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ヒュイスマンスの小説『さかしま』の主人公ジァン・デ・ゼッセントが愛吟、マラルメ作『エロディヤッド』の斷章

……………………あゝなんぢ、鏡よ、
うれへによつてそのふちの中に凍りたる水よ、
いくたびも、いく時も、我が夢をかなしみ痛みて、
なんぢが底深き氷のしたに沈みたる
落葉らくえふに似たるわが思出を求めつゝ、
われはなんぢの奧にはるかなる影とあらはる。
しかも、あゝ、ゆふべとなれば冷然れいぜんたる泉のなかに、
亂れ散るわが夢のはだか身を知るおそれかな。

エロディヤッド
げにたゞわがためにわが爲に、ひとむなしくわれは咲きにほふと、
汝等なんぢらこそは知れ、まばゆくも入組みたる谷窪たにくぼの奧に、
はてしなく埋もれて、紫水晶むらさきずゐしやうの色にゆる園生そのふよ、
太古たいこの土のをぐらき眠のしたに隱れゐて、
かみつ世の光を守る、人知らぬ黄金わうごんよ、
またはじゆんなる珠玉しゆぎよくの如きわがさうの眼が
嚠喨りうりやうたるその明光めいくわうり來るなんぢ寶石はうせきよ、
つゞいては、このわが若きさかりの雲の髮に、
末恐ろしき美々びゞしさとおもたげのふりとを添ふるなんぢ諸金銀よ、
さてなんぢ女人によにんよ、小賢こざかしき末の世に生れあひて、
口寄巫女くちよせみこ洞穴ほらあな惡事まがごとをなすべき身なるに、
めづらしや、人間のを引いて、にほひはげしき空焚そらだきくんじたる
わが打掛の花のうてなのもなかより、
裸體らたいの白き身慄みぶるひは、ぬけいでむといふか、
さらば豫言せよ、おのづから女もきぬくといふ
肌ぬるき眞夏まなつ青空あをぞらの眼に、
星の如くふるふわがはぢの身のれたらば、
われは絶入たえいらむと。

われは處女しよぢよすさまじさを愛す、
ねがはくば、この髮の毛に浮ぶおそれを身につけまとひ、
夕ざれば臥所ふしどに入りて、このまだ犯されぬ
へびの如きわが無益むやくなる肌身はだみ
なんぢ蒼白さうはくの光に散るひやききらめきにまかさむ、
今ぞ限と見ゆるなんぢよ、きよき心に燃ゆるなんぢよ、
垂氷たるひは光り、無情の雪降る白きよるよ。

また孤獨なるそのいもとあゝ永久のわがいもと
わが夢つねになんぢに向はむ、かく思ふ時早くも
わが心、世に珍らしく澄みわたりゐて、
無爲寂寞じやくまくの國にひとり立つをおぼゆ、
周圍の萬物ばんぶつこと/″\一面いちめんの鏡にむかひて、
眠るに似たるそが靜寂のおもてなる、
夜光やくわうの玉の眼差まなざしのエロディヤッドの影を拜す、
あゝ究極の美なるかな、げにわれこそはひとりなれ。

めのと
悲しや、姫ははかなくなり給ふか。

エロディヤッド
いなとよ、おうな、
心靜かにこゝを去れ、立去たちさりながら、わが無情をゆるせかし、
まて、そのまへにこの窓の戸を閉ぢよ、
厚きぐらすを透きて、セラフ天女てんにんの如くほゝゑみたる
その青空あをぞら、清き青空あをぞらへ難くうるさし。

見よ夕波の
たゆたひて、知らずや、かしこ掻曇かきくもよる一天いつてん
葉越はごしにもゆる金星のものすさまじき
憎しみの眼をもてにらむかのくにを。
われはそこへ行かむ。

ともしびをまたもかゝげよ、
をさなたはむれならず、らふの火は輕きほのほに、
金燭きんしよくを空しくなめて、珍らしき涙流しつ、
また…………

めのと
さてまた

エロディヤッド
さらば、さらば
     あゝわが唇の裸の花は
まことを言はず。

何事かえ知らぬ事の近づくよ、
あるひけだしわが口は、身に迫り來る不思議をも
おのがさけびの心をも、つひにさとらで傷つける
幼き年の滅びゆく吐息をもらし夢の
きたるひや寶玉はうぎよくの散りこぼるゝを思ふらむ。

底本:「上田敏全訳詩集」岩波文庫、岩波書店
   1962(昭和37)年12月16日第1刷発行
   2010(平成22)年4月21日第38刷改版発行
初出:「三田文学 六ノ九」
   1915(大正4)年9月
※原題の「HRODIADE」と著者名の原綴り「Stphane Mallarm」は、ファイル冒頭ではアクセント符号を略し、「HERODIADE」、「Stephane Mallarme」としました。
入力:川山隆
校正:岡村和彦
2012年11月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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