにしどけなく横たわっていた女に言いかけた、彼女は海賊王の眼を捕える網のようなふさやかな赤い髪をひろげてその上に陽のひかりの赤くうつるのを見ていた。
「あのうす青い陸の影が見えるか? あの半島のうしろに二つの枝にわかれて長い入江がある。南の入江の端は、クルディと呼ばれる坊主どもの住むところである、北の入江の東に曲っている辺には百軒ぐらいの家が寄っている部落がある。二つともモリイシャという勇僧が支配している。モリイシャの下にラモン・マック・コアグという老人があって、それが部落の君であるそうだ。こんな事はファロオ島から一緒に来たアンラッフに教えてもらった」
 モルナは長い睫毛の下からオラウスを見た。オラウスの長い髪こそ真しろではあったが彼はまことに美しい男であった、むかしこの若い貴族を憎んでいた男があって、七疋の狼を放った氷塊の上に彼を追い載せたことがあった、その浮き氷塊の上の一夜の恐怖のためにオラウスの髪が真しろになったのであった。彼はその三疋の狼を殺し三疋を溺らせた、のこる一疋は自分から海に飛びこんだ、それから彼は氷の上に寝ていた、夜があけた時、髪がその枕の雪と同じ色に変っていた。これはたった十年前のことで、オラウスがまだ少年の時であった。
 モルナはオラウスを見ていた、やがて静かな甘い声で言いはじめた、オラウスの耳にその甘い声はふるさとの村の蜜蜂のうなりのように甘やさしく聞えた。
「オラウス、その部落の人たちはもうじきに血だらけになって眠るのでしょう、あしたの晩月が昇るころには女の人たちも羊の毛を梳いてはいられないでしょう。そして――」
 うつくしい女は急に言葉を止めた。オラウスは彼女の眼が暗くなるのを見た。
「オラウス」
「聞いているよ」
「もしその部落にわたしよりもっとあなたのお気に入る女があったら、わたしはその女に贈物をします」
 オラウスは笑い出した。
「モルナ、その短剣はお前の帯の中に納めておく方がいい。ひょっとして、もうじきにお前もクルディの手から自分を救うためにその剣が入用になるかも知れない」
「まさか。そんな白い着物を着た女みたいな男たちはわたしたちに手も出せないでしょう。わたしは男なんぞ恐れません、ただ、あなたの眼をくらます女があったら、この剣があります」
「牝狼や、恐れないでおいで。海の狼は自分相応の相手を見つけ出したら、それが自分の相手だとよく分っている」
 日が沈んで一時間ほどして霧があがって来た。風が新しく吹き出した。オラウスは櫓船の一同に静かにするように命令した。いま岸にくだける浪の音がよく聞えて来た、海賊どもはかいの音を消した。だんだんに時が過ぎて、月光がもやの割目から射して来た、不意に北から吹き出した風で靄がぬぐい去られた時、彼等は陸にすぐ近く来ていることに気がついた。「いろ黒」のアンラッフは船首に行って立った。彼がそこに立って長い槍を突いて、船がゆっくりと岸に近づくあいだ水を測っている姿が月光に黒く映った。船着き場が見つかって海賊たちが無言で岩の上に立った時、夜は月のひかりに黄ろく、くろ土はやわらかい白い光に被われて長い影が静かな青さに流れた。
 その島の部落は深く静まっていた。牝牛どもはすぐ近い海ぞいの牧にやすみ、犬どもも眠っていた。もう長いあいだこの島に何の悪い事も起らず、酋長ラモン・マック・コアグはすでに老人となって、自分の霊魂の安否ばかり夢みていた。これはクルディ僧等の教の結果であって、ラモンも自分が霊魂を持っていると知る前には一人の丈夫おとこであった、その時分であったら、この海ぞいの部落バルテレイルの酋長の彼が備えもせずに敵に襲われるような事はなかったであろう。
「しろき」オラウスは部下を大きな輪にして敵を囲ませた。だんだんに、ゆっくりとその輪が狭くなった。
 浜辺の草のなかに立っていた牡牛が鳴いた、不安らしく足ぶみして幾たびか空気を嗅ぎながら。急にまた一疋の牡牛があやしい唸りごえを立てた、すると又一疋、やがてすっかりの牛どもが唸り出した。犬どもは毛を逆立てて起き上がり横の方に身をずらしながら赤い眼をすごく光らして唸り立てた。
 ラモンの三度目のわかい妻ベホックは目をさましていて、その日琴の音と黒い眼つきとで彼女に不思議な歓びを与えてくれたアイルランドの青年のことを思いつづけていた。彼女は牛どものその唸り声を知っていた、それは知らない人に対していつまでも唸っている声であった。彼女はそっと起きて皮の垂幕をはずし自分の部屋から見下ろした。暗いかげに一人の男が立っていた。彼の琴ひきだと思った。彼女は低い溜息をして身を屈め、男に接吻して一言その耳に囁こうとした。
 ベホックの長い髪がその眼にも顔にも乱れかかって目を見えなくした。彼女はその髪を握られるのを感じて、手をさし伸べた。手はつかまれた、彼女は何が起ったかも分らない間に、そとに引っぱり出されてその男の上に落ちた。
 彼女はただひと目で、男が金髪を持ちノルマン人の服装をしていると見た。彼女は喘いだ。もし、海賊が襲って来たのならば、すべてが死ななければならぬ。男は彼女の知らない言葉で何かささやいた、彼が彼女の身を抱えて彼女の口に手を当てた時、その言葉の意味が分った。
 ベホックは無言で立っていた。なぜ誰もあの牛の鳴き声を聞かないのだろう、犬のうなり声も今は間断なしの大きな吠え声に変って来た。男は彼女がじているのか、あるいは運命のこの変をあきらめて受け入れたのだろうと思いちがいして、彼女を捨てばなしにして壁板のすきまに片足をかけた、それから剣を顎の下にして、そっと上がりはじめた。
 男は槍を地に捨てて行った。ベホックは音もさせず進み出てその槍を拾いあげ、影のようにうごき出した。
 荒い叫びごえが夜にひびき渡った。地の中の水が湧き出し走り出すような音がした。ラモンは寝台から飛び起きて幕の割目から外を見た。下には一人の男が背中から槍で柔らかい壁板に突き刺されていた。男の手はよじれた鹿皮を握って、首を肩に垂らしていた。そうして男は気味わるく笑った、泡が口から切りなしに出ていた。
 つぎの瞬間ラモンはベホックを見つけた。彼がまだ声をかけない前に一人の男が物かげから忍び出て彼女に剣を刺し通した、剣の尖から赤いしずくが流れて彼女の立っている草の上に落ちた。彼女は一声も出さず海鳥の死ぬように倒れた。一つの黒い影が暗黒を横ぎって走った。物音、一声の叫び声、ラモンは倒れた、額から頭の真中に矢を射通されて。
 どこにも激しい騒ぎが起って、牛どもは牧場から鳴きながら走り出して狂わしい驚きに鳴き立てた。馬どものいななく声はさけびと変った。彼方此方に火が起り家から家に飛び移った。じきに部落じゅうが燃え出した。ラモンの砦のまわりには剣の垣が光っていた。
 はじめの虐殺を免れたものはみんな砦に逃げこんだ。もし一人でもそこから飛び出すものがあれば、その人は海賊の槍尖に突かれ、一人の顔が見えれば、その顔はすばやく確かな矢の的となるのであった。
 胸を刺すような長い歎きの声が起った。遠く離れた海ぞいのクルディ僧らがその声を聞きつけて僧房から駈け出して見た。死にゆくものと今殺されんとするものの狂わしい叫びごえ、うずまき立つ火焔、それよりもなお恐しくきこえたのは海賊たちの大声に笑う声であった。
 その砦を生きて出たのはたった三人の男とわかい七人の女たちであった。
 二人の男たちからオラウスは訊きたく思った事をすっかり聞き取った。やがて彼等は目をつぶされて小舟に乗せられ、潮のまにまに流されてクルディ等の住家に送られた。二人はオラウスからクルディ等に言づてをいいつけられたのであった。
 七人の女たちはモルナが心配するほどの美しいのは一人もいなかった。しかし、それらは七人の男たちの分取品とされた。女たちの狂わしく泣く声もいつか無言のあきらめの中に沈んであかつきが来た。朝のあかるみが来た時その女たちは自分等の家であった灰の近くにしろっぽいひと塊りになって力なく伏していた。そこいら一面に死人が散らばっていた。
 日の出ごろ海賊たちは酒宴を催した。「しろき」オラウスは飲みくいして後、部下をのこしてただ一人浜辺に下りて行った、彼はその浜からクルディ僧のモリイシャとその白衣の弟子たちがすむという砦のあたりを遠く眺めた。その浜からなお進んで昨日までバルテレイルであったあたりを歩いて見たが、前夜の一人の捕虜を除いては一人の男も生きてはいなかった。捕虜は「弓つくり」のアンガスと呼ばれていた。
「弓つくり」のアンガスのほかに一人の迷い子が浜辺の海草の中にさまよっていた、素裸の小さい男の子で、青い眼をした明るい笑顔の子であった。

底本:「かなしき女王 ケルト幻想作品集」ちくま文庫、筑摩書房
   2005(平成17)年11月10日第1刷発行
底本の親本:「かなしき女王 フィオナ・マクラオド短編集」第一書房
   1925(大正14)年発行
入力:門田裕志
校正:匿名
2012年7月30日作成
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