まさか、その日、この大事件の第一ページであるとは春木少年は知らなかった。あとからいろいろ思い出してみると、その日は、運命の大きな力が、春木清をぐんぐんそこへひっぱりこんだとも思われる。
ふしぎな偶然の出来事が、ふしぎにいくつも重なって起ったような感じだが、それもみんな、清少年の運命であったにちがいないのだ。
奇々怪々なるその大事件は、第一ページにあたるその日において、ほんのちょっぴり、その切口を見せただけであった。もし春木少年が、そのときにこの事件の大きさ、深さ、ものすごさ、おそろしさを半分ぐらいでも見とおすことができたなら、彼はこの事件に関係することをあきらめたであろう。それほどこの事件は、大じかけの恐怖事件であって、とても少年の身では歯がたたないばかりか、大危険にまきこまれることは分りきっていたのである。
まあ、前おきのことばは、このくらいにしておいて春木少年がその事件の第一ページの上に、どういう工合にして、足を踏みこんだか、それについて語ろう。
その日、春木少年は、この間から学校で仲よしになった同級生の牛丸平太郎という身体の大きな少年といっしょに、日曜を利用した山登りをやっていたのである。その山登りというのは、芝原水源地の奥にあるカンヌキ山の頂上まで登ることであった。
春木少年が、この町へ来たのは、ほんの一カ月ほど前のことであった。その前、彼は東京にいた。この町は関西の港町だ。
くわしいことは、いずれ後でのべる時があるから、ここには説明しないが、春木少年は、家の事情によって、とつぜんこの港町の伯母さんの家へあずけられたのであった。そして清は、近くの雪見中学校へ転校入学したのだった。彼は三年生だった。
一時はずいぶんさびしい思いもしたが、清はこの頃ではすっかりなれてしまった。そして学校にも牛丸君のような愉快な友だちができるし、それから又港町のうしろにつらなっている連山の奥ふかく遊びにいく楽しみを発見して、ひまがあれば山の中を歩きまわった。
その日、清は、牛丸の平ちゃんと連立って、おひるごろカンヌキ山の頂上にたどりついた。そこで弁当をたべ、それからそこらにある荒れ寺の境内でさんざん遊び、それから午後三時ごろになって、二人は帰途についた。
秋の日は、六時頃にはもうとっぷり暮れるので、午後三時に頂上を出ると、麓へ出て町へはいるときは、町にも港にも灯がいっぱいついているはず、すこし山の上で遊びすぎておそくなった。
そこで二人は、競走をして、山を下りることにした。
カンヌキ山を下りて、芝原水源地に近くなったところに、渓流にうつくしい滝がかっているところがある。この滝の名は、イコマの滝というんだそうだ。文字はたぶん生駒の滝と書くのであろう。
カンヌキ山から出ている下り道が二つあった。東道と西道だ。この二つの道は、生駒の滝のすこし手前で出会い、いっしょになる。そこで春木少年と牛丸少年は、べつべつの道をとってどっちが早く生駒の滝につくか、その滝の前で出会う約束で、競走をはじめたのだった。
「ぼくは、だんぜん東道の方が早いと思うね。ぼくは東道ときめた」牛丸少年はそういった。
「そうかなあ。じゃあ、ぼくは西道をかけ下りて、君より早く、滝の前についてみせる」
春木少年は、牛丸が東道をえらんだものだから、やむなく西道を下りることにしたのだった。この決定が、春木少年を例の事件にぶつからせることになった。もしこの時反対に、牛丸少年が西道をえらんだら、牛丸の方が怪事件にぶつかったことであろう。
二人は、一チ二イ三ンで、左右へ別れて、山を下りはじめた。
秋の日は、まだかんかん照っていた。しかしだいぶん低くなっていた。
春木少年の方は、口笛を吹きながら、手製の杖をふりまわしつつ、どんどん山を下りていった。すこし心細くないでもなかったが、ときどき山の端からはるか下界の海や町が見えるので、そのたびに彼は元気をとりもどした。
二時間ばかり後に、彼はついに生駒の滝の音が聞える近くにまで来た。
「さあ、ぼくの方が早いか。それとも牛丸君が勝ったか。なにしろ牛丸君は、この土地に生れた少年だから、山の勝手はよく知っている。だから、ぼくはかなわないや」
春木の方は、そういうわけで自信がなかった。
ところが、実際は春木の方が、ずっと先についたのであった。
牛丸少年の方は、途中で手間どっていた。というのは、東道では、途中で丸木橋が落ちていて、そのため彼は大まわりしなくてはならなかった。本当は、東道の方が近道だったのだけれど、思いがけない道路事故のため、牛丸は春木清よりも、三十分もおくれて現場につくことになったのだ。
そして三十分もおくれたことが、二人の少年の運命の上に、たいへんなちがいをもたらした。それは一体どういうことであったか。春木少年は、何事も知らず、生駒の滝の前へついて、
「しめた。ぼくの勝だ。牛丸君は、まだついていないじゃないか」
と、ひとりごとをいって、あたりを見まわした。滝は、大太鼓をたくさん一どきにならすように、どうどうとひびきをあげて落ちている。春木は帽子をぬいで、汗をぬぐった。紅葉や楓がうつくしい。
「おやッ」少年は目をみはった。
滝をすこし行きすぎた道の上に、誰か倒れているのであった。黒い洋服を着た男であった。
(どうしたのだろう)
様子がへんなので、清はおそるおそる、そのそばに近づいた。すると、いやなものが目にはいった。うつむいて倒れているその洋服男のかたく握りしめた両手が、まっ赤であった。血だ。血だ。
「死んでいるのか?」
少年が、青くなって、再び瞳をこらしたときに、洋服男の血まみれの手が少し動いて、土をひっかいた。
重傷の老人
「あ、あの人は生きているんだ」春木少年は叫んだ。
叫ぶと、そのあとは、おそろしさも何も忘れて、血染めの洋服男のそばにかけより、膝をついて、
「もしもし。しっかりなさい。どうしたのですか。どこをやられたのですか」と、呼びかけた。
そのとき少年は、この血染めの人が、かなりの老人であることを知った。顔に、髭がぼうぼうとはえ、黒い鳥打帽子がぬげていてむき出しになっている頭髪は、白毛ぞめがしてあって、一見黒いが、その根本のところはまっ白な白毛であった。鳥打帽子がぬげているそばには、茶色のガラスのはまった眼鏡が落ちていた。
老人は、苦しそうに顔をあげて、春木の方へ顔をねじ向けた。が、一目春木を見ただけで、がっくりと顔を地面に落とした。全身の力をあつめて、自分に声をかけた者が何者であるかをたしかめたという風であった。
老人は、うんうん呻りはじめた。
「しっかりして下さい。傷はどこですか」
と、春木はつづいて叫びながら老人を抱きおこした。
分った。老人の胸はまっ赤であった。地面におびただしく血が流れていた。傷は、弾丸によるものだった。左の頸のつけ根のところから弾丸がはいって、右の肺の上部を射ぬき、わきの下にぬけている重傷であったが、春木少年には、そこまではっきり見分ける力はなかった。しかし傷口があることは彼にもよく見えたので、そこを早くしばってあげなくてはならないと思った。
しばるものがない。繃帯があればいいんだが、そんなものは持合わせがない。
どうしようか。そうだ。こうなれば服の下に着ているシャツと、それから手拭とを利用するほかない。春木少年は実行家だったから、そう決心するとまず老人を元のようにねかし、それから急いで服をぬぎすて、縞のシャツをぬぐと、それをベリベリと破って長いきれをこしらえ、端と端とつなぎあわせた。手拭もひきさいて、それにつないだ。
「これでよし。さあ出来た。おじさん、しっかりなさい。傷口に仮りの繃帯をしてあげますからね」
そういって春木は、再び老人を抱きおこして、上向きにした。
老人は口から、赤いものをはき出した。胸をやられているからなのだ。少年は、絶望の心をおさえ、老人をしきりにはげましながら、傷口をぐるぐる巻いてやった。
その間に、老人は苦しそうにあえぎながら、目をあけたり、しめたりしていたが、少年がしてくれた傷の手当がすんで、しずかに地面にねかされたとき、
「あ、ありがとう。か、神の御子よ……」
と、しわがれた聞きとれないほどの声で、春木少年に感謝した。そのとき老人ののどが、ごろごろと鳴って、口から赤い泡立ったものがだらだらと流れだした。
「ものをいっては、だめです。おじさんは、胸に傷をしているのですからね」老人は、かすかにうなずいた。
「さあ、これからどうしたらいいか。ぼく、山を下りて、誰かを呼んで来ますから、苦しいでしょうが、しばらくがまんしていて下さい」
そういって春木は、老人のそばから立ち上って、ふもとへ走ろうとしたが、そのとき、老人が一声高く叫んだ。
「お待ち」
「えッ」
「そばへ来てください」
「なんですか。そんなに口をきくと、また血が出ますよ」
春木は、老人のそばへ膝をついた。
「もう、もう、わしはだめだ。あんたの親切にお礼をしたいから、ぜひ受けて下さい。今、そのお礼の品物を出すから、ちょっと、横を向いて下され」
「お礼なんて、ぼくは、いいですよ。大したことはしないんだから」
「いや、わしはお礼をせずにはいられない。それにこのまま、わしが死んでしまえば、莫大なる富の所在を解く者がいなくなる。ぜひあんたにゆずりたい。あんたは、何という名前かの」
老人は、苦しそうにあえぎ、赤い泡をふき出しながら、少年に話しかける。その事柄は、真か偽かはっきりしないが、とにかく重大なことだ。
「ぼくは、春木清というのです」
「ハルキ・キヨシ。いい名前だな。ハルキ・キヨシ君に、わしは、わしの生命の次に大切にしていたものをゆずる。キヨシ君。すまんがわしをもう一度、うつ向けにしておくれ」
春木少年は、老人のいうとおりにした。
「キヨシ君。わしがいいというまで、ちょっと横を向いていておくれ」
老人は、へんなことをいった。しかし少年は、いわれるとおりにした。
老人は、ふるえる手を、自分の目のところへ持っていった。それから彼は、指先で右の目のところをもんでいた。そのうちに、老人の指先には、白い球がつまみあげられていた。卵大ではあるが、卵ではなく、一方に黒い斑点がついていた。
義眼であった。老人の右の目にはいっていた入れ目であった。
「さ。これをキヨシ君に進呈する」
老人は、気味のわるい贈物を、春木少年の方へさしだした。
なんということであろう。老人は気が変になったのであろうか。
春木少年は、まさか義眼とも思わず、それを卵か石かと思って受取った。
もらった義眼
「これは何ですか。これはどんな値打のあるものですか」
少年は、老人の義眼を、手のひらの上でころがしてみながら、不審がった。
そのとき滝のひびきの中に、別の物音がはいって来た。ぶーンと、機械的な音であった。春木少年はまだ気がついていなかったが、老人の方が気がついて、びっくりした。
「おお、キヨシ君。悪い奴がこっちへ来る。あんたは、早くそれを持って、洞穴か、岩かげかに早くかくれるんだ。早く、早く。いそがないと間にあわない。そして、空から絶対にあんたの姿が見られないように、気をつけるんだ。さあ。早く……」
「どうしたんですか。そんなにあわてて……」
「わしを殺そうとした悪者の一派が、ここへやって来るのだ。あんたの姿を見れば、あんたにも危害を加えるだろう。よくおぼえているがいい。悪者どもが、ここを去るまでは、あんたは姿を見せてはならない。身体を動かしてはならない。あんたは今、わしからゆずられた大切な品物を持っているということを忘れないように。さ、早くかくれておくれ」
老人は、気が変になったように、わめきつづける。
春木少年は、重傷の老人がこの上あんな声を出していたら、死期を早めるだろうと思った。だから早く老人のいうとおり、岩かげかどっかへかくれるのが、老人のためになると思って、立ち上った。
が、老人にたずねなくてはならないことが、たくさんあった。
「この卵みたいなものをどうすればいいんですか」
「な、中をあけてみなさい。早くかくれるんだ。だんだん空から近づくあの音が聞えないのか。早く、早く」
そういわれて春木少年は気がついた。頭の上からおしつけるような、ごうごうたる物音がしている。でも、もう一つ老人に聞いておかねばならないことがあった。
「おじさん。おじさんの名前は、なんというのですか」
「まだ、そこにぐずぐずしているのか」
重傷の老人は腹立たしそうに叫んだ。
「わしの名はトグラだ」
「トグラですか」
「戸倉八十丸だ。早くかくれろ。一刻も早く! さもなきゃ、生命がない。世界的な宝もうばわれる。早く穴の中へ、とびこめ。あのへんに穴がある。だが、気をつけて……」
老人の声は、泣き叫んでいるようだ。
春木は、今はこれ以上、老人をなやませては悪いと思った。そこで、瀕死の老人の指した方向へ走った。大きな岩が出ていた。滝つぼとは反対の方だ。
彼が、岩のかげにとびこんだとき、頭上にびっくりするほど大きいものが、まい下ってきた。
ヘリコプターだった。竹とんぼのような形をした大きな水平にまわるプロペラを持ち、そして別にもう一つ小さなプロペラをつけた竹とんぼ式飛行機だった。
ヘリコプターは、宙に浮いたように前進を停止し、上下に自由に上ったり、下ったりできる飛行機である。だから、滑走場がなくても飛びあがることができ、またせまい屋上へ下りることもできる。
そのようなヘリコプターが、夕闇がうすくかかって来た空から、とつぜんまい下りて来たので、春木少年はおどろいた。
なぜであろう。ヘリコプターが、なに用あってまい下りてくるのであろう。
戸倉老人が、恐怖していたのは、そのヘリコプターであろうか。
春木少年は岩かげにしゃがんで、この場の様子をうかがった。ヘリコプターは、垂直に下ってきた。
と、ぱっとあたりが昼間のように明るくなった。ヘリコプターが探照灯を、地上へ向けて照らしつけたのだ。
「あッ」春木少年は、岩にしがみついた。
ぎらぎらと、強い光が、春木少年の左の肩を照らしつけた。
少年は、なんとはなしに危険を感じ、しずかに身体を右の方へ動かして、ヘリコプターの探照灯からのがれようとした。
しかし探照灯は追いかけて来るようであった。
春木は、岩にぴったりと寄りそったまま、身体を右の方へ移動していった。
すると、彼はとつぜん身体の中心を失った。右足で踏んでいた土がくずれ、足を踏みはずしたのだった。そこには草にかくれた穴があった。身体がぐらりと右へ傾く。「あッ」という間もなく、彼の身体は穴の中へ落ちこんだ。両手をのばして、岩をつかもうとしたが、だめだった。
少年の身体は、深く下に落ちていって、やがて底にたたきつけられた。それは、わりあいにやわらかい土であったが、彼はお尻をしたたかにぶっつけ、「うン」と呻り声をあげると、気を失った。
気を失った少年のそばに、戸倉老人がゆずり渡した疑問の義眼が一つころがっていた。そして義眼の瞳は、まるで視力があるかのように、上に丸く開いている空を凝視していた。
空中放れ業
穴の中に落ちこみ、気を失ってしまった春木少年は、その直後に起った地上の大活劇を見ることができなかった。
まったく、彼の思いもかけなかったような活劇の幕が、そのとき切って落されたのであった。
ヘリコプターから、とつぜん、だだだだッ、だだだだッと、はげしい機関銃が鳴りだした。弾丸は、戸倉老人の倒れている身辺へ、雨のように降りそそいだ。弾丸が地上に達して石にあたると、ぴかぴかッと火花が光り、それが夕暮のうす闇の中に、生き物のようにおどった。だが、弾丸は、戸倉老人のまわりに落ちるだけで、老人の身体は突き刺さなかった。
「うわッ、なんだろう」滝つぼの正面の道路の上に、少年の姿があらわれた。春木ではなかった。牛丸少年であった。彼はようやく生駒の滝の前に今ついたのであった。彼にはまだこの場の事態がのみこめていなかった。だから身の危険を感じることもなく、道のまん中に棒立ちになって、火花のおどりを、いぶかしく眺めたのであった。
が、一瞬ののち、彼は戸倉老人の倒れている姿を認めた。また、つづいて起った銃声のすさまじさによって、はっと身の危険を感じた。
「あ、あぶない」牛丸少年は、身をひるがえすと、かたわらの大きな柿の木に、するするとのぼった。牛丸は、木登りが得意中の得意だった。だから前後の考えもなく、柿の木なんかによじ登ったのである。それは、彼のために、幸福なことではなかった。
そのときヘリコプターは、戸倉老人のま上まできた。胴の底に穴があいて、そこから一本のロープがゆれながら、まい下ってきた。
すると、ロープを伝わって、一人の男がするすると下りてきた。そのときロープの先は地上についていた。その男は、カーキ色の作業衣に身をかためた男だった。その男も倒れている戸倉老人も共に探照灯の光の中にあった。
老人は、死んでしまったように、動かない。
牛丸少年は、柿の枝につかまって、この有様をびっくりして眺めている。
作業衣の男は、ついに地上に足をつけた。ロープを放して、戸倉老人の方へ走りよった。そして膝をついて老人の身体をしらべだした。彼のために、老人は二三度身体を上向きに又下向きにひっくりかえされた。
しばらくすると、作業衣の男は立上って、手をふって、上のヘリコプターへ、合図のようなことをした。ヘリコプターの胴の窓からも、一人の男が上半身を出して、下へ手をふって合図した。
下の男は、分ったらしく、合図に両手を左右へのばした後で、ロープの端を手にとって、戸倉老人に近づくと、老人の身体をロープでぐるぐる巻きにしばりつけた。
それから自分は、老人よりもロープの上の方にぶら下った。
それが合図のように、ロープはぐんぐんヘリコプターの方へ巻きあがっていった。ヘリコプターは、宙に浮いて、じっとしている。この有様を、牛丸少年は、あっけにとられて柿の木の上から見ていた。
ところが、とつぜん作業衣の男が、片手をはなして、牛丸少年の登っている柿の木を指した。と、ぱっと強い探照灯の光が牛丸少年の全身を照らしつけた。
「うわッ。たまらん」牛丸平太郎は生れつきものおじをしない楽天家であったが、このときばかりは、もう死ぬかもしれないと思った。彼は目がくらんで、呼吸をすることができなくなった。彼は懸命に、両手と両足で、柿の木の枝にしがみついていた。目は、全然ものを見分ける力がなくなった。
「柿の木の上で、目はみえず」
ヘリコプターの音が遠のいていったのが分ったとき、牛丸は、ひとりごとをいった。俳句になるぞと思った。
このとき、ようやくすこしばかり、ものの形が見えるようになった。
「ひどい目にあわせよった」
彼は、そろそろと柿の木から、すべり下りていった。
牛丸少年は、滝の前に、小一時間もうろうろしていた。もうまっくらな中を、あたりを探しまわった。
「おーい。春木君やーい」と、何十ぺんも、友だちの名を呼んでみた。しかしその返事は、彼の耳に聞えなかった。その間に、彼は、倒れていた人のあとへも行ってみた。そこには、血の跡らしいものが黒ずんで地面を染めているのを見た。
「誰だろう、ここに倒れていた人は」
彼には事情が分らなかった。
ヘリコプターで救助作業をやったのかもしれないが、しかしその前に、はげしい銃声のようなものを聞いた。それを聞きつけたから、彼はびっくりして柿の木へ登ったのだ。彼は後で考えて、「ぼくは、あのときは、なんてあわてん坊であったろう」と苦笑したことだった。
いつまでたっても、春木君がやってこないので、一時間ばかりたった後に、牛丸少年は、ひとりで川を下りていった。
牛丸はなんにもしらなかった、ここにふしぎなことがあった。それは、戸倉老人の身体からはなれてとび散らばっていた老人の帽子も眼鏡も、共にそのあとに残っていなかったことである。
それにしても、重傷の戸倉老人を拾っていった、ヘリコプターに乗っていた者は、何者であったろうか。
老人を救助に来た者だとは思われない。もし救助に来た者ならば、老人は春木少年の前であのように恐怖してみせるはずはないのだ。
すると、あのヘリコプターは、戸倉老人のためには敵手にあたる連中が乗っていたものであろうか。
この生駒の滝を背景とした血なまぐさい謎にみちた一幕こそ、やがて春木清が少年探偵長として全世界へ話題をなげた奇々怪々なる「黄金メダル事件」へ登場するその第一幕であったのだ。
穴からの脱出
岩かげの穴の中に落ちこんだ春木少年は、まだ牛丸君がその附近にいた間に、われにかえることができた。
彼は、牛丸君が自分を呼ぶ声をたしかにきいた。そこで彼は、穴の中で返事をしたのである。いくども牛丸君の名を呼んで、自分がここにいることを知らせたのである。しかし牛丸君は、ほかの方ばかりを探していて、春木が落ちこんでいる穴の上には近よらなかった。
そのうちに牛丸は、あきらめて、生駒の滝の前をはなれ、ふもとへ通ずる道をおりていった。
あとに残されて穴の中にひとりぼっちになった春木のまわりはだんだん暗くなってきた。彼は、お尻をさすりながら、あたりを見まわした。
「あッ、あの球だ」彼は、そばに戸倉老人の義眼が落ちているのを見つけると、あわてて拾いあげた。
「何だろう。ふしぎなものだなあ。おやおや、目玉みたいだぞ。こっちをにらんでいる。ああ気味がわるい」
あまり気味がわるいので、彼はそれをポケットの中へしまった。
「さあ、なんとかして、この空っぽの井戸からあがらなくては」
見ると、空井戸の底には、横向きの穴があった。人間がやっとくぐってはいれるほどの穴だった。しかし、気味がわるくて、春木ははいる気がしなかった。彼は立上った。そして上を向いていろいろとしらべてみたが、そこには上からロープもなにも下っていなかった。深さは十四五メートルらしい。
「土の壁が上までやわらかいといいんだがなあ。そしてなにか土を掘るものがあるといいんだが。待てよ、ナイフを持っているからこれで掘ってやろう」
春木は、空井戸の土壁に、足場の穴を掘り、それを伝って上へあがることを思いついた。そこで、早速その仕事を始めた。
それは手間のかかる仕事であったが、少年は根気よく土の壁に足場を一段ずつ掘っていって、やがて穴のそとに出ることができた。
「やれ、ありがたい」春木は、そこで大きな溜息を一つして、あたりを見まわした。あたりはまっくらであった。そしてまっ暗闇の中から、滝の音だけがとうとうと鳴りひびき、いっそう気味のわるいものにしていた。
ただ晴夜のこととて、星だけが空にきらきらと明るくかがやいていた。しかし星あかりだけでは、道と道でないところの区別はつかなかった。彼は、山を下りることを朝まで断念するしかないと思った。むりをして下りれば、足をふみすべらして谷底へ落ちるおそれがある。
「しようがない。今夜、滝の音を聞きながら野宿だ」
春木は、草の上に尻餅をついた。決心がつけば、野宿もまたおもしろくないこともない。ただ、明日になって、伯母たちに叱られるであろうが、それもしかたなしだ。
春木は、急に腹が空いているのに気がついた。ポケットをさぐったが、例のへんな球の外になんにもない。みんなたべてしまったのだ。
そのうちに寒くなって来た。秋も十一月の山の中は、更けると共に気温がぐんぐん下っていくのであった。
「ああ、寒い。これはやり切れない」空腹はがまんできるが寒いのはやり切れない。どうかならないものか。
「あッ、そうだ。ライターを持っていた」
こういうときの用心に、彼はズボンのポケットに火縄式のライターを持っていることを思いだした。そうだ。ライターで火をつけ、枯れ枝をあつめて、どんどんたき火をすればいいのである。少年は元気づいた。
火縄式のライターは、炭火のように火がつくだけで、ろうそくのように焔が出ない。それはよく分っていたが、彼はこの前、火縄の火に、燃えあがりやすい糸くずを近づけて、ふうふう息をふきかけることにより、糸くずをめらめらと燃えあがらせて、焔をつくった経験があった。その経験を今夜いかして使うのだ。
彼は、服の裏をすこしさいて、糸くずと同様のものをこしらえ、それにライターの火縄の火を燃えあがらせることに成功した。焔はめらめらと、赤い舌をあげて燃えあがった。その焔を、枯れ草のかたまりへ移した。火は大きくなった。こんどは、それを枯れ枝の方へ移した。火勢は一段と強くなった。それから先はもう困らなかった。明るい、そしてあたたかい焚火が、どんどんと燃えさかった。
あたたかくなり、明るくなったので、春木少年はすっかり元気になった。附近から枯れ枝をたくさん集めて来た。もう大丈夫だ。
火にあたっていると、ねむくなりだした。昼間からの疲れが出て来たものらしい。
しかしここで睡ってしまっては、焚火も消えてしまい、風邪をひくことになるであろうと、彼は気がついた。そこで、なんとかして睡らない工夫をしなくてはならない。彼は考えた。
「そうだ。さっき戸倉のおじさんからもらった球をしらべてみよう」
それは、この際うってつけの仕事だった。少年はポケットから、例の球を出した。火にかざして、彼ははじめてゆっくりとその品物を見たのだ。
「やッ。これは眼玉だ。気持が悪い」
彼はぞっと背中が寒くなり、眼玉を手から下へとり落とした。眼玉は、ころころところがって、焚火のそばまでいった。
「待てよ。あれはほんとうの眼玉じゃないらしい。ああ、そうだ。義眼だろう、きっと」
彼は、自分があわてん坊だったのに気がついて、おかしくなり、ひとりで笑った。
「あ、眼玉があんなところで、焼けそうになっている。たいへん、たいへん」彼はあわてて、もえさしの枝を手にとると、焚火のそばから義眼を拾い出した。
「あちちちちッ」義眼はあつくなっていて、彼の手を焼いた。彼の手から義眼は再び地上に落ちた。すると義眼は、まん中からぱっくりと、二つに割れた。
それは春木少年のためには、幸運であったといえる。なぜなら、火で焼けでもしなければ、この義眼を開けることは、なかなかむずかしいことであったから、つまりこの義眼は、一種の秘密箱であったのだ。この球を開くには、どんなにしても一週間ぐらい考えなくてはならなかったのだ。少年は幸運にもその球形の秘密箱を火のそばで焦がしたがために、秘密箱のからくりは自然に中ではずれ、彼が二度目に手から地面の上へ落とすと、ぱっくりと二つに割れたのである。しかし、これには春木少年はおどろいて、目をぱちくりした。
「おや。中になにかはいっているぞ。ああそうか。あれなんだな。あのおじさんのいったことは嘘でないらしい」
莫大なる富だ。世界的の宝だ。いったいそれは何であろうか。
春木少年は、手をのばして、二つに割れた戸倉老人の義眼を手にとって調べた。
「ああ、こんなものがはいっている」
義眼の中には、絹のようなきれで包んだものがはいっていた。中には、なにかかたいものがある。
絹のきれをあけると、中から出て来たのは半月形の平ったい金属板だった。かなり重い。そして夜目にもぴかぴかと黄いろく光っている。そしてその上には、うすく浮彫になって、横を向いた人の顔が彫りつけてあり、そのまわりには、鎖と錨がついていた。裏をかえしてみると、そこには妙な文字のようなものが横書になって数行、彫りつけてあった。しかしそれがどこの国の文字だか、見たことのないものだった。古代文字というよりも、むしろ音符号のようであった。
「金貨の半分みたいだが、こんな大きな金貨があるんだろうか。とにかく妙なものだ。いったいこれは何だろうか」
と、彼はそのぴかぴか光る二つに割られた黄金のメダルを、ふしぎそうに火にかざして、いくどもいくども見直した。
「字は読めないし、それに半分じゃ、しようがないが、これでもあのおじさんがいったように、これが世界的な莫大な富と関係があるものかなあ」
せっかくもらったが、これでは春木少年にとってちんぷんかんぷんで、わけが分らなかった。
さあ、どういうことになるか。
そのとき、一陣の山風がさっと吹きこんできて、枯葉がまい、焚火の焔が横にふきつけられて、ぱちぱちと鳴った。すると少年のすぐ前で、ぼーッと燃え出したものがある。
「あっ、しまった」
それは、この半月形の黄金メダルを包んであった絹のきれだった。それには文字が書いてあることがそのとき始めて春木少年の注意をひいたのである。火は、その絹のハンカチーフみたいなものを、ひとなめにして焼きつくそうとしている。少年は、驚いて、火の中へ手をつっこみ、燃える絹のきれをとりだすと、靴でふみつけた。
火はようやく消えた。
「やれやれ。もちっとで全部焼いてしまうところだった」
焼け残ったのはその絹のハンカチーフの半分よりすこし小さい部分だった。それにはこまかく日本文字が書いてあった。少年は、その文字を拾って読み出したが、なにしろ半分ばかりが焼けてしまったので、その文字はつながらなかった。
だが、少年は読めるだけの文字を拾っていた。が、急に彼は顔をこわばらせると、
「ああ、これはたいへんなものだ」と叫んだ。にわかに彼の身体はぶるぶるとふるえだして、とまらなかった。
なぜであろうか。
いったいその焼けのこりの絹のきれは、どんなことが書いてあったろうか。そして半月形の黄金のメダルこそ、いかなる秘密を、かくしているのだろうか。
深山には、にわかに風が出て来た。焚火の火の子が暗い空にまいあがる。
六天山塞
さて、戸倉老人をさらっていったヘリコプターはどこへ飛び去ったか。
ヘリコプターは、暮色に包まれた山々の上すれすれに、あるときは北へ、あるときは東へ、またあるときは西へと、奇妙な針路をとって、だんだんと、奥山へはいりこんだ。
約一時間飛んでからそのヘリコプターは、闇の中をしずしずと下降し、やがて、ぴったりと着陸した。
その場所は、どういう景色のところで、その飛行場はどんな地形になっているのか、それは肉眼では見えなかった。なにしろ、日はとっぷり暮れ、黒白も見わけられぬほどの闇の夜だったから。ただ、銀河ばかりが、ほの明るく、頭上を流れていた。
このヘリコプターには、精巧なレーダー装置がついていたから、その着陸場を探し求めて、無事に暗夜の着陸をやりとげることは、わけのないことだった。レーダー装置は、超短電波を使って、地形をさぐったり、高度を測ったり、目標との距離をだしたりする器械で、夜間には飛行機の目としてたいへん役立つものだ。
こうしてヘリコプターは無事着陸した。しかもまちがいなく六天山塞へもどって来たのである。
六天山塞とは、何であるか?
この山塞について、ここにくわしい話をのべるのは、ひかえよう。それよりも、ヘリコプターのあとについていって、山塞のもようを綴った方がいいであろう。
そのヘリコプターが無事着陸すると、操縦席から青い信号灯がうちふられた。
すると、ごおーッという音がして、大地が動きだした。ヘリコプターをのせたまま、大地は横にすべっていった。
それは大仕掛な動く滑走路であった。細長い鉄片を組立ててこしらえた幅五メートルの滑走路で、動力によってこれはベルト式運搬機のように横にすべって動いていく。そうしてヘリコプターは、山腹にあけられた大きな洞門の中へ吸いこまれてしまった。
それから間もなく、動く滑走路は停った。そしてうしろの洞穴のあたりで、がらがらと鉄扉のしまる音が聞えた。
その音がしなくなると、とつぜんぱっと眩しい光線がヘリコプターの上から照らしつけた。洞門の中の様子が、その瞬間に、はっきりと見えるようになった。そこは建築したばかりの大工場で、この一棟へはいった。土くれの匂いなどはなく、芳香を放つ脂の匂いがあった。そして壁も天井も明るく黄いろく塗られて、頑丈に見えた。ただ床だけは、迷彩をほどこした鋼材の動く滑走路がまん中をつらぬいているので、異様な気分をあおりたてる。
ばたばたと、ヘリコプターをかこんだ五六名の腕ぷしの強そうな男たちは、ピストルや軽機銃をかまえてヘリコプターの搭乗者へ警戒の目を光らせる。彼らの服装は、まちまちであり、背広があったり、作業衣であったりした。
すると機胴の扉があいて、一人の長髪の男が顔をだした。彼は手を振って、
「大丈夫だ。奴さんはもうあばれる力なんかないよ」
といった。この男は、生駒の滝の前で、縄ばしご伝いにヘリコプターから下りてきて、戸倉老人を拾いあげた男だった。波立二といって、この山塞では、にらみのきく人物だった。
そのとき、奥から中年の男が駆けだしてきて、波立二に声をかけた。
「おい。戸倉はまだ生きているか。心臓の音を聴いてみてくれ」心配そうな顔だった。
「脈はよくありませんよ。でもまだ生きています」
「新しく傷を負わせたのじゃなかろうね。そうだったら、頭目のきげんが悪くなるぜ」
「ふん、木戸さん、心配なしだよ。おれがそんなへまをやると思いますか。射撃にかけては――」
「そんならいいんだ。担架を持ってくるから、そのままにしておいてくれ」
木戸とよばれた中年の男は、ほっとした面持になって、うしろを振返った。担架をかついだ一隊が、停ったエレベーターからぞろぞろとでてくるのが見えた。
その中に、ひとりいやに背の高い人物が交っていた。首が長くて、ほんとに鶴のようである。顔は凸凹がはげしくて岩を見るようで、鼻が三角錐のようにとがって前へとびだしている。もうひとつとびだしているのは、太い眉毛の下の大きな両眼だ。鼻の下には、うすい髭がはえている。かますの乾物のように、やせ細っている彼。そして背広の上に、まっ白の上っぱりを長々と着て、大股ですたすたとやって来、ものもいわずにヘリコプターの上へ登ってはいった。
彼は、すぐでてきた。そして木戸の前に立って、ものいいたげに相手を見下ろした。
「どうだね、机博士」木戸は、さいそくするように、机博士の小さく見える顔を仰いだ。
「ふむ、頭目の幸運てえものさ。このおれ以外の如何なる名医にかけても、あの怪我人はあと一時間と生命がもたないね」
机博士は、表情のない顔で、自信のあることばをいい切った。
「ほう、助かるか」木戸は顔を赤くした。
「ではすぐ手当をしてもらうんだ。頭目は、すぐにも戸倉をひき寄せて、話をしたいんだろうが、いったいこれから何時間後に、それができるかね」
「世間並にいえば、三週間だよ」
「君の引受けてくれる時間だけ聞けばいいんだ」
「この机博士が処置をするなら今から六時間後だ。それなら引受ける」
「よし、それで頼む。頭目に報告しておくから」
「今から六時間以内は、どんなことがあってもだめ。一語も聞けないといっておいてくれたまえ。銃弾は際どいところで、心臓を外れているが、肺はめちゃめちゃだ。ものをいえば、血とあぶくがぶくぶく吹きでる。普通ならすでに、この世の者ではないさ。しかし奴さん、うまい工合に傷の箇所に、血どめのガーゼ――ガーゼじゃないが、きれを突込んで、器用にその上を巻いてある。奴さんにとっては、これはうちの頭目以上の幸運だったんだ」
博士はひとりで喋った。
「手術はここでするから、医局員でない者はどこかへ行ってもらいたいね」
「え、ここでするのか、机博士」
「そうさ。どうして、この重態の病人を、動かせるものかね。狭くても、しようがないやね」
と、博士はいった。
「電気の用意ができました」
部下の合図があった。博士は再びヘリコプターの座席へもぐりこんだ。
男装の頭目
それにつづく同じ夜、正確に時刻をいうと、午前二時を五分ばかりまわった時であった。
この六天山塞の指揮権を持っている頭目の四馬剣尺は重傷の戸倉老人と会見することになった。
戸倉老人は、車がついている椅子にしっかりゆわきつけられたまま、四馬頭目の待っている特別室へ運ばれこまれた。そのそばには机博士が、風に吹かれている電柱のようなかっこうで、つきそっていた。
頭目は、ゆったりと椅子から立ちあがり、カーテンをおし分けて、戸倉老人の方へ歩みよった。
彼の風体は、異様であった。
四馬剣尺は、六尺に近いほどの長身であった。そしてうんと肥えていたので、横綱にしてもはずかしくないほどの体格だった。彼はそのりっぱな身体を長い裾を持った中国服に包んでいた。彼の両手は、長い袖の中にかくれて見えなかった。
その中国服には、金色の大きな竜が、美しく刺繍してあった。見るからに、頭が下るほどのすばらしい模様であった。
四馬剣尺の顔は見えなかった。
それは彼が、頭の上に大きな笠形の冠をかぶっていたからで、その冠のまわりのふちからは、黒い紗で作った三重の幕が下りていて、あごの先がほんのちょっぴり見えるだけで、顔はすっかり幕で隠れていた。
「おい、戸倉。今夜は早いところ、話をつけようじゃないか」頭目四馬は、おさえつけるような太い声で戸倉老人にいった。
戸倉は、青い顔をして、椅子車の背に頭をもたせかけ、黙りこくっていた。死んでしまったのか、睡っているのか、彼の眼は、茶色の眼鏡の奥に隠れていて、あいているのか、ふさいでいるのか分らないから、判断のつけようがない。
「おい、返事をしないか。今夜は早く話をつけてやろうと、こっちは好意を示しているのに、返事をしないとは、けしからん」
そういって四馬は、長い袖をのばすと、戸倉の肩をつかんで揺ぶろうとした。
「おっと待った、頭目」と、とつぜん停めた者がある。机博士であった。彼は、頭目の前へ進みでた。
「頭目。あんたから、わが輩が預っているこの怪我人は、奇蹟的に生きているんですぞ。手荒なことをして、この老ぼれが急に死んでしまっても、わが輩は責任をおわんですぞ。一言おことわりしておく次第である」
机博士は、俳優のように身ぶりも大げさに、戸倉老人が衰弱しきっていることを伝えた。
「ちかごろ君の手術の腕前もにぶったと見える」
「肺臓の半分はめちゃめちゃだった。それを切り取ってそのかわりに一時、人工肺臓を接続してある。当人が、自分の手で人工肺臓を外すと、たちまち死んでしまう。つまり自殺に成功するわけだ。だからこのとおり椅子にしばりつけてあるわけだ。当人があばれん坊だからしばりつけてあるわけではない。以上、責任者として御注意しておきます」
と、机博士は手を振り足を動かし、ひびのはいったガラスのコップのような戸倉老人の健康状態を説明すると、うやうやしく頭目に一礼して、椅子車のうしろへ下った。
「博士。しかしこの老ぼれは、喋れないわけじゃなかろう」
「ここへ担ぎこまれたときは、血のあぶくをごぼごぼ口からふきだして、お喋りは不可能だった。が、今手当をしたから、発声はできます。もっとも当人が喋る気にならないと喋らないでしょうが、それはわが輩の仕事の範囲ではない」
戸倉老人に返事をさせるか、させないかは、頭目、あんたの腕次第だよ――と、いわないばかりだった。
「ふん」頭目は、つんと首をたてた。「わしは知りたいと思ったことを知るだけだ。相手が柿の木であろうと、人間であろうと、太陽であろうと、返事をさせないではおかぬ。それに、このごろわしは気が短くなって、相手がぐずぐずしていると、相手の口の中へ手をつっこんで、舌を動かして喋らせたくなるんだ。すこしらんぼうだが、気が短いんだからしようがない」
机博士も木戸も、その他の幹部たちも、おたがいの顔を見合した。頭目がそんなことをいうときには頭目はきっとすごいことをやって、部下たちをびっくりさせるのが例だった。その前に、頭目は、しっかりとした計画をたてておく。それからそれに向ってぐんぐん進めるのだった。だから、成功しないことはなかった。らんぼう者のように見えながら、その実はどこまでも心をこまかく使い、抜け目のないことをする頭目だった。部下たちが、頭目に頭が上らないのも、そこに原因があった。
はたして、その夜のできごとは、後日になって部下たちがたびたび思いださないではいられないほどの、重大な意味を持っていた。その重大なるできごとは、今、彼らの目の前でくりひろげられようとしているのだ。
「おい、戸倉。きさまの生命を拾って、ここへ連れてきてやるまでには、三人の生命がぎせいになっているのだぞ。きさまを救うためにきさまを襲撃した二人連れのらんぼう者を撃ち倒したのは、わしの部下だった。可哀そうに自分も撃たれて生命を失った。死ぬ前に、彼は携帯用無電機でその場のことをくわしくわしのところへ報告してきた。報告が終ると彼は死んだのだ。いい部下を、きさまのために失ってしまった。わしは、きさまから十分な償いを受けたい」
「私だって、ひどめ目に[#「ひどめ目に」はママ]あっている。おたがいさまだ」
戸倉老人が、はじめて口をきいた。軽蔑をこめた語調だ。
「ふん。なんとでもいうがいい」頭目四馬は軽くうけ流すと、一歩前進した。「そこでわしは取引を完了したい。おい、戸倉。きさまが持っている黄金の三日月を、こっちへ渡してしまえ」
四馬がずばりと戸倉老人に叩きつけたことば! それはあの黄金メダルの片われを要求しているのだった。
「なにが欲しいんだか、私にはちんぷんかんぷんだ」
老人は、いよいよ軽蔑をこめていう。
「こいつが、こいつが……。きさまが黄金の三日月を知らないことがあるか。きさまが持っていることは、ちゃんと種があがっているんだ。早く渡してしまった方が、とくだぞ」
「わしはそんなものは知らない。もちろん、持ってはいない。いくどきかれても、そういうほかない」
戸倉老人の語調は、すこし乱れてきた。机博士はうしろで注射薬のアンプルを切る。
「知らないとはいわせない。では、これを見よ」
四馬は、とつぜん右手で長い左の袖をまくりあげた。左の手首があらわれた。そのおや指とひとさし指との間に支えられて、ぴかりと光る小さな半月形のものがあった。例の黄金メダルの片われであった。しかしこれは春木少年が今持っているあの片われとは形がちがっていた。
つまり、春木少年の持っているのは、片われにちがいないが、半分よりすこし大きく、メダルの中心から角をはかると、百八十度よりも二十度ばかり大きい。今、四馬が指の先につまんで見せたのは、半分より小さいもので扇形をしている。
それを頭目は戸倉の前へつきつけた。
「どうだ。これが見えないか」
「あッそれだ。や、汝が持っていたのか。ちえッ」
戸倉老人は、かん高い声で叫ぶと、手を延ばそうとした。しかし手足は、椅子車に厳重にしばりつけられてあって、手を延ばすどころではない。彼は残念がって、かッと口をあくと、頭目のさしだしている黄金メダルを目がけて、かみついた。
「おっと、らんぼうしては困る。はっはっはっ」
頭目は、あやういところで、手を引いた。
「はっはっはっ。これが欲しいんだな。きさまにくれてやらないでもないが、その前に、きさまが持っている他の半分をこっちへだせ。一週間あずかったら、両方とも、きれいにきさまに返してやる。どうだ、いい条件だろうが。うんといえ」
このとき戸倉は、ぐったりとして、頭を椅子の背につけた。目をむいているのか、目をとじているのか、それは茶色の眼鏡にさえぎられて分らないが、彼の両肩がはげしく息をついているところを見ると、戸倉老人は今なんともいえない悪い気持になって苦しんでいるものと思われる。もちろん、彼は頭目の話しかけに、一度もこたえない。
「黙っていては、わからんじゃないか。わしは早い取引を希望しているのだ。おい、戸倉。きさまが黄金三日月をかくしている場所をわしが知らないとでも思うのかい」
それを聞いて戸倉老人は、ぎょっと身体をかたくした。
「ははは。今さらあわててもだめだ。わしは気が短い。欲しいものは、さっそく手に入れる。まず、これから外して……」
四馬の手が、つと延びた。と思うと、戸倉老人がかけていた茶色の眼鏡が、頭目の手の中にあった。眼鏡をもぎとられた老人の蒼白な顔。両眼は、かたくとじ、唇がわなわなとふるえている。
「ふふふ。きさまがおとなしくしていれば、わしは乱暴をはたらくつもりはない。そこでわしが用のあるのは、きさまが目の穴に入れてある義眼だ。それを渡してもらおう」
「許さぬ。そんなことは許さぬ。悪魔め」
老人は大あばれにあばれたいらしいが、手足のいましめは、ぎゅっとおさえつける。
四馬はそれを冷やかに見下して、
「ええと、きさまの義眼はたしか右の方だったな。おい、みんなきて、戸倉の頭を、椅子の背におしつけていろ」
木戸や波や、その他の部下が戸倉にとびついて、頭目が命じたとおり、椅子の背におしつけた。戸倉の鳥打帽子がぬげかかった。四馬はその前に進みよって、右手を延ばすと、戸倉の右眼を襲った。
エックス線のかげ
頭目の手には、戸倉の義眼がのっている。
「ふん。これが黄金の三日月の容器とは、考えやがったな。しかしこうなれば、お気の毒さまだ。ありがたく頂戴してしまおう。いやまだお礼をいうのは早い。この中から三日月さまをださなくては……」
頭目は、義眼を両手の指先で支えて、くるくるとひっくりかえしてみた。しかし、義眼のどこをどうすれば開くのか、見当がつかなかった。その開き方は、某人物より一応きいておいたのであるが、どこをききまちがえたか、彼の記憶にあるとおりに、義眼の上下を持って左右にねじってみても、さっぱりあかないのだった。
(ふーン、こいつはまずい)と、頭目は心の中で舌打ちをした。だが、それを今顔色にあらわすことは戸倉に対しても、また部下に対してもおもしろくない。
が、問題は、それですむものではなかった。早くこれを開いてみる必要があった。
「おい木戸。大きな金槌を持ってこい。急いで持ってこい」
と、頭目は命令した。
「はい」と返事をして木戸が引込んでから、再び彼がこの部屋にあらわれるまで、ちょっと時間があった。一座は、ここでほっと一息いれた。
机博士は、戸倉老人の腕に、強心剤の注射を終えると、自分の指先をアルコールのついた脱脂綿で拭って、それからぎゅッとくびを延ばして背のびした。
「ねえ、頭目。もう一回、今みたいな手あらなことをなさると、わが輩はこの人物の生命について責任をおいませんぜ。これで二度目の警告です」
と、机博士は、しずかにいい放った。これに対して頭目はだまりこくっていた。博士は、肩をすぼめた。
そこへ木戸がもどってきた。頭の大きな金槌を頭目に渡す。
「これでいいんですかね」
「うん」
頭目は、卓子の上に義眼をおいた。そして金槌を握った右手をふりかぶって、義眼の上に打ち下ろそうとした。
「頭目。ちょっと待った」
と、声をかけた者がある。机博士だった。
頭目はいやな顔をして、博士の方へ首を向けた。
「頭目。金槌で義眼をうち割って、中のものを見ようというんでしょう。しかしそれはまずいなあ。かんじんのものに傷がつくおそれがある」
「じゃあ、どうしたらいいというんだ」
「その黄金三日月とやらは、もちろん、金属でしょう。義眼は樹脂だ。それならば、その義眼を、ここにあるX線装置でもって透視すれば、いともかんたんに問題は解決する。なぜといって、X線は、樹脂をらくに透すが、黄金は透さない。だから、中にある黄金三日月が、かげになって、ありありと蛍光板の上にあらわれる。どうです。いい方法でしょうがな」
と、机博士はうしろから携帯用X線装置を持ちだしてきて、頭目の前の卓子の上においた。この装置は、さっき戸倉の胸部の骨折を調べるために使ったものであった。
「これは名案だ。じゃあこれにX線をかけて見せてくれ」
と、頭目は、あんがいすなおに頼んだ。
「よろしゅうござる」
博士はそういって、装置からでている長いコードの先のプラグを、電源コンセントにさしこんだ。それからぱちンとスイッチをひねって、目盛盤を調整した。すると光線蔽いのある三十センチ平方ばかりの四角い幕を美しい蛍光が照らした。この蛍光幕とX線管との間に、博士は手を入れた。すると蛍光幕に骸骨の手首がうつった。博士の手だった。
「さあ用意はよろしい。ここへ義眼をさし入れる。そしてこっちから蛍光幕をのぞくと見えます」
と、博士は身体を横にひらいて頭目をさしまねいた。
頭目は、X線装置の前へ進んで、博士からいわれたとおりにした。蛍光幕へ戸倉の義眼のりんかくがうつった。うつったのはその義眼ばかりではない。頭目の右の手首がうつった。どの指かにはめている、幅のひろい指環もうつった。
「あッ」頭目は低くさけんで、手を引きあげた。しばらくすると、また義眼をつかんだ手がうつった。その指には、指環がはまっていなかった。頭目は、すばやく左手に持ちかえたのである。
「どうです。見えますか」と、机博士がきいた。
「三日月の形をしたものは見えない」
頭目が、X線の中で義眼をぐるぐるまわしてみるが、義眼はすっかりすきとおっていて、金メダルの黒いかげはない。
「ああ、その中には、金属片がはいっていないのです」
と、机博士が横からのぞいてみて、そういった。
「しかし、そんなはずはないんだ」
頭目は、怒ったような声でいって、手をX線装置からだすと、義眼を卓上においた。
がーンと、大きな音がして、義眼が金槌で叩きつぶされた。頭目が、かんしゃくをおこして、やっつけたのである。X線装置が検出した結果を信じなかったのだ。破片があたりにとび散った。まわりにいた者は、あッと叫んで、口をおさえた。
が、その結果は、義眼の中には、なにも隠されていないということが分っただけである。
「ううーむ」と、頭目は呻った。
しばらく誰も黙っていた。嵐の前のしずけさだ。
と、とつぜん頭目が肩をいからして吠え立てた。
「やい、戸倉。どこへ隠したのか、黄金メダルの片割れを!」
「わしは知らぬ。いや、たとえ知っておったとしても、お前のようならんぼう者には死んでも話さぬ」
戸倉老人は、のこる一眼を大きくむいて、四馬をにらみつけた。
「わしが知りたいと思ったことは、かならず知ってみせる。そうか。きさまの義眼というのは、もう一方の眼なんだな」
というと、頭目は、又もや戸倉にとびかかった。そして彼の指は戸倉の左の眼を襲った。
猫女
「あ、あぶない。待った」
叫んだのは机博士だ。あぶないと、大きな声。そしてやにわに、頭目の手首をつかんで引きとめた。
「なぜ、とめる?」
「お待ちなさい。戸倉の残る一眼は義眼ではないです。ほんものの眼ですよ。抜き取ろうたって、取れるものですか。やれば、器量をさげるだけですよ。頭目、あんたが器量を下げるのですよ」
そういわれても、頭目は戸倉老人の頭髪をつかまえて、放そうとはしなかった。
「頭目、よく見てごらんなさい。ほんものの眼だということは、目玉をよく見れば分りますよ。瞳孔も動くし、血管も走っている」
そういって机は、携帯電灯を戸倉の眼の近くへさしつけた。
頭目は、戸倉の眼の近くへ顔を持っていった。そしてよく見た。なんどもよく見た。どうやら、こっちは、ほんものの目玉らしい。
そのときだった。頭目の注意力が、急に戸倉の目玉から放れた。彼は、自分の顔へ、下の方から光があたっているように思ったのである。そのとおりだった。机博士が手にもっている携帯電灯の光の一部が、偶然か、それとも故意か、頭目の顔を蔽う三重の紗のきれの下からはいってきて、彼の顔を下から照しているのである。
(あッ)
「無礼者!」と頭目が叫ぶのと、机博士の手から携帯電灯が叩きおとされるのと、同時であった。
博士は、手をおさえて、うしろへ身をひいた。彼の手から血がぽたりと床に落ちた。
「やあ君の手だったか。それは気がつかなかった。がまんしてくれたまえ」
頭目が、すぐ遺憾の意をあらわしたので、一度に殺気立ったこの場の空気が、急にやわらいだ。
「おい戸倉。きさまが、しぶといから、こんな悶着が起る。早く隠し場所をいってしまえ。この黄金メダルの半分の方はどこに隠して持っている」
頭目は、どこかにしまっていた黄金メダルの半分を再び左の指でつまんで、戸倉の方へさしつけた。戸倉は、頭目をにらみつけたまま、口を一文字につぐんでいる。
「早くいうんだ。早くいえ」そのときだった。
とつぜん、この部屋のあかりが、一度に消え失せた。鼻をつままれても分らないほどの闇が、一同を包んだ。
あッと叫ぼうとした折しも、
「動くと、撃つよ。動くな。あかりをつけると撃つよ。あかりをつけるな」
と、かん高い女の声が、部屋の一隅から聞えた。
女は、この部屋にはいなかったはず。みんなはふしぎに思った。女の声は、一同が集っているところの反対側で、頭目の立っていた後方のようである。
「何者だ。名をなのれ」頭目の声が闇の中をつらぬいた。
「よけいな口をきくな。わたしゃ暗闇の中で目がみえるんだから、撃とうと思えば、お前さんの心臓のま上だって、撃ちぬいてみせるよ。わたしゃ――」
と女が、えらそうなことをいっているとき、部下が固まっているところで、誰かが携帯電灯をぱっとつけた。
と、間髪をいれず、轟然と銃声一発。
携帯電灯は粉微塵になってとび散った。
「うーむ」どたりと人の倒れる音。
「誰でも、このとおりだよ。わたしのいうことをきかなければ……」
たしかに、彼女がやった早業にちがいない。それにしてもその怪しき女は、どこから、この部屋にしのびよったものか。ふしぎというより外ない。電灯が消えると同時に女の声がしたようである。それまでは、煌々と明かるかったこの部屋だ。その状況のもとで、どうしてこの部屋へ忍びこめるだろうか。まるで見えないガラス体のような女だといわなければならない。
「いよいよ、こっちの用事だが」と女の声はいやに落ちつき払っている。
「おい、頭目さん、お前さんの大切にしている黄金メダルの半分をあっさりわたしに引き渡しておくれ。いやとはいわさないよ。早く返事をしてもらいたいね。おやおや、お前さんはなんてえ情けない顔をするんだろう。わたしにゃ、紗の三重ベールなんか、あってもないのと同じこと、お前さんの素顔が、ありありと見えているんだ」
暗闇で、ものが見える目を持っていると自称する女であった。こういわれては、四馬頭目もぺちゃんこだ。
「うそだ。見えてたまるものか」頭目の声がした。腹立たしさと恐怖とに、語尾がふるえて聞える。
「まあ、そんなことは放っておいて、おい、頭目。早く黄金メダルをおだしよ。おい、返事をしなさい返事を……」
頭目の声が、しばらくして聞えた。
「ばかをいえ。誰がだすものか」
すると、くくくくッと女が笑いだした。
「お前さんも間ぬけだねえ。そんなことをいう前にお前さんの頭の上を見るがいい。みんなも見るがいい」
「なにッ」頭目は上を見た。
「あッ、あれは……」彼の頭上一メートルばかりのところに、闇の中にもはっきり光ってみえる小さい物体があった。しばらく目を定めてみると、それが例の黄金メダルの半分であることが、誰の目にも分った。
「そんなはずはない」と頭目の声。
「あッ、無い。無くなっている、黄金メダルの半分が……。いつ、盗みやがったか」
「おさわぎでない。動けば撃つよ。わたしゃ、気が短いからね」
「何奴だ、きさまは」
「まっくらやみで、目が見える猫女と申す者でござる。ほらお前さんの大切な黄金メダルが動きだした」
そのとおりであった。猫女のいったように、黄金メダルは空中をゆらゆらと動きだした。
「手をおだしでない。一発で片づけるよ」
ふしぎふしぎ、黄金にかがやくメダルは空中をとぶ。一同は、あれよあれよと、その運動を見上げているばかり。
そのうちに、宙飛ぶ黄金メダルは、流星のようにすーッと下に下りた。とたんに、扉がばたんと音をたてて閉った。
「あッ」一同は首をすくめた。
と、頭目の大きな声が、出入口のところで爆発した。
「ちえッ。逃げられた。戸の向こうで、鍵をかけやがった。おい明かりをつけろ。懐中電灯をつけろ。大丈夫だ。今の女は、ここからでていったんだ。そしておれたちは、この部屋に閉じこめられているんだ」
頭目はわめきたてる。
そのとき、電灯がぱっとついた。眩しいほど明かるい。一同は見た。頭目が、次の部屋との間の扉のハンドルを握って、うんうんいっているのを見た。
「おお、頭目」
「みんなこい。この扉をこじあけろ。こわれてもさしつかえないぞ」
と、頭目は扉を放れて、指をさした。
そこで部下たちは集って、扉へどすーんと体あたりをくらわした。二度、三度、四度目に扉の錠がこわれて、扉は向こうにはねかえった。
「それッ」と頭目を先頭に、部下たちが続いて、そこから次の部屋へとびこんでいった。
急に部屋はしずかになった。
残っているのは、痩躯鶴のような机博士と、それからもう一人は、椅子車にしばりつけられた戸倉老人だけであった。
老人は、気を失っていた。
机博士は天井を仰いで、首をふった。
「はて、ふしぎなことだわい。まさか妖怪変化の仕業でもあるまいに……」
と、不審の面持で、両手をズボンのポケットに突込んだ。
深夜の怪音
さて、話は春木少年と牛丸少年の上に移る。
春木少年は、生駒の滝の前で焚火をして、その夜を過ごしたことは、諸君もご存じのはずである。
牛丸少年の方は、この山道にも明かるいので、闇の道ながらともかくも辿り辿って、町まで帰りつくことができた。
牛丸君は、両親から叱られた。あまり帰りがおそかったので、これは叱られるのがあたり前である。
彼は、春木君が家へたずねてこなかったことを知り、念のために、春木君が起き伏している伯母さんの家へいった。
ところが、春木君はまだ帰ってこないので心配していたところだと、伯母さんは眉をよせていった。
それから大さわぎとなった。同級生や、その父兄が召集された。その数が二十名あまりとなった。
一同は提灯や懐中電灯を持ち、太鼓や拍子木や笛を持って暗い山中へ登っていった。
「迷い児の迷い児の春木君やーい」世の中が進んでも、迷った子供を探す呼び声は大昔も今も同じことであった。
「迷い児の迷い児の春木君やーい」
どんどんどん、どんどんどん。かあちかち、かちかちッ。
にぎやかに山を登っていった一行は、生駒の滝の前に焚火があるのを発見し、それに力を得て近づいてみると、当の春木君が火のそばで、いい気持にぐうぐう睡っているのを見出し、やれやれよかったと、胸をなで下ろした。
二人は、もう一度叱られ直して、山を下り、無事にめいめいの家へはいった。
その翌日になると、二人のことは町内にすっかり知れわたり、学校からは受持の先生が見えるというさわぎにまでなって、ふだんはのんき坊主の二人もすっかりちぢこまってしまった。
生駒の滝事件のことは、二人の口からもれたので、遂には警察署にまで伝わり、その活動となった。二少年も証人として現場へ同行した。
機銃弾は発見されたが、血だまりは雨に洗われたためか、はっきりしなかった。
ヘリコプターがとんできて、空中吊上げの放れ業をやったことは、牛丸少年の話だけで、それを証明するものがなかった。この次に、そういうものが飛んでいるのを見たら、気をつけることに申合わせができただけだ。
春木少年は、戸倉老人からゆずられた黄金メダルなどのことについては、遂にいわなかった。彼は、そのことについて牛丸に話すこともしなかった。彼は、このことについてゆっくりと、自分でできるだけの研究をしてみたいと思った。その上で、話した方がいい。時がきたら、牛丸にも話をするつもりだった。
なにしろ瀕死の戸倉老人が彼に残していったことばによると、黄金メダルの件は、非常な機密であって、うっかりこれに関係していることを洩らしたが最後、思いがけないひどい目にあうにちがいないと思われた。現に、あの好人物の老人がむごたらしく瀕死の重傷を負っていたこと、それにつづいて牛丸君が見たとおり、老人がヘリコプターで誘拐されたそのものものしさから考えて、これはうっかり口にだせないと、春木少年を警戒させたのだ。
だが、春木少年は、その謎を秘めた宝の鍵・黄金メダルの片われと、小文字でうずめられた絹ハンカチの焼けのこりを、いつまでも厳封して机のひきだしの奥に収っておくことはできなかった。それは三日目の夜に入ってのことであったが、春木君は自分の勉強部屋にはいって、ぴったり扉をしめて錠をかけ窓にはカーテンを引き、それから例の二つの宝の鍵の入った包を取出して、机上のスタンドのあかりの下に開いてみた。ぴかぴか光る三日月形の黄金片と、焼けこげのある絹ハンカチの一部とは、共に無事であった。
「ああ、ちゃんとしていた」
と、春木少年は自分の胸をおさえた。
「ふふふふ。ぼくは、この間の事件から、いやに神経質になったようだぞ。こんなものは、何んでもないんだ。おもちゃみたいなものだ。あの戸倉とかいった老人は、気が変になっていたんじゃないかなあ」彼は、今までと反対の心になって、二つの宝の鍵をばかばかしく眺めた。
「だが、これはほんとの金かな」
彼は、黄金メダルを手にとって撫でてみた。なかなか美しい。そして重い。やっぱり黄金のように見える。黄金なら、これだけ売っても大した金になる。
(いっそ、売ってしまってやろうか。売ってしまえば、めんどうなことはなくなる。それがいい、そのうち貴金属商に、そっと見せて、値段がよければ売ってしまってやれ)
そんなことを考えていたとき、夜の静けさをついて空の一角から、ぶーンとにぶい唸が聞えてきた。
春木は、はっと目をかがやかした。
「飛行機が飛んでいる。まさかこの間のヘリコプターではないだろうが……」耳をすましていると、どうもふつうの飛行機の音とはちがう。
「あッ、ヘリコプターだ。いけないぞ」
彼は、机上のスタンドのスイッチをひねって、室内をまっくらにした。そして手さぐりで、二つの宝の鍵を包んで、元のようにひきだしの奥へおしこんだ。
ヘリコプターの音は、だんだんこっちへ近づいてくるようだ。春木少年は、急に恐怖におそわれ、がたがたとふるえだした。
「分った。ぼくの黄金メダルを奪いにきたんだ。それにちがいない」春木少年は、そう思った。
たいへんである。彼は生駒の滝の前で、あの黄金メダルを死守した戸倉老人が、賊のためどんなにひどい目にあったかを思いだした。それからとつぜん滝の前へおりてきたヘリコプターが、倒れている戸倉老人に対して猛烈な機関銃射撃をやったあげくに、老人を吊りあげて飛び去ったことを思いだした。これは牛丸君から聞いたことだが、おそらくほんとうであろう。
どこまでも手荒い賊どものやり方だ。最新式の乗り物や殺人の器械を自由に使いこなして、必ず目的を達しないではやまないというすごい賊どもだ。
「ぼくなんか、とてもかなわないや。これはおとなしく黄金メダルを渡した方が安全だよ」
春木少年は、抵抗することの愚かさをさとった。だが、くやしい。
「……待てよ。戸倉老人は、生命にかけて、黄金メダルを賊どもに渡すまいと、がんばったのだ。それをぼくがゆずり渡されたんだから、ぼくも生命にかけて、これを守るのがほんとうじゃないか」
少年の気が、かわってきた。すると恐怖がすうーッとうすれていった。
「よし。逃げられるだけ逃げてやれ」
春木は考え直した。そしていったんしまった黄金メダルと絹のきれとを再びとりだし、すばやくズボンのポケットにねじこむと、裏口からそっと外へでた。
ヘリコプターは、いよいよ近くに迫っていた。
信号灯か標識灯かしらないが、色電灯がついているのが見える。
春木は、首をちぢめて、塀のかげにとびこんだ。二十日あまりの月明かりであった。姿を見られやすいから、行動は楽でない。
彼はヘリコプターから見つけられないようにと、塀づたいに夜の町をぬって、山手へ逃げた。
二百メートルばかりいくと、そこから向こうは急に高く崖になっていた。崖の上には稲荷神社の祠があった。このごろのこととて屋根はやぶれ軒は傾き、誰も番をしていない祠だった。春木は、その石段をのぼることをわざとさけ、横の方についている草にうずもれた急な小道をのぼっていった。もちろん姿を見られないためだった。
崖の上にのぼりついて、彼はほっとした。ここなら、まず、大丈夫である。
というのは、ここは山の裾で、ひどい傾斜になっている。稲荷神社のまわりには、古い大きい木がぎっしりとり囲んでいて、枝がはりだして隙間のないほどだ。それに境内もごくせまい。ここなら、ヘリコプターが下りてこようとしても、翼が山の木にさわって、とてもうまくいかないであろう。春木は、そういう推理にもとづいて、崖の上のお稲荷さんへかけあがったのである。
おそろしき事件
おそろしい事件が、この時には既に、あらまし終っていたのだ。
今、その最後の仕上げが行われつつあった。
さて、それはどういう事件であったろうか。
ヘリコプターがだんだんこっちへ近づいてくるので、春木は不安になった。ヘリコプターは、このままの方向で飛びつづけると、お稲荷さんのうしろの山に、ぶつかるにちがいなかった。春木は、自分がここにいることを、やっぱりヘリコプターに見つけられたかと思ったくらいだ。
ところがヘリコプターは、お稲荷さんの方までは飛んでこなかった。その途中にある河原の上と思うあたりで、得意の空中足ぶみをはじめたのである。
その河原は、春木のいるところからは右手に見えていたが、その川は芝原水源地のあまり水が流れていて、末は湊川にはいるのだ。
「何をするつもりかなあ」
と春木は、こわごわ崖の上の木立のかげからのびあがってその方を注意していた。
すると、河原の向う岸に、四五人の人影が固まって歩いているのに気がついた。彼らは上流の方へ向って歩いている。が、とつぜん彼らはひっかえした。影が長くなった。その先頭に、小さい影が一つ走っていた。
その小さい影は、ある一軒の家の石段にあがりかけた。とあとの群が、その小さな影の上に重なった。
人影の群は、ふたたび前のように、岸の上を上流に向って歩きだした。彼らは固まっていた。
そして小さい影は、彼らの頭の上にかつがれているらしかった。
春木は、このとき、どきんとした。
「あ、あの家は牛丸君の家だ。……すると、もしや。あの小さい人影は、牛丸君ではなかったか」
はっきりした理由は分らないけれど、牛丸君も自分も、この間からヘリコプターの賊と因縁がついて、なんだかいつも睨まれているような気がしてならなかった。
だから春木は、すぐ牛丸君が誘拐されていると、かんづいたわけである。そしてそれはほんとうに正しい観察であった。
牛丸少年をかつぎあげた怪漢の一同は、それから間もなく白い河原の中へ下りていった。そこには、おあつらえ向きにヘリコプターが上に待っていて、綱だか縄梯子だかを下ろしてあった。
彼らが、その梯子にとりついて、だんだん上へひきあげられていくのが見えた。ただひとり河原に残っていた人影があったが、それは大きな人影であって、牛丸君ではなかったようである。このとき牛丸君は、あの戸倉老人のときと同じように、綱にくくりつけられ、ヘリコプターの中へずんずん引きあげられているのにちがいない。
ヘリコプターは、この離れ業をたいへんすばしこくやってのけると、早やぐんぐん上昇を始めた。
「ひどい奴だ」
春木は、むちゃくちゃに腹が立った。しかしどうすることができようか。
相手は、自分たちが持っていない文明の利器を使って、好きなことをやってのけるのだ。手だしができやしない。
ヘリコプターは、ぐんぐん舞いあがり、それから予想していたとおり、山を越えて、北の方へいってしまった。
(もうおしまいだ。ああ、かわいそうな牛丸君よ。……しかし賊どもは、君を誘拐してって、どうするつもりだろうか。君は、なんにも関係がないのに……)
春木少年はそう思って、すこしばかり心が痛んだ。自分の身替りに、牛丸君が誘拐されたのではないかと気がついたからである。やっぱり、黄金メダル探しが目的なんだろう。
あのとき生駒の滝の前で、自分は既に黄金メダルを戸倉老人からゆずられ、そして老人のいうところに従って、ヘリコプターから見られないようにするため、岩かげにかくれた。
ところがそこに大きな穴があいていて、自分はその中へ落ちこんだ。
そのあとへ牛丸君がきた。そしてヘリコプターに乗っていた悪者どもから見られてしまったのだ。戸倉老人が誘拐されてって、黄金メダルを調べられたが、持っていなかったので、それではあの少年に渡したのではあるまいか、なにしろ戸倉老人は重傷であったから、倒れていた位置を動くことはできなかったはずだ。そういう考えから悪者どもは牛丸君を今夜奪っていったのであろう――と、春木少年はこのように推理を組立ててみたのである。
そのあとに、新しい不安が匐いあがってきた。それは、「悪者どもが牛丸君を調べて、黄金メダルなんか知らないことが分ったら、悪者どもはその次はどうするであろうか。こんどは自分を誘拐にくるのではなかろうか。いや、なかろうかどころではない、悪者どもは必ず自分を襲うにちがいない」と気がついたからである。
「いやだなあ。これはたいへんだ」
春木少年は身ぶるいした。どうしたら助かるだろうか。どうしたら安全になるであろうか。
それは警察の保護をもとめるのが一番よいと思われた。
「だが、待てよ」
警察の保護を受けるのはいいが、そうなると、あの黄金メダルのことも公けに知られてしまう。すると戸倉老人の心に反することになりそうだ。また、せっかくここまで秘密にしてきたこの謎の宝ものを、むざむざと世間に知らせてしまうのは惜しい気がする。それから始まって、全世界に知れわたると、われもわれもと宝探し屋がふえて、結局、春木自身なんかのところへその宝は絶対にころげこんでこないであろう。
春木少年は、やはり人間らしい慾があったために、黄金メダルを警察へ引きわたすのは、もうすこし見合わすことにした。
「しかし、そうなると、どうしたら安全になるだろうか。自分の生命も安全、黄金メダルも安全、という方法はないものか」そう考えているとき、目の下の校舎の窓にぱっと明かりがついた。
スミレ学園
それはスミレ学園の校舎であった。スミレ学園というのは有名な私立学校であって、下は幼稚園から、上は高等学校までの級を持っていた。どの組も人数が少く、先生は多く学費はかなり高価であったが、ここで教育せられた生徒はたいへんりっぱであったから、入学志望者は毎年五六倍もたくさん集った。
灯のついたのは、室内運動館であった。その二階の一室に灯がついたのである。運動をする場所は床から二階までぶっ通しになっているが、その外にすこしばかり小さい部屋が一階と二階についていた。一階は運動具をおさめる室などがあり、二階は図書記録室の外に、宿直室があった。今はこの宿直室は体操の先生である立花カツミ女史が寝泊りしていた。この先生は、列車に乗って遠方から登校するので、翌日も授業のある日は、ここに泊っていく。
春木少年は、自分の学校の先生ではないが、立花先生を見おぼえていた。なにしろ女史は目につく婦人だった。背丈が五尺五寸ぐらいある、すんなりと美しい線でかこまれた身体を持っていた。そしてととのった容貌の持ち主で、ただ先生であるせいか、冷たい感じのする顔であった。春木少年は、東京に住んでいたころ、近所にこの立花先生によく似た婦人があったので、先生の顔はすぐおぼえてしまった。
立花先生のことを、このへんの子供は、タチメンとよんでいた。それは身体が長い銀色の魚タチウオに似ていて、先生は女だからメスで(この町ではメスのことをメンという)つづけていうとタチウオのメン、つまりタチメンという綽名がついたのである。
春木少年は、今ごろなぜ立花先生が起きたのであろうかとふしぎに思った。先生ではなく、他の人が灯をつけたのかとも思った。しかしそのとき先生の顔が窓ぎわにあらわれた。そしてちょっと外を見てから、急いでカーテンをひいた。それだけのことであったが、タチメン先生にちがいなかった。
「そうだ。タチメン先生に、この黄金メダルを預ってもらおう。先生なら、女だけれど、体操の先生だから強いだろうし、秘密をまもって下さいといえば、承知して下さるだろう。そうすれば、ぼくも黄金メダルも安全になるのだ」
春木は、そう考えついた。
彼は、そのつもりになって、そこをでかけようとしたとき、急に事態がかわった。というのは、川向うの牛丸君の家の前でさわぎが起っているのが見えたからだ。どうやら家の人が外へとびだして、救いをもとめているようであった。家の人たちは、今まで家の中で悪者どもにしばられていて、縄をほどくことができなかったのであろう。
「これは、こうしていられない。ぼくもすぐいって、さっき見たことを家の人に教えてあげなくてはならない」
この方が急を要することだった。春木少年は走りだしたがまたもや戻ってきた。彼は、そこに聳えている椋の木の根方を、ありあわせの石のかけらで急いで掘った。
しばらくして、彼が手をとめると、根方には穴が掘れていた。春木少年はポケットをさぐって、黄金メダルと絹ハンカチの燃えのこりをだした。それからそれを鼻紙に包んだ。その包を、穴の中に入れた。それから、土をどんどんかぶせた。そして一番上に弁当箱ほどの丸い石を置き、それからまわりを固く踏みかためた。
「まあ、一時こうしておこう。でないと、牛丸君の家の前までいったとき、もしも悪者が残っていて、ぼくをつかまえでもしたら、大切な宝ものをとられてしまうからなあ」
春木少年は、どこまでも用心ぶかかった。
そうなのである。油断はならないのだ。さっきヘリコプターが牛丸君をつりあげ、そして仲間をひっぱりあげて空へ舞いあがっていったが、あのとき河原に一人だけ残っている者があったではないか。それは誰であるか分らなかったけれど、もちろん悪者の仲間にちがいない。彼はそれからどこへいったか見えなくなってしまったが、いつひょっくり姿を現わすかしれないのだ。あんがい近所の塀のかげにかくれて、牛丸君の家の様子を監視しているのかもしれない。そうだとすると、あそこへ大切な宝ものを持っていくのはやめたがいいのだ――と、春木少年は考えたのである。
黄金メダルは春木少年の身体をはなれたので、彼は身軽になった。彼は崖の小道を、すべるようにかけ下り、牛丸君の家の方へ走っていった。
息せき切って、牛丸君の家の前へいってみると、はたしてそのとおりだった。牛丸君のお父さんやお母さんが気が変になったようになってさわいでいた。近所の人々も、だんだん集ってきた。そのうちにエンジンの音がして、警官隊が自動車にのって、のりつけた。
牛丸君のお父さんの話によると、四名の怪漢がはいってきて、ピストルでおどかしたそうである。強盗と同じだ。そして牛丸君をひっとらえると、ちょっと用があるからきてくれ、生命には別条ないから心配いらない、しかしいうことをきかないと痛い目にあうぞ、といって、牛丸君を外へつれだしたという。家の人はピストルでおどしつけられ、縄でぐるぐる巻きにされていたので、牛丸君を助けることができなかったということだ。
それから先のことは、春木少年がお稲荷さんの崖の上から月明かりに見ていたとおりだった。
「警察はもっと早くきてくれないと、だめだなあ」
と、近所の人がいった。
「そうだ、そうだ。それに自動車ぐらいもってきたんじゃだめだ。相手は飛行機を使って誘拐するんだから、警察もすぐ飛行機で追っかけないと、いつまでたっても、相手をつかまえることができない」別の人が、そういった。
全くそのとおりであった。しかし警察の方では、そんなにきびきびやれない事情があるようであった。
春木少年は、牛丸君の両親に、お見舞だけをいって、さよならをした。この間のカンヌキ山のぼりのことをいわれるかと思ったが、両親ともそのことについてはなにもいいださなかった。それよりも一刻も早く息子を取りかえしてもらいたいと警察の人にすがることに一生けんめいだったのである。
ひげ面男の登場
崖の上のお稲荷さんでは、春木少年が黄金メダルを埋めていってしまった後、おかしなことが起った。
それは、お稲荷さんの荒れはてた祠の中から、一人の人物が、のっそりとでてきたのである。
その人物は、まず両手をうんとのばして、
「あッ、あッ、ああーッ」と大あくびをした。
月に照らしだされたところでは、彼の顔は無精ひげでおおわれ、頭もばさばさ、身体の上にはたくさん着ていたが、ズボンもジャケツも外套もみんなひどいもので、破れ穴は数えられないほど多いし、ほころびたところはそのままで、ぼろが下っていた。外套にはボタンがないと見え、上から縄でバンドのようにしばりつけてあった。放浪者であった。
「さっきから見ていりゃ、あの小僧め、へんなまねをしやがったぜ。いったい、あの木の根元に何を埋めたのか、ちょっくら見てやろう。食えるものなら、さっそくごちそうになるぜ」空腹を感じていると見え、そのひげの男は舌なめずりをして、下へ下りてきた。そしてのっそり、崖の上の椋の木のところまでいった。
彼はすぐ埋めてある場所を発見した。そうでもあろう、春木少年が踏みつけていったすぐあとのことだから、気をつけて探せば、すぐ目にとまる。
「ははあ。この石が目印ってわけか」ひげ面男は石をけとばすと、そこへしゃがみ、両手を使って土をかきだした。間もなく彼は目的物をつかんで立ち上った。
「なあんだ、これは……」彼はあてが外れたという顔つきで、紙包を開いて中を見たが、よく正体が分らないので、それを持ったまま、祠の方へひきかえしていった。
祠の傾いた屋根をくぐり、格子の中へはいると、御神体をまつった前に、三畳敷きぐらいの板の間があり、そこに破れむしろが敷いてあった。そこがこのひげ面男――姉川五郎の寝室であった。
彼は、むしろの上にごろんと寝ると、隅っこのところへ手をのばして、ごそごそやっていたが、やがてその手が、船で使う角灯をつかんできた。彼はマッチをすって、それに火をつけた。この場所にはもったいないほどの明かりがついた。その下で、彼は紙包を開いた。
すると、絹の焼け布片がでてきた。彼はそれを無造作にひらいた。こんどは黄金メダルがでてきた。ぴかぴか光るので彼はびっくりした。それを掌にのせて、いくども裏表をひっくりかえして、見入った。
絹の焼け布片の方は、紙と共にこの男の手をはなれ、折から吹きこんできた風のため、ひらひらと遠くへころがっていった。もしもこの光景を戸倉老人や春木少年が見ていたとしたら、おどろいて後をおっかけたことであろう。
「何じゃ、これは」三日月型の黄金メダルは、姉川の掌の上でさんざん宙がえりをやったが、その正体はこのひげ面男に理解されなかったようである。
「ぴかぴかしているが、これは鍍金だよ。それに半分にかけていちゃ、売れやしない。ああ、くたびれもうけか。損をしたよ」
ひげ面男は、黄金メダルを腹立たしそうにむしろの上に放りだすと、角灯をぱっと吹き消した。そしてごろんと横になった。しばらくすると、大きないびきが聞えてきた。空腹をおさえて、ひげ面先生は睡ってしまったのである。
それから数時間たって、夜が明けた。
ひげ面男の姉川五郎は、早起きだった。もっとも朝日が第一番に祠の破れ目から彼の顔にさしこむので、まぶしくて寝ていられなかった。
彼は、むしろの上に起きあがって、たてつづけて大あくびを三つ四つやって、ぼりぼり身体をかいた。それから何ということなくあたりを見まわした。すると、ぴかりと光ったものが、彼の充血した眼を射た。
「何? ああ、昨夜の屑がねか。おどかしやがる」
彼はひとりごとをいって手を延ばすと、むしろの上から黄金メダルをひろいあげた。そして朝日の下で、また裏表をいくどもひっくりかえして見た。
「鍍金にしてはできがいいわい。まさか、本ものの金じゃなかろうね。おい屑がねの大将、おどかしっこなしだよ。おれはこう見えても心臓がよわい方だからね」
彼は黄金メダルを手にして、左右をふりかえった。角灯が目にはいった。それを引きよせ、その角のところで、黄金メダルを傷つけた。メダルは楽に溝がきざみこまれ、下から新しい肌がでてきた。それを姉川五郎は、陽にかざして目を大きくむいて見すえた。
「おやおや。中まで金鍍金がしてあるぞ。えらくていねいな仕上げだ。……待て、待て。これは、本ものの金かもしれんぞ。そんなら大したものだ。叩き売っても、一カ月ぐらいの飲み料ははいるだろう。善は急げだ。さっそくでかけよう」
姉川は、黄金メダルをポケットの中へねじこんだ。それから彼は、腰縄をといて、外套をぽんと脱いだ。それから手を天井の方へ延ばして、天井裏をごそごそやって、そこに隠してあった上衣をとりだして、それをジャケツの上に着た。それからもう一度天井裏へ手をやると、帽子をだしてきた。それをぼさぼさ頭にのせたところを見ると、型はくずれているが、船乗りの帽子だった。それから彼は、賽銭箱の中から破れ靴をだして足につっかけズボンをひとゆすり、ゆすりあげてから、悠々と石段を下りていった。
こんな一大事が発生しているとは知らず、春木少年は八時ごろにお稲荷さんへのぼってきた。
昨夜、宝ものを椋の木の根方に埋めたが、埋め方がうまかったかどうか、それを検分するために、彼は朝早く崖をのぼってやってきたのである。
「ああッ!」彼の目は、すぐさま、異常を発見した。椋の木の根方はむざんに掘りかえされてある。春木少年は青くなって、そこへとんでいった。
「やられた」土の上に膝をついて、掘りかえされた穴の中を探ってみたが、昨夜彼が埋めたものは、影も形もなかった。そばを見れば目印においた丸石が放りだしてある。彼はがっかりした。そこに尻餅をついたまま、しばらくは起きあがる力さえなかった。
(失敗った。やっぱり、机の奥にしまっておけばよかったんだ。あわててもちだしたり、うっかりこんなところへ埋めたり、とんでもないことをしてしまった。せっかく戸倉老人が呉れたのに、おしいことをした。……しかし誰がここから掘りだして持っていったのだろうか)
春木少年は、大がっかりの底から、ようやく気をとり直して立ち上った。
(なんとか取返したいものだ。まだ、絶望するのは早かろう)
少年は、推理の糸口をつかみ、それからその糸を犯人のところまでたぐっていくために、境内をぶらぶらと歩きだしたが、そのとき生々しい足跡が祠の前からこっちへついているのを発見し、
「これかもしれない」
と、緊張した。彼は祠の中をのぞきこんだ。
その結果、彼は姉川五郎の寝室があるのを見つけた。
「ぼくはうっかりしていた。ここにいた男に見られちまったんだよ」くやし涙が、春木少年の頬をぬらした。いくらくやんでも諦めきれない失敗だった。
もしや祠の中のどこかに黄金メダルをかくしていないであろうかと思い、彼は祠の中へはいあがって、念入りにしらべた。だが、そんなものはあろうはずがなかった。ただ、彼は祠の破れ穴のところに、絹の焼け布片がひっかかっているのを発見し、声をあげてよろこんだ。
黄金メダルとこれとの両方を失ったかと思ったが、焼け布片だけでも自分の手にもどってくれたことは、不幸中の幸であると思った。この上は、この焼け布片は大切に保管し、二度とこんなことにならないようにしなくてはならないと思った。姉川五郎は、黄金メダルを握って、どこへいったのであろうか。
二つに割れている黄金メダルの一つは、こうして春木少年の手からはなれてしまった。もう一つは、六天山塞の頭目四馬剣尺の手から猫女の手へ移った。このあと、この二つの貴重なる黄金メダルは、いかなる道を動いていくのであろうか。メダルの二つの破片がいっしょになるのは何時のことか。
それにしても、この黄金メダルに秘められたる謎はどういうことであろうか。事件はいよいよ本舞台へのぼっていく。
少年探偵なげく
まったく春木少年は、がっかりしてしまった。
もうなにをするのも、いやであった。自分のすることは何一つうまくいかないことが分った。彼はすっかりくさってしまった。
瀕死の戸倉老人が、いのちをかけて、かれ春木少年にゆずってくれた大切な黄金メダルの半ぺら! あれが、今ではもう彼の手にないのだ。
(お稲荷さまだから、どろぼうから守ってくれると思っていたのに……)
境内の木の根元に、うずめたのが運のつきであった。誰かがさっそく掘りだして持っていってしまった。
(きっと、あの祠に寝起している男にちがいない)
春木少年は、あれからいくどもお稲荷さんの崖にのぼって、裏手からそっと祠をのぞいた。だが、いつ見ても、破れござが敷きっぱなしになっているだけで、主人公の姿は見えなかった。
春木は、がっかりしたが、いくどでもくりかえしあそこへいってみる決心だった。
黄金メダルを盗まれたことも、くやしくてならない大事件だったが、それよりも町中にひびきわたった大事件は、牛丸平太郎少年がヘリコプターにさらわれたことだった。
なにしろ、そのさらわれ方が、あまりに人もなげな大胆なふるまいで、親たちも近所の者も手のくだしようがなく、あれよあれよと見ている目の前で、ヘリコプターへ吊りあげられ、そのまま空へさらわれてしまったのだ。
警官隊の来ようもおそかった。またたとえ間にあったとしても、やはりどうしようもなかったにちがいない。飛行機を持っていない警官隊は、どうしようもない。
牛丸平太郎は、みんなにかわいがられていた少年だから、この誘拐事件の反響も大きかった。ことに、その前に春木君が山の中で、行方不明になった事件のとき、牛丸君が誰より早くこれを知らせたことで、牛丸少年を知っている人は多かった。
春木としても、一番仲よしの友だちを、そんなひどい目にされたので、くやしくてならなかった。それで、ぜひ捜査隊の中へ加えて下さいと、先生にまでとどけておいたほどである。
「ああ、そうか。それはいいね。この前は、牛丸君が春木君の遭難を知らせた。こんどはその恩がえしで、春木君が牛丸君を探しにいくというわけだね。まことにいいことだ」
と、受持の主任金谷先生は、ほめてくれた。
「先生。牛丸君は、なぜさらわれていったのでしょうか」
その時春木は、先生にたずねた。
「それがどうも分らないんだ。牛丸君の家は旧家だから、金がうんとあると思われたのかもしれないな。そんなら、あとになって、きっと脅迫状がくるよ」
「脅迫状ですか」
「うん。牛丸平太郎少年の生命を助けたいと思うなら、何月何日にどこそこへ、金百万円を持ってこい――などと書いてある脅迫状さ。しかしほんとは牛丸君の家は貧乏しているので、そんな大金はないよ。もしそう思っているのなら、賊の思いちがいさ」
金谷先生は、牛丸君の家の内部のことをよく知っているらしかった。
「それじゃあ、なぜ牛丸君は、さらわれたんでしょうね」
「分らないね。牛丸君は、君のようにとび切り美少年だというわけでもないし……そうだ、君は何か心あたりでもあるんじゃないか。あるのならいってみなさい」
と、金谷先生は春木の顔をじっと見つめた。
そのとき春木は、例の生駒の滝の事件のことをいってみようかと思った。あのときからヘリコプターにねらわれているのではなかろうかといい出したかった。しかし春木は、それをいったら、あの黄金メダルのことまでうちあけてしまいたくなるだろうと思った。その黄金メダルは、今はもう彼の手もとにないのだ。すべてあれからあやしい糸がひいているように思う。それなら、ここで先生にうちあけてしまった方がいいのではないか。
だが、春木は、ついに、それをいいださずにしまった。
そのわけは、彼が口をひらこうとしたとき、そばを立花カツミ先生が通りかかったためである。この女の先生はスミレ学園につとめているが、方々の学校へもよく来る。そして体操の話をしたり、あたらしい体操や運動競技を教えていくのだ。
「やあ、立花さん」と、金谷先生が声をかけた。
「おや、金谷先生。こんなところにいらしたんですか」
と、立花先生は、そばへ寄ってきた。春木は、おじぎをして、二人の先生の前を離れた。そういうわけで、彼は黄金メダルまでの話をいいそびれてしまったのだ。
このとき春木には聞えなかったけれど、神さまは口のあたりに軽い笑いをおうかべになり、悪魔はちょッと舌打ちをしたのであった。なぜだろう。
絹のハンカチの文句
その夜にも二回、その次の日の朝にも三回、春木少年はお稲荷さんの祠を偵察した。
だが、彼が見たいと思った浮浪者の姿を見ることはできなかった。その浮浪者は、その夜はとうとうこの祠の中の寝床へはかえってこなかったのである。
(なぜ、帰ってこないのだろうか。ひょっとしたら、あの黄金メダルを売りにいって、お金がはいったから、帰ってこなかったのではあるまいか)
春木少年の推理はするどく、かの姉川五郎の気持をある程度まで、ぴったりあてた。
困った。売ったのなら、その売った先をいそいで探さないと手おくれになる。といって、それを聞くには浮浪者が帰ってこないと、聞くわけにいかない。彼はまたもや昨日の失敗がくやまれてくるのだった。
(ぐずぐずしていると、ますます工合が悪くなる!)
少年にも、そのことがはっきり分った。
「そうだ。ぼくは、なんというバカ者だったろう。盗まれるなら、あの黄金メダルに彫りつけてあった暗号文みたいなものを、べつの紙にうつしとっておけばよかったんだ」
ああ、そう気がつくのが、おそかった。
黄金メダルは、もう春木少年の手にはないのだ。まったく注意が足りなかった。人に見せまい、大切に大切にしようと思って、黄金メダルの暗号文もよく見ないで、しまっておいたのだ。
「ハンカチがある。あれにも字が書いてあった。そうだ、あのハンカチも、いつ盗まれるか知れない。今のうちに、文句をうつしておこう」春木は、やっと今になって、本道へもどった。しかし彼は、本道へもどるまでに、二度も大失敗をくりかえしている。
少年は、その夜、例の焼けのこりの絹ハンカチを灯の下にひろげてみた。
ざんねんにも、四分の一か五分の一ほどしか残っていない。
が、それでもこれは重大なる手がかりなのだ。
さて、読みかかったが、絹ハンカチに書かれてある文字は、細い毛筆で、達者にくずしてあるため、判読するのがなかなかむずかしかった。
しかし少年は、その困難を越え、字引をくりかえし調べて、どうやらこうやら一応はその文字を拾い読むことができた。
いったい、どのような文句が、そこに書きつづられていたであろうか。
十四行だけ残っていた。しかしその一行とて、行の終りまで完全に出ているわけでない。しかし行の頭のところは、みなでている。それは、次のような文字の羅列であった。
ヘザ………………………………
たる………………………………
二つ合……………………………
蔵する宝…………………………
の開き方を知……………………
り。オクタンとヘ………………
しため協力せず…………………
する黄金メダルの………………
のと暗殺者を送…………………
斃れ黄金メダルは暗……………
り、それより行方不明…………
ここにある一片はオ……………
せし一片にして余は地中………
おいてこれを手に入れたる……
たる………………………………
二つ合……………………………
蔵する宝…………………………
の開き方を知……………………
り。オクタンとヘ………………
しため協力せず…………………
する黄金メダルの………………
のと暗殺者を送…………………
斃れ黄金メダルは暗……………
り、それより行方不明…………
ここにある一片はオ……………
せし一片にして余は地中………
おいてこれを手に入れたる……
「なんだろう。さっぱり意味が分らない」
春木少年は、ざんねんであった。
もしも生駒の滝のたき火で、こんなに焼いてしまわなかったら、一つの完成した文章が読めて、今頃は重大な発見に小おどりしているだろうに。
「いや、未練がましいことは、もういうまい。この焼けのこりの文句から、全体の文章が持っている重大な意味を引出してみせる」
彼は興奮した。くりかえし、この切れ切れの文句を口の中で読みかえした。彼は、考えて考えぬいた。頭が火のようにあつくなった。
そのうちに、彼は、一つのヒントをつかんだように思った。
「この黄金メダルの半ぺらを一つずつ持っていた人間が二人ある。ひとりをオクタンといい、もうひとりをヘザ……というのだ」
オクタンにヘザ何とかであるが、ヘザの方は名前の全部が分っていない。とにかく、この二人が黄金メダルを半ぺらずつ持っていたとしてこの文句を読むと、意味が通るのであった。
これに勢いを得て、少年探偵はさらに推理をすすめた。
すると、第二のヒントが見つかった。
「あの黄金メダルを二つ合わせると、宝のあるところの開き方を知ることができるようになっているんだ」
第三行と第四行と第五行とから、これだけの意味が拾えたように思った。
もしこれが当っているなら、黄金メダルの二個の半ぺらを手に入れた上で、二つを合わしてみなくてはならないのだ。メダルの裏にきざみこんである暗号文字のようなものが、二つ合わせて読むと、完全な意味を持つようになって、宝庫の開き方を知らせてくれるらしい。
少年探偵は、いよいよ勢いづいて、その先を解析した。
第六行から第十一行までは、大して重要なことではないらしいが、そこに書かれてある意味は、
――黄金メダルの半ぺらずつを持ったオクタンとヘザ某とは、仲がわるくて助け合わず、相手の持つ半ぺらを奪おうとして、暗殺者を送った。その結果、両人のうちの誰かが死んだ。そして半ぺらは行方不明となった――
というのではなかろうか。
「いや、それでは、両人のうちの誰かが相手に暗殺者を向けて斃し、そして黄金メダルの半ぺらを奪ったものなら、その半ぺらはその者の所有となり、行方不明になるはずがない。これは意味が通じない。考えなおしだ」
いろいろと考え直したが、もうすこしで分りそうでいて、どうもうまい答がでなかった。少年探偵は、しゃくにさわってならなかったが、そのときはもうそれ以上に頭がはたらかなかった。
それから最後の三行から、次のことを推理した。
――この一片、すなわち、戸倉老人の持っていた半ぺらは、オクタンが持っていた半ぺらであって、自分、すなわち、戸倉老人は、これを地中から掘りだしたものである――
どうやら、これだけのことが分った。
オクタンとヘザ某とは、いったい何者であるか、それが分らない。これは文章のはじめの方に、説明があったのだろう。そこのところが焼けてしまったために、とつぜんオクタンとヘザ某の名がでてきて、彼らが何者であるのか、その関係や、二人の時代が分らないのである。
後日になって明らかになったことだが、このように解釈した春木少年の推理は、原文の意味の七分どおり正しく解いているのであった。少年探偵としては、及第点であった。
このとき以来、彼は、右の解釈を基として、その後の活動をすることにしたのであるが、実はもう一つ、彼が考えたことがあった。それは、
――ヘザ某は、オクタンの放った暗殺者のために殺され、ヘザの持っていた黄金メダルの半ぺらは行方不明となった。オクタンは自分の持っている半ぺらをたよりに、宝探しをこころみたが、うまくいかなかった。そして彼は、残念に思いながら死んでしまった。だから、世界的大宝物は、まだ発見されずにもとのところに保存されている――
まず、こんな風に推定したのだった。
だから、オクタンは、とても悪い奴。ヘザ某は気の毒な人。そしてヘザ某の遺族か部下は、オクタンを恨んでいるが、彼らの手には、オクタンには奪われないで助かった黄金メダルの半ぺらがある。扇形をしたその半ぺらを持っている者があったら、それはヘザ某の遺族か部下に関係ある者だ――と春木少年は思った。
このことが正しいかどうか、読者諸君には興味が深いであろう。なぜなれば、諸君は春木少年のまだ知らない事実――四馬剣尺や猫女のことなどを知っているのだから。
きれいな独房
かわいそうなのは、自宅からヘリコプターにさらわれていった牛丸平太郎少年だった。
彼がヘリコプターに収容せられたときには、気を失っていた。だから、あとのことはよくおぼえていない。
気がついたときは、固いベッドの上に寝ていた。おどろいて彼は起き直った。からだが方々痛い。
「おお、これは……」
明かるく照明された、せまい一室だったが、入口は扉のかわりに、鉄の格子がはまっていた。牢屋だった。ベッドは部屋の隅にとりつけてあって、腰かけの用もしていた。
「ぼくを、こんなところへいれて、どうするつもりやろ」
牛丸は、鉄格子のところへいって、それが開くかどうかためしてみた。だめだった。鉄格子の外側には、がんじょうな錠前がぶら下っているのが見えた。
鉄格子の前は通路になっていた。そして正面には、壁があるだけだった。
どこか抜けだすところはないかと、牛丸少年は部屋中を見まわした。天井に小さい空気穴があいているだけだ。そこからでようとしても人間にはできないことだった。小さい猫ならでられるかもしれないが、牛丸は猫ではなかった。
天井は、高かった。室内には、ベッドの外になんにもない。いや、一つあった。それは便器であった。
牛丸少年は、この部屋に永いこと、とめておかれた。ここでは、時刻がさっぱり分らなかったけれど、牢番らしい男がきて、鉄格子の窓から、食事をさしいれていったので、朝がきたらしいことをさとった。
牢番は、五十歳ぐらいのじゃがいものように、でくでく太ったおじさんだった。牛丸が話しかけても、牢番男は首を左右にふるだけで、返事をしなかった。
昼飯を持ってきたときに、牛丸はまた話しかけた。牢番は同じように首を左右にふり、指で自分の耳と口とをさして、
(わしは、耳がきこえないし、口もきけないよ)
と、知らせた。夕飯のとき、牛丸が話しかけようとすると、牢番は、こわい目でにらんだ。そして不安な目付で左右をふりかえった。そしてもう一度こわい目をし、大口をあいて、牛丸少年をおどかした。
牛丸は、がっかりした。すべての望みを失い、ベッドにうっ伏して、わあわあ泣いた。だが、誰もそれを慰めにきてくれる者はなかった。
疲れ切っていたと見え、その姿勢のまま、牛丸はねむってしまったらしい。
「起きろ。こら、起きろ、子供」
あらあらしい声に、牛丸はやっと目がさめた。
「さあ起きろ。頭目のお呼びだ。おとなしくついてくるんだぞ」若い男が、そういって、牛丸の手首にがちゃりと手錠をはめた。牛丸は引立てられて、監房をでた。
前後左右をまもられて、牛丸少年は通路を永く歩かせられ、それからエレベーターに乗せられて上の方へのぼっていった。その道中に彼はたえずあたりに気を配ったが、それはなかなかりっぱな建物に見えた。彼はここがカンヌキ山のずっと奥深い山ぶところにかくされたる六天山塞の地下巣窟だとは知らなかった。
「頭目。牛丸平太郎をつれてまいりました」
若い男は、頭目四馬剣尺が待っている大きな部屋へ少年をつれこんだ。
牛丸少年は、そこではじめて頭目なる人物を見た。
華麗に中国風に飾りたてた部屋の正面に、一段高く壇を築き、その上に、竜の彫りもののあるすばらしい大椅子に、悠然と腰を下ろしているあやしき覆面の人物は、四馬頭目にちがいなかった。
その左右に、部下と見える人物が、四五名並んでいた。秘書格の木戸の顔も、それに交っていた。机博士のほっそりとした姿も、その中にあった。頭目が、覆面の中からさけんだ。
「うむ。波はそこに控えておれ。木戸。その少年を前につれてこい。直接、話をしてみる」
若い男は、入口を背にして、佇んだ。
木戸が前にでていって、牛丸少年の肩をつかんで、頭目の前に引立てた。
「手荒らにはしないがいい」
頭目は木戸に注意をした。
「これ、牛丸平太郎。お前にたずねたいことがあったから、ここまできてもらった。これからたずねることに正直に答えるのだぞ。もしうそをついたら、そのときはひどい罰をうけるから、うそはつくなよ」
太い威厳のある頭目の声が、牛丸の胸を刺した。
牛丸少年は、だまっている。彼は、頭目の顔の前にたれ下っている三重のベールがふしぎで仕方がなかった。
「おい、牛丸平太郎。お前は、戸倉老人から黄金メダルの半分をうけとったろう。正直に答えよ」
頭目はそういって、牛丸の返事はどうかと、上半身を前にのりだした。牛丸少年は、それでもだまっていた。
頭目は少年が返事をしないので、機嫌をわるくした。彼は肩を慄わせ、
「さあ、早く答えよ。お前が戸倉老人から渡された黄金メダルの半分は、どこへ隠して持っているのか」
と、声をあらくしていった。
「ぼくにものを聞きたいのやったら、聞くように礼儀をつくしたらどうです。昨日からぼくを罪人のようにひどい目にあわせて、さあ答えよといっても誰が答える気になるものか」
牛丸は、はじめて口を開くと、相手の非礼をせめた。
「お前から礼儀のお説教を聞くために呼んだのではない。こっちからたずねることだけに答えればよい。それを守らなければお前の気にいるような拷問をいくつでもしてあげるよ。たとえば、こんなのはどうだ」
頭目が、椅子の腕木のかげにつけてある押釦の一つをおした。すると天井から、鍋をさかさに吊ったようなものが長い鎖の紐といっしょに、すーッと下りてきた。そして牛丸少年の頭に、その鍋のようなものがすっぽりかぶさった。
「あ痛ッ」鎖はぴーんと張った。そして鍋のようなものはしずかに持ちあがった。と、それに牛丸の頭髪が密着したまま、上へひっぱられていくのであった。
あの手この手
「痛い、痛い」牛丸少年は宙吊りになった。
痛い。髪の毛がぬけそうだ。もがくと、ますます痛い。牛丸は歯をくいしばり、ぽろぽろと涙を流した。
「これは拷問の見本だから、そのへんで許してやろう。お前たちの年頃は、わけもわからずに生意気でいけない。そう生意気な連中には拷問が一番ききめがある」
頭目は、けしからんことをいってから、拷問をとめた。鍋のようなものは、牛丸の頭髪をはなして、鎖紐と共にがらがらと天井の方へあがっていった。
日頃はのんき者の牛丸平太郎も、この拷問には参った。このような野蛮な責め道具を、さかんに持っているのだとすれば、うっかりことばもだせない。
「そこで、もう一度聞き直す。戸倉老人から渡された黄金メダルの半分は、今どこにあるのか。さあ、すぐ答えなさい」
頭目の声は、以前よりはやさしくなった。やさしくなったが、その口裏には、「こんど答えなければ本式に拷問してやるぞ」との含みがある。返事をしないわけにいかない。
「ぼくは正直にいいますが、戸倉老人だの黄金メダルだのといわれても、何のことやら、さっぱり分りまへん。これはほんとです」
「なにイ……まだうそをつくか。それなれば――」
「いくら拷問されたって、今いったことはほんとです。今いうたとおり、なんべんでもくりかえすほかありまへん。それとも、ぼくからうそのことを聞きたいのやったら、拷問したらよろしいがな」
しゃべっているうちに牛丸はしゃくにさわってきて、又もやいわなくてもいいことまでいってしまった。
「知らないとはいわさん。それでは、証拠をつきつけてやる。戸倉老人をここに引きだせ」
頭目の命令によって、戸倉老人がこの部屋へつれてこられた。車のついた椅子にしばりつけられていることは、この前と同じだ。ひげ面をがっくり垂れて目を閉じている。
戸倉老人の椅子は、頭目の前で、牛丸少年といっしょに並べられた。机博士がつかつかとやってきて、戸倉老人を診察した。それはかんたんにすんだ。机博士は自席にもどる。
「牛丸少年。お前の前にいるのが戸倉老人だ。この老人なら見おぼえがあるだろう。生駒の滝の前で、お前はこの老人から何を受取ったか。それをいっておしまい」
「この人、知りません。今はじめて会うた人です」
牛丸は、そう答えた。彼は生駒の滝の前に倒れていたのがこの老人かもしれないと思った。しかしあのときは、顔をよく見たわけでない。ヘリコプターから機銃掃射が始まったので、すぐ柿の木へかけあがったわけである。
「お前はどこまで剛情なんだろう。そんなに拷問されたいのか。それでは」
「待って下さい。ほんとにぼくは、この人を知りませへん。うそやありません。この人に聞いてもろうてもよろしい」
牛丸少年は重ねて同じ主張をした。
戸倉老人は、さっきから下を向いたままで、目を開かない。牛丸少年の顔を見ようともしないのであった。
老人の心の中には、今はげしい苦悶があった。それは今彼のそばにいる少年が、春木清にちがいないと誤解していたからだ。死にゆく自分を介抱してくれた親切に、あの黄金メダルを少年に贈ったが、それが祟って、少年はこうして四馬剣尺のために自由を奪われ、ひどい責めにあっていると思えば、老人の胸は苦しさに張りさけんばかりであった。老人は、この気の毒な少年の顔を一目でも見る勇気がなかった。少年に何とあやまってよいか、老人の立ち場はひどく苦しいのであった。
「剛情者が二人集った」
と頭目は牛丸や戸倉老人のことをいった。
「よし、それでは、のっぴきならぬ証拠を見せてやろう。おい波、あの写真を持ってきたか」
すると戸口に立っていた波が、ポケットから数葉の写真をひっぱりだして、頭目のところへ持ってきた。
「ふーむ。これで見ると、あのときお前は現場にいた子供にちがいない。これを見よ」
頭目は、写真を牛丸に手わたした。
牛丸は、それを見た。そしてどきんとした。彼が生駒の滝の前まできたとき、ヘリコプターがまい下ってきたので、おどろいて柿の木にのぼった。そのときの彼の姿が、はっきりと撮影されているのであった。写真の中には、彼の顔をいっぱいに引伸してうつしてあるものもあった。それを見ると、これは自分ではないということができないほど、はっきりしていた。
「どうだ。その写真にうつっているのはお前だろう。お前にまちがいなかろう」頭目は、こんどはおそれ入ったかと牛丸少年の面をむさぼるように見つめる。
「これは、ぼくのようです」
牛丸は、あっさりとそれを認めた。
「しかし、この柿の木にのぼっているのがぼくだとしても、ぼくは誰からも、何ももらいません。ほんとです」
戸倉老人が、このとき薄目をあいた。そして牛丸少年の顔を、さぐるようにそっと見た。
(おお……)老人の顔に、狼狽と喜びの色とが同時に走った。
(ああ神よ)老人は口の中で唱えると、再びがっくりとなって椅子にうなだれ、目を閉じた。老人は、そばにいる少年が、春木清ではないのを知って、いままでのはげしい悩みから急に解放されたのであった。
そのとき頭目の、怒りにみちた声がひびいた。
「なんという手際のわるいことだ。調査不充分だぞ。責任者は処罰される」
左右をふりかえって、頭目は部下を叱りつけた。
「この剛情者二人は、当分あそこへ放りこんでおけ」
そういい捨てて、頭目はうしろの垂れ幕をわけて、その奥に姿を消した。異様な背高のっぽの覆面巨人だ。牛丸少年は、感心して、頭目のうしろ姿を見送った。
(あの覆面の下に、どんな顔があるのか。早く見てやりたいものだ)
彼はこわさを忘れて、好奇心をゆりうごかした。
万国骨董商
ここで話は、春木少年から姉川五郎の手へ渡った半月形の黄金メダルの上に移る。
今、姉川五郎のことをくわしくのべるにあたるまい。なぜなれば、彼はひどく酔払っていて、どうにもならない。彼の服装は、ぼろぼろ服と別れて、りゅうとした若い海員姿に変っている。よほどたんまり金がはいったと見える。
彼がお稲荷さんの境内の木の根元から掘りだした半かけの金属片は、たしかに黄金製であったのだ。彼はそれを、海岸通りからちょっと小路にはった[#「はった」はママ]ところにある万国骨董商チャンフー号に売ったのである。主人のチャン老人は、孔子のように長い口ひげあごひげをはやして、トマトのように色つやのよい老人であった。老人は、姉川が持ってきたメダルを二万円で買うといった。姉川はそれを聞くと十万円でないといやだといったが、結局三万五千円でチャン老人は買い取った。
大金をつかんで、宇頂天になって店をでようとする姉川に、うしろから老商チャンは声をかけた。
「こんなにかけないで、丸々満足なのがあったら四割がたええ値で買いまっせ」
姉川は、ふふんと笑ったまま、店をでていった。
「ふふふふ。まるでただのようなもんや。つぶしても十二万円には売れる。しかし惜しいもんや。らんぼうなやり方で、半分に切断しよった。中まで黄金かどうか見るつもりやったんやろ」
老商はひとりごとをいいながら、黄金メダルを天秤の皿からおろし、こんどはそれを店の飾窓の中にあるガラス箱の棚の一つの上にのせた。そのそばには、はんぱになった貴金属製の装身具が、所もせまく並べられてあった。片っぽだけのひすいの耳飾りや、宝石がなくて台ばかりの金色の指環や、数の足りない真珠の首飾、さてはけばけばしい彫刻をした大小いろいろの指環や、古色そう然とした懐中時計をはじめ、何だか訳の分らない細工物や部分品が、そのガラス箱の中にひしめきあっていた。
それは、姉川五郎が黄金メダルを売りとばしてから三日目の昼さがりのことだった。
その日は、ふしぎに例の三日月形の黄金メダルが客の目を吸いつけた。結局、その日黄金メダルにさわったお客の数は三名であった。
最初の客は、意外な人物、立花カツミ先生であった。
その日、立花先生は、新しい体操の実演と打合会のために海岸通りの扇港ビルの講堂で午前中を過した。それがすんで、外へでたが、そこで金谷先生といっしょになり、元町の方へ抜けて学校へもどることになった。そのとき万国骨董商チャンフーの店の前を通りかかったのである。
はじめ、金谷先生がその飾窓の前に足をとどめた。先生はめったにこんなところへこないので、ガラス戸の中におさまっているいろいろの商品をもの珍らしくながめた。立花先生の方は、そんなものにあまり興味がないらしく、すこし迷惑そうな顔で、金谷先生のうしろに立っていた。
その金谷先生が笑いだした。
「はははは。この店は、がらくた店なんだよ。ちょっと見かけはいいが、ろくでもないものばかり並べてある。あれなんか、金貨の半かけだ。金貨の半かけはおかしい。金貨にしては大きいからメダルかな。とにかく半かけでは買い手もあるまいに……」
立花先生の顔が、飾窓へよってきた。
「立花先生。ほら、あそこにある金貨の半かけみたいなもの、あれはメッキですかな、それとも本物の金ですかな」
「さあ……」立花先生は、かすれたように声をだした。
「あれがもし本物の金だったら、あれだけあれば、うちの母のいれ歯もすっかり修理することができるんだがなあ」
「もう、いきましょうよ」先生二人は、老商チャンの飾窓から離れた。そしてにぎやかな元町へでた。
半町ばかり歩いたときに、立花先生は金谷先生に、
「わたくし、忘れていた用事を思いだしました。これからちょっといって参りますから、ここで失礼いたしますわ」
といった。そして二人は別れた。
立花先生は、すたすたとうしろへ戻った。そして先生は例の万国骨董商の店へはいった。老主人チャンは、籠の小鳥に餌をやっていたが、店の方をふりかえって、びっくりした。珍らしい客人である。
「なにをお目にかけましょうかな」
チャンは、もみ手をしながら、首をさげた。首を下げながら、美しい客の面から目を放さなかった。
立花先生は、黄金メダルの半ぺらを見せてくれといって、手にとってよく見た。それは先生の気にいったようであった。そこで値段を聞いた。
「さよう。あんたさんのお望みですさかいに、大まけにまけまして、二十万円ですな。あれは純金に近いものでな、そのうえ、えらい由緒のあるもので、二十万円は大勉強だっせ」
二十万円だという。三万五千円で姉川五郎から買いとったものが六倍の値段でふっかけられたのである。
「二十万円ですか。高いわねえ」
「それだけの値打は、十分におまんねん。その道の者なら、よう知ってます」立花先生はしばらく唸っていたが、やがて老商チャンにいった。
「わたくし、ここに二十万円のお金を持っていないのです。それで今手つけ金として二万円おいてまいります。これから家へかえって、のこりの十八万を持ってきますから、それをわたくしに売ったものとして下さい」
「へえーッ。どうもありがとうはんで。あの、二十万円で買いはりますか。よろしおます。二万円のお手つけ金。ここへちょうだいいたしましょう」
チャン老人は、自分のおどろきを隠すのに骨を折った。十五万円ぐらいに値切るかと思いの外、いい値の二十万円で買うというのだ。そんなことなら、もっと吹っかけておけばよかった。こんな質素ななりをしていた婦人のことだから、二十万円だといえば、びっくり仰天して、すぐさようならと店をでていくかと思いの外、とんでもないちがいだった。
その婦人客がそそくさと店からでていったあと、チャン老人は、黄金メダルを元のガラス箱の中に返した。
あとの二人の客
老商チャンは、またもとのように小鳥の籠に近づいた。
そして彼のかわいがっている小鳥に、餌をあたえはじめた。それが大方終りに近づいた頃、
「はい、ごめんよ」と、店へはいってきた男があった。背の高いりっぱな人物だった。日本人のようであり、また外人のようにも見える。
この紳士こそ、四馬剣尺の部下として重きをなす机博士その人であった。
「ご主人。そのガラス箱の中にはいっている金貨の半分になったようなものを、ちょいと見せてもらおう」
博士は、長い手を延して、ガラス箱の棚を指した。
「ああ、これですか」
老商チャンは、それを取出して客に見せた。チャンは、立花先生と売約が成立したことを忘れているような態度で、気軽に三日月形の黄金メダルをだしてみせたのである。
「これはおもしろいものだ。惜しいことに半分になっている。ご主人、これは本物のゴールド(金)かね」
「純金に近い二十二金ですわ」
「ふふん。で、値段はいくら」
「あまり売れ口がええものやないさかい、まあ大まけにまけて三十万円ですな」
「三十万円! あほらしい、そんな値があるものか。ご主人、十五万円ではどうだ」
「あきまへん。三十万円、一文も引けまへんわい」
「そうかね。それじゃこれから三十万円、なんとかして集めてこよう」
机博士はそういって、チャンの骨董店をでていった。
その博士は、店先から五六歩離れると、肩をすくめて、ふふんと笑った。
「あの慾ばり爺め、まさかおれが、あの黄金メダルの裏表をあの店の中で、写真にとってしまったことに気がつくまい。ふふふ」
そういって、机博士は、オーバーの釦に仕掛けてある秘密撮影用の精巧な小型カメラを、服の上から軽く叩いた。博士らしい早業であった。
「……だが、あの黄金メダルがあそこに売りにでていることを、頭目に知らせたものか、それとも何とかして、おれが手に入れておいたものか、さて、どっちにしたものだろうなあ」
博士は、海岸通りの方へ、長いコンパスで歩いていった。
第三の客がきたのは、それから三十分ばかりあとのことであった。
その人は、外国の船員の服装をつけていた。髪も瞳も黒くて、日本人のようであったけれど、顔色の赤いことや鼻柱の高いことなどから見て、スペイン系の人のようであった。彼の顔立ちは整っていたが、どうしたわけか、おそろしい刀傷のあとが、額の上から左眼を通り、鼻筋から、唇までに達していた。ものすごい斬り傷であった。しかしその傷は、光線が彼の顔の上に、或る方向から照らしつけるときに限り、非常にものすごく見えた。
「その半分のメダルを見せて下さい」
彼はおぼつかない英語で、そういった。
老商チャンは、客よりは上手な英語で応対した。彼は、今日はこの黄金メダルに、妙に人気が集っているのに気がついて、上機嫌であった。それと共に、彼はゆだんをしなかった。
刀傷のある船員は、黄金メダルを何十ぺんとなく裏表をひっくりかえし、またチャンから拡大鏡を借りて、念入りに全体を検べてみたり、掌にのせて重さを測ったりした。そのあとで、
「これいくらで売りますか」と、老商にたずねた。
「四十万円です」チャンは、こういうのは金持ではないから早く追払うにかぎると思って、かんたんに返事をした。
「四十万円ですか。私、千二百ドルで買います。千二百ドルなら五十万円以上にあたります。あなた、いい商売します」
客はそういって、ポケットから米貨の紙幣をチャンの前へ並べだした。チャンは、近頃こんなにびっくりしたことはない。
「待って下さい。この品物は、実はもう売約ができていまして、さしあげかねます」
「いくらで売約しましたか」
「それは、あの……」老商チャンは、まさか正直に二十万円とはいいだせなかった。
客は、紙幣を並べおえた。
「私、五十万円に買う契約、さっき、あなたとしました。私、買います。五十万円の高値でこれを買う人、私より外にありません」
「よろしい。売りましょう」
チャンは、ついにそういった。二十万円に売るよりも五十万円に売った方が二倍半の大もうけだ。売約したあの婦人には、手つけの二万円の外に、あと五千円か一万円つけて返せば、文句はないだろう。そう思った老商チャンであった。
客は、黄金メダルの半ぺらを持って、店をでていった。チャンは、受取った紙幣をもう一度数えるのに熱中していた。
それから七八分あとのことだったが、万国骨董商チャンフー号の店先を通りかかった一人の少年が、不意に立ちどまって、さけび声をあげた。
「うわーッ。これは血やないか。店の奥から、えらいこと血が流れてきよるがな」
その声に、近所の人たちがおどろいてとびだしてきた。そしてチャンの店内へはいって、老主人の名を呼んだ。
チャンの返事はなく、ただ籠の中で、小鳥がチチチと鳴いていた。
「どうしたんやろか、チャンさんは……」
「あっ、こんなところに倒れている」
店の奥に、老商は朱にそまって倒れていた。心臓の上にピストルで撃ったらしいひどい傷あとがあった。そしてそのまわりには、服の上に焼け焦げが丸くできていた。もちろんチャンは絶命していた。誰が、いつの間に、老商をこんなに冷い死骸にしてしまったのであろうか。
迷宮入りか
かわいそうな万国骨董商チャン老人殺しのニュースは、たちまちこの港町のすみずみまでひろがった。
「なんというむごたらしいことをする犯人だろう。あの老人は家族もなく、さびしく小鳥と住んで、あの店をやっていたのに、ああ気の毒だ」
老人を見知っている人々の中には、こういってその死をいたむ者もいた。
「チャン爺さんは、あれでそうとうなもんだよ。こっちが売りに持っていった品物は二束三文に値ぎりたおす。それをあとで磨きにかけて、とほうもない高値で、外国人などに売りつけるんだ。足もとにつけこむのは、得意中の得意さ。あんまりもうけすぎるから、こんどみたいな目にあうんだ」
そういって、にくまれ口をきく者もいた。
「いや、それは商売上手というものだ。そんなことでなにも爺さんは殺されることはないんだ。ああして殺されたのは、爺さんがひどいことして集めた宝石の中に、おそろしい呪いのかかっているダイヤモンドがあったんだ。それは元、インドの仏像のひたいにはめこんであったのを、ある悪い船のりがえぐり取って、盗んでいった。そしてそれをチャン爺さんに売りつけた。するとインドの高僧が船のりに化けてはるばる取返しにきたんだ。爺さんはすなおに返さなかったもんだから、あのように、えいッと刺し殺された」
「ちがうよ。ピストルで撃たれたんだ」
「あ、ピストルか。ピストルでもいいよ」
「ほんとかい、その話は」
「つまり、そうでもあろうかと、わしは考えたんだがね」
「なんだ。ひとが事件に熱中しているのをいいことにして、うまくかついだね」
「とにかく、あの爺さんは、叩けばほこりがでる人物だ。犯人は永久に分らないよ」
たしかにそのとおりで、犯人の目星がさっぱりつかないので、この事件を担当している、秋吉警部はいらいらしていた。
彼は、チャン老人の絶命の三十分あとへ現場へついて、さっそく捜査の指揮をとったのであるが、血の流れている店内は、事件発見者の少年のしらせで駆けつけた近所の人たちによって、すっかり踏みあらされていた。犯人をつきとめるための証拠が、これではつかめない。警部は困ってしまった。
それに、チャン老人は、店内にひとり住んでいたので、当時の店内の様子を証言する者がいなかった。向う三軒両隣はあるけれど、今日はチャン老人が殺害されると分っているなら、老人の店に出入りする人物に注意を払っていたであろうが、そんなことはあらかじめ分っていなかったので、誰も正確に出入りの人物を証言する者がなかった。おそらく犯人は、そういう事情をのみこんでいて兇行したのであろうと、秋吉警部は考えた。
店内をしらべて、何が盗み去られたかを調査した。
その結果が、またはっきりしないのであった。なにしろたくさんのこまごました物がある。その品物の目録などはなかったから、何と何とがなくなったんだか分らない。
金庫は閉っていた。この中を調べたが、これもまたはっきり分らない。金庫の中には、日本の紙幣やアメリカの紙幣などがしまってあった。これだけが有金全部であったのか、それとも犯人はその一部を盗んでから、金庫を閉めて逃げたのか、どっちとも分らなかった。
かれ秋吉警部には興味のないことであったが、読者には興味のあることがらを、ここで一つ述べておこう。それはアメリカの紙幣で千二百ドルがそっくりそこに残っていたことである。これは犯人がどういう種類の人物であるかを判断するのに、一つの参考となる。――秋吉警部は、気の毒にも、そのような資料をつかむ機会にめぐまれていないのだ。
そこで警部の注意力は、もっぱらチャン老人の致命傷と彼の死んでいた場所とその身体の恰好にそそがれた。
ピストルで心臓のまん中を見事に撃ちぬかれたのが、老人の死因だった。老人は声もたてずに死んだのであろう。
ピストルは老人の胸に向けられ、その銃口は老人の服にぴったりとふれていたにちがいない。その状況で、ピストルは発射されたのだ。だから銃口のあたっていた服には穴があいており、その穴のまわりの服地は、焼け焦げになっていた。
ピストルの弾丸は、背中をうちぬき、うしろの壁かざりをつきぬけ、壁にめりこんでいた。それを掘りだして調べてみたところ、そのピストルは、よく普通に見かけるブローニングやコルトのものではなく、口径のずっと小さい特殊のものだった。それは多分ピストルの形をしないで、他の物品に似せて作ってあるもののように思われた。たとえば万年筆の形をしたピストルだとか、扇子の形をしたピストルだとかを、暗殺者はよく持っているが、そんな風なものにちがいない、そういう物品に似せるためには、どうしても弾丸の口径を細くしなければならない。自然、火薬も少量しか使えないので、そういうピストルは、殺す相手の身体にぴったりとつけて発射しないと、弾丸が身体の中へはいらない。
「犯人は、只者じゃない。チャン爺さんを殺すことなんか、鶏の首をしめるほどにも感じなかったんだろう」
警部は、そう思って慄然とした。
老人は、帳場の台をへだてて、客と向いあっていたらしい。それから老人は、奥へゆこうとして身体をすこし曲げた。そのときすばやく犯人が握っているピストルが老人の心臓を服の上からねらい、直ちに引金がひかれたのにちがいない。老人の死顔には苦悩のあとも恐怖の表情もなく、おだやかな顔であった。そしてそのままそこに倒れると傷口からは血がとめどもなくふきだし、ついに店前まで流れていったのだと思われる。
それから犯人はどうしたか。それがさっぱり分らない。何か目星をつけてきたものがあって、それを取出して、すばやく逃げうせたものか、それとも老人を斃しただけで、すたこら逃げだしたものか、なんとも分らない。このへんで秋吉警部の捜査はゆき詰ってきたのであった。
しかたがないので、警部は、各署や水上署までに通告して、チャン老人殺しに関係あるあやしい人物があったら知らせてもらいたいとたのんだ。こんな方法では、運をたのむようなものだ。しかし証拠物が集らないし、事件の目撃者もあらわれないのだから、こんなことでもする外なかった。
水上署には、外国船員にも気をつけてくれるように特に依頼した。だが、外国船員にあやしい者があっても、これを検挙するまでに持っていくことは容易なことではなかった。
秋吉警部はだんだんやつれていった。そして事件は迷宮入りらしく思われてきた。
もしも、チャン老人が殺される日、あの店をたずねた客たちが名のってでるなら、警部は有力な手がかりをつかんだであろう。しかし誰も名のってでるものはなかった。むりもない。かかりあいになるのを恐れてのことだ。
金谷先生しゃべる
海岸通り横丁の老骨董商殺しのニュースは、その翌朝には、新聞記事になっていた。
春木少年や牛丸少年の組をあずかっている金谷先生も、この新聞記事を読んだ。そしてすぐ気がついた。
「ははあ。あの店だ。昨日飾窓をのぞきこんだが、金貨の割れたのを、れいれいしく飾ってあった、あのがらくた古物商だ。
あの家の主人が殺されたんだな。それを分っていれば、もっとよく顔を見ておくんだったのに」
と、先生はすこしばかり残念であった。先生は登校すると、この話をとくいになって教員室にしゃべり散らした。
「白いひげを長くたらした爺さんなんですよ。いかにも小金をためているという風に見えましたね。そういえば、福々しい顔なんだけれど、どことなくきついところがあったな。やっぱり自分の悲惨な運命が、人相にあらわれていたんですよ」
こんな風に話すものだから聞き手の先生がたは、もっとくわしいことを聞きたがった。
「いや、それだけのこと。ぼくは、中へはいって見ようかと思ったんですが、連れの立花先生がいやな顔をしているので、それはやめましたよ。あのときはいっていれば、もっと諸君におもしろい話ができたんだがなあ」
金谷先生がそういうと、聞手の先生たちはみんな笑った。
そこへ立花先生がはいってきた。
「まあ、みなさん、なにをそんなにおもしろがっていらっしゃるんですの」と、にこにこしてたずねた。
「あはは。金谷先生が、例の殺されたチャンという万国骨董商の店を、昨日のぞいたというんです」
「まあ、いやなことですわ」
と、立花先生は、美しい眉をひそめた。
「金谷先生は、あの店主が殺されると分っていたら、店の中へはいって、しげしげと見てくるんだったなどというもんだから、みんなで笑っていたところなんです」
「気味のわるいお話は、もう聞きたくありませんわ」
「金谷先生のいうことに、連れの立花先生がうしろにこわい顔をして立っているものだから、ついにはいるのをあきらめたといってますよ」
「えッ」と立花先生はかたい顔になって金谷先生の方に向き直ったが、すぐ顔を和げ、
「金谷先生。よけいなおしゃべりをなさるものじゃありませんわ。かかりあいがあると思われて、警察へひっぱりだされるようなことがあったら、つまらないじゃありませんの」と、かるくたしなめた。
「まいった。これは一本まいりました。今までのおしゃべりは取消しだ」
と、金谷先生はすっかり悄気てしまった。それがまたおかしくてたまらないと、同僚たちは腹をかかえて笑った。
金谷先生は、てれくさくなって、ひとりその座を立って、運動場へでていった。運動場では、早く登校した生徒たちが、元気にはねまわっていた。
「金谷先生」先生は、自分の名前をよばれて、はっとわれにかえり、その方を見た。
四人の少年が、そろって、前へ近づいた。その中には春木少年の顔が交っていた。その外に、小玉君、横光君、田畑君の三少年がいた。
「どうしたの。いやに改まっているね」
と、金谷先生が受持の学童の顔を見まわした。
「先生。ぼくたち四人は、少年探偵団を結成しようと約束したんです。それで、先生に少年探偵団の顧問になっていただきたいのです」少年たちの話は意外な申入れだった。
「少年探偵団だって。それはいったい、なんの目的で結成するのかね」
「まず第一の目的は、ぼくたちの級友である牛丸君を一日も早く救いだしたいことです」
「それは警察がやってくれる。君達が手をださないでもいい」
「でも、警察だけにまかせておけないと思うんです。なにしろ、今になっても、警察はすこしも活動をしてないようですからね」
「それは相手が手ごわいから、準備のためにそうとう日がかかるんだろう。君たちがでかけていってもだめさ。相手が強すぎるからね。返り討ちになるよ」
先生は、少年たちが、きっと落ちこむにちがいない悪い運命を思って、その企に反対した。だが、少年たちは、そんなことでは尻ごみしなかった。春木少年は、言葉をつづける。
「第二の目的は、世界にまれな宝さがしに成功することなんです」
「なんだって。世界にまれな宝さがしとは……」
「先生。牛丸君がかどわかされたことも、実はこの宝さがしに関係があると思うんです。そしてほんとうは、ぼくが連れていかれるはずのところ、賊はまちがって牛丸君を連れていったんだと思うんです」
「君のいっていることは、さっぱりわけが分らない」
「それはこの事件のはじまりからお話しないと、お分りにならないのです。実はこの前、牛丸君とぼくと二人でカンヌキ山へのぼりましてねえ……」と、それから生駒の滝の前で戸倉老人にめぐりあい、黄金メダルの半かけと絹地にかいた説明書をもらったことから、メダルを失ったことまで、残りなくすべてのことを金谷先生にうちあけた。
先生はおどろいて、はじめは「ほう」とか「おもしろいね」といっていたのが、終りには腕をくみ、身体をかたくして、「ふん、それからどうした」とか、「それはたいへんだ。で、どうした」とか、さかんに力んでたずねた。
「これが焼け残った絹のハンカチの一部です」
と、春木少年が金谷先生の手にそれを渡したとき、先生の緊張は頂点に達した。
「なるほど。これはほんものだ。えらいことになったものだ」
先生はそこで頭をひねって、しばらく沈黙したが、やがてあたりへ気をくばり、低い声でいった。
「春木君。先生は昨日、君がとられたという黄金メダルの半ぺららしいものを、海岸通りの横丁の骨董店の飾窓の中に見かけたよ」
「ええッ。先生、それはほんとうですか」
「ほんとうかどうか、とにかく君が今話をした三日月形の黄金メダルというのによく似ていた。君の話では、お稲荷さんのお堂に住んでいた男が、あの店へ売ったんじゃないかな」
「あッ、それにちがいありません。先生、その店はなんという店ですか。どこにありますか。教えて下さい。これからぼくはすぐいって、取返してきます」
こんどは春木少年の方が、大昂奮してしまった。
「待ちたまえ、春木君。その店の老主人は昨日何者かのためにピストルで殺されてしまったんだよ。今朝の新聞を見なかったかね」
「ああッ。そうか。すると今朝の新聞にでかでかと大きくでていたチャンフー号主人殺しというのはこの店ですね」
「そうなんだ。だからね、今はその筋で殺害犯人を見つけようと鵜の目鷹の目でさがしているから、君なんかうっかりいくと、たちまち捕えられて、容疑者になってしまうよ。そしたら、いつ娑婆へでてこられるか分りゃしない」
先生がおそれるわけは、もっともであった。しかし春木少年は、警察にこの話をしてもいいと思った。そして店の飾窓にあったその黄金メダルを、自分にかえしてもらうには、早く話をした方が有利だと考えた。
この考えを話すと、先生は困ってしまった。
(しまった、とうとうまたおしゃべりをしすぎた。さっきあんなに立花先生からいましめられていたのに、それを忘れて又しゃべった。下手をすると、自分は参考人か容疑者として警察へ引っぱられるかもしれん。これは困ったことになった)先生の悄気かたはひどかった。
きびしい尋問
「頭目。いったいどこへいってたんです。この二日というものは、頭目を探すので、大骨を折りましたぜ。しかも連絡はつかないじまい。骨折り損のくたびれもうけです」
四馬剣尺が、どっかと腰をかけた頭目台の前へいって、この山塞の番頭格の木戸が、うらみつらみをのべたてた。木戸は、よほど骨を折ったものと見える。
「ふふン」四馬は、かるく笑っただけであった。
「こんどからは、なんとかたしかな連絡の道を用意しておいていただかないと、万一のときにわしは、この山塞を持ち切れませんよ」木戸は久しぶりに腹を立てているらしい。
「大丈夫だ。万一のときは、おれがとびこんでくるから、心配はいらねえ」
「こっちから知らせたいことがあっても、それができないとすれば、結局頭目の大損害じゃないですか」
「すると、なにかおれに知らせたいことがあったんだな。それは何だい」
「わしではないんです。机ドクトルが、何か見つけてきたんです。それが三日前のことで、ドクトルは町へいったんです」
「ふーン。三日前のことか」
頭目は、ベールの中で、日を逆にかぞえているようであった。
「チャンフー殺しのあった日のことだな」
「そうです。あの日の午後、ドクトルは息せき切ってここへ戻ってきましてな、『頭目はどこにいる』と食いつくようにいうんです。どうしたのかと訊くと、『一刻も争うことだ、頭目の耳に入れたいことがある』という。なんだと聞きかえすと、『黄金メダルの半ぺらが、海岸通りのある店の飾窓に売りにでている』というんです。わしはおどろきましたね」
「それからどうした」頭目は気色ばんで、その先の話をさいそくした。冠の下のベールがゆらゆらと動く。
「それから頭目探しです。みんなをかりたてて、あらゆるところを探しまわりましたね。ところがだめなんです。机ドクトルからは、『まだか、まだか』と、きついさいそく。困りましたね。それで三日間、得るところなしです」
「ばかだなあ。そんなものが見つかれば、なぜすぐに買いにいかないんだ」
「おっと。それはいわないことにしてもらいましょう。この山塞では、四馬剣尺頭目が命令しないことは何一つ行えないきびしいおきてになっているんです。これは頭目、あなたが作ったおきてですよ」
「よし、そんならよし。じゃあ、机博士をここへ呼んでくれ」
「はい」木戸がでていくと、やがて机博士がいれかわって細長い身体をこの部屋にあらわした。彼は木戸とちがって落ちつきはらっていた。頭目の前までいって、卓をへだてて、四角い椅子に腰を下ろした。
「ご用ですかな」
「今、木戸から聞いたが、三日前に、海岸通りのある店で、黄金メダルの半ぺらを見つけたって」
「偶然に見つけましたよ。さっそく頭目に知らせようと骨を折ったんですが、残念にも、頭目に運がなかったな」
「本物かい」
「さあ、私は本物と鑑定しましたね。それも頭目がこの間まで持っていた半ぺらではなくて、その相手になる半ぺらでしたよ。三日月形をして、骸骨の顔が横を向いているようでした」
「お前は、それを手にとってみたのか」
「手にとってみましたとも。万一、にせ物では頭目に知らせてお叱りをこうむるばかりだから、掌にのせて比重をあたってみました。たしかに純度の高い黄金でできていることにまちがいなし。そこで値段を聞いたら、三十万円というんです。その因業爺のチャンフーという主人がね」
「三十万?」頭目はちょっとことばをとめたあとで「三十万円にちがいないか」
「ちがいなし。しかしなぜ頭目は、そんなことを聞くんです」
「とほうもない高値だから」
「ふふン」と机博士は、けいべつをこめた笑い方をして、
「しかしこれが例の宝庫へ連れていってくれる案内者なんだから、三十万円はやすいと思うがなあ」
「あの店の商品としては高すぎるんだ、そして君はどうした」
「どうしたもあるもんですか。さっそく山塞へかけ戻って、頭目に知らせるよう大さわぎを始めたんです。いったい頭目は、どこへいったんです」それに答えないで、頭目はぴしゃりとことばを机博士に叩きつけた。
「お前は、チャンフーの店前で、なにか手品をやりゃしなかったか」
「手品ですって。とんでもない。私は、手術ならやりますが手品はやりませんよ」そういって机博士はうそぶいた。
二人の間に、しばらく沈黙があった。
と、とつぜん博士は口を開いた。
「チャンフーを殺したのは私じゃありませんよ。あんな老ぼれを殺す理由なんか、私にはありませんからね。……それより頭目。早くあの店へいって黄金メダルを持ってきたらどうです。頭目が今まで持っていたのは猫女に奪われちまったんだし、さびしいですからねえ。あれが一つ手にはいれば――」
「やめろ。あの店にはもう黄金メダルはないんだ。チャンを殺した犯人が持っていったのか、それとも……」
「それとも」
「まあ、それはいうまい」
「頭目。はっきりいって下さい。私が盗んできたとでもいうのですかい」
「おれは知らない。今日までかかって、いろいろと調べたが、手がかりなしだ」
頭目は、いつになくがっかりした調子でいった。
監房生活
その後、牛丸平太郎少年は、監房の中におしこめられたままになっていた。あれ以来一度も頭目の前にもひきだされないし、またその手下のためいじめられもしなかった。むしろ牛丸少年は、山塞の人々から忘れられたようになっていた。
たいくつで、やり切れない牛丸少年であった。三度の食事が待ちどおしかった。その食事は、口がきけず耳のきこえない男が、きちんきちんとはこんでくれた。「小竹さん」と呼ばれることもあった。
とにかく小竹さんが顔を見せてくれるのが、牛丸少年にとって、一日中の一番うれしいことだった。少年は小竹さんに対し、親しみの表情を示したが相手の小竹さんにはそれが感じられたことはない。いつも寝ぼけているような間ぬけ顔であった。牛丸少年は、たいくつに閉口しながら、一つの願いを持つようになった。それはいつか頭目の前へいっしょに呼びだされた戸倉老人と、話しあうようになりたいという望みであった。
あの老人も、たしかにこの地下牢のどこかの一室におしこめられているはずだった。それはいったいどこだろう。そしてどうしたらあの老人と連絡がとれるだろうか。牛丸少年はそれを宿題として考えはじめると、すこしもたいくつでなくなった。ただし、この宿題の答は、かんたんにはでてこなかった。
「戸倉老人の監房は、もう一階下にあるんだな」やっとこの答が少年の頭の中に浮かんできた。それは小竹さんが食事をはこぶときの行動で、それと察したのである。
なぜかというと、小竹さんが食事を持ってくるときは、それを手さげ式の金属製の岡持に入れて持ってくる。そして牛丸少年の監房の前に止まって、食事をさし入れる。それから小竹さんは、ずんずん奥へ歩いていくが、小竹の足音と岡持のがちゃがちゃ鳴る音が、やがて階段を下っていくのが分る。それから五分ほどすると、小竹さんは引返してきて、牛丸の監房の前を通りすぎる。これによって考えると、戸倉老人は、もう一階下の監房に入れられているらしい。
(一階下にあのおじさんが入れられているんだったら、ぼくと話をするのはちょっとむずかしいことになる)
少年は、ざんねんに思った。
しかしなにかうまい方法を考えつくかもしれないと、その後も頭をひねって、監房の前の交通に注意を怠らなかった。
机博士が、朝早く一度、前を往復する。しかし牛丸少年のところへは寄らない。どうやら博士は、階下の戸倉老人を診察にゆくように思われる。老人は、ずっと身体がよくないのであろう。ある日の夕方、食器を下げるために、小竹さんがまわってきた。いつものように頬かぶりをし、その上にうす茶色の、かたのくずれた鳥打帽をのせていた。彼は、監房の鉄格子をとんとんと叩いて、牛丸少年に早く食器をだせとさいそくした。
牛丸は、食器を両手に持って、入口までいった。そして鉄格子の向うに待っている人物と顔を見あわせて、おどろいた。
「しいッ」相手は、唇へ指を立てて、しずかにするようにと注意した。頬かぶりに鳥打帽の姿はいつも見なれた小竹さんの姿だったが、顔はちがっていた。ひげだるまのような戸倉老人であったではないか。
「あッ、あなたは、どうしてここへ……」
「しずかに、わしは君に聞きたいことがあって、危険をおかしてここへやってきた」
と、老人はそれから岡持を床へおき、顔を鉄格子につけて早口で牛丸君に話しかけた。そのときの話は、主に春木少年のことであった。だが老人は、彼が春木に渡した黄金メダルのことについては一言もいわなかった。老人の知りたいのは、春木君の安否であったようである。
だが老人は、牛丸少年の話から考えて、春木少年の身の上に危険があることを悟った。それで春木君に警告するために、なんとか方法を考えたいと、これは牛丸君にも話した。
「ぼくをここから逃がして下さい。そうすればきっと春木君に、あなたの言伝をつたえます」
牛丸はそういった。老人は考えておくといい、その場を去った。彼は奥へ引返し、そして階段を下りていった様子である。
それからしばらくすると、彼はもう一度牛丸の監房の前へやってきた。だがそれは戸倉老人ではなく、本物の小竹さんであった。
牛丸は、おやおやと思った。そして疑問が一つ、ぴょんと湧いてでた。
(おかしいぞ。戸倉老人は、この口がきけず、耳のきこえない小竹さんに、どういう方法で話を通じて、小竹さんに変装することを承知させたのだろうか)
全くふしぎなことだ。
ひょっとすると、小竹さんは、わざとよそおっているのではあるまいか。そう思った牛丸少年は、空になった食器を渡しながら、小竹さんに話しかけた。すると小竹さんは、首を左右に振り、耳と口とを指さし「自分は口がきけず耳がきこえない」と身ぶりで語って、すぐ立ち去った。
「ふーン。やっぱり小竹さんは、ほんとに口と耳が不自由なのかしら」
牛丸少年は、ため息をついた。
その後も、牛丸はしんぼうづよく、毎回小竹さんに話しかけた。だが小竹さんの態度は同じことであった。
ところが、それから三日目に、思いがけないことが起った。
それは夕食後、小竹さんが食器をあつめにきたときのことだった。牛丸少年が、食べ終ったあとの皿二枚とスープのコップとを、小さい窓口から小竹さんに渡そうとしたとき、あッという間に皿は牛丸の手をすべって――いや、牛丸少年は皿を小竹さんに渡し終ったつもりだったから、手をすべらせたのは小竹さんの方であろう――皿は少年の監房の床に落ちて、小さな破片になってとび散った。牛丸は青くなった。今にも小竹さんから、すごい形相でにらみつけられて怒られるだろうと思った。
小竹さんは、そうしなかった。彼はかぎをだして、監房の戸を開いた。そしてしずかに中へはいって、破片をひろいだした。破片を岡持の中へ拾っているのだった。牛丸はおだやかな小竹さんの態度にますます恐縮して、彼もまた一生けんめいになって破片を拾った。
しばらくしてそれは終った。小竹さんはそのまま立ち上り、外へでた。そして入口に錠をかけりて立ち去った。その小竹さんのおだやかさに、牛丸は始めたいへんに叱られると思っていただけに非常に意外で、小さい窓口から小竹さんのうしろ姿を見送っていた。
そのときであった、彼はうしろから、かるく背中を叩かれた。
[#底本では1字下げしていない]おどろいた、このときは! この監房には自分の外に誰もいないのだ。だから少年はびっくりして、その場にとびあがったのだ。ふりかえった。
「あッ」
「しずかに!」白いきれを頭からすっぽりかぶり、すその方まで長くひいた怪物が、子供の声をだした。その白いきれがとれ、中から少年の顔がでた。
「あッ、春木君!」
「牛丸君。よくぶじでいてくれたね」
「ぼくを助けにきてくれたんやな。こんなあぶないところへ、よくきてくれたなあ」二人は、ひしと抱きあい、頬と頬とをおしつけて涙をとめどもなく流した。
どうして春木少年は、このおそろしい山塞にもぐりこんだのか。また、小竹さんが、なぜ春木少年を、そっとこの監房の中へすべりこませたのか。
そのような春木少年の冒険ものがたりは、その夜くわしく、牛丸君に語られた。
また、牛丸君の家がその後、どうなっているかということや学校の話、警察の話、チャン老人殺しの話など、春木君が牛丸君のために話してやることは多かった。
牛丸君の方でも、この山塞に連れてこられてからこっちのことについて語ることが少くなかった。
それらのことがらの中で、読者がまだ知らない話をここで述べたいのであるが、今はそれができない。というのは、今ちょうど、机博士の身の上におそろしい危難が迫っているからである。その方を先に記さなくてはならない。
罠くらべ
黄金の糸で四頭の竜のぬいとりをしたすばらしくぜいたくなカーテンが、頭目台のうしろに垂れている。
台の上には、頭目用の椅子が一つおかれているだけで、人の姿はその上にない。いやこの部屋には今誰もいない。
垂れ幕の奥では、かすかな音が、ときどき聞える。
頭目が、この夜更けに、なにか仕事をしているのであろうか。もう只今の時刻は、その山塞の人々ならどんな呑んだくれの若者も寝床について、高いびきを一時間もかいたはずであった。午前三時だ。ここ山塞も、丑満時を越えた真夜中である。では、誰であろうか。黄竜の奥の間で、ひっそりと物音をさせているのは?
それこそ机博士であった。
博士ただひとりだ。博士は、眉をつりあげ、額に青筋を立て、真剣になって、黄竜の間で家探しをしている。
机の引出もあけた。戸棚もみんなあけて調べた。秘密の大金庫も、壁からくりだして、すっかりあけて調べた。ありとあらゆる什器や家具を調べ、今は、壁をかるく叩いてまわっている。どこかに彼の知らない極秘の隠し場所があるかもしれないと思ったからだ。だがみんな失敗だった。
(無い。なんにも無い。黄金メダルに関するものは、こんなところへはおいておかないのかな)
博士は無念に思って、唇をかんだ。
(たしか、この前、この部屋へ黄金メダルをしまうのを見たのだが……あれは、たとえ猫女に奪われたにしろ、あの頭のするどい頭目のことだから、メダルの写真とか、関係書類とかを、ちゃんと保存してあるにちがいないんだが、どうも見あたらないなあ)
机博士は、チャンフー号の店で、秘密に撮影した三日月形の方の黄金メダルの半ぺらの写真を持っている。もし頭目の部屋に、頭目が猫女にとられた、扇形の方の半ぺらの写真を持っているなら、それを手に入れたいと思った。そして両方をつきあわせてみるなら、この黄金メダルの秘密も解けるにちがいないと考えたのだ。(なにも、生命をまとにして、本ものの黄金メダルを手にいれないで、写真さえあれば、たくさんなのだ。そこに彫りつけてある暗号を解きさえすれば、大宝庫の場所が分るにちがいない。おれは頭目などより、一枚役者が上なんだ)と、博士は思っている。
だが、いよいよ探してみると、ここぞと思った黄竜の間に、思う品物がないのである。博士はくやしくてならなかった。腕組をして考えこんだとき、
「手をあげろ。横着者め」と、はげしい叱り声が、入口の方からひびいた。いつの間にか黄竜の幕をかきわけ、四馬頭目の巨体が、長袖から愛用の毒棒をつきだしている。
「うッ!」博士は青くなって、さっと両手をあげた。あの毒棒は、押釦一つおすと、一回に十本の錐が、さきにおそろしい毒をつけたまま、相手の身体にぐさりとつき刺すのであった。その毒の調合をしたのは、机博士自身であったから、その猛毒については誰よりも博士が一番よく知っている。だから博士が青くなって両手をあげたわけだ。
「この間から、どうもお前の様子がへんだと思っていたが、この部屋でいったい何をしようと思っていたのだ」
頭目は落ちつき払った中に、憎しみのひびきのはっきり分る声で、博士をきめつけた。
博士は、口をかたくつぐんでいた。
「いうんだ。いわないと、こいつがとんでいく。お前がよく知っている恐ろしい毒矢がくらいたいか、それともいってしまうか」
「黄金メダルの半分の写真でもお持ちなら、ちょっと見せていただきたいと思ったのです。それだけです」
博士は、ついに返事をした。
「それだけだって。ふふン」と頭目は皮肉に笑って、
「しからば、お前はチャンフーのところから、三日月形の半ぺらを持ってきたんだな。いや、ちがうとはいわせない。そうでなければ、おれが持っていた半ぺらの方を見たいなどという気を起すはずがない」
そうではないと、博士は一生けんめいに弁明した。だが、博士の弁明が真剣になればなるほど、頭目はそんなことが信じられるか、とはねつけた。そしてついに、
「そうだ。これからお前の部屋へいこう。この部屋でやったとおりのことを、おれはお前にやりかえしてやる。部屋のものをみんなひっくりかえして、総探しをやってやる」
「あッ、それは……頭目。許して下さい」
博士の態度が一変して、気が変になったように見えた。が、すぐ博士は元にかえって、そのような乱暴は思い止ってくれと哀願した。
「ならん。お前の部屋へゆくんだ。先へ歩け。命令をきかねば、毒矢をぶっ放すぞ」
もう仕方がなかった。机博士は、しおしおと歩きだした。その背中に、頭目が毒矢銃をぴったりとおしつけた。
「自業自得だ。頭目をだしぬこうなんて、反逆行為だ。反逆行為の刑罰はどんなものだか、知っているだろう」
向うを向いて、重い足をひきずって進む机博士の顔には、ふしぎな笑みが浮んでいた。
(今にめにものを見せてくれる。その時になって腰をぬかすまいぞ。へん、おれの作った罠の中にわざわざおはいり下さるのだ。四馬剣尺の化けの皮を、今にひんむいてくれる)
博士のひそかなる気味のわるい笑いは、もちろん頭目には見えるはずもなかった。その頭目もまた、ひそかなる笑みを口のあたりに浮べていたのだ。
(見ろ。こんどというこんどは、陰謀屋の机博士に致命傷をくらわせてやる。きさまは、自分のわる智恵の中に、自分でおぼれてしまうのだ。それにまだ気がつかないとは、きさまもあんがい頭がよくないて)
狐と狼の化かし合いだ。どっちが狐で、どっちが狼か。それはしばらく見ていなくては、きめかねる。
ついに机博士は、自分の部屋の扉を開いた。そのとき彼は、自分のうしろに異様な気配を感じたので、はっとしてふりかえろうとした。
「ふりかえるな。向うを向いていろ」頭目が大声で叱りつけた。博士はぎくりとして、首を正面へ向けかえた。……が、今ふりむいたときにちらりと見たことだが、頭目のそばにもう一人背の高い人物がいたように思った。
「早くはいれ」机博士は背中をつかれた。
そこで室内へ足をいれた。室内は、暗室になっていた。ただ桃色のネオン灯が数箇、室内の要所にとぼっていて、ほのかに室内の什器や機械のありかを知らせていた。
「部屋を明るくするんだ。これじゃ暗すぎて、なんにも見えない」頭目がそういった。
(待っていました!)
と、博士は、心の中でおどりあがった。
「はい。今、明るくします。ちょっとお待ちなすって」
「へんなまねをすると許さんぞ。おれはお前のそばをはなれないから、そう思え」
頭目が部屋の中へ足を踏み入れた。
「大丈夫です。へんなまねなんかしません。そこに油だらけの機械がありますから、けつまずかないようにして下さい。今すぐスイッチをひねりますから、ちょっと――」
博士はぐんぐん奥へはいっていった。そして壁ぎわに置いてある四角い機械のうしろへまわった。博士の顔には、またもや気味のわるい微笑が浮かんだ。
(今だ。化けの皮をはいでやるときがきたぞ。覚悟しろ)
博士はスイッチを入れた。それこそこの間中から博士が考案し、組立てていた大きなエックス線装置であった。これは広角度にエックス線を放射して、人間の身体全体を照らし、そして部屋のまん中にぶら下げてある、幅二メートル高さ三メートルの大きな蛍光幕にその透視像をうつしだすようになっていた。これは、いつも覆面をしている頭目を、エックス線で照らして、その正体を見てやろうという陰謀であった。そして思いがけなく、早くその機会がきたのだ。頭目の方からこの部屋へ足をはこんで、はいってきたのだ。こんないいことはない。机博士は興奮をおさえきれない。
さッと、蛍光が、幕面を照らした。
実にたくみに、頭目の全身の透視像が幕面に写った。着衣や冠の輪廓がうすく見える中にありありと黒く、むざんな骸骨姿がうつしだされた。これが頭目の骨格なのだ。
「あッ」頭目は気がついた。
手にしていた毒矢のはいった棒銃をふりあげた。その恰好が、そのまま幕にうつった。おそろしい骸骨が、生きているように動き、いかりに燃えて棒をふりあげたのだ。そのすさまじい光景は、筆にも画にものせられないほどだった。
ガーン。毒矢の棒は博士の方へとんできた。と、室内の電灯が全部消えた。完全な暗黒となった。そしてつづけさまに、いろいろな器物のこわれる音がした。
机博士の声はしなかった。また頭目の声もしなかった。
博士は、おそろしいものを見たのだ。
頭目の骸骨像によって、頭目の正体は、世にも奇怪なものであることが判明した。それはたしかに小さな男だった。その小さな男が、足に一メートル位もある高い棒をつけて立っているのだ。その上に裾を高くひいた中国服を着ている。こうしてエックス線で透視してみないかぎり、頭目の秘密が明かるみへだされることはなかったであろう。
四馬頭目の正体は、小さな男だったのか。
この部屋に、このおそるべき光景を見た者が外にもう二人いた。それはその前にこの部屋に忍びこんでいた春木少年と牛丸少年とであった。二人はおそろしさに、もう生きた心地もなかった。さて、まっくらがりになったこの部屋のおさまりは、いったいどうなるのであろうか。
秘密の抜け穴
(われらの首領というのは、小男であったのか!)
机博士は、その意外に心をうたれ、危険の中に、しばらくぼんやりしていたほどだ。
彼は、首領がもっとほかの人物であると思っていたので、その予想は、エックス線を首領にあびせた結果、すっかり思いちがいであることが証明された。
(だが、どうもまだ、ふにおちないところがある。いつぞや、ひそかに懐中電灯を首領の顔の下に近づけて、覆面ベールの中にある顔をちらっと見たことがあったが、あのときの首領の顔は、目鼻立のよくととのったりっぱな顔であった。女にも見まがうほど美しい顔であったが……)
と、机博士の頭の中には、答がわり切れないで、ぐるぐる渦をまいていた。さっき、エックス線で首領の顔をてらしつけ、首領があっとひるむところを、すばやく前へとびだしてあのベールをかかげて、首領がどんな素顔をしているか、それをたしかめればよかったのだ。だがそれをしなかった。不覚のいたりだ。もっとも、そんなことをすれば、首領は一撃のもとに自分を毒針でさし殺したかもしれない。これだけのことを考えるのに、永くかかったわけではなく、危険の下に首をちぢめている机博士の頭の中を、電光のように走った思いであった。
がらがらッと、またもや器物がなげつけられ、机博士の頭の上に降ってくる。そして首領のあらあらしい息づかいが、だんだん近くによってくる。
(あぶない。このままでは殺される。どうかして逃げだしたい。穴倉へつづくあの下り口まで、うまくたどりつけるだろうか。下り口の戸を開くまで、死なないでいるかしらん)
博士が思いだしたのは、この部屋の東よりの隅に、地下の穴倉へつづく下り口があることだった。これは博士が、他の者に見せたくない器械や材料などをかくしておくために作った秘密の物置であって、この山塞では彼以外に知る者はなかった。その穴倉の中には、さらに、抜け道があって、それをくぐっていくと、山塞の外へでられるのだ。もっともそこは、けわしい崖の上にあって、そこから街道へ下りるには、特別の道具がないとだめであった。そのかわりに、このけわしい崖の上に開いた抜け道は、他の者の目につくような心配は、まずないものと思われ、机博士は十分自信を持っていたのであった。その抜け道のコースへ、とびこみたい。下り口のところまで、無事にゆきつくかどうか。
(やっつけろ)
もうこうなれば、運を天にまかせる外ないと、机博士は決心をかためた。二カ所や三カ所に傷をこしらえるのは覚悟の上で、博士はくらがりを手さぐりで、横にはっていった。
なんでも、やってみることだ。荒れる首領の攻撃は、机博士の身体の移動のあとを追っかけてはこなかった。やっぱり、元のところに博士がかくれていると思い、がらがらッどすンどすンと、しきりに重いものがなげつけられていた。だから机博士は、反って危険を抜けることができ、うれしさに胸をおどらせながら、下り口のところにはまっている揚げ戸をひきあけることができた。
すこしは音がした。しかし室内はどんがらどんがらやっている最中であったから、すこしぐらいの音は相手に聞えそうもなかった。博士は、してやったりと、揚げ戸の下へ身体をもぐらせた。足の先に、階段がさわった。もう成功である。彼は、すっかり中へはいった。そして、揚げ戸を静かに閉めた。誰も追い迫ってくる様子はなかった。博士は、ほっと安心の一息をついた。
ここまでくれば、虐殺者の手をのがれたようなものだ、と机博士は思った。彼は手と足で階段をさぐりながら下りていった。階段を下り切った。そこに厚いカーテンが二重に張ってあった。その向こうが物置の相当広い部屋になっているのである。博士はカーテンをおして中へはいった。中は、まっくらだった。
「おやッ。今日は電池灯が消えている」
そこには、いつもは電池灯がついていて、室内を照らしていた。これは停電に関係なく、いつでもついている電灯であった。それが今日は、運わるく消えている。どこか故障をおこしたのであろうか。そう思いながら、机博士は、鼻をつままれても分らない闇の中を、手さぐりで足をひきずりながら五六歩もすすんだであろうか、そのとき大きなおどろきが、彼を待ちうけていた。とつぜん彼の両の手首が、何者かによって、ぐっとにぎられたのであった。
「ほほほ、待っていたよ、博士さん」
闇の中に、たしかに女にちがいない声であった。何者?
おお、猫女
「誰だ、君は!」博士は度肝をぬかれて、かすれた声で、やっとこの短いことばを相手にぶっつけた。
「あたしかね。あたしは『猫女』さ。どうぞよろしく」
「えッ、猫女……」机博士のおどろきは、五倍になった。
「猫女が、なぜこんなところに――」
「大きな声をおだしでないよ。上では、あのとおり大ぜいさんが集っているんだよ」なるほど、上では大ぜいの足音がいりみだれている。きっと首領がみんなを呼び集め、姿を消した自分の行方を探しているのにちがいない。
「きゅうくつだろうが、手をうしろへまわしてもらいましょう」猫女はおそろしく力強かった。机博士の手をかんたんにうしろへねじり、がちゃりと手錠をはめてしまった。
「君は、私をどうしようというんだ」
猫女は、首領から黄金メダルの半ぺらを奪ったことがある。すると、猫女は首領の敵だ。自分も今は首領の敵になっている。それならば、猫女は自分と手をにぎって、味方同志になってもいいのだと思う。「猫女よ、なぜ私をいじめるんだ」といいたい、机博士だった。
「お前さんからもらいたいものがあるのさ。すなおに渡してくれないことは分っているから、こっちでお前さんの身体検査を行うわよ」
「なにッ。なにがほしいんだ」
机博士が不安なひびきのある声でたずねたのに対し、猫女はこたえなかった。そしてくらがりの中で、博士の身体をしらべていた。室内には、電灯はついていないし、猫女は懐中電灯さえ使わない。全くのくらがりの中で猫女は、どしどし自分の仕事をすすめていく。猫女は、猫のように、くらがりの中でも目がきくらしい。それに気がついて、机博士の不安はつのった。
「ああ、これなのね、お前さんが鬼の首をとったように思って喜んでいたのは……」
とうとう猫女は、目的物を探しあてたらしく、博士の下着のポケットから、小さいひとまきのフィルムを取出した。
「それはちがう。それは何でもない」机博士は、最後の努力をした。だが、猫女はそのフィルムを返そうとはしなかった。そして尚もつづいて身体検査をやりとげたあとで、
「さっき見つけたフィルムは、こっちへもらったよ。お前さんは器用なことをやってのける人だよ。チャンフーを殺したのも、お前さんじゃないのかい」と、博士をからかった。
「とんでもない。私がチャン老人を最後に見たときは、彼はこれから百年も長生きをするような顔をしていた。あの慾ばり爺を殺したのは、私ではない」
「ふん。なんとでもいうがいい。でも、あたしはチャンフーの身内でもなんでもないから、お前さんに復讐しようとは思わない。が、お前さんがやったかどうか、神さまが知っておいでだよ。だからさ、これから神さまのおさばきを受けるように用意をしてあげるよ」
猫女は、へんなことをいった。机博士が、その言葉の謎をとこうとしていると、いきなり目かくしをされてしまった。もちろん猫女の仕業だった。ぎゅうぎゅうと二重に目の上をしばってしまった。机博士は恐怖におそわれ、それについて抗議をした。と、口の中へハンカチだか何だかを突っこまれた。あッとおどろいていると、口の上をぐるぐると布でまかれてしまった。もう声がだせない。猫女の手ぎわのよいことはおどろくばかりだった。
それから猫女は、机博士の身体に、ロープをぐるぐるまきつけた。それがすむと女は博士の腰のところを叩いて、
「さあ、お歩きな。お前さんのこしらえておいた抜け穴から外へでるのだよ」
なんでも知っている猫女だった。なんというすごい奴だろうと、ものがいえない机博士は、くやしさとおそろしさに、からだをふるわせるばかりであった。
歩いて、穴の外へでた。ひやりと涼しい風が首すじに吹きつけたので、それと察した。いやまだある。眼かくしの布の下に、ほんのすこしばかりの隙があって、外の明るさが感じられた。これはさっき目かくしをされるときに、机博士は、顔をうんとしかめたのだ。その上に目かくしをされ、あとでしかめ面を元に直すと、すこし目かくしがゆるくなる。これは前から博士が知っていた術である。今うっすらと、足許の方の明るさが見える。明るさだけではなく、物の形が見えないものかと、博士は目かくしの下で、しきりに目をくしゃくしゃやってみた。
しばらく彼のところを離れて、向こうでなにかやっていた猫女が、このとき博士のそばへもどってきた。
「さあ、こっちへおいで」博士は又歩かされた。ごつごつした岩の上を歩かされた。崖の端までいくらも距っていない。足を踏みはずしてはたいへんだ。
「そこでストップ。さて、これから二三秒の間、息をとめているがいいよ」
猫女が、妙なことをいった。机博士は聞きかえしたかったが、ものがいえない。それで一生けんめいに目かくしの隙間から、何でもいいから見えるものを見たいと努力した。
岩かどが見えた。
(あッ、おれは今、崖の端に立っている!)
机博士は戦慄した。たいへんだ。足を踏みはずせば、崖下に落ちていって、骨をくだいて人生にさよならを告げなくてはならない。あぶない。「助けてくれ」と博士はさけんだが、もちろん声がでるはずもない。
「今になって、じたばたするんじゃないよ。早いところやってしまうからね」
猫女が机博士の方へ近づいた。何をするのかしら。その時に彼は、目かくしの隙から、猫女の服の一部を見た。足も見た。スカートは、濃い緑色の服地でできていて、短いスカートだった。その下に長くのびた形のいい脚があった。二本とも揃っていた。うすい肌色の長靴下をはいている。そして靴は短靴。スポーツ好みの皮とズックでできているあかぬけのした若い婦人向きの靴だった。それだけを一目で見た机博士は、猫女の腰から上が見えないことを残念に思った。
しかし緑の服、長く逞しい二本の脚、肌色の長靴下に、若い婦人向きスポーツ好みの短靴――というところから想像されることもない猫女の人がらだった。彼女のことばつきよりも、ずっと上品な服装ではないか。一体何者であろうか。どんな顔つきの女であろう――と、そこまでを一瞬間に考えたとき、彼の身体はとつぜん「えいッ」と突きとばされた。
(うッ)と、苦悶のさけびも声も口のうち。
彼の足は、すでに崖の端を離れた。宙にうかんだ彼の身体!
ああ、机博士の生命は風前の灯同様である。死ぬか、この変り者の悪党博士? それとも悪運強く生の断崖にぶら下るか?
ごったがえす山塞
二少年は、どうしたろうか。
机博士の暗室にもぐりこんでいた春木清と牛丸平太郎は、思いがけなくも博士対首領のすさまじい争闘を見た。机博士が首領にあびせかけたエックス線が、首領の正体をがいこつの小男として、緑色の蛍光幕へうつしだした。その怪奇も見た。そのあとで、はげしい器物の投げ合いで、室内はまっくらとなり、その部屋にとどまっていることは大危険となった。
「この部屋からでようよ」
「うん。今ならでられるやろ」
春木と牛丸とは、小犬のようになって、すばやく部屋からとびだした。
「あッ。ちょっと待った。しいッ」
牛丸は、春木よりも一足早く外へでたが、とたんにおどろいて、身を引いた。そしてうしろにつづく春木をおしもどした。彼は、廊下の向こうに人影を認めたからであった。
その人影は、牛丸がとびだすのと、ほとんど同時に、廊下の角を曲ったので、牛丸はその人物のうしろ姿をほんの一瞬間見ただけであった。その人物は背が高く、長いオーバーを着ていたように思った。正確なことは分らない。はっきり見たのはその人物の片方の足だけだった。水色のズボンをはいた長い脛であった。そしてスポーツごのみの派手な短靴をはいていた。
スポーツごのみの短靴がはやると見える。そうではないであろうか。
(誰であろう、今向こうへいった人物は?)
と、牛丸は首をひねった。しかし彼は、その人物を追いかけていくつもりはなかった。向こうへいってくれて結構であると思った。このすきに、早いところ逃げてしまうのだ。
「さあ、走るんや。今のうちなら、地下牢の方へ引きかえせる」牛丸は春木をうながして、廊下を縫うようにして走った。彼は山塞の地理を研究して知っていた。運もよくて、彼は春木と共に、元の地下牢の方へ走りこむことができた。
そこには、戸倉老人が待っていた。
老人は、牢番の小竹と身体をくっつけ合っていたが、少年たちがはいってきたので、離れた。小竹さんは猿ぐつわをかまされ、手足はぐるぐるまきにされ、椅子にしばりつけられてあった。小竹さんの目だけは自由に動いていた。いつもの睡そうなにぶい光の目ではなく、いきいきとした目つきで、みんなの顔を見ていた。恨めしそうでもなく、いかりにもえている様子もなかった。
「それじゃ、わしたちはでかける。あとは頼みます。これから毎日、あんたの無事を祈る。短気をおこさぬようにな」
と、戸倉老人は、小竹の肩をかるく叩いて、眼に涙をうかべた。すると小竹は、二三回あごをしゃくってみせた。
「早くゆきなさい」と、いそがせているようだ。これでみると、戸倉老人と小竹との間にはひそかなる了解があることが明らかだった。小竹がしばられたのも、二人合意の上のことであるにちがいない。
そこで戸倉老人につれられ、春木と牛丸の二人は、山塞を逃げだした。どういくと抜け道にでられるか、そのことは戸倉老人がよく知っていた。要所要所の扉をあける鍵もちゃんと持っていた。あける前に、警鈴用の電気装置をうまく処分することも、やはり老人が知っていた。
それより牛丸少年がおどろいたのは、老人が元気いっぱいだったことである。牢の中でも、首領の前へ呼びだされたときでも、老人は一歩も歩けない重病人のように見えた。それは、わざと重病人の風をよそおっていたのにちがいない。
しかし老人が、いくら巧みに抜け道から抜け道をたどって逃げたにしろ、わるがしこい四馬剣尺の張ってある網の目をすべてくぐりぬけることはできないはずだった。だがすばらしい幸運が、老人と二少年とを助け、一度もへまをやらないで山塞の脱出に成功した。その幸運というのは、ちょうどこのとき山塞の中は、机博士事件でごったがえしていて、要所要所の見張りはおろそかになっていたのだ。
なにしろ、おそろしいでき事だった。
町まで使いにいって、ちょうど山塞の近くへもどってきた一味の一人が、ふと目をあげたとき、妙なものを見つけた。身体をぐるぐる巻きにされた一人の人間が、崖から横にでている電柱のような長い棒の先から吊り下げられ、ぶらんぶらんと揺れているのであった。
「うわッ、あぶねえ」
その使いの者は、仙場の甲二郎という男であったが、彼はびっくりして胆をひやし、その場へどすんと尻餅をついたくらいだ。見ていると、ますます人間は揺れ、今にもロープが棒の端からとけ、吊り下げられている奴は崖下へまっさかさまに落ちていきそうだ。甲二郎は、気が落ちつくのを待って立ち上ると、こんどは駆け足でもって、山塞へとびこんだ。そしてこの変事を知らせたのである。もちろん、棒の先に吊り下げられて、ぶらんぶらんしていた人間は、机博士にちがいなかった。猫女の姿は、どこにも見えない。
甲二郎の知らせで、さっきから机博士の行方を探していた団員たちは、それというので、山塞からとびだして、崖の上を見上げた。
「うわははは、たいへんだ。見ちゃおれん」
「たしかに机博士だ。早く下へ網を張れ」
「おい、首領に報告したか」
「知らせたとも。今ここへ、首領もでてくる、といってた」
こんなさわぎが起っていたから、二少年と戸倉老人の脱出は、あんがい楽に行われたのだ。そしてみんなが網を張れだの、崖の上へいってそっと綱をひいてみろだの、竹ばしごを組んで二人ばかり登って助けろだのとさわいでいる間に三人の脱走者は反対方向の山へまぎれこんでしまったのである。
生命がけの脱出
二少年と戸倉老人とは、たがいに助けあって、山また山をわけて逃げた。
本道へでると、六天山塞の悪者どもに見つかるおそれがあるので、道もないところを踏み分け、わざわざ遠まわりをして逃げた。山のことは、さいわいにもこの土地生れの牛丸少年がたいへんくわしいので、方向をあやまるようなことがなかった。山塞を抜けでたのが、朝の八時ごろであった。それから太陽が一番高くなる正午に近くまでの約四時間を、三人は強行して逃げた。
腹が減ってならなかったが、戸倉老人はさすがに用意がよく、腰につけてきた包みの中から、チョコレートとビスケットを出して、二少年に分けあたえた。おいしかった。谷間の水にのどをうるおしながら、三人は、あらたな元気をふるい起し、それから又もや苦しい行進をつづけた。
牛丸少年の考えでは、思い切って西の方へ迂回し、タヌキ山から山姫山の方へでて、それを越えて千本松峠へでるのがいいと思った。しかしそこまでゆくには、今日いっぱいではだめだ。どうしても明日までかかる。今夜は山姫山のどこかで野宿するほかない。
千本松峠へでれば、あと四時間ばかり下って、芝原水源地の一番奥の岸につく。そこへゆけば、水道局の小屋もあるし、うまくいくと巡回の人がきているかもしれない。あとは心配ない。とにかく問題は、千本松峠へでるまでのところにある。方角はたぶんまちがえないですむと思うが一同の体力がつづくかどうか、きっとヘリコプターをとばして追跡してくるであろう、四馬剣尺の一味の目を、うまくのがれることができるかどうか、その二つにかかっているのだ。
牛丸少年は、今日のうちに山姫山までたどりつかねばならぬという計画を他の二人に話し、その日の午後は、とくに前後に気をくばりながら、できるだけ強行進をつづけてもらった。午後二時ごろと思われるときに、果して空の一角にぶーンと爆音が聞え、やがてヘリコプターが姿をあらわした。
「そらきたぞ。動いちゃいかん。ぜったいに動くな」
戸倉老人が、叱りつけるようにいった。
このとき三人は、背の低い熊笹のおい茂った山の斜面を下りているところだった。いじわるく、身をかくすに足る大木もない。そこで熊笹の中にうつ伏したまま、岩のように動かないことにつとめた。空から見下ろすと、背中がまる見えのはずであった。だから今にもだだだーンと、機関銃のはげしい掃射をくうことかと生きた心地もなかった。
いいあんばいに、ヘリコプターは、こっちへ飛んでくる途中で、とつぜん針路を北へ曲げたので助かった。よもやこんな西の方まで逃げてきているとは思わなかったのであろう。きわどいところであった。
ヘリコプターが追いかけてきたのは、その一回だけであった。タヌキ山を駆け下り、しばらく沢について歩き、それからいよいよ山姫山へのぼりだした。
こののぼりの二時間が、一番苦しかった。険しい斜面で、木の根につかまって、すこしずつのぼっていくのであった。枯れ葉に足をとられて、せっかくのぼった斜面を、ずるずるとすべり落ちて、大損することもあった。またぐちゃりと気味のわるい、山びるをつかんで青くなったことはいくたびか分らない。腹は減り、のどはかわき、目は廻った。もうこのへんでへたばって声をあげようと思ったこともたびたびであった。しかし自分が弱音をはいては、他の二人をがっかりさせると思い、歯をくいしばってがんばった。みんながそうしたものだから、山姫山の嶮もついに征服して、やがて地形は、わりあいにゆるやかな斜面となった。そして山姫山の頂上にある、測地用の三角点のやぐらが、夕陽を背負って、にょっきりと立っているのが見えてきた。三人は、疲れを忘れて足を早めた。
山姫山の頂上に小屋があった。三角点のすぐわきのところである。これは陸地測量隊がかけていった小屋で、もちろん無人のときの方が多い。その空き小屋に三人ははいって、その夜はここで一泊することにした。
夕食の時刻がきているが、その用意はなかった。ただ戸倉老人は、チョコレートの残りと、それから三枚のするめを持っていた。それをかじって、飢えをしのいだ。
日が暮れだした。もうでてもよかろうと、三人は小屋の外にでて、下界をながめた。はるかに芝原水源地が、ひょうたん形をして湖面がにぶく光っている。明日の行程でたどりつく目的地の湖尻の小屋が、豆つぶほどに見える。
(ここまでくれば、もう大丈夫だ)
と、三人が三人とも、そう思った。入日の残光が急にうすれて、夕闇が煙色のつばさをひろげて、あたりの山々を包んでいった。と、東の空に、まん丸い月が浮きあがった。満月だ。三人は危険の身の上をしばし忘れて、ほのぼのと明るい月に向きあっていた。
その夜、戸倉老人は、春木少年から黄金メダルに関するこれまでの話を聞き、少年が思いがけない苦労をしたことに深い同情のことばをかけた。そのあとで老人は二少年から問われるままに、海賊王デルマがこしらえた黄金メダルの二片について、彼の知っているだけの秘話を月明の下で物語った。
「わしも、デルマの黄金メダルの秘密について、全部を知っているわけではない。もし全部を知っているものなら、こんなところにぐずぐずしていないで、さっそく宝を掘りあてることに夢中になっているはずじゃ。正直なところ、わしはデルマの黄金メダルの秘密については、おぼろげながらその輪廓を多少聞きかじっているにすぎない。かんじんの秘密は、どうしても例の黄金メダルの二片を集めた上でないと解くことができないのじゃ。だからわしの話も、あんがいつまらんことなのじゃ」
と、老人は二少年の熱心な顔を見くらべた。
「この前、春木君に渡した絹ハンカチは火に焼けて、三分の一しか残らなかったそうじゃが、わしはその文句を宙でおぼえている。ちょっとこの紙に書いてみよう」
そういって老人は、ポケットから、チョコレートを包んであった紙をだし、そのしわをのばした。それから鉛筆の短いのを取出し、その先をなめるようにして次のような文章を書いた。
かっこで囲んだところは、春木君の手にのこった焼けのこりの部分に残っていた文字である。
――この黄金メダルは二つの破片
より成るものにして、スペインの海
賊王デルマが死の床において、彼の
部下のうち最も有力なるオクタンと
(ヘザ)ールとに各々一片ずつを与え
(たる)ものなりと伝う。この破片を
(二つ合)わせたるときはデルマの秘
(蔵する宝)庫の位置およびその宝庫
(の開き方を知)ることを得るよしな
(り。オクタンとヘ)ザールは仲悪かり
(しため協力せず)、互いに相手の有
(する黄金メダルの)一片を奪わんも
(のと暗殺者を送)りしため、両人共
(斃れ黄金メダルは暗)殺者の手に移
(り、それより行方不明)になりたり
(ここにある一片はオ)クタンの所蔵
(せし一片にして余は地中)海某島に
(おいてこれを手に入れたる)ものなり
より成るものにして、スペインの海
賊王デルマが死の床において、彼の
部下のうち最も有力なるオクタンと
(ヘザ)ールとに各々一片ずつを与え
(たる)ものなりと伝う。この破片を
(二つ合)わせたるときはデルマの秘
(蔵する宝)庫の位置およびその宝庫
(の開き方を知)ることを得るよしな
(り。オクタンとヘ)ザールは仲悪かり
(しため協力せず)、互いに相手の有
(する黄金メダルの)一片を奪わんも
(のと暗殺者を送)りしため、両人共
(斃れ黄金メダルは暗)殺者の手に移
(り、それより行方不明)になりたり
(ここにある一片はオ)クタンの所蔵
(せし一片にして余は地中)海某島に
(おいてこれを手に入れたる)ものなり
「まあ、こういうことなのじゃ。実はもう一枚このあとに絹ハンカチがあるのじゃ。これはわしが春木に渡すひまがなかったもので、六天山塞のきびしい取調べのとき、うまく見つけられないですんだものだ。それはわしの靴の中にしまってある。これがそうだ」
そういって戸倉老人は、右の靴をぬぎ、踵のところをしきりにいじっていたが、そのうちに踵のところに小さな四角い穴があいた。その中からひっぱりだしたのが、絹ハンカチのもう一枚だった。それに次のような文句が書いてあった。
――因に海賊王デルマは、かつて日
本にも上陸したることありと伝う。
彼は大胆にして細心、経綸に富むと
共に機械に趣味を有し、よく六千人
の部下を統御せり。また彼の部下ヘ
ザールは、デルマが去りし後も一年
有半日本に停り、淡路島とその対岸
地方を根城として住みしが、日本人
には害を及ぼすことなかりしため彼
を恐ろしき海賊と知る者なかりし由
なり。彼は義に固く慎重にして最も
デルマに愛せられたり。オクタンは
剛勇にして鬼神もさけるほどの人物
なりき。
本にも上陸したることありと伝う。
彼は大胆にして細心、経綸に富むと
共に機械に趣味を有し、よく六千人
の部下を統御せり。また彼の部下ヘ
ザールは、デルマが去りし後も一年
有半日本に停り、淡路島とその対岸
地方を根城として住みしが、日本人
には害を及ぼすことなかりしため彼
を恐ろしき海賊と知る者なかりし由
なり。彼は義に固く慎重にして最も
デルマに愛せられたり。オクタンは
剛勇にして鬼神もさけるほどの人物
なりき。
「どうだね。今読んだ文章の意味が分ったかね」
戸倉老人は、そういって二人の少年の顔を見くらべた。
「分ったような、分らないような、どっちだか分らない」
と、春木がいった。すると牛丸が笑った。それにつられて老人も笑った。春木も、なんだかおかしくなって、いっしょに笑った。
「それじゃ、もう一度話に直してしゃべろう。結局ここに書いてあるとおりのことなんだが……」
と、老人は、ことばに直して、同じことを復習して聞かせた。もちろん、ハンカチに書いてあるよりはくわしかった。しかし要領は同じことであった。
「……あの黄金メダルの半ぺらを、わしが手に入れたときは、わしはある汽船に船医として乗組んでいて、たまたま地中海を通ったのだ。そのときわしの乗っていた汽船が舵器に故障を起したので、その某島へ寄って修理をやった。そのために前後五日間そこに仮泊していた。その間に、わしははからずも黄金メダルを手に入れたのじゃ。……どうしてそれを手に入れたか。そのことは、宝探しには直接関係のないことじゃから、おしゃべりしないでおくよ」
老人は、そういってことばを結んだ。なにかいいにくいことがあるにちがいないと、春木はそう思った。
とにかく、おどろくべきことだ。
今までは、一片の屑金にすぎないではないかと軽く見ていたが、こうしていわれ因縁を聞くと、海賊王デルマの死霊が籠っているように気味のわるい品物に思えた。
「惜しいことをしました。あれを盗まれてしまって、まことに残念です」春木は、ほんとに残念でならなかった。
「まあ、よいわい。わしが自由の身になったからには、なんとかして取戻す方法がないでもないのじゃ。うまくいったら、君たちにも知らせてあげる。しかしこのことは、他の人には絶対秘密にしておくがよいぞ」
「はい」
と春木はこたえた。しかし、彼はこのことを他の人々にもしゃべってしまったことを思い出して、苦しかった。もっともしゃべったのは、金谷先生と四人の少年探偵の級友と、それからここにいる牛丸君だけにではあったが……。
「おじさんは、そのメダル探すあてがおまんのやな」
牛丸少年がたずねた。
「うむ。まあ、そういう見当じゃ」
「どこだんね。骨董店やおまへんか。海岸通りの方の骨董店とちがいますか」牛丸は春木から聞いたチャンフー号の店の話を思い出して、あてずっぽうながら、いってみた。
「ほう」と戸倉老人は目を丸くした。「そんならその店の名をいってみなさい」
「万国骨董商のチャンフー号ですやろ」
すると戸倉老人は卒倒せんばかりにおどろいた。チャンフー号の事件については、春木は牛丸には話したが、戸倉老人にはまだ話をしてなかったのだ。
「どうしてそれを知っているのか」
「あそこの店には、なんの品でもおますさかいにな。しかしもうあそこは頼みになりまへん。主人が殺されましたさかい」
「なんという?」
「チャンフーという老主人が、この間ピストルで殺されましてん。まだ犯人はつかまらんちゅう話だす。春木君から、ぼく聞いたんです」
「ばかばかしい。そんなことがあるものか。はははは」
と、とつぜん戸倉老人が笑いだした。
「なんで、おかしがってんだね」と牛丸が、けげんな顔で聞きかえすと、戸倉老人は、こういった。
「チャンフーが殺されるなんて、絶対にそんなことは有り得ないのじゃ。お前さんたちはだまされている」
どうしたのであろうか。春木少年は、びっくりして老人の顔をながめやった。戸倉老人は、へんなことをいいだしたものである。それとも、老人の笑うには、なにかしっかりした根拠があるのであろうか。
戸倉老人が元気になって、事件はまたもやいっそう怪奇な方向へすべりだした。しかし中天には、明々皎々たる大満月が隈なく光をなげていた。
燃えあがる山塞
戸倉老人は妙なことをいいだした。
「チャンフーが殺されるなんて絶対にそんなことはあり得ないのじゃ。お前さんたちはだまされているのだ」
戸倉老人はそういって笑うのだ。
その笑いは、いかにも確信があるもののようであった。
しかし、戸倉老人はどうしてそのようなことがいえるのだろう。老人はいままで六天山塞の地下の密室におしこめられていたのではないか。ちかごろ町に起ったでき事について意見をのべる資格はないはずだ。
それにもかかわらず、牛丸や春木の言葉をてんできこうともせず、あくまで、チャンフーの生きていることをいいはるには、何かたしかな根拠のあることなのだろうか。老人にありがちな、いったんこうと思いこんだら絶対に、ひとの言葉をきこうとしない、かたくなさからであろうか。
それはさておき、山姫山の頂上にある陸地測量隊の山小屋に一夜をあかすことになった、戸倉老人と春木、牛丸の二少年は、それから間もなく背すりあわせて寝ることになった。
秋ももうだいぶ更けている。夜の山小屋は寒かった。毛布もなにもない山小屋で、三人は背すりあわせて、なかなか瞼があわなかった。山小屋のなかには、炉がきってあり、たきものの用意もしてあったが、うっかりそんなものを燃すことはできないのだ。
燃せば、火がでる。煙もたとう、ヘリコプターの眼がこわいのである。怪しいとみれば、あいてのみさかいもなく、機関銃の雨をふらせる連中なのだ。
「仕方がない、このまま寝よう。なにすぐ夜があけるさ」
寒さも、飢えも、疲労にはうちかてなかった。それから間もなく三人は、うとうとしはじめたかと思うと、やがて、前後もしらず、ぐっすりと眠りこんだ。
それから、どのくらいたったのか。
ふたつにわれた黄金メダルや、スペインの海賊王や、さてはまた、かくされた大宝物について、ふしぎな夢をみていた春木少年は、ふいにはッと眼をさました。夢のなかでなにやら、異様な物音をきいたからである。
いや、それは夢ではなかったのだ。げんにその物音はまだつづいている。パチパチと何かはぜるような音――春木少年はギョッとして、上半身をおこしたが、そのとたん、ドカーンとものすごい音が、夜の空気をふるわしたかと思うと、山小屋がグラグラと大きくゆれた。
「なんだ、あれは……」
戸倉老人も、その物音に、ハッと床のうえに起きなおった。
いちばんノンキな牛丸平太郎までが眼をさまして、
「なんや、なんや、いまの音……」
寝呆けまなこをこすりながら、顔中を口にして、ううんと大欠伸をした拍子に、またもやドカーン。
「わーっ」牛丸少年はうしろへひっくりかえった。
「おじさん、六天山の方角ですよ」
「よし、外へでてみよう」
戸倉老人はさきに立ってでかけたが、何思ったのか、
「いや、ちょっと待て」
と、春木少年の肩をとってひきもどした。
「おじさん、ど、どうしたんですか」
「あれ……あの音をお聞き」
戸倉老人の顔は、するどい刃物のようにひきしまっている。
その声に、春木と牛丸の二少年も、ギョッとして耳をすましたが、と、どこからか聞えてくるのは、ブーというかすかな唸り声。ヘリコプターなのだ。東のほうから、しだいにこちらへ近づいてくる。
牛丸平太郎はガタガタと胴ぶるいをした。
「おじさん、まだ、ぼくらを探しているのでしょうか」
「さあ?」戸倉老人が、首をかしげたときである。またもや、ドカーンと物凄い音がして、山小屋がグラグラとゆれたかと思うと、東の窓がパッと明るくなった。
「あっ、わかった。山塞に何かあったんだよ、それで、一味のものが、ヘリコプターで逃げだしているのだ」
パチパチと物のはぜるような音は、ますますはげしくなってくる。ドカーン、ドカーンと、爆発するような音が、ひっきりなしにつづいて、東の窓はいよいよ明るくなってきた。
ブーン、ブーン――竹トンボをまわすような唸りは、しだいにこちらへちかづいて、やがて、山小屋の上空までやってきた。と、思うと、
ダダダダダダ! すさまじい音を立てて、機関銃がうなりだした。山小屋の周囲の岩石に、機関銃の弾丸が、あられのように跳ねっかえる。
「あ、危い!」三人はパッと床に身をふせる。
「お、おじさん、見つかったのでしょうか」
春木少年の声もさすがにふるえていた。
しかし、あいては、たしかにここという確信があったわけでもないらしく、ひとしきり機関銃の雨をふらせると、そのままゆうゆうとして、西のほうへとび去った。
「ひどいやつだ。いきがけの駄賃とばかりに、機関銃をぶっぱなしていきおった」
「いくらか臭いとにらんだんですね」
「そやそや、ひょっとすると、このなかかも知れんと思うてうちよったんや」
三人とも汗びっしょりである。いまさらのように、兇悪無残なやりかたに、腹の底まで凍るような気持ちである。さいわい、三人とも怪我がなかったからよかったようなものの、もうしばらく、機銃掃射をつづけられたら、どんなことになっていたのかわからないのだ。それを考えると、三人はゾッとして顔を見合せた。さて、それから間もなく、ヘリコプターの爆音が、西の空に消え去るのを待って、三人が山小屋から外へとびだしてみると、東のかた、六天山の上空には、炎々たる焔がもえあがっていた。
パチパチと木のもえさける音、ドカーン、ドカーンとひっきりなしに聞える炸裂音、そのたびに、蒼白い閃光が、パッと焔と煙をつらぬいて、阿鼻叫喚の地獄絵巻とはまったくこのことだった。
戸倉老人と春木、牛丸の二少年は、呆然として顔を見合せたが、それにしても、どうしてこんなことになったのであろうか。
それをお話するためには、話を少し、もとへ戻さねばならぬ。
首領の両脚
裏切者の机博士が、猫女のはる綱にひっかかって、あわれ断崖のうえから、いのちの宙吊りをやらされたことは、諸君も知っていられるとおりである。
町へ使いにいった、仙場甲二郎という男が、この宙吊りを発見するのが、もう少し遅れたら、さすがの悪党博士もどうなっていたかわからない。おそらく、綱は棒からはなれて、博士はまっさかさまに谷底へついらくし、柘榴のようにはじけていたかも知れないのだ。
しかし、さいわい、仙場甲二郎の注進によって、山塞のなかは大騒ぎになった。誰も博士が首領にたいして、あのような裏切行為をはたらいたことは知らないからよってたかって、やっと博士を、崖のうえへひっぱりあげた。
このときばかりはさすがの机博士も、よっぽど肝をひやしたと見えて、青菜に塩のようにげんなりしていたが、それでも、いうことだけはいい。
「いや、地獄の一丁目までいってきたよ。は、は、は、とんだお茶番さ」
「先生、じょ、冗談じゃありませんぜ。いったい、誰があんなことをしたんです」
「猫女だよ」
「猫女あ……?」波立二がとんきょうな声をあげた。
「猫女といやあ、いつか首領の手から、黄金メダルの半ペラをうばっていった……」
「そうそう、あいつだ。あいつが暗闇のなかからとびだして、わしをあんな眼にあわせおったのだ。あいつはほんとに闇のなかでも眼が見えるらしい」
さすがの荒くれ男も、気味悪そうに顔を見合せた。
「それじゃ、先生、あいつがまた、この山塞へしのびこんだというのですかい」
「そのとおり、あいつはまるで空気のように、どこからでもこの山塞へしのびこむのだ。ひょっとすると、まだそこらの闇にしのんでいて、だしぬけにズドンと一発……」
「いやですぜ、先生、気味の悪い。いかにあいつがすばしっこいたって、忍術使いじゃあるまいし……」
「いや、そうではない。あいつは暗闇のなかで、眼が見えるくらいだから、忍術も使うかも知れん。だって、考えてみろ。いつかの晩だって、電気が消えたと思ったら、そのとたんあいつの声が四馬頭目のうしろで聞えたじゃないか。それまで皎々と電気がついていたんだ。いったい、どこからいつの間に首領の椅子のうしろまで、忍びこんできたんだ。それ、即ち忍術をつかう証拠だ」
「いやですぜ、先生、変なことはいいっこなしに願いましょう」
「いや、変なことではない。いずれにしてもあんな妙なやつが、ひょこひょこ出入りをするようじゃ、この六天山塞もさきが知れているな」
仔細らしく首をひねる机博士の顔色に、さすがの荒くれ男たちも顔見合せた。相手の性がわかっておれば、たとえ鬼でも蛇でも、おそれをなすような連中ではないが、闇のなかから声ばかり、姿も形もわからないとあっては、浮足立つのも無理ではなかった。
ひょっとするとそこらの闇にひそんでいて、猫のように眼をひからせているのではないかと思うと、襟元から、冷たい水をブッかけられるような気持ちだった。
口では元気なことをいってるものの、さすがに、あのような、いのちの宙吊りをやらされた机博士、その日は一日ゲッソリ参って、自分の部屋で休んでいたが、さて、その晩のことである。仙場や波立二たちと話をしていると、そこへ木戸という男がいそぎ足でとびだしてきた。
「おい、おまえたちは何をぐずぐずしているのだ。首領がお待ちかねだ。早く机博士をつれてこんか」
木戸は一同を叱りつけておいて、机博士にちかづいた。
「先生、あんた首領になにをしたんです。首領はカンカンにおこってますぜ」
首領――と、きくと、机博士の顔色はさっと鉛色になった。
「いやあ……別に……ちょ、ちょっと悪戯をしてみただけさ」
「なんだか知りませんが、首領をおこらせることが、どんなことだか、おまえさんもよく御存じのはずだ。いずれ、ただではすみませんぜ。さあ、おいでなさい。おい、みんな、机博士をにがすな」木戸の言葉に一同は、バラバラと机博士をとりかこんだ。こうなったら、袋のなかの鼠も同然、机博士は急にガタガタふるえだした。首領のおそろしさは、知りすぎるほど知っている机博士なのだ。
「さあ、先生、それじゃお気の毒でも、いっしょにきてもらいましょうか」屠所にひかれる羊とは、このときの机博士のようなのをいうのであろう。よろよろと、足下もさだまらぬ机博士を、荒くれ男が左右から、ひったてるようにして、やってきたのは首領の待っている特別室。
首領の四馬剣尺は、あいかわらず竜の彫物のある、大きな椅子に坐っていた。身のたけ六尺にちかく、ビール樽のように肥ったからだは横綱もはだしで逃げだしそうな体格だ。顔は例によって、三重のヴェールによってつつまれているが、そのヴェールがブルブルとふるえているところを見ても、いかに首領がおこっているかわかるだろう。
土色になって、コンニャクのようにブルブルふるえている机博士は、首領のまえの椅子にひきすえられた。
「机博士」首領四馬剣尺の声は、つめたく、落着きはらっていた。これは首領のいかりが、いかに大きいかという証拠なのだ。四馬剣尺はいかりが大きければ大きいほど、つめたく落着きはらうのである。
「おまえは昨夜、このわたしにどのような無礼をはたらいたか、よくおぼえていような」
「首領、お許しを……」
「黙れ!」
首領は大喝した。からだがいかりでブルブルふるえた。
「獅子身中の虫とは、机博士、おまえのことだ、おまえは盗人のようにわたしの部屋へしのびこんだ。しかし、それは許してやろう。いかにおまえがコソコソと、机や戸棚をひっかきまわしたところで、秘密をうばわれるようなわしではない。だが……」
と、首領はギリギリと歯ぎしりをして、
「どうしても、許しがたいのは、それからあとのお前の所業だ。おまえはエックス線で、わたしの正体を知ろうとした。この神聖なわたしの正体を!」
首領はわれがねのような声を張りあげて、両手をふりあげ長い袖のなかで、拳をブルブルふるわせた。土色になった机博士の顔には、ビッショリと汗がうかんでいる。
「さあ、いえ、おまえは何を見たのだ。エックス線で透視して、おまえはいったい、どのようなものを見たのだ」
「首領、ごめんを……そればかりはごめんください」
「ならぬ、いえ! みんなのまえでいってみろ。おれの正体がどのようなものであったかいってみろ!」
首領の声が、広い部屋にとどろきわたって、山彦のように反響した。
「首領……それでは、いってもかまいませんか、みんなのまえで……」
机博士の瞳に、チラと、狐のように狡猾なあざ笑いがうかんだ。
「構わぬ。いえといえば、早くいえ!」
「それじゃいいましょう。首領、あなたは小男なのだ。あなたの、その大きなダブダブの中国服は、その小男をゴマ化すための煙幕なのだ。あなたは足に、一メートル位の棒をつけて、大男に見せかけているが、じっさいは、小男なのだ!」
一瞬、部屋のなかは、シーンとしずまりかえった。あまり意外な机博士の言葉に、木戸も、波立二も、仙場の甲二郎も、呆気にとられてポカンとしていた。
(この、横綱のような大男の首領が小男……?)机博士は気が変になったのではなかろうか。突然、爆発するような笑い声がおこった。首領の四馬剣尺だ。首領は腹をゆすって笑った。笑って、笑って、笑いころげた。
「机博士、それがおまえが見たところか。このおれが小男……? おい、机博士、おまえの眼はたしかか、いやさ、おまえのエックス線に狂いはないのか」
「断じてわたしは見たのだ。わたしのエックス線には狂いはないのだ。おまえは、棒でつぎ足した……」
そのとたん、四馬剣尺は脚をあげて、いやというほど、博士の向う脛を蹴りあげた。机博士はあまりの痛さに、あっと叫んでとびあがったが、すぐに、木戸と波立二におさえつけられた。
「机博士、この脚が棒だというのか。わたしの脚が棒だというのか。さわってみろ。たった一度だけ許してやる。さわってみろ!」机博士は首領のまえにひざまずいて、おそるおそる、首領の両脚にさわってみた。そのとたん、つめたい汗が、つるりと博士の額からすべり落ちた。
ああ、これはなんとしたことだ。首領の両脚は、たしかに温い血のかよった、人間の脚にちがいなかった。
人間金庫
机博士はゲッソリとやつれた顔で、椅子のなかにうまっている。いっぺんに十も二十も年をとったように見える。
ああ、わからない。昨夜エックス線で見たときには、たしかに首領は、長い棒のつぎ脚をした、小男だった。しかるに、いま、中国服のうえからさぐった首領の両脚は、まぎれもなく、血と肉からできたたくましい人間の両脚だった。これはいったいなんとしたことだろう。おれは気が変になっているのではなかろうか。
「そうだ、おまえは気が変になっているのだ」机博士の考えを見抜いたように、首領がズバリといいあてた。
「おれを、この四馬剣尺を裏切ろうなどという考えが起ることからして、おまえはもう気が変になっているのだ。だが、まあいい。これで、おまえのバカげた疑いは晴れたであろう。それでこれからおれの用事だ。おい机博士、だせ!」
首領の声が、雷のようにとどろいた。気落ちしたように、ボンヤリしていた机博士は、その声に、ビリビリと体をふるわせた。
「な、な、なんですか。なにをだせというんですか」
「白ばくれるな。おまえはチャンフーの店で、黄金メダルの半ペラを、手にとって調べてみたといったな。おまえのような狡猾な男が、金がないからといって、そのまま、かえると思われるか。おまえはきっと、小型カメラで、メダルの両面を撮影してきたにちがいない。そのフィルムをここへだせ」
机博士の顔に、そのときまた、チラと狡猾なあざわらいの影がうかんだ。
「なるほど。さすがは首領だよ。えらい眼力だよ。感服したよ。たしかにわたしはメダルの両面を撮影してきたよ」
「よし、よくいった。それじゃ、それをここへだしてもらおう」
「ない、とられた」
「とられた? 誰に?」
「猫女に……首領、おまえさんは利口だよ。眼はしが利くよ。しかし、猫女はおまえさんより一枚上手だ。さっき、抜穴のなかで、まんまと、猫女にまきあげられたよ。あっはっは、猫女はいつか、おまえさんからメダルの半分をまきあげたね。そして、こんどは他の半分の両面を、撮影したフィルムも手に入れたのだ。大宝物は猫女のものだよ。あっはっはっは」
首領はギリギリ歯ぎしりした。いかりで肩がブルブルふるえた。
「木戸、波立二、そいつの身体検査をしてみろ!」
言下に木戸と波立二が、机博士の身体検査をしたが、むろん、フィルムはでてこなかった。
「首領、なにもありません」
「足らん」首領は地団駄をふみながら、雷のような声でどなった。
「身体検査のしかたが足らん、そいつを素っ裸にして調べてみるんだ」
「素っ裸に……?」
どういうわけか、素っ裸にしろときくと、机博士の顔色がにわかにかわった。
「じょ、じょ、冗談でしょう。首領、服のうえからおさえても、フィルムを持っているかいないかくらい、誰にでもわかります。なにも裸にしなくたって……」
狼狽して、しどろもどろになる机博士を、四馬剣尺は三重のヴェールのしたから、ひややかにながめていたが、やがて、せせら笑うようにいった。
「机博士、面白い話をきかせてやろうか」
「面白い話……?」
「そうだ。とても面白い話だ。おまえが聞くと、喜ぶと思うんだ。ほら、骨董商のチャンフーが殺された日のことよ。おまえが黄金メダルの半分を見つけて、まんまと両面の撮影に成功して、ひきあげてからのことだ。間もなく顔に、恐ろしい刀傷のある、スペイン人か日本人かわからぬような、外国の船員服をきた男が、骨董店へやってきたのだ。そして、そいつがいくらで買ったのかしらんが、黄金メダルの半分を買ってでていったんだ。ところが、すぐそのあとへまた、あのメダルを買いにきたものがあったんだ。かりにこの人物をXとしておこう。Xは骨董商のチャンフーからいまでていった、船員風の男が、ひとあしちがいで、黄金メダルを買っていったということを聞くと、急いで、そのあとをつけていったんだ。どうだ、机博士、面白い話じゃないか」
机博士はおびえたように眼をみはって、きっと首領の三重ヴェールを見つめている。額にはビッショリと汗。
「ところが、スペイン人か日本人かわからぬような、顔に大きな傷のあるその男は、間もなく、海岸通りのホテルへ入っていった。Xもすぐそのあとからつけて入った。船員風の男は二階の隅のとある一室へ入っていった。Xは廊下のすみから、その部屋を見張っていたが、すると、ものの十五分もたたぬうちに、その部屋からでてきた男がある。おい、机博士、それが誰だったか知っているか」
机博士は、椅子の両腕を、くだけるばかりに握りしめている。からだがガクガクふるえて、眼玉がいまにもとびだしそうだ。首領はヴェールの奥でせせらわらって、
「あっはっは、その顔色じゃ知っていると見えるな。そうだ、その男というのは机博士、おまえだったのだ。しかも、おまえがでていったあとで、Xが部屋をのぞいてみると、そこには誰もいなかった。つまり、顔に大きな刀傷のある男とは、机博士、おまえだ、おまえだったのだ。おまえは黄金メダルの半ペラを見つけた。しかし、おまえのその姿で買いとれば、いずれ、チャンフーの口からそれがわかるにちがいない。そう考えたおまえは、外国の船員に変装して、黄金メダルを買ったのだ。顔の大きな刀傷は、できるだけ、素顔をかえるために、絵具でかいた贋物だったんだ。どうだ机博士、面白い話じゃないか」
首領四馬剣尺は、大きな腹をゆすってわらった。机博士は、まるでおいつめられた野獣のような顔をして、三重ヴェールを見つめていたがやがてキーキー声をふりしぼって叫んだ。
「わかった、わかった、わかったぞ」
細い指を、首領の鼻さきにつきつけると、
「問うに落ちず、語るに落ちるとはこのことだ。チャンフーを殺したのはXだ。そして、Xとは首領、おまえのことなのだ」首領はしかし、せせらわらって、
「バカをいえ。おれがこの大きな図体で、町を歩いていたらどんなに人眼をひくことか……聞いてみろ、チャンフーの店は、野中の一軒家じゃあるまいし、隣もあれば、近所の眼もある。横綱のような大男が、あの日、チャンフーの店の近所をあるいていたかどうか、誰にでもきいてみろ」
自信にみちた首領のことばに、机博士はいっぺんにペシャンコになった。
「それ、木戸、波立二、なにをぐずぐずしている。そいつを早く、裸にしないか」
言下に、木戸と波立二が、机博士をとりおさえた。そして水ガモのように細いからだで、キーキー声をあげて抵抗する机博士を、またたくうちに素っ裸にした。
博士は猿股ひとつになって、コンニャクのようにブルブルふるえている。そのからだを、三重ヴェールのおくから、きっと見つめていた四馬剣尺は、ふいに、椅子の腕をたたいてわらった。
「あっはっは、さすがは机博士だ。人間金庫とは考えたな。おい、左の肩にあるその傷口はどうしたのだ」
机博士はあっと叫んで左の肩をおさえた。しかし、それはおそかった。左の肩に、少し盛りあがった傷口は、まだ新しくて、生々しかった。
四馬剣尺はギラリと、青竜刀をぬき放つと、
「机博士、おまえはわざと左の肩に傷をつけ、そのなかに黄金メダルの半ペラをおしこみ、そのうえを縫合したのだろう。いま、おれが、その金庫をひらいてやろう」
四馬剣尺は、青竜刀をひっさげて、ゆらりと椅子から乗出したが、そのときだった。あわただしい足音がちかづいてきたかと思うと、
「首領、たいへんです。たいへんです。警官がおおぜい押し寄せてきました。誰か内通したやつがあるんです。抜け道という抜け道は、全部包囲されておりますぞ」
悲痛な声だった。
首領はそれをきくと、思わず青竜刀をポロリと落した。
チャンフーの双生児
六天山塞の大捕物は、たちまち港町の大評判になった。
何しろ、六天山からカンヌキ山へかけて、三日三晩、焼けつづけたのだから、附近の騒ぎはたいへんだった。
「なんですか。このあいだの晩の、あのものすごい物音は……?」
「あああれですか。あれはねえ、なんでも六天山のなかに山賊が住んでいたんだそうですよ。それが警官に包囲されたので、山塞にしかけてあった爆弾に火を放ったんだっていいますよ」
「へへえ、山賊がねえ。そして、その山賊はとっつかまったんですか」
「ところが、泰山鳴動して鼠一匹でね。つかまったのは雑魚ばかり。大物はみんな逃げてしまったということです」
「それは残念なことをしましたね。しかし、警察も、あれだけの騒ぎをやりながら、どうしてそんなヘマをしたんでしょう」
「それゃ、仕方がありませんよ。向うはヘリコプターとかなんとかいう、竹トンボの親方みたいな、飛行機をもっているんだからかないません」
「なるほど、それで高跳びをしたというわけですか」
「おや、しゃれをいっちゃいけません」
などと、町の噂はたいへんだったが、いかにもこの噂のとおり、四馬剣尺の一味のもので、主だった連中はほとんど逃げた。
木戸と波立二、それから仙場甲二郎の三人は首領の命令で、机博士をしばりあげ、それをヘリコプターにつんで逃げた。
そのあとで、首領の四馬剣尺は、かねて仕掛けてあった爆弾に火をはなち、いずくともなく姿を消した。だから、警察が大騒ぎしてとらえたのは、あの小竹さんはじめ、数名の下っぱばかりであった。
それにしても四馬剣尺はどこへ逃げたか?
根城としていた六天山塞を焼きはらって、かれらは解散したのであろうか。いやいや、そうは思われぬ。あの執念ぶかい四馬剣尺のことだ。いつかはまた、きっとあの偉大な体を乗出して、何事かをやらかさずにはおくまいが、ここではしばらくおあずかりしておいて、春木、牛丸の二少年のほうから話をすすめていこう。
危く四馬剣尺の魔手からのがれた、春木、牛丸の二少年は、つぎの日、山をくだると、そこで後日を約して戸倉老人とわかれた。
そして無事にわが家へかえりついたが、そのとき、牛丸平太郎のお父さんやお母さんが、どのように喜んだか、春木少年に対して、どのように感謝したか、それらのことはあまりくだくだしくなるから、ここでは書かないでおくこととする。
さて、それから当分、二人の身のうえに、別に変ったこともなく、毎日、楽しく学校へ通っていた。学校では、二人はすっかり英雄にまつりあげられ、みんなからさかんに話をせがまれた。ことに少年探偵を結成しようとしていた、小玉君や横光君、それに田畑君などは、春木少年ひとりにだしぬかれたことをくやしがって、こんど何かあったら、きっと自分たちも、仲間に入れてくれとせがんだ。春木、牛丸の二少年はむろんそれを承諾した。
こうして幾日か過ぎた。春木、牛丸の二少年の身辺には、依然として平穏な日がつづいた。いずれ落着いたら、便りをよこすといっていた戸倉老人からもどうしたものか音沙汰がなかった。
ところがある日、春木少年が学校へいくと、牛丸平太郎がまじめくさった顔をしてそばへ寄ってきた。
「春木君、ちょっと。……」
「牛丸君、なあに」
「妙なことがあるんや。ほら、あの万国骨董商な」
「うんうん、チャンフーの店か」
「そやそや、あの店がまた、ちかごろひらいたんやぜ。ぼく昨日、海岸通りへ使いにいったついでに、あの店をのぞいたところ、表がひらいていて、ちゃんとそこに、チャンフーが坐っているやないか。ぼく、びっくりして、胆っ玉がひっくりかえった」
「馬鹿なことをいっちゃいけない。チャンフーはピストルで撃たれて、死んだはずじゃないか」
「そやそや、それやのに、そこにちゃんと、チャンフーがいるんや。どう見てもチャンフーにちがいないのや。ぼく、てっきり幽霊かと、おっかなびっくりで近所のひとにきいてみたんやが、なんと、店にすわっているのは、チャンフーやのうて、チャンフーの双生児の兄弟で、チャンウーちゅうのやそうな」
「へへえ、チャンフーには双生児の兄弟があったの」
春木少年は眼をまるくした。
「そやねんて。いままで、横浜にいたんやそうやが、兄弟のチャンフーが殺されて、あとをつぐもんがないさかい、わざわざ横浜からやってきて、店を相続したんやそうな。双生児とはいえ、そらよう似とる。近所でも、まるでチャンフーさんが、生きてかえったようやというてるぜ」
春木少年は、しばらく、だまって考えていたが、やがて考えぶかい調子で、
「ねえ、牛丸君」と、声をかけた。
「なあに、春木君」
「いつか戸倉老人はへんなことをいったねえ。チャンフーが死ぬなんて、そんなことはありえないことじゃと……」
「そうそう、いうた、いうた。あら、どういうわけやろ」
「さあ、ぼくにもそこのところがよくわからないんだが、ひょっとすると、あの言葉と、チャンフーの双生児、チャンウーとなにか関係があるのじゃないかしら」
「うん、うん、なるほど」
牛丸平太郎は牡牛のような鈍重な表情でうなずいた。
「それで、どうだろう。チャンウーというのを、ぼくらの手でさぐってみたら。……戸倉老人は、なにか変ったことがあったら、なんらかの方法で通信するといっていたが、いまだに、何もいってこない。それでぼく、このあいだから、腕がムズムズして仕方がないんだ。だって、このままじゃ、蛇の生殺しみたいで、気が落着かないじゃないか」
「そら、ぼくかて同じことや」
「そうだろう。だから、今度はこっちから積極的にでてみようと思うんだ。といって、さしあたり、どこから手をつけてよいかわからないから、まず、チャンウーの店からさぐってみたらと思うんだが、どんなもんだろ」
「うん、そいつは面白い。それにきめたッ」
牛丸平太郎が、躍りあがってよろこんでいる姿を見つけて少年探偵団の、小玉、横光、田畑の三君が、何事ならんとかけつけてきた。そこで、春木、牛丸の二少年が、いまの話を語ってきかせると、三人とも有頂天になってよろこんだ。
「よし、それじゃ、今日、学校がひけたら、みんなで、海岸通りへいってみようじゃないか」
と、相談一決したが、この少年たちがチャンウーの店を偵察して、いったいどのようなことを発見するだろうか。
大花瓶
さて、こちらは少年たちの話題にのぼった、海岸通りの万国骨董堂である。
今日も今日とて、チャンウーが、店さきに坐って、スッパスッパと水煙管を吸っていた。なるほど、孔子さまのように長いあごひげを生やして、トマトのように血色のよい顔をしたチャンウーは、殺されたチャンフーにそっくりだった。ただ、ちがっているのは、チャンフーは眼鏡をかけていなかったが、双生児のチャンウーは、黒い大きな眼鏡をかけている。あんまり似ているといわれるので、あるいは区別をつけるために、わざとそんな眼鏡をかけているのかも知れない。
チャンウーは眠そうな眼をして、さっきからぼんやり店に坐っていたが、どうやら客もないらしいと考えたのか、ノロノロ立って、おくの一間へ入っていった。そして、なかからピンとドアに鍵をかけると、これはいったいどうしたことか、いままで眠そうな眼をしていたチャンウーの顔色が、急にいきいきしてきた。眼鏡のおくでふたつの瞳が、にわかにキラキラかがやいた。
チャンウーは、油断なくあたりを見廻すと、壁にかかったスペインの帆船をかいた、油絵の額をはずした。それから、壁のどこかを押すと、そこにパックリ小さい孔があいた。金庫なのだ。かくし金庫なのだ。
チャンウーはもういちど、鋭い眼であたりを見廻すと、やがて金庫をさぐって、なかから小さいビロードばりの箱を取りだした。そして、金庫をとじ、額をもとどおりにかけおわると、大事そうにビロードの箱を持って、机のまえまでやってきて腰をおろした。
それから、眼鏡をかけなおし、ビロードの小箱のバネを押すと、ピンと蓋がひらいて、なかから現れたのは、おお、なんと、黄金メダルの半ペラではないか。
チャンウーは、もういちど素速い視線をあたりに投げると、ううんと深いいきを吸い、それからくいいるように、その半ペラに見入っていた。それはたしかに、海賊デルマののこした黄金メダルのうち半月形の部分である。
しかし、これはいったい、どうしたというのだろう。半月形のその半ペラは、戸倉老人から春木少年の手にうつり、のちにひげづら男の姉川五郎に掘り出されて、骨董商チャンフーに売られ、さらにそれを、机博士が買いとって自分の肩の肉のなかに、かくしておいたはずではないか。
そうすると黄金メダルというのは二つあるのだろうか。
それはさておき、チャンウーは鉛筆片手に、字引きと首っぴきで、黄金メダルの裏面にかいてある、スペイン文字の翻訳をはじめた。だいぶまえからやっていると見えて、はじめのほうは、スラスラいく。それはだいたいつぎのとおりであった。
わが秘密を
とする者はいさ
人して仲よく
り聖骨を守る
のあとに現われ
メダル右破片
何しろ、メダルが半分しかないから、ここまで翻訳してみても、さっぱり意味がわからない。これからしても、どうしてもメダルの他の半分、扇型の半ペラがなければならぬわけである。とする者はいさ
人して仲よく
り聖骨を守る
のあとに現われ
メダル右破片
チャンウーは残念そうに、黄金メダルの半ペラを見つめていたが、また思いなおしたように、鉛筆をとりなおして、翻訳をつづけていったが、そのとき、店のほうで人の足音がした。
チャンウーはそれをきくと、あわててメダルをビロードの箱に入れ、壁のかくし金庫におさめると、翻訳しかけていた紙を、クチャクチャにかみくだいて、それから何食わぬ顔をして、店のほうへでていった。
店へきた客は、立花カツミ先生であった。
立花先生はチャンウーの顔をみると、ギョッとしたように眼をみはったが、すぐ気がついてにっこり笑って、
「ああ、びっくりした、あなたがあまり亡くなったチャンフーさんに似ているので、あたし幽霊かと思いましたわ。そうそう、あなたとチャンフーさんは双生児ですってね」
「そう、わたしとチャンフー、双生児の兄弟、あなた、チャンフー、知っていますか」
「ええ、以前いちど、この店へきたことがありますので、……チャンフーさん、お気の毒なことをしましたわね」
「そう、弟、可哀そう、なんとかして私、犯人さがしたい」
「いまにきっとわかりますわ。警察でもほっておきはしませんもの。あたしだって、いちどお眼にかかった御縁がありますから、心当りがあったらお知らせします」
「ありがと。ときに、今日は何か御入用ですか」
「いえ、実は、今日は買物にきたんじゃないのです。反対にこの店で買っていただきたいものがございまして……」
「はあ、結構です。品と値段によっては、なんでもいただきます」
「そう、じゃ、ちょっと待って……」立花先生はいったん店をでていったが、すぐ、ひきかえしてきたところを見ると、二人の男をつれており、その男たちは高さ四尺、直径一尺五寸もあるような、大花瓶をかかえていた。
男たちがその大花瓶を、店のほどよいところへおろしてでていくと、立花先生はチャンウーのほうをふりかえり、
「買っていただきたいというのは、これですの。これは父があなたのお国を旅行した際、北京で買ってきたもので、あたしとしては手離しにくいものですが、急に金のいることができましたので……」立花先生は、さすがに恥しそうに顔をあからめ、もじもじしていた。
「なるほど、これは立派な花瓶、値段によっては買いましょう」
チャンウーは花瓶のおもてを、なでたり、さすったりしていたが、ふと、なかをのぞいてみて、妙な顔をして眉をしかめた。
「おや、この花瓶、なかがつまってますね」
「そうなのです。父が買ってきたときからそうなっているんです。だから父はこの花瓶のことを、開かずの花瓶だなどと笑ってました。が、……きっと、なにかわけがあって、花瓶をつめてしまったのでしょうね」
チャンウーが不思議に思ったのも無理ではない。その花瓶は首のところまでセメントがつめてあって、叩くとコツコツかたい音がした。チャンウーは、しばらく考えていたが、
「いや、これは珍しい花瓶です。しかし、これくらい大きな花瓶になると、花を飾るよりも、花瓶自身が飾りものです。で、いくら御入用ですか」
「まあ、それじゃ買ってくださいますの。実は、……」
と立花先生が金額をきりだすと、チャンウーは笑って、
「それは高い。なかのつまった花瓶なんて、やっぱり疵物も同様ですから、その半分ぐらいでなくちゃ……」
「あら、半分はひどいですわ。もう少しフンパツしてくださいな」と、しばらく押問答をしていたが、いったい、どれくらいで折れあったのか、それから間もなく骨董商の店をでていく立花先生の顔色をみると、いかにも嬉しそうな微笑がうかんでいた。
チャンウーはそのうしろ姿を見送って、それから、不思議そうに首をかしげ、しばらく見事な大花瓶を、なでたりさすったりしていたが、やがて表のドアをしめると、奥のひと間へひっこんだ。
もう日が暮れているのである。
怪人現れる
チャンウーの店の隣は、四階建のビルディングになっていて、一階は貿易促進展覧会の会場になっているが、二階からうえは貸事務所になっている。
ところが、都合のいいことには、その三階に、少年探偵団のひとり、小玉君のお父さんの事務所があった。
少年探偵団の一行五名は、学校がひけると、海岸通りへ出向いていって、なにくわぬ顔で、チャンウーの店のまえを通ったが、
「なんだ、ここなら、お父さんの事務所のとなりじゃないか」
と、小玉君がささやいたので、それじゃお父さんにお願いして、しばらくその事務所の片隅をかりようということになった。
そこで五人の少年は、三階にある小玉商事会社の応接室へあがっていったが、ますます都合のよいことには、その応接室はチャンウーの店のがわにあり、窓からのぞくと万国骨董商が眼の下に見えた。
「ああ、こいつは都合がいいや。小玉君、なんとかしてお父さんに、しばらくこの部屋をかして下さるようにお願いしてくれたまえ」
「いいとも。ぼくのお父さんは、たいへん物分りのいいひとだから、きっと承知してくださるよ」
やがて、応接室へでてきた小玉氏というひとは、いかにも物分りのよさそうな紳士であった。小玉氏は息子の小玉少年から話をきくと、はじめは眼をまるくして驚いていたが、一同がかわるがわる熱心にお願いすると、
「なるほど、それじゃいつか牛丸君を誘拐した、六天山塞の山賊のゆくえをさぐるために、チャンウーの店を監視するというんだね」
「そうです。そうです。ぼくらは警察に協力して、一日も早くあの山賊をとらえたいのです」
春木少年が、熱心にお願いすると、小玉氏はにこにこ笑って、
「よしよし、いや、いまどきの少年、すべからくそれくらいの勇気がなければならぬ。いいとも、君たちの頼みをきいてあげよう。しかし、ここに条件がある」
と、いって、小玉氏はつぎのような条件をだした。
まず、第一に、自分たちがまだ子供であるということをよく心得て、決して危きにちかよらぬこと。第二に、何か変ったことを発見したら、すぐに警察へ報告し、みずからは手だしをしないこと。第三に、夜九時までにみんな揃って帰宅すること。
「わかりました。お父さん。ぼくたちは決して、お父さんに御心配をかけるようなことはしません」
春木少年が一同を代表して断言すると、小玉氏はにこにこ笑って、
「よしよし。それじゃ、今夜から監視をはじめるのだろうが、君たち、飯はまだだろ。それじゃ、前祝いに夕飯を御馳走しよう」
と、親切な小玉氏は、五少年をひきつれて、近所の中華料理店へいって夕飯をふるまった。
「それじゃ、君たちの成功をいのるよ。しかし、くれぐれもいっとくが、自分たちがまだ子供であることを忘れちゃいかんよ」小玉氏から激励と忠告をうけて、中華料理店のまえでわかれた五少年が、すでに日の暮れた路を、ビルディングのほうへかえってくると、そのとき、万国骨董商のなかからとびだしてきた婦人があった。
「あっ、あれは立花先生じゃないか」春木少年がいちはやく、先生のすがたを見附けて注意すると、
「そうだ、そうだ。立花先生だ。先生は、なんの用があって、こんなところへきたんやろ」
牛丸平太郎も不思議そうな顔をしている。小玉、横光、田畑の三少年もギックリとしたような顔を見合せた。しかし、幸い立花先生は気がつかなかったらしく、男のような足どりで、スタッスタッと黄昏の闇のなかに姿を消した。
「どうも変だね。ぼくはまえから、立花先生を変だと思っていたんだよ」
春木少年はあるきながら、考えぶかそうに呟いた。
「変て、どういうふうに?」小玉少年がききかえした。
「だってね、このまえ、チャンフーが殺された日にも、立花先生は万国堂のまえを通りかかって、飾窓をのぞいたというんだろ。そして、そのとき、飾窓のなかには、黄金メダルの半ペラが飾ってあったんだ。しかもそのつぎの日、金谷先生がそのことをしゃべると、立花先生、とてもいやな顔をしたという話だよ」
「うん、そういえば、立花先生はよく学校を休むね。それにどこへいくのか、ときどき寄宿舎からいなくなることがあるという話だよ」田畑少年がいった。
「よし、それじゃ、明日から手分けして、誰かが立花先生を監視することにしようじゃないか。監視なら、子供にだってできるもの」横光少年の言葉だった。
「うん、それがいい。いずれ、明日になったら、誰が立花先生の監視にあたるかきめよう」
こうして、また、新しい探偵の方針がたったので、一同は、満足して、三階の応接室へかえってきた。窓から見ると、チャンウーの店から、ほの暗い光がもれている。
「あ、見給え。チャンウーの店には天窓があるよ。あそこから覗けば、店の様子がよく見えるにちがいないよ」
「そうや、そうや。ぼく、ひとつあの屋根へおりてみようか」
牛丸平太郎が、ハリキって、窓からからだを乗りだすのを、春木少年はおしとどめ、
「いや、ちょっと待ちたまえ。もう、しばらく、あたりが暗くなるまで待とう」
それから一時間ほど待つと、あたりはすっかり暗くなった。チャンウーの店の天窓からは、あいかわらず、ほのぐらい光がもれている。
「春木君、もう、そろそろ、ええやないか」牛丸平太郎は、さっきから、腕がムズムズしているのである。
「そう。もうそろそろいい時刻だね。ところで、誰が偵察にいくか、これは公平を期してくじ引きということにしよう。ひとりじゃ心細いから二人一組となっていくことにしようじゃないか」
春木少年のこさえた、五本のこよりを引いた結果、牛丸少年と春木君がいくことになった。ほかの少年たちは失望したが、これまた、あとでどんな役があるかも知れないからと慰めて、いよいよ、春木、牛丸の二少年が、偵察にいくことになった。
ちょうどいいあんばいに、このビルディングの側面には、火事などの場合にそなえて、非常梯子がついている。その非常梯子は、チャンウーの店のすぐそばをとおっており、その間、半間とはなれていない。春木、牛丸の二少年は人眼をさけるために、窓から外へでて、軒蛇腹をつたって非常梯子にとびうつった。それはかなり冒険だったけれど、身の軽い二少年には、大してむずかしい仕事でもなかった。
非常梯子をつたって一階おりると、すぐ眼の下にチャンウーの店の屋根がある。二少年は猿のように身軽にその屋根にとびうつった。屋根はかなりの傾斜だが、身のかるい少年には、天窓のところまで這っていくのは、大してむずかしい仕事でもなかった。天窓には厚い針金入りガラスがはまっている。それは昼間、採光をよくして、陳列品をひき立たせるためである。
ふたりが天窓まで這っていってなかを覗くと、ほの暗い電灯のなかに、珍奇な仏像や、奇怪な大時計や、古めかしい鎧など、さまざまな骨董品が、ところせまきまでにならんでいた。そして、店の一隅に、さっき立花先生がもちこんだ、あの大花瓶もおいてあった。
春木、牛丸の二少年は、息をころして、このあやしくも、風変りな店のなかを覗いていたが、ふいに春木少年がギュッと力強く、牛丸少年の腕をにぎった。
「ど、どうしたの」
「しっ、静かに! あの大花瓶をごらん」
押しころしたような春木少年のささやきに、牛丸平太郎もなにげなく、花瓶のほうへ眼をやったが、そのとたん、ゾッとするような恐ろしさが背筋をながれた。
ああ、見よ! 大花瓶につめてあったセメントが、ポッカリ中から押しのけられると、その下から、ニューッと一本の腕がでたではないか。
「あっ!」牛丸平太郎は危く叫び立てるところを、急いで口に蓋をした。
大花瓶のなかに誰かいるのだ。そしてそいつがいま、花瓶のなかからでてこようとしているのだ。
二少年の胸はドキドキ躍った。額からビッショリと汗が流れた。二人は夢中になって、天窓のわくにしがみつき、眼を皿のようにしてチャンウーの店をのぞいている。
大花瓶のなかからは、また一本の腕がでた。そして、二本の腕は、しばらく花瓶のふちを握ってモガモガしていたが、やがて、軽業師のように、ヒョイと花瓶のふちへ這いのぼったのは、ああ、なんということだ!
それは世にも不思議な小男ではないか。
小男は全身に、縫いぐるみみたいな黒い服をぴったりつけていた。そして、頭には服にぬいつけた三角型のトンガリ頭巾をスッポリかぶり、顔には大きな仮面をつけていた。だから、顔はサッパリ見えなかったが、その気味悪さといったら、筆にも言葉にもつくせないほどだった。
小男は猿のように花瓶のふちにしゃがんだまま、しばらくあたりをうかがっていたが、やがて、ひらりと音もなく床のうえにとびおりた。
春木、牛丸の二少年は天窓のうえから、手に汗握って、この様子を見つめているのである。
奇怪な男と猫女
ああ、奇怪なる男、猿のような男――
いつか机博士が、六天山塞の頭目、四馬剣尺の姿を、レントゲンで透視したことがあったが、それは脚にながい竹馬をゆわえつけた小男であった。ところがそののち机博士が、頭目の脚にさわってみたところ、それは竹馬などではなくて、まぎれもなく人間の脚であった。
机博士は、矛盾するふたつの発見にびっくりしたが、今宵チャンウーの店にしのびこんだのは、まぎれもなく、小男。してみれば、机博士のレントゲンに狂いはなく、四馬剣尺の正体は、やはり脚に竹馬をゆわいつけた小男であろうか。しかし、そうだとすると机博士がさわってみた四馬剣尺の脚は、なんと説明すべきだろうか。
それはさておき、床へおりた小男は、しばらくじっとあたりの様子をうかがっていたが、やがて壁のそばへ這いよると、ポケットから取出したのは三十センチくらいの棒である。それはちょうど、管絃楽団の指揮者が使う指揮棒のようなものだった。
おやおや、あんなものを何にするのだろう。と、春木、牛丸の二少年が、屋根のうえから固唾をのんで見ているとは、もとより知らぬ小男、しばらくその棒をひねくりまわしていたが、するとみるみる棒はのびて、三メートルほどの長さになった。
わかった、わかった、その棒は、伸縮自在の魔法棒なのだ。それにしても、そんな棒を何に使うのかと見ていると、小男はその先端に鉤のようなものをとりつけた。
おやおや、変なことをするわいと、なおも二人が一生懸命、天窓にしがみついてみていると、小男はその鉤棒で高いところにあるメイン・スイッチをひっかけて切ってしまった。とたんに、家中の電気という電気が消えてあたりはまっくら。
春木、牛丸の二少年は、思わず顔を見合せた。
すると、そのとき闇のなかから、店をつっきっていく足音がきこえたかと思うと、ガチャリと鍵をひらく音。やがて、ドアが薄目にひらいて、誰やら店のなかへしのびこんだが、すぐドアがしまったので、その姿はよく見えなかった。
「男がドアをひらいて、誰かを呼びこんだんやな」
「そうだ。男は仲間をしのびこませるために、大花瓶のなかに、いままでかくれていたんだよ。それにしても、忍びこんだのはどういうやつだろう」
二人がこんな囁きをかわしているとき、したでもチャンウーが、なんとなく怪しい気配に気づいたのか、懐中電気を片手に持って、奥のドアから現れた。
「誰かいるのか」とたんに轟然とピストルが鳴ってチャンウーの手から懐中電気が、木っ葉微塵とくだけて散った。
「あ、だ、だ、誰だ!」
「猫女よ」
「な、な、なに、猫女……」
と、闇のなかでチャンウーの声が大きくあえいだ。
「ええ、そう、暗闇のなかで、ちゃんと眼の見える猫女よ。逃げても駄目。ちょっと相談があってやってきたんだから、おとなしくしていて頂戴。バカ! 何をする!」
またもや、ズドンとピストルの音。あっという悲鳴とともに、何やらゴトリと床に落ちる音がした。
「ほ、ほ、ほ、だからいわないことじゃない。闇の中でも眼の見える、猫女だといってるじゃないの。ポケットからピストルをだそうとしたって、ちゃんと見えているんだから」
春木、牛丸の二少年は、顔見合せて驚いた。それじゃ猫女という女、ほんとに闇の中でも眼が見えるのか。
「さあ、これであたしのいうことが、嘘じゃないってわかったでしょう、わかったらおとなしくしておいで。待ってあげるから、早く右手に繃帯をしておしまい。ほらほら、そんなに血が流れているじゃないの。ああ、やっと繃帯ができたわね。それじゃ、奥の部屋へいきましょう。ここじゃ話もできないから」
「いったい、話って、何んのことだ」
「黄金メダルのことよ」
「黄金メダル? お、黄金メダルってなんのことだ」
「ほ、ほ、ほ。白ばくれたって駄目。こっちは何度もいうように、闇のなかでも眼の見える猫女よ。おまえがいまどんな顔をしたか、ちゃんと知ってるよ。これ、よくお聞き。おまえの双生児のチャンフーは、いつか姉川五郎という男から、黄金メダルの半ペラを買いとった。そして、それから間もなく、顔に大きな傷のある、スペイン人みたいな男に、黄金メダルの半ペラを売りつけたが、そのメダルは贋物だったんだよ。だから、この店にはまだ、本物のメダルがあるはずなんだ。それをここへだしておくれ」
「しかし、それゃア、チャンフーの買ったのが、贋物だったんじゃなかったのか」
「お黙り!」猫女は鋭い声で、
「こっちはちゃんと調べがいきとどいているのよ。姉川五郎という男にも当ってみて、そいつがどこで黄金メダルを手に入れたか、わかっているんだ。それはたしかに贋物じゃなかったのよ。チャンフーは本物をどこかへしまいこんで、贋物を飾窓に飾っておいたんだ。さあ、ここでは話ができない。奥へいってゆっくり話をつけようじゃないの」
それからしばらく、チャンウーと猫女の押問答をする声がつづいていたが、やがて、猫女のピストルに脅迫されて、チャンウーは奥の一間へ入っていった。それにつづいて猫女が入っていくと、バタンとドアのしまる音。話声はそれきり聞えなくなって、チャンウーの店は墓場のような暗さ、静けさ。
春木、牛丸の二少年は、ほおっと顔を見合せた。
「春木君、猫女て、すごいやつやな」春木少年はそれに答えず、しばらくは何か考えていたが、やがて低い声で、
「ねえ、牛丸君、いまの猫女の声ね、君、あれに聞きおぼえがあるような気がしなかった?」
「えっ、さあ、ぼくは気がつかなんだが、誰の声に似ていたんやね」
「いや、君が気がつかなかったとすれば、ぼくの思いちがいだろう。だけど牛丸君、さっきの小男はどうしたんだろうねえ」
「さあ。あいつも奥へ入っていったんやないやろか」
二人がそんなことを囁いているとき、奥の部屋から苦しそうなうめき声がもれてきた。チャンウーの声なのだ。しかも、世にも苦しそうなうめき声……。
春木、牛丸の二少年は、ぎょっとしたような顔を見合せた。
「春木君、大変や、チャンウーが拷問されてるんやないやろか」
「そうだ、そうだ、牛丸君、さっきの部屋へかえろう」
「さっきの部屋へかえってどうするんや」
「警察へ電話をかけて、お巡りさんにきてもらうんだ。さっき小玉君のお父さんにいわれたろう。自分が子供であることを忘れちゃいけないって。だからお巡りさんに電話をかけて猫女と小男をつかまえてもらうんだ」
二人は、そっと、チャンウーの店の屋根からすべりおりると、ビルディングの非常梯子を、脱兎のごとくかけのぼっていった。
空かける悪魔
春木、牛丸君たちの、少年探偵団が電話をかけたとき、ちょうどさいわい、警察にいあわせたのは秋吉警部。
秋吉警部を諸君もおぼえていられるだろう。チャンフー事件の担当者だが、その事件が進展せず、どうやら迷宮入りをしそうな模様に、業を煮していたおりからだけに、少年探偵団からの電話をきくと、こおどりせんばかりによろこんだ。
「よし、それじゃこれからすぐいく。ときに君たちは何人いるんだ」
「はい、少年探偵団は同志五人であります」
「それじゃね、みんなで手分けして、万国堂の周囲を見張っていてくれ。しかし、くれぐれもいっておくが、よけいなことに手をだすな。われわれがいくまで待っているんだぞ」
「承知しました。できるだけ早くきてください」
電話をきって春木少年、警部の言葉を一同につたえていたが、何思ったのか、急にはっと顔色をかえた。
「どうしたの、春木君、何かあったの?」
横光君が不思議そうに訊ねるのを、しっとおさえた春木少年。
「牛丸君、あれ……あの物音……?」
「なんや、あの物音……」
牛丸平太郎もギョッとして、春木君といっしょに耳をすませたが、にわかにガタガタふるえだした。
ああ、聞える、聞える、ブーンブーンと竹トンボを廻すような音。たしかにヘリコプターの爆音なのだ。しかも、しだいにこちらへちかづいてくる。
「田畑君、電気を消してくれたまえ」田畑君が電気を消すと、応接室のなかはまっくらになった。
「春木君、どうしたの。あの物音はなんなの?」
暗闇のなかで小玉君が、不安そうに訊ねた。
「ヘリコプターだよ。ほら、いつか牛丸君を誘拐していった。……」
「ああ、六天山塞の頭目が持っているという……?」
少年たちはギョッとしたように、暗闇のなかで顔見合せたが、
「それにしても、いまごろどこへいくつもりだろう」
と、田畑君が訊ねた。
「ひょっとすると、万国堂めざしてやってくるかも知れないよ。牛丸君。横光君」
「春木君、なんや」
「君たち二人は万国堂の表のほうを見張ってくれたまえ。それから、小玉君と田畑君は、万国堂の裏口の見張りをしてくれたまえ」
「よっしゃ。わかった。しかし、春木君。君はどうするんや」
「ぼくはここにのこって、この窓から万国堂を見張っている。もうそろそろ、警部さんがくる時分だから、みんな早くいってくれたまえ」
「よっしゃ、春木君、気をつけたまえよ」
「大丈夫、君たちこそ気をつけたまえ。警部さんがくるまで、むやみに手だしをするんじゃないよ」
「わかった。わかった。さあ、みんないこう」
牛丸平太郎を先頭に立てて、四人の少年がバラバラとビルディングからとびだしていったあとには、春木少年がただひとり、暗い応接室にとりのこされた。窓のそばによってみると、ブーンブーンというヘリコプターの爆音は、いよいよこちらへちかづいてくる。下をみると、万国堂はあいかわらずまっくらだ。ああ、いま、万国堂の奥では、どのようなことが行われているのであろうか。
春木少年は爆音のちかづく空のかなたと、万国堂のくらい天窓とを、手に汗にぎって見くらべていたが、ちょうどそのとき、警部の一行が到着したらしい。
万国堂の表と裏から、けたたましくドアを叩く音とともに、
「開けろ、開けろ、ここを開けんか」
と、怒号する声がきこえた。
「ああ、有難い、警部さんがやってきた……」春木少年はにわかに気のゆるむのをおぼえたが、そのとき空のかなたから忽然として現われたのは、見覚えのあるヘリコプター、しかも進路は万国堂の方向である。折からの半月を翼にうけて、ゆうゆうとしてこちらへちかづいてくる。
下では警部の一行が、万国堂の表と裏からしきりにドアを叩いていたが、なかから返事がないとみるや、もうこれまでと、ドアをぶっこわしにかかった。しめた! もうこうなれば袋の中の鼠も同然、あの奇怪な小男も猫女も、逃出すみちはどこにもないのだ。
春木少年はほっと胸を撫でおろしかけたが、いやいや、安心するのはまだ早いと気がついた。気になるのはあのヘリコプターだ。ひょっとするとあのヘリコプターは、小男や猫女を、救いだしにきたのではあるまいか。
そうなのだ。やっぱりそうだったのだ。ヘリコプターはチャンウーの店のうえまでくると、ピタリと虚空に停止して、しきりに地上を偵察している。
と、そのとき、万国堂のドアが破れた。バラバラと表と裏から、警部の一行が乱入する。おそらく少年探偵団の同志たちも、いっしょになってとびこんだことだろう。
だが、警部たちがとびこんだのとほとんど同時に、万国堂の天窓がガチャンとこわれた。そして、そこからモゾモゾ屋根へはいあがってきた人物をみたとき、春木少年は胆っ玉がでんぐりかえるほど驚いたのである。
ああ、なんということだ。天窓の下から這いだしてきたのは、横綱のような大男ではないか。裾のひきずるような中国服を着て、頭には花笠のような冠をかぶっている。その冠のふちには、三重のヴェールが垂れていた。
「あっ、四馬剣尺!」春木少年は、心の中で思わずさけぶと、くらい窓のすみでふるえあがった。
春木少年はいままで一度も、四馬頭目にあったことはない。しかし、異様なその風態は、牛丸平太郎からなんども聞かされていた。鬼にもひとしい四馬頭目の残忍ぶりは、戸倉老人や牛丸平太郎から、耳にたこができるほど聞いていた。
その四馬頭目が、警官たちに包囲された、万国堂の天窓から、忽然として現れたのだ。春木少年はびっくりすると同時にあっけにとられた。四馬剣尺はいままでどこにかくれていたのだろう。いやいや、それにもまして不思議なのは、猫女や小男はどうしたのだろう。……
春木少年が茫然として、窓のなかに立ちすくんでいるとき、万国堂の屋根に立った四馬剣尺、かくし持った懐中電気をうえに向けると、虚空に三度輪をえがいた。と、同時に、ヘリコプターからバラリとおりてきたのは一条の縄梯子。四馬剣尺はヨタヨタとその縄梯子に手をかけた。
ああ、このまま捨てておけば、四馬剣尺は逃げてしまう。……
春木少年はたまらなくなって、窓から乗りだして大声で叫んだ。
「ああ、警部さん、こっちです、こっちです。悪者は屋根のうえから逃げていきます」
ちょうどそのとき四馬剣尺は、屋根をはなれて、春木少年の鼻のさきまできていたが、その声をきくとズドンと一発! 春木少年はあっと叫んで床のうえに身を伏せた。
しかし、春木少年の叫ぶまでもなく、警部の一行もヘリコプターの爆音に気がついていた。それ、屋上が怪しいというのでバラバラと屋根のうえへあがってきたが、無念! ひとあしちがいで四馬剣尺は、縄梯子にブラ下ったまま、ゆうゆうとして虚空を逃げていく。
ズドン、ズドン! 警官たちの手から、いっせいにピストルが火をふいたが、もうこうなれば後の祭だ。四馬剣尺のブラ下ったヘリコプターは、折からの半月の空を、しだいに遠く、小さく、すがたを消した。
ヘリコプターの爆音が、遠ざかるのを待って、床から這いあがった春木少年、非常梯子づたいに万国堂の屋根へおりていくと、
「ああ、君か、さっき電話をかけてきたのは……せっかく注意してもらいながら、残念にも悪者はとりにがしたよ」
と、秋吉警部が歯ぎしりしながらくやしがっている。
「えっ、それじゃ、小男や猫女もにがしたのですか」
「小男や猫女……そんな、妙なやつはどこにもいないぜ」
「そんなはずはありません。天窓から逃げだしたのは、横綱のような大男です。小男や猫女は、たしかにまだ万国堂のなかにいるはずです」
春木少年の言葉に、警官たちや少年探偵団の同志が手分して、万国堂の隅から隅までさがしてみたが、小男も猫女も、どこにもすがたが見られなかった。
ああ、いるべきはずの小男や猫女がすがたを消して、いるはずのない四馬剣尺が、忽然として万国堂の天窓から現われたというのは、いったい、どういうわけであろうか。……
春木少年はそのことについて、深くかんがえこんでいたが、やがて思いだしたように、
「それはそうと、この家の主人、チャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]さんはどうしたのですか」と、警部にたずねた。
「ああ、チャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]か。あの男は可哀そうに、ひどい目にあわされているよ。まあ、こっちへきてみたまえ」
警部に案内されて、奥のひと間へ入ったとたん、春木少年は思わずあっと、ハンカチで顔をおさえた。部屋のなかの大火鉢には、炭火がかっかっとおこっていて、あたりいちめん、肉のこげるような匂いが充満しているのだ。
「見たまえ。チャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]の足を……あの足を炭火のうえにのせ、拷問していたんだ。ひどいことをするやつもあればあるもんじゃないか。まったく鬼だよ、悪魔だよ」
見れば椅子にしばりあげられたチャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]の足は、いたいたしく火ぶくれがして血がにじんでいる。チャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]はこの拷問にたえかねて、ぐったりと気をうしなっているのだったが、ひと眼、その顔をみたとたん、春木少年は思わずあっと床からとびあがった。
「あっ、こ、こ、これは戸倉老人!」
ああ、チャンウー[#「チャンウー」は底本では「チャンフー」]とは戸倉老人の変装だったのである。
怪船黒竜丸
話変って、こちらは四馬頭目を救いだしたヘリコプターである。
海岸通りの万国堂のうえをはなれると、進路をしだいに西にとり、須磨から明石のほうへやってきたが、そこで急に進路をかえると、南方の海上へでていった。そして、淡路島の東海岸ぞいに、大阪湾の出口のほうへでていったが、やがて淡路の島影から、意味ありげに明滅する灯火をみると、しだいにその上空へすすんでいった。
ヘリコプターに向って、発火信号をしているのは淡路の島かげに停泊した、三百トンくらいの小汽船、その名を黒竜丸という。
ヘリコプターは黒竜丸のうえまでくると、ピタリと進行をとめ、しだいに下降してくる。やがて縄梯子のさきが甲板にふれると、四馬剣尺はよたよたと、縄梯子から甲板におり立った。それを見て、バラバラとそばへ寄ってきたのは木戸と仙場甲二郎。波立二はヘリコプターの操縦をしているのである。
四馬剣尺は甲板に仁王立ちになり、
「おまえたちは向うへいけ。それから五分たったら、机博士をおれの部屋へつれてこい。よいか、わかったか。わかったら早くいけ」
「しかし、首領、首尾はどうだったのです。本物の黄金メダルの半ペラは、手に入ったのですか」
「そんなことはどうでもいい。早くいけといえばいかんか」
首領はわれがねのような声で怒号した。これは四馬剣尺の不機嫌なときの特徴である。そんなときにうっかりさからうと、毒棒の見舞いをうけるおそれがある。さわらぬ神に祟りなしとばかりに、木戸と仙場甲二郎は、こそこそと甲板から下へおりていったが、そのすがたが見えなくなってから、四馬剣尺はよたよたと歩きだした。
不思議なことに、四馬剣尺、いついかなる場合でも、自分の歩くところを乾分のものに見られるのを、ひどく嫌うくせがあった。唯一度、机博士にレントゲンにかけられたときいっしょに博士の部屋までいったが、そのときとても毒棒で、机博士を脅かして、決してうしろを向かせなかった。そして、部下にあうときは、いつもあの竜の彫物のある大きな椅子によっているのだ。
それはさておき、五分たって木戸と波立二が、机博士をひったてて頭目の部屋へ入っていくと、四馬剣尺はいつものように、大きな椅子にふんぞりかえっていた。
「どうだ、机博士」四馬剣尺はわれがねのような声で、
「肩の傷はなおったか。貴様があんなところへメダルをかくしておくものだから、つい荒療治もせにゃならん。しかも貴様があんなに苦労して、手に入れたり、かくしたりしていた黄金メダルの半ペラが、贋物だったというのだから、こんないい面の皮はない。は、は、は、人を呪わば穴二つとはこのことだな」
「ちがう、ちがう、そんなはずはない」
木戸と波立二に、左右から手をとられた机博士は、金切声をふりしぼった。
「あれが贋物だなんて、そんな、そんな……あれは時代のついた古代金貨だ」
「そうよ、時代のついた古代金貨だ。しかし、やっぱり贋物なんだ。まあ聞け、机博士、そのわけをいま話してやろう」
四馬剣尺はゆらりと椅子から乗りだすと、
「貴様も知ってのとおり、あのメダルは、海賊王デルマが、埋めた財宝のありかをしるして二つにわり、ひとつをオクタン、ひとつをヘザールというふたりの部下に譲ったのだ。このヘザールの子孫というのがこのおれ、即ち四馬剣尺様だ。それからオクタンの子孫というのが、あの戸倉八十丸じゃ。ヘザールの子孫もオクタンの子孫も、宝をさがして東洋の国々を遍歴しているうちに、代々東洋人と結婚したから、しだいに東洋人の血が濃くなっていったのじゃ。ところで、海賊王デルマにはもう一人、ツクーワという部下がおったが、こいつは肚黒いやつで、デルマを裏切ったことがあるので、放逐されて宝のわけまえにあずからなかった。それを怨んでツクーワは、ヘザールとオクタンの持っている半ペラを、しつこく狙っていたが、ただ一度だけ、オクタンの半ペラを手に入れたことがある。そのときツクーワはその半ペラの贋物をこさえておいたのだが、その後間もなく、オクタンにつかまり、殺されて、半ペラは本物も贋物も、ふたつともオクタンの手に入ったのじゃ。貴様が手に入れて、虎の子のように後生大事にしていたのは、即ち、その昔ツクーワのつくった贋物で、しかも、ツクーワとは誰あろう、机博士、貴様の先祖だぞ。どうだ、これでわかったろう。先祖がつくった贋物に、子孫のものが欺かれる。世の中にこれほど滑稽なことがあろうか。わっはっはっ!」
われ鐘のような声で笑いとばされ、机博士はいっぺんにペシャンコになった。四馬剣尺はしばらく、腹をかかえてわらっていたが、やがてやっと笑いやめると、
「いや、しかし、机博士、おれはやっぱり貴様に礼をいわねばならぬわい。おれは今夜、戸倉のやつがチャンウーという中国人に化けていることを知って、忍びこんで、本物を吐きださせようと拷問したが、強情なやつでとうとう吐きださなかった。それで、ものはためしに贋物で間にあわそうと思っているのだ。これがヘザールからつたわった扇型の半ペラ、これは本物だ。それからこっちが、机博士の肩の肉からでてきた、三日月型の半ペラ、こいつはいまいうとおり贋物だ」
と、四馬剣尺がデスクのうえにならべてみせた。二つの黄金メダルの半ペラをみて、木戸と波立二が思わずあっと顔見合せた。
「頭目、そ、その扇型のやつはどうしたのです。それはいつか、猫女めに横奪りされたはずじゃありませんか」
木戸の言葉に、四馬剣尺ははっとした様子だったが、すぐさりげなくせせら笑って、
「なに、猫女から取りもどしたのよ。たかが知れた猫女、取り戻すのに雑作はないわい。さて、この半ペラをふたつあわすと、われ目も文句もぴったりあう、だから、ここに彫ってあるこの文句は、贋物とはいえ、本物どおりに彫ったにちがいないと思うんだ。みろ、これが苦心の末、おれが翻訳した文章なのだ」
四馬剣尺が、ふところより取りだした紙片をみて、机博士は禿鷹のようにどんらんな眼を光らせた。
そこには、こんなことが書いてある。
三日月型の分
わが秘密を
とする者はいさ
人して仲よく
り聖骨を守る
のあとに現われ
メダル右破片
左の穴に同時
ただちに
強く押すべし
正しく従うなら
らの前に開かれん
扇型の分
うけつがん
かいをやめ両
ヘクザ館の塔にのぼ
二匹の鰐魚を取除きそ
たるそれぞれの穴に金
を右の穴に左破片を
に押入れ、それより
ふたつのメダルを
汝らわが命令に
ば金庫は自ら汝
わが秘密を
とする者はいさ
人して仲よく
り聖骨を守る
のあとに現われ
メダル右破片
左の穴に同時
ただちに
強く押すべし
正しく従うなら
らの前に開かれん
扇型の分
うけつがん
かいをやめ両
ヘクザ館の塔にのぼ
二匹の鰐魚を取除きそ
たるそれぞれの穴に金
を右の穴に左破片を
に押入れ、それより
ふたつのメダルを
汝らわが命令に
ば金庫は自ら汝
戦闘準備
残虐な悪魔の頭目、四馬剣尺のために、両脚に大火傷をした戸倉八十丸老人は、あれからすぐに、病院へかつぎこまれたが、さいわい、その後、経過は良好で、一週間もすると、ステッキ片手に、病院の庭を、散歩できるようになった。
その戸倉老人を、毎日のように見舞いにくるのは、少年探偵団の同志五人。探偵長株の春木少年をはじめとして、牛丸平太郎に田畑、横光、小玉の三少年である。
戸倉老人というひとは、海賊の宝を追うて生涯をはげしい冒険にささげてきただけに、いまだ家庭のあたたかみというものを知らず、ましてや、子供の可愛さなど、いままで一度も考えたことのないひとだが、今度、こうして思わぬ負傷をし、病院で退屈をもてあましている折柄、毎日のように少年たちの見舞いをうけると、いまさら子供の可愛さ、無邪気さというものをひしひしと感じ、平和な生活へのあこがれを、日一日と強くするのであった。
「ああ、おれももう年だ。一日も早く危険な冒険の世界から足をあらって、毎日こうして、子供たちと楽しく暮していきたいものだ」
戸倉老人の心には、そういう考えがしだいに深くなっていくのだが、少年たちはそれと反対に、戸倉老人の口から過ぎこしかたの冒険談をきくことを、このうえもなくよろこんだ。
アフリカの猛獣狩り、熱帯での鰐退治、サワラ砂漠の砂嵐、さてはまた、嵐に遭遇して、無人島へ吹きよせられた難破船の話など、戸倉老人の口から綿々として語りつがれるとき、少年たちはどんなに血を湧かせ、肉を躍らせたことだろう。少年たちは、いつの日にか、自分たちも、そういう冒険談の主人公になってみたいと夢想するのだった。
ああ、戸倉老人が平和を愛し、少年たちが、冒険に憧れる、そこにこそ、人生の本当のすがたがあり、世界の進歩も、それなくしては得られないのだ。
それはさておき、今日も今日とて、見舞いにきてくれた五少年をあつめて、戸倉老人が楽しそうに昔の思い出を語っているところへ、やってきたのが秋吉警部。
「やあ、相変らず、みんなきてるな」
「ああ、警部さん、今日は」
「警部さん、今日は」
少年探偵団の同志五人が、帽子をとって、警部ににこにこ挨拶をするのを、戸倉老人は眼を細めて眺めながら、
「警部さん、聞いて下さい。この子たちが毎日きてくれるので、わしはどんなに楽しみだか知れません。ちかごろではもう、すっかり子供にかえった気持ちで、いつまでも、こうして、平和に暮したいと思うくらいです」
「ははははは、あなたも変りましたな。しかし戸倉さん、あなたが、そういうふうに平和を愛されるようになったのは結構だが、そのまえに、ぜひとも解決しておかねばならぬ問題がありましょう」
「むろんです。あの四馬剣尺のことでしょう。わしはもちろん、最後まであいつと闘う決心じゃが、警部さん、その後、あいつらの動勢について、何か情報が入りましたか」
「はあ、若干の情報は入っています。しかし、戸倉さん、それよりまえにお聞きしたいのだが、あなたと四馬剣尺とは、いったい、どういう関係なのですか」
それをきくと戸倉老人は、しばらく眼をつむって考えていたが、やがてかっとそれを開くと、
「いや、お話しましょう。もう、こうなっては、何もかも洗いざらい打明けて、あなたがたの御援助をこうよりほかにみちはない。まあ、聞いて下さい。こういうわけです」
と、そこで戸倉老人が打明けたのは、いつか山姫山の山小屋で、春木、牛丸の二少年に語ってきかせた話だが、戸倉老人はさらに言葉をついで、
「つまり、海賊王デルマから、黄金メダルの半ペラを譲られた、オクタン、ヘザールの二人の子孫というのが、この戸倉と、四馬剣尺のふたりだが、この四馬剣尺というのは、まことに疑問の人物で、わしの聞いているところでは、ヘザールの子孫というのは、幼いときに病気にかかって、それきり身体が発育せず、いままでは小男になっているということを耳にした。それでも、年頃になると結婚して、娘がひとりできたということだが、まさか、その娘が、あの横綱のような大女であるはずがない。だから、わしにはどうも、あの四馬剣尺という覆面の頭目が何者だか、さっぱり見当がつかんのじゃ」
戸倉老人の話をきいて、春木少年はキラリと眼をひからせたが、かれが口をひらくまえに、秋吉警部がからだを乗りだして、
「なるほど、なるほど、それでだいたい事情はわかりましたが、いつか殺されたチャンフーというのは……」
「ああ、あれですか」老人はちょっと暗い顔をして、
「あれは、まったく可哀そうなことをしました。なにあれは、わしの双生児でもなんでもない。海外を放浪中、わしに生きうつしなところから、何かの役に立つだろうと思って、ひろってきた男じゃ。四馬剣尺の眼をくらますために、わしはチャンフーと名乗って、あの万国骨董堂をひらいたが、わしはしじゅう、出歩かねばならぬからだじゃ。そこで、近所のものに怪しまれてはならぬと思って、わしの留守中は、いつもあの男に影武者をつとめさせていたのじゃ。それがあのようなことになって……」
戸倉老人は眼をしばたたいたが、なるほど、これで、はじめてわかった。いつか山姫山の山小屋で、戸倉老人が断乎として、チャンフーが殺されたなんて、そんなことはありえないのじゃ、といい放った言葉の意味が、これではじめて、納得できるのである。
まことのチャンフーとは、戸倉老人自身であったのだ。
「なるほど、それでだいたいの事情はわかりました。それでは、私のほうに入った情報をお話しましょう」
秋吉警部は手帳をひらいて、
「御老人からいつか、淡路島一帯を捜索してみてくれというお話があったので、あちらの警察とも連絡をとって、虱つぶしに島内から、その沿岸をしらべたのですが、すると果然、耳よりな情報が入ったのです。まず、そのひとつは、淡路島の周囲[#ルビの「しゅうい」は底本では「しゅい」]を、おりおり、怪しげな汽船が周遊しているということ、それについで、ときどき、深夜淡路島の上空に、竹トンボのような音がきこえるということ、更に、その竹トンボの音が常に旋回する中心をさぐってみると、そこはヘクザ館という、古い西洋建築があることがわかったのです」
「それだ!」突然、戸倉老人が手を叩いて叫んだ。
「それです、それです、警部さん、問題はそのヘクザ館にあるにちがいありません。海賊王デルマが、淡路島に根拠地をおいていたということは、古い文献にも残っています。その当時、デルマは善良な宣教師をよそおい、島の中央に、カトリックの教会を建てたといわれています。ヘクザ館というのが、きっと、それにちがいありません。そこに、海賊王デルマの宝がかくされているのです」
戸倉老人の声は、しだいに昂奮にうわずってくる。その昂奮が伝染したのか、少年探偵団の同志たちも手に汗握って、戸倉老人と秋吉警部の顔を見くらべている。
秋吉警部もにっこり笑って、
「そうです。われわれもだいたい、そういう見込で、ヘクザ館には厳重な監視をおいています。ところで戸倉さん、あなたの戦闘準備はどうですか。脚のぐあいがよかったら、いっしょにでかけたら、どうかと思うのですがね」
「むろん、いきます。なに、これしきの火傷ぐらい」
「警部さん!」そのとき、横から緊張した声をかけたのは、少年探偵団の探偵長、春木少年だった。
「ぼくたちもつれていって下さい。ぼくたちも四馬剣尺の正体を知りたいのです」
それを聞くと秋吉警部も微笑して、
「むろんつれていくとも、君たちこそは今度の事件でも、最大の功労者なんだからね」
ああ、こうして、戦闘準備はなった。兇悪四馬剣尺を向うにまわして、少年探偵団の働きやいかに。淡路島の上空に、いまや、ただならぬ風雲がまきおこされようとしている。
ヘクザ館
淡路島の中央部、人里はなれた山岳地帯のおくに、ヘクザ館という建物がある。
その昔、国内麻の葉のごとく乱れた戦国の世に、スペインよりわたってきた、一宣教師によって建てられたという伝説以外、誰もこの、ヘクザ館の由来を知っているものはない。
爾来、幾星霜、風雨にうたれたヘクザ館は、古色蒼然として、荒れ果ててはいるが、幸いにして火にも焼かれず、水にもおかされず、いまもって淡路島の中央山岳地帯に、屹然としてそびえている。
いつのころか、ここはカトリックの修道院になって、道徳堅固な外国の僧侶たちが、女人禁制の、清い、きびしい生活を送り、朝夕、聖母マリヤに対する礼拝を怠らない。
それは秋もようやくたけた十一月のおわりのこと、二人の教師に引率された中学生五名が、このヘクザ館を見学にきた。
教師のうちの年老いたほうが、院長に面会して、館内を参観させてもらえないかと申込むと、スペイン人系の老院長はすぐ快く承諾して、若い修道僧を呼んでくれた。
「ロザリオ、このひとたちが、ヘクザ館の内部を参観したいとおっしゃる。おまえ御苦労でも、案内してあげなさい」
「は、承知しました」
長年日本に住みなれているだけあって、ヘクザ館に住む僧侶たちは、みんな日本語が上手であった。
「では、皆さん、私についておいで下さい」
「いや、どうも有難うございます」
むろん、この中学生の一行というのは、戸倉老人に秋吉警部、それから少年探偵団の同志五人である。みんなてんでに、スケッチブックやカメラなどをたずさえているが、かれらの真の目的が、写生や撮影にあるのではなく、館内の様子偵察にあることはいうまでもない。
古びて、ぼろぼろに朽ち果てた館内をひととおり見終ると、やがて若い僧侶ロザリオは、一行をヘクザの塔に案内した。この塔こそはヘクザ館の名物で、山岳地帯にそびえる古塔は、森林のなかに屹立して、十里四方から望見されるという。
「おお、なるほど、これはよい見晴しですな」
塔のてっぺんにのぼったとき、老教授に扮した戸倉老人は、眼下を見下ろし、思わず感嘆の呟きをもらした。
いかにもそれは、世にも見事な眺めであった。東を見れば、大阪湾をへだてて紀伊半島が、西を見れば海峡をへだてて四国の山々、更に瀬戸内海にうかぶ島々が、手にとるように見渡せるのである。
「はい、ここはヘクザ館の内部でも、一番聖なる場所としてあります。されば、初代院長様の聖骨も、この塔のなかにおさめてあるのでございます。あれ、ごらんなさいませ。あの壇のうえにおさめてあるのが、その聖骨の壺でございます」
と、見れば円型をなした室内の正面には、大きな十字架をかけた翕があり、その翕のまえには、聖壇がつくってあり、その聖壇のうえに黄金の壺がおいてある。そして、その黄金の壺の左右には、これまた黄金でつくった二匹の鰐魚が、あたかも聖骨を守るがごとく、うずくまっているのである。
戸倉老人はそれをみると、ふと、黄金メダルの半ペラに書かれた文字を思いだした。
わが秘密を……とする者はいさ……人して仲よく……り聖骨を守る……のあとに現われ……(以下略)
もう一方の半ペラがないから、完全な意味はわからないが、聖骨を守る……という言葉があるからには、黄金メダルに書かれた文句は、この塔内の、この一室を指しているのではあるまいか。
そうなのだ!
それにちがいないのだ。しかし、そうはわかっても、黄金メダルの他の半ペラのない悲しさは、それ以上の謎は解きようもない。それはさておき、館内の見物に手間どっているうちに、すっかり日が暮れて、雨さえポツポツ降ってきた。まえにもいったとおり、ヘクザ館は人里離れた山岳地帯にあるのだから、こうなっては、辞去することもできないのである。一行は途方にくれた面持ちをしていると、親切な老院長が、一晩泊っておいでなさいとすすめてくれた。そして、粗末ながらも、夜食をふるまってくれたのである。
実をいうと、これこそ、一行の思う壺であった。わざと参観に手間どったのも、ここで一夜を明したいばかりであった。
さて、一行七人、館内の二階にある、ひろい寝室へ案内されると、すぐに額をあつめて協議をはじめた。
「問題はあの塔にあると思うのじゃがな。みんなも見たろうが、初代院長の聖骨をおさめてある壇、あの周囲がくさいと思うがどうじゃ」
「小父さん、そうすると、四馬剣尺もあの塔を狙っているというのですか」
「ふむ、たしかにそうだと思う。それでどうじゃろう。今夜四馬剣尺がやってくるかどうかは疑問だが、ひとつ、あの塔を、われわれの手で調べてみようじゃないか」
それに対して、誰も反対をとなえるものはなかった。
そこで修道僧たちが寝しずまるのを待って、一行七人、こっそり寝室を抜けだすと、やってきたのは古塔の一室。
時刻はすでに十二時を過ぎて、宵から降り出した雨は、ようやく本降りとなり、昼間はあれほど眺望の美を誇った塔のてっぺんも、いまや黒暗々たる闇につつまれている。
一行はその闇のなかを、懐中電気の光をたよりに、あの聖壇のまえまできたが、そのときである。少年探偵団のひとりの横光君があっと小さい叫びをあげた。
「ど、どうしたの、横光君……」
「あの音……ほら、ブーンブーンという竹トンボのような音……」
それを聞くと一同は、ギョッとしたように闇のなかで息をのんだが、ああ、なるほど、聞える、聞える、降りしきる雨の音にまじって、ブーンブーンとヘリコプターの唸り声。しかも、その音が、またたくまにヘクザ館の上空へちかづいてきたかと思うと、やがて、さっと上から探照灯の光が降ってきた。
「あっ、しまった。ヘクザ館のありかを探しているのだ」
戸倉老人が叫んだとき、ダダダダダと物凄い音を立てて、機関銃がうなりだした。ヘリコプターのうえからヘクザ館の周囲にむかって、機関銃の雨を降らせているのである。
「危い。みんな、物陰にかくれろ」
一行七人、蜘蛛の巣を散らすがごとく、四方の壁にちると、カーテンのうしろに身をかくした。
ダダダダダダダダダダ!
機関銃のうなりはひとしきりつづいて、ヘクザ館の周囲の森に、弾丸が雨霰と降ってくる。
大団円
やがて、機銃のうなりがピッタリやむと、ヘリコプターはヘクザ館の上空に停止したらしく、ブーンブーンといううなり声が、同じ方向から落ちてくる。
ああ、わかった。わかった、四馬剣尺は今夜、空からヘクザ館を襲撃しようとするのだ。そして、そのために、誰もヘクザ館の塔へ近寄らせぬよう、空から威嚇射撃をやったのだ。修道僧たちは、おそらく、蒼くなって、自分の部屋でちぢこまっていることだろう。ああ、なんという、傍若無人の悪虐振り!
少年探偵団の同志五人、それに戸倉老人と秋吉警部が、いきをこらしてカーテンのかげにかくれていると、知るや知らずや、やがて忽然として、塔のなかへ入ってきたのは、木戸に仙場甲二郎それにつづいて机博士、最後が覆面の四馬剣尺。ヘリコプターが照らす探照灯の光のために塔のなかは、昼よりもまだ明るいのである。一同はいま、ヘリコプターから縄梯子づたいにおりてきたのであろう。脚が少しフラついていた。
「やい、机博士」四馬剣尺はヨチヨチとした足どりで、聖壇のまえまで近寄ると、われがねのような声で怒鳴った。
「さあ、いよいよ宝の山へやってきたぞ。いまわしが手を下せば、宝はたちどころにわしの手に入るのだ。どうだ。うらやましいか。貴様もおとなしくしていれば、少しはわけまえにあずかれるのに、わしを裏切ったばかりに、宝の山へ入っても、手を空しゅうしてかえるよりほかはないのじゃ。わっはっは、わっはっは!」
四馬剣尺が腹をかかえて笑っているとき、ギリギリと奥歯をかみ鳴らした机博士、物凄い形相をしたかと思うと、いきなり四馬剣尺の体を背後からつきとばした。
と、これはどうだ。
あのいわおのような体をした覆面の頭目の体がふがいなくもフラフラよろめいたかと思うと、やがて、腰のへんからふたつに折れて、ドシンと床にひっくりかえった。
「おのれ!」四馬剣尺は覆面のなかで叫んだが、どういうものか、モガモガ床で、もがくばかりで、なかなか起きあがることができないのだ。木戸と仙場甲二郎が呆気にとられてみていると、やがて、四馬剣尺のダブダブの服のなかから、ピョコンととびだしてきたものは、ああなんと、小男と立花カツミ先生ではないか。
カーテンの陰にかくれていた七人も驚いたが、それにも増してびっくりしたのは木戸と仙場甲二郎。まるで蛙でも踏んづけたように、ギャッと叫んでとびあがった。
このなかにあって、唯ひとり、腹をかかえて笑いころげているのは、悪魔のような机博士だ。
「わっはっは、わっはっは、東西東西、覆面の頭目、四馬剣尺の正体とは、男のような女に肩車してもらった小男とござアい。わっはっ、わはっはっは! やい、その女、貴様は小男の娘だろう。そして、猫女とは貴様のことだな。貴様は親爺と同じ服のなかに入って、われわれをさんざんおもちゃにしやがった。やい、木戸、仙場甲二郎、相手はこんな小男と、たかが女とわかっちゃ何も恐れることはないんだ。こんなやつのいうことを聞くより、この机先生の乾分になれ。そいつらふたりをやっつけてしまえ」
だが、このとき、机博士は、四馬剣尺の恐ろしい武器のことを忘れていたのだ。
机博士は、最後の言葉もおわらぬうちに、
「あっちちちち」と、叫んで右の眼をおさえた。見ると、太い針がぐさりと右の眼につきささっている。
「あっちちちち」
机博士はふたたび叫んで、今度は左の眼をおさえた。同じような太い銀の針が左の眼にもつっ立っている。
「あっちちちち、あっちちち、わっ、た、助けて……」
小男のかまえた毒棒からは、まるで一本の糸のようにつぎからつぎへと毒針がとびだしてくる。机博士はみるみるうちに、全身針鼠のようになって、床のうえに倒れ、しばらく七転八倒していたが、やがて、ピッタリ動かなくなった。
これが悪魔のような机博士の最期だったのだ。
小男はヒヒヒヒと咽喉の奥でわらうと、
「どうだ、木戸、仙場甲二郎、おれの腕前はわかったか。おれを裏切ろうとするものはすべてこのとおりだ。どうだわかったか」
「シュ、シュ、首領……」
木戸と仙場甲二郎は、あまりの恐ろしさにガタガタふるえながら、
「あっしは何も首領を裏切ろうなどと……」
「そうか、おれが小男とわかってもか。ふふふ、なるほど、おれは小男だが、ここにいる娘は恐ろしいやつよ。こいつはな、暗闇でも眼が見えるのだ、そして、男より力が強く、人を殺すことなど、屁とも思っていないのだ」
「お父さん、何をぐずぐずいってるのよ。それより早く、鰐魚をのけて、二つの穴に黄金メダルを入れなさいよ」
ああ、恐るべき立花カツミ。彼女は机博士が針鼠のようになって死ぬのを見ても、平然として眉ひとつ動かさなかったのだ。
「よし、よし、おい、木戸、仙場甲二郎、その壇のうえにある鰐魚を二つとものけてみろ。ああ、のけたか、のけたらそこに、穴が二つあるはずだが、どうだ」
「はい、首領、ございます、ございます」
「ふむ、あるか、それではな、このメダルをひとつずつ入れてみろ。右の穴には右の半ペラ、左の穴には左の半ペラ……入れたか、よし、それじゃアな。おれが号令をかけるから、それといっしょにぐっと押してみるんだぞ、一イ……二イ……三!」
そのとたん、轟然たる音響が、ヘクザ館の塔をつらぬいて、暗い夜空につっ走った。カーテンのかげにかくれていた一行七人は、一瞬、足下が水にうかぶ木の葉のようにゆれるのをかんじたが、つぎの瞬間、こわごわカーテンのかげから顔をだしてみると、こはそもいかに、木戸も仙場甲二郎も、小男も猫女も立花カツミ先生も、さてまた、針鼠のようになって死んだ机博士も、みんなみんな影も形もなくなっているではないか。春木少年はちょっとの間、狐につままれたような顔をしていたが、やがてこわごわカーテンから外へでると、
「ああ、みんなきて下さい。あれあれ、あんなところに……」
その声に、一同がバラバラとカーテンの影からとびだしてみると、聖壇のまえ方六メートルばかり、ぽっかりと床に大きな穴があいていて、そのなかを覗いてみると、数十メートルのはるか下に、黒ずんだ水がはげしく渦をまいていた。そして、その渦にまきこまれ、小男も、立花カツミ先生も、机博士も、木戸、仙場甲二郎も、みるみるうちに水底ふかく沈んでいったのである。
「おとし穴ですね」
「ふむ、おとし穴だ」秋吉警部は顔の汗をぬぐいながら、
「しかし、どうしてあんなことになったのでしょう。黄金メダルに書いてあることは、それでは、ひとをおとし入れるための、嘘だったのでしょうか」
戸倉老人はそれには答えず、聖壇の左の穴にはめこまれた黄金メダルの半ペラを取りだして、裏面に彫られた文字を読んでいたが、やがてにっこり笑うと、
「わかりました、かれらはこの贋物の半ペラにかかれた文句にだまされたのです。わしの持っている本物にはね、二つの半ペラを穴のなかに入れると、それより(壁際に身を避け)ふたつのメダルを、(長き竿にて押すべし)と、なっているのです。ところがこの贋物では、それよりただちにふたつのメダルを(強く押すべし)となっています。そのために、海賊王デルマが万一の場合の用意につくっておいた、罠のなかにおちたのです」
ああ、それというのも自業自得だったろう。
それはさておき、一同がおとし穴に気をとられているとき、キョロキョロとあたりを見廻していた牛丸平太郎が、突然、
「あっ」と、素っ頓狂な声をあげた。
「あれを見い、みんな、あれを見い、えらい宝や、宝の山が吹きこぼれてるがな」
その声に、弾かれたようにふりかえった一同の眼にうつったのは、十字架のかかった翕が真二つにわれて、そこからザクザクと聖壇のうえに吹きこぼれてくる、古代金貨に宝玉の類……ヘクザ館の塔なる聖壇のうえには、みるみるうちに七色の宝の山がきずかれていったのである。……
四馬剣尺を頭目とする、悪人一味はすべて滅んだ。唯一人、ヘリコプターに乗った波立二のみは、その後、杳として消息がわからなかったが、首領を失ったかれに何ができよう。その後、紀伊半島の沖合に、ヘリコプターの破片らしいものがうかんでいるのを見たものがあるというが、あるいはそれが、波立二の最後を物語っているのではあるまいか。
ヘクザ館から発見された宝石や古代金貨の噂は、たちまち全世界に喧伝された。それはいまの金に換算すると、零という字を、いくつつけてよいかわからぬほど、莫大なものになろうという。
それらの財宝は、すべて、日本の教育復興のために使用されることになり、戸倉老人や少年探偵団、さてはまた、秋吉警部たちは、それから一銭の利益も得ることはなかった。
それにもかかわらず、いや、それだからこそ、戸倉老人も、少年探偵団の同志たちも幸福だった。
戸倉老人はその後、海岸通りの店を売りはらって、思いでの淡路島を眼のまえに見る、明石の丘に一軒の家を建てた。そして、いまでは草花を作りながら、静かに余生を送っている。その戸倉老人の何よりの楽しみは、土曜から日曜へかけて、泊りがけで遊びにくる、少年探偵団の同志たちに、御馳走をすることであるという。