各種生産物が時代の需用じゅように応じて、供給せらるると同じく、教育もまた時代に適応して、その方針を樹立せざるべからず。予は教育に於ては素人しろうとなれど、日本国民を如何いかに教育すべきか、換言せば教育の最大目的は如何いかんとの題下だいかに一げん述べてみようと思う。
 教育とは「ける人間を造る」との一言に包含することが出来よう。予のいわゆるける人間とは、死せる人間に対する言辞ことばにあらずして、死せる智識や活用されざる学問を有する者に対して言うのみ。専門の学者にあっては活用し得ざる智識また必要ならんも、普通教育に於てはしからず、世間往々学者の常識欠乏せるを言う。実際学問のために常識を弱めらることがあろう。然れども常識のみが智識にあらず、常識以外に智識あり。殊に学問は常識以外の智識にして、学問の蘊奥うんおうを極むれば、それだけ常識以外の常識を発達せしむ。これ学問上の智識が常識を圧迫して、その領地を縮小せしむる故に、予は常識のみを養うべしとは言わず、英国の一学者は学術は常識を広むるものなりといえるも、これ常識をはなはだ広き意味に解せるものである。とにかく学問は常識以外の智識を養うものにして、もとより教育を受けたる者にて、偉人物輩出することがある。けれども教育足りて常識を失い、ける人間を死せしむるものなしとも限らぬ。故に教育の目的は如何いかに深淵なる学理の攻究研鑽を積むも、常識圏外に逸する事なく、研学のを進むると同時に、活社会を離れず、いわゆる世と推移おしうつり時世の進歩傾向を知ると共に、活社会に処して活動するの能力を養うこそ教育の最大目的なるべけれ。しかるに学校にりて多年蒐集しゅうしゅうしたる智識をば一旦業をえ校門をずると同時に、そのすべてを失却するもの甚だ多い。仏国ふっこくの如きこの例にれざるものと言うべきである。吾人は教育上の施設に関し、幾多上官の訓示に接しておる。予は教育制度に対して何ら論評を加うるものではないが、その活用に関しては、不満なる能わざるものである。帝国議会は徳育の効果を云為うんいして、文部当局を攻撃するが常なるも、これ甚だ無理の注文である。予が文部に属する一官吏たる小役故、敢て弁護をすにあらざるも、いずれのところにかよく徳育の効果を収め得たるものなるか、我国が取て以て模範とせる独逸を見よ。彼に犯罪ある、自然主義あるにあらずや、ビスマーク、ビューローを以てするも現カイゼルを以てするも、到底徳育の効果をまっとうするは不可能の事たるや、あきらかである。家庭に於ては夫婦喧嘩をなし、一杯機嫌で打擲ちょうちゃくをなしてはばからず、しかしてその子弟を聖人たらしめよとは矛盾の甚しきものである。さりとて教育者が最善手段ベストを尽せりとして現状に甘んずるの不可なるこというまでもない。
 教育界に唱道せらるるところの教育の統一なるものは、我邦わがくにに於て果してく行われつつあるか、何故に統一の目的たる効果は完全に収められられざるかは、思うに教育者がこれを活用するの余裕に乏しきためならざるか、語を換えてえば、教育者が社会より優遇せられざる間は充分に教育の精神を咀嚼そしゃくすること不可能である。仏国ふっこくにては能く統一せられおりてギゾーは仏国の学校にる総ての生徒が一定の時間に某教科書の何頁なんページを読みつつあるかを容易に知り得らると言えるにても知るべく、統一もここに至りて極端なりというべきである。仏国の統一はいたずらに形式のみに偏し、彼らは卒業証書を受くる瞬間に於て、多年学校に於て修習せしすべてを失却しっきゃくして卒業証書は只一片の反故ほんご同然たるの幣におちいっておる。英国はこれに反し学校の卒業証書を得るものは、一定の教養訓練を経たる事を証するだけの実質を有し、一たび学校をずれば直ちに活社会に立て活動し得るの人たるを備えておる。我邦わがくにの教育は英国式か仏国式かはた独逸式か、独逸に於てはフレーベルの著書に見るも修身教育のあがらざるを知るべくして、品格品行等はるかに英米の生徒に及ばず、独逸、仏国の教育に於て確かにその欠点なるものあるを見る。
 要するに教育者が注意すべきは、ける社会に立ち万国ばんこくに共通し得べく厳正にして自国自己及び自己の思想に恥じず、実際の人生に接して進み、世界人類に貢献するていの人物を造る事にるなり。世才せさいある風の任意まにまにただよい行く意味にあらずして、世界の大勢に応じ、なお個人性を失わず、しこうして世界の潮流にさきだちて進むを以て教育の最大目的とせねばならぬ。換言すれば実行的活動的の人物を造ることである。伊勢鈴鹿川の琴の橋がその流下する水量によりて音響をことにし、希臘ぎりしゃイオリヤの琴の音調がの間を吹く風に伴うが如く、教育の目的も世界の大勢に適応せしむることである。天下ことあればほことりたち、事なければ田畝でんぽに帰耕す、要は只時代の要求に応ずることである。切言せつげんすれば宇宙のうべからざる一種異様なる力と交わり、時の要求と共に推移おしうつり活社会に活動するの人格をやしなうを教育の最大目的とせねばならぬ。
〔一九一一年八月一日『精神修養』二巻八号〕

底本:「新渡戸稲造論集」岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年5月16日第1刷発行
底本の親本:「精神修養 二巻八号」精神修養社
   1911(明治44)年8月1日
初出:「精神修養 二巻八号」精神修養社
   1911(明治44)年8月1日
入力:田中哲郎
校正:ゆうき
2011年1月8日作成
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