随分寒い晩でした。私は宵の中から机の前に坐つて、この間から書かうと思つてゐるものを、今晩こそは書き出さうと、一所懸命におもひを凝らして居りました。――ところが余り寒いのでついペンをとる筈の指先は火鉢の上を覆ふやうになつてしまふのでありました。窓の外には目に見ゆる程な寒気の層が湖のやうに静かにたゞずむで居りました。火鉢の上に翳して暖たまつた私の眼で、硝子越しの寒い暗い光景を眺めてゐることは私のやうなものにも神秘なお伽噺などが想はれて、――「冬の夜」といふものが心からなつかしく嬉しく思はれるのでした、ものを書くなどゝいふ面倒なことをするよりもこうしていつまでも沁々と冬の夜を味はつてゐた方がどの位いゝか知れないと思ひました。あの有名なシエークスピヤの「冬物語」といふ、――ある寒い冬の晩、外には音もなく降る雪が断え間のないのを窓に見ながら、赫々くわく/\と炎ゆるストーブを大勢の人たちが取り囲むで、ある一人の詩人が最近に作つたお噺をするところ、テーブルの上の古いランプの灯影ほかげは一心に耳を傾けてゐる人達の横顔を画のやうに照してゐる……炎え盛る火と切りに降る雪と葡萄酒の香りとに抱かれて過ぎゆく冬の夜……を想つてゐた方がどれ位心に合ふか知れないと思ひました。――雪こそ降つてゐませんでしたが、湿つた夜の黒い空は私の窓の前迄にじみよせて居りました。まるで私は湖の底に坐つてゐるやうに思はれました。窓側をかすめてハラリと散つた梧桐の一ト葉を、私は湖に泳ぐ魚かと怪しむだり、朝母が活けて呉れた床の間の花を水底の藻かと思つたりしました。私は魚になつたかのやうな気持で煙草をすぱりすぱりと吹いては、煙が室の空気に溶けて終ふまで眺めました。煙が消ゆると又新たに吹きました。――いつ迄たつても際限がありませんでした。で、さあ書かう、と夢から無理に醒めてはみても、矢張り夜と睨めくらをしてゐる方が、余程美しい世界に居られるのでペンを執る気にはなれなかつたのです。
 いつまでこうして居ても限りがないから暫くの間母とでも話して気分を取り直さうと思つて室を大変散らかしたまゝ私は茶の間へ行きました。
 茶の間では妹の美智子が火鉢を囲んで何やら母と面白さうに話して居りました。
「今ね、兄さんに解らないとこが出たのでお尋ねに行かうと思つたら、母さんが兄さんは今御勉強だから後になさい、ておつしやるので此処でお待ちしてゐたのよ。」
「学校の事なの?」
「えゝ、さう。」と云ひながら美智子は自分の室の方へ駆けて行きました。
「若し差支へがなかつたなら少し教へてやつておくれな。先程さつきから待つてゐたんですから。」と母に云はれた私は、別に勉強も何もしてゐなかつたのを母や美智子はそんなに遠慮してゐて呉れたのかと思ふと――笑ひ度いやうな気の毒なやうな淋しいやうな……解り易く一口に云へば悪かつたといふ気がしましたので、
「ハヽヽヽ。」と笑つて「関やしなかつたのですのに。」と云ひ乍ら美智子の室へ行きました。
 丁度私が美智子への読本リーダーの下読を終へたところへ、美智子のお友達でお隣りの艶子さんが、今日は土曜日だからといつて遊びに参りました。
「兄さん、何かお噺をして下さらない。」と美智子が云ひました。いつもこの伝は私を一番困らせる事だつたので、私は聞えない振りをして逃げ出さうとすると「あらずるいわ。この間からのお約束なんですもの、今日こそは逃がしませんよ。」と二人して無理に私を又そこに坐らせてしまひました。
「僕はね。」と私はこゝですこしばかり真面目な顔になつて「ほんとに皆を喜ばせるやうな噺は仕たくとも出来ないのだ。」と云ひました。それでも二人は容易に私を許して呉れませんでした。で私は仕方がなくなつて、
「――えゝと、昔々あるところにお爺さん……」と言ひかけると二人は激しく首を振つて、
「嫌々、そんなのは。そんな古いのならわざ/\兄さんに頼まなくてもお婆さんの方が余程上手よ。」と立所に打消して、もつと新しいものをと云つて諾きませんでした。これには私もとんと当惑せずには居られませんでした。こんな事なら此間中何か西洋の物語本でも読むで置けばよかつたと私はつく/″\後悔しました。
 未だ八時になるかならないかといふ宵でしたのに、あたりにはまるで声がありませんでした。軒をうつ小雨の音もなく、たゞ火鉢の炭が起る音と美智子の机の上の小さな時計の音より他世界は皆眠つてしまつたやうでした。何故なら私はお噺が出来ないで黙つて考へ込むでしまつたし、二人は私の話し出すのを今か/\と息を殺して待ち構えてゐるのですもの……。
 こゝでちよいと皆様に説明しなければならないのは、美智子の室に可成大きな二つ折りの金屏風があることなのです。それに恰で本物の様に美しい孔雀が一羽描いてあります。然し全く孔雀がたつた一羽金泥の上に描いてあるといふだけで、その他には花も木も草も何にも描いてないのです。ですから丁度別の処から孔雀の画を切り抜いて来て金箔の上に貼り付けたと云つても差支へない位でした。がそれだけに孔雀は単独のものになつてゐて、見方に依つてはまるで孔雀が美智子の室にぼんやりと訪れて来てゐるやうに見えるのでした。
「美智子さん、私は遠い印度の国からわざ/\貴方にこの私の美しい羽毛をお目に掛けに参りましたのですから――そのおつもりで。さあよく見て下さい。さうして私の国はこの美しい私が羽根を拡げて闊歩するにふさはしい程素晴しく立派であることを連想して下さい。そのために私はわざとこうして何にも描いてない屏風の前にたつた一人でたゝずむで居るのです。私の体のやうに美しい背景は、とてもこんな小ぽけな屏風には描けませんからね。」屏風の孔雀を凝つと見てゐると、その孔雀は今にもそんな事でも言ひたさうな顔付をしてゐるやうに見えました。
 私はその時お噺がどうしても出来なかつたので屏風の方へ顔を向けて、別にお噺を考へてゐたわけでもなかつたが、せめて考へてゞもゐるやうな風をしてゐなければとても二人が許して呉れさうもなかつたので、黙つて孔雀の画を瞶めて居りました。
「この絵の孔雀に若しなつたらどうでせうね。」「だつて大変だわ。屏風にされてしまふんですもの。動きがとれないじやありませんか。」私が余り話し出さないので二人は少し飽きてきたのか、そんなつまらない話をして可笑しさうに笑つて居りました。
 何燭か知りませんが兎に角非常に明るい電灯が昼間のやうに紅色のシエードの下に輝いてゐました。さうして室はもう充分暖たまつて居りました。春が急に来たのではないかと怪むだ程でした。私はその明るい室で黙つてゐる間に、いつか私の心はある不思議な世界に飛んで居りました。冬の夜で暖まつた明るい室と金屏風と孔雀とさうして晴れやかな少女の笑声とが私をある美しい国に運むで呉れたのでした。といつても春の楽園パラダイスで美しい姫等が、孔雀と戯れてゐるところとか、銀河の流れに緑の岸を伝ひほがらかな女神が琴をかなでゝゐるところとか、などゝいふ古雑誌の口絵のやうなだれでもがすぐに想ひ浮べるやうな光景ではありません。――それは余り奇抜で予想外で皆さんは屹度アツと云つてお驚きになるに異ひありません。――で私は急に嬉しくなりました。皆さんは何とおつしやるか知れませんが兎に角美智子と艶子さんを喜ばせることが出来るだらう、と私は安心しました。私の心は明るい電灯のやうに輝き、私の胸は孔雀の美しい翼の如く喜びにふるへました。それ程この瞬間に思ひだしたあるお噺――といふより私がある世界に引き入れられたその空は不思議な色で輝いて居りました。
「さあ、ではお話ししやうかね。」と私は勝ち誇つた勇士のやうな悦びで、今迄考へ込むで屏風を眺めてゐた顔を二人の前に向けました。
 美智子と艶子さんはもう私がとてもお噺など出来ない者だとあきらめてゞも居たのか、私がさう云つてにこ/\と笑つた時には、寧ろ案外だといふやうな顔をしました。
 私の眼には美智子の室が夢の国のやうに更に明るく見えました。屏風の孔雀が今にも私の傍へ来て何とか話しかけるのではないかといふ風に見えました――そこで私はエヘンと一つ落着いた咳ばらひをして坐り直しました。静かな夜の外気も私の噺をきくために黙つてゐるかのやうに――静かに更けてゐました。
 さて、このお噺下手の私がどんなおはなしを始めるでせうか。

「艶ちやんと美智ちやん、ちよつと眼を瞑つて御覧。」と私は二人に命令するやうに云ひました。お噺を始めると思ひきや、又私がそんなことを云ひ出したので、美智子と艶子さんは焦れ度ささうに同じやうに首を振つて、
「嫌々又兄さんはそんな事を云つて人をだまさうと思つてるのよ。」と云つてきゝませんでした。もつとも二人が私の言ふことに同意しないのも道理、此間も私はこんなことを云つて逃げ出したことがあつたのでしたから、がこの時こそは少しも二人を欺さうなどゝいふ狡い考へは私の考へに毛頭ありませんでしたから、
「いやいや、今日こそは欺すのではないよ。僕の噺はね、普通のお噺とは大分おもむきが異ふのだから、まづきゝては始めさうしなければいけないのさ。僕のお噺は面白い筋とかなんとかで運ぶのではないから――話す方もきく方も先づ噺が始まる前に――今僕が話さうとしてゐる噺の世界へほんとに自分が入つた気にならなければならないのだよ。もつとも話手が上手ならばきゝ手をひとりでに噺の中に引き入れてしまふのだがね――二人も知つてる通りこの人は(とこゝで私は仰山らしく自分で自分を指しながら)大の話下手なんだからさ、始まる前に道具立が入用いりようなんだよ。いゝかえ。」と私が云ひますと、二人は私の手附を面白がつてお腹を抱えて笑ひました。そんなことを笑はれては堪らない、と私は思ひましたからすぐに言葉を続けて、
「笑つてばかり居ればお噺をしないぜ。」と軽く叱るやうな眼付で「さあ、僕の云ふ通り二人ともちやんと眼をつぶつて御覧。」と云ひました。で仕方がなしに美智子と艶子さんはおとなしく眼をつぶりました。真面目になつて坐つてゐる二人の様子を見ると私も何だか可笑しくなつてもう少しで噴き出しさうになりましたが、笑つては大変だとやつと我慢しました。二人は私が可笑しさをこらえてゐるなどゝいふことは夢にも知りませんから、今か今かと待つて居りました。この儘にしてそつと逃げてしまはうかと思ひましたが、それでは余り二人に悪いし、それこそあとでどんなにおこられるかわかりませんでしたから、いよいよ私はお噺のいとぐちにとりかゝらうと決心しました。ところで私は眼を瞑つてゐる二人にむかつて、
「さうやつてゐると、眼の前に何か見えるだらう。」と尋ねました。すると二人は暫くもじもじしてゐましたが、やつとのことで、
「えゝ。」と答へました。
「何が見えるの?」と私は直ぐに問ひ返しました。
「明るいものが見えてよ。」と云ひました。
「明るいもの?、ウムそれでいゝのだ。でその明るいものをよく瞶めて御覧。」私は尚もかう云ひました。
「さうすると、その明るいものがいろいろの形になつてくるだらう。さうして自分の考へ通りなものが写つて来るだらう。」
 二人は凝と、私に云はるゝが儘にある想ひに耽り始めました。
「えゝ、なるわ。」と云ひました。
「なるだらう。明るい世界に金色こんじきの渦が巻いてゐるだらう。」
「えゝ。」
「自分が今自分の室に坐つて、僕の噺をきいてゐるのだとは思へなくなるだらう。冬の夜といふことも、明るい電灯のついた前に居るのだ、といふことも忘れることが出来るだらう。――若しさう思へなければ強いてさう思ふのだよ。さうすれば何か美しいものが眼の前に現れて来る筈だ。」私はまるで自分が魔術師にでもなつたやうな晴れやかな気持でこんなことを云ひました。と思ふとどうやら二人は私の魔術にでもかゝつたかのやうに、私の云ふ通りに種々いろ/\と想ひに耽る様子でした。
「何が見えて?」と私が問ひました。
「――」二人は何とも云ひませんでした。この答へが出来ないのは無理もないのです。何故ならかういふ場合に眼の前に浮ぶものはたゞぼんやりとした美しい虹で、――若しそれを花と思へ、と云はれゝば花とも思へるし、美しい景色と思へ、と云はれゝばさうも思へるので、――一口に何だ、と返答することが出来ないのはあたりまへです。かういふことを私は知つてゐましたから、こゝで思ひ切つて、
「孔雀のことを考へて御覧。」と云ひました。私の云つたことはまんまと成功して二人の眼の前の今迄の美しい金色の虹は一羽の孔雀と変りました。
「えゝ孔雀が見えてよ。」と二人は答へました。そこで私はもう眼を空いてもいゝと云ひました。
 私は何故そんなわざとらしいまねをしなければならなかつたのでせう。孔雀の噺をするのなら、一羽の孔雀が、と云へばそれでよささうなものではないかとどなたでもお思ひになるでせう。が然し、と私は強く力を入れて云はずには居られません。「嘆きの孔雀」の主人公はたゞ一口に云つたゞけでは私にとつて足りないのです。――ボーツと春の薄霞のやうに煙つた明るみの中に、とても口では云ひつくすことの出来ないその美しい明るみの中に(それは今のやうにして皆様に自由に想像して戴くより他筆では現せないのです。)金色の光りに浴した一羽の立派な孔雀が、さめ/″\と涙をこぼして凝とたゞずむで居るのです。
「あなたは何故そんなに泣いてゐるのです。」とその孔雀を見たどなたでもかう問はずには居られないのです。それ程孔雀は悲しさうに泣いてゐるのです。その声で孔雀はヒヨツコリと立ち上りました。「オヤオヤ」と私達は思はず驚きの声を上げずには居られなかつたことには、それは、本物の孔雀ではなかつたのです。ですもの、私達は驚かずに居られるものですか。香水の泉から月夜の晩に――人の世といふものはどんなに美しいものだらうか――と這ひ上つた乙姫様ではないかと――それとも、空も地も金と金剛石ダイヤモンドをちりばめたやうに、夜だか昼間だか決して解らないやうに輝いて居りましたから私達は一瞬の間にいにしへのある国の歓楽の宮殿へ伴れて来られたのかとも思へました。かうなると不思議なことばかりでございますがその中でも一番不思議なのは私達はたゞ孔雀が実は美しい乙姫様であつたのには驚かされましたが――そんな不思議な光景の前に引出されてゐることを少しも驚いてゐない事です。美智子も艶子さんも私も(さうして皆さんも)たゞ何のために孔雀の衣を着た姫がそんなに泣いてゐるのかとそればかりを心配してゐるやうでした。と美智子はつかつかと孔雀の傍へ行つて、
「ね、もしお姫様。」と呼びかけました。さうすると姫は孔雀の羅衣うすごろもを涙のやうにふるはしてやうやく顔を上げました。その眼は春雨にうたれた十六夜いざよひの月のやうに美しく悲し気に光つて居りました。
「何がそんなに悲しいのですか。」ともう一度美智子が尋ねますと孔雀は夢からでも醒めたやうにきよとんとして、
「私は泣いてゐましたか。」と云ひました。
「あらまあ、貴方はあんなに泣いてゐらしたのに――もうお忘れになつたのですか。」艶子さんは孔雀の答へが余り意外だつたのでかう尋ねずには居られませんでした。私だけは孔雀の答へを驚いたよりも艶子さんや美智子がよくそんなに平気でそんなに珍らしい姫様と平気で話すことが出来るものだ、とそればかりを驚いてゐました。で私は何だか怖ろしくなつたやうな気がいたしましたので、
「ねえ美智ちやん、もう帰らうや。」と、そつと美智子にさゝやきました。
「随分、思ひやりのない兄さんね。」と美智子は叱るやうな顔付で云つたのには、私はほんとに驚いてしまひました。余り美智子が孔雀に親しみを持つてゐるので「こんなお友達があるの。」と私は尋ねて見やうかとさへ思ひました。
「美智子さん、私のお庭へいらつしやいませんか。」突然孔雀はかう云ひました。
「えゝ行きませう。」泣いてゐた孔雀を忘れてしまつたやうに美智子と艶子さんは答えました。私はどうしていゝかわからなくなりました。随分ばかげたことですが私は魔法使ひの悪婆がこんなものに化けて二人を欺さうとしてゐるのではないかと心配し始めました。――私だけが魔法にかゝらない、尋常の考へをもつた者だと思ひました。
 その中に孔雀と美智子と艶子さんは手をとり合つてそろ/\と歩き始めました。――さあ大変だ、と私は思ひました。――戯談じようだんじやないぞ! と私は力をいれて呟きました。
 三人は面白さうに歌などを唄ひながら、どんどんと歩いてゐます。
「おい/\、人を欺すのもいゝ加減にしないか。もう家へ帰らなければいけないよ。」と私はおろ/\声で云つてゐるにも係はらず、三人は後さへ振り向きません。私はお隣りの赤ちやんを縁日に伴れて行つて迷児にしたやうな不安に駆られながら懸命に三人のあとをついて行きました。三人の歩みはだんだん早くなつて私との懸隔が余程離れました。「どうしたつてえ事なんだらうな。」と私は寧ろ焦れ度くなつて、がまさか二人をこの儘に棄てゝも帰れないなどゝ思ひながら矢張りついてゆきました。
「おいおい牧野ぢやないか。」ふと私を呼ぶ声がしたので、私は驚いて振り向くと、それは私の親友の浜野ぢやありませんか。そら、先月「赤い夢」といふ詩を書いた、ね、皆さんもよく御存じでせう。浜野英二――。
「今君の処へ行つたらね、たつた今銀座に行くと云つて出掛けたさうだつたから急いで来たんだ。少し用があるんでね。」
「あゝ、さう、だが……」と私はそこどこではありませんでしたから非常に慌てゝ「早く美智子を追ひかけて呉れ。」と云ひました。すると浜野はあつけに取られたやうに私の顔を視詰めましたが、突然いきなり
「ハヽヽヽツ、戯談じやない、何を云つてゐるんだよ。」と云ふのです。
 もうその時は、三人の後姿が蝶のやうにちいさく私の不安な視線の的にチラチラしてゐるばかりでした。

 二人を追ひ駆けて私は夢中で駆けて居りましたが到々その姿を見失つてしまひました。東京の真中に居る筈の私なのに、私には今自分が世界の奈辺いづこに居るのか解らなくなりました。それ程に、その時の私の周囲は不思議な色をもつて覆はれてゐたのです。これは屹度何か心の迷ひに異ひないと私は思ひましたから心を落着けて、目の前にふさがつた霧をはらひのけましたが――その努力は結局水の泡でした。五里霧中とは全くこのことです。その中にもあたりに立ちこめた霧は刻々と深くなつて参りました。一寸先も見えなくなつたのです。うつかり一足でも歩いたら――こんな不思議なところなのですから、何時千尋の湖へ落ちて仕舞ふかも知れません。で、私は心ばかりは矢のやうに急いで居るのですけれど、どうしても立往生をしなければならなくなつて仕舞ひました。霧が深くなるとあの勇しい軍艦だつて止まらなければならないと云はれて居りますが、全くそれに出遇つたことのない方には想像も及ばない程恐ろしいものなのです。
 もうこれだけで充分動きがとれなくなつたのに――天はどうしてこの罪もない私をどこまで苦しめるつもりなのでせう、にはかに激しい雨が私の呼吸を圧するばかりに降つて参りました。私の頬を打つ強い雨は、轟々といふ恐ろしい音をたてゝ居りました。
 この時の私の心持は到底口や筆では尽すことは出来ません――私は一体どうなることでせう。それよりも美智子と艶子さんは何処へ伴れてゆかれて――今頃はどうして居ることでせう――雨と霧は益々深くなりました。私は呼吸いきさへ困難になりました。勿論声など立てられません――顔に滝のやうに激しく雨が当つてゐるのですもの。いくら勇気のある私でも――全くどうする事も出来なくなりました。涙など滅多にこぼした事のない私ですが、この時ばかりは玉のやうな涙が知らぬ間にほろほろとこぼれて居りました。自分の命といふことよりも、美智子と艶子さんをなくしてしまつたことが皆な私のせめなので――それに当惑してゐるのでした。
 どうにかしなければならない、と焦れば焦る程霧と雨は毒瓦斯のやうに私の口や鼻を侵して来ました。丁度夢の中でお化に追ひかけられて、逃げやうと悶けば悶く程身体の自由がとれない時のやうなのが、夢ではなく目の当りに打突ぶつかつたのですから、いくら強い私だつてどうすることも出来やう筈はありません。私は地面へどつかり坐つて仕舞ひました。――と同時に家で心配してゐる母や友達の顔などがまざまざ写つて来ました。
 私は何といふ親不幸なことをしてしまつたのだろう、友達はどんなに心配して私達の行衛を探してゐる事だろう――私は羽織を脱いで顔を圧えて仕舞ひました。私はこの儘激しい霧と雨とに息の根を絶たれてしまふかもしれなくなりました。
 少し雨の音が小さくなりましたので――それ迄はとても眼をく事などは出来なかつたのですが――私はそつと羽織の隙から顔を出して見ました。――すると、まあ、どうでせう――何といふ美しさでせう、雨は五彩に輝いて居るじやありませんか。さうして霧は低く降りた虹なのでせうか、七色の光沢をもつて居りました。今度はその美しい雨と霧が火焔のやうに渦巻いておそつて来ました。
 いよいよ駄目だ――もう息が止まつて仕舞はうとした瞬間!
 なんとした不思議でせう!
 雨はぴたり、とやむで仕舞ひました。霧は丁度孔雀が羽根をつぼめるやうに見る見る消えおさまつてしまひました。私はぐつたりとして野原へ倒れてしまひました。死から救はれた私は大変に疲れてしまつたのです。
 すると私の目の前に又孔雀が現れました。然も先刻と同じやうな姿で、同じやうにさめざめと涙をこぼして居るじやありませんか! 私はギヨツとして立ち上りました。
 ――もう、そんな涙に欺されないぞ、と私は五体にウンと力を入れて――
「二人をかへして下さい。」と震へさうになる声をやつとおさへて云ひました。孔雀は星の様に美しい瞳――然も銀の雨に打たれてぼつと滲むだ春霞の底から瞶めるやうな美しさで――顔を上げました。さうして暫く沈黙がはさまれた後に、
「私の話を聞いて下さい。」と、止絶れ止絶れに次のやうな話を初めました。私は嫌だとも云へませんし、その中に二人の事を孔雀が云ひ出すかと思ひながら、その儘耳を傾けました。

「私は決して魔法使ひではありませんから安心して下さい。お話はずつと前の私の身の上から申しませんと解り憎いのですから、まあ暫くの間辛棒して聞いて下さい。
 私は実を申すと舞姫なのです。印度の貴族の娘に生れましたが、私は幼い時から舞が大変上手なのでした。さうして私の声は王宮の音楽師に涙をこぼさせた程麗はしいのでした。その上私は生れつきこの様に美しい姿を持つて居りましたから――私が七つの時初めて家の露台バルコニーで、月夜の晩に、お月様のために、私の即興詩を歌ひましたら――たちまちそれが評判となつたのです。王様は私のために金の冠を、西蔵チベツトからわざわざ鋳物師を招いて作つて下さいました。王妃は銀の首飾を、御自身のをはづして下さいました。夜露にぬれた花園の薔薇は、露台バルコニーに立つた私の着物に雨のやうに香水をふりそゝぎました。その夜の私の姿はどんなに美しいことだつたか、とても今は申されません。然し今もこんなに美しい私の姿を目の前になさつた貴方はその光景を想ひ浮べる事は容易たやすいでせう。月は凝とたゝずみました。ガンジス河はその夜に限つて流れを止めたとも云はれて居ります。
 貴方はほんとうに幸福な方です。この美しい私と話を交すことが出来るとは何といふ幸福な方でせう。私の国では神より他に私を見ることが出来ませんでした。(と孔雀が誇り気に云ひましたが、私はそれどころではありません。美智子と艶子さんのことが心配で。)
 私はそれからといふもの、どうしても舞姫にならうと決心しました。兼々話に聞いて居つたインドラニーの森にアブサラといふ神女の群があるといふ事を知つて居りました。アブサラの神女は人魚のやうに美しいのです。インドラニーの森には昼と夜の差別がなく年中花が咲き乱れて小鳥はさらさらと流るゝ小川の岸で歌つて居るのです。神女の仕事といふのは、たゞ歌ふことゝ舞ふことだけなのです。アイラーヴイタと称ふ白鳥の形をした舟に銀の櫂でさほさしたり、蘇摩と称ふ美しい飲物を飲むだりして、永遠の春で永劫の月と星とのために心ゆくばかり歌ふことだけが務なのです。
 一国の中でたゞひとりの最も美しくさうして最も清らかな少女はアブサラの神女になることが出来るのです。アブサラの国では「虚偽うそ」といふことは一言も許されないのです。たゞ「美」といふ一字だけが在るのみなのです。世の中では形だけが美しければ大概の場合は通りますが、そこでは形より以上に心の美が必要なのです。月の清光に歌うたふ乙女はその心はいつも空のやうに澄むでゐなければならないのです。こういふ意味で凡ての点から「美」として許された美しい乙女だけがインドラニーの森に入ることが出来るのです。その森に入れば「老」といふものがありません。美しい乙女はいつまでも美しくいつまでも清らかに、悲しみや苦しみから離れて――永久に楽しく暮すことが出来るのです。
 私は私の声がそのやうに美しく、さうして私の舞が王様のお誉にまであづかつた程大したものなのでしたから、私は屹度アブサラの女神のお仲間入が出来ることだろうと信じて仕舞ひました。
 そこで私は、一夜、それは月の美しい晩、花園の薔薇を惜し気もなく踏みつぶして――」
 と孔雀が続けやうとした時、私はいつまでたつても美智子のことを話し出さないので、もうそれ以上聞いてる余裕がなくなりましたから、
「時に私は大変にあの二人の事を心配してゐる者です。話の中ですが、どうか二人の行衛に就いて先に話して戴くことは出来ないものでせうか。」と尋ねました。
 さうすると孔雀は急に怒りの色を現して「貴方は何といふ愚な問をなさる方でせう。ほんとにあきれて仕舞ひます。世界中何処を尋ねたつて今私が話さうとする位美しい噺は決してないのですのに貴方はこの話を聞き逃せば屹度後で後悔しなければなりません。私がこれからどんなことを話すか――ゆつくりと貴方は聞いて居なければなりません。私は何といふ親切な孔雀でせう。」と云つて私を睨めました。
 ――私には、少しも孔雀は親切だとは思へませんでした――それが親切なら、もつと孔雀にとつて容易なことで私にとつては親切なことが控えてゐるではありませんか。私はもじもじしてゐると、かまはず孔雀は話をつゞけやうとしました。
 すると遠くの方から妙なるオーゲストラの音が静かに響いて参りました。私は思はずその方に眼を向けました。

「何でせう?」と私は美しい雲の彼方に響く音楽の方を振り向きながら、孔雀に尋ねました。私の表情と、音声とには屹度、非常な驚きの色が現はれてゐたのでせう、孔雀は私のその声で、――思はず笑ひ出したのでせう、白い花のやうに美しいその掌を、薔薇のやうな口唇に当てゝ――可笑しさうに笑ひました。と、その孔雀の笑ひ声と、同じやうに、恰も音楽は孔雀の指導によつて奏されてゐるかのやうに、その調子トーンを低く落してコロコロと鳴り渡りました。
 春の曙の夢は千々に乱れて薄紅の微笑ほゝえみ、カラカラと鳴り渡るしろがねの噴泉、一片ひとひらの花弁、フツと吹けば涙を忘る――泣いて泣いて泣き明した後の清々しさ……と、このやうなとりとめもない言葉を持つて形容するより他、その不思議な音楽に恍惚としてゐる私の心地、いやあの時の何とも云へない神々しい、それでゐて華美な、周囲あたりの雰囲気を説明する術を私は知りません。私の坐つてゐる芝生に炎ゆる陽炎の果は、低く降りた五彩の雲となつて居りました。
 いつか私の心は――悉くの心配を忘れてしまつて、空と同じやうに綺麗に澄み渡つてゐるのを感じました。私に、あれ程の大きな心配の前に動いてゐる私に――何の憂慮も起させず陽光に浸るが儘に夢心地に入らうとまでさせた、――その美しい光景は、想像にお任せいたすより他はありません。私は静かに眼を閉ぢました。眼眦まぶちに滲むだ黄色の光りは――キーに奏でらるゝ夢幻曲の譜となつて、静かに、さうして快活に、蝶の如く悦びと悲しみとに充ちて踊つて居りました。
 ちよつとこゝでお噺は本題から離れますが、今私は「蝶の如く悦びと悲しみとに充ちて」と云ふ言葉を用ひましたが、悲しみと悦びとを同時に感ずるといふ言葉を少しばかり説明いたしたいと思ひます。
 例へば、皆様が一日を学校で愉快に快活に暮して、と云つたら、「さう愉快なことばかりがありやしませんわ。」とおつしやる方もありませうが、が然し、ちよつと黙つて聞いて居つて下さい――「宿題の和文英訳をやつて来た方は手を挙げて御覧なさい、昨日は日曜なのでしたから、まさか忘れた方はないでせうね。」と先生が厳かにおつしやつた時、やつて来た人は、待つてゐました、と云はむばかりに、先生の眼を射すやうに鋭く、手の先を威勢よく風を切つて挙げるでせうが、忘れてしまつた艶子さんは――「だつて、だつて、先生も酷いわ、何のための日曜でせう、日曜に勉強を、だつて無理だわ。」と憤々としてでもそんな事は思ふだけで、――黙つて下を向いてゐるより他、両頬がだん/\あつくなるのを感じながら、その時の苦しみはとても/\口や筆では――と艶子さんは「それでも学校は楽しいことばかり、とおつしやるのですか。」と、
 そんなことを云つたつてそりや駄目ですよ、それはあなたが悪いんですから、それでも、ね艶子さん、よくおきゝなさい、学校が退けてさ、そんな事で大変心配した為か、家へ帰つて袴を脱いだ時にはお腹がクウクウと空いて、気持の悪い程空いて、――お母様から戴いた大きなカステラを五つも夢中でたべて仕舞つた時、ね艶子さん、
 机の前に坐つて、いざ復習に取りかゝらうとすると、眠くなるでせう、とさつき学校であんな苦しい思ひをしたが、家へ帰つて見ると、あれもやつぱり考へやうでは楽しいことだつた、といふやうな気がしやしませんか、カステラを喰べて仕舞つてお腹は張つた、それはたしかに悦び、悲しかつたさつきのことも今は何となくなつかしさが湧く……その二つの心をフウワリと包むだ夢心地、……ね、解つたでせう、まだ解らなければ他の例を引いていくらでも説明しますが、ね、とにかく、悲しいと思つたことも凝と考へて見ると嬉しいことになつて来ます。嬉しいと思つたことも凝と考へて見ると悲しくなつて来るものです。――その悲しさと嬉しさ、つまり感情の最後の一点のある静かな気持、少し六ヶ敷い言葉を用ふとその静かな気持を「法悦」と人々は云つて居ります。冬の夜の暖かい静かな室、春霞の軒に煙る浅春の宵――凝とたゞひとり机の前に坐つてゐると、大抵の方はこの法悦の気持に入ることが出来るだらうと思ひます――意味のない悲しさと悦ばしさとに感ずる淡い涙、支那の有名な詩人白楽天が「春宵の一刻価千金」と云つたのも、つまり「法悦」の喜びをうたつたのであります。
 で、お噺に入りませう。私のその時の気持は明らかに「法悦」に入つたのでした。いつの間にか私の頬には嬉し涙がハラハラとこぼれて居りました。
「あなたは悲しいのですか。」と孔雀は不思議さうに尋ねました。
「いゝえ、――悲しいどころではありません、私は嬉し涙をこぼしてゐるのです。」と私は心の儘を答へました。
「何がそんなに嬉しいのです。」
「何がつて、わかるじやありませんか。」
「私には少しもわかりませんが。だつて貴方は今が今迄、美智子さんと艶子さんの行方をあんなに心配してゐらしつたじやありませんか。」
「――。」私はさう孔雀に云はれても……少しも美智子と艶子さんのことを心配し始めませんでした。何故なら、その音楽の響は依然雲の底から、低くなつたり、高くなつたり、止絶れたかと思ふと、直ぐにパツと開いた花のやうに  聞えて来るので、私は決して音楽から心を離すことが出来なかつたのであります。
 孔雀は切りに何やら小さな声で呟いてゐるやうでしたが、――もう私には孔雀の云ふことなんか、てんで耳に入りませんでした。
 その音楽が若し「悦びの歌」を奏したならば、私は屹度胸の喜びがおさへ切れなくなつて、五体を震はせたでせう、その音楽が若し「悲しみの歌」を奏したならば、私は屹度、あふるゝ涙を止めることが出来なかつたでせう――が、音楽の調べは、嬉しいとか悲しいとかといふ小さな区別を見出さするやうな単調なものではありませんでした。
 ギーン、と鳴つた一つの音階のうちに、朝日に面した時のやうな喜びと、大海に面した時のやうな悲しみを同時に思ふことが出来ました。一つの音階、一秒間の音にそれだけの大きな感情を持つことが出来たのですから、それがギーン、ヴィーン、ギーンと続けて鳴れば、悲しみや喜びを感じてゐるいとまがありません、たゞぼんやりと、然も張り詰めた心で――凝と法悦に浸つてゐるより他はないのであります。
 ――何といふ不思議な音楽でせう。何といふ魅力を持つた音楽でせう。何といふ素晴しい音楽でせう。これ程、崇厳な、これ程崇大なこれ程崇美な、然もこれ程微妙な……静かな音楽が、私達の住むこの世界に又と見出すことが出来るでありませうか。
「あゝ自分程幸福な人間があるであらうか?」と私は思はず呟きました。
「さうです、あなたはたしかに幸福です、ですから私はさつきから、あなたは幸福なんだ、と何辺云つたか知れないじやありませんか。」
「いゝえ、いゝえ、それは異ひますよ。」
 と私は答へました。「あなたのおつしやる幸福といふのは、私には未だわからないのです。私は何もあなたに出遇つたことを幸福だ、と思つてゐるのじやありません。そんな意味でなら私は初めから不幸だと思つてゐるのじやありませんか、さうあなたのやうに、うぬぼれの心でゐられてはたまりません。私はあなたが御自分でおつしやる程、美しい方だとは思つて居りません。実を云へば、あなたがさうしてゐることさへ私にとつては飽きてゐるのです。早くどつかへ行つてしまつて下さい。あなたのやうな虚言者うそつきと言葉を交へるのも厭になりました。」私は一人で静かに音楽を聞いてゐたくて堪まりませんでしたから、それが為にこんな乱暴な言葉を吐きました。孔雀が怒つて去つて仕舞ふことばかりを望むで。
「ハヽヽ貴方は随分馬鹿ですね。」孔雀は怒ると思ひきや、反つて誇り気に打ち笑つて「一体貴方はあの音楽は誰れが奏でゝゐると思つてゐるのですか。」
「そんな質問に答へる言葉を持ちません。私はこうして聞いてゐさへすればいゝのです。貴方は早く其処を去つて下さい。邪魔で仕方がありません、ほんとに煩い孔雀だ。」
「ハヽヽ。」
「何を笑ふんだ、煩い。」
「だつて私は笑はずには居られません。」
「余り人を馬鹿にすると……」と私は今にも立ち上らうとした時、孔雀は落付はらつて云ひました――。
「静におしなさい。貴方がそれ程讚美なさるゝあの音楽は、そんなら教へて上げませう、驚きなさいますな。――。
 あれは私が奏でゝゐるのです、と云つても悟りの悪い貴方には解らないでせう、ね、あれは皆私の声の反響こだまなんですぜ、私のこの麗しい声、今こうして貴方に話してゐるこの声が、森や河にこだましてゐるのです、それを貴方は音楽だなんて思つてゐるのです。どうして笑はずに居られるでせう。そんなことじやとても美智子さんや艶子さんの居所なんか解るものですか。もつと、落着いた心と入れ替へておいでなさい。Poor Young Fellow!(あはれな若者よ。)」孔雀は極めて冷かな微笑を浮べて居りました。

 今の説明で孔雀の姫が如何に美しいか、といふ事が大体お解りになつたでせう。それ程迄に見誤つて仕舞つた私は、で、もう、まるで孔雀に頭が上らなくなつて仕舞ひました。この上は孔雀の従者にされても決して返答することは出来なくなつたのです。私の眼からは、それが自分にも何の為に流るゝのか解らない涙がひとりでに頬を伝ふてゐるのに気附きませんでした。私は美智子のことも、艶子さんのことも、自分が何の為にさうしてゐるかといふことも、すつかり忘れて仕舞ひました。私の気持は明らかに「幸福」を感じて居りました。となると、私にもつとも不思議な事は、孔雀が、かくまで美しい孔雀が、到底とても私達の世界では想像するさへ許されぬ程荘麗な孔雀の姫に、どうして悲しみなどゝいふものがあるのだらう、と訝らずには居られなくなりました。人の世で最も美しいと称されたあの羅馬ローマのクレオパトラ女王には決して悲しみはなかつたものと思はれます。ユダヤ王の姫サロメもその身が美しかつたばかりで死ぬ迄嘗て一度も悲しみといふものを感じたことはないと思はれます。それだのにこの美しい孔雀が、クレオパトラだつてサロメだつて楊貴妃だつて虞だつて美しさに於て到底この孔雀の姫の一筋の髪にすら及ばぬ、幻の花にも人の世では許されぬ、この美しい孔雀が、何故なにゆゑにあのやうに泣いて居たかを何よりも不思議がるのは無理もないことではありませんか。で私はクレオパトラやサロメの例を引いて、何故貴方はあのやうに嘆いてゐらつしやいましたか、と言葉をあらためて新しく問ひかけました。
「だから今その理由を話し始めたところなのではありませんか。それを貴方は、私の声を音楽だなどゝ聞き違へてそんな事ではとても私の話を聞く程の資格がありませぬ。」と笑ひましたが、私は、おつしやる通り哀れな若者なのですからどうぞお聞かせ下さい、と熱心に云ひました。
「とんだところで貴方が余計な騒ぎを初めたので私はどこ迄話を運むだか、すつかり忘れて仕舞ひました。」と孔雀が云ひますので、私は、――一夜。それは月の美しい晩花園の薔薇を惜し気もなく踏みつぶして――アブサラの女神のお仲間入りをするべくそつと御殿を忍び出たところ迄だ、と申しますと「あゝ、さうでしたね。貴方は感心に私の云つた言葉の儘を忘れませんでした、ではその先を話して上げますから此度こそはほんとに私の話を聞くことの出来る貴方は世界の誰よりも幸福な人に違ひないのですから、おとなしく聞いて居なければなりません。」と云つて、いよ/\話を続けて呉れることになりました。(孔雀の話の大体の筋はざつと次のやうです、簡単に荒筋だけをこゝに誌します。)
 宮殿からインドラニーの森までは七つの峠と三つの河とを超えなければならなかつたのであるが、その時翼を持つたガルダといふ神が現れて、
「姫よ、もしなれが麗はしき声もてわが為に祭り歌ツルカヅルカを歌ひ給はゞ、われは一時の間に汝をインドラニーに運ぶべし。」と云つたので、姫はどうして行かうかと思案してゐた処なので早速ツルカヅルカ一節ひとふしを歌つた。ガルダは喜むで姫をインドラニーに運むで呉れたのであつた。
 姫が森に着いた時は、神女達は河の岸で蘇摩酒に唇を浸して白鳥形の舟アイラーヴィタに乗つて河上に掉さして[#「掉さして」はママ]ゆかんとしてゐるところだつた。姫が駈け寄つて、こう/\いうわけではるばると来たのだから是非ともお仲間へ入れて下さい、と頼むと神女達も大変に悦んで「では直ぐにこれへお乗りなさい、私達は今丁度女王のパルヴアティの宮へ行くところなのですから。」と、一本の銀の櫂を呉れたので、姫は、思ふとほりにいつた、と望むでゐた夢がその儘現れたので雀躍りして船に飛び乗つた。神女達の纏ふ羅は、両岸の此処彼処ここかしこから囀り渡る小鳥の声にも、ヒラ/\とたなびいて緑なる春の河を静かに昇つて行つた。
 女王パルヴアティも他の女神達と同じやうに姫の入来を殊の外に悦んだ。さうして姫に白孔雀の羅と金の立琴とを呉れた。これで姫はどこから見てもアブサラの女神になることが出来たのである。

 許された言葉を用ひて説明するならば正しくインドラニーの森は「天国」と呼ぶことが最も当を得た言葉に違ひなかつた。(五章参照)天国にその身を置くことの出来た姫は勿論幸福に酔ふことは出来た。然し姫は目の前の幸福だけで酔ふことが出来なかつた。姫はやはり父の宮殿を想ひ出さずには居られなかつた。花園の露台バルコニーで薔薇の香に包まれて、たゞひとり月に歌つた頃を想ひ出さずには居られなかつた。その頃は「幸福」の森のことばかりを夢見て、現在の自分を寂しい者だと思つた。然しその頃のことも思ひ出といふ霞を透して見るやうになつて見ればやはり美しいものには違ひなかつた、悦びに違ひなかつた……どうして憧憬あこがれの心などを起したのだらうかと不思議にさへ思はるゝ程楽しい夢の中に居たのに、と思はれた。
 ある日の事、姫は女神達の群から離れて小川のほとりにたゞずむだ。鏡のやうにすきとほつた河の面を瞶めてゐると、奇麗な自分の顔がはつきりその中に写つて居た。水面みづもをふるはす風の吐息は毛程もなく、澄むが儘に澄むだ水底は、紺碧に晴れ渡つた空の色をその儘にくつきりと写してゐた。
 姫は凝と瞶めた、物に憑かれたかのやうに身動みじろぎもせず凝と瞶めた。すると、姫の頭に妙な考へが浮むだ。――。
 ――こうして、ものを考へてゐる自身と、水の中に写つた自身と、一体どつちがほんとうの自分なのだらう、と見れば、周囲の景色と寸分異はぬ景色が、やはり水の中にもある、水といふものがそこにあつてそれがために写し出されてゐるものとは、どうしても考へられぬ程はつきりとして、直ぐ自分の足許に横つてゐる、一体どつちがほんとの世界だらう、と疑はずには居られなくなつた。下に見ゆる世界の方が、と思つて見ると、同じものではあるが、どうやら上の世界よりも美しいやうにさへ見へた。写つてゐる自分の方が本物(?)の自分より美しいやうにさへ思はれた。この中に飛び込んだら、もつと立派な世界へ行かれるやうな気がした。姫はまた憧憬の心を起した。水の世界からは今にも「美しい姫よ、少しも早く来れよ。わが世界では御身の御入来ばかりを待ちつゝ、かくの如く麗はしく装飾して、たゞそれのみを待ちつゝあるよ。」といふ声がしさうだつた。
「たとへ其処は神女の住むインドラニーの森とは云へ、かくも美しき姫が住むには未だ足りない。姫よ、かくも美しき姫よ、御身の幸福は未だ充たされてゐないのである。インドラニーの森よりも、はるかに美しい世界のある事を、御身は未だ知らないのであらうか。不幸なる姫よ、あはれなる姫よ、美しき姫よ。」といふ声が響いて来るのを感じた。
「いつそこの森をも逃げ出して仕舞うか。」と姫は呟いた。と思ふと森の中にも至る処に不満足を感じる処が眼に付いて来た。事実女神達よりも美しい自分が、女神と同じやうに不平なく歌つてゐることも、姫は、飽き足りない、と思つた。国の宮殿に居る頃は、人々が口をそろへて詩歌をとなへて姫の美しさばかりをたゝへたけれど、森に来てからは神女達ばかりなので、それ程姫の美しさを称へる者はなくなつて仕舞つた。「これ程美しい私の身を。」と姫はこれも不満足に思つた。
「私は女王でなければならないのだ、歌姫としては余りに美し過ぎる、私は仲間といふものは必要がないのだ、たゞ私の生れ出たことは、世界が私を女王となすべく運命付けたのである。」と姫は思つた。で、更に女王となるべく新しい国を発見に出掛けやう、と決心した。
 すると姫の眼前に見慣れぬ二人の神が現れて、「姫よよき処にお気附なされた。私達はそれを待つてゐました。姫の行くべき真の世界は私達が知つて居ります。私達は姫を女王としてお迎へに参つたものであります。さあ御案内いたしませう。」と云つたので、姫は水面から眼を離して声の方へ振り向いた。
 姫はその二人の神が何者であつたか少しも知らなかつたが、実はその二人はシヴアパンチヤーナナといふ「破壊」を司る恐ろしい神なのである。


(註)。今こゝに私が現はす文字は一つの文章ではありません、本当はこゝに楽譜を作つて挿入したいのですが相憎私はその術を知りません、で仕方がなく文字を連ねました、ですからこれは物語の筋だと思つてはいけません、大きな音楽堂で崇大な管絃楽オーケストラを聞いてゐる心にならなければならないのです、チヨツトむづかしい注文ですがね。で、意味はわからなくも少しも差支へないのです、たゞすらすらと通読して下さればいゝのです。今あなたの目の前に「嘆きの曲」が弾ぜられやうとしてゐるのです。音楽には意味はありません、静かな心で凝とその響きに聞き入ればいゝのです。いゝですか、そのつもりで読み返しなどしないでスラスラツと(骨牌かるたを読むやうな調子で)、一息に読み終つて下さい。
 若しその時あなたの胸に音楽を聞いた後のやうなさはやかな悲しみと悦びとが烟りのやうに残つたならば、それで、――たゞそれだけで、私は充分な満足なのであります。

  THE VALLAY OF LAMENTATION.
     嘆きの谷
(無韻長詩扁)
嘆かふ心――
震へゆく心のおのゝきを忍びて、われはたゞひとり嘆きの谷の霞みに咽せび泣きつゝ、うたかたの夢なりしかど、われ歩み来し道を見返れば
嗚呼、いまは、はや嘆かむにもよしなし、向日葵の花の誇りはあしたの露に滅び、夜鳥の瞳に映えししろがねの月光、また海のあなたに沈みて、闇に踊る青衣の悪魔は地に伏してわが方を視詰みつむのみなり
せめてもの願ひ、われはわが想ひの夢、黄昏のひと時に咲く紫の虹とも、北国の真夜中に映ゆる極光とも、あはれ騎士ナイトが戦ひに破れし青銅ブロンズの盾にふりそゝぐしろがねの涙ともならば、と祈らむにも力は尽きぬ――金のつるもて張れるわが喜びの琴は
七色の雲に浮び、または、しゞまめく大理石マーブルの宮に瑠璃の音色ほがらかにかなでられしわが喜びの琴は
おゝ、あの、あの麗はしき響き思へばかくも嘆きに沈みゆくわが胸に、そは思へば凡て涙の華なれど、輝きの泉ほとばしる、あの金の竪琴の音は
はや、永劫の月の彼方に没したるなり、あゝわれは涙なす宿星のふところに入らばや……されど、みめぐみに充ちし瑠璃の輝きこそは、あゝ、きたるまじ、われはかく双手さしのべて願へども、はらはらと散り失せし薔薇しようびが花弁を追ふによしなし、
「一のに到りし時焔はわななきぬ、二の扉に到りし時焔さゝやきぬ、三の扉に到りし時、灯火ともしびは消えはてぬ」
「あゝ、鍵は海へ沈みたるなり、鳴りひゞく洞窟いはやにいたり、とざせし扉の上に、ひとたびは黄金きんの鍵を見出でぬ、かくて開き得もせず、
空しく鎖したる扉を敲くのみ」
怒号せる濤のほのめきは厳に砕けて、あはれわが魂のごとく白鳥の羽毛と化して消えてはまた打ち寄する恐ろしき響き、
われは巌頭に立ちて叫びぬ、友よ友よ、絶れし琴の糸をいかにせばや、羅衣吹く潮風金色こんじきの髪を乱して、叫ばむにも声絶えぬ――あゝ逆巻く波の中へ、夜の海の底へ誇りの花を沈めむか? 月もなく星もなく、引波の静けさに……。

          *

 こゝで音楽はピツタリと止むのであります、シヴアに大切な金の竪琴を奪はれて仕舞つた姫は、悲しみの余り……再びそれを思ひ出して身を震はして泣き始めたのです。

          *

美「何だか活動写真の出来損ひ見度いね。」
私「そんな事を云ふと止めてしまふよ。」
艶「だつてつまらないと云ふんじやないからいゝじやありませんか、ね、美智ちやん。」
美「でも私少しつまらなくなつて来たわ、ほんとに兄さんのお話と来たら前置きやら勿体ばつかりで、早起きをしないと続きをしてやらないなんて如何にも大したお話でもありさうだけれど、――なあんだ。」
艶「さう云へばさうね、二言目にはすぐ止める……と、ねえ、」
私「エヘンエヘン。」
美「アラもう怒つたのよ。」
艶「フンガイ?」
美「……でせう。」
――私の独りごと「彼女等の上に嘆き多かれ。」私は無言で煙草を喫つてゐる。
艶「美智ちやん私の家へ行かない?」
美「え、行きませう。」と二人は室を出て行つてしまひました。私は、ウルサクナクッテ、イヽアンバイダと思ふ、それは小雨のしとしとと降る日曜の午前でした。然し私もひとり残されて見ると、雨が降つてゐては外へ出るのも面倒だ、と思ふと少し手持ぶさたになりました。で、私はぼんやりと今の話の続きを考へました。

          *

 私の心はさはやかな悦びで一杯になりました、今にも嬉し涙がこぼれはしないかと思はるゝ位に。それは、凝と、ひとりで空想に耽つてゐると到底人の世では許されぬ美しい想ひが、それこそ活動写真のやうに不思議にも種々いろ/\な形で現はれて来るからでありました。
 美智子と艶子さんは大変ものにあきつぽいのです、さうして常に新しい事ばかりを望むのです、やすつぽい憧れの心ばかりを起すのです――これよりももつと面白いこと、もつと満足なことがあるに異ひない、と思つては種々いろ/\なことを求めるのです、然しどこへ行つても決して充分自分を満足させる処はありません、どこへ行つても少し位の不満やつまらない事は屹度あるのですから私達はある程度までは無理にも現在を幸福なものとして、無暗に憧れの夢に耽つてはならないのです、夢を追つてそれに働いて行くと必ず悲しい思ひに突当らずには居ません、完全な場所といふところは、たとへそれがゴンドラの月に浮ぶベニスだらうと、決してありません。ベニスの少女はやはりもつといゝ美しい処があるに異ひないと、日本などを憧れて居ります。だから私達は外の形に迷されずに自分の思想だけを養ふやうにせねばなりません。心の持ちやうで、私達は自分の室に坐つてゐるだけであらゆる満足を感ずることが出来るのです。詩は決して涙ではありません、私達の頭の中にはこの世界よりももつと、拡大な美しい満足な世界がある、といふことを教へて呉れるものです。文字を読むことの出来る私達は満足でなければなりません、いやいや、考へることの自由を与へられただけで充分私達は悦ぶべきであります。芝居を見て悦んでゐる人よりも芝居を見ないで満足出来る人の方がはるかに幸福です、芝居なんていふものはどれでも大概同じやうなものばかりではありませんか。音楽会へわざわざ行くよりも、整頓した自分の室で音楽のことを考へてゐた方が、第一足もくたびれないで、さうしてはるかに美しい想ひに耽ることが出来ます。自分が弾いて自分で歌つてゐれば、いつも私達は愉快に遊ぶことが出来ます――と、こんなやうなことを私は美智子と艶子さんに実は話さうと思つたのですが、うつかりその儘云ふと「ソラまたお説教が始まつた。」などゝ云つて相手にしないので、「嘆きの孔雀」の話を作つて――その孔雀の羽毛は烟のやうに空気の中に漂つてゐて、人々がちよつとでも不満な憧れを起すとすぐにその心の中にとり入つてつひには孔雀と同じやうな運命になつてしまふ、あんなに美しい孔雀でもさうなつてしまふのだから――といふことを話したかつたのですが、話に飽きて行つてしまつたのだから仕方がありません。
 さう云へば今迄の話の筋が大体お解りになつたでせう。それから後も大凡おほよそどうゆう風に終るか、どうして二人を孔雀から私が救け出したか、孔雀は何故二人をさらはうとしたか、孔雀は以何に同情すべき身の上であるか、私は何故心配して孔雀にさらはれた二人を夢中で追ひかけたか、といふ事などはこゝに私がくどくどと説明するまでもなく皆様の想像にお任せいたします。然しこの話は私に最も興味あるものなのですから、また気分が向いて書き度くなつた時には「後編嘆きの孔雀」として最後の筋道を詳しく話す時もありませう。こゝには前編の終りとして「嘆きの谷」の一章だけを皆様のために残して置きます。孔雀の姫は永遠に嘆かなければならない身なのです。
 私はこのやうに慌しく結末を付ける考へは決してなかつたのですが、今日はもう是非に及びません――。

 その日夕方になつて美智子と艶子さんはまた私の室に参りました。二人とも何となくつまらなさうな顔をして居りました。屹度何処かへ遊びに行つたのでせうが、思ふ程満足しなかつたことなのでせう。
 案の条二人は先程のことを私に謝まつて、また話をして呉れと熱心に頼むのでした。然し二人の「金の竪琴」は私の手にだけしかないのですから、二人は、私に「はかないそら頼み」をするばかりです。私は、二人を大変に可愛がつて居る者なのですから、どうかして解るやうに然も面白く話し度いと思つてゐるのですが、どうもうまい考へが続かないので弱りました。
 私は窓の外を見て居りました。二人は黙つて屏風の孔雀の絵を見て居ります。
 やがて艶子さんはマンドリンを持つて来て、では今度は先程のお礼に、と云つてそれを弾いて私に聞かせました。
 私は「嘆きの谷」の文字を続けながら嬉しく聞き入りました。三人とも晴やかな心になつて面白くいろんな話をしました。小雨は切りに軽くサラサラと窓を打つて居りました。私達は幸福でした、「嘆き」といふことを知らずに居る二人に「嘆くな」といふことを説明する必要はなくなりました。悲しみの曲も決して悲しい涙を誘ひません、咽かへる嬉し涙を覚へさすばかりです。
 夜は刻々と忘れられたるものゝ如く静かに更けてゆきます――。

底本:「牧野信一全集第一巻」筑摩書房
   2002(平成14)年8月20日初版第1刷
底本の親本:「少女 第八十六号(二月号)〜第八十七号、第八十九号〜第九十一号、第九十三号(九月号)」時事新報社
   1920(大正9)年1月6日〜2月、4月〜6月、8月6日
初出:「少女 第八十六号(二月号)〜第八十七号、第八十九号〜第九十一号、第九十三号(九月号)」時事新報社
   1920(大正9)年1月6日〜2月、4月〜6月、8月6日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「三 不思議な花火」は浜野英二作との記載があるので、省きました。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月6日作成
青空文庫作成ファイル:
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