ひろやかなとおりには、ひかりあたたかそうにあたっていました。このみちめんして、両側りょうがわには、いろいろのみせならんでいました。ちょうどそのつじのところに、一けん古道具ふるどうぐをあきなっているみせがありました。そこに、各種かくしゅ道具類どうぐるいかれてあるさまは、さながら、みんなは、いままではたらいていたけれど、不用ふようになったので、しばらく骨休ほねやすみをしているというようなようすでありました。
 どんなものが、そこにあったかというのに、まずかべぎわには、いたてかけられてあり、そのしたのところに、乳母車うばぐるまいてあり、そのよこつくえがあり、そのばち・針箱はりばこびんというように、いろいろな道具類どうぐるいならべられてありました。
 しかし、いた乳母車うばぐるまつくえとが、いちばんたがいに距離きょりちかかったものだから、はなしもし、またしたしくもしていました。かれらは、このごろは仕事しごともないし、ただ空想くうそうにふけったり、むかしのことをおもしたりしているよりほかはなかったのであります。
 そのなかでも乳母車うばぐるまは、ちょうどこしがったおばあさんのように、愚痴ぐちばかりいっているのでした。
「まだ、あなたは、そのとしでもないのに、なぜそう愚痴ぐちばかりおっしゃるのですか。また、これからなかて、どんなおもしろいめをしないともかぎりますまいに……。」と、つくえはよく、乳母車うばぐるまかっていったことがあります。
 すると、あおいペンキのところどころはげちた乳母車うばぐるまは、きゅうに、元気げんきづいた調子ちょうしになって、
「ほんとうにかんがえればそうなんですよ。けれど、こうして、じっとしていますと、ついがめいりまして、しかたがないもんですから……。」と、乳母車うばぐるまこたえました。
「ああ、もうじきはるがくるよ。そうすれば、おれたちは、きっとおもしろいことがあるだろう。そうながいことでもあるまい……。」と、いたが、身柄相応みがらそうおうおおきなこえして、くちをいれました。
 今日きょうも、乳母車うばぐるまは、のあたたかそうにあたって、黄色きいろなほこりが、人間にんげんあるくげたのさきから、また荷車にぐるまのわだちのあとからこるのをていましたが、いつしか、いつものごとくうったえるような調子ちょうしで、
「わたしにも、おもしろいことも、おかしいことも、ありましたっけ。あれはどこだったろう。いい音楽おんがくこえてくる坂道さかみちを、あかぼうをのせてのぼると、そこにはさくら幾本いくほんもあって、みごとにはないていました。いてくるかぜは、なんともいえず気持きもちがよかったし、いつまでもそのしたあそんでいました。もう一あんなところへいってみたいとおもいます……。」
 乳母車うばぐるまは、かたるともつかず、ひとりで、こういって、空想くうそうにふけっていると、
乳母車うばぐるまさん、あなたが、むかしのことをなつかしがりなさるのも、無理むりはないが、だれにだって、そうしたおもというようなものはあるものです。しかしそれがどうなるもんでしょうか?」と、つくえがいいました。
 乳母車うばぐるまは、つくえのいったことは、みみにはいらず、なにかいっしんにしずんだかおをしてかんがえていました。
 このとき、突然とつぜんにも、かべりかかっているいたくちひらいたのです。
つくえくん、きみにも、なにかそんなはなやかなおもがあるのかね。きみ姿すがたたのでは、どんな虐待ぎゃくたい人間にんげんからけてきたかとおもわれるくらいだ。ぼくは、またきみこそ、過去かこ苦痛くつう連続れんぞくであって、こうしてのんきにしていられるのが、どんなにきみにとって幸福しあわせのことかしれないとおもったが、やはり、むかしこいしいとみえるのは不思議ふしぎなくらいだが……。」と、いたはいったのでした。
 つくえは、感慨深かんがいぶかそうなかおつきをして、いたのいうことにみみかたむけていました。
「そうおもわれるのは、無理むりはありません。このからだをしていては……。」といいました。
 なぜならつくえかどは、小刀こがたなかなにかで、不格好ぶかっこうけずとされてまるくされ、そして、かおには、縦横じゅうおうきずがついていたのであります。いたがその過去かこに、どんなひどいめにあわされてきたかとうたがったことに、すこしのふしぎもなかったからです。しかし、つくえはそのことについてかたりはじめました。
「もとわたしは、なかなかりっぱなつくえでした。その時分じぶん、おじょうさまは、わたしまえにすわって、うたをおつくりなされました。おじょうさまは、なつ山路やまじというだいについて、あき野原のはらという課題かだいについて、むしや、つゆについて、またあめにぬれたはななどについて、どんなにかぎりないうつくしい空想くうそうを、わたしまえみ、うたわれたかしれません。そして、あるときは故郷こきょうおもしては、かなしいやるせない、それは、わたしには、あまり微妙びみょうでいいあらわせないような、もっとも尊重そんちょうされなければならぬ感情かんじょうを、わたしにばかり、しげもなくせられたかしれません……。このことは、あなたたちには、まったく、想像そうぞうのつかないことです。」といいました。
「それだのに、なぜきみは、そんなかたわものにされたんだね。」
「まあ、いてください。おじょうさまが結婚けっこんなされたときに、わたしもいっしょに、おともをしてまいりました。どうです、わたしは、それほどのおにいりであったのでした。そのうちに、ぼっちゃんがまれました。ぼっちゃんが三つのとき、なにかのはずみにあやまって、わたしかどあたまをおちになったのです。すると、みじかいご主人しゅじんは、なにかわたしわるいことでもしたように誤解ごかいされて、前後ぜんごかんがえもなく、はらだちまぎれに、わたしすみのかどをみんな小刀こがたなけずとしてしまわれました。そのときから、わたしは、こんなかたわものになったのです。それからというもの、わたしは、なにかにつけて手荒てあらあつかわれましたが、しまいに、おおきくなったぼっちゃんのために、またこんなにかおにまできずをつけられてしまいました。しかし、それまでの、ながあいだ栄華えいが生活せいかつおもせば、わたしは、しあわせのほうで、なにも、うらむことはないのであります。」と、つくえこたえました。
 いたは、なんとおもったか、あざわらいました。
「あなたが、こんなように、かどけずとされずにいたなら、ここへは、まだおいでにならなかったでしょう……。みんな、運命うんめいというもんでしょうね。」と、乳母車うばぐるまがいいました。
「うらむ、うらまないといって、もう二きみは、栄華えいがることはあるまい。」と、いたがいいました。
「ほんとうに、あのとき、ぼっちゃんがころんであたまわたしかどちさえしなければ、こんなことにはならなかったのです。」
「わたしも、やはりそうなんです。しのときに、わたしちいさなからだでは、無理むりなほどおもい、おおきなものをかさねられましたので、そのとき、からだ具合ぐあいをいけなくしてしまったのです。もうすこし、わたしおもってくれたらとおもいますが、いまとなってはしかたがありません。また、そのうちには、いいこともないとかぎりますまいから……。」と、乳母車うばぐるまはいいました。
「そうだ。おまえさんなどは、そうおいぼれたばあさんでもないから、はるになったら、どこへかくちがないものでもない。」と、脊高せだかな、くちだけは達者たっしゃであるが、そのわりにのうのなさそうないたはいったのです。
いたさん、あなたはどうなんですか。わたしどもかられば、あなたは、しごく、のんきなようにえまが、それでも苦労くろうはありますかい。」と、つくえは、いたかって、たずねました。
「おれには、なに、苦労くろうなんかあるものか。おれみたいに、みんながのんきにらしていれば、べつに悲観ひかんすることもないのだ。せまくるしいうちなかにいるときはべつだが、いつも天気てんきのいいそとて、とお人間にんげんをながめたり、あたりの景色けしきをながめているのさ。病気びょうきをしてみたいとおもっても病気びょうきのしようがないのだ。」
「それで、退屈たいくつはなさいませんか?」と、乳母車うばぐるまがやさしいこえできいたのです。
元来がんらいおれなどは、なまものだから……なにをてもおもしろいね。とんぼのぶのをても、いぬがけんかをするのをても、子供こどもをまわしてあそぶのをても……。だから、退屈たいくつはしたことがない。」
「そうでございますか。」
「ここで、こうして、おたがいになかよくなったのですから、たとえここをてしまっても、おたがいに幸福こうふくおくりたいものですね……。」と、つくえが、いまさらかんじたらしくいいました。
「ほんとうに、そうでございます。いつまたみんなが、一つところにうことでございましょう?」
「いや、もうけっして、ちあうことはありますまい。」
 このときいたは、からからとわらいながら、
「だれに、明日あすのことがわかるもんか。しかし、わるくなったって、よくなりっこはないだろうな。なぜって、こうして、骨休ほねやすみをしているらくにこした、らくはあるまいからな。つくえくんなどは、こんどはたらきにれば、きっとおもいもののだいにでもなるだろう。そうすれば、一生いっしょうかぶがない。乳母車うばぐるまさんだって、どうせらくはありっこない。まあ、こうして、一にちでもながくいられるにこしたことがない……。」といいました。みんなは、なるほどそうかなとかんがえられたのです。
 一じつきゃくがこのみせにはいってきました。主人しゅじんは、なにかそのきゃくはなしをしていました。いたつくえ乳母車うばぐるまは、めいめいに自分じぶんわれてゆくのでないかと、むねをどきどきさしていました。それは、不安ふあんなうちにどこかあかるい希望きぼうのあるようなかんじでもありました。
 そのうちに、主人しゅじんは、一ぽうのすみのほうから、ばして、あまりおおきくないものをつかみしました。みんなは、それがなんであるかとけますと、はながねずみにわれてけていた、ふるいひな人形にんぎょうでありました。いつか、みんなは、この人形にんぎょう仲間入なかまいりをしたときに、おおいにわらったものです。その、その存在そんざいすらわすれられていたのでした。きゃくは、どういうつもりか、その人形にんぎょうってゆきました。
 みせさきが、ふたたびしずかになったとき、みんなはかお見合みあわせて、いまさら運命うんめいというものの不可思議ふかしぎかんがえさせられたのであります。
――一九二五・一二――

底本:「定本小川未明童話全集 5」講談社
   1977(昭和52)年3月10日第1刷発行
初出:「赤い鳥」
   1926(大正15)年3月
※表題は底本では、「春(はる)さきの古物店(こぶつてん)」となっています。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:雪森
2013年5月4日作成
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