新生

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    序の章



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        一

「岸本君――僕は僕の近来の生活と思想の断片を君に書いて送ろうと思う。しかし実を言えば何も書く材料は無いのである。黙していて済むことである。君と僕との交誼まじわりが深ければ深いほど、黙していた方が順当なのであろう。ふるい家を去って新しい家に移った僕は懶惰らんだに費す日の多くなったのをよろこぶぐらいなものである。僕には働くということが出来ない。他人の意志の下に働くということは無論どうあっても出来ない。そんなら自分の意志のむちを背にうけて、厳粛な人生のみちに上るかというに、それも出来ない。今までに一つとしてまとまった仕事をして来なかったのが何よりの証拠である。空と雲と大地とは一日ながめくらしても飽くことを知らないが、半日の読書は僕をましめることが多い。新しい家に移ってからは、空地に好める樹木をえたり、ほんの慰み半分に畑をいじったりするぐらいの仕事しかしないのである。そしてわずかに発芽する蔬菜そさいのたぐいを順次に生に忠実な虫に供養するまでである。勿論もちろん厨房ちゅうぼうの助に成ろうはずはない。こんな有様であるから田園生活なんどは毛頭もうとう思いも寄らぬことである。僕の生活は相変らずくうな生活で始終している。そして当然僕の生涯のげんの上には倦怠けんたいと懶惰が灰色の手を置いているのである。考えて見れば、これが生の充実という現代の金口きんく何等なんらの信仰をも持たぬ人間の必定ひつじょうちて行く羽目はめであろう。それならそれを悔むかというに、僕にはそれすら出来ない。何故かというに僕の肉体には本能的な生の衝動がきわめて微弱になってしまったからである。永遠に堕ちて行くのは無為の陥穽かんせいである。然しながら無為の陥穽にはまった人間にもなお一つ残されたる信仰がある。二千年も三千年も言い古した、哲理の発端で総合である無常――僕は僕の生気の失せた肉体を通して、この無常の鐘の音を今更ながらしみじみと聴きるることがある。これが僕のこのごろの生活の根調である……」
 郊外の中野の方に住む友人の手紙が岸本の前にひろげてあった。
 これは数月前に岸本のもらった手紙だ。それを彼は取出して来て、読返して見た。若かった頃は彼も友人にてて随分長い手紙を書き、また友人の方からも貰いもしたものであったが、次第に書きかわす文通もほんの用事だけの短いものと成って行った。それも葉書で済ませる場合にはなるべく簡単に。それだけ書くべき手紙の数が一方にはえて来た。一日かかって何通となく書くことはめずらしくない。その意味から言えば、彼の前に披げてあったものは、めったに友人から貰うことの出来る手紙でもなかった。手紙の形式をかりて書いてよこしてくれた手紙でない手紙だ。読んで行くうちに、彼は何よりもず人生の半ばに行き着いた人一人としての友人の生活のすがたに、その告白に、ひどく胸を打たれた。ある夕方が来て見ると、あだかも彼方あっちの木に集り是方こっちの木に集りして飛び騒いでいた小鳥の群が、一羽黙り、二羽黙り、がやがやとした楽しい鳴声が何時いつの間にか沈まって行ったように、丁度そうした夕方が岸本の周囲へも来た。中にも、この手紙をくれた友人が中野の方へ新しい家を造って引移ってからというものは、ずっと声を潜めてしまった。ほんとに黙ってしまった。
 読みかけた手紙を前に置いて、岸本は十四五年このかた変ることのない敬愛の情を寄せたこの友人に自分の生涯を比べて見た。

        二

 岸本は更に読みつづけた。
「……郊外に居を移してから僕の宗教的情調はやや深くなって来た。僕の仏教は勿論僕の身体を薫染くんせんした仏教的気分に過ぎないのである。僕は涅槃ねはんに到達するよりも涅槃に迷いたい方である。幻の清浄を体得するよりも、むし如幻にょげんの境にしばらく倦怠と懶惰の「」を寄せたいのである。ねむっている中に不可思議な夢を感ずるように、倦怠と懶惰の生を神秘と歓喜の生に変えたいのである。無常の宗教から蠱惑こわくの芸術に行きたいのである……斯様かように懶惰な僕も郊外の冬が多少珍らしかったので、日記をつけて見た。去年の十一月四日初めて霜が降った。それから十一日には二度目の霜が降った。四度目の霜である十二月朔日ついたちは雪のようであった。そしてその七日八日九日は三朝続いたひどい霜で、や、つわぶきの葉がえた。その八日の朝初氷が張った。二十二日以後は完全な冬季の状態に移って、丹沢山塊から秩父ちちぶ連山にかけて雪の色を見る日が多くなった。風がまたひどく吹いた。然し概して言えば初冬の野の景色はしみじみと面白いものである。霜の色の蒼白あおじろさは雪よりもしげくて切ない趣がある。それとは反対に霜どけの土の色の深さは初夏の雨上りよりも快濶かいかつである。またほろほろになったこけが霜どけに潤って朝の日に照らさるる時、大地の色彩の美はほとんど頂点に達するのである。この時の苔の緑は如何いかなる種類の緑よりもあざやかで生気がある。あだかも緑玉を砕いててたようである。またあだかも印象派の画布カンバスを見るようでもある。僕はわびしい冬の幻相の中で、こんな美しい緑に出会おうとも思いがけなかったのである。僕の魂も肉もかかる幻相の美にとらわれている刹那せつな、如幻の生も楽しく、夢の浮世も宝玉のように愛惜せられるのである。然しながら自然の幻相は何等の努力の発現でないのと等しく、その幻相の完全な領略はまた何等の努力をも待たないものである。夢をして夢と過ぎしめよ……」
 芸術的生活と宗教的生活との融合を試みようとしているような中野の友人には、相応な資産と倹約な習慣とをのこして置いて行った父親があって、この手紙にもよくあらわれている静寂な沈黙をあじわい得るほどの余裕というものが与えられていた。岸本にはそれが無かった。中野の友人には朝に晩にかしずく好い細君があった。岸本にはそれも無かった。彼の妻は七人目の女の児を産むと同時に産後の激しい出血でくなった。
 山を下りて都会に暮すように成ってから岸本には七年の月日がった。その間、不思議なくらい親しいものの死が続いた。彼の長女の死。次女の死。三女の死。妻の死。つづいて愛するおいの死。彼のたましいはゆすぶられ通しに揺られた。ずっと以前に岸本もまだ若く友人も皆な若かった頃に、彼には青木という友人があったが、青木は中野の友人なぞを知らないで早く亡くなった。あの青木の亡くなった年から数えると、岸本は十七年も余計に生き延びた。そして彼の近い周囲にあったもので、滅びるものは滅びて行ってしまい、次第にひとりぼっちの身と成って行った。

        三

 まだ新しい記憶として岸本の胸に上って来る一つの光景があった。続きに続いた親しいものの死から散々におびやかされた彼はたしてもその光景によって否応いやおうなしに見せつけられたと思うものがあった。それは会葬者の一人として麹町こうじまち見附内みつけうちにある教会堂に行われた弔いの儀式につらなった時のことだ。黒い布をかけ、二つの花輪を飾った寝棺が説教台の下に置いてあった。その中には岸本の旧い学友で、耶蘇やそ信徒で、二十一年ばかりも前に一緒に同じ学校を卒業した男の遺骸いがいが納めてあった。肺病で亡くなった学友を弔うための儀式は生前その人が来てよく腰掛けた教会堂の内で至極質素に行われた。やがて寝棺は中央の腰掛椅子の間を通り、壁に添うて教会堂の出入口の方へ運ばれて来た。亡くなった人のためには極く若い学生時代に教を説いて聞かせるからその日の弔いの説教までして面倒を見た牧師をはじめ、親戚しんせき友人などがその寝棺の前後左右を持ちささえながら。
 岸本は灰色な壁のところに立って、その光景をながめていた。その日は岸本の外に、足立あだちすげの二人も弔いにやって来ていた。三人とも亡くなった人の同窓の友だ。
吾儕われわれの仲間はこれだけかい」
 と菅は言って、同じ卒業生仲間をさがすような眼付をした。
「誰かまだ見えそうなものだ」
 と足立も言った。
 会葬のために集まった人達は思い思いに散じつつあった。しばらく岸本は二人の学友と一緒に教会堂の内に残って、帰り行く信徒の群なぞを眺めて立っていた。そこへ来て親戚の代りとして挨拶あいさつした年老いた人があった。三人とも世話になった以前の学校の幹事さんだ。
「可哀そうなことをしました」
 とその幹事さんが亡くなった学友のことを言った。
「子供は幾人いくたりあったんですか」
 と岸本が尋ねた。
「四人」
 と幹事さんは言って見せて、「後がすこし困るテ」という言葉を残しながら別れて行った。
 二人の学友と連立って岸本が帰りかけた頃は、会葬者は大抵出て行ってしまった。人気ひとけの少い会堂の建物のみが残った。正面にあるとがったアーチ風の飾、高い壁、今が今まで花輪を飾った寝棺がその前に置かれてあった質素な説教台のみが残った。会葬者一同が立去った後の沢山並べてある長い腰掛椅子のみが残った。弔いの儀式のために特に用意したらしい説教台の横手にある大きな花瓶かびんと花と葉とのみが残った。そろそろ熱くなりかける時分のことで、教会堂風な窓々から明くしこんで来る五月の日の光のみが残った。
 岸本は立去りがたい思をして、高い天井の下に映る日の光を眺めながら、つくづく生き残るものの悲哀かなしみを覚えた。その悲哀を多くの親しい身内のものに死別れた後の底疲れに疲れて来た自分の身体で覚えた。
 足立や菅を見ると、若かった日の交遊が岸本の胸に浮んで来る。つづいてあの亡くなった青木のことなぞが聯想れんそうせられる。岸本と一緒にその教会堂の石階いしだんを降りた二人の学友は最早もう青木なぞの生きていた日のことを昔話にするような人達に成っていた。

        四

 それから岸本は二人の学友と一緒に見附をして歩いた。久しぶりで足立の家の方へ誘われて行った。岸本を教会堂まで送って行った車夫は空車を引きながら、話し話し歩いて行く岸本の後へいて来た。
「何年振で会堂へ来て見たか」そんな話をして行くうちに、旧い見附跡に近い空地あきちのところへ出た。風の多い塵埃ほこりの立つ日で、黄ばんだ砂煙が渦を巻いてやって来た。そのたびに足立も、菅も、岸本も、背中をそむけて塵埃の通過ぎるのを待ってはた歩いた。
 蒸々と熱い日あたりは三人の行く先にあった。牧師が説教台の上で読んだ亡い学友の略伝――四十五年の人の一生――互にそのことを語り合いながら、城下らしい地勢の残ったところについて緩慢なだらかな坂の道を静かに上って行った。
先刻さっき、僕が吾家うちから出掛けて来ると、丁度御濠端おほりばたのところで皆に遭遇でっくわした。僕は棺に随いて会堂までやって行った」
 と言出したのは三人の中でも一番年長としうえな足立であった。
吾儕われわれの組では、最早もう幾人いくたり亡くなってるだろう」
 それを岸本が言うと、足立は例のくわしいことの好きな調子で、
「二十人の卒業生の中が、四人欠けていたんだろう。これで五人目だ」
「まだ誰か死んでやしないか。もっと居ないような気がするぜ」それを言ったのは菅だ。
「この次は誰の番だろう」
 あの足立の串談じょうだんには、菅も岸本も黙ってしまった。しばらく三人は黙って歩いて行った。
「この三人の中じゃ、一番先へ僕がきそうだ」とた足立が笑いながら言出した。
「僕の方が怪しい」岸本はそれを言わずにいられなかった。
「ナニ、君は大丈夫だよ。僕こそ一番先かも知れない」と菅は串談のようにそれを言って笑った。
「ところがネ、僕はマイるものなら、この一二年にマイってしまいそうな気がする……」
 この岸本の言葉は二人の学友には串談とも聞えたか知れないが、彼自身は自分で自分の言ったことを笑えなかった。煙のような風塵かざぼこりが復た恐ろしくやって、彼は口の中がジャリジャリするほど砂を浴びた。
 その日は葬式の帰りがけにもかかわらず菅と二人で足立の家へ押掛けた。
「こうしてそろって来て貰うことは、めったに無い」それを足立が言っていろいろと持成もてなしてくれた。思わず岸本は話し込んで、車夫を門前に待たせて置きながら、日暮頃までも話した。
「皆一緒に学校を出た時分――あの頃は、何か面白そうなことが先の方に吾儕を待っているような気がした。こうしているのが、これが君、人生かねえ」
 言出すつもりもなく岸本はそれを二人の学友の前に言出した。
「そうサ、これが人生だ」と菅は冷静な調子で言った。「僕はそう思うと変な気のすることがある」
「もうすこしどうかいうことは無いものかね」
 と岸本が言うと、足立はそれを引取って、
「そんなに面白いことが有ると思うのが、間違いだよ」
 足立の部屋に菅と集まって見て、岸本はそこにも不思議な沈黙が旧い馴染なじみの三人を支配していることを感じたのであった。それほど隔ての無い仲間同志にあっても、それほど喋舌しゃべったり笑ったりしても、互いにしんが黙っていた。
「どうしてもこのままじゃ、僕には死に切れない」
 岸本はまた、それを言わずにいられなかった。
 これらの談話の記憶、これらの光景の記憶、これらの出来事の記憶、これらの心の経験の記憶――すべては岸本に取って生々しいほど新しかった。何かにつけて彼は自分の一生の危機が近づいたと思わせるような、あるいまわしい予感に脅されるように成った。

        五

 学友の死を思いつづけながら、神田川に添うて足立の家の方から帰って来た車の上も、岸本には忘れがたい記憶の一つとして残っていた。古代の人が言った地水火風というようなことまで、しきりと彼の想像に上って来たのも、あの車の上であった。火か、水か、土か、何かこう迷信に近いほどの熱意をもって生々しく元始的な自然の刺激に触れて見たら、あるいは自分を救うことが出来ようかと考えたのも、あの車の上であった。
 生存の測りがたさ。かつて岸本が妻子を引連れて山を下りようとした頃にこうした重いよどんだものが一生の旅の途中で自分を待受けようとは、どうして思いがけよう。中野の友人にやって来たというような倦怠は、彼にもやって来た。曾て彼の精神を高めたような幾多の美しい生活を送った人達のことも、皆空虚うつろのように成ってしまった。彼はほとほと生活の興味をすら失いかけた。日がな一日わびしい単調な物音が自分の部屋の障子に響いて来たり、果しもないような寂寞せきばくとざされる思いをしたりして、しばらくもう人もたずねず、冷い壁を見つめたまま坐ったきりの人のように成ってしまった。これはそもそも過度な労作の結果か、半生を通してめぐりにめぐった原因の無い憂鬱ゆううつの結果か、それとも母親のない幼い子供等を控えて三年近くの苦艱くかんと戦った結果か、いずれとも彼には言うことが出来なかった。
 中野の友人から貰った手紙のしまいの方には、こんな事も書いてある。
「岸本君、僕はもう黙してい頃であろう。倦怠と懶惰らんだは僕が僕自身にかえるのを待っている。眼も疲れ心も疲れた。ふと花壇のほとりを見やると、白い蝴蝶こちょうがすがれた花壇に咲いた最初の花を探しあてたところである。そしてその蝴蝶も今年になって初めて見た蝴蝶である。僕の好きな山椿やまつばきの花も追々盛りになるであろう。十日ばかり前から山茱黄やまぐみしきみの花が咲いている。いずれも寂しい花である。ことに樒の花は臘梅ろうばいもどきで、韵致いんちの高い花である。その花を見る僕の心は寂しくふるえている」こう結んである。
 中野の友人には子が無かった。曾て岸本の二番目の男の児を引取って養おうと言ってくれたこともあった。しかし、頑是がんぜなく聞分けのない子供は一週間と友人の家に居つかなかった。結局岸本は二人の子供を手許てもとに置き、一人を郷里の姉の家にたくした。常陸ひたちの海岸の方にある乳母うばの家へ預けた末の女の児のためにも月々の仕送りを忘れる訳にはいかなかった。彼はもう黙って、黙って、絶間なしに労作を続けた。
 岸本の四十二というとしも間近に迫って来ていた。前途の不安は、世に男の大厄たいやくというような言葉にさえ耳を傾けさせた。彼は中野の友人に自分を比べて、こんな風に言って見たこともある。友人のは生々としたくつろいだ沈黙で、自分のは死んだ沈黙であると。その死んだ沈黙で、彼は自分の身に襲い迫って来るような強いあらしを待受けた。


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    第一巻



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        一

 神田川の川口から二三町と離れていない家の二階を降りて、岸本は日頃歩くことを楽みにする河岸かしへ出た。そして非常に静かにその河岸を歩いた。あだかも自分の部屋のつい外にある長い廊下でも歩いて見るように。
 その河岸へ来るたびに、釣船屋つりぶねや米穀の問屋もしくは閑雅な市人の住宅が柳並木を隔てて水に臨んでいるのを見る度に、きまりで岸本は胸に浮べる一人の未知な青年があった。ふとしたことから岸本はその青年からの手紙をもらって、彼が歩くことを楽みにする柳並木のかげは矢張やはりその青年が幾年となく好んで往来する場所であったことを知った。二人は互いに顔を合せたことも無いが、同じ好きな場所を見つけたということだけでは不思議に一致していた。それから青年は岸本にいたいと言って来た。その時、岸本は日頃逢い過ぎるほど人に逢っていることを書いて、吾儕われわれ二人は互いに未知の友として同じ柳並木のかげを楽もうではないか、という意味の返事をその青年に出した。この岸本の心持は届いたと見え、先方さきからも逢いたいという望みはいて捨てたと言って来て、手紙のり取りがその時から続いた。例の柳並木、それで二人の心は通じていた。その青年に取っては河岸は岸本であった。岸本に取っては河岸はその青年であった。
 同じ水をながめ同じ土を踏むというだけのこんな知らないもの同志の手紙の上の交りが可成かなり長い間続いた。時にはその青年は旅から岸本のもとへ葉書をくれ、どんなに海が青く光っていても別にこれぞという考えもかない、例の柳並木の方がむしろ静かだと書いてよこしたり、時には東京の自宅の方から若い日に有りがちな、寂しい、頼りの無さそうな心持を細々こまごまと書いてよこしたりした。次第に岸本はそうした手紙を貰うことも少くなった。ぱったり消息も絶えてしまった。
「あの人もどうしたろう」
 と岸本は河岸を歩きながら自分で自分に言って見た。
 かつてその青年から貰った葉書の中に、「あの柳並木のかげには石がございましょう」と書いてあった文句が妙に岸本の頭に残っていた。岸本はそれらしい石の側に立って、浅草橋の下の方から寒そうに流れて来る掘割の水を眺めながら、十八九ばかりに成ろうかとも思われる年頃の未知の青年を胸に描いて見た。曾てほおへ触れるまでに低くれ下った枝葉の青い香をいだ時は何故とも知らぬなつかしさに胸をおどらせたというその青年を胸に描いて見た。曾てその石に腰を掛け、ひざの上に頬杖ほおづえという形で、岸本がそこを歩く時のことをさまざまに想像したというその青年を胸に描いて見た。
 これほど若々しい心を寄せられた自分は、え難いような哀愁を訴えられた自分は、互いに手紙を書きかわすというだけでも何等なんらかの力に思われた自分は――そこまで考えて行った時は、岸本はその石の側にも立っていられなかった。
 例の柳並木――そこにはもう青年は来なくなったらしい。以前と同じように歩きに来る岸本だけが残った。

        二

 青年が去った後の河岸には、二人の心を結び着けた柳並木も枯々としていた。岸本の心は静かではなかった。三年近い岸本の独身は決して彼の心を静かにさせては置かなかった。「お前はどうするつもりだ。何時いつまでお前はそうしてひとりで暮しているつもりだ。お前の沈黙、お前の労苦には一体何の意味があるのだ。お前の独身は人のうわさにまでのぼっているではないか」こうひとから言われることがあっても、彼は何と言って答えていかを知らなかった。ある時は彼は北海道の曠野こうやに立つという寂しいトラピストの修道院に自分の部屋をたとえて見たこともある。ず自己の墓を築いて置いて粗衣粗食で激しく労働しつつ無言の行をやるというあの修道院の内の僧侶ぼうさん達に自分の身を譬えて見たこともある。「自分はもう考えまいと思うけれども、どうしても考えずにはいられない」と言った人もあったとやら。岸本が矢張それだ。ただ彼は考えつづけて来た。
 河岸の船宿の前には石垣の近くに寄せてつないである三四そうの小舟も見えた。岸本はつくづくよどみ果てた自分の生活の恐ろしさからのがれようとして、二夏ばかり熱心に小舟をいで見たこともあった。その夏と、その前の年の夏と。もうどうにもこうにも遣切やりきれなくなって、そんなことを思いついた。彼が自分の部屋にジッと孤坐すわったぎりしまいには身動きすることさえもいとわしく思うように成った二階から無理に降りて来て、毎朝早く小舟を出したのもその河岸だ。どうかすると湖水のように静かな隅田川すみだがわの水の上へ出て、都会の真中とも思われないほど清い夏の朝の空気を胸一ぱいに吸って、た多くの荷船の通う中を漕ぎ帰って来たのもその石垣の側だ。
「岸本さん」
 と呼びかけて彼の方へ歩いて来る一人の少年があった。河岸の船宿の総領子息むすこだ。
「こう寒くちゃ、舟もお仕舞しまいだね」
 と岸本も忸々なれなれしく言った。彼は十五六ばかりになるその少年を小舟に乗る時の相手として、よく船宿から借りて連れて行った。少年ながらにを押すことは巧みであった。
 船宿の子息は岸本の顔を見ながら、
貴方あなたのとこのせんちゃんには、よくいますよ」
「君は泉ちゃんを知ってるんですか」と岸本が言った。彼はその少年の口から自分の子供の名を聞くのをめずらしく思った。
「よくこの辺へ遊びに来ますよ」
「へえ、こんな方まで遊びに来ますかねえ」
 と岸本はようやくその年から小学校へ通うように成った自分の子供のことを言って見た。
 無心な少年に別れて、復た岸本は細いまばらな柳の枯枝の下った石垣に添いながら歩いて行った。柳橋を渡ってすぐに左の方へ折れ曲ると、河岸の角に砂揚場すなあげばがある。二三の人がその砂揚場の近くに、何か意味ありげに立って眺めている。わざわざ足を留めて、砂揚場の空地あきちを眺めて、手持無沙汰ぶさたらしく帰って行く人もある。
「何があったんだろう」
 と岸本はひとりでつぶやいた。両国の鉄橋の下の方へ渦巻き流れて行く隅田川の水は引き入れられるように彼の眼に映った。

        三

 六年ばかり岸本も隅田川に近く暮して見て、水辺みずべに住むものの誰しもが耳にするような噂をよく耳にしたことはあるが、ついぞまだ女の死体が流れ着いたという実際の場合に自分で遭遇でっくわしたことはなかった。偶然にも、彼はそうした出来事のあった場所に行き合わせた。
今朝けさ……」
 砂揚場のわきに立って眺めていた男の一人がそれを岸本に話した。
 両国の附近に漂着したという若い女の死体は既に運び去られた後で、検視の跡は綺麗きれいに取片付けられ、むしろ一枚そこに見られなかった。ただ入水にゅうすいした女の噂のみがそこに残っていた。
 思いがけない悲劇を見たという心持で、岸本は家をさして引返して行った。彼の胸には最近に断った縁談のことがったり来たりした。彼は自分の倦怠けんたいや疲労が、よどみ果てた生活が、漸く人としてのさかりな年頃に達したばかりでどうかすると早や老人のように震えて来る身体が、それらが皆独身の結果であろうかと考えて見る時ほど忌々いまいましく口惜くやしく思うことはなかった。「結婚するならば今だ」――そう言って心配してくれる友人の忠告に耳を傾けないではないが、実際の縁談となると何時でも彼は考えてしまった。
 岸本の恩人にあたる田辺たなべ小父おじさんという人の家でも、小父さんがくなり、姉さんが亡くなって、岸本の書生時代からよく彼のことを「兄さん、兄さん」と呼び慣れた一人子息の弘の時代に成って来ていた。お婆さんはまだ達者だった。そのお婆さんがわざわざ年老いた体躯からだを車で運んで来て勧めてくれた縁談もあったが、それも岸本は断った。郷里の方にある岸本の実の姉も心配して姉から言えば亡くなった自分の子息の嫁、岸本から言えばおいの太一の細君にあたる人を手紙でしきりに勧めてよこしたが、その縁談も岸本は断った。
「出来ることなら、そのままでいてくれ。何時までもそうした暮しを続けて行ってくれ」
 こういう意味の手紙を一方では岸本も貰わないではなかった。もっとも、そう言って寄してくれる人に限ってずっと年は若かった。
 独りに成って見て、はじめて岸本は世にもさまざまな境遇にある女の多いことを知るように成った。その中には、尼にも成ろうとする途中にあるのであるが、もしそちらで貰ってくれるなら嫁に行ってもいというような、一度かたづいて出て来たというまだ若いさかりの年頃の女の人を数えることが出来た。女としてのたしなみも深く、学問もあって、家庭の人として何一つ欠くることは無いが、あまりに格の高い寺院おてらに生れた為、四十近くまで処女おとめで暮して来たというような人を数えることも出来た。こうした人達は、よし居たにしても、今まで岸本には気がつかなかった。独りで居る女の数は、あるいは独りで居る男の数よりも多かろうか、とさえ岸本には思われた。

        四

 めいの節子は家の方で岸本を待っていた。河岸から岸本の住む町までの間には、横町一つ隔てて幾つかの狭い路地があった。岸本はどうにでも近道を通って家の方へ帰って行くことが出来た。
「子供は?」
 一寸ちょっとそこいらを歩き廻って戻って来た時でも、それを家のものに尋ねるのが岸本の癖のように成っていた。
 彼は節子の口から、兄の方の子供が友達に誘われて町へ遊びに行ったとか、弟の方が向いの家で遊んでいるとか、それを聞くまでは安心しなかった。
 節子が岸本の家へ手伝いに来たのは学校を卒業してしばらくった時からで、丁度その頃は彼女の姉の輝子も岸本のところに来ていた。姉妹きょうだい二人は一年ばかりも一緒に岸本の子供の世話をして暮した。その夏よそかたづいて行く輝子を送ってからは、岸本は節子一人を頼りにして、使っている婆やと共にまだ幼い子供等の面倒を見て貰うことにしてあった。
 岸本の家へ来たばかりの頃の節子はまだ若かった。同じ姉妹でも、姉は学校で刺繍ぬいとり裁縫造花なぞを修め、彼女はむずかしい書籍ほんを読むことを習って来た。その節子が学窓を離れて岸本の家へ来て見た時は、筋向うには一中節いっちゅうぶしの師匠の家があり、その一軒置いて隣には名高い浮世画師の子孫にあたるという人の住む家があり、裏にはまた常磐津ときわずの家元の住居すまいなぞがあって、学芸に志す彼女の叔父の書斎をこうしたごちゃごちゃとした町中に見つけるということさえ、彼女はそれをめずらしそうに言っていた。「私が叔父さんの家へ来ていると言いましたら、学校の友達はうらやましがりましたよ」それを言って見せる彼女の眼には、まだ学校に通っている娘のような輝きがあった。あの河岸の柳並木のかげを往来した未知の青年の心――寂しい、頼りのなさそうな若い日の懊悩おうのうをよく手紙で岸本のところへ訴えてよこした未知の青年の心――丁度あの青年に似たような心をもって、叔父おじもとに身を寄せ、叔父を頼りにしている彼女の容子ようすが岸本にも感じられた。彼女の母や祖母おばあさんは郷里の山間に、父は用事の都合あって長いこと名古屋に、姉の輝子は夫にいて遠い外国に、東京には根岸に伯母おばの家があってもそこは留守居する女達ばかりで、民助伯父おじ――岸本から言えば一番年長としうえの兄は台湾の方で、彼女の力になるようなものは叔父としての岸本一人より外に無かったから。その夏輝子が嫁いて行く時にも、岸本の家を半分親の家のようにして、そこから遠い新婚の旅に上って行ったくらいであるから。
しげるさん、お遊びなさいな」
 と表口から呼ぶ近所の女の児の声がした。繁は岸本の二番目の子供だ。
「繁さんは遊びに行きましたよ」
 と節子は勝手口に近い部屋に居て答えた。彼女はよく遊びに通って来る一人の女の児に髪を結ってやっていた。その女の児は近くに住む針医の娘であった。
「子供が居ないと、莫迦ばかうちなかが静かだね」
 こう節子に話しかけながら、岸本は家の内を歩いて見た。そこへ婆やが勝手口の方から入って来た。
「お節ちゃん、女の死骸しがいが河岸へ上りましたそうですよ」
 と婆やはなまりのある調子で、町で聞いて来た噂を節子に話し聞かせた。
「なんでも、お腹に子供がありましたって。可哀そうにねえ」
 節子は針医の娘の髪を結いかけていたが、婆やからその話を聞いた時はいやな顔をした。

        五

「お節ちゃん」
 子供らしい声で呼んで、弟の繁が向いの家から戻って来た。針医の娘の髪を済まして子供の側へ寄った節子を見ると、繁はいきなり彼女の手にすがった。
 岸本は家の内を歩きながらこの光景ありさまを見ていた。彼は亡くなった妻の園子が形見としてこの世に置いて行った二番目の男の児や、子供にまといつかれながらそこに立っている背の高い節子のすがたを今更のようにながめた。園子がまだ達者でいる時分は、節子は根岸の方から学校へ通っていたが、短い単衣ひとえなぞを着て岸本の家へ遊びに来た頃の節子に比べると、眼前めのまえに見る彼女は別の人のように姉さんらしく成っていた。
「繁ちゃん、おいで」と岸本は子供の方へ手を出して見せた。「どれ、どんなに重くなったか、父さんが一つ見てやろう」
「父さんがいらっしゃいッて」と節子は繁の方へ顔を寄せて言った。岸本はうれしげに飛んで来る繁を後ろ向きにしっかりと抱きしめて、さも重そうに成人した子供の体躯からだを持上げて見た。
「オオ重くなった」
 と岸本が言った。
「繁さん、今度は私の番よ」と針医の娘もそこへ来て、岸本の顔を見上げるようにした。「小父さん、私も――」
「これも重い」と言いながら、岸本はた復たさも重そうに針医の娘を抱き上げた。
 急に繁は節子の方へ行って何物かを求めるように愚図ぐずり始めた。
「お節ちゃん」
 言葉尻ことばじりに力を入れて強請ねだるようにするその母親のない子供の声は、求めても求めても得られないものを求めようとしているかのように岸本の耳にこたえた。
「繁ちゃんはおねむになったんでしょう――それでそんな声が出るんでしょう――」と節子が子供に言った。「おねんねなさいね。好いものをげますからね」
 その時婆やは勝手口の方から来て、子供のために部屋の片隅かたすみ蒲団ふとんを敷いた。そこは長火鉢ながひばちなぞの置いてある下座敷で、二階にある岸本の書斎の丁度階下したに当っていた。節子は仏壇のところから蜜柑みかんを二つ取出して来て、一つを繁の手に握らせ、もう一つの黄色いやつを針医の娘の前へ持って行った。
「へえ、あなたにも一つ」
 そういう場合の節子には、言葉にも動作にも、彼女に特有な率直があった。
「さあ、繁ちゃん、お蜜柑もって、おねんねなさい」と節子は子供に添寝する母親のようにして、愚図々々言う繁のつむりを撫でてやりながらなだめた。
「叔父さん、御免なさいね」
 こう言って子供の側に横に成っている節子や、部屋の内を取片付けている婆やを相手に、岸本は長火鉢の側で一服やりながら話す気に成った。
「これでも繁ちゃんは、一頃ひところから見るといくらか温順おとなしく成ったろうか」と岸本が言出した。
「一日々々に違って来ましたよ」と節子は答えた。
「そりゃもう、旦那だんなさん、こちらへ私が上った頃から見ると、繁ちゃんは大変な違いです。お節ちゃんの姉さんがいらしった頃と、今とは――」と婆やも言葉を添える。
 この二人の答は岸本の聞きたいと思うものであった。彼はまだ何か言出そうとしたが、自分で自分を励ますように一つ二つ荒い息をいた。

        六

いや、繁ちゃんは。ふところへ手を入れたりなんかして」と節子は母親の懐でも探すようにする子供の顔を見て言った。「そんなことすると、もう一緒にねんねしてげません」
温順おとなしくして、おねんねするんですよ」と婆やも子供の枕頭まくらもとに坐って言った。
「ほんとに繁ちゃんは子供のようじゃないのね」と節子は自分の懐を掻合かきあわせるようにした。「だからあなたは大人と子供の合の子だなんて言われるんですよ――コドナだなんて」
「コドナには困ったねえ」と婆やは田舎訛いなかなまりを出して笑った。「あれ、復た愚図る。誰もあなたのことを笑ったんじゃ有りませんよ。今、今、皆なであなたのことをめてるじゃ有りませんか。ほんとにまあ、私が上った頃から見ると繁ちゃんは大変に温順しくお成りなすったッて――ネ」
「さあ、おねんねなさいね」と節子は寝かかっている子供の短い髪をでてやった。
「ああ、もう寝てしまったのか」と岸本は長火鉢の側に居て、子供の寝顔の方をのぞくようにした。「ほんとに子供は早いものだね。罪の無いものだね……この児はなかなか手数がかかる。どうして、繁ちゃんのあばれ方と来た日にゃ、戸はる、障子は破る、一度愚図り出したら容易に納まらないんだから……全く、一頃はえらかった。輝でも、節ちゃんでも困ったろうと思うよ」
「繁ちゃんでは随分泣かせられました」と言いながら、節子は極く静かに身を起して、そっと子供の側を離れた。「なにしろ、つかまえたら放さないんですもの――そででも何でも切れちゃうんですもの」
「そうだったろうね。あの時分から見ると、繁ちゃんもいくらか物が分るように成って来たかナ」こう言う岸本の胸には、節子の姉がまだ新婚の旅に上らないで妹と一緒に子供等の世話をしていてくれたその年の夏のことが浮んで来た。二階に居て聞くと、階下したで繁の泣声が聞える――輝子も、節子も、一人の小さなものを持余もてあましているように聞える――そのたびに岸本は口唇くちびるんで、二階から楼梯はしごだんを駆下りて来て見ると、「どうして、あんたはそう聞分けがないの」と言って、輝子は子供と一緒に泣いてしまっている――節子は節子で、泣叫ぶ子供から隠れて、障子の影で自分も泣いている――何卒どうかして子供を自然に育てたい、拳固げんこの一つもくらわせずに済むものならなるべくそんな手荒いことをせずに子供を育てたい、とそう岸本も思っても残酷な本能の力は怒なしに暴れ廻る子供を見ていられなくなる――「父さん、御免なさい、繁ちゃんはもう泣きませんから見てやって下さい」と子供の代りにびるように言う輝子の言葉を聞くまでは、岸本は心を休めることも出来ないのが常であった。子供が行って結婚前の島田に結った輝子に取縋とりすがる度に、「厭よ、厭よ、髪がこわれちまうじゃありませんか」と言ったあの輝子の言葉を岸本は胸に浮べた。「お嫁に行くんだ――やい、やい」と輝子の方に指さして言った悪戯盛いたずらざかりの繁の言葉を胸に浮べた。輝子が夫と一緒に遠い外国へ旅立つ前、別れを告げにその下座敷へ来た時、「それでも皆大きく成ったわねえ」と言って二人の子供をかわるがわる抱いたことを胸に浮べた。その時、節子が側に居て、「大きく成ったと言われるのがそんなに嬉しいの」と子供に言ったことを胸に浮べた。すべてこれらの過去った日の光景ありさまが前にあったことも後にあったことも一緒に混合いれまざって、稲妻いなずまのように岸本の胸を通過ぎた。
「一切は園子一人の死から起ったことだ」
 岸本はおなかの中でそれを言って見て、何となくがらんとした天井の下を眺め廻した。

        七

 母親なしにもどうにかこうにか成長して行く幼いものにいての話は年少とししたの子供のことから年長としうえの子供のことに移って、岸本は節子や婆やを相手に兄の方の泉太のうわさをしているところへ、丁度その泉太が屋外そとから入って来た。
「繁ちゃんは?」
 いきなり泉太は庭口の障子の外からそれをいた。二人一緒に遊んでいればしまいにはよく泣いたり泣かせられたりしながら、泉太が屋外からでも入って来ると、誰よりも先に弟を探した。
「泉ちゃん、皆で今あなたの噂をしていたところですよ」と婆やが言った。「そんなに屋外を飛んで歩いて寒かありませんか」
「あんなあかほっぺたをして」と節子も屋外の空気に刺激されて耳朶みみたぶまで紅くして帰って来たような子供の方を見て言った。
 泉太の癖として、この子供は誰にでも行って取付いた。婆やの方へ行って若い時は百姓の仕事をしたこともあるという巌畳がんじょうな身体へも取付けば、そこに居るか居ないか分らないほど静かな針医の娘を側に坐らせた節子の方へも行って取付いた。
「泉ちゃんのようにそう人に取付くものじゃないよ」
 そういう岸本の背後うしろへも来て、泉太は父親の首筋にかじりついた。
「でも、泉ちゃんも大きく成ったねえ」と岸本が言った。「毎日見てる子供の大きくなるのは、それほど目立たないようなものだが」
「着物がもうあんなに短くなりました――」と節子も言葉を添える。
「泉ちゃんの顔を見てると、おれはそう思うよ。よくそれでもこれまでに大きくなったものだと思うよ」とた岸本が言った。「幼少ちいさい時は弱い児だったからねえ。あの巾着頭きんちゃくあたまが何よりの証拠サ。この児の姉さん達の方がずっと壮健じょうぶそうだった。ところが姉さん達は死んでしまって、育つかしらんと思った泉ちゃんの方がこんなに成人しとなって来た――分らないものだね」
「黙っといで。黙っといで」と泉太は父の言葉をさえぎるようにした。「節ちゃん、好いことがある。お巡査まわりさんと兵隊さんと何方どっちが強い?」
 こういう子供の問は節子を弱らせるばかりでなく、夏まで一緒に居た輝子をもよく弱らせたものだ。
何方どっちも」と節子は姉が答えたと同じように子供に答えた。
「学校の先生と兵隊さんと何方が強い?」
「何方も」
 とた節子は答えて、そろそろ智識の明けかかって来たような子供のひとみに見入っていた。
 岸本は思出したように、
「こうしてって見れば造作ぞうさもないようなものだがね、三年の子守こもりはなかなかえらかった。これまでにするのが容易じゃなかった。叔母おばさんのくなった時は、なにしろ一番年長うえの泉ちゃんが六歳むっつにしか成らないんだからね。熱い夏の頃ではあり、汗疹あせものようなものが一人に出来ると、そいつが他の子供にまで伝染うつっちゃって――節ちゃんはあの時分のことをよく知らないだろうが、六歳をかしらに四人の子供に泣出された時は、一寸ちょっと手の着けようが無かったね。どうかすると、子供に熱が出る。夜中にお医者さまの家をたたき起しに行ったこともある。あの時分は、叔父さんもろくろく寝なかった……」
「そうでしたろうね」と節子はそれを眼で言わせた。
「あの時分から見ると、余程よっぽどこれでも楽に成った方だよ。もう少しの辛抱だろうと思うね」
「繁ちゃんが学校へ行くようにでも成ればねえ」と節子は婆やの方を見て言った。
「どうかまあ、よろしくお願い申します」
 こう岸本は言って、節子と婆やの前に手をついてお辞儀した。

        八

 下座敷には箪笥たんすも、茶戸棚ちゃとだなも、長火鉢も、子供等の母親が生きていた日とほとんど同じように置いてあった。岸本が初めて園子と世帯しょたいを持った頃からある記念の八角形の古い柱時計も同じ位置に掛って、真鍮しんちゅうの振子が同じように動いていた。園子の時代と変っているのは壁の色ぐらいのものであった。一面に子供のいたずら書きしたすすけた壁が、淡黄色の明るい壁と塗りかえられたぐらいのものであった。その夏岸本は節子に、節子の姉に、泉太に、繁まで例の河岸かしへ誘って行って、そこから家中のものを小舟に乗せ、船宿の子息むすこをも連れて一緒に水の上へ出たことがあった。それからというものは、「父さん、お舟――父さん、お舟――」と強請ねだるようにする子供の声をこの下座敷でよく聞いたばかりでなく、どうかすると机はひっくりかえされて舟の代りになり、団扇掛うちわかけに長い尺度ものさしの結び着けたのがの代りになり、蒲団ふとんが舟の中の蓆莚ござになり、畳の上は小さな船頭の舟ぐ場所となって、塗りえたばかりの床の間の壁の上まで子供の悪戯いたずらした波の図なぞですっかりよごされてしまったが。
 暗い仏壇には二つの位牌いはいが金色に光っていた。その一つは子供等の母親ので、もう一つは三人の姉達のだ。しかしその位牌の周囲まわりには早や塵埃ほこりたまるようになった。岸本が築いた四つの墓――ことに妻の園子の墓――三年近くも彼が見つめて来たのは、その妻の墓ではあったが、しかし彼の足は実際の墓参りからは次第に遠くなった。
「叔母さんのことも大分忘れて来た――」
 岸本はよくそれを節子に言って嘆息した。
 丁度この下座敷の階上うえに、硝子戸ガラスどを開ければ町につづいた家々の屋根の見える岸本の部屋があった。階下したに居て二階の話声はそれほどよく聞えないまでも、二階に居て階下の話声は――殊に婆やの高い声なぞは手に取るように聞える。そこへ昇って行って自分の机の前に静坐して見ると、岸本の心は絶えず階下へ行き、子供の方へ行った。彼はまだ年の若い節子を助けて、二階に居ながらでも子供の監督を忘れることが出来なかった。家のものは皆屋外そとへ遊びに出し、門の戸は閉め、錠は掛けて置いて、たったひとりで二階に横に成って見るような、そうした心持には最早もう成れなかった。
 岸本は好きな煙草たばこを取出した。それをふかし燻し園子との同棲どうせいの月日のことを考えて見た。
「父さん、私を信じて下さい……私を信じて下さい……」
 そう言って、園子が彼の腕に顔を埋めて泣いた時の声は、まだ彼の耳の底にありありと残っていた。
 岸本はその妻の一言を聞くまでに十二年も掛った。園子は豊かな家に生れた娘のようでもなく、艱難かんなんにもよく耐えられ、働くことも好きで、夫を幸福にするかずかずの好い性質をっていたが、しかし激しい嫉妬しっとを夫にあじわわせるような極く不用意なものを一緒にもって岸本のもとかたづいて来た。自分はあまりに妻を見つめ過ぎた、とそう岸本が心づいた時は既に遅かった。彼は十二年もかかって、ようやく自分の妻とほんとうに心の顔を合せることが出来たように思った。そしてその一言を聞いたと思った頃は、園子はもう亡くなってしまった。
「私は自分のことを考えると、何ですか三つ離れ離れにあるような気がしてなりません――子供の時分と、学校に居た頃と、お嫁に来てからと。ほんとに子供の時分には、私は泣いてばかりいるような児でしたからねえ」
 心から出たようなこの妻の残して行った言葉も、まだ岸本の耳についていた。
 岸本はもう準備なしに、二度目の縁談なぞを聞くことの出来ない人に成ってしまった。独身は彼に取って女人に対する一種の復讎ふくしゅうを意味していた。彼は愛することをすら恐れるように成った。愛の経験はそれほど深く彼をきずつけた。

        九

 書斎の壁にむかいながら、岸本は思いつづけた。
「ああああ、重荷を卸した。重荷を卸した」
 こんな偽りのない溜息ためいきが、女のさかりを思わせるような年頃でくなった園子を惜しみかなしむ心と一緒になって、岸本には起きて来たのであった。妻を失った当時、岸本はもう二度と同じような結婚生活を繰返すまいと考えた。両性の相剋あいこくするような家庭は彼を懲りさせた。彼は妻が残して置いて行った家庭をそのまま別の意味のものに変えようとした。出来ることなら、全く新規な生涯を始めたいと思った。十二年、人に連添って、七人の子を育てれば、よしその中で欠けたものが出来たにしても、人間としての奉公は相当に勤めて来たとさえ思った。彼は重荷を卸したような心持でもって、青い翡翠ひすいたまのかんざしなどに残る妻の髪の香をなつかしみたかった。妻の肌身はだみにつけた形見の着物を寝衣ねまきになりとして着て見るような心持でもって、沈黙の形でよくあらわれた夫婦の間の苦しい争いを思出したかった。
 岸本の眼前めのまえには、石灰と粘土とで明るく深味のある淡黄色に塗り変えた、堅牢けんろうで簡素な感じのする壁があった。彼ははや三年近くもその自分の部屋の壁を見つめてしまったことに気がついた。そしてその三年の終の方に出来た自分の労作の多くが、いずれも「退屈」の産物であることを想って見た。
「父さん」
 と楼梯はしごだんのところで呼ぶ声がして、泉太が階下したから上って来た。
「繁ちゃんは?」と岸本がいた。
 泉太は気のない返事をして、何か強請ねだりたそうな容子ようすをしている。
「父さん、蜜豆みつまめ――」
「蜜豆なんかせ」
「どうして――」
「何か、何かッて、お前達は食べてばかりいるんだね。温順おとなしくして遊んでいると、父さんがまた節ちゃんに頼んで、御褒美ごほうびを出してもらってやるぜ」
 泉太は弟のように無理にも自分の言出したことを通そうとする方ではなかった。それだけ気の弱い性質が、岸本にはいじらしく思われた。妻が形見として残して置いて行ったこの泉太はどういう時代に生れた子供であったか、それを辿たどって見るほど岸本に取って夫婦の間だけの小さな歴史を痛切に想い起させるものはなかった。
 町中に続いた家々の見える硝子戸の方へ行って遊んでいた泉太はやがて復た階下したへ降りて行った。岸本は六年の間の仕事場であった自分の書斎をながめ廻した。かつては彼の胸の血潮をき立たせるようにした幾多の愛読書が、さながらあくびをする静物のように、一ぱいに塵埃ほこりの溜った書棚しょだなの中に並んでいた。その時岸本はある舞台の上で見た近代劇の年老いた主人公をふと胸に浮べた。その主人公のところ洋琴ピアノいて聞かせるだけの役目で雇われて通って来る若い娘を胸に浮べた。生気のあふれた娘の指先から流れて来るメロディを聞こうが為めには、劇の主人公は毎月金を払ったのだ。そして老年の悲哀と寂寞せきばくとを慰めようとしたのだ。岸本は劇の主人公に自分を比べて見た。時には静かな三味線しゃみせんの音でも聞くだけのことを心やりとして酒のある水辺みずべの座敷へ呼んで見る若草のような人達や、それから若い時代の娘の心で自分の家に来ているというだけでも慰めになる節子をあの劇中の娘に比べて見た。三年の独身は、ようやく四十の声を聞いたばかりで早老人の心を味わせた。それを考えた時は、岸本は忌々いまいましく思った。

        十

 屋外そとの方で聞える子供の泣き声は岸本の沈思を破った。妻を失った後の岸本は、雛鳥ひなどりのためにえさを探す雄鶏おんどりであるばかりでなく、同時にまたあらゆる危害から幼いものを護ろうとして一寸ちょっとした物音にも羽翅はがいをひろげようとする母鶏の役目までも一身に引受けねばならなかった。子供の泣き声がすると、彼はほとんど本能的に自分の座をった。部屋の外にある縁側に出て硝子戸を開けて見た。それから階下へも一寸見廻りに降りて行った。
「子供が喧嘩けんかしやしないか」
 と彼は節子や婆やに注意するように言った。
「あれはよその家の子供です」
 節子は勝手口に近い小部屋の鼠不入ねずみいらずの前に立っていて、それを答えた。何となく彼女はあおざめた顔付をしていた。
「どうかしたかね」と岸本は叔父らしい調子で尋ねた。
「なんですか気味の悪いことが有りました」
 岸本は節子が学問した娘のようでも無いことを言出したので、噴飯ふきだそうとした。節子に言わせると、彼女が仏壇を片付けに行って、勝手の方へ物を持運ぶ途中で気がついて見ると、彼女のにはべっとり血が着いていた。それを流許ながしもとで洗い落したところだ。こう叔父に話し聞かせた。
「そんな馬鹿な――」
「でも、婆やまでちゃんと見たんですもの」
「そんな事が有りようが無いじゃないか――仏壇を片付けていたら、手へ血が附着くっついたなんて」
「私も変に思いましたからね、鼠かなんかのせいじゃないかと思って、婆やと二人で仏さまの下まですっかり調べて見たんですけれど……何物なんにも出て来やしません……」
「そんなことを気にするものじゃないよ。原因もとが分って見ると、きっとツマラないことなんだよ」
「仏さまへは今、お燈明をあげました」
 節子はこの家の内に起って来る何事なにかの前兆ででもあるかのように、それを言った。
「お前にも似合わないじゃないか」岸本はしかって見せた。「輝が居た時分にも、ホラ、一度妙な事があったぜ。姉さんの枕許まくらもとへ国の方に居る祖母おばあさんが出て来たなんて……あの時はお前まであおくなっちまった。ほんとに、お前達はときどき叔父さんをびっくりさせる」
 日の短い時で、階下の部屋はそろそろ薄暗くなりかけていた。岸本は節子の側を離れて家の内をあちこちと歩いて見たが、しまいには気の弱いものに有りがちな一種の幻覚として年若なめいの言ったことを一概に笑ってしまえなかった。人がくなった後の屋根の下を気味悪く思って、よく引越をするもののあるのも笑ってしまえなかった。
 岸本は仏壇の前へ行って立って見た。燈明のひかりにかがやき映った金色の位牌いはいには、次のような文字が読まれた。
  「宝珠院妙心大姉だいし

        十一

なんじ、わが悲哀かなしみよ、なお賢く静かにあれ」
 この文句を口吟くちずさんで見て、岸本は青い紙のかさのかかった洋燈ランプで自分の書斎を明るくした。「君の家はまだランプかい。随分旧弊だねえ」と泉太の小学校の友達にまで笑われる程、岸本の家では洋燈を使っていた。彼はその好きな色の燈火あかりのかげで自分で自分の心を励まそうとした。あの赤熱しゃくねつの色に燃えてしかも凍り果てる北極の太陽に自己おのれ心胸こころたとえ歌った仏蘭西フランスの詩人ですら、決してただふくろうのように眼ばかり光らせて孤独と悲痛の底に震えてはいなかったことを想像し、その人の残した意味深い歌の文句を繰返して見て、自分を励まそうとした。
 黄ばんだ洋燈の光は住慣れた部屋の壁の上に、ひとりで静坐することを楽みに思う岸本の影法師を大きく写して見せていた。岸本はその影法師を自分の友達とも呼んで見たいような心持でもって、長く生きた昔の独身生活を送った人達のことを思い、世を避けながらも猶かつ養生することを忘れずにいもを食って一切の病気をなおしたというあの「つれづれ草」の中にある坊さんのことを思い、出来ることならこのまま子供を連れて自分の行けるところまで行って見たいと願った。
旦那だんなさん、おくめちゃんの父さんが参りましたよ」
 と婆やが楼梯はしごだんの下のところへ来て呼んだ。お粂ちゃんとは、よく岸本の家へ遊びに来る近所の針医の娘の名だ。
 頼んで置いた針医が小さな手箱をげて楼梯を上って来た。過ぐる年の寒さから岸本は腰の疼痛いたみを引出されて、それが持病にでも成ることを恐れていた。自分の心を救おうとするには、彼はず自分のからだから救ってかかる必要を感じていた。
「あんまり坐り過ぎているせいかも知れませんが、私の腰は腐ってしまいそうです」
 こんなことをその針医に言って、岸本は家のものの手も借りずに書斎の次の間から寝道具なぞを取出して来た。それを部屋の片隅かたすみによせて壁に近く敷いた。
「やっぱりせんの気味でごわしょう。こうした陽気では冷込みますからナ」と言いながら針医は手にした針術しんじゅつの道具を持って岸本の側へ寄った。
 ぷんとしたアルコオルの香が岸本の鼻へ来た。背を向けて横に成った岸本は針医のすることを見ることは出来なかったが、アルコオルでぬぐわれた後の快さを自分の背の皮膚で感じた。やがて針医の揉込もみこむ針はくびの真中あたりへ入り、肩へ入り、背骨の両側へも入った。
いた
 思わず岸本は声をあげて叫ぶこともあった。しかし一番長そうに思われる細い金針きんばりが腰骨の両側あたりへ深く入って、ズキズキと病める部分に触れて行った時は、睡気ねむけを催すほどの快感がその針のかすかな震動から伝わって来た。彼は針医に頼んで、思うさま腰の疼痛いたみを打たせた。
「自分はもう駄目かしら」
 針医の行った後で、岸本は独りで言って見た。手術後の楽しく激しい疲労から、長いこと彼は死んだように壁の側に横になっていた。部屋の雨戸の外へは寒い雨の来る音がした。

        十二

 年も暮れて行った。節子は姉と二人でなしに、彼女一人の手に叔父の家の世話を任せられたことを迷惑とはしていなかった。彼女は自分一人に任せられなければ、何事も愉快に行うことの出来ないような気むずかしいところをっていた。その意味から言えば、彼女は意のままに、快適に振舞った。
 しかしそれは婆やなぞと一緒に働く時の節子で、岸本の眼には何となく楽まない別の節子が見えて来た。姉がまだ一緒にいた夏の頃、節子は黄色く咲いた薔薇ばらの花を流許ながしもとの棚の上にびんして置いて、勝手を手伝いながらでもひとりでながめ楽むという風の娘であった。「泉ちゃん、好いものをがしてげましょうか」と言いながらその花を子供の鼻の先へ持って行って見せ、「ああ好い香気においだ」と泉太が眼を細くすると、「生意気ねえ」と快活な調子で言う姉の側に立っていて、「泉ちゃんだって、好いものは好いわねえ」と娘らしい歯を出して笑うのが節子であった。節子姉妹は岸本の知らない西洋草花の名なぞをよく知っていたが、ことに妹の方はくわしくもあり、又た天性花を愛するような、物静かな、うち沈んだところをっていた。「お前達はよくそれでもそんな名前を知ってる」と岸本が感心したように言った時、「花の名ぐらい知らなくって――ねえ、節ちゃん」と姉の方が言えば、「叔父さん、これ御覧なさい、甘い椿つばきのような香気がするでしょう」と言ってチュウリップの咲いたはちを持って来て見せたのも節子であった。これほど節子はまだ初々ういういしかった。学窓を離れて来たばかりのような処女おとめらしさがあった。その節子が年の暮あたりには何となく楽まないで、じっと考え込むような娘になった。
 岸本の妻が残して置いて行った着物は、あらかたは生家さとの方へ返し、形見として郷里の姉へも分け、根岸のあによめにもめいにも分け、山の方にある知人へも分け、生前園子が懇意にしたような人達のところへは大抵分けて配ってしまって、岸本の手許にはわずかしか残らないように成った。「子供がいろいろお世話に成りました」それを岸本が言って、下座敷に置いてある箪笥の抽筐ひきだしの底から園子の残したものを節子姉妹に分けてくれたこともあった。「節ちゃん、いらっしゃいッて」とその時、輝子が妹を呼んだ声はまだ岸本の耳についていた。子供の世話に成る人達に亡くなった母親の形見を分けることは、岸本に取って決して惜しく思われなかった。
 た岸本は箪笥の前に立って見た。平素ふだんは節子任せにしてある抽筐から彼女の自由にも成らないものを取出して見た。
「叔母さんのお形見も、皆にるうちに段々少くなっちゃった」
 と岸本は半分独語ひとりごとのように言って、思い沈んだ節子を慰めるために、取出したものを彼女の前に置いた。
「こんな長襦袢ながじゅばんが出て来た」
 と復た岸本は言って見て、娘のよろこびそうな女らしい模様のついたやつを節子に分けた。それを見てさえ彼女は楽まなかった。

        十三

 ある夕方、節子は岸本に近く来た。突然彼女は思い屈したような調子で言出した。
「私の様子は、叔父さんには最早もうよくおわかりでしょう」
 新しい正月がめぐって来ていて、節子は二十一というとしを迎えたばかりの時であった。丁度二人の子供はそろって向いの家へ遊びに行き、婆やもその迎えがてら話し込みに行っていた。階下したには外に誰も居なかった。節子は極く小さな声で、彼女が母になったことを岸本に告げた。
 避けよう避けようとしたある瞬間が到頭やって来たように、思わず岸本はそれを聞いて震えた。思い余って途方に暮れてしまって言わずにいられなくなって出て来たようなその声は極く小さかったけれども、実に恐ろしい力で岸本の耳の底にこたえた。それを聞くと、岸本はしおれためいの側にも居られなかった。彼は節子を言いなだめて置いて、彼女の側を離れたが、胸の震えは如何いかんともすることが出来なかった。すごすごと暗い楼梯はしごだんを上って、自分の部屋へ行ってから両手で頭を押えて見た。
 世のならわしにも従わず、親戚しんせきの勧めもれず、友人の忠告にも耳を傾けず、自然に逆らってまでも自分勝手の道を歩いて行こうとした頑固かたくなな岸本は、こうした陥穽おとしあなのようなところへちて行った。自分は犯すつもりもなくこんな罪を犯したと言って見たところで、それが彼には何の弁解いいわけにも成らなかった。自分は婦徳を重んじ正義を愛するの念において過ぐる年月の間あえて人には劣らなかったつもりだと言って見たところで、それがまた何の弁解にも成らなかった。自分は多少酒の趣味を解し、上方唄かみがたうたあいの手のような三味線を聞くことを好み、芸で身を立てるような人達を相手に退屈な時を送ったこともあるが、如何いかなる場合にも自分は傍観者であって、かつてそれらの刺戟しげきに心を動かされたこともなかったと言って見たところで、それが何の弁解のしにも成らないのみか、あべこべに洒脱しゃだつをよそおい謹厳をとりつくろう虚偽と偽善との行いのように自分ながら疑われて来た。のみならず、小唄の一つも聞いて見るほどの洒落気しゃれけがあるならば、何故もっと賢く適当に、独身者として大目に見てもらうような身の処し方をしなかったか、とこう反問するような声を彼は自分の頭脳あたま内部なかですら聞いた。
 しばらく岸本は何事なんにも考えられなかった。
 部屋には青いかさ洋燈ランプがしょんぼりとぼっていた。がっしりとした四角な火鉢ひばちにかけてある鉄瓶てつびんの湯も沸いていた。岸本は茶道具を引寄せて、日頃ひごろ好きな熱い茶を入れて飲んだ。好きな巻煙草まきたばこをもそこへ取出して、火鉢の灰の中にある紅々あかあかとおこった炭のほのおを無心にながめながら、二三本つづけざまにふかして見た。
 こわれ行く自己おのれに対するような冷たく痛ましい心持が、そのうちに岸本の意識に上って来た。

        十四

 すだれがある。団扇うちわがある。馳走ちそうぶりの冷麦ひやむぎなぞが取寄せて出してある。親戚のものは花火を見ながら集って来ている。おいの細君が居る。女学生時代の輝子が居る。郷里の方から東京へ出て来たばかりの節子も姉に連れられて来ている。白い扇子をパチパチ言わせながら、「世が世なら伝馬てんま一艘いっそうも借りて押出すのになあ」と嘆息するおいの太一が居る。まだ幼少ちいさな泉太は着物を着更きかえさせられて、それらの人達の間を嬉しそうに歩き廻っている。皆を款待もてなそうとする母親に抱かれて、乳房を吸っている繁もそこに居る。両国の方ではそろそろ晩の花火のあがる音がする――
 これは園子がまだ達者でいた頃の下座敷の光景ありさまだ。岸本はその頃のさかりの園子を、女らしく好く発達した彼女を、堅肥かたぶとりにふとっても柔軟しなやかな姿を失わない彼女の体格を、記憶でまだありありと見ることが出来た。岸本はまたその頃の記憶を階下から自分の書斎へ持って来ることも出来た。ひとりで二階に閉籠とじこもって机に向っている彼自身がある。どうかするとその彼の背後うしろへ来て、彼を羽翅はがいで抱締めるようにして、親しげに顔を寄せるものがある。それが彼の妻だ。
 園子はその頃から夫の書斎を恐れなかった。画家のアトリエというよりはむしろ科学者の実験室のように冷く厳粛おごそかなものとして置いた書斎の中に、そうして忸々なれなれしくいられることを彼女は夢のようにすら楽しく思うらしかった。岸本が彼女に忸々しく仕向けたことは、きっとその同じ仕向けでもって、彼女はそれを夫にむくいた。時には彼女は夫の身体からだを自分の背中に乗せて、そこにある書架の前あたりをヨロヨロしながら歩き廻ったのも岸本の現に眼前めのまえに見るその同じ部屋の内だ。長いこと妻を導こう導こうとのみ焦心した彼は、その頃に成って、初めて何が園子の心をよろこばせるかを知った。彼は自分の妻もまた、下手へたに礼義深く尊敬されるよりは、荒く抱愛されることを願う女の一人であることを知った。
 それから岸本の身体は眼をますように成って行った。髪も眼が覚めた。耳も眼が覚めた。皮膚も眼が覚めた。眼も眼が覚めた。その他身体のあらゆる部分が眼を覚ました。彼は今まで知らなかった自分の妻の傍に居ることを知るように成った。彼が妻のふところ啜泣すすりなきしても足りないほどの遣瀬やるせないこころを持ち、ある時は蕩子たわれお戯女たわれめの痴情にも近い多くのあわれさを考えたのもそれは皆、何事なんにも知らずによく眠っているような自分の妻の傍に見つけた悲しい孤独から起って来たことであった。岸本の心の毒は実にその孤独に胚胎はいたいした。
 岸本はずっと昔の子供の時分から好い事でも悪い事でも何事もそれを自分の身に行って見た上でなければ、ほんとうにその意味を悟ることが出来なかった。彼は悄れた節子を見て、取返しのつかないような結果に成ったことを聞いて、初めてじることを知ったその自分の心根を羞じた。彼は節子の両親の忿怒いかりの前に、自分を持って行って考えて見た。彼も早や四十二歳であった。頭をいてきまりの悪い思をすれば、何事も若いに免じてわびかなうような年頃とは違っていた。とても彼は名古屋の方に行っている兄の義雄に、また郷里の方にあるあによめに、合せ得られるような顔は無かった。

        十五

 あらしは到頭やって来た。彼自身の部屋をトラピストの修道院にたとえ、彼自身を修道院の内の僧侶ぼうさんに譬えた岸本のところへ。しかも半年ばかり前まで節子の姉が妹と一緒に居て割合ににぎやかに暮した頃には夢にだも岸本の思わなかったような形で。
 多くの場合に岸本は女性に冷淡であった。彼が一箇の傍観者として種々さまざまな誘惑にむかって来たというのも、それは無理に自分をおさえようとしたからでもなく、むしろ女性を軽蔑けいべつするような彼の性分から来ていた。一生を通して女性の崇拝家であったようなくなった甥の太一に比べると、彼は余程よほど違った性分に生れついていた。その岸本が別に多くの女の中からえらんだでも何でもない自分の姪と一緒に苦しまねば成らないような位置に立たせられて行った。節子は重い石の下からわずかに頭を持上げた若草のような娘であった。かつて愛したこともなく愛されたこともないような娘であった。特に岸本の心を誘惑すべき何物をも彼女はたなかった。ただ叔父を頼りにし、叔父を力にする娘らしさのみがあった。何という「生」の皮肉だろう。四人の幼い子供を残した自分の妻の死をそう軽々しくも考えたくないばかりに三年一つの墓を見つめて来た岸本は、あべこべにその死の力から踏みにじられるような心持を起して来た。しかも、きわめて残酷に。
「父さん。これ、朝?」
 と繁が岸本のところへ来て、大きな子供らしい眼で父の顔を見上げて言った。繁はよく「これ、朝?」とか、「これ、晩?」とか聞いた。
「ああ朝だよ。これが朝だよ。一つねんねして起きるだろう、そうするとこれが朝だ」
 岸本は言いきかせて、まだ朝晩の区別もはっきり分らないような幼いものを一寸ちょっと抱いて見た。
 節子の様子をよく見るために岸本は勝手に近い小部屋の方へ行った。用事ありげにそこいらを歩いて見た。節子は婆やを相手に勝手で働いていた。時には彼女は小部屋にある鼠不入ねずみいらずの前に立って、その中から鰹節かつおぶしの箱を取出し、それを勝手の方へ持って行って削った。すこしもまだ彼女の様子には人の目につくような変ったところは無かった。起居たちいにも。動作にも。それを見て、岸本は一時的ながらもやや安心した。
 節子を見た眼で岸本は婆やを見た。婆やは流許ながしもとに腰をこごめて威勢よく働いていた。正直で、働き好きで、丈夫一式を自慢に奉公しているこの婆やは、肺病で亡くなったふるい学友の世話で、あの学友が悪い顔付はしながらもまだ床にくほどではなく岸本のところへよく人生の不如意を嘆きに来た頃に、そこの細君に連れられて目見えに来たものであった。水道のせんからほとばしるように流れ落ちて来る勢いの好い水の音を聞きながらなべの一つも洗う時を、この婆やは最も得意にしていた。
 何となく節子は一番彼女に近い婆やを恐れるように成った。それにもかかわらず、彼女は冷静を保っていた。

        十六

旦那だんなさんは今朝けさはどうかなすったんですか。御飯も召上らず」
 二階へ雑巾ぞうきんがけに来た婆やがそれを岸本にいた。
「今朝は旦那さんのお好きな味噌汁おみおつけがほんとにオイしく出来ましたよ」とまた婆やが言った。
「なに、一度ぐらい食べないようなことは、おれはよくある」と岸本は一刻も働かずにじっとしてはいられないような婆やの方を見て言った。「まあ俺の方はどうでもい。お前達は子供をよく見てくれ」
「なにしろ旦那さんの身体からだは大事な身体だ。旦那さんが弱った日にゃ、吾家うちじゃほんとに仕様がない。よくそれでも一人で何もかもやっていらっしゃるッて、この近所の人達が皆そう言っていますよ。ほんとに吾家の旦那さんは、堅い方ですッて……」
 雑巾を掛けながら婆やの話すことを岸本は黙って聞いていた。やがて婆やは階下したへ降りて行った。岸本は独りで手をんで見た。
 岸本は人知れず自分の顔をあかめずにはいられなかった。もしあの河岸かしの柳並木のかげを往来した未知の青年のようなやわらかい心をもった人が、自分の行いを知ったなら。あの恩人の家の弘のように「兄さん、兄さん」と言って親身の兄弟のように思っていてくれる人や、それから自分のために日頃心配していてくれる友人や、山の方にある園子の女の友達なぞが、聞いたなら。岸本は身体全体を紅くしてもまだじ足りなかった。彼は二十七歳で早くこの世を去った友人の青木のことなぞにも想いいたって、「君はもっと早く死んでいた方が好かった」とあのくなった友達にまで笑われるような声を耳の底の方で聞いた。
 もしこれが進んで行ったらしまいにはどうなるというようなことは岸本には考えられなかった。しかし、すくなくも彼は自分に向って投げられる石のあるということを予期しない訳に行かなかった。彼はある新聞社の主筆が法廷で陳述した言葉を思い出すことが出来る。その主筆に言わせると、世には法律に触れないまでも見遁みのがしがたい幾多の人間の罪悪がある。社会はこれに向って制裁と打撃とを加えねば成らぬ。新聞記者は好んで人の私行を摘発するものではないが、社会に代ってそれらの人物を筆誅ひっちゅうするに外ならないのであると。こうした眼に見えない石が自分の方へ飛んで来る時の痛さ以上に、岸本は見物の喝采かっさいを想像して見て悲しく思った。
 昼と夜とは長い瞬間のように思われるように成って行った。そして岸本の神経は姪に負わせ又自分でも負った深傷ふかでに向って注ぎ集るように成って行った。
 岸本は硝子戸ガラスどに近く行った。往来の方へ向いた二階のてすりのところから狭い町を眺めた。白い障子のはまった幾つかの窓が向い側の町家の階上うえにも階下したにもあった。その窓々には、岸本の家で部屋の壁を塗りかえてさえ、「お嫁さんでもお迎えに成るんですか」とうわさするような近所の人達が住んでいた。いかなる町内の秘密をも聞きもらすまいとしているようなある商家のかみさんは大きな風呂敷包を背負って、買出しの帰りらしく町を通った。

        十七

「岸本様――只今ただいまここに参り居り候。久しぶりにて御話承りたく候。御都合よろしく候わば、このくるまにて御出おいでを御待ち申上げ候」
 岸本は迎えの俥と一緒に、この友人の手紙を受取った。
「節ちゃん、叔父さんの着物を出しとくれ。一寸友達の顔を見に行って来る」
 こう岸本は節子に言って、そこそこに外出する支度したくした。箪笥たんすから着物を取出して貰うというだけでも、岸本は心に責めらるるような親しみと、罪の深いあわれさとを節子に感ずるように成った。何となく彼女に起りつつある変化、それを押えよう押えようとしているらしい彼女の様子は、重い力で岸本の心を圧した。節子は黙し勝ちに、叔父のために白足袋しろたびまでも用意した。
 まだ松の内であった。その正月にかぎって親戚への年始廻りにも出掛けずに引籠ひきこもっていた岸本は久しぶりで自分の家を離れる思をした。彼は怪しく胸騒ぎのするような心持をもって、門並かどなみに立ててある青い竹の葉の枯れしおれたのが風に鳴るのを俥の上で聞いて行った。橋を渡り、電車路を横ぎった。新しい年を迎え顔な人達は祭礼まつりの季節にもまさって楽しげに町々をったり来たりしていた。川蒸汽の音の聞えるところへ出ると、新大橋の方角へ流れて行く隅田川すみだがわの水が見える。その辺は岸本に取って少年時代からの記憶のあるところであった。
 元園町の友人は古い江戸風の残った気持よく清潔な二階座敷で岸本を待受けていた。この友人が多忙いそがしいからだわずかひまを見つけて隅田川の近くへ休みに来る時には、よく岸本のところへ使をよこした。
御無沙汰ごぶさたしました」
 と言って坐り直す元園町をも、岸本をも、「先生、先生」と呼ぶほど、その家には客扱いに慣れた女達がそろっていた。
「元園町の先生は先刻さっきから御待兼おまちかねでございます」
 と髪の薄い女中が言うと、年嵩としかさな方の女中がそれを引取って、至極慇懃いんぎんな調子で、
「岸本先生もしばらく御見えに成りませんから、どうなすったろうッて皆で御噂を申しておりましたよ。御宅でも皆さん御変りもございませんか。坊ちゃん方も御丈夫で」
 岸本が古い小曲の一ふしも聞いて見るために友人と集ったり、折々は独りでもやって来て心を慰めようとしたのは、その二階座敷であった。年と共に募る憂鬱ゆううつな彼の心は何等なんらかの形で音楽を求めずにいられなかった。曾て彼が一度、旧友の足立をその二階に案内した時、「岸本君がこういうところへ来るように成ったかと思うと面白いよ」と言って足立は笑ったこともあった。どうかすると彼はい過ぎるほど逢わねば成らないような客をその二階に避け、諸方ほうぼうから貰った手紙を一まとめにして持って来て、半日独りで読み暮すこともあった。彼は自分と全く生立おいたちを異にしたような人達と話すことを好む方で、そこに奉公する女達のさまざまな身上話に耳を傾け、そこに集る年老た客や年若な客の噂に耳を傾け、時には芸で身を立てようとする娘達ばかりを自分の周囲まわりに集め、彼等の若い恋を語らせて、それを聞くのを楽みとしたこともあった。一生舞台の上で花を咲かせる時もなく老朽ちてしまったような俳優がその座敷の床の間の花をけるために、もう何年となく通って来ているということまで岸本は知っていた。
「岸本さんに御酌しないか」と元園町はそばにいる女を顧みて言った。
「今お熱いのを持って参ります」
 と言いながら女中はそこにある徳利を持添えて岸本に酒を勧めた。
「ああああ、久しぶりでこういうところへやって来た」
 岸本は独語のようにそれを言って、酒の香をいで見た。

        十八

 元園町は岸本の前に居た。しかも岸本がそんな深傷ふかでを負っていようとは知らずに酒を飲んでいた。何事も打明けて相談して見たら随分力に成ってくれそうな、思慮と激情とが同時に一人の人にあるこの友人の顔を見ながら、岸本は自分の身に起ったことをほのめかそうともしなかった。それを仄かすことすらじた。
「先生、お熱いのが参りました」
 女中の一人が勧めてくれるのをさかずきに受けて、岸本は皆の楽しい話声を聞きながら、すこしばかりの酒をやっていた。何時いつの間にか彼の心はずっと以前にいて学んだことのある旧師の方へ行った。その先生が三度目に結婚した奥さんの方へ行った。その奥さんの若い妹の方へ行った。花なぞを植えて静かに老年の時を送ろうとした先生がしばらく奥さんと別れ住んでいたというその幽棲すまいの方へ行った。先生と奥さんの妹との関係は、岸本と姪との関係に似ているかどうかそこまでは彼もよく知らなかったが、すくなくも結果にいては似ていた。深夜に人知れずある医師の門をたたいたという先生の心の懊悩おうのうを岸本は自分の胸に描いて見た。道理ある医師の言葉に服して再びその門を出たという先生の悔恨をも胸に描いて見た。しばらく彼の心は眼前めのまえにあることを離れてしまった。
「岸本先生は何をそんなに考えていらっしゃるんですか」
 と年嵩な方の女中が岸本の顔を見て言った。
「私ですか……」と岸本は自分の前にある盃を眺めながら、「考えたところで仕方のないことを考えていますよ」
「今日は何物なんにも召上って下さらないじゃありませんか。折角のおつゆめてしまいます」
「私は先刻さっきからそう思って拝見しているところなんですけれど、今日は先生のお顔色も好くない」ともう一人の女中が言い添えた。
「ほんとに岸本先生はお目にかかるたんびに違ってお見えなさる……紅い顔をしていらっしゃるかと思うと、どうかなすったんじゃないかと思うほどあおい顔をしていらっしゃることがある……」
 こうそこへ来て酒の興を添えている年の若いせぎすな女も言った。岸本はこの女がまだ赤いえりを掛けているようなほんの小娘の時分から贔屓ひいきにして、宴会なぞのある時にはよく呼んで働いて貰うことにしていた。この人も最早もう若草のように延びた。
「そこへ行くと、元園町の先生の方は何時見てもお変りなさらない。何時見てもニコニコしていらしって……」と年嵩な女中は言いかけたが、急に気を変えて、「まあ、殿方のことばかり申上げて相済みません」
 そう言いながら女中は自分のひざの上に手を置いて御辞儀した。
「歌の一つも聞かせて下さい」
 と岸本は言出した。すこしの酒がぐに顔へ発しる方の彼も、その日は毎時いつものように酔わなかった。

        十九

 生きたいと思う心を岸本に起させるものは、不思議にも俗謡を聞く時であった。酒の興を添えにその二階座敷へ来ていた女の一人は、日頃岸本が上方唄かみがたうたなぞの好きなことを知っていて、古い、沈んだ、陰気なほど静かな三味線しゃみせんの調子に合せて歌った。

  「心づくしのナ
  この年月としつきを、
  いつか思ひの
  はるゝやと、
  心ひとつに
  あきらめん――
  よしや世の中」

 いかなる人に聞かせるために、いかなる人の原作したものとも知れないような古いうたの文句が、熟したすもものように色のめ変った女の口唇くちびるから流れて来た。

  「みじか夜の
  ゆめはあやなし、
  そのうつり香の
  くて手折たをろか
  ぬしなきはなを、
  何のさら/\/\、
  更に恋は曲者くせもの

 元園町の友人の側に居て、この唄を聞いていると、情慾のために苦み悩んだような男や女のことがそれからそれと岸本の胸に引出されて行った。
「元園町の先生は好い顔色におなんなすった」と年嵩としかさの方の女中が言った。
「君の酒は好い酒だ」と岸本も友人の方を見た。
「岸本先生は真実ほんとに御酔いなすったということが御有んなさらないでしょう」と髪の薄い女中は二人の客の顔を見比べて、「先生のは御酒もそう召上らず、御遊びもなさらず、まさか先生だって女嫌おんなぎらいだという訳でもございますまいが――」
「先生は若い姉さん達を並べて置いて、ただながめてばかりいらっしゃる」と年嵩な方が引取って笑った。
「しかし、私は何時いつまでも先生にそうしていていただきたいと思います」とた髪の薄い方の女中が言った。「先生だけはどうかして堕落させたくないと思います」
「私だって弱い人間ですよ」と岸本が言った。
「いえ、手前共のようなところへもこうして御贔屓ごひいきにしていらしって下さるのが、何よりでございます。そりゃもう御察しいたしております。歌の一つも聞いて見ようという御心持は手前共にもよく分っております……」
「よくそれでも御辛抱が続くと思いますよ。そんなにしていらしって、先生はお寂しか有りませんか……奥さんもお迎えなさらず……」
 元園町は盃を手にしてさも心地ここちよさそうに皆の話を聞いていたが、急に岸本の方を強く見て言った。
「岸本君のひとりで居るのは、今だに僕には疑問です」
 岸本は人知れず溜息ためいきいた。

        二十

「僕は友人としての岸本君を尊敬してはいますが」とその時、元園町は酒の上で岸本をしかるように言った。「一体、この男は馬鹿です」
「ヨウヨウ」と髪の薄い女中は手を打って笑った。「元園町の先生の十八番おはこが出ましたね」
「あの『馬鹿』が出るようでなくッちゃ、元園町の先生は好い御心持に御酔いなさらない」と年嵩な方の女中も一緒に成って笑った。
 岸本は自分の家の方に仕残した用事があって、長くもこの場所に居なかった。心持好さそうに酔いくつろいでいる友人を二階座敷に残して置いて、やがてその家を出た。色彩も、音曲おんぎょくも、楽しい女の笑い声も、すべて人を享楽させるためにあるような空気の中から離れて行った時は、余計に岸本の心は沈んでしまった。
 岸本は家をさして歩いた。大川端おおかわばたまで出ると酒もめた。身にみるような冷い河風の刺激を感じながら、少年の時分に恩人の田辺の家の方からよく歩き廻りに来た河岸かしを通って両国の橋のほとりにかかった。名高い往昔むかしの船宿の名残なごりを看板だけにとどめている家の側を過ぎて砂揚場すなあげばのあるところへ出た。神田川の方からゆるく流れて来る黒ずんだ水が岸本の眼に映った。その水が隅田川に落合うあたりの岸近くには都鳥も群れ集って浮いていた。ふと岸本はその砂揚場の近くで遭遇でっくわした出来事を思い出した。妊娠した若い女の死体がその辺へ流れ着いたことを思出した。かつ検屍けんしの後の湿った砂なぞを眺めた彼自身にもまさって、一層よく岸本はその水辺の悲劇の意味を読むことが出来た。その心持から、彼は言いあらわし難い恐怖を誘われた。
 急いで岸本は橋を渡った。すたすた家の方へ帰って行った。門松のある中に遊ぼうとするような娘子供は狭い町中で追羽子おいばねの音をさせて、楽しい一週の終らしい午後の四時頃の時を送っていた。丁度家には根岸のあによめが訪ねて来て岸本の帰りを待っていた。
「オオ、捨さんか」
 と嫂は岸本の名を呼んで言った。この嫂は岸本が一番年長うえの兄の連合つれあいにあたって、節子から言えば学校時代に世話に成った伯母さんであった。「女の御年始という日でもありませんけれど、宅でも台湾の方ですし、代理がてら今日は一寸ちょっと伺いました」とも言った。
 節子は正月らしい着物に着更きかえて根岸の伯母を款待もてなしていた。何となく荒れて見える節子の顔のはだも、岸本だけにはそれがや感じられた。彼はこの女らしくこまかいものに気のつく嫂から、三人も子供をもったことのある人の観察から、なるべく節子を避けさせたかった。
「節ちゃん、そんなとこに坐っていなくてもいから、お茶でも入れ替えてげて下さい」
 岸本は節子を庇護かばうように言った。長火鉢ながひばちを間に置いて岸本とむかい合った嫂の視線はまた、娘のさかりらしく成人した節子の方へよく向いた。この嫂はくなった岸本の母親やまだ青年時代の岸本と一緒に、夫の留守居をして暮した骨の折れた月日のことを忘れかねるという風で、何かにつけて若いものを教えさとすような口調で節子に話しかけた。遠い外国の方で楽しい家庭をつくっているという輝子のうわさも出た。
「ここの叔父さんなればこそ、あれまでに御世話が出来たんですよ。この御恩を忘れるようなことじゃ仕方がありません、いくら輝さんが今楽だからと言って――」と嫂は好い婿を取らせて子供まである自分の娘の愛子に、輝子の出世を思い比べるような調子で言って、やがて節子の方を見て、「節ちゃんも、好い叔父さんをお持ちなすって、ほんとにお仕合せですよ」
 それを聞いている岸本は冷い汗の流れる思をした。

        二十一

 嫂は長い年月の間の留守居も辛抱甲斐がいがあってようやく自分の得意な時代に廻って来たことや、台湾にある民助兄の噂や、自分の娘の愛子の自慢話や、それから常陸ひたちの方に行っている岸本が一番末の女の児の君子の話なぞを残して根岸の方へ帰って行った。岸本から云えばめいの愛子の夫にあたる人の郷里は常陸の海岸の方にあった。その縁故から岸本はある漁村の乳母うばの家に君子をたくして養ってもらうことにしてあった。
「捨さんも、そうして何時いつまでも独りでいる訳にも行きますまい。どうして岸本さんではお嫁さんをお迎えに成らないんでしょうッて、それを聞かれるたびに私まで返事に困ってしまう」
 根岸の嫂はこんな言葉をも残して置いて行った。
 こうした親類の女の客があった後では、岸本は節子と顔を見合せることを余計に苦しく思った。それは唯の男と女とが見合せる顔では無くて、叔父と姪との見合せる顔であった。岸本は節子の顔にあらわれる暗い影をありありと読むことが出来た。その暗い影は、「貴様は実にしからん男だ」という兄の義雄の怒った声を心の底の方で聞くにもまさって、もっともっと強い力で岸本の心に迫った。快活な姉の輝子とも違い、平素ふだんから節子は口数も少い方の娘であるが、その節子の黙し勝ちに憂い沈んだ様子は彼女の無言の恐怖おそれ悲哀かなしみとを、どうかすると彼女の叔父に対する強いにくしみをさえ語った。
「叔父さん、私はどうして下さいます――」
 この声を岸本は姪の顔にあらわれる暗い影から読んだ。彼は何よりもず節子のむちを受けた。一番多く彼女の苦んでいる様子から責められた。
 急に二人の子供の喧嘩けんかする声を聞きつけた時は、岸本は二階の方の自分の部屋にいた。彼は急いで楼梯はしごだんけ降りた。
 見ると二人の子供は、引留めようとする節子の言うことも聞入れないで争っていた。兄は弟をった。弟も兄を打った。
「何をするんだ。何を喧嘩するんだ――馬鹿」
 と岸本が言った。泉太も、繁も、一緒に声を揚げて泣出した。
「繁ちゃんが兄さんのたこを破いたッて、それから喧嘩に成ったんですよ」と節子は繁をおさえながら言った。
「泉ちゃんがった――」と繁は父に言付けるようにして泣いた。
 兄の子供は物を言おうとしても言えないという風で、口惜しそうに口唇くちびるんで、もう一度弟をめがけてこぶしを振上げようとした。
「さあ、した。止した」と岸本が叱るように言った。
「もうお止しなさいね。兄さんも、もうお止しなさいね」と節子も言葉を添えた。
「まあ、坊ちゃん方は何を喧嘩なすったんです」
 と言って、婆やがそこへ飛んで来た頃は、まだ二人の子供は泣きじゃくりをいていた。
 岸本は胸を踊らせながら自分の部屋へ引返して行った。硝子戸ガラスどに近く行って日暮時の町をながめた。河岸の砂揚場のところを通って誘われて来た心持が岸本の胸を往来し始めた。彼はあの水辺みずべの悲劇を節子に結びつけて考えることすら恐ろしく思った。冷い、かすかな戦慄みぶるいは人知れず彼の身を伝うように流れた。

        二十二

 七日ばかりも岸本はろくろく眠らなかった。ひとりで心配した。昼の食事の時だけは彼は家のものと一緒でなしに、独りでぜんむかうことが多かったが、そういう時にはきまりで節子が膳の側へ来て坐った。彼女はめったに叔父の給仕の役を婆やに任せなかった。それを自分でした。そして俯向うつむき勝ちに帯の間へ手を差入れ、叔父と眼を見合せることを避けよう避けようとしているような場合でも、何時でも彼女のひざは叔父の方へ向いていた。おそかれ早かれ破裂を見ないではまないような前途の不安が二人を支配した。岸本は膳を前にして、黙って節子と対い合うことが多かった。
「叔父さん、めずらしいお客さまがいらっしゃいましたよ」
 と楼梯はしごだんの下から呼ぶ節子の声を聞きつけた時は、岸本は自分の書斎に居た。客のあるたびに彼は胸を騒がせた。その度に、節子を隠そうとする心が何よりも先におこって来た。
 丁度町でも家の内でもそろそろ燈火あかりく頃であった。岸本は階下したへ降りて行って見た。十年も彼のところへは消息の絶えていた鈴木の兄が、彼から言えば郷里の方にある実の姉の夫にあたる人が、人目をはばかるような落魄らくはくした姿をして、薄暗い庭先の八ツ手の側に立っていた。
 岸本はこの珍客が火点ひともごろを選んでこっそりとたずねて来た意味をぐに読んだ。いたましい旅窶たびやつれのしたその様子で。手にした風呂敷包と古びた帽子とで。十年も前に見た鈴木の兄に比べると、旅で年とったその容貌おもばせで。この人が亡くなったおいの太一の父親であった。
 妻子を捨てて家出をした鈴木の兄は岸本の思惑おもわくを憚るという風で、遠慮勝ちに下座敷へ通った。
「台湾の兄貴の方から御噂はよく聞いておりました」
 こう言って迎える岸本をも鈴木の兄は気味悪そうにして、何を義理ある弟から言出されるかという様子をしていた。
「泉ちゃん、おいで。鈴木の伯父おじさんに御辞儀するんだよ」と岸本がそこに居る子供を呼んだ。
「これが泉ちゃんですか」と言って子供の方を見る客の顔にはようやく以前のふるい鈴木の家の主人公らしい微笑えみが浮んだ。
「伯父さん、いらっしゃいまし」と節子もそこへ来て挨拶あいさつした。
「節ちゃんか。どうも見違えるほど大きくなりましたね。幼顔おさながおわずかに残っているぐらいのもので――」と鈴木の兄に言われて、節子はすこし顔をあかめた。
「私の家でもお園が亡くなりましてね」と岸本が言った。「あなたの御馴染おなじみの子供は三人とも亡くなってしまいました。一頃ひところは輝も居て手伝ってくれましたが、あの人もお嫁に行きましてね、今では節ちゃんが子供の世話をしていてくれます」
「お園さんのお亡くなりに成ったことは、台湾の方で聞きました……民助君には彼方あちらで大分御世話に成りました……捨さんのことも、民助君からよく聞きました……何しろ私も年は取りますし、身体も弱って来ましたし、捨さんに御相談して頂くつもりで実は台湾の方から帰って参りました……」

        二十三

「節ちゃん、鈴木の兄さんはあわせを着ていらっしゃるようだぜ。叔父さんの綿入を出してお上げ。ついでに、羽織も出して上げたらかろう」
 こう岸本は節子を呼んで言って、十年振りで旅から帰って来た人のために夕飯の仕度したくをさせた。よくよく困った揚句あげくに義理ある弟の家をめがけて遠く辿たどり着いたような鈴木の兄の相談を聞くのは後廻しとして、ともかくも岸本は疲れた旅の人を休ませようとした。しばらく家に泊めて置いて、その人の様子を見ようとした。十年の月日は岸本の生活を変えたばかりでなく、太一の父親が家出をした後のふるい大きな鈴木の家をも変えた。そこには最早もう岸本の甥でもあり友人でもあり話相手ででもあった太一は居なかった。太一の細君も居なかった。そこには倒れかけた鈴木の家をおこした養子が居た。養子の細君が居た。十年も消息の絶えた夫を待っている岸本の姉が居た。太一の妹が居た。岸本が三番目の男の児はその姉の家に托してあった。
 節子のことを案じわずらいながら、岸本はポツポツ鈴木の兄の話すことを聞いた。台湾地方の熱い日に焼けて来た流浪者を前に置いて、岸本はまだこの人が大蔵省の官吏であった頃の立派な威厳のあった風采ふうさいを思出すことが出来る。岸本が少年の頃に流行した猟虎らっこの帽子なぞをかぶったこの人の紳士らしい風采を思出すことが出来る。彼が九つのとしに東京へ出て来た時、初めて身を寄せたのはこの人の家であって、よくこの人から漢籍の素読なぞを受けた幼い日のことを思出すことが出来る。岸本がこの人と姉との側に少年の時代を送ったのは一年ばかりに過ぎなかったが、しかしその間に受けた愛情は幼い彼の心に深く刻みつけられていた。それからずっと後になって、この人の身の上には種々さまざまな変化が起り、その行いにははげしい非難を受けるような事も多かった。そういう中でも、なお岸本が周囲の人のようにはこの人を考えていなかったというのは、全く彼が少年の時に受けた温い深切しんせつの為で――丁度、それが一点のかすかな燈火ともしびのように彼の心の奥に燃えていたからであった。
 岸本は七日ばかりもこの旅の人を自分の許に逗留とうりゅうさせて置いた。その七日の後には、この落魄らくはくした太一の父親を救おうと決心した。
「節ちゃん、叔父さんは鈴木の兄さんを連れて、国の方へ御辞儀に行って来るよ」
 岸本はその話をした後で、別に彼の留守中に医師の診察を受けるようにと節子に勧めた。節子はその時の叔父の言葉に同意した。彼女自身も一度て貰いたいと言った。幸に彼女の思違いであったなら。岸本はそんな覚束おぼつかないことにも万一の望みをかけ、そこそこに旅の仕度したくして、節子に二三日の留守を頼んで置いて行った。

        二十四

 実に急激に、岸本の心は暗くなって行った。郷里の方にある姉の家から帰って来る途中にも、彼は節子に言置いたことを頼みにして、どれほど医師の言葉に万一の希望をつないだか知れなかった。引返して来て見ると、余計に彼は落胆した。
「節ちゃん、そんなに心配しないでもいよ。何とか好いように叔父さんが考えてげるからね」
 こう岸本は言って、もしもの場合には自分の庶子しょしとして届けても可いというようなことを節子に話した。
「庶子ですか」
 と節子はすこし顔をあかめた。
 不幸なめいを慰めるために、岸本はそんな将来の戸籍のことなぞまで言出したもののその戸籍面の母親の名は――そこまで押詰めて考えて行くと到底そんなことは行われそうも無かった。これから幾月の間、いかに彼女を保護し、いかに彼女を安全な位置に置き得るであろうか。つくづく彼は節子の思い悩んでいることが、彼女に取っての致命傷にも等しいことを感じた。
 岸本は町へ出て行った。節子のために女の血を温め調ととのえるというせんじ薬を買求めて来た。
「もっとお前も自分の身体からだを大切にしなくちゃいけないよ」
 と言って、その薬の袋を節子に渡してやった。
 夜が来た。岸本は自分の書斎へ上って行って、ひとりで机にむかって見た。あの河岸かしに流れ着いた若い女の死体のことなぞが妙に意地悪く彼の胸に浮んで来た。
「節ちゃんはああいう人だから、ひょっとすると死ぬかも知れない」
 この考えほど岸本の心を暗くするものは無かった。妻の園子を失った後二度と同じような結婚生活を繰返すまいと思っていた彼は、出来ることなら全く新規な生涯を始めたいと願っていた彼は、独身そのものを異性に対する一種の復讎ふくしゅうとまで考えていた彼は、日頃わずらわしく思う女のために――しかも一人の小さな姪のために、こうした暗いところへ落ちて行く自分の運命を実に心外にも腹立しくも思った。
 思いもよらない悲しい思想かんがえがあだかも閃光せんこうのように岸本の頭脳あたま内部なかを通過ぎた。彼は我と我身を殺すことによって、犯した罪を謝し、後事を節子の両親にでもたくそうかと考えるように成った。近い血族の結婚が法律の禁ずるところであるばかりで無く、もしもこうした自分の行いがなおかつそれに触れるようなものであるならば、彼は進んで処罰を受けたいとさえ考えた。何故というに、彼は世の多くの罪人が、無慈悲な社会の嘲笑ちょうしょうの石に打たるるよりも、むしろ冷やかに厳粛おごそかな法律のむちを甘受しようとする、そのいたましい心持に同感することが出来たからである。部屋には青いかさ洋燈ランプがしょんぼりともっていた。その油の尽きかけて来た燈火ともしびは夜の深いことを告げた。岸本は自分の寝床を壁に近く敷いて、その上に独りで坐って見た。一晩寝て起きて見たら、またどうかいう日が来るか、と不図ふと思い直した。考え疲れて床の上に腕組みしていた岸本は倒れるように深い眠の底へ落ちて行った。

        二十五

「父さん」
 繁は岸本の枕頭まくらもとへ来て、子供らしい声で父を呼起そうとした。岸本は何時間眠ったかをもよく知らなかった。子供が婆やと一緒に二階へ上って来た頃は、眼はめていたが、いくら寝ても寝ても寝足りないように疲れていた。彼は子供の呼声を聞いて、寝床を離れる気になった。
「繁ちゃん、父さんは独りじゃ起きられない。お前も一つ手伝っておくれ。父さんの頭を持上げて見ておくれ」
 と岸本に言われて、繁は喜びながら両手を父の頭の下に差入れた。
「坊ちゃん、父さんを起しておげなさい――ほんとに坊ちゃんは力があるから」
 と婆やにまで言われて、繁は倒れた木の幹でも起すように父の体躯からだ背後うしろの方からささえた。
「どっこいしょ」
 と繁が力を入れて言った。岸本はこの幼少ちいさな子供の力を借りてようやくのことで身を起した。
旦那だんなさん、もう十一時でございますよ」と婆やはすこしあきれたように岸本の方を見て言った。
「や、どうも難有ありがとう。繁ちゃんの御蔭おかげようやく起きられた」
 こう言いながら、岸本は悪い夢にでも襲われたように自分の周囲を見廻した。
 太陽は昨日と同じように照っていた。町の響は昨日と同じように部屋の障子に伝わって来ていた。眼が覚めて見ると昨日と同じ心持が岸本には続いていた。昨日よりいという日は別に来なかった。熱い茶をすすった後のいくらかハッキリとした心持で彼は自分の机に対って見た。
 最近に筆を執り始めた草稿が岸本の机の上に置いてあった。それは自伝の一部とも言うべきものであった。彼の少年時代から青年時代に入ろうとする頃のことが書きかけてあった。恐らく自分に取ってはこれが筆の執り納めであるかも知れない、そんな心持が乱れた彼の胸の中を支配するように成った。彼は机の前に静坐して、残すつもりもなくこの世に残して置いて行こうとする自分の書きかけの文章を読んで見た。それを読んで、耐えられるだけジッと耐えようとした。又終りの方の足りない部分を書き加えようともした。草稿の中に出て来るのは十八九歳の頃の彼自身である。
「暑中休暇が来て見ると、彼方あっちへ飛び是方こっちへ飛びしていた小鳥が木の枝へ戻って来た様に、学窓で暮した月日のことが捨吉の胸に集って来た。その一夏をいかに送ろうかと思う心持に混って。彼はこれから帰って行こうとする家の方で、自分のために心配し、自分を引受けていてくれる恩人の家族――田辺の主人、細君、それからお婆さんのことなぞを考えた。田辺の家の近くに下宿住居ずまいする兄の民助のことをも考えた。それらの目上の人達からまだ子供のように思われている間に、彼の内部なかきざした若い生命いのちの芽は早やたけのこのように頭を持上げて来た。自分を責めて、責めて、責め抜いた残酷むごたらしさ――沈黙を守ろうと思い立つように成った心のもだえ――きちがいじみた真似まね――同窓の学友にすら話しもせずにあるその日までの心の戦を自分の目上の人達がどうして知ろう、繁子や玉子というような基督キリスト教主義の学校を出た婦人があって青年男女の交際を結んだ時があったなどとはどうして知ろう、してそういう婦人に附随する一切の空気がことごとく幻のように消え果てたとはどうして知ろう、と彼は想って見た。まだ世間見ずの捨吉にはすべてが心に驚かれることばかりであった。今々この世の中へ生れて来たかのような心持でもって、現に自分の仕ていることを考えると、何時いつの間にか彼は目上の人達の知らない道を自分勝手に歩き出しているということに気が着いた。彼はその心持から言いあらわし難い恐怖を感じた……」
 岸本は読みつづけた。
「……明治もまだ若い二十年代であった。東京の市内には電車というものも無い頃であった。学校から田辺の家まではおよそ二里ばかりあるが、それくらいの道を歩いて通うことは一書生の身に取って何でも無かった。よく捨吉は岡つづきの地勢に沿うて古い寺や墓地の沢山にある三光町さんこうちょう寄の谷間たにあい迂回うかいすることもあり、あるいは高輪たかなわの通りを真直まっすぐ聖坂ひじりざかへと取って、それから遠く下町の方にある田辺の家をして降りて行く。その日は伊皿子坂いさらござかの下で乗合馬車を待つ積りで、昼飯を済ますとぐ寄宿舎を出掛けた。夕立揚句あげくの道は午後の日にかわいて一層熱かった。けれども最早もう暑中休暇だと思うと、何となく楽しい道を帰って行くような心持になった。何かこう遠い先の方で、自分等を待受けていてくれるものがある。こういう翹望ぎょうぼうは、あだかもそれが現在の歓喜であるかのごとくにも感ぜられた。彼は自分自身のにわかな成長を、急に高くなった背を、急に発達した手足を、自分の身に強く感ずるばかりでなく、恩人の家の方で、もしくはその周囲で、自分と同じようにそろって大きくなって行く若い人達のあることを感じた。就中わけても、まだ小娘のように思われていた人達が遽かに姉さんらしく成って来たには驚かされる。そういう人達の中には、大伝馬町おおてんまちょう大勝だいかつの娘、それからへ竃河岸へっついがし樽屋たるやの娘なぞを数えることが出来る。大勝とは捨吉が恩人の田辺や兄の民助に取っての主人筋に当り、樽屋の人達はよく田辺の家と往来している。あの樽屋のおかみさんが自慢の娘のまだ初々ういういしい鬘下地かつらしたじなぞに結って踊の師匠のもとへ通っていた頃の髪が何時の間にか島田に結い変えられたその姉さんらしい額つきを捨吉は想像で見ることが出来た。彼はまた、あの大伝馬町辺の奥深い商家で生長した大勝の主人の秘蔵娘の白いきゃしゃな娘らしい手を想像で見ることが出来た……」
 読んで行くうちに、年若な自分がそこへあらわれた。何かしら胸を騒がせることがあると、ほおが熱くなって来るような、まだ無垢むく初心うぶな自分がそこへあらわれた。何か遠い先の方に自分等を待受けていてくれるものがあるような心持でもって歩き出したばかりの頃の自分がそこへあらわれた。岸本は自分の少年の姿を自分で見る思いをした。

        二十六

「どうも仕方が無い。最早これまでだ」
 岸本は独りでそれを言って見た。人から責められるまでもなく、彼は自分から責めようとした。世の中から葬られるまでもなく、自分から葬ろうとした。二十年前、岸本は一度国府津こうず附近の海岸へ行って立ったことがある。暗い相模灘さがみなだの波は彼の足に触れるほど近く押寄せて来たことがある。彼もまだごく若いさかりの年頃であった。み難い精神こころの動揺から、一年ばかりも流浪を続けた揚句、彼の旅する道はその海岸の波打際なみうちぎわへ行って尽きてしまった。その時の彼は一日食わず飲まずであった。一銭の路用もたなかった。身には法衣ころもに似て法衣でないようなものを着ていた。それに、尻端折しりはしおり脚絆きゃはん草鞋穿わらじばきという異様な姿をしていた。頭は坊主にっていた。その時の心の経験の記憶がた実際に岸本の身にかえって来た。かつて彼の眼に映った暗い波のかわりに、今は四つ並んだ墓が彼の眼にある。曾て彼の眼に映ったものは実際に彼の方へ押寄せて来た日暮方の海の波であって、今彼の眼にあるものは幻の墓ではあるけれども、その冷たさにいては幻はむしろ真実にまさっていた。三年も彼が見つめて来た四つの墓は、さながら暗夜の実在のようにして彼の眼にあった。岸本園子の墓。同じく富子の墓。同じく菊子の墓。同じく幹子の墓。彼はその四つの墓銘をありありと読み得るばかりでなく、どうかすると妻の園子の啜泣すすりなくような声をさえ聞いた。それは彼が自分の乱れた頭脳あたま内部なかで聞く声なのか、節子の居る下座敷の方から聞えて来る声なのか、それとも何か他の声なのか、いずれとも彼には言うことが出来なかった。その幻の墓が見えるところまでちて行く前には、彼は恥ずべき自己おのれを一切の知人や親戚しんせきの眼から隠すために種々な遁路にげみちを考えて見ないでもなかった。知らない人ばかりの遠い島もその一つであった。訪れる人もすくない寂しい寺院おてらもその一つであった。しかし、そうした遁路を見つけるには彼は余りに重荷を背負っていた。余りに疲れていた。余りに自己をじていた。彼は四つ並んだ幻の墓の方へいやでも応でも一歩ずつ近づいて行くの外はなかった。
 一日はむなしく暮れて行った。夕日は二階の部屋に満ちて来た。壁も、障子も、硝子戸ガラスども、何もかも深い色に輝いて来た。岸本の心は実に暗かった。日頃ひごろ彼の気質として、心を決することは行うことに等しかった。泉太、繁の兄弟の子供の声も最早彼の耳には入らなかった。ただ、心を決することのみが彼を待っていた。

        二十七

 節子が何事なんにも知らずに二階へ上って来た頃は、日は既に暮れていた。彼女は使の持って来た手紙を叔父に渡した。それを受取って見て、岸本は元園町の友人が復た手紙と一緒にわざわざ迎えのくるままでもよこしてくれたことを知った。
 友人を見たいと思う心が岸本には動かないではなかった。しかしその心からと言うよりも、むしろ彼は半分器械のように動いた。元園町の手紙を読むと直ぐ楼梯はしごだんを降りて、そこそこに外出する支度したくした。
 暗い門の外には母衣ほろの掛った一台の俥が岸本を待っていた。節子に留守を頼んで置いて、ぶらりと岸本は家を出た。別れを友人に告げに行くつもりでは無いまでも、実際どう成ってしまうか解らないような暗い不安な心持で、彼はその俥に乗った。そして地を踏んで行く車夫の足音や、時々車夫の鳴らす鈴の音や、橋の上へさしかかるたびに特に響ける車輪の音を母衣の内で聞いて行った。大きな都会の夜らしい町々の灯が母衣の硝子ガラスに映ったり消えたりした。幾つとなく橋を渡る音もした。彼はめったに行かない町の方へ揺られて行くことを感じた。
 元園町の友人は一人の客と一緒に、岸本の知らない家で彼を待受けていた。そこには電燈のかがやきがあった。酒の香気においも座敷に満ちていた。岸本のために膳部ぜんぶまでが既に用意して置いてあった。元園町は客を相手に、さかんにはなしたり飲んだりしているところであった。
「岸本君、今夜は大いに飲もうじゃ有りませんか」
 と元園町がまゆをあげて言った。岸本は元園町から差されたさかずきを受ける間もなく、日頃懇意にする客の方からも盃を受けた。
「今夜は岸本さんを一つ酔わせなければいけない」
 とその客も言って、復た岸本の方へ別の盃を差した。
「ねえ、君」と元園町は客の方を見ながら、「僕なぞが、どれほど岸本君を思っているか、それを岸本君は知らないでいる」
「まあ、一つ頂きましょう」と客は岸本からの返盃へんぱいを催促するように言った。
 耳に聞く友人等の笑声、眼に見るはなやかな電燈の灯影ほかげは、それらのものは岸本が心中の悲痛と混合まざりあった。彼は楽しい酒の香気をぎながら、車の上でそこまで震えてやって来た彼自身のすがたを思って見た。節子と彼と、二人の中の何方どっちか一人が死ぬより外に仕方が無いとまで考えて来たその時までの身の行詰りを思って見た。
 元園町は心地ここちよさそうに酔っていたが、やがて何か思い出したように客の方を見ながら、
「ねえ、君、岸本君なぞも一度欧羅巴ヨーロッパを廻って来るといね……是非僕はそれをおすすめする……」
 客はこうした酒の上の話もさかなの一つという様子で、盃を重ねていた。
「岸本君」と元園町は酔に乗じて岸本を励ますように言った。「君も一度欧羅巴を見ていらっしゃい……是非見ていらっしゃい……もし君が奮発して出掛けられるようなら、僕はどんなにでも骨を折ります……一度は欧羅巴というものを見て置く必要がありますよ……」
 岸本は黙し勝ちに、友人の話を聞いていた。どうかして生きたいと思う彼の心は、情愛のこもった友人の言葉から引出されて行った。

        二十八

 夜はけた。四辺あたりはひっそりとして来た。酒の相手をするものは皆帰ってしまった。まだそれでも元園町は客を相手に飲んでいた。それほど二人は酒の興が尽きないという風であった。その晩は岸本もめずらしく酔った。夜が更ければ更けるほど、妙に彼の頭脳あたまえて来た。
「友人は好いことを言ってくれた。これ以上の死滅には自分は耐えられない――」
 彼は自分で自分に言って見た。
 呼んでもらった俥が来た。岸本は自分の家をして深夜の都会の空気の中を帰って行った。東京の目貫めぬきとも言うべき町々も眠ってしまって、遅くまで通う電車の響も絶えていた。広い大通りには往来ゆききの人の足音も聞えなかった。海の外へ。岸本がその声をハッキリと聞きつけたのも帰りの車の上であった。あだかも深い「夜」が来てその一条の活路を彼の耳にささやいてくれたかのように。すくなくも元園町の友人が酒の上で言った言葉から、その端緒いとぐちを見つけて来たというだけでも、彼に取って、難有ありがたい賜物のように思われた。どうかして自分を救わねば成らない。同時に節子をも。又た泉太や繁をも。この考えが彼の胸にいて来て、しかも出来ない事でも無いらしく思われた時は、彼は心からある大きな驚きに打たれた。
 可成かなりな時を車で揺られて岸本は住み慣れた町へ帰って来た。割合に遅くまで人通の多いその界隈かいわいでも、最早もう真夜中で、ねぐらで鳴く鶏の声が近所から僅かに聞えて来ていた。家でも皆寝てしまったらしい。そう思いながら、岸本は門の戸をたたいた。
「叔父さんですか」
 という節子の声がして、やがて戸の掛金を内からはずしてくれる音のする頃は、まだ岸本は酒の酔がめなかった。
「まあ、叔父さんにはめずらしい」
 と節子は驚いたように叔父を見て言った。
 岸本は自分の部屋へ行ってからも、胸の中にき上って来る感動をおさえることが出来なかった。丁度節子は酔っている叔父のために冷水おひやを用意して来た。岸本は何事なんにも知らずにいる姪にまで自分の心持を分けずにいられなかった。
「可哀そうな娘だなあ」
 思わずそれを言って、彼ゆえに傷ついた小鳥のような節子を堅く抱きしめた。
「好い事がある。まあ明日話して聞かせる」
 その岸本の言葉を聞くと、節子は何がなしに胸が込上こみあげて来たという風で、しばらく壁の側に顔を押えながら立っていた。とめども無く流れて来るような彼女の暗い涙は酔っている岸本の耳にも聞えた。

        二十九

 朝が来て見ると、平素ふだんはそれほど気もつかずにいた書斎の内のよごれがひどく岸本の眼についた。彼は長く労作の場所とした二階の部屋を歩いて見た。何一つとしてそこにはよどみ果てていないものは無かった。多年彼が志した学芸そのものすら荒れすたれた。書棚しょだなの戸を開けて見た。そこには半年の余もたまった塵埃ほこりが書籍という書籍を埋めていた。壁の側に立って見た。そこには血がにじんでいるかと思われるほど見まもり疲れた冷たさ、恐ろしさのみが残っていた。
 遠い外国の旅――どうやらこの沈滞の底から自分を救い出せそうな一筋の細道が一層ハッキリと岸本に見えて来た。何よりもず彼は力をつかもうとした。あの情人の夫を殺すつもりであやまって情人を殺してまでもなおかつ生きることの出来たという文覚上人もんがくしょうにんのような昔の坊さんの生涯の不思議を考えた。そこからもっと自己を強くすることを学ぼうとした。一歩ひとあしも自分の国から外へ踏出したことの無い岸本のようなものに取っては、遠い旅の思立ちはなかなか容易でなかった。七年ばかり暮しつづけているうちにまるで根がえてしまったような現在の生活を底からくつがえすということも容易ではなかった。節子や子供等をもっと安全な位置に移し、留守中のことまでも考えて置いて、ひとりで家庭を離れて行くということも容易ではなかった。それを思うと、岸本の額からは冷いあぶらのような汗がいて来た。
 しかし、不思議にも岸本の腰がった。腐ってしまいそうだとよく岸本の嘆いていた身体からだが、ひょっとすると持病に成るかとまで疼痛いたみを恐ろしく感じていた身体が、小舟をいで見たり針医に打たせたりしてまだそれでも言うことをかなかった身体が、半日ぐらい壁の側に倒れていることはよく有って激しい疲労と倦怠けんたいとをどうすることも出来なかったような身体が、その時に成って初めて言うことをいた。彼は精神こころから汗を出した。そしてズキズキと病める腰のことなぞは忘れてしまった。一切を捨てて海の外へ出て行こう。全く知らない国へ、全く知らない人の中へ行こう。そこへ行って恥かしい自分を隠そう。こうした心持は、自ら進んで苦難を受くることによって節子をも救いたいという心持と一緒に成って起って来た。
 その心持から岸本は元園町の友人へてた手紙を書いた。彼は自分の身についた一切のものを捨ててかかろうとしたばかりでなく、多年の労作から得た一切の権利をもげて旅の費用に宛てようと思って来た。このにわかな旅の思い立ちは誰よりも先ず節子を驚かした。

        三十

「酒の上で言ったようなことを、そう岸本君のように真面目まじめに取られても困る」
 これは元園町の友人の意見として、過ぐる晩一緒に酒をみかわした客から岸本の又聞きにした言葉であった。岸本はこの友人に対してすら、何故そう「真面目」に取らずにはいられなかったというその自分の位置をどうしても打明けることが出来なかった。
 とは言え、元園町からは助力を惜まないという意味の手紙をよこしてくれた。この手紙が岸本を励した上に、幸いにも旅の思立ちを賛成してくれた人達のあったことは一層彼の心を奮いたせた。それからの岸本はほとんど旅の支度したくに日を送った。そろそろ梅の咲き出すという頃には大体の旅の方針を定めることが出来るまでに成った。長いこと人もたずねずに引籠ひっこみきりでいた彼は、神田へも行き、牛込うしごめへも行った。京橋へも行った。本郷へも行った。どうかして節子の身体がそれほど人の目につかないうちに支度を急ぎたいと願っていた。
「一度は欧羅巴ヨーロッパを見ていらっしゃるというのもかろうと思いますね。何もそんなにお急ぎに成る必要は無いでしょう――ゆっくりお出掛になってもいでしょう」
 番町の方の友人が岸本の家へ訪ねて来てくれた時に、その話が出た。この友人は岸本から見ると年少ではあったが、外国の旅の経験をっていた。
「思い立った時に出掛けて行きませんとね、愚図々々してるうちには私も年を取ってしまいますから」
 こう岸本は言い紛らわしたものの、親切にいろいろなことを教えてくれる友人にまで、隠さなければ成らない暗いところのある自分の身をずかしく思った。
 まだ岸本は兄の義雄に何事なんにも言出してなかった。留守中の子供の世話ばかりでなく、節子の身の始末にいては親としての兄の情にすがるの外は無いと彼も考えた。しかしながら、日頃兄の性質を熟知する岸本に何を言出すことが出来よう。義雄は岸本の家から出て、母方の家を継いだ人であった。民助と義雄とは同じ先祖を持ち同じ岸本の姓を名のる古い大きな二つの家族の家長たる人達であった。地方の一平民をもって任ずる義雄は、家名を重んじ体面を重んずる心を人一倍多く有っていた。婦女の節操は義雄が娘達のところへ書いてよこす何よりも大切な教訓であった。こうした気質の兄から不日上京するつもりだという手紙を受取ったばかりでも、岸本は胸を騒がせた。
「お前のお父さんが出ていらっしゃるそうだ」
 それを岸本が節子に言って聞かせると、彼女はただ首をれて、しおれた様子を見せていた。でも彼女が割合に冷静であることは岸本の心をやや安んじさせた。
 旅の支度に心忙しく日を送りながら今日見えるか明日見えるかと岸本が心配しつつ待っていた兄は名古屋の方から着いた。

        三十一

「や。どうも久しぶりで出て来た。今停車場ステーションから来たばかりで、まだ宿屋へも寄らないところだ。今度は大分用事もあるし、そうゆっくりしてもいられないが――まあ、すこし話して行こう。子供も皆丈夫でいるかね」
 義雄は外套がいとうを脱ぎながらもこんな話をして、久しぶりで弟を見るばかりでなく、娘をも見るという風に、そこへ来て帽子や外套を受取ろうとする節子へも言葉を掛けた。
「節ちゃんも相変らず働いてるね」
 それを聞くと、岸本は何事なんにも知らずにいる兄の顔を見ることさえも出来なかった。久しぶりで上京した人を迎え顔に、下座敷の内をあちこちと歩き廻った。
「どれ、お茶の一ぱいも御馳走ごちそうに成って行こう」
 と言いながら、勝手を知った兄は自分から先に立って二階の座敷へ上った。この兄とむかい合って見ると、岸本は思うことも言出しかねて、外国の旅の思立ちだけしか話すことが出来なかった。留守中の子供のことだけを兄に頼んだ。「そいつは面白いぞ」と義雄は相変らずの元気で、「おれの家でもこれから大いに発展しようというところだ。近いうちに国の方のものを東京へ呼ぶつもりでいたところだ。貴様が家を見つけて置いてくれさえすれば、子供の世話は俺の方で引受けた」
 義雄の話は何時いつでも簡単で、そしてテキパキとしていた。
 十年振りで帰国した鈴木の兄のうわさ、台湾の方の長兄の噂などにしばらく時を送った後、義雄は用事ありげに弟のもとを辞し去る支度した。仮令たとえこの兄の得意の時代はまだ廻って来ないまでも勃々ぼつぼつとした雄心はおさえきれないという風で、快く留守中のことを引受けたばかりでなく、外国の旅にはひどく賛成の意を表してくれた。
 兄は出て行った。岸本は節子を呼んで、兄の話を彼女に伝え、不安な彼女の心にいくらかの安心を与えようとした。
「でも、お前のことを頼むとは、いかに厚顔あつかましくも言出せなかった――どうしても俺には言出せなかった」
 と岸本は嘆息して言った。
「もしお前のおっかさんが国から出ていらしったら、さぞびっくりなさるだろう」
 とた彼は附添つけたした。
 弟の外遊をよろこんでくれた義雄の顔は岸本の眼についていた。自己の不徳を白状することを後廻しにして、留守中の子供の世話を引受けてもらったでは、欺くつもりもなく兄を欺いたにも等しかった。岸本はこの旅の思立ちが、いかに兄を欺き、友を欺き、世をも欺く悲しき虚偽の行いであるかを思わずにいられなかった。そして一書生の旅に過ぎない自分の洋行というようなことが大袈裟おおげさに成れば成るだけ、余計にその虚偽を増すようにも思い苦しんだ。出来ることなら人にも知らせずに行こう。日頃親しい人達にのみ別れを告げて行こう。すくなくも苦を負い、難を負うことによって、一切の自己おのれの不徳を償おう、とこう考えた。それにしても、いずれ一度は節子のことを兄の義雄だけには頼んで置いて行かねば成らなかった。それを考えると、岸本は地べたへ顔を埋めてもまだ足りないような思いをした。

        三十二

 春の近づいたことを知らせるような溶けやすい雪が来て早や町を埋めた。実に無造作に岸本は旅を思い立ったのであるが、実際にその支度に取掛って見ると、遠い国に向おうとする途中で必要なものを調ととのえるだけにも可成かなりな日数を要した。
 眼に見えない小さな生命いのちの芽は、その間にそろそろ頭を持上げ始めた。節子の苦しみと悩みとは、それを包もう包もうとしているらしい彼女のはじを帯びた容子ようすは、一つとして彼女の内部なかから押出して来る恐ろしい力を語っていないものはなかった。あだかも堅い地を割って日のめを見ないではまない春先のたけのこのような勢で。それを見せつけられるたびに、岸本は注文して置いた旅の衣服や旅のかばんの出来て来るのを待遠しく思った。
 ある日、岸本は警察署に呼出されて身元調を受けて帰って来た。これは外国行の旅行免状を下げて貰うに必要な手続きの一つであった。節子は勝手口に近い小座敷に立っていて、何となく彼女に起りつつある変化が食物の嗜好しこうにまであらわれて来たことを心配顔に叔父に話した。
「婆やにそう言われましたよ。『まあ妙な物をお節ちゃんは食べて見たいんですねえ』ッて――梅干のようなものが頂きたくて仕方が無いんですもの」
 こう節子は顔をあかめながら言った。彼女はまた、婆やに近くいて見られることを一番恐ろしく思うとも言った。
 岸本はまだ二人の子供に何事なんにも話し聞かせて無かった。幾度いくたびとなく彼は自分の言出そうとすることが幼いものの胸を騒がせるであろうと考えた。その度に躊躇ちゅうちょした。
「泉ちゃん、おいで
 と岸本は夕飯のぜんの側へ泉太を呼んだ。
「繁ちゃん、父さんがお出ッて」
 と泉太はまた弟を呼んだ。
 二人の子供は父の側に集った。旅を思い立つように成ってからは客も多く、岸本は家のものと一緒に夕飯の膳にくことも出来ない時の方が多かった。
「父さんはお前達にお願いがあるがどうだね。近いうちに父さんは外国の方へ出掛けて行くが、お前達はおとなしくお留守居してくれるかね」
 節子は膳の側に、婆やは勝手口に聞いているところで、岸本はそれを子供に言出した。
「お留守居する」
 と弟は兄よりも先にひざを乗出した。
「繁ちゃん」
 と兄は弟をしかるように言った。その泉太の意味は、自分は弟よりも先に父の言葉に応じるつもりであったとでも言うらしい。
「二人ともおとなしくして聞いていなくちゃ不可いけない。お前達は父さんの行くところをよく覚えて置いておくれ。父さんは仏蘭西フランスという国の方へ行って来る――」
「父さん、仏蘭西は遠い?」と弟の方がいた。
「そりゃ、遠いサ」と兄の方は小学校の生徒らしく弟に言って聞かせようとした。
 岸本は二人の幼いものの顔を見比べた。「そりゃ、遠いサ」と言った兄の子供ですら、何程の遠さにあるということは知らなかった。

        三十三

 思いの外、泉太や繁は平気でいた。それほど何事なんにも知らずにいた。父が遠いところへ行くことを、鈴木の伯父の居る田舎いなかの方か、妹の君子が預けられている常陸ひたちの海岸の方へでも行くぐらいにしか思っていないらしかった。その無心な様子を見ると、岸本はさ程子供等の心をいためさせることもなしに手放して行くことが出来るかと考えた。
 岸本は膳の側へ婆やをも呼んで、
「いろいろお前にはお世話に成った。俺も今度思立って外国の方へ行って来るよ。近いうちに節ちゃんのお母さん達が郷里くにから出て来て下さるだろうから、それまでお前も勤めていておくれ」
「あれ、旦那だんなさんは外国の方へ」と婆やが言った。「それはまあ結構でございますが――」
 岸本はこの婆やに聞かせるばかりでなく、子供等にも聞かせる積りで、
「俺は九つのとしに東京へ修業に出て来た。それからはもうずっと親の側にもいなかった。他人の中でばかり勉強した。それでもまあ、どうにかこうにか今日までやって来た。それを考えるとね、泉ちゃんや繁ちゃんだって父さんのお留守居が出来ないことは有るまいと思うよ……どうだね、泉ちゃん、お留守居が出来るかね」
「出来るサ」と泉太は事もなげに言った。
「父さんが居なくたって、お節ちゃんはお前達と一緒に居るし、今に伯母さんや祖母おばあさんも来て下さる」
「お節ちゃんは居るの」と繁が節子の方を見ていた。
「ええ、居ますよ」
 節子は言葉に力を入れて子供の手を握りしめた。
 何時いつ伝わるともなく岸本の外遊は人の噂に上るように成った。彼は中野の友人からも手紙を貰った。その中には、かねてそういう話のあったようにも覚えているが、こんなに急に決行しようとは思わなかったという意味のことを書いてよこしてくれた。若い人達からも手紙を貰った。その中には、「母親のない幼少おさない子供を控えながら遠い国へ行くというお前の旅の噂は信じられなかった。お前は気でも狂ったのかと思った。それではいよいよ真実ほんとうか」という意味のことを書いて寄してくれた人もあった。こうした人の噂は節子の小さな胸を刺激せずには置かなかった。諸方ほうぼうから叔父の許へ来る手紙、にわかにえた客の数だけでも、急激に変って行こうとする彼女の運命を感知させるには充分であった。彼女は叔父に近く来て、心細そうな調子で言出した。
「叔父さんはさぞ嬉しいでしょうねえ――」
 叔父の外遊をよろこんでくれるらしいこの節子の短い言葉が、あべこべに名状しがたい力で岸本の心を責めた。何か彼一人が好い事でもするかのように。頼りのない不幸なものを置去りにして、彼一人外国の方へ逃げて行きでもするかのように。
「叔父さんが嬉しいか、どうか――まあ見ていてくれ」
 と岸本は答えようとしたが、それを口にすることすら出来なかった。彼は黙ってめいの側を離れた。

        三十四

 叔父を恐れないように成ってからの節子のひとみは、叔父に対する彼女の強いにくしみを語っているばかりでも無かった。どうかするとその瞳は微笑ほほえんでいることもあった。そして彼女の顔にあらわれる暗い影と一緒に成って動いていた。
「妙なものですねえ」
 節子はこうした短い言葉で、彼女の内部なかに起って来る激しい動揺を叔父に言って見せようとすることもあった。しかし岸本は不幸な姪の憎みからも、微笑ほほえみからも、責められた。その憎みも微笑も彼を責めることにいては殆んど変りがなかったのである。
 温暖あたたかい雨が通過ぎた。その雨が来て一切のものをらす音は、七年住慣れた屋根の下を離れ行く日の次第に近づくことを岸本に思わせた。早くこの家を畳まねば成らぬ。新しい家の方に節子を隠さねば成らぬ。それらの用事が実に数限りも無く集って来ている中で、一方には岸本は日頃ひごろ親しい人達にそれとなく別離わかれを告げて行きたいと思った。出来るだけ手紙も書きたいと思った。岸本はある劇場へと車を急がせた。彼はいそがしい自分のからだの中からわずかの時を見つけて、せめてその時を芝居小屋の桟敷さじきの中に送って行こうとした。ある近代劇の試演から岸本の知るように成った二三の俳優がその舞台に上る時であった。前後に関係の無いふるい芝居の一幕が開けた。人形のように白く塗った男の子役の顔が岸本の眼に映った。女の子にもして見たいようなその長いそでや、あまえるようにかしげたその首や、哀れげに子役らしいその科白廻せりふまわしは、悪戯いたずらざかりの泉太や繁とは似てもつかないようなものばかりであった。でも、岸本は妙に心を誘われた。彼の胸の中は国に残して置いて行こうとする自分の子供等のことで満たされるように成った。熱い涙がその時絶間なしに岸本のほおを伝って流れて来た。彼は舞台の方を見ていることも出来なかった。座にも耐えられなかった。人を避けて長い廊下へ出て見ると、そこには幾つかの並んだ薄暗い窓があった。彼はその窓の一つの方へ行って、激しく泣いた。

        三十五

 岸本は出来るだけ旅の支度を急ごうとした。ようやく家の周囲まわりの狭い廂間ひあわいなぞに草の芽を見る頃に成って、引越の準備をするまでにぎ付けることが出来た。節子は暇さえあれば炬燵こたつかじりついて、丁度巣に隠れる鳥のように、勝手に近い小座敷にこもってばかりいるような人に成った。一月は一月より眼に見えないものの成長から苦しめられて行く彼女の様子が岸本にもよく感じられた。彼の心があせれば焦るほど、延びることを待っていられないような眼に見えないものは意地の悪いほど無遠慮ぶえんりょな勢いを示して来た。一日も、一刻も、与えられた時を猶予することは出来ないかのように。仮令たとえ母の生命いのちを奪ってまでも生きようとするようなその小さなものを実際人の力でどうすることも出来なかった。
 死を思わせるほど悩ましい節子の様子から散々におびやかされた岸本は、今た彼女から生れて来るものの力に踏みにじられるような心持でもって、時々節子をいたわりに行った。節子は娘らしく豊かな胸の上あたりを羽織で包んで見せ、張り満ちて来る力のおさえがたさを叔父に告げた。彼女の恐怖、彼女の苦痛を分つものは叔父一人の外に無かった。
「御免下さいまし」
 という親戚しんせきの女の声を表口の方に聞きつけたばかりでも、岸本は心配が先に立った。
 根岸のめい――民助兄の総領娘にあたる愛子が引越間際まぎわの取込んだところへ訪ねて来た。輝子や節子が「根岸の姉さん」と呼んでいるのは、この愛子のことであった。愛子は岸本の許へ何よりの餞別せんべつの話を持って来てくれた。それは台湾の父とも相談の上、叔父の末の児(君子)を自分の妹として養って見たいというのであった。
「いろいろ父も御世話さまに成りましたし……それに叔父さんも外国の方へいらっしゃるようになれば、君ちゃんの仕送りをなさるのも大変でしょうと思いましてね……」
 この愛子のこころざしを岸本は有難ありがたく受けた。
「そう言えば叔父さんの髪の毛は――」と愛子は驚いたように岸本の方を見て言った。「まあ、白くおなんなすったこと。この一二年の間に、急に白くおなんなすったようですね」
「そうかねえ、そんなに白くなったかねえ」
 岸本は笑い紛わした。
 この「根岸の姉さん」の前で見る時ほど、節子の改まって見えることは無かった。それは節子にのみ限らなかった。姉の輝子とても矢張やはりその通りであった。同じ岸本を名のる近い親類でも、愛子と節子姉妹の間には女同志でなければ見られないような神経質があった。のみならず、節子は見る人に見られることを恐れるかして、障子のかげの炬燵の方にとかく愛子を避け勝ちであった。
「君ちゃんのとこへ一つ送ってやって貰いましょうか」
 と言いながら、岸本はくなった長女の形見として箪笥たんすの底にのこったものを愛子の前に取出した。罪の深い叔父は、自分の女の児を引取って養おうと言ってくれる一人の姪の手前をさえはばかった。

        三十六

 住慣れた町を去る時が来た。泉太や繁の母親が生きている頃とほとんど同じようにして置いてあった家の内の諸道具も、柱の上から古い時計を一つ下し、壁のすみから茶戸棚ちゃとだな一つ動かしするたびに、下座敷の内の見慣れた光景さまこわれて行った。
 岸本は遠い旅のかばんに入れて持って行かれるだけの書籍を除いて、日頃愛蔵した書架の中の殆ど全部の書籍を売払った。それから、外国の客舎の方で部屋着として着て見ようと思う寒暑の衣類だけを別にして、園子と結婚した時からある古い羽織はかまの類から日頃身に着けていたものまで、自分の着物という着物はあらかた売払った。
「節ちゃん、これはお前に置いて行く」
 岸本は節子を呼んで、箪笥たんす抽筐ひきだしを引出して見せた。園子の形見としてその日まで大切にしまって置いた一重ひとかさねの晴着と厚い帯とが、そこに残っていた。その帯は園子が結婚の日の記念であるばかりでなく、愛子の結婚の時にも役に立ち、輝子の時にも役に立った。岸本はそれらの妻の最後の形見を惜気もなく節子に分けた。
「泉ちゃんや繁ちゃんのことは、お前に頼んだよ」
 という言葉を添えた。
 裏口の垣根の側には二株ばかりのはぎの根があった。毎年花をもつ頃になると岸本の家ではそれを大きなはちに移して二階の硝子戸ガラスどの側に置いた。丸葉と、いくらかとがった葉とあって、二株の花の形状かたちも色合もやや異っていたが、それが咲き盛る頃には驚くばかり美しかった。狭い町の中で岸本の書斎を飾ったのもその萩であった。植物の好きな節子は岸本の知らない間に自分で萩の根の始末をして、一年半の余を叔父と一緒に暮した家の記念として、新規な住居の方へ運んで行くばかりにして置いてあった。やがて待侘まちわびた朝が来た。
「泉ちゃんも、繁ちゃんも、いらっしゃい。おべべを着更きかえましょうね」と節子は二人の子供を呼んだ。
彼方あっちのお家へ行くんですよ」
 と婆やも子供の側へ寄った。
 針医の娘は兄弟の子供の着物を着更えるところを見に来た。泉太も、繁も、知らない町の方へ動くことをよろこんで、買いたての新しい下駄で畳の上をさもうれしそうに歩き廻った。
 岸本は二階へ上って行って見た。もっと長く住むつもりで塗りえさせた黄色い部屋の壁がそこにあった。がらんとした書斎がそこにあった。硝子戸のところへ行って立って見た。幾度いくたびか既に温暖あたたかい雨が通過ぎた後の町々の続いた屋根が彼の眼に映った。噂好うわさずきな人達の口に上ることもなしに、ともかくも別れて行くことの出来るその朝が来たのを不思議にさえ思った。
 最近にたずねて来てくれた恩人の家の弘の言葉が不図ふと岸本の胸へ来た。
すげさんの言草が好いじゃ有りませんか。『岸本君は時々人をびっくりさせる。――昔からあの男の癖です』とさ」
 これは弘が岸本の外出中に、この家で旧友の菅と落合った時の言葉であった。町に別れを告げるようにして岸本はその二階の戸を閉めた。遠く高輪たかなわの方に見つけた家の方へ、彼はず女子供を送出した。

        三十七

 新しい隠れ家は岸本を待っていた。節子と婆やに連れられて父よりも先に着いていた二人の子供は、急に郊外らしく樹木の多い新開の土地に移って来たことをめずらしそうにして、竹垣と板塀いたべいとで囲われた平屋造りの家の周囲まわりを走り廻っていた。
「泉ちゃんも、繁ちゃんも、気をつけるんだよ。お庭の植木の葉なぞを採るんじゃないよ」
 岸本は先ずそれを子供に言って聞かせたが、兄弟の幼いものが互いに呼びかわす声を新しい住居の方で聞いたばかりでも、彼には別の心地こころもちを起させた。
 節子は婆やを相手に引越の日らしく働いているところであった。まだ荷車は着かなかった。
ようやく。漸く」
 と岸本はさも重荷でも卸したように言って、ざっと掃除の出来た家の内をあちこちと見て廻った。以前の住居に比べると、そこには可成かなり間数もあった。岸本は節子に伴われながら、静かな日のあたって来ている北向の部屋を歩いて見た。
祖母おばあさんでも出ていらしったら、この部屋に居ていただくんだね。針仕事でもするには静かで好さそうな部屋だね」
 と岸本は節子に言った。丁度その部屋の前にはわずかばかりの空地があって、裏木戸から勝手口の方へ通われるように成っていた。
「叔父さん、持って来たはぎを植るには好さそうなところが有りますよ」と言って、節子はその空地のすみのあたりを叔父にして見せた。
 岸本は南向の部屋の方へ行って見た。そこへも節子がいて来た。彼女はめずらしく晴々とした顔付で、まだ姿にも動作にも包みきれないほどの重苦しさがあるでもなく、わずかに軽い息づかいをもらしながら庭先の椿つばきの芽などを叔父に指して見せた。その庭には勢いよく新しい枝の延びた満天星どうだんや、また枯々とはしていたが銀杏いちょうの樹なぞのあることが、彼女をよろこばせた。
「親類中で、こんな家に住んでるものは一人もありやしません」
 と節子は半分独語ひとりごとのように言って、若々しい眼付をしながらそこいらをながめ廻した。
 やがて節子は婆やの方へ行った。彼女の言ったことは不思議な寂しさを岸本の心に与えた。こんな家に住むことが、それが何の誇りだろう。親類なぞに対して外見がいけんをよそおうような場合だろうか。こう彼は節子の居ないところでひとり自分に言って見た。
 荷が着いてからの混雑はそれから夕方まで続いた。夕飯の済む頃になると、岸本は以前のせせこましい町中から離れて来たことより外に何も考えなかった。七年馴染なじみを重ねた噂好きな人達は最早もう一人も彼の家の前を通らなかった。夜遅くまで聞えた人の足音や、通過ぎるくるまのひびきすらしなかった。
「父さん、汽車の音がする」
 と下町育ちの子供等は聞耳を立てた。品川の空の方から響けて伝わって来るその汽車の音は一層四辺あたりをひっそりとさせた。岸本は越したての屋根の下で身を横にして、家中のものを笑わせるほど続けざまに溜息ためいきいた。

        三十八

 岸本は既に半ば旅人であった。彼はなるべく人目につくことを避けようとした。送別会の催しなども断れるだけ断った。旅支度たびじたく調ととのうまでは諸方への通知も出さずに置いた。彼が横浜から出る船には乗らないで、わざわざ神戸まで行くことにしたのも、独りでこっそりと母国に別れを告げて行くつもりであったからで。
 突然な岸本の思立ちはかえって見ず知らずの人々の好奇心を引いた。彼の方でなるべく静かに動こうとすればするほど、余計に彼の外遊は人の噂に上るように成った。そうした外観のはなやかさは一層彼を不安にした。断らなくても好いような人にまで、何故彼は両国の附近から場末も場末も荏原郡えばらぐんに近い芝区の果のようなそんな遠く離れた町へわざわざ家を移したかということを断らずにはいられなかった。先方さきから別に尋ねられもしないのに、高輪は彼が青年時代の記憶のある場所であること、足立や菅などの学友と一緒に四年の月日を送ったのもそこの岡の上にあるふるい学窓であったことを話した。その学窓の附近に極く平民的な大地主の家族が住むことを話した。その家族の主人公にはまだあの界隈かいわい武蔵野むさしのの面影が残っている頃からの庄屋の徳をしのばせるにるものがあることを話した。そのめずらしく大きな家族によって、私立の女学校と、幼稚園と、特色のある小学校が経営されていることを話した。彼はその小学校がいかにも家族的で、自分の子供をたくして行くには最も好ましく考えたかを話した。そして、その学園の附近をえらんで自分の留守宅を移したことを話した。
 毎日のように岸本は旧馴染むかしなじみの高台を下りて、用達ようたしに出歩いた。下町の方にある知人の家々へもそれとなく別れを告げに寄った。時には両国の方まで行って、もう一度隅田川の水の流れて行くのが見える河岸かしに添いながら、ある雑誌記者と一緒に歩いたこともあった。
「あなたが奮発してお出掛になるということは、大分皆を動したようです」
 この記者の言葉を聞くと、岸本には返事のしようが無かった。地べたを見つめたままで、しばらく黙って歩いた。
「あなたのお子さん達はどうするんです」とまた記者がいた。
「子供ですか。留守は兄貴の家の人達に頼んで行くつもりです。姉が郷里くにから出て来てくれることに成っていますからね」
「姉さんは最早出ていらしったんですか」
「いえ、まだ……来月でなきゃ」
「あなたは今月のうちに神戸へお立ちに成るというじゃ有りませんか。姉さんもまだ出ていらっしゃらないのに――」
 記者が心配して言ってくれたことは岸本の身にこたえた。とても彼はあによめに、節子の母親に合せて行く顔が無かった。

        三十九

 長旅に耐えられるような鞄をひろげて書籍や衣服なぞを取纏とりまとめ、いささかの薬の用意をも忘れまいとする頃は、遠い国に向おうとする心持が実際に岸本に起って来た。
「泉ちゃんや繁ちゃんも、これからは味方になるものが無くて可哀そうですね」
 根岸の姪も高輪へたずねて来て、そんなことを岸本に言った。
「お前達はそんな風に思うかね。叔父さんはまだ小学校へ通う時分から、鈴木の兄さんの家に一年、それから田辺さんの家にずっと長いこと書生をしていたが、別にそんな風に考えないでも済んだ。お世話に成る人は皆な親だと思えばいよ」
「二人ともまだ幼少ちいそうございますから、お出掛になるなら今の中の方が可いかも知れません」
 こう言う愛子はあまりに岸本が義雄兄の家族を頼み過ぎていることをにおわせた。何故、彼が根岸へ相談もなしに二人の子供を義雄兄に托して行くのか。それは愛子にも言えないことであった。
「君ちゃんのことは何分よろしく願います」
 と岸本は末の女の児のことを根岸の姪に頼んだ。
 高輪には岸本は十日ばかり暮した。節子や子供等と一緒に居ることも早や一日ぎりに成った。出発前の混雑した心持の中で、夕飯前の時を見つけて、岸本は独り屋外そとへ歩きに出た。彼の足は近くにある岡の方へ向いた。ずっと以前に卒業した学校の建築物たてもののある方へ向いた。二十二年の月日はそこを出た一人の卒業生を変えたばかりでなく、以前の学校をも変えた。緩慢なだらかな地勢に沿うて岡の上の方から学校の表門の方へ弧線を描いている一筋のみちだけは往時むかしに変らなかったが、門のわきに住む小使の家の窓は無かった。岸本はその門を入って一筋のみちを上って行って見た。チャペルの方で鳴る鐘を聞きながらよく足立や菅と一緒に通った親しみのある古い講堂はもう無かった。そのかわりに新しい別の建築物があった。その建築物の裏側へ行って見た。そこに旧い記憶のある百日紅さるすべりの樹を見つけた。岸本が外国の書籍に親しみ初めたのも、外国の文学や宗教を知り初めたのも、海の外というものを若い心に想像し初めたのも皆その岡の上であった。しばらく彼は新しい講堂の周囲まわりを歩き廻った。彼はこの旧い馴染の土を踏んで、別れを告げて行こうとしたばかりではなかった。彼には遠い異郷の客舎の方で書きかけの自伝の一部の稿を継ごうと思う心があった。その辺をよく見て置いて、青年時代の記憶を喚起よびおこして行こうとしたからでもあった。日暮時の谷間たにあいの方から起って来る寺の鐘も、往時を思出すものの一つであった。その鐘の音は岸本の足を家の方へ急がせた。節子は夕飯の用意して叔父を待っていた。

        四十

 夕飯には家のもの一同別離わかれぜんいた。食事する部屋の片隅かたすみには以前の住居の方から仏も移して持って来てあって、節子はそこへも叔父の出発の前夜らしく燈明をげた。そのかがやきを見ても、二人の子供は何事なんにも知らずにいた。食後に岸本は明るい仏壇の前へ子供を連れて行った。
「母さん、左様なら」
 と岸本は子供等に言って見せた。あだかもくなった人にまで別れを告げるかのように。
「これが母さん?」
 泉太の方が戯れるように言って、側に居る繁と顔を見合せた。
「そうサ。これがお前達の母さんだよ」
 と岸本が言うと、二人の子供はわざと知らないふりをして噴飯ふきだしてしまった。
 岸本は南向の部屋へ行っていそがしく出発前の準備に取掛った。書くべき手紙の数だけでも多かった。部屋には旅の鞄に詰めるものが一ぱいにひろげてあった。諸方ほうぼうから餞別せんべつとして贈られた物も、異郷への土産みやげとして、出来るだけ岸本は鞄や行李こうりの中にれて行こうとした。
「明日は天気かナ」
 と言いながら、岸本は庭に向いた硝子戸の方へ行って見た。雨戸を開けると、暗い樹木の間を通して、夜の空が彼の眼に映った。遠く光る星もあった。寒さと温暖あたたかさとの混合まじりあったような空気は部屋の内までも流れ込んで来た。
「節ちゃん、春が来るね」
 と岸本は旅支度の手伝いに余念もない節子の方を顧みて言った。節子は電燈のかげで白い襯衣シャツの類なぞをそろえていたが、叔父と入替りに雨戸の方へ立って行った。
「今日はうぐいすが来て、しきりにこの庭でいていましたッけ」
 と彼女は言って見せた。
 遅くまで人通りの多い下町の方から移って来て見ると、浅草代地あたりでまだ宵の口かと思われた頃がその高台の上では深夜のように静かであった。屋外そとでは音一つしなかった。以前の住居から持って来た古い柱時計の時を刻む音が際立きわだって岸本の耳に聞えた。
「ほんとにこの辺は静かだね。山の中にでも居るようだね」
 こう岸本は節子に話しかけながら、郊外らしい夜の静かさの中で、遠い旅立の支度を急いだ。岸本に取っては、めったに着たことの無い洋服をこれから先、身につけるというだけでもわずらわしかった。彼は熱帯地方の航海のことなぞを想像して見て、その準備に思い煩った。
 次第に夜はけて行った。二人の子供の中でも、兄は早く眠った。弟の方は遅くまで眼をまして婆やを相手に子供らしい話をしていたが、やがてこれも寝沈ねしずまった。
 十二時打ち、一時打っても、まだ部屋の内はすっかり片付かなかった。「お前達はもう休んでおくれ」と岸本は節子や婆やに言った。「婆や、お前は明日の朝早い人だ。おれの方は構わなくてもい。遠慮しないでお休み」
「左様でございますか」と婆やは受けて、「ほんとに遠方へいらっしゃるというものは、御支度ばかりでも容易じゃござりません――旦那だんなさん、それでは御先に御免こうむります」
「節ちゃん、お前もお休み」
 と岸本が言うと、節子の眼は涙でかがやいて来た。羅馬ローマ文字で岸本の名をしるしつけた鞄を見るにつけても、悲しい叔父の決心を思いやるような女らしい表情が彼女の涙ぐんだ眼に読まれた。「叔父さん、お休み」それを言いながら、彼女は激しい啜泣すすりなきと共に叔父の別離わかれのくちびるを受けた。

        四十一

 翌日岸本は旅の荷物と一緒にもとの新橋停車場ステーションに近いある宿屋に移った。そこで日頃親しい人達を待った。入替り立替りたずねて来る客が終日絶えなかった。中野の友人も来て、岸本の方から頼んで置いた茶と椿つばきの実を持って来てくれた。岸本はその東洋植物の種子たねを異郷への土産として旅の鞄にれて行こうとした。「こいつがえて、大きくなるまでには容易じゃ有りませんね」と中野の友人が言って持前の高い響けるような声で笑ったが、この人の笑声も何時いつ聞けるかと岸本には思われた。その日は彼は皆に酒を出した。
 慨然として岸本は旅に上る仕度した。眠りがたい僅かの時間をすこしとろとろしたかと思ううちに、早や東京を出発する日が来ていた。その朝、彼が身につけたものは、旅らしい軽い帽子でも、新調の洋服でも、一つとして彼の胸の底にたたえた悲哀かなしみに似合っているものは無かった。かつて彼は身内のものがあやまって鍛冶橋かじばしの未決監につながれたことを思い出すことが出来る。その身内のものが手錠、腰繩こしなわの姿で、裁判所の庭を通り過ぎようとした時、かぶっていた編笠あみがさのかげから黙って彼に挨拶あいさつした時のことを思出すことが出来る。丁度あの囚人しゅうじんの姿こそ自分で自分のむちを受けようとする岸本の心にはふさわしいものであった。眼に見えない編笠。眼に見えない手錠。そして眼に見えない腰繩。実際彼は生きてかえれるか還れないか分らない遠い島にでも流されて行くような心持で、新橋の停車場の方へ向って行った。
 寒いこまかい雨はしとしと降っていた。ふるい停車場の石階いしだんを上ると、見送りに来てくれた人達が早やそこにもここにも集っていた。
「お目出度めでとうございます」
 とある書店の主人が彼の側へ来て挨拶した。
今日こんちはお目出度うございます」
 と大川端おおかわばたの方でよく上方唄かみがたうたなぞを聞かせてくれた老妓ろうぎが彼の側へ来た。この人は自分より年若な夫の落語家と連立って来て、一緒に挨拶した。
「こりゃ、困ったなあ」
 この考えが見送りに来てくれた人達にうと同時に、岸本の胸へ来た。思いがけない人達までが彼の出発を聞き伝えて、順に彼の方へ近づいて来た。
 岸本は高輪の方から婆やに連れられて来た子供等に逢った。婆やは改まった顔付で、よそいきの羽織なぞを着て、泉太と繁とを引連れていた。
「お節ちゃんは今日はお留守居でございますッて」と婆やは岸本を見て言った。
「泉ちゃんも、繁ちゃんも、よく来たね」
 岸本はかわるがわる二人の子供を抱きかかえた。泉太は眼をまるくして父の周囲まわりに集る人々を見廻していたが、やがて首をれて涙ぐんだ。その時になってこの兄の方の子供だけは、父が遠いところへ行くことを朦朧おぼろげながらに知ったらしかった。

        四十二

 田辺の弘は中洲なかすの方から、愛子夫婦は根岸の方から、いずれも停車場ステーションまで岸本を見送りに来た。弘のよくふとった立派な体格は、別れを告げて行く岸本に取って、くなった恩人をのあたりに見るの思いをさせた。「叔父さん、今日はお目出度うございます」と愛子の夫も帽子を手にして挨拶あいさつした。この人といい、弘といい、岸本から見るとずっと年の違った人達が皆もう働き盛りの年頃に成っていた。次第に停車場へ集って来る人の中で岸本は白い立派なひげはやした老人を見つけた。その人が妻の父親であった。老人は岸本の外遊を聞いて、見送りかたがた函館はこだての方から出て来てくれた。園子の姉とか妹とかいう人達までこの老人にたくしてそれぞれ餞別せんべつなぞを贈ってよこしてくれたことを考えても、思わず岸本の頭は下った。代々木、加賀町、元園町、その他の友人や日頃仕事の上で懇意にする人達も多くやって来てくれた。岸本はそれから人達の集っている方へも別れを告げに行った。
「この次は君の洋行する番だね」
 と代々木の友人の前に立って話しかける人があった。
「そう皆出掛けなくてもいサ」
 と代々木は笑って、快活な興奮した眼付で周囲に集って来る人達をながめていた。
 発車の時が近づいた。つと函館の老人は岸本の側へ寄った。
「私はここで失礼します。そんならまあ御機嫌ごきげんよう」
 改札口のさくの横手で、老人は岸本の方をよく見て言った。他の人と同じように入場券を手にしないところにこの老人の気質を示していた。
 五六人の友人は岸本と一緒に列車の中へ入った。岸本が車窓から顔を出した時は、日頃親しい人達ばかりでなく、彼の著述の一冊も読んで見てくれるような知らない年若な人達までがそこに集まって来ていた。多くの人の中を分けて窓際まどぎわへ岸本を捜しに来た美術学校のある教授もあった。
仏蘭西フランスの方へ御出掛だそうですね――私は御立おたちの日もよく知りませんでした。今朝新聞を見て急いでやって来ました」
「ええ、君の御馴染おなじみの国へ行ってまいりますよ」
 岸本はその窓際で、少年時代から知合っている画家とあわただしい別れの言葉をかわした。
「岸本さん、もうすこし顔をお出しなすって下さい。今写真をりますから」
 という声が新聞記者の一団の方から起った。岸本は出したくない顔を余儀なく窓の外へ出した。
「どうぞ、もうすこしお出しなすって下さい。それでは写真がよく写りません」
 パッと光る写真器の光の中に、岸本は恥の多い顔をさらした。
「泉ちゃん、繁ちゃん――左様なら」
 と岸本が婆やに連れられている二人の子供の顔を見ているうちに、汽車は動き出した。岸本は黙って歩廊に立つ人々の前に頭をさげた。
「大変な見送りだね。こんなに人の来てくれるようなことはわれわれの一生にそうたんと無い。まあ西洋へでも行く時か、お葬式とむらいの時ぐらいのものだね」
 一緒に乗込んだ加賀町は高級な官吏らしい調子で言って、窓際に立ちながら岸本の方を見た。全く、岸本に取っては生きたしかばね葬式とむらいが来たにも等しかった。

        四十三

 到頭とうとう岸本は幼い子供等を残して置いて東京を離れた。元園町、加賀町、森川町、その他の友人は品川まで彼を見送った。代々木の友人は別れを惜んで、ともかくも鎌倉まで一緒に汽車で行こうと言出した。鎌倉には岸本を待つという一人の友人もあったからで。
 汽車は鶴見を過ぎた。しとしと降る雨は硝子窓ガラスまどの外を伝って流れていた。その駅にも、岸本は窓から別れを告げて行こうとした知合の人があったが、果さなかった。硝子に映ったり消えたりする駅夫も、乗降する客も、しょんぼりと小さな停車場の歩廊に立つ人も、一人として細い雨にれて見えないものは無かった。
 鎌倉で岸本を待っていたのは、信濃しなのの山の上に彼が七年も暮した頃からの志賀の友人で、この人の細君や、細君の叔母さんに当る人は園子の友達でもあった。この特別な親しみのある人は神戸行の途中で岸本を引留めて、小半日代々木とも一緒に話し暮したばかりでなく、別離わかれこころを尽すために鎌倉から更に箱根の塔の沢までも先立って案内して行った。旅の途中の小さな旅の楽しさ、塔の沢へ行って見る山のすその雪、青木やすげ足立あだちなどとかつて遊んだことのある若かった日までも想い起させるような早川はやかわの音、それらの忘れ難い印象が誰にも言うことの出来ない岸本の心の内部なかの無言な光景ありさま混合まざりあった。
 代々木、志賀の親しい友達を前に置いて、ある温泉宿の二階座敷で互に別れの酒をみかわした時にも、岸本は何事なんにも訴えることが出来なかった。箱根の山の裾へ来て聞く深い雨とも、谷間を流れ下る早川の水勢とも、いずれとも差別のつかないような音に耳を傾けながら、岸本はわずかに言出した。
「僕もね……まあ深い溜息ためいきの一つもくつもりで出掛けて行って来ますよ……」
「そうだねえ、一切のものから離れて、溜息でも吐きたいと思う心持は僕にも有るよ」
 そういう代々木の眼は輝いていた。志賀はまた思いやりの深い調子で、岸本の方を見ながら、
「奥さんのおくなりに成ったということから、仏蘭西あたりへお出掛けに成るようなお考えも生れて来たんでしょう」
「とにかく、一年でも二年でも、旅でゆっくり本の読めるだけでもうらやましい。加賀町なぞも君の仏蘭西行には大分刺激されたようだ」
 とた代々木が言って、「しばらくお別れだ」という風に岸本のために酒をいだ。
 その日、岸本はさかんな見送りを受けて東京をって来た朝から、冷い汗の流れる思をしつづけた。余儀ない旅の思立から、身をもって僅に逃れて行こうとするような彼は、丁度捨て得るかぎりのものを捨て去って「火焔ほのおの家」を出るというあわれむべき発心者ほっしんしゃにも彼自身をたとえたいのであった。こうした出奔が同年配の友人等を多少なりとも刺激するということは、彼に取って実に心苦しかった。彼は何とも自身の位置を説明ときあかしようが無くて、以前に仙台や小諸こもろへ行ったと同じ心持で巴里パリの方へ出掛けて行くというにとどめて置いた。
 酒に趣味をち、旅に趣味を有つ代々木は、岸本の所望で、古い小唄を低声ていせいに試みた。復た何時いつ逢われるかと思われるような友人の口から、岸本は好きな唄の文句を聞いて、遠い旅に行く心を深くした。

        四十四

 二人の友人と連立って岸本が塔の沢を発ったのは翌日の午後であった。国府津こうずまで来て、そこで岸本は代々木と志賀とに別れを告げた。やがてこの友人等の顔も汽車の窓から消えた。その日の東京の新聞に出ていた新橋を出発する時の自分に関するにぎやかな記事を自分の胸に浮べながら、岸本はひと悄然しょうぜんと西の方へ下って行った。
 マルセエユ行の船を神戸で待受ける日取から言うと、岸本はそれほど急いで東京を離れて来る必要も無いのであった。ただ、彼は節子の母親にどうしても合せる顔が無くて、あによめの上京よりも先に神戸へ急ごうとした。仮令たとえ彼は神戸へ行ってからの用事にかこつけて、郷里の方の嫂あて詫手紙わびてがみを送って置いたにしても。また仮令嫂が上京の費用等は彼の方で用意することを怠らなかったとしても。
 神戸へ着いてから四五日つと、岸本は節子からの手紙を受取った。それは岸本から出した手紙の返事としてよこしたものであったが、子供等の無事なことや留守宅の用事のようなことばかりでなく、もっと彼女の心に立入ったことがその中に書いてあった。
 神戸の港町から諏訪山すわやまの方へ通う坂の途中に見つけた心持の好い旅館の二階座敷で、彼はその手紙を読んで見た。すくなくも節子に起って来た不思議な心の変化がその中に書きあらわしてあった。過ぐる四五箇月の間、ある時は恐怖おそれをもって、ある時は強いにくしみをもって、ある時はまた親しみをもって叔父に対して来たような動揺した心の節子に比べると、その中には何となく別の節子が居た。岸本は自分の遠い旅に上って来たことから、何か急激な変化が不幸なめいの心にひらけて来たことを感じない訳にいかなかった。
 なおよくその手紙を繰返して見た。節子は岸本の方からびてやった一切の心持を――彼女に対して気の毒がる一切の心持を打消してよこした。今日までを考えると、どうして自分はこんなことに成って来たか、それを思うと自分ながら驚かれると書いてよこした。矢張やっぱり自分は誘惑に勝てなかったのだと思うと書いてよこした。しかしこの世の中には、人情の外の人情というようなものがある、それを自分は思い知るように成って来たと書いてよこした。何故なぜ叔父さんの手紙には、「お前さん」というような、よそよそしい言葉で自分のことを呼んでくれるか、「お前」で沢山ではないかと書いてよこした。叔父さんの新橋をつ朝、自分は高輪の家の庭先から品川の方に起る汽車の音を聞いて、あの音が遠く聞えなくなるまで何時までも同じところにボンヤリ佇立たたずんでいたと書いてよこした。叔父さんの残して行った本箱、叔父さんの残して行った机、何一つとして叔父さんのことを想い起させないものは無い、自分は今机や本箱の置いてある部屋を歩いて見ていると書いてよこした。叔父さんが外遊の決心を聞いてから、自分はかずかずの話したいと思うことをっていたが、どうしてもそれが自分には出来なかったとも書いてよこした。

        四十五

 節子の手紙を手にして見ると、彼女と共に恐怖を分ち、彼女と共に苦悩を分った時の心持はまだ岸本から離れなかった。
「ああ、ひどかった。酷かった」
 岸本はそれを言って見て周囲あたりを見廻した。親戚しんせきも、友人も、二人の子供も最早彼の側には居なかった。唯一人の自分を神戸の宿屋に見つけた。彼はようやくのことでその港まで落ちのびることの出来たあらしはげしさを想って見て、思わずホッと息をいた。
 いかに節子の方から打消してよこそうとも、彼女の一生をあやまらせ、同時にぬぐいがたい汚点を自身の生涯に留めてしまったような、深い悔恨の念は岸本の胸を去るべくもなかった。その日まで彼が節子のために心配し、出来るだけ彼女をいたわり、留守中のことまで彼女のために考えて置いて来たというのは、どうかして彼女を破滅から救いたいと思うからであった。かたくなな心の彼は節子から言ってよこしたことにいては、何事なんにも答えまいと考えた。
 四月に入って節子は母の上京を知らせてよこした。岸本は胸を震わせながらその手紙を読んで見て、彼女の母と祖母とまだ幼い弟とが無事に高輪たかなわへ着いたことを知った。節子の一人ある弟は丁度岸本の二番目の子供と同年ぐらいであった。郷里くにから家を畳んで出て来たそれらの家族を節子は品川の停車場まで迎えに行ったことを書いてよこした。母も年をとった、と彼女は書いてよこした。年老いた祖母や母をのあたりに見るにつけても自分は余程よほどしっかりしなければ成らないと思うと書いてよこした。過ぐる月日の間、自分に附纏つきまとう暗い影は一日も自分から離れることが無かったが、今はその暗い影も離れたと書いてよこした。そして自分は年寄や子供のために、もっと働かねば成らないと思って来たと書いてよこした。
 この節子の手紙には岸本の身にみるような、かずかずのこまかいことが書いてあった。その中には、女らしい彼女の性質までもよく表れていた。岸本は、普通のからだでない彼女が上京した母親と一緒に成った時のことを胸に描いて見た。その時の彼女の小さな胸の震えを、何時でも割合に冷静を失うことのない彼女の態度を――何もかも、岸本はありありと想像で見ることが出来た。あの嫂が高輪の留守宅を見た時は、あの嫂が節子と子供を残して置いて海の外へ行こうとする自分の意味を読んだ時は、それを考えると岸本は自分の顔から火の出るような思いをした。
 神戸へ来て、是非とも岸本のなければ成らないことは、名古屋に滞在する義雄兄へてた書きにくい手紙を書くことであった。彼はその一通を残して置いて独りで船に乗ろうとした。幾度いくたびか彼は節子のことを兄に依頼して行くつもりで、紙をひろげて見た。その度に筆を捨てて嘆息してしまった。
 東京の方にあるクック会社の支店からは、岸本が約束して置いて来た仏蘭西船の切符に添えて、船床の番号までも通知して来た。宿屋の二階座敷から廊下のところへ出て見ると、神戸の港の一部が坂になった町の高い位置から望まれた。これから出て行こうとする青い光った海も彼の眼にあった。

        四十六

「名古屋から岸本さんという方が御見えでございます」
 宿屋の女中が岸本のところへ告げに来た。丁度彼はインフルエンザの気味で、神戸を去る前に多少なりとも書いて置いて行きたいと思う自伝の一節も稿をげないでいるところであった。義雄兄の来訪と聞いて、急いで彼は寝衣ねまきの上に羽織を重ねた。敷いてある床も部屋のすみへ押しやった。もしもインフルエンザの気味ででもなかったら、隠しようの無いほど彼の顔色は急にあおざめた。義雄兄は岸本の出発前に名古屋から彼を見に来たのであった。
「弟が外国へ行くというのに、手紙で御別れもひどいと思ってね。それに神戸には用事の都合もあったし、一寸ちょっとやって来た」
 こうした兄の言葉を聞くまでは岸本は安心しなかった。
「や――時に、引越も無事に済んだ。一軒の家を動かすとなるとなかなか荷物もあるもんだよ。貴様の方からの注意もあったし、まあ大抵の物は郷里の方へ預けることにして、る物だけを荷造りして送った。おれも名古屋から出掛けて行ってね。すっかり郷里の方の家を片付けて来た。『捨様すてさまも外国の方へ行かっせるッて――子供を置いて、よくそれでも思切って出掛る気に成らッせいたものだ』なんて、田舎いなかの者が言うから、人間はそれくらいの勇気がなけりゃ駄目だッて俺がそう言ってやった」
 義雄は相変らずの元気な調子で話した。次第に岸本の頭は下って行った。彼は兄の言うことを聞きながら自分のてのひらを眺めていた。
「俺の家でも皆東京へ出ると言うんで、村のものが送別会なぞをしてくれたよ。嘉代かよ(節子の母)もね、なんだか気の弱いことを言ってるから、そんなことじゃダチカン。兄弟が互いに助け合うというのはわれわれ岸本の家の祖先からの美風ではないか。それに捨吉の方ばかりじゃない、俺の家でもこれから発展しようというところだ。そう言って俺が嘉代を励ましてやった。まあ見ていてくれ、貴様が仏蘭西の方へ行って帰って来るまでには、俺も大いに雄飛するつもりだ――」
 気象のはげしい義雄がこんな風に話すところを聞いていると、とても岸本は弟の身として節子のことなぞを言出す機会は無いのであった。義雄は神戸まで来て弟の顔を見て行けば、それで気が済んだという風で、用事の都合からそうゆっくりもしていなかった。この時機を失っては成らない。こう命ずるような声を岸本は自分の頭脳あたまの内で聞いた。彼は立ちかける兄のそでを心ではとらえながらも、何事なんにも言出すことが出来なかった。
 到頭岸本は言わずじまいに、兄に別れた。彼はあによめに一言のわびも言えず、今また兄にも詫ることの出来ないような自分の罪過つみの深さを考えて、嘆息した。

        四十七

 神戸の宿屋で岸本は二週間も船を待った。その二週間が彼に取っては可成かなり待遠しかった。隠して置いて来た節子と彼との隔りは既に東京と神戸との隔りで、それだけでも彼女から離れ遠ざかることが出来たようなものの、眼に見えない恐ろしさは絶えず彼を追って来た。今日は東京の方から何か言って来はしまいか、明日は何か言って来はしまいか、毎日々々その心配が彼の胸を往来した。しかし彼は二週間の余裕をった御蔭おかげで、東京の方では書けなかった手紙も書き、急いだ旅の支度したくまとめることも出来た。その間に、大阪へ用事があってついでたずねて来たという元園町の友人を、もう一度神戸で見ることも出来た。彼は東京の留守宅から来た自分の子供の手紙をも読んだ。
「父さん。こないだは玉子のおもちゃをありがとうございました。わたしも毎日学校へかよって、べんきょうしています。フランスからおてがみを下さい。さよなら――泉太」
 これは岸本が志賀の友人にたくして、箱根細工の翫具おもちゃを留守宅へ送り届けたその礼であった。手伝いする人があって漸く出来たような子供らしいこの手紙は、泉太が父に宛てて書いた初めての手紙で、学校の作文でも書くように半紙一ぱいに書いてあった。子供に勧めてこういうものを書かしてよこしたらしい節子の心持も思われて岸本は唯々ただただ気の毒でならなかった。
 海は早や岸本を呼んでいた。出発前に節子から来た便たよりには、遠く叔父の船に乗るのを見送るという短い別れの言葉がしたためてあった。岸本の胸はこれから彼が出て行こうとする知らない異国の想像で満たされるように成った。彼は神戸へ来た翌日、海岸の方へ歩き廻りに行って、図らず南米行の移民の群を見送ったことを思出した。幾百人かのそれらの移住者の中には「どてら」に脚絆きゃはん麻裏穿あさうらばきという風俗のものがあり、手鍋てなべげたものがあり、若い労働者の細君らしい人達まで幾人いくたりとなくその中に混っていたことを思出した。彼はまた、今まで全く気がつかずにいた自分の皮膚の色や髪の毛色のことなどを妙に強く意識するように成った。
 出発の日が迫った。いつの間にか新聞記者の一団が岸本の宿屋を見つけて押掛けて来た。
「どうもこういうところに隠れているとは思わなかった」
 と記者の一人が岸本を前に置いて、他の記者と顔を見合せて笑った。
 この避けがたい混雑の中で、岸本は思いもよらない台湾の兄の来訪を受けた。
「や、どうも丁度好いところへやって来た。船の会社の人がお前の宿屋を教えてくれた」
 と民助が言った。
 この長兄は台湾の方から上京する途中にあるとのことであった。それを岸本の方でも知らなかった。兄弟は偶然にも幾年振りかで顔を合せることが出来た。
 鈴木の兄に比べると、民助はもっと熱い地方の日に焼けて来た。健康そのものとも言いたいこの長兄は身体までもよく動いて、六十歳に近い人とは受取れないほどの若々しさと好い根気とをもっていた。多年の骨折から漸く得意の時代に入ろうとしている民助の前に、岸本は弟らしくむかい合った。つくづく彼は自分の精神こころの零落を感じた。

        四十八

 岸本の船に乗るのを見送ろうとして、番町は東京から、赤城あかぎさかいの滞在先から、いずれも宿屋へたずねて来た。いよいよ神戸出発の日が来て見ると、二十年振りで御影みかげの方から岸本を見に来た二人の婦人もあった。その一人は夫という人に伴われて来た。岸本がまだ若かったころに、かつて東京の麹町こうじまちの方の学校で勝子という生徒を教えたことがある。彼が書きかけている自伝の一節は長い寂しい道を辿たどって行ってその勝子にうまでの青年時代の心の戦いの形見である。訪ねて来た二人の婦人は丁度勝子と同時代に岸本が教えた昔の生徒であった。勝子は若かった日の岸本とほとんど同じ年配で、学校を出て許嫁いいなずけの人と結婚してから一年ばかりでくなったのであった。
「先生はもっと変っていらっしゃるかと思った」
 そういう昔の生徒は早や四十を越した婦人であった。
 思いがけない人達を見たという心持で、岸本は兄と一緒にそれらの客を款待もてなしたり出発の用意をしたりした。時には彼はひとりで座敷の外へ出て二階の縁側から見える港の空を望んだ。別れを告げて行こうとする神戸の町々には、もう彼岸桜ひがんざくらの春が来ていた。
 約束して置いた仏国の汽船は午後に港に入った。外国の旅に慣れた番町は町へ出て、岸本のために旅費の一部を仏蘭西フランスの紙幣や銀貨に両替して来るほどの面倒を見てくれた。仏蘭西の知人に紹介の手紙をくれたり、巴里パリへ行ってからの下宿なぞを教えてくれたりしたのもこの友人であった。番町はそこそこに支度する岸本の方をながめて、旅慣れない彼を励ますような語気で、
「岸本さんと来たら、随分手廻しの好い方だからねえ」
「これでも手廻しの好い方でしょうか――」と岸本は番町にそう言われたことを嬉しく思った。
「好い方ですとも。僕なぞが外国へ行く時は、かばんでも何でも皆人に詰めてもらったものですよ」
「なにしろ私は一人ですし、どうにかこうにかるものだけの物をそろえました」
 こう言う岸本の側へは民助兄が立って来て、遠く行く弟のために不慣ふなれな洋服を着ける手伝いなぞをしてくれた。
「兄さん、私はあなたに置いて行くものが有ります」と言いながら岸本は一つの包を兄の前に差出した。「この中に、おっかさんの織ったあわせが入っています。外国へ行って部屋着にでもする積りで、東京からわざわざ持って来たんです。いかに言っても鞄が狭いものですから、これはあなたに置いて行きましょう」
「そいつは好いものをくれるナ」と民助もよろこんだ。「お母さんのものは何物なんにも最早おれのところには残っていない」
「私のところにも、その袷がたった一枚残っていました。でも随分長いこと有りました。十何年も大切にして置いて、毎年袷時には出して着ましたが、まだそっくりしています。木綿もめんに糸がすこし入っていて私の一番好きな着物です。惜しいけれども仕方が無い。まあ、これは兄さんの方へげる」
「じゃ、俺がまた貰っといて着てやるわい」
 兄弟はこんな言葉をかわした。岸本はその母の手織にしたものを形見として兄に残して置いて、すっかり旅人の姿になった。

        四十九

 隠れた罪を犯したものの苦難を負うべき時が来た。ひょっとするとこれを神戸の見納みおさめとしなければ成らないような遠い旅に上るべき時が来た。そろそろ夕飯時に近い頃であった。船まで見送ろうという友人や民助兄と連立って岸本は宿屋を出た。御影から来た二人の婦人も岸本にいて歩いて来た。
 長い坂になった町が皆の眼にあった。一同はその坂を下りたところで物食う場処を探した。ある料理屋の前まで行くと、二人の婦人はそこで岸本に別れを告げた。友人等の案内で、岸本はその料理屋の一間に互いに別れの酒をみかわした。弟の外遊を何か誉あることのようにしてさかずきをくれる民助兄に対しても、わざわざ堺から逢いに来てくれた赤城に対しても、初めて顔を合せた御影に対しても、それから番町のような友人に対しても、岸本はそれぞれ別の意味で羞恥はじこもった感謝の盃をむくいた。
 やがてその料理屋を出た頃は日もすっかり暮れていた。全く言葉の通じない仏蘭西船に上るということは、それだけでもひどく岸本の心を不安にした。町々を包む夜のやみはひしひしと彼の身に迫って来た。
「言葉が通じないというのも、旅の面白味の一つじゃ有りませんか」
 この番町の言葉に励まされて、岸本は皆と一緒に波止場はとばの方へ歩いて行った。神戸を去る前に、彼は是非とも名古屋の義雄兄にてた手紙を残して行くつもりで、幾度かあの宿屋の二階でそれを試みたか知れなかった。どうしても、その手紙は彼には書けなかった。彼はどういう言葉でもって自分の心を言いあらわしていかを知らなかった。そこには言葉も無かった。仕方なしに船に乗ってから書くことにして、到頭彼はその手紙を残さずにランチに乗移った。
 暗い海上に浮ぶ本船へは、友人や兄などの外に岸本を見送ろうとする二三の年若な人達もあった。岸本が二週間あまり世話になった宿屋のかみさんも女中を連れて、外国船の模様を見ながら彼を送りに来た。このかみさんは旅の着物のほころびでも縫えと言って、紅白の糸をわざわざ亭主と二人して糸巻に巻いて、それに縫針ぬいばりを添えて岸本に餞別せんべつとしたほどこまかく届いた上方風の婦人であった。かねて岸本は独りでこの仏蘭西船に身を隠し、こっそりと故国に別れを告げて行くつもりであった。その心持から言えば、こうした人達に見送らるることはいささか彼の予期にそむいた。まばゆく電燈のいた二等室の食堂に集って、皆から離別わかれを惜まれて見ると、遠い前途の思いが旅慣れない岸本の胸にふさがった。
 ランチの方へ引揚げて行く人達を見送るために、岸本は複雑な船の構造の間を通りぬけて甲板かんぱんの上へ出た。友人等は船の梯子はしごに添うて順に元来たランチの方へ降りて行った。やがて暗い波間から岸本を呼ぶ一同の声が起った。ランチは既に船から離れて居た。岸本はその声を聞こうとして、高い甲板の上のギラギラと光った電燈の影を狂気のように走り廻った。
 岸本を乗せた船は夜の十一時頃に港を離れた。もう一度彼が甲板の上に出て見た時は空も海も深いやみに包まれていた。甲板のてすりに近く佇立たたずみながら黙って頭を下げた彼は次第に港の燈火ともしびからも遠ざかって行った。

        五十

 三日目に岸本は上海シャンハイに着いた。船に乗ってから書こうと思った義雄兄への手紙は上海への航海中にも書けなかった。
 嘆息して、岸本は後尾の方にある甲板の上へ出た。更に船梯子ふなばしごのぼって二重になった高い甲板の上へ出て見た。船客もまだ極く少い時で、その高い甲板の上にはひとりで寂しそうに海をながめている長いひげはやした一人の仏蘭西人の客を見つけるぐらいに過ぎなかった。岸本はともの方の欄に近く行った。そこから故国の方の空を望んだ。仏国メサジュリイ・マリチイム会社に属するその汽船は四月十三日の晩に神戸を出て十五日の夜のうちには早や上海の港に入ったほどの快よい速力で、上海から更に香港ホンコンへ向け波の上をはしりつつある時であった。遠く砕ける白波は岸本の眼にあった。その眺めは、国の方で別れて来た人達と彼自身との隔たりを思わせた。一日は一日よりそれらの人達から遠ざかり行くことをも思わせた。あの東京浅草の七年住慣れた住居の二階から、あの身動きすることさえもいとわしく思うように成った壁の側から、ともかくもその波の上まで動くことが出来た不思議をも胸に浮べさせた。彼は深林の奥をして急ぐきずついた獣に自分の身をたとえて見た。
 海風のはげしさに、岸本は高い甲板を離れた。船梯子に沿うて長い廊下を見るような下の甲板に降りた。そこにも一人二人の仏蘭西人の客しか見えなかった。明るい黄緑な色の海は後方うしろにして出て来た故国の春の方へ岸本の心を誘った。彼は上海の方で見て来た李鴻章りこうしょう故廟こびょうに咲いた桃の花がそこにも春の深さを語っていたことを胸に浮べた。その支那風しなふうな濃い花の姿は日頃花好きなめいにでも見せたいものであったことを胸に浮べた。彼はまた、上海へ来るまでの途中で、どれ程彼女の父親に宛てようとした一通の手紙のために苦しんだかを胸に浮べた。神戸の宿屋で義雄兄から彼が受取った手紙の中には、兄その人も彼の外遊から動かされたと書いてあったことを胸に浮べた。その手紙の中には、恐らく露領の方にある輝子の夫もこれを聞いたなら刺激を受くるであろうと思うと書いてあったことを胸に浮べた。そうした手紙をくれるほどの兄の心を考えると、節子の苦しんでいることにいて岸本の方から書き得る言葉も無かったのである。
 香港をして進んで行く船の煙突からは、さかんな石炭の煙が海風に送られて来て、どうかすると波の上の方へ低くなびいた。岸本は香港から国の方へ向う便船の日数を考えた。あによめが節子と一緒になってから既に十八九日の日数がつことをも考えた。いやでも応でも彼は香港への航海中に書きにくい手紙を書く必要に迫られた。その機会を失えば、次の港は仏領のセエゴンまでも行かなければ成らなかった。

        五十一

 船室に行って岸本は旅のかばんの中から手紙書く紙を取出した。セエゴンから東の港は乗客も少いという仏蘭西フランス船の中で、六つ船床のある部屋を岸本一人に宛行あてがわれたほどのひっそりとした時を幸いにして、彼は国の方に残して行く義雄兄宛の手紙を書こうとした。円い船窓に映る波の反射は余計にその部屋を静かにして見せた。彼は波に揺られていることも忘れて書いた。この手紙は上海を去って香港への航海中にある仏蘭西船でしたためると書いた。神戸を去る時に書こうとしても書けず、余儀なく上海から送るつもりでそれも出来なかった手紙であると書いた。自分が新橋を出発する時も、神戸を去る時も、思いがけない見送りなどを受けたのであるが、それにもかかわらず自分は悄然しょうぜんとして別れを告げて来たものであると書いた。何故に自分が母親のない子供等を残してこうした旅に上って来たか、その自分の心事は誰にも言わずにあるが、大兄だけにはそれを告げて行かねば成らないと書いた。多くの友人も既にこの世を去り、おいも妻も去った中で、自分のようなものが生き残って今また大兄にまで嘆きをかける自分の愚かしい性質を悲しむと書いた。自分は弟の身として、大兄の前にこんなことの言えた訳ではないが、忍び難いのを忍ぶ必要に迫られたと書いた。自分が責任をもって大兄から預かった節子は今はただならぬからだであると書いた。それが自分の不徳の致すところであると書いた。自分のふる住居すまいの周囲は大兄の知らるるごとくであって、種々な交遊の関係から自然と自分も酒席に出入したことはあるが、そのために身をあやまつようなことは無かったと書いた。その自分がこうした恥の多い手紙を書かなければ成らないと書いた。今から思えば、自分が大兄の娘を預かって、すこしでも世話をしたいと思ったのが過りであると書いた。実に自分は親戚しんせきにも友人にも相談の出来ないような罪の深いことを仕出来しでかし、無垢むく処女おとめの一生を過り、そのために自分もかつて経験したことの無いような深刻な思を経験したと書いた。節子は罪の無いものであると書いた。彼女を許して欲しいと書いた。彼女を救って欲しいと書いた。家を移し、姉上の上京をい、比較的に安全な位置に彼女を置いて来たというのも、それは皆彼女のために計ったことであると書いた。この手紙を受取られた時の大兄の驚きと悲しみとは想像するにも余りあることであると書いた。とても自分は大兄に合せ得る顔をつものでは無いと書いた。書くべき言葉を有つものでも無いと書いた。ただ、節子のためにこの無礼な手紙を残して行くと書いた。自分は遠い異郷に去って、激しい自分の運命をこくしたいと思うと書いた。義雄大兄、捨吉拝と書いた。

        五十二

 三十七日の船旅の後で、岸本は仏蘭西マルセエユの港に着いた。
「あのプラタアヌの並木の美しいマルセエユの港で、この葉書を受取って下さるかと思うと愉快です」
 こうした意味の葉書を岸本はその港に着いて読むことが出来た。船の事務長が岸本の名を呼んでその葉書を渡してくれた。多くの仏蘭西人の船客の中でも、便たよりの待遠しいその港で葉書なり手紙なりを受取るものはまれであった。岸本が神戸を去る時船まで見送って来た番町の友人がその葉書を西伯利亜シベリア経由にして、東京の方から出して置いてくれたからで。
 初めて欧羅巴ヨーロッパの土を踏んだ岸本は、上陸した翌日、マルセエユの港にあるノオトル・ダムの寺院おてらを指してがけの間のみちを上って行った。その時は一人の旅の道連みちづれがあった。コロンボの港(印度インド錫蘭セーロン)からポオト・セエドまで同船した日本の絹商で、一度船の中で手を分った人に岸本はたその港で一緒に成ったのであった。絹商は倫敦ロンドンまで行く人で外国の旅に慣れていた。御蔭おかげと岸本は好い案内者を得た。高い崖に添うて日のあたったみちを上りきると、古い石造の寺院の前へ出た。欧羅巴風な港町の眺望ちょうぼうは崖の下の方にひらけた。
 海は遠く青く光った。その海が地中海だ。ポオト・セエドからマルセエユの港まで乗って来る間で、一日岸本が高い波に遭遇であった地中海だ。眼の下にある黄ばみを帯びた白い崖の土と、新しい草とは、一層その海の色を青く見せた。岸本は自分の乗って来た二本煙筒えんとつの汽船が波止場近くに碇泊ていはくしているのをその高い位置から下瞰みおろして、実にはるばると旅して来たことを思った。
 寺院おてらの入口に立つまだ年若な一人の尼僧あまさんが岸本に近づいた。遠く東洋の空の方から来た旅人としての彼を見て何か寄附でも求めるらしく鉄鉢てっぱつのかたちに似た器を差出して見せた。その尼僧は仏蘭西人だ。一人の乞食こじきが石段のところに腰を掛けていた。その乞食も仏蘭西人だ。岸本は絹商と連立って寺院の入口にある石段を昇って見た。入口の片隅かたすみには、故国くにの方の娘達にしてもよろこびそうな白と薄紫との木製の珠数ずずを売る老婆ばあさんがあった。その老婆も仏蘭西人だ。岸本は本堂の天井の下に立って見た。薄暗い石の壁の上には、航海者の祈願をめて寄附したものでもあるらしい船の図の額が掛っていた。寺院の番人に案内されて、更に奥深く行って見た。彩硝子いろガラスの窓からし入る静かな日の光は羅馬ローマ旧教風な聖母マリアの金色の像と、その辺に置いてある古めかしく物錆ものさびた風琴オルガンなどを照して見せた。その番人も仏蘭西人だ。そこはもう岸本に取って全く知らない人達の中であった。
 あわただしい旅の心持の中でも、香港ホンコンから故国の方へ残して置いて来た手紙のことは一日も岸本の心に掛らない日は無かった。その晩の夜行汽車で、彼は絹商と一緒に巴里へ向けてった。

        五十三

 遠く目ざして行った巴里パリに岸本が入ったのは、船から上って四日目の朝であった。彼は巴里までの途中で同行の絹商と一緒に一日をリヨンに送って行った。ガール・ド・リヨンとは初て彼が巴里に着いた時の高い時計台のある停車場ステーションであった。そこで彼は倫敦行の絹商に別れ、辻馬車つじばしゃを雇って旅の荷物と一緒に乗った。晴雨兼帯とも言いたい馬丁べっとうかぶった高帽子まで彼にはめずらしい物であった。彼は右を見、左を見して、初めてセエヌ河を渡った。まだ町々の響もかしましくない五月下旬の朝のうちのことで、マルセエユやリヨンで見て行ったと同じプラタアヌの並木が両側にやわらかい若葉を着けた街路の中を乗って行った時は、馬丁の鳴らすむちの音や石道を踏んで行く馬のひづめの音まで彼の耳に快よく聞えた。
 巴里の天文台に近い並木街の一角にある下宿が岸本を待っていた。その辺の往来には朝通いらしい人達、労働者、牛乳のびんげた娘、野菜の買出しに出掛ける女連おんなれんなぞが岸本の眼についた。下宿の女中と家番やばんのかみさんとが来て彼の荷物を運んでくれたが、言葉は一切通じなかった。彼は七層ばかりある建築物たてものの内の第一階の戸口のところで、年とった壮健じょうぶそうなおんなの赤黒い朝の寝衣ねまきのままで出て迎えるのに逢った。その人が下宿の主婦かみさんであった。この主婦の言うことも岸本には通じなかった。
 客扱いに慣れたらしい主婦は一人の日本人を岸本のところへ連れて来た。その下宿に泊っている留学生で、かねて岸本は番町の友人から名前を聞いて来た人だ。長く外国生活をして来た人らしいことは一目見たばかりで岸本にもすぐにそれと分った。岸本は巴里へ来て最初に逢ったこの留学生から下宿の主婦の言おうとすることを聞取った。部屋へも案内された。
 留学生は食事の時間なぞを岸本に説明して聞かせた後で言った。
「この主婦が君にそう言って下さいッて――『寝衣のままで大変失礼しました、いずれ着物を着更きかえてから改めて御挨拶ごあいさつします』ッて。君の着くのが今朝早かったからね」
 それを聞いていた主婦は留学生と岸本の顔を見比べて、
「おわかりでございましたか」
 という風に、両手を岸本の方へひろげて見せた。
 独りで部屋に残って見ると、まだ岸本には船にでも揺られているような長道中の気持が失せなかった。旅慣れない彼に取っては、外国人ばかりの中に混って航海を続けて来たというだけでも一仕事であった。熱帯の光と熱とは彼の想像以上であった。その色彩も夢のようであった。時には彼は自分独りぎめに「海の砂漠さばく」という名をつけて形容して見たほど、遠い陸は言うに及ばず、船一艘いっそう、鳥一羽、何一つ彼の眼には映じない広い際涯はてしの無い海の上で、その照光と、その寂寞せきばくと、その不滅とをあじわって来たこともあった。印度洋にさしかかる頃から船客はいずれも甲板かんぱんの上に出て眠ったが、彼もてすり近く籐椅子とういすを持出して暗い波を流れる青ざめたりんの光を眺めながら幾晩か眠り難い夜を過したこともあった。船は紅海こうかいの入口にあたる仏領ジュプティの港へも寄って石炭を積んで来た。スエズで望んで来た小亜細亜アジア亜弗利加アフリカの荒原、ポオト・セエドを離れてから初めて眺めた地中海の波、伊太利イタリーの南端――こう数えて見ると、遠く旅して来た地方の印象が実に数限りもなく彼の胸に浮んで来た。

        五十四

 新しい言葉を学ぶことによって、岸本は心の悲哀かなしみを忘れようと志した。同宿の留学生が天文台の近くに住む語学の教師を彼に紹介した。その人は巴里に集る外国人を相手に仏蘭西語を教えて、それを糊口くちすぎとしているような年とった婦人であったが、英語で講釈をしてくれるので岸本には好都合であった。取りあえず、彼は語学の教師のもとに通うことを日課の一つとした。
 こうして故国の消息を待つうちに、西伯利亜シベリア経由とした義雄兄からの返事が届いた。思わず岸本の胸は震えた。兄は東京の留守宅の方から書いてよこした。お前が香港から出した手紙を読んで茫然ぼうぜん自失するの他はなかったと書いてよこした。十日あまりも考え苦しんだ末、適当な処置をするために名古屋から一寸ちょっと上京したと書いてよこした。お前に言って置くが、出来たことは仕方がない、お前はもうこの事を忘れてしまえと書いてよこした。
 兄はまた、これは誰にも言うべき事でないから、母上はもとより自分の妻にすらも話すまいと決心したと書いてよこした。嘉代かよ(嫂)には、吉田某というものがあったことにして置くと書いてよこした。その某は例の人を捨てて行方ゆくえ不明であるということにして置くと書いてよこした。実は嘉代も今妊娠中であると書いてよこした。のみならず輝子も近いうちに帰国して、国の方でお産をしたいと言って来たと書いてよこした。この輝子の帰国がかちあえば事は少し面倒であると書いてよこした。しかし世の中のことは、曲りなりにもどうにか納りの着くものであると書いてよこした。当方一同無事、泉太も繁も元気で居ると書いてよこした。お前は国の方のことに懸念けねんしないで、専心にそちらで自分の思うことを励めと書いてよこした。
 岸本は人の知らない溜息ためいきいた。仏蘭西語の読本を小脇こわきかかえて下宿を出、果実くだものなぞの並べてある店頭みせさきを通過ぎて並木街の電車路を横ぎり、産科病院の古い石のへいについて天文台の前を語学の教師の家の方へと折れ曲って行った。そして語学の稽古けいこを受けた後で、天文台の前の並木のかげあたりに遊んでいる少年を見るにつけても国の方の自分の子供のことを思いやりながら、た同じ道を下宿の方へ帰って行った。その年齢としになって、四十の手習を始めたことを感じながら。
 幾度いくたびか岸本は兄から来た手紙を取出して、繰返し読んで見た。「お前はもうこの事を忘れてしまえ」と言った兄の心持に対しては、彼は心から感謝しなければ成らなかった。東京から神戸までも、上海までも、香港までも――どうかすると遠く巴里までも追って来た名状しがたい恐怖はその時になっていくらか彼の胸から離れた。そのかわり、兄に手伝って貰って人知れず自分の罪をうずめるという空恐しさは、自分一人ぎりで心配した時にもまさって、何とも言って見ようの無い暗い心持を起させた。兄の手紙には「例の人」とあるだけで、節子の名を書きあらわすことすら避けてある。彼は母や姉と同時に普通ただならぬ身であるという彼女を想像した。

        五十五

 間もなく岸本は節子からの便たよりを受取った。彼女は郡部にある片田舎かたいなかの方へ行ったことを知らせてよこした。
「到頭節ちゃんも出掛けて行ったか――」
 それを言って見て、岸本は以前の食堂の隣から移って来た新規な部屋の内を見廻した。窓が二つあって、プラタアヌの並木の青葉が一方の窓に近く茂っていた。その並木の青葉も岸本が巴里パリに着いたばかりの頃から見ると早や緑も濃く、花とも実ともつかない小さなくりのイガのようなものが青いまりを見るように葉蔭から垂下たれさがった。一方の窓は丁度建築物たてものの角にあたって、交叉こうさした町が眼の下に見えた。あの東京浅草の住慣れた二階の外に板囲いたがこいの家だの白い障子の窓だのをながめ暮した岸本の眼には、古い寺院にしても見たいような産科病院の門前にひるがえる仏蘭西フランスの三色旗、その病院にむかい合った六層ばかりの建築物、街路の角の珈琲店コーヒーてん暖簾のれんなぞが、両側に並木の続いた町の向うに望まれた。あの大きな風呂敷包を背負って毎朝門前を通った噂好うわさずきな商家のかみさんのかわりに、そこにはまきざっぽうのような食麺麭しょくパンかかえた仏蘭西の婦女おんなが窓の下を通った。あの書斎へよく聞えて来た常磐津ときわずや長唄の三味線のかわりに、そこにはピアノを復習さらう音が高い建築物の上の方から聞えて来た。それが彼の頭の上でした。
 その窓へ行って、岸本は節子から来た手紙を読返した。彼女はおっかさんの上京後、婆やにも暇を出したと書いてよこした。お父さんが名古屋から上京して初めてあの話があったと書いてよこした。その時はお母さんも大分やかましかったが、結局自分はしばらく家を出ることに成ったと書いてよこした。お父さんがある病院で知った看護婦長の世話で、自分はこの田舎へ来るように成ったと書いてよこした。その看護婦長は今は女医であると書いてよこした。至極親切な人で、この田舎に住んでいて、毎日のように自分を見に来て慰めてくれると書いてよこした。自分はある産婆の家の二階で、人知れずこの手紙をしたためていると書いてよこした。叔父さんのことは親切な女医にすら知らせずにあると書いてよこした。高輪たかなわの家にある叔父さんの著書をここへも持って来てこのわびしい時のなぐさめとしたいのであるが、人に見られることを気遣きづかって見合せたと書いてよこした。この家に住む人達は親子とも産婆であると書いてよこした。ここは東京から汽車でごくわずかの時間に来られる場処であると書いてよこした。片田舎らしいかわずの声が自分の耳に聞えて来ていると書いてよこした。自分が産褥さんじょくくまでには、まだしばらく間があるから、せめてもう一度ぐらいは便りをしたいと思うが、それも覚束おぼつかないと書いてよこした。姉(輝子)も夫の任地から近く産のために帰国するであろうと附添つけたしてよこした。

        五十六

 森のように茂って行くマロニエとプラタアヌの並木は岸本の行く先にあった。彼はその楽しい葉蔭はかげを近くにある天文台の時計の前にも見つけることが出来、十八世紀あたりの王妃の石像の並んだルュキサンブウルの公園の内に見つけることも出来た。彼よりも先に故国を出て北欧諸国を歴遊して来た東京のある友人が九日ばかりも彼の下宿に逗留とうりゅうした時は、一緒に巴里の劇場の廊下も歩いて見、パンテオンの内にある聖ジュネヴィエーヴの壁画の前にも立って見た。普仏戦争時代の国防記念のためにあるという巨大な獅子ししの石像の立つダンフェル・ロシュリュウの広場の方へ歩き廻りに行っても、彼は旅人らしい散歩の場所に事を欠かなかった。
 しかし仏蘭西の旅は岸本に取って、ある生活の試みを企てたにも等しかった。彼は全く新規な、全く異ったものの中へ飛込んで来た。それには長い年月の間、身にみついている国の方の習慣からしてためて掛らねば成らなかった。彼のように静坐する癖のついたものには、朝から晩まで椅子に腰掛けて暮すということすら一難儀であった。日がな一日彼は真実ほんとうの休息を知らなかった。立ちつづけに立っているような気がした。日本の畳の上で思うさまこの身体を横にして見たら。この考えは、どうかすると子供のように泣きたく成るような心をさえ彼に起させた。彼は長い船旅で、日に焼け、熱に蒸され、汐風しおかぜに吹かれて来たばかりでなく、ようやくのことであの東京浅草の小楼から起して来たからだをこうした外国の生活の試みの下に置いた。実際、眼に見えない不可抗な力にでも押出されるようにして故国から離れて来たことを考えると、彼はこれから先どうなってしまうかという風に自分で自分の旅の身を怪んだ。
 節子から来た手紙は旅にある岸本の心を責めずには置かなかった。偶然にも岸本の下宿の前に産科病院があって、四十いくつかあるその建築物たてものの窓の一つ一つには子供が生れたり生れかけたりしているということは、何かのしるしのように彼の眼に映った。その石の門は彼の部屋の窓からも見え、その石のへいは毎日彼が語学の稽古けいこに通う道の側にあたっていた。その多くの窓は町中で一番遅くまで夜も燈火あかりしていて、毎晩のように物を言った。
「知らない人の中へ行こう」
 と岸本はつぶやいた。その中へ行って恥かしい自分を隠すことは、この旅を思い立つ時からの彼の心であった。

        五十七

 セエヌの河蒸汽に乗るために岸本はシャトレエの石橋のたもとに出た。何処どこへ行くにも彼はベデカの案内記を手放すことの出来ない程ではあったが、しかし全く自分ひとりで、巴里へ来て初めて知合になった仏蘭西人の家をたずねようとした。
 岸本は最早旅人であるばかりでなく同時に異人であった。あの島国の方に引込んで海の魚が鹹水しおみずの中でも泳いでいればいような無意識な気楽さをもって東京の町を歩いていた時に比べると、まれに外国の方から来た毛色の違った旅人を見て「異人が通る」と思った彼自身の位置は丁度顛倒てんとうしてしまった。いやでも応でも彼は自分の髪の毛色の違い、皮膚の色の違い、顔の輪廓りんかくの違い、ひとみの色の違いを意識しない訳に行かなかった。う人ごとにジロジロ彼の顔を見た。こうした不断の被観察者の位置に立たせらるることは、外出する時の彼の心を一刻も休ませなかった。そしてまたこんな骨折が実際何の役に立つのだろうとさえ思わせた。下宿からシャトレエの橋の畔へ出るまでに彼の頭脳あたまは好い加減にボンヤリしてしまった。
 石で築きあげた高い堤について、河蒸汽を待つところへ降りた。中洲なかすになったシテイの島に添うて別れて来る河の水は彼の眼にあった。岸本が訪ねて行こうとする仏蘭西人は巴里の国立図書館の書記で、彼はその人のお母さんから英語で書いた招きの手紙をもらった。その中にはルウブルで河蒸汽に乗ってビヨンクウルまで来るように、自分等の家は河蒸汽の着くところからすぐである、五分とは掛らない、河蒸汽にも種々いろいろあるからビヨンクウル行を気を着けよなぞと、こまかいことまで年とった女らしく親切に書いてあった。岸本はシャトレエから河蒸汽に乗って、たルウブルで乗換えるほどの無駄をした。それほどまだ土地不案内であった。その時の彼は仏蘭西人の家庭を見ようとする最初の時であった。どうにでも入って行かれるような知らない人達の生活が彼の前にあった。彼は右することも、左することも出来た。そしてこれから先逢う人達によって右とも左とも旅の細道が別れて行ってしまうような不思議な心持が彼の胸の中を往来した。

        五十八

「異人さん、ここがビヨンクウルですよ」
 とでも言うらしく、河蒸汽に乗っていた仏蘭西人が岸本に船着場をして教えた。船着場から岸本の尋ねる家までは僅しかなかった。高いポプリエの並木の立った河岸かしの道路を隔ててセエヌ河に面した住宅風の建築物たてものがあった。そこが図書館の書記の住居すまいであった。岸本は門のとびらを押して草花の咲いた植込の間を廻って行った。何時いつの間にか一ぴきの飼犬が飛んで来て、鋭い眼付で彼の側へ寄って、えかかりそうな気勢けはいを示した。
「あなたが岸本さんですか」
 とその時入口の石階いしだんのところへ出て来て英語でいた年とった婦人があった。岸本はその人を一目見たばかりで手紙をくれたお母さんだと知った。
「帽子とつえはそこにお置き下さい。それから私と一緒に部屋の方へおいで下さい」
 こんな風に言って老婦人は岸本を案内した。
せがれはまだ図書館の方ですがおっつけ帰って参りましょう。忰の家内も今お目に掛ります」
 仏蘭西人の家庭に来て、こうした英語で話してくれる老婦人を見つけることは、まだ土地の馴染なじみも薄い岸本の旅の身に嬉しかった。
 この家の方へ岸本を導いたのは老婦人のめいにあたる人であった。そのマドマゼエルは純粋な仏蘭西の婦人ながらに遠く日本を慕って行って、現に東京の方に住んでいた。岸本は番町の友人の紹介で東京をつ前にその人にって来た。その時のマドマゼエルは可成かなりもう日本の言葉が話せて、紫式部の日記ぐらいは読めるような人であった。日本きちがいとも言いたいほど日本贔負びいきの婦人であった。その人が岸本を紹介してくれたのであった。老婦人は居間の方へ岸本を連れて行った。その室内を飾る種々な道具から絵画彫刻のたぐいまで、老婦人のたしなみに好く調和したような物ばかりであった。窓に近く机の置いてあるところで、老婦人は東京の方にある姪からの手紙を岸本に取出して見せ、
「姪も無事で暮しておりましょうか。すこしは日本の婦人らしく見えるように成りましたでしょうか」と言って、東洋の果を志して行ったマドマゼエルの身を非常に心配顔に岸本に尋ねた。老婦人はマドマゼエルが自分の兄弟の一人娘であることや、彼女が幼い時分から学問好きであったことや、巴里に居る頃から日本留学生にいて古典の一通りを学んだことなぞをも話した。
 岸本は風呂敷包の中から旅のしるしに持って来た国の方の土産みやげを取出した。老婦人はその風呂敷の模様を見るさえめずらしそうに、
「へえ、お国の方ではそういうものを用いますか。面白い模様ですね。でもまあ日本の方にお目に掛って、めいうわさをするだけでも嬉しい。ああして姪が日本へ行ってしまったのは私が悪いのだ、私の落度おちどだ、とそう皆が私のことを申すのです……可哀そうな娘……」
 と言って、仏蘭西を捨てて出て行った姪を思いやるような眼付をした。やがて老婦人はその居間の壁に掛けてある日本の古画なぞを眺めながら岸本に言って見せた。
「日本というものは、私に取っては空想のくにでしたからね」

        五十九

 しばらく老婦人と話しているうちに岸本はその部屋の長い窓掛まで日本から渡来した古い金糸のぬいのある布で造ってあるのに気がついた。せぎすな身体に古雅な黒い仏蘭西風の衣裳いしょうを着けた老婦人は岸本に見せるものを探すために時々部屋の内を歩いたり、時には奥の方へ立って行ったりしたが、その部屋にあるものは何一つとして遠い異国に対する憧憬あこがれの心を語っていないものは無かった。こういう老婦人の姪に、異国趣味そのものとも言いたいマドマゼエルのような人が生れたのも決して不思議は無いと岸本は想って見た。
「これが忰の家内です」
 と老婦人はそこへ着物を着更きかえて挨拶あいさつに来た細君を岸本に引合せた。
 主人の帰りを待つ間、三人の話は東京の方にあるマドマゼエルの噂で持切った。細君はマドマゼエルが絵画にも趣味をつことを話して、まだ仏蘭西に居る頃に彼女が描いたという油絵の額の前へも岸本を連れて行って見せ、彼女が残して置いて行ったという写真なぞをも取出して来た。
「マドマゼエルは仏蘭西に居るころから人に頼みまして、日本の髪に結ったこともありましたよ。それほど日本好でしたよ」
 仏蘭西語まじりに細君が言おうとすることを老婦人は英語で補った。老婦人は岸本に向って、自分はかつ倫敦ロンドンに住んだことが有るという話や、そのために自分は家中で一番よく英語が話せる、よめはあまり話せないが忰の方はすこしは話せて好都合であるということなぞや、自分等の家族は以前は巴里の市中に住んだがこのビヨンクウルに住居をぼくして引移って来たということや、この家屋いえもなかなか安くは求められなかったというようなことまで、いかにも心安い調子で話した。
「もう忰も見えそうなものです」と言う老婦人や細君に誘われながら、岸本は一緒に入口の廊下から石の階段を下りて庭を歩いた。門の外へも出て見た。清いセエヌ河の水は並木の続いた低い岸の下を流れていた。郊外らしい空気につつまれた対岸の傾斜には、ところどころに別荘風な赤瓦あかがわらの屋根も望まれた。
 細君の案内で、岸本は裏庭の方へも廻って、果樹、野菜なぞを見て歩いた。「今年はこんなにねぎを造りました」なぞと岸本に言って聞かせる細君はいろいろ話そうとしてはそれが英語で浮んで来ないという風であった。日のあたったなしの下で、岸本は二人の子供を遊ばせている乳母うばにも逢った。
「日本の方だよ」
 と細君に言われて、二人の子供は気味悪そうに岸本の方へ近づいた。そしてかわるがわる小さな手を差出した。岸本はそれらの幼い人達の手を握りしめたが、子供に話しかけたいにも仏蘭西の言葉ではまだ物が言えなかった。
「私も国の方へ子供を残して来ました」
 この岸本の英語はまた細君にはよく通じなかった。
 人の好さそうな細君はその家を囲繞とりまく庭やはたけばかりでなく、家の入口から奥の方へ続いた廊下の両側に掛けてある種々な肖像の額の前へ、二階にある主人の書斎へ、子供の部屋へ、しまいには寝室へまで岸本を連れて行って見せた。丁度そこへ主人が帰って来た。

        六十

 その家の主人とは岸本は既に図書館の方でちかづきに成っていた。主人が帰った頃は夕飯の仕度したくが出来ていて、岸本は樹木の多い庭に臨んだ食堂の方へ案内された。
「夏の間、私共はよくこの窓の外で食事することもあります」
 という老婦人の話なぞを聞きながら岸本は主人と細君と四人して食卓を囲んだ。
「何にもお構い申しません。私共でも何時いつでもこの通りです」
 と細君は款待顔もてなしがおに言った。
「岸本さんのようにわざわざ日本から仏蘭西へお出掛下さる方もあり――」と言って老婦人は自分の子息むすこと岸本の顔を見比べて、「そうかと思うと姪のように、仏蘭西から日本の方へ行ってしまうのもあります」
 その時岸本は国の方から茶や椿つばきの種を持って来たことを言出した。誰か専門家に頼んで旅の記念に植えて見て貰いたいと話した。
「岸本さんは何をお持ちに成ったと言うのかい」と老婦人は主人に言って、やがて岸本の方を見て、「私は耳が遠くなって時々お話の聞取れないことが有ります」
「種」と主人は大きな声で言って見せて笑った。
 食後に岸本は持って来た風呂敷包を取出した。その中からは銀杏いちょう、椿、山茶花さざんか、藤、肉桂にくけい沈丁花じんちょうげなぞの実も出て来た。
 老婦人は岸本に向って、東京にある姪から仏蘭西大学の教授のもとへも彼を紹介してよこしたことを話して、これから忰夫婦が案内する、丁度教授の家には茶の会がある、一緒に行ってあの好い家族ともちかづきに成れと言った。
「念のために御話して置きますが、教授は当地でも有名な学者です」
 と老婦人は廊下のところに立って岸本に注意するように言った。
 晩に出る最終の河蒸汽に乗後のりおくれまいとして、岸本は夫婦と一緒に河岸を急いだ。細君は教授の夫人への手土産てみやげにと庭の薔薇ばらの花をげ、自分がまだ娘であった頃から教授の家へはよく出入ではいりしたという話を岸本にして聞かせた。漸くのことで三人は船に間に合った。知らない仏蘭西人ばかりの乗客の間に陣取って種々いろいろ親しげに言葉を掛ける夫婦と一緒に腰掛けた時は、岸本に取って肩身が広かった。
「セエヌの水は何時いつでもこんなに静かでしょうか」
「大抵こんなです。毎朝私はこの船で図書館通いをしています。夏の朝はなかなか好うござんすが、晩も悪くはありませんね」
 岸本と書記とが暗い静かな河景色を眺めながら話しているそばで、細君は女持の手提鞄てさげかばんひざに乗せて二人の話に耳を傾けた。
 このビヨンクウルの書記には著述もあった。その家に半ばを分けて来た植物の種子たねは岸本が国を出る時にあの中野の友人等から贈られたのだ。岸本は残りの半ばを植物園の近くに住むという教授の許へも分けるつもりで、これから書記夫婦と共に見に行こうとする教授の人となりを想像した。その晩の茶の会に集まろうとする未知の人々をも想像した。

        六十一

 ギイ・ド・ラ・ブロッスという町にある教授の家の茶の会から岸本が下宿の方へ歩いて帰って行った頃は大分遅かった。彼の胸は初めて仏蘭西人の家庭を見、未知の人々に逢ったその日のことで満たされていた。恐ろしく巌畳がんじょうなアーチ形に出来た家々の門の前には遅く帰った人達が立って、呼鈴よびりんの引金を鳴らしていた。家番やばんもぐっすり寝込んだ時分であった。
 暗い階段を上って下宿の戸を開けると、皆もう寝沈まっていた。廊下の突当りにある自分の部屋へ行ってからも、岸本はぐには寝台に上らなかった。部屋を明るくした古めかしい洋燈ランプむかって見ると、「巴里へは何時御着きに成ったのです、何故もっと早く訪ねて来てくれないのです」と快くさわやかな調子で言ったブロッスの教授の声はまだ彼の耳についていた。印度インド研究に関した蔵書の類が沢山置並べてある書斎の中で、まだ大学へでも通っているらしい青年の方へ彼を連れて行って、「せがれにも一つってやって下さい」と言ったあの教授の声も。それから彼が旅のしるしとして贈った銀杏の実なぞを教授は別の部屋の方へ持って行くと、茶に招かれて来ていた若い教授の細君らしい人達が集って、皆なで一緒にその粒のそろった東洋植物の種を眺めながら、「まあ、植えてしまうのは惜しい、こうして見ていたい」と言ったあの女らしい人達の声も。彼はこの異郷に来て智識階級に属するそれらの人達とこれ程熱い握手をかわし得るとは思いもかけなかった。あのビヨンクウルの夫婦が河蒸汽や電車の切符まで彼には払わせなかった程の心づくしも、全く彼の予期しないことであった。敏感で優雅なビヨンクウルのお母さんも彼が初めて逢って見たふるい仏蘭西の婦女おんなをいかにも好く表したような人であった。髪は最早もう白いほどの年頃ながら眼には青年のような輝きを見せた教授、素朴そぼくでそして男らしく好ましい感じのする書記、彼は眠りにこうとして壁の側の寝台に上ってからも、それらの人達から受けた最初の好い印象を考えて、この温かい親切は長く忘れられまいと思った。
 しかし朝になって見ると、初めて逢った人達の感じが好かっただけ、それだけ旅人としての物足ものたらなさが岸本の胸に忍び込んで来た。彼は皆の言った事を考えて見て、ボンヤリしてしまった。外国人は何処どこまでも外国人で、物の皮相にしか触れることの出来ないような物足らなさがその最初の好い印象と一緒になって起って来た。
 仏蘭西に居る頃から人に頼んで日本の髪に結ったというマドマゼエルのことが、しきりと岸本の胸に浮んだ。それほど強烈な異国に対する憧憬の心をもってしても、仏蘭西を捨てて去ったマドマゼエルがどれ程まで日本人の心の奥をみ知ることが出来るであろうか、とそう彼は想像して見た。彼はあの日本の着物を着て畳の上に坐っているマドマゼエルに、洋服を着て椅子に腰掛けている自分の旅の身を思い比べた。
「結局、自分等は芸術に行くのほかはないかも知れない。芸術によって、この国の人の心に触れるの外はないかも知れない」
 この考えは岸本の心をって一層言葉の稽古けいこの方へ向わせた。

        六十二

 旅に来て五月目いつつきめに、岸本は新たに父になったことを国の方からの便たよりによって知った。くなった三人の女の児を入れて数えると、最早彼は七人だけの子の親ではなかった。園子との間に設けたおもてむきの子供の外に、知らない子供が一人何処どこかに生きていた。彼は極印でも打たれたような額を客舎の硝子窓ガラスまどのところへ持って行って、人知れずそのことを自分に言って見た。
 義雄兄からの便りには、「例の人」は産後の乳腫ちちばれで手術を受けさせるから、その費用を送れとしてあった。それから一月半ばかりも待つうちに節子はくわしいことを知らせてよこした。産は重くて骨が折れたが男の子が生れたと彼女の手紙の中に書いてあった。彼女はこまごまと書いてよこした。こんなにお産が重かったのは身体からだを粗末にしていた為であろう、自分はその事を人から言われたと書いてよこした。自分はわずかに一目しか生れたものの顔を見ることを許されなかったと書いてよこした。その田舎いなかに住む子供の無い家の人から懇望されて、嬰児あかごぐに引取られて行ったと書いてよこした。例の親切な女医が来ての話に、「あなたのややさんは、それはよくあなたのお父さんに似ていますよ」と言って笑って話してくれたと書いてよこした。その田舎に住む坊さんが名づけ親になって親夫ちかおという名をけてくれた――実はその名は坊さんが自分の子に命けるつもりで考えて置いたとかいうのを譲ってくれたのだと書いてよこした。生れたもののもらわれて行った先で、どうかしてこの子のお母さんの苗字みょうじだけでも明して欲しい、それを明すことが出来なければ東京のどの辺か――せめて方角だけでも明して欲しいとのことであったが、それだけはお断りすると言って、女医の方で明さなかったと書いてよこした。定めしお父さんの方からの知らせが行ったことと思うが、自分の乳がれ痛んで、捨てて置く訳にはいかないと言われて、切開の手術を受ける為にしばらく女医の方へ行っていたと書いてよこした。どうもまだ自分の身体の具合は本当でないから、今しばらくこの産婆の家の二階にとどまるつもりであるが、出来るだけ早くここを去りたいと思うと書いてよこした。つくづく自分はこの二階に居るのが恐ろしくなった、何事につけてもここはお金お金で、地獄にあるような思いをすると書いてよこした。このお産のために自分の髪は心細いほど抜けた、この次叔父さんにお目にかかるのも恥かしいほど赤く短く切れてしまったと書いてよこした。
 この節子の手紙を読んで、岸本は心から深い溜息ためいきいた。彼はいくらか重荷をおろしたような気がした。しかしそのために、一度つけてしまった生涯の汚点は打消すべくもなかった。埋めようとすればするほど、余計に罪過は彼の心の底に生きて来た。彼は多くもない旅費の中をいて節子が身二つに成るまでの一切の入費にてて来たし、外国から留守宅への仕送りも欠かすことは出来なかったし、義雄兄から請求して来た節子の手術に要する費用も負担せねば成らなかった。旅も容易でなかった。それにもかかわらず、彼は行けるところまで行こうとした。

        六十三

 東京高輪たかなわの留守宅の方に節子を隠して置てあによめの上京も待たずに旅に上って来た心持から言っても、義雄兄に宛てた一通の手紙を残して置いて香港ホンコンを離れて来た心持から言っても、岸本は再び兄夫婦を見るつもりで国を出たものではなかった。節子は旅にある叔父に便りすることを忘れないで、彼女が郡部にある片田舎から高輪の方へ戻った時にも精しい手紙を送ってよこしたが、その便りが岸本の手許てもとへ着いた頃は、最早ノエル(降誕祭)の季節の近づく年の暮であった。異郷で初めてう正月、羅馬ローマ旧教国らしいカアナバルの祭、その肉食の火曜も、ミ・カレエムの日も、彼の旅の心を深くした。彼の下宿には独逸ドイツのミュウニッヒの方から来た慶応の留学生を迎えたり、瑞西スイスの方へ行く人を送ったりしたが、それらの人達と連立ってルュキサンブウルの美術館をたずねた時でも、ガボオの音楽堂に上った時でも、何時いつでも彼は心の飄泊者ひょうはくしゃとしてであった。
「人はいかなる境涯にも慣れるもので、それがまた吾儕われらに与えられたる自然の恵みである」と言った人もあったとやら。ある人はまた、「慣れるということほど恐ろしいものは無い」とも言ったとやら。岸本はその二つの言葉の意味にこもる両様の気質と真実とをあじわい知った。所詮しょせん彼とても慣れずにはいられなかった。そして高い建築物たてものもさ程気に成らず、往来も平気で歩かれ、全く日本風の畳というものも無い部屋に一日腰掛けて暮せる頃は、自分の髪の毛色の違い、自分の皮膚の色の違いを忘れる時すらあるように成った。不思議にも、外界の事物に対してこれ程彼が無頓着むとんじゃくに成ったと同時に、外界の事物もまた彼に対して無頓着に成った。彼は自分の部屋の窓の下を往来する人達と全く無関係に生きて行く異邦の旅人としての自分の身をその客舎に見つけた。あだかも獄裡ごくりつながるる囚人しゅうじんが全く娑婆しゃばというものと縁故の無いと同じように。
 恐ろしい町の響が岸本の耳につくように成った。一切の刺激から起る激しい感覚が沈まって行くにつれ、そうした響がハッキリと彼の耳に聞えて来た。剣のようにとがったいかめしく頑固がんこな馬具を着け、真鍮しんちゅう金具かなぐを光らせた幾頭かの馬が大きな荷馬車を引いて行く音、モン・トオロン行の乗合自動車の通う音、並木街を往復する電車の音、その他石造の街路から起る町の響が、高い建築物の間に響けて、岸本の部屋の硝子窓に揺れるように伝わって来た。それを聞くとにわかに故国も遠くなった。彼はそろそろ外国生活の無聊ぶりょうがやって来たことを感じた。
 苦難はもとより彼の心に期するところであった。どんなにでもして彼は耐えがたい無聊と戦わねば成らなかった。そして心の飄泊を続けねば成らなかった。

        六十四

 復活祭も近づいて来ていた。東京の留守宅へ戻って行ってからの節子は折あるごとに泉太や繁のことを書いて、それに彼女の境遇を訴えてよこした。岸本はあの片田舎の家の方から品川の停車場ステーションまで帰って来て、そこで迎えの嫂と一緒に成ったという時の彼女を想いやることも出来た。彼女の母にも姉の輝子にも男の子の生れている高輪の家へもう一度帰って行った時の彼女を想いやることも出来た。多くの知人や親戚しんせきから祝わるる姉の子供に比べて、誰一人顧るものもない彼女に生れた子供こそその実この世に幸福なものであると言ってよこした彼女の女らしい負惜みを思いやることも出来た。あの事があってからの父は別の人かと思われるほど彼女に優しく、叔父さんから父あてに来た手紙もこっそり彼女の机の上に置いてくれるほどの人になったと言うような、とかく母に対して気まずい思いをしているらしい彼女を遠く想いやることも出来た。「実に可哀そうなことをした」このあわれみの心は自ら責むる心と一緒になって何時でも岸本に起って来た。
 異郷の旅の心を慰めるために、岸本は自分の部屋にある箪笥たんすの前に行った。箪笥とは言っても、鏡を張った開き戸のある置戸棚おきとだなに近い。その抽筐ひきだしの中から国の方の親戚や友人の写真を取出した。義雄兄の家族一同でった写真も出て来た。それは最近に東京から送って来たのであった。高輪の家の庭の一部がそっくりその写真の中にある。南向の縁側の上には蒲団ふとんを敷いて坐った祖母おばあさんが居る。庭には嬰児あかごを抱いて立つ輝子が一番前の方に居る。二人の少年が庭石の上に立っている。その一人は義雄兄の子供で、一人は繁だ。兄さんらしく撮れた泉太の姿をその弟の傍に見ることも出来る。義雄兄が居る。嫂が居る。嫂はその家で生れた男の児を抱いている。岸本は兄夫婦の写真顔をすら平気ではながめられなかった。一番後方うしろに立つのが変り果てた節子の面影であった。娘らしく豊かな以前の胸のあたりは最早彼女に見られなかった。特色のある長いえさがりは一層彼女のほおせ細ったように見せていた。
「自分は、人一人をこんなにしてしまったのか」
 それを思うと岸本は恐ろしくなってその写真を抽筐の底に隠した。

        六十五

 山羊やぎの乳売の笛で岸本は自分の部屋に眼をました。巴里パリのような大きな都会の空気の中にもそうした牧歌的なメロディの流れているかと思われるような笛のがまだ朝の中の硝子窓に伝わって来た。旅らしい心持で、その細いんだ音に耳を澄ましながら、岸本は窓に向いた机のところで小さな朝飯の盆にむかった。それを済ました時分に、女中が来てコンコンと軽く部屋の戸をたたく音をさせた。何時でも西伯利亜シベリア経由とした郵便物の来るのは朝の配達ときまっていた。その時彼は新聞や雑誌や手紙の集まったのをドカリと一時に受取った。待たれた故国からの便りの中には、節子の手紙も混っていた。
「ホウ、泉ちゃんが御清書を送ってよこした」
 と岸本は言って見て、外国に居て見ればめずらしいほど大きく書いた子供の文字をひろげて見た。それから節子の手紙を読んだ。何と言ってよこしても直接には答えないで黙っている叔父にてて、彼女は根気好くも書いてよこした。叔父さんの旅の便りが新聞に出るたびに、自分はそれを読むのをこの上もない心の慰めとしていると書いてよこした。叔父さんに別れた頃の季節が復ためぐって来たと書いてよこした。遠く行く叔父さんを見送った時の心持が復た自分に帰って来たと書いてよこした。この高輪の家の庭先に佇立たたずんで品川の方に起る汽車の音を聞いた時のことまでしきりに思出されると書いてよこした。
 岸本は自分の旅の心を昔の人の旅の歌に寄せて、故国の新聞への便りのはじに書きつけて送ったこともあった。節子はその古歌を引いて、同じ昔の人のんだ歌の文句をさながら彼女の遣瀬やるせない述懐のように手紙の中に書いてよこした。

  「つきやあらぬ、
   はるや昔の
   はるならぬ、
   わがみひとつは
   もとのみにして」

 先頃さきごろ送った家中でった写真を叔父さんはどう見たろうとも彼女は書いてよこした。あの中に居る自分はまるで幽霊のように撮れて、ああした写真で叔父さんにお目に掛るのも恥かしいと書いてよこした。その事を母に話してしかられたと書いてよこした。彼女は浅草の家の方で使っていた婆やのことも書いてよこした。婆やは今でも時々訪ねて来てくれるが、自分は家にある雑誌なぞを貸与えて婆やの機嫌きげんを取って置いたと書いてよこした。「婆やは可恐こおうございますからね」と書いてよこした。
 旅に上ってから以来このかた、引続き岸本はこうした調子の手紙を節子から受取った。彼は東京を去って神戸まで動いた時に、既に彼女の心に起って来た思いがけない変化を感じたのであった。彼は一切から離れようとして国を出たものだ。けれども彼の方で節子から遠ざかろうとすればするほど、不幸な姪の心は余計に彼を追って来た。飽くまでも彼はこうした節子の手紙に対して沈黙を守ろうとした。彼は節子の手紙を読むたびに、自分の傷口が破れてはそこから血の流れる思いをした。嘆息して、岸本は机にむかった。書架の上から淡黄色な紙表紙の書籍を取出して来て、自分の心をその方へ向けた。そして側目わきめもふらずに新しい言葉の世界へ行こうとした。英訳を通して日頃親しんでいた書籍の原本を手にすることすら彼には楽しかった。彼は既に読みたいと思うかずかずの書籍をっていたが、覚束おぼつかない彼の語学の知識では多くはまだ書架の飾り物であるに過ぎなかった。この国の言葉にこもる陰影の多い感情までも読み得るの日は何時のことかと、もどかしく思われた。

        六十六

 旅の空で岸本は既に種々いろいろな年齢を異にし志すところを異にした同胞に邂逅めぐりあった。わざわざ仏蘭西船をえらんで海を渡って来て、神戸を離れるからただちに外国人の中に入って見ようとした程の彼は、巴里に来た最初の間なるべく同胞の在留者から離れていようとした。外国へ来て日本人同志そう一つところへ集ってしまっても仕方が無い、こうした岸本の考え方はある言葉の行違いから一部の在留者の間に反感をさえ引起させた。「岸本は日本人には附合わないつもりだそうだ」と言って彼の誠意を疑うような在留者の声が彼自身の耳にすら聞えて来た。しかしこの疑いは次第に解けて行った。モン・パルナッスの附近に住む美術家で彼の下宿に顔を見せる連中も多くなり、通りすがりの同胞で彼の下宿に足を留めて行く人達も少くはなかった。
 岸本は部屋の窓へ行った。京都の大学の教授がしばらく泊っていた旅館の窓が岸本の部屋から見えた。その教授に、東北大学の助教授に、いずれも旅で逢った好ましい人達が食事のたびに彼の下宿の食堂へ通って来たばかりでなく、彼の方からも自分の部屋から見える旅館へ行って夜遅くまで思うさま国の方の言葉を出して話し込んだ時のことが、まだ昨日きのうのことのように彼の胸にあった。もし互の事情が許すなら、もう一度白耳義ベルジックのブラッセルか、倫敦ロンドンあたりで落合いたいものだと約束して行った教授、一年ぶりで伯林ベルリンの地を踏んだと言って帰国の途上から葉書をくれた助教授、それらの人達が去った後の並木街を岸本は独りで窓のところから眺めた。とても国の方では話し合わないような話が異郷の客舎に集まった教授等と自分の間に引出されて行ったことを想って見た。旅の不自由と、国の言葉の恋しさと、信じ難いほどの無聊ぶりょうとは、異郷で邂逅めぐりあう同胞の心を十年の友のように結び着けるのだとも想って見た。彼は一緒にルュキサンブウルの公園を歩いたりリラの珈琲店コーヒーてんに腰掛けたりした教授連に比べて見て、どれ程自分のたましいが暗いところにあるかということをも思わずにはいられなかった。
 毎日のように並木街をうろうろしている不思議な婦人が窓の硝子を通して彼の眼に映った。恐らく白痴であろうと下宿の食堂に集る人達はうわさし合って、誰がけるともなく「カロリイン夫人」という名を命けていた。「カロリイン夫人」はあか薔薇ばらの花のついた帽子をかぶり、白の手套てぶくろをはめ、朝から晩までその界隈かいわいったり来たりしていた。何を待つかと他目よそめには思われるようなその婦人の姿を窓の下に見つけたことは、一層岸本の心を異郷の旅らしくさせた。
めいゆえにこんな苦悩と悲哀とを得た」
 ある仏蘭西の詩人が歌った詩の一節になぞらえて、彼は自分で自分の旅の身を言って見た。丁度そこへ岡という画家が訪ねて来た。

        六十七

 岡は今更のように岸本の部屋を眺め廻した。壁紙でりつめた壁の上には古めかしく大きな銅版画の額が掛っていた。「ソクラテスの死」と題してあって、あの哲学者の最後をあらわした図であったが、セエヌの河岸通かしどおりの古道具屋あたりに見つけるものと大して相違の無いような、仏蘭西風の銅版画としては極く有りふれたものであった。岸本が一年近い旅寝の寝台ねだいはその額の掛った壁によせて置いてあった。
「この部屋に掛っている額と、岸本さんとは、何の関係があるんです――」
 岡は画家らしいことを言って、ロココという建築の様式が流行はやった時代のことでも聯想れんそうさせるような古い版画を眺めた。
「ここの下宿のおかみさんが、あれでも自慢に掛けてくれたんでさ」と岸本が言った。
「ああいうものが掛っていても、岸本さんは気に成りませんかね」
「この節は君、別に気にも成らなくなりましたよ。有っても無くても僕に取っては同じことでさ。旅では君、仕方が無いからね」
 国に居た頃から見ると岸本はずっと簡単な生活に慣れて来た。巴里に着いたばかりの頃は外国風の旅館や下宿の殺風景にあきれて、誰も自分の机の上を片付けてくれる人もないのか、とよくそんな嘆息をしたものであったが、次第に万事人手を借りずに済ませるように成った。着物も自分で畳めば、ひげも自分でった。一週に一度の按摩あんまは欠かすことの出来ないものであったが、それも無しに済んだ。彼はずっと昔の書生にもう一度帰って行った。自分と同年配の人を見ると同じ心持で、国から到来した茶でも入れて年下な岡を款待もてなそうとしていた。
「僕なぞは君、極楽へ島流しになったようなものです」
 と言いながら岸本は椅子を離れた。岸本が極楽と言ったは、学芸を重んずる国という意味を通わせたので。
「極楽へ島流しですか」
 と岡も笑出した。
 岸本は洗面台の横手にある窓の下へアルコオル・ランプと湯沸ゆわかしを取りに行った。それは何処どこかの画室のすみころがっていたのを岡が探出して以前に持って来てくれたものであった。留学していた美術家の残して置いて行った形見であった。
「岡君、国から雑誌や新聞が来ましたよ。僕の子供のところからはお清書なぞを送ってよこしました」
「岸本さんは子供は幾人いくたりあるんですか」
「四人」 
 と岸本は言淀いいよどんだ。岡はそんなことに頓着とんじゃくなく、
「皆東京の方なんですか」
「いえ、二人だけ東京にいます。三番目のやつは郷里くにの姉の方に行ってますし、一番末の女の児は常陸ひたちの海岸の方へ預けてあります。今生きてるのが、それだけで、僕の子供はもう三人も死んでますよ」
「好い阿父おとっさんの訳だなあ」
 ランプに燃えるアルコオルの火を眺めながら、岸本は岡と一緒に国の方の言葉で話をするだけでも、それを楽みに思った。彼の下宿にはヴェルサイユ生れの軍人の子息むすこでソルボンヌの大学へ通っている哲学科の学生と、独逸ドイツ人の青年とが泊っていた。同胞を相手に話す時のような気楽さは到底下宿の食堂では味われなかった。岡はまた岸本が勧めた雑誌や新聞をひろげてかわくようにそれを読もうとした。

        六十八

 岡は岸本よりも半年ばかり先に巴里へ来た人であった。岸本が旅でこの画家を知るように成ったのは数々の機会からで。ペルランの蔵画を見ようとして一緒に巴里の郊外へ辻馬車つじばしゃった時。マデラインの寺院おてらの附近に新画を陳列する美術商店を訪ねた時。テアトルという町での忘年会に二人してあやまって火傷やけどをした時。しかし岸本がにわかに親しみを感じ始めたのは、岡の好きな日本飯屋へ誘われて行って一緒に旅らしく酒をみかわした時からであった。その晩から岸本は岡の胸の底に住む秘密を知るように成った。この男の熱意も、誠実も、意中の人の母や兄の心を動かすには足りなかったことを知るように成った。堅く相許した心のまことを置いて、この世の何物が人を幸福ならしめるであろう、そうした遣瀬やるせない心の述懐には岡はほとんど時のつのを忘れて話した。意中の人の母にてた激しい手紙を残し、その人の兄とも多年の親しい交りを絶って、そして国を出て来たというこの男の憤りと恨みとはいかなる寛恕かんじょの言葉をも聞入れまいとするようなところがあった。湯沸の湯が煮立った。岸本は町から求めて来た仏蘭西出来の茶碗ちゃわんなぞを盆の上に載せ、香ばしいにおいのする国の方の緑茶をいで岡に勧めた。
 この画家の顔を見ていると、きまりで岸本の胸に浮んで来る年若な留学生があった。ギャラントという言葉をそのまま宛嵌あてはめ得るような、巴里に滞在中も黄色い皮の手套てぶくろを集めていたことがまだ岸本には忘れられずにある青年の紳士らしい風采ふうさいをしたその留学生は、ある身上話を残して置いて瑞西スイスの方へ出掛けて行った。留学生は国の方で深くねんごろにした一人の若い婦人があったと言った。深窓に人となったようなその婦人は現に人の妻であるとも言った。私費で洋行を思立った留学生が日本を出る動機の中には、すくなくもその若い夫人との関係が潜んでいるらしい口振くちぶりであった。その夫人の妊娠ということにも留学生はひどく頭をなやましていた。留学生がしばらく巴里に居る間にはよくその話が出て、岡もそれを聞かせられたものの一人であった。
「女のことで西洋へ来ていないようなものは有りゃしません――」
 そこまで話を持って行かなければ承知しないようなのが岡だ。それほど岡には山国の農夫のような率直があった。
 岡は飲み干した茶碗を暖炉の上のところに置いて、
「昨夜は乞食こじきモデルが二三人僕の画室へ押掛けて来ました。勝手にそこいらにある物を探して、酒をおごらないかなんて言出しやがって……きたないモデルめ……でも酒を飲ましてやりましたら、皆で唄なぞを歌って聞かせましたっけ。それを聞いていたらしまいには可哀そうになっちまいました……」
 こんな話をして聞かせる岡の旅は在留する美術家仲間でも骨が折れそうであった。おまけに仏蘭西へ来てから以来このかた、ろくろく画を描く気にすらならないというほど心の戦いを続けて来た岡の顔を見ていると、岸本は余計に外国生活の無聊ぶりょうな心持を引出された。

        六十九

「国の方で炬燵こたつにでもあたっている人はうらやましいなんて、よくそんな話を君にしましたっけが、もうそれでもパアク(復活祭)が来るように成りましたね」
 こう岸本は岡に言って、やがて連立って下宿を出た。旅で羅馬ローマ旧教の祭が来ていた。帽子から衣裳いしょうまで一切黒ずくめの風俗の女達が寺詣の日らしく町を歩いていた。天文台前の広場に近い町の角あたりまで行くと、並木はそこで変って、黄緑な新芽のえ出したプラタアヌの代りに、早や青々とした若葉を着けたマロニエが見られる。
「もうマロニエの花が咲いていますよ」
 と岡は七葉の若葉のい茂って来た黒ずんだ枝の上の方を岸本にして見せた。白い蝋燭ろうそくしたような花がその若葉の間から顔を出していた。
「これがマロニエの花ですか」と岸本が言った。
「どうです、好い花でしょう」
「京都大学の先生がストラスブウルから葉書をくれてね、『マロニエが咲いたらなんて話がよく出たからどんな花かと思ったら、つまらない花ですねえ』なんて書いてよこした。これをけなすのは少しひどい」
 一つ一つ取出して言う程の風情ふぜいがあるではないが、旅人としての岸本はどこか寂しいその花のすがたに心を引かれた。
「去年の今頃は、丁度僕は船でしたっけ」
 と岸本はそれを岡に言って見せた。二人の足はビリエーの舞踏場の前から、ある小さな珈琲店コーヒーてんの方へ向いた。小ルュキサンブウルの並木を前にして二人ともよく行って腰掛ける気の置けない店があった。そこが岡の言う「シモンヌのうち」だ。
 店先には葡萄酒ぶどうしゅの立飲をしている労働者風の仏蘭西フランス人も見えた。帳場のところに居た主婦かみさんは親しげな挨拶あいさつと握手とで岡を迎えた。
 奥にはテエブルを並べた一室があった。岡と岸本とがそこへ行って腰掛けようとすると、二階の方から壁づたいに階段を降りて来る十六七ばかりの娘があった。パアクの祭の日らしく着更きかえた仏蘭西風の黒い衣裳は、やせぎすで、きゃしゃなその娘の姿によく似合って見えた。娘は岡の側へ来て、微笑えみを見せながら白い処女おとめらしい手を差出した。それから岸本のところへも握手を求めに来た。この娘がシモンヌであった。
 岸本が知っているかぎりの美術家仲間はよくこの娘の家へ集まった。その中でも岡はしばしば画室の方から足を運んで来て、この家の亭主を見、主婦を見、両親の愛を一身にあつめているようなシモンヌを見ることを楽しみにして、部屋のテエブルの上に注文したコニャックのさかずきなどを置きながら、そこで故郷への絵葉書を書いたり手紙を書いたりした。悲哀かなしみの持って行きどころのないようなこの画家は、あいびきする男女の客や人を待合せる客のためにある奥の一室を旅の隠れともして、別れた意中の人の面影をわずかに異郷の少女に忍ぼうとしているかのように見えた。
 
        七十

 その小さな珈琲店はヴァル・ド・グラアスの陸軍病院の方からサン・ミッシェルの並木街へ出ようとする角のところに当っていて、狭い横町の歩道を往来する人の足音が岸本等の腰掛けた部屋からぐ窓の外に聞えていた。
 よく働く仏蘭西の婦女おんなの気質を見せたような主婦かみさんは決して娘を遊ばせては置かなかった。何時いつ来て見ても娘は店を手伝っていた。しかし主婦は四方八方に気を配っているという風で、客の注文するものもめったに娘には運ばせなかった。店がいそがしくて給仕の手の明いていないような時には、主婦の妹が奥の部屋へ用を聞きに来た。さもなければ主婦自身に珈琲なぞを運んで来た。どうかすると奥の部屋の片隅かたすみでは親子そろっての食事が始まる。シモンヌも来て腰掛ける。客商売には似合わないほど堅気な温かい家庭の図が見られることがある。こうした部屋に旅人らしく腰掛けて、岸本は岡から娘のうわさを聞いた。
「あれで主婦かみさんはどれ程娘を大切にしてるか知れないんですね。僕がシモンヌを芝居に誘ったことが有りました。それをシモンヌがお母さんのところへ行っていたというもんでしょう。その時主婦は、『そんなことが出来るものかね』と言ったような顔付をしましたっけ」
「今が可愛いさかりだね」と岸本も言った。
「あれで大きくなったら、かえっていけなくなるかも知れません。ほんとに、まだ子供だ。あそこがまた可愛いところだ」
 血気さかんな岡の言うことに岸本は賛成してしまった。
 二人の間にはモデルと同棲どうせいする美術家達の噂が引出されて行った。旅に来ては仏蘭西の女と一緒に住む同胞も少くはなかった。モデルを職業とする婦人でなしに、あるモジストを相手として楽しく画室住居ずまいするという美術家の噂も出た。
「好い陽気に成ったね」
 と声を掛けて、屋外そとの方から入って来た画家があった。
「シモンヌの家へ来たらきっと岡が居るだろうと思って、寄って見た――果して居た」とその画家が言って笑った。
「僕等はまた、今々君の噂をしていたところだ」と言って岡も元気づいた。
 続いて二三の画家も入って来た。いずれも岸本には見知越みしりごしの連中で、襟飾えりかざりの結び方からして美術家らしく若々しかった。こうして集って見ると、岸本よりはずっと年少とししたな岡が在留する美術家仲間ではむし年嵩としかさなくらいであった。
「岡――どうだい」
 最初に入って来た画家が岡を励まし慰めるように言った。にわかに部屋の内はにぎやかな笑声で満たされるように成った。その画家は岸本の方をも見て、
「岸本君は巴里パリへ来ていながら、ほんとにまだ異人のはだも知らないんですか――話せないねえ」
 何を言っても憎めないようなその快活な調子は一同を笑わせた。
「年は取りたくないものだ」
 こう岡が言出したので、た皆そりかえって笑った。

        七十一

「岸本君は何をそんなに溜息ためいきいてるんです」
 と画家の中に言出したものが有った。その調子がいかにも可笑おかしかったので、た皆くすくすやり出した。
「僕は岸本君のためにシャンパンを抜こうと思って待ち構えているんだけれど、何時いつに成ったら飲めることやら見当がつかない」
 と岸本の前に腰掛けていた画家が親しげな調子で言って笑った。この画家なぞは割合にけて見えたが、年を聞くと驚くほど若かった。青年の美術家同志がこうして珈琲店に集っていても、美術に関する話はめったに出なかった。気質を異にし流派を異にする人達は互いに専門的な話頭に触れることを避けようとしていた。話好きな岡が岸本と二人で絵画や彫刻にいて語り合うほどのことも、皆の前では持出されなかった。やがて画家の一人が給仕を呼んだ。給仕は白い布巾ふきん小脇こわきにはさみながら、皆のところへ手摺てずれた骨牌かるたと骨牌の敷布の汚れたのを持って来た。その骨牌を扇面の形に置いて見せた。各自の得点をしるすための石盤と白墨とをも持って来た。薄暗い部屋の内へし入る日の光は日本人だけ一緒に集った小さな世界を照らして見せた。気の置けない笑声と、静かにけぶる仏蘭西の紙巻煙草たばこの煙と、無心に打ちおろす骨牌の音のみが、そこに有った。石造の歩道を踏む音をさせて窓の外を往来ゆききする人達も、その珈琲店の店先へ来て珈琲の立飲をして行く近所の家婢おんなも、帳場のところへ来て話し込む労働者もしくはお店者風たなものふうの仏蘭西人も、奥の部屋に形造った小さな世界とは全く無関係であった。日本人同志が何を話そうと、誰もとがめるものも無ければ、わかるものも無かった。岸本も骨牌の仲間入をして、一しきり女王や兵隊の絵のついた札なぞをながめていたが、そのうちに旅の無聊ぶりょうは彼ばかりの激しく感じている苦みでも無いことを思って来た。長い外国の滞在で、骨牌にも飽きた顔付の人が多かった。
 やがて岸本はこの珈琲店を出た。彼は巴里へ来てから送っている自分の旅人としての生活を胸に浮べながら下宿の方へ帰って行った。「巴里には何でも有る」とある巴里人が彼に話して笑ったこの大きな都会の享楽の世界へ、連のあるたびに彼も出入りして見た。時には異郷のつれづれを慰めようとして、近くにあるビリエーの舞踏場なぞへ足を運ぶこともあり、遠くモン・マルトルの方面へ通りすがりの同胞の客を案内して行くこともあった。東京隅田川の水辺に近い座敷で静な三味線しゃみせんを聞くのを楽しみにしたと同じ心持で、巴里の劇場のねる頃から芝居帰りの人達が集まる楼上に西班牙スペイン風の踊なぞを見るのを楽みにすることもあった。しかし何が彼をして一切を捨てさせ、友達からも親戚しんせきからも自分の子供からも離れさせたか、その事は一日も彼の念頭を去らなかった。

        七十二

 巴里の最も楽しい時が来た。同じ街路樹でも、真先にこの古めかしい都へ青々とした新しい生気を注ぎ入れるものはマロニエであったが、おくれてえ出したプラタアヌも芽から葉へと急いで、一日は一日よりその葉が開き形も大きく色も濃く成って行くうちに、早や町々は若葉の世界であった。人の家の石垣越しなどに紫や白に密集かたまって咲く丁香花はしどいもさかりの時に成って来た。この好い季節は岸本の心をきかえるようにした。
 こうした蘇生そせいの思いをいだきながら、しかも岸本には妙に落着きの無い心持の日が続いた。旅に来て彼は何一つ贅沢ぜいたくを願おうではなかった。ただ、たましいを落着けることのみを願った。彼にはその何よりも肝要なものが得られなかった。何故東京浅草の方にあった書斎を移して持って来たような心で、二年でも三年でも巴里の客舎に暮せないのか、それは彼には言うことが出来なかった。歯癢はがゆい心持で、自分の下宿を出て見た。産科病院前の並木街にはプラタアヌの幹や枝の影が歩道の上に落ちていた。その輝いた日あたりの中を教師に連れられて通る小学校の生徒の群があった。遠足にでも出掛けるらしい仏蘭西の少年等はいずれもめずらしそうに岸本の顔を見て通った。その無邪気な子供等を見送っていると、岸本の心は遠く国の方にいる泉太や繁の方へ行った。その年から繁も兄と連立って学校へ通うようになったかと思いやった。
 天文台の前へ歩いて行って見た。そこにも男や女の児が静かな樹の下で遊んでいた。高いマロニエの枝の上に白く咲く花も盛りの時で、あだかも隠れた「春」の舞踏に向って燭台しょくだいをさし延べたかのように見えていた。
 前の年にマルセエユの港に着いて初めて欧羅巴ヨーロッパの土を踏んだ頃の記憶が復た新しく岸本の胸に帰って来た。その一年ばかりというものは、まるで歩きづめに歩いていた旅人のような自分の身をも胸に描いて見た。巴里のアパルトマンの屋根の下にこもっていることも、靴を穿いて石造りの歩道を歩いていることも、ほんとうに休息というものを知らない彼に取っては殆ど同じことであった。どうかすると居てもってもいられないような日が来て、目的もなしに公園の方へ出掛けたり、あそこの町の店先に立って見たり、ここの飾窓をのぞいて見たりして、寄りたくもない珈琲店に腰掛けるより外に、時の送りようの無いこともあった。それが幾日となく続きに続くこともあった。一年の異郷の月日は彼に取って実際に長い彷徨さまよいの連続であった。彼は彷徨うことを仕事にして来た自分にあきれた。
 町々の若葉の間を歩き廻って、もう一度岸本が下宿の方へ帰って行った時は、無駄な骨折に疲れた。彼は自分の部屋へ行って独りで悄然しょんぼり窓側まどぎわに立って見た。かつ信濃しなのの山の上で望んだと同じ白い綿のような雲を遠い空に見つけた。その春先の雲が微風に吹かれて絶えず形を変えるのを望んだ。親しい友達の一人も今は彼の側に居なかった。国から持って来た仕事もとかく手に着かなかった。その中でも彼は東京の留守宅への仕送りをして遠く子供を養うことを忘れることは出来なかった。そろそろ自分も懐郷病ホームシックかかったのか、それを考えた時は実に忌々いまいましかった。どうかすると彼は部屋の板敷の床の上へ自分の額を押宛おしあてて泣いても足りないほどの旅の苦痛を感じた。

        七十三

 モン・パルナッスの墓地の側を通過ぎて、岸本は岡の画室の前へ行って立った。
 青黒い色に塗ったを内から開けるかぎの音をさせて、岡が顔を見せた。うぐいすの鳴声でも聞くことの出来そうな巴里の場末の方へ寄った町の中に岡の画室を見つけることは、来て見るたびに旅の不自由と暢気のんきさとを岸本に思わせた。「老大ろうだい」と言って、若い連中から調戯からかわれるのを意にも留めずにいた岡等より年長としうえの美術家もあったが、その人の一頃ひところ住んだ画室も同じ家つづきにある。
「岸本さん、火でもきましょう」と岡は款待顔もてなしがおに言って、画室の片隅に置いてある製作用のふちを探しに行った。
「もう君、火もらないじゃないか」と岸本が言った。
「でも、何だか火が無いと寂しい――」
 岡は画布カンバスを張るための白木の縁を岸本の見ている前で惜気もなくへし折って、それを焚付たきつけがわりに鉄製の暖炉の中へ投入れた。画架やら机やら寝台やらが置いてある天井の高い部屋の内には火の燃える音がして来た。岸本はその側へ椅子を寄せて、
「今日は君を見たくなって一寸ちょっとやって来ました」
「好く来て下さいました。僕はまたあなたを訪ねようかと思っていたところでした」と岡が言った。
 激情に富んだ岡は思わしい製作も出来ずに心の戦いのみを続けている苦い懶惰らんだを切なく思うという風で、新しく張った大きな画布カンバスのそのままにして部屋の隅に置いてあるのを暖炉の側から眺めながら、
「岸本さん、僕はこの節お念仏を唱えていますよ――そういう心持に成って来ていますよ」
 どうにでもれば釈れるようなことを岡は言出した。岡は更に言葉をいで、
「巴里へ来てから、僕のってるふるいものはすっかりこわれてしまいました。見事にそれは壊れてしまいました。そんならどういう新しい道を取って進んだら可いかというに、それがまだ僕には見つかりません。僕はそれを待つより外に仕方がありません。それが僕の心にかたちを取るまで、あせらずに待つより外に仕方がないと思います。旅は僕を他力宗の信者にしました。僕はお念仏を唱えて、日々進んで行って見ようと思います。僕は国の方に居るおとっさんのところへ手紙を書いてやりました――僕のお父さんというのは、それは僕のことを心配していてくれますからね――『お父さん、この節はお念仏を唱えるような心になりましたから、そんなに心配しないで待っていて下さい』ッて、ね」

        七十四

 運命に忍従しようとする岡の話は芸術の生涯に関したことではあったけれども、何となく岸本の耳にはこの画家の熱い、はげしい、しかも失われた恋に対する心の消息を語るようにも聞きされた。意中の人との別れぎわに「安心していても好いでしょうね」と念を押して「ええ」という堅い返事を聞いたという岡、それぎり彼女を見ることもかなわなかったという岡、これほど相許した心のまことを踏みにじろうとする彼女の母親は悪魔であるとまで憤慨した手紙を送ったという岡、巴里へ来てからも時々彼女の兄を殺そうとするような夢を見て眼がめては冷たい汗を流すという岡、その岡の口唇くちびるから「旅は僕を他力宗の信者にしました」という声を岸本は聞きつけた。
 その時、画室の外からコンコンと扉を軽くたたく音をさせて、半身ばかりをあらわした貧しい感じのする仏蘭西人の娘があった。帽子も冠らずにいるその娘は画室のなかの様子を見て直にも立去ろうとしたが、それを岡が呼留めた。岡は部屋の片隅から空罎あきびんを探して来て、ビイルを買うことをその娘に頼んだ。
「モデルかね」と岸本が訊いた。
「ええ、時々使ってくれないかって、ああしてやって来ます」
 画室の壁には岡がブルタアニュの海岸の方で描いたという一枚の風景画が額縁なしに掛けてあった。何時来て見てもその油絵だけは取除とりはずさずにあった。岸本はその前に立って岡と話し話し眺めっているうちに、やがて町から罎をげた娘が戻って来た。
「この姉妹きょうだいともモデルに雇われて来ます。この娘は妹の方です。頼めばこうして酒の使ぐらいはしてくれますが、平素しょっちゅう遊びにやって来て騒いで仕方がありません」と岡は岸本に言って見せた。
 娘は通じない日本の言葉で自分の噂をされるのを聞いて、笑って出て行った。岡は暖炉の側へテエブルを持出し、そこにビイルを置いて、国の方にある親達の噂をした。
「親というものにかけては、僕はどのくらい幸福を感じているか知れません。両親ともよく気がそろっています。それは僕を力にしていてくれます。こないだもおっかさんのところから手紙をもらいました。『お父さんも大分年を取ったし、お前一人を力にしているんだから、お前もそのつもりでなるべく早く帰って来るように心掛けていておくれ』ッてお母さんの方から書いてよこしました。親さえなかったら、僕は国へ帰りたくは有りません。国の方の消息を聞くことは苦痛です。むしろ僕は長く巴里に留りたいと思います。例の一件の時も、親達がどのくらい僕のために心配していてくれたか知れません。僕は愛人の最終の手紙を親達の家の方で受取りました。しかもその手紙はあの人のお母さんか姉さんが吩咐いいつけて書かしてよこしたらしい手紙です。別れの手紙です。『こういうものが来てる』ッて、お父さんが心配顔に渡してくれましたから、僕は二階へ持って行ってそれを読みました……何時まで経っても僕が二階から降りて行かないでしょう、お父さんもお母さんも心配してしまって、おかんを一本つけて置いて僕を階下したへ呼んでくれました。酒の香気においいで見ると、僕もたまらなくなって、ひとりでしくしくやり出しました。お父さんは散々僕を泣かして置いて黙ってていましたが、しまいに何を言出すかと思うと、その言草が好いじゃ有りませんか。『貴様も、女運おんなうんの無い奴だなあ』ッて……」
 岡は父親の言ったという言葉を繰返して見て、自らあざけるように笑った。

        七十五

 親さえなくば国の方へは帰りたくないという岡を自分の身に思い比べながら、やがて岸本はその画室を出て天文台前の方へ戻って行った。
みんな旅に来て苦労するのかなあ」
 思わずそれを言って見て、パスツウルの通りからモン・パルナッスの停車場ステーションへと取り、高架線の鉄橋の下をエドガア・キネの並木街へと出、肉類や野菜のいちの立つ町を墓地の方へ行かずにモン・パルナッスの通りへと突切つっきった。並木のかげに立つネエ将軍の銅像のあるあたりは朝に晩に岸本の歩き廻るところだ。六方から町の集まって来ている広場の一方にはルュキサンブウルの公園の入口を望み、一方にはまる行燈あんどんのような天文台の石塔を望んだ。そこまで行くと、下宿も近かった。
「東京の友達もどうしているだろう――」
 こう思いやって、かわしおれたようなプラタアヌの若葉の下を歩いて行った。
 岸本に取っては旅の心を引く一つの事蹟じせきがあった。他でもない、それはアベラアルとエロイズの事蹟だ。英学出の彼はあの名高い学問のある坊さんにいてくわしいことは知らなかった。でも彼がアベラアルの名に親しみ始めたのはずっと以前のことである。アベラアルとエロイズの愛。どれ程青年時代の岸本はその奔放な情熱を若い心に想像して見たか知れない。あの学問のある尼さんのためには男も捨て僧職もなげうったというアベラアルの名はどれ程若かった日の彼の話頭に上ったか知れない。
 岸本は同宿するソルボンヌの大学生の口から、その仏蘭西の青年の通っている古い大学こそ往昔むかしアベラアルが教鞭きょうべんを執った歴史のある場所であると聞いた時は、全く旧知に邂逅めぐりあうような思いをしたのであった。その事を胸に浮べて、彼は自分の部屋に帰った。旅のかばんに入れて国から持って来た書籍ほんの中には昔を思い出させる英吉利イギリスの詩人の詩集もあった。その中にあるアベラアルとエロイズの事蹟を歌った訳詩の一節をもう一度開けて見た。

"Wher※(アキュートアクセント付きE小文字)s H※(アキュートアクセント付きE小文字)loise, the learned nun,
 For whose sake Abeillard, I ween,
Lost manhood and put priesthood on ?
 (From Love he won such dule and teen ! )
 And where, I pray you, is the Queen
Who willed that Buridan should steer
 Sewed in a sack's mouth down the Seine ?
But where are the snows of yester-year ?"
 (The Ballad[#「Ballad」は底本では「Ballard」] of Dead Ladies.――Translation from Fran※(セディラ付きC小文字)ois Villon by Rossetti.)

 東京下谷したやいけはたの下宿で、岸本が友達と一緒にこの詩を愛誦あいしょうしたのは二十年の昔だ。市川、菅、福富、足立、友達は皆若かった。あの敏感な市川が我と我身の青春にえないかのように、「されど去歳こぞの雪やいづこに」と吟誦ぎんしょうして聞かせた時の声はまだ岸本の耳の底にあった。
 夜に入って、柔い雨が客舎の窓の外にあるプラタアヌの若葉へ来た。その雨の音のする静かさの中で、岸本はもう一度この事蹟を想像して見て、独り居る無聊ぶりょうを慰めようとした。

        七十六

 そんなに叔父さんは国の方の言葉を聞きたくているのか、叔父さんの旅の便たよりを新聞で読んでこの手紙を送る気に成ったと節子は岸本のところへ書いてよこした。うるさく便りをするようであるが、国の方の言葉を聞くと思って読んでくれと書いてよこした。節子の手紙には泉太や繁の成人して行く様子をくわしく知らせてよこしたが、何時いつでも単純な報告では満足しないようなところがあった。叔父さんに心配を掛けた自分のからだも、今ではようやく回復して、何事なんにも知らない人が一寸ちょっと見たぐらいでは分らないまでに成ったから安心してくれと書いてよこした。勿論もちろん見る人が見ればぐ分ることであるとも書いてよこした。彼女はまた、水虫のようなものを両手にわずらってとかく台所の手伝いも出来かねていると書いてよこした。相変らず髪の毛が抜けて心細いというようなことまで書いてよこした。こうした節子の手紙を読むたびに岸本は嘆息してしまって、所詮しょせん国へは帰れないという心を深くした。
 旅の空にあって岸本が送ったり迎えたりする同胞も少くはなかった。好い季節につれて、旅から旅へ動こうとする人達の消息を聞くことも多くなった。以太利イタリーの旅行を終えて岸本の宿へ土産話みやげばなしを置いて行った人には京都大学の考古学専攻の学士がある。これから以太利へ向おうとして心仕度こころじたくをしているという便りを独逸ドイツからくれた人には美術史専攻の慶応の留学生がある。セエヌの河岸かしにある部屋を去って近く帰朝の途に上ろうとする美術学校の助教授もあり、西伯利亜シベリア廻りで新たに巴里パリに着いた二人の画家もあった。
「岸本君が巴里に来られたことを僕はモスコウの方で知りました」
 こう言ってふる馴染なじみの顔を岸本の下宿へ見せた一人の客もあった。この客は一二カ月を巴里に送ろうとして来た人であった。
 岡が画室の方から来て部屋に落合ってからは、気の置けないもの同志の旅の話が始まった。何時って見ても若々しいこの客のような人を異郷の客舎で迎えるということすら、岸本にはめずらしかった。よく身についた紺色の背広の軽々とした旅らしい服装も一層この人を若くして見せた。
「岸本君は巴里へ来て遊びもしないという評判じゃ有りませんか。そんなにしていて君は寂しか有りませんか」
 と客が言って笑った。
「これで岸本さんも万更遊ぶことがきらいな方じゃないんだね」と岡は客の話を引取って、「人の行くところへは何処どこへでも行くし、皆で集って話そうじゃないかなんて場合に、徹夜の発起人は何時でも岸本さんだ。『色地蔵』だなんて岸本さんには綽名あだなまでついてるから可笑おかしい。恋の取持なぞは、これでよろこんでする方なんだね。そのくせ自分ではながめてさえいればい人だ」
「だけれど、君、旅に来たからと言って、何もそんなに特別な心持に成らなくても可いじゃないか。国に居る時と同じ心持では暮せないものかねえ」と岸本が言出した。

        七十七

 一切のものの競い合う青春が過ぎ去るように、さすがに若々しく見える客も時の力を拒みかねるという風で、さまざまな旅の話にふけったが、岡と一緒にその人が出て行った後まで種々な心持を岸本の胸に残した。
「今だから白状しますが、岸本君の詩集では随分僕も罪をつくりましたねえ。考えて見ると僕も不真面目ふまじめでしたよ。君の詩をダシに使って、どれ程若い女を迷わしたか知れませんよ」
 客の残して置いて行ったこの声はその人が居ない後になっても、まだ部屋のなかに残っていた。岸本が若い時分に作った詩を幾つとなく暗誦あんしょうしたという客の顔はまだ岸本の眼前めのまえにあった。その人はそよそよとした心地こころもちの好い風が顔をでて通るような草原に寝そべって岸本の旧詩を吟じている若者を想像して見よとも言った。花でも摘もうとするような年若な女学生がよくその草原へ歩きに来ると想像して見よとも言った。風の持って行く吟声は容易に処女おとめの心をとらえたとも言った。そしてその処女が何事なんにも世間を知らないような良い身分の生れの人であればあるだけ、岸本の詩集が役に立ったとも言った。客がすずしい、ほれぼれとするような声をっていることは岸本もよく知っていた。この無邪気とも言えない、しかし子供のように噴飯ふきだしたくなるような告白は岸本を驚かした。彼は全く自分と気質を異にした人の前に立って見たような気がしたのであった。
「しかし昔のような空想はだんだん無くなって行きますね。それだけ自分でも年をとったかと思いますね。僕は時々そう思いますよ、恋が出来ないと成ったら人間もこれで心細いものです。自分にはまだ出来る、そう思って僕は自分で慰めることが有りますよ」
 これも客の残して行った声だ。
「僕にも出来る」
 と客の前に立って、力を入れてそれを言ったのは岡だ。岸本はその時の二人の眼のかがやきをまだ眼前に見ることが出来た。
 客が女性に近づくための方便としたという岸本の詩集は、作者たる彼に取ってはあべこべに女性のわずらいから離れた時に出来た若い心の形見であった。ようやく彼も二十五歳の頃で、仙台の客舎へ行ってそれを書いた。あの仙台の一年は彼が忘れることの出来ない楽しい時代である。ずっと後になってもよく思い出す時代である。そしてその楽しかった理由は、全く女性から離れて心の静かさを保つことが出来たからで。実際岸本は女性というものから煩わされまいとして青年時代からその日まで歩き続けて来たような男であった。

        七十八

 つ発つといううわさがあって発てなかった美術学校の助教授がいよいよ北の停車場ステーションから帰国の途に上るという日は、ほんとうに人を送るような思いをして岸本も停車場まで出掛けて行った。その日は巴里に在留する美術家仲間は大抵集まった。送られる助教授は帰って行く人で、送る連中は残っているものだ。旅の心持は送るものの方にも深かった。丁度遠い島にでも集まっているもののところへ迎えの船が来て、ある一人だけがその船に乗ることを許されたように。助教授は若い連中からも気受の好い人であった。日本飯屋のおかみさんの家に外国人を混ぜずの無礼講の会でもあって、無邪気な美術家らしい遊びに皆旅のさを忘れようとする場合には、助教授は何時でも若いものと一緒になって歌った。このさばけた先達せんだつを見送ろうとして、よく鎗錆やりさびを持出した画家と勧進帳かんじんちょうを得意にした画家とはダンフェール・ロシュルュウの方面から、口三味線くちじゃみせん越後獅子えちごじしに毎々人を驚かした画家はモン・パルナッスから、追分おいわけ端唄はうた浪花節なにわぶし、あほだら経、その他の隠し芸をった彫刻家や画家は各自めいめいに別れ住む町々から別離わかれを惜みに来た。岡はまた帰国後の助教授の口添に望みをかけて、あきらめ難い心を送るという風であった。こんな場合ででもなければめったに顔を合せることも無いような美術家とも岸本は一緒になった。仏蘭西フランスの婦人と結婚して六七年も巴里に住むという彫刻家にも逢った。亜米利加アメリカの方から渡って来て画室住居ずまいするという小柄な同胞の婦人の画家にも逢った。
 助教授を見送って置いて、岸本は地下電車でヴァヴァンの停留場へ出た。彼は所詮しょせん国へは帰れないという心を切に感じて来た。その心は国の方へ帰って行く人を見ることによって余計に深められた。ヴァヴァンから下宿をさして歩いて行くと、丁度羅馬ローマ旧教のコンミュニオンの儀式のある頃で、ノオトル・ダムの分院の前あたりで寺参りの帰りらしい幾人いくたりかの娘にも行き逢った。清楚せいそな白衣を着た改まった顔付の処女おとめ等は母親達に連れられて幾組となく町を歩いていた。彼はこの知らない人ばかりの国へ来てこれから先の自分の生涯をいかにしようかと思い煩った。
「今日まで自分を導いて来た力は、明日も自分を導いてくれるだろうと思う――そんなに心配してくれ給うな」
 東京の方のある友人にてて書いたこの言葉を、岸本は下宿に戻ってからも思い出して見た。出来ることなら彼は旅先で適当な職業を見つけたいと願っていた。出来ることなら国の方に残して置いて来た子供等までも引取って異郷に長く暮したいと願っていた。それにはもっと時をかけ好い語学の教師を得て、言葉を学ぶ必要があった。この言葉を学ぶということと、旅先で執れるだけ筆を執って国を出る時に約束して来た仕事を果すということとは、とかく両立しなかった。おまけに手紙の往復にすら多くの月日を要する遠い空にあっては、国の方の事情も通じかねることが多く、ややもすると彼は眼前の旅をすら困難に感じた。
「運命は何処どこまで自分を連れて行くつもりだろう」
 こうした疑問は岸本の胸を騒がせた。どうかすると彼は部屋の床の上にひざまずき、堅い板敷に額を押宛てるようにして熱い涙を流した。

        七十九

 知らない人達の中へ行こうとした岸本は一年ばかりつうちに、ビヨンクウルの書記やブロッスの教授の家族をはじめ、ラペエの河岸かしに住む詩人、マダムという町に住む婦人の彫刻家、ベチウスの河岸に住む日本美術の蒐集家しゅうしゅうかなぞの家族を知るように成った。しかし何かこう食足りないような外来の旅客としての歯痒はがゆさは土地の人に交れば交るほど岸本の心に附纏つきまとった。
 六月に入って、岸本はビヨンクウルの書記のお母さんから手紙をもらった。その中にあの老婦人が長いこと病床にあったことから書出して、定めしあなたのことも忘れていたかのようにあなたには思われようが、決してそうで無い、この御無沙汰ごぶさたも自分の病気ゆえであると書いてよこした。次の土曜日の晩には食事に来てくれないか、自分等一同あなたを見たいと書いてよこした。最早あなたも少しは仏蘭西語を話されることと思う、自分の家の嫁は英語を話さずせがれもとかく留守勝ちのために、しばしばあなたを御招きすることもしなかったと書いてよこした。東京のめいからも手紙で、あなたにお目に掛るかとよく尋ねよこすと書いてよこした。老婦人はこの手紙を英語で書いてよこした。あの書記のお母さんは一時は危篤を伝えられたほどで、病中に岸本はビヨンクウルをたずねても老婦人には逢わずに帰って来たことも有った。
「仏蘭西へ来て一番最初に逢った老婦人が、一番多く自分のことを考えていてくれる」
 岸本は何かにつけてそれを感じたのであった。
 パントコオトの日も過ぎた頃、岸本はたビヨンクウルから手紙を貰った。
 その時はお母さんの手でなくて、書記の手で、二三の親しい友達や親戚しんせきのものが茶に集るから、岸本にも出掛けて来るようにと、してあった。
 ベデカの案内記なしにはセエヌ河も下れなかった頃に比べると、ともかくも岸本は水からでも陸からでもビヨンクウルに行かれるまでに旅慣れて来た。彼は好きな仏蘭西人の家族を見る楽みをもって、電車でセエヌ河の岸を乗って行った。書記の家の門前に立って鉄の扉を押すと、例の飼犬が岸本を見つけて飛んで来たが、最早もうえかかりそうな姿勢は全く見せなかった。
 老婦人は草花の咲いた庭に出ていて、家の入口の正面にある広い石階いしだんの近くに幾つかの椅子を置き、そこで客を待っていた。その辺には長い腰掛椅子も置いてあった。ところどころに樹の葉の影の落ちている午後の日のあたった庭の内で、岸本は老婦人や細君や茶に招かれて来ている婦人の客などと一緒に成った。仏蘭西の婦人を細君にする露西亜ロシアの音楽家という夫婦にも引合わされた。
「私も、もう岸本さんにお目に掛れまいかと思いましたよ。こんなに丈夫に成ろうとは自分ながら夢のようです」
 それを老婦人は岸本に言って聞かせた。
 半死の病床から再び身を起した老婦人が相変らず古風な黒い仏蘭西風の衣裳いしょうを着け、まだいくらか自分で自分の年老いた体躯からだをいたわり気味に庭の内を静かに歩いているのを見ることは、岸本に取っても不思議のように思われた。彼はこの老婦人が財産を皆に分けてくれ、遺言ゆいごんまでもした後で、もう一度丈夫に成ったその手持無沙汰な様子を動作にも言葉にもて取った。そればかりではない、しばらく話しているうちに、彼はこの家の人達に取ってある真面目まじめな問題が起っていることを知った。

        八十

 仏蘭西を捨てて日本の方へ行ってしまった老婦人の姪の噂が出た。茶の会とは言ってもその日は極く内輪のものだけの集りらしく、紅茶の茶碗ちゃわんを手にした人達があちこちの椅子に腰掛けて思い思いに話していた。その中で岸本は老婦人の口から、東京の方にあるマドマゼエルの結婚の話を聞いた。
 老婦人は心配顔に、
「あの手紙を持って来て御覧」
 と細君に言った。細君は家の正面にある石階いしだんを上って行って、日本から来た手紙をそこへ持って来た。
「お母さん、たきという方ですよ」と細君はマドマゼエルの手紙を見て言った。
「岸本さんは滝さんという美術家を御存じですか」と老婦人がいた。
「滝という苗字みょうじの美術家なら二人あることは知ってますが、しかし私は直接にはよく知りません」
 この岸本の答は一層老婦人を不安にしたらしかった。
「岸本さんですらよくは御存じないとおっしゃる」
 と老婦人は細君と眼を見合せて、姪が結婚するという美術家はどういう日本人であろうという意を通わせた。仏蘭西の方に居てマドマゼエルの為にほんとうに心配している人は、何と言ってもこの叔母さんらしかった。その時岸本は、「姪がああして日本の方へ行ってしまったのは、私が悪いのだ、私の落度だ、と言って皆が私を責めます」とかつて老婦人が彼に言ったことを思い出した。事情にうとい外国の婦人の身をもって、果して適当な配偶者を異郷に見出みいだすことが出来たであろうか、こうした掛念けねんがありありと老婦人の顔に読まれた。
「この滝さんは巴里に遊学していらしったことも有るそうです。手紙の中にそう書いてあります」
 と細君が言って、マドマゼエルの手紙をひろい読みして聞かせる中に、岸本に取っては親しい東京の番町の友人の名が出て来た。番町の友人の紹介で、マドマゼエルがその美術家を知ったらしいことも分って来た。
「日本で結婚するなんて、儀式はどうするんでしょう、宗教はどうするんでしょう――マドマゼエルもただ一人でさぞ困ることでしょうね」
 と細君が言えば、老婦人もその尾に附いて、
「可哀そうな娘」
 とつぶやいた。
「とにかく、日本の若い美術家も多勢巴里に来ていることですし、私がその滝さんのことを訊いてげましょう。マドマゼエルだってしっかりした人ですから、下手へたな事をする気遣きづかいはありませんよ」
 こう岸本は老婦人や細君を言い慰めた。
 間もなく主人と前後して、日本の弁護士がそこへ入って来た。老婦人はその弁護士にも滝という人の事を尋ねた。あだかも法律を談ずる日本の弁護士ともあるべき人が日本の芸術界の消息に通じていないはずはないという調子で。その弁護士は滝の名も聞いたことがないと答えたので、老婦人は主人や岸本を前に置いて平素にない苛酷きびしい調子を出して言った。
「お二人とも御存じが無い」
 主人はまた東洋の果にあるマドマゼエルの身を案じ顔に、黙ってお母さんの前に立っていた。

        八十一

 岸本は自分をこの仏蘭西人の家族に紹介してくれたマドマゼエルの為に、日本の空を慕って行ったという可憐かれんな人の為に、出来るだけその滝という美術家のことを調べて見て、遠く離れて心配している叔母さん達を安心させたいと思った。ビヨンクウルの家を辞して、ポプリエの並木の続いた岸づたいに河蒸汽の乗場へ下りて行く道すがらも、彼は自分で自分に尋ねて見た。何故ビヨンクウルの人達はあれほどマドマゼエルの結婚を心配するのであろうかと。
「相手方が日本人だからではないか――」
 答はどうしてもそこへ落ちて行った。船に乗ってからも岸本はあのマドマゼエルの異国趣味が日本人と結婚するところまで突きつめて行ったかと思いやった。
 それから数日の後、岸本はマドマゼエルの配偶者にいて好い話を聞き込んだ。在留する美術家仲間でも、最近にスエズ廻りで国の方から来た画家の牧野が滝のことをよく知っていた。牧野は岡と懇意で、東京の番町の友人とも知合の間柄であった。「老大ろうだい」を送り、美術学校の助教授を送り、その他岸本が知っているだけでも三人の若手の美術家を送った「巴里の村」では、この牧野、西伯利亜廻りで来た小竹、その他二三の新顔を加えた訳であった。
「滝のような男の細君に成ったものは、そりゃ仕合しあわせですよ」
 この牧野の言葉に力を得て、早速さっそく岸本はビヨンクウルあてに好い報知しらせを送った。好い生立おいたちをった滝の頼もしい人柄に就いて牧野から聞取ったことを書いて、マドマゼエルは選択をあやまらなかった、決して心配することはらないと思うと書添えて送った。
 書記のお母さんの返事は避暑地なるセエブル・ドロンヌの海岸の方から岸本のもとへ来た。老婦人は岸本の方から言ってったことの礼から書出して、せがれは今巴里に居るが、しかし御手紙は自分にも読めと言って当地へ送って来たから、自分から御返事する、いろいろ難有ありがたかったと書いてよこした。もしも自分の兄が――姪の実父が今日までも生きながらえていたなら、いかに彼がこの結婚を考えたであろう、それを思うと自分はただただ心に驚くばかりであると書いてよこした。しかし御申越の様子では万事好さそうにも思われるし、何等なんらの助言をも姪から自分の許へは求めても来ないから、自分等はかげながらこの事の都合好く運ばれるのを望んでいると書いてよこした。老婦人はまたセエブル地方の大きく美しいことを言い添えて、ここへあつさを避けに来ている幾多の家族は皆友達のようであり、砂上に遊び戯るる子供等を見るのも楽いと書いてよこした。とかく季候は雨勝ちであったが、幸いに日も輝いて来たと書いてよこした。あなたの老友よりともしてよこした。

        八十二

 思いがけない人の心を読んだという心持で、岸本はビヨンクウルの書記あてにもう一度手紙を書いてやった。そんなにマドマゼエルの結婚談が心配になるなら、東京の番町の友人はマドマゼエルの力に成る人と思うから、万事あの友人に相談するようマドマゼエルの許へ言ってやったらかろうとした手紙を送った。
 この手紙は老婦人の方へ廻って行ったと見え、折返しセエブルの海岸から返事が来た。めいのことで御心配をかけて済まなかったと老婦人は書いてよこした。申すも心苦しいが、姪は我儘者わがままもので、彼女の好きなことしかしたためしがない、もともと彼女は極くきゃしゃに生れついたもので、彼女の母親も父親もあれまでに彼女が育つとは考えなかったほどである、そして彼女の空想のままに彼女の好めるままにさせて置いて両親が黙ってていたというのも、恐らくその原因は彼女が長いこと弱々しかったところにあると思うと書いてよこした。彼女は非常に富有な家に生れて、世間というものを知らずにいる、したがってひとの忠告をれようとはしない、何事も彼女がひとりで出来ると思うならば、それが出来れば実に結構であると書いてよこした。なんでも滝という方は巴里パリ遊学中には姪を御存じもなかったようである、姪からの手紙には非常に遠慮深い方だとしてあるが、彼女はその滝さんがいかなる種類の美術家であるやすらも報告することを忘れていると書いてよこした。もしまたあなたがせがれ宛に何か御知らせ下さるようなことが有れば、忰は相変らず図書館の方に通っているし、自分もあなたの御意見によって番町の御友人とやらに御相談するよう姪の許へ只今ただいま別に書面を送るつもりである、しかしその御友人の反対を恐れたら、あるいは姪は御相談にも参らないかも知れないと書いてよこした。彼女は半死の床にある母親を捨ててただただ彼女の娯楽のために日本の方へ去ったものである、自分等は電報で彼女の帰国を促したが、彼女が病める母を見舞うために巴里へ着いた時は既に万事が終った後であったと書いてよこした。彼女の我儘は考えて見るだに恐ろしい、自分等には彼女の心は分らないと書いてよこした。
 この老婦人の手紙を前に置いて見ると、岸本は自分まで一緒にしかられているような気を起した。何事も思った通りにしか出来ないのは、あのマドマゼエルばかりでなくて、彼自身が矢張やはりそれであるから。しかし彼は心の中でマドマゼエルを弁護した。「日本というものは自分に取っては空想のくにでしたからね」とは老婦人の述懐ではないか。言わばマドマゼエルは叔母さんの夢見たことを実際に身に行おうとした人ではないか。その人が日本に行き、日本人と結婚するという場合に、何故もっと同情のある心は持てないのであろうか。半死の床にある母親を捨てて仏蘭西フランスを出たということは、あるいはマドマゼエルの落度おちどかも知れないが、それほど思いつめたところが無くてどうして単身東洋の空に向うことが出来ようかと。
 
        八十三

 老婦人の手紙の中には可成かなり苛酷きびしいことが書いてあった。しかし知らない土地の人でそれだけ真実ほんとうのことを岸本のところへ書いてよこしてくれる人すら、めったに無かった。彼は異邦人としての自分の旅がそれほど土地の人達の生活から縁遠いものであることを知って来た。諸国から巴里に集って来る多くの旅人を相手に生計を営んでいるような人達の間にかもされる空気が、非常に慇懃いんぎんなもので険しく冷いものを包んでいるような空気が、慣れては知らずにいるほど職業的に成ってしまったような空気が、実に濃く彼の身を囲繞とりまいていることを知って来た。仏蘭西人の家庭を見て来た眼で自分の下宿を見るたびに、何時いつでも彼は嘆息してしまった。
 岸本の下宿には高瀬という京都大学の助教授が独逸ドイツの方から来て泊っていた。この人の部屋は岸本の部屋と壁一重ひとえ隔てたぐ隣りにあった。窓一つあるその部屋へ行って見ると、高いプラタアヌの並木の枝が岸本の部屋で見るよりも近く窓際まどぎわに延びて来ていて、濃い葉の緑は早や七月の来たことを語っていた。
「千村君の居た宿屋が見えますね」
 と岸本は思出したように言って、青々とした葉裏から透けて見える向うの旅館の建築物たてものながめた。高瀬を岸本のところへ紹介してよこしたのも同じ大学の教授であった、岸本に取ってはこの下宿の食堂でしばらく食事だけを共にした千村であった。
「千村君も、よくそれでもあんな宿屋に辛抱したと思いますよ」と岸本が言った。「千村君が私にそう言いましたっけ。『あなたの部屋の方は、まだそれでもうらやましい。是方こちらの窓から見てますと、あなたの部屋の窓には一日日があたっています』ッて。高い建築物たてものばかりで出来た町ですから、ああいう日の映らない部屋もあるんですね。ホテルだなんて言うと好さそうですが、実際千村君には御気の毒なようでした」
 こう話しているうちに、向うの旅館へ岸本の方から押掛けて行って夜遅くまで互いに旅の思いを比べ合ったり、千村の方からも食事の度にこの下宿へ通って来て話し込んで行ったりした時のことが、岸本の胸にいて来た。
「千村君の居る頃には、懐郷病ホームシックの話なぞもよく出ましたっけ。『お前が西洋へ行ったら、きっと懐郷病にかかる』と言われて来たなんて、そんな話も有りました」
 とた岸本が独逸の方に行っている千村のうわさをすると、高瀬も何か思い出したように、
「西洋へ来ているもので、多少なりとも懐郷病に罹っていないようなものは有りませんよ」
 この高瀬の嘆息は、無暗むやみと強がっているような旅行者の言葉にもまさって、なつかしい同胞の声らしく岸本の耳に聞えた。

        八十四

 高瀬は千村教授と同じように経済の方面で身を立てた少壮な学者であった。岸本が巴里でった頃の千村に比べると、高瀬は独逸の方で散々いろいろな思いをした揚句あげくに巴里へ来た人で、それだけあの教授よりは旅慣れていた。高瀬は独逸の方で見たり聞いたりしたさまざまな旅行者の話を巴里へ持って来た。驚くべく激しい懐郷病に罹った同胞の話なぞも高瀬の口から出て来た。ある留学生は高い窓から飛んで死んだ。ある人は極度のヒステリックな状態にちた。その人は親切と物数寄ものずきとを同時に兼ねたような同胞の連に引立てられて、旅人に身をまかせることを糊口くちすぎとするような独逸の女を見に誘われて行った。突然その人はいやしい女を見て泣出したという。こんな話を高瀬から聞いた時にも、岸本は笑えなかった。
ひどいものですな」と岸本が言った。「巴里にあるわれわれの位置は、丁度東京の神田あたりにある支那しなの留学生の位置ですね。よく私はそんなことを思いますよ。これでは懐郷病にも罹るはずだと思いますよ。今になって考えると、あんなに支那の留学生なぞを冷遇するのは間違っていましたね」
「神田辺を歩いてる時分にはそうも思いませんでしたがなあ。欧羅巴ヨーロッパへ来て見てそれがわかりました」と高瀬も言った。
「あの連中だって支那の方では皆相当なところから来てる青年なんでしょう。その人達が旅人扱いにされて、相応な金をつかって、しかもみじめな思いをするかと思うと、実際気の毒になりますね。金をつかって、みじめな思いをするほどいやなものはありませんね。私が国を出て来る時に、『欧羅巴へ行って見ると、自分等は出世したのか落魄らくはくしているのか分らない』と言った人も有りましたっけ」
 思わず岸本は支那留学生に事寄せて、国を出る時には想像もつかなかったような苦い経験を、日頃の忍耐と憤慨とをらそうとした。彼はパスツウルの近くに画室住居する岡や牧野や小竹のことなぞを考える度に、淫売婦いんばいふ裏店うらだなのかみさんのような人達と同じ屋根の下に画作することを胸に浮べて、あの連中の実際の境遇をあわれまずにはいられなかった。自由、博愛、平等を標語とするこの国には極く富んだものと極く貧しいものとが有るだけで、自分の郷国くににあるような中位ちゅういで快適な生活はないのかとさえ疑った。
 朝に晩に旅の思いを比べ合う高瀬のような話相手を得て見ると、岸本は名状しがたい心持が自分ばかりの感じているものでもないことを知った。屋外そとへ歩き廻りに行く折などには、彼は町の附近に見つけて置いた自分の好きな場所へよく高瀬を誘って行った。天文台の裏手にあたる静かな並木の続いた道へ。ルュキサンブウルの美術館の裏手にある薔薇園ばらえんへ。時にはまたゴブランの市場に近い貧しい町々の方へ。そして、詩と科学と同時にあるような巴里を客舎の窓からながめて長い研究生涯の旅の途中にしばらく息をいて行こうとするような高瀬に、自分の身を思い比べた。

        八十五

「お前の旅は他の人とは違うだろう。お前は隣室の高瀬にまで隠そうとしていることが有るだろう。お前はそれでまくらを高くしてお前の寝台に眠ることが出来るのか」
 こういう声が来て岸本を試みた。丁度町の角にあたる岸本の部屋は、産科病院の見える並木街に向いた方で高瀬の部屋に続き、モン・トオロン行の乗合自動車の通る狭い横町に向いた方で今一つの部屋に続いていた。その部屋の方は控訴院附の弁護士だという少壮な仏蘭西人が寝泊するだけに借りていて、朝早く出ては晩に遅くなって帰って来た。日中は居ないも同様であった。下宿人としては高瀬、岸本の外に年若な独逸人が居るだけでうちなかは割合にひっそりとしていた。自分の部屋に居て聞くと、どうかすると隣室を歩き廻る高瀬の靴音が岸本の耳に入る。科学的な研究を一生の仕事としているような高瀬も油絵具で室内のさまでも描いて見ることを慰みにして、巴里へ来たついでにそうした余技を試みているらしい。壁越しに聞えて来る靴音は、その人に面とむかっている時にもまさって、隣の旅客の学者らしい倦怠けんたいを伝えて来た。
 岸本は置戸棚おきとだなの開き戸に張ってある姿見の前に行った。旅に来て一層白さの眼立つように成った彼自身の髪の毛がその硝子ガラスに映った。しばらく彼は自分で自分のすがたに見入っていた。何となく自ら欺こうとするような人がその姿見の中に居た。
「Dead secret.」
 ふとそんな忌々いまいましい言葉が英語で彼の口に浮んだ。誰にも知れないように自己の行跡を葬ろうとしている岸本は、なるべく他の事に紛れて、暗い秘密にさわることを避けようとした。遠く国を離れて一年あまり待つうちに、「何事なんにも知らない人が一寸ちょっと見たぐらいでは分らないまでに成ったから安心してくれ」という便たよりを姪から受取るほどに成った。兄が黙っていてくれ、節子が黙っていてくれ、自分もまた黙ってさえいれば、どうやらこの事は葬り得られそうに見えて来た。兄が黙っていてくれないようなことは無かった。兄は一度引受けたことを飽くまでも守り通す性質で、人一倍体面を重んずる人で、おまけにこの事は娘の生涯にもかかわることであるから。節子が黙っていてくれないようなことは無かった。以前に使っていた婆やをすら恐ろしいと言って機嫌きげんを取っていると書いてよこすほどの彼女であるから。して見ると自分さえ黙っていれば――黙って、黙って――そう岸本は考えて、更に「時」というものの力を待とうとした。もとより彼は自己おのれむちを受けるつもりでこの旅に上って来た。苦難は最初より期するところで、それによって償い得るものなら自分の罪過を償いたいとは国を出る時からの願いであった。
「こんな思をしても、まだそれでも足りないのか」
 と彼は自分で自分に繰返して見た。

        八十六

 節子はめずらしく岸本の夢に入った。寝苦しさのあまり、岸本が重い毛布を跳ねのけ、壁の側の寝台の上に半ば身を起して周囲あたりを見廻した時は、まだ夢のぎわの恐ろしかった心地ここちが残っていた。
 夏らしい夜ではあったが、妙に寒かった。岸本は寝衣ねまきの上に国の方から持って来た綿入を重ねて、寝台を下りて見た。窓に近く行って高い窓掛を開けて見ると、夜の明けがたの蒼白あおじろい静かな夢のような光線が彼の眼に映った。街路もまだ響の起らない時で、わずかに辻馬車つじばしゃを引いて通る馬の鈴のと、町々をいましめて歩く巡査の靴音とが、暗いプラタアヌの並木の間に聞えていた。明けそうで明けない短か夜の空は国の方で見るよりもずっと長い黄昏時たそがれどきと相待って、異国の客舎にある思をさせる。隣室の高瀬も、仏蘭西人の弁護士もまだよく寝入っている頃らしかった。岸本はみ慣れた強い仏蘭西の巻煙草まきたばこを一服やって、めったに見たことのない節子の来た夢を辿たどった。乳腫ちちばれ截開せっかいの手術をしたという彼女が胸のあたりを気にしている容子ようすが岸本の眼にちらついた。あだかも一種の恐怖に満ちた幻覚によって、平素ふだんはそれほどにも思わない物の意味を切に感ずるように。
「叔父さんは知らん顔をして仏蘭西から帰っていらっしゃいね」
 と東京浅草の家の方で節子の言った言葉、岸本が旅仕度たびじたくでいそがしがっていた頃に彼女の近く来て言ったあの言葉が、ふと胸に浮んだ。岸本は独りでそれを思出して見て、ひやりとした。
 窓掛を開けたままにして置いて、また岸本は寝台に上った。もう一度眠に落ちた彼が眼を覚ました頃は大分遅かった。その朝、恐ろしかった夢の心地は、起出して机にむかった時でもまだ彼から離れなかった。
「節ちゃんはどうしてああだろう。どうしてあんな手紙を度々よこすんだろう」
 こう岸本はそこに姪でも居るかのように独りで言って見て、溜息ためいきいた。なるべく「あの事」には触れないように、それを思出させるようなことさえ避けたくている岸本に取っては、節子から度々たびたび手紙をもらうさえ苦しかった。彼は以前にこの下宿に泊っていた慶応の留学生からある独逸語を聞いたことがある。その言葉が英語の incest を意味していて、かたよった頭脳のものの間に見出される一つの病的な特徴であると説明された時は、そんな言葉を聞いただけでもぎょっとした。彼はまたある若い夫人に関係があったという他の留学生の身上話を聞かされた時にも、その若い夫人が夫の旅行中に妊娠したという話を聞かされた時にも、そんな話を聞いただけで彼はひどく心に責められたことがある。してその年若な留学生が自己の美貌びぼうと才能とを飾るかのようにその話を始めた時には、彼は独りで激しい心の苦痛を感ぜずにはいられなかった。何故、不徳はある人に取ってむしひそかなる誇りであって、自分に取ってこんな苦悩の種であるのだろう、と嘆いたことさえあった。この一年あまりというもの、彼は旅に紛れることによって、わずかに心の眼をふさごうとして来た。

        八十七

 なつかしい故国の便りは絵葉書一枚でも実に大切に思われて時々ふるい手紙まで取出しては読んで見たいほどの異郷の客舎にあっても、めいから貰った手紙ばかりは焼捨てるとか引裂いてしまうとかして、岸本はそれを自分の眼の触れるところに残して置かなかった。蔭ながら彼は節子に願っていた。旅にある自分のことなぞは忘れて欲しい、生先おいさきの長い彼女自身のことを考えて欲しいと。その心から彼はなるべく節子宛に文通することを避け、彼女に書くべき返事は義雄兄宛に書くようにして来た。しかし、もう好い加減に忘れてくれたかと思う時分には、復た彼女から手紙が来て、その度に岸本は懊悩おうのうを増して行った。神戸以来幾通となくよこしてくれた彼女の手紙は疑問として岸本の心に残っていた。あの暗い影から――一日も離れることの無かったほど附纏つきまとわれたというあの暗い影から、ようやく離れることが出来たと言って書いて寄した時からの彼女は、何となく別の人である。あれほどの深傷ふかでを負わせられながら、彼女は全く悔恨を知らない人である。岸本に言わせると、若い時代の娘の心をもって生れて来た節子のような女が、非常に年齢としの違った、しかも鬢髪びんぱつの既に半ば白い自分のようなものにむかって、彼女の小さな胸をひろげて見せるということが有り得るであろうかと。そう思う度に、岸本は節子が一人の男の児の母であることを想って見た。離れやすく忘れ易い男と女の間にあって、どれ程その関係が根深いものであるかをも想って見た。そこまで想像を持って行って見なければ、彼女の書いて寄す手紙はどうしても岸本のに落ちないふしぶしが有った。
「子供を持つとああいうものかしら――」
 何時いつの間にか岸本は思い出したくないことを思い出して、独りで部屋の内に茫然ぼうぜんと腰掛けていた。彼は、節子が不義の観念を打消すことによって彼女の母性を護ろうとしているのではないかと疑った。遠く離れて節子のことを考える度に、彼は罪の深いあわれさを感ずるばかりでなかった。同時に言いあらわし難い恐怖おそれをすら感ずるように成った。
 部屋のを外からたたく音がした。岸本は椅子を離れて扉を開けに行った。

        八十八

 を叩いたのは岡であった。新しい展覧会の催しがあると言っては誘いに来てくれ、マデラインの寺院おてらに近い美術商店に新画が掛替ったと言っては誘いに来てくれるこの画家の顔を見ると、岸本も気を取直した。岡は国へ帰りたくないというような思い屈したものばかりでなく、何時でも血気さかんな若々しいものを一緒に岸本のもとへ持って来た。
「岡君、君はアベラアルのことを聞いたことは有りませんか」
 と岸本が言出した。
 古い歴史の多い巴里に居て見るとこの大きな蔵のような都からは何が出て来るか知れないということから始めて、岸本はアベラアルとエロイズの事蹟じせきが青年時代の自分の心を強く引きつけたこと、巴里に来て見るとあのアベラアルが往昔むかしソルボンヌの先生であったこと、あの名高い中世紀の坊さんあたりの時代から今のソルボンヌの学問の開けて来たこと、それから巴里のペエル・ラセエズの墓地にあの二人の情人の墓を見つけた時の驚きと喜びとを岡に語った。
「この下宿には今、柳という博士も飯だけ食いに通って来ています。千村君の居たホテルに泊っています。矢張やはり京都の大学の先生でサ。その柳博士に、隣に居る高瀬君に、僕と、三人でペエル・ラセエズをたずねて見ましたよ。なかなか好い墓地でした。突当りには『死の記念碑』とした大理石の彫刻もあったし、丘にったような眺望ちょうぼうの好い地勢で、礼拝らいはい堂のある丘の上からは巴里もよく見えました。散々僕等は探し廻った揚句に、古い御堂の前へ行って立ちました。それが君、アベラアルとエロイズの墓サ。二人の寝像しんぞうが御堂の内に置いてあって、その横手のところには文字が掲げてありました。この人達は終生変ることのない精神的な愛情をかわしたなんて書いてありましたっけ。まあ比翼塚ひよくづかのようなものですね。でも君、青苔あおごけえた墓石に二人の名前が彫りつけてでもあって、それを訪ねて行くんなら比翼塚の感じもするが、どうしてそんなものじゃない。男と女の寝像が堂々と枕を並べているから驚く。『さすがにアムウルの国だ』なんて、高瀬君が言って笑いましたっけ」
 この岸本の旅らしい話は岡を微笑ほほえませた。岸本は言葉を継いで、
「しかし、カトリックの国でなければ見られないような、古めかしい、物静かな御堂でしたよ。御参りに行くような人も君、沢山あると見えて、その御堂を囲繞とりまいた鉄柵てっさくのところには男や女の名が一ぱいに書きつけて有りましたっけ。ああいうところは西洋も日本も同じですね。皆あの二人の運命にあやかりたいんですね――」
 そこまで話して行くと、岡は岸本の言葉をさえぎった。
「岸本さん、あなたはどう思うんです。あなたの年齢としになっても、まだ恋を想像するようなものでしょうか」
「そりゃ君、年をとれば取ったで、ずっと若い時分とは違った、複雑な恋愛の境地があるとは僕も考えるね。しかし、恋なんてことは最早もう二度と僕には来そうも無い」
 若かった日の岸本はこんな話を口にするさえぐ顔があかくなった。まだ昔のように熱い涙の流れて来るようなことは有っても、彼のほおは最早めったに染まらなかった。

        八十九

「岸本さん、僕は御願いがあって来ました」とその時になって岡が言った。「実は僕はまだ今朝から食いません」
 岸本は眼をまるくして岡の方を見た。旅に来ては互に助けたり助けられたりする間柄で、こんなことはめずらしくは無かったが、あまりに率直な岡の調子が岸本を驚かした。彼はこの話好きな画家が「飢」をわきに置いて、「恋」にいて語っていたことを知った。
「岡君も有る時には有るが、無い時にはまた莫迦ばかに無い人だねえ」と岸本は心易こころやすい調子で言って笑った。「まあ、どうにかしようじゃないか。そんなら君はシモンヌの家で昼食ひるでもやりながら待っていてくれ給え。僕は直ぐに後から出掛けて行きますから」
 岸本の旅も足りたり、足りなかったりであった。それは高瀬のような旅とも違って、多くの月日の間には故郷の方の事情の変って行くところからも来、巴里パリに来て出来るつもりの仕事がとかく果せないところからも来ていた。
「外国に来て困るのは、ほんとに困るんだからなあ」こんなことをひとりで言って見て、一歩ひとあし先に出て行った岡の後を追った。
 シモンヌの家へ行って見ると、例の奥まった部屋の片隅かたすみには亭主から給仕まで一緒に集って、客商売の家らしく可成かなり遅い食卓に就ていた。シモンヌはますます可愛らしい娘になって行った。彼女は母親のそばに腰掛けて仏蘭西フランス麺麭パンなぞを頬張ほおばりながらっていた。この家族の食事するさまを楽しげにながめながら、同じ部屋に居て岡も簡単な昼食を始めていた。そこへ岸本はいくらかの用意したものを持って行った。
 牧野、小竹の二人がこの珈琲店コーヒーてんに落合ってから、岡は余計に元気づいた。三人の画家の中でも、小竹が一番年長としうえで、その次が岡、牧野の年順らしかった。牧野も、小竹も、岸本に取っては国の方で名前を聞いていた人達であった。牧野には、岸本はもっと激烈な人を想像していた。って見た牧野は存外やさしい、綿密な、しかも気鋭な美術家であった。光沢つやのあるほおの色は紅味勝あかみがちな髪の毛と好く調和して、一層この人を若々しく見せた。小竹には、岸本はもっと親しみにくいような人を想像していた。旅で一緒に成った小竹は直ぐにも親しめそうな、人を毛嫌けぎらいするところの少い美術家で、誰にでも好かれそうな沈着な性質を見せていた。二人は巴里へ来てまだ月日も浅し、旅らしい洋服までが黒いすすにも汚れずにあった。
「牧野は矢張やっぱり牧野だ。もっと弱ってでも来るかと思ったら、君の元気なのには感心した」と岡が言った。
「そりゃ岡なんかとは違うよ」と牧野は戯れるように。
「こうして集って見ると、矢張僕が一番年長うえかなあ」と岸本が言った。
「岸本さんなぞは、もう老人の部ですよ」とた牧野が戯れるように言って笑った。
「でも、国の方に居るとこんなにみんな集るようなことも無いし、何と言っても旅は面白いね」と小竹が言った。「岡の贔顧ひいきなマドマゼエルもよく拝見したしサ――」
「とにかく旅に来ると、自分というものを省るようには成るね」と岡はやや真面目まじめになって答えた。しばらく岸本はこの人達と一緒に楽しい時を送っていた。彼は、何を見聞みききしても面白そうな心にわだかまりの無い牧野や小竹をうらやましく思った。

        九十

 国の方に残して置いて来た子供のことも心に掛って、遠く離れている泉太や繁を養うためにも、岸本は果したいと思う仕事を客舎で急ごうとした。七月も下旬に入った頃であった。窓の外へは時々雷雨が来て、どうかすると日中に燈火あかりを欲しいほど急に部屋の内を暗くすることも有った。岸本が稿を継ごうとしたのは東京浅草の以前の書斎で書きかけた自伝の一部ともいうべきものであった。部屋に居て机にむかって見ると、その稿を起した頃の心持が、まだこの旅を思立たない前に恐ろしいあらしの身に迫って来た頃の心持が、あの浅草の二階でこれが自分の筆の執り納めであるかも知れないと思った頃の心持が、岸本の胸の中を往来した。巴里の客舎にあって、もう一度その稿を継ぐことが出来ると考えるさえ彼には不思議のようであった。
 岸本がアウストリア対セルビア宣戦の布告を読んだのは、丁度その自分の仕事に取掛っている時であった。一日は一日より何となく町々の様子がおだやかでなくなって来た。不思議な、しつけるような、底気味の悪い沈黙は町々を支配し始めた。岸本が毎日食堂で見る顔触かおぶれは、産科病院わきの旅館から通って来る柳博士に隣室の高瀬の二人で、若い独逸ドイツ人の客は最早もう見えなかった。食堂へ集る度に、高瀬等と岸本とは互いに不思議な顔を見合せるように成って行った。
 きたるべき大きな出来事の破裂を暗示するような不安な空気の中で、岸本は仕事を急いだ。あのノルマンディ生れの仏蘭西の作家が「聖アントワンヌの誘惑」を起稿したのは普仏戦争の最中で、巴里の籠城ろうじょう中に筆を執ったとやら。丁度あの作家は五十歳でその創作を思い立ったとやら。岸本はそんなことを旅の身に想像し、国の方に居る頃から友達とよく話し合ったあの作家が四十何年か前には巴里で物を書いていたことを想像し、それによって自分を慰め励まそうとした。時々彼は執りかけた筆を置いて、部屋の窓へ行って見た。驟雨しゅううのまさに来ようとする前のようなシーンとした静かさが感じられた。食堂の方へも行って見た。そこには、おそろしく倹約に暮している下宿の主婦かみさんが、燈火あかりけ惜んで、薄暗い食堂のすみに前途の不安を思いながらションボリ立っていた。
「岸本さん、御覧なさい、あれは何かの前兆です」
 と主婦は食堂の窓の側に立って、黄昏時たそがれどきの空気のために紅味勝あかみがちな紫色に染まった産科病院の建築物たてものを岸本にして見せた。主婦のめいでリモオジュの田舎いなかの方から来ている髪の赤く縮れた娘も一緒にその窓から血の色のような夕映ゆうやけを眺めた。
「戦争は避けられないかも知れませんよ」
 と言って主婦は仏蘭西人らしく肩をゆすって見せた。
 アウストリア対セルビア宣戦の日から数えて六日目頃に、ようやく岸本は国の方へ郵便で送るだけの仕事の一部を終った。日頃往来ゆききの人の多い並木街も何となく寂しく、出歩くものすら少かった。

        九十一

 平和な巴里の舞台は実に急激な勢いをもって変って行った。今日動員令が下るか明日下るかとうわさされていた頃に、岸本は高瀬と連立って白耳義ベルジック行の人を北の停車場ステーションまで送りに行った。ついでに東の停車場へも立寄って見た。その停車場内の掲示の前で、仏独国境の交通は既に断絶し、鉄道も電線も不通に成ってしまったことを知った。巴里を立退たちのこうとしてその停車場に群がり集る独逸人もしくは墺地利オーストリア人はいずれも旅装束で、構内の敷石の上へ直接じかに足を投出し汽車の出るのを待っていた。岸本は自分の直ぐ眼前めのまえで突然卒倒しかけた労働者風の男にも遭遇でっくわした。荷物をかかえた旅客、別離わかれを惜む人々、泣きらした婦人の顔などまでが時局の急を告ぐるかのように見えた。岸本は高瀬と一緒に急いで下宿の方へ引返して来て、実に容易ならぬ場合に際会したことを思った。取あえず岸本は自分の部屋にこもって、国の方の義雄兄あてに形勢の迫って来たことを書いた。今後のことは測り難いと書いた。子供のことは何分頼むと書いた。彼は東京にある二三の友人へもいそがしく手紙をしたためたが、西伯利亜シベリア経由とした故国からの郵便物は既にもう途絶していることをも知った。
 夕方に、町へ出て見た。彼は早や大きな戦争を予想して悲壮な感じに打たれているような市民の渦の中に立った。そこここに貼付てんぷされた三色旗の印刷してある動員令、大統領の諭告ゆこく、貨物輸出の禁止令などを読もうとする人達が、今までなりを潜めて沈まり返っていたような町々に満ちあふれた。何となく殺気を帯びて来た人々の歩調も忙しげに岸本の胸を打った。夫や、兄弟や、あるいは情人の身を案じ顔な婦女おんなまでが息をはずませてその間をったり来たりした。
 わずか一週間ばかりの間に岸本はこんな空気の中に居た。急激な周囲の変化はあだかも舞台面の廻転によって劇の光景の一変するにも等しいものがあった。名高い社会党の首領で平和論者であった仏蘭西人が戦争の序幕の中に倒れて行ったことは一層この劇的な光景を物凄ものすごくした。岸本は自分の部屋へ行って独りでいろいろなことを思った。遠く故国を離れて来て図らず動乱の中に立った自分の旅の身に思い当った。夜の十一時頃には雨が降出して、窓から外に見える並木も暗かった。

        九十二

 壮丁そうていという壮丁は続々国境に向いつつあった。出征する兵士の並木街を通るような光景が既に二日ばかりも続いた。はや独逸軍の斥候せっこうが東仏蘭西の境を侵したという報知しらせすら伝わっていた。下宿では主婦かみさんも、主婦の姪も食堂の窓のところへ行って、街路まちを通る歩兵の一隊を見送ろうとした。岸本が同じ窓に近く行った時は、主婦は彼の方を振向いて、
「岸本さん、争われないものじゃ有りませんか。吾家うちに居た若い独逸人の客が、ちゃんと戦争を知っていましたぜ。親のところから手紙が来ると大急ぎで巴里をって行きましたぜ。確かにあの男は独探どくたんですよ」
 と言いながら自分の鼻のそばへ人差指を宛行あてがって見せた。さもさもあんな客を泊めたことを口惜しく思うかのように。
「ホラ、この町を毎日のようにうろうろした変な婦人おんなが有りましたろう。皆さんで『カロリイン夫人』だなんて綽名あだなをつけた婦人が有りましたろう。どうもあの婦人の様子がおかしいおかしいと思いました。あれはうその白痴ですよ。偽の婦人おんなですよ。白粉おしろいなんかをいやにけてると思いましたが、今になって考えると、あれは男の顔ですよ」
 とた主婦が言って見せた。疑心にられたこの仏蘭西の女は自分の下宿の客ばかりでなく、町を徘徊はいかいした白痴の婦人までも独探にしてしまった。
 窓の外を通る兵士の群を見送った眼で主婦の姪を見ると、岸本はリモオジュの田舎いなかから出て来たこの娘が紅く顔を泣腫なきはらしているのに気がついた。彼女の兄も許婚いいなずけにあたる人も共に出征の途に上るであろうと主婦が岸本に言って聞かせた。岸本は自分の部屋へ行った。列をつくって通る召集された市民の群はその窓の外に続いた。いずれも鳥打帽子をかぶり、小荷物をげ、仏蘭西の国歌を歌って、並木のかげに立つ婦子供おんなこども別離わかれの叫声を掛けては通過ぎた。一切の乗合自動車も軍用のために徴発され、モン・トオロン行の車の響も絶えた。十八歳から四十七歳までの男児は皆この戦争に参加するとのことで、それらの人達を根こそぎ持って行こうとするような大きな潮が流れ去ろうとしていた。
 巴里在留の外国人で立退きたいと思うものは早く去れ、独逸もしくは墺地利オーストリア以外の国籍を有するものは在留を許すとのことであった。この出来事につけても、従軍の志望がしきりに岸本の胸中を往来した。所詮しょせん国へは帰れないと思う心の彼は、進んで戦地の方へ出掛けたいと願ったが、身を苦めることばかり多くて思わしい通信を書くことも出来なかろう、と思い直しては自己おのれおさえた。戒厳令かいげんれいは既にかれ、巴里の城門は堅く閉され、旅行も全く不可能になった。事実にいて彼は早や籠城ろうじょうする身に等しかった。

        九十三

 到頭岸本は一年余の巴里を離れたいと思立つように成った。動員令が下ってから三週間あまりというものは何事なんにも手に着かなかった。昨日は白耳義ベルジックナミュウルの要塞ようさいが危いとか今日は独逸軍の先鋒せんぽうが国境のリイルに迫ったとか、そういう戦報を朝に晩に待受ける空気の中にあっては、唯々ただただ市民と一緒に成って心配を分け、在留する同胞の無事な顔を見て互いに前途のことを語るの外は無かった。隣室の高瀬が柳博士と連立って英国倫敦ロンドンへ向け戦乱を避けようとする際に、岸本も同行を勧められたが、彼はむしろ仏蘭西の田舎へ行くことにして、北の停車場で高瀬と手を分った。敵の飛行船が巴里に襲って来た最初の晩は眠られなかったという画家の小竹も、その一行に加わって八月の半には既に英吉利イギリス海峡を越えて行った。
 岸本が知っているわずかの仏蘭西人の中でも、ビヨンクウルの書記はヴェルサイユの兵営の方にあり、ラペエの詩人は巴里の自動車隊に加わり、ブロッスの教授は戦地の方へ行った二人の子息むすこの身の上を案じつつあった。ビヨンクウルの書記からは特に兵営から岸本の許へ手紙をくれ、われらは互いに同じ聯合軍れんごうぐんの側に立つと考えるのも嬉しいと書いてよこした。東京にある滝新夫人(老婦人の姪)からも夫と一緒に仏蘭西へ来遊の意を伝えて来たが、この戦争ではどうすることが出来ようと書いてよこした。岸本の隣室を借りて寝泊りしていた控訴院付の弁護士も何時いつの間にか見えなくなった。例の「シモンヌの家」の珈琲店コーヒーてんの主人、下宿の家番の亭主、これらの人達までがいずれも戦地を指して出発した。
 露西亜軍ロシアぐんが東独逸に入ったという戦報の伝わった日は、岸本は自分の部屋に居て荷造りに日を暮した。彼の下宿では半ば引越しの騒ぎをした。主婦かみさんも、主婦のめいも、彼よりは一日さきにリモオジュへ向けてって行った。一部の旅行が許されるように成ったので、彼も下宿の人達に誘われて主婦の郷里の方へ出掛けることにした。これを機会に仏蘭西の田舎をも見ようとした。戦争以来旅行も不自由になった。旅客一人につき三十キロ以上の手荷物は許されなかった。早くやって来るリモオジュの方の寒さを予想して彼は自分の両手に提げられるだけの衣類をかばんに入れて持って行こうとした。書籍なぞは皆置捨てる思いをした。せみの声一つ聞かない巴里の町中でも最早何となく秋の空気が通って来ていた。部屋の壁に残ったはえは来て旅の鞄に取付いた。
 寂しい夕方が来た。岸本は独りぎりで部屋に残って、ともかくも一年余を遠い旅に暮したことを思い、消息の絶え果てた故国のことを思い、せめて巴里を去る前に短い便たよりなりとも国の方の新聞あてに書送ろうとして鞄の側に腰掛けて見ると、無暗むやみと神経は亢奮こうふんするばかりで僅に東京の留守宅へ宛てた手紙を書くにとどめてしまった。宵の明星の姿が窓の外の空にあった。時々その一点の星の光を見ようとして窓側まどぎわに立つと、すさまじい群集の仏蘭西国歌を歌って通る声が街路まちの方に起った。夜の九時といえば町々ははや寂しく、燈火の数も減り、えた犬の鳴声が何となく彼の耳についた。この都会に残っている人達はどうなるだろう、婦女おんなはどんな目に逢うだろう、それを思うと普仏戦争の当時巴里の籠城をした人達は暗い穴蔵のような地下室に隠れてねずみまで殺して食ったと言われているが、それと同じような日が復た来るだろうかとは、考えたばかりでも恐ろしいことであった。翌朝の早い出発を思って、彼はろくろく眠らなかった。

        九十四

 ドルセエの河岸かし停車場ステーションから岸本は汽車で出掛けた。この田舎行には彼は牧野の外に巴里在留の三人の画家をも伴った。戦争は偶然にも巴里のような大きな都会の響からしばらくのがれ去る機会を彼に与えた。あの石造の街路をきしる電車と自動車と荷馬車との恐ろしげな響から。あの層々相重あいかさなる窮屈な石造の建築物たてものから。あの人を弱くするような密集した群集の空気から。
 同行五人の旅は汽車の中をも楽しくした。前の年の五月に岸本がマルセエユからリオンへ、リオンから巴里へと向った時はほとんど夜中の汽車旅であったから、今度の車窓に映るものは初めて見るもののみのようであった。彼は仏蘭西中部の平坦へいたんな耕地、牧場、それから森なぞをめずらしく見て行った。オート・ヴィエンヌ州に近づくにつれて故国の方の甲州や信州地方で見るような高峻こうしゅんな山岳を望むことは出来ないまでも、一年余を巴里に送った身には久しぶりで地方らしい空気を吸うことが出来た。途中の停車場で負傷兵を満載した列車にも逢った。戦地の方から送られて来たそれらの負傷兵は白耳義ベルジック方面の戦いの激しさを事実に於いて語って見せていた。
 七時間ばかりもかかって岸本はつれと一緒にリモオジュの停車場に着いた。丁度出征する軍人を見送るために町の人達が停車場の附近に集っている時で、生れて初めて日本人というものを見るかのような土地の男や女が右からも左からも岸本等の顔をのぞきに来た。
 一日先にこの田舎町へ着いていた巴里の下宿の主婦かみさんは停車場までめいをよこしてくれた。主婦は姉にあたる人の家で牧野や岸本を待受けていてくれたが、まだ部屋の用意が出来なかった。岸本等は停車場前の宿屋でその日を送ることにした。食事にだけ来いと言って、夕方には主婦の甥子おいごが使に来たので、五人の一行は町はずれの家の方へ歩いて行った。日本人のめずらしい土地の子供等はあとになりさきになりしてぞろぞろいて来た。岸本が巴里から一緒にやって来た美術家の中にはごく旅慣れた人も居た。あまりに土地の子供等がうるさく随いて来て、どうかすると後方うしろから駆け抜けるようにしては五人の顔を見ようとするので、その画家はわざと子供等の方へ大きな眼球めだまを突き付けながら、
「御覧」
 と戯れて見せたこともあった。岸本等が着いたことはこれ程土地の人にはめずらしかった。入口の庭には葡萄棚ぶどうだながあり裏には野菜ばたけのあるような田舎風の家で、岸本は巴里の方から来た主婦や主婦の姪と一緒に成った。
「この一番年長としうえの方が岸本さんです。こちらは牧野さんとおっしゃって矢張やはり巴里に来ていらっしゃる美術家です」
 こんなことを言って、主婦は姉という人に岸本等を引合わせた。黒い仏蘭西風の衣裳いしょうを着けた背の低いお婆さんは物静かな調子で一々遠来の客を迎えた。
 土地の子供の煩さかったことは、葡萄棚に近く窓のある食堂で岸本等が楽しい夕飯に有付ありついた時にも石垣の外から覗きに来るものがあるくらいであった。こうした場所にもかかわらず、停車場前に戻り、そこに一夜を送って、サン・テチエンヌ寺の塔を宿屋の窓の外に望みながら朝霧の中に鶏の声を聞いた時は、実に彼は胸一ぱいに好い空気を呼吸することの出来る静かな田舎に身を置き得た心地ここちがした。

        九十五

 国を出て早や十五カ月ほどに成った。十五カ月とは言っても岸本に取っては随分長い月日であった。過ぐる十五カ月は三年にも四年にも当るように思われた。彼はもう可成かなり長い月日の間、故国を見ずに暮したように思った。その間、日頃親しかった人々の誰の顔を見ることも出来ず、誰の声を聞くことも出来ずに暮したように思った。彼は歩きづめに歩いてまで宿屋に辿たどり着くことの出来ない旅人のように自分の身を考えた。この仏蘭西フランス田舎いなかへは彼は心から多くの希望のぞみをかけて来た。何よりも彼の願いは、たましいを落着けたいと思うことであった。どうやらその願いがかないそうにも見えて来た。「君はこんな田舎が好いのか。ここにはブルタアニュの海岸に見つけるほどの野趣も無いではないか。そうかと言って田舎の都会らしい潤いにすらも乏しいではないか。ここは思いの外、平凡な土地ではないか」こう巴里パリから一緒に来た美術家の一人が彼に向っていたくらいである。それにもかかわらずサン・テチエンヌ寺の立つ高い岡の上に登ってあの古い寺院を背後うしろにした眺望ちょうぼうの好い遊園の石垣の上から耕作と牧畜との地たるリモオジュの町はずれをながめた日から、しみじみ欧羅巴ヨーロッパへ来てから以来このかたの旅のことが思われた。ヴィエンヌ河はその町はずれを流れていた。仏蘭西の国道に添うてけてある石橋、騾馬らばに引かせて河岸かしの並木の間を通る小さな荷馬車なぞが眼の下に見える。彼はその石垣の上からしばらく自分の宿とする田舎家までも見ることは出来なかったまでも、耕地の多い対岸の傾斜に並ぶ仏蘭西の田舎らしい赤瓦あかがわらの屋根を望むことは出来た。
 仏国オート・ヴィエンヌ州、リモオジュ町、バビロン新道しんみち、そこが岸本の牧野と一緒に宿をとったところだ。彼は喇叭らっぱを吹いて新聞を売りに来る女のあるような在郷臭ざいごくさい町はずれへ来ていた。その家の二階に沈着おちついて三日目に、彼は巴里にある岡から手紙を受取って、非常に形勢の迫ったことを知った。急いで書いたらしい岡の手紙の中には、「巴里に帰ることをめらるべし、必ず」としてあった。巴里に在留する三人の美術家は英国へのがれようとして不可能となったともしてあった。

        九十六

 岡からは牧野岸本両名あてで同時に別の手紙が来た。
「到頭巴里立退たちのきの幕と成った。既に仏蘭西政府は他へ移ったらしい。大使館でも昨夜書類の焼却などをやっていた。昨日午後独逸ドイツ軍の飛行機が巴里市に六つの爆弾を落した。一つはガアル・ド・リオンに、一つは東の停車場に、一つはサン・マルタンの商店をこわした。最早もはや巴里包囲は免れぬらしい。敵の騎兵きへいは八十キロメエトルの処まで来ている。昨夜一同集合して最終の相談をして、今日の具合で英国へ渡れなければリオンに一同出発する。今日の中にはとにかく巴里を出る。かかる訳で君等の荷物も、無論吾儕われわれのもそのまま置捨てることにした。ああ巴里も、わが巴里も、ついに独逸の奴原やつばら蹂躙じゅうりんせらるるのか。小シモンヌが涙ぐんだのを見て巴里を離れるのは慚愧ざんきを感ずる。僕には此処ここは旅の土だ。彼等には墳墓の地だ。感慨無量だ」
 巴里から同行した美術家仲間はこの手紙を見てリオンへ向けてって行った。リモオジュには牧野と岸本だけが残った。三日ばかりつと、巴里から最終の報告が来た。それを読んで岸本は巴里の天文台及びモン・パルナッスの附近にあった二十一人の同胞を一組とした絵画彫刻科学等の方面の人達が思い思いにあの都を立退いたことを知った。十一人は英国へ。一人は米国へ。二人はニスへ。一人はリオンへ。ディエップ行の列車も明日の朝の三時が最後だとか一歩遅れれば籠城ろうじょうの外はないと言われる中にあって、倫敦ロンドンへと志した人々があるいはアーヴル経由か、あるいはブルタアニュのサン・モアかと、戦乱を避けまどうた光景がその報告で想像された。市街の夜の燈火がことごとく消され、ブウロンニュの森には牛、豚、羊の群が籠城の食糧の用意に集められたという巴里を美術家仲間で最終に去ったのは岡と今一人の彫刻家であったらしいことをも知った。在留した同胞のほとんどすべては既に巴里を去ったことをも知った。
 リオン行の美術家仲間からも汽車旅の混雑と不安とを岸本のもとへ知らせて来た。それで見ると、車掌さえ行先を知らない列車に幾度か乗換え六箇所の停車場で三時間あるいは六時間を待ち都合四十時間もかかってようやくリモオジュからリオンに辿たどり着くことが出来たとしてあった。岸本等の宿へは、主婦かみさんの姉の娘夫婦にあたる人達が巴里から避難して来た。この人達は岸本等が七時間で来たリモオジュまでの汽車旅に三十時間を費したと話した。巴里ばかりでなく北の国境の方からの多数な避難者の群は荷物列車にまであふれているとの話もあった。
「僕等はまだ好いとしても、独逸の方に居た連中はさぞ困ったろうね――」
 と岸本は隣室の牧野を見るたびに言い合った。仏独国境の交通断絶以来全く消息を知ることの出来なかった伯林ベルリンの千村教授や、ミュウニッヒの慶応の留学生が倫敦ロンドンに落ち延びたことも分って来た。欧羅巴へ来てから岸本が知るように成った同胞の多くは皆戦争の為にちりぢりばらばらに成ってしまった。
 前途のことは言うことが出来なかった。しかし岸本と牧野とは宿の人達の厚意で比較的安全な位置に身を置くことが出来た。主婦は岸本のために何処どこからか机を借りて来て、それを二階の部屋の窓の側に置いてくれた。つるの延びて来ている葡萄棚ぶどうだなを越して窓の外にはバビロン新道が見えた。岡の地勢を成した牧場はその新道まで迫って来ていて、どうかすると赤いがけの上へ来る牛の顔が窓の硝子ガラスに映った。

        九十七

 大風の吹き去った後のような寂しさはこの田舎にもあった。働き盛りの男子は皆はたけや牧場を去り、馬は徴発され、小屋もむなしくなり、陶器の工場もとざされ、商家も多く休み、中学や商業学校の校舎まで戦地の方から送られて来る負傷兵のための収容所となっていた。岸本の眼に触れるものは何一つとして戦時らしい田舎の光景でないものは無かった。野菜畠には戦地にある子を思い顔な老人が耕していた。麦畠には婦女おんなの手だけで収穫とりいれの始末をしようとする人達が働いていた。
 ヴィエンヌ河の岸に沿うて高く立つサン・テチエンヌ寺への坂道の角には、十字を彫り刻んだ石の辻堂つじどうがある。香華こうげそなえた聖母マリアの像がその辻堂の中にまつってある。体縮み脊髄せぼねくぐまった老婆が堂の前で細長い蝋燭ろうそくを売っている。その蝋燭の日中に並びとぼ火影ほかげには、黒い着物のまま石段の上にひざまずいて、戦地にある人のために無事を祈ろうとするような年若な女も居た。
 従軍の志望を果さなかった岸本はこのリモオジュの町はずれへ来てから、巴里の方で見聞みききした開戦当時の光景や、在留する同胞の消息や、牧野等と一緒にあの都を立退くまでの籠城の日記とも言うべきものを書いて故国に居て心配する人達のために報告を送ろうとした。時々彼は筆をいて家の周囲まわりを歩き廻った。なし、桃は既に熟し林檎りんごの実もまさに熟しかけている野菜畠の間を歩いても、あか薔薇ばらや白い夾竹桃きょうちくとうの花のさかんに香気を放つ石垣の側を歩いても、あるいはこのあたりに多い羊の群の飼われる牧場の方へ歩き廻りに行っても、彼は旅らしい心地こころもちあじわうに事を欠かなかった。そういう折には彼はよく主婦の甥子おいごに当るエドワアルをも伴った。
「ムッシュウなんてあれのことを御呼びに成らないで、エドワアルと呼捨になすって下さい。あれはまだほんの子供ですから」
 と主婦は十六ばかりになる少年を前に置いて言ったが、牧野も岸本も相変らず「ムッシュウ、ムッシュウ」と呼んで土地の事情にくわしいその少年を朝晩に相手とした。牧野は近くにある牧場を選んで画作に取りかかった。そこへ岸本が歩いて行って見る度に、きっと牧野の後に足を投出して眼前めのまえの風景と画布カンバスとを見比べているエドワアルを見つけた。岡の地勢を成した牧場のなかの樹木から遠景に見えるリモオジュの町々、古い寺院の塔などが牧野の画の中に取入れられてあった。牛の踏みちらした牧場の草地へはところどころに白い鶏の来るのも見えた。岸本がそこへ行って草をき足を投出して見た時は、あの四時間も五時間も高瀬と一緒に警察署のわきに立ちつづけたような巴里の混乱からのがれて来たというばかりでなく、仏蘭西の旅に来てからの初めての休息らしい休息をそのヴィエンヌの河畔に見つけたように思った。

        九十八

 二月ふたつき近く静かな田舎に暮して見ると、欧羅巴ヨーロッパへ来てから以来このかたのことばかりでなく、国を出た当時のことまでが何となく岸本の胸にまとまって来た。彼はそう思った。仮りに人生の審判があって、自分もまた一被告として立たせらるるという場合に当り、いかなる心理をたてとして自己おのれ内部なかに起って来たことを言い尽すことが出来ようかと。何物を犠牲にしても生きなければ成らなかったような一生の危機に際会したものが、どうして明白な、条理すじみちの立った、矛盾の無い、道理にかなったことが言えよう。長い限りの無い悪夢にでも襲われたようにして起って来た恐怖――親戚しんせきや友人に対してさえおさえることの出来なかった猜疑心さいぎしん――眼に見えない迫害の力の前に恐れおののいた彼のたましい――夢のように急いで来た遠い波の上――知らない人の中へ行こうとのみした名のつけようの無い悲哀――何という恐ろしい眼に遭遇であったろう。何という心の狼狽ろうばいを重ねたろう。何という一生の失敗だったろう。この深い感銘は時と共にますますはっきりとして来ることは有っても、薄らいで行くようなものでは無かった。しかし一時のような激しい精神こころの動揺は次第に彼から離れて行った。不幸なめいに対する心地こころもちのみが残るように成って行った。その時になって彼は心静かに自分の行為おこないを振返って見た。どうかして生きたいと思うばかりに犯した罪を葬り隠そう葬り隠そうとした彼は、仮令たとえいかなる苦難を負おうとも、一度姪に負わせた深傷ふかでや自分の生涯に留めた汚点をどうすることも出来ないかのように思って来た。彼は自分を責めれば責めるほど、涙ぐましいような気にさえ成った。
 その心で、岸本は田舎家の裏にある野菜畠へ行った。一すじの小径こみちを中央にして両側に果樹の多く植てある畠の中を歩いて見た。そこは牧野とも一緒によく休みに来て、っている桃を枝からぐにもぎ取っては味ったり、土の香気においぎながら歩き廻ったりするところであった。最早もう十月下旬の季節が来ていた。枝にある仏蘭西の青梨は薄紅うすあかく色づいたのが沢山生り下っていたばかりでは無く、どうかすると熟した果実くだものは秋風に揺れて、まるで石でも落ちるように彼の足許あしもとへ落ちるのもあった。
 その畠は一方は町はずれの細い抜道に接し、他の一方は田舎風の赤い瓦屋根かわらやねの見える隣家の裏庭に続いていた。岸本は木の靴なぞを穿いて通る人の足音を一方の抜道の方に聞き、野菜畠の中から伝わって来る耕作のくわの音を一方の裏庭の方に聞きながら、桃や梨の樹の間を歩いて新しい果実の香気においを嗅ぎ廻った。あだかも成熟した樹木の生命いのちを胸一ぱいに自分の身に受納うけいれようとするかのように。
 オート・ヴィエンヌの秋は何となく柔かな新しい心を岸本に起させた。彼は長い年月の間ほとほと失いかけていた生活の興味をすら回復した。仮令たとえ罪過は依然として彼の内部なかに生きているようなものであっても、彼はいくらか柔かな心でもって、それにむかうことが出来るように成った。

        九十九

 四十日もかかって来る郵便物がボツボツ届くように成ってから、岸本は戦時以来全く絶え果てた故国の消息をリモオジュの田舎に居て知る事が出来た。欧洲の戦乱はどんなに東京の方の留守宅の人達を驚かしたであろう。節子からもそれを心配した手紙をくれた。岸本は彼女や子供に宛てて記念の絵葉書を送る気に成った。仮令たとえわずかの言葉でもこうして姪のもとへ書くというのは、旅に来てからの岸本には珍らしいことであった。彼は姪へ送るためにサン・テチエンヌ寺の遠景に見える絵葉書を選び、泉太へ送るために羊の群の見える牧場のついた絵葉書を選んだ。前のはヴィエンヌ河の手前から取った風景で、樹木から道路から橋までが彼には既に親しみのあるものであり、遠く古い石塔のそびえ立つ寺院おてら弥撒メスなどのあるたびによく彼の行って腰掛ける場処であった。後のは森を背景にした牧場のさまで、遠く森の間に一軒の田舎家も見えた。浅い谷間の草を食いに来る羊の群、その柔和な長い耳、細い足――そうしためずらしい仏蘭西の田舎の光景ありさまは国の方に留守居する子供等の眼をよろこばすであろうと思われた。すこし行けばツウルウズ街道(仏蘭西国道)に出られる彼の宿の周囲には、その絵葉書に見るような牧場が行先にひらけていた。
 書いた葉書を投函とうかんするために岸本は宿を出た。日本人をめずらしがってうるさく彼に附纏つきまとうた界隈かいわいの子供等も、二月ばかりつうちに彼を友達扱いにするものも多かった。ある町はずれまで行くと、そこには繩飛なわとびの仲間入を勧める小娘が集っていた。ポン・ナフという石橋のたもとまで歩いて行って見ると、そこには彼の側へ来て握手を求める男の児が居た。
「ムッシュウ」
 と呼んでよくその児は走り寄って来た。その児は彼が外出する度に立寄っては腰掛ける橋畔の小さな珈琲店コーヒーてんの一人子息むすこであった。
 ヴィエンヌ河はその石橋の下を流れていた。休息の時を送ろうとして岸本は水辺みずべまで下りて行った。岸に並んで洗濯する婦女おんなの風俗などを見ても、田舎にある都会の町はずれとは思われないほどひなびたところであった。石の上で打つきぬたの音も静かな水に響けて来た。しばらく岸本は戦争をよそに砧の音を聞いていた。その時、つと見知らぬ少年が彼の側へ来て声を掛けた。
「異人さん、すこし日本の方のことを聞かせて下さい」
 見ると小学校の上の組の生徒か、あるいはこの町にある簡易な商業学校の下の組の生徒かと思われるほどの年頃の少年だ。
「仏蘭西と日本と何方どっちが奇麗でしょう。日本の方が仏蘭西よりはもっと奇麗でしょうか」
 この少年の問は岸本を困らせた。
「そんなことが君、比べられるもんですか」と岸本が言った。「君の国だって奇麗なところも有り、そうで無いところも有るでしょう――僕等の国もその通りでさ」
「日本の海はどんな色でしょう」とた少年がいた。「黄色でしょうか」
「どうして君、青い色でさ――透明な青い色でさ――それは美しい海ですよ」
 怜悧りこうそうな少年のひとみに見入りながら岸本がそう答えると、少年はまだ見たことのない東洋の果を想像するかのように、
「透明な青い色か」と繰返した。

        百

 ある日、た岸本は同じ橋の畔へ出た。黄ばんだプラタアヌの並木の葉は最早毎日のように落ちた。そこは仏蘭西国道の続いて来ているところで、橋に近い石垣の上からはヴィエンヌ河の両岸を望むことも出来、国道の並木の間にサン・テチエンヌ寺の石塔を望むことも出来るような位置にあった。何となく疲れが出て仕事も休もうと思うような日には、岸本の足はよくその橋の畔にある小さな珈琲店へ向いた。彼はそこで温めてくれる一杯の濃い珈琲をあじわいながら、往来の角に立つ石造りの水道栓すいどうせんの柱をながめ、水瓶みずがめげて集る婦女おんなを眺め、その辺に腰掛けて編物する老婆のひなびた風俗を眺めては、独りで時を送るのを楽みにした。白くまだらげたプラタアヌの太い幹の下あたりには、しきりと落葉を集め廻って遊んでいる子供の群も見えた。その中には拾い集めた落葉を岸本の腰掛ているところへ持って来て見せるほど慣れた二三の小娘もあった。近くの菓子屋で子供のよろこびそうな菓子を一袋おごったのが始まりで、その小娘達は岸本を見掛ける度にそばへ来るように成った。
「皆好い児だね。リモオジュのお土産みやげにその葉を小父おじさんがもらって行きましょうか」
 と岸本が言うと、小娘等はうれしげに並木の下の方へ飛んで行って、幾枚となく落葉を拾っては復た彼の側へ来た。小娘等が持って来たプラタアヌの葉の中には八つ手ほどの大きさのもあった。
「こんなに大きいのは貰っても困る。一番小さなやつを拾って来て下さい」
 と復た岸本が言うと、子供等は馳出かけだして行って、「もう沢山、もう沢山」と彼の方で言っても聞入れないほど沢山なリモオジュ土産を彼の前にあるテエブルの上に置いて見せた。その小娘等に誘われて、こわごわ彼の方へ近づいて来たまだれない一人の女の児もあった。
「もっと日本人のそばへおいでなさいよ」
 と他の小娘達に手を引かれて、神経質らしいその女の児も彼の前までやって来たが、急に朋輩ほうばいの手を振りほどいて一歩引退ひきさがった。
「オオ、可恐こわい」
 とその女の児は気味悪そうに岸本の方を見て言った。
「おいで。丁度あなた方と同い年ぐらいな子供を小父さんも国の方に残して置いて来ました。この小父さんはそんなに可恐いものでは有りませんよ」
 こう岸本は言って、それから三人の小娘に歌を所望した。パトアととなえる方言で出来た小唄のあることを彼は宿の主婦からも聞き、少年のエドワアルからも聞いていた。この岸本の所望は歌好きな小娘達を悦ばせた。遠く泉太や繁から離れて来ている旅の空で、無邪気な子供の口唇くちびるから仏蘭西の田舎の俗謡を聞いた時は、思わず岸本は涙が迫った。

        百一

 うちしめった秋らしい空気の中を岸本はバビロン新道しんみちの方へ引返して行った。丁度宿の前あたりで野外の画作を終って帰って来る牧野と一緒に成った。少年のエドワアルも牧野の代りに油絵具の箱なぞを肩に掛け、町はずれの国道の方から連立って帰って来た。
た好い画が一枚出来ましたよ」
 エドワアルはそれを岸本に言って見せ、入口の庭にある葡萄棚の下あたりを歩いている主婦かみさんにも言って見せた。
「リモオジュのお土産が沢山お出来に成りますね。ほんとに牧野さんのはずんずん描いておしまいなさる」
 と主婦が庭に居て言うと、主婦の姉さんも台所の窓から顔を出して年老いた婦人らしく皆の話すところを聞いていた。その背後うしろから顔を見せる主婦の姪もあった。
 岸本は牧野と一緒に入口の石階いしだんを上って田舎家いなかやらしい楼梯はしごだんてすりに添いながら二階の方へ行った。リモオジュの秋は牧野に取っても収穫の多かった時で、引継ぎ引継ぎ出来た風景や静物の画のまだよくかわかないのが二階の部屋の壁を一面に占領したくらいであった。岸本は牧野の部屋に行って見る度に、ずその油絵具の乾く強い香気においに打たれた。牧野の旅の骨の折れるらしいことは岡に変らなかったが、気鋭で綿密なこの画家は岡が考え苦んで思わしい製作も出来ずにいる間に、どしどし画筆を着けながら疑問を解いて行くという風であった。旅に来て岸本が懇意に成った画家の中でも、岡と牧野とはそれほど気質を異にしていた。東京の方にある中野の友人のうわさをしたり、倫敦ロンドンへ戦乱を避けて行った高瀬や岡や小竹の噂をしたり、時には夜遅くまで芸術上の談話にふけったりして、田舎へ来てから岸本がただ一人の親しい話相手であり、慰藉いしゃと刺激とを与えてくれたのもこの牧野であった。
 野外の製作に疲れたらしい牧野が靴を脱ぐところを見て、岸本は自分の借りている部屋の方へ行った。橋の畔から帰りがけに聞いて来たヴィエンヌ河の水声はまだ彼の耳の底にあった。彼は巴里の狭苦しい下宿に身を置いたよりも、その田舎家の二階の部屋の方にかえって欧羅巴の旅らしい心持をしみじみと味うことが出来た。彼は親しみのある宿屋の燈火ともしびの前に漸くのことで自分を見つけた旅人のような気もしていた。飾りとても無い部屋で、唯一つある窓のところへ行けば朝晩の露にれる葡萄の葉が見られ、寝台の置いてある部屋のすみへ行けば枕頭まくらもとに掛る黒い木製の十字架が見られ、暖炉の前に行けば幼い基督キリストを抱いた聖母の画像が羅馬ローマ旧教の国らしく壁の上を飾っているぐらいに過ぎなかった。しかし彼はその部屋に居る心を移して、あのよどみ果てた生活から身を起して来た東京浅草の以前の書斎の方へぐに自分を持って行って考えることも出来た。あの冷い壁を見つめたぎり、身動きすることも、家のものと口をくことも、二階から降りることすらもいとわしく思うように成った七年の生活の終りの方へ。あの光と、熱と、夢のない眠より外に願わしいことも無くなってしまったような懐疑うたがいの底の方へ。あの深夜に独り床上に坐して苦痛を苦痛と感ずる時こそ麻痺まひして自ら知らざる状態にあるよりはより多く生くる時であると考えたような自分の身のどんづまりの方へ。あの「生の氷」にたとえて見た際涯はてしの無い寂寞せきばくの世界の方へ。あの極度の疲労の方へ。あの眼のくらむような生きながらの地獄の方へ。あの不幸な姪と一緒にちて行った畜生の道の方へ――
 不思議な幻覚が来た。その幻覚は仏蘭西の田舎家に見る部屋の壁を通して、夢のような世界の存在を岸本の心に暗示した。かつては彼が記憶に上るばかりでなく、彼の全身にまで上った多くの悲痛、厭悪えんお畏怖いふ艱難かんなんなる労苦、及び戦慄せんりつ――それらのものが皆燃えて、あだかも一面のほのおのように眼前めのまえの壁の面を流れて来たかと疑わせた。

        百二

 寺院おてらの鐘のが響き渡った。ツッサン(死者の祭)の日の来たことを知らせるその鐘の音は樹木の多い町はずれの空を通して、静な煙の立登る赤瓦の屋根の間へも伝わり、黄葉のしおれ落ちたはたけへも伝わって来た。バビロン新道の宿でもその日は鉢植はちうえの菊などを用意し、主婦かみさんや少年のエドワアルが墓参りのために近くにある村の方へ出掛けようとしていた。
 岸本がビヨンクウルの老婦人のくなったことを聞いたのは、この死者の祭に先だつ数日前であった。今はヴェルサイユの兵営に自転車隊附として働いているあの書記の留守宅から出た通知状は巴里の下宿の方を廻って岸本の手許てもとに届いた。それにはあの老婦人の遺骸いがいが巴里のペエル・ラセエズの墓地に葬られるということがしたためてあり、子息むすこさんの書記を始め親戚一同の名前がその下の方にくわしい親戚関係と共にならべ記してあった。たとえば、亡き人の姪のだれそれ、亡き人の義理ある兄弟のなにがしという風に。あの老婦人が大きな戦争の空気の中で病み倒れて行ったということは一層その死を痛ましくした。リモオジュの客舎で聞く寺院の鐘が特別の響を岸本の耳に伝えたのもそのためであった。
 岸本は仏蘭西へ来て最初に自分を迎えてくれたのがあの老婦人であったことを思出した。異郷にある旅人として、自分のことを一番多く考えていてくれたのもあの老婦人であったことを思出した。王朝時代の昔を忘れかねていたようなあの仏蘭西の婦人が心の中心を失った結果として東洋諸国に対する夢のような憧憬どうけいを抱いたのか、どうか、その辺までは彼にも言うことが出来なかったが、とにかく趣味性の発達した、生れついて女らしい徳のある、惜しい人であったことを思出した。全く仏蘭西の言葉も知らずに旅に上って来た彼が異邦人としての沈黙から紛れる方法もなかったような折にも、「あなたは急いで仏蘭西語を学ぶがい、もしあなたが僅かの書籍ほんでも読み得るように成ればそれほどの無聊ぶりょうを感じないで済むであろう、自分が書き送るこの数行の言葉でもあなたを慰めることが出来れば仕合せである」などという手紙を寄せて励ましてくれたのもあの書記のお母さんであったことを思い出した。「この悲しい戦争が一日も早く終りを告げることを心から願っている」という意味の言葉で結んだセエブル出の手紙があの老婦人から貰った最後の消息であったことを思い出した。
 知らない国の人が亡くなったとも思われないような力落ちからおとしを感じながら、岸本はひとりでサン・テチエンヌの古い寺院の方へ歩いて行った。

        百三

 丁度死者のための大きな弥撒メスが行われているところであった。ヴィエンヌ河の岸に添うて高く岡の上に立つその寺院おてらは、ゴシック風の古い石の建築からして岸本の好ましく思うところで、まるでと樹の枝を交叉こうさした林の中へでも入って行くような内部の構造まで彼には親しみのあるものと成っていた。よく彼はそこへ腰掛けに来た。その日もあのくなった老婦人の生涯をしのぼうためばかりでなく、しばらくその静かな建築物たてものの中で自分のたましいを預けて行くことを楽みにした。あだかも樹蔭こかげに身を休めて行こうとする長途の旅人のごとくに。
 大理石の水盤で手をらし十字架のしるしを胸の上に描きながらその日の儀式に参列しようとする婦人のつれは幾組となく岸本の側を通った。戦時以来初めての死者の祭のことで、負傷した仏蘭西フランスの兵士等まで戦友を弔い顔に集って来ていた。羅馬ローマ旧教の寺院には何等なんらかの形で必ず表し掲げてある「十字架の道」――その宗教的な絵物語の尽きたところまで右側の廻廊について奥深く進んで行くと、そこにいた椅子があった。岸本は高い石の柱の側を選んで、知らない土地の人達と一緒に腰掛けた。古めかしく物錆ものさびた堂の内へ響き渡る少年と大人の合唱の肉声は巨大な風琴オルガンの楽音と一緒に成って厳粛おごそかに聞えて来ていた。丁度暗い森の樹間このまを通してれる光のように、聖者の像を描いた高い彩硝子いろガラスの窓が紺青こんじょう、紫、紅、緑の色にその石の柱のところから明るくけて見えていた。
 祭壇の方から香って来る没薬もつやくと乳香のかおり何時いつの間にか岸本の心を誘った。彼はこうした羅馬旧教の寺院の空気の中に実際に身を置いて見て、あの人間の醜悪をつくした末に修道院の方へ歩いて行ったばかりでなくしまいには僧侶に等しい十字架を負う人と成ったという極端な近代人の生涯を想像して見た。彼はまた、あの男色の関係すらあったと言い伝えらるる友人との争闘より牢獄ろうごくにまで下った末にデカダンスの底から清浄な智慧ちえの眼を見開いた名高い仏蘭西の詩人の生涯を想像して見た。

        百四

 合唱の声がむと、大きな風琴オルガンの響のみが天井の高い石の建築物たてもの内部なかあふれた。やがて白い法服を着けた年とった僧侶が多勢の信徒を見下すような位置にある高い説教台の上に立った。戦時のツッサンの祭に際会して死者を弔うような説教がそれから可成かなり長く続いた。岸本の心は慷慨こうがいな口調を帯びた僧侶の説教の方へ行き、王冠の形した古めかしい説教台の方へ行き、その説教台と相対した位置にある耶蘇やその架像の方へ行った。しかし彼は何時の間にかそんなことを忘れてしまった。彼は、赤い法服を着け金色の十字架を胸のあたりに掛けた二三の老僧や黒い法服を着けた十幾人かの中年の僧侶が祭壇の前に並んでいることも忘れ、白いかぶりものを冠った尼僧が教え子らしい女生徒を引連れて聴衆の中に混っていることも忘れ、つい側に腰掛けた黒ずくめの風俗の婦人達が説教に耳を傾けていることも忘れ、三本ずつ並んでとぼる長い蝋燭ろうそくの火が祭壇のあたりをかがやかしていることも忘れてしまった。ただ彼は石の柱の側に黙然もくねんと腰掛けて、仮令たとえわずかの間なりとも「永遠」というものにむかい合っているような旅人らしい心持に帰って行った。
 傾きかけた秋の日は高い岡の上に立つ寺院の窓を通して堂内の石の柱に映った。窓という窓の彩硝子は輝いた。あるいは十字架を花のの形に、あるいは菱形ひしがたに、あるいは円形に意匠したその窓々の尖端せんたん、あるいは緑と紅との色の中心に描かれてある聖者の立像、それらが皆夕日に輝いた。こうしたゴシック風の古い建築物の内部にあっては、その中に置かれた羅馬旧教風な金色にさびた装飾もさ程目立っては見えなかった。あらゆる石の重みと、線と、組立とが高い天井の下に集められて、一つの大きな諧調を成していた。日は長い儀式の中で次第に暮れて行った。窓々に映る夕日も消えて行った。あだかも深い林の中に消えて行く光のように。そこにはばたきするように輝いて来た堂内の燈火ともしびと、時々響き渡る重い入口のドアの音と、厳粛おごそかに沈んで行く黄昏時たそがれどきの暗さとが残った。
 岸本がこの寺院おてらを出て、ポン・ナフの石橋のたもとへかかった頃は、まだ空はいくらか明るかった。ヴィエンヌ河の両岸にあるものは皆水に映っていた。彼は牧野と二人でのリモオジュの滞在も最早もう僅に成って来たことを思った。二度とこうした仏蘭西の田舎いなかに来て好きな寺院に腰掛ける時があろうとも思われなかった。バビロン新道の宿をして歩いて行くみちすがらも、彼はこの田舎の都会にある他の寺院にサン・テチエンヌを思い比べて見た。よどみ沈んだ羅馬旧教の空気の中にあって、どれ程の「人」の努力があの古いサン・テチエンヌの寺院をかしているかを想像して見た。

        百五

 リモオジュには岸本は葡萄ぶどうの熟するからやがて酒にかもされるまで居た。マルヌの戦いも敵軍の総退却で終り、巴里パリ包囲の危険も去り、この町へ避難して来た人達も最早大抵帰って行った。戦時の不自由は田舎に居るも巴里に行くも牧野や岸本に取ってほとんど変りが無かった。宿の主婦かみさんめいを連れてた巴里の方へ帰ろうとしていた。牧野も同時にこの町を引揚げようとしていた。
「僕は一歩ひとあし先に出ます。ここまで来たついでにボルドオの方を廻って見て来ます。君等は巴里の方で待っていてくれたまえ」
 この話を岸本は牧野にした。
 早や毎朝のように霜が来た。暖炉にはまきくように成った。彼はこの田舎で刺激された心をもって、もう一度巴里の空気の中へ行こうとしていた。旅のついでに、日頃ひごろ想像する南方の仏蘭西をも見るという楽みを胸に描いていた。そこでボルドオを指して出掛けた。開戦当時のような混雑には遭遇しないまでも、改札口のところに立つ警戒の兵士に警察で裏書してもらって来た戦時の通行券を示すような手数はかかった。
 リモオジュの停車場ステーションまで送って来た牧野や少年のエドワアルと手を分ってからは、彼はひとりの旅となった。やがて彼の乗った汽車はリモオジュの町はずれを通過ぎた。二月なかばの滞在は短かったとは言え、彼は可成楽しい気の置けない時をそこで送ったことを思い、欧羅巴ヨーロッパへ来てから以来このかたほんとうに溜息ためいきらしい溜息のけたのもそこであることを思い、よく行って草をいた牧場にも、赤々とした屋根や建築物たてものの重なり合った対岸の町々にも、リモオジュ全体を支配するようなサン・テチエンヌの高い寺院の塔にも、別離わかれを告げて行こうとした。汽車の窓からヴィエンヌ河も見えなくなる頃は、秋雨あきさめんだ。
 岸本は全く見知らぬ仏蘭西人と三等室にひざを突合せて気味悪くも思わないまでに旅慣れて来たことを感じながら、汽車の窓に近く身を寄せて秋のまさに過ぎ去ろうとしている仏国中部の田舎を見て行った。彼は雨あがりの後の黄ばんだ雑木林をながめたり、丘つづきの傾斜に白樺しらかばかしくりなどの立木を数えたりして乗って行った。時としては線路に添うた石垣の上に野生のはぎかとも見まがう黄な灌木かんぼくの葉の落ちこぼれているのを見つけて、国の方の東北の汽車旅、ことに白河あたりを思出した。その葉の色づいたのはアカシヤの若木であった。枯草を満載した軍用の貨物列車、戦地の方の兵士等が飲料にてるらしい葡萄酒のたるを積んだ貨物列車も、幾台となく擦違すれちがって窓の外を通った。
 オート・ヴィエンヌから隣州のドルドオニュへ越え、コキイユという小さな田舎らしい停車場を過ぎて、南へ行く旅客はペリギュウで乗換えた。ポオプイエの附近を乗って行く頃から、車窓の外に見える地味も変り、人家も多くなり、青々とした野菜畠すら望まれるように成ったばかりでなく、車中の客の風俗からして変った。それらの人達の話し合う言葉のなまりや調子を聞いたばかりでも岸本は次第に西南の仏蘭西に入って行く思いをした。ジロンド州の地方を通過ぎて、暗くなってガロンヌ河を渡った。平時ならば六七時間で来られそうな路程みちのりに十一時間もかかった。彼は汽車の窓を通して暗い空に映る無数の燈火ともしびを望んだ。そこが仏蘭西政府と共に日本の大使館までも移って来ているボルドオであった。
 これ程楽みにしてやって来れば、それだけでも沢山だ、とは岸本が自分で自分に言って見たことであった。彼には南方の仏蘭西を想像して来た楽みがあり、そこまで動いたという楽みがあった――仮令たとえボルドオで彼を待受けていてくれたものは二日とも降り続いた雨ではあったが。ボルドオのサン・ジャン停車場前の旅館では、何がなしに彼は国の方へ宛てて旅の便たよりを書送りたいと思う心が動いた。やや単調ではあったが汽車の窓から望んで来たボルドオ附近の平野、見渡すかぎり連り続いた葡萄畑、それらの眺望ちょうぼうはまだ彼の眼にあった。幾度いくたびとなく彼は旅館の一室で暖炉の前に紙をひろげて見たり、部屋の内をあちこちと歩いて見たりして、とかく思うように物書くことも出来ないのを残念に思った。部屋の壁には小さな海の画の模写らしい額が掛っていた。それを見てさえ彼の胸には久しぶりで海に近く来た旅の心持を浮べた。
 深い秋雨にれながら岸本は町を出歩いた。そこにある大使館をたずねて巴里の方の様子を聞くために。あるいはサン・タンドレの寺院を見、あるいはボルドオの美術館なぞを訪ねるために。時とすると新たに戦地の方へ向おうとする歩兵の群が彼の行く道をふさいだ。灰色がかった青地の新服を着けた兵士等の胸には黄や白の菊の花がされ、銃の筒先にまでそれがかざされてあった。夫を、兄弟を、あるいは情人を送ろうとして、熱狂した婦人がその列に加わり、中には兵士の腕をかかえて掻口説かきくどきながら行くのも有った。
 ガロンヌ河はこの都会の中を流れていた。岸本に取っては縁故の深いあの隅田川すみだがわを一番よく思い出させるものは、リオンで見て来たソオンの谿流けいりゅうでもなく、清いセエヌの水でなく、リモオジュを流れるヴィエンヌでなくて、雨に濁ったこのガロンヌの河口であった。そこには岸本の足をとどめさせる河岸かしの眺めがあったばかりでなく、どうかすると雨が揚がって、対岸に見える工場の赤屋根には薄く日があたった。ちぎれた雲の間を通して丁度日本の方で見るような青い空の色を望むことも出来た。つくづく岸本は郷国くにを離れて遠く来たことを思った。

        百六

 再び巴里を見るのは何時いつのことかと思って出て来たあの都の方へもう一度帰って行く楽しみを思い、新しい言葉の世界がようやく自分の前にひらけて来た楽しみを思い、ボルドオから岸本は夜汽車でった。今度帰って見たらどういう冷い風があの都を吹き廻しているだろう、幾人いくたりの同胞にえることだろう、と彼は思いやった。窓の外は暗し、車中で眠ろうとしても碌々ろくろく眠られなかった。同室の乗客が皆ひどく疲れた頃に汽車の中で夜が明けかかった。
 朝に成ってかえって気のゆるんだ岸本はいくらかでも寝て行こうとした。一眠りして眼をさますと、その度に彼は巴里が近くなって来たことを感じた。心持の好い朝で、何を眺めても眼が覚めるようであった。次第に巴里の近郊から城塞じょうさいの方へ近づいて行った。車窓に映る建築物の趣なぞも何となく変って来た。リモオジュあたりで見て来た地方的なものが堅牢けんろうな都会風の意匠となり、二層三層の高さが五層にも六層にもなり、城廓じょうかくのようにそびえた建築物と建築物の間には積重ねた煉瓦れんがの断面のあらわれたのが高く望まれるように成った。
 朝の八時頃に岸本はドルセエ河岸の停車場に着いた。荷物と一緒に乗った辻馬車つじばしゃの中から彼は右をながめ左を眺めして行った。ボルドオの公園の方で古池のほとりに深い秋を語っていた黄ばんだ柳の葉を眺め、南国的なマグノリアの生々とした濃い緑を眺めて来た眼には、町々は早や全くの冬景色であった。並木も枯々としていた。冷い街路を踏んで行く馬のひづめの音までが耳についた。彼は思ったよりも寂寞せきばくとした巴里に帰って来たことを感じた。
 産科病院の前へ着いて取りあえず岸本は家番やばんのかみさんを見舞った。入口の階段に近く住む家番のかみさんは彼を見ると、いきなり部屋から飛んで出て来た。
「岸本さん」
 と言って彼の前に立った家番のかみさんの顔には、籠城ろうじょう同様の思いをしてずっと巴里に居た人達の心がありありと読まれた。
 変らずにある下宿を見るのも岸本には嬉しかった。主婦かみさんも、主婦の姪もリモオジュから先に着いていて岸本を迎えてくれた。彼は廊下の突当りにある自分の部屋を見に行った。二月半ほど留守にした間に、置捨てて行った荷物でも書籍でも下手へたさわられないほどの塵埃ほこりたまっていた。
 主婦の姪は部屋をのぞきに来て、
「まあ、何という塵埃でしょう。これでも叔母さんと二人で昨日は一日掃除に掛っていたんですよ」
 と言って笑って、岸本の留守中に届いた国からの小包や新聞や雑誌を食堂の方から運んで来てくれた。その中には長い日数をかけて、よくそれでも失われずに届いたと思うものもあった。岸本は部屋の窓へ行って見た。暗い巴里の冬が最早その並木街へやって来ていた。往来ゆききの人もまれであった。向うの産科病院の門、珈琲店コーヒーてん、それから柳博士や千村教授がしばらく泊っていた旅館の窓、何もかも眼にみた。

        百七

 隣室もひっそりとしていた。控訴院附の弁護士でその部屋を借りていた少壮な仏蘭西人は召集されて行ったぎり宿の主婦のところへ音も沙汰さたも無いということであった。「可哀そうに、あの弁護士もひょっとすると戦死したかも知れません」と主婦は岸本に話し聞かせた。隣室にはあのノルマンディあたりの生れの人にでも見るような仏蘭西人が残して置いて行った蔵書や雑誌の類がそっくりそのままにしてあった。岸本はその空虚な部屋をのぞいて見て、悽惨せいさんな戦争の記事を読むにもまさる恐るべき冷たさを感じた。その冷たさが壁一重ひとえ隔てた自分の部屋の極く近くにあることを感じた。岸本は屋外そとへ出て日頃よく行く店へ煙草たばこを買いに寄って見た。そこの亭主はまた片脚かたあし失うほどの負傷をして今は戦地の病院の方に居るとのことで有った。
 午後に牧野が訪ねて来た。リモオジュからリオンの方へ分れて行った美術家の連中が既に巴里へ帰っていることを岸本は牧野の話で知った。ずっと巴里に残っていた一二の画家もあったことを知った。
「牧野君、町を見に行こうじゃ有りませんか。こんなに巴里が寂しくなってるとは思いませんでしたね」
「リオンの連中が帰って来た時はもっと寂しかったそうです」
 岸本は牧野と二人で話し話し宿を出た。サン・ミッセルの通りまで行って、例の「シモンヌの家」の人達を見に一寸ちょっと立寄った。そこの亭主は白耳義ベルジック方面の戦場へ向ったぎり行方ゆくえ不明に成ってしまった。
 非常な恐怖が過ぎて行った後のような寂しさは町々を支配していた。岸本は牧野と並んで長いサン・ミッセルの通りをセエヌ河の方へと歩いて行って見た。外国人は去り、多くの市民も避難し、わずかの老人と婦人と子供とだけが日頃人通りの多いあの並木街を歩いていた。牧野はずっと巴里に残っていたという画家の話を歩き歩き岸本にして聞かせた。一時はこの都も独逸ドイツ軍の包囲を覚悟し、避難者のためにあらゆる汽車を開放したという話をした。麺麭パンなぞをうものには誰にでもただでくれたという話をした。多くの市民は乗るものもなく、皆徒歩で立退たちのいたという話をした。それらの人達が夜の街路まちに続いて、明方まで絶えなかったという話をした。
 シャトレエの広小路まで歩いた。そこまで行くと、いくらか巴里らしい人の往来ゆききが見られた。二人はセエヌの河岸についてサン・ルイの中の島へと橋を渡り、そこから古いノオトル・ダムの寺院の裏手が望まれるところへ出た。石垣の下の方には並んでつりをしている黒い人の影も見えた。セエヌの水も寂しそうに流れていた。
「冷たい石の建築物たてものに、黒い冬の木――いかにも巴里の冬らしい感じですね」
 と牧野は画家らしい観察を語った。岸本はこの人と連立って枯々とした並木の間を影のように動いた。石造の歩道を踏んで行く自分等の靴音の耳につくのを聞きながら、今は巴里にある極くわずかの日本人の中の二人であることをも感じた。

        百八

「早く英吉利イギリスを切揚げたまえ。この沈痛な巴里をあじわいたまえ」
 こう岸本は高瀬へ宛てて手紙の端に書いて送った。倫敦ロンドンにある高瀬からその後の様子を尋ねてよこした時の返事として。
 この周囲の寂しさにもかかわらず、岸本はもう一度自分の部屋の机にむかって見た。灰燼かいじんちまたと化し去ることを免れた旅窓の外に見える町々も、変らずにある部屋の内の道具も、もう一度彼を迎えてくれるかのように見えた。ピアノを復習さらう音がた聞えて来た。例の無心な指先から流れて来るようなそのかすかなメロディばかりでなく、床を歩き廻る小娘らしい靴音までが階上から聞えて来ていた。
 心の悲哀かなしみを忘れるために学び始めた新しい言葉の芽も一息に延びて来た。読もう読もうとしても読めずにしまって置いた書籍を取出して見ると、何時の間にか意味がれるように成っていた時は、彼は青年時代の昔と同じような嬉しさを感じた。大きな蔵の中にでも納ってある物のような気がしていたラテン民族の学芸の世界はにわかに彼の前にひらけて来た。あそこに詩の精神がある、ここに歴史の精神がある、と言うことが出来るように成った。何等の先入主に成ったものをもたなかった彼に取っては、殆ど応接するにいとまの無いようなこの新天地の眺望ちょうぼうほど旅の不自由を忘れさせるものはなかった。
 異郷の生活を続けようとする心を移して、岸本は遠く国の方にある自分の身内のもののことを思いやった。足掛二年の月日は遠く離れている親戚しんせきの境遇をも変えた。姪の愛子は夫にしたがって樺太からふとの方に動いていた。根岸のあによめは台湾の方へ出掛けて行って民助兄と一緒に暮していた。恩人の家の弘が結婚したことも、鈴木の兄が郷里の方で病死したことをも、岸本は旅にいる間に知った。
 何となく遠く成って来た国の方の消息の中で、東京の留守宅の様子を岸本のところへくわしく知せてよこすのは節子であった。彼女からの便りで、岸本は義雄兄の家族にたくして置いて来た二人の子供の成長して行くさまを思いやることが出来た。「あなたの方の身体はかねですか」と丈夫な子供等に向って言暮しているという嫂の言葉、黐竿もちざおを手にして蜻蛉釣とんぼつりに余念がないという泉太や繁の遊び廻っている様子――耳に聞き眼に見るようにそれらの光景を思いやることの出来るのも、彼女からよこしてくれる手紙であった。
「あの事さえ書いてないと、節ちゃんの手紙はほんとにいんだがなあ――」
 と岸本は独りでよくそれを言って見た。節子はまた以前の浅草の住居の方から移し植えたはぎの花のさかりであるということなどに事寄せて、岸本が見たことの無い子供の誕生日の記念のために書いてよこすことを忘れなかった。

        百九

 あれほど便りをするのに碌々ろくろく返事もくれない叔父さんの心は今になって自分に解った、と節子は力のこもった調子で書いた手紙を送ってよこした。長い冬籠ふゆごもりの近づいたことを思わせるような日が来ていた。ルュキサンブウルの公園にある噴水池も凍りつめるほどの寒さが来ていた。部屋の煖炉だんろには火がいてあった。岸本はその側へ行って、節子から来た手紙を繰返し読んで見た。叔父さんはこの自分を忘れようとしているのであろうと彼女は書いてよこした。そんなら、それでいい、叔父さんがそのつもりなら自分は最早もう叔父さんに宛てて手紙を書くまいと思うと書いてよこした。あれほど自分が送った手紙も叔父さんの心を動かすには足りなかったのかと書いてよこした。叔父さんのことを思い、自分の子供のことを思うたびに、枕のれない晩は無いと書いてよこした。そんなに叔父さんは沈黙を守っていて、この自分を可哀そうだと思ってはくれないのかと書いてよこした。
 名状しがたい心持が岸本の胸中を往来した。日頃一種の侮蔑ぶべつをもって女性に対して来たほど多くの失望に失望を重ねた自分の心持がそこへ引出された。めいあわれみ、姪を恐れることはあっても、決して彼女の想像するようなものでは無かった自分の心持がそこへ引出された。節子のことを考える度に、きまりで思出すのは義雄兄の言葉であって、「お前はもうこの事を忘れてしまえ」と言ってくれたあの兄に対して来た自分の心持もそこへ引出された。この岸本の堅くとざした心のとびらの外に来て自分を呼びつづけていたような姪の最後の声を聞く気がした。根気も力も尽き果てたかと思われるようにその扉をたたいた最後の精一ぱいの音を聞きつけたような気がした。
 煖炉には赤々とした火がさかんに燃えていた。倹約な巴里の家庭では何処どこでも冬季に使用するかめ形の小さな炭団たどんが石炭と一緒に混ぜて焚いてあった。岸本は嘆息して、姪から来た手紙も、覚束おぼつかない羅馬ローマ文字で彼女自身に書いてよこした封筒も、共に煖炉の中へ投入れた。見る間に紙は燃え上って、節子の文字は影も形もなくなった。岸本は喪心した人のように煖炉の前に立って、投入れた紙片かみきれが灰に成るのを眺めていた。

        百十

 それぎり節子の消息は絶えた、薄暗く、陰気くさく、ろくろく日光も見られず、極く日の短い時分には午後の三時半頃には最早もう暮れかけて、一昼夜の大部分はあだかも夜であるかのような巴里パリの冬がた旅の窓へやって来た。到頭岸本は戦時のさびしい降誕祭を迎え、子供等に別れてから二度目の年を異郷の客舎で越した。
 黄なミモザの花や小さな水仙のようなナアシスにわずかに春待つ心を慰める翌年の二月半のことであった。一旦消息の絶えた節子からの便たよりが思いがけなく岸本のもとへ届いた。最早手紙は書くまいと思ったが、叔父さんから送ってくれた旅の記念の絵葉書を見るにつけても、つい禁を破ってこの便りをする気に成った、と彼女は書いてよこした。その手紙にはとかく彼女がわずらい勝である事や、浅草時代の自分は何処どこかへ行ってしまったかと思われるほど弱くなったことや、両手にひろがった水虫のようなものはなおらなくて難儀をしているということばかりでなく、母親に対して気まずい思いをしていることが今までに無い調子で書いてあった。読みかけて、岸本はまゆをひそめずにはいられなかった。何故というに、節子の手紙を通して聞くあのあによめの言葉は、兄一人だけしか知らないはずの自分の秘密を感づいているとしか思われなかったから。その時岸本はそう思った。何故、あの義雄兄は嫂にまで隠そうとするような方針を取ってくれたろう。何故、節子はまた母親だけに身の恥を打明けてびるという心を起さなかったろうと。
 節子の手紙で見ると、どうかすると彼女は彼女の幼い弟達の前で、母から「姉さん」という言葉で呼ばれずに「お婆さん」と呼ばれることがあるとしてある。煩い勝ちで台所の手伝いも思うように出来ないという彼女は、この皮肉を浴びる時のつらさを書いてよこした。そればかりでは無い、彼女の母の言葉としてこんなことまで書いてよこした。「お婆さんでは、なんぼなんでも可哀そうだ――そうだ叔母おばさんがい――この人は姉さんじゃなくて、岸本の叔母さんだよ――」母の言うことはこうした調子だと書いてよこした。
「岸本の叔母さん」
 当てこすりで無くてこれが何であろう、と岸本はその言葉を繰返して見た。彼は節子から来た手紙をよく読んで見るにもえない程、今までにない彼女の調子にひどく胸を打たれた。彼女は病的と思われるまでいたましい調子で書いてよこした。気でも狂いそうな調子で書いてよこした。その時ほど、岸本は自分故に苦しんで行く姪のすがたをまざまざと見せつけられたことは無かった。

        百十一

 言いあらわし難い恐怖おそれ哀憐あわれみとは、節子の手紙を引裂いて焼捨ててしまった後まで岸本の胸に残った。ずっと以前に岸本が信濃しなのの山の上に田舎教師いなかきょうしをしながらこもり暮した頃、城址しろあとの方にある学校へ行こうとして浅い谷間たにあいを通過ぎたことがある。ある神社の裏手にあたるその浅い谷間の水の流のところで、一羽の小鳥を見つけたことがある。飛去りもせずにいる小鳥をつかまえるつもりもなく捉えようとして、谷川の石の間を追廻すうちに、何時いつの間にか彼の手にした洋傘こうもりは小鳥の翼を打ったことがある。何かに追われたか、病んでいるか、いずれ訳があって飛去りもしない小鳥を傷つけたと気がついた時はもう遅かった。血にまみれながら是方こちらを見た時の眼は小鳥ながらに恐ろしく、その小さな犠牲を打殺すまでは安心しなかったことがある。そして半町ばかりも歩いて城址に近い鉄道の踏切のところへ出た頃に、手にした洋傘の柄の折れていたのに気がついたことがある。丁度あの小鳥の眼が、想像で描いて見る節子の眼だ。可傷いたいたしい眼だ。鋭いナイフで是方こちらの胸を貫徹つきとおさずには置かないほどの力をった眼だ。
 一度犯した罪は何故こう意地悪く自分の身に附纏つきまとって来るのだろう、と岸本は嘆息してしまった。仏蘭西フランスの詩人が詩集の中に見つけて置いた文句が彼の胸に浮んだ。

   "Que m'importe que tu sois sage,
   Sois belle et sois triste……"

 分別ざかりの叔父の身で自分のめい無垢むく処女おとめの知らない世界へ連れて行ったような心の醜さは、この悲痛な詩の一節の中にも似よりを見出すことが出来る。あの北極の太陽に自己おのれ心胸こころたとえ歌った歌、岸本が東京浅草の住居すまいの方でよく愛誦あいしょうした歌をのこして置いて行ったのも同じ仏蘭西の詩人である。岸本はそうした頽廃たいはいした心をった人が極度の寂寞せきばくを感じながらかつてこの世を歩いて行ったことを想って見た。その人の歌ったあかくしてしかも凍りはつるという太陽は北極の果を想像しないまでも、暗い巴里の冬の空に現に彼が望み見るものであることを想って見た。
 町に出て、岸本は節子のために彼女の煩い苦しんでいるという手の薬を探し求めた。子供等へ送るつもりで買って置いた仏蘭西風の黒い表紙のついた手帳と一緒にして、帰朝する人でもある折にそれをたくそうと考えた。こうした心づかいも、よくよく不幸な節子のような姪がこの世に生きながらえていると思うことをどうすることも出来なかった。その悩ましさは、折角せっかくリモオジュの田舎の方で回復した新しい旅の心におおかぶさって来た。

        百十二

 濃い霧で町の空も暗い日が続いた。時としては町々の屋根に近い空の一部に淡黄な光のほのめきを望み、時としてはめずらしく明るく開けた空に桃色の雲の群を望むような日があっても、た復た暗く閉じめられた心持で暮しがちであった。戦時の寂しい冬らしく万物は皆な凍り果てた。寒い雨の来る晩なぞは、岸本は遠く離れている友人等の名前を呼んで見たいと思うことすら有った。彼は東京の加賀町の友人から絵葉書のはしに書いてよこしてくれた「寂寞懐せきばくきみをおもう」という言葉なぞを胸に浮べながら、窓に行ってながめた。
 六頭の馬にかれた砲車の列が丁度その町を通った。一砲車ごとに弾薬のはこを載せた車が八頭の馬に挽かれてその後から続いた。街路に立って見る市民の中には一語ひとこと熱狂した叫び声を発するものもなかった。いずれも皆静粛な沈黙を守って馬上の壮丁を見送るもののみであった。戦時の空気はそれほど濃い沈鬱ちんうつなものと成って来ていた。岸本は水を打ったようにシーンとしたこの町の光景を自分の部屋から眺めて、数月前よりはかえって一層胸を打たれた。彼はリモオジュから帰って来てから以来このかた、一日は一日よりこの空気の中へ浸って行った。激しい興奮と動揺との時は過ぎて、忍耐と抑制との時がそれに代っていた。
 岸本は自分の部屋を見廻した。戦争以前よりはもっと濃い無聊ぶりょうがそこへやって来ていた。
「ああ、復た始まった」
 とそれを思うにつけても、よく目的めあてもなしに町々を歩き廻り、寄りたくもない珈琲店コーヒーてんへ行って腰掛けたりするより外に時の送りようの無いような、その同じ心持が復た繰返し起って来ることを忌々いまいましく思った。窓からして来ている灰色な光線は、どうかすると暗い部屋の内部なか牢獄ろうごくのように見せた。周囲が冷い石でかこわれていることもその一つである。寝る道具から顔を洗う道具から便器まで室内にそなえつけてあることもその一つである。親戚しんせきや友人や子供等から全く離れていることもその一つである。訪れるものも少なく、よし有っても故国の食物の話や女の話なぞにわずかに徒然つれづれを慰め合うのもその一つである。全く外界に縁故の無いのもその一つである。信じ難いほどの無刺戟むしげきもその一つである。到底行い得べくも無いような空想にらるるのもその一つである。のみならず岸本は自分で自分のむちを背に受けねば成らなかった。心に編笠あみがさを冠る思いをして故国を出て来たものがこの眼に見えない幽囚はむしろ当然のことのようにも思われた――孤独も、禁慾も。

        百十三

 このわびしい冬籠りの中で、岸本の心はよく自分の父親の方へ帰って行った。しきりに彼は少年の頃に別れた父のことが恋しくなった。異郷の客舎に居て前途の思いが胸にふさがるような折には、彼は部屋のすみにある寝台に身を投げ掛けて白いレエスの上敷に顔を埋めることも有った。例のソクラテスの死をあらわした古い額の掛った壁の側で、この世に居ない父の前へ自分を持って行き、父を呼び、そのたましいに祈ろうとさえして見た。あだかも父に別れたままの少年の時のような心をもって。
 岸本の父は故国の山間にあって三百年以上も続いた古い歴史をつ家に生れた人であった。峠一つ越して深い谿谷たにに接した隣村となりむらには、矢張やはり同姓の岸本を名乗る家があった。その家が代々、あるいは代官、あるいは庄屋、あるいは本陣、あるいは問屋の職をつとめたことは、岸本の父の家によく似ていた。その家から岸本の母はかたづいて来た。義雄兄はまた幼少のころからもらわれて行ってその母方の家を継いだ。義雄兄の養父――節子から言えば彼女の祖父おじいさんは、岸本が母の実の兄にあたっていた。岸本が父母の膝下ひざもとを離れ、郷里の家を辞して、東京に遊学する身となったのはようやく九歳の時であった。十三歳の時には東京の方に居て父の死を聞いた。彼は父の側に居て暮した月日の短かったばかりでなく、母のいつくしみを受ける間もまた短かった。彼がしみじみ母と一緒に東京で暮して見たのは艱難かんなんな青年時代が来た頃であって、しかも僅かに二年ほどしか続かなかった。彼は仙台の方へ行っている間に母の死を聞いた。
 これほど岸本は父のことにいて幼い時分の記憶しか有たなかった。四十四歳の今になって、もう一度その人の方へ旅の心が帰って行くということすら不思議のように思われた。半生を通してめぐりに繞った憂鬱ゆううつ――言うこともすことも考えることも皆そこから起って来ているかのような、あの名のつけようの無い、原因の無い憂鬱が早くも青年時代の始まる頃から自分の身にやって来たことを話して、それを聞いて貰えると思う人も、父であった。何故というに、岸本の半生の悩ましかったように、父もまた悩ましい生涯を送った人であったから。仮りに父がこの世に生きながらえていて、自分の子の遠い旅に上って来た動機を知ったなら何と言うだろう……けれども、岸本が最後に行って地べたに額をうずめてなりとも心の苦痛を訴えたいと思う人は父であった。

        百十四

  「ちゝはゝの
  しきりにこひし
  雉子きじの声」

 岸本の胸に浮ぶはこの句であった。この短い言葉の蔭に隠されてある昔の人の飄泊ひょうはくの思いもひどく彼の身にみた。何時来るかも知れないような春を待侘まちわび、身の行末を案じわずらうような異郷の旅ででもなければ、これほど父の愛を喚起よびおこす事もあるまいかと思われた。幼い時の記憶は遠く郷里の山村の方へ彼を連れて行って見せた。広い玄関がある。田舎風の炉辺ろばたがある。民助兄の居るくつろぎのがある。村の旦那衆だんなしゅうはよくそこへ話し込みに来ている。次の間があり、中の間がある。母や嫂がその明るい光線の射し込む部屋で針仕事をひろげている。遠い山々、ひらけた谷、見霞みかすむように広々とした平野までも高い山腹にある位置からその部屋の障子の外に望まれる。坪庭のへいを隔てて石垣の下の方には叔母の家の板屋根なども見える。奥の間がある。上段の間がある。一方には古い枝ぶりの好い松の木や牡丹ぼたんなぞを植えた静かな庭に面して、ひさしの深い父の書院がある。それが岸本の生れた家だ。
 岸本は赤い毛氈もうせんを掛けた父の机の上に父の好きな書籍や、時には和算の道具などの載せてあったことを記憶でまだありありと見ることが出来た。よく肩が凝るという父の背後うしろへ廻って、面白くも可笑おかしくもない歴代の年号などを暗誦あんしょうさせられながら、「享保きょうほ元禄げんろく……」とまるで御経でもあげるように父の肩につかまって唱えたりたたいたりしたあの書院の内を記憶でまだ見ることも出来た。夜遅くまで物書く父の側に坐らせられ、部屋一ぱいにひろげた白紙の前で、眠い眼をこすりこすり持たせられたあの蝋燭ろうそくの火を記憶でまだ見ることも出来た。
 父は厳格で、子供の時の岸本が父のひざに乗せられたという覚えも無いくらいの人であった。父は家族のものに対して絶対の主権者であり、岸本等に対しては又、熱心な教育者であった。岸本は学校の書籍ほんを習うよりも前に、父が自身で書いた三字文を習い、村の学校へ通うように成ってからは大学や論語の素読を父から受けた。彼はあの後藤点ごとうてんの栗色の表紙の本を抱いて、おずおずと父の前へ出たものであった。何かというと父が話し聞かせることは人倫五常じんりんごじょうの道で、彼は子供心にも父をうやまい、おそれた。ことに父が持病のかんでも起る時には非常に恐ろしい人であった。岸本は末子すえっこのことでもあり年齢としもまだちいさかったから、それほどの目にもわなかったが、どうかすると民助兄なぞは弓のおれで打たれた。有体ありていに言えば、少年の岸本に取っては、父というものはただただ恐いもの、頑固がんこなもの、窮屈でたまらないものとしか思われなかった。

        百十五

 少年の時の記憶はまた東京銀座の裏通りの方へ岸本を連れて行って見せた。土蔵造りの家がある。玄関がある。往来に面して鉄の格子こうしはまった窓がある。日の光は小障子を通して窓の下の机や本箱の置いてあるところへ射し入っている。そこが岸本の上京後、小父夫婦やお婆さんの監督の下に少年の身を寄せていた田辺の家だ。
 父から餞別せんべつに貰った五六枚ほどの短冊たんざく、上京後の座右の銘にするようにと言って父があの几帳面きちょうめんな書体で書いてくれた文字、それを岸本はまだありありと眼に浮べることが出来た。少年の彼は窓の下の本箱の抽斗ひきだしの中にその座右の銘を入れて置いて、時には幾枚かある短冊を取出して見た。「行いは必ず篤敬……」などとしてある父の手蹟しゅせきを見る度に、郷里の方に居るきびしい父の教訓を聞く気がしたものであった。覚束おぼつかないながらも岸本が郷里へ文通するように成ってから、父はよく彼のもとへ手紙をくれた。彼の上京後も父は断えざる助言者であった。彼はまた学校の作文でも書くように父へ宛てて書いたが、田辺の小父にそれを見せろと言われた時はよく顔があかくなった。この田辺の家へ父が一度郷里の方から出て来た時のことは、岸本に取って忘れ難い記憶の一つであった。父は旅の毛布ケットやら荷物やらを田辺の家の奥二階でほどいて、そこで暫時しばらく逗留とうりゅうした。郷里に居る頃の父はまだ昔風に髪を束ねて、それを紫のひもで結んで後の方へれているような人であったが、その旅で初めて散髪に成った話などした。「あれはああと、これはこうと――」そんなことを独語ひとりごとのように言っては、自分の考えをまとめようとするのが父の癖であった、父は旅の包の中からきりの箱に入った鏡なぞを取出した時に、「おとっさん、男が鏡を見るんですか」と彼の方で尋ねると、父は微笑ほほえんで、鏡というものは男にも大切だ、殊に旅にでも来た時は自分の容姿を正しくしなければ成らないと話したこともあった。
 父は随分奇行に富んだ人で、到るところに逸話を残したが、しかし子としての彼の眼には面白いというよりも気の毒で、異常なというよりも突飛に映った。その上京で殊に彼はそれを感じた。父は彼の学校友達の家へもたずねて行こうと言出したことがあった。三十間堀の友達の家には、友達の母親が後家で子供達を育てていた。そこへ彼は父を案内して行った。父のることはただ少年の彼には心配でならないようなものであった。学校友達の家へ訪ねて行くと、先方さきでも大変喜んでくれたが、別れぎわに父は友達の母親から盆を借りて土産みやげばかりに持って行った大きな蜜柑みかんをその上に載せた。それを友達の母親の方へ差出すことかと彼が見ていると、父はそうしないで、いきなりその蜜柑を仏壇へ持って行って供えた。こうした父の行いが少年の彼の眼には唯奇異に思われた。彼は父の精神の美しいとか正直なとかを考える余裕はなかった。何がなしにその学校友達の家を早く辞して田辺の方へ父を連れ帰りたいとのみ思った。その時の彼の心では、久しぶりで父と一緒に成ったことをよろこばないではなかったが、矢張やはり郷里の山村の方に父を置いて考えたいと思った。一日も早く父が東京を引揚げ、あの年中榾火ほたびの燃えている炉辺の方へ帰って行って、老祖母おばあさんや、母や、兄夫婦や、それから年とった正直な家僕なぞと一緒に居て貰いたいと思った。後になって考えると、それが彼の上京後唯一度の父子の邂逅めぐりあいであったのである。それぎり彼は父を見なかった。

        百十六

 岸本が父を知るように成ったのは、むしろ父が亡くなってからの後のことであった。ようやく彼が青年期に入って彼自身のにわかな成長を感じ始めた頃、郷里の方にある老祖母さんの死去を聞いて一度帰省したことがある。民助兄もその頃は既に東京で、彼は兄の代理として老祖母さんを弔いかたがた郷里に留守居する母や嫂の方へ帰って行った。その時、彼は久しぶりで自分の生れた家を見たばかりでなく、父ののこした蔵書を見せようと云う母の後にいて裏庭の方へ出た。母屋おもやの横手から土蔵の方へ通う野菜畑と桑畑くわばたけの間のみち、老祖母さんの隠居所となっていた離れの二階座敷、土蔵の前に植てある幾株かの柿の木、それらは皆なごく幼い頃に見たと変らずにあった。母は暗い金網戸の閉った土蔵の石段の上に立って、手にした大きなかぎで錠前をガチャガチャ言わせ、やがて彼を二階の方へ案内した。そこに老祖母さんの嫁に来た時の長持が残っている。ここに母の長持が置いてある。それらの古い道具を除いては、土蔵の二階にあるものは父の遺した沢山な書籍ほんであった。壁によせて積重ねてある古い本箱からは主として国学に関する書籍が出て来た。それを見て、彼は自分の父がどれ程あの古典派の学説に心を傾けたかを感知した。彼が英学を修め始めた時はまだ父は生きていて、非常に心配した手紙をくれたが、あの父の心持も思い当った。
 その頃から彼は一層よく父を知ろうとするように成った。父に関したことは、いかなる小さな話でも心に留めて置こうとした。折あるごとに彼は身内のものや父を知っている人達に父のことを尋ねた。民助兄にも。義雄兄にも。田辺の小父にも。田辺のお婆さんにも。そして、それらの人達の記憶に残るきれぎれな話から父の生涯を想像しようとした。意外にも彼は人から聞いた話よりも、彼自身の内部なかに一層よく父を見つけて行った。彼は自分の内部から押出すようにして延びて来る生命いのちの芽が、一切の物の色彩を変えて見せるような憂鬱な世界の方へ自分を連れて行く度に、特にそれを感じた。彼は年とれば年とる程、自分の性質が父に似て行くことを驚き恐れた。仙台の旅から帰ったのは彼が二十六歳の頃であった。彼は一夏を郷里の鈴木の姉の家に送って、あの姉の口から父の声を聞きつけたことも有った。「捨吉はおれの子だで、あれは学問の好な奴だで、どうかして俺の後を継がせたいものだなんて、おとっさんがよくそうおっしゃったぞや」と姉は郷里のなまりのある調子でそれを彼に話し聞かせた。その頃は鈴木の兄も郷里の家に暮して、最も得意な月日を送っていた。姉に取っても楽しい時であった。姉は久しぶりで一緒になった弟を前に置いて、夫に向って、「まあ、捨吉の坐っているところを見てやって下さい、あれの手なぞはお父さんに彷彿そっくりです」と話して笑った。その時彼は自分の身体の中に父の手までも見つけた。もっとも、父は足袋たびなぞも図無ずなしを穿いたと言われる方で、彼の幼い記憶に残るのは彼よりもずっと背の高い人であったが。

        百十七

 父の憂鬱ゆううつは矢張岸本と同じように青年時代に発したということである。岸本が同年配の他の青年の知らないような心の戦いを重ねたのもその憂鬱の結果であったが、しかし彼はきちがいじみたという程度に踏みこたえた。父のは、それが本物であった。
 こうした父の持病は一生を通して父を苦しめたとは言え、しかし岸本は父にもすこやかな月日の多かったことを想像することが出来る。その証拠には、父は平田篤胤あつたねの門人であったというし、維新の際には家を忘れて国事に奔走したというし、飛騨ひだの国にある水無みなし神社の宮司にもなったというし、それから郷里に退いて晩年を子弟の教育に送ったともいうことである。今は台湾の方で民助兄と一緒に暮している嫂が父の日常のことをよく知っていて、かつて東京の根岸の家でその話を岸本にして聞かせたことも有った。「お父さんのかんの起らない時には、それは優しい人でしたよ。子供にきゅう一つすえられないような人でしたよ」と嫂は話してくれた。
 この嫂を通して、岸本は父が最後に座敷牢ざしきろうで送った日のことを聞いた。幻をまことと見る父の感覚は眼に見えない敵のために悩まされるように成って行った。「敵が攻めて来る。敵が攻めて来る」と父はよく言ったとか。その恐ろしい幻覚から、しまいには父は岸本家の先祖が建立こんりゅうしたという村の寺院おてらの障子へ火を放とうとした。それが父の牢獄にも等しい部屋の方へおもむく最初の時であった。日頃柔順な子として聞えた民助兄も余儀なく父の前に立って、御辞儀一つして、それから村の人達と一緒に父を後手に縛りあげた。父のために造った座敷牢は裏の木小屋にあった。そこは老祖母さんの隠居部屋と土蔵の間を掘井戸について石段を下りて行ったところにあった。前には古い池があり、一方は米倉に続き、後には岸本の家に附いた竹藪たけやぶが茂っていた。そこで父は最後の暗い日を送った。母は別室に居て父の看護を怠らなかったばかりでなく、日頃父のことを「お師匠様」と呼ぶ村の人達まで昼夜交代で詰めていたということである。
 嫂の話は父が座敷牢で暮した頃の細目さいもくを伝えたが、鈴木の姉はまた父の感情を伝えた。姉は最早家出をした夫と別れ住む頃であった。郷里から一寸ちょっと出て来て、東京浅草の方にあった岸本の家の二階でその話を弟にした。どうかすると父は座敷牢でも物を書きたいと言って、すずりや筆を取寄せ、「熊」という字を大きく一ぱいに紙に書いて人に見せたことも有った。そして自らあざけるように笑って、しまいにはもう腹をかかえてころげるほど笑ったかと思うと、悲しげな涙がその後からさめざめと流れた。「きり/″\すくや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」――父はこの古歌を幾度いくたびとなく口吟くちずさんで見て、自分で自分の声に聞入るようにして、暗い座敷牢の格子こうしにつかまりながら慟哭どうこくしたという。「慨世憂国の士をもって発狂の人となす、に悲しからずや」とは父がその木小屋にのこした絶筆であったという。父は最後に脚気かっけ衝心でこの世を去った。

        百十八

 それから鈴木の姉の上京後、まだ園子の達者でいた時分、岸本は父の墓を建てるために一度帰省したこともある。その時は郷里の鈴木の家に姉を見に立寄り、あれから木曾川に添うて十里ばかり歩いた。郷里とは言っても、岸本があの谿谷たにの間の道を歩いて見たことは数えるほどしか無かった。通る度毎たびごとふるい駅路の跡は変っていた。母の生れた村まで行くと、古い大きな屋敷は最早見られなかったが、そこには義雄兄の留守宅があって、節子の母親が祖母さんと二人で子供を相手に暮していた。深い谿谷の地勢はそのあたりで尽きて、山林の間の坂の多い道を辿たどって行ったところに岸本の村がある。遠い先祖の建立したという寺には岸本の家についた古い苔蒸こけむした墓石が昔を語り顔に並んでいた。岸本は岡の傾斜のところに造られた墓地を通りぬけて、杉の木立の間から村の一部の望まれるような位置へ出た。二つのつかが彼の眼に映った。そこに両親が眠っていた。
 村には父の教を受けたという人達がまだ多く住んでいた。日頃岸本の家と懇意な隣家の酒屋の主人もその一人だ。その人に誘われて、眺望ちょうぼうの好い二階座敷に上って見ると、一段高い石垣の上の位置から以前の屋敷跡が眼の下に見えた。村の大火は岸本の父の家を桑畠に変えた。母屋も、土蔵も最早見られなかった。何となく時雨しぐれて来た空の下には、桑畠の間に色づいた柿の葉の枝に残ったのが故郷の秋を語っていた。岸本は隣家の主人と一緒にその桑畠を指して、そこに父の書院があった、そこに父の愛した古い松の樹があった、と語り合った。家をげて東京に移り住むように成った頃から、以前の屋敷跡は矢張隣家の所有であったから、岸本は酒屋の主人の許しを得て独りで裏づたいに桑畠の間に出て見た。甘い香気においのする柿の花の咲くから、青いへたの附いたむだな実が落ちるまで、少年の時の遊び場所であった土蔵の前あたりの過去った日の光景はまだ彼の眼にあった。父の遺した蔵書を見るために母と一緒に暗い金網戸の前の石段に立った日のことなぞもまだ彼の眼に残っていた。くなった老祖母さんの隠居所であった二階座敷から、裏の方へかけて、あの辺だけが僅に焼残っていて、岸本は変らずにある木小屋を見ることが出来た。台湾の方へ行った嫂が話してくれたのも、その小屋のことだ。前にある高い石垣、古い池、後に茂る深い竹藪たけやぶは父のわびしい暗い最後の月日を想像させた。

        百十九

 すべてこれらの父に関する記憶が旅にある岸本の胸にまとまって来た。早く父に別れた彼は多くの他の少年がけ得るような慈愛もろくろく享けず仕舞じまいであった。そのかわりまた大きくなって、むごい父と子の衝突というものをも知らずに済んだ。彼はよくそう思った。自分の学ぶこと、ること、考えることは父と何の交渉があるだろう、もしあの父が生きながらえていたらどんなことに成ったろうと。彼は自分の意のままに父のきらいな外国語を修め始めようとした少年の日から、既にもう父の心にそむき去ったものである。
 不思議にもこの異郷の客舎で、岸本の心はいまかつて行ったことの無いほど近く父の方へ行くように成った。父の声はた彼の耳の底に聞えて来た。紅い太陽が輝くということなしに、さながら銅盤を懸けたかのごとく暗い寒空を通過ぎるような日に、凍った石の建築物たてものの中で旅の前途を考えていると、
「捨吉。捨吉」
 と子供の時に聞いた父の声がもう一度彼の耳に聞えて来るように思われた。
 そればかりでは無い。父が生前極力排斥し、敵視した異端邪宗の教の国に来て、かえって岸本は父をる眼をさえ養われた。自分の国の方にいた頃の彼は、平田派の学説に心を傾けた父等の人達があの契冲けいちゅう真淵まぶちのような先駆者の歩いた道に満足しないで、神道にまで突きつめて行ったことをむしろ父等のために惜んだ。今になって彼は古典の精神をもって終始した父等が当時の愛国運動に参加したことや、学問から実行に移ったことを可成かなり重く考えて見るように成った。彼はこの旅に上る前の年に、記念することがあって父の遺した歌集を編み、わずかの部数ではあったがそれを印刷に附し、父を知る人達の間に分けたことも有った。その遺稿の中には父が飛騨の国でんだかずかずの旅の歌があった。それを彼は思い出して、あの水無みなし神社の宮司として飛騨の山中に籠っていた頃が父の生涯の中でも寂しい時であり、なつかしみの多い時ででもあることを想って見た。彼は又、父が苦しんだ精神病の原因を考えた。それを若い時に想像したようなロマンチックな方へ持って行かないで、もっと簡単な衛生上の不注意に持って行って考えて見た。仮りに父の発狂がそうした外来の病毒から来ているとしても、そのために父に対する心はすこしも変らなかった。恐い、頑固がんこな、窮屈な父は、矢張自分等と同じような弱い人間の一人として、以前にまさる親しみをもって彼の眼に映るように成った。
 この父の前に、岸本は自分の旅の身を持って行った。じても、羞じても、羞じ足りないほどの心で国を出て来た時、暗夜に港を離れ行く仏蘭西フランス船の甲板かんぱんの上に立って最後に別れを告げた時の彼は、実はあの神戸も見納めのつもりであった。彼の旅も、これから先の方針を定めねば成らないところまで行った。

        百二十

「お客さん、お支度したくが出来ましてございます」
 仏蘭西フランス風のしま前垂まえだれを掛けた下女が部屋のを開けて、岸本のところへ昼食の時を知らせに来た。下宿でも主婦かみさんめいはリモオジュへ帰って、田舎出いなかでの下女がやとわれて来ていた。
 暗い廊下を通って、岸本は食堂の方へ行って見た。二年近い月日を旅で暮すうちに彼は古顔な客としての自分をその食堂に見た。
「さあ、どうぞ皆さんお席にお着き下さいまし」とふとった主婦は仏蘭西麺麭パンを切りながら言った。「私共は田舎料理で、ノルマンディからいらしったお客さまのお口には合いますかどうですか」
 町の近くにあるヴャアル・ド・グラアスの陸軍病院に負傷した夫を見舞うためノルマンディの地方から出て来たという女の客、ある家庭の子供を教えに通っている中年の女教師、それらの人達が岸本の食堂で落合う顔揃かおぶれであった。最早もう羅馬ローマ旧教のカレエムが始まっていた。毎年の例のように主婦が豚の腸詰なぞを祝う「肉食の火曜」も過ぎていた。四十日間の宗教季節がたやって来たことは、仏蘭西で暮した月日の長さを岸本に思わせた。
「岸本さん、お国からお便たよりがございますか。お子さん方も御変りもございませんか。さぞ父さんをお待ちでございましょう」
 と主婦も一緒に食卓にきながら言って、大きな皿に盛った精進日しょうじんびらしい手料理を順に客の前へ廻した。この主婦はノルマンディから来た女の客の巴里パリで買ったという帽子をめ、家庭教師の新調した着物のこのみを褒め、「まあ結構な」とか、「実にまあ御見事な」とか、褒められるだけ褒めた。リモオジュの田舎から出た人だけに、お料理から世辞まで山盛にしなければ承知しなかった。岸本はこの人達の世間話にも聞飽きて、費用のみかかる外国の旅のことを思いながら食った。食堂から自分の部屋へ戻って行って見ると、つくづく岸本には異人という心が浮んだ。そうそう長く留るべき場所では無し、又長く続けて行くべき境涯でも無いという気がして来た。自分のことをよく心配していてくれたビヨンクウルの老婦人のような温情のある人はくなった上に、時局は一層彼の旅を不自由にした。折角懇意になった仏蘭西人で国難のために夢中になっていないものは無かった。学問も、芸術も、ほとんど一切休止の姿だ。彼の周囲には、戦争あるのみだ。
 岸本は異郷の土となるつもりで国を出て来た自分の決心が到底行われ難いことを感じて来た。国には彼を待つ頼りの無い子供等があった。彼は、あだかも冷くおごそかな運命の前に首をれる人のようにして、こうした一生の岐路わかれみちに立たせられるよりはむしろ与えられた生命いのちを返したいとまで嘆いた。彼は亡き父の前に自分を持って行って、「この生命を取って下さい」とも祈った。

        百二十一

「旅人よ、足をとどめよ。お前は何をそんなに急ぐのだ。何処どこへ行くのだ。何故お前の眼はそんなに光るのだ。何故お前はそんなに物を捜してばかりいるのだ。何故お前はそんなに齷齪あくせくとして歩いているのだ。
 ――旅人よ。お前はこの国を見ようとしてあの星の光る東の方から遙々はるばるとやって来たのか。この国にあるものもお前の心を満すには足りないのか。
 ――旅人よ。夕方が来た。何をお前は涙ぐむのだ。お前の穿き慣れない靴が重いのか。この夕方が重いのか。それとも明日の夕方が苦しいのか。
 ――旅人よ。何故お前は小鳥のように震えているのだ。仮令たとえお前の生命いのちが長い長い恐怖の連続であろうとも、何故もっと無邪気な心をたないのだ。
 ――旅人よ。足をとどめよ。この国の羅馬ローマ旧教の季節が来ている。お前も来て、主の受難を記念する夕方にいこえ。お前に食わせる麺麭パン、お前に飲ませる水ぐらいはここにも有ろうではないか……」
 書斎でもあり寝室でもある部屋の机にむかって、岸本は自分の書いたものを取出した。窓側まどぎわの壁に掛けてある仏蘭西の暦は三月の来たことを語っていた。その窓側で彼は書きつけた自分の旅情を読み返して見た。
 部屋を見廻すと、まだまだ彼は長い冬籠ふゆごもりの有様から抜け切ることが出来なかった。町の空も暗かった。しかし、正月、二月あたりはもっと暗い日の続くことが多かった。彼は恐ろしい低気圧が、十五日も続いた低気圧が、自分の心の内部なかを通過ぎて行ったことを感じた。冷い感じのする硝子ガラスを通して望まるる町の空は暗いとは言っても早や何となく春めいた紅味あかみを含み、遠い建築物たてものの屋根や煙突もかすんで見え、戦時の冬らしく凍り果てた彼の旅の窓へも、ようやく底温かい春が近づいたかと思わせた。
 久し振りで聞く軍隊の相図の笛が岸本の耳についた。喇叭卒らっぱそつを先に立てた仏蘭西歩兵の一隊がゴブランの市場の方角から進んで来た。そして町の片端で足を休めて行こうとするところであった。窓から望むと、冬枯のプラタアヌの並木の下あたりは寄せ集めた銃や肩から卸した背嚢はいのうで埋められた。騎馬から下りて休息する将校等も見えた。眼の下に動く兵卒等の軍帽を包んだ紺のきれや、防寒用の新服はいずれもひどく汚れて、風雪の労苦が思いやられた。
「生きたいと思わないものは無い――」
 と彼は自分に言って見た。
 町々の婦女おんなは出て兵卒等をねぎらおうとした。葡萄酒ぶどうしゅを奮発する珈琲店コーヒーてんのかみさんがあれば、パン菓子を皿に盛って行って勧める菓子屋のかみさんもあった。岸本も部屋にじっとしていられなかった。彼は急いで帽子をかぶり、階段を降りて、この人達の中に混ろうと思った。夫や兄弟や従兄弟いとこのことを心配顔な留守居の婦女おんな、子供、それから老人なぞが休息する兵卒等の間を分けて、右にも左にも歩いていた。岸本は自分の隠袖かくしの中から巻煙草まきたばこの袋を取出し、それを側に居る五六人の兵卒にすすめて見た。

        百二十二

 一日は一日より岸本の旅の心は濃くなって来た。暇さえあれば岸本は自分の下宿を出て、戦時の催しらしい管絃楽かんげんがくの合奏をくためにソルボンヌの大講堂に上り、巴里の最も好い宗教楽があると言われるソルボンヌの古い礼拝らいはい堂へも行って腰掛けた。彼はまた人と連立って、サン・ゼルマンの長い並木街をセエヌの河岸かしまで歩きに行って見た。ルウヴル宮殿の古い建物たてものやチュレリイ公園の石垣が対岸に見える河のほとりまで行くと、水の流れも何となくかすんで見え、岸に立つマロニエの並木も芽ぐんで来ていた。そういう日にはことに春待つ心が彼の胸に浮んだ。
 二年近くかかって育てた新しい言葉も延びて行く時であった。彼は旅人らしく自分の周囲を見廻すと、きたるべき時代のためにせっせと準備しているようなもののあるのに気がついた。彼の眼には、どう見てもそれは芽だ。間断なく怠りなく支度しているような芽だ。それは可成かなりもう長いこときざしに萌して来たものであるとも言える。けれども何人なんぴとの骨髄にまでもみ渡るような欧羅巴ヨーロッパの寒い戦争が来て、一層その発芽力を刺激されたようにも見える。そうしたものが彼の周囲にあった。そしてその芽の一つとして、かつて一度は頽廃たいはいしたものの再生でないものは無かった。
 この観望は岸本が旅の心を一層深くさせた。彼の周囲には死んだジャン・ダアクすら、もう一度仏蘭西人の胸にきかえりつつあった。彼は淫祠いんしにも等しいような古いカソリックの寺院を多く見た眼でリモオジュのサン・テチエンヌ寺を見、あのサン・テチエンヌ寺を見た眼を移して巴里のフランソア・ザビエー寺などを見、更に眼を転じて「十字架の道」へと志す幾多の新人のあることに想い到ると、そうした再生の芽を古い古い羅馬旧教の空気の中にすら見つけることが出来るように思った。
 その芽が岸本にささやいた。
「お前も支度したらいではないか。よどみ果てた生活の底から身を起して来たというお前自身をそのまま新しいものにえたら可いではないか。お前の倦怠けんたいをも、お前の疲労をも――出来ることならお前の胸の底に隠しつ苦悩そのものまでも」

        百二十三

 町に出て往来ゆききの人々に混りたいと思うような午後が来た。岸本は下宿を出ようとして、丁度パスツウルに近い画室の方からたずねて来る牧野にった。
 岡も、小竹も相前後して既に英吉利イギリスの方から巴里へ戻って来ている頃であった。牧野は岡の意中の人が国の方でわきかたづいたという消息を持って来た。戦争前、美術学校の助教授が巴里をつという際にも、その他の時にも、まだ岡は一縷いちるの望みをそれらの人達の帰国につないでいた。最早岡の意中の人も行ってしまった。それを思いやって、岸本は牧野と顔を見合せた。
「今僕の画室へ岡や小竹が集まっています」と牧野が言った。「どう慰めようもなくて僕等は困ってるところなんです。あなたにでも来て頂かなくちゃ――」
「僕なぞが君、出掛けて行ったところでどうすることも出来ないじゃないか」
 こう岸本は言ったものの、岡のことも心に掛って、呼びに来た牧野と一緒に下宿を出た。
 二人はポオル・ロワイアルの並木街を歩いて行った。暮の降誕祭ノエル前に、仏蘭西政府がボルドオから移って来た頃あたりから、町々はいくらかずつのにぎやかさを増して来たが、しかしまだまださびしかった。戦争が各自の生活に浸潤して行く光景は、特に黒い喪服を着け黒いしゃを長く垂下たれさげて歩く婦人の多くなったことを取りたてて言うまでもなく、二人はそれを町で行き逢ういかなる人の姿にも読むことが出来た。よごれた顔の子供にも、荷馬車に石炭を積んで巨大おおきな馬を駆って行く男にも、子供の手を引き腰掛椅子を小脇こわきかかえながら公園の方へ通う乳母うばにも、鳥打帽子をかぶった年若な労働者にも、小犬を連れたお婆さんにも、赤い花や桜の実の飾りのついた帽子を冠り莫迦ばかかかとたかい靴を穿き人の眼につく風俗をしてその日のかてを探し顔な婦人にも。
 天文台前の広場まで行くと、二人は十七八歳ばかりの青年の一群にも遭遇であった。それらの青年は皆学生であった。普通の服に革帯かわおびを締め、腕章うでじるしを着け、脚絆ゲートルを巻きつけ、銃を肩にし、列をつくって、兵式の訓練を受けるためにルュキサンブウルの公園の方へ行くところであった。中にはまだ若々しい聡明そうめいおもざしのものも混っていた。
「あんな人達まで今に戦争に行くんでしょうか。僕等のことにしたら、短いはかま穿いて学校へ通ってる時分の年齢としですがなあ」
 二人はこんな言葉をかわしながら、いずれ国難におもむこうとしているような仏蘭西の若者達を見送った。
 過ぐる年に比べると並木の芽出もずっとおくれた。プラタアヌの木なぞはだ冬枯そのままであった。モン・パルナッスの並木街をノオトル・ダムの分院の前あたりまで歩いて行くと、その辺にはようやくマロニエの青い芽が見られた。
「もうそれでもマロニエの芽が見られるように成りましたね」
 牧野は岸本と並んで歩きながら言った。
「牧野君もよくあの画室に辛抱しましたね。なんだか今年の冬は特別に長いような気がしました」
 と岸本も足早に歩きながら答えた。彼の胸にはいに行く岡のことや、自分の旅のことが往来した。

        百二十四

「君等は感心だ。よくそれでもお互に助け合うね」
 と岸本はパスツウルの通りまで歩いて行った頃に牧野の方を見て言った。
「僕のところへ来るモデルもそれを言いましたよ。『日本人は皆貧乏だ、そのかわり感心に助け合う、よその国から来てるものには決してそういうことは無い』ッて」
 と牧野が答えて、自分の家の方へでも帰って行くように画室のある横町の方へ岸本を誘って行った。モン・パルナッスの停車場ステーションの裏側からその辺の並木のある通りへかけては、岸本に取っても通い慣れた道だ。巴里を囲繞とりま城塞じょうさいの方に近いだけ、いくらか場末の感じもするが、それだけまた気が置けない。よく岸本が牧野のもとへ自炊の日本飯を呼ばれに行って、ねぎなぞを買いに出た野菜の店もその通りに見える。そこまで行くと画室も近かった。
 岡や小竹はビイルを置いた机を囲みながら牧野の帰りを待っていた。
「や。どうもお使御苦労さま」と小竹は牧野の方を見た。
「牧野、岸本さんも来たから、一緒に一ぱいらんか」と岡も飲みさしたコップを前に置いて言った。
「ああ」
 牧野は主人役と女房役とを兼ねたという風で、何か款待顔もてなしがおに画室のすみでゴトゴト音をさせていた。この光景ありさまを見たばかりでも岸本には「巴里村」の気分が浮んで来た。彼は岡と差向いに腰掛けた。岡は言葉も少かった。癖のように力を入れた肩と熱意のあふれた額とに物を言わせ、小竹や岸本のためにビイルをいだ。あだかも行く人を送るために互にさかずきげようとするかのように。
「物のわかった人が側に附いていながらこういう結果に成ったかと思うと、そればかりが僕には残念なんです」
 岡はそれを言った。
「岡君と僕の場合とを比べることも出来ないが――第一、岡君から見ると僕はずっと年も若かったし、境遇も違っていました。でも、互いに心を許したという点だけでは似てるかと思う。僕は死をもって争った。それでも行く人をどうすることも出来なかった。僕は自分の方から別離わかれを告げましたよ――もっとも僕の場合には、先方さき許婚いいなずけの人がありましたがね」
 岸本は平素めったに口にしたためしも無いようなことを皆の前に言出した。

        百二十五

 岸本はこの仏蘭西の旅に上って来た時、神戸の旅館で思いがけなく訪ねて来てくれた二人の婦人に邂逅めぐりあったことを忘れずにいる。二十年の月日を置いて逢って見たあの人達はもう四十を越した婦人でも、二十年前にくなった人は何時いつまでも同じ若さの女として岸本の胸に残っている。彼が岡や小竹を前に置いて思わず言出したのは、あの神戸で邂逅った婦人等のふるい学友にあたる勝子のことであった。青木、市川、すげ足立あだち――それらの友人と互いに青春を競い合うような年頃に、岸本はあの勝子にった。すべてまだ若いさかりの彼に取って心に驚かれることばかりであった。不思議にも、世に盲目と言われているものが、あべこべに彼の眼を開けてくれた。彼の眼は勝子に向って開けたばかりでなく、それまで見ることの出来なかった隠れた物の奥を読むように成った。彼は自分の身の周囲まわりにある年長としうえの友達や先輩の心にまで入って行くことが出来たばかりでなく、ずっと遠い昔に情熱の香気の高い詩歌なぞをのこした古人の生涯を想像し、誰しも一度は通過とおりこさねば成らないような女性に対する情熱をそれらの人達の生涯に結び着けて想像するように成った。若い生命いのちがそこからひらけて行った。
 しかし彼の前に展けた若い生命とは、そう明るく楽しいばかりのものではなくて、むし惨憺さんたんたる光景に満たされた。彼は自分の手から※(「てへん+宛」、第3水準1-84-80)ぎ放されて結局父親の命ずるままに他へ嫁いて行く勝子を見た。簡単に言えば、彼が貧しかったからである。彼は同じ年の若さであっても、今少し豊かな家に生れたならば彼女を引留め得べき多くの暗示を受けたことを忘れることが出来なかった。彼のささげ得るものとては、一片の心のまことに過ぎなかった。「わたしはお前を愛する、わたしの身体からだはもう死んだも同じものだ、残るものはただお前を慕う心があるばかりだ」こう言いながら勝子は父親の手に引かれて行ってしまった。彼はそれを自分の身に経験したばかりでなく、彼の周囲にあった友人の場合にも経験した。市川のような賢い青年であっても、情人の姉なり親戚しんせきなりに経済上の安心を与え得なかったものは失敗した。そして日本橋伝馬町てんまちょう鰹節かつおぶし問屋に生れた岡見は成功した。この事実は彼の若い心に深い感銘を刻みつけた。愛のすなきを悟ったのは実にその時であった。
 小竹や牧野の楽しい笑声が岸本の前で起った。国の方に細君を残して置いて来たというこの二人の画家はわだかまりの無い笑声に紛らして、岡の心を慰めようとしていた。一切を葬る時が来たと言わぬばかりに腕組して考えている岡を見ると、岸本は若い時の自分を眼前めのまえに見るという程ではないまでも、すくなくもそれに似よりの心持を起した――勝子がまだ生きている頃の彼と、岡とは、弟と兄ぐらいの年齢としの相違であったから。

        百二十六

 若かった日のことを思い出すと同時にきまりで岸本の胸に浮んで来る青木の名は、よく彼の話に出るので、岡や牧野にも親しみのあるものと成っていた。彼はあの二十七歳ばかりで惜しい一生を終った友人の言葉を岡の前で思い出した。
「青木君がそう言いましたっけ。『この世にあるもので、一つとして過ぎ去らないものは無い、せめてその中で、誠を残したい』ッて。僕は岡君にあの言葉をすすめたいと思うね」
 こう岸本は岡の方を見て言った。日の暮れる頃まで彼はその画室で話した。その年の正月に巴里パリにある心易こころやすい連中だけが集まって、葡萄酒ぶどうしゅを置き、モデルに歌わせ、皆子供のように楽しい一夕いっせきを送った時の名残なごりは、天井の下の壁から壁へ渡した色紙も古びたままで、まだ牧野の画室に掛っていた。やがて岸本は辞し去ろうとした。牧野は町まで買物があると言って、岡のことを心配しながら岸本にいて来た。
 牧野は町に出てから言った。
「今度という今度はさすがの岡も力を落したようですよ」
「まあ、さんざんき給えとでも言うより外に仕方が無いね」と岸本も一緒に日暮方の歩道を踏みながら、「あの人のことだから、いずれ何かその中からつかんで来るでしょう」
「僕の妹を仮りにくれろと言われたところで、僕だって考えますよ。美術家同志というものはあんまり内幕を知り過ぎていてかえっていけない。妹にまで同じ苦労をさせようとは思いませんからね」
 こんな言葉をかわしながら歩いて、往きかう人の可成かなりにあるパスツウルの通りで岸本は牧野に別れた。
 マロニエの並木の芽も一息に延びそうな、何となく三月らしい日暮方であった。七時の夕飯まではまだ間があった。岸本は牧野の画室で引出された心持や、若い時分の友達のことや、それに連れて一緒に胸に浮んで来るあの勝子のことなぞを思いながら、底暖かい町の空気の中を自分の下宿の方へ帰って行った。
「今だに盛岡のことなぞをよく思い出すところを見ると、矢張やはりあの人には女らしい好いところが有ったんだナ」
 道すがら岸本はそれを言って見た。盛岡とは勝子の生れた郷里だ。伝馬町とか、西京とか、昔はよく市川や菅などと一緒になるたびにはそんな符牒ふちょうが出たものだ。
 岸本が岡の落胆を思いやる心は、やがて勝子の結婚を聞いた時の昔の自分の心だ。確かにそれは若い時の彼に取って打撃であった。見知らぬ新婚の夫婦なぞを町で見かけたばかりでも彼の若い心はいたんだ。しかし勝子の死を聞いたことは、それよりも更に大きな打撃であった。彼女は結婚して一年ばかりった後、妊娠中のつわりとやらで、まだ女の若いさかりの年頃でくなった。その話を聞いた時の彼には、何となくそこいらが黄色く見えて、往来の土まで眼前めのまえで持上るかのようにすら感じられた。暗い月日がそれから続いた。多くの艱難かんなんも身に襲って来た。彼は自分の沮喪そそうした意気を回復するまでにどれ程の長い月日を要したかを今だによく想い起すことが出来る。
 仙台の旅はこうした彼の心を救った。一生のすずしい朝はあの古い静かな東北の都会へ行って始めて明けたような気がした。しかし彼はもう以前の岸本では無かった。それから後になって彼が男女のわずらいから離れよう離れようとしたのも、自分の方へ近づいて来る女性を避けようとしたのも、そして自分ひとりに生きようとしたのも――すべては皆一生のうちの最も感じやすく最も心の柔かな年頃に受けたにがい愛の経験に根ざしたのであった。

        百二十七

「青木君が亡くなってから、もう何年に成るだろう」
 四十いくつかの窓に燈火あかりの望まれる産科病院の前に帰ってからも、岸本は自分の部屋の暖炉の上に置いてある洋燈ランプの前に行って、昔の友人に別れてから以来このかたのことを辿たどって見た。あの青木や、足立や、菅や、市川や、それから岡見兄弟なぞと一緒に踏出した時分の心持を辿って見た。
 夕飯後に、下宿の女中が来て、大急ぎで部屋の窓を閉めて行った。
「窓から燈火が見えると、警察でやかましゅうございますから」
 と女中はそんな戦時らしい言葉を残して出て行った。
 岸本は黄色なきれかさのはまった古めかしい感じのする洋燈を自分の机の上に移した。その燈火にむかっていると、彼の心は容易に妻を迎える気に成らなかった結婚前の時へも行き、先輩のすすめで婚約した園子はかつて娘の時分に同じ学校を早く卒業したあの勝子から物を習った人であったことなどへも行き、初めて園子と一緒に小鳥の巣のような家を持った楽しい新婚の当時へも行った。
「父さん、私を信じて下さい……私を信じて下さい……」
 あの園子の言葉、結婚して十二年の後に夫の腕に顔をうずめて泣いたあの園子の言葉は、岸本が妻から聞いた一番なつかしみのこもった忘れ難い言葉であった。愛することを粗末にも考えまいとして、彼は苦い人生を経験した。彼は失ったものを取返そうとして、かえって持っている者までも失った。園子が産後の出血で、ほとんど子供等に別れの言葉を告げるいとまもなくこの世を去った頃は、彼はただ茫然ぼうぜんとして女性というものを見つめるような人になってしまった。もし彼がもっと世にいう愛を信ずることが出来たなら、子供を控ての独身というような不自由な思いもしなかったであろう。親戚しんせきや友人の助言にも素直に耳を傾けて、後妻を迎える気にも成ったであろう。信の無い心――それが彼のちて行った深い深いふちであった。失望に失望を重ねた結果であった。そこから孤独も生れた。退屈も生れた。女というものの考え方なぞも実にそこからくずれて来た。
 旅に来て、彼はめいからかずかずの手紙を受取った。いかに節子が彼女の小さな胸をひろげて見せるような言葉を書いてよこそうとも、彼にはそれを信ずる心は持てなかった。

        百二十八

 ソクラテスの死をあらわした例の古い銅版画の掛った壁を後方うしろにして、寝台に近く岸本は腰掛けた。そして自分の半生を思い続けた。
「情熱あるものといえども、真にその情熱を寄すべき人にうことは難い」
 これは岸本が春待つ旅の宿で故国の新聞紙への便たよりの端に書きつけて見た述懐の言葉であった。夜の九時と言えば窓の外もひっそりとして、往来ゆききの人の靴音もまれにしか聞えないような戦時らしい空気の中で、岸本は自分で書いた言葉を繰返して見た。ようやく八歳の頃に既に激しい初恋を知ったほどの性分に生れつきながら、異性というものを信ずることも出来なくなってしまったような半生の矛盾を考えて見た。
 京都大学の高瀬が隣室に居た頃、柳博士等と連立ってたずねて行ったあのペエル・ラセエズの墓地にあるアベラアルとエロイズの墓は、まだありありと岸本の眼に残っていた。あの名高い中世紀の僧侶ぼうさんは弟子であり情人である尼さんと終生変ることのない愛情をかわしたというばかりでなく、死んだ後まで二人でまくらを並べて、古い黒ずんだ御堂の内に眠っていた。そこにあるものは深い恍惚こうこつの世界の象徴だ。想像も及ばぬ男女の信頼の姿だ。「さすがにアムウルの国だ」などと言って高瀬は笑ったが、岸本にはあの墓が笑えなくなって来た。仮令たとえアベラアルとエロイズの事蹟じせきが一種の伝説であるというにしても。岸本はあの四本の柱でささえられた、四つのアーチのどの方面からも見られるカソリック風な御堂の中に、愛の涅槃ねはんのようにして置いてあった極く静かな二人の寝像を思出した。あの古い御堂を囲繞とりま鉄柵てっさくの中には、秋海棠しゅうかいどうに似た草花が何かのしるしのようにいじらしく咲き乱れていたことを思出した。彼はその周囲まわりめぐりに廻って二つ横に並んだ男女のすがたを頭の方からも足の方からもながめて、立ち去るに忍びない気のしたことを思出した。まるでお伽話とぎばなしだ、と彼は眼に浮ぶ二人の情人のことを言って見た。しかし、お伽話の無い生活ほど、寂しい生活は無い。彼は最早もう自分の情熱を寄すべき人にも逢わず仕舞じまいに、この世を歩いて行く旅人であろうかと自分の身を思って見た。そう考えた時は寂しかった。
 その晩、岸本は遅く部屋の寝台に上った。枕にく前にも、床の上に半ば身を起していて、若い時分の友達のことや、自分の青年時代のことを思い出した。あの早くこの世を去った青木に別れた時から数えると、やがて二十年近くも余計に生き延びた自分の生涯を胸に浮べて見た。彼は唯持って生れたままの幼い心でその日まで動いて来たと考えていた。気がついて見ると、どうやらその心も失われかけていた。
「そうだ。何よりもず自分は幼い心に立ち帰らねば成らない」
 と言って見た。旅に来てその晩ほど、彼は自分の若かった日の心持に帰って行ったことは無かった。

        百二十九

 かたくなな岸本の心にも漸くある転機がきざした。もし国の方へ帰らないことに方針を定め、全然知らない人の中へ踏込んで行こうとするには、この戦時に際してどういう道が彼の前にあったろう。今は十八歳から四十八九歳までの仏蘭西フランス人が国難におもむいている。学芸に携わるものでも、ビヨンクウルの書記のように自転車隊附として働いているものがあり、ラペエの詩人のように輸送用の自動車に乗って働いているものもある。もし義勇兵に加わっても知らない人の中へ行こうとするほどの心をつならば、無理にも行く道が無いではなかった。けれども岸本はこれ以上深入して、国の方に残して置いて来た子供等を苦めるには忍びなかった。そこまで行って、漸く彼には帰国の決心がついた。
 義雄兄からはなるべく早く帰って来てくれとした手紙が来るように成った。岸本は兄にててこの決心を書送った。ともかくもきたる十月の頃まで待ってくれ、それまでには帰国の準備をしたいと思うし、二度と出掛けて来るような機会が有ろうとは一寸ちょっと思われないから、出来るだけこの旅を役に立てたいと思うと書送った。
「岸本さん、スエズを経由して日本の方へ帰ります」
 短い言葉に無量の思いをめた絵葉書が千村教授のもとから届いた。それを手にして見ると、岸本は旅の空で懇意になったあの千村の声を親しく聞く気がした。千村は郵船会社の船で倫敦ロンドンから帰東の旅に上る時にその便りをくれたのであった。亜米利加アメリカ廻りで帰りたいという便りのあった高瀬の出発も最早遠くはあるまいと思われた。
 岸本は部屋の窓へ行って、千村が泊っていた旅館を望んだ。窓の外にあるプラタアヌの並木はまだまだ冬枯そのままであった。そのまばらな枝と枝の間を通して、千村のふるい部屋の窓や、その下の方の珈琲店コーヒーてん暖簾のれんや、食事のたびに千村が通って来た町の道路などをよく見ることが出来た。あの人達が去った後でもまだ続いている欧羅巴ヨーロッパの戦争、ひとり見る巴里の三月の日あたり、それらの耳目に触れるものから起って来る感覚は一層岸本の心を居残る旅らしくした。彼はその窓際まどぎわに立って遠く帰って行く旅の人を見送ろうとするかのように、千村の航海を想像した。彼の心は神戸から自分を乗せてはしって来た仏蘭西船へ行き、あの甲板の上から望んで来た地中海へ行き、紅海へ行き、亜剌比亜アラビア海へ行った。恐ろしい永遠の真夏を見るような印度インド洋の上へも行った。コロンボ、新嘉坡シンガポール、その他東洋の港々の方へも行った。彼はきとかえりの船旅を思い比べ、欧羅巴を見た眼でもう一度殖民地を見て行く時の千村を想像し、漠然ばくぜんとした不安や驚奇やは減ずるまでも、より豊かな旅の感覚の働きはかえって還りの航海の方に多かろうと想像した。彼はまた千村が再び母国を見得るの日を思いやって、二年前一切を捨てる思いをして遠く波の上を急いで来た自分の身にも、それと同じような日がいずれは来るように成ったことを不思議にさえ思った。

        百三十

 温暖あたたかい雨がポツポツやって来るように成った。来るか来るかと思ってこの雨を待侘まちわびていた心地はなかった。五箇月も前から――旅の冬籠ふゆごもりの間――岸本は唯そればかりを待っていたようなものであった。リモオジュの旅以来、彼の周囲には何が有ったろう。仏蘭西国境の山地寄りの方では塹壕ざんごうが深く積雪のために埋められたとか、戦線に立つものの霜焼しもやけを救うために毛布を募集するとか、そうした労苦を思いやる市民の心がその日まで続いて来た。彼の耳にする話は一つとして戦争の惨苦を語らないものは無かった。開戦以来、五六十万の仏蘭西人は既に死んでいるとの話もあった。この戦争が終る頃には満足な身体からだで巴里へ帰って来るものは少かろうとの話もあった。彼が町で行きう留守居の子供でも婦女おんなでも老人でも、やがて来る春を待侘びていないものは無かった。寒苦、寒苦――この避け難い戦争の悩みの中で、世界の苦の中で、草木の再生がやがて自分等の再生であることを願っていないものは殆ど無いかのように見えた。
 毎日のように岸本は部屋の壁に掛る仏蘭西の暦の前へ行った。日も余程長くなって来た。空も明るくなって来た。最早煖炉だんろなしに暮すことも出来た。一雨ごとに彼は春の来るのを感じた。漸くマロニエの芽もふくらんで来るように成った。彼はあらゆる草木が復活いきかえる中で、やがて来る若葉の世界を待つのを楽みにした。白い蝋燭ろうそくを立てたようなマロニエの花が若葉の間に咲いて、冷い硝子窓ガラスまどからも、石の壁からも、春のほのおが流れて来るのは最早遠くは無かろうと思われた。
 そよそよと吹いて来る夕方の南風に乗って独逸ドイツの飛行船までがやって来るように成った。ある仏蘭西の記者の言草ではないが、あの「空中の海賊」が巴里の市中と市外とに爆弾を落して行った最初の夜は、岸本はその騒ぎも知らずに熟睡していたくらいであった。翌晩、けたたましい物音に彼は床の上で眼をさました。喇叭らっぱを鳴して飛ぶ警戒の自動車が深夜の町々を駆けめぐった。た彼は敵の飛行船の近づいたことを知った。急いで部屋を出て見ると、台所には震えながら祈祷いのりをあげている下宿の主婦かみさんがある。屋外そとには暗い空を仰いで稲妻いなずまのような探海燈の光を望む町の人達がある。こうした巴里に身を置いても、彼はそれほど恐ろしくも思わないまでに戦時の空気に慣れて来た。「つばめのかわりに飛行船が飛んで来ました」そんなことを云って下宿の人達を苦笑にがわらいさせた位であった。それよりも彼はこうした巴里の状況が電報で伝えられて、遠く国の方に居る親戚や知人を心配させることを気遣きづかった。
 岸本は旅の窓で、自分を待暮している泉太や繁のことを思い、義雄兄あてに知らせてやった帰国の時が子供等の耳に入る日のことを想って見た。それから、もう一度あの不幸な節子を見る日の来ることをも想って見た。それを考えると思わず深い溜息ためいきが出た。
 眼前めのまえの戦争から、岸本はその中に動いているいろいろな人の心を読むように成った。丁度あの「アンナ・カレニナ」の終に書いてあるヴロンスキイの出発のようにして、進んで戦地におもむき、自ら救おうとする若い仏蘭西人のあることを彼は想像するに難くなかった。戦争を遊戯視し、まるで串談じょうだんでもに行く人のようにして親しい家族や友人に停車場まで見送られたというブロッスの教授の子息むすこさんのことも彼は聞いて知っていた。その心を思うと、実に可傷いたいたしかった。死の中から持来す回生の力――それは彼の周囲にある人達の願いであるばかりでなく、また彼自身の熱い望みであった。春が待たれた。


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     『寝覚』附記

「寝覚」は、『新生』の改題。
 こんな悲哀と苦悩との書ともいうべきものを、今更読者諸君におくるということすら気がひける。しかし、これなしにはあの『嵐』にまで辿たどり着いた自分の道筋を明かにすることも出来ない。
 この作、もと二部より成るが、本来なら更に一部を書きし全体を三部作ともして、結局この作の主人公が遠い旅からいだいて来た心に帰って行くまでを書いて見なければ、全局の見通しもつきかねるような作で、人生記録としてもまことに不充分なものではある。それに、これを書いた当時と二十年後の今日こんにちとでは、周囲の事情も異り、人も変り、そういう自分の心の持ち方も改まって来ている。そんなわけで、この文庫第七篇のためにはむしろ第一部を選び、作中の主人公が遠い旅に出るから帰国を思うまでのくだりにとどめ、題も『寝覚』と改めた。
 今日になって見ると、これを書いた当時わたしは新生という言葉に拘泥し過ぎたことに気づく。新生が新生であるというのは、それの達成せられないところにある。そう無造作に出来るものが新生でもない。その意味から言っても、今回改題の『寝覚』こそ、むしろこの作にふさわしい。
 この作の第一部は大正七年四月に着手し、東京大阪両朝日紙上に発表した。時に四十七歳。第二部を脱稿したのはその翌年九月のことであった。昭和二年(民国十六年)に、この作は北京ペキン大学の徐祖正氏の訳により支那しな語に移され、北新書局というところから出版せられた。自分の著作が隣国読書人の間に紹介せられたのも、それが最初の時であった。ちなみに、翻訳家としての徐氏はわたしたちが想像も及ばないような苦心を積まれるものらしく、これを支那語に訳出するためにはかなりの年月を要せられたという。そのことは徐氏は手紙でわたしのもとへ書いてよこしてくれ、またその訳書の長い序文のはじにも、「此書因種々事故、遷延甚久。如今以這篇年譜為最後工作。在此※(「目+分」、第3水準1-88-77)望此書之快成、併敬祝原著者健康。」としてあったのも忘れがたい。
 この『寝覚』第一部の終の方には作中の主人公がき父を思うという一節も出て来るが、今日から見るとその父の取扱い方には不充分な点も多い。子として父のおもかげを写して見ようとする場合にすらそれだ。まして他の人の俤をやである。それにつけてもつくづく創作のむずかしいことを知る。のみならず自分はまだ血気さかんな頃でもあったから、当時深い感慨をもってこの作に筆を執ったので、自分ながら冷静を欠いたと思われるふしもすくなくない。ただただ自分はこれを書くに当って、熱い汗と、冷い汗とを流しつづけた。内容が内容であるだけに、いろいろな問題を引き起したのもまたこの作であった。しかしわたしは多くの場合に黙して来た。自己を反省することの深ければ深いほど、黙しているのが順当であろうと思われたからであった。
 ここに載せる『寝覚』は言わば部分であるが、しかしこれはこれとして、一つの作品とも考えられようかと思う。なお、いろいろ書きつけて見たいことも多いが、ここに尽せない。


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    第二巻



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        一

 三年近い月日が異郷の旅の間に過ぎた。遠い島にでも流された人のように自分の境涯をよくたとえて見た岸本は、自分で自分の手錠を解き腰繩こしなわを解く思いをして、わびしい自責の生活から離れようとしていた。
 帰国の日も近づいて来た。降誕祭クリスマスの前には既に来るはずであったその日も半年ほど延びて、旅で迎える三度目のあの祭と、翌年の正月とをも、岸本は巴里パリの下宿の方で送った。あの仏国汽船でマルセエユの港に辿たどり着き、初めて仏蘭西フランスの土を踏んで見た頃から数えると、最早もう足掛四年にも成る。国を出た当時の彼の決心から言えば、全く後方うしろを振返って見ないで、知らない土地へ行き、知らない人の中へ入り、そして心の悲哀かなしみを忘れようとしたのであって、生きてかえれる日のあるかどうかと云うようなことは全く考えられもしなかった。ひょっとすると神戸の港も見納めだ。そう思って出て来た国の方へもう一度足を向けようとすることは、いかにもおめおめと帰って行くような気を起させる。けれども戦時以来旅の方法も尽きて来て、この上の滞在は人に心配を掛けるばかりであったし、国の方に残して置いて来た子供等のこともひどく心に掛った。それに抑制と忍耐との三年近い苦行(?)をまがりなりにも守りつづけて来たことは多少なりとも彼の旅の心を軽くした。彼は出獄の日を待受ける囚人のようにして、もう一度国の方に自分の子供等を見得るの日を待受けた。そろそろ遠い旅支度たびじたくをも心掛けねば成らなかった。かばんに入れて国から持って来た和服の中には、部屋衣へやぎとしてよく取出して着た羽織や着物がある。その中には、くなってからもう何年になるかと思われるほどの妻の園子の形見として残った一枚の下着もある。その下着の紺絹のついた裏なぞはすっかり擦切すりきれてしまった。巴里に滞在中、東京の元園町の友人の家からわざわざ送り届けてくれた褞袍どてらは随分役に立って、長い冬の夜なぞは洋服の上にそれを重ね寛濶かんかつな和服の着心地きごこちを楽みながら机にむかったものであったが、その丈夫な褞袍ですらすそから白い綿が見えるほどに成った。秋の末から春のはじめへかけて毎年のように身に着けた背広の服は国の方へ持って行かれないほど着古してしまった。彼は赤い着物でも脱ぎ捨てるように、その古い背広を脱ぎ捨てようとしていた。旅の末には、下宿の部屋のよごれも眼についた。彼はその長く住慣れた部屋にも別れを告げようとしていた。ある時は眼に見えない牢屋ろうやのような思いをしたこともある部屋の石の壁にも。ある時は我と我身を抱き締めるようにして、旅の前途を思いわずらいながらながめ入ったこともある部屋の硝子窓ガラスまどにも。
「還るのをゆるされるのだ」
 と彼は自分で自分の帰国のことを言って見た。

        二

 帰支度をする頃の岸本には、何となく国も遠くなってしまった。彼は三年近くも見ない自分の子供等の急激な成長をどれ程のものともはっきり想像することすら出来なかった。彼の眼にあるはもとの新橋停車場で別れて来たままの何時いつまでも同じように幼い子供等の姿に過ぎなかった。欧羅巴ヨーロッパの戦争はまだ続いていて、下宿と同番地の家番やばんの亭主などは出征したぎり、たまに戦地の方から休暇をもらって帰って来て顔を見せるくらいのものであったが、そこに留守居する家番のかみさんの子供等は驚くほど大きく成った。階段の昇降あがりおりに、岸本はそこいらに遊び戯れている仏蘭西の子供等のそばへよく行った。皆が幾歳いくつになるかということをよく尋ねた。黒い上衣うわぎに短い半ズボンを穿いてすねをあらわした仏蘭西風の子供の風俗は、国の方で見るものとは似てもつかないようなものばかりだ。でも岸本は側へ来る子供の青いひとみなぞに見入って、国の方に自分を待つ泉太や繁の成長を想像した。これから彼が帰って行って見る泉太はもう十二歳、繁の方は十歳にも成る。
 国を出る時子供を頼んで置いて来た節子のことも、泉太や繁の成長を想像すると同時に、岸本の胸に浮んで来た。下宿の主婦かみさんめいという人は、可哀そうにあの人の婚約して置いたすえ頼もしい仏蘭西人も戦地の方へ行って死んだとやらで、今ではリモオジュの田舎いなかの方に帰っているが、あの主婦の姪が丁度節子と同年だ。彼女は気味の悪いほど赤く縮れた髪をもった、巌畳がんじょうな体格の女で、リモオジュから主婦の手伝いに巴里へ出て来たばかりのころはいかにも田舎臭い娘であったが、その人がもう一度田舎の方へ帰って行く頃には見違えるほど巴里の風俗を学んで、働き好きな娘らしい手なぞにもさすがに若い女のさかりを思わせるものがあった。背は主婦よりも高かった。この人を通して岸本はよく自分の姪の成長を想像した。若い娘のようにばかり思っていた節子がもう二十四だ。
 節子からの便たよりは岸本が下宿を引揚げる前に届いた。彼女はつつましやかな調子で、叔父さんのために帰国の旅の無事を祈るということや、留守宅の子供も極く丈夫で叔父さんの帰りを待侘まちわびているということや、しかし叔父さんが遠からず国に帰ってこの留守宅の様子を見たらどう思うであろうか、それが気遣きづかわれるということなぞを書いてよこした。
「力強い御留守居も出来ないで、ほんとに御免なさいね」
 こんな言葉もその中に書いてあった。
 最早一頃ひところのように恐ろしく神経のとがった、可傷いたいたしい調子は彼女の手紙の中に無かった。ことにその最近の便りは、旅に来て岸本が彼女から受取ったかずかずの手紙の中でも一番心易こころやすく読めるような、わだかまりの無い調子で書いてあった。
「節ちゃんもこういう調子でいてくれると難有ありがたい」
 思わず岸本はそれを言って見た。同時に、その年齢としまでまだ身もかため得ずにぶらぶらしているらしい彼女の事が、何となく無言な力をもって岸本の胸に迫って来た。

        三

 国の方で持上もちあがる節子の縁談にいては、岸本は全くそれを知らないでも無かった。東京の義雄兄からは、まだそんな話のきまらない前に、一度巴里へ知らせてよこしたことも有った。岸本はその便りを読んだ時に、節子には早く身を堅めさせたいというあの兄のあせった心を知り、先方さきの望み手というは毎月六七十円の収入のある勤め人であることを知り、その人が徳川時代に名高かったある学者の子孫にあたるということをも知った。兄はまた、その縁談のまとまることを希望しているとも書いてよこした。その後、兄からは何の沙汰さたもなく、節子自身からの折々の便りの中にも何もその事に就いて書いて無いところを見ると、恐らくその話は立消たちぎえになったものであろうと思われたが――
 こうした消息を胸に浮べて見るたびに、節子が人知れず産み落した子供のこと、切開の手術を受けたという彼女の乳房のこと、何事なんにも知らない人が一寸ちょっと見たぐらいでは分らないまでに成ったという彼女の身体からだのこと――いやでも応でも岸本の心はそれらの打消しがたい隠れた秘密に触れない訳には行かなかった。これから国をさして帰って行こうとする彼は、過ぐる三年近くの間自分の顔をそむけようとし、心の眼をふさごうとし、どうかして旅に紛れて忘れよう忘れようとした、その恐しいものに面とむかわねば成らない。彼は写真の中で見てさえマブしいような義雄兄の前に自分を持って行って見た。一語ひとこと世話を頼むとも言えずに子供を置いて逃出して来たあによめの前に自分を持って行って見た。何事なんにも知らずに住慣れた郷里を離れて嫂と共に上京した祖母おばあさんの前に自分を持って行って見た。それから、それらの人達の集っている中で、もう一度帰って行ってう節子の前にも自分を持って行って見た。
 岸本は嘆息して、この帰国の容易でないことを想った。しかし、もう一度夜明を待受けるような心をもって、彼はそれらの人達の方に向おうとした。せめてあの嫂だけには一切を打明けよう、そしてこれまでのことをびようと考えた。不幸な節子のためにも自分の力に出来るだけのことをしよう、彼女の縁談のことにも骨折ろうと考えた。岸本に取っては、この帰りの旅はすくなからぬ精神こころの勇気を要することばかりであった。

        四

 戦争の影響は岸本が泊っているような下宿にまで及んで、そこから陸軍病院へ通っていた眼科医の客も去り、家庭教師の客も去り、しまいには客は岸本一人になってしまった。食堂も極くさびしかった。諸物価騰貴でヤリキレないとこぼしこぼししていた主婦かみさんが結局そこを畳んで戦争の終る頃までリモオジュの田舎へでも引込みたいと言出したので、それを機会に岸本は長く住慣れた下宿を去ろうとした。そして、何かにつけ旅立たびだちに便利なソルボンヌ附近の旅館の方に移ろうとした。
 まだ岸本は巴里を引揚げる日取も定めることは出来なかった。遠い旅のことで、国の方から来る手紙を待つだけにも可成かなりの日数を要した。旅行も困難な時であったから、途中のこともいろいろ問合せて見ねば成らなかった。それによって帰国の旅の方針を定めねば成らなかった。遠く喜望峰きぼうほうを経由して、印度インド洋から東洋の港々を帰って行く長い航海の旅をえらぼうか。それとも多少の危険を冒し、途次みちみちきびしい検閲で旅の手帳を取上げられるくらいのことは覚悟しても、英吉利イギリスから北海を越え、日頃見たいと思う北欧羅巴の方を廻って、西比利亜シベリアを通って帰って行く汽車旅を択ぼうか。遠い露領の果の方には叔父の帰りを待受けると言ってよこした輝子(節子の姉)夫婦も住んでいた。いずれにしてもそうやすやすと帰って行かれる時ではなかった。岸本はその二つの中の何方どちらの道を択ぼうかということにさえ思い迷った。
 巴里で岸本が懇意になった美術家仲間の中でも、小竹は既に国へ帰り、岡はしばらくリオンの方へ行っていた。例のパスツウルに近い画室には岸本と一緒に巴里を引揚げようと約束した牧野が居て、この画家は帰りの旅の打合せかたがたよく岸本の下宿へ顔を見せた。
「国の方ではどういうものが僕等を待っていてくれますかサ」牧野を見るたびに、岸本はそれを言わずにはいられなかった。
「留守宅でも困っているんじゃないかと思うんです。帰って行って見たら、第一その心配をしなけりゃ成るまいかと思うんです」
 こう岸本は日頃めったに牧野の前で言出したことも無い自分の留守宅の方のうわさをすると、骨の折れる旅を続けて来た牧野はそれを聞いて点頭うなずいて見せた。
「二度とこういう旅をしようとは思いませんね」
 牧野を前に置いて、岸本はつくづくつらいことの多かった過ぐる三年近くの月日を思い出したように嘆息した。
 それが下宿の部屋で牧野を見る最終の時であった。岸本は旅館の方へ行ってから、ほんとうに旅支度を調ととのえたいと思った。いよいよ頼んで置いた辻馬車つじばしゃが町の並木の側に来て、仮にまとめた荷物を送出すという前に、岸本はにがい昼寝の場所であった部屋の寝台の側へも行き、冷い壁にかかる銅版画のソクラテスの額の下へも行き、置戸棚おきとだなに張りつけてある大きな姿見の前へも行った。その部屋を去る頃の彼の髪は自分ながら驚くほど白くなっていた。

        五

 最早岸本は巴里にじっとしている在留者でなくして帰国の途に上りかけている旅行者であった。ソルボンヌの大学に近い旅館に移ってから、毎日のように彼は用達ようたしに出歩いた。これから倫敦ロンドンへ渡ろうとする手続きを済ますためには、巴里の警察署へも行き、外務省へも行き、英吉利イギリスの領事館へも行った。国の方の親しい人達への土産みやげとして、こころざしばかりの品々を探すためには、古いサン・ゼルマンの並木街なぞを歩き廻った。丁度セルヴァンテスの三百年祭も来ていて、あの「ドン・キホオテ」を書いた西班牙スペインの名高い作者を記念するための新刊の著述なぞが本屋の店頭みせさきを飾っていた。学芸に心を寄せる岸本のような男に取っては、そうした新刊書の眼につく飾窓の前を通りながら、もう黄ばんだ若葉の延びて来ているマロニエの並木の間をったり来たりした時には余計に旅らしい心を深くしたのであった。別離わかれを告げるために、彼は日頃ひごろ懇意にした仏蘭西人の家々をもたずねて見た。どの家をたたいても戦時らしい心持を起させないところは無かった。ビヨンクウルの書記の家へ行って見た。そこでは最早老婦人の姿は見えず、細君も留守で、二人の子供が家婢おんなを相手に淋しそうにしていた。ブロッスの老教授の家へ行って見た。そこでは戦地の方へ行っている若い子息むすこの一人が負傷したとやらで、教授夫婦は見舞のために出掛けて、家婢が心配顔に留守番をしていた。
 いよいよ仏蘭西の旅も終に近いことを思わせるような夕方が来た。岸本は旅館の三階の部屋にひとこもって、古い歴史のあるソルボンヌの礼拝らいはい堂の方から石造の町の建築物たてものの間を伝わって来る鐘の音を聞きながら、東京の留守宅あての手紙を書いた。
 かねて岸本にはこの旅を終る頃にげたいと考えて置いたことが有った。巴里を引揚げる頃が来たら自分のひげ剃落そりおとしてしまおう、そして帰国の途に上ろうと考えていた。不思議と言えば不思議、突飛とっぴと言えば突飛な考えではあったが、心に編笠あみがさかぶる思いをして国を出て来た岸本には別にそれが不思議でもなく突飛でもなかった。何か彼は現在の自分の心を実際に自分の身に現したかった。
 しばらく岸本は部屋の寝台に腰掛けて自分で自分の為ることを制止おしとどめようとして見た。しかし、かねての思いを遂げる時が来ていた。そこで彼は髭を落しに掛った。部屋には壁に寄せて造りつけた石の洗面台がある。その上に姿見がある。彼はその前に立って、自分で剃刀かみそりを執った。惜気おしげもなく剃刀を動かす度に、もう幾年となく鼻の下にたくわえて置いたやつがゆがめた彼の顔をすべり落ちた。好くも切れない剃刀で、彼はくちびる周囲まわりれ上るほど力を入れて剃った。
 かつて国の方で人を教えたこともある自分の姿のかわりに、ずっと以前の書生時代にでも帰って行ったような自分の姿がそこへあらわれて来た。最後に姿見の方へ行って剃り立ての顔を眺めた時は、今まで髭に隠れていた鼻の下あたりが青々として見えた。ところどころからは血もにじみ出た。
 岸本の顔はまるで変ってしまった。しかし彼はさも心地よげに、両手で口の周囲まわりで廻した。この顔でこそ、もう一度国の方へ帰って行って節子の親達にも逢えると考えた。

        六

「オヤ、大層さっぱりとなさいましたね」
 こういう意味のことを仏蘭西の言葉で言って、誰よりも先に岸本の顔を見つけたものは、翌朝よくあさ部屋の掃除に入って来た旅館の給仕であった。
 逢う人ごとに岸本を見て噴飯ふきださないものは無かった。巴里の狭い在留者仲間で、外国生活の無聊ぶりょうに苦しんでいるような人達は、「村」での出来事か何かのようにして、有るべきところに有るものが有った以前の岸本の顔の方が余程よほど好かったと、彼のために突飛な行いを惜んでくれた。別れを兼ねての骨牌かるたの会、珈琲店コーヒーてんでの小さな集りなぞがある度に、岸本は行く先で自分の顔の評を受けた。「髭のあった時分の顔には、なつかしみが有った。何だか髭を取ってしまったら、凄味すごみが出て来た」と言って笑うものがあった。「まあどうなすったんですか。ほんとに、吃驚びっくりしてしまいましたよ。そんなことを言っちゃ悪いけれども、岸本さんは気でもちがったんじゃないかとそう思いましたよ」と言うものもあった。「惜しいことをした。矢張やっぱり君には髭が有った方が好い。国へ帰るまでには是非はやして行き給え」と言って忠告してくれる人もあった。
「岸本さん、髭が無くなりましたね。何かそれには意味が有るんですか」
 同じ旅館に泊っている留学生が小旅行から戻って来て、それを岸本に尋ねた。この人は慶応出で岸本から見るとずっと年少とししたではあったが、何かにつけて彼の力になってくれた。
「昔、岸本さんは坊主にお成んなすったとか――」とたその留学生が男らしいまゆをあげて、岸本の方を強く見て言った。「何かそれと同じような意味でもあるんですかね」
 さすがに、この人の言うことは鋭かった。岸本は返事にこまって、
「自分の髪の白くなったのは鏡にでも向わなければ分りませんが、髭の白いのは見えて、心細くて仕様がありません。もう一度書生の昔にかえろう。そう思って、君の留守に剃ってしまいましたよ――」これ以上のことは岸本には言えなかった。
 さかんな若葉の緑が何時いつの間にか古めかしく黒ずんだ石造の町々の間へ青々とした生気をそそぎ入れるようにやって来た。岸本は独りで旅館を出て、大学の建築物たてものわきをある並木街へと取り、オステルリッツの橋のたもとまで歩いて行った。すこし曇った日で、四月らしい明るい日あたりを見ることは出来なかったけれども、それがセエヌ河に近く行って見る最終の時であろうと思われた。岸本が初めて巴里に入ったのは足掛四年前の四月であったから、丁度巴里をつ前になってその時の若葉の記憶が復た彼の心に帰って来た。彼は今、石橋の下の方を渦巻き流れて行く清いセエヌの水を見る眼で、遅くも二月ふたつきか二月半ばかりの後にはあのふる馴染なじみ隅田川すみだがわを見ることが出来るかと考えた時は、まるでうそのような気がした。

        七

 セエヌの河岸かしの中でも、オステルリッツの橋のたもとから古いノオトル・ダムの寺院の見える中の島あたりへかけては岸本の好きな場所で、過ぐる三年の月日の間、彼はよくその河岸へ旅のさを忘れに来た。故郷ふるさとなしには生きられないほど国の方にある一切のものの恋しかった時。一日二日の絶食を思うほど旅費も乏しく心もうら悲しかった時。行けるだけの旅を行き尽して一番最後に呼んで見たいものは、子供の時分に死別れた父の名でもなく、十二年も連添った亡き妻の名でもなく、何と言っても濁り気のなく感じやすい青年時代に知った最初の情人の名であったほど、それほど旅の心の閉じふさがってしまった時。そういう時に彼が見に来たのはこの水だ。相変らずセエヌは高い石垣の下の方を冷く音も無く流れていた。彼はそれを右手に見ながら、新緑の並木の続いた河岸の歩道に添うて、旅館のある町の方角へと歩いた。
 仏蘭西の旅に来てから以来このかたのことが何となく岸本の胸にまとまって来た。彼はこの旅のはじめに国から持って来て仏蘭西人の間に分けた植物の種子たねのことを思出した。あの中には中野の友人から贈られた茶の実ばかりでなく、築地つきじの方に住む知人が集めてくれた銀杏いちょう椿つばき沈丁花じんちょうげ、その他都合七いろばかりの東洋植物の種子があったことを思い出した。あの土産はことの外仏蘭西人にめずらしがられて、ブロッスの老教授の手から彼方あっちへ三粒、是方こっちへ四粒と分けられたが、ある日本美術蒐集家しゅうしゅうかの庭には銀杏がえたという話のあったことを思い出した。あの種子の一部は植物園に移って、そこの主事から礼手紙の来たことを思い出した。その後戦争が始まってから植物園に近い教授の住居をたずねた時、岸本の方からその事を言出して見ると、教授は仏蘭西人の癖らしく肩をゆすって、「この戦争では何もかも滅茶々々です」と言ったことを思い出した。
 折角遠いところから持って来た種子もどうなってしまったか。それを思い出すと、異郷の土ともなり得ずに国をさして戻って行こうとする自分の旅のことが一緒に成って岸本の胸の中を往来ゆききした。東洋の果からやって来た彼のような人間は何処どこまで行っても所謂いわゆる異国の人で、結局この土地の人達の生活には入り得なかったのだ。自分等は芸術に行くの外は無い、それによってこの土地の人達の生活に触れるの外は無い、こういう考えを彼はこの仏蘭西の旅の最初から起したが、彼のように書籍とにらめっくらばかりしていて土地の婦人にも近づかないでは、どう知らない人達の中へ行きようも無かった。女から入るということが一番自然な道だ、と彼に話し聞かせたある旅行者もあった。それには彼はあまりに自分を責め過ぎていた。あまりに自分の姪のことで深傷ふかでを負い過ぎていた。

        八

 しかし、もう一度結婚ということの方へ岸本の心を向けさせたのもこの異郷の旅であった。セエヌの河岸かしから旅館をさして戻って行く道すがら、岸本は三年前この旅に上って来た頃と今この異郷を辞する時と、そのきとかえりの自分の心持の著るしい相違を思い比べながら歩いた。もともと彼の独身は深く女性をいとうところから来ていた。彼のように女性を厭いながら、彼のように女性を求めずにはいられなかったとは。旅に来て孤独を守り形骸けいがいを苦めるほど余計に彼はその自分の矛盾を思い知るように成った。周囲を見ると、妻のあるものは妻にうことを楽みに、妻の無いものは妻を迎えることを楽みにして、この無聊ぶりょうな外国生活から故国のふところへと帰って行かないものは無い。「国の方へ行ったら思うさま遊ぶぞ」こんなことを言って、遣瀬やるせない旅愁を紛らわそうとする旅行者もある。国の方の言葉、国の方の血、国の方の人――求めても得られない遠い異郷の空にあって、彼はしみじみそれらのものの難有味ありがたみを知った。もしこれから無事に故国に辿たどり着くことが出来たら、自分も適当な人を見つけて、もう一度家庭をつくろうし、自分のために一生を誤ろうとした節子にも新しい家庭の人となることを勧めよう、こう彼は考えるように成った。独身の生活から引返して行って二度目の結婚を実行しようと思う心――その心でこそ、彼は再び節子を見ることが出来るとも考えた。
 巴里をつ前に、彼の再婚説に賛成してくれた一人の美術家もあった。その人は国の方に居る心あたりの婦人を思出して、候補者として勧めてくれるほど世話好きであった。その人はまた彼のためにわざわざ国の方へ手紙まで出して置いてくれた。
「どういうものが国の方で自分を待っていてくれるだろう」
 そう思って歩いて行くと、これから彼の前途にひらけて来る実際の光景は全く測り知り難いもののような気がした。
 屋並やなみに商家の続いたサン・ミッシェルの並木街まで引返して行くと、文房具を並べたある店の飾窓が岸本の眼についた。その店で彼は自分の子供等のために仏蘭西フランス風の黒い表紙のついた帳面や色鉛筆なぞを見立てた。狭いかばんの中へ入れて行くわずか巴里土産パリみやげでもいかに泉太や繁をよろこばすであろうと思った。それをげて旅館へ戻ると、丁度年とった仏蘭西の婦人のたずねて来るのに逢った。黒い帽子、黒い着物、黒い手套てぶくろ、一切黒ずくめだ。顔にまで黒い網を掛けていた。この戦時らしい喪服を着て訪ねて来た婦人が、長いこと岸本の泊っていた下宿の主婦かみさんだ。
 主婦は岸本の旅館まで礼を言いに来た。巴里滞在中、岸本がこの主婦に世話した同胞の客も少くなかったから。ついでに主婦は岸本の末の女の児にと言って、仏蘭西風の人形を提げて来てくれた。
「この人形の頭巾ずきんでも、着物でもみんな私が手縫てぬいにしたものです。靴まで穿いています。これをお嬢さんにげて下さいまし。お国へお帰りになってほどいて御覧なさると、分ります。この人形は仏蘭西の女の子の着るものは皆身に着けています」
 こう言った後で、主婦は言葉を継いで、
「もしまた戦争の済んだ時分に、巴里で下宿したいという日本のお方がありましたら、御世話をなすって下さいまし。私もこの商売をめてしまったでは御座いませんから」
 と附けたした。
 岸本の方でも礼を言って、二度と来て見る機会のありそうもないこの下宿の主婦にも別れを告げた。

        九

 巴里出発の日には、岸本は朝早く旅館を出て、行きつけの珈琲店コーヒーてんで最終の小さな朝飯をやった。麺麭パンと、珈琲とで。
 まだ出発間際まぎわまでにはいくらかの時間があった。かねて岸本はこの都を去る前に、一番しまいにもう一度見て行きたいと思うほど好きな薔薇園ばらえんがあった。その薔薇園がルュキサンブウルの公園内の美術館の裏手にあった。待ちに待った日がやって来て見ると、彼の足はその薔薇園の方へ向かないで、矢張長く住慣れた下宿のある町の方角へ向いた。彼はなだらかな岡の地勢を成したソルボンヌ界隈かいわいの町をパンテオンへと取り、あの古い建築物たてものの側にあるルウソオの銅像の周囲まわりを歩いて、それからサン・ジャックの町の狭く長い石造の歩道を進んで行って見た。ヴァアル・ド・グラアスの陸軍病院の前から、ごちゃごちゃと雑貨の店の並んだ細い横町を通り抜けると、その町の角が以前の下宿のある建築物だ。主婦かみさんはもう世帯を畳んで他へ移ってしまったから、高い窓々は皆閉きってあったが、三年の間机を置いて獄中で勉強した人のように新しい言葉を学んだその自分の部屋の窓がもう一度彼の眼にあった。まだ朝のうちのことで、日頃顔を見知った朝通いらしい人達、牛乳のびんを提げた娘、新聞を買いに出る町の下女なぞが高いプラタアヌの並木の間をったり来たりしていた。岸本は天文台前の広場について、例のシモンヌの家へも一寸ちょっと別離わかれの言葉を掛けに寄った。捕虜にでも成ったらしいという娘の父親は行方ゆくえ不明のままであった。二度とこんな旅に来ようとは思わない。それが岸本の腹の中にあっても、さすがにこの大きな都会ももう見られないかと思うと深い愛惜の心がいた。彼はサン・ミッシェルの並木街を旅館まで歩いた。
 岸本が一緒に巴里を引揚げようと約束したのは牧野ばかりでなく、他に二人の同胞のつれもあった。その人達はいずれも岸本と同じ旅館に泊っていた。やがて出発の時が来た。岸本は連と一緒に旅の荷物を辻待つじまちの自動車に載せ、サン・ラザアルの停車場をして急いだ。町々は彼の見る車の窓から一目ごとに消えて行った。
 停車場へは牧野や岸本を見に来てくれる人達も少くはなかった。戦時以来一緒に籠城ろうじょうの思いをしたり、日を定めて骨牌かるたに集ったり、希臘飯ギリシャめしを附合ったりした連中は、遠く帰って行く岸本等を見送りに来てくれた。英吉利イギリス行の兵卒や旅客なぞの往きかう混雑の中で、岸本はすっかり旅支度たびじたくの出来た牧野を見た。
到頭とうとう岡君には逢わずじまいにって行くね」
「岡も何時いつ帰ることやら」
 岸本と牧野とは二人でリオンの方に居る岡のうわさをした。
「牧野君、まだ僕は迷っていますよ。なるべくは君と一緒に船で帰りたいし、露西亜ロシアの方も廻って見たいし――」
「岸本さんはまだそんなことを言ってるんですか」
 巴里を発つ間際になるまで思い迷っている岸本の顔を見て、牧野は元気の好い声で笑った。ともかくも岸本は英吉利まで牧野等と同行することにした。それから先の旅程は倫敦ロンドンに着いて見た上で定めることにした。何と言っても戦時の旅であったからで。
 救いの船にでも乗るようにして、岸本は三人の連と一緒に汽車に移った。間もなく動いて行く車の窓から、彼は遠くサクレ・カアルの高塔に日のあたるのを望んだ。あだかもあの岡の上に立つ古い石造の寺院までが彼の帰国を見送ってくれるかのように。それが最後に彼の望んだ巴里であった。

        十

 岸本はセエヌ河口にあたるアーヴルまで動いた。仏国、下セエヌ州にあるというその港までは、巴里から汽車で一日かかった。そこで仏蘭西の土地を離れて、彼は牧野等と共に夜の汽船で英吉利海峡を越した。
 旅行も困難な時であった。白耳義ベルジック仮政府の所在地として聞えたアーヴルでの税関が既にもう第一の関所で、容易には人を通さなかった上に、あの港から海峡を越してしまうまでの間がまた旅するものの難場なんばに当っていた。ひしひしと迫って来る物凄ものすごい海上のやみにまぎれて進んで行く船の中で、何時いつ襲いかかるかも知れない敵を待受けるような不安な念慮おもいは、おちおち岸本を眠らせなかった。その数日前独逸ドイツ潜航艇のために撃沈された汽船のあるという噂は一層その不安を深くさせた。サウザンプトンに着いて見ると、仏蘭西を出る時ほどの物々しい警戒もなかったが、そこの税関でも矢張容易には旅行者の素通りを許さなかった。連の牧野は鉛筆で税関の官吏のスケッチを作って見せて、それで自分を証拠立てたくらいであった。
 ともかくも岸本は無事に倫敦へ入ることが出来た。そして他の連に別れて、牧野と二人ぎりの旅となった。そこにある日本郵船会社の支店を訪ねて見た日に、彼は西伯利亜シベリア廻りの旅を断念した。牧野と連立って、阿弗利加アフリカを経て帰って行く船の旅の方をえらぶことにした。
 巴里から倫敦へ。まだ岸本は一歩ひとあし動いたに過ぎない。しかしその一歩だけでも国の方へ近づいたことを思わせた。倫敦には岸本は九日ばかり船の出るのを待った。その間に巴里からの消息を受取って、モン・モランシイの町の方に住む知人の細君が停車場まで彼の見送りに出向いてくれたことを知った。もっとも知人の細君が停車場に彼を探した頃は、彼の巴里を発った後であったとか。いろいろと世話になって来たその知人のこと、慶応出の留学生のこと、その他停車場まで見送ってくれた人達のこと、何かにつけて彼は巴里の方のことを思い出した。丁度倫敦でもシェクスピアの三百年祭で、あの名高い英吉利の詩人を記念する年に、偶然にも彼はこの旅に来合せたことを思った。
 三年前、半死の岸本の耳に一条ひとすじの活路をささやいてくれた海は、もう一度故国の方へと彼を呼ぶように成った。その声はた彼の耳に聞えて来た。彼はこれから長い日数ひかずを海上に送らねば成らないことを思い、倫敦を発つ時にはまだ外套がいとうを欲しいくらいの五月初旬の陽気でも国に帰り着く頃の旅仕度も考えて行かねば成らないことを思い、そんな心づかいをするだけでも実に国の方の空の遠いことを思った。

        十一

 郵船会社の船はテエムズの河口にあたるチルビュリイの波止場はとばで牧野や岸本の乗組を待っていた。多量な英国出の貨物はあらかた荷積を終ったらしい頃で、岸本等の荷物も先に船の方へ届いていた。船員等は帆柱の下あたりに集って、本船の横手に着いた小蒸汽から順に一人ずつ甲板かんぱんへ渡って行く男女の客を見ていた。寒いこまかい雨が時折やって来るような日であった。牧野も、岸本も、雨や汐風しおかぜのために湿った旅の外套に身を包みながら大きな汽船に乗移った。戦時のことで、同胞の道連れも極く少かったが、その中には岸本が巴里で懇意になった夫婦の客もあった。一家族して国の方へ帰って行こうとする人達だ。岸本と前後して巴里を発って来た人達だ。いずれも籠城同様の思いをした開戦当時からの同じ記憶につながれている人達だ。
「子供を連れての旅は容易じゃないね」
 と岸本はその夫婦の客のことを牧野に言って見た。二人までも幼い人達を道連に加えたことは、一層岸本の心に遠い旅立たびだちらしい思いをさせた。
 到頭岸本はテエムズの河口を出て行く汽船の甲板の上に、帰国の途にく旅人としての自分を見つけた。海は最早もはや巴里の客舎で思出して見たり、想像に描いて見たりして、それを無聊ぶりょうな時の心やりとしたような遠いところにあるものでなく、実際に彼の眼前めのまえを通過ぎる赤黒い英吉利風の帆、実際に彼の方へ近く飛んで来る海のかもめの群、実際に波の動揺に任せている沈没した船の帆柱煙筒えんとつであった。なつかしい故国も最早遠い空のかなたにのみある夢想のさとではなくて、一日々々と近づいて行こうとする実際の陸であった。とも寄りの甲板のてすりの側に立って、そこから大きな煙筒の方を望むと、さかんな黒い煙がすさまじい勢いで噴出ふきだしている。あだかも羽翼つばさをひろげた黒い怪鳥が一羽ずつそこから舞いつかのように見える。その煙は、故国に向って行く心を一層切に彼の身に感じさせた。この船の最終に行き着くところは、神戸だ。そう考えると、心を強く刺戟しげきするいろいろさまざまなものが国の方で彼を待受けているように思われて来る。再び故国を見得るということは、彼に取って実に嬉しいことでもあり、心配なことでもあった。
 五月さつきの雨が濁った波の上へ来た。岸本は側へ来て立つ牧野と並んで、二人で甲板の上から海をながめて行った。

        十二

 一昼夜に三百十五六マイルはしる快い速力で、岸本を乗せた船はドバアの海峡を通り越して行った。航海の五日目には、英吉利沿岸の白く光るがけも遠く後方うしろになった。早や何方どっちを向いても陸というものを見ることの無いような、青い深い大海の真中へ出て行った。
「この船に乗ってしまえば、もう半分国へ帰ったようなものですよ――」
 牧野は思出したように、折に触れてそれを岸本に言った。船は定期の客船としてよりむしろ戦時に際しての貨物船と言うべき形で、三方の甲板に分れた客全体の頭数から言ってもごく少い時であった。牧野は岸本が後方の甲板の上に毎日見るただ一人の同胞の客で、他はいずれも英吉利人のみであった。それも僅に男女を合せて七人の殖民地行の旅行者を数えるに過ぎなかった。それほど航海するものに取って寂しい時であった。岸本は唯一人の自分をその広い甲板に見つけるようなこともよくあった。そういう時に限って、人には言えない悲しいあらしの記憶が、あの仏国汽船で港から港へと波の上を急いだ往きの旅の記憶が、節子のことを義雄兄に頼んで行くつもりの手紙が神戸で書けず上海シャンハイでも書けず香港ホンコンまで行く途中にようやく書いて置いて行ったような心の経験の記憶が、それらの記憶があだかも昨日のことのように彼の胸のうちに帰って来た。眼前には長い廊下のように続いた板敷がある。白く塗った通風筒がある。柱がある。碇綱いかりづなを巻くための鉄製の器具がある。甲板の欄の線と交叉こうさして、上になり下になりして見える遠い水平線がある。日でもかがやいて来ると、たとえようの無い青さに光る海がある。すべてはかつて有ったと似よりのもののみだ。岸本は太い綱や船具の積重ねてある側を通って、とものところへもよく行って立って見た。水深を測量するための器械が装置してある艫の欄のわきから波間に投入れてある一条の長く細い綱の絶間なくクルクル廻るのを眺めると、独りで故国の空を後方に望んで来た往きの航海の記憶がまた胸に浮んで来た。彼は、眼に見えないはげしい力の動いて行ったあとでも辿たどるようにして、自分の小さな智慧ちえや力でそれをどうすることも出来なかったことを考えて見た時は、もう一度この甲板の上に立たせられた自分そのものを不思議にさえ思った。
 船は次第に葡萄牙ポルトガル南端の沖合からも遠ざかりつつあった。往きのスエズ経由とも違い、このかえりの船旅は遠く南亜弗利加の果を廻り、赤道を二度も越さねば成らない。その海上から喜望峯まで五千四百マイル以上もあった。

        十三

 五十五日の長い船旅の後、四月の末に巴里を辞し五月に入って倫敦を発って来た岸本はようやく七月の初めになって神戸の港に辿り着いた。
「神戸へ着く晩は眠るまい。皆起きていよう」
 そんな申合せをするほど楽みにして遠くから港の燈火ともしびを望んで来た船客一同と共に、岸本は一夜を和田みさきの燈台の附近に送った上で、翌朝の検疫を済ましてからはしけに移った。新嘉坡シンガポール以来船ではにわかに乗客を加えたから、その朝一緒に上陸する男女の同胞も可成かなり多かった。
 しばらく岸本は牧野と二人で税関の側に時を送った。二人はまだ懐しい海岸の土の上に自分等を見つけたばかりの旅行者の姿のままであった。船の入港を知って、上陸者を迎えようとする人達が波止場に集って来た。岸本はそれらの人達に眼をそそいだり、それらの人達の間をあちこちと歩いて見たりした。どうかすると見ず知らずの人にさえ御辞儀の一つもして見たいような気にさえなった。そして遠い国の方から帰って来たものであるというその心を告げたかった。
「牧野君。車なんかに乗らないで、これから宿屋まで歩こうじゃないか。もっと何処どこか歩いて見たいね――跣足はだしにでもなって、そこいらをけ廻って見たいね」
 こう岸本が言出した頃は、久しぶりで見る国の日の光がもう税関の附近まで強くして来ていた。岸本はつれの迷惑なぞを顧みないで、それを言った。それほど彼は自分の小さな胸に満ち来る狂気きちがいじみた歓喜よろこびを隠せなかった。
 牧野を誘って、以前と同じ旅館まで行く途中で、岸本はふる馴染なじみの顔にった。そこの亭主が彼を迎えに来てくれたのだ。旅館へ着いて見ると、そこでも岸本は三年ぶりでの人に遇った。往きの旅に東京の番町の友人等と連立って船まで別れを惜みに来てくれたその旅館の内儀かみさんだ。
 岸本は既に激しい疲労を身に覚えていた。何よりもず彼の願いは旅の着物を脱ぐことにあった。しかし間もなく旅館へ訪ねて来た新聞記者の一団は牧野や彼を休ませなかった。彼は上海まで帰って来ると、船の碇泊ていはく中にもう土地の新聞記者に見出されて、旅の話なぞを求められた。その時、国の方で自分を待受けていてくれるものは第一にそうした訪問者であろうということを感じないでもなかった。記者等はその日の夕刊に間に合せたいと言って、なるべく紙面をにぎやかにするような旅の話を彼の口から引出そうとした。記者の中には、彼が往きの旅でい、またこの還りの旅で遇う人達もあった。
「オヤ、ひげが無くなりましたね」
 と言って、彼の顔を忘れずにいた人さえも有った。

        十四

 漸くのことで、牧野と二人ぎりになった神戸の旅館の二階座敷に、岸本は恋しい畳の上の休息に有りついた。
「何だか風邪かぜでも引きそうで、靴下だけはまだ取る気に成れない」
 と岸本は牧野に言って見せて、三年の間寝る時より外にあらわにしたことの無い足だけを包んで置いた。宿屋の浴衣ゆかた靴下穿くつしたばきという面白い風俗で、二人は互いに足を投出して見た。清々とした畳の上は、寝ようと起きようと坐って見ようと勝手だ。岸本は部屋中ごろごろころがって歩いてもまだ足りないほどの気楽さを味わった。試みに横になって、あおのけさまに自分の背中を畳に押しあてて見ると、船から上って来た時の心持がき上って来る。まだ彼は半分海に居るような気もする。もし上陸して遭遇であう最初の日本人があったなら、知る知らぬにかかわらずその人にかじり着いて見たいような、そんな心持で帰って来たばかりの自分のような気もして来る。すくなくも彼がこの港をさして遠く帰って来た思郷の念は、あの長期の航海を続ける船乗の心に似たものであった。陸の上にたおれ伏し、懐しい土に接吻せっぷんしたいとさえ思うというあの船乗の心は全く彼の心に近いものであった。
「漸く。漸く」
 と彼は言って、互に真黒に日に焼けて来た牧野と顔を見合せた。
 夕刊の出る頃になると、牧野や岸本の無事に仏蘭西から帰国したということが宿の内儀の持って来て見せた新聞にも載せてあった。先刻さっきこの二階で話したと思うようなことが最早活字になって来た。面白そうな見出しで、多忙いそがしく書かれた文章で。岸本は自分のことの出ているその新聞を自分で読んで見た。どんな苦い顔をしてあの義雄兄がこうした記事を読むだろう、という想像が一番先に彼の頭脳あたまへ来た。その新聞には、牧野と二人並んだ写真も出ていた。税関の裏手の空地で二人がこの港に着くか着かないにある技師の早取写真に納められたのが、それだ。倫敦ロンドン仕込の灰色な脚絆きゃはんに靴を包んで軽い麦藁帽むぎわらぼうかぶったのが牧野で、その側に立つが彼だ。まぶしかった日光の反射は彼自身の印画を若過ぎるほど若く見せて、それが自分の旅人姿とも一寸ちょっと受取れなかった。
「巴里で三年昼寝をして来た。自分のことなぞはそれで沢山だ」
 と彼は言って見て、いらいらとした旅の心は思うように仕事の出来るだけの沈着おちつきをも与えてくれなかったことを思い、僅に故国の新聞へてて折々の旅の通信を書くにとどめてしまったことを思い、国を出る時の多くの約束もその十が一をも果せなかったことを胸に浮べた。
「でも、割合に好く書いてあるじゃ有りませんか」
 と牧野は側へ来て言って、半分他人のことのようにその新聞を読返した。
 岸本は早や自分等の帰国が京阪地方の人に知れたことを思った。東京の方に自分を待受けている人達――義雄兄を初め、あによめ、節子、それから泉太や繁なぞがそれを知る時のことをも想って見た。彼は留守宅宛に、無事に神戸に着いたことを書き、これから大阪や京都に知人を訪ねながら帰って行くことを書いたが、東京へ着く日取もわざと知らせなかった。

        十五

 岸本の身に感ずるは強い歓喜よろこびと、そして激しい疲労つかれとであった。彼はその歓喜がどれ程の強さのものとも、又はその疲労がどれ程の激しさのものとも、一寸それを言い表すことが出来なかった。それは一日の休息や一夜の睡眠によって忘れ去り得べくもなく、もっと強く歓喜をむさぼりたいと思わせ、もっと激しく疲労をあじわいたいと思わせるような、そんな性質のものであった。彼はつれの牧野を見て、日頃船に弱いと言っていたこの画家がさ程疲れたらしい容子ようすの無いにも驚いた。
 これほどの歓喜は感じながらも、東京の方角をして神戸をとうとする頃の岸本の足は重かった。大阪まで彼は牧野と連立って帰って行った。牧野も彼もまだ旅姿のままで、一度神戸で脱いだ旅の着物をた身に着けて、汽車中ほとんど休みなしに硝子窓ガラスまどの側に立ちつづけて行った。あそこに湿った日光の明るさがある、眼のさめるような青田がある、ここに草葺くさぶきの屋根があると言って、それを仏国中部の田舎いなかあたりで見て来た妙に乾燥した空気や、牛羊の多い牧場や、緑葉の間から見える赤い瓦屋根かわらやねの農家なぞに思い比べて行った。
 大阪では岸本は牧野と一緒にある未知の家族をおとなはずであった。そこには岸本の再婚にいて、巴里パリの美術家からすすめられて来た人も住んでいたからで。その人の兄と巴里の美術家とは至極懇意な間柄でもあるからで。丁度人が眠くなる夜の部分を通り越すとかえって頭脳あたまえて来るように、岸本は疲れながらも一層よく思考することが出来るような気がした。彼は自分の再婚に就いて考えた。現実をいとい果てた寂しい修業地から引返して行って僧侶の身にして妻帯を実行したというあの昔の人達の生涯の意味は、旅に居る間の自分を教えたことを考えた。もう一度夜明を待受けるような心で国に帰って来た彼自身は既に四十五歳にもなることを考えた。もし妻の園子がこの世に生きながらえているとしたら、二十二のとしかたづいて来た彼女が早や三十九になるとも考えた。その年に成っての二度目の結婚だ。彼は何もそんなに年の若い妻を迎える心は持たなかったのであるが、そうかと言って四十に手の届く婦人と今更結婚する気にも成れなかった。すくなくも三十前後の婦人に望みを掛けていた。この望みだけは、巴里の美術家から聞いて来たところによると、どうやらかないそうであった。
 しかし岸本がこれから未知の家族を訪おうとすることは、準備なしに行かれる普通の楽しい訪問とも違っていた。逢って見て意気の合いそうにも無ければ、断らねば成らない。それは婦人を侮辱するようなものだ。この考えはすくなからず彼を躊躇ちゅうちょさせた。何しろ彼はまだ旅から帰ったばかりで、今少し時の余裕を欲しいと思い、相手の婦人を知ることの出来るような自然な機会をも得たいと思った。彼は牧野にこの事を話して、結局その訪問を思い止った。大阪の宿では彼は一日客と話し暮した。牧野と一緒に夏の夜のにぎやかな町々をも歩いて見た。明るい燈火のかげを歩き廻る時の彼の心は、どうかするとまだ巴里の大並木街グランブウルバアルの方へも行き、帰りの旅に見て来た阿弗利加アフリカの殖民地の港の方へも行った。

        十六

 大阪からぐに東京へ向おうとしていた牧野と、京都の方に巴里馴染なじみの千村や高瀬をたずねながら東京へ帰って行こうとしていた岸本とは、道頓堀どうとんぼりの宿で別れた。一日も早く牧野は東京に入ろうとしていたし、岸本はまた一日でも遅く東京に入ろうとしていた。東京の方に近づけば近づくほど、岸本の足は進まなかった。
「岸本さん、一緒に東京へ入ろうじゃありませんか」
 別れぎわに牧野がそれを言って勧めたが、岸本の方では再会を約して置いて手を分った。何故久しぶりで東京を見る彼の足がそれほど進まないのか、何故一切の人の出迎えなぞを受けずにひとりで寂しく東京へ入ろうとしているのか、その彼の心持は七十日の余も帰国の旅を共にした牧野にさえ言えないことであった。
 京都をして出掛けて行く時の岸本の側には、最早もはやなつかしい旅の心を比べ合うような連も居なかった。でも岸本はまだ牧野が自分の側にでも居るようにして、二人して一緒に望んで行くように、淀川よどがわ一帯の流域とも言うべき地方を汽車の窓から望んで行った。汽車がいくらかずつ勾配こうばいのある地勢を登って行くにつれて、次第に遠い山々もかたちあらわした。彼はかわいたように車の窓を開け放ち、山城やましろ丹波たんば地方の連山の眺望ちょうぼうを胸一ぱいに自分の身に迎え入れようとして行った。大阪から京都まで乗って行く途中にも、彼は窓から眼を離せなかった。
 京都の宿には、大阪で落合った巴里馴染の画家が岸本より先に着いていた。宿の裏の河原、涼み台、岸に咲くあか柘榴ざくろの花、四条の石橋の下の方からはしり流れて来る鴨川かもがわの水――そこまで行くと、欧羅巴ヨーロッパの戦争も何処どこにあるかと思われるほど静かであった。
 まだ半ば長途の旅行者のような岸本の心は休むということを知らなかった。京都には巴里の下宿で食卓を共にした千村教授がある。帰国後はもう助教授と言わないで教授の位置に進んだ、仏蘭西フランスの旅でも格別懇意にした高瀬がある。それらの人達に逢う楽みに加えて、宿にはまたリオンの方に滞在する岡のうわさや巴里のシモンヌの噂などの出る画家がある。鴨川の一日は岸本に取って見るもの聞くもの応接にいとまの無いくらいであった。こうして京都に着いた翌日には、ひどく彼も疲労つかれの出たのを覚えた。彼は東京の方へ帰って行った後の多忙いそがしさを予想して、せめて半日その宿の二階座敷で寝転ねころんで行こうとした。同じ部屋には旅行用の画具なぞをひろげた画家が居て、
「巴里の連中ですか。僕はまだ誰にも逢いませんよ。めったに皆と一緒になるような機会も有りませんよ。国へ帰ると、みんな澄ますように成っちゃって駄目ですね――ちっとも面白か無い」
 こんな話をしながら画作に余念の無い人の側で、時には宿の女中が階下したから上って来て話し聞かせる上方言葉をもめずらしく思いながら、岸本は苦しいほど疲れた自分の身体を休めて行こうとした。三年異郷で腰掛けることに慣れて来た彼は、畳の上で坐り直して見るにさえ骨が折れた。ひざあしも痛かった。彼は胡坐あぐらにして見たり、寝転んで見たりした。まだ彼はほんとうに身体を休めるというところまで行かなかった。
 岸本が意を決して西京を発とうとしたのはその夕方であった。東京の方へ向おうとする彼の足はまるで鎖にでもつながれているのを引摺ひきずって行くように重かった。

        十七

 夜汽車で京都を発った岸本は翌日の午後になって品川の停車場ステーションを望んだ。彼は自分の旅の間に完成されたという東京駅をも見たいとは思い、ひょっとするとそこに自分を出迎えていてくれる人もあろうかと気遣きづかったが、しかし品川まで行けば留守宅は近かった。旅の荷物も品川で受取ることにしてあった。彼は東京駅まで乗らずに、その停車場で降りた。
 かねて東京に着く日取もわざと知らせなかった留守宅の人達が、そんな時に岸本の独りで悄然しょうぜんと帰って来たことを知ろう筈もなかった。果して停車場の構内には彼を出迎える子供等の影さえも見えなかった。彼は停車場の出口のあたりを歩いて見た。靴のまま堅い土を踏みしめ踏みしめして見た。そうして荷物の受取れるのを待った。その乗降の客も少い建築物たてものの前に立って見て、今更のように彼は遠く旅して帰って来たことを思った。この寂しい入京は、おのずと頭の下るような自分の長旅の終りにふさわしいとも思った。
 その時の彼は苦しいほど疲れていることなぞを忘れてしまった。頼んだ辻待つじまちの車が来た。荷物も既に別の車の上に積まれた。間もなく彼を乗せた車は品川から高輪たかなわへ通う新開の道路について、右へ動き左へ動きしながら長い坂を登って行った。あのどんよりとした半曇りのような空かられる巴里の日あたりとは違って、輝きからして自分の国の方の七月らしい日の光が坂道を流れていた。強い照返しは日除ひよけを掛けた車の中にも満ちた。どうかすると、その日あたりを見て乗って行く彼の頭脳あたま内部なかまでしこんで来るかと思われるほど強く。車が動くたびに近づいて行く留守宅の方のことは、そこに彼を待つ人達のことは、眼に見る日あたりのまぶしさに混って、しきりに彼の胸を騒がせた。彼は兄を見るの切なさにもまさり、あによめを見るの苦しさにも勝って、あの節子を見るには耐えないような気がして来た。自分の不徳ゆえに、罪過ゆえに、いかに彼女が変り果てているだろうかとは、それを想像して行くだけでも耐え難かった。
 あえぎ喘ぎ坂を登って行った車夫は高輪の岡の上まで出ると急に元気づいた。なるべく遅くと注文したいほどに思っている客を乗せて、車はぐんぐん動いて行った。ある横町に折曲ると、その角に煙草屋がある。ふと岸本はその辺に遊んでいる男の児の後姿を見かけて、それが自分の二番目の子供ではないかと思った。
「繁ちゃんじゃないか」
 思わず彼は車の上から声を掛けて見た。
 見違えるほど大きくなった繁はそう言って声を掛けられたのを何と思ったのか、日除の掛った車の方をもよく見ないで、
とうさんはまだ帰らないよ」
 と言い捨てながら、何か嬉しそうな声を揚げて急に家の方へ駆出して行った。そこからはもう留守宅の格子戸こうしどの見えるほど近かった。

        十八

 忍びがたいのを忍んで岸本が家の前にめさせた車から降りた時、軒下の壁の破れや短い竹垣の荒れ朽ちたのがず彼の眼についた。荷物を卸す音なぞを聞きつけて誰よりも先に入口の格子戸のところへ飛んで出て来たのは嫂であった。嫂は内側から格子戸を一ぱいに開けてくれた。
「やあ、お帰りかね」
 と言って義雄兄は玄関先に立った。続いて兄の子供も、繁もそこへ集った。岸本は旅姿のまま入口の庭に立って一度に皆と顔を合せた。祖母おばあさんの後方うしろに立つ節子をも見た。彼は自分で自分の顔色の苦しく変るのを覚えた。
 やがて岸本は家の人達に迎え入れられた。順に一人ずつ挨拶あいさつがあった。岸本は兄の前にも頭をさげ、嫂の前にも頭をさげた。
「捨さん、お帰りでございましたか。あなたもまあ御無事で」
 と静かな調子で言う祖母さんの前へも行って、岸本は挨拶した。そこへ節子も挨拶に出て来た。岸本はただ黙って彼女の前にも御辞儀をした。
「これ、一郎も次郎も叔父さんに御辞儀しないか。そんなとこに立っていないで」
 と嫂に言われて、兄の二人の子供と繁とは一緒にそろって岸本の前に並んだ。子供等は大人同志の挨拶の済むのを待っていたという顔付で。
「へえ、これが次郎ちゃんですか――」と岸本は初めてほおあかい子供を見た。
「あなたの御留守に、これが生れましたよ」と嫂は言い添えた。
 三年も見ない間に繁の背の延びたことは岸本を驚かした。繁は皆の見ている前で父に逢うことをきまりの悪そうにして、少年らしく膝を掻合かきあわせていた。
「捨吉、まあお茶を一つお上がり」
 と奥の部屋の方から呼ぶ義雄兄の前へ行って、岸本は初めて兄と差向いに成った。岸本が国を出る時、名古屋から一寸別離わかれを告げに来たと言って、神戸の旅館まで訪ねてくれた人に比べると、この兄も何となくけて見えた。
「もうお前も帰りそうなものだと言って、吾家うちへ訪ねて来た人なぞもあった。おれもね、子供をみんな連れて東京駅まで迎えに行ったが、お前は帰って来ないし……なんでも、大阪までお前の帰って来たことは分ってるが、それから先の行方いきがたが知れないなんて言う人もありサ。昨日きのうと、一昨日おとといと、俺は二度も東京駅まで見に行った」
「そいつは済みませんでした。私は出迎えをお断りするつもりで、わざとお知らせもしませんでした。今々品川からここへやって来たところです」
「捨吉は品川へ着いたんだとサ」兄は家の人達へ聞えるように言って笑った。
 おさえに制えたようなものが家の内の空気を支配していた。子供等の顔までも何となく岸本には改まって見えた。繁は父の帰宅を知らせるために、学校の方に居る泉太のもと駈出かけだして行った。

        十九

只今ただいま
 という泉太の声が玄関の方でして、やがてこの年長としうえの方の子供は眼をまるくしながら学校通いの短いはかまのまま父のそばへ御辞儀に来た。
「オオ、泉ちゃんも大きく成りましたね」
 義雄を前に置いて、岸本がそれを言うと、泉太は三年振で会った父から大きく成ったと言われることをさも嬉しそうにしていた。
「泉ちゃんはまだ学校が有ったんだね」と義雄は泉太の方を見ていた。
「繁ちゃんが迎えに来てくれて――それで、僕の先生がもう帰ってもいいッて」と泉太は義雄に言った。
「学校の先生も気をかして、今日は帰してよこして下すった」と嫂がそこへ来て言い添える。
「父さん、父さんッて、毎日のように言い暮して――どれ程父さんのお帰りを待っていたものか知れません」と祖母さんも次の部屋に居ながら言った。
「長々お世話さまでございました。難有ありがとうございました」
 こう言いながら、岸本は改めて嫂の前に手をついて御辞儀した。それを見て義雄は軽く点頭うなずいた。
「さあ、よしよし、御辞儀が済んだら子供はそっちへ行っといで」
 と義雄に言われて、泉太は祖母さん達の居る次の部屋の方へ引きさがった。
 何よりも先ず岸本は兄や自分の子供等への旅の土産みやげを取出そうとした。またぎにくい敷居を跨いで幼いものの側まで帰って来て見ると、そこは彼の留守宅というよりも兄の住居すまいというべき形であった。こうした父子の再会にも、そう慣々しく言葉をかわすことはまだ周囲の事情が許さなかった。
「どれ、お土産みやを出しますかナ。一ちゃんにも次郎ちゃんにもお土産がありますよ」
 と岸本が言うと、嫂はそれを次郎に言って聞かせて、
「好いねえ。叔父さんがお土産を下さるッて」
「お土産。お土産」
 子供は嬉しそうな声を揚げて、部屋中大威張おおいばりで飛び廻った。
「これ、次郎、そう騒ぐんじゃ無いッて言うに。一番小さなくせに一番この児は威張りたがる」
 と嫂に言われても、次郎は聞入れなかった。
 岸本は旅のかばんから取出した帳面や色鉛筆やお伽話とぎばなしの本なぞを兄の年長うえの子供と自分の子供等との前へ持って行った。
「なにしろ同じものが三つなければ不可いけないんですから」と岸本は嫂等の方を見て言った。
「俺には?」と次郎が悲しそうな声を出した。
「へえ、次郎ちゃんにも」
 岸本は巴里から求めて来た動物の絵本を次郎に分けた。次郎は兄等のもらった物と、自分のと叔父さんの土産の違うのを不平らしく見比べていたが、やがて機嫌きげんを直して、鳥や獣のついたその絵本を母親のところへ持って行って見せ、祖母さんのところへ持って行って見せ、節子のところへも持って行って見せた。
「どれ、見しょ」
 と義雄が郷里の方の言葉を出して言うと、次郎はそれを父親の方へも持って行った。
「何だかこの本は異人臭い」と一郎は叔父の土産をいで見て、笑い出した。
「子供は何か食うものでも貰わないと、貰ったような気がしないぞ――」と義雄は岸本に言った。
「そうですね。大阪で買ったお菓子がありますから、あれも一緒に分けてくれますかナ」
 岸本はったり坐ったりした。表の往来に接した窓からは午後の日が祖母さん達の居る部屋の障子に射していた。節子はその部屋のすみの方に小さくなって、泉太や繁と一緒に遠い国のお伽話の本なぞをひろげて見ていた。

        二十

 根岸のめい(岸本が長兄の娘)の夫にあたる人は、義雄兄からの電報が行くとぐに岸本に逢いに来てくれた。岸本はこの義理あるおいもとの新橋停車場で別れたぎりの顔を合せた。
「捨叔父さんも御無事にお帰りで――」
 こう言って挨拶する親戚しんせきの前では、義雄は弟の遠い旅に行った動機なぞを小欠おくびにも出すまいとする風であった。のみならず「弟が」と言っても済むところをわざと「岸本捨吉が」と言って、品川からしょんぼり着いたような弟のことを晴の帰朝者として取扱おうとした。それほど義雄の気質には一門の名誉とか外聞とかいうことを重くるところがあった。
「叔父さん、まあ洋服でもお脱ぎなすって――ここに浴衣ゆかたも出してありますから」
 と嫂が言った。この嫂は岸本のことを呼ぶには一郎や次郎と同じように「叔父さん」と呼ぶ場合の方が多かった。その時になって岸本は漸く旅人の姿でなくなった。
「旅のお話でも一つ伺いましょうか――」
 と祖母さんも奥の部屋へ来て皆と一緒になった。
「祖母さんはお達者なようですね」
 と岸本が言うと、義雄はそれを引取って、
「家中で祖母さんが一番丈夫だ」この兄の言葉は何となく岸本の耳に強く響いた。
「そう言えば、叔父さんは何時いつ見てもそう変りなさらない」と嫂が言った。
「そうでもありません」と岸本は自分の額へ手をてて、「髪がもうこんなに白くなっちまいましたよ」
「それに大分日に焼けて来たぞ」
 と義雄が言った。
「私も先刻さっきからそう思って見てるところなんですが」と愛子(根岸の姪)の夫も岸本の方を見て、「大分叔父さんは黒くなっていらしった。前にはおひげもおあんなすったようでしたね。どうしてあんな好いお髭を取っておしまいなすったか。何だかお顔がすこし変ったようにも見える」
「これでも、いくらか異人臭くなって帰って来ましたろうか」
 こう岸本は言い紛わした。
 仏蘭西の方で岸本が見聞して来た旅の話は、愛子の夫なぞの聞きたがることであった。大川端おおかわばたの方に住む田辺の弘――岸本が恩人の息子さんも、岸本の東京に着いたことを知って訪ねて来た。三年経ってた一緒に成って見ると、弘ももう立派なお父さんだ。この人のふとった体格はくなった恩人にますますよく似て来た。こうした旧馴染むかしなじみの客に加えて、旅の話を求めに来る新聞記者なぞもあって、ほとほと岸本は底疲れに疲れている自分の身を忘れた。
 夕方には祖母さんの上げた燈明が仏壇のある部屋の方で光った。岸本はその仏壇の前へ行って、亡き園子をはじめ三人の女の児の古くびた位牌いはいが燈明の光に映るのを見た。遠い旅に行く出発の前夜まで無かった古い位牌や仏具なぞは、祖母さん達の郷里から携えて来たものと知れた。嫂や節子は勝手の方から通って来てその仏壇の側を往ったり来たりした。
 岸本は節子に近づくことを避けていた。帰って来てまだろくろく口をこうともしなかった。唯それとなく彼女の容子ようすを見ようとした。彼の眼に映る不幸な犠牲者は遠く離れていて想像したほど変り果てた姿でも無かったので、それには彼はやや安心した。その日の夕飯には、義雄の家族、二人の親戚、泉太や繁まで一緒に食卓に就いた。岸本が帰国の祝いとして、生蕎麦きそばもり二つずつ出た。兄の家の倹約なことも、骨の折れることも、この馳走ちそうが一切を語っていた。岸本は涙のこぼれるような思いをしながら、久しぶりでの夕食を難有ありがた頂戴ちょうだいした。

        二十一

 その晩、岸本はまだ旅から帰りたての客のような形で、兄の義雄と同じ蚊屋かやの内に寝た。高輪たかなわにあるこの新開の町ではもう一月も前から蚊屋をるという。久し振で帰って来た屋根の下に、古い麻蚊屋のにおいぎながら横になって見ると、その日一日心配しつづけたことがまだ岸本の胸を去らなかった。何かの碑面にでもありそうな漢文体の文句を暗誦あんしょうしながら睡眠ねむりを誘おうとしているらしい兄はと見ると、まくらを並べたその人の方からは何時いつの間にか高いいびきが聞えて来た。岸本はよくそれでもこの屋根の下に旅の着物を脱ぐことが出来たと思い、いろいろさまざまなことがそれからそれと胸に満ちておちおち眠られなかった。
 朝になると、義雄はもっと東京の中心に近い町の方の宿屋へ通うことを日課のようにしていると言って、かばんをかかえて出掛けて行った。こんな不便な郊外で、電話も無いような住居では、何の事業を画策かくさくすることも出来ないというのが兄の宿屋通いの趣意であるらしかった。子供等も学校へ出掛けた後で、家の内は静かになった。岸本はこれから当分の間毎日たずねて来てくれそうな多くの客を待受けるような心持で、あちこちと家の内を歩いて見た。置捨てて行った自分の本箱の前をも歩いて見た。古い箪笥たんすの前にも行って立って見た。園子の時代から残った八角形の柱時計はまだ同じような振子の音をさせて、旅から帰った彼を迎え顔に見えた。変色した唐紙からかみでも、子供等に傷つけられた壁でも、実に一切のものを捨てる思いをした三年前のあらしはげしさを語っていないものは無かった。
 奥の部屋のすみには、旅の鞄もまだそのままにして置いてあった。きとかえりの船床の番号だの、貼札はりふだだの、海外の諸国を廻ったそれらの印の附いた鞄の中からは、岸本が巴里パリの下宿の方でさんざん着た和服の類が出て来た。彼は裏の擦切すりきれた下着や、すそから綿の出た褞袍どてらなぞを取出して、それを次の部屋に居るあによめや祖母さんに見せ、還りの航海中に自分で面白い恰好かっこうほころびを縫い着けて来た旅の単衣ひとえなぞをも取出して見せた。
 そこへ節子が来た。彼女は祖母さん達の側に坐って、皆の話に耳を傾けていた。何事なんにも知らずに郷里の方から出て来たという祖母さん、叔父の旅に出た動機は母親にまでひし隠しに隠してあるという節子――その女ばかりの集りの中で、岸本はいかに自分のことを考えているやも測り難いような嫂を見た。
 庭の方では次郎のひとりで歌い歩く声が起った。この子供は時々縁側から上って来て、皆の見ている前で母親のふところを探った。
「次郎ちゃん、叔父さんが見てお笑いなさるよ」
 と嫂は言いながらも、誰よりもその末の児が可愛くて可愛くてならないと云う風で、その年齢としになってもまだ乳房を吸わせていた。岸本の鞄の底からは、泉太や繁の世話になった人達へと用意して来た志ばかりの巴里土産も出て来た。彼はそれを嫂の前にも節子の前にも置いた。いずれも巴里のサン・ゼルマンの並木街なぞを歩き廻って見立てて買って来たものであった。あの産科病院前の下宿からわざわざ地下電車で「オペラ」附近の繁華な町の方まで探しに行って来たものもある。遠い旅を記念する心は、贈られる人よりも、かえって贈る人の方に深かった。
「まあ、こんなにめいめいへ御心配なすって」
 と礼を言う嫂の眼は険しく光った。

        二十二

 長い留守の間のことを聞いて見たい。その心は岸本に取ってどれ程強いものであるか知れなかった。彼はよく旅の空で帰り支度じたくをする頃にそう思った。もし無事に故国に辿たどり着くことが出来たら、あの事も聞いて見たい、この事も聞いて見たいと。今、嫂達は彼の側に居る。けれども自分の秘密がこの人達に隠してあるかぎり、長い留守の間の事で言出し得ることはほとほと少かった。嫂達が郷里を引揚げて上京した頃のことを聞いて見ようとする、とぐ節子や子供等を置いてこの家を逃出した自分のことに触れて来る。輝子(節子の姉)が露領の方から帰国してこの家に居た頃のことを聞いて見ようとする、と直ぐ節子が人目を避けるために一時この家に居なかったことに思い当る。眼前めのまえに戯れ遊ぶ次郎を見ていても、直ぐ彼の胸には平気で居られないような聯想れんそうが迫って来た。節子の産落うみおとしたという男の児は丁度この短い着物に巾着きんちゃくなぞを着けた嫂の子供と同じ年齢としであったから。
 岸本は気を取直して、旅から持って来た別の鞄を解いて見た。
「姉さん、こういう人形が出て来ました。祖母さんにもお眼に掛けますかナ。これは君ちゃん(岸本の末の女の児)にってくれッてそう言って、巴里の下宿の主婦かみさんがくれてよこしました」
「どれ――まあこのお人形さんは可愛らしい。青い頭巾ずきんなぞをかぶって」
 と嫂は言って、ひとみの青い仏蘭西フランスの人形を祖母さんや節子と一緒に近く集ってながめた。
「その人形の着物は、それでも下宿の主婦が自分で手縫にしたものだなんて言いましたっけ。国へ帰ったら、これを解いて見ると分る、仏蘭西の女の児の着るものは皆この人形が身につけていますなんて、そんなことも言ってくれてよこしましたっけ――」
 こう岸本が言うと、節子は母親に寄添いながら、
「髪は茶色ですねえ」
「ほんとに」と祖母さんも人形を手に取って見た。
 何となく節子は自分の手を気にしている容子であった。岸本はそれをて取って、何気なくいた。
「節ちゃん、手はどうです」
「あれの手はもう三年越しよなし」
 と祖母さんは郷里くにの方のなまりを出して言った。節子は黙し勝ちに、水虫のようなものをわずらいつづけている自分のてのひらを叔父の方へ見せ、自分でもその掌を眺めていた。
「まだそんなに悪いのかね。もうとっくに良くなってることかと思っていた」と言って、岸本は嫂の方を見て、「なんでも巴里の方に居る時分に好い皮膚病の薬が見つかりましてね、それを節ちゃんのところへ送ってよこすつもりでした。丁度子供のところへも町の文房具屋で見つけた帳面がありましたから、一ちゃんに一冊、泉ちゃんや繁ちゃんにも一冊ずつ、それにその薬と、それだけを一緒にして国の方へ帰る友達に頼みました。どうでしょう、その友達の荷物は船と一緒に地中海へ沈んでしまいましたよ。敵の船にやられたんですね。友達だけは別の船で日本へ着きましたが、折角の帳面も薬もそんな訳で皆のところへ届きませんでした――惜しいことをしましたっけ」
 こんな旅の話をするにしても、岸本はそれを節子にしないで、嫂や祖母さんに聞かせるようにした。岸本は節子と自分の関係を叔父姪の普通の位置に引戻そうとした。その方針でこそ、兄や嫂にも安心を与え、同時に長い間の自分の苦悩を忘れることが出来ようかと考えた。

        二十三

「兄さん、これは貴方あなたげるつもりで持って来ました」
 義雄が宿屋の方から帰った頃、岸本は旅の鞄から取出して置いたものを記念として兄にも贈った。それは巴里のサン・ミッシェルの並木街あたりを往来ゆききする人達の小脇こわきはさまれるような、書籍ほんや書類などをれるための実用向の手鞄であった。
「や。好いものをくれるナ。こいつはもらって置こう」
 と義雄は機嫌きげんが好かった。
 岸本の帰国を聞いて戦時の巴里の消息を尋ねに来る新聞雑誌の記者、その他旧馴染むかしなじみの客なぞで、一しきり家の内はごたごたした後であった。まだ岸本は長い旅から持越した疲労つかれをどうすることも出来なかった。神戸へ上陸するからその日までほとんど彼は休みなしと言ってもいくらいに自分を待受けていてくれた国の方のものに触れ続けた。東京へ帰って来て見ると、あの京都の宿でせめて半日なりとも寝転ねころんで来て好かったとさえ思うくらいであった。
 その疲労をおさえながら、岸本は奥の部屋の方で自分を呼ぶ兄を見に行った。
「捨吉。まあ坐れ。今はいろいろ話すことがある」
 と義雄は言って、弟の留守中に訪問を受けた人達の名とか、兄自身に対して厚意を寄せてくれた人達の名とか、ことに弟の留守中に兄の一時わずらったことから、その折に援助を受けた親戚しんせきの名とか、それらを岸本に話し聞かせた。万事上手うわてに、上手にと、手強てごわく出ようとする方の兄は、言うだけのことを言ってしまわなければ気が済まないという風で、それから自身に書いた書付を出して岸本に見せた。
「これは、まあ参考までに見せて置くが――」
 と言って義雄は別の書付をも出した。
嘉代かよ(嫂の名)、お前の方の書付も叔父さんに出して見せるといい」
 と義雄は嫂をもその二人ぎりのところへ呼んで言った。
 岸本は手をみながら兄夫婦の前を引きさがった。その時になって彼は自分の留守中いかに兄の骨の折れたかを知った。「お前が仏蘭西から帰って来るまでには、俺も大いに雄飛するつもりだ」と言って以前に手を分った兄の身にも、まだ時節というもののめぐって来ていないことを知った。そればかりではない、恐らく後になって振返って見ても、自分の留守の三年が兄の生涯の中での一番苦しい時代であったろうということをすら知った。彼はまた、自分の許され難い罪過がとにもかくにも三年の間この家をささえる細い力の一つであったような、そんな世の中の不思議にも思い当った。幾つかに分れた岸本兄弟の家の過去は互に助けたり助けられたりであった。その親譲りの精神に富んだ兄の情誼じょうぎに対しても、岸本は今々自分が国へ帰って来たばかりだ、まだ息をく間も無いとは、どうしても言えなかった。多くの人に心配ばかり掛けて来た自分の旅が実際如何いかなるものであったか、その中で子供等を養おうとした自分の苦心をも察して欲しいとは、どうしても言えなかった。まるで兄夫婦を欺くようにして旅に上った自分の行為おこない――それだ。第一それだ。「出来たことは仕方が無い、お前はもうこの事を忘れてしまえ」と言って、自分の一生の失敗を大目に見てくれたような、この兄の言うことなら、仮令たとえどんな無理なことでも彼はそれを聞かなければ成らないように思った。

        二十四

 岸本は誰も家の人の居ないところへ行って、ひとりで自分の右の手を出して見た。そして自分に問い、自分に答えた。
矢張やっぱし、金の問題が附いて廻る――どうも仕方がない」
 岸本はあだかも、手相を占者うらないしゃの前にでも出して見せるような手付をして、自分で自分の手を眺めた。その手を他から出された手のようにして出し直して見た。実際、それは誰の手でも無かった。自分の罪過そのものが何処どこから出すともなく出してよこす暗い手だ。
 岸本はもう一度その手を出し直して見た。誰にも知れないように自己の罪迹ざいせきを葬ろうとしているような人間のはかなさをよく知るものでなければ、どうしてそんな手のあることを感じ得られよう。それは押頂いても足りないほど感謝すべき手だ。しかし掛引の強い手だ。自分の弱点を握っているような手だ。岸本はつくづく自分の手を眺めて、非常に暗い気持がした。
「姉さん、私も帰って来たものですし、今日からこの家は私にやらせて下さい」
 と岸本は嫂の居る部屋の方へ行ってそれを言った。まだ旅行免状なぞのそっくり入れてある紙入から当座の小遣こづかいを出して嫂の手に渡した。
 同じ船で帰国した牧野から手紙で約束のあった日に、岸本は横浜の税関まで残りの荷物を受取りに行って来た。神戸から横浜の方に廻った馴染の船はまだそこに碇泊ていはく中で、埠頭ふとうに横たわる汽船の側面や黒い大きな煙筒えんとつは一航海の間の種々様々な出来事を語っていた。岸本はその税関の横手からもう一度青い海をも近く望んで来た。
 遠く国を目ざして帰って来た岸本の心――その心は彼に取って失うことの出来ない大切なものであった。その心から言えば、彼は兄にもび、嫂にも詫びなければ成らなかった。意外にも再び兄の無事な顔を見た最初の時から彼はその心をおさえられるように成った。「お前はもう何事なんにも言うな」と兄の眼が強く物を言った。しかし、それは岸本の本意では無かった。もとより彼は兄夫婦に詫びなければ成らないと思った。それから、自分のためにあれほどの深傷ふかでを負わせられながら、しかも彼女自身何等なんらの償いを求めようとする気色けしきも無いような節子に対しては、誰にもして詫びる心を実際に自分の身にあらわさねば成らないと思った。

        二十五

 長い旅から帰った巡礼のようにして留守宅の敷居をまたいだ岸本は、漸くのことで自分の子供等の側に休息らしい休息を見つけるように成った。訪ねて来てくれる客も多く、誰を見ても逢いたいと思う人ばかりで、帰国後は思ったより多忙いそがしい日を送ったが、その中でも彼は泉太や繁をそれまでに大きくしてくれた人達への礼奉公を志した。彼は自身の力に出来るだけのことをして、不遇を憤り忍んでいるような兄や、ちょいちょい愚痴も出る嫂や、年とった祖母おばあさんなぞを慰めようとした。兄の気象として、うんと大きくやしきを構えるか、さもなければどんなわびしい住居にもじっと我慢するか、どちらにしても中途半端ちゅうとはんぱなことが出来ないようなところから、家の垣なぞが荒れすたれてもただそれは人の見るままに任せてあった。岸本はこの屋根の下に多少なりとも清新なものを注ぎ入れるようにと努めた。どうかすると共倒れにでも倒れそうな気のするほどよどんだ家の空気の中から、何かしら生れて来るもののあるのを楽みにした。旅から帰って彼が見た節子は、朝も早く起き、嫂を助けながら家事の手伝いをして、すくなくも気を腐らせないで働いている人であった。「お前が帰って来てから、節ちゃんも大分元気づいた」――この兄の言葉から、岸本は自分の帰国が彼女にも多少の希望を与えたことを知った。なにしろ旅の空にある時でも、一番気に掛ったのは彼女のことであったから。その心から彼はすくなからぬ歓喜よろこびを自分の身に覚えた。
「父さんが帰っていらしったら、泉ちゃんや繁ちゃんまで眼に見えて違って来ましたよ――矢張やっぱし、親は親ですねえ」
 こういう嫂の言葉は、御世辞にしても岸本には嬉しかった。
 何よりもず岸本の願いは自分ながら驚くばかりの激しい旅疲れを少しずつ休める事であった。そういう場合には、彼は二人の子供の側へ行った。客の前なぞで無理に折曲げて坐っていたひざをそこへ行って延ばした。腰掛けることに慣れて来た彼は、時には顔をしかめ、痛い足をかかえて、子供等の見ている前でうめくような声を出した。
「どうだね、父さんもこれで幾らか異人臭くなって帰って来たかね――」
 と岸本が尋ねると、泉太は繁と並んで父の顔を眺めながら、
「異人臭くっていやになっちゃった」
 この泉太の人の好さそうな調子が父や弟を笑わせた。

        二十六

「でも、泉ちゃんも繁ちゃんも大きくなったね」と岸本は二人の子供を見較みくらべながら、「泉ちゃんの方は、おおよそそれくらいに成ってるだろうとは思ったが、繁ちゃんの大きく成っていたには父さんも驚いた」
「僕と泉ちゃんと並ぶと、せいは同じくらいだね」
 と繁は泉太の方を見て言った。岸本は自分の前に坐っている二番目の子供が、もう、「僕」という言葉なぞを覚えて使っている子供が、神田川に近い以前の家の方で朝晩の区別もはっきり分らないように「これ、朝?」とか「これ、晩?」とかよくいたあの幼い繁であるかと考えると、思わず微笑ほほえまずにはいられなかった。
 岸本は言葉を継いで、
「父さんが帰って来た時、車の上から繁ちゃんに声を掛けたろう。父さんにはぐ繁ちゃんだということが分った。あの時、お前は妙な返事をして馳出かけだして行ったじゃないか」
「僕は、父さんだとは思わなかった」と繁が答えた。
「そうかねえ。父さんが分らなかったかねえ」
「車の方をよく見なかったもの――日除ひよけが掛ってて、よく見えなかったもの――」
 二人の子供は思いついたように顔を見合せて、父が旅の土産を取出しに行った。それを大事そうに父のところへ持って来た。
「泉ちゃんや繁ちゃんはお清書だの図画だのをよく父さんのところへ送ってよこしてくれたね。日本の字は筆で大きく書くだろう。外国ではお前、みんなペンだろう。泉ちゃんのお清書なぞを外国で見ると、字が大きくて、めずらしいくらいだったよ。そう、そう、よくお前達からお手紙なぞも貰ったっけね」
 こうした父の話を聞くよりも、二人の子供は各自めいめいそこへ取出して来たものを父に見せようとした。その子供らしいよろこびを父にも分けようとした。
「どれ、その帳面をお見せ。仏蘭西風の黒い表紙なぞが附いてて、好い帳面だナア。この帳面と色鉛筆は父さんが巴里パリで買って来たんだよ。お伽話とぎばなしの本もあるね。英吉利イギリスのお伽話だ。その方は父さんが倫敦ロンドンで見つけて来た。二人とも大切にしてしまって置くんだぜ」
「なんだかこの本はむずかしくて読めやしない」と繁が言った。
「そりゃ英語だもの」と泉太は弟の方を見た。
「でも、好いやねえ。絵がついてるからねえ」と繁は受けて、「父さんは僕の本にも書いてくれた。一つ読んで見るかナ。『旅より帰りし日――父より――繁へ』」
 読む繁も聞く泉太も二人とも噴飯ふきだしてしまった。その時、泉太の方は何か思出したように、
「父さんは好いナア」
「どうして?」と岸本が訊いた。
「だって、ひとりで仏蘭西の麺麭パンなんか食べて――」
「独りで? お前達を連れてくわけに行かないじゃないか」
「父さんは何しに仏蘭西へ行ったの――」
 この泉太の問には、岸本も詰ってしまった。屋外そとの方ではにわかかわずの鳴出す声が聞えた。岸本は子供等の顔を眺めながら、旅の空ではほとんど聞かれなかった蛙の声に耳を澄ました。三年も見なかった間に可成かなりな幹になった庭の銀杏いちょうへも、縁先に茂って来た満天星どうだんの葉へも、やがて東京の夏らしい雨がふりそそいだ。

        二十七

 二人の子供は更にお清書だの図画だのを取出して来て岸本に見せ、岸本が旅から送ってよこした絵葉書なぞをもそこへ並べて見せた。
「へえ、リモオジュの絵葉書があるね。これは泉ちゃんのところへ送ってよこしたんだね。よくそれでもこんなにくならないで残っていたね」
 と言いながら、岸本は子供等と一緒に仏蘭西フランス田舎いなかの絵葉書をながめた。つて二月半ばかりを暮して見たリモオジュの町はずれ、羊の群の飼われている牧場、見覚えのある手前の方の樹木から遠く岡の上に立つサン・テチエンヌの寺院の高い石塔までが、その絵葉書の中にあった。丁度その図面にあらわれているのも岸本が旅でったと同じ季節の秋で、よく行って歩き廻ったヴィエンヌ河のほとりの旅情を喚起よびおこすに十分であった。
「父さん。ここにお船の絵葉書もあるよ」
 と言って繁が出すのを岸本は手に取って見て、
「これは父さんがきに乗って行ったお船だ。父さんはお前、こういうお船で遠い国の方へ行って来たんだぜ」
「そんなに遠い?」
「お前達は海を見たことがあるかね」
「品川へ行けば海が見える」と繁が答えた。
「僕は鎌倉へ修学旅行に行った。あの時に海を見て来た」と泉太は言った。
 どんな海の向うにこの子供等の知らない国があるかということは、岸本には一寸ちょっとそれを言いあらわすことが出来なかった。
 泉太も繁も、真黒に日に焼け汐風しおかぜに吹かれて来た父の顔を見まもっていた。この子供等を側に置いて岸本は自分の遍歴して来た港々の奇異な土人の風俗や、熱帯の植物や、わに駝鳥だちょう山羊やぎ鹿しか斑馬しまうま、象、獅子しし、その他どれ程の種類のあるかも知れないような毒蛇や毒虫の実際に棲息せいそくする地方のことを話し聞かせた。
「ホウ。鯨。鯨」
 と二人の子供は互に言い合って、まるでお伽話とぎばなしでも聞いているような眼付をしながら、鯨のれたのを見て来たという父の旅の話なぞに耳を傾けた。
 まだ岸本は海からい上って来たばかりの旅行者のような気もしていた。彼の心はかえりの船旅に通過した赤道の方へも行き、無数な飛魚とびうおの群れ飛ぶ大西洋の波の上へも行った。十字架の形をすこし斜に空に描いたような南極星も生れて初めて彼の眼に映じたものであった。暗い海を流れる青いりんの光も半ば夢の世界の光であった。倫敦ロンドンを出発してから喜望峰きぼうほうに達するまで、彼は全く陸上の消息の絶え果てた十八日の長い間を海上にのみ送って来た。船は南阿弗利加アフリカダアバンの港へも寄って石炭を積んで来た。新嘉坡シンガポールに近づく頃望んで来たスマトラの島影、往きに眺め還りにも眺めた香港ホンコンの燈台、黄緑の色に濁った支那しなの海――こう数えて来ると実に数限りも無い帰国の旅の印象が彼の胸に浮んで来た。

        二十八

 実に突然に、節子は沈んでしまった。それは岸本が来訪の客のいくらか少くなったのを見計らって自分の方から毎日訪問の為に出歩いている頃であった。折角元気づいて働いていた節子が何故そんなに急にふさいでしまったのか、何が面白くなくてまるでしおれた薔薇ばらのように成ってしまったのか、さっぱり岸本には訳が分らなかった。
「節ちゃんはどうしたというんだろう」
 と彼はひとりで言って見て、あまりに急激に変って来た彼女の容子ようすに驚かされた。
 何か節子は義雄兄からしかられたことでもあるのか。岸本の見るところでは、別に何事なんにも家の内には起っていなかった。何か彼女は母親の仕向けを不満にでも思うことがあるのか。別にそんな様子も見えなかった。
「きっとこういう調子で、自分の留守の間にも姉さん達を困らせたんだろう」
 とた言って見て、帰国早々面白くもない顔を見せつけられる彼女の神経質と、自制力の乏しさとに、すこし彼は腹立たしいような気にさえ成った。
 岸本に言わせると、彼が節子に対して済まなかったと思うことは今更繰返すまでもない。ただそれをゆるしてもらおうが為に、出来ることなら一生の失敗から出発して更に新規な道を開こうが為に、一旦いったんは帰るまいと思った心をひるがえしてもう一度自分の国へ帰って来た。旅は幸いにも多くの生活の興味を喚起よびおこした。彼は自分でも再婚する心であり、節子の縁談でも起った場合にはかげながら尽すつもりでいる。そして彼女のために進路を開き与えようと心がけている。そのことを義雄兄の前でも話し、兄もまたひどく彼の再婚説に賛成してくれた。節子が沈んでしまわねば成らないほど希望を失うようなことは、彼女の前途には見当らなかった。
 そこで彼は一つの言葉を思いついた。どうしても原因の分らない彼女の濃い憂鬱ゆううつを「節ちゃんの低気圧」という風に言って見た。その日まで彼はなるべく彼女を避けるようにし、直接に言葉を掛けることをすらつつしみ、唯遠くから彼女を眺めて来た。言葉を替えて言えば、彼はまだ真面まともに節子を見得なかった。不思議な低気圧が来て見ると、彼はいやでも応でもこの黙し勝ちな不幸な人の容子を注意して見ない訳にいかなかった。

        二十九

 毎日のように岸本は訪問のために出歩いた。旧知なつかしい心から彼はたずねられるだけ親戚しんせきや知人を訪ねたいと思った。芝に。京橋に。日本橋に。牛込うしごめに。本郷に。小石川に。あだかも家々の戸をたたいて歩く巡礼のように。そして高輪をして帰って来て見るたびに、相変らず節子はふさぎ込んでいた。
 旅から岸本が心配しながら帰って来た時、彼の想像するめいは姿からしてひどく変り果てた人であった。あの巴里パリの下宿の方で取出すのも恐ろしいほどに思った節子の写真にれた姿――彼女自身の言葉を借りて言えば、まるで幽霊のように撮れたという産後の衰えた姿――それがまだ彼の眼にあった。その思いをすれば節子はいくらかせ細ったかと思われる位で、短く切れたという髪でさえ見たところさ程には彼の眼に映らなかった。けれども、これは唯一時彼を安心させたに過ぎなかった。以前とは違って節子の弱くなったことが、次第に兄やあによめや祖母さんの口かられて来た。
「お前が帰って来てから、あれで気を張っているものかも知らんが、あんなに朝も早く起きるようなことは節ちゃんとしては、まあ開闢かいびゃく以来だ。どうかすると部屋の掃除をする元気もない。自分の寝床を畳むのがもう精々――そんな日がこれまでにいくら有ったか知れない。お前が留守の間はまるで寝て暮した様なものだぞ。たまに外へ使に出してやれば電車の中で気が遠くなるなんて――ヤカなものだわサ」
 こう義雄は田舎訛いなかなまりの混って出て来る調子で岸本に話し聞かせたこともある。その調子は、鈴木の姉のようにつつしみ深いか、くなったおいの太一の細君のように賢いか、田辺の家のお婆さんのように勇気があるか、でなければ女として話にならないという風で。
 矢張実際の節子は岸本が心配した通りであった。それほど弱々しい人で、しかも水いじりは勿論もちろん、針を持つことさえ覚束おぼつかないというほど手のわずらいに附纏つきまとわれているような人で、どうしてこのまま家庭の人と成ることが出来ようかとあやぶまれた。「お前は人一人をこんなにしてしまった」――そういう声が来て彼を責めたとする。よし節子を囲繞とりまく一切の病的なものがことごとく彼のせめのあることでは無いにしても、それほど彼女を力の無いものとした根本の打撃は争われなかった。
 節子の低気圧の何であるかは、どうしても岸本には知ることが出来なかった。それとなく岸本は姪の様子を見に行ったこともあった。北向の部屋の外には、裏木戸から勝手へ通うわずかばかりの空地がある。そこには日頃ひごろ植物の好きな節子が以前の神田川に近い家の方から移し植えたはぎがある。その花の押されたのは節子の便たよりと共に巴里の下宿の方へ届いたこともある。三年もつ間には萩も大きくなった。節子は縁側に出て、独りで悄然しょんぼりと青い萩にむかい合って、誰とも口をきたくないという様子をしていた。

        三十

 ある日も、岸本は以前住った町の方に旧知を訪ねるつもりで、家を出る前に皆と一緒に食卓にいた。丁度昼飯時で、兄の家族をはじめ学校の早びけを楽しむ泉太や繁まで一同そこへそろった。
「叔父さんが仏蘭西から帰って来てから、家のものはまだみんな遠慮しています。皆これで猫をかぶっています」
 こんなことを串談じょうだん半分に義雄が言出した。
「どうして、一ちゃんなんかだって泉ちゃんや繁ちゃんの次席つぎに坐らせられて、叔父さんでも居なかろうものならああして黙って食べているもんじゃない。皆これで猫を冠っています。この猫が冠りきれれば大したものだが――それこそ万歳だが」
 とた義雄が言った。泉太や繁等は義雄伯父おじから何を言出されるかという顔付で、伯父と並びながら食べていた。
「自分だっても猫を冠ってるくせに」
 と嫂は義雄の方を見て鋭く言った。この嫂の皮肉は義雄を苦笑にがわらいさせた。
 節子は母親と一郎の間に坐って、頭をさげたぎり、物も言わずに食べていた。何となく彼女の楽まない容子は、岸本にはそれがよく感じられた。
「まだ節ちゃんはあんな顔をしている」
 そう思いながら岸本はその食卓を離れた。
 どうしてそんなに節子の低気圧が続いているか。原因の知れないだけに、岸本には可哀そうに成って来た。それを気に掛けながら、彼は高輪の家を出て、岡に添うた坂道を電車の乗場まで歩いた。
 電車で浅草橋まで乗って見ると、神田川の河岸かしがもう一度岸本の眼にあった。岸本は橋の上に立って、かつてよく歩き廻ったその河岸を橋のてすりのところから眺めた。そこの石垣は以前自分の腰掛けたところだ、ここの船宿の前は以前自分の小舟を出したところだ、と言うことが出来た。七年住慣れた町の方まで歩いて行って見た。ふる住居すまいであった家は、表の見附みつきからして改まり、人も住み変り、唯往来から見える二階のところに彼の残した硝子戸ガラスどだけが遠い旅に出るまでのことを語っていた。彼は旧馴染むかしなじみの家々をも訪ねて見た。その中には、日に焼けた彼のほおと、白くなった彼のびんと、ひげの無くなった彼の顔とを見つめたぎり、しばらくその訪問者が旅から帰った彼であることを信じられないかのような面持おももちの人さえあった。
 岸本はその町について柳橋を渡りやがて両国橋の近くに出た。旅にある日、ソーン、ヴィエンヌ、ガロンヌなぞの河畔かわぎしから遠く旅情を送った隅田川がもう一度彼の眼前めのまえひらけた。あのオステルリッツの石橋のたもとからセエヌ河の水を見て来た眼で、彼は三年の月日の間忘れられなかった隅田川の水が川上の方から渦巻き流れて来るのを見た。

        三十一

 家をさして品川行の電車で帰って行くたびに、岸本はよく新橋を通過ぎて、あの旧停車場から旅に上った三年前のことを思出した。その日の帰路かえりみちにも彼は電車の窓から汐留しおどめ駅と改まった倉庫の見える方を注意して、市街の誇りと光輝とを他の新しいものに譲ったような隠退した石造の建築物たてものを望んで行った。それほど彼にはまだ旅行者の気分がせなかった。多くの場合に彼は電車の片隅かたすみに立って、他の乗客をめずらしく思い眺めて、半分異国から来た人のような心持で乗って行った。
 嫂や祖母さんは家の方で夕飯の支度したくをしながら、岸本の帰りを待っていた。節子も皆と一緒になって働くだけはよく働いていた。時々岸本は節子の方を見てそう思った。一体嫂達は何か深く思い沈んだようなあの節子をどう見ているのだろうかと。嫂はこんなことはもう毎々だという顔付で、節子が家のものと口を利かないほど黙りこんでしまっていても、さ程気にも掛らないかのようであった。
 その晩、岸本は兄と二人で奥の部屋に話し暮した。そこへ祖母さんも来て、
「節もまあ、あの手をどうかしてやらんけりゃ成るまいかと思いますが――」
 と言出した。何事なんにも知らずに郷里くにから出て来たという祖母さんは、三年このかた節子のせ衰えたのを一つの不思議のようにして、多病な彼女のためにいろいろと気をんでいた。
 義雄に取って、祖母さんは義理ある母親に当っていた。嫂がこの年老いた婦人の一人娘であった。義雄は岸本の家から出て、母方の岸本の姓を継いだ人だけに、祖母さんに対しては遠慮のある口調で、
「捨吉も帰って来たものですし、あれとも相談して何とか方法を講じます」
「なにしろ、節の手が悪くなってから、もうかれこれ三年にも成るで」と祖母さんが言った。
「一度医者にはせましたが」と義雄はそれをさえぎるようにして、「その医者の言うには、これは悪い病気にかかったものだ、余程の専門家にでも掛けなければなおらない、それにしても、この手はなかなか長くかかる――そう言って節を帰してよこしました。もしまたあんな風で、到底お嫁にも行けないようなものなら、まあ一応は治療をさせて見ての上の話ですが――何処どこの家にだって片輪の一人ぐらいはよく出来るものです、そう思ってあきらめるんですね」
 こういう兄の話は強く岸本の耳にこたえた。
 旅にある日、節子を両親にたくしてから、岸本の心では、どうやら彼女を破滅から救い得たものと考えていた。節子に持上る縁談のことを聞く度に、一層彼は彼女の回復を確かめたように思っていた。旅から帰って来て見た。節子は弱々しい人であった。しかし彼女が廃人としてまで周囲の人達から見られるほど不具なものに成り行こうとは、どうしても岸本には考えられなかった。「片輪の一人ぐらい」この兄の言葉はひどく岸本を驚かした。
 その心で、翌朝早く岸本は台所の方へ顔を洗いに行った。嫂も、祖母さんもまだ起出さない頃であった。節子一人だけがしょんぼり立働いていた。
何時いつまでそんな機嫌きげんの悪い顔をしているんだろう」
 そう思いながら岸本は台所から引返そうとした。口にも言えないような姪の様子はその時不思議な力で岸本を引きつけた。彼はほとんど衝動的に節子のそばへ寄って、物も言わずに小さな接吻せっぷんを与えてしまった。すると彼が驚き狼狽あわてて節子の口をおさえたほど、彼女は激しい啜泣すすりなきの声を立てようとした。

        三十二

 八月に入って泉太や繁の母親の忌日きにちが来た。学校も暑中休暇になった二人の子供は久しぶりで父と一緒に外出することを楽みにして、その前の晩から墓参りに行く話で持切った。
 朝早く出掛けることにした。岸本は一郎をも節子をも誘った。寺のある郊外の方には岸本が訪ねたいと思う旧友も住んでいたので、彼は帰路かえりみちだけ子供を節子に頼んで置いて、自分ひとりで友達の家の方へ廻るつもりであった。
「捨吉はすげさんのところへ寄るで。そりゃ節ちゃんも一緒に行って、帰りには子供を連れて来るがよかろう」
 と兄は嫂を取做とりなすように言って、「たまには節子にもそれくらいの元気を出させるがい」という意味を通わせた。
 節子はいそいそと支度した。子供等がき立てる中で新しい白足袋しろたびなぞを穿いて、一番おくれて家を出た。
「次郎ちゃんが見てるとまたやかましい、出掛ける人はさっさと出掛けとくれ」
 という嫂の声を聞捨てながら、三人の子供は歓呼を揚げて真先に駆け出して行った。岸本は物の半町も子供と一緒に歩いたころ、後から薄色の洋傘こうもりを手にしながらやって来る節子を待った。外出した途中でよく脳貧血を引起すという節子のことが何よりも彼には気掛りであった。
「節ちゃん、今日は大丈夫かね」
 岸本が尋ねた。
「ええ、大丈夫でしょう」
 こう答える節子の声はつつましやかであった。
「お前の着物も何もみんなお蔵へ預けてあるなんて――なかなか好いのがあるじゃないか、そんなのが有れば沢山じゃないか」
「好いにも悪いにも、これッきりなんですもの」
 と節子はすこし顔をあかめた。彼女は何事も思うに任せぬという風で、手にした女持の洋傘のすこし色のせたのをひろげてした。
 旅から帰った叔父にいて歩くようなことは、節子に取ってそれが初めての時であった。何時晴れるともなく彼女の低気圧も晴れて行った後で、あれほど岸本の心を刺戟しげきした彼女の憂鬱が何処どこにその痕迹こんせきとどめているかと思われるほど、その日はえとした眼付をしていた。岸本が三年振で義雄兄の家族と合せにくい顔を合せた時、彼の眼に再び映った節子は思ったより小柄な人であった。恐らく巴里の下宿の主婦かみさんの姪なぞに思い比べて来た眼で、節子と同年になるというあの髪の毛の赤く骨格の立派なリモオジュ育ちの仏蘭西の女なぞに思い比べて来た眼で、急に自分の姪を見たせいででもあったろう。こうして一緒に連立って外出して見るとさすがに三年の間の節子の発達が岸本にもよく感じられた。彼女は狭苦しいかごの中から出て来て、実に幾年振かで、のびのびと夏の朝の空気を呼吸する小鳥のようであった。家にくすぶっている時とも違って、その日の節子はつくりまさりのする彼女の性質や、目立たない程度で若い女が振舞うような気取りをさえ発揮した。
 子供等は足の遅い節子を途中で待受けるようにしてはた先へ急いで行った。節子はこうした日の来たことを夢のように思うという風で、叔父と一緒に黙し勝ちに清正公せいしょうこうまえの停留場まで歩いた。

        三十三

 新宿まで電車で行って、それからまた岸本は子供等や節子と一緒に大久保の方角をして歩いた。
 岸本が心配して行ったほど節子は疲れたらしい様子も見せなかった。この弱いめいをいたわることから言っても、彼はなるべく自分の歩調をゆるめようとした。ずっと以前に一年ばかり彼が住んだことのある郊外――その頃はまだ極く達者であった妻の園子に、泉太や繁から言えば姉達にあたる三人の女の児を引連れて、山から移り住んだ頃の思出の多い郊外――その頃の樹木の多かった郊外が全く変った新開の土地となって彼の行先にあった。
「この辺の町もすっかり変ったね――」
 こう岸本が言って見せるような場合にも、節子はそれを聞くだけに満足して、ただ黙って叔父と一緒に歩きたいという風であった。久しぶりで「母さん」のお墓の方へ行く兄弟の子供、ことに兄の方の泉太に取っては、この子供が今歩いて行く道は自分の生れた郊外の方へ通う道に当っていた。
「泉ちゃん、大久保だよ」
 岸本が後方うしろの方から声を掛けると、泉太は一郎や繁と並んで歩いて行きながら、
「ああ、これが僕の生れた大久保だ」
 とさもなつかしそうに言った。節子は、丁度同じくらいな背にそろった三人の少年の後姿をながめ眺め、ぐ後から静かに続いて行った。
 以前に比べると寺の附近もずっと変っていた。「叔母さん」へあげるための花を買って行きたいという節子を花屋の店頭みせさきに残して置いて、岸本は一足先に寺の境内に入った。やがて節子は白い百合ゆりなぞの自分で見立てたのを手にげて来て、本堂に続いた庫裏くりの入口の側で皆と一緒になった。
「父さん、お線香は僕が持って行く」
 気の早い繁は誰よりも先にそれを言出した。
 園子の死――それから引続いて起って来た種々様々なことが、眼前めのまえに見るものと一緒になって、岸本の胸の中に混り合った。案内顔に先に立って墓地の方へ通って行こうとする年とった寺男、閼伽桶あかおけしきみの葉、子供等の手に振られる赤い紙に巻かれた線香の煙、何一つとして岸本の沈思を誘わないものは無かった。本堂の横手について一筋の細道が墓地の奥の方まで墓参りするものを導くように成っている。その古い墓や新しい墓の間の細道は、岸本が一人ずつ女の児を失うたびかつてよくったり来たりしたところであった。岸本は幾年ぶりかで妻の墓の前に行って立って見た。「遠い旅からよく帰って来た」と言うか、「皆揃ってよく来てくれた」と言うか、それともまた何と言うか、そこに眠っている人のこころも実に測りかねるような墓の前に。
「叔母さんがくなってから、もう七年にも成るかねえ」
 と岸本は花を提げてそこへいて来た節子の方を顧みて言った。
 沈黙は周囲を支配していた。並び立つ古い墓標はかじるしも唯生き残るもののためにのみあるかのように見えた。
   岸本園子之墓
    同富子之墓
    同菊子之墓
    同幹子之墓

        三十四

「母さんの隣にあるのが、富姉ちゃんやきい姉ちゃんのお墓なんだねえ」
「ああそうだよ」
 泉太と繁の二人は互にこう言合った。
 寺男が樒の葉や百合の花なぞで墓の前を飾る間、しばらく岸本は節子や子供等と共に墓参りらしい時を送った。彼はまた寺男の手を借りずに自分で墓場の石を洗って、その上に水をそそいで見せると、泉太や繁もかわるがわる父と同じようにした。
 節子は最後に行って叔母さんの墓の前にを合せた。
「両国の煙花はなびの晩でしたっけねえ――」
 と節子はそれを叔父に言って、丁度七年前のその日叔母さんの亡くなった当時のことを思出し顔にその墓の側を離れた。
 じめじめと霖雨ながあめの降り続いた後の日に、曾て岸本がこの墓地へ妻を葬りに来た当時の記憶は、た彼の眼前めのまえに帰って来た。その時は園子を葬るというばかりでなく、三人の女の児の遺骨をも母と同じ場所に移し葬ろうとした。寺男が掘った土の中には黄に濁った泥水があふれていた。寺男は両手を深くその中に差入れたり、両足の爪先つまさきで穴の隅々すみずみを探ったりして、小さな髑髏どくろを三つと、離れ離れの骨と、腐った棺桶かんおけ破片こわれとを掘出した。丁度八月の明るい光が緑葉みどりばの間からし入って、雨降揚句あげくのこの墓地を照らして見せた。蒸々とした空気の中で、寺男は汚れた額の汗をぬぐいながら、三つの髑髏の泥を洗い落した。その中で一番小さく日数のったのは頭や顔の骨の形もくずれ、歯も欠けて取れ、半ば土に化していた。一番大きなのは骸骨がいこつとしての感じも堅く、歯並も揃い、髪の毛までもいくらか残って、まだ生々なまなまとした額の骨の辺に土と一緒に附着していた。それが泉太や繁の姉達だ。そして、その時働いてくれた寺男が今彼等の墓の前に樒を飾ったり線香を立てたりしてくれたその老爺じいさんだ。
 鼻をくような惨酷な土の臭気においいだその時の心の経験の記憶は、恐らく岸本に取って一生忘れることの出来ないものだ。過ぐる年月の間の恐ろしいたましいの動揺。その動揺は妻の死から引続いて起って来たというばかりでなく、実はそれよりもずっと以前にきざして来たことが辿たどられる。一番小さい幹子の死、続いて五歳になる菊子の死、更に七歳になる富子の死、彼はその三人を一年の間に失った。その頃の彼は、しまいにはもうこの墓地をたずねることすら出来なかった。たまに彼の足がこの寺へ向いても、彼は自分の行く方角を考えて見たばかりでそこへ倒れかかりそうに成るくらいであった。
 こうしたことを胸に浮べながら寺の庫裏くりの前まで引返して行った頃に、岸本は自分の側へ来てく子供の声に気がついた。
「父さん、今日はこれッきり?」
 と泉太は物足らないような顔付をして言った。
「これッきり? これがお墓参りじゃないか」と岸本は笑いながら言って見せた。「今日はお前、遊びに来たんじゃ無いじゃないか」

        三十五

 しばらく寺の庫裏にも時を送って、やがて境内の敷石づたいに門の外へ出た頃は、八月の日の光がもう大久保の通りへ強く射して来ていた。
 眼に見えない混雑は岸本の行く先にあった。何故かと言うに、こんな墓参りなぞに節子を連れて来たからで。岸本は黙って歩いた。節子も黙って歩いた。二人の沈黙を破るものは唯子供等の間に起る快活な笑声であった。岸本は節子や子供等を休ませるためにきに節子が寄って花を買った家の附近を探した。その辺には旗の出ている小さな氷店ぐらいしか見当らなかったが、そんな店も、新開の町も、以前岸本が住んだ頃の大久保には無いものであった。
 泉太や繁は父と一緒にその店先に腰掛けて、氷の削られる涼しそうな音を聞くだけでも満足した。
「一ちゃん、氷が来ました」
 岸本は氷の盛られたコップを一郎にも勧め、泉太や繁にも分けた。
「泉ちゃん、氷レモンだぜ。父さんもおごったねえ」と繁はコップを手にして言った。
「ああ好い香気においだ」と泉太も眼を細くして、手にしたさじでコップの中の氷をさくさく言わせた。
「節ちゃん、氷は?」と岸本がいた。
「すこしいただきましょうか」と節子は答えて、人一倍皮膚の感覚の鋭くなっているような病のある手をんで見せた。
 節子は叔父に対して言葉が少いばかりでなく、弟の一郎に対しても少かった。陽気で話好きな姉の輝子に思い比べたら、以前からして彼女は物静かな言葉の少い方の性質の人であった。でも、これほど黙ってしまった人では無かった。その日のようにえとした眼と、物も言わない口唇くちびるとは、延びよう延びようとして延びられない彼女の内部なか生命いのち可傷いたましさを語るかのようでもあった。
 墓参りも岸本に取っては帰国後の訪問の一つであった。訪ねられるだけ人を訪ねて見たいと思うその心持から言えば、まだまだ彼は思うことを始めたばかりだ。しかしこの墓参りを一切りとして身体からだを休めたいと考えるほど、人知れずおさえに制えて来た激しい疲労を感じていた。氷店のぐ外まで射して来ている日あたりを眺めて、余計に彼は休息を思うようになった。
 帰路かえりみちに向う子供等を送るために、岸本はそこまで一緒に歩くことにした。彼は往きよりも帰りの節子のことを気遣きづかった。まぶしい日光は彼でさえ耐え難かった。彼は節子をいたわりいたわり往きと同じ新開の町を新宿の近くまでも送って行った。時には彼の方から、不自由な境涯にある節子の要求を聞いて見ようとして、一緒に歩きながら話しかけるような場合でも、節子ははかばかしい答えさえもしなかった。彼女は唯無言のまま、過ぐる三年の間のことを思出し顔に暑い日のあたった道をひろって行った。
「どうかして、この人は救えないものかなあ」
 その心で岸本は別れて行く節子を見送った。長いこと彼は一つところに立って、三人の子供の後姿や動いて行く節子の薄色の洋傘こうもりを見まもっていた。

        三十六

 泉太や繁の暑中休暇は、それから一月ばかり続いた。その間には大暑がやって来た。耐えがたい疲労が今度は本当に岸本の身に襲いかかって来た。もう一切を放擲ほうてきさせる程の力で。高輪の家の蒸暑い夏の夜なぞは彼は奥の部屋の畳の上に倒れて死んだように成っていることもあった。
 国へ帰って初めてのこの暑さは、岸本が倫敦ロンドン出発以来の長い船旅から持越した疲労を引出したばかりでなく、どうかすると三年の仏蘭西フランスの旅の間知らない人の中でほとんど休みなしに歩き続けて来たようなその疲労までも引出しそうに成って行った。張り詰めた神経の急激な静止と休息とから、彼の内部なかに潜んでいたものは一時いっときに頭を持上げて来た。そして激変した土地の熱の為に蒸されるように成った。
 何となく岸本の心は静かでなくなって来た。何と言っても同じ悲しい記憶につながれているような節子のること成すことは彼の上に働きかけた。不思議な低気圧が節子に来た時、それが幾日となく続きに続いた時、仮令たとえ彼にはあの節子の苛々いらいらとした様子が見ていられなかったとは言え、彼は与えるつもりも無い接吻せっぷんなぞを与えたことを悔いた。三年の抑制と自責とは、彼をより強いものにしないで、かえってより弱いものにして行くかのようにさえ疑われて来た。世にも不幸な女と共に、どうやら彼はもう一度ためされそうに成って行きかけた。
 ある日、岸本はその界隈かいわいに自分だけ勉強の出来るような部屋でも貸すところがあらばと思って、それを見つけるつもりで家を出た。二家族のものを合せて九人も同じ屋根の下に住む今の家では、旅から持って来た書籍の類を整理する気にも成れなかった。おまけに子供は多し、どうしても彼には仮の書斎を見つける必要が起って来た。町の空へ出て見ると、広い世界を遍歴して来た旅行者の誰しもが経験するような、旅の与えた心持がまだ彼には薄らいでいなかった。その心持は、自分の国を見るのにあだかも外国を見るような感じを抱かせる。どうかすると彼はまだまだ海にでも居るような気がする。上陸して二箇月ばかり何処どこかの土地に滞在するに過ぎないような気がする。彼の心はまだ南阿弗利加アフリカのケエプ・タウンへも行き、ダアバンへも行き、あのマレエ人や印度インド人や支那しな人なぞの欧洲人と群居する新嘉坡シンガポールあたりの町へも行った。時々彼は自分で自分の眼を疑った。何故というに、そこいらを歩いている女の人が、それが実際日本の女ではなくて、マレエ半島あたりの土人の女ではないかという気を起させるのだから。こうした眼に映る幻影は、旅から疲れて帰って来た彼自身の内部なか光景ありさまと不思議に混り合った。彼はあの眼に見えない牢獄ろうごくを出る思いをして巴里パリの下宿を離れて来た自分と、もう一度節子に近づいて見た自分と、その間には何の関係があり何の連絡があるかとさえ驚かれるくらいに思って来た。これでも自分は国へ帰って来たのかしらん、そう考えた時は茫然ぼうぜんとしてしまった。 

        三十七

 岸本は家の近くに二間ある二階を借りた。九月のはじめからそこを仮の書斎として、食事の時と寝泊りする時とには家の方へ通った。彼の子供の中には毎晩よく眠っているのを呼び起さねば成らない習慣のついたものがあった。彼はその子供を呼び起す役目が義雄兄の家族に取って可成かなりの苦痛であったことを発見した。どうしてもこれは他人の手をわずらわすべきことで無い。その考えから彼は北向の部屋に親子三人まくらを並べ、大きくなれば自然になおる時もあるという少年時代の習慣のついた子供を側に寝かせて、なるべくあによめ達に迷惑を掛けまいとした。丁度義雄兄は郷里の方へ出掛けて留守の時であった。節子は叔父の骨の折れるのを見兼ねたかして、子供を呼び起しに来てくれたことがあった。その日から両人ふたりの間のりが戻ってしまった。
 例の二階の方へ行く度に、時々岸本の頭脳あたまなかはシーンとしてしまった。同時に彼の耳の底にはこういう声が聞えた。
「お前はほんとうに人をあわれんだことがあるか。もう一度夜明を待受けるようにして旅から帰って来たお前の心は全体の人の上に向っても、お前の直ぐ隣に居る人の上には向わないのか。お前の眼にはあの半分死んでいる人が見えないのか。その人を憐まないで、お前は誰を憐むのだ」
 一度恐ろしい火傷やけどをした悲痛な経験のあるものが今一度火の中へ巻き込まれて行った。岸本が、節子に対する関係は丁度それによく似ていた。しかし彼はもう以前の岸本では無かった。独身を一種の復讎ふくしゅうと考えるほど、それほど女性をいとにくむものでは無かった。二度と同じような結婚生活を繰返すまいとし、妻の残した家庭を全く別の意味のものに変えようとし、際涯はてし無く寂寞せきばくの続く人生の砂漠さばくの中に自然に逆ってまでも自分勝手の道を行こうとしたような、そうした以前の岸本では無かった。彼は神戸に着く晩は眠るまいと思うほどの心でもって遠くから故国の燈火ともしびを望みながら帰って来たものだ。陸の上に倒れ伏し、懐しい土に接吻したいとさえ思うほどの心でもって長い旅から草臥くたびれて帰って来たものだ。
 深い哀憐あわれみのこころが岸本の胸にいて来た。そのこころは節子を救おうとするばかりでなく、また彼自身をも救おうとするように湧いて来た。

        三十八

 節子を憐めば憐むほど、岸本は事情の許すかぎり出来るだけの力を彼女のために注ごうとするようになった。彼が現に負いつつある重荷も、義雄兄夫婦や祖母おばあさんへの礼奉公も、すべては彼女のためと考えるように成った。何よりもず彼は節子の身から養ってかからせたいと考えた。彼女の虚弱、彼女の無気力は、雑草のはびこるに任せた庭のように、あまりにかまわずにあるところから来ていると考えたからで――むを得ない家庭の事情から言っても、人をはばかりつづけて来たような彼女自身の暗い境遇から言っても。
 岸本はまた親掛りでいる節子に働くことを教えようとした。今まで通りにして暮して行くにしても、すくなくも彼女のために自活の面目の立てられる方法を考えてやりたいと思った。それには彼は自分の仕事を手伝わせ、談話を筆記することなぞを覚えさせ、その報酬を名としていくらかでも彼女を助けたいと考えた。そうして節子に働くことを教えるばかりでなく、どうかして生き甲斐がいのあるような心を起させたいと願った。
 この発案は郷里の方から戻って来た義雄兄をよろこばした。嫂をも悦ばした。
「節ちゃんは手が悪いと言っても水仕事が出来ないだけで、筆を持つには差支さしつかえが無いんでしょう」
 と岸本が言うと、嫂と一緒に居た祖母さんも口を添えて、
「ええええ、節はあれで何か書くようなことは好きな方だぞなし。ひとりで根気に何かよく書いたり読んだりします」
「や。その話は好い話だぞ。そいつは面白かろう」
 と義雄も言った。嫂はそれを引取って、
「ヤクザなものだ、ヤクザなものだッて、父さんは節のことを悪くばかり言って――九円でも十円でも取ろうと思えば取れるものを」
 そう言って涙ぐんだ。
 岸本は例の二階へ行って、自分の言出したことが誰よりも先ず節子を励ましたのを嬉しく思った。彼はその部屋に独り居て、節子が家の方から三時の茶菓子なぞを運んで来たついでに置いて行ったものを取出して読んで見た。それには種々なことが書いてあった。
「母親は仮令たとえどんなに多くの子供を持とうとも、二六時中子供にばかり煩わされていることは決して決してよい事ではない。どんな場合にも、深い同情者、親切な相談相手、賢い導き手でなければ成らないことは勿論もちろんであるけれど、ある程度までの独立自治の心が欲しい。子供はそれによって尊い経験が得られ、母親はそれによって自分の世界を開拓する時を得ることが出来ると思う。こうしたおたがいの最善の理解の上に、はじめて秩序あり生命いのちあるまことの生活が営まれる。姑息こそくの愛に生命は無い」
 折に触れて節子が書きつけたらしい紙のはじには、誰に見せるためでもない女らしい感想めいたきれぎれの言葉が彼女の閉塞とじふさがったような小さな胸から滲出しみだして来ていた。
「どんなにわずかでも『主我』のこころのまじった忠告には、人を動かす力はない」
 岸本は微笑ほほえみながら節子が書いたものを読みつづけた。丁度どもった人の口かられる言葉のようにポツリポツリと物が言ってあったからで。
「すべて、徹底を願うことは、それにともなう苦痛も多い。しかしそれによって与えられる快感は何ものにも見出みいだすことが出来ない……自分の眼に見、耳にきき、自分の足で歩まなければ成らぬ」

        三十九

 まだその他に節子が読んで見てくれと言って置いて行ったものの中には、岸本の帰りの旅を待受ける頃の彼女の心持を書いたものがあり、彼女が産後の乳腫ちちばれで切開の手術を受けるためにある小さな病院に居たという頃のことを日記風に書いたものもあった。いずれもとがりすぎるほど尖った神経と狭い女の胸とを示したようなもので、読んで見る岸本には余り好い気持はしなかった。
「ほんとに、愛したことも愛されたことも無いような不幸な人だ」
 と岸本は言って見た。
 節子は母親に許されて家の方から岸本を見に来た日のことであった。いくらかでも叔父の仕事を手伝うことは、こうして彼女の通って来る機会を多くした。まだ彼女は叔父の談話なぞを筆記するに慣れていなかった。それに彼女に与える仕事もそう時を定めて有る訳ではなかった。その日は彼は節子のやって来てくれたことに満足して、取り散らした部屋の内でも片付けてもらおうとした。
「でも、浅草の方に居た時分から見ると、よっぽどお前も違って来たね」
 と岸本は節子の方を見て言った。節子は相変らず言葉も少なかったが、でもこうした延び延びとした気持で居られるのはこの二階に居る時だけだという風で、部屋のすみにある茶道具の方へ行ったり床の間に積重ねてある書籍の方へ行ったりして、そこいらを取片付けていた。
「これまでお前がいろいろな目にったのは無駄には成らなかったと思うね。結局お前を良くしたと思うね」
 とまた岸本が言って見せると、節子は叔父からそう言われることをさも張合のありそうにして、軽く溜息ためいきいて見せた。
「お前の心持なぞはお母さん達とは大分違って来ているんだろう」
「みんな――裏切られてしまうんですもの」
 節子はわずかにそれだけのことを言って、俯向うつむいてしまった。
 何となく岸本の眼には以前の節子とは別の人かと思われるほどの節子が見えて来た。学校を出てまだ間も無かったような娘らしい人のかわりに、今はずっと姉さんらしい調子で物を言う人が居た。なんにも世の中のことを思い知らなかったような人のかわりに、今はいろいろな悲しみ苦みを通って来た人が居た。どうかすると岸本は兄やあによめなぞの認めもせず、また認めようともしないものをこの節子に見つけることが出来るように思って来た。三年前に比べると、それだけもう二人の位置が変って来ていた。

        四十

 仮の書斎とした部屋の押入には岸本が自分の身体を養うつもりで買って来た葡萄酒ぶどうしゅが入れてあった。仏蘭西フランス産としてあって、旅で飲み慣れたように価もそう安くは求められない。彼はそのびんを押入から取出して、
「こいつは自分で飲むつもりだったが、まあそっちへげる。下手へたな薬なぞよりはかえってこの方が好い。毎日すこしずつお上り」
 と言って節子の前に置いた。
「節ちゃんはそんなにひどせたようにも思われないが――」とた彼は言葉を継いだ。「それでも前から比べるとずっと瘠せたかねえ。お前は元から瘠せたような人じゃなかったか」
「前にはこれでもふとっていましたとも」と節子はすこししおれながら「祖母おばあさんがよくそう言いますよ――『あんなに肥っていた娘がどうしてそんなに瘠せてしまった』ッて」
「お前の髪の毛だって、そんなに切れてもいないじゃないか。そんなに有れば沢山じゃないか。お前が巴里パリへよこした手紙には、心細いほど赤く短く切れちゃったなんて書いてあったっけが」
ようやくこれだけに成ったんですよ――」
 と節子は言って、ぎわのあたりの髪の毛をわざと額のところへれ下げて見せた。
「節ちゃんは苦労して、以前まえから比べるとずっと良くなった。何だかおれはお前が好きに成って来た――前にはそう好きでもなかったが」
 めずらしく岸本はこんなことを言出した。それを聞くと節子はいろいろなことを思出したように、叔父が遠い国へ行くからこうして復た一緒に話の出来るまでの彼女自身の艱難かんなんな月日のことを胸に浮べるという風で、首を垂れたまま黙ってしまった。
 やがて岸本は節子に葡萄酒を持たせて家の方へかえしてやった。その時になってもまだ彼は再婚の望みを捨てなかった。自分[#「自分」は底本では「自然」]も適当な人と共に家庭をつくり、節子にもまた新しい家庭の人となることを勧めようというその旅から持って帰って来た考えは彼を支配していた。神戸からの帰京の途次訪ねるはずであった大阪の方の人の話はその後何等なんらの手掛りもなかったが、しかし彼の帰国はその他にも適当な候補者を与えられそうに見えた。現に根岸のめい(愛子)の以前師事した校長先生という人からも、縁談に関した手紙を貰った。校長先生の筆で、是非彼に勧めたい人があると言って、先方さきでもこの話の成立つことをひどく希望していると書いてよこしてくれた。委細は根岸に聞いて見てくれ、世話したいと思う人と愛子とは同期の卒業生であるとも書いてよこしてくれた。
 この縁談には岸本の心はやや動いた。相手は全く見ずらずの婦人ではあったが、日頃近い根岸の姪を通して先方さきの人となりや周囲の事情を知り得るという何よりの好い手掛りがあった。ともかくも根岸によく相談して見るという礼手紙を校長先生あてに出して置いて、彼は愛子から来る報告を待った。
 岸本の頭脳あたまなかはシーンとして来た。二度結ばれるように成った節子との関係は彼自身の腑甲斐ふがいなさを思わせた。けれども彼は眼前にある事柄にのみとらわれないで、進路を切開かねば成らないと思った――節子のためにも、彼自身のためにも。

        四十一

 根岸の姪からは間もなくくわしいことを知らせてよこした。愛子は彼女の学友にいて、岸本の方で知りたいと思うようなことは一々女らしい観察を書いてよこした。その人の生立おいたちに就て。その人の気質に就て。長く東京に住んで見たものでなければ一寸ちょっと思い当らないようなその人の江戸風で平和な家庭に就て。愛子は学友の容貌ようぼうのことまで書いて、その点で特に取立てて言うほどの人では無いが、しかし細君としては定めし意気で温順おとなしい人が出来るであろうし、母親としては叔母さんの子供を好く見てくれるであろう。第一子供をいじめるほどの強い人では無いと書いてよこした。愛子はまた、平常を熟知する学友と彼女との間が近過ぎるため、あまりに多くを言って見る気には成れないが、しかし叔父さんの心がすすんでいるならばこの縁談に賛成することを躊躇ちゅうちょしないと書いてよこした。彼女としても、ふる馴染なじみの学友が叔父さんの家庭に入ることを楽しみに思うとも書いてよこした。
 ここまで話が実際に形をそなえかけて来た。愛子の報告を読むにつけても、岸本は子まで成した節子と自分との関係が如何いかにこの二度目の結婚に影響して行くかを想わずにはいられなかった。彼はまた自分の再婚の場合を仮に節子が他へかたづいたとして宛嵌あてはめて見た。
「御手紙は難有ありがとう。自分はこの縁談に就いてもっとよく考えて見たい」
 こういう意味の返事を根岸へ出して置いて、岸本はこの縁談のあったことを義雄兄に話した。
 食事のたびに家の方へ返って行って見ると、岸本は復た節子の容子ようす何時いつの間にか変って来たのに驚かされた。彼が「節ちゃんの低気圧」と名をつけたものは以前にまさる激しさをもって彼女の上に表れて来た。
 ほとほと岸本は節子の意中を知るに苦んだ。彼が再婚説は他から勧められるまでもなく自ら進んで思い立ったことで、そのことは義雄兄の前ばかりでなく節子にも話し聞かせたことであった。そのために節子が家中の誰とも口をかないほど機嫌きげんの悪い顔を見せようとは、どうあっても彼には考えられなかった。最早もはや彼と節子との近さは、以前のように彼女から眼をそむけようとし、なるべく彼女から遠ざかろうとし、ただ蔭ながら尽そうとしたような、そんな隔りのあるものでは無い。彼女を救おうがためには、彼は既に片腕を差出している。節子はその彼をさえ避けようとした。
「ああ、た始まった」
 と岸本はひとりで言って見て、彼女の神経質からたまらなく苛々いらいらとしたものを受けた。じっと頭を垂れて考え沈んでしまったような彼女の様子は食卓の周囲まわりまでも不愉快にした。

        四十二

「節ちゃん、お前はどうしたんだねえ」
 ある日、岸本はうちしおれた節子の前に近く行って立った。ややもすれば深い失望にでもちて行こうとする彼女の憂い沈んだ様子は、岸本にはていられなくなって来た。彼は以前に節子をなだめたと同じようにして、復た彼女をなだめようとした。すると節子はすこし顔色を変えながら繊弱かよわい女の力で岸本の胸のあたりを突き退けた。
 こうした節子の低気圧も、しかし以前ほどは続かなかった。激しいだけ、それだけ短かった。その後には以前にも勝る親しみをもって、一層岸本を力にするように成った。
「節ちゃんも好いけれど、何かこう低気圧でも来るように時々黙り込んでしまうには閉口する」
 岸本はそれを食事の折に言出して兄や嫂の前で笑ったこともある。節子はまた皆の前でそう言われても別に悪い顔も見せないほど、元気づいた。
 黙し勝ちな節子は一度、勝手につづいた小部屋の戸棚とだなをあけて、その奥にしまってある彼女の手箱を岸本に取出して見せた。手箱と言っても、万事不自由な彼女は菓子の空箱で事を足していた。節子はそれを見てくれと言いたげな表情をして、岸本だけをそこに残して置いて、自分は祖母おばあさんや母親の居る部屋の方へ行った。大事そうにして彼女が蔵って置くものは、岸本の眼には別に変ったものでもなかった。それは彼が仏蘭西の旅に上る頃から以来このかた節子に宛てて書いた手紙や葉書の集めたものだ。神戸から出したのもある。往きの航海の途中に出したのもある。巴里へ着いてから出したのもある。リモオジュの田舎いなかから出したのもある。留守宅のことをよろしく頼む、子供を頼む、というような用事を書いた手紙か、さもなければ簡単な旅の記念に過ぎない。いずれも彼女をいとい避けようとした苦しく悩ましい心の形見でないものは無い。岸本はそれらの旅の便たよりを書いた時の自分の心持を思い出し、また節子からも神戸へ宛、巴里へ宛、かずかずの変な手紙を貰う度にそれを引裂いて捨てるか暖炉だんろの中へ投げ込んでしまうかしたその自分の心持を思い出して、いやな気がした。節子の手箱の底には二枚続きの古い錦絵にしきえも入れてあった。三代豊国とよくにの筆としてあって、田舎源氏いなかげんじの男女の姿をあらわしたものだ。それを見ると、この手箱の持主がこんなわずかな色彩に女らしい心を慰めていたかと思われるだけで、別に岸本は心もかれなかった。眼前めのまえにある事象ことがらにのみ囚われまいとする心、何とかして不幸な犠牲者を救いたいと思う心、その二つの混淆こんこうした気持を胸にいだきながら岸本は例の二階の方へ行った。そこへ洗濯物を持って一寸家の方から通って来た節子と一緒に成った。岸本は洗濯物を置いて帰って行こうとする節子を呼留めて、自分の再婚の意志を彼女に話した。
「叔父と姪とは到底結婚の出来ないものかねえ」
 思わず岸本はこんなことを言出した。彼は節子の顔を見まもりながら更に言葉を継いで、
「いっそお前を貰っちまう訳には行かないものかなあ。どうせ俺は誰かを貰わなけりゃ成らない」
吾家うちのお父さんはああいう思想かんがえの人ですからねえ」と節子は答えた。
「節ちゃん、お前は叔父さんに一生を託する気はないかい――結婚こそ出来ないにしても」
 こう岸本は言って見て、我と我が口をいて出て来た言葉にすこし驚かされた。
「よく考えて見ましょう」
 その返事を残して置いて節子は家の方へ帰って行った。

        四十三

 短い夜に続く朝の空気の中に、家の裏木戸から勝手口へ通う狭い空地も明るくなった。岸本は旅から帰った年の最後の暑さかと思われるような蒸々と寝苦しい一夜を送った後、うち中の誰よりも先に寝床を離れて、その裏口へ歩きに出た。朝顔もさかりを過ぎた頃であったが、一面につるからみついた隣ざかいのへいは重なり合った葉で埋まっていた。岸本は眼がさめてからもまだ続いている夜の心持を辿たどりながら、あちこちと塀のわきを歩いて見た。葉と葉の間に顔を出したすずしい色の花はどれを見ても眼がさめるようであった。その度に、半分夢のように人を待ち明した熱苦しい夜は彼から離れて行った。
 そのうちに節子も起きて来た。彼女は勝手口の戸を開けるとぐ叔父の姿を見つけた。まだ祖母さんも嫂も起出さないほど早かったので、節子は勝手の支度したくを始めない前に一寸叔父を見に来た。花好きな彼女は一つの朝顔の前から他の朝顔の前へと歩いて、そこに一つ咲いた、ここに一つ咲いた、と叔父に花を数えて見せた。
「節ちゃん、昨日の話はどう成ったね。よく考えて見ると言ったお前の返事は」
 と岸本がいた。その時節子は持前の率直で、明かに承諾の意味を岸本に通わせた。
「お前は叔父さんを受け入れたね――」
「ええ」
 と節子は点頭うなずいて見せた。
 岸本は節子の意中を訊いて見ようとしたに過ぎなかったが、しかし彼女の「ええ」は何がなしに彼をよろこばせた。節子が勝手の方に気付いたようにして急に彼の側を離れて行った後でも、彼は朝の空気の中を歩いて見て、非常に年齢としの違った自分のようなものに向って一生を託してもいいと言う彼女の心根のあわれさを思った。
 その日の午後に、岸本は例の二階の方に居て、仕事の手伝いに来る節子を待受けた。彼は手の悪い節子をいたわるようにして、旅の話なぞを筆記させた。まだ慣れない彼女の胸に浮ばないような文字でもあるごとに、彼はそれを紙に書いて教えた。どうかすると彼自身筆を執ってその話を書きつけるよりも多くの時間を要した。それにもかかわらず彼は節子に手伝わせることを楽みにした。
 一仕事終った後、節子は紙や鉛筆なぞを片付けながら思出したように、
「泉ちゃんや繁ちゃんの大きく成った時のことも考えて見なけりゃ成りませんからねえ」
「お前はもうそんな先の方のことを考えているのか」
 と言って岸本は笑った。節子がよく考えて見ようと前の日に言ったのも、主に泉太や繁のことで、彼等がずっと成長した後の日にはいかに自分等二人のものを見るかというにあるらしかった。
「お前はそんなことを言っても、ほんとうに叔父さんにいて来られるかい」と復た岸本が言って見た。
「私だって随いて行かれると思いますわ」
 こう節子は答えたが、何時の間にか彼女の眼は涙でかがやいて来た。ややしばらく二人の間には沈黙が続いた。
「今度こそ置いてきぼりにしちゃいやですよ」節子の方から言出した。
「何だか俺は好い年齢としをして、中学生のるようなことでもてるような気がして仕方がない」と岸本は言った。「節ちゃん、ほんとに串談じょうだんじゃ無いのかい」
「あれ、だあんなことを言っていらっしゃる――私はうそなんか言いません」

        四十四

 実に一息に、岸本はこうしたところまで動いて行った。九月も末になって見ると、彼は自分の帰国後の一夏が激しい動揺の中に過ぎて行ったことを感じた。前には彼の心は遠く巴里の下宿に別れを告げて来た頃の方へ帰って行った。あの下宿の食堂からまる行燈あんどんのような巴里の天文台の塔の方に日暮時の窓の燈火あかりくのを望み望みした旅の心で、今の自分を考えて見た。
「お前は長旅に疲れて来た。思えば帰朝者の心理は世の多くの人々によって想像されるほど幸福なものでは無い。激しい神経衰弱に掛るものがある。強度に精神の沮喪そそうするものがある。いろいろな病をわずらうものがある。突然の死に襲われるものがある。驚かれるではないか。それを見ても、異常で複雑な作用が、おさえがたい動揺が、ある隠されたる働きが、仮令たとえ眼には見えず人には知られないまでも、帰朝者としてのお前の心を決して静かにしては置かないことが分る。旅から帰って来たばかりで、そう焦心あせるな。ず休め」
 こういう声が岸本の耳の底の方で聞えた。最近に、彼は巴里馴染の小竹からも手紙を貰った。西伯利亜シベリア経由で彼より先に東京に帰っていたあの画家の消息の中にも、帰朝者としての心持が出ていた。小竹は極く正直に、何となく頭脳あたまがハッキリしないで、未だ画作にも取掛らないでいると書いてよこした。それを読むと、岸本にはあの仏蘭西印象派その他の作品の模写を携えてリオンから巴里へ帰った時の小竹の草臥くたびれたらしい顔付を思出して、そう言って書いてよこした手紙の心持をなつかしんだ。
「して見ると、皆そうかなあ」
 思わずそれを言って見た。日本に帰って半年ばかりの間、ほとん茫然ぼうぜん自失の状態にあったというある知人の言葉も彼の胸に浮んだ。
「ああああ――まるで自分のたましいは顛倒ひっくりかえってしまった」
 と彼は歎息した。
 旅の空で彼はよく帰国の日を想像したことを思い出した。何が国の方で自分を待受けていてくれるだろうとは、よく彼が自分で自分に尋ねた問であったことを思出した。実際、彼が旅人としての胸に描いて来たように、過去は過去として葬り、不幸な姪には新しい進路を与え、彼自身もまた家庭をつくり、早く母親に別れた泉太や繁のような子供等までも幸福にすることが出来るならば、実にこの世の中は無事であるけれども、もともと遠い旅にまでのがれて行ったほどのものがどうしてあの震える小鳥のような節子を傍観し得られたろう。彼は生きたしかばねにも等しい人を抱いてしまった。罪で罪を洗い、あやまちで過ちを洗おうとするようなかなしい心が、そこから芽ぐんで来た。彼は片腕で足りなければ、節子のために両腕を差出そうとするように成った。でも未だ根岸の姪から賛成してよこした例の縁談を断ってまでも、節子を自分の肩に負おうとするほどの決心はつきかねていた。

        四十五

 身も心も投出して救いを求めているような節子の姿は、一日は一日よりそれがハッキリと岸本にも見えて来た。彼女は叔父と共にある時ばかり、彼女の若い生命いのちを楽むかのように見えた。そして他の一切のことを忘れているように見えた。彼女の病も。彼女の不自由な境遇も。彼女の親や姉や従姉妹いとこに対する強い反抗心も。長い艱苦かんくの続いた三年の間の回想はこうして旅から叔父を迎えたことを夢のように思わせるという風であった。彼女はよく岸本のわきで熱い涙を流しつづけた。
 節子の実際に弱いことを証拠立てて見せるような日の来たことも有った。岸本は近くにある郵便局まで行くことを節子に頼んだ。秋の彼岸ひがん過の日あたりの中をすこし歩いたばかりでも急に彼女は気持が悪くなって来たと言った。郵便局から帰ると間もなく岸本の二階で倒れた。
「叔父さん、かまわずに置いて下さい。このお部屋のすみをしばらく拝借させて下さい」
 と節子は言って、二間ある二階の小部屋の方に静かに横に成った。彼女は持病の眩暈めまいが通過ぎるのを待とうとしていた。岸本が階下したへ降りて節子のために薬を探して来た頃は、未だ彼女の額はあおざめていた。
「節ちゃんも弱くなったねえ。そんなことで脳貧血が起って来るかねえ」
 と言いながら、岸本は探して来た薬を節子にすすめた。
「叔父さんの部屋には何物なんにも無い――病人に舞込まれても掛けてやる毛布も無い。ここはまるで俺のいおりだ」
 とた岸本は言って見て、冷い水で絞った手拭てぬぐいなぞをすすめて節子をいたわった。
 時々岸本は自分の机の側を離れて節子を見に行った。彼女の額に載せたれ手拭は自然と彼女の顔の白いものをぬぐい落した。持って生れたままの浅黒い生地きじがそこにあらわれていた。四人の姉弟きょうだいの中でも姉の輝子と弟の一郎とは郷里の方で生れ、次郎はこの東京の郊外で生れ、彼女一人だけが義雄の兄夫婦の朝鮮に家を持っていた頃に生れた。彼女の自然な顔のはだの色は朝鮮から持って来た浅黒さだ。
 節子に起って来た脳貧血も割合に軽く済みそうに見えて来た。そのうちには岸本は静かに横に成っているめいをいたわりながら、こんなことを言って笑えるまでになった。
「随分お前も色が黒いんだね」
 そう言われた節子はまた壁の方へ向いて両手で彼女の顔を隠すほど元気づいた。
 家の方からは祖母さんが心配して一寸ちょっとこの二階へ節子を見に来た。祖母さんが帰って行く頃、節子は既に身を起していた。
「でも、妙なものですねえ」
 と節子は岸本の方を見て、彼女の内部なかに起って来る無量の感慨をそうしたわずかな言葉で言い表して見せようとした。
 その時、岸本の胸には旅にある間かずかずのに落ちない手紙を彼女からもらったことが浮んで来た。神戸で受取り巴里パリで受取った姪の手紙は、今だに彼には疑問として残っていた。彼は初めてあの手紙のことを節子の前に言出して見る気に成った。
「どういうつもりでお前はああいう手紙を叔父さんのところへよこしたのかね」
 この岸本の問には節子は何とも答えようのないという風で、黙ってうつむいてしまった。
おれは又、お前が自分の子供のことを考えて、それでああいう手紙をくれるんだと思っていた――そうじゃないのかね」
「今にもう何でも話します」
 節子は言葉に力をめて、ただそれだけのことを答えた。何時いつの間にか彼女の眼には復た熱い涙がいて来た。それが留め度も無いように彼女の女らしい顔を流れた。

        四十六

「捨吉、すこしお前に話すことがある。後でお前の二階の方へ行こう」
 とある日、義雄はそのことを岸本に告げた。
 岸本は自分の借りている二階の方で兄を待受けた。いつも兄が家の方で岸本と話す場合には、祖母おばあさんとかあによめとかが隣室に居る奥の部屋だ。この兄が誰も家のもののいていないところで話しに来ようということは、それだけでも岸本には何か意味ありげに思われた。彼は二階の障子に近く行って立って見た。もう秋の蜻蛉とんぼがさかんに町の空を飛んだ。泉太や繁は近くにある古い池の方へ行って蜻蛉釣に夢中になっている頃だ。往来へして来ている午後の日あたりをながめても九月の末を思わせる。長い黐竿もちざおをかついで池の方へ通う近所の子供等も二階から見えた。そのうちに岸本は家の方から往来の片側を通って来る兄の姿を見かけた。
 やがて義雄は階下したから楼梯はしごだんを登って来た。
「うむ、これは明るい二階だ。まあお茶でも一つ呼ばれよう」
 こう言う兄を前にして、二人ぎりで差向いに坐って見ると、岸本の胸には節子のことが騒がしくったり来たりした。とても彼にはこの仮の書斎で兄と共に茶話ちゃばなしを楽しむほどの心には成れなかった。義雄の話の中には、長いこと弟の子供の世話で骨の折れたことや、岸本の留守中に嫂が泉太や繁を断りたいと言出して、それを兄ががんとして聞入れなかったということなぞが、それからそれへと引出されて行った。
一旦いったん俺は自分の身に引受けたことは、飽までもそれを守り貫く。子供のことばかりじゃないテ。これは言うべきことで無いと思ったら、仮令たとえ自分のさいにだって決して話さん」
 義雄の話がちょいちょい岸本の痛いところへさわりかけるたびに、岸本はそれを言出されるのを苦痛に感じた。兄はまた泉太や繁の話に戻って、あの子供等が嫂の方になつかないで、仮令しかられても何でも兄の方に懐いて来るということなぞを岸本に語り聞かせた。
 二時間ばかりも義雄は弟の二階に居た。岸本は手をみながら二階を降りて行く兄を見送った。彼はひとりになってから、その日の兄の置いて行った話を自分の胸にまとめて見た。要するに嫂のうわさであった。嫂の愚痴の源を、兄はあの嫂に隠していることがあるからだというその兄弟だけの深い秘密に持って行って見せたのであった。
 こうした兄の話は、万更まんざら岸本にも思い当らないでは無かった。彼は一度家の方で嫂と話したことがある。その時嫂は彼に向って、「義雄さんは私に隠していることがある」と険しい眼付をして言ったこともあるし、「私達が東京へ出るように成ったのは、一体誰から言出したことなんですか――」と言って彼に問詰めたこともある。かねてからあの嫂の前にびよう詫びようと思っている彼に取っては、その時ほど好い機会は無かった。「詫びるなら、今だ」と命ずるような声を彼は自分の頭の上で聞かないでは無かった。けれども、彼はまたぎにくい留守宅の敷居を跨いで兄や嫂と顔を合せたそもそもの日にもう詫びそこねてしまった。今更それを言出すことも出来なかった。帰国以来急激に変って来た節子との関係から言っても、猶々なおなおそれが出来なくなった。罪の深いもの同志が如何いかに互の苦悩から救われようとしてもがこうと、誰がそんな寝言のようなことを信じよう、そう考えて岸本は部屋の障子のわき悄然しょうぜんと立ちつくした。

        四十七

 泉太や繁のためから言っても、岸本は何時まで二家族同棲どうせいのような現在の仮の状態を続けて行くべきでは無いと思って来た。義雄兄の残して置いて行った嫂の噂はこの決心を促させた。
「叔父さん、おとっさんは何か言いましたか」
 と節子が家の方から洗濯物をかかえて来て一寸ちょっと岸本の二階へ顔を見せた。彼女は父がこの二階で話したことを心配顔にいた。
「なんにもお前の話は出なかったよ」
 と岸本は言って見せた。やがて彼は自分の紙入からいくらかの金を取り出して、それを節子の前に置いた。
「節ちゃん、これはお前のかせいだ分だ。お前はそのお金を全部おっかさんの方へげておしまい。お前の生活費だけは毎月これから俺の方で保証してあげる。叔父さんも旅から帰ったばかりで、何もかも一人では容易じゃ無いんだが――」
「どうも済みません」
 と答えながら、節子は叔父のこころざしを帯の間に納めた。
 その日は岸本もいつもより早く二階を仕舞って家の方へ帰って行った。丁度家の格子戸こうしどの前で、古い池の方から長い黐竿をげて戻って来る二人の子供と一緒に成った。一郎と繁だ。
「父さん。銀」
 と繁は指の間にはさんだ青い銀色の蜻蛉を父に見せた。
「へえ。お前達はよくそれでも感心にいろいろな蜻蛉の名なぞを知ってるね」
 と岸本が言うと、繁は一郎の方を見て、
「蜻蛉の名ぐらい知らなくって――ねえ、一ちゃん」
「叔父さん、言って見せようか」と一郎は岸本の前に立って、「銀に、汐辛しおからに、麦藁むぎわらに、それから赤蜻蛉にサ」
「ホラ、黒と黄色の大泥棒――随分、あの池にはいろいろな蜻蛉が居るね」と繁は相槌あいづちを打った。
 岸本は格子戸の内からぐ玄関先へ上らないで、繁と一緒に潜戸くぐりどから庭の方へ抜けた。庭から長火鉢ながひばちのある部屋を通して奥の方までも見透される。祖母さんをはじめ、嫂、節子が夕飯の支度したくをしながら立働いているのが見える。
 その時、岸本は庭のすみに黐竿を立掛けた繁の側へ寄って、低い声で言った。
「繁ちゃん、お前は一ちゃんや次郎ちゃんと喧嘩けんかするんじゃないよ――次郎ちゃんはまだ幼少ちいさいんだからね。いいかい。伯母おばさんの言うこともよく聞くんだぜ」
 繁は点頭うなずいて見せたかと思うと直ぐ父の側を離れて、ぷいと飛んで行ってしまった。
 まだ庭の濃い椿つばきの葉なぞは明るかった。岸本はその足で庭から縁側の上にあがって、仏壇のある部屋の方まで行って見た。仮令僅でも節子が自分に取れた報酬を母の手に渡すように成ったことは、何となく彼女の位置を変えて見せた。
「お蔭で、節もかせぐように成りましたよ。彼女あれがお金を持って来て見せましたよ」
 こう言う嫂の機嫌きげんの好い顔は実に何年ぶりで節子の見たものであったか、とそれを岸本も心ひそかに想像した。

        四十八

「叔父さんの馬鹿やい」
 と言いながら次郎は縁側に立って夕飯の時を待つ岸本の側へ寄った。この兄の二番目の子供は「馬鹿やい」を言うほど岸本に対しても遠慮が無くなって来た。どうかすると次郎は外来の食客を見るような眼で叔父を見た。次郎はまた父あり母ある自己おのれの強さを示そうとするかのように、
「この野郎、つぞ」
 と岸本の方を見て肩を怒らした。嫂はそれを聞きつけたかして、
「次郎ちゃん、そうお前のように威張るんじゃないって言うに」
 と子供を叱るように言った。そう言って叱るこの次郎が嫂にはまた可愛くて、可愛くて、眼の中へ入っても痛くないという風であった。
 夕飯後に、岸本は自分の子供の側で時を送ろうとした。そこへ義雄兄も来て一緒にくつろいだ。義雄は弟の留守中世話して見た子供の性質を言って聞かせるようにして、側へ来て立つ繁の方を岸本にして見せながら、
「繁ちゃんか。この男はこれでなかなか滑稽家こっけいかです」
 そう伯父に言われた繁はすこし身をこごめて薄笑いした。次郎がそこへ飛んで来た。次郎は父や叔父の見物のあるのを何よりよろこばしそうにして、いきなり繁に組付いた。畳の上では二人の子供の相撲すもうが始まった。
 繁は次郎に負けて見せた。それを見ていた義雄は繁のわざと投げられた呼吸がさも耐えられないかのように、
「繁ちゃんはそれでも、泉ちゃんと一ちゃんと三人の中では一番相撲は上手だ。まあ家中で、喧嘩をして一番強いのは一ちゃんだ。そのかわり相撲となると繁ちゃんに負ける。繁ちゃんはあれで子供のくせに、いくらか相撲の手を心得てるんだね」
 こう言って義雄は笑った。その時岸本は一郎の方を見て、
「一ちゃんはなかなか敏捷はしこいようですね」
「うむ、あれはまあ才子かも知れない」と言って義雄はあごでて見て、「そのかわり早熟な方で、すこし勉強すると頭脳あたまが痛いなんて、そんな弱いものじゃ話に成りゃしない。泉ちゃんと来たら、これはまたシンネリ、ムッツリの方サ。何を言われても黙っている。でも泉ちゃんは根気は好いぞ。半日一つ事に取付いても飽きないでってる。ああいうのが結局勝利を得るかも知れんテ」
 岸本は自分の子供の方を眺めて、泉太の沈黙が矢張長い留守居から来た不自然なものではないかと想って見た。あの浅草の以前の住居の方で節子をよく泣かせたほどの激しい気象を持った繁が父の留守中のことも思いやられた。岸本は家の中を眺め廻した。こうして義雄兄の子供と自分の子供とを一緒に置くことの結果を考えた。仮令兄にはなついても、嫂には懐かないという家庭の空気の中に子供等を置くことの結果をも考えた。いずれはかまどを分けなければ成らない。兄の家族と別れ住むことを考えなければ成らない。その心支度をすることも彼に取っては礼奉公の一つであると考えた。

        四十九

 十一月を迎えるように成って節子は眼に見えて違って来た。三年も彼女の側に居て彼女のために心配しつづけた祖母さんまでがそれを言うほど違って来た。彼女の動作から彼女の声までも生々として来た。
「でも、ほんとに力を頂きましたねえ」
 節子は岸本の二階に来てそう言ってよろこんで見せるほどに成った。
 こうした力は――それを貰ったと言って見せる節子の方ばかりでなく、どうかして彼女を生かしたいと思う岸本の方にも強く働いて来た。ほんとうに人一人でも救いたいと考えれば考えるほど、彼は節子の違って来たのを自分の胸に浮べて、その生命いのちの動きからいて来る歓喜よろこびを自分の身に切に感ずるように成った。のみならず、彼自身と姪との関係までも何となく変質したものと成って行くのを感じて来た。
 もとより岸本は、姪の意志を曲げさせてまでも、無理に彼女を間違った方へ連れて行くつもりは無かった。彼と節子との間には二度結びついてしまうほどの根深いある物が横たわっていた。到底姑息こそくな手段によって互の苦悩から救わるべくも無かった。叔父としての彼が苦しむ罪は、姪としての節子が苦しむ罪だ。もし節子の方から進んで罪過の責を分とうとし、彼女の一生を叔父に託してまでも不思議な運命を共にしようと言うならば、彼は再婚の生活なぞを断念しようとさえ考えて来た。それには彼はもっともっと節子を生かしたいと思った。
 どういう生涯がこうした二人の前にひらけて行くだろう。もしこれを押し進めて行ったらしまいにはどうなるというようなことは、岸本には考えられなかった。ただ、彼はもう一度待受けようとする夜明のために、今まで二人で真暗なところを歩きつづけて来たような不幸な姪を道連として、せっせと支度を始めたことだけを感じていた。
 旅から岸本が持って来た書籍の中には、ロセッチの画集も入っていた。それは彼が巴里の下宿に居た頃、ルュキサンブウルの公園の近くにある文房具屋で見つけて来たものであった。アーサア・シモンズの序文の仏訳までも添えてあった。その画集の中にある「ダンテの夢」と題したのは、版としても好ましく出来ていて、豊国の筆に成った田舎源氏いなかげんじの男女の姿を見るとは別の世界の存在を節子に示すであろうと思われた。岸本はその一枚を節子の手箱の底に置いて考えるのも楽しみに思った。
 丁度義雄兄の方でも弟と住居すまいを別にしようという問題が実際に持上って来た頃であった。岸本は旅の記念の画を白い紙に包んで、家の方へ行ったついでに節子に送った。その画の裏には次のような文句をもしたためて置いた。
「最後まで忍ぶ者は救わるべし」

        五十

 間もなく岸本兄弟の家族は別れ住もうとする動きの渦の中にあるように成った。新しい住居を見つけて分れて行こうとする兄。しばらく高輪たかなわに居残って跡始末をしようとする弟。岸本は長いこと子供の世話に成った礼の心ばかりに、兄から見せられた書付を引受け、移転に要する費用や当分兄の家族の暮せるだけのものを義雄に贈った。
 何もかも動いて来た。毎日のように義雄は新しい住居を探しに出るように成った。嫂をはじめ節子から子供まで動いて来た。岸本自身も動いて来た。節子と同じ屋根の下に暮して見た四月余りは短かかったと言え、可成かなり岸本の心持を変えた。かつ憎悪にくみをもって女性に対した時のような、畏怖いふ戦慄せんりつも最早同じ姪から起って来なかった。彼は下手へたに節子を避けようとするよりも、そこまで哀憐あわれみを持って行ったことからかえって自分の心の軽くなるのを覚えた。
 岸本は自分の二階の方で節子と一緒に成った時、こう彼女に言って見た。
吾儕われわれの関係は肉の苦しみから出発したようなものだが、どうかしてこれをかしたいと思うね」
 この岸本の言葉は節子を悦ばせた。
「私だって叔父さんにいて行かれると思いますわ――何でも教えてさえ下されば」
「お前のことを考えると、何と言うかこう道徳的な苦しみばかり起って来て困った」
「私だっても……」
 こうした二人の心持から言っても岸本は別れ住むことが互のために好いと考えることを節子に話した。
 その時に成っても、堅く結ばれた節子の口はまだそう容易たやすほどけて来そうも無かった。彼女は思うことの十が一をも岸本に語り得なかった。彼女は無言をもって、言えない言葉に替える場合の方が多かった。そういう沈黙の間には、何処どこまでが悲しいあらしの過去で、何処までが同じ運命に繋がれている今であるのか、その差別もつけかねるような心持が岸本には起って来た。
「節ちゃん、お前は何時までも叔父さんのものかい」
「ええ――何時までも」
 胸に迫って湧いて来るような涙と共に、節子はすすり泣く声をんだ。

        五十一

 義雄が家族を引連れて移り住もうとする家は上野の動物園からさ程遠くない谷中やなかの町の方に見つかった。月の半ば頃にはほぼその支度したくが出来るまでに成った。兄は岸本の方の望みによって、年とった祖母さんだけを弟の家に残して置いて行くことにした。
 到頭岸本は何事なんにびずじまいに、ただその心を行為おこないに表すだけのことに止めて、別れ行くあによめを見送ろうとするような自分をその引越間際まぎわの混雑の中に見つけた。
「姉さん、る物がありましたら、何でもお持ちなすって下さい」と岸本は言って、古い家具や勝手道具の間に合いそうな物まで嫂に分けた。
 時雨しぐれは早や幾度いくたびか屋根の上を通過ぎた。嫂が節子を連れて谷中の家へ掃除に出掛ける頃は、義雄は郷里の方に用事があると言って、引越の手伝いを人に頼んで置いて、兄自身は東京に居なかった。その日は嫂も、節子も、二人とも疲れて谷中の方から帰って来た。
「お帰りかい」
 と慰労ねぎらうように言う祖母さん、母や姉の帰りを待受けていた一郎と次郎、谷中の家の様子を聞こうとする岸本親子なぞが嫂達の側に集った。
「私はもう掃除に行って来たばかりで、あの家がいやになってしまいましたよ。暗いの、暗くないのッて」と嫂は岸本に言って見せて、一緒に電車で帰って来た節子の方をも見ながら、「どうして父さんはあんな家を借りる気に成ったろう。あの二階だけは明るいね」
「ええ、二階の方はねえ」と節子も母の顔を見た。
「でも二階の一部屋だけは随分暗い。あれじゃ何処どこからも日のあたりようが無い」
どぶが近くないと好いんですけれどね」
「まあ、御免こうむって」とた嫂が草臥くたぶれたらしく言った。「節ちゃん、お前も御免蒙って足でもお出し」
「叔父さん、御免なさいね」
 と節子も言いながら、母と二人してさも草臥れたらしい足を横に延ばすようにした。彼女は白足袋しろたび穿いた足を岸本の方へ投出しても、それを取繕おうともしないほどの親しみを彼に見せた。その日の節子は叔母さんの墓参りに行った日と同じように、平素に見られないような若さをも発揮した。
「でも、手伝いに来てくれた人があって好うござんしたよ。何もかもその人がしてくれましたよ」
 こう節子は岸本に話しかけながら、母の側で片膝かたひざずつ折曲げるようにして、谷中まで行って来た足袋のこはぜを解いた。
「とにかく、御苦労だった」
 と祖母さんも言って、一頃ひところは電車に乗ってさえ眩暈めまいが起ったほどの節子に引越の手伝いの出来る時が来たことをよろこび顔に見えた。
 その翌日は朝から雨が来た。荷造りして待っていた嫂達は、いやでも応でも引越を延ばさねば成らなかった。祖母さんも、嫂も、かわるがわる北向の縁側に出て、晴れそうもない空をながめた。郷里の方に居る頃からずっと一緒に暮し慣れて来た祖母さんをこの高輪に残して置いて行くというだけでも、嫂に取っては心細そうであった。
「こんな雨なぞが降らないで、早く追出せばいのになあ」
 と嫂は半分独語ひとりごとのように言って、岸本をいやがらせた。
 一日降り続いた雨は谷中行の人達を引留めて引越の支度を十分にさせたばかりでなく、祖母さんや岸本の側で語り暮す時をも与えた。岸本の方に頼んで置いた下女が来て、台所の仕事を任せて置かれるだけでも、節子にはそれだけの身の余裕があった。岸本が旅にあった頃、欧羅巴ヨーロッパの戦争が始まって二度目の降誕祭クリスマスを迎える前に、彼の帰国のうわさが一度留守宅へ伝えられた時の話なぞも、めずらしく節子の口から出て来た。
「父さんがお帰りなさるッて、泉ちゃんも繁ちゃんも夜遅くまで起きてたことが有りますよ。そのうちに泉ちゃんの方は寝ましたが、繁ちゃんはああいう子ですから、一晩ろくに眠らないで待っていましたっけ――よっぽどあの時は嬉しかったんですね」
 荷造りした家具なぞが部屋のすみの方に積重ねてあるところで、雨の音で暗くなって行った夕方の空気の中に、節子は高輪で暮して見る最終の日を惜んだ。病のために苦労した彼女はいろいろな薬の名なぞをよく知っていて、岸本のために参考に成るような子供の持薬その他を紙に書残して置いて行こうとした。

        五十二

 朝早く運送屋は荷馬車をいて来て家の裏木戸の外に馬をめた。いよいよ谷中行の人達の引移る日が来た。荷造りした世帯しょたい道具が車に積まれるのを待つ間も、岸本はこれから出発しようとする嫂達のために曇った天気を気遣きづかった。やがて彼は重そうに動いて行く荷馬車を見送って置いて嫂や節子等の出発の支度の出来るのを待った。
「節はまたちょいちょい祖母さんのところへ来ておくれよ」
「ええ、上りますとも。どうせ私は叔父さんの御手伝いに参りますからね」
 と節子は答えて、一週に一度位ずつは叔父の手伝いかたがた祖母さんを見に来ることを約した。
 空は降り出す模様もなかったが、しかし寒そうに曇った色は最早冬季の近づいたことを思わせた。嫂と節子とは二人の子供を引連れ、門に出て見送る隣近所の人達にも挨拶あいさつして、その寒い日に出掛けた。岸本は義雄兄の東京に居ないことを考えて、女子供ばかりで谷中の方に向おうとする人達の後姿が見えなくなるまでも家の外に立ちつくした。
「何だか急にうちなかが寂しくなりましたね」
 と岸本は祖母さんに言って、嫂達を送出した後の部屋々々を歩いて見た。
「祖母さん、この長火鉢ながひばちの置いてあるところをあなたの部屋としましょう。今に久米くめさんも来てくれましょうから、あの人には隣の部屋の方を宛行あてがいましょう」
 と復た岸本が言った。久米は岸本のことを「先生、先生」と言って園子がまだ達者でいる時分から岸本の家の事情をよく知っている婦人であった。その人も勉強かたがたしばらく岸本の家を助けに来てくれることに成った。彼が新たに雇い入れた女中も矢張久米の世話であった。
 こうして岸本は祖母さんを借り、久米を借り、兄の家族と分離した後の簡易な生活を初めて見た。嫂達が別れて行った翌々日、岸本は節子からの手紙を受取って、それを祖母さんにも読んで聞かせた。静かな雨の音を聞きながら谷中の家の二階の三畳からこの御便おたよりをすると節子は書いてよこした。彼女は長い長い間いろいろ御世話さまに成ったという礼なぞを述べ、引越は昨日でほんとに好かった、そちらでも矢張その御噂をしてくれたことと思うと書いてよこした。物哀ものがなしいあの空の色、寒い風に吹かれながら上野の公園側を歩いて来た時は心細かったと書いてよこした。ここへ着いてからは父の知人しりびとが手伝いの夫婦をよこしてくれて、自分等は御客さまのようなものであったと書いてよこした。昨夕ゆうべはまた手伝いに来てくれたそのお婆さんに連れられて久しぶりで明るい町を歩いて見た、その人が帰ってしまってからも母と二人で遅くまで話したが、種々な思いで胸が一ぱいに成ってよく寝られなかったと書いてよこした。彼女はまた弟達の様子をも書き、今寄留届をしたためたところだから一寸ちょっとそのついでにこの知らせをする、すこし家が片付いたら御返しものかたがたそのうちに御機嫌ごきげん伺いにまいりたいとも書いてよこした。

        五十三

 最早もはや、節子は岸本の側に居なかった。彼女の母親も、彼女の弟達も居なかった。何となく下谷の住居すまいの方へ嫂を見送ったことを一くぎりとして、あの嫂が祖母さんや一郎を引連れ、郷里の方から出て来てくれた日以来の家庭の小歴史に、そこに一つの線でも引いたような区劃くかくが岸本には見えて来た。ことに岸本は節子と彼自身のために、互に別れ住む日の来たことを楽しく考えた。何故というに、不思議な運命を共にしようとする二人にあっては、互に抑制することを学ばねば成らなかったから。弱い人間である以上、もう一度岸本が遠い旅にでも出なければ成らないようなことが決して起って来ないとは限らなかったから。
 節子を送り出して見ると、余計に岸本はその心持を深くした。同時に節子は今まで岸本の感じなかったようなさびしさをも後へ残して置いて行った。丁度武蔵野むさしのへやって来る初冬が最早この高輪の家の庭先へも忍び足でこっそりやって来ているように、節子の残して行った淋しさが何時いつの間にか彼の内にも外にもあった。殊に彼女が谷中から引越の模様を知らせてよこした手紙は、妙に岸本を淋しがらせた。彼はあの不幸な人のことを考えつづけて、一晩ろくに眠られなかった。いろいろな心持がそこから引出されて行った。その日まで彼が節子のために尽そうとしたのも自己おのれの責任を強く感ずる心からで、そのためには自分の片腕を差出し、まだそれでも足りなくて両腕までも差出したが、しかし自分の全部をそこへ投出すほどの心には成れなかった。あわれむ人と憐まるる人との隔りは、やがて彼と節子との隔りであった。「節ちゃん、お前は何時までも叔父さんのものかい」といて見るほど近く行った時でも、まだ彼は自分と節子との間にいくらかの隔りを置いていた。どうやら彼はその隔たりまでも捨てて掛ろうとするように成った。まだ若い女のさかりの身で一生を託してもいいと言うほど可憐かれんな心を持つ人を救おうがためには、彼は何もかも彼女に与えようとするほどの情熱を感じて来た。それほど節子の書いてよこした手紙は、彼を淋しがらせた。
 こうした眠りがたい夜が続いた。過ぐる三年、罪過の苦痛に悩まされつづけた岸本のたましいはしきりに不幸なめいを呼んだ。その時になって初めて彼は節子に対する自分の誠実まことを意識するように成った。長い懊悩おうのうも、憂鬱ゆううつも、忍耐も、寂しい寂しい異郷のひとり旅も、すべては皆この一つを感知するために有ったかのように思われて来た。もっともっとこの関係を押し進めて行って見たいと思うほど心もすすんで来た。節子を谷中の方に置いて見て、一層よく岸本にはこのことが分った。
 五晩いつばんばかりも岸本はよく眠らなかった。彼には自分で自分が持ち切れなくなって来た。到頭彼は節子にてて、嫂に読んで聞かせても差支さしつかえの無い手紙を書き、別に書いたものを同封した。その中に、彼は今まで節子にひろげて見せたことの無い自分の心胸おもいを打明けた。

        五十四

 節子は次のような返事を送ってよこした。
「わたしは心から微笑ほほえみました。幾年も笑ったことのない人になっておりましたのに……何もかもお話しますと申上げましたね。とうとうその時が参りましたよ。わたしはその時がこんなに早く参ろうとは思いませんでした。すくなくも二三年は待たなければ成らないかと思いました……なんにも自分の心を満してはくれなかったと申したことが有りましたね。幼少ちいさい時分からしていろいろな人をじっと見つめておりますと、どこか物足らないところが出て来るんですもの。ほんとうに自分を開放する気には成れませんでした。わたしどもの創作は、最初こそあんなでございましたけれども、間もなくわたしは長い間自分の求めていたものであることを見出しました。けれども、その頃は叔父さんは、ちっとも御自分の御心を開放しては下さいませんでした。それからあの三年の長い間、何一つ小さな物の影すらわたしの心にすことは出来ませんでした。富も栄華もわたしの心のかてではございませんから……旅からお帰りに成って半月ほどの間、なんにも咽喉のどを通らなかったほどのこの大きな喜びは、誰のところへ参りましょう。そうしたものにのみ与えらるる唯一の物では御座いますまいか。あの低気圧の何であったかは、ようやくおわかりでございましょう。どうぞ長い間のこの心を、そして心からの微笑みを御受け下さい」
 この返事を受取って見ると、岸本は何よりもず節子の率直な告白をうれしく思った。「創作」という言葉でもって二人の間の結びつきを言い表そうとしてあるのにも心をかれた。岸本は幾度となく節子の返事を読み返して、彼女が書いてよこした短い言葉の間にはいろいろな心持のこもっているのを見つけた。彼女に言わせると、自分等の関係は最初こそあんなで有ったけれども、間もなく彼女が長い間求めていたものであることを見出したとある。この言葉は、長いこと岸本に疑問として残っていた彼女からの以前の手紙に、神戸で受取り巴里パリで受取りしたかずかずのに落ちなかった手紙に、彼女自身裏書して見せたようなものであった。岸本は長い旅に出ようとして神戸まで行った時、彼女から受取った最初の手紙の中に、既にもう彼が節子に対して気の毒がる一切の心持を彼女の方から打消してよこしたことを思出すことが出来る。彼はまた、巴里の下宿の方で彼女の手紙を読むたびに、どうしてあれほどの深傷ふかでを負わせられた人がかくも悔恨を知らないだろうと不思議に思い思いしたその自分の心持を思出すことが出来る。若い時代の娘の心をもって生れて来た彼女のような人が非常に年齢としの違った自分のようなものにむかって、彼女の小さな胸をひろげて見せるような、そんなことが有り得るであろうかと思い思いしたその自分の心持をも思出すことが出来る。彼はその疑問を彼女の母性にまで持って行って、それによって彼女が不義の観念を打消そうとしているのではないかと疑って見たことをも思出すことが出来る。この一切の疑問が漸く解けかかって来た。

        五十五

 その時になって、仮令たとえ誰にはゆるされなくとも、岸本はあの不幸な姪だけには赦されたことを悟るように成った。彼は節子に対する自分の誠実まことを意識すればするほど、長い間の罪過の苦痛から脱却して行かれるばかりでなく、あれほど身をじた一生の失敗をも、我と我身を殺そうとまでした不徳をも、どうやらそれを全く別の意味のものに変えることが出来るような、その人生の不思議に行って衝当つきあたった。
 巴里に在留した岡のことが、あの画家がよく産科病院前の下宿へ来ては置いて行った話なぞが、自然と岸本の胸に浮んで来た。旅の空で意中の人の話に熱するあの血気さかんな画家の顔などを見る度に岸本は自分の身に思い比べ、最早もはやそういう血のく時代が自分には過去ったことを思い、最早自分の情熱を寄すべき人にもわず仕舞にこの世を歩いて行く旅人であろうかと思い、何とも言って見ようの無い寂しさがそこから浮んで来たことを思い出した。だ自分は愛することが出来る。そう考えた時は、彼はある深い喜びと驚きとに打たれた。
 岸本はもう甘んじて節子を負おうとする人であった。彼は何等なんらの家庭的な幸福を節子と共にけ得るではなし、そのために自分の子供を仕合せにする何等の希望をもつなぐことは出来なかったけれども、唯彼女を助け、彼女を保護することを何よりの楽みとして、二人の間の新しい心に生きようとした。
 こうした心持で、岸本は祖母さんや久米や女中を頼りに自分の子供を育てにかかった。彼は既に例の二階の方の仮の書斎を引払って来て、義雄の起きたりたりしていた奥の部屋に自分の机や書棚しょだなを置いた。その部屋で谷中からたずねて来た兄を客として迎えて見た。義雄は郷里の方から戻った時で、移転の際に留守にした礼などを言い入れに来たのであった。
おれの家でも万事好都合に行ってね。嘉代も大喜びサ」と義雄が言った。
「へえ、どうかと思って私は心配しておりました」と岸本は兄の話を受けて、「姉さんの口振くちぶりではあまり家も気に入らないような話でしたが、引越して住んで見れば悪くもありませんかナ」
「どうしてどうして。叔父さんの御蔭おかげでこんな好い家へ越せたなんて、しきりにお前に感謝してる」
「そいつはまあ好うござんした。それに、子供が一緒でないだけでも高輪に居た時分とは違いましょう」
「悪く言うのも早いが、めるのもまた早いや」
 この義雄の言草が自分に対する嫂のうわさであるだけ岸本を笑わせた。その日は義雄はあまり長くも腰を据えていなかった。いずれ近いうちに節子をよこすという話なぞを残して置いて帰って行った。岸本と節子との変って来た関係は何となく兄弟の関係までも変えて見せた。彼は義雄を兄として見るばかりでなく、どうかすると親としても見るような今までにない心持をも起して来るように成った。

        五十六

 眠りがたい夜がた続いた。どうしてこんなことが起って来たろうと自分に不審に思うほどの心持で岸本は節子の来るのを待ちびた。節子は弟の一郎を連れて、急に時雨しぐれるかと思うと復た晴れて行くような日に高輪へたずねて来た。その日は節子姉弟きょうだいに取って、谷中から祖母さんや叔父を見に来た最初の時であった。一郎は新しく替った学校の徽章きしょうを帽子に附け、手土産てみやげげ、改まった顔付をしてやって来た。この一郎と一緒になることは泉太や繁をめずらしがらせた。節子は平素にもして静粛に見えた。彼女はおもに祖母さんの側に居て、谷中の家の様子を聞きたがる年とった祖母さんにいろいろなことを語り聞かせたり慰めたりするという風であった。彼女は近いうちに叔父の手伝いとして復た訪ねて来ることを祖母さんに話して置いて、その日は弟と共に遠い帰路かえりみちを急いで行った。
 こうした親類附合の一日も、しかし岸本に取っては忘れられなかった。これまでひろげたことの無い自分の胸を展げて見せて、それを受け入れた節子と今まで合せたことの無いような顔を合せたのもその日であった。彼は節子が帰って行った後になって、かえってよくその瞬間を自分の胸に描くことが出来た。奥の部屋の方に居る自分のところへ縁側づたいに挨拶あいさつに来た時の彼女の眼。叔父とかめいとかの普通の心持に妨げられて、どうしてもその時まで合せることの出来なかった二人の心の顔。その日は一同庭先で写真をったが、岸本は写真屋まで使に行くことを節子に頼んだ時のその自分の隠れた心持をも忘れることは出来なかった。町の近くにある写真屋は節子もよく案内だった。彼は節子を使にやるついでに、彼女自身一人で撮って来るだけの写真の代を人知れず彼女の帯の間に潜ませた。
「どうしましょう。しましょうか」
 と節子はわざと格子戸こうしどの外で雨傘あまがさを手にしながら言って見せて、玄関先まで一緒に出て見た彼の方を一寸ちょっと振向いた。節子がおさえに抑えているような親しみを彼に通わせたのも、その短い瞬間に過ぎなかったが。

        五十七

 根岸の姪から岸本は例の縁談に関した手紙をもらった。愛子は以前にもまさる熱心な調子で彼女の学友のことを書いてよこした。彼女が同期の卒業生は各自めいめいの家へ順番に寄合って旧交を温めることにしているので、彼女の家でも最近に小さな集りをして、以前格別御世話に成った学校の先生をも招いたと書いてよこした。その先生からも叔父さんのうわさが出て、是非この縁談を勧めるようにとの話があったと書いてよこした。彼女が同期の卒業生は今はほとんど子供を控えているような人達ばかりで、家庭の人でないものはあの学友のみと成ったと書いてよこした。愛子はまた校長先生の意志にも言い及んで、叔父さんさえ承諾すればこの縁談はまとまるものと思うと書いてよこした。
 これほど心配してくれる人達があっても、最早岸本の心は定まっていた。彼は節子との関係を持ちながら、こうした縁談に耳を傾けたことを心にじた。
難有ありがとう。いろいろ御心配を掛けて済まなかったが、自分は熟考の上で御断りすることに決心した。校長先生へもよろしく伝えて下さい」
 こういう意味の返事を岸本は愛子あてに出した。もし愛子の学友が自分の過去を知ったなら、断ってくれて反ってかったと思うであろう、と想像した。
 丁度節子は叔父の手伝いとして谷中から通って来た日のことであった。あだかも彼女はこの話の成行を知るために高輪へ来合せたかのように。岸本は紙に書いたものを節子に見せて、彼女を安心させることを忘れなかった。
 最早祖母さんの部屋には行火あんかが置いてあった。節子はその部屋の方から縁側伝いに岸本の机の側へ来た。
「折角骨折っても、何処どこかへ持って行かれてしまった日には、ほんとにツマラないね」
 前後の話に無関係な、こんなわずかな言葉が岸本の口から出て来た。でも、それを聞いた節子には岸本の方で言おうとする意味がよく通じた。
「何処かへ持って行かれてしまうなんて――何処へも行かなければいじゃありませんか」
 と言って節子は微笑ほほえんだ。
 それぎり、岸本はもうそんな話をしなかった。節子は近くいて見ると、彼は彼女の内部なかに燃え上り燃え上りするようなほのお生々いきいきと彼女のひとみにかがやくのを見た。時としては彼女の顔に上って来る血潮が深くかすかに彼女のほおを染めるのを見た。
 岸本に言わせると、彼と節子とはまだ一歩ひとあし踏出したばかりであった。ある意味から言えば、ようやくこんな境地まで漕付こぎつけたばかりであった。彼は節子をこの世の旅の道連れとして、二人で行けるところまで行こうとした。節子は谷中の方へ帰ってから短い手紙を岸本のもとへ送ってよこした。
「どんなに多くの御不自由を御忍びなさることか。それもわたしからと思いますと、ほんとうに苦しゅうございます。どうぞどうぞすべてを御許し下さいまし」

        五十八

「『冬』が私の側へ来た。
 ――私が待ち受けていたのは、正直に言うともっと光沢つやの無い、単調で眠そうな、貧しそうに震えた、醜く皺枯しわがれた老婆であった。私は自分の側に来たものの顔をつくづくとながめて、まるで自分の先入主となった物の考え方や、自分の予想していたものとは反対であるのに驚かされた。私は尋ねて見た。
 ――お前が『冬』か。
 ――そういうお前は一体私を誰だと思うのだ、そんなにお前は私を見損みそこなっていたのか、と『冬』が答えた。
 ――『冬』は私にいろいろな樹木をして見せた。あの満天星どうだんを御覧、と言われて見ると、ふるい霜葉はもうとっくに落尽してしまったが、茶色を帯びた細く若い枝の一つ一つには既に新生の芽が見られて、そのみずみずしい光沢つやのある若枝にも、勢いこんで出て来たような新芽にも、冬の焔が流れて来ている。満天星ばかりでは無い、梅の素生すばえは濃い緑色に延びて、早や一尺に及ぶのもある。ちいさくなって蹲踞しゃがんでいるのは躑躅つつじだが、でもがつがつ震えるような様子は少しも見えない。あの椿つばきの樹を御覧、と『冬』が私に言った。日をうけて光る冬の緑葉には言うに言われぬ輝きがあった。密集した葉と葉の間からは大きなつぼみが顔を出している。何かの深い微笑ほほえみのように咲くあの椿の花の中には霜の来る前に早や開落したのさえある。『冬』は私に八つ手の木を指して見せた。そこにはまた白に近い淡緑の色彩の新しさがあって、その花の形は周囲の単調を破っている。
 ――過ぐる三年の間、私は異郷の客舎の方で暗い暗い冬を送って来た。寒い雨でも来て障子の暗い日なぞには、よくあの巴里パリの冬を思出す。そこは一年のうちの最も日の短いという冬至とうじ前後になると、朝の九時頃に漸く夜が明けて、午後の三時半には既に日が暮れてしまった。あのボオドレエルの詩の中にあるような赤熱しゃくねつの色に燃えてしかも凍り果てるという太陽は、必ずしも北極の果を想像しないまでも、巴里の町を歩いていてよく見らるるものであった。枯々としたマロニエの並木の間に冬が来ても青々として枯れずにある草地の眺めばかりは特別な冬景色であったけれども、あの灰色に深い静寂なシャヴァンヌの『冬』の色調こそ彼地かのちの自然にはふさわしいものであった。
 ――ことしは久しぶりで東京の郊外に冬籠ふゆごもりする。冬の日は光が屋内まで輝き満ちるようなことは過ぐる三年の間はなかったことだ。この季節に、底青く開けた空を望み得るということも、めずらしい。私の側へ来てささやいているのは確かに武蔵野むさしのの『冬』だ。
 ――『冬』は私にかしの樹を指して見せた。髪のように輝いたその葉の間には、歌わない小鳥が隠れて飛んでいて、言葉のない歌を告げ顔である……」
 岸本は抑えに抑えている自分を慰めようとして紙のはじにこれを書きつけて見た。満天星も、梅も、躑躅も、椿も、樫も、彼の部屋の外の縁側からすぐ庭先に見られるものだ。何かの深い微笑のように咲く椿の花、言葉のない歌を告げ顔な歌わない小鳥、それらはみな彼の心の光景だ。
「言わなくたって、もう分ってます」
 この言葉を残して置いて行った節子は、世の幸福を捨てて岸本にしたがおうとする彼女の意志を明かにした。過去にいて罪の深いもの同志が互に世の幸福を捨てるということは、実に一切を捨てるということであった。
 新しい愛の世界が岸本の前に展けかかって来た。恥じても恥じても恥じ足りないように思った道ならぬ関係の底からこれだけの誠実まことめるということは、岸本の精神こころに勇気をそそぎ入れた。そこから彼は今まで知らなかったような力をつかんだ。

        五十九

 岸本の過去は不思議なくらい艱難かんなんな日の連続で、たださえかたくなな彼はその戦いのために余計に自分の心を堅く閉じふさげてしまった。何よりもず自分は幼い心に立ち帰らねば成らない、とはかねて巴里の客舎にある頃の彼の述懐であったが、どうしても彼にはその心に立ち帰ることを許されなかった。火葬場の鉄のとびらの前に立って灰になった妻の遺骨を眺めてもただそれを見つめたきり涙一滴流れなかったほどこの世の苦しい傍観者としてあった長い年月の間と言わず、冷然として客舎の石の壁にむかい合っていたような三年の遠い旅の間と言わず、彼の思い続けて来たのは実際次の言葉に籠る可傷いたましい真実であった。
「我等芸術のあわれむべき労働者よ。普通の人々にはしかく簡単に自由を与えらるることも我等には何故に許されぬのだろう。それもことわりである。普通の人々は真心ハアトを持つ。我等はついに真心の何物をも持たぬ。我等は到底理解せられざる人間である……」
 こうしたことを思い続けた岸本の上にも不思議な変化が日に日に起って来た。彼は持って生れたままの幼い心に立ち帰って行ける日が漸くやって来たことを思い知るように成った。その時になって彼は心から自分の情熱を寄せ得るもののあることを見出した。そのよろこびを見出した。彼のように寂しい道を歩きつづけて来たものでなければ、どうしてそれほどかわいたように生の歓びを迎えるということがあろう。彼は自分のような旅人に与えられた自然の賜物であるとまで考えるほどにして、その新しい歓びに浸って行くように成った。
 すべては岸本に取って心に驚かれることばかりのようであった。彼は自分の生涯の途中に、しかも老い行こうとする年頃の今になって、節子のような女が自分の内部なかへ入って来るように成ったことを一つの不思議とさえ考えた。彼はあの青木やすげや市川などと青春を競い合った年頃にった勝子のことを節子に思い比べて見た。試みに二人の相違を比較して見た。二人の気質の相違を。二人の容貌ようぼうの相違を。二人の年齢の相違を。二十余年も前に青年としての彼が別れた勝子と、今見る節子と、いくらも年齢としが違っていなかった。かつて彼は自分と節子との時代の隔たりを、ある近代劇中の老主人公と、洋琴ピアノいて聞かせるだけの役目にあの主人公のもとへ通って来る若い娘との隔たりにたとえて見たことがある。あの無邪気な指先から流れて来るメロディでも聞いて老年の悲哀と寂寞せきばくとを忘れようとする人と、まだ生先おいさきの長い若草のような人との隔たりに譬えて見たことがある。三年の節子の発達はこの若い娘の位置から余程彼女を変えて見せたとは言え、彼と節子との時代の隔たりはそれにしても争われなかった。幾度いくたび彼は節子のような若い女の心が自分に向って動いて来たことを不審に思ったか知れない。彼は節子の「心からのほほえみ」を通して自分と彼女の間の根深い苦悩の微笑みを読むような心を持ち始めた。
 解き放たれかけて来た岸本の胸からは自分ながら思いがけない程のものがほとばしり流れて来た。夜もろくに眠られないようなことが、やがて彼には一月ばかりも続いた。

        六十

「自分にはもう悲みということが無くなってしまった」
 こう節子は小さな手帳の中に鉛筆で書きつけて、他にも手短かに書いた言葉と共に彼女が心の消息の断片を岸本のところに置いて行った。その中には、「どうもまだ、からだの具合が悪い、それにつけても葡萄酒ぶどうしゅはつつしまなければいけない」と書きつけたところもあった。二人の間には何時いつの間にか種々いろいろな隠し言葉が出来た。「創作」とか、「葡萄酒」とか。後の言葉は麺麭パンを主の肉にえ葡萄酒を主の血に代えるという宗教上の儀式の言葉から意味だけを借りて来たのであった。
 不自由な境涯に置かれて暗いところを歩きつづけて来たような節子の心持が悲哀かなしみというものから離れたと言って見せてあるように、岸本の浸って行った歓びはそれにもして大きかった。彼の通越して来たところが寂しければ寂しいだけ、それだけ広々とした自由な世界におどり入ったようなその歓びが大きかった。彼はにわかに金持にでもなった貧乏な人間に自分を譬えて見た。今まで金というものを持ったことの無い人間はどうそれを使っていかも分らなかった。彼はずっと以前に巣鴨すがもの監獄を出て来たある身内のものを想い起すことが出来る。その身内のものが白足袋しろたび穿いたまま獄門の前を走り廻って、狂気したように土を踏みしめたり、娑婆しゃばの空気を呼吸したりしたことを想い起すことが出来る。彼の新しい歓びは、その赤い着物を脱いだ人の歓びだ。笑ったことの無い不幸な犠牲者の心からの笑顔を見た人の歓びだ。
 一月ひとつきばかりも寝食を忘れて、まるで茫然ぼうぜん自失の状態ありさまにあった岸本は、人がこの自分を見たら何と思うであろうと気がつくように成った。彼は一月も眠らなかったその自分に驚いた。若々しい血潮のためには胸も騒ぎ心も狂うばかりであった彼の青年時代ですら、眠られない夜が七日以上に続いたことは無かった。もし彼が二十年若かったら、これ程の精神こころの激動を耐える力はなかったろうとも想って見た。しまいには、彼は自分で自分の情熱を可恐おそろしく思うように成った。
「これは荒びたパッションだ。静かな愛の光を浴びたものとは違う――どうかして早くこんなところを通越してしまいたい――とてもこんなことでは駄目だ」
 とひとりで言って見て、ボンヤリとした自分を励まそうとした。
 師走しわすも十日過ぎに成って岸本は小旅行を思立った。彼は節子の一人でれている写真なぞを自分の眼に触れないところへしまってしまった。彼女の手紙、彼女の手帳、すべて彼女のことを思わせるようなものを皆納ってしまった。彼の書籍の中からは草花の模様のある濃い色の布片きれが出て来た。それは節子が日頃大切にして彼女の肌身はだみにつけていた半襟はんえりだ。岸本は枝折しおり代りに書籍の中にはさんで置いたその女らしい贈物をも納ってしまった。彼は四五日の留守と子供等の世話とを祖母さんや久米に頼んで置いて、ぶらりと高輪の家を出た。

        六十一

 岸本の足は谷中の方へ向いた。彼には義雄の家で用向のために待受ける約束の人があり、保養らしい保養もしないでいるあの兄を誘って磯部いそべあたりまで行って見たいという心があった。彼にはまた、久しぶりで山地に近い温泉場まで行き、榛名はるな妙義みょうぎの山岳を汽車の窓から望み、山気に包まれた高原や深い谿谷けいこくに接するという楽みがあった。あの塩分の強い濁った礦泉こうせんの中に浸りながら、碓氷川うすいがわの流れる音でも聞いて、遠い旅から疲れて帰って来た身も心をも休めたいという楽みがあった。
 義雄が住む家を見に行くのは、岸本に取ってそれが二度目の時であった。上野から先はまだいけはたを廻る電車の出来ていない頃で、岸本は冬枯の公園わきの道を義雄の家の方へ歩いて行った。節子が谷中から高輪へ通って来るのもこの道だ。そんなことが不忍しのばずの池のほとりを歩いて行く彼の心を楽しくした。
 別に岸本は、谷中の家に節子を見るということから起って来る彼自身だけの特別な心持を有っていた。彼は谷中の家で見る節子と、高輪の家の方で見る節子と、同じ彼女の間に非常な相違のあることを発見した。この相違はつくりまさりのする彼女の性質をよく証拠立てた。一度彼は節子の不用意でいるところへ押掛けて、自分の家の方で見るとは別の人かと思われるほど味もうるおいも無い彼女の姿を見た。高輪で見る節子は、彼女の人となりが苦労してかえって良くなったと思われるばかりでなく、一度お産をした為に彼女の姿までが反って以前よりは好ましく成ったと思われる人である。丁度彼女のようにお産をして反って身体の余計な肉がれてしまったようなある若い婦人もあることを、彼は他から注意されて見た場合なぞもある。谷中の家で見た節子はこの好ましさをブチコワした。彼は一種の幻滅にさえ打たれた。その時、そう思った。こんなに気が楽になるものなら、何故もっと早く谷中の方へ節子を見に来なかったろうと。寒い冷い風が幾晩もよく眠られなかった彼の顔へ来た。磯部へ旅行に出掛けるほど抑えていられなくなって来た自分の精神こころの動揺を沈めるためには、彼はむしろ幻滅を期待して義雄の住居の方へ歩いて行った。 
 上野の動物園の裏手から折れ曲って行ったところに、ごちゃごちゃ家の建込んだ細い横町がある。何となく冬の町の空気が湿って、不忍の池に近い気持を起させるのも、たまに訪ねて行くにはめずらしかった。そこに岸本義雄とした表札が出ていた。
「まあ、叔父さん――」
 思わずそこへ出て来たように声を掛けながら、節子は暗い格子戸の内から日中でも用心のために掛けてある掛金をはずしてくれた。

        六十二

 思い切って高輪を出た時から岸本には既に小旅行の気分が浮んだ。手につかない仕事を思い切るまでは苦しかったが、それも思い切ってしまって四五日の休養に出掛けると成ったら余程もう気が楽になった。帰国の日以来、心を労しつづけるばかりで、海の外から楽みの一つにして来た温泉地行すらまだ企てられなかった。そう思って、岸本は自分を慰めた。
 谷中の家の方に来て見ると、この気分が余程濃くなった。暗い静かな入口の小部屋で叔父の帽子や外套がいとうを受取ろうとする節子を見た時にも、長火鉢ながひばちの置いてある階下したの部屋であによめや節子や次郎と一緒に成った時にも、にわかに磯部行を思い立って来たことなぞを皆に話し聞かせる時にも、彼にはもう半分旅行先のような心が起って来た。
「次郎ちゃん」
 と呼ぶ義雄の声が二階の方から聞えた。
「叔父さんになア、どうぞ二階の方へいらしって下さいッて」
 とた義雄の声で。
「次郎ちゃん、父さんのところへ行ってそう言って来て下さい。叔父さんはお話がありますから、どうぞ階下したの方へいらしって下さいッて」
 こう岸本に言われて、嫂や節子の側に遊び戯れていた次郎は二階へ通う梯子段はしごだんを昇ったり降りたりした。
 義雄は階下へ降りて来た。めったに長火鉢の前へ坐ったことも無いような義雄は部屋のすみにある行火あんかの方へ行った。この義雄を話の仲間に加えたことは、余計にその階下の部屋を女と子供だけの世界のようにして見せた。その時岸本は温泉地の方へ兄を誘いに来たことを言出した。
たまにはそれもかろう。や。そいつは面白かろう。おれも一つ一緒に行ってやろう」
 と義雄は行火の上に手を置いて、楽しそうに笑った。
「節ちゃん、好いねえ。男の人は何処どこへでも身軽に行けて」と嫂は母親らしい調子で節子に言って、やがて岸本の方を見て、「ほんとに、吾家うちでは湯治にでもいて行きたいような人ばかりですよ」
 節子は黙って自分のてのひらながめながら皆の話に耳を傾けていた。
何方どちらにしても出掛けるのは明日の朝だぞ。俺はその方が都合がいい」と義雄が言った。
「姉さん、今夜は御厄介に成ってもよう御座んすか。久しぶりで姉さんの家にゆっくりして見ますかナ――」
「ええ。可いどころじゃない」
 岸本は嫂とこんな言葉をかわして旅行先の宿屋にでも身を置いたようにホッと息をした。
「捨吉。まあ、二階で話すサ」
 と言い捨てて兄が梯子段を昇って行った後でも、しばらく岸本はその部屋に居残って旅人のような気軽さをあじわおうとした。硝子戸ガラスど越しにして来ている午後の日あたりを眺めると、最早もう何処の家でも冬籠ふゆごもりらしかった。狭い町中のどぶを流れる細々とした水の音が硝子戸のぐ外から聞えて来ていた。岸本はその部屋に居ながら、兄の家の格子戸こうしどの音かと聞違えるような向いの家の格子戸の音を聞くことが出来、勝手を出たり入ったりして母親を助けながら働いている節子の家庭的な日常の様子を見ることも出来た。祖母さんの若い時分からあるという古い箪笥たんすの上には、節子が読みさしの新約全書なぞも置いてあった。その黒い表紙のついた小形の聖書は彼女に読ませるつもりで岸本から贈ったものだ。節子は用事のないかぎり叔父の側へ来ようともしなかったが、親しみのこもった彼女の無言は人知れず岸本の方へ働いて来た。

        六十三

「節ちゃん、お前の部屋を借りても可いかね」
「ええ。どうぞ」
「今日はゆっくり手紙でも書きたい」
 岸本は節子にこんな話をして置いて、やがて二階に上って見た。急な梯子段はあぶない程の勾配こうばいで義雄の部屋の前に続いて行っている。次郎は叔父をこの谷中に迎えたことをめずらしそうにして、その梯子段を昇ったり降りたりした。甘い乳のかわりに唐辛子とうがらしめさせられてようやく母親のふところから離れたという幼い年頃の次郎を相手に、二階の部屋々々を見て歩くことも、岸本に取って楽しかった。義雄の部屋には炬燵こたつも置いてあった。高輪から持って来た小机なぞが片隅かたすみの方に役に立っていた。
「捨吉。それじゃ俺はこれから一寸ちょっと用達ようたしに行って来るがナア、夕飯までには必ず帰る」と言って義雄は階下したへ聞えるような手を鳴らして、「まあ、お茶でも一つ飲んで行くか」
 次郎がそこへ顔を出した。義雄は早く茶道具を運んで来るようにと母親に告げることを次郎にいいつけた。
「時に、節ちゃんもいろいろ御世話さま」と義雄が言った。「こないだは又、お前のところから机と言海げんかいを買うお金をもらって来たと言って、や、面白い机が出来たぞ。言海はこりゃ無くちゃならないものだ。机だっても読んだり書いたりするものには必要だが、しかしあの机は俺の家にはすこし過ぎたものサ」
「欲しいと思ったら買わずにはいられなくなるんでしょう。あそこがまだ節ちゃんの若いところですね」
 こう岸本は節子を弁護するように言って笑った。彼は節子の部屋の方で、兄の話に上った新しい机を見て置いた。彼の心の中では、義雄の非難も無理もないと思ったが。
「それはそうと、お前の家でも高輪に居据りだね。今のままでは到底不可いかんぞ。久米さんだってもそう長く頼んで置く訳には行くまい」
「まあ当分は現状維持です。行くか行かないか、あれで暫時しばらくやって見ます。祖母さんでも居て下さらなけりゃ到底私の家は成立ちませんが、お蔭で祖母さんもよくやってくれますし、それに久米さんもなかなかよく働いてくれます。一体、あの人は長いこと病身でしたから、どうかとは思いましたが、すこし無理でも何でもああいう家の事情をよく知ってる人に頼みたいと思うんです。なにしろ私の家には子供が有りますからね」
「早くまあお前も家庭をつくるが可い。根岸の方の話は到頭断ったそうだね。こないだお愛ちゃんのところでその話があったよ。熟考の上で御断りすると、叔父さんから手紙が来たとかッて。お愛ちゃんのお友達という人の写真は俺も見た。なかなか良さそうな人だがナア」
 義雄の話は結局弟に再婚を勧めることに落ちて行った。岸本は黙ってしまった。
「や。こんなに話し込むんじゃ無かった。磯部でゆっくり話せることだ」
 と義雄は思いついたように懐中時計を出して見て、嫂が階下したから運んで来た茶を一口飲んで、いそがしそうにち上った。

        六十四

 義雄は出て行った。岸本は帰国の日以来初てと言ってもいほど寂しく静かに遊び暮せるような半日の残りの時をその二階に見つけた。彼は温泉行に誘いに来た自分の心持を兄にんでもらうことは出来ても、黙って結婚に関した話を聞いている自分の心持を最早もう兄には説明することが出来ないように成った。
 手紙でも書こう。その旅行先のような気分で岸本は節子の部屋を借りに行った。義雄の部屋から一間薄暗い座敷を隔てて二階で一番明るそうな小部屋がある。窓によせて新しい机が置いてある。机の上には節子が既に用意して置いてくれたと見え、巻紙や新しい筆なぞが載せてある。
「谷中の家の二階の三畳から御便おたよりいたします」と節子が引越の当時高輪へ書いてよこしたのも、その部屋だ。岸本はそこに身を置くことをめずらしく思って、ひとりで机の前に坐って見た。
「節ちゃん、何にもかまわずに置いて下さい。お茶だけ御馳走ごちそうして貰えばそれで沢山です」
 と岸本はそこへ茶道具を運んで来た節子に言った。
「叔父さんは今日から旅サ。今夜は宿賃を払ってお前の家に泊めて貰いますぜ」
 と又た岸本が半分串談じょうだんのように言って笑った。
 その時、節子は新しく仕立てた唐桟とうざんの綿入を取出して来て岸本に見せた。それは彼女が高輪へ来る時の仕事着にと言って、わざと質素な唐桟を見立てさせて、岸本の方で彼女に買って与えたものであった。「有るもので間に合わせて置こうじゃありませんか」とあによめは言ったが、岸本は遠路とおみちを通って来る彼女のことを思って、それに同じ縞柄しまがらの羽織とを彼女への贈物としたのであった。
「お母さんが縫って下すったんですよ」
 と節子は言って、彼女の女らしいよろこびを分とうとした。次郎が階下したから上って来た。次郎は嬉しそうにそこいらを踊って歩いたり、姉の側へ寄って取縋とりすがろうとしたりした。
「次郎ちゃんも好い児に成りましたね」
 と岸本が言うと、次郎は姉を引立てるようにして、叔父の見ている前でせいの高い姉の手にぶらさがるようにして戯れた。
「高輪に居た時分から見ると、余程よっぽどこれで違って来ましたよ」
 と節子は岸本に言って見せた。
 母親の呼ぶ声を聞きつけて節子は弟と一緒に階下したへ降りて行った。二階には岸本ひとり残った。節子の勉強する机をなつかしむ心と、独りでノンキにその三畳に横にでも成って見たい心と、その二つの混り合った心から、彼は手紙書く気にも成れなかった。そこは飾り一つ無い小部屋で、ただ節子が彼女のたましいを沈着おちつける為にのみある「隠れ家」のようにも見えた。わずかに女らしい繊細な趣味を机のほとりにとどめたような、その部屋の簡素なことが、かえって岸本を楽ませた。
 一人の客が岸本にいに来てやがて帰って行った頃は日暮に近かった。節子は高輪の方にある時とも違う心易こころやすさから、二階を片付けながら岸本に話しかけに来ることもあったが、そのたびに次郎が彼女にいて来た。一郎までがめずらしそうに二階へ上って来た。彼女は附纏つきまとう弟達をうるさがって、部屋々々を逃げて歩いた。
「泉ちゃんや繁ちゃんが大きく成ったら、何と思うでしょうねえ」
 節子は唯そんな僅かな言葉を掛けるのを楽みに岸本の側へ寄った。
「何と思われたって仕方が無いじゃないか。唯、真実ほんとうによく知って貰いたいと思うね……大きくなってわかりさえすりゃ、そりゃお前吾儕われわれの心持を認めてくれる時もあろうじゃないか」
 こう岸本の方では答えたが、それぎりもう二人はそんな話をしなかった。
 義雄は時刻をたがえず夕飯前に帰って来た。何年ぶりにあの碓氷川の水音が聞けることか、そんな話が義雄の方からも岸本の方からも出た。その晩岸本は宿屋にでも泊るように兄の家に泊めて貰って、翌朝兄と共に磯部へ向けてった。

        六十五

 山地に近い温泉場での三四日の滞在はひどく疲れて行った岸本に蘇生そせいの思いを与えた。彼が磯部まで同伴した義雄兄よりすこしおくれて東京へ引返そうとする頃には、帰国以来とかく手につかなかった自分の仕事に親しもうとする心を起した。
 かね仏蘭西フランスから携え帰った書籍なぞの置いてある高輪の家の書斎がこうした岸本を待っていた。彼は節子と自分の間に見つけた新しい心が、その真実が、長いこと自分の考え苦しんで来たふるい道徳とは相容あいいれないものであることを知って来た。人生は大きい。この世に成就しがたいもので、しかも真実なものがいくらもある。こう深思する心は岸本を導いた。彼は一門の名誉のために自分の失敗を人知れず葬り隠してくれたような、あの義雄兄との別れみちに立たせられたことをつくづく感じて来た。彼は兄の心にそむいても、あの不幸なめいを捨てまいとした。
 岸本は節子が自分と同じように、黙って彼女の道を歩き出したことを想って見た。日頃「親の面汚つらよごし」のように言われている節子にも、その親のために役に立つ時が来た。年も暮れようとする頃に成って、突然義雄が重い眼病にかかったからで。急にそんな風に義雄の眼が見えなく成って来た病のみなもといては、眼科を専門にする博士ですらいまだハッキリしたことは言えないとのことであった。この義雄に随いて病院通いをするにしても、一切の手紙の代筆をするにしても、節子は谷中の家に取って無くてならない人に成って来た。彼女はその境遇の中で、高輪の方に心配している祖母さんや叔父のところへ父親の容態を知らせに来ることを怠らなかった。時としては彼女は寒い雨の降る日に谷中から通って来て、祖母さんの部屋の行火あんかに凍えた身を温めながら、少し横に成っていることもあった。
「節ちゃん、お前まで弱ってしまっちゃ不可いけないよ」
 こう岸本はそこに疲れ倒れている節子を励ますように言って、彼女の眼にいて来る涙をそっと自分の口唇くちびるぬぐうようにしてやることもあった。
 師走しわすももうあと三日しかないほど押塞おしつまった日のこと、岸本は節子から送ってよこした短い手紙を受取った。
「あの聖書の中に、汝等なんじら求めよ、さらば与えられん、尋ねよ、さらばわん、たたけよ、さらばひらかれんというところが御座いますね。もう少し前のあたりから、あの辺は私の好きなところで御座います。オオ叩けよ、さらば啓かれん――わたしどもはきっと最後の勝利者でございますね」
 と鉛筆でしたためてあった。
 それを読むと、岸本の胸には二十五というさかりのとしを迎えようとする彼女のことが思われた。遠い先の方をめがけて自分を力に進もうとする彼女の胸の鼓動までも想像で聞くことが出来るように思われた。
「オオ、叩けよ、さらば啓かれん――」
 岸本は節子の手紙に書いてある文句を繰返して見て、その調子で延び行こうとする彼女の生命いのちを想像した。

        六十六

「わたしどもほど、幸福な春を迎えるものがまたと御座いましょうか――」
 年も尽きようとする前の晩に節子の書いたこの短い手紙が岸本の手に届いた。自分等二人ほどと彼女が言って見せた幸福な春は、まだまだ岸本には遠いところにあるとしか思われなかった。彼はそういうおさえきれないよろこびの言葉が単なる負惜みにちることを恐れた。どうかして彼は周囲のものに対する彼女の小さな反抗心を捨てさせたいと願った。叔父とか姪とかの普通の人情、普通の道徳の見地から、ややもすれば冷い苛酷かこくな眼を向けようとするものに対して、彼の執ろうとする道は小さな反抗心を捨てるにあった。最後の勝利なぞということはどうでも可いと思っていた。彼は勝つとか負けるとかを自分の念頭にすら置いていなかった。節子の書いてよこした手紙の文句は短くて、彼女の言おうとする意味はいろいろに取れ易くもあったが、しかし彼が節子と共に待受けたのは決して決して世にいう幸福な春ではなかった。世の幸福も捨てはてた貧しいものにのみ心の富を持来そうとして訪れて来るような春であった。
 やがて新しい年がめぐって来た。節子は叔父の心配して造ってやったコートに身を包んで遠路とおみちを通って来るように成った。それまで彼女は激しい季候を防ぐものもなしに、よく途中から寒い雨にれて来て、その可傷いたいたしさが岸本には見ていられなかったからで。
「コートなんかは無くても済むものだなんて、おとっさんがやかましいことを言いますからね――まだおっかさんだけにしか見せません」
 と言いながら、節子は玄関に畳んで置いてあった質素な感じのする新しいコートを奥の部屋まで持って来て、岸本の見ている前でその灰色のやつにそでを通したり、玉子色の内紐うちひもを結んで見せたりした。彼女は新規にあつらえるまでもなく、松坂屋あたりの店で見つけた出来で間に合わせて、唯寸法だけを少し詰めて貰ったとも言った。
「私が着ていたって、お父さんは知らずにいますよ」
 とた節子は言って、それとなく眼の悪い父親のうわさをもした。
 こうした雨具一枚節子に買って宛行あてがうにも、岸本は四方八方へ気兼ねをしなければ成らなかった。彼が節子を保護しようとする心もとかく思うに任せなかった。何故というに、彼は谷中の方に節子を置いた時のことばかりでなく、自分の家の方へたずねて来た時のことも考えて見ねば成らなかったから。
「節はあれでどれ程叔父さんを頼りにしているか知れません。叔父さん一人が彼女あれの力です。なんでも若い時には、物をくれる人が一番好い人です」
 こう祖母さんは最早取って二十五にもなる節子のことをまだほんの子供のように言っていた。

        六十七

 しかし、節子に許した岸本の心とても冷熱を繰返さずには動き進んで行くことが出来なかった。激しいパッションがやや沈まって行った後では、それと反対なひややかな心持が来て彼の胸の中で戦った。
 岸本は自分の部屋を見廻した。声が来て独り仕事に親しもうとする彼を試みようとした。その声は大きな打消の声というでもなく、むしろ細々とした小さな耳の底にささやくような声ではあったけれども、その小さな声に幻滅的な心持を誘われるものがあった。その声は彼にいた。学問や芸術と女の愛とが両立するものだろうか。帰国以来再会した節子と彼との間に起って来たことも結局互の誘惑ではなかったか。二人の結びつきは要するに三年孤独の境涯に置かれた互の性のうえに過ぎなかったのではないか。愛の舞台に登って馬鹿らしい役割を演ずるのは何時いつでも男だ、男は常に与える、世には与えらるることばかりを知って、全く与えることを知らないような女すらある、それほど女の冷静で居られるのに比べたら男のあせりに焦るのを腹立しくは考えないかと。こうした声から誘われる心持は、節子のためと考えている一切の重荷や、眼に見えない迫害の力のために踏みにじらるることや、こらえに耐えている心の痛憤や、それらのものをどうかするとえがたくはかなく味気あじけなく思わせた。
 まだ彼は節子のような年少とししたな女が自分に向って彼女の柔かな胸をひろげて見せたことを不審に思わずにはいられなかった。彼は年少な節子の機嫌きげんを取ろうとするような自分の姿を見つける度に言いあらわしようのない腹立しさを感じた。彼の気質としては自分で自分の機嫌を取ることも出来ない。どうして気恥しい思いもなしにひとの機嫌を取ることが出来よう。そこには何となくまだ物足りない余地があった。彼女を保護し、彼女を導くというだけでは、最早彼には物足りなくなって来た。あまりにつつましやかな彼女の手紙の調子も物足りなくなって来た。言葉をえて言えば彼はもっともっと節子の方から動いて来ることを望んでいた。

        六十八

 谷中から節子が岸本の家へ通って来る日はおおよそ毎週の土曜と定めてあった。彼女は父の附添いとして一日置きの病院通いに差支さしつかえないかぎり、叔父のもとへ手伝いに来ることを怠るまいとしていた。義雄が眼をわずらうように成ってから、一層節子は母親を助けて働かねば成らないという様子を見せた。仮令たとえわずかの所得でも彼女は叔父から得る月々の報酬を母親のために役に立てようとしていた。岸本は旅の土産みやげともいうべき自分の仕事に取掛った時で、彼女に与える仕事らしい仕事を用意する余裕もなく、写し物とか校正とかそういう方の手伝いでも頼みたいと思っていたが、そういう仕事の有る無しにかかわらず彼は節子と共に働いていると考えることを楽みとした。一度彼は散歩がてら自分の家を出て、節子の通って来るみちの途中まで彼女を迎えに行ったことがあった。品川線の電車の停留場のあるところから彼の家へ通うだけでも可成かなりの歩きでがある。その日は、彼は高輪の通りからある横町を折れ曲ったところまで行き、高台に添うた坂道の上まで行き、その坂を降り電車の停留場までも行って待受けたが、到頭節子は来なかった。
 正月の十五日過ぎに、岸本は同じ路を歩いて行くことを楽みに思いながら、ある大きなやしき外廓そとがわについて郊外らしいみちの曲り角へ出た。その辺で、谷中から遠く通って来る節子を待受けた。彼は黒い質素な風呂敷包なぞを小脇こわきにかかえた彼女と一緒に成った。
 節子は途次みちみちいろいろなことを思いながらやって来たという風で、岸本にいて人通りも少い途を静かに歩いた。突当りに古風な格子こうしのはまった窓の見える邸の側まで歩いて行った頃、彼女は岸本の方を見てこんなことを言出した。
「私はもう男に成りましたよ。おとっさんはあの通りですし、一ちゃんでも次郎ちゃんでもまだ幼少ちいさいんですし、おっかさんと二人でその話をしましてね、私はもう男に成りましたから、そのつもりでよくやりましょうねッて――」

        六十九

 思いつめて来たような節子の言葉は岸本の沈思を誘った。彼女が最早もはやこの世を捨てようとしていることは、その語気で岸本にそれが感じられた。
 丁度その時、岸本は後の方から歩いて来る人の足音に気がついた。その足音がだんだん近く成って来たかと思うと、やがてその人は彼や節子よりも先に成って、一寸ちょっとこちらを振返って見て行った。あだかも後方うしろから見た通りすがりの二人の男女の何者であるかを前からも見て行こうとするかのように。邸つづきの静かな路とは言っても、そこは高輪への通路の一つに当っていた。岸本は節子と一緒に歩くというだけに満足して、家に近い高輪の通りへ出てからは一歩ひとあし先へ彼女を急がせた。
 まだ岸本には正月のはじめあたりから続いて来ている割合にめた心持が残っていた。その冷かなものが節子の来るのを待遠しく思うほどの心に混り合っている時であった。その心で、彼は家へ戻った。彼は節子の方からもっと動いて来ることを望んでいたばかりでなく、自分の正体をももっとよく彼女に見届けてもらいたいと願っていた。丁度祖母おばあさんは年始かたがたしばらく谷中の家へ、久米は茶の会へ、二人とも留守の日で、岸本は節子の前に自分の胸の底のわだかまりを切出して見る折があった。
おれはもう一生、誰にも自分の心をくれないつもりだった。到頭とうとうお前に持って行かれてしまった」
 忘れることの出来ない苦い過去の経験がこんな言葉に成って岸本の口から出て来た。まるで男にでも話しかけるように節子に話しかけた彼の語気はすこし彼女を驚かした。
「まあ、あんな調子で物をおっしゃるなんて――」
 と節子はすこしわきの方へ眼をそらして半分独語ひとりごとのように言った。
 しかし岸本は、節子と彼との年齢の相違から起って来る猜疑うたがい深い心までも彼女の前には隠すまいとした。
「今まで俺はあんまりお前をいたわり過ぎたと思って来た。女の人だと思っていたわり過ぎるということが、結局本当の話をさせないんだと思って来た。節ちゃん、お前は一体俺みたような人間の何処どこを好いと思う? 髪はもうこんなに白く成って来たし……俺なぞはもうそんなに長く生きてやしないんだぜ。もっと若い人で俺なぞより気のいてる人がいくら有るか知れない。どうだね、そういう人でも一つ探して見る気に成ったら……」
 半分は心やすだて、半分は串談じょうだんのように、岸本はこんなことを言出して笑った。その時ほど岸本は自分の心の醜さをあからさまに節子に見せたことは無いとも思った。それほど彼の言うことは自分の耳にさえ嫌味いやみに皮肉に聞えた。
「そんなら、これから探しましょうかね――せいぜい若い人でも」
 と節子は戯れるように言った後で苦笑いに紛らわした。彼女はもうこんな話を避けたいという様子をした。

        七十

 ほどけかかって来たようでもまだ解けないのは堅く結ばれた節子の口であった。「ほんとうに何でもお話することの出来る時が来ました」と手紙では言ってよこしても、実際の節子はまだ言えない沈黙で言おうとする言葉にえる場合の方が多かった。その節子とむかい合っているうちに、家まで来る途中で彼女の言出した言葉が、「私はもう男に成りました」と彼女の言った言葉が、岸本の気に掛っていた。
先刻さっきお前の途中で言ったことサ――俺はあれを思い出した。お前も苦しんで考えてると見えるね」
 と言って岸本は肉のくるしみから出発した二人の関係をそこまで持って行こうとしているような節子の顔を見まもった。それほど懺悔ざんげの気分で、若い女のさかりの年頃を過そうとする彼女の思いつめた心が可哀そうに成って来た。
「なにもそんなに無理に男と言わなくても可いじゃないか。女でも可いじゃないか。大きな悟りの心を想って御覧、もし魂をきよくすることが出来るものなら、肉を浄くすることも出来ようじゃないか――」
 この岸本の言葉は節子をほほえませた。
 その日の午後に、かねて岸本が巴里パリの客舎の方で旅の心を慰め慰めした古い仏蘭西の物語が節子との話の間に引出されて行った。旅から岸本が国の新聞紙へあてて送った折々の通信は節子の手で切抜にして保存してあったくらいで、その中に書いてあるアベラアルとエロイズの名は節子の記憶にも残っていた。まだ岸本はあの古いソルボンヌの礼拝らいはい堂などに結びつけて見て来た旅の印象を忘れることが出来なかった。不思議にも死んだ物語が彼の胸にきて来た。あのペエル・ラセエズの墓地で見て来た古い御堂の内にまくらを並べて眠っていた僧侶ぼうさん尼僧あまさんとの寝像が物を言うように成った。この二人は終生変ることの無い精神的な愛情をかわしたとした文句の彫りつけて掲げてあった白い大理石なぞはまだ彼の眼にあった。彼はあの御堂の周囲まわりめぐりに廻って立去るに忍びない思いをして来たその自分の旅の心を節子に話した。あの御堂を囲繞とりま鉄柵てっさくの内には秋海棠しゅうかいどうに似た草花が咲き乱れていたことなぞをも話した。
「そうだねえ。添い遂げられない人達はぐ破滅へ急いでしまう。ああいう二人のように長く持ちこたえて行くなんてことは容易じゃないね」
 こう彼は言った。節子はまた熱心に彼の話に耳を傾けていた。この異国の物語は何となく彼女の精神こころを励ましたように見えた。彼はそれを嬉しく思って、何かまたアベラアルの事蹟じせきいて書いたものでも手に入ったら、それを彼女に送ろうと約束した。
 めずらしく岸本は節子と二人で話したような気がした。彼女が谷中やなかの方へ帰って行った