横浜を出帆する際、親類を見送りに来られた文学博士遠藤隆吉君に甲板上で遇うたら、同君が『社会及国体研究録』の第一号を手渡しつつ「デモクラシーは国体と相反するような考を抱く人があるので誠に嘆かわしいから、今度このような研究録を出して大に世の惑を釈こう」といわれた。この一言は深く吾輩を感激せしめた。僕は同君には日頃親しみはないけれども、君の手を執て打振るほど悦ばしく思った。しかし口に発したのはただ「ドーゾやってくれたまえ」と繰返すのみであった。
しばしば紙上に述べた通りデモクラシーは現時世界の大勢である、これに背く民はその末甚だ憂えられる。ただに流行なるが故にこの勢に乗ずべしとは吾輩の主張するところでない。吾輩の主張は今回に始った事でなく二十年已来の所信であった。たまたまこの事を述べてもとかく誤解を来し勝であるために遠慮をしておった位な事であるが、吾輩の所信は已に数多き著書の中にあちらこちらに漏らしてある。かつて十余年前大阪で演説した時の如きは聴衆の中にあった米国のウエンライト博士が演説後僕に言われたことに「君は武士道の鼓吹者とのみ思っていたに、今日その反対の説を聴いて驚いた」と。その時僕は同博士に拙著『武士道』の巻末を熟読せられたなら、吾輩の真の主張が理解されるであろうと答えた。この一話によっても読者は察せられるであろうが、今日僕の論ずるデモクラシーは決して今日に始った事ではない。デモクラシーなる字が如何にも流行語になったからこれを説くものも流行を追うものの如く思われ、またこの字を民主主義とか民本主義とか訳するから国体に反くような心配を起すけれども、僕はこれを簡単に平民道と訳してはドーであろうかとの問題を改めて提議したい。
武士の階級的道徳を武士道という、しかもこの名詞は昔一般に用いなかった。士道なる言葉は素行も松陰もまたその他用いていた人が衆多ある。これと同時に武士なる語も言うまでもなく古くから使用さるる語である。然るに武士道と三ツ並べた熟字は一般に用いられなかった。僕は度々この文字の出所を尋ねられたけれども、実は始めて用いた時分には何の先例にも拠った訳ではなかった。然るに今日は武士道といえば誰一人この字の使用を疑うものはない。元来武士道は国民一般に普遍的の道徳ではなく、少数の士の守るべき道と知られた。しかし武士の制度が廃せられて士族というのはただ戸籍上の称呼に止る今日には、かくの如き階級的道徳は踏襲すべくもない。これからはモー一層広い階級否な階級的区別なき一般民衆の守るべき道こそ国の道徳でなくてはなるまい。また国際聯盟なんか力説される世の中に、武に重きを置く道徳は通用が甚だ狭い。また仮りに国際聯盟が出来ないにしても武に重きを置かんとするよりは、平和を理想としかつ平和を常態とするが至当であろう。しかのみならず先に言う如く士は今日階級としてはない、昔の如く「花は桜木、人は武士」と謳った時代は過ぎ去って、武士を理想あるいは標準とする道徳もこれまた時世後れであろう。それよりは民を根拠とし標準とし、これに重きを置いて政治も道徳も行う時代が今日まさに到来した、故に武に対して平和、士に対して民と、人の考がモット広くかつ穏かになりつつあることを察すれば、今後は武士道よりも平民道を主張するこそ時を得たものと思う。
かく言えば僕は時代とともに始終考えを変えて行くように聞えるであろうが、時代について用語が異なったりまた重きを置く所も異るのは至当の事である。根本的の考えは更に変らない、恐らく昔の聖人といえども時と場合によって説きようを自在に変えたであろう。人を見て法を説くとは即ちこの謂である。同じ文字を使っても内容を変えれば一見貫徹している如く見えても意味が異る。その反対に用語を違えても思想に至っては一貫していることもある。
今日とても士道なる文字をそのままに書いてなおその内容に従来の意味と異る思想を含めることは甚だ容易い。たとえば明治になって新に士籍とはいわれまいが、広い意味に於ける士の族に昇格したものが沢山ある。学士を始として代議士もあれば弁護士もある。モット広く用ゆれば国士もあれば弁士もある、即ちこの新らしき士族は昔のそれと違って武芸を営むものでない。然るにいわゆる平民なる一般国民に比してより高き教育を受けた輩である、随って彼らは名誉ある位置を占め、社会の尊敬を受けるものであるから、誰人も士たらんことを望むであろう。さすればやはり「花は桜木、人は士」なりと歌っても、あな勝ち時代錯誤ではあるまい。しかし今日のいわゆる士は昔の武士のように狭い階級ではない、各自の力によって自在に到達し得る栄誉である。かくの如く同じ文字を使っても内容を全然変えれば外部は一貫してもその趣旨に於て大差を来たす。それと同然に別の文字を用いて趣旨を一貫する事も出来る。僕のいわゆる平民道は予て主張した武士道の延長に過ぎない。かつて拙著にも述べて置た通り武士道は階級的の道徳として永続すべきものではない、人智の開発と共に武士道は道を平民道に開いて、従来平民の理想のはなはだ低級なりしを高めるにつけては、武士道が指導するの任がある。僕は今後の道徳は武士道にあらずして平民道にありと主張する所以は高尚なる士魂を捨てて野卑劣等なる町人百姓の心に堕ちよと絶叫するのではない、已に数百年間武士道を以て一般国民道徳の亀鑑として町人百姓さえあるいは義経、あるいは弁慶、あるいは秀吉、あるいは清正を崇拝して武士道を尊重したこの心を利用していわゆる町人百姓の道徳を引上げるの策に出でねばなるまい。丁度徴兵令を施行して国防の義務は武士の一階級に止まらず、すべての階級に共通の義務、否権利だとしたと同じように、忠君なり廉恥心なり仁義道徳もただに士の子弟の守るべきものでなく、いやしくも日本人に生れたもの、否この世に生を享けた人類は悉く守るべき道なりと教えるのは、取りも直さず平民を士族の格に上せると同然である、換言すれば武士道を平民道に拡げたというもこの意に外ならない。
武士があって武士道が興るのは歴史的の順序と思われるが少しく歴史の隠れたる力を研究したなら、たとえその名がなくとも武士道あって始めて武士が出現したと言うのが過言であるまい。道の道とすべきは常の道にあらずとやら、武士の道を武士道と名付ける間はまだ武士の守るべき常道を穿ったものではあるまい。いわゆる武士道なるものはその名の起る前に忠君の念、廉恥心、仁義、人道なる思想が少数の先覚者に現われて彼らはいわゆる士となって、その後武士の階級が起り以て武士道が鼓吹されたものであろう。今日この武士の階級が廃せらるるといえども、根本のいわゆる常道は決して失わせることなく広く施されて万民これを行えばこれが少数の武士階級に行わるるより遥に有力な、かつ有益な道徳となるに違いはない。して万民普くこれを行えば最早武士道と言われない、これが即ち僕の平民道と命名をした所以である。
デモクラシーといえば直ちに政体あるいは国体に懸るものと早合点する人が多い。僕はしばしば繰返してこの誤解を明かにせんことを求めたが、デモクラシーは決して共和政体の意味にのみ取るべきものでない。もっとも共和政体とデモクラシーと関係の近いことはいうまでもない、けれどもこの両者が同一物でない、我国体を心配するものは右両者の関係近きがためであるけれども、近いがために危険視するのは取越苦労であって、君主国と専制国と関係甚だ近い、それ故に君主国を危険視するならばそれこそ危険の極でないか。僕の見る所ではデモクラシーは国の体でもないまたその形でもない、寧ろ国の品性もしくは国の色合ともいいたい。であるから共和政治にしてもデモクラシーの色彩の弱い処もある、現に羅馬の歴史を見てもオクタヴィアスの時代にはその政体の名実が符合しない感がある。また近きは奈翁三世の時代の仏蘭西も果して共和国であったか帝国であったか判断に迷う位である。また名は君主国であってもその実デモクラシーの盛に行われる英吉利の如きは、名も形も君主国にして、その品質と色彩は確にデモクラシーである。僕のしばしば言うデモクラシーは我国体を害しないものとはこの意味であって、この意味を解さないものは、吾国体を世界の趨勢、人類の要求、政治の大本より遠ざからしむる危険なるものと言わねばならぬ。前に武士に先って武士道の大義が存在したと述べたと同じ理由によりて、僕は政治的民本主義が実施さるるに先って道徳的といわんか社会的といわんか、とにかく政治の根本義たる所にデモクラシーが行われて始めて政治にその実が挙げられるものと思う。モット平たく言えば民本思想あって始めて民本政治が現われる。して民本思想とは前に述べた平民道で、社会に生存する御互が貧富や教育の有無や、家柄やその他何によらず人格以外の差別によって相互間に区別を付けて一方には侮り、一方は怒り、一方は威張り一方はヒガみ、一方は我儘勝手の振舞あれば一方は卑屈に縮むようでは政治の上にデモクラシーを主張してもこれ単に主張に終りて実益が甚だ少なかろう、トいって僕は然らば政治は圧制を旨としても思想的のデモクラシーを主張すれば足れりとは信じない。政治的の平等と自由を主張する事は思想の上にデモクラシーを実現する助ともなることなれば、政治的民本主義も鼓吹すべきであるけれども物の順序より言えば一般人民の腹の中に平民道の大本を養ってその出現が政治上に及ぶというのこそ順序であろう。
米国がデモクラシーの国というのは共和政治なるが故ではない、彼らがまだ独立をしない即ち英国王の司配の下に植民地として社会を構成した時に社会階級や官尊民卑や男尊女卑の如き人格以外の差違を軽んじ、また職業によりて上下の区別をなしたり、家柄、教育を以て人の位附を定める如き事なく、人皆平等、随って相互に人格を認め、相互の説を尊重する習慣があったれば、今日米国のデモクラシーが淵源深く基礎が堅いと称するのである。
〔一九一九年五月一日『実業之日本』二二巻一〇号〕