あらすじ
「料理メモ」は、北大路魯山人が自身の食体験を基に、様々な食材の選び方、調理法、そして味わいを独自の視点で記した珠玉のエッセイです。魯山人は、素材の鮮度や産地、調理法の細部にまでこだわり、読者へ至高の食体験への誘い、そして食文化への深い洞察を伝えています。そこに込められた、美食に対する情熱と鋭い観察眼は、現代においても色褪せることなく、読者の心を掴むでしょう。
       あゆ

*食べ頃はあゆのとれ出した若あゆから七月初旬まで。さばのように大きく成長したのはまずい。卵子を持つまでが一等美味。
*あゆの産地ではめいめいお国自慢をしているが、結局はだいたいとれたての新鮮なのをすぐ食べること。
*はらわたをぬかないはらもちにかぎる。東京に来るのははらわたをぬいたもの九分九厘。買うときにこのことを留意すること。
いきあゆの刺身は洗い作りの王、一尾から四切れか六切れ。
*背ごしはその次。
*生きのいいものは塩焼き。生きの悪いのは照り焼き。
*あゆの食べ方。塩焼きは頭から食え。頭の中のエキスがうまい。骨はかんで吐き出す。はらわたは無論美味。
*あゆの雑炊はふぐの雑炊に次ぐ雑炊の王。岐阜辺りでやっている。かゆの中にあゆを入れて煮えたら頭を持って箸で肉をこそげ落とし骨をぬきてる。
*たくさんあって焼いたり保存したり、焼きざましになったものは焼き豆腐と煮ると美味。
       握りずし

*握り鮨は男子の食べるもので婦女子向きではない。なぜなら、ひと口に食べてうまいものでそれを二つ箸で割ったり、まぐろを別にはがしたりしては鮨の美味は味わえぬ。
*まぐろのとろ、てっか巻きなどはしょうがを載せて食え。まぐろは酢に好適のものなれども少しくさい点がある。これをおぎなうのがしょうが。
*小あじは皮付きの方がうまい。しかし適当に塩や酢が回らないとなまぐさい。たいがいは皮剥かわはぎ
*わたしの嗜好しこうからいうと赤貝か赤貝のヒモが一等いい。
*のり巻きはしっとりしめったのはまずい。のりが乾燥してカサカサしているうちに食べないとまずい。立ち食い以外はのり巻きは食えぬ。
*あなごに、赤貝は一個十五銭以上のものを食え。もともと原料の高価なもの。安いものは場違いの味のまずいもの。
*えび、玉子焼き、いかなどは問題にするほどでない。女、子供に任しておけ。
       天麩羅てんぷら

*てんぷら好きは食道楽として誇ったものではない。
*材料、種第一。えびが多いが、えびは養殖でなく天然のもので大きなものは不可。大きいのは見かけだおし。一匹七、八もんめか、それ以下。
*揚げたて第二。てんぷらは揚げてすぐ食べなくては種がよくても味は落ちる。
*油第三。種がよくても油がまずくては不可。
*油は胡麻ごまの古い貯蔵品が味がこなれていていい。
*かや油、椿つばき油は単独はいけないが、これを三割くらい加えると胡麻油の味は軽くなっておちつく。
*今の東京風のだしは甘からく重くるしいもので味を落とす。昔の天金はうすい甘くないだしだった。
*てんぷらに新鮮なだいこんおろし、これにしょうゆをかけて食べれば俗なだしにまさる。
*だし、種、油、揚げたてをやかましくいうが、新しい掘りたてのだいこんのおろしを吟味する必要がある。
       うなぎ蒲焼かばや

*うなぎ好きは食通の至ったものではない。うなぎやてんぷらの美味うまさは高の知れた美味さだ。これをやかましく喜ぶのは低級な食道楽だ。
*うなぎもあたたかいうちに食べる。往年、上野駅前の山城屋主人なる通人の食べ方を見るに、四枚重ねて片方から食べていったのを見て感心した。
*うなぎは中串以下の大きさが美味い。
*養殖のうなぎはまずくてくさい。
*八幡巻きのうなぎは火箸のようなびりうなぎが適す。
*うなぎをじかに焼く関西風と、関東風の蒸し焼きといずれがよいか。関西風はうまいが堅い。めいめい好きな方をやればいい、一得一失。
*うなぎ酒はふた茶碗にうなぎの焼いたのを入れて熱い酒をかけて、茶碗の蓋をしたままむ。この場合は関西風の焼き方にかぎる。
所詮しょせんうなぎは飯の菜で酒のさかなにはならない。
       刺身

*わさびを生かして食う方法。この頃のひとにはわさびはあまり好かれないようであるが、刺身の上にのせて、しょうゆをつけて食べるとわさびは利く。しょうゆの中にわさびを入れてしまっては辛味はなくなる。しかししょうゆの味がよくなる。わさびは最も調子の高い味の素と心得てよい。
*だいこんおろしは新しくないと不味まずい。畑から掘り上げて間のない新鮮なのにかぎる。
*赤い身の刺身にはだいこんおろし。脂がこくてしょうゆが第一つかない。だいこんにしょうゆをしませて刺身につけて食べる。まぐろの場合など特に注意。
*白の刺身はわさびだけでいい。
*赤い刺身は飯の菜。
*白い刺身は酒に適す。
*刺身の茶漬けは美味。たい茶とかぎらず、刺身はなんでも茶漬けになる。煎茶せんちゃのやや濃いめのものをかける。
       鶏

*にわとりの美味は東京では食えぬ。ただし、洋食に出るにわとりは雛鳥ひなどりだから、ももの肉だけは相当食える。
*京、大阪がいい。わけても京都の鳥政の肉はいい。
*東京で皮の付かないにわとりを食って喜んでいるひとは、にわとりの味を知らぬひとといっていい。
*にわとりは皮ごとやわらかく食えるものにかぎる。
*にわとりは卵を生むまでの肉がいい。
*この頃食ってうまいものに合鴨あいがも、あひるがある。合鴨の青首はあひると同じ格好で区別がつかぬ。しかし煮てみると前歯で皮がプツプツと切れるのが合鴨、切れないでいつまでもしねしねしているのはあひる。
水鶏くいなは冬より夏の方がうまい。鴨も夏池に残っているものはうまいだろう。
*あひるは昔は夏食べるものときまっていたものだった。
       牛肉屋のすきやき

*東京の牛肉屋のタレは悪い。出来合いのタレの中に三割くらいの酒と、甘いからじょうゆ一割くらい加えること。
*ロースやヒレを食う時は肉の両面を焼くべからず。必ず片面を焼き、半熟の表面が桃色の肉の色をしているまま食べること。
*豆腐、ねぎ、こんにゃくなど、いっしょにゴッタ煮する書生食いの場合は別。
*ロース、ヒレはタレをよくつけて鍋で焼く。汁の中に肉を入れるのではない。
       蔬菜そさい

*極力新鮮を採れ、畑からじかが一等。たけのこ、まつたけなどは採取後も育って変質さえする。
*名高き野菜も古くては無名の新鮮に劣る。
*促成栽培を馬鹿にするな。促成には促成の美味がある。
*東京の野菜は食うより見る野菜が多い。
*しかし根岸しょうがのような名品もある。だがだんだん家が建てこみ、これも場違いになりかけている。
*えびいもは京都駅裏の九条、かぼちゃは鹿ヶ谷ししがたに壬生菜みぶなは壬生が名産で他では出来なかったが、今は住宅となってだんだん場違いになりかけている。
       すっぽん

*九州柳川、江州ごうしゅう彦根及び八幡、雲州松江等の天然物が最良。
*京都の大市だいいちは天然産のすっぽんをほとんど一手に買い占め約七割、これでも不足を生じ、今は養殖を混用するにいたった。
*大きいのはいけない。精々二百匁内外。もしくはそれ以下。
*五分間か八分間くらいで甲羅の皮がやわらかくなる程度のものにかぎる。朝鮮産なんどの養殖は、三十分煮てもやわらかくならぬものが多い。
*食い方は京都の大市式が一等。昆布だし、かつおだしはまったく不用。
*煮方は水に酒を加えた汁仕立がよい。すっぽんのブツに切ったのを血みどろのまま、水八、酒二に薄口しょうゆを少し入れて、煮たてた中に入れて煮る。五分ないし八分で食べられる。
       河豚ふぐ

*美食はふぐにとどめを刺す。その証拠にはふぐが出ると他のものは食えぬ。
*ふぐの刺身に優る刺身はない。
*ふぐの身皮(三河)の間の遠江とおとうみというところは皮より美味い。
*ふぐの美味さはすっぽんなどの比でなく、いかなる美食も比べられない。
*下関のふぐには危険なし。
*ふぐには酒、煙草たばこのような一種の止められない普通の味以外の味がある。

底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫、角川春樹事務所
   2008(平成20)年4月18日第1刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
   1993(平成5)年発行
初出:「星岡」
   1933(昭和8)年
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月3日作成
青空文庫作成ファイル:
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