自分の子供にこんな渾名をつける母親、そして、その渾名が平気で通用している家族というものを想像すると、それだけでもう暗憺たる気持に誘われるが、いったい、ルナアルは、どういうつもりでこの作品を書いたのだろう?
言うまでもなく、彼は、自分の少年時代の苦い追憶を、ことに、異常な性格をもつ母親と、その母親をどうしても愛することのできなかった、そして、その原因は母親のほうにばかりあるのではないことを知らなかった自分との、宿命的な対立を、いくぶん皮肉をまじえて、淡々と、ユウモラスに書いてみたかったのである。
彼の日記によると、この「にんじん」の内容がだいたい事実に基づいたものであることはわかるが、この作品を必ずしも彼の自伝の一部として見るのはあたらないと思う。
これは、あくまで小説として読むべきもの、「にんじん」なる少年も、その両親ルピック夫妻も、「にんじん」の姉も兄も、いずれも、それは、単なるモデルのある人物にすぎないのである。
ただ、少年「にんじん」だけは、作者の自画像としてみるのでなければ、この作品に登場する人物のうち、特にルピック夫人の戯画がなんとなく「つくりもの」のような気もするのであるが、この作品に問題があるとすればそこなのである。
ルナアルは、たしかに、この物語において自己告白もしていなければ、自己弁護もしていない。事件の軽妙な配列と、描写の客観性とによって、あくまでも感傷の跡を消し去っている。
母と子とがほとんど本能的に憎み合うという世にも不幸な運命、聞くだに慄然としないわけにいかぬ悲劇的境遇が、この作品において、一種素朴な家族風景となり、時には清澄な牧歌の趣を呈するわけは、作者ルナアルの感傷がまったく影をとどめず、むしろその高度なヒュマニズムが、愛憎の心理の機微を公平に捉え、人生の風波に雄々しく耐えて、いっさいをほろ苦い微笑でつつもうとしているからだと思う。
「にんじん」の物語は、また異常のようにみえて、実はむしろ当り前の少年の心理を、極めて日常的な生活のなかで、微細に、そして、鋭くとらえた一種の実験メモである。少年「にんじん」の性情は、特殊な環境のためにいくぶんはゆがめられ、素朴さを失ってはいるが、また、それにもかかわらず、すべて伸び育つものは伸び育ち、早熟とも思われる半面をみせて、一個の未来ある生命の威厳を示している。
ここで最も注目すべきことは、少年「にんじん」の叡知が、いわゆる凡庸な大人の世界をいかに眺め、その暴圧と無理解とに処して、いかに自ら護ることを学んだかという、おそらく万人の経験に訴え得る興味深い分析と観察とが、身につまされるように記録されていることであろう。
強いて言うならば、この物語は児童教育の貴重な参考書であり、その逆の意味では年少の読者にとってたぐい稀な少年文学の一つの見本である。
さて、彼の死後十数年の後発表された「日記」を読むとわかるのだが、「にんじん」の父親ルピック氏は、ある日、なんの前ぶれもなく、寝室に閉じこもったまま、猟銃で見事に自殺した、という記録があり、それから、母親ルピック夫人も、これはずっと後のことであるが、「にんじん」と縁故のある井戸の中に落ちて死んでいるのを、人々が発見したことが、はっきり誌されてある。故意か、過失か、それはわからない。この二つの陰惨な事件は、作品「にんじん」のなかに取り扱われていないのは年代からいっても当然のことであるが、この種のドラマを予想させるような険悪な空気はただ一か所を除いてまったくないといってもよい。少なくとも、「にんじん」という作品の印象は、そういう面を強く出すか出さないかで、全然違ってくる。作者ルナアルが、小説「にんじん」に織り込もうとした主題の精神は、彼の真実を愛し、執拗なまでに事物の核心に迫ろうとする態度のうえに、さらに、なにものかを附け加えることによって、一個の美しい物語を貫き、支える精神となっていることがわかる。彼は写実主義者たるべく、あまりに詩人であった。
そして、浪漫主義に走るためには、いささか酔うことをおそれたのである。
彼は、節度と明晰をこのうえもなく尊ぶことにおいて、まぎれもないフランスの文人である。彼は、象徴派に通じる資質をも具えていたが、彼の心を惹くものは、どちらかというと抽象の衣を照らす月光ではなくて、白日の下にさらされた具象の世界であった。現実は彼の眼に現実以上のものとして映った。現実の二重相は、彼にとって汲めどもつきぬ泉であった。彼は空想の虹にまったく背を向けつつ、平凡な日常の人生に暗示の花びらを撒きちらした。
作家としてのルナアルを、十九世紀末葉のフランス文壇で特異な存在としたのは、なによりも、彼の犀利無比ともいうべき観察の眼と、的確緻密な表現のニュアンスである。
彼は常に身辺の些末な事件に興味をひかれ、自然の一隅にひそむ生命の囁きに耳を傾けた。彼には、いかなる意味でも、「重大な問題」は、文学の対象とならなかった。手さぐりと不正確とを唾棄する彼にあっては、そして、気負いともったいぶることを軽蔑する彼にあっては、自分で「大きい」と感じるものの方へ手を差しのばす気にならなかったことが、至極もっとものように思われる。それでいて彼が決して易きについたのでないことは、彼の全作品にただよう禁欲主義のにおいと、一作一作が時に即興の色合いをおびながら、実は粒々辛苦の結果であるのを見ればわかる。
彼の文名は、形の上ではまことに微々たる小品、スケッチ、コント風の短篇、など、一風変わった「小さなもの」を書くファンテジスト、ユモリストとして、徐々にあがったのであるが、しかし、「にんじん」が一八九四年単行本として出版され、さらに、これが作者自身の手によって戯曲化され、一九〇〇年舞台で成功をおさめるまでは、ごく少数の識者の注目を惹くにすぎなかった。
事実、彼の作品のなかに、傲然とひそんでいる純潔な作家魂は、一見さりげない飄逸軽快な文章の調子によって、往々、見過ごされる危険があるようである。彼の評価は、今日すでに定まっているけれども、彼の文学は、堂々古典の座に加えられながら、しかもなお、生命の永い「小さなもの」の代表として珍重せられる類いのものである。レオン・ドオデが、友人として、また、アカデミイ・ゴンクウルの同僚として、彼の作品にいみじくも与えた讃辞は、Grandeur de Petitesse(小ささの偉大さ)であった。
彼ほど自己の中に閉じ籠り、彼ほど自己の尺度をもってすべてのものを計った近代作家は稀である。しかし、それと同時に、彼はつねに素知らぬ顔で正義に味方し、自らそれと名乗らずして、誠実な革命主義に加担していた。
彼は、自己を知ることによって、自己を護り、彼とまったく対蹠的と思われる流派の天才を、それが彼に感動を与えるという理由によって、讃嘆し、敬慕した。ヴィクトル・ユゴオがそれである。「嫌いなものが嫌いなほど、好きなものが好きではない」という一句が、彼の箴言めいた文章のなかにあるが、例によって、彼らしい言葉の遊びの風を装いながら、ぴたりと彼の本音を言いあてている。彼は、ある意味で、表現の潔癖を生命とし、そして、その限界があやうく文学を扼殺しようとしている、実に犠牲の大きい仕事を果したユニックな才能である。
アンドレ・ジイドもまた文学的にはおよそルナアルとは血縁を異にした存在であるが、互いに、その長所と弱点とを認め合っていたことは面白い。ジイドが、「ルナアルの日記」刊行に際し、この作家の優れた業績を一応讃えながら、なおかつ、「ルナアルの庭には、もうすこし水を撒いてやる必要がある」と言った。ところが、ルナアルがそれを知ったらなんというか。ルナアル自身はもちろん、ルナアルをひいきにするわれわれとしては、ルナアルの文学に、これ以上水気は不必要だと言いたいところである。東洋風に言えば、「カレきった文体」こそがルナアルの本領であるわけだが、ジイドの言おうとするところは、むしろ、ルナアルのある種の「狭さ」と「依怙地」とが、せっかくの花園を豊かに茂らせないでいるという意味であろう。
そこで、あらゆる文学について言い得ることだが、なんぴとにも、すべてを望むことはできないということ、わけてもルナアルにおいて、この弁護以外に彼を異口同音の批難から救い出す結論はないのである。
ジイドはジイドの道を歩み、ルナアルはルナアルの道を往けば、それでフランスの近代文学は、百花乱れ咲く盛観を呈するわけだと、ルナアル愛好者は考えている。
ルナアルという作家を、この「にんじん」一篇だけで、代表させることはできない。翻訳されているものとして、ほかに次の作品をあげておけばよいと思う。
ぶどう畑のぶどう作り 一八九四 短篇集
明るい眼 一九一〇 短篇集
博物誌 一八九六 小品集
根なしかずら 一八九二 小説
赤毛(にんじん) 一九〇〇 戯曲
別れも愉し 一八九七 戯曲
日々のパン 一八九八 戯曲
ヴェルネ氏 一九〇三 戯曲
日記 一九二五―一九二七 一八八七年より一九一〇年死の直前に至るまでの日記の大部
明るい眼 一九一〇 短篇集
博物誌 一八九六 小品集
根なしかずら 一八九二 小説
赤毛(にんじん) 一九〇〇 戯曲
別れも愉し 一八九七 戯曲
日々のパン 一八九八 戯曲
ヴェルネ氏 一九〇三 戯曲
日記 一九二五―一九二七 一八八七年より一九一〇年死の直前に至るまでの日記の大部