旧主人

 今でこそ私もこんなに肥ってはおりますものの、その時分はやせぎすな小作りな女でした。ですから、隣の大工さんの御世話で小諸こもろへ奉公に出ました時は、人様が十七に見て下さいました。私の生れましたのは柏木かしわぎ村――はい、小諸まで一里と申しているのです。
 柏木界隈かいわいの女は佐久さくの岡の上に生活くらしてて、荒い陽気を相手にするのですから、どうでも男を助けて一生はげしい労働はたらきなければなりません。さあ、その烈しい労働をるからでも有ましょう、私の叔母でも、母親おふくろでも、強健つよ捷敏はしこい気象です。私は十三のとしから母親にいて田野のらへ出ました。同じ年恰好かっこうの娘は未だ鼻を垂して縄飛なわとびをして遊ぶ時分に、私はもう世の中のうれしいもかなしいも解り始めましたのです。吾家うちでは子供もふえる、小商売こあきないには手を焼く、父親おやじ遊蕩のらくらあてにもなりませんし、何程なんぼまさりでも母親の腕一つでは遣切やりきれませんから、いやでも応でも私は口を預けることになりました。その頃下女の給金は衣裳いしょう此方こちらもちの年に十八円位が頂上とまりです。然し、私は奥様のお古か何かで着せて頂いて、その外は相応な晴衣の御宛行あてがいという約束きめに願って出ました。
 金銭おかねで頂いたら、た父親に呑まれはすまいか、という心配が母親の腹にありましたのです。
 出るにつけても、母親はひとりで気をもんで、「旦那だんな様というものは奥様次第でどうにでもなる、と言っては済まないが」から、「御奉公は奥様の御機嫌きげんを取るのが第一だ」まで、縷々さんざん寝物語に聞かされました。忘れもしない。母親に連れられてうちを出たのは三月の二日でした――山家やまがではこの日を山替でがわりとしてあるのです。すこし風が吹いて土塵つちぼこりつ日でしたから、乾燥はしゃいだ砂交りの灰色な土をふんで、小諸をさして出掛けました。母親は新しい手拭てぬぐいかぶって麻裏穿あさうらばき。私は萌黄もえぎの地木綿の風呂敷包をげて随いて参りましたのです。こうして親子連で歩くということが、何故かこの日に限って恥しいような悲しいような気がしました。浅々と青く萌初もえそめた麦畠むぎばたけの側を通りますと、丁度その畠の土と同じ顔色の農夫ひゃくしょうくわを休めて、私共を仰山らしくながめるのでした。北国街道は小諸へ入る広い一筋道。其処そこまで来れば楽なものです。昔の宿場風の休茶屋には旅商人たびあきんどの群が居りました。「唐松からまつ」という名高い並木はきり倒される最中で、大木の横倒よこたおしになる音や、高い枝の裂ける響や、人足の騒ぐ声は戦闘いくさのよう。私共は親子連の順礼とあとになりさきになりして、松葉の香をふんで通りました。
 小諸の荒町から赤坂を下りて行きますと、右手に当って宏壮おおきな鼠色の建築物たてものは小学校です。その中の一むね建増たてましの最中で、高い足場の内には塔の形が見えるのでした。その構外かまえそとの石垣について突当りました処が袋町ふくろまちです。それはだらだら下りの坂になった町で、浅間の方から流れて来る河の支流わかれが浅く町中を通っております。この支流ながれを前に控えて、土塀どべいから柿の枝の垂下っている家が、私共の尋ねて参りました荒井様でした。見付みつきは小諸風の門構でも、内へ入れば新しい格子作こうしづくりで、二階建の閑静な御住居すまいでした。
 丁度、旦那様の御留守、母親おふくろは奥様にばかり御目にかかったのです。奥様は未だ御若くって、おおき丸髷まるまげに結って、桃色の髪飾てがらを掛た御方でした。物腰のしおらしい、背のすらりとした、黒目勝の、つくれば粧るほど見勝みまさりのしそうな御容貌かおだち。地の御生おうまれでないということは美しい御言葉で知れました。奥様の白い手に見比べると、母親のは骨太な上に日に焼けて、男の手かと思われる位。
「奥様、これは御恥しいものでごわすが、ほんの御印ばかりに」
と母親は手土産てみやげを出して、炉辺ろばたに置きました。
「あれ、そんな心配をしておくれだと……それじゃかえって御気毒ですねえ」
いいえ、どう致しやして。家でこしらえやした味噌漬みそづけで、召上られるようなものじゃごわせんが」
「それは何よりなものを――まあ、御茶一つお上り」
「もう何卒どうぞ御構いなすって下さいますな」
「よくまあ、それでも早く来てくれましたねえ。あの、何ですか。名は何と言いますの」
「はい、お定と申しやす。まことに不調法者でごわして。何卒どうかまあ何分よろしく御願申しやす」
 私はつんつるてんの綿入に紺足袋穿こんたびばきという体裁しこうで、奥様に見られるのが何より気恥しゅう御座ございました。御傍へれば心持の好い香水が顔へ匂いかかる位、見るものも聞くものも私には新しく思われたのです。御奉公の御約束もまとまりました。母親は華麗はで御暮おくらしや美しい御言葉のなかに私をひとり残して置いて、柏木へ帰ってしまいました。
 御本宅は丸茂まるもという暖簾のれんかけた塩問屋、これは旦那様の御兄様おあにいさまで、私の上りました御家は新宅と申しました。御本宅は大勢様、奉公人も十人の上つかっておりましたが、新宅は旦那様に奥様、奉公人といえばじいさんが一人と、其処へ私が参りましたから、合せて四人暮。御本宅は旧気質むかしかたぎの土地風。新宅は又た東京風。家の構造つくりを見比べても解るのです。旦那様は小諸へ東京を植えるという開けた思想かんがえを御持ちなすった御方で、御服装おみなりも、御言葉も、旧弊は一切御廃し。それを御本家では平素しじゅう憎悪にくんでいるということでした。
 まあ、聞いて下さい。世には妙な容貌かおだちの人もあればあるもので、泣いている時ですら見たところは笑っているとしか思われないものがあります。旦那様のが丁度それで、眼の周囲まわりの筋の縮んだ工合から口元とほおの間に深いしわのある御様子は、全く旦那様の御顔を見ると笑が刻んであるようでした。さ、その御顔です。一時いっときも油断をなさらない真面目まじめ精神こころの旦那様が、こうした御顔でいらっしゃるということは、不思議なようでした。然し、それが旦那様の御人おひといいという証拠で、御天性おうまれつき普通なみの人とは違ったところでしょう。一体、寒い国の殿方には遅鈍ぐずぐずした無精な癖があるものですけれど、旦那様にはそれがありません。よくもああ身体からだが動くと思われる位に、勤勉まめ働好はたらきずきな御方でした。
 小諸で新しい事業しごととか相談とか言えば、誰は差置てもず荒井様という声が懸る。小諸に旦那様ほどの役者はないと言いました位です。
 私が上りました頃の御夫婦仲というものは、外目よそめにもうらやましいほどの御むつまじさ。旦那様は朝早く御散歩をなさるか、御二階で御調物しらべものをなさるかで、朝飯前には小原の牝牛うしの乳を召上る。九時には帽子を冠って、前垂掛で銀行へ御出掛おでましになる。御休暇おやすみの日には御客様を下座敷へ通して、御談話おはなしでした。尋ねて来る御客様は町会議員、大地主、商家たなの旦那、新聞屋、いずれも土地の御歴々です。御晩食おゆはんの後は奥様と御対座おさしむかい、それは一日のうちでも一番楽しい時で、笑いさざめく御声が御部屋かられて、耳をなぶるように炉辺までも聞える位でした。その時は珈琲コーヒーか茶を上げました。
 思えば結構尽けっこうづくめの御暮です。私は洋燈ランプの下で雑巾ぞうきんを刺し初めると、柏木のことが眼前めのまえに浮いて来て、毎晩癖のようになりました。吾等こちとらいやしい生涯くちすぎでは、農事しごと多忙いそがしくなると朝も暗いうちに起きて、燈火あかりけて朝食あさめしを済ます。東の空が白々となれば田野のらへ出て、一日働くと女の身体は綿のようです。ある時、私は母親おふくろと一緒に疲れきって、草の上に転んでいると、急に白雨ゆうだちが落ちて来た、二人とも起上る力がないのです。汗臭い身体を雨に打たれながら倒れたままで寝ていたことも有ました。その時に後でひどい熱病をわずらって死ぬ程のくるしみをいたしました。農家の女の労苦つらさはどれ程でしょう――麦刈――田の草取、それから思えば荒井様の御奉公は楽すぎて、毎日遊んで暮すようなものでした。野獣けもののように土だらけな足をして谷間たにあい馳歩かけあるいた私が、結構な畳の上では居睡いねむりも出ました位です。
 何一つ御不足ということが旦那様と奥様のなかには有ません。唯御似合なさらないのは御年です。ある日のこと、下座敷へ御客様が集りました。旦那様はこまかい活版刷の紙をひろげて御覧なさる、皆さんが無遠慮な方ばかりです。「こりゃひどい、まるで読めない」と旦那様はその紙を投出しました。
「成程、御若い方の読むんで、吾儕われわれの相手になるものじゃありません。ここの処なざあ、細いすじのようです」
 と言いながら、一人の御客様はたもとから銀縁の大きな眼鏡を取出しました。玉のほこり襦袢じゅばん袖口そでぐちで拭いて、釣針つりばりのようにとがった鼻の上に載せて見て、
「これなら私にも、明瞭はっきりとはいきませんけれど……どうかこうか見えます」
「へえ、一寸ちょっとその眼鏡を拝借」と他の御客様が笑いながら受取て、「成程、むむ、これなら明瞭します」
 旦那様も笑ってりかえりました。やがて、めばたきをしたり、眼をこすって見たりして、眼鏡を借りようとはなさいません。
「まあ、眼鏡はもう二三年懸けないつもりです。懸けた方が目の為にはいいと言いますけれど」
「ですから、私なざア何か読む時だけ懸けるんです」と眼鏡を出した方は仔細しさいらしく。
「驚きましたねえ」とその隣の方が引取って、
「こんなにく見えるのかなア。ハハハハ、こりゃ眼鏡を一つおごるかな」
 しまいには旦那様も釣込れて、
「拝借」と手を御出しなさいました。
 一人の御客様が笑いながら渡しますと、旦那様も面白そうに鼻の上へ載せて、活版刷の紙を遠く離したり近く寄せたりして御覧でした。
「懸けた工合は……どうですな」と渡した方が旦那様の御顔をのぞくようにして尋ねる。
「や、こりゃ能く見える。これを懸ければすっかり読めます」
「ハハハハハ、ひどいものですなア」
「ハハハハハ」
 と旦那様も手をって大笑い、一人の御客様は目から涙を流しながら、腹をかかえて笑いました。しまいには皆さんが泣くような声を御出しなさると、尖った鼻の御客様は頭をかかえて、御座敷から逃出しましたのです。
 私も旦那様がこれ程であろうとは思いませんでした。人程見かけにらない者はありません。これから気をけてると、黒髪かみも人知れず染め、鏡を朝晩にながめ、御召物のしま華美はでなのをり、忌言葉いみことばは聞いたばかりでいやな御顔をなさいました。ことに寝起の時の御顔色は、いつすこし青ざめて、老衰おいおとろえた御様子が明白ありありと解りました。智慧ちえの深そうな目の御色も時によると朦朧どんより潤みをって、疲れ沈んで、物を凝視みつめる力も無いという風に変ることが有ました。私は又た旦那様のあごから美しく白く並んだ御歯が脱出はずれるのを見かけました。旦那様は花やかに若くいろどった年寄の役者なのです。住慣れて見れば、それも可笑おかしいとは思いません。御二人の御年違もいっそ御似合なされて、かれこれと世間から言われるのが悲しいとおもう様になりましたのです。
 奥様は御器量を望まれて、それで東京から御縁組おかたづきに成ったと申す位、御湯上りなどの御美しさと言ったら、女の私ですら恍惚ほれぼれとなって了う程でした。旦那様がじっと奥様の横顔を御眺めなさるときは、もう何もかも忘れて御了いなすって、芝居好が贔負ひいき役者に見惚みとれるような目付をなさいます。聞けばこの奥様の前に、永いこと連添った御方も有たとやら、無理やりの御離縁も畢竟つまりは今の奥様ゆえで、それから御本宅と新宅の交情なかが自然氷のように成ったということでした。
 たとえて申しましょうなら、御本宅や御親類ははちの巣です。其処へ旦那様が石を投げたのですから、奉公人の私まで痛いうわさに刺されました。
 しかし、山家が何程どれほど恐しい昔気質かたぎなもので、すこし毛色の変った他所者よそものと見れば頭から熱湯にえゆを浴せかけるということは、全く奥様も御存ごぞんじない。そこが奥様は都育みやこそだちです。御親類の御女中方は、いずれも質素じみな御方ばかりですから、就中わけても奥様御一人が目立ちました。奥様は朝につくり、晩にみがき、透き通るような御顔色の白過ぎて少許すこしあおく見えるのを、頬の辺へはほんのり紅をして、身のたけにあまる程の黒髪は相生あいおい町のおせんさんに結わせ、剃刀かみそりは岡源の母親おふくろあてさせ、御召物の見立は大利だいりの番頭、仕立は馬場裏の良助さん――華麗はで穿鑿せんさくを仕尽したものです。田舎いなかの女程物見高いものは有ません。奥様が花やかな御風俗おみなりで御通りになる時は、土壁の窓から眺め、障子の穴から覗き、目と目を見合せていやな笑いかたを為るのです。そんなことは奥様も御存ごぞんじなしで、御慈悲に拝ませてるという風をなさりながら町を御歩行おあるきなさいました。たまたま途中みちで御親類の御女中方に御逢なさることが有ても、高い御挨拶あいさつをなさいました。奥様の目から見ると、この山家の女は松井川の谷の水車――毎日同じことをして廻っている、とまあ映るのです。たとえ男が長い冬の日を遊暮しても、女はく働くという田舎の状態ありさまを見て、てんで笑って御了いなさる。全く、奥様は小諸の女を御存ごぞんじないのです。これを御本家はじめ御親類の御女中に言わせると折角花車きゃしゃな当世の流行をすてて、娘にまで手織縞で得心させている中へ、奥様という他所者が舞込で来たのは、開けて贅沢ぜいたくな東京の生活くらし一断片ひときれ提げて持って来たようなもの、としか思われないのでした。ですから、骨肉しんみの旦那様よりか、他人の奥様に憎悪にくしみが多く掛る。町々の女の目はほめるにつけ、そしるにつけ、奥様の身一つに向いていましたのです。
 春も深くなっての夕方には、御二人で手を引いて、遅咲の桜の蔭から飛騨ひだの遠山の雪を眺め眺め静に御散歩をなさることもありました。さあ、旧弊な御親類の御女中方は、御夫婦一緒に御花見すらしたことが無いのですから、こんな東京風――夢にも見たことの無い、むつまじそうに手を引き連れて屋外うちのそとを御歩きなさる御様子を初めて見て、驚いて了いました。得たり賢しと、悋気りんき深い手合がつまらんことを言い触して歩きます。私は奥様の御噂さを聞くと、口惜くやしいと思うことばかりでした。
 春雨あがりの暖い日に、私は井戸端で水汲みずくみをしておりますと、おつぎさん――矢張やはり柏木の者で、小諸へ奉公に来ておりますのが通りかかりました。
「おつぎさん、どちらへ」
 と声を掛ると、おつぎさんは酸漿ほおずきを鳴しながら、小ぶとりな身体を一寸ゆすって、
「これ」と袖に隠した酒のびんを出して見せる。
「お使かね」
「ああ」
「御苦労さま」
「なあ、お定さん、お前許まいんとこ奥様おくさんは……あの御盲目おめくらさんだって言うが、真実ほんとうかい」
「まあ、おつぎさんの言うこと」
「ホホホホホホホホホ、だって評判だよ。こないだの夕方、ホラお富婆さんなあ、あの人が三の門の前に立ってると、お前許まいんとこの旦那様と奥様が懐古園の方から手を引かれて降りて来たと言うよ。おらいやだ。お盲目めくらさんででも無くて、手を引かれて歩くという者があるもんかね」
「馬鹿をお言いよ」
 と私は水を掛る真似まねをしました。おつぎさんはお尻をたたいて笑いながら、
いい御主人を持って御仕合おしあわせ
 と言捨て逃げる拍子に、泥濘ぬかるみへ足を突込む、容易に下駄の歯が抜けない様子。「それ見たか」と私は指差をして、思うさま笑ってやりました。わざと、
「どうもまことに御気毒様」
 井戸端に遊んでいたあひるが四羽ばかり口嘴くちばしそろえて、私の方へ「ぐわアぐわア」と鳴いて来ました。忌々しいものです。私は柄杓ひしゃくで水を浴せ掛ると、鶩は噂好うわさずきなお婆さんぶって、泥の中を蹣跚よろよろしながら鳴いて逃げて行きました。

 台所の戸に白いすももの花の匂うもわずかの間です。山家の春は短いもので、すし田楽でんがくよ、やれそれと摺鉢すりばちを鳴しているうちに、若布売わかめうりの女の群が参るようになります。越後訛えちごなまりで、「若布はようござんすかねえ」と呼んで来る声を聞くと、もう春蚕はるこで忙しい時になるのでした。
 御承知の通、小諸は養蚕どこですから、寺の坊さんまでが衣の袖をまくりまして、仏壇のかげに桑の葉じょきじょき、まあこれをやらない家は無いのです。奥様は御慣れなさらないことでもあり、御嫌いでもあり、蚕のにおいげば胸が悪くなるとおっしゃる位でした。御本家の御女中方が灰色の麻袋を首に掛けて、桑の嫩芽しんめを摘みに御出おいでなさる時も、奥様は長火鉢にもたれて、東京の新狂言の御噂さをなさいました。
 もともと旦那様は奥様に御執心で、御二人でたのしい御暮をなさりたいという外に、別に御望は無いのですから、唯もう嬉しいという御顔を見たり、御声を聞たりするのが何よりの御楽み――こうもしたら御喜びなさるか、ああもしたら御機嫌が、と気を御みなさいました。それは奥様を呼捨にもなさらないで、「綾さん、綾さん」と、さん付になさるのでも知れます。旦那様がこれですから、奥様は家庭おうちを温泉の宿のような気で、働くという昼があるでなければ、休むという夜があるでもなし、毎日好いた事して暮しました。「お定、きょうは幾日いくにちだっけねえ」と、日も御存ごぞんじないことがある。たまたま壁の暦を見て、時の経つのに驚きました位。夢の間に軒の花菖蒲はなしょうぶも枯れ、その年の八せんとなれば甲子きのえねまでも降続けて、川の水も赤く濁り、台所の雨も寂しく、味噌もびました。祗園ぎおんの祭には青簾あおすだれを懸けてははずし、土用のうしうなぎも盆の勘定となって、地獄の釜のふたの開くかと思えば、じきに仏の花も捨て、それに赤痢の流行で芝居の太鼓も廻りません。奥様はそと御歓楽おたのしみをなさりたいにも、小諸は倹約しまつ質素じみな処で、お茶の先生は上田へ引越し、謡曲うたいの師匠はあめ菓子を売て歩き、見るものも聞くものもすくないのですから、唯かぎりある御家おうちの内の御歓楽ばかり。思えば飽きもなさるはずです。しまいには絹※(「巾+白」、第4水準2-8-83)ハンケチも鼻をんで捨て、香水は惜気もなく御紅閨おねまに振掛け、気に入らぬ髪は結立ゆいたて掻乱かきこわして二度も三度も結わせ、夜食好みをなさるようになって、糠味噌ぬかみその新漬に花鰹はながつおをかけさせ、茶漬を召上った後で、「もっと何かおいしい物はないか」と仰るのでした。新酔月の料理も二口三口召上って見て、犬にくれました。女の歓楽たのしみほど短いものはありません。奥様はその歓楽にすら疲れて、飽々となさいました。
「毎日、毎日、同じ事をするのかなア」
 というのは、柱にもたれての御独語おひとりごとでした。浮気な歓楽が奥様への置土産は、たったこの一語ひとことです。
 次第に奥様は短気きみじかにも御成なさいました。旦那様は物事が精密こまかすぎて、何事にもこの御気象がいて廻るのですから、奥様はもううるさいという御顔色をなさるのでした。「これは乃公おれの病気だからめられない」と、く御自分でも承知していらっしゃるのです。ことに、奥様が癇癪かんしゃくを起した時なぞは、「ちょッ、貴方あなたのように濃厚しつこい方はありゃしない」と言って、ぷいと立って行って御了いなさることも有ました。奥様の癇癪の起きた日はすぐに知れます。いつでも御顔色が病人のようになって、鼻の先が光りまして、まゆの間が茶色に見えます。後の首筋を蒼くして、無暗むやみに御部屋の雑巾掛や御掃除をさせて、物を仰るにも御声が咽喉のどひからびついたようになります。そうなると、旦那様と御取膳おとりぜんで御飯を召上る時でも、口を御きなさらないことがありました。
 旦那様は五黄ごおうかね、その年の運気は吉、それに引換え奥様は八方塞はっぽうふさがり、唯じっとして運勢の開けるのを待てと、菓子屋の隣の悟道先生が占いました。全く、奥様の為には廻合まわりあわせも好くない年と見えて、何かの前兆しらせのようにいやな夢ばかり御覧なさるのでした。女程心細いものは有ません。それを又た苦になさるのが病人のようでした。結構尽けっこうづくめの御身体は弱々しくなり、しんつかれ、風邪かぜも引き易くなって、朝はあくびばかりなさいました。「女というものは、つまらないものだ」と仰って、深い歎息にうずまって、花も嗅いで御捨てなさいました。旦那様は奥様の御機嫌を取るようになすって、御小使帳が投遣なげやりでも、御出迎に出たり出なかったりでも、何時まで朝寝をなさろうとも、それで御小言も仰らず。御家に奥様が居て下さるのは――かごうぐいすの居るように思召おぼしめして、私でさえ御気毒に思う時でも御腹立もなさらないのでした。旦那様は銀行から御帰りになると、時々両手を組合せて、御庭の夏を眺めながら憂愁ものおもいに沈んでおいでなさることもあり、又、日によっては直に御二階へ御上りになって、御飯の時よりほかには下りておいでなさらないこともありました。奥様が御気色ごきしょくの悪い日には旦那様はそっと御部屋へ行って、恐々おずおず御傍へ寄りながら、「綾さん、どっか悪いのかい。こんな畳の上に寝転んでいて、風でも引いちゃ不可いけないじゃないか。そうしていないで、もらってはどうだね」と御聞きなさる。「いいえ、かまわずに置いて下さい」というのが奥様の御返事でした。
 変れば変るものです。奥様は御独おひとりで縁側に出て、籠の中の鳥のように東京の空を御眺めなさることもあり、長い御手紙を書きながら啜泣すすりなきをなさることも有ました。時によると、御寝衣おねまきのまま、冷々ひやひやした山の上の夜気に打れながら、遅くまで御庭の内を御歩きなさることも有ました。
 秋のはじめから、奥様は虫歯の御煩おわずらいで時々ひど御苦痛おくるしみをなさいましたのです。はげしくなると私を御離しなさらないで、切ないような目付をなさりながら、私のせなか御頭おつむりを押しつけておいでなさる。耳から頬へかけて腫起はれあがりまして、御顔色は蒼ざめ、額もすこし黄ばんでまいります。これには旦那様も大弱りで、御自分の額をでたり、大きな手を揉んで見たりして、御介抱をなさいましたのです。
 と申したような訳で、よく歯医者が黒いかばんを提げてやって参りました。
 歯医者というのは、桜井さんと言って、年はまだ若いが、腕はなかなか有ました。私が勝手口の木戸を開けて、河ばたの石の上に蹲跼しゃがみながら、かちゃかちゃとなべを洗っていると、この人が坂の下の方から能く上って参りました。慣々なれなれしく私のそばへ来て、鍋のけてある水中みずのなかを覗いて見たり、土塀から垂下っていた柿の枝振えだぶりを眺めたり、その葉裏から秋の光を見上げたりして、何でもない主家うち周囲まわりを、さも面白そうに歩くのが癖でした。この人は東京の生ですから、新しい格子作を見るたびに、都を想起おもいだすと言っておりました。一体、東京から来る医者を見ると、いずれも役者のように風俗みなりを作っておりますが、さて男振おとこぶりいいという人も有ません。然し、この歯医者ばかりは、私も風采ようすが好と思いましたのです。
 この人が来る時は、よく私に物をって来てくれました。この人が帰ってった後で、爺さんはきっと白銅を一つ握っておりました。
 或日、旦那様は銀行の御用で御泊掛おとまりがけに上田まで御出ましでした。その晩は戸も早く閉めました。私も、さっさと台所を片付けたいと思い、鍋は伏せ、皿小鉢は仕舞い、物置の炭をかんかん割って出し、猫の足跡もそそくさといて、上草履うわぞうりを脱ぎまして、奥様の御部屋へ参りました。まだ宵の口から、奥様は御横におなりなすって、寝ながら小説本を御覧なさるところでした。誰をはばかるでもない気散じな御様子。あらわな御胸の白い乳房もすこし見えて、左の手はだらりと畳の上に垂れ、右の足は膝頭から折曲げ、投げだした左の足の長い親指のったまで、しどけない御姿は花やかな洋燈ランプの夜の光に映りまして、昼よりはかえって御美しく思われました。
「奥様、御足おみあしでもさすりましょうか」
 と私は御傍へ倚添よりそいました。
「ああ、もうお済かい」と奥様は起直って、ふところ掻合かきあわせながら、「お前、按摩あんまさんをしてくれるとお言いなの。今日はね、肩のところが痛くて痛くて――それじゃ、一つ揉んで見ておくれな」
「あれ、御寝およっていらしったら、どうでございます」
「なに、起きましょうよ」
 私はよく母親おふくろの肩を揉せられましたから、その時奥様のうしろへ廻りまして、やわらかな御肩に触ると、急に母親を想出しました。母親の労働はたらく身体から思えば、奥様を揉む位は、もう造作もないのでした。
「お世辞でも何んでもないが、お定はなかなか指に力があるのねえ。お前のように能くしておくれだと、真実ほんとうに私ゃ嬉しい。旦那様も、日常しょっちゅうめていらっしゃるんだよ」
 それから奥様は私の器量までも御褒め下さいました。奥様が私を御褒め下さるのは、いつもなぞです、――御器量自慢でいらっしゃるのですから。その時も私の方から、御褒め申せば、もう何よりの御機嫌で、羽翅はがいひろげるように肩を高くなすって、御喜悦およろこびは鼻の先にも下唇にも明白ありあり見透みえすきましたのです。
「ねえ、お定、お前は吾家うちへ来る御客様のうちで、誰様どなたが一番いいとお思いだえ」
「そうで御座ますねえ……まあ、奥様からおっしゃって見て下さい」
いいえ、お前からお言いよ」
「私なぞは誰様が好か解りませんもの」
「あれ、そうお前のように笑ってばかりいちゃ仕様がない」
「それじゃ笑わずに申しますよ。ええ、と、銀行の吉田さん」
「いやよ、あんな老爺染じじいじみた人は――ふざけないでさ。真実ほんとうに言って御覧」
 私はそれから、種々いろいろなお方を数えて申しました。島屋の若旦那、越後屋の御総領、三浦屋の御次男、荒町の亀惣かめそう様、本町の藤勘様――いずれ優劣おとりまさりのない当世の殿方ですけれど、成程奥様の御話を伺って見れば、たとえ男が好くて持物等のたしなみも深く、何をさせても小器用なと褒められる程の方でも、物事に迷易くていつも愚痴ばかりでは頼甲斐たのみがいのない様にもあり世智賢せちがしこくてかゆいところまで手の届く方は又た女を馬鹿にしたようで此方の欠点あらまで見透されるかと恐しくもあるし、気前が面白ければ銭遣ぜにづかいが荒く、凝性こりしょうなれば悟過ぎ、優しければ遠慮が深し、この方ならばと思うような御人おひとは弱々しくて、さて難の無い御方というのは、見当らないのでした。
「そんなら、奥様、あの桜井さんは」
「そうお前のように、私にばかり言わせて……お前も少許ちったあ言わなくちゃ狡猾ずるいよ。あの方をお前はどう思うの」
「桜井さんで御座いますか。ほんとに歯医者なぞをさして置くのは惜しいッて、人が申すんで御座いますよ」
「ホホホホホ、それじゃ何に御成おなんなされば好と言うの」
「あの、官員様にでも……」
「ホホホホホ」
「あれ、女であの方を褒めない者は御座ません。奥様、貴方あなたも桜井さん贔負びいきじゃ御座ませんか」
 奥様は目を細くなさいました。何とも物は仰いませんでしたけれど、御顔を見ているうちに、美しい朱唇くちびるゆがんで来て、しまい微笑にっこりわらいになって了いました。
 洋燈ランプの側にうとうとしていた猫が、急に耳を振って、物音に驚いたように馳出かけだしたので、奥様も私も殿方の御噂さをめて聞耳を立てていますと、須叟やがて猫は御部屋へ帰って来て、前あしを延しながら一つのびをして、撓垂しなだれるように奥様の御膝へ乗りました。御子様がないのですから、奥様もも懐しそうに抱〆だきしめて、白い頬をその柔い毛に摺付すりつけて、美しい夢でも眼の前を通るような溶々とけどけとした目付をなさいました。
 つい側に針箱が有ました。奥様はそれを引寄せて、引出のなかから目も覚めるような美しい半えりを取出して、「こないだから、これをお前に上げよう上げようと思っていたんだよ」
 と仰りながら私につかませました。夜のことですから、紫縮緬ちりめん小豆あずき色に見えました。私は目を円くして、頂いてよいやら、悪いやらで、さんざん御断りもして見たのです。
「あれ、お前のようにおいいだと、私が困るじゃないか。そんなに言う程の物じゃないんだよ。お前がよく勤めておくれだから、ほんの私の志と思っておくれ。……いいからさ、それは仕舞ってお置き」
 奥様はまだ何か言いたそうにして、それを言得ないで、深い歎息ためいき御吐おつきなさるばかりでした。危い絶壁がけの上に立って、谷底でも御覧なさるような目付をなさりながら、左右を見廻して震えました。「お前だから話すがねえ」までは出ましても、二の句が口ごもって、切れて了います。
「今夜私がお前に話すことは、決して誰にも話さないという約束をしておくれ。それを聞かないうちは――然しお前に限ってそんな軽卒かるはずみなことはあるまいけれど」
 幾度も念を押して、まだ仰りにくいという風でしたが、さて話そうとなると、急に御顔が耳の根元までも紅くなりました。
 遂々とうとう奥様は御声をちいさくなすって、打開けた御話を私になさいました。その時、私は始めて歯医者とのこれまでの関係を聞きましたのです。私は手を堅く握〆られて、妙に顔がほてりました。ひとから内証を打開うちあけられた時ほど、是方こっちの弱身になることはありません。思いつめた御心から掻口説かきくどかれて見れば、しまいには私もあわれになりまして、染々しみじみ御身上おみのうえを思遣りながら言慰いいなぐさめて見ました。奥様は私の言葉を御聞きなさると、もう子供のように御泣きなさるのでした。
 よんどころなく、私も引受けて、歯医者に逢わせる御約束をしましたら、やっと、その時、火のように熱い御手が私から離れたようにこころづきました。
 その晩は、私もほんの出来心で、――若い内に有勝ありがちな量見から。
 然し、悪戯いたずらが悪戯でなくなって、事実ほんとう事実ほんとうも恐しい事実になって行くのを見ては、さすがに私も震えました。私は後暗いと、恐しいとで、噂さを嗅附かぎつける犬のようになって、御人の好い旦那様にまでえました。
 或時は自分で責められるような自分の心を慰めて見たこともありましたのです。全く道ならぬ奥様の恋とは言いながら、思の外のあわれも有ましたので。人の知らない暗涙なみだは夜の御床に流れても、それを御話しなさるという女の御友達は有ませんので。ですから、私は独り考えて、思い慰めました。
 さ、それです。
 奥様は暖い国に植えられて、やわらかな風に吹かれて咲くという花なので。この荒い土地に移されても根深くはびこ雑草くさでは有ません。こうした御慣れなさらない山家住やまがずまいのことですから、さて暮して見れば、都で聞いた田舎生活いなかぐらし静和しずかさと来て寂寥さびしさ苦痛つらさとは何程どれほど相違ちがいでしょう。旦那様は又た、奥様を籠の鳥のように御眺めなさる気で、奥様の独りじれる御心が解りませんのでした。何時いつ、羽根を切られた鳥の心が籠に入れて楽しむという飼主に解りましょう。何程、世間の奥様が連添う殿方に解りましょう。――女の運はこれです。御縁とは言いながら、遠く御里を離れての旅の者も同じ御身上おみのうえで、真実ほんと同情おもいやりのあるものは一人も無い。こればかりでも、女は死にます。奥様の不幸ふしあわせな。歓楽たのしみにおいは、もう嗅いで御覧なさりたくも無いのでした。奥様はくたぶれて、乾いた草のようにしおれて了いました。思えば御無理も御座ません――き返るような恋の雨が、そこへすずしく降りそそいで来たのですから。
 丁度、秋草のさかりで、歯医者の通うみちは美しゅうございました。

 十月の二十日は銀行に十五年の大祝というのが有ました。旦那様に取ては一生のうちに忘れられない日で、彼処あそこでも荒井様、是処ここでも荒井様、旦那様の御評判は光岳寺の鐘のように町々へ響渡りました。長いお功労ほねおりめはやす声ばかりで。
 その朝は、私も早く起きて朝飯の用意をしました。台所の戸の開捨てた間から、秋の光がさしこんで、流許ながしもと手桶ておけ亜鉛盥ばけつひかって見える。青い煙はすすけた[#「すすけた」は底本では「すすけた」]窓から壁の外へ漏れる。私は鼻をすすりながら、焚落たきおとしの火を十能に取って炉へ運びましても、奥様は未だ御目覚が無い。熱湯にえゆで雑巾をしぼりまして、御二階を済ましても、まだ御起きなさらない。その内に、炉に掛けた鍋は沸々と煮起にたって、蓋の間から湯気が出るようになる。うまそうな汁の香が炉辺ろばたに満ちあふれました。
 八時を打っても、未だ奥様は御寐おやすみです。旦那様は炉辺で汁の香を嗅いで、憶出おもいだしたように少許すこし萎れておいでなさいました。やがて、御独で御膳を引寄せて、朝飯を召上ると、もう銀行からは御使でした。そそくさと御仕度をなすって、黒七子くろななこの御羽織は剣菱けんびしの五つ紋、それに茶苧ちゃう御袴おはかまで、りゅうとして御出掛になりました。私は鍋を掛けたり、下したりしていると、ようよう九時過になって、奥様は楊枝をくわえながら台所へ御見えなさいました、――恐しい夢から覚めたような目付をなすって。もう味噌汁おみおつけも煮詰って了ったのです。
 その日は御祝の印といって、旦那様の御思召おぼしめしから、門に立つものには白米と金銭おかねを施しました。
 一体、旦那様は乞食が大嫌いな御方で、「乞食をる位なら死んでしまえ」と※(「口+它」、第3水準1-14-88)しかりとばす位ですから、こんなことは珍しいのです。その日は朝から哀な声が門前に聞えました。それを又た聞伝えて、掴取つかみどりのないと思った世の中に、これはうまい話と、親子連で瞽者ごぜ真似まね、かみさんが「片輪でござい」裏長屋に住む人までが慾には恥も外聞も忘れて来ました。七十にもなりそうな婆さんまでが、※(「足へん+珍のつくり」、第4水準2-89-27)ちんばひきひき前垂に白米を入れて貰いまして、門を出ると直ぐ人並に歩いたには、あきれました。
 昼過に、旦那様は紫袱紗ふくさを小脇にかかえながら、一寸帰っておいでなさいました。私は鶏に餌をくれて、奥様の御部屋の方へ行って見ますと、御二人で御話の御様子。何の気無しに唐紙の傍に立って、御部屋を覗きながら聞耳を立てました。旦那様は御羽織を脱捨てて、額の汗を御きなさるところ。
「ねえ、綾さん、こういう時にはそんな顔をしていないで、もうすこし快くしてくれなくちゃ張合がないじゃないか。それに、今日は御祝だもの、奉公人だって遊ばせてやるがいいやね」
「ですから、いくらでも遊んでおいでッて言ったんです」
「それ、そう言われるから誰だって出られないやね、――まあ、そうじゃないか。綾さんはこの節奉公人ばかし責めるようなことを言うが、そんなにたって不可いけない。お定にしろ、あの爺さんにしろ、高が人につかわれてるものだ」
「誰も責めやしません」
「責めないって、そう聞えらア」
「私が何時責めるようなことを言いました」
「お前の調子が責めてるじゃないか」
「調子は私の持前です」
「お前が御父さんに言う時の調子と、今のとは違うように聞えるぜ」
「誰が親と奉公人と一緒にして物を言うような、そんな人があるものですか。こんなところで親の恥までさらさなくってもようござんす」
奇異きたいなことを言うね」
「ああ、奉公人まで引合に出して、親の恥を曝されるのかなア」
「解らない人だ。そんな訳で親を担出かつぎだしたんじゃ無し、――奉公人は親位に思っていなくて、使われると思うのかい。……然し、そんな事はどうでもいい。まあ、今日は一つ綾さんに喜んでもらおう」
 と御機嫌を直しながら、旦那様は紫袱紗をほどいて桐の小箱の蓋を取りました。白絹にくるんだのを大事そうに取除とりのけて、畳の上に置いたは目も覚めるような黄金きんの御盃。折畳んであった奉書をひろげて見せて、
「今日の御祝に、これは銀行から私へくれたのだ。まあ、私に取っては名誉な記念だ。そら、盃の中に名前が彫ってあるだろう。御覧よ、この奉書には種々いろいろ文句が書いてある」
「拝見しました」
「もっとく見ておくれ。そんな冷淡な挨拶あいさつがあるものか。折角こうして、お前に見せようと思って持って来たものを……何とか、一言位」
「ですから拝見しましたと言ってるじゃ有ませんか」
 旦那様は口をつぐんで了いました。御互に物を仰らないのは、仰るよりもなおか冷い心地こころもちがしましたのです。旦那様は少許すこし震えて、穴の開く程奥様の御顔を熟視みつめますと、奥様は口唇くちびるかすか嘲笑さげすみわらいみせて、他の事を考えておいでなさるようでした。やがて、旦那様は御盃を取上げて、熟々つくづく眺めながら歎息ためいきいて、
「そう女というものは男の事業しごとに冷淡なものかな。今までは、もうすこし同情おもいやりが有るものかと思っていた」
「どうせ私なぞに貴方がたの成さる事は解りません」
「無論さ。何も解って貰おうとは言やしない。同情が無いと言ったんだ。男の事業が解る位なら、そんな挨拶の出来ようはずもない。まあ、私の言うことを能く聞いてくれ。自慢をするじゃアないが、今日こんにち小諸の商業は私の指先一つでどうにでも、動かせる。不景気だ、不景気だ、こう口癖のように言いながらも、小諸の商人が懐中ふところうちの楽なのは、私が銀行に巌張がんばっているからだ。町会の事業でも、計画でも、皆私の意見を基にしてやっている。小諸が盛んになるも、衰えるも、私の遣方やりかた一つにあるのだ。その私が事業しごとの記念だと言って、ここへこうして並べて、お前に見て喜んで貰おうとしているのに……アハハハハハハ」
 と、旦那様は熱い涙を手に持った黄金の御盃へ落しました。
 やがて、御盃や御羽織を掻浚かきさらうようになすって、旦那様は御部屋から御座敷の方へいらっしゃる。御様子がどうも尋常ただではないと、私も御後から随いて行って見ました。もうもうこらえきれないという御様子で、突然いきなり、奉書を鷲掴わしづかみにして、寸断々々ずたずたに引裂いて了いました。啜泣すすりなきの涙は男らしい御顔を流れましたのです。御一人で小諸をしょって御立ちなさる程の旦那様でも、奥様の心一つを御自由に成さることは出来ません。微々ちいさな小諸の銀行を信州一と言われる位に盛大おおきくなすった程の御腕前は有ながら、奥様の為には一生の光栄ほまれ塵埃ごみくた同様に捨てて御了いなすって、人のめるのもうらやむのもうれしいとは思召さないのでした。これが他の殿方ででもあったら、奥様の御髪おぐし掻廻つかみまわして、黒縮緬ちりめんの御羽織も裂けるかと思う位に、打擲ぶちたたきもなさりかねない場合でしょう。並勝なみすぐれて御人の好い旦那様ですから、どんなはげしい御腹立の時でも、面と向ってはひとにそれを言得ないのでした。旦那様は御自分の髪の毛を掻毟かきむしって、畳をって御出掛おでましになりました。ぴしゃんと唐紙を御閉めなすった音には、思わず私もひょろひょろとなりましたのです。
 私は御部屋へ取って返して、泣き伏した奥様をいろいろと言慰いいなだめて見ましたが、御返事もなさいません。すこし遠慮して、勝手へ来て見れば、又たどうも気掛きがかりになって、御二人のことばかりが案じられました。
 黄昏ゆうがたに、私は水汲をして手桶を提げながら門のところまで参りますと、四十恰好かっこうの女が格子前こうしさきに立っておりました。姿を視れば巡礼です。赤い頭巾ずきんを冠せた乳呑児を負いまして、鼠色の脚絆きゃはん草鞋穿わらじばき、それは旅疲たびやつれのしたあわれな様子。奥様は泣はらした御顔を御出しなすって、きょうの御祝の御余おあまりの白米や金銭おかねをこの女に施しておやりなさるところでした。奥様が巡礼を御覧なさる目付には言うに言われぬうれいが籠っておりましたのです。
「私にその歌を、もう一度聞かしておくれ」
 と奥様が優しく御尋ねなさると、巡礼は可笑おかしな土地なまりで、
「歌でござりますか、ハイそうでござりますか」
 寂しそうに笑って、やがて、鈴を振鳴して一節ひとふし唄いましたのは、こうでした。
  ちちははのめぐみもふかきこかはでら
  ほとけのちかきたのもしのみや
 日に焼けたまずい顔の女では有りましたが、調子の女らしい、節の凄婉あわれな、凄婉なというよりは悲傷いたましい、それをすずしいかなしい声で歌いましたのです。世間を見るに、い声がまず口唇くちびるから出るのはめずらしくも有ません。然し、この女のようなのもすくないと思いました。一節歌われると、もう私は泣きたいような心地こころもちになって、胸が込上げて来ました。やがて女はあおざめた顔をげて、
  ふるさとやはるばるここにきみゐでら
  はなのみやこもちかくなるらん
「故郷や」の「や」には力を入れました。すずしい声を鈴に合せて、息を吸入れて、「はるばるここに」と長く引いた時は女の口唇も震えましたようです。「花の都も」と歌いすすむと、見る見る涙が女の頬を伝いまして、落魄おちぶれた袖にかかりました。奥様は熟々つくづくれて、顔に手を当てておいでなさいました――まあ、どんな御心地おこころもちがその時奥様の御胸の中を往たり来たりしたものか、私には量りかねましたのです。歌が済みますと、奥様は馴々なれなれしく、
「今のは何という歌なんですね」
「なんでござります。はァ、御詠歌えいかと申しまして、それ芝居なぞでも能くやりますわなア――お鶴が西国巡礼に……」
「お前さんは何処どこですね」
「伊勢でござります」
「まあ、遠方ですねえ」
「わしらの方は皆こうして流しますでござります。御詠歌は西国三十三番の札所ふだしょ々々を読みましてなア」
「どっちの方から来たんですね」
越後路えちごじから長野の方へ出まして、諸方を廻って参りました。これから御寒くなりますで、暖い方へ参りますでござりますわい」
 その時、爺さんがとぼけた顔を出して、
「あんな乞食の歌を聞いて何にする」
 と聞えよがしに笑いました。
「これはこれはどうも難有ありがとうござります。どうも奥様、御蔭様で助かりますでござります」
 巡礼は泣き出した児を動揺ゆすぶって、暮方の秋の空をながめ眺め行きました。
 爺さんは奥様を笑いましたけれど、私はそうは思いませんので。熟々しみじみ奥様があの巡礼の口唇を見つめてい声に聞惚れた御様子から、根彫葉刻ねほりはほり御尋ねなすった御話の前後あとさきを考えれば、あんな落魄おちぶれた女をすら、まだしもと御うらやみなさる程に御思召すのでした。この同じ屋根の下に旦那様と御二人で御暮しなさるのは、それほどつらいと御思召すのでした。御器量から、御身分から――さぞ、あの巡礼の目には申分のない奥様と見えましたろう。奥様の目には、又た、世間という鎖につながれていやでも応でも引摺ひきずられて、その日その日を夢のように御暮しなさるというよりか、見る影もない巡礼なぞの身の上の方がかえって自由なように御思いなさるのでした。
 御祝のさかもりがありましたから、旦那様の御帰は遅くなりました。外で旦那様が鼻の高かった日も、内では又た寂しい悲しい日でした。旦那様は酒臭い呼吸いきを奥様の御顔に吹きかけて置いて、直ぐ御二階の畳の上に倒れて御了いなすったのです。
 その夜から御床も別々にべました。

 手桶ておけを提げて井戸に通う路は、柿の落葉で埋まった日もあり、霜溶しもどけのぐちゃぐちゃで下駄の鼻緒を切らした日もあり、夷講えびすこうの朝は初雪を踏んで通いました。奥様から頂いて穿いた古足袋たびの爪先も冷くなって、鼻の息も白く見えるようになれば、北向の日蔭は雪も溶けずに凍る程のお寒さ。
 十二月の十日のこと、珍しい御客様を乗せた一だい人力車くるまが門の前で停りました。それは奥様の父親おとう様が東京から尋ねていらしったのです。思いがけないのですから、奥様は敷居に御躓おつまずきなさる程でした。旦那様も早く銀行から御帰りになる、御二人とも御客様の御待遇おもてなしやら東京の御話やらに紛れて、久振で楽しそうな御笑声わらいごえが奥から聞えました。奥様の御喜悦よろこびは、まあ何程どんなで御座ましたろう、――その晩は大した御馳走でした。
 御客様は金銭上おかねの御相談が主で、御来遊おいでになりましたような御様子。御つきになって四日目のこと、旦那様と御一緒に長野へ御出掛になりました。奥様は御留守居です。私は洋傘こうもりと御履物をそろえまして、御部屋へ参って見ると、未だ御仕度の最中。御客様は気短きぜわしない御方で、角帯の間から時計を出して御覧なすったり、あちこちと御部屋の内を御歩きなすったりして、待遠しいという風でした。その時、私は御客様と奥様と見比べて、思当ることが有ましたのです。御客様は丸いあごで廻しながら、
「婆さんもね、早く孫の顔を見たいなんて、日常しょっちゅうそのうわさばかりさ。どうだね、……未だそんな模様は無いのかい」
 奥様はうつむいて、御顔を紅らめて、御返事をなさいません。やがて懐しそうに、
御父おとっさん、羽織を着えていらッしゃいよ」
「なに、これで結構。こりゃお前上等だもの」
「それでもあんまりひどい」
「この羽織は十五年からになりますがね、いいものは丈夫ですな」
 御客様はそで口を指で押えて、羽翅はがいのようにひろげて見せました。にわかに思直して、
「こうっと。面倒だけれど――それじゃ一つ着更えるか」
 と御自分の御包をほどいて、その中から節糸紬ふしいとつむぎの御羽織を抜いて、無造作に袖を通して御覧なさいました。
「あれ、其方そっちのになさいよ」
「これかね。どうして、お前、此方の着物を着た時の羽織さ。ね、――この羽織で結構」
「でも何だかそれじゃ好笑おかしいわ。それを御着なさる位なら、まだ今までの方がいいのですもの」
 御客様は茶の平打ひらうちひもを結んで、火鉢の前にべたりと坐って御覧なさいました。急に、ついと立ってまたその御羽織を脱ぎ捨てながら、
「それじゃ、これだ――もともとだ。アハハハハハハ」
 奥様がそれを引寄せて、御畳みなさるところを、御客様は銜煙管くわえぎせるで眺入って、もとの御包に御納おしまいなさるまで、じっと視ていらっしゃいました。思いついたように、
「ハハハハ、婆さん紋付なんか入れてよこした」
 こういう罪もない御話をむつまじそうになすっていらっしゃるところへ、旦那様も御用を片付けて、御二階から下りておいでなさいました。見る見る旦那様の下唇にはねたましいという御色があらわれました。御客様はき立てて、
「さあ、出掛けましょう。もう三十分で汽車が出ますよ」
 御二人とも厚い外套がいとうを召して御出掛になりました。爺さんも御荷物を提げて、停車場まで随いて参りました。後で、取散かった物を片付けますと、御部屋の内は煙草のけむりですこしせる位。がらりと障子を開けて、御客様の蒲団ふとんや、掻巻かいまきや、男臭い御寝衣ねまきなどを縁へ乾しました。
 御独おひとりになると、奥様は総桐の箪笥たんすから御自分の御召物を出して、畳直したり、入直したり、又た取出したりして御眺めなさる――それは鏡に映る御自分の御姿に見惚みとれると同じような御様子をなさるのでした。全く御召物は奥様の御身の内と言ってもよいのですから。私も御側へ寄添いまして見せて頂きました。どれを拝見しても目うつりのする衣類ものばかり。就中わけても、私の気に入りましたのは長襦袢です。それは薄葡萄ぶどうの浜縮緬ちりめん、こぼれ梅のすそ模様、※(「ころもへん+施のつくり」、第3水準1-91-72)ふき緋縮緬ひぢりめんを一分程にとって、本紅ほんこうの裏を附けたのでした。奥様はそれを御膝の上に乗せて、何の気なしに御婚礼の晩御召しなすったということを、私に話して聞かせました。不図ふと、御自分の御言葉に注意こころづいて、今更のように萎返しおれかえって、それを熟視みつめたまま身動きもなさいません。しんだ銀色の衣魚しみが一つその袖から落ちました。御顔に匂いかかる樟脳しょうのうの香を御嗅ぎなさると、急に楽しい追憶おもいでが御胸の中を往たり来たりするという御様子で、私が御側に居ることすら忘れて御了いなすったようでした。
「ああああ着物も何も要らなくなっちゃった」
 とおっしゃりながら、その長襦袢を御抱きなすったまま、さんざん思いやって、涙は絶間とめどもなく美しい御顔を流れました。
 その日は珍しく暖で、冬至近いとも思われません位。これは山の上に往々たびたびあることで、こういう陽気は雪になる前兆しらせです。昼過となれば、灰色の低い雲が空一面に垂下る、うちの内は薄暗くなる、そのうちにちらちら落ちて参りました。日は短し、暗さは暗し、いつ暮れるともなく燈火あかりつけるようになりましたのです。爺さんも何処どっかへ行って飲んで来たものと見え、部屋へ入って寝込んで了いました。台所が済むと、私は奥様の御徒然おさむしさが思われて、御側を離れないようにしました。時々雪の中を通る荷車の音が寂しく聞える位、四方そこいら※(「門<貝」、第4水準2-91-57)ひっそりとして、沈まり返って、戸の外で雪の積るのが思いやられるのでした。御一緒に胡燵おこたにあたりながら、奥様は例の小説本、私は古足袋のそそくい、長野の御噂さやら歯医者の御話やら移り移って盗賊の噂さになりますと、奥様は急に寂しがって、
「どうしたろう、爺さんは」
「もう最前とっくに寝て了いました」
「おや、そう、早いことねえ。お前戸じまりをよくしておくれ。泥棒が流行はやるッて言うよ」
 と、二人でこわがっておりますと、誰か来て戸をたたく音が聞えました。「はてな、今時分」と、ついと私は立って参りまして、表の戸を明けて見れば――一面のやみ仄白ほのじろい夜の雪ばかりで誰の影も見えません。しばら佇立たたずんでおりましたが、「晴れたな」と口の中で言って、二あしあし外へ履出ふみだして見ると、ぱらぱら冷いのが襟首えりくびのところへかかる。
「あれ、降ってるのか」と私は軒下へ退いて、思わず髪をでました。暗くはあるが、低い霧のように灰色に見えるのは、こまかい雪の降るのでした。往来のむこうで道を照して行く人の小提灯ぢょうちんが、積った雪に映りまして、その光が花やかに明く見えるばかり。
 私は戸を閉めて暫時しばらく庭に立っていますと、外からコトコトと戸を叩く音がする。下駄の雪を落す音が聞える。一旦閉めた戸をた開けて、「誰方どなた」と声を掛けて見ました。誰かと思えば――美しい曲者くせもの
「奥様、桜井さんがいらっしゃいましたよ」
 と、早速申上もうしあげに参りましたら、奥様は不意を打たれて、耳の根元から襟首までも真紅まっかになさいました。物の蔭に逃隠れまして、急には御見えにもなりませんのです。この雪ですから、歯医者の外套は少許すこし払った位で落ちません。それを脱げば着物の裾はれておりました。いつもの様に御履物を隠して、奥様の御部屋へ御案内をしますと、男はがたがたと震えておりましたのです。
 先ず濡れたものを脱がせて、奥様は男に御自分の裾の長い御召物を出して着せました。それは本紅ほんこうの胴裏を附けた変縞かわりじまの糸織で、八つ口の開いた女物に袖を通させて、折込んだ広襟を後から直してやれば、優形やさがたな色白の歯医者には似合って見えました。奥様は左からも右からも眺めて、恍惚うっとりとした目付をなさりながら、
「お定、よく御覧よ。まあ、それでも御似合なさること。まるで桜井さんは女のように御見えなさるんだもの」
 と仰って、私の手を握りしめるのです。
 私は歯医者から美しい帯上おびあげを頂きました。
 奥様の御差図さしずで、葡萄酒を胡燵おこたの側に運びまして、玻璃盞コップがわりには京焼の茶呑茶椀ぢゃわんを上げました。静な上に暖で、それはだまされたような、夢心地のする陽気。年の内とは言いながら梅もさき鶯も鳴くかと思われる程。猫まで浮れて出て行きました。私は次の間に退さがって、春の夜の夢のような恋の御物語に聞惚れて、唐紙の隙間すきまからのぞきますと、花やかな洋燈ランプの光に映る奥様の夜の御顔は、その晩位御美しく見えたことは有ませんでした。奥様があのつやった目を細くなすって葡萄酒を召上るさまも、歯医者が例の細い白い手を振って楽しそうに笑うさまも、よく見えました。御物語も深くなるにつけ、昨日の御心配も、明日の御煩悶わずらいも、すっかり忘れて御了いなすって、御二人の口唇くちびるには香油においあぶらを塗りましたよう、それからそれへと御話がはずみました。歯医者は桜色の顔を胡燵おこたこすりつけて、
「奥さん」
「あれた。後生ですから『奥さん』だけはして頂戴よ」
 こころやすだてから出たこの御言葉は、言うに言われぬほど男の心を嬉しがらせたようでした。男は一寸舌なめずりをして、酒に乾いた口唇を動かしながら、
「酔った。酔った。何故こんなに酔ったか解らない」
「だっても御酒ごしゅを召上ったんでしょう」奥様は笑いました。
「少ばかりいただいて、手までこんなに紅くなるとは」
 と出して見せる。
「でも、御覧なさいな、私の顔を」
 と奥様はほおに掌を押当てて御覧なさいました。
「貴方はちっとも紅く御成おなんなさらない。紅くならないであおくなるのは、御酒が強いんだって言いますよ。――貴方はきっと御強いんだ」
「よう御座んす。沢山たんと仰い」と奥様はすこし甘えて、「ですがねえ、桜井さん、私は何程どんなに酔いたいと思っても、苦しいばかりで酔いませんのですもの」
 男は奥様の御言葉に打たれて、黙って奥様の美しい目元を熟視みつめました。奥様は障子に映る男の影法師を暫く眺めていらっしゃるかと思うと、急に御自分の後を振返って、物を探る手付で宙をつかんで御覧なさいました。恐怖おそれは御顔へ顕れました。やがて、すこし震えて男の傍へ倚添よりそいながら、
「何時までもこうして二人で居られますまいかねえ。ああ、居られるものなら好けれど」
 としめる。男は歎息ためいきくばかりでした。奥様も萎れて、
「私はもう御目にかかれるか、かかれないか、知れないと思いますわ。あの昨夜ゆうべいやな夢、――どうして私はこんな不幸ふしあわせからだに生れて来たんでしょう。若しかすると、私は近い内に死ぬかも……もう御目にかかれないかも……知れません」
「また、つまらんことを。夢という奴は宛になるもんじゃなし」
「そう貴方のように仰るけれど、女の身になって御覧なさい――違いますわ。ああ、もういやいや、そんな話はしましょう」と奥様は気を変えて、「何時でしたっけねえ、始て貴方に御目にかかったのは。ネ、去年の五月、ホラ磯部の温泉で――未だ私がここへかたづいて来ない前……」
「おおそうそう、月参講げっさんこうの連中が大勢泊った日でしたなあ。御一緒に青い梅のなった樹の蔭を歩いて、あの時、ソラ碓氷川うすいがわい声がしましたろう。貴方がそれを聞きつけて、『あれが河鹿かじかなんですか、あらそう、ひぐらしの鳴くようですわねえ』と仰ったでしょう」
「覚えていますよ。それから岡へ上って見ると、躑躅つつじが一面に咲いていて。ネ、私は坂を歩いたもんですから、息が切れて、まあどうしたらよかろうと思っていると、貴方が赤い躑躅の枝を折って、『この花の露を吸うがいい』と仰って、私にそれを下すったでしょう」[#「」」は底本では「』」]
「あの時は又た能く歩きましたなあ。貴方も草臥くたぶれ、私も草臥、二人で岡の上から眺めていると、遠く夕日が沈んで行くにつれて空の色がいろいろに変りましたッけ。水蒸気の多い夕暮でしたよ。あんな美しい日没ひのいりは二度と見たことが有ません、――今だに私は忘れないんです」
「あら、私だっても……」
 御二人は目と目を見合せて、昔の美しい夢が今一度眼前めのまえきて通るような御様子をなさいました。奥様は茶呑茶椀を取上げて、
「さ、も一つ召上りませんか」
「沢山」
「そう、そんなら私頂きましょう」
「え、召上るんですか。――然し、もう御廃およしなさいよ」
「何故、私が酔ってはいけませんの」
「貴方のは無理な御酒なんだから」
「それじゃ未だ私の心を真実ほんとう御存ごぞんじないのですわ。私はこうして酔って死ねば、それが何よりの本望ですもの」
 無理やりに葡萄酒のびんつかませて、男の手の上に御自分の手を持添えながら、茶呑茶椀へ注ごうとなさいました。御二人の手はぶるぶるとふるえて、酒は胡燵掛こたつがけの上にこぼれましたのです。奥様は目をつぶって一口に飲干して、御顔を胡燵おこたに押宛てたと思うと、忍び音に御泣きなさるのが絞るように悲しく聞えました。唐紙に身を寄せて聞いて見れば、私も胸が込上げて来る。男は奥様を抱くようにして、御耳へ口をよせてなだすかしますと、奥様の御声はその同情おもいやり猶々なおなお底止とめどがないようでした。私はもう掻毟かきむしられるような悶心地もだえごこちになって聞いておりますと、やがて御声はかすかになる。泣逆吃なきじゃくりばかりは時々聞える。時計は十時を打ちました。茶を熱く入れてかおりのよいところを御二人へ上げましたら、奥様も乾いた咽喉のどしめして、すこしは清々せいせいとなすったようでした。急に、表の方で、
「御願い申しやす」
 それは酔漢よいどれの声でした。静な雪の夜ですから、濁った音声おんじょうはげしく呼ぶのが四辺そこいらへ響き渡る、思わず三人は顔を見合せました。
「誰だろう」と奥様はこわがる。
「御願い申しやす、御休みですか」
 歯医者はもう蒼青まっさおになって、酒の酔も覚めて了いました。震えながらきょろきょろと見廻して、目もくらんだようです。逃隠れをしようにも、裾の長い着物が足まといになって、物につまずいたり、すべったりする。罎はたおれて残った葡萄酒が畳へ流れました。
 半信半疑で聞いていた私も、三度呼ばれて見れば、はッと思いました。父親おやじの声に相違ないのです。
「奥様、吾家うち御父おとっさんで御座ますよ」
 奥様は屏風びょうぶの蔭にちいさくなっていた男の手を執って、押入のなかに忍ばせました。私は立って参りまして表の戸を開けながら、
「御父さん、何しに来たんだよ……今頃」
「はい、道に迷ってまいりやした」と舌も碌々ろくろく廻りません様子。
「仕様がないなア、こんなに遅くなって人の家へ無暗むやみに入って来て」
 親とは言ながら奥様の手前もあり、私は面目ないと腹立はらだたしいとでしかるように言いました。もう奥様は其処へいらしって、燈火あかりに御顔を外向そむけて立っておいでなさるのです。
「お定の御父さんですか」
いいえ、そうじゃごわしねえ。わしは東京でごわす」
 ととぼけ顔に言よどんで、見れば手に提げた菎蒻こんにゃくを庭のすみへ置きながら蹣跚よろよろと其処へ倒れそうになりました。
「これ、さ、そんな処へ寝ないで早く御行おいでよ」
「まあ、いいから其処へ暫く休ませてるがいいやね」
「こんなに酔ったと言っちゃ寝てしまって仕方がありません。これ、御行おいでよ」
「そこですこし御休みなさい」
「はい」と父親おやじ上框あがりがまちへ腰を掛けながら、
「私はお定さんに惚れて来やした」
「早くっとくれよ。こんなに遅くなって人の家へ酔って来たりなんかして」
「そう言うな。十月余とつきあまりも逢わねえじゃねえか。顔が見たくはねえか……」
 奥様は炉辺の戸棚とだなを開けて、玻璃盞コップを探しながら、
「水でも一つ上げましょう」
「見ろ、奥様はあの通り親切にして下さる、……時にお定、今幾時だ」
「十二時」と私は虚言うそいてやりました。
「なに、十……」とけわしい声で、
「十一時半」
「さあ水を御上り」と奥様はなみなみ注いだのを下さる。
「難有うごわす。ええ、ぷ、わしは今夜芸者……を買って、四五円くれて了った。また、私はこれから行って、……そ、そ、その、飲もうというんで」
「大変酔ったものだね」
「これ、早く御帰りよ。まるでその姿なりしずくじゃないか、――傘も持たず」
洋傘こうもりは買ったけれども、美代助にくれて来やした。ええ、ぷ、……なあ奥様おくさん、一服頂戴して」
「煙草なんか呑まなくてもいいから、さっさと御行おいで
「さあ、煙草盆を上げますよ」
 と出して下さる。その御顔を眺めて、父親はうまそうに一服頂いて、
「よう、奥様は未だ若えなア。旦那様だんなさんは――私旦那様の御顔も見て行きたい」
「旦那様は御留守だよ」と私が横から。
「幾時だ」とまた尋ねる。
「十一時半。主家うちじゃもう十時になれば寝るんだよ。さあ、さっさと御帰りよ」
「水を、も一つ上げましょう」
「沢山、もう頂きました」
「すこし沈静おちついたら、今夜は早く御帰りなさい。お定もああして心配していますから、ね、そうなさい」
「はい。はい。さあこれから行って復た芸者を揚げるんだ。六区へでも行かずか」
「さあ、そうだ、そうなさい」
「これは不調法を申しやした。御免なすって御くんなさい。酔えばこんなものだが、奥様、酔わねえ時は好い男だ。アハハハハハハ」
 と、よろよろしながら立上りました。
「おやすみ、おやすみ」と可笑おかしな調子。
「何だねえ、確乎しっかりして御行おいでよ」と私は叱るように言いまして、菎蒻こんにゃくを提げさせて外へ送出す時に、「まあ、ひどい雪だ――気をけて御行よ」と小声で言いました。
「お、や、す、み」
 と歌のように調子をつけながら、千鳥足で出て行く。暫く私は門口に佇立たたずんで後姿を見送っておりますと、やがて生酔なまよい本性ほんしょうを顕して、急にすたすたと雪の中を歩いて行きました。見れば腰付こしつきから足元からそれ程酔ってはいないのです。父親は直ぐ闇に隠れて見えなくなって了いました。
 ホッと一息いて、私は御部屋へ参って見ますと、押入のなかに隠れた人は頭かきかき苦笑にがわらいをしておりました。私は御気毒にもあり、御恥しくもあり、奥様の御傍へ寄添いながら、
「御父さんは上りにくいもので御座ますから、あんな酔った振をして、とぼけて参ったんで御座ます」
「お前に逢いたいからさ」
「私が是方こちらへ上る時に、『おれも一諸に行こう』と申しますから、誰がそんな人に行って貰うもんか、旦那様の御家へなんぞ来るのはしとくれ、と言って遣りましたんで御座ます」
「逢い度ものと見えるねえ」
「『十月余も逢わねえじゃねえか、顔が見たくはねえか』なんて申しましたよ。馬鹿な、誰があんな酔ぱらいに逢い度もんか」
御母おっかさんも心配していなさるだろうよ」
 と言われて、私は逢いに来た父親おやじよりも、逢いに来ない母親おふくろの心が恋しくも哀しくも思われました。歯医者はじっと物を考えて、思い沈んでおりましたのです。奥様はその顔を覗くようになすって、
「桜井さん、何をそんなに考込んでいらっしゃるの」
「成程――さすがは親だ」
「大層感心していらっしゃるのねえ」
「人情という奴は乙なものだ。……そうかなあ」
「何が、そうかなあですよ」
「難有い」
「ホホホホホ」
「そういうものかなア」
「あれ、また
「そうだ、もう半年も手紙を遣らない」
誰方どなたのところへ」
「なにも私は御恩を忘れて御無沙汰ぶさたをしてるんじゃ無いけれど……」
「まあ、好笑おかしいわ」
「つい、多忙いそがしくッて手紙を書く暇も無いもんだから」
「貴方、何を言っていらっしゃるの」
「え、私は何か言いましたか」
「言いましたとも。もう半年も手紙を遣らないの、御恩を忘れはしないの、手紙を書く暇がないのッて、――きっと……思出していらっしゃるんでしょう」と奥様は私の方へ御向きなすって、
「ねえ、お定、桜井さんは御容子ようすよくっていらっしゃるから……」
「止して下さい。貴方はそううたぐり深いから厭さ」と男はすこし真面目まじめになって、「こうなんです――まあ、聞いて下さい。私には義理ある先生が有ましてね、今下谷したやで病院を開いているんです。私もその先生には、どんなに御世話に成ったもんだか知れません。全く、先生は私を子のように思って、案じていて下さるんで。私がこれまでに成ったというのも、先生の御蔭ですからね。ですから、『貴様は友達の出世するのを見ても羨ましくはないか、※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)わるあがきも好加減にしろ』なんて平素しょっちゅう御小言を頂戴するんです。……先生の言う通りだ――立身、出世、私はもうそんな考が無くなって了った。私の心を占領してるのは……貴方、貴方ばかりです。ああ、昔の友人ともだちと競争した時代から見ると、私も余程これで変ったんですなア」
 と言って、やや暫時しばらく奥様の御顔を見つめておりましたが、やがて、思付いたように立上りました。見れば今まで着ていた裾の長い糸織を脱いで、自分の着物に着替えようとしましたから、奥様も不思議顔に、
「何故、それを着ていらっしゃらないんですか」
「なんだか私は……こう急に気分が悪く成りましたから、今夜は帰ります」
「お帰りなさるたッて、このまあ雪に……。貴方の着物は未だ乾かないじゃ有ませんか」
「なあに、構いません。尻端しりはしを折れば大丈夫」
「まあ、真実ほんとうに御帰りなさるんですか。それじゃ、あんまりですわ……」
 歯医者は躊躇もじもじして、帽子をひねっておりましたが、やがてしおれて坐りました。
「無理に御留め申しませんから……もう少し居て下さいな」
「然し、またあんまり遅くなると……」
「遅くなったって好じゃありませんか。まあもうすこし」
「そう仰らずに、今夜だけは帰して下さい」
「そんなら、もう二十分」

 誰言うとなく、いつ伝わるともなく、奥様の浮名が立ちました。よろず御注進の髪結が煙草を呑散した揚句、それとなく匂わせて笑って帰りました時には、今まで気を許していらしった奥様も考えて、薄気味悪く思うようになりました。銀行からは毎日のように旦那様の御帰を聞きによこす。長野からも御便おたよりが有ました。御客様は外の御連様と別所へ復廻おまわりとやらで、旦那様よりも御帰が一日二日遅れるということでした。それは短い御手紙で、鼠色の封袋ふうじぶくろに入れてありましたが、さすが御寂しいので奥様も繰返し読んで御覧なすって、その御手紙を見ても旦那様の不風流な御気象が解ると仰いました。いよいよ御帰という前の日、奥様は物を御調べなさるやら御隠しなさるやらで、気を御揉みなさいましたのです。
 肌身離さず御持なすった写真が有ました。それは男に活写いきうつし、はん手札てふだ形とやらの光沢消つやけしで、生地から思うと少許すこしもっともらしくれてはいましたが、根が愛嬌あいきょうのある容貌おもばせの人で、写真顔が又た引立って美しく見えるのですから、殿方ならいざ知らず、女に見せては誰もにくむものはあるまいと思う程。頬の肉付は豊麗ふっくりとして、眺め入ったような目元の愛くるしさ、口唇くちびるは動いて物を私語ささやくばかり、真に迫った半身の像は田舎写真師のわざでは有ませんのです。奥様はそれを隠す場処に困って、机の引出へ御入れなさるやら、針箱の糸屑の下へ御納いなさるやら、箪笥の着物の底へ押込んで御覧なさるやら、まだそれでも気になって取出しました。壁に高く掛けてありましたこまかな女文字の額の蔭に隠しても、何度かその下を歩いて御覧なすって、未だ御安心になりませんのです。この小な写真一枚の置処が有ません。しまいには御自分のふところれて、帯の上から撫でて御覧なさりながら、御部屋の内をうろうろなさいました。
 文箱ふばこの中から出ましたのは、艶書ふみの束です。奥様は可懐なつかしそうにそれをやわらかな頬にりあてて、一々ひろげて読返しました。中には草花の色もめずに押されたのが入れてある。奥様は残った花の香をいで御覧なすって、恍惚しげしげとした御様子をなさいました。旦那様に見られてはならないものですから、その艶書は一切引裂いて捨てて御了いなさる御積でしたが、さて未練が込上げて、揉みくちゃにした紙を復た[#「復た」は底本では「腹た」]延して御覧なすったり、裂いたきれ繋合つなぎあわせて御覧なすったりして――よくよく御可懐おなつかしいと思召すところは、丸めて、飲んで御了いなさいました。
くず屋でござい。紙屑の御払はございませんか」
 と呼んで来たのを幸、すっかり掻浚かきさらって、かごたまった紙屑の中へ突込んで売りました。屑屋は大な財布を出して、銭の音をさせながら、
「へえ、毎度難有う存じます。それでは三銭に頂戴して参ります」
 と言って、銅貨を三つ置いて行きました。
 その日は奥様も思い沈んで身の行末を案じるような御様子。すこし上気のぼせて、鼻血を御出しなさいました。御気分が悪いと仰って、早く御休みになりましたが、その晩のように寝苦しかったことも、夢見の悪かったことも、今までに無いおそろしい目に御出逢なすったと、翌朝になって伺いました。落々おちおち御休みになれなかったことは、御顔色のあおざめていたのでも知れました。奥様の御話に、その晩の夢というのは、こう林檎畠りんごばたけのような処で旦那様が静かに御歩きなすっていらっしゃると、そっと影のように御傍へ寄った者があって、何か耳語みみこすりをして申上げたそうです。すると、旦那様は大した御立腹で、掴掛つかみかかるような勢で奥様を追廻したというんです。奥様は二度も三度もつかまりそうにして、しまいには御召物まで脱捨てて、裸体はだかみになって御逃げなすったんだそうです。いよいよ林檎畠の隅へ追い詰められて、樹と樹との間へ御身体がはさまって了って、もう絶体絶命という時に御目が覚めて見れば――寝汗は御かきなさる、枕紙はれる、御寝衣おねまきはまるでびっしょりになっておったということでした。一体、奥様は私共の夜のようじゃ無い、一寸した仮寝うたたねにも直ぐ夢を御覧なさる位ですから、それは夢の多い睡眠ねむりに長い冬の夜を御明しなさるので、朝になっても又たくそれを忘れないで御話しなさるのです。「私の一生には夢が附まとっている」と、よく仰いました。こういう風ですから、夢見がいいにつけ、わるいにつけ、それを御目が覚めてから気になさることは一通りで無いのでした。奥様は今までが今までで、言うに言われぬ弱味が御有なさるのですから、御心配のあまり、私までも御疑いなさるようなことを二度も三度も仰いました。奥様は短い一夜の夢で、長い間の味方までも御疑いなさるように成ましたのです。――風雨あらし待つ間の小鳥の目の恐怖おそれ、胸毛の乱れ、脚の戦慄わななき、それはうつして奥様の今の場合をたとえられましょう。
 三番ののぼり汽車で旦那様は御帰になりました。御茶を召上りながら長野の雪の御話、いつになく奥様も打解けて御側にいらっしゃるのです。私は買物を言付かって、出掛しなに縁を通りますと、御話声が障子越にれて来る、――どうやら私のことを御話しなさる御様子。
 立竦たちすくんで息を殺して聞いて見ました。奥様はこんなことを旦那様に御話しなさるのでした。さ、その御話しというのは、あれも紛失なくなった、これも紛失った、針箱の引出に入れて置いた紫縮緬の半襟も紛失ったと御話しなさいました。どうも変だと思召おぼしめして私の風呂敷包の中を調べて見ると、その半襟やら帯上やら指輪やらが出て来たと御話しなさいました。私が井戸端で御主人の蔭口をいて、いらざる事を言触らして歩いたと御話しなさいました。それから、又、私が我儘わがままに成ったことから、或時なぞは牛乳配達の若い男が後から私の首筋へ抱着いたところを見たものがあると御話しなさいました。もうもう私の増長したのにはあきれて了った、到底とても私のようなしょうの悪い女は奥様につかえないということを御話しなさいましたのです。
 私は全身まるで耳でした。
「何だ、そんな高い声をして――聞えるじゃないか」と言うのは旦那様の御声。
いいえ、使に行って居りませんよ」
「その話は今止そう。私は非常に忙しい身だ。これから直ぐに銀行へ出掛けなくちゃならないんだ。……なにしろ、そんな者には早く暇をくれて了うがいい」
 と言捨てて、旦那様は御立ちなさる御様子。
 私は呆れもし、恐れもしました。油断のならぬ世の中。奥様のあの美しい朱唇くちびるから、こんな御言葉が出ようとは私も思掛ないのです。浅はかな、御自分の罪の露顕する怖しさに、私を邪魔にして追出そうとは――さてはと前の日の夢の御話も思当りました。私は表へ飛出して、夢中で雪道をすたすたと歩いて、何の買物をしたかも分らない位。風呂敷包を抱〆だきしめて、口惜しいと腹立しいとで震えました。主人をけなすという心は一時にわき上る。今まで、美しいと思った御自慢の御器量も、うらやましいと思った華麗はで御風俗おみなりも、奥様の身に附いたものは一切卑す気に成りました。怒の情は今までの心を振い落す。御恩も、なさけも、思う暇が有ません。もうその時の私は、藁草履わらぞうり穿いて、土だらけな黒い足して、谷間たにあい馳歩かけあるいた柏木の昔に帰って了いました。私は野獣けもののような荒い佐久女の本性に帰って、「御母さん、御母さん」と目的あてどもなく呼んで、相生町の通まで歩いて参りました。
 橋のたもと佇立たたずんで往来を眺めると、雪に濡れた名物生蕎麦きそばうんどんの旗の下には、人が黒山のようにたかっておりました。雪をいていた者は雪払ゆきかきめる、黄色い真綿帽子を冠った旅人の群は立止る、岩村田がよいの馬車の馬丁べっとう蓙掛ござがけの馬の手綱たづなを引留めて、身を横に後を振返って眺めておりました。その内に、子守の群が叫びながら馳けて来て、言触らして歩きます。聞けば、千曲川ちくまがわへ身を投げた若い女の死骸しがいが引上げられて、今蕎麦屋の角までかつがれて来たとの話。一人の子守が「菊屋に奉公していた下女」と言えば、一人が「柏木から来たおつぎさんよ」と言う。さあ、往来に立っている群のなかにはうわさとりどり。「今年は、めた水にたたとしだのう、こないだも工女が二人河へはまって死んだというのに、また、こんなことがある」「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ。南無阿弥陀仏」「オイ何だい、情死しんじゅうかね」「情死じゃアねえが、大方痴戯いたずらはてだろうよ」「いや、菊屋のかみさんが残酷ひどいからだ、以前このまえもあそこの下女で井戸へ飛んだ者がある」などと言騒いでおります。死骸を担いだ人々が坂を上って来るにつれて、おつぎさんということは確に成りました。おつぎさん――ホラ、春雨あがりの日に井戸端で行逢って、私に調戯からかって通った女が有ましたろう。その時、私が水を掛ける真似まねをしたら、「いい御主人を持って御仕合しあわせ」と言って、御尻をたたいて笑った女が有ましたろう。
 丁度、日の光が灰色な雲の間から照りつけて、相生町通の草屋根の雪は大なかたまりになって溶けて落ちました。積った雪ははげしい光を含んで、ぎらぎら輝きましたから、目も羞明まぶしく痛い位、はっきりいて見ることも出来ませんのでした。白く降埋ふりうずんだ往来には、人や馬の通るあと一条ひとすじ赤くいている――その泥交どろまじりの雪道を、おつぎさんの凍った身体は藁蓆むしろの上に載せられて、巡査小吏やくにんなぞに取囲まれて、静に担がれて行きました。こもけて有りましたから、死顔は見えません、濡乱れた黒髪ばかり顕れていたのです。
 それは胸を打たれるような光景さまでした。同じ奉公の身ですもの、何の心も無しに見てはおられません。私はもう腹立しさも口惜しさもめて、寂しい悲しい気に成ました。娘盛むすめざかりに思いつめたおつぎさんこそ不運な人。女の身程悲しいものは有りません。変れば変る人の身の上です。わずか小一年ばかりの間に、おつぎさんのこの変りようはどうでしょう。おつぎさんばかりでは有りません。旦那様も変りました。奥様も変りました。定めし母親おふくろも変りましたろう。妹や弟も変りましたろう。――私とてもその通り。
 全く私も変りました。
 道々私は自分で自分を考えて、今更のように心付いて見ると、御奉公に上りました頃の私と、その頃の私とは、自分ながら別な人のようになっておりましたのです。華美はで御生活おくらしのなかに住み慣れて、知らず知らず奥様を見習うように成りましたのです。思えば私は自然と風俗なりをつくりました。ひっつめびんの昔も子供臭く、たぼは出し、前髪は幅広にとり、鏡も暇々に眺め、剃刀かみそりも内証でて、長湯をしても叱られず、思うさまみがき、爪のあかも奇麗に取って、すこしは見よげに成ました。奥様から頂いた華美はでしまの着古しに毛繻子けじゅすえりを掛けて、半纏はんてんには襟垢えりあかの附くのを気にし、帯は撫廻し、豆腐買に出るにも小風呂敷をけねば物恥しく、酢のびんは袖に隠し、酸漿ほおずき鳴して、ぴらしゃらして歩きました。柏木の友達も土臭く思う頃は、母親のことも忘れ勝でした。さあ、私は自分の変っていたのに呆れました。勤も、奉公も、苦労も、骨折も、過去ったことをおもいやれば、残るものは後悔の冷汗ばかりです。
 こういうことに思いふけって、夢のように歩いて帰りますと、奥様は頭ごなしに、
「お前は何をしていたんだねえ。まあ本町まで使に行くのに一時間もかかってさ」
 と囓付かみつくように仰いました。その時、私は奥様と目を見合せて、言うに言われぬいやな気持になりましたのです。怒ったふり気取けどられたくないと、物を言おうとすれば声は干乾ひからびついたようになる、たん咽喉のどへ引懸る。わざせき払して、可笑おかしくも無いことに作笑つくりわらいして、猫を冠っておりました。
 その晩は、まんじりともしません。始めて奉公に上りました頃は、昼は働に紛れても、枕に就くときっと柏木のことを思出すのが癖になって、「御母さん、御母さん」と蒲団ふとんのなかで呼んでは寝ました。次第に柏木の空も忘れて、母親おふくろの夢を見ることもたまに成りました。さ、その晩です。た私の心は柏木の方に向きました。その晩程母親を恋しく思ったことは有ません。唐草からくさ模様の敷蒲団の上は、何時の間にか柏木の田圃たんぼ側のようにも思われて、蒲公英たんぽぽが黄な花を持ち、地梨が紅く咲いた草土手を枕にして、青麦を渡る風に髪をなぶらせながら、空を通る浅間のたかを眺めて寝そべっているような楽しさを考えました。夜もけて来るにつれ、寝苦しく物に襲われるようで、戸棚をかじる鼠も怖しく、遠い人の叫とも寂しい水車の音ともかぬ冬の夜の声に身の毛が弥立よだちまして、一旦吹消した豆洋燈ランプを点けて、暗い枕もとを照しました。何度か寝返を打って、――さて眠られません。青々とした追憶おもいでのさまざまが、つい昨日のことのように眼中めのなかに浮んで来ました。もう私の心にはこの浮華はでな御家の御生活おくらしが羨しくも有ません。私は柏木のことばかり思続けました。流行謡はやりうたを唄って木綿機もめんばたを織っている時、旅商人たびあきんどおさを賞めて通ったことを憶出おもいだしました。岡の畠へ通う道々妹と一緒に摘んだ野苺のいちごの黄な実を憶出しました。楽しい菱野ひしのの薬師参を憶出しました。大酒呑の父親おやじが夕日のような紅い胸を憶出しました。父親と母親とで恐しい夫婦喧嘩げんかをして、母親が「さあ、殺せ、殺すなら殺せ」と泣叫んだことも憶出しました。しまいには私が七つ八つの頃のことまでかすかに憶出しました。すると熱い涙が流れ出して、自分で自分を思いやって泣きました。髪は濡れ、枕紙も湿りましたのです。思いつかれるばかりで、ついあけがたまで目も合いません。物の透間すきま仄白ほのじろくなって、戸の外に雀の寝覚が鈴の鳴るように聞える頃は、私はもう起きて、汗臭い身体に帯〆て、釜の下を焚附たきつけました。
 私も奥様にられたままで、追出される気は有ません。身の明りを立てた上で、是方こちらから御暇を貰って出よう、と心を決めました。あまりといえばつれない奥様のなされかた、――よし不義のそもそもから旦那様の御耳に入れて、御気毒ながらせめてもの気晴きばらしに、奥様の計略の裏を掻いてくれんと、私は女の本性を顕したのです。もうその朝は復讐かたきうちの心より外に残っているものは無いのでした。
 炉に掛けた雪平ゆきひらの牛乳も白い泡を吹いて煮立ちました頃、それを玻璃盞コップに注いで御二階へ持って参りますと、旦那様は御机に倚凭よりかかって例の御調物です。御机の上には前の奥様の古びた御写真が有ました。旦那様もこの頃はそれを取出して、昔恋しく御眺めなさるのでした。とうとう私は何もかも打明ぶちまけて申上げましたのです。急に旦那様は御顔色を変えて、召上りかけた牛乳を御机の上に置きながら、
「むむ、分った、分った。お前の言うことはく分った」
 と寂しそうに御笑なすって、湧上がる胸の嫉妬しっとを隠そうとなさいました。御顔こそ御笑なすっても、深い歎息ためいき玻璃盞コップを御持ちなさる手の戦慄ふるえばかりは隠せません。やがて、一口召上って、御独語おひとりごとのように、
「然し、元はと言えば乃公おれあやまりさ。あれが来てから一年と経たない内に、もう乃公は飽いて了った。そのはずだろう――あれとは年も違い、考も違う。まるで小児ねんねえも同然だ。そんな者と話の合いようが無かろうじゃないか。ああ、年甲斐がいもない、さいというものは幾人いくたりでも取替えられる位の了見でいたのが大間違。二度目となり、三度目となれば、もう真実ほんとうの結婚とは言われない。若いうちから長く一緒に居たものは、自分の経歴も知っていてくれるし、自分の嗜好このみも知っていてくれるし……。お前が乃公のとこへ来てくれた時分は、乃公もあれを喜ばせたいばっかりに事業しごとをした。この節はあれを忘れよう……忘れようで事業をしているのだ。あれの不埓ふらちは乃公も薄々知ってはいた。知って今までこらえていたというのも……その乃公の心持は……アハハハハハハハ。こんなことをお前に話したところで始まらないなア。あれの御父おとっさんも御出なすったし、幸い一緒に連れて帰って貰う積りで、わざわざ長野までも出掛けては見たが、さて御父さんの顔を見ると――ああいう好人物いいひとだからなア、どうしても乃公にそんな話が出来ないじゃないか」と気を変えて、一段御声を低くなすって、「これはもうこれっきりの話だが、お前もそう言うからには何か証拠があるのかい。証拠がなくちゃ駄目だ。なあ、そうじゃないか。お前は何にも証拠がなかろう。だから、お前に一つ折入て頼みがある。お前が言う通り、桜井がこの節は毎日のように乃公の留守を附狙つけねらって入込むという証拠には、どうだ二人で出逢であいをしているところを乃公に見せてはくれまいか。きょうは赤十字社の北佐久総会というのがあるから、乃公は其処へ出掛るふりをして、お隣の小山さんに話している。よしか。桜井が来たらば、直に乃公の処へ知らしてくれ。お前の役はそれで済むんだ。そうしてお前はとにかく一旦柏木へ御帰り。お前がこれまで能く勤めてくれたのには、乃公も実に感心している。いずれ乃公の方からお前の御母おっかさんの処へ沙汰さたをして、悪いようにはしないから」
「難有うぞんじます」
 とんとんとん梯子段はしごだんを上って来る人の気配がしました。旦那様は急に写真を机の引出へ御隠しなすって、一口牛乳を召上りました。白い※(「巾+白」、第4水準2-8-83)ハンケチで御口端をきながら、聞えよがしの高調子、
「さあ、今日は忙しいぞ」

 丁度その日は冬至です。山家のならわしとして冬至には蕗味噌ふきみそ南瓜とうなすを祝います。幸い秋から残して置いた縮緬皺ちりめんじわのが有ましたから、それを流許ながしもとで用意しておりますと、花火の上る音がポンポン聞える。私はいそいそとして、物を仕掛けてはついと立って勝手口の木戸を出てながめました。見れば萌初もえそめた柳の色のような煙は青空に残りまして、囃立はやしたてる小供の声も遠く聞えるのでした。
 軒並に懸る赤十字の提灯ちょうちん、金銀の短冊、紅白の作花つくりばなには時ならぬ春が参りましたよう。北佐久総会とやらの式場は、つい東隣の小学校の広い運動場で、その日は小諸開闢かいびゃく以来のにぎわいと申しました位。前の日から紋付羽織に草鞋わらじ掛という連中が入込んでおりましたのです。長野から来た楽隊の一群は、赤の服に赤の帽子を冠って、大太鼓、小太鼓、喇叭らっぱ、笛なぞを合せて、調子をそろえながら町々を練って歩きました。赤い織色のきれに丸形な銀のしるしを胸に光らせた人々が続々通る。巡査は剣を鳴して馳廻かけまわっておりました。島屋の若旦那、荒町の亀惣様、本町の藤勘様、越後屋の御総領、三浦屋の御次男、いずれも羽織はかまの御立派な御様子で御通りになりました。歯医者は割笹わりざさの三つ紋で、焦茶色の中折を冠りまして、例の細い優しい手には小豆皮あずきがわの手袋をめて参りました。急いで歩いて来たものと見え、暫らく土塀どべいの傍に立って息を吐きましたが、能く見れば目の縁も紅く泣れて、色白な顔が殊更ことさらいじらしく思われました。姿の美しい男は怒れば怒ったでよし、泣けば泣いたでよく見えるものです。情を含んだ目元は奥様に逢いたさで輝いて、何もその外のことは御存ごぞんじない様子が、かえっていたわしくも有ました。いつ見ても、にくめないのはこの人です。早く人目に懸らぬうちと、私は歯医者を勝手口から忍ばせて、木戸を閉めました。
「お定さん、今日は大層にぎやかだね」
「まあ、人が出ましたじゃ御座ませんか」
「お前さん、どうしたの。なんだか蒼い顔してるね」
「御寒いからです」
「寒けりゃ女は蒼くなるものかね。私は今まで赤くなるとばかり思ってた。いいえ、戯言じょうだんじゃないよ。全くこう寒くちゃ遣切れない。手も何もかじかんで了う。時に、あの何は――大将は……」
「旦那様ですか。もう最前とっく御出掛おでましに成りました。貴方、奥様は先刻さっきから御待兼で御座ますよ」
 歯医者は少許すこし顔を紅くして勝手口から上りました。続いて私も上りまして、炉に掛けて置いたお鍋の蓋を執って見ますと、南瓜とうなすは黄に煮え砕けてべとべとになりましたが、奥様の好物、早速の御茶菓子代り、小皿に盛りまして、蕗味噌ふきみそと一緒に御部屋へ持って参りました。奥様は思いくずおれて男とおさしむかい、薄化粧した御顔のすこし上気のぼせて耳の根元までもほんのり桜色に見える御様子のあでやかさ、南向に立廻した銀屏風びょうぶ牡丹花ぼたんの絵を後になすって、御物語をなさる有様は、言葉にも尽せません。伏目勝に、細く白い手を帯の間へ差込んでおいでなさいましたから、美しい御髪おぐしのかたちはなおよく見えました。言うに言われぬかおりは御部屋のうちに匂い満ちておりましたのです。怒と恨とで燃えかがやいた私の目ですら、つい見恍みとれずにはいられません位。はっと心付いて私は御部屋を出ました。――もう奥様の御運は私の手の中に有ましたのです。
 さすがに私も台所に立って考えました。
 これを旦那様に申上げたら、事の破れはさてどうなるだろう。こらえに耐えた旦那様の御怒が一旦洪水のように切れようものなら、まあその勢はどんなであろう。平常ふだん御人の好い旦那様のような御方が御立腹はらだちとなった日には、どんな恐しいことをなさるだろう。とこう想い浮べましたら、にわかに身の毛が弥起よだって、手も足も烈しく震えました。ふらふらとして其処へたおれそうにもなる。とても躊躇ためらわずにはいられませんのでした。私は見えない先のことに恐れて、上草履を鳴らしながら板の間を歩いて見ました。
 冬の光は明窓あかりまどから寂しい台所へさしこんで、手慣れた勝手道具を照していたのです。私は名残惜しいような気になって、思乱れながら眺めました。二つべっついは黒々と光って、角に大銅壺おおどうこ。火吹竹はその前に横。十能じゅうのはその側に縦。火消つぼこそ物言顔。暗くすすけた土壁の隅に寄せて、二つ並べたは漬物のおけ。棚の上には、伏せた鍋、起した壺、摺鉢すりばちの隣の箱の中には何を入れて置いたかしらん。棚の下には味噌のかめ醤油しょうゆたる。釘に懸けたは生薑擦子わさびおろしか。流許の氷は溶けてちょろちょろとしてどぶの内へ入る。爼板まないたの出してあるは南瓜を祝うのです。手桶の寝せてあるはたがの切れたのです。ざる[#「竹かんむり/瓜」、U+7B1F、62-6]に切捨てた沢菴たくあんの尻も昨日の茶殻に交って、ささら束藁たわしとは添寝でした。眺めては思い、考えては迷い、あちこちと歩いておりますと、急に楽隊の音がする。大太鼓や喇叭が冬の空に響き渡って、君が代の節が始りました。台所の下駄を穿いて裏へ出て見ますと、幾千人の群の集った式場は十字を白く染抜いた紫の幕に隠れて、内の様子も分りません。幕の後から覗く百姓の群もあれば、さくの上に登って見ている子供も有ました。手をたたく音がしずまって一時しんとしたかと思うと、やがて凛々りりしい能く徹る声で、誰やらが演説を始める。言うその事柄は能く解りませんのでしたが、一言、一言、明瞭はっきり耳に入るので、思わず私も聞惚れておりました。
 とん、と一つ、軽くせなかを叩かれて、吃驚びっくりして後を振返って見ると、旦那様はもうこらえかねて様子を見にいらしったのです。旦那様もおし、私も唖、手附てつきで問えば目で知らせ、身振で話し真似で答えて、御互にすっかり解った時は、もう半分あだかえしたような気に成りました。私も随分種々いろいろな目に出逢って、男の嫉妬というものを見ましたが、まあその時の旦那様のようなのには二度と出逢いません。恐らく画にもかけますまい。口に出しては仰らないだけ、それが姿かたちあらわれました。目は烈しい嫉妬の為に光り輝やいて、蒼ざめた御顔色の底には、苦痛くるしみとも、憤怒いかりとも、恥辱はじとも、悲哀かなしみとも、たとえようのない御心持が例の――御持前の笑に包まれておりました。総身からだじゅうの血は一緒になって一時に御頭おつむりへ突きかかるようでした。もうもうこらえ切ないという御様子で、舌なめずりをして、御自分の髪の毛を掻毟かきむしりました。こう申しては勿体もったいないのですが、旦那様程の御人の好い御方ですらおさえて制えきれない嫉妬の為めには、さあ、男の本性を顕して――獣のような、戦慄みぶるいをなさいました。旦那様は鶏をねらきつねのように忍んで、息を殺して奥の方へと御進みなさるのです。こわいもの見たさに私もいて参りました。音をさせまいと思えば、いやに畳までが鳴りまして、余計にがたぴしする。生憎あいにく敷居にはつまずく。耳にはせみの鳴くような声が聞えて、胸の動悸どうきも烈しくなりました。廊下伝いに梯子段の脇まで参りますと、中の間の唐紙が明いている。そこから南向の御部屋は見通しです。私は柱に身を寄せて、恐怖こわごわながら覗きました。
 南の障子にさす日の光は、御部屋の内を明るくして、銀の屏風に倚添よりそう御二人の立姿を美しく見せました。いずれすぐれた形の男と女――その御二人が彩色の牡丹の花の風情ふぜいを脇にして、立っていらっしゃるのですから、奥様も、歯医者も、屏風の絵の中の人でした。はかない恋の逢瀬おうせに世を忘れて、唯もう慕い慕われて、酔いこがるるより外には何も御存じなく、何も御気の付かないような御様子。私は眼前めのまえ白日ひるの夢を見ました。男の顔はすこしあおざめたほおあたりしか分りません――それも陰影かげになって。奥様の思いやつれた容姿かおかたちは、まゆのさがり、目の物忘れをしたさまから、すこし首をかしげて、御頭おつむりを左の肩の上に乗せたまでも、よく見えました。御二人は燃えるような口唇くちびると口唇とを押しあてて、接吻くちづけとやらをなさるところ。奥様は乳房まで男の胸に押されているようで、足の親指に力を入れて、白足袋の爪先で立ち、手は力なさそうにだらりと垂れ、指はすこしかがめ、肩も揚って、男の手をわきの下に挟んでおいでなさいました。手も、足も身体中の活動はたらきは一時にとまって、一切の血は春の潮の湧立わきたつように朱唇くちびるの方へ流れ注いでいるかと思われるばかりでした。
 あまりのことに旦那様は物もおっしゃらず、身動きもなさらず、唯もう御二人を後から眺めて、不動じっと其処へ棒立のまま――丁度、釘着くぎづけにして了った人のように御成なさいました。
「最敬礼、最敬礼」
 と丘の上の式場で叫ぶ声は御部屋の内まで響きました。
 にわかに、表の格子こうしく音がして、
「只今」
 と御呼びなさるのは御客様の御声。
「今、帰りましたよ」
 二度呼ばれて、御二人とも目を丸くして振返る途端――見れば後に旦那様が黙って立っていらっしゃるのです。奥様は男を突退つきのけるすきも無いので、身をそらして、蒼青まっさおに御成なさいました。歯医者は、もう仰天してしまって、周章あわてて左の手で奥様のあごを押えながら、右の手で虫歯を抜くという手付てつきをなさいました。
 誰も御出迎に参らないうちに、御客様はつかつかと上がっていらっしゃると見え、唐紙の開く音がして、廊下がきしむ。稲妻いなずまのような恐怖おそれは私の頭の脳天から足の爪先までき通りました。
 その時、吹き立てる喇叭や、打込む大太鼓の音がうちの外に轟渡とどろきわたりました。幾千人の群は一時に声を揚げて、
「天皇陛下万歳。天皇陛下万歳」
 それは雷の鳴響くようでした。

底本:「旧主人・芽生」新潮文庫、新潮社
   1969(昭和44)年2月15日発行
   1970(昭和45)年2月15日2刷
初出:「新小説」
   1902(明治35)年11月
入力:紅邪鬼
校正:Tomoko.I
1999年12月10日公開
2012年10月3日修正
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