あらすじ
本多静六の「森林と樹木と動物」は、森林の効用、樹木の種類、そして日本の森林植物帯について解説する自然科学エッセイです。森林が洪水や水源涵養、さらには雪崩や海嘯の防止に役立つこと、そして樹木が葉の形や大きさ、色などによって分類されることを詳しく解説します。また、日本の森林植物帯を熱帯林、暖帯林、温帯林、寒帯林の4つに分け、それぞれの帯の特徴的な樹木や植物を丁寧に紹介していきます。自然と人間の密接な関係、そして森林の大切さを改めて認識させてくれる作品です。
(イ)洪水(こうずい)の豫防(よぼう)。
 森林(しんりん)とは山(やま)や丘(をか)の一面(いちめん)に、こんもり木(き)が生(は)え茂(しげ)つて、大(おほ)きな深(ふか)い林(はやし)となつてゐる状態(じようたい)をいふのです。われ/\の遠(とほ)い/\最初(さいしよ)の祖先(そせん)が、はじめてこの地球上(ちきゆうじよう)に現(あらは)れたころには、森林(しんりん)は、そのまゝ人間(にんげん)の住(す)みかでもあり、また食(た)べ物(もの)の出(で)どころでもありました。たゞ今(いま)でも馬來半島(まれいはんとう)のある野蠻人種(やばんじんしゆ)は、木(き)の枝(えだ)の上(うへ)に家(いへ)を作(つく)つて住(す)んでゐますが、これなどは、今(いま)言(い)つたように、人間(にんげん)がぢかに森林(しんりん)の中(なか)にゐた習慣(しゆうかん)が殘(のこ)り傳(つた)はつた面白(おもしろ)い一例(いちれい)です。ともかく大昔(おほむかし)の人間(にんげん)は、森林(しんりん)に住(す)んで、草(くさ)や、木(き)の實(み)や、野獸(やじゆう)や、河(かは)の魚(さかな)などをとつて、生(なま)のまゝで食(た)べてゐたもので、ちょうど今日(こんにち)の山猿(やまざる)のような生活(せいかつ)をしてゐたのです。
 それが、だん/\と人口(じんこう)がふえ、みんなの智慧(ちえ)も開(ひら)けて來(く)るに從(したが)つて、やうやく火(ひ)といふものを使(つか)ふことを知(し)り、食(た)べ物(もの)も※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)(に)たり燒(や)いたりして食(た)べるようになり、また寒(さむ)いときには木(き)を燃(もや)してあたゝまることをおぼえたのです。つまり薪(まき)や炭(すみ)の材料(ざいりよう)として森林(しんりん)を利用(りよう)するようになつたわけです。それに、また一方(いつぽう)では人口(じんこう)の増加(ぞうか)につれてこれまで食料(しよくりよう)にしてゐた草(くさ)や木(き)の實(み)もだん/\足(た)りなくなり、それを補(おぎな)ふために畑(はたけ)をこしらへて、農作(のうさく)をする必要(ひつよう)がおこるし、同時(どうじ)にまた野獸(やじゆう)も、しだいに少(すくな)くなつて來(き)たので、牧畜(ぼくちく)といふことをしなければたちいかなくなりました。その農作地(のうさくち)と牧場(まきば)とを作(つく)るためには森林(しんりん)の一部分(いちぶぶん)を燒(や)き拂(はら)ひ燒(や)き拂(はら)ひしました。ですから彼等(かれら)のゐる村落附近(そんらくふきん)の山林(さんりん)は、後(のち)にはだん/\に狹(せま)く、まばらになつて來(き)て、つひには薪(まき)の材料(ざいりよう)にも不足(ふそく)するようになりました。
 なほ人智(じんち)がいよ/\發達(はつたつ)し人口(じんこう)がどん/\増(ま)すにつれて、最後(さいご)には奧山(おくやま)の木(き)までも伐(き)つて家屋(かおく)、橋梁(きようりよう)、器具(きぐ)、機械(きかい)、汽車(きしや)、電車(でんしや)、鐵道(てつどう)の枕木(まくらぎ)、電信(でんしん)、電話(でんわ)の[#「電話の」は底本では「電信の」]柱(はしら)といふように、建築土木(けんちくどぼく)の用材(ようざい)にも使(つか)ふようになりました。それから、大(おほ)きな木材(もくざい)から細(こま)かな纎維(せんい)をとつて紙(かみ)をこしらへたり、その他(ほか)にも使(つか)ふようにもなり、最近(さいきん)では人造絹絲(じんぞうけんし)の原料(げんりよう)にも澤山(たくさん)の木材(もくざい)を使(つか)つてゐます。こんな風(ふう)に薪炭用(しんたんよう)、建築土木用(けんちくどぼくよう)、木纎維用等(もくせんいようなど)のために森林(しんりん)はどん/\伐(き)り倒(たふ)され、深(ふか)い山(やま)、ふかい谷底(たにぞこ)の森林(しんりん)までがだん/\に荒(あら)されるようになりました。かうなると大雨(おほあめ)が降(ふ)るたびに、山(やま)の土(つち)や砂(すな)はどん/\流(なが)れおち、またおそろしい洪水(こうずい)がおこるようになりました。
 日本(につぽん)では明治維新(めいじいしん)の後(のち)、森林(しんりん)をむやみに伐(き)つた結果(けつか)、方々(ほう/″\)で洪水(こうずい)に犯(をか)され、明治二十九年度(めいじにじゆうくねんど)には二萬九百八十一町村(にまんくひやくはちじゆういつちようそん)といふものが水(みづ)につかり、一千二百五十人(いつせんにひやくごじゆうにん)の死人(しにん)と二千四百五十人(にせんしひやくごじゆうにん)の負傷者(ふしようしや)を出(だ)した外(ほか)に、船(ふね)の流失(りゆうしつ)三千六百八十隻(さんぜんろつぴやくはちじつせき)、家(いへ)の流(なが)れたり、こはれたりしたのが七十二萬九千六百餘棟(しちじゆうにまんくせんろつぴやくよむね)、田畑(たはた)の荒(あら)されたこと七十八萬五千餘町(しちじゆうはちまんごせんよちよう)に上(のぼ)り、そのほか道路(どうろ)の破損(はそん)、橋(はし)の流(なが)れおちたもの等(など)を加(くは)へて、總損失(そうそんしつ)一億一千三百餘萬圓(いちおくいつせんさんびやくよまんえん)、その復舊費(ふつきゆうひ)二千四百餘萬圓(にせんしひやくよまんえん)を入(い)れると合計(ごうけい)一億三千七百餘萬圓(いちおくさんぜんしちひやくよまんえん)といふ計算(けいさん)でした。つまりその年(とし)、日本(につぽん)が外國(がいこく)へ輸出(ゆしゆつ)した總額(そうがく)の一億一千七百萬圓(いちおくいつせんしちひやくまんえん)よりもまだ遙(はるか)に多(おほ)くの金額(きんがく)だつたので、人々(ひと/″\)はみんな洪水(こうずい)の大慘害(だいさんがい)には震(ふる)へ上(あが)つたものです。
 かうした恐(おそ)ろしい洪水(こうずい)はどうして起(おこ)るのかといへば、それはむろん一時(いちじ)に多量(たりよう)の雨(あめ)が降(ふ)つたからですが、その雨(あめ)が洪水(こうずい)になるといふそのもとは、つまり河(かは)の水源地方(すいげんちほう)の森林(しんりん)が荒(あら)されたために、雨水(うすい)を止(とゞ)めためておく餘裕(よゆう)がなくなり、降(ふ)つただけの雨水(うすい)が一(いち)どに流(なが)れ下(くだ)つて、山(やま)にある土(つち)や砂(すな)を河底(かはぞこ)に流(なが)し埋(うづ)めるために、水(みづ)の流(なが)れかたが急(きゆう)に變(かは)つて、あふれひろがるからです。
 よく茂(しげ)つてゐる森林(しんりん)では、降(ふ)つた雨(あめ)の四分(しぶん)の一(いち)は枝(えだ)や葉(は)の上(うへ)にたまつて後(のち)にだん/\と蒸發(じようはつ)します。そして殘(のこ)つた四分(しぶん)の三(さん)の雨(あめ)が葉(は)から枝(えだ)、枝(えだ)から幹(みき)へ流(なが)れて、徐々(じよ/\)に地面(じめん)に落(お)ち、そこにある落(お)ち葉(ば)に吸(す)ひ取(と)られるのです。實際(じつさい)の試驗(しけん)によると松(まつ)の落(お)ち葉(ば)は、その目方(めかた)の五倍分(ごばいぶん)の水(みづ)をたゝえ、たもつことが出來(でき)ます。ですから、一貫目(いつかんめ)だけの分量(ぶんりよう)の松(まつ)の落(お)ち葉(ば)は、五貫目(ごかんめ)の水(みづ)を含(ふく)むことになります。なほ松(まつ)より外(ほか)のいろ/\な雜木(ぞうき)、苔類(こけるい)は七倍(しちばい)も十倍(じゆうばい)もの雨水(うすい)を含(ふく)みためることが出來(でき)ますから、森林(しんりん)ではかなりの大雨(おほあめ)があつても一時(いちじ)に洪水(こうずい)を出(だ)すことはなく、雨水(うすい)は數日(すうじつ)かゝつてそろ/\流(なが)れ出(だ)し、また地中(ちちゆう)にも多(おほ)くしみこみます。だから山(やま)に森林(しんりん)が茂(しげ)つてさへゐれば、決(けつ)して洪水(こうずい)の出(で)る心配(しんぱい)はないのです。

(ロ)水源(すいげん)の涵養(かんよう)。
 森林(しんりん)はかように雨量(うりよう)を調節(ちようせつ)することが出來(でき)ると同時(どうじ)に一方(いつぽう)では水源(すいげん)の養(やしな)ひとなり、河水(かすい)の涸(か)れるのを防(ふせ)ぎます。くはしくいふと森林(しんりん)の中(なか)は比較的(ひかくてき)濕氣(しつき)が多(おほ)く、温度(おんど)も低(ひく)く、木(き)が茂(しげ)つてゐますから、水分(すいぶん)の蒸發(じようはつ)することも少(すくな)い。またさきほどお話(はなし)したように、落(お)ち葉(ば)や、苔類(こけるい)が水(みづ)を多(おほ)く含(ふく)み、したがつて、地中(ちちゆう)にも多量(たりよう)の水分(すいぶん)をしみこませますから、たとひ旱天(かんてん)が久(ひさ)しく續(つゞ)いても森林(しんりん)はその保(たも)つてゐる水分(すいぶん)を徐々(じよ/\)に流(なが)し出(だ)し、河水(かすい)が涸(か)れないことになるのです。
 かういふわけで、森林(しんりん)は洪水(こうずい)の害(がい)を防(ふせ)ぎ、河(かは)の水(みづ)を不斷(ふだん)に絶(た)えず流(なが)し、水田(すいでん)をもからさないといふ點(てん)で、土地(とち)を安全(あんぜん)に保(たも)つてくれる效用(こうよう)があることがわかつて來(き)たので、以來(いらい)はじめて森林(しんりん)を保護(ほご)して育(そだ)てるようになり、なほ國土(こくど)の保安(ほあん)のために森林(しんりん)の一部(いちぶ)を『保安林(ほあんりん)』といふものにして、永久(えいきゆう)に伐(き)らないで置(お)くようにもなつたのです。
「温根湯の國有林」のキャプション付きの図
温根湯の[#「温根湯の」は底本では「温根場の」]國有林

 その保安林(ほあんりん)だけでは、そこから流(なが)れ出(だ)す河川(かせん)の流域一帶(りゆういきいつたい)の人々(ひと/″\)が利益(りえき)をうけるといふのみで、これだけではまだ完全(かんぜん)に一國民全體(いつこくみんぜんたい)が森林(しんりん)を利用(りよう)してゐるとはいへませんでしたが、ついで現(あらは)れて來(き)た水力電氣(すいりよくでんき)そのものはすべてこの都市(とし)村落(そんらく)の燈火(あかり)や、いろ/\の動力(どうりよく)にも利用(りよう)せられ、電車(でんしや)、電信(でんしん)、電話(でんわ)、電燈(でんとう)、工業用機械動力(こうぎようようきかいどうりよく)をはじめ、朝夕(あさゆふ)の※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)炊(にた)き、すとうぶや按摩(あんま)、行火(あんか)の代(かは)りにまでも用(もち)ひられるようになり、今日(こんにち)では人間(にんげん)の生活上(せいかつじよう)電氣(でんき)は寸時(すんじ)も缺(か)くことの出來(でき)ない必要(ひつよう)なものとなりました。その水力電氣(すいりよくでんき)の水源(すいげん)は森林(しんりん)によつて、はじめて完全(かんぜん)に養(やしな)ふことが出來(でき)るのです。それで、今(いま)では特(とく)に山岳地方(さんがくちほう)の森林(しんりん)は、一(いち)ばんにはこの意味(いみ)の水源(すいげん)を養(やしな)ふのに利用(りよう)され、建築土木用(けんちくどぼくよう)の木材(もくざい)や、薪炭材料等(しんたんざいりようなど)をとるのは第二(だいに)とされるようになりました。
(ハ)精神(せいしん)の保養(ほよう)。
 しかし、ずっと最近(さいきん)では、森林(しんりん)の利用(りよう)を、もっとすゝめて、直接(ちよくせつ)に人々(ひとびと)の健康(けんこう)のために應用(おうよう)することを考(かんが)へつきました。大部分(だいぶぶん)の人(ひと)が生活(せいかつ)してゐる都會(とかい)は、狹(せま)い土地(とち)に大勢(おほぜい)の人(ひと)が住(す)み、石炭(せきたん)の煤煙(ばいえん)や、その他(ほか)の塵埃(じんあい)でもって空氣(くうき)がおそろしく濁(にご)つてをり、また各種(かくしゆ)の交通機關(こうつうきかん)が發達(はつたつ)して晝夜(ちゆうや)の分(わか)ちなく、がた/\と騷々(そう/″\)しいので、都會(とかい)に住(す)む人(ひと)は、體(からだ)が弱(よわ)くなつたり病氣(びようき)をしたりします。それで時々(とき/″\)は自然(しぜん)の森林(しんりん)に遊(あそ)んで、すがすがしい空氣(くうき)を吸(す)ひ、精神(せいしん)を保養(ほよう)する必要(ひつよう)があります。都會(とかい)には大小(だいしよう)の公園(こうえん)も設(まう)けられてゐますが、そんなものは完全(かんぜん)な安靜場所(あんせいばしよ)といへません。どうしても町(まち)を遠(とほ)く離(はな)れた美(うつく)しい自然(しぜん)の森林(しんりん)へ出(で)かけるに越(こ)したことはないのです。この意味(いみ)で近來(きんらい)、休(やす)みを利用(りよう)して各地(かくち)で開(ひら)いてゐる林間野營(りんかんやえい)や、それから山岳旅行(さんがくりよこう)などはまことに結構(けつこう)なことです。お互(たがひ)に身體(しんたい)が丈夫(じようぶ)でなければ何事(なにごと)も出來(でき)ませんから、新(あたら)しい空氣(くうき)の呼吸(こきゆう)と、十分(じゆうぶん)な日光浴(につこうよく)と、運動(うんどう)とによつて食物(しよくもつ)をうまく食(た)べることが一番(いちばん)大切(たいせつ)です。これがために運動(うんどう)や、競技(きようぎ)や、登山(とざん)など家(いへ)の外(そと)で生活(せいかつ)することがはやり、ひいては森林(しんりん)を世人(せじん)の休養(きゆうよう)、保健(ほけん)のため利用(りよう)すること、つまり森林(しんりん)を公園(こうえん)として利用(りよう)することが盛(さか)んになつたわけです。
 以上(いじよう)で森林(しんりん)と人(ひと)との密接(みつせつ)な關係(かんけい)、人間(にんげん)が昔(むかし)から森林(しんりん)をいろ/\に利用(りよう)して來(き)てゐるお話(はなし)をしました。この外(ほか)にも森林(しんりん)は人間(にんげん)の生活(せいかつ)にいろ/\の役立(やくだ)ちをしてゐます。
(ニ)氣候(きこう)の調節(ちようせつ)。
 山(やま)に木(き)が茂(しげ)つてゐれば、氣候(きこう)の調節(ちようせつ)をはかることが出來(でき)ます。森林(しんりん)でおほはれてゐる土地(とち)は、日光(につこう)は枝葉(えだは)で遮(さへ)ぎられて、地面(じめん)を温(あたゝ)めることが少(すくな)いのと、もう一(ひと)つは、日光(につこう)が直射(ちよくしや)によつて葉(は)の面(めん)の水分(すいぶん)が蒸發(じようはつ)するときに、多量(たりよう)の潜熱(せんねつ)を必要(ひつよう)とします。潜※(せんねつ)[#「執/れんが」、U+24360、199-9]といふのは物體(ぶつたい)が融解(ゆうかい)したり、また蒸發(じようはつ)するときに要(よう)する※量(ねつりよう)[#「執/れんが」、U+24360、199-9]です。そんなわけで森林(しんりん)の附近(ふきん)の空氣(くうき)はいつも冷(ひ)えてゐます。ちょうど夏(なつ)の暑(あつ)い日(ひ)に、庭前(ていぜん)に水(みづ)をまけばにわかに涼(すゞ)しさが感(かん)ぜられるのと同(おな)じりくつです。しかし、夜(よる)になると森林(しんりん)は、枝葉(えだは)で土地(とち)をおほつてゐますから、その地面(じめん)と空氣(くうき)と、※(ねつ)[#「執/れんが」、U+24360、199-12]を放散(ほうさん)するのを妨(さまた)げるので、そこの空氣(くうき)は冷(ひ)え方(かた)が少(すくな)いことになります。
 かうして林(はやし)の中(なか)の空氣(くうき)は、常(つね)に林(はやし)の外(そと)と比(くら)べて、晝間(ちゆうかん)は涼(すゞ)しく、夜間(やかん)は温(あたゝ)かで、從(したが)つて晝(ひる)と夜(よる)とで氣温(きおん)が急(きゆう)に變(かは)ることを和(やは)らげます。そして同(おな)じわけで、夏(なつ)を涼(すゞ)しく、冬(ふゆ)を暖(あたゝ)かくして、一年中(いちねんじゆう)の温度(おんど)の變化(へんか)を調節(ちようせつ)します。
(ホ)雪(ゆき)なだれと海嘯(つなみ)の防止(ぼうし)。
 それから前(まへ)にお話(はなし)した洪水(こうずい)の豫防(よぼう)や、水源(すいげん)の涵養(かんよう)のほかに森林(しんりん)は雪國(ゆきぐに)ですと『雪(ゆき)なだれ』の害(がい)を防(ふせ)ぐことも出來(でき)ます。雪(ゆき)なだれとは、傾斜地(けいしやち)に積(つも)つた雪(ゆき)が、春(はる)暖(あたゝ)かくなつたために、下側(したがは)の地面(じめん)に氷結(ひようけつ)した部分(ぶぶん)が急(きゆう)に溶(と)けるのでもつて、急(きゆう)に滑(すべ)り落(お)ちるもので、そのために山麓(さんろく)の人畜(じんちく)、農地(のうち)、道路等(どうろなど)を破損(はそん)し、土砂(どしや)、岩石等(がんせきなど)を落(おと)して、恐(おそ)ろしい害(がい)を與(あた)へることがあります。これも森林(しんりん)があれば雪(ゆき)が急(きゆう)に溶(と)けませんし、たとひ、おちた雪(ゆき)も樹幹(じゆかん)で支(さゝ)へられるので、なだれがおきないですむのです。
 また森林(しんりん)が海岸(かいがん)にあれば、天災中(てんさいちゆう)の、恐(おそ)ろしい『海嘯(つなみ)』の害(がい)も少(すくな)くなります。かの明治二十九年(めいじにじゆうくねん)の三陸地方(さんりくちほう)の海嘯(つなみ)の被害區域(ひがいくいき)は長(なが)さ百五十(ひやくごじゆう)まいるにわたり、死者(ししや)二萬二千人(にまんにせんにん)、重傷者(じゆうしようしや)四千四百人(しせんしひやくにん)、家(いへ)や、船(ふね)の流(なが)されたもの、農地(のうち)の損失(そんしつ)などで損害(そんがい)總額(そうがく)は數千萬圓(すうせんまんえん)に上(のぼ)りました。こんな海嘯(つなみ)などは、到底(とうてい)人間(にんげん)の力(ちから)で防(ふせ)ぎ止(と)めることは出來(でき)ませんが、しかし、もし海岸(かいがん)に浴(そ)うて[#「浴うて」はママ]帶(おび)のように森林(しんりん)があれば、非常(ひじよう)な速力(そくりよく)でおし寄(よ)せてくる潮水(しほみづ)の勢(いきほひ)を殺(そ)ぎ、從(したが)つて慘害(さんがい)も少(すくな)くなる道理(どうり)です。
 かういふ風(ふう)に、森林(しんりん)の效用(こうよう)を上(あ)げれば限(かぎ)りもありません。ところで日本(につぽん)にはかういふ大切(たいせつ)な森林(しんりん)がどのくらゐあるのかといひますと、日本中(につぽんじゆう)の森林面積(しんりんめんせき)は總計(そうけい)四千三百九十二萬町(しせんさんびやくくじゆうにまんちよう)で、實(じつ)に日本(につぽん)の土地(とち)の總面積(そうめんせき)の六割四分(ろくわりしぶ)をしめてゐます。これを國民(こくみん)の頭割(あたまわ)りにして見(み)ますと、一人(いちにん)につき平均(へいきん)五反五畝五歩(ごたんごせごぶ)に當(あた)ります。即(すなはち)、皆樣(みなさま)が五反五畝五歩(ごたんごせごぶ)の森林(しんりん)の中(なか)に一人(ひとり)づゝ住(す)める勘定(かんじよう)です。
 もと/\山(やま)には、高(たか)い山(やま)、低(ひく)い山(やま)、滑(なめら)かな山(やま)、嶮(けは)しい山(やま)とさま/″\ありますが、日本(につぽん)でも、どれにも、はじめは、自然(しぜん)に木(き)が茂(しげ)つてゐたのです。もっとも、富士山(ふじさん)や日本(につぽん)アルプス以下(いか)、すべての高山(こうざん)の頂(いたゞ)き近(ちか)くには、寒(さむ)さが強(つよ)くて樹木(じゆもく)が育(そだ)ちません。このことは後(のち)にくはしくお話(はなし)します。しかし普通(ふつう)の山(やま)では木(き)の育(そだ)つてゐないところはなかつたのです。それが前(まへ)に言(い)つたように人間(にんげん)が多(おほ)くなるにつれて木材(もくざい)がいよ/\多(おほ)く必要(ひつよう)となり、どんどん伐(き)るため、村落(そんらく)に近(ちか)い山(やま)の木(き)はもとより、高(たか)い山(やま)にも青々(あを/\)としてゐた木(き)が無(な)くなつて赤(あか)い山(やま)の地(じ)はだを見(み)せるようになつたのです。こんな赤(あか)はげ山(やま)は、山(やま)としては決(けつ)して立派(りつぱ)なものとはいへません。人間(にんげん)でいへば體(からだ)ばかり大(おほ)きくて徳(とく)も智慧(ちえ)もないとすれば、人(ひと)としててんで品位(ひんい)がないのと同(おな)じです。たとひ低(ひく)い山(やま)でも木(き)がよく茂(しげ)つてゐれば、山(やま)のねうちがあつて、限(かぎ)りない效用(こうよう)をもちます。
 つまり山(やま)は高(たか)いばかりが貴(たつと)いのではなく、木(き)が茂(しげ)つてゐるので本當(ほんとう)に貴(たつと)いのです。そのためには、いふまでもなく、お互(たがひ)に十分(じゆうぶん)に山(やま)を愛(あい)して、むやみに木(き)を伐(き)らないようにし、もし伐(き)れば、その跡(あと)に代(かは)りの木(き)を植(う)ゑて仕(し)たてることを忘(わす)れてはなりません。
 以上(いじよう)のわけで一國(いつこく)の山(やま)全部(ぜんぶ)が青々(あを/\)としてゐる間(あひだ)はその國(くに)は盛(さか)んになるのですが、反對(はんたい)に、いくら、必要(ひつよう)だからと言(い)つて、やたらに樹木(じゆもく)を伐(き)るばかりで、荒(あら)しつくしてしまへば、その國(くに)は滅(ほろ)びることにもなります。なほ伐木(ばつぼく)についで用心(ようじん)しなければならないのは恐(おそ)ろしい山火事(やまかじ)です。生(なま)の立(た)ち木(き)はちよっと燃(も)えにくいようにおもへますが、一度(いちど)火勢(かせい)がつけば、こんもりと茂(しげ)つた美(うつく)しい森林(しんりん)もまたゝくまに灰(はひ)になつてしまふのです。春(はる)から夏(なつ)にかけて山(やま)の雪(ゆき)が消(き)えた頃(ころ)が、この山火事(やまかじ)の一番(いちばん)多(おほ)い時(とき)で、煙草(たばこ)の吸(す)ひ殼(がら)や、たき火(び)をした人(ひと)のちよっとした不注意(ふちゆうい)で、百年(ひやくねん)かゝつて出來上(できあが)つた森林(しんりん)も數時間(すうじかん)もたゝない間(あひだ)に、すっかり燒(や)けてしまふわけです。だから山登(やまのぼ)りをする人(ひと)は特(とく)に火(ひ)の用心(ようじん)をすることが大事(だいじ)です。
 ついでですが、みなさんは木(き)ばかりでなく、そこいらの町(まち)の中(なか)にある樹木(じゆもく)も大切(たいせつ)にして枝(えだ)を折(を)つたりしないようにして下(くだ)さらなければいけません。春(はる)、美(うつく)しい花(はな)が咲(さ)くのが見(み)たく、夏(なつ)の暑(あつ)いときに涼(すゞ)しい木蔭(こかげ)が欲(ほ)しい以上(いじよう)は、庭(には)の木(き)でも、町(まち)のなみ木(き)でも、同(おな)じように可愛(かわい)がつてやらねばなりません。こないだの關東(かんとう)の大震災(だいしんさい)のときには、淺草(あさくさ)の觀音(かんのん)のお堂(どう)の裏(うら)のいてふの木(き)は片側(かたがは)半分(はんぶん)は火(ひ)に燒(や)けても、他(た)の半分(はんぶん)の枝葉(えだは)のために火(ひ)がお堂(どう)に燃(も)えうつるのを防(ふせ)ぎました。ひとりいてふに限(かぎ)らず、しひのきやかしのき等(など)、家(いへ)のまはりや公園(こうえん)の垣根沿(かきねぞ)ひに植(う)ゑてある木(き)は、平常(へいじよう)は木蔭(こかげ)や風(かぜ)よけになるばかりでなく、火事(かじ)の時(とき)には防火樹(ぼうかじゆ)として非常(ひじよう)に役(やく)に立(た)ち家(いへ)も燒(や)かずに濟(す)み、時(とき)には人(ひと)の命(いのち)すら救(すく)はれることがあることも忘(わす)れてはなりません。
 こんなに樹木(じゆもく)でもお互(たがひ)にとつていろ/\な役(やく)に立(た)つことをお知(し)りになつたら、みなさんも道(みち)ばたに遊(あそ)んでる子供(こども)がなみ木(き)の皮(かは)を剥(む)いたり、枝(えだ)を打(う)つたりしてゐるのを見(み)られたらすぐに言(い)ひ聞(き)かせて、とめて下(くだ)さらなければこまります。それはとりもなほさず樹木(じゆもく)を愛(あい)し、引(ひ)いては山(やま)をも愛(あい)することになつて、國家(こつか)の安榮(あんえい)をつくることになるからです。


 今(いま)から一千八百年(いつせんはつぴやくねん)ばかり昔(むかし)、筑紫(つくし)(今(いま)の九州(きゆうしゆう))に扶桑木(ふそうぼく)と言(い)つて、世(よ)の中(なか)に稀(まれ)な大木(たいぼく)がありました。その高(たか)さは九千七百尺餘(きゆうせんしちひやくしやくよ)だつたといひますから、富士山(ふじさん)の七合目(しちごうめ)のちよっと下(した)までのび上(あが)る勘定(かんじよう)です。そのくらゐですから枝(えだ)や葉(は)もおそろしく繁(しげ)りひろがつてゐて朝(あさ)は杵島岳(きしまだけ)を隱(かく)し、夕方(ゆふがた)は阿蘇山(あそさん)を覆(おほ)つて、あたりは晝(ひる)も、ほの暗(ぐら)く、九州(きゆうしゆう)の半分程(はんぶんほど)は日蔭(ひかげ)となり、百姓(ひやくしよう)が困(こま)り拔(ぬ)いてゐたといひますが、幸(さいはひ)にも後(あと)でつひにその大木(たいぼく)は倒(たふ)れてしまひました。十二代(じゆうにだい)景行天皇(けいこうてんのう)が、筑紫(つくし)の高田(たかだ)の行宮(あんぐう)に行幸(ぎようこう)されたときには、長(なが)さ九千七百尺(きゆうせんしちひやくしやく)のその丸太(まるた)が、橋(はし)になつて懸(かゝ)つてゐました。そこで天皇(てんのう)は大勢(おほぜい)の家來(けらい)たちをおつれになりその長(なが)い/\丸木橋(まるきばし)の上(うへ)をお渡(わた)りになつたといふことが、日本書紀(につぽんしよき)といふ本(ほん)に出(で)てゐます。また一説(いつせつ)には、その丸木橋(まるきばし)は今(いま)の熊本(くまもと)あたりから、有明(ありあけ)の海(うみ)を渡(わた)つて肥前國(ひぜんのくに)温泉岳(うんぜんだけ)までかゝつてゐたとも言(い)ひます。おそろしい大(おほ)きな木(き)ではありませんか。
 しかし、これはたゞ傳説(でんせつ)ですから、あてにはなりませんが、これからお話(はなし)するのは、普通(ふつう)どこにもあり、みなさんがいつでも實際(じつさい)に御覽(ごらん)になれる樹木(じゆもく)のお話(はなし)です。お互(たがひ)に注意(ちゆうい)したいこと、また、いつもは、だれも氣(き)のつかぬようなことを、話(はな)しておきませう。
 たゞ樹木(じゆもく)といつても松(まつ)や杉(すぎ)のような大(おほ)きくなる木(き)もあり、つゝじやぼけのように、高(たか)く伸(の)びないで、枝(えだ)が低(ひく)くわかれ、小(ちひ)さい機状(きじよう)になるものもあります。この松(まつ)や杉(すぎ)のように丈(たけ)の高(たか)くなり、形(かたち)も大(おほ)きくなる樹木(じゆもく)を『喬木(きようぼく)』といひ、つゝじやぼけのように形(かたち)も小(ちひ)さく、機状(きじよう)に茂(しげ)る木(き)を『灌木(かんぼく)』と呼(よ)びます。この二(ふた)つの種類(しゆるい)はみなさまのおうちの庭(には)でも、公園(こうえん)や、山(やま)や、どこへ行(い)つても見(み)られます。次(つ)ぎには樹木(じゆもく)は葉(は)の形(かたち)によつても區別(くべつ)されます。
 すべての樹木(じゆもく)はそれ/″\葉(は)の形(かたち)がちがつてゐますが、それを大(おほ)きく二(ふた)つに分(わ)けることが出來(でき)ます。一(ひと)つはあをぎりの木(き)の葉(は)のように、擴(ひろ)がつた大(おほ)きな形(かたち)のもので、これを『濶葉樹(かつようじゆ)』とよび、もう一(ひと)つは松(まつ)の葉(は)のように針(はり)の形(かたち)をした葉(は)を持(も)つた木(き)でこれを『針葉樹(しんようじゆ)』とよびます。普通(ふつう)みなさんのお目(め)にふれる木(き)で言(い)ひますと、
(イ)針葉樹(しんようじゆ)に屬(ぞく)するものは、あかまつ、くろまつ、もみ、つが、すぎ、ひのき、かや等(など)。
(ロ)濶葉樹(かつようじゆ)に屬(ぞく)するものは、さくら、もみぢ、やなぎ、あをぎり、くり、かし、しひ、くす等(など)
です。
 然(しか)し同(おな)じ針葉樹(しんようじゆ)の中(なか)にもまつとひのきの葉(は)は大變(たいへん)違(ちが)つてゐますし、濶葉樹(かつようじゆ)の中(なか)にもあをぎりのような廣(ひろ)く大(おほ)きい葉(は)、もみぢの葉(は)のように掌状(しようじよう)に分(わ)かれた葉(は)、やなぎのように細長(ほそなが)い葉(は)があります。それから木(き)の葉(は)は松(まつ)の葉(は)のように一年中(いちねんじゆう)かはらず青々(あを/\)と茂(しげ)つてゐるのがあるかと思(おも)ふと、櫻(さくら)のように春(はる)から夏(なつ)にかけては青(あを)く茂(しげ)つてゐるが、秋(あき)の涼(すゞ)しい風(かぜ)が吹(ふ)きはじめると、だん/\緑(みどり)の色(いろ)が黄色(きいろ)に變(かは)り、やがて冬(ふゆ)の寒(さむ)い風(かぜ)の吹(ふ)く頃(ころ)はさら/\と落(お)ち散(ち)るものもあります。かく松(まつ)やしひの[#「しひの」はママ]木(き)、かしの木(き)等(など)の葉(は)のように冬(ふゆ)の間(あひだ)でも枯(か)れ枝(えだ)のようにならず一年中(いちねんじゆう)青々(あを/\)した葉(は)を持(も)つてゐる木(き)を『常緑樹(じようりよくじゆ)』といひ、もみぢやさくらの木(き)のように毎年(まいねん)春(はる)になると芽(め)を吹(ふ)き、冬(ふゆ)には枯(か)れたように枝(えだ)から葉(は)を落(おと)す木(き)を『落葉樹(らくようじゆ)』とよびます。なほ針葉樹(しんようじゆ)であつて常緑(じようりよく)な木(き)(まつ、すぎ等(など))を『常緑針葉樹(じようりよくしんようじゆ)』といひ、代濶葉樹(かかつようじゆ)で[#「代濶葉樹(かかつようじゆ)で」はママ]あつて常緑(じようりよく)な木(き)(かし、くす等(とう))を『常緑濶葉樹(じようりよくかつようじゆ)』とよびます。同樣(どうよう)に葉(は)を落(おと)し代(か)へる木(き)に『落葉針葉樹(らくようしんようじゆ)』(からまつ、いてふ等(など))と『落葉闊葉樹(らくようかつようじゆ)[#「落葉闊葉樹」は底本では「落葉闊緑樹」]』(さくら、もみぢ等(など))の別(べつ)があります。いてふには葉(は)の比較的(ひかくてき)ひろい木(き)があるが植物學上(しよくぶつがくじよう)では、やはり針葉樹(しんようじゆ)の中(なか)にはひるのです。
「暖帶林の特徴(かし・しひ等の濶葉樹林)」のキャプション付きの図
暖帶林の特徴(かし・しひ等の濶葉樹林)

 みなさんがお正月(しようがつ)の休(やす)みを終(を)へて、再(ふたゝ)び寒風(かんぷう)の中(なか)を學校(がつこう)にお通(かよ)ひになるときには、多(おほ)くの木(き)は芽(め)も吹(ふ)かず、枯(か)れたように眠(ねむ)つてゐますが、中(なか)にはまんさくのように寒(さむ)い風(かぜ)にも堪(た)へて早(はや)く、一二月(いちにがつ)の頃(ころ)に枯(か)れ木(き)のような小枝(こえだ)に、黄色(きいろ)い花(はな)を着(つ)けたり、また蝋梅(ろうばい)のようにもっと早(はや)く雪(ゆき)の中(なか)で香(かを)りたかく咲(さ)き誇(ほこ)るものもあります。そんなのを見(み)ると、もう春(はる)が來(き)たのかと思(おも)はれます。蝋梅(ろうばい)はもと支那(しな)の産(さん)ですが、早(はや)く我國(わがくに)に移植(いしよく)され多(おほ)くは庭木(にはき)として灌木状(かんぼくじよう)をしてゐます。東京(とうきよう)では一月(いちがつ)中旬(ちゆうじゆん)に蕾(つぼみ)を開(ひら)き初(はじ)め、二月(にがつ)に至(いた)つて滿開(まんかい)し、三月(さんがつ)の上旬(じようじゆん)まで花(はな)を開(ひら)きつゞけてゐます。
 蝋梅(ろうばい)についで早(はや)く花(はな)をひらくまんさくは日本(につぽん)だけの山中(さんちゆう)に、自然(しぜん)に生(は)えるもので、木曾(きそ)や日光地方(につこうちほう)に多(おほ)く、また庭木(にはき)となつて植(う)ゑられてゐるのもあります。
 以上(いじよう)の二(ふた)つは、冬(ふゆ)から春(はる)にかけて花(はな)のさく木(き)の中(なか)で、特(とく)に目(め)に立(た)つものです。つぎにだん/\と寒(さむ)さも薄(うす)らぎ、やがて三月(さんがつ)になると、梅(うめ)、れんぎょう、ぢんちょうげ等(など)の世界(せかい)となります。蝋梅(ろうばい)や梅(うめ)のように美(うつく)しく花(はな)をつける樹木(じゆもく)を『花木(かぼく)』とよびますが、梅(うめ)は早春(そうしゆん)の花木中(かぼくちゆう)でも第一(だいいち)の木(き)として、昔(むかし)から愛(あい)せられて、庭木(にはき)や盆栽(ぼんさい)にも仕(し)たてられるものです。梅(うめ)はもと/\土地(とち)の乾(かわ)いた日當(ひあた)りのよいところに適(てき)し、陰地(かげち)には、ふさはない木(き)ですから、梅林(うめばやし)を作(つく)るには、なるべく南向(みなみむ)きで土地(とち)の傾斜(けいしや)したところがよいのです。樹木(じゆもく)には、それ/″\日陰地(ひかげち)にもよく育(そだ)つ木(き)や、また日陰(ひかげ)と日陽(ひなた)の中間(ちゆうかん)のところを好(この)む等(など)、種類(しゆるい)によつて、土地(とち)に適(てき)、不適(ふてき)があります。その中(なか)で、日陰(ひかげ)にもよく育(そだ)つ木(き)を『陰樹(いんじゆ)』とよび、日陽地(ひなたち)を好(この)む木(き)を『陽樹(ようじゆ)』といひます。樹木(じゆもく)のこの性質(せいしつ)を知(し)つておくことは大切(たいせつ)なことで、庭木(にはき)を植(う)ゑかへるときにも、山(やま)に木(き)を植(う)ゑつける時(とき)でも、それ/″\の木(き)が陰樹(いんじゆ)か陽樹(ようじゆ)かによつて、それ/″\適當(てきとう)な土地(とち)に植(う)ゑることが必要(ひつよう)です。
 さて梅(うめ)の花(はな)も終(をは)りとなり、日毎(ひごと)に風(かぜ)も暖(あたゝ)かになりますと、桃(もゝ)の節句(せつく)の桃(もゝ)の花(はな)、油菜(あぶらな)の花(はな)がさきます。野(の)や畠(はた)にはたんぽゝが黄色(きいろ)くかゞやいてきます。その頃(ころ)には河岸(かし)の柳(やなぎ)も芽(め)を出(だ)して、やさしい枝(えだ)を風(かぜ)に靡(なび)かせはじめます。それからだん/\に、冬(ふゆ)の間(あひだ)すっかり葉(は)を落(おと)してゐた落葉樹(らくようじゆ)も一齋(いつせい)に、ぽか/\した日(ひ)を浴(あ)びて緑(みどり)の若芽(わかめ)を出(だ)しはじめます。野(の)に山(やま)に陽炎(かげらふ)が燃(も)えてきます。ところによつて芽(め)を吹(ふ)く時季(じき)はむろん違(ちが)ひますが、東京附近(とうきようふきん)では三月(さんがつ)の中旬頃(ちゆうじゆんごろ)から五月頃(ごがつごろ)までに、芽(め)を出(だ)します。やまざくら[#「やまざくら」は底本では「やまぎくら」]のように緑色(みどりいろ)の若葉(わかば)をもつもの、生(い)け垣(がき)に多(おほ)いかなめもちのように紅色(べにいろ)のうつくしい若芽(わかめ)をもつものもあり、またまつは緑(みどり)の針(はり)を出(だ)して一二年(いちにねん)も持(も)ちこたへた古(ふる)い葉(は)を少(すこ)しづゝ替(か)へていきます。それから、かや、まき、とべら等(など)の常緑樹(じようりよくじゆ)の發芽(はつが)を最後(さいご)に五月(ごがつ)の上旬頃(じようじゆんごろ)には、すべての樹木(じゆもく)は春(はる)の着(き)つけを終(をは)つて、ついで來(く)る夏(なつ)の生活(せいかつ)の備(そな)へをします。
 木々(きゞ)が若葉(わかば)青葉(あをば)に飾(かざ)られた頃(ころ)はすが/\しい景色(けしき)です。一年中(いちねんじゆう)でもその若葉(わかば)がどうしてあんなに紅(あか)や緑色(みどりいろ)の美(うつく)しい色(いろ)を現(あらは)すのかといひますと、その色(いろ)は葉(は)の表面(ひようめん)の部分(ぶぶん)、即(すなはち)、表皮(ひようひ)や、葉(は)の内部(ないぶ)の細胞(さいぼう)の中(なか)に紅色(こうしよく)やその他(た)の色(いろ)が含(ふく)まれてゐるためですが、それといふのも、若葉(わかば)は葉(は)の外部(がいぶ)に丈夫(じようぶ)な皮(かは)もなく、質(しつ)も軟(やはらか)で弱(よわ)いので、強(つよ)い日光(につこう)にあたるのをきらひます。それで葉(は)の内部(ないぶ)に色(いろ)のある液(えき)を含(ふく)んで、その強(つよ)い光(ひかり)を遮(さへぎ)るわけで、つまり若葉(わかば)が自分自身(じぶんじしん)の保護(ほご)をするのです。しかし木(き)の葉(は)がだん/\に發達(はつたつ)して、組織(そしき)も丈夫(じようぶ)になるに從(したが)ひはじめの色(いろ)は次第(しだい)に消(き)えて、つひにその樹木(じゆもく)特有(とくゆう)の色(いろ)となるのです。春(はる)の終(をは)りには葉(は)が皆(みな)緑色(りよくしよく)になるのは、さうしたわけです。また木(き)の葉(は)ははじめから淡緑(たんりよく)や、黄緑(こうりよく)の色(いろ)のものが多(おほ)いのですが、その若葉(わかば)の色(いろ)も、その樹木(じゆもく)の種類(しゆるい)によつて、それ/″\異(ことな)るものと見(み)なければなりません。
 同(おな)じ新緑(しんりよく)のうちにも濃(こ)い緑(みどり)や、淡(あは)い緑(みどり)のもの、黄緑(きみどり)のものなどがあります。例(たと)へば日比谷公園(ひゞやこうえん)横(よこ)の道路(どうろ)や、青山赤坂通(あをやまあかさかどほ)りなどに植(う)ゑてある鈴(すゞ)を下(さ)げたような實(み)のなる並木樹(なみきぎ)として立派(りつぱ)なすゞかけの木(き)は、明(あか)るい淡緑色(たんりよくしよく)をしてゐます。幹(みき)が青(あを)くつる/\した、葉(は)の大(おほ)きいあをぎりの若葉(わかば)は黄色(きいろ)がかつた緑色(みどりいろ)です。かういふ風(ふう)に葉(は)の同(おな)じ緑色(みどりいろ)の中(なか)にちがひがあるのは、なぜかといふと、これは、主(おも)に葉(は)の細胞内(さいぼうない)に含(ふく)まれてゐる、緑色素(りよくしよくそ)といふものの濃(こ)さ淡(あは)さによるものです。この緑色素(りよくしよくそ)は顯微鏡(けんびきよう)で見(み)ると美(うつく)しい小(ちひ)さい緑(みどり)の粒(つぶ)でそれを『葉緑粒(ようりよくりゆう)』とよんでゐます。かく緑色(みどりいろ)は植物(しよくぶつ)の、特(とく)に葉(は)に固有(こゆう)な色(いろ)で、われ/\は木(き)といへば、すぐに緑(みどり)の色(いろ)を思(おも)ひ出(だ)さずにゐられないくらゐ親(した)しい色(いろ)です。
「すゞかけのき」のキャプション付きの図
すゞかけのき

 これで木(き)の若葉(わかば)の美(うつく)しい色(いろ)や、新緑(しんりよく)の緑色(みどりいろ)のこともおわかりになつたと思(おも)ひますから、次(つ)ぎには樹木(じゆもく)の生活(せいかつ)について少(すこ)しお話(はなし)をしませう。第一(だいいち)に、青々(あを/\)した、木(き)の葉(は)といふものは、植物(しよくぶつ)にとつては一番(いちばん)大切(たいせつ)で、ちょうどわれ/\の心臟(しんぞう)や胃(い)や膓(ちよう)のような、生活上(せいかつじよう)の必要(ひつよう)な器官(きかん)です。その葉(は)の内部(ないぶ)の葉緑粒(ようりよくりゆう)は、毎日(まいにち)、日光(につこう)の力(ちから)をかりて、空氣中(くうきちゆう)にある、人間(にんげん)に害(がい)をする炭酸瓦斯(たんさんがす)も吸(す)ひ、そのかはりに、人間(にんげん)になくてはならない酸素(さんそ)をはき出(だ)して、砂糖(さとう)や澱粉(でんぷん)といふような含水炭素(がんすいたんそ)とよぶ養分(ようぶん)を造(つく)り、それを葉(は)から枝(えだ)へ、枝(えだ)から幹(みき)を下(くだ)つて根(ね)に送(おく)つて、木全體(きぜんたい)の發育(はついく)のための養分(ようぶん)にし、その殘(のこ)りは蓄(たくは)へておきます。かういふ風(ふう)に、葉(は)が日光(につこう)の力(ちから)をかりて、その木自身(きじしん)を養(やしな)ひ、生活(せいかつ)をつゞけていく、この作用(さよう)を『炭素同化作用(たんそどうかさよう)』といひます。樹木(じゆもく)の葉(は)が青々(あを/\)と茂(しげ)つてゐるのは、この重大(じゆうだい)な役目(やくめ)をはたすためです。そのために、木(き)は若葉(わかば)をふいてから次第(しだい)に葉(は)を丈夫(じようぶ)にかため、夏(なつ)の盛(さか)りを幸(さいはひ)に、どん/\太陽(たいよう)の光(ひかり)と共(とも)に働(はたら)いて、秋(あき)に紅葉(もみぢ)をする支度(したく)や、冬(ふゆ)が來(き)ても困(こま)らない、養分(ようぶん)の貯(たくは)へをするのです。
 さういふわけで夏(なつ)には木々(きゞ)は、見(み)るからに元氣(げんき)な青々(あを/\)した色(いろ)をして、はちきれるような生活(せいかつ)をします。みなさんはじり/\と燒(や)きつけるような海岸(かいがん)の砂濱(すなはま)に出(で)たり、汗(あせ)を流(なが)しながら登山(とざん)をされるときのことを考(かんが)へてごらんなさい。
 海岸(かいがん)には、枝(えだ)ぶりのうつくしいくろまつがつらなり生(は)えたりしてゐます。同(おな)じ松(まつ)でもあかまつは山(やま)に適(てき)してゐますが、くろまつは潮風(しほかぜ)に最(もつと)も強(つよ)い木(き)です。その林(はやし)があるので、ただに景色(けしき)がいゝばかりでなく、前(まへ)にもお話(はなし)したように海嘯(つなみ)の害(がい)を防(ふせ)ぐことも出來(でき)ます。また海(うみ)のつよい風(かぜ)は濱邊(はまべ)の砂(すな)を吹(ふ)き飛(と)ばして、砂丘(さきゆう)を造(つく)つたり、その砂丘(さきゆう)の砂(すな)をまた方々(ほう/″\)へ吹(ふ)き運(はこ)んで、大事(だいじ)な田(た)や畑(はた)や、時(とき)によると人家(じんか)までも埋(うづ)めてしまふことがあります。海岸(かいがん)のくろまつの林(はやし)は、さういふ砂(すな)の飛來(ひらい)を防(ふせ)ぎとめる役目(やくめ)をもするのです。
 また登山(とざん)をする場合(ばあひ)には、平原(へいげん)から山麓(さんろく)、山腹(さんぷく)へかゝり、それから山(やま)の頂上(ちようじよう)に着(つ)くまでの間(あひだ)には、植物(しよくぶつ)の姿(すがた)がいろ/\に變(かは)つていつて、高(たか)い山(やま)であれば頂(いたゞ)き近(ちか)くには、木(き)がおのづとなくなつて、草本(そうほん)ばかりとなり、なほ上(のぼ)ると、しまひには、たゞ岩石(がんせき)ばかりで草(くさ)もなくなつてしまひます。また谷(たに)や濕地(しつち)や、瀧(たき)や湖沼(こしよう)の附近(ふきん)には、特殊(とくしゆ)な草木(そうもく)がしげり、高原(こうげん)にはそこにのみ育(そだ)つ植物(しよくぶつ)がはえてゐます。夏(なつ)の高原一帶(こうげんいつたい)に高山植物(こうざんしよくぶつ)がさきつゞいてゐたりする光景(こうけい)はとても、下界(げかい)では想像(そうぞう)もつかない美(うつく)しさです。かように、高山(こうざん)に登(のぼ)るに從(したが)ひ、植物(しよくぶつ)が變(かは)つて行(い)くことや、高山植物(こうざんしよくぶつ)のことなどは後(のち)にあらためてくはしくお話(はなし)をします。
 春(はる)の若葉(わかば)や新緑(しんりよく)の森(もり)の美(うつく)しさとともに、夏(なつ)の濃緑(こみどり)がすんだ後(のち)の秋(あき)の林(はやし)の紅葉(もみぢ)の景色(けしき)も、いづれ劣(おと)らぬ自然(しぜん)の誇(ほこ)りです。日本(につぽん)には昔(むかし)から紅葉(もみぢ)の名所(めいしよ)が多(おほ)く、また、いたるところに紅葉(もみぢ)を見(み)ることが出來(でき)ます。
 關東(かんとう)では日光(につこう)や鹽原(しほばら)、關西(かんさい)では京都(きようと)の嵐山(あらしやま)、高尾(たかを)などは有名(ゆうめい)なものです。一(いつ)たいどうして木(き)の葉(は)がそんなに紅(あか)くなるのかといひますと、それは秋(あき)になると急(きゆう)に涼(すゞ)しくなる、その氣候(きこう)の變化(へんか)のために、新緑(しんりよく)のところでお話(はなし)した、葉緑素(ようりよくそ)が次第(しだい)に變(かは)つて來(き)て、葉(は)の中(なか)の細胞内(さいぼうない)に紅色(こうしよく)の液體(えきたい)が出來(でき)ますからです。紅葉(もみぢ)の美(うつく)しさは、植物(しよくぶつ)そのものゝ種類(しゆるい)と、その發生(はつせい)の状態(じようたい)とでそれ/″\異(ちが)ひますが、一面(いちめん)には附近(ふきん)の景色(けしき)にも左右(さゆう)されるものです。青々(あを/\)と茂(しげ)つたまつやもみなどの常緑樹(じようりよくじゆ)の間(あひだ)にそまつた紅葉(もみぢ)は、色(いろ)の配合(はいごう)で、紅色(こうしよく)がきはだつて、てりはえ、また、湖(みづうみ)や沼(ぬま)や溪流(けいりゆう)を前(まへ)にしても、やはり一(いち)だんと、美(うつく)しく見(み)えます。
 つぎには紅葉(もみぢ)する木(き)は、どんな木(き)かといひますと、日本(につぽん)では普通(ふつう)もみぢ(槭樹(せきじゆ))が一(いち)ばん多(おほ)いのです。中(なか)でも、やまもみぢは庭(には)にもよく植(う)ゑられます。深山(しんざん)にある紅葉(もみぢ)はまた種類(しゆるい)が異(ちが)ひ、一(いち)ばんうつくしいのは、はうちはかへでで、それは葉(は)が羽團扇(はうちは)のようで、長(なが)さが二三寸(にさんずん)もある大(おほ)きなものです。このほかもみぢ葉(ば)の形(かたち)をしてゐない葉(は)でも、いろ/\紅葉(もみぢ)するものがあるのは、みなさんもよくご存(ぞん)じでせう。霜(しも)が降(ふ)る頃(ころ)になりますと柿(かき)の葉(は)や、蝋燭(ろうそく)の蝋(ろう)を取(と)るはぜの葉(は)や、なゝかまどといふ木(き)の葉(は)ももみぢに劣(おと)らず、美(うつく)しく紅葉(もみぢ)します。また木(き)の葉(は)は紅(あか)くなるばかりでなく、黄色(きいろ)に變(かは)るのも少(すくな)くありません。その中(なか)でも、いてふがお社(やしろ)の境内(けいだい)などに眞黄色(まつきいろ)になつて、そびえてゐたりするのは、實(じつ)にいゝ眺(なが)めです。
 さうした紅(あか)に黄(き)に色(いろ)どられた秋(あき)の山(やま)や林(はやし)も、冬(ふゆ)が來(く)ると、すっかり葉(は)がおちつくして、まるで枯(か)れ木(き)ばかりのような寂(さび)しい姿(すがた)になり、たゞ常緑樹(じようりよくじゆ)のすぎやひのきの木(き)だけが黒(くろ)ずんだ葉(は)をつけたまゝ暖(あたゝ)かい春(はる)の日(ひ)が再(ふたゝ)び廻(まは)つてくるのを待(ま)つてゐます。つまり落(お)ち葉(ば)は冬(ふゆ)の寒(さむ)い時(とき)には夏(なつ)の間(あひだ)に盛(さか)んに根(ね)に貯(たくは)へた養分(ようぶん)をそのまゝ持(も)つて休養(きゆうよう)するのです。
 皆樣(みなさま)はしかし冬(ふゆ)の間(あひだ)にも木(き)の枝(えだ)をよく見(み)ると落葉樹(らくようじゆ)でも常緑樹(じようりよくじゆ)でも、それ/″\芽(め)をもつてゐるのが見(み)える筈(はず)です。これは『冬芽(とうが)』とよび、落葉樹(らくようじゆ)では葉(は)の落(お)ちたあとの枝(えだ)の間(あひだ)から、常緑樹(じようりよくじゆ)ではその葉(は)と枝(えだ)との間(あひだ)に芽(め)ぐんで寒氣(かんき)をも平氣(へいき)でくゞつて少(すこ)しづゝ生長(せいちよう)を續(つゞ)け春(はる)になると急(きゆう)に發芽(はつが)するわけです。
 以上(いじよう)で樹木(じゆもく)が春(はる)芽(め)を出(だ)してから、しまひに冬(ふゆ)を迎(むか)へ、再(ふたゝ)び春(はる)をまつまでのお話(はなし)を、一(ひと)とほりすましました。
 樹木(じゆもく)が地上(ちじよう)に生(は)えた後(のち)は、今(いま)お話(はなし)したような生活(せいかつ)を續(つゞ)けて、ずん/\伸(の)びて行(ゆ)くのですが、かうして、おほよそ幾年間(いくねんかん)ぐらゐ生(い)きるものかといひますと、それは、その土地(とち)のいろいろな状態(じようたい)や、外部(がいぶ)からの影響(えいきよう)もあるので、一樣(いちよう)ではありませんが、それ/″\の木(き)は、おのおの一定(いつてい)の年月(ねんげつ)の間(あひだ)生育(せいいく)するもので、普通(ふつう)の木(き)でも二三百年(にさんびやくねん)から五六百年(ごろつぴやくねん)ぐらゐ生(い)きてゐるものが多(おほ)く、中(なか)には千年(せんねん)以上(いじよう)も生(い)きるものがあります。人間(にんげん)の壽命(じゆみよう)を、かりに五十年(ごじゆうねん)とすれば、樹木(じゆもく)はおよそその十倍(じゆうばい)も長命(ちようめい)をするわけです。その年月(ねんげつ)がどうしてわかるかといへば、植(う)ゑつけた記録(きろく)による外(ほか)には、木(き)を横(よこ)に切(き)つて、生地(きじ)に出(で)てゐる圓(まる)い環(わ)が幾(いく)つも重(かさな)つてゐるその理(きめ)の數(すう)を數(かぞ)へてみるとわかるのです。この環(わ)を『年輪(ねんりん)』と言(い)ひます。材木屋(ざいもくや)の店先(みせさき)に行(い)つて、圓(まる)い材木(ざいもく)のはしを見(み)れば、これが年輪(ねんりん)かと、すぐにわかります。これは木(き)は夏(なつ)の間(あひだ)はさかんに生育(せいいく)する、言葉(ことば)をかへて言(い)へば幹(みき)の内部(ないぶ)の細胞(さいぼう)がどん/\生長(せいちよう)するのにたいして冬(ふゆ)の間(あひだ)はその生長(せいちよう)がとまるため、内部(ないぶ)の細胞(さいぼう)も、そのまゝ、伸(の)びないでゐます。これが毎年(まいねん)くり返(かへ)されると、その一年(いちねん)ごとに生長(せいちよう)した部分(ぶぶん)だけが、圓(まる)く環(わ)になつて區分(くわ)けがつくのです。しかし樹木(じゆもく)によつては氣候(きこう)の急激(きゆうげき)な變化(へんか)のため又(また)は、病虫害(びようちゆうがい)で一時(いちじ)葉(は)を落(おと)したりすると、この生長状態(せいちようじようたい)に例外(れいがい)が出來(でき)て、環(わ)が完全(かんぜん)に現(あらは)れず、半分(はんぶん)ぐらゐで消(き)えるのがあります。さういふ片(かた)わの年輪(ねんりん)のことを『擬年輪(ぎねんりん)』と呼(よ)びます。これはその木(き)の生長年數(せいちようねんすう)を數(かぞ)へるときは除(のぞ)いて數(かぞ)へなければなりません。
 次(つ)ぎに日本(につぽん)にある長生(ながい)きをしてゐる大木(たいぼく)の有名(ゆうめい)なものを少(すこ)し上(あ)げて見(み)ませう。
 今(いま)、日本(につぽん)で一番(いちばん)大(おほ)きい木(き)といへば鹿兒島縣(かごしまけん)姶良郡(あひらごほり)蒲生村(がまふむら)にある大樟(おほくす)です。これは幹(みき)のまはりが、地上(ちじよう)五尺(ごしやく)の高(たか)さのところでしたが七十三尺八寸(しちじゆうさんじやくはつすん)あり、根元(ねもと)のまはりは百二十五尺四寸(ひやくにじゆうごしやくしすん)もあつて、木(き)の高(たか)さは十五間(じゆうごけん)、樹齡(じゆれい)八百年(はつぴやくねん)と言(い)はれてゐます。今(いま)かりにその木(き)の根元(ねもと)から切(き)つた切(き)り口(ぐち)に疊(たゝみ)を敷(し)いてみるとしますと六十九疊(ろくじゆうくじよう)も敷(し)けますから、けっきよく、八疊(はちじよう)の座敷(ざしき)が八(やつ)つと、五疊(ごじよう)の部屋(へや)が一(ひと)つとれる勘定(かんじよう)になります。
 次(つ)ぎに富山縣(とやまけん)高岡市(たかをかし)末廣町(すゑひろちよう)にある七本杉(しちほんすぎ)は、地上(ちじよう)五尺(ごしやく)のところで幹廻(みきまは)り六十六尺(ろくじゆうろくしやく)、木(き)の高(たか)さ二十餘間(にじゆうよけん)、樹齡(じゆれい)は一千年(いつせんねん)と稱(とな)へられてゐます。この木(き)はもと根株(ねかぶ)から七(なゝ)つの幹(みき)に分(わか)れてゐましたが、内(うち)五本(ごほん)は先年(せんねん)の暴風(ぼうふう)で折(を)れて今(いま)は二本(にほん)の幹(みき)だけとなつてしまひました。
 臺灣(たいわん)阿里山(ありさん)にもすばらしい巨木(きよぼく)があります。阿里山(ありさん)で神木(しんぼく)ととなへられる臺灣(たいわん)花柏(さわら)(紅檜(べにひ))は、地上(ちじよう)五尺(ごしやく)の高(たか)さの幹(みき)のまはりが六十五尺(ろくじゆうごしやく)、木(き)の高(たか)さ二十五間(にじゆうごけん)、樹齡(じゆれい)二千年(にせんねん)といはれてゐます。明治神宮(めいじしんぐう)大鳥居(おほとりゐ)はいづれもこれと同(おな)じ木(き)で造(つく)られたものです。
「阿里山の神木(紅檜)」のキャプション付きの図
阿里山の神木(紅檜)

 以上(いじよう)の外(ほか)日本(につぽん)には各地(かくち)に老樹(ろうじゆ)名木(めいぼく)があつて、一々(いち/\)あげて數(かぞ)へることも出來(でき)ません。日本(につぽん)で最(もつと)もおほきく生長(せいちよう)する木(き)はくすの木(き)が第一(だいいち)で、次(つ)ぎはすぎ、たいわんさわら、いてふ、しひ、まつといふ順(じゆん)になります。
 また高(たか)さの最(もつと)も高(たか)くなるのはすぎで、秋田縣(あきたけん)の長木澤(ながきざは)の杉林(すぎばやし)や甲州(こうしゆう)身延山(みのぶさん)の千本杉(せんぼんすぎ)の中(なか)には、高(たか)さが三十五間(さんじゆうごけん)もあるのが見(み)られます。それから樹齡(じゆれい)ではさっき言(い)つた阿里山(ありさん)の紅檜(べにひ)が第一(だいいち)で、千二三百年(せんにさんびやくねん)から二千年近(にせんねんちか)くのものが澤山(たくさん)あります。
 各地(かくち)にのこつてゐる、かういふ老樹(ろうじゆ)名木(めいぼく)は、たゞ植物學上(しよくぶつがくじよう)または林業上(りんぎようじよう)あるひは、風致(ふうち)の上(うへ)からの研究(けんきゆう)の資料(しりよう)として意味(いみ)があるばかりでなく、いづれも、數百年(すうひやくねん)または千餘年(せんよねん)の間(あひだ)、その土地(とち)にゐついてゐるのですから、何(なに)よりもその地方(ちほう)の過去(かこ)を思(おも)ひ起(おこ)させ、地方歴史上(ちほうれきしじよう)の參考(さんこう)ともなり、愛郷心(あいきようしん)をも養(やしな)ひ、ひいては愛國心(あいこくしん)を育(はぐく)むことにもなります。なほこれからお話(はなし)をする日本(につぽん)の森林植物帶(しんりんしよくぶつたい)取(と)り調(しら)べにはこれらの老樹(ろうじゆ)はなくてはならぬものなのです。
 皆(みな)さんこんないろ/\のわけをお話(はなし)したら、われ/\がお互(たがひ)に、今(いま)生(い)き育(そだ)つてゐるすべての老樹(ろうじゆ)名木(めいぼく)を、ます/\大事(だいじ)にして、出來(でき)る限(かぎ)り長命(ちようめい)をさせるように努(つと)めなければならないことがおわかりとなりますでせう。


 高(たか)い山(やま)に登(のぼ)られた人(ひと)は、だれでも氣付(きづ)づてゐる[#「氣付づてゐる」はママ]ことですが、山(やま)に生(は)え茂(しげ)つてゐる樹木(じゆもく)も麓(ふもと)と中腹(ちゆうふく)とでは、まるで種類(しゆるい)がちがつてをり、頂上近(ちようじようちか)くになると、又(また)さらにほかの種類(しゆるい)の植物(しよくぶつ)が生(は)えてゐます。
 それから遠(とほ)くへかけて旅行(りよこう)するとわかることですが、例(たと)へば臺灣(たいわん)から九州(きゆうしゆう)へ渡(わた)り、本州(ほんしゆう)を縱斷(じゆうだん)して北海道(ほつかいどう)へ行(い)くとしますと、九州(きゆうしゆう)では臺灣(たいわん)で見(み)なかつた木(き)が茂(しげ)つてをり、北海道(ほつかいどう)へはひると、又(また)さらに、すっかり變(かは)つた木(き)ばかりで、かなり、ちがつた遠(とほ)い國(くに)へ來(き)たといふ感(かん)じがします。かういふ風(ふう)に、土地(とち)の高低(こうてい)や位置(いち)の相違(そうい)によつて、寒(さむ)さ暖(あたゝ)かさがちがふにつれて、生(は)える樹木(じゆもく)もそれ/″\ちがふのです。
 もと/\地上(ちじよう)の植物(しよくぶつ)が生長(せいちよう)するには、土壤(どじよう)のほかに、※(ねつ)[#「執/れんが」、U+24360、224-1]と光(ひかり)と水(みづ)とがなくてはなりません。※帶地方(ねつたいちほう)[#「執/れんが」、U+24360、224-2]はこの三(みつ)つのものが、うんとそろつてゐるので植物(しよくぶつ)が一番(いちばん)よく茂(しげ)つてゐますが、次第(しだい)に南(みなみ)と北(きた)の兩極(りようきよく)に近(ちか)づくに從(したが)つて、草(くさ)や木(き)も少(すくな)くなり、何一(なにひと)つ生(は)えない不毛(ふもう)の平原(へいげん)になつてしまひます。しかし、人々(ひと/″\)が餘程(よほど)の田舍(ゐなか)にゐても住(す)めば都(みやこ)で、それ/″\たのしくをさまつてゐるのと同(おな)じように、植物(しよくぶつ)も※(あつ)[#「執/れんが」、U+24360、224-5]いところであらうと、寒(さむ)いところであらうと、生育(せいいく)出來(でき)る限(かぎ)りそれ/″\、じぶんに向(む)いたところに根(ね)を下(おろ)して、生(い)きてゐます。ですから、われ/\が、ある一(ひと)つの土地(とち)にはえた木(き)を、やたらにわきへ持(も)つて行(い)ったつて、それが一々(いち/\)つくわけのものではありません。ばなゝの木(き)を東京(とうきよう)にもつて來(き)て植(う)ゑてもそのまゝでは實(み)はなりません。また涼(すゞ)しい奧羽地方(おううちほう)に出來(でき)る林檎(りんご)や櫻桃(おうとう)は暖(あたゝ)かい九州地方(きゆうしゆうちほう)では植(う)ゑてもよく育(そだ)ちません。つまり樹木(じゆもく)は各々(おの/\)一(いち)ばん適(てき)する場所(ばしよ)にあつてはじめて完全(かんぜん)に繁殖(はんしよく)することが出來(でき)るのです。そのため、地球上(ちきゆうじよう)でも、赤道(せきどう)を中心(ちゆうしん)にして兩極(りようきよく)に向(むか)ふにしたがひ、又(また)は海岸(かいがん)から高(たか)い山(やま)へ登(のぼ)るにつれて、その寒暖(かんだん)の差(さ)に應(おう)じ、しぜんとそこに生(は)える樹木(じゆもく)の種類(しゆるい)が違(ちが)ひ、森林(しんりん)のあり樣(さま)もそれ/″\かはつてゐます。
 この、おの/\の位置(いち)によつて生(は)える樹木(じゆもく)の種類(しゆるい)と森林(しんりん)の形(かたち)とが異(ことな)つてゐるあり樣(さま)を名(な)づけて、『森林帶(しんりんたい)』または『森林植物帶(しんりんしよくぶつたい)』と言(い)ひます。わかりやすく言(い)へば、地球上(ちきゆうじよう)の部分(ぶぶん)部分(ぶぶん)が、赤道(せきどう)に沿(そ)うて帶(おび)のように細長(ほそなが)くわかれてをり、その一(ひと)つ/\に、それ/″\ちがつた植物(しよくぶつ)がそだつてゐることをいふのです。
(イ)水平的森林帶(すいへいてきしんりんたい)。
 同(おな)じ平地(へいち)でも臺灣(たいわん)と本州(ほんしゆう)と北海道(ほつかいどう)とでは樹木(じゆもく)が違(ちが)つてゐるように地球上(ちきゆうじよう)の緯度(いど)の差(さ)につれて、言(い)ひかへると赤道(せきどう)から南(みなみ)と北(きた)とへ向(むか)つて平(たひら)にすゝんでいくとすれば、※(あつ)[#「執/れんが」、U+24360、225-8]いところから寒(さむ)い地方(ちほう)へ行(い)くにつれて、そこに生育(せいいく)してゐる樹木(じゆもく)の種類(しゆるい)及(およ)び森林(しんりん)の形(かたち)が各々(おの/\)異(ことな)つてゐる、とは今(いま)はお話(はなし)しました。この森林(しんりん)のそれ/″\異(ことな)つた状態(じようたい)にある幾條(いくすぢ)もの帶(おび)を『水平的森林帶(すいへいてきしんりんたい)』といひます。
 ですから地球(ちきゆう)が、かりに山(やま)がなくて一面(いちめん)の平地(へいち)であつたならば、それらの緑(みどり)の地帶(ちたい)は、赤道(せきどう)を中心(ちゆうしん)にこれに並行(へいこう)して、北(きた)と南(みなみ)とへ美(うつく)しい環(わ)をえがいて、地球(ちきゆう)を取(と)り卷(ま)いてゐるはずですが、しかし實際(じつさい)は、海(うみ)や山(やま)が不規則(ふきそく)に入(い)り亂(みだ)れてゐますから、その水平的森林帶(すいへいてきしんりんたい)も、ところ/″\で中斷(ちゆうだん)し、また氣候(きこう)にも影響(えいきよう)されて不規則(ふきそく)な帶(おび)となつてゐます。
(ロ)垂直的森林帶(すいちよくてきしんりんたい)。
 次(つ)ぎに森林帶(しんりんたい)はまた垂直的(すいちよくてき)にも見(み)ることが出來(でき)るのです。海岸(かいがん)からだん/\に山地(さんち)へかゝり高山(こうざん)へ登(のぼ)つていくにつれ、だん/\と温度(おんど)が低(ひく)くなるのは、ちょうど緯度(いど)の南(みなみ)から北(きた)へ進(すゝ)むにしたがつて寒(さむ)さがますのと同(おな)じです。緯度(いど)は一度(いちど)進(すゝ)むごとに攝氏(せつし)の約(やく)一度(いちど)づゝ温度(おんど)が下(くだ)りますが、高山(こうざん)ではおよそ百五十(ひやくごじゆう)めーとるから二百(にひやく)めーとる登(のぼ)るたびに攝氏(せつし)の一度(いちど)ぐらゐ、温度(おんど)が低(ひく)くなり、登(のぼ)れば登(のぼ)るほど寒(さむ)さを加(くは)へます。ですからさういふ山(やま)に生(は)えてゐる樹木(じゆもく)は、寒暖(かんだん)の差(さ)や、そのほか氣候(きこう)の變化(へんか)によつて、山麓(さんろく)から頂上(ちようじよう)までの間(あひだ)にいろ/\模樣(もよう)の變(かは)つた幾(いく)つかの森林帶(しんりんたい)がかさなつてゐるわけです このように土地(とち)の高低(こうてい)によつて現(あらは)れる森林帶(しんりんたい)のことを『垂直的森林帶(すいちよくてきしんりんたい)』といひます。
 これから日本(につぽん)の森林帶(しんりんたい)についてお話(はなし)しませう。
 御承知(ごしようち)のように日本(につぽん)は、北(きた)は北緯五十度三十分(ほくいごじゆうどさんじつぷん)の千島(ちしま)の果(は)てから、南(みなみ)は二十二度(にじゆうにど)の臺灣(たいわん)にわたる細長(ほそなが)い島國(しまぐに)で、地理上(ちりじよう)臺灣(たいわん)の南部(なんぶ)は※帶(ねつたい)[#「執/れんが」、U+24360、227-2]に、本州(ほんしゆう)、北海道(ほつかいどう)は温帶(おんたい)に、千島(ちしま)、樺太(からふと)は寒帶近(かんたいちか)くになつてゐます。從(したが)つてところによる氣候(きこう)や土質(どしつ)の變化(へんか)も甚(はなは)だしく、そこに育(そだ)つ樹木(じゆもく)や、森林(しんりん)も、おのづと、いろ/\ちがつてゐます。それをわけると、一、『※帶林(ねつたいりん)[#「執/れんが」、U+24360、227-4]』二、「暖帶林(だんたいりん)」三、『温帶林(おんたいりん)』四、『寒帶林(かんたいりん)』の四(よつ)つになります。
(イ)※帶林(ねつたいりん)[#「執/れんが」、U+24360、227-6](又(また)は、榕樹帶(がじゆまるたい))。
 日本(につぽん)で※帶林(ねつたいりん)[#「執/れんが」、U+24360、227-6]にはひるものは、臺灣(たいわん)の平均(へいきん)一千(いつせん)五百尺(ごひやくしやく)以下(いか)の平地(へいち)、琉球本島(りゆうきゆうほんとう)の南半分(みなみはんぶん)、小笠原群島(をがさはらぐんとう)、新領土(しんりようど)のマーシャル、カロリン、マリアナ列島等(れつとうなど)、一年中(いちねんじゆう)の平均温度(へいきんおんど)攝氏二十一度(せつしにじゆういちど)以上(いじよう)の土地(とち)です。この帶(たい)の特徴(とくちよう)として、一年中(いちねんじゆう)霜(しも)や雪(ゆき)が降(ふ)らないので、植物(しよくぶつ)の生長(せいちよう)が全然(ぜんぜん)休止(きゆうし)する時(とき)がありません。
 樹林(じゆりん)には榕樹(がじゆまる)、赤榕樹(あかう)その他(た)蒲葵(びろー)やたこのきといつたものが盛(さか)んに育(そだ)つて空(そら)をおほうてゐますが、中(なか)でも榕樹(がじゆまる)はこの帶(たい)の代表的(だいひようてき)なものですから、※帶林(ねつたいりん)[#「執/れんが」、U+24360、227-11]のことを榕樹帶(がじゆまるたい)ともいひます。なほ、珈琲(こーひー)、椰子(やし)の木(き)、護謨樹(ごむじゆ)、船材(せんざい)にする麻栗等(ちーくなど)、非常(ひじよう)に有用(ゆうよう)な木(き)も大抵(たいてい)この帶(たい)に栽培(さいばい)することが出來(でき)ます。
「熱帶林(ひるぎ林)」のキャプション付きの図
熱帶林(ひるぎ林)

(ロ)暖帶林(だんたいりん)(又(また)は、※(「木+(言+睹のつくり)」、第3水準1-86-25)帶(かしたい))。
 この帶(たい)に屬(ぞく)する區域(くいき)は、沖繩縣(おきなはけん)の中央(ちゆうおう)以北(いほく)から、四國(しこく)九州(きゆうしゆう)の全部(ぜんぶ)と本州(ほんしゆう)の南部(なんぶ)で、平均(へいきん)北緯三十六度(ほくいさんじゆうろくど)以南(いなん)の地(ち)です。温度(おんど)でいへば、同温度(どうおんど)の地方(ちほう)をつなぎあはせた線(せん)、すなはち同温線(どうおんせん)の攝氏十三度(せつしじゆうさんど)以上(いじよう)、二十一度(にじゆういちど)以下(いか)の地(ち)です。この帶(たい)の樹木(じゆもく)は、※(「木+(言+睹のつくり)」、第3水準1-86-25)帶(かしたい)といふほどかし、しひ等(など)の常緑濶葉樹(じようりよくかつようじゆ)がおもにそだち、海岸(かいがん)の潮風(しほかぜ)の強(つよ)い砂地(すなじ)には、よくくろまつが生(は)え、南部(なんぶ)にはくすのきが多(おほ)く生(は)えて暖國的(だんこくてき)な氣分(きぶん)をたゞよはせてゐます。
「しひのきの實と小枝」のキャプション付きの図
しひのきの實と小枝

「しらかしの實と小枝」のキャプション付きの図
しらかしの實と小枝

 元來(がんらい)この帶(たい)の樹木(じゆもく)はすべて常緑濶葉樹(じようりよくかつようじゆ)で、こなら、くぬぎ等(など)の落葉濶葉樹(らくようかつようじゆ)がその間(あひだ)に點々(てん/\)と混(まじ)つてゐる筈(はず)なのですが、常緑濶葉樹(じようりよくかつようじゆ)は昔(むかし)からたび/\伐(き)られたり、又(また)は野火(のび)の害(がい)に會(あ)つたため、數(かず)が減(へ)り、反對(はんたい)に落葉樹(らくようじゆ)や松林(まつばやし)などがふえて來(き)ました。なほこの帶(たい)は氣候(きこう)が温和(おんわ)で人(ひと)の居住(きよじゆう)にも適當(てきとう)し、また高山(こうざん)の中腹(ちゆうふく)以下(いか)の地(ち)なのですから、土地(とち)が早(はや)くから開(ひら)け人口(じんこう)が多(おほ)く、物産(ぶつさん)の出(で)るのも、ほかの帶(たい)よりずつと多量(たりよう)です。
 今日(こんにち)、ひのき、すぎ等(など)の林(はやし)をこの帶(たい)の中(なか)に見(み)るのは、人(ひと)が移(うつ)し植(う)ゑたもので、もと/\ひのき、すぎ等(など)は温帶林(おんたいりん)に生育(せいいく)してゐたものです。
(ハ)温帶林(おんたいりん)(又(また)は、椈帶(ぶなたい))。
 この帶(たい)は暖帶林(だんたいりん)のつぎにつくもので、本州(ほんしゆう)の北部(ほくぶ)から北海道(ほつかいどう)大半(たいはん)の西南(せいなん)、及(およ)び朝鮮(ちようせん)の大部分(だいぶぶん)にもあり、同温線(どうおんせん)六度(ろくど)以上(いじよう)十三度(じゆうさんど)以下(いか)の土地(とち)です。垂直的(すいちよくてき)の森林帶(しんりんたい)でいひますとこの帶(たい)の下部界(かぶかい)が、暖帶林(だんたいりん)の上部界(じようぶかい)にあたり、この帶(たい)の上部界(じようぶかい)は臺灣(たいわん)では中央(ちゆうおう)で一萬尺(いちまんじやく)の高山(こうざん)に達(たつ)してゐます。九州(きゆうしゆう)や山陰(さんいん)、山陽地方(さんようちほう)、畿内諸國(きないしよこく)も山(やま)が低(ひく)いので暖帶林(だんたいりん)の上部界(じようぶかい)の上部(じようぶ)はすべて頂上(ちようじよう)までこの帶(たい)に屬(ぞく)し、四國(しこく)では六千五百尺(ろくせんごひやくしやく)のところを境(さかひ)とし、奧羽地方(おううちほう)では更(さら)に下(くだ)つて四千七百尺(しせんしちひやくしやく)から三千五百尺(さんぜんごひやくしやく)の高(たか)さまでになり、北海道(ほつかいどう)の南部(なんぶ)では一千五百尺(いつせんごひやくしやく)に下(くだ)り、その中央(ちゆうおう)では遂(つひ)に海水面(かいすいめん)と一致(いつち)してゐます。この温帶林(おんたいりん)にはどんな樹木(じゆもく)が生育(せいいく)してゐるかといふと、一番(いちばん)いちじるしいのがぶなの木(き)です。本帶(ほんたい)を一名(いちめい)『椈帶(ぶなたい)』といふのもぶなが、その代表(だいひよう)樹種(じゆしゆ)であるからです。しかしこの帶(たい)に屬(ぞく)する土地(とち)でも、その南部(なんぶ)では、自然(しぜん)のまゝに育(そだ)つた林(はやし)が少(すくな)く、人(ひと)がどん/\伐(き)つてはその跡(あと)へすぎ、ひのき等(など)を植林(しよくりん)して育(そだ)てた林(はやし)が多(おほ)いので、今日(こんにち)ではぶなの林(はやし)を見(み)ることが出來(でき)なくなつた場所(ばしよ)も少(すくな)くありません。けれども暖帶(だんたい)によく生育(せいいく)してゐるかしの類(るい)が、こゝでは自然(しぜん)に消(き)えてなくなつてゐることや、もと/\温帶林(おんたいりん)にぞくする老樹(ろうじゆ)が殘(のこ)つてゐるのを見(み)るとそこが温帶林(おんたいりん)であることがわかります。
「暖帶林(樟などの常緑樹林)」のキャプション付きの図
暖帶林(樟などの常緑樹林)

 かく、その帶(たい)の特徴樹種(とくちようじゆしゆ)はぶなですが、その外(ほか)におほなら、みづなら、とち等(など)の落葉濶葉樹(らくようかつようじゆ)を混(こん)じてゐることもあり、地方(ちほう)によつてはひのき、さわら、ひば、すぎ等(など)の針葉樹(しんようじゆ)をまじへてるところもあります。木曾(きそ)や秋田(あきた)その他(た)の地方(ちほう)で、特別(とくべつ)に針葉樹(しんようじゆ)を保護(ほご)してゐる土地(とち)を除(のぞ)けば、あとはほとんど落葉樹(らくようじゆ)で、冬(ふゆ)になつて木(き)の葉(は)が落(お)ちると、まるで枯(か)れ木(き)が遠(とほ)く天(てん)に連(つら)なつてゐるように寂(さび)しい景色(けしき)になります。
「温帶林(ぶなの林)」のキャプション付きの図
温帶林(ぶなの林)

「ぶなのき」のキャプション付きの図
ぶなのき

(ニ)寒帶林(かんたいりん)(又(また)は白檜(しらべ)、椴松帶(とゞまつたい))。
 この帶(たい)は水平的(すいへいてき)には北海道(ほつかいどう)の中央(ちゆうおう)以北(いほく)、つまり温帶林(おんたいりん)の北部(ほくぶ)で、同温線(どうおんせん)攝氏六度(せつしろくど)以下(いか)の地方(ちほう)と、千島(ちしま)、樺太(からふと)の全部(ぜんぶ)を占(し)めてゐます。これを垂直的(すいちよくてき)に見(み)れば、平地(へいち)では※帶(ねつたい)[#「執/れんが」、U+24360、232-7]に屬(ぞく)する臺灣(たいわん)でも、新高山(にひたかやま)のように高(たか)さ一萬三千尺(いちまんさんぜんじやく)にもあまる高山(こうざん)があるので、前(まへ)の温帶林(おんたいりん)の上部(じようぶ)にこの寒帶(かんたい)があります。
 しかし九州(きゆうしゆう)にはこの帶(たい)にはひる土地(とち)がなく、四國(しこく)の六千五百尺(ろくせんごひやくしやく)以上(いじよう)の高山(こうざん)(石槌山(いしづちやま)、劍山(つるぎやま))に、僅(わづか)にこの帶(たい)の下部界(かぶかい)を見(み)ることが出來(でき)ます。本州(ほんしゆう)では中部(ちゆうぶ)の諸高山(しよこうざん)の六千尺(ろくせんじやく)から九千尺(くせんじやく)までのところが、この帶(たい)にはひり、北海道(ほつかいどう)の中央(ちゆうおう)では三千五百尺(さんぜんごひやくしやく)、樺太(からふと)の日本領地(につぽんりようち)では二千尺(にせんじやく)から二千五百尺(にせんごひやくしやく)の高(たか)さまでがそれです。
 この帶(たい)には主(しゆ)として、白檜(しらべ)、とゞまつ、えぞまつ、あをもりとゞまつといつた常緑針葉樹林(じようりよくしんようじゆりん)でなり立(た)つてゐますが、本州(ほんしゆう)では高山(こうざん)の頂(いたゞ)き近(ちか)くにしらべやあをもりとゞまつが多(おほ)く、臺灣(たいわん)の高山(こうざん)にはにひたかとゞまつが生(は)えてゐます。
「しらべ 鱗果をつけた小枝」のキャプション付きの図
しらべ 鱗果をつけた小枝

「寒帶林(臺灣新高とゞまつの林)」のキャプション付きの図
寒帶林(臺灣新高とゞまつの林)

 以上(いじよう)お話(はなし)したのは、つゞめていふと暑(あつ)い※帶(ねつたい)[#「執/れんが」、U+24360、233-8]から暖(だん)、温(おん)、寒(かん)といふ風(ふう)にその各地方(かくちほう)に適(てき)してよく育(そだ)つ森林(しんりん)の區域(くいき)と、その帶(たい)の特徴(とくちよう)とでした。こゝまで來(き)ますと最後(さいご)の寒帶林(かんたいりん)の上部(じようぶ)はどうなつてるかといふ疑問(ぎもん)が出(で)て來(く)るでせう。
(ホ)灌木帶(かんぼくたい)(偃松帶(はひまつたい))。
 えぞまつやとゞまつの針葉樹林(しんようじゆりん)を出(で)てその先(さき)へ移(うつ)ると、急(きゆう)に光(ひかり)が強(つよ)く、あたりはぱっと明(あか)るくなつたような氣(き)がします。即(すなはち)、そこは灌木帶(かんぼくたい)といふところで、殊(こと)に偃松(はひまつ)が目(め)につくので、偃松帶(はひまつたい)ともいつてゐます。偃松(はひまつ)は地上(ちじよう)二三尺(にさんじやく)のところに腕(うで)を伸(の)ばし、肘(ひぢ)を張(は)つたように、枝(えだ)を四方(しほう)にひろげてゐます。葉(は)は五葉(ごよう)で裏(うら)が白(しろ)く、普通(ふつう)の松(まつ)とはずっとちがつてゐます。またこの偃松(はひまつ)がなくて、そのかはりに灌木状(かんぼくじよう)の落葉樹(らくようじゆ)が茂(しげ)つてゐるところもありますが、かように偃松(はひまつ)や灌木状(かんぼくじよう)の落葉樹(らくようじゆ)が生育(せいいく)してゐるのは、そこが高山(こうざん)で氣候(きこう)が極(きは)めて寒冷(かんれい)であり、風(かぜ)も強(つよ)いので、しぜんと、木(き)も低(ひく)く小(ちひ)さくなつたのです。
 本州(ほんしゆう)の木曾(きそ)や甲州(こうしゆう)、信州等(しんしゆうなど)の高山(こうざん)に登(のぼ)つた方(かた)はよくご存(ぞん)じでせうが、日光(につこう)の白根山(しらねさん)、男體山(なんたいざん)やまた富士山(ふじさん)などでは偃松(はひまつ)を見(み)ません。この帶(たい)には偃松(はひまつ)のかはりに、いはやなぎ、しゃくなげ、なゝかまど、やまはんのき、べにばないちご等(など)が生育(せいいく)し、特(とく)にしゃくなげはつや/\した厚(あつ)い葉(は)、硬(こは)い枝(えだ)、美(うつく)しい花(はな)が目立(めだ)つので、他(た)の木(き)とすぐに見分(みわ)けがつきます。花(はな)は普通(ふつう)紅(あか)い色(いろ)ですが、中(なか)には黄(き)や白(しろ)の美(うつく)しいものもあります。
 以上(いじよう)のすべての木(き)は、みんな幹(みき)や莖(くき)が小(ちひ)さく低(ひく)くて、多(おほ)くは一(ひと)つところに群生(ぐんせい)してゐます。またそここゝの灌木(かんぼく)の下(した)には、次(つ)ぎにいふ高山植物(こうざんしよくぶつ)が可愛(かわい)く生(は)えてゐます。山(やま)によつてこの灌木帶(かんぼくたい)の幅(はゞ)は大變(たいへん)狹(せま)いところもあります。この帶(たい)の間(あひだ)に、高山植物(こうざんしよくぶつ)の草本帶(そうほんたい)が混(まじ)つたり、時(とき)には偃松(はひまつ)が草本帶(そうほんたい)の中(なか)を通(とほ)り越(こ)して、山頂近(さんちようちか)くまで伸(の)びてゐることもあるので、各帶(かくたい)をはっきりと區別(くべつ)することは出來(でき)にくいのです。
(ヘ)草本帶(そうほんたい)(高山植物(こうざんしよくぶつ))。
 人々(ひと/″\)がお花畠(はなばたけ)といひ山上(さんじよう)の花園(はなぞの)としてめづらしがり、あこがれてゐるのがこの草本帶(そうほんたい)です。前(まへ)の偃松帶(はひまつたい)の上部(じようぶ)が徐々(じよ/\)にこの草本帶(そうほんたい)に移(うつ)つて行(ゆ)きます。この帶(たい)は日本(につぽん)の諸高山(しよこうざん)では大概(たいがい)山(やま)の頂(いたゞ)きに近(ちか)いところに現(あらは)れてゐて、高(たか)さは八九千尺(はちくせんじやく)から一萬尺(いちまんじやく)に及(およ)んでゐます。草本帶(そうほんたい)には、乾燥(かんそう)したところに生(は)える植物(しよくぶつ)、すなはち『乾生(かんせい)』のものと、濕氣(しつき)のあるところに生(は)える『濕生(しつせい)』のものとの區別(くべつ)があつて、前者(ぜんしや)は岩石(がんせき)や砂地(すなじ)の乾燥(かんそう)した場所(ばしよ)に生(は)え、後者(こうしや)は濕氣(しつき)のある中凹(なかくぼ)みのあるところに生(は)えるのです。
 高山(こうざん)にはよくさういふ凹地(くぼち)に水(みづ)を湛(たゝ)へて、時(とき)には沼地(ぬまち)を形(かたち)づくり、附近(ふきん)の岩(いは)の間(あひだ)に雪(ゆき)をためてゐたりするところがあります。沼地(ぬまち)にはこの雪(ゆき)が溶(と)け流(なが)れこむので、その沼水(ぬまみづ)の温度(おんど)は非常(ひじよう)に低(ひく)く、ひどく冷(つめ)たいわけになります。
 乾燥地(かんそうち)すなはち岩地(いはち)、砂地(すなじ)の水分(すいぶん)の少(すくな)いところでは、植物(しよくぶつ)も澤山(たくさん)群(むらが)つて生(は)えることが出來(でき)なくてそここゝと岩石地(がんせきち)に根(ね)をおろし、風(かぜ)が強(つよ)いので葉(は)は地(ち)にへばりついてをり、根(ね)は莖(くき)に比(くら)べて非常(ひじよう)に太(ふと)く長(なが)くなり、岩(いは)の裂(さ)け目(め)などに深(ふか)くもぐりこんでゐます。この植物(しよくぶつ)のうち岩(いは)の碎(くだ)けて積(つも)つた上(うへ)に生(は)えるものには花(はな)が赤(あか)くて紅緑(こうりよく)の葉(は)をもつた優美(ゆうび)なこまぐさや、鋸葉(のこぎりば)の四出(ししゆつ)した莖(くき)のさきに赤(あか)い唇形(しんけい)の花(はな)がむらがつてゐるみやましほがま、梅(うめ)に似(に)た黄色(きいろ)い花(はな)をひらき鋸齒(のこぎりば)のある圓(まる)い葉(は)を三(みつ)つづゝ、絲(いと)のような莖(くき)につけたみやまきんばい、小(ちひ)さい芝(しば)のようなみやまつめくさ、たかねつめくさ等(など)があります。
 また岩(いは)の隙(す)き間(ま)には、青紫(あをむらさき)のちしまぎきょう、いはぎきょう、花(はな)は白梅(はくばい)に似(に)て、葉(は)は豆(まめ)のように厚(あつ)ぼつたいいはうめ、鋸齒(のこぎりば)のある腎臟形(じんぞうがた)の葉(は)を根元(ねもと)に出(だ)して、莖(くき)の上(うへ)に黄色(きいろ)の五瓣(ごべん)の花(はな)をつけるみやまだいこんや、はゝこぐさに似(に)て白(しろ)ふらんねるのような葉(は)を持(も)つてゐるみやまうすゆきそう等(など)が生(は)えます。
 次(つ)ぎに草原(くさはら)の濕地(しつち)は『腐植土(ふしよくど)』といつて、植物(しよくぶつ)が枯(か)れて、根(ね)や枝(えだ)や葉(は)が腐(くさ)つた肥料(こやし)になつてゐるような土(つち)に富(と)み、水分(すいぶん)も多(おほ)いので、植物(しよくぶつ)の生育(せいいく)には大變(たいへん)都合(つごう)がよいため、こゝではいろんなものが伸(の)び/\と群(むらが)つて茂(しげ)り、美(うつく)しいさま/″\な花(はな)が咲(さ)き誇(ほこ)ります。こゝに生(は)えるものは、葉(は)も花(はな)も乾燥地(かんそうち)に生(は)えてるものより大(おほ)きく、色(いろ)も綺麗(きれい)なものが多(おほ)いのです。黄金色(こがねいろ)のものではしなのきんばい、みやまきんぽうげ、白(しろ)くて大(おほ)きな、梅(うめ)の花(はな)に似(に)たものにははくさんいちげ、淡紅色(うすあかいろ)のいはかゞみ、かわいらしいみやまをだまき等(など)澤山(たくさん)な種類(しゆるい)があります。
 これらの多(おほ)くの高山植物(こうざんしよくぶつ)に色(いろ)どられてゐる、いはゆるお花畠(はなばたけ)は、日本(につぽん)では本州(ほんしゆう)中部(ちゆうぶ)の日本(につぽん)アルプスの諸高山(しよこうざん)に多(おほ)く、中(なか)にも白馬山(しろうまさん)のは有名(ゆうめい)です。年中(ねんじゆう)雪(ゆき)に閉(とざ)されてゐた山頂(さんちよう)に夏(なつ)が來(き)て、雪(ゆき)が溶(と)けると、すぐその下(した)には可憐(かれん)な草(くさ)が目(め)も覺(さ)めるばかりに咲(さ)き出(い)でます。眞白(まつしろ)な雪溪(せつけい)に隣(とな)り合(あは)せて、このお花畠(はなばたけ)を見(み)るときの感(かん)じは、なんとも言(い)へず、貴(たつと)く、かわゆく、美(うつく)しいものです。
(ト)地衣帶(こけたい)。
 地衣帶(こけたい)は草本帶(そうほんたい)の上部(じようぶ)に接(せつ)してをり、兩帶(りようたい)の區別(くべつ)ははっきりとしませんが、ともかく一萬尺(いちまんじやく)もの高(たか)さのところでは、きびしい寒(さむ)さと、激(はげ)しい風(かぜ)とでほとんど草(くさ)も生(は)えることが出來(でき)ず、たゞ裸(はだか)の岩(いは)の上(うへ)に地衣(こけ)が固着(こちやく)してゐるきりです。この地衣(こけ)のために、岩(いは)はいろ/\美(うつく)しい模樣(もよう)や紋(もん)を現(あらは)してゐます。日本(につぽん)では木曾(きそ)の御嶽(おんたけ)や駒(こま)が嶽(たけ)はこの帶(たい)の位置(いち)がよくわかります。この帶(たい)の上部(じようぶ)はそれこそ地衣(こけ)もない裸(はだか)のまゝの岩石(がんせき)です。
 以上(いじよう)で日本(につぽん)の森林植物帶(しんりんしよくぶつたい)を水平的(すいへいてき)にも垂直的(すいちよくてき)にも見(み)て來(き)たわけです。つぎには、どなたにも名前(なまへ)のしたしい富士山(ふじさん)への登山(とざん)と、その森林帶(しんりんたい)とのお話(はなし)をして、森林植物帶(しんりんしよくぶつたい)のお話(はなし)を、なほよくわかるようにしておきませう。
 富士(ふじ)へ登(のぼ)るには、普通(ふつう)吉田口(よしだぐち)、御殿場口(ごてんばぐち)、大宮口(おほみやぐち)と三(みつ)つの登山道(とざんみち)がありますが、森林帶(しんりんたい)を見(み)ながら登(のぼ)るには吉田口(よしだぐち)か、大宮口(おほみやぐち)を選(えら)んだ方(ほう)がいゝと思(おも)ひます。こゝではかりに大宮口(おほみやぐち)から登(のぼ)るものとしてお話(はなし)します。
 あの廣々(ひろ/″\)とした富士(ふじ)の裾野(すその)には、普通(ふつう)の登山期(とざんき)よりも少(すこ)し遲(おく)れて八(はち)九月(くがつ)の頃(ころ)には、殊(こと)に美(うつく)しい秋草(あきくさ)がたくさん咲(さ)きます。そこには春(はる)とちがつて新(あたら)しい緑(みどり)の色(いろ)は少(すくな)いですが、春(はる)の野(の)よりも色(いろ)どりには變化(へんか)があつて綺麗(きれい)です。われもこう、ききょう、かるかや、おみなへし、すゝき、ふぢばかま、はぎの秋(あき)の七草(なゝくさ)をはじめ、いろ/\の草(くさ)が野原一面(のはらいちめん)に咲(さ)いてゐます。しかしこの裾野(すその)は大昔(おほむかし)からこんな草原(くさはら)だつたのではありません。
 古(ふる)い/\昔(むかし)は、この一帶(いつたい)は暖帶林(だんたいりん)の上部(じようぶ)から温帶林(おんたいりん)の下部(かぶ)に屬(ぞく)する樹木(じゆもく)、すなはち常緑(じようりよく)の濶葉樹(かつようじゆ)や落葉樹(らくようじゆ)でおほはれてゐたのです。ところが、それが古(ふる)くから火事(かじ)で燒(や)かれたり、斧(をの)で伐(き)られたりして、天然(てんねん)にあつたそれ等(ら)の樹木(じゆもく)が大抵(たいてい)消(き)えてなくなつてしまひ、つひに今日(こんにち)見(み)るような茫々(ぼう/\)として、はてしもないような草原(くさはら)になつたのです。今(いま)、ところ/″\にすぎやひのきやあかまつの林(はやし)が見(み)えるのは、人(ひと)が新(あたら)しく植(う)ゑたのです。
 この裾野(すその)の景色(けしき)を眺(なが)めながら、だん/\上(のぼ)つて一合目(いちごうめ)をも過(す)ぎ、海拔(かいばつ)三千五百尺(さんぜんごひやくしやく)あたりのところへ來(き)ますと、いつしか草原(くさはら)も、人(ひと)が植林(しよくりん)した林(はやし)などもなくなつて、ずっと奧(おく)ゆかしい、ちがつた林間(りんかん)にはひります。
 つまり温帶林(おんたいりん)の上部(じようぶ)にはひつたわけで、喬木(きようぼく)のぶな、おほなら、はしばみ、もみぢ、けやき、かつら、ほゝのき、きはだ、みづき、かば、くり等(など)の落葉濶葉樹(らくようかつようじゆ)が、うっそうとしてをり、ところ/″\に温帶林(おんたいりん)の特徴樹(とくちようじゆ)であるぶなの巨木(きよぼく)が茂(しげ)り、木(き)の下(した)には種々(しゆ/″\)な灌木(かんぼく)、草本(そうほん)、蔓生植物(まんせいしよくぶつ)が盛(さか)んに生(は)えてゐるのを見(み)ることが出來(でき)ます。さらに二合目(にごうめ)を過(す)ぎて海拔(かいばつ)五千七百尺(ごせんしちひやくしやく)のあたりへ來(き)ますと、林(はやし)は一變(いつぺん)して今(いま)までの濶葉樹(かつようじゆ)は急(きゆう)に少(すくな)くなり、常緑針葉樹(じようりよくしんようじゆ)ことにもみ類(るい)こみつが、ひのきに似(に)たとうひやしらべ等(など)の巨木(きよぼく)が聳(そび)えてゐます。前(まへ)の落葉濶葉樹(らくようかつようじゆ)の葉(は)が淡緑色(たんりよくしよく)で美(うつく)しいのに反(はん)して、こゝでは針葉樹(しんようじゆ)は暗緑色(あんりよくしよく)で、林(はやし)の中(なか)は濕氣(しつき)が多(おほ)く、また木(き)の下(した)には蔭(かげ)に耐(た)へる木(き)が生(は)えてゐるほかに蘚苔類(こけるい)も澤山(たくさん)生(は)えてゐます。
「富士山の森林帶」のキャプション付きの図
富士山の森林帶

 こゝは、つまり、寒帶林(かんたいりん)で、いはゆる常緑針葉樹帶(じようりよくしんようじゆたい)です。それから海拔(かいばつ)八千尺(はつせんじやく)の四合目(しごうめ)まで登(のぼ)れば、林(はやし)は三度(みたび)その姿(すがた)を變(か)へて、常緑針葉樹(じようりよくしんようじゆ)の林(はやし)は落葉針葉樹(らくようしんようじゆ)のからまつ林(ばやし)となつて來(き)ます。そこへ來(く)ると最早(もはや)寒帶林(かんたいりん)の終(をは)りに近(ちか)づいたことがわかります。すなはち落葉松林(からまつばやし)の幅(はゞ)はごく狹(せま)くなつてをり、木(き)も小(ちひ)さくなつてゐます。そこから上(うへ)は再(ふたゝ)び落葉濶葉樹(らくようかつようじゆ)のかば類(るい)とかはんのき類(るい)とか、美(うつく)しい花(はな)が咲(さ)くしゃくなげ等(など)の小(ちひ)さく低(ひく)い植物(しよくぶつ)が生育(せいいく)してゐます。
 この灌木帶(かんぼくたい)を過(す)ぎて六合目(ろくごうめ)の海拔(かいばつ)九千尺(くせんじやく)のところにつきますと、そこは最早(もはや)森林帶(しんりんたい)の境目(さかひめ)で、そこから草本帶(そうほんたい)となるのですが、富士山(ふじさん)には日本(につぽん)アルプスの諸高山(しよこうざん)で見(み)るような、お花畠(はなばたけ)は見(み)られません。こゝからは岩石(がんせき)と砂礫(されき)の道(みち)を一歩々々(いつぽ/\)踏(ふ)みすゝんで、つひに海拔(かいばつ)一萬二千餘尺(いちまんにせんよしやく)の絶頂(ぜつちよう)へたどりつくわけです。
 富士(ふじ)に限(かぎ)らず、ほかの高山(こうざん)に登(のぼ)るときでも、今(いま)お話(はなし)したような森林植物帶(しんりんしよくぶつたい)をつぎ/\に見(み)きはめることが出來(でき)ます。富士山(ふじさん)はほとんど海面(かいめん)からそびえ立(た)つてゐると見(み)てもよいのですが、しかし、山(やま)によつてはじめから土臺(どだい)の高(たか)いところでは、山麓(さんろく)に草原(くさはら)がなく、麓(ふもと)からすぐに喬木(きようぼく)の林(はやし)に入(い)ることも出來(でき)ませうし、北(きた)へ行(ゆ)けば行(ゆ)くほど、たとひ低(ひく)い山(やま)でも温帶林(おんたいりん)、寒帶林(かんたいりん)、灌木帶(かんぼくたい)、草本帶(そうほんたい)と、高(たか)さに從(したが)つて、それ/″\生(は)えてる植物(しよくぶつ)が變(かは)つて行(ゆ)くのが目(め)につきます。

 日本(につぽん)は南北(なんぼく)に長(なが)く續(つゞ)いてゐて、ところによる氣候(きこう)の變化(へんか)もいろ/\ですから、動物(どうぶつ)もまた、いろ/\なものが棲(す)んでゐます。野生(やせい)の獸(けもの)だけでも、二百六十八種(にひやくろくじゆうはつしゆ)、牛(うし)や馬(うま)その他(ほか)家畜(かちく)動物(どうぶつ)は十六種(じゆうろくしゆ)もゐますが、こゝでは山(やま)に棲(す)む動物(どうぶつ)について少(すこ)しくお話(はなし)しませう。山(やま)や野(の)には、二百六十八種(にひやくろくじゆうはつしゆ)もの動物(どうぶつ)がゐるといひましたが、しかしわれ/\が實際(じつさい)に山(やま)を歩(ある)く場合(ばあひ)は、めったにさういふ動物(どうぶつ)に出(で)あはすものではありません。登山者(とざんしや)が熊(くま)にぶつかるなどといふことは、さう/\あるものではないのです。しかし、本州(ほんしゆう)、四國(しこく)、九州(きゆうしゆう)の山(やま)にわたつてくま、ゐのしゝ、しか、かもしか等(など)の大(おほ)きな獸(けもの)が棲(す)んでゐるのは事實(じじつ)です。
 熊(くま)は本州(ほんしゆう)の山(やま)に産(さん)するものは、アジア大陸(たいりく)に産(さん)する黒熊(くろぐま)の變種(へんしゆ)です。秩父(ちゝぶ)の山(やま)や駿河(するが)、甲斐(かひ)、信濃(しなの)、相模(さがみ)、越中(えつちゆう)、越後等(えちごなど)の山中(さんちゆう)にをり、木(き)の實(み)ややまぶどうを好(この)んで食(た)べてゐます。
 北海道(ほつかいどう)の熊(くま)は、みんな羆(あかぐま)の種類(しゆるい)で内地(ないち)に棲(す)んでゐる熊(くま)とは異(ちが)ひます。からだ全體(ぜんたい)が黒(くろ)く顏(かほ)だけが茶色(ちやいろ)のや、肩(かた)から胸(むね)に白(しろ)い斑(まだら)のあるのもゐます。木登(きのぼ)りも水泳(みづおよ)ぎも非常(ひじよう)に上手(じようず)です。食物(しよくもつ)はおもに夜(よる)出(で)て草(くさ)の根(ね)、果實(かじつ)、魚(うを)、かに等(など)をとり、ときには人里(ひとざと)へ來(き)て、家畜(かちく)をかすめとつていくこともあります。
 野猪(ゐのしゝ)は形(かたち)が豚(ぶた)に似(に)て全身(ぜんしん)黒褐色(こつかつしよく)のあらい毛(け)でおほはれてをり、頸(くび)が短(みじか)いので駈(か)けだすと急(きゆう)には方向(ほうこう)を變(か)へられない動物(どうぶつ)です。猪(ゐのしゝ)の牙(きば)は犬齒(けんし)の發達(はつたつ)したもので、この牙(きば)で獲物(えもの)を引(ひ)っかけたり、敵(てき)を防(ふせ)いだりします。夜(よる)になると方々(ほう/″\)を歩(ある)き廻(まは)つて、筍(たけのこ)、松茸(まつたけ)、芋(いも)、稻(いね)、大豆等(だいずなど)の農作物(のうさくぶつ)をあらしたり、木(き)の實(み)を食(く)ひ、野鼠(のねずみ)、兎(うさぎ)なども捕(とら)へて餌食(ゑじき)にします。
 鹿(しか)はみなさんもよく見(み)てご存(ぞん)じでせう。鹿(しか)は本州(ほんしゆう)、四國(しこく)、九州(きゆうしゆう)、朝鮮等(ちようせんなど)に廣(ひろ)く分布(ぶんぷ)してゐます。牡鹿(をじか)は牝鹿(めじか)より少(すこ)し大(おほ)きく、頭部(とうぶ)に角(つの)を持(も)つてゐます。この角(つの)は毎年(まいねん)ほゞきまつた時期(じき)に一囘(いつかい)落(お)ち、翌年(よくねん)また生(は)えます。年(とし)を經(へ)るにしたがつて叉状(またじよう)にわかれますが三本角(さんぼんづの)以上(いじよう)にはなりません。また鹿(しか)は春(はる)と秋(あき)との二囘(にかい)毛(け)をかへます。われ/\が『鹿(か)の子(こ)』とよんでゐる斑(まだら)のある毛(け)は夏毛(なつげ)のときのものです。食物(しよくもつ)は春(はる)、樹木(じゆもく)の若芽(わかめ)が出(で)ると好(この)んで食(た)べ、また汁(しる)の多(おほ)い草(くさ)も食(た)べますが、夏(なつ)になつて草木(くさき)が生長(せいちよう)すると穀物(こくもつ)やそば等(など)を食(た)べ、寒(さむ)くなつて木(き)の葉(は)や草(くさ)が萎(しほ)れると森林内(しんりんない)でぶな、かし、くりの木(き)の實(み)を食(た)べたりします。
 日本(につぽん)の狐(きつね)は日本(につぽん)固有(こゆう)のもので山(やま)の穴(あな)に棲(す)んでゐます。體(からだ)は二尺(にしやく)ぐらゐで尾(を)が長(なが)く、からだの半分(はんぶん)以上(いじよう)もあります。食物(しよくもつ)は主(おも)に野鼠(のねずみ)ですが、人家(じんか)に近(ちか)いところでは鷄(にはとり)などを掠(かす)めることもあります。しかし近頃(ちかごろ)は狐(きつね)の毛皮(けがは)で帽子(ぼうし)、首卷(くびま)きなどが造(つく)られます。米國(べいこく)から移入(いにゆう)して飼養(しよう)されてゐるものもあります。
 狸(たぬき)は俗(ぞく)にむじなともいひますが、これは地方(ちほう)によつてさういふのでたぬきもむじなと同(おな)じです。また穴熊(あなぐま)のことをむじなとよぶ地方(ちほう)もあり、夏時(なつどき)のたぬきのことをむじなといふところもあります。狸(たぬき)の毛皮(けがは)は大變(たいへん)役(やく)に立(た)つもので、値段(ねだん)も高(たか)いのです。狐(きつね)や狸(たぬき)は昔(むかし)は人(ひと)を化(ばか)すものと信(しん)じられたりしましたが、決(けつ)してそんなばかげたことがあり得(う)るわけもありません。狸(たぬき)は性質(せいしつ)が極(きは)めて臆病(おくびよう)で、人間(にんげん)にも慣(な)れ易(やす)い有用(ゆうよう)な動物(どうぶつ)です。
 以上(いじよう)のほか北海道(ほつかいどう)にはおほかみが少(すこ)し殘(のこ)つてゐます。内地(ないち)でいふおほかみはやまいぬのことです。また内地(ないち)の山(やま)にゐるやまねこは家猫(いへねこ)の逃(に)げて、いつのまにか山(やま)の生活(せいかつ)に慣(な)れてしまつたものなのです。
 次(つ)ぎに山(やま)に棲(す)む面白(おもしろ)いけものにむさゝびといふものがゐます。四肢(よつあし)をひろげて木(き)から木(き)へ飛(と)びわたりますが、鳥(とり)のように上(うへ)へは飛(と)べません。枝(えだ)から枝(えだ)へ飛(と)び下(さが)るだけです。これは北方(ほつぽう)に棲(す)むものほど毛(け)の色(いろ)が薄(うす)いのですが、南方(なんぽう)のものは濃(こ)い。きつね、たぬき、てん、のうさぎ、むさゝび、りす等(など)山(やま)に棲(す)むけものはどこにゐるのでも毛皮(けがは)は役(やく)に立(た)ちますが、特(とく)に北方(ほつぽう)に棲(す)むものほど、質(しつ)がいゝのです。
 縁日(えんにち)でよく赤(あか)い目(め)をしたかわいゝ、白(しろ)や斑(ぶち)のうさぎを賣(う)つてゐるのを、みなさんも、たびたびごらんになつたでせう。しかし山(やま)には褐色(かつしよく)のうさぎがゐます。日本(につぽん)の山(やま)のうさぎには二通(ふたとほ)りあつて、その一(ひと)つは平常(へいじよう)褐色(かつしよく)をしてゐますが、冬(ふゆ)になると眞白(まつしろ)に變(かは)るもの、も一(ひと)つは一年中(いちねんじゆう)通(とほ)して褐色(かつしよく)のものです。冬(ふゆ)白(しろ)くなる兎(うさぎ)は越後兎(えちごうさぎ)といつて寒(さむ)い國(くに)の雪(ゆき)の降(ふ)る地方(ちほう)に棲(す)んでゐます。つまり兎(うさぎ)は外敵(がいてき)に弱(よわ)い動物(どうぶつ)ですから、冬(ふゆ)雪(ゆき)が降(ふ)つて野山(のやま)が眞白(まつしろ)になれば自分(じぶん)のからだをも同(おな)じように白(しろ)くして外(ほか)から容易(ようい)に見(み)つからないようにするのです。かういふ風(ふう)に自分(じぶん)で自分(じぶん)を保護(ほご)するために外界(がいかい)の物(もの)の色(いろ)と同(おな)じ色(いろ)をもつ、その色(いろ)のことを『保護色(ほごしよく)』といひます。
 高原(こうげん)や高山(こうざん)に登(のぼ)る途中(とちゆう)、鳥(とり)がわれ/\の足音(あしおと)に驚(おどろ)いて、ふいに飛(と)び立(た)つことがあります。その羽(は)ばたきには、初(はじ)めの間(あひだ)こそ、こちらでもびっくりしますが、しかしだん/\進(すゝ)むにしたがつて、むしろ鳥(とり)が飛(と)びたつのも、道連(みちづ)れが出來(でき)たように懷(なつ)かしくなるものです。殊(こと)に信州(しんしゆう)あたりの高原(こうげん)をかっこうの聲(こゑ)を聞(き)きながら歩(ある)いたり、濶葉樹林(かつようじゆりん)の涼(すゞ)しい林間(りんかん)を登(のぼ)つたりするときには、鳥(とり)によびかけられるような氣(き)がしてこちらからもかっこうと返事(へんじ)がしたいくらゐです。かっこうは山(やま)の鳥(とり)でもわりに人里近(ひとざとちか)い平地(へいち)にゐます。
 かっこうはほとゝぎすの類(るい)で※帶(ねつたい)[#「執/れんが」、U+24360、249-1]に棲(す)むものですが、夏(なつ)になると北方(ほつぽう)の涼(すゞ)しい地方(ちほう)へやつてくるのです。中(なか)には日本(につぽん)を通(とほ)り過(す)ぎて、もっと北(きた)の國(くに)へまで行(ゆ)くのもあります。じひしんちょう(慈悲心鳥(じひしんちよう))の聲(こゑ)は山中(さんちゆう)でなければ聞(き)かれません。これは背(せ)に灰黒色(かいこくしよく)、胸(むね)と腹(はら)が淡赤茶色(うすあかちやいろ)で、同(おな)じその部分(ぶぶん)の白(しろ)いほとゝぎすやかっこうと區別(くべつ)することが出來(でき)ます。木曾(きそ)の御嶽(おんたけ)や日光(につこう)にもゐます。
 次(つ)ぎに澄(す)み切(き)つた朗(ほがら)かな聲(こゑ)で鳴(な)くぶっぽうそう(佛法僧(ぶつぽうそう))はきつゝきの類(るい)で、形(かたち)は烏(からす)に似(に)てゐますが、大(おほ)きさはその半分(はんぶん)もありません。羽毛(うもう)は藍緑色(あゐみどりいろ)で、翼(つばさ)と尾(を)とが菫色(すみれいろ)を帶(お)びてゐます。飛(と)ぶときはその翅(はね)が實(じつ)に美(うつく)しい色(いろ)に閃(ひらめ)きます。この鳥(とり)は羽(はね)も綺麗(きれい)ですが、鳴(な)き聲(ごゑ)も美(うつく)しく、「ぶっ、ぽう、そう」と鳴(な)きつゞけます。三河(みかは)の鳳來寺山(ほうらいじさん)と高野山(こうやさん)、比叡山(ひえいざん)の三箇所(さんかしよ)だけにゐる靈鳥(れいちよう)で、決(けつ)して姿(すがた)を見(み)せず、聲(こゑ)が聞(きこ)えるだけだといひますが、もとは※帶(ねつたい)[#「執/れんが」、U+24360、249-10]の鳥(とり)で、遠(とほ)く渡(わた)つてくるのですから以上(いじよう)の三(みつ)つの山(やま)ばかりでなく、ほかの深山(しんざん)にもゐるにちがひありません。
 ふくろ(鶚(がく))は體(からだ)が一尺(いつしやく)もあり、暗褐色(あんかつしよく)の羽毛(うもう)を趾(あし)までかぶつてゐます。翅(はね)が非常(ひじよう)に軟(やはらか)ですから飛(と)ぶときに音(おと)がしません。晝(ひる)は木(き)の洞穴(ほらあな)や岩(いは)の隙(す)き間(ま)などにひそんでゐますが、夜(よる)になると飛(と)び出(だ)して、大(おほ)きな目玉(めだま)をぎょろ/\させて鼠(ねずみ)などをさらつてあるき、薄氣味(うすきみ)の惡(わる)い聲(こゑ)で「ほう、ほう」と、鳴(な)きます。
 この鳥(とり)は食物(しよくもつ)の中(なか)で不消化(ふしようか)なものがあれば※(「口+素」、第4水準2-4-20)嚢(そのう)の中(なか)でまるめて、口(くち)から吐(は)き出(だ)すから、巣(す)の下(した)には、かならず、さうした團子(だんご)のような塊(かたま)りが積(つも)つてゐます。みゝづくはとらふづくの類(るい)で、獸(けもの)のような顏(かほ)で、耳(みゝ)のようなものが立(た)つてゐます。しかしこれは耳(みゝ)たぶではなく、實(じつ)は毛(け)が立(た)つてゐるだけなのです。しかし、その下(した)には耳(みゝ)の孔(あな)がありますから、その立(た)つてゐる羽(はね)のために、いくらか聞(きこ)えがいゝかと思(おも)はれます。羽(はね)は淺黄色(あさぎいろ)に暗褐色(あんかつしよく)の條紋(じようもん)があるので、とらふといふ名(な)がついてたのでせう。この鳥(とり)について面白(おもしろ)いことは、鳩(はと)やかさゝぎ、栗鼠等(りすなど)の造(つく)つた、古(ふる)い巣(す)にはひつて卵(たまご)を産(う)むことです。
 高山(こうざん)のはひまつ帶(たい)にはらいちょう(雷鳥(らいちよう))といふものがゐます。晴天(せいてん)には草(くさ)むらにかくれて出(で)て來(き)ませんが、曇(くも)つた日(ひ)などには、とんで來(き)て驚(おどろ)かされることがあります。鳴(な)き聲(ごゑ)も雷(らい)のように強(つよ)く、いかにも高山(こうざん)の頂(いたゞ)きに棲(す)む鳥(とり)にふさはしい丈夫(じようぶ)そうな鳥(とり)です。大(おほ)いさは鳩(はと)よりも大(おほ)きく、夏(なつ)の間(あひだ)は翅(はね)と尾(を)の一部(いちぶ)をのぞくほかは、全部(ぜんぶ)黒褐色(こつかつしよく)で、冬(ふゆ)になると雪(ゆき)と見誤(みあやま)られるように白色(はくしよく)に變(かは)ります。これは寒國(かんこく)に棲(す)む兎(うさぎ)が冬(ふゆ)の間(あひだ)眞白(まつしろ)になるのと同(おな)じ保護色(ほごしよく)です。雷鳥(らいちよう)ははひまつの芽(め)や高山植物(こうざんしよくぶつ)の若芽(わかめ)や實(み)を食物(しよくもつ)としてゐます。性質(せいしつ)は遲鈍(ちどん)ですから、人(ひと)が近寄(ちかよ)つても容易(ようい)に逃(に)げません。杖(つゑ)で叩(たゝ)けば落(おと)せそうな低(ひく)い空(そら)を、うろ/\飛(と)び廻(まは)つてゐます。また高山(こうざん)に特有(とくゆう)なものに、いはつばめ、いはひばり等(など)もゐます。
 山岳(さんがく)の溪流(けいりゆう)にはあまり目(め)にふれませんが、やはり特有(とくゆう)の魚(うを)がゐます。いはな、やまめ、うぐひ、あゆ等(など)はその中(なか)の主(おも)な魚(うを)で、高山(こうざん)の水(みづ)が清(きよ)く澄(す)みきつてるように、その肉(にく)も、くさみがなく、味(あぢ)がいゝ。いはなややまめは※(「渓のつくり+谷」、第4水準2-88-89)谷(けいこく)を流(なが)れる激流(げきりゆう)の中(なか)で、はつらつと泳(およ)いでをり、二三尺(にさんじやく)も空(そら)に飛(と)び上(あが)るほどの元氣(げんき)ものです。水(みづ)の澄(す)んだところでは、鈎(はり)の先(さき)へ雷鳥(らいちよう)の羽毛(うもう)かそれがなければ、鷄(にはとり)の羽毛(うもう)でもくゝりつけて下(おろ)すと釣(つ)れます。濁(にご)つてるところでは餌(ゑ)づりをするのですが、釣(つ)り竿(ざを)は長(なが)く丈夫(じようぶ)なものがいゝようです。いはなは色(いろ)が少(すこ)し黒(くろ)く腹(はら)に赤(あか)い點(てん)があり、やまめは色(いろ)が白(しろ)く縱(たて)に美(うつく)しい藍色(あゐいろ)の條(すぢ)があります。またやまめの口(くち)はいはなより少(すこ)し尖(とが)つてゐて、大(おほ)きさは共(とも)に七八寸(しちはつすん)がとまりです。日本(につぽん)アルプスの上高地(かみこうち)の梓川(あづさがは)には、もといはなで、足(あし)が滑(すべ)るといはれたほど澤山(たくさん)ゐたものですが、近頃(ちかごろ)はだんだん減(へ)つて來(き)たようです。これは鹽燒(しほや)き、てんぷら、煮(に)つけ、刺(さ)し身(み)などになり、鑵詰(かんづ)めにあきた登山者(とざんしや)にとつて何(なに)よりの珍味(ちんみ)です。
 以上(いじよう)私(わたし)がお話(はなし)して來(き)たことは、山林(さんりん)はわれ/\人間(にんげん)にとつては大變(たいへん)に關係(かんけい)が深(ふか)く、いろいろの意味(いみ)でずいぶん役(やく)に立(た)つてゐること、それから有用(ゆうよう)な樹木(じゆもく)のこと、日本(につぽん)の森林帶(しんりんたい)の話(はなし)、山(やま)に棲(す)む獸(けもの)や鳥(とり)や小魚(こうを)のお話(はなし)でした。これでみなさんも山(やま)に關(かん)するいろ/\なことを覺(おぼ)えられたので、折(をり)があつたら高(たか)い山(やま)にも登(のぼ)つて實際(じつさい)について見(み)られると、一層(いつそう)興味(きようみ)があるでせう。
――(終)――
了

底本:「山の科学」復刻版日本児童文庫、名著普及会
   1982(昭和57)年6月20日発行
底本の親本:「山の科學」日本兒童文庫、アルス
   1927(昭和2)年10月3日発行
※「熱」と「[#「執/れんが」、U+24360]」の混在は、底本通りです。
※底本は旧字旧仮名づかいです。なお拗音、促音の大書きと小書きの混在は、底本通りです。
※岡落葉(1879(明治12)年7月19日〜1962(昭和37)年2月1日)の挿絵を同梱しました。
入力:しだひろし
校正:POKEPEEK2011
2015年12月12日作成
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