新年早々から、縁起でもない、茶遊び攻撃などして、と集中砲火の返報が来そうであるが、茶の道を愛すればこその信念の一途から、とうとう止むに止まれず、あえてバク談投下を試みた次第。この点、寛大に諒とせられんことを望んでいる。
 特に作法にやかましい、お茶人を相手としての戦いを挑んだ以上、卑屈は禁物、遠慮もほどほどにして、それよりも率直に存分を述べ、さあいかにと、正面切った方が偽りない作法ではないのかと、自分なりの考えをつけ、この押しのきき目あるなしを案じている……、というところである。これしきのこと憚っていたのでは、自分が自分らしくないことになると気がついて、勢いづいたとでもいうところである。
 しかし、無遠慮に人ごとをかれこれいうことは、十分心遣いはしていても、大なり小なり人に迷惑のかからないわけはないと、これも察するにあまりはある。むやみやたらと無頓着にかれこれいっているわけでもないから、もとより罪あれば罪に服する覚悟が出来た上でのことである。
 さて、その率直な存分とはとなると、ついに一応ぶちまけてしまわなければならないが、そもそもわれわれが物心ついてから後に識り得たお茶人、または茶道関心のもとにたって、日常生活を楽しみつつある人々の遊び振りにかかるのであるが、この遊び振りが、いかほど光り輝いているのであろうか、という点である。他のすべての趣味にまさるとも劣らないまでに、立派に光り輝いて、遊び続けているのであろうか、という点である。
 三、四百年前の生活者、知能も品位も高き情操豊かな人々の苦心と愛情によってつづられた聡明たる美をもって成りたった茶道が、今は台なしになっているようなことは、なかろうかと案じられる点である。
 率直に案じてみれば、今わずかに茶道のほんの一部だけが残って、心細く余燼を燃やしているに過ぎないのではないのかとも考えられる点である。
 私は先年、金沢市で多くの茶道家? を相手に講演して、次のようなことをいい、新聞種にまでされたことがある。
「今人がやっているお茶事というものは、驚くべき無力平凡の結果として、まったく意識なしに、おろかにも人間の自由を束縛するものである」と、冗談半分ながら、日頃の所感を述べ、警告とも揶揄ともつかざる駄弁を弄し、平地に波瀾をまき起こしたというわけだが、それのみか、また次のような極言を続けて、いよいよ聴者を沸かしてしまった未熟講演の記録を遺している。
「今後のお茶というものは、プロレタリヤの境界にあっては、吾人が過去に聞かされたり、教えられたりした古人の心づくしになるお茶事は、もはや再び真似事さえ成し得られるものではない。味わい得られるものでもない。このことプロの立場からすれば、まことに口惜しい次第ではあるが、貧富の差による名茶器の行く方というものが、限定されてしまった今日、プロ級は富者のみが専有する数々の望ましき茶器茶道具を遠く離れて、昔の響きを聞いている以外に道はない。この現実は今後も長く続くものと想像して、まず間違いはあるまい……。
 かかる理由のもとに、今後のプロは古人の心の高く香るお茶なるものにはすこぶる縁遠いところに立つの他はない。」
 語り終わるかおわらないうちに、異議あり、異議ありの声が聴者におこり、反響すこぶる大なるものあり、弁明大いに務め、相手の得心をかちうるまでには、意外の務力を要した次第であった。

 最初から最後まで名器名幅を購い得ない者は、伝統を守りぬき、これを足がかりとしておるお茶人との交遊は、はなはだ縁の遠いものであることをなんとしても悟ってかからねばならぬと、私は警告しておいた。
 いわゆるお茶人たちが垂涎おかない茶道具といえば、まず三世紀前の人によって作られたものと考えておいて間違いはない。誰が作ったとしてもたいていは美作である。素人の作った茶杓、茶碗、竹花入れの類もおよそ今日に遺って珍重されているのは、いずれも美術価値を持ち、芸術価値を備えて茶道の魅力となっている。
 それならこそ、眼の利く者から見ては、たまらないのである。みずから専有欲の湧き起こる主観を禁じ得ぬまでに食指は動き、心中は波打つものである。それが売り立て市にでも出るとなっては、どうしようもなく、物持つ人の手にと移り行ってしまうのである。無産者の中にいかなる具眼の士あろうと、好事者が潜んでいようとも神様は知らん顔である。
 しかし、たまには一驚に価するがごとき落ち洩れもあって、某が何々をクズ屋の店に掘り出したなどと人の噂に尾鰭もついて、一潟千里に流れ歩くこともしばしばあり、しかるべき人物までが、ガラクタ屋の店頭に怪しい眼を光らしている珍風景が、常に跡をたたないというのがこの道の現実である。
 懐中の空白を意とせず、われに眼力ありとばかり道具屋並列の町々は、常に賑わっている。しかし眼力派なる者も挙句の果ては、争うべくもなくボロ買いへと落ち込み、怪しき茶碗に生涯のよろこびを托し、悪悟りにすましこんでいる例少なしとしない。が、それはそれとして今日のように、一個の茶道具が何万、何十万と決ってしまっては、無産階級は残念ながら、斯界から手を引き断念する以外に道はないようである。
 名幅を、名器をと羅列せざる茶は、まったく茶道に背くものであるという私の持論からいえば、プロの立ち寄る場所でないことになるのである。
 茶の世界によって古人の心を学び、茶道に情操を養い、茶技に興じ、いわゆる奥床しき人たらんとするには、茶道が作ってくれた美術総合大学に入門し、生涯かけて勉強する覚悟が必須的条件となる。そうなってみると、その教材資料が容易ではない。まず名だたる名幅、名器、等々を教室へと持ち運ばねばならぬ。これらが茶道を教うる先生となるからである。もし名器名幅を具えざる茶道学校があり得るとすれば、それは渇を医する飲料を教うる栄養学校であるかも知れない。茶の粉に変わりはないとしても、コーヒー化した茶の粉であり、紅茶化した一種の新飲料であって、茶道精神、茶道趣味とは縁の遠いものである。コーヒーや紅茶飲ますばかりに、つまらぬ真似してお茶の作法など利用されては誰もが迷惑しよう。
 にもかかわらず、お茶が全盛をきわめ、流行を続けているゆえんは、何一つ理解するところなく、ただちに点茶にとりかかる人々の勘違いが原因していることもあげられるが、勘違いさせているとも見られる遊芸人にも似た職業人の責任も軽く見るわけにはゆかない。他愛ない職業茶人、一部の遊芸人化した宗匠等々が、あまりに数多く現われ過ぎ、表、裏、官体と稼ぎ過ぎる風潮にも原因する。
 いまさら職業茶人なる方々のいずれにも、うまい茶杓を削れの、竹花入れを切ってみよとまではあえて迫ろうとしないが幅物書く力はなくも、古幅の真偽もだいたいわかり道具にも一通りは眼利きである。望まれれば、茶人らしく箱書ぐらいは俗書を脱して楽しみとなる字が書けるまでに至ってこそ当然なりとなって来るではないか。
 私はいま、茶人らしき字と語ってみたが、これは偽りものや、悟入なき者には、近寄り難いもののようであって、書道をきわめた上の悟人ある人物か、茶道に深く悟るところあって、茶人の書という一種の見識に共鳴するに至った人間か、いずれにしても達人の境に近くして、眼力は奥義に開くものであるといえよう。
 例えば、利休の字は宗旦の悟りにまでは至っていないと私は見ている。宗旦の字の方が茶に近いと私は見るのである。
 近人、玄々の字はお茶の気に乏しく事務的である。こう賢く、遊びがなくては気の毒である。かつ下手くそにこなれなくては、名人芸とはいい難い、というのも私の見方である。
 現存者中、私の知人に、月並越えて茶事が好き、茶の教えも推量するという二人がある。一人は松永安左衛門、一人は小林一三。前者の字は、天分もあって茶の香りも、かれこれ身についている。後者は物識りではあるが、その字から判断して悟入が乏しい。字というものは要は悟るか悟れないかの相違だけであるらしい。
 次の茶人の字もついでに批判しておく。鈍翁、本牧、青山など素人茶人としての大家連、この人々のものする字はと見ると、いずれも半茶、半コーヒー党で、中途半端がともなって達人の境にある人々ではない。古美術、名器名幅を庫に満している名だたる茶人にしてからがこの現実である。名器を無視して茶を語らんとするがごときは、相想わざるもはなはだしきものであって、あまりにも道は遠いのではなかろうか。しかも私は、貴賤を問わず本格の茶に入り得られるという論者であることも申し添えておきたい。
 私が他処眼よそめをはばかるほど、イラついて、お茶に浸る人々をとらえ、とまれ美的感覚の向上をうながすゆえんのものは、総合美の構想になった芸術の発見、それを中心に茶人としての勉強をして貰いたいからである。
 完成したお茶事の構想から審美の感覚をのけものにしては、お茶道は全部崩れもすれば嘘にもなるのである。まったく無意義なものになり、堕し切ってしまうのである。ためにある種の卑俗茶と悪化し、風趣高かるべきせっかくのお茶事を、めちゃめちゃに歪め、俗臭紛々、世の末を思わし、心ある者をして、嘆息せしめざるを得ないのである。かくのごとくして、迷信的とも見うる茶道の廃墟に松風を求めて祈るさまは、それが純情可憐な乙女達の多数を占めるだけに、気の毒でならぬ。

 およそ茶に関係のあるものにして、切り離すべからざるものに、家屋があり、庭園があり、書画道具の類があり、いずれ一つとして、三百年前に見立てられた美術思想、それを命とせざるものは、まずないのである。これらを研究し、それを理解すべく努力し、古人の源意を洞察し、終に古人に学ぶところ多しと、われを捨て茶事の功徳にぬかずくまでに至ってこそ、開眼の念願は達し得られるのである。
 にもかかわらず、この軌道の上に一念を任さんとする者なく、その結果として今日、茶に親しむこと十年を誇る者たち、百人を集めて十人の眼利きはむずかしいといえよう。茶道の落莫を物語るではないか。千人を集めて、五十人さえあやしいであろう。お茶全盛の今日、百万人茶を嗜む者ありとして十万人はおろか、五万、三万の眼利きさえ見出し難いであろう。これがみな近来の職業茶人に因由するといってはおだやかでないが、詮議の終局は、お師匠さんへ責任を持ち込む以外、ところを得さしめぬようである。重ね重ねであるが、審美開眼あってこそ、茶の楽しみは本格である。群盲象を撫して、一生をその儘に過すなどは名誉ある趣味人とはいえまい。
 しかし、それはそれたりに、なんらか学ぶところもあろうが、かような盲学問をもって能事となすは邪道である。いかに学者ではあっても、塙保己一では、茶人の仲間入りは不可能である。美を解するになくてはかなわぬ審美の眼を欠いているからである。主客五、六人の群盲組が、初等生訓練に一生を費してみたとて、茶の本道に分け入れる日はおぼつかない。初等生をもって、書画道具一式代用品では、個人の学問に資する足がかりは、いつになってもないわけである。
 かようにまで私がジリジリし、じれったがるゆえんのものは、いやしくも茶の道を探って見んとした各人の初一念というものがあり、その動機は清澄にして、美妙なものであったはずだからである。それが中途半端な指導に災わいされて、道ならざる道へとすべり込む多数の例が歎かわしい。半歳、一年のお茶のお稽古は嫁入り道具という道具の名称と下落し、近頃の猿どもが電車動かして感心さしている程度のものである。

底本:「日本の名随筆24 茶」作品社
   1984(昭和59)年10月25日第1刷発行
   1999(平成11)年7月10日第22刷発行
底本の親本:「魯山人著作集 第一巻」五月書房
   1980(昭和55)年10月発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。