ドンドンドン……といふ太鼓の音がどこからともなく晴れた冬の空に響いて居りました。私達は学校の退けるのを待兼ねて、駈けて帰りました。初うまのお祭といふことが、此の上もなく私達を悦ばせてゐたのであります。自分達が主役となつて、大人の干渉を少しも受けずに何から何まで自分達の手でやることに、ある誇を感ずることが出来たのであります。ふだんは目上の人の指図の許にのみ暮してゐる自分達にとつては、かういふことで充分に日頃の鬱憤を晴らすことが出来たのであります。

 お稲荷様の前には、もう二三日も前から仕度をして置いたので、莚と板切で作つた舞台がちやんと出来上つて居りました。私達にとつては、それが歌舞伎座の檜舞台よりも、もつと輝いた晴れの舞台だつたのです。そこで思ふ様太鼓をうち鳴らし思ふ様踊り回ることが、想つただけでもどれ程私達の血潮を燃したか解りませんでした。
 楽屋には甲冑かぶと、槍、面などが沢山並べてありました。私達はその中に坐つて、何とも云へぬ喜に浸りながら、種々いろ/\の愉快な相談をして居りました。
 その中に近所の小さな見物人がドヤドヤと詰めかけて参りました。きよちやんと私は両手に力をこめて、太鼓に自分達の喜を含ませて、たゝき始めました。全く私達の喜は、声を張り上げて歌ふかはりに、打鳴す太鼓の音となつて、低く降りた空の鳥さへ驚かした程でした。
 私が疲れると呉服屋のさだちやんが自慢のお祭囃子の腕にうんとよりを掛けてたゝきました。
 間もなく見物人は一ぱいになりました。
「もうそろ/\始めようか。」と清ちやんが云ひました。私は楽屋の隙からそつとのぞいて見ると、近所の未だ学校に上らない子供達がもう待ちに待つて居りました。
 で、楽屋の者はてんでに勝手な扮装に取りかゝりました。誰でも強い軍人になる事を望むで居るのですから、芝居は関ヶ原の合戦のやうに強い軍人ばかりが出て、激しく戦争するといふだけのものでした。然しそれで見物人は充分満足するのでした。

 勢揃ひが出来上つて大勢の強い軍人がいざ出陣しようとするところへ、お隣の小母さんが入つて来ました。
「ね、皆さんにお願ひがあるのよ。内のひで坊がね、お仲間に入れて呉れ、と云つて諾かないんだけれども、一処に遊んでやつて呉れませんか。」と、小母さんは秀ちやんの手を引いて来て、私達に頼みました。
「だつて小母さん!」と清ちやんは、そんな幼い秀ちやんを、自分達の仲間に入れるのが不平で堪らないらしく「秀ちやん、観る人の方がいゝぜ。大きい者と一緒になるとあぶないよ。」と云ひました。
「私もそれは秀坊に云つてきかせたのだがね、どうしても観る人になるといふのは嫌だ、といつて諾かないので――。ね一緒に遊んでやつて下さいよ。」
「だつて小母さん怪我でもあると大変だぜ。」
「そんなこと云はないで遊んでやつて頂戴よ。ね、皆さんに又御褒美を上げるわ。」
「だつて、だつて、困るなあ。」
「ね、いゝでせう。頼みますよ。」私達は顔を見合せるより他ありませんでした。

 私達は秀ちやんのやうな小さい者を仲間にすることは、自分達のある威厳にかゝはるやうな気がして嫌で堪らなかつたのですが、小母さんが余り熱心に頼むのでどうしてもことはりきれなくなつてしまひました。
「じやお入りな。」清ちやんは大へん機嫌を悪くして、投げ出すやうに云ひました。さうして皆は舞台の方へ出て行つてしまひました。

 大勢の強い武士が出てきて盛んに戦ふので、見物人は嬉しがつて手をたゝきました。

 戦争の真最中に、たつたひとり馬鹿めんをかぶつた小さな児がヒヨロ/\と出て来ました。それは勿論秀ちやんだつたのです。秀ちやんだつて強い軍人のお面をかぶりたかつたには異ひなかつたでせうが、あひにくその時にはもう強いお面は一つも残つてゐなかつたのです。
 軍人の中に馬鹿面をかぶつたちひさな児が出て来たので――見物人の視線は一様にその方にそゝがれました。
「面白い面白い。秀ちやんだよ。上手だ。上手だ。」と云つて見物人は皆秀ちやんのお手柄を誉めたてました。
 甲冑に身をかためた厳めしい武士さむらひも、毛鞘の刀をさした立派な大将も、すつかりてれてしまひました。だつて皆が、「秀ちやん/\」といつて此方には少しも頓着しなくなつてしまつたのですもの。秀ちやんは、余り評判がいゝのですつかり悦んでしまつて、妙な手振をして、盛んにおどりました。観る者は手をうつてはやしたてました。秀ちやんの傍では、清ちやんととしちやんがまだ一所懸命に「ヤアヤア」と掛声をしながら戦つてゐましたが、どうしたはづみか、清ちやんが握つてふりまはしてゐた槍がポカンと、秀ちやんの頭を打つてしまひました。余程強くあたつたのでせう。秀ちやんは、ワツといふ声を上げて、火のついたやうに泣き始めました。
 馬鹿面をかむつた儘お面の表を片手でおさへてワーワーと泣きました。秀ちやんは悲しくたつて、お面は悲しくもなんともありませんから、馬鹿面はやはりキヨトンとしてゐるではありませんか。そのお面の下で秀ちやんは、盛んに泣いて/\、容易に止みませんでした。この様子が又大変におもしろかつたので皆は、腹をかゝえて笑つてしまひました。
 皆が笑へば笑ふ程、秀ちやんはだまらうとはしませんでした。これには私達も余程困りました。折角をばさんからあんなにたのまれた秀ちやんを、こんなに泣かしてしまつて、何と申わけをしたらいゝか当惑せずには居られませんでした。
 で私は、笑つては居られない、小母さんに見つかつては大変だ。と、秀ちやんの傍へ行つて、
「秀ちやん泣いてはいけないよ。強い軍人が……」と云ひかけて、私は秀ちやんの顔を見たら馬鹿面なので、又思はず噴きだすところを、やつと我慢して「……ね、おだまりよおだまりよ。」といつてなだめましたが、秀ちやんは容易に泣きやみませんでした。私は「面をとつてやらう、」と思つて、秀ちやんの顔から面を取らうとすると、秀ちやんは泣いてる顔を見られるのが嫌だと思つたか、どうしても面をとらせませんでした。私は「秀ちやん泣くんじやないよ/\。」と云ひながら、やつと秀ちやんのお面をはぎとりました。秀ちやんの顔中は涙でぬれてゐました。面を脱されたので、皆の視線は同時に秀ちやんの顔の上にそゝがれました。すると、その時秀ちやんの顔には、微笑がたゞよつてゐました。
「秀坊、泣くんじやない、此方へお出で。」と小母さんが迎へに来ました。その声をきくと秀ちやんは、又ワツト泣き出して小母さんの方へ駈けて行ました。

底本:「牧野信一全集第一巻」筑摩書房
   2002(平成14)年8月20日初版第1刷
底本の親本:「少年 第一九九号(明治元勲号 三月号)」時事新報社
   1920(大正9)年2月8日発行
初出:「少年 第一九九号(明治元勲号 三月号)」時事新報社
   1920(大正9)年2月8日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:宮元淳一
校正:門田裕志
2011年5月6日作成
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