私はそこの海岸通りへ出た。海から細く入江になっていて、伝馬や艀がひしひしと舳を並べた。小揚人足が賑かな節を合せて、船から米俵のような物を河岸倉へ運びこんでいる。晴れきって明るくはあるが、どこか影の薄いような秋の日に甲羅を干しながら、ぼんやり河岸縁に蹲んでいる労働者もある。私と同じようにおおかた午の糧に屈托しているのだろう。船虫が石垣の間を出たり入ったりしている。
河岸倉の庇の下に屋台店が出ている。竹輪に浅蜊貝といったような物を種にして、大阪風の切鮨を売っている。一銭に四片というのを、私は六片食って、何の足しにということはなしに二銭銅貨で五厘の剰銭を取った。そんなものの五片や六片で、今朝からの空腹の満たされようもないが、それでもいくらか元気づいて、さてこの先どうしたものかと考えた。
ここから故郷へは二百里近くもある。帰るに旅費はなし、留まるには宿もない。止むなくんば道々乞食をして帰るのだが、こうなってもさすがにまだ私は、人の門に立って三厘五厘の合力を仰ぐまでの決心はできなかった。見えか何か知らぬがやっぱり恥しい。そこで屋台店の亭主から、この町で最も忙しい商店の名を聞いて、それへ行って小僧でも下男でもいいから使ってくれと頼んだ。先方はむろん断った。いろいろ窮状を談して執念く頼んでみたが、旅の者ではあり、なおさら身元の引受人がなくてはときっぱり断られて、手代や小僧がジロジロ訝しそうに見送る冷たい衆目の中を、私は赤い顔をして出た。もう一軒頼んでみたが、やっぱり同じことであった。いったいこの土地は昔からの船着場で、他国から流れ渡りの者が絶えず入りこむ。私のようなことを言って救いを乞いに廻る者も希しくないところから、また例のぐらいで土地の者は対手にしないのだ。
私は途方に晦れながら、それでもブラブラと当もなしに町を歩いた。町外れの海に臨んだ突端しに、名高い八幡宮がある。そこの高い石段を登って、有名なここの眺望にも対してみた。切立った崖の下からすぐ海峡を隔てて、青々とした向うの国を望んだ眺めはさすがに悪くはなかった。が、私はそれよりも、沖に碇泊した内国通いの郵船がけたたましい汽笛を鳴らして、淡い煙を残しながらだんだん遠ざかって行くのを見やって、ああ、自分もあの船に乗ったら、明後日あたりはもう故郷の土を踏んでいるのだと思うと、意気地なく涙が零れた。海から吹き揚げる風が肌寒い。
こうなると、人間というものは妙に引け身になるもので、いつまでも一所にいると、何だか人に怪まれそうで気が尤める。で、私は見たくもない寺や社や、名ある建物などあちこち見て廻ったが、そのうちに足は疲れる。それに大阪鮨六片でやっと空腹を凌いでいるようなわけで、今度何か食おうにも持合せはもう五厘しかない。むやみに歩き廻って腹ばかり虚かせるのも考えものだ。そこで、私は町の中部のかなり賑かな通へ出て、どこか人にも怪まれずに、蹲むか腰掛けかする所をと探すと、ちょうど取引会所が目についた。盛んに米や雑穀の相場が立っている。広い会所の中は揉合うばかりの群衆で、相場の呼声ごとに場内は色めきたつ。中にはまた首でも縊りそうな顔をして、冷たい壁に悄り靠れている者もある。私もそういう人々と並んで、さしあたり今夜の寝る所を考えた。場内の熱狂した群衆は、私の姿など目にも留めない。
そのうちに閉場の時刻が来た。ガランガランという振鈴の音を合図に、さしも熱しきっていた群衆もゾロゾロ引挙げる。と、小使らしい半纒着の男が二人、如露と箒とで片端から掃除を始める。私の傍の青い顔の男もいつの間にかいなくなった。ガランとした広い会所の窓ガラスには、赤い夕日がキラキラ輝いたが、その光の届かぬ所はもう薄暗い。
私はまた当もなくそこを出た。するうちに、ボツボツ店明が点きだす。腹もだんだん空いてくる。例のごとく当もなく彷徨歩いていると、いつの間にか町外れへ出た。家並も小さく疎になって、どこの門ももう戸が閉っている。ドーと遠くから響いてくる音、始めは気にも留めなかったが、やがて海の音と分った。私は町を放れて、暗い道を独り浦辺の方へ辿っているのであった。この困憊した体を海ぎわまで持って行って、どうした機でフラフラと死ぬ気にならないものでもないと思うと、きゅうに怖しくなって足が竦んだ。
私は暗い路ばたに悄り佇んで、独り涙含んでいたが、ふと人通りの途絶えた向うから車の轍が聞えて、提灯の火が見えた。こちらへ近いてくるのを見ると、年の寄った一人の車夫が空俥を挽いている。私は人懐しさにいきなり声を懸けた。
先方は驚いて立留った。
「ちょっと伺いますが、ここはいったい何という所でしょう、やっぱり何町の内なんですか。」
「なあにお前さん、ここはもう何々村って、村でさ。」
「何々村――何々村には何でしょうか、どこかその……泊めてもらうような所はないでしょうか。」私はふと口に出たままを聞いてみる。
「泊めてもらうって――宿屋かね。」と車夫は提灯の火影に私の風体を見て、「木賃ならついそこにあるが……私が今曲ってきたあの横町をね、曲ってちょっと行くと、山本屋てえのと三州屋てえのと二軒あるよ。こっちから行くと先のが山本屋で、山本屋の方が客種がいいって話だから、そっちへお行でなせい。」
言いおいて、そのまま車夫は行ってしまう。私はじっとそれを見送っていたが、その提灯の影も見えなくなり、その車の音も聞えなくなってしまうと、きゅうにたまらなく寂しくなった。そこで駈けだすようにして、車夫に教わったその横町へ入ると、なるほど山本屋という軒行灯が目に入った。
貝殻を敷いた細い穢い横町で、貧民窟とでもいいそうな家並だ。山本屋の門には火屋なしのカンテラを点して、三十五六の棒手振らしい男が、荷籠を下ろして、売れ残りの野菜物に水を与れていた。私は泊り客かと思ったら、後でこの家の亭主と知れた。
「泊めてもらいたいんですが……」と私は門口から言った。
すると、三十近くの痩繊の、目の鋭い無愛相な上さんが框ぎわへ立ってきて、まず私の姿をジロジロ眺めたものだ。そうして懐手をしたまま、
「お上り。」と一言言って、頤を杓った。
頤で杓った所には、猿階子が掛っていて、上り框から(というよりは、むしろ土間から)すぐ二階へ上がるようになっている。私は古草鞋や古下駄の蹈返された土間に迷々していると、上さんがまた、
「お上り。」
「は。」と答えた機で、私はつと下駄を脱捨てて猿階子に取着こうとすると、
「ああ穿物は持って上っておくれ。そこへ脱いどいて、失えても家じゃ知らんからね。」
私は言われるままに、土のついた日和下駄を片手に下げながら、グラグラする猿階子を縋るようにして登った。
二階は六畳敷ばかりの二間で、仕切を取払った真中の柱に、油壷のブリキでできた五分心のランプが一つ、火屋の燻ったままぼんやり点っている。窓は閉めて、空気の通う所といっては階子の上り口のみであるから、ランプの油煙や、人の匂や、変に生暖い悪臭い蒸れた気がムーッと来る。薄暗い二間には、襤褸布団に裹って十人近くも寝ているようだ。まだ睡つかぬ者は、頭を挙げて新入の私を訝しそうに眺めた。私は勝手が分らぬので、ぼんやり上り口につっ立っていると、すぐ足元に寝ていた男に、
「おいおい。人の頭の上で泥下駄を垂下げてる奴があるかい。あっちの壁ぎわが空いてら。そら、駱駝の背中みたいなあの向う、あそこへ行きねえ。」と険突を食わされた。
駱駝の背中と言ったのは壁ぎわの寝床で、夫婦者と見えて、一枚の布団の中から薄禿の頭と櫛巻の頭とが出ている。私はその横へ行って、そこでもまたぼんやり立っていると、櫛巻の頭がムクムク動いて、
「お前さん、布団ならあそこの上り口に一二枚あったよ。」と教えてくれた。
で、私はまた上り口へ行って、そこに畳み寄せてあった薄い筵のような襤褸布団を持ってきて、それでも敷と被と二枚延べて、そして帯も解かずにそのまま横になった。枕は脂染みた木枕で、気味も悪く頭も痛い。私は持合せの手拭を巻いて支った。布団は垢で湿々して、何ともいえない臭がする。が、それはまだ我慢もできるとして、どうにもこうにも我慢のできないのは、少し寝床の中が暖まるとともに、蚤だか虱だか、ザワザワザワザワと体じゅうを刺し廻るのだ。私が体ばかり豌々させているのを見て、隣の櫛巻がまた教えてくれた。
「お前さん、こんなとこで寝るのに着物を着て寝る者があるもんですか。褌一筋だって、肌に着けてちゃ、螫られて睡られやしない、素裸でなくっちゃ……」
なるほど、そう言われて気をつけて見ると、誰も誰も皆裸で布団に裹まって、木枕の間から素肌が見えている。私も帯を解いて着物を脱いだ。よほど痒みも少なくて凌ぎよい。その代り秋末の肌寒さに、手足を蝦のように縮めて寝た。
周囲は鼾や歯軋の音ばかりで、いずれも昼の疲れに寝汚く睡りこんでいる。町を放れた場末の夜はひっそりとして、車一つ通らぬ。ただ海の鳴る音が宵に聞いたよりももの凄く聞える。私は体の休まるとともに、万感胸に迫って、涙は意気地なく頬を湿らした。そういう中にも、私の胸を突いたのは今夜の旅籠代である。私もじつは前後の考えなしにここへ飛びこんだものの、明朝になればさっそく払いに困らねばならぬ。この地へ着くまでに身辺のものはすっかり売りつくして、今はもう袷とシャツと兵児帯と、真の着のみ着のまま。そして懐に残っているのは五厘銅貨ただ一つだ。明朝になって旅籠代がないと聞いた時の、あの無愛相な上さんの顔が思いやられる。
そのうちに、階下の八角時計が九時を打った。それから三十分も経ったと思うころ、外から誰やら帰ってきた気勢で、
「もう商売してきたの、今夜は早いじゃないか。」と上さんの声がする。
すると、何やらそれに答えながら、猿階子を元気よく上ってきた男がある。私は寝床の中から見ると薄暗くて顔は分らぬが、若い背の高い男で、裾の短い着物を着て、白い兵児帯を幅広に緊めているのが目に立つ。手に塗柄のついた馬乗提灯を下げて、その提灯に何やら書いてあるらしいが、火を消しているので分らなかった。その男はしばらくそこらを見廻していたが、やがて舌打をして、
「阿母、俺の着て寝る布団がねえぜ。」と上り口から呶鳴った。
「ああそう、忘れていた、今夜は一人殖えたんだから。」と言う上さんの声がして、間もなく布団を抱えて上ってきた。
男はその布団を受取って、寝床と寝床と押並んだ間を無遠慮に押分けて、手敏く帯を解いて着物を脱いで、腹巻一つになってスポリと自分の寝床に潜ぐりこんだ。そして寝床の中で腹巻の銭をチャラチャラいわせていたが、
「阿母、おい、ここへ置くよ。今夜のを。」と枕元へ銅貨の音をさせた。
私は悸とした。
すると、案のごとく、上さんはそれを受取ると、今度は薄暗いランプの火影で透しながら、私の枕元へ来た。
「お前さんにはまだ屋根代が貰ってなかったね。屋根代が六銭。それから宿帳を記けておくれな。」と肩先を揺る。
私は睡ったふりもしていられぬので、余儀なく返事をして顔を挙げた。そして上さんのさしだす宿帳と矢立とを取って、まずそれを記してから、
「その……宿代だが、明朝じゃいかんでしょうか。」
「明朝――今夜持合せがないのかね。」
「明朝になればできるんだが……」と私は当座れを言う。
「明日だって、どうせ外へ出てでかすんだろうがね、それじゃ私の方で困らあね。今夜何か品物でも預かっとこう。」
「品物といって――何しろ着のみ着のままで……」
「さっきお前さんが持って上った日和下駄、あれは桐だね。鼻緒は皮か何だね。」
「皮でしょう。」
「お見せ。」
寝床の裾の方の壁ぎわに置いてあったのを出して見せると、上さんはその鼻緒を触ってみて、
「じゃ、これでも預かっとこう。お前さんが明朝出かける時には、何か家の穿物を貸してあげるから。」
上さんはそのまま下駄を持って階下へ降りて行った。たかが屋根代の六銭にしても、まさか穿懸けの日和下駄が用立とうとは思いも懸けなかったが、私はそれでホッと安心してじき睡ついた。
翌朝私が目を覚した時には、周囲の者はいずれももう出払っていたが、私のほかに今一人、向うの部屋で襤褸布団に裹まっている者があった。それは昨夜遅く帰った白い兵児帯の男だ。私は昨日からの餒じさが、目を覚ますとともに堪えがたく感じてきて、起き上る力もない。そっと仰向きに寝たまま、何を考える精もなく、ただ目ばかりパチクリ動かしていた。
見るともなく見ると、昨夜想像したよりもいっそうあたりは穢ない。天井も張らぬ露きだしの屋根裏は真黒に燻ぶって、煤だか虫蔓だか、今にも落ちそうになって垂下っている。四方の壁は古新聞で貼って、それが煤けて茶色になった。日光の射すのは往来に向いた格子附の南窓だけで、外の窓はどれも雨戸が釘着けにしてある。畳はどんなか知らぬが、部屋一面に摩切れた縁なしの薄縁を敷いて、ところどころ布片で、破目が綴くってある。そして襤褸夜具と木枕とが上り口の片隅に積重ねてあって、昼間見るととても体に触れられたものではない。私はきゅうに自分の着ている布団の穢さが気になって、努めて起きでた。
私もそこにしてあるとおり、自分の布団と木枕とを上り口の横に積重ねて、それから顔でも洗おうと思って、手拭を持って階子の口へ行くと、階下から暖いうまそうな味噌汁の匂がプンと鼻へ来た。私はその匂を嗅ぐと、いっそう空腹がたまらなくなって、牽々と目が眩るように覚えた。外はクワッと目映しいほどよい天気だが、日蔭になった町の向うの庇には、霜が薄りと白く置いて、身が引緊るような秋の朝だ。
私が階子の踏子に一足降りかけた時、ちょうど下から焚落しの入った十能を持って女が上ってきた。二十七八の色の青い小作りの中年増で、髪を櫛巻にしている。昨夜私の隣に寝ていた夫婦者の女房だ。私の顔を見ると、「お早う。」と愛相よく挨拶しながら、上り口でちょっと隣の部屋の寝床を覗いて、「まだ寝てるよ。銭占屋の兄さん、もう九時だよ。」
「九時でも十時でも、俺あ時間に借りはねえ。」と寝床の中で言った。
すると、女は首を竦めて、ペロリと舌を出して私の顔を見た。何の意味か私には分らなかった。擦違うと、干鯣のような匂のする女だ。
階下へ降りてみると、門を開放った往来から見通しのその一間で、岩畳にできた大きな餉台のような物を囲んで、三四人飯を食っていた。めいめいに小さな飯鉢を控えて、味噌汁は一杯ずつ上さんに盛ってもらっている。上さんは裾を高々と端折揚げて[#「端折揚げて」は底本では「端折揚げて」]、土間の竈の前で立働いていた。手拭を下げて私の降りてきたのを見ると、すぐ、「井戸は外だよ。」と言って、自分の足元にあった古下駄を貸してくれた。口数が少なくテキパキしたものだ。
宿の横の、土管焼の井筒が半分往来へ跨がった井戸傍で、私はそこに投りだしたブリキの金盥へ竿釣瓶の水を汲みこんで、さて顔を洗いながら朝飯の当を考えた。この空腹で午まで通そうものなら、私は倒れて動けなくなるだろう。上さんに泣きついて、釜の底の洗落しでもいい、恵んでもらおうかとも思うが、やっぱりどうも恥しくてできない。食を乞うということはよくよく愁いものだ。
「さあ君、金盥が明いたら貸してくんな。」と言われて振返ると、いつの間にか銭占屋の兄さんが私の背後に立っていた。
例の白い金巾の兵児帯を幅広に巻着けて、手拭を肩に、歯磨粉の赤い唾をペッと吐いて、
「君はどこから来たんだね。」と聞く。
私はこれこれだと答えて、ついでに今の窮境を匂わせると、その男は頷いて、
「君はそれじゃ、今日出たってどこへ行く当もねんだろう。」
「え、まったくはそうなんです。このへんに知った者なんか一人もないんですから、どこでどうする当もちっともないんです。」
「そいつあ困ったね。」と太い眉を寄せて、私の顔を見戍っていたが、「じゃ、当分まあ私の物でも食ってたらどうだね。そのうちに何とかまた、国へ帰るような工夫でもするさ。」と言ってくれた。
地獄で仏だ。私は思わず涙を浮べて感謝した。こんな縁故で、私はそれから一月あまりもこの男の世話になって、この木賃宿で暮らした。私が礼を言うたび、
「なあに君、旅へ出りゃお互いさ。ここの宿の奴らあ食詰者ばかりでお話にゃならねえが、私ども世間師仲間じゃ当前のことだ。お互いに困りゃ助け合う、旅から旅へ渡り歩く者のそれが人情さ。」といつも口癖にそう言った。
同宿の者はいずれも名前を呼ばない。万年筆を売るから万年屋、布哇行を口にするから布哇、といったように皆渾名を呼合っている。私は誰が呼ぶともなく書生さんと呼び慣らされた。それから、私を貢いでくれるその男は銭占屋というのだ。銭占判断といって、六文銭で吉凶禍福を占うその次第書を、駿河半紙二切り六枚綴の小本に刷って、それを町の盛場で一冊三銭に売るのだ。人寄せの口上さえうまければ相応に売れるものだそうで、毎晩夕方から例の塗柄の馬乗提灯を点けて出かけて、十時ごろには少なくとも五六十銭、多い時には一円近くも握って帰ってくる。
で、同宿のほかの徒のように、土方だとか車力だとかいうような力業でなく、骨も折れずにいい金を取って、年の若いのに一番稼人だと言われている。同宿の者はこの男一人を目の敵のようにして、何ぞというと銭を使わせようと巧む。が、銭占屋も年こそ若いけれど、世間を渡り歩いている男だ、容易にはその手に乗らない。けれど、この男の弱点は博打の好なことで、ほかの事では乗らないが、博打で誘うときっと乗る。乗ってはいつも負ける。私は見るに見かねて、
「勝負事もいいけれど、あの連中は腹を合わせて何をするかも知れやしないから、ここで遣るのは不利益ですよ。」と諫めてみるが、
「なあに、もう遣りゃしねえから。」と苦笑いをして、「ばかばかしいね。あいつらに奪られる銭で、君に小使でも上げた方がいい。もう何てって勧めやがっても手を出すめえ。」とその場では言っても、明日になるとやっぱり勧められて遣る、遣れば決って奪られる。
勝てばこそ勝負事も歇められないのだが、そうして奪られてばかりいて、何がおもしろいだろう。私は訝しくてならなかった。しかし銭占屋自身の言いぐさでは、
「博打がただおもしろいんで、負勝なんかどうだって二の次さ。」と言うのだ。
それから、同宿の夫婦者の事を嘲って、
「あいつらだってやっぱり世間師なんだが、博打一つ打つじゃなし、仲間付合すら怖がって逃げて、ああして隅角でコツコツ暇なしに遣ってるんだが、あれでやっぱり残りゃしねえ。あのとおり頭ももう禿げかかって、あの年まで木賃宿が浮ばれねえじゃ、あいつも一生まあ旅で果てねえじゃならねえようにできてるのさ。ね、どうせ旅で果てるものなら、おもしろおかしく渡る方が徳じゃねえか。同じ広い旅に出てながら、この気随気儘な世間師の味が分らねえかと思うと可哀そうだ。」
その夫婦者は万年筆を造って売り歩くのだ。万年筆といってもその実小児瞞しの玩具にすぎぬ。銅の薄く延ばしたのを長さ二寸ぐらいの管にして、先を細く窄めて、元口へ木の栓をする。その栓から糸のような黄銅の針線が管の突先までさしこんであって、管へ墨汁を入れて字なり何なり書くと、その針線の工合で墨が細く切れずに出る、というだけの物だ。頭の天辺の薄くなった亭主が、銅の延片を型へ入れて巻いている。すると、櫛巻の女房が小さい焼鏝を焼いて、管の合せ目へ、ジューとハンダを流す。小さい台を真中に夫婦さし向いで、午前半日精々としあげておいて、午後二人でそれを売りに出る。
「どうだね、万年屋さん、儲かりますかい。」
と同宿の者が辞を懸けると、
「どうしまして。いや、もう、貧乏閑なしですよ、へへへ。」と卑しい笑様をする。
「巧く言ってるぜ。付合いは嫌いだし、酒は飲まず、女には上さんで不自由しねえし、それで溜らなかったらどうかしてらあ。」と銭占屋は皮肉を言う。
「笑、笑談言って。私なんざ年ばかしいい年して、からもう意気地がねえもんだから、いくら稼いでも、やっと二人が口を糊して行くだけでげさ、へへへへ。そこへ行っちゃ兄さんなんかすばらしいもんだ、ちょいと夕方から二三時間廻ってくりゃ、腹巻にザクザクいうほど握ってくるんだから――なあ嚊、羨しい腕じゃねえか。おい、そんなにハンダを使っちゃしょうがねえ、もっと薄く、薄く……」と口小言を言いながら、為事の方に向いてしまう。
すると、ある日の事だった。ハンダの下地に塗る塩酸がなくなったから、町の薬屋へそれを買いに行った万年屋は、ものの三十分ばかりも経つと、真蒼になって帰ってきた。
「薬は?」と女房が聞くと、
「それどころじゃねえ、大変なことができた。」と言って、何やら女房とボソボソ囁いていた。
それから、女房に草鞋を買ってこさせて、早午飯を食って、身軽に支度をしてどこへか万年屋は出て行った。
その時はちょうど銭占屋も遊びに出ていたし、ほかの同宿はいずれも昼稼ぎの者で、万年屋夫婦のほかには、二階に私一人だった。私は毎日銭占屋の為事を手伝ってやっている。この時も板木へ彫ったその判断書を駿河半紙へ[#「駿河半紙へ」は底本では「駿河判紙へ」]刷っていたが、万年屋の出かけた後で、女房は独り沈みこんでしまって、何か考えては溜息を吐いていた。
「書生さん。」と不意に私を呼びかけて、「お前さんは、銀行の事を知ってなさるかね。」
藪から棒に、つかぬことを聞かれて、私もちょっと返事に迷ついた。
「銀行の事って――どういうことです。」
「支払停止とかすると、金を預けた者はどうなるんだね。」
「さあ……よく私も知らないが、整理がつくまでは、預金を払還してくれないわけなんでしょう。」
「支払停止といや、その銀行はまあ潰れたも同じことなんかね。」
「そんなことはない。支払停止というのは幾日間と日を切って、その間に整理がつきゃ、元のとおりまた営業するんだから――知った銀行でも支払停止をしたんですか。」
「え、私どもの方の銀行が支払停止をしたって、さっきね、内の人が薬屋へ行ったら、店の者が新聞を見て談してたのを聞いてきたんでさ。私どもでも少しばかし預けてあるもんだから、内の人も心配して出かけたんだが……とてももうだめかしら。」
「いったいどこです、所は?」
「何々町といって、ここから二十里もあるんだもの。」
それから、女房は私を捉えて愚痴半分にいろいろと談した。夫婦も以前は相応な百姓であったが、今から八九年前出水があって、家も田畑もすっかり流されてしまった。それからこの方二人は旅から旅へと細い商いをして廻って、少しずつ残した金を銀行へ預けているのだが、それがある高に積ると、故郷へ帰って田地を買って、また元の百姓になるつもりだとの事。
「八年も九年も懸って、それでやっと始めの見込みの半分しかまだ残らないんだもの。それが今度のようなことで、銀行が潰れた日にゃ浮む瀬はありゃしない。今までだっていい加減に飽き飽きしたもの、この上また何年も何年も、こんな――食いたい物も食わないで辛抱するようじゃ、私ゃ本当に命が縮まる。何もね、そんなにまで辛抱して、百姓にならなきゃならないわけもないじゃないかねえ。」と女房はしみじみ訴した。
私は気毒で慰めようもなかった。
その夜万年屋のいないのを、同宿の者が訝かって女房に聞いたが、ただちょっと田舎へとのみで、委しいことは言わなかった。しかし、愛相のよかった女房がすっかり沈みこんでしまって、ろくに口も利かないのを、人々は亭主がいなくなって寂しいからだろうと諢った。銭占屋も諢う。私も女房が可哀そうであったから、銭占屋だけにその訳を談して聞かせると、
「そうか、そいつあ知らなかった。万年屋め、薄い頭がなお禿げたろう、ははは。」と大笑いをして、「その口ぶりじゃ、嚊の方はもう辛抱して還る気はねえんだね。そのはずさ、七八年も世間師をしていちゃ、旅人根性は生涯抜けやしねえ、今さらとても土百姓に返られるものか。」と言った。
女房の話では、万年屋は永くも五日ぐらいの予定で行ったのだそうだが、それが六日経っても七日経っても帰ってこない。そのうちに亭主が遺いて行った銭もなくなりかけるし、女房は弱りきっていた。同宿の者もおかしがって、手紙でも出したらと勧めたが、郷里といっても定まった家があるのではなし、どこにいるのかそれすら分らぬのだ。階下でもさすがに二晩や三晩の屋根代ぐらいは猶予もするが、食う物は三度三度自分で買わねばならぬ。商売物の万年筆でも拵らえて、一人で売りに出たらと勧める者もあったが、その万年筆がやっぱり一人ではできぬのだそうだ。ほかの事は見様見真似で行くが、肝心の管を巻くのと、栓に針線を植えるのとが大事の呼吸もので、亭主の熟練でなくてはだめだとの事。
昼皆の出払った後で、同じ二階に女房と顔を合せているのは、銭占屋と私とだけだ。人の女房だからといって、まさか食わずにいるのを見捨てておくわけにも行かず、銭占屋と私といっしょに自分の食う物を分けてやっていた。
同宿の者が夜銭占屋の帰ってくるのを待設けて、例の勝負を勧めることがあっても、銭占屋は今までのように二つ返事で応じないようになった。時には手を出すことがあっても、途中で考えじき歇めてしまう。
「何だな、吝臭え。途中で舎すようなら始めっから出ねえがいい。お前この節はいやに緊り家になったな。」と貶されると、
「そんなわけじゃねえが、すっかり払いてしまっちゃ明日困るからな。」と銭占屋は腹巻をりりひっ込む。
「へ、人の嚊を張ったり樗蒲一張ったり、そうは張りきれねえやな。」
「何だと?」
「なあに、お前は深切者だってことよ。」
こんなことがおりふしあった。同宿の者は銭占屋と万年屋の女房との間を疑いだしたのだ。
もっとも、女房の為向けも疑えば疑われる。食わしてもらうその礼心でもあろうが、銭占屋の事というと忠々しく気をつけて、下帯の洗濯から布団の上げ下ろしまで世話をしてやる。そして同宿の者のいない時なぞ、私の目にもおかしく思われるほど狎々しい。男の方にはそんな気もなかろうが、女はたしかに持ちかけているのだと私も思った。
ある晩銭占屋は雨に降られて帰ってきた。すると、女房は急いで立って行って、
「濡れて大変だったろうねえ。お待ちよ、内の人の着更があるから、あれと着更えるといい、今出してあげるから。」
「えん!」と誰やら寝床の中で咳払いをした。
「けてやがらあ。」とまた一人が罵った。
銭占屋は気色を変えて、
「お上さん、お前の深切ぶりはもう舎してくんな。俺あ痛くもねえ腹探られて、気色が悪くてならねえ。」
「でも、いろいろお世話になるから、私ゃ礼心のつもりだもの。」
「それにゃ及ばねえってことさ。あっちへ行っててくんねえ。」
きっぱり言われて、女房は悄げきって自分の寝床へひっ込んだ。誰やらクツクツ笑っていた。
銭占屋は濡着物を脱いで釘にひっ掛けて、私と並んで隣へ寝た。どこかの隅でボソボソ二人の噂をしている声がする。銭占屋は独り舌打しては、いつまでも寝返りばかりしていたが、
「ええくそ! 忌々しいから――よし!」と言うと、ムックリ起きた。そして大きな声で、
「おい、皆目が覚めてるなら聞いてくんな。俺あ痛くねえ腹探ぐられてるのも忌々しい、こうなりゃくそやけだ、皆の思うとおりになってみせるから、印に一杯買おうよ。今夜の塩梅じゃどうせ明日は降りだ、夜が明けたら皆で飲んでくんな、いいか。」
「いいともいいとも、早くそう分ってでりゃ文句はねえんだ。」
「明日はそれじゃ、祝って飲むか。」
「俺あ飲むより肖かりてえ。」
「何でもいい、飲めりゃあけっこうよ。」
口々に好なことを言囃した。
翌日はビショビショ秋雨の降る肌寒い日であった。薄暗い二階は畳でも壁でも湿と湿として、その気味の悪さはない。町を売りが呼んで通った。いつもこんな日には、外稼ぎの連中は為事にも出られず、三度の飯を二度にして、転々襤褸布団に裹りながら冴えない顔をしているのだが、今日ばかりはそうでない。朝起懸けから、飲めるぜとばかりで、酒を買いに行く者、肴を拵える者、その中には万年屋の女房も交って、人一倍燥いでいる。元方の銭占屋は気のない顔をして、皆のする様を見ていた。
一同は階下の例の大餉台を取囲んで、十時ごろから飲み始めた。そうして夕方灯の点くころまで飲み続けた。私は一人二階に残って、襤褸布団に裹りながら階下の騒ぎを聞いていた。おもしろそうに唄ったり囃したりしているうちはよかったが、しまいには取組合いの喧嘩を始めた。上さんが金切声を搾って制する。私は銭占屋が対手でないかと案じて、階子の上り口からそっと覗いてみたが、その時にはもう銭占屋はその中にいなかった。女房の姿も見えなかった。
喧嘩もすんで、酔漢どもがやっと二階へ引揚げたのは夜の八時ごろ、いずれも泥のようになってすぐ寝た。銭占屋と女房とは、それから二時間ばかりも経って帰ってきたらしかったが、その時には私も夢現でよくは覚えなかった。
ところが、その翌々日の暮方万年屋はブラリと帰ってきた。私は階下で遅れて夕飯を食べていたが、万年屋はいかにも疲れきった様子で、ドッカリ上り框に腰を下ろすと、もう草鞋を解く勢もない。
「お上さん、今帰りました。」と息を切らせて、「すまねえが、嚊に降りてこいって呼んでおくんなさい。」
ちょうど為事から帰ってきた同宿の連中、夕飯を食っている者や、足を洗ってこれから食おうとする者や、四五人その周辺に居合せたが、皆黙ってにやにや笑っている。
「お前さん、ばかに手間を取ったじゃないか。四五日というのが、もうこれ、十日にもなるんだもの。」
と上さんが言う。
「どうもね、それが……とんでもねえ目に遭っちまったもんだからね、つい日間取ってしまって……」とグッタリ首を垂れる。
私はその萎れきった様子を見て、てっきり銀行の方がだめなのだと察した。
「そんなことはまあどうでも……それよりか万年屋さん、お前さんはもう家で泊らない方がいいよ。悪いことは言わないから、向うの三州屋へでもお行でな。」とつかぬことを上さんに言われて、万年屋は訝しそうに顔を挙げた。
「なぜね、私をもう泊めねえのかね。」
「そんなわけじゃないけれど……でも――ねえお前さんたち。」と上さんは周囲の者に言う。
「そうよ、その方がお前のためだ。」と誰やら言った。
こんな風で、上さんがいつまでも煮えきらぬことを言っているのを、万年屋は一図に泊めたくないのだと取ってしまった。で、さすがにむっとして、それなら泊めてもらわなくもいい、自分の留守中、嚊が寝たり食ったりした勘定の不足を奇麗にすまして、これからすぐ退払うと言った。
「別にそんな、お前さんから勘定なんか貰うのはありゃしない……からまたある道理もないやね。家は木賃だもの、誰の上さんだろうが何だろうが、一晩だって不足を黙って措きゃしないから。」
「おい、阿母。いつまでそんな廻り冗いことを言ってるんだ、聞いてても小憤れってえ。」と傍から一人がひき取って、「万年屋さん、お前がそんな心配しねえでも、上さんの勘定はその日その日にちゃんとすんでるんだとよ。」
「女に喰い逸ぐりはねえやな。お前が留守になりゃ、今度はもっと若い野郎が、上さんの食うから寝るまでいっさい世話するてえんだから、お前も安心してひき取んねえ。」とまた一人が冷かす。
万年屋の顔色は変わった。ガタガタ体が顫える。何か言おうとするが口も利かれぬらしい。
ところへ、あいにくなもので、どこへか遊びに行っていた万年屋の女房と銭占屋とが、二人とも赤い顔をしながらいい機嫌で帰ってきた。点灯ころの家の中は薄暗い、何の気づかずに土間へ入って、バッタリ万年屋と顔を合わせた女房は、ハッとして逃げようとする。と、いきなり亭主はその後髪を攫んだ。女は悲鳴を揚げる。
「何しやがるんだ!」銭占屋が横合からむんずと万年屋の利腕を抑えた。
「うぬ、うぬだな!」
「俺ならどうした。女だって活物だ、なぜその日に困らねえようにしておいてやらねえ。食わせりゃこっちが飼主よ、指でも指しやがると承知しねえぞ!」
「そうだそうだ、そんな分らねえ奴あ擲っちまえ!」と傍から嗾しかける。
二階にいた連中も皆降りてきた。多勢が寄って聚って、むりに女の髻を放させたが、それに逆ったというので、とうとう万年屋を袋叩きにしてしまった。そして誰だか二階にあった万年屋の荷物を運んできて、それといっしょに表へつき出した。
「本当にものの分らねえ鈍痴漢じゃねえか。己の気の利かねえことあ考えねえで、女を怨むッて法があるものか」というのが[#「あるものか」というのが」は底本では「あるものかというのが」]一致した衆評であった。
私は始終を見ていて異様に感じた。
女房を奪われながらも、万年屋は目と鼻の間の三州屋に宿を取っている。翌日からもう商売に出るのを見かけた者がある。山本屋の前を通る時には、怨しそうに二階を見挙げて行くそうだ。私は見慣れた千草の風呂敷包を背負って、前には女房が背負うことに決っていた白金巾の包を片手に提げて、髪毛の薄い素頭を秋の夕日に照されながら、独り町から帰ってくる姿を哀れと見た。で、女房はさすがに怖がって外へもなるべく出ないようにしている。銭占屋は気まずい顔をして、妙に考えこんでいた。
それから、二三日経ってある朝、銭占屋は飯を食いかけた半ばにふと思いついたように、希しく朝酒を飲んで、二階へ帰るとまた布団を冠って寝てしまった。女房は銭占屋の使で町まで駿河半紙を買いに行ったし、私も話対手はなし、といってすることもないから、浜へでも行ってみようと思った。すると、私のその気勢に、今までじっと睡ったように身動きもしなかった銭占屋が、
「君、どっかへ出るかね。」と頭を挙げて聞いた。
見ると、何んだか泣いてでもいたように、目の縁が赤くなっている。酒も醒めたとみえて、青い顔をしている。
「なあに、出なくってもいいんです。」
「じゃ、まあ談していておくんな。何だか心寂しくっていけねえ。」といつもにもないことを言う。
「どうかしたんですか。」と私も怪しむと、
「なあにね、いろんな事を考えこんでしまって、変な気持になったのさ。」と苦笑いをして、
「君は幾歳だったっけね。」
「十九です。」
「じゃ来年は二十だ。私なんかそのころはもう旅から旅を渡り歩いていた。君はそれで、家も双親も国にはあるんだっけね。じゃ、早く国へお帰んなせえ。こんなとこにいつまでも転々していたってしようがねえ、旅用だけの事は何とか工面してあげるから。」
あまり出抜けで、私はその意を図りかねていた。
「私もね、これでも十二三のころまでは双親ともにいたもんだが、今は双親はおろか、家も生れ故郷も何にもねえ、ほんの独法師だ、考えてみりゃ寂しいわけなんさね。家といったってどうせ荒家で、二間かそこいらの薄暗い中に、お父もお母も小穢え恰好して燻ってたに違いねえんだが……でも秋から先、ちょうど今ごろのような夜の永い晩だ、焼栗でも剥きながら、罪のねえ笑話をして夜を深かしたものだっけ、ね。あのころの事を考えてみると、何だかこう、ぼんやり前の世の事でも考えるようで、はかねえような、変ちきれんな心持になりやがってね――意気地あねえ。」と寂しげに笑った。
銭占屋はそのまま目を閉じて、じっと枕につっ伏した。木賃宿の昼は静かで、階下では上さんの声もしない。
「ああ浪の音か。」としばらくしてから顔を挙げた。「俺あまた風の音かと思った。これから何だね、ゴーッて足まで掠ってきそうな奴が吹くんだね。するとじきまた、白いのがチラチラ降るようになるんだ。旅を渡る者にゃ雪は一番御難だ。ねえ君、こうして私のように、旅から旅と果しなしに流れ渡ってて、これでどこまで行着きゃ落着くんだろう。何とやらして空飛ぶ鳥は、どこのいずこで果てるやらって唄があるが、まったく私らの身の上さね。こうやってトドの究りは、どこかの果の土になるんだ。そりゃまあいいが、旅で死んだ日にゃ犬猫も同じで、死骸も分らなけりゃ骨も残らねえ――残しておいてもしようがねえからね。すると、まるで私というものは影も形もなしに、この永え間の娑婆からずッと消えたようになくなってしまうわけだ、そう思うと厭だね、ちとあっけなさすぎる……いや、あっけねえよりか第一心細えよ。」
「じゃ、旅を歇めて、家を持ったらいいでしょう。家を持っちゃ自然と子や孫もできるし、いつまでも君というものは――死んだ後までも残るじゃないですか。」
銭占屋も今はもう独身でない、女房めいた者もできた、したがって家庭が欲しくなったのだろうと思って、私はそう言ってやった。すると、重々しく首を掉って、
「君にゃこの心持が分らねえんだ。」と腹立しそうに言ったが、その辞も私には分らなかった。
その翌朝、同宿の者が皆出払うのを待って、銭占屋は私に向って、
「ねえ君、妙な縁でこうして君と心安くしたが、私あ今日向地へ渡ろうと思うからね、これでいよいよお別れだ。お互に命がありゃまた会わねえとも限らねえから、君もまあ達者でいておくんなせえ、ついちゃここに持合せが一両と少しばかりある、そのうち五十銭だけ君にあげるから……」と言いながら、腹巻を探った。
私はあまりに不意なので肝を潰した。
「本当ですか。」
「本当とも、じつはね、こんな所にこんなに永く逗留するつもりじゃなかったんだが、君とも心安くなるし、ついこんなに永逗留をしてしまったわけさ、それでね、君に旅用だけでも遺してってあげようと思ったんだが、広くもねえ町を、あまりいつまでも荒したもんだから、人がもう寄らなくなって、昨夜なんか思った半分も商売がなかったんだ。そんなわけだからね、この五十銭で二三日のところを君がここで辛抱してりゃ、私が向地から旅用の足しぐらいは間違いなく送ってあげらあ、ね。そのつもりで、私がいなくなったってすぐよそへ行かねえで、――いいかね。」
ほかの者の辞なら知らず、私はけっしてこの男の言うことを疑わなかった。で、礼も述べたし、名残も惜しみたし、いろいろ言いたいこともあったが、傍にいた万年屋の女房がそうはさせておかなかった。
「本当かね、お前さん、あまり出抜けで、私も担がれるような気がするよ。じゃ、本当に立つとすると、今日何時だね。」
「これからすぐだ。」と銭占屋は渋い顔をして、
「さ、お前にも五十銭遺いてくよ。もっとじつは遣りてえんだが、今言うとおり商売がねえんだから、これで勘弁してくんな。」
私も傍で聞いていて諢うのだと思った。女房も始めは笑談にしていたが、銭占屋はどこまでも本気であった。
「お前さん、それじゃ私を一時の慰物にしといて、棄てるんだね。」と女房はついに泣声を立てて詰寄せた。
「慰物にしたんかしねえんか、そんなことあ考えてもみねえから自分でも分らねえ、どうともお前の方で好なように取りねえ、昨日は昨日、今日は今日よ。お前が何と言ったところで、俺てえものがここに根を据えていられるもんでもねえし、思いたったんだから、今日は何でも海を越さねえじゃならねえ。」
「私ゃどこまでもついて行く。」
「笑談言っちゃいけねえ。俺あ旅から旅と果なしに渡り歩く体だ、お前なんかにわられてたまるものか。いいじゃねえか、お前も女と生れた仕合せにゃ、誰でもまた食わしてくれらあ。それも気がなきゃ、元の万年屋がとこへ還るのさ。」
「ばかにおしでない! 今さらどの面下げて亭主のとこへ行かれるかよ。」
「まあそう言わねえでさ。俺あ何もお前と夫婦約束をしたわけでもねえし、ただ何だ、お前は食わせる人がいねえで困ってるし、俺は独者だし、の、それだけの事で、ほかにゃ綾も何にもありゃしねえんだから、お前も旅の者らしくさっぱりしてくんねえな。俺あどこまでも好自由な独者で渡りてえんだから、それを抗わることだけは、どうか勘弁してくんねえ、お願いだ。お前にしてからが、俺のような一生世間師で果てようてえ者に緊ついてくより、元の亭主の――ああいう辛抱人へ還った方が末始終のためだぜ。お前さえ還る気になりゃ、あの人あいつ何時でもひき取ってくれらあ、それだけは俺が受合う。悪いことは言わねえから、そうしねえ、よ。」
「知らない! こんな恥しい目に遭って、私ゃ人にも顔向けできない、死んでやる!」と言って、女房は泣伏してしまった。
* * *
私は銭占屋を送って、町の入江の船着場まで行った。そこから向地通いの小蒸汽に乗るのだ。そよそよと西風の吹く日で、ここからは海は見えぬが、外は少しは浪があろうと待合せの乗客が話していた。空はところどころ曇って、日がバッと照るかと思うときゅうにまた影げる。水ぎわには昼でも淡く水蒸気が見えるが、そのくせ向河岸の屋根でも壁でも濃くはっきりと目に映る。どうしてももう秋も末だ、冬空に近い。私は袷の襟を堅く合せた。
「ねえ君、二三日待ちなせえよ。きっと送るから。」と船に乗り移る間ぎわにも、銭占屋はそのことを誓った。
汽船は出た。甲板に立った銭占屋の姿がだんだん遠ざかって行くのを見送りながら、私は今朝その話の中に引いた唄の文句を思いだして、
「どこのいずこで果てるやら――まったくだ、空飛ぶ鳥だ!」とそう思った。
が、その小蒸汽の影も見えなくなって、河岸縁に一人取残された自分の頼りない姿に気がつくと、私はきゅうに何とも言えぬ寂しい哀愁を覚えた。そうしてしみじみ故郷が恋しかった。
* * *
万年屋の女房はすっかり悄げ返っていたが、銭占屋に貰った五十銭が尽きると、間もなく三州屋にいるその亭主の所へ転げこんだ。で、元の鞘に収った万年屋夫婦は、白と千草の風呂敷包を二人で背負分けてどこへか行ってしまった。
銭占屋は二三日と私に約束して行ったが、遅れて七日めに、向地から渡ってきた蝙蝠傘の張替屋に托して二円送てくれた。向地は思のほかの不景気なところから、銭占屋は今十五里も先の何やら町へ行っていて、そこから托されてきたとのことであった。
私は翌日故郷へ向けて出立した。
底本:「日本文学全集88 名作集(一)」集英社
1970(昭和45)年1月25日初版発行
入力:住吉
校正:小林繁雄
2011年5月21日作成
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