七月の上旬である。唐黍とうきびのからからとうごく間に、積層雲の高い空がけきッた鉄板みたいにじいんと照りつけていた。
 ――真っ黄いろなほこりがつづく。
 よどを発した騎馬、糧車、荷駄、砲隊、銃隊などの甲冑かっちゅうの列が、朝から晩まで、そして今日でもう七日の間も、東海道の乾きあがった道を、続々と、江州路から関ヶ原を通り、遠く奥州方面へ向って下ってゆくのであった。
「夏のいくさはたまらんぞ」
「――さりとて、冬も」
「雪に馬のたおれることはないが、暑さでは、馬さえられる」
「夜は藪蚊やぶか、昼はこの炎天」
「一雨来ぬかな」
「この空では――」
「いッそ、敵にぶつかって、いざ戦となれば、暑さもくそもないが」
「敵は、上杉。――まだ白河会津までは何百里」
「うだるなア」
「いっそ物の具など、捨ててしまいたいが、裸で戦もなるまいし……」
「ははは」
 騎馬と騎馬の上で、笑い合う声までが、干乾ひからびて、ほこりせそうになる。
 それでも、馬上の部将格の者には、行軍のあいだに、そんな余裕もあったが、歩卒の心臓は、口もきけなかった。
 自棄やけに、竹筒の水を飲み、それがなくなると、泥田の水でも、小川でも、水を見ると、餓鬼のように口をつけ、そして荷駄の手綱を持ち、銃や槍をかつぎ、部将に叱りとばされると、また隊伍を作り、火みたいな息をついて、
(ああ、まだこの辺は、美濃だ。――白河、会津の上杉領までは)
 と、道よりも気の遠くなる心地で――泥の汗を、ひじでこすっては、行軍した。
「こん畜生、また坐ってしまやがッた。――っッ! っッ! 横着野郎めッ――」
 大荷駄のうちで、突然、発狂したような足軽の呶号どごうが起る。日射病でまた二頭の馬が大きな腹を横にして斃れてしまったのである。その腹を、手綱で撲りつけていたが、馬は、口に白い泡を噛んで、眼をにぶくしながら、なぐる人間を、恨めしげに見ているだけであった。
「捨ててゆけ、捨ててゆけッ」
 部将の声に、病馬の背から、荷が解かれ、他の糧車や馬の背へ移されると、もう陣列は待っていなかった。
 それでも――さすがにまだ呼吸いきのある病馬を、見捨てかねるように、四、五人の足軽は後に残って、水を浴びせたり、薬をませたり、手当していた。
 黍畑きびばたけ、桑畑などから、それを見つけて、附近の部落の腕白者や、洟垂はなたれを背負った老婆としよりなどが、いなごのようにぞろぞろ出て来て、
「やあ、馬が死んでら、泡吹いて――」
いくさにならねえうちにの」
「弱え馬だな」
「こんなこんで、上杉征伐に行ったら、上杉にぶち負けるだろうで」
 行軍からは落伍するし、馬は起たないし、汗だくになって、焦々じりじりしていた歩卒は、
「こいつら! 何云うか」
 槍の柄で、唐黍とうきびの首を横に撲りつけた。
 わっ――と逃げる子供の群れに突かれて、桑畑のくろよろめいて、痛そうに眼をうるませていた若い女が、ふと、足軽達の眼にとまった。
「? ……」
 見ていると、女は、踏まれた足の土を払って、そこへ取り落した四角な――重箱でも包んであるらしい――その包みを抱え拾って、そして、自分達の方へ近づいて来た。
「あの……ちょっとお伺いいたしますが」
「あ、何だね」
 美しい女性を見ると、汗も涼やかに乾くように、足軽たちは※(二の字点、1-2-22)めいめい息を休めた。
「ただ今、ここを通りました御軍勢は、大谷刑部おおたにぎょうぶ様の御家中でございましょうか」
「うんにゃ――」と、首を振って――「吾々は、小笠原秀政の手の者だ」
「では、その前にお通りになったのが」
「いやいや、今日、先頭に参られたのは、本多忠勝様の隊と、榊原康政さかきばらやすまさ様の隊」
「では、大谷様の御人数は」
「さ……刑部少輔しょうゆう様は、越前の敦賀つるが城から御発向で、やはり今度の上杉攻めには、徳川内府様の軍にいてお出ましになるとは聞いていたが、いつ頃この辺を通るやら?」
 すると、ほかの一人が云った。
先刻さっき通ってきた垂井たるい宿しゅくに、たしか、大谷刑部少輔吉継しょうゆうよしつぐ様御宿舎という立て札を見たように思うが」
「では、今夕あたり、垂井へお着きになるのかも知れんな……。女子おなご、とにかく垂井へ行って訊いてみたらどうだ」
「ありがとう存じまする」
 女は、そう聞くと、炎天もほこりいとわずに、ける道を垂井の方へ急いでゆくのであった。
 病馬の手当を忘れて、歩卒たちは、その後ろ姿を振り向いていた――
「百姓の娘でもなし……町家の女とも見えんし……何者だろう」
「うつくしい!」
「大谷家の人数のうちに、許嫁いいなずけの若侍でもいて、それを訪ねて行くのじゃないか」
「いやになるなあ! ……あっ、おいっ、此馬こいつはもう助からんぞ」
 瀕死ひんしの馬の口輪をつかんで、一人は、邪慳じゃけんに揺りうごかしてみた。

 おおきな樹立こだちに囲まれていて、ふところの広い平庭である。樹々の蔭には、もう夕闇が漂って、蚊ばしらの唸りが何処ともなく耳につく。
 垂井の宿長しゅくおさやしきだった。
 大谷刑部少輔しょうゆう吉継の紋を打った幕が、そこの土塀や中門をめぐらして、うまやには、馬のいななきがさかんであった。宿場には、彼の手兵が分宿し、往来には、篝火かがりが夕月をがすほど煙を揚げている。
「これで三度目だ、いくらいても、乾ききっているので、水を吸ってしまう」
 具足をつけたままの小者が、手桶と水柄杓みずびしゃくを持って、庭へ水を打っていた。
 そして前栽せんざいにある車井戸のほうへ戻って来ると、髪もすそも埃にまみれた――しかしどこか気品のある若い女が――門前から中を覗いて、恟々おずおずと、去りがてに佇立たたずんでいる。
「誰だ、其女そちは。――ここの宿長しゅくおさの召使か」
「いいえ、あの……」そうとがめられるのを待っていたように、女はすぐ云った。
「大谷平馬へいま様にお目にかかりたいのでございますが……」
平馬へいま?」
 小者たちは、顔を見あわせて、
「平馬って、誰だろうか。家中に左様な名の者はないが」
 すると、女は、あわてて云い直した。
「申し違えました。――平馬様というのは御幼名、刑部吉継ぎょうぶよしつぐ様のことでございます」
「え、殿に」
豊前ぶぜん乳母うばの娘が参ったと仰っしゃって下されば、きっと、殿様も覚えておいで遊ばすことと存じます。お取次ぎくださいませ」
「さ……どうしたものだろうか。とにかく、ちょっと待て、御組頭まで伺って来るから」
 小者が、奥へ駈けこむと、やがてその者と連れ立って、黒革胴を着込んだ背の小づくりな――そして兎唇みつくちの見るからに風采のあがらない武士が出て来た。
「あなたが、おしのどのですか」
「はい」
「殿にも、よく御記憶でござった。会おうと仰せられますから、庭口へおまわりなさい」
 と、自身で導いて行った。
 お篠は、大事に抱えて来た風呂敷づつみを持って、平庭のむしろの上に坐っていた。――幼少から母に聞かされている平馬様とは――いや今は敦賀城つるがじょうあるじとなっている大谷刑部吉継様とは、どんな人であろうか? ――恟々おどおどと胸の縮まるうちにも想像してひかえていた。
 暗くて、蚊のうなりだけが聞えている書院に、近習たちの微かな気配がうごき、やがて、燈火あかりがぽっといた。
「――篠というか」
 刑部の声であった。
 が、お篠は口の裡で、はい、と答えただけで、その人を仰ぎ見ることなどはとてもできなかった。
「母は、達者か。……もう幾歳になるの、左様、わしでさえ本年三十八歳になるのじゃから、あの乳母もはや余程な年のはずよの」
 それからも、いろいろと親しげに刑部から話しかけられたが、お篠は、思って来たこと何一つ云えないで、ただ早速、母から吩咐いいつかって[#「吩咐って」は底本では「吟咐って」]来た包みを解き、中から重箱に入れた麦の打菓子うちがしと、関の観音の守護袋まもりぶくろとを添えて、
「母も、大きゅうなった殿様のおすがたが見たいと、朝夕に云い暮しておりますが、中風ちゅうぶを病んでからは、歩むこともかないませぬので、私が代りに参りました。この打菓子は、母が、私たちに、殿様の幼い頃のお物語りなどして聞かせながら自分で麦をいてこしらえた物。また、このお守護まもりは、関の観音へ、御武運を祈って、これも私が母を負うて、七日の参籠をしていただいて参りましたもの。殿様へ上げてくれいと、母から申されて参りました。お納め下さいますならば、どんなに欣ぶことでございましょう」
 畏る畏るそれだけの事を云ううちに、お篠は、書院の上にいる刑部のすがたを、やっと明らかに見ることが出来た。
 その人は、今、自分で三十八歳になると云ったが、年頃は四十か五十か見当もつかない。左の腕を白布でくびに吊り、白絹で頭巾のように顔をつつんでいる。そして身にも白帷子かたびらを着、小姓に団扇うちわで風を送らせているのである……。が、お篠は一目仰いだ途端に、何か、ぞっと背すじに寒いものを感じて、
(――この人が、母のいつも話す刑部様か?)
 と疑い、
(自分の母が、幼少の時、お乳を上げたという刑部様は、もっと、おやさしい人のように云うていたが? ……)
 と思った。
 彼女の母は、まだ彼女の生れぬ頃、豊後ぶんごの片田舎の郷士ごうしの子息に、乳人めのととして乳の奉公をしていた事がある。その貧しい郷士の子が、今の敦賀城の大谷刑部であった。珠のように端麗なお人であったと母からは聞いていたのに――今見れば、どうであろう、その面影もありはしない、気の弱い者がこの蚊うなりのする仄暗ほのぐらい書院の内で、一目そのお顔を不意に仰いだら、気を失ってしまうかも知れない。
 刑部は、業病ごうびょうだった。もう十年余り前から、病兆きざしが出て、今では一見してそれと分る癩の相好そうごうをしている。
 髪は、禿げ上がり、顔は赤黒い無気味な照りを持って、れた唇のわきには、紫いろの斑痕ぶちが出来ていて、人の二倍もあるかのように全体が畸形きけいに大きくふくれているのだ。――無論、睫毛まつげも落ち、視力も、燈火あかりがポッと見える程度で、眼の前、五、六尺のまわりしか見えないらしい。
「うむ……うむ……乳母がの……わしに」
 こう幾度も頷いて、心なしかその睫毛のない眼をしばだたいて、刑部はお篠のことばを聞いていたが、やがて、庭の方へ向って丁寧にかしらを下げ――
「かたじけないと云うてくれよ。麦菓子も早速食べよう、守護まもり札も肌につけていくさに出よう」
 と、云った。
 近侍に、重箱をとらせ、すぐその麦菓子の一つをとって味わいながら、
「お篠とやら、そなたは、乳母の何人目の子じゃ」
「四人目の娘でございます」
「そうか、乳母は今、どうして暮らしているの」
「二番目の兄が、この宿場の在方ざいかたで、手習師匠をしておりまする。それへ身を寄せて、中風を養生しておりますが、もうる年のこととて」
「…………」
 黙って、刑部はまたうなずいた。そして、
「喜太夫」
 と、近習番の三浦喜太夫へ頭を向け、何かささやくと、喜太夫が奥へ入って、手庫てばこを取り寄せて来た。白紙の上に十枚の黄金がならべられ、それを包むと、縁先へ出て来て、喜太夫の手から刑部の心もちをお篠に伝えていた。
 お篠は、そんな大金をもらって行って、母に叱られはしないかと、惑ったり断ったり、もじもじしていた。
 その間に――刑部はもう書院の席を立ちかけて、奥へ渡る廊下へ出ていた。この垂井たるいへ着くとすぐ、佐和山の石田三成へ使いにやったその使者が今帰って来たと告げて来たからである。
 使者の用向きは、今度の上杉討伐に、三成の子息隼人はやとも従軍することになっていたので、それを誘いあわすためであった。――ところが、その使者と共に、何用か、三成の家臣樫原かしわら彦右衛門が伺候したというので、奥へ立ちながら、刑部は、
「はて?」
 と、考えていた。
 三成と刑部とは、莫逆ばくぎゃくの友である。――佐和山と、敦賀つるがとは離れていても、心はお互いに常に近かった。
 開けひろげた三方の柱に、すだれがかけてある。水を打った植込みの蔭には、チチチと涼やかに虫のがながれ、そこにもほのかな短檠たんけいが、微風にまたたいている。
 簾の前に、刑部は坐った。――彼は、よほど親しい仲でない限りは、いつも、簾越しに会うのを礼儀としていた。
「彦右か」
「はっ……」
 樫原彦右衛門は、その次の間に、両手をついていた。簾越しの白い人影を仰いで、
「炎暑の御陣立ち、御大儀にござりましょう」
 と、云った。
「む……。戦いは、いつもよいものではないが、わけて、夏の陣立ちは、あの具足というやつが、着るだけでも、容易でない。わけてもこの身の如き病体には……」
 と、虫の音に、言葉を切って、
「――時に、治部じぶ殿は、御閉居以来、どうじゃの、元気か」
「自適いたしておりまする」
「この度、東北において、上杉景勝、直江山城守などが、乱をし、その御平定に、徳川内府が赴かるるについて、かねて、内府の心証をそこねておる治部殿にとっては、ここ、またとない取做しどころと――こう刑部自身は考えたゆえ、御子息の隼人殿を誘いあわせたが、お出でましはどうじゃな。治部殿にはまた何ぞ、一徹にを固持しておらるるのではないか」
 刑部の低くて太い声には、憂いがふくんでいた。――三成の為に、若年から刎頸ふんけいを誓っている友の為に。

 彦右衛門はぬかずいて、
「――実は今日も、御子息の隼人はやと、同道のつもりでございましたが、お察しの通り、治部におかれましても、少々、存念ぞんねんがござりまして、それに就き、この佐和山の近くを御通行は、またとない折、親しゅうお目にかかって、お話しいたしたい儀もある由にござりますゆえ、長途のおつかれもあるみぎり、何とも恐れ入りまするが、曲げて御来駕あるようにと、主人よりの口上にござりまする」
「わしに……佐和山まで来てくれとか」
「はっ」
 彦右衛門は、すだれごしに、じっと刑部の顔いろを見ていた。――この人を、どうあっても、一度は主人の居城まで連れてゆかなければ君命をはずかしめる事にでもなろうように。
「ふむ……」
 容易には、刑部は頷かないのである、家康と三成との関係――またすでに垂井まで来ている自分が、行軍を止めて、佐和山城へ立ち寄ったという事が、上杉攻めの発向に日を急いでいる他の諸侯へ響いたら、どんな嫌疑をうけるか――そういう事も無論考えずにはいられない筈である。
「……ウむ……そう云うてか……ふム……」
 いつまでも、同じうめきとも返辞ともつかない呟きを繰返していたが、やがて彼の心はだんだん佐和山に蟄居ちっきょしている不遇な友のほうへ傾かずにはいられなかった。
「参ろう。……明日あすの夕」
「えっ、御来駕、下さりますと?」
「ひそかに」
「元よりでござります」
 彦右衛門が退がると、近習の三浦喜太夫が庭さきへ廻って来て、
「殿……。先程の娘に、おことばの金子きんすとらせましたところ、欣ばしげに、唯今、あちらにて遠くお姿を拝んで帰りました」
「誰か、けてやったか」
「はい、夜道のことゆえ、兵を二人ほど添えて遣わしました」
「よう気づいてくれた……。蚊がおるなあ」
「また、少しいぶしましょうか」
「ムムけ」
 喜太夫は、かやの葉を、縁でべ初める。その煙が逃げてゆくひさしに、薙刀なぎなたのような宵月がしていた。
 刑部は、月のほうへ顔を向けた。油で濡れているように、顔の凹凸おうとつが青く光る。
「早いのう……何もかも一瞬じゃ……乳母も老いる筈、その乳母の手を離れてから三十年、治部と知り合ってから二十二年」
 パチパチと、蚊いぶしのかやの火が静かにねている。
「喜太夫」
「はい」
「書院にのこして来た麦菓子をこれへ。そして、茶をも一つ」
 小姓が、それを持ってくると、
「思い出すぞ」
 呟きながら、刑部は麦菓子を小さく折って、くちへ入れながら――
「喜太夫、これはわしが幼少の好物。……久しぶりで、少年の頃の味が思い出された。そちも一つ食べぬか」
 ――それに答えかけて、喜太夫は、はっと、べつな方へ耳をられた。戞々かつかつと、大地を打ってゆく馬蹄の響きである、また、夕立のようにわらわらとすぐ塀の外を続いてゆく兵の跫音であった。
「やっ? ……あれは」
 蚊遣かやりの側から腰をかしかけると、槍組がしらの湯浅五助が、
「何事でもござりませぬ」
 と、そこへ告げに来た。
 喜太夫は、怪訝いぶかって、
「しかし、何じゃ今頃……」
「いや、後より立った京極高知きょうごくたかともと、佐々行政さっさゆきまさなどの人数が、夜泊りもせす、先を争うて、行軍いたしおるのでございます」
 刑部はそら耳に聞いていたが、うみの出る頬へ、白いぬのを当てながら、にやりと苦笑していた。
「さても、功に飢えている人々だの。淀、大坂よりこの数日に発向した者どもだけでも、七十余大名、五万余の兵と聞く。多寡が上杉の会津一城を抜くのに、ちと物々しい騒ぎではある。いずれ一先ひとまずは江戸表で、軍議その他の余日もあろうに、夜を通してまで先を争い行くのは、功利以外の何ものでもない。ただ徳川内府のお覚えのみを気がねして齷齪あくせくと、夜半まで駈ける小心な大名どもの肚の底がいてあわれが深い……。あはははは、思うても暑いことだな」

「左近。まだか」
 治部少輔しょうゆう三成は、佐和山の一室で、陽が薄れるともう待ちわびていた。
 石田には過ぎ者――とさえ死んだ太閤が云った島左近が、ただ一人、今日の侍側をゆるされて、次の間にいたが、
「あ……お見えのようで」
 と、出迎えに立った。
 湖水はまだ明るかった。湖北の山々や、対岸の叡山えいざん、四明ヶ岳などは、もう夜の黒いすがたまとっていたが、城の大廊下には、水からえる青い夕明りが板を流れている――
「よい城だの」
 賞めながら、大谷刑部は、侍臣の手に、指の端をほんのわずか持たせて、歩いて来た。
「――背に、伊吹のけん、北国東海の二道をやくし、舟路しゅうろ一駆いっくすれば、京は一瞬の間にある。――しかも、平和を愛して、自適するにも、絶佳の景」
 見えでもするように、湖のほうへ、また、城の庭へ顔をうごかしつつ、
「ここか」
 と、着席する。
 すぐ、三成が見えて、
「刑部、久しいのう」
「おう……」
 声のほうへ、刑部は顔を向け、
「治部か、一別以来」
 と、すこしを下げた。
 三成は、じっと白絹につつまれている友の頭をながめて――
「よう、出陣されたな」
「なんで?」
「その病体をげて」
いくさは体ではせぬ、気だな。――駄目だと思うたら、この吉継よしつぐなど、今日が今日、ここでも駄目になれる」
「ふム……いつも」
 三成は、微笑を、頬にのぼせて、杯を取りあげた。
「ひとつ」
「茶をもらおう」
「酒は」
「やめた」
「さすがに、刑部もやまいには勝てず、酒までやめられたか」
「いや、……これがな」
 と、刑部は、貝の肉のように赤くただれている自分の両眼を指さして云った。
「……飲むと、これがすぐ悪うなる。飲まいでも、近頃は、めっきり見えぬが」
「……見えぬ?」
「うむ……。そこにいるおもとの姿も、墨で描いたようにぼっと影しか見えぬ。治部、晴々と笑った時のお身の顔を、もいちど見たいぞ」
「そんなか……」
 三成は、痛ましげに、眉をひそめた。――彼がその後の刑部を想像していた以上に刑部の容体は悪いのだ。つぶさに見ればよく歩けると思うような五体である。先刻さっきから左の手をうごかさないでいたが、それは白布で首に吊っているためで、燈火あかりがその顔へかかるのも忍びない気がする程、相好そうごうも以前よりくずれていた。
 ――友を傷む気持と共に、三成は落胆がっかりしたような暗い血を、顔いろに沈めてしまった。頼みとする唯一の者が――これでは――ああこの体では――と心で長嘆しているように。
 湖の夜風が、冷々ひえびえと忍んでくる。二人は、ゆれる灯影をよそに、しばらく黙然としていた。
「……だが刑部」
「うム?」
其許そこもとの、いわゆる気は、昔ながらであろうが、眼まで、そのように不自由では、戦場へ参っても、働きはなるまいが。……それでもやはり内府の声がかりとあれば、押しても出向かねばならぬかの」
「内府の……」
 聞きとがめて、
「治部、それは、皮肉か」
「世間の当りまえな考え方じゃ」
「人は知らず、刑部この体で、何の栄華栄達を望もうぞ。またこの刑部には、秀頼公は心底にわすが、徳川内府などに、追従ついしょうは持たぬ。――ただ、秀頼公おすこやかに、一日もはやく、御成人あれと祈るのみじゃ。その間は、世もやすかれと祈るのみじゃ。――為には、徳川内府の命にも応じて、いくさもせずばなるまいが」
「さ……その戦が出来ようかと案じられるが」
「お身にも似合わんことを云う。一人と一人の太刀打すら、あれは剣でするのではない、精神こころでする。いわんや、戦を眼でするか、眼で采配がとれようか。肉眼で見える陣地や兵のうこきだけを以て戦をする阿呆こけがあったら、たちまち敗けじゃ。――即ち将の采配は、十方無碍むげの活眼でとる、活眼とは、心のまなこ。……吉継まだ心の眼まではつぶれん」
「なるほど」
「まだある」
 語気に熱をおびてくると、その客よりは、三成の眉に、急に明るいものが冴えてきた。
「――耳だ、この耳、これも心耳としてつかえば、居ながらに、天下のうごきを聴き、兵の跫音、たまのうなり一つでも、よく三軍の配備を知ることはできる。人間、鼻がのうても、眼をられても案外、不自由はせんものじゃよ」
「いや、よくわかった」
「だのに、酒まで禁じて、もう四、五尺先すら見えぬ眼を、未練げに大事がるのは、これやまた、べつなわけというもの。……箸を取るとか、かわやへ立つとか、とかく身のまわりの些細事には、近侍の世話にもそうなりとうないでな」
 三成は、あやうく涙がこぼれかけた、この友にも、紅顔の青春の日があったことをふと思って。

「時に」
 と、三成は、ことばと共に、膝をあらためた。
「このたびの儀、徳川内府の上杉攻め――おもとはどう思うな」
 刑部は、響きに答えるように、
「治部」
 詰め寄って――
「それだな、今宵、お身がわしに会いたいというそこのかなめは」
「ウム! 刑部の意見が聞きとうて」
「わしの意見を聞いてどうするか。治部少輔しょうゆう三成にもなんぞあろうが」
「この身の心底は、後で述べる」
「ではまず、愚見を申すならば、上杉景勝はそもいずれじゃ、直江山城、このたびの挙兵は、さかんなことだ。当時、徳川内府を向うに廻して、卑下ひげを持たずに戦える気骨者は、あの男か、さもなくば、眼の前にいる石田治部、こう二人しか天下におるまい」
 三成の苦笑は、刑部には見えないらしい、白い布を出して、時々痛む瞼に当てながら、
「――だが、好漢惜しむべしという言葉は、あの山城の今度の挙兵に当てはまる。結論から先に申そうなら、可惜あたら、北国一の英傑も、今度はひとたまりもない、断じて敗れ申そう。――何となれば、猛将、強兵は、彼の信じるところであろうが、人心の帰趨きすうがどこにあるか、諸侯の仰望が、上杉、直江にあろうか、古今の大才を持ちながら、ここの天下の勢いがどう流れているのかを知らんものじゃ」
 じっと、天井へ顔をあげる――
 三成は、沈黙して、氷のように聴いていた。
「――※(二の字点、1-2-22)そもそもが、もう故太閤殿下の朝鮮役が、一つの時勢をかえている。――乱世という雲は、あの折から日本の空を去っているのじゃ、同時に、人心はいくさみ、その後の戦は、戦をなくするための戦、――真の支配者を定めるための戦にすぎぬ。さるを、殿下の亡き後も、大仏殿の建立を始め、諸事の大工事に、少しも四民の安堵を計られぬため、民は、いつのまにか、徳川内府の政策に耳を傾け、諸侯は、争って、幕下に参じ、でなければ大坂城と、徳川家と、七分三分に帰する所をずるく見ている。その証拠には、内府の一声には、今度の会津攻めでも、即日に七十余侯の大軍が東下しているのみか、家康の一笑一顰いっぴんをおそれて、先を争ってゆくさまは、むしろ浅ましいものがある。……だが、それが時流じゃ、見くびれぬ時の勢いだ、直江山城は内府を敵と心得て、その時勢を敵としていることに気がつかぬ」
「――だが、刑部」
「なんじゃ」
「山城は、私怨私慾で兵を挙げたのではない――少なくとも、彼の血には、まだ故太閤殿下の」
「いや」
 手を振ろうとして、膝からすこし手を持ち上げ、
「治部、そこの見極めは、むずかしいぞ。山城も、さる者」
「人は知らず、この三成は信じる。直江兼継かねつぐは、豊家ほうけを思う人間のひとりに相違ないと。――彼は、故殿下の御亡前の誓約をたちまち裏切って、秀頼公の天下が、日に日に、家康の手に移ってゆくのを見ておられぬおとこなのだ」
「そうかなあ……」
 と刑部は深く吐いて――
「そうあれば、同じ敗れるまでも、山城の為に、欣ぶが」
「思うてもみい! 刑部」
 三成の耳朶みみは、紅かった。――刑部は自分のほうへ、彼がズズと畳をずる音をさせて来たので、ハッと肩を持ち直した。
「つい昨日きのうは、諸国の大小名も、武士も、下民も、故太閤殿下の恩徳をたたえ、今日は、そのように、徳川内府ならでは、夜も日も明けぬというような――そんな軽薄な人心を――世態を――お許はいきどおろしいとは感じないか」
「わしは、怖ろしいと思う」
「怖ろしいとは」
む、すぐ、望む。そうして、いつか戴くところの司権者を変えてしまう、下民の力と、その飽きしょうが恐い。――武家は天下を、自分の弓矢で奪っていると思うているか知らぬが、そうじゃない、天下は下民がうごかしているのじゃ」
「いや、そうとばかりは云えん。――彼等には、選ぶべきを選ぶ知識がない。――たとえば、徳川内府の如き老獪ろうかいに、われらは天下を渡すわけには参らぬ! 秀頼公をさしおいて、のめのめと、内府の思うつぼへ天下を差し出して、何と、故太閤殿下へ、あの世で会わすかんばせがあるか」
「では――どう召さる心底な?」
「時は、今だと思う」
「今?」
「直江山城が、北国東国にって、内府へ加担の軍を、遠く寄せつけているこのときに、秀頼公の御教書を乞い、西に毛利、島津を起たせ」
「待たれい」
 刑部は、三成の語気を、こうしずめて、
「お身は、山城と、逸早く、脈を引いておられたな。――上杉の挙兵は、お身の策謀か」
 と、問いつめた。
 三成は、そう問われることを、待っていた。
「そうだ!」
「ふウ……む」
「刑部」
「…………」
「刑部! こう打ち明けたからには、お許にはぜひこの加担をしてもらわねばならぬ」
「打ち明けた者――それは――この刑部と、誰とに」
「安国寺恵瓊えけい
「安国寺? ……うむ、毛利輝元てるもとを引き入れる手びきにな」
「その方は、たしかに起つ」
「あぶないものよ」
「いや」
「いや、毛利じゃない。このくわだて、どう案じても、刑部には、勝目が考えられんのじゃ……。困ったことをやられたの」
 刑部の肋骨ろっこつが大きく一つあえいだ、彼のたださえ皮膚の色をしていない皮膚は、友の為に憂いに充ちてしまった。くびの根が折れたように、いつまでも、顔を上げないのであった。

 刑部は、三成の企てを、意外とはしなかった。――しかし、口をくして、その成算のない企てである事を説いた。
 万一、この謀挙が成功したとしても、その結果が、果たして三成の考えているように行くかどうか?
 また、三成の頼みとする毛利、これが、今の輝元のような人物では頼みにするにも足らないし、直江山城にしろ、まちがえば、家康と手を握るおそれも多分にある――。なぜならば、上杉の背後にいる伊達だてが起たない、伊達政宗が起つ場合は、当然徳川に組するに極っている、伊達上杉の両立は、地形や家がらから見ても考えられない事である。
 そのほか、味方と数える者が、どれ程、腰がすわっているか、疑問ではないか、たとえば金吾中納言きんごちゅうなごん――浮田うきた――そのほか。
 いや、第一にである。
 治部少輔三成という者それ自身が、人望において、これだけの大事を為すには、まだ足りない、人物としては、太閤が目鑑めききずみである。誰も、才智、誠意、潔癖、まして正しい事を正しいとする人間である点でも、当代稀れな人材とは認めているが、それと、徳望とは、またべつだ。人が頼るという事ともべつだ。内府に比しては、若すぎるし、戦場往来の古武者ふるつわものから見れば、切れすぎて、線がほそい、いわゆる、文官型の人物とている、武人とはりのあわない事は、太閤在世中からの事ではないか。
 等、等、等――刑部はいくつもの理由をあげ、
「治部、頼むから、今度の企ては思いとまってくれ」
 と、誠意をかおに燃やして云い、さらに、
「――なぜ、安国寺へ打ちあけるくらいなら――いや直江山城にささやく前に、一言、越前敦賀つるがまで、使いを飛ばしてはくれなかったか。わしは、それが悔やまれる。平常の疎遠がわるかった」
 と、歯の根を噛んで云うのであった。
 三成は、打たれたように、黙っていた。
 だが、彼としては、もう退っぴきならぬ所まで、こうしていても、大事は進んでしまっているのだ。
 また、家康と彼との間は、要するに、合わない仲で、われ彼を打たねば、彼われを打つという宿命的な立場にもおかれている。
 おのれを知る者のためには死す――という侍の道からいえば、太閤殿下の恩顧をかざし、浮薄な人心へ、を鳴らすことだけでも――と、その決心の程は、さすがに、固いものなのである。
「困った……困ったことよの……」
 刑部は、繰返すのみだった。
「やるなら、やるで、山城などがああせぬうちなら、家康の首を奪る算段も、ほかに策がないでもないに……今となっては」
 と、嘆息の後をまた、
「弱ったことを……」と、全身を当惑の中に没してしまうのであった。
 真意を――そして信念をも――友に告げてしまうと、三成は、後を心すずしげに、静かに、隅へ立って、茶の風炉釜ふろがまに向っていた。
 遠い磯鳴りのような釜の湯音のうちに、けた夜を感じながら、二人は、しばらく、背と背を向け合っている……。
 だが、刑部は三成の心を――三成は刑部の心を、じっと、互いに推し測っていた。
(うんと云うか、いやと云って帰るか?)
 と三成は、湯柄杓ゆびしゃくを釜に入れる。
 刑部は、
(やめてくれ! 思いとまってくれ! 今、貴様が死んで大坂城はどうなるのだ!)
 絶叫したいような気持を、胸にりつめて。
 その間に――
 三成は、自分のたてた茶を、帛紗ふくさにのせ、
「刑部、不手前だが、こよいは近侍を遠ざけておるから、かわきしのぎに」
 と、差し出した。
 黒茶碗の中に、緑いろの泡があざやかに浮いている。刑部は、その茶のかおりをぐと、はっと、ある一つの記憶を呼びおこした。
 …………
 もう十余年も前になる。
 まだ太閤殿下在世のさかりだった。茶会が流行はやごとで、大坂城でも、醍醐だいごでも、度々秀吉の催しがあり、諸侯も側衆も、それにはよく同席したものである。
 すでに、その頃から、大谷刑部には、今の病気の兆候が皮膚にあらわれかけていた。彼の側に坐ることをむ大名もあるし、大廊下ですれちがって、たもとの触れぬようにして人は歩いた。
 かまわないのは、誰よりも、太閤であった、無造作に彼に佩刀はかせを預けることさえあった、多感なそして若い刑部は涙をこぼした事がある。――すると、ある時の茶会に、彼はもう一人、温かい人間に出会った。
 それは、石田三成だった。
 三成とは、十六歳からの知己しりあいなので、豊後ぶんごの片田舎に郷士の子としていた自分の才を認めて、その頃姫路城にいた羽柴秀吉に話し、初めて、秀吉という人物と自分との機縁を結んでくれたのも実に、三成なのであった。
 けれど――刑部はその後、自分も、秀吉の恩寵をうけて、一人前の男となると、必ずしも、自分を世に出してくれた三成が、傑出した人間とは思えなかった、才、正義、潔癖は認めていたが、何処か、冷たい理性家すぎる点を飽き足らなく感じていた、先輩として、恩人として、礼儀は執るが、好きになれなかった――どうしてもあるところ以上に深くなれなかった。
 ところが。
 その茶会では、自分の次に、三成が坐っていた。そして、濃茶こいちゃの茶碗が、太閤から、順に呑み廻しに移ってくるうちに、刑部は、その茶を一唇ひとくちふくみながら、たいへんな粗相をしてしまった。――と云うのは、すでに、やまいがあって、鼻腔が弛鈍しどんになっていたせいであろう。茶の中へ一滴の水洟みずばなをこぼしたのである。
 はっ……と刑部は自分の顔いろの変り方が自分の眼に見えた気がした。
 ――と、次の席にいた三成が、
(いただきましょう)
 と、云う。
 刑部は、うろたえた。
 他の人々の静かな眼も複雑にうごいた。
(いや……これは)
 と、云わざるを得なかった。
 すると三成は、にこと笑って、
(私で止めまする)
 三成の指に、力を感じたので、刑部は胸を躍らせながら離した。三成は、何の事もないように、飲みほして、作法のように、茶碗をおさめた。
 ――それからである。刑部が、三成の冷たく見える性格の中には、誰も知らない熱い熱いものが、灰をかぶっている事を知ったのは。
 そして、この友の為には――とひそかに思い、すすんで刎頸ふんけいの交わりを求めて行った。三成はまた、自己に、衆望の足りないことを知っていたので、刑部の世話といえば、誰よりも、彼が先にして来たのである。

「今夜は、帰らせてもらおう」
「もどるか」
「む……」
 刑部は、とうとう、応とは云わなかった。いやとも云わないのである、黙って、佐和山から駕に乗って、夜半よなか垂井たるいへもどった。
 駕のうちに、揺られながらも、
(思い止まらせたい! ……何としても! ……)
 それしか、考えられないのであるが、もう引き戻せる三成でない事は、彼も観念していた。
(引き戻せないとしたら?)
 今は、それを思うのだ、それを思い悩むのだ。
 翌日――
 垂井を立つはずの、大谷勢は、依然として、宿長しゅくおさの邸に滞在とどまっていた。
(御病気が急に変って――)
 という噂が宿にひろがった。
 刑部のへやには、実際、憂暗の気がすだれのうちに籠っていた。白い夜具が、きのうの昼中、きょうは宵からのべてあった。
 その上に、仰臥しながら、刑部は、見えない眼を天井に向けたまま考えていた。
 もう、迷っていない!
 あの一碗の茶のかおりで、彼の胸は定まっていた。必ずしも人間、英雄でなければならない事はない。成算に立ち、大局に動くことばかりが、武士でもない。
(三成! くれてやるぞ! おれの生命いのちは)
 しかし――まだ佐和山へ答えを送ってやらないのは、とつこうつ、この天下の大破局を、いかによく彼に味方するか――整えを味方に持たせるか――そして戦うか? 戦うからには勝たねばならないのだ――勝てないと分っているいくさにも。
 小西行長、あれはまず三成でうごく、前田も、義理で起とう、増田、長曾我部、丹羽、浮田、島津は如何に。
 真田――あれこそは兵数にかかわらずぜひ味方にしなければならない一人だ、三成は、果して、そこまで、眼をつけているかな。
「喜太夫」
 夜半よなかだった。
「はっ……」
「五助に、この文持たせて、秘かに佐和山へつかわせい」
(いつのまに……)
 と、三浦喜太夫は驚いた、手紙は書けていたのである。湯浅五助が、それを持って、佐和山城へ急いだ後、すぐ、垂井を出立の命令が触れ出された。
 しかし――東海道へではない。刑部少輔しょうゆう事病気と触れて、越前敦賀へ引っ返したのである。
      ×   ×   ×
 乳白色の闇である、夜は明けているのだ、しかし、咫尺しせきの外をわきまえない今朝の霧であった。
 九月十五日は、前日から降りに降って、今朝もまだその濃霧のうちに、時々、ひどい土砂降りがけてくる。
 関ノ藤川、牧田川、相川、杭瀬くいぜ川など、関ヶ原の曠野と盆地をうねる河川は真っ赤に濁り、滔々とうとうと、泡を噛んで太い水量みずかさを押し流していた。
 雲がる――雲が去る――
 時折、陽が射した。
 曠野をかこむ丘、山、峰が黒々と肌をあらわす。その要所要所に、さくが見え、旗差物が濡れて立ち、人馬が点々と望まれた。西軍石田三成以下、小西、小早川、毛利、長束なつか、安国寺、長曾我部、浮田、大谷――などの八万――或いは十余万とも号している大軍の陣営である。
 もう、各所で戦端はひらかれている。
 泥になって殺到した東軍と。
 その東軍の総帥徳川家康は、桃配山ももくばりやまに本営をおいていた。
 見ると。
 松尾、南宮、平野をのぞく以外は、すべて戦闘の喚声かんせいだった。
(この一隙いちげきに――)
 と、三成は思った。
 家康の本拠を衝けば、必勝は疑いない。
 彼は、笹尾の丸山に立って、
「刑部は?」
 と、一方を凝視した。
 こんどの乾坤一擲けんこんいってきに、彼が、誰よりも頼みとしているのは、大谷刑部である。その刑部の陣は、もう関ノ藤川を渡りこえて、東軍の藤堂、京極、織田の大軍へ、奮刃をあげて、ぶつかっているのだ。
 があっーん、
 だだだだっ、
 というような地崩れとも砲声ともつかない音響にじって、人馬の声と、金属的な響きとが、絶えず鼓膜を圧してくる。鉢金に締めつけている頭脳が、時々、じいんと、痛んで鳴る。
「やっている……」
 三成は、見えない友の姿へ、微笑を送った。大きな満足につつまれた顔だった。――刑部の生命いのちをこのたびは何も申さず進上しようと佐和山へ云ってよこした彼の最後の手紙がふと眼にうかぶ。
「――狼煙のろし! 狼煙!」
 旗本へ叫ぶ。
 手筈があったのだ。
 ずどんと、黄色い一条の煙が宙へ走りのぼった。味方金吾中納言秀秋の一万五千と、吉川きっかわ広家の手勢が、これを合図に、山を下りて、敵の背後をつく約束であった。
「どうした事だっ。――五助っ、見て来いっ」
 三成は、いらだって、湯浅五助を、島左近の所へ走らせた。
 左近も、地だんだを踏んでいた。――何度、合図を示しても、金吾秀秋も、吉川広家も、言い合わせたように動こうとしないのである。
 機は逸しかける!
 大谷刑部の陣からも、小早川隆景からも、催促の急使が駈けた。――だが、秀秋の陣では、老臣が出て、勘の悪い返辞をしたり、言を左右にしたりして、らちがあかない。
 ――同じように、正午頃には、家康の方からも、
「すでに、関ヶ原は合戦の真ッ最中である、かねての御誓約どおりに、裏切り召されよ」
 と、度々の催促が通っていた。
 なお、動かないのである。――家康は、
「小伜めに計られたか」
 と、陣地に立って、指を噛んでいたが、金吾秀秋と広家との向背ひとつで、戦は味方のやぶれか勝かの境になると、
「誘い鉄砲を撃ちかけい」
 と命じた。
 日和見ひよりみの秀秋の陣へ、誘い鉄砲が浴びせられた。――その時である。一万五千の兵が、わあっと、裏切りのときをあげて、大谷刑部の側面へ、不意に、六百の鉄砲をそろえて撃ちながら、山を駈け下って行った。

あんじょうな」
 大谷刑部は、金吾秀秋の裏切りと聞くと、そう呟いて、
「――手から水が漏れたか、ぜひもない、この上は」
 と、輿こしの四方を払った乗物から身を出しかけると、旗本たちが、
「ここも、はや余りに敵と間近、お移し申しあげまする」
 と、輿をかつぎ上げて、丘の小高い所へ駈けのぼった。
 小銃のたまが、輿の竹に、刎ね返った。刑部は、
「乗物を、南へ向けい」
 と云った。
 近習たちは、わざと、灌木の蔭へそれをすえたのであるが、君命なので、やむなく、敵の大軍へ姿をさらすような場所へ、輿を置いた。
 じっと、その中で、刑部は、彼のいわゆる心眼と心耳とで、関ヶ原一帯にわたる東軍と西軍のすさまじい戦闘を視ているのである。
 その日の彼の支度を見ると、肌には練絹ねりぎぬの二ツ小袖、上には墨で蝶散らしを描いた白の鎧直垂ひたたれをかけ、かぶとはかぶらず、浅葱あさぎ絹のふくろ頭巾に、朱の頬楯ほおだてをして、緒をあごにむすんでいた。
 ……視える! ……聴こえる!
 刑部の胸には、鏡のように、時勢の渦が――その赴く流れの行方が映る。
 今、刑部のまわりには、五、六十人の兵が囲んでいた。ほかの手勢は、裏切者の秀秋の大軍とぶつかって、敵を三百五十も討ち、味方も百以上の死傷を出したので、その後は、四散してしまっている。刑部のすがたを丘の上に見つけて、あえぎながら集まって来る者もあったが、極めて、少数だった。
 その者たちは、皆、主人の前にぬかずいて、
「平塚因幡いなば殿も、討死いたしました」
「重政殿も、お見事に」
 と、味方の悲壮な敗報ばかりを伝えた。
「うむ……。うむ……」
 刑部の顔には、血膿ちうみがながれていた。血の涙のように家臣たちには見えた。
 一族あらかた、先を急ぐ木の葉のように散り終った。刑部は、しかしまだ輿のうちに、黙然と、坐していた。
「……治部も、遂に、行くところまで来てしもうたな、惜しい男だが」
 呟くのが、側の者に微かに聞えた。
 見えぬ眼が、その時、きっと横を見た。ざわめきのうちに、何を知ったのであろう。
「五助かっ」
 と、云った。
「はっ、五助、参りました」
 湯浅五助がもどったのである。
 刑部は、この男の報告を待っているのだ。
「勝敗は」
 と、ややいて訊く。
「いかようとも、もはや、もり返すだてはないかと存じまする」
 五助の落着いたことばを聞くと、
「そうだろう」
 常と変らなかった。
 そして、静かに、
「皆の者、前へ」
 と、呼び集めて、血をしぼっているように開かないまぶたを、家臣の上に向けた。
「よく戦ってくれた。……かような不具の主人を持って、晴々しき思いもさせず、今日までの忠勤、刑部、何と礼を云おうぞ」
「…………」
 轟々ごうごうと人畜の殺戮さつりくに空も鳴り大地もいている死の旋風せんぷうの中で、ここの主従だけは、ひっそりと、嗚咽おえつのうちの親と嬰児あかごのようになっていた。
「――しかも、最後の日まで」
 と、云って刑部もさすがに声をつまらせた。家臣たちは、かつて見たことのない主人の相貌を初めて見た、そして見る事の終りだと思った。
「……この眼が、見ゆるならば、そち達と共に、駈け下りて、手ずから一戦、武士もののふらしい死に様を遂げたいとは思うが、この不自由。わしはわしで、みちをとる。其方そちどもも、各※(二の字点、1-2-22)、目ざましゅう死のうと思う者は行け、わしにかまわずに望む敵を目がけてゆけ。また、故郷ふるさとへ去りたいと思う者、老いたる親でもある者は逃げたがよい。――する事はもうわれらはしたのだ! しかし、いずれにせよ、今がわかれ、せめて声なと聞きおきたい、各※(二の字点、1-2-22)、わしの前へ来て名を名乗り、それを永別として散ろうぞ――」
「はっ……」
 しばらく、誰も声を出さなかったが、もう丘に近い河原地まで、敵と、少数の味方との声や打物のおめきが聞えて来たので、刑部は、
「猶予すな」
 と、叱った。
 四、五十名の家臣たちは、各※(二の字点、1-2-22)平常の役名と姓を名乗って、それを別れに、槍をって、丘から敵の中へ駈け去った。――刑部が名も知らないうまやの口取の小者までが、名乗って去った。
「……もうそれだけか」
「五助だけがお付添い申しておりまする」
「うむ、そちはまだいてくれい」
 と、冥想するように、輿の中に俯向うつむいて、何を思ったのか、刑部はにやりと笑った。――功利に動き、功利のために節を売り、功利のために戦っている無数の叫喚きょうかんを、あわれむもののように、皮肉な微笑をたたえているのだった。
「――よかった。治部は、どこまでもわしの善友じゃった。この体で、こういう折もなく生き永らえていても、精々あと五年か十年。……わしはすることをした。……すくなくとも功利のために動いたのではない。これも、治部の恩だ、よい友は持ちたいものよの」
 云い終った途端に、――五助は、丘の後ろから駈け上って来る敵を見たのである。
「お覚悟」
 と、主人へ叫んだ。
 刑部は、
「おう」
 と云って、輿から体を出しかけた。湯浅五助は、そのうなじをのぞんで、ぴゅっと刃をはすに鳴らした。そして、主人の首を抱きしめると、袖にかかえて、泣くとも怒るともつかない血相を持ったまま、乱軍をつつむ白い霧の中へ駈け入ってしまった。

底本:「柳生月影抄 名作短編集(二)」吉川英治歴史時代文庫、講談社
   1990(平成2)年9月11日第1刷発行
   2007(平成19)年4月20日第12刷発行
初出:「現代二月号」
   1936(昭和11)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2013年1月14日作成
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