こんな奥深い峡谷きょうこくは、町から思うと寒い筈だが、案外冷たい風もなく、南勾配みなみこうばいって山歩きをしていると草萌頃くさもえごろのむしむしとする地息に、毛の根がかゆくなる程な汗を覚える。
 天明てんめい二年の春さきである。
 木のの色、玲瓏れいろうな空、もえる陽炎かげろう、まことに春らしい山村の春。
 肥前鍋島家ひぜんなべしまけの役人、山目付やまめつけ鈴木杢之進すずきもくのしんという色の黒いさむらい、手に寒竹かんちくつえをもち、日当たりのいい灌木かんぼくの傾斜を、ノソリ、ガサリ、と歩いている。
「どうも、さっぱり面白くないな」
 といわんばかりな顔つきで、恰好かっこうな場所を見つけると、ドッカリ山芝へ腰をおろしてしまった。
 膝を抱えると杢之進もくのしん日向思案ひなたしあんに落ちこんで、山目付やまめつけとは、何たる御苦労なしな役目だろうと、今さららしく、退屈の不平を数えた。
 しかし、初めは城下詰の俗役ぞくやくをいとって、われから望んだ役目なのだ。が、さて、やってみると、毎日、皿山さらやまからこの大川内おおかわちの山一帯を、ガサリ、ノソリとあるいているだけの商売で、他国から御用窯ごようかまどの秘法を盗みにくるやつもなければ、品物を密売する悪人もない。みな佐賀のほこり、御用焼ごようやきの色鍋島いろなべしま克明こくめいに制作している、善良なる細工人さいくにんばかりの山だ。
 同時に、山目付の十手じってや大小もかざもの同様になってあるくかがしに過ぎない訳にもなる。春の山にきのこを求めているような役を、七、八年もやっていると武士らしい誇りや張合いはおろか、自分は人間だかうさぎであるかについて、ちょッと考えて見たくなる。
 何か波瀾はらんがあればいい。
 血の雨でも降るようなことが。
 とまれ、余りにこの山は平和過ぎる。すぐ目の下の山間やまあいを眺め渡してみても、あっちの沢やこっちの山瀬に、四、五十戸の屋根が見えるが、それは皆、名陶めいとう色鍋島を焼く、御用細工人の陶器小屋すえものごやで、人間がいるとは思えぬほど、イヤに寂莫せきばくとした景色である。
 平和にくと平和な光景が、見るもだるくなってくるらしい。
 それが、杢之進もくのしんをいよいよ憂鬱ゆううつにさせて、何か、波瀾の来たらんことを祈りたくなる。
「それを思うと久米一くめいちは偉いやつだ」
 杢之進は、いつか久米一から聞いた怪気焔かいきえんを思いだして、いささか屈託くったくなぐさめようとした。
「いったわえ、いつか、あいつが。だめだだめだ若い奴らは、五年もこの山にむとカサカサになって寒巌枯骨かんがんここつのていたらくだ、陶土つちあぶら艶気つやけもなくなってくる。そんな野郎は茶人相手の柿右衛門かきえもんの所へ行ッちまえ。おれの山から作りだす色鍋島は、煩悩ぼんのうもあり血も通っている、人間相手の陶器を焼くんだ! と。なるほどそれは一理あるな。だが後の言葉はなお久米一らしかった。べらぼうめ! と、こいつは、あのじんくせで、――西行さいぎょうとか芭蕉ばしょうとかいう男みてえに、尾花おばな蒲公英たんぽぽにばかり野糞のぐそをしてフラフラ生きているような人間になって、ほんとの、生きた陶器が作れるかい。陶器ってえな冷やっこい物ばかりじゃねえぞ、恋女房の肌みてえに、暖かいものの筈なんだ? と。ははははは、無学の暴言かも知れないが、一家言いっかげんとして聞いてもいい、とにかくあいつは活々いきいきした人間らしいな、この杢之進もくのしんに較べてみても」
 立つと思う心もなく、フイとひとりでに立ち上がった。急に、久米一くめいち細工邸さいくやしきへ、出かけてみたくなったのである。
 そして、灌木かんぼくの枝をきわけながら、ザワザワと低地へ下りて行きかけたが、何にひとみたれたのか、
「あ――」棒立ちに足をとめてしまった。
 先の者も人の気配に、杢之進もくのしんよりはびっくりした様子。雉子きじめすおすが舞ったように、パラパラと沢の方へ逃げだした。
 後ろ姿――どっちも美しい若人わこうどである。「罪なことをしたなア」
 彼は、何だか余りいい気持がしなかった。これは退屈の憂鬱ゆううつへ、少し刺戟しげきがあり過ぎる。だが、こんなこともこの山にあった方が喜ばしいと思った。
旦那だんな、鈴木の旦那」
 その時、誰か後ろから呼びかけた声を聞いた。ふりかえってみると、久米一の細工邸にいる窯焚かまたきの百助ももすけという男。
「なんだ、お薪山まきやまか? ――」
「いいえ、少し旦那のお耳に入れておきたいことがありましてね」
 ばかにまじめな顔をして、寄ってきた。

「今、あわてて逃げだした男女ふたりは、久米一の娘のなつめさんと絵描座えかきざに仕事をしている、兆二郎ちょうじろうという若造ですぜ」
 と窯焚かまたきの百助、いまいましそうに鼻をこすった。
「ああ絵描座の兆二郎か、年は若いが、だいぶ仕事の筋はいいそうではないか」
「そりゃ絵筆も巧者こうしゃでしょうが、女にかけてもするどい野郎で、いつの間にか、師匠の娘とあの通り乳繰合ちちくりあっているんです」
「まあいいではないか、いずれ久米一も娘のなつめに、婿むこをとらねばならぬ身だ」
「え!」百助は不服なつらをおさえつけて、「そいつをとやこういうわけじゃありませんが、どうでもおかみへ訴えなけりゃならねえことがあるんで、わっしは、そいつを旦那の手柄てがらにさせてえと思いましてね」
「訴える? 何をだ」
「あの兆二郎という奴は、たしかに御用窯ごようがまの秘法を盗みに来ているまわものですぜ」
「百助、まさか、いたずらごとを申すのではあるまいな」
「こんなことがうそぱちでいえるものですか。あいつはまだ十六、七の時、巡礼じゅんれいか何かにけて、この山へまぎれこんできた他国者なんで、うまく久米一の気に入って、絵描座の細工人にましたが、根からの巡礼で、ああにわかに腕が上がる筈はねえ、きっと金沢の九谷くたにかどこかの廻し者で、色鍋島いろなべしま錦付にしきつけ釉薬うわぐすりの秘法を盗みに来たやつに相違ありません」
「しかし百助、それだけの理由では、兆二郎を御法度ごはっと破りと見なすわけに参らんぞ」
「だから、これから師匠のうちまで、恐れ入りますが一緒に来ておくんなさい。あいつとわっしが対決して、きッと生白なまじろい仮面を引っぱいでお目にかけましょう」
「では何か、そちが兆二郎に泥をはかせるから、拙者せっしゃに立会ってくれというのか」
「親方の久米一にも聞いていて貰います。この山の鍋島焼きは、二百年来の秘密窯ひみつがまで、殿様初め佐賀城につぐ宝だとしているものだ。九谷くたにの者なぞに、窯築かまつきの法や薬合せを盗まれてたまるものか。第一、そんな御法度ごはっと破りを出せば親方も同罪だ、わっしや久米一のためにも、ウントここではだを脱がなきゃなりません」

 黒髪山くろかみやまと谷川との間の狭い盆地に、陶工とうこう久米一くめいち細工邸さいくていがあった。
 大川内おおかわち四十軒の、捻土方ねりつちかた窯焚かまたき、下働きなどのしまりをしている鍋島家御用工人なべしまけごようこうにん土塀囲どべいがこいだが邸はかなり広い。
 窯は盆地盆地に十数ヵ所、邸の裏山にも、一ヵ所ある。将軍家の献上品けんじょうひんや佐賀城のお道具だけを焼くお止窯とめがまだ。普通、諸国へだすものは、今も久米一の邸のそば日向ひあたりに、まだ火も釉薬うわぐすりもかけぬ素泥すどろの皿、向付むこうづけ香炉こうろ、観音像などが生干なまぼしになってし並べてあるそれだ。
 しかし、これとて、その釉薬ゆうやく築窯ちくよう火法かほう、みな厳秘げんぴらすまじきものとなって、洩らしたものははりつけおきてである。
御免ごめん――」
 立派な武士が久米一の邸を訪れていた。
 佐賀の城下から来た鍋島家の奥用人おくようにん刈屋頼母かりやたのもという侍。通されて奥へ入る。
 奥では久米一、おそろしく華麗な部屋に、南蛮なんばん渡りの縞衣しまぎぬを着て、厚いふすまの上に大胡坐おおあぐらをかいていた。
 粉黛ふんたいよそおらした美女が、彼のこぶのように厚い肩の肉をんでいる。また一人の美女は久米一に煙草をつけて出し、また一人の美女が茶を運ぶ、それら脂粉しふん絢爛けんらん調度ちょうどにとりまかれている陶工久米一は、左眼さがんのつぶれた目っかちで、かつ醜男ぶおとこで、えてはいるが、年、六十から七十の間。
 にくらしいほど、矍鑠かくしゃくとしたものだ。
 また人にも実に憎らしがられている。山の者はいうまでもなく、役人達まで、一人として彼を憎まざるものはない。久米一非常な傲慢ごうまんだからだ。誰にもくっしたことがない、誰へも傲倨ごうきょに君臨する、ましてや芸術においては無論、天下の陶器師を睥睨へいげいしている。
 それでいて、城主を初め、役人や山の者までが、彼の前には、膝をくっしなければならなかった。たしかに、久米一は名陶工であったには相違ない。色鍋島の絢爛けんらん艶美えんび彫琢ちょうたくと若々しい光彩のみなぎった名品が、この老いほうけた久米一の指から生れて、他の若い細工人さいくにんの手からは作り得なかった。
 京の仁清にんせい色絵いろえ柿右衛門かきえもん、みな一派の特長がある。この山からだす色鍋島は、こう行くよりほかに道はないぞ、と彼はよく弟子の枯淡こたんになるのを叱りつける。
 太守肥前守たいしゅひぜんのかみの使者、奥用人の刈屋頼母かりやたのもは、この尊傲そんごう工匠こうしょうの部屋へ通った。
「おいでなさい」
 といっただけで、久米一、別に上座じょうざも与えず、ただ肉の厚い膝を、いやいや直しただけである。
「相変らずお達者で祝着しゅうちゃく
 かえって、城主の使者が世辞せじをいう。
「達者でござるよ。だが、もっと若くなるつもりだ」
「先日、殿からお贈り申し上げた朝鮮人参ちょうせんにんじん、どうでござります。召しあがりましたか」
「うむ、やってみたよ、あいつはきくなあ」
「そのうちにまた、厦門船アモイせんが入りましたら、お届け申すように取りはからいましょう」
「せいぜい、久米一のために、不老長寿の食い物を探してくんなさい。何しろ山にはロクな物はねえからの。おれがむと、色鍋島はほろびるぜ、つまりは、そっちの損にもなる」
「分っておりまする」使者の頼母たのもは、さっきからムカムカしている我慢がまんが、フッと顔ににがく出たので俯向うつむいたが、ぴったり、胸を張って改まった。
「時に久米一殿」
「なんだな、殿様のお言伝ことづてか」
「左様。そのためにわかに参じた次第。ほかではないが、折入ってのお頼み、一世一代のお気組きぐみで、御用登ごようのぼりのかまにかかっては下さるまいか」
「はてな。御用窯にかかるのは、三年に一度のおきて、去年、三彩獅子さんさいしし牡丹絵ぼたんえ瑠璃花瓶るりかびんを焼き上げて将軍家と御城内へ一つずつやってある筈だが」
「さ、それについてでござる」
「気に入らねえのか」
滅相めっそうもないこと、三彩獅子を御覧ごろうぜられて、将軍家の御感ぎょかん一通ひととおりでなく、殿、御上府のせつは、偉い面目めんもくをほどこしたそうでござる」
「なアにお前、将軍家なんぞに、この久米一の仕事が分ってたまるものか。ばかな、そりゃ大名の頭をでそやしておく、お世辞せじというものだ」
「いえ、決して世辞ではござりませぬで、御賞美の余り、もう一つ、黒木くろき御書院ごしょいんへ置く陶器をという御懇望、ほかならぬお方のおねだり、いやとは殿も仰せ兼ねます。久米一殿、頼母たのもがかくの如く両手をついてお願い申す、お家のためと思うて一つおかかり願いたい」
「ははあ、分った」
「えっ……?」
「そりゃ将軍家へ行くんじゃあるまい。この久米一もそろそろとしだ。いつぼけるか分らないから、このへんで、一生一品いっしょういっぴんな物を作らしておこうという考えだろう」
「いや、まったく、左様なわけではござらぬ」
「隠しなさんな。よし、よし、おれも随分ずいぶん鍋島家には世話をやかせた、おれの傲慢ごうまんに腹を立って、切腹した家来まであるからな。それにいくら久米一だって、そうそう若さも続くまい、一つこれを最後に何かやって見よう」
「えっ、御承諾ごしょうだく下さいまするか……」畳を下がって礼をのべた。あたかも主君へ対する作法である。その上、おびただしい金布きんぷ贈物おくりものを残して、刈屋頼母かりやたのも大川内おおかわちたにあいからかごを戻して行った。
「さあ、女ども、足をめ、足を」
 久米一はすぐにゴロリとなって、前の若い女達を呼んだ。その女達は、伊万里赤絵町いまりあかえまちから、かわるがわる四、五人ずつ呼んでおく港の遊女で、朱塗しゅぬりかご山峡やまあいを通る日は、いた女が返されて、次ぎのみめよい女がえらばれてくる日だ。
      ×   ×   ×
 窯焚かまたきの百助ももすけ山目付やまめつけの鈴木杢之進もくのしん、庭木戸から入ってきてこのていを眺めたが、格別かくべつ目新しいことでもないので、相変らずだな、と思って縁へ寄ってきた。
「親方、ちょっと起きておくんなさい。窯焚きの百助です」
「寝てやしねえ。なんだ?」と、久米一は横になっている体を腹這はらばいにして、もたげた首へ頬杖ほおづえをついた。百助はしゃくさわって、
「この老爺おやじめ、よくよく芸に慢心まんしんしていやがる」
 と思った。陶器作すえものづくりで一番大切なのは窯焚かまたきなのだ、窯焚きの手加減一つで、どんな名工の鏤心砕骨るしんさいこつも、ピーンとれが入ってしまう。
 だから、どんな雑物焼ぞうもつやきでも、窯焚きの待遇たいぐうにはハラハラするのが世間一般、久米一のように、腹ンいで話すなんていう不作法は見たくも見られぬ例外だ。
「折入って、親方にちっと話があるんですがね」
「いってみねえな。よく今日は、折入ってという奴が続く日だ」
「鈴木の旦那」と後ろを向いて、
「一つわっしに代って、さっきの一埒いちらつを親方にちまけて見ておくんなさい」
「よろしい」と山目付の杢之進もくのしん、久米一の気にさわらぬように兆二郎ちょうじろう嫌疑けんぎを話した。

 絵描座えかきざと呼ぶのは、陶器絵かきの細工部屋さいくべや、奥の静かな一間ひとまである。
 さっき、そこへ戻った菊田兆二郎は、何食わぬ風をよそおって、香炉こうろか何かに鯉絵こいえ彩管さいかんをとっていた。
 と、そこへ久米一の娘のなつめが、少し色をかえて入ってきた。
「兆二さん」
「また来たのですか」
いやなの?」
「そうじゃありませんけれど、師匠の眼につきますからね」
「お父さんはいいのだよ。だけれど、困ったことが出来たようだ……あの窯焚かまたきの百助ももすけと鈴木さんが来て、何だかお前に来てくれというのだけれど」
「どこへです?」
「お父さんの部屋に。鈴木さんはいい方だけれど、あの百助のやつ、ほんとにいややつだから、何をいいだすか知れないよ」
「いったらわたしもいってやります。いつかお薪山まきやまへ、お嬢様を誘い込もうとしたことを」
つらの皮をむいてやった方がいい。だがね兆二や、向うで黙っていたらしたほうがいいよ」
「ええそりゃいやしませんとも」こんな気持で、兆二郎は何気なにげなく、縁伝えんづたいに師匠の部屋の前に来て板敷の上へかしこまった。
 まだ前髪まえがみをとったばかり、青々とした月代さかやきに、髪油かみあぶらのうつりがいい。小刀を前差にして、はかまひだをとった形、いかにもなつめの眼をひいたろうと思われる。
 窯焚きの百助は、虫酸むしずの走るような眼をくれて、いきなりそばへ寄って行った。
「おい! 加賀ッぽう! 加賀の九谷くたにから来た兆二郎ッ」
「えっ」
「見やがれ、つらいろが変りやがった。うぬはなんだろう、大聖寺だいしょうじの前田の家来か九谷の陶器作すえものつくりのせがれだろう。うまくましていやがるな」
「飛んでもないことを! ……百助さんわたしは元江戸の者で、兄は浮世絵師の」
せよ! この窯焚きの百助はな、さんざん江戸でもゴロついていた事があるんだ。てめえみてえな色の生白なまじろい泥人形が、江戸生れだなんてかしたって誰がまともに受けるものか。そのなまりは加賀ッぽうきだしだ。前田の家来にちげえねえッ」
無態むたいなことをおっしゃって下さいますな。この兆二郎の身の上は、師匠もよく御存じでございます」
「やかましいッ。巡礼だか六部ろくぶだかになりやがって、仮病けびょうをつかってこのやしきの前に倒れたなあうぬの手段だ。そんなことはこの百助が、三年も前からにらとおしているんだぞ。さ、ここで泥を吐かなけりゃ、おれと一緒に代官所へ来い。白洲しらすで、白黒をつけてやる」
 ムズと兆二郎の襟頸えりくびつかんだ。
 ずるずるッと廊下を引摺ひきずって行こうとする。ものかげにみていたなつめは唇の色を失ってふるえていた。
 すると、煙管きせるくわえて、今まで黙然もくねんとしていた久米一が不意にって、百助の腰をドンと蹴飛ばした。
「あっ」と、庭先へたおれた窯焚かまたきの百助。何か叫ぼうとしたけれども、ぬッくと、縁先に突っ立った久米一の形相ぎょうそうをみると、思わず骨身がすくんでしまった。
 鈴木杢之進もくのしんも、その血相けっそうには気をのまれた。よく山の者が久米一の傲慢ごうまん増長ぞうちょうを憎んで、かげ口に増長天王ぞうちょうてんのうと悪口をいっているが、かりそめにも、この大川内で窯焚かまたきの上手じょうずでは右へ出る者のない百助を、足蹴あしげにした憤怒ふんぬ慢心まんしんの今の姿は、まったく、増長天王そのものの相であると思った。
「た、短気なことをなされるな」
 と杢之進もくのしん、とにかく割って入ったが、百助ももすけッとなって、久米一の顔を睨み上げた。
「やい、な、なんでおれを足蹴にしたッ」
「毒蛇といってあきたらねえ人非人にんぴにん、足蹴ぐらいはやすいこったわ」
人非人にんぴにんだと? おい久米一、うぬはどれほどな名人だか知らねえが、余り慢心して気まで変にならねえがいい。御法度ごはっとを破って、秘法を盗みに、他国から住み込んでいる廻し者を、俺が見破ってやるのは、取りも直さずうぬ落度おちどを防いでやることになるんだ。恩とは思わねえで、人を蹴飛ばす法があるかッ」
「やかましいわいッ」
 はったと睨んで、久米一、そこに人なきごとくこう言った。
「おれの持つわざというものはな、自体こんな狭い山だけに、秘し隠しにされておしまいになるような小さな物ではないのだぞ。わざの術が大きければ大きいほど、世にも響こう世間にもあふれ出よう。それが当然の成行なりゆきだわえ! だが兆二郎が加賀の廻し者だとはおのれだけの悪推量わるずいりょう、娘の棗に懸想けそうして、それが成らぬところから卑怯ひきょうな作りごとをして、あだをしよう腹だろうが! ば! ばか者奴ッ」
「うーむ……」と百助、歯を食いしばって無念がったが、それは彼の毒心どくしんに、グサと入った匕首あいくちの言葉である。こめかみから額に、蚯蚓みみずのような青筋をみなぎらし、
「ちッ……畜生ッ、おぼえていろ増長天王ぞうちょうてんのうめ!」
「なんだと」
「う、うぬの陶器すえものは、今日ッかぎりこの百助が手にかけねえからそう思えッ」
「勝手にさらせ」
「オオ久米一、手を切ッたぞ!」
 眼に燐火りんかを燃えたたせて、真ッさおに怒った窯焚かまたきの百助、捨てぜりふを残してまッしぐらにけだして行った。

 峡谷たにあいの山村に、春が過ぎ夏が過ぎ、山そのものが色絵錦いろえにしき陶器すえもののような秋になった。
 近ごろ陶工とうこう久米一くめいちの生活は、がらりと打って変ってしまった。
 何人なんぴとのぞかせぬ、細工場さいくば陶戸すえどを閉めきって、一生一品の製作に精進しょうじんしているのだ。
 彼が、これを最後として作りにかかっているのは、窯焚かまたきの百助ももすけが、自分をののしった言葉に着想を得た、増長天王ぞうちょうてんのう二尺の像である。
 久米一は元より柿右衛門の神経質なさくを嫌い、古伊万里こいまりの老成ぶったのはなおとらなかった。で、この増長天王にあらん限りの華麗と熱と、若々しさとほこりと、自分の精血せいけつそそごうとする意気をもった。
 深沈しんちんたる真夜中。
 陶戸すえどの中の久米一は、素地そじを寄せて一心不乱にへらをとった。ミリ、ミリ、彼の骨が鳴って、へらの先から血がしたたりはしまいかと思われる。
 轆轤ろくろにかかる彼の姿は、鬼のように壁へ映った。そして、夜をつみ、日をついで、釉薬ゆうやく染付そめつけの順に仕事が進んだ。
 ところが、人の寝しずまる頃になると、久米一は、ものかれたように、仕事のひとりごとをらすのであった。
 へらの秘伝、釉薬くすりの合せ、彼が今日までおくびにも出さない秘密を、みなブツブツとひとりごとにあかし、そして増長天王ぞうちょうてんのうの仕上げにかかっていた。
 不思議な――? と思うと、またここに怪しいのは娘のなつめの部屋。
 夜ごと、一人の男が忍んでくる。
 それが絵描座えかきざ兆二郎ちょうじろうであることはいうまでもないが、その部屋へ入るとやがて、兆二郎の姿はどこかへ消えてしまう。そして、戸棚の上の天井板てんじょういたが黒い口を開くのである。
 夜ごと、天井へはい上がった兆二郎は、屋根裏を伝うと、ソッと久米一の密室の上へかかり、そこに、苦心をして僅かにのぞきうるだけの穴をあけた。
 なつめはそのあいだ、ほかの弟子が来ぬように見張っていた。兆二郎は天井の穴に目をつけて、息をのみながら久米一の仕事を凝視ぎょうしする。
 と――やがての夜から久米一のひとりごとがはじまったのである。見ただけではわからぬわざのなぞ、そこへくるとくのである。ああ、師匠は何もかも知っているのだ……色絵の秘法と同時に娘のなつめをもゆるしてくれる心であったと兆二郎が、真っ黒な屋根裏で両手を合せたこともいくたびか。

 窯焚かまたきの百助ももすけは、無論あのまま黙ってはいない。なお、執念しゅうねん深く、兆二郎ちょうじろうの疑点をいくつも探り、佐賀の城下へ出て密告した。
 ところが、鍋島家なべしまけの役筋の方では、訴えられて非常に弱った。殊に、刈屋頼母かりやたのもは極力それを揉み消し、百助と久米一との和解につとめた。
 久米一の細工邸さいくやしきから、秘法ひほう盗みの罪人を出せば、その師匠の彼をも、同罪にしなければならない困難が一つ。
 また、百助をここで怒らせてしまっては、無論久米一の御用窯ごようがまには火を入れないと頑張るに違いない。ところが、久米一ほどの名人の火入ひいれする窯焚かまたきはそうザラにあるものでなく、大川内おおかわち伊万里いまり有田ありた三地さんちを通じてみても、今度の献上陶器けんじょうすえものの火入れは、どうしても百助でなければおさまりがつかない。
 この困難が一つ。
 そのいずれを欠いても、こんどの大事な製作ができないわけ、頼母たのも狼狽ろうばいしたのは無理ではなかった。
 しかし、百助の方は、すべて莫大な金ずくで我慢させた。
 いやいやながら久米一にびを入れその日に、いよいよ焼くとなった増長天王ぞうちょうてんのうの像をうけ取った。みると、さすがにりんぜっしたできばえである。いかなる遺恨いこんも、憤怒ふんぬも、久米一の芸術の前には、おのずから頭を下げずにいられなかった。
 その受け渡しがすむと。
 もう代官所の方では、すっかり手配ができていた。
「それっ」とばかり、久米一の細工邸さいくやしきへ、捕手とりての者を乱入させた。
 何の苦もなく、久米一は直ちに縄を打たれてひきだされてきた。だが、その姿を一目見た役人や山の者は、一瞬に平常の彼にもっていた憎念ぞうねんを忘れて涙ぐんだ。
 一心の芸術は、こうも人の精血せいけつを吸ってしまうものだろうか。僅かな間に、久米一のおとろえたことは非常なものであった。糸を抜かれたよりも婆娑ばさとした姿に変って、大言壮語も吐かず弱々よわよわと佐賀の城下へかれて行った。
 しかし、久米一より大事な罪人、絵描座えかきざの兆二郎と、娘のなつめの姿は、捕手が入った時すでに、影も形も見えなくなっていた。無論、逃げたのは山越えとみて、山目付やまめつけ鈴木杢之進もくのしんが手配したが、遂に、あみにかからない。
 夕月のかかる前から、黒髪山くろかみやまの山ふところ、御用窯ごようがまに火が入った、まっ黒な煙か、峡谷から押し揚った。
 そこに働いているのは窯焚かまたきの百助ももすけ
 彼は溜飲りゅういんをさげて、得意にちていた。
「ざまア見やがれ!」
 ひとりで凱歌を奏していた。
 しかし、彼の鬱憤うっぷんは、久米一の細工屋敷が没落し、彼が城下ではりつけになるのをみても、まだまだ腹がえなかった。彼奴かやつが死んでも殺されても、まだ生きているもののあるのを知っている。
 何かといえば、久米一のわざの魂。彼が色鍋島いろなべしまに残したかがやかしい名声だ。
「よウし……畜生」
 百助は、その無形な名声をも殺す、恐ろしい一策を思いついた。
 今、この御用窯の中には炎々たる高熱の火が入っている。そこには、久米一が、一世一代の製作、増長天王ぞうちょうてんのうが彼奴のいのちを吹ッ込まれて、世に生れ出ようとする火炉かろ胎養たいようをうけているのだ。
「こいつを、満足に火からだすのも、やみから暗にしてしまうのも、窯焚かまたきのおれの火加減一つじゃねえか! ウム!」と彼は思いついた悪智にうなずいて魔の笑いをもらした。
 こうなると、百助のえた腕は、恐ろしい悪事の構成に利用される。彼はかまの中の陶器すえものを、巧みに、火加減をもって悪作あくさくなものと変質させようとするのである。それも通常一般な窯焚かまたきが窯主かまぬしあだするようなつたない手法でなく、後に誰が見ても、その製作が久米一の手落ちなためで、火入れの故意せいではないように見せるべく苦心をした。
 で、彼は、わざと変則な火入れをした。
 夜に入り夜がけると共に、太い火柱の影が、月の空へ突きとおって見えた。そしてすでに五更ごこうの暁に近いころ……。
 今が大事な火加減のところである。
 厚くきずいたかまの土が、人間の血を日にかして見るように赤く見えてきた。ここに窯焚かまたきの懸命が入れば、陶器の増長天王ぞうちょうてんのうほのおの中からいのちをもって、世に出たもうことになるのだろうが、百助は、元よりそれをのろっている。あだの胎児の死を眺めるような気持で冷然と、薪束まきたばの上に腰を下ろし、スパスパ煙草をくゆらし始めた。
 たちまちかまの肌がドス黒く、火口かこうの焔も弱ってくらになってきた。久米一生涯の神品しんぴんも、今はどうなったか計られない。百助はそれを眺めてニタッ……と嘲笑あざわらった。
 その時、不意に百助の後ろへ、黒い人影がソッと立った。
「おや?」
 と、感づいて、ふりかえった彼のこう
 颯然さつぜんと、ほたるくだいたような光が飛んだ。あッといった時は、それが剣であったとみる眼もくらんで、窯焚かまたきの百助ももすけひたいおさえて、ダッ――とびのき、満面まんめんしゅになって、
「うウ! ……だ、誰だッ」
 唇に流れこむ血を吹いてわめいた。
 青白い剣のさきは、それに何の答えも与えず、なおスルスルと追い詰めてきた。百助は必死になって、よろよろと逃げ廻ったが、また一人、飛鳥のごとく駈け寄った影が、抱きすくめた彼の脇腹へグザと短剣のさきをえぐった。
「おお、火が消える」
 相手がたおれたと思うと、それには眼もくれないで、二人の影がかいがいしくかまの前に働きだした。
 お薪山まきやまからりだした松薪まつまきの山を崩して、それをつかむと、火口ひぐちきっと覗いた若者。
「ええッ」
 気合をかけてポーンと投げ込んだ。
「ええッ」とまたすぐに次の一本、また一本。今にもえなんとしていた火のいのち! よみがえったかの如く赫々あかあかと燃え上がってあたりは光明昼のごとく真っ赤に照った。
 百助ももすけたおして、一心不乱に窯焚かまたきをしている若者二人の影、その時、ありありと姿が読まれた。
 絵描座えかきざ兆二郎ちょうじろうと、久米一の娘、なつめであった。
 絵師兆二郎は元よりただの細工人さいくにんではない。加賀大聖寺かがだいしょうじの武人の血をうけ父は九谷陶くたにすえ窯元かまもとである。多少の呼吸も心得ている上に、今は恩人最後の大業を、命にかけても焼き上げようとする一念があった。焦熱しょうねつの懸命があった。
 かまは音をたてて最高度まで焔をあげ夜はほのぼのと明けかけて来た。紅蓮地獄ぐれんじごくにふさわしい漆紅葉うるしもみじの真っ赤なのが、峰から降り、かまあおられて、飜々ほんぽんと空に舞い迷う。
 やがて海嘯つなみのような声があがった。
 山峡の細道を伝って、おびただしい捕手とりての数が黒髪山くろかみやまへ乱れ入った。が、捕手の目は、御用窯ごようがまの前に落葉にうずもれた百助の死骸を見出したのみで、なつめの姿も兆二郎のかげも、遂にひねもすの山狩むなしく見ることができなかった。
 ただ、二人をあきらかに見送っていた者は。
 山目付やまめつけの鈴木杢之進もくのしん
 峰のいただき伊弉諾いざなぎみこと髪塚かみづかに立って、程近き間道かんどうを手に手をとって、国境くにざかいへ逃げてゆくふたりの姿を認めたのである。
 が、――しかし、杢之進もくのしん、その時、その若人たちの前途に、明るき春あれさちあれと、祈る心は湧いても、無慈悲むじひ飛縄ひじょうを飛ばそうとは、つゆほども思わなかったのである。
 久米一くめいちがいった。いつか窯焚かまたきの百助ももすけ蹴落けおとした時に、「おれのわざはこんな山の中に封じられて終るような小さなものではないと。偉大なものは世の中へあふれ出ずにはいない」と。そうだ、ましてや杢之進の持つ弄具おもちゃ同様な十手や捕縄とりなわで、そのあふれる力がせき切れるものか! ……
 しかし彼の心が、再びこの山村の平和に退屈しても、なお、これ以上の波瀾はらんを欲するかしら? それは杢之進にも分らない。ただ当座は、一刻も早く陶器山すえものやまの静まるのを念じたに違いない。
      ×   ×   ×
 佐賀の城下で、陶工とうこう久米一くめいちが断罪となる日、彼の持窯もちがま――黒髪山くろかみやま御用窯ごようがまも破壊された。破壊された中から生れた物があった。それは太守たいしゅも、刈屋頼母かりやたのもも、まったく望みを絶っていた、増長天王ぞうちょうてんのう陶器像すえものぞう。しかも一点のきずなく彫琢ちょうたく巧緻こうち染付そめつけ豪華ごうか絢麗けんれいなこと、大川内おおかわちの山、開いてこのかた、かつて見ない色鍋島いろなべしまの神品。さらに、焼きの上がりも無類であった。
 鍋島肥前守なべしまひぜんのかみは、山役人から、そのよろこばしいらせをうけると、直ちに、久米一助命じょめいの急使を走らせた。
 急使は刑場へ間に合ってついた。
 だが、久米一の助命はかいないことであった。なぜといえば、彼は、刑場へ来る途中、すでに、刀も待たず、枯木かれきの折れるように、死ぬともみえず老衰で死んでいた。
 さて――話の結びに、彼の残した増長天王ぞうちょうてんのうはどこへ安置されたか、それを一言する。
 天明てんめい四年正月早々。佐賀城から江戸へ向って、警固荷役に守られて送り出されたのが、久米一作の増長天王であった。届け先は、頼母が久米一に話した言葉と違って、千代田の城へは入らずに、時の権勢家けんせいか田沼山城守意知たぬまやましろのかみおきともの屋敷へ贈物とされることになった。
 これは鍋島家が、山城守に睨まれていたことがあって、その機嫌をとり結ぶべく、心をくだいた賄賂わいろであった。賄賂といっては、久米一が作らぬだろうと、頼母たのもむねふくませたのである。
 ところが、増長天王を田沼山城の屋敷へ贈る手続きをしている間に、三月、江戸城朝会ちょうかいの当日、山城守は悪政のむくいをうけ、殿中で刺殺しさつされてしまった。
 そのため、増長天王はしばらく江戸の上屋敷の秘庫ひこにあったが、後に将軍家斉いえなり懇望こんもうされて、江戸城本丸に移された。しかし、それもやがてまた、幕府瓦解がかいちょうをあらわした、安政六年の失火の時、本丸炎上の紅蓮ぐれんをあびて、遂に永遠のそうを失い、もとの土に返ってしまった。

底本:「治郎吉格子 名作短編集(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1990(平成2)年9月11日第1刷発行
   2003(平成15)年4月25日第8刷発行
初出:「サンデー毎日 春季特別号」
   1927(昭和2)年4月1日
入力:門田裕志
校正:川山隆
2013年1月23日作成
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