今日はイザヤ書第三十四、三十五章の御話をしようと思う。此の部分はイザヤの言ではなく、その後二世紀を経てバビロン捕囚の国民的悲運を経験した時代に、或る名の伝わらない預言者の宣べた言であって、其後更に二世紀ってイザヤ書が今日の形に編輯せられた時、その編輯者がイザヤ書預言の最終曲として此処に収載したものである。イザヤ書の中にはイザヤの言は勿論であるが、彼よりも後代の無名の預言者の言も含まれて居り、又編輯者の信仰もこもって居る。ユダヤ国民の歴史はいろいろの事件を経過したが、その長年の間国民中の少数の神を信ずる者が代から代へと神の言を受け継いで守ったのであり、編輯者の場合にありては編輯が即ち預言の一形式に外ならなかったのである。
 このイザヤ書の最終曲は世界審判(三四の一―四)、エドムの刑罰(三四の五―一七)、並にイスラエルの復興(三五)の三部より成る。
汝等もろもろの民よ近づきてきけ、
 もろもろの民よ耳をかたぶけよ、
地と地に満つるもの、
 世界とそのすべての子等よ聞け。
世界の諸国民全体に対する審判の預言である。神が地球を創造し、その上に人類を住ましめ給うたのは、彼等が互に屠り合う為めではない。全地をば美しい世界と為すためである。然るに一として神の御心を知る国民はなく、互に争って神の道を離れた。彼等は心に神を留める事を欲しないから、神も彼等を為すがままに放任して屠りにわたし給うたのである(三四の二)。神にこうして見棄てられる事は最大の悲惨であり、最大の刑罰である(ロマ一の二四参照)。人類の歴史は戦争の歴史と言ってよき程であるが、何故かく戦争が一般的であるかといえば、それは彼等が神を心に留めないからである。彼等は預言者に聴かず却って之を殺し、そうして破局に向って突進して行く。人類は行く処迄行かなければ、神の審判を学ぶことが出来ないのであろうか。
 神の審判は世界全国民の上にある。その審判の内容は神に敵するものには刑罰、神を信ずる者には恩恵である。此の中神に敵する者に対する刑罰の方面を高調したのが第三十四章五節以下であって、イスラエルの宿敵エドムがその代表者として挙げられて居る。エドムは荒れ果ててペリカンと刺蝟はりねずみと野犬と狼と妖怪の棲処すみかになる。人間らしき人間はなくなってしまって、社会は荒れすさみ、平和と秩序は失せ、流血の大惨事が起るであろう。
 之に対して神を信ずるイスラエルの輝かしき復興が第三十五章に預言せられて居る。神の審判は厳しいけれども、その終極目的は救済にあり復興にある。神に敵する者を罰する事も、実は信ずる者を救う為めの準備である。人類歴史に於ける悲惨事の反覆を見て、神の審判の最後の目的が救にあることを忘れてはならない。このイザヤ書第三十五章は
荒野とうるおいなき地とはたのしみ、
 沙漠はよろこびて咲き出でる。
番紅さふらんの如く盛に咲きかがやき、
 喜びによろこび且つうたう。
というを以て始まる実に美しき詩である。素晴しき復興である。バビロン捕囚といふ悲運の中からかかる希望の声を挙げた人、又この詩を最終曲としてイザヤ書を編輯した人は、実に大きな信仰をもった人と思う。
 預言者イザヤの時代にはユダの国威はまだ盛であったが、その国民的驕慢の中にイザヤは滅亡の姿を見た。その後二百年を経て果して亡国の悲運に陥り、国民上下萎縮してしまった時、別の預言者が起って「荒野に水が湧き出る」と預言した。今は荒野の様だ、併し神の恩恵でもって荒野と雖も水が湧き上る。エホバの神を信ずるならば亡国も復興する、という事を言ったのである。
 後バビロン捕囚から国民が帰還して、神殿が再建せられ、次第に国土の荒廃も恢復したが、何となく国民の気力がない。彼等は罪を深刻に悲しまず、救の力に満ち溢れて喜ばない。そういう時代にイザヤ書の編輯者が出て之を国民に送り、神の審判を学ぶべきことを教えたのである。
 預言者は国民が有頂天になって空虚な楽観に耽って居る時滅亡の姿を見て悲しみ、国民が意気沮喪して悲哀に陥った時復興のきざしを見出して希望を預言する。支那の格言に「人の憂に先んじて憂い、人の楽に後れて楽しむ」という言があるが、我々は後先あとさきの問題ではない。深さの問題である。人は表面を見、神は底を見給う。預言者は神の言を以て表面的なる人の心を審判さばく。我々は喜怒色に現わさざるていの聖人君子ではない。併し悲しむならば神の悲を悲しみ、怒るならば神の怒を怒るべきである。喜は神の歓喜、希望は神の希望を有つべきである。人間的な、表面的な喜怒哀楽の情に溺れるべきではない。神と偕にある事によって始めて人の驕慢なる時に悲しみ、人の意気沮喪する時に希望を伝え得るのである。
 第三十六章―三十九章は大体列王紀略下並に歴代志略下の記事をばイザヤ預言の附録として掲げたものであるから、此の部分は省略することとして、イザヤ書講義は以上を以て終り、同時に帝大聖書研究会は今日を以て解散する。イザヤ書の講義も今日でおしまい、同時に此の会もおしまいである。
 帝大聖書研究会は多分私が留学から帰った年、即ち大正十二年の秋頃から始めたのだと思う。当時東京帝大法学部、経済学部の教授助教授で内村鑑三先生の門に学んで居た者が私とも五人もあり、それに学生や若い卒業生もあったから、之等の者で会を始めようとしたのであるが、種々の都合で教授側では結局発起者たる私一人となった。会は毎月一回帝大内山上集会所で開いたが、非公開の内輪うちわの会とし、且つ会員各自の自由談論によることとして、私が指導者的地位に立つことは避けて居た。会のやり方は祈祷感話会の時もあったし、各学部に属する会員が専門的問題を信仰の立場に照して話した事もあるが、一番長く続いたのは当番を定めて聖書の研究を報告する方法であった。
 こうして此の会は継続して来たのであるが、いつしか気力を失い、堕勢を以て続ける状態となったので、一昨年三月に之を一応解散し、四月から新規の出発を為した。今度は従来の内輪の会合たることを止め、学内に掲示して公開し、且つ会員お互の研究会であったのを改めて私が講義をすることにした。私の気持が戦闘的になり、会全体も活気を帯びて来た。始めの数回は『科学と宗教』等学問的なる問題について講演したが、十一月以後ロマ書の講義をし、本学年はイザヤ書の講義をして来たのである。
 やっている中に、御承知の様に時局はどんどん変って行き、私は大学をめる事になった。併し私はまだ本当に辞めた様な気持になれず、且つイザヤ書の講義は途中であるから、私が此処で聖書の講義を続けて行くことは、当然過ぎる程当然の気持がしていたのである。
 併し今になって考えて見ると、帝大内で集会をするには教授たる人の紹介が必要である。従来は私が此の会に対する全責任をもってやって来たのであるが、私の辞職後は此の会合を催すに就ても他の教授の方に紹介の印を貰わなければならない。万一此の会の事で問題が起きるならば、その人に対して迷惑をかける事になる。まさか此の会に就て問題が起きるとは思わないが、私の想像もしないいろんな出来事が次々に起って来る時勢であるから、又何が起るかもしれない。今までの様に私が責任をもってやる事が出来なくなったのであるから、此の会は之で止めるのが穏当であろう。帝大内に此の様な会が必要であると思われるならば、それは現に帝大に籍のある人のやるべき事であって、私のやる事でない。私は私の責任を以て聖書を講義し得る場所を他に求むべきである。
 帝国大学は単に私の所属していた勤先であるだけでなく、日本に於ける最高の教養の場所である。此処に学ぶ学生は日本人の普通以上のレベルをもった精選された者であって、日本の頭脳であり脊柱たるべき者である。従って之に高き学問を教育し、深き人格を涵養するは日本国を高め、潔める所以である。もし之等が低級のものならば、それはただに帝国大学の恥辱だけでなく、日本の国が駄目になる。而して私としては聖書に述べられている真理を以て大学の学問を高め人格を潔めて往く事が、日本国の為めに最も大切なる事と信じて来た。我々の帝大聖書研究会は人数も少く、殊に長い間内輪の会であって、極めて微々たる存在ではあったが、この山上集会所に毎月一回集って、祈り且つ語って我々の心を注ぎ出す事は、大学を善くし、日本の国を善くする途であると信じて来たのである。
 今日になって見ると、私の長年祈って来た事、努力を傾けて来た事は何にもならなかった。のみならず、却って反対の結果になった様に見える。若し私が帝大聖書研究会の様な事に心を使わないで、自分の学問上の仕事だけに没頭したならば、或は大学を辞める事もなくて済んだかもしれない。
 最近この学園にいろんな事が引き続いて起って来て、我々は驚きの中にいる。真に学問をする者は外に棄てられ、野犬、狼の徘徊する処となった。学問と真理は萎縮し、平和と秩序は失せた。大学は私に用がなくなった。私は之を神の審判に委ねるより外ない。願うところは後の日この荒野に水湧き出で、野犬の棲処すみか蘆葦あしよしの繁茂する処とならんことである。
 諸君はやがてこの大学を卒業して社会に出でる。日本の国が諸君の信仰を必要とする時が来て、其時私が此処で諸君に話した事を処々でも覚えていれば、それに諸君自身の言を附け加えて、国民と世界とに告げて貰い度い。後の時代には又それらの言を編輯する者に出て貰い度い。こうして神の言を次々の代迄受け継いで、日本国の輝かしき復興と世界全体の平和の日迄に到り度い。我等はこの希望を永遠に有つ。併し今は起て。我等此処を去ろう。
(『嘉信』第一巻第三号・昭和十三年(一九三八年)三月)

底本:「日本の名随筆 別巻100 聖書」作品社
   1999(平成11)年6月25日第1刷発行
底本の親本:「民族と平和 キリスト者の信仰」岩波書店
   1982(昭和57)年4月
初出:「嘉信 第一巻第三号」
   1938(昭和13)年3月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年11月28日作成
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