――日。六月の雑誌二冊ふところにして、朝、砂浜に坐る。時々こんな風にして浜に降りるが今朝はいつもとは違つた心だつた。「月評」をする筈なのだ。これは初めての仕事だ。――だから、である。手紙で友人の創作についての批評や感想は往々書くが、それとこれとは比較にならない。相手の性格も日常生活もよく知つてゐるし、当人の創作は残らず読んでゐるといふ親しい四五人の友達だけに止つてゐた。それだけにそれは勿論、創作以外にわたる「お互ひに許してゐる無遠慮、同情、非難」で、同志に解りきつたことは省く……といふやうなあんばいで、極めて安易に行ふ、客観的には批評の形式になつてゐないといふやうなものより他に経験がない。同人雑誌をやつてゐる時分毎月一回づゝ主にその雑誌についての座談批評会をやつたことがある、それは二年あまり続いた。自分はその席上で一番喋舌れぬ者だつた。「此集りは面白くないから止ようぢやないか。」と云つて同人の凡てに反感を持たれたのは自分だつた。加けに自分の読書範囲は非常に狭い、好きな作家尊敬して居る作家のみに止つてゐた。これは余り好もしい癖ではないと思ふ。出来ることなら矯正したいと思ふ。一つはそんな理由でこれを引きうけたのであるが。この虫のよさは経験と素養とを観れば、それにおどかされて忽ち打ち消されてしまふ。たゞ此頃いろ/\なものを読んで見た、要求にかられて、二三ヶ月前から雑誌に限らず新刊書を大分読んだ。その中で伊藤靖氏の「発掘」は明らかな印象が残つてゐる。これは友人にすゝめられて読んだのだが、読んでよかつたと思つた。その他にも二三あつたがこゝでは省く。
 こんな風に自分を語ることは読者にとつて迷惑なことに違ひない。愚かなることは仕方がない、素養のないことは今は間に合はない不遜の極みであるがこんな文章の体裁で、たゞ落着いて読んだ後の「感想」を書いて見よう、嘘でないことは恥づる必要はない。
 一つ読んで直ぐにそれを考へる方が記憶がはつきりしていゝか? それとも一二冊まとめて読んで記憶をたどつた方がいゝか? こんなことにも迷つたが、今日はとにかくこの二冊(「改造」と「解放」)をすつかり読んでしまはうと思つた。

 滝井孝作氏の「妹の問題」(「改造」)は、静かな気持で読み終つた。別に退屈も覚へなかつた代りには、興奮も感じなかつた。おそらく作者の特質はこゝに存るのだらう。余程念の入つた筆づかひであつた作者は、努めて堪へたのでもあらうが、主人公の気持が地味過ぎて「妹の問題」が余り淡いやうに思へてならなかつた。「彼」がもつと悩んでもよさゝうに見ゆるところで奇麗に脱してゐるところが物足りなかつた。作者のこの特質を忘れて不満を覚へるのではないが、このおだやかな調子のうちで、もつと「熱」を望みたいのだ。氏のものは初めて読んだが、所謂熱情に駆られて、あとになつて冷汗を覚ゆるやうな失敗の作は書かない人だらうと思ふ。
 同じ雑誌で、やはり初めて読んだ武林無想庵氏の「ダンス、マカブル」といふのがある、これはまた何といふ愉快な「暴風雨」であらう。しかし読んでゐる間は烈しい文字や、くどい形容などでムカついてしまつたが、読後に至つて、ドスンと明らかに胸に響くものがあつた。さうして読んでゐた間の不満は大概棒引きにすることが出来た。「無理もない」といふ気がして、すつかり嬉しくなつた、「彼」があのやうにすさまじい興奮に引づられてづる/\と次から次へ堕ちてゆく目ざましさは、何よりも親しみを覚ゆる。「彼」が酔つてしまつてから種々な人々に出遇ふ、その人々が酔漢に依つて或程度まで統一されて、よく、面白く描かれてゐた、この作を読んで文字通りな恐怖とか頽廃とか……そんなことは余り感じなかつた。「醜悪」な感じもしない。
「ダンス、マカブル」といふ文字を知らなかつたので友達にも二三訊ねたが解らなかつたので字引を引いて見たら「デツス、オブ、ダンス」とあつた。作者としたらそれ位ひの題は付けたいであらうが――細いことは云ひたくない。自分は好意をもち過ぎて作者にむしろ不遜な言葉を送つたかも知れない。云ひ足しておくが篇中の主人公の独白的「饒舌」には決してまかれなかつた。若し平読者だつたらそのあたりで措いてしまつて、この「傑作」を見落したかも知れぬ。

 広津和郎氏の「隠れ家」(「改造」)は、原稿を書くことに追はれてゐる「私」が仕事の為め隠れ家を持つてゐた、執筆に迷つてゐる最中偶然にも隣室に興味のある事件を発見して、これは書けるな……と思ふ、さうしてその奇異な事件のことが「私」が書かうと思つてゐる隣りから聞えて来る儘に書いてある、その事件の結果はあつけなく終る。さうしてそれを小説に書かうと思つてゐた「私」は失望を感じながら「人生に対する私達の仕事の位置」を見せつけられたやうな気がして苦笑する、ところで終つてゐる。未定稿としてあるがこれだけで充分まとまつてゐると思ふ。奇異な事件そのものよりも、無論心を引かれたのはかくれてゐる主人公の気持にであつた。あの事件をいきなり小説にしないで傍観しながら、さうしてその二つの心が共にあゝした結末に至るところがこの短篇の主題で、氏のものゝ見方がはつきりうかゞはれて快かつた。
 私は武者小路氏の古くからの愛読者だ。「或る男」も、自叙伝を読む興味などから離れた意味に於ても、出る毎に愛読はしてゐるが、これはこゝで事更に感想を述べたくない。この作について、小説としてどうのこうのといふことは云ひたくないし(そんなことを一寸聞いたことがあるが)だまつて終ひまで読みたいと思ふ。「新型の帽子諸君」と氏は「雑二十」(「解放」)の中で叫んでゐるが全くそんなことは氏に叫ばせたくない。
 葛西善蔵氏の「不良児」(「改造」)は、「不良児」をもつた父がその子供の行衛について種々の気苦労を重ねるところが、どつしりと重味のある筆で書かれて居る。氏のものは大概読んでゐる、そうして愛読者である。この短篇も決して期待を裏切らぬものだつた。氏の愛読者は誰でもそう思ふであらう。
 小川未明氏の「もう不思議でない」(「解放」)を読んだ時、私はずつと以前「記憶は復讐す」といふのを読んだ時のことを思ひ出した。これはAとBとの二つの話で、Aは少年時代の思ひ出が詩味の深い筆で、善良な人間が「人を殺したり、また自分が殺されたりしなければならぬ」ことをまざまざと見せつけられて「私」が最初の驚異に出遇つたことが書いてある。Bには、ある友達に依つて折角の喜びを裏切られたが、「もう不思議でない」と思ふやうになつたことが書かれてゐる。二つとも主題に向つて簡潔に書かれてある、簡潔ではあるがゆつたりとした筆致で静かに物語を聞かすやうに余韻を残すものだつた。

 宮島資夫氏の「安全弁」(「解放」)は結末で、全体が生き返つてゐる。凋んでゆかうとする生命から反抗の手段にまで及ぶ経過は、端的すぎる程に語られてゐるが感じが生々としてゐない。病状の幻想や生活は想像的なやうなところも割合に実際的にうなづかれるが、さうして結末に向つて効果をもたらせてゐるが、題材から見ればもつと陰惨な感銘を与へられべき筈だが、それが迫つて来ない。
 この人のものは初めて読むとか、この人のものは愛読してゐるのですつかり読んでゐるから、などゝ云ふことは、つい云ひたくもなるし云つても好いとは思ふが、なるべく多く読んで「そのもの」だけについて出来るだけ簡単に述べようとするには不必要なことで、また自分にとつても不快な気がするので、なるべく省きたいと思つた。
 戯曲はまとめて後で読むつもりにしてゐたが、谷崎潤一郎氏の戯曲は、いつもその小説を読む場合と殆ど同じ気持で読み得らるゝので(「新小説」)の「お国と五平」を先に読んだ。これは自分ばかりがそんな気がするのかも知れないが、さういふ気持で氏の戯曲を読んで、大概幻滅を覚へたことがない。戯曲として読む堅苦しさを感じない。「お国と五平」もさうだつた。これは氏のすつかり手に入つたものではあるが、また例の人物が出て来た――とさういふ眼で自分は見たくない。
 それは余裕ある完成を示してゐる。大成の境がうかゞはれる。近頃氏の創作が、初期の頃に比べて「熱」が乏しいなどゝいふことをよく聞く。さうしてそれは、さう見られるところは一応うなづかれるが自分は決してさうは思はない。読者の心に響くところがないとか何ものをも与へられないとか(僕はさう思はないが)そんなことは云ふ必要はない。自分は氏が悉く時流を超越した、といふよりも寧ろ別個のものとして存在してゐるのだといふ明かな態度を見せらるゝのを快く思ふ。

 里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)氏の随筆「白酔亭漫記」(「新小説」)では得るところがあつた。「春めいた日の出来ごと」「瑠璃子の鞭」など共に極く短い文章だが、はつきりと胸に注ぎこまれたものがあつた。場面の活々した描写――例へば「そこへ来て、巡査に手を挙げられて、岡持のなかでガチリと瀬戸物の音をさせて、出前持の男が、危く自転車から飛びおりるとちよいと舌鼓でも打ちたげな表情を見せたが……」等でも喜ばされ過ぎてしまつたかたちだつた。「詩」である。
(第二回のところで「デツスオブダンス」とあつたのは「ダンスオブデツス」の誤りだつたと思ふから訂正する。)
 中戸川吉二氏の「叔母老いる」(「表現」)は、キビキビした筆致で、書かうとしたことを一気に書き終へた(事実はそんな筈はなからうが)やうに思はせらるゝ作だ。作者は可成り自由な気持で、その材料を取り扱つてゐる。だから「面白く」読み得るものだつた。殊に叔母に対する思ひ出のところ(それがこの作の中心である通り)で、母と叔母と幼い「私」との三人が温泉場に於ける個所は、情景も気持の描写も飽くまでも細かく(よくこんな古い記憶がこんなにまで細かく残つてゐたと思はれる程)書かれて、ある淡い詩的情緒を滲ませてゐる。
「詩的情緒」と云つたらうなづかれないかも知れないが、所謂「センチメンタル」を嫌つて、おさへて、その反動的な言葉を投げ出さずには居られない「私」の心と心との移りゆく間に、さうした雰囲気を滲ませたとでも云ふべきもので、一体中戸川氏のその好みは余程強いもので、多くの作では大概それをかくし終してゐるが、これは題材が題材だけに全体をかへりみても、さうした気分は残る。だから文章と文章のつなぎにも可成り注意が施してある。妙な言葉を使ふが「気持をおさへて――」といふやうなところを余り露骨に見せつけられるのも厭だがこれでは、大概自然に運ばれてゐる。勿論この作は胸を打たれるやうな力作ではない。作者が意識してゐる通り軽いものだ。末段で、「私」が零落した叔母の家を訪れてから、叔母に会ひ従弟に会ふところが、書き足りぬ気がした。
 自分はこの場合の「私」の態度が余り簡単だ、と思ふ、仮令どんな幻滅を与へられたにしても、もつと叔母に対して親密な観察(作者が故意に省いた気持は解る)を施してもいゝ。余り一図に「ロマンチツクな、美しい幻影を、長い間胸に秘めてゐた自分自身に」腹をたて過ぎたかたちだ、余り「嫌」の度が露骨だ。従弟の道雄も、単なる嫌ひな「文学青年」として片附けてしまつては可愛想だ、作者が堪へてゐるところは解る、一種のユーモアを出てゐる。が、書き出しから中頃へかけての気持を、もつと残して置いても差支へないだらうと思ふ、自由な態度を余り「私」に許し過ぎてしまつたやうな憾みを覚ゆるのである。
 自分はこの作のたゞ「末段」にこだはつて同時に自分にこだはつて云ひ過ぎたかたちであるが、そこはこの作のちよつとした「結末」であつて、自分が今云つたやうなことは全体にとつては別に大した影響もないし、勿論失敗を意味するのではない。初めに云つた通り書かうとしたことを一気に書き終へて、纏つた作である。

 宮地嘉六氏「破婚まで」(「表現」)は、こゝまで読んできたものゝうちでは、最も読みごたへのあるものだつた。おそらく今月中での雄なるものであらう。
「君といふ男はそれでなかなか気むづかしやだからね」と「俺といふ男の性格をようく見ぬいてゐる友人」が主人公の「俺」に向つて云つてゐるのを「俺」も承認してはゐるが、此作に現れてゐる「俺」は、決して特にさうゆう程の気むづかしい男ではない。むしろ気の弱い愚痴つぽい男である。その愚痴つぽさが、どこまでも自分の気持に徹底して書かれてゐるところは反つて面白い。なまじ妻の気持に立ち入つて小六ヶ敷い文句を云つたりしないで、飽くまでも自分のある感情に殉じて進んでゐるだけに読者には細い不満を覚へさせるところもあらうが特種の場面や自分の気持の説明なども可成り穿つて描かれてゐるのが目に付く。
「俺」から見た妻は悉く欠点のみに見ゆるのは当然である。さうした場面の描写は可成り鮮かに描かれてゐる、例へば「お前は善良なところがあるくせにそんな無作法なことをするがどうしたんだ相当の家に育つたのなら何故そんな不作法なことをするのだ」といふやうなことを云つて妻を叱るあたりから「何としても悲惨だ、もう我慢は出来ない……」などゝ「離婚を強く覚悟」するあたりでは反つて主人公の気持からユーモラスな気分を感じさせられた。蝦蟇口がなくつて看護婦に気を兼ねながら、それを探したり、看護婦の潔白な行為ですつかり気持が回復したりするところなどはよく描けてゐると思つた。
 これは全篇を通じて、別れた妻に呼びかけてゐるのであるからさうして改めて妻に自分を語る調子で書かれてあるのだから、今更妻の心に立ち入る必要はなく、自分を語ることゝ事件の報告だけで足りるので、それで小説的効果も認められるが、殊に前半であくどい気持の重複を感ぜさせらるゝのは欠点だと思ふ。
 妻が出て行つてしまつた後の方が、余程真に迫つて響いた。主人公の気持がスラスラとうけ容れられた。前半と後半との事件の相違もあるには違ひないが、出来栄へから見ても終りに近づけば近づく程、読者としての心も順調に従つてゆくことが出来た。こうゆう場合に生れた子供に対する父の気持は余程複雑ではあるが、それらの気持は純粋な子供に対する愛に依つて統一されてゆく、その辺の叙実は要をとらへて、はつきりと浮び出てゐる。手紙の配列も、自然のまゝ出してゐるといふところに妙もあり、具合よく事件を解決して行つてゐる。

 藤森成吉氏の「その後の旧先生」(「新潮」)は、詩的情緒の勝つたものである。旧先生から醸される情緒に、ある程度まで明らかに「私」も酔はされてゐる、酔はされてはゐるものゝ「私」が先生に対して、どこまでも傍観者の態度を保つてゐることは、はつきりしてゐる。純然たる冷たい傍観者でもなく、また純然たる陶酔者でもなく、この中間の態度や気持が、生温い感じを与へない程度に融和されてゐる。「先生」を描いたといふよりも、一見明らかにさう見ゆるが「先生」から受ける感じと、それに対する「私」の態度との二つが爽かにコンクリートされて、一種特別の雰囲気を感ぜさせられたところに、自分はこの作の特点を認める。殊に、結末で、「先生」と「私」とが、兎の箱を荷ひながら帰つてゆくところは、自分がこの作から受け容れられた感じを、程よく、しつかりと引きしめた。「先生」に対する「私」の態度があの程度の温みに包まれてゐることは、勿論不自然はないが「私」と「先生」とを対立させてあの飽和されてゆく気持の過程で、もつと「私」自身を孤立させて観察させたならば結末から受ける感じも一層強く読者に響くだらうし、また「先生」の性格も「私」自身の態度も処々に現されてゐる如く説明的に陥らずに、各々浮びあがるだらうと思ふ、が、「私」の温情が「先生」に対して特別なものを持つてゐるのでなく、大袈裟に云へば万象に対してその程度の親密さを抱いてゐる真摯な温厚さであることは解る。
 細田源吉氏の「過去」(「太陽」)は、以前の愛人との間に出来た子供に違ひないと思つてゐる子供を抱いて、不満な結婚生活にゐる一人の女の或時の気持がかなり細かく描かれてゐる。生温い記憶で、極めてセンチメンタルで、印象的ではないが、その場合の女としての回想として、うなづかれる。が妹と別れる時に妹の手を握りながら云ふ言葉などは、余り露骨に芝居沁みてゐる。
 妹が帰つてしまつてからのところは余り甘さが強すぎる。対照的に妹を出して会話の間で姉の気持を描いてゐる前半の方が優れてゐると思ふ。比べるわけではないが「文章倶楽部」に出てゐる「初心」といふ短篇は、手軽いものではあるが、全く型の違つた二人の青年が一寸面白く出てゐる。
「処女地」に出てゐる河井稲子氏の「夕食」といふのは、ほんの短いものだがつかまへどころに妙味がある。たゞ終ひのあたりでところどころ、自分だけの感情に走つてゐるのを露骨に現してゐるのが、折角のすつきりした全体の印象を濁してしまつた。

底本:「牧野信一全集第一巻」筑摩書房
   2002(平成14)年8月20日初版第1刷
底本の親本:「時事新報(夕刊) 第一三九六七号、第一三九七二号、第一三九七四号、第一三九七七号、第一三九七九号、第一三九八一号、第一三九八四号」時事新報社
   1922(大正11)年6月3日、8日、10日、13日、15日、17日、20日
初出:「時事新報(夕刊) 第一三九六七号、第一三九七二号、第一三九七四号、第一三九七七号、第一三九七九号、第一三九八一号、第一三九八四号」時事新報社
   1922(大正11)年6月3日、8日、10日、13日、15日、17日、20日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月26日作成
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