萩原朔太郎
二十年の友。性格、趣味、生活、一つとして一致しないが、会へば談論風発して愉快である。それに僕といふ人間を丁寧に考へてゐて何時も新しい犀星論をしてくれるが、萩原自身からいふと室生はおれを分つてゐないといふ。どうもそれは本統らしい。萩原のことを小説に書いて叱られたこともなければ、ほめられたこともない、僕は書きすぎて一人の親友に済まぬ許してくれといふ気持でゐることがある。ところが彼の論文や感想のなかに僕らしい男が小酷くやつつけられてゐて、僕はあれは僕らしいぞといふと当り前だよといふ。そこで僕はほつとする。――僕の家のこども達は萩原のことをはぎちやんをぢさんといふ。僕のこども達に刀や鉄砲を持たせたのは萩ちやんをぢさんが初めてである。北原白秋
一年に一度くらゐしか会はないでゐても、会へばすぐらくに口説いたり笑つたり怒つてみたり出来る。そのくせ僕が大森に来てから三年になるが、一度も訪ねて来ない、僕も三年前に萩原と一緒に訪ねたきりまだ行かない、気取つてゐるので来ないのではなく、肥つてゐて出不精になるのだと思ふ。会ひにゆくと喜んでくれる。喜んでくれすぎるので行きにくい。僕もこの人にあふと嬉しい、先輩といふ城壁を僕は飛び越えて会へるからである。北原君と言つてわるい気がするが、さう呼ぶと僕は自分の生意気を愛する気持になれるからである。
百田宗治
僕は百田を永遠の中学生と言つて笑はれたが、勉強家で親切な男、若々しくて気がつく、そのくせ彼は必ず対手の所論をそのまま聞いてくれない、不意に反対する、反対しさうもないところに反対する男である。僕の五倍くらゐ新文学に理論を持つてゐる、だから百田のまはりには伊藤整や春山行夫や乾直恵や阪本越郎などといふ新作家が集まつてゐる。だから衣巻省三はいふのである。「百田さんは同人雑誌の名付親のやうなところがありますね」佐藤惣之助
酒友にして詩友、一点の曇りもないやうであるが、あれで逞しさうに見えるが淋しいところのある人。言葉が豊富で複雑で才分はわかわかしい、随筆は天下一品。