あらすじ
小石川《こいしかは》の植物園近くにある静かな貸家。敷金は既に支払われ、大家との契約も済んだにも関わらず、住人の姿は一向に見えませんでした。数日後、四十歳近いの男が慌ただしく現れ、その家を借りることを決めます。男の職業は曖昧で、一緒に住む人数も定かではありませんでした。やがて、男の妻と思われる病弱な女性とその女中が、幌かけ車で到着します。荷物はわずかに大八《だいはち》一つ。静かな引っ越しは、謎めいた雰囲気を漂わせていました。
 家の間数(まかず)は三畳敷の玄関までを入れて五間、手狭(てぜま)なれども北南吹とほしの風入(かぜい)りよく、庭は広々として植込の木立も茂ければ、夏の住居(すまゐ)にうつてつけと見えて、場処も小石川(こいしかは)の植物園にちかく物静なれば、少しの不便を疵(きず)にして他には申旨(むね)のなき貸家ありけり、門(かど)の柱に札をはりしより大凡(おほよそ)三月ごしにも成けれど、いまだに住人(すみて)のさだまらで、主(ぬし)なき門の柳のいと、空(むな)しくなびくも淋(さび)しかりき、家は何処(どこ)までも奇麗にて見こみの好(よ)ければ、日のうちには二人(ふたり)三人(みたり)の拝見をとて来るものも無きにはあらねど、敷金三月分、家賃は三十日限りの取たてにて七円五十銭といふに、それは下町の相場とて折かへして来るは無かりき、さるほどにこのほどの朝まだき四十に近かるべき年輩(としごろ)の男、紡績織の浴衣(ゆかた)も少し色のさめたるを着て、至極そそくさと落つきの無きが差配のもとに来たりてこの家の見たしといふ、案内して其処此処(そこここ)と戸棚の数などを見せてあるくに、それ等のことは片耳にも入れで、唯(ただ)四辺(あたり)の静にさわやかなるを喜び、今日より直(すぐ)にお借り申まする、敷金は唯今置いて参りまして、引越しはこの夕暮、いかにも急速では御座りますが直様(すぐさま)掃除にかかりたう御座りますとて、何の子細なく約束はととのひぬ、お職業はと問へば、いゑ別段これといふ物も御座りませぬとて至極曖昧(あいまい)の答へなり、御人数(ごにんず)はと聞かれて、その何だか四五人の事も御座りますし、七八人にも成りますし、始終(とほし)ごたごたして埒(らち)は御座りませぬといふ、妙な事のと思ひしが掃除のすみて日暮れがたに引移り来たりしは、相乗りの幌(ほろ)かけ車に姿をつつみて、開きたる門を真直に入りて玄関におろしければ、主(ぬし)は男とも女とも人には見えじと思ひしげなれど、乗りゐたるは三十ばかりの気の利(き)きし女中風と、今一人は十八か、九には未(いま)だと思はるるやうの病美人(びやうびじん)、顔にも手足にも血の気といふもの少しもなく、透きとほるやうに蒼白(あをしろ)きがいたましく見えて、折から世話やきに来てゐたりし、差配が心に、此人(これ)を先刻(さき)のそそくさ男が妻とも妹(いもと)とも受とられぬと思ひぬ。
 荷物といふは大八(だいはち)に唯(ただ)一くるま来たりしばかり、両隣にお定めの土産は配りけれども、家の内は引越らしき騒ぎもなく至極ひつそりとせし物なり。人数(にんず)はかのそそくさにこの女中と、他には御飯たきらしき肥大女(ふとつてう)および、その夜に入りてより車を飛ばせて二人ほど来たりし人あり、一人は六十に近かるべき人品よき剃髪(ていはつ)の老人、一人は妻なるべし対(つひ)するほどの年輩(としばい)にてこれは実法に小さき丸髷(まるまげ)をぞ結ひける、病みたる人は来るよりやがて奥深に床を敷かせて、括(くく)り枕に頭(つむり)を落つかせけるが、夜もすがら枕近くにありて悄然(しよんぼり)とせし老人(としより)二人の面(おも)やう、何処(どこ)やら寝顔に似た処のあるやうなるは、この娘(こ)のもしも父母にては無きか、かのそそくさ男を始めとして女中ども一同旦那さま御新造様(ごしんぞさま)と言へば、応々(おいおい)と返事して、男の名をば太吉(たきち)太吉と呼びて使ひぬ。
 あくる朝風すずしきほどに今一人車を乗りつけける人の有けり、紬(つむぎ)の単衣(ひとへ)に白ちりめんの帯を巻きて、鼻の下に薄ら髯(ひげ)のある三十位のでつぷりと太(ふとり)て見だてよき人、小さき紙に川村太吉と書て張りたるを読みて此処だ此処だと車よりおりける、姿を見つけて、おお番町の旦那様とお三どんが真先に襷(たすき)をはづせば、そそくさは飛出していやお早いお出(いで)、よく早速おわかりに成りましたな、昨日(きのふ)まで大塚(おほつか)にお置き申したので御座りますが何分最早(もう)、その何だか頻(しきり)に嫌(いや)にお成りなされて何処(どこ)へか行(ゆ)かう行かうと仰(おつ)しやる、仕方が御座りませぬで漸(やつ)とまあ此処をば見つけ出しまして御座ります、御覧下さりませ一寸(ちよいと)こうお庭も広う御座りますし、四隣(まはり)が遠うござりますので御気分の為にも良からうかと存じまする、はい昨夜(ゆふべ)はよくお眠(やすみ)に成ましたが今朝ほどは又少しその、一寸(ちよつと)御様子が変つたやうで、ま、いらしつて御覧下さりませと先に立て案内をすれば、心配らしく髭(ひげ)をひねりて奥の座敷に通りぬ。

 気分すぐれて良き時は三歳児(みつご)のやうに父母の膝(ひざ)に眠(ねぶ)るか、白紙を切つて姉様の製造(おつくり)に余念なく、物を問へばにこにこと打笑(うちゑ)みて唯はいはいと意味もなき返事をする温順(をとな)しさも、狂風一陣梢(こずゑ)をうごかして来(きた)る気の立つた折には、父様(とうさん)も母様(かあさん)も兄様(にいさん)も誰れも後生(ごしよう)顔を見せて下さるな、とて物陰にひそんで泣く、声は腸(はらわた)を絞り出すやうにて私が悪う御座りました、堪忍(かんにん)して堪忍してと繰返し繰返し、さながら目の前の何やらに向つて詫(わび)るやうに言ふかと思へば、今行(ゆき)まする、今行まする、私もお跡から参りまするとて日のうちには看護(まもり)の暇をうかがひて駆け出(いだ)すこと二度三度もあり、井戸には蓋(ふた)を置き、きれ物とては鋏刀(はさみ)一挺(ちやう)目にかからぬやうとの心配りも、危(あやふ)きは病ひのさする業かも、この繊弱(かよわ)き娘一人とり止むる事かなはで、勢ひに乗りて駆け出(いだ)す時には大の男二人がかりにてもむつかしき時の有ける。
 本宅は三番町の何処やらにて表札を見ればむむあの人の家かと合点のゆくほどの身分、今さら此処には言はずもがな、名前の恥かしければ病院へ入れる事もせで、医者は心安きを招き家は僕(ぼく)の太吉といふが名を借りて心まかせの養生、一月と同じ処に住へば見る物残らず嫌やに成りて、次第に病ひのつのる事見る目も恐ろしきほど悽(すさ)まじき[#「悽まじき」はママ]事あり。
 当主は養子にて此娘(これ)こそは家につきての一粒ものなれば父母が歎(なげ)きおもひやるべし、病ひにふしたるは桜さく春の頃よりと聞くに、それよりの昼夜※(「目+匡」、第3水準1-88-81)(まぶた)を合する間もなき心配に疲れて、老たる人はよろよろたよたよと二人ながら力なささうの風情(ふぜい)、娘が病ひの俄(には)かに起りて私はもう帰りませぬとて駆け出(いだ)すを見る折にも、あれあれどうかしてくれ、太吉太吉と呼立てるほかには何の能なく情なき体(てい)なり。
 昨夜(ゆふべ)は夜もすがら静に眠(ねぶ)りて、今朝は誰れより一はな懸けに目を覚し、顔を洗ひ髪を撫(な)でつけて着物もみづから気に入りしを取出(とりいだ)し、友仙の帯に緋(ひ)ぢりめんの帯あげも人手を借ずに手ばしこく締めたる姿、不図(ふと)見たる目にはこの様の病人とも思ひ寄るまじき美くしさ、両親(ふたおや)は見返りて今更に涕(なみだ)ぐみぬ、附そひの女が粥(かゆ)の膳を持来たりて召上りますかと問へば、嫌や嫌やと頭(つむり)をふりて意気地もなく母の膝へ寄そひしが、今日は私の年季(ねん)が明まするか、帰る事が出来るで御座んせうかとて問ひかけるに、年季(ねん)が明るといつて何処へ帰る了簡(れうけん)、此処はお前さんの家では無いか、このほかに行くところも無からうでは無いか、分らぬ事を言ふ物ではありませぬと叱(しか)られて、それでも母様(かあさま)私は何処へか行くので御座りませう、あれ彼方(あすこ)に迎ひの車が来てゐまする、とて指さすを見れば軒端(のきば)のもちの木に大いなる蛛(くも)の巣のかかりて、朝日にかがやきて金色の光ある物なりける。
 母は情なき思ひの胸に迫り来て、あれあんな事を、貴君(あなた)お聞遊しましたかと良人(をつと)に向ひて忌(いま)はし気にいひける、娘は俄に萎(しほ)れかへりし面(おもて)に生々とせし色を見せて、あのそれ一昨年(をととし)のお花見の時ねと言ひ出(いだ)す、何ゑと受けて聞けば学校の庭は奇麗でしたねへとて面しろさうに笑ふ、あの時貴君(あなた)が下すつた花をね、私は今も本の間へ入れてありまする、奇麗な花でしたけれどももう萎(しほ)れてしまひました、貴君にはあれから以来御目にかからぬでは御座んせぬか、何故(なぜ)逢(あ)ひに来て下さらないの、何故帰つて来て下さらぬの、もうお目にかかる事は一生出来ぬので御座んするか、それは私が悪う御座りました、私が悪いに相違ござんせぬけれど、それは兄様(にいさま)が、兄が、ああ誰れにも済(すみ)ませぬ、私が悪う御座りました免(ゆる)して免してと胸を抱いて苦しさうに身を悶(もだ)ゆれば、雪子や何も余計な事を考へては成りませぬよ、それがお前の病気なのだから、学校も花もありはしない、兄様(にいさん)も此処にお出でなさつてはゐないのに、何か見えるやうに思ふのが病気なのだから気を落つけて旧(もと)の雪子さんに成ておくれ、よ、よ、気が付きましたかへと脊(せ)を撫でられて、母の膝の上にすすり泣きの声ひくく聞えぬ。

 番町の旦那様お出(いで)と聞くより雪や兄様(にいさん)がお見舞に来て下されたと言へど、顔を横にして振向ふともせぬ無礼を、常ならば怒りもすべき事なれど、ああ、捨てて置いて下さい、気に逆らつてもならぬからとて義母(はは)が手づから与へられし皮蒲団(かはぶとん)を貰(もら)ひて、枕(まくら)もとを少し遠ざかり、吹く風を背にして柱の際(きは)に黙然(もくねん)としてゐる父に向ひ、静に一つ二つ詞(ことば)を交へぬ。
 番町の旦那といふは口数少なき人と見えて、時たま思ひ出したやうにはたはたと団扇(うちは)づかひするか、巻煙草(まきたばこ)の灰を払つては又火をつけて手に持(もつ)てゐる位なもの、絶えず尻目(しりめ)に雪子の方(かた)を眺めて困つたものですなと言ふばかり、ああこんな事と知りましたら早くに方法も有つたのでせうが今に成つては駟馬(しめ)も及ばずです、植村も可愛想(かあいさう)な事でした、とて下を向いて歎息(たんそく)の声を洩(も)らすに、どうも何とも、我は悉皆(しツかい)世上(せじやう)の事に疎(うと)しな、母もあの通りの何であるので、三方四方埒(らち)も無い事に成つてな、第一は此娘(これ)の気が狭いからではあるが、否(いや)植村も気が狭いからで、どうもこんな事になつてしまつたで、我等(わしども)二人が実に其方(そちら)に合はせる顔も無いやうな仕義でな、然し雪をも可愛想と思つて遣(や)つてくれ、こんな身に成つても其方(そちら)への義理ばかり思つて情ない事を言ひ出しをる、多少教育も授けてあるに狂気するといふは如何(いか)にも恥かしい事で、この方から行くと家の恥辱にも成る実に憎むべき奴ではあるが、情実を汲(く)んでな、これほどまで操(みさを)といふものを取止めて置いただけ憐(あはれ)んで遣つてくれ、愚鈍ではあるが子供の時からこれといふ不出来(ふでか)しも無かつたを思ふと何か残念の様にもあつて、誠の親馬鹿といふので有らうが平癒(なほ)らぬほどならば死ねとまでも諦(あきらめ)がつきかねる物で、余り昨今忌はしい事を言はれると死期(しご)が近よつたかと取越し苦労をやつてな、大塚の家(うち)には何か迎ひに来る物が有るなどと騒ぎをやるにつけて母がつまらぬ易者などにでも見て貰つたか、愚(ぐ)な話しではあるが一月のうちに生命(せいめい)が危ふいとか言つたさうな、聞いて見ると余り心よくも無いに当人も頻(しきり)と嫌がる様子なり、ま、引移りをするが宜からうとて此処を探させては来たが、いやどうも永持はあるまいと思はれる、殆(ほとんど)毎日死ぬ死ぬと言て見る通り人間らしい色艶(いろつや)もなし、食事も丁度一週間ばかり一粒(りふ)も口へ入れる事が無いに、そればかりでも身体(からだ)の疲労が甚しからうと思はれるので種々(いろいろ)に異見も言ふが、どうも病ひの故(せい)であらうかとかくに誰れの言ふ事も用ひぬには困りはてる、医者は例の安田が来るのでかう素人(しろうと)まかせでは我ままばかりつのつて宜く有るまいと思はれる、我(わし)の病院へ入れる事は不承知かと毎々聞かれるのであるが、それもどう有らうかと母などは頻(しきり)にいやがるので我も二の足を蹈(ふ)んでゐる、無論病院へ行けば自宅と違つて窮屈ではあらうが、何分この頃飛出しが始まつて、我(わし)などは勿論(もちろん)太吉と倉(くら)と二人ぐらゐの力では到底引とめられぬ働きをやるからの、万一井戸へでも懸られてはと思つて、無論蓋はして有るが徃来(わうらい)へ飛出されても難義至極なり、それ等を思ふと入院させやうとも思ふが何か不憫(ふびん)らしくて心一つには定めかねるて、其方(そちら)に思ひ寄(より)も有あらば言つて見てくれとてくるくると剃(そり)たる頭(つむり)を撫でて思案に能(あた)はぬ風情、はあはあと聞ゐる人も詞は無くて諸共(もろとも)に溜息(ためいき)なり。
 娘は先刻(さき)の涙に身を揉(も)みしかば、さらでもの疲れ甚しく、なよなよと母の膝へ寄添ひしまま眠(ねぶ)れば、お倉お倉と呼んで附添ひの女子(をなご)と共に郡内(ぐんない)の蒲団の上へ抱(いだ)き上げて臥(ふ)さするにはや正体も無く夢に入るやうなり、兄といへるは静に膝行(いざり)寄りてさしのぞくに、黒く多き髪の毛を最惜(いとを)しげもなく引つめて、銀杏返(いてうがへ)しのこはれたるやうに折返し折返し髷形(まげなり)に畳みこみたるが、大方横に成りて狼藉(らうぜき)の姿なれども、幽霊のやうに細く白き手を二つ重ねて枕のもとに投出(なげいだ)し、浴衣(ゆかた)の胸少しあらはに成りて締めたる緋ぢりめんの帯あげの解けて帯より落かかるも婀(なまめ)かしからで惨(いた)ましのさまなり。
 枕に近く一脚の机を据ゑたるは、折ふし硯々(すずりすずり)と呼び、書物よむとて有し学校のまねびをなせば、心にまかせて紙いたづらせよとなり、兄といへるは何心なく積重ねたる反古紙(ほごがみ)を手に取りて見れば、怪しき書風に正体得(え)しれぬ文字を書ちらして、これが雪子の手跡かと情なきやうなる中に、鮮かに読まれたるは村といふ字、郎といふ字、ああ植村録郎、植村録郎、よむに得堪へずして無言にさし置きぬ。

 今日は用なしの身なればとて兄は終日此処にありけり、氷を取寄せて雪子の頭(つむり)を冷す看護(つきそひ)の女子(をんな)に替りて、どれ少し我(わし)がやつて見やうと無骨らしく手を出(いだ)すに、恐れ入ます、お召物が濡(ぬ)れますと言ふを、いいさ先(まづ)させて見てくれろとて氷袋の口を開いて水を搾(しぼ)り出す手振りの無器用さ、雪や少しはお解りか、兄様(にいさん)が頭(つむり)を冷して下さるのですよとて、母の親心付(づけ)れども何の事とも聞分(ききわけ)ぬと覚しく、目は見開きながら空(くう)を眺めて、あれ奇麗な蝶が蝶がと言ひかけしが、殺してはいけませんよ、兄様(にいさん)兄様と声を限りに呼べば、こらどうした、蝶も何も居ない、兄は此処だから、殺しはせぬから安心して、な、宜いか、見えるか、ゑ、見えるか、兄だよ、正雄だよ、気を取直して正気になつて、お父(とつ)さんやお母(つか)さんを安心させてくれ、こら少し聞分てくれ、よ、お前がこの様な病気になつてから、お父様(とつさん)もお母様(つかさん)も一晩もゆるりとお眠(やすみ)に成つた事はない、お疲れなされてお痩(や)せなされて介抱してゐて下さるのを孝行のお前に何故(なぜ)わからない、平常(つね)は道理がよく了解(わか)る人では無いか、気を静めて考へ直してくれ、植村の事は今更取かへされぬ事であるから、跡でも懇(ねんごろ)に吊(ともら)つて遣れば、お前が手づから香花(かうはな)でも手向(たむけ)れば、あれは快よく瞑(めい)する事が出来ると遺書(ゆゐしよ)にも有つたと言ふでは無いか、あれは潔(いさぎ)よくこの世を思ひ切つたので、お前の事も合せて思ひ切つたので決して未練は残してゐなかつたに、お前がこの様に本心を取乱して御両親に歎(なげき)をかけると言ふは解らぬでは無いか、あれに対してお前の処置の無情であつたもあれは決して恨んではゐなかつた、あれは道理を知つてゐる男であらう、な、さうであらう、校内一流(いち)の人だとお前も常に褒(ほ)めたではないか、その人であるから決してお前を恨んで死ぬ、そんな事はある筈(はず)がない、憤(いきどほ)りは世間に対してなので、既に其事(それ)は人も知つてゐる事なり遺書(ゆゐしよ)によつて明かでは無いか、考へ直して正気に成つて、その後(ご)の事はお前の心に任せるから思ふままの世を経るが宜い、御両親のある事を忘れないで、御両親がどれほどお歎きなさるかを考へて、気を取直してくれ、ゑ、宜いか、お前が心で直さうと思へば今日の今も直れるでは無いか、医者にも及ばぬ、薬にも及ばぬ、心一つ居処をたしかにしてな、直つてくれ、よ、よ、こら雪、宜いか、解つたかと言へば、唯うなづいて、はいはいと言ふ。
 女子(をんな)どもは何時(いつ)しか枕もとを遠慮(はづ)して四辺(あたり)には父と母と正雄のあるばかり、今いふ事は解るとも解らぬとも覚えねども兄様(にいさん)兄様と小さき声に呼べば、何か用かと氷袋を片寄せて傍近く寄るに、私を起して下され、何故か身体(からだ)が痛くてと言ふ、それは何時も気の立つままに駆け出(いだ)して大の男に捉(とら)へられるを、振はなすとて恐ろしい力を出せば定めし身も痛からう生疵(なまきず)も処々(ところどころ)に有るを、それでも身体の痛いが知れるほどならばとはかなき事をも両親(ふたおや)は頼もしがりぬ。
 お前の抱かれてゐるは誰君(どなた)、知れるかへと母親の問へば、言下(ごんか)に兄様(にいさん)で御座りませうと言ふ、さうわかればもう子細はなし、今話して下された事覚えてかと言へば、知つてゐまする、花は盛りにと又あらぬ事を言ひ出(いだ)せば、一同かほを見合せて情なき思ひなり。
 良(やや)しばしありて雪子は息の下に極めて恥かしげの低き声して、もう後生(ごしよう)お願ひで御座りまする、その事は言ふて下さりますな、そのやうに仰(おほ)せ下さりましても私(わたし)にはお返事の致しやうが御座りませぬと言ひ出(いづ)るに、何をと母が顔を出せば、あ、植村さん、植村さん、何処へお出(いで)遊ばすのと岸破(がば)と起きて、不意に驚く正雄の膝(ひざ)を突のけつつ椽(えん)の方へと駆け出(いだ)すに、それとて一同ばらばらと勝手より太吉おくらなど飛来るほどにさのみも行かず椽先の柱のもとにぴたりと坐して、堪忍(かんにん)して下され、私が悪う御座りました、始めから私が悪う御座りました、貴君(あなた)に悪い事は無い、私が、私が、申さないが悪う御座りました、兄と言ふてはをりまするけれど。むせび泣きの声聞え初(そ)めて断続の言葉その事とも聞わき難く、半かかげし軒ばの簾(すだれ)、風に音する夕ぐれ淋し。

 雪子が繰かへす言の葉は昨日も今日も一昨日(をととひ)も、三月の以前もその前も、更に異(こと)なる事をば言はざりき、唇に絶えぬは植村といふ名、ゆるし給(たま)へと言ふ言葉、学校といひ、手紙といひ、我罪、おあとから行まする、恋しき君、さる詞(ことば)をば次第なく並べて、身は此処(ここ)に心はもぬけの※(「士/冖/一/几」、第4水準2-5-22)(から)に成りたれば、人の言へるは聞分(ききわく)るよしも無く、楽しげに笑ふは無心の昔しを夢みてなるべく、胸を抱(いだ)きて苦悶(くもん)するは遣るかた無かりし当時のさまの再び現(うつつ)にあらはるるなるべし。
 おいたはしき事とは太吉も言ひぬ、お倉も言へり、心なきお三どんの末まで嬢さまに罪ありとはいささかも言はざりき、黄八丈の袖(そで)の長き書生羽織めして、品のよき高髷(たかまげ)にお根がけは桜色を重ねたる白の丈長(たけなが)、平打(ひらうち)の銀簪(ぎんかん)一つ淡泊(あつさり)と遊して学校がよひのお姿今も目に残りて、何時(いつ)旧(もと)のやうに御平癒(おなほり)あそばすやらと心細し、植村さまも好いお方であつたものをとお倉の言へば、何があの色の黒い無骨らしきお方、学問はゑらからうともどうで此方(うち)のお嬢さまが対(つい)にはならぬ、根つから私は褒めませぬとお三の力めば、それはお前が知らぬからそんな憎くていな事も言へるものの、三日交際(つきあひ)をしたら植村様のあと追ふて三途(さんづ)の川まで行きたくならう、番町の若旦那を悪いと言ふではなけれど、彼方(あなた)とは質(たち)が違ふて言ふに言はれぬ好(い)い方であつた、私でさへ植村様が何だと聞いた時にはお可愛想(かあいさう)な事をと涙がこぼれたもの、お嬢さまの身に成つては愁(つ)らからうでは無いか、私やお前のやうなおつと来いならば事は無いけれど、不断つつしんでお出遊ばすだけ身にしみる事も深からう、あの親切な優しい方をかう言ふては悪いけれど若旦那さへ無かつたらお嬢さまも御病気になるほどの心配は遊ばすまいに、さういへば植村様が無かつたら天下泰平に納まつたものを、ああ浮世は愁(つ)らいものだね、何事も明(あけ)すけに言ふて除(の)ける事が出来ぬからとて、お倉はつくづく儘(まま)ならぬを傷(いた)みぬ。
 つとめある身なれば正雄は日毎(ひごと)に訪(と)ふ事もならで、三日おき、二日おきの夜な夜な車を柳のもとに乗りすてぬ、雪子は喜んで迎へる時あり、泣いて辞す時あり、稚子(おさなご)のやうに成りて正雄の膝を枕にして寐(ね)る時あり、誰(た)が給仕にても箸(はし)をば取らずと我儘(わがまま)をいへれど、正雄に叱(しか)られて同じ膳の上に粥(かゆ)の湯をすする事もあり、癒(なほ)つてくれるか。癒りまする。今日癒つてくれ。今日癒りまする、癒つて兄様(にいさん)のお袴(はかま)を仕立て上げまする、お召(めし)も縫ふて上げまする。それは辱(かたじけな)し早く癒つて縫ふてくれと言へば、さうしましたらば植村様を呼んで下さるか、植村様に逢はして下さるか、むむ逢はして遣る、呼んでも来る、はやく癒つて御両親に安心させてくれ、宜いかと言へば、ああ明日(あした)は癒りますると憚(はばか)りもなく言ひけり。
 正(まさ)しく言ひしを心頼みに有るまじき事とは思へども明日(あす)は日暮も待たず車を飛ばせ来るに、容体ことごとく変りて何を言へども嫌々とて人の顔をば見るを厭(いと)ひ、父母をも兄をも女子(おなご)どもをも寄せつけず、知りませぬ、知りませぬ、私は何も知りませぬとて打泣くばかり、家の中(うち)をば広き野原と見て行く方なき歎(なげ)きに人の袖をもしぼらせぬ。
 俄(には)かに暑気つよく成し八月の中旬(なかば)より狂乱いたく募りて人をも物をも見分ちがたく、泣く声は昼夜に絶えず、眠(ねぶ)るといふ事ふつに無ければ落入たる眼(まなこ)に形相(ぎやうさう)すさまじくこの世の人とも覚えず成ぬ、看護の人も疲れぬ、雪子の身も弱りぬ、きのふも植村に逢ひしと言ひ、今日も植村に逢ひたりと言ふ、川一つ隔てて姿を見るばかり、霧の立おほふて朧気(おぼろげ)なれども明日(あした)は明日はと言ひて又そのほかに物いはず。
 いつぞは正気に復(かへ)りて夢のさめたる如く、父様(ととさま)母様(かかさま)といふ折の有りもやすと覚束(おぼつか)なくも一日(ひとひ)二日(ふつか)と待たれぬ、空蝉(うつせみ)はからを見つつもなぐさめつ、あはれ門(かど)なる柳に秋風のおと聞えずもがな。
了

底本:「にごりえ・たけくらべ」新潮文庫、新潮社
   1949(昭和24)年6月30日発行
   2003(平成15)年1月10日116刷改版
   2005(平成17)年5月20日126刷
初出:「讀賣新聞」
   1895(明治28)年8月27日号〜31日号
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
※送りがな、振りがな、漢字の使い方の不統一は、底本通りです。
入力:岡村和彦
校正:青米
2016年9月9日作成
青空文庫作成ファイル:
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