赤染衞門は先程から不思議なものを見た、と云ふ氣がしてならなかつた。併し其れは決して惡い氣持のものではない。いやむしろ先程から清げに、圓滿に落着くべき處に落着いた惱みの道を全く通り拔けて、女として、人間として、最も落着いた境地に入り得た者の、其の姿を見たと云ふ氣で、ともすれば吾れ知らず惹きつけられて、尼君の短かい髮のあたり、その未だ老に入らない不思議な美しさを思はせる下ぶくれの、顎のあたりへ自分の目がいつてならない。そして其の眼は幾度見直しても誤まらないのを知つた。何處といつて、はつきり指しては云へないが、たゞ全體の匂と云はうか、自からの光と云はうか、其の人から湧き出して來る滋味、その動作が、昔の其の人に決して見られなかつた一種の尊い境地に入り得た人の泰然とした落着きに入り得て一切が据つてゐる。さうした人の前に今は心からの禮讃と嬉し涙が落ちて來るのであつた。
 今宵は誠心院に夜通し語り明す事にして來たので、質素にして來た供の者も歸し、ひつそりとした小御堂の中に殊勝に尼君がお上げになつてゐる法華經に耳を傾けつつ、赤染衞門はさながら夢のやうに思つた。和泉式部の華やかであつた時には理解のある赤染衞門自身すらも、淫蕩の女と蔑すんだ此の人の過去の姿を思ひ、現在かうして物寂びた御堂の中に心から誦經してゐる尼君となつた和泉式部を思ひ、人の一生の限り無く擴げられてゆく未來への道を尊く思はせられてゐた。さう云ふ赤染衞門はもう盛りの過ぎた老婦人で、和やかな額の上に分けた髮にも幾筋となく白髮が目に立つてゐた。
 誦經がすんだ處で、靜かに座を離れた尼君は赤染衞門に近くにぢりよつて
「本當に夢のやうな心地が致します。山近きこの里に、此の頃明け暮れ聞くものは、鹿の聲ばかり、それにも馴れて、日が昇れば晝と思ひ、月が澄めば夜と思うて、つい月日さへ數へることもなくて、明し暮す事でございますが、かうして御目に掛りますと、何にか一つの頼り處を得たやうな、さすがに生ける身の喜びを感ずる私でございます。」
 和泉式部は心からの喜びを述べるやうに云つた。
「式部樣お變りなされましたな、本當にお心ばへの程申上げやうもなく、お嬉しう存じます。こちらへ參りまして、久方振りに貴女の御姿に接し、貴女のお上げになる尊いお經をきいて居りますと、今は私の心迄洗はれたやうな心地が致します……。何事も宿縁とは申せ貴女があの道貞殿の問題をそのままにして、世の非難を一身に浴びながら[#「浴びながら」は底本では「沿びながら」]、南院に入ると聞きました時は、さすがの私も世と共に、貴女を非難する心が湧きました。帥の君の御純情は私にもよくよく解つて居りましたけれど、貴女の御心の底の底には、あの時まだ決して、道貞殿を思ひ切つていらつしやいませんでしたものね。貴女は私のお送りした歌に對して『秋風は荒凉ふくとも葛の葉のうらみ顏には見えじとぞ思ふ』などとお強い事を仰有つておよこしになりましたけれど、私はそれをお信じしませんでしたよ、貴女の御心の底の底を知つて居りましたのですよ。」
 和泉式部より年上で昔から式部の上を、何くれとなく心にかけ、血統的には血縁の繋りもある赤染衞門は、老婦人の率直さをもつて、今は尼の悟りに入つた和泉式部に心安く話かけてゆくのであつた。和泉式部は頷いて
「本當にあの時は、世の人から樣々の非難攻撃を受けました。貴女がお疑ひになつたのも、御尤の事と思ひます。たゞ併し私はあの時も、いや寧ろ其れよりも前の彈正の君樣との事からしてが、何事も宿世の縁と云ふやうにしか考へられません。私が南院に入ると云つて世を震動させた事も、私の小さい心一つに聞いてみますと、私はさうするよりも自からの本意としては、山林に隱れ、巖の中にも住み度い心でありました。けれど其處をよくよく尋ねてみると、かく生れ來た身の、戀にはたゞたゞ心弱く、世に立ち秀れた男君等の、かゝる身に言ひ頼る細やかなる御心ばへを、縺れ絲でも切るやうに、ぷつつりと切つてしまふ力は私にはなかつたのです。男君を恥かしめると云ふ事が世にも憂き事でありました。其れと同時に、女の身の私のうちに湧き流れる血潮の泉は、これこそと思はれる戀の男君を求め求めて止まなかつたので御座います。何もかも今思へばすべてさう云ふ宿業に生れ合せたこの身と思はれるばかりでございます。その中にも道貞殿には吾れから異しむばかり深く心を惹かれてゆきましたので、道貞殿を戀ふる心が恨み歎きの道を通り拔けて、本當の大きい愛に歸依した時、他々の一切の小さい戀の絆が、大きい海に注ぐ河のやうに、たゞ大いなるものの力に淨化されてしまつたのでございました。それはまあ本當に、この尼にはやつと一年前後の事で御座いました。」
 和泉式部は何時か昔の情熱的な口調にかへつて、自分のかくと思ふ處を、僞りなく告げないではおかれないと云ふやうに自分の心に聞き、自分の魂に聞いて、思ふ處を一つ一つ赤染衞門に語つて行つた。
 聞いてゐる赤染衞門も和泉式部の僞りなき心の端々に思ひ至つてみると、女心の戀に弱く戀にひたすらなのは和泉式部一人のみでないと思はれた。和泉式部は正直で、弱くして強い己を率直に世に表現したのであつて、男に戀されて、それを細やかに言ひよられて、縺れ絲でも切るやうに、ぷつつりと斷わつてしまふやうなことは、如何にも女の情緒から云つて力に餘る苦しいことだと云ふ式部の心は誠に優美の極をいつたもの、其の優美な心根を本當に優美に細やかに、勞られた戀の相手が幾人あらう。何時か式部が兼房の朝臣に送つたと云ふ
人知れず物思ふ事は習ひにき花に別れぬ春しなければ
 其の歌の心も今こそ赤染衞門に沁々と頷かれる心地がして、優艷極まりなき和泉式部のやうな人に、浮氣に輕卒に一時の戯れに、言ひよつては離れてゆく、流の如き大方の男の群を今更憎まずにはゐられないやうな氣がした。和泉式部が戀に弱く、即ちこの人こそ、この人こそと常に理想を畫いて、戀に身を任せて行つた心も、或る意味から云へば、戀を命とする女にとつて、無理ならぬ行方と云はなければならない。赤染衞門はさうも思つて、自分の前に涙にぬれて俯してゐる和泉式部の美しい額ぎはを撫でてゐた。あたりはもうとつぷりと暮れて、仄かな夕燒の雲が物思はするやうに、西の空に漂うてゐた。靜かな物音がすると愛らしい女童が、燭をとつて板戸の蔭からあらはれたが、灯を片隅に置くと再び出て行つて、此度は果物を盛つた美しい籠を捧げてあらはれた。
「お隣りの姥樣からのお使ひで御座いました。御佛に奉つた物の御裾分ださうで御座いまする。」
 さう云つて其の籠を二人の間に置くと靜かに下つて行つた。果物は珍らしい程大きな紅い柿で華やかな昔を語る貴人の間に引締つた色を輝かせてゐた。和泉式部は言葉を續けて語る。
「衞門樣、女子の悲しみとして、あれ程私をお愛し下さつた帥の君樣に立ち遲れた其の時の悲しみは申しやうもないものでございましたが、違つた意味の悲しみ、これ程泣かされた事のなかつた悲しみはあの寛弘七年夫の保昌に連れられて、丹波に赴任する日、私が桂川を渡つてゆく日が即ち道貞殿の和泉の任地へ新しい妻を伴なつて赴任なさる日であつたのです。あちらは淀川を下つてゐると云ふ、こちらは桂川を渡つて行く、私には新しい夫があり、道貞には新しい妻がある。これが本當の道貞殿との別離であると思うた時、其時程、女の身の心の心から身も世もなく泣かされた日はありませんでした。『なかなかに己が舟出の旅しもぞ昨日の淵を瀬とも知りぬる』この歌の心をお解し下さりませ。」
 話は其れから其れへと果しなく續いて行つた。やがて先き立たれた小式部の話に移つた頃には、前庭の木立の奧に、仄かに廿日あまりの月が昇つて、邊りを一しほ物悲しく照すかのやうに見られた。後の山に聞く鹿の音が秋の深きを示す樣に物哀れに響いて來る。
 赤染衞門はふと思ひ出した樣に
「貴女が華やかさを盡した戀の生活の後に武人で風流の道も辨へぬと評判のあつた保昌殿にお嫁ぎになるとの評判が宮廷に聞えた時、殿上人の間にどの樣な驚きが交はされたことでしたらう。けれども私は心密かに、それを貴女の爲に喜んで居りました。貴女から見れば、十五六歳も年上の保昌殿ではあつたでせうけれど、貴女の御身の決まることは貴女に連なる他の方の心を安く守つて上げる事、到底この世に追つて得られぬ戀の理想であるならば、保昌殿程の威勢ある人の正妻として、其の位置が決まることの方がどの樣によい事であつたか、私はそれを思うたのですよ。」
 赤染衞門は温行の人の常として、如何にも云ひさうな事を語つてゆくのであつたが、和泉式部はこの事に對しては、たゞにこやかな笑顏をもつて答へたのみ何の言葉をも出さなかつた。和泉式部が獨り心に考へてゆく、餘儀なく道貞と別れてから道貞に對する稍々ヒステリツクな氣持から、彈正の君の戀をうけて、宮が世をお去りになつた處で全く思ひも掛けなかつたこと御弟、帥の君から橘の枝を送られた時に、吾にもあらず心のときめきを禁じ得なくて
かをる香をよそふるよりは時鳥きかばや同じ聲やしたると
との御返り言を申上げたのが御縁で、世にも男らしい戀知る宮の大膽な御心深い御寵愛にまかせて行つた此の身、あの賀茂の祭の物見高い人垣の中を、きらびやかな裝ひをこらして宮と御同乘した車をねつて行つた身、それ程も戀の絶頂を辿り行つた自分が、宮の世をお去りになつた後の戀愛を思へば何もかも海の前の小川の流れにも等しいものであつたと云へよう。さうした自分の眼から見れば、兼房であらうが、保昌であらうが所詮誠の戀を解さぬ人としてたゞ自分が此の世の戀に在り佗びてゐる心やりの、又云ひやうによつては前世の業縁を果すべく結ばれてゆく戀のほだしに他ならぬものであつたとも考へられる。して見れば人々が口に言ひ囃してくれる貴船明神の螢の歌
もの思へば澤の螢も吾身より憧れ出づる魂かとぞ見る
の一首にしても世の人が云ふ程に、此の頃保昌がうとくなつたとか、この歌を詠んだので又保昌の心が後へ戻つたとか、云ひさわがれるのとはずつと異なつた自分の心の道であると和泉式部は考へてゐる。さう云ふ心の跡を辿つてゆく和泉式部を、夢から呼び覺すやうに赤染衞門は言葉を續けた。
「この頃物語り風の物をお書きになつていらつしやると云ふ事を聞きました。拜見出來る日を樂しんで居ります。」
「徒然のあまりに昔の心持を整理して物語り風に書き纒めて見ようと思ふのですが、私はやはり物語を書く人ではありませんでした。どうも思ふやうに纒まりませんので……。」
 物語りのうちに夜は更けに更けて行つた。話疲れた赤染衞門は如何にも老婦人らしく、其まゝ其處に扇を顏にあてて、うたゝねの夢に入つて行つたらしい。幽かに、安らかな寢息がきかれた。有明の月は白きまでに冴えて山の端に稍々傾き初め、山の御堂を清らかに照らしてゐる。
 和泉式部は獨り寢もやらずに、この清く、くまなき有明の月に向つて、何時か過ぎ來し樣々の身の歎き、悲しみ、苦しみ、恨みなど、過ぎて來たものを振り返つて、今もそれを語れば涙を流しながらも、何時、何が動機でと云ふ事なしに、自分の生れた初めから、さうしたものとは又別に、一つの小さい芽ぐみであつた、靜かな尊い物の種がこの年頃になつて生成を遂げ、本心的に自分の命を落着かせ導いてゆくこの不思議を思はざるを得なかつた。あれ程も和泉式部を惱ました、戀のあせりも情の求心も、今は全く後になつてしまつた。自分の過去は一切うそではない、けれど今の心はもう過去のものではなくなつてゐる。さう思つて有明月に立ち向つてゐる和泉式部の靜かな姿は、美しさを過ぎた清らかさに照り輝くばかりであつた。それを見る人はゐない、其處は山里の小御堂であつた。側の老婦人はたゞ安らかに眠つてゐる。月がほしいままに照すのみであつた。

底本:「信濃詩情」明日香書房
   1946(昭和21)年12月15日発行
入力:林 幸雄
校正:富田倫生
2012年5月7日作成
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