即ち友人間の交際にしても、あるいは一歩進んで、人生に処する上にも、手を下し、口を開く前には、一、二歩退いて、我儘の利己のためではないか、という事を慎重に反省してみる。しかして、いささかでもそういう気味を帯びておるとすれば、断然これを中止するのであるが、一旦、自分が是なり善なりと信ずるに於ては、それを実行するに寸刻の猶予もしない――こういうことを思って、頓てはこれを主義ともするようになった。
私が理想的実行家としてリンコーンを愛好すると同じ程度に於て、ここに理想的思想家の真意義をソクラテスの人格に見出して、すべての他の偉人にも増して、これが尊崇の念を禁じ得ないのである。
ソクラテスの伝記書類は随分数多く読んだけれども、私の伝記研究は、学者のする学問のためではなく、常に応用的、いわば自分一個の精神修養を目的としたものであるから、勿論、システムなどは立っておらぬ。従って、ソクラテスを読んでも、着眼するところはその一点で、ソクラテスの哲学や何かに就ては、始めからあまり調べる気もしない。
ソクラテスを読んで、一番に面白く思うところは、かのダイモンというものを常に信じて、絶えず、自分の心の中に、善悪邪正を区別する、我にあらざる一種の力を蔵している。訳してこれを鬼神とも称すべきか。とにかく、この一種の力が、たとえ自分の欲することでも、これを行為に顕わさんとする場合には、予めこの鬼神に伺いを立てて、允許を受けることにしていた。そして、もしその允許が出ない時には、結局実行を見合わすということになっていた。――これが私の注意を深く惹付けた点で、また私もかくあろうとして、平生から夙に戒心しているところである。
私も随分無遠慮な口を利く方で、それが故には、如何なる時に、如何なる誤解を発生せしめ、如何なる迷惑を受けなければならないかも知れぬ。しかしながら、腹に確乎たる覚悟と信念とさえあるならば、さほどびくつくにも及ばない。ただし、考えてみれば、私などの主張するところは、存外穏やかなものである。一つの主義に固持して終世世に容れられなかった人もあり、あるいはソクラテスの如く刑罰に処せられたり、あるいは、大塩平八郎の如く、世に反抗して反叛を起したりするのに比べては、私は気の弱い所以でもあろうか、甚だしく穏やかである。思った事を実行するといっても、故意に社会の原則を無視したり、折角生立って来た習慣を、無闇と破壊するというほどの意気込はない。また一面には、自分の所信にしてもし俗情に全然かなわない時に於ては、私は出来るだけ譲って、主張を枉げることもする。そして、最後に、これ以上は譲られないというところまでは、自分の力を保留しておく考えである。
それはとにかく、ソクラテスの偉大なるところは、徹頭徹尾、思い切って所信を披瀝した、その無遠慮な点に存する事を否み難い。もしソクラテスにして、何彼と斟酌ばかりして、思う事も遠慮していわなかったとするならば、世界はまあどれほどの大損失であったことだろう。プラトーの花も咲き損い、アリストートルの実もまた結び損ったに違いない。
ソクラテス位の大人物になると、言と行との区別が全くなくなる。昔からいう言行一致をする言葉が丁度それである。世には、能く「口の人だ」「口ばかりの人だ」といって、言行不一致の輩を嘲ることがあるが、しかし、その「口ばかりの人」にして、もし言うところのものが、すべて赤誠と確信から迸り出ずるものであって、その一語が、直にその人の名誉地位に連関し、一命を賭して吐露する、というほどの概があるならば、その言は慥に「行」である。否な、寧ろ「行」よりも意味が強いと思う。何故ならば、行は具体的にして、しかも場所と時とを制限するが、言に至っては、抽象的でその達し及ぶ所広く、時もまた無限であるではないか。
ソクラテスがアテンの市長になって、其所の衛生工事を改良したとか、事務を整理したとか、あるいは軍人になって、ペルシャ人に勝ったことがあったとしても、それは恐らく、彼が口その物で称えたことより以上の仕事とはならなかったことであろう。
私がソクラテスを好み、かつ崇敬する理由を数箇条にして述べてみるならば、先ず第一には、何事をなすにも、始め己を省み、本心に伺いをたててからするということで、これは、今日世間で頻りに唱道しつつある、修養なるものの根本となるものである。
第二は、無闇に人を区別せず、また責めない点である。たとえば、議論をするにしてもその相手を選ばず、またその題目をも別に選ばない。そして、目的は、相手を負かそうとか、自分の主張をあくまでも徹そうとか、そういう浅薄な野心は毫末もない。ただ自分を忘れて、道のために議するという風の態度がありあり見える。だから、およそ志のあるものは誰でも相手にして、少しも意としないのである。
第三には、高慢な人でなかったということを数えたい。当時、ソクラテスは具眼者から先生といわれるほどの尊敬を受けていながら、微塵も高ぶる風がなかった。また当時、アテンの政治は民主主義であったが、しかし、その制度の下にも、不思議なことは、高慢な人が沢山いた。そして、ソクラテスばかりはその例に洩れていた。してみると、ソクラテスの人物の高慢臭くなかったのは、時代の然らしめたところというようなことが言えなくなる。私は、この徳をソクラテスの性得に帰するよりも、寧ろ修養の結果と看做すことの妥当なるを信ずるものである。
第四には、年が行っても、油断せずに、修養を持続した点である。とかく、吾人は、いくらか名前を知られ、人の尊敬を贏ち得るようになると、忽ちもう偉らくなったような気がして、心が弛み、折角青年時代に守り本尊としていた理想を、敝履の如く棄て去るのが多いものであるが、独りソクラテスに限っては、こういう不始末が毫末もなかった。孟子のいわゆる大人にして赤子の心を失わない態度が、実に歴然としてその生活中に見えるのである。
第五には、輿論というか、俗論というか、いわゆる世評なるものに頓着しなかったことである。
ソクラテスの容貌は、性来とはいいながら、頗る滑稽なもので、常に物笑いの種となっていた。特に、衆人稠座の中に出ると、直に面の批評をされる。けれども、ソクラテスは、その冷評や罵詈の声を聞いても、少しも怒らない。のみならず、自分もまた一緒になって、声を立てて笑っていた。
また、ソクラテスはこういう風の外観的のことばかりではなく、時代の文学者仲間などには、その主義なり思想なりが、往々にして非難の的となり、甚しきは、この人を芝居の芸題などにして公々然と冷嘲を浴せかけたこともある。
けれども、ソクラテスは終始自若としていて、こせこせした弁護をせず、やはり自分も一緒にその芝居見物をして、衆人と共に笑い興じていたほどである。
かかる美点を一々列挙するならば、それこそ僕を換うるもなお足らぬであろう。勿論、ソクラテスだとて、全智全能の神ではないから、欠点を探れば相応に求め得たであろう。けれども、私はこのソクラテスが全然好きなのだから、その美点ばかりを挙げて差支えないことと思う。グロードなどいう人は、ソクラテスの短所を覓めて、悪辣な筆を運ばし、一時読書界の注目を惹いたこともあったが、しかし、これも今日では、殆んど観察点が外れていて、いずれも正しい筆でないことが明かになった次第である。
私は、ソクラテスの最も偉大なる点を以て、彼の悲劇なる死際の公明正大なのに持って行きたいと思う。ソクラテスの死は、真に死を見ること帰するが如しであった。彼が罪なくて牢獄の人となった時には勿論人を恨まなかった、弟子などが集って来て、頻りに弁護せよ弁護せよと勧告するけれど断乎として肯わない。弟子どもは声を励まして、「先生が何の罪もなくして死なれるのが残念です」というと、ソクラテスは嫣然笑って、「さらば罪あって死ぬのは残念でないのか。死ぬる死なぬは畢竟第二義のことだ。心の鍛錬が第一義だ。」といって聞かした。そして誰も恨まず、天も地も怨みず、泰然自若として振りかかる運命を迎えたのである。
私は、平生自分に関した不愉快な世評を聞いたり、悪口などを耳にすると、この場合、ソクラテスであったら、どういう風に始末したろう、と考えてみる気になる。また、思う事がならず、失望落胆に沈んでいる時にも、もしこれがソクラテス翁さんであったら、この一刹那を如何に処するであろう、と振返って、静に焦立つ精神を鎮めてみると、ある雄々しい本然の心が腹の底から声を出すのである。同時に、不愉快な気分も、衰えた神経も、忽ちにして去ってしまう。
勿論、私はソクラテスの真似をするという訳ではないが、書斎には常にこのソクラテスと、リンコルンのバストを飾っておく。これなども、立派に修養の功を積んだ人々には、かかる必要は全くないであろうが、私の如き未練なものには、これが一番に強い刺戟になるのである。
〔一九一一年一月一日『中学世界』一四巻一号〕