とかくわたくし達には正直に人へも対世間的にも見せきれない自己の愚悪や凡痴を、親鸞はいとも自然に「それはお互いさまですよ、この親鸞だって」と何のかざりもなくやすやすといってくれているので、あのひとですらそうだったかとおもい、以後どれほど、自分という厄介者に、また人生という複雑なものにも、気がらくになったことかしれない。
もっともそのころ一時文壇にも親鸞が思潮の大きな対象となり、若い文学心と若き親鸞の求道心とが、幾世紀もおいた後世で生々とふれあい、現実の社会を鐘とし親鸞を撞木として、どんなひびきを近代人のこころに生むか? ――をしきりに書かれたり演劇化されたりしたことがある。大正十年前後のことだ。あきらかに私なども、その文芸梵鐘にひきつけられていたものに違いなく、有名な遺文の中の――「善人なおもて往生をとぐ、いかにいわんや悪人をや。」とか「親鸞は父母の孝養のためとて、念仏一返にてももうしたることいまだそうらわず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり。」とか、また「親鸞は弟子ひとりももたずそうろう。」などという語は、わたくし達には、七世紀も前の古人の言というような気はしない。むしろ最も官能の正しくひろく澄みきった近代人の声として常に新しい反省と若い思索をよび起されるのである。
そして親鸞の生涯したそのころの時代苦をおもい、今もかわらない人間の相をかえりみると、自ら下根の凡夫といい愚禿と称した彼の安心の住みかは、求めればいまでもたれの目の前にもあるのだという事実を観ずにいられないのだった。けれどわたくしの場合はそれも信仰のかたちでなく憧憬の中にいつも育っていた。親鸞といえばすぐ青年時代の文芸梵鐘が同時にひびいてくるせいかもしれない。事実また親鸞ほど詩人的な肌あいをもった宗教人も世界に稀れであろう。
わたくしの作家生活と親鸞とは忘れ得ないものがある。いまおもえば恥かしい限りだが、私が初めて小説というものを書いた最初の一作が親鸞だったのである。当時わたくしはT新聞社の駈け出しの学芸部記者だった。三上於菟吉氏去り尾崎士郎氏退社し、そのあとへ入ったばかりで編輯の仕事すらろくにのみこめていなかった。その私へどうしたことか連載小説として親鸞伝を書けという社命なのである。いいつけた社も社であるがひきうけた私も私だ。知らないということほど気のつよいものはない。私は毎朝、他の同僚たちより二時間も早く出勤し、社用のザラ紙へ鉛筆書きで毎日の掲載分をその日その日書いた。下版の時間が迫ると、工場の植字さんがやって来て私の肩越しに原稿をのぞきこみ「そこんとこは会話にしておきなさいよ」とか、ひどく時間がつまると「もう今日はこれでいい」と、まだ書いてるものを後ろから持って行ってしまったりした。
連載中もよく本願寺関係のひとや篤学家などに社へやって来られて、堂々たる親鸞論を以て駁されるには閉口した。事信仰に関わるので読者の投書も痛烈だった。社内でも時代考証や文学論にやかましいのがいてゲラ刷りの出るたび手きびしくやッつけられた。何分、社では参考書も見ていられないので、途中からは帰宅後、家で夜半に書いて行ったが、それでも思わぬ誤謬や不備を指摘されてきゅうきゅういわせられたことが幾度あったことかしれない。ついには社に行くこと屠所の羊のごときものがあった。でもようやく何とか一年半余の連載を果した。それが「親鸞記」として社から出版の運びになったところで関東大震災が来た。かくて私の処女作は世間へ出ずに製本されたまま社屋とともに焼けてしまった。わたくしの出発にとっては意義のあるまた有難い業火であった。
中年になってふたたび親鸞を書いた。台日、福岡、名古屋、北海タイムス等、地方紙五社の連合掲載のために書きおろしたのであり、昭和十三年に刊行された講談社版の「親鸞」がそれである。新聞紙上の連載は三年近くにも及んだかとおもう。
十余年まえにいちど書いた基礎はあるが、わたくしはいろはの習い直しをやる気でそれをつづけた。こんどは作家生活の中でやれたので参考書も自由にえらび見ることができた。そしてこんどはつつがなく出版もされた。――だが自分の胸には依然T新聞社時代の痛い批判が消されることなくそのまま自省のうちに残っていた。以後、わたくしの通ってきた人生も決して平坦ではなかったが、かえりみて自分がどれほど人間として成人したかをこの作品でみるとわれながら恥かしいと思わぬわけにゆかなかった。で、講談社刊行の一巻の序文にはこんな意味のことをしるした。
いまこの書が講談社から再刊となるにあたって、私は初版の序文に約した自己の良心にたいして、どうしても黙しているわけにゆかない。私の年齢はすでにさきの公約の時期に来ているからである。
ところが私はまだ三度めの親鸞をかいていない。いつかはと意欲は決して失っていないが、機に会わずにいるのである。また自分の成長も依然たる未熟にとどまっていることを知ってるからでもある。――が、出版社側のすすめとしては、それは将来の課題としておいて、現在の読書子にこの書を再刊する意義は充分にある。――おたがいがすでに痲痺を怖れあうほどにまで眼に見、肉体に知り、耳にききあいている敗戦後のひどい世相の転変と荒んだ虚無感にたいし、またその中にもなお何か求めてやまぬ人たちへたいしても――と熱意をかえない希望なのである。著者としてはさきの序文の公約もあるし、さまでには――と青年時代の山を見ぬ猟夫の意気にもなれない躊躇をなお持つのだったが、終戦以後、出ずべくして出でない宗教小説ないし宗教面の書のこれが一投石ともなれば再刊もまた多少の意義にはなろうかなどとも思い直してみた。その結果、多少の加筆校訂をする程度でついに出すことにしたわけである。諸子のご諒恕を仰いでおく。
内容についても、一言附しておきたい。
親鸞の出現は、その時代にあっては、実に宗教の世界ばかりでなく、思想の上にも、庶民生活にも劃期的な変革をよび起した先駆者の炬火そのものだった。
久しいあいだの貴族宗教の弊や門閥教団の害を彼は打ちやぶった。法悦の楽土を殿堂の神秘から庶民社会へひき下ろした。また秘仏の壮厳よりも赤裸な人間のなかに菩提の因子を求めて、これに偽りのない平明な教義を附したのも彼だった。いわば平民主義新宗教の宣布者であり、日本では前後に見ない民主的な教義をひっさげて出た革新児であった。
だが、その親鸞においてすら、伝記の史料となると、偶像の瑤珞や粉飾とひとしく、余りに常套的な奇蹟や伝説が織りまぜられていて、これの科学的な分解と小説的調整は決して容易なことではない。
月の世界に兎がいるとしていた時代には、事実、月の世界に兎が見えていたのであるから、それらの奇蹟伝説も、かつては一価値のものであったにはちがいないが、現代人にはそのままうけ入れられるはずもない。当然、わたくしの小説構成の上ではそうした既成構造がかなり変更され、また敢て無視した箇所もあり、創意も加えられてあることを憚りなくいっておく。そしてただ著者の惧れるのは、旧著の不備と、菲才にして懶惰、まだ十年の約を果していない罪とである。ふかくお詫びするのほかはない。
朱雀の辻に、鈴を鳴らして、今朝から、喚いている男があった。
蜂にでもさされたのか、陽にやけた顔が、腐った柘榴みたいに凸凹にゆがんでいる。大きな鼻と、強情らしい唇を持ち、栗のイガみたいに、ぼうぼうと伸びた坊主頭には、白い埃がたかっていた。
年ごろは、そんな風なので、見当がつかない。三十とも見えるし、四十かとも思われる。身は、やぶれ衣に、縄の帯一つ。そして、沓よりは丈夫らしい素裸足で、ぬっと、大地から生えているというかたちである。
りいん! りいん! 振り鳴らす鈴の音も、凡な力ではないのだった。群衆は、取りまいて、
「何じゃ」
「どこの山法師かよ」と囁き合った。
残暑の往来を、牛車が、埃をたてて軋る。貴人の輿が通って行く。
また、清盛入道の飛耳張目――六波羅童と呼んで市人に恐れられている赤い直垂を着た十四、五歳の少年らが、なにか、平相国の悪口でも演じているのではないかと、こましゃくれた眼を、きょろきょろさせ、手に鞭を持って、群れの蔭からのぞいている。
だが、男は、憚らない大声で、自分のシャがれ声に熱し切ると、われを忘れたように、右手の鈴を、宙にあげて、
「清聴っ、清聴っ――」と呶鳴った。
「――沙弥文覚、敬って、路傍の大衆に申す。それ、今世の相を見るに、雲上の月は、絶えまなく政権の争奪と、逸楽の妖雲に戯むれ下天の草々は、野望の武士の弓矢をつつむ。法城は呪詛の炎に焼かれざるはなく、百姓、商人、工匠たちの凡下は、住むべき家にも惑い、飢寒に泣く。――まず、そうした世の中じゃ。――そうした世に生きる人間どもは、必然、功利に溺れ、猜疑深く、骨肉相食み、自己を省みず、利を獲れば身をほろぼし、貧に落つれば、人のみを呪う。富者も餓鬼! 貧者も餓鬼! そして、滔々と、この人の世を濁流にする――」額に汗をして、そこまで、一息にいった。
そして、りいん! とさらに、鈴を振りかけると、
「乞食法師、待てっ」誰か、呶鳴った。
赤い直垂が、人垣を掻きわけて、前へ出てきた。
(六波羅小僧)人々は、眼と眼で、ささやき合った。不安な顔をして、法師の鈴と、少年の鞭とを、見較べた。法師は、傲然と、
「何かっ」と、いった。
平家の庁の威光をかさに着て、いかにも、小生意気らしい町隠密の少年は、鞭で、大地をたたきながら、
「おのれは今、――富者も餓鬼、――貧者も餓鬼、――そして、雲上は政権の争奪と、逸楽の妖雲におおわれていると」
「ははは……人の話は、仕舞いまで聞け、それは、昨日の源氏の世をいうたのだ。……これから、今日のことをいう。だまって、そこにいて、聞いておれ!」
鈴を、ふところに入れて、その懐中から、文覚は、何やら、紙屋紙に書いた一連の反故を取り出した。
「これは、勧進の状」文覚は、群衆へいって、それから、おもむろに書付をひろげだした。
眼の隅から、刎き飛ばされたように、六波羅童は、手もちぶさたに、人混みの中へ、引っ込んでしまう。
(ざまを見ろ)というように、人々は、赤い直垂の尻を、眼で嗤った。
文覚は、勧進の文をひろげ、胸をのばして、さてまた、大声を揚げ直した。
「――今、いったは、昨日のこと。さても明日の世はまた、冥々としてわからない。今日が、平和というたとて、生死流転、三界苦海、色に、酒に、金に、跳猿の迷いから醒めぬものは、やがて、思い知る時があろうというもの。白拍子の、祇王ですらも歌うたではないか――
枯るるも同じ
野辺の草
いずれか
秋にあわで果つべき
燃えるような眸である。人間同志の今の不安を見過し得ない憂世の血が、その底を流れている。咳一咳して、
「よって、勧進の状」と、手にひろげていた文を高々と読みはじめた。
真如広大なり
法性随妄の雲
あつく覆って
十二因縁の峯にたなびきしより
この以降
本有心蓮の月のひかり
幽かにして
まだ、三毒四曼の太虚に
あらわれず
悲しいかな
仏日はやく没して
生死流転の巷冥々たり
ただ色に耽り、酒にふける
いたずらに人を謗し
また世を毒す
豈、閻羅獄卒の責めを免れんや
ここにたまたま、文覚
俗を払い法衣を飾るといえども
悪行なお心にはびこり
善苗[#ルビの「ぜんびょう」は底本では「ぜんぴょう」]、耳に逆う
いたましいかな
再び三途の火坑に回り
四生の苦輪を廻らんことを
故に、われ
無常の観門に涙し
上下の真俗をすすめて
菩提の悲願に結縁のため
一の霊場を建てんとなり
それ、高雄は山高うして
鷲峯山の梢に表し……
(なんじゃ、また勧進か)大衆は、銭乞いに、懲りている。惜しげなく、彼を残して、散ってしまう。ただ一人、立ち残って、
「おい、盛遠殿」と呼びかけた旅商人がある。
「盛遠殿」旅商人はまた、辻の柳樹の蔭から声をかけて、
「もう誰も、お身のまわりに聞いている者はないぞ。――盛遠殿」文覚は、はっと、勧進の文から顔を離して、いつのまにか、犬もいない辺りの空地に、舌うちをした。そして、腹だたしげに、
「やんぬるかな!」つぶやいて、勧進の文をぐるぐると巻き、ふところに突っ込んで、歩みかけた。
すると、日除笠で顔を縛った旅人は、ついと、彼のそばへ寄ってきて、文覚の肩をたたいた。文覚は、じろりと眼を向けて、
「おう。堀井弥太か」初めて、驚いたらしい顔をして手をのばした。
弥太と呼ばれた旅の男は、なつかしげに、握り合った手を、なぜか急に離して、
(しっ……)と、眼じらせをしながら、路傍へわかれた。
さっきの赤直垂の小僧が、ちんと、手洟をかみながら、二人のあいだを、威張って通って行った。そして、小馬鹿にしたような眼を振向けて、ヘヘラ笑いを投げた。
旅商人は、その眼へ、わざと見せるように、ふところ紙を出して、銭をつつんでいた。そして、文覚の手へ、
「御寄進――」といって、渡した。
「や」文覚は、真面目に受けとって、押しいただいた。
「一紙半銭のご奉加も、今の文覚には、かたじけない。路傍にさけんでも、人は、耳をかさず、院の御所へ、合力をとて願いに参れば、犬でも、来たかのように、つまみ出される……」
旅商人の堀井弥太は、先へ、足を早めながら、
「磧へ」と、顎をしゃくって、見せた。
頷きながら、文覚は、てくてくと後からついてゆく。牛の糞と、白い土が、ぽくぽくと乾いて、足の裏を焦くような、京の大路であった。
だが、加茂の堤に出ると、咸陽宮の唐画にでもありそうな柳樹の並木に、清冽な水がながめられて、冷りと、顔へ、濡れ紙のような風があたる。
「ここらでよかろう」二人は堤に坐った。汗くさい文覚の破れ衣に、女郎花の黄いろい穂がしなだれる。
「しばらくだなあ」弥太がいうと、
「無事か」と、文覚もいう。
「いや、俗身はそこもとのように、なかなか無事ではない」
「俺とても、同じことだ」からからと、文覚は、笑って、
「聞かぬか、近頃の噂を」
「今日、京都へついたばかり。何のうわさも聞いておらぬ」
「そうか。……実は、神護建立の勧進のため、院の御所へ踏み入って、折から、琵琶や朗詠に酒宴していた大臣どもに、下々の困苦の呪い、迷路の呻きなど、世の実相を、一席講じて、この呆痴輩と一喝した所、武者所の侍どもに、襟がみ取って抛り出され、それ、その時の傷や瘤が、まだこの頭から消えておるまいが……」イガ栗の頭を撫でて、笑いながら示すのだった。顔の凸凹に腫れ上がっているのも、その時の棒傷であったらしい。
文覚は、まだ十九の頃に、若い髻を切って、大峰、葛城、粉河、戸隠、羽黒、そしてまた那智の千日籠りと、諸山の荒行を踏んできた、その昔の遠藤武者盛遠が成れの果てであった。どこかに、面影がある。
いや、ありすぎる――と旅商人の堀井弥太は、そう思いながら、彼の磊落な話しぶりに、誘いこまれて、腹をかかえた。
「はははは。――道理で、疱瘡神のように、顔も頭も、腫れておる」
「まだ、いたい」
「懲りたがよい」
「何の、懲りる男じゃない」
「法衣はきても相かわらずの武者魂、それでこそ、生きている人間らしい」
「生れ変ってこぬうちは、その魂というやつ、氷の上に坐らせても、滝に打たせても、たやすくは、変らぬものじゃて」
「わけて弓矢にきたえられた根性は。――したが一別以来、お互いに、変らぬ身こそ、まずめでたい」
「いや、おぬしの身装は、ひどう変っておるぞよ。初めは、誰かと見違えた」
「これは砂金売りの旅商人、よも、侍と見るものはあるまい」
「陸奥守藤原秀衡が身うち、堀井弥太ともある者が、いつの間に、落魄れて、砂金商人にはなりつるか、やはりおぬしも、無常の木々の葉――。梢から、何かの風に、誘われたな」
「何の」と、弥太は手を振った。
「これは、世をしのぶ、仮の姿じゃ」
「さては、京都へ、密使にでも来たという筋あいか」
「ま、そんなもの」
「俺の身の上ばかり糺さいで、その後のおぬしの消息、さ、聞こう。――それとも、旧友文覚にも、洩らせぬほどの大事か」
「ちと、言い難い」
「では聞くまい」
「怒ったか」
「ム、怒った」文覚は、わざと、むっとして見せたが、すぐ白い歯を剥きだして、
「そういわずと、話せ。法衣は着ても、性根は遠藤盛遠、決して、他言はせぬ」
「…………」弥太は、立って、堤のあなたこなたを、見まわしていた。頭に物を乗せた大原女が通る。河原の瀬を、市女笠の女が、女の使童に、何やら持たせて、濡れた草履で、舎人町の方へ、上がってゆく。
ほかには、蝉の音と、水のせせらぎと、そして白い水鳥の影が、気だるく、淀に居眠っているだけである。
「盛遠」坐り直すと、
「わしの名は、文覚。盛遠は、十年も前に捨てた名まえ、文覚と呼んでくれい」
「つい、口癖が出てならぬ。ならばついでに、俺の変名も、おぼえておいて、もらおうか」
「ほ。名を変えたか」
「旅商人が、堀井弥太では、おかしかろう。――一年に一度ずつ京都へ顧客廻りに来る、奥州者の砂金売り吉次とは、実は、この弥太の、ふたつ名前だ」
「え。吉次」
「そう聞いたら、何か、思いだしはせぬか」
「思いだした。……おぬし、鞍馬の遮那王様へ、密かに、近づいているな」
鞍馬の遮那王。ずばと、そういったのである。
この金的は、よも外れてはいまい――というように、自信をもった眸で、文覚は、じいっと、相手の顔いろを見る。
「……うむ」堀井弥太の砂金売り吉次は、えくぼをたたえて、頷いた。ふとい――大きな息で、
「……そうか」文覚も、うなずき返した。
遮那王といえば、源家の嫡男、前左馬頭義朝の末子で、幼名を、牛若といった御曹子のことだ。常磐とよぶ母の乳ぶさから

「…………」文覚は、黙って、指を繰っていた。弥太の吉次も、黙然と、大文字山の雲を見ていた。
「今年は、承安三年だな」
「さよう――」
「すると、遮那王様には、お幾歳になられるか」
「十五歳」吉次が、答えると、
「ほ……。はやいものじゃ。もう、あの乳くさい源家の和子が、お十五にも相成ったか」
「文覚、おぬしも稀には、お会いなさるか」
「いや、一昨年、書写山に詣でた折、東光房の阿闍梨を訪ねて、その折、給仕に出た稚子が、後で、それと聞かされて、勿体ない茶を喫んだわと、涙がこぼれた。――噂によれば、僧正ヶ谷や、貴船の里人どもも、もてあましている暴れン坊とか」
「さればさ、寺でも、困っておるらしい」
「その困り者へ、眼をつけて、はるばる奥州路から年ごとの鞍馬詣では……。ははあ、読めた」小膝を打って、
「――奥州平泉の豪族が、奢り振舞う平氏の世を憎んで、やがて源家へ加担の下地でなくて何であろう。これは、世の中が、ちと面白くなりそうだの」それには答えないで、
「おや」吉次は、空を仰向いた。ポツ、と雨が顔にあたる。
加茂の水には、小さな波紋へ、波紋が、無数に重なった。東山連峰の肩が、墨の虹を吐き流すと、蒼空は、見るまに狭められて、平安の都の辻々や、橋や、柳樹や、石を載せた民家の屋根が、暮色のような薄暗い底に澱んでゆく。
「ひと雨来るな」文覚も、立ちあがって、
「弥太。――いや奥州の吉次殿、して、宿は」
「いつも、あてなしじゃ。塒を定めぬほうが、渡り鳥には、無事でもあるし……」
「高雄の神護寺へ参らぬか」
「いや、さし当って、日野の里まで参らねばならぬ」
「日野へ。何しに?」
「遮那王様のお従姉がいらせられて、いつも、鞍馬へのお言づてを聞いてゆくのだ」
「はて、誰だろう?」
「また、会おう。――そのうちに」
「うむ、気をつけて行くがいいぞ」
「おぬしこそ」二人は、別れ別れに、駈けだした。楊柳の並木が、白い雨に打ち叩かれて、大きく揺れている中を。
「雨は、やんだかよ」
「やんだらしいぞ」どこかで、誰か、つぶやいた。
兵燹で、半焼けになったまま、建ち腐れになっている巨きな伽藍である。そこの山門へ駈けこんで雨宿りをしていた砂金売り吉次は、そっと首を出してみた。
町は、もう、たそがれている。濡れた屋根の石が、夕星の光に魚みたいに蒼く光る。どこかで、ぱちぱちと火のハゼる音がするのだった。赤い火光が、山門の裏から映してくる。そこから、がやがやと、
「阿女、何を、うまそうに、さっきから、ぴちゃぴちゃと、嘗っているだ、俺にも、分前をよこせ」
「嫌だよう」
「吝ッたれめ、よこさぬか」
「鶏の骨だに、分けようがないだよ。なあ、菰僧さん」
「鶏を盗んできて、この阿女め一人で腹を肥してくさる」
「その、味噌餅くれれば、鶏の片股をくれてやるだ」
「ふざけるな」
「だって、おら、子持ちだから。他人よりは、腹がすくのは、当りめえだに。……あれっ、嫌だっていうに、傀儡師さんよ、その、鶏の骨、奪り返してくんな」餓鬼のように何か争っているのである。覗いてみると、女のお菰だの、業病の乞食だの、尺八を持った骸骨みたいな菰僧だの、傀儡師だの、年老いた顔に白いものを塗っている辻君だの、何して喰べ何しに生きているのやら分らない浮浪人の徒が、仁王のいない仁王門の一廓を領して、火を焚いたり着物を干したり、寝そべったり、物を食ったり、宛として、一つの餓鬼国を作っている。
院の御所とか、六波羅の館とかまた平家の門葉の第宅には、夜となれば月、昼となれば花や紅葉、催馬楽の管絃の音に、美酒と、恋歌の女性が、平安の夢を趁って、戦いと戦いとの、一瞬の間を、あわただしく、享楽しているのであったが、一皮剥いた京洛の内部には、こうした、飢えと飢えとの寄り合い家族と、家なき浮浪人が、空寺、神社、辻堂、石垣、およそ屋根と壁の形さえあれば――そして住む主さえいなければ――巣を作って、虫螻のごとく、獣のごとく、生きていた。
(噂より、ひどい)吉次は、異臭に、顔をひそめながら、衝たれて、見ていた。
(――五穀にも、風土にも、また唐土の文化にも恵まれぬ奥州でさえ、こんな図はない)
憮然として、吉次は、見ていた。まざまざと、悪政の皮膚病がここにも膿を出しているのである。平家の門閥が、民を顧みるいとまもなく、民の衣食を奪って、享楽の油に燃し、自己の栄耀にのみ汲々としている実相が、ここに立てば、眼にもわかる。
(これでいいのか)天に問いたい気がした。
(どうかしなければならない。――神の力でも、仏の力でも駄目だ、兵燹は、神をも、仏をも、焼いてしまったではないか。――人の世を正しく統べるものは、人の力だ、真実の人間だ。ほんとうの人間こそ、今の時世に、待たれるものだ)
そう考えて、彼は、鞍馬の遮那王に近づきつつある自身の使命に重大な任務と、張合いを感じた。
「やいっ、誰だ」すると、一人の乞食が、彼を見つけて、咎めた。
去りかけるとまた、
「やいっ、何だ汝ゃあ?」傀儡師だの、菰僧だのが、起って来そうにしたので、
「へい」吉次は、戻って、
「雨宿りをしていた旅人でございます」
「旅鴉か」
「やみましたから、出かけたいと思いますが、日野の里へは、まだ、だいぶございましょうか」
「日野なら、近いが、日野のどこへ行くのだ」
「藤原有範様のお館まで。はい、使いに参りますので」
「あ、あのお慈悲ぶかい吉光御前様のお住居だよ」頓狂な声をして、女のお菰が立った。
すると、浮浪たちも、にわかに丁寧になって、
「吉光御前様のところへ行かっしゃるなら、誰か、案内してあげやい」
「おらが行こう」竹の棒を持った河童みたいな小僧が、吉次の側へ寄ってきて、
「旅人、案内しよう」
「すまないな」
「なあに、吉光御前様には、おらたち、どれほど救われているかしれないのだ。あのお館は、そういっちゃ悪いが、落魄れ藤家の、貧乏公卿で、ご全盛の平家とちがい、築地の崩れも修築えぬくらいだが、それでいて、俺たちが、お台所へ物乞いに行っても、嫌な顔をなされたことはない……」
一人がいうと、女のお菰も、
「冬が来れば、寒かろうとて、わしらばかりでなく、東寺や、八坂の床下に棲む子らにまで、古いお着物は恵んで下さるしの」口をそろえて、その他の浮浪たちもいうのであった。
「化粧に浮身を窶すおしゃれ女や、身の安楽ばかり考えている慾ばり女は、お館という厳めしい築地の中にうんといるが、あんなやさしい女性が、今の世のどこにいるかよ。――あのお方こそ、ほんとうの、観世音菩薩というものだろう」
「そういえば、如意輪観世音がご信仰で、月ごとに、ご参詣に見えておいでだが、この春ごろからお姿を見たことがない。――もしや、お病褥ではないかと、わしらは、案じているのじゃ」
鶏の骨を嘗りながら、女のお菰は、そういって、山門の外まで、送ってくる。
吉次は、心のうちで、うれしかった。その吉光御前というお方こそ、自分が主命をうけて、機会さえあれば世に出そうと苦心している鞍馬の稚子遮那王の従姉にあたる人なのであった。
「水溜りがあるぜ、小父さん」河童は、竹の棒で、真っ暗な地をたたいて、先に歩いていく。
鼻を抓まれてもわからない小路の闇に、野良犬が、吠えぬいている。犬すら、飢えているように、しゃがれた声に聞えた。
小川がある、土橋を越える。やや広い草原をよぎると、河童は、竹の先っぽで、
「あそこに、大銀杏が見えるだろう」と、指していった。
「……あの銀杏のそばの土塀が、正親町様だよ。藤原有範様のお館は、あそこを曲がると、すぐさ」
「や、ありがと」道をすすんで、二人は目じるしの大銀杏を横に曲がりかけた。すると河童は、何かに、驚いたように、
「おやっ?」と、立ちすくんでしまった。
「なんだ? ……、なんだろう……あれは?」河童は、眼を大きくしたまま、怯えたように、そうつぶやいた。
「あ――」吉次も、その前に、足をとめていたのだった。
二人とも、呼吸をのんだ。そこの大銀杏から小半町先の一廓いに、館構えが見え、古びた殿作りの屋根が、墨で刷いたように、赤松の梢と、築地の蔭に、沈んでいる。それはいい。
それはさっき河童がいった有範朝臣の館にちがいないのである。しかし、二人は、そのほかに、異なものを見たのであった。
異なものというのは、そこを曲がった途端に、眼を射た光である。およそ、夜といえば、光に乏しい世界に住んでいる人間にとって、光ほど、尊く、有難く、また、妖しく考えられるものはなかった。
その光だった。白い虹といおうか、彗星の尾のような光が、有範朝臣の屋の棟とおぼしい辺りから燿々と映して、二人が、(あっ?)といった間に、眼を拭ってみれば、何事にも思えない元の闇なのであった。
「見たか、お前も」
「見た」と、答えて、河童は急に、
「小父さん、おら、ここで帰るよ」尻ごみをした。
「ご苦労だった」吉次は、銭を与えて、
「――今の光ものを、お前は何だと思う?」
「わかんない」
「俺にもわからぬ。ふしぎなこともあるものだ」
「皆んなに、話してやろう」
「こらこら、うかつなことを、言い触らしてはいけないぞ」
「ああ!」河童は、鴉みたいな返辞を投げて、一目散に、もとの道へ、駈けて行った。
砂金売りの吉次は、築地の外に立った。どこを眺めても、盲目のように門が閉まっている。雑草が、ほとんど、門の腰を埋めているのである。野良犬ならば、すぐ跳び越えられるように、崩れている所もある。蔓の絡んでいる椋の樹の上で、キチキチと、栗鼠が啼いた。
「変遷るなあ……世の中は」しみじみと、彼は、思う。
藤原氏の一門といえば、人間のなしうる豪華な生活図を地上に描き尽したものである。それが、武家同士の興亡となり、武家政治となり、今の平家の全盛になってからは「落魄れ藤家」と嘲けられて、面影もない存在になってしまった。狐狸でも住みそうな、この古館のしいんとしていることはどうだ。灯の気も見えぬし、犬すらもここにはいないとみえる。
とん、とん、とん……試みに、裏門とおぼしい所を、吉次は、そっと叩いてみた。そして、低声で、
「こん晩は――」何度か、訪れてみた。
「駄目だ」考えていたが、やがて、小石をひろって、侍部屋らしい屋根を目あてに、投げつけた。
蔀を上げる音がした。――間もなく、壺のうちで、灯りが揺らぐ、そして、木履の音が、カタ、カタ、と近づいてきた。
「誰じゃ」姿は見えない。門をへだてて、中にいる侍が訊ねた。
「砂金売りの吉次と申しまする。お館様か、御奥の方に、さよう、おつたえ下されば、おわかりでございまする」
「吉次?」考えているらしい。
雨あがりの草叢に、虫が啼きぬれている。吉次はまた、ことばを足して、
「――奥州の堀井弥太と仰っしゃってくだされば、なおよくお分りのはずでございます。かねがね、ご書状をもちまして」いいかけると、ガタンと、門の扉がうごいて、
「秀衡殿のお身内人、堀井殿か」
「いかにも」
「それは、失礼を――」すぐ開けて、
「拙者はいつも、おん奥の御代筆を申し上げ、また、そちらよりの御書面にも、拙者の宛名で御状をいただいておる、当家の家来、侍従介でござる」と二十歳ぐらいな若侍が顔を出した。
「や、そこもとが」
「初めて、御意を――」二人は、旧知のように、あいさつを交わした。
「おん奥の方には、先つ頃、上洛りました節、清水の御堂のほとりで、よそながらお姿を拝したことがござりますが、お館には、今宵が初めて」
「よう御座った、まず」と、内に入れて、侍従介は、門を閉めた。
壺の内も外も、境のないほど、秋葉が生いしげっている。まだ、萩に早く、桔梗も咲かぬが、雨後の夜気は、仲秋のように冷々と感じる。
召使も、極めて少ないらしい。侍部屋へ通されて、吉次は、畏まっていたが、燭を運ぶのも、茶を煮てくるのも、みな侍従介だった。しかし、ここに入ってから感じたことは、外から見たようすとはちがって、なにか、藹々とした和やかな家庭味とでもいうものが、さすがに教養の高い藤原氏の住居らしく、身をくるんでくれることだった。あら削りな武人の家庭や、でなければ、浮浪の餓鬼の生活にしか接してない吉次には、
(やはり、ゆかしいものがある……)とそこらの調度や、どこかで薫らしている香木のかおりにも、そう思えた。
「失礼いたした」侍従介は、座に着いて、
「実は、ちと、お館におとり混みがござるので」
「ほ」吉次は、途中で耳にした噂を想いだして、
「どなたか、ご病人でも」
「なんの」と笑った。その侍従介の顔の明るさに、彼は、むしろ意外な気持がした。
「およろこびごとでござる。――この春、承安の三年弥生の朔日、珠のようなお子様がお生れ遊ばしたのでござる。それがため御当家は百年の春が回ったように、お館様も、おん奥の方も、御一門の若狭守様も、宗業様も、朝に夜に、お越しなされて、あのとおり、奥でのお団欒。折から今宵は、お喰べ初めとやら、お内輪の祝いでな」
吉次は、そう聞くと、とたんに、ここへ来る前に見た、屋の棟の光を想いだしていた。
「で……お目通りはなりかねるが、貴所の来られたこと、お取次ぎはしておいた」侍従介は、そういった。
しかし、吉次の用件よりは、彼自身、一緒になって、主家の慶事にほくほくしていて、すぐ、そのほうに、話題をもどすのだった。
お子は、いと健やかで、貴相気高く、珠のような男子であること。
また、おん名は、母御前の君が、胎養のうちに、五葉の松を夢見られたというので、十八公麿君と名づけられたということ。また、十二ヵ月も、御胎内にあったということ。
それから――母の吉光御前が、なみならぬご信仰であったせいか、御入胎のまえに、如意輪観世音のお夢をみられたり、そのほかにも、いろいろな奇瑞があったということ。
そしてまた、さる聖が、わざわざ訪ねてきていうようには、今年は、釈尊滅後二千一百二十二年にあたる、あるいは、霊夢やもしれぬ。松は十八公と書く、弥陀正因本願の数につうじる。この嬰児こそ、西方弥陀如来のご化身ぞとおもうて、よくよく慈しまれたがよい――と、母体の君の枕べを、数珠をもんで伏し拝んで去ったということ。
彼の話は尽きない。吉次も、耳よりな話と、心にとめて、聞いていた。
鞍馬の御曹子に告げたらば、さだめし、一人の源家の味方がふえたと、力づよくも思われよう。すると、奥まった東の屋で、
「侍従介」と、誰やらが呼ぶ。
「はい」会釈して、彼は、立って行った。
この次、遮那王に会う時には、ちと、渡して欲しい物があるゆえ、立ちよってもらいたい――と、かねて、吉光御前からの書面の約束で、吉次は、来たのであった。
(お従弟へ、渡してくれとは、一体、何かな)吉次は、しびれた足を、少しくずして、待っていた。そして、吉光御前の、初産の美を、そっと、瞼で想像した。
一、二度、清水のあたりで、姿はよそながら見たことがある。まだ、年もお若いはずだ。人妻でこそあるが、まことに、清純な麗人でおわした印象が今もふかい。気品においては、源家の正統、鎮守府将軍義家の嫡男、対馬守義親の息女、云い分のあろうわけはない。
同じ、義家将軍を祖父として、源義朝は、いうまでもなく、彼女の従兄にあたるが、その義朝こそは、平相国清盛の憎悪そのものであった。
幸いといおうか、不幸といおうか、彼女は、見るかげもない不遇な藤家に、十五の年から嫁づいていたので、まさしく相国の仇敵義朝の従妹ではあったが、清盛の眼には、そのために、無視されて、無事のうちに暮して来られたのであった。
無視の中から、十八公麿は生れた。――のちの親鸞聖人である。
もし、彼女の良人である有範朝臣が、時めく才人であるか、政権をめぐる時人であったらば、十八公麿は、生れていなかったかも知れない。
なぜならば――その前に、吉光御前の血統は六波羅の忌むところとなって、義朝の子たちである――頼朝や遮那王(義経)のような厳しい追放をうけないまでも、何らかの監視と、束縛に、家庭は呪われずにいなかったに違いないからである。
「や。お待たせした」侍従介は、やがて何やら、小筥を持って入ってきた。
「これを、鞍馬の遮那王様へ、さし上げてくれいと、おん奥の方のお伝えでござる」
小筥を前に、侍従介がいう。平たい塗筥である。ゆるしをうけて、吉次は、そっと、蓋をとって見た。伽羅の香が、煙かのように、身をくるむ。
白絹でつつんで、さらに、帙で抱いた愛らしい一帖の経本がはいっていた。紺紙に金泥の細かい文字が、一字一字、精緻な仏身のように、端厳な気と、精進の念をこめて、書かれてあった。
「どなたの、ご写経でございまするな」吉次がいうと、
「されば」侍従介は、改まった。
「お従弟にあたる遮那王様の孤独を、人知れず、おいとしがられて、吉光御前様が、日頃から、心にかけて遊ばされたもの。……その由、鞍馬へ、おつたえして賜われ」吉次は、ちょっと、不満な顔いろを見せたが、押しいただいて、ふところに納めながら、
「そのほかには?」
「おことばでよいが――くれぐれも、亡き義朝公、源家ご一門のため、回向おこたらずご自身も、朝暮に仏道をお励みあって、あっぱれ碩学とおなりあるようにと……。おん奥の方、また、お館様からも、ご伝言にござりまする」
「承知つかまつりました。では、これで……」吉次は、辞して、元の裏門から外に出た。
宵よりも、星明りが冴えていた。夜は通る人もない日野の里だった。
「なんのこった……」苦労して、訪ねてきただけに、期待が外れて、彼は、がっかりした。
吉光御前の思いやりと、自分や自分の主人秀衡が考えている思いやりとは、同じ遮那王にもつ好意にしても、まるで、性質がちがっていたことを、はっきり、今、知った。
自分の主人、秀衡は、遮那王を、仏界から下ろして、源氏再興の旗挙げをもくろんでいるのであるし、吉光御前や、有範朝臣は、あべこべに、遮那王が身の終るまで、鞍馬寺に、抹香弄りをしていることを、祈っているのだ。
なるほど、それは、遮那王の身にも、彼の従姉にも、無事な世渡りにちがいない。だが、そうして、源家のわずかな血脈が、一身の安立ばかり願っていたら、源氏はどうなる。平家をいつまでも、ああさせておくのか。また、路傍の飢民をどうするかである。
彼はもちまえの東北武士らしい血をあらだたせて、さりげなく、預かって出た写経の塗筥を、手につかんで、唾をした。
「こんなもの! 遮那王様に渡しては、ご立志のさまたげだ」
築地の下の溝へ向って、砕けろとばかり、たたきつけた。
汚水にそれを叩きつけたが、とたんに彼はふと、吉光御前のやさしい姿を瞼に見た。光りある人間のあたたかな魂へ、土足をかけたような、惧れに襲われた。
椋の葉のしずくが、背にこぼれた。ぶるっと、何げなく、築地のうちの屋根の棟を振り向いた。しかし、さっきの光りものも見えない、何の異も見出せなかった。
だが、その時、彼の耳をつよく衝ったものがある。生れて間のない嬰児の声だ。十八公麿が泣くのだった。その声は、ただごとでない、地殻を割って、万象の芽が、春へのび出すような力のある、そして、朗かな、生命の誕生を、世に告げるような声だった。
「あっ……」吉次は何ということもなく、竦みあがった。両手で耳をおおって、暗い野を、後ろも見ずに駈けていた。
空地が半分以上も占めている六条の延寿院附近は、千種町というのが正しいのであるが、京の者は、源氏町と俗に称んだり、また、平家方の雑人たちになると、
「牛糞町」などといって、振わない門族の果てを、住宅地の呼び名にまで嘲侮することを忘れなかった。
若狭守範綱は、そこに住んでいた。源氏ではないが、院の歌所の寄人たちの官舎は、昔からその地域内にあるのだからしかたがなかった。
なぜ、この辺を牛糞町というかというに、人間の住む地域に、
「六条お牛場」というのが割り込んでいて、汚い牛飼長屋だの、牛小屋だのが、部落みたいに散在している上に、空地には野放しの牛が、白いのだの、斑だの、茶だの、随所に草を喰っていて、うッかり歩くと、文字どおり、豊富な牛糞を踏みつけるからであった。
だから、秋になっても、なかなか蠅が減らなかった。歌人である範綱朝臣は、永く住み馴れた邸ではあったが、それでも時々、
(蠅のいないところに住んでみたい――)と、つくづく思うくらいだった。
しかし保元、平治以来の戦つづきに、歌人などは、まったく、無用の長物と忘れ去られて、ことに、為政者の眼からは、
(歌よみか。歌よみなら、牛糞町に住ませて置くのが、ちょうどよろしいのだ)と、視られているかのようであった。
生活力のない歌所の歌人たちは、それに対して、不平の不の字もつぶやけなかった。
「ちっ」範綱は、机をわきに寄せた。
硯に、紙に、たかっていた秋の蠅が、彼と共に、うるさく、起つ。
「奥所――」妻をよんで、
「粟田口の慈円様へ、久しゅう、ごぶさた申し上げているで、おあずかりの歌の草稿、お届けいたしながら、ご機嫌をうかがってくる」
「きょうは、ご舎弟様が、お見え遊ばしはしませぬか」
「御所の戻りに、寄るとはいうたが……。よいわ、いずれ、帰りには、日野の有範の邸へ立ち寄るほどに、そこで、会おう」
日野へ寄るというと、彼の妻は、
(またか)というように、微笑んだ。
子のない彼は、弟夫婦の邸に、子が生れてからというもの、三日に一度は、どうしても、訪れてみねば気がすまないらしかった。
「行っていらっしゃいませ」妻の声をうしろに、籬の菊花に眼をやりながら、我が邸の門を出ると、
「やあ、兄上」末弟の宗業朝臣が、ちょうど、門前に来あわせて、
「どこへ、お出かけですか」と、肩をならべた。
「弟か、よいところへ」と範綱は、もう宗業が同行するものと独りぎめに決めて、歩みだしていた。
「粟田口の大僧正のもとへ、添削の詠草を、持って参ろうと思う。そちも来ぬか」
「参りましょう」
「そして、帰りには、日野へ立ち寄って、十八公麿の笑顔を見よう」
「見るたびに、大きゅう育って参りますな」
「ははは。嬰児じゃもの、育つは、当りまえだ」
「でも、十日も見ぬと、まるで変っているから驚く」
「おまえも、こしらえたらどうだ」
「なかなか」宗業は、首を振って、
「平家といえば、平家の端くれでも嫁に来てがあるが、落魄れ藤家の、それも、御所の書記などの小役人へは、今の女性は、嫁にも来ないからなあ」と喞った。
「――といって、従四位藤原朝臣と、痩せても枯れても、位階があれば、雑人や、凡下の娘を、妻にも持てず……」
空地の牛が、晩秋の長閑かな陽なたに寝そべって、悠長な声を曳いて、啼いていた。
弟の喞ち語に、範綱は、同情をもって、うなずいた。
けれどまた、妻をもち、沢山な子をもち、位階と貧乏の板ばさみになって、老いさらぼっている同族の誰彼よりは、まだまだ独り身が気楽なのだ――とは、いつも、彼が弟をなだめる言葉の一つであった。
範綱、有範、宗業。こういう順に、男のみの三人兄弟ではあるが、長兄の範綱は歌人だし、中の有範は、皇后大進という役名で、一時は御所と内裏とに重要な地位を占めていたが、今は洛外にああして隠遁的にくすぶっているし、末弟の宗業は、書記局の役人で、どれもこれも時勢に恵まれない、そして生活力に弱い公卿ぞろいなのである。
そのくせ、当代、和歌では、藤原範綱といえば、五指のうちに数えられるほど著名な人物であるし、また末弟の宗業も、天才的な名筆で、早くから、写経生の試験には合格し、十七歳のころには、万葉集全巻を、たった十日で写したというので、後白河帝の御感にもあずかったほどな、秀才なのであった。
だが、どんな天才でも秀才でも、歌人や、書家では、今日の社会が、その天稟を称えもせず、用いもしないのである。それが、藤氏や源氏の家系の者の場合は、なおさらのことで、むしろ、自分を不幸にする才能とすらいえないことはない。
しかし、そうした生き難い世に生きても、兄弟は、心まで貧しくなかった。眺めやる七条、五条の大路には、糸毛の輦、八葉の輦、輿や牛車が、紅葉をかざして、打たせているし、宏壮な辻々の第宅には、昼間から、催馬楽の笛が洩れ、加茂川にのぞむ六波羅の薔薇園には、きょうも、小松殿か、平相国かが、人招きをしているらしく、蝟集する顕官の輦から、眼もあやなばかり、黄金の太刀や、むらさきの大口袴や、ぴかぴかする沓や、ろうやかな麗人がこぼれて薔薇園の苑と亭にあふれているのが、五条橋から眺められたが、
(羨ましい)とは、感じもしなかったし、なおのこと、(不都合な平家)などとは、思いもしなかった。
平家を憎悪する気力すらないのが、今の藤原氏であり、源氏の果てであった。
「オ。……ここじゃ」いつか、粟田口へ、二人は来ていた。十禅師の辻まで来ると、範綱は、足をとめて、
「弟、御門外で、待っているか、それとも入るか」と宗業に訊いた。
「私は、外で待っていましょう」と、宗業はいった。
「そうか」範綱は、ちょっと、考えていたが、眼の前の、青蓮院の小門を片手で押しながら、
「じゃあ、今日は、わし一人で、ご拝謁をしてこよう。すぐに、戻ってくるからな」と、中へ隠れた。
宗業は、塀の外をしばらくぶらぶらしていたが、やがて、鍛冶ヶ池のそばへ行って、雑草の中の石に、腰をおろし、鮒かなにか、水面をさわがしている魚紋に見恍れていた。時々、顔を上げて、
(まだか)というように、青蓮院の方を、振向いた。
そこから見ると、青蓮院の長い土塀と、土塀の中の鬱蒼とした樹林は、一城ほどもあって、どこに伽藍があるのか、どこに人間が住んでいるのか、わからなかった。
「和歌の話になると兄上は好きな道だし、大僧正も、わけてご熱心だから、つかまると、すぐには帰れまいて」宗業は、退屈のやり場をさがしながら、兄と、慈円僧正とが、世事を忘れて、風雅を談じている姿を、瞼にえがいた。
僧正はまだ若かったが、山門六十二世の座主であり、法性寺関白忠通の[#「法性寺関白忠通の」は底本では「法性寺関白忠道の」]第三子で、月輪禅定兼実とは兄弟でもあるので、粟田口の僧正といえば、天台の法門にも、院や内裏の方面にも、格別な重さをもっていた。
案のじょう、兄は、入ったきりなかなか戻ってこなかった。魚紋の戯れにも見飽いて、宗業は、退屈な足を的なくそこらの草原に彷徨わせていた。
テーン、カーン、
鎚の音がする。
白い尾花の中に、屋根へ石を乗せた鍛冶小屋が見えた。
尾花の中から痩せ犬が、野鼠をくわえて駈けて行く。犬は、一軒の鍛冶の床下へもぐりこんで、わん! わん! 遠くから、宗業へ向って吠えるのだった。
この野原の部落には、三条小鍛冶という名工がひところ住んでいて、それから、ここの池の水が、刀を鍛つのによいというので、諸国から、刀鍛冶が集まって、いつのまにか、一つの鍛冶聚落ができていた。そして、下手くそな雑工までが、粟田口某だの、三条小鍛冶某だのと、銘を切って、六波羅武者に、売りつけていた。
「なるほど……。今の世には、書をかくより、歌をよむより、刀を鍛つ人間のほうが、求められているとみえる」一軒の鍛冶小屋の前に立って、宗業は、漠然と、鍛冶のする仕事を眺めていた。真っ黒な小屋の中には、あら金のような、男たちが、

テーン! カアーン! 火花を、鉄敷から走らせていた。
あっちの小屋でも、こっちの仕事場でも、無数の刀が、こうして作られている。――やがて、この刀が、何につかわれるのかを考えると、気の弱い宗業は、怖ろしくなって、そこに立っていられなかった。
「おウい」振向くと、兄の範綱が、青蓮院の方から、駈けてくるのが見えた。宗業は、救われたように、
「御用は、済みましたか」
「いや、やっと、お暇を告げてきた。午にもなるゆえ、食事をして行けと、仰せられてな、弱った」と、範綱は、貴人の前にひれ伏していた窮屈さから解かれて、伸び伸びと、晩秋の明るい野を、見まわした。
「僧正は、おすこやかですか」
「ウム、お変りない」
「和歌も、おすすみでしょうな」
「ご上達だ。われらにも、およばぬお歌が時々ある」
「しかし、俗衆の中に生活ている吾々のうたうのと違って、ああして、名門に出て、深堂の座主となられていては、花鳥風月の心はわかっても、ほんとに、人間の悩みとか、涙とか、迷いとか、そういう歌は、お分りにならぬでしょう」
「いや」範綱は、首を振った。山萩の寝ている野道を曲がって、狭いだらだら坂を先へ降りて行きながら、
「そうでないな」
「そうでしょうか」
「世間のことも、実によう知っておられる。武家達の行動、政治の策謀、院のお出入り。……ただ、知らん顔をしておられるだけじゃよ」
「ははあ」
「知った顔をせぬことが、今の時代には、賢明な、君子の常識じゃ。まして、名門のお子はな」
「なるほど」
「こんな事も仰せられた。――この坂下の吉水に、ちかごろ、年四十ばかりの、ひょんな法師があらわれて、念仏専修の教義をしきりと説いておるが、凡僧の月並とちがって、たまたま、よいことばがある。――参内のせつ、おうわさ申し上げたことじゃったが、武権争奪、武門栄華の世ばかりつづいて、助からぬは民衆ばかり。その民衆のために、民衆の魂を、心から、救うてとらすような聖が出てくれねば、仏法の浄土とは、嘘になる。――そうした折に、吉水の法師は、待たれていた旱の雲じゃ。帰途に、一度、そちたちも聴聞してゆくがよいと、いわれたがの」
「ほ。……そんなことまで、ご存じでしたか」
「おしのびで、御門を、お出ましになるのであろう」
「吉水のあたりに、このごろ、熱心な念仏行者が出て、雨の日も、風の日も、説法しているという噂は聞きましたが」
「道のついでじゃ、廻ってみようか」
「さよう――」たいして、心をひかれるのでもなかったが、二人は、粟田口の僧正が、それほど、称える僧とあれば、どんな法師か、姿だけでも、見ておいてもいいというくらいな気持で、立ち寄った。
歌の中山や、清水の丘や、花頂山の峰々に抱かれて、そこは、京の町を見下ろした静かな盆地になっていた。
「お……なるほど……たいへんな人群れだ」吉水の近くへ来ると、祇園林や五条の坂や、また、四方の道を遠しとも思わないで、ぞろぞろと、集まってくる往来に、二人は、顔を見あわせた。
仕事の隙間に駈けてきたような百姓や、木挽や、赤子の手を引ッぱった婢さんや、頭へ荷を乗せている物売りや旅人。――またやや反感を眼にもって紛れこんでいる他宗の法師とか、被衣で顔をかくしている武家の娘とか、下婢とか、侍とか、雑多な階級が、一色になって、そこの小さい三間ばかりの禅室へ、ひしひしと、集まって行くのだった。
「……何という勢いだろう」宗業も、範綱も、唖然として、このすさまじい人間の群れに衝たれていた。
すり切れた草履に、埃を立て、わらわら、ここへ群れてくる人々の眼には、一滴の水でもいい、何ものでもいい、心のやすみばを――心の息づきを――干乾びきった魂の糧となるものならばと、必死に求めているような顔つきに見えた。
丘一つむこうでは、鍛冶聚落の刀鍛冶たちが、戦国の招来を謳歌するように、鎚音を谺させているし、ここでは、迷える民衆が、
「なむあみだぶ――」
「なむあみだぶ」一人の念仏行者をかこんで、飢えた子のごとく、群れ寄って、救われようとしているのである。
「兄上、こちらへ来たら、少しは聞えるかも知れませぬ」宗業は、人々に押されながら、禅室の横へ迫った。
混雑するはずである。禅室の庭は、二十坪ほどしかない。柴垣も破れ、庭の内にも外にも、群集が、笠を敷いたり、筵をひろげたりして、いっぱいに、坐りこんでいる。後ろの方にも、三重四重に人間が立っているのである。
八畳、六畳、小部屋が一つ。わずか三間しかない禅室も、明り障子をとり払って、縁や、土間の隅にまで、坐れるだけの人間が坐っていた。
その、真ん中の一室に、うわさの人、法然房源空は、坐っていた。
高壇もない。金色の仏具などもない。
ただ、畳台を一じょう、少し奥のほうへ引き下げて、古びた経机を一つ置き、それを前に、法然は、坐っているのである。朽葉色の衣に白い木綿を下に着て、そう高くはないが、よくとおる声で「念仏往生義」の心を、子どもにも、老人にもわかる程度に、噛みくだいて話しているのであった。
「ウーム……」範綱は、何を感じたのか、宗業の耳のそばで、うめいていた。やがて宗業へ、
「あの僧、なるほど、異相をそなえておる。……慈円僧正は、さすがに、お眼がたかい」と、ささやいた。
兄は、相学に造詣があるので、そういわれてから、宗業も法然の横顔に注意を向け直した。見るとなるほど、なか凹高な頭のかたちからして、凡僧とは異っているし、眸が、眉毛の奥に、ふかく隠れこんで、烱々と、射るものを、うける。坐ながらにして、社会の裏まで、人類の千年先までを見とおしているような、怖い光にも見えるし、ふとまた、そこらにいる赤子にでも慕われそうな、やさしい眼ざしに、思われる時もある。
浄土はあり、浄土はやすし
源空が、九年の苦学に
得たるは一つにそうろう
ただ念仏往生の一義に
候なり
「――疑うな!」法然は、第一にいうのである。
「まず、念仏を先に唱え候え。――自分の有智、無智、悪行、善行、職業、骨肉、すべての碍障に阻められず、ひたすら、仏光に向って、一念十念、称名あること浄土の一歩にて候ぞや」
――何事が起ったのか、その時後ろの方で、がやがや騒ぎだす者があって、
「え、文覚が」
「文覚が、どうしたと?」
「行ってみい、行って見い」崩れだして、十人、二十人ずつ、わらわらと四条の方へ、駈け降りて行った。
水に映された月のように、澄みきっていた法話の筵も、風がたったように掻きみだされた。
「なにや」
「なんじゃと」
振り向く。起つ。そして、次々に、「行ってみい」と、崩れては、走り去る。もうこうなっては、何ものも映らない大衆の心理を法然は、知っていた。
「きょうは、これまでにしておきましょうぞ」
経机に、指をかけて、頭を、人々のほうへすこし下げた。
残り惜しげな顔もある。また、なお何か、質疑をしている老人もあるし、
「ふん……」せせら笑って去る他宗の法師もあったりしたが、多くは、わらわらと、木の葉舞して、ふもとへ散った。
範綱と、宗業とが、そこへ降りてきたころには、六波羅大路から、志賀山道への並木へかけて、
「わあっ――」
「あれじゃ」人の波であった。埃がひどい。その中を、
「寄るなっ」
「凡下ども!」竹や、棒を持ったわらじばきの役人が、汗によごれながら、群衆を、叱ってゆく。
見ると――人間のつなみに押しもまれながら、一台の檻車が、ぐわらぐわらと窪の多い道を揺られてゆく。
曳くのは、まだらの牛、護るのは、眼をひからした刑吏と雑兵であった。
「文覚文覚」追っても、叱っても、群衆はついてゆくのである。その埃と、潮に巻きこまれて、範綱、宗業のふたりも、いつか、檻車のまぢかに押されて、共にあるいている。
丸太か石材でも運ぶような、ふつうの牛車のうえに、四方尺角ばかりの太柱をたて、あらい格子組に木材を横たえて、そのなかに、腕をしばられた文覚は、見世物の熊のように、乗せられているのだった。
よろめくので、彼は、脚をふんばって、突っ立っていた。役人が、なにかいうと、
「だまれっ」と、呶鳴ったり、
「ぶち壊すぞっ」と、檻車のなかで、暴れたりするのである。
(手がつけられん)というように、役人たちが、見ぬふりをしてゆくと、
「俺たちの、同胞よ」文覚は、檻のなかから、いつもの元気な声をもって、呼びかけた。
「この檻車は、東を指してゆくのだぞ。日出る東の果てを指して――。俺は、伊豆にながされてゆく。だが、そこから必ず窮民の曙光が、遠からぬうちに、さし昇って、この世の妖雲をはらうだろう」
「しゃべってはいかん」刑吏が、ささらになった竹の棒で、檻車をたたくと、彼は、雷のような声で、
「おれは、唖じゃないっ」
「だまれ」
「だまらんっ。――この世は唖になろうとも、この文覚の口は塞げぬぞ」
それからまた、
「天に口なし、人をもっていわしむ」文覚は、よけいに声を張って、尾いてくる群衆へ、朗々と歌って聞かせた。
位冠栄衣も何かせん
民の膏血に灯ともして
奢りの華ぞあやうけれ
明日にしもあれ一あらし
あらじと誰か知るべきや
「歌をやめんと、水をかけるぞっ」
「かけろ」文覚は、動じもしない。
「――俺を捕えて、伊豆へながすなどとは、野に、虎を放つものだ。あわれや、平家の末路は見えたっ」
「走れ」役人は、牛飼へいって、牛を走らせた。
軌が、すさまじい地ひびきを立て、そして、漠々と、黄いろい土ぼこりを、群衆の上へ舞わせた。
「――この世に、無限の栄華はない。いわんや、平家においてをや。民よ、大衆よ、気を落さずに、世の変るのを待てっ!」
「わあっ」民衆は、どよめいて、
「変れっ、改革まれ」発狂したようにさけんだ。
びし、びし、と鞭に趁われて、檻車を曳いてゆくまだらの牛は、尾をふって、狂奔してゆく。
文覚は、遠ざかる人々へ、
「おさらば」群衆も、眼に涙をためて、
「おさらば――」埃で、陽が昏くなった。
「ああ」と、力なく、草いきれのような嘆息が、そこやここに聞える。そして、人々が見聞したうわさを持って町の方へながれて行くと、その間を、例の六波羅童が、しきりと、小賢しい眼をして、罪を嗅いであるく。
「どこへ、お出でたのか」
「こっちでもないらしい」三人の寺侍だった。
いちど、鳥居大路へ、群衆と一緒に、もどって行ったが、また引っかえしてきて、
「これだから困る」
「あの御曹子には、まったく、手を焼いてしまう。外出は、禁物だ」誰をさがしているのか、きょろきょろと、走ってきて、
「あいや、卒爾でござるが――」と、並木の下で、ばったりと会った範綱と宗業の兄弟に、すこし息をきって、唐突に、たずねた。
「なんですか」宗業は、足をとめた。
「このあたりで、十四、五歳の御曹子を、お見かけになりませんか」
「さ?」兄を、ふりかえって、
「見ましたか」
「いや」範綱が、かぶりを振ると、三名の寺侍は、彼の方を見て、また、言葉の不足をつぎたした。
「――御曹子と申しても、実は、鞍馬寺の預かり稚子でござるゆえ、ちと、身装にも、特徴があるし、体は、年ごろよりは小つぶで、一見、きかないお顔をしているのですが」
「知らぬの」兄弟とも、そう答えた。
「いやどうも」会釈も、そこそこ、寺侍たちは、彼方へ駈けて行った。宗業は、見送って、
「兄上、今の侍どもは、鞍馬寺の者と申しましたな」
「そういうた」
「もしや……」小首をかしげていうのである。
「あの者たちが、見うしなった御曹子と申すのは、遮那王ではありますまいか」
「遮那王とは」
「義朝の遺子――幼名牛若ともうす稚子です」
「ははあ」
「どうも、そんな気がする」血縁はあらそわれない、血が知らせるのである、宗業は足をとめたまましきりと見まわしていた。
すると、すぐ後ろの、源頼政の碑のある中山堂の丘に、白い尾花を折り敷いて、にこにこ笑っている稚子髷の顔が、ちらと見えた。
「あっ、居る……」兄の袖をひくと、範綱も、見あげていた。そこは、さっき、文覚護送の檻車が通った時、たくさん、見物がいた所である。稚子は、背がひくいので、そこへ登って眺めていたものと思われる。
すぐ、彼のそばの尾花の中に、もう一人、誰か屈みこんでいた。旅商人の砂金売り吉次だった。
何かささやいているらしい。しかし、遮那王は、吉次のほうへは顔を向けないで、いかにもうつろな眸をしているように、真っすぐに、雲を見ていた。ただ、時々うなずきながら微笑するのである。
「――疑ぐられてはいけませぬ。はやく、お帰りなさいませ」吉次がいう。遮那王は、首をふる。
「いいよ」
「でも」
「いいというのに」
「まだ、時機が熟しませぬ。――今日のところは、山へお帰りあって」
「わかったよ」
「では」
「いいと申すに。ふだん、わしを、うるさく見張ってばかりおるゆえ、あの三人に、すこし、窮命させて、探させてやるのじゃ、あれ見い、阿呆顔して、焦れておるわ」並木を、四、五町も先へ行って、寺侍たちは、つかれた顔をして、また、こっちへもどってくる。それを、おかしげに、遮那王の小さい顎がさして笑う。やがて、
「やっ、あんな所に」見つけたとみえて、寺侍たちは、わらわらと丘の下へ駈けてきた。そして、
「遮那王さま!」手を振って、呼びたてる。吉次は、とっさに、
「ではまた」と、一言のこして、野狐のように、中山堂のうしろへ、隠れこんでしまった。
けろりとした顔で、遮那王は立っていた。なるほど、十五歳にしては小つぶである。指で突いたように、頬にはふかい笑靨がある。歯が細かくて、味噌ッ歯の質だった。なつめのように、くるりとしてよくうごく眼は、いかにも、利かん気と、情熱と、そして、やはり源家の家系に生れた精悍な血潮とを示して、それが、稚子であるために、単純化されて、凡の者が何気なく見ては、悪戯ッぽい駄々っ子としか見えないであろうほど、無邪気な眸であった。
「そんな所に、何をしておいでなされましたか」附人の寺侍は、叱るように、丘を仰向いていった。稚子の遮那王は、
「何もしておりはせん」首を振って、
「おまえ達を、探していたんだ」と、あべこべにいう。下の者は、呆れ顔をして、
「早く、下りておいでなさい」
「行くぞっ」遮那王は、凧のように、両袖をひろげて、丘の上から姿勢をとって、
「ぶつかっても、知らないぞ――」丘のうえから、鞠をころがすように、駈け下りてきた。
「あっ――」身をよけるまに、一人の寺侍へ、わざとのように、遮那王は、どんと、ぶつかった。大きな体が仰向けざまに転がった。小さい遮那王は、それを踏んづけて、彼方へ、跳びこえた。
「ハハハハ。ハハハハ」手を打って、笑いこける。
「おろかなお人じゃ。だから、断っておいたのに」
見向きもしないで、もう、すたすたと先へ行く。――足の迅さ。寺侍たちは、息をきって、その小さくて颯爽たる姿を追ってゆくのであった。宗業は、見送って、
「兄上、やはり、鞍馬寺の牛若でございますな」
「ウム」範綱も呆れ顔であった。
「よう、成人したものだ。……常磐のふところに抱かれて、ほかの幼い和子たちと、六波羅殿に捕われたといううわさに、京の人々が涙をしぼった保元の昔は、つい昨日のようだが」
「義朝殿に似て、なかなか、暴れンぼらしゅうござります」
「附人も、あれでは、手を焼こう」
「いや、手を焼くのは、附人よりも、やがて六波羅の平家衆ではございますまいか。伊豆には、兄の頼朝が、もうよい年ごろ」
「しっ……」たしなめるように、範綱は顔を振った。並木のうしろを、誰か、通ったからである。
「われらの知ったことではない。歌人や文書には、平家の世であろうが、源氏の世であろうが、春にかわりはなし、秋に変りはなし、いつの世にも、楽しもうと思えば楽しめる」
「けれど」宗業は声をひそめて、
「なんとなく、ぶきみな暴風雨が、京洛の花を真っ黒に打ちたたきそうな気がしてなりませぬ、――高雄の文覚がさけんだ予言といい、そちこち、源氏の輩が、何やら動きだした気配といい……」
「いうな」と二度も、たしなめて、
「唖になれ。ものいうことは、罪科になるぞ」
「文覚もいいました。唖の世だと」
「……そう」と、範綱は、何かべつなことを思いだしたように、
「唖といえば、有範の和子、十八公麿は、生れてからもう半歳にもなるに、ものをいわぬと、吉光の前が、心をいためているが」
「それは、無理です、半歳の乳のみ児では、ものをいうはずがありません」
「でも、意志で、唇ぐらいは、うごかそうに」
「ははは、取越し苦労というものですよ。吉光の前も、日野の兄君も、余りに愛しすぎるから」
露と、虫の音ばかりである。日野の里は、相かわらず、草ぶかい。
藤原有範が子飼の家来、侍従介は、築地の外の流れが、草に埋って、下水が吐けないので、めずらしく、熊手をもって、掃除をし、落葉焼をやっていた。
「おや?」何を見つけたのであろうか、そのうちに、水草のなかへ手を突っこんで、
「オ、これは、いつぞや奥の御方が、鞍馬の遮那王様へ贈るといって、心をこめて、お書きあそばした写経じゃないかな。――吉次のやつ、かような所へ捨ておって、鞍馬へは持って行かなんだとみえる」水びたしになった塗筥や、巻をひろいあげた。そして、
「憎いやつめ」腹だたしげに、踏み折れている草の足痕を、睨めつけている。
そこへ、範綱、宗業の二人が、連れだって姿をみせた。昂奮した顔つきで、侍従介が写経のことを訴えると、
「ふむ……捨てて行ったか」二人はそれを見つめて、しばらく考えこんでいた。けれど、範綱も宗業も、べつだん不快な顔いろは出さなかった。捨て去る者には捨て去るものの心がまえがあるのであろう、浄土の幸は人に強うべきものではないし、また、この社会には、浄土をねがうよりも、すすんで地獄の炎をあびようとすら願う者もあるのである。――たとえば、文覚のように。
二人は、そう考えた。そして、遮那王の将来を心のうちで占った。中山堂の丘に、ちらと見えた野狐のような男の影は、ことによると、先ごろの夜、この日野を訪れた吉次であったかもしれぬと、それをも、同時に、覚っていた。
「よいわ、どこぞ、人が足をふまぬところへ、そっと、埋めておけ」
「勿体ない、畜生じゃ」侍従介は、腹が癒えないように、まだ罵っていた。
「お館はおらるるか」
「はい、おいで遊ばします」
「取次いでくれい」
「どうぞ」と、熊手を引いて、先に立つ。わが家も同じようにしている館なので、わざと、式台にはかからずに、網代垣をめぐって、東の屋の苑へはいると、
「まあ」ゆくりなく、そこの南縁の陽だまりに、乳のみ児を抱いた吉光の前と、有範との夫婦が、むつまじく、児をあやして、くつろいでいた。
よく、女性の美は初産に高調するというが、吉光御前のこのごろのやつれあがりの面ざしや、姿は、真夏を越えた秋草の花のように、しなやかで、清楚で、常に見なれている二人にも、その

「おそろいで、ようこそお越し……。さ、こちらの室へ」
「十八公麿は」
「よう、眠っておりまする」
「どれどれ」何よりも先にというように、範綱は吉光の前の腕のうちをのぞきこむのであった。
珠が珠を産むとは、これをいうのではあるまいか。母の麗質をそのままにうけている。すやすやと小さい鼻腔からやすらかな呼吸をしている。甘い乳の香と、母性の愛を思わすにおいが、この故郷からはすでに遠く人生を歩んできた範綱や宗業の心をもやわらげて、何がな、自分たちの生命の発生にも、ふかしぎなものを考えさせるのであった。
ここには、諸悪の魔も、ひそむ蔭がない。明るさで、いっぱいだ。
「どれ、私にすこし」宗業が、抱きとると、
「わしにも、抱かせてみい」眠っている十八公麿を、手移しに、膝へ取って、
「重うなったの」父の有範は、
「そうじゃろう、凡の子よりは、ずんと健やかじゃ」と、自慢気である。するとまた、吉光の前は、
「もう、何か、ものをいうてもよいころではございませぬか」案じ顔にいった。
「ははは、今も兄上と、途々話したことですが、まだまだ」
「まだでしょうか」
「ご心配はない」
「でも、かた言ぐらいは」
「泣けば、よいのです、泣くことは、泣くでしょう」
「時々、耳のひしげるような大声で、泣きまする」
「それでいい」有範はべつに気にはしていなかった。何よりも、膝にのせると、ずっと重いものを感じるこの子の健康さに信頼ができる。親ごころに、唖かと案じれば唖のようにも思えるほどきちりと結んでいる唇は、なかなかあかなかったけれど、眸は、つぶらで、よく澄んで、青空のような白眼のうちに耀きをもって、この世への意志を

「大丈夫じゃ」父みずからが、こう、折紙をつけていた。
けれど――やがて、翌年になった。まる一年の誕生日がくる。かぞえ年では、二歳になったのだ。夏もすぎ、秋にもなった。
ところが、それにもかかわらず、十八公麿はまだ、ものらしい言を唇からもらしたことがない。
乳母は、ようやく不安らしい眉をひそめて、侍従介へ、
「和子さまは、やはり、唖でいらっしゃるかもしれません」そっと、洩らしたというし、父の有範も、
「よいわ、五体さえ、そろうていれば」と、かなしい諦めをもちかけて、妻に気を落させまいとした。誰ともなく、出入りする雑人のあいだにも、
「日野のお館に生れた嬰児は、唖子じゃそうな」と、噂された。
母性の人には、それが、冷たく聞えた。彼女もまた、そう信じて、
「なんの因果」と、悲しみ沈んだが、子のない不幸をなげいて、如意輪観世音に、
(どうぞ、夫婦に子を)と、祈願をこめたことを忘れて、授かった珠に、わずかな、瑕があったからというて、不平をいうのは慾のふかさというものであると思った。
ことには、自分の血液というものも考えだされた。源家の戦人である祖先たちは、どれほど、この世に修羅を作ったかしれない。父の義親や、従兄の義朝が殺した人間の数だけでも、千塔万塔を建ててもおよばぬくらいな罪業であろう。その血統の末に、ひとりの唖の子が産れるぐらいは、諸行応報のさばきから遁れ得ない人間の子としては、むしろ慈悲のお酬いと、有難く思っていいのではないか。彼女は、そう考え直した。
だが、母性としての悲しみは、依然として、悲しみであり、世間へも良人へも、いいしれない負け目を感じて、その憂いは拭うことができなかった。
ともあれ今の吉光の前自身なり、有範の家庭というものは、謙譲にして清楚な、足るを知って不平を思わない生活を持して、ひたすら、精神の位置を、信仰と、そして、夫婦愛と、子の愛育とに置いて、いわゆる世間の名聞利慾からは遠く離れて住み澄ましていたのであった。
で――朝にも夕べにも、この館の持仏堂には、一刻のあいだ、有範夫婦のたのしげな念仏の唱名がもれる。
また、それに慣って、若い郎党の侍従介も、顔をあらい、口を漱ぐと、太陽を礼拝して、
「…………」黙然と念仏する。
下婢も、そうであった。乳母も、そうであった。水を汲み、使いに走る童僕までがそれを習うようにいたって、この古館は何か、燦然たる和楽につつまれているかのように、他人からも羨ましく見えるのであった。事実、六波羅殿の栄耀も、小松殿の豪華も、この草間がくれの夫婦の生活にくらべれば、その平和さにおいて、幸福さにおいて、遥かに、およばなかったに違いない。
雁がわたる――秋は深み行く。仲秋の夜だった。
「兄上、ちとばかり、酒瓶に美酒さげて参りました」宗業が訪れた。
やがて、範綱も見える。十五夜ではあり、こう三名の兄弟がそろうと、ぜひとも、一献なければなるまい。吉光の前は、高坏や、膳のものを用意させて、自分も十八公麿を抱いて、円かな月見の席につらなっている。
わざと、燭は燈さずにある。すすきの穂の影が、縁や、そこここにうごいている。廂から射し入る月は燈火よりは遥かに明るかった。
杯のめぐるままに、人々の顔には微醺がただよう。――詩の話、和歌の朗詠、興に入って尽きないのである。と、思い出したように、
「そうそう」吉光の前へ向って、宗業がいった。
「六波羅の探題から、なんぞ、お許様へ、やかましい詮議だては、ありませんでしたか」
「いいえ……」吉光の前は、顔を横に振って、
「べつに、六波羅役人から、さようなことは申して参りませんが? ……何ぞそのような噂でもあるのでございまするか」
「いや何、私の取越し苦労です。――というわけは、お従弟の鞍馬の遮那王どの、とうとう、山を下りて、関東へと、身をかくしてしまわれたということです」
「えっ……遮那王殿が」
「油断をしていたため、だしぬかれたと、平家の人たちは、地団駄をふんでおります。そうでしょう、謀叛気がなければ逃げるはずはありません。忽然と、あの稚子が、姿をかくしたのは、まだ、少年ではありますが、明らかに源家の挑戦と見られる」
「でも、まだ十六歳の小冠者が、どうして、逃げおおせましょう。……傷ましいことでございます」
彼女は、ふと、月にかかる雲を見た。ひそかに心のうちで祷っていた従弟の失踪に、また幾人の血につながる者たちが哭くのではないかと戦慄した。
そして、気がつくと、自分の膝に戯れていた十八公麿が、いつのまにか、月の光の中を、他愛なく這いまわって、縁へ出ていた。
「あぶない」と、有範は、彼女が起つまえに立って、十八公麿を抱きとってきた。そして、自分の膝へのせて、
「近ごろは、もう、眼が離せぬわい」と、わらった。宗業や、範綱は、こもごもに、十八公麿を、あやしながら、
「今のうちに眼の離せぬのはまだよいが、やがて、遮那王のように成人してからが、子をもつ親は一苦労じゃ」
「いや、あの冠者のようにはなるまい、なぜならば、この子は、唖じゃ。――ものいえば罪科になる唖の世に、唖と生れてくれたのは、これも、われら夫婦が信心のおかげであろう」有範は、膝の子を、上からのぞいて、そういった。
十八公麿は、仲秋の月よりも澄んだひとみをして、じいっと、まるい月を見つめていた。
(この子は、将来、どうなるであろう?)と、母である者も、叔父である人々も、今、鞍馬の冠者のうわさが出たところだけに、ひとしく、同じことを、考えていたらしくあった。
誰もが、十八公麿のその無心なひとみを、無心になって、見合っていた。
十八公麿は、ふたつの小さい掌を、ぱちとあわせて、笑くぼをうかべた。子どもの掌は、菩薩の御手のように丸ッこいものである。人々は、思わずにこと微笑をつりこまれた。すると――
「な、む、あ、み、だ仏」誰か、いった。
低音で、聞きとれなかったのであるが、すぐ次に、かた言で、はっきりと、
「――南無阿弥陀仏」と、つづいて唱えた。
十八公麿を膝にのせていた父の有範が、その時、
「あっ?」愕然として、
「十八公麿が、ものをいうたぞ。十八公麿が、ものをいうた!」と、絶叫した。吉光の前も、さけんだ。
「十八公麿じゃ。ほんに、今いうたのは、十八公麿じゃ」うれしさに、狂いそうな表情をして、宗業に告げ、範綱に告げた。
「? ……」だが、そのふたりは、茫然と自失していた。なぜならば、今の無心に出た十八公麿の声は、ただの嬰児の初声ではない。あきらかに六字の名号を唱えたのである。眼のあたりの奇蹟にうたれて、慄然と、体がしびれてしまったかのように、沈黙しているのであった。
「ふしぎだ……」
「そも、何の菩薩の御化身か」と、ふたりは、後になってまで、解けないことのように首ばかりかたげていたが、有範は、それはなんらの奇瑞でもふしぎでもないといった。
「真如を映すものは、真如である。――妻のまごころは、胎養のうちに、十八公麿の心をつちかっていた。また、生れては、この家の和楽や、この家にあふるる法の感謝に、いつとなく、幼いたましいまでが、溶和されていたのは当然なこと。なんの奇蹟であろうぞ」
そう説明したが、ありがたさに彼も、彼の妻も、掌をあわせて、真如の大空に、
「南無――」と、思わず大きく唱えて、泣きぬれた。
[#改ページ]
承安四年は、仏法日本にとって、わけて念仏道にとって、忘れがたい春秋であった。
誕生して、まだ、まる二つにならない日野の十八公麿が、十五夜の名月に心のひとみをひらいて、無心のうちに、南無――の六音を唱えたということが、いつか隠れもない噂ばなしと伝えられる前に、洛東の吉水禅房では、期せずして同じ年に、法然上人が、専修念仏の新教義を唱道えだしていたのである。
後に思うと――法然上人の第一声と、幼い親鸞の第一声とは、ゆくりなくも、生るべき時代に――約束のない約束のもとに――秋を同じゅうして世に出たともいえる。浅からぬ因縁といえる。
法然の堂には、毎日、求法の民衆が、草のなびくように、寄って行った。
宮廷からも、お招きがあった。関白兼実も、聴聞した。はなはだしい平家の跋扈と、暴政と、いつそれがくずれて火をふくかもわからない危険な地熱とが感じられる一方に、そよと、冷やかな泉声でも流るるように、それは、民衆の不安と渇いた心に、争って、汲まれるのであった。
六条上皇が崩ぜられた。
改元して安元二年。吉光の前は、一年おいて、また一人の男の子をもうけた。――十八公麿の弟、朝麿である。
その朝麿が二歳、十八公麿が四歳となった。乳人にだかれている弟を、
「あさ殿、お目あけ……」と、もう幼い兄ぶりを示す彼であった。その兄弟のために召抱え入れた乳母が、ある時、
「介どの、介どの」侍従介を、よびたてて、二人して、仏間のふすまの間から、中をのぞき合っていた。
そして、笑いさざめいているので、吉光の前は、自分の居間を出て、
「和子たち、何を見ておりますか?」と、後ろから訊ねた。乳母は、
「まあ、ご覧じませ、あのように、十八公麿さまが、小さいお手へ、数珠をかけて、御像を拝んでおいでなされます。誰も、教えもせぬに、何というしおらしい――」と眼をほそめて告げるのであった。
「ほんに……」と、吉光の前の眸にも、思わず微笑がただよう。
子は、母の鏡であった。黒業も白業も、自分たちのなすことはすぐ映してみせるのである。彼女は、おそろしい気がした。
「お母さま」人々の気配に気づくと、十八公麿はふりかえって、数珠をすてて彼女の膝へすがった。壇のまえに坐って、拝んでいた相には、無邪無心の光があって、仏の再生でもあるように、何か尊いものに心を打たれたが、そうして、母の膝にからみついて、母の乳に戯れた十八公麿の容子は、やはり世間の誰の子とも変りのない子どもであった。
翌年の春のことであったが、一家を挙げて、珠とも慈しんでいるその十八公麿が、ふと、家のうちから見えなくなって、乳母や侍従介や、召使たちは、色を失って、騒ぎまわっていた。
「ここにも、お見えがない」侍従介は、いつもの持仏堂をのぞいて、乳母を、責めた。
「おぬしが、よくない。朝麿さまを抱いておれば、朝麿さまにのみ気をとられているから、かようなことになるのだ」
「今しがたまで、そこの前栽に、おひとりで遊んでおいでなされたので、つい、気をゆるしている間に……」乳母は、自責に駆られながら、おろおろといった。
「――裏の竹叢へでも」とつぶやきながら、走って行った。
侍従介は、眉をひそめながら、草履を突っかけて、ふたたび、庭へ下りた。――そして邸内の畑だの、竹林だの、小山だのを、
「和子さま――」呼びたてつつ、そしてまた、奥のおん方やお館の耳へは入れたくないように、心をつかいながら、血眼で、十八公麿のすがたを探しまわっていた。
ちょうど、折もわるく。
東の屋の一室に、あるじの有範は、この安元二年の正月から病にかかって臥せ籠っていたのである。そのために吉光の前も良人の病室から一歩も出たことがないような有様であったので、それも一つは、こういう間違いの起る原因でもあった。
で、召使たちは、よけいに心を傷めて、病室にこの過失を知らすまいと努めたのであったが、ひとつ館のうちの出来事ではあるし、そこへ呼ばれてきた侍女の素振りにも不審が見えたので、母である彼女が覚らないはずはなかった。
「十八公麿のすがたが見えぬとて、そう、噪ぎたてることはない」侍女のことばを窘めて、彼女は、静かに良人の枕元を離れた。彼女もまた、それを知るとすぐ、病人の心づかいを惧れたからであった。廊下へ出て、
「まさか、築地をこえて、館の外へ走り出はすまい。池の中の渡殿を見てか?」
「はい、あそこも、探したようでございます」
「池の亀を、面白がって、よう汀で遊んでいることもあるが、よも、水へ落ちたような様子はないでしょうね」
「そんなことは……」侍女も、落着かない、そして自信のないことばつきで、答えるのである。
「穿物を、だしてください」沈着に、静かなことばで、そういうのであったが、さすがに心のうちでは胸が痛いほど案じられているらしい。廊下の階に立って、侍女が、穿物をもってくるまも、もどかしげにその眉が見えた。すると、
「姉君、どちらへ?」前栽の木蔭から、誰か、そういって、近づいてくる者が見える。
橡色の直衣に、烏帽子をつけた笑顔が、欄干の彼女を見あげて、
「ひどく、お顔いろがわるいが? ……。それに、介も見えず、裏の木戸も、開け放しになっているではありませんか」
「宗業様、よい所へ来てくださいました。……今、十八公麿が見えぬというて、介も乳母も、出て行ったところでございます」
「えっ、和子の姿が、見えなくなったと申すのですか」
「このごろ、陸奥の方から、人買いとやら、人攫いとやらが、たくさん、京都へ来て徘徊いているそうな、もしものことがあっては、良人の病にもさわりますし、私とても、生きたそらはありません」といううちに彼女の眸は、もう、いっぱいに沾んでしまう。
まるい丘と丘が重なりあっている。丘の赤松の蔭からは、瓦焼きの竈の煙が、まっすぐに立ち昇っていた。それを見ても、風のないのがわかる。
蝶の群れが、逃げてきた。キキキ、キッ、と軌の音がどこからかしてくる。見ると、日永の遊山に飽いたような牛が、一台の輦を曳いてのろのろと日野の里を横に過ぎて行く。
「七郎っ。――七郎よっ」輦の中で、少年の声がした。武家の息子であろう、ばらっと、乱暴に、簾をあげて、首を外へ出した。
「どこへ行った、七郎は?」牛飼は、足をとめて、後ろの道をふり向いた。郎党ていの青侍が三名、何かふざけながら、遠く遅れて歩いてくるのが見える。
「ちッ」と、輦の上の少年は、大人びた舌打ちをした。赤い頬と、悪戯ッぽい眼をもって、
「――わしを、子どもと思うて、供の侍どもまで、馬鹿にしおる」両方の手を、口のはたに翳して、おうーいっと、大声で呼んだ。その声に、初めて、気がついたように、郎党たちは、輦のそばへ駈けてきた。
「馬鹿っ、馬鹿っ、何をしてじゃっ」少年は、頭から怒りつけて、それからいった。
「あれ、あの丘の裾に、うずくまっている小童があろう。――怪しげなことをしておるぞ。何をしてるのか、すぐ見てこい」
「え? ……どこでございますか」七郎とよばれた郎党は、少年の指さす先をきょろきょろ見まわした。
「見えぬのか、眼がないのか。呆痴た奴のう。……あそこの、梅か、杏か、白い花のさいておる樹の下に」
「わかりました」
「見えたか」
「なるほど、童がおります」
「さっきから、ああやって、じっと、うずくまったままだぞ。怪っ態なやつ。何しているのか、見とどけてこい」
「はいっ」七郎は、駈けて行った。
白い花は、梅だった。後ろからそっと近づいて見ると、まだ、四、五歳ぐらいな童子が、梅の老樹の下に坐って余念なく、土いじりをしているのである。
(や?)七郎は、眼をみはった。
童子の前には、童子の手で作られた三体の仏像ができている。まぎれもない弥陀如来のすがただ。もちろん、精巧ではないが、童心即仏心である。どんな名匠の技術でも生むことのできないものがこもっている。
それだけなら七郎はまだそう驚きはしなかったろう。――だが、やがて、童子は、土にまみれた掌をあわせて何か、念誦しはじめた。
その作法なり、態度なりが、いかにも自然で、そして気だかかった。ひら、ひら――と童子のうない髪にちりかかる梅の白さが、何か、燦々と光りものでも降るように七郎の眸には見えた。
(凡人の子ではない)こう感じたので、彼は、気づかれぬうちにと、足をめぐらして、腕白な主人の待ちかまえている輦のほうへ、いそいで、引っ返してきた。
「やい、どうあったぞ?」まるッこい眼をかがやかせて、少年は、輦の上から、片足をぶら下げて、すぐ訊いた。
「べつに、面白いことではございません」七郎がいうと、
「でも、なんじゃ」と、腕白少年は、しつこい。
「輦を進りながら話しましょう」
「待て待て」少年は、首を振って、
「話を先にせい」
「ちと、驚きましたので、落着きませぬと、お話ができません。……七郎めも、たくさんな童を知っておりますが、あんな童は、見たことがありません」
「それみい。面白うないというが、庄司七郎ほどな侍を、そう驚かしたことなら面白いにちがいない。――何じゃ一体、あの童は?」
「どこぞ、この辺りの麿でござりましょう。私が、近づいて窺っているのも知らず、一念に、三体の弥陀の像を土で作っているのでございます」
「なアンじゃ」少年は、赤い口で嘲笑った。
「馬鹿よのう、そんなことに、驚いたのか」
「いえいえ、さようなことに、庄司七郎は、驚きはしませぬ。……やがて、誦念いたしている姿の気だかさに驚きました。衝たれたのでございます。何か、こう五体がしびれるように思いました。ちる梅花も、樹洩れ陽も、土の香から燃える陽炎も、真の御仏をつつむ後光のように見えました」
「ふむ……」
「凡の和子ではございません。作られている三体の御像の非凡さ、容子のつつましさ」
「ふーむ……」
「世の中に、あんな和子もあるものかと、ほとほと感服いたしました」腕白な主人の顔がおそろしく不機嫌なものに変っているのに気がついて、七郎は、ちと賞めすぎたかなと後悔して口をつぐんでしまった。案のじょうである。
「小賢しいチビめ」輦のうえから、少年は唾をして、罵りだした。
「そんな、利巧者ぶるやつに、ろくな童はないぞよ。第一、まだ乳くさいくせに、仏いじりなどする餓鬼は、この寿童丸、大ッ嫌いじゃ」家来たちの顔を、じろじろ見まわして、どうだというように、待っていたが、誰も、雷同しないので、寿童丸は、いよいよ不機嫌になった。
「やい、やいっ。あの餓鬼めの作ったとかいうその土偶像を奪ってきて、わしの前で、蹴つぶして見せい」
「滅相もないことを」一人の侍がとめると、
「嫌か?」
「でも」
「主命だぞっ」この腕白者は、身装こそ小さいが、口は大人を負かしそうであった。主命といわれて、家来たちは、持てあました。
七郎は、扱い馴れているらしく、かりそめにも、仏の像に、そんな真似をしたら、罰があたって、脚も曲がろうと、なだめたり、説いたりした。
「罰?」寿童丸は、かえって、罰ということばに、反感を燃やしたらしく、
「右大将小松殿の御内でも、成田兵衛為成と、弓矢にしられた父をもつ寿童丸だぞ。――罰がなんじゃ。あたらばあたってみるがよい。おぬしら、臆病かぜにふかれて、それしきのことができぬなら、わしが行って、踏みつぶして見せる」と、輦の轅に片足をかけて、ぽんと飛び下りた。
七郎は、驚いて、
「まま、待たせられい」だだっ子の寿童丸を、他の家来たちとともに、無理やりに、輦の上へ、抱いて、押し上げようとする。
「嫌だっ、嫌だっ」小暴君は、轅へ、足を突っ張って、家来の頭をぽかぽか打ったり、七郎の顔を爪で引っ掻いた。
「離せっ、こらっ、馬鹿っ」
「お待ち遊ばせ。成田兵衛の若様ともあるものが、さような、泥足になって、人が笑います」
「笑ってもよいわ。わしは、侍の子だ。いちどいったことは、後へ退くのはきらいだ。わしが行って、小賢しの童めの土偶仏を、蹴砕いて見せるのじゃ。罰があたるか、あたらぬか、そち達は、見ておれ」
「さような、つまらぬ真似は、するものではございませぬ」
「何が、つまらぬ」寿童丸は、家来たちの肩と手に支えられながら、足を宙にばたばたさせた。持てあまして、
「それほど、仰っしゃるなら、やむを得ません、七郎が参りましょう」
「行くか」
「主命なれば――」
「それみい。どうせ、行かねばならぬもの、なぜ早く、わしのいいつけに従わぬのだ」やっと、小暴君は、輦の中に納まって、けろりという。
「――はやく、奪ってこい」愚昧な若君だが、こんな懸け引きは上手である。七郎は、いくら主人の子でもと、ちょっと小憎く思ったが、泣く子と地頭だった。
「承知いたしました」気のすすまない足を急がせて、丘の下へ、戻ってきた。
(まだいるかどうか?)むしろ、立ち去っていることを祈りながら、七郎は梅花の樹蔭をのぞいた。見ると、自身で作った三体の土の御像をそこにすえたまま、あの髫がみの童子は、合掌したまま、さっきと寸分もたがわぬ姿をそこにじっとさせていた。
虻のかすかな羽うなりも鼓膜にひびくような春昼である。七郎は、跫音をぬすませて、童子のうしろへ近づいた。――近づくにつれて、その童子のくちびるから洩れる念仏の低唱が耳にはいった。怖ろしい強兵にでも迫ってゆく時のように、七郎は、脚のつがいが慄えてきた。どうにも、脚がある程度を越えられない気がした。いっそのことやめて引っ返そうかと惑った。
寿童の呼ぶ声が、おうウいと、彼方で聞えた。彼は、主人の邸へ帰った後の祟りを考えて眼をつぶった。
(そうだ、人の来ぬ間に!)七郎は、跳びかかった。
無想になって合掌している童子の肩ごしに、むずと手をのばした。一体の像を左の小脇にかかえた。そして、もう一体の弥陀如来をつかみかけると、童子は、びっくりしたように起って、
「あれっ? ――」愛らしい叫びをあげた。そして幼子らしく、手ばなしで、わあっと、泣くのであった。
二つの像をかかえて、もう一体の像を七郎が蹴とばしたせつなである。
「おのれッ、この下司!」ぐわんと、彼の耳たぶを、烈しい掌のひらが革のように唸って打った。
「あっ――」耳を抑えながら、七郎は、横にもんどり打った。仏陀の像は、また一つ彼の手から離れ、粉々になって、元の土にかえった。
「大人げない奴めっ」叱咤が、頭のうえで聞えた。
七郎は、起き上がって、自分を撲った相手を見た。
十九か、二十歳か、せいぜいそんな年頃の若党である。腕を捲って、右の肩をすこし昂げ、左の手に、泣いている髫がみの童子を抱きよせていた。
「何処の青侍か知らぬが、よい年をして、なんで、稚い和子様のお作りなされた弥陀の像を足蹴にして砕いたのじゃ。それへ、両手をついて、謝れっ」こう正面を切って罵られると、庄司七郎も陪臣でこそあれ時めく平家の郎党である。尾を垂れて退くわけにはゆかなくなった。
「おのれ、このほうを撲ったな」
「撲った!」昂然と、若者は、いって憚らなかった。
「人もあろうに、わしの主人の和子様に、無礼を働いたゆえ、打ちのめしたのだ。それが、どうしたっ」
「おのれは、どこの若党か」
「前の皇后大進、藤原有範卿に仕える侍従介というものじゃ」
「落魄れ藤家の雑人か」
「なんであろうと、この身にとれば、天地無二の御主君。……ささ、和子様、もうお泣きあそばすな」と、侍従介は泣きじゃくる十八公麿をなだめながら、手の泥や衣服の塵を払って、
「お母様も、叔父様も、乳母も和子様のおすがたが見えぬとて、どんなに、お探し申しているかしれませぬ。泣き顔をおふき遊ばして、介と一緒に、はよう、お館へもどりましょう」肩を叩いて、歩みかけると、七郎は、跳び寄って、
「待てっ。用は済まぬ」と、介の刀の鐺をつかんだ。介は、振り向いて、
「何か、文句があるか」
「おうっ、今の返報を」いきなり、拳をかためて、介の頬骨をくだけよと撲りかかった。
しかし、予期していた介は、巧者に、半身をすばやく沈めて、七郎の小手を抱きこむように手繰ったと思うと、
「何をさらすっ――」どさっと、草むらへ抛り捨てた。草むらには、狭い野川が這っていたとみえて、七郎が腰を打った下から、泥水が刎ねあがった。
「や、や。あの若党めが、七郎を投げつけたぞよっ。七郎の仇じゃ、おいかけて、ぶちのめせ」
鞭を打たせて走ってくる輦の上から寿童がわめいた。介は、それを眺めて、
「和子様、はよう、介の背なかに、おすがりあそばせ。……相手が悪い。逃げましょう」
平家の御家人と見て、彼は、無事な策をとった。
と――もう小石の礫が、そちらへ、飛んできた。輦をとび下りた寿童が、石をひろって、ぶつけているのである。そして、
「あやつら、藤家の者じゃないか。平家のお身内に、指一本でも傷つけたら、相国のおとがめがあることを知らぬのか。逃がしては、なるまいぞっ。捕まえろ、牛の背にひっ縛って、六波羅の探題へ、突き出してくれる」と、遠くから喚いた。
そして、介の逃げ走る方へ、牛飼や、侍たちと共に、先廻りして陣を布いた。介は、背中の十八公麿へ、手をのばした牛飼の男の腰ぼねを、
「慮外者っ」と、蹴って、また走った。
下婢も、下僕も、仕事が手につかないように、厨を空にして外へ出ていた。
箭四郎は、牛小屋の牛を世話したり、厨や湯殿の水汲みをする雑人だったが、やはり心配になって、井口の筧に、水桶を置きはなしたまま、
「於久里どん、和子様は、見つかったかい」
築地のそとを、うろうろしていた下婢の於久里は、首をふって、
「どこにも――」と、昏い顔をした。
「見えぬのか」
「うん……」
「ふしぎだなあ」箭四郎は、於久里とならんで、腕ぐみをしていた。
この頃、しきりと、洛外のさびしい里を脅やかしている風説が胸の底にさわいでくる。それは、洛外ばかりでなく、どうかすると、白昼、玄武や朱雀の繁華な巷でも行われる「稚子攫い」のうわさである。
巷の説によると、稚子攫いを職業にする悪者は、男の子ならば室の津の唐船へ売りわたし、眉目よい女子だと京の人々が、千里もあるように考えている東の国から那須野の原をさらに越えて、陸奥のあらえびすどもが、京都の風をまねて文化を創っている奥州平泉の城下へ遠く売りとばされてゆくのだという。それを思い出して、
「もしや、稚子さらいの手にかかったのじゃあるまいかなあ」箭四郎がつぶやくと、
「そうかも知れない」於久里も、かなしい眼をした。だが、すぐに二人の眸が、
「おやっ」と、かがやいた。
「介だ!」箭四郎が、突然さけぶと、
「おっ、和子様がっ」於久里は、転ぶように、木戸のうちへ、駈けこんで行った。
「和子様がもどった」
「和子様」
「和子様」館のうちにつたわる狂喜の声が、外まできこえた。
「介ッ。介ッ」箭四郎は、両手をあげて、呼んでいた。十八公麿を背に負って、野をななめに、草を蹴って駈けてきた侍従介の顔には、すこしばかり血がにじんで、水に突っこんだように襟くびにまで汗がながれていた。
「箭四っ。うしろを閉めてくれっ」あえぎ声でいって、築地の中へ飛びこんだ。
箭四郎は、介にいわれた通り、そこを閉めた。西の木戸も、表門のくぐりも、堅く閉めておくようにと介はいいつけながら、奥の庭へ駈けて行った。
「おお」階梯のうえに見えた吉光の前は、介が、十八公麿を下ろすのも待たないで、駈け下りて、わが子を抱きとった。そのまま廻廊の上に戻って抱きしめたまま暫くはうれしいのと緊りつめた心のゆるみで、泣きぬれているのであった。
「和子」やがて、頬ずりの顔を離すと、母は、心のうちとは反対に、すこしきびしい眼をして、
「この母も、叔父様も、どのように案じていたことか。つねづね、よう教えてありますのに、なぜ、一人で外へなど出ましたか」と、叱った。
「あ、もし」介はあわてて、吉光の前のことばを遮った。
「――おしかり遊ばすな。和子様のは、世間のいたずら童が、飛びまわるのとは違いまする」
「でも、こういう時には」
「ごもっともです。けれど、介のぞんじますには、おそらく、和子様は、お父君のお病気に、小さな胸をおいためあそばして、それを、お祈りしていたのではないかと思われます」
「ほ……どうして?」
「介が、諸方をお探しして行きますと、いつか、和子様をおぶって粘土を取りに参りました丘の蔭にこう、坐っておいであそばしました」介は、庭へ坐って、十八公麿がしていたとおりに真似をして合掌した。
そして、三体の弥陀如来の像を作っていたこと、一心に何か祈念していたこと、それがとても幼い者の振舞とは思われないほど端厳な居ずまいであったことなど、目撃したままを、つぶさに話した。
「まあ……和子が……」母の眸には、涙がいっぱいで、それが笑顔にかわるとたんに、ぽろりと、白いすじが頬に光った。
「では……そなたは、お父君のおいたつきが癒るようにと、その小さい手で、御仏の像を作っていたのですか。……そうかや?」頭髪をなでると十八公麿は、母の睫毛を見あげて、幼ごころにも、なにか、すまないものを感じるようにそっと、うなずいて見せた。
報らせを聞いて、宗業も戻ってくる、乳母も、眉をひらいて駈けてくる。
侍女や、下婢までが、そこへかたまって、口々に、十八公麿の孝心を称えた。それに、粘土で仏陀の像を作っていたということが、大人たちの驚異であった。
宗業だけは、そう口に出して、賞めそやしたり称えはしなかったが、家族たちの手にかわるがわる抱き上げられて

(この子は――)と、将来の眩ゆさを感じ、ひざまずいて、礼拝したいような気もちに搏たれた。
すると、築地の外に、黄いろい砂ほこりが舞って、がやがやと、口ぎたない喚き声がきこえた。
「ここじゃな、貧乏公卿の有範の邸は」介の後を追ってきた寿童丸と、その家来たちらしかった。
「やいっ、今の若党、出てうせいっ。ようも、わしが家来を、投げおったな。出てうせねば、討ち入るぞよ。こんな、古土塀の一重や二重、蹴つぶして通るに、なんの雑作もないわ」そしてまた、
「臆病者っ、答えをせぬか。寿童冠者が勢いに怯じて、音も出さぬとみえる。――皆の者、石を抛れっ、石を抛れっ」声がやむとすぐ、ばらばらっと、石つぶてが、館の廂や、縁に落ちてくる。一つは、宗業の肩を打った。
「なんじゃ、あの業態は?」介は、睨めつけて、
「おのれ」と、口走った。そして太刀の反りを打たせて、
「おうっ、たった今、出会うてやるほどに、そこ、うごくなっ」
血相を変えて、介が、出て行こうとする様子に、宗業は驚いて、彼の太刀の鞘をとらえた。
「これっ、どこへ参る」
「あの悪口がお耳には入りませぬか。最前は、十八公麿様にお怪我をさせてはならぬと、じっと怺えて、お館の内へ逃げこんでは参りましたものの、もう堪忍はなりませぬ。介は、斬って出て、斬りまくってくれまする」
「逆上したか、相手は、平家の侍の子じゃぞ」
「あの嘴の黄いろい小冠者までを、思いあがらせている平家の横暴さが憎うござります。素ッ首斬って、介が、斬り死にしましたら、少しは、見せしめになって、世間の人が助かりましょう」
「用もない生命を捨てるな。蠅が小癪にさわるとて、一匹二匹の蠅をたたいたら、数万の蠅がうるさいしぐさをやめるであろうか。まして、お館も御病中、怺えておれ、黙っておれ」
「ええ、いかに、何でも」
「ならぬぞ、決して、築地の外へ出てはならぬぞ。唖になれ、耳をないと思え」
「耳も眼も、血もある人間に、それはご無理。――おのれっ、成田兵衛の小伜に、雑人ばら、今日のこと、覚えておれよ」築地越しに、呶鳴ると、どっと外で嘲笑う声がした。牛糞や、棒切れが、ばらばらと庭の内へ落ちた。
介ばかりではない。厨の召使たちも、歯がみをしてくやしがった。けれど、宗業もなだめるし、吉光の前もおののきふるえて、
「怺えて賜も。相手になることはなりませぬぞ」頼むばかりにいうので、涙を溜めながら、つんぼのように鳴りをしずめていた。
すると、奥の小者が、あわただしく廊下を駈けてきて、
「おん方様、宗業様、すぐおこし下さいませ、すぐに」語気のふるえに、二人は、ぎょっとして、
「どうしやった?」
「お館様の御容体が、にわかに変でござります。唇のいろも、お眸も、急に変って……」
「えっ、お悪いとな」宗業は、走りこんだ。吉光の前も、裳をすべらせて、良人の病間へかくれたが、やがてすぐ、宗業が沈痛な眉をして、そこから出てきた。そして早口に、
「介っ、介――」と、呼んだ。介は、階段の下に、黙然と浮かない顔で腕ぐみに沈んでいたが、
「はいっ、介は、これにおりますが……」
「オオ、急いで、お医師の所と、その足ですぐに、六条の兄君のところへ、お報らせに走ってくれい」
「では、お病状が……」
「ウム、もはや望みがないかも知れぬ。いそいでゆけよ」
「はいっ、はいっ」木戸へと、駈けて行くと、
「介っ――」と、宗業はもいちど、声をかけた。
「くれぐれも、六波羅衆の息子などにかまうなよ。何と罵しられても、耳をおさえて、走って行くのだぞよ。よいか」
「はいっ」
「頼むぞ、はやく」介は、築地の木戸を開けて、夢中で外へおどり出した。
洛内のほうへ向って、介が、わき目もふらずに急いでゆくと、寿童丸とその家来たちは早くも彼の姿を見つけて、
「犬が行く、痩せ犬が、尾をたれて行くぞ」
「さっきの広言、何としたぞ」
「腰ぬけっ」またしても、悪たれや小石を、後ろから浴びせるのであったが、介は宗業のことばを思いだして耳の穴をふさぎながら、
「――堪忍、堪忍、堪忍」と口の裡で唱えて、後ろも見ずに洛中へ急いで行った。
そうして、六条の範綱の館まで、一息に来たが、折わるく範綱は後白河法皇の院の御所へまかり出ていて、まだお退がりにならないという。
院へは、法皇のまわりに、平家の人々がたくさん取り巻いて、閥外の人間を遠ざけるから、範綱などは、めったに伺候することはなかったのであるが、近ごろはまた、法皇のお心もちが少し変って、あまりな平家閥に、眉をひそめられることが多く、ときどき、範綱にもお招きがある。むろん政治上の事にかかわる範綱ではないから、和歌のお相手や、稀に、御宴の端につらなるくらいの程度であった。
「いつも、お帰りは、遅うございますか」介が、当惑そうに訊くと、館の者が、
「お出ましの時は、たいがい遅くなるのが常でございます」と答えた。
「それは困った」介は、院の御所へ行って、衛士に取次ぎを頼んでみようと思った。で、そこを辞して、また駈けだして行くと、途中で、範綱に会った。
「介ではないか」呼びとめられて、
「おおよい所でした、六条様、たいへんです。有範様の御容体がにわかにわるうござりまして、医師薬師も、むずかしいという仰せ。奥のおん方様も、宗業様も、お枕べに、付ききりです。すぐ、お越しくださいませ」
「や……有範が」そんな予感があったように、範綱は、すぐに、牛輦を引っ返して、日野の里へいそがせた。病室は、しいんとしていた。胸さわぎが先に立った。だが有範はよいあんばいに小康を得て、すこし落着いていたのだ。
しかし、医師は、決してよい状態ではないから油断をしてはいけないといった。そのことばを裏切って、四月になると、有範はたいへん快くなった。そして自分はいつ死んでも心のこりはないが、こんな激しい社会の中に、生活力のない女や幼子をのこしてゆくだけが心がかりであるなどと、それが冗談に聞えるくらい明るい顔をしていった。範綱もまた、戯れのように、
「そんなことは、心配には及ばぬ。微力でも、わしというものがいるではないか」といった。有範は、にことして、うなずいた。冗談ではなかったのである。それが生涯中の重大な一言であったのである。五月にはいると、やがて病が革まって、藤原有範は、美しい妻と、二人の子をおいて、帰らない人になってしまった。
(生活力のない女子ども。――流転闘争の激しい社会には、それのみが心配だ)といった彼の遺言をまもって、範綱は、やがて、未亡人と二人の遺子を、六条の館のほうへ引きとって、自分には子のないところから、十八公麿と朝麿は、養子として、院へお届けの手続きをした。
草の育つ夜の雨であった。乳のようにしとしとと蔀にしたたる雨だれの宵――
範綱は、すこし疲れた筆をおいて、燭の丁字を剪った。どこからか入る濡れた風には若葉のにおいがして、この雨上りの後に来る初夏が思われる。
「はやいの――。もう一年になる」机に、肱をやすめて、範綱は弟の死を憶い回した。
有範の世を去ったのが、ちょうど去年の五月である。それから間もなく、二人の遺子と、若後家とを、この六条の家にひき取ったが、自分にそれだけの生活力がにわかに増したわけではないので、範綱は、院のお手当の他に、何か収入を計らなければならなかった。色紙や懐紙に歌を書いたとて、それは足しにもならないし、大きな寺院から写経の仕事をひそかにもらって、筆耕に等しい夜業をしたりしていた。
だが、それも倦む。倦むと時々、
「時勢が時勢なら――」と、平家の世をのろわしく思うてもみるが、結局、無力なものの愚痴と自嘲して、子どもの顔でも見て忘れようと思うのであった。今も、
「……もう寝たか」自分の室を出て、渡り廊下をこえた一棟のうちをのぞくと、
「おお、入らせられませ」若後家の吉光の前は、帳の蔭に、添寝して寝かしつけていた朝麿のそばからそっと起きてきて、敷物をすすめた。
「この二、三日は、朝麿の泣き声が、ひどう、むずかるようだが……」
「ちと、虫気でございましょう」
「十八公麿は」
「あれにおりまする」
「まだ、起きているか」次の狭い室をのぞくと、なるほど、ほたる火のような淡暗い燈心を立てて、今年五歳になる十八公麿は、小机へ坐って、手習いをしていた。
「勉強か。えらい」賞めながら、立って行って、墨に濡れた草紙をのぞきこんだ。
「うーむ、以呂波歌か。……その手本は、誰がいたした」十八公麿は、ふりかえって、
「叔父さまに」と答えた。
「宗業が、そちのために、書いたのか。……これほどの仮名の名手は、探してもそう数はない。よい師を持っていて、お汝は、しあわせ者だ」
「お父様も、おうたを書いてくださいませ」
「書にかけては、宗業にはかなわぬ。わしは、今にお汝がもっと大きゅうなったら、和歌の道を教えよう。和歌は日本人の心の奏でじゃ。成人して、何になろうと、たしなみほどはあってもよい」
誰か、その時、渡殿の廊下を、みしみしと歩いてきた。
「――誰じゃ」
「箭四郎でございます」日野の家を移る時から従いてきた下僕は、この箭四郎と、若党の介だけであった。介は、先ごろ故郷にのこしてある老母の病があついという報らせで、田舎へ帰っていてこの二月ほどいなかった。
「吉光様へといって、ただいま、かような文を投げ入れて参った者がございますので――」と、箭四郎は、雨によごれた一通の書状を、彼女の前へさし出した。
「はての?」彼女は首をかしげた。
名も告げずに、投げこんで行った文とは、一体誰からよこしたものであろう。さし当たって、思いあたる人も泛かばないように、封を解いた。
燭を寄せて、読みかえしていたが、やがて、吉光の前は、ほっと嘆息をもらして、つぶやいた。
「まあ、とうとう、鞍馬を下山てしまわれたか。――あの稚子ばかりは父御の末路を踏ましとうないと祈っていたが」範綱は、さしのぞいて、
「誰からじゃ?」と、たずねた。
「めずらしくも、鞍馬の遮那王から――」
「なんというて?」
「どうして、あれほどきびしい平家の付人の眼を晦ましたか、関東へ逃れて、身を潜め、今では、奥州の藤原秀衡の懸人になっているとやら……」
「では、噂は嘘ではなかったとみえる。ひところ、鞍馬の遮那王が逃げたと、やかましい沙汰であったが」
「よもやと疑っていましたが……これを見れば、元服して、名も源九郎義経と改めたと書いてありまする」
「血はあらそえぬもの」
「野心のある豪族に、利用されるのでございましょう。……それにつけても十八公麿の将来が案じられます。十八公麿のどこかにも、源氏の血がひそんでいるのではないかと」
「そう取越し苦労はせまいものじゃ。また、源家の血が、呪われた末路を踏むものとばかりは限らぬ。白いか、紅いか、咲いてみねばわからぬ」
「どうか、平和で、静かで、風にも散らぬ樹となり、花を結ぶよう――」母性のうれいを眸にこめて、隣の室の隅をながめた。
燈心の光の下に、十八公麿は、眠るのを忘れて、まだ草紙に文字を書いていた。
「磨よ」
「はい」
「もう、お寝みなさい」
「はい」
「また、あしたにしたがよい」侍女が来て、彼の衣服をぬがせた。そして、十八公麿がすなおに帳の蔭の衾にかくれると、間もなくであった。小侍が、足早に、
「お館様」と、よんだ。
「なんじゃ」
「新大納言様からのお使者がみえられて、ぜひ、お目にかかりたいと仰せられます」
「お使者が」
「お通し申しますか」
「この深夜に、成親卿のお使いとは……」いぶかしげに、考えていたが、
「ま、ともあれ、ご鄭重に」
「かしこまりました」小侍が去ると、すぐ立って、範綱は、客室へ出て行った。
客室には、二人の侍が、威儀をただして待っていた。主の会釈をうけると、
「てまえは、北面の兵衛所に詰めておりまする多田蔵人と申す者です」次席の侍も、それに次いで、おごそかに、
「同じく、北面の武士、近藤右衛門尉師高」と名乗った。
沈湎として青じろい面に、どこか策士的なふうのある多田蔵人と、北面の侍所に豪の者として聞えのある近藤右衛門尉との訪れは、この二人の組みあわせを考えただけでも、時節がら、漫然たる用向きでないことは想像されるのであった。
まして、深夜。その深夜を冒し、雨を冒して来た客の二人は、二人とも、直垂から袴ごし、太刀の緒まで、片袖ずつ、ぐっしょり濡れて坐っていた。
「時に……」と蔵人は、果たして声をひくめた。
「ちと、折入って、密々にお話し申しとう存ずるが」
「ご心配なく」と範綱はいった。
「――ここへは、許しなくば下僕の者も参りませぬ。見らるる通り塗籠の一間、外にお声のもれることもない」
「うむ……」近藤と、うなずきあわせて、
「ほかではないが、新大納言の君の御発意で、この月十三日ごろ鹿ヶ谷俊寛僧都の庵に、同気の輩がうち集うて、何かと、お談じ申したいとのことであるが、貴公にも、枉げてもご出席あらるるようにとのお伝えでござる。――ご都合は、どうお座ろうか」
「さ……」範綱は、返辞をためらった。
院を中心にして、先ごろから、思いあわされることがないでもない。相国清盛に対して、瞋恚を燃やしておらるるという噂がもっぱらにある。原因は、相国の嫡子の小松重盛が左大将に、次男の宗盛が右大将に昇官して、徳大寺、花山院の諸卿をも超え、自分の上にも坐ったということが、何としても新大納言成親には、虫のおさまらない不平であるらしい。
院の内政はいうまでもなく、叙位、除目のことまで、清盛父子のためにこう自由にされては、やがて、自分たちの官位もいつ剥奪されて、平家の門葉の端くれへ頒けられてしまうかも知れない――という疑心暗鬼も手つだってくる。
法皇にも、近ごろは、平家のこの専横ぶりを憎く思し召されている容子があると見てとると、成親の謀心は、油がそそがれた。北面の武士といわれる侍所にも、同じような不平分子がたくさんいる。また、民衆も平家の顛覆するのを旱に雲を待つように望んでいる秋である。今、策を立てれば、必ず成功するにちがいない。いわゆる時期到来だ。
こうした考えの人々がいつのまにか院のうちに、秘密結社をつくって、暗躍しているらしいことを、範綱は、あぶない火悪戯を見るように察していたので、
(――それだな)とは早くも察していたのであるが、わざと、何もしらない顔をして、
「十三日……」考えこんでいた。蔵人は、膝をすすめて、
「ぜひ、お繰りあわせをつけて欲しいが」
「して、当日の集りに見えらるる方々は」
「されば」と、右衛門尉は、懐をさぐって、燭の下に、連名の一巻をひろげながら、
「――近江中将蓮浄どの、法勝寺の執行俊寛僧都、山城守基兼どの、式部大輔正綱どの、平判官康頼どの、また、新判官資行どのを始めとして、かく申す右衛門尉、ならびに、蔵人行綱」と、読んだ。
院の文官と、北面の武士と、ものものしく連判してあるのである。
範綱は、眼をそらした。そして蔵人の眼をみると、蔵人は、じっと自分の眼を見つめて、こう秘密をうちあけた以上は、是が非でも加盟させずにはおかない、拒めば即座に左の手によせている太刀にものいわせても――という殺気のある眸をかがやかしていた。
「なるほど」範綱は、すこし後へ退がった。そのあいだに、彼は思案を決めていた。
「――では僧都の庵にあつまると申しても、歌、猿楽などいたして、半日を、風雅に遊ぼうというわけでもないですな」
「もとより、表面は――そういう態にしてあるが、まことは……」右衛門尉は、深沈と更けてゆく燭の蔭を、見まわした。
「――まことは、北面の侍ども、また、ただいま読み申した連判の輩が、血をすすりあって、院の法皇を仰ぎ奉り、新大納言の君を盟主として、暴悪な平氏を一挙に、覆えさんと思うのでござる。洛内にては、人目もあるゆえ、鹿ヶ谷へ集った当日、万端お謀ちあわせする考え。――ついては、源家に御縁の浅からぬお家であり、わけても、法皇の御信任もふかい貴公のこと、むろん、お拒みのあろうはずはないが、改めて、御加盟のことおすすめに、一党の使者として、わざと夜中、推参したわけでござる」蔵人が、一息にいうと、右衛門尉も、
「範綱どの。ご返辞は――」と、つめよった。
「…………」眼を閉じて考えている範綱の眉を、二人は左右から射るように見つめた。返辞によっては、太刀にものをいわせかねない気色であった。
(何と答えたらいいのか?)範綱は、当惑した。
平家がどうあろうと、政治がどう動こうと、自分は、歌人である、武士でも政客でもない、また高位栄職をのぞんでもいない、歌に文学に、自分の分を守っておればよいのであると、常に、そうした渦中に巻きこまれることは避けるように努めているのだったが、周囲は遂にそれをゆるさないことになってしまった。
一言でも、大事の秘密を聞かれた時は、秘密に与すか、秘密に殺されるかどっちか二つに一つを選ばなければならない――。範綱はそれに迫られて、自身の窮地を感じるとともに、上は、法皇の御危険なお立場と、小さくは、奥の北殿に、はや平和に眠ったであろう幼い二人の者と、薄命な弟の若後家の境遇を、考えずにはいられない。
「……ご返辞のこと、一両日、お待ちねがわれまいか」
「ご即答は、できぬとか」蔵人の手は、太刀をにぎっていた。ただの握りかたではない、微かなふるえすら現しているのである。
「法皇に仕え奉つる身、法皇のおこころのほども臣として――」いいかけると、
「あいや、六条どの、その儀ならばご懸念はいらぬ。秘中の秘、いいのこしたが、実は、当日の謀議には、上皇にも、おしのびにて院をお出ましある手筈……」その時、家の外で、樹の枝でも踏み折ったような音が、ばりっと寂な夜気をやぶって、この三人の耳を驚かした。
「やっ? ……」右衛門尉は、太刀のこじりを立てて、中腰になった。
一瞬のまをおいて、
(曲者っ――)と、ふたたび遠い所で誰やらの声がした。
ばたばたと屋外で――今度はやや間近な窓の下あたり、烈しい跫音が駈けた。
暗い雨の音が、さあっと、その跫音を前栽の木立のそよぎと追うらしい。
(曲者っ)つづいて、
(お出合いなされっ――)追いつめて、組みついたか、烈しい物音がする。喚く、打つ、そして、
(逃がすなっ)と、声が割れた。
蔵人も、右衛門尉も、また主の範綱も、思わず立ち上がっていた。そして、廊下の蔀を開け放って、
「何事じゃっ」雨に向って、範綱がいった。
しかし、それに答える遑もないように、木蔭や亭のまわりを、逃げる者と追う者の黒い影がみだれ合っていた。そのうちには、蔵人の供人もまじっているらしかった。
いつのまにか、右衛門尉は袴をくくり上げていた。武人らしく、さっと雨のなかへ躍り出て、築地を越えて出ようとしている曲者をひっ捕えた。そして範綱と蔵人のあきれ顔をしている前へ、ずるずると引き摺ってくるのであった。
室内の明りは、吹きこむ風に消されていた。範綱は奥へ向って、
「紙燭、紙燭――」と、どなった。
ふすまや、几帳の蔭から、小さい燈火の光が、掌に庇われながらそこへ運ばれてきた。雨の打つ階梯の下に、曲者はねじ伏せられている。右衛門尉は、直垂の胸紐をひき抜いて、曲者の両の手くびを背にまわして縛りつけていた。
「面を上げい」泥土によごれた革足袋が、曲者の肩を蹴った。曲者は横に倒れたが、すぐに坐り直して、剛毅な態度をとった。しかし俯向いたきりで、顔を見せないのである。
蔵人は、廂の下にかたまった自分の供人と、この家の召使たちを眺めて、
「こやつは、館の者でござるか」
「いえ、当家には、かような者はおりませぬ」と、中にまじっていた箭四郎が答えた。
「すると、外から忍び入ってきたものじゃな」
「察するところ、お後を尾行てきて、なお、去りやらず、築地を越えて入りこんだものと思われます」
「立ち聞きしていたか」
「されば、ちょうど、お客間の窓の下あたりに佇んで――」
「うぬっ」蔵人は、憎そうに、睨めつけて、
「さては平家の諜者じゃ。右衛門尉、打ちすえて、口をお開かせなされ」
「諜者か、おのれは」右衛門尉は、曲者の耳を引っ張っていった。痛さに顔をしかめた曲者の顔が斜めに長く伸びた。その顔には誰も見覚えがなかったが、りりしい身支度や度胸をすえこんでいる態度を見ると、決して雑人や凡下の輩ではない。平家のうちでも、相当な家の郎党にちがいなかった。
「おのれ、誰にたのまれたっ。いえっ、いわぬかっ――」右衛門尉のこぶしが、曲者の頭蓋骨を、三つ四つ撲った。
見ている者すら面をそむけるほど烈しい折檻を加えられたが、曲者は、頑として口をあけなかった。
「主人の名を申せっ」
「…………」
「頼まれたものの名をぬかせ」
「…………」
「何のために、立ち聞きしたっ。六波羅のまわし者とは分っているが、誰のさしがねで、ここへは忍びこんだか」
「…………」
いくら拷問してみたところで、石にものを訊くようなものであった。
そのうちに、曲者は、うめいたまま、気を失ってしまった。夜も更けてくるし、大きな声をだしているのは、近隣の館に対しても、考えなければならなかった。
「忌々しいやつ……」と、右衛門尉は、手をやいたようにつぶやいた。そして、この曲者を、充分に調べあげるまで、どこか邸内の仮牢に預かっておいてくれという。
「承知いたしました」範綱は迷惑した。しかしこんな縄付を、二人の使者が曳いて歩けないことは分りきっている。平家の眼の光っている京の往来では――。
「箭四郎、この曲者を、裏庭の納屋へでも入れて、縛っておけ」
「かしこまりました」気を失った曲者の体を、二、三人して雨の闇へ運んで行くと、右衛門尉は、足を洗って、席へもどった。そして蔵人とともに、ふたたび、新大納言の大それた謀叛の思いたちを、熱心に説いて、範綱にも加盟をするようにすすめて、やがて、やっと立ち帰った。
範綱は寝所にはいっても、まんじりとも眠られなかった。自分は自分の分というものを知っている。不平をいだく北面の武士や、院の政客と聯脈をとって、栄権を夢みるような野望はさらさら持ったことがない。決して、明るい御世とは思わないけれど、歌人として自然を相手に生きている分には、これでも不足とは思っておらぬし、また、弟の遺した二人の幼子や若後家の将来などを思えば、なおさら自分の進退は自分だけの運命を決しるものではない。
考えは決まっているのである。そう初めから決している範綱であった。
だが、後白河法皇も、新大納言の私怨にひとしい企らみにお心が傾いているというのは、彼として、自身以上の危惧であった。万が一にも法皇が御加担となれば、臣として眺めているわけにはゆかないことは当然である。おんみずから業火の裡へ、平家膺懲のお名宣をあげて、院の政庁を武人の甲冑で埋めるような事態にでもなったならば、それこそ怖ろしいことである。
(ああ、どうしたものか)悪夢のなかに、範綱はもだえた。茜いろの都の空にまたしても悪鬼や羅刹のよろこび声が聞える時の迫りつつあるのではないかと戦慄した。
夜明けごろ、北の寝屋の奥に、朝麿がむずかるのであろう、幼子の泣き声がしばらく洩れていた。
(そうだ……。何よりは、法皇のおこころが第一、法皇さえおうごきにならなければ――)
うとうとと眠りぎわに彼は何か心の落着きを見つけていた。とたんに眠りに入ったのである。
眼がさめたのは従って常よりも遅かった。雨あがりの陽が強烈に眸を刺し、空は碧く、五月の若葉は、新鮮であった。
院の御座所をさがってくると、範綱はすこし眉をひらいた。法皇の御けしきによっては、随分、面をおかしても御諫言するつもりであったが、
(さすがは、老練でいらせられる、あの御烱眼ならば――)と、まずまず、安心して、いわんとすることは、暗示ぐらいな程度にとめて、御簾所を退がってきたところであった。
院を中心にして、策動し、流言し、暗中飛躍をする無数の政客や、武人や、策士を、法皇はやはり高い御座のうえからよく観ておられると、今さら心服するのであった。もっとも、平治、保元の動乱期にあって、法皇ほど、御苦労もなされ、また、人間の表裏反覆と、烈しい権力の争奪を眺められたお方はない。
そういう法皇を奉じて、まだまだ、衰兆の見えない平家を廟堂から追い落そうなどとしても、所詮、躍るもの自身の自滅以外、何らの運動となるわけのものではない。まして、それが私怨と私慾の不平から結ばれた策動であるにおいては、言語に絶した不忠な悪謀みである。法皇の御運命がそういう野望家のために決しられるようなことでもあっては断じてならない。
範綱の意志は、そこに決まっていた。――だが、それを極言するまでもなく、法皇御自身が、院の内外にうずいている野心家の空気と、野心家の性格とを、ことごとく知り抜かれているようなので、
(このぶんなら――)と、彼は、自分の取越し苦労を、むしろ恥じて、
(くれぐれも、御自重)と、ばかり奏して、あとは、いつもの和歌の話などして、心までが、はればれとしていた。
南苑の橘には、春のよごれを降りながした雨あがりの陽が強く照りかえしていた。伶人たちが、院の楽寮で、器楽をしらべているし、舎人たちは、厩舎の前にかたまって、白馬に水を飼っていた。
「六条どの」後ろで呼ぶ者がある。廻廊の曲がり角に、待っていたように佇んでいた男だった。
「――おおこれは」見ると、故少納言信西の息子、浄憲法師という、才子で、人あたりがよくて、そして院のうちの切れ者といわるる人物だった。
時々、歌の詠草などを届けてよこして、評を求めるので、そのつど、歌はみてやるけれど、範綱とは、べつな世界に生きている人間であって、いくら永く知ってはいても、ほんとの知己にはなれないでいる男だった。
にやりと、浄憲は寄ってきた。何ということもなく、欄へ誘って丸柱に、背をもたせながら、
「何か、御内奏でもあって、御伺候かの?」と、そろりと探りを入れる。
「いや、相かわらず、歌よみは、歌よりほかにはお相手のしようものうて……」範綱も、そっと、逃げると、浄憲はねちねちとした眼で、ぶしつけな正視を相手へ与えながら、
「ほ……。それにしては、だいぶ、お永い話であったの」
「きょうは、御興にいったとみえて――」
「歌の話に、お人ばらいまでせらるるとは、ご入念なことだ」
「…………」
「ときに」と浄憲は、すり寄ってきた。そして、範綱の耳のそばで、
「新大納言の君から、なんぞ、そこもとにも、耳うちがあったはずだが……」
「ゆうべの使者から、あらましのことは、お聞き取りと思うが――」浄憲の眼は、しきりと、廻廊や南苑の人影へうごく。
人が来ないとみると、小声で、早口にことばをついで、
「どうじゃ、何とみらるる、平家の暴状、癪ではおざらぬか、忌々しゅうは思われぬか、小松重盛を左大将に、これは、まあ我慢もなるとして、その次男坊の宗盛――木偶に冠じゃ――猿に履じゃ。それを、一躍、徳大寺や花山院の諸卿をとび超えて、右大将に任ずるとは、なんと、阿呆らしい――」白馬が、遠くでいなないた。浄憲は、眸の小さい眼で、ぎらりと、あたりを見た。
「――この手で、まだまだ、勝手気ままに、清盛入道は、叙位除目を私するじゃろう。おそれ多いが、お上も、あるやなしの振舞、いわんや、吾々輩をや」
「……ちと、今日は館に、約束の客を待たしてもあれば」
「まあ」と、浄憲は、範綱の袖をとらえて、
「それと、これとは、事の大きさが違いましょう。貴所も、院の御信任あさからぬ臣下の御一名ではないか」
「こういう所では」
「いや、改まった場所では、すぐ、平氏の者がうるさい。……ではご一言、伺っておこう。新大納言のお考えに、そこもとは、ご加担か、お断りの肚かを」
「今は、申しかねる」
「二心おもちか」
「いや」
「さなくば、仰せられても、さしつかえおざるまい。かほどまで、平家の門葉ばらに、蹂みにじられ、無視されても、腹のたたぬやつは、うつけか、畜類でおざろうぞよ」
「…………」
「法皇とても、おなじお気持でいらせられる。御気しきにこそ出されぬが、お憤りはどんなにか、鬱積していらるるのじゃ。さものうては、新大納言はじめ、われらどう歯ぎしりしたところで、うごきはせぬ。……」
「…………」
「加盟にお拒みあることは、せんずるところ、法皇の御意にそむき奉ることにもなる。……それでも、ご不承か」
「考えておきます」
「ゆうべも、そう仰せられたままと聞く」
「大事の儀は、大事に考えねば、ご返答はなりませぬ」
「賢いの……六条どの」
「さようか」
「ふ、ふ、ふ、ふ」
浄憲法師は、嘲むがごとく笑って、ついと、背を向けた。
「では、いずれ再度――」すたすたと奥へ衣さばきを切って行った。
ほっと、虎口をのがれた気もちである。範綱は、誰にも会いたくない気がして、いそいで、院の門を出た。
車寄には、誰彼の参内の諸卿の牛輦が、雑鬧していた。舎人や、牛飼たちが、口ぎたなく、陽あたりの下に争っている。
「箭四郎、箭四郎」供待ちへ、こう呼びたてて、範綱は、あわただしく牛輦の裡へかくれた。そして、揺られゆく途々に、ふとまた、不安なものを感じてきた。法皇のおことばに、もしや表裏があるのではないかという点だった。浄憲法師には浄憲へいうように、また自分には自分に対して下されるように、扱らわれているのではないかという疑念である。
なぜならば、策士にかこまれている法皇御自身がまた、ひとかどの策略家でいらせられるからであった。
それ以来、範綱は、病気といって引き籠っていた。
一室に閉じ籠っていても、世間の物音は、ごうごうと、聞えてくる。
(また、山法師の強訴じゃ)
(白山の僧が、神輿をかついで、延暦寺へ押しかけたそうな)
そんな噂は、もう珍らしくもない。政治好きな法皇でさえ、山門政策には手を焼かれて、
(双六の賽と、山法師ばかりは、朕の心のままにならぬ)と、嘆じられたという。
その僧徒たちが、示威運動をやったり、延暦寺の座主が、そのために流されたり、院の政務も、洛内も、騒擾を極めていたので、新大納言一派の暗躍も、五月中は、ついに、法皇へはたらきかける機会がなくて、過ぎてしまった。範綱は、ひそかに、
(いずれも、一時の不平の寄り集まりじゃ、このまま、自壊してしまうかも知れぬし、そうなれば、かえって法皇のおんためというものだが)近ごろ、どことなく鬱結しているものが、院のほかから炎を噴いて出ることが祈られた。
だが、最初に、密使としてここへ訪れた多田蔵人は、洛中の騒擾にまぎれて、あれからも、しきりと一人でこっそりと訪ってきた。
「――お不快なそうじゃが、だいじにせられい。いやなに、強ってお目にかからいでもよろしい。拙者は、お預け申してある平家の諜し者めを、調べて立ち帰る」そういって、家人に裏庭へ案内をさせた。
いつぞやの雨の夜、大騒ぎをやって捕えた曲者は、一時、納屋へ押し籠めておいたが、家人が物を出し入れするごとに不安だし、もし逃げられて、六波羅へ、あだ口をきかれたらばお館の御運命にもかかわるといって、箭四郎が、急ごしらえの牢を作った。空いている厩へ、材木を組み立てて、その中へ抛りこんでおいたのである。
「見るからに、強情そうな面がまえよ。きょうこそ肉をたたき破っても、口を割らせてくれるぞ」蔵人は、牢の外から宣言して、曲者を、縄目のまま、外へ出させた。馬を打つ革鞭を持って、
「こらっ、下司」
「…………」
「六波羅のまわし者とは分っているが、誰にたのまれたかっ。何を探れと、いいつけられたのか」
「…………」
「いわぬかっ」ぴしいっと、鞭が一つ鳴る。
「ぬかせっ」
「…………」
「ぬかさぬかっ」二つめが唸る。鞭のうなるたびに、曲者の顔に赤いすじが一つずつ腫れあがった。そして、しまいには、紫いろになり、耳や、唇や、いたる所から、血しおが流れた。
「ううーむ……ううーむ……」ついには、大きなうめき声と、鞭の音とが、根くらべをするだけであった。蔵人は、精をきらして、
「よしっ、きょうはこれで、帰るとするが、また来るぞ。生命が惜しくば、口をあくことだ。考えておけ」いいすてて、帰ってしまった。
館の者たちは、眼をふさぎ耳をふさいでいた。しかし、こんな程度のことは、今の京洛の内には、ざらに行われていることだ。見馴れている蔵人などは、まだまだ手ぬるいと思って帰った様子なのである。
意地になって、蔵人はそれから後も、たびたびやって来ては、厩牢の曲者を拷問した。
曲者の体は、そのために業病のように腫れあがって、やぶれた傷口は柘榴の如く膿み、そこから白い骨が見えるほどだった。
「ころせ」曲者はいった。
そしてまた、打てば打つほど、あざ笑って、
「これくらいな折檻で、口を割るような男に、なんで大事な役目を主人が申しつけるものか。無益なことをせずに、ひと思いに、この首を落せ」むしろ自分の克己心を誇るかのように彼は屈しなかった。
ついには、蔵人の方が、根気も尽き、不気味にもなって、だんだんに足が遠くなっていた。
六月に入った。葉ざくらの葉蔭に、珊瑚いろの赤い実が、陽に透いて血のように見える。熟れきった桜の実は、地にもこぼれていた。
十八公麿は、それを、小さな掌にひろい集めていた。すると、裏庭の奥で、
「和子様――」と、誰か呼ぶ。
「和子様……」何度目かの声に、十八公麿はやっと気がついたように、無邪気な目をやって、辺りを見まわした。
誰も、人影はなかった。だが、やや脅えたらしい童心は、急に、白昼の庭の広さが怖くなったらしく、あわてて、館の方へもどりかけた。と――また、
「和子様、ここですよ」
「? ……」十八公麿はふりかえって、じいっと、厩牢の中にみえる人間の影をふしぎそうに見つめていたが、やがて、怖々と寄って行って、
「おまえは、誰?」
「わたくしは、お館にしのび込んで捕まった曲者ですよ」
「曲者さん?」
「名まえではありません、いわゆる曲者です。けれど、和子様には何も悪いことはしませんから、安心して、少しここで遊んで行ってください」
「? ……」
「わたしは、淋しくてたまらないのです。いま、和子様のすがたを見たら、この胸が張り裂けるようになりました。私にも、ちょうど和子様ぐらいな子があります。また私の御主人の息子様も、和子様よりすこし年上ですが、やはり無邪気な少年です」
「曲者さん、おまえは、どうしてこんな所へ入っているの」
「忠義のためです」
「忠義のためなら、よい侍と皆が賞めてくれるでしょう」
「そうは行きません、味方に忠義な侍は、敵にとれば憎むべき悪魔に見えます」
「では、曲者さんは、悪魔なの?」
「ここに捕われている間は」
「外へ出れば」
「善人です。少なくも、悪人ではありません。その証拠には、和子様は私とこうして話していてもちっとも恐いことはないでしょう。あなたに危害は加えませんから――」
「初めは、怖ろしかったが、もう何ともないよ」
そういって、その言葉を証拠だてるように、十八公麿は、牢の隙間から掌を差し入れて、
「曲者さん、桜んぼを、上げようか」
にこと笑って、
「――これは甘そうですね」曲者は、桜の実の一顆を口にいれて、ぽつりと噛んだ。
永い牢獄の飢えと苦熱に渇いた舌に、一顆の桜の実の汁が、何ともいわれない物の味を走らせた。思わず、四顆、五つ顆。
「これは、うまい」むさぼるように、掌のうえの紅玉を口へ入れて、胚子を吐きちらした。
食物にも、人情にも、渇き切っているらしい曲者のよろこびかたを見ると、十八公麿は、どこかへ走って行った。やがてまた、そこへ戻ってきた彼の手には、草紙の反古につつんだ麦菓子がつつまれていた。
「お食べ。――お菓子」
「えっ」牢格子の隙間からそれを見た曲者の眼は飛びつくように光っていた。
「私に菓子を下さるのですか。ありがとう! こういう所に永く押し込まれていると、気が狂うほど、甘い物が、欲しくなります。……ああ、ありがとう!」おののく手にそれを取ると、獣が人の跫音を憚るように、四辺を見まわして、口の中へ一つを押しこんで、残りを懐中へかくしてしまった。
十八公麿は、去りがてに、その前へしゃがみこんで、
「曲者さん、おいしいの」
「はい、これで、死んでもようございます。食物に飽いている平常の頭では考えられないほど、食物の尊さがわかりました。ああうまかった」舌つづみを打って、
「慾には、これで、家にいる妻子の顔を一目見て死にたいと思いますが、それは煩悩と申すものですから諦めています」
「…………」
「和子様、私が首を斬られたら、どうぞ、私の髪の毛を一すじ切って、御門の外へ捨ててください。――西風のふく日に、私の髪の毛は、妻子のいる家へ帰ってゆきます」
「おまえは、そんなに、妻子の顔が見たいのかい」
「それは、和子様でもお分りになるでしょう。もし、和子様のお父上が、よそへ行ったまま、いつまでも帰らなかったら、和子様はどうお思いあそばすか」
「…………」十八公麿は、突然、牢格子へ手をかけて、そこを押した。しかし牢は開くはずもなかった。
「和子様、和子様、何をするのですか」
「おまえを、ここから、出してあげようと思って――」
「飛んでもない」曲者は、首を振った。
「私が、牢を破って逃げたらば、新院の大納言や北面の武士たちから、あなたのお父上は、裏切者と睨まれて、お生命がありません」
「では、おまえは、ここを出たくはないの」
「出たいのは山々です。……けれど、私が助かれば、和子様のお父上に迷惑がかかると思うと、逃げる気にもなりません」曲者は、そういって寂然と首をたれていたが、やがて首を上げると、発狂したように、牢の外へ向って呶鳴った。
「お館のうちへ申し入れる。どなたなりと、お出でください。火急申しあげたいことがござる! どなたなりと、お出合ください!」
厩牢からの喚き声に、
「なぜ騒ぐかっ」箭四郎がまず駈けだしてきて、曲者を叱った。
何事かと、範綱も、奥から姿をあらわした。曲者は、牢格子にすがって、
「お館へ、申しあげたいのでござる。今日までは、骨を砕かれ、肉をやぶられても、この口は開くまいと、心を夜叉にし、固く誓っておりましたが、十八公麿様のやさしさに、あわれこの夜叉も、弱い人間の親に立ち回りました。いわずにはおれぬ気持が急なのでござる。お聞きとり下さい。それがしの自白を――」と、叫ぶのだった。その声には真実がある。その顔には涙がながれている。範綱はいった。
「箭四、牢から出してやれ」
「えっ、出しても仔細はございませぬか」
「縄も解いてやれ」箭四郎は、いわれる通りにした。縄を解くのだけは不安な気もしたが、曲者は神妙だった。範綱の足もとに両手をついたまま、しばらく、男泣きに泣いているのであった。
わけをただすと、曲者は、十八公麿のやさしい童心に対して、醜悪な自己の姿がたまらないほど恥かしくなったのだという。奉公のためとはいえ、呪詛と虚偽の仮面をかぶって、牢獄につながれている自分の浅ましい姿も恥かしいし、また、家にのこしてある妻子に対する思慕にも耐えられなくなったというのである。
「もう何をかくしましょう、わたくしは小松殿の御内人です。成田兵衛の郎党で庄司七郎という者です。先年はまだ和子様が日野の里においでのころ、無礼を働いたこともあるので、うすうす、和子様のお顔は存じ上げておりました」
「ではやはり、蔵人殿のご推察どおり、六波羅方の諜し者じゃな」
「いかにも」と七郎は、きっぱりいった。
「新院大納言が、相国に不満をいだいて、何やら密謀のあるらしい気配、夙く、それがしの主人成田兵衛が感づいて、あの衆の後を尾行よというおいいつけなのです。すでに、小松殿も、それをお気づきある以上は、もはや、事を挙げても、成就せぬことは、火をみるよりも、瞭かです。決して、お館には、さような暴挙にご加担なされぬように……。申しあげたいといったのは、その一事です」
「ほう、それでは、すでに小松殿を初め六波羅では、新大納言の策謀を感づいておられるのか」
「一兵なりと動かしたらばと、手具脛ひいて、待ちかまえているのです」範綱は心の裡で、
(あぶない!)と、思わず大息につぶやいた。さしあたって不安になるのは、法皇のおん身であった。あれほど、仰せられたことであるから、新大納言一味の策にのせられることは万あるまいとは思うが、
(もしかして? ……)という気もしないではなかった。
「よう教えてくれた。――箭四郎、この曲者を、裏門から放してつかわせ」範綱は、そういいすてて、あわただしく自分の室へかくれた。
やがて、玄関のほうで、
「箭四っ、箭四っ」と呼ぶ声がした。
箭四郎は、曲者の七郎を、裏門からそっと放してやったところだった。
「はいっ」駈けてゆくと、玄関の式台には、範綱が直垂を改めて立っていた。
「馬をっ――。急いで」
「はっ」箭四郎は、厩から馬を曳きだしたが、病気と偽ってひき籠っている主人が、何でにわかに外出を思い立ったのか、そしてまた、世間の耳目にも憚りはないのかと、ひとりで危惧していた。
「いそげよ」門の外へ出ると、範綱は、鞍の上から再びいった。
あぶみの側へ寄って、馬と共に駈けながら、箭四郎が、
「お館様」
「なんじゃ」
「世間へ仮病が知れても大事ございませんか。裏道を通りましょうか」
「それには及ばん」
「して、お行く先は」
「仙洞――」さては参内であったのかと彼は初めて気がついた。仙洞というのは、後白河法皇の離宮である院の別名なのである。六条からはそう遠くはない。しかし本道の五条大橋を越えてゆくと、橋の東に小松殿の薔薇園があり、その向い側には入道相国の六波羅の北門があって、その間を往来するのはいつも何となく小気味がよくないし、肩身の狭い気がするのであった。
わけても、今日は主人が何かつよい決心を眉宇にもって、にわかに参内するらしい途中でもあるので、箭四郎はいそげといわれながら、道を迂回して、三条の磧から仮橋を越えて、十禅師の坂へかかった。
「箭四」
「はい」
「きょうは、たしか二日じゃの」
「六月二日でございます」
「…………」範綱は、時刻を考えるように、陽を仰いだ。陽はずっと加茂川の末のほうへ傾いている。
「駈けるぞ」一鞭あてると、箭四郎は坂道にとり残された。やっと、追いついてみると、もう仙洞御所の東門に、主人の姿はそこになかった。
範綱は、院の中門へ、駈けるように急いで行った。そして、
「あっ……」と、立ち竦んでいる。
北の中門の外に、お微行の鳳輦が横づけになっているではないか。法皇は、ひそかにお出御になろうとしている。
いずこへ? それは範綱には分っていた。六月二日の参会ということは、いつか多田蔵人の口から聞いていたのである。それを思い出したれば急いで来たのであるが、ここへ来るまでは、よもや、法皇がいつかのお言葉をひるがえして、新大納言や北面の不平武者にそそのかされて、そんな会合へ敢てお微行をなさろうなどとは、十中の八、九まで、ないことと信じていた。
けれど、事実は、範綱の正直な考え方とはあべこべだった。やがて、薄暮のころになると、武者所の人々がひそかに支度をととのえて、法皇の出御をうながした。
範綱は、樹蔭に身をひそめて、そこの動静を、じっと窺っていた。
藍草の汁をしぼったように、水っぽい夕闇が四囲をこめてきた。燭の影が、深殿の奥から揺れてきた。法皇のおすがたらしい影が、側近の人々の黒い影にかこまれて、お沓へ御足をかけている。
「しばらくっ――」そんな大きな声を出すつもりはなかったが、範綱は思わず大声でさけびながら、驚く人々を割って、法皇のまえに、平伏した。
「誰ぞ」法皇は、いちど、お沓へかけられた足を引いて、廻廊の上へ、立たれた。
「六条の朝臣らしゅうござります」側近がささやくと、
「範綱か」
「はっ」
「病気と聞いていたが……」
「仮病でござりました。上を、偽りました罪、いくえにも、お罰し下さりませ」範綱は、そういって、さらに、語気をあらためて諫奏した。
「きょうは六月二日とあれば、さだめし、鹿ヶ谷の俊寛僧都の庵に衆会のお催しあることと存じまするが、院の御深くに在わしてすら、道聴途説、とかく、世上のうるさい折から、さような集まりの席へ、しかも夜中のお出ましはいかがなものかと存ぜられまする。――それについて、折り入っておん耳に入れたいこともござりますゆえ、しばらく、お見あわせ遊ばして、お人ばらいの儀願わしゅう存じまする」
法皇は、黙っておられた。
先に、範綱へ仰せられた言質もあるので、やや気まり悪く思われたようなお顔いろでもあった。
新大納言に同心の側近の者や、侍所の人々は、一文官の、しかも歌よみの範綱が、何を、かような大事に、嘴をだすかと、憎むように、睨めつけていた。
法皇は、板ばさみになったお顔つきで、ちょっと、当惑していられたが、範綱が沓のまえに死を賭して坐りこんでいる姿をみると、むげに、退けられなかった。
「しばしの間、遠慮せい」側近は、お声の下に、無言の頭を下げて、去るよりほかなかった。
範綱は、その人々が去るのを待ってから、すでに、新大納言に謀叛の下ごころがあることを、平家方では、察知しているということを、今日の庄司七郎の言葉を例証として、つぶさに、内奏した。
法皇は、さすがに、顔いろを変えられた。御自身が、謀主になっても亡したいほど憎悪する平家ではあるが、それほどにまた、怖ろしい平家でもあるのだった。わけて、法皇は清盛入道が感情的に激発したらどんなことでもやりかねない男であるということを、幾つもの実例で骨身にこたえて御承知なのであった。
「やめよう」すぐ、こういわれた。
たちまち、鹿ヶ谷への行幸は、沙汰やめになった。武者所の人々は、
「いらざる諫言だてをする歌よみめ」と、範綱を憎み、
「このままでは、味方の気勢にかかわる」といって、調えた御輦を、空のまますすめて、松明をともし、暗い道を鹿ヶ谷の集まりへと急いで行った。
だが、その列の中にいた多田蔵人だけは、途中から闇にまぎれてただ一人どこかへ姿を消してしまった。
法皇の行幸はなかったが、すでに、暮れる前から、鹿ヶ谷の俊寛の山荘には、新大納言以下、不平組の文官や武官が、おのおの、微行のすがたで集まっていた。
「六条の範綱めが、いらざるさしで口を――」と、人々は、空御輦をながめて口々に怒ったが、
「なに、法皇のお心変りは、時雨のようなもの、降ると思えば照る、照ると思えば降る――。明日にてもまた、麿が参内して御心を励ませば、必ず次の集まりには、御参会あるにちがいない」
大納言成親は、自信をもって、席の人々へいった。浄憲法師も、相槌を打って、
「よう喩えられた。まことに、法皇の御気色は、照り降り雨、われらが側近にあれば、また変る。お案じあるな」席には、近江入道蓮浄、山城守基兼、平判官康頼、その他の人々がいた。
主の俊寛は、折角すすみかけた平氏顛覆の相談が、法皇のおすがたの見えないために、やや出鼻の白けたような様子を見て、
「軍立てのことは、次の会に改めて謀るといたして、今宵は、盟約の酒もりとしよう。ご異議ないか」
「よかろう」新大納言は、虚勢を張って、
「祝おうではないか」と、音頭をとった。やがて、酒杯がまわされると、
「亭主殿――、ご馳走をなされ」と、俊寛へ向って、浄憲法師がよびかけた。
「馳走とは?」
「猿楽なと」
「心得申した」俊寛は立って、おどけた手振りをしながら舞った。笙鼓を鳴らして、人々は歌う。
顔よき女体ぞおわします
男は誰ぞとたずぬれば
松ヶ崎なるすき男
「そのこと、そのこと」手を引き出されて、
「さらば、舞い申す」と大納言は床を一つふんで、
肩当、腰当、烏帽子とどめ
襟の立つ、片さび烏帽子
布打の下の袴
四幅の指貫
武者の好むもの
紺よ、紅
山吹、濃い蘇芳
茜、寄生樹の摺
よき弓、胡

遊女の好むもの
雑芸、つづみ、小端舟
大笠かざして
艫取り女
「たおれた! たおれた!」
「瓶子がわれた」
「瓶子がたおれた」
「わはははは」
「はははは」そして、めでたいと、はしゃいでいい合った。
叡山の騒擾はその後もつづいていた。院政の威光も、平家の権力も、山門の大衆だけには及ばない有様なのである。
天台千年の法城は、帝室や、国家からの破格な待遇に狎れて、仏徒は思い上がっていた。平家一門が、人臣の分を忘れて、
この世をば我が世とぞ思う――といったような思い上がりと同様に、仏徒もまた、仏弟子の分をわすれて、政治を持ち、武力をすら持って、社会を仏徒の社会と思い違えているかのように傲慢で、理窟ッぽくて、特権意識のみが旺だった。
(山門を討て)という声は、その前から北面の侍たちの間に起っていた輿論であった。新大納言や、浄憲法師や、鹿ヶ谷に集まった人々は、その政機を利用して、にわかに、山門討伐の院宣を名として、軍馬の令をくだした。
物の具を着けた武者たちは、夕方までに、数千騎、御所のまわりに集まった。武臣のうちでも、重要な数名の将のほかは、院宣のとおりに思って、叡山を攻めるのだとばかり思っていたらしい。
「今宵こそ、山法師ばらに、一泡ふかせてくれねば――」と、弓弦を試し、太刀の革を巻いて、夜を待っていた。
だが、院の中枢部の人々の肚は、敵は叡山にはなくて、六波羅にあった。山法師を討つと見せて、平家一門へ私怨と公憤の火ぶたを切ろうとする密策なのであって、刻々と、夜の迫るのを、待っていた。
そこの仙洞御所と、清盛のいる西八条の館とは、目と鼻の先だった。物々しい弓馬のうごきは、すぐ六波羅の御家人から、
「何事か、院の内外に、侍どもがただならぬ軍支度にござりますぞ」と注進されたが、すぐ、次々に来る物見の者からは、
「あれは、先ごろからの強訴一件で、院のおさばきに楯つく山門の衆を捕り抑えよと令せられて、それで御発向の兵馬と申されておりまする」と、訂正した報告が、一致していた。
清盛は、聞くと、
「さもあるはず」と、うなずいた。
誰が、自分のすぐ足許から、平家の今の権勢に対して、弓をひくほどな不敵な行動をしようと、安心しきっているのであった。ところが、
「お取次ぎねがいたい。折入って、火急、相国へお目どおりの上で、一大事を、お耳に達したいと駆けつけてきた者でござる」と、息をきって、西八条の邸に訴え出た者があった。侍たちが、
「名は?」と問うと、
「院の北面に勤えまつる多田蔵人行綱でござる」と、いった。驚いて、その由を、主馬判官盛国まで取次ぐと、
「なに、蔵人が」不審顔をして、平盛国は、奥から出てきた。蔵人は、彼を見るとすぐ、
「お人伝てには、ちと申し兼ねる大事です。相国へ直々に、お会わせ下さるならば申しのべるし、さもなくば、このまま立ち戻る所存でござる」と、昂奮した声でいった。
蔵人は、庭へまわされた。庭には、侍たちが、きびしい眼をして、彼の姿を、一歩一歩監視していた。
「坐れっ!」大喝されて、蔵人は、
「はっ」思わず、敷物も求めずに、大地へひざまずいてしまった。
ふと見ると、相国清盛は、中門の廊まで出て、立っていたのである。五尺二、三寸の中背な人物で、体も肥満質なほうではない、むしろ肩が尖っているし、頬骨は高く痩せているといったが近いであろう。それでいて、廊の天井へいっぱいになるほど、偉きく見えるのであった。左右の足もとに、ずらりと並んだ近侍たちの頭が低いためもあるし、また、彼の一身にかがやいている勢威というものが、そう見せるのでもあろう。
色は白く鼻ばしらが鋭いほど通っている。平家一門の多くの者がそうであるように、彼もどこか貴族的な美男型の容貌をそなえているが、きかない気性は大きな唇元にあらわれているし、武士らしい睨みは、やや窪んでいる眼と、毛のこわい眉毛にあり余っていた。
「蔵人行綱というか」清盛はいった。
「はっ」
「――めずらしい者が舞い込む……」と、これは独り語のように笑いながらつぶやいて、
「院に仕える武将が、忍びやかに、この西八条へは、何しに来たか」
「されば……」蔵人の声は渇いていた。
「きょうの昼中より、あわただしゅう、院の内外に軍兵を催されておる仙洞のさまを、相国には、なんと御覧ぜられまするか」清盛は事もなげに、
「山攻めと聞くが」といった。
「滅相もない偽りざたです」
「なに、嘘じゃと」
「まことは、真夜半のころを計って、この西八条の邸を取り巻かんとする軍の催しでござる」
「わはははは」清盛は、扇子で膝を打ちながら肩を揺すぶって、哄笑した。
「こやつ、なにを賢げに、訴えるかと思えば、夢でも見てきたような囈言。この清盛に弓をひく者はおろか、西八条の邸に小石一つ投げつけ得るほどの者が、天下にあろうか」
「その御油断こそ、院中の不平もの輩が窺う隙でござります」
「院中の不平者とは、誰をさしていうか」
「新大納言を初め、浄憲法師、その他、北面の侍ども、挙って、世を不平といたし、相国の御一門をば、呪っております」
「まったくか」
「なんで、かような大事に、虚言を構えましょうや。山攻めとは、怖れながら、間近の敵を詐る詭計にござりまする」
「法皇は、それを、ご存じか」
「俊寛法師の鹿ヶ谷山荘にも、ひそかに、行幸ましまして、このたびの盟約には、ひとしお、お力を入れているように承りまする」
清盛は、入道頭を、ついと横へ向けた。そして眼下の蔵人はもうその眼の隅にもないように、侍部屋の廊へ向って、
「筑後っ。筑後やあるっ」と、呶鳴った。
その声に威圧されて、蔵人は、白洲に居たたまれなくなった。思わず腰をうかして、挨拶もせずに、こそこそと中門の方へ走って消えようとすると、清盛が手の扇子を上げて、背後から叱咤した。
「しゃつ! 捕えて置けっ」
侍たちが、跳びかかって、彼のきき腕をねじ上げると、
「あっ、それがしに、なんのお咎めをっ」蔵人は、もがいた。
清盛は、答えもしない。筑後守貞能に向って、何事かいいつけていた。貞能が去ると、左馬頭行盛が呼ばれ、行盛があわただしく廊を駈けてゆくころには、もう右大将宗盛や、中将重衡などが、庭や、侍部屋に姿をあらわして、何事かさけんでいた。
一瞬のまに、西八条の邸は、兵の殺気にみちていた。甲冑、弓箭を、身によろって、またたく間に、兵に、兵の数が加わって、殖えてゆく。
こういう空気はまた、清盛の最も好むことらしかった。彼の眼は、別人のように燿やいて、奥の間を閉じこめた。
そこへ召された安倍資成は、二十騎ばかりを具れて、仙洞御所へ、急使として駈けて行った。
また、烏丸の新大納言の宿所へも、これは、平服を着た身分のひくい者が、書面をもって、使いに行った。
大納言は、何食わぬ顔をして、真夜半の火の手を自身の住居から待っていたのである。そこへ、相国からの使いが来て、
(即刻、お出でを乞う)とあるので、
「ははあ、これは、山攻めの結構を聞いて、相国が、法皇を申し宥めようとする肚とみえる」
そうつぶやいたことだった。
行かなければ、疑われる。大納言は、常のとおり、布衣、冠を婀娜かに着なして、鮮やかな輦に乗った。雑色、牛飼、侍十人以上をつれて、すぐに、西八条へと行った。
「や?」夜の巷は、真っ赤だった。
諸方に、篝火が立っている。暗い小路には、松明がいぶっていた。道に捨てられてある武器や、人間の首や、胴などを、幾つも見た。
「あらわれたか」と、大納言は、狼狽した。そして、
「返せっ。輦を、もどせっ」にわかに、さけんだ。
しかし、もうそこは、五条の平家の庁に近くもあったし、いつのまにか、辻々からついてきた甲冑の兵が、道の前後を取り巻いているのであった。
「新大納言の卿におわすか」兵の中から、一人の将が、薙刀の柄をもって、簾を刎ねあげた。大納言は、おののいて、虚勢も張れなかった。部将は、
「それっ、お迎え申せっ」
「あっ――」と、兵は、輦にたかって、牛を打ち、轅をつかみ、また輦の後を押して、
「牛頭、馬頭だ」
「地獄車だ」
「押せっ」
「曳けっ」わあっと、声を揚げながら、輦のまま、西八条の邸の中門の際まで、ぐわらぐわらと引っ張りこんだ。
武者の手が、大納言を地に引き摺り下ろした。
「縄をかけまするかっ」問うと、廊のうえで、
「縄目には及ぶまい」清盛の声である。大納言の顔いろはもう生きた人間のようではなかった。
辻々で、小戦あいが始まった。不意に逆襲せをくった院の兵はもろかった。
一群れ、一団ずつ、武器を奪りあげられて、降人となる組があるし、反抗して、大薙刀で、首を打ち落されている者や、組み敷かれて、
「斬れっ、おれの首は宙をとんで、西八条の入道に、噛みついてやるぞっ」と、呪いを、絶叫しながら、朱になってすぐ路傍の死骸になる者もある。
その中を、首魁の浄憲法師が、素裸足のまま、院の内から縄がらめになって突き出されてきた。
近江中将蓮浄、山城守基兼、その他の文官や武官も、ぞくぞくと衣冠や太刀を剥がれて、西八条へ召し捕られてゆくし、また、鹿ヶ谷の俊寛も、手あらい雑兵に縛しめられ、犬か牛のように、鞭で打たれながら、引っ立てられてきた。
清盛が、その人々を、どんな憎悪と怒りの眼をもって見たかは、想像に難くない。
浄憲法師に向っては、
「この畜類めらが首、滅多には斬るな。手足を、枷に噛ませ、糺問に糺問した上で、河原にひき出して、頭を刎ねい」と、罵った。
浄憲は、自暴自棄になって、白洲から口を裂いて吠えた。
「やよ清盛、そもそも、ご辺は、故刑部忠盛の嫡子であったが、十四、五の頃まで出仕にもならず、京童は、高平太の、眇のといっておった。さるを保延のころ、海賊兵二十人ほど搦め捕った恩賞に、四位の左兵衛佐となったのですら、その当時、人は過分なと沙汰してあったに、その後は、とんとん拍子に、殿上のまじわりもなり、今は太政大臣の高位にお在すこと、自身にても、不思議な冥加とは思わぬかっ。それを、なおこの上にも一門の栄達ばかりを計り、すこしの善政も施さないでは、やがて、この西八条の大棟に、怨嗟の炎が燃えつかずにはおるまいぞよ。……ははは、平家の亡ぶ日が、眼に見えるようだっ。おぬしの入道首が磧の烏に啄まれる日が、眼に見ゆるわ!」清盛は、あおい眉間をして、
「しゃつ! その口を八裂きにしてくるるぞよっ。侍ども、この人非人めの皮膚を剥いで、焼けたる金鞭をもって打ちすえろ」廊から唾をして、奥にかくれた。
空いている物の具部屋の板敷の上には、大納言が泣きぬれて、人心地もなく仆れていた。入道は、跫音あらく、そこの障子を開けて、彼へも、いった。
「大納言、大納言。恩を知るをもって、人は人間とこそいえ、恩を知らいでは、畜生にひとしい。ご辺は、平治のころにも、すでに誅せられる所であったのを、小松内府が、身に代えて、その首をつないでやったのではないか。さるを、その恩を忘れて、当家を傾けんとは、憎い為打。見せしめには、こうして進ぜる」大口袴の片脚をあげて、つよく蹴った。そして、
「まだ、かようなことでは、腹は癒えぬ。誰ぞある! この恩知らずめを、もっと、もっと、喚かせいっ」具足をつけた兵が、板敷へ踏みこんで、大納言の手足をつかんだ。大納言成親は、清盛の望みどおりに、ひいっ――と声をあげて、もがき喚いた。
憎む者というと、その髪の毛を抜き、肉を裂いても、清盛の怒りは、容易に解けないのであった。余憤は、院の法皇にすら向けられて、西八条は、夜明けにかけて、いよいよ兵気が旺になる。
薔薇園の邸にいる子息の小松重盛は、それを聞くと、悲壮な決意をもって、父の清盛を訪ずれた。そして、面を冒して、重盛は、聖徳太子の古言をひいて、憤怒の父を諫めた。
それは、聖徳太子の憲法十七条のうちにあるおことばだった。
心、各

彼を是し
我れを非し
我れを是し
彼を非す
是非の理、誰か定むべき
相共に賢愚なり
環のごとく端なし
たとえ、人怒るとも
わが咎をこそ恐れよ
やがて、囚人車に乗せられて、都から遠国へ差し立てられてゆく流人が毎日あった。京の辻は、日ごとに、それを見物する者で雑鬧した。
新大納言は、備前の児島へ。
近江の蓮浄、山城守基兼、式部正綱、等々々、一介の平人になって、無数の檻車が、八方の遠国へ、生ける屍を送って行った。
わけても、極刑にひとしい厳罰をうけたのは、鹿ヶ谷の俊寛であった。流されて行く先が、鬼界ヶ島と聞いただけでも、人々は魂をおののかせた。
六条の範綱は法皇の御行動を、あやうい業火の淵からおすくいした心地がした。もしあの時、西八条へ一筋の矢でも射いてから法皇が、その軍勢のうしろにおいでになると分ったら、清盛の手は、院中にまでのびて、勢い、法皇のおん身にまで、どんな禍を及ぼしたか分らない。
「おそろしい世の中だ」と、今さらに思うのだった。
つとめて、身を慎しみ、処世の一歩一歩に、細心な自適を心がけるよりほかはない。
「箭四、箭四はいるか」ふと、思いついて呼ぶと、ほかの召使が、
「箭四郎どのは、今しがた、和子様を背に負って、流人の檻車を、見物に参りました」やがてその箭四郎が、十八公麿を負って、帰ってくると、範綱は、
「和子に、さようなものを見せてはならぬ」と、いって叱った。
しかし、十八公麿は見たがるのである。六条の館は、以前の日野の里とはちがって、都の町中である。眼をふさぎ、耳をふさいでも、ごうごうと騒がしい世態の物音や、恟々と脅える人々のうわさなどが、敏感な童心のかがみに映らないはずはなかった。
母の病気のために、久しく郷里に帰っていた侍従介も、やがて、帰ってきたが、わずかな間に激変した都のさまや、人間の栄枯盛衰におどろいて、
「こんなふうに、世の中が、三年も経ったら、一体、どう変るのでございましょうな」しみじみと、無常のつぶやきを洩らしていた。
壁は、墨汁によごれていた。四側に並んだ机には、約二十人ほどの学童が、強いて姿勢を正して、師の講義を聞いていた。
「孝経」であった。日野民部の講学が終ると、
「先生……」と、次の部屋に待っていた学僕が、側へすすんでいった。
「ただ今、御入門したいと申す児童が、二人の随身を供に連れて、お玄関に控えておりまするが」
「そうか。通しておくがよい。――しかし何家のお子だ」
「まだ伺っておりませぬ」学僕が去る間に、児童たちは、もう机の書物を、あわただしく仕舞って、立ち騒いでいた。
「これっ」民部は叱って、
「誰が、立てといいましたか、まだ、書物を仕舞ってはなりませぬ。今、先生が、読み解いた一節を、声をそろえて、復習するのじゃ」すぐ静粛になる。
児童たちは、書を両手にもって、孝経の一節を、高らかに、読んだ。
「よろしい」ばたばたと、また騒ぎかける。
「――よろしいが、まだ、学課はおしまいではありませぬぞ。硯に、水をおいれなさい、そして、草紙を出す」命じられるままに、手習が始まった。よしと見て、民部は、ほかの室へ立って行った。
その室には、何もなかった。儒学者の家らしい唐机が一脚と、書物の箱が、隅にあるだけである。
そこの板縁を後ろにして、一人の少年が、さっきから待たされて控えていた。民部は、そこへ何気なく入って行ったが、足をふみ入れるとすぐに、はっと思った。
この学舎には、堀河、京極、五条、烏丸などの、権門の子をはじめ、下は六、七歳から十五、六歳の子弟を預かっていて、民部は今日までずいぶん多くの少年を手にかけてきているが、まだこんな感じを初対面の時にうけた例しはなかった。
(凡の子ではない)すぐ、感じたのである。
永年の体験で、教育者として直感したのではあるが、べつに、その少年の容貌とか、身装とかに変った点があるわけではない。少年は、手を膝にかさねて、入ってきた民部を、ちらと見上げている。そして、すこし後へ退がって両手をつかえた。
良家の子ならば、これくらいな作法は、どこの子弟でも仕込まれている。だのに、民部は、そのあたりまえな動作のうちに、やはり感じるのであった。
(はてな? ……何家の子だろうか。これは、鳳凰の雛だ)そう思いながら、
「入門したいというのは、そこもとか」
「はい」すずやかな返辞である。
「お年は」
「八歳になりました」
「おん名は」
「十八公麿と申します」
「お父君は、武家か」
「いいえ」
「どなたで、何といわるる」
「六条源氏町の藤原範綱の子でございます」
「や、範綱うじの、御猶子か。……ウーム、道理で」
自分の眼が間違っていなかったことに、民部は、膝を打って、
「道理で――」と、何度も、うなずいた。
「六条どのは、和学、歌道の方では、当代での指折りである。その御猶子とあれば、なるほど、あらそえぬ」
「お父上か、叔父様が、共に参って、おねがい申すところですが、学問の徒になるには、自分で参って、ひとりで、おねがいするのが、ほんとだと教えられて、こうして、参りました」
「お気持が、ようわかる」
「先生、どうか、私を、今日から儒学のお弟子にしてくださいませ」
「お家庭にいるあいだは何を学んでおられたか」
「お父上から和歌を、また、叔父様から、書道や、やさしい和学を、教えていただきました」
「よろしい、明日から、お通いなさい。民部が、学び得たかぎりの学問を、おつたえいたしましょう」
「ありがとうございます」十八公麿の頬には、希望のいろが、紅くかがやいた。やはり、少年である。そう聞くと、いそいそと、玄関へ駈けて、
「介」と、弾んで呼んだ。侍従介と、箭四郎は、式台のすみに、うずくまっていたが、
「お、和子様、どうなされました」
「おゆるしを受けた」
「それは!」と、二人も胸を伸ばして、よろこんだ。
「上出来でございました。はやく、お父君にも、このことを」穿物をそろえて、塗の剥げた貧しい輦の轅を向ける。彼が、それに乗ると、学舎の窓から、
「やあ、どこの子だ」と、師の見えない隙をぬすんで暴れていた悪童たちが、墨だらけな顔や、悪戯ッぽい眼を外へのぞかせて、
「貧乏車」
「ぼろ車」
「なんぼ、くるくる廻っても」
「貧乏車は、ぼろ車」と、謡って、囃した。箭四郎は、窓のそばへ駈けて、
「雀ッ。何をいうぞ」
「わっ」と、笑いながら、いちどに、窓の首は引っ込んだ。
「箭四、大人気ないぞ、行こう」介は、牛の手綱をとった。
「わしが曳く」と、箭四郎は手綱を彼の手から取って、まだ、腹だたしげに、窓をふりかえりながら、
「こんな、悪さのいる学舎へ、大事な和子様をかよわせても、よいものかの」
「それも、ご修業だ」
「朱にまじわればということもあるではないか――」
「染まるようなご素質であったら、それは、ご素質がわるいのじゃ」
「いまいましい、童どもだ」
「だが、貧乏車とは、童も嘘は歌っていない。このお粗末な車を見て、たれが、貧乏でないといおうか。……ああ、なんぼ、くるくる廻っても、貧乏車は、ぼろ車。世の中が回らぬうちは、どうもならん」
牛飼も、雑色も持たない古車は、轍の音さえも、がたことと、道の凸凹を揺れてゆく。
次の日から、十八公麿のすがたは、雨の日も、風の日も、欠かさずに、学舎に見えた。
師の日野民部忠経は、元南家の儒生で、儒学においては、朝に陰陽師の安倍泰親、野に日野民部といわれるほどであったが、磊落な質で、名利を求めず、里にかくれて、児童たちの教育を、自分の天分としていた。
民部は、十八公麿を、愛した。日のたつに従って、その天稟を認めてきた。
(これこそ、双葉の栴檀だ)まったく、十八公麿の才能は、群をぬいていた。むしろ、余りにも、ほかの児童と、かけ離れ過ぎているくらいなのである。で児童のうちにも、嫉妬はある。
がたぐるま
貧乏ぐるまの
音がする――
まったく、十八公麿のような古車で通ってくる者は一人もない。家の近い者は、従者に、唐傘をささせて来たり、綺羅びやかな沓をはいて通うし、遠い者は、蒔絵車や螺鈿車を打たせて、牛飼にも衣裳をかざらせ、
「おれの牛は、こんなに毛艶がよいぞ」と、牛までを誇った。
そうした中に、学舎のうちでも最も年上な一人の生徒がいた。十八公麿はわすれていたが、お供の介は見覚えていた。小松殿の御家人、成田兵衛の子である。まだ十八公麿が日野の館にいたころ、強かな仇をした小暴君の寿童丸なのである。
寿童は、知っていた。
虫が好かないというのか、いまだに、あのことを根にもっているのか、とかく、意地がわるい。そして、
貧乏車の音がする――という歌を流行らせた発頭人も彼であることが、後にわかった。
「介、あの悪童が、張本じゃ、和子様のため、何とかせねばいかぬ」
「うむ、懲らしてくれたいとは思うが」
「一つ、この拳固を、馳走してやろうか」
「よせよせ」
箭四郎が、しきりと逸るのを、介はあぶながった。
介も、当然、憎々しくは思っているが、いかんせん、平家のうちでも、時めいている権門の子だ、侍の子だ、それに、学舎に通ってくるのでも、毎日五、六人ずつの郎党が車についてやってくる、撲りなどしたら、自分の首があぶないし、第一に主人の身にも災難のかかるのは知れている。
また、寿童丸の郎党たちも、傍若無人である。主人の子の学業が終るのを待っている間には、近所の里の女をからかったり、石つぶてで、雀を打ち落して、供待部屋の炉で炙って喰いちらしたり、はなはだしい時は、こっそり、酒などをのんでいる。そして、
「おい、介、公卿奉公もよいが、選りに選ってお牛場の落魄れ藤家などへ、なんで、物好きに住みこんだのだ。おれの主人の邸へ来い、厩掃除をしても、もうちっと、身ぎれいにしていられるぞ」などと、無礼をいう。
(よせ。かまうな)と、介は、そのたびに、箭四郎を眼で抑えていた。箭四郎の方が、年上であるけれど、介がいつも止め役だった。若い血気さにおいては、当然、介の方が先に逸るべきであるが、彼には、以前の苦い経験があるので、じっと虫を抑えているのであった。
朝だった。奥の御用で、何か町まで買物に出た箭四郎が、
「介っ、大変だぞっ」と、その買物も持たずに戻ってきていった。
「どうした?」
「戦だっ」
「またか」めずらしくもないように介はつぶやく。箭四郎は、昂奮して、
「いや、こんどの火の手は、ほんものらしい。源氏の一類が、いよいよ我慢がならずに、起ったらしい」
「ふーむ」介も、そう聞くと、若い眼をかがやかした。
「うわさか、見てか」
「五条、四条、出陣の六波羅の軍馬で、通れるどころではない。――聞けば、高倉の宮をいただいて、源氏の老強者、三位頼政が、渡辺党や、三井寺法師の一類をかたらって、一門宇治平等院にたてこもって、やがて、都押しと聞いた」
「ほう、それは、六波羅もあわてたろう」
「勝たせたいものだ」
「…………」介は、何か考えこんでいたが、やがて、吉光の前の住む北殿へ走って、そこで、彼女としばらく何か話していた。範綱も、やがて知って、
「その様子では、洛中のさわぎも、ただごとであるまい。怪我してはならぬゆえ、十八公麿も、きょうは、学舎をやすんだがよいぞ」と、いった。十八公麿は、聞くと、
「気をつけて参ります。決して、あやうい所へは寄りませぬから、学舎へ、やって下さいませ」
と、縋った。泣かないばかりに熱心なのである。心もとない気もするが、
「では、気をつけて。――軍馬で通れぬようであったら、戻ってくるのじゃ」注意して、ゆるした。
箭四郎が見てきた通り、洛中は、大路も小路も、鎧武者と、馬と、弓と長刀とに、埋まっていた。
心棒の弛んだ軌が、その中を、十八公麿をのせて、ぐらぐらと、傾いで通った。車の前に、薙刀が仆れかかったり、あらくれた武者が、咎めたりしたが、十八公麿は、その中で、孝経を読んでいた。
「箭四、見たか。和子様の、なんという大胆な……」介でさえ、舌を巻いた。そして思わず、
「やはり、和子様にも、どこかに、源氏武者の血があるとみえる」と、つぶやいた。箭四郎は、袖をひいて、
「しっ」と、たしなめた。
平家の武者の眼が道には充満しているのである。けれど、その日は、無事だった。次の日も、無事だった。
源三位頼政が旗をあげたという沙汰は、洛内はおろか、全国の人心に、
(やったな!)という衝撃をつよくあたえた。
だが、潮のように、宇治川を破り、平等院をかこんだ平家の大軍は、数日のうちに、三位頼政父子の首、その他、渡辺党、三井寺法師の一類の首を、剣頭にかけて、凱旋してきた。その首数、二千の余といい触らされ、血によごれた具足の侍が、勝ち祝の酒に酔っぱらって、洛中を、はしゃいで歩いた。
一敗地にまみれて、壮烈な死をとげた源三位頼政の軍に、民心は同情と、失望をもった。
そして心のうちで、
「どこまで、悪運がつよいのか」といよいよ、傲り栄える平家を憎んだ。石の上の雑草みたいな、うだつの上がらない自分たちの生活に、また当分、陽があたらない諦めを嘆いた。
だが、頼政の死は、犬死でなかった。彼の悲壮な一戦は、むしろ老後の花だった。
(あの源氏の老武者ですら、これほどのことを、やったではないか)ということは、諸国に潜伏している源氏の者を、はなはだしく強く衝った。
彼の挙兵に刺戟された源家の血統は、永い冬眠からさめて起ち上がったように、諸方から、兵をうごかし始めた。
まず、八月七日には、関東の伊豆に、頼朝が義朝滅亡以来、絶えて久しく、この天が下に見なかった白旗を半島にひるがえす。
その飛報が、京の六波羅を驚かして、まだ、軍備も整わないうちに、第二報は、彼らの思いもしなかった木曾の検非違使から来て、
「木曾の冠者義仲、近江以北の諸源氏をかたらって、伊豆の頼朝に応じて候」とある。愕然と、六波羅の人心は、揺れうごいた。
折もわるく、清盛は、このころから、不快で、大殿籠りの陰鬱な気にみたされている時である。夜ごとに、悪夢をみるらしく、宿直の者に、不気味をおぼえさせた。大熱を発して、昼も、どうかすると大廂に、三位頼政の首がぶら下がっているの、屋根のうえを、義朝の軍馬が翔けるの、閻王を呼べの、青鬼、赤鬼どもが、炎の車について、厩舎門の外に来ているのと、変なうわ言ばかりを洩らすのであった。
だが、宗盛をはじめ、平家の親族は、かたく、清盛の病気を秘して、
「口外無用」と、宿直や、典医や、出入りする将へも言いわたしていた。
頼朝の兵は、枯れ野の火のように、武蔵を焼き、常陸へ入る。
義仲は、近江路へと、はや、軍馬をすすめていると聞えた。
そうした、眼まぐるしい、一刻の落着きもない都のなかを、毎日、十八公麿は、がたがた車で、日野の学舎へ一日も怠らずに通いつづけているのである。
すると、ある日、悪童組の寿童丸や、ほかの年上の生徒が五、六名、民部の留守を見すまして、
「やい、牛糞町の童」と、十八公麿をとりまいていった。
「おまえの父親は、六条の範綱ではあるまい。ほんとは、日野の有範の子じゃろう」
それは十八公麿も、知っているので、かなしくはなかった。黙って、澄んだ、まるい眼をして、そういう悪太郎達の顔をながめていた。
寿童は、脅かすように、
「よいか。まだ、おまえの知らないことがあるぞ。教えてやろうか――それはな、おまえの実の父、藤原有範は、世間には、病死といいふらしてあるが、まことは、こっそり館をぬけだして、数年前から、源三位頼政の一類と一緒に謀叛をたくらんでおったのじゃ。そして、頼政入道や、その他の者と、宇治河原で、首を打たれたのだ。……どうだ知るまい。知っているのは、わしの父、成田兵衛だけだ。わしの父はな、宇治の平等院で、源氏武者の首、七つも挙げたのだぞ」
今の父は、後の養父だと人がいう。
どうして自分には真の父がないのか。寿童丸のことばをそのまま、信じはしないでも、十八公麿は、しきりと、それを考えるようになった。母に、訊ねると、
「お父君は、和子が四歳の年の春に、お亡くなり遊ばされたのじゃ」
吉光の前は、そう明らかに教えた後で、いいたした。
「けれど、和子は、そのために、この六条の伯父君の手にそだてられて、御猶子となられたのです。世のことわざにも、生みの親よりは育ての親という、御養父様の恩は大きい。忘れてはなりませぬぞ」
「はい」
十八公麿は、うなずいたが、すぐ次の問いに、母を驚かせた。
「父君は、戦に出て、死んだのですか」
「いいえ、お病気で」
「でも、源三位頼政の軍に加わって、討死したのじゃという人がありました」
「世間というものは、種々に、人の生活を臆測してみるものじゃ。そんなことはありません。母も、伯父さまも、介も、その折のご臨終の時には、お枕元に侍いていたのじゃもの」
「どうして、世間は、そんなことをいうのでしょう」
「いわれのないことでもない。――それは、この母の従姉弟に、今は、奥州の藤原秀衡のもとに潜んでいる源九郎義経があり、また、近ごろ、伊豆で旗挙げをしたと沙汰する頼朝がある。――それで、亡きおもとの父も、必ずや、頼政の軍にでも加担して果てたのであろうと、邪推するのでしょう」そして、十八公麿の頭をなでた。
「そなたは、大きゅうなっても、頼朝、義経たちのように、血の巷に、刃をとって、功名をしようなどと思うてはなりませぬぞ」
「母さま」
「なんじゃ」
「人が死ぬと、どこへ行くのでございますか」
「さあ?」吉光の前は、常には、分りきっているようなことが、子に、そう訊かれると、すぐ答えができなかった。
「行くとて、行く姿はありませぬ。無にかえるだけです。ただ、人の心だけが、残ります。心の業だけが残ります。ですから、生ける間に、よい事をしたものは、よい名をのこし、悪業をしたものは千載の後までも、悪の名をたましいに持って、死しての後は、それを拭き改めることもできません」
死を考えることは、生を考えることである。十八公麿の眼は、うっすらと、そのころから、実社会の相に、みひらいてきた。
路傍に、飢えて、菰をかぶっている人間のすがたにも、刀槍を晃めかせて、六波羅大路を練り歩く武将にも、新たな、観る眼があいて世の中を考えだした。
そして、こういう人々の種々な仮の相が、一様に、死の無に回って、そのたましいの名だけが、宇宙にのこる。
無限に死に、無限に生れ、無限のたましいの名だけが、不滅にある。
「ふしぎな? ……」と、彼は、つぶらな眼をじっとこらして、見ても見ても見飽かぬように、深碧な、そして深く澄んだ、空に見入っていることがあった。
そういう間も、日野民部の学舎に通うことは、日々怠らなかった。
孟子、老子、五経、論語と、十八公麿の学業が目ざましい進み方で上がってゆくのを見て、寿童丸を餓鬼大将にする学舎の悪童連は、
「あいつ、生意気じゃ」と、いよいよ、仇敵視して、
「びんぼう車の机は、このガタ机でたくさんじゃ」と、脚の曲がった机とすりかえたり、草紙筥の中に、蛙をひそませて置いたり、襟元へ、松葉をそっと落したり、墨や筆をかくしたり、あらゆる悪戯をもって、挑戦しかけた。
だが、十八公麿は相手にならなかった。
「こいつ、唖か」と寿童は、いった。
二歳まで、ものをいわなかった十八公麿は、今でも時々、そのころのように、唖になった。どんな声にとり巻かれても知覚がないように澄ましていることがある。
いよいよ、悪童たちは、莫迦にした。
「おい、きょうは、あいつを慰さんでやろう」発議は、いつも、寿童丸であった。
「どうするのじゃ」
「帰りは、いつも、糺の原で日が暮れる。あの辺を、びんぼう車の通るのを待ち伏せして、四方から、野火焼きしてやるのじゃ」
「おもしろい」
乾いた風が、北山から吹きなぐって、屋根の石に、ときどき、霰のような音が走り、冬の雲が、たそがれの空をおそろしく迅く翔けている。
「和子様、お風邪を召されまするな。何ぞ、車のうちで、被いておいでなさいませ」供は、介が一人だった。牛曳きが一人。
日野の学舎を出て、ぐわらぐわらと、夕霜の白い草原を走らせてきた。
車のうちでは、簾をあげて、書を読む声が聞える。往きと、帰りと、十八公麿は、書を読んでいた。もう、星が白く、地は暗かった。それでも、寒風に顔を出して、書を手から離さないのであった。
「あっ……」牛飼は、立ち竦んだ。
行くてに当って、大きな炎が、真っ赤に、大地を焦いていた。この風であるし、萱原であるし、まるで、油をそそがれたように火はまわる。
「牛飼」
「へい」
「横へ曲がれ。少し、遠くはあるが、道はあろう」介は、煙に咽せながらいった。
車は、すこし戻って、石ころの多い萱原の小道を西へ駈けた。するとまた、
「駄目だっ」
「なぜ」問うまでもない、介の眼にも、すぐわかった。そこら一面も、焼けているのだ、後へ戻ると、そこにも火、あちらにも火、車は、みるまに十方の炎につつまれて、立ち往生してしまった。
「わはははは」
「あはははは」どこかで、嗤う声がした。
真っ黒な煙を、天

「さては、成田兵衛の小せがれだな」介は、もう許せないというように、太刀の柄をにぎって、笑い声のした萱の波へ躍って行った。
そこの萱むらから十名ほどの悪童が、蝗のように逃げだした。
中に、寿童丸の姿も見えた。介は、眼をいからせて、
「おのれっ、今日こそ、もうゆるさん」
追いかけると、寿童は、半泣きに叫びながら、携えていた竹の鞭を揮って、介を打とうとした。
「小癪なっ」介は、鞭をもぎ奪って、寿童丸の顔を、平手で、はたいた。
枯れ草の燃えているなかへ、寿童は尻もちをついて、何か喚いた。すると、そこらの草むらから、
「やっ、若殿を」
「うぬ、よくも」子どもの背後には、大人が隠れていた。叫びあって、太刀や長刀を構えながら、成田家の郎党たちが、
「うごくなっ」と、介を取り巻いて、斬りつけてきた。
介は、驚いた。ここまで企んである悪戯とは思わなかったのである。
「なにをッ」彼も太刀の鞘を払った。
ばちばちと、枯れ草を焼く火や、萱の吐く黒い煙が、その剣をくるむ。
平氏の家人とは、構えて事を争うなとは、常々、口が酸くなるほど、主人から誡められていることではあるが、かくなっては、相手を斃さねば、自分が斃されるのである。生をまもることは、人間の絶対だ。介は、眼なじりをつりあげて、闘かった。
しかし、成田の郎党たちは、常に、こういう、あら業には馴れている侍どもだし、人数も多いので、介は、見るまに、斬りたてられた。袖はやぶれ、小手は血に染んだ。頬から耳の辺へかけて、薄傷を負うと、血のすじが、顔中にちらかって、悽惨な二つの眼だけが、穴みたいに光っている。
肩で、あらい呼吸をつきながら、介は、一歩一歩と、後ずさった。
(和子様は、どうしたか?)それが気にかかる。
十八公麿の車は、萱叢の彼方に、位置も変えずに見えるが、そこへ行こうと思っても、炎と煙と、そして相手の刃とが妨げて、近よれないのであった。
「和子さまあっ――」介は、ついにさけんだ。
すると、ひーっという声が、車の方で聞えた。思わず、炎を見ずに、介は駈けだした。
「逃がすなっ」と、刃は追う。
「あっ」と、介は、仰天した。
もう、十八公麿の車は、炎々と紅蓮を上げて、燃えているのだ。軌も、車蓋も。
うわうーっ。地が揺るぎだすように、牛が吼えた。牛は、炎の車を背負って、突然、ぐわらぐわらと狂奔した。
八方に、かくれていた悪童たちは、怖れて、きゃっと、逃げ廻った。うろたえて、みずから火の方へ走って、火の海から逃げられなくなった子供もある。
「助けてーっ」自分で放けた火に溺れて、寿童丸も悲鳴をあげていた。しかし、怒りだした火牛は、仮借がなかった。悪童たちを蹴ちらし、郎党たちの刃を轢いて、暗い野末へ、団々たる火のかたまりを負って駛けて行く。
「和子さまっ。――和子様あっ」介は、夢中で、それを追った。
火に狂った奔牛は、三、四町ほど駈けて行って、忽然と横に仆れてしまった。
牛が仆れると、燃えていた車蓋は、紅い花車が崩れるように、ぐわらぐわらと響きを立てて、解れてしまった。そして、蓋も、御簾も、轅も、一つ一つになって、めらめらと地上に美しい炎の流れを描いた。介は、発狂したように、
「和子様ッ」と、飛んで行った。
そして、必死になって、崩れた炎の板や柱を、ばらばらと、手で退けてみた。何らの熱さも感じなかった。
当然、その中にいる十八公麿は、彼の想像では、もう焼け死んでいるはずだった。けれど、車の下に何ものもなかった。
「あっ……。途中で?」介は、不安とよろこびと、二つの中に立って、そういった。
「……途中で、振り落されたか、ご自身で飛び降りたかなされたであろう、ああ、よかった」
見ると、牛は、もう焼け死んでいた。巨きな横っ腹を膨らませて、足を曲げたまま、真っ黒になっていた。
まだ多少の呼息をしているらしく、唇から白い泡が煮えていた。介は、思わず眼をそらした。
曠野は、真っ赤に染まっている。誰か来て消さない以上、この火は、あしたの朝までつづくかも知れない。
それにしても、十八公麿が、こちらに見えないのはまだ不安である。安心するには早すぎる。一人で、六条まで帰れるはずはないし、さだめし、どこかで泣いて、自分の姿をさがしているにちがいない――
「おうっ――いッ」介は、両手を唇のはたに当てて、全身の声で呼んでみた。
「和子さまあッ――」返辞はなく、声は、いたずらに、野末のあらしになって、真っ暗に、消えてゆく。
「…………」呼ぼうとして、涙が、眼につきあげてきた。もしものことがあったらどうしよう、腹を切って、おわびをしても済まないことだ。
さっきの牛よりも、狼狽して、狂気じみた彼の影が、それから脱兎のように、野を駈けまわったが、十八公麿は見えないのである。
「どこへおいで遊ばしたぞ。――介はここにおりますぞ。十八公麿様っ」声も、おろおろとしてくるのであった。
すると、河岸へ寄った堤の上を一人の男が、誰やら、背に負って走って行くのが見えた。堤の下まで、炎は這っていたし、空が赤いので、黒い人影が、はっきりと介の眼に映じた。
「やっ、和子様ではないか。――そうだ、和子様にちがいない。おのれ、成田の郎党めが」
夜叉のように、介は、堤を目がけて飛んで行ったが、枯れ芦の沼がいちめんに、そこを隔てているので、遠く迂回らなければ、堤にはのぼれなかった。
気が急くし、足は自由にならない。沼水はかなり深かった。介は膝まで濡れた足をもどして、半町ほど後ろから、堤へ這い上がった。
もう、さっき見た人影は、遠く去って、わからなかった。介は、地だんだを踏んで、
「畜生」と、さけんだ。
そして、堤の上を、鬼のように髪を後ろへなびかせて走った。烏帽子は背へ落ちて、躍っていた。
「また、空が赤い」
「どこぞのお館へ、盗賊が押しこんだのではないか」往来へ出て、町の者は、首を空に上げて見ていた。
戦いに次ぐ恐怖は、強盗だった。
こそこそと出没するのではない。十人、二十人、多い時には五十人も手下をつれて、どこへでも堂々と押しこむのであった。少し、きかない家来などがいると、忠義だてして闘うので、邸宅はたちまち火を放けられて焼かれてしまう。
「貧乏人には、盗賊の心配だけはない」町の人々は、赤い空をながめて、せめての慰さめのように、つぶやき合った。
その往来を、向う見ずに、駈けて行った男がある。介であった。
「待てっ」と、京極の辻でさけんだ。
先へ走ってゆく影も、これまた、おそろしく迅っこい。ちらと、近くで見たところでは、それは、河原や枯れ野などによく寝ている物乞いか、菰僧の類であるらしかった。
初めは、てっきり、成田の郎党と見て追いかけてきた介は、いよいよ、狼狽した。
十八公麿さまを誘拐かして、遠国へでも売ろうとする野盗か人買いにちがいあるまい、と今度は考えた。
「待てツ、待てッ」叫べば、叫ぶほど、先の男は、背中に十八公麿を負っているにかかわらず魔のように迅くなる。
そして、どう抜けてきたか、六条のお牛場へと駈けこんだ。
「おおここだ」男は、築地を見上げて、佇んだ。そして裏門をどんどんと叩く。
誰か、開けた。開けると同時に、男は、背に負ってきた十八公麿を、抛りこむように、門の中へ渡して、さっさと、元の道へ、引っ回した。
「この乞食めっ、和子さまを、どこへやった」いきなり組みついてきたのは介である。
「あっ」よろめいたが、男は、何もいわなかった。身をねじって、介の体を、勢よく振りとばした。
介は、男の足をつかんだ。男は前へのめって転んだ。得たりと、介はのしかかって、拳固で、ぽかぽかと撲りつけた。
初めの勢いは、どこへやら、菰僧ていの男は、両手で顔をおおって、痛いとも叫ばなかった。介は、腹が癒えないように、なおも、打って打って、打ちすえた。
すると、築地のそばから走って来た十八公麿が、それを見ると、わっと大声で泣いた。滅多に、泣いたことなどない十八公麿が、しかも、異様な感情をあらわして泣いたので、介は、びっくりした。
「和子様、こいつは、野盗か、人買いか、悪党です。なぜお泣きなさるのです」
十八公麿は、そういって、肩で息をしている介を、うらめしげに見ていった。
「その人を、わしは覚えている、悪党ではない」
「えっ、和子様の知っている人ですって」
「館のお厩に、縛られていたことがある……。そうそう、もと成田兵衛の家来であった庄司七郎というのじゃ」
「げっ」介は意外な顔をして、
「あの寿童丸に付いていた成田兵衛の家人、庄司七郎が、その男ですか」振りかえって、見直すと、菰僧は両手で顔をかくしたまま、不意に起って、恥かしそうに逃げてしまった。
十八公麿の手をひいて、館の坪の内へ入ると、養父の範綱も、吉光の前も、
「おお、無事か」
「怪我はなかったか」一家が、こぞって転ぶように縁先へ出てきた。
先に逃げ帰った車の牛飼から、途中の変を聞いて、おろおろと案じていたところだった。
その危うい野火の中から、十八公麿を救って、ここまで負ってきてくれた男が、以前、成田兵衛の郎党だった庄司七郎であったと話すと、範綱は、
「さてこそ……」と、思いあわして、うなずいた。
「ここの厩舎の獄から、縄を解いて、放ってやった七郎というあの侍は、その後、主家の兵衛から、役に立たぬ不届き者と、家をも扶持をも奪われて牢人となり、菰僧に落ち魄れていると聞いたが……。それでは、当時の和子の情けや、当家の恩義を忘れかねて、あやうい機に、働いてくれたとみえる。人には情けをかけておくものじゃ、ありがたいお人ではある」
彼が、介や箭四郎たちに、そう語っているあいだに、吉光の前は、十八公麿をつれて、坪の石井戸のそばに立たせ、下碑の手もからずに、自身で水を汲みあげて、よごれている足や手を洗ってやっていた。
そして奥の部屋へ、抱き上げてくると、衣服を出して、着かえさせたり、摺り傷をあらためて、薬を塗けたりして、
「和子よ」と、涙ぐんだ。
「――今日の禍いは、幸いに怪我もなくすぎたが、この後とも、一身を大事にまもらねばなりませぬぞ。心に、油断があってはならぬぞ。そなたの身に、もしものことがあったら、この母は、どうしましょう」それから、夜の更けるまで、いろいろと、十八公麿のゆく末のことを案じて、いいきかせた。
それが、母と子との、最もしみじみと心で抱き合った最後の夜であった。
石井戸に立って、水づかいをしていた時に、寒気がするとつぶやいていた彼女は、その夜から、寝間を出ずに、幾日も閉じこもった。
良人にわかれてから、とかく、病みがちであった彼女には、病気以外に、二人の遺子を抱えて、また、範綱の苦しい家計や、世難の悩みをながめて、共々に、やすらかな日を味わう暇もなく暮してきた。
風邪気味と、かろく自分でも考えていた数日のあいだに、彼女の若さも、肌も、病魔の鉋に削られて、眼にも驚かれるばかり、痩せ細ってしまった。
「オオ……何やら美しい……蓮花がにおう……妙なあの音は、笙の音か、頻伽の声か。……蓮華が降る、皆さま、蓮華が降って、私の顔にかかります」信仰のふかい彼女は、熱がたかくなると、うわ言をいって、細い蝋のような手を、うごかした。
(これはいけない――)範綱は、暗然として、枕もとに泣いている十八公麿と、朝麿、二人の幼い者のすがたを見た。
「六条さま、どうぞ、お慈愛をおかけくださいませ。……その二人のものを」衰えた眼が、かなしげに、枕からじっと仰いだ。そして、何ものかに命じられたように、白い掌を合せて、にこと、微笑んだ。
雨あがりの大路の黒い土は、胡粉をこぼしたように白い斑で描かれている。キリ、キリ、とさびしい軌の音が、粟田口あたりの閑寂な土塀や竹垣、生垣の桜花の下蔭を通ってゆく――
「ああ」牛と並んで歩きながら、侍従介は、鼻さきの涙を指さきで、そっと拭いた。
「――昼間だが、なんとなく、夜を歩いているような気がするなあ」独り語につぶやいたのを、
「そのはずじゃ」と、牛飼が、答えた。
「――なんとこの正月は正月も早々からじゃて。さきには、高倉上皇さまがおかくれあそばされたと思うと、――つづいて去年から大熱をわずろうていた平相国清盛公が、忽然と、あの世へ去っておしまいなされた……。それでのうても、お館さまや、和子さまには、吉光御前さまをお亡くしなされて、さびしい年を越えられたのじゃものなあ」
「空虚な……とは、今の御主人さまや、俺たちの心だ」
「ひっそりとして、蝶も舞わぬ。堂上堂下、悲しみに沈んでいるこの春の御諒闇に、虫けらまでも、さびしさが、わかるとみえます」
「夜だ、どうしても、昼間とは思えない――」介は、道を曲がる。
その道もまた、しいんと、冷やかで、人影がなかった。
明けて――十八公麿が九歳になった春の三月中旬のことだった。
牛車のうちには、墨のごとく、沈んだ人影がみえる。養父範綱の膝にだかれた十八公麿であった。母をうしなってからの十八公麿はさらにちがってきた。面ざしすらにわかに吉光の前に似かようてきたかに見えて端麗を加えたのも変り方の一つであったし、さらに、範綱さえ、介さえ、ときどき、驚かされることは、彼の眸であった。黒く、飽くまで黒く、そして湖のごとく澄んでいる眼であった。
星を見――雲を見――風を仰ぎ――そして地上の人間が描く修羅遊戯の種々な事象に、じっと、いつも、不審をだいて考えこんでいるような彼の双眸であった。
久しく、書を教えていた叔父の宗業は、はやくも、筆を投げて、
「もう十八公麿には、あまり教えぬほうがいい」と、いったほどである。
「怖い才だ」といった人もあった。また、
「こういう、麒麟児は悪うすると若死をしますでな」と注意した老人もある。
どっちにせよ、不安であった。周囲の大人たちは、ちょっと、戯れかねた。まだ稚ない九歳の子ではあるが、軽く抱いて、置き換えられないような巨きさというか、気品というか、威というか、そんな気持をうけた。
しかしさすがに、範綱だけにはよく、甘えるし、範綱も、人がいうほどにも思っていなかった。ただ、なぜか、
「容貌は、母御前に似よ。血は父に似よ」と、口ぐせにいった。
母系の源氏の血が、この子にうずくことを彼は極度に、怖ろしく思った。
それでなくとも、平家の眼は、近ごろ急に、十八公麿の母系と、十八公麿の身について、警戒を怠らないのみか、何か、あわやという機会さえあれば、虎狼の爪が、跳びかかってきそうに思えてならないのである。
古びた青銅瓦の山門を仰いで、
「ここでよい」介は、牛飼に、車を止めさせた。そして、間近う、
「お館さま、青蓮院でございまする」と、箱の簾にささやいた。
轅には、鷺脚の榻を据え、前すだれの下には、沓台を置く。
「先へ」
「はい」と、十八公麿が、片脚をそっと下ろした。藤むらさきの袴に、うす紅梅の袖を垂れる。介は、抱き下ろして、美しい塗靴をその足にはかせた。
家計のくるしい養父の範綱が、きょうばかりは、車も飾らせ、十八公麿の小袖も沓も何から何まで、清浄で新しいものを身につけさせた。
(きょうが、この子の俗世の最後の日――)と思うてのことである。
介が、門を訪れて、僧正の在否を問うと、
「おいで遊ばします」と、寺侍が、山門から、内玄関へと、走ってゆく。
「よいお寺――」と、十八公麿は、しきりと、そこらを見まわして、他愛がない。
「よかろう、僧院は」
「ええ」うなずいて、佇んでいるそばへ、鶺鴒が下りて、花の散っている泥土の水に戯れている。
「六条どの、お通りあれ」廻廊の階に、寺僧や、侍たちが、立迎える。誰も彼も、十八公麿の愛くるしさに、微笑をもった。
「おいくつ?」と、ささやく者がある。
「九歳です」青蓮院の廻廊は長かった。そこからまた、橋廊下をこえると、さらに、寂とした僧正の院住がある。むら竹の葉がどこからか欄や蔀に青い光を投げている。鶯がしきりと啼くのである。せんかんと泉声が聞えて、床をふむ足の裏が冷々とする。僧正とは、天台六十二世の座主、慈円和尚のことである。月輪関白の御子であり、また連枝であった。介は、廊下の端に坐る。
範綱と、十八公麿とは、大柱の客間をもう一間こえて、東向きのいつも、拝謁する小間まで通って平伏していた。粟田山の春は、その部屋いっぱいに香って、微風が、龕か、瓔珞か、どこかの鈴をかすかに鳴らした。
「六条どのか」声に、おそるおそる、頭を上げると、慈円僧正は、そこの襖を払っていた。
若い、まだ二十七歳の座主であった。あいさつをのべると、
「ほ……」すぐに、眼をみはっていうのである。
「きょうは、お子連れか」
「お見知りおき下さいませ。猶子、十八公麿と申しまする」
「ふーム」にこやかに、唇で笑う。範綱は、十八公麿の水干の袖をそっとひいて、
「僧正さまですぞ。ごあいさつを申しあげなさい」
「はい」十八公麿は手をついて、貝のような肌の白い顔をあげた。慈円と彼と、師弟の縁をむすんだ初めての眸である。
「よい、童形じゃ」慈円僧正は、しげしげと見入っていたが、卓に手をのばして、そこにある銅鈴を、しずかに振った。鈴の音を聞くと、
「お召しでございますか」執事の高松衛門が、次の間まで来て、手をつかえた。
「衛門か。この和子に点心(菓子)を与えてください」慈円がいうと、
「かしこまりました」衛門は、やがて、高盆に白紙を敷き、その上に、紅白の花形をした捻頭や餅餤とよぶ菓子をたくさんに盛ってきて、
「よい和子、僧正さまの賜わり物、召し上がれ」と、十八公麿にすすめた。そして、範綱には、古雅な器に汲んだ緑色の飲みものを供えた。
器からのぼる香りに、範綱は、渇をおぼえて、喫してみようかと思ったが、どうして飲む物かがわからなかった。
青蓮院を訪れると、時々、こういう目馴れない食味や、什器を見せられて、僧正の知識に驚かされるのであった。
「ぶしつけなことをうかがいまするが、この、緑いろの湯は、何というものでございますか。――よい香りがいたしますが」範綱が、問うと、僧正はわらって、
「茶というものだ」と、教えた。
「ははあ」これも唐から舶載してきたものにちがいないと範綱は器を手にとって、
「このまま、いただくのでございますか」
「そうじゃ」
「頂戴いたしまする」辞儀をして、範綱はひとくち、口へ含んで、
(苦い……)と思ったが、かろい甘味が、舌頭にわいてくると、何か、爽やかな気分をおぼえた。
「どうじゃ、味は」
「けっこうに存じまする」
「うまくは、なかろう」
(はい)ともいえないので、範綱は、なにか、爽やかになると答えた。慈円は笑いながら、
「近ごろ、仏書と共に、わずかばかり手に入れたので、試みておるが、なかなか捨てがたい風味がある。聞けば、茶の木の胚子は、夙くから舶載されて、日本にも来ているそうな。どんな花か、花が見たいと思う……」
などと、かたり出で、中華では魏晋のころから紳士のあいだで愛飲されだして、唐の陸羽は、茶経という書物さえあらわしている。また、鬱気を散じるによく、血滞を解くによろしい。医家でも、用いているし、栽培もすすんでいる。日本でもぜひ胚子を植えて、上下の民衆に、用いさせてみたいものだ――などと若い知識をもつ僧正の話はなかなか該博で、経世的であった。
ことにまた、慈円は、僧院の奥ふかい所にいるが、政治にも、社会のうごきにも、なかなか達眼があって、時事にも、通じている。それとなく、世間ばなしのようにする話のうちには、熱があった。
「それについて、今日、折入って、僧正にお願いの儀があって、うかがいましたが」と、範綱は、やっと話のすきを見つけて、いいだした。
十八公麿をつれてきたことや、衣服の改まって見えることや、座談のあいだに、慈円も、今日の彼の訪問が、いつもの和歌の遊びや、閑談でないことは、察していた。
「いうてみい」慈円はいった。
「――身にかなうことならば、ほかならぬ六条どのの頼み。――してどういうことな?」
「……実は、この十八公麿に、お得度を賜わりまして、末ながくお弟子の端にお加えくださるわけには、参りますまいか」
「ほ……」慈円は、眼をみはって、
「この端麗な童形を、あたら、剃りこぼちて、僧院へ入れたいと、仰せらるるか」
「されば、幼少からの仏心の性とみえて、常に、御寺を慕うています」
「さあ、それだけでは」
「ことに、母を亡うてから、なおさらに……」
「あいや、六条どの、それは稚な心というものではないか。母に仏心あれば、子に仏心のうつること当然、家に仏音あれば、子の声に仏韻の生じることまた当然。――すべて稚な子は、澄んだ水でござる。それを、奇瑞の、奇童のと、見るのはすでにわれら凡俗の眼があやまっている。――あらゆる童心はすべて仏性でござろうぞよ、おわかりか」
「は……」
「それを、老成の者が、この子、仏者の縁がふかいなど思いすごして、僧院の沙弥になされたら、成人の後、どう恨めしく思うやも知れぬ」
「御意に相違ありませぬ」
「せめて、自身を自身で考えられる年ごろまでお待ちなされ。得度と申しても、まだ九歳では」
「――御訓誡、ありがとう存じまする。……にも拘わらず、慈悲の御袖にすがって、おねがい申さねばならぬ儀は」ここならば、どんなことを口外しても大事はないと思いながらも、範綱は、あたりを、つい見て、
「十八公麿の一身、仏陀のお膝のほかには、置きようがないのでござります」
「なぜ」
「源氏の人々、諸国に興って、平家を勦滅せよの声、巷を、おののかせておりまする……。血まようた平家の衆は、源氏のもの憎しの一図で、およそ、源家の係累のものと聞けば、婦女子でも、引っ縛げて、なにかの口実をとって必ず斬りまする」
「…………」だまって、慈円僧正はうなずきを見せる。
「すでに、お聞き及びでもござりましょうが、この子の生みの母は、源系義家の孫、義朝の従兄妹にてさいつころから、大軍を糾合して、関東より攻めのぼるであろうと怖れられている頼朝、義経は、この十八公麿には、復従兄弟にあたるのでございます」
「ム。なるほど」
「母は、みまかりました。子はまだ九歳、ことに、私の猶子となっておりますゆえ、いかな平家のあらくれ武士も、よもやと思ってはおりますが、私に、恨みをふくむ者もあって、十八公麿の実父有範こそは、源三位頼政公の謀叛に加担して、宇治川のいくさの折に、討死したものであるなどと、あらぬ沙汰も撒きちらされ、ゆく末、怖ろしい気がいたすのでございます」
じっと、僧正は、考えこむのであったが、ややあって、
「いさい、わかった。頼みのこと、諾いてとらそう」意を決めて、きっぱりと答えた。
「衛門――」ふたたび僧正は呼んだ。襖のさかいに、
「はいっ」高松衛門はすぐ手をついて、
「お召しでございますか」
「火急に使いを立ててもらいたい。中務省へ」
「畏まりました。――して御口上は」
「前若狭守範綱どのの御猶子、十八公麿どのが望みにまかせ、今宵、得度の式を当院において仕る由を――」
「え」衛門は、耳を疑うように、
「まいちど、うかがいまするが、お得度あるおん方は? ……」
「ここにおられる、十八公麿どのである」
「や、その和子様が……。して、お幾歳でござりまする」
「九歳です」と、範綱が答えた。
「それでは、まだ童形でご修行あるはずの法規でございます。古来からの山門の伝習をお破りあそばしては、恐れながら、一山の衆が、不法を鳴らして、うるそう騒ぎはいたしませぬか」
「慈円が、身にひきうけたと申せ。しかし、中務省の役人から、なにかの、諮問はあろう」
「その折は、なんと、申したものでございましょうか」
「ただ、こういえ。不肖ながら、天台六十二世の座主、覚快法親王より三昧の奥儀をうけて、青蓮院の伝燈をあずかり申す慈円が、身にかえての儀と」
「はっ」
「一山三塔の衆へは慈円より、あらためて道理を明白に申し伝うびょう候と。――わかったか」
「わかりました」
「使者の帰りを、待つのじゃ。いそいで」
「はいっ」高松衛門は、廊を、つつつと小走りに退がった。
範綱は、幾度となく、僧正の好意に、感涙をのんだ。そして、十八公麿の頭をなでて、
「うれしいか」
「はい」十八公麿は、無心にいう。
しかし、慈円僧正が、身にひきうけてとまでいいきって、官へ印可をとりにやったのは一朝の決断ではなかった。先刻からの座談のうちに、烱眼、はやくも、十八公麿の挙止を見て、
(この子、凡にあらず)と見ていたに、ちがいないのである。
これとよく似た話が、後に十八公麿が師とあおいだ黒谷の法然上人にもある。
法然房の君が、まだ勢至丸といった稚いころ、父を亡ってひとり故郷の美作国から京へのぼってくる道すがら、さる貴人が、白馬の上から彼の姿を見かけて、
(あの童子は、凡者ともおぼえない。どこへ参るのか、身の上を聞いてやれ)と、従者にいった。
従者がなぜですかと、問うと、白馬の貴人は、こういった。
(おまえ達には、わからぬか。あの童子の眸は、褐色をおびて、陽に向うと、さながら瑪瑙のように光る。なんで、凡人の子であろうぞ)と、いったという。
果たせるかな、勢至丸は、やがて後の法然上人となった。
その時の白馬の貴人は、九条関白忠通公で、縁といおうか、不思議といおうか、慈円僧正の父君であった。
中務省へ、使に走った者は、省の役人から、むずかしい法規と諮問をうけて、手間どっているのであろうか、なかなか、戻ってこなかった。
青蓮院のひろい内殿は、どこかの筧の水の音が、寒い夕風を生み、塗籠からは、黄昏れの色が、湧いてくる。
供の侍従介は、さっきから、廊の端に、坐ったまま、苑面にちりしく白い桜花をじっと見入っていた。
「おそいのう」慈円僧正は、気の毒そうにこうつぶやいた。
ゆらゆらと、短檠の灯が、運ばれてくる。
「官の小役人には、法にしばられて、法の精神を知らぬものがまま多い……。こう遅うては、みずから参って、説かねばならぬかも知れぬ」
「なんの、待ちどおしいことがございましょうぞ。お案じなく」と、範綱はいった。
「したが、あまりにおそい――。こうしてはどうじゃ」
「はい」
「明日か、明後日、まいらば、十八公麿を伴うてござれ。それまでには、官のこと、一切、御印可をいただいておくが」
「では、そう願いましょうか」範綱が、答えて、立ちかけると、
「お父さま」十八公麿が、いう。
「僧正さまの仰せじゃ。帰ろうぞ」
「いいえ」かぶりを振って――
「いつまでも私は、待っていとうござります」
「わからぬ駄々をいうではない、さ……」うながすと、十八公麿は、父が、朗詠する時の節をそのまま真似て、
おもうこころの
あだざくら
夜半にあらしの
ふかぬものかは……
「おお」慈円僧正は、背を寒くしたように、その声に打たれた。
「よういった。……六条どの、待たねばなるまい、夜が明くるとも」
「はい」ほろりと、範綱はいった。
うれしいのである。この子の才智のひらめきが。同時におそろしい。
こんなに光る珠を、なんで、平家の者が、眼をつけずにおくものか。待とう。
――夜半にあらしのない限りもない。介は、今の童歌の声に、
「ああ、あのお可愛らしいお姿も、今宵かぎりか」と、洟をすすった。
夕闇にちる花は、白い虫のように、美しく、気味わるく、光のように明滅している。
と――そこへ、
「お使いの者、もどりました」高松衛門が、あわただしく、告げてきた。待ちかねて、
「どうあった?」と、僧正がたずねると、使者は、次の間にぬかずいて、
「中務省の御印可、無事、下がりましてござります」と、復命した。
人々の顔に、喜色が、かがやいた。
「そうか、ではすぐに、得度の式をしてとらそうぞ。衛門、用意を」僧正の一令に、
「はっ」と、衛門は立つ。やがて、どっぷりと墨いろに暮れた御堂の棟木をつたわって、梵鐘の音が、ひびいてくる。
廊には、龕の灯が、ほのかに点る。勤行の僧たちの姿が、かなたの本堂で、赤くやけて見えた。
「どうぞ、こなたへ――」と一人の僧が、それへ来て、用意のできたことを告げると、範綱は、十八公麿の手をとって、静々と、橋廊下をわたって行った。
供の侍従介も、影に添って、おそるおそる、二人のうしろから従いてゆく。
伽藍には、一山の僧が、居ならんで、粛としていた。
座談の時とはちがって、慈円僧正は、やや恐いような厳そかな顔をもって、七条の袈裟を、きちっと裁いて正面に坐っていた。その前にある経机には香炉と、水瓶をのせ、やや退がって、阿闍梨性範の席、左右には、式僧が、七名ずつ、これも、眼たたきもせずに、それへ入ってくる九歳の発心者を、じっと、見つめていた。僧が、そっと側へきて、
「和子、お召し物を、かえられい」と、教えた。
「はい」十八公麿は、すらり、と水干を脱いだ。
冷やかな、木綿の素服が、その前へ、与えられる。――範綱はふと、胸がせまった。
「こちらへ」
僧が手をひいて、壇の前へ、坐らせた。小さな彼の手は、彼がするともなく、また、人が教えるともなく、ひたと、合掌して、頭をすこし下げた。
恩愛不能断……
能度三有苦
「…………」慈円僧正は、座を立った。
僧が二人、左右から、紙燭を捧げる。
一人の僧はまた、盤のうえに、剃刀をささげ、また、一人は十八公麿のそばに寄って、水瓶を捧げていた。
僧正の法衣の袖が、ふわりと、十八公麿の肩にかぶさった。その手には、剃刀が執られている。剃刀は、水瓶の水に濡らされて、きらりと、青く光った。
「…………」範綱は、思わず、横の方へ、体をまわしてにじり出していた。
(どんな顔して――)と、十八公麿のすがたが、僧正や、他の僧のために見えないのが、もどかしいのであった。
しゃくっ……と、後ろで、誰かしのび泣きをもらした者がある。はっと思って、範綱はふり返った。板床の方に離れて控えた侍従介である。まだ、十八公麿が、乳もふくまないうちから、あやしたり、負ったり、抱いたりしていた介としては、たまらない感情がこみあげていたに違いない。
(不作法者め!)声には、出さなかったが、範綱は、はたと、睨みつけた。
はっと、介は、自分の腕くびに、噛みついて、顔を俯つ伏せた。
介を、叱りはしたものの範綱自身こそ、瞼のものが、あやうく、こぼれそうだった。
(凡夫――)われを嘲りつつ、彼は、つい眼をそらしていた。あの、小さい頭がと想像すると、たまらないのである。――見たら、泣けてしまうだろうと思った。すると、
「ご得度の式、すみました」と、式僧がいった。
見ると、十八公麿の頭は、もう、あのふさふさしている若木の黒髪を剃り落して、瓜のように、愛らしい青さになっていた。
「もしっ……僧正様ッ、おねがいでござりますっ」突然、一人の男が壇の前へ飛びだしてきて、べたっと、手をつかえた。
「あっ」範綱は、驚いた。
僧正の足もとへ来て、泣いているのは、介であった。
「ぶしつけなっ、退がれっ」範綱が、叱りつけると、
「あ、いや」やさしく、僧正はささえて、
「なんじゃ」と、介へたずねた。介は、肩をふるわせて、
「お願いの儀、ほかではござりませぬが、永年、お乳の香のするころより、お傅の役、いたしました私、今、その和子様が、御得度あそばしますのを、なんで、このままよそにながめて、俗界にもどられましょう。……どうぞ、いやしい雑人ではござりますが、この私も今宵の式のおついでに、お剃刀をいただかせて、くださいませ」
「ふーむ、そちも、主に従って僧籍に入りたいというのか」
「はい」
「しおらしいことを」僧正は、にこと、うなずいて、
「主従の情、そうもあろう――六条どの、この者の望み、かなえて取らせたいが、おもとには」
「さしつかえござりませぬ」
「では」と、僧正は、ふたたび剃刀を執った。
花は、夜の風にのって、御堂の廊に、雪のように吹きこむ。音誦朗々――衆僧の読経もまたつづく。
(主従は三世――)と、介はうれしかった。
十八公麿は、もう、成りすました道心のように、彼の、剃られてゆく、頭をながめていた。
一


式は、済んだ。白衣円顱のふたりのために、僧正は、法名をつけてくれた。
十八公麿は、範宴少納言。介は、性善坊。
「ありがとうぞんじまする」二人は、手をつかえて、寒々とした頭を下げた。
*
その夜――、更けてから。キリ、キリ、と牛車の軌は、ただひとり、黙然と、袖を掻きあわせてさし俯向いた六条の範綱をのせて、青蓮院から粟田口の、さびしい、花吹雪の中を、帰ってゆくのであった。
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銀杏が、黄ばんでくる――
秋となると、うるさいほどな鵙の声であった。
コウン、コウン、コン――青蓮院の山門には、足場がかかっていた。夏の暴風で破損した欄間彫へ二人の塗師と三人の彫刻師とが来て、修繕していた。
「おい、祥雲」ひとりが、鑿を休めていう。
「なんだ」
「可愛らしい子じゃないか」
「ム、あの新発意か」
「どこかで、見たような気がするが……」
「おれも、そう思っている」塗師が、
「飯にしようぜ」足場を下りて行った。
「もう、午か」木屑を払いながら、彫刻師たちも、下へ辷った。
秋蝉が、啼いている。石井戸のそばに、坐りこんで、工匠たちは弁当をひらき初めた。
すると、院の廊下を、噂していた小さな新発意が、ちょこちょこと通って行った。
「もし、もし」光斎という彫刻師がよびとめた廊下のうえで、範宴少納言はにこと笑った。
「なあに、おじさん」
「あなたは、お幾歳」
「九歳」
「ヘエ、それでは、お小さいわけだ、いつから、この青蓮院へおいでになりました」
「春ごろから」
「じゃあ、半年にしかなりませんね」
「え、え」
「おっ母さんの乳がのみたいでしょう」
「ううん……」範宴は、首を振った。
「お邸は、どこですか」
「六条」
「では、源氏町のご近所で」
「え」
「ご両親が、戦に出て、討死にでもしたのですか」
「いいえ」
「どうして、お坊さんなぞに、なったんですか」
「知らない……」
「ご存知ない?」
「はい」
「お父様は、どなた」
「六条の朝臣範綱」
「え、六条さま。――道理で」光斎は、仲間の祥雲と、何かささやき合っていたが、やがて、
「範宴さん」
「はい」
「じゃ、あなたは、日野の里で、お生れなさったでしょう。私たちは日野のご実家の方へ、半月ほど、仕事に参ったことがありましたっけ――大きくおなりになった」
「では、日野の館の仏間は、おまえたちがこしらえたの」
「あの中のご仏像を、やはり、修繕しにゆきました」
「おじさんたちは、仏像を彫るのがお仕事なの」
「そうです」光斎は、しげしげと、欄にもたれている範宴をながめて、
「その顔を、そのまま彫ると、ほんとに、いい作ができるがなあ」と、つぶやいた。
「じゃあ、彫ってもいいよ」範宴は、すぐにでもできるように、そういって笑った。
「彫らしてくれますか」光斎と、祥雲の二人は、顔を見あわせた。
(彫りたい)
(彫ろう)という創作慾にそそられて、
「じゃあ、明日から、飯やすみのたびに、ここへ来てください」と、約束した。
午になると、二人は、足場を下りてきた。範宴は、欄の上に立った。
材は、かなり大きな木を用いた。三尺ぐらいな坐像に仕上げるつもりらしい。二人の仏師は、飯を噛みながら毎日、鑿を持って、範宴の輪郭を少しずつ写して行った。
介の性善坊は、それを知ってから、毎日、側へ来て見ていた。
山門の足場に、白い霜が下りるころになると、その足場はこわされて、仏師や塗師たちも来なくなった。
すると、初冬のある日、
「ごめん下さい」範宴のいる僧院の外で、聞き馴れない声がした。次の間にいた性善坊が、
「どなた?」障子をあけると、
「おお! 介じゃないか」
「箭四郎か」
「変ったのう」
「まあ、上がれ」
「山門のうちも、なかなか広くて、諸所に、僧房があるので、さんざん迷うた」
「達者か」
「おぬしも」
「六条のお館は、和子様が、青蓮院にお入りあそばしてから、まるで、冬枯れの家のようにおさびしくてな」
「そうだろう。――して、お館様にも、おかわりないか」
「む……まず、ご無事と申そうか」
「して、今日は」
「この近くまで、お使いに来たので、そっと立ち寄って、和子様のご様子を聞いて帰ろうかと……」
「そうか、よく寄ってくれた。世間を去ると、世間が恋しい」ふたりは、手をとり合って、涙ぐんでいた。性善坊は、やがて立って、
「範宴さま」
「はい」範宴は、書を読んでいた。
「――誰が見えたの」
「箭四が、参りました」
「おお」と、さすがに、なつかしそうに、縁のほうへ走ってきた。
「和子様か」変った彼のすがたに、箭四郎は、洟をすすった。
「お養父様は」
「おかわりもございませぬ」
「朝麿は」
「おげん気で、日にまして、ご成人でございまする」
「わしのこと、問うか」
「はい……。このごろは、やっとすこし、お忘れのようでございますが」
「さびしがっておろうの」範宴は、庭へ下りて、籬に咲いていた白菊を剪った。
「これ、朝麿に、持って行って賜も。――わしの土産に」そういうと、性善坊が、
「よい土産がある。範宴さま、あれを箭四に持たせておつかわしなされてはいかがですか」
「おお、ほんに」範宴は、箭四郎の手をとって、
「よいものがある」
「なんでございますか」
「まあ、来てみやい」自分の居間へ伴れて行った。
「あ……」箭四郎は、ぺたんと、部屋のまん中に坐って、一隅にある木彫の坐像にまろい眼をみはった。
それは、得度をうける前の十八公麿のすがたのままであった。頭には、黒髪まで、ふさふさと植えられてあるのである。
「これは、どうしたものでございますな」
「されば」と、性善坊は、側から、その坐像のできた由来を話すのに、つぶさであった。
光斎と、祥雲の二人の仏師は、十八公麿の面ざしを見て、よほど、心をひかれたらしい。生ける菩薩のようだといって、慾も得もなく、彫ったのである。そして、彫りあがると、
(よい勉強をいたしました)と、坐像は礼に置いて行ったのであるという。
「ははあ……」箭四は、見恍れて、
「そういわれれば、生きうつしでござりますな。して、黒髪は」
「和子さまが、得度の時の黒髪を、そっくり、仏師たちが、植えこんでくれたのじゃ」
「道理で……。ウウム、ようできている」
「箭四よ」
「はい」
「これを、お養父君と、弟の朝麿とに、十八公麿のかたみじゃと申して、そなたが、負うて帰ってくれぬか」
「なによりの儀にござります。これを、お館にお置き遊ばしたら、すこしは、おさびしさが、紛れましょうに」
「もう、二度と、この身にない相じゃ。――御恩のほどは、この像に、たましいをこめて、朝夕に、忘れずにおりますと、よう、お伝え申しての」
「しおらしいことを仰せあそばす……」箭四郎は、それから、少し話していたが、日が暮れると、近ごろは気味がわるいといって、あわてて、坐像を帯で背に負って、もどって行った。そして、山門まで送ってくる二人へ、
「ここにいては、町のことは、見も、お聞きも、遊ばしますまいが、いやもう、この夏の旱やら、木曾勢を討つつもりで出かけた宗盛卿が、さんざんに敗れて、都へ逃げもどって来るやらで、京は、ひどい騒ぎの渦でござります」歩きながら、尽きない話を、喋舌っていた。
「――そんなかのう」
「現世で、地獄の風のふかない所は、まず、御所にもなし、お寺の庭だけでございましょうよ。――昨夜あたり、五条の近くまで、用たしに出ると、磧に、斬られたか、飢え死にしている死骸の着ている衣を、あさましや、野武士か、菰僧か、ようわかりませぬが、二、三人して、あばき合って、果ては掴みかかって争っているではございませんか。まったく、眼を掩うてでなければ、町は歩いていられませぬ」山門には、鴉が啼いていた。
「ああ、暮れる……」と、つぶやいて、袖門の潜りを出て、箭四郎は、もいちど、振りかえった。
「では――ごきげんよろしゅう、和子さま、いや範宴様、これから寒くなりますから、おからだをな……介どの、さようなら」
粟田口の雑木の葉がすっかり落ちきって、冬日の射す山肌に、塔の欄が赤く見える。
霜は、朝ごとに、白さを増した。
範宴少納言は、暗いうちに起きて、他の僧たちといっしょに、氷のような廻廊を、水で拭く、庭を掃く、水を汲む。
それから勤行の座にすわる。
やっと、南天の赤い実に、陽のあたるころとなって、厨の一仕事をいいつけられる。それが済むと、学寮に入って、師の坊の講義だの、僧たちの討論をきいて、やっと、自分のからだになって、机に坐るのが、もう午であった。
「おいたわしい」と、性善坊は、範宴のかわりに、水を汲んだり、拭き掃除をしようとしたが、他の僧に見つかると、
「ばか者、なんで寺へ入れた」といわれる。慈円僧正もまた、
「庇うことはならぬ」と、叱った。
以来、見て見ぬふりをしているが、時折、「ああ手が腫れていらっしゃる……」と、彼のあかぎれを見ても、胸が迫った。
こういう、世間なみの人情を、寺では、凡情とわらう。もっと、ほんとうの愛をもてという。
「そうかなあ」彼自身もまた、自身の勉強にせわしかった。
十二月に入ると初旬の三日には、慈円僧正が叡山にのぼるということを、範宴は、弟子僧から聞いた。
叡山の座主であり、慈円僧正の師でもある覚快法親王が、世を去られたために、その後にのぞんで、一山の大衆を導くことになったのである。
だが、慈円は、そんな身辺の変化が、明日に迫っているとも知らないように、一室で、例の支那から渡来した茶の葉を、独りで、煮ている。
「お師さま」範宴は、そっと手をついた。
「なにか」
「おねがいがあります」
「ほ……。菓子でもほしいか」
「いいえ、ちがいます。――お師さまは、明日、叡山へおのぼりになると聞きました」
「うむ」
「私を、連れて行って下さい」慈円は、笑った。
「叡山を、知っているか」
「朝夕、ながめています」
「うららかな日は、慈母のように、やさしく見える。だが、あのお山のふところには、どんな苦行があるか、それを、おまえは知るまい」
「聞いています。修行は、苦しいものだと、皆さまが申します」
「でも、登る気か」
「一人では、ゆかれません、お師様のお供をしてなら、どんな、苦しいところへでも、従いてゆける気がします」
「もののふの戦よりも、もっと、辛いぞ」
「そういう、苦難とやらに、この身をためしてみたいのです」
「それほどに、決心してか」
「はい」ぱちりと、範宴は、眼をみはっていった。
じっと、僧正を見つめていた。うっかり、下ろし忘れた茶瓶のふたが、かたかたと、おどった。そっと、火鉢から下ろして、
「よろしい」慈円は、うなずいた。
それまで、恐いものの前に坐っているように硬くなっていた範宴は、
「ほんとですか」よろこんで、小さい掌を、ぱちっと叩いた。
ばたばたと、廊下を走ってきて、
「性善坊」範宴が、部屋をのぞいた。
「はい」
「お師さまのおゆるしが出た。明日は、早う立つぞ。脚絆や、笠の支度をしてたも」
「どこへ、お立ちでございますな」
「そなた、知らぬのか。お師さまは叡山の座主におなりなされたのではないか」
「それは、存じていますが」
「だから、わしも、叡山へ登って、苦行と学問をするのだ」
「ははは」
「なにを笑う?」
「お得度をうけたことでも、お師の僧正さまは、天台の宗規を破ったとか、横暴だとか、世間からも中務省の役人からも、非難されているのですから、とても、叡山などへ、範宴さまを、お連れくださるわけはありません」
「だって、ゆるすと仰っしゃった。仏につかえる師の君が、嘘を仰っしゃるはずはない」
「でも、だめでございます。まだ、九歳のお弟子に、登岳をおゆるしになるはずがあるものですか」性善坊は、ほんとにしないのである。山の苦行にたえられるはずもなし、山の掟というものは、町の寺院とはちがって、峻厳にして犯すべからざるものであるから、それを破っては、座主として、一山の示しもつかないというのである。
「そうかしら?」範宴は、不安になった。
寝床へ入っても、範宴は、眼をぱちぱちさせていた。夜半ごろから、窓の小障子に、さらさらと雪のさわる音がしていた。
範宴は、起きだして、そっと庫裡の方へあるいて行った。雨戸のない濡れ縁には、雪がまるく溜っていた。
慈円僧正は、未明のうちに、脚絆をつけて身支度を済ましていた。供に従いて行く者と、後に残って見送る者とが、山門の両側にならんで、列を作っていた。
夜来の雪は、明け方にかけて、風を加えて降りしきっている。僧正は、笠のふちに手をかけて、
「さらば――」と、一同へ訣別を告げた。
三人の弟子は、かいがいしく身をかためて、師僧の供について歩きだした。すると、山門を降りた所の木蔭から、思いがけない範宴が、藁沓をはき、竹の杖を持って、ふいに横から出て、供の僧のいちばん後に尾いてあるきだした。弟子僧たちは驚いて、
「おや、おまえは、どこへ行くつもりだね?」
「叡山へ、お供して参ります」
「冗談じゃない。叡山というところは、お小僧なぞの行けるところではなし、また、掟として、年端もゆかぬ者や、入室して、半年や一年にしかならぬ者の登岳はゆるされぬ」
「でも、参ります」
「叱られるぞよ」
「叱られても参ります」
「帰れ」
「こいつ、剛情なやつ」と、弟子僧たちが、止めているのを、振りかえって、慈円僧正は、困り顔をしながらも、苦笑をうかべて、眺めていた。
範宴は、弟子僧たちの間を、くぐり抜けてきて、師の袂をつかまえて、訴えるような眼をした。
「お師さま。きのう仰っしゃったおことばは、嘘ですか」慈円は、笑いながら、首を横にふった。範宴はたたみかけて、
「――でも、きのうは、供をゆるすと仰っしゃりながら、今朝は、知らぬ顔して、お山へ立って行こうとなさるではございませんか」
「…………」慈円はまた顔を振った。
「では、どうなんですか」
「忘れたのじゃよ」やむなく、僧正はこういって、範宴をつれてゆくことに、肚をすえてしまったようであった。
しばらく行くと、雪の中に、性善坊が立っていた。彼は、ゆうべからの範宴のすることを知っていたが、自分が生なかことばを挟んでは、かえって、範宴の意志が徹らぬようなことになるであろうと、わざと知らぬ顔をして、先へ廻って待ちもうけていたのである。
範宴の登岳をゆるした以上、当然、性善坊の供をゆるさぬわけにはゆかなかった。で、そこから僧正に従いてゆく供の弟子僧は、すべてで五名になった。
雪は、吹きつのってくるので、
「今日は、麓口でおやすみになって、明日でも、雪の霽がるのを待ってから、お登りになっては――」と、供僧のうちで、いう者があったが、気性のはげしい、そしてまだ若い僧正は、
「なんの」と、脚もとめないのであった。
もっとも、新座主の登岳は、今日ということに、半月も前から叡山へは通牒してあるので、それを違えれば、中堂の人々や、一山の大衆に多大な手ちがいをかけなければならないから、
「では」と、供の者も、強ってとは、止めることもしなかった。
「おうーい」後ろで、誰か呼ぶような気がするので、五名は振り向いた。白い光の縞が、斜めに天地をかすめている、遠くからながめると、飛んでくる白鷺とも見える二つの蓑笠をかぶった者が、
「おうーい」声をあげつつ、来るのであった。
「誰だろう? ……」しばらくの間、雪にふきつけられたまま、五名は佇んで待っていた。
蓑笠の二人はやがて、近づいてきて、
「その中に、少納言どのは、おいであるか」と、いった。
「はい」範宴は、答えて前へ出た。
「おお」と、蓑を刎ね上げて、一人は前へすすみ、一人は、雪の中に、手をつかえた。
彼の小さい手を、握りしめた人は、彼の儒学の師範であった日野民部忠経だった。うしろで、手をつかえているのは、この間、範宴がかたみぞといって植髪の坐像をもたせて帰した六条の召使、箭四郎なのである。
「先生」範宴は、思いがけなかったように、そして、欣しさに、こみあげらるるように、瞼を赤くした。民部は、ことばに力をこめて、
「たった今、青蓮院へ伺ったところが、かくとのことに、追ってきたのじゃ。箭四郎をも、誘ってきた。――六条どのは、わざと来ぬが、くれぐれも、身をいとしめとのお言伝て……。修行の一歩、こなたも、欣しくぞんずる。誓って、勉学しなければなりませぬぞ」
「はい」怺えていたものを、範宴は、ぽろりと一雫、こぼしてしまった。
性善坊は、そばから、
「範宴さま。先生のお気もちや、お養父君のお心を、お忘れあそばすな」範宴は、うなずいて、
「はい」といった。そして、
「忘れません、きっと、勉学して、お目にかかります」
「和子さま」箭四郎は、にじり寄って、雪の中から彼の笠のうちを見上げた。
「おからだを、お大事に遊ばせや」
「あい。……お養父君や、弟にも、からだを気をつけてあげておくれ。……おまえも」
「…………」箭四郎は、顔を俯伏せたまま、降る雪を、背につもらせて、泣いていた。
「参ろうぞ」慈円は弟子僧たちを、うながして、先へあゆみ出した。範宴はあわてて、
「さようなら」
「おさらば」と、日野民部が去った。
「和子さま」箭四郎は、立ち上がって、もいちど大きく呼んだが、声は、風と雪に攫われて、宙にふかれてしまった。
――後ろも見ずに、範宴は、先へゆく師の房と弟子たちの後を追って走ってゆくのであった。幾たびか、雪にまろんで。
そして、叡山口へかかって行く。
山にかかると、山はなおひどかった。師の慈円をはじめ弟子僧たちは、誰からともなく、経文を口に誦して、それが、音吐高々と、雪と闘いながら踏みのぼってゆくのであった。
範宴も、口の裡で真似て、経を誦した。はじめのうちは、声も出なかったが、いつのまにか、われを忘れていた。
辷っても、ころんでも、傍の者は、彼をたすけなかった。性善坊ですら、手をとって、起してはやらないのである。それが、師の慈悲であった、弟子僧たちの友情なのであった。
「――誰か知る、千丈の雪」慈円は、つぶやいた。
「おつかれになりませんか」弟子僧たちがいたわると、
「なんの」と、首を振られるばかりであった。
範宴は、おくれがちであった。雪が、雪の中をころがって行くように、峰を這った、谷道を越えた。性善坊は、後ろについて、
「もうすこしです」と励ました。
「大丈夫」と、範宴はいう。
幾たびか、ころぶので、竹の杖をにぎっている指の間から血が出ていた。
それでも、
「大丈夫」と、いうのである。
なんという意志の強さだろう、強情さであろう、負けん気であろう、そして、熱情だろう――と性善坊は、小さい範宴のうしろで、ひそかに思った。
やはり、この和子の五体には、義家からの母御の血――義経、頼朝と同じな、源家の武士の脈搏がつよく搏っているらしい。
境遇と、生い立ちの置き所によれば、この少年もまた、平家に弓をひく陣頭の一将となっていたかもわからない。
「御仏が、それを救うてくださるのだ。有縁の山だ」と、彼は踏みしめる雪に感激をおぼえた。
夜がすみ、朝がすみ――叡山の春秋はしずかだった。
宙のなかに無辺のすがたを浮かべている虚のようであった。
永い冬が過ぎる。そしてやがて春ともなると、木の芽時のほの赤い樹々のあいだに、白くみえるのは、残雪ではない。山ざくらの花である。
迦陵頻伽の声ともきこえる山千禽のチチとさえずる朝――根本中堂のあたりから手をかざして、霞の底の京洛をながめると、そこには悠久とながれる加茂の一水が帯のように光っているだけで、人間の箇々の消長や、文化の変転の何ものをも見ることはできなかったけれども、麓から登ってくるものの噂によると、どうして、この半年ほどの間に、世間のなかの変りようは、絵にも口にも尽すことができないという――
まず、去年からの飢饉のために、盗賊がふえたことは大変なものであるとのことだ。都といわず、田舎といわず野盗の類、海盗の輩が跳梁して、政府をあるかなきがごとく、横行して、良民を泣かしているということである。
それも、平家の政庁が、あるにはあって、なんらの善政をしこうともせず、中央は、中央で一時的の享楽にこの幾年を送り、地方は地方で、小吏が京洛の悪風をまねて、ただ良民をくるしめて、自己の悦楽を事としていたので、その余憤も駆られ、その隙にも乗じたのが、皆、矛をとって、賊に化ったような傾きもある。
のみならず、昨年来、関東の方から起った源氏の革新的な軍勢は、日のたつにしたがってその勢いはあなどり難いものになっている。
伊豆の頼朝には、いわゆる、坂東武者とよばれる郷族が、草を薙いで、呼応してくるし、熊野の僧兵が呼応するし、これだけでも平家の狼狽はかなりみぐるしいものであったところへ、
「朝日将軍木曾義仲――」と、みずから名乗って出た思いがけない破竹の強兵が、これも、夢想もしていなかった北国の空から、琵琶湖の湖北に迫って、兵鼓をうちたたき、声をうしおと揚げて、京洛に近づきつつあるという情報の頻々たるものがある。
「木曾山の小冠者ばらをして、都へ、近づけしむるな」と、中央の政庁は、街道の諸大名へ向って、飛令をとばしたけれど、人の心はいつのまにか、この二、三年のあいだに、掌のひらかえしたように変ってしまっているのであった。
誰あって、木曾軍に対して、
「われこそ」と、阻める一国すらないのであった。
あわてて都から、討伐に向った城資永は斃れ、新たに、精鋭を組織して、薩摩守忠度は今、北国路へ発向している。
だが、これもどうか?
一方にまた、東海道方面へは、平知盛と清経の二将が、ものものしく押し下ったが、頼朝の軍に出遭うと、一たまりもなく、墨俣川にやぶられて、散走乱離に、味方の統制すらつかない状態であるという沙汰も、政庁では秘密にしていたが、いつのまにか、うわさになって、
「――平家武者は、さすがに、花武者じゃ、露には咲くが、風には弱うて、よう散るよう散る」
などと、俗歌にまで、謡われて、市民たちにまで、小馬鹿にされ初めてきた。
平家は、あせりだした。迷い出した。――で、彼らは、叡山に使者をたてて、一山の衆僧に、源氏調伏の祈祷をすべく命じた。いつでも、敗者のすがる神仏の力でこの時勢をささえようとした。
「源氏調伏」の祈願は、そうして、叡山の日課として、日々、くりかえされていた。
仏燈の油や、壇の費えを惜しまず、誦経、梵鐘の音は、雲にこたえ、谷間にひびいた。
いかなる魔魅も、こういう人間の一念な行には、近よりがたいであろうと思えた。
しかし、行の座にすわる僧たちの心には、今の平家に飽きたらぬものや、不平こそあるが、国家改革の新しい源氏とよぶ勢力に対して、なんの恨みもないのである。調伏の灯は、壇に満ち、誦経に喉は嗄らしていても、それは、職業としてやっているに過ぎなかった。
司権者の命令であるし、近衛摂政からのお沙汰というので、(やらねばなるまい)でやっているお役目であった。形式的な、勤めであった。
その一七日の勤めが終ったので惣持院の学寮に、若い学僧たちが寄り集まって、
「ああ」伸びをしたり、
「肩がこった」と、自分で叩いたり、
「麦餅が食いたいな」と食慾をつぶやいたりして、陽溜りに、くるま座を作って、談笑していた。
ひとりが、どこからか持ってきた麦餅を、盆に盛って、
「喰べんか」自分が先に、一枚とって、ばりばりと、噛む。
「もちっと、塩味があると美味いのだが、この麦餅は、麦の粉ばかりじゃないか」
「ぜいたくをいうな、塩でも、なかなか近ごろは、手に入らぬ」
「せめて、塩ぐらいは、われわれの口へも、豊かに入るような政治が欲しいものだ」
「今になるよ」
「源氏が天下をとればか」
「ウム」
「武家の天下の廻り持ちも、あまり、あてにはならん。――天下をとるまでは、人民へも、僧侶にも、いかにも、善政をしくようなことをいうが、おのれの望みを達して、司権者の位置に就くと、英雄どもは、自分の栄華に忙しくなって、旗を挙げた時の意気や良心は、忘れてしまうよ」
「それでも、現在のままでいるよりはましだ」
「この叡山の上から見ていると、栄華も凋落も、一瞬の間だ、まったく、浮世の変遷というものが、まざまざとわかる」
「つい昨日までは、天下の春は、六波羅の政庁と、平氏一門に聚まって、平氏の家人でなければ、人にあらずといわれていたのが、今日は、源氏調伏の祈願に、浮身を窶していなければならないとは、なんという醜態だろう」
「笑止、笑止」学僧たちは、手を打って、笑いあった。
「南都の大伽藍を焼き払ったり、大仏殿の炎上を敢てしたりした平家が、その仏にすがって、調伏の祈願するとは、何という勝手なことだ」
「先には、十禅師の神輿をさえ、踏み躙った、あの羅刹どもが、祈願をしたとて、何の効があるものか」学僧たちの話しているのを聞けば、むしろ、平家調伏の声であった。
すると、実相院の朱王房という若い堂衆がいった。
「あまり、自己を、侮蔑するな、聞き苦しい」
「何だと、朱王房」学僧たちの眼は、彼の顔にあつまった。
口論や、なぐり合いは、日常茶飯事であるし、何か事ある時は、身を鎧い、武器をひっさげて、戦をもする当時の僧であった。
気のあらい学僧たちは、朱王房のことばに、すぐ、眼にかどを立てて、
「誰が、いつ、自己を侮蔑したか」
「したじゃないか」朱王房も、負けていないのである。
「なるほど、皆のいう通り武家というやつは、勝手者だ、わけても、平家の如きは旺な時には、神仏を焼き、衰えてくると、神仏にすがる、怪しからぬ一族だが、その武家に養なわれて、平家の世には、源氏を呪い、源氏の世には平家調伏の祈りをする、われわれ僧侶という者のほうが、いくら、役目とはいえ、神仏を馬鹿にしているものだ。――だから、平家を罵ることは、自分たちを罵っているのも同じことだといえる。――そういったのは間違いだろうか」
「…………」
「三塔の権威がどこにある」皆が、黙ったので、朱王房は、得意になってなおいった。
「――この一山には、三千の僧衆がこもって、真言を修め、経典を読んではいるが、堂塔も、碩学も、社会にとっては、縁なき石に等しい。武家が天下を取ったり取られたりするたびに、心にもない祈祷をし、能も、智恵もなく、暮しているのが今の僧徒だ。恥しいことではないか」
すると、妙光房という学僧が、
「いかにも、朱王房の説のとおりだ――。僧徒だからとて、時の司権者に、圧えられて、無為無能に、納まってばかりいていいものではない」と、共鳴した。
「いや、違う」という者も、出てきた。
「なぜ違う?」
「僧には、僧の使命がある。――政治だの、戦だの、そんな有為転変を超えて、社会よりも、高いところにあるのが僧だ、叡山だ。――平家が悩む時には、平家も救ってやろう、源氏が苦しむ時には源氏もなぐさめてやろう。それが仏徒の任務だと思う」
「ばかなっ」朱王房は、一言に退けて、
「支配者ばかりが、人間か――平家という司権者の下には、何百万の人民がいることを忘れてはならない。その民たちが、望むところを、助成してやるのが、僧徒の使命だ」
「じゃあ、僧徒は革命家か。……飛んでもないことをいう」
「そんな、大それたことを、いうのじゃない」
「でも、朱王房のいうことは、そういう結論になる」
「俺は、悪政の下に、虐げられている民へ、諦めの哲学や、因果などを説法して、司権者の代弁人ばかりしているのが、僧徒のつとめではないということだけをいうのだ」
「じゃ、僧徒は、何をすべきか――。それを聞かせてもらおうじゃないか」
「することは、沢山ある。――だが第一に、なさねばならぬことは、まず、僧徒自身の粛正だろう。叡山自体が、腐敗していては何もできない。――実社会にとって用のない、穀つぶしの集まりだ、堂塔が鴉の巣にならないように、番人をしているだけの者に過ぎない」
「生意気をいうなっ」と、学僧の一人が、法衣をたくしあげて、朱王房の横顔を、拳で撲った。
「あっ」打たれた頬を抑えながら、
「生意気とはなんだ」朱王房も、拳をかためて、立ち上がった。
あわや、組み打ちになろうとする双方の血相なので、
「まあ、待てっ」
「議論のことは、議論でやれ」学僧たちは、引きわけて、
「朱王房のことばも、あまり過激すぎる。そんなに腑甲斐のない叡山なら、自分から、さっさと山を下りたらいいじゃないか」
「そうだ、いくら、叡山が無能だからといって、自己の生涯を托している御山のことを、今のように、いうのはよくない」
「若い、若い。口では誰でも、悲憤慷慨はいえるものだが、自分で、やれといわれたら、何もできるものじゃない」
「社会もそうだ、山もそうだ」多勢の声には、朱王房も、争えなかった。打たれた頬の片方を、赤くして黙りこんだ。
すると、さっき、彼のことばに賛意を表した妙光房が責任を感じたように、
「いや、朱王房のことばは、露骨で、云いかたが悪いのだ。彼には、何かほかに、感じることがあって、ついその余憤が出たのだろう。なあおい、そうじゃないのか」
「うん……」朱王房は、うなずいた。
「この間も、俺をつかまえて、憤慨していたから、あのことをきっと、いいたかったに違いない」
「あのこととは?」
「新座主の問題だ」
「ふーム」学僧たちは、新しい話題に、好奇な眼を光らしあって、
「新座主といえば、こんど、青蓮院からのぼられた慈円僧正だが、その座主について、何か問題があるのか」
「朱王房、いってみろ」と、いわれて、
「ないこともない――」と、朱王房は、顔を上げた。
「どんなこと?」
「ほかではないが」
「うむ」
「俺のような、一介の末輩がいうのは、おそれ多いとも思ってだまっていたが……。慈円僧正の態度は、三千のわれわれ大衆を無視しているばかりでなく、真言千古の法則を、座主自ら、勝手に紊しているものと、俺は思うのだ。――そんなだらしのないことでは、山の厳粛がたもてるわけのものじゃない。だから吾々の法城は、もう実のところ何の力もないのだ。鴉の番人だというような嘆息が、つい出てしまう……。いい過ぎだろうか」
「座主が、自ら、山の法則を紊したとは、どんなことか」
「誰も、知らないのか」
「知らん」
「じゃ、いうが……。この冬、新座主と共に、登岳した範宴少納言という者を、各

「あの小さい稚僧か」
「そうだ」
「あれなら、よく見かけるが、まるで嬰ん坊じゃないか。未丁年者を、山へ連れてきたということは、ちょっと、碩学の中で、問題になったが、結局、取るにたらん子どものことだし、僧正が青蓮院に在住のころから、お側に侍いていた者でもあるし……と黙認になっているのだから、そのことなら、問題にはならんぜ」
「いや、問題は範宴少納言を、登岳させたというだけではない」朱王房は、語気をつよめて、
「――それだけなら、何もたいして、騒ぐこともないが、近ごろ、チラと聞くところによると、座主は、何と心得ているのか、あのわずか十歳の稚僧に、授戒入壇の式を、許されるという噂なのだ」
「はははは」学僧たちは、一笑に附して、
「そんな、馬鹿げた話が、あるものか。それや、朱王房の聞きちがえだろう」
「なに、たしかなことだ」
「うそだよ」
「ほんとだ!」笑い去ってしまうには、あまりに、彼の顔つきは、真顔だった。
「誰に聞いた」
「中堂の執務から――」
「何日」
「近いうちに、授戒入壇をさせるからと、支度を命じられたという」
「はてな?」解せない顔つきで、人々は、小首をかしげたが、
「朱王房、よもや、嘘ではあるまいな」
「誰が、こんな嘘をいうか」
「事実とすれば、言語道断だぞ」
「怪しからぬ儀だ」
「私情というほかはない」
「法規の蹂躙だ」学僧たちは、不平と、公憤に、熱して、怒りをおびた。
「まだ、十歳や十一の小童を、山へ連れ登られたことさえ、奇怪であるのに、ものものしい入壇授戒を、あの洟っ垂れの稚僧に、ゆるすとあれば、すこし、狂気の沙汰である」
「陽気のせいだろう」
「笑いごとじゃないっ」憤然と、立つ者がある。鼎のように沸いてきた。昂奮した顔が、
「諸公!」と拳を振って、演舌した。
「聞いたか、朱王房のことばを、もし、それにして、事実ならば、吾々は、黙っていられないッ」
「そうだっ」衆が、答える。
「――範宴少納言とやら、どんな天才か、麒麟児かしらぬが、そもそも、授戒入壇のことは、円頓菩薩の大戒として、吾々が、この山にあって、十年、二十年の修行をしても、容易にゆるされない格式のものだ」
「然り、ここにいる者を、見渡しても、まだ一人も、入壇をうけたものはないぞ」
「それをだ」と、憤激の手は空を打つ。
「まだ、去年の十二月に、麓から、よたよた這い上がった十歳の稚僧に、突如として、これを授けるとは何事だ。依怙にも、ほどがある。私情をもって、大法を紊すといわれても、いい開きはあるまい。それでも、吾々は、一山の座主のする業であるからと、黙過するか」
「ならん」
「断乎と、排撃すべきである」また、座の一角から立つ者があらわれて、
「かかる、悪例をひらいては、日本四大山の戒壇にも、悪影響を及ぼそう。また、叡山そのものの恥辱である。こぞって、吾々は、座主の私心を糺弾しようじゃないか」
「そうとも、おのおのは、宿房に帰って、院主や阿闍梨たちにも、このことを告げて、一山をうごかせ!」と、さけんで、別れた。
根本中堂は、静かだった。
一山の若い学僧たちのあいだに範宴の問題から、座主の慈円僧正に、ごうごうと、非難が起っているなどとは登岳以来、そこに、常住していた僧正も、範宴も、性善坊も、すこしも、知らないことであった。
中堂の薬師瑠璃光如来のまえに小さな範宴は、朝に夕べに、生涯の精進をちかっていた。この北嶺の頂へのぼってからは、何か、今までよりは、仏の側へ、一歩、近づいてきたような心地がして、うれしかった。
範宴が、師の僧正に仕えているように、その範宴のゆく所に添って、影のように、彼を守っているのは、性善坊であった。
その性善坊は、今日、東塔の南谷まで、使いに行って帰ってくる途中であった。
「おいっ」誰か、呼ぶので、
「はい」性善坊は、ふり向いた。肱を突っ張った一人の大法師がつかつかと、寄ってきて、
「中堂の宿房にいる性善坊というのは、おまえか」
「そうです」
「おれは、西塔の双林寺にいる妙光房浄峨というものだが」
「はい」
「ま、そこへ掛けろ」と、妙光房は、岩を指さした。素直に、腰かけると、
「範宴少納言という童は、おまえの主人だそうだな」
「主従とは、もとの俗縁でございます。ただいまでは、この性善坊にとりまして、天地にお一人の師の御房でございます」
「はははは」大法師は、歯の裏が見えるような、大きな口を開いて、
「あの、人形みたいな小法師が、おまえの師か。うわははは……」肩を揺すぶっておかしがるのである。性善坊は、まじめに、
「はい、私の師は、範宴さまお一人にございます」
「ものずきな奴もある。まあ……そんなことはどうでもいい、訊きたいのは、別儀でもないが、その小法師が、近いうちに、入壇いたして、大戒を授かるとかいう噂がもっぱらにあるが、嘘だろうな」
「さあ?」
「ほんとか」
「ありそうなことに存じます。けれど、嘘かも知れませぬ」
「あいまいなことをいうな。貴様の師のことを、貴様が、知らんはずはない」
「これは、迷惑なおたずねです。入壇授戒の大法は、一に、御仏のお心にあることです。それを執り行う碩学のお眼にかのうた者が授かるものだと伺っております。なんで、私のような末輩が、知ろう道理はありません」
「こいつ、胡魔化し言をいうて、このほうを、小馬鹿にいたすな」
「決して」
「じゃあ、嘘か、真か、はっきりといえ」
「いえないものは、いえないではございませんか」まだ、登岳してから、半年も経たない新参なので、性善坊は、できる限り、辞を低く答えてはいるけれど、根が、侍である。公卿の館にはいても、太刀をさしていた人間の根性として、余りに、相手が横柄であったり、人をのんでかかってくると、つい、憤っとするものが、こみあげてくる。
「知らぬことはあるまい。いわなければ、ここを通すわけにはいかん」と、妙光房は、くどいのである。立ちはだかって、性善坊を責めていた。
すると、そこの坂道を、降りてきた一人の堂衆が、
「やあ、妙光房」と、声をかけた。
「おお朱王房か」
「何しているのだ」
「何、今ここで、範宴少納言の弟子という性善坊に出会ったから、例のことを、糺しているところだ」
「あの問題か。さりとは、貴公のほうが、よほど迂遠だぞ」
「どうして」
「たった今、一山の諸院と各房へ宛てて、中堂から、触れ状がまわった。――今、それを見てきたが、この月二十八日に、少納言授戒入壇の式を執り行うによって、そのむね、心得ありたしとある」
「ふーム」と、妙光房は、うなって、
「さては、いよいよ、事実なのか。座主には、宗祖の大法を枉げても我意と私情を押し通そうというお心とみえる。――だが、山には山の則がある、よしや、座主はゆるされても、則がゆるさぬ、弥陀如来がゆるし給うまい」と、妙光房は、口から唾をとばして、罵った。そして、性善坊へ、
「やい、新発意」
「はあ」
「はあじゃない。中堂の宿房へ帰ったら、貴様の師の少納言へ、きっと、申しつたえておけ」
「…………」
「まだ人なみの骨がらも持たぬ乳臭児の分際で、宗規を紊し、烏滸がましい授戒など受けると、この叡山の中にただはおかぬぞと」朱王房も、彼のことばの後について、
「――授戒の場を去らせず、童の首をひきぬいて、千年槙の木の股に梟首し、鴉に眼だまをほじらせるぞと告げるがいい」と、脅しつけて、肩をそびやかして、立ち去った。
(うぬ!)と性善坊は、後に立って、歯がみをした。追いかけて行って、谷間へ、一投げにしてやりたいような激憤が、体を熱くさせたが、中堂から鳴る鐘の音を聞いて、
「ああ、遅くなった」と、暮れかかる道をいそいだ。
「修行だ、何事も修行だ。こんなことに、心をうごかされてどうするか。――範宴さまが、案じておいでになるだろう」後を見まいとするように、登って行く。
中堂のあたりには、夕べの灯がついていた。もう、僧正の勤行も終った時刻である。
使いの返書を、執務の僧にわたして、性善坊は、宿房の方へ、曲がって行った。範宴が佇んでいた。
「帰ったか」
「ただいまもどりました」
「おそかったのう」
「ちと、道に迷いましたので」性善坊は、途中の出来事を話さなかった。範宴にいえば、範宴は、師の僧正の難をおそれてきっと、入壇を拒むだろう。
(だが、困ったものだ)と、彼は一人で案じていた。法燈の山も、なかなかうるさい。暗闘、嫉妬、愛憎、毀誉、人間のもつあらゆる葛藤はここにもある。
(そっと、座主のお耳に入れておこうか。――いやいや、座主には、何か、お考えもお覚悟もあって、なされたことに違いはない)性善坊は、思い悩んだ。
朝の厨の用意を、夜のうちにしておいて、ぼんやりと、院の外へ、あるきだした。
水っぽい春の月が、峰よりも低いところに、いくらか、黄いろ味をもって懸かっていた。
「山も山だが、下の巷は、なおさらだろう」
喘ぐ人間社会の息が、月を黄いろくしているように思えた。
超然と、その人間の聚落を離れて、高嶺の法城は、理想の生活に恵まれているかと思ったのは、いとも愚かな考えであった。ここも、下も、変りはないのである。人間のいる所、人間の世界でない地上はない。
西塔へ行った帰りに、自分を強迫した荒法師のことばや、態度から察しると、どうも、問題は、穏やかに納まりそうもない。一つものが間違えば、三井寺へも、攻めてゆくし、神輿をふって、御所へも強訴に出かけるというような乱暴な学僧のあつまりである。
(座主へ対しても、どんなことをするかわからぬし、師の少納言を、取って懲らすぐらいなことは、やりかねない)性善坊は、寝られない気がする。――やはり、一言、座主のお耳にいれておいたほうが――とまた迷うのであった。すると、朧なものの蔭から、
「少々、うかがいますが」
「あっ? ……誰だ」
「旅の者でございます」
「参詣者か」
「いいえ、すこし、お訪ねしたいお方がございまして」よく分らないが、見すぼらしい菰僧のような容をしている。背に、菰を負い、手に、尺八とよぶ竹をたずさえていて、足は、藁で縛っている。
「どなたを、お訪ねですか」
「去年ごろ、粟田口から上られた、範宴少納言さまは、どこの房に、おいででしょうか」
「ほ、範宴様を、おたずねか」
「そうです」性善坊は、そういわれて、どこか聞き覚えのある声だとは思ったが、思い当る者もなかった。
「範宴様は、根本中堂の宿房においでになるが、して、おもとは」
「東山の弥陀堂にいる孤雲という菰僧でございます」
「なんの御用で」
「すこし、お願いやら……またお顔も見たいと存じまして」
「以前に、お会いしたことが、あるのですか」
「はい、ふしぎなご縁で、六条のお館に、捕われていたこともございますし、また、その後も、一、二度」
「やっ」性善坊は、びっくりして、
「成田兵衛の家人、庄司七郎どのじゃないか」
「あっ……」かえって、その七郎のほうが、びっくりしたように、光る眼を、大きくみはって、しばらくじっと性善坊の顔を見つめていたが、
「おお、貴殿は、そのむかし、日野のお館にいた侍従介どのか」
「そうじゃ」
「これは……めずらしい」今は、孤雲とよぶ庄司七郎の菰僧と、性善坊とは、かつての争いも、恨みもわすれて、手を握りあって、互いの変った姿に、しばらくはことばもない……。
「どうしたのじゃ、七郎どの。――いや孤雲どの」
「まあ、聞いて下さい」庄司七郎の孤雲は、岩に腰をおろした。性善坊も、草むらへ坐った。
憮然として、孤雲は、宵の月をながめていた。何か、回顧しているように。やがて、そっと、瞼をふいて、
「――もう、何年前になるか、あの六条様のお館へ、間者に入って、捕まった年からのことです」
「うむ……」
「主人の成田兵衛から、不首尾のかどで、暇を出されたので、家にある老母や妻子にはすぐ飢えが見舞います。そのうちに、京の大火の晩に、足弱な老母は、煙にまかれて死ぬし、妻は病気になる、子は、流行病いにかかるという始末。とやこうと、悪いことつづきのうちに、この身一人、生きながらえて後の家族どもは、皆、あの世の者となってしまい申した」
「それは、御不運な……」性善坊は、慰めようのない気がした。あの、平家の郎党としての兵ぶりは、今の孤雲の影のどこにも見あたらない。
「一時は、死のうかと、思いましたが、戦ならば、死ねもするが、武家の飯をたべた人間が、飢えや、不運に負けて、路傍で死ぬのも、残念でなりません。――そのうちに不幸は、私のみでなく、旧の主人、成田兵衛さまも、宇治川の戦で、何かまずいことがあってから、御一門のお覚えもよからず、また、御子息の寿童丸様は、次の、源氏討伐の軍に、元服して初陣したはいいが、人にそそのかされたか、臆病風にふかれたか、陣の中から、脱走して、お行方知れずになってしまいなされた」
「おお、あの、日野塾でも、範宴さまとご一緒に、机をならべていた若殿でござったな」
「そうです。……ために、父の兵衛様は、人に顔向けができないといって、門を閉じておられましたが、近ごろ、沙汰するところによると、宗盛公から、死を賜わって、自害されたという話……」
「ああ、悲惨。――誰に会っても、そんな話ばかりが多い」
「ふりかえってみると、十幾歳のお年まで、お傅役として、寿童丸様のおそばに仕えていたこの私にも大きな責任がございます。――自体、わがままいっぱいに、お育てしたのが、悪かったのです。ひとり、寿童丸さまばかりでなく、平家の公達のうちには、戦を怖がって、出陣の途中から、逃げてしまうような柔弱者が、かなり多いのではございますが、まったく、私のお傅のいたし方にも、多大な過ちがありました」
「しかし、そのもとばかりの罪ではない。ご両親の罪――また平家自身のつくった世間の罪――。何ごとも、時勢ですから」
「でも、どうかして、いちど、故主の霊をなぐさめるために、寿童丸さまの行方をさがして、ご意見もし、また、微力をつくして、一人前の人間におさせ申さなければ、済まないと思うのです」
「よういわれた。暇を出された故主のために、そこまで、義をわすれぬお心がけは、見あげたものだ。――して、範宴さまを、訪ねてきた御用は」
「人のうわさによると、戦ぎらいの公達は、よく、三井や、叡山や、根来などの、学僧のあいだに、姿をかえて匿れこむよしです。御像にすがって、中堂の座主から、もしや寿童さまに似た者が、山に登っているか、いないか、お調べねがいたいと思って、やって参ったのでございます」話し終って、孤雲は、首を垂れた。足もつかれているらしい、胃も渇いているらしかった。
霧がくると、窓の外は、海のように青かった。
霧が去れば、机の上に、仄かな峰の月が映す。
範宴は、宿房の一間に、坐っていた。机のうえには、儒学の師、日野民部から学んだ白氏文集が載っている。これは、山へのぼってからも、離さない書物であった。
短檠の灯が、窓をあけておいても、揺れないほどに、夜は静かなのである。――中堂の大厨の方では、あしたの朝の僧衆のために、たくさんな豆腐を製っているとみえて、豆を煮るにおいがどこともなく流れてくる。
「誰です?」範宴は、机から、板敷の方を振り向いた。かたんと、音がしたようであったが、返辞がないので、
「栗鼠か」と、つぶやいた。よく、板の間を、栗鼠が後足で踊ってあるく。
時には、巨きな禽が来たり、床下から、山猫が、琥珀色の眼で、人の顔を、のぞきあげたりする。
食物が、失くなることは、たびたびであるし、狐の尾に、衣の裾を払われることは、夕方など、めずらしくない。
(怖い)山に馴れないうちは、範宴は、恐ろしくて幾たびも、都の灯が恋しかった。座主から、
(そんなことでは)
と、笑われても、本能的に、恐かった。座主はまた、
(世に、恐いものがあるとすれば、それは人間だ。人間に、恐いものがあるとすれば、それは自分だ。――自分の中に棲む狐や、鷲や、栗鼠は、ほんとに恐い)と、いわれた。範宴にも、すこし、その意味がわかる気がした。
稚い者に話す時には、稚い者にもわかるように、よく噛んで話してくれるのが、慈円座主の偉さであった。都という話が出た時に、
(範宴――、よう見えるか)と、ある時、比叡の峰から、京都の町を指さしていう。範宴が、うなずいて、
(見えまする)と答えると、
(何が)と、訊ねた。
(町が、加茂川が、御所が。――それから、いろんなものが)
(もっと、よく見よ)
(遠いから、人は見えません)
(その人間の、生きる相、亡びる相、争う相、泣く相、栄える相、血みどろな相――。見えるか)
(そんなのは、見えるわけはありません)
(いけない。……それでは、何も見えることにはなりはしない。おまえは、世間にいれば、世間が見えてると思っているだろう)
(ええ)
(大違いだ。――魚は河に棲んでいるけれど、河の大きな相は見えないのだ。悠久な、大河の源と、果てとを見極めるには、魚の眼ではいけない)
(では、何の眼ですか)
(仏の眼)
(ここは、河の中ではありません)
(叡山は、河の外だよ)範宴は、なにか、うっすらと、教えをうけた。それからは、都の灯を見ても、恋しいと思わなかった。
短檠の丁字を剪って、範宴が、ふたたび、机の上の白氏文集へ眼を曝しはじめると、
「さ……水を汲んできた、足を洗いなさい」と、入口の方で、また、物音と人の気配がした。やはり、狐狸ではなかった。
範宴は、すこし、燭の位置を移して、うしろへ身をのばしながら、
「性善坊か」すると、はっきり、
「ただ今帰りました」彼の返辞であった。すぐ上がってきて、
「範宴さま。ただいま、戻ってくる途中で、ふしぎな人に会いました。後ろに従れて参りましたから、お会い下さいまし」といって、
「孤雲どの。こちらへ」と、呼んだ。
怖る怖る、庄司七郎の孤雲は、そこへ来て、うつむきがちに坐った。範宴は、小首をかしげて、
「はての?」
「おわかりになりませんか」
「知らないお方だ」孤雲は、その時、しずかに顔を上げて――
「ああ、よう御成人なさいましたな」
「あ。……七郎か」
「やはり覚えていらっしゃった」と、孤雲は、ぼうぼうとした髯の中で、うれしげに、微笑した。
「忘れてなろうか。糺の原で、あやういところを、救うてくれた庄司七郎……。あの時、そなたは、なぜ逃げたのか」
「その仔細は――」と、性善坊がひき取って、
「途々、聞いてきたところでございまする。私から、代って、お話いたしましょう」
範宴は、眼を、つぶらにして、聞いていた。そして、
「ほう……、では、日野の学舎でこの身と共に机をならべていた寿童丸は、いまでは、行方が知れぬのか」
「里のうわさによると、この叡山に、知人があるゆえ、戦がやむまでその辺りに、隠れているのではないかと申すのだそうで」
「座主に、お願い申して、よう尋ねてあげよう」
「ありがとうぞんじます」
「だが――」と、性善坊は側から――「この叡山には、三千の学僧と、なお、僧籍のない荒法師やら堂衆やら、世間を逃げてきた者たちが、随分と、一時の方便で、身を変えているのも多いゆえ、容易には、知れまいと思うが……」
「ま……。いつまでも、おるがよい」と範宴は、なぐさめた。
孤雲は、ともすると、燭に面を伏せてしまった。――もう五、六年も前になるが寿童丸の腕白から、まだ、十八公麿といったころのこの君が、土で作っていた仏像を足蹴にかけたことだの、日野の館へ石を投げこんで罵りちらしたことだの……過去を思い出すと、背なかに、冷たい汗がながれる。
だが、範宴も、性善坊も、そんなことは、さらりと、忘れたように、
「孤雲どの、空腹ではないか」と、いたわる。
「はい……実は……」と、ありのままに答えると、
「では、粥でも、煮てあげい」範宴がいう。
やはり菊の根には菊がさき、蓬の根には蓬しか出ぬと、孤雲の七郎は、旧主の子と、範宴とを心のうちで較べて、さびしい気がした。
月も末に近くなる。
範宴少納言の入壇の式は、近くなった。
それが、いよいよ、実現されることが、明確に知れわたると、若い学僧だけの騒ぎでなくなった。
「よし、よし、われらが参って、お若い新座主をたしなめてやろう。……誰でも、一山の司権の座にすわると、一度は、その権力を行使してみたいものだよ。……騒ぐな、必ず説服いたして、思いとどまらせて見せる」
年齢と苔の生えているような長老や、碩学たちが、杖をついて、根本中堂へ上って行った。
そして、座主に、面談を求めて入りかわり立ちかわり、少納言の入壇授戒を、反対した。
今日もである。
静慮院と、四王院の阿闍梨が先に立って、その中には、少壮派の妙光房だの、学識よりは、腕ぶしにおいて自信のありそうな若い法師たちが、中堂の御房の式台へ、汚い足をして、ぞろぞろと、上がり込んで行った。座主の僧正は、
「おう、おそろいで」と、にこやかに、書院をひらいて、待っていた。
ひろい部屋の三分の一が、人で埋まった。みしみしと、荒い跫音で入って来た学僧どもも、ここへ入ると、
「さ、そちらへ」とか、
「どうぞ」とか、席をゆずり合って、さすがに、壁ぎわへ、硬くなって坐るのだった。
四王院と、静慮院の二長老が、代表者として、むろん、一同の前へ出て、座を占めた。
毎日のことなので、慈円僧正は、この人々が、何の用事で来たかは、訊くまでもなく、分っていた。で、機先を制して、
「二十八日の通牒は、もう、おのおののお手許へも、届いたことと思うが、当日の式事については、諸事、ご遺漏のないように頼みますぞ」
「…………」誰も、答えなかった。
不満と、不平とが、ぴかぴかと眼に反抗をたたえて、そういう座主の面を見つめているだけなのである。
「座主」四王院の阿闍梨が、老人のくせに、柘榴のような色をしている口をまずひらいた。
「なにか」と、慈円の眸は、静かである。
「今の御意、正気でおわすか」
「ほ……異なおたずねである。おのおのにも、よろこんで、大戒の席に列していただきたいということが、酒にでも、酔うているように聞えますか」
「酔うているどころか、狂気の沙汰と思う」
相手の冷静な容子は、かえって、彼らの赫怒を熾にした。
「よもやと存じて、今日まで、ひかえていたが、座主、御自身のお口から、さよういわるるからには、もう、黙してはおられん」
「何なりとも、仰せられい。叡山は、慈円のものにあらず、また、学僧のものにあらず、長老のものでもない」
「もちろん」
「衆生のものでござる」
「いや、仏のものだ」
「仏は、衆生を利したもうばかりに、下天しておわす。どちらでもよろしい」
後ろでひしめいている学僧たちの中で、
「阿闍梨、よけいなことは仰せられずに、一同の疑問について、疾く、糺されい」と、誰かがどなった。四王院は、うなずいて、
「座主!」と膝をすすめた。
「――今日、吾々が推参いたしたのは、二十八日の大戒について、ちと、解せん儀があって参ったのでおざる」
「ご不審とな、何なりと、問われい」
「ほかではない」静慮院も、共々に、詰問の膝を向けて、
「当、叡山はおろか、日本四ヵ所の戒壇においても、まだかつて、範宴のごとき童僧が、伝法授戒をうけた例しは耳にいたさぬが、そも、座主には何の見どころがあって、敢て、法城の鉄則を破ってまで、あの稚僧に、戒を授けらるるのか……。それが解せんことの第一義でござる」
返答によっては、貴人の系門であろうと、座主であろうと、ゆるすまいとするような殺伐な空気が、四王院と静慮院の二長老を背後から煽りたてていた。
慈円は、ほほ笑んで、
「はてさて、仏徒のまじわりもひろい。一院一寺をもあずかるおのおののことゆえ、それくらいなことは、ようご会得と存じていたが」
「山の鉄則を紊すような、さような心得は、相持たん」
「ははは、余りにも、お考えが狭い。いわゆる、法を作るもの法に縛らるの喩え。そもそも、授戒のことは、必ずしも、年齢を標準にはせぬものじゃ。年さえ、加えれば、誰でも、大戒をゆるさるるとあっては、刻苦する者がなくなるであろう」
「詭弁っ」と、またうしろの法師頭の中から強くいう者があった。四王院は、それに激励されて、
「――あいや、おことばには候うが、十年二十年、この叡山に、苦行を積んでも、なおかつ、入壇はおろか、伝法のことすら受けぬものが、どれほどあるか」
「それは、その人の天稟がないか、あるいは、勉学が足らぬかの、ふたつでおざろう。――容のみ、相のみ、いかにも、荒らかに、苦行精進いたすようになっても、秋栗の皮ほども、心のはじけぬ者もある。生れながらの団栗であればぜひなき儀と思うよりほかはない」
「いや! 谷の者らが、専ら取り沙汰するところによると、座主の僧正には、少納言に対して、依怙を持たれると承る」
「それは、問わるるまでもなかろう」
「何ですと――では、明らかに、依怙贔屓だと仰せられるか。――何とおのおの、そう聞いては、もう議論のほかじゃないか。座主は範宴を盲愛していられるのだ。私情のために、大法を蹂躙らるるとの自白だ」喚き立てると、
「ひかえなされい!」若い座主の面に、初めて、青年らしい血しおが、漲った。
「わしは、範宴の天稟を愛す。わしは、範宴のすぐれた気質を愛す。見よ、彼は将来の法燈を、亡すか、興隆するか、いずれかの人間になろう。叡山人多しといえど誰か、十歳を出たばかりの範宴にすら勝る法師やある。――その才において、その克己において、その聡明において、その強情我慢なことにおいて。……嘘と思わるる方あらば、彼をここへ呼んで、まず、法論を闘わせてみられるがよい。和歌といわば和歌、儒学とあらば儒学、おそらく少納言は否むまい。望みの者は、仰せ出られい」
誰も、進んで、応じる者はなかった。――わずか十歳の童僧と、衆人の中で、法論をやって、いい破ったところで、誇りにはならないし、敗れたらざまはない。
そういう打算は、すぐ、誰の胸にもうかぶことだし、御連枝の出で名門の深窓から、青蓮院へ坐ったのみで、世間知らずの若い座主と心であまく見ていた慈円が、白皙な面を、やや紅らめて、きびしい態度に出たので、
(これは……)と少し意外にも思ったことに違いなかった。慈円は、壁ぎわにいる人々の顔までを、ずっと見わたして、
「誰か、仰せ出られる人はないのか」
「…………」いつまでも、座はしんとしていた。二人の長老も、実は、そこまで、争う本心はなかったとみえて、尻押しの学僧たちが、だまってしまうと、立場を失ったように、もじもじしていた。
「そも、おのおのは、入壇とか、授戒とかいうことを、俗人が、位階や出世の階梯でものぼるように、考えていられるのではないか、とんでもない間違いでおざる」慈円は、そこでもう、常の温柔な面と語気にかえっていた。濃い眉毛のうえに、ぼつんと、黒豆ぐらいな黒子がある。この容貌に、二位の冠を授けたら、どんなに、端麗であろうといつも人は見つつ想像することであった。
「いうまでもなく、入壇と申す儀は菩薩心への、達成でなければならぬ。生きながらすでに菩薩たる心にいたれる人に、仰讃の式を行う、それが、授戒入壇の大会である。なんで、いたずらに、その域へ達せぬものに、この大会大戒の儀をゆるそうか」
「…………」静かではあるが、慈円の声は、たとえば檜の木蔭を深々と行く水のひびきのように、耳に寒かった。
「――また、菩薩心に達したものはかの龍女のごとく、八歳にして、もう壇に入ることをゆるされた。後白河法皇の大戒をうけられたのも、たしか、お十歳に満たぬうちであった。おのおののうちで、すでに白髯をたれ、老眼にもなりながら、まだその心域にいたれぬ方があらば、まず、自身を恥じるがよい――また、若輩な学僧たちは、そんな他人のことに、騒ぎたてて、無益の時間をつぶす間に、なぜ、自身の修行を励まれぬか」
「…………」
「ふたたび申すが、わしは、ふかく範宴少納言の天質を愛しておる、同時におそれておる。師として、指導のよろしきを得ねば、梵天の悪魔に化すかも知れず、その珠たる質のみがきによって、この荒び果てた法界の暗流と濁濤をすくう名玉となるかも知れない。その任を重く思うのだ。ひとたび、山を追われて、今の修羅の世に出て、あの雄叫びを聞いたなら、おそらく、彼は、源義朝の嫡男たちと共に、業火の下に、鉄弓もしごく男となろう」
「…………」黙々と、人々は、慈円の顔をみているばかりだった。慈円の眉には、弟子として、また一個の人間範宴のゆくすえや、範宴の性格や才や、あらゆる些細なものまでを朝夕の眼にとめて、ふかく、その将来を案じている容子が歴々と読めた。
「いや、ようわかりました」初めは脱兎のごとく、終りは処女のように、四王院がそこそこに座をすべると、他の若法師たちも、気まりわるげに、退散してしまった。
朝はまだ早かった。
霧に濡れている一山の峰や谷々で、寺の鐘が、刻をあわせて、一斉に鳴りだした。
揺するように、横川で鳴ると、西塔や、東塔の谷でも、ごうん、ごうん……と鐘の音が答え合った。
「おや、当院の鐘は、どうしたのじゃ」西塔の如法堂で、学頭の中年僧が、方丈から首を出した。
「鐘楼へは、誰も行っていないのか」
「けさの番は、朱王房です、たしか参っているはずです」と、中庭を隔てた学僧の房で、多勢の学僧たちが、新しい袈裟をつけながら返辞した。
「耳のせいか、わしには、聞えんが……」
「そういえば、鳴らんようです」
「困るではないか。今日は、根本中堂で、範宴少納言の授戒入壇式が、おごそかに上げられる日だ」
「吾々も、これから、阿闍梨に従いて、参列することになっています」
「それよりも、一山同鐘の礼を欠いては、当院だけが、中堂の令に叛く意志を示すわけになる。台教興隆のよろこびの鐘だ。――誰か、見てこい」
「はっ」学僧の一人が、駈けて行った。
鐘楼の下から仰ぐと、誰かそこに立っている。腕ぐみをして、ぼんやりと、鐘楼の柱に凭れているのである。
つい一昨年ごろ、坂本から上って来た若者で、はじめは、房の厨中間として働いていたが、なかなか、学才があるし、賤しくないし、少し才気走った嫌いはあるが、感情家で負け嫌いなところから、堂衆に取り立てられて、今では学僧のなかに伍している朱王房だった。
今朝は、彼が鐘楼役なのに、そこへ上ったまま、腑抜けのように腕ぐみをしているので、見にきた彼の友は、
「おいっ、朱王房じゃないか」下から呶鳴った。
朱王房は、上から、にやりと笑った。しかし、元気がないので、
「どうしたっ」訊ねると、膠のない顔つきで、
「どうもしやしない……」
「なぜ、礼鐘を撞かん?」
「…………」
「知らぬはずはあるまい。――今朝の一山同鐘を」
「知ってる」
「横着なやつだ」とととと、石段を駈け上がって行って、
「退けっ、俺が撞く」と、朱王房の肩を押しのけた。
「よし給え」
「なんだと」
「いまから撞いたって、間に合いはしない」
「じゃ、貴様は、故意に撞かなかったのだな」
「そうだ」はっきり、朱王房はいった。持ちかけた撞木の綱を放して、気色ばんだ彼の友は、朱王房の胸ぐらをつかんで睨みつけた。
「不届きな奴だ、承知して怠ったのだと聞いては許されん、さっ、来いっ」
ずるずると、段の方へ、引き摺った。
「どこへ? ――」不敵な眼をしながら、朱王房は鐘楼の柱へ足を踏んばって動かなかった。
「阿闍梨の前へ連れて行くのだ。さ、来い」
「いやだ」
「卑怯者め、承知のうえで、礼鐘を撞かぬといったくせに。――お処罰をうけるのが怖いなら、なぜ撞かなかったか」
「ばか、ばかばかしくって……おれには、こんな鐘はつけないんだ……」と、朱王房は、唇をかんだ。
「貴様、それを本気でいうのか」
「いうとも。――今朝の一山の鐘の音は、虚偽だ、おべっかだ、仏陀は、笑っていなさるだろう」
「…………」呆れて、友の顔を、見ているのだった。朱王房は、昂奮した眼で、
「貴公は、そう思わないか」
「朱王房、貴様こそ、気はたしかなのか」
「たしかだから、おれは、この鐘を撞かんのだ。いいか、考えてもみろ、まだ十歳を出たばかりの範宴を、座主の依怙贔屓から、輿論と、非難を押しきって、今朝の大戒を、強行するのじゃないか。――それが仏陀の御心かっ。一山衆望かっ」
「執念ぶかい奴だ……。まだ貴様は、いつぞやの議論を、固持しているのか」
「あたりまえじゃないか。阿闍梨や碩学たちは、蔭でこそ、とやこういうが、一人として主張を持ち張るものはない。みんな、慈円僧正に、まるめられて、ひっ込んでしまった」
「座主には座主の、ふかい信念があってのことだ」
「見せてもらおうじゃないか、その信念というやつを」
「それは、現在では、水かけ論だ。範宴が、果たしてそういう天稟の質であったか否かは、彼の成長を見た上でなければ決定ができない」
「それみろ。――神仏にもわからぬことを、どうして、僧正にだけわかるか。ごまかしだっ、依怙贔屓だっ」
「大きな声をするなっ」
「するッ――おれはするっ――仏法を亡すものは仏弟子どもだっ」
「これっ、若輩のくせに、いいかげんにしろ」
「いってわるいか」
「わるい!」
「じゃあ、貴公も、まやかし者だ、仏陀にそむいて、山の司権者におべッかるまやかし者だ」
「生意気をいうなッ」朱王房の襟がみをつかんで、そこへ仆した。すると、房の人々が、
「どうしたのだ、どうしたのだ……」と、駈け上がってきて、
「おいっ、離せ」
「いや、縛ってしまえ。そして、阿闍梨のまえに曳いて行って、たった今、この青二才がほざいた言葉を、厳密な掟の下に、裁かなければならない」
「どんな暴言を吐いた」
「仏法を亡すものは、仏弟子どもだといいおった」
「こいつが」と、一人は、彼の横顔を蹴って、
「一体、新参のくせに、初めから口論ずきで、少し自分の才に、思い上がっているんだ。縛れ、縛れ、くせになる」と、罵った。
座主の室で、銅鈴が鳴った。役僧のひとりが、執務所の机を離れて、
「お召しですか」ひざまずくと、帳の蔭で、
「範宴をよべ」と、いった。
「はっ」
「――ここではなく、表の方へ」
「かしこまりました」座主の慈円僧正は、そういってから後も、しばらく帳の蔭の机に凭って、紙屋紙を五、六枚綴じてある和歌の草稿に眼をとおしていた。それが済むと、何やら消息を書いて、
「待たせたの」と、縁の方へ、眼をやった。
京から使いにきた小侍がひとり板縁に、畏まっていたが、
「どう仕りまして」と、頭を下げた。
「では、これは月輪殿へおわたしいたして、よろしくと、伝えてください。――慈円も、登岳の後、このとおり、つつがのう暮しているとな」
「はい」草稿と、消息をいただいて、京の使いは帰って行った。
月輪の関白兼実は、すなわち座主の、血をわけた兄であった。で、時折に便りをよこして、便りを求めるのである。
慈円も、関白も、この兄弟は共に和歌の道に長けている。ことに、僧門にあって貴人の血と才分にゆたかな慈円の歌は、当代の名手といわれて、その道の人々から尊敬に値するものという評であった。
座主は、使いを返すと、そこを立って、中堂の表書院へ出て行った。
居間へ呼ばれるなら常のことであるが、表の間に待てとは、何事であろうかと、範宴は、ひろい大書院の中ほどに、小さい法体を、畏まらせて、待っていた。
「近う」と、慈円はいう。
畏る畏る、範宴は、前に出る。
そのすがたを、慈円は、眼の中へ入れてしまいたいように、微笑で見て、
「入壇のことも、まず、済んだの」
「はい」
「うれしいか」
「わかりません」
「苦しいか」
「いいえ」
「無か」
「有です」
「では、どういう気がする」
「この山へ、初めて、生れ出たような……」
「む。……しかし、入壇の戒を授けたからには、おもともすでに、一個の僧として、一山の大徳や碩学と、伍して行かねばならぬ」
「はい……」
「白髪の僧も、十歳の童僧も、仏のおん目からながめれば、ひとしく、同じ御弟子であり、同じ迷路の人間である」
「はい……」
「わが身を、珠とするか、瓦とするか、修行はこれからじゃ。いつまで、わしの側にいては、その尊い苦しみをなめることができぬ、わしに、少しでも、いたわりが出てはおもとのためにならぬ。――師を離れて、真の師に就け。真の師とは、いうまでもなく、仏陀でおわす。――ちょうど東塔の無動寺に人がない。枇杷大納言どののおられた由緒ある寺。そこへ、今日からおもとを、住持として遣わすことにする。よろしいか、支度をいたして、明日からは、そこに住んで、ひとりで修行するのですぞ」
範宴は、うなずきながら、ほろりと涙をこぼした。小さい手で、その眼を横にこすっているのを見て、慈円は笑った。
「明日から、一ヵ寺の住職ともなる者が、涙などこぼしてはいけない。……元気で行きなさい」
「はい」衣の袖で、涙を拭いてしまうと、範宴は、別れ難ない眸をあげて、師の顔を仰いだ。
「では、行ってまいります。お師さまの教えを忘れないで、励みまする」礼をして、立って行くのである。その姿を廊下の方で待ちうけていたのは、さっきから板縁に坐って、案じ顔に控えていた性善坊であった。
すぐ手を取って、堂の階を降りてゆく。そして、房の方へ歩いてゆくうちに、性善坊が明るい顔で、何か訊ねているし、範宴も、今泣いたことなど忘れて、

(――何といっても、まだ子どもだ)慈円も、欄まで出て、うしろ姿を見送っていた。
だが、どうしてか、慈円には、その子どもである範宴が、巨きな姿に見えてならなかった。一代の碩学だの、大徳だのという人に会っても、そう仰ぎ見るような感じは滅多にうけない自分なのに――と、時には冷静に自己の批判を客観してみても、やはり、どこか範宴には凡の人間の子とは、違うところがある。
(どこか?)と人に訊かれたらこれも困る。
どこも違いはない。十歳の少年は、やはり十歳の少年である。
弘法大師や、古き聖の伝などには、よく、誕生の奇瑞があったり、また幼少のうちからあたかも如来の再来のような超人間的な奇蹟が必ずあって、雲を下し、龍を呼ぶようなことが、その御伝記を弥尊く飾ってはいるが、これは慈円僧正も、必ずしも、すべてが然りとは信じていないのである。むしろそれは、民衆が捧げた花環や背光であって、釈迦も人間、弘法も人間と考えてさしつかえないものと思っている。
近くは、黒谷の法然上人のごときも、民衆の崇拝がたかまるにつれ、
(聖のお眸は二つあって、琥珀色をしていらっしゃる)とか、
(ご誕生の時には、産屋に紫雲たなびいて天楽が聞えたそうな)とか、
(文殊のご化身だ)とか、また、
(いや、唐の三蔵の再生だとおっしゃった)など、本人はすこしも知らない沙汰が、まちまちにいいふらされて、それにつられて、
(どんなお方か)と、半ば好奇な気もちで集う信徒すらあるとのことだ。しかし、その法然房には、慈円は、幾たびか会ってもみたが、いわゆる、異相の人にはちがいないが、決して、如来の再生でもなし、また、眸が二つあるわけのものでもない。ただ、違うのは、
(どこか、ふつうの人間よりは、一段ほど、高いお方だ)と思うことである。
範宴に対して、慈円の感じていることも、要するにその、
(どこか?)であった。
しかし、慈円のその信念は、決して、あやふやな――らしいの程度ではなく、山の巌根のごとく、範宴の将来に刮目しているのであった。
翌る日の未明である。
まだ仄暗いうちに、範宴は房を立った。供は、性善坊と菰僧の孤雲の二人だった。
性善坊は、しきりと、
「きょうからは、少納言さまも無動寺のお主、一ヵ寺のご住持でございますから、もう山の衆も、お小さいからといって、馬鹿にするような振舞いはいたしますまい」といった。彼には、それが、
(これ見よ)と見返したような晴がましさであり誇りであった。しかし、範宴は、
「わしに、そんな重いお勤めが、できるかしら」と、今朝は、心配していた。
「おできにならぬことを、座主がおいいつけになるわけはありません。及ばずながら、性善坊もお仕え申しておりますし、無動寺には、留守居衆が、そのまま、役僧として万事の御用はいたしますから、決して、お案じなさるには及びません」範宴はうなずいて、
「座主は、きっと、私を、お試しになるお心かも知れぬ。わしに、怠りが出たら、そちが、鞭を持って、打ってたも」
「勿体ない」と、性善坊はいった。
「そのお心がけで参れば、きっとご修行をおとげあそばすにきまっている。――私こそ、お師さまのお叱りをうけなければ」
「お互いに、修行しようぞ」
彼と性善坊とが、主従ともつかず、師弟ともつかず、親しげに話してゆく様子を後ろから眺めながら、ぽつねんと、独りで遅れて歩いて、孤雲は、淋しそうだった。
その気持を察して、
「孤雲どの。――いいあんばいに、お日和じゃな」などと、話しかけては、性善坊が、足をとめて振りかえった。
「――そうですね、降るかと思いましたら、霧が散って、八瀬の聚落や、白川あたりの麓が見えてきました」孤雲は、どこか、元気がない。
範宴のすがたを見ると、彼は、それにつれて、旧主の寿童丸を思いだすのであろう。羨ましげに、独りで、嘆息をもらしている容子が、時々見える。
(むりもない――)と性善坊は、察しるのだった。ちょうど、孤雲と寿童丸との主従の関係は、自分と範宴との間がらに似ている。さだめし、何かにつけて、
(寿童丸は、どうしているか)と、旧主に厚い彼の心は傷むのであろうと思いやった。
陽がのぼるほどに、谷々や、峰で、小禽の音が高くなった。中堂の東塔院から南へ下りて、幾つかの谷道をめぐって、四明ヶ岳の南の峰を仰いでゆくと、そこが、南嶺の無動寺である。――もう、大乗院だの、不動堂だのの建物の屋根の一端が、若葉時のまっ青な重巒の頂に、ちらと仰がれてくる。
「おや、孤雲は」
「ひとりで、沢へ下りてゆきました。おおかた、口が渇いて、竹筒へ、水でも汲みに行ったのでございましょう」二人が、崖の際に立って、孤雲の影をさがしていると、どこかで、
「やいっ、十八公麿」と、甲だかい声で、呼ぶ者があった。思いがけない鋭さなので、思わず、足を竦めて振りかえると、彼方の山蔭に、土牢の口が見えた。
山蔭の土牢の口には、雑草が蔓っていた。じめじめとした清水が辺りを濡らしていた。
牢の口は、そこらの木を伐って、そのまま組んで頑丈に組んである。誰やら、暗い中に、人影がうごいているようだった。
ふつうの音調を失って、獣じみた声で、何かいった者は、その土牢の中の人間で――
「そこへ来たのは、十八公麿ではないか。やいっ、耳はないのかっ」と、叫ぶのである。
もう忘れていた幼名を呼ぶばかりでなく、悪気のこもった罵り声に、範宴も性善坊も、ちょっと、胆を奪われて立っていた。
すると、牢の内からする声は、いよいよ躍起となって、
「俗名を呼んだから返辞をせぬというのか。だが俺は、いくら貴様が、入壇したからといっても、まだ乳くさい十歳やそこらの洟ッ垂れを、一人前の沙門とは、認めないのだ。――座主が、いくら勿体らしく大戒を授けても、一山の者が、座主におもねって、盲従しても、俺だけは、認めないぞ」そう一息にいって、また、
「だから俺は、十八公麿と呼ぶ。――貧乏公卿のせがれ、なぜ、返辞をせぬのか。――がたがた牛車で、日野の学舎に通ったころを忘れたのか。いくら澄ましても、俺のまえでは駄目だぞ、何とかいえっ」自身が、こっちへ来ることも、迫ることもできないだけに、何とかして、明るい中に立っている二人を、自身の牢の前まで引きつけようとして、必死なのであった。声に、魔魅の力すら覚えるのだった。
じっと、遠くから見ていた性善坊は、牢の口に、顔を押しつけている獣のような眸を見て、思わず、
「あっ! ……」と、驚きの声を放った。範宴も、思いだして、
「おお」牢の前へ、走って行こうとするので、性善坊は、袂をとらえて止めた。
「お師さま。寄ってはなりません! 寄ってはなりません!」
「なぜ、なぜ?」範宴は、その袂を、振りもぎろうとさえするのであった。
「その中にいるのは、悪魔です。悪魔のそばへ、寄っては、お身のためにならないからです」
「悪魔? ……」と、範宴は、牢にかがやいている二つの鋭い眸を見直して、
「悪魔ではない。あれは、日野の学舎で、わしと机をならべていた寿童丸じゃ」
「いいえ。……それには違いありませんが、今では、西塔の堂衆で、朱王房という悪魔です。その側に立っている高札をごらんなさい」と、性善坊は、指さしていった。
――この者、元坂本の中間僧たりし所、西塔の学僧寮に堂衆として取りたてられ、朱王房と称しおる者なり。しかる所、近来浅学小才に慢じ、事ごとに、山令に誹議を申したて、あまっさえ、範宴少納言入壇の式に、その礼鐘の役目を故意に怠り、仏法を滅するものは仏徒なりなど狂噪暴言を振舞うこと、重々罪科たるべきに附、ここに、百日の禁縛を命じ、謹しんで、山霊に業悪を謝せしむる者なり
しかし、範宴は、
「かわいそうじゃ」と、かぶりを振って、肯かないのである。
性善坊が止める手を退けて、牢のそばへ、走り寄っていた。そして、懐かしげに、
「寿童どの」と、声をかけた。朱王房は、かっと、闇の中からにらみつけて、
「十八公麿、おぼえておれ、よくもこの俺を、土牢へいれたな」性善坊は聞くに耐えないで、
「だまれっ」と側からいった。
「――お師さまには、何もご存じないことだ。糺命されたのは、汝の自業自得ではないか」
「いや、貴様たちが、手を下したのも、同様だ。恨みは、こんどのことばかりではない、糺の原でも、あの後で、野火のことを、六波羅の庁に、訴えたろう」
「根も葉もないことを」
「いやいや、幼少の時に、俺が、日野の館へ、石を投げこんだことを遺恨に思って、それから後は、事ごとに、貴様たちが、わしの一家を陥れようと計っていたに違いない。噂は、俺の耳に入っている」
「これだから……」と、呆れ果てたように、性善坊は、範宴の顔を見て、
「……救えない悪魔です」
「なにっ、悪魔だと」朱王房は、聞き咎めて、かみつくように、罵った。
「よくも、俺を、悪魔といったな。ようし、悪魔になってやろう。こんな偽瞞の山に、仏の法のと、虚偽な衣に、僧の仮面をかぶっているより、真っ裸の悪魔となったほうが、まだしも、人間として、立派だ」
「こういう毒口をたたくのだから、土牢に抛りこまれるのも、当然じゃ。自体、幼少から、悪童ではあったが」
「大きにお世話だ。十八公麿のような、小ましゃくれた、子どものくせに、大人じみた、俺ではない。俺は、真っ裸が好きだ、嘘がきらいだ。――今にみろ、うぬらの仮面や、偽装の衣を剥いでくれる」ものをいうだけが無益であると見たように、性善坊は、範宴の手をとって、
「さ、お師さま、参りましょう……」と促した。
ベッと、土牢の中から、白い唾がとんで範宴の袂にかかった。範宴は、何を考えだしたのか、性善坊が手をとっても歩もうとせず、両手を眼にやって泣いていた。
「……参りましょう、こんな悪魔のそばにいると、毒気をうけるだけのことです。ことばを交わすのも、愚かな沙汰です」
「…………」動こうともしないで、さめざめと範宴は泣き竦んでいるので、
「なにがお悲しいのですか」と、性善坊がたずねると、範宴は、紅い瞼をあげて、
「かわいそう」と、唯それだけを、くりかえすのであった。
ものに感じることの強い範宴の性質を性善坊はよく知っているが、かくまで、宿命的に己れを憎んでいる敵をも、不愍と感じて、嗚咽している童心の気だかさに、性善坊も、ふたたび返すことばもなく、心を打たれていた。
すると、どこからか、拙い尺八の音がしてきた。――緑の谷間から吹きあげる風につれて、虚空にながれてゆくのである。
どこからともなく流れてくる尺八の音に、
(おや)というように、二人は眼を見あわせた。
性善坊は、ここに姿の見えない菰僧の孤雲を思い出して、
「孤雲です……きっと水を飲みに行って、この下の谷で、何か考え出して、携えている尺八をすさびたくなったのでしょう」といった。範宴は、すぐ、
「はよう呼べ。――あの孤雲が多年たずねている寿童丸は、ここにいる。それを、孤雲はまだ知らぬのじゃ」
「そうだ、孤雲が来たら、どんなによろこぶか知れません。呼んでやりましょう」性善坊はすこし離れた崖の際まで駈けて行って、
「オオーイ」谷間をのぞいて呼んだ。
姿は青葉や山藤の花などで、見えないが、尺八の音は、糸の切れたように、やんだ。
孤雲はその時、ずっと下の渓流のふちに平たい巌を選んで、羅漢のように坐っていた。ここへは、性善坊が察したとおり、口が渇いたので、水を飲みに下りてきたのであるが、孔雀の尾のような翠巒と翠巒の抱くしいんとして澄んだ静寂のなかに立っていると、彼は、傷だらけな心を、ややしばし慈母のふところにでも安らいでいるように、いつまでも、去りがてな気持がして、そこの岩の上に、坐ってしまった。
何かは知らず、とめどもなく涙があふれてくる。昼の雲が、静かな峡のあいだを、ふわりと漂っていた。母も妻も子も、また家もない自分の境遇と似ている雲を、彼は、じっと見ていた。
誰にとも訴えようのない気持がやがて、尺八の歌口から、哀々と思いのかぎり、細い音を吹きだしたのであった。その音のうちには人生の儚なさだの、煩悩だの、愚痴だの、歎きだのが、纒綿とこぐらかっているように聞えた。
「おうーい」誰か、上で呼ぶ声に、孤雲はその尺八の手を解いて、
「あ……。性善坊どのだな」行く先は、分っているので、自分は遅れて後から追いつくつもりであったが、範宴たち二人が自分を待っているとすれば、これは、済まないことをしたと思った。にわかに、立ち上がって、
「おうーい」と、下からも、峰の中腹を見上げて答えた。
そして、崖道を、攀じながら、元の所へのぼってゆくと、性善坊はそこへ駈けてきて、
「孤雲どの。よろこばしいことがあるぞ」
「え?」唐突なので、眼をしばたたいていると、性善坊は、はや口に、そこの土牢の中にいる若い僧こそ、寿童丸であると告げて、
「わし達は一足先に無動寺へ参っておるから、ゆるりと、旧主にお目にかかって、ようく、不心得を、諭してあげたがよい」といい残して、立ち去った。
範宴と性善坊の姿が、山蔭にかくれるまで、孤雲は、茫然と見送っていた。半信半疑なのである。自分が多年探している寿童丸が、ついそこの土牢の中にいるなどとは、どうしても、信じられないことだった。
ふと見ると、なるほど、土牢の口が見える。高札が立っている。――彼は、怖々と、やがてその前へ近づいて行った。
「おうっ――」孤雲は、土牢の口へ、われを忘れて飛びついていた。
「若様。――寿童丸様」朱王房は、牢内の闇から、じっと、孤雲の面を見つめていたが、躍り上がるように立って、
「やっ。七郎ではないか」
「七郎ですっ。わ、若様、七郎でございまする」
「なつかしい」と、朱王房は、痩せた手を牢格子のあいだから差し伸べて、
「会いたかった……」
「七郎めも、どれほど、お行方を尋ねていたか知れませぬ」
「おお」と、朱王房は、思い出したように、牢格子へ手をかけて、
「いいところへ来てくれた。お前の腰の刀を貸せ」
「どうなさるのでございますか」
「知れたこと、この牢を破るのだ。斬り破るのだ。――人の来ないうちに、早く」
「でも……」と、孤雲はおろおろして、厳めしい高札に憚ったり、道の前後を見まわしたが、折ふし、人影も見えないので、彼も、勃然と、大事を犯す気持に駆られた。
脇差を抜いて、牢格子の藤蔓を切りはじめた。朱王房は、渾身の力で、それを、揺りうごかした。
四、五本の鎹が、ぱらぱらと落ちると、牢の柱が前に仆れた。
炎の中からでも躍りだすように、朱王房は外へ出て、青空へ、両手をふりあげた。
「しめた。もう俺の体は、俺の自由になったぞ。――うぬ、見ておれ」走り出そうとするので、
「あっ、若様っ、どこへ――」と、孤雲は彼が歓びのあまりに気でも狂ったのではないかと驚いて抱きとめた。
「離せ」
「どこへおいでになるのです。若様の行く所へなら、どこへまでも七郎とてもお供をいたす覚悟でございます」
「山を去る前に、範宴の細首を引ン捻ってくれるのだ」
「滅相もない。範宴さまと、性善坊どのとは、この身に恩こそあれ、お恨み申す筋はありません」
「いや、俺は、嫌いだ」
「嫌いだからというて、人の生命をとるなどという貴方様のお心は、鬼か、悪魔です」
「貴様までが、俺を、悪魔だというか。俺は、その悪魔になって、範宴とも、闘ってやるし、この山とも、社会とも、俺は俺の力のかぎり、争ってやるのだ」
「ええ、貴方様はっ」満身の力で、狂う彼をひきもどして、道へ捻じふせた。そして、
「まだ、そのねじけたお心が、直におなり遊ばさぬかっ。お父上のご死去を、ご存じないのですか。家名を何となされますか。ここな、親不孝者っ」と主人の子であることも忘れて、胸ぐらを締めつけた。
「あっ、くるしい。こらっ七郎、貴様は俺を撲りに来たのか」
「打ちます、撲ります。亡きあなた様のお父上に代って、打たせていただきます」
「この野郎」刎ね返そうとすると、七郎は、さらに力をこめて、朱王房の喉を締めつけた。うウむ……と大きな呻きを一つあげて、朱王房は、悶絶してしまった。
ぐったりと四肢を伸ばしている朱王房の姿をながめて、孤雲は、落涙しながら、
「若様、おゆるし下さい。あなたを、範宴御房にも劣らぬ立派な者にしたいばかりに、かような、手荒な真似もするのですから」取り縋って、詫びていたが、気づいて、
「そうだ人が来ては」と、にわかに鋭くなって、四辺を見まわした。
幸に、性善坊の落して行った笠がある、それを、朱王房の頭にかぶせて、背に負おうとすると、朱王房は、うーむ、と呻いて、呼吸をふきかえした。
だがもう暴れ狂う気力はなかった。永い土牢生活のつかれも一度に出たのであろう、孤雲の肩にすがったまま、ぐったり首を寝せていた。
孤雲は、谷間に下り、水にそって、比叡の山から里へと、いっさんに逃げて行った。
*
東塔の無動寺には、近ごろ、稚い住持が来て、日ごとに勤行の場へ見えるようになった。いうまでもなく範宴である。
境内の一乗院が、彼のいる室と定められた。そこで、彼は、四教義の研究に指をそめた。
その四教義を講義してくれる人は、東塔第一という称のある篤学家の静厳法印だった。
静厳は、彼の才をひどく愛した。少納言少納言といって、自分の子のように寺務の世話までよく面倒を見てくれた。
するとある日、その静厳が、何か、報らせに来た若い法師たちを罵っていた。
「なに、まだ見つからん。そんなはずはないぞ、山狩りを始めてから、もはや今日で二十日にもなるではないか」
「しかし、木の根をわけても、分らないのです。所詮、この様子では、麓へ走ったにちがいないから、一度山狩りを解いて、世間のほうを探してはどうかと、西塔の衆も、申しておりますが」
「西塔の者は、西塔の考えでやるがよい。こちらは、飽くまで、本人が、食物に困って、姿をあらわしてくるまで、固めを解いてはいかん」静厳に一喝されてすごすごと、谷の方へ下りてゆく法師たちの疲れた姿を、範宴は、一乗院の窓から見ていた。
何のための山狩りか、範宴には、よくわかっていた。で、心のうちで、
(どうか、見つからないように……。無事に、里へ逃げてくれるように)と祈っていた。大雨が降ると、
(どこかの樹木の下で、あの主従は、この雨に打たれているのではないか)と人知れず案じたり、また、朝夕の食事に、箸をとる時も、ふと、
(あの主従は、何を食べているだろう?)と思いやった。
しかし、それから、七日すぎても、十日過ぎても、土牢を破った者が捕まったという噂は聞えてこなかった。
叡山には、夏が過ぎ、秋が更け、やがて雪の白い冬が訪れた。
雪に埋った一乗院の窓からは、どんな寒い晩も、四教義を音読する範宴の声が聞えてこない晩はなかった。
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大自然のすがたには、眼に見えて、これが変ったということもないが、人間の上にながれる十年の歳月には、驚かれるほどな推移があった。
建久二年の年は、範宴少納言がこの東塔の無動寺に入ってから、ちょうど九年目に当たる。
彼は、十九歳になった。白衣を着て、黒い袈裟をかけて、端麗で白皙な青年は俗界の塵の何ものにもまだ染まっていなかった。処女のように、きれいであった。
「何と気高いお姿だろう」と、その九年の間、一日も離れることなく侍いている性善坊ですら、時には、見惚れることがあった。
背は高く、肩幅もひろいほうであった。無動寺の奥ふかく閉じ籠っているのが多いので、色は白く、唇は丹のようであった。眉は濃く太く、おそろしく男性的である。ことに、きっと一文字に結んでいる口もとには不壊の意志がひそんでいるように見えた。ある者は、
「範宴御房のお貌は、前から見るとやさしいお方だと思うが、横からふと見ると、実に怖いお貌だ」といった。そういわれてから、性善坊も、
「なるほど」と気がついた。怖いと見れば怖い。やさしいと見れば優しい。
健康の点では、骨格も、気力も頼もしい頑健さを天質的に備えていた。これも母系の祖父の遺伝に恵まれているのかも知れないと彼は思った。たくましい肋骨の張った胸幅の下には、どんな大きい心臓が坐っているのかと思われるくらいだった。
その実証を、性善坊は、この九年間に眼のあたりに見てきて、ひそかに、
(自分にはとてもできない)と舌を巻いて驚いているのであった。それは、範宴の知識慾の旺なことと、それを、満たしてゆく究学心の強さであった。
唯識論とか、百法問答鈔とかいう難解なものすら、十二歳のころに上げてしまったし、十五歳の時には、明禅法印から、密法の秘奥をうけて、かつて、慈円僧正が大戒を授けた破例を、(依怙贔屓である)と、罵った一山の大衆も、今では、口を黙して、
(やはり、彼の質は天稟なのだ)と認めるようになっていた。
けれど範宴自身は、それに誇るようなふうは少しもなく、林泉院の智海に随って、天台の三大部を卒業するし、また、仁和寺の慶存をたずねて、華厳を聴き、南都の碩学たちで、彼はといわれるほどな人物には、すすんで、学問を受けた。
「お体を、おこわしにならないように――」と性善坊は、日夜の彼の精進に、口ぐせのようにいっていたが、それは杞憂にすぎなかった。
やがて範宴の体質がそんなことでこわれるような脆弱なものでないことがわかると、
「まったく、異常なお方だ」と心から頭が下がってきて、もう、そんな通常人にいうようないたわりはいえなくなってきたのであった。そして、同じ侍いて仕えているにしても、九年前と今日とは、まったく違った畏敬の心をもって、
(師の御房)と呼び、そして範宴から垂示を受ける一弟子となりきっていた。
七月の末だった。かねてから、範宴の宿望であった大和の法隆寺へ遊学する願いが、中堂の総務所に聴き届けられて、彼は、この初秋を、旅に出た。
「何年ぶりのご下山でございましょう……」と性善坊は、無論、供に従いていた。そして、下山するごとに変っている世間を見ることが、やはり、軽い楽しみであるらしかった。
それでも、性善坊の方は、麓や町へ使いに下りることが、年に幾度かあったが、範宴は、ほとんどそれがなかった。
「すべてが、一昔前になったな」京都の町へ入ると、範宴は、眼に見るものすべてに、推移を感じた。
「ごらんなさい」と性善坊は、五条の橋に立って、指さした。
「――あの空地の草原で、子供たちや、牛が遊んでおりましょう。あれは、小松殿のお館のあった薔薇園の跡でございます。また、右手の東詰には、平相国清盛どのの、西八条の館があったのですが、荒れ果てている態を見ると、今は、誰の武者溜りになっておりますことやら」
「変ったのう」しみじみと、範宴はいって、ふと、橋の欄から見下ろすと、そこを行く加茂の水ばかりは、淙々として変りがない。
いや、水にも刻々の変化はあるが、人間のような儚い空骸や相を止めないだけのことである。西八条や薔薇園の女房たちの脂粉をながした川水に、今では、京洛に満ちる源氏の輩が、鉄漿の溶き水や、兵馬の汚水を流しているのである。
「変れば変るもの――」いつまで立っていても飽かない心地がするのだった、無限の真理と直面しているように――。そして、生ける経典を眼のあたりに見ているように。
儚いと見ればただ儚い。進歩とみれば進歩。また、虚無とみれば虚無――
社会はあまりに大きすぎて、人生の真がつかみ難い。
そこらを往来する物売りや、工匠や、侍や、雑多な市人は、ただ、今日から明日への生活に、短い希望をつないで、あくせくと、足を迅めているに過ぎないのだった。
鞍馬の峰にあって、奥州へ逃げのびた遮那王の義経も、短くて華やかなその生涯を、つい二年ほど前に閉じて、人もあろうに、兄の頼朝の兵に伐たれてしまった。そして、その頼朝が、今では鎌倉に覇府をひらいて、天下に覇を唱えているのであるから、平家の文化が一変して、世も、京洛も、加茂川の水までが、源氏色に染め直されてしまったのは当然な変遷なのである。
だが、あまりに眼まぐるしい人生の流相を見てしまった民衆たちは、
(また、明日にも)という不安と虚無観が消え去らないと見えて、往来の市人の顔には、どれもこれも、落着かない色が見えていた。
「――行こうか」範宴は、そう見ながら、ただの雲水の法師のように、五条を北川の方へ歩みだした。
それから六条の大路へ足を入れると、二人はさらに、
「変ったな」というつぶやきをくりかえした。
辻の市場は、目立って繁昌しているし、往来の両側にある商い家も、平氏の世盛りのころより、ずっと、数が殖えていた。
空地にさえも、傀儡師か、香具師か、人寄せの銅鑼を鳴らしている男が、何か喚いているし、被衣をかぶって、濃い脂粉をほどこした女が、あやしげな眼ざしをくばって、鼻の下の長い男を物色している。
「人間の社会というものは、ちょうど春先の野火焼とおなじようなものでございますな。――焼けば焼くほど、後から草が伸びてくる……」と、性善坊は、感心していった。
一見、戦は、急速に社会を進化させるもののように見える。そして、誰一人、ここに生きているものは戦を呪っていなかった。
その代りに、人間は、おそろしく、刹那主義になっていた。平家の治世がすでにそうだったが、一転して、源氏の世になると、なおさら、その信念を徹底してきたかのように、女は、あらん限り美衣をかざり、男は、絶えず、息に酒の香をもって歩いていた。
「――坊んさん」
「お法師さま」六条のお牛場のあたりを、二人は、見まわしていると、かつて、その辺の空地に寝ころんでいた斑ら牛や、牛の糞に群れていた青蠅のすがたは一変して、どこもかしこも、入口の瀟洒な新しい小屋や小館で埋っていた。
店の前を、網代垣でかこんだ家もあるし、朽葉色や浅黄の布を垂れて部屋をかくしている構えもある。また塗塀ふうに、目かくし窓を作って、そこから、呼んでいる女もあるのだった。
「これが、元のお牛場であろうか――」と、範宴も、性善坊も、茫然としてたたずんでしまった。
このつい近くであったはずの六条の範綱の館はどこだろう。跡かたもない幼少のころの家をさがし廻って、範宴は、ここでもまた、憮然とした。
「きれいなお坊んさんと、お供の方――」黄いろい女たちの声が、家々の窓や垂れ布の蔭から、しきりと、呼びぬくのであったが、自分が呼ばれているのであるとは二人とも気がつかない。
で、なお、狭い露地へまで入って行こうとすると、低い檜垣の蔭から、
「いらっしゃいよ」と、白い手が法衣の袂をつかんだ。範宴は、眼をまろくして、
「なにか御用ですか」女は、白い首を二つそこから出して、
「あなた方は、何を探しているんです」
「六条の三位範綱さまのお館を」
「ホ、ホ、ホ。……そんな家は、もう一軒もありませんよ。ここは、遊女町ですからね」
「え。……遊女町」
「往来から見れば分りきっているじゃありませんか。お入りなさいよ」性善坊が横から、
「馬鹿っ」と叱って、範宴の袂をつかんでいる女の手を、ぴしりと打った。
「よくも人を打ったね」遊女は、怒った。
性善坊も怒っていった。
「あたりまえだ」
遊女はまけずに、
「人を打つのが当りまえなら私も打ってやる」と手を出して、性善坊の横顔を打つ真似したが、性善坊は顔を避けて、
「けがらわしい」とその手を払った。
今度は、ほんとに怒って、遊女は性善坊の胸ぐらをつかまえた。
「何がけがらわしいのさ」
「離せ、僧侶に向って、不埒なまねをする奴だ」
「ふン……だ……」と、遊女は嘲笑のくちびるを、柘榴の花みたいに毒々しくすぼめて、
「坊さんだから、女は汚らわしいっていうの。……ちょッ、笑わすよ、この人は」と、家のうちにいる朋輩の女たちをかえりみて、
「あそこにいる花扇さん、その隣にいる梶葉さん、みんな、坊さんを情夫に持ってるんだよ。私のとこへだって、叡山から来る人もあるし、寺町へ、こっちから、隠れて行くことだってあるんだよ」
「人が見る。離せ」性善坊が、むきになっていうと、
「そう。人が見るから、いけないというなら、話は分っている。人が見てさえいなければいいんだろう。……晩にお出で」と、女は、胸ぐらを離して、性善坊の肩をぽんと突いた。
泥濘に足を落して、性善坊は、脚絆を泥水によごした。
「こいつめ」いち早く、家の中へ逃げこんだ女を追って、何か罵っていると、露地の外で、
「性善坊――」範宴の呼ぶのが聞えた。
「はいっ」彼は、大人げない自分の動作に恥じて、顔をあからめながら、往来へ出てきた。そして、範宴へ、
「とんだことをいたしました」と謝った。
「ほかを探そう」範宴が歩みだすと、
「ちょっと、お待ち遊ばせ」と性善坊は、師の法衣の袂をつかんで、そのまま、道傍の井戸のそばへ連れて行った。
(何をするのか)と範宴はだまって彼のするとおりにさせていた。性善坊は、井戸のつる瓶を上げると、師の法衣の袂をつまんで、ざぶざぶと洗って、
「さ……これでよろしゅうございます。不浄な浮かれ女の手に、お袖をけがしたままではいけませんから」と水を絞って、それから自分の手も洗って、やっと、気がすんだような顔をした。
それからはもう遊女の手につかまらないように注意して二人は歩いたが、脂粉のにおいは、袂を水で洗っても消えないような気がするのだった。
のみならず六条の館は、どう探しても見つからなかった。
あきらめて、二人はまた、もとの五条口の方へ引っ返した。そして五条大橋を、こんどは東の方へと渡って行く姿に、もう黄昏れの霧が白く流れていた。
粟田口の青蓮院についたころは、すでにとっぷりと暮れた宵の闇だった。ここばかりは、兵燹の禍いもうけず、世俗の変遷にも塗られず、昔ながらに、寂としていたので二人は、
(やはり法門こそ自分たちの安住の地だ)という心地がした。
かたく閉じられてある門の外に立って、性善坊は、
「おたのみ申す」と、ほとほと叩いた。
範宴は、うしろに立って、錆びた山門の屋根だの、楼の様だの、そこから枝をのばしている松の木ぶりだのを眺めて、
「十年……」なつかしげに眼を閉じて、十年前の、自分の幼い姿を瞼に描いていた。ぎいと、小門が開いて、
「どなたじゃの」番僧の声がした。
「無動寺の範宴にござりますが、このたび、奈良の法隆寺へ遊学のため、下山いたしましたので、僧正の君に、よそながらお目にかかって参りとう存じて、夜中ですが、立ち寄りました。お取次ぎをねがわしゅう存じまする」
「お待ちください」しばらくすると、番僧がふたたび顔をだして、
「どうぞ」と、先に立って案内した。
慈円僧正は、その後、座主の任を辞して、叡山からまたもとの青蓮院へもどって、いたって心やすい私生活のうちに、茶だの和歌だのに毎日を楽しんでくらしているのだった。
清楚な小屋に、二人を迎えて、慈円は、心からよろこんだ。
「大きゅうなったのう」まず、そういうのだった。得度をうけた時の小さい稚子僧の時のすがたと、十九歳の今の範宴とを思い比べれば、まったく、そういう声が出るのだった。
しかし、四、五年見ない慈円のすがたは、まだ初老というほどでもないが、かなり老けていた。
「僧正にも、お変りなく」範宴がいうと、
「されば、花鳥風月と仏の道におく身には、年齢はないからの」と若々しく慈円は微笑した。そして、
「このたびは、法隆寺へ修学のよしじゃが、あまり励めて、からだを、そこねるなよ」
「覚運僧都について、疑義を、御垂示うけたいと存じて参りました。からだは、このとおり健固にございますゆえ、どうぞ、御安心くださいまし」後ろの小縁にひかえていた性善坊が、そのとき、畏る畏るたずねた。
「ついては、この折に、御養父の範綱様や、また御舎弟の朝麿様にも、十年ぶりでお会いなされてはと、私からおすすめ申しあげて、実は、これへ参る先に、六条のお館をさがしました所が、まるで町の様子は変って、お行き先も知れません。で、――青蓮院でおうかがいいたせば分るであろうと、戻って参ったわけでございますが、範綱様にはその後、どこにお住まいでございましょうか」
「その儀なれば、心配はせぬがよい。かねて、約束したとおり、変りがあれば当所から知らせるし、知らせがないうちは、お変りのないものと思うていよ――とわしが申したとおりに」
無事さえ知ればよいようなものの、やはり範宴は一目でも会いたいと思った。
僧正は、その顔いろを見て、明日の朝でも寺の者に案内させるから久しぶりに訪れて行ったがよかろうといった。
「まあ、今宵は、旅装を解いて、ゆるりと休んだがよい」
「ありがとう存じます」範宴は、退がって、風呂所で湯浴みを終えた後、性善坊と共に、晩の膳を馳走されていた。するとそこへ、執事が来て、
「ただ今、僧正のお居間へ、おひきあわせ申したい客人がお見えになりましたから、お食事がおすみ遊ばしたら、もいちど、お越しくださるようにとの仰せでござる」と告げた。
(誰であろう? ……自分に紹介わせたい客とは)範宴は、ともかく、行って見た。
見ると、寛いだ衣を着て、大口袴を豊かにひらいた貴人が、短檠をそばにして、正面に坐っている。
僧正よりは幾歳か年上であろう。四十四、五と見れば大差はあるまい。鼻すじのとおった下に薄い美髯を蓄えている。その髯を上品に見せているのは、つつましくて、柔和な唇のせいである。
「…………」範宴を見ると、貴人は、前から知っているように、にこと眼で微笑んだ。慈円僧正はそばから、
「兄上、これが、範宴少納言でございます」と秘蔵のものでも誇るように紹介した。
「うむ……」貴人は、うなずいて、
「なるほど、よい若者じゃの」間のわるいほど、じっと、見ているのであった。僧正はまた、範宴に向って、
「月輪関白様じゃ」と教えた。
「お……月輪様ですか」範宴は驚いた。そして礼儀を正しかけると、関白兼実は、
「いやそのまま」といって、いたって、気軽を好まれるらしく、叡山の近状だの、世間ばなしをし向けてくるのであった。
月輪兼実が、師の僧正の血を分けた兄君であることは、かねがね承知していたが、関白の現職にある貴族なので、こんな所で、膝近くこうして言葉を交わすことなぞは思いがけないことなのである。
「華厳を研究して、叡山の若僧のうちでは、並ぶ者がないよしを噂に聞いたが」
「お恥かしいことです。まだ、何らの眼もあかぬ学生にござりまする」
「弟も、おもとのうわさをするごとに、精進の態を、わがことのように、よろこんでおる」
「高恩を、無にせぬように、励むつもりでございます」
「いちど、月輪の館の方へも、遊びに出向いて賜もれ」
「ありがとう存じます」
「若くて、求法に執心な者も多勢いるから、いちど、範宴御房の華厳経の講義でもしてもらいたいものじゃ。――この身も、聴いておきたいし」と兼実はいった。
それから僧正が、自慢の舶載の緑茶を煮たり、一、二首の和歌を作って、懐紙に認め合ったりして、間もなく、兼実は、舎人をつれて、待たせてある牛車に乗って帰った。
修行の山を下りて十年目の第一夜だった。久しぶりで範宴は人間の中で眠ったような温か味を抱いて眠った。
眼をさまして、朝の勤めをすますと、きれいに掃かれた青蓮院の境内には、針葉樹の木洩れ陽が映して、初秋の朝雲が、粟田山の肩に、白い小猫のように戯れていた。
「性善坊、参ろうぞ」範宴は、いつの間にか、もう脚絆や笠の旅仕度をしていて、草鞋を穿きにかかるのであった。
「や、もうお立ちですか」とかえって、性善坊のほうが、あわてるほどであった。
「僧正には、勤行の後で、お別れをすましたから」と範宴は、何か思い断るように足を早めて山門を出た。
性善坊は、笈を担って、後から追いついた。
すると、執事の高松衛門が、山門の外に待っていて、
「範宴殿、ご出立ですか」
「おせわになりました」
「僧正のおいいつけで、今日は、六条範綱様のお住居へ、ご案内申すつもりで、お待ちうけいたしていたのですが――」
「ありがとう存じます」
「まさか、このまま、お発足のおつもりではございますまいが」
「いや」と、範宴はゆうべから悶えていた眉を苦しげに見せていった。
「……養父の顔も見たし、弟にも会いたしと、昨日は、愚かな思慕に迷って、一途に養父の住居を探しあるきましたが、昨夜、眠ってから静かに反省みて恥かしい気がいたして参りました。そんなことでは、まだほんとの出家とはいわれません。僧正もお心のうちで、いたらぬ奴と、お蔑みであったろうと存じます。いわんや、初歩の修行をやっと踏んで、これから第二歩の遊学に出ようとする途中で、もうそんな心の弛みを起したというのは、われながら口惜しい不束でした。折角のご好意、ありがとうぞんじますが、養父にも弟にも、会わないで立つと心に決めましたから、どうぞ、お引きとり下さいまし」
「さすがは、範宴御房、よう仰せられた。――それでは、その辺りまで、お見送りなと仕ろう」
衛門は、先に立って、青蓮院の長い土塀にそって歩きだした。そして、裏門の方へと二十歩ほど、杉木立の中を行くと、小やかな篠垣に囲まれた草庵があって、朝顔の花が、そこらに、二、三輪濃く咲いていた。
「きれいではございませぬか」衛門は、垣の内の朝顔へ、範宴の注意を呼んでおいて、そこから黙って、帰ってしまった。
性善坊は、何気なく、垣のうちを覗いて、愕然としながら、範宴の袂をひいた。
「お師さま。……ここでござりますぞ」
「なにが」
「ご覧じませ」
「おお」
性善坊に袖をひかれて、草庵のうちを覗いた範宴の眼は、涙がいっぱいであった。
姿は、ひどく変っているが、日あたりのよい草堂の縁に小机を向けて、何やら写し物の筆をとっている老法師こそ、紛れもない、養父の範綱なのであった。
「いつ、ご法体になられたのか」範宴は、涙で、養父のすがたが見えなくなるのだった。
「……面影もない」と昔の姿とひき比べて、十年の養父の労苦を思いやった。
性善坊は、たまりかねたように、そこの門を押して、入ろうとした。
「これ、訪れてはならぬ」範宴は叱った。そして、心づよく、垣のそばを離れて、歩きだした。
「お会いなされませ、お師様、そのお姿を一目でも、見せておあげなされませ」
「…………」範宴は、首を横に振りながら、後も見ずに足を早めた。
すると、鍛冶ヶ池のそばに二人の若い男女が、親しげに、顔を寄せ合っていたが、範宴の跫音に驚いて、
「あら」と、女が先に離れた。
この辺の、刀鍛冶の娘でもあろうか、野趣があって、そして美しい小娘だった。
男も、まだ十七、八歳の小冠者だった。秘密のさざめ語を、人に聞かれたかと、恥じるように、顔を赧らめて振りかえった。
「おや……? ……」範宴は、その面ざしを見て、立ちすくんだ。
若者も、びくっと、眼をすえた。
幼い時のうろ覚えだし、十年も見ないので、明確に、誰ということも思いだせないのであったが、骨肉の血液が互いに心で呼び合った。
ややしばらく、じっと見ているうちに、どっちからともなく、
「朝麿ではないか」
「兄上か」寄ったかと思うと、ふたつの影が、一つもののように、抱きあって、朝麿は範宴の胸に、顔を押しあてて泣いていた。
「――会いとうございました。毎日、兄君の植髪の御像をながめてばかりおりました」
「大きゅうなられたのう」
「兄上も」
「このとおり、健やかじゃ。――して、お養父君も、その後は、お達者か」
「まだ、お会い遊ばさないのでございますか」
「たった今、垣の外から、お姿は拝んできたが」
「では、案内いたしましょう。養父も、びっくりするでしょう」
「いや、こんどは、お目にかかるまい」
「なぜですか」
「自然に、お目にかかる折もあろう。ご孝養をたのむぞ」すげなく、行きすぎると、
「兄上――。どうして、養父上に、会わないのですか」朝麿は、恨むように、兄の手へ縋った。女は、池のふちから、じっとそれを見ていた。処女心は、自分への男の愛を、ふいに、他人へ奪られたような憂いをもって、見ているのだった。
「…………」性善坊は、すこし、傍へ避けて、兄弟の姿から眼をそむけながら、ぽろぽろと、頬をながれるものを、忙しげに、手の甲でこすっていたが、そのうちに、範宴は、何を思ったか、不意に、弟の手を払って、後も見ずに、走ってしまった。
ちらと、彼方に灯が見えた。町の灯である。
生紙へ墨を落したように町も灯も山も滲んでいた。
「宇治だの」範宴は立ちどまった。足の下を迅い水音が聞える。やっと、黄昏れに迫って、この宇治川の大橋へかかったのであった。
「さようでございまする。――もういくらもございますまい」云い合わしたように、性善坊も、橋の中ほどまで来ると、欄に身を倚せかけて、一憩みした。
ひろい薄暮の視野を、淙々と、秋の水の清冽が駈けてゆく。範宴は冷ややかな川の気に顔を吹かれながら、
「――治承四年」とつぶやいた。
「わしはまだ幼かった。おもとはよく覚えておろう」
「宇治の戦でございますか」
「されば、源三位頼政殿の討死せられたのは、この辺りではないか」
「確か。……月は、五月のころでした」
「わしには、母の君が亡逝られた年であった。……母は源家の娘であったゆえ、草ふかく、住む良人には、貞節な妻であり、子には、おやさしい母性でおわした以外、何ものでもなかったが、とかく、源氏の衆と、何か、謀叛気でもあったかのように、一族どもは、平家から睨まれていたらしい。さだめし、子らの知らぬご苦労もなされたであろう」
「いろいろな取り沙汰が、そのころは、ご両親様を取り巻いたものでございました」
「さあれ、十年と経てば、この水のように、淙々と、すべては泡沫の跡形もない。――平家の、源氏のと、憎しみおうた人々の戦の跡には何もない」
「ただ、秋草が、河原に咲いています。――三位殿は、老花を咲かせました」範宴は、法衣の袂から数珠を取りだして、指にかけた。
高倉の宮の御謀議むなしく、うかばれない武士たちの亡魂が、秋のかぜの暗い空を、啾々と駈けているかと、性善坊は背を寒くした。
母の吉光の前と源三位頼政とは、おなじ族の出であるし、そのほか、この河原には、幾多の同血が、屍となっているのである。範宴は、復従兄弟にあたる義経の若くして死んだ姿をも一緒に思いうかべた。そして、そういう薄命に弄ばれてはならないと、わが子の未来を慮かって、自分を、僧院に入れた母や養父や、周囲の人々の気もちが、ここに立って、ひしとありがたく思いあわされてくるのでもあった。
その霜除けの囲いがなければ、自分とても、果たして、今日この成長があったかどうか疑わしい。自分の生命は、決して、自分の生命でない気がする。母のものであり同族のものであり、そして、何らかの使命をおびて、自身の肉体に課されているこの歳月ではあるまいか――などとも思われてくるのであった。
「…………」数珠が鳴った。性善坊も、瞑目していた。
すると、その二人のうしろを、さびしい跫音をしのばせて、通りぬけてゆく若い女があった。
ふと、振りかえって、女のうしろ姿を見送りながら、
「もし……」性善坊は、範宴の袂を、そっと引いた。
「――あの女房、泣いているではありませんか」
「町の者であろう」
「欄干へ寄って、考えこんでいます。おかしな女子だ」
「見るな、人に、泣き顔を見られるのは憂いものじゃ」
「参りましょう」二人は、そういって、歩みかけたが、やはり気にかかっていた。五、六歩ほど運んでから再び後ろを振り向いたが、その僅かな間に、女のすがたはもう見えなかった。
「や、や?」性善坊は、突然、笈を下ろして、女のいたあたりへ駈けて行った。そして、欄干から、のめり込むように川底をのぞき下ろして、「お師様っ、身投げですっ」と手を振った。範宴は、驚いた。そして自分の迂濶を悔いながら、
「どこへ」と側へ走った。性善坊は、暗い川面を指さして、
「あれ――、あそこに」といった。
水は異様な渦を描いていた。女の帯であろう。黒い波紋のなかに、浮いては、沈んで見える。
「あっ、あぶないっ……」性善坊が驚いたのは、それよりも、側にいた範宴が、橋の欄に足をかけて、一丈の余もあるそこから、跳び込もうとしているからであった。抱きとめて、
「滅相もないっ」と、叫んだ。
「――私が救います、お大事なお体に、もしものことがあったら」と、彼は手ばやく、法衣を解きかけた。すると、河原の方で、
「おウい……」と、男の声がした。
二、三人の影が呼び合って、駈けつけてきたのである。川狩をしていた漁夫であろうか、一人はもうざぶざぶと水音を立てている。川瀬は早いが、幸いに浅い淵に近かったので苦もなく救われたのであろう、間もなく、藻のようになった女の体をかかえて岸へ上がってきた。
「ありがとう」範宴は、礼をいいながら、男たちの側へ寄って行った。
女は、まだ気を失っていないとみえて、おいおいと泣きぬいていた。両手を顔にあてながら身を揺すぶって泣くのである。
「どう召された」性善坊が、やさしく、女の肩に手をやってさし覗くと、女は不意に、
「知らないっ、知らないっ」その手を振り払って、まっしぐらに、宇治の橋を、町の方へ、駈けだして行くのであった。
「あっ、また飛びこむぞ」男たちは、そういったが、もう追おうともしないで、舌打ちをして見送っていた。
捨てておけない気がした。範宴は駈けだしつつ、
「ああ迅い足だ、性善坊、おもと一人で、先に走ってあの女を抱きとめい」
「かしこまりました」性善坊は、宙をとんで、もう宇治の大橋を彼方へ越えてしまった女の影を追って行った。
案のじょう、女は橋をこえると、町の方へは向わないで、河原にそって上流の方へ盲目的に取り乱したまま駈けてゆく。
「これっ、どこへ参る」性善坊がうしろから抱き竦めると、女は、甲ばしった声で、
「どこへ行こうと、大きなお世話ですよ、離してください」
「離せません。おまえは死のうとする気じゃろう」
「死んでわるいんですか」青白い顔を向けて、女は、食ってかかってくる。その眼ざしを見て、
(これは)と性善坊は思わず面を背けてしまった。
つりあがった女の眼は、光の窓みたいに尖っていた。髪は肩へ散らかっているし、水浸しになった着物だの、肌だのを持って、寒いとも感じないほど、逆上してしまっている。
「なぜ悪いのさ」女は僧侶のすがたを見て、ことさらに反感を抱いたらしく、かえって、詰問してくるのだった。
「わるいにきまっています。人間にはおのずから、定められた寿命がある。一時の感情で、生命をすてるなどは、愚か者のすることです」
「どうせ私は、愚か者です。愚か者なればこそ」しゅくっと、嗚咽して、
「男に……男に……」他愛なくわめいて、また、
「死なして下さい」
「そんなことはできない」
「面当に、死んでやるんです」と、おそろしい力でもがいた。
性善坊が持ち前で、そのかぼそい手頸を捻じ上げて、範宴の来るのを待っていると、女は性善坊が憎い敵ででもあるように、指へ噛みつこうとさえするのだった。
「落着きなさい。……痴情の業のするところだ、醒めた後では、己れの心が、己れでもわからないほど、呆っ気ないものになってくる」
「お説教ならお寺でおしなさい。私は、坊さんは嫌いです」
「そうですか」苦笑するほかはない。範宴が、追いついてきた。
「どうした、性善坊」
「抑えました」
「ひどいことはせぬがよい」
「なに、自分で狂い廻って、泣きさけぶのです」
「お女房――」範宴は背をなでてやって、
「行きましょう」
「どこへさ」
「あなたのお宅まで、送ってあげます。風邪をひいてはなりません、着物も濡れているし……」
「死ぬ人間に、よけいなおせっかいです。かまわないで下さい」女人は救い難いものとはかねがね聞かされているところであったが、こういうものかと、範宴は、しみじみと見つめていた。
あさましいこの女の狂態を見るにつけて、範宴は、一昨日、鍛冶ヶ池の畔で逢った弟のことを思い出した。
弟は、あの時、池のふちで年ごろの若い娘と列んでいた。
まさか、人目にとやこういわれるほどのことではあるまいが、弟は、自分とちがって、蒲柳だし、優しいし、それに、意志がよわい。
範宴が、今度、叡山を下りてから、何よりもふかく多く心に映ったものは、「女」だった。女のいない山から下りてみると、世間は女の国に見える。女だらけに見える。わずらわしいことにも思い、何か急に明るい気もちもして、自分の年頃に、おぼろな不安と温かさを醸していた。
「お師さま、弱りました」さっきから、女をなだめすかしていた性善坊は、持てあましたようにいった。
「どうしても、家へ帰らないというのです」範宴が今度は、
「宇治かの、おもとの家は」と訊いた。
「いやです。帰るくらいなら、一人で帰る」
「そういわないで、私たちも、宇治の町へ行く者です。送ってあげよう」
「くどい坊さんだね」
「私たちの使命ですから、気に食わないでも、ゆるして下さい。私は、おもとを幸福にしてあげたいのだ」
「笑わすよ、この人は。人間を幸福にしてやるなんて、そんな器用なまねが、人間にできるものか」
「私の力ではできません。仏の御力で――」
「その仏が、私は大嫌いだよ。――死にたいというのに、邪魔をするし、嫌いだというものを押しつけるし、お前たちは、人を不幸にするのが上手だよ」
「とにかく、歩きましょう」
「嫌――」
「おもとの望みのようにして上げたらよかろう」
「わたしの望みは、わたしの男を自分のものにすることだ」
「やさしい願いではありませんか」
「とんでもないことおいいでない、男には、ほかに、女ができているんだよ」
「その男とは、おもとの良人でしょう」
「まだ、ちゃんと、何はしないけれど……」
「ようございます。私どもが真ごころを尽して、男の方に申しましょう。わるいようにはしない……さ、歩いてください」やっと、宇治の町まで連れてきて、女の家をたずねると、
「そこ――」と、裏町の穢い板長屋の一軒を指さした。
御烏帽子作国助と古板に打ちつけてある。範宴が、板戸をたたいて、
「こん晩は」訪れると、その隙に、女は性善坊の手を振り

「はい、どなた?」若い男の返辞だった。すぐ家の中から板戸を開けて、そこに立っていた者が、二人の僧であったのに意外な顔をしたが、さらに、性善坊の手から逃げようともがいている女の姿を見ると、
「この阿女」と、裸足で飛び出してきて、女の黒髪をつかんだ。
「どこへ行っていやがったのだ。――おや、ずぶ濡れになって、また、馬鹿なまねをしやがったな」あまり無造作に家の中へ引き摺り上げてしまったので、範宴は、
「もしっ、そんな乱暴はせずに下さい」共に、家のうちへ入ったが、もうその時は、女のほうが、俄然、血相を烈しくして、
「何をするんだッ、そんなに、私が憎いかっ。殺せ」
「気ちがいめ」
「さ、殺せ」いいつつ、男の胸ぐらへつかみかかって、
「そのかわりに、私一人じゃ死なないぞ。この浮気男め、薄情者め。口惜しいっ」
範宴も、これには手を下しかねた顔つきで、眺めていた。しかし、抛っとけば限りもないので、
「止めてやれ」と、性善坊にいうと、
「こらっ」彼は、まず男のほうを隔て、
「やめぬか、まさか、仇同士でもあるまい」
「仇より憎い」と女はさけんだ。
それからは油紙に火がついたように、男のざんそを人前もなく喋舌り立てて、男が自分を虐待して、ほかで馴染んだ売女をひき入れようとしていることだの、この家が貧乏なために、自分が持ち物を売りつくして貢いだのと、あらゆる醜悪な感情をおよそ舌のつづく限り早口でいった。
さすがに、間がわるくなったと見えて、烏帽子師の男は、青白い顔して、うつ向いていた。
そして今になってから、気がついたように、範宴へ、
「どうも相すみません」と、いった。
「あなたの内儀ですか」と性善坊が口を入れた。
「いいえ、でき合って、ずるずるに暮している萱乃という女です。けれど、萱乃のいうような、そんな、私は悪い男じゃないつもりです」
「仲を直してはどうじゃ」
「私は、可愛いくって、しかたがないくらいなんだが、ご覧のとおりな……」女は、眸から針を放って、
「嘘をおつきッ」
女がさらに血相を持ち直して、甲だかく猛りかけると、その時、門の戸を開けて、
「娘、われはまた、ここへ来ていくさるのか」誰やら、老人らしい声がした。
その声を聞くと、萱乃は、びくりとして、
「あっ、お父さん」水を浴びたように、今までの狂態を醒まし、にわかに、穴へでも入りたいように、居竦んでしまう。
烏帽子師の国助も、面目なげにうろうろとしていた。するともう案内もなく上がって来た萱乃の父なる人は、厳つい顔を硬ばらしてそこに突っ立ちながら、若い男女を見下ろして、さも忌々しげに、
「恥さらしめっ」と、唾でも吐きかけたいように睨めつけた。
宇治の郷士でもあろうか、粗末な野太刀を佩いた老人だった。
「さ、家へこい、家へ帰れ。こんな怠け者の職人と、痴話狂いをさせようとて、親は、子を育てはせぬぞ。不届き者め」
萱乃の襟がみをつかんで、叱りながら、引っ立てると、
「嫌です、嫌です」娘は、筵へしがみ伏して、
「――家へは帰りません」と必死でいった。
「なぜ帰らない」
「でも私は、国助さんと、どんな苦労でもしたいのです」
「親の許さぬ男に?」
「かんにんして下さい」
「ならぬっ」と老人は一喝して、
「こんな男に、見込みはない。親のゆるさぬ男の家へ入りこんで、仲よくでも暮していることか、町の衆が、笑っている。嫌ならよし、親の威光でも、しょッ引いて行かねばならぬ」
憤怒して、老人は、娘の体を二、三尺ずるずると門の方へ引きずり出した。
皺の深い唇のまわりに、ばらっと、針のような無精髯の伸びているその老人の顔と、物言い振りを、それまでじっと傍観していた性善坊は、その時始めて口をひらいて、
「待て。――おぬしは、六条のお館に奉公していた箭四郎じゃないか」といった。
「げっ?」老人は開いた口をしばらくそのまま、
「…………」小皺の中の眼をこらして、いつまでもいつまでも性善坊の顔を見つめ、一転して、その側にきちんと坐っている範宴の姿を見て、
「や、や、や……」萱乃の襟がみから手を離して、そこへ、べたっと坐ってしまった。
「お――。……おぬしは元の侍従介?」
「介じゃよ」
「では、これにお在すのは……」
「わからぬか、あまりご成長あそばしたので、見違うたも無理じゃない。日野の和子さま……十八公麿様じゃ」
「あっ、何としよう」
箭四老人は、両手をつき、額を筵につけたまましばらくは面を上げようとしない。
彼の鬢の白さに、
「おもとも、変ったのう」しみじみと、範宴も見入っていた。
箭四老人の語るところによると過ぎつる年のころ、木曾殿乱入の時にあたって、平家は捨てて行く都に火を放ち、また日ごろ、憎く思う者や、少しでも源家に由縁のある者といえば、見あたり次第に斬って、西国へと落ちて行った。
その折、六条の館も、あの附近も、一様に焼き払われて、範綱は身辺すら危ない身を、朝麿の手をひいて、からくも、青蓮院のうちに隠れ、箭四郎も供をして、しばらく世の成りゆきを見ていたが、つらつら感じることのあったとみえて範綱は、ふたたび世間へ帰ろうとはせず、髪を下ろして、院の裏にあたるわずかな藪地を拓いて草庵をむすび、名も、観真とあらためていた。
で、箭四郎にも暇が出たので、宇治の縁家に一人の娘が預けてあるのを頼りに、故郷へ戻って、共に、生活を励もうと一家をもったのであるが、久しく離れていた実の父よりは、年ごろの娘には思い合うた若者の方が遥かによいとみえて、家に落着いていることなどはほとんどなく、姿が見えないと思えば、烏帽子師の国助の家に入りびたっている始末なのでほとほと持て余しているところなので――と彼は長物語りの末に、
「どうしたものでございましょう」と面目ないが、包み隠しもならず、恥をしのんで、打ち明けるのであった。
「なるほど」それで仔細は分ったが、そう聞けば、萱乃の恋もいじらしいものである。それを、男の国助は、ほかにも女があって、かくばかり萱乃を苦しませているのはよろしくない。遊女とかいう国助の一方の情婦をこそ、この際、どれほど、深い仲なのか、正直に聞かしてもらおうではないか。それが、解決の一策というものだと、まず性善坊が、なれない話ながら、相談あいてになってみると、国助のいうには、
「てまえが、遊女屋がよいをいたしたのは、まったくでございますが、決して、浮いた沙汰ではなく、何を隠しましょう、東国を流浪しているうちに、木賊四郎という野盗に誘拐かされて、この宇治の色町へ売られた妹なのでございまする。――けれど、妹が売女だなどという沙汰が、人に知られては外聞もわるし、この萱乃にも、つい初手に打ち明けかねて、近ごろになって、そう申しても、もう信じてもくれないのでございます。けれどてまえは、決して、萱乃が憎いのではございません。どうかして、妹の身代金だけを、兄妹して稼いで抜こうとお互いに慰めていますので、少しでも生活の剰りができれば妹にわたし、妹も幾らでも客にもらえば私に見せて、共々に、月に二度か三度の会う日を、楽しんでいたのでございます。決して、萱乃がいうような浮いた話ではありません」吶々ということばには真実があって、むしろ、妹思いな兄と、兄思いな妹とが、髣髴として、眼を閉じて聞いている人々の瞼に迫ってくるほどなのである。
「すみませんッ……」突然、泣き伏したのは萱乃であった。身悶えをして咽びつづけた。
悔いと慚愧に、うちたたかれて萱乃は、
「――何もかも、私の嫉妬からでした。……すみません、国助さんにも、お父さんにも」くりかえすばかりだった。
嫉妬は、女を炎にするが、その迷いから出ると、女は、不愍なほど、真実な姿にかえって、浄化される。性善坊は、箭四郎に、
「おぬしは、娘御のこれほど慕っている国助が、気に喰わぬのか」とたずねた。
「いや、気に喰わんというわけじゃないが、世間でとかくよういわぬから、娘の行く末を託するに足らぬ男と思うていたまでじゃ」
「その誤解も、今は、解けたであろうが」
「うむ……」
「解けたついでに、心まで打ち溶けてみる気はないか。――親がゆるして、添わせてやるのじゃ」
「わしにも、落度があった。国助の心ばえも、今夜はよう分ったゆえ、男女の望みにまかせましょう。――そして萱乃」
「はい……」
「良人の力になって、共稼ぎに働いて、一日もはやく、遊女の群れに落ちている国助の妹とやらを救うてあげるのだ」
「きっと、働きます」初めて、和やかなものが、家のうちに盈ちた。範宴も、うれしく思った。夜も更けたほどに、人々は、空腹であった。炉に薪を加えて、萱乃は、粥などを煮はじめる。
話がつきないまま、人々は、明け方のわずかを、炉のそばに、まどろんだきりであった。
夜が明けると、
「では――機嫌よう、暮せよ」二人は旅の笠を持つ。
きのうとは、生れ代ったような萱乃と国助は、明るい顔して、途中まで見送ってきた。箭四郎も、従いてきた。
「もう、この辺で結構です。職人は、時間が金、きょうからは、約束したように、共稼ぎで働いてください」範宴は、そういって、宇治川の河原にたたずんだ。名残惜しげに、
「では、渡船場まで」と話しつつ、歩いてゆく。
「あれをごらんなさい」別れ際に、範宴は、悠久とながれている大河の姿を指さして、若い男女へいった。
「――天地の創造された始めから、水は、天地の終るまで、無窮の相をもって流れています。われわれ人間とてもその通り、人類生じて以来何万年、またこの後人類の終るまで何億万年かわからぬ。その、無窮にして無限の時の流れから見ると、人の一生などは、電光のような瞬間です。その瞬間に、こうして、同じ時代に生れ合ったというだけでも、実に奇しき縁と申さねばならぬ。いわんや、同じ国土に生れ、同じ日のもとに、知る辺となり、友となり、親となり、子となり、また、夫婦となるということは、よくよくふかい宿命です。……だのに、そのまたと、去っては会い難い機縁の者同士が、憎みあい、呪いあい、罵りあうなどということは、あまりにも、口惜しいことではないか。――見るがよい、こう話している間も、水は無窮に流れて、流れた水は、ふたたびこの宇治の山河に、会いはしない……」
「わかりました」若い夫婦は、しみじみと、範宴のことばを心に沁み入れてうなずいた。
渡船が出る。範宴は、性善坊と一緒に、舷へ立った。
狭霧が霽れてきた。箭四老人は、幾たびも、
「和子様――おからだをお大切に――ご修行を遊ばしませ」彼にはまだ、範宴が、昔の十八公麿のように稚く見えてならなかった。今も、和子様と、呼ぶのであった。
「爺も、無事に」と、範宴が答えると、
「おさらばでございます」萱乃と国助が、うるんだ眼をして、じっと見送る。
早瀬へ、渡船はかかっていた。下流へ下流へと、船脚はながされてゆく。箭四郎のすがたが、次第に小さくなった。若い男女のすがたに、朝の陽が、かがやいていた。
(あの夫婦に、永く、幸福のあるように)と範宴は、仏陀に祈った。
河原には、小禽が、いっぱいに啼いている。何ともいえない、清々しさが、皮膚から沁み入るように覚えた。
だが、範宴は、山を下りてから事ごとに何か考えさせられた。それは、
(学問のための学問ではだめだ)ということだった。
自分が、きょうまで、霧の中に、刻苦してきたことは、要するに、それである。人間を対象としない、古典との燃焼であった。いくら、研学に身を燃焼しても、それがただ、古典に通ずるだけのものであったら、意味はとぼしい。
生きた学問とはいえない。衆生に向って、心の燈火となる学問ではない。自分の胸に、明りを点けて、自分のみ明るしとする狭いものでしかない。
人間を知ろう。社会を知ろう。――それこそ生々しい大蔵の教典だ。それによってこそ、初めて、真の仏教がものをいう。
河内路の白い土を踏みながら、範宴は、そんなことを考えたりした。
(しかし? ……)とまた、惑いもするのだった。
(そういう考えは、まだ、生意気かもしれない。人生だの、社会だのというのは、そんな簡単なものではない。それに……まだ古典のほうだって、自分はまだ、ほんの九牛の一毛を、学んだばかりの黄口の青年ではないか。まず、しばらくは、無想と、無明の中に入って、専念、学ぶことが必要だ。――ただ専念に)と、行く手の法隆寺に、その希望をつなぎ、おのずから足に力が入るのを覚えつつ大和へ急いだ。
「はてな?」性善坊は、雑鬧する駅路の辻に立って、うろうろと、見まわしていた。
木津川を渡って直ぐの木津の宿であった。
源氏の府庁から布かれた大きな高札が立っている。
その官文の前にも、範宴は見えなかった。
汚い木賃宿だの、馬飼の馬小屋だの、その前に立って罵っている侍だの、川魚を桶にならべて売る女だの、雑多な旅人の群れだのが、秋の蠅と一緒になって騒いでいる。
「この、阿呆っ、高い所にのぼりたけれや、鴉になれっ」と、柿売りの男が、屋根の上にあがって遊んでいる子どもを、引きずり下ろして、往来の真ン中で、尻を、どやしつけていると、その子の女親が、裸足で駈けてきて、
「人の子を、何で、打ちくさるのじゃ」と柿売りの男を、横から突く。
「てめえの家の餓鬼か。この悪戯のために、雨漏りがして、どうもならぬゆえ、懲らしめてくれたのが、何とした」
「雨が漏るのは、古家のせいじゃ、自分の子を、打て」
「打ったが、悪いか」と、またなぐる。子どもは泣き喚く。
「女と思うて、馬鹿にしくさるか」と、子どもの母親は、柿売りに、むしゃぶりついた。
親同士の喧嘩になって、見物は蠅のようにたかってくるし、駅路の馬はいななくし、犬は吠えたてる。性善坊は、探しあぐねて、
「お師様あ」と呼んでみたが、そこらの家の中に、休んでいる様子もない。
木津の渡船で、すこし、うるさいことがあったので、宿の辻で待ちあわしているようにと、自分は、一足後から駈けつけてきたのであったが――。
ここに見えないとすると、もう奈良も近いので、あるいは、先へ気ままに歩いて、奈良の口で待っているおつもりか?
「そうかも知れない」性善坊は、先の道へ、眼をあげながら、急ぎ足になった。
その足もとが、鶏に蹴つまずいた。埃をあげて、鶏が、けたたましく、往来を横に飛ぶ。
宿場を出ると、やがて、相楽の並木からふくろ坂にかかった。その埃の白い草むらに、
さっきからその石碑のそばに、黙然と、笈ずるを下ろし、腰かけている山伏がある。
「……喉が渇いた」つぶやいて、辺りを見まわした。清水が欲しいらしいのであるが、水がないので、あきらめて、またむしゃむしゃと柏の葉でくるんだ飯を食べている。
その前を、性善坊が、急ぎ足に通ったので、山伏はふと顔を上げたが、はっと突き上げられたように立ち上がって、
「おいっ、おいっ」杖をつかんで、呼びとめた。
つい、行き過ぎると、山伏はふたたび、
「坊主、耳がないのか」性善坊は聞きとめて、
「何?」思わずむっとした顔いろをして振りかえった。
傲岸な態度をもって、自分へ、手をあげている山伏は、陽に焦けて色の黒い、二十七、八の男だった。
雨露に汚れた柿いろの篠懸を着て、金剛杖を立て、額に、例の兜巾とよぶものを当てていた。
「なにか御用か」性善坊がいうと、
「おお、用があればこそ、呼んだのだ」
「急ぎの折ゆえ、宗法のことならゆるされい」
「宗旨の議論をやろうというのじゃない。まあ、戻りたまえ」はなはだ迷惑に思ったが、由来、修験者と僧侶とは、同じ仏法というものの上に立ちながら、その姿がひどく相違しているように、気風もちがうし、礼儀もちがうし、経典の解釈も、修行の法も、まるで別ものになっているので、ことごとに反目して、僧は、修験者を邪道視し、修験者は僧を、仏陀を飯のためにする人間とみ、常に、仲がよくないのであった。
ことに、山伏の一派は、山法師のそれよりも、兇暴なのが多かった。また、社会から姿をくらます者にとって、都合のよい集団でもあったので、腰には、戒刀とよび、また降魔のつるぎとよぶ鋭利な一刀を横たえて、何ぞというと、それに物をいわそうとするような風もあるのである。
(からまれては、うるさい……)性善坊は、そう考えたので、面持ちを直して、
「では、御用のこと仰せられい」と、素直に彼の方へ、足をもどして行った。
山伏は、いい分が通ったことに優越感をもったらしく、
「うむ」とうなずいた。
そして、近づいた性善坊へ向って、横柄に、
「貴様、一人か」と訊いた。
「何のことじゃ、それは」
「わからぬ奴、一人旅かと、訊ねるのだ」
「連れがおる。その連れを見失うたので、急いで行くところじゃ。御用は、それだけか」
「待て待て。それだけのことで、呼びとめはせぬ。……では連れというのは、範宴少納言であろうが」
「どうして知っているのか」
「知らいでか。貴様も、うとい男だ。この朱王房の顔を忘れたか。俺は、叡山の土牢から逃亡した成田兵衛の子――寿童丸が成れの果て――今では修験者の播磨房弁海」
「あっ? ――」思わず跳びさがって、
「寿童めかッ」と性善坊は見直した。
山伏の弁海は、赤い口をあけて、げたげた笑った。
「奇遇、奇遇。……だが、ここに範宴のいないのは残念だ。範宴はどこにいるか」
弁海と名は変っても、腕白者はやはり腕白者、寿童丸といったころの面影が、今でも、彼の姿のどこかにはある。
「おい、範宴は、どこにいる? ……」と、重ねて訊く。
性善坊は、この男の眼に合うと何かしら、むかむかとしてならなかった。呪詛の火みたいに粘りこい眼である、また、いつでも、人を挑むような眼であった。
それに釣り込まれて、くわっと激したがる自分の血を、性善坊はおそれるのであった。
「存じませぬ」穏やかに顔を振ると、弁海は、ずかと一歩前へ迫ってきて、
「知らぬはずはあるまい。汝の師ではないか」
「でも、今日は、わたくし一人ですから」
「嘘をつけ。たった今、連れがあるので先を急いでゆくところだとその口でいったじゃないか。範宴は、俺の生涯の敵だ、久しぶりで、会ってやろう。案内せい」と、強迫する。
性善坊は、唇の隅に、哀れむような微笑をたたえた。
「寿童殿――いや弁海どの」
「なんじゃ」
「どうして、そのもとは、範宴様に、さような恨みをふくんでいるのか」
「今では、理由よりも、ただ生涯のうちに、あいつを、俺の足もとに跪ずかせてやれば、それでよい。それが、望みだ」
「ああ、お気の毒千万です。人を呪う者は、終生呪いの苦患から救われぬと申します」
「貴様も、いつの間にやら、坊主くさい文句を覚えたな。まあなんでもいい範宴のいる所へ、案内しろ」
「まず、断ります」
「なんだと」
「師の御房は、そのもとのような閑人と、争っている間はありません。一念ご修行の最中です。不肖ながら、私は、身をもって、邪魔者を防ぐ楯となる者です。用があるなら、私に、仰っしゃってください」
「生意気な」と弁海は、唾を横に吐いて、
「俺に、会わせんというのか」
「そうです」
「そんなに、弁海が怖いか。……いや怖かろう、あいつは、日野の学舎にいても、叡山にいても、師に取り入るのが巧く、長上に諂っては、出世したやつだ。俺に会うと、その偽面を剥がれるので嫌なのだろう、――しかし、俺は生涯に、きっと、範宴の小賢しい仮面を剥ぎ、あいつの上に出て、あいつを、大地に両手をつかせて見せると心に誓っている」
「その意気で、おん身も、勉強なされたがよい。孤雲どのは、お達者かの」
「そんなことは、問わいでもよいさ……範宴を出せ、いる所を教えろ、これ以上、口をきかせると、面倒だから、このほうでものをいわすぞ」
じりっと、左に腰をひねると、腰の戒刀が、鞘を脱して、性善坊の胸いたへ、その白い光が真っすぐに伸びてきた。
二十歳のころまでは太刀を帯びて侍奉公したこともある性善坊なので、刃を突きつけられたからといって、にわかに顔色を失うほどの臆病者ではなかった。
「貴様は、身をもって、範宴の楯になるといったな」
「はい」
「くだらぬ強がりはよせ。それよりは、俺に、範宴を会わせろ。……嫌か、嫌ならば、抜いた刀だ、ただは鞘にかえらぬが、覚悟か」
「…………」
「覚悟か、やい」ふた声目がかかると、弁海の手は、刃をさっとふりかぶって、睨めつけた。
風を割って、白い光が、相手のすがたを斜めにかけて走ったと思うと、小さい埃が上がって、性善坊のすがたは、彼方の草むらへ跳んでいた。
「弁海、さほど、自分の愚鈍が口惜しいならば、心を砥にかけて、勉学をし直してこい。そうして、一人前の人間になれたら、師の御房に会わせてやろうし、第一、そのほうも、救われるというものだ」そこから性善坊がいうと、
「なにをっ」柿色の篠懸を躍らして、
「野郎、うごくな」と弁海は、眼をいからせて、躍りかかってきた。
「あっ――」よろめくように、性善坊は逃げだした。
「待てっ」うしろから迫る怒号を耳にしながら、彼は、坂の上まで、息もつかずに出た。そこまで登るともう広やかなる耕地の彼方に、奈良の丘や、東大寺の塔の先や、紅葉した旧都の秋が、遥かに望まれてきたのであったが、ふと思うことには、万一このまま奈良の町へ入って、範宴が、そこに自分を待ってでもいたらはなはだまずいものになろうという懸念であった。
いったい、弁海と師の房とは、どういう宿縁なのか。師の房は、彼を憎んだことも、墜し入れたこともないのに、幼少から今日まで弁海が範宴を憎悪することはまるで仇敵のようである。
日野の学舎で、自分より小さい者に、学問や素行においても、絶えずおくれていたことが、幼少の魂に沁みて、口惜しくて、忘れられないのか。
糺の原で、他人を、野火に墜し入れようとした悪戯が、かえって、自分を焼く火となって手痛い目に会ったので、その遺恨が、今もって、消えないのか。
いや、なかなかそんなことではあるまい。要するに、成田兵衛という者の家庭は知らないが、家庭の罪に違いない。全盛の世には、思いあがらせて育て、没落する時には、ねじけ者に作ってしまったものだろう。そして、すべての逆境が、みな自分の罪とは思えず、他人のせいのように考える人間が、いつとはなく、今日の弁海になってきたのではあるまいか。
(こんな、ねじけ者に、範宴様を会わせて、怪我でもおさせ申したらつまらぬことだ。逃げるに如くはない)性善坊は、道を横に反らして、眼をつぶって、どこまでも逃げた。
どこで行きちがったのか、範宴は性善坊とはぐれて、奈良の杉林のあたりに、ただ一人でたたずんでいた。
そして町の方から来る人影を黄昏れのころまで克明に待ちつつ見まもっていたが、性善坊らしい者は見えなかった。
もうここまで来れば、行く先の法隆寺は近いし、先にそこへさえ行っていれば、後から彼の来ることはわかっているが、
「どうしたのか」と性善坊の身も案じられ、またせっかくの連れを捨てて、先へ行く気も出なかった。
幾百年も経たような杉の梢が、亭々と、宵の空をおおっていた。空は月の冴えに、黄昏れのころよりは澄明な浅黄いろに澄んでいて、樹蔭の暗い所と、月光で昼間のような所とが、くっきりと、縞や斑になっていた。
ほう、ほう、と鹿の啼く声がする――。それに気づいて眸をこらして見ると、牝鹿や牡鹿が、月の夜を戯れつつさまよっているのだった。範宴の腰をかけた杉の根のまわりにも、一、二疋寝そべっていて、彼が手を伸べると、人馴れた眸を向けて、体をそばへ摺り寄せてくる。
「おう」範宴は鹿の背を撫でながら膝へ抱きよせた。若い牝鹿の毛なみはつやつやとして、肌は温かだった。
「鹿は、餌に飢えているらしいが。……はて、何もやる物がない」と、範宴はつぶやいて、
「飢えているといえば、わしにも何か飢えが感じられる。食ではない。眠りでも、安逸でもない。……この飢えた気持は、母の肌を恋うような血しおの淋しさだ。たまたま、山を下りて、俗界の灯を見、世間の享楽をのぞいたので、若い血が、うずきたがるのだろう」
彼は牝鹿の体温をおそれるように、膝から突き退けようとした。けれど、鹿は動こうともしなかった。
思春期の若い鹿たちは、牝鹿の声にあやつられて、追いつ追われつ夜を忘れているのだった。範宴は、立ちあがって、もいちど、猿沢の池の方へ戻ってみた。
ここにはまた、町の男女が、月見にあるいていた。恋をささやきながら肩を並べて行く男女は、しょんぼりと、さまよっている範宴のすがたを振向いて、気の毒そうな眼を投げた。
彼らは今が幸福にちがいない。だが、やがて生活を蝕んでくる毒を呷っているに等しい。清浄身の沙門からみれば、むしろ、あわれなのはああした儚い夢の中に生きがいを焦心っている多くの男や女たちではあるまいか。
範宴は、そう考えて、むしろあわれと見て過ぎたが、しかし、なんとはなく自身の中に、自身をさびしがらせるものがあることは否めなかった。ただ、彼の理念と、修行とが、石のようにそれを冷たく抑えていて、うすく笑っておられるに過ぎないのである。
ばたばたと誰か駈けてくる跫音がして、
「お師さま!」と、呼んだ。
さがしあぐねていた性善坊の声なのであった。
範宴は性善坊をさがし、性善坊は範宴をさがして、半日を徒労に暮したが、それでもここで会えたことはまだ僥倖のように思えて、
「どうなさったかと思いました」と性善坊は、師の無事を見て、欣ぶのだった。
「そちこそ、木津で行きちがったにしても、余りに晩かったではないか」範宴にいわれて、性善坊は返辞に窮した。途中で、山伏の弁海に会い、執念深く追いかけられて、それを撒くためにさんざん道を迂回した事情を告げればいいことであるが、ああいう呪魔みたいな人間が師の房の影身につきまとっていることを、話したがいいか、話さないほうがいいかといえば、むろん聞いて愉快になるわけのものではなし、知らさずにおけるものなら、いわないに限ると、独りで決め込んでいたので、
「いえ、私もちと、どうかしておりました。木津の宿で、師の房に似たお方が、河内路へ曲がったと聞いたので、方角ちがいをしてしまったので」そんなふうに、あいまいに紛らして、さて、疲れてもいるが、月明を幸いに、これから二里とはない法隆寺のこと、夜をかけて、歩いてしまおうではないかとなった。
それから月の白い道を、露に濡れて、法隆寺の門に辿りついたのは、夜も更けたころで、境内の西園院の戸をたたき、そこに、何もかもそのままに一睡して、明る日、改めて、覚運僧都に対面した。
僧都には、あらかじめ、叡山から書状を出しておいたことだし、慈円僧正からも口添えがあったことなので、
「幾年でも、おるがよい」と覚運は、快く、留学をゆるしたうえで、
「しかし、わしもまだ、一介の学僧にすぎんのじゃから、果たして、範宴どのの求められるほどの蘊蓄がこちらにあるかないかは知らぬ」と謙遜した。
しかし、当代の碩学のうちで、華厳の真髄を体得している人といえば、この人の右に出ずるものはないということは、世の定評であり、慈円僧正も常にいわれているところである。範宴はなんとしても、この人の持っているすべてを自分に授け賜わらなければならないと思って、
「鈍物の性にござりますが、一心仏学によって生涯し、また、生きがいを見出したいと念じまする者、何とぞ、お鞭を加えて、御垂示をねがいまする」と、大床の板の間にひれ伏して、門に入るの礼を執った。
ふつうの学生たちとまじって、範宴は、朝は暗い内から夜まで、勤行に、労役に、勉学に、ほとんど寝る間もなく、肉体と精神をつかった。
「あれは、九歳で入壇して大戒を受けた叡山の範宴少納言だそうだ」と、学寮の同窓たちは、うすうす彼の生い立ちを知って、あまりな労働は課さなかったが、範宴は自分からすすんで、薪も割り、水も汲んで、ここ一年の余は、性善坊とも、まったく、べつべつに起居していた。
冬の朝など――まだ霜の白い地をふんで炊事場から三町もある法輪寺川へ、荷担に水桶を吊って水を汲みにゆく範宴のすがたが、よく河原に見えた。
すると、ある朝のこと、
「もしや、あなたは、範宴様ではございませんか」若い旅の娘が、そばへ来て訊ねた。
「はい、私はおたずねの範宴ですが……」答えながら、彼は、自分の前に立った娘に対して、どこかで見たような記憶をよび起したが、どこでとも、思い当らなかった。
(ああよかった)というように娘は安堵の色を見せ、同時にすこし羞恥いもしている容子。
年ごろは十七、八であろうか。しかし年よりはやや早熟た眸と、純な処女とも受けとれない肌や髪のにおいを持っている。それだけに、男には蠱惑で、面ざしだの姿だの、総体から見て、美人ということには、誰に見せても抗議はあるまいと思われるほどである。
「あの……実は……私は京都の粟田口の者でございますが」
「はあ」範宴は、水桶を下ろして、行きずりの旅の娘が、どうして、自分の名を知っているのかと、不審な顔をしていた。
「一昨年の秋でございましたか、鍛冶ヶ池のそばをお通りになった時、よそながら、お姿を見ておりました」
「ははあ……私をご存じですか」
「後で、あれが、肉親のお兄上様だと、朝麿様からうかがいましたので」
「え、弟から?」
「私は、あの時、朝麿様と一緒にいた梢という者でございますの。……父は、粟田口宗次といって、あの近くで、刀鍛冶を生業にしています」
「……そうですか」と、驚きの眼をみはりながら、範宴は、なにか弟の身にかかわることで、安からぬ予感がしきりと胸にさわいでくるのだった。
「梢どのと仰っしゃるか。――どこかで見たようなと思ったが」
「私も、一昨日から、法隆寺のまわりを歩いて、幾人も、同じお年ごろの学僧様が多いので、お探しするのに困りました。……というて、寺内へおたずねするのも悪いと思うて」
「なんぞ、この範宴に、御用があっておいでなされたのか」
「え……」梢は、足もとへ眼を落して、河原の冬草を、足の先でまさぐりながら、
「ご相談があるんですの」
「私に」
「あの……実は……」うす紅い血のいろが、耳の根から頬へのぼって、梢は、もじもじしていた。
「相談とは?」
「弟御さまと、私のことで」範宴は、どきっと、心臓に小石でも打つけられたような動悸をうけた。
「弟が、どうかしましたか」
「あの……みんな私が悪いんでございます……」範宴の足もとへ、泣きくずれて、梢は次のようなことを、断れ断れに訴えた。
朝麿と梢とは、ちょうど、同じ年の今年が十九であるが、二年ほど前から、恋に墜ちて、ゆく末を語らっていたが、それが、世間にも知れ、男女の家庭にも知れ、ついにきびしい監視の下に隔てられてしまったので、若い二人は、諜しあわせて、無断で家を脱け出してきたというのである。
「あの弟が」と範宴は、霜を踏んだまま、凍ったように、唇の色を失って、梢のいうのを聞いていた。
なお仔細に事情を訊くと、弟の朝麿は、梢と逃げてくる旅の途中風邪をこじらせて、食物もすすまぬようになり、この附近の木賃旅籠に寝こんでしまって、持ち合せの小遣いは失くなるし、途方にくれているところだというのである。
「では……弟はわしに会いたいというて、おもとを使いによこしたわけか」
「ええ……」梢は、打ち悄れたまま、
「いっそ、二人して死んでしまおうかと、何度も、刃物を手に取ってみましたが、やはり、死ぬこともできません」と、肩をふるわせて泣き入るのであった。
無考えな若い男女も、途方に暮れたことであろうが、より以上に困惑したのは範宴であった。
まず第一に思いやられるのは、髪をおろして、せっかく、老後の安住を得た養父の気持だった。次には、生来、腺病質でかぼそい体の弟が、旅先で、金もなく、落着くあてもなく、これも定めて悶えているだろう容子が眼に見える心地がする。病のほども、案じられる。
「どこですか、その旅籠は」
「ここから近い、小泉の宿端れでございます。経本を商ぐ家の隣で、軒端に、きちんと板札が、打ってあります」
「見らるる通り、わしは今、朝のお勤めをしている途中、これから勤行の座にすわり、寮の日課をすまさねば、自分の体にはなれぬのじゃ。……それを了えてから訪ねてゆくほどに、おもとは、弟の看護をして下さるように」
「では、来て下さいますか」梢は、ほっとした顔いろでいった。兄は、きっと怒るであろうと弟からいわれていたものとみえ、範宴の返辞を聞くと、迷路に一つの灯を見たように彼女はよろこんだ。
「参ります。何でまた、捨てておかれよう。きっと行くほどに、弟にも、心をつよく持てといってください」
「はい。……それだけでも、きっと、元気がつくでしょう」
「では……」と範宴は、学寮の朝の忙しさが思いだされて、急に、水桶を担いだした。
すべらぬように藁で縛ってある足の裏は、冷たいとも痛いとも感覚は失せているが、血がにじみ出していた。
真っ黒な天井の下に、三つの大きな土泥竈が並んでいた。その炊事場には、薪を割る者だの、襷がけで野菜を刻んでいるものだのが朝の一刻を、法師に似げない荒っぽい言葉や唄をうたい交わして働いていた。
範宴が、水桶を担って入ってきたのを見ると、泥竈のまえに、金火箸を持っていた学頭が、
「範宴っ、何をしとった?」と、焼けた金火箸を下げて、彼の方へ歩いてきた。
「どこまで、水を汲みに行ったのだ?」学頭は、睨みつけていった。
「はい」範宴が、詫びると、
「はいじゃない」と金火箸で、胸を突いて――
「貴公、この法隆寺へ、遊びにきたのか、修行にきたのか」
「…………」
「怠惰の性を、懲らしてやる」学頭は、金火箸をふりかぶって彼の肩を打ちすえた。
範宴は炊事場の濡れている土に膝も手もついて、
「わるうございました」
「不埒なっ」庖丁を持ったり、たすきを掛けたりした同僚たちが、がやがやと寄ってきて、
「俺たちが、働いているのに、怪しからん奴」と、一緒になって罵詈する学僧もあるし、
「荒仕事に馴れないから、無理もないよ」と庇う者もあった。
だが、庇う者のことばに対して学頭はよけいに呶鳴った。
「こんなことがなんで荒仕事か、僧院に住む以上、当りまえな勤めだ。叡山あたりでは、中間僧や、堂衆をこきつかって、据膳下げ膳で朝夕すんでいるか知らんが、当寺の学生寮では、そんな惰弱な生活はゆるさん。――また、貴族の子でも誰の子でも、身分などに、仮借もせんのだ。それが覚運僧都の仰せでもあり、法隆寺の掟でもあるのだぞ。よいかっ」
「はい」
「おぼえておけ」法衣の上は何ともなかったが、打たれた肩の皮膚がやぶれたのであろう。土についている手の甲へ、袖の奥から紅い血が蚯蚓のように走ってきた。
血を見て、学頭は、口をつぐんだ。範宴は桶の水を、大瓶にあけて、また、川の方へ水を汲みに行った。
もう、梢のすがたは見えなかった。白い枯野の朝靄から、鴉が立ってゆく。
「かるい容態ならよいが……」弟の病気が、しきりと、胸に不安を告げていた。――仏陀の加護を祈りながら、範宴は、同じ大地を、何度も踏みしめて通った。
半日の日課がすんで、やっと、自分の体になると、範宴は、性善坊にも告げず、法隆寺から一人で町の方へ出て行った。
小泉の宿には、この附近の寺院を相手に商いしている家々や、河内がよいの荷駄の馬方や、樵夫や、野武士などかなり聚合して軒をならべていた。
「あ……。ここか」範宴は、立ちどまって、薄暗い一軒のあばら屋をのぞきこんだ。大きな古笠が軒に掛けてあって、
「きちん」と書いてある。
何か、煮物をしていると見えて家の中は、榾火の煙がいっぱいだった。ぎゃあぎゃあと、嬰児の泣く声やら、亭主のどなる声やらして、どうして、それ以外の旅人を泊める席があるだろうかと疑われるような狭さであった。
とにかく、此宿には違いないので、範宴が門口に寄って尋ねると、
「ああ、病人の旅のもんならば、裏の離れにおるだあ。この露地から、裏へ廻らっしゃい」木賃の亭主が、煙っている家の中で呶鳴る。
「少々、その者に、会いとう存じますから、それでは、裏へ入らせていただきます」と範宴は、一応断って、教えられた裏の方へ廻ってみた。
百姓もするのであろう、木賃旅籠の裏には、牛なども繋いであるし、農具だの、筵だのが散らかっている。
亭主のいう離れとはどこかと見まわしていると、飼蚕小屋でも繕わしたのであろう、ひどい板小屋を二間に仕切って、その一方に、誰やら寝ている者がある。
(こんな所に寝ているのか)弟の境遇は、その板小屋を見ただけでわかった。旅の空に病んでいる気持、恋のために世間から追いつめられて、その恋をすら楽しめずに死を考えている気持――。まざまざと、眼に見せられて、彼は、胸が痛くなった。
驚かせてはならないと、しのび足に、板屋の口へ寄って、異臭のする薄暗い中を覗きながら、
「朝麿」と、呼んでみた。
すると、そこに見えた薄い蒲団を刎ねのけて、寝ていた者は、むっくりと、起き上がった。
「あ……これは」と範宴は、あわてて頭を下げて謝った。蒲団のうえに坐りこんで、こっちを見つめているのは、似ても似つかない男なのである。
年ごろ二十四、五歳の、色浅ぐろい苦み走った人物であった。鷹のように精悍な眼をして、起きるとたんに右の手には、枕元にあった革巻の野太刀を膝へよせていた。野武士の着るような獣皮の袖無しを着、飲みからしの酒壺が、隅の方に押しやってある。
「失礼いたしました。人違いをして、お寝みのところを」と詫び入ると、男は、
「なんだ、坊主か」と、口のうちでつぶやいて――
「誰をたずねてきたのだ」
「身寄りの者が、この木賃にわずろうていると聞きましたので」
「それじゃ、若い女を連れている小伜だろう」
「はい」
「隣だよ」無造作に、顎で板壁を指して、男はまた、蒲団をかぶって、ごろりと横になってしまう。
「ありがとうございました」すぐ足を移して、隣を見ると、そこには、破れた紙ぶすまが閉めてある。
「ごめん……」と今度は念を入れて、範宴は小声におとずれた。
けさ、法輪寺川のほとりで会った梢が、声をきくとすぐそこを開けて、
「お兄さんが見えましたよ」と、病人の枕へ、顔をよせて告げた。
「えっ……兄君が」待ちかねていたのであろう。朝麿は聞くや否や、あわてて褥の外へ這いだした。
「朝麿、そのままにしていなさい、寒い風に、あたらぬように」
「兄君っ……」涙でいっぱいになった弟の眼を見ると、範宴も、熱いものが瞼を突いてくるのを覚えた。
「め……めんぼく次第もございません……。こ、こんなところで」
「まあよい。さ……梢どの、衾のうちへ、病人を」寝るようにすすめたが、朝麿は、兄のまえにひれ伏したまま、ただ泣き濡れているのであった。範宴は、手をとって、
「何年であったか、おもとと、鍛冶ヶ池のそばで会った時に、わしは、およそのことを察していた。今日のことがなければよいがと案じていました」
「すみませぬ」
「今さら、どういうたとて、及ばぬことだ。――それよりは、体が大切、また後々の思案が大事。とにかく、衾のうえにいるがよい、ゆるりと話そう」無理に、蒲団の中へもどして、弟にも梢にも、元気がつくように努めて微笑をもちながら先行きの覚悟のほどを聞いてみると、もちろん、恋し合ってここまで来た若い二人は、死ぬまでも、別れる気もちはないというし、またふたたび、親たちのいる都へ帰る気もないという。
そして絶えず、死への誘惑に迷っている影が、朝麿にも、梢にも、見えるのだった。
範宴は、そのあぶない瀬戸ぎわにある二人の心を見ぬいて当惑した。沙門の身でなければ、当座の思案だけでもあるのであったが、きびしい山門のうちへ二人を連れてゆくわけにはゆかないし、このまま、この風の洩れる汚い板屋に寝かせておけば、弟の病勢がつのるのは眼にみえているし、その病気と、心の病気とは、何時、死を甘い夢のように追って、敢ない悔いを後に噛むことに立ちいたるかもわからない。
すると、外に、その時跫音がしてきた。ここの木賃の亭主であった。無遠慮に入口を開けて、
「沙門さん、おめえは、法隆寺で勉強している学生かい?」と訊くのであった。範宴は、自分の顔を見て問われたので、
「さようでございます」と答えると、亭主は、
「そして、この病人の兄弟ということだが、ほんとかね」
「はい」
「じゃあ、木賃の代だの、薬代だの、病人の借財は、もちろん、おぬしが払ってくれるだろうな」答えぬうちに、亭主は、ふところから書きつけたものを出して、範宴の前へ置くのであった。
もとより金などは持ちあわせていないけれど、弟の借財があるというならば、性善坊に相談したうえで、どうにでもしなければなるまいと、四、五日の猶予を頼むと、亭主は首を振って、
「ふざけては困る」頑然と、怒った。
「そう幾日も幾日も、病人などを置いておかれるか。毎晩、ほかの泊り客もあるのに、それを断っていては、おいらの嬶や餓鬼が干ぼしになるわい」
「迷惑でございましょう」
「大迷惑じゃ。とうに、追ん出したいのは山々だったが、薬代のたてかえもあるで、法隆寺に身寄りがいるという言い訳をあてにして、おぬしの来るのを待っていたのじゃ、持ち物なり、衣類なり、抵当において、すぐ連れて行ってくれい」
「ごもっともです。けれど、永いご猶予はおねがいしませぬゆえ――」
「…………」
「両、三日でも」
「ばかをぬかせ。病人なればこそ、きょうまででも、こらえていたのじゃ」
「私は、僧門の身、この病人と女子を、山門へ連れもどるわけには参りませぬ」
「――だから、知らぬというのか、借りをふみ倒す気か」
「決して」
「ならば、その法衣を脱いで出せ、女の帯を貰おう、いや、そんなことじゃまだ足りんわ、そうだ、よい数珠を持っておるな、水晶じゃろう、それもよこせ」
すると――いつのまにやら彼の後ろから入ってきて、のっそりと突っ立っていた隣の野武士ていの若い男が、左手に提げている革巻の刀の鞘で、わめいている亭主の横顔を、がつんと撲った。
「あっ、痛っ」顔を抑えて振りかえった亭主は、そこに立っている野武士の顔を仰いで、
「おぬしは、隣に泊っているお客じゃないか」
「さよう」
「なにをさらすのじゃ、なんでわしを、撲ったか」
「やかましい」野武士ていの男は、逞しい腕を亭主の襟がみへ伸ばしたかと思うと、蝗でも抓んで捨てるように、
「おととい来い」吊り上げて、その弱腰を蹴とばした。
「わっ」亭主は、外へもんどり打って、霜解けのぬかるみへ突っ込んだ泥の手で、
「おれを。……畜生っ、おれをよくも」むしゃぶりついてくる手を払って、野武士ていの男は、その鷹のように底光りのする眼でつよく睨みつけた。
「さっきから隣でだまって聞いていれば、慈悲も情けもない云い草、もういっぺん吐ざいてみろ」
「貸しを取るのが、なぜわるい。おれたちに、飢え死にしろというのかい」
「だまれ、誰が、汝らの貸しを倒すといったか。さもしい奴だ、それっ、俺が立て替えておいてやるから持ってゆけ。その代りに、病人のほうも、俺のほうも、客らしく鄭重にあつかわないと承知せぬぞ。……何をふるえているのだ、手を出せ」と野武士ていの男は、ふところから金入れを出して、まだ疑っている亭主の目先へ、金をつきつけた。
金を見ると木賃の亭主は、平蜘蛛のように謝り入って、それからは手のひらを返すように、頼みもしない薪を持ってきたり、粥を煮ようの、薬はあるかのと、うるさいほど、親切の安売りをする。
「……現金な奴だ」野武士ていの男は苦笑しながら梢にむかって、
「お女房。ご病人のようすはどうだな、すこしはいいか」
「いつも、ありがとうございまする、おかげ様で、きょうあたりは……」梢は、範宴にむかって、
「お兄さま。この隣のお方には、毎日何くれとなくお世話になっております。お礼を申しあげて下さいませ」といった。
範宴はそういわれぬうちから、なんと礼をいったらよいかと、胸のうちでいっぱいに感謝しているのだった。
世には奇特な人もある、弱肉強食の巷とばかり世間を見るのは偏見であって、こういう隣人があればこそ、修羅火宅のなかにも楽土がある。あえぐことのみ多い生活のうちにも清泉に息づく思いができるというものであろう。
かかる人こそ、仏心を意識しないで仏心を権化している奇特人というべきである。何を職業としている者かありがたい存在といわねばならぬ。
範宴は、両手をつかえて、真ごころから礼を述べ、立て替えてくれた金子は、沙門の身ゆえ、すぐには調達はできないが、両三日うちには必ず持ってきて返済するというと、男は磊落に笑って、
「そんな義理がたいことには及ばないさ。奈良の茶屋町で、一晩遊べば、あれくらいな金はすぐにけし飛んでしまう。お坊さんへ、喜捨いたしますよ。はははは」
「それでは余り恐れいります。失礼ですが、ご尊名は」
「名まえかい。――名をいうほどな人間でもないが、これでも、先祖は伊豆の一族。今では浪人をしているので、生国の名をとって、天城四郎とよんでいる田舎武士だよ」
「では、旅先のお体でございますか。さすればなおのこと、路銀のうちを私どもの難儀のためにお割きくだされては、ご不自由でございましょうに」
「なんの、長者ほどはないが、路銀ぐらいに、不自由はしない。くれぐれも、心配しなさるな。そう案じてくれては、せっかくのこっちの好意がかえって無になる。……ああ思わず邪魔をした。どれ、自分の塒に入ろうか」そういうと、男は隣の間に入って、ふたたび顔を見せもしない。
やがて、黄昏れの寒鴉の声を聞きながら、範宴も、法隆寺へ帰って行った。そして、山門の外から本堂の御扉を拝して、弟のために、祈念をこらした。
その夜――凍りつく筆毛を走らせて、彼は、粟田口の草庵にいる養父の範綱――今ではその俗名を捨てて観真とよぶ養父へ宛てて、書くにも辛い手紙を書き、あくる朝、駅使にたのんで京へ出しておいた。
食物だの、衣服だの、また心づいた薬などの手に入るたびに、性善坊は、範宴の旨をうけて、町の木賃へ運んで行った。
「きょうは、たいへんお元気でございました。あのご容子ならば、もう明日あたりは、お床を上げられましょう」きょうも、町から戻ってきた性善坊が、彼の部屋へ来て告げた。
範宴の眉は、幾分か、明るくなって、
「――そうか。それではまず、弟の病気のほうは、一安心だが……」
「後が、もう一苦労でございますな」
「あの女子との問題はどうしたものか。……もう養父上から、誰か迎えの者が来るころだが」
「観真様にも、さだめし、御心痛でございましょうに」
「それをいうてくれるな、わしたち兄弟は、生みの母君もともに、今の養父にひきとられて、乱世の中を、また貧困の中を、どれほど、ご苦労ばかりおかけ申してきたことか。……思うても胸がいとうなる」
「ぜひないことでございまする……」
「やや世の中がしずまって、養父も、頭を落し、せめて老後の月日をわずらいなく自適していらっしゃると思えばまたもこうしたことが起きてくる。……朝麿の罪ばかりは責められぬ、この範宴とても、いつ、養父にご安心をおさせ申したか。わしも、もっと励まねばならぬ。弟は病身じゃ、せめてわしだけでも、養父上の長いご苦労に酬わねばならぬ。それが、亡き母君への唯一のお手向けではあるまいか」性善坊は、胸がいっぱいになって、何もいえなくなった。範宴の肉体に赫々と燃えている火のような希望も頼もしく思いながらも、目前の当惑には、つい弱いが嘆息が出てしまうのであった。
「範宴どの。――都から早文が着いておるぞ。寮の執務所まで、取りにおいでなさい」庭先で、誰かいった。
さては――と範宴はすぐ書面を取ってきて、封を切った。待ちわびていた養父からの返事である。返書が来たところをみると、若い二人を迎える使いはよこさないものとみえる。養父はどう考えているのだろうか、どう処置をせよと仰っしゃるのだろうか。
読みくだしてゆくうちに、彼は養父の筆のあとに、養父の顔つきだの心だのがなまなまと眼にみえた。親子の恩愛というものが、惻々と胸をうってくる。
しかし養父が書中にいっている要点は、その慈愛とは反対に次のような厳格な意見であった。
(女子の親とも相談したが、言語にたえた不所存者である。家を捨てて出た以上、かまいつけることはないと決めた。おもとも、不埒な駈落ち者などに関っておらずに、専心勉学をされたがよい。当人たちが困ろうと、飢えようと自業自得であり、むしろ生きた学問となろう。親のことばより実際の社会から少し学ばせたほうが慈悲というものだ。迎えの使いなどは断じて出さぬ)というのである。
手紙の一字一字が養父の顔つきであり声であるように範宴には感じられた。慈愛をかくして峻烈に不肖の子を叱りながらもどこやらに惻々と悩んでいる厳父のこころが傷ましい強さで、(かまいつけるな)といってある。
しかし、手紙の養父のことばを、そのままに解して、自分までが厳格な態度をとったら、弟は、どこへ行くのだろうと思った。おそらく、死を選ぶほかに彼の道はないのではないかと考えた。
性善坊が案じるのもそれだった。恋というものは熱病のようなものである。健康な人間が、自分の健康な気もちを標準にして荒療治をしようとすると、若気な男女は、春をいそぐ花のように、夢を追って身を散らしてしまうことをなんの惜しみともしないものである。その弱い木を揺りうごかして、傍から花の散るのを急がすような心ない処置をとっては、なんにもならない。――ましてや人間の苦患に対しては絶対な慈悲をもって接しなければならない。仏の御弟子である以上はなおさらのことである。
「どうしたらよいか」範宴は、その夜、眠らずに考えた。
しかし、よい解決は見つからなかった。それは、範宴自身が、仏の御弟子であり、きびしい山門の学生であるから、おのずから法城の道徳だの、行動の自由にしばられて考えるからであった。ふと、彼は、
(もし、ここに、兄弟の母がまだ生きておいでになったら、どうなさるだろうか)と考えた。
するとすぐ、範宴も、決心がついたのであった。
(――自分が母にかわればよい)ということであった。
何といっても、朝麿も自分も、幼少に母を亡っているので、母のあまい愛に飢えていることは事実である。――何ものよりも高い養父の御恩は御恩としても、男性の親にはない母性の肌や、あまえたいものや、おろかなほど優しい愛撫だのに――飢えていたことは事実であろう。
自分にすらそれを時折は感じるのであるから、あの病身な、気の弱い弟は、なおさらであるにちがいない。
そういう永年のさびしさが、青春の処女と、燃えついたのは、人間の生理や心理からいえば、当然である。けれど、人間の作った社会の道徳から、見る時には、ゆるしがたい不良児の行為として、肉親からも社会からも追われるのが当然であって、誰をうらむこともない。
もしも今なお世に在すものとすれば、こんな時こそ、母性は身をもっても、この不良の児を救うにちがいない。あらゆるものを敵としても、母は、敢然と子のために戦うにちがいないのだ。
範宴は、朝になってから、もいちど胸のうちでつぶやいた。
「――そうだ、わしは、母になって、母がいてなさるように、弟の苦境を考え、弟と共に考えてやればよい!」
いつものように、学生たちへ、華厳法相の講義をすまして、法隆寺の覚運が、橋廊下をもどってくると、
「僧都さま」と、いう声が足もとで聞えた。
覚運は、橋廊下から地上へ、そこに、手をついている範宴のすがたへ、じろりと眼を落して、
「――何じゃ」
「おねがいがございまして」と、範宴は顔を上げた。
そして、覚運が眸でうなずいたのを見て、十日ほどの暇をいただいて京都へ行ってきたいという願いを申し出ると、覚運は、
「観真どのでもご病気か」と、たずねた。
「いえ、弟のことについて」範宴は、そういう俗事に囚われていることを、僧都から叱咤されはしないかと、おそれながらいうと、
「行ってくるがよい」と案外な許しであった。
そればかりでなく、覚運はまたこういった。
「おん身が、ここへ参られてからはや一年の余にもなる。わしの持っている華厳の真髄は、すでに、あらましおん身に講じもし、また、おん身はそれを味得せられたと思う。このうえの学問は一に自己の発明にある。ちょうど、よい機でもある。都へ上られたならば、慈円僧正にもそう申されて、次の修行の道を計られたがよかろう」
そういわれると、範宴はなお去り難い気もちがして、なおもう一年もとどまって研学したいといったが、僧都は、
「いやこれ以上、法隆寺に留学する必要はない」といった。
計らぬ時に、覚運との別れも来たのである。範宴は、あつく礼をのべて引き退がった。性善坊にも告げ、学寮の人々にもそのよしを告げて、翌る日、山門を出た。同寮の学生たちは、
「おさらば」
「元気でやり給え」
「ご精進を祈るぞ」などと、口では祝福して、見送ったが、心のうちでは、
(ここの烈しい苦学に参ってしまって、とうとう、僧都にお暇をねがい出たのだろう)と、わらっていた。
範宴は、一年余の学窓にわかれて、山門を数歩出ると、
(まだなにか残してきたような気がしてならぬ)と、振りかえった。そして、
(これでいいのか)と自分の研鑽を疑った。なんとなく、自信がなかった。
そして、朝夕に艱苦を汲んだ法輪寺川ともわかれて、小泉の宿場町にはいると、すぐ、頭のうちは弟のことでいっぱいになっていた。
朝麿は、見ちがえるほど恢復して、病床を離れていた。
兄と、性善坊とが、旅装いをして、ふいに訪ねてきたので、彼は梢とともに、驚きの眼をみはって、
「どこへお旅立ちですか」と、もう淋しげな顔をした。性善坊が、
「いや、お師様には、もはや華厳をご卒業あそばしたので、南都にとどまることはないと、法隆寺の僧都様からゆるしが出たために、お別れを告げてきたのです」と話すと、朝麿は、
「では、叡山へ、お帰りですか」と、なお心細げにいうのであった。
「されば……帰ろうと思う」範宴はそういって、
「ついては、おもとも京都へ共に帰らぬか」
「…………」
「わしが一緒に行ってあげよう。そして、ともどもに、養父上へお詫びをするが子の道ではないか」
「兄上。ご心配をかけて、なんともおそれ入りまする。けれど、今さら養父の家へは帰れません」
「なぜ」
「……お察しくださいまし……どの顔をさげて」
「そのために、兄がついて行くではないか。何事も、まかせておきなさい」
そばで聞いていた梢は、不安な顔をして、朝麿がそこを立つと、寝小屋の裏へ連れて行って、
「あなたは、帰る気ですか」と男を責めていた。
「――わたしは嫌です、死んだって嫌ですよ。あなたの兄様は、きっと、お父さんのいいつけをうけて、私たちを、うまく京都へ連れ帰ってこいといわれているに違いありません」女には、いわれるし、兄には叛けない気がして、朝麿は、板ばさみになって当惑そうに俯つ向いていた。
すると、性善坊が様子を見にきて、
「梢どの、それは、あなたの邪推です。お師様には、決して、お二人の心を無視して、ただ生木を裂くようなことをなさろうというのではなく、あなたの父上にも、朝麿様の養父君にも、子としての道へもどって、罪は詫び、希望は、おすがり申そうというお考えなのです」諄々と、説いてきかせると、梢もやっと得心したので、にわかに、京へ立つことになった。
ところで、このあいだ宿の借財をたて替えてくれた親切な相客の浪人にも一言、礼をのべて行きたいがと、隣の寝小屋をさしのぞくと、誰も人気はない。亭主にきくと、
「はい、今朝ほどはやく、お立ちになりました。皆さまへ、よろしくといい残して――」
「や。もうお立ちになったのか。……今日は、改めてお礼を申しあげようと思うていたのに……。済まぬことであった」
範宴は、胸に借物でも残されたように、自分の怠りが悔いられた。
若い男女は、先にあゆみ、範宴と性善坊とは、ずっと離れてあるいた。
冬の日ではあるが、陽がぽかぽかと枯れ草に蒸れて、山蔭は、暖かだった。
「――幸福にさせたい」範宴は、先にゆく、弟と弟の愛人のうしろ姿を見て、心から、いっぱいに思った。
「のう、性善坊」
「はい」
「粟田口の養父上にお会いしたらそちも共に、おすがり申してくれ」
「はい」
「万一、どうしても、お聞き入れがなかったら青蓮院の師の君におすがりしてもと、わしは思う……。あの幸福そうなすがたを見い、あの二人は、世間も何もわすれている、ただ青春をたのしんでいる姿じゃ」
黄昏れになった。
女連れでもあるし、夜になるとめっきり寒いので、泊りを求めたが、狛田の部落を先刻すぎたので富野の荘までたどらなければ、家らしいものはない。
だが、そこも今のぼっている丘を一つ越えれば、もう西の麓には、木賃もあろうし、農家もあろうと思われる。丘の上に立つと、
「おお……」と、範宴は笠をあげた。
河内平のあちこちの野で、野焼きをしている火がひろい闇の中に美しく見えたからである。
平野の闇を焼いてゆく野火のひかりはなんとなく彼の若い心にも燃え移ってくるような気がした。
範宴は自分の行く末を照らす法の火のようにそれを見ていた。彼の頬の隈が、赤くなすられていた。黙然と、火に対して、祈祷と誓いをむすんでいた。すると――
「いや、弟御様は」と、性善坊があわてだした。
「先へ行ったのであろう」
「そうかも知れません」足を早めかけると、どこかで、ひいっッ――という少女の悲鳴がきこえた。
耳のせいではなかった。たしかに、梢の声なのである。そこはもう下りにかかった勾配で、真っ暗な道が、のぞきおろしに、雑木ばやしの崖へとなだれこんでいた。
「――誰か来てえッ……」ふた声めが、帛を裂くように、二人の耳を打った。
それにしても、朝麿の声はしないし、いったい、どうしたというのだろうか?
「あっ、お師さま」先へ駈けだした性善坊は、何ものかにつまずいたらしく、坂道に、もんどり打っていた。範宴も、駈けつづいて、
「どうしたのじゃ」
「朝麿様が、そこに」
「えっ、弟が」びっくりして、地上をすかしてみると、たしかに人らしいものが、顔を横にして、仆れていた。
その時から、原のあなたで、女の泣きさけぶ声がして、範宴と性善坊の耳のそばを糸のように流れた。
「やあっ、あの声は梢ではないか」ここには、朝麿が、なに者かにふいに棒かなんぞでうちたたかれたように気を失っているし、あなたには、けたたましく救いを呼ぶ梢の声がきこえるし、事態はただごととは思われない。兄に抱き起されて、気がつくと、朝麿は、
「梢が――梢が――」と、必死になって、道もない萱原の中へまろび入った。
遠い野火の炎が、雨もよいの、ひくい雲を紅くなすっていた。
火光に透いて、萱原の中に駈けおどって行く、十名ほどの人影が黒く見える。
「梢――」朝麿が、さけぶと、なにか罵る声が激しく聞えて、彼はまたそこで、中の一人の一撃にあってよろめいた。
性善坊と範宴は、朝麿の身を案じながら、すぐその後に駈けつけていた。
まぢかに迫ったとき、二人の瞳があざやかに見た十名ほどの人影は、うたがうまでもなく、人里といわず、山野といわず、野獣のように跳梁する野盗の群れにちがいない。
それはいいが、中に、たしかに、目立って屈強な男が、梢のからだを横向きに抱いていた。範宴は、
「やっ、あなたは、小泉の宿でお会い申した、天城四郎殿ではありませんか」いうと四郎は、からからと四辺へ響くような声で笑った。
「そうだ、この女は小泉の木賃に宿り合わせたときから、それと言い交わした約束があるので、もらってゆく、天城四郎とは偽り、天城四郎とも、木賊四郎ともいう盗賊だ。異存があるなら、なんなりとそこでほざいて見るがいい」範宴は、この怖ろしい魔人の声を聞くと、世の中のすべてが、暗澹とわからないものになってしまった。つい、今がいままで、世にも奇特な人として、胸のうちに、あの時の感謝を忘れなかった、その人物が、仮面を剥いで、そういうのであるだけに、唖然として、しばらくはいいかえすべき言葉もない。
「ははあ……。それではあなたは、真面目な職業のお方ではなく、天城の住人で、木賊四郎と呼ぶ野盗の頭であったのですか。――けれど、そういわれても、私にはまだ信じられません」範宴がいうと、四郎は、
「なにが信じられねえと?」聞き咎めて、兇悪な眼で睨みつけた。
「――さればです。いつぞや、小泉の宿で、私や弟の難儀な場合をああして救って下された時のありがたいあなたの姿が、今もって、私の瞼から消え去らないのでございます。どうあっても、あなたは善根の隣人に思われて、さような、魔界に棲む人とは、考えても考えられないのでございます」
「馬鹿者!」四郎は、歯ぐきを剥きだして、嘲笑いながら、
「あれは悪事をする者の資本も同じで、悪党の詐術というもの。俺という人間は、善根どころか、悪根ばかりこの社会に植え歩いている、魔界の頭領なのだ。またこの先、こんな策に乗らねえように、よく面をおぼえておけ」範宴の身をかばいながら、杖を横に構えていた性善坊は、たまりかねて、
「おのれが、人をあざむき世を毒す食わせ者であることはもう分った。多言をつがえる要はない。ただ、その女子をおいて、どこなと立ち去るがいい」
「ふざけたことを申すな。この美貌の女子を手に入れるために、俺は、二十日あまりの日を費やし、旅籠料やら何やらと、沢山な資本もかけたのだ。これからは、しばらく自分の持ち物として楽しんだうえで港の遊女へ売るなり、陸奥の人買いに値をよく渡すなりして資本をとらなけれやあならない。なんで貴様などに、返していいものか」
「渡さぬとあれば――」
「どうする気だっ、坊主」
「こうしてやる」性善坊が、振り込む杖を、天城四郎は、かろく身をひらいて右手につかみながら、
「汝ら、下手なまねをすると、地獄へ遍路に行かせるぞよ」
「だまれっ」杖を、奪いあいながら、性善坊は、全身を瘤のようにして、怒った。
「われらを、ただの僧侶と思うとちがうぞ。これにおわすおん方こそ、六条の三位範綱朝臣の御猶子少納言範宴様。また、自分とてもむかしは、打物とった武家の果てじゃ」
「はははは。それほど、腕立てがしたいならば、四郎の手下にも、ずいぶん、血を見ることの好きなのが大勢いるから、まず、そこいらの男どもと、噛み合ってみるがいい。――おいっ」と、後は後ろにいる八、九名の手下をかえりみて、
「この二人の坊主を、どこかその辺の木へ、裸にして、縛り付けてしまえ」と、いいつけた。
それまで唖のように眼を光らしていた男たちは、おおという声とともに、兇悪な餓狼となって、範宴と性善坊を輪のなかにつつみ、八方から、躍りかかった。
範宴が、止めるのもきかず、衆に向ってかかったので、性善坊は、さんざんに打ちのめされてしまった。
そして、ほとんど半死半生のすがたになった彼を、萱原の枯れ木の幹に賊たちは縛りつけて、やがて、範宴の身も、朝麿の身も、同様に、うしろ手に縛しめて、
「ざまあみろ、いらざる腕立てをしやがって」と、凱歌をあげた。
そして、野盗の手下は、当然の労銀を求めるように、性善坊のふところから、路銀を奪い取って、
「生命だけは、お慈悲に、助けてやる」といった。
性善坊は、そんな目にあっても、まだ、賊に向って罵ることばをやめなかった。
「悪魔どもめ! 汝らは、他人の財物をうばい、他人を苦しめて、それで自分が利を得たとか、勝ったとか思うていると大間違いだぞ。そうやって、横手を打っていられるが、それらの罪業はみな、自分に回ってくるものなのだ。おのれの天禄をおのれで奪い、おのれの肉身をおのれで苦患へ追いやっているのだ。今にみろ、汝らのまえには、針の山、血の池が待っているだろう」
「あははは」野盗の手下たちは、放下師の道化ばなしでも聞くように、おもしろがった。
「この坊主め、おれたちに向って、子どもだましの説法していくさる。地獄があるなら、見物に行ってみたいくらいなものだ」一人がいうと、また一人が、
「地獄というのは、今のてめえの身の上だ。いい加減な戯言ばかりいって、愚民をだましてきた罪で、坊主はみんな、地獄に落ちるものと相場がきまっているらしい」悪口雑言を吐いて、
「お頭、行きましょうか」と、天城四郎をうながした。四郎は、梢の手をひいて、
「俺は、この女と一緒に、しばらく、都の方へ行き、半年ほど町屋住いをするつもりだ。てめえたちは、勝手に、どこへでも散らかるがいい」と、いま、性善坊のふところから奪った金に、自分の持ち合せの金を、手下たちに分配して、すたすたと、先に立ち去ってしまった。
もう反抗する力を失ってしまったのか、梢は、四郎の小脇に、片方の腕をかかえ込まれたまま、彼の赴く方へ、羊のように、従いてゆくのだった。
「あばよ」賊の乾分たちは、そういって、性善坊や朝麿の口惜しげな顔を、揶揄しながら、夜鴉のように、おのおの、思い思いの方角へ、散り失せてしまった。
範宴は、木の幹に、縛られたまま、耳に声をきかず、口に怒りを出さず、胸にはただ仏陀の御名だけをとなえて、じっと、眼をつむっていた。
夜半の霜がまっ白に野へ下りて月が一つ、さむ風の空に吹き研がれていた。
しゅくっ……と朝麿の泣く声だけが、ときどき、性善坊の耳のそばでした。
暁に近くなると、大地は霜の針を植えならべ、樹々の枝には、氷柱の剣が下がり、八寒の地獄もかくやと思うばかり、冷たい風が、手脚の先を凍らせてくる。
肉体の知覚がなくなると、範宴は自分の肉体のうちに、冬の月のような冴えた魂が無想の光にかがやいているのを見いだして、
(ありがたや、自分のような穢身のうちにも、弥陀如来が棲みてお在す)と思った。
わが身を、かくまで尊いものに感じたのは、今夜が、初めてであった。天城四郎が、八寒地獄の氷柱の樹にこうして、自分たちを縛しめてくれたお蔭である。
範宴は、彼をうらむ気にはなれなかった。彼を救うことのできない自分の無力さの方が遥かにうらみといえばうらみであった。
なおのこと、肉親の弟をすら救うてやることのできない自分が口惜しい。
叡山に苦行し、南都に学び、あらゆる研鑽にうきみを窶していたところで、それが単なる自分の栄達だけにすぎないならば、なんの意義があるのであろう。学問のための学問や栄達のための修行ならば、あえて僧籍に身をおいて、不自然な戒律だの法規だのにしばられずに、黄金を蓄えても同じである。武士となって、野望のつるぎを風雲に賭しても目的はとげられるのだ。けれど仏徒の大願というものは、そんな小我を目的とするものではないはずである。衆生の救船ともなり、人生を遍照する月ともならなければならない。飄々と、雲水にあそび、悠々と春日をたのしむ隠遁僧のような境界を自分はのぞんでいるのではなかった。この骨肉争闘の世をながめていても立ってもいられない心地がするのだ。身をもって、この悪濁の世にうめいている人々を両の手に、しっかとかかえ入れてやりたいという気持にすらなって、そのたくましい広大な自分をつくり上げたいがために、かく学び、かく苦しみ、かく悶えているのではないか。
その大願にもえている身にとっては、ひとりの野盗に対して怒る気も出ないかわりに、ひとりの弟をすら救えない自分を、範宴は、慟哭して嘆かずにいられなかった。
けれど、さらに深く考えてみると、弟はおろか、わが身というものさえ、まだ自分で解決もできていなければ、救えてもいないのである。
(なんで、人の身をや)と範宴は、痛切に今思うのだった。
自分をすら解決し得ない自分に、自分以外の人間の解決ができうるはずはない。その根本は、学問も思念も、すべてが、到らないためだというほかはない。こういう悩みをすることすら、僭越なのかも知れぬ。何よりもまず自身の解決からしとげなければならぬ。――栄達や功名の小我のためでなく、濁海の救船となって彼岸の大願へ棹さすために。
「おや、坊さんが、縛られてるぜ……」
「やれやれ、追剥にでも会ったのか、かわいそうに」夜はいつか明けて、範宴のまわりにも、性善坊や朝麿のそばにも、旅人だの馬子だのが、取り巻いていた。
すると、旅人の群れのうちから、
「おお、おお」一人の老婆が、同情の声をあげて、そこらに立っている往来の者たちに、
「おまえ方は、なんで手をつかねて、見物していなさるのじゃ。人の災難がおもしろいのか」と、叱りつけた。
そして、すぐ自分は、範宴のそばへ寄って、
「この辺は、野伏りが多いから、悪いやつに遭いなされたのじゃろう。オオ、オオ、体も氷のように冷とうなって、さだめし、お辛いことでござったろうに」老婆の行動に刺戟されて、それまで憚っていた往来の者が、われもわれもと、寄りたかって、性善坊の縄を解いたり、朝麿をいたわったりして、ある者はまた、
「わしの家は、この丘のすぐ下じゃ。火でも焚いて、粥でも進ぜるほどに、一伴にござれ」と、いいだした。
馬を曳いている馬子はまた、
「駄賃はいらぬほどに、そこまで乗って行かっしゃれ」と、朝麿へすすめて歩きだした。
「路銀を奪られなすったろう。これはすくないが」と、金をつつんで喜捨する人々もある。
天城四郎のことばを聞けば、この社会ほど恐ろしい仮面につつまれているものはないと思えるし、こうして、うるわしい人情の人々にあえば、この世ほど温かい人情の浄土はないと思われもする。
三名は、麓の農家で、充分に体をあたため、飢えをしのぎ、あつく礼をのべて、やがて昨日とかわらぬ冬の日の温かい街道へ立ち出でた。
河内ざかいの竜田街道の岐れまで来ると、範宴は、足をとめて、
「性善坊、わしは、少し思う仔細があって、これから磯長の里へまわりたいと思うが……」
「ほ、石川郷の叡福寺のある? ……」
「そうじゃ、聖徳太子と、そのおん母君、お妃、三尊の御墳がある太子廟へ詣でて、七日ほど、参籠いたしたい」
「さようでございますか。よい思い立ちとぞんじますが、朝麿様もおつれ遊ばしますか」
「いやいや、ちと、思念いたしたいこともあるゆえ、この身ひとりがこのましい。そちは、朝麿を伴うて、京都のお養父上にお目にかかり、かたがた青蓮院の師の君にもおとりなしを願うて、ひとまず弟の身を、家に帰してくれい」
「かしこまりました」
「朝麿」と、向き直って――
「おもとにも、異存はあるまいの」
「はい……」しかし、朝麿の心には、どうしても、梢のことが、不安で、悲しく、このまま自分ばかり京都へもどることは心がすまない様子であった。
「たのみますぞ」範宴は、性善坊にそういうと、やがてただ一人で河内路の方へ曲がって行った。
真空のような静寂と、骨のしんまで霜になりそうな寒さである。
夜も更けると、さらに生物の棲まない世界のような沍寒の気が、耳も鼻も唇もほとんど無知覚にさせてしまう。
どこかで、先一昨日から、法華経をよむ声がもれていた。
それは今夜で、四晩になるが、夜があけても、日が暮れてきても、水のように絶え間がなく、ある時は低く、ある時にはまた高く、やむ時のない誦経であった。
「誰だろう」と、磯長の叡福寺の者は、炉のそばでうわさをしていた。
「また、ものずきな雲水だろう」と、笑う者もあるし、
「廟のうちで、まさか、火などは焚いていまいな」と火の用心を案じる者もあった。
「いや、火の気はないようだ」と一人がいう。
「そうか、それならよいが……。だが、どんな男か」
「まだ、二十歳ぐらいな若い僧さ。三尊の拝殿から入って、いちばん奥の廟窟の床に、ひとりで坐りこんだまま、ものも食わずに、参籠しているのだ」――そんな話を、だまって、眼をふさいで聞いている四十ぢかい僧があった。その僧は、この寺の客とみえて、他の者から、法師、法師と敬称されて、時々、寺僧のかたまる炉ばたにみえて冗談をいったり、飄然として見えなくなったり、また、裏山から木の根瘤などを見つけてきて、小刀でなにか彫っていたり、仙味のあるような、俗人のような一向つかまえどころのない人間のように見える男だったが、太子廟の奥に、この四日ばかり、法華経の声がもれるようになってからは、いつも、じっと、さし俯向いて、聞き入っているのであったが、今、寺僧のうわさを聞くと、なにを思いだしたか、ふいと、その部屋を出て、どこかへ、立ち去ってしまった。
今夜も、まっ白に、月が冴えていた。法師は、庫裡から草履をはいて、ぴたぴたと、静かな跫音を、そこから離れている太子廟の方へ運んで行った。
法華経の声は、近づいてくる。
石垣をあがると、廟の廻廊に、金剛獅子の常明燈が、あたりを淡く照らしていて、その大屋根を圧している敏達帝の御陵のある冬山のあたりを、千鳥の影がかすめて行った。
廻廊の下をめぐって、法師は、御墳のある廟窟の方へまわった。もうそこへゆくと、身のしまるような寒烈な気と、神秘な闇がただよっていて、寺僧でも、それは何となく不気味だと常にいっている所である。
風雨に古びたまま、幾百年も手入れもしていない建物に、月の白い光が、扉の朽ちた四方の破れから刃のように中へさしこんでいた。
法師が、そっと覗いてみると、なるほど、瑯

「あ……。やはり範宴少納言であった……」法師はつぶやいて、そっと、跫音をしのばせながら、そのまま、寺の方へ帰って行った。
ここに参籠してから六日目の朝が白々と明けた。
二日め、三日めは、飢えと寒気に、肉体の苦痛がはなはだしかったが、きのうあたりからは、身心ともに痺れて生ける屍のような肉体の殻に、ただ、彼の意念の火が――生命の火だけが――赫々と求法の扉に向って燃えているのであった。
一椀の食も、一滴の湯も、喉にとおしていないのである。声はかれ、眸はかすみ、さしも意志のつよい範宴もその夕がたには、がたっと、痩せおとろえた細い手を床について、しばらく、意識もなかった様子である。
すぐ御葉山の下の鐘楼の鐘が、耳もとで鳴るように、いんいんと初更をつげわたると、範宴は、はっとわれに回って、思わず大喝に、
「南無っ。聖徳太子」そして、廟窟の石の扉に向い、無我の掌をかたくあわせた。
「――迷える凡愚範宴に、求通のみちを教えたまえ。この肉身、この形骸を、艱苦に打ちくだき給わんもよし。ただ、一道の光と信とを与えたまえ」思念をこらすと、落ちくぼんだ彼のひとみは、あたかも、

彼が、この古廟に詣でて、こうした思念の闘いに坐したのは、必ずしも、途中の出来ごころや偶然ではない。範宴は夙くから、聖徳太子のなしたもうた大業と御生涯とを、景慕していて、折もあらば、太子の古廟にこもって、夢になりと、その御面影を現身にえがいてみたいと宿望にしていたのである。
若い太子は、日本文化の大祖であると共に、仏教興隆の祖でもあった。日本の仏法というものは、青年にして大智大徳の太子の手によって、初めて、皇国日本の民心に、
(汝らの心の光たれ)と点された聖業であった。
かつては、弘法大師も、この御廟に百日の参籠をして、凡愚の闇に光を求めたといいつたえられている。
凡愚のなやみ、妄闇のまよい、それは、誰でも通ってこなければならない道であろう。弘法大師ですらそうであった。いわんや、自分のごときをや。
範宴は、この生命力のあらんかぎりは――と祈念した。叡山で学んだところの仏学と世間の実相と自身という一個の人間と、すべてが、疑惑であり、渾然と一になりきれない矛盾に対して、解決の光をみたいと念願するのであった。
しかし、およそ人間の体力に限りがあると共に、精神力というものにも、限度があるのであろう。夜がふけて、深々と、大気の冷澄がすべて刃のように冴えてくると範宴は、ふたたび、ぱたっと、昏倒してしまった。
すると、誰か、
「範宴御房――」初めは遠くの方で呼ぶように思えていたが、
「範宴どの。少納言どの」いくたびとなく、耳のそばでくりかえされているうちに、はっとわれに回った。
紙燭を、そばにおいて、誰やら自分を抱きかかえているのであった。
「……お気がつかれたか」と、その人はいう。
範宴は、自分の凍えている体を、温い両手で抱いてくれている人を、誰であろうかと、半ば、あやしみながら瞳をあげて見た。
「お……」彼は、びっくりして叫んだ。
「あなたは、叡山の竹林房静厳の御弟子、安居院の法印聖覚どのではありませんか」
「そうです」法印は微笑して、
「去年の秋ごろから、私も、すこし現状の仏法に、疑問をもちだして、ただ一人で、叡山を下りこの磯長の叡福寺に、ずっと逗留していたのです。……でもあなたの、剛気には驚きました。こんな、無理な修行をしては、体をこわしてしまいますぞ」
「ありがとう存じます……。じゃ私は、気を失っていたものとみえます」
「よそながら、私が注意していたからよいが、さもなくて、夜明けまで、こうしていたら、おそらく、凍死してしまったでしょう」
「いっそ死んだほうが、よかったかも知れません」
「なにをいうのです。人一倍、剛気なあなたが、自殺をのぞんでいるのですか。そんな意志のよわいお方とは思わなかった」
「つい、本音を吐いて恥しく思います。しかし、いくら思念しても苦行しても、蒙のひらき得ない凡質が、生なか大智をもとめてのたうちまわっているのは、自分でもたまらない苦悶ですし、世間にも、無用の人間です。そういう意味で、死んでも、生きていても、同じだと思うのです」範宴の痛切なことばが切れると、聖覚法印は、うしろへ持ってきている食器を彼のまえに並べて、
「あたたかいうちに、粥でも一口おあがりなさい。それから話しましょう」
「七日のおちかいを立てて、参籠したのですから、ご好意は謝しますが、粥は頂戴いたしません」
「今夜で、その満七日ではありませんか。――もう夜半をすぎていますから、八日の暁です。冷めないうちに、召上がってください、そして、力をつけてから、あなたの必死なお気もちもうかがい、私も、話したいと思いますから……」そういわれて、範宴は、初めて、椀を押しいただいた。うすい温湯のような粥であったが、食物が、胃へながれこむと、全身はにわかに、火のようなほてりを覚えてきた。
叡山の静厳には、範宴も師事したことがあるので、その高足の聖覚法印とは、常に見知っていたし、また、山の大講堂などで智弁をふるう法印の才には、ひそかに、敬慕をもっていた。
この人ならばと、範宴は、ぞんぶんに、自分のなやみも打ち明ける気になれた。聖覚もやはり彼に似た懐疑者のひとりであって、どうしても、叡山の現状には、安心と決定ができないために、一時は、ちかごろ支那から帰朝した栄西禅師のところへ走ったが、そこでも、求道の光がつかめないので、あなたこなた、漂泊したあげくに、去年の秋から、磯長に来て無為の日を送っているのであると話した。
「迷える者と、迷える者とが、ここで、ゆくりなくお目にかかるというのも、太子のおひきあわせというものでしょう」聖覚法印は、語りやまないで、語りゆくほど、ことばに熱をおびてきた。
「いったい、今の叡山の人々が、何を信念に安住していられるのか、私にはふしぎでならない。――僧正の位階とか、金襴のほこりとかなら、むしろ、もっと赤裸な俗人になって、金でも、栄誉でも、気がねなく争ったがよいし、学問を競うなら、学者で立つがよいし、職業としてなら、他人に、五戒だの精進堅固などを強いるにも及ぶまい、また、強いる権能もないわけではありませんか」
範宴は、黙然とうなずいた。
「あなたは、どう思う。おもてには、静浄を装って、救世を口にしながら、山を下りれば、俗人以上に、酒色をぬすみ、事があれば、太刀薙刀をふるって、暴力で仏法の権威を認めさせようとする。――平安期のころ、仏徒の腐敗をなげいて、伝教大師が、叡山をひらき、あまねく日本の仏界を照らした光は、もう油がきれてしまったのでしょう、現状の叡山は、もはや、われわれ真摯な者にとっては、立命の地でもなし、安住の域でもありません。……で、私は、迷って出たのです、しかし実社会に接して、なまなましい現世の人たちの苦悩を見、逸楽を見、流々転相のあわただしさをあまりに見てしまうと、私のような智の浅いものには、魚に河が見えないように、よけいに昏迷してしまうばかりで、ほとんど、何ひとつ、把握することができないのであります」
法印の声は、切実であった。
若い範宴は、感激のあまり、思わず彼の手をにぎって、
「聖覚どの。あなたがいわるることは、いちいち私のいおうとするところと同じです。二人は、ほとんど同じ苦悶をもって同じ迷路へさまよってきたのでした」
「七日七夜の参籠で、範宴どのは、何を得られたか」
「何も得ません。飢えと、寒気とだけでした。――ただ、あなたという同じ悩みをもつ人を見出して、こういう苦悶は自分のみではないということを知りました」
「私はそれが唯一のみやげです。あしたは叡福寺を立とうと思うが、もう叡山には帰らないつもりです」
「して、これから、どこへさして行かれるか」
「あてはない……」聖覚はうつ向いて、さびしげに、
「ただ、まことの師をたずねて、まことの道を探して歩く。――それが生涯果てのない道であっても……」二人の若い弥陀の弟子たちは、じっと、そばにある紙燭の消えかかる灯を見つめていた。
すると、更けた夜気を裂いて、どこかで、かなしげな女のさけび声がながれ、やがて、嗚咽するような声にかわって、しゅくしゅくと、いつまでも、泣きつづけている――
「はて、怪しい声がする」範宴が、面をあげると、聖覚法印も立ちあがって、
「どこでしょう。この霊地に、女の泣き声などがするはずはないが……」と、縁へ顔を出して、白い冬の夜を見まわした。
「はての……普請の経堂の中でする声らしい。……ちょっと見てきましょう」法印は外へ出て、経堂のほうへ出て行ったが、やがて、しばらくすると戻ってきて、
「世間には、悪い奴が絶えぬ」と義憤の眼を燃やしながら、範宴へいうのであった。
「若い女でも誘拐かしてきたのですか」
「そうです。――行ってみると、野武士ていの男が、経堂の柱に、ひとりの女を縛りつけ、凄文句をならべていましたが、どうしても、女が素直な返辞をしないために、腕ずくで従がわせようとしているのでした」
「この附近にも、野盗が横行するとみえますな」
「いや、どこか、他国の者らしいのです。私が、声をかけると、賊は、よほど大胆なやつとみえて、驚きもせず、おれは天城四郎という大盗だとみずから名乗りました」
「えっ、天城四郎ですって?」
「ごぞんじですか」
「聞いています。どこの街道へもあらわれる男で、うわべは柔和にみえますが、おそろしい兇暴な人間です」
「――と思って、私も、怪我をしてはつまらないと思い、わざとていねいに、ここは清浄な仏地であるから、ここで悪業をすることだけはやめてくれと頼みますと、天城四郎はせせら笑って、さほどにいうならば、まず第一に、醜汚な坊主どもから先に追い退けなければ、仏地を真の清浄界とはいわれまい。坊主が、偽面をかぶって醜汚な行いをつつんでいるのと、俺たちが素面のままでやりたいと思うことをやるのと、どっちが、人間として正直か――などと理窟をならべるのです。これには、私もちと返答にこまりました」
「そして……どうしました」
「理窟はいうものの、やはり、賊にも本心には怯むものがあるとみえ、それを捨て科白に、ふたたび、女を引っ張って、どこへともなく立ち去りました」
「では、その女というのは、十九か、二十歳ほどの、京都ふうの愛くるしい娘ではありませんでしたか」
「よく見ませんでしたが、天城四郎は、梢、梢と呼んでいたようです」
「あっ、それでは、やはり……」範宴は、弟の愛人が、まだ弟に思慕をもちつつ、賊の四郎に反抗し、彼の強迫と闘っている悲惨なすがたを胸にえがいて、たえられない不愍さを感じた。
「どの方角へ行きましたか」彼は、そういって、立ちかけたが、衰えている肉体は、朽ち木のようにすぐ膝を折ってよろめいてしまうのであった。法印は、抱きささえて、
「賊を追ってゆくおつもりですか。およしなさい、一人の女を救うために、貴重な体で追いかけても、風のような賊の足に、追いつくものではありません」
「ああ……」涙こそながさないが、範宴は全身の悲しみを投げだして、氷のような大床へ俯つ伏してしまった。
自分の無力が自分を責めるのであった。弟はあれで救われたといえようか。弟の女は、どうなってゆくのだろうか。裁く力のない者に裁かれた者の不幸さが思いやられる。
「――もうやがて夜が明けましょう。範宴どの、またあすの朝お目にかかります」燈りだけをそこにおいて、聖覚法印は、木履の音をさせて、ことことと立ち去った。
遠くで、夜明けの鶏の声がする――
しかし、顔をあげてみると、まだ外は暗いのであった。
ジ、ジ、ジ……と燈りの蝋涙が泣くように消えかかる。
その明滅する燈火の光が、廟の古びた壁にゆらゆらうごいた。
「? ……」夜明けまでのもう一刻をと、しずかに瞑想していた範宴は、ふと、太子の御霊廟にちかい一方の古壁に何やら無数の蜘蛛のようにうごめいているものをみいだして眸を吸いつけられていた。
燈灯が消えかかるので、彼はそっと掌で風をかこいながら、そこの壁ぎわまで進んで行った。
見ると、誰が書いたのか、年経た墨のあとが、壁の古びと共に、消えのこっていて、じっと、眼をこらせば、かすかにこう読まれる――
あきらかに聴け
諦かに聴け、
我が教令を
汝の命根まさに十余歳なるべし
命終りて
速かに浄土に入らん
善信、善信、真の菩薩
(誰の筆か?)と考えた。
弘法大師や、また自分のような一学僧や、そのほかにも、幾多の迷える雲水が、この廟に参籠したにちがいない。それらのうちの何者かが、書き残して行った字句にはちがいない。
けれど、範宴のこころに、その数行の文字は、決して偶然なものには思えなかった。七日七夜、彼が死に身になって向っていた聖徳太子の御声でなくてなんであろう。自己の必死な思念に答えてくれた霊示にちがいないと思った。闇夜に一つの光を見たように、範宴は、文字へ眸を焦きつけた。わけても、
「――日域は大乗相応の地たり……日域は大乗相応の地たり。ああ、この日の本に、われを生ましめたもうという御使命の声が胸にこたえる。そうだ……自分はゆうべ、法印へ向って、死の気もちがあることまで打ち明けた。太子は、死せよと仰っしゃるのだ。そして迷愚の殻を脱いだ誕生身に立ち回って、わが教令を、この日の本に布けよと自分へ仰っしゃるのだ」
もう、戸外には、小禽がチチと啼いていた。紙燭の蝋がとぼりきれると共に、朝は白々とあけて、御葉山の丘の針葉樹に、若い太陽の光がチカチカと耀いていた。
この世に――この日の本に生れてきた自分の使命が何であるかを、範宴は自覚した。
同時に、
(自分は二十歳にして死んだものである)という観念の下から新しく生れかわった。
この二つの信念は、磯長の廟に籠った賜物であった。聖徳太子からささやかれた霊示であると彼は感激にみちて思う。けれど、
(では一体、自分は何をもって、その重い使命を果すか)となると、彼はまた混沌たる迷いの子になった。
太子廟の壁文には、
「――聴く耳がなければ」と範宴は新しくもだえた。
「聴ける耳がほしい」迷える彼は、それからいずこともなく二年のあいだをさまよいあるいた。
東大寺の光円を訪れ、唐招提寺をたたき、そのほか、法燈のあるところといえば、嶮しさに怯まず、遠きに倦まず、雨や風に打たれても尋ねて行った。
けれど、彼の求める真理の鍵はなかった。太子がひろめられた教令のかたちはあっても、いつか、真理のたましいはどこにも失われていた。堂塔伽藍はぬけ殻であった。ひとり叡山ばかりがそうなのではない。
求めるものが求められないのみか、さまよえば、さまようほど、彼の迷いは濃くなってゆく。
二年あまりを、そうして、あてどもなく疲れあるいた彼は、ふいに、青蓮院の門前にあらわれて、取次を乞い、見ちがえるほど痩せおとろえた姿で、師の慈円僧正のまえに坐った。慈円は、ひと目みて、
「どうしたのじゃ」と驚いていった。
範宴は、あまりに消息を欠いたので、師の房を見舞うつもりで来たのであるが、その師の房から、先に見舞われて、
「べつに、自分は変りもございませんが……」と答えた。
彼のつよい精神力は、ほんとに、自分の肉体のおとろえなどは、少しも気にしていなかったのである。
「かわりはないというが、ひどく痩せたではないか。第一、顔の色つやも悪い。叡山にいたころのおもかげもありはしない」
「そう仰せられてみますと、あるいはそうかもしれませぬ。どうか、一日もはやく生涯の――いや人類永劫の安心と大決定をつかみたいと念願して、すこし修行に肉体をいじめましたから……」
「そうであろう」慈円は、傷ましいものを見るように、彼の尖った肩や膝ぶしを見まもるのであった。稚子髪の時代の十八公麿が、いつまでも、慈円の瞼にはのこっていて、そのころの何も思わない艶やかな頬と今の範宴とを心のうちで思いくらべているのであった。
「おん身は今、焦心っている。火のように身を焦いて真理をさがしているのであろう。それはよいが、体をこわしてはなるまいが」と、慈円は愛し子を諭すようにいった。
師にお目にかかったら――と幾つもの疑問を宿題にして範宴は胸に蓄めていたが、あまりに、彼が憔悴しているさまを見たせいか、慈円僧正は、彼が、なにを問うても、
「まあ、養生をせい」というのみで、法問に対しては、答えてくれなかった。
実際、そのころの範宴は、食物すらいつも味を知らずに噛むせいか、すこしも胃に慾がなく、梅花を見れば、ただ白いと見、小禽の声を聴けば、ただ何か啼いていると知るだけであった。
それが、青蓮院へ辿りついて、師のやさしいことばにふれ、ふと安息を感じたせいか、二年余りのつかれが一時に出てきたように、病人のように、日ごとに頬の肉がこけ、眼はくぼんで、眸の光ばかりがつよくなってきた。
範宴自身が感じているより幾層倍も、慈円のほうが、案じているらしくみえた。
「どうじゃ範宴、きょうは、わしに尾いてこないか」陽が暖かくて、梅花の薫ばしい日であった。庭さきでも歩うように、慈円はかろく彼にすすめる。
「どちらへお出ましですか」
「五条まで」
「お供いたしましょう」何気なく、範宴は従いて行ったのである。
もとより仰山な輿など好まれる人ではなかった。というて、あまり往来の者に顔をみられたり、礼をされるのもうるさいらしく、慈円は、白絖の法師頭巾をふかくかぶって、汚い木履をぽくぽくと鳴らしてゆくのである。
五条とはいわれたが、何しにとは訊かなかったので、範宴は、師の君はいったいどこへゆくのかと疑っていると、やがて、五条の西洞院までくると、この界隈では第一の構えに見える宏壮な門のうちへ入って行った。
範宴は、はっと思った。
「ここは、月輪関白どのの別荘ではないか」と足をとめて見まわしていると、
「範宴、はようこい」と、慈円はふり向いて、中門のまえから手招きをした。
正面の車寄には、眩ゆいような輦が横についていた。慈円は、そこへはかからずに中門を勝手にあけ、ひろい坪のうちをあるいて東の屋の廻廊へだまって上がってゆく。
(よろしいのでございますか)範宴は訊こうと思ったが、関白どのは、師の君の実兄である。なんの他人行儀もいらない間がらであるし、ことには、骨肉であっても、風雅の交わりにとどめているおん仲でもあるから、いつもこうなのであろうと思って、彼もまた無言のまま上がって行った。
奥まった寝殿には、催馬楽の笛や笙が遠く鳴っていた。時折、女房たちの笑いさざめく声が、いかにも、春の日らしくのどかにもれてくる。
「きょうは、表の侍たちも見えぬの。たれぞ、出てこぬか。客人が見えてあるぞ」慈円は、中庭の橋廊下へ向いながら、手をたたいた。
小侍が走ってきて、
「あっ、青蓮院様でいらっしゃいますか」と、平伏した。慈円は、もう橋廊下の半ばをこえながら、
「お客人ではあるまいな」
「はい、お内方ばかりでございます」答えつつ、小侍は、腰を屈めながら慈円の前を、つつと抜けて、
「――青蓮院さまがお越し遊ばしました」渡殿の奥へこう告げると、舞曲の楽が急にやんで、それから、華やかな女たちの笑い声だの、衣ずれの音などが、楚々とみだれて、
「おう、青蓮院どのか」月輪兼実がもうそこに立っている。
兼実は、手に、横笛を持っていた。それをながめて慈円が、
「おあそびか、いつも、賑わしいことのう」と、微笑しながら、兼実や、侍たちに、伴われてゆく。
漆と、箔と、砂子と、うんげん縁の畳と、すべてが、庶民階級の家には見馴れないものばかりで、焚きにおう名木のかおりが、豪奢に鼻をむせさせてくるし、飼い鶯の啼くねがどこかでしきりとする。
しかし、その十畳ほどなうんげん縁のたたみの間には、今はいって来た客と主のほか一人の人かげも見えないのである。ただ、扇だの、鼓だの、絃だの、胡弓だの、また笙のそばに濃むらさきの頭巾布れだの、仮面だのが、秩序なく取り落してあって、それらの在りどころに坐っていた人々は、風で持ってゆかれてしまったように消えうせていた。
「――なんじゃ、誰も見えんではないか」慈円がいぶかると、兼実は、
「はははは――。お身が参られたので、恥かしがって、みんなかくれたのじゃ」
「なにも、かくれいでもよいに」
「きょうは、姫の誕生日とあって、何がなして遊ぼうぞと、舎人の女房たちをかたろうて、管絃のまねごとしたり、猿楽などを道化ていたので、むずかしい僧門のお客と聞いて、あわてて皆失せたらしい」
「女房たちは、どうして、僧を嫌うかのう」
「いや、僧が女房たちを、忌むのでござろう。女人は禁戒のはずではないか」
「というて、同じ人ではないか」
「ははは。ただ、けむたい気がするのじゃろ」
「そうけむたがらずに、呼ばれい、呼ばれい、わしも共に笛吹こう」
慈円が、笛をふこうというと、唐織の布を垂れた一方の几帳が揺れて、そのかげに、裳だけを重ね合って潜んでいた幾人もの女房たちが、こらえきれなくなったように、一人がくすりと洩らすと、それをはずみに、いちどに、
「ホ、ホ、ホ、ホ」
「ホホホ……」と笑いくずれ、さらに、

「ああ、おかしや」と、お腹を抑えながら、まだ笑いやまないで姿を見せた。
つづいて、侍女だの、乳人だのが、後から後からと、幾人もそこから出てきた。
「姫、ごあいさつをせぬか、叔父さまに――」
兼実がいうと、まだどっかこうあどけない姫は、笑ってばかりいて、
「後で」と、女房たちの後ろにかくれた。
慈円には姪にあたる姫であって、兼実にとっては、この世にまたとなき一人息女の玉日姫である。
「玉日――」慈円は呼んで、
「あいさつは、あずけておこうほどに、猿楽の真似を一つ見せい」すると、また、玉日も、女房たちも、何がおかしいのか、いよいよ笑って、返辞をしない。
「せっかく、面白う遊戯していたに、この慈円が来たために、やめさせては悪い。舞わねば、わしは帰るほかあるまい」
すると、玉日は、父のそばへ小走りに寄ってきて、その膝に甘えながら、
「叔父さまを、帰しては嫌です」
「それでは、管絃を始めたがよい」
「叔父さまも、なされば――」
「するともよ」慈円は、わざと興めいて、
「わしは、歌を朗詠しよう」
「ほんとに?」姫は、念を押して、女房たちへ向いながら、
「叔父さまが、朗詠をあそばすと仰っしゃった。そなた達も、聞いていらっしゃい」
「はい、はい、僧正さまのお謡など、めったにはうかがえませぬから、ちゃんと、聞いておりまする」
「そのかわりに、姫も、舞うのじゃぞ」
「いや」玉日は、慈円のうしろをちらと見た。そこに、青白い顔をして梅の幹のように痩せてはいるが凜としてひとりの青年がさっきからひかえている、その範宴をながめて、はにかむのであった。慈円は気がついて、
「そうそう、姫はまだこのお人を知るまい」
「…………」玉日は、あどけなく、うなずいて見せた。父の兼実が、
「叔父さまの御弟子で、範宴少納言という秀才じゃ。そなたがまだ、乳人のふところに抱かれて青蓮院へ詣でたころには、たしか、範宴も愛くるしい稚子僧でいたはずじゃが、どちらも、おぼえてはいまい」
「そんな遠い幼子のころのことなど、覚えているはずはありませんわ」
「だから、恥らうことはないのじゃ」
「恥らってなどおりません」姫も、いつか、馴れていう。
「じゃあ、舞うて見せい」
「舞うのは嫌、胡弓か、箏なら弾いてもよいけれど」
「それもよかろう」
「叔父さま、謡うんですよ、きっと」
「おう、謡うとも」慈円が、まじめくさって、胸をのばすと、兼実も、女房たちも、笑いをこらえている。
範宴は、ほほ笑みもせず、黙然としたきりで、澄んだ眸をうごかしもしない。
そこへ、侍女が、菓子を運んできて、慈円のまえと、範宴のまえにおいた。
慈円は、その菓子を一つたべ、白湯にのどをうるおして、
「えへん」と咳ばらいした。
姫も、女房たちも、おのおの、楽器をもって、待っていたが、いつまでも慈円が謡わないので、
「いやな叔父さま」と、姫はすこしむずかって、
「はやくお謡いあそばせよ」あどけなく、鈴のような眼をして、玉日姫が睨むまねをすると、慈円はもう素直に歌っていた。
老い鼠、若鼠
おん裳喰んず
袈裟喰んず
法師に申せ
いなとよ、師に申せ
「兄上、ちと、話したいことがあるが」と、兼実へいった。
「では、あちらで」と兼実は、慈円と共に、そこを立って、別室へ行ってしまった。
姫は、つまらなそうな顔をして、二人の後を追って行ったが、父に何かいわれて、もどってきた。
乳入や女房たちは、機嫌をそこねないようにと、
「さあ、お姫さま、もう、誰もいませんから、また、猿楽あそびか、鬼ごとあそびいたしましょう」
「でも……」と、玉日は顔を振った。
範宴が、片隅に、ぽつねんと取り残されていた。女房たちのうちから、一人が、側へ寄って、
「お弟子さま。あなたも、お入りなさいませ」
「は」
「鬼ごとを、いたしましょう」
「はい……」範宴は、答えに、窮していた。
「お姫さまが、おむずかりになると、困りますから、おめいわくでしょうが」と手を取った。そして、
「お姫さま、この御房が、いちばん先に、鬼になってくださるそうですから、よいでしょう」玉日は、貝のような白い顎をひいて、にこりとうなずいた。
いうがごとく、迷惑至極なことであったが、拒むまもなく、ひとりの女房が、むらさきの布をもって、範宴のうしろに廻り、眼かくしをしてしまった。
ばたばたと、衣ずれが、四方にわかれて、みんなどこかへ隠れたらしい。時々、
何さがす――
範宴は、つま先でさぐりながら、壁や、柱をなでてあるいた。そしてふと、眼かくしをされた自分の現身が、自分の今の心をそのままあらわしているような気がして、かなしい皮肉にうたれていた。
くすくすと、そこらで忍びわらいがする。
それを目あてに、範宴は手さぐりをしては、室内をさまよった。
そして、几帳の蔭にかくれていた人をとらえて、
「つかまえました」と、目かくしをとった。それは、玉日姫であった。姫は、
「あら……」と困った顔をし、範宴は、何かはっとして、捕えていた手を放した。
「さあ、こんどは、お姫さまが鬼にならなければいけません」と、乳人や女房たちは、彼女の顔をむらさきの布で縛ろうとすると、
「嫌っ」と姫は、うぐいすのように、縁へ、逃げてしまった。出あいがしらに小侍が、
「範宴どの、青蓮院さまが、お帰りでございますぞ」と告げた。範宴はほっとして、
「あ。おもどりですか」人々へ、あいさつをして、帰りかけると、姫は、急に、さびしそうに、範宴のうしろ姿へ、
「また、おいで遊ばせ」といった。振向いて、範宴は、
「はい、ありがとうございます」
しかし――彼は何か重くるしいものの中から遁れるような心地であった。こういう豪華な大宮人の生活に触れることは夢のように遠い幼少のころの記憶にかすかにあるだけであって、九歳の時からもう十年以上というもの、いつのまにか、僧門の枯淡と寂寞が身に沁みこんで、かかる絢爛の空気は、そこにいるだにもたえない気がするのであった。
慈円はもう木履を穿いて、丁子の花のにおう前栽をあるいていた。
供をして、外へ出てから、範宴はこういって慈円にたずねた。
「お師さまは、叡山にいれば、叡山の人となり、青蓮院にいらっしゃれば、青蓮院の人となり、俗家へいらっしゃれば、俗家の人となる。女房たちや、お子たちの中へまじっても、また、それにうち解けているご様子です。よく、あんな謡など平気におうたいになれますな」すると、慈円はこういった。
「そうなれたは、このごろじゃよ。――つまり、いるところに楽しむという境界にやっと心がおけてきたのじゃ」
「――いるところに楽しむ。……」
範宴は、口のうちで、おうむ返しにつぶやきながら考えこんだ。慈円はまた、
「だが、おもとなどは、そういう逃避を見つけてはいけない。わしなどは、いわゆる和歌詠みの風流僧にとどまるのだから、そうした心境に、小さい安住を見つけているのじゃ。やはり、おもとの今のもだえのほうが尊い――」
「でも、私は、真っ暗でございます」
「まいちど、叡山へのぼるがよい。そして、あせらず、逃避せず、そして無明をあゆむことじゃ。歩むだけは歩まねば、彼岸にはいたるまいよ」
どこかの築地の紅梅が、風ともなく春のけはいを仄かに陽なたの道に香わせていた。
青蓮院の門が見えた。その門を潜る時、慈円はまた、ことばをくりかえして、
「もいちど叡山へもどったがよいぞ」と、いった。
「はい」範宴はそう答えるまでに自分でも心を決めていたらしく、
「明日、お暇をいたしまする」
「うむ……」慈円はうなずいて、木履の音を房のほうへ運んで行った。すると、房の式台の下にかがまって、手をついている出迎えの若僧があった。
慈円は、一瞥して、ずっと奥へはいってしまったが、つづいて範宴が上がろうとすると、若僧はふいに彼の法衣の袂をつかんで、
「兄上」と、呼んだ。
思いがけないことであった。それは性善坊と共に、先年、都に帰った弟の朝麿なのである。
常々、心がかりになっていたことでもあるし、この青蓮院へついてもまっ先にその後の消息をたずねたいと思っていたのでもあるが、まさか、髪を剃ろして、ここにいるとは思わなかったし、師の慈円も、そんなことは少しも話に出さなかったので、彼は驚きの眼をみはったまま、
「おお……」とはいいながらも、しばらく、弟の変った姿に茫然としていた。
朝麿はまた、兄の痩せ尖った顔に、眼を曇らせながら、
「――ここでお目にかかるも面目ない気がいたしますが、ご覧のとおり、ただ今では、僧正のお得度をうけて、名も、尋有と改めておりまする。……どうか、その後のことは、ご安心くださいますように」と、さしうつむいていった。
「そうか」範宴は、大きな息をついて、うなずいた。それで何か弟の安住が決まったように心がやすらぐと共に、もういっそう深刻な弟の気もちを察しているのでもあった。
「お養父君も、ご得心ですか?」
「わたくしのすべての罪をおゆるしくださいまして、今では、兄上と共に、仏の一弟子として、修行いたしておりまする」
「それはよかった……さだめしお養父君もご安心なされたであろう。おもとも、発心いたしたうえは、懸命に、勉められい。精進一途におのれを研いているうちには、必ず、仏天のおめぐみがあろう。惑わず、疑わずに……」
範宴は弟にむかって、そう諭したが、自分でも信念のない声だと思った。しかし、尋有は素直であった。兄のことばを身に沁み受けて、
「はい、きっと、懸命に修行いたしまする」と、懺悔のいろをあらわしていうのであった。
あくる朝、範宴は、叡山の道をさして、飄然と門を出た。尋有の顔が、いつまでも、青蓮院の門のそばに立って見送っていた。
どこかで、やぶ鶯のささ鳴きが、風のやむたびに聞えていた。
「範宴が山へもどってきた――」叡山の人々のあいだに、それは大きな衝動であった。
彼らの頭には、範宴という人物が、いつのまにか大きな存在になっていた。自分たちに利害があるないにかかわらず、範宴のうごきがたえず気がかりであった。
それというのも、この山の人々の頭には、十歳にみたない少年僧であった時から、授戒登壇をゆるされて、その後も、群をぬいて学識を研いてきた範宴というものが、近ごろになって何となく自分たちの脅威に感じられてきたからであった。
「一乗院が帰山したというが、いつごろじゃ」
「もう、十日ほど前にもなろう、例の性善坊は、それよりもずっと前に戻っていたが、範宴のすがたが見えたは、ついこのごろらしい」
「ちょうど、三年ぶりかの」
「そうさ。範宴が下山たのは、先一昨年の冬だったから……」
「だいぶ修行もつんだであろう」
「なあに、奈良は女の都だ、若い範宴が何を修行してきたかわかるものか」
「それは、貴僧たちのことだ。範宴がおそろしい信念で勉学しているということは、いつか山へ来た宇治の客僧からも聞いたし、麓でもだいぶうわさが高い」一人が口をきわめて範宴の学才とその後の真摯な態度を賞めたたえると、怠惰な者の常として、かるい嫉妬をたたえた顔がちょっと白けてみえた。
「その範宴が、明日から横川の禿谷で、講義をひらくということだが――」と、思いだしたようにいうと、
「そうそう、小止観と、往生要集を講義するそうだが、まだ二十二、三の若年者が、山の大徳や碩学をまえにおいて、どんなことをしゃべるか、聞きものだて」
「碩学たちも意地がわるい、ぜひにと、懇望しておいて、実は、あげ足をとって、つッ込もうという肚じゃないかな?」
「そうかもしれん。いや、そうなるとおもしろいが」
惰眠の耳もとへ鐘をつかれたように、人々は、範宴を嫉妬した。
禿谷には、その翌日、一山の人々が踵をついでぞろぞろと群れてきた。講堂は立錐の余地もなく人で埋った。若い学僧がむろん大部分であったが、中には、一院の主も、一方の雄僧も見えて、白い眉毛をしかめていた。
やがて、講壇のむしろに、一人の青年が法衣をさばいて坐った。色の青じろい肩の尖った姿を、人々はふと見ちがえて、
「ほ……あれが範宴か」と、その変りように思わず眼をみはった。
「痩せたのう」
「眼ばかりがするどいではないか」
「病気でもしたとみえる」
聴座の人々のあいだに、そんな囁きがこそこそながれた。しかし、範宴の唇だけは誰よりも紅かった。そして一礼すると、その唇をひらいて、おもむろに小止観を講義して行った。
その日の範宴の講義は、あくまで範宴自身の苦悩から生れた独自の新解釈の信念に基づいたものであって、従来の型にばかり囚われた仏法のための仏法であったり、学問のための学問であったりするものとは、大いに趣が変っていた。
従って、今までの碩学や大徳の説いた教えに養われてきた人々には、耳馴れない範宴の講義が、いちいち異端者の声のように聞えてならなかったし、新しい学説を取って、若い範宴の衒学だと思う者が多かった。
「ふふん……」という態度なのである。中には明らかに反感を示して、
「若いものが、すこし遊学でもしてくると、あれだから困るのじゃよ」と、嘲むようにいう長老もあった。
ただ、終始、熱心に聞いていたのは、権智房ひとりであった。権智房は、青蓮院の慈円僧正から、きょうの講義の首尾を案じて、麓からわざわざ様子を見によこした僧である。
それと、もうひとり、どこの房に僧籍をおいているのかわからないが、おそろしい武骨な逞しい体躯をもった法師が、最も前の方に坐りこんで、睨むような眼ざしで、範宴の講義が終るまで身うごきもせずに聞き入っていたのが目立っていた。
長い日も暮れて、禿谷の講堂にも霧のようなものが流れこんできた。講堂の三方から壁のように見える山の襞には、たそがれの陰影が紫ばんで陽は舂きかけている。
範宴は、およそ半日にわたる講義を閉じて、
「短い一日では、到底、小止観の真髄まで、お話はできかねる。きょうは、法筵を閉じて、また明日、究めたいと思います」礼をして、壇を下りた。
大勢のなかには、彼の新しい解義に共鳴したものも何人かあったとみえて、
「範宴御房! 夜に入っても、苦しゅうない。ねがわくは、小止観の結論まで、講じていただきたいが」という者もあるし、また、
「きょうのお説は、われらが今まで聴聞いたしてきた先覚の解釈とは、はなはだ異なっている。われわれ後輩のものは、従来の説を信じていいか、御房の学説に拠っていいか、迷わざるを得ません」と訴える人々もあるし、
「学問には、長老や先覚にも、遠慮はいらぬはずだ。どうか、もっと話してもらいたい。堂衆たち! 明りを点けろ」
立ちさわぐものもあったが、範宴は、もう席を去って、いかにもつかれたような面もちを、夕方の山影に向けながら、縁に立って、呼吸をしていた。
すると、そこへもまた、若い学徒がすぐ行って、彼を取り巻きながら、
「きょうのご講義のうちに、ちと腑に落ちない所があるのですが」とか、
「あすこのおことばは、いかなる意味か、とくともう一度、ご説明をねがいたい」とかいって、容易に、彼を離さなかった。
席をあらためて、範宴は、その人々の質疑へ、いちいち流れるような回答を与えていたが、そのうちに、互いの顔が見えないほど、講堂のうちはとっぷりと暮れてしまった。
性善坊が迎えにきていた。
「お師さま、あまり遅くならぬうち――」そばへ寄って促した。
それを機に[#「機に」は底本では「機いに」]範宴は人々の群れを抜けて講堂の外へでた。夜の大気が冷んやりと山の威厳を感じさせる。
「お待ち下さいませ」性善坊は、松明をともして、彼のあゆむ先へ立って明りをかざした。
松明は、焔よりも多く、墨のような煙を吐いてゆく。明滅する山の道は浮きあがって眼に迫ってきたり、眼から消えて谷のように暗くなったりする。
「崕道にかかります、なるべく、左の方へ寄っておあるきなさいませ」そう注意しながら――「お師さま」と、性善坊は改まっていった。
「きょうのご講義は、わたくしがよそながら、聴いておりましても、胸のおどるほど、ありがたいお教えと存じましたが、そこらでささやく声のうちには、とかく嫉みや、反感も多かったようでございます。やはり、あまり真情に仰っしゃるのは、かえって、ご一身のおためによくないのではないかと案じられてなりませんが」
「真情にいうて悪いとすると、自分の信念は語れぬことになる」
「郷に入っては、郷にしたがえと申します。やはり叡山には叡山の伝統もあり、ここの法師たちの気風だの、学風だのというものもございますから……」
「それに順応せいというのか」
「ご気性には反きましょうが」
「ここの人々の気にいるようなことを説いて、それをもって足れりとするくらいなら、範宴は何をか今日までこの苦しみをしようか。たとえ、嫉視、迫害、排撃、あらゆるものがこの一身にあつまろうとも、範宴が講堂に立つからには御仏を偽瞞の衣につつむような業はできぬ」いつにないつよい語気であった。性善坊は、その当然なことを知っているだけに、後のことばが出なかった。
右手の闇の下には、横川の流れが、どうどうと、闇の底に鳴っていた。松明の火が、時々、蛍みたいな粉になって谷へ飛んだ。
崕道がきれると、ややひろい、平地へ出た。一乗院までには、もう一つの峰をめぐらなければならない。しかし、そこに立つと、遥かに京都の灯がちらちらとみえ、あさぎ色の星空がひらけて足もとはずっと明るくなった。
「待てっ!」突然、草むらの中から、誰かそう呶鳴ったものがある。範宴の眼にも、性善坊の眼にも、あきらかに黒い人影が五つ六つそこらから躍り出したのが見えた。
「誰だっ」性善坊は、本能的に、範宴の身をかばった。ばらばらとあつまってきた五、六人の法師たちは、たしかに昼間、講堂の聴衆の中にいた者にちがいなかった。棒のような物を引っさげているのもあるし、剣をつかんでいるものもあった。
「異端者め!」と一人がいうのである。そして、いっせいに、
「若輩のくせにして、異説を唱える不届きな範宴は、この山にはおけぬ、山を下りるか、ここで、自分の学説は過りであること、仏陀に誓うか、返答をせいっ」と、威たけだかに、脅すのであった。
眉の毛もうごかさず相手の顔を正視していた範宴は、唇で微笑した。
「わたくしの学説はわたくしの学説であって、それを摂ると摂らぬとは聴く人の心々にあることです。いかなる仰せがあろうとも、学徒が信念する自己の説を曲げたり変えたりすることはできませぬ」静かにいうことばがかえって相手の怒りきっている感情を煽りたて、
「よしっ、それでは、叡山から去れ、去らねば、抓みだすぞ」と、法師たちは、袖を肩へたくしあげた。
範宴の脚は、地から生えているように動じなかった。
「なんで私に山を去れと仰っしゃるのか、私には、御山を追われる覚えはない」
「貴様がきょう講堂でしゃべったことは、すべて、仏法を冒涜するものだ」
「それを指摘してください」
「いちいちいうまでもないことだ。汝の精神に訊け。汝は仏弟子でありながら、仏陀を心から信仰しているのではあるまい」
「そうです、私は、仏陀を偶像的に拝みたくありません、仏陀もわれらと等しい人間であり、われらの煩悩を持ち、われらと共に生きつつある凡人として礼拝したいのであります。そういう気持から、きょうの講義のうちには、多少、偶像として仏陀にひざまずいているあなた方には、すこし耳なれない言辞があったかも知れませんが、それも私の信念でありますから、にわかに、その考え方を曲げろの変えろの仰っしゃられてもどうすることもできません」範宴のことばが終るか終らないうちに一人の法師がかためていた拳がふいに彼の肩先を烈しく突きとばして、
「この青二才め、仏陀も人間もいっしょに考えておる。懲らしめてやれ」
「思い知れ、仏罰をッ」つづいてまた一人の者の振り込んだ棒が、範宴の腰ぼねを強たかに打った。性善坊はすでに、暴力になったとたんに二人の法師を相手に取っくんでいた。
ここの山法師には僧兵という別名さえあるほどで、武力においては、常に侍に劣らない訓練をしているのであるから、性善坊といえども、そのうちの二人を相手に格闘することは容易でなかった。
ましてや範宴には力ではどうする術もなかった。性善坊があちらで格闘しながらしきりに逃げろ逃げろと叫んでいるようであったが、範宴は逃げなかった。
四人の荒法師は、そこへ坐ってしまった範宴に向って、足をあげて蹴ったり、棒を揮って打ちすえたりしながら、
「生意気だッ」
「仏陀に対して不敬なやつ!」
「片輪にしてやれ」と口々に罵って、半殺しの目にあわせなければ熄まぬような勢いだった。
すると、最前から彼方の草のなかに、腕ぐみをしながらのそりと立っていた大男があって、もう見るにたえないと思ったか、大きな革巻の太刀を横につかみながら範宴の方へ駈けてきた。
その法師武者は、昼間、範宴が講堂で小止観を講義しているながい間を、法筵のいちばん前に坐って終始じっと居眠っているもののようにうつ向いて聞いていた、この山に見馴れない四十前後の――あの男なのであった。
駈けてきて、
「狼藉者っ」と叱りつけた。声に、ただならぬ底力があって、鉄のような拳をふりあげると、
「法の御山において暴力を働くものこそ、仏賊だ、仏敵だ。疾く、消えうせぬと、太夫房覚明が[#「太夫房覚明が」は底本では「太夫房覚明がが」]ただはおかぬぞ」と、一人の横顔を、頬の砕けるほど打った。撲られた法師は、
「わっ」と顔をかかえて、崖のかどを踏み外した。
他の者たちは、
「おのれ、叡山の者とも見えぬが、どこの乞食法師だ。よくも、朋輩を打ったな」太刀や棒切れが、こぞって彼の一身へ暴風のように喚きかかってきた。
自分から太夫房覚明と名乗ったその男は、面倒と思ったか、腰に横たえている陣刀のような大太刀をぬいて、
「虫けらめ! なんと吐ざいたッ――」ぴゅんと、刃のみねが鳴って、一人の法師の首すじを打った。刎ねとばされた棒切れは、宙に飛んで二、三人が左右へもんどり打ってちらかった。
(かなわぬ)と思ったのであろう、法師たちは、何か犬のように吠えかわしながら、尾を巻いて逃げてしまった。性善坊と組みあっていた者も、仲間の者が怯み立って逃げだすと、もう、勇気も失せて、彼を捨てていちばん後から鹿のように影を消してしまった。
「どなたか存じませぬが……」性善坊は、あらい息を肩でついて、
「――あやうい所を……ありがとうございまする」
「どこも、お怪我はなさらぬか」
「はい」範宴も頭をさげて、心から礼をのべた。そして、星明りに、自分よりも背のすぐれて高い逞しい大法師の姿を見あげながら、どこかで見たように思った。
太夫房覚明は、あたりの草むらや樹蔭をなお入念に見まわしながら、
「いずこの房の者か、卑怯な法師輩じゃ、学問の上のことは、当然、学問をもって反駁するがよいに、公の講堂では論議せずに、暴力をもって、途上に、範宴どのを要して、無法なまねをいたすとは、仏徒のかざ上にもおけぬ曲者、まだどんな、卑怯な振舞いをせぬとも限らぬ、一乗院まで、お送りして進ぜよう」
そういって、彼は先にあゆみだした。その足ぶみや、物腰には、どこか武人らしい力があって、
「おそれいりまする」といいつつも、範宴は心づよい気がして、彼の好意に甘えて後ろに従いて行った。
それにしても、太夫房覚明などという名は、この叡山でも南都でも聞いたことがない、いったいこの人物は何者なのだろうかと考えていた。
やがて無動寺の一乗院へたどりついた。その間に、太夫房覚明と性善坊とは、範宴を先に立ててかなり親しく話していたが、一乗院まで来ると、
「どうぞ、幾日でもお泊りください。師の房も、あのように無口なお方ではございますが、決して、お気がねなさるようなお人ではございません」性善坊はしきりと覚明をひきとめていた。
覚明も、元よりどこへ泊るというあてもないのであって、すすめられたことは、幸いであったらしい、
「それでは」と、草鞋の緒を解き、範宴へも断って、奥へ通った。
師弟はまだ食事をすましていないし、覚明も空腹らしかった。性善坊は炉のある大きな部屋に薪をかかえて行って、
「お客人には、失礼じゃが、かえってここが親しかろう、どうぞ炉べりへ」と席をすすめた。
範宴もやがてそこへ来て、師弟も客も一つ座になって粥をすすりあった。
覚明はうち解けたもてなしにすっかり欣んで、
「家の中に眠るのは久しぶりでおざる。ゆうべは、塔の縁に、一昨日はふもとの辻堂に、毎夜、冷たい床にばかり眠っていたが、おかげで、今夜は人心地がついた」といった。範宴は苦笑して、
「あなたも何か迷うているお人と見える。私も、時々この山から迷いだすのです」
「いや」と、覚明は武骨に手を振って――
「御房の迷いと、拙者の迷いとは、だいぶ隔りがある。――われらごとき武辺者は、まだまだ迷いなどというのも烏滸がましい。ただ余りに血に飽いて荒んだ心のやすみ場を探しているに過ぎないので」
「武辺者と仰せられたが、そもあなたのご本名は何といわるるか、おさしつかえなくばお聞かせください」
「お恥しいことだ」覚明は、憮然としながら、榾火の煤でまっ黒になった天井を見あげた。そして、
「今は、それも前身の仮の名にすぎぬが、実は、拙者は海野信濃守行親の子です」
「えっ」思わず範宴は眼をみはった。
「――では勧学院の文章博士であり、また進士蔵人の職にあった海野道広どのは、あなたでしたか」
「いかにもその道広です。木曾どのの旗挙げにくみして、大いに志を展べようとしたものですが、義仲公は時代の破壊者としては英邁な人でしたが、新しい時代の建設者ではなかったのです。ことすべて志とちがって、ご承知のような滅亡をとげました。拙者も、男児の事業はすでに終ったと考えて、一時は死なんとしましたが、どういうものか、最後の戦いにまで生きのこって、はや、世俗のあいだに用事のないこの一身を、かように持てあましているわけでござる」自嘲するように太夫房覚明はそういってわらった。
炉辺の夜がたりは尽きない。
覚明は昼間、範宴の講義を聴いた時から、
(これは凡僧でない)とふかく心を囚われていたが、さらに一夜を語り明かしてから、
(この人こそ、虚無と紛乱と暗黒の巷にまよう現世界の明しとなる大先覚ではなかろうか)という気がした。で、あくる日あらためて覚明は範宴のまえに出た。
「お願いがござるが」範宴はやわらかい眼ざしを向ける。この処女のような眸のどこにきのう講堂で吐いたような大胆な、そして強い信念がかくされているのかと覚明はあやしくさえ思う。
「拙者を、今日から、御弟子の端に加えていただきたいのですが――」
「弟子に」
「されば」覚明は力をこめていった。
「今日までの自分というものは、昨夜も申しあげたとおり、武辺の敗亡者であり、生きる信念を欠いた自己のもてあましたものでありましたが、もういちど、人間として真に生き直ってみたいのでござる。おききとどけ下さらば、覚明は、今日をもって、誕生の一歳とおもい、お師の驥尾に附いて、大願の道へあゆみたいと存ずるのでござる」
「あなたは、すでに、勧学院の文章博士とし、学識も世事の体験も、この範宴よりは遥かに積まれている先輩です。――私がおそるるのはその学問です。あなた、今までのすべてを――学問も智慧も武力も――一切かなぐりすてて、まこと今日誕生した一歳の嬰児となることができますかの」
「できる。――できるつもりです」
「それをお誓いあるならば、不肖ですが、範宴は、一歳のあなたよりは、何歳かの長上ですからお導きいたしてもよいが」
「どうぞ、おねがいいたします」覚明は誓った。
かつて、木曾義仲にくみして、矢をむけた時の平家追討の返翰に、
――清盛は平家の塵芥、武家の糟糠なり。
と罵倒して気を吐いた快男児覚明も、そうして、次の日からは、半僧半俗のすがたをすてて、誕生一歳の仏徒となり、性善坊に対しても、
(兄弟子)と、よんで、侍く身になった。
覚明ひとりではない。時勢は、源頼朝の赫々たる偉業を迎えながら、一方には、その成功者以上の敗亡者を社会から追いだしていた。
壇の浦を墓場とした平家の一族門葉もそうである。
それを討つに先駆した木曾の郎党も没落し、また、あの華やかな勲功を持った義経すらが、またたくまに帷幕の人々と共に剿滅されて、社会の表からその影を失ってしまった。
だが――亡びた者、必ずしも死者ではない。生きとし生けるものの慣いとして、生き得る限りはどこかに生きようとしているのである。平家の残党、木曾の残党、義経の残党、その一門係累はことごとく世間にすがたは消していても、どこかで呼吸し、何かの容で、更生にもがいている。
太夫房覚明も、そういう中の一人なのである。
新しい力が興ろうとする時には必ず古いものの力がこぞってそれを誹謗してくる。
「範宴の講義を聴いたか」一山の者の眼は、彼の声にその新しい力を感じて不安に駆られた。
「どんなことをいうのか」
「まあ、いちど行ってみろ」禿谷の講堂は、一日ごとに大衆で埋まった。法筵にすわれない人々は講堂の縁だの窓の外に立って彼の声だけを聞いていた。
彼の講義が熱をおびるほど、大衆も熱し、そして、内心深く考え直して衝たれているものと、範宴に対して飽くまでも闘争的に反感をいだいている者とが、はっきりと分れていた。
むろん彼に帰依する者よりは、彼を嫉視し、彼を憎悪する者のほうが遥かに多い。その険悪な大勢の顔からは、殺気が立ちのぼっていて、講義の要点にすすむと、
「邪説っ、邪説っ」と、どなったり、
「奇を衒うなっ」と弥次ったりして、時には、立って講壇へ迫ろうとするような乱暴者があったりした。
そして範宴の帰りは、いつも薄暮になるので、性善坊は師の一身を案じて、
「どうか、はやくご講義を切りあげて下さるように」と、頼むようにいった。
範宴はうなずいたが、やがて、小止観の講義が終ると、すぐ続いて、往生要集の解をあたらしく始めた。
「困ったことだ」
性善坊は大不服である。
「講義が大事か、お体が大事か、それくらいなことは、お分りと存じますに、毎日、危険をおかしてまで、禿谷へお出かけになるのはいかがと存じます。ことに、一山の大部分のものは、日にまして、師の房を悪しざまに沙汰するのみか、伝教以来の法文を自分一個の見解でふみにじる学匪だとさえ罵っているではございませぬか。このうえ講義をおつづけになることは、火に油をそそいでみずから焔に苦しむようなものだと私は思いますが」
口を極めて苦諫するのであった。けれど範宴は、
「初めの約束もあるから――」というのみで、彼を叱って説伏しようともしない代りに、思いとまって講義をやめる様子もない。
ただこの際、性善坊にとって心づよいことは、新しく弟子となった太夫房覚明が、範宴の身を守ることは自分の使命であるかのように、範宴のそばに付いて、見張っていてくれることであった。そのためか、往生要集の解も、無事にすんで、範宴は、翌年の夏までを一乗院の奥に送っていたが、やがて秋の静かな跫音を聞くと、
「興福寺へ行ってまいる」と、性善坊も覚明もつれずに、ただ一人で、雲のふところを下りて、奈良へ行った。
彼の念願は、興福寺の経蔵のうちにあった。許しをうけて、その大蔵の暗闇にはいった範宴は、日も見ず、月も仰がず、一穂の燈し灯をそばにおいて、大部な一切経に眼をさらし始めたのである。
ふつうの人間の精力では五年かかっても到底読みつくせないといわれている一切経を、範宴は五ヵ月ばかりで読破してしまった。おそらく眼で読んだのではあるまい、心で読んだのだ、そして充血して赤く爛れた眼と、陽にあたらないために蝋のように青白くなった顔をもって、大蔵の闇から彼がこの世へ出てきた時には、世は木枯しのふきすさぶ建久七年の真冬になっていた。
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暗黒の大蔵の中から光のなかへ、何ものかを自分はつかんで出たと信じた。五ヵ月ぶりで一切経の中から世間へ出た時の範宴のよろこびは、大きな知識と開悟とに満たされて、肋骨のふくらむほどであった。
(もう何ものにも迷うまい)彼は、信念した。
(もう何ものにも挫けまい)彼は足を踏みしめた。
そして心ひそかに、
仏祖釈迦如来は、大悟の眼をひらいて雪山を下りたという。彼は、新しい知識に信をかためて伝統の法城へ勇躍してのぼってゆく。
どのくらいな心力と体力のあるものか、範宴は、不死身のように死ななかった。骨と皮ばかりになって、しかも、麓への道さえ塞された雪の日に、
「範宴じゃ、今帰った――」と、一乗院の玄関へふいに立った彼のすがたを迎えて、覚明も性善坊も、
「あっ……」と驚いたほどであった。
休養というような日はそれからも範宴には一日もなかった。おそろしい金剛心である、彼はその冬を華厳経の研究のなかに没頭して、覚明や性善坊と、炉辺に手をかざして話に耽ることすらない。
そうした範宴の日々の生活をながめて、覚明はある時、しみじみと、
「命がけということは、武士の仕事ばかりと思うていたが、どうして、一人の凡人が、一人の僧といわれるまでには、戦い以上な血みどろなものじゃ」と、心から頭を下げていうのであった。
翌年の五月の下旬であった。難波から京都の附近一帯にわたって、めずらしい大風がふいて、ちょうど、五月雨あげくなので、河水は都へあふれ、難波あたりは高潮が陸へあがって、無数の民戸が海へさらわれてしまった。
そういう後には必ず旱がつづくもので、疫病が流行りだすと、たちまち、部落も駅路も、病人のうめきにみちてしまった。都は最もひどかった。官では、施薬院をひらいて、薬師だの上達部だのが、薬を施したり、また諸寺院で悪病神を追い退ける祈祷などをして、民戸の各戸口へ、赤い護符などを貼りつけてしまったけれど、旱にこぼれ雨ほどのききめもない。
犬さえ骨ばかりになって、ひょろひょろあるいている。町には、行路病者の死骸が、乾物みたいにからからになって捨てられてあったり、まだ息のある病人の着物を剥いで盗んでゆく非道な人間だのが横行していた。
突然、召状があって、範宴は叡山を下り、御所へ行くあいだの辻々で、そういう酸鼻[#ルビの「さんぴ」はママ]なものを、いくつも目撃した。
(ああ、たれかこの苦患を救うべき)若い範宴のちかいは、心の底にたぎってきた。
なんのお召しであろうか。
庁の中務省へゆくまでは範宴にも分らなかったが、出頭してみると、意外にも、奏聞によって、範宴を少僧都の位に任じ、東山の聖光院門跡に補せらる――というお沙汰であった。叡山では、またしても、
「あれが、少僧都に?」と、わざとらしく囁いたり、
「二十五歳で、聖光院の門跡とは、破格なことだ。……やはり引き人がよいか、門閥がなくては、出世がおそい」などと羨望しあった。
彼らの眼には、位階が僧の最大な目標であった。さもなければ勢力を持つかである。そして常に、武家や権門と対峙することを忘れない。
たれが奏聞したのか、範宴は、それにもこれにも、無関心のように見える。どんな毀誉褒貶もかれの顔いろには無価値なものにみえた。ただ、さしもの衆口も近ごろは範宴の修行を認めないではいられなくなったことである。一つの事がおこると、それについて一時はなんのかの蝉のように騒ぎたてても、結局は黙ってしまう。心の底では十分にもう範宴の存在が偉なるものに見えてきて、威怖をすら感ずるのであるが、小人の常として、それを真っ直にいうことができないで、彼らは彼ら自身の嫉視と焦躁でなやんでいるといったかたちなのである。
翌年秋、範宴は、山の西塔に一切経蔵を建立した。
(他を見ずに、諸子も、学ばずや)と無言に大衆へ示すように。
無言といえば、彼はまた、黙々として余暇に刀をとって彫った弥陀像と、普賢像の二体とを、彫りあげると、それを、無動寺に住んでいた自身のかたみとして残して、間もなく、東山の聖光院へと身を移した。
東山へ移ってからも、彼の不断の行願は決してやまない。山王神社に七日の参籠をしたのもその頃であるし、山へも時折のぼって、根本中堂の大床に坐して夜を徹したこともたびたびある。
彼が、その前後に最も心のよろこびとしたことは、四天王寺へ詣って、寺蔵の聖徳太子の勝鬘経と法華経とを親しく拝観した一日であった。
太子の御聖業は、いつも、彼の若いこころを鞭打つ励みであった。初めて、その御真筆に接した時、範宴は、河内の御霊廟の白い冬の夜を思いだした。
「あなたは、聖徳太子のご遺業に対して、よほど関心をおもちとみえる。まあ、こちらでご休息なさいませ」そばについて、寺宝を説明してくれた老僧が気がるに誘うので、奥へ行って、あいさつをすると、それは四天王寺の住持で良秀僧都という大徳であった。
この人に会ったことだけでも、範宴にとっては、有益な日であったし、得難い法悦の日であった。
この年、鎌倉では、頼朝が死んだ。そして、梶原景時は、府を追われて、駿河路で兵に殺された。武門の流転は、激浪のようである。法門の大水は、吐かれずして澱んでいる。
正治二年、少僧都範宴は、東山の山すそに、二十八歳の初春をむかえた。
この春を迎えて、聖光院の門跡として移ってからちょうど三年目になる。
門跡という地位もあり、坊官や寺侍たちにも侍かれる身となって、少僧都範宴の体は、おのずから以前のように自由なわけにはゆかなくなった。時には省みて、
(このごろは、ちと貴族のような)と聖光院のきらびやかな生活を面映ゆくも思い、
(狎れてはならぬ)と、美衣美食をおそれ、夜の具の温まるを懼れ、経文を口で誦むのをおそれ、美塔の中の木乃伊となってしまうことを懼れたが、門跡として見なければならぬ寺務もあり、官務もあり、人との接見もあり、自分の意見だけにうごかせない生活がいつの間にか彼の生活なのであった。
「お牛車の用意ができました」木幡民部が手をついていう。
民部というのは、範宴が門跡としてきてから抱えられた坊官で、四十六、七の温良な人物だった。
範宴は、すでに外出の支度をして、春の光のよく透る居室の円座に、刃もののように衣紋のよく立っている真新しい法衣を着、数珠を手に、坐っていた。
こういう折、朝夕に見る姿でありながら、坊官や侍たちは、時に、はっとして、
(ああ、端麗な)思わず眼がすくむことがある。
実際、このごろの範宴は、ひところの苦行惨心に痩せ衰えていたころの彼とはちがって、下頬膨れにふっくらと肥え、やや中窪で後頭部の大きな円頂は青々として智識美とでもいいたいような艶をたたえ、決して美男という相では在さないが、眉は信念力を濃く描いて、鳳眼はほそく、眸は強くやさしく、唇は丹を噛んでいるかのごとく朱い。そして近ごろはめったに外出もせぬせいか、皮膚は手の甲まで女性のように白かった。
だが、ふとい鼻骨と、頑健な顎骨が、あくまで男性的な強い線をひいていた。肩は磐石をのせてもめげないと思われるような幅ひろく斜角線をえがき、立てば、背は五尺五寸のうえに出よう、ことに喉の甲状腺は、生れたての嬰児の、拳ほどもあるかと思われるほど大きい。
この端麗で、そして威のある姿が、朝の勤行に、天井のたかい伽藍のなかに立つと、大きな本堂の空虚もいっぱいになって見えた。
口さがない末院の納所僧などは、
「御門跡のあの立派さは、どうしても、童貞美というものだろうな」などと囁き合った。
けれど、師の幼少から侍いている性善坊は、どうしても、
「だんだん、母御前の吉光さまに生き写しだ」と思えてならない。
ただ、濃い眉、ふとい鼻ばしら、嬰児の拳大もある喉の男性の甲状腺――それだけは母のものではない、強いて血液の先をたずねれば、大曾祖父源義家のあらわれかもしれない。
「では、参ろうかの」民部の迎えに、その姿が、今、円座を立って、聖光院の車寄せへ出て行った。
ちょうど松の内の七日である。範宴は、網代牛車を打たせて、青蓮院の僧正のもとへ、これから初春の賀詞をのべにゆこうと思うのであった。
供には、いつものように、性善坊と覚明との二人が、車脇についてゆく。
牛飼の童子まで、新しい布直垂を着ていた。
慈円僧正の室には、ちょうど、三、四人の公卿が、これも賀詞の客であろう、来あわせていて、
「御門跡がおいでとあれば――」と、あわてて、辞して帰りかけた。慈円はひきとめて、
「ご遠慮のいる人物ではない。初春でもあれば、まあ、ゆるりとなされ」といった。範宴は、案内について、
「よろしゅうございますか」蔀の下からいった。
「よいとも」僧正は、いつも変らない。
範宴も、ここへ来ては、何かしらくつろいだ気がする。僧正のまえに出た時に限って、童心というものが幾歳になっても人間にはあることを思う。客の朝臣たちは、
「は……。あなたが、聖光院の御門跡で在すか。お若いのう」と、おどろきの眼をみはった。
「おん名はうかがっていたが、もう五十にもとどく齢の方であろうと思っていたが」べつな一人も同じような嘆声を発すると、僧正はそばから、
「はははは、まだ、見たとおりな童子でおざる」といった。
「御門跡をつかまえて、童子とは、おひどうございます」
範宴は、師の房のことばに、何か自分の真の姿をのぞかれたような気がして、
「師の君の仰っしゃる通りです」と、素直にいった。
僧正は、相かわらず和歌の話へ話題をもって行った。そして、
「初春じゃ、こう顔がそろうては、歌を詠まずにはおれん。範宴も、ちかごろは、ひそかに詠まれるそうな。ここに在す客たちも、みな好む道――」と、もう手を鳴らして、硯を、色紙を、文机をといいつける。客の朝臣たちは、
(はて、どうしよう)というように、当惑そうな眼を見あわせた。そのくせ、青蓮院の歌会には、いつも、席に見える顔であり、四位、蔵人、某の子ともあれば、公卿で歌道のたしなみがない人などはほとんどないはずである。何を、眼まぜをしているのだろうか。とにかく、しきりと、もじもじして、運ばれてくる色紙や硯などを見ると、さらに、眉をひそめていた。
慈円は、いっこうに、頓着がない。好きな道なので、もう何やら歌作に余念のない顔である。
「いっそ、申しあげたほうが、かえってよくはあるまいか」
「では、そこもとから」
「いや、おん身から……」何か、低声で囁きあっていた朝臣たちは、やがて思いきったように、「ちょっと、僧正のお耳へ入れておきたいことがありますが」と、いいにくそうにいいだした。
「ほ? ……何でおざろう」
「実は、この正月にも、あちこちで、僧正のおん身に対して、忌わしい沙汰する者があるのでして」
「世間じゃもの、誰のことでも、毀誉褒貶はありがちじゃ」
「しかし、捨てておいては、意外なご災難にならぬとも限りませぬ。僧正には、まだ何もお聞きなさいませぬか」
「知らぬ」と、慈円はこともなげにかぶりを振った。範宴は、側から膝をすすめて、
「お客人」と、呼びかけた。
「師の君のご災難とは心がかり、して、それの取沙汰とは何を問題にして」
「やはり、和歌のことからです。――この正月、御所の歌会始めに主上から恋という御題が仰せ出されたのです。その時、僧正の詠進されたお歌は、こういうのでありました」と客の朝臣は、低い声に朗詠のふしをつけて、
松をしぐれの
そめかねて
真葛ヶ原に
風さわぐなり
「人というものは意外なところへ理窟をつけるもので、僧正のこの歌が、やがて、大宮人や、僧門の人々に、喧ましい問題をまき起す種になろうとは、われらも、その時は、少しも思いませんでした」
「ほほう」僧正自身が、初耳であったように、奇異な顔をして、
「なぜじゃろう?」と、つぶやいた。
「さればです」と、べつな朝臣が、後をうけて話した。
「――僧正の秀歌には主上よりも、御感のおことばがあり、女の局や、蔵人にいたるまで、さすがは、僧正は風雅なる大遊でおわすなどと、口を極めていったものです。ところが、心の狭い一部の納言や沙門たちが、その後になって、青蓮院の僧正こそは、世をあざむく似非法師じゃ、なぜなれば、なるほど、松を時雨の歌は、秀逸にはちがいないが、恋はおろか、女の肌も知らぬ清浄な君ならば、あんな恋歌が詠み出られるはずはない。必定、青蓮院の僧正は、一生不犯などと、聖めかしてはおわすが、実は、人知れず香を袂に盗んで口を拭く類で、祇園のうかれ女の墻も越えているのだろう、苦々しい限りである、仏法の廃れゆくのも、末法の世といわれるのも、ああいう位階のたかい僧正の行状ですらそうなのだから、まことにやむを得ないことだ、嘆かわしいことだなどと、讒訴の舌を賢げに、寄るとさわると、いい囃しているのです」
範宴は、自分のことでもいわれているように、眸を恐くさせて聞いていた。聞き終ってほっと息をつぎながら、僧正の面が、どんな不快な気しきに塗られているであろうと、そっとみると、慈円は、
「ははは」と、肩をゆすぶって笑うのであった。
「妙な批判もあるものじゃな、そんなことを沙汰しおるか」
「中には、僧正を、流罪にせよなどと、役所の門へ、投文した者もあるそうです」
「おどろき入った世の中じゃ、それでは人生に詩も持てぬ。文学も持てぬ。僧が、恋歌を作って悪いなら、万葉や古今のうちの作家をも、破戒僧というて責めずばなるまい」
「しかし、僧正の時雨のお歌は、あまりにも、実感がありすぎるというて、女を知らぬ不犯の僧に、かような和歌の作れるわけはないというのです」
「それがおかしい。僧とても、人間じゃ、美しい女性を見れば美しいと思うし、真葛ヶ原の風でのうても、血もさわげば、恋も思う。まして、詩や歌の尊さは、人間としての真を吐露するところにあって、嘘や、虚飾では、生命がない」そういって、慈円は、世評の愚を一笑に附したが、客の朝臣は、
「しかし、衆口金を熔かすということもありますから、ご注意に如くはありません」
「いわしておくがよい。自体、僧じゃから女には目をふさげ、酒杯の側にも坐るなとは、誰がいうた。仏陀も、そうは仰せられん。信心に自信のない僧自身がいうのじゃ。また、僧を金襴の木偶と思うている俗の人々がいうのじゃ。われらには、自分の信心を信ずるがゆえに、さような窮屈なことは厭う。たとえば、いつであったか忘れたが、室の津へ、船を寄せ、旅の一夜を、遊女と共に過ごしたこともある。その折の遊君は、たしか、花漆とかいうて、室の時めいた女性であったが、津に入る船、出る船の浮世のさまを語り、男ごころ女ごころの人情を聴き、また、花漆の問法にも答えてやり、まことによい一夜であったと今も思うが、みじんもそれが僧として罪悪であったとは考えぬ。月は濁池にやどるとも汚れず、心浄ければ、身に塵なしじゃ、そして、娯みなきところにも、娯み得るのが、風流の徳というもの、誹るものには、誹らせておけばよい」
慈円は、筆をとって、はや、想のできた和歌を、さらさらと書いていた。
朝臣たちも、僧正のことばに感じ入って、歌作の三昧にはいり、いつとはなく、そんな話題もわすれてしまったらしい。
ほどよく、範宴は辞して、聖光院へかえった。しかし、きょうの話題は、牛車のうちでも、寝屋のうちでも、妙に胸に蝕い入ってならなかった。
そして、僧正がいわれただけの言葉では、まだ社会へ対して、答えきれていない気がするのであった。仏法と女性、僧人と恋愛、それは、決して、一首の和歌の問題ではない。
この数日、範宴はそのことについて、熱病のように考えてばかりいた。解けない提案にぶつかると、それの解けきれるまでは夢寐の間にも忘れ得ないのが彼の常であった。
それから十日ほど後。青蓮院の文使いが見えた。
師の僧正からで、頼みの儀があるから来てもらいたいという文面であった。
僧正は待っていた。いつもながら明快で、元気である。訪れた範宴の顔を見ると、
「よう来てくれた。実はちと頼みおきたいことがあって」と、人を遠退けた。
「何事でございますか」範宴は、何となく、青蓮院のうちに、静中の動とでもいうような波躁ぎを感じながら師の眉を見た。
「ほかではないが、ことによると、わしはしばらく遠地へ参るようになるかもしれぬ。で、留守中のことども、何分、頼みおきたい」
「突然なことをうけたまわります……して何地へ?」
「何地へともまだわからぬが、行くことは確からしい。いつ参るともさしつかえないように、これに、いろいろ覚え書をいたしておいた。後の始末、頼むはおもとよりほかにない」と書付を一通、手筐のうちから出して、範宴のまえにおいた。
「かしこまりました」何も問わずに、範宴はそれを襟に秘めた。そして、
「さだめない人の世にござりますれば、仰せのよう、いつお旅立ちあろうも知れず、いつ不慮のお移りあろうも知れず、とにかく、おあずかり申しておきます、どうぞ、いかなる時もお心やすくおわされませ」といった。
「うむ」慈円は、自分の心を、鏡にかけて見てとるように覚っている範宴のことばに、満足した。
「たのむぞ」
「はい。しかしお心ひろく」
「案じるな、わしは、身の在るところに娯み得る人間じゃよ、風流の余徳というもの。――いや、風流の罪か、ははは」玄関のほうには、しきりと、訪客の声や、取次の跫音が客殿との間をかよう。
範宴は、長座を憚って、師の居室を辞した。そして、廻廊をさがってくると、
「兄上」見ると弟の尋有だった。
尋有は、憂いにみちた顔をしていた。いつもながら病身の弱々しさと、善良で細かい神経につかれている眸である。
「――もうお帰りですか」
「うむ、近ごろ体は」
「丈夫です」
「それはよい、真心をあげて、御仏にすがり、僧正に仕えよ」
「はい。……あの、ただいま、師の御房から、どんなお話がありましたか」
「おまえも、心配しているの」
「お案じ申さずにはおられません。わたくしのみでなく、ほかの弟子一統も、お昵懇の人々も、みな、客殿につめかけて、あのように、毎日、協議しておりますが……」弟のことばに、ふと、そこから院の西の屋を見やると、なるほど、僧正の身寄りだの、和歌の友だの、僧俗雑多な客が、二十人以上も、通夜のように暗い顔をして、ひそひそと語らっているのが遠く見えた。
尋有は、眼をうるませて、
「あのうちに、師の御房の和歌の御弟子、花山院の若君がいらっしゃいます」
「お、通種卿もおいでか」
「その他の方々も、兄上にお目にかかって、ご相談いたしたい儀があると仰せられますが、おもどり下さいませんか」
「そうか」範宴は考えていたが、
「お会いいたそう」
「お会いくださいますか」尋有はよろこんで先に立った。客殿の人々は、
「聖光院の範宴御房じゃ」と、ささやきあって、愁いの眉に、かすかな力づよさを持った。
「時に、ご承知でもあろうが」と花山院の通種や、弟子の静厳や、僧正の知己たちは、範宴を、膝でとりまいて、声をひそめた。
「――困ったことになりました。なんとか、貴僧に、よいお考えはあるまいか」と、いう。僧正の例の問題である。
一首の和歌が、こんなに、険悪な輿論を起そうとは思わないので、僧正はじめ、僧正に親しい人々もわらって抛っておいたところが、その後、問題は、禁中ばかりでなく、五山の僧のあいだにも起って、慈円放逐の問責がだんだん火の手をあげてきた。そして、
(青蓮院を放逐せよ)とか、はなはだしいのは、
(遠流にせよ)などという排撃のことばをかざして、庁に迫る者など、仏者のあいだや、官のあいだを、潜行的に運動してまわる策士があるし、朝廷でも、放任しておけない状態になったというのである。
で――いちど僧正を参内させ、御簾の前にすえて、諸卿列席で糺問をした上、その答えによって、審議を下してはどうかというので、この間うちから、青蓮院へ向って、たびたび、お召しの使いが立っている。ところが、僧正は、
(古今、詩歌に罪を問われたる例なし、また、詩歌のこころは、俗輩の審議に向って、説明はなし難し)と、いって、参内の召しに、応じようともしないのである。
再三の使者に、しまいには、頑然と首を振って、
「慈円は、病で臥しております」といって、居室に、籠ってしまった。
前の関白兼実の実弟にあたる僧正として、この不快、不合理な問題に対して、それくらいな態度を示したのは当然であり、歌人の見識としても、はなはだもっともなことなのであるが、そのために、朝廷の心証はいっそう悪くなって、
「さらば、不問のまま、遠流の議を奏聞すべし」という声が高まってきた。
月輪兼実が、朝廟にあって、関白の実権をにぎっている時代なら、当然、こんなことは起らないのであるが、その月輪公は、両三年前に、すでに官をひいて、禅閤ととなえ、今では隠棲しているので、それに代って、朝に立った政閥と、それを繞る僧官とが結んで、弟の慈円僧正をも、青蓮院から追い出して、自党の僧で、その後にすわろうという謀らみなのでもあった。
「すてておいては、僧正の罪を大きくするばかりです。範宴御房、師の君に代って、貴僧が、御所へ参って、申し開きをして下さるわけにはゆきませんか」
事件は複雑だ、裏と表がある。問題となった和歌などはむしろ排撃派の表面の旗にしか過ぎない、僧正があってはとかく思うままに振舞えない僧門の一派や、月輪兼実が隠棲したこの機に、旧勢力を一掃して、完全に自分たちの門閥で朝廷の実権を占めようとする新任の関白藤原基通や鷹司右大臣などの意志がかなり微妙に作用しているものと見て大差ない。
したがって、この事件に対して、範宴には範宴の観察と批判があった。大体、彼は僧正の態度に、賛同していた、僧正の覚悟のほどにも、さもあることと共鳴していた。
自分が叡山の大衆に威嚇され嘲罵されても、その学説は曲げ得られないように、もし僧正が、堂上たちの陰険な小策に怯じて、歌人としての態度を屈したら、詩に対する冒涜であり、また僧正自身の人格をも同時に捨てて踏みつけることになる。
で範宴は、師の房が、遠流になろうとも、あくまで正義を歪げないようにと心に祷り、今も、暗黙のうちに、師弟の心がまえを固めてきたところであるが、こうして、慈円の弟子や知己や、和歌の友人たちが、一室のうちに憂いの眉をひそめたり嘆息をもらして胸を傷めあっている状を見ると、あわれにも思い、また師の老齢な体なども思われて、むげに、自己の考え方を主張する気にもなれなかった。
「おすがりいたします、範宴御房、この場合、あなたのお力に頼むよりほかに、一同にも、思案はないのでございます」
花山院の公達もいうし、静厳もいうし、他の人々も、すべて同じ意見だった。範宴はやむなく、
「さあ、私の力で、及ぶや否やわかりませぬが、ご一同の誠意を負って、師の御房に代って参内してみましょう」と答えた。ちょうど、その翌る日にも、冷泉大納言から、慈円に病を押しても参内せよという督促の使者が来た。弟子の静厳から、
「先日もお答えいたした通り、僧正は病中にござりますが、もし、法弟の範宴少僧都でよろしければ、いつでも、参内いたさせますが」と代人を願った。使者が、折返して、
「代人にても、苦しゅうないとの朝命です」といってきた。そして、日と時刻とを、約して行った。
その日は、寒々と、春の小雨が光っていた。
身を浄めて、範宴は、参朝した。御所の門廊をふかく進んで、
「聖光院門跡範宴少僧都、師の僧正のいたつきのため、召しを拝して、代りにまかり出でました」
取次の上達部は、
「お待ち候え」と、殿上へかくれた。
初めて、御所の禁苑まで伺候した範宴は、神ながらの清浄と森厳な気に打たれながら、また一面に、いかにして今日の使命をまっとうするか、僧正の名を辱めまいかと、ひそかに、心を弓のごとくに張っていた。
「使僧範宴とは、何者の子か」関白基通が、鷹司右大臣を見ていった。
「さあ?」と鷹司卿はまた、冷泉大納言のほうを向いて、
「おわきまえか」と訊ねた。
「されば、あの僧は、亡き皇后大進有範の子にて日野三位の猶子にてとか」
「ほ。藤原有範の子か」基通は、黙った。
公卿たちの頭には、姓氏や家門というものが、人を見るよりも先に支配する。
無名の者の家の子なら、大いに蔑んでやろうと思ったかも知れないのである。
「そうか、有範の子か」囁きがその辺りをながれた。時刻を指示してあるので、公卿たちは、衣冠をつらねて、範宴の参内を、待ちかまえていたところであった。
やがて次々から、関白まで、取次がとどく。基通は、またその由を、御簾のうちへ奏聞した。
一瞬、公卿たちは、固唾をのむ。末座遠く、範宴のすがたが見えた。いっせいに、人々の眼が、それへ射た。
人々は、はっと思って、
(不作法者っ)と顔色を騒がせた。
なぜなら、ふつう、初めて参内する者は、遠い末席にある時から、脚はおののき、頸は、俯向き、到底、列座の公卿たちを正視することなどできないものであるのに、範宴少僧都は、怯じるいろもなく、砧の打目のぴんと張った浄衣を鶴翼のようにきちんと身に着け、眸を、御簾から左右にいながれる臣下の諸卿へそっと向けて、二歩三歩、座のところまで進んできた。
公卿たちが、はっと感じたのは、あまりに、彼のすがたが巨きく見えたためであった。およそどんな武将や聖でも、この大宮所で見る時は、あの頼朝ですらも小さく見えたものである。それが、まだ一介の若僧にすぎない範宴が、いっぱいに眼へ映ったことは、
(不遜な)という憤りを公卿たちに思わすほどであった。
しかし静かに、座をいただいて玉座のほうへむかい、やがて拝をする彼のすがたを見ると、公卿たちの憤りも消えていた。
作法は、形ではなくこころである。範宴の挙止には真が光っていた。
天皇も仏子であり、仏祖も天皇の赤子である。仏祖釈尊もこの国へ渡ってきて、東なる仏国日本に万朶の仏華を見るうえは、仏祖も天皇のみ心とひとつでなければならないし、天皇のおすがたのうちにも仏祖のこころがおのずから大きな慈愛となって宿されているはずである。
この国のうえに多くの思想や文化を輸入たもうた聖徳太子のこころを深く自己の心の根に培っていた範宴は、そういう常々のおもいがいま御座ちかくすすむと共に全身をたかい感激にひたせて、眩い額をいつまでも上げ得なかったのである。
御簾のうちはひそやかであったが、土御門天皇も、彼のそうした真摯な態度にたいして、しきりにうなずかせられていた。
やがて、鷹司卿が、
「使僧」と、よんだ。
「は」範宴は顔をあげた。
「おもと、何にても、師の慈円にかわって、答え得るか」
「師のお心をもって――」
「うむ」うなずいて少し膝をすすめ、
「さらば問うが、不犯の聖たる僧正が、あのような艶めかしい恋歌を詠み出でたは、そも、どういう心情か」
「僧も人間の子にございますゆえ――」
「なんじゃ」大胆な範宴の答えに、諸卿は色をなして、
「――では、僧正も人間の子なれば、女犯あるも、恋をするも、当りまえじゃと、おもとはいうか」
「さは申しあげませぬ」
「でも今、僧正も人間の子なればと、返答したではないか」
「いかなる聖、いかなる高僧といえ、五慾煩悩もなく、悪業のわずらいもなく、生れながらの心のまま白髪になることはできません。大地はふかく氷を閉ざしても、春ともなれば、草は萌え、花は狂う。その花もまた、永劫に散らすまいとしても、やがて、青葉となり、秋となるように。――これを大地の罪といえましょうか、大いなる陽の力です、自然の法則です」
「さような論は、云い開きにはならぬ、いよいよ、僧正の罪を、証拠だてるようなものじゃ」
「しかし」範宴の頬には若い血が春そのもののように紅くさした。
「しかし何じゃ」
「釈尊は、人間が、その自然の春に甘えて、五慾におぼれ、煩悩に焦かれ、あたら、永劫の浄土を見うしのうて、地獄にあえぐ苦患の状を、あわれとも悲しいこととも思われました。さらば弥陀は第一に、五戒を示し、五戒の条のひとつには、女色を戒めておかれたのです」
「それを犯した僧正は堕落僧じゃ、遠流に処して、法門の見せしめとせねばならん」
「僧正の身はご潔白です。あのお歌が、若々しい人間の恋を脈々とうたっているのでもわかります。密かに、女犯の罪をかさね、女色に飽いている人間ならば、あのお年齢をもって、あのような若々しい歌は詠み出られません。もう、人間の晩秋に近い僧正の肉体です。それなのに、まだあのような歌が詠まれるのは、いかに、僧正が、今日もなおお若いお心でいるかという証拠であり、そういう肉体を老年まで持つには、清浄な禁慾をとおしてきたお方でなければならないはずです。ことにまた、ご自身に、お疑いのかかるような後ろぐらい行状があれば、なんで、情痴の惻々と打つような恋歌などを、歌会の衆座になど詠みましょうか。もっと、聖めかした歌を詠んで、おのれの心をも、人の眼をも、あざむこうとするにちがいありません」
範宴はすずやかにいって退けた。ことばの底には、人を打つ熱があった。彼は、僧の禁慾がいかに苦しいものか、自分にとって尊いものか、現在の自分に比べても余りに分りすぎている。彼は、師の弁護をするという気持よりも、いつか自分の行の深刻な苦悩に対して、思わず涙を流していっているのであった。
弥陀は、人間になし難いことを強いた。五戒の約束がそれである。
求法の僧衆が、最も苦しみ闘うのは、そのうちでも「女色禁」の一戒であった。女に対して、眼をつぶることは、生れながらの盲人でさえもなし難い。
肉体の意慾を、押しふせ、押しふせ、ある年月までの行を加えてしまうまでは、たいがいな僧門の若者は、この一戒だけにも、やぶれてしまう。
しかも、この至難な行をのりこえて、聖とか、高僧とかいわれるほどの人は、そのほとんどが、ふつうの人以上に、絶倫な体力や精根の持ち主であるので、その行のくるしいことも、人以上なものである。それはちょうど、一刻、一日ごとに、血まみれな心になって磨いてゆく珠玉にひとしい。磨けば磨いてゆくほど愛着のたかまるかわりに、ひとたび手から落してしまえば、十年の行も、二十年の結晶も、みじんに砕けて、その人の求法生活は、跡かたもないものになる。
――なんで慈円僧正のような人がそんな愚をなそうか、僧正はすでに珠である、明朗と苦悩の域をとうに蝉脱した人格は、うしろから見ても、横から見ても、「禁慾の珠玉」そのものである。
そのすずやかな蝉脱のすがたは、歌人としては、随所に楽しむ――という主義の下に、人生を楽しみあそび、僧としては、浄土を得て、法燈の守りに、一塵の汚れもとめない生活をしている。いかに、さもしい俗人の邪推をもって僧正の身のまわりをながめても、僧正に、それ以上なものがなければ淋しかろうとか、不幸だろうとかいうようなことは考えもつかない沙汰である。さまでの僧正を、なおも強いて穢なき臆測で見ようとする人々には、よろしく、僧正と共に青蓮院に起臥してみるがよい。いかに、僧正が、女性のない人生をとおってきても、そこに少しの淋しさも不自然さもなく、いる所に楽しんでいるかの姿がきっとわかるに違いない。
範宴は、縷々として、以上のような意味を、並いる人々へ説いた。そして、
「若輩者が、おこがましい弁をふるいたてましたが、お師の君に、あらぬ世評のふりかかるは、弟子の身としても、口惜しい儀にぞんじます。何とぞ、煌々たる天判と、諸卿の御明断とを、仰ぎあげまする」といって、ことばを終った。
僧である以上、さだめし難かしい仏典をひきだしたり、口賢い法語や呪文で誤魔化すだろうと心がまえしていた人々は、彼の人間的な話に、
(正直な答弁である)と感じたらしく、その間に、口をさし挟む者がなかったばかりでなく、誰にもよく、僧正の人格というものが得心された。
主上は、御簾のうちへ、関白基通を召されて、何か仰せられている御様子であった。
基通は、退がって、
「範宴に、料紙と硯――を」と、側の者へいいつけた。
料紙台に、硯と、そして、主上からの御題が載って、範宴のまえに置かれた。
御題を詠じてさしだすと、こんどは、堂上たちが、
「この題で、一首」と、わざと困らすような難題を、次々にだした。
範宴は、筆を下に擱かなかった。公卿たちは、
「ほ……」と、その一首一首に、驚嘆をもらして、
「なるほど、歌才があれば、僧侶でも、どんなことでも自在に詠まれるものらしい」と、今さららしく、うなずいている者もあった。
「慈円は、よい弟子を持たれたものじゃ」範宴に対する諸卿の眼は、急にものやわらかになり、そして、慈円の咎めも、不問になった。
御簾を拝して、範宴は、退がろうとした。すると、
「ちと、待とう」と基通がいった。伝奏から、
「御下賜」とあって、檜皮色のお小袖を、範宴に賜わった。
範宴は、天恩に感泣しながら、御所を退出した。
牛車の裡に身をのせてから、初めて、ほっと心が常に返った。肌着にも、冷たい汗が感じられる。
「ああ、危ういことであった」しみじみと思うのである。
もし、きょうの使命をし損じたらどうであろう。堂上たちのあの空気では、恩師の流罪もあるいは、事実として現れたかもしれない。
女色だの、食物だの、生活のかたちは、僧は絶対に俗の人と区別されているけれども、政権の中にも僧があるし、武力の中にも僧の力がある、あらゆる栄職や勢力の争奪の中にも、僧のすがたのないところはない。
もともと一笠一杖ですむ僧の生涯に、なんで地位だの官位だのと、そんなわずらわしいものを、求めたり、持たせられたり、するのだろうか。
それがなければ、法門も、少しは浄化されるだろうに。衣食や女人ばかり区別しても、根本の生活行動が、政治や陰謀や武力と混同してあるいているのでは、何にもなるまい。
「だが……」と範宴は、自分を省みて、自分のすがたに恥じないでいられなかった。自分の身にも、いつのまにか、金襴のけさや、少僧都の位階や、門跡という栄職までついているではないか。
そして、今となっては、捨てるに捨てられない――
自己を偽れない範宴の気もちは、すぐにも、金襴や位階をかなぐりすてて、元の苦行の床へ返りたくなった。
「やがてまた、この身も、僧都となり、僧正となり、座主となり、そして小人の嫉視と、貴顕の政争にわずらわされ、あたら、ふたたび生れ難き生涯を、虚偽の金襴にかざられて終らねばならぬのだろうか」頬に手をあてて、湖のごとく静かに、しかし悶々と、心には烈しい懐疑の波をうって考えこんでいる範宴少僧都をのせて、牛車の牛は、使いの首尾を晴れがましく、青蓮院の門前へ返った。
「火事じゃないか」廊下に立って、覚明は、手をかざしている。
空は、ぼやっと白かった。夜霞のふかいせいか、月の明りはさしていながら、月のすがたは見えないのだった。
「そうよな……」性善坊も、眉をよせて、
「五条あたりか」
「いや、川向うであろう」
「すると、師の房の参られたお館に近くはないか」
「離れてはいようが、心もとない。上洛中の鎌倉の大名衆や執権の家人たちが、一堂に集まって、夕刻から、師の房に、法話をうかがいたいというので参られたのだが……」
「おぬし、なぜ、牛車と共に、お待ち申していなかったのじゃ」
「でも先方で、夜に入れば、必ず兵に守らせて、聖光院へお送り申しあげるゆえ、心おきなく、帰れというし、師の房も、戻ってよいと仰せられたから――」
「万一のことでもあっては大変じゃ。ちょっと、お迎えに行ってくる」
「いや、わしが行こう」覚明が、駈け出すと、
「覚明、覚明、今夜は、坊官の民部殿もおらぬのだから、おぬし、留守番していてくれい」
性善坊はもう、庫裡の方から外へ出ていた。
町へ近づくと、大路には、しきりに、犬がほえている。しかし、空の赤い光をたよりに駈けてきたが、加茂川の岸まで来ぬうちに、火のいろは消えて、その後ろの空が、どんよりと暗かった。
ばらばらと、辻から出てくる町の者に、
「凡下、火事はもう消えたのか」
「へい、消えたようでございますな」
「どこじゃったか」
「六条の、なんとやらいう白拍子の家と、四、五軒が焼けたそうで」
「ははあ、白拍子の家か。――では、近くに、貴顕のお館はないのか」
「むかしは、存じませんが、今はあの辺り、遊女や白拍子ばかりがすんでおりますでな」
「やれ安心した」ほっとしたが、凡下のことばだけでは、まだ何となく不安な気もするし、もう、師の房の法話もすんだころであろうと、性善坊は、走ることだけはやめて、足はそのまま五条の大橋を北へ渡って行った。
橋のうえから北は、さすがに、混雑していた。いつまでも去りやらぬ弥次馬が、遊女町の余燼をながめて、
「また、盗賊の仕業か」
「そうらしいて。悪酔いして、乱暴するので、遊ばせぬと断ったところが、手下どもを連れて、すぐひっ返し、見ているまえで、火を放けて逃げおったということじゃ」
「なぜ、見ていた者が、すぐ消すなり、人を呼ばぬのじゃ」
「そんなことすれば、すぐあだをされるに決まっとるじゃないか。鎌倉衆のお奉行ですら、あいつばかりは、雲や風みたいで、どうもならん人間じゃ」
そんな噂をしあって、戦慄をしていた。
その夜、範宴が求められて法話に行った武家邸は、火事のあった六条の遊女町とはだいぶ距たっていたが、それでも、性善坊が息せいて行きついてみると、門前には高張をつらね、数多の侍だの、六波羅衆の鞍をおいた駒などが市をなしていななきあい、こもごもに玄関へ入って、火の見舞いを申し入れていた。
法話に集っていた人々も、火事ときいて、あらかたは帰ったのであろう。性善坊は、混雑のあいだをうろうろしながら、家の子らしい一人の侍に、
「うかがいますが」と、腰を下げた。
「こよいの法筵にお越しなされた聖光院の御門跡は、どちらにおいで遊ばしましょうか」
「御門跡? ……。おお、あのお方なら、今し方、戻られた」
「ははあ、では、もうご帰院にござりますか」
「たった今、お館の牛車に召されて」
「お供は」
「郎党が、二、三名従いて行ったはずだが、折悪く、火災があってのう、充分なお送りもできず、申しわけのないことじゃった。おぬしは聖光院の者か」
「はい」
「いそいで行ったら追いつこうもしれぬ。ようお詫びしておいてくれい」性善坊はふたたび巷へもどって往来の牛車の影に注意しながら駈けて行った。けれど、どこで行きちがったか、五条でも会わず、西洞院でも会わず、西大路でも会わない。
聖光院へもどるとすぐ、
「覚明、師の房は、お帰りなされたか」
「いいや。……おぬし、お供してもどったのではないのか」性善坊は、早口に、巷のありさまや行った先の口上を話して、
「わしは、駈けてはきたが、それにしても、もう師の房の方が先にお着きになっていると思うたが……」
「それは、心もとないぞ」覚明は、房の内から顔を出して、空を仰ぎながら、
「遅いのう」
「うム……いくらお牛車でも」
「胸さわぎがする」と、奥へかくれたと思うと、覚明は、逞しい自分の腰に太刀の革紐を結いつけながら出てきて、ありあう下駄を穿き、
「行ってみよう」と、山門をくぐった。
ひところ、叡山の西塔にもいたという義経の臣、武蔵坊弁慶とかいう男もこんな風貌ではなかったかと性善坊は彼のうしろ姿を見て思った。
東山の樹下から一歩一歩出てゆきながらも、二人は今に彼方から牛車の軌の音が聞えてくるか、松明の明りがさすかと思っていたが、ついに祇園へ出るまでも、他人の牛車にすら会わなかった。
「いぶかしい?」
「牛車に召されたとあるからは、この大路よりほかにないが」並木の辻に立って見廻していると、松のこずえから冷たいものが二人の襟へ落ちてくる。
性善坊や覚明が、その夜も更けるまで血まなこになって探しているのに、どうしても師の牛車も見あたらなければ、院へも帰って見えなかったのは、次のような思いがけない事故と事情が、範宴の帰途に待っていたからだった。
…………
まだ六条の燃えている最中。
鎌倉者の郎党が三人ばかり、松明をいぶし、牛車の両わきと後ろに一人ずつ従いて、
「退け、退けっ」火事を見に走る弥次馬だの、逃げてくる凡下や女子供を押しわけて、五条大橋を東へこえてきたのが範宴をのせて聖光院へ送ってくる牛車であった。
川をへだてているものの、火とさえいえば、六波羅のまえは、四門に兵を備え、出入りや往来へ、きびしい眼を射向けている。
辛くも、そこを押し通って、西洞院の辻まで来ると、鎌倉者にしては粗末な具足をつけた小侍が、
「待てっ」と、ふいに闇から槍をだした。
供をしてきた郎党は透かさず、
「怪しい者ではござらぬ、これは頼家公のお身内土肥兼季が家の子にござるが、こよい法話聴聞のために、聖光院よりお迎え申した御門跡範宴少僧都の君を、ただ今、主人のいいつけにてお送りもうす途中でござる」といった。辻警固の小侍は、
「範宴少僧都とな」と、念をおした。
「されば」明答すると、
「役目なれば――」つかつかと牛車のそばへ寄ってきて、ぶしつけに簾の内をのぞき見してから、
「よろしい通れ」と許した。会釈して、まっすぐに進もうとすると、また、呼びとめて、
「あいや、こう行かれい」と、西を指さした。
それでは廻り道になると説明すると、小侍は、一方の大路にはこよい探題の邸へしのんで賊を働いた曲者があって、討手が歩いているし、胡散な者と疑われるとどんな災難にあうかもしれぬから親切に注意するのだといって、
「それをご承知ならばどう参ろうとこちらの知ったことじゃない」と、そら嘯いた。
辻警固にそういわれるものを無用にも進みかねて、範宴の意をうかがうと、
「遠くとも、廻り道をいたしましょう、軌の入らぬ細道へかかりましたら、降りて歩くも苦しゅうはありません」
「では牛飼」
「へい」
「すこしいそげ」西へ曲がって進ませた。
その牛車と松明の明りを見送って、下品な笑いかたをして、舌を出した。すると、並木の暗がりで、
「あははは」突然、大勢の爆笑が起って、ぞろぞろと出てきた異様な人影が、偽役人の彼をとり巻いてその肩をたたき、
「まったく、うめいや、てめいの作り声だの素振りだのは、どう見たって、ほんものの小役人だ。おかしくって、おかしくって、あぶなく、ふき出すところだったぞ、この道化者め」と、ある者は、彼の薄い耳を引ッぱって賞めそやした。
黒い布を顔にぐるぐると巻いた背の高い男である。裁著の腰に革巻の野太刀の背にふさわしい長やかなのを横たえ、五条大橋の方から風のように疾く駈けてきたが、そこの辻に佇んで笑いあっている一群を見ると近づいてきて、
「阿呆ども、そんなところに立って、何をげたげた笑っているのだ」
「あッ、親分ですか」
「並木の蔭へでも引込んでいろ。それでなくとも、六条の町の火放けは、天城四郎のしわざだと、もう俺たちの噂が、火よりも迅く迫っている」
「なあに、たった今まで、そこの並木の後ろにかくれて、親分の見えるのを待っていたんですが、そのうちに誰かが、退屈がって、通りかかった坊主の牛車を止めて、六波羅役人の真似をし、南へ行こうとする奴を西へ行けと、遠廻りをさせたもんだから、みんなうれしがって、囃していたところなんで」
「馬鹿野郎、いたずら事ばかりしてよろこんでいやがる。同じ悪戯をするならば、でっかいことを考えろ、もっと途方もない慾を持て。どうせ悪党の生涯は、あの炎のように、派手で狂おしく風のまま、善業悪業のけじめなく、したい放題にこの世の物を慾の煙の中に攫って短く往生してしまうのだ。ケチなまねをしても一生、大慾大罪の塔を積んでも同じ一生――」骨柄といい弁舌といい、この男がこの一群の頭領であって、すなわち、京の人々が魔のごとく恐れているところの天城の野武士木賊四郎にちがいない。
四郎は部下たちへ、こうひと演舌してすぐに、
「いや、それどころじゃねえ」とつぶやいた。
そして、西洞院の白い大路を透かしてみながら、
「もう追ッつけ来る時分だ……手はずをきめておかなくっちゃいけねえ、蜘蛛太、てめえは柄が小さいから人目につかなくっていい。五条のたもとまで行って、轅に螺鈿がちりばめてある美しい檳榔毛の蒔絵輦がやってきたら、そっと、後を尾けてこい。――それから他の者は、並木の両側にかがんで輦の行くままに気どられないようにあるいてゆけ。俺が、口笛を吹いたら、前後左右から輦へかかって、中の者を引っさらい、何も目をくれずに、淀の堤までかついで行くのだ」
「なんですか、その中の者てえな」
「後で拝ませてやる、俺が今、火事場に近い巷から見つけてきた拾い物だ、今夜、こんな拾い物があろうたあ思わなかった」
「ははあ、親分が見つけたというからにはまた、きりょうの美い女ですね」
「何を笑う。――自分を楽しませた後に、室の港へもってゆけば、大金になる女だ、しかも今夜のは、やんごとなき上

「蜘蛛太はどこへ行った?」と見廻した。
すると、群れのあいだから、河童頭のおそろしく背の短い男が出てきて、
「ここにいます」と四郎の顔を見上げて立った。
四郎の命をうけて、蜘蛛太の小さい影が、五条口のほうへ駈けてゆくと、いつのまにか他の手下たちも、両側の並木の闇へ、吸われるように隠れ込んでしまう。
一人――四郎だけが辻に立っていた。
火事の煙がうすらぐと共に、世間の騒音も鎮まって、おぼろな月明りが更けた夜をいちめんの雲母光りにぼかしていた。
やがて――そう間もないうちに――五条口から西洞院の大路を、キリ、キリ、とかすかな軌の音が濡れた大地を静かにきしんでくる。
(来たな)
と、四郎は知るもののごとく知らないもののごとく、依然として、腕ぐみをしたまま辻に突っ立っていると、たしかに、彼がさっき、朱雀のあたりで火事のやむのを待っている雑鬧の中で見とどけた一輛の蒔絵輦が、十人ほどの家の子の打ちふる松明に守られながら、大路の辻を西へ曲りかけた。
すると、そこに、天城四郎が石仏のように、腕ぐみをしながら立っているので、
「しッ!」牛飼が、声をかけた。
それでも動かないので、輦のわきにいた公卿侍が、
「退かぬかっ」叱りつけると、四郎は、初めて気づいたように顔をふり向け、赤々と顔をいぶす松明に眼をしかめながら、
「あ、ご無礼いたしました」
「かように広い道を、しかも、人も通らぬに、何で邪魔な所に立っているか、うつけた男じゃ」
「実は、手前はこよい関東の方から、初めて京へ参ったばかりの田舎侍で、道にまようて、ぼんやりと、考えていたもんですから」
「退け退け」
「はい、退きますが、少々ものをおうかがいいたす」と四郎は初めて、二、三歩身をうごかして、一人の公卿侍のそばへ寄って頭を下げ、
「鳥羽へ参るには、どの道をどう参ったらよいでござろうか」何気なく方角を指さして教えていると、四郎は、その侍が胸に革紐でかけている小筥をいきなりムズとつかんで、奪りあげた。
「あっ、何をする!」と叫んだ時は、すでに彼の影は輦から九尺も跳んでこっちを見ながら、
「欲しくば、奪り回せ」と、筥をさしあげて見せびらかした。
供の家の子たちは仰天して、
「おのれ、それには、今日の御所の御宴で、姫君がさるお方からいただいた伽羅の銘木が入っているのじゃ、下人などが手にふれたら、罰があたるぞ、返やせ、返やせ!」
「はははは、ちっとも、罰があたらないからふしぎだ」
「おのれっ」
松明が飛ぶ――
ぱっと火の粉を浴びながら四郎は駈けだした。口笛をふきつつ駈けだした。悪智の計ることとは知らずに、輦をすてて、侍たちは彼一人を追いまわして行った。
眼のいろ変えた供の侍たちを、ほどよい所までおびき寄せて、四郎は、
「よしっ」と自分へいって立ちどまった。そして、銘木の小筥を、
「これも金になる」と、その革紐を自分の首にかけて、やおら、長い野太刀の鯉口を左の手につかみながら、追ってきた人々を睨んで、
「貴様たち、命はいらないのか。おれを誰と思う、天城の住人木賊四郎を知らないやつはないはずだが、心得のない奴には、俺が、どんな人間かを示してやる。のぞみのやつは出てこいっ」
天城四郎と聞いて、人々はぎくとしたように脚の膝ぶしをすくめたが、
「だまれっ、鎌倉衆の探題所はすぐそこだぞ。わめけば、すぐに役人たちが辻々へ廻るぞ。足もとの明るいうちに、その銘木を返せ、お姫様にとっては、大事な品じゃ」
「わははは、役人が怖くて、悪党として天下を歩けるか。ばかな奴だ。試しに呼んでみろ、天城四郎と聞けば、役人のほうで逃げてしまうわ」
「ほざきおったな」十人もおればと味方の頭かずをたのんでいっせいに刃を抜きつらねて斬ってかかると、四郎は好む業にでもありつくように、野太刀の鞘を払って天魔のように持ち前の残忍を揮いだした。
逃げ損ねた者が二、三人、異様な声をあげて横たわった。折も折、彼らが二町も後ろに置き捨ててきた輦のあたりから、姫の声にまちがいない帛を裂くような悲鳴が流れてきた。それにも狼狽したであろうし、四郎の暴れまわる殺気にも胆を消したとみえ、侍たちは、足も地につかないでいずこへか逃げてしまった。
死骸の衣服で、ぐいぐいと刀の血をふきしごいて四郎は、肩のこりでもほぐしたように、両手の拳をたかく空へあげ、
「はははは」何がおかしいのか独りで笑った。
するとそこへ、河童頭の侏儒に似た小男が駈けてきて、
「親分」
「蜘蛛か、どうした?」
「うまくゆきました」
「女は」
「ひっかついで、この道は、人に会うといけないから、並木のうしろの畑道を駈けてきます」
「そうか」跳ぶが如く、堤を一つこえて、畑のほうを見ていると、蜘蛛太のことばのように、一かたまりの人影が、輿でもかつぐように、肩と肩とを寄せ合って、堤と畑とのあいだを、いっさんに駈けてくる。
黙って、四郎も走る、蜘蛛太も走る、そして、四、五町も来るとようやく安心したもののように息をやすめて、
「おい、一度下ろせ」と四郎がいった。
露をもった草の上に、ふさふさとした黒髪と、五つ衣の裳を流した、まだうら若い姫の顔がそっと横に寝かされた。
「かわいそうに夜露に冷えてはいけない、俺の膝に、女の頭をのせろ」と、四郎は堤の蔭に腰をすえた。
「どこかへ、体をぶつけやしまいな」
自分の膝に、姫の顔をのせて、琅

「手荒なことはしませんぜ」手下どもは、首をあつめて、その顔を見入った。
そして、仮死したままうごかない黛と、五つ衣につつまれた高貴さとに、女性美の極致を見たように茫然と打たれながら、
「ウーム……なるほどすごい」
「気だかい」
「上品だ、やはり、氏のよい女には、べつなものがあるなあ」四郎は、悦に入って、
「どうだ、俺の眼は」姫の額にかかっている黒髪のみだれをまさぐりながら、
「そこらの田に、水があるだろう、何か見つけて、掬ってこい」
「淀から舟に乗せてしまうまで、このまま、気を失っているままにしておいたほうがよかアありませんか、なまはんか、水をくれて、気がつくとまたヒイヒイとさわぎますぜ」
「しかし、淀まではだいぶある、その間に、これきりになってしまっちゃあ玉なしだ、いちど、泣かせてみたい、心配だからとにかく水をやってみろ」
「甘いなあ、親分は」一人が水を掬いに行くと、そのあいだに四郎は、
「女にあまいのは、男の美点だ、女にあまいぐらいな人間でなくて何ができるか、男の意欲のうちで、いちばん大きなものが、他人は知らず、俺は女だ。清盛にせよ、頼朝にせよ、もし女嫌いだったら天下を取ろうという気も起さなかったろう。その証拠には、あいつらが天下をとると、なによりもまっ先に振舞うのは、自分がほしいと思う女はすぐ手にかけることじゃないか、俺は無冠の将軍だ、天下の大名どものうえに坐ってみようたあ思わないかわりに、きっと、これと思う女は、手に入れてみせる」そこへ、土器の破片に、水をすくってきた男が、
「親分、水を」
「口を割ってふくませろ」姫は微かにうめいて、星のような眸をみひらき、自分をとりまいている怖ろしい人間どもの顔を悪夢でも見ているように見まわしていた。
「生きている」四郎がつぶやくと、手下どもが、どっと腹をかかえて笑った。その声は、雲間から吹き落ちた天

「どこへ行くっ?」四郎は、裳をつかんで、
「姫、もう諦めなければいけない、落着いて、俺の話を聞け」
「誰ぞ、来て賜も」姫は、泣きふるえた。
黒髪は風に立って、姫の顔を、簾のようにつつんだ。
それよりは少し前に清水坂の下を松原のほうへ曲がって、弥陀堂の森からさらに野を横切ってくる二つの人影がある。
師の範宴の帰途を案じてさまよっている性善坊と覚明のふたりで、
「覚明、あれではないかな」
「どれ?」
「むこうの畷」
「ほ、いかにも」
「松明の明りらしい」野を急いでゆくと、果たして、牛車に三、四人の郎党がつき添って西へ向って行くのであるが、どうやら道を迷っているものの如く、自信のない迷者の足どりが時折立ちどまってはしきりと不安な顔をして方角を案じているのである。
「うかがい申すが――」不意に、こう覚明が声をかけると、車のそばの眼がいっせいにふり向いて、
「何かっ?」と、鎌倉ことばで強くいった。
「車のうちにおわすのは、もしや聖光院の御門跡様ではござりませぬか」すると、簾の内で、
「おう」と、範宴の声がした。
「お師様」性善坊はそばへ駈け寄って、宵の火事さわぎや、諸処を探し廻ったことを告げ、
「なぜ、いつもにもなく、かような道へお廻りなされましたか。これでは、いくらお迎えに参っても、分るはずはございませぬ」
「いや、西洞院から東の大路は、なにやら、六波羅に異変があって、往来を止めてあるとのことで……」と、送ってきた従者が答えると、性善坊は、不審な顔をして、
「はて、あの大路は、つい先ほども幾たびとなく、師の房を探すために往還りしたが、なにも、さような気配はなかった」
「でも、明らかに、役人が辻に立っていて、そう申すので、やむなく、並木からこの畷へ出てきたが、馴れぬ道とて、いっこう分らず、困じ果てていたところ、お弟子衆が見えられて、ほっといたした」
「ご苦労でござった」と、覚明も共に、礼を述べて、
「これから先は、吾々両名でお供して帰院いたすほどに、どうぞ、お引取りねがいたい」
「では、牛車はそのまま召されて」
「明日、ご返上申します」
「いや、雑色をつかわして、戴きに参らせる、それでは、お気をつけて」送ってきた鎌倉者の侍たちは、牛飼も連れて、そこから戻ってしまった。
おぼろな野の中に牛車をとめて師弟は、宵の火事のうわさだの、法筵の様子だのを話しあって、しばらく春の夜の静寂に放心を楽しんでいたが、やがて、覚明は牛の手綱を握って、
「兄弟子、そろそろ参ろうじゃないか」
「行こうか。――急に安心したせいか、すっかり、落着きこんでしもうた。牛は、わしが曳こう」
「いや、わしのほうが、馴れているぞ」覚明は、もう先に歩いていた。つづいて夜露に濡れて汚れた軌が重たげに転りだす。
そして、およそ三、四町ばかり元の道へ引っ回して、並木の入口が彼方に見えたかと思うころ、覚明は、足をとめて、空の音でも聞くような顔をした。
「……耳のせいかな?」と、覚明がつぶやくと、
「なんじゃ」性善坊も立ちどまった。
するとこんどは明らかに、田か、野か、ひろい夜霞の中で笛のさけぶような女の声がながれて行った。
「あっ……」車廂へ、簾をあげて、範宴も遠くを見ていた。何ものかをその眼が見とどけたらしく、
「不愍な……」といった。そして、
「あれはまた、里の女が、悪い者にかどわかされてゆく泣き声ではないか。鎌倉殿の世となって、世は定まったようにうわべは見ゆるが、民治はすこしも行きわたらず、依然として、悪者は跳梁し、善民は虐げられている」
眉をひそめて嘆かわしげにいったが、とたんに、覚明は、手綱を、牛の背へ抛って、
「救うてとらせましょう」すぐ走って行った。
性善坊は、師のそばを離れることは不安だし、覚明ひとりではどうあろうかと、しばらく、佇んだまま見ていたが、おぼろな中に消えた友のすがたは、容易に帰ってこなかった。
「人を救うもよいが、覚明は、勇に逸るのみで、一人を救うがため千人をも殺しかねない男じゃ、性善坊、見て参れ」範宴も、心もとなく思われたか、車のうちからそういった。
「では、しばらくお一人で」いい捨てると、彼の体も、弦から放たれたように迅かった。堤のすそを流れる小川を跳んで、まだ冬草の足もとに絡みつく野を、いっさんに走ってゆく。
行くほどに、やがて、罵る声だの、得物を打ちあう音だのが、明らかに聞きとれてきて、雲母月夜の白い闇を、身を低めて透かしてみると、覚明法師ただ一人に、およそ、十四、五名の魔形の者が諸声あわせて挑みかかっているのだった。
「助勢に来たぞよ、覚明」近づきつつ、性善坊は、身を挺して、悪人たちの中へ割り入ろうとしたが、その時、突として横あいに傍観していた一人の男が、野中の一本杉の根本からついと彼の前へ寄ってきて両手をひろげ、彼をして、覚明の助勢をすることを不能にさせてしまった。
「おのれも、賊の組か」前に立った人影の真っ向へ拳をかためて一撃をふり下ろすと、相手は、飄として、身をかわしながら、
「てめえは、性善坊だな」
「やや」
「天城四郎を忘れはしまい」
「オオ、何で忘れよう、おのれとあっては、なおゆるせぬ」
「邪魔をすると、気の毒だが、命がないぞよ、常とちがって、今夜の仕事は、大事な玉だ」
見れば、一本杉の根もとには、彼らがここまでかついで走ってきた姫の体が、要心ぶかく縛りつけてある。その姫の顔には、声を出さないように、猿ぐつわが噛ませてある。
正義を踏んで立つ背には仏神がある。
「南無っ」といって性善坊は武者ぶりついて行った。
どこの女御かわからぬが、この悪人の餌にさせてはならぬ。今もって、悪業を行とし、京都を中心に近畿いったいをあらし廻る浄土の賊天城四郎の贄にさせてなろうかと、相手の正体を見、被害者の傷々しい姿を見ると、彼の怒りはいやが上にも燃えて、
「南無っ」組んで倒さんとすると、四郎も満身を怒肉に膨らませて、
「うぬっ」
「南無っ」
「うぬっ」死力と死力とでもみあううちに、仏神の助勢も、この魔物の悪運には利益も施す術なく見えて、
「あっ――」といったとたんに、性善坊の体は、大地へめりこむように叩きつけられていた。四郎はすぐ跳びかかって、
「どうだ、この野郎」馬乗りになって、彼の体に跨がり、短刀をぬいて、切先を擬しながら、
「ふだんから望んでいる西方浄土へ立たしてやる」すでに刺されたものと性善坊が観念したときである、彼方の大勢を、ただひとりの腕力で、蜘蛛の子のように蹴散らした太夫房覚明がふと振向いて、
「おのれっ」投げたのは、彼が、賊の手下から奪って賊を痛めつけていた金輪の嵌った樫の棒であった。
あたったら四郎の頭蓋骨は粉になっていたろう、四郎はしかしハッと首を前へかがめた。棒が、ぶうんと唸って背なかを越してゆく。それと、性善坊が足をあげて下から彼を刎ね返し、また、覚明が駈けてきて、四郎の肩をつよく蹴ったのと、三つの行動が髪一すじの差もない一瞬だった。
(しまったっ)というような意味のことばを何か大きく口から洩らしながら、四郎の体は、性善坊の上を離れて、亀の子のように転がったが、そこで刎ね起きたり、土をつかんだりするような尋常な人間ではなかった。蹴転がされると、そのまま、自分の意地も加えてどこまでもごろごろと転がって行って、四、五間も先へ行ってから、ぴょいと突っ立ち、
「やいっ、範宴の弟子ども」と、こなたを見ていうのだった。
「よくも、邪魔をしたな、忘れるなよ」呪詛に満ちた声で、こういい捨てると、まるで、印をむすんで姿を霧にする術者のように、影は、野末へ風の如く走って行った。
「女性、もうご心配はない」
「吾々は、聖光院の者じゃ、お供達もおわそうに、どう召された」
「負って進ぜる、背におすがりなされ」二人のこういう劬わりの言葉さえも、姫の耳に、はっきり入っているかどうか、姫は気もなえて、ただ、向けられた覚明の背を見ると、わなわなと顫きつつ、しがみついた。
二人は師の房の牛車のそばまで戻ってきて、
「お待たせいたしました。やはり、参らねば一人の女性が、悪人の贄になるところでした」範宴は、車からさしのぞいて、
「どこのお方か」
「まだ訊いてみませぬ」
「供の人でもおらぬのか」
「いるかもしれませぬが……見あたりません」
「いずこまで戻るのやら、負うても参れまい、わしが降りてやろう」
「お師さまはお歩きになりますか」
「うむ……」もう、範宴は足をおろしていた。姫は、疲れきった意識の下にも、何か、気がねをするらしく見えたが、覚明の背から、車のうちに移されると、初めて、真に安堵をしたらしく、
「ありがとうぞんじまする」微かにいってまた、
「西洞院の並木までゆけば輦もあり、供もいるはずでございますから……おことばに甘えて」
「お気づかいなさるな」牛車はすでにゆるぎ出した。範宴は、なにか空想に囚われていたらしく、牛車が廻りだしたのに驚いたかのような容子をした。そして、それに添って歩みだした。
しかし、姫のいう並木まで来ても、姫の従者は誰もいなかった。ただ一輛の蒔絵輦が、路ばたの流れの中へ片方の軌を落して傾いでいた。
「誰も見えんわ。女性、お住居はいずこでおわすか、ことのついでにご門前まで送ってとらせようと師の房が仰せられる。いず方の姫君か、教えられい」覚明が、車のうちへいうと、
「月輪禅閤の息女です」と、かすかに裡でいう。
「えっ」驚いたのは、覚明や性善坊ばかりではない、範宴も意外であったように、
「では、あなたは、月輪殿のご息女……するとあの玉日姫でいらっしゃるか」
「はい」だいぶ落着いたらしく、はっきりと姫は答えた。
「やはり……仏天のおさしずじゃった……道に迷うたのも、吾々が師の房をさがし求めて行きあわせたのも……。なんと、ふしぎじゃないか」性善坊は覚明と顔を見あわせて、そういった。
青蓮院の僧正の姪にあたる姫の危難を、僧正のお弟子にあたる師の房が救うということは、そもそも、どうしてもただの偶然ではない。仏縁の他のものではない。ありがたい大慈の奉行に勤めさせていただいたものであると、二人は、涙をながさないばかりによろこび合った。
月輪の里まで送って行くつもりであったが、姫を乗せた牛車が四、五町行くと、彼方から一団の焔と人影とが駈けてくるのと出会った。
人々は、手に手に松明をかざしていた。また、太刀だの、長柄だの、弓だのを携えていた。そして此方の牛車を見かけると、
「怪しげな法師、通すな」と取り囲んで騒めいた。性善坊は、疾く察して、
「もしや、おのおのは、月輪殿のお召使ではありませぬか」
「さればじゃが……そういうところを見ると、おぬし達は、姫ぎみの身について、なにか存じているところがあるに相違あるまい。姫は、どうしたか、存じ寄りもあらば教えてくだされい」
「その玉日様ならば、これからお館へお送りしようと考えてこれまで参ったところです。おつつがなく、牛車のうちにおいで遊ばされる」嘘かと疑っているらしく、初めは、そういう性善坊の面を睨みつけていたが、やがて、前後の事情をつぶさに訊かされたうえ、姫のために車を与えて、車の側に歩行しているのは聖光院門跡の範宴であるときかされて、月輪家の人々は、大地へ手をつかえて、
「知らぬこととは申せ、無礼の罪、おゆるし下さいませ」
「これこそ、あらたかな御仏の御加護と申すものでございましょう」
「館のおよろこびもいかばかりか……」
「いずれ改めてご挨拶に出向きまする」
「ああ、ほっとした」
「ありがたい」と、いってもいってもいい足りないような感謝の声をくりかえして、人々は、姫の側近くに集まった。覚明は牛の手綱を渡して、
「では、確かに、姫の身は、お渡しいたすぞ」
「はい。……それでは」と月輪家の者が代って曳いた。姫は、車の裡から、
「この車まで、いただいては」と、遠慮していった。
「どうぞ、そのまま」範宴は、姫の顔を、前よりも鮮やかに見た。
姫は、涙でいっぱいになった眸で、頭を下げた。その黒髪の銀釵はもう揺れだした軌に燦々とうごいていた。召使たちは、何分にもお館の心配を一刻もはやく安んぜねばと急ぐように、車の返却や礼のことばは明日改めてとばかり先を焦いて曳いて行った。
廻る輪の光を迅く描いて、軌は白い道に二筋の痕をのこして遠ざかった。キリ、キリ、と朧な闇に消えてゆく車の音に、範宴は、いつまでも立ちすくんでいた。おそろしい力が、今自分の信念もいや生命までも肉と魂とを引き裂いて胸のうちから引っ張ってゆくのではないかと気づいて、慄然と、われに回った眼で、雲母曇りの月を探した。
冷たい円座に身を置き、冷たい机に肱をよせ、範宴は何かの筆を執っていたが、その筆を投げるようにおいて眼をとじた。眉に一すじの針が立つ。
かろく頭をふりうごかしている。そしてまた、筆を執った。
「…………」無我になろうとする、無想の境にはいろうとする、写経の一字一字に、筆の穂に、あらゆる精をこめて――雑念を捨てて――
怖いような横顔であった。筆の軸にかけている指の節々にさえ異様なものがこもっているように見える。
「……少僧都様、御門跡様、御写経中を恐れいりまするがちと申し上げまする」
坊官の木幡民部である。最前からうしろに両手をつかえて機を見ているのであったが、容易に範宴の耳に入らないらしい。――で、少しすり寄って畏る畏るこういうと、
「何か」と、範宴は顔を向けた。きっと射るような眼を向けた。
「お客殿に、あまり永うお待たせ申し上げておりますが」
「誰が?」と、考えるようにいう。
これには民部もちょっと意外な面指を示した。花山院の公達がいつぞやの僧正の件についての礼に来ているということはもう半刻も前に取次いであるのに――と思ったが、もういちど改めて、
「花山院の御公達が見えられて、先ほどより、お客間にいらっしゃいますが」
「そうそう、そうであったな」
「お通し申し上げましょうか」
「いや、待て。……今日は範宴、何とも体がすぐれぬゆえにと――ようお詫びして帰してくれい」
「は……。ではお会いなさいませぬので」
「何とも、会いとうない」やむを得ず民部は退がってゆくのであったが、いつに似気ないこともあるものだと思った。客に接するのにこういうわがままなどいったことのない範宴である。それに、この数日来というものは、語気にも霜のようなきびしさと蕭殺たる態度があって、ほとんど人をも近づけぬ烈しさが眉にあらわれることがある。
(師の君は、近ごろ、どうかなされている)それは民部のみが感じるのではない。性善坊もいうし、あの神経のあらい覚明でさえ気づいている。
いや、気づいていることは範宴自身が誰よりも知っていた。そして、こういう自分の焦躁を、自ら省みて口惜しいとも浅ましいとも思い、あらゆる行に依ってこの焦だちを克服してしまおうと努めるのであったが、意識すればするほどかえって心はみだれがちになり、あらぬもののほうへ囚われてしまうのであった。
こういう現象は、つい七日ほどまえの夜からであった。あの夜以来、範宴の眸にも、心にも、常に一人の佳人が棲んでいた。追おうとしても、消そうとしても、佳人はそこから去らなかった。そしてある時は夢の中にまで忍び入って、範宴の肉体を夜もすがら悩ますのであった。
一日ごとに春は熟れてくる。
範宴は狂わしい眼で外を見た。聖光院の庭は絢爛な刺繍のようだった。連翹のまっ黄いろな花が眸に痛い気がする。木蓮の花の白い女の肌にも似た姿が意地わるい媚のように彼には見えた。
何を見ても触れても、甘酸っぱい春の蜜を湛えている自然である。蜂も、鳥も、猫も、恋をしていた。
(人間もその自然の下にあるものなのに)範宴は自分に宿命した自分の秘密を、時には、不幸な胎児のように不愍に思うことがあった。
絶対に、この世の光を浴みさせることのできない秘密の胎児――生れでる約束をもたずに出命した暗闇の希望――こういう煩悶に彼は打ち勝とうとすればするほど人格の根柢から崩されてしまうのだった。
「玉日……」思わず口の裡でこう呼んでみて、せめてもの心遣りにすることすらあった。熱い息の中で、
「玉日……」と、声なくいってみるだけでも幾らかの苦悶のなぐさめにはなる気がしたが、とたんに、自己のすがたを振向いて、聖光院門跡範宴という一個の人間を客観すると、
「ああ……」手を顔におおって潸然と御仏のまえに罪を謝したくなる。
つよい慚愧と、自責の笞に、打って打って打ちぬかれるのだった。誰か、杖をあげて、
(この外道)と肉の破れるほど、肉体がいまわしい空想や欲望を抱く知覚を失ってしまうほど、打ちすえてくれる人はないものかと思う。
彼は、泣いて、仏陀のまえへ走った。そして、ほとんど狂人のようになって誦経した。また、一室にこもって凝坐した。
(だめだ)脆くも、そういう叫びが雑念の底からもりあがる。
磯長の太子堂に、叡山の床に、あの幾年かの苦行も今はなんの力のたしにもならなかった。瞼をとじれば瞼の中に、心をしずめればその心の波に、空を仰げば空の藍の中に、玉日の姿が見えて去らない。
「いっそ、僧正におうち明けして、僧正のお叱りをうけようか」とも考え、また、南都の覚運僧都のもとへ行って、ありのままに訴えてみようかとも幾たびか思い悩んだが、聖光院の門跡という地位がゆるさないことだし、彼自身の性格としても、自分の力で解決しなければならない問題だと思うのであった。そして、この苦悶を克服することが、自分を完成するかしないかの境目であるとも考えていた。いかにして、精神が肉体に克つか、信仰が肉体を服従させきれるか、彼は、二十八歳の青春と旺なその血液とを、どうしたら灰のような冷たいものにさせてしまうことができるかということにこの三月を懊悩の裡に暮していた。
東山に雲が低く降りていた。白く乾いた道に、埃が舞う。
「おお、ひどい」どこかの奥仕えらしい中年の女が、立ちすくんで、裳を押えた。落花を捲いてゆくつむじ風が、女の胸にかかえている一枝の牡丹の葉を

「童女、童女、傘をさして賜も」風がすぎると、もうぱらぱらと雨がこぼれてきた。
柄の長い飴色の大きな傘を、童女はうしろから翳しかけた。
「聖光院はまだかの」
「あの白い壁の御門がそうではありませんか」雨は小粒になって、風も止み、雲も切れて、湯気のような春光の中に、どこかで啼く鶯の声がしていた。
童女は、濡れた傘をたたんだ。そして聖光院の式台へかかって、
「おたのみ申します」といった。
坊官が出てきてひざまずいた。そして、女の姿と、牡丹の枝に眼をみはった。女はしとやかに、
「私は、月輪禅閤の奥に仕える万野と申すものでございますが、御門跡様へお目にかけたいとて、室咲の牡丹を一枝、お姫様の思し召で持参いたしました。また、この御書面は、お父君の禅閤様からのお墨、御返事をいただけますれば倖せにぞんじます。……どうぞよしなに、お執次ぎを」と、牡丹に添えて、書面をさしだした。
坊官は、木幡民部へ、その由を告げた。民部は、月輪からの使いと聞いて、
「どうぞご休息を」と、万野を控えの間へ通した。
「これはお見事な……」と、牡丹をながめて民部はつぶやいた。花はまだ開いていないが、雨に濡れた葉の色が美しかった。
さっそく、範宴の室へ、民部はそれを持って行った。範宴は、姫からの贈り物と聞いて、眉に、よろこびをたたえた。
書面を一読して、すぐ、返事を認めた。そして使いを帰した後で、みずから白磁の壺をとりだして、それへ牡丹を挿けた。
「……あの人の姿のままだ」白磁の水ぎわから生々と微笑んでいる枝ぶりをながめて、範宴はその日の憂鬱を忘れていた。
禅閤からの書面には、いつぞやの礼を尽してあった。玉日姫の難を救ってもらったことが、父として、どれほどかありがたくうれしかったものとみえて、その礼の使者は今日ばかりではない、青蓮院の僧正を通じたり、直接に家臣を向けてよこしたり、あらゆる感謝の意を示したのであるが、範宴にとっては、今日の牡丹の一枝ほどうれしい贈り物はなかった。
しかし、それでもまだ禅閤は恩人に対しての誠意があらわしきれない気がするものと見えて、今日の書面では、ぜひ、青蓮院の僧正と共にいちど館へ遊びにきていただきたい、なにも、ご歓待はできないが、月輪の桜も今がさかり、月もこのごろは夜はわけても佳し、折から、めずらしい琵琶法師が難波から来て滞在しているから、平家の一曲をお耳に入れ、姫や自分からも、親しく、先ごろのお礼を申しのべたい、という懇切な招きなのであった。
範宴は、いずれ僧正と相談の上で――と返辞したが、心はむろん行くことに決めていた。
吉野の桜はもう散って吹雪になっていたが、月輪の里の八重桜は今が見ごろだった。
雪のように梢に積んだ厚ぼったい花は、黄昏と共に墨のように黒ずんでいたが、やがて宵月の影がその花の芯にしのび入るころになって、万朶の桜が、青銀色な光をもって、さわさわと乾いた音を風の中に揺り動かした。
「こよいの客人は、姫の生命の親じゃ、粗略がないように」と、月輪の館では、禅閤を初め、家族たちや召使の端までが、細かい気くばりをもって、門を清掃して、待っていた。
やがて、一輛の牛車に、二人の客が同乗してきた。むろん、範宴と慈円僧正である。
「お待ち申しておりました」家臣は、列を作して迎えた。禅閤は式台まで出迎えて、
「ようこそ」と、みずから客殿へ導いてゆく。
前の摂政太政大臣であり関白の重職にまでなった禅閤兼実の住居だけあって、その豪壮な庭構えや室内の調度の贅沢さには眼も心も奪われるような心地がする。
範宴は、数年前に、師の僧正と一伴に、いちどここへ来たことがある。その時は、見るかげもなく痩せおとろえて旅から帰ってきたばかりであったし、自身もまだ名もない一学徒にすぎなかったので、ここの家臣たちは誰もその時のみすぼらしい若法師がこよいの主客であるとは気がついていないようであった。大勢の侍女たちと一緒に何か遊戯をしている所へ来あわせたので、自分にも眼かくしをせよといって困らせられたことを範宴は今ぼんやりと思い出していた。
その姫はまだ顔を見せなかった。たくさんな燭のあいだを美しい人々が高坏やら膳やら配ってまわる。みな一門の人々であろう、範宴と僧正とを中心にして十人以上の人々がいながれている。
「酒は参られるのか」まず主客の範宴に、禅閤からすすめると、範宴は、
「いただきませぬ」と、はっきりいった。
僧なのでむげにはすすめなかった。僧正はすこしは嗜む口なのである。それに、主の禅閤とは骨肉の間がらではあるし、ここへ来てはなんのわけ隔てもない。
「範宴のいただかぬ分は、わしがちょうだい申そう、こよいは、お志に甘えて、堪能するほど飲もうと思う、帰りには、車のうちまでかいこんでもらいたいものだ、それだけは頼んでおくぞ」僧正はそういっていかにも帯紐を解いたような容子で杯をかさねはじめた。褝閤も、今は隠棲して老後をたのしむ境遇である。こういう夜は、客よりも、彼自身の生活のふくらみであった。
「青蓮院どの、それでは、主客顛倒というものではないか」
「なに、範宴には、料理をたんと出しなされ」
「範宴御房、どうぞ、お箸をおとりくだされい」
「いただいています、僧正のこういう自由なお姿を見ているのは、私として、何よりの馳走に存じます。また、羨ましくも思われます」
「ははは、範宴が、何かいうとる」僧正はもう陶然と酒仙の中の人だった。
「姫が見えぬが」とやがて僧正が訊ねた。月輪禅閤は、侍臣をかえりみて、
「まだ支度か。客人もお見えになっているのに」と、つぶやいた。
「お伝えして参りましょう」侍臣の一人が立って行った。花明りの廊下の彼方へその姿が朧になってゆく。廊には、燈の入った釣龕燈が幾つとなく連なっていて、その奥まった一室に、姫は、帳を深く垂れて、化粧をしていた。
湯殿から上がったばかりの黒髪はまだ濡れていた。童女たちは、柳裏の五つ衣を着た彼女のうしろに侍っていいつけられる用事を待っていた。侍女の万野は、姫の黒髪の根に伽羅の香を

やがて、姫は鏡を擱いた。そこへ廊下からの声が、
「お姫様。叔父君にも、お客人にも、お待ちかねでございまする」万野がすぐ、
「はい、もううかがいます」と答えた。
窓から花明りの風がさやさやと流れこんで姫の黒髪を乾かした。
「お姫様、それでは」促すと、玉日は、静かに立って童女や万野と連れだって自分の部屋を出た。そして、客殿の輝かしい明りが池殿の泉に映って見えてくると、玉日は、立ちどまってしまった。
万野が振り向いて、
「お姫さま。どう遊ばしたのですか」姫は、欄の柱へ顔をかくして、
「何やら、面映ゆうなった」
「まあ……何の面映ゆいことがございましょう、お内輪の方ばかりですのに」
「でも……」
龕のうえから、白い花びらが一ひら蛾のように舞って、姫の黒髪にとまった。万野が手をのばす前に、姫は自身の手でそれをとって、指の先で、弄びながら、
「私が、ご挨拶に出ないでもいいのでしょう。お父君から、ようく、お礼をいってくださるから」
「そんなことはなりません」万野は、姫が、いつものわがままを出して、駄々をこねるのであろうとばかり受け取っていたので、ややうろたえた。
「さ……参りましょう。なんで、こよいに限って、そんなにお羞恥み遊ばすのですか」
「羞恥むわけではないけれど……」
「では、よいではございませぬか」手を引くようにして、万野と姫とが、客殿のほうへ近づいてゆくと、眼ばやく、叔父の僧正が、
「見えられたな、さあ、ここへこい、わしのそばへ」と、さしまねく。
僧正の眼には玉日姫が、いつまでたっても、無邪気な少女としか見えなかった。今になっても、時々範宴を子ども扱いするように、玉日をも、幼子のままに見て、膝の上へでも乗せそうに呼ぶのであった。
僧正が戯れでもいわなければ誰も座を和らげる者はなかった。姫のひとみは眩ゆいものの前にあるように、絶えず俯向きがちであるし、範宴も口かずをきかないのである。ことに、かんじんなその主客が酒をたしなまないので、禅閤は興のしらけるのを懼れるように、しきりとみずから銚子を取って杯に心づかいをしたり、世事のうわさなどを持ち出して話題を賑わせたりしていたが、やがて側の者に何かささやくと、その家臣は館のどこからか一人の盲目法師の手をひいて、この客殿へ伴ってきた。
「これは近ごろ名高い琵琶の上手で、峰阿弥という法師です」禅閤が、紹介わせると、盲目の峰阿弥法師は与えられた席へ琵琶をかかえてもの静かに坐って、黙然と頭を下げた。
もう五十に近かろう、長い眉毛には霜がみえる、深く窪んでいる眼は針のように細い線があるだけだった。盲人の癖として、首をすこし傾げたまま、客の容子や灯りの数や自分の位置がどういう辺りにあるかを勘で見ているらしい面持ちであった。
「峰阿弥といわれるか」僧正がたずねると、
「はい」声のほうへ頭を向けて、
「かような貴人のおん前に召されまして、冥加のいたりでございます」
「酒はのむか」
「むかしは過ごしましたが、このごろは……」
「眼はすこしも見えぬようじゃな」
「業の報いでございましょう」
「幼少から?」
「いいえ十年ほどまえからでございました。いかなる病毒をうけましたやら、ほとんど一夜のうちに眼がつぶれ、その当座はまったく世の中が闇になったように思いましたが、馴るるに従って不便もわすれ、いささか好む琵琶を弾いて生業といたし、こうして花に月に、風のままに召さるる所へ参じては御宴の興をたすけ、独りになれば琵琶を妻とも子とも思うて暮しておりますと、いっそ、眼が開いて五慾の煩悩にくるしんでいた時よりは、心も清々としてよいように存じまする」
「ははは、ようしたもののう」禅閤は、範宴へ向って、
「何ぞ曲をのぞんでやってください、唐曲も弾くし、平家も詠う」峰阿弥は、手を振って、
「なかなか、唐曲などは」と謙遜した。
範宴は、曲を聴くことものぞましいが、もっと、この法師の身の上やまた眼が見えぬ人間の生活が訊きたかった。
だが峰阿弥は、客が倦まぬうちにと思ったか、琵琶をかかえ直して、はやくも絃を調べにかかる。四絃のひびきがすると、端居していた侍たちだの、次の間にいた童女や召使までが、席へ近くにじり寄って皆耳をすましていた。
琵琶の海老尾に手をかけて、四つの絃の捻をしきりと合せていた峰阿弥は、やがて、調べの音が心にかなうとやや顔を斜めに上げて、客か主人かが所望の曲をいい出すのを待っているような容子であった。そこで、僧正が問を入れた。
「法師」
「はい」
「そちの琵琶は唐作りのように見ゆるが、やはり舶載物か」
「いいえ、古くはございますが、日本でできたものでございましょう、銘に、嵯峨とありますゆえに。それに、唐琵琶は多く胴を花梨でつくりますが、これは、日本の黄桑でございます」
「日本に琵琶の渡ってきたのは、いつのころからであろう」
「さよう――」峰阿弥は、見えない眼をしばたたいて、
「よう、存じませぬが、推古朝の時代、小野妹子が隋の国から持ってきたと申す説、また、仁明帝の御世に遣唐使藤原貞敏が学んで帰朝したのが始まりであると申す説と、いろいろにいわれておりまするが、いずれにしても天平のころからあったということは光明皇后から東大寺へ御寄進なされました御物を拝見いたしましても頷けることでございましょう」
「本朝で、琵琶の上手といわれる人は」
「ただ今申しました藤原貞敏卿や宇多源氏の祖敦実親王、また親王の雑色で名だかい蝉丸」
「当代では」
「畏れ多いおうわさでございますが、高倉天皇の第四の王子、上皇とおなり遊ばしてからは後鳥羽院と申し上げているあの御方ほどな達人は先ずあるまいと下々の評でございまする」禅閤兼実はうなずいて、
「いかにも」と相槌をうった。
峰阿弥は問わず語りに、
「私などが存じあげた沙汰ではございませんが、世評によると、後鳥羽院と仰せられる御方は、よほど秀才だと申すことです。新古今和歌集の撰を御裁定あそばしたり、故実の講究にもおくわしく、武道に長じ、騎馬と蹴鞠はことのほか優れておいで遊ばすそうで、わけても下々の驚いているのは、画なども、ふつうの画工などは遠く及ばないものだと申すことでございます。――その後鳥羽院はまた、御気性のすぐれておいで遊ばすだけに、今は亡き源義経公とは、たいそうお心が合って、勤王の志のあつかった義経公を、いまだに時折、ご側近の方々へ嘆きをお洩らしなさるそうでございます。そして、頼朝公の亡き後の北条一族の専横を御覧ぜられ、武家幕府の奢りを憎み給い、やがては鎌倉の末路も久しからずしてこうぞよという諷刺をふくめて、前司行長に命じて著作らせましたのが、このごろ、しきりと歌われる平家の曲でございます。上皇はそれを、性仏という盲人に作曲させ、民間へ流行らせることまでお考えになりました。その御心は忠孝な道の節義を教え、奢る者の末路を誡められましたものでございまして、私の語るところも、実はその性仏から教えをうけたものでございますゆえ、まだ糸にも歌にも馴れぬ節が多いので、さだめし、お聞きづらかろうと思うのでございます」
燭が白々と峰阿弥の肉の削げた頬にゆらいでいた。人々は、平家の曲が近ごろ流行していることは知っていたが、後鳥羽院のお心にそういう深いお考えがあることは、誰も初めて知ったようであった。
僧正は側にいる範宴をさして、
「これにいる少僧都範宴は、今峰阿弥のいうたように、後鳥羽院より格別な寵遇を賜うた義経公とは復従兄弟の間がらじゃ、院の御心を偲び参らせ、また、こよいの主客とは由縁もふかい平家の曲を聞くのは何よりの馳走に思う。法師どの、早速に語られい」といった。
源家の英雄児義経とここにいる範宴とが、復従兄弟にあたるということは、禅閤のほかは皆初めて聞いたらしく、主客の端厳な姿に改まった眼を、そっと向けあうのであった。
つつましく燭を羞恥んでいる姫のひとみさえ、深い睫毛の蔭から眩ゆいものでも見るように範宴の横顔を見たようであった。
峰阿弥は、
「かしこまりました」一礼して、撥を把り直した。
四絃をぴたと構え、胸を正しくのばすと、芸の威厳といおうか、貴人の前も忘れたような彼だった。このとき位階や権門も芥のようなものでしかなかった。しいんとしずまる人々を睥睨して――
諸行無常のひびきあり
沙羅双樹の花のいろ
生者必衰の理をあらわす
おごれるもの久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人もついには亡びぬ
ひとえに風のまえの塵のごとし
遠く異朝を訪ぶらうに
秦の趙高
漢の王莽、梁の朱

旧主先皇の政にもしたがわず
楽しみを極め
諫めをも思い入れず
天下の乱れをも悟らずして
民の愁いも知らざりしかば
みな久しからずして
亡じにし者どもなり
近く本朝を慮るに……

さきの太政大臣平の朝臣
清盛公と申しし人のありさまこそ
詞も筆おろかよ、及ばね
その先祖をたずぬれば
桓武天皇第五の皇子
葛原親王九代の後胤――
平家の曲の大部を残らず弾くとすれば、夜の明けるまで語ってもとても語り切れる長さではない。峰阿弥はその大部なものの要所だけを縫って、たくみに、平家一門の華やかな一時代と幾多の儚い物語とを綴って、やがて屋島から壇の浦の末路へまで語りつづけてきた。
思い設け給える事なれば
にぶ色の二つ衣うち被き
練袴のそば高くとり
神璽を脇に掻ばさみ
宝剣を腰にさし
主上をいだき参らせて
敵の手にはかかるまじ
主上の御供に参るなり
御志おもい玉わん人々は
急ぎつづきたまえやと
舷へぞ歩みいでられける

「ああ」誰とはなく皆がいった。われに回った顔なのである。口々に、峰阿弥の技を称めたたえた、しかし、峰阿弥はにんやりともしなかった。
「拙ない曲を、永々とおきき下さいましてありがとう存じまする。それでは、退がらせていただきます」早速、琵琶をかかえて席をすべってゆく。いかにも恬淡な容子がいっそう人々にゆかしく思われた。
彼が去って人々が雑談に入りかけたので、範宴はそっと席をぬけて庭へ出ていた。庭は境がわからないほど広かった。花明りの下、彼はまだ恍惚と立っていた。背に樹の幹が触れたのでそのまま体を凭せかけていた。ちらちらと眸のまえを白いものが遮って降る。手を出してもつかまらない幻のような気がするのである。心のうちにもそれに似た幻影が離れなかった。姫の黛である、唇である、黒髪である、どうしても打ち消すことができなかった、熱病のように何か大きな声でものを口走りたいような衝動がじっともの静かに立っている彼の内部を烈しく駈けまわっているのだった。
「是空、是空」うめくようにいった唇はすぐ歯で噛み縛っていた。拳を二つの胸にくみあわせて苦しげに闇へ闇へ歩みだしている。たった今、無常観の大部な話を聞いたばかりの耳は彼自身でもどうにもならない若い血で、火のように熱くなっていた。
「あっ……。粗忽をいたしました。どなた様か、ごめん下さいまし」先で早くも避けたが、肩の端をぶつけてしまった。それは、盲人の峰阿弥の声であった。
「オ、最前の琵琶法師どのか」
「あなたは、範宴僧都でいらっしゃいますな」
「そうです」
「よい所でお目にかかりました。ちと、話したいと思いますが」
「私に」
「いけませんか」
「なんの、どうせこうしている折です」峰阿弥は寄り添って、
「私の今夜の琵琶は、お聞きづらかったでございましょう」
「そんなことはない、興に入って聞いていた」
「いや、そうでございますまい。盲人の勘にはわかります。また、自分の撥にかけている糸の勘でもわかります。今夜の主客は、時々そら耳になっておいででした。食らえども味を覚えず、聴けども音をわきまえず、そういう空虚を時々あの席で感じたのでございます。これは、私の弾じる琵琶の技が足らないかと思って額に汗をして語りましたが、やはりそうではありません。芸味はすべて聴くもの聴かす者が一体になった時に神に入ります。あなたのお気持が、時々ぷつんと糸の切れたようにどこかへ離れて行く。――どこへ行くのであろうと私はひそかに心で探っていました。すると、私のいた左側から留木の薫りがぷうんと漂ってまいります。あなたは確かに玉日様に心を奪られていたに違いありません」
「…………」範宴はぎょっとして盲人の窪んだ眼を見直さずにはいられなかった。何とずばずばとものをいう法師だろうか、いやそれよりも怖いような六感の持主ではあるまいか。範宴は、足をもどしたくなった。すると峰阿弥は、
「おかけなさいまし」と、築山の裾にある亭の柱を撫で、そこにある唐製の陶器床几をすすめた。
「どうぞ」何か、抑えられているようで拒まれない。峰阿弥は自分も腰をおろして、
「ありがちなことでございますな、私なども……」といった。そして、しばらく回顧的な面持ちを傾げていたが、
「実は、わしも、元からの琵琶法師ではありません、これでも以前はしかるべき寺院におり、仏典にも一心を没し、南都の碩学にもつき、自身苦行もいたして、禅那の床に、求法の涙をながしたものでござりましたが、ちょうど、御房ぐらいな年ごろでござった。ふと、半生の苦行を女一人に代えてしもうてな、女犯の罪に科せられ、鞭の生傷を負って寺を追われましたのじゃ。それ幸いと、加古川の辺りで、その女と、女の死ぬ年まで暮しましたがの、さて、過ぎ越し方をつらつらと憶うに、女ある道、女なき道、どう違いがあろうか、有るとしているのは仏者のみではございませんか。――それ、一路を難行道といい、一路を易行道という。おかしい」峰阿弥は独りでわらう。そして話も独り言のように、
「わしが眼をつぶれたのを見て、世間は罰だというが、わしの身にとってみれば、黒い浄土じゃ、安心の闇ともいえよう。眼が明いているうちは、なし難い道を踏もうとし、踏み辷っては悶えたが、今では、すべてが一色の盲目、坦々として易行道をこうして歩いていますのじゃ……ははは」
峰阿弥の顔に、一ひらの落花がとまった。手で払いのけながら、
「思うても御覧じ、どうして、この始末のわるい人間が生身のまま化仏できよう。あのまま寺にいて、僧正になっていたのと、加古川の片田舎で女と暮したあげく女に死にわかれて、盲目の芸人となって、座興の席を漂泊うてあるく今の境遇と、どちらがよいかは分らぬが、わしは、決して、後悔はしていない。――すこしも現在に不満と迷いはない。身を難行苦行の床におき、戒律の法衣に心をかためていた時よりも、かえって、今の身の方が仏身に近い気持がいたすのは一体どうしたものでしょうな。年のせいとばかりは考えられません。まだまだ、眼こそ見えぬが、これでもまあ、女性の側にいればわるい気はしない男なのですから」
範宴は一句の答えもし得なかった。しないでも峰阿弥は問わず語りに喋舌りつづけるので気づまることはないが、余りにも怖ろしい話だった、というて耳を蔽おうとすればかえって自身を偽く気もちが自身を責める、忌わしいようで真があり、醜いと感じながら自分にもある相だった。
「ははは、破戒僧のくり言は、これくらいにしておきましょう。そこで、御房のお考えはどうあるの? ……仏教も近年はずっと進んできたようですから、御房のような新知識から、わしらは学びたいと思うているがの。黒谷の法然上人など、なかなかよいことを申されるそうな、北嶺の駿馬といわれる聖光院範宴どのの女性に対してのお考えをうかがいたいものじゃ。あるいは、戒律についてのご信念でもよろしい……」意地悪く追求するのである。範宴には、当然今日まで血みどろになって築いてきた信念の砦があった。巌根のように堅固に、あらゆる心機をここに征服するだけの備えもかたまったつもりであるが、なぜか、この一盲人の極めて平俗な問に対して、きっぱりと、邪弁の舌を断ってみせるような言葉が胸に出てこなかった。
「また、自分のことに回るが、わしが御房の年ごろには、畏れ多いが、仏陀の御唇も女に似て見え、経文の宋文字も恋文に見えた。夜が待ち遠い、秘密が慕わしい、抑止ようとかかっても、血は、鉄の鎖も断る――。そんなふうであったものじゃが、御房のような秀才はちがうものでございましょうかな、あの無言の山、冷たい寺の壁、そこにそのお体を封じこめて、なんの迷いも苦しみも覚えませぬのかの。……ないとは申されますまい。その覚えのないような人間になにができる。釈尊もまた一度はくぐられた焔ではありませぬか。女魔、女魔、焔の踊りをする女魔にとりつかれたような覚えはございませぬかの」僧侶が念慮しても罪悪といわれることを、この盲人は掌へのせて差し出すように平気でいう。範宴は胸苦しくなった。
「法師っ」
「はい」
「おん身は一体それを聞いてどうしようというのですか」
「べつに……」と、峰阿弥は首すじを伸ばして下を見た。「……どうするということもございませんが、あなたさまに、後でお渡しいたす一品をさるお人からお預りしておりますので、事のついでに、うかがって見たまででございまする」
「しかし、頼まれはしたものの、その品を、お渡しいたしたほうがよいものか、悪いものか、迷わざるを得ません……範宴僧都、あなた様には、思いあたることがございましょう」
「私に? ……誰から? ……」
「お麗しいお方です。いやよしましょう、わしの半生がそうだったからあなた様にもそうなれとはおすすめできない。人間の運命は、その人間自身が作るものだ、わしはその品を、ここへ置いてゆきますが、それを手に触れるなともお受けなされとも、わしは申しません。あなた様ご自身でとくとお決めなさるがよろしい」峰阿弥はそういって袂の蔭から一葉の短冊を取り出した。なにやら書いたほうを下にして床几のうえに伏せた。石を拾って風で飛ばないようにするまでの綿密な心づかいをこの盲人はして立ち去ろうとするのだった。
「お待ち下さい」範宴は呼びとめて訊ねた。
「おん身の峰阿弥という名は、琵琶を持ってからの仮の名でしょう。その以前、寺においでのころはなんと仰せられていたお方か、さしつかえなくば聞かせて欲しい」
「さよう……。恥の多い前身の名を申し上げるは面映ゆいが、実は、わしは、興福寺にいた教信沙弥でおざるよ」
「あ……教信」聞いたことがある、奈良ではかなり有名な人だ、学徳兼備の僧のようにいわれていたこともある、それが、奈良の白拍子との噂が立って放逐され、播州の加古川で渡し守をしているということが世間の笑い話になってから「加古川の教信沙弥」といえば堕落僧の代名詞のようになって落首や俗謡にまでうたわれたものだった。その教信沙弥がこの人なのか――範宴はそう聞くとこの盲人が前にいったことばももう一応考え直してみなければすまないような気持がしてきた。
だが峰阿弥のすがたは、白いものの飛ぶ朧な樹蔭をもうとぼとぼと彼方へ去っていた。そして、彼のいた床几のあとには、一葉の短冊が謎のように置き残してある。
眼の見えるつもりでいた自分は、眼の見えない峰阿弥になにもかも見透かされていた。彼のいう通り自分は今おそろしい心の顛倒を支えている。今日までの信念をあくまで歩みとおすか「加古川の沙弥」の行った道を歩くか、その岐路に立っている。
「? ……」小石に抑えられている短冊は、鶺鴒の尾のように風におののいていた、誰の文字か、何が書いてあるか、範宴の心も共におののくのであったが、彼は、
(見まい)と心でいった。彼の強い情熱をより強い智慧の光がねじふせるように抑止した。
(触れてはならぬものだ)彼は亭を出た。自分に打ち勝ってさらに高い自分へ帰着した爽やかな心もちへ夜風がながれた。すると、亭のうしろにでも潜んでいたのであろう、すぐその後へまわって短冊を手に持って、追ってくる女があった。呼びとめる声にふり向いてみると、それは姫に附いている侍女の万野であった。
「範宴様、せっかくのお歌でございますのに、後でお捨て遊ばすまでも、どうぞ、見てあげて下さいませ」
短冊を範宴の手へ無理に持たせると、万野は、逃げるように、落花の闇へかくれてしまった。
自分の血液のなかにはいま、かつておぼえない破壊がはじまっている。範宴はありありとそれを感じる。この二、三日の頭の鈍痛などがその一例である。夜の熟睡を久しく知らないのもその現象である。眸の裏がいつも熱い、思索力はすっかり乱れてしまった。これが自分かと改めて見直すほどいろいろな変化が肉体に見出されるのだった。
(この叛逆に負けては)と、強く意思してみる。しかし数日前の月輪家の招宴から帰った後の状態はさらに悪くなっている、刻々と、意思は蝕まれ、信念は敗地へ追いつめられて行く、どうしようもない本能の圧す力である。
ぼんやりと空虚なものが今日も彼を坐らせていた、他人が見たらどんな鈍い眸をしているだろうと、自身ですらも思う。で、病気と誰にもいってある、来訪者にも勿論会うことは避け通しているし、第一仏陀の前に出ることが怖かった。朝の勤行だけは欠かせないものと本堂に坐るのであるが、面をあげて仏陀の顔を仰ぎ得ないのだ。やましいものの塊りのように、自分をそこに置いているに耐えられなくなる。
(ご無理をなされてはいけません、どうぞ、ご病床にいて下さい。あなた様お一人のお体ではない、幾多の学徒や衆生の信望を負って、師とも、光とも、仰ぎ慕われていらっしゃるおん身。彼こそは、と五山の大徳や一般の識者からも嘱目されておいで遊ばす大事なおん身です)周囲の者は極力そういって、静養をすすめる、まったくの病人と案じているらしい。そして、性善坊も覚明もともども憂わしげに朝夕彼の恢復を祈念しているのだった。範宴はそれを知るがためにいっそう自責の悶躁につつまれた、彼らに対してすら師として臨む資格はないように思われてくる、あらゆる周囲のものに対して範宴は今まったく裸身になって手をついてしまいたい。
(この身は偽瞞の塊りである)と。
白磁の壺に、牡丹は、青春の唇を割りかけている、先ごろ、月輪の姫から贈られた室咲のそれである。悩ましい蠱惑の微笑をこの花は朝に夕べに、夜半の枕へも、投げかけていた。
その笑みはまた、誰かの笑みとあたかも似ている、ふくらみかけた花弁の肌も香いも。
ゆうべもその香いにあくがれて自分は越ゆべからざる墻を越えた、一昨日の夜も越えた、世の中の人の誰も知らないことを自分はした、知る人は、姫と、姫の侍女の万野と、自分だけであった。
ちょうど曇っていた、星すらも眼をふさいでいた、闇の中に捨ててきた跫音は完全に消されている、誰も知ろうはずはないのだ、けれど待て、三人のほかに秘密を知った者はほんとうにいないのだろうか、あるような気がされてならない、どうしてもまだ他に何者かが一人知っていると思う。
それは誰だろうと範宴はさっきから考えるのだ。するとそれはやはり自分の中にいるものだということが分った。
(自分は二つの人間になっている)と気がついたのである。相反している二つのものが、範宴という一個の若い肉体をかりて、心のうちで、血液のうちで、すさまじく闘っているのがわかる。そして肉体の主は沈湎として終日、白磁の牡丹にうつつな眸を消耗したまま蒼白い秘密の夢をみているのだった。
東山の夜は早く更ける。三十六峰のふところは星の光も届かないで宵闇がふかい。怖いと思い出したら足も竦んで出ないのであった。
万野は姫の心を思うと、その怖さも忘れていた。女ごころは女でなくては理解できないものとして、彼女はあえてこの暗い夜をものともせず姫のためにすすんで、秘密な使いに出てきた。――その使いを果たした後で、姫が、あの可憐しい眸にうれし涙をたたえ、掌を合せて拝まんばかりによろこぶがために、(もし、お父君に知れたならば、自分がすべての罪を負って)とまで、悲壮な覚悟すらしているのであった。
それにつけても男心ほど浅いものはないと思う。次の夜には必ずまた訪れようとかたく誓っていたのにその人はあれきりついに姿を見せないではないか。一昨日も姫は夜もすがら眠らずに待ちこがれておいでになった。ゆうべも泣いて夜を明かされた。女ごころは女が知る、はたの見る眼のほうが辛い。
(憎いお人)と、彼女は、そこの築地を見あげて、うらめしく思う。
聖光院の土墻は、万野の眼に鉄壁のように見えた。穢土の闇と浄界の闇とを厳めしく境しているのだった。
「? ……」礫をほうって耳をすましている、なんのこたえもない、二つめを投げた、そして、築地の下に、被衣の影をじいっと佇ませていた。
葉柳の露が、蛍のようにきらきらと光る。たしかにこの前はこの辺から今のように抛った礫へすぐ答えがあったにと思う。さてはやはり世の浮かれ男のようにこの前のことばも嘘であったかもしれぬ、真にうけて痩せ細るほど信じている姫はいよいよご不愍である。もし、そういうことでもあるならば礫のみでは済ませない、明らさまに表門をたたいて男の酷薄を責めなければならない。
万野は、焦々しつつ、もう一度と小石をひろった、小石は柳の葉をちらして、遠い築地の中へ音もなく落ちた。薄情な男へこぼす涙のようになんの反応もありはしない。
「どうしよう」当惑した顔が被衣のうちで嘆息をつく。このまま空しく帰るとしたら姫の泣き沈む姿を見なければならない。あの傷々しい失意の眸が涙でいっぱいになって物も得いわずに打ち伏すかと思うと、万野は帰るにも帰れない心地がするのだった。
彼女は半刻も立ちすくんでいた。夜露が被衣をじっとりと寒くしてくる。もう人を憚る自制心すらなくなった。今度は、廂を目がけて石を抛った。つづけざまに幾つか投げた。
すると、築地の裏戸がそっと鳴った。紛れもない人影である。万野は、自分の恋人でも見たように走り寄って、
「範宴さま」恨みで胸がつまった。
その人は黒い布を頭からかむっていた、唖のように物をいわない、絶えずなにものかに趁われるように、またなにものかを趁うように、足を早めて彼女の先を歩いてゆく。
暁を惜しむまで話しても語り尽きないものと人はいうけれど、二人の場合はそうでなかった。会えば相見た満足だけでいっぱいになってしまった。万野が気をきかしていなくなっても同じである。なんの話をするということもなく、もちろん燈灯をともしては館の者に気づかれる惧れがあるから、明りもない閨戸の帳を空ろにしては、蔀の下近く端居したまま夜半の冷たいものがじっとりと五つ衣の裳と法衣の袖に重たくなるのも忘れ果てて、相思の胸のときめきをお互いにただじっと聞き合っているに過ぎない二人なのであった。
――あなたは春が好きですか、それとも秋がおすきですか。書はなにを読みますか。古今のなかでは誰を好みます、万葉のうちではどの歌を愛誦されますか。――などと他愛のない話をするのさえも、なにか息ぎれを覚えて、痛いほど心臓がつまって、乾いた唇は思うように意示もできない。
ことに姫はうつ向いたきりといってよいほど顔を斜めに俯伏せている。どうかしてその黒髪をそっと風が越えてくると、蘭麝のかおりなのか伽羅なのか範宴は眩いを覚えそうになった。加古川の沙弥のささやきが臆病な耳もとで嘲うように聞える。まざまざと偽瞞の法衣につつまれた獣心の相を自身の中に発見する、万葉の話も、春秋のうわさも実はうわの空なのだった。勇猛で野性な血液が烈しい抗争を起して本能を主張する、いかなる聖経も四囲の社会も無視してかかる猛悪な精神が彼の全霊を炎々と焦くのだった。
「…………」しかし、範宴その人の外表は水そのもののような冷たい相をしていた。対坐している愛人の細かな神経をもってしても彼の内部を針の目ほどものぞくことはできない。また、決して許そうともしない範宴なのである。鉄で作られた虚偽の函のように範宴の膝はいつまでも痺れを知らずに真四角なのである。そして彼はついにその虚偽を生れながらに生みつけられている人間であったという今さら追いつかない嘆涙にさんさんと魂を濡らして、そこに恋人のあることも忘れ果てる。
とこうする間に鶏の声が聞えてくる、万野は自分の寝屋の妻戸をそっと押して、別れ難かろう二人に別れを促しにくるのであったが、そこへ来てみると初めのままの位置に初めのままの居住いを硬くして黙り合っている二人なので、自分があんな苦心をして一方を誘ってきたのは一体なんのためかと歯がゆくもなり焦々と思うのでもあったが、夜が白みかけては一大事を醸す惧れがあると、姫にかわって次に来る夜の言質をとって、そっと壺のうちを脱けて裏門の戸を開け、夢遊病者のような黒い人影を見送るのだった。
すると、そういう幾度かの事実をいつの間に知っていたものか、あるいは、偶然その晩に限って運悪くぶつかったものか、範宴の後ろをしばらく尾けてきた夜固めの警吏が、
「こらっッ」大喝を浴びせておいて不意に後ろから組みついた。
帛の裂ける音がぴっと鳴った。警吏は法衣の片袖だけをつかんで前へのめっている。
おそろしく迅い跫音はもう闇のうちへ遠くかくれていた。
「待てっ、待たんかっ」警吏は忌々しげに喚いて追いつづけてゆく。けれど四、五町も駈けると彼自身がそうしてまで捕えるほどの者かどうかを疑って舌打ちを鳴らした。
「盗賊ではないらしい、また、公卿の女部屋へ忍んだ女犯僧だろう、そんな者を捕まえていた日には限りがない」警吏は額の汗を、手につかみ忘れている法衣の片袖でこすった。そして汚い物でも投げうつように傍らの流れへ向って捨てようとしたが、すぐその崖の上から凄まじい滝水のように鳴って落ちる琵琶の音に気がついて、
「誰だっ、今ごろそんな所で」と仰向いて呶鳴った。
しかし、琵琶の主は答えようはずもない、その音を聞けばわかるように身も魂も四絃の中に打ちこんでいて、虚空の音が彼か、彼が虚空の音か、その差別をつけることは至難であるほどな存在であった。
「ははあ……例の峰阿弥法師がまた独り稽古をしているのだな、あいつも変り者だ、銭を与えても嫌だといえばどんな目にあわせても弾かないし、そうかと思うと、誰も聞いていない真夜中の山に入ってあの通り独りで弾いて独りで夜を明かしていたがる」何の罪科もあるまいに、警吏はその琵琶の音のあまりに楽しげなのが嫉ましくでもなったか、おおウい――と声をあげて再三呼ばわるのに、いっこう答えがないので、石を拾って松林の丘を見上げながら抛り投げた。
ちょうど一曲を弾き終ったところであるとみえ、石が届くとしばらくして撥が止んで、こんどは丘の上から、
「誰だっ、つまらない悪戯をする奴は」
「篝屋の警吏だ」
「警吏ならなおよろしくない。なにがゆえに、この法師の琵琶をおとめなされますか。人家に近い所でもあるなら悪かろうが」
「ちと訊ねることがあるから再三呼んでいるのに、返辞をせぬから石を投げたのだ。その丘へ、今し方、一人の僧侶が逃げこんでは行かなかったか」
「人にものを訊くのに石を投げて訊くという作法がありましょうか。そんな者は、この丘へは上がって参りません」
「それならよいが……」警吏は歩みかけたがまた、
「おい峰阿弥。おまえは先ごろ、月輪公の御宴に招かれたそうだが、あの館には美しい女がたくさんいるだろうな。……待てよ、そう訊ねても盲人ではわかるまい。無駄ごとばかりする晩だ、よし、月輸公の下部の者をたたき起して将来を誡めておいてやろう」
「もしお警吏、つまらないことに、おせっかいはおよしなさい。誡めたからとて、この世に忍び男と、忍び男を待つ女性が尽きるはずはございません」
「堕落僧が、堕落僧を庇っている。おお夜が明けるぞ」
「もう明けますか。……ああそういえばすこし疲れた、わたしはこれから楽々と無我の眠りに遊べるが、人間に与えられたこの甘睡すらできずに悶々と今日の空の下に圧されて暮す人もあろう。そうだ、黒谷の法然上人の御口授を思いだした。――南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」丘の上の破れ果てた御堂の縁に、彼が易々と木の葉虫のようにごろりと横になったころ、一方の警吏は、月輪家の裏門の戸をどんどんとたたいていた。
おとといも昨日もまた今日も、聖光院の人々は師の房の姿を見なかった。針ほどの光も忌むように一室へ閉じ籠ったきりの範宴は、その中から鋭い声でいったのである。
「誰もここへ参ってはならぬ。私のゆるさぬうちに入ってきてはなりません」坊官の木幡民部は捨てておかれないというように、性善坊や覚明と膝ぐみになって憂いの眉をよせ、
「医家を迎えて、診ていただいては――」と嘆息にいう。
「お怒りになろう」二人は首を振った。
「この身に、医や薬師はと、先ごろもきついお顔で仰っしゃられた。吾々には推し計られぬご気質なのじゃ、また、そのご気質でぶつかったものを解くなり頷くなり打ち砕くなりしてしまわぬうちは、よい加減にご自身をなだめて生きてはおられぬお方なのだ。心配になることはご同様だが、まあもうしばらくなされるままにして見ているより他あるまい」誰よりも幼少から師の房の性質を知っている性善坊がいう言葉なので、それに従うほかはないと民部も覚明も黙ってしまう。民部は師の房にかわって寺務の一切を見ておるのでそれに心をとられて落着いてもいられなかった。覚明の方は楽天的なところがあって、
「そうだとも、われらよりは深い思慮で遊ばすことだ。つまらぬ憂いは、かえってご思念の邪げになる」すると黄昏の寂とした物静かな空気が、伽藍の高い天井から圧しるように下りてきて、若僧が内陣の釣燈籠に灯をくばりかけたころであった。まだほの白い方丈の庭面にあたって、何か、大きな物音がしたのである。つづいて、性善坊の名を呼ぶ声がする、幾度もつづけざまにする、紛れもなく師の房の声だった。
「はいっ、はいっ」性善坊は何ごとかと思いつつ駈けていた。一室の戸はあいているが範宴の姿は見えない。ふと見るとその範宴は庭に立っていた、足もとにはちょうど今日あたりがいっぱいに開いていたと見える白磁の壺の牡丹が、その壺ぐるみ庭石に抛たれて微塵に砕けているのだった。
「あっ……どうなされました」
「性善坊か」範宴の声は静かだった、壺と牡丹を微塵に砕いた人とはみえない、夕明りの下に立って、凄いほど蒼白くその顔は見えたけれど、雲の切れ間を見つけて一縷の光を投げかけているような眉にも見える。
「わしの部屋の隅に竹の杖があろう」
「杖ですか」
「そうだ、苦行の旅に、この身と共に、幾年も歩いたあの竹杖。それを持って庭へ下りてくれ」
「どうなさるのですか」いわるるまま、杖を持ってくると、範宴は大地に坐っていた。ひざまずいてさし出すと、範宴はその杖を性善坊に持たせて、首を垂れていった。
「性善坊、おん身を仏陀と思い参らすゆえ、おん身はかりに仏陀となれ。わしは仏子にあるまじい心病にとりつかれ恥かしい迷路を幾日も踏み迷うていた、犯さねどすでに心は汚罪を冒したに等しい。――打ってくれい。その竹杖で打たれたら、過去の苦行が甦えってこよう。皮肉の破れるまで打て、わしを師と思わず打て、仏陀のお怒りをその杖にこめて――」
あらゆるものを断ちきってまっしぐらに歩み出した闇であった。範宴は四、五町ほど駈けてから聖光院の方を振りかえった。
門の潜り戸を開けて、その前に立って見送っていた性善坊の姿もすでに見えない、しきりと天地の寂寞を翔り立てる暗い風があるばかりだった。白い小糠星は有明けに近い空をいちめんに占めていた。
「ゆるせ、おまえにも苦労ばかりかける……」
詫びないでいられないものが、範宴の胸を突きあげてくる。まだ僧門に入らない幼少のころから起居を共にしてきた性善坊には、骨肉以上な恩愛をさえ抱いているのにその性善坊に対しては、省みてみると、ほとんど、安心というものを与えた遑がなかった。彼はなにか、自分のこういう不羈な性格の人間に常識的な支えをしてくれるために生れてきたような男に思われる、自分のために彼を犠牲にしてきたことが実に多かったことを範宴はしみじみと今ここで感じる。
「しかし決して、わしはそれを無駄にはしないぞ」掌を合せていう心持になるのであった。――同時に、青蓮院の僧正に対しても、そこにいる弟の尋有にも、また、世を遁れて竹林の奥深くに一切を断っている養父の観真に対しても、ひとしく心からな謝罪の念が湧いてこずにはいない。
「後ではさだめし、不浄者とお思いになりましょうが、範宴はもいちど自分を鍛ち直して参ります。決して、敗れて遁れるのではありません、世評を怖れて隠れるのでもございません、また、罪の発覚を知って姿を消す次第でもないのです、ただ、この一身一命を奉じて、もいちど大蔵の闇へ閉じこもって、御仏の膝下へ確乎とすがりつきたいのです、おゆるしください、しばらくのあいだ」この夜半すぎに聖光院を捨ててそもいずこへ走ろうとするのか、範宴の身にはすでに聖光院門跡の纒う綾の法衣や金襴は一切着いていなかった、一笠一杖の寒々とした雲水のすがたであった。
そうして聖光院を捨てて出た彼の心は、性善坊だけには、いい残してきた。彼にはすべての秘密もうちあけて――また後々のこともたのんで。
木幡民部と覚明には、遺書を認めておいて来たのである、どんなに彼らは後で驚くだろう、悲しむだろう、しかしそういう目前の感情は、範宴の今の大きな覚悟のまえにはあまりに小さい問題だ、もっともっと大きなものすら踏み越えてゆく決心なのだ、女々しくてはこれからの万難の一つも越えられまいと、自身を叱って自身の心をかたく鎧う。
「そうだ、夜の明けない間に――」歩み出そうとすると、彼の法衣のすそを引くものがあった、大きな黒い犬である。
「しっ」範宴は追い払って駈けた。
犬は、寝しずまっている世間へ告げるように吠えたてる。彼は、犬の声にすら趁われるような気持がした。
まだ暗い加茂の瀬にそって、彼は足のつづくかぎり急いだ。幸いにも、京の町では誰にも咎められなかった。そしてやがて、息を喘いて上ってゆくのは叡山の麓だった。彼の心には常にこの山があった。この山は範宴にとって、心の故郷なのである。
鷺のように風に吹かれて佇んでいる二人の女性があった。雲母坂の登り口なのである。ここから先は女人の足を一歩もゆるさない浄地の結界とされているのだ。
千年杉の鬱蒼とつつんでいる登岳道も、白々と夜明けの光に濡れていた。
「姫さま、お寒くはございませぬか」
自分のかぶっている被衣を一方の女性へ羽織ってやろうとする。これを拒んでいるのは上

「いいえ」と、微かにいう。
「そなたも、寒かろうに」
「なんの私などは」どこの女性でどういう身分の者なのであろうか。今ごろ、まだ夜も白みかけたばかりなのに、里から登ってきたとは思われぬし、なおのこと、上から降りてきたのではあるまい。思うにこの若い二人はゆうべすぐそこの赤山明神の拝殿にでも一夜の雨露をしのいだに相違ない。四明ヶ岳の壁にはまだ残雪の襞が白く描かれているが、この辺りではもう寒いというには足らない春のことである、その証拠にはあちらこちらの沢や谷で鶯の啼声がしぬいている。二人の肌に限ってそう寒いのは夜もすがら戸を立てぬ拝殿の縁の端で山風にさらされていたためにちがいない。
それにしても誰を待つのか、麓からここへかかる人を待ちうけているものらしく、一方の召使らしい女は絶えず眼をくばったり、うち悄れた姫を励ましたり、その気づかいというものは並たいていな侍女のよくすることではなかった。
「あっ……姫さま」麓の方を眺めていたその女が、突然、こう大袈裟なくらいにいったのは、待ちかねていたその人の影がやがて認められてきたのであろう、ばたばたと姫のそばへ走り戻って、
「ごらんあそばせ、たしかに、あのお方でございまする」袂をひいて、指さすのであったが、そう聞くと姫はにわかに自分を省みて、無表情なうちにもありありと狼狽のいろを示して、
「人違いではありませんか」というと一方の女は、
「いいえ、なんでこの私が」と、自信をこめていう。
間もなく低いうねり道を回って来るその人なる者の姿が見えた。なにか一念に誦経の低声を口に含んでわき眼もふらずに登ってくるのだった。近づいてみれば風雨によごれた古笠に古法衣を身に纒ったきりの範宴少僧都だった。聖光院門跡の栄位と、あらゆる一身につきまとうものを、この暁方かぎり山下に振りすてて、求法の一道をまっしぐらに杖ついて、心の故郷である叡山に登ってきた彼なのである。
そこに二人の女性が自分を待っていることすら眼に映らなかった。すたすたと前を通りかけたのである。姫は、その姿を見るとはっと胸を打たれてしまった。胸につまるいっぱいの涙と羞恥ましさに樹蔭へかくれてしまうのである。侍女はそれを歯がゆがるように、自分だけ走り出して、
「範宴さま」と、彼の前に立った。
「あっ……」杖をすくめて立ちどまった網代の笠は、微かに打ちふるえた。
「あなたは万野どのですな」しばらくしてから範宴の低く洩らした声であった。
「びっくりなさいましたでしょう」
「驚きました……」ありのままに範宴はいった。樹蔭には姫のすがたまで見えるのである。どうして自分の登岳を知ったのであろうか。笠に潜めていた彼の面は、それをとれば狼狽にかき乱されていたに違いなかった。
「きのう、さるお人から、ふと大乗院へお籠りの由を、ちらとうかがいました」
「? ……」そういう人があるはずはない。自分の心の裡で独りで決めたことだ。それを打ち明けた性善坊にしても、つい昨日話したことである。月輪へまで、それが伝わるわけはなかった。
「ご不審でございましょう。実はそれを、教えてくれたのは、いつかの琵琶法師でございます。――私と姫さまとが、あまりに傷ましいといって、こう申しました。それほど、範宴御房に会いたいならば、これから、叡山の登り口の赤山明神に参籠なされ、この二、三日のうちには、必ず範宴御房がそこを通るに相違ないと仰っしゃいました」
「あの加古川の沙弥が、そう申しましたか。……あの法師は怖ろしい眼あきじゃ」
「その峰阿弥のいうには、おそらく、範宴御房の行く道は一つしかあるまい。それは叡山だ。きっと叡山へ登ると信念をもっていいました……で、お姫様と心を決めて、お待ち申していたのでございます。私たちも、ふたたびお館へは帰れませぬ。また、世間のいずこへも戻る家はございませぬ。どうか、不愍と思し召すならばお姫さまを連れて御山へ登ってくださいまし、お縋り申しまする」万野は、膝を折って泣き伏した。姫も、樹蔭で泣いているのである。女のつかんでいる強い力が範宴の足を大地へ釘で打ったようにしてしまった。昏惑と慚愧とが、いちどに駈けあらした。ここまでは澄明を持ちこたえて聖域へ攀じのぼる一心に何ものの障碍もあらじと思い固めて来た決心も、いったん心の底に響きをあげて埋地のような陥没を見てしまうと、もうそこに藁一本の信念も見出せなかった。彼もゆるされるならば、万野と一緒に膝をついて泣いてしまいたい。いや、死ねるものなら死んだほうがはるかによいとすら思うのであった。
「もう、お館にも、あのことが知れたのでございます。世間も薄々知ったかもわかりません。姫さまは髪を下ろしても、共にと、仰せられますし……」万野の立場は苦しいものに違いなかった。いずれやがてはと覚悟していたことが余りにはやく足もとへ迫ってきたのだ。自分の行為から起ったこの問題のために苦しんでいる姫と万野とを残して、自分のみが、山へかくれて安心が得られるものだろうか。彼の道徳は自分に対して強く責めずにいられなかった。
と、いってこの聖域へ女人を連れて上るなどということは思いもよらない望みである。叡山の高嶺はおろかなこと、この雲母坂から先は一歩でも女人の踏み入ることは許されない。帝王も犯し得ない千年来の掟として厳然たる俗界との境がここに置かれてある。
「姫をつれて、どうか帰ってください」自分を石の如くして、範宴はそういうよりほかなかった。頼むよりほかになかった。充分に、自己の罪と責めは感じながらもである。
しかし万野は、姫をうしろに置いて、容易にそれに従おうとはしなかった。
「きっとそう仰っしゃることと前から存じてはおりました。けれど、姫さまのお可憐らしいお覚悟をどういたしましょう。姫さまはもう心の底に、黙って、死をも誓っていらっしゃいます、あなたのおことばは、そのお方に死ねと仰っしゃるのも同じでございまする」範宴には一語も返すことばがなかった。それまでに心がすわっているものかと今さら女性の一途な心の構えに驚きを覚えると共に、自分のなしたことに対する責めの重さを感じるばかりだった。
「この御山が、伝教大師のご開山以来、六里四方、女人禁制ということも、よう存じておりまする。けれど釈尊は、目連尊者の女弟子の蓮華色と申す比丘尼に、おまえこそ真の仏道を歩んだものだと仰っしゃったという話があるではございませぬか、法華経には女人は非器なりとございますが、女には御仏にすがる恵みはないのでしょうか。そんなことはあるまいと思います。女でも人であるからには」と、万野は情と理をもって迫るのだった。そして姫にもここへ来て頑な範宴の心をうごかせとすすめるように姫の方を見たが、姫は地へ泣き伏しているのみである。
「わかります、そのとおりに違いないのです。けれど――」範宴は膝を折って万野と姫の二人へいうのだった。いつの間にか全霊を打ちこめていた自分の声に気がつく。それは死ぬか生きるかのように必死なものであった。
「よく落着いて聞いてください、この御山は仏法の道場なのです、一箇の解釈で法規をやぶることはできません、それを矛盾といいましょうが、伝教以来の先人が定めおかれた大法であって、この後、何人かが、それは間違っているという真理をつかみ、その真理を大衆に認めさせない限りはどうにもならない掟です。それをも押して、姫と共に山へ上るとしましょうか、いたずらに一山を騒擾に墜し、世の罵りと物笑いをうけるに過ぎず、私はともあれ、姫のおん身は、ただ淫らな一女性のはしたない行為としかいわれますまい。さらに、お父君は元より、青蓮院の僧正、一族の方々のお困りも必然です。それもこれも皆この範宴が罪とおもえばこそ、私は死以上の決意をもって罪の償いに、この山へ参ったのです、どうか私にそれをさせてください、無限の暗黒へ落ちてゆくか、大願を貫かれるか、この一身を人間億生のために捧げてしまいたいのです。姫おひとりに捧げきれない私となっているのです。それを無情と呼ばば呼べです。玉日様、お帰りなさい、おさらばです」この人にこんな厳しいものがあったのか、こんな冷たい声も持っていたのか、霜のような、巌のような、何という人間味のない宣告だろう、万野は泪も出なくなった。
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この辺りは新しい仏都をなしかけていた。
仁和寺の十四宇の大廈と、四十九院の堂塔伽藍が御室から衣笠山の峰や谷へかけて瑤珞や青丹の建築美をつらね、時の文化の力は市塵を離れてまたひとつの聚楽をふやしてゆくのだった。
鏡ヶ池には夏は蛍がりに、宇多野には秋を虫聴きに、洛中の人は自然を慕い、四季の花に月に枯野見にかこつけてよく杖をひく所であるが、わけても今年の秋から冬へ、また冬から年を越えての正月まで、仁和寺をはじめ、化蔵院や、円融寺や、等持院、この辺りの仏都市へ心から素直になって詣でる者が非常に多いといわれだしていた。
「おのずから世の推移が、人の心をこういう方へ向けてきたのじゃ」とここの人々は、それを仏教の繁栄といい、興隆といい、また復興といった。
そういえばそういわれないこともない。戦が生活であり、戦が社会の常態だった一時代はもう大きな波を通った船から振りかえるように後ろのものだった。鎌倉幕府というものの基礎や質のいかんにかかわらず人心はもう戦に倦み、ここらで本然の生活に回って静かな生活をしてみたいことのほうに一致していた。すでに国政の司権が武門の手に左右されてからは、それが平家でなければ源氏であるし、両者を不可としたところで姑息な院中政治がかえってそれを複雑にするぐらいなもので、どっちにしろ民衆の望みとは遠いものが形になるだけのことだった。民の心の底でほんとに渇くように望んでいる真の王道というような明るい陽ざしはここしばらく現れそうもないと賢者は見ている。覇道を倒して興るものはまた覇道政治だ。それならば何を好んでか全国土を人間の修羅土にして生きる心地もなく生きている要があろうか。そういう疑問が当然に疲れた人々の考えの中に芽ざしている。武士階級ほどことにそれがつよい。公卿はいつでもなるべくは現在のままで安易にありたいのだ。天皇の大民族といわれる大本の農民はほとんどそういう興亡からは無視されているので、これは幕府が鎌倉に興ろうがどうしようが今日の天気と明日の天気のように見ている――
建仁元年一月はめずらしい平和な正月だった。四民がみな王道楽土を謳歌しての泰平ではなくて、疲れと昏迷から来たところの無風状態――無力状態なのである。
そうした庶民たちが、
「寺へでも詣でようか」とか、
「説教でも聴いたら」と、洛外へ出るのだった。
したがってこういう人々が仏法へ奉じる行作は決まって形式的だった、遊山気分だった、派手だった。
山内の修復を勧進しましょう、塔を寄進いたそう、丹を塗ろう、瑤珞を飾ろう、法筵には能うかぎり人をよび、後では世話人たちで田楽を舞おう。そういうふうに仏教を享楽するのでなければ、彼らの空虚は満たされなかった。求めて来る者に対して満たし与うものを、この十四宇と四十九院の堂塔伽藍も実は何も持ちあわせていない。
しかし形の上では仏教復興は今や顕然たる社会事実だった。
時代思潮は何ものかを確かに求めていた。
きょうも仁和寺の附近は賑わっていた。一つの供養塔を建立した奇特な長者が、一族の者や朝野の貴顕を招いて、その棟上げの式を行い、それを見ようと集まった有縁の人々やこの界隈に住む部落の貧民たちには、銭を撒いたり米を施したりしたので、雪でも降りそうな一月の寒空だというのに、地上は時ならない慈雨のよろこびに混雑をみせているのだった。
「よいことをした。わしの家もこの功徳で何代も栄えよう」
八十に近い長者はほくほくして自分の撒いた銭を拾う群れを見ていた。何でもこの長者は戦のためにわずか一代で莫大な富を得た商人であったが、仁和寺の法筵で説教を聞いてからにわかに何事か悟ったらしく、その富の大半を挙げて今日の慈善を思い立ったのだという噂であった。
自分で蓄えた黄金のために、自分の晩年に絶えず負担と警戒を感じていた長者は、肩がかるくなったように、
「ああ、これで助かった」といったそうである。そして長者の善行を賞め称える僧や門族や知己たちに囲まれて、長者は脱殻のように老いた体を授けられつつ、仁和寺の客間へ請ぜられて行った。
「ありがたいお人じゃ」
「大慈悲人じゃ」群衆はその姿へ感謝したが、救われたのは実は長者自身だった。かつてこの長者から酷い利息をしぼられたり、この長者の爪に燈をともすような強慾ぶりを憎んで、鬼長者の何のと陰口をきいた人たちもまじっていたが、そういう過去はさておいて、人々はとにかく今の長者の行いにすっかり感激して、それも仏陀の教化であるとして、等しく法悦につつまれていた。
そういう群れの中で、誰かがふいに、泥棒っと呶鳴った。泥棒という声をきくと傍の者はすぐ自分の懐中や袖へ手をやって検めてみた。すると、せっかく骨を折って拾った銭が紛くなっていた者だの、笄を抜かれている女だの、袂を刃物で切られている者だのが数名あって、
「泥棒がいる。この中に泥棒がいる」と、あちらこちらから騒ぎ立てた。無数の眼はついに紛れこんでいる人間を調べ出して追いかけた。群れを離れて逃げてゆく風態のわるい男が二人、鏡ヶ池のふちから山の中へ逃げこんでゆくのだった。兇器を持っていることは分りきったことなので、誰も山へまでは追っては行けなかった。
二人の悪者は山歩きには馴れているらしく、衣笠の峰づたいに千本へ出て、やがて蓮台野の枯れた萱の中を半身も没しながらざわざわとどこかへ歩いてゆく。
「寒いっ」
「ウウ寒い」悪者はそんなことしかつぶやき合わなかった。毎日の平凡な仕事をして当り前の稼ぎから帰ってくるのと変りがない。
やがて、土民の家らしい一軒の家の戸をたたいて、
「俺だ、開けてくれ」という。
野の上には雪にもならず低迷している冬雲が暮れかけていて、鳥が、風の中の木の葉みたいに飛ばされている。
「蜘蛛太か」
酒を飲んでいる炉べりの者たちが戸口へ振りかえった。
「蜘蛛太じゃねえ、俺だよ」外で再びいうと、
「あ、平次か」起ってきて一人が内から腐りかけている戸をがたぴしと開ける。家のうちに充満していた炉の煙は疾風のようにむうっと軒から空へ逃げて行った。
「遅かったなあ兄弟」中でごろごろしている仲間の者たちが等しくいうと、寒空に曝されてきた赤ら鼻を煤べるように炉へ向って屈みこんだ二人の手下は、
「あたりめえよ、汝たちみてえに、飲んじゃ怠けているのとは違わあ」誇るように、自分たち二人で盗んできた小銭や笄を出して、頭領の四郎のまえへ並べてみせた。
賞められるかと思って期待していると、天城四郎は眼もくれないで、
「これが仁和寺へ行った稼ぎか」
「へい、昼間仕事で、案外うまいこともできませんでしたが、それでも、撒き銭を拾ったやつの袂を切って、これだけ掻っ攫ってきたんで」
「ばか野郎っ」
呆っ気にとられた子分の顔を見すえて、四郎は酒をつがせながら、
「誰が、こんな土のついた小銭などを拾ってこいといった、仁和寺で働いてこいといったのは、今日、供養塔の棟上げをした長者が必ず寺へ大金を納めたにちがいないから、それを奪うか、または長者の親族たちが、それぞれ贅沢な持物や身装をして来ているだろうと思って汝たちにいいつけたのだ。誰が、こんなはした金を持ってこいといったか」
眼の前の物をつかんでそれへ叩きつけた。そして、おそろしく不機嫌な顔に、酒乱のような青すじを走らせて、
「やい、酒を酌げ」
「頭領、酒はもうそれだけです」
「酒もねえのか」いよいよ、苦りきって、
「なんてえ不景気なこった」と、つぶやいた。
戦がなくなってからは彼らには致命的な不況がやってきた。女をかどわかしたり民家を襲ったり、火を放けたりして、小さい仕事をしても、何十人もいる野盗の一族ではすぐ坐食してしまうのだった。それに都会の秩序がだんだんに整ってきて、六波羅の捕吏たちの追うこともきびしくなった。一頃ならば市中の塔や空寺でも堂々と住んでいられたものが、次第に洛外に追われて、その洛外にも安心しては棲めなかった。
「蜘蛛太だよ、開けてくれ」その時また、戸をたたく者があった。子分のうちの侏儒の蜘蛛太がどこからか帰ってきたのである。四郎は待ちかねていたように、
「はやく開けてやれ」といった。そして入って来た彼のすがたを見ると、
「蜘蛛か、どうだった?」
「親分、だめでした」蜘蛛太は悄れたが、
「その代りに、おもしろいことを聞き込んできましたぜ」と、怪異な顔をつき出した。
四郎の数多い手下のうちでも、異彩のある男はこの蜘蛛太だった。背は四尺に足らず、容貌は老人のようでもあり、子供のようにも見える。幼少から親兄弟というものの愛情をわきまえない孤児なので、生れながらの盲人が物の色を識らないように人間社会に愛というものがあることを知らないのである。残忍酷薄、生きんがためにはどんなことをやってもかまわないものだとこの男は信じて生きている。
したがって蜘蛛太でないとできない仕事があった。頭領の四郎でさえ手を下し得ない惨虐をこの男は平気でやる、また、どんな、警固のきびしい館でもこの小男は忍び込むのに困難を知らなかった。今日もそうしたことで、どこかへ仕事に行ったらしいが、稼ぎはなかったらしかった。しかしなにか耳よりな噂を聞いてきたというのである。そこで天城四郎はすこし機嫌を直して、
「ふうむ……面白いこと? ……それは金儲けになりそうな話か」
「なりますとも、金にならない話を頭領に聞かせてもつまらねえでしょう」
「その通りだ。何しろこの霜枯れだ。一仕事当てなくっちゃ息がつけぬ」
「金になるばかりでなく、復讐にもなる、いわば一挙両得なんで」
「能書はさしおいて、早くいえ」
「ほかじゃありませんが、いつか、六条の遊女町に火事のあった晩、頭領が目をつけてうまく手に入れかかった堂上の姫君があったでしょう」
「ウム、あの時の忌々しさは忘れねえ、あれは月輪の前関白の娘だった」
「こっちの仕事の邪魔をした奴は誰でしたっけ」
「聖光院範宴の弟子どもだ」
「頭領」蜘蛛太は、膝をにじり出して、
「その範宴のことですが」
「ふウム、範宴が、どうしたのか」四郎はあの時以来、彼に対する呪詛を忘れていなかった。利得の有無にかかわらず、折があったら返報してやるとは常に手下の者に洩らしていたことである。
ところが今――蜘蛛太のいうところによると、その範宴の身辺には昨年の夏ごろから大きな問題が起っている。それは月輪家の息女と彼との恋愛問題だというのである。範宴はごうごうたる世間の攻撃に怖れをなして叡山へ閉じこもり、一切世間人との交渉を断って、彼の師や彼の弟子や、また女の側の月輪家などが、必死になって、その問題の揉み消し運動やら善後の処置に狂奔しているらしいというのであった。
「どうです」蜘蛛太は鼻をうごめかして、
「こんなおもしろい聞き込みは近ごろありますまい。ひとつその破戒坊主の範宴をさがし出して、うんと強請ってやったらどうでしょう」
「ほんとか、その話は」
「懸値はありません」
「こいつは金になる。ならなかったら範宴のやつを素裸にして、都大路へ曝し物にして曳き出し、いつぞやの腹癒せをしてやろう」
それから数日の間、ここに巣くう悪の一群は、毎日、範宴の居所と、噂の実相をさぐることに交る交る出あるいていた。
「おウい、一休みやろうじゃないか」谷へ向って一人が呼ぶ。
「おウいっ」そこから声が湧いた。
四、五人の若い学僧だ。雪が解けたので、この冬籠りのうちに焚き尽くして乏しくなった薪を採りに出てきたのである。雪に折れた枯れ枝や四明颪しに吹かれた松葉が沢にも崖にも埋まっていた。その谷間はようやく浅い春が訪れてきて、谷川の裾の方には鶯子啼きが聞え、樹々はほの紅い芽を点じてはいるが、ふり仰ぐと、鞍馬の奥の峰の肩にも、四明ヶ岳のふかい襞にも、まだ残雪が白かった。
「やあ、ここは暖かい」南向きの谷崖へ、学僧たちは薪の束を担いあげて車座になった。太陽の温みを持っている山芝が人々の腰を暖かに囲んだ。
「長い冬だったなあ」
「やっと、俺たちに春が来た」
「春は来たが……。山は依然として山だ、谷は依然として谷だ。明けても暮れても霧が住居じゃ」
「味気ないと思うのか」
「人間だからな」
「それに克つのが修行だ」
「時々、自信が崩れかかるんだ。修行修行といっても、俺たちはどうしても、抜け道を作らずにいられない。そっと山を下りて人間の空気を吸いに出ることだ。そんなことをしていたって、克つことにはならないじゃないか、ただ、矛盾の中に生きているだけだ」
「そう、むきになって考えたら、僧院の中に住めるものか、よろしく中庸を得てゆくことだ、たとえば、大乗院へ籠り込んだ範宴少僧都などをみるがよい」
「いろいろな噂があるが、あれは一体、どうしたことだ」
「おい」と、一人の背中をのぞいて、
「貴公は今朝、ここへ来る前に、横川の飯室谷へ、何か使いをたのまれて行ってきたのじゃないか」
「うむ、四王院の阿闍梨から、書面をたのまれて置いてきた」
「範宴はいたか」
「わからん」
「誰がいるのだ、今あの寺には」
「党衆らしいのが庫裡にいた。がらんとして、空寺のように奥は冷たくて暗かった。たしか、去年の初夏のころから、東山聖光院の門跡範宴が上ってきて、あれに閉じこもっているわけだが、彼の姿など見たこともない。坊官も弟子もいるのかいないのかわからん。おかしなことだ」
「それやいない理だ」と一人が唇でうすく笑って、
「範宴は、聖光院の方には勿論いないし、大乗院にも、いると見せても、実はそこにもいないのだから……眉唾ものだよ」
何か火のような光が近くの灌木の中から谷間の空を斜めに切って行った。人々の眼は、そこへ流れて行った雉子の雌をじっと見ながらなにやら考えこんでいた。
やがて、一人が沈黙を破って、
「じゃあいったい少僧都は、どこに体を置いているのか、怪しからぬ行状ではないか」と口吻に学僧らしい興奮をもらしていった。
「さあ、それが分らぬて」するとまたほかの一名が、
「なあに、大乗院にいることはいるのさ。姿を見せないだけだ。なにかよほどな悶えがあって閉じ籠ったまま密行しているという」
「やがて、僧正の位階にも上れる資格ができているのじゃないか、なにを不足に」
「いや、その栄位も捨てて、遷化する心だという者がある。四王院の阿闍梨や、青蓮院の僧正などは、それでひそかに、心配しているらしい」
「あの若さで遷化するなどと……。それは一体ほんとうか」
「青年時代には、お互いに、一度はわずらう病気だよ。あまりに学問へ深入りして、学問の病に捕われると、結局、死が光明になってしまうのだ」
「範宴は、そんな厭世家だったかなあ」
「仁和寺の法橋や、南都の覚運僧都などへも、遺物を贈ったというくらいだから嘘ではあるまい」
「では密行に入ったまま、ずっと、絶食でもしているのか」
「噂を聞いて、幼少から彼を育てた慈円僧正が、たびたび使いをのぼせて思いとまるように苦言しているというが、どうしても、死ぬ決意らしい」
「そうか……」と、人々は太い息をもらし合って、
「それや、姿の見えない理が解けた。おたがいに学問もよいほどにしておくんだなあ」
と――薪を枕にして寝そべっていた一人の僧が、
「あははは」手を打って哄笑した。
「お人良し! お馬鹿さん! 君たちはおめでたい人間たちだ。もっとも、これだから僧侶は飯が食えるのだがね」
「誰だ、そんな悪魔の口真似をする奴は」振向いてみると、この山の学僧のあいだで提婆達多と綽名をして呼んでいる乱暴者であった。
「提婆、何を笑うんだ」
「これが笑わずにいられるか。範宴が遷化するって。……ははは、臍がよれる。なるほど、密行はしているだろう、しかし、その密行がちがっているんだ」
「ひどく悪口をいうではないか」人々は提婆に対してむしろ反感をもった。そんな顔つきに関わず提婆は笑いやまず厚い唇をひるがえしていった。
「でも、あまりに諸賢が、愚かしき噂を信じているから、その幼稚なのに愍笑をもらしたのだ」
「では、範宴は一体、なにを大願として、そんな必死の行に籠っているのか」
「知れているじゃないか。恋だ! 範宴だって人間だよ、隠し女があるのだ!」
「えッ、女があるって」人々は大胆な放言に眼をみはった。
意外そうな顔をする人々の迂遠さを提婆はあわれむように薄く笑って、
「眼を、君たちは、持っているのかいないのか。お互いに人間だ、叡山だって、人間の住んでいる社会だ。してみれば、若いくせに、聖めかしている奴が、実はいちばん食わせ者だということが分るはずだ。自体、範宴という人物を、俺は元からそう高く買っていない――」人々は、提婆の鋭い観察に黙って聞き入っていた。提婆は自分の才舌に酔っているように喋舌りつづけた。
「考えてみろ。まだ彼奴は今年でやっと二十九歳の青沙弥じゃないか。その青二才で、一院の門跡となり、少僧都となり、やれ秀才の駿馬の、はなはだしきは菩薩の再来だとかいって、ちやほやいう奴があるが、それが皆、あの男のためには毒になっているのだ。世間は少し、彼を買いかぶり過ぎているし、君たちもまた、それに附随して認識を誤っているんだ」
「提婆、貴様はまた、何を証拠に、そんな大胆なことがいい断れる?」
「大乗院の出入りを監視しているのは俺だけだろう。なぜ俺が、彼の行動に監視の眼を向けているかといえば、それにも理由がある。……たしか去年の初夏のころだった。俺は範宴の隠し女をこの眼で見たのだ」
「ふウム……どこで」
「麓の赤山明神の前で」
「…………」提婆のことばには曖昧らしさがなかった。信じることをいっている眼であった。人々も彼の態度にその真剣さを見てから狐疑を離れて熱心な耳を傾けだした。
「……範宴は誰も見ていまいと思っているだろうが、それが仏罰だ。ちょうど俺はその前の晩、学寮の連中と謀らんで、例の坂本の町へ飲みに降りたのだ。つい飲み過ぎて眼をさますと、もう夜が白みかけている、朝の勤行におくれては露顕ものだと、大慌てに飛び出して、今いった赤山明神の近くまで来ると、どうだおい、美しい女が、範宴の袖にすがって泣いているのだ、範宴の当惑そうな顔ったらなかった」
「八瀬の遊女か、それとも京の白拍子か」
「ちがう、そんな女とは断然ちがう。どう見ても貴族の娘だ、

「そうか。さすれば、遷化するとか、京の六角堂へ参籠するため、夜ごとに通っているなどということも」
「嘘の皮さ。通っているとすれば、それは今いった女の所へだろう」
「なんのこった」
「この社会に生きた聖などはない」
「範宴でさえそうとすれば、吾々が、坂本へ忍んで、女や酒を求めるのは、まだまだ罪の軽いほうだな」
「なんだか、社会がばからしくなってきた。この叡山までが嘘でつつまれていると思うと――」
「今ごろそんなことに気がついたのか。どれ、行こうぜ……」
「晩にはまた、坂本へ抜け出して、鬱憤を晴らせ」薪を担いで、人々は立ち上がった。いつもの薪よりは重い気がするのだった。
峰づたいに、十町ほど歩いてゆくと、薪を担いでいるその群れへ、谷の方から呼ぶ者があった。
提婆が、耳にとめて、
「待て待て、誰か呼んでいるぞ」若い旅僧の姿が下の方に見えた。笠に手をかけながらその若い僧は喘いで上ってきた。
「もしっ、お山の衆」
「おう、なんだ」
「おうかがいいたしますが、大乗院はまだ峰の方でしょうか」
「大乗院なら横川の飯室谷だ。この渓流にそうて、もっと下る、そして対う岸へ渡る。こんな方へ来ては来過ぎているのだ」若僧はそう教えられて深い渓谷の道をかなしそうに振向いた。雪解けの赤い濁流が、樹々の間に奔濤をあげて鳴っていた。
「ありがとうございました」やむなく若僧は岩にすがってまた谷の方へ降りて行くのである。綿のように疲れているらしいその足どりを見送って、提婆は、
「あぶないぞッ……」と注意していた。
まったくこの谷に馴れない者には危険な瀬や崖ばかりであった。対岸へ越えるにしても、橋もなし、岩伝いに行く頼りもない。若僧は、怖ろしい激流の形相をながめたまま、嘆息をついていた。そして、休んでは下流へ辿ってゆく。雪で折れた朽ち木に道を塞がれ、そこでも、茫然と、気がくじけてしまう。
心細さはそればかりではなかった。沢の樹々の間はもうほのぐらく暮色が迫っている。そして、四明の山ふところから飛んでくる氷った雪か、また灰色の雲がこぼしてゆく霰か、白いものが、小紋のように、一しきり音をさせて沢へ落ちてきた。
「寒い」若僧は意気地なく木の葉の蔭へ兎のように丸まっていた。笠の下に竦んでいる眼は、この山の荒法師などとちがって気の小さい善良な眸をしていた。それに、色の白い皮膚や、腺病質な弱々しい骨ぐみからして、こういう旅をする雲水の資格はない若者なのである。
「会いたい。ここで凍え死にたくない。死んでも兄に会わなければ……」彼は、つぶやいて、凍えた両手を息で暖めた。必死になって身を起した、そして、沢の湿地を歩みだしたが、腐った落葉に足を辷らせて、渓流の縁まで辷り落ちた。
「…………」腰でも打ったのか、痛そうな眉をしかめていた。笠はもう、濁流に奪われて下流へながされていた。いつまでも起き上がり得ないのである。その肩へ、その顔へ、痛い痛い霰は打つように降っている。
その高貴性のある上品な面ざしは、どこか、範宴に似ていた。似ているはず――範宴の弟、今は青蓮院にいる尋有なのであった。
むささびでも逃げるように、木の葉を騒めかせて崖を辷ってきた者がある。灌木の枝と枝とを掻き分けて、ひょいと首を出したのを見ると、それは四郎の手下の蜘蛛太であった。
もうほの暗い谷間をのぞいて、
「だめだ、ここも」と、舌打ちした。
断崖の上にはまだ大勢の人声が残っていた。降りやんだ霰の空は星になって青く冴え返っている。そのかわりに刃ものを渡るような風が出て、断崖の際にうごいている黒々とした一群の影を吹きなぐっていた。
「蜘蛛っ」とその群れが上から呼ぶと、
「おウい……」彼は首を仰向けて呶鳴った。
「降りてきたって駄目だ。ここの淵も、越えられそうな道はねえぞっ」蜘蛛の足もとへ、ざらざらと土が鳴って崩れてきた。彼が止めているにもかかわらず、上の者どもは藤蔓にすがったり、根笹を頼りにして道もない傾斜を手長猿のように繋がって降りてくる。そして、一応渓流のあたりを俯瞰ろしてから、
「こう、雪解けで水嵩が増していちゃあ、どこまで行っても、やすやす、越えられる瀬はあるものか。この辺は、川幅のせまいほうだ。なんとかして渡ってしまえ」
「そうだとも、まさか、俺たちが、溺れもしまい」蜘蛛が、先を歩いていて、
「あぶないっ!」と、また止めた。
「なんだ」
「この下は、洞窟だ」
「ひさしを這って歩け」
「松明を点そうか」
「火はよせ」天城四郎だということが声がらではっきりと分る。
暗いのでおのおのの眼ばかりが光る。手に持っている斧だの長刀の刃が時々青い光を闇で放つのだった。
「松明など点して歩いてみろ、すぐ山の者が眼を瞠って、怪しむに違いねえ、どんな武家の館でも、禁裡のうちでも、怖いと思って忍びこむ所はねえが、この叡山だけは気をつけないと少し怖い。なぜなれば、ここの山法師ときては、俺たち野伏以上に殺伐で刃ものいじりが好きときている。のみならず、一山諸房には鐘があって、すわといえば、九十九鐘の梵音が一時に急を告げて坂本口を包んでしまう。まだ峰には雪があるから四明へ逃げのびるにはやっかい。八瀬へ降りては追いこまれる。めッたに大きな声も出すなよ」
盗賊でも将帥たる者は一歩一歩兵法に等しい細心な思慮を費やして行かなければならない。そうして、忍びやかな自重を持つと、四郎の分別に率いられた十四、五人の群れは、やがて断崖を下り切って、激流の白い泡が岩を噛んでいる淵に立った。
渦、飛沫、狂激する水の相。
ごうっ――と鳴って闇の中をすごい水の描線が走っている。手下たちは、そこの淵まで降りたもののちょっと顔白んで腕ぐみをしてしまった。
「どうして渡るのだ、この濁流を」すると四郎がいった。
「樹を伐れ」斧を持っていた手下の者が、
「へい」と飛びだしたが、渓谷である、樹は多い、どれを伐るのかと見まわしていた。
瀬にのぞんだ岩と岩とのあいだに柏樹の喬木が根を張っていた。四郎は指さして、
「そいつを河の方へ、ぶっ倒せ」と命じる。
「そうだ、なるほど」斧をひっさげた二人の者が、根方へ寄って、がつんと刃を入れた。斧の光が丁々と大樹の白い肉片を削って飛ばした。空にそびえている梢と葉が、この兇猛な人間の息にかかって、星のような涙をちらして戦慄する。みりっと、ややそれが、傾ぎかけると、大勢の手が幹の背を押して、
「もう一丁、もう一丁」と斧の努力を鞭撻した。
ぐわあん――と地盤の壊れるような音がして、白い水のはねあがった光が闇をまっ二つに割った。
「しめた」と黒い群れは叫ぶ。
仆れた大樹の梢の先が、ちょうど対岸の岩磐にまでとどいている。四郎のわらう声が高らかに動く影の間を流れた。もう先走った者どもは、架けられた喬木の梢のうえを、四つ這いになって猿のように渡っているのだった。
「あぶねえ、静かに来い」
「ひとつ廻ると、みんな振落されるぞ」
「おッと、どっこい」ひらり、ひらりと十幾つの人影は難なく跳び移った。そして戯れ言をかわしながらどっとそこで一つ笑うと、声もすがたも、たちまち四明颪につつまれて暗い沢の果てへ去ってしまった。
夢の中の人影を見るように尋有はさっきからそれをやや離れた所からじっと見ていた。所詮、この激流を越える術はなし、夜にはなったし、こよいはこの沢で落葉を衾にして眠るよりほかないものと霰の白くこぼれてきた黄昏れから木蔭におとなしい兎のような形になってうずくまっていたのである。
「おお……」思わず彼は立って巨木の架けられた淵まで歩んできた。
「この身の心をあわれみ給うて、弥陀が架けて下された橋ではないか」彼は先に越えて行った人々の態をまねて、手と膝とでその上を這った。先の者は苦もなく一跳びにして行ったように見えたが、尋有にとっては、怖ろしい難路であった。樹はまだ息があるように動くし、水はすごい形相をもって呑もうとするような飛沫を浴びせる。
尋有は眼をつむって、
「御仏」と硬くなって念じた。
仰ぐと、高い所に、ぼちとたった一つの燈が見える。
宙は、無数の星だったが、人間の手に点された光といえばそれ一点しか見あたらない。右を見ても山、左を振返っても山、ただ真っ黒な闇の屏風だった。
「こよいのうちに、会えればよいが――」
尋有はやっとそこの谷間を出てから心を希望へ結びなおした。なつかしい兄はもうここからほど近い飯室谷の大乗院にいる。骨肉のみが感じるひしとしたものが思慕の胸を噛んでくる。
「はやくお目にかかりたい」足はおのずからつかれを忘れていた。彼の心は真向きだった、一心であった。一刻もはやく会わねばならない。会ってそして自分の誠意をもって兄の心を打たなければならない。
兄は知っているのか知らずにいるのか、今、世上の兄に対する非難というものは耳をおおうてもなお防ぐことができない。兄範宴は今や由々しい問題の人となっているのである。囂々として社会は兄を論難し、嘲殺し、排撃しつつあるのだ。
兄の恩師でありまた自分の師でもある青蓮院の僧正も、玉日姫の父である月輪の前関白も、夜の眠りすら欠くばかりに、心を傷めていることを、よもや兄も知らぬわけではあるまいに。――また、その問題も問題である。あろうことかあるまいことか、貴族の姫君と、法俗の信望を担う一院の門跡とが、恋をしたというのだ、密会をしたというのだ、しかも六波羅の夜の警吏に、その証拠すらつかまれているという。
尋有はじっとしていられなかった。老いたる師の体が毎夜、鉋に削けてゆくように痩せてゆくのを側目に見ても。
(こういう問題を残したまま、聖光院を捨てて、ただ御山の奥へ、逃避されている兄がわからぬ。ご卑怯だ、いや、兄君のお為にもならぬ。このまま抛っておいたら、世論はなお悪化するばかりではないか。玉日様を愛するならば、玉日様の立場も考えてみるがよい。師の君のお心のうちはどんなか、姫の父君の身になってみらるるがよい。どうなりと、この際、善処のお考えをなさらぬ法はあるまい。その兄が救われるならば、この自分などの一命はどうなろうがかまわぬ。どういう御相談でもうけてこよう、兄の胸をたたいて聞いてこよう)こう決心して、彼は、師の慈円にも黙って山へさして登ってきたのである。山へ登るについても、世人の眼にふれてはと思い、はるか鞍馬口の方から峰づたいに、山の者にも遠くから来た雲水のように見せかけつつやっと辿り着いたのだった。
だが――尋有は世上で論議しているような不徳な兄とは信じていない。兄の本質は誰よりも自分が知っている。兄は決して多情な人ではない、溺れる人ではない、そういう情涙も脆さも多分にある人には違いないが、一面に剛毅と熱血を持っていることでは誰にも劣らない生れつきである。これと心をすえたことには断じて退かない性格の人でもある。それは源家の血を多分にうけた母の子である兄の長所でもあり、またみずから苦しむところの欠点でもあって、それが兄をしていつも安穏な境遇から求めて苦難の巷へ追い立てる何よりの素因であると、彼は今も歩みつつしみじみ考えてみるのだった。
この世のあらゆる音響から隔離している伽藍の冷たい闇の中から突然起った物音なのである。
すさまじい狼藉ぶりで、それは次から次へと、仏具や什器を崩したり、家鳴りをさすような跫音をさせて、広い真っ暗な本堂を中心として、悪魔の業が動き出している。
勿論、凡者の所業ではない、夕方、横川を渉って飯室谷へかかった天城四郎とその手下どもの襲ったことから始った事件であった。
洛外の蓮台野の巣を立ってきた時から彼らはすでにあらかじめ大乗院を目的として来たに相違なく、四郎がまず先に立って、妻扉をやぶって歩き、つづいて十数名の者が内陣へ入って、まず厨子の本尊仏をかつぎだし、燭台経机の類をはじめ、唐織の帳、螺鈿の卓、瑩の香炉、経櫃など、床の一所に運び集める。
それを頭領の四郎がいちいち眼をとおして、
「こんな安物は捨ててゆけ」とか、これは値になるとか、道具市のがらくたでも選り分けるように分けているうちに、慾に止まりのない手下どもは、土足の痕をみだして方丈の奥にまで踏み入り、なおどこかに、黄金でもないかと探し廻って行く。
すると、ようやくこの物音を知った庫裡の堂衆が二人ほど、紙燈心を持って駈けてきたが、賊の影を出合いがしらに見て、
「わっ!」と腰をついて転んだ。
「騒ぐと、ぶった斬るぞっ」刃を突きつけると、堂衆の一人は盲目的に賊へ武者ぶりついた。他の賊があわててその堂衆の脾腹へ横から刃を突っこんだので、異様な呻きをあげて床へ仆れた。
「畜生っ」と血刀をさげて、賊は逃げてゆくもう一人の堂衆を追い込んで行った。堂衆は驚きのあまり、何か意味のわからない絶叫を口つづけに喚きながら暗い一室へ転げ込んだ。
「野郎っ」と賊はすぐ追いつめて、隅へ屈まった堂衆の襟がみをつかんだが、その時、漆のような室内のどこかで、
「誰だ――」といった者がある。
おや? と振りかえって闇を透かすように眼をかがやかせたのである。見ると、床の上に円座を敷いて、あたかも一体の坐像でもすえてあるかのように一人の僧が坐っていた。
「うぬは何だ」賊がいうと、僧は静かに、
「範宴である」と答えた。
「えっ」思わずたじろいで、
「範宴? 聖光院の範宴か」
「さよう」低い声のうちに澄みきったものがある。その澄みきった耳は最前からの物音を知らぬはずはないが、その態度には小波ほどの愕きも出ていなかった。
「お身たちは何者か」範宴の問いに対して賊たちは賊であることを誇るように答えた。
「盗人よ」
「ほ」半眼を閉じていた眼をみひらいて範宴はまたいった。
「盗賊なれば、欲しい物さえ持って行けば、人を殺めるには及ぶまいが」
「元より、殺生はしたくないが、この堂衆めが騒ぐからよ」
「騒がぬように、わしがいい聞かせておくほどに、そちたちは、安心して、仕事をしてゆくがよい」
「こいつが、うまいことをいう。そんな古策に誰が乗るか。油断をさせて、鐘を撞くか、山法師どもを呼び集めてこようという肚だろう」
彼らは当然に信じなかった。そこの様子を聞いて頭領の四郎は、範宴を本堂へ連れてこいと伝えてきた。手下どもは彼の両手を捻じあげて立てと促した。悪びれた様子もなく範宴は引ッ立てられてそこを出て行くのである。天城四郎はといえば、本堂にあって、経櫃の上に傲然と腰をおろし、彼の姿を見ると突っ立って、頭から一喝をくらわした。
「いたか! なまくら坊主」そして、さらに声高に、
「そこへ、坐らせろ」いわるるまでもなく範宴はすでに坐っているのである。頭領と仰ぐ四郎の身に万一があってはと警戒するように手下どもはいったん物々しく取り囲んだが、その必要がないと見るとおのおの掻き集めた盗品を持ちやすいように包んだり束に括げたりし始めた。
四郎は、範宴の眼をじっと睨まえていた。範宴もまた四郎の顔から眼をそらさなかった。大和の法隆寺に近い町の旅籠で会った時からすでに七、八年の星霜を経ているが、その折の野武士的な精悍さと鋭い熊鷹眼とは今も四郎の容貌にすこしの変りもなかった。それと、ふしぎにもこの男は、弟の尋有の場合でも、自分の所へ襲ってきた今夜でも、何か女性にからむ問題があるたびに現れてきて迫害を加えることが、あたかも約束事のようになっている。――範宴はその宿縁を思いながら四郎の影に対していた。われの懶惰と罪に鞭を享けて弥陀が遣わさるるところの使者であると思った。
「やいっ、範宴」四郎はまずいうのである。
「俺のつらを忘れはしまいな。きょうは返報に来たのだ。ちょうど一年目になるが、よくもいつかの夜には、俺が月輪の姫を奪ってゆく途中、邪魔させたな。手を下したのは汝じゃないと吐すだろうが、汝の意志をもって弟子どもがやったことである以上、その返報は当然てめえにかかってくるのが物の順序だ。そこで今夜は、この大乗院の什器と在金を残らず貰ってゆくつもりだが、何か、いいたい苦情があるか。あるならば聞いてやろう、範宴、吐かしてみろ」野太刀の大きな業物はここにあるのだといわないばかりに、左腰へ拳をあてて少し身を捻りながら睥睨した。
範宴の眸はまだ四郎の面を正視したきりであった。そして静かにいった。
「欲しいものは、それだけか」
「まだある!」押しかぶせるように四郎は右の肩を上げていった。
「おれは天下の大盗だ。盗賊の慾には限りというものがない。汝の生涯につきまとうて、汝を囮に財宝を集めさせてはせびりに来る。今夜は初手の手付というものだ」
「生涯、この範宴から財をしぼるというか」
「おれは、貴様の弱点を握っているからな。――いやともいえまい」
「さように財物を集めておもとはいったい何を築きたいのか」
「死ねば、おさらばを告げるこの世に、物を築いて置く気などはさらさらない。みな、飲む、買う、耽ける、あらゆる享楽にして、この一身を歓ばせるのだ」
「歓ばせて、どうなるか」
「満足する」
「それは、肉体がそう感じるだけのもので、心は、その幾倍もの苦しみや、空虚を抱きはせぬか。人間は、霊と肉体とのふたつの具現じゃ。肉のみに生きている身ではない」
「小理窟は嫌いだ、理窟をいってるやつに一人でも幸福そうに生きている者はない。とにかく俺はその日その日が面白くあればいい、したいことをやって行く」
「あわれな男のう」
「誰が」
「お汝じゃ」
「わはッはははは」四郎は高い天井の闇へ洞然と一笑をあげて、
「こいつが、てめえ自身の不倖せも知らずに、俺を不愍だといやがる」かた腹が痛そうにしていったが、ふと、範宴の一語が頭の隅で気になるらしく、
「おれのどこが、あわれなのか、あわれらしいのか、いってみろ」
「おもとのような善人が、会うべき御法の光にも浴さず、闇から闇を拾うて生きていることの、何ぼう不愍にも思われるのじゃ」
「やいっ、待て」四郎は大床を一つ踏み鳴らして、
「おれを善人だと」
「されば、そういった」
「すこし気をつけてものを吐かせ。この天城四郎を善人だといった奴は、天下に汝をもって嚆矢とする。第一、俺にとって大なる侮辱だ。おれは悪人だ、大盗だ」威丈だかに彼がいうのを冷寂そのもののような容姿でながめ上げながら、範宴は、片頬にうすい笑くぼをたたえた。
「おもとは弱い人間じゃ。偽悪の仮面をつけておらねば、この世に生きていられないほどな――」
「偽悪だと。ふざけたことをいえ、俺の悪は、本心本性のものだ。人のうれいを見て欣び、人の悲しみや不運を作って自分の快楽とする。自分一つの生命を保つためには、千人の人間の生命を殺めてもなお悔いを知らぬ。かくのごとく天城四郎は、無慈悲だ、強慾だ、殺生ずきだ! そして、女を見れば淫になり、他人の幸福を見れば呪詛したくなる。――これでも俺を善人というか」
「まことに、近ごろめずらしい真実の声を聞いた。話せば話すほど、おもとはいつわらぬよいお人じゃ」
四郎は自分が世に隠れなき大悪の張本人であることをもって誇りとしているのである。しかるに、今夜の相手は、自分の兇悪ぶりに対して、一向に驚かないのみか、自分を目して、素直だといい、正直者だといい、善人だという。
これでは、天城四郎たる者の沽券はない。彼は足蹴にされたよりも大きな侮辱を感じて、いちいち範宴のことばに腹が立った。ことばすずしく自分を揶揄するものであると取って、
「やかましいっ」と最後には大喝を発して、顔にも、肩にも、腕にも、怒りの筋肉をもりあげ、全身をもって悪形の威厳を示した。
「おれを、賞めそやしたら、おれが喜ぶとでも思っているのか。甘くみるな。そんな生やさしい人間とは人間のできがちがう。四の五はよいから、金を出せ」
「この無住にひとしい官院に、黄金があろうわけはない」
「家探しするぞ」
「心すむまでするがよい」
「それ、探してこい」手下どもへ顎を振って、四郎は再び範宴を監視した。
終始、範宴の姿なり面からはなんの表情もあらわれなかった。四郎との一問一答がやむと、睫毛が半眼をふさぐだけのことだった。散らかって方丈へなだれ込んだ手下たちは、やがて戻ってきて、範宴の室から一箇の翡翠の硯屏と堆朱の手筥とを見出してきただけであった。金はなかったけれど、その翡翠の硯屏は、四郎の慾心をかなり満足させたらしい。
「寺には、こういう代物があるからな」と見恍れていた。そしてすぐ、
「引き揚げよう。そこいらの物を引っ担いで先へ出ろ」と命じた。
手下たちは、めいめい盗品を体につけて本堂の外へ出た。四郎は、動かしかけた足を回し、最後の毒口をたたいた。
「範宴、また来るぞ」鏃のような鋭い彼の眸に対して、範宴の向けた眼ざしは春の星のように笑っていた。
「オオ、また参るがよい」
「ふふん……負惜しみのつよい男だ。人もあろうに、俺のような人間に、女犯の証拠をにぎられたのが汝の災難。一生末生、つきまとって金をせびるものと観念しておけよ」
「ふかいご縁じゃ。いつかはこの浅からぬ宿縁に、法の華が咲くであろうよ」
「まだ囈言を吐いていやがる。おれの悪を偽面とぬかしたが、汝も、聖めかしたその偽面を、ぬぎ捨てて、凡下は凡下なりに世を送ったほうが、ずんと気が楽だろうぜ。はははは、坊主に説教は逆さまだが、俺の経文は生きた人間へのあらたかな極楽の近道なのだ。……どれ、だいぶ寒い思いをしたから、今夜は八瀬の傾城に会ってその極楽の衾に、迦陵頻伽の声でも聞こう。おさらば」
盗賊の習性として、現場を退く時の身ごなしは眼にもとまらないほど敏捷であった。廻廊へ出たと思うと、四郎の影も、手下どもの影も、谷間を風に捲かれて落ちる枯葉のように、たちまち、その行方を掻消してしまう。
さっきから歯の根もあわず、縁の柱の蔭にすくんでいた尋有は、悪夢をみているような眼でそれを見送っていた。
魔の荒して行った伽藍のひろい闇を、その後の惨たる泥足の跡を、冷たい風がふきぬけていた。
尋有はいつまでもからだの顫えがとまらなかった。脚ぶしをがくがくさせて、廻廊の扉口から大床のうちを覗いた。
一点の灯しもない。いるのかいないのか範宴のすがたも見えない暗さである。尋有は這うように進んで行った。――と、賊が捨てて行った経巻が白蛇のように解けて風にうごいている。その側に、坐っている者の影が見えた。
「兄君ッ……」つき上げて出た声だった。範宴のほのかに白い面がじっと自分のほうへ向いたことがわかると、尋有は跳びついて兄の膝にしがみついてしまった。
「おっ! ……」愕とした兄の手が尋有の背をつよくかかえた。かかえる手もかかえられる手も氷のようだった。ただ、範宴の膝をとおす弟の涙ばかりが熱湯のようにあつい。そして、範宴は弟が何のために山へ来たかを、また尋有は兄が自分の姿をどう心の裡で見ているかを、何もいわないうちに分ってしまったような気がするのであった。兄を責めるとか諫めるとかいうようなことはみじんも忘れ果てて、ただ、肉親の情涙の中に泣き濡れていることだけで満足を感じてしまった。
「よう来たのう、道にでも迷うてか、この夜更けに入って――」
「兄君……」とだけで、尋有は舌がつってしまう。何もいえないのだ。ただなつかしいのだった。
「寒かろう、それに飢じいであろう。はての……なんぞ温い食べ物でもあればよいが」
「いいえ、私は、飢じいことはありません。何もいりません。……それよりは、どこもお怪我なさいませんか」
「なんで?」
「天城四郎のために」
「…………」黙って、微笑して、範宴は顔を横に振って見せる。まるで他人事のようにである。
尋有は、兄の膝から顔を離し、兄の手をつよくつかんだ。
「ご存じですか。世間の声を、都の者の喧しい非難や論議を」
「うむ……」
「師の君の御苦境やら、また、姫のお父君でおわす月輪様の御心痛も」
「……知っておる」
「すべてをご存じですか」
「この山にいても、眼にみえる、心に聞える、身はふかく霧の扉にかくれても、心は俗界の迷路からまだ離れきらぬためにの。――そんなことではならないのだ、今のわしは、今の範宴は」
つよい語尾であった。尋有はこの期になっても屈しない兄の厳かな眉にむしろ驚くのだった。会うごとに兄の性格が高い山へ接してゆくように、深く嶮しく、そして登れば登るほど高さが仰がれてくる心地がするのである。
「心配すな、それよりは寝め。――わしの室へきて」静かに立った時、堂衆の紙燭が、奥のほうでうごいていた。
眼をとじてもいつまでも眠りに入れない尋有であった。
兄は自分を寝ませておいてどこかへ出て行った。廊下で堂衆の寒さにふるえているような声がきこえる。堂衆のうちで賊に斬られた者があるというから、その男の手当やら後の始末をしているのであろう、微かな物音が更けるまで庫裡に聞えた。
それが止むと、やがて範宴はそっと室へ帰ってきた。尋有は自分の寝顔をさしのぞいている兄の容子を感じながら眠ったままに装っていた。兄もすぐ側に眠るであろうと考えていたのである。ところが範宴は法衣の紐をしめ直したり、脚絆を当てたりして、これから外へでも出るような身仕度をしているのだった。
(今ごろ?)と尋有は怪しんで冴えた心になっていた。ふっと、息の音がしたと思うと、短檠の燈は消えていた。寝ている者の眼をさまさせまいとするように、しのびやかな跫音が室を出て、後を閉めた。
「はて……? いずこへ」尋有は起き直った。
しばらくためらっていたがどうしても不安になった。あわてて、枕の下へ手を入れる、そこらに脱いでおいた法衣を体に着ける。
外へ出た。彼方を見、此方を見廻したが、もう兄のすがたは見えない。山門の方まで駈けてみる。そこにも見えないのである。
峰と峰とのあいだの空が研がれた鏡のように明るかった。寒さは宵とは比較にならない、この寒気を冒して、この深夜をこえて、兄は一体どこへ出て行ったのか。
翌る朝になってみると、兄は、自分のそばに法衣も解かずに寝ていた。眠る間があったのだろうか、さりげなく朝の食事はひとつ座に着いて喫している。
「兄君、ゆうべあれから、どこかへお出になりましたな」
「うむ、行った」それきりしか問わなかったし、それきりしか答えもしない。範宴はすぐ斎堂を立って、
「わしは、ずっと、黙想を日課にしておる。行室におるあいだは、入ってくれるな」といった。
昼間は、顔をあわす折もないし、夜はまた、ただ一人でどこかへ範宴が出て行ってしまう。一夜も、欠かした様子がない。
山へかくれた去年から今年への間に、範宴の心境は幾たびとなく苦悶のうちに転変していた。死を決して、食を断ったという噂も事実であろう。この寂土から現実の社会を思って、種々な自分を中心として渦まくものの声や相を、眼に見、耳に聞き、生きながら業火の中にあるような幾月の日も送っていたに違いない。そうして今は何か一すじに求めんとするものへ向って、夜ごとにこの大乗院を出ては、朝になると帰ってくる彼であった。
「今夜こそ、そっと、お後を尾けて行ってみよう」尋有は、兄の行動を、半ばは信じ、半ばは世間のいう悪評にもひかれて、もしやという疑いをふと抱いた。
その晩、尋有は先に臥床を出て、大乗院の外に忍んでいた。
ぽつ――と冷たいものが頬にあたった。雨である。しかし、雲が明るい、綿のような雲が翔けている。
「降らねばよいが」夜ごとにこの闇を歩む兄の身を思いやって祈るのだった。
静かな跫音が今山門を出て行った。範宴である。勿論気づいているはずはない、尋有はその後から見え隠れに兄の影を追って行くのだった。
昼ですら危険の多い横川の谷間を、範宴は、闇を衝いて下って行く。なにか、赫々とした目的でもあるような足だ。むしろ尋有のほうが遅れがちなのである。
渓流にそって、道は白川へ展けている。そのころから風が変って、耳を奪うような北山颪に、大粒な雨がまじって、顔を打つ、衣を打つ。
すさまじい空になった。黒い雨雲がちぎれて飛ぶ間に、月の端が、不意に顔を出すかと思うと、一瞬にまたまっ暗になった。がらっと鳴る水音は、絶えず足もとを脅かすのである。尋有はともすると見失いそうな先の影に、喘ぎをつづけていた。
草鞋の緒でも切れたのではないか。範宴は浄土寺の聚落あたりで、辻堂の縁にしばらく休んでいた。禅林寺の鐘の音が、吠える風の中で二更を告げた。
「この道を? ……いったいどこへ行こうとなさるのか」いよいよ、兄の心が尋有には謎だった。粟田山の麓から、長い雑木林の道がつづく。水をもった落葉を踏んで飽かずに歩むと、やがて、黒い町の屋根が見え、三条磧の水明りが眼の前にあった。
河はもうこの一降りで水量を増していた。濁流が瀬の石に白い泡を噛んでいる。五条まで下がれば橋はあるが、範宴は浅瀬を見まわしてそこを渡渉て行こうとする。
「あ、あぶない」尋有は、自分の危険をわすれて、河の中ほどまで進んだ兄の姿に気をとられていた。法衣のすそを高くからげても、飛沫は腰までかかるのだった。それに、この水の冷たさはどうだろう。尋有は歯をかみしばって、一歩一歩、河底の石を足の爪先で探りながら歩いた。
と――砂利でも掘ったような深い底へ、尋有は足を踏み入れた。あっ――と思った時はもう迅い水が喉首を切って流れていた。
「兄君――」思わず尋有は叫んでしまった。そして、四、五間ほど流されて、水面に手をあげた時、範宴は水煙りを上げて、彼の方へ駈け戻ってきた。
「尋有っ」眼の前に伸ばしてきた範宴の手へ、尋有は、両手ですがりついた。
「兄君」
「よかった。怪我はせぬか」
「い、いいえ」唇は紫いろになっていた。声もふるえて出ないのである。
「手を離すな」範宴は、濡れ鼠になった弟を抱えて、河原へ上がった。
「寒かろうが、行く先まで怺えておれ」すぐ堤を越えて、また歩いた。三条の大路をまっ直ぐ西へ。
一叢の森がある。頂法寺の境内だった。そこの六角堂へ来ると、範宴は、堂の一隅に置いた櫃の中から、肌着と法衣を出して、弟に着かえさせた。
尋有は、縁の床に手をついたまま、いつまでも面を伏せていた。
「おもと、なにを泣いているか」
「自分が恥かしいのです」
「なぜ」
「私までが、世評に耳を惑わされて、実は、兄君をお疑い申しておりました。それで、今夜は、お行き先を見届けようと、お後を尾けて来ましたところ、兄君の夜ごとのお忍びは、この六角堂にご参籠のためと分りました」
「叡山から三里十六町、この正月の十日から発願して、ちょうど今宵で九十九夜になるのじゃ、お汝の案じてくれるのもわかっておる、また、師の僧正を初め、月輪殿の御心痛のほども、よう汲んではおるが、範宴が今の無明海をこえて彼岸に到るまでは、いかなる障碍、いかなる情実にも邪げられぬと武士が阿修羅に向うような猛々しい心を鎧うて参ったのだ。そのために、この六角堂へ参籠のことも、誰にも告げず、ただ、深夜の天地のみが知っていた。お汝が、大乗院からわが身の後に慕うて来たことも、知らぬではなかったが、すでに九十九夜になる今宵のことゆえ、打ち明けてよかろうと、また、師の僧正にも、範宴はかくのごとくまだ無明海にあることをお汝の口から告げてもらいたい。――しかし必ずとも、永劫の闇にやわかこのままに溺れ果つべき。必ずやこの身が生涯のうちにはこの惑身に、玲瓏の仏光を体得して、改めて、今のお詫に参ずる日のあることを誓って申し添えておいてくれい、……よいか、わかったか尋有」
「はい……。よく分りました」
「わかってくれたら、早う帰れ、青蓮院の師のもとへ帰れ。それまでは、この兄もあると思うな。ただ、天地の大きな力と、御仏の功力を信じておれ。ことに、お汝は肉体が弱い、せめて、安らかな心のなかに住むことを心がけて下されい」範宴はひざまずいて、弟の胸へ向って掌を合わせた。
ふかい樹立が静寂の闇と漆を湛えたような泉の区域を囲んでいた。六角堂のすぐ裏にあたる修学院の池である。
そこに、この真夜中、水音がしていた。裸体になって水垢離をとっている者がある。白い肌がやがて寒烈な泉に身を浄めて上がってきた。
範宴だった。寒いといっても、このごろはもう樹の梢にも霜がないが、彼がこの六角堂の参籠を思い立った一月上旬のころには、この池には夜ごとに薄氷が張っていたものであった。その氷を破って全身を八寒のうちに没して、あらゆる妄念を洗って後、御堂の床に着くのだった。
――それが今宵で九十九夜も続いた。よくこの肉体がつづいたと彼は今も思う。
しかし、行は、行のための行ではない。出離生死の妄迷を出て彼岸の光明にふれたい大願に他ならない。九十九夜の精進が果たして仏の御心にかなったろうか。
凍える身を拭いて、範宴は白い浄衣を肌に着、少僧都の法衣を上に纒った。そして、六角堂の扉を排しながらはっと思った。
「百夜はおろか、二百夜、千夜、出離の御功力をたまわるまでは、振り向いてはならぬ。まだ真向にこの御扉のうちへこそ向え」
自分を叱咤して、精舎の扉を排した。
床に坐る。一点の御灯を霊壇の奥に仰ぐ。――範宴は、ここに趺坐すると、弱い心も、強い心も、すべての我が溶けてくるのを感じる。そして肉体を忘れる。在るのは生れながらの魂のみであった。人間とよばるるあわれにも迷いの多い一箇のものだけであった。
「南無、如意輪観世音菩薩」合掌をこらして、在るがままに在るうちに、我ともあらぬものが満身の毛穴から祈念のさけびをあげてくる。
「――仏子範宴、人と生れてここに二十九春秋、いたずらに国土の恩に狎れて長じ、今もって、迷悟を離れず悪濁の無明にあえぎ、幾たびか籠り幾たびか彷徨い、ひたすら行道のあゆみを念じやまぬ者にはござりまするが、愚かや、山を降りては世相の謎に当惑し、愚痴貪欲に心をいため、あまつさえ、仏陀の誡めたもう女人に対しては、忘れんとしても、夢寐の間も忘れ得ず、仏戒の力も、おのれの力も、それを制圧するに足らず、日々夜々の妄魔との戦いに、あわれ心身も蝕まれて滅びんとしている愚か者がこの範宴であります。一度は、死なんといたしましたが、死に赴くも難く、生を願うては煩悩の濁海にもてあそばれているのみ。あわれ、救世菩薩、わが行く道はいずくに在るか。示したまえ! 出離生死の大事を! これ、一人の範宴にとどまる悩みではありません。同生の大衆のために、われら人間の子のために」
いつか涙の白いすじが、彼のすさまじい求法の一心を焚いている眸から溢れて、滂沱として頬にながれ落ちるのであった。
雨に洗われた路面は泥濘をながして白い小石が光っていた。樹々の芽がほの紅くふくれ、町の屋根にはうすい水蒸気があがっている。
範宴は、歩いていた。生々とした朝の町に、彼の顔だけが暗かった。力も、目標もない足つきだった。
「この大願が解決されねば、生きているかいはない」と思いつづけていた。
ゆうべは、宵の騒ぎで、すでに大乗院を出る時刻が遅かったので、けさは、六角堂で夜が明けてしまったのである。もうこうして、ひたむきに山から通うことも昨夜で九十九夜になる。
「何を得たか?」範宴は、依然として、十万暗黒のうちに自分の衰えつかれた姿を見出すだけだった。往来の人とぶつかっても気がつかない、輿を荷担ってくる舎人に呶鳴られても気がつかない、物売りの女が怪しんで、気狂いらしいと指さして笑っているのも気がつかない……。
今朝の彼は、気狂い僧と見られても無理がなかった。法衣は、ゆうべの雨で河水に濡れてまだよく乾いてもいないのをそのまま着ていた。その裾も破れているし、足はどこで傷ついたのか血を滲ませているのである。時々、辻へ来て、はっと上げる眼ざしは、うつつで、底光りがして、飛び出しそうな熱をもって、無心な者はぎょっとする。
だが、彼の姿を、往来の誰もが、そこらにうろついている物乞い僧と同一視していたのは、むしろ幸いといわなければならない。なぜなら、もし、聖光院の門跡範宴少僧都が、そんな身装をして、この朝まだきに町の中を通っているのを見つける者があったら、さなきだに今、彼の行方は社会の問題になっているし、月輪の姫との恋愛沙汰なども、喧ましくいわれているところなので、たちまち、
(破戒僧がいた)
(範宴少僧都があるいている)と、興味や蔑しみの眼があつまってきて、彼の姿を見世物のように人が見に集まってきたかも知れないのである。
そういう実は危険な往来であったが、範宴その人は、少しも、それには意をつかっていない。――ただ、求法のもがきだけだった。今の闇を脱する光明をつかみたい。出離生死の大事――それにのみ全能はかかっている。
「ああ」四条の仮橋の欄を見ると、綿のようにつかれた体は、無意識にそれへ縋った。夜来の雨で、加茂川は赤くにごっていた。
濁流の瀬は逆まいて白い飛沫をあげていた。折角、萌えかけた河原の若草も、可憐な花も、すべてその底に没している。ちょうど、彼自身の青春のように。
「もし……。あなたは、範宴少僧都ではありませんか」ふいに誰か、彼の肩をうしろから叩く者があった。人の多い京の往来である。ついに、彼の顔を見知っている者に出会ってしまった。
「これは、おめずらしい」と、その人はいった。
範宴は、橋の欄から振向いて、
「お、あなたは」
「ご記憶ですか、安居院の法印聖覚です」
「覚えております」
「意外なところで……」と法印はなつかしそうに眼を細めた。
磯長の聖徳太子の廟に籠って厳寒の一夜を明かした折に、そこの叡福寺に泊っていた一人の法印と出会って、互いに、求法の迷悟と蝉脱の悩みを話しあって別れたのは、もう十年も前のことである。その折の旅の法印が、今も相変らず、一杖一笠の姿で洒脱に眼の前で笑っている。安居院の聖覚なのである。
「しばらくでしたなあ。――いろいろご消息は聞いているが」と、法印は範宴の眉を見つめていった。
「お恥かしい次第です」範宴はさし俯つ向いて、
「磯長の太子廟で、あなたに会った年は、私の十九の冬でした。以来十年、私はなにをしてきたか。あの折も、仏学に対する懐疑で真っ暗でした。今も真っ暗なのです。――いやむしろ、あのころのほうがまだ、実社会にも、人生の体験も浅いものであっただけに、苦悶も、暗い感じも、薄かったくらいです。自分ながら時には暗澹として、今も、加茂の濁流を見ていたところなのです。私のような愚鈍は、所詮、死が最善の解決だなどと思って……」
そういう淋しげな、そして、蒼白い彼の作り笑顔を見て、法印は礼拝するような敬虔な面持ちをもって、
「それが範宴どのの尊いところだと私は思う。余人ならば、それまでの苦闘を決してつづけてはいないでしょう。たいがいそれまでの間に、都合のよい妥協を見つけて安息してしまうものです。あなたが他人とちがう点は実にそこにあるのだ」
「そういわれては、穴へも入りたい心地がします。すでに、世評にもお聞き及びでしょうが、私という人間は、実に、矛盾だらけな、そして、自分でも持てあます困り者です。その結果、がらにもない求法の願行と、実質にある自分の弱点が呼んだ社会的な葛藤とが、ついに、二進も三進もゆかない窮地へ自分を追い込んでしまい、今ではまったく、御仏からは見離され、社会からは完全に葬りかけられている範宴なのです。まったく、自業自得と申すほかはありません」
夜来一椀の水も喉へとおしていない彼の声は、乾びていて、聞きとれないくらいに低い。しかしその音声のうちには烈々と燃ゆる生命の火が感じられ、そして、みずからを笑うがごとく、嘲るがごとく、またなおこのまま斃れてしまうことを無念とするような青年らしい覇気と涙がその面をおおっていた。
「お察しする」と、法印は呻くようにいって、同情に満ちた眼で、範宴の痩せて尖った肩に手をのせていった。
「立ちどまっていては、人目につく。歩きながら話しましょう」
肩を並べて、二人は歩みだした。四条の橋を東へ渡りかけて、
「法印、あなたは、西の方へお渡りのところではありませんか。こう行っては、後へ戻ることになりましょう」範宴が、ためらうと、安居院の聖覚は、首を振って、
「何、かまいません。友が生涯の彼岸に迷っていることを思えば、一日の道をもどるくらい、何のことでもありません」そういいつつ、歩む足も言葉もつづけて、
「今、あなたの真摯な述懐を聞く途端に、私の頭へ閃めいたものがあります。それは、きっとあなたに何らかの光明を与えると思う」
「は、……何ですか」
「範宴どのは、黒谷の吉水禅房に在わす法然上人にお会いになったことがありますか」言下に範宴は答えた。
「かねて、お噂は承っていますが、まだ機縁がなく、謁したことはございません」
「大きな不幸ですな」と法印はいった。
「ぜひ、一度、あの上人にお会いになってごらんなさい。私がここで、その功力を百言で呶々するよりは、一度の御見がすべてを、明らかにするでしょう。私も初めのほどは、ただ奇説を唱える辻の俗僧とぐらいにしか思わないで、訪れを怠っていましたが、一度、法然御房の眉を仰いでからというものは、従来の考えが一転して、非常に明るく、心づよく、しかも気楽になりました。なぜもっと早くにこの人に会わなかったのかと機縁の遅かったことを恨みに思ったほどでした。ぜひあなたも行ってごらんなさい」熱心にすすめるのだった。
黒谷の念仏門で、法然房の唱道している新宗教の教義や、またそこに夥しい僧俗の信徒が吸引されているという噂は、もうよほど以前から範宴も耳にしていることであって、決して、安居院の聖覚の言葉が初耳ではなかった。
けれど、法印も今告白したとおり、在家往生とか、一向念仏とか、易行の道とか、聞く原理はいわゆる仏教学徒の学問の塔にこもって高く矜持している者から見ると、いかにも、通俗的であり、民衆へ諂る売教僧の看板のように見えて、そこの門を訪ねるということは、なにか、自己の威権にかかわるような気のしていたものである。
ことに、凡の学徒や究法の行者とちがって、生きるか死ぬかの覚悟で、まっしぐらに大蔵の仏典と人生の深奥に迷い入って、無明孤独な暗黒を十年の余も心の道場として、今もなお血みどろな模索を続けている範宴にとっては、そういう市塵や人混みの中に、自分の探し求めているものがあろうなどとは絶対に思えなかったのである。吉水の禅房と聞き、黒谷の念仏門と聞き、法然房源空と聞き、幾たびその噂が耳にふれることがあっても、まるで他山の石のような気がしていたのであった。それが今――今朝ばかりは――
「お! 黒谷の上人」何か、胸の扉をたたかれたような気がした。
「ぜひ、行ってご覧なさい」法印は、重ねてすすめた。そして、別れて立ち去った。
「黒谷の上人」範宴はつぶやきつつ、後を見た。もう法印の姿は往来に見えない。頂法寺の塔の水煙に、朝の陽がちかと光っていた。
「法然――。そうだ法然御房がいる」九十九日目の明けた朝であったのも不思議といえば不思議である。如意輪観世音の指さし給うところか、範宴はすぐ心のうちで、
(行こう!)と決心した。
どこに臥し、どこに食を得ていたか、ここ数日の範宴の所在はわからなかったが、あれから叡山へは帰っていないことと、洛内にいたことだけは確実である。
粟田山の樹々は、うっすらと日ごとに春色を加えてきた。黒谷の吉水には、夜さえ明ければ、念仏のこえが聞えやまなかった。信徒の人々の訪れては帰る頻繁な足に、草原でしかなかった野中はいつのまにか繁昌な往来に変っていた。
その人通りの中に範宴のすがたが見出された。
勿論、彼を範宴と知る者はなかった。安居院の法印のように、よほど記憶のよい人か、親しい者でなければ、その笠のうちをのぞいても気がつくまい。
(どこの雲水か)と、振りかえる者もない。
女も老人も、子供も、青年も通る。その階級の多くは元より中流以下の庶民たちであるが、まれには、被衣をした麗人もあり、市女笠の娘を連れた武人らしい人もあった。また、吉水禅房の門前の近くには、待たせてある輦だの輿だのもすえてあった。
範宴は、やがて、大勢の俗衆と共に、そこの聴聞の門をくぐってゆく。法筵へあがる段廊下の下には、たくさんな草履だの、木履だの、草鞋だのが、かたまっている。彼もそこへ穿物を解き、子の手をひいて通る町の女房だの、汗くさい労働者だの、およそ知識程度のひくい人々のあいだに伍して、彼もまた、一箇の俗衆となって聴法の床に坐っていた。
こうして、範宴がここへ来る願いは、まだ法然上人に会って、心をうち割ってみるとか、自分の大事についてただしてみるとかいうのではなくて、自分もまず一箇の俗衆となって、これだけの民衆をすがらせている専修念仏門の教義を、学問や小智からでなく、凡下の心になって、素直に知ってみたいと思うのであった。
四条の畔で、安居院の法印からいわれた示唆は、今もまだ耳にあって、天来の声ともかたく信じているのであるが、範宴には、いきなり法然の門へ駈けこんで、唐突に上人に会ってみるより、上人の唱える念仏門が何であるか、それを知ってから改めて訪れるべきだと考えられた。また、従来の自分というものを深く反省てみると、学問に没しすぎてきたため、学的にばかり物を解得しようとし、どんな教義も、自分の学問の小智に得心がゆかなければうけ取ることができない固執をもっていた。理論に偏しすぎて、実は、理論を遊戯していることになったり、真理を目がけて突きすすんでいると思っていたのが、実は、真理の外を駈けているのであったりしてきたように思われていたのであった。――で、この期にこそ、まず自分の小智や小学やよけいな知識ぶったものを一切かなぐり捨てて、自分も世間の一凡下でしかないとみずから謙虚な心に返って、この説教の席にまじって、耳をすましているのであった。
十日ほど、範宴は通った。
そのあいだに、一般の聴法者のあつまりには、法然上人のすがたは、いちども、説教の座に見られなかった。
「お風邪をひいて、臥せっていらっしゃるのだそうだ」信徒の人々のうわさだった。
で、教壇には、法然直門の人々がこもごもにあらわれて、念仏の要義を、極めてわかりやすく、しかも熱心に説くのだった。
その中には、他宗にあって相当に名のあった学徒たちが、顕密諸教の古い殻から出て、この新しい宗祖の下に集まって来ている者も尠なからずあった。
西仙房の心寂、聖光房の弁長、また空源とか、念阿とか、湛空などの人たちは、範宴も以前から知っている顔であった。
また、鎌倉殿の幕府うちでも、武名の高い坂東武者の熊谷直実、名も、蓮生房とあらためて、あの人がと思われるような柔和な相をして、円頂黒衣のすがたを、信徒のあいだに見せているのも眼についた。
「ここの壇こそは、生きている声がする」
範宴は、一日来ると、必ず一つ感銘を抱いて帰った。世間そのものの浄土を見て帰った。
「もし! ……」ぞろぞろと禅門から人々の帰って行く折であった。老婆と幼子とを門前にのこして、範宴の後をついてきた商人の妻らしい女が、
「もしや、範宴さまではございませんか」と後ろから呼んだ。
「どなたです」
「お見わすれでしょう」と女はわらう。範宴は、女の笑顔に、
「おお、梢どのか」と驚いていった。
弟の尋有の今の姿が、すぐ梢の変りきった眼の前の姿と心のうちで比べられた。二人の恋ももう遠い過去のものであった。天城四郎にかどわかされて後のこの女の運命を思わないこともなかったが、こんなに幸福な陽の下で見られようとは想像もしていなかったことである。
「あのせつは、ご心配をおかけいたしましたが、今では、小やかですが、穀商人の内儀になり、子どもまでもうけて、親どもと一緒に暮らしております。よそながら、お噂もうかがって、いつも蔭ながらご無事をおいのりしておりましたが、ここでお目にかかれましたのも、ありがたいお上人様のおひきあわせでございましょう」と、ことばの下から念仏をとなえて、吉水の門を拝むのだった。
あの盗賊の四郎の手にかけられた上は、当然、遠国の港へ売られたか、浮れ女の群れに入って東国まで漂泊したか、いずれ泥水の中に暗い月日も送ったことであろうに、梢の顔にはそうした過去の陰影はすこしも見られない。母としてのつつましさと、妻としての落着きをたたえている顔に、明るい笑靨がうごいているだけだった。
「そうか」範宴はうれしいことに会ったと思った。そして、彼女の今の幸福はなにかと問うと、梢は、ためらいなくいった。
「お念仏でございます。良人のそばでも、子供に乳をやりながらでも、お念仏を申している日がつづいてから、不幸と思った日は一日もございません」
梢のそういう恵まれた姿を見たばかりではない。範宴は彼女とわかれて歩みだしながら考えた。ふしぎな事のように思うのだ。この黒谷の上人の門へ群れあつまる人々の姿にはみなその恵みがかかっている。どの顔にも歓びと生活の幸が輝いている。自分のごとく懊悩の陰影をひきずっている者はない。心の見窶らしさがあの群れの中では目立つ。
しかし、その時にはもう深い決意が範宴の肚にはすわっていた。彼の姿はやがて叡山の森々と冷たい緑の気をたたえている道をのぼっている。大きな決意を抱いて一歩一歩に運ぶ足だった。
「や、範宴じゃないか」杉林の小道から出て来た四、五名の学僧たちが、眼まぜで、囁き合いながら摺れちがって、
「うふふ……」手で口を抑え、次にすぐ、
「あははははは」と大きく笑った。
範宴はふり向きもしない。ただこの山の人間と黒谷の人々との持っている心の平常にいちじるしい差をすぐに感じただけであった。かほど森厳な自然と、千年の伝統をもっている壇には、なんらの仏光を今日の民衆にもたらさなくて、市井の中のささやかな草庵の主から、あのような大道が示されているのは、何という皮肉であろうと思った。
(奇蹟が事実にある)範宴はやはり今の世に生れてよかったと思う。今の世に生れなければ、あの奇蹟は見られないのである、法然御房にも会えないのである。安居院の聖覚法印は、やはり嘘をいわなかった。
彼の心は急いできた。といっても、先ごろのような焦躁では決してない。いそいそと明るいほうへ心は向いている。
大乗院へもどると、彼はすぐ麓へ向けて使いをやった。使いは、青蓮院と、聖光院へまわった。
この一年ほど、まるでたましいのない廃寺のように、寂として、憂暗のうちにあった聖光院と、そこに留守をしていた人々は、思いがけない師の書状を手にすると、
「お帰りになるそうだ」といって狂喜した。
小幡民部から性善坊につたえられ、性善坊はその報を持って、
「覚明」と、友の室へ駈けこんだ。そして、
「師の房が、おもどりになるゆえ、迎えにこいというおてがみだ」と告げると、覚明は、
「ほんとか」と、眼をみはった。
よほどうれしかったのであろう、またそれほどに今日までの一日一日が憂惧の底であったにちがいない。
「よかった」と抱き合って、ふたりは泣いた。
山南天の実が赤い。
藪蔭の陽はもう暖かな草萌えのにおいに蒸れていた。
「ここじゃ」大乗院の山門の額を仰いで、人々はほっと汗ばんだ息をやすめた。
「ようこんな廃れ寺で、一年もご辛抱なされたものだ」と、覚明がうめいていう。
坊官の木幡民部を初め性善坊やその他十名ほどの弟子たちは、そこを入る時から胸が高鳴っていた。玄関へ向って、
「聖光院のお留守居の者ども、お迎えに参じました。師の御房へおつたえして給われ」
堂衆が、奥へ入って行く。やがて、
「御本堂へ」と、一同を通した。
明けひろげた伽藍の大床には、久しぶりで四面からいっぱいな春光がながれこんでいた。
だが、ふと内陣の壇を仰ぐと、御厨子のうちには本尊仏もなかった、香華の瓶もない、経机もない、龕もない、垂帳もないのである。吹きとおる風だけが爽やかであった。
(はてな?)不審ないろが誰の面にもあった。しかしことばを洩らす者はなかった。より以上に、師のすがたが胸につまるほどな感謝で待たれていたからである。民部、性善坊、覚明、その以下の順で膝ぶしを固めてじっと控えていた。
(どんなに窶れておいで遊ばすことか)と、その衰え方を誰もが眸にいたましく描いてみるのであった。
奥まった所で扉のあく音が聞え、やがて静かな跫音が近づいてくる、廻廊の蔭にあたって人の来る気配なのであった。――と、そこに、うぐいす色の袈裟をかけて、念珠を携えた背のすぐれた人が立っていた。
「あ。……師の御房」いうまでもなく範宴なのである。ひれ伏した人々はふたたび顔を上げ直して、自分の眼を疑った。なぜならば、骨と皮とのようになっていられるだろうとすら想像していた彼の面は、多少やつれてこそいるが、若い血色に盈ちていたし、何よりは、

円座も敷かずに、範宴は床へじかに坐った。彼もまた、一年ぶりに会った愛弟子たちに対して、なんともいい得ない感情につつまれているらしいのであった。ただ一言、
「皆に、心労をかけましたのう」といった。
「……何の、お健やかなご様子さえ拝せば、私たちの苦労はすぐ解けてしまうものでございまする」性善坊は、はらり落つる涙を掌にうけて、答えた。剛毅な覚明すら、久しく離れていた嬰児が母のすがたを見たように羞にかんでいるのであった。
麓の白川口には、一輛の輦が待っていた。二人の稚子と牛飼の男が、そばの草叢に腰をすえて、さびしげに雲を見ている。
そこは、志賀山越えと大原道との岐れ目であった。一面の琵琶を背に負い、杖をついてとぼとぼと志賀の峠から下りてくる法師があった。足もとの様子で盲人と見たので、草の中から稚子が、
「琵琶法師さん、輦があるよ」と、気をつけてやる。
盲の法師は杖をとめて、
「ありがとう」背を伸ばし、空を仰いで、
「どなたのお輦ですか」
「聖光院の御門跡さまが、山をお下りになるんです」
「あ! ……。範宴どのが、山を離れられるとか」
「御門跡さまをご存じですか」
「月輪公の夜宴でお目にかかったことがあります。そうですか、やはり、離山なされることになったか。そうなくてはならないことでしょう。……範宴少僧都の君をことほぐために、一曲奏でたい気持さえ起るが、ここは路傍、やがての事にいたしましょう。私は、峰阿弥と申すものです。どうぞ、よそながらこうとお伝え置きねがいまする」
独りで喋って、独りでうなずきながら、旅の琵琶法師は、落陽のさしている風の中を、大原道のほうへとぼとぼと歩み去った。
「なんじゃ、あの法師めは、盲というものは口賢いことをいうから嫌いだ」牛飼の男が、つぶやいた時、戯れ合っていた稚子たちが、
「あ、お見えじゃ」と立ち上った。
雲母坂を越えて斜めに降りてくる範宴の姿や、その他の迎えの人々が見え初めたのである。輦の簾をあげて、牛飼は軌の位置を向きかえた。
(範宴離山)の噂は、半日の間に、叡山にひろがっていた。ひそかに、彼へ私淑している人々だの、彼の身を気づかっていた先輩だの、また、一部の学徒の人々だのが、真っ黒なほど範宴のうしろに列を作っていた。
その人々へ対って、慇懃に、別辞の礼を施してから、範宴は、輦の中へ移った。彼の胸には、この時すでに、十歳の春から二十九歳のきょうまで、生れながらの家のように、また、血みどろな修行の壇としてきた、叡山に対して、永遠の訣別を告げていたのであったが、送る人々は、なにも気づかなかった。
「範宴御房、おすこやかに」
「またのお移りを待つぞ」などといった。
輦がゆるぎだすと、白河の上にも、如意ヶ岳のすそにも、白い霧のながれは厚ぼったく揺らいでいた。そして、どこからともなく、淙々と四絃を打つ撥の音がきこえてきた。
「お、琵琶の音がする。……加古川の法師は? ……」輦のうちで眼をふさぎながら、範宴は、玉日姫のすがたを、おぼろ夜の白い桜を思いうかべていた。
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すさまじい荒法師の一群が、肩をいからし、高足駄を踏みならして、
「もの申すっ」と聖光院の玄関に突っ立ち、こう呶鳴った。
「範宴少僧都に会いたいことがあって、遥けく罷りこした僧どもでござる。お取次をねがう」坊官たちは、玄関脇の一室で、
(や、また来た)と眼まぜをしあい、当惑顔をするのであった。
根来の誰とか、三井寺のなにがしとか、また聖護院の山伏だの、鎌倉の浪人者だの、名もない市井の無頼漢までが、きのうも今日もこれまで幾組来たことかわからない。
いい合わしたように、皆、
(範宴に会わせろ)とか、
(範宴をこれへ出せ)とかいう。
彼が叡山を下りて、ここへ帰ったという事実は、一日のうちに洛中洛外に知れわたってしまった。――燃えている炎の中へ、油の壺でも投げこんだように。
破戒不浄の似非門跡に会って、面皮を剥いてくれねば帰らぬと、玄関に立ちふさがる輩もあるし、嫌がらせをいって、金を強請りにくる無頼漢や浪人もあった。
「あくまで、お留守だと申せ」執事の木幡民部は、坊官たちへかたくいい渡して、いよいようごかないと、自身が追い返していた。
今も、訪れた一組は、
「不在ならば、行く先を聞こう」といって、階に、腰をすえこんで、
「四、五日前に、叡山からここへ帰ったことをたしかめて来たのだ。それから、どこへ隠れたのか」坊官たちはもてあまして、
「存じませぬ」というと、
「たわけッ」一人がわれがね声で、
「おのれたち、役僧として、門主のいどころを知らんですむのか。たとえば、今にでもあれ、公庁の御用でもあったらどこへつたえるつもりか」
「でも、そう命じられておりますから、お教えするわけにはゆきません」
「汝らでは、話がわからん。執事を出せ、まさか、執事まで雲がくれしているのではあるまい」
「どなたが仰せられても、御門跡にお会い申すことは絶対にできません」
「うるさい」薙刀の石突きで、一人が坊官の腰を突いた。
坊官が逃げこむと、
「やあ、聞けよ範宴。汝、それほどに自己の行状を恥じるならば、なぜ、ここへ出て、両手をつかえ悔悟の真実を示すなり、世上へ謝罪の法を執るなりせぬか。それとも、異論あらば、論議するか。人のうわさも七十五日と、隠れていても、事は済まぬぞ」
ぞんぶんな悪態をついて、
「馬鹿門跡っ」
「欺瞞者」そして天狗のように、
「わはははは」そこらへ、唾を吐きちらして、帰ってゆくのだった。
やっと一群れ帰ったと思うと、また、次の一群れが来る。
同じように罵詈か、強請か、論議売りであった。
夜になると、聖光院の大屋根へ、ばらばらと石が降った、塀の外を大声で、
恋猫は
人目の築地越えて
煩悩の辻こえて
月輪へ
しのぶとよ
朝な朝なの
恋猫は
諸人の鞭に追われ
御仏の裳にかがまり
昼もなお
しのぶとよ
朝、門を開ける者は、必ずそこら一面に落ちている瓦だの、牛の草鞋などを見た。ある朝は、大きな墓石が投げこまれてあったりした。
――仏誅必ず汝に下らん。
などと書いた投げ文は毎日のことである。しかし範宴その人の生活は、ここへ移ってからも依然として変らない、思索の寂室に、いつもひっそりと住んでいるのだった。
青蓮院の慈円僧正と、そのほかへ四、五度の消息をつかわしたり、慈円からも幾回となく書状の来た形跡はあるが、外へは、一歩も出なかった。彼の身辺のそうした静けさは、ちょうど颱風の中心のように、いつ破壊と暗黒が襲ってくるかわからない不気味な一刻に似ていた。
突然にいい出されたので、扈従の人々は狼狽した。その範宴が、室を出ていったのである。
「きょうは黒谷の上人のもとへ参ろうよ」と。坊官たちは、
「えっ、ただ今?」思わず問いかえした。
「うむ」つよく顎をひいていう。
問い返すまでもないことだった。範宴のすがたを見ると、白絹の法衣に白金襴の袈裟をかけ、葡萄のしずくを連ねたような紫水晶の数珠を指にかけていた。その数珠は、母の吉光の前の遺物であり、白金襴の袈裟は、このまえ師の慈円僧正に対する堂上の疑惑をとくために参内した折に着けたもので、めずらしくも、正装しているのである。
民部も、覚明も、性善坊も、師の装いに倣って、あわただしく身仕度した。
階前には、稚子たちがそろう。牛飼は、小八葉の新しい輦を、車寄にひきだしていた。
吉水の丘はちょうど花頂山の真下にあたっている。ひところの黒谷の草庵はあまりに手狭なのでいつの年かここに移ってこられたが、その当時のまま世間では黒谷の上人といっている。そこに法然はもう三十年以上も住んでいた。旅に出たり、他に幾月かの起き臥しを過ごしたことはその間には勿論あっても、西山の黒谷に遁世して名を法然房と称えたのは実に彼が十八歳の時であったから、その機縁からいえば上人のこの黒谷や吉水附近の土地とは、すくなくとも四十数年来――短い人の一生涯ほども宿世を経てきているのである。
(縁――)しみじみと、範宴は、それを今、輦の中で感じる。
聖光院も、青蓮院も、この吉水とは垣の隣といってもよいほど近いのだ。そして、自分が、青蓮院の門を手をひかれて行って、髪を下ろした九歳のころには、もう黒谷の上人は、西山の広谷から吉水へ移って、浄土の門をひらき、称名専修をとなえていた。
それから、二十年ものあいだ、百歩の近くに住みながら、どうして、お親懇を得る折がなかったのか。
念仏の声はしきりと吉水の樹の間からもれてきて耳には入っていながら、心までは沁みなかったかと思う。
(御縁である)ふかく――それだけに範宴は今日の日を――不可思議な参会であると考えて、この通る道、ここを巡りゆく軌の音にも、掌をあわせて謝したいような感謝にくるまれるのであった。
儀装をこらした小八葉の輦は、そうして、道程にすれば実に短い――時間にすれば何万何千里にも値する歳月の遥けさをとおって、吉水禅房の前に着いた。
門の近くを憚って、十間ほどてまえで範宴は輦を下りた。覚明が、内へ訪れると、
「上人も、お待ち申しあげておられます」と、玄関へ出て迎えた弟子僧の面々がいう。
(はてな?)覚明は、性善坊と眼を見あわせて、いつのまに今日の訪問をあらかじめ師が通じておいたのかといぶかった。
白金襴の袈裟がわけて背をたかく見せている範宴のすがたが、式体する吉水門の人々に身を低めつつ静かに奥へとおった。さすがに貴公子らしいと後にただようほのかな人格のかおりを禅房の人々はゆかしく思いあうのであったが、誰も、その人と同じ人間が先ごろから数日のうち道場の聴法の筵に俗衆のうちにまじっていたとは気のつく者はなかった。
茶を煮て、檜折のうえに、伏兎餅と椀とをのせて奥へ運んでゆくと、
「呼ぶまでは、誰も来るな」という上人の声がする。
縁のつま戸はかたく閉められて、近づく者はなかった。
「あなたが範宴御房ですか。お名まえはとうにうかがっていたが……」と、法然からいう。
ものやわらかな声である。範宴は礼儀をして、
「永年、お近き辺りに住まいながら、今日まで、会縁にめぐまれず、初めて御門に参じた者にございます。なぜもっと早く、今日の心が出なかったろうかと思うことでありました」
「いやいや、遠くても近い者があるし、一つ家にいても遠い者もある、こうして幾千刻の月日を経てお目にかかったあなたと私こそは、まことに、遠くて近い者であったのです。こういう対面こそ、真の会縁とは申すのでしょう」
「実は……」と、面を上げた時、範宴の耳に、ぱっと紅い血がのぼった。なにか必死なものがその眉から迫ってくるのを上人は見てとったにちがいなかった。
微笑をふくんで、
「ご来意は――」と、しずかに誘う。
「余の儀でもありませぬが、今日、おうかがいいたした仔細は、わたくしのこの一身を、ご迷惑でも、慈悲の門に拾っていただきたいと思って、窮鳥のごとく、お膝へすがって参ったのでございます。ついては、これから陳べたいと思うわたくしの愚かしい過去のことどもを、お聞きとり下さいましょうか」
「ぜひうかがいましょう」上人のことばには少しもお座なりなところはなかった。熱心に膝をすすめて、
「なんなりと仰せられい」という。
範宴は、骨のゆるんだように両手をついた。慈父に会った気もちである。一朶の白雲が漂うかのような法然の眉、のどかな陽溜りを抱いている山陰のように、寛くて風のないそのふところ。
(この人へならどんなことでもいえる)という気持がする。
同時に、範宴は、きょうまでの難路や風雪の苦行に虐まれぬいてきた自分の肉体と心が、この人の前では、あまりに甲斐なき惨憺にばかり傷ついていて、どこかに、人間として不自然な頑なな容に凝固っていることに気づいた。
「ここには、私のほか、聞いている者はありません、ご遠慮なく、いいたいことを仰っしゃってもさしつかえない」
法然もすすんで訊こうとするのである。会いがたい人に今こそ会っているのだ。範宴はそう感じると、どんな恥かしいことでも、どんな愚かなことでも、また罪悪でも、一切をここで吐いてしまおうと思った。
で、彼が縷々として話しだす事々には微塵の飾り気も偽りもなかった。二十年来の難行道の惨心は元よりのことである。現在つき当っている大きな矛盾――どうにもならない恋愛と社会、若い一身との複雑な昏迷の労れについても、自己の犯した罪業を包まず陳べて、解脱の道をたずねたのであった。
見栄もない、恥もない。
(この人ならでは――)と一心にすがる気もちで、少僧都の白金襴をまとう身を懺悔の涙にぬれ伏して一切を訴えていう声である。
法然は終始じいっと眦りをふさいで聞いていたが、やがて半眼にひらいた眼には同情の光がいっぱいあふれていた。いじらしげに、二十九歳の青年の惨たる求法の旅の姿を見るのであった。ひたむきに難行道の嶮路にかかって、現在の因習仏教の矛盾と闘い、社会と法門のあいだの混濁を泳ぎぬき、さらに、その旺な情熱と肉体とは、女性との恋愛問題とぶつかって、死ぬか、生きるかの――肉体的にも精神的にも、まったく、荊と暗黒のなかに立って、どう行くべきか、僧として、人間として、その方向さえ失っているというのである。
「わたくしは、ついに、だめな人間でしょうか。忌憚なく仰っしゃって下さい」と、範宴は、熱い息でいった。
「いや……」法然の顔が、わずかに左右へうごくのを見て、
「だめな人間ならば、死ぬのが、もっとも自分に与えられた道だと思うのですが」
「あなたは、選まれた人だと私は思う。この人間界に、五百ヵ年に一度か、千年に一度しか生れないもののうちのお一人だと思う」
「どうしてでしょう」
「今に、ご自身で、慧解なさる日が必ず来る」
「そうでしょうか」
「お寛ろぎなさい。もっと、楽な気もちにおなりなさい。あなたの歩いてきた道は、わたくしも通ってきた道だ。風波と戦うばかりが彼岸の旅ではありません。――しかし、よくそこまでやられた。自力難行の従来の道にある人が、いちばん怠っているその自力を出すことと難行を嫌うことでした。それへあなたは真向にぶつかって行った。そして当然な矛盾につき当ったのです。けれど、今の突き当った境地こそ実に尊いものであります。誰がここ数百年の間、それへ突きあたるまでの難路を歩んだでしょうか。あなたのような人こそ、まことに法然の知己だ、法の友だ、この後とも、どんなご相談にもあずかりましょう」上人は手をのべて、範宴の手をとった。
「ありがとう存じます」範宴は、瞼をあつくした。上人のあたたかな手を感じると、勿体なさに、体がすくむのであったが、いつかは会う約束の人に会ったのである。この手は、自分が結んだのでも上人が結んだのでもない、御仏が、こうして結ばせているのであると思って、にこと笑った。上人もほほ笑んだ。
範宴の笑顔からは、ぱらぱらと涙がこぼれた。涙は、随喜の光だった。
*
半日も、上人と二人きりで話していた範宴は、やがて室を出て、禅房の入口にすがたを見せると、自分のつれてきた供の人々をそこへ呼び入れた。
花頂山の肩に、うすい夕月がにじみ出ている。
「めずらしくご長座だ、上人とのお話がよほど合っているとみえる」と、輦の轅のそばにかたまって、覚明だの性善坊だのが噂しているところへ、木幡民部が、門のうちから、
「お召しじゃ」という。
「やっとお帰りか」と人々は入って行ったのである。
ところが、範宴は、帰るのではなかった。そこへうずくまった人々をじっと見下ろして、何か改まった顔いろである。いおうとする言葉を心のうちで整えている容子だった。
沓ぬぎの穿物をそろえかけた性善坊は、その唇を仰いで、はっとした。
「何か? ……御用でございましょうか」と、手をつかえ直す。
「されば」と範宴は、一同を見わたして、
「突然こう申しては、そち達の心もわきまえぬ無情の師よと恨むでもあろうが、範宴はただ今、上人のおゆるしを得て、今日よりは当吉水に止まって、念仏門の一沙弥となって修行をし直すことに決めた」
「えっ……。この門に」あまりにも大きなこの驚きを、いう人のことばはまたあまりにも穏やかで、こういう大事を、ほんとに胸に決しているとは思えないくらいであった。
「上人の一弟子として、ここに止まるうえは、もはや、少僧都の鮮衣も、聖光院門跡の名も、官へおもどしすべきものである。おのおのは帰院して、範宴遁世のよしを叡山へ伝えあげてもらいたい。なお一山の大衆には、べつに宝幢院へ宛てて、後より範宴の信じるところを認めてさし出すつもりである」そういって、傍らの室へ入ると、範宴は、白金襴の袈裟や少僧都の法服をすでに脱いでいるのである。
(真実なのだ)と思うと、覚明も性善坊も胸もとまでつきあげていた涙がいっさんに顔を濡らして、両手のうえに肩をくずしてしまった。
こうといわれたら揺るいだことのない師のことである。しかも、今の決意の眉はただ事ではない意志の表示であった。
袈裟、法衣などを、自分の手で畳んで、自分の手にのせた範宴は、再びそこへ来て性善坊へそれを渡した。見ればもう、薄ら寒い黒衣を袈けた師であった。
「では、そち達も身をいとえよ。叡山へ帰るなり、折を見て、この範宴と共に念仏門へ参るも心まかせ。永いあいだの真心の侍きは、袂を別った後も忘れはせぬ……」と、範宴は頭を下げた。
弟子たちは嗚咽を怺えきれなかった。師の脱いだ袈裟だけを乗せて、空の輦は、花のちる夕風の中を、力なく、帰って行くのだった。
生れかわった一日ごとの新しい呼吸であった。範宴は死んで、範宴は生れたのである。
法然は、ある時、
「これへ参られよ」彼を、室へ招いていった。
「世上のうわさなどを、気に病むことはないが、とかくうるさい人々が、いつまでもおん身のなした過去の業をとらえて非難しているそうな。そしてまた、叡山の衆は、おん身が浄土門に入ったと聞いて恩義ある宗壇へ弓をひく者、師の僧正を裏切る者だなどと、さまざまに、誹謗し、呪詛する声がたかいという」
「もとよりの覚悟でございます。ただ惧れますことは、私の願いをおきき下さったために、この念仏門の平和をみだしては済まないと思うことです」
「心配をせぬがよい」上人は明るく笑って、
「おん身の非難の余波ぐらいで乱されるこの門であったら、億衆の中に立って、救世の樹陰となる資格はない」と、いった。そして、
「しかしまた、世の風に、われから逆らうこともあるまい。おん身もこの際に、名を改めてはどうか。いくらかでも、人の思いも薄らごうし、また自身の生れかわったという気持にも、意味がある」
「願うてもないことです。甘えて、お願い申しまする、なんぞ、私にふさわしいような名をお与え下さいまし」上人は、唇をむすんだ。しばらくして、
「綽空」と力づよい声でいった。
綽空――彼は自分の今のすがたにぴったりした名だと思った。
「ありがとうございまする」うれしげである。
綽空は、まったく変った、ここへ入室してからの彼は、他の法門の友と共に、朝夕禅房の掃除もするし、聴聞の信徒の世話もやくし、師の法然にも侍いて、一沙弥としての勤労に、毎日を明るく屈託なく送っていた。どこか、今までの彼の相に、無碍の円通が加わってきた、自由さ、明るさ、宏さである、一日ごとが、生きがいであった。生きているよろこびであった。
法然は、綽空を愛した。何かにつけ、道場の奥から、
「綽空」と呼ぶ声がもれる。
禅房の友だちたちには、熊谷蓮生房がいた。空源がいた。念阿がいた。湛空がいた。安居院の法印も時折にみえる。そして綽空の更生を心からよろこんだ。
一年はすぐ経った。冬になるとこの吉水の人々は、夜の炉ばたを囲んで、おのおのの過去や、教義のことについて、膝を交えて語るのが何よりも楽しそうであった。
皆、つつましく唇をむすんでいた。しかし、この無言はいたずらな空虚ではなかった。誰も声は出さないが炉のまわりの者はこれで充分に語り合っているのである。
じっと、炉の中の美しい焔に眼を落したまま――。
外には落葉の音がする。冬の夜の訪れが、しきりと、禅房の戸をがたがた揺すぶってゆく。
「綽空どのは、頬のあたりがすこし肥えられた」蓮生房がつぶやくと、炉をかこんでいる心寂や、弁長や、念阿や、禅勝などの人々が、そっと彼の顔を見まもって、
「ほんとに」といい合った。綽空は、うなずいて、
「ここにいて、肥えなければ嘘でしょう」
「初めて、お見かけした時は、痩せておられた」
「あのころの私は、形骸だけでしたから。――今はこうして炉に向っていても、魂までが、ほこほこ温もるのを感じてきます」
心寂が、まるくしていた背をのばして、
「誰にも、一度はそれがあったのだ――。わしなども」恥かしそうに何か回顧する。
「そうそう」と、念阿がそれを話した。
求菩提の心にもえていたころの心寂には、こういう俗縁や市塵の中にいては常に心が乱されて、ほんとの往生境には入り難い。――こう彼は考えて、上人に、遁世を願った。上人はゆるされた、心寂は草鞋をはく時、
(いずれ、再会は極楽で)といって、立ち去った。
それから彼は、河内の讃良にながれていた。そこの奇特な長者の後家が、まことに信心のふかい善尼なので、彼の望みをかなえてやろうと、林の中に、一つの草庵をつくり、食物はあげるから、思うさま念仏してお暮らしなさいといった。心寂は、
(ここぞ、わが菩提林)と、鳥の音に心を澄まし、三昧に入っていたが、やがて、三年四年となるうちに、同門の人々はどうしたろうかとか、上人はご無事でおられるだろうかと、やたらに人間のことばかり考えられてきて、朝夕長者の住居から食べ物を運んでくれる小さい子供にまで話しかけてみたくなったり、雨ふるにつけ、風ふくにつけ、心は、かえって、世間にばかり囚われてしまって、まったく最初考えてきたような雑念なき俗縁なき清澄な菩提は求められなくなってしまった。
あわてて四年目に草鞋をはいてふたたび都の上人のもとへ帰ってきて、面目なげにその由をいうと、上人は、
(よい旅をなされた。学問があっても、智者でも、道心のない者には、その迷いは起らない。菩提へ一足近づかれたのじゃから)
叱られるかと思いのほか、上人は随喜されたというのである。
「いや、そんな昔ばなしをなされては、面目ない」と、心寂は、友の話をうち消して笑った。
「念阿どの」と、こんどは心寂から攻めた。
「他人のことばかり仰せられずに、ちと、あなたのことも、話していただきたいものじゃが」
「いや、わしにはなんの話もない。――それよりは、蓮生殿こそ」と隣にいる蓮生房の顔をのぞいた。
治承、寿永の戦いに幾多の生死の下を実際に歩いてきた熊谷次郎直実の話を、同房の人たちはよく彼の口から聞きたがった。だが、蓮生は、
「は、は、は、は」もう白髪まじりのまばらな髯の中で、坂東武者らしい大きな口をすこし開いて笑うだけだった。
いつも、こう笑うのが、彼の答えなのである。
でも今夜は、それに少し言葉をつけ加えて、
「この年になって、何の戦ばなし、お恥かしいことでおざる。てまえも、ここの上人にお目にかからぬうちは、いっぱしわれも坂東侍の強者と、大人びた豪傑気どりを持っていたものでおざったが、ひとたび、発心して、念仏門に心の駒をとめてからは、回顧のことども、すべて児戯のような心地がするのでおざった。なんといわれても、冷や汗が出申すのじゃ」といった。つつましく、数珠を爪ぐっていた禅勝が、
「なかなかおゆかしい」とつぶやいて、
「蓮生どのは、あのように謙虚には仰せられるが、わたくしが、法然上人の教義というものを初めて存じ上げたのは、まったく、蓮生どののお手引でした。永年の間、天台の古学にも救われず、秋葉の蓮華寺に、ただ老い朽ちる私であった所を、そのころ、一筋に浄土門へ入って、名も恋西と申されていた熊谷入道どのにふとお目にかかり、吉水にかかる上人のおわすと聞いて、一途に都へ上ってきたのでございました。もし入道が熊谷の帰途に、私の寺にお立ち寄りくださらなかったら、あるいは、私は生涯ここで有縁のよろこびを皆さまと共に味わうことができなかったのではないかといつも思うことでござります」と、感謝していった。
綽空は、黙然と、人々の話を聞いていたが、ことに、熊谷蓮生と禅勝の話には、心をひかれて、
(自分にも、もしあの朝、安居院の法印と四条の橋で会わなかったら……)と今さらに、その時の機縁に対して、掌を合わせずにいられない気がする。奥で、咳声がきこえた。
「お目ざめか」上人の気配は、室を距てていても、すぐ弟子僧たちの胸にうつった。この寒気に、この間うちから喉を傷められているふうなのである。
「お寝みを障たげてはならぬ」
「お煎薬をわかそうか」思い思いに、人々は、炉のそばから冷たい室へちらかって行った。
年を越えて間もない正月の半ばだった。
白い驟雨が、煙のようにふきかけて暮れた宵からである。刻々と夜半にかけて、暴風雨はひどくなってきた。眠りについた人たちが、
「雨がもる」と起き出して騒ぎたてた。
綽空は、紙燭をつけて、室の外へ顔を出したが、すぐ消されてしまった。禅房の戸が、ふくらむように、がたがたと鳴っていたが、そのうちに、上人の寝屋の戸が外れて、車を廻すように、豪雨の庭へころがった。
「お師さま」
「上人様」まっ暗で、誰かわからないが、もう幾人もの弟子が、上人の室を案じて、そこに集まっていた。
屋根の一端が暴風雨にさらわれてしまったものと見えて、白い雨水が、ぶちまけるように梁から落ちているのである。もちろん、灯りは努力しても一瞬も持っていなかった。
綽空を初め、蓮生や、念阿などの弟子たちは、その暗い片隅に念仏の低い声がきこえたので、皆、その一所にかたまり合った。それが、師の法然だったのである。
せっかく、年暮のうちからすこしよくなったお風邪をぶりかえさぬように、弟子たちは、身をもって法然をかこみながら、念仏に和していた。
暴風雨はなかなかやみそうにもない。みりみりと、梁や柱がさけぶのだった。戸は、二枚三枚と奪われて行って、庭が、湖のようになっているのが豪雨の中にものすごく見える。
その中を、誰か、ざぶざぶと膝まで水に浸して歩いてくる者があった。
「綽空様」と、家のまわりを呶鳴ってあるいていたが、やがて、戸の外れたところから、
「綽空様はおられますか」と中をのぞいている。
頭からずぶ濡れになっているその男を、人々が見て、隅のほうから、
「おられるが、どなたじゃ」と、たずねた。
「性善坊でございます」と、その影はいう。
「おう」綽空はすぐ立ってゆこうとしたが、思いとまったように、法然のそばに坐ったまま、
「なんぞ、用か」といった。
「この暴風に、お変りもあらせずやと、お見舞いにうかがいました」
「よう来てくだされた。しかし、見るとおり、上人にも、お変りはない」すると他の人々が、
「町はどうですか」と、訊いた。
「いやもうひどい有様です。ここへ来る間にも、塔の仆れたのを見ました。門や築地の壊された所は限りもありません。粟田の辻のあの大きな銀杏の樹すら折れていました」
このひどい大風が明け方までも吹きつづけたら京の町はどうなることか。
丸木組みのいたって粗末なこの吉水禅房の道場などは、ひとたまりもあるまいと、人々は、上人のまわりに固唾をのんでいた。危険を冒して、その中を見舞いに来た性善坊はやがて、
「では、お暇いたします」ざぶざぶと、ふたたび豪雨の闇の中へ帰って行った。
上人は、自分の側から立たない綽空の顔を見て、
「垣の外に流れがある。常に来て案内を知る者ならば墜ちることもあるまいが、見てやりなさい」と、ささやいた。
「はい」綽空は、上人の思いやりをありがたく思いながら、廊下を伝わって行って、性善坊の影を、窓からさがした。
「綽空さま」性善坊は、まだそこに立っていた。篠をつくような雨を浴びて――。
ここの門で、師弟の袂をわかつ時に、決して、訪ねてくるな、会いにくるなと、かたく誡められていたので、常に、心にかけながら来ることができなかったのであるが、今夜の大暴風雨を幸いに、性善坊は、駈けつけてきたのであった。――でも、同門の人々や、上人の前で、親しい言葉をかわすことができなかったので、心残りに、まだそこに佇んでいたものと見え、窓に、綽空の顔を見ると、とびつくように寄ってきて、昔ながらのことばで、
「お師さま!」と、濡れた顔を下からのばした。
「上人のお心づけじゃ、そのあたりに、山水の流るる溝がある、気をつけてゆけよ」
「はい」
「そちは、以来、無事か」
「聖光院の御門跡もかわりましたゆえ、青蓮院の僧正におすがりして、尋有様と共に、僧正のお給仕をいたしております」
「弟もやっているか」
「静かに、ご修行でございます。しかし、近いうちに、慈円僧正には、ふたたび、叡山の座主におつきになられるようなお話でございますから、そうなると、滅多にお目にもかかれなくなろうと思われまする」
「わしのことは、くれぐれ、案じてたもるな、この通り、ひところよりは、心の決定を得て、体もすこやかに暮しておる」
「慈円様にも、御安堵のようにお見うけ申されます」
「こよいの暴風雨で、青蓮院のほうも何かと騒がしかろう。わしの見舞よりは、僧正のお身のまわりこそ――」と、吠える空の雲に眸をあげて、
「はやく、もどれ」といいながら、窓をしめた。
「ひどいことでしたな」
「えらい暴風雨もあったもので」
「こんな大風は、もの心ついてから覚えがないわ」けろりと晴れた翌る日の青い空を仰ぎながら、町の人々は、倒壊した人家だの、流された橋の跡だの、巨木の薙倒された並木などを見て歩いていた。
吉水の禅房は、山ふところに抱かれていたせいか、比較的に、被害のすくないほうだったが、それでも、屋根は半分も剥ぎとられていた。
「降ったらすぐ困る」
「雨よりは、寒さが防げぬ。せめて、上人のお部屋でも先に」と、禅房の人々は、軒へ梯子をかけ、法衣の袂をからげて、屋根へのぼっていた。
「手伝わせて下さい」
「茅を持ってきました」
「雨戸を繕いましょう」信徒たちが群れてきて、米を炊いでくれたり、門を起してくれたり、思いのほかに、この損害はたちまち直されそうに見える。
下から揃えて送る茅を受け取って、屋根のうえでは、蓮生と綽空と、四、五人の者が、せっせと、屋根の繕いをしていた。梯子の途中にも一人いて、それを取り次ぐ。
綽空や蓮生は、もとより馴れない仕事であったが、弟子僧のうちには、自分で人手を借らずに一庵を建てたというような経験のある者もいて、屋根は巧みに葺かれていく。
押しぶちを打ったり、茅の先を切ったり、綽空も働いていた。そのうちに、温かい握り飯も下からくる。食べ終るとまたすぐに作業にかかる。
誰の口からともなく、念仏の声がながれ初めた。屋根のうえにも門を起す群れにも、家の中に働いている者からも、念仏が洩れて、ひとつの明るい唱和となった。
庭先に、巨きな栂の木が泥水の中に倒れていた。他の樹も、あらかたは、根を剥きだしているのである。――見ると、そこに一人の体の巨きな僧が、毛脛をだし、袖をたくしあげて、まるで土工のように真っ黒になって働いている。溜り水に道をつけ、鍬で土を掘っては、一本一本、樹の姿勢を元のように起しているのだった。
その僧だけは、初めは、むッつりと汗と泥にまみれて黙っていたが、いつか他の人々の唱名につりこまれて、やはり、念仏をとなえながら鍬をふるっていた。
屋根のうえからふとその男を見て綽空は、あっと、意外らしい声をもらした。
気がついたのであろう、鍬をやすめて、下の僧も屋根を仰いだ。そして、
「…………」何もいわずに、ただ、にこと笑った。以前の弟子の覚明なのである。
すると、綽空のそばにいた熊谷蓮生が、
「おう、太夫房」と、これは久しい前からの知り人らしく、屋根の上から声をかけた。
熊谷蓮生の毛脛が、屋根から梯子を伝わって降りてきた。
下にいた覚明は、泥を浴びた顔に笑みをたたえながら、鍬をそこに抛って、
「やあ」と、懐かしげに近づいてきていった。
「久しぶりだ、実に何年目だろう」
「十七、八年になる」熊谷蓮生も手を伸べて、旧友の手をにぎりしめる。
「貴公と初めて会ったのは、寿永の年か」
「いや、治承四年だ」
「貴公たちは、木曾義仲の幕下として、京師に入り、われらは、頼朝公の東国兵と共に、平家の本拠をついて都へなだれ入った。――たしかあの年だったかなあ」
「その以前にも、一、二度はお目にかかっていたが」
「なにしろ、久しい」
「変ったのう」
「世の中も、わが身も」
「夢だ、一瞬だ」
「しかし、お互いに、戦場を駈けあるいて、修羅のなかに、幾多の人を殺め、羅刹にひとしい血をあびて、功名を争った者どもが、こうして、無事安心のすがたを陽の下に見合うことができたのは、倖といおうか、めでたいといおうか、思いもよらぬことだった」蓮生が、沁々といって、樹陰の石に腰をおろすと、
「まったく!」と、和しながら、覚明もそこに身を並べていう。
「――これも皆、仏光のおかげだ。もし、いささかの発心もなかったら、俺などは、今ごろ、どうなっていたか知れぬ。けれど、俺は木曾殿がああいう亡滅をつげたので、流浪の身となったもやむを得ぬし、身の安住を求めながら心の安住も求めてついに仏門に辿りついたのだが、熊谷殿などは、俺とは比較にならぬほどの武功もあり、時めく鎌倉の幕臣として、これから大名暮しもできる身を、どうして、武門を捨ててしまわれたのか。俺には少しわかる気もするが、世間の者は、ふしぎに思おう」
「それが一向、ふしぎでも何でもないのだ。今考えても、こうなるのが当然だった」
「そうかなあ」
「考えてみるがいい。功名に燃え、野望に燃え、物質の満足を最大な人間の行く先と夢みていたころなら知らず、年齢をかさね、泰平に帰って、よくよく落着いて自己のまわりを考えてみると、そこには、修羅の声や、血なまぐさい死骸の山こそ失くなったが、依然として、功利を争う餓鬼のような犬は絶えない。譎詐や権謀や、あらゆる醜い争闘は、むしろ、血の巷よりは陰険でそして惨鼻だ。そういう仲間にいれば、自分もまた、生涯その醜い争いに憂身をやつしていなければ、たちまち、他から陥しいれられてしまう。どうして、そういう所に、人間の安住があろうか。――かたがた、過去の罪業のおそろしさや、世観の一転が、地位名誉をかなぐり捨てさせて、自分をこの吉水の上人の名を慕わせてきたのじゃ。なんの不思議もない、自然の歩みだった」
「なるほど」覚明は、大きくうなずいた。そして、熊谷蓮生の黒い法衣のほか一物も着けない姿を見直して、おのずから頭のさがる気がした。
「その醜土から抜け出してみると、よくもまあ、あんな中で、たとえ半生でも送っていたと、俺も時々、過去をふり向いて慄然とすることがある」
「して、太夫房」と、蓮生は、覚明の顔をまじまじと見て、
「貴公は、常々、法筵でも見かけたことはないが、どうして、今日はここへきて手伝っているのか」
「いや、飛入りだ」覚明は、磊落に、頭へ手をやった。
「――実は、こういう場合でもなければ、師のお側へ近づけないし、師の房が、屋根の上で、あんな下人のする業をもなすっているのに、手をこまぬいて見ているわけにもゆかん。そこで俺は、誰に頼まれたわけでもないが、倒れている庭木を起して植え直しているのだ」
「ふうむ……。貴公の師とよぶ人は、上人ではないのだな」
「あれに上がって、屋根繕いをしている範宴少僧都――。いやここへ入ってから綽空と名をあらためたあのお方だ」
「ほ……。綽空殿の?」
「時に、頼みがあるが肯いてくれないか」
「わしに? 何か」
「ほかではないが、俺は、どうしても、師の綽空様のお側にいたい。けれどそれを師にすがって見ても無駄はわかっているので、きょうまで、控えていたが、師と離れている俺は、飼主を失った野良犬のようにさびしい。ともすると、せっかく、築きかけてきた信仰もくずれそうな心地さえする」
「そうか。綽空殿と共に、ここにいたいと願うてくれというのじゃな」
「そうだ」
「師弟の心情としてそうあるはずだ。待っておれ、綽空殿に、話してきてやる」
「いや」あわてて覚明は手を振った。
「綽空様からは、必ずとも、ここへも訪ねてくることならぬといい渡されているのだから、今日、俺がここで労いているのでも、あるいは、お叱りの種となるかも知れぬ。どうか、上人へおすがり申して、お声をかけて戴きたいのだ」
「ははは。木曾殿の猛将といわれた太夫房覚明も、法の師には、気が弱いの。よしよし、上人にお打ちあけして、貴公の頼みをとりなしてみよう」
「たのむ」覚明がふたたび鍬を持って立つのを後にして、蓮生は、上人のいる室のほうへ歩いて行った。そして、壊れたつま戸や屏風を立てまわして端居している法然の前へ行って、何かしばらく話しているらしく見えた。
「綽空どの」屋根を仰いで、念阿が呼んだ。
「――上人が、お召しですぞ」と、下からいう。
綽空は、屋根から下りて、流れで手足を洗ってから上人の室へ行った。熊谷蓮生がそばにいる。
「なにか御用ですか」
「うむ」上人の顔は明るい。ゆうべの暴風に禅房をふき荒されてかえって自身の風邪の気はすっかり癒えたような顔つきである。
「……太夫房覚明という者が労仕の衆の中におるそうじゃの」
「はい、見えております」
「おん身を慕って、この禅房に、置いてくれという頼みを、蓮生からすがってきた。なんといたそう」
「成らぬことに存じます」
「なぜの」
「綽空にはまだ、人の師たる資格ができておりませぬ。また、上人に給仕し奉る一沙弥の私に、付人などは持たれませぬ」
「じゃが……」上人は考えこんだが、すぐ白い眉をあげて、
「この法然がゆるすと申したらどうあろうか。念仏門の屋根の下には、階級も、事情もないはずじゃ。何ものにもこだわらず、あるがままに平等な姿であるのが念仏者じゃ」
「お返し申すことばはございませぬ」
「では、おまかせあれ」
「はい」
「蓮生、伝えてやれ」熊谷蓮生はすぐ起って、
「よろこびましょう」と、外へ出て行った。
覚明は、雀躍りして、やがて綽空の前にひざまずいた。綽空は、叱った。
「なぜそんな礼儀をする。上人のおゆるしによって、お汝も入室されたのだ。今日からは、いわば綽空とも同様な同寮の清衆であるのだ。この身に侍くなどと思う心をすてて、お身と共に、念仏に専念することじゃ」
「ありがとう存じます」覚明はそういわれた旨をよく体して、禅房の末座に加わって、薪を割り、水を汲んだ。
念仏の屋根の下に、またこうして一人の信仰の友がふえたのである。暴風雨の破損もやがてすっかり修繕されて、冬の夜の炉べりは賑やかだった。
生む力、殖えてゆく力、念仏門の信仰は、春の土壌のような無限さをもって、日月の光のとどかない所にも念仏の声はあるように弘まって行った。したがって、
(ぜひ、上人のお膝元に)と、入室を願ってうごかない熱心な求道者も、断りきれないほど日々訪ねてくる。
綽空は、同房の混雑に、その年のすえ、岡崎に小やかな草庵を見つけて、そこへ身を移すことにした。
勿論、日ごとに、岡崎から吉水へ通って、上人に仕えることと易行念仏門の本願に研鑽することは一日とて、怠るのではなかった。
岡崎の草庵の地は、松に囲まれた林の陰で、その松のあいだから白河の流れが透いて見えた。うしろは、神楽岡の台地である。近衛坂を下る人の姿が、草庵の台所から小さく望まれるのであった。
綽空は、毎日、その坂を越えた。吉田山から鳥居大路へ出て、吉水の禅房へ通うことが、どんな風雨の日でも、休みなき日課であった。
もちろん、炊ぎのことも、朝夕の掃除も、まったく一人でするのであって、まだ筧が引いてないので飲水は白河へ出て汲んでくる。
冬空の星を仰いで、吉水から帰ってくると、いつも夜はかなり遅くなった。それから薪をくべたり炊ぎをしたりするので、寂として独りで粥をすするころには、もう、洛内のすべての灯が消えて、天地の中には、ここに粥をすする独りの彼のみが起きているのではないかと思われるような時刻になってしまう。
「はての? ……」ある日の夕方である。
綽空は、草庵の戸を開ける前に、ふしぎな思いに打たれて辺りを見まわした。
今朝、草庵を出る時は、落葉で埋まっているほどだった門口が、きれいに掃かれていて、しかもその落葉まで一所に集めて焼いてある。
裏へ廻れば、水桶には水が汲みたたえてあるし、板敷も拭き潔めてあるではないか。また、屋内へ入って見てから、綽空はさらに眼をみはってしまった。
燭の灯皿には、油がつぎいれてあって、付木の火を移せば足りるばかりになっているし、夕餉の膳までもそこにできていた。
「誰であろう」と、考えこんだ。
この草庵へ移る時に、実直に手伝ってくれた近くの農家の夫婦か――でなければ聴法の席へ来るうちの信徒の者か。
「いぶかしい」誰を挙げてみても、思い当る者はなかった。同時にまた、その人の思い出せないうちは、この夕餉の箸も、取ってよいか悪いかに迷わずにいられない。
だが、行きとどいた細かい心づかいは、すべて、好意の光であることに間違いはない。その好意に対して、徒らな邪推や遅疑を抱くべきではあるまい。綽空はそう解して、箸を取った。
翌る日もそうだった。次の夜も帰ってみると草庵は清掃されてあった。
それのみではない。薄い夜の具に代って、べつな寝具が備えてある。決して、ぜいたくな品ではないが、垢のにおいのないものであった。
それは、幾日かの謎だった。しかもほのかに、女性のにおいの感じられる謎なのである。
陶器一つにも、身に着ける肌着の一針にも、絶対に、女性の指に触れないもののみで潔浄を守っている僧の生活なのである。どんな微かにでも、女粉に触れたものはそれを感じる。なやましい移り香を感じる。
綽空は、その夜の具にくるまれて、この幾夜かを、ふたたび夢魔に襲われとおした――いや魔というべくは余りに和らかい悩ましさである。梨の花の甘い香いにも似ている、木蓮の肌理の細かな感触にも似ている、どうしても、この蒲団の綿は、女手でつつまれたものである――女の真ごころのように綿が温かい。若い一寒僧には、余りに温かすぎるのだった。
しかし、謎は謎のまま、幾日かつい過ぎた。そういう詮議だてさえしている遑のないほど現在の綽空は、吉水の法門がその日その日の心の梁であった、張りつめていた。
その日は、どういうこともなく、信徒たちの集まりもなく、師の法然上人も不在でありするので、まだ陽の明るいうちに、めずらしく岡崎の草庵へ綽空は帰ってきたのである。
すると、草庵に近い松林の小径で、ひとりの被衣の女に行き会った。ちらと、樹の間にそれを見たとたんに、綽空は、どきっと、妙なものに胸をつかれた。
すぐ、常に抱いている謎へ、
(あの女だ)と、いう囁きがのぼって、何か犯している罪に耳でも熱くなるような動悸が打ってくる。
そういう軽い狼狽を、綽空は、その女ばかりでなく往来でゆき会う女性にもよく覚えるのだった。その度ごとに彼は、自分の道念の未熟さを悲しむのであるが、二十年の難行道も、新しく享けている易行道の法の慈雨にも、これだけはどうにもならないものを感じるのである。そういう鍛えのある自分と、女にときめきを覚えさせられる刹那の自分とは、まったくべつな者のようにしか思えなかった。
(もし……)と、よほど、彼は声をかけてみようと思った。松落葉のうえを、音もなく歩いてくる女性は、ほかに避ける道もないので、彼の法衣のそばを、そっと、摺れちがって行こうとするのである。
が――女は、やや姿態を曲げてわざとのようにその時被衣を横にして顔をかくして通った。で、綽空も、
(どこかで見たような?)と思いつつ、ことばをかけずに行き過ぎてしまった。
十歩ほどあるいてから振向くと被衣の女も、ちらとこなたを見て足ばやに行ってしまった。ふところから小鳥でも逃がしたように、綽空は心をひかれて、その影が、白河の河原の低い蔭になってしまうまで佇んで見送っていた。
――なぜあの時よびとめて、名だけでも訊いてみなかったか。
綽空は、草庵をとざして、夜の孤寂に入ってからも、瞑想の澄心を、それのみに結ばれてしまうことを、どうしようもなかった。
ほとほとと外を軽く打つ者がある。また悪戯な林の獣どもかと、しばらくすてておくと、
「庵の主はお留守か」明らかにそういう。
「――燈火の影を見うけて立ち寄ったものでおざる。苦しゅうなくば宿をおかしくださるまいか。決して、怪しい者などではありません」綽空は起って、
「旅のお方か」
「されば」と、戸の外で言葉をうける。
「さすらいの琵琶法師です」
「ただ今、あけて進ぜよう」戸を開けると、星明りの下に、一面の琵琶を負った盲人が杖ついて佇んでいた。こなたから声をあげぬうちに、
「はての?」盲人は小首をかしげて、
「あなたは、範宴少僧都ではないか」
「おう、加古川の峰阿弥どのか」
「やっぱり範宴どのか」
「今では念仏門の法然上人のもとへ参じて、綽空と名を改めておりますが、仰せのごとく、その範宴です」
「そうそう、そういう噂は疾く聞いていた。……しかし、ご縁があるのじゃのう、なんでも、この辺りに住まわれているとは承っていたが、よもやこの庵が、あなたのお住居とは思わなかったに」
「まず、お上がりなさい」綽空は、取りとめのない雑念から救われたような気がして、峰阿弥の手をとった。松の実を、炉に焚き足して、
「お久しいことでしたな」
「まことに」峰阿弥は、琵琶の革緒を解いて後ろへ置きながら、
「あなたは、ずんとお変りになりましたな。お体も健やかになられた。お心も明るくなった。そして真向きに現在のご信念に坐っておられる。祝着にたえませぬ」と、見えるようなことをいう。
けれど綽空は、この法師のすさまじい「勘」の力を知っている。目あきに見えないものすらこの漂泊人は見えることを知っていた。
「そうでしょうか。そうお感じになりますか」
「よう分ります。あなたの五韻の音声が数年前とはまるで違っております」
この通りな峰阿弥である。そう説明されてみれば、わずか四つの絃に、森羅万象の悲喜さまざまな感情を奏でて人を動かそうとする芸術家である以上、人間の音声をもって人間の健康や心境を聞きわけるぐらいな耳は当然に持たなければならないはずであるし、わけてこの法師のするどい官能からすればいとやすいことに違いなかろうが、綽空は、そういいあてられると、さらに、その奥の奥までを、透明に、見すかされているような気がして、恬然としておられなかった。
炉にくべた松の実は、ほどよい火になって、ほかほかと無言の二人を暖めた。峰阿弥は外の木枯らしに耳を澄まして、
「冬もよいなあ」と、しみじみという。
「行きなやむ霙の夕ぐれは辛いと思いますが、辿りついた家の情けで、こうして人心地のついた時、そして、家の主と共に話しながら炉の温もりに浸る時、やはり生きている欣びを覚えますわい」
「ですが、峰阿弥どの」綽空は、真面目な態度を見せて、こう改まった。
「私には、まだこの寂境の独り居が、ともすると、雑念の思いにふける巣になって、しみじみ、孤独をよろこぶまでにはいたらない。近ごろは念仏専念に、いささか心の安らぎはあるが――」
「ご無理もない……。人間じゃもの。なぜあなたは、もう一歩出ないか」
「出ないかとは」
「申しかねることじゃが、そのお若い血を、制えようとなさるか」
「…………」
「わしのような破戒僧になり召されとはいわぬ。風雅へ逃避なされともすすめぬ。しかし僧侶の生活を離れて見て初めて僧侶の生活が分ったような気がします。大きな問題じゃ、まずその生活の根本義から僧侶は今の矛盾をすてて、大道に立ち直らなければなりますまい」
「私も考えているのです」
「人間の中の仏教でなければならぬ、あの世の浄土ではもう人が承知せまい、現世が極楽であり、現世が住みよく、楽しく、明るいものでなければなりますまい。その教化に立つ僧侶の生活はどうでしょうか。――わしがまずお手本じゃ、隠れてすることなら咎めぬが、人に見つかったが最後、女犯という、堕地獄という、破戒僧という、あらゆる鞭に追いまわされる。
そのくせ、高野の学文路にせよ、叡山の坂本にせよ、法城のある麓には必ず脂粉の女があつまる。その女たちの相手は誰か。また、寵童の行われるのも、僧侶のあいだに多いと聞きまする。おかしなことのようですが、考えてみると深刻な問題です、人間の第一義ですからな」
「…………」綽空はそこにいるのかいないのか分らぬように黙然としていた。峰阿弥は、ふと話題を一転して、
「はははは。あなたとお目にかかるといつもこうした話だ。私に何かそういうことをいわせるものをあなたが感じさせるのじゃな。肩がころう。……そうじゃ、かかる夜こそ、一曲弾きたい、聞いてくださるか」
「望むところです。ぜひ、聴かせていただこう」
「何を語りましょうな」後ろの琵琶をひきよせて、峰阿弥はその痩せている膝の上へかかえあげた。
「オオ寒!」風の子のように、冬の月の下を白河の河原へ駈け下りてきた足の迅い人影がある。
子どもでもなし、大人とも思えない、矮小で脚の短い男だった。頭の毛を、河童のように、さんばらに風に吹かせて、
「こん夜は、貧乏籤を引いちゃったぞ、仲間の奴らは、さだめし今ごろは、暖まっているにちげえねえ」洛内のどこかへ、急な用でもいいつけられて行ってきた帰りか、それは、天城四郎の手下のうちでも、一目でわかる例の蜘蛛太。
河鹿が跳ぶように、石から石へと、白河の流れを、足も濡らさずに渡り越えて、神楽岡をのぼりかけたが、
「おや?」と、立ちどまって耳をたてている――
「琵琶の音がするぜ。はてな、こんな所に邸はなし……」ふと見下ろすと、赤松の林の中に、ポチとかすかな灯があった。琵琶の上手下手を聞きわける耳のない蜘蛛太も、足をしばられたように聴き恍れていた。
「誰だろう?」好奇心も手伝って、――またその妙な音色にも釣られて――蜘蛛太は坂の途中から熊笹の崖を降りていた。
秋の夜の
月毛の駒よ心して
雲井にかけた時の間も
急ぐ心の行衛かな
秋や恨むる恋のうき
何をかくねる女郎花
我もうき世のさがの身ぞ
人に語るな
この有様も恥かしや
忍び足して、裏の水屋の隙間からのぞいてみた。ぬるい煙が顔を撫でる。炉ばたには黙然と首をうなだれて聞き入っている人があるし、一人はやや離れて琵琶を弾じている。主客ともに四絃の発しる音に魂を溶けこませて、何もかも忘れているらしい姿が火に赤々と映し出されている。
「や? ……叡山にいた範宴だ、法然のところにかくれて、綽空と名をかえたと聞いたが、こんな所に住んでいたのか」蜘蛛太は、拾い物でもしたようにつぶやいて、そのとたんに、琵琶の音などは頭から、掻き消えていた。
「頭領も、知らないに違いない。こいつはまた、一杯飲める」松林を駈けぬけると、近衛坂の崖へつかまって、むささびのように迅こく登って行った。
神楽岡から北へ十町ばかり、中山を越えて如意ヶ岳の裾にあたる、一望渺々と見はらされる枯野の真っただ中に火事かと思われるばかり大きな炎の柱が立っていて、そこに黒豆を撒いたような小さな人影がむらがっている。
この辺りは、洛外の端で、洛内を去ること遠い辺鄙な地なので、都の人は勿論用はなし、旅人もめったに通う路ではないが、もし道に迷った者があって、これこそよき人里と思いなどして、そこへ近づいて行ったらそれこそ飛んだ目に会うにちがいない。
なぜなれば、近づいて見るがよい。
そこに大きな焚火をしてかたまっている人間たちは、みな、羅生門の巣を追い出されてきたかのごとき異装怪異な男どもばかりであって、この寒い吹き研がれた冬の月の下に、野の枯草を積みあげて、人も無げに笑いさざめいている様子は、さながら、地獄絵に見る八寒の曠野に似ている。
「頭領、熱いのを、どうです」酒を暖めて、一人がいう。
「今夜は、酒はいくらでもある」と、べつな一人が、このよき夜を謳歌すると、
「ただ、不足は、女がねえことだ」誰かが答える。
「ぜいたくをいうな。きのうまでは、酒どころじゃねえ。近江くんだりまで仕事に行って、その仕事は物にならず、地武士には追んまわされ、警吏には脅かされ、そのうえ逃げこんだ三井寺の法師武者にゃ大薙刀をお見舞いされて、二日二晩、食うや食わずで、ようやく生命びろいをしてきたところじゃねえか。それを思えば、こん夜の酒は、どうせ百姓家から盗みだした地酒で味はわるいが、時にとっての天禄の美味っていうやつだ」
「理窟はよせ」と、かたわらの者が叱った。
もう少しろれつの廻らないのが、
「そうだ、俺ッちにゃ、理くつは禁もつだよ。その日その日を、こうやって、暢気にたのしく、してえ三昧に送れりゃあそれでいいんだ。なあ、頭領、そうじゃありませんか」
天城四郎は火より赤い顔をして、大きな酒の息を、氷のような月へ吐いて、
「芸なしめ、呑むと、寝言ばかり吐ざいている。そんなこたあ、泥棒商売に入る時になぜ考えておかなかったのだ。――人間のなしうることはすべて人間がしてよいことに天地創造の神様っていう者が決めておかれてあるんだ、それをして悪いならば、神様に苦情をいえ」
「そうだとも、だから俺たちは、したいことをする」四郎は、唐突に、
「汝たち、歌を謡いたかねえか」
「謡いてえ!」
「踊りたくねえか」
「踊りてえな!」異口同音である。
「じゃ、踊れ、謡え。――酒の尽きるまで、夜の明けるまで、騒げ、騒げ」
酒壺をたたく、鍋をたたく。
山刀を抜いて、突如、一人が踊り出すと、また二人、また三人、浮かれ腰をあげて、道化た舞をしはじめる。
八瀬の燈の
夕ざれば
呼ぶよ招くよ
逢いたやな
江口の舟の
君しおもえば
よぶよ招くよ
行いて何問わん
会うて何いわん
否とよ
ものも得いわず
ただ寝ましを
秋は長々し夜を
冬は戸ざして
春は眸も溶くる
夏は黒髪のねばきまで
世を外に
ただ寝ましものを
「あるとも!」と、焔をめぐり廻って、また舞いだした。
顔よき女体ぞおわします
男は誰ぞと尋ぬれば
松が崎なるすき男
盗人にも盗人の理窟があり哲学があるとみえて、ここにいる限りの人間どもは、こうして家なきを憂えない、妻なく子なく身寄りなきを淋しがらない、また、明日の食い物もなく、明日は獄吏の手にかかって河原のさらし首となろうも知れない一寸さきの運命さえも、決して悲しもうとはしない。
しかも、今の一瞬に、大満足をしているのだった。この刹那さえ楽しくあればよいとして――
ところへ。
野末のほうから風に乗って悟空のように素ッ飛んできた一粒の黒い人影があって、近づけば、それは子供か大人かわからない例の蜘蛛太であった。
「頭領、行ってきました」新しく加わった仲間を見ると、連中は、彼の首っ玉にからみついて、
「ご苦労、ご苦労」
「さあ、飲め」蜘蛛太はその手や顔を払い退けて、
「頭領に話をすましてから飲むよ。酒はいいから、少し静かにしてくれ」
「どうだった、様子は?」四郎が、蜘蛛太に向ってこういった仔細は、明日の夜、仕事に入ろうと目をつけているさる長者の家構えを、敏捷なこの小男に、あらかじめ探りにやったものであった。
「だめですぜ、あの邸は」
「ふーむ、見かけ倒しか」
「そうでもねえが、五十日ほどまえに、こちとらがあの村は荒してあるので、長者の親爺は、腕のできる郷士を大勢召し抱えて、今度賊が来たら、村の者とも合図しておいて、一あわ吹かせてやると待ちかまえているんです。――そんな所へ押し襲けて行ってごらんなさい、これだけの人間が、半分も生きて帰るはずはない」
「そいつアいけねえ」天城四郎も、生命が惜しむべきものであることは知っていた。
「じゃあ、ほかはどうだ」
「あっちこっちと、見て廻ったがどこだって、戸じまりのゆるそうな邸はねえ。ここは、楽に忍べると思えば、金けも什器もねえがらん洞だし、ここには、みっしりと金がうなってるなと思うような邸には、今いったとおり、用心棒が頑張っているといったようなわけで……」
「だんだん、世の中が悪くなった……」四郎はやや興を失った。
「源氏や平家の有象無象が、討ッつ討たれつ、双六の賽みてえに天下の土地をあばき合っていたころには、こんな野原にも、金目な鎧や太刀を佩いた死骸が野良犬に食わせて捨てられてあったし、俺たちも、どこの邸へ火を放けようが、女をさらってこようが、金をかついでこようが、咎める奴はなかったもんだが、戦がやんで、侍が役人になって、百姓が豊年満作を貪るようになっちゃあ、もう、俺たちのほうは上がッたりで、すっかり仕事がしにくくなってしまった。――どうもこのごろの世の中はおもしろくねえ」述懐して、暗に乾児たちへも、このごろの収穫の貧しい理由をいって聞かせると、蜘蛛太は、小賢しい眼をかがやかし、
「頭領、そう落胆するにもあたりませんぜ。こんな時にゃいつでも用の弁じる金箱を頭領は持っているはずじゃありませんか」
「金箱を」
「忘れたんですか。――前の聖光院の門跡を」
「綽空か。あいつのことも、思い出さねえではないが、今では、法然上人の門にかくれているんではどうにもならねえのだ。俺は、いちど吉水へ忍びこんで法然房と問答したことがあるが、あの上人だけは何だか怖い気がして、二度と吉水へ行く気になれねえ。それにあの吉水院の僧房には、平家や源氏の侍くずれが沢山いて、下手に捕まりでもしたら飛んだ眼にあうからな」
「ところが、そんな心配は御無用というやつですぜ。綽空は、ついここから、二十町ばかり先の岡崎に住んでいるんで」
「岡崎に?」四郎は、眼を光らせて、
「そいつは初耳だ。ほんとに岡崎にいるとすれば、汝たちにも、また美味い酒を飲ませてやれるが……」
大きな唇をむすび、顎をすこしひいて、

「そうか。したが綽空がそんな所にただ一人で草庵をむすんでいるのはすこしおかしいぞ。聖光院の門跡の地位を捨て、吉水院の房にかくれ、またそこから一人で通うなどとは何か曰くがありそうじゃないか」
「ひとつ探ってみましょうか」賢しく蜘蛛太がいうと、
「そうだ、俺が出かける前に、彼奴の痛いところをつかんでおけば、なおさら都合がいい」
「じゃあ二、三日待っておくんなさい。きっと何か突きとめてくる」酒は乏しくなりかけたが、焚火の焔はいよいよさかんであるし、明日の的てもついたという理なので天城四郎初め元気づいて、なお蛮歌と乱舞をそれからも夜の四更にかけて続けていたが、やがて見張役の下っ端が、遠くから、
「警吏が来たっ」と、呶鳴ると、
「なに、警吏だと?」狩矢が、途端に二、三本、ひゅっと彼の耳のそばを唸って通った。
ばたばたと起って、いっせいに焚火の火を踏みにじるが早いか、暗澹たる煙の低く立ち迷う中を、見るまに、それだけの人数が一人も余さずどこかへ逃げ散ってしまった。その敏速なことといっては、到底、警吏などの及ぶところではない。
だが、警吏と見たのは、まったく手下の錯覚で、事実は、如意ヶ岳の尾根を通って、これから朝陽のでるころまでに峰へかかろうと隊伍を組んでゆく十人ほどの狩猟夫の連中だった。
そのうちの二、三名が、野の火をながめて、
「また土蜘蛛めが、この世をわが物顔に踊っているわい。一つ脅してやろうか」商売物の太い猪矢をとって、ひょっと四、五本お見舞申したのであった。
煙のごとくかき消えた賊の影はいったいどこへ行ったかと思うと、曠野のそれぞれな要所に潜りこむ穴があって、寒さをしのぐにも不足はなかった。
ぐっすりと寝たいだけは眠ったであろう、その翌る日、蜘蛛太はただ一人で、岡崎の綽空の庵から帰ってゆく、一人の被衣の女を見つけて、しめたとばかりにその後を尾行ていた。
幾日か後のことだ、綽空のすがたが夕方のほの明るい草庵の戸の前にもどってきて、例のごとく独り居のわが家へすがたを隠すとすぐに、がさがさと裏の林のあたりから落葉を踏む跫音と人声とが近づいて、やがて草庵の前に立ちはだかった天城四郎以下、数名の賊が、
「綽空、おるか」と、大声で内へいった。
「おう」と静かな答えである。
綽空はすぐ縁にすがたをあらわした。そこに、肩をいからせて立ち並んでいる者たちをながめても、かくべつな顔いろではなかった。
四郎は例によって野太刀のこじりを高く後へ刎ね、
「また、来たぞ」一言で相手を刺したつもりであろう、こういって、陰性な笑みを唇にゆがめて見せる。
綽空はわずかに顎をひいて、友でも迎えるようにいった。
「上がらぬか」四郎の左右に、これは四郎よりさらに獰猛な人相をそろえて、山刀の柄をにぎったり、拳をかためたりして示威していた手下たちは、案に相違した対手の態度にやや張りあいを失って、頭領の顔と綽空のすがたを見くらべた。
「話がついてから上がろうじゃないか。もっとも、話がつかなけれや、俺たちは、当分、ここへご滞在となるかも知れねえが」四郎の嫌がらせは例によってモチのように粘る。
「わしに、話とは」と、綽空。
「とぼけるなっ!」と、ここで四郎は特有な声に凄味と張りを急に上げて――
「この前、飯室谷の大乗院で会った時に、いいおいた言葉を忘れはしまいが」
「うむ」
「ここのとこ、職業が不じるしで、久しくうめえ酒ものめず、乾あがりかけている始末。そこでおもいだしたのがおぬしだ、金が欲しい、金をもらいに来た」
「いつかも、答えおいた通り、僧門の身に、金はもたぬ、この庵にあるものなれば、何なりと持ってゆくがよい」
「いや、ないといわさん、おぬし、手紙を書け」
「誰に」
「九条殿へ、あの月輪殿へ」
「月輪殿へさしあたって書状をもって申しあげる用もないが」
「あるっ」
「…………」
「綽空、おぬしは、世間をうまく誤魔化したつもりだろうが、この四郎は騙されぬぞ。月輪の姫とのことで、ぼろを出すと叡山に逃げこみ、叡山もあやうくなると吉水へかくれ、そろそろ、世間のうわさが下火になったと思うと、またぞろ、岡崎の一ツ家に移っている。なかなかうまい! だが四郎の眼力はそんな魔術にはかからぬぞ」
「何をいっているのか、綽空には一向にわからぬが」
「よしっ、その面の皮をひん剥いてやるから待て。蜘蛛太、てめえの見たことを、この売僧に話してやれ」
「へい」待ち構えていたように、蜘蛛太は手下の中から怪異な顔を出した。
そこで蜘蛛太が頭領の四郎にかわって野良犬がほえるようにいうことを聞くと、この草庵へ毎日のように通ってくる女がある、のみならず女は、綽空の留守には、洗い物をしたり夜の支度までして帰る。その帰るところを尾行てみると、九条の月輪殿のお館で、女は、姫の侍女の万野だということまで洗ってあるのだ――といって力み返るのだった。
「おぬしと、姫とが、きれいに手の断れたものなら、姫の侍女が来て水仕業の世話まで焼くはずはねえ。そうして、てめえは世間を甘くごまかしているのだ。どうだ、恐れ入ったろうが」止刀を刺したもののように四郎が言葉の結びを付けると、綽空はそれに対して、一言のいいわけをするのでもなく、
「いかにも、お汝らのいうとおりな事実はある。しかし、それは貧燈の一僧をあわれむお方の布施であるほかに何ものでもない」
「女と男の間のこと、何といおうが、俺たちは合点せぬ。それとも、俺たちのいい分に不服があるか」
「ない」
「ふん……さすがに返す言葉がねえわ」と、あざ笑って、
「しからば、月輸殿へ、手紙を書け。この男に応分の喜捨を頼むと。――話のすじはこっちでする」
「月輪殿に、何の科があろう、みな綽空のいたらぬことによる。綽空を責めよ、綽空の法衣なりと剥げ」
「ばかなっ、そんな破れ衣がいくらの飲み代になると思うか。――もうよし、くどい問答は切りあげて、また出直そう」もっと粘るかと思いのほか、四郎は手下を連れて、あっさりと引揚げてしまった。
しかし、それから四、五日後のこと。
どこへ行って戻られたのか、九条の月輪殿の門前に、一輛の輦がついて、その中から主の月輪禅閤が降りた姿を見とどけると、突然、物蔭から精悍な眼を光らせて走って来た天城四郎が今しも邸内に入ろうとする禅閤の法衣の袂をとらえて、
「待てっ」と、どなった。
禅閤はふり向いて白い眉毛の蔭からじろりと男の顔を見、すぐ何かを感じ取ったもののように、
「用事は、執事にいうてくれ」と落着いた顔でいった。だが、驚いたのは、周囲にいあわせたこの館の小侍や稚子や牛飼たちで、
「こらっ、何するか」
「無礼者っ」隔てようとして立ち騒ぐと、
「うるせえっ」一喝して、
「めったに、俺のからだに触ると、蹴ころすぞっ。てめえ達に用があって来たのじゃねえ、この間から、いくら使いをよこしても、ウンともスンとも返事がねえので、今日は自身で月輪殿に談合に来たのだ。黙ってひかえていろ」そして、たとえ、刃物沙汰に及んでも離すまじく示して、
「月輪殿、おれの談を聞け」と、喚きたてた。
すわ、九条殿の館の前に、何事かが起ったぞと、物見だかい往来の者が、一人立ち二人立ち、もう垣をなすほど集っていた。
供の侍は、ついにたまりかねて、
「おのれ、慮外な振舞いをなすと、六波羅の糺明所へ突き出すぞよ」四郎の袴腰をつかんで、月輪殿の側から引きもどそうとすると、振向きざま、
「何、おれを警吏へ引き渡す? おもしろい、糺明所へでもどこへでも突き出してもらおうじゃねえか」
「いいおったな」組んで捻じ伏せようとすると、
「見損なうなっ」いきなり拳を侍の横顔へ見舞って、あっとよろめく腰を蹴とばした。そして、なおもかかってくる牛飼や家人たちを、ほとんど、人間視せぬほど蹴ったり投げ飛ばした揚句、そこに人垣をつくってわいわいと騒いでいる往来の者たちへ向って、
「おい見物人、めったに白昼は拝ませねえことにしている俺の面を、今日はぞんぶんに見せてやる、よく見覚えておけば何かの時の徳になろう、俺こそは天城四郎という賊の頭領だ」傲然と見得を切って――さらにまた、
「月輪殿へ忠義だてしてえ奴は、今のうちに、六波羅の警吏へ訴えてやるがいい。――だが一言断っておくが、俺が今日ここへ来たのは、決して、押込に来たのでなし、強請かたりに来たのでもない。ただ月輪殿に会って、談合したい事件があって、それも前々から手紙をよこしたうえで来ているのだ。ところが、なんのかのといって、会わせねえから、ここで当人を捕えたという仔細。――いったいこれが何の罪になるかよっ! 往来人に一つ聞きてえものだ! しかもだ、その相談というのは、この館の愛娘と、さる坊主との間に忌わしい噂が立っている。その坊主とかくいう四郎とは、切っても切れない宿縁があるところから、その喧しい問題に、一つ思案の口を利こうと思うてやってきたのに――その親切気をも無にしやがって、この剣もほろろの扱いはどうだ。怒る方が無理か、木戸を突く奴が無理か」喚きたてて、暗に、事あれかしな群集の心理を煽動し、かたがた、自己の目的をとげようという四郎の狡獪な陰険なゆすりの手段は、思わず身の毛をよだたせる。
往来人は、彼にそういわれると、めったにそこを去ったら六波羅へ密告に行った奴と睨まれるかと、後難を怖れてただ釘づけになっていた。
しかし、その隙に、かんじんな月輪殿が、彼をおいて、門のうちへ隠れこんでしまったので、ふと、気がついた四郎は、再び火の玉のような怒気を燃やして、
「あっ、逃げやがったな」立ちふさがる家来たちを、縦横にふりとばしながら邸内へ暴れこんで、
「会わせろ、禅閤がどうしても会えないならば、姫に会おう、俺が何で来たかは、姫に話してやる、まず、侍女の万野という女を出せ」
前栽に突っ立ちながら、奥殿のうちまで鳴りわたるような声していつまでもどなっていた。
ところへ、誰か急を訴えたとみえ、六波羅侍が四、五人、馬で駈けつけてくるがはやいか、群集を追って、門前でひらりと鞍から降りた。
邸内にはまだ四郎のわめくのが、聞えているのである。
「まったくの四郎か」六波羅侍は、念を押す。月輪殿の家来は、
「まちがいございませぬ」ふるえながら答えた。
「よろしい、召捕ってしまうから心配いたすな」やがて後から殺到した捕吏の者を、館の外へ配置して、太刀の反りを打たせながら侍たちはずかずかと前栽のうちへ入って行った。
「あれだな」四郎の姿を認めて、六波羅侍の三名が佇むと、天城四郎は、奥殿へ喚いていたその赭ら顔を、こっちへ向けて、
「? ……」じっと無言になった。
「不敵な兇賊めっ、うごくなっ」呶鳴った侍が、逞しい体をいきなり打つけて行くと、
「畜生っ、六波羅へ告げやがったな!」呪詛の一声を、館のうちへ投げるが早いか、四郎は猛然と格闘をうけた。そして、
「野郎っ」と、相手に充分組ませておいて、ふところから抜いた短刀で、その侍のわき腹を抉りつけ、
「どいつも、近寄ると、こうだぞ」死骸をどんと突き放した。
「や、や」気を呑まれた他の顔へ、血潮で塗られた短刀を投げつけると、彼の体は、ひらりっ――と寝殿の前にある大きな松の根がたまで、風を孕んだように飛んでいた。
追いすがる間もない――するすると、その幹へ、四郎の姿は栗鼠のように迅く登っていた。
「おのれ」その下まで、侍たちが駈け寄った時は、四郎の身はすでに、一つの枝から大屋根の上へ跳び移っていて、
「馬鹿っ」と、下へ呶鳴りつけた。
言葉のうえのみでなく、顔つきにまで、その罵倒の意味を表現して、白い歯を剥きだしながら、からからと、大屋根の上で高くあざ笑った。
「てめえ達とは、体のできが違うぞ、天城四郎は、不死身なのだ、源三位の矢も、俺には通るまい」憎々しい見得を切って、大殿の屋根の峰を濶歩するように、手を振って、ばらばらと東の方へ翔けだした。
「捕れ」
「射ろ」騒ぐうちに、どこからどう失せたか、姿は見えなくなって、ただ門前の群集だけが、絵巻の妖怪を白昼に見せられたように、わいわいと騒ぎ立っていた。
「おもしろい男だ」
「悪党もあのくらいになれば、大したものだ」
「つまり、武家だの僧侶ばかりが、あまり威ばっているので、ああいう反逆者が生れるんでしょうな」
「たくさんは困るが、一人や二人は、あんなのもいたほうがいい」そんなことをいって容易に立ち去らない群集の中に、黒い法師の頭巾を頭からかむって天城四郎はいつの間にかまじっていて、
「盗賊は、まだ捕らぬか。はて、のろまな警吏だ」と、後ろへ供につれている童のような小男――蜘蛛太を顧みてにやりと笑っていた。
他人が窮すれば窮するほど、それを眺めて、おのれの快味に供えるのが、天城四郎の性格である。
まして。
月輪殿へ押しかけて行って見事に苦杯を舐めた彼は、それへ報うに、あだをもってしずにはいない。
あのことがあって間もなく、巷には誰がいい出すともなく、月輪殿に対して、はなはだ好ましくない風説がさかんに凡下どもに取り沙汰されて今や九条のその館は、市人の興味の的になっている。
どんなことかというに、いずれも取るにたらない中傷に過ぎないのであるが、衆口は金をも熔かすたとえに洩れず、それがいかにも秘密箱らしく、また、真をなして語りつたえられているから怖ろしい。
月輪殿の人格へ。末姫の玉日姫へ。その家族へ。
あらゆる嘘を飛ばして中傷の泥を塗るのであった。無論、その出どころは、四郎だった。
年を越えても冬空は蕭殺として灰色の暴威をふるっていた。建仁三年の一月の朝である。
綽空は、その朝――まだ暗いうちに岡崎の草庵を出て、白河のほとりを、いつもならば西へ下るのに、叡山のほうへ真向きに歩いていた。
雲母坂へかかっても、まだ夜は明けなかった。
憮然として、彼はそこに立っていた。見覚えのある樹、見覚えのある石、このあたりの草は、かつて玉日姫の涙でぬれたことがある、万野の膝の下に敷かれたことがある。
暁闇の空で、大きく鴉が啼く。――綽空はまた、無言で山へかかった、力のある足どりである、この山坂を九十九夜通いつづけていたころのあの迷いを追っている足ではない。
びっしょりと、満身が汗になる。白い息を吐きながら、彼は、根本中堂の前に立った。そのころ、やっと雲は紫いろの海と化して、ほのかに、今日の太陽を生みかけている。
「……まだお寝みか」綽空は一つの僧房の裏に立って閉ざされてある戸をながめた。そこは、座主の寝所である。
やがて、中堂の鐘が大きく鳴る。汗はすぐ氷になって、綽空の肌を噛むように凍えさせた。しかし、綽空は凝然として佇立していた。
何気なく、彼の眼の前の戸をあけた僧は、そこに立っている人影を見て、びっくりしたように尋ねた。
「あッ、どなたでござるか」
「綽空にござります。座主お眼ざめなれば、お取次ぎくださいまし」
「お、範宴どのか」僧は、思い出して、いよいよ、いぶかしい面持ちをしながら、あわてて奥へかくれた。
すぐ戻ってきて、
「お通りください」と、いう。
すでに、清掃された一室に慈円は坐っていた。青蓮院を出て、慈円僧正は昨年から二度目の座主の地位について、この山にあるのであった。
「綽空か」久しく聞かなかったこの声を綽空は下げている頭の上に浴びて、
「はい……」しばらくは顔を上げ得なかった。
手をつかえて、顔を上げる前に、綽空はこもごもにわきあがる慚愧やら懐かしさやらで胸がふさがってしまうのだった。
九歳の童の時から子のように教えられ育てられてきたこの老師と会う時は、どういうものか、いつも御苦労をかけるようなことの場合のみである、済まないといってよいか、申し訳ないといっていいか、いやそんな生やさしい言葉ではいい現わせない感情なのである。
しかも、今朝、唐突にここへ来た用向きは、さらにこの老師にまたもや深刻な御苦労をわずらわすかも知れない問題をひっさげて来たのであった。いや、あるいは、場合によって叡山の座主たる老師をも敵とするかも知れない大事なのだ。
(どうお話し申そう)綽空はそれに思い惑う。
しかし、慈円はいつもと変らない。――幾歳になってもまだ子供のように彼を見るくせがついている。
「見えたの、めずらしゅう」
「はい」老師の近ごろの健康のもようとか、時候の挨拶とか、また、自分が吉水へ入室してからのことどもなど、いうべきことも、詫びることも、山ほど胸にはあるのだったが、今朝はそれさえも長々と述べてはいられない綽空の気持であった。
顔を上げて、すでにここを訪おうと思い極めた時の決心を、今、磐石のように自身の胸に甦えらせて、
「今朝は、師にお願いがあって、参じたのでございます」と、いった。
語気が、異様な力を持って、慈円の耳を打ったと見え、慈円は、きらと、眉の下に眸を澄ました。
「む。……なにかの?」
「お驚きくださいませぬように……」すると慈円は和やかに笑って、
「おもとが、さようにまでいったことは、九歳の時、得度を授けてから今日まで、わしは初めて聞いた。よほど大願よな」
「大願。……真実、綽空が大誓願にござります」
「なんじゃ、それは」
「月輪殿のお末女の方、玉日姫を、わたくしの妻として乞いうけたいのでございます」
「ウウむ……」喉で何かを抑えつけたような慈円のうめきであった。さすがに動じない老師の面もただならない波立ちである。綽空はとたんにぺたっと両手をついて耳もとを茜のようにしているのだった。
「玉日を……妻に……。……妻にとか?」
「はいっ」
「…………」慈円は大きく唇をむすんで天井を仰いでいるのであった。いつまでも、そうして、ふさいだままの眼であった。ポロ、ポロ……と綽空の顔の下では涙のこぼれる音がする。
やがて、慈円が、
「どういう決心で」重圧を加えるような低声でこう問うと、弦のごとく緊張つめていた綽空は言下に、
「この一身に、念仏門の実相を具現いたすために。――また、この身をも、念仏門の実光に救われたいがためにです」と、全身すべて信念の塊りのように構えて、そう答えた。
それなり慈円座主も綽空もじっと黙って坐っていた。ふたつの巌がそこへ生えているように。
――これは死を決して来たな。と、慈円は感じた。すくなくもそれくらいな覚悟がなければ今のことばは吐けないはずである。
――傷ましい。とも思い遣るのだった。きょうまでの経緯を何もかも慈円は知っている。そして、誰よりも案じている。誰よりも綽空の大成を祈っている。
――しかし。彼が今、突然にいい出した希望は、あまりに問題が大きすぎる。綽空のあらゆる苦悶と仏法に対する内燃がここ数年前からその問題にあることは慈円もよく知っていたし、芽生えのころから彼を見ている師としての理解も充分持っているつもりであるが、さて、こう現実にその解決を迫られても、所詮、僧として、いわんや天台の座主として、
(よし)とも、
(よかろう)とも、いい得ることではない。けれどまた、綽空が、
(玉日姫をわたくしの妻に乞いうけたい)という率直な叫びをここでするまでには、実に、何年間の苦悩、疑問、自責、そして肉体との血みどろな闘いをもとげてきた上であって、決して、一朝一夕の思いではないことも分る。
そうした暗黒の彷徨から出離して、念仏門へ一転した綽空は、そこでも、ただ易行往生の教えだけに安んじていられなかったと見える。いや、自身がすでに信念していたある真理への「鍵」に対して、法然の教理からさらにつよい信念を加えてきて、いよいよ、
(こう行くのがほんとだ)
と、臍を固めに固めたあげくここへきたに相違ないのである。たとえ、自分が反対しようが、社会が挙げて拒もうが、彼は百難と闘っても、その誓願へまっしぐらに進むかも知れない。
――弱ったことだ。慈円は、たった一言をいうのに、こうまで深刻にためらったことはない。ものを思判する自分の脳髄が是非の識別をする力を失ってしまったのではないかと疑われるほどいつまでも考え込まずにいられなかった。
「――朝のおつとめのお邪げをいたしました。お暇申しまする」綽空は、そっと、縁のほうへ身を退らせていた。
慈円は、瞑目したまま、
「待て」といった。
「はい……」素直に、綽空はうずくまる。
「すぐ下山するか」
「いえ」しばらく間をおいて――
「登りましたついでと申しては憚りがございますが、根本中堂、山王七社を巡拝して、なつかしい飯室谷へも久しぶりに、立ち寄って参るつもりです」
「体を、大事にせい」是とも非とも、綽空の希望に対してはなにも答えないで、慈円は顔をそむけて眼をうるませていた。
「この梅も大きくなったな」綽空は、山王の社前にある梅の樹を見あげていた。
そこらの石、燈籠、すべてに懐かしげな眼をやって、
「二十年経った……」と、独り想う。
峰から東塔の沢へ出て、やがて飯室谷へ来る間の眼にふれる物も、すべて彼とは旧知の山水である。
――十歳の年から二十年の今日まで。
彼は、ひそかに、別れを告げていた。ことに長い間、自力難行の惨身を曝した大乗院の門を仰ぐと、いい知れない感慨につつまれて、しばらく、立ってそれを仰いでいた。
今や自分は、この自力難行道の床を捨てただけに飽き足らないで、さらに、すべての僧人が鉄則としている持律戒行のすべての古い殻を蹴破ろうと決意しているのだ。三十一歳までの清浄身を、擲って、現在の僧侶にいわせれば、汚濁の海、罪業の谷ともいうであろう、蓄妻

だが――彼の信念がそうしていかに強く固まってさても、玉日姫を力で奪ってくるわけにはいかなかった。また、彼の夢みている大誓願も、彼女以外の女性では絶対にならないのである。綽空はまた、以前とはちがう苦悶に堕ちた。
(どうしたら彼女を獲られるか)それを考えることは、真理の影を追うよりも困難に思われた。誰よりも、人間として自分を知っていてくれる師の慈円ですら、黙して答えなかった。
「いっそ月輪殿へ、自分で――」と考えつめることすらある。しかし、それがいかに狂人に似た振舞であるかをも同時に思わずにはいられない。
今、玉日姫は、世間のうわさがうるさいために、西洞院の別荘のほうへひそかに身をかくしているといううわさである。例の天城四郎が館を脅やかしてから侍女の万野もその後はふッつりと岡崎へすがたを見せない。おそらく、禁足を命じられているのであろう。
そこへは、近づき難いし、姫の便りも断ち切られたが、綽空の夢は、ほとんど、ある夜はそっと彼の肉体をぬけて、姫のすがたを見ることもあった。
ことに、一夜一夜、星の光も温かい春の宵となるにつれて――
ある朝だった。
綽空は、ゆうべの夢を、紙片に書きとめて、誰にも見すべきものではないとして、自分の手箱の底に秘めておいた。
我生玉女身被犯
一生之間能荘厳
臨終引導生極楽
*
叡山から降りて来た一人の寺侍がある。一枝の梅に、文書を結いつけて、五条の西洞院へはどう行きますかと、京の往来の者に訊ねていた。
父の禅閤は、日課のように、九条からこの西洞院の別荘へよく通っていた。
そして、奥へ通ると、
「今日はどんな様子じゃな」と、まず声をひそめて、薬湯のにおいの中に寂としてかしこまっている侍女のものに訊くのが例であった。
昼も妻戸をほのぐらく垂れこめて、青金の砂子のみが妖美く光るふすまの隅に、薬湯の番をしている侍女たちも、そこを隔てた姫の部屋を憚るようにして、低声に答えるのであった。
「ゆうべは、常になく、ようお寝みあそばしました」
「……眠れたか」父の君は、それだけのことでもほっとしたように眉をひらく。
「食べ物は……」
「お食は、どうもまだ」
「すすまぬか」と、顔が曇る。
――やがて姫の病間に入ってゆくと、そこもまた、春の訪れをかたく拒んで、昼も蔀をおろし、鏡は袋に、臙脂皿や櫛は筥のうちにふかく潜められたまま、几帳の蔭に、春はこれからのうら若い佳人が、黒髪のなかに珠の容貌を埋めて、もう幾月かを病に臥しているのだった。
「どうじゃな」父の禅閤は、そういって、姫のそばに坐る。
姫は、眸で、
(え、え……)うなずいてみせるが、何ということばもなく、そのまま、眼をとじて、黙ってしまう。
閉じている姫の瞼が、すぐ泪をつつんでしまうことが父にはわかる。不愍――とすぐ思うのでもあったし、また、
(困ったものだ)という嘆息もつい出てくる。
いったい禅閤の君は、まだ法体にならぬまえは――月輪関白兼実として朝廟の政治に明け暮れしていたころは、非常に気も昂く強く、七人もいる息女たちのことにでも屈託などしたことのない性格であったが、いつの年であったか、最愛の長男が不慮の死をとげたり、また、政敵のために廟堂から職をひく身になったり、いろいろ晩年の境遇が変ってくるにつれ、その人生観にも大きな変化がきて、禅閤という一法体になってからは、すっかり性格までが柔かになって、子にもひどく甘くなってきて、自分でも、
(わしは子煩悩でならぬ)と、人にも語るほどだった。わけても玉日は、いちばんの末娘ではあり、他の姉はみな嫁ぐべき所を得ているのに、この姫だけが、とかく幾ら縁談があっても、
(まだ――)とか、
(あの一族の家では)とか、容易に嫁ぐといわないでもう世間なみからいえば、遅い婚期になっているのでもあるが、せめてこの姫一人だけは、老いの身の側から離したくない気もするしで、盲愛といってもよいほど、父の禅閤の君は、この姫が、可憐しくて可愛くてならないのであった。
「なんぞ、食べとうないか」父の君が、やがていう。
姫は、水藻の中の月のような白い顔と黒髪とを、かすかに、横に振るだけである。
「食べんでは、人間、生きておられぬぞ」
「…………」
「若い身で、なんじゃ」そっと――病人の感傷に気がねしつつ――叱るのである。
「女子の楽しみ、人と生れたよろこび、すべての春は、これからではないか」
「…………」
「気をとりなおして、すこし、食べたい物でも考えたがよい。医薬士もいうた、お汝のからだには、どこというて、病はないのじゃと。ただ、心がわずろうているのじゃと」姫は、じっと睫毛に白珠をためながら、
「でも、お父さま……」何かいおうとしたが、
「すみません」と、ただ微かに詫びる。
「すむも、すまぬもない。そんな気づかいがそもそもわるい。そうじゃ、もうこの別荘の梅林も、きょうあたりはだいぶ綻びていよう、そこの蔀を上げてみい。――万野」いたのかいないのかわからぬように、几帳のうしろで、じっと俯向いていた万野は、その時はじめて、
「はい……」と返辞をして、
「姫さま、すこし、戸外の光をご覧あそばしますか」
身をのばして、姫の顔へ訊いた。
(嫌……)というように、姫は、よけいに沈んだ顔いろを見せ、さらにまた、父へ、
「わたくしは、どうしてこう不孝者に生れついたのでございましょう」それから――よよと低くすすり泣くのであった。
禅閤は、なぐさめる言葉もなく、腕をこまぬいてしまった。押し出されるように太い息が出るのであった。
姫のこういう状態が、何に原因しているかを、この父の君は、薄々知らないこともないのである。――しかしそれは父子の仲でも口にのぼせない問題だった、もし口にするならば、姫の状態をもっと悪くすることが分りきっているし、父としてのいうべき意見もいわなければならない――。それが、禅閤はおそろしかった。
願わくは、姫が、何らかの動機でこのままその心のものを解消するか、忘れてくれれば――と祈るのであったが、事実は、反対に、日と共に、姫の胸には、その病源がふかく蝕い入ってゆくように思われる。
(何としたものか)ほとほと困りぬいているらしい父の禅閤の眉はまた、子をもつ親の苦悩を深刻に抉っていた。と――次の室で、侍女が、
「万野さま。ちょっと……」と、小声で呼ぶ。
「お医士ですか」
「いえ、お文状でございます――禅閤様へ」
「わしへ」禅閤はふりむいて、この別荘へ、誰からの使いであろうかと疑った。
「そちらへ置け。今参る」そういって、姫の枕元からそっと起ちあがった。姫は、かすかに、弱い眸で、その父の顔いろを枕からじっと仰いでいた。
「文状は、どこへ置いてじゃ」東園の広い梅林に向っている一室へ出てきて、月輪殿は、眼をしばたたいた。多分、暗い病室から急に明るい陽ざしの前へ出てきたので、まばゆさに、眸がじらっとしたのであろう。
表の召使が、縁の端から、
「おてがみは、お館様へ、直々におわたし申しあげたいと、使いの者は申しおりまする」
「どこからじゃ、その使いとは」
「叡山の座主様から」
「ほ。……弟から?」といって、にわかに、なつかしそうに、
「通せ」
「いえ、もうそれに控えておりますので」見るとなるほど――縁の西側に、一人の坊官が庭上に屈まっていて、声のかかるのを待っている態である。
「お汝か、慈円からの使いは」
「はい。……畏れ多いことにござりますが、この文状ばかりは、直に、お渡しせいと、申しつかって参りましたので」
「大儀じゃった」梅の枝を、その寺侍の手から取って、
「やすんで行け」と、ねぎらった。
月輪殿は、その後で、召使たちをも退けて、ただ一人になってから心静かに文状を解いた、そして読みゆくうちに顔いろに沈痛な影がうごいてきた。明らかに当惑な――そして最大な苦悩を心のうちで揺りうごかされている眉だった。
「弟も、弟ではある」その文状には、こういう意味のことが書いてあった――。今ここに一人の青年が死か生かの岐路に立っている。見ごろしになし得ない仏者である自分にも、この青年をすくうて取らす力がない。青年とはいうまでもなく自分が九歳の時から手しおにかけて愛育した綽空であるが、なんとか、ご分別はないか――よいご思案はないか――。師たる自分からも満腔の念祷をもってご賢慮におすがり申す――というような内容なのである。
「弟も、弟じゃ……」月輪殿はふたたびこうつぶやいて、眼をふさいだ、脆い老涙が睫毛からはらはらと下る。
「その分別があるくらいなら、この身とて、こう苦労はせぬ。……弟は綽空がことしか知るまいが、わしは、現実に我が子の病躯を朝夕に見て苦しんでいるのじゃ」弟の慈円が、今さらそんなことをいって遣すことが、月輪殿には、むしろ不満だった。骨肉的な軽い憤りすらおぼえて、
「この身の苦悩は、それどころか」一門の長上という身でなければ、愚に返って、よよと泣いてしまいたいほどな感傷に禅閤ほどの人も子のためにはつつまれるのであった。だが、その感情の波をしずめて、もいちど、常の平常さをもって弟の慈円の文状を見直すと、なるほど、辞句のうえではそれだけのことしか書いてないが、言外に、一つの大きな意義を伝えているようでもある。それは、窮まる所に通ずる道のあることを暗示しているのだった。
(なんらかのご分別はないか)という言葉は、決して、単にそれだけの言葉ではなく、なにか、兄の月輪殿を叡山から叱呼して励ましているようにも聞えるのであった。
親戚という名に繋がっていても、平常はめったに顔を見せない不沙汰者までが、今夜は一堂に寄ったのである。月輪殿の一門といえば、それぞれ顕栄の地位にあるか、社会的に相当な生活をしている者ばかりで、いわゆる上流人のみの一族なので、よほどの問題でもなければ、こうして皆が集まることはなかった。
「なんの相談と思うて来たら、玉日を、綽空とやらいう念仏の一沙弥に娶わそうと仰せらるるよ。月輪殿の言葉と思うて、誰も、遠慮していわぬらしいゆえ、わしが、親戚一同にかわって、真っ先に申そうならば、もってのほかな沙汰という他はない。わしは、一門のために、こよいの話には、承服できぬ」いつも親戚評議というと、重きをなす老翁が、一同の沈黙をやぶってこう意見を述べると、その尾に従いて、
「どうものう……」と、賛意を拒む色が、誰の顔にも濃くあらわれた。
「第一、僧が妻帯するなどということは、法外もない沙汰じゃ。それへ、末姫を嫁りなどしたら、月輪の一門は、気が狂うたかとわらわれよう」
「いかに、綽空とやらの家柄がよいにせよ、秀才にせよ――」
「まして、悪い噂がある折じゃ。姫がどう望んでいようと、家名には換えられぬ、一族門葉の者が、挙げて、世間から非難されても、かまわぬという決心ならやむを得ぬが」
「いったい、お身があまりに、玉日を、末姫じゃと思うて、可愛がりすぎるゆえ、こんなことも起るのじゃ」
「断念されい。皆が、この通りに不承知なもの――」と、誰ひとり、月輪殿の心を酌んで、それについて、方法なり策なりを考えようとする者さえなかった。
禅閤は、絶えず、沈黙して、親戚たちの詰問を浴びているほかなかった。自分から招いて相談を持ち出したことであるが、
「月輪殿も、少々、お年を召されたらしい。こんな、明白な分別がつかぬというのは、お年のせいじゃろう」などと親類たちから笑われたに過ぎなかった。
また、それに対して、禅閤自身も、押しきるだけの自信がなかった。親類たちの言葉はみな彼自身が考えもし悶えてもいることなのである。そして、自分の常識が、やはり大勢の者の常識であることが分ると、彼はなおさら、手も足も出なくなってしまうのだ。
「断じて、さような考えは、おすてなさるがよい。なあに、姫の病気なども、若いうちにはありがちなこと。ほかに、よい聟ができれば、忘れてしまうものじゃ」親戚たちは、釘を打つように、そういって立ち帰った。
当惑の闇が、幾日も月輪殿の胸から晴れなかった。西洞院の別荘へゆけば、そこにもまた、冬のままに閉した病間が、氷室のように彼を迎えた。
きょうも、その西洞院へ、姫の容態を見にゆくといって月輪を出た禅閤は、途中でなにを思いついたか、
「吉水へやれい」と、輦のうちから供の者へ向って、唐突にいいだした。
吉水の念仏道場は、およそ三つの房にわかれていた。二つ岩の房(中の房)――松の下の房(東の新房)――吉水の房(西の本房)の三箇所である。
上人は多く西の本房に住んでおられた。月輪殿はもう幾度かここを訪ねているので、轅をそこへ向けて、
「上人に拝謁申しあげた上、折入って、御垂示をねがいたい望みでござるが、御都合のほどはいかがでござりましょうか」と、供の者に訪れさせた。
――お目にかかろう。という上人の返辞であった。
しかし今は、随身の人々へ法話の最中であるからしばらく一室でお待ちねがいたいという取次の者の挨拶なので、月輪禅閤は、庭前に小さな滝の見える一間に入って、法話のすむのを待っていた。
春はもう去りかけている。滝つぼには落花の芥が浮いたり沈んだりしていた。どこかで、老鶯が啼きぬくのである。
「――ただ今までの法然の話にて、ほぼ、往生の要に、二つの道のあることをご会得召されたであろうと思う。往生とは、必ずしも最期という意義にはあらず、死にも非ず、文字どおり、往きて生きること、すなわち、往生なのでござる。――往きて生きんかな、往きて生れんかな。御仏の功力――大慈悲の恵みこそは――生きんとする者にのみこそ、始めて無辺の照光あるものでござる」彼方の道場から若々しい力のこもった法話の声がきこえてくるのだった。法然の声なのである。
月輪殿はそこに控えている間を、黙然と、うつ向いて耳を澄ましていた。
法然の声はさらにつづいてゆく。
「――しかしながら昨日まで、おのおのの歩まれてきた道は、自力難行の聖道門でござった。同じ住むを目的とするも、その道のいかに難く、いかに惑い多く、またいかに達し難き道門であるかは、つぶさにご体験あったことと存ぜられる。では、わが浄土門他力の御法はいかにといえば、かの竜樹菩薩も仰せられたごとく――仏法に無量の門あり、世間の道に難あり易あり、陸路のあゆみは則ち苦しく、水路の舟行は則ち楽し――とあるとおりでござる。天親菩薩は、千部の論師といわれたお方なれど、往生の一段にいたっては、あまねく諸

滝つぼの水音と共に、上人の遠い声は、とうとうと、月輪殿の胸の底へ流れこんでくるのであった。
そればかりでなく、月輪殿は、この念仏道場へ来ると、いつも不思議な一つの世帯というものを感じるのだった。
この法然上人を家長とする一つ軒の下には、今、随身の弟子だけでも八十八名いるといわれているが、その八十余名の前身を尋ねてみると、小松内府重盛の子の心蓮だの、無官大夫敦盛の子の法信房盛蓮だの、その他、栄華を極めた平家の人々の没落してここに剃髪している者がかなり多くある中に源氏の大将であった熊谷次郎直実のような人物も一つ法筵の弟子として在るのであった。ことに、直実の蓮生房と、敦盛の子の盛蓮とは、仇敵の間でさえあるのに、その二人がわけても親しげにしているのを見ると、まったくこの道場こそは、呉越の人間が、前身の怨讐なく、法然のいわゆる往いて生きている人々の浄土であることが、実証されているような心地がして、はた眼にも見よいし、また、人間はこうも和楽に生活のできるものであるかと、凡の世間に馴れた眼から見ると、一種の不思議をも覚えてくるのであった。
「――お待たせいたしました。上人のご法話が終りましたゆえ、どうぞ、お居間のほうへ」
一人の弟子僧が、やがてこういって、月輪殿を、奥へ導いた。間もなく、
「失礼しました」法然のすがたが現われる。月輪殿は、
「いつもながらお健やかで――」と、慇懃なあいさつを述べ、また上人のほうからも鄭重に会釈があって、しばらくは、さりげない四方山の話に移っている。
そのうちに月輸殿は、改まった面持ちで、
「実は、今日のご法談を、よそながらうかがっておりましたが、とりわけ、今日はなにやら身に沁みる心地がいたしました。しかし私は、はやこの老齢、それに、病もあれば、かかる有難いご法話を聴き得る余生も、そう長くはないと存じおります。……ついては、今生に思い残りのないよう、今日は、心の隅まで、お打明けもいたし、お尋ねもいたしてみたいと存ずるが、おさしつかえありますまいか」法然は、ふかくうなずいて、
「何にても、お尋ねなされ。この源空が知りたらんほどは、心を傾けてお物語り申しましょう」と、打ち解けた態でやさしくいう。
月輪殿は、ほろりと眼をうるませた。よほど、思いあまったものが胸に沈んでいることがわかる。上人は、見て取って、
「わしが呼ぶまで、誰も来るな。そこの廊架のつま戸も閉てておかれい」そういって、附随の弟子たちを遠ざけた上――
「さて、この法然に、さまでのご談合とは、いかなる儀にて候ぞ。ご懸念なく、おきかせくだされい」と、膝をすすめた。
「――余の儀ではございませぬが、上人はもとより、持律戒行の清浄身におわすし、また、八十有余の御弟子たちも、みな、おごそかに戒を守っている浄行の御出家のみと存じますが。……さるを、かく申す私などは」
月輪殿は、ふと言葉を切って――自分の長い政治的な生涯を心のうちで振り返るように――
「容こそ、染衣を纒っておりますなれど、蓄妻

「ご疑念とは、そのことですか」上人は、月輪殿の素直な問いをよろこぶようにうなずいて、
「いわれのないお疑いです。経には、十万衆生と説かれ、釈には、一切善悪凡夫得生とあるではございませぬか。僧と、俗との間に、何の隔てがありましょうぞ。あなたの唱うる念仏も、この法然の念ずる念仏も、一です、二いろはありません」
「――けれど、女人を避け、不浄を

「――お考え違いである」上人は、胸をのばした。
「――常々、申すとおり、念仏門は、一切他力本願です、愚者悪者も、浄土に、洩らすまいというのが本願である道に、なんで、さような差別がありましょう、疑われるな、ただ、念仏さえ申せば、往生を得ること、法然が牢固として信じるところでござる」
「その御教えは、幾度かうかがって、自分では解っている気がしながら、時折、また同じような疑いに惑うのでござります、怖らくこれは私一人の疑いとは覚えませぬ。――なぜならば、ではなぜ、僧は妻を持たぬか、肉を忌むかということに考えいたるからであります」
「いと易いお質問じゃ、それらの行はすべて、修行の障りとなるために、自力を頼んで排した難行道の相なのです、他力易行の門には敢てないことじゃ、あるがままの相にまかせておくのみで、こうあれと強いることはすでに難行道になろう。自力門の修行は、智恵を窮めて生死を離れ、易行門の修行は、痴愚にかえって極楽に生れるところにあるのでござる。法然とても、好むままの生活をとっているに過ぎません、努めて、肉食を忌み、女人を避けている次第ではない、ただ、今のままが、気楽であるし、自分にぴったりしているために、容をかえないだけのことです」
「では……」月輪殿は、何か大きな救いの手の下へ、歓喜してひれ伏すように、思わず声を弾ませていった。
「御弟子のうちから、一人の若人をちょうだいして、私の末姫の女と娶合せたいと考えまするが、上人に、お言葉添えをしていただかれましょうや? ……」琥珀の珠でもあるような上人の眸が、和やかな皺の中で――何もかも知りぬいて――またいかにも本意そうに、にっと笑みをたたえていた。
「それは至極なお考えじゃ、法然も、骨を折りましょう。――したが、誰を、お望みか?」
ひろい講堂に隣り合って、そこも広い板敷の僧房だった。
念阿だの、心寂だの、蓮生のような長老たちは見えないが、若い弟子僧たちは、そこの大きな炉を中心にして、大家族の母屋みたいに、閑談しているのが常だった。
「茶でもさし上げようかと思うているが、いっこう、お客間から、手が鳴らんのう」
「うむ、月輪殿も、きょうはだいぶお長座いことだ」そこへ、奥から一人の僧が、まだ生後やっと十月ぐらいな嬰児を抱えてきて、
「困った困った、米の粉を掻いてくれい」
「オオ、眼をさましたか」
「泣き出すと、黙らんのじゃ」
「盛蓮は、あやし上手よ、盛蓮に負わせい」
「わたしが、負いましょう」
「わたしが、負いましょう」僧房のうちで、いちばん年下の盛蓮が、その赤ん坊を負って、ひろい講堂のうちを、
寝ねんぶつ
ねんねん、居たまえ
居ねんぶつ
立つも、あゆむも
ねんぶつに
浄土の、門では
何が咲く
いつも、ぼだい樹
沙羅双樹
「ははは、盛蓮がまた、でたらめを唄っておる」
「しかし、盛蓮も、いつか大きくなったな。――平家が今も盛んならば、無官の大夫敦盛の公達なのだが」
「あの盛蓮も、平家の没落後、路ばたに、捨てられてあったのを、旅の途中、上人が拾っておいでなされたのだそうな……」
「上人は、子どもがお好きだのう。あの乳のみ子も、四、五日前に、拾いあげておいでなされたのだし……」
「捨子が、捨子を負うて、子守唄をうたっている禅房などは、日本広しといえども、この吉水よりほかにない」笑いさざめいていると、突然、奥の上人の室から、その上人と月輪殿とが、姿をそろえて、床を歩んできた。
「綽空はいますか」上人が見廻していう。
「はい、これにおります」隅のほうで読書していた綽空が、静かに、書物をおいて、上人の前へすすんだ。そして、両手をついた。
「なんぞ、御用ですか」
上人は、いつも講義をする道場の壇におごそかに坐り、月輪殿は、その側へ、さらに厳粛な面持ちをして、坐っていた。
(何事を仰せだされるのか)と、綽空は、その前へ、手をつかえたままである。
上人は、静かに、僧房の者をかえりみていった。
「心寂や、蓮生など、これに見えぬ者も皆呼んで参るように。そして一同、ここへ集まってもらいたいが」
「はい」奥房にいた長老たちも、やがて、何事かとそれへ出てきた。すでに四、五十人のいあわす弟子僧がほとんどそこにずらりと並んでいるのだ。そして綽空一人が、一同の環視の中に平伏している。どうしても凡ごとでない容子なのである。
人々は、固唾をのんで、しいんとしていた、一同が揃ったと見ると、法然は、おもむろに、こういった。
「綽空――。ここにおられる月輪殿が、この法然を介して、おん身に、ひとりの妻を娶わせたいと、今日、これへ見えられての仰せじゃ。……どうじゃの、妻をめとる心があるか、ないか?」
じっと、居並んでいた弟子僧たちの顔いろが、無言の裡に、明らかに動揺しだした。あまりにも意外な師の言葉として、自分の耳を疑っているような顔もあるし、また、法然と月輸殿の心理を不審かって、二人の顔を横から額ごしに凝視している者もある。
「…………」綽空はと見ると、彼は、血液のある石みたいに、五体を硬くし、耳は真っ紅にそめて、依然として、大勢の凝視を浴びたまま、手をつかえているだけだった。上人が、重ねて、
「そういう意志はないか」と訊くと、綽空は初めて身を上げて――そして再び幾分か俯目になって、
「望んでおります」と、答えた。
案外にも平常の声であった。
「うむ――」と、大きく息を内へ引くように上人が頷かれたので、弟子たちは、いよいよ、この師弟の心の底になにがあるのかと思い惑った。
「では、こちらのご意中を伝えるが、おん身に、娶わせたい女性というのは、月輪殿の末姫の玉日とよばるるお方じゃという。綽空には、かねて、存じおろうと思うが……。異存あるか、ないか」綽空は、体がふるえた。
わっと、泣いて、師の上人へも、姫の父なる人へも、素裸な自分というものを目に見せてしまいたかった。そのうえで、今日までの、また今日以後の、自己の信行を語りたかった。しかしさすがに、こみあげる感激に、眸が熱くなってしまうし、胸いっぱいな歓喜と同時に、三界の大世間を、一人の肩へ乗せて立つような重任も感じてくるし、しばらくは、答えることばが出なかった。
しかし、かねてより自分から望んで、やむにもやまれなかった大誓願である。綽空は、毅然と、胸を正していった。
「ありがとう存じまする。玉日のおん方のほかには考えておりませんが、あのご息女なれば、妻にもちたいと思います。仏陀も照覧あれ、私は、偽りなく、玉日のおん方が今日まで、好きでならなかったのでございます。どうぞ、お計らい下さいませ」
同房数十の僧たちは、呆然として、そういう綽空のひたむきな態度をながめていた。
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何という忙しなさ。――夏から秋へかけて、月輪家の人々は暑さを口にしている間もない。――盆と正月がいちどに来たようだとは、召使たちのぐちだった。
何十度の親族会議がくりかえされたかわからない。親族たちも一時は、
「木の端とさえいう僧侶に、姫をくれるような家とは、もはや交際いもせぬ」
とまで、いいだしたが、断乎として、秋には婚儀を挙げさせるという禅閤のうごかない意志をみては、
「それほどにいうならば――」
と、匙を投げる者があり、また中庸をとって、和を計る者もあって、どうにか、婚儀のことが、一決したのは、土用の暑いころだった。
叡山の慈円座主は、山を降りて青蓮院にあった。そこから、月輪へは絶えず使いが走るし、月輪から吉水へ、また、五条西洞院とも、絶えず、文書の往復が交わされたりして、あわただしい日の続くうちに、もう残暑の町を、婚儀の荷が、きのうも今日も、西洞院の別荘のほうへ運ばれて行った。
「さすがは、前関白の聟取、たいそうな調度じゃわえ」
「お式は、西洞院のほうでなさるのか」
「そうらしいて」
「お道具などは、ともかく、あの花のような末の姫を、わがものにする若法師めは、いったい、何という果報者だ」
「法師は、木の端けらというに」
「ああ、俺も、木の端になりたい」巷の人々は、西洞院へゆく荷物の通るたびに、羨望の眼を辻から送っていた。
「もし、ちょっとお訊ね申すが……」と、その人群へ、錫杖を止めた山伏がある。久しぶりに、峰入りから都へもどってきたものとみえ、山伏は、髯をのばし、皮膚は、松の皮みたいに赭黒かった。
「はい、なんですか」一人の凡下が、剽軽にいう。
山伏は、するどい眼で、今通った婚儀の荷を振りかえりながら、
「何か、めでたい儀式があるというが、その聟殿は、何者でござるか」
「まあ、聞きなさい」
凡下は、手振りをして、
「九条様も、物好みでいらっしゃる。七人もご息女のあるうちでも、眼の中へ入れてしまいたいほど、可愛くてならない末姫を、どうでしょう、人もあろうに、法然上人の弟子の端から選り出して、それへ、くれるというわけなんです」
「その弟子とは」
「綽空というんです。――なんでも、氏素性はよい人だそうですがね。……それにしても」
「綽空?」小首を傾げて――
「幾歳ぐらいな男だろう?」
「三十一、二でございましょう。なんでも、そんな話で」
「それでは以前、青蓮院の慈円僧正につかえ、後に、叡山へ入った範宴少納言ではあるまいか」
「そうそう、前には、範宴といったそうです」
「うむ!」鼻腔でこう太く呻くと、
「そうか。やはり、そうだったのか!」
怖ろしい形相を作って、山伏は、無言になった。一匹の黒くて逞しい熊野犬を後ろにつれ、杖をこつこつついて、人混みから離れて行った。
わん――
足の迅い飼主に追いついて、大きな熊野犬は、尾を振って絡みつく。
「黒」と山伏は、呼んで、
「馬鹿な奴だ、おれのような宿なしに従いてきてどうする、帰れ」といい聞かせている。
しかし、杖で追われても、黒は帰ろうとしなかった。山伏はてこずりながら、
「帰れといっても、貴様も帰る故郷がないのか。この弁円と同じように――」
わん――
黒は、山伏の袂を噛む。山伏は旅の道から尾いてきたこの三界無縁の犬を、さすがに、酷くも捨てかねて、
「その代り、黒、俺と一緒に、野たれ死をしても、俺を恨むな。……それでもいいのか、おお、それでも」じゃれる黒の首根っこを膝へ寄せて、山伏は、路傍の樹の根へ、どっかりと坐ってしまう。
「疲れたなあ……腹も減るし――」
蜩の声が雨のようである。四辺の木立は暮れかけているのだ。ふと、後ろを仰ぐと、寺院の山門が見える、そして、七、八名の学僧がかたまって、立ち話になにか論議していた。
「いよいよ、世は末法だ、僧が、公然と、貴族の娘と、結婚するなどという沙汰が、なんの不思議に思われないほど、仏法も、人心も、堕落してきたのだ」一人が、書物を抱えながら、眼を剥いていう。
他の僧も、肩をそびやかしたり、法衣の袂をたくしあげて、
「聞けば、法然はそれを、むしろすすめたというじゃないか」
「なんでも、大衆大衆と、庶民の低いほうへばかり媚びている俗教だからな。――しかし、法然はとにかく、綽空のような、いやしくも北嶺の駿足といわれた者が、なんたる破廉恥か」
「僧の体面にかかわる」
「五山の僧衆は、黙認する気か」
「苦情をいっても、個人の意志でやる分には、どうもなるまい」
「仏誅を加えろ、仏誅を」
「どうするのだ」
「撲る!」
「まさか、暴力も――」
「さなくば、婚儀の当夜、大挙して襲しかけ、彼の破戒行為を責める」
黒の毛を撫でて、蚤を取っていた山伏は、不意に杖を立てて、
「黒っ、来いっ」と跫を早めた。
石運びだの、大工だの、屋根葺などの住む狭くて汚い裏町を、山伏は、布施を乞うて軒から軒へとあるいて行った。しかし、どこの家にも、近ごろは、念仏の唱えが洩れていて、修験者の経に耳をかす者がなかった。
「――お通り」とどこでもすげなくいわれる。山伏は、舌打をして、
「忌々しいことばかり聞く日だ」と、革嚢の小銭をかぞえて、なにか、油物をじりじり揚げている食べ物売りの裏口をのぞいて、
「飯を食わせんか。俺と、犬に、これだけで――」と、貧しい銭を手にのせて、揚物をしている女にいった。
椀に盛った玄米と、胡麻揚をのせた木皿とが、山伏の前に置かれた。
飢えている黒は、山伏の持つ箸へ向って、跳びつきそうに、吠え立てる。
「餓鬼めが、うるさいぞ」揚物を一つ抛ってやると、黒は、尾を振って噛ぶりつく。山伏もまた、がつがつと、飯を掻っ込み初める。
傍らには、彼よりも前に、床几に掛けていた二人の客があって、板を囲んで酒を酌んでいた。これもまた、貧乏そうな法師だったが、その一人がいい機嫌になって、気焔をあげていることには、
「べらぼうめ! 僧侶だって、人間じゃないか。吾々、人間たる僧侶を、木偶かなんぞのように、酒ものむな、女にも触るななどと、決めた奴がそもそもまちがっている。矛盾、秘密、卑屈、衒い、虚偽、あらゆる陰性の虫が僧院に湧く原因はそこにあるんだ。人間にできないことを人間がやっている顔つきしているんだから無理もないわさ! 俺は、前の少僧都範宴――今は吉水の綽空が、公々然と、妻を娶つということを聞いて、こいつはいいと思った。俺は、綽空に双手をあげて、賛礼する」
「しかり、おれも同感じゃ」と、一方の相手も、唾を飛ばして、
「東寺の鴉みたいに、ガアガア反対する奴もあるが、そいつら自身は、どうだ!」
「成ッちゃあおらん。五山の坊主に、一人だって、ほんとの童貞がいるかッてんだ!」
「綽空は、むしろ、正直者だ」
「ああいう人間が出てこなければ嘘だ。俺たちが、日蔭でぶつぶつぼやいていても始まらん、行動で示すことは、勇気が要るが、そいつを、堂々と、実践しようっていうんだから愉快だ」
「見ようによっては、彼は、仏教の革命児だ、英雄だ」
「彼のために、加盞して、大いに、祝してやろう」杯を挙げて、交驩しながら、
「あははは」
「わははは」
「世の中が、明るくなった」
「出かけようか」銭をおいて、二人は、ひょろひょろ出て行った。
さっきから黙って聞いていた山伏の顔には、なんともいえない不快な色が漲っていたが、ふと、後ろ姿へ、憤怒の眼を射向けると、ついと起ち上がって、外へ出た。
黒はまだ、木皿に残っている飯や揚物を、ぺろぺろと長い舌で貪っていた。
「黒っ」口笛を鳴らして、山伏は走った。そして先へいい機嫌で歩いてゆく二人の法師の影へ向って、しっと、ケシかけたのである。
わん、わん! 獰猛な声をあげて、黒はもう一人の法師の脛へいきなり咬みついていたのである。
「あ痛っ」
「畜生」その狼狽ぶりを目がけて、山伏は、杖を振り上げながら、
「外道っ」と、喚いた。
二人が、道ばたへ仆れたのを見ると、黒と山伏は、後も見ずに、闇へ紛れてしまった。
一枚の蓆を、山伏は、河原へ敷いた。四条大橋裏が、蛇腹のように大きく闇へ架かって、屋根になっている。
「寝ろ」黒の首っ玉をかかえ込んで、山伏は、自分も眠ろうと努めた。
しかし、寝つかれそうもなかった。枕元に近く瀬の水音がしているからではない。橋の上を、時折、馬や人が通るからでもない――山伏のこめかみには青い筋がふくれていた。ひどく昂ぶっているのだった。
「あんな、酔いどれの法師を撲ったとて、なんになるか、俺は愚かな真似をした。俺の相手は、綽空ではないか」黒へ向っていうようにつぶやく。
「俺は、かつて放言した。――一生のうちには、必ず貴様の上に立ってみせると。――だが容易に俺の地位は上がらない。二十年前に、彼奴と会った時は、俺は叡山の仲間僧だったし、彼奴はすでに、授戒登壇をゆるされた一院の主だった。またそれから十年後に、大和路の旅先で出会った時には、彼は、もう少僧都範宴となり、南都にも聞えた秀才であったが、俺は、聖護院の端くれ山伏にすぎなかった……」黒を刎ねのけて、彼は、むっくりと坐り直した。汀に刎ねた魚の影を見て、黒は、ぱっと、水際へ走った。
「それから数年、俺は、大峰へ入り、葛城へわけ登り、諸国の大山を経巡って、役の優婆塞が流れを汲み、孜々として、修行に身をゆだねてきたが、それでもまだ聖護院の役座にさえ登れず、旅山伏の弁海が、やっと本地印可の播磨房弁円と名が変って、山伏仲間で、すこし顔が知れてきただけのものだ。――そして久しぶりに、都の様子を見に来てみれば、綽空めは、またぞろ、前関白家の聟になるとか、ならぬとか、いつもながら、問題の人物になっている」忌々しげに、弁円は、小石をつかんで、叩きつけた。
その昔の寿童丸――成田兵衛の子の成れの果て、播磨房弁円は、自分の幼少と、綽空の幼少時代とを、瞼に描き較べていた。
二十幾年の歳月が経っている――。綽空が、十八公麿とよばれ、自分が寿童丸といわれたころは、共に、一つ学舎へ通っていたものである。そして、彼が落魄れ公卿の子と嗤われ、ガタガタ牛車で日野の学舎へ通う時、自分は時めく平相国の家人の嫡子として、多くの侍を供につれ、美々しい牛車に鞭打たせて、日ごとに、学舎の門で誇ったことも覚えている。
それからは、平家の衰運と共に、すべてが、逆になってしまった。彼が、一歩ごとに、名と実力を蓄えてゆくのにひきかえて、自分は、どうだったか、自分の辿ってきた道と、現在のこの姿は――
弁円は、とても、眠られるどころではない瞳をあげて、強い眉毛の蔭から、星を仰いだ。
「俺は負けた、形において。……しかしそれは俺が懶惰だからではないぞ、俺は、この通り、修行しているのだ。しかし、俺には、あいつのような世渡りのお上手や才気がないためだ。この際、綽空の奴を懲らしてやることは、仏界の粛正になる、彼奴のような小才子が、権門にとり入り、戒律を紊し、世に悪風を撒くのを、俺は、黙視していられない立場にあるのだ。よしっ! 俺はやる! 俺は、身を挺して、この奸僧を追わねばならぬ使命をうけている!」何事か、決意したように、弁円は強くつぶやいた。
すると――満身をつつむ彼の毒炎に水をそそぎかけるように、暗い河原のどこかで淙々と、琵琶の音がながれてきた。
眠ろうと努めてさえ眠れないでいる所へ、耳近くで、琵琶を掻鳴らされては、なおさら眠れようはずがない。
弁円は、横になりかけたが、憤ッと、身を起して、
「やかましいっ」と、音のするほうへ、呶鳴りつけた。しかし、琵琶は、やまない。超然と、平家を謡っているのである。
「やめんかっ」といって、つづけざまに、
「こら、乞食法師!」と、罵った。
すると――はたと、撥をおいて、
「なんじゃの、山伏どの」と、彼方でいう。
「眠りの邪魔になるからやめろというのに、聞えないか」弁円が、権ぺいに叱ると、
「ここは眠る場所ではありませんが」と、琵琶法師も負けずにいい返す。
弁円は、いよいよ業を沸やして、
「では、琵琶を弾く場所か」
「興がわけば、琵琶はどこででも弾くのです。しかし、眠りは、そういうものではありません。人間の起居には、おのずから、嗜みというものがあるはずです」
「生意気な」と、杖を横につかんで彼は起ってきた。逃げるかと思いのほか、琵琶法師は琵琶をかかえて泰然たるものである、撲りそうな人間を前にして、見えない眼でじっと、見ているのである。
「盲目か」弁円がつぶやくと、
「盲目は、お手前のことであろう、わしは、肉眼はつぶれているが心眼は開いている、いやはや、未熟な山伏どのじゃ」と、盲目は薄く笑う。
見ると、この法師も、河原の橋下を、一夜の宿として明かす者らしく、石ころの上に菰を敷き、それへ薄汚い包みや持物を置いて、自分は、水際の石に腰をすえていた。加古川の教信沙弥の成れの果て――かの峰阿弥なのである。
「おれを未熟といったな。どこが、なんで、未熟かっ」
「されば――あなたは役の優婆塞が流れを汲む山伏ではないか」
「そうだ」
「樹下石上はおろかなこと、野獣や毒蛇の中でも平然と眠れるぐらいな修行がなくて、山伏といわれましょうか、峰入りは何のためになさるか、兜巾、戒刀、八ツ目の草鞋は、何のために身につけておらるるのか。琵琶の音に眠れぬなどとはいとおかしや。……思うにおぬしは、何か、腹にわだかまりがあるのじゃろう、はははは」心眼が開いているといったのも決して大言ではないかもしれぬ。弁円は、肚の底まで見透かされたような気がして、ややしばらく、じっと峰阿弥の面を見つめていたが、
「ウーン、なかなか面白い理窟をこねる奴だ、それほど、人の心がわかるなら、俺がなにを思っているか、それも分るか」
「わからいでか」
「いってみい」
「おぬしは、綽空が、月輪殿の姫と婚儀を挙げることを怒っているのじゃ」
「ばかっ、それは今、俺が独り言に洩らしたのを聞いていたのだろう。そんな知れきったことでなく、俺が、それについて、なにをするか、胸で思っていたことをあててみろというんだ」
「わしは、陰陽師ではないから、そんな先のことは知らん……」
峰阿弥は、語を次いで、
「だが、山伏どの、他人が眉目よい妻を娶るのを、嫉むものは、あさましゅうござるぞよ。どういうお怒りか存ぜぬが――」
すると弁円は、
「おれの怒りは、公憤だ、私憤ではない」
「ははは。その両方ではありませんか。野暮な青筋をたてるよりも、妻が欲しくば、ご自分もよい女房を持つのが一番よいではございませんか」
「だまれ、俺をそんな破戒無道な山伏と思うているか。ヘタ口をたたくと、金剛杖をくらわすぞ」
「なぜでしょう? ……」と峰阿弥は、癖のように、頭を傾げて――
「なぜ、妻を持つことが、破戒無道でございましょう、戒は人間が決めたもの、仏がお決めなされたものではありません」
「知らぬか! 蓄妻

「では、東大寺の明一和尚はいかがですか、元興寺の慈法和尚は堕落僧でございましょうか。遠く、仏法の明らかな時代に溯ってみますると、奈良朝のころには、明一や、慈法のような碩学で、妻を持たれたお方は、幾人もあったようでございます。続日本紀をお読みになったことはありませんか、あの中の延暦十七年の条に、太政官の法令として――
一切還俗セシメテ
以而、将来ヲ懲ス

「この、おびん頭盧めッ!」ぴゅう――と杖がとたんに唸ったと思うと、
「あっ……」と、峰阿弥は、俯つ伏[#ルビの「ぷ」はママ]した。
「生意気なっ、生意気なっ」つづけざまに、弁円は、打ちすえた。峰阿弥の抱いていた琵琶は、糸が刎ね、海老尾が折れ、胴が、砕けた。
「黒っ。――さあ寝よう」吠えたける犬を抱いて、弁円は、元の場所で眠ってしまった。
…………
白々と夜の明けてきたころだった、呼び起されて、弁円がふと眼をさますと、ゆうべの峰阿弥が、火を焚いている。恨みがましい顔もせず、にこと笑って、
「山伏どの、干飯が炊けました。味噌を舐ぶって食うと美味い、ここへ来て召食がらぬか」と、いうのである。
見れば、欠けた土鍋の下に、燻べているのは、砕かれた琵琶であった。
飯のにおいに、黒は吠える。弁円は、その首をつかまえて、
「餓鬼めっ、後で食わす、乞食法師の残りなど、食いたがるな」抱きしめて、再び、仰向けになった。
橋のうえには、もう、朝の人々が、往来していた。その中には、大身から贈る祝い物であろう、これ見よがしに僕に担わせて、月輪殿を訪れるらしい幾荷の吊台も通って行った。
庭造師が入って、古枝を刈ったり、病葉をふるい落したり、五条西洞院の別荘は、きれいな川砂に、箒の目が立っていた。
すぐ裏を行く加茂川の水には、もう、都から遠い奥の紅葉が浮いてくる。近くは、東山の三十六峰も真紅に燃えている秋なのである。
建仁三年の十月。綽空にとっては一つの到達であり、玉日にとっては忘れ得ない生涯の日が来た。二人は、婚儀の座に並んだ。
日の座と、月の座のように。いかに佳い対の夫婦であったろうかと、街の者は、ただ、想像に描いた。
しかも、当夜の華燭から七日七夜にもわたる招宴や賀車の往来の生きた絵巻を繰るにも勝る典雅婉麗な盛事は、藤原氏の栄えたころにも稀れなくらいであろうとさえいわれた。また、月輪殿は、この七日に、俗世の財を、傾け尽しても惜しゅうないといったという噂もつたえられていた。
聟の君である綽空もまた、必ずしも、この一法師の嫁とりにはふさわしくない豪華と盛大とを、固辞しなかった。
(――すべてこれ仏陀のわれに飾りたもう七宝珠玉)と、甘んじてうけている風であった。
さて。式の翌る日からは、貧民への餅撒きやら、施粥やら、寺院への勧進やら、それも済むと、新郎新婦は、やがて、新しい愛の巣へ、二人だけで移って住むことになった。
ところが――、かほどな財を費やしながら、かんじんな若夫婦の住む家は、べつに、新しく普請されてもいなかった。場所は岡崎の松林のうち――家は、綽空がいなければ、栗鼠が畳を駈けているあの岡崎の草庵なのである。
それも、屋根葺一人、入るではなく、まったく、元のすがたのままに。
「あれでは、新妻が、お可哀そうじゃよ」
「月輪殿は、いったい、何のために黄金をお費いなされたのか、どういう量見なのか、とんと、分らぬ」と、知己の者は、首を傾げた。
誰にも、わかろうはずはない――綽空と、玉日と、その父のほかは。
新妻が、身と共に、そこへ持って行った荷物といえば、一荷の衣裳と、髪道具と、そして、一輛の輦だけであった。その輦だけは、さすがに、今度の儀式に新調した月輪殿の好みのものだけあって、綺羅を極めた物だった。松林の中にそれを置くと樹洩れ陽に、螺鈿や砂子や緋の房がかがやいて、妖しいほど美しいのであった。
(わたしは、こうして暮そうと思うが、それは、嫌か)
(忌いませぬ)新婚の夜の誓いであった。
これは、綽空の希望した生活であり、盛事は、月輪殿の肚だった。共に、小乗な考え方ではなく、この婚儀は、わが娘、わが聟だけの生活ではなく、仏の旨を体してする対大衆世間への仏婚であり、また、天意をもってする天婚であると固く信じていたのであった。
べつに、召使をおく寝小屋もないので、朝になると、小禽のさえずる赤松の林の奥へ、西洞院から、牛飼や雑色が、ぞろぞろと、新郎新婦の草庵へ憚りながら、用を聞きにくるのであった。
姫は――いや新妻は――朝は夙く小鳥と共に起きて、ただ一人の侍女の万野をあいてに、林の薪木をひろい、泉の水を汲み、朝の家事に余念がない。
すがすがと、清掃された草庵の部屋に、やがて、ささやかな膳が出る。
茶碗が二つのっている。
綽空は、膳を見ても、それが、衆生の世界に見え、仏法を考え、感激が胸にあふれた。
箸も二つ、木皿も二つ、このうえの物はすべて二つの対であった。生きる営みが、すべて、二つという数から初まることは、この膳が語っているではないか――と。
日月。――この二つの下に生きる人間は、やはり、孤であってはならない、西行のごときさすらい人とならない限りは。
彼岸へ、一人でわたれる者は、選ばれた者のみだ。衆生は、二人で棹さすのでなければならない。陰陽の波にのせて。
そのいずれにも徹しきれないで、混濁の汚海にあえぐ愚かな今の僧人よ! 衆生よ!
綽空は、箸をとりつつ、ひそかにこう思う。
(いかに、今朝の自分の姿が、安心と、満足とにかがやいているかを。なぜ、人々はこうなれないのか)飯を盛った茶碗の中へ思わず微笑んでいたのである。まばゆげに、それを見て、新妻の玉日も、白珠のような歯を、ちらと見せて、ほほ笑んだ。
「ははは」綽空の今朝の明るさ。体が、軽いのである。
太陽の下へ出て、人間と生れさせてくれたことを、感謝したい。御仏の足もとにぬかずいて、二十年の蒙をひらいてくれたことを心から感謝したい。草へも木へも、よろこびを伝えたい。
なおさらなこと、わがよき妻へはなんと、感謝しよう。
(おん身は、わが凡身を浄化するために、かりに、人間に添い給う観世音菩薩でおわすぞ)と、いおうか。それともまた、
(玉日、そなたはわしに救われ、わしはそなたに救われた、この結縁から、わしら夫婦は、何を生まねばならないか)といおうか。
しかし、胸がいっぱいだ、綽空は何も今朝はいえないのである。玉日はまして、俯向きがちだし……。
膳を、水屋へ運んで行った万野も、ひとりで、何か満足している。松の樹洩れ陽が、台所の棚にまでさしこんで、そこも、今朝から塵もない。
「お迎えに参りました」と、門口で西洞院から来た小侍と雑人が声をかけた。
「おお」われに返って、綽空は、妻へいった。
「今日から、日々、吉水へ参るのだ、そなたも、一緒に」
「はい」
「かねて、わしが、そなたに向って申し聞かしたことども、よく、胸にこたえておるか」
「わかっております」
「ここから吉水までは、道は近うもあれ、百難の障碍が必ずあるぞよ、不退の二字、胸に、わすれるな。いかなることがあろうとも、揺るぐな、躁ぐな、怯えまいぞ、綽空が、一緒だと思え、良人の力、御仏の御加護があると思え」雑人たちは、輦のそばで、牛飼をさがしていた。牛飼は、稚子と共に、牛を泉のほとりへ曳いて行って、のどかに、草を飼っているのであった。
「ご用意ができました」と、庵のうちへ雑人の一人がいう。
「おう」と、綽空は立つ。玉日も、庵を出る。
その日二人の装粧いは、晴の席へ臨むような盛装であった。わけても、新婦は、まだ華燭のかがやきの褪せない金色の釵子を黒髪に簪し、五つ衣のたもとは薫々と高貴なとめ木の香りを歩むたびにうごかすのだった。
「…………」声でなく、眼で――お先に――というように良人へ羞恥の襟あしを見せて、輦にのる。
綽空は、その後から、新妻とならんだ。絢爛をきわめた新調の糸毛輦である。それへ、膝をつめあわせて共に乗った盛装の若い男女は、どんな絵の具や金泥を盛りあげても描きあらわせないほど華麗であった。随身の牛飼や雑人たちも、うっかり見恍れてしまうのである。
「進れよ……」綽空が、輦の上からいう。
「あっ」と、牛飼は、手綱で牛を打つ。八瀬牛の真っ黒な毛なみの背がもりあがった。巨きくて、鈍々と、しかし決して後へは退かない牛の脚である。――それが首を突きだして巨躯をまわすと、きりきりと、軌は土を掘って林の道を揺るぎだした。
「どう参りますか」わきに添ってゆく侍がいう。綽空は、それに答えて、
「――野川の御所から白河泉殿を西へ――二条末をのぼって、鳥居大路へ出る」
「ちと、廻り道ではございませぬか」
「かまわぬ、――鳥居大路からは十禅師の辻へ。そして祇園の御社を横に、吉水まで。悠々とやろうぞ」
「かしこまりました」――だが、野川の御所の曲がりから、もうその糸毛輦は人の目をよび集めた。加茂川原の向う側からさえ童や凡下が、人だかりを見て、ざぶざぶと水を越えて駈けてくるのだった。わけてもこの辺りには、吉田殿、近衛殿、鷹司殿などの別荘が多いのである。窓や、門や、路傍は、たちまちのうちに奇異な物へ瞠る無数の眼が光っている。
「なんじゃ?」
「なにが通るのじゃ?」河原で衣を晒していた女たちは、濡れた手で人混みを掻きわけた。脚と脚のあいだで、野良犬が吠えたてるし、嬰児が泣くし、物々しいことである。
「やあ、美しい上

「怪ったいな!」
「知らんかい、あれや、岡崎の松林に住んでいる坊じゃげな」
「では、綽空法師かよ」
「九条殿の法師聟じゃ」
「なんじゃ、法師聟が通ると? ……。ほ、それでは、あれが、嫁御寮か」
さても天下の大変でも往来に起ったように、町の凡下たちは、人にも見よと手を振ったり指をさして騒ぐし、通る先々の別荘や寺院の門前には、自失したような眼と、呆れたような口が、物も得いわず立ち並んでいた。
輦が、鳥居大路へかかると、もうその輦が、人を轢き殺さない限りは、後へも前へも動かせないような群集だった。
「人前も無う、九条殿の法師聟と、その嫁御寮とが、一つの輦で通ってゆくぞ」
「気でも狂うたのか」
「果報すぎて――」
「いや、仏罰で」
「気ちがい聟!」
「破戒僧っ」
「地獄車よ!」追っても追っても、輦の後から蛆のように群集は尾いてくるのである、そして、辻にかかるほど、その数は増した。
花頂山のいただきも、粟田山も、如意ヶ岳も、三十六峰は唐の織女が繍った天平錦のように紅葉が照り映えていた。空は澄むかぎりな清明を見せて、大路から捲きあがる黄いろい埃が、いくら高く昇っても、その碧さに溶け合わないくらいであった。
輦の先に立ってゆく、牛方と、侍とは、額を黒い汗にして、
「退けっ」
「道を開け」
「往来の邪げする者は軌にかかっても知らぬぞよ」鞭を上げてみせたり、叱咤したり、一歩一歩、轅をすすませて行くのであったが、衆は、衆を恃んで、そんな威嚇に、避ければこそ、
「あれみろ!」と、指さして、町の天狗のように、わあわあと嘲笑う。
「あの、法師の顔は、どうじゃよ。真面目くさって、白金襴の法衣をまとうて清浄めかしているけれど――」
「夜は、どんな、顔することやら……」
「女性も、女性」
「よくよくな、面の皮よ! 二人ともに!」
そんなところではない。野卑な凡下の投げることばのうちには、もっと露骨な、もっと深刻な、顔の紅くなるような淫らな諷刺をすら、平気で投げる者がある。
そしてもう、十禅師の辻へ出ようとするころには、輦は人間で埋められて、一尺も進み得なくなっていた。
――が、綽空は、端厳なすがたを少しも崩してはいない。眉の毛一すじうごかさないという態度である。
余りにも、傷々しく思われるのは、玉日であった。被衣してさえ若い新妻は昼間の陽の下を歩み得ないほどなのが、そのころの深窓に育った佳人の慣わしであるものを。
しかし――こういう試練にかかることは、この人が良人ときまる前からの覚悟であった、父からもいわれ、綽空からもとくといわれた上で、はっきりと誓いしていたことだった。玉の肌を白日の下に曝すほどな辛さも、彼女は、辛いとは思わなかった。むしろ、嫁いでまもないうちに、良人と共に、良人の信行の道へ、こうして、忍苦をひとつにすることができた身を、倖せとも、妻の大きな欣びとも、思うのであった。
群集に加担もせず、また、その渦中に揉み罵られている輦の人にも共鳴せず、ただ傍観者としてこの成行きをながめている者は、
――どうなることか。
興味と不安とを併せて抱きながら、自分たちも、余波をうけて、人の怒濤に押しつけられていた。
すると、ひしめきあっている群集の後ろから、背のすぐれた大坊主と肉のかっちりと緊まった四十前後の痩せがちの僧とが、
「退け」
「邪魔だ」と、弥次馬を掻き分け掻き分けして、一心に、輦のほうへ近づこうとして焦っていた。
――誰か、熱鬧の人渦のうちから、その時綽空の輦を眼がけて、
「――堕落僧っ」と、石を投げた者がある。
一人の弥次馬が、暴行に率先して、悪戯の範を垂れると、火がつくように浮かされている人間の渦が、いちどに、
「わあっ」と、喝采をあげて、
「外道めっ――」とまた、石を抛り投げた。
ばらばらっと、牛の草鞋だの、棒切れなどが、軌や、簾へ向って、暴風みたいに飛んできた。
だらだらと、こめかみに、汗をながして弥次馬を掻き分けてきた大坊主と、もう一名の僧とは、
「ややや」と立ち淀みながら、法衣の袖を腕高くからげて、
「この慮外者めが」痩せた僧のほうが、側に、小石を拾っている凡下の頭へごつんと鉄拳を与えると、大坊主はまた、弥次馬の蔭にかくれて、今しも、輦へ向って、物騒な瓦の欠らを投げつけようとしているどこかの法師の顔を見つけて、
「この蛆虫ッ」と、腕を伸ばすが早いかその襟がみを前へつかみ寄せて、眼よりも高くさしあげると弥次馬の上へ、
「くたばれっ!」と抛り投げた。
群集は、わっとそこを開いて、四坪ほど大地の顔を見せた。投げられた法師は鼻の頭を柘榴のようにして、人のあいだへ這いこんだ。
大坊主と、痩せた僧は、その隙間に、輦のそばへ走り寄って、
「お師様っ」
「綽空様っ」轅にすがりついて、顔を、汗と涙でよごしながら叫んだ。
「おお、性善坊に、太夫房覚明か」綽空は、初めて、唇をひらいた。彼の眼にも、きらと、涙が光った。二人は、焔のような呼吸で、
「おゆるしなく、参りました。けれど、何でこれが他所事に見ておられましょうか。どうぞ、吉水の御門前まで、お供の儀、おゆるしくださいませ」性善坊がいうと、あの木曾殿の荒武者といわれた覚明も泣かんばかりに、
「おゆるし下されい。いや、おゆるしがなくとも、輦について参りますぞ」と、訴えた。
おうとも、否とも、綽空の答えを待っている二人ではなかった。轅の両側にわかれて、
「雑人、鞭を貸せ」覚明が、牛飼の鞭を奪って、百万の魔神もこの輦の前を阻めるものがあれば打ち払っても通らんと巨きな眼を瞋らすと、性善坊も、八瀬黒の牡牛の手綱を確乎と把って、
「それっ、易行念仏門の先行者が行く手の道を邪げして、あえなく、軌にむだな生命を落すなっ」と、叱咤しながら、むらがる弥次馬の影を打ちつつ、万丈の黄塵の中へ、むげに、ぐわらぐわらと輦を押しすすめた。
大地を鳴りとどろかせて迫る軌の音と、露はらいの二人の勢いに気押されて、群集は、足をみだしてわっと道をひらいたが、小石や、泥や、瓦のつぶては、悪戯から反抗へ、反抗から激昂へと、かえって、険悪なものを孕んできて、
「何をッ、外道の眷族めっ」
「通すなっ、その、穢れ車をッ――」
疾風か、大魔軍の征矢かのように、ばらばらと、輦の扇びさしや左右の簾や、性善坊の肩や、また、玉日と綽空の膝の近くへも飛んできて、弾き返った。
ついきのうまで、深窓のほか、生きている社会とはどんなものか、近づいても見なかった玉日は、さすがに、この凄まじい人間の数が激昂したり、面白がったり、煽動したり、また、耳にするさえ顔の赤くなる猥褻な言葉を平気で叫んだり――あらゆる能力をもつ大魔小魔を地へ降ろしたかのごとく、それらの大衆が、自分の輦一つへ向って、吠え、猛び、喰ってかかるのを眺めると、さすがに、女性のたましいは、萎えおののいてしまって、生ける心地もないらしいのであった。
じっと、俯向いたきりの顔は、紙のように白かった、釵子の光も、黒髪も、肩も、かすかに戦慄していて、そのまま、今にも失神して横に仆れはしまいかと危ぶまれる。
――玉日! そんなことでどうするかっ?
玉日は、誰かに、呼ばれたような気がしてはッと我れにもどった。側にいる良人の声ではなかった。綽空は、岡崎の草庵を出た時からほとんど膝に組んでいる指一つうごかしていない。ただ、濃い眉に、揺るがない信念をきっとすえているだけだ。ここより後へは退く大地を持たない唇をむすんで、輦のまえの大衆に憑りうつッている大魔小魔の振舞いをながめているだけなのである。そして、その結ばれたままの唇から、微かに、
――なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。なむあみだぶつ。
玉日は、恐怖のあまり、いつの間にか、片時も離してはならないものから離れている自分に気がついた。
――なむあみだぶつ!
――なむあみだぶつ!
彼女も、良人と共に、一念に唱えた。
そう唱えると共に、ふしぎな力がわいて、彼女は、蒼白に萎えていた面を、きりっと、真っ直に上げた。自分の力でないようなものが、その貌を厳然とささえた。
わんッ! その時、犢のような一匹の熊野犬が、いきなり、輦の前に躍って鞭をあげた覚明の脚へ噛みついた。
「畜生っ」覚明は、噛まれた脚をあげて、黒犬の顎を蹴った。
きゃんッ――悲鳴をあげて、熊野犬は、薄赤い腹を見せてころがったが、その尾の端へ、勢いよく廻っている輦の轍が乗ったので、さらに、ふた声ほど、鋭く啼きたてて、横っ飛びに、群集の中へかくれこんだ。
そこに――その犬の逃げこんだ所に、一人の山伏の顔が見えた。聖護院に籍を持つ播磨房弁円である。
さっきから、群集の中にまじって、煽動したり、自分も怒号したりしていたのであったが、黒が、血まみれになって、足もとへ帰ってきたのを見ると、もう、理性のささえを失ったように、
「この野郎ッ」喚いて、輦のそばへ、寄ってきたかと思うと、腕をのばして、藤色の縁に朱の絹房の垂れているそこの簾を、ぱりっと、力にまかせて、引き千断った。
裂けた御簾の糸や竹が、蜘蛛の巣のように、弁円の兜巾へかぶさった。そして、輦のうちの綽空の横顔が、雲を払った月のように、鮮やかに彼の目に映った。
積年の憎悪と、呪いとが、弁円の踵の先から満身へ燃えあがった。彼は、輦のうちへ、唾を吐きかけて、早口に、
「堕地獄ッ」と、罵り、
「それでも、貴様、人間か、僧侶かっ。なんの態だっ、馬鹿っ、仏法千年の伝統を蹂躙する痴漢め! こうしてやる!」杖を持ち直して、ふりかぶると、性善坊は後ろから組みついて、
「無礼者っ」投げようとしたが、弁円も強かに反抗した。かえって、性善坊のほうが危ないのである。覚明はそれを見て、
「おのれ」と、弁円の肩を、鞭で打った。
輦の上からその時初めてした綽空の声であった。
「――これっ、二人とも控えぬか」
「はっ……」
「他見すな! 道ぐさすな!」
「はいっ」
「轍にかかる石、雑草にひとしいもの、それらに関うな、惑うな。ゆくては、本願の彼岸、波も打て、風もあたれ、ただ真澄の碧空へわれらの道は一すじぞと思うてすすめ、南無阿弥陀仏の御名号のほか、ものいう口はなしと思え。石に打たるるも南無阿弥陀仏と答え唾さるるも南無阿弥陀仏と答えるがよい。――見よやがて、この数万の大衆皆、それについて、南無阿弥陀仏を一音にとなえ奉る日のあることを!」
「笑わすな!」弁円が、ふたたび跳びかかろうとするのを振りすてて、
――なむあみだぶつ。
――なむあみだぶつ。
血にまみれた頭も拭わず、汗にまみれた顔も拭わず、性善坊と覚明は真向きに輦をひき出した。この声、この力、天地に響けとばかりに。
――なむあみだぶつ。
――なむあみだぶつ。
ちょうど吉水の道場には、その朝、月輪禅閤が訪れていて、上人としばらく対談してから後、いつもの聴法の席へまじって、他の三百余の学生たちと、上人の講義を聴いていたところであった。
「たいへんだ!」と、誰か、弾んだ声でいうのが講堂の外できこえる。
「――今、十禅師の辻で、人々が、戦のように騒ぎ合っているので、何事かと行ってみたら、綽空と玉日の前とが、この吉水へ参るとて、一つ輦に乗り、町を、華でやかに打たせてきたので凡下どもは激昂し、ひきずり降ろせの、打ちのめせのと、いやもう、乱暴狼藉、はやく、救いに行ってやらねば、ほんとに、あの二人は、これへ着くまでのあいだに、ぶち殺されてしまうかも知れぬぞ」はらはらして禅房の者へ告げ廻るのであった。しかし、屈竟な者はほとんど皆、講堂のうちに粛然と膝をつめ合って上人の熱心な講義に耳を傾けているので、その声を聞いても、顔色を動かしただけで起つ者はなかった。上人もまた、耳に入ったらしいが、それについて一言もいわなかった、月輪殿も、じっとしておられた。
「どうしたらよいだろう? ……一人や二人で行ったところで、どうもならぬし」
二、三の者が門前でこうつぶやきながら、はらはらと眺めている間に、やがて泥土の戦場を駈け抜けてきたような糸毛輦と、摩利支天のように硬ばった顔をした二人の勇者とが、その轅について、ぐわらぐわらとこなたへ曳いてくるのが見えた。
「おお!」
「無事に、見えられた」思わず、門前に立っていた者は手を挙げた。
綽空は、すぐ道場へ入った。玉日も、その後に添って、良人と共に、そのまま講堂の中へ坐った。
朽葉色の法衣や、黒い法衣ばかりの中に、たった一人、彼女の装粧だけが眼ざめるほど鮮麗だった。
学生たちの眼が、どうしてもそれへ動かされずにいなかった。講義をしながら上人はそれを感じたであろう、粛然としていた中に、何となく、無言の動揺がながれ始めたのを。
しかし――。綽空と玉日のふたりだけは、いかにも、安心そのものの象であった、幸福そのものの相だった。他へ、何ら気の散ることなく、上人の講義の終るまで、心静かに、聴いていた。
その日の話は長かった。講義が終ると、月輪殿はすぐ玉日を、上人の座下へ連れて行って、紹介わせた。上人は、さも、満足そうに、
「おう……この女性でおわすか」と、慈悲の眼をほそめて、玉日の姿へ見入った。そして、独りうなずきながらまたいうのであった。
「まことに、仔細なき坊守よな。綽空の望みも、これで一つとどいた。弘誓の海はまだ遠いが、本願の大船は、ひとまず、陸に浪を憩うがよい……」
翌日も、若い夫婦は、きのうのように輦で吉水の門へ通ってくる。
雨の日も、風のふく日も、それからは、一日とて怠る日のない綽空と玉日であった。四百に近い諸弟子のうちで、この二人だけがいつも講堂で眼立った。老いたる沙弥たちは、
「健気なご精進よ」といったが、若い沙弥たちには、玉日の麗わしさと、綽空の幸福そうな落着きとが、とかく、眼に障った。うらやましいと思わずにいられなかった。そして浄土門の教義をめいめいが、もう一遍深刻な気持になって考え直し出したらしい容子なのである。
「よいことだ」と、上人はいわれた。
また、ある時は、講義の壇から、上人はこういう意味のことも洩らされた。
「この中で、法然房のことばを真に汲みとって、即座に、仏陀の恩寵を感じ、この世をば、この肉眼で、万華の浄土と眺め得られるものは、おそらく、綽空とその妻とが、第一であろう」――と。上人もまた、二人の境地を、心から羨んでおられるのだった。――もちろん、未熟な若い沙弥のそれとは違うが。
ああ、感謝。綽空の心は今、感謝でいっぱいだった。この幸福感こそ、念仏行者が、ひとたび、絶対の摂取にあずかるの時に、誰人でも、うけることのできる大悲の甘露なのである。ただ、それを汲み得ないで、人は好んで、未だに、聖道門の自戒や懐疑にさまようているだけなのだ。
日の出る朝には、岡崎の草庵を二人の輦が出た、夕月のさしのぼる黄昏れには、二人の輦が、吉水から帰った。
――そうして、毎日、欠かすことなく道に見ているうちに、町の大衆は、もう、怪しまなくなってしまった。二人の輦に行き会って頭を下げる者はあっても、石を抛る者はなくなってしまった。
「あのように円かに、夫婦が、一つ道を歩み、一つ唱名をして生活すことができたら、ほんに、幸福であろうに」と、凡下たちも、自分たちの、歪んでいる家庭や、倦怠期に入っている夫婦仲や、すさびかけている心をかえりみて、やがて、吉水の説教の日には、夫婦して打ち連れてくる者がにわかにそのころ殖えてきたという。
しかしまた、浄土門を、呪詛する側の他宗の僧は、いっそう、彼を悪罵し、彼を嫉んだ。わけても播磨房弁円は、
「末法だ、末法だ」と、人に会えば、必ずその人に向って、綽空のことを、悪しざまにいい、もしその者が綽空の弁護でもすれば、敵のように喰ってかかって、その者が、
「まったくだ! まったく貴公のいう通りだ」
と、うなずかなければ、承知しなかった。
今日も――輦の軌に轢かれて、尻尾を半分失った例の大犬の黒をつれて、五条の裏町のきたない酒売店の土間で、弁円が、そこの亭主を相手に、頻りと、悲憤をもらしていると、隅のほうで、さっきから黙ってちびりちびり飲んでいた野武士ていの男が、
「修験者どの」と、呼びかけた。そして、
「なかなか、貴公はおもしろいことをいう男だ、一杯献じよう」と、杯をほして、彼の方へつきだした。
「修験者は、どこの方人か」
「聖護院の御内」と、弁円は一語で答えて、
「――貴公は」
「浪人だ」
「平家の落ちぶれか」
「いや、源氏の――」
「源氏の侍が、浪人しているのはおかしいではないか。今しも、源氏の全盛は、ひところの平氏に取ってかわっておる」と、酒杯を返して、じっと、相手の顔を見すえた。その浪人というのは、天城四郎であった。
「武家奉公は、もう飽いた。それも、熊谷蓮生房のとは、すこし趣がちがうが」
「では、浪人して、何で衣食しているのか」
「大きな声ではいえぬが盗賊だ」
「え?」弁円は、四郎の大胆なことばに呆れたが、四郎は、泥棒を人間の正業と信じているので、憚るいろもなく、
「戦を起せば、人馬を殺し、平時になれば、権謀と術策を是れ事とする武家よりは、まだ、盗人のほうがましじゃないか。人間を殺したり泣かせる数からいっても、比較にならない。ことに、俺などは、涙もろい質だから、貧乏な人はいじめない。――例えば権門とかまた、綽空のような、天人倶に許さざる虚偽の人間に対っては、生命がけで、ぶつかってゆく」
「それで貴公は、俺に酒杯をくれたわけだな」
「どうやら、おぬしも、綽空の行為には反感を持っているらしいから、昵懇を求めたのだが」
「善いかな」弁円は、すっかりよい機嫌になって、そこの酒代も、自分で払って、
「出かけようぞ」
「遊里にか」
「いや、女になど触れたら、十数年、諸国の深岳で苦行した通力を一夜にして失ってしまう」
「あはははは、いかにも、おぬしは、修験者だったな、久米仙人のように、地へ堕ちては、困りものだ」
「ここで、酒をもらって行って、どこか、幽寂な所で大いに語ろうではないか」二人は腕を拉しあって、祇園神社の暗がりへと入って行った。どっかと石段に腰をすえて、
「おぬし、綽空と、どういう縁故があるのか」
「縁故ではない。怨恨だ。ひと口にいえば、互いに呪い呪われする宿命に生みづけられたのかも知れない――」と寿童丸のむかしから今日にいたるまでの身の上を弁円は語り終って、
「――しかし、今日では、彼に対する俺の憎悪は、決して、私怨ではない、公憤であると信じている。天にかわって、あの法魔綽空を誅罰するのは、自分に与えられた使命とまで考えておるのだ」
「これは、俺より上手な人間がいる。俺も、綽空には、仇をする一人だが、殺そうとまでは思わない、八十までも、九十までも、生かしておいて、どっちが、人間らしく生き通すか、あいつの体から、黄金を強請りながら、あいつと、生き較をしてみたいのだ」
「それもいい。――それもいいがあのような仏魔を、永くこの世に置くことは、取りも直さず、社会の害毒になるではないか」
「社会の害毒に? ――」と天城四郎は、弁円の思想の浅薄さをあざ笑うように反問して、
「そういうと、いかにも、この社会というものが清浄に聞えるが、どこにそんな清い社会があったか。藤原、平家、源氏、いつの治世でも、俗吏は醜悪の歴史を繰り返し、人民は、狡く、あくどく、自己のことばかりで生きている。それが社会だ」
「そうばかりはいえぬ。それでは、俺たちは、何で、修験道に精進する張合いがあろう。そういう社会の中にも、真実を探し、浄化の功力を信じればこそ、吾々は、身を潔斎して、生きている」
「ははは。百年河清を待つという奴だ。なんで、この社会が、そんな釈迦や聖者のいうとおりになるものか。第一に、聖者めかしている奴からして、眉唾者が多いじゃないか。だが、おれはその眉唾者とも妥協するよ、だから、綽空も、生かしておかなければ、商売にならない」
「いや、俺の立場としては、断じて、生かして置くことはゆるされない。見ていてくれ、今にきっと、喉笛を掻っ切られた綽空の空骸が、往来に曝される日がやってくるから」
おのおの、信じるところは譲らないのだ。天城四郎にも信念があり、弁円にも弁円の信念がある。
(案外、話せない奴だ)酒の上で、いちど共鳴はしたけれど、心の底をたたき合ってみて、二人は、お互いに軽蔑してしまった。
「また、縁があったら、どこかで会おう」ぶつかり物は離れ物――ということばの通りに、二人は、あっさり別れてしまった。
――年は暮れて、元久元年になる。
岡崎の愛の巣では、若い妻と、法悦のうちにある綽空とが、初めての正月を迎えた。――玉日も、もう、草庵の水仕事にも馴れて。
七日には、二人して、粟田口の青蓮院の僧正へ、賀詞をのべに行った。尋有も、いよいよ健やかな勉学期に入っている。ただ思いだされるのは、養父の範綱――観真となって、老後を、孤寂のうちに養っていたあの養父が――もうこの時には、世にいなかったことである。綽空や尋有が、こういう欣びの法境に到らないうちに、夙く他界の人になっていた。
(養父がいたら、どんなに……)という良人の述懐を、若い妻は何度も聞くことであった。
二月になると、良人は、
「近くへ、旅に出たいが」と、妻へいった。
――淋しくはないか、と若い妻を宥わり思うのであった。元より沙弥の妻である。玉日は顔を振って、微笑んだ。
そして良人の立つ朝は、まめやかに、旅衣をととのえて、門口へ出て、笠を渡した。
「……二十日ほどで帰ります」どこへともいわずに綽空は、岡崎の松林から出てゆくのである。玉日は、良人のうしろ姿へ、掌を合せて、
「ご無事に」と仏陀へ祈った。――虫が知らすか、別れともない気がして。
今の法悦につつまれている身のしあわせを思うにつけて、綽空は、自分をして、今日あらしめてくれたものの恩を思わずにいられなかった。
父母、師の君の、慈育の恩。また、叱咤、鞭打の先賢の恩。
かぞえれば、叡山の雲にも、路傍の一木一草にも、ひざまずいて、掌をあわせたい恩を感じる――
わけても、彼の心に、今もふかく刻みこまれているのは、十九歳のころのまだ惨心傷ましい時代にうけた聖徳太子の霊告だった、年ふるたびに御宏恩の偉大さを思わずにいられない彼であった。この国土にあっての仏教であり、この国の人民たる一沙弥として、苦難もあり、試練もあり、今日の法悦もある身であった。これから先もまた、どう、生涯するにしても、その浄土仏国の建立のほかに、自分の使命があろうとは思えない。
太子は、それを、まだ真の闇だった若い惨心一穂の灯となって、暗示して下すった第一のお方だった。後の苦難にたえた力は、その時の灯りの力である。
難波江へ――岡崎を出た綽空が、まっすぐに、摂津の四天王寺へ向っていたのは、その宏恩に対して、今日の報告をするためであったにちがいない。
しばらく、四天王寺に停まっていた。そして、ふたたび草鞋の緒を結ぶと、足を、河内路へ向けて、二月末の木の芽時を楽しむように、飄々と、袂を東風にふかせてゆく。
「奴。……まだ気がつかぬ容子らしい」大きな黒犬が、彼の後からついて行った。その犬を連れているのは、いうまでもなく、播磨房弁円。
兜巾をあてた眉間には、去年の秋以来、狙けまわしている必殺の気がみなぎっている。綽空の後を尾けてくる前に、京の刀師に、その腰におびている戒刀も充分に研がせてきたくらいだった。
だが――京から難波津――四天王寺から河内路と、こう、往来の多い場所では、とかく、寄りつく機会が見出せなかった。やや淋しい並木などで、今だと、心を奮い起そうとした折もないではないが、なぜか、そんな時に限って、妙に気が怯む。――隙がないというか、あまりに、綽空の身が放胆に投げだされてあるのでかえって手が出難いのか、いつも、機を逸してしまう。
怖ろしい黒犬が、絶えず後になり先になりしているのを、綽空は、知っているのか否か、やがて、磯長の叡福寺へ彼の姿はかくれた。聖徳太子の御霊廟のある御葉山の松の丘へ――その松風の中へ。
わんッ! 黒が、山門の前で、急に吠えだしたので、
「畜生」弁円は、そこからいちど、里の方へ逃げだした。そして、黒を遠い松林の奥へ荒縄で縛りつけて出直そうとした。
わん、わんっ、わんっッ――
彼の姿を見送って、黒は、発狂しそうに吠える。何となだめても畜生のかなしさである、弁円は、研ぎすました戒刀を抜いて、犬の鼻へ突きつけていい聞かせた。
「おとなしく、一晩、ここで待っていろ。――いいか、褒美には、後で、似非聖者の生き血をぞんぶん舐めさせてやろう」
まだ春は浅い、月は若い、肌寒い初更なのである。
山清水の溜井に垢離をとって、白い下着に、墨の法衣をつけ、綽空は、叡福寺の厨から紙燈芯を一つもらって、奥の御霊廟へ一人すすんで行った。
寂とした窟、その前の荒れ果てた、一宇の堂、昔ながらである、何もかも、ここだけは変っていない。
「アア!」思わず出た真実の息である、永い旅のさすらいから戻ってきた人間の子が、心の故郷へ立ち帰った時の感激にも似ている。
綽空は、胸の底から湧き出た声と一緒に、廟前の床にひれ伏していた。
諦ニ聴ケ諦ニ聴ケ我教令ヲ
命終ッテ速ニ清浄土ニ入レ善信善信、真ノ菩薩
その歓びを、どういい現わそうか。
更けてゆく夜も忘れて、綽空は――いや善信は、紙燭を寄せて、懐紙に何やら筆を染めていたが、やがて、わきあがる感激を抑えようもなく、無我の声を、朗々と張りあげて、みずから書いた懐紙の讃歌を唱えていた。
聖徳皇のめぐみにて
正定衆に帰入して
補処の弥勒の如くなり
救世観音大菩薩
聖徳皇と示現して
多々の如く捨てずして
阿摩の如くに添い給う
身軽に扮装った播磨房弁円が、研ぎすました戒刀を背なかに潜め、軒から洩れる月影を避けながら、そろ、そろ、と這いすすんでくるのであった。
父の如くに在します
大悲救世の観世音
母のごとくに在します
広大恩徳謝しがたし
一心に帰命したてまつり
奉讃不退ならしめよ!
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冴え返った春先の夜である。月明りは雪のように白かった、樹々の細い枝は水晶を思わせる。
「オオ寒……」心蓮は、立ちすくんだ。
八寒の底から吹いてくるような風が、裾を払って、河内街道の彼方へひゅうと翔けてゆく。
昼間は、もう草萌えの温む土、温む水に、春の肌心地を感じるので、油断して、薄着のまま出てきたが、夜になると、急に棘のある空気が、風邪心地の肌を寒気立てる。
心蓮は、水洟をこすって、
「宿をとればよかった……」と、悔いを洩らした。
一日も早く帰りたい――師の房の顔を見たい――友の声も浴びたい――と矢も楯もなく立ってきた彼の気持が、この深夜をも、ひた向きに、京へと足を急がせてきたのであったが、無理だった、体に微熱があるせいか、脚がだるい、鼻のしんが風に痛む
立ちどまれば、風は、裾を吹いて、よけいに悪寒がしてくるし、果ては、坐ってしまいたくさえなる。
わんッ、わんッ――どこかで、猛々しい犬の声がした。静寂をつんざいて、幾声もつづく。
「おや?」凡の犬の声とも思えないのである。畜生の吠えるうちにも喜怒哀楽はあるものだ。心蓮は、釘を打ちこまれたように、犬の傷む心を、共に傷んだ。
「――この林には、家も見えぬが?」彼は疎林の中へ入って行った。まだ葉を持たない痩せた雑木が、どこまで行っても、同じような密度と芝地の肌を見せてくる。
がさ、がさと、心蓮の足に、落葉が踏まれてゆくのが、敏感な動物に、人間を感じさせたものとみえ、やがて不意に間近な樹蔭から、
――わ、わ、わんッ!
発狂しているような犬の声が猛り立った。
「オオ」心蓮は、恐かった。
しかし――不愍さに捨てては逃げられなかった。
そこの一つの樹の根に、荒縄で縛りつけられている大きな黒犬は喉から断られてしまいそうに首を長く伸ばして、ほとんど、飛び出しそうな眼を、心蓮の影へ向けているのだ、訴えているのだ、何とも、言語のある人間には表情のできないような表情を必死に示して――
「どうしたのだ、百姓の子でも、咬み殺したのか、おまえは……」心蓮は、恐々、寄って行った、黒犬の体は、狂いに狂っていたためであろう、自分の血でよごれていた。
それを摺りつけて、犬は、心蓮にからみついてくる――。眼やにをもって、そして、血ばしった眼に、涙のようなものをもって。
「待て。――これっ、そうからんでは、解いてやることもできないではないか。離せ、お離し……」やっと、振りもいで、木の根の縄を解いてやったのである。すると犬は躍ってよろこんだ、狂喜というのはこういう態であろうと心蓮は眺めていた。
突然、黒犬は、征矢みたいに駈け出した。
「あっ……」と、呆れてながめている間に、もうその影は、灌木の下を突き切って、街道へ出たかと思うと、いっさんに、彼方の丘へ向って飛んでいた。
丘には、松が多く見える。そして初めて心蓮も気づいたのである。そこに、チラと灯がまたたいていることを。
「お……あの山門は磯長の叡福寺ではないか。……そうだ、聖徳太子の御廟のある……」
彼は、犬の後から、遥かに遅い脚で、その灯をあてに歩みだした。
山門は閉まっている。心蓮は、丘の下まで来て、
「はて、今ごろ、門をたたいても……」と、ためらっていた。
太子の御霊を感じるので、その山は、神々しかった。しかし、もし魔が棲む山と見たなら、轟々と鳴る暗い松風もものすごい形相なのである。
「どんな所でもよいが――」心蓮は、寝どこが欲しかった。ともかく、ここまで来たことである、訪れてみよう、そう考えて、崖の段を踏みかけた。
さっき――林の中で縄を解いてやった犬の声が――その時ふたたび遠い寺域の裏山で聞こえだした。
ぞっと、心蓮は背に水を浴びた。その時の犬の声は、さっき、街道で耳をとめたそれよりは、いっそう陰惨な殺気さえおびている――一種異様な吠え方である。
しかも。その犬の声は、恐ろしい迅さで、またこっちへ近づいてくるらしい。それと共に、誰なのか、大股に幅ひろく駈けてくる人間の跫音も近づいてきた。
「盗賊か?」咄嗟には、そんな程度にしか想像できなかった。心蓮は、大きな樫のうしろへ走りこんだ。
上の柵を破って、崖の竹むらへ飛び込んだ人間がある。――一人なのだ。手にキラと何か光ったものを心蓮はたしかに見た。
「畜生っ」すさまじい怒りをふくんでいる男の声がすぐ側へ来て聞こえた。見ると、それは額に兜巾をあてている山伏である。
けん! けんっ! 黒犬は、山伏の袂に――裾に――まるで死にもの狂いの慕い方をして、追い纒っているのである。それを、腹立たしげに、
「うるせえっ」山伏は、蹴った。悲鳴を上げて、犬は腹を見せて仆れた、しかし、屈しないのだ、すぐにまた、噛みつくように、山伏の後を追う。
「ぶッた斬るぞ」ひっさげている直刃の戒刀を、山伏は、怒っている眼の上にふりかぶって見せた。――それには、さすが血迷っている犬も怖れをなして、いと悲しげな声をあげて、尾を垂れて逃げすくむ。
「――みろっ、てめえが飛びこんできたおかげに、綽空の奴を、どこぞへ、逃がしてしまったじゃアねえか。おれを追うより、綽空をさがせ! 今夜こそ、あいつの息のねを止めてしまわなければならねえ。――よっ黒犬、おれを主人と思うなら、おれの狙う綽空を一緒にさがしてくれ」
しかし――犬に聞きわけのあろうはずもない。犬はただ、浅ましい飼主の血相を悲しみ、そして恐れるだけだった。
「――どこへ失せやがったか?」唇を噛んで、山伏は、そこらを睨めまわして歩くのである。心蓮は、たましいが竦んでしまった。――見つかったら、人違いでもしかねまい。逃げようか、じっとしていようか。彼は、ひとりでに五体がぶるぶるふるえてくるのをどうしようもなかった。
「街道のほうだな」そのうちに、こうつぶやくと、山伏は引っさげ刀のまま、彼方へ韋駄天のように走り去ってしまった。
もちろん、黒犬もその後について――心蓮は、ほっとした。
われに返ってくると、冷たい汗が腋の下をぬらしていた。ふたたび戻ってこないものでもない、今のうちだ。
彼は、崖を駈け上がった。そして山伏が破って出た柵の間から寺内へ入ってみると、ここは、寂として樹海の底に沈んでいる真夜中の伽藍が眼にうつるだけなのである。
「お、誰か起きている」心蓮は、奥ふかい堂の渡り廊下に、一つの小さい燈火が流れてくるのを眼にとめた。
「お願いの者にござります」近づいて、心蓮が地上に額ずくと、紙燭を持って、ちょうど橋廊架のうえを通りかけた寺僧が、
「――旅のお方か」と、下を覗いていう。
心蓮が、疲れを訴えて、一宿のおゆるしを賜われまいかと乞うと、
「はい、それは承知しましたが、ただ今、頻りに猛々しい犬の声がしたのは、貴僧の姿を見て、野良犬でも吠えたのですか」
「いえ、その犬ならば、今、当寺から駈け出して行った山伏の飼犬らしゅうございます」
「山伏が」
「さようです、刃を持って」
「はてな?」
「恐い血相でござりました」寺僧は、そう聞くと、あわてて奥へ駈けて行った。盗賊が入ったのではあるまいかといい交わしつつにわかに人々が右往左往し始めた。
すると、太子廟のほうを見に行ったうちの一人が、
「こよい御霊廟に参籠していた善信御房(親鸞)のすがたが見えませぬぞ」と、告げ廻った。
さては何か、奇禍に罹られたのではあるまいかと、老僧までが先に立って、松明を点させ、裏の御葉山へまで、その赤い灯が点々と登って、
「善信どの――。善信御房うっ……」と、呼び歩いた。
心蓮は心の裡で驚いていた。
善信というからには、都にある、法然上人の室にあって、共々に師事していた同門の綽空ではあるまいか。
つい昨年――建仁三年。その人は、前の九条関白家――月輪禅閤の息女と結婚して、法門に未曾有な問題を起した人物である。
また、叡山を去って、吉水の念仏門に身を投じ、自力難行から他力易行へ転向して、その折も、ごうごうと世上の輿論に渦まかれた人でもある。
以前には、綽空といい、結婚して後、善信と名を改めたという風評も田舎で耳にしたことがある。
「もしや……かの綽空なら」心蓮は、急に、自分もじっとしていられない気持になり、そして胸噪ぎに駆らるるまま、どこというあてもなく、叡福寺の人々と共に探し歩いた。
「そうだ」彼は、山門を出て、街道のほうへ走ってみた。さっき、山伏はこの道の方へ刃をさげて走ったのだ。――綽空が難を避けて行ったとすれば、この道にちがいない。
だがもうその山伏の影も見えないし、黒犬の声も聞えなかった。心蓮は、霜をふくむ風の中に、ただうろうろと立ち迷っていた。
寺へもどっても、この騒ぎに――また、自分と同じ師を持つ同門の者の不安をよそに、楽々と、眠るわけにはゆかない気がする。心蓮は、背中を風に押されながら、風の行く方へただ歩みつづけた。
すると、どこからともなく、誦経の声が聞えた。耳のせいかとも思ったが、そうでもない。
「? ……」風に顔を反向けて振向いた。
水車小屋がある。水車は晒布を掛けたように、氷りついて止まっていた。その小屋の廂の下に人影が屈んでいるのだ、石のうえに腰かけて。
心蓮は、眼をみはった。やはり自分と同じような貧しい法衣の旅人である。
「もし……あなたはもしや、以前綽空といわれた善信御房ではありませぬか」
「そうです」人影は、石から起って、いぶかしげに、
「そう仰っしゃるあなたは?」
「三年前に、上人からお暇を賜わって、笠置の田舎へかくれ込んだ心蓮です。――あなたとも半年ほど、吉水で共に暮したことのあるあの心蓮です」
「善信御房――」心蓮は、いぶかしげに、また訊ねて、
「軒からは、氷柱が下がっているし、風は吹きさらすし、さような所であなたは、何を好んで誦経しておられたのですか」
「実は、ある者の刃に趁われて、逃げてきたのです」
「逃げるならば、叡福寺の僧房へでも、おかくれになればよいのに」
「僧房を騒がすのは気の毒でしたから。――それに皆、静かに眠っているところを驚かしてはと思うて」
「なるほど」心蓮は心を衝たれたように、
「危急に迫って、自分の生命が脅かされる間際にも、あなたは、慈悲を忘れないお方とみえますな」
「――お恥しいことだ」善信は微笑して、
「そんなつもりではありません。山伏の刃が恐くて、ただひた走りに、ここまで走ってきたに過ぎない。――そして、奇蹟のように危ないところを助かったのが、何かこう御仏の手でこれへ体を運ばれたような心地がして――有難さに、われを忘れて、経を誦していたものでございまする」
「一体、あの山伏は、何者ですか。何を怨みにふくんで、あなたを殺そうとしたのですか」
「さ……それをお話し申すには長いことになりますが、掻いつまんで申さば、心蓮どのも見かけたらしいあの山伏は、私が幼少からの学友で、今では聖護院の印可をうけ、播磨房弁円と名乗っておる人物」
「弁円? ……私もどこかでその名は聞いたような気がする。――して今夜は」
「私は、あの叡福寺の御葉山のふもとにある聖徳太子の御廟へ、ちと、心願がありまして、籠っていたのです」
「ふむ」
「すると、弁円が、いつの間にか私の背後に、抜刀をしのばせていたらしいのですが、すでに、その刃が私の頭に下ろうとした瞬間、アア今思い出しても奇蹟です――いや私にとって、慈父たり、恩師たり、母たり、常に心のうちで渇仰し奉る聖徳太子のお救いかもわかりません――その髪一すじの危機に迫った時、忽然と、弁円の開けて入った妻扉から中へ躍りこんできた一頭の黒犬があったのです」
「えっ? 犬が」
「弁円の飼犬なのでしょう、一声、もの凄い声をあげて吠えました。驚いて振向いたので、私は初めて、私を殺そうとしている人間がすぐ後ろにいることを知ったのです。犬も、飼主に力を協せて、私へ向って噛みついてくるのかと思っていますと、さはなくて、弁円の刃を持っている腕へ武者ぶりついて離れないのです――私が辛くも逃げることができたのは、その隙があったからで、思えばあの犬は、畜生とはいえ、怖ろしい殺害の罪を犯すところであった飼主をも、同時にその罪から救うたものといえまする」
「ほ……」心蓮は、いよいよ心を衝たれ、
「さても、ふしぎなこともあるものですな。その犬は、この先の雑木林の中に縛りつけられてあったのを、私が、縄を解いて放してやったのですが」
「あなたが?」
「そうです――私が」
「…………」氷柱の軒下に立ったまま、二人は黙然と、いつまでも顔を見合っていた。眼に見えぬものの大きな力をこの宇宙に感じずにいられないもののように。
もし心蓮が、あの時、黒犬の縄を解いてやる気にならなかったら、善信は今ごろどうなったろうか。
二人は坐ってしまった。御葉山の御廟のほうへ向って、われを忘れて、数珠の掌をあわせ、仏の弟子である欣びに声を出して念仏していた。
ちかっと、朱い光が、御葉山の肩に映した。
夜が明けたのである。
――雲にも、野にも。二人のうえの氷柱の刃は、いつの間にか麗朗な珊瑚のすだれのように輝いていた。
――いつまでこの春はこう寒いのだろうか。
門外の御弟子、聖信房湛空は、たまたまその夜、吉水禅房の一間に泊ったのであるが、夜もすがら花頂山のいただきから吹きおろす風や、三十六峰の樹々の音や、戸を洩る針のような寒さに、
「よく皆は寝ていられる」と、夜の具に襟を埋めながら思った。
ミリッと時折に、柱や梁が、乾燥した空気と寒に裂ける音を走らせる。
「上人もお年を老られた――この禅房の建物も」湛空は、ふと、人間の寿命と、建物の盛衰などを思うて、うら寂しい「無」の観念にとらわれてしまった。――こうして有りと見える柱も天井も、寒いと感じている肉体も、その「無」でしかない空でしかない。
「いつかは、形を失う日が来る……。それを早めようとしているのが、叡山の人々だ、南都の大衆だ、高雄の一山だ」
――今。この新しい芽ばえの宗教、浄土宗の屋を吹きめぐる木枯しは、三十六峰の風ばかりではない。おそろしい法敵がほかにはある。
叡山の大衆は、伝統の威権と、その社会的な力の上から。
明慧上人をいただく高雄の僧団は、主として、教理の検討の上から。
また、奈良の解脱上人たちは、主にその教化の方面から、
(流行ものの邪教を仆せ)と、叫んでいるのである。
その手段として、あらゆる運動の方法と、迫害の手が、法然上人の身には今、潮がつつむように寄せつつある――
「ああ、どうなることか」
湛空は、いよいよ、身をちぢませた。
「上人は、そも、どんなお気持でおられるだろうか……」その師の法然房の寝所は、高縁を一つ隔てて彼方にあった。――おや? と湛空はそう思った時に頭をもたげて、自分の耳を疑うように眸をすました。
唱念の声が聞えるのである。凜々とした声ではないが、低いうちにも一念の倦くことなき三昧が感じられる念仏の声であった。
「――誰だろう?」次の瞬間、彼は、われを忘れたように身に法衣をつけ、つうと、縁へ出て行った。
「上人のお部屋だ……」さまたげてはならないと誡めながらも、彼は、次の間まで忍ぶように入って行った。――何を思い出されて、この深夜に。
近ごろは、めっきりお体もすぐれないのだ。ことにこの冬は、たびたび邪熱を発しては床に臥せられていた有様である。
湛空が隙間見た燭は白く冴えていた、氷の部屋のようにそこは冷たい、火の気のあろうはずはない。
彼は、次の間に、凍りついたように坐ったまま、師の心を、さまざまに思いいたわって、上人が眠らぬうちは、自分もこうしていようと決心した。しんしんと草も木も眠っているこの真夜中に、ただ一人でも、師の房の念仏をどこかで魂に受けとっている者があるとすれば、一塊の炭火ほどでも、師の心を温かにしはせまいか――と。湛空は、そう考えたので、
「えへん」次の間に、侍側している御弟子がございます――ということを知らせるつもりで、軽く咳をした。
すると、翌日。いつものように大勢の弟子たちの朝礼を受けに出てきた上人は、常になく不機嫌な顔色をして、いった。
「その辺に湛空はおらぬかの、ちょっと呼んでくだされい」
湛空は、その朝、師の御房がお呼びでございますぞ――と同門の者からいわれて、
「はい、ただ今」答えながら、心のうちで、すぐこう思った。
さては昨夜の自分の真心を上人もお酌み下すって、何か、ご機嫌の麗しいおことばでもかかるに違いない――と。
彼はいそいそと、法然の前へ出て行った。そこには随身の他の弟子たちも大勢いて、上人が何で改まって湛空を呼ばれたのかと、まだ解せない面持ちでいたが、湛空はひそかに得意であった。
「お召しでございましたか」
「む……」法然の眉は霜のようにちと峻厳であった、琥珀のように茶色をおびたいつもの眸がじっと湛空の面を射た。
「――昨夜、この法然が、称名しておる折に、近くの室で、咳ばらいをしたのはおもとでござったの」
「はい、私でございました」
「なにゆえに?」
「は」
「なにゆえに、さようなことをなされたか、申されい」
「…………」湛空は、案に相違した師のきびしい語気に、肩を竦ませたままであったが、
「……されば」と唾をのんで答えた。
「ゆうべは、臥床の中にあっても、爪も凍るかと思う寒さでござりました。その深夜に、ふと上人の御称名の声を聞きまして、勿体なや、あの御齢に――とありがたさにお居間に近づき、四隣は眠り、人はみな知らぬ時刻ではあれど、わたくし一人は、ここにいて聴聞いたしておりまする――侍坐いたしておりまする――さような心持を持って、何気のう咳ばらいをしたのでございまする」法然は、それを聞くと、近ごろにもいつにもめずらしい不機嫌で、声を励ましていった。
「湛空一人のみならず、皆もよう聞き候え。この法然が念仏を申すのは、人に聞かそうためではさらさらない。念仏専修の門をひらいて、ここもう幾十年、おもとらの修行もすすみて、いつ、この法然が世を去るとも、この吉水に咲いた座行往生の菩提華は散り果てる日もあるまいぞと、常に喜ばしゅう思うていたに、さような心得ちがいの者がまだあると思えば法然は心もとのう存ずる」心から悲しまれているらしい様子なので、弟子たちは皆、粛然と襟を立てて、一人として、師の顔を仰ぎ見る者はなかった。法然は、ことばを続けて、
「はや、法然も老いの身、ゆうべの寒さも一しお身に沁みた。――が、それにつけわしの思うたのは、かく温かに夜の衾を重ねても堪えられぬ心地のするものを、その昔、法蔵菩薩の御苦労などはいかばかりであったろうか。火の中にも幾千劫、水の中にも幾万劫。それも畢竟、誰のために。……誰のために」
つよい語尾だった。打ちふるえていったのである。そういう熱情がどうしてこの老齢な人の舌端から走るだろうかと疑われるくらいであった。
「衆生行を起し、口に常に仏を称せば、仏はすなわちこれを聞きたもう――。称えあらわす称名の声は、たとえ、誰ひとり聞く者はなくても、仏は、一声一声これを受けたもうのじゃ。念仏は人に聞かすものではない。法然はただ一人で喜びそして満足に思うている。――湛空を初め一同も、他人に聞かそう念仏などと心得ては大きな誤りでありまするぞ」
朝の陽が、上人の背の近くまで映していた、人々はいつまでも、峻厳に打たれていた。
湛空は、涙をながし、
「不心得を仕りました」手をつかえたまま泣いているのである。
そこへ、弟子の一人が、
「心蓮どのが戻って参りました」と、法然へ告げにきた。
「心蓮が?」――これは法然にも他の弟子たちにも意外らしいことであった。
なぜならば、もう三年も前になる。
その心蓮は、この吉水禅房で、ひたすら修行していたが、ある時、師の法然に向って、突然、お暇を下さいといい出して、この門から自分で出て行った男である。理由というのは、
(こうして、繁華な都の中に、大勢して念仏門の道場をかまえ、夜も朝も、雑多な、信徒や、様々な心をもった同門の人々と起き臥しを共にしていたのでは、どうも、ほんとに心を澄まして、一念の称名に入ることができません。こういう修行のしかたは私の考えでは、誤っていると思います。――で、自分だけは、まったく、世俗の塵を絶った遠い田舎へ参って、人間の騒音から離れ、清浄孤寂な生活をまもって、一心三昧に入って、道を得たいとぞんじます、どうか、私を破門して下さいまし)そういって、心蓮はここを出て行ったのである。
――それが、忽然と、またこの門へ帰ってきたというのだ。
人々は、法然が、それに対してなんというであろうかと、推し測るように顔を見ていた。――と、法然は、
「通しなさい」そういってから、すぐ、
「疲れておるようであったら、休ませて、粥など与え、その後でもよいぞよ」しかし、心蓮は、すぐ導かれてそこへ入ってきた。
「お……」なつかしい旧友。
久しく仰ぎ見ない師の房。
この柱、この天井、また庭の樹々――
心蓮は坐ると、瞼を赤くしてしまった。何かいおうとしたが手をつかえると、それなりしばらく黙ってしまった。
「心蓮か」
「はい……戻って参りました……。面目もございませぬ」
「よう戻ってこられた」
「穴にでも入りたい心地がいたしますが……。ほかに、心蓮の行く所はございませぬ。やはり、この吉水禅房のほかに、往生の床はないと、こんどはよく分って戻って参りました」
「よい修行をされたとみえる。この三年、お汝はどこにおられたぞよ」
「ずっと、都遠く離れて、笠置の山里のさる豪家の持っている山の中に、一庵を借りておりました。一日一度、食物を運んでもらうほか、人の顔も見ず、夜も昼も、念仏に送って、まったく世間の音から離れ、草が伸び、木の葉が散るのを見て、月日を知るような生活をしておりました」
「そして、何を得たかの」
「何も得ません。初めの半年ぐらいは、これこそ、念仏行者の道ぞと、澄みきった心のつもりで、行い澄ましておりました、一年経つと、なにかこう自分が空虚のような不安を感じて参りました、二年目には、心がみだれ出し、自然の中の寂寞さが常に心をおびやかしてきました。――一念無想に念仏をとなえているつもりなのが明けても暮れても、都のことを考え出してきたのです。眼をとじれば、京の灯が見え、耳をふさげば人間の恋しい声が聞えてくる。そして、夢にまで、人間と交わったり、都へ帰った夢ばかり見るのです。……堪まらないほど、私は、口がききたくなりました。――旧友と、世間の人と、信徒たちと。――すべて初めに厭って逃げてきた者がやたら無性に慕わしくなり、矢もたても無くなったので、実は、お恥かしい限りですが、夜逃げのように、笠置の奥から舞い戻ってきたのでございまする」心蓮の正直な体験の告白を、一同は、興味ふかく、また教えられるところもあって、和やかに聞き入っていた。
法然は、もうすっかり、常の柔和な眼ざしに返っていて、
「それが分ったのはなによりじゃった。したが、三年はちと長うあったの……」と、微笑すらたたえて、さて、侍坐の一同をかえりみて、
「今朝はまことに、おもとたちにとって、尊い朝でおざったの。法然にとっても、うれしい朝――」と、くりかえしていった。
往生。それは、往きて生きん、ということであるとここでは説くのだ。安楽に眼をねむったり、寂滅の終りを意味する言葉ではない。――往きて生きん――往きて生きん――人生へのあくまで高い希望とつよい向上の欲求。それを往生とはいうのである。
吉水の講堂では、きょうも厳粛のうちに和やかな半日が禅房のひさしに過ぎた。講義をしている上人の声は、粛としている奥の方から表まで聞えてくるのだった。あれが齢もすでに七十を出ている老人の声だろうかと疑われるくらいであった。
しかし、その老人から先になって、この浄土門では、
(往きて生きん)の理想に専念しているのだ。
また、そのため、
(人間いかに生くべきか)の真理を求め探してやまないのであった。
上人はそれに対して、
(ただ念仏。一にも二にもただ念仏を)と、教えた。ただ念仏のみが、最も前のふたつの人生の欲求を充たしてくれるものだと説いた。
戸外の春も、一日ごとに、菁々と大地から萌えていたが、この吉水の禅房も、若草のようだった。新しく興り、新しく起ち、すべての旧態の殻から出て、この人間の世に、大きな幸福の光燈をかかげようとする青年のような意気が、七十をこえた法然上人にさえあった。
他の年の若い弟子には勿論、聖覚法印とか、蓮生とか、分別ざかりの人々にも、なお、叡山をはじめ、ほかの歴史あり権威ある旧教の法城が、なんとなく、落莫としてふるわない傾向があるのに、それらの大法団から比べれば、隠者の一草庵にもすぎないこの吉水の禅房が、いつとなく時代の支持をうけ、精神社会の中心かのような形にあるのは、なんとしても不思議な現象といわなければならない。
だが、社会はその不思議を正視しようとはしなかった。むしろ、畸形なもの、邪まなものとして、あくまで白眼視するのみか、その成長ぶりを見るに及んでは、
(これは捨ておけない)とにわかに、迫害を以て、この浄土門を今のうちに踏み潰してしまおうという形勢にさえあるのだった。
今日も――ようやく講堂のひさしに陽もうすずいて、上人の説法が了り、一同が礼儀を終って、静かに席を散ろうとすると、それへ外から息をあえいで戻ってきた一人の弟子が、
「たいへんですぞ、おのおの」眼のいろを変えて、自分を取り囲む人々へ話すのであった。
「慈円僧正が、とうとう天台座主を退かれて、叡山から降りてしまわれたという噂だ」
「え、座主をおやめなされたって?」
「罷めたというよりは、いたたまれなくなって、ついに、自決なすったというほうがあたっているだろう。――何せい、慈円僧正がいなくなっては、いよいよ、これから吉水と叡山とは、うるさいことになろうぞ」
「上人のところへは、まだ、僧正からなんの御消息もないのかしら」
「あるまい、不意なことだ。――そして叡山では、またぞろ、今夜も何度目かの山門の僉議をひらいて、本格的に、吾々の念仏門へ対して、闘争の備えを立てなおし、一方には、政治問題にして、念仏停止の請願を院へ向ってする企てだと聞いた」
「ふーム、それは容易ならぬことだ」
「吾々も、じっとばかりしていたのでは、ついには、彼らのために、せっかくここまで築いてきた念仏易行の門を、めちゃめちゃにされてしまうかも知れぬ」
「上人は、どうお考えになっているのだろうか」
「まだ、何もご存じあるまいと思う。――ひとつ吾々が打ち連れて行って、お気持をうかがってみようではないか」
「いや、待ちたまえ」一人が、頭を振った。
「上人は、ああして揺るがぬおすがたはしているが、なにもかも、ご存じあるにちがいない。なまなか、吾々が参って、顔に血をのぼせたりすることは、かえって、上人にご心配を加えるようなことになる」
「では、叡山のなすままに、吾々は、じっと自滅を待っているのか」
「そうもなるまい」若い弟子たちは、なにかささやき合って、禅房の外へ出て行った。そして裏の森にかたまったのは、この不穏な空気を上人に感じさせて、さなきだに近ごろ健康のすぐれない法然に胸を傷ましめまいという師弟の思いやりからであった。
「どうする?」そこで再び前の問題を評議に上せて、人々は、もう憚るところのない声でいい合った。
「いったい、叡山の凡衆どもは、何を原因にして、この吉水を、そんなに敵視しているのか」
「知れているじゃないか、嫉妬――ただ嫉妬にすぎないのだ」
「人を救おうという者が。しかも、千年の伝統と、あの巨きな権力をもつ叡山が。――考えられないことだ」
「それは、人間の感情というものを外においてのことで、叡山の者にも、感情はあるから、近年の吉水と、自分たちの蟠踞している叡山と、どっちが社会に支持されているか、較べてみれば、おのずから焦々せずにはおられまい」
「卑屈だ」
「もちろん旧教の殻に入っている僧侶などは、卑屈でなければ、ああしておられるものじゃない。――彼らはただ、伝来の待遇を無事にうけて、実社会からは、遊離しようと、なんであろうと、自分たちだけで威張っていたいのが願望なのだ。――そういうところへ、新しい教義を称えて、民衆をうごかす者が出てくることは、それだけでもすでに禁物なのだからな」
森の木洩れ陽が、若い弟子たちの黒い法衣の肩に斑をうごかしていた、ちらちらと風の戦ぎに光るのだった。
「それさえあるのに」――と他の者が次にいった。
「叡山には、一日ごとに、有力な檀徒や碩学が、みな山を見捨てて去ってゆく。……今朝ほど上人からあんな手痛いお叱りをうけた二尊院の湛空どのもその一人だ。弁長、念阿、証空、数えきれない人々が、叡山から吉水へ移ってきている」
「うム」眼がみなうなずき合う。
「中でも、安居院の法印聖覚どの。西塔の名僧といわれた鐘下房の幸西法師。――それから、先ごろ、月輪殿のご息女を妻としてごうごうと喧しい取沙汰の中に、毅然として、念仏門の行者の範を垂れている善信どの。――みな以前は叡山にいた方々で、後に、念仏門へ参られた人たちだ」
「なるほど、そう数えあげてみると、叡山が、嫉妬するのも無理ではないの」
前関白月輪公が、まず第一に指を折られる。次に、大炊御門左大臣、花山院兼雅、野々宮左大臣、兵部卿基親など、殿上の帰依者だけをかぞえても、十指に余る。
武門の人々では。熊谷直実の蓮生をはじめ、甘糟太郎忠綱、宇都宮頼綱、上野の御家人小四郎隆義、武蔵の住人弥太郎親盛、園田成家、津戸三郎為盛。
また、ことに女性の檀徒はというと、今までの旧教の経典は、とかく女人を悪魔視していたが、念仏門には、女人のためにも、差別なく、救いの扉をひらかれたものとして、鎌倉の将軍家実朝の母の政子が、遥かに、信仰をよせている他、越前三位の妻小宰相、資賢の娘玉琴、信実の伯母人、三条の小川侍従の姫、花園准后の侍女三河の局、伊豆の走り湯の妙真尼など、ここにも旧教に眺められない特色があった。
聖人も俗人も、本来、人間の相というものは一つである。いわんや女人、いわんや悪人、なんの差別があろう。むしろ、そういう人々こそ、念仏門は、よろこんで迎え入れ、求法の悩みに答えたい。いかにせば、よくこの先を、人生を、よく往いて生き得るか――共々に考えよう、念じよう。
悪人もこい、女人も参り給え。
また、在家の方々よ。従来の聖道自力の僧は、やたらに自分にも行いがたい禁慾を強いる。いたずらに、物絶ちをもって、清浄とし、形式にばかり囚われて、実はかえって、裏には大きな矛盾を秘しているようなことになる。
浄土門の易行道では、そういう似非聖の真似をもっとも嫌う。ありの相のままを清浄とする。
肉もよし、酒もよし。女人を男性が持つ、女人が男性を持つ。これも自然の人間の相のままを尊ぶ。おのずからそこには男女の道というものがある。道を外さぬほどならばよい。
在家の方々よ。それでよろしいのだ。
職業も、他の生活も、そのありのままで、お身たちは立派に「往生」することができる。菩提にいたることができる、聖たることができる。
むずかしいことではないのだ。それには、ただ念仏を仰っしゃればよい。それも、勤めを苦にして称えることはない。思い出したらいうがよい。一日に一遍でも、また、申したくなったら千遍でも、なお万遍でも。
烏帽子打ちが職業であったら烏帽子を打ちながらいってもよい、弓師であったら弓を張りながらいうもよい、眠りの前にふといいたくなったら一声でも胸のうちでいうもよい、茶碗を持つ時、何かおのずから称えたくなったら箸を持ちつつ胸のうちでつぶやくのも立派な行である。
新しい教門の祖師法然はこういうのであった。従来の教えとは較べものにならないほど平民主義だ。また、実社会というものを尊重している、人間の生活というものを本義にしている。
法然の教義では、決して、信仰のために、個々の生活を変更させたり、ゆがめたりはしない。宗教のための社会のようには存在しないで、むしろ、社会のための宗教、社会機能のうちの宗教として、立場を、今までの叡山や他の旧教団体の尊傲な君臨のしかたとはまるで地位をかえて、民衆のうちの僧侶として、門は開かれているのである。
果然。
(これこそは、ほんとの宗教というものだ)
民衆が支持するし、知識階級もうごいてくる。
当然な、新勢力となってきたのである。法然が作ったわけではない。また、法然門人の人々がこしらえた勢力でもない。時代が生んだものである。だが、新しいものが興ることはそれだけずつ、旧いものの勢力が侵蝕されることだった。
(仏敵が現れたぞ)と、叡山では見ている。
叡山は、その大きな権力と、自尊心から、度々、これを問題に取りあげて、いわゆる「山門の僉議」をひらいて、
(まず、態度のあいまいな、慈円僧正から先に座主を退いてもらおう)と決議文を作って、挑戦の気勢としたらしい。
時の叡山の座主は、慈円僧正であった、僧正と月輪禅閤とは肉親である。
その月輪公は、吉水の檀徒のうちでも、最も熱心な念仏の帰依者であるばかりでなく、その息女の玉日姫は元の範宴少僧都――今では善信といっている青年僧と結婚して――大きな社会的問題の波紋を投げている者の妻となっている。その善信も、元は叡山に学び、叡山に奉じていた裏切り者である、それが今では吉水へゆき、法然に参じ、月輪公の聟となり、座主の僧正とも、縁につながる者となっている。
(売教徒め!)ここにも、彼らの感情や、憤恨があった。
「それで、座主は罷められたわけだな」
「もう鎮撫の道がなく――」
「お苦しい立場だった」森の中に集まった吉水の弟子たちは、話してみればみるほど、
「つまり、叡山が騒めいているのは、宗教が問題ではなく、権力の争いを売りかけているのだな」
「その裏に、自尊心だの、嫉妬だの、いろんな感情も潜在して」
「こいつは、どうしても、ぶつからずにいまい、吉水の吾々にしても、黙って見ているのも芸はない、売られる喧嘩なら買ってやる、彼らが、座主を山から追い下ろすなら、われらはその慈円僧正を擁して、飽くまで立つし、彼らが、朝廷へ讒訴するなら、われらも、朝廷へ弁解しても、闘ってやる」
「でも、そんなこと、上人がおゆるしあるまい」
「こういう、うるさいこと、上人のお耳には入れとうないが」
「いずれ、他の信徒の口から、お耳に入らずにはいない」
「おれたちは、おれたちとして、黙ってやるのだ。師へ、ご迷惑や心配をかけないように――」
「そして」
「そしてとは」
「さし当って、どうするのか。これから慈円僧正のいらっしゃる青蓮院へでも行って、おれたちの熱意をつげ、お計らいを仰ぐか、それとも――」
「会って下さるまい、僧正は」皆、不安な顔色で、
「むずかしいな」とつぶやいた。
今にも、四明ヶ岳の彼方から吉水の一草庵におおいかぶさってくるように険悪な風雲を感じながら、さて、
(どう対立するか)という問題になると、この若い人々だけの間では、なんの策も考えられなかった。
「そうだ、誰か、このうちの一名が――叡山に明るいものならなお都合がよい、山へのぼって、どんな空気か、つぶさに内偵してきてはどうだ」
「む。――その上でもよい、対策は」
「わしが行こう」と、一人の青年僧がすぐいった。それは、つい一昨年ごろまで、叡山にいた者で、実性という若い末弟子だった。
「オ、実性ならば、この役は易いことだろう。ひとりでよいか」
「一人のほうがよい」実性は、気を負って、すぐにも行くように、起ち上がった。ところへ、
「おい、おまえたち、そんな所へ寄って何をしているか」禅房から出てきた先輩の念阿が近づいてきて咎めた。
一同は、さあらぬ顔で、
「いえ、べつだん何をしているということもございません」
「黄昏ではないか」
「はい」
「禅房のお掃除もある」
「やります」素直に、若い弟子たちは、散らかって行った。
しかし、実性だけは、念阿の気がつかない間に、森の奥へ走っていた。そして、叡山の肩に低く垂れている夕雲を仰ぎながら、どこともなく姿をかくしてしまった。
眼だけを出して、頭から顔はぐるぐると袈裟で包んでいる。
誰やら分りようもない。手には「入道杖」とよぶ四尺ほどの杖をつき、破れ法衣に高足駄を穿き、
「満山の大衆」手で鼻を抑え、声まで変らせて、西塔、東塔、叡山の峰、谷々にある僧院の前へ行っては、厄払いのように、呶鳴ってあるくのであった。
「こよい、山門へ立ち廻られよ。こよい立ち廻られよ」すると、僧房のうちで、
「もっとももっとも」と答える声がする。
そう聞くと法師はまた、ほかの寺院の前へ行って、
「――満山の大衆、こよい、山門へ立ち廻られよ」と呼ぶ。
(承知)という返事の代りらしい。
「もっとももっとも」と、ここでも同じ答えがする。
これが、叡山名物の、いわゆる「山門の僉議」の布令なのである。
その布令が、きょうも夕方のうす暗いころに廻った、四明ヶ岳の雪もすっかり落ちて、春の夜のぬるい夜靄が草むらや笹叢から湯気のように湧いている晩である。――やがて初更の鐘が合図。
暈をかぶった月が淡くかかっている、月は円くなかった。
「おうい――」
「ほーい」互いに、影を見て呼び合いながら、谷から、沢から、峰の中腹から、思い思いに頂の根本中堂をさして上ってゆく法師たちの影が、まるで猿のように見出される。
集まる場所は、いつでも大講堂の広場ときまっているのだ。
「ほーい」
「おうい」梟のような鼻声を交わしながら、途中から、めいめい、手ごろな石を担いでそこへ群れてくる。そして芝地の露へ、
どすん、どすん、石を抛る。
それが座席である、彼らは、その石のうえに腰を下ろし、入道杖を前に立てて、うんうんと眼を光らし、口をむすんで、燈火もない大講堂の階段を中心ににらまえているのだった。
いつのまにか、そこは、黒、朽葉、鼠色の人影で埋まってしまう。三塔の大衆三千がこうして集まると、元は、院の御政治すらうごかしたものである、武力のあった平氏も源氏も、叡山だけは意のままにならなかった。――時勢は刻々と移ってはいるが、しかしまだ、彼らには、そうした自尊心は衰えていない、座主も、この大衆の支持がなくては、その地位を保つことができないのは勿論であった。
「しイーっ」闇の中から、誰かが、やがてこういって、杖を宙へあげると、大衆は一斉に、皆、左の手で自分の両眼を塞いでいた。
次に、二度めの声がかかると、その手を払った。
見ると、大講堂の階段の上に――広縁の一端に、誰か、一人の法師がのぼっている。頭巾の上から、さらに口も鼻も縛っているので、常々、顔をあわせている者でも、まったく誰であるか見当はつかないのである。
「山門の僉議」の目的は、自分たちの包まない意見も感情もぶちまけて討議するところにあるので、口が禍いになって、後難を恐れていては行われない。
――で、こういう作法のもとに、討議が初まるのは、以前からの例であり、問題のなんであるにかかわらず一つの儀式になっていた。
「建議」と、大講堂の縁に立った法師は、こうすばらしい豪壮をこめて呶鳴った。
開会の宣言である。
大衆は、石のようにうずくまったまま、人間の河原を作っていた。
「まず――吾々の第一の目的は貫徹した。座主の交迭は行われた」壇上の法師は、拳をふり上げて熱弁をふるう。
「心に邪教念仏を信じ、肉親に、多くの念仏帰依者を持ち、そして、自分はこの叡山の首座にあって、天台の法燈に、欺瞞の襟をかさねていた慈円僧正は、われわれの輿論に追われていたたまれず、尾を巻いて山を逃げ降りた。――次にわれらの座主として真性僧正を迎えたことを、まずここに祝そう」その語句がきれると、大衆は、海嘯が応えるように、おうっといった。
「だが」と、熱弁の法師は一息こめ、
「――それだけが、先ごろから幾度かひらいたこの山門の僉議の目的ではない。吾々の目ざすものは、吉水の禅房にある、あの邪教の徒を一掃しなければやむものではない」大衆のうちから、
「もっとも、もっとも」無数の声が飛ぶ。
「ふた股者の座主を追っても、吉水の禅門が、相変らず、他宗を誹り、流行り病の念仏をふり撒いて、社会を害することは、すこしも変りがあるまい。――いや、抛っておけば、あの法然房以下、善信、聖覚法印、そのほかの裏切者や、売教徒どもが、いよいよなにをしでかすかわからぬ。かくては、宗祖大師の遺業も、叡山の権威もどこにあるか、世人は疑うだろう、三塔三千の大衆は、木偶かと。いやすでに、そういわれても余儀ないことになっている。――すでに当山の座主たる者までが念仏門にひざまずき、また、当山を捨てて吉水へ走った卑劣な背徳漢も数えあげたら限りがない」壇にある法師は、憑き物でもしたように、時折、拳で空を搏って、
「この現状を、一山の大衆はなんと見らるるか。この趨勢のまま、抛っておいてよいものか。しからずんば一山皆吉水へ降って、袈裟を脱ぐか」こう反問的に煽動すると、
「だまれっ」
「いわれなしッ」
「その条、いわれなしっ」ごうごうと大衆は沸いて、
「引っこめ」
「下壇、下壇」と後をもう聞こうとしない。
すると、その法師と入れ代って、また一人の法師が、ひらりと壇に起った。
「静粛にせられい」老声である、声から察しるに、この法師は叡山でもかなりの長老らしい。
「いたずらに騒いでは、幾度、会集を催しても、ただ鬱憤を吐くに過ぎん。益のないことだ。われらは、熟慮しなければならない秋にぶつかっているのじゃ」
「わかりきっている」
「――売僧法然ひとりに対して、叡山三塔の者が、かくものものしく騒いだとあっては、大人げない。叡山は、吉水の一団に対して、私憤をもって起ったのではない、社会の清浄化、社会を毒す悪僧どもを敵として起つのでなければならん。社会のために、戦うのでなければいかん」
「もっとももっとも」
「肉食はする、酒はのむ、あまつさえ弟子善信には、妻帯の媒立ちまでしたという売僧法然、口賢く、女人教化などと申しおるが、その実いかがやら、まさしく仏教の賊、末法の悪魔」
「いかんぞするっ、その法賊を!」一人がさけぶと、大衆は波のように揺るぎだして、
「売教徒の僧団を叩きつぶせ!」
「吉水を焼き払え」と、怒号を揚げた。
ことばの上の論議や、憤りをやるだけでは、もう大衆は納まらない心理になっていた。
「やれやれッ」と、誰かいいだす。
「黒谷へ襲せて行け」
「吉水を葬れ」
「売教徒の巣を焼き払え」大講堂の縁には、さらに二人立ち、三人立ち、七、八名の煽動者がおどり上がって、激越な口吻で、
「念仏退治へ」と、指さした。
「待てっ」するとまた、そこへ四、五名が上がって大手をひろげていう。
「暴力妄動はよろしくない。かえって、山門の威厳を失墜することになろう。よろしく、合法的に、邪教のうえに天譴をくだすべきであろう」大衆は、波を打って、
「いかんぞする! 策は」
「いかんぞする! 手段は」と、吠えたけぶ。
しわがれ声をしぼって、老齢らしい弱法師が懸命にいった。
「上訴上訴。――われらのうち数名のものが、まず政庁に赴いて、念仏停止の願文をさし出し、朝廷へ訴え奉るが何よりの策じゃ」
論議は、ふた派にわかれ、壇上に立った者が、互いに譲らないで、舌戦を交わし初めたが、それが熱してくると、ついには、一方が一方の者を壇から突き落す、這いあがって行った者はまた、その相手の胸を突く、そして撲る、撲り返す、騒ぎは帰するところがない。
すると、混乱している大衆のうちから、
「こいつ、念仏の廻し者じゃ。吉水の探り者じゃ。逃がすなっ」と、大声でわめき出した者がある。見るとその者は、一人の法師の襟がみをつかんで捻じつけていた。捕われた法師は、三塔の大衆と同じように頭へ袈裟巻をし、入道杖を持っていたが、なにか挙動のうえで見咎められてしまったのであろう、吉水の弟子僧たちと相談して、叡山の動向を見にきていた例の実性という若者であった。
「おお、こやつは、元叡山におって、今では吉水の門下で実性とか呼ばれている売僧じゃ」
「さては、法然にいいふくめられわれらの動静を間諜しにうせたな」
「いうまでもない、隠密じゃ」
「どうしてくれよう」
「懲らしめのため、ぶち殺せ」この殺気の中で見つかったのであるから堪ろうはずはない。実性は、悲鳴をあげて、逃げかけたが、無数の杖の下に乱打されて、そこへ仆れてしまった。
手を取り足を取り、彼のからだは山門の外へ担ぎ出された。
首を刎ねて、その首を麓に晒してやろうとする者もあったが、それではかえって、見せしめにも懲らしめにもならない、よろしく耳を削いで追い返すがよいと多くがいう。大衆はすぐ、実性の両耳を、鋭利な刃物で切り取って笑った。そのうえ、
「それ、好きな念仏でも吠ざけ」と、杖や足蹴に弄んで、彼のからだを血泥にまろばせて抛り出した。

「もうお帰りのころであろうに」玉日は、黄昏れになると、草庵の廂から夕雲をながめて、旅にある良人の上へ、うっとりと心を走せた。
摂津から大和路を巡ってくる――そういったまま飄然と旅に出た良人のことを。
もとより沙門の人に嫁したからには、町家の人や在家の武士や公卿の家庭のような夜ごとのまどいや朝夕のむつまじい日ばかりを彼女も予期してはいなかった。けれど――
「ここにおいで遊ばしたら……」と、燈火をともすにつけ、夕餉の膳に向うにつけ、女らしい哀愁は、当然にうごく。
月輪の実家方からついてきた、たった一人の侍女と、牛車の世話をする牛飼と、弟子の性善坊と覚明と――このせまい草庵にもおよそ七、八名の家族はいるのであったが、夜に入ると、それらの人はめいめいの部屋にこもってしまって、暗い松風の音が海鳴りを思わせるばかり淋しかった。
「しっ、盗っ人め!」勝手口の水屋の外でこう大きく召使の誰かが呶鳴った。
馴れぬうちは、そんな声にも、たましいを脅かされた玉日であったが、近ごろは、人里を離れたこの岡崎の住居にも馴れたので、また、裏の松ばやしに棲む狐の類が、納屋の穀物や、流し元の野菜屑を漁りにきたのであろうと思うだけで、かくべつ驚きもしなくなった。
嫁いで後、新たに建て増した持仏堂と二つのせまい部屋とに、宵の燈火を入れると、彼女はささやかな調度と机のある辺りに坐って、やはり良人のことを考えているのであった。
――どこに?
こよいの灯を、良人はどこに見ているのか。そして良人は、自分のことを思うていてくれているかしら、自分がこうして良人を思慕しているように。
「いや」ふと、彼女の寂寥は、落莫と青春の葉をふるい落した林のように悲しみを奏でてくるのであった。
「良人は、わたしのことなど、わたしの万分の一も思うてはいらっしゃるまい。……ただ念仏を、ただ御仏を、そしてまっしぐらに念々と求めていらっしゃるのは、どうしたら、仏と一体になれるか、それしかないに違いない。――こんどの旅の思い立ちも、その御修行であるからには」玉日は、女として悲しかった。たえられぬさびしさに身を蝕われる気がする。
よよと、声を打ちあげて泣き伏したい気もしてくるのである。
だが――その良人をえらび、この運命を作ったのは、誰でもない、自分自身であった。しかも、あらゆる周囲の反対や世間のごうごうと非難するものと闘って、ついに克ち得た恋の冠ではないか。
ああこの恋の冠。それは、七宝の珠玉や金銀のかがやかしいものではなかった、氷柱の簪と棘の環にひとしいものである。
さびしさに嘆く時、かなしむ時、その氷柱や棘は、心を刺す。彼女は、これは自分の心がいたらないために仏が傷みを与えるのだと思った。自分の心のもちようでは、恋の冠は、七宝万朶の花となって誇り楽しめる栄耀でなければならないはずだと考えた。
「――そうだ、良人が仏と一体な心になるなら、自分も仏と一体にならなければならない。良人が偉きくなってゆくのに、自分が取り残されてはならない」持仏堂の御燈火の油を見まわって、彼女は、氷の花のように、美しく冷たくそこへ坐った。そして、静かに口のうちで念仏をとなえていた。
念仏――ただ念仏を。
父は、自分の幼い時から、なにかにつけそう教えた。師の法然もまたいった。良人も、常にそれをいう。
(ただ念仏を)彼女の教養と婦の道は、したがって、まだ処女のころから信仰がその根本になっていた。掌をあわせ、心を静寂の底に澄ませると、どんな時でも、清々と、真如の月を胸に宿すことができた。
夜が更けてゆくらしい。
この草庵は、玉日と善信と二人の愛の巣であり、また新世帯であると共に、生活は、厳格な寺となんの変りもなかった、朝夕の勤行はいうまでもなく、夜は学び、朝は早い習慣なのである。
弟子僧たちは、宵のうちは、それぞれ貧しい灯をかかげて、書を読み、経を写し、ひそやかな話し声が洩れていたが、やがて、定めの時刻がくると、彼女の坐っている持仏堂の外の縁まで来て、
「おやすみなされまし」
「先にやすませて戴きます」と、次々にあいさつをいって、ほどなく、しいんと、寝しずまってしまった様子であった。
――その後は、近くに人家とてはないこの岡崎の一草庵は、ただ松をふく暗い風の声があるばかりで、人々が寝についてからは、よけいに寂として、かなり離れている白河の水音までが、淙々と松風にまじって聞こえてくる。
だが――その松風や水音が、玉日の耳に聞こえる時は、玉日は、口に念仏をとなえながらも、心はいつのまにか、良人を考えているのであった。はっと気がついて、
(これではならない――)と思って、一念になろうと努めるのであったが、努めようとする気持は、かえって、心をみだしてきて、父のいうような、また師の教えるような、ただ念仏の三昧にはかえって遠くなってしまう。
(女というものは、どうしてこんなに、情痴なのであろう)玉日は、自分の心をふかく掘り下げてみて、そこにわれながら浅慮なさまざまな邪推やらひがみが根を張っているのに気がついた。
口に念仏をとなえていても、その奥底の心からは、
(もしや良人は、自分がいやになったので、このまま、帰らないつもりではないかしら)とか、
(旅の先で、誰かまた、お目にうつる女性でもあるのではないかしら)とか、それはおよそ、教養のある女性などが持つ邪推ではないと、自分でもいやしめられるような想像までが、頭のすみにのぼって、念仏をみだすのであった。
あさましい。こんなことに悩み、こんな程度の寂しさに堪えられないくらいなら、なぜ自分は、沙門の妻になったかと、自身を自身で叱ってみても無駄だった。
生命を賭しても――一族の者はおろか、社会の全部に反かれても――とあれほどな意志のもとに恋してかかったころの強い自分を今、呼びかえしてみても、なんのかいもなかった。
「ああ、お会いしたい」思慕は、身を焦いてくる。
くるしい冷寂な中にある炎の身が彼女であった。
すると――風でもない、狐狸とも思えない。誰か、草庵の外で、跫音がする。そして、しきりと戸をたたく者があった。
「あっ……」すぐ彼女の胸には、良人が帰ってきたのではないかという狂喜に似たものが走った。しかし、しばらく耳をすましていると、戸をたたく者のことばは、良人の声とは似もつかぬものであった。
それは、なにかに後ろから追われているようなあわただしさで――
「房のお方! 房のお方! わたくしは吉水の者です、上人のお弟子の端につらなる実性と申す者です。はやくここをお開けください、お救いください。わたくしは今、殺されかかっております」ことばに連れて、戸を打つ音も激しくなった。
性善坊か、覚明が、すぐ起きて行って、そこを開けてやったらしい。がたがたと、なにか表のほうに物音がつづいて、急に草庵のうちに一度消された灯りがまた点っていた。
「裏方さま」性善坊の声である。
玉日は、声のするほうへ、眼をみはって、
「はい」といった。
「まだ御寝なさいませぬか」
「ええ、起きておりました」
「おそれ入りますが、私と覚明とでは、計らいかねることが起りましたので、ちょっと、お立ち出でを願われますまいか」
「なにが起りましたか」玉日が、持仏堂を立って行った縁には、性善坊が、紙燭を持って、かがまっているのである。
「今――なにやら表のほうで、物音がしましたが?」
「されば、困った者が、救うてくれといって、血みどろになって、転げこんできたのでございます」
「えっ、血みどろの人が」
「おそらく、裏方さまには、ご承知もない者でございましょうが、吉水の端におる者で、実性と申しますが……」
「それがどうしましたか」
「叡山へ、隠密に行ったものでござります、物ずきにも」
「なにをさぐりに」
「近ごろ、南都、高雄、そのほか叡山なども、主となって、吉水を敵視し、上人以下の念仏門の人々を、どうかして、堕し入れてやろうという企てがあることは、専ら世上の風説にもあるところでござります。――それを案じて、吉水の学僧たちの若い人たちが実性に命じて、叡山の様子を密偵しにやったとみえまする」
「ま……」玉日は、動悸をおぼえたように、そっと胸を抱えた。
「で――実性は忠実に、幾日かを、叡山にかくれておるうち、ちょうど今宵、大講堂の山門の僉議がひらかれたので、山法師の群れにまぎれ込み、その評定の様子を見聞きしていたところ、誰からともなく、あれは吉水の人間だと看破されたために気のあらい法師たちに取り囲まれ、半死半生の目に遭って、足腰も立たないほどにされた身を、からくも、ここまで逃げのびてきたのだと申すのです。――すぐ吉水へ帰るにも、今申したとおり、ひどい怪我をしておるので、歩めもせず、上人のお目にふれれば、必ずお叱りをうけるにちがいなしというて、その辺りにまごついているうちに、また山法師の目にかかったら、今度は命も危ないゆえ、体の癒えるまで、どうかこの草庵の物置のうちでもよいから匿ってくれい――と、かようにいうのでございまするが」
草庵には今、師の善信が留守ではあるし、そういう複雑な事情の者を入れることは、自分たちだけの考えではできないので、どうしたものかと、性善坊は裏方へ計るのであった。けれど、玉月にも、
「さあ……」と考えたきり、にわかに、その処置をこうせいといいつけることも迷わせられた。
迷ってはいたものの、
(人の一命)と考えると、玉日は、捨てておかれない気がして、
「どこにおりますか、その者は」
「血にまみれておりますゆえ、輦小舎へ入れました」
「行ってみましょう」
「ええご自身で?」性善坊は、それまでには及ばないという顔を示したが、彼女はもう先へ歩いていた。
牛部屋の隣である、そこには糸毛輦が雨にかからないように囲いのうちへ入れてあった。
近づいて行くと、呻きが聞こえた、怪我人の実性は、むしろの上に横たわって、苦悶しているらしかった。
「ああ裏方さま」側に黙然と付いていた覚明が、彼女のすがたを見てこうつぶやいた。
性善坊のかざす紙燭の下に、実性の傷の程度を眺めて、彼女は眉をひそめた。
(助かるかしら)すぐそう思われるほどな重傷なのである。片脚の足首は柘榴のように割れているし、顔の半分は樽みたいに腫れあがっているのだった。
「神酒を持ってきてください。それから、薬、布――」彼女は、そういうと、もう事情とか、この草庵の立場とか、そんな前後のことなど考えていられなかった。覚明は、ためらって、
「さ、酒はあるか」と性善坊へ計っている。
「あろうも知れぬが……」
「いそいで下さい」玉日に急かれて、
「はい」と納屋へ駈けて行った。
やがて、それらの品が来ると、彼女は、性善坊や覚明さえ手の下しかねるほどな不気味な傷口を洗ってやった、足や腕や、数ヵ所の繃帯をも、懇ろに巻いて与えた。
そして、夜具を運ばせ、
「薬湯を煎じてやったがよい。朝になったら、粥なりと与えて」
と、細々、手当をいいつけて出て行った。
やや人心地のついた実性は、それが、裏方の君であったと後で聞かされて、
「勿体ない」と、わら蒲団のうちで、合掌していた。
気が落着くと、彼は一時、そこの輦小舎のうちでスヤスヤ眠ったらしいが、夜が明けてから覚明が粥を持って行ってやると、充血した眼をにぶく開いて、
「粥? ……粥ですか……いりません、食べられません」顔を振っていい張るのである、それでも無理に食べさせようとすると、彼は、大熱のあるらしい乾いた唇からさけんだ。
「……駄目です、いただいても無駄です、私はもう助からない、死がそこに見えている」うわ言のようにいって、かたく眼を閉じたと思うと、その眼から一しずく涙のようなものを流して、
「――この草庵の主、善信御房はまだ旅からお帰りになりませんか。わたしは、善信御房にお会いして、告げなければならないことがあるんです。……おう、おう、吉水禅房はどうなりましょう……。このままに、手をこまねいていたら、叡山や南都の法敵のために、上人のお身も気づかわれます。せっかく、築きあげてきた浄土門の寂土は、あいつらのために、踏みあらされてしまうに決まっている……。私は、善信御房にひと目会って、私がさぐってきた叡山の様子をお告げしたい……それから死にたいのです……善信御房は、まだお帰りになりませんか」
一人の侍女は、勝手元で朝餉の後の水仕事をしている。
玉日は、持仏堂や、居室の掃除を、日課としている。また、良人のものの濯衣なども、すべて馴れないながら自分の手ですることに努めていた。
ゆうべ、実性の傷口の手当をしてやった折に、彼女は朝になって、自分の小袖が血しおでよごれているのに気づいた。それを脱ぎかえて、草庵の裏の川へ、洗い物をしに出たのである。
吉田の崗から白河へ落ちてゆくそこの流れも、冬のうちは氷が張りつめていて、なにをするにも、手の切れるような冷たさであったが、もう水も温んで、春の樹洩れ陽は衣を洗う彼女の白い手に傷々しくなくこぼれている。
小袖についていた血の汚染は、はやい瀬の水に淡い脂をひろげてすぐ消えて行った。
「今朝は、どんな容態であろうか」彼女は、今も、怪我人の生命がふと気がかりになっていた。――それと共に、社会の浄土化を願う以外に使命のないはずである僧門の同士が、こういう生々しい鮮血をながして、争わなければならない理由がわからなかった。
僧門のうちだけは、すくなくとも、闘争や陥穽の実社会とはちがって、浄く、気高く、和気藹々として生活の楽しめる世界であろう――と彼女は善信に嫁ぐ日まで信じていたのである。
嫁いだ翌日から、その想像は裏切られ、僧門の世界も社会の一部でしかないことを、彼女は、事ごとに見せつけられてきた。それを悲しんでいれば、毎日が悲しみでなければならないほどに――
だが、つらつら考えてみると、自分自身ですら、決して、新妻でありまた菩薩であることはできにくいことであった。嫉妬――ひがみ――情痴――さまざまなものを持った世間なみの妻でしかあり得ないのである。
「どうして、人間というものは、こういう悩み争いに、この楽しめる世を楽しまずに、血みどろに暮さねばならないのか」そんなことを考えながら、流れに濯いだ衣をしぼっていると、その向う側の道を誰か歩いてくるらしい跫音なのである。
「女」そう呼ばれて、彼女は初めて、顔を上げた。
明らかに、それは叡山の法師たちに違いないのである、特徴のある法衣の裾を短かに着、手に薙刀をかかえている、二人づれで、川の向う側に突っ立っているのだ。
「なんぞ、御用事か」玉日が答えると、二人の法師は、彼女のそういった言葉や身ごなしに、ただならぬ気品を感じたものであろう、ちょっと、口をつぐんで、じっとこっちを見直している。
「…………」二人はなにか囁いていた。
おそらく、玉日の面ざしから、広い京都にも稀れな美を射られて、惑ったり、考え直したりしているものと見える、ぶしつけに、いきなり「女」と呼んだことを狼狽しているふうにも取れる。
しばらくして、法師の一方が、
「あいや」といい直した。
「失礼でござるが、おんもとには、九条家から善信御房へ嫁がれた玉日姫でおわすか」
「はい……」やはりそうだった、というように法師二人はまた、顔を見あわせてなにか笑っていた。
いやしい声が向うでひびく。笑っている前歯が唇から飛び出し、その法師が何を語っているかが、川のこなたにいる彼女にもわかる気がする。
それきり言葉をかけられないのを幸いに、玉日も川向うを見なかった。洗い物はもうすんでいた。絞ってはやく草庵へもどろう。
丸木橋はずっと下流でなければならないのに、どこを越えてきたろうか、しかもいつの間にと思うような速さで、その法師二人は、大薙刀に陽の光を刎ね返して、小脇に持ち、
「裏方――」こんどは彼女のすぐ背後へ来ていうのだった。
「ゆうべ……いや明け方かも知れんな。この附近、傷を負った学僧が一名、歩み迷ってはいなかったか。――まだ生若い末輩じゃよ。ご存じないかの」
「ぞんじませぬ」
「知らん?」鼻を鳴らすように一人はつぶやいて、
「じゃあ、執拗くはうかがうまい、そのかわり、あれなる草庵へちょっと案内を頼む」
「どうなされますか」
「そこらの納屋、床下など、ちょっと探させてもらうのじゃ」
「折悪しゅう、ただ今、主人の御房は旅に出て不在でござりますし、さような若僧も見かけませぬゆえ、どうぞ御無用になされませ」
「裏方、そう仰っしゃられると、吾らはよけいに邪推をまわしたくなる。主人の御房が留守であろうと、在そうと、それはおのずから別問題じゃ。実をいえば、その附近へ逃げこんだに違いないその傷負いというのは、裏方とはご縁の浅くない吉水禅房の末輩で、法然房が叡山へ諜者に放った人間なのじゃ」
「…………」玉日が、歩みかけると、喋舌っていたその法師は、先へ廻って、薙刀の柄をわざと横に構え、
「お手間はとらせまい」と、いった。
玉日は、貴族的な高い気位を知らぬ間に眉にも態度にもあらわしていた。下司を見くだす眸でじっと二人を凝視した。
「ははは、お怒りか」黄色い歯がまた飛出す。だが、法師の一人は絶えずうさんくさそうに草庵の方を見るのである。玉日は、是非の判断なくいいきってしまった言葉のてまえ、その狡智な眼が怖くもあり、なんとしても防がなければならない気持に駆られた。
「半分実をいって、半分いわずにおいては、なにやら胸つかえがしてならん。事のついでになにもかも吐いてお聞かせするがの、裏方」
顔を近づけてきて唾まじりにいうではないか。玉日は、忌わしさに、体がふるえた。息までが臭い気のする作法知らずの山法師である。
「その傷負いの男、名は実性というのじゃ。山門の僉議を盗み聞きしている折を看破する者あって、半死半生にしてくれたが、後で、一山の大衆がいうには、あのまま逃がしたるこそ残念、生け擒っておいたなら、朝廷へ上訴の折には、よい生き証拠であるものをと――後から出た智恵じゃ、それからの手分けとなって、谷間谷間麓から白河のあたり、隈なくたずねて来たのでおざるよ。――するとな、仏神のおみちびきといおうか、誰か、川の下流へうっすら血のような物を洗いながした者がある。来てみると、おんもとがここにおられた。……ははは、まさか血しおを洗われたのではあるまい。したが、一応は吾らにその謎を明白にしてもらわにゃならん。さもなくば、足もつかれたところ、草庵のご縁先で白湯なりと一服いただこうか――」
朝の清掃が済むと、性善坊は六条まで行く用事があるといって、後をたのんで出ていった。
輦小屋の中の実性は、まだすやすやと昏睡に墜ちている。
その隣の牛小舎は空で、陽がいっぱい射しこみ、牛は遠いほうで草を喰んでいた。
(――牛のかわりに、この中へ入っていたら、暢気であろうな。おれのように、なかなか雑念も煩悩も捨てられない奴は、それがいちばん解脱の近道かも知れないぞ)
太夫房覚明は、牛小屋の外に積んである干し草のうえに坐りこんで寝足らない顔を陽なたに曝していた。
いつの間にか後ろへ倚りかかって、覚明は、居眠っていた。まるで子どものように他愛ないのである。
この男も、善信(親鸞)を師と仰いでから、もう年久しい。善信自身が、ここに落着きを得るまでは、ほとんど席の暖まる間はなかったし、他からの迫害に追われなければ、自身の悩みと求道のため、波瀾から波瀾へ年月を送ってきたので、弟子たちとこうして静かな草庵の陽を守ることもきょうまでなかったといってよい。
でも、行きはぐれても、離れても、いつのまにか、性善坊と、この覚明のふたりだけは、善信のそばへ戻ってきていた。――もっとも今は、その善信は旅に出ていて留守ではあるが。
牛が、のどかに啼く――覚明は、ゆうべの思わぬ怪我人の世話をやいて、ろくに眠られなかったせいであろう、唇から涎をこぼしている、いかにも、快げに居眠っているのだ。
壮年時代には、進士覚明といわれて、その学才は都に聞こえ渡っていたし、木曾殿が兵を挙げた時には、一方の侍大将として、平家の武者を心から寒からしめたほど豪勇な人物であったが、こうして見ていると、まるでその当時の猛々しさなどは、影にも見えない。
自分ではいつまでも、
(まだいかん、まだ脱けきらん)と、しきりに常々いっているが、この居眠り顔は、いかにも生ける羅漢であった、菩提の光がうしろに映しているかのようだった。
ばたばたと跫音がしたので彼は眼をあけた、渋そうにその眼を横に向け、なんとはなく驚いて立ち上がったのである。
「覚明さん、はやく来てください」誰か呼ぶ――そして跫音はまた、小屋の蔭へあわただしく消えてゆく。
「なんじゃ」覚明は、駈けて行った。
すぐその眼に映ったのは、草庵の裏にある川べりで、二人の大法師が、薙刀をかかえ込み、裏方の玉日を取り巻いて、なにか穏やかならぬ暴言を吐いている様子。
覚明の大きな体が、あんなにも軽捷なるかと思われるほど、その行動は迅かった。
「――あ痛っ」法師の一人は、撲られた横顔をかかえ、よろめきつつ、
「何をするかっ」いうまに、覚明の手は、もう一人の襟がみへ伸び、
「こうする」ひき寄せて、腰帯をつかむと共に、ぶんと振廻して大地へたたきつけた。
三月初旬の朝である。
京都六角堂の精舎から、かがやかしい顔いろを持って、春かぜの吹く巷へ出てきた旅の沙門がある。
「ああ」太陽を仰いで、いかにも自己の生命を抱きしめるように、足を止め、やがて礼拝していた。
善信(親鸞)であった。
冬から春まで、旅のあいだを、着どおしに汚れている僧衣――うすい法衣――旅づつみ――誰が知ろう、この人が、嫉視と羨望の的になって世を騒がせた月輪の九条殿の法師聟であろうとは。
そして、まだ結婚して間のない新妻の玉日を、独り草庵の孤閨に残して、旅に出ている人であろうとは。
――で、巷の往来の者は、彼とすれちがっても、
(や、昔の範宴少納言が)とも、
(吉水の綽空が行く)とも気のつく者はない。
善信もまた、わき見もしないで歩いてゆく。さすがに、彼も、この京都の地を踏んでは、岡崎の家がなつかしいのであろう、新妻の笑顔にも早く接したいのであろう、加茂川にそって、白河のほうへ行くのである。
しかし、この京都へ戻ってきて彼がすぐ訪れたのは、その草庵でも、新妻のそばでもなかった。
ゆうべ、おととい、先おととい。――こう三日三晩を彼が送っている所は、六角堂の精舎であった。
河内の磯長の里の叡福寺にある聖徳太子の御廟へ参ることと、この六角堂へ籠って、心ゆくまで、感謝と、礼念をささげ、また、過去の追想からしずかに将来を考えてみたいということが、そもそも、こんどの旅の目的であったから――。
太子廟は、聖徳太子が、かつて自分の惨憺たる迷いと苦悩のある時代に、
――汝の命根まさに十余歳。という夢中の告示をうけた青春の遺跡であった。
あの時、あの転機がなかったなら、きょうの自分はないものであった。どうして、今のこの輝かしい生命があろう。
また、京都の六角堂は、そこの精舎へ、叡山から百夜のあいだ、求道に燃え、死ぬか生きるかの悲壮なちかいを立てて通った床である。
ここにも、如意輪観世音の有縁の恩が浅くない、さまざまな思い出が多い――
そうした半生の闇から彼は今ぬけ出した心地である。
聖道門から易行門へ。そして、恋は成って玉日との結婚へ。
「ああ」善信は、思わず胸がふくらむ。――自分ほど今、祝福されている人間があるだろうか。
だが――ひとみを拭って、都の巷を見てゆくと、なんと、ここには皆、暗い顔や、迷いのある影や、屈託の多い俯向き顔や、せかせかと物に追われているすがたや――およそ貧相な人間ばかりが多いことだろう。
物に富んでいても、心の貧しい――いわゆる貧相な人々のことである。善信は、自分の幸福をかえりみて、
「そうだ、自分の満足だけに酔ってはいられない。――自分の幸福は、頒けなければならないものだ。そして、世間の人がみな自分のような幸福を感じた時に、初めて自分も真から幸福になったといえるのだ。それまでは、小さな自己満足でしかない。――そんな小我の満足をきょうまで求めてきたのではなかった」
白河を過ぎると、いつか、右手の丘に岡崎の松ばやしが見えていた。善信は、久しぶりに帰る家と妻を見るまえに、自分の心をきびしく叱っていた。
「あっ、お師さまが」
「師の御房がお帰りなされた」草庵のうちにこの声が起ると、なぜかこの春の日を寂として沈んでいた空気が、いちどに爛漫と明るくなった。
わけても、その中で誰よりも、深刻なよろこびを、無表情に似た表情のうちにつつんでいる人が、裏方の玉日であることはいうまでもない。
旅すがたのまま、いちど持仏堂へ入り、やがて、静かに出てきた善信は、自分のまえに額ずいて、無事な帰りを祝う法弟たちに向って、
「留守中、御仏のおまもり、忝けなく思います」といった。
なにか、ずきんと胸の傷むように顔いろが、皆の面を横ぎった。
しかし、誰も口を切る者はなかった。――師の善信の旅の垢によごれた姿を仰いでも、そういう気持になれなかった。
その旅の衣をぬぎ、やがて善信はひさしぶりに自分の一室に落着いた。
「よう、お窶れもなく」玉日は、この良人を、どうして慰めようか、自分の女としての真心をあらわすのに苦しんだ。
「そうかの」善信は、自分の頬を手でそっと撫でて、和やかに笑った。
「もう、この頬には、どんな苦難が襲ってきても、病のほかは、窶れさすことはできなかろう。そういう自信が近ごろできてきた」
「うれしいことでございます」
「そなたは」
「さ……」玉日は自分の心に問うてみて、留守中の自分にそんな信念がなかったことに気がついた。この先もまだ、なかなか危ない気がするのである。
「わたくしは、痩せたでしょうか」
「そうのう」
「痩せたかもわかりません、ほんの少し……」善信は笑った。
さすがに、新妻のすがた――やわらかい姿態――女のにおいというようなものが、善信の旅にすがれた眸を、しみじみ、見入らせるのであった。
――この女なくば、自分は。と、ひそかに思う。
(どうなったか)と回顧するのである。
青年時代の何ものをも烈々と焼くか突き貫さずにはおかない情熱と、その時代を久しくつつんでいた真っ黒な懐疑と、当然、それから行きはぐれてしまう所だった青春と求道のわかれ道に――もしこの女が心になかったら――あるいはついに、
(虚無)の二字を宙に書いて、人生の絶望か、人生への絶縁かに、一気に墜ちて行ったかもわからない。
打っても、打っても、血の出るほど叩いても、ついに開かれなかった過去の聖道門から、一転、法然上人の易行の道へ行ったあの機縁も、
(もし、この女がなくば)と思わずにいられないことが彼にはある。
なにもかもが、明朗に、こうして今の一つの生活のうちに解けて、生に法悦を感じられる功力は、あの六角堂の参籠や、安居院の聖覚法印のみちびきのほかに、まさしくこの女の功力もある。
「自分にとって、妻こそは、如意輪観世音菩薩である」――そう善信は、心のうちでつぶやきをもらしていた。
と。何かその時、草庵の外に、騒がしい跫音がし、下等な悪たれが聞えた。
「会わせろっ」と、戸外の声は吠えているのである。
「――いいや、そんなお座なりの応対に、欺瞞されて立ち帰るような吾々ではない。こう見えても叡山の大衆を代表して出向いておるのだぞ。善信をこれに出せっ」それに対して、
「ただ今、師の御房は、旅先にあってこの草庵にはおりませぬ」と、ひたすら陳弁に努めているのは、性善坊であるらしい。
しかし、戸口に騒めいている四、五人の荒法師たちは、頑然と肩をいからせて、
「だまれっ、なんど同じことをくりかえさせるのだ。そんな甘手にのって戻るような使者か使者でないか、よう眼で見ろっ。貴様の云い訳は、きのうまでは通用したが、きょうはもうその手では吾々を追い返せぬぞ」一人の怒号がやむと、また一人が、
「たしかに善信は今朝あたり立ち帰っておるはずだ。白河ですがたを見たという者がある」
「出せっ、どうしても顔を出さぬとあれば、踏み込んで会うがどうじゃ」いちいちその声は手にとるように奥へ響いてくる。
妻が、はっとしたように、眸をすくめているのを見て、善信は訊ねた。
「あの訪れは、誰か」玉日は、自分の罪ででもあるように、
「――おゆるし下さいませ。お留守中の不行届から、あのように叡山の衆を怒らせたのでございます」
「どうして?」
「実は、かようでございます」怪我人の実性を匿ってやったことから、その翌る日、彼を捕えにきた叡山の者を、太夫房覚明がひどく懲らして追い返したために、山門の荒法師たちが、それ以来毎日のようにああして狼藉に来るのですと、彼女は良人の前に詫びて話した。
「実性」と、善信は口のうちでいって、
「――その実性とは、あの吉水の上人のもとに仕えている若い学生かの」
「はい、そのようでございまする」
「今はどこにおる」
「亡くなりました」
「え。――この草庵で」
「皆の者が、手をつくしてやったかいものう、二日ほどの大熱に、昏々と、うわ言をいいながら」善信が沈黙して、ふと眉を曇らせたのは、その無意味な犠牲者に対して、心を傷めたばかりでなく、師上人の身に、やがての禍いがなんとなく予感されていたからであった。
叡山や、高雄や、南都の反念仏宗のものが、こぞって法然を誹謗し、吉水の瓦解を工作し、打倒念仏の呪詛が、一日ごとに昂っているという取り沙汰は、善信も旅のあいだに、眼にも見、耳にも聞いていたことであった。
だが、そういう反動は、いつか来るものと、これは自分よりも師の上人がよう知っておられる。
元より善信も、あえて、巷の風評に、にわかな驚きはしなかった。――けれど、今、戸外に呶鳴っている法師たちの悪罵には、時こそよけれと、いい機会をつかまえて襲せてきたらしい気色が濃厚である。
(……困ったことを)誰のことよりも先に、彼は、師の上人への禍いを気づかうのであった。
静かに立ち上って、
「わしが会おう」歩み出してゆく良人を見て、玉日は顔いろを失った。覚明に懲らされて復讐に来た山門の法師たちのいかに獰猛であるかを知っているからである。
「あっ……覚明」彼女は思わず、彼方の部屋へむかっていった。
「――覚明っ、お止めしてください。お師さまが」太夫房覚明は、この事件を大事にした発頭人と皆から叱られていたのである。そのために、彼は、叡山から報復に来る者があっても、一切顔を出すなといわれ、一間のうちに、恐縮して首をすくめていたのだ。
――きょうもその相手が来た。
さっきからがんがん呶鳴っている戸外の声を、彼もそこで聞いていたのである。腕がうずくくらいなものだ。彼としては、飛び出して行って、自己の鉄腕ですっぱり解決してしまいたいことは山々だったが、これ以上争いに油をかけることは、裏方の心を傷めるだけでもよくないとじっと我慢していたところなのだ。
そこへ――
「覚明、お止めして」と、玉日の声が聞えたので、
「あっ」何かと驚きながら板縁を駈け出してゆくと、師の善信が、出あいがしらに、奥の一室を出てきたのであった。
「しばらく」覚明はひざまずいて、善信のたもとをとらえた。
「――私が追い返します、大事なおからだをもって、あのような乱暴一てん張りの荒法師に、お会い遊ばすことは要りませぬ」玉日も、おののきながら、良人の足もとへ来て止めた。
「どうぞ、性善坊と覚明のふたりに、おまかせおきくださいませ……。もしお怪我でもなされては」しかし、静かに、善信は微笑した。
「おことらこそ、さわがしい。わしが会うのは、相手の知識や人物を計ってではない、ただ、いささかのゆき違いがあっても、お師の上人にかかわること。人まかせには致し難い。――案じるな」踏みしめてゆく跫音は荒くないが、背には信念と、つよい性格が見えるのである。止めて止まる人でないことを覚明は知っているので、そのまま、不安そうな眼を光らして板縁に坐りこんでいた。
――すでにその時は、応対に出ている性善坊も持てあましていた時だった。五、六名の荒法師は、例の大薙刀を掻い込んだのや、大太刀を横たえたのが、ごうごうと呶鳴るだけでは足らないで、性善坊の腕くびをつかみ、一人は今にも、草庵の板の間へ、土足を踏みかけて中へ躍ろうとしていたところ。
「お。……これは」と、落着きはらった主人の姿をその咄嗟に見たので、
「やっ、出てうせたか」法師たちは、一応身を退き、その殺伐を好む眼ざしを一斉に彼へあつめて、
「嘘つきめ」
「いるではないかっ」
「なぜはやく面を見せんかっ」いわしておいて、善信はその間に円座をとり寄せ、入口のわきの広床へ、客の敷物もめいめいに配らせて、
「上がられい」と、慇懃であり、あくまで物静かである。
そういう作法や鄭重は、暴客たちにはかえって苦手である。赤いまばら髯の中から、熊鷹のような眼をひからせている大法師が、拳を振って、善信の冷静を打ち砕いた。
「馬鹿っ、ふざけるなっ。さような悠長な話で来た吾々ではない、事は、山門の体面にかかわるほど重大なのだ。おぬしの首をもらうかも分らない。ここで、罪状を申し聞かすから答弁してみい」
暴客の暴言を浴びながら、善信はその前に神妙に坐っていた。
「耳のない顔するなっ」荒法師たちは、あまりに反射のない彼の態度に、こう鬼面をもって脅しつけながら、
「――よいか善信。これから申すことに一々答弁が立たん時は、この小屋をぶっ潰し、汝の首を薙刀の先に梟けて、山門のみやげに持ち帰るぞっ」
「…………」微笑を見せて、善信はうなずくのであった。
「第一には――」と、荒法師のひとりが、山麓できたえた声に底力をこめて云いだした。
「わが聖域たる叡山のうちへ、密偵を入れこみたる理由はいかん」
「…………」
「第二には――その密偵、実性なる下司、山門の僉議を盗み聞き、世上へ怪しからぬ風説を流布いたしたる罪状はいかん」
「…………」
「第三には、山門法師の者、それについて、この草庵へかけあいに参りたるを、門輩の暴僧を出して、腕力をもって打擲したる理由はいかん」
「…………」
「以上三つ、なんとあるかっ、善信房」
「…………」
「無言でおるは、一言の申しひらきもないという表示か。しからば、約束どおり、この小屋を踏みつぶし、そちの素首をたたき落して持ち帰るぞ」すでに一人は土足を板縁にかけ、一人は善信の腕くびをつかんで、外へ引きずり出そうとする。
「何をするッ――」うしろへ来て、猛虎のように師のからだを警戒していた覚明は、たまらなくなって、突っ立った。
「――控えいっ」善信の声は、その覚明へ向って投げられたのである。
「今、仰せ承る三つのこと。すべて、善信としていい開きもない落度です。いかようとも召さるがよい。……誰も、手出しの儀はなりませぬぞ」
「おう、よくいったっ」引き下ろされて、善信のからだは、草庵の外へ転んで落ちた。
顔いろも失わない善信であった。
すぐ大地へ坐り直して、彼らの兇暴な腕力の下に体を与えてなんの惜しみもおののきもない容子なのである。
「どうしてくれよう」今となって、多少のためらいを感じているもののように、一人がつぶやくと、
「――斬れっ、勿論、斬るのだッ」一人が、薙刀の柄を持ち直して、鍔を鳴らした。
「いや、斬らせんっ」覚明は、師の善信が叱咤することばに耳をかさないで、板縁から飛び降りた。そして彼らと善信のあいだに、諸手をひろげて、
「悪僧どもっ、三つの答えは、おれがしてやる。さあ来いっ」善信はうしろに在って、その態を悲しむように、覚明を叱りつけた。しかし、覚明は肯かないのである。
「――地獄にも堕ちろ、師の破門も忌わぬ。このために数珠を断って、外道へ落ちるともやむを得ん。魔に対しては、降魔の剣、邪に対しては破邪の拳、まごまごすると、おのれらの素っ首から先に申しうけるぞっ」
薪に油である、覚明の投げたことばは、山法師たちの顔を、すべて火にさせた。
「吐ざいたな、広言を」
「いつぞや、山門の者を、手痛い目にあわせた下手人も、こいつであろう」
「こやつから先に成敗してしまえっ」吠え合うと、一人が、
「かくのごとく」と、いきなり薙刀を舞わせ、覚明の頭蓋骨を横に狙って、ぶんと払ってきた。
「児戯。何するものぞっ」覚明は身を沈め、宙を切って行く薙刀の柄をのぞんで手をのばした。ぐっとつかんで自分の脇の下へかかえ込むと、
「ウヌ」彼の二つの眼は、そのむかし木曾軍の猛将と呼ばれたころのものにかえって、顔から飛び出すような光を発した。
はっ――と相手が竦んだせつなに、薙刀はもう覚明の手に持ち直されていたのである。覚明は、それを斜めに振りかむると、敵のことばを真似て、
「かくのごとくにかっ」と、呶鳴った。善信が、
「待てっ」と、止めた声も、相手の山法師たちが、
「あっ」と怯んで後ろへ退がった行動も、弦にかけられた覚明の勢いには効き目がなかった。
――異様なものがギャッという音と共に破裂した、赤い泥をぶつけたような脳漿の血しぶきだった。
――同時に一箇の胴体は地ひびきを打って仆れていた。
「や、やりおったなッ」
「おう、阿修羅が今、地獄を現じて見せてやる。地獄もまた、わいらのような似非法師の性を懲らすためには、この世に現じる必要がある」三振り。四振り。彼の渾身から湧きあがる憤りをこめて薙刀を舞わすと、山法師たちは、それに当り難いことを自覚したのか、それとも、最初からとても手出しはしまいと見縊って来たのが案外な反撃を食って、急に怯みだしたのか、
「忘れるなよ」
「その広言を」
「後日来るぞっ――。それまで、そこの死骸は、あずけておくぞ」こう云い捨てて、わらわら、後も見ずに逃げ去った。
「卑怯っ」覚明は、満足しない。
「返せっ、この死骸、持って失せろっ」呼びかけながら、一町ほど追いかけて行った。
しかし、逃げ足の早い敵を、遠く見失うと、彼もまた、一時の激発から醒めて立ちどまった。そして、血しおのついている薙刀――手――法衣の袂を――急に浅ましい顔をしてながめた。
「あ……たいへんなことをしてしまった」
覚明は、自分の行為に、戦慄をおぼえた。いや、この結果として自分のうける罪の裁きよりは――師の善信にかかる禍いを考えて、
(しまった……)と、心で叫ばないではいられなかった。
そう気がつくと、一時も、手にしていられない気持がして、彼は血によごれた薙刀を、草むらへ抛り捨てた。そして、草庵のほうへ戻りかけたが、急に、何か戻るのが怖ろしくなって、少年のように、樹蔭にかくれて、しばらく彼方の様子を窺っていた。
覚明はその時、叱られる子が、怖い親の姿を見たように、はっと、眸をすくめた。
「……なんといってお詫びしよう」頭がそれでいっぱいになっていた。
――彼方から師の善信はこっちへ歩んでくるのだった。いつになく恐い顔を持って。
「…………」覚明は樹蔭に息をころしていたが、師のすがたが、立ちどまって、怒っている濃い眉毛に、一抹の憂いをたたえ、その眼を、あなたこなたへやりながら、いかにも心配らしく、自分の姿を探しているらしい様子なのをながめると、堪らなくなって、
「師の御房……不埒者の覚明はここにおりました」走り出て、その前へ、ぺたっと両手をつかえた。善信は、眼を落して、
「むむ……」なんともいいようのない感情をその顔に燃やした。
憎んでいいのか、いたわっていいのか、善信は自分もまた余りにこの覚明と近い感情の持主であるがゆえになんともいう言葉がなかった。
――だが、自分たち師弟は、一に仏の僕であって、どういう場合の裁きも、小さな我見であってはならない、御仏の旨をもって、自分も裁き、人も裁くのでなければならない。
閉じていた善信の眸は、やがて、静かにみひらいた。
「覚明……。お身は二十年の精進と徳行とを一瞬に無に帰してしまわれたの。千日刈った萱を、一時の憤懣に焼いてしまわれた――」
「お師様っ。この愚鈍な男を、どうぞ、打って下さい。踏みにじって、お怒りをおなだめ下さいまし」
「打ちすえてくれと?」
「はい……。さもなくば、ここの樹に私を荒縄で縛り付けて、叡山の狼どもに、この体を与えて下さい」
「……もう遅い」善信は、自分の胸が痛むように、熱い息をついていった。
「なぜ一瞬前に、それへ気づいてくれなかったか。今となって、おことの肉体を縛って贄となそうとも、わしが足蹴にかけて叱ろうと、それが叡山へ対してなんの効いがあろう、吉水の上人に向ってなんのおわびとなろう。……ただわしという者と、お身という者との感情を一時しのぎになだめてみるに過ぎないことだ」
「…………」覚明はその逞しい肩を大地へ埋め込むように、顔を俯伏せたまま、声をあげて哭いた。
「――さらばじゃ」師の声に、彼は、泣き濡れた顔をふりあげて、
「あっ、では……。ではこのまま、再びお側には」善信は答えなかった。
破門――師のうしろ姿は、無言の宣言をいいわたしているかに見える。
その破門をうけようと、地獄へ墜ちようと、覚悟のうえで敢てしたことであったが、覚明は悲しまずにはいられなかった。
「……そうだ」われにかえると、彼は、こうして自分が師の草庵の近くにいることは、よけいに師を苦しませるものだと思った。――悄然と、覚明の姿は、やがて岡崎の松林を去って、いずこへともなく落ちて行った。
「――弟子の未熟はいうまでもなく師の未熟。覚明の犯した大殺の科は、申すまでもなくこの善信の犯せる罪に相違ないのです。……なんの貌あって、弥陀本尊のまえに、私は安坐しておられましょう」善信は、そこの持仏堂を閉じこめて、自身へ責めをうけていた。
「――思うに、まだ私の生活や私の行が仏のみこころに莞爾として受け容れていただくほどになっていないためと存じます、今日の出来事も、妻を娶り、法悦に甘えて、懈怠を生じた私の心へ、笞をお与え下さったものと考えます」あたりが暗くなっても、彼はそこを出なかった。彼の心が今、暗澹と責められているように、壇にも燈明が点っていない。
「おゆるし下さい。覚明の罪をいや私の科を。――同時に吉水の上人のおん身にこの禍いの暴風雨がつらく当りませぬよう。――吹かばこの身へ、降らばこの身へ、何事もこの善信へ、百難百苦を降させたまえ」――祈るうちに、その暴風雨というほどではないが、かなり強い風が、草庵の廂を翔けていた。
起って――善信は消えていた燈明へ灯を点じた。どこからともなく吹き入る風に揺れて、小さな火の舌は焼くものを求めるように白く狂った。
その灯を見つめて、善信はふと、自身の身のまわりに、いつの間にか、自分の生命を生かす必要以上なものが蓄えられているのに気づいた。
自分の若い生命は、たしかに、異性というものに結びついて、一つの安定を得てはいるが、その形が、これからの生活に、複雑を生み、贅に安んじ、懶惰になってゆき易いことを、彼はひそかに怖れていた。
現在の安定が、もしそういう人間の堕ち入り易い病弊の産褥のようなものであったら、安定は、やがて次の苦悩の芽をかくしている苗床に他ならない。――善信は、慄然とした。
覚明や、その他の弟子たちの気持も、いつのまにか、自分のこういう生活の形に影響されて、変っているのじゃないか。ひとつの逆境時代――苦難時代というものを通り越して、ほっと、陽なたの春を楽しむような人間の気持のたるみというものは、誰にもある、自分にすらある。
「そうだ」黙って、善信は外へ出た。
風はあるが、星月夜だった。彼は、牛小屋の隣に眠っている小者をよび起して、
「彼方へ、輦を曳け」といいつけた。
牛方の小者は、ふいに、善信がどこへ外出するのかと驚きの目をみはった。いわるるままに、輦を遠くへ曳き出し、次に、牛を解こうとすると、
「牛をつけるには及ばぬ」善信は、持仏堂の御燈明から紙燭へ灯をうつして再び出てきた。そして、その灯を、絢爛な糸毛輦のすだれの裾へ置いた。
この輦は、昨年の秋、彼と玉日とが婚儀をあげるについて、月輪の九条家が新調した華美を極めたものである。――ある日は、新郎新婦が、その裡に乗って、岡崎から吉水までの大路を牛飼に曳かせ、都の人々から嫉妬の石を雨のようにぶつけられたその輦でもあった。
「……あっ。師の房様が、輦をッ、輦を焼かっしゃる」牛飼の者は、彼方の小さい火が、やがて、真っ赤な一団の炎となったのを見て、草庵の中へ向って、大声でわめいていた。
みな驚いて戸外へ出てきた。
昼の事件が、誰の頭にもあったので、すぐ、
「すわっ」と感じたのは、叡山の者が復讐に来たということであった。
ところが、牛飼の者は、
「師の房様が、気でも狂わしゃったか、輦を、ご自分の手で、あのように焼いておしまいなされた」と、舌をふるわせていうのである。
まことに、誰が見ても、怪しむほかない善信の姿だった。彼が放けた火は、もう消すにも消しようのない大きな焔のかたまりとなって、炎々と、妖しい火の粉を星月夜へ噴きあげている。
黙然と、その火を、善信はすこし離れた所に立って見惚れているのだ。――照らされている白い顔が、微笑すらうかべているように見える。
「なんで」
「どうなされましたか」
「師の御房――」口々にいいながら、性善坊やその他の人たちが、彼のそばへ、驚きの顔をあつめてきた。そして、焔と、師の顔いろを、粛然と見くらべた。
「芥を焼いているだけのことじゃ」善信のことばは、一丈もある焔のかたまりに対して、水のように冷静だった。
「――こういう物に、ふたたび乗る善信でないゆえに。また、この草庵に無用な雑物は、念仏の邪げとなるゆえに。――なお、きょうの出来事すべて、この身の落度と思うにつけ、自戒のためにも、こうするのじゃ」人々は、首を垂れていた。
すると、その人たちのあいだから、侍女に手つだわせて、見事な衣裳や女の道具を、惜し気もなく、焔のうちへ投げ込む者があった。
見ると、裏方の玉日なのである。その調度の品々は、みな彼女が、生家の九条家からほんの手廻りの物として運んできた婚礼道具であった。
「……むむ」善信の唇は、それを眺めて、なんともいえないうれしさを綻ばした。
――それでこそわが妻。と、心のうちでいっているように、また、この焔こそ、夫婦の心を、一つに熔かす真実の鉱炉であると見入るように、さばさばとした顔をあくまで紅蓮に向けていた。
輦を焼いたので、牛は牛小屋から解かれ、牛飼と共に、翌る日、九条家へ帰された。玉日は、たった一人の侍女もそれにつけて、実家方へもどした。
さて、その他の弟子たちへも、善信は、思う仔細があればといって、暇を出した。絶縁というわけではないので、性善坊も、師の気持を察して、旅に出た。――めいめいも、行く先を求めて、岡崎を離れた。
草庵は、二人だけになった。――急に無住のようなさびしさにつつまれた。
「こうして待とう」善信は、妻へいった。玉日もうなずいた。
待つとは――いうまでもなく、叡山の者の報復である。あのまま黙っている山門の大衆ではない。あれから数日、音沙汰のないのは、むしろ大挙して襲ってくる険悪な雲の相を思わせるものがある。
(襲たらば? ――)というようなことも、その時の覚悟なども、善信は一切、妻にいっていなかった。けれど、玉日の容子を見るに、朝な朝な、身ぎれいに、いつでも死ねる支度は心にしているらしくあった。
不気味なほど、比叡の一山は、このところ静かな沈黙を守っている。
どんな形をもって、再度の報復に出てくるかと思ったが、岡崎の草庵へも、あれなりなんの行動も起してこないのである。
――だが、それをもって、叡山が、山門の僉議の決議を変更し、対念仏門の考え方を好転したかと見るのは早計で、事実はかえって、いっそう険悪の度を加えていたのだった。
山にも、智者がいる。
「岡崎のごときは、法敵の中核ではない。敵の中枢は、吉水ではないか。吉水こそ、念仏門の本城なのだ。したがって、吉水さえ打っ仆してしまえば、後は、岡崎の善信だろうが、何だろうが、みな支離滅裂となって、社会へ何の力も持たなくなるのは知れきっている」こう、智者は説いて――
「それを、一草庵の岡崎へなど、度々出向いて、争うなどとは、愚の骨頂だ。聞けば、善信夫婦は、あの後、草庵の法弟にみな暇を出し、自分たちの什器から輦まで焼いて、吾々の成敗の手を心静かに待っておるらしい様子とか――そういう覚悟の者へ、物々しい返報は、かえって、こちらが大人げなく、世上のわらい草となり、念仏打倒の輿論を邪げることとなろう。ただ、吉水を仆せばよいのだ。吉水を仆せば、岡崎などは、そのついでに自滅する。もうくだらぬ暇つぶしはやめて、目的へ邁進することこそ肝要である」
「善哉――」この説は、山の者を風靡した。そこで彼らは、
「下山ろうぞ」と、日を諜し合った。下山ろう――とは彼らの仲間にだけつかわれる合言葉であって、
(やろうぞ)という示威運動の掛声にも通じる。
座主にも、それを止めるほどな、力はなかった。
彼らは、すぐ、日吉山王三社の神輿を出して磨き立てた。
一山三千の大列のまえに、三社の神輿をかついで、京へ下りる時には、どんな者でも、その前を遮らせなかった。山法師の強訴といえば、弓矢も道を避けたものである。
準備はできた。朝廷へ捧げるための――「念仏停止奏請」の訴文も認めて、いよいよ明日は大衆が山を練り出そうと息まいている日であった。
「おいっ、中堂から布令だ」と、呶鳴って廻る者があった。
「集まれ」と、誰いうとなく、山上の根本中堂へ人々は駈けて行く。
大講堂には、もう、人が蝟集していた。明日、担いで下山するばかりに用意のできている三社の神輿は飾られてあった。
「吉水は、降伏してきたぞ。うわさを聞いて、縮みあがったのだろう、かくの通り、法然上人以下、門弟百九十余名、連名をもって、叡山へ謝罪文を送ってきた。今、それを読みあげるから、静かにして聞かれい」
一人の山法師は、大講堂の縁に立って、吉水から法然上人以下百九十余名の名をもって送ってきたという誓文を、朗々と、高声で読み初めた。
近ごろは健康もすぐれず、吉水禅房の一室に閉じこもって、めったに庭先の土も踏まない法然であったが、彼にはなにもかも分っていた。
(捨てておけない)と感じたのが、つい二、三日前のことであった。
「信空、筆を執って賜も」高弟の法蓮房信空が、
「はっ、何事を」
「わしの申すままを」と、法然はしばらく眼を閉じていたが、やがて――
護法前神ノ宝前ニ投ズ
信空は、上人の唇から、糸を吐くように出る文言をそのまま筆写して行った。かなり長文であった。
「……しばらく」と、信空は、上人の息もつかせない口述を待ってもらって、そっと懐紙を出して、涙を拭いた。
写してゆくうちに涙が出て、ともすると、紙の上へ落涙しそうになるのだった。怺えても、怺えても、泣かずにいられない言葉なのであった。
それは、上人が、叡山の大衆に対して、誤解をとくために送ろうとするものであった。言々、血涙の声だった。
ひたすらに、自己を責め、自己の不徳のいたすところであると上人はいっている。同時に、念仏門の真意は決して、とかくに臆測され、疑われ、邪視されているようなものではなく、浄土の行のほかに何らの他意のないことも縷々として述べている。
なお、他に、七箇条の起請文を書かせて、翌る日、
「火急のことあり、禅房までお越し候え」と、門下のすべての者へ、使いをやって、告げた。
「何事」と、朝から、続々と、禅房の門には人々が集まってきた。
上人は、前の日、認めさせた起請文を一同へ示して、
「法然と同心の者は、これへ、連判なされたい」といった。ある者は、一読して、
「これは叡山に対する降伏状にひとしいものではないか」と蔭へ来て、無念そうな唇を噛んだ。ある者は、また、
「あまりなご謙譲だ」と、壁の隅へ来て、落涙するものもあった。
七箇条の誓文と、叡山へ送る一文には、法敵を責めている論争は一つもない。ただもう自己の謹慎を述べて、彼の疑いを一掃しようとするものであった。人々が、残念がるのもむりはなかった。けれど、それも上人の気持とあればぜひがない、順々に、門弟たちは署名して行った。
そして、三日のあいだに、百九十名がそれに書かれたのである。岡崎の草庵から駈けつけた善信も、もちろん、そのうちに連判していた。
それが叡山に届けられ、大講堂で今日読み上げられたのである。
山門の大衆は(われ勝てり)と凱歌をあげ、
「ざまを見ろ」と、降伏者を見下すように、誇りきった。
激昂していた大衆は、すっかり溜飲を下げて、
「頭を下げ、手をついて、降伏した者を、この上、踏みにじってもしかたがあるまい」と、「念仏停止」の奏請運動は、せっかく、山王権現の神輿まで磨いたところであったが、
(沙汰止み――)ということになってしまった。
その後、安居院の法印聖覚が、個人として、山へのぼってきて、
「一山の人に話したい」と、熱心に、遊説して廻った。
要するに、こういう紛争が起るのも、仏教に対する解釈のまちがいである、認識不足が因である。――という法印の考えから、
(聖道門と、浄土門)という演題を引っさげて、仏徒に対して、仏教の初学にひとしいことを、教育しに登ったのである。山の者は、
「あいつも、今では、吉水の高足とかなんとかいわれ、世間は彼のことを、
一元の能説
聖覚法印は、吉水と叡山との小さい事件や、感情には触れないで、ただ熱心に、道の真諦を説くだけだった。
「――どなたも、すでにご存じのあるように、生死の惑いをのがれ、仏道の安心立命に至る道に、二つの道があります。その一つの方法を聖道門といい、その一つの方法を浄土門というのでありますが、目的とするところは、いずれも、この娑婆世界にあって、行を立て、功を積みて、今生の証をとろうと励むことにあるのは、二道、方法のちがいはあっても、目ざす所に変りはないのでございます」噛んでふくめるように、法印聖覚の話はやさしいのである。
「そこで、浄土門というのは、どういう方法に依って、往生を願うかというと、それにも二すじの道が分れていて、一は諸行往生といい、二には念仏往生といっています。諸行往生というのは、あるいは父母につかえ、あるいは師や主につかえ、菩薩の行をとって凡身の浄化を念じるものであり、また、念仏往生と申すのは、行は、依って興るものゆえ、第二義といたして、なによりはただ、念仏をとなえよ、一にも二にも念仏をもって、仏の本願へ行き迫るべしと、かように教えているものでござる。――かるがゆえに、吉水の上人が説きさとし給うところに従えば、いかなる職業の態にも、貴賤のすがたにけじめなく、ありのままに、いるがままの生活の形にても、仏の御手は、本願へ導き給うぞかしと、仰せられるので、いと易い道であるがゆえに、道俗の男女は、旱天に雨露をうけたように、ここへ息づきを求めてくるのであります」と説き、そして、
「――あえて、私どもは、この教義をもって、旧教の聖道門へ対立するとか、または、勢力を植えるとか、そんな考えでは毛頭ないのです。大体、私どもの念願は、僧侶に向って教えたり、僧侶に対して僧侶の勢力を示すとか、そんな目的では少しもなく、私たちの目標は、すがる物なく、現世を悲観し、虚無に落ちている不愍な民衆に、光を与えてやろうという所にあるのでございます。――ただただあわれな民衆と弥陀の手をつないでやろうとするのが本願なので、どうか、この辺をよくご諒解ねがいたいものだと存じます、同時に、叡山としても、今の社会に対して、もっと、大きな慈悲の眼をもって、働きかけていただきたいと、衷心からお願い申すわけであります」
聖覚法印の遊説は、効果があったらしい。
山門は、わりあいに、彼の、
(浄土門とはどんな教えか)という講演に、好感をもったようであった。
先には、七箇条の誓文と、法然の謙譲な文書が来ているし、その後から、法印聖覚が、こうして山を説いてあるいたので、叡山の感情は、非常にやわらいできたように見えた。
すくなくとも、表面だけは。
だが、風は――波は――依然としてやんではいない。
果然。吉水の教壇へ向って、巨弾を放ってきた第二の法敵があらわれた。
高雄栂尾の明慧上人である。この上人は、そこらにざらにあるいわゆる碩学とは断じてちがう。満身精神の人だった。学問の深さも並ぶ者がまずあるまいという人物だ。
(栂尾の上人がこういった)といえば、その一言は、思想界をうごかす力があった。
しかも、明慧は、めったに言論を弄ぶような人でなかった。自重して、深く晩節を持し、権力とか、名聞とか、そんなことに軽々しくうごく人でも決してない。
ところが――その明慧が、奮然、起ち上って、吉水へ挑戦したのである。その峻猛の意気を世に示したものが、
「摧邪輪荘厳記」一巻
「――読んだか、栂尾の上人の著書を」
「うむ、見た」
「全文、熱烈な念仏批判の文字だ。念仏門の教義も、あれには木ッ葉微塵に説破されてしまった形だ。――空谷の天

「吉水も、こんどは参ったろう。栂尾の上人の人格と、学識の前には、いやでも念仏の声をひそめてしまわずにはいられまい」世評は、たちまち、これを問題にとりあげて、さらに巷へ拡大した。
あまり評判がたかいので、吉水の学僧たちも、ひそかに「摧邪輪」を手に入れて、かくれて読む者が多かった。そして読んだものは必ず、
「――はてな」と、今まで信念していた念仏門の教義に疑いを抱いて、信仰の根本に、動揺を感じ出した。
それほど、明慧の学説には、確乎とした仏教精神がこもっていたし、また、整然とした理論と、的確な考証をも併せて持っていた。
権力や、伝統や、自己の位置を擁護するために、ただ暴圧的に、吉水を押しつぶそうと試みる叡山などの反撃とは、それはまるで比較にならない真摯な反駁であった。
「痛手だ。なんといっても、これは吉水の教団にとっては、致命的な打撃だろう」と、人々はいい合った。
事実、明慧上人のこの獅子吼があらわれてから、吉水禅房の内部にも、かすかな信仰の揺るぎが萌してきた。その証拠には、法然の講義を聴く学僧たちが、このところ、めっきり数が減ってきたのでもわかるし、また、在家の信徒の訪れは、目立って少なくなってきたことは争えない。
たとえまだ吉水へ残っている学僧たちでも、表面は平静を装っているものの、内心では、みな多少の懐疑を持っているらしく、
「一体、栂尾の明慧の論は、念仏門のどこがいけないというのだろうか」寄るとさわると、それが話の中心になって、やはり気にかけているふうだった。
「いうまでもなく師の法然上人のお書きになった、選択本願念仏集の中にある教理をつかまえて、それを反駁しているのが、明慧の摧邪輪なのじゃないか」
「それは分っているが、双方の信念のちがう点は」
「それは明慧が、幾ヵ所も指摘しているが、最もちがうところは、吉水の教理では、念仏をもって往生の第一義としておるが、明慧は発菩提心をもって仏者の要諦としている」
「つまり、念仏か、菩提か。――という議論だな」
「議論などを明慧はしていないのだ。――発菩提心、往生安楽国――という見地から、法然上人の選択本願念仏集を真っ向から粉砕している口吻で、念仏門の邪見十六条というものをかぞえあげている」と、その学僧は、眼をつむって、暗記している明慧の著書のうちのことばをそら読みに読みはじめた。
然リト雖モ、愚子狂子、稀レニ良薬ヲウケテ嘗メズ、何ゾソノ拙キヤ。爰ニ近代、一聖人アリ、一巻ノ書ヲ作リ、名ケテ、「選択本願念仏集」トイウ。経論ニ迷惑シテ諸人ヲ欺誑シ、往生ノ行ヲ以テ宗トナストイエドモ、却ッテ、往生ノ行ヲ妨碍セリ。
高弁、年来聖人ニ深キ信仰ヲ懐キ、聞ユルトコロノ邪見ハ、在家ノ男女等、聖人ノ高名ヲカリテ妄説スルトコロト思イ居タリ。コノ故ニマダ以テ一言モ聖人ヲ誹謗セズ。然ルニ近日、コノ「選択集」ヲ披閲スルニ、悲嘆甚ダ深シ。名ヲ聞キシ初メハ、聖人ノ妙釈ヲ礼サントヨロコビ、巻ヲ披クノ今ハ恨ム、念仏ゾ真宗ヲ黷セシコトヲ。
今ツマビラカニ知リヌ、在家、出家、千万門流ノ起ストコロノ種々ノ邪見ハ、ミナコノ書ヨリ起ルトイウ事ヲ。
「むずかしいな」
「どっちがほんとだか、読んでいても、実は、吾々には分らなくなる」
「いったい、菩提心というのはなんだろう」
「明慧は、こう説いている――
曰ク、向上ノ心即チ是ナリ。菩提、訳シテ覚トイウ。仏果一切ノ智々ナリ。コノ智々ノ上ニ起ス衆生ノ希望心ニテアルナリ。コノ故ニ、仏道ヲ修メ、往生ヲ願ウモノ、如何ゾコノ心ナクシテ可ナランヤ」
「けれど、吾々の教えをうけている法然上人の仰せには、菩提心も仏果の助けにはなるが、頼みにはならぬと仰っしゃるのだ。ただ念仏こそ、真の安心へ導くものだと常々仰っしゃっている」
明慧上人の駁論を読んだ者は、また必ず、もういちど法然上人の選択集を読んで、両方の教理を比較してみた。その結果、
「これは念仏門に止めを刺したな」と、観る者が多かった。
いつの世でも、新しく勃興するものには、必ずこういう痛撃が出るし、受け身になるものよりは、駁撃するほうへ痛快がるのが、言論の世界の通有性である。かなりの識者のうちでも、
「やったな」
「愉快だよ」そういうことがよろこばれるものだ。
まして、叡山の大衆、南都の大衆などは、手を打って、
「これで、念仏も黙った」と、明慧説を、絶対に支持した。
――なるほど、吉水禅房は、その一時の隆盛ぶりから見ると、表面いちじるしく衰弱したように見える。しかし、そこを訪れた者は当の法然上人を初め、高足たちが、意外に泰然として、しかもすこしも明慧説を陰で誹謗するようなこともなく、その信仰にも、毛ほどな揺るぎも見せないことを、むしろ奇異に思うくらいであった。
いや、人出入りや、房の学僧などの数こそ、ひところよりは減ったが、残った人々のあいだには、外部の迫害に対して、かえって、いっそうその結束と信仰のつよさを固めてきた風さえあった。
念仏か、菩提心か。
そんな問題や、
聖道か、易行か。
というようなことは、もうここの人々には初学であった。今さら、そんなことに疑義を持っている者は、上人の高足たちの間には、一人もいないといってよい。
もっと、もっと、この人々の研究心は、深い所へ根を下ろしていた。――外部の迫害とか、非難とか、教義の揚足とりなどはよそに、自己のうちに、論敵を求め、自己のうちに真理をつかもうとして、焦心り合っているくらい、それは、すさまじい魂の磨き合いを見せていた。
岡崎の草庵から、善信も、度々そこへ通っていた。そして、いつも火の出るような議論の中へ彼もつかまるのだった。
――ちょうどその日は、高足の聖信房湛空だの、勢観房源智だの、念仏房念阿など初め、そのほか多くの人たちが来て集まっていた。
ふと、善信が、そこへ姿を見せたのである。
すると湛空が、
「オオよい折に」と、早速、
「善信御房、あなたならば、はっきりしたお考えをお持ちにちがいないからうかがうが――」と、質問し出すのである。
「実はただ今、これに集まっている人々の間で、いったい、信仰というものは、人に依って変りのあるものか、変りのないものか。つまり信仰は一か異か――とこういう問題が出たのですが、あなたは、どうお考えになられるのか」
「さよう」善信は一同のあいだへ静かに座をとって、よほど激論のあったらしい一同の熱した顔いろの跡をながめていた。湛空は、膝をつめよせ、
「たとえば、吾々は、ひとしく浄土に生きんという理想をもっている。けれど、凡夫の吾々と師の上人とは、信心の誠というものがどうしても異うはずです。――そうしてみると、われらは、いつになったら師の上人のような心境になって、真の安心が得られるだろうかと考えたくなる。――生れつきの愚鈍や凡夫では生涯かかってもついにほんとの往生極楽の味はわからずにしまうのじゃないかと思うのです。……で、議論になったわけじゃ……信仰は万人一か異のあるものか。変か不変か……問題なんです」
「いかがです、善信御房」
「されば」善信は、居ずまいを直し、
「私の考えを述べます」はっきり答え出したので、同席の人々は、みな善信の眉へ視線を向けた。善信の眼には、彼のここまで研きぬいてきた信心が、こって眸となっているように燿いていた。
「信心に、二つはありません。唯一なものです。人に依って、その誠にも変りがあると仰せられるのは、古い考え方です。聖道門の人たちのいった言葉が、まだあなたがたにどこかこびりついているせいでありましょう」
こう彼が、確信をもっていいきると、一同の顔いろに、ちょっと白けたものが流れて、唖のように、黙り合った。
彼に、問題を提出して、問題の解決に努めていた湛空は、
(これは意外なことを聞く)といったように、ちょっと唖然としているし、念仏房念阿も、勢観房源智も、その他のほとんどといっていい大勢が、
(もってのほかな説)と、明らかに、反対な眸をして、善信の眉を見つめ合った。
「では、承るが――」と、湛空はその人たちの意見を代表して、詰問するように、
「――善信御房は、そういうお考えとすると、御自身の信心も、師の上人の信心も、同じである、一つである、少しも異はないと仰せられるのか」
「そうです」
「ちと、僭越なおことばと存ずるが」
「なぜですか」
「年齢と申し、体験といい、また学問の程度と、あらゆることにおいて、師の上人と、まだ三十歳を出たばかりの御房とは」
「ちがいません」
「はて強情な。――しからば、この湛空の信心と、あなたとでは」
「なんの異るところもない。信心は一です」
「どうして」
「今さら申すまでもないことと私は思う。ひとたび、他力信心のおさとしをうけてから、私は、そんな問題に今日まで迷っていたことはありません。そのいわれは、師の上人の信心も他力によって身に持ち給うもの。また、この善信の信心も、他力によって持つところのもの。――どこにこの両者にちがいがありましょう。否、師と弟子のみではなく、他力門の信心は、すべて一つであって、異があってはならぬものと思うのです」だが、善信がいっただけでは、皆屈しなかった。やむなく、法然の前へ出て、一同は、この解決を求めた。
すると法然は、こういった。
「人により、信心に異があると観るのは、自力の信心のことをいうのじゃ。智慧とか、身分とか、男女の差とか、そういうものを根本にして考えるから、信心もまた、智慧、境遇などに依って、差のあるもののように考えられてくる。――しかし、念仏門の他力の信心というものは、善悪の凡夫、みな等しく、仏のかたより給わる信心であって、みずからの智慧や境遇の力に依ってつかみとる信心ではないのでござる。――ゆえに、法然が信心も、善信が信心も変りはないはず。信心に変りありと考えておわす方々は、この法然が参る浄土へは、手をとりおうても、よも共々参り給うことはかのうまいに……。ようもいちど考えてみられい。いつも一つこと繰り返すようでござるが、もいちどここでも申そう。念仏は絶対他力の教えであるということを」
善信は、その後、独りでこういう問題について考えてみた。
「この間のああいう論争が起るところを見ても、まだ他力念仏をこれほどお説きになっている上人の真意は、幾人もほんとに理解していないのだ」心細い気持がするのであった。
「叡山三千房が、こぞって迫害の手をのばそうとしている折、また、栂尾の明慧上人があのような論駁を世上に投じている場合、ご随身の高足ともあろう人々が、まだあんなことをいっているようでは、浄土門の真理の芽は、せっかく大地を割ったばかりで無碍に踏みにじられてしまう」そう、彼には、案じられた。
「――一つ師を仰ぎ、一つ真理にすがり、室を共にし、寝食までを同じゅうしても、それが、真の道の友とはいい難い。学問や利を同じゅうして集まっていても、その称える念仏には、まだまだ自力の声があり、他力の声があり、迷いの声がまじっている」
今は、聖道門の旧教と、自分たちの新しい宗教との、いわゆる聖浄二教というものが、二つの太い潮流を作って、日本の思想界において、それが、ひところの対立時代から、さらに迫って、まさに、正面衝突をしようとしている。
そういう重大な時機なのだ。――だのに吉水の内部にある人々のあたまに、まだ、そんな脆弱なものが残っているようではならない。断じて、その質を、もっと強固に、明確に、みんなの信念からして、統一したものになっていなければならない。
こう善信は痛感した。
そのありのままの意見を、師の法然に述べてみると、
「よいところへ思いつかれた」と、その翌る日、すべての門縁の人々へ、集まることをいい触らされた。
その日、法然は、禅房のうちのいちばん広い室へ、席を二つに分けて、人々の集まりを待っていた。
三百名に近い法縁が集まった。――ころを見て、法然は、
「きょうは、御覧じあるように、信不退の座と、行不退の座と、二つに席をわけておいた。――おのおのはそのいずれの方の座に着き給うか、法然に、示して給われい」
はっ……と人々は顔を見あわせてしまった。誰も、黙っていた。容易に、先へ立って座を取る者もなかった。
「みなご遠慮あるとみえる、ではお先に」と、起ち上がった人を見ると、それは、釈信空であった。
迷うところなく、信空は、信不退の座へすわった。
「わしも……」とつづいて、信不退のほうへ坐ったのは、安居院の法印聖覚であった。
が――それなり、ふたたび、満座には、迷いの眼ばかりが白くうごいていた。
しいんとして、起つ者がない。
すると、禅房の木戸をあけ、庭石に木履の音を高くさせて入ってきた大兵の僧がある。
「やあ」と、広座のていを見て、快活な声を外から投げていうのだった。
「善信どの。なにか、おん身はそこで執筆役をおひきうけのご様子、いったい、きょうは何事があるのでござるか」
まだ失せない武骨な関東訛りでそういうのだ。これは、熊谷蓮生房であることはいうまでもない。善信が、
「あなたへは、ご通知が洩れていましたかの。実は、今日は同門一統の者、ここへ集まって、信不退と行不退の二つに座をわけておるところです」
「オオ、しからば、この蓮生も、法縁に洩れてはならん。やつがれはまず、こちらの座をいただこう」蓮生房は、どかと、これもまた、信不退のほうへと坐った。
信か。行か。二つの座のどっちを選ぶか。
(――試されるのだ)
そう思うと数百名の門徒は、よけいに迷っているふうであった。唾をのんで、人の気色にばかり敏覚である。しいんとして、
(吾は――)と進んで、自分の態度を、はっきり示すほどの者がない。
坂東武者上がりの熊谷蓮生房は、なんのためらいもなく、信の座へ着いたが、人々は、
(あれは神経のあらい人だ。先に釈の信空と、聖覚法印が信の座へ着いたので、それで、自分も追従したに過ぎない)こう見ているのであろう、むしろ彼の態度を、軽蔑するように、じろじろ眺めて、そして自分たちの態度は、なお決しかねているのだった。
執筆役の善信は、机のうえに紙をのべ、筆を握って、
(これだけの門徒のうち、どれほどの数の者が、真の信仰をもっているか)――を、じっと、恐いような気持と、真摯な興味をもって、眸をすまして、その実証が数に出るのを待っていた。
――だが、誰も咳声もしなかった。無音から無音へ、ときが過ぎてゆく。
「? ……」寂としたきりである。――と、善信の手にある筆が、さらさらと紙の上に微かに走った。
「わしも、信不退の座につらなり申そう。善信、法然房の名を信の座に書かれい」
上人の声であった。
数百名の門徒たちは、はっと思ったように顔いろを革めた。しかしもう遅い気がして、
「わしも、そう思ったのじゃが……」
「いや、自分も、心では」などとにわかに騒めき出す。
信不退か、行不退か、の試判はこれで明瞭になった。
信の座についた者は、結局、
釈の信空法蓮
熊谷蓮生房
法然
後は、おそらく、念仏はとなえても、他力の門に籍はおいても、どこかに小さい自力がこびりついていた人々だった。旧教の殻が脱けきれないのか、研鑽が浅いのか、とにかく、肚の底まで、念仏そのものに、澄明になりきれない者たちだった。善信は、心のうちで、
「これでも、今の時代は宗教が旺だといえるだろうか。旧教の仏徒から、嫉視を受けるほど、勃興していると見られている念仏門が――」と、嘆息していた。だが、法然は、
(そうもあろう)当然なことでもあるように、騒めいている門徒たちの上を、嘆きもせず、欣びもせず、いつものような眼でながめていた。
叡山の大衆は、その後、
(吉水は降伏した)と、例の法然とその門下の名をつらねた七箇条の誓書に、凱歌をあげていたが、
(あれは、奴らの戦術だぞ)という者があり、また、
(吉水の念仏者たちは、いよいよ結束して、信仰をかためているし、外部の門徒たちも、なお殖えるような勢いにある)と聞くと、
(それは捨ておけぬ)ふたたび持ち前の嫉視を向け、弾圧、迫害、誹謗、あらゆる反動を煽って、とうとう、朝廷へ向って「念仏停止」の訴えを起した。
一方――栂尾の明慧上人が、学理の上から、法然の「選択本願念仏集」やその他の教理を反駁して、大きな輿論を学界によび起しているので、
(今だ)
(この図に乗って、打っ倒せ)と、呼応して出た形もある。
社会の眼もまた、
(いよいよ念仏門の受難が来た)と、吉水禅房の無事を危ぶんで、どうなることかと、不安な予感を抱いて、この大きな二大思潮の正面衝突をながめていた。
事実――吉水のうちの頼もしげな高足たちの間にすら、徐々と、その動揺をうける者があって、
「近ごろは、誰の顔が少しも見えんが」と囁き合っていると、その囁きをなした者が、翌る日は、
「しばらく、郷里へ帰って、故山で信仰と勉学にいそしみたいと思いますが」とか、
「国元の老いたる親どもが、にわかに、病気の由ゆえ」とか、口実を構えて、吉水を去ってゆく者が、日に幾人かずつ出てくるような有様であった。
ことに、信不退、行不退の二つの座に試みられ、その信仰の浅くて晦いことを曝露された人々のうちには、ひそかに、不快とする者もあって、理由も告げず、だんだんに、足の遠退いた者もある。
そういう状態にある吉水へ、さらにまた、一方から不意な法敵があらわれて、
(邪教をつぶせ)と、波瀾のうえに、波瀾をあげてきた一派がある。
奈良の興福寺の衆徒と、その衆徒が、当代の生き仏と仰いでいる、笠置の解脱上人とであった。
その罪状は、九箇条になっていて、第一、邪教をいい立つるの罪から筆を起し、
――釈尊を軽んずるの罪
――万善を廃するの罪
――神霊に背くの罪
――国家を壊乱するの罪
吉水は今や、文字どおりな四面楚歌だった。
高雄は、学理の上から。
――だが、しかし。一方に、打倒念仏の猛運動が起れば、一方にもまた、念仏の支持者も社会に少なくはなかった。
「吉水の上人は、何を聞いても、よそごとのように聞き流しておられるが」と、心痛している人々が、意外なところに多かった。
わけても、朝廷には今、叡山の訴状が出ているし、南都の衆僧からも、念仏悪の罪状をかぞえて、その弾圧を、廟議に建言している際なので、
(この両方の訴えを、取り上げたものか否か)という問題は、毎日のように、堂上の朝臣たちの政議にのぼっていた。
京極摂政師実の孫――大炊御門経宗とか、花山院の左大臣兼雅とか、京極大夫隆信とか、民部卿範光、兵部卿基経などという人々は、日ごろから、法然に帰依している人たちであるしまた政治的にも、
「言論の上ならばともかく、ただ新しい宗教を排斥するための強訴や誹謗は、これを御政治にとりあげて、軽率に、主権の御発動を仰ぐべきでない」という意見を持って、廟議にのぞんでいた。
もちろん、ここにも、叡山に加担する公卿や、南都の云い分や、明慧上人の学説に共鳴する者は少なくないので、二つの思潮は、二つの政治的な分野にもわかれ、いつも、激論に終ってしまった。
こうして、廟議の方針が、にわかに一決しないのを見ると叡山は、
(念仏方の公卿たちの策謀を、まず先に打ち懲せ)と、いつもの手段に出て、近いうちに、日吉、山王の神輿をかついで一山三千が示威運動に出るらしいという警報が都へ入ってきた。
山門の強訴といえば、いつも血を見るか、または、なにか社会的な大事件の口火になるのが例であった。
「すわ」と、堂上にも、そのうわさに、脅かされる色があった。
しかし、念仏支持の公卿は、
「叡山の態度こそ、怪しからぬものである。吉水の法然と、それとを比較すれば、いずれが、仏者として正しいか、瞭かではないか」と、かえって硬化して、廟議は、いっそう激越になり、二派の対抗は、政治から感情へまで尖り合ってきた。
こういう険悪な成行きをながめて――
「困ったものだ」誰よりも、ひそかに、胸を傷めていたのは、前の関白月輪禅閤であった。
彼は今はもう、まったく、政界からも、廟堂の権勢からも、身を退いて、ただ法然門下の一帰依者として、しずかに余生を送っている人であったが、現在、自分の息女の一人は、善信の妻として嫁いでいるし、弟の慈円僧正は、叡山の座主であったが、その座主にもいたたまれないで下山しているのだ。
「なんとか、和解の途はないものだろうか」禅閤は、自分の力で、この大きな対立の調停ができるものなら、どんな骨を折ってもよい、老い先のない身を終っても忌わないと考えていた。
で――高雄の明慧上人へ、ぜひ一度、個人的に会って談合したいが――と使いをもって申し送ると、明慧からも、承諾の旨をいってきた。
「かの上人ならば」と、禅閤は、一縷の望みを抱いて、今の大きな危機を、自分の信念と誠意をもって、未然に、打開できれば、それはただ吉水の門派や一箇の法然の幸いであるばかりでなく、社会不安の一掃であり、また、一般の法燈のためにもよろこぶことだと信じていた。
ところが――意外な大事件が、誰も考えていないところから突発した。――まったく、吉水でも、その法敵でも、夢想もしていなかった社会の裏面から、それは燃えひろがった魔火であった。
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暦の上ではもう秋といわねばならぬが、気象は夏型のままだった。久しく雨を忘れているような空に、きょうもうごかぬ雲を見せ、宇宙は大きな倦怠状そのものだった。
この倦怠と無変化を、残暑とよんで、人の生態も、ふしだらや無気力が自然とされ、東山の高さから洛内をながめても、炎天のうちは、大路大橋を往く人影もなく、乾きぬいた町家の屋根は反りかえり、加茂川の水は涸れほそって、堤の柳も埃に白くうなだれた列としか見えない。
月見も近い八月の中旬というのに今年はこれである。――変化が欲しい。何がな、変化を求めてやまないような意欲が、息ぐるしげな木々の葉にも、道の辺に這う露草の花の頸にさえあった。
「なんという暑さでしょう」
「山を歩くと、汗が出て」
「ま……せっかくのお美しい化粧が、だいなしに汚れましたこと」
「あなたも」
「ホホホ。――でも、御所の局のうちに、じっと装束を着て、かしこまっているよりは」
「それはもう、較べものにならないほど、きょうは楽しゅうございました」
「この大空を、伸々と、見ているだけでも――」
東山のあちこちを、そぞろ歩きしている二人の若い女性があった。
籠から放たれた小鳥のように、この女性たちは、他愛なく、

「松虫様」と一人は、一人のほうを呼んでいたし、松虫は、連れの者を、
「鈴虫さま」と呼んでいた。
どっちも、似たような身装をしているが、面ざしは、違っていた。松虫は、すこし年上で、十九ぐらいと見えるし、鈴虫は、十七歳ほどに見える。
すらりと、上背丈があって、面長のほうが、その年上の松虫だった。愛くるしい――何かにつけて、表情に富んでいて、深い笑くぼが、絶えず明るい顔にただよっている――どっちかといえば、時世的な容貌を鈴虫のほうは持っていた。
「あら」と、その鈴虫が、とある門前へ来て、かるくさけんだ。
「松虫さま、どうしたんでしょう、牛車が見えません」
「ま。――ほんとに」
「あの、暢気者の牛飼は、いったい、どこへ行ってしまったんでしょう」
「すこし耳が遠いようですから、私たちが、ここへ来て待つようにといったことばを、聞き違えて、飛んでもない所へ行って、悠々と、昼寝でもして、待っているのじゃないでしょうか」
「そうかもしれない」ちょっと、麗わしい眉をひそめて――
「どうなさいます」
「歩きましょう」
「まだ疲れません?」
「ええ、ちっとも」二人はまた、木蔭の日陰をたどって、歩きだした。
町家の娘ではなかった。といって、武家の息女とも見えない。――どこかに、絶えずこの明るい外気を楽しんだり、往来のさまや、空の青さを、心から珍しがっている様子から見るに、よほど、ふだんは外に出ない境遇にある人だということはわかる。
町の女のように賤しくなくて、そういう生活にある者といえば、さしずめ、このふたりは、御所の裡に仕えている女官にちがいあるまい。――松虫といい、鈴虫という名も、局名とすれば、うなずける。
「――鈴虫様、これからどこへ行きますか」
「さ? ……どこでも」
「御所へ帰るのは、まだ早いし……」と、焦げるような空の陽を仰いで、
「なんだか、少しの刻でも、惜しい気がしますものね」
「せっかく、きょう一日、お暇をいただいたのですから、日いっぱい、歩けるだけ、歩いてみようではありませんか」年下の鈴虫は、そういって、羅の被衣に、埃まじりの風をなぶらせながら、子供っぽく、走ってみたり、道ばたの清水を、手で掬ってみたり、
「おお冷たい!」そして――
「飲めないかしら?」と、愛くるしい首をかしげて、友を見た。
「ホホホホ。誰も見ていないから、どんなことして飲んでも、笑う人はありませんよ」松虫がいうと、
「じゃあ」と、鈴虫は、手でそれを掬って、唇から顔を、雫で濡らし、その顔を、被衣の端で拭いた。
そんなことが、二人には、わけもなく楽しかった。御所の日常が――禁裡の後宮生活というものが――まったく儀式化され、粉飾化され、そこに生きるものは、ただ、美しくて作法のよい人形のようでしかなかったので、二人は、野の土へ、解放された羊のような欣びを、感じるのだった。
「……おや、松虫さま、嘘ばかりおっしゃって」
「どうして」
「誰も通らないといったくせに、あんなに、ぞろぞろと、どこかへ人が行くではありませんか」
「この辻へ来てからでしょう。ごらん遊ばせ、みな同じ横から曲がってくる」
「どこへ行く人達でしょう」
「鹿ヶ谷の方」
「何があるのかしら?」
「問うてみましょう」二人は、樹蔭に陽をよけて、佇みながら、往来をながめていた。
奴袴をはいた男たちや、烏帽子を汗によごしてゆく町の者や、子どもや、老人や、髪をつかねた女や――中には太刀を厳かに横たえた武士とか、良家の女房らしい姿も、まじってみえた。
如意ヶ岳のふもとの方へ近づいてゆくにつれて、並木から、細い小路から、辻へ出るごとに、その人数は増していた。そして、蟻のように、同じ方角の道へ、つづいて行くのだった。
「もし」と、松虫が、これも汗ばんで行く一人の女へ、そっと訊ねてみた。
「――あの、今日は、皆さまの行く方に、何かあるのでございますか」女は、髪の生え際の汗を、袂で拭いて、松虫と鈴虫のすがたを、じっと見ていた。
「――あなた方は、御所のお方でございますね」
「え」と、松虫は、なんだか、生々とした生活力の中にある同性の眼にながめられるのが、肩身のせまいように覚えて、小さい声で答えた。
「……じゃあ、ご存じないのも無理はない。きょうは、鹿ヶ谷へ、わざわざ吉水のお上人様が出向いて、私たちのために、有難いお勤めをして下さるのです」
「あ……吉水の」
「ご存じですか」
「御所のうちでも、おうわさはよく聞いておりますが」
「それで、こうしてみんな、鹿ヶ谷へ行くのですよ」遅れては――と心の急くらしい足つきで、女は、そういうともうふたりの先を歩いていた。
なるほど――そう知ってから、道をゆく人々の口から洩れる言葉に耳をとめていると、
「えらい人出じゃの」
「何せい、お上人様のおすがたは、この春から、初めて拝むのじゃ、冬ごろから、久しく、お病気であったからの」
「もう、すっかり、お健康かになったかの」
「さ……お年がお年じゃで、すっかりとはゆくまいが」
「衆生のためには、わが身もない、病気もいとわぬと、こういう意気の法然様じゃによって、押して、お出ましになるのじゃろう」
「この暑さに――」
「もったいないことよ」
「でもきょうの専修念仏に、このように、多くの人が、お上人様の徳を慕うて集まるのを御覧じたら、さだめし、ご本望じゃあるまいか」
「そねむのは、叡山の衆や、南都の坊さまたちじゃ」
「これ……。うかつなことをいいなさんな、法師のすがたも見える」
「何といおうが、わしらは、念仏宗じゃ、念仏宗に変ってから、この身も心も、軽うなった気がする――」
「わしなどは、女房が先で、女房に説かれて、初めて、吉水のお話を聞き初めたのじゃが、今となってみると、もし、吉水のお上人様の声というものが、この身の耳に触れなかったら、相変わらず、ばくちはする、酒は飲む、稼業は打ッちゃらかし、どうなるものかと、太く短く、女房子を不幸にして暮していたかも知れんのじゃ」そういう人々があるかと思うと――また、
「きょうの別時念仏には、住蓮様や、安楽房様も、何か、お話をするのでしょうか」
「え、あのお二方は、いつも、鹿ヶ谷にいらっしゃるのですから、きっと、きょうもお見えになりましょう」
「私は、安楽房様のお話を聞いていると、何かしら、嬰児のように、心がやわらいで、それから幾日かは、心が清々となります」
「幾日だけではいけないではございませんか」
「でもまだ、念仏に入りまして、日が浅いのですから為方がありません」などと、歓びを語り合ってゆく若い女たちの群れもあった。
松虫は、そういう人たちの輝いている顔を見ると、
(――羨ましい)と、心から思った。
御所へ帰る時刻ばかり気にして、陽脚の短さを、生命のちぢむように惧れている自分たちに較べて――
(みんな生々している)と思うのであった。
(あの人たちの張りきった生活と、御所の奥のほの暗い壁絵のような動きのない自分たちの日常と――)
こう比較して、考えずにいられなかった。
ふたりは、若かった。うずうずと、今日はその若い血や、夢や、さまざまな青春が、日常のいましめから解かれて、皮膚の外へ出ていた。
「鈴虫さま。行ってみましょうか」
「ええ」二人は、往来をながれてゆく白い埃と、群集の足について、うかうかと歩いていた。
鹿ヶ谷のふもとに来ると、そこは、夏木立と涼しい蝉時雨につつまれていたが、人の数は、一すじの山路に、錐を立てる隙もないほどだった。
鹿ヶ谷――ここの夏草を踏み、夏木立の梢を仰ぐと、都の人は、すぐ治承のむかし――もう二十幾年か前になったころの悲痛な社会事件を、思い出さずにはいられなかった。
この峰の中腹には、その当時、住蓮山安楽寺といって――以前は法勝寺ともいった一院があって、そこを山荘として住んでいたのが、例の、俊寛僧都であったのだ。
平家一族のあの当時の栄華というものは、いまだに、語り草になっているように、
わが世とぞ思うもち月の
かけたるくまも無しと思えば
俊寛は、多感な人だった。
平家の横暴なふるまいを、この人は、あたりまえだと見ていられなかった。
新大納言成親とか、平判官康頼とかいう反動分子を語らって、法皇を擁し奉り、幾たびも、この山荘に集まって、
(平家を討たん)という策謀をめぐらしたものである。不幸にも、それは、まだ旭のような勢いにあった平氏の者に、事を挙げるまえに嗅ぎつけられる所となって、この山荘に出入りしていた者のほとんど全部が、極罪に処せられたり、遠流になった。
俊寛もまた、縛をうけて、洛内を引きまわされ、あらゆる恥かしめと、平氏の者の唾を浴びせられて、鬼界ヶ島へ流されてしまった――
以来。
この忌わしい歴史のある山には、住む者がなかった。
二十余年のあいだ、雨や風に、法勝寺の山荘も荒るるにまかせてあり、その当時の司権者であった平氏の一族が亡んでもまだ、ここには、一穂の法燈も点かずにあった。
それがふと、数年前から、この鹿ヶ谷にも、人の足が通い初めて、都の人が、
(おや?)と、不審るほど、いつの間にか、夜になっても、真っ暗な洛東の空に、ポチと灯りが見えるようになっていた。
(――誰だろう?)と、当然、うわさにのぼった。
閑人が、詮索してみると、近ごろ、二人の若僧がそこに住んでいるのだと知れた。
荒れ果てた法勝寺の床をつくろい、屋根の茅を葺いて、そのわきに、べつに粗末な一庵を建てて、やがて、朝夕の勤行の鐘も聞えだした。
(若いのに、奇特な)と、供物を贈る者や、花や御灯を捧げてゆく者もふえ、日と共に、法勝寺の宝前は二十余年の元のすがたに返って、
(鹿ヶ谷の住蓮様)
(お若い安楽房様)といえば、もう誰も知らない者はないようになっていた。
その奇特な――若い僧という者の素姓を洗ってみると、二人とも、以前は北面の侍で、一人は前身を清原次郎左衛門といい、もう一人は、安部次郎盛久と名乗っていた者であるという。
そして、何かの機縁で、この二人は、法然上人の新教義にふかく帰依して、その門に入ると共に、太刀をすてて、一沙門になり、同時に、
「この教えのためには」と、身をも打ち捨てるほどな熱心さをもって、その布教に当ってきたのであった。そして鹿ヶ谷の廃寺を興したのも、この社会に、一燈でも多く念仏の火をかかげたいと願う二人の真摯な若者の情熱から出た仕事にほかならないのであった。
布教の前線に立つ人々は、いつも、実社会や反対派の法敵に素面で触れているだけに、
「叡山が何だ」
「奈良、高雄、みな旧教の蒙をかぶって、象牙の塔に籠っている過去の人間どもばかりではないか」
住蓮も、安楽も、気がつよかった。迫害があればあるほど、むしろ、強くなり得るのだった。
従って、民衆は、飽くまで対象としているが、旧教の反対などは、てんで眼中にないといっていい。
「社会は、うごいているのだ。百年でも、千年でも、黙っていれば、どこまでも眠っている人間どもに、この生きている実社会に、何の発言権があるか」と、一方がいえば、
「そうだとも、おれたちこそ、今の民衆の唯一な希望の対象にあるのだ。あんなものは、無視して、俺たちはただ、新しい民衆の希望の地を開拓してゆけばいい」と一方も、眉を昂げた。
そういう気概の二人だった。それに寄ってくる民衆が、彼らの行と智に心服して、慕えば慕うほど若い開拓者は、
「この事実を見ろ」という気持で、精進に励んだ。――民衆のよろこびを自己のよろこびとして、まったく、こここそ、浄土そのもののように、社会人の実生活と、仏弟子の法業とが、渾然と、一つものになって、一韻の鐘の音にも、人間のよろこびが満ちあふれているように洛内の上を流れていた。
「――下から見たよりは、思いのほか高い」
松虫は、ほの紅くなった顔に、白珠のような汗をながして、道の笹の根につかまった。
「でも、これくらい」と鈴虫は、喘ぎながら、強いことをいって、自分でも、おかしくなったとみえ、
「ホホホホ」
被衣で、汗をふいた。
後から登ってくる者が、どんどん先へ追い越してゆく。
そのたびに、ふたりは、自分たちの足の弱さや、日蔭と同じような後宮生活の不自然さを、自身の皮膚や心臓に省みて、
(毎日、こんな山や、空や、自由な風のふく所で汗をながして働いていたら、どんなにいいだろう、生きがいのあることだろう)と、思うのであった。
「あれ、鐘が鳴っています。――松虫さま」
「ほんに。……もう別時念仏の法筵が始まったのでしょう」
「行きましょう」汗の歓びだった。足のつかれも欣びだった。
ふだん絹につつまれて、帳の奥に、弱々しい生活をしている皮膚が、たまたま、ほんとの生活力を起して爽快な山の風に触れたのである。自然の大気に吹かれたのである。――ふたりは、鹿ヶ谷へゆく道が、どれほど高くても、難路であっても、苦痛などということはまるで考えないような様子であった。
「オオ……」法勝寺の前へゆくと、もうそこは、いっぱいの人であった。堂の上も、堂の下も、また廻廊の隅まで。すると、鈴虫が、
「おや、あそこに――」と誰のすがたを見つけたのか、松虫へ顔をよせて、微笑みながら指さした。
「ね……あの御堂の端に。……来ているでしょう」
「どなたが」
「坊門の局が」
「あ……ほんとに」
「局のわきに、まだ三、四人ほど局の女房たちがいるようです」
「え……」
「あの方たちは、いつでも、ここへ来ていると見えますね。御僧たちと、何か、親しそうに話していますもの」二人が、外にたたずんで、こう囁き合っていると、やがて、御堂のうちの群集は、だんだん席をつめ合って、そのうちから親切な者が、
「さ、外に立っているお人は、順々に、お入りなさい。――坐れますよ」鈴虫は、松虫の顔を見て、
「どうします?」
「上がってみましょうか」
「え、え」二人は、大勢の人いきれに、何かしら含羞みと、恐さを抱きながら、そっと、隅の柱の下へ、坐っていた。まばゆそうに正面を見る――
そこには、戸外の大地を焦いている大夏の太陽にも劣りのない旺な仏灯が赫々と燃えていた。
ふたりは、内陣や宝前の整いには、何も驚きを感じなかったが、その灯の色と、ここにぎっしり詰め合っている庶民たちの熱心な眼に驚いた。
(こんなにも、世間の人は、法然上人の話を聞きたがっているのかしら?)と、ふしぎな疑いさえ抱いていた。
そして、軽い気まぐれに、遊山の足のついでに、こうして、紛れこんでいるような自分たちが、悪いような、済まないような、気咎めを、ひそかに感じた。
「ああ、涼しい」ふと、鈴虫がつぶやいたので、松虫も、そういえば自分の肌の汗もいつかひいて――と気がついた。
(何という涼しさでしょう)しみじみと、眼を細めて、彼女もそうつぶやいた。
濤の音に似ている樹々の風が、ここへはいっぱいに吹きこんでくる。松の青々としたにおいが鼻にも感じられる。そして、宝前にゆらぐ星のような無数の灯のまたたきまでが、すずしげに見える。
十名ほどの僧が出て、背をならべて、誦経していた。磬の音が、谷までひびいて行った。そして、谷間からも、経の声と、磬の音が、谺になって返ってきた。
――いつとはなく。
――また、誰からともなく。
念仏の唱和が起っている。
な、む、あ、み、だ、ぶつ。――と六音のうちに、何百何千の人間のたましいが一声ごとに洗われてゆくように、そして、無碍、無我――から無心にまで澄んでゆくように、樹波の声のうちに、くりかえされているのだった。
「…………」鈴虫は、ぽかんとしていた。
そして、松虫の顔をそっとのぞいて、
(帰りましょうか)というような眼を向けたが、松虫が、どこかを、じっと、見つめているので、こらえているかっこうだった。
(念仏宗というものは、こういうものか?)
と、松虫のほうは、ちょっと、好奇に囚われて、初めのうちは、それを傍観者のように見ていたのであるが、気がつくと、自分のすぐ側にいる若い女房も、老婆も、また、町の男たちも、等しく、胸に掌をあわせて、一念に称名しているので、自分だけが、この広い御堂のうちで、空虚を作っているように思われて、何だか、取り残されたような心地であった。
「……ね、松虫様」
「え?」
「つまらない。帰りましょう」
「でも、せっかく来たのに」その席を立ちたくもあるし、立ちたくない気持もする。
「法然様のお話だけでも聞いて行こうではありませんか」
「そうね……」気のすすまない顔つきで、鈴虫は、それだけを、待っていた。
(早くやめないかしら)と思っている念仏の唱和は、それからも、足のしびれるほど永くつづいた。初めのうちは、彼女たちは、軽い悔いばかり考えて、
(来なければよかった)と思っていたが、そのうちに、前の人も、後ろの人も、また隣の者も、およそこの御堂にいる人々のすべてが、ほとんど一つ人格になりきって、なむあみだぶつの称えをくりかえしているので、鈴虫もいつの間にか、
(な、む、あ、み、だ、ぶつ)そう口のうちで、少し、きまりの悪いような怯みを抱きながらつぶやいていると、松虫も、それを真似て、
「な、む、あ、み……」と、いいかけて、俯向いて、ちょっと笑った。
――でも、たとえ、戯れにでも――何か口につぶやいていないと、まわりの人々に対して、異分子のように自分たちの存在が感じられるので、
(笑ってはだめ)と、叱りあうような眼をそっと交わしながら――
「南、無、阿、弥、陀、仏」
「南、無、阿、弥、陀、仏……」と、となえていた。
初めは、何となく、舌にもつれて、不自然にしか出なかった称名が、いつのまにか、鈴虫も松虫も、自然にくりかえされていた。
そればかりではない――ふッと、水の面に、月の影が浮かび出たように、ふたりのすこし澄んできた胸のうちに、自分でも知らなかった自分のたましいが、うっすら、感じられてきた。
念仏は、彼女たちの唇がいっているのではなかった。――初めのうちは、その唇だけのものだったが、いつのまにか、唇の声は失せて、その胸の奥所にあるたましいが、称えているのだった。
正しい人間のすがた。――今の自分のすがたが、それに近いものになっていることを、松虫も鈴虫も、うすうす感じてきた。
(自分にも、こんな素直な自分があったのかしら?)と、自分を見直すほどに。
理窟や小智恵は、その間、働かなかった。わけもなく人間らしいよろこびと強さが体にわいてくる。
まわりの人々が、われなく、他人なく、称名しているすがたを、初めは、おかしく見ていたが、その安心しぬいている生命の光が、次には、尊く見えてきた。
「――お上人様が」
「お上人様のおはなしじゃ」
あたりの者が、もう、念仏をやめて、正面に身のびをしながら、こう少し騒めき合っても、松虫は、まだ掌を胸につけて、俯向いたまま、称名していた。
「松虫さま。御法話です」鈴虫にそっと注意されて、彼女は初めて、気がついたらしく、顔を上げたが、その睫毛には、涙のようなものが光っていた。
もう暑い夏の陽ざしは、山ふところの樹々にうすずいていた。
蝉の音は、ひぐらしの啼く声にかわっていた。
ひろい御堂の内は、いっぱいの人間のすがたで暗かった――が、それほどな人がいようとも見えないほど、静かであった。
壇に坐して、法然上人は、先刻からおよそ一刻半も法話をつづけている――。その声だけが、しいんとしている衆生のうえに、強く、低く、流るるように、また、訥々として、際限のない底力をもって迫っているのが聞こえているだけであった。
(お弱そうだ、近ごろは――)
(あのお体で、よく、あんな声がな――)と、人々は、話のとぎれるごとに、ほっと息をつきながら、法然のすがたを見入るのであった。
もう彼は七十四歳であった。
誰にも気づくほど、近ごろは、痩せが見えているが、ただ、あの茶いろをした眸だけが、烱々として、相変わらず光っている。そのうえに、繭を植えたような白雪の眉がある。
身には、麻のうす茶の袈裟をかけておられた。――初め、そこに坐って、
「きょうは、出家功徳経の一部を話しましょう」と、くだけた優しいことばで話にかかり出した時、左右から、二人の弟子が、大きな団扇をもって、師の袂をあおぎかけたが、
「いらぬ……」軽く首を振られたので、
「は」と、恐縮して退がった。
それから、清水で巾をしぼって、そっと、側へすすめたり、煎り麦のさまし湯を上げたりしたが、長話のうち、一度も手にしなかった。
聴く人々の眼が、貪るように熱心なので、上人も、自分の体力とか、健康とかを、まったく忘れてしまっているらしいのである。弟子たちは、蔭で、
(ご無理ではないか)はらはらしていたが、止めようもないのであった。
出家功徳経のはなしは今、釈尊が、毘舎離国に入って、弟子の阿難と共に、その国の王子の生活ぶりをながめて、嘆いている――という例話に入っていた。
「ちょうど、食事の時刻でした。毘舎離国の城へ参って、仏は、食を乞われました。城中には、一王子があって、名を勇軍と呼ぶ者です。
――仏が来たと。あの有名な釈迦が来たのか。
勇軍は、仏に食を乞われたのは、わが家の誇りだと思ったのでしょう。こういうと、みずから出迎えて、
――どうぞ。と、豪奢をこらした城内の一室へ迎え入れたのです。多くの、後宮の女には、粉黛をさせ、珠をかざらせ、楽を奏し、盤には、山海の珍味を盛って。
仏は、たのしまない顔つきでした。食物も多くは摂りません。さらに、夜に入ると、王子勇軍は、不夜の楼殿に百石の油を燈して、歓楽、暁を知らないありさまです。
彼と、彼をめぐる後宮の女性たちの生活をながめて、仏は、翌日、弟子の阿難を招いて、こう告げたのであります」
「…………」松虫と鈴虫の二人は、自分のことでも話されているように、じっと、上人のほうへ眸を向けていた。
もちろん、上人の眸は、彼女たちがそこにあるとも無いとも知ろうはずはない。――ただここに集まっている衆生とひろい実社会の現状だけが、彼の対象であった。
やさしい、わかりよい、そして自分たちの生活に近い話なので、松虫と鈴虫の二人だけに限らず聴法の人々は、聞き入っていた。
「――阿難に向って仏は、
阿難、おまえは、この城の人間たちをどう見るか。
こう問われたことでした。
――浅ましいと思います。
阿難の答えに、仏はまだ、不満であったのでしょうか。こう仰せられたのです。
コノ人(王子勇軍)日夜閣上ニ後宮ノ美嬪ヲ擁シ、色慾ニ耽湎スルコト極リナシ。
ワレ云ウ。
コノ人必ズ七日ノ後、マサニ是ノ如キ快楽ト眷族ヲステ、決定必ズ死ニイタルベシ。
王子は、彼がまたもどってきたのを見ると、
ワレニ仏ノ教エヲ説ケ。
七日ノ後、汝マサニ死スベシ。
「さて――」と、話を、現在の実社会の世相へもってゆくのであった。
今の民衆のうちにも、こういう可惜、空しい人生に蝕まれている人はないだろうか。
いや――他人を見ずにまず自己を見よう。
ひさしい戦乱も、いつのまにか、遠い過去になり、平氏が興り、平氏が亡び、人は、人生の無常を感じると共に、刹那的な快楽を趁い、そして虚無観にとらわれ、その風潮は、今日の民力を、どんなに弱めているか知れない。
これは、国家の病となるのみでなく、個々の人間のかなしい相だ。人間とは、そんなあさましいはかない夢を短くみて、それで人間として完全な「生れてきた欣び――」を尽したものといえようか。同時に、生れてきた使命を、勤めを、生きがいを、果たしたものといえるだろうか。
快楽、娯楽、きりのない人間の慾心。
わけて色慾や虚栄や、そういうものが、人間にとって、どんなに、人間の真実と、生命の充実を蝕むか。
そして、くだらないか。
また、はかない刹那刹那か。
法然は、若人のように、頬に紅潮をもって、出家功徳経のうえから、切々と、話すのだった。
無慮二刻に余る時間を――大なり小なり、快楽、五慾をもたない人間はない。また、その五慾の度を、みずからほどよく――生命の薬ぐらいに――生活に入れている人はすくない。聞き入っていた人々が、
「ああ」ほっと、自責から顔をあげてみると、もう、御堂のうちは、まったく暗くなって、上人のすがたは綿のようにつかれたらしく、弟子たちに、抱えられて休息の間へ入っていた。
鐘、磬の音――そして、明々と、つぎ直された灯しに、蓮華が、ひらひらと、撒かれていた。
そろそろと、御堂のうちは、空席がひろがって行く。そこらにいた人々が、帰ってゆくのである。人の起った後には、青い夕空のいろがほのかにながれていた。
「…………」ひぐらしの啼く音が、雨のようであった。松虫と鈴虫の二人は、起つのをわすれていた。
「…………」ふたりとも、先刻から、じっと、うつ向いたまま、にわかに抱き切れないような大きなものを、その胸にかかえて、さんぜんと、涙ばかりが先に流れてしまう。
(人にこの顔を見られては――)そう思うので、顔も上げ得なかったし、また、いつまでも、ここを去りたくない気がした。
大きな衝動をうけたのである。法然の一語一語が、肺腑をつきさすようだった。――さながら、きょうの仏陀と阿難とそして王子との話は、自分たちの住んでいる城――いやあの御所のうちに似ている。
(仏陀の声を――)松虫は、何か、飛び上がりたいような歓喜をおぼえた。何千年のむかしの聖者の声を、今まざまざとこの耳で聞くことのできた機縁に、感謝の涙があふれてきた。
(何という自分だったろう)この鹿ヶ谷へ登ってくる前の、自分と――ここへ坐った後の自分とをくらべて見て、そう思った。
――と急に、御所のあの生活へもどるのが嫌になった。たそがれの灯を見るにつけ、そこにある幾多の醜いものが瞼にういてきて、
(だが、帰らなければならない)と思うと、よけいに足がすすまないのであった。
鈴虫も、同じような気持らしかった。あのよく笑ってばかりいる、はしゃぎやの彼女が、じっと、深い眼をして、階段を下り、自分の穿物をさがし、そして暗い大地へ、黙り合って足を運びだしたのである。
――すると、廻廊の筵を巻いていた若い僧が、
「お……」と、声をかけた。
「松虫様ではありませんか」先では、こういって、馴々しくほほ笑みかけながら近づいてきたのであったが、
「どなた?」松虫には、思い出せなかった。鈴虫にも考えつかない若僧であった。
若僧は、側へ来て、いんぎんに礼儀をして、
「安楽房でございます」といった。
それでもまだふたりが不審な顔をしているので、
「私は今、法友の住蓮と二人して、この鹿ヶ谷に住み、今日もかように吉水の師の房を迎えて、幸いに、盛な法筵を営みましたが、ずっと以前、師の君に随身して、仙洞御所へうかがったことがございます。その折、あなた様にも、鈴虫様にも、お目にかかっておりました」
「お……そう仰っしゃれば」やっと解けたらしく、
「思い出しました」松虫は、何とはなく、羞恥に顔を染めた。
「住蓮をお紹介わせしましょう」安楽房は、ちょっと戻って行って、すぐ友の住蓮を伴れてきた。武士として鍛えた体に、聡明な知識を持ったこの二人の若くて逞しい男性のすがたは、すぐふたりの気持をつよく囚えてしまった。
間もなく、ふたりは山を降りていたが、ふたりとも妙に無口になっていた。加茂の岸に立って振向くと、山にはまだポチと二つの灯が残っていた。――住蓮と安楽房の眸がそこで呼んでいるように。
同時に、松虫も鈴虫も、これから帰って行かなければならない御所の奥の生活と、そこの灯の色を想像してよけいに心が暗くなった。
「もう何刻でしょう、松虫様」
「さあ……」
「すっかり遅くなってしまいました。何と、云い訳をしたらよいでしょうね」鈴虫は、もうその心配に、胸をいためているらしかった。
御所の規律のやかましいことはいうまでもない。まして、後宮は、貞操の檻である。松虫も、同じように、局の老女や役人の猜疑な眼や針のような言葉が、帰らぬうちから頭を刺して、さっきから足がすすまないのであった。
ちょっと出るにも、帰るにも、こんな憂いが離れない内裏の生活を思うと、彼女たちは、
(なぜ御所へなど上がったのか)と、悔いの嘆息が出るのだった。
町家にいたころは、御所の内裏といえば、どんなに典雅で平和で女性の幸福を集めているところかと、あこがれていたものである。――そして、そこの多くの女性のうちでも最も羨望される寵妃となって、上皇の愛を賜うほどな身になった今日になってみれば、昔の憧憬れは、まことに幼稚な少女の夢にすぎなかった。
なるほど、身にだけは、珠をかざり、綾を着て、和歌や絵にある生活のままな姿はしているが、上皇は、御政治のことさえ、今帝におまかせしきれないほど、御気質の烈しいお方であるので、後宮の彼女たちには、口にも出せない気苦労がある。
その上に、寵妃たちを取り巻く、典侍とか、女官たちのあいだには、閥の争いだの、意地わるい嫉視だのがあって、日蔭で冷ややかに歪くれた眼と眼が、絶えず、行儀作法の正しいなかで、根強い呪いと闘いを交わしているのが、ほとんど、明けても暮れてものことなのである。
「ああ……」松虫がこうつぶやくと、鈴虫も俯向いたまま、重い吐息をついて歩いた。
その年の十一月であった。
仙洞の後鳥羽院は、熊野詣でを仰せ出されて、紀伊路へ行幸された。
降るか降らないかのような時雨が道を濡らしていたが、鳳輦が御所を出るころには、冬陽が射し、虹の立ちそうな美しい鹿島立ちになった。
洛内は、行幸を拝む人々で、どこもかしこも人の列であった。
若い娘、若い男たちは、
「一日でも、あんな鳳輦に侍いてみたら」と、雲上の生活に、あこがれと諦めをもって、自分たち庶民の宿命を、その後でさびしく眺め合った。
上皇が、お留守になると仙洞御所は、大きな空虚を抱いて、
「ああ、これで」ほっとしたり、
「御用なしで、明日から、何をしたものか」
と、女官たちは四、五日すると退屈と淋しさを持てあました。
投扇興、すごろく、和歌合せ、といったような遊戯にも、すぐ飽いてしまうし、誰や彼の、垣間見の男性たちのうわさも、ままにならない身がかえって苦しくなるだけで、恋をするには、盗賊以上の勇気がいる。
それでも、深夜になると、局のどこかに、男性のにおいがするのだった。越えられそうもない高い塀の下に、男の沓が落ちている朝もある。
はなはだしいことには、上皇のお留守を見込んでであろうが、どこの公達どもか、四、五人ほど党を組んで来て、局のうちから、眉目のよい女官を攫って逃げ去ったという椿事まであった。
けれど、不可思議なことには、攫われてゆく女性のほうが、そういう場合に、決して、悲鳴をあげたり、大声で救いを呼ぼうともしないのである。そして、いつのまにかまた、元の局にもどって、取り澄まして、その怖ろしさをも人に語ろうとはしない。
衛府の小者たちは、そんな例を毎晩のように見かけるけれど、これも、大して異ともしない顔つきで、多くは見のがしていることが当り前になっていた。
「鈴虫様……。何を泣いていらっしゃるんですの」独りがさびしくなると、松虫はきっと仲のよい鈴虫の局を訪ねるし、鈴虫が何か思いあまることがあると、松虫の局へ行って、姉のように、何事も打明けていた。
「…………」今、ふとそこを訪ねると、鈴虫がただひとりで、燈火の下に俯伏しているので、
「また、あの御老女に、何かきびしいことでもいわれたのですか」顔をさし覗くと、
「いいえ」
「そうでしょう、きっと、そうに違いない。ふだんの御寵愛がふかいだけに、こういう折こそと、事ごとに、辛く当たられる私たちです。私も、何度も、唇を噛んでいるのです。わけて、あなたはおとなしいから」
「もう、そんなことなど、忍びもしますが、今日は、余りにひどいことを、皆して、つけつけというばかりか、誰やら、戯れ和歌にまで詠んで人を謗るので、口惜しくなってしまったのです」
「どうした理です、それは」
「わたくしが、花山院の少将様と恋をしているというのではございませんか。誰の悪戯か、私の笄や小扇を、御所の墻の外へ捨てて、それが証拠だなどといい、少将様の恋文とやらを、御老女がひろったなどと……」
「まあ、人の悪い」
「今もさんざん、皆の前で」
「罵られたのですか」
「それなら、云い訳もしますが、ただ針のようにちくちくいっては、私を笑い者にして弄るのです」
めずらしいことではない、鈴虫が身をわななかせて訴えるようなことは、松虫も幾たびか経験していることなのである。
しかし、鈴虫は、今日のその口惜しさだけを悲しんだり泣いたりするのではなかった。そういう陰険な悪戯や邪視の中に、毎日を暮していなければならない自分の青春を傷むのであった。
「こんな中に幾年もいるうちには、今に、自分も、あの意地わるな御老女のようなねじけた人間になるんでしょう。そして、自分でもそれを不思議にしないようになるんでしょう。私は、怖ろしいと思います」膝にすがって、そう泣きふるえていう鈴虫のことばは、松虫にも、深刻に考えさせられることだった。
何も、感激のない生活――それだけでも人間は苦しいのに。
この後宮を見まわして、どこに、真実の人間らしい生活が少しでもあるか。飢えや、寒さや、汗を流すことを知らない世界には、また、人情の発露もない、同情の涙もない、物に対する欣びもない。
すべてがカサカサなのだ。有り余るものは、腐えたる脂粉のにおいである。絖や錦や綾にくるまれた棘である。珠に飾られた嫉視や、陥穽である。肉慾ばかり考えたがる彼女らの有閑である。
「もう、泣かないで……」松虫は、そのくせ自分も共に、泣いているのだった。抱き合って、
「もう、泣きますまい。泣いたとて、この運命が、どうなりましょう」
「阿難を伴れた釈尊が、ふいに、この御所へ来てくれないものでしょうか」
「ほんに、いつか鹿ヶ谷で聴いた法話を思い出しますね」
「ここに、釈尊がお出であそばしたら、何というでしょうか」
「眉をひそめるでしょう」
「印度の何とかいう王子のお城の中で仰っしゃったように、私たちの生活に面を反けるに違いありません。……ああどうにかならないでしょうか」
「どうにかとは」
「生きることです」
「でも、生きてだけはいるではありませんか」
「いいえ、これは、人間の生きているすがたではありません。私たちは息をしている空骸です。これも、鹿ヶ谷のご説法でうかがったように、往生――往きて生きん――という道まで行かなければ、ほんとの生命は呼吸をして参りません」
「あなたは、そんなことを考えますか」
「考えます。――寝てもさめても」
「鈴虫さま」ひしと抱きしめて、その耳へ、松虫は熱い息でささやいた。
「ほんとに」
「え。ほんとに」
「逃げましょうか」
「…………」塗りぼねの妻戸の外に、さらさらと衣ずれの音が通った。後宮の夜を見まわる恐い老女官であろう。二人は、息がとまったように、じっと、眼をすくめていた。
「……誰にも覚られてはいけませんよ。隙を見て」
「え……」
「だから、泣かないで」ふっと、そこの灯りが消えると、松虫は跫音を忍ばせて、自分の部屋へ帰って眠った。
上皇が熊野へ行幸のあいだは、御所のお留守の者ばかりなので、参内する公卿もなかったし、公用もほとんどなかった。
「かかる折こそ」とばかり、舎人たちは、宵の早くから酒を持ち込んでいるし、上達部たちは、宴楽に耽けっているし、衛府の小者などは、御門が閉まると、交る交る町へ出ては、遊んで帰った。
今も、一人の衛府の者が、酒のにおいを隠して、どこからか戻ってきたが、彼が、衛府の溜りへ入りかけると行きちがいに、小門の外へ、すうっと出て行った人影がある。
「おや? ……」と、振向いて、彼はそれを見ていたのである。
人影は二人であった。被衣をふかくかぶっていた。
ちょうどその夜は二日月の研がれた影が薙刀のように大樹の梢に懸かっていた。青い月明りに、何か夢の中の人間みたいにその被衣は光っていた。
――ひらっと、蛾のように、御所の外へ二つの影が消えてから、衛府の男は、独り言につぶやいたのである。
「局の女房たちも、こんな晩は、男が恋しいとみえる。……だが、忍びでもすることか、御門を大びらに恋の通い路にされちゃあ困る。何ぼなんでも、俺たちがお役目として困るじゃないか」
それから、衛府の番小屋に入って、ほかの同役の者たちと笑いさざめいていると、大宿直の公卿から下役の吏員が駈けてきて、
「これ、衛府の者」と、外で喚く。
「はっ」小舎を開けると、吏員は、何か狼狽した顔つきで、息を昂めていうのだった。
「――今し方、誰か、御門の外へ出た者を見なかったか」
「さ? ……誰か、御門を通ったろうか。おれは知らぬが」一人がいうと、
「おれも知らん」
「わしも」恍ぼけた顔を見合せた。
「はてな、小門のほうは」
「小門は、宵のうちは開けておりますが」
「では、誰が外出してもわかるまいが」
「そのために、私どもが視ておりますので、出入りに不審があれば咎めまする」さっき、外から戻ってきた男は、すれちがいに見かけた二人の被衣の女房を胸のうちで思い泛かべたが、
(下手なことを云い出しては)と、口をつぐんで黙っていた。大宿直の吏員は、
「では、裏門の方かも知れん」つぶやいて駈け去った。
「何じゃろう」――しばらくすると、その騒ぎは、波紋のようにひろがって、衛府や大宿直の室に止まらず、上達部や舎人たちも、総出になって、仙洞御所のうちの大きな事件となってあらわれた。
いや、それは御所の表方ばかりではない。後宮の局々でも躁ぎ立った。
「松虫のお局がいなくなったそうです」
「いいえ。松虫のお局ばかりでなく、鈴虫様も一緒に見えなくなったんですって」
「えっ、二人とも」
「どうしたのでしょう」
「上達部は、逃げたのだと申しています」
「ま! 大胆な」無事に飽いているここの女性たちにとっては、自分たちの身に関わらない限り、それは眼をみはるに足る驚異であり、興味であった。
五ツ衣の裳をたかく紐でくくり上げて、白い素足を露わにしていた。
十一月の大地は凍てきっていた。夜霜はその珠のような足を刺す。しかし、ふたりはその痛さも冷たさも覚えないもののようであった。
「あっ……松虫さま」
「どうしました?」
「何か踏んで……」
「え、踏んで?」
「芒の根です」
「まあ、血が――」と松虫は、鈴虫の足もとへ身をかがめて、布を裂いた。
自分の肩にすがらせて、彼女は年下の鈴虫の足を布で縛ってやる、布は血ですぐに紅くなった。
「すみません」鈴虫は、涙ぐんで、
「――勿体ない」と何度もいった。
「なんの、お互いです」跛行をひいて歩く鈴虫の腕を抱えて、二人は糺の森をいそいだ。
樹蔭に入ると、真暗だった。いつもなら、松明にかこまれても怖くて通れそうもない道である。それが、少しも意識にならないばかりか、大きな光明が彼方に見える気持すらするのである。
友の腕を授けてやったり、凍てた大地に血をこぼして歩くだけでも、二人は、何かしら充ち足りてくる生命のよろこびを感じるのだった。急激に生きている身であることを全身で知ってくるのだった。
森を出ると、狐色の枯れすすきに、細い月影が一すじの小道を見せている。道はだんだん登りになる。やがて、鹿ヶ谷は近いのであった。
「――誰も追ってきませんね」
「よいあんばいに」
「ああ、ほっとしました」
「もうそこが」
「ええ、鹿ヶ谷です」顔を見あわせて、ほほ笑みを見あわせた。
彼女たちはこの山を、半年のあいだどんなにあこがれていたか知れない。この夏の専修念仏会の日からである。
「とうとう、来てしまいました。……けれど、これでほんとの人間に生き甦った気がします」
よくぞ思い切って脱れてきたと、自分で自分の勇気を宥わるのであった。しいんと、冬の夜は冴え返っている。眼を閉じて、捨ててきた過去の生活を考えると、よくも、そこに長々といたものかなと今さらに思うのであった。
あの嫉視と邪智の泥沼に。嘘と見栄だけにつつまれた臙脂地獄に。
「も少しです、ご庵室は」
「いそぎましょう」
「住蓮様は、おりましょうか」
鈴虫は、よく住蓮の名を口にする。――松虫はまた、若い安楽房のすがたが、なぜか忘れ得なかった。
彼女たちは女である、彼らはまた、若い男性なのだ。こうして、生命がけで、御所をすてて逃げてきたのは、ただ仏陀だけが魅力だったとは思われない。やはり、恋にちがいないのだ。鈴虫は住蓮を、松虫は安楽房をあの専修念仏会の夕べから忘れ得なくなっていることは否めないことであった。――けれどそれは、醜い生活の殻から真実の生活へ出ようとする真剣な願望に、仏陀を力とし、法の礼讃を明りとしてきたので、二人の胸には、恋しつつ、恋とは自覚していないかもしれぬ。さればといって、まだ信仰というほどの開悟もないふたりであることは、いうまでもなかろう。
法勝寺の山荘は閉まっていた。昼は、信徒の参詣や、山と町との往来もあるが、夜は、この鹿ヶ谷一帯が、一点の灯もない闇であった、海のようなうなりが樹々をゆすっている谷や峰つづきであった。
「住蓮、もう眠ろうか」安楽房は、ちょうど衰えかけた榾の火を見つめていった。
その榾の明りで、住蓮は書物を読んでいたが、根気をつめた背骨を伸ばして、
「む……更けたらしいな」
「しんしんと、寒うなった」
「もすこし焚こうか」薪を加えると、炉はまた、赫々と炎をあげた。煤で黒くなった天井が赤く映る。
「はやいものだな、この無住の山荘へ来てから、もう数年」
「その数年の間に、とにかく微力ながら、念仏門の一道場を、社会に加えたのだ、一枚の田を、開墾したのだ。それを思うと、おたがいに愉快だな」
「ウム、御仏も、おれたちの奉仕を嘉してくださるだろう。――同時に、おれたちの生活も、今は、感謝と輝きに充ちきったものだ」
「こういう、憂いなき、安らかな感謝の一日一日を、どうかして、今の昏迷な埃の中にある実社会の人々たちへも、知らしめたい、頒けてやりたい。――おれはそればかりを思う」
「吉水の上人が、あの老躯をひっさげて、自身のご病気もわすれてなお、法のために、一日一日をおやみもなく遊ばしていらっしゃるお気持も、その願望にほかならない」
「上人のことを思えば、われわれはまだ安閑としていすぎるかも知れぬ」
「榾に暖まっているのも何か勿体ない気がするのう」
「励もう」
「ム。人を救うには、まずみずからをだ。――もすこしおれは勉強する」住蓮が、また、書物を取り初めたので、安楽房も立って、暗い壇のまえに坐って、念仏の三昧に入った。
パチパチと、炉の火がハゼる音だけが聞えた。時折、雨戸のふくらむような峰の風がぶつかってくるが、それの過ぎた一瞬は、死界のような静寂に返ってしまう。
ふと住蓮は眼をあげ、
「――安楽房」と、呼んだ。
「お。何か?」
「御本堂のほうの戸を誰かたたいておりはせぬか」
「そうか」耳を澄ましていたが、やがて笑って、
「あれは鹿だよ、それ、いつかこの峰で、捕まえた白毛の鹿が、廻廊へあがって、何かいたずらしておるのじゃ」
「そうかしら」しかし、またしばらくすると、こんどは二人のいる庵室のすぐ外に跫音がして、そこを叩く者があった。
「もしもし……」初めて、二人は、
「や? どなたじゃ」
「ここをお開けくださいまし。お願いがあって来た者でござりまする」女性の声なので、いよいよ怪しみながら、
「どちらから?」ためらって、こう訊くと、
「お目にかかってからお話しいたしまする。私たちは、御所のうちから来た者でございますが」
「え。――御所から?」住蓮は、あわてて、そこの戸を開けた。
二尺ほど開けた戸の隙から、霰を持って山風がふきこんで、庵室のうちは、炉の赤い炎に、大きく明滅を描いた。
「あっ? ……」鮮やかに二つの白い顔が見えた。あまりにも、この冬の夜や、世を離れた庵室に、ふさわしくない女性たちである。
(閉めようか)住蓮は、ふと、一瞬にそう惑った。――何か怖ろしい悪魔でも見うけたように慄きが背を走った。
「どなたじゃ? ……あなたがたは」そういう声までが、われ知らず、尖っていた。
「おわすれでございましたか――」と、松虫がいう。
「私たちは、この夏ごろ、法勝寺のお広間で、専修念仏をあそばされた時、お目にかかりました、あの松虫の局と鈴虫の局の二人でございますが」
「オオ」住蓮は、外をじっと見て、
「ちがいない。あの折のお二方じゃな。……したが、時ならぬこの夜中、しかも、御所にお仕えするあなた方が、何で、かような山路を辿ってござったか」
「それを聞いていただきたいばかりに、鈴虫様と、一心をこめて、ここへ参りました。くわしいことは、上がってお話し申しますから、ご縁の端にでも、座をおゆるし下さいませ」
住蓮は、振向いて、
「安楽房、どうしたものであろう? ……」
「どうといって、まさか」
「そうじゃの、この寒い夜を越されて来たものを、追い返すことも」
「仏の御心であるまい」
「うむ」何か、囁き合っていたが、やがて躊躇いを払って、
「どうぞ」改めて、礼儀をし直した。
被衣を脱ぐ二人の上

「霰が、こぼれ出したと見えますの。――さぞ、お寒かったであろうに」
「おそれ入りますが、井水はどこにございましょうか」
「水? ……水を何に遊ばすのか」
「足を洗うのでございます」
「えっ。……では裸足で?」
「はい」
「裸足でここまで……」住蓮も安楽も、顔を見あわせてしまったのである。
何かの仔細で、たとえ夜を冒して来たにしても、供の者や輦を待たせてあるのであろうと想像していたのに、裸足で来たとは? ――しかも――内裏の奥ふかくに住む上

(これは、ただ事ではないぞ)住蓮は、友へ、眼をもっていったが、もう遅かった。上がれとゆるしてしまったものを、急に、戸を閉めるわけにもゆかない。
やむなく、ふたりを導いて、裏の筧で足を洗わせ、そして炉のそばへ誘うと、凍えきった鈴虫は、恥かしさも、遠慮もわすれて、炎のそばへ、辷り寄った。
松虫も、おののく手を、榾の火にくべるようにかざした。紅玉を透かして見るように、その指の一つ一つが、美麗だった。安楽房は、何かすばらしい名工の細工物でも見るようにその手に見恍れていた。
住蓮は、黙っていた。ふたりもしばらくは言葉も出ないのであった。
松虫と、鈴虫――
ことばは慄えがちだし、胸にいっぱいな今の気持も、充分にいいあらわせないのであったが、ふたりは、こもごもに、御所を逃げてきたわけを話し出した。
その動機と。また、半年あまりの苦しい迷いだの悩みだのを。
そして、自分たちの、虚偽な生活を、住蓮と安楽房の前に、残りなく懺悔して、
「どうぞ、この草庵に置いて、私たちを御弟子にしてくださいませ」いい終ると、ふたりとも、そこへ艶やかな黒髪を投げ伏して、さめざめと泣くばかりだった。
「…………」住蓮も安楽房も、それを聞いて茫然としていた。
御所の女性――しかも上皇の寵妃である局が、人目をしのんで、この山庵へ来たということだけでも、重大な問題だ、事件である。
(こんなことなら、上へあげるでなかったに――)という悔いの色は、住蓮にも安楽房の顔にも、同じようにうごいていたが、彼女たちの命がけな熱意を聞いてみると、
(さもあろう)と、同情の念がうごき、やがては、ふたりの泣き入るすがたに、
(これほどまでに、自己の生活の非を悔いて、真実の生命に甦えろうとしている者を、どうして、すげなく振り捨てられよう)と、共々、涙がにじんでしまうのであった。
しかし――おそろしいことだ、とも思うのであった。眼前の事実に戦慄をせずにいられなかった。
もし、ふたりの乞いを容れて、このまま草庵に匿しておいたらどうなるか? ――である。たいへんな結果になることは分りきっている。
「? ……」腕をこまぬいたまま、二人の若い沙門は、ただため息をつきあうだけであった。二人が、自分たちの生命がけな願いを容れてくれそうもないと見ると、松虫も鈴虫も、
「二度と、御所へは帰れぬ身です。もし、ここにも私たちはいることができないとすれば、死ぬほかはございませぬ」もう泣いていなかった。
彼女たちは、あらかじめ死を賭しているのである。死をうしろにしている強さが眸の底にあった。むしろ狼狽しているのは安楽房であり住蓮のほうであった。
「……弱ったのう」
「む……む……」果てしのない困惑が、いつまでも重苦しい吐息をつかせていたが、
「では、御所へは、どうあっても、お帰りなさらぬ覚悟ですか」
「帰りませぬ」
「しかし……」懇々と、諭しかけると、
「いいえ、私たちの願いの無謀なことは分っておりますが、こうなることを、よく知っても、こうせずにいられない気持で御所を出たのですから……」教養も常識もあるこの女性たちである、何を今になって、常識めいたことを受け容れよう。諭しかけた住蓮は、かえって自分が恥かしくなった。
「……安楽房。ちょっと、あちらへ行って、相談しよう」
「うむ」
「では、しばらくお待ちください。中座して失礼ですが、篤と、別室へ参って、相談したうえでお答えいたしますから――」と、二人はそこを立った。
真っ暗な縁を、住蓮は先に立って行く。
「どこへ」安楽房が、ふと疑って、こう訊くと、
「御仏の前へ」
「そうか」二人は、縁づたいに、法勝寺の本堂まで行った。
そこには、明りもない、火の気もない。
暗黒の中を、二人は、足さぐりで、弥陀の聖壇の前に、黙然と坐った。
「こういう時には、御仏のまえで、弥陀のお心にたずねて事を決めるにかぎる」
「よう気づかれた」
「さて……どうするか?」
「それだ……」ここでも、ふたたび重い嘆息が先にくりかえされる。
住蓮の考えとしては、もう一応、ふたりをよく説得してみて、それでどうしても御所へ帰らぬならば、やむを得ない手段ではあるが、これからそっと自分が御所の吏員へ訴えに行き、ふたりの身を穏便のうちに内裏へ帰してもらうように頼もう――というのであった。
「さ? ……」安楽房は、彼の考えを、欣ばない顔つきでいった。
「それは、どうかと思う。――死を賭しているあのふたりを、それでは、むざむざと、殺してしまうことにはなりはせぬか」
「では、そのもとの考えは」
「わしは、助けたい」
「助けたいのは、この住蓮も同じだが、その方法があるまい」
「わしは、とても、ああまで縋ってきた者たちを、山荘から突き出すには忍びない」
「では、望みを容れてやろうというのか」
「ウム……」
「もってのほかだ」住蓮は、声を励まして、
「わしも若い、そのもとも若い。しかも清浄を尊ぶこの山荘に、あんな麗人を二人留め置いたら、世間は、何と見る?」
「御弟子にしてくれというているのだから、二人は、麗しい黒髪も剃ってしまう覚悟じゃないか」
「それにしても」と、住蓮は、闇の中でつよく顔を振った。
「女と、男ではないか。――しかもお互いが若いのに」
「ちがう、ちがう!」安楽房も、友のことばにつれて、ひとりでに声が激して行った。
「そういうおん身の考え方は、浄土門でもっとも忌み嫌う聖道門的考えかただ。師の上人のお教えでは、男女の差はないはずだ、そういうけじめを捨てよという所に念仏門の新味もある、狭い旧教とちがった意義もあるのだ」
「わかっている。――だが、世間は」
「おん身は、この処置を、世間へ訊くのか、御仏の心に訊くのか」
「ウム」と、住蓮は声をつまらせて、
「そういわれると困るが」
「おれたちは、信仰の子ではないか。御仏の心をもって信念とするからには、世俗の思わくなどを考えていては、何もできやしない」
安楽房の情熱的なことばは、諄々と、友の意見を圧してゆく。彼は彼女たちを救うために、多少の難儀はかかっても、何とか、あのふたりの喘いでいる地獄の淵へ、手をさしのべてやりたいという。
「どんな者にでも、弥陀の慈悲はひとしくなければなるまい。――場合や事情に惑っていては、人はおろか、自分すら救うことはできまい。あの女性たちは、そこに目醒めて、死を賭して、脱け出してきたのだ。どうして救わずにいられるものか」彼のそういう眼には、涙が光っていた。
あの後。御所の大宿直の公卿たちや、上達部の吏員などは、
「どうしたものだろう?」茫然と、事件の裡に自失して、その処置も方針もつかず、幾日かを、ただ困惑と空しい捜索に暮れていた。
「――仙洞のご帰還までに」と、最初のうちは、躍起になって、焦心ったのである。
だが、松虫の局と鈴虫の局の行方は、あの晩かぎり、杳としてわからない。
「深草の辺に、あやしげな女房が二人して住んでいるそうな」そういう報らせに、
「それ」と、すぐさま衛府の侍を走らせてみると、それは、郷住まいになったさる武家の姉妹であった。
「志賀から北国路への道を、被衣した若い女がふたり、駅伝の駒を雇って行った」と、その方面の役人から飛札が来ると、
「きっと、それだぞ」と、ばかり、大宿直の公達は、侍をつれて、騎馬で追って行った。
吉報いかに? ――と、御所では鳴りをしずめて待っていたが、やがて、四日も過ぎて、へとへとに帰ってきた公達輩の話では、
「追いついてみれば、何の事じゃ、越前の庄司が娘と、その腰元ではないか」告げるほうも、がっかりであったが、聞くほうも落胆した。――この上はと、今までの秘密の裡に事件をつくろってしまおうとした方針を変えて、中務省捕吏の手も借りて、洛内から近畿にいたるまで触れを出した。
辻には、高札を立て、松虫の局と鈴虫の局の年ごろや面貌を書きそえ、院の衛府まで、そのありかを告げてきた者には、恩賞をとらせるであろうと告示した。
しかし、それを見て、衛府へやってくる民衆の密告が、一つとして、あたっていたものはなかった。
「なんのことじゃ、これでは、よけいに繁雑になるばかりではないか」院の吏員たちは、よけいに、方針の混乱をきたして、悲鳴をあげた。
とこうする間に、その月も越えて、十二月の上旬、後鳥羽上皇は、すでに熊野からお帰りになった。
逆鱗は申すまでもない。お留守をあずかっていた公卿輩はもちろんのこと、行幸に従いてもどった人々も、その御気色に慴伏して、
「必ずとも詮議して、日を経ぬうちに、ふたりを捕えて御所へ引き連れますれば――」と、お答えするほかなかった。
先に、告示された布令は、さらに広く諸国へまでわたった。そして恩賞にも、金銀ならば幾額、荘園なれば田何枚と、書き加えられた。
大津口の並木の辻にも、その高札をとりまいて、黒山のように人が立っていた、その中に、黙然と腕をくんでいる牢人ていの男があった。
「――おい、何を見ている?」ひとりの山伏が、その後ろから肩をたたいた。牢人ていの男は、かぶっていた笠をくるりと振向けて、
「や、播磨房」笠の下に、笑う歯が見えた。
「しばらくじゃないか」牢人ていの男は、天城四郎であった。呼びかけられた山伏の播磨房弁円に、肩を寄り添えて歩み出しながら、
「どうした、その後は?」
「どうもこうもないさ。相かわらず飄々たる行者の道をさまよっている」
「犬は?」と、弁円のうしろを見て、
「あの黒犬は連れていないのか」
「ウム」
「死んだのか、かわいそうに」
「いや、斬ってしまった」
「誰が」
「元よりおれがだ」
「飼主が飼犬を斬った、むごいことをする男だ」
「四郎、おまえでも、酷いということを知っているのか」
「人間は、勝手放題な真似をしたあげくだから、殺された奴でも、そう酷いという気はしない。――だが、犬なんぞは、ろくな思いもしていないし」
「はははは。おかしな感情を持っている男だ」
「なぜ斬ったのだ」
「忌々しいことがあったからだ。聞いてくれ、こうだ」堤の上に、腰をおろした。すすきや秋葉の枯れたのが、根に霜を持っているのか、腰の下でばりばりと折れる。
「この春先だ。まだひどく寒かったよ。おまえと別れてから間もなく、おれは、例の善信の奴が、岡崎の草庵を出て、難波から河内のほうへ旅に出たのを知ったから尾けて行った。そして、磯長の太子廟に夜籠りをしたのを知ったから、こよいこそと、忍び寄って、善信めを斬ろうと計ったところが、あの連れている犬のやつが、縛っておいた縄を噛みきって、大事な刹那に、堂の中へ飛び込んできたろうじゃないか」
「フーム、ありそうなことだな。――そして?」
「わずかな隙に、犬が、吠えたので、善信の奴は、逸早く、おれの刃の先から逃げてしまった」
「追いついて、一太刀と行かなかったのか」
「それへも、犬のやつが、足や袖にからみついて邪魔するために、とうとう、逸してしまったのだ。――何とも残念でしようがない。そこで、忌々しい余りに、狂い犬を、斬ッて捨てたというわけだが、しかし、それからはなお怏々として胸が晴れない。聞けば、善信は、あれから間もなく、またこの都へ帰っているそうだな」
「いるとも。――岡崎の草庵で、妻の玉日と、人も羨む生活をしている」
「まあいい」弁円は慰めるように、
「そのうちに、またよい機もあろうて。――ところで四郎、あの松原の高札を読んだか」
「読んだ」
「おぬしなどは、この洛中洛外はおろか、およそひろい世間のことは闇の裏まで知っている職業だから、あんなことは、造作もなく分っているのだろうな」
「松虫と鈴虫の行方のことか」
「そうだ」
「いくら闇夜を働いている盗賊でも、そんなことはわからねえよ。分っていれば、すぐ院の衛府へ駈けつけて、褒美の黄金にありつこうというもんじゃねえか。……ところが近ごろは、この四郎も、見たとおり尾羽打ち枯らしての不景気だ。何と弁円、知っているなら、松虫と鈴虫のありかでもおれに教えてくれねえか」
「はははは、そいつあ、あべこべだ。おれのほうこそ、訊きたいところだ」
「弁円、山伏のおめえにも、やはり慾はあるんだな」
「ばかをいえ」
「でも、松虫と鈴虫のありかを知りたがっているのは、いわずとも知れている、恩賞の金にありつこうというのだろう」天城四郎は、そういうことを愉快がる男だった。自分の悪魔主義を肯定してよろこぶのである。
「ちがう」弁円は、首を振って、
「おれは、知行だの金だの、そんな物は要らん」
「じゃあ何のために――」
「善信の奴に、痛い目を見せてやるためだ、復讐の一つとなるためだ」
「はてね?」解せない顔をして、四郎は、きのうあたり剃ったばかりらしい青い頬から腮をなでた。
「はてなあ……」
「わからぬか」
「分らぬよ」
「おれの想像だが……しかしこの想像は外れていないつもりだ。――松虫と鈴虫のふたりは、きっと、吉水の法然上人の所にかくれていると思うのだ」
「えっ、吉水に」
「さればよ」
「どうして」
「――いや、確証はない。けれども、そういう気がしてならないのだ。なぜならば、今、女性のあいだで、最も持て囃されている教義は何だと思う」
「法華経かな?」
「法華経も、上流の女性のあいだにはひところ行われたというが、それは極めて小乗的にだ。もっと、はっきりと、今の社会の女の気持をつかんでいる教義があるじゃないか」
「あ。念仏門だ」
「そうれみろ。庶民から上層の女まで、念仏に帰依した女性というものはたいへんな数だ。内裏の女官のうちにも、公卿の家庭にも」
「ムーなるほど」
「おれはそこでふと思いついたのだが、上皇の寵妃が、二人までも、御所を脱け出すなどというのは、容易にできることじゃあない。世間では、当然、恋愛だといっているが、色恋の沙汰なら、二人づれでは走るまい」
「そうもいえる」
「第一、男があって、そこへ走ったものなら、その男の周囲からすぐ知れる。また、死ぬ気なら別だが、さもなければ、御所を脱け出したからとて、満足に添いとげて行かれるものではなし、いくら恋は熱病でも、ありえないことだとおれは考える」
「いや、そうでもないぞ。若い女のことでは」
「まあ、それも疑問があるとしておいてもだ、衛府の役人や、捕吏が、教門のほうへは少しも手を廻していない様子ではないか、それはどうだろう」
「まさか――と思っているからさ」
「それが手落ちだ」
「手落ちかなあ」
「お上も、世間の者も少しも眼をつけないその方面を探るとしたら、叡山でもない、高雄でもない、奈良でもない、やはり吉水がいちばん臭いという結論になるのだ。――どうだ四郎、ひとつおぬしの自由自在に暗闇を見る眼と足で、そいつを一つ突きとめてみないか」
「ム、やってもよいが」
「恩賞の金はそっちで取るがいい。その代り、お上へ密告するほうのことは、おれにまかせてもらいたいのだ」
「おもしろい」四郎はいった。弁円がこの事件をもって、自己の復讐に利用しようとする肚だくみ以上に、天城四郎は、そういう社会的な秘密を暴露してみることに、悪魔的な興味を多分におぼえるのだった。
「では、俺がひとつ、腕によりをかけて、探ってみよう。そこで、松虫と鈴虫のありかは、やがて近いうちに、きっと俺が突き止めるにちがいないが、そうしたら、どこへ知らせるか」
「すぐ、おれの所まで」
「――といって、宿所が分らなくちゃ、知らせるにも、知らせようがないじゃねえか」
「たいがい、毎日こうして歩いているが、京にいる間は、聖護院の西の坊を宿にしているから、そこまで、やって来てくれまいか」
「よし、待っていろ、吉報は近いうちだ」
そう約束して、二人は、加茂堤を北と南へわかれた。翌晩、四郎は身軽ないでたちに黒い布を頭から顔へ巻いて、吉水禅房の外をうろついていた。
何気ない風を装って、禅房の門の前を通りながら、奥をのぞくと、まだ燈火が見えた。
客が話し込んでいるらしいのである。四郎は、樹蔭に立っていた。しばらくすると、一人の武士と二人の法師が、禅房を辞去して、門の外へ出てきた。
その訪客が出てゆくと入れちがいに、四郎はツイと門の中へ入った。――彼が入り込んだのを気づかない禅房の者は、その後で、門の扉を閉め、やがて、奥の燈火も消されて、静かな闇の底に眠りについた。
四郎は、易々と、墻の内へ入って、そこらの建物を見まわした。
講堂、房、書院、厨、寐屋などの棟が、かなり奥の林まで曲がりくねって建ててある。初めは、上人とその弟子の少数だけが住むに足るだけの、ほんの一草庵に過ぎなかったものが、いつのまにか、必要に迫られて、次々に建増して行ったので、屋根と棟に統制のないのが目につく。
「? ……」のそりのそり、四郎は腕ぐみしながら、その戸の外を忍び足に歩いた。時折、雨戸のふし穴へ眼をつけたり、じっと、耳を寄せたりしながら、彼らしい神経を研ぎすまして、視覚、聴覚、嗅覚、あらゆる官能を働かせていた。
――すると。一棟の戸のうちから嬰児の声がもれてきた。乳でも欲しがるように泣きぬくのであった。彼はハッと立ち竦んでいる。
「この棟だな、女のいるのは」と床下へしゃがみ込んだ。
誰か、その声で起きたらしい。しきりと、夜啼きする嬰児をあやしているようであったが、やがて、雨戸を開け、
「オオ、泣くな、泣くな……」縁の上から、嬰児に尿をさせ初めた。
霜の立っている土の上に、無心な嬰児の尿が湯みたいにそそがれた。四郎は狼狽して、
「あっ……」奥へ身を退いたが、その弾みに、床下の横木に頭をぶつけ、眼から火が出たような痛さを、顔をしかめて怺えていた。
「ひどい奴だ」頭の上の戸が閉まったので、彼は床下でほっとしながらつぶやいた。
「……坊主め」そんな些細な――偶然なことにも――彼の眼は遺恨をふくむのだった。
「――見ていやがれ、間もなく、この吉水の禅房も、ぺしゃんこにしてくれるから」
嬰児の泣き声がするようでは、この一棟の房にこそ、女人がいるに違いないと、彼は、根気よく、耳をすましていたが、時おり、床下へ洩れてくる人声や跫音は男のものであって、女のいるらしい気配はなかった。
「では、他の室かな? ……。そうだ、あんな大事件を惹き起した内裏の女だ。うかつな所へ起き臥しさせておく気づかいはない。もっと、誰にも気づかれないような密室だろう」
真冬の暗い風がふき抜けるので、床下は、身が硬ばるほど寒かった。古い鉋屑が水気をふくんで溜っていた。天城四郎は、蟇のように四つ這いになって、奥へ奥へと這いすすんで行きながら、
「わずかな恩賞の金では、割に合わねえ仕事だぞ」と、思った。
だが、その恩賞の金よりも、彼には、露悪的な興味があり、この念仏門という大きな勢力の崩壊を、他人の火事のように傍らから見る楽しみのほうが大きかった。
「あ……。誰か、起きているな」ふと、縁の隙間から洩れている針ほどな細い灯影を見つけた。四郎は用心ぶかく、それを見つめて、しばらくは、近づかなかった。
――と、どこかで、
な、ま、み、だ、仏
な、ま、み、だ
なまみだ
非常に大勢の声のように思えたが、それはただ一人の唱名であった。
「誰だ、今ごろ」四郎は、いぶかった。
「金にもならねえものを、この寒い真夜半に、何で、ぶつぶつあんな文句を称えていやがるのか……。世の中にゃあ、酔狂な野郎もある」奥へすすむには、どうしても、その唱名の声のする下を這って行かなければならなかった。
四郎は、念仏がやむのを待っていた。すぐやめてしまうだろうと思っていたのである。――だが、深々と、更ければ更けるほど、その唱名には、熱と、無我の信力が加わって、やがて夜が白みかけても、容易にやみそうな様子も見えなかった。
(何も、待っていることはねえのに!)と、彼は自分でも思うのであったが、何となく、その音声には、天井でも床下でも、十方の暗闇を見破っている人間の五韻が感じられて、その人間のいるすぐ下を通ることが、危険に思われてならないのであった。
「ばかな!」と、彼は、自分のそうした観念を、時によって生じた理由のない気怯れと自嘲して、ずかずかと、這い出した。
そこはまた、一段、床が低くなっているので這いにくかった。何か、竹の竿みたいな物に、膝をかけたのであろう、ばりっと、細竹の折れるような音がした。
「? ……」
すると、頭の上の念仏の声が、ぴたと止んだ。
唱名の声がしている間は、その唱名の声に威圧され、今また、その声が糸の切れたようにぷつと止むと天城四郎は、
「? ……」ハッと身を竦ませた。
「気どられたかな?」彼は、いつもの不敵なたましいを失って、疑心暗鬼の眼を、床下から上げた。
すると――案のじょうである。廊下のうえをギシギシと誰か踏む音がした。そして、戸の開く音がしたと思うと、
「たわけ者っ」外へ向って一喝した者がある。錆のある太い坂東声だ。
四郎は、ぎょっとして、息を嚥んだ。僧房とはいえ、吉水の門下には、熊谷蓮生房とよぶ関東武者の果てや、その他、源平の役で働いた名だたる侍の末が幾人も剃髪しているとはかねて聞き及ぶ所である。
(――そんな奴に捕っては)首をすくめて、
(駄目だ)ついに、気を挫いてしまった。
それから二日ほど経った白昼である。冬も、昼中は暖かかった。上人はまた、病中の由で、きょうはお顔が拝まれまいと噂していたが、吉水の法筵に、老幼にもわかるようなやさしい法話の会があると聞いて、ぞろぞろと、在家の人々が集まった。
つい四、五年前までは、そういう法話を催しても、百人か二百人がせいぜいしか寄らなかったが、近ごろでは、吉水に幾日の日にと、分りさえすれば、洛外の遠い土地から、百姓たちまでが、話を聞きに来るので、講堂や僧房の全部をあげて、その日は、民衆たちへ開放することになっていた。
「ほう? ……銭が要らぬことと思って……閑人がよく寄って来やがる」四郎は、一般の聴衆の中にまじって、大あぐらをかいていた。
――それでも、多少は気がひけるとみえ、なるべく、他人の背中を楯にして、講壇のほうから直接自分の顔が見えないように注意していた。
元より、説教を聞こうなどという意志は少しもない。彼は、眼ばかりうごかしていた。足がしびれると、すぐ立って、縁へ出て、
「う、あ、ワあ……」と、欠伸をする。
また、用ありげに、僧房の中を、うろうろ歩き廻った。わざと、道をまちがえた振りをして、台所のほうへまで、歩いて行った。
「いねえな。どう嗅いでも、ここには女のにおいがしねえわい。やはり、吉水には匿われていねえとみえる」彼は、弁円のことばが、腹立たしくなって、
「あの野郎、とんだ無駄骨をさせやがった……」と、恨んだ。
見限りをつけて帰ろうと思ったが、禅房の門まで人がいっぱいなのである。それに、何となく気懶くもあったので、彼はまた、人混みの中に坐り込んで、ケロリとした顔をしていた。
法然門の人々が出て、代る代るに、念仏門の教えを説いている。聴者は、咳声もしないで熱心に聞き入っていた。四郎は、そういう人々を見まわして、
「何がいったい面白くて? ――」と、不思議な顔をした。
そのうちに、彼は眠くなってしまった。南縁の猫のように、眼を細め、涎をながして、こくりこくり居眠り始めた。
時々、はっと、自分の居眠りに気づいて、四郎は赤い眼をあいた。そして、さすがに少し間のわるい顔をしながら、まわりの聴衆を見まわした。
だが、聴衆は、水を打ったように静かな空気を守りつづけ、眼も、耳も、全身をもって、法話の壇のほうへ向けていた。一人として、そこに居眠っている四郎の様子などに気を散らしている者はない。
「ホ? ……」仏教の話などには、何の感興も持たないはずの四郎が、その時、やや眸をあらためて、前の者の肩越しに、壇のほうへ、大きな眼をみはった。
「善信だ……」思わずつぶやいたので、そばの者が、ふと彼の顔を見た。
四郎は、下を向いた。てれ隠しに顔を撫でる。
――聞くともなく、善信の声が耳へ流れこんでくる。覚えのある声だ。
(しばらくぶりだな)と、思う。
壇の上に立って、岡崎の善信は今、低い音吐のうちに何か力強いものを打ちこめて、諄々と、人々と、人々のたましいへ自己のたましいから言葉を吐いているのだった。
めっきり体が弱くなって、法然上人が人々へ顔を見せることができない日でも、
(オオ、善信様が)と、彼のすがたを仰ぐと、聴衆はそれだけでも満足するのだった。随喜して、もう口のうちの念仏に素直な心を示すのだった。
その善信が、かなり長い時間にわたって、庭面の暮れるのもわすれて、自己の信念を説き聞かせていると、人々は、いつか、涙をながして、
(おれは間違っていた)
(生き直ろう)
(もっとよく生きよう)懺悔の気持をいっぱいに持って、耳にも口にも眼にも、念仏の光のほか何ものもなく聞き入っているさまであった。
四郎は、腮へ手をやって、
「笑わせやがる」と、肚のそこで嘲んだ。
「――裏と表が見えねえから坊主は有難がられるのかと思っていたら、善信などは、坊主のくせに、女房を持ち、岡崎の庵室で、あの玉日というきれいな女と、破戒の生活を大びらにやっているのに、それでもまだ、愚民どもは、有難がっていやがる。度し難い奴らだ」
彼は、むかむかしてきて、そこに坐っていられない気がした。ひとつ、ここから起ち上がって、
(みんな! 眼をさませ)と、呶鳴ってやろうか。そして善信が、いかに、破戒の堕落僧であるかを、おれが一席弁じ立ててやろうか。
そう思ったが、考えてみると、自分もあまり人中で大びらに顔を晒すことのできる人間ではない。誰か、気がついて、
(天城四郎だ)
(大盗の四郎だ)
指さされたら、大変なことになる、さっそく、自分から先に逃げ出さなければならない。
「ちいッ……いつまで同じことをいってるんだ」彼は、うるさい意見でも聞くように、口のうちで舌打ちを鳴らし、「わ、わ、あ――」と、大きな欠伸をかみころした。
悪人――といったような声がふと耳に入った。四郎はぎょっとして首をもたげた。
(俺のことを何かいっているんじゃねえか?)猜疑の眼を光らして見まわすのであった。
善信の法話の言葉のうちにである。幾度も、悪人という語が用いられた。悪人という語が出るたびに、四郎はぎくりとして、
(俺へ面当てをいってやがる)と思った。
だが、周囲に充ちている聴衆は、相変らず熱心に、善信の法話に耳をすましているだけであって、四郎のほうを見る者などは一人もないのである。
しかし四郎は、多くの人々が、自分に無関心であるとないに拘わらず、悪人という言葉が癪にさわった。こんど何か自分の面当てがましいことをいったら、躍り立って、壇にいる善信の襟がみを引っ掴んでやろうと心に企んでいるらしく、じっと、聞き耳を欹てて、善信のことばを聞いていた。
――すると、その耳へ諄々と入ってきたのは、善信の説いている真実な人間のさけびであった。他力の教えであった。念仏の功力だった。――また、どんな人間でも、心をそこに発した日から、過去の暗黒を捨てて、往いて生きる――往生の道につけるものだという導きであった。
それが、実証として、善信は今、こうもいっているのであった。
善人でさえなお往生がとげられる。
なんで! 悪人が往生できないということがあろうか。
聴いている人々は、最初は何か間違いをいっているのではないかと思ったが、だんだんと善信が説いてゆくのを聞いて、
(なるほど)と皆、深くうなずいた。
単に、悪いことをしないという善人よりは、むしろ、悪いことはしても、人間の本質に強い者のほうが、はるかに、菩提の縁に近いものだということもわかってきたし、また、そういう悪人がひとたび悔悟して、善に立ち直った時は、その感激と本質が加わるので、いわゆる善人の善性よりも、悪人の善性のほうが、かえってはやく御仏の心へ近づくこともできる――
ひとたび悪業の闇に踏みこむと、無間の地獄に堕ちるように、聖道門のほうではいうが、われわれ他力本願の念仏行者は、決して悪人といえども、それがために、憎むこともできない、避ける必要も持たない。ただ、どうかして、その悪性が善性となる転機に恵まれることを願いもし、信じもするものである。
こう善信は話した。
およそ人間の中に真の悪人などはいない。善人の心にも悪があり、悪人の心にも善はある。悪人と呼ばれるものは、社会からそういうけじめをつけられて、自身も、悪を嘆美したり、悪人がったり、悪を最善のものと思ったりしているが、その実、彼も人間の子であるからには、常々、風の音にも臆したり、末のはかなさを考えたりして、必ず、われわれのような生きがいは感じることができないでいるのだ。世の中に、不愍な人間という者をかぞえれば、路傍の物乞いより、明日の知れない瀕死の病人より、そういう日常坐臥に、人間のくせに、人間に対して負け目をもっている悪人である。
善信の話は、それから先も尽きなかった。人々は、まったく、水の底のようにひっそりして、皆顔をうなだれて聞き入っていた。――すると、誰ともなく、聴衆の真ん中で、不意にオイオイと声をあげて泣き出した者がある。
「おや? ……」初めて、人々は、眼をそこにあつめた。見ると、天下の大盗といわれる天城四郎ではないか。四郎は、子供のように泣きやまなかった。
人々は驚き怪しんだ。
その無数の眼につつまれていることも忘れて、四郎は、手放しで泣きじゃくった。
「なんじゃ」
「どうしたのか」そのうちに、誰ともなく、
「あれは、天城四郎とよぶ、強賊だそうな」
「えっ、賊?」
――法話はすでに終っている。暮色につつまれた禅房のむしろは、その混雑と、不審な男のあらわれに、いつまでもがやがやしていたが、やがて一人の法師が来て、泣きじゃくっている四郎の手を取り、宥めながらどこかへ連れて行った。
今までとはまるで違って、しいんとした一室に、短檠の灯だけが、ボッと橙色の小さな光を立てていた。
「ここで、お待ちなされませ」法師がいうと、
「はい」四郎は、顔も上げ得ないで、まだ何か嘆いている。
ほど経て、静かな跫音がしてきた。四郎はうしろの戸があくと、怖じるように隅へ身を退いた。
「オウ、久しぶりのう」先ほど、法話の壇にすがたを見せていた善信であった。
四郎は打ちのめされたように平伏していた。善信はすり寄って、
「お汝、きょうはよう話を聞きにござられたな。……したが、何でそう泣かれるのか、解せぬが」
「善信どの」しがみつくように四郎は訴えた。
「――怖ろしくなった。おれは、おそろしくなった」
「はて、何が?」わざと訊ねると、
「こうしている身の果てが」
「うむ。……それだけでござるかの」
「いや、何もかもだ。……今日まで盲滅法に生きてきたが、過去も怖ろしい、現在の悪業もおそろしい。しかもその悪業から抜けることができない宿命かと吐息をついていると、お身様の話には、善人ですらなお救われる、いわんや悪人をやと仰っしゃった、これが、泣かずにいられるだろうか。――仏の弘大な慈悲というものが初めて身に沁みてわかった気がする。……するともう、何だか、泣くよりほかはなくなってしまった」
「オ、四郎。お汝は心の眼がさめたの。何という倖せな男ぞ」
「え、おれが倖せ?」
「見よ、善信をはじめ、この禅房の誰も彼も、御仏の胸にしっかり抱かるるまでには、みな切磋琢磨、幾十年の苦しみや迷いをしてここに至るものを、そちは、わずか一日のうちに、御仏の手から生れ変った嬰児のように誕生したではないか。世にもまれな倖せ者ではある」
「じゃあ、おれのように、あらゆる悪業をし、五体の爪の先まで、悪念悪心に充ちているような人間でも」
「即菩提心。もうお汝は悪人でもなんでもない」
「過去現在のあらゆることもゆるして下さろうか」
「善信――いや仏は嘘を仰っしゃらぬ」
「あ……ありがたい」ふたたび泣きふす手を取って、善信は膝を立てた。
「さ。――師の上人におひきあわせ申そう」
導かれて行く縁を踏んで、四郎はその縁の下に忍び込んだ夜の念仏の声を思い出した。
「しばらくそこに……」と、彼を次の部屋に待たせておいて、善信だけが奥の間へ入った。ややしばらくのあいだ、四郎はじっとそこに坐りこんでいた。と、やがて、
「入るがよい」と、隔ての襖が開いて善信の半身が見える。
「はい」
四郎は、容易にそこへ入り得なかった。何か怖ろしい重圧をうける感じだった。また、自分のすがたが――いや心がいかにも見窶らしく思えて負け目を感じるらしいのである。
「遠慮のう」これは善信と向い合っている眉雪の老僧のことばだった。はっと四郎は頭を下げてしまった。うっかりしていたがそれが法然上人であると気づいたからだった。
「ここで。はい、ここでもう充分結構でございます」
「寒風が洩る――」と、善信がいって、
「上人は、ちとお風邪のきみでいらっしゃるのだ。おことばに甘えて」
「でも、同座にはあまりに」
すると上人は、叱るように、
「そんな心はそちの習性じゃぞ、直さねばいかぬ、何のけじめを」と、いった。
「はっ……」すすんで後を閉て切ると、上人のまわりをつつんでいる暖かな部屋の空気が、やがて、四郎の凍えている心をもつつんだ。
「善信から今、そちのこと、つぶさに聞いて、近ごろのうれしいことの一つに思うているのじゃ。弥陀超世の悲願というのは、たとえ十悪の凡夫でも、五逆の大罪を犯した者でも、ひとしく慈悲をもって見、飽くまで救ってとらそうという御誓願を申したのじゃ。それゆえ、どんな悪逆無道の者とても、如来の悲願を信じて、一念に称名念仏すれば、必ず、生れかわることができる」四郎は、眼をうるませながら、思わず身をのり出して、
「――生れかわる。……オオ私でも、生れ変ることができましょうか」
「見よ」上人の強いことばだった。そして指を、そういう四郎の胸にさし向けていった。
「そちはもうすでに生れかわっているではないか。邪智、妄念の鬼になって、この縁下に、寸前の闇を、猜疑の眼にさぐりながら、息をころしていた時の自分と、こうして、明らかに、安らかに、われらと語り合っている自分と、思い較べてみたら分るであろうが」
「ああ。上人様」四郎は、合掌したまま、頭をすりつけてさけんだ。
「おゆるし下さいませ。何もかも、今までのことは。……善信様にも」こんな弱い男であったろうかと疑いたいほど、四郎は、変ってしまった。木賊四郎、天城四郎と、その悪名を洛内はおろか、近国に鳴らしていた男とは受けとれないほどな姿だった。
四郎は、過去のこと――犯した罪業――あらゆる事どもを喋舌ってしまいたかった。五臓の毒物を吐くように、彼は懺悔しては泣きぬれた。そしてこれからは、それを償うだけの善根をしなければならないと嘆いた。
また、彼は、禅房の床下へ忍んだり、法話を聴く信徒の中に交じってきたりした目的も、一切、上人と善信に告げた。そして、ここの教門を倒そうとする策謀が行われていることも注意したが、元より善信もそれは感知していることだし、上人はなおさら戸を打つ冬の風とも心にかけない風なのであった。
(あいつ、どうしたのか?)播磨坊弁円は、こう舌打ちをならして、人通りもない辺りへ向って、人でもいるように罵った。
「いい加減な法螺をふきおって――。口ほどもない奴だ、もう今日で十日以上にもなるではないか。……だのにあれきり音沙汰もない」
いつぞや天城四郎と立ち話でかたい約束をして別れた加茂川の堤だった。そこへ彼はおとといも来てみた。きのうも来てみた、そしてまた今日も、
(もしや?)と思って来たのである。
しかるに天城四郎は影もかたちも見せないではないか。聖護院のほうへやって来るかと心待ちにして、毎日、帰るとすぐ宿房の下男に聞いてみるが、手紙も来なければ、使いも見えない。
(まあ、見ていろ。近いうちにおれが吉報を持ってゆくから――)と、さも無造作にいって、松虫と鈴虫の局のありかを突きとめてくるように広言して行ったくせに、十日以上も沙汰なしとは、いくら盗賊の通癖とはいってもあまりにずぼら過ぎる。
「あいつが広言を吐いてひきうけるようなことをいわなければ、おれが自身で探したものを――」弁円は、腹が立って、たまらなかった。しかし、その文句をいう相手がいないので、彼はつい、独り言に、そうつぶやいて、河原の方を見たり、堤の上を眺めたり、ややしばらくを、意味なくそこで立ち迷っていることしかする術はないのであった。
彼がしきりと焦心っているのも、実は無理でないのであって、仙洞御所の命はいよいよきびしく、中務省の吏員はやっきになって、二人の局の詮議に今は白熱しているかたちなのである。
それに、市中へ立てた官の高札は、たちまち効き目があって、それに掲示された恩賞を利得しようとする洛内の雑人たちが、密偵になりきったように、寄るとさわると、松虫の局と鈴虫の局のありかについて、目鼻をするどくし合っているのだ。弁円が悠々と待っていられない気持はそこにあった。まごまごしていれば何人かがきっと探し当てて官へ密訴して出るにちがいない。虻蜂とらずの目を見てしまうに違いない。
「ええ、ばかな」彼は、自分の迂愚を罵って、
「――あんな男をあてにして、のんべんだらりと待っている奴が間抜けというものだ。よし、もう当てにすまい。自分の力で突きとめてみせる」弁円は、杖を持ち直して歩き出した。――といっても、彼にもすぐ的があるわけではないが。
(吉水)と、思ったが、さすがに彼には、そこへ近づく気になれない。こっちの探らぬうちに、先に疑われてしまうだろうと思った。
――どこか、吉水の浄土門に関係のあるほうから探ってやろう。外廓から手繰ってゆくのも案外おもしろいかも知れない。
そんなことを考えながら、三条のほうへ、並木にそって、半町ほど歩みかけると、誰か、後ろで自分を呼ぶ声がする――
振向いてみると、今、自分が立っていた堤の上に、一つの人影が見え、手をあげて招いているのだった。
「ア。……四郎か?」と思ったが、それにしては姿がちがっている。どうやら自分を呼んでいるその男は、黒い法衣を着た僧らしいのである。
――誰だろう? 弁円がいぶかりながら元の道へ足をもどして行くと、遠くから呼びとめた僧体の男も、彼方から歩み出して、お互いに距離をちぢめた。
そして、双方の顔がわかる程度まで近づくと、
「あっ?」弁円は大げさに叫んだ。
いや、驚くのが当りまえで、彼があっといったのも、あながち誇張ではない。
「――四郎じゃないかっ」駈け出して、その僧体の男の前に立ち、もいちど、呆れ返ったように眼をみはった。
天城四郎はきれいに頭を剃っていた。見るからに剽悍なあの野武士ていの姿はどこにもない。この寒空にうすい墨の法衣一枚なのだ。そして、惨忍にかがやいていた眼も、酷悪に尖っていた鼻ばしらや顎骨も、どことなく和んでしまって、つい先ごろここで、
(よしっ、待っていろ)と、悪業へ勇み立って行ったあの大盗らしい面影もないのである。弁円はあまりのことに、
「うむむ……」ややしばらく唸いているばかりであったが、
「おいっ」いきなり四郎の肩へ手をかけ、揺すぶるようにしていった。
「ど、どうしたんだ一体、その姿は。――毎日、どれほどここでおれは待っていたか知れないぞ。してまた、頼んだことは、突きとめたか」四郎は、にやりと笑って、
「弁円……」
「なんだ」
「おれはもう、神通力を失ってしまった。その代りに、この通り、仏果の功力というものを授かった」
「待てオイ。――貴様はいったい正気か」
「正気だ」
「そんな姿に変ったのは、あの事件の秘密を探るために、吉水禅房の奴らをあざむくための手段にやったのではないのか」
「たれが、嘘や手段に、頭を剃るか。――わしはついきのう、上人のおゆるしを賜わって、岡崎の善信どのの手で得度していただいたのだ」
「得度を」
「おれは初めて、明るいこの世を見た。うれしくて、欣しくて、堪らないのだ。このさわやかな心持を誰に話そう? ……。考えてみると、おれの母も父も、おれを生れぞこないの悪鬼だとばかり嘆いていた。その両親もどうしているやら。……ああ誰かにこの欣びを告げたいがと――そこで貴様のことを思い出してやって来たのだ」
「――えっ、そんなことで、この弁円を思い出したのか。じゃ松虫鈴虫の行方を突きとめてくれと頼んだことは」
「もうよせ」
「な、なんだと」
「つまらぬ邪念に躍起となって、おのれも苦しみ、人も苦しめてどうするか」
「待て、ば、ばかっ。――おれは貴様から意見を聞こうなどと思わぬ」
「悪いことはいわぬから、人を呪詛することはやめにしろ。善いことはしなくとも、それだけでもよほど自分が楽になるから」
「さては、てめえは吉水へ忍び込んで行って、あべこべに吉水禅房の法然や善信に騙かられたな」
「勿体ない、おれを生れ甦らせてくれた師に対して、悪口をたたくと承知せぬぞ」
「何をいうかっ」弁円は杖をふりあげて、四郎の横顔へ、ぴゅっとそれを揮り下ろした。
四郎は、身をひねって、弁円の打ち込んできた杖を小脇へ抱きこんだ。
「何をするッ、弁円」
「知れたことだ。よくも約束を裏切ったな。貴様は、念仏門の魔術にかかったのだ。察するところ、吉水の法然や善信に、こっちの策略を喋舌ったであろうが」
「元より、何も――かも懺悔した。して悪いか」
「うぬっ、見損なった。もう、生かしてはおけん!」
「うろたえるな、髪は剃り落しても、まだ、天城四郎の腕の力は抜けていねえぞ」
「おもしろい」弁円は、足をあげて、四郎の腰骨を蹴とばした。そしてふたたび、杖を持ち直して、りゅうりゅうと暴れまわってくる。
四郎は、跳びさがって、
「心得た」と、法衣の袖をたくしあげ、拳をかためて罵った。
「よしっ、こんどは汝を得度してやる。眼を醒ませ」
「しゃら臭い」二人は、ついに、四つになって取っ組んだ。背に笈を負っているので弁円の体は自由を欠いていた。あっ――と声を横に流して並木の根がたへ彼は顔と肩をぶつけていた。
「ざまあ見ろ」四郎は、そういって、思わず凱歌をあげたが、ふと、自分はもうすでに元の天城四郎ではない念仏門の一弟子であることを思い出して、
(しまった)と思った。
得度をうける時に、かたくかたく戒められていたのである。我を出すな――我を出すときには必ず元の四郎が出るぞ――御仏をもってそれを抑えろ――それには何事にふれても念仏を怠るな、ここと思う時には念仏をとなえかかれ、そしてそれを、寝る間も、醒めても、不断のものにせよ、おのれのものにせよ――と。
したたかに投げつけられて、額の血と泥とをこすって、無念な顔をしている弁円のすがたを見て、四郎はすぐそれを思い出した。――彼は、子供が覚えたてのいろはを口誦さむようにあわてて、
「な、む、あ、み、だ、仏」そういって、
「痛かったか弁円」と、抱き起した。
「ち……」弁円は、眼に流れこんだ血を、手でこすって、彼に支えられながら、よろりと立ち上がった。
「おいっ、勘弁しろ。おれはもう元の天城四郎じゃなかった、仏弟子だ、このとおり謝る――」
と、頭を下げるとたんに、弁円は起き上がる時につかんでいた杖を真っ向にかむって、
「野郎っ!」天

「ウーム……」さしもの四郎も、二つ三つ、足をよろめかせたまま、ばたっと、そこへ昏倒してしまった。
その背を、弁円は、また、二つ三つ撲りつけた。それでもなお腹の癒えない様子であったが、ちょうど、河原から堤へ上がってきた人影があったので、見つかっては面倒と思ったのであろう、
「馬鹿野郎、思い知ったか」そう捨てぜりふを吐き捨てると八ツ乳の草鞋に砂を蹴って、まっしぐらにどこともなく逃げ去った。
鹿ヶ谷の法勝寺は、月に幾日かは、必ず法話や専修念仏の衆会が催されるのに、この十一月から師走になってからは、
(住蓮が病気のために)といって、一回もそれがなかった。
誰も、それを怪しみはしなかった。むしろ常々ここへ詣でる人々は、
(こういう薬は)とか、
(手製りの甘い物を)とかいって、何か見舞を携えてきて、病人に上げてくれと置いて行った。その度に、
「住蓮……」
「安楽房……」
二人は、顔を見あわせて、自責にたえない眉を見合った。
「ああいう善良な人たちを、わしとお身は、あざむいているのだ。――仮病とは知らない信者たちは、見ていると、一刻もはやく御病気が癒えますようにと、御本堂で祈念をこめて帰って行きなさる。――あれを見ていると、たまらないほど苦しい」安楽房は、重い息をついて、山荘の奥でうつ向いた。
沈黙していると、二人の胸には、今さら、悔いがのぼってきた。――あの松虫の局と鈴虫の局さえここに匿わなければと。
だが、一日ましに、事情が苦しくなるほど、一日ましに、二人は、あの匿い人をふり捨てる気になれなかった。
「おれたちは、邪道に落ちているぞ――」と、ある時は、住蓮が告白した。
「なぜ」
「ようく自分の胸に手を当てて考えてみることだ、いつの間にか、お身のことは知らないが、わしは鈴虫の局に恋をしているらしい。……鈴虫の局の眼がものをいう。すると、自分にあらぬ血が奏で初めるのだ」
「それは、おぬしばかりじゃない。……実をいえば、わしもだ。わしも何か、そういう自分の気持に気づいていないことはないが」
「やはり、女人をここへ入れたのは、わしらの誤りだった。御仏の旨にちがっていた」
「いや、御仏がではない――つまり自分たちの修行が未熟なためだ。女人を魔視し、女人を避けることを教えているのは、旧教だ、聖道門だ、それではならぬと法然上人も仰せられたことだし、善信御房のごときは、身をもって、あの通り示されている。――しかも、善信御房の信心は、誰が見ても、玉日さまを妻となされてからの方が、確固として、頼もしげに見えているではないか」
「だから吾々も、女人に対して、もっと近づいていいと仰せられるか」
「だめだ、こんな心では」自分の未熟を無念がるように、安楽房はそういってもだえた。
「おれなどは、とても善信御房のように、そこからすぐ安心をつかむことはできそうもない」
「では、どうしたものじゃ。……このままあのお二人をここに置けば、自分の信仰がくずれてしまうか、そうならぬ間に、厳しい詮議の者の眼に見つかってしまうのは知れたことだが……」
「お気の毒だが、出てもらおう、この山荘を」
「えっ、追い出すのか」
「そうではない、どこか他のまったく人の気づかぬ所へ、そっと、夜陰にでも、移っていただくのだ」
希望の光明に燃えて、御所を脱けだした鈴虫の局であった、また松虫の局であった。
――だが、二人がじっと半月も住んでいた狭い部屋は、明りも入らない冷たい部屋だった。
「どうか、髪を剃してくださいませ。髪を剃してしまえば、もう御所へもどれといっても、戻ることはできませぬ」二人は、住蓮と安楽房に、何度もせがむのであった。だが、さすがに、一方はそういう決心もつきかねていた。
「何か、ご用事を、いいつけて下さい。――働きたいのです、どんな辛い水仕事でもしたいのです」これも、彼女たちが、幾度も願うところだったが、
「滅相もない」と、安楽房がいい、
「――もうしばらくは、ここにじっと隠れておらねば」と、住蓮もたしなめた。しかし、日が経つほど、世間はうわさを忘れても、その筋の探索はきびしくなるばかりである。
「いつになったら」と、闇の小鳥のような眼をして鈴虫と松虫は、そこにすくみ合っていた。
「もし……」閉めてある妻戸の境で、人の跫音がとまった。住蓮の声である。安楽房の影もうしろに見えた。
ふたりは、何事かと、小さな胸を躍らせた。もう、夜が更けているのである。日が暮れてから、男性の二人が、女ふたりのこの密室を訪うことはなかった例である。
「――すぐ、お支度をなされませ。吾々が、ご案内する」
「え? ……。どこへ」
「もう、この法勝寺では、危険になりました。何となく、世間が知ってきたようです。で……相談したのですが、これからずっと山伝いに奥へ入ると、私たちが、仮に住んでいたことのある小屋があります。そこまで行ってください。――それからのことは、後でまた、よくご相談いたしましょう」あわただしい気持が、ふたりを駆りたてた。何かもう足もとから火がついたように落着かなかった。
被衣して、裾をからげて、ふたりは住蓮と安楽房に従いて行った。星あかりもない樹の下を登るのだった。松明が欲しいのであるが、それも危険だと考えられるので、まったく手さぐりで歩くのだった。
「あぶのうございますぞ」
「はい……」
「まだ、誰が知ったというわけではないから、ご心配には及びません。いよいよ、この山では、危ないとなったら、遠くへ、お落し申しましょう」
「……え。……ですが、私たちは、このお山に、死んでもいたい気がするのです」鈴虫は、そういった。住蓮は、いつとはなく、彼女の手を引いてやっていた。安楽房は、急な坂にかかると、松虫の局を背に負って這い登った。
――捨てられない。若い住蓮は心のうちでそう思った。おそらく安楽房も同じであろう。どうして、この無力な、そして自分たちを、かくまで信じきっている女性を、このまま振り捨てられよう。
あたりの樹々は、露が凍って、白珠をつらねたように氷が咲いていた。大地は、針の山に似ている冱寒の深夜だった。けれど、四人の若人の息は、血は、さながら火と火のように熱かった。
やがて、二十町も登ると、
「やっと来ました。ここです……」と、住蓮は、戸の閉まっている一軒の小さな空家を指さした。どこかで、滝が鳴っていた。
めったに開けたこともないような一軒家である。廂や戸は朽ちているし、床に敷いてある物も黴のにおいで蒸れていた。ある堂守が住んでいた後に、住蓮と安楽房がしばらくここに生活していたことがあるので、貧しい炊ぎの道具や灯りをともす器具などはあった。
「ここならば、しばらくの間は、世間の眼にもふれずにおられよう」木を拾ってきて、二人は火を焚いた。明日はまた、隙を見て、寝具なども法勝寺の庵から運んで来ようと慰めるのであった。
松虫と鈴虫は、この二人の親切に、ただ涙がながれてならなかった。そして、御所の絢爛な襖やあつい綿を思っても、少しも悔いを感じなかった。
美食や、脂粉や、絹のものや音曲や、そういう雰囲気の生活よりも、ここにある真実こそ人間の生活だと思った。――ただ彼女たちはまだ自分たちの装いが、俗のままにあることがともすると意志を弱めているようでならない。もっと、今の感激をつきつめて、髪を剃し、袖も裳も、断ちきって、清楚な尼のすがたになりきってしまいたい念だけがあった。
「おねがいです」
「どんなお誓いでも立てまする……」そこへ来てからも、彼女たちは、掌をあわさないばかりに縋った。
安楽房と、住蓮は、ついにそれを拒みきれなかった。――というよりも自分たちの若い情熱と信仰に多分な危うさを覚えだしていたので、
(そのほうがいい)と思った。
おそらくまた、鈴虫と松虫のほうにも、同じような怖い動揺が血の中にあったであろう。お互いが若いのだ、そして極めて危ない火と火を持ち合っているのだ。もしその薄紙にひとしい一線を越えたがさいご、もうふたたび今の安心と信念はあるわけに行かないのである。それには、彼女たちの黒髪を剃すことは、どっちに取っても、絶対な誓いであり、反省の姿を持つことになる。
「では、明日にも」と、二人はいったん山を降りて法勝寺へ帰った。そして、改めてまた登ってきた。
麗わしい尼が二人できた。
安楽房は、松虫の黒髪を。――住蓮は鈴虫の黒髪を、ひとりずつ、剃刀をとって、得度をさずけた。
「ああ……」住蓮は、裏へ飛び出して、ややしばらく入って来なかった。安楽房も、この麗わしい若尼のすがたを正視しているにたえなかった。しかも、相抱いて、寒々と、うれし泣きに泣いているふたりのすがたを見ては、――それをもうれしいほどな彼女たちの過去の生活であったかと思った。
「御仏の道に生きまする」
「信仰に生きまする」そういって、彼女たちはもう、次の日から、柴を拾って、貧しい炊ぎをしていた。いつ行っても、ただ一体の仏陀を壇において、その前で、念仏をとなえていた。
住蓮と、安楽房とは、交る交るそこへ彼女たちの不便な物を運んでやっていた。――すると、何時とはなく、こう二人の者の行動を知って、
(はてな? どこへ行くのか……)と、眼をつけていた者がある。
吉水禅房や、岡崎を初め、あらゆる念仏門系の法壇のある所を、所きらわず歩きまわって、狩犬のような鼻を働かせていた播磨房弁円であった。
あれほど、月々の法会や、念仏の唱導を、活溌にやっていた鹿ヶ谷の法勝寺が、近ごろ、はたと戸をとざしている。住蓮か安楽房かが、病気のためだとは称しているが、弁円は、そのうわさを麓で聞くと、すぐ、
(こいつはおかしい)と直感した。
(病気なら、吉水から、誰か代る者をよんできても、説法日の法筵ぐらいは開かれる。それに、住蓮も安楽も、少しも麓に姿を見せないというから、何か、べつな理由があるにちがいない)弁円が、鹿ヶ谷へ目をつけだしたのは、そんな動機からであった。彼は、山伏のすがたではまずいと考えた。笈や杖や服装をすっかり解いて、木樵か農夫かと思われるように身装を代えた。
山刀を一本さして、弁円は毎日山をあるいていた。法勝寺と山荘のまわりをうろついて、裏へ迷いこんだり、夜は床下へ這ってみたり、種々に探ってみたが、
(はてな?)と、思われるだけだった。
もう鈴虫も松虫もいなかったのである。何の怪しいふしも発見できなかった。だが、弁円は、干飯を噛みながらも、そこを去らなかった。
なぜならば、一人が病気のためと触れているのに、住蓮も安楽も健在でそこにいることを確かめたからだった。
「臭い。どうもここよりほかにない。見ておれ、今にあばいてやるから」彼の執着心というものは幼少からの持ち前といっていい。思いこんだことにはどんな蹉跌があろうと屈しないのだ。それは彼が寿童丸とよばれた昔から持っている善信(親鸞)への呪詛と報復とを、今になっても金輪際捨てていない異常な粘り方と根気を見てもわかるのである。
「おや……誰か出てゆくぞ……こんな深夜に」四日目の晩だった。法勝寺の裏にひそんでいた弁円は、星明りの下に一つの人影を見つけた。頭から衣をかぶっていてよくわからないが住蓮らしい背かっこうである。
尾行てゆくと、麓へではなく、住蓮は鹿ヶ谷からなお上の山路へ一人で登って行くのだった。手になにやら包みを提げている。非常にあたりを憚るような挙動なのだ。
(しめた!)という気持が弁円の胸をいっぱいに躍らせていた。勿論、住蓮はそういう犬がついて来るとは知るよしもなかった。彼は、もう上の尼たちが、食糧がなくなるころなので、深夜をはかって、それをそっと運びに行くのだった。
この上には人家もないはずだと弁円は考えていたが、肌の汗ばむような嶮しい道をのぼりつめてゆくと、ポチと、灯が見えたのである。――朽ちた板戸の破れ目から。
「あっ……」意外とせざるを得なかった。住蓮が立つと、そこが開いたのだ。そして、炉の火をうしろにして、美しい尼が二人、何か囁き合って、彼を中へ導いた。
すぐ閉められた戸の外へ走り寄って、弁円は、板戸の穴へ顔を押しつけた。息をころして覗くのだった。
「……ウウム」思わず大きな息をつく。
風は満山に轟々と鳴って、どこかですさまじい滝水のひびきがする。星は研げて、一つ一つが魔の目みたいに光っていた。猿がしきりと暗い谷間で叫びぬく。
樵夫のような男が、ぶらりと叡山の根本中堂の前に立った。座主の執事らしい僧が、
「うろんな奴、あれを糺せ」と、院務を執っている一人へ囁くと、
「これっ」ばらばらと、二人ほど、駈けてきて、男の腕をつかまえた。逃げもしなかった。
「はいっ」と、明

「なんですか」
「おまえは何者だ」
「私は、十数年前、当山にいて仲間僧を勤めていたことのある朱王房といっていた者です。もっとも只今では、聖護院の印可をうけ、名も播磨房弁円とかえて、山伏となっておりますが」
「なに、山伏じゃ」と、異様な彼のふうていを見直して――
「山伏たる者が、何でさような姿をし、山刀など差して、お山をうろついているか」
「ゆうべの夜中から、鹿ヶ谷の奥峰から山づたいに参ったので、麓にある山伏の行衣を取り寄せて身にまとう遑もなかったのでござる。それゆえに――」
「待て、いちいちいうことが不審である」
「そのご不審は、座主にお目にかかってお話する。座主がお会いできなければ、それに代わるお方でもよろしい」傲岸な態度である。
しかし、狂人ではないらしい。僧たちは、執事までありのままに取り次いだ。――鹿ヶ谷からと聞いて首をかしげたが、とにかく会ってみようという。
それから、弁円は、足を洗って、一室へ入った。人を遠ざけての密談で、なにか長い時間そこを出なかった。それのみか、中堂からは、にわかに使いが走り、主なる長老や叡山の中堅が二十名も集まってくる。
――何事が起るのか、末輩には分らなかったが、やがてその日の夕方には、弁円は一人麓に降りて、かねて預けておいた所から笈や服装をとりよせて、元の山伏にかえり、京の町を大股に急いでいた。
「ここだな」仙洞御所の前に立って、弁円は杖をとめた。御門垣から少し離れた所には、例の松虫、鈴虫の詮議に関する厳達が高く掲示されてあり、その板も、もう雨露に墨がながれていた。
「おねがい仕る」衛府の門を入って、弁円は高らかにいった。
「おそれながら、松虫の局と鈴虫の局のありかを、まさしく見届けて参った者でござる。御上申のほど願わしゅう存ずる」
「なに」と、衛府のうちでは色めき立って、すぐ、彼は評定所のほうへ廻された。
問注所の役人がいならぶ。
弁円は、雄弁に、自身で探りあててきた次第を述べたてた――勿論、鹿ヶ谷の安楽房と住蓮のことは、極力それを誇張して。
「よしっ」いちいち書きとめて、
「確と相違ないな」
「神仏につかえる身、何として」
「拇印を」と、彼の証を取って、
「追ってお沙汰があろう」と帰した。
弁円は、問注所から衛府を通って、御門の外へ出た。門の外には、叡山の法師たちが、頭巾の裡から眼をひからして待っていた。
「弁円どの。どうだった」法師たちの影は、彼を囲んだ。
弁円は、小声で、
「上々の首尾さ。――確と、中堂の執事と、叡山の大衆へ、この由、触れておいてくれ」
「心得た」
「――では、後を楽しもう」
「応」弁円とわかれて、法師たちは山へ走った。
彼らがもどってくることを、もう中腹の寺々では待っていた。
一人が聞くと、先へ走って行って、一人へ伝える。その者がまた、次の者へ伝える。わずかなうちに、このことは、一山のうちに知れていた。
「いよいよ念仏門の滅亡の日も近づいた」
と、人々は暗黙のうちに、叡山天台の独り誇り得る時代が来ることを祝福して、法敵吉水へやがて襲うであろうところの暗風黒雨を想像し、
「こんどは、ちと烈しいぞ。いくら強情な法然でも、善信でも、致命的な悲鳴をあげるにちがいない」いかに吉水禅房の人々がそれに処すか――見ものであろうなどという言葉は、かなり長老といわれ碩学といわれている者の口からも洩れた。
「好機。ここを外すな」叡山はまた、鳴動しだした。
そういう裏面のことなどは元よりおくびにも出すのではない。例の打倒念仏の理論をかかげて、洛中へあふれ出した。
南都も、それを伝え聞いて起った。彼らは、朝廷へ向って、再び、
「念仏停止願文」
をさし出すと共に、辻に立ち、寺に立ち、檄を貼り、声をからして、念仏門を誂謗した、批判という中正は元々欠いているのだ、ただ、念仏を仆せ、法然を追え、善信を葬れ――とさけぶ。
だが、民衆は、まだ耳をかさなかった。笛ふけど踊らず、民衆の批判のほうが、遥かにもう進んでいたのである。
*
今――眠ろうとしていたところであった。破れんばかりに戸を叩いて、
「お二人っ! 起きていますか。――住蓮と安楽です。すぐ、すぐに! 逃げる支度をしてください、逃げる支度を」まるで、山海嘯のような、不意であった。
松虫と鈴虫は、
「アッ……」と全身を凍らせた。だが、松虫はさすがに年上であった。
「あわててはいけません」わざと静かに、こうなだめて、咄嗟に身仕度をし、足ごしらえまでして戸を開けた。
その時のほうが、彼女はぎょっとした。いつも暗澹と樹々の風ばかりしている山裾のほうが、真っ赤なのである。そこらの樹木の一本一本がかぞえられて、葉や幹の下草までが、赤い火光にかがやいているではないか。
「火事ですか」
住蓮と安楽は、小屋のうしろで突く這っていた。岩清水へ口をつけて吸っているのである。濡れた顔のまま、
「さ! 逃げるんです」と、いった。
「あの火事は、法勝寺ですか」
「火事だけなら、こんなにあわてはしません。衛府の者がやって来たのです。とうとうやって来た! 何十人という捕吏を連れて――」
住蓮は、ことばを続けて、
「この峰づたいに――どこまでもどこまでも――人里を避けて、西のほうへお逃げなさい。他宗の者や、田舎の役人などに気をつけて」おののいて、足も地につかないでいる松虫と鈴虫とへ、
「こうしている間に、捕吏が登ってくると、もう最期になります。私たちが、付いて行ってあげたいが、私たちは、これからなお、吉水の上人に、事の由を申しあげて、この禍いが他へ及ぼさぬようにしなければなりません」
安楽房も、急き立てて、
「さ、早くなされい。……なあに人界は追われても、到る所に、仏界はあります、浄土はあります」
「では……」と、転ぶようにふたりは細い杣道を攀じてゆく。
「気をつけて――」
「はい」
「……気をつけておいでなされよ。……松虫どの、鈴虫どの」
「住蓮様――安楽房様」
「おさらば」法勝寺を焼いている炎は、遠い眼の下に見えるが、吠えくるう風の音と火のハゼる音がそこまで聞えてきた。
峰の背へ――ふたりの影を見送って、
「住蓮」安楽房は、友の肩をつかんで、嗚咽しながら、
「法勝寺が焼ける」
「ム……ム……自分で放けてきた火だ。焼けたほうが潔い」
「みんなおれたちの火悪戯だった。世を救う力もない者が世を救おうとし、人を救う力もない者が人を救おうとした結果だ、仏陀の見せしめだ……」
「だが、安楽房、あんな物は焼けても、また、焼け土の下から若い草は萌えるよ、見ろ、念仏門の胚子が、あんなに火になって、空へ舞うじゃないか」
「殉教者となるのは、元より覚悟のことだ。ただこれによって、念仏者の精神が、社会へ大きく映ってくれればいいが」
「自分に力のないまでも、魂をもって哀れを訴えてくる者には、ここまで、身をもって、救おうとした自分らの犠牲――いやそういってはいけない――真心だけは世間にもわかってもらえるさ。……それで満足じゃないか」
「どうだか、心もとないことだ」
「分らなければ、自分だけが、正しくあったということだけでも、おれはみずから安らぐ。――ただ案じられるのは、おれたちの行為が、吉水の上人の御迷惑にならなければよいがという点だが」
「上人はなにも御存じないことだ。上人ばかりでなく、吉水の誰も関わりないことだ」
「でも、一応は、お詫びもし、またあらかじめ事情をお話し申しておこう」
「元より、それは必要だ。……どう参ろうか」
「二人では、かえって人目につく。――こうしよう、おれは山づたいに、吉水の上人の所へゆくから、そこもとは、岡崎のほうへ走って善信御房に、この仔細を伝えてくれ」
「よしっ……」と、走りかけて、
「では安楽房、お互いにこれ限りいつまた会えるかわからないぞ……。達者に」
「……お身も」
「だが、どこの山野で暮そうとも念仏は捨てまいな」
「捨てない! ……捨てるものか! ……。オオ、そこへもう捕吏らしい影がのぼって来るぞ。さらば――」
法勝寺はまたたく間に焼けた。附近の樹木は黒い人骨のように手足を突っ張ったまま立っていた。余燼の煙のかなたから鈍い朝陽はのぼった。
安楽房は、五日ほど、山の中に潜んで草の根を食っていた。
(吉水の上人に――)と、心は焦心るし、
(洛中では、どう噂しているか、同門の人々に、何か迷惑はかかっていないか)と、案じぬいて、どうかして、一刻もはやく山を――と降りる道を窺うのであったが、どの道にも、捕吏の影が立っていて、うかつに里へ出て行ったらたちまち捕われてしまうことはわかりきっていた。
「住蓮は、首尾よく、岡崎の善信御房のところへ行き着いたろうか」そう考えると、彼もじっとしていることは、卑怯に思われてきた。
「よしっ、今夜は」死を覚悟して、花頂山の麓へ降りて行ってみた。わざと道のない崖や谷間を、熊みたいに這って。
真夜中だった。なつかしや吉水禅房の棟は黒くもうそこに見える。彼は涙ばかりが先に立った。――どういってお詫びしようかと。
けれど、禅房の前へ立ってみると、夜半といっても、いつでも、一穂の灯は必ず見える奥の棟にもどこにも、人の気はいはなかった。墓場のようにしいんとしているのである。試みに門を打ちたたいてみても、石つぶてを抛ってみても。
「やっ……。これは」やがて愕然と気づいたのは、常に人々の出入りする表の門に、大きな丸太が二本、斜交いに打ちつけてあり、そこに、何やら官の高札らしいものが掲げてあった。
ぎょっとしながら――安楽房は顔をそれへ近づけたが、その時、
「誰だっ」闇の中で大きな声がひびいた。いや跫音も飛ぶように近づいてくる。安楽房ははね飛ばされたように、附近の林へ逃げこんだ。振向いてみると、二、三点の松明が方角ちがいを探している。明らかに、捕吏だった。――彼の目には地獄の火と邏卒のようにそれが映った。
生きたそらはなかった。絶えず何者かに追われるように――そしてさまざまな疑いと迷いに乱れながら加茂川まで走ってきた。研ぎたての刀を横に置いたように、加茂川の水は青かった。ふり仰ぐと冱寒の月は冷々と冴えているのだった、かかる折には望ましい雲もいつか四方にくずれて。
「ああ……」
安楽房は、橋の袂にもたれて、骨に沁み入るような瀬の水音を聞いていた。――お師の上人はどうなされたのか? 吉水門の人々はどうなったのか?
ふと、その答えが、傍らの橋畔に見出された。いかめしい厚札の高札に書かれてある官の掲示である。吸いつけられるように、彼はその前に立った。読み下してみると、
猶、一声もこれを停止す。
安楽房は、凍てた大地へ打ち伏して、わっと男泣きに、泣いてしまった。
安楽房は、血を吐いたように、失神していた。嗚咽をもらすだけで、身も骨も髪の毛も、冬の月と大地に、氷になるのさえ感じないでいた。
「……済みません! お詫びのいたしようがありません! わたくしはこれをどうしてお詫びしたらいいでしょうか。上人様以下、念仏門の諸信徒と諸檀家に対して」彼はすぐ、頭のしんで、
(死!)と意識したが、
(死ぬくらいなことで、このお詫びができようか)と、もっと重い苛責を心のうちで求めた。
念仏停止の官命。
一声もこれを許さず――とあるこの峻厳な朝命。
その禍根が、自分と住蓮の二人のことから起ったのはいうまでもない。
「そうだ」彼は、高札の前から、よろよろと立ち上がった。悽愴な決意が、その顔を月より青く見せていた。
「――自分の行為を、明らかに官へ申しあげて、衷情を訴えて、上人の罪をゆるしていただこう。せめて……せめてそれが……」残酷にまで、冬の月が、彼の蹌踉として行く足もとを照らしていた。
西洞院の西評定所の門には、赤い篝火が消えかけていた。閉まっている門を打ちたたくと、
「たれだっ」と、べつな小門から侍が顔を突き出した。
「おねがいあって参りました。鹿ヶ谷に住む安楽房という者です。自分のいたした罪状について自首いたして出ました。御奉行にお会わせ下さい」
「なに、鹿ヶ谷の」わらわらと四、五名の侍たちが彼の両手を扼して、
「おおっ、安楽房っ」意外な獲物に、
「はやく」一人が眼くばせする、一人が評定所の奥へ駈けこむ。奉行の右衛門尉経雅は、
「――会いたいと」
「そう申しまする」
「引っ搦めて、白洲へ曳け」夜半をすぎていたが、松明の火は、諸方に焚かれ、そこばかりが赤く明るかった。
安楽房は、縄目をうけ、白洲に坐ると、すべてを隠さなかった。ありのままにいった。そして、
「師上人は元よりのこと、その他の同門信徒たちには、なにも知らない儀であります。この身は、いかような極刑に処せられましょうとも、決して、お恨みはいたしませぬが、あわれ、御仁恕をもって、念仏門閉止のお罰は、ひとえにお寛大を賜わりますよう、わけても師の上人は、ここ年来、病弱、且つ、専念御行状をも慎まれている折でもありまするし」
血を吐かないばかりに、彼の声は、慚愧と哀涙と熱烈な真心をつくして縋るのであった。――だが経雅は、彼のいうところなどは聞こうともしないのである。
「汝と共に、鹿ヶ谷におったはずの住蓮は、いずこへ潜伏したか」と、追求し、また、
「松虫の局と、鈴虫の局のお二人は、何地へ落とした。それをいえ」安楽房が、それについては、一言も吐かないので、経雅は、
「こいつ、自分の勝手なことには、饒舌を恣にし、奉行の糺問には唖を装っておる。容易なことでは、泥を吐くまい、拷問にかけろ、拷問にかけい!」と叱咤した。
侍たちは、篝火の中から、炎のついている松明をつかみ出して、安楽房の顔をいぶした。
一方、住蓮はどうしたろうか。
彼が友の安楽房とわかれて取った道も、元より荊棘でないはずはない。いや、住蓮のほうは、もっと酷かった。
「岡崎の善信御房へ――」と、彼は短気にそこを目ざして人里へ降りて行ったので、たちまち、捕吏の眼にとまって、
「鹿ヶ谷の売僧!」と、まるで悪魔のように追いまわされた。
遠く叡山のふもとの方まで、彼は逃げ走って、山林の中へかくれたが、そこは実に、捕吏の屯以上に、危険な地域であった。なぜならば、念仏門の敵地だからである。叡山の山僧たちは、この附近へ鹿ヶ谷の一名が逃げこんだと聞くと、奮い立って、山狩りに奔命していた。――その人々の声高にいい交わして通る言葉を聞いて、住蓮は、叡山の策動や、この虚に乗じて、素志をとげようとしつつある彼らの肚をまざまざと見た。
「この分では、善信御房の岡崎のお住居も、どうあろうか」と、心もとなく思いながら、深夜、山林からそっと出て近づいてみると、果たして、遠く竹や柴で柵を作って、そこへ通う道には、官の見張が立っている。
河原づたいに、彼は、洛中へまぎれ込んだ。そして、様子を聞くと、市中は沸くような騒ぎなのだ。そして、口々に、
「御停止じゃ」
「念仏は、一言も」
「ああ、南無」
「それ、うかつに口へ出すと」
恟々と、人心はおののいている。彼らには、なぜ念仏を口にすれば国法にふれるのか、いってならないのか、分らなかった。――つい幾年前には、畏きあたりまで召されて、その講義を嘉し賜い、堂上や多くの尊敬すべき人たちまでが、かつてはこれこそ人生最高のかがやきと仰ぎ唱えた念仏を、それを、口にしても、国法の犯人になる。――どうしても解かれない疑いだった。
そうして、御所の陽明門のあたりを見ると、制札が、ここにも墨黒々と立っていて、傍らの武者溜りには、伊賀判官末貞とか、周防元国などという人々が、市中警備の奉行となって、夜もあかあかと松明や篝火に冬の月をいぶしているのだった。
ぽつ、ぽつ、と時折その前を通る人影は、槍の光を見て、遠く足を浮かして歩いて行ったり、また、高札の前に立って、
「えらいこっちゃなあ」と、嘆息と共に読んで去る者もあった。
――と、一人の男が、頭には法衣をかぶって、足には破れた草履を穿ち、じろりと、奉行の武者溜りを横目に見て通りかけたが、突然肩をゆすぶって笑いだした。
「あはははっ……。口で唱える念仏の声は禁じても、心のうちで唱える念仏を停められようか。ばかなッ!」と、人も無げに罵って、
「――輪王位高けれど、七宝永くとどまらず。世は末だ! 澆季澆季」泣くように、月へさけんで、悠々と歩みをつづけて行く。
「やっ、何奴だ」判官末貞は、その声を聞いて、
「捕えろッ」と呶鳴った。
その叱咤を、後ろ耳で聞きながら、先へゆく法師はまだ足も早めず、大きな声に抑揚をつけて慷慨の語気を詩のように呶鳴りつづけていた。
「――天上楽しみ多けれど、五衰早くも現じける。五衰早くも現じける……」そして、腹の底から、二声――
南無阿弥陀仏
「わしか」と、法師はくわっと炬のような眼を振り向けた。
躍りかかって、有無をいわせず縄を打とうとした判官末貞の部下も、振向いた僧の一喝と、その眼光にはっと足をすくめて、
「待ちおろうっ」と、距離をおいて取り囲んだ。僧は、笑って、
「待っているではないか。何用じゃ」
「おのれ、そこの御高札を見ぬか、いや、辻々の掲示はもちろん、あれほど、厳しゅう官より布令てある念仏停止のことを知らぬのか」
「知っておる」
「なに」と、その傍若無人ぶりにあきれて――
「知っていながら、しかも御所の御門の前を、今なんと吠ざいて歩いたか」
「――南無阿弥陀仏! と」
「あっ、またいったな」
「オオ、南無阿弥陀仏」
「う、うぬ、怖れ気もなく、お上に対して、反抗を示しおるな。――名を申せっ、何者だ」
「念仏を唱えずには一日も生きておられぬ者だ!」
「よしっ、後悔するなっ」さらにまた、その間に、奉行小屋から加勢の人数も加わってきた。今までの物いいぶりから見て、尋常な法師でないと見たからである。
案のじょう、法師は、死にもの狂いになって抵抗した。――剣、喚き、地ひびき。――そこはたちまち修羅を現出して、一人を縛るために大勢の死傷を出した。
だが、鬼神のように暴れた法師も、ついに、力がつきて、折り重なる武者の下に十文字にくくり上げられた。よほど忌々しかったのである。判官の部下たちは、土足をあげて法師の体を鞠のように蹴った。
「畜生――」
そう罵りながら、縄尻を引っ張って、ずるずると評定所の門のうちへ引っ張りこんだ。法師は決して悲鳴をあげなかった、そんなにされても、時折、慨然と元気な声を張って、為政者の処置を罵り、そして手先になっている侍たちを、嘲殺するように笑ったりした。
奉行の伊賀判官末貞は、
「名を申せ、寺籍をいえっ」と、彼を責めた。僧侶は、大地に坐り直し、
「おれは、鹿ヶ谷の住蓮だ、おれの念仏を停めてみい」といって、それから牢へ打ちこまれても、念仏を唱えていた。
「げっ、住蓮?」捕えてから驚いたことである、奉行は、もろもろへ達して、彼の顔を見知っている者を求めた。その結果、誰のことばも、
「住蓮にちがいございませぬ」と、証明した。
意外な獲物に、奉行の屯は、凱歌をあげた。一方の安楽房もすでに獄舎にいるので、断獄は、即日に決まった。
――不明なのは、依然として、松虫の局と鈴虫の局の行方であったが、そのうち、師走も暮れ、新春の松の内も過ぎたので、いよいよこの二人から先に処刑することになった。
――承元の元年、二月の初旬。
六条河原の小石は、まだ氷が張っていた。暖かい日だったので、加茂の水は雪解ににごっていた。
近衛牢から曳きだされた住蓮と安楽房のふたりは、矢来のそばの杭につながれていたが、やがて時刻が来ると、官の命によって刑刀をうけた獄吏たちの手で、仮借なく、刑場の中央にひき出されて、氷石の座に、筵も敷かず据えられた。
「――鹿ヶ谷の坊様たちが斬られなさる」群衆は、河原へ集まった。矢来の外へもひしめいて来る。
「おお、あれじゃの」刑吏の手でひきすえられた住蓮と安楽房のすがたを遠く見て、思わず、
「な、む、あ、み、だ、ぶつ」口走ると、
「しっ……」と、傍の者が袖をひいて、
「お停止ですぞ」と注意してくれた。
「そうだった」と、民衆は口を抑えた。
「たった一声、唱名をとなえても、厳罰というお布令、あぶない、あぶない」
「弥陀のお力も、お上のご威光には、及ばぬものか」
「時じゃ、時勢じゃ――法然様さえほかのお弟子方と共に、御蟄居といううわさ。御門の前を通ると吉水の元のおもかげもなく、今日このごろは、いかめしい武士や刃物の光ばかり……」
「では、もう上人のお姿は」
「オオ拝めまいぞ。――この世では」
「何という恐ろしいことを見るものじゃ――ああ、南無阿」
「これ、気をつけなされ」
「つい、上人様のことを思うと、口から出てしまう。唖になるのも、難かしいことじゃ」そのうちに、
「アッ……」人々は足のつま先を立てて矢来へ顔を寄せた。
――見ると、あちらには、住蓮と安楽房の二人の後ろに、刃を取った刑吏が廻って、なにか、最後のことばをかけている。
それだけは、獄吏の情けであったとみえる。二人とも、法衣だけは着ていた。そして、数珠も持っていた。
(遺言は)と刑吏が聞いてやったのであろう、住蓮も安楽房も、
(…………)静かに首を横に振った。
カラカラと矢来の竹の先が寒風にふるえて鳴った、しいんと一瞬天地は灰色に凍っていた。すると一声、安楽房の口から、「南無阿弥陀仏!」はっと、刑吏はあわてて、刀を斜めに振り落した。住蓮も、念仏をとなえた。しかし、二声という間がなかった。見るまに、二箇の死骸から血しおが蚯蚓のように河原を走って、加茂川へひろがった、草も石もみな赤く染めるかと思うほどひろがって行った。
群集はわれを忘れて、
「なむあみだ仏……」もうそれは停めようとしても停まらない声であった。十人や百人が唱えるのではない、あらゆる民衆の口からついて出るのである。獄吏や役人たちは、苦々しい顔をしたが、どうすることもできなかった。
*
「――たいへんでございます、鹿ヶ谷から四里ほど奥の小屋のうちで、若い尼様が二人、自害して死んでおります」猟師の駈け込み訴えに、
「それこそ、松虫と鈴虫の局」役人はすぐ、如意ヶ岳へ分け入った。想像どおり、彼女たちであった。形ばかりの位牌二つ――住蓮と安楽房の霊に香華をそなえて、水晶の数珠を手にかけたまま美しい死をとげていたのである。
――仙洞御所の逆鱗!
南都、叡山、その他の諸宗諸国の反念仏派は、この時と、なお輿論をあげた。そして功を奏した。徹底的に、念仏は地上から一掃され、彼らのいうところの法敵吉水は、潰滅を予想された。
[#改ページ]
――急転直下である。
承元の元年、二月二十八日。宣下は吉水へ降った。
法然房源空ヲ、俗名藤井元彦ノ名ニ帰セシメ、土佐ノ国ニ遠流ヲ命ズ。
罪は勿論、法然ひとりに下ったのではない。
吉水門下のうちでは、浄聞房、禅光房などの高足八名に対して、備後、伊豆、佐渡、阿波の諸国にわけて、それぞれへ、
(流罪――)という厳達であった。
その他には、性願房、善綽房という二人は、かねてから鹿ヶ谷の安楽房や住蓮と親密であり、かたがた、平常のこともあって、これは、
(死罪――)という酷命であった。
吉水の禅房を中心として、洛内の信徒の家屋敷は、おのおの、暴風雨の中のような様であった。
突然、荒々しい武者どもが来て、
「調べる」と、たった一言の下に、家財を掻き回して、家宅捜索をする、そして、わずかばかりな一片の手紙でも、不審と見れば、
「こやつ、念仏門の亡者と、深い企みがあったな」
有無をいわせないのだ。食事中の主を引っ張って行ったり、乳のみ児の泣く母親の手を曳いて行ったり、それはもう地獄の図にひとしいありさまだった。
わけても、今度の事変で、法然上人以上に、一身を危機に曝された者は、岡崎の善信であった。
叡山からは特に、と、かねてから注目の的になっていた善信である、念仏門の大提唱は、法然によって興ったとはいえ、その法然の大精神と信念とを体して、自己の永いあいだの研鑽をあわせて、強固不抜ないわゆる一宗のかたちを完からしめてきたのは、より以上、善信その人の力であると、今では人も沙汰するところである。
「彼こそ、この際、断じて死刑に処されなければいかん」とは、彼の大を知る反対側の他宗において、勃然と揚っている気勢であった。
で――法然門下中の逸足としてこんどの処刑のうちには、真っ先にその名が書き上げられてあった。
他宗の希望どおりに「死罪」として。その罪として、
――彼は肉食妻帯をしている。
――彼は公然、しかも白昼、その妻玉日の前と同乗して、洛中を憚りもなく牛車を打たせて歩いた。
――彼はまた、何々。
善信の今日までの苦難力学はみな罪条にかぞえ立てられ、叡山の大衆はひそかに、
(異端者の成れの果てはこうなるのが当然だ、こうして初めて社会も法燈も正大公明ということができる)と、いった。
ひとり六角中納言親経は、その罪を決める仁寿殿の議定でそれが公明の政事でないことを駁論した。
中納言のこの日の議論はすさまじかった。太上天皇のおん前ではあったが、面を冒して善信の死罪はいわれのない暴刑であると論じ立てたのである。――しかし彼は吉水の味方でもなく叡山の味方でもなかった。
天皇の臣として。また、この国の文化と精神をつかさどる一員として、極力、反対したのである。その結果、善信は死一等を減じられて、
(越後国、国府へ遠流)と決まったのであった。
「この老年になって――このあるまじき世の態を見ようとは……」月輪公は老いた。一夜のうちに白髪になったかと思うばかりに。
こんどの大事変で――いやそれより前からも心配は絶えない立場にあったが――誰よりも悲しみ、そして誰よりも肉体へこたえたのは、月輪禅閤であったにちがいない。
帰依する上人に対して。また、愛しいわが娘の聟――善信に対して。
「……何たること!」老いの唇を噛みしめ、
「わしの身で代われるものなら」めったに嘆いたり狼狽えたりしない彼が、
「いても立ってもおられぬ――」とさえ口走って、幾日かを、物狂わしげに悲しまれていたという町の人々のうわさも、決して、誇張ではなかったろう。
そしていよいよ宣下の日になると、彼は、老いの身を牛車に託して、
「吉水へ」と、命じた。
吉水へ――これが最後の彼の運びであった。――光明の道、易行往生の信をもって通った道を、どうして、暗澹たる悲嘆の泥濘として踏まなければならないか、禅閤は、
「……死にたい、もう、人の世がいやになった」牛車の内で、つぶやいていた。
――来てみれば、ああと、禅閤は思わず太い息をもらした。なんたる変りようだろう、これが昔日の念仏の声にみちたあの吉水のお住居だろうか。
「…………」禅閤は、しばらく、牛車のすだれを垂れ籠めたまま泣いていた。従僕が、
「着きましてございますが」とうながしても、降りようとしなかった。
門のあたりは、焚火のあとを蹴散らした燃えさしの薪だの、警固の武士がぬぎすてた切れた草鞋だの、馬の糞だの、狼藉を極めた光景だった。
役人の小者や、あばれ武者が、所かまわず飲食するので、野犬がたくさん集まって、禅房の中へまで上がり込んでいる。垣は破れ、門の扉には、今も依然として、丸太の十文字が打ちつけてあって、出入りはすべて、警固の者の槍ぶすまに囲まれている横の小門からすることになっている。でも――
「月輪公がお越しだ」
「えっ、禅閤が」こう警固の者にささやきが伝わると、さすがに、前の関白に対する敬意をよび起され、
「いざ……こちらから」と、丸太の十文字を取外し、静粛になって、警固の者が案内した。
「上人は、おいでられるのかの」禅閤は、そばの者に訊ねた。
「おられまする。――以来、おらぬような謹慎をされていますが、奥のほうに」と、役人の一人が答えた。
衣食や――お薬や――そういうことなどもどうしておられたかと、禅閤は、もう誰もが、土足のまま勝手に踏み荒らしている禅房のうちへ、やはり常のように、沓を脱って、静かに上がった。
「オオ」ちらと姿を見た禅房の弟子が、うれしさやら悲しさやらで、思わずこう叫ぶと、上人の常に起き臥ししている奥の一室へ向って、まろぶように駈け込み、
「――月輪殿がお見えなされました。月輪殿が」と、あわただしくそこにいる上人に告げた。
――どんなに惟悴しておられるだろう、どんなに絶望的な老後をかなしまれているだろう。そう上人のすがたを想像していた月輪禅閤は、
「おう」と、上人のほうから、常のとおりな声で、先にことばをかけられると、はっと、なにものかに衝たれて、
「……おお」同じように答えたまま、両手をつかえて、その手をしばらく上げることができなかった。
自分の至らなさを、禅閤はすぐ恥じた。そういう上人であろうはずはなかったのに、自分の悲嘆から推して、そうあろうと、上人を凡夫のように想像していたことが恥かしくなってきたのである。
今度の兇変についても、
「なんと申しあげてよいやら」と、禅閤がいいかけると、
「なにも仰せられな」と上人は微笑すらふくんで、それに触れないのだった。
そして、相かわらず、上人の唇から流れる静かなことばは、法の話であった、弥陀光の信念につつまれた和やかな顔をもって説くところの人間のたましいの話であった。
「――かかる時に持ちくずれるような信仰では、なんの役にたちましょうぞ。こういう折こそ、ご修行のかいがのうてはならぬ、月輪どのはややおやつれに見ゆるが、さようなことでは、法然が都を去るにも心のこりでござりまするぞ」これはどういう人だろうと、禅閤は今さらに上人を見直すのであった。日ごろの病苦などはかえって膝の下へ組みしいてしまったような法然なのである。しかし、どれほどこの事実が禅閤の信仰を強固にしたか知れなかった。自分が救われると共に、久しぶりでここへ来て心が明るくなった。
――それはそれとして、眼の前にはすでに刻々といろいろ問題がさし迫っている。遠流の日はまだ決まらないが、それまでのわずかの日の間でも、禅閤は、上人の身をどこか安らかな所へおいて、心から名残を惜しみたいと考えてここへ来たのであった。
で――そのことについて、上人の内意を聞くと、官のほうさえおゆるしなればという答え。その官のほうのことは、すっかり禅閤が諒解をとげてきてあるので、お案じには及ばぬ由を告げると上人も、
「では、お心に甘え申そう」という。
翌る日――牛車の支度をととのえて、禅閤はふたたび吉水へ出直した。そして、上人の身を一時、阿弥陀ヶ峰のふもと蓮華王院の辰巳にあたる小松谷の草庵に移した。
もちろん蟄居の身のままであるから、ここにも、物具を着けた警固はつく。
けれど、吉水の荒らされた禅房よりも、はるかにくつろぐことができるし、禅閤を初め月輪家の人々も、
「これぞお名残――」と、真心こめて、上人の起き臥しの世話をすることができた。
そうして上人の身を荊棘の門から抱え出すと、禅閤はまた、一方のわが聟と、いとしい息女とが、事変以来どう暮しているか――それも心がかりでならなかったことなので、
(――明日は)と思いながら、なにかのことに慌ただしく日ばかり暮れて行かれず、
(明日こそは、岡崎へ)と、また今日も心のうちで思うだけで、訪客だの、蟄居中の上人への心づかいだの、官へ対しての哀訴だの、さまざまな忙しなさに暮れてしまうのであった。
「裏方様――裏方様」あわただしく、生信房は、こういって、草庵の縁から、奥へ告げた。
生信房というのは、つい先ごろ――去年の暮に――この岡崎の草庵へ新しく侍いて、実直に働いている新沙弥であった。
その実直ぶりや、起居のはやい様子だけを見ては、誰もその新沙弥がついさきの年まで、世の人々から、魔か鬼かのように怖れられていた大盗天城四郎がその前身と思いつく者はあるまい。
彼は、吉水の上人に、その前名である天城四郎とか、木賊四郎とかいう悪名を捧げてしまって、そのかわりに、信をもって生れかわる――という意をこめた「生信房」の名をいただいたのである。上人は、その折、
「わしはもう老年であるから、そちに附随を申しつけて、永い先の道を手をとってやることができない。善信はまだ年も若く、年来、そちとは有縁の間がら、また、師と頼んでわしにもまさる人物であるゆえ、善信について、向後の導きと教えをうけたがよい」といわれた。
それ以来、彼は、岡崎の草庵へ来て、草庵の拭き掃除やら裏方の用やら、夜の番人やら、なにくれとなく忠実に下僕の勤めをしていたのだった。
(狼が、良犬になったような――)と、彼の前身を知る者は、奇異な思いをして見ていた。それほど生信房は、正しく生れかわっていた。
――今度の吉水崩壊の大変を知ると、彼は、歯がみをして、くやしがった。それが、かねて弁円から聞いていることによって叡山の卑劣な奸策が大きな動因となっているのをよく知っているからである。(この身一つを捨てる気で、叡山に火をつけてやろうか)などと口走ったりすることもあったが、裏方の玉日の前からたしなめられると、
(はい、そんなことは誓っていたさないことに、仏様にも約束いたします)と、素直に服従した。
玉日の前は、もう、前の年から妊娠っていて、彼女の室には、いつのまにか、珠のような嬰児の泣き声がしていた。――仏前に詣るにも、弟子と話すにも、南縁から、三十六峰の雲をながめているにも、その膝には、母乳を恋う良人の分身をのせていた。
このところ、彼女は母乳が出ないので、悩んでいた。良人はどこへ行ってどうなっているのか。その消息はいっこうにわからない。騒擾のうちに、暗殺されたといううわささえ巷には飛んでいる。そんなことがないともいいきれない良人の身辺であり、またその烈しい強い性格を知っているだけに彼女は胸がいたむのであった。
今――生信房が縁から、
「お師さまが、おかえりですぞ。――たしかにあのおすがたは、師の善信様にちがいない。はよう、出てごらんなさい」そう呶鳴るので、玉日の前は、胸がずきっと痛むほど大きな衝動をうけた。
「ほんに……」縁へ転び出て彼女は伸び上がった。
白川のほうからこの岡崎の丘の林へのぼって来る小さい人影が分るのだ、飄々として、春のかぜに、黒い法衣のたもとがうごいている。
(良人だ)そうはっきりわかると、彼女は、ふところに抱いているまだなにも知らないわが子へ、ひしと頬ずりして、
「お父さまが……そなたのお父様が……ご無事でおかえりなされたぞや。……うれしいか、うれしいかや」何度もくりかえして、もう、涙をぬらしているのだった。生信房も、横を向いて、拳でそっと眼をこすった。
――生きて在わした。――ご無事で。と玉日もそう思い、生信房もそう思うほど、奇蹟の心地がするのであったが、やがて、草庵の一室へ通った善信は、
「さびしかったであろ」と、妻をいたわって、自分の身のことなどは、なんのこともなかったような容子に見える。
――生きている! いかにも久しぶりにわが家へ戻ってきた善信は生きている人のすがただった。相かわらず、はちきれるような健康を持ち、皮膚はすこし焦けて浅黒く、何か、山が崩れてきても動じないよう、いつも濃い眉がよけいに強い意思の象に見えて、悠揚として寛いでいるのだった。
「さだめし、都のうわさ、吉水御一門の凶事、お汝らも、聞いたであろうが」とやがていう。
それも、若い妻の実社会のどんなものかを多く知らない胸に、唐突な驚きをさせまいと気づかうように、静かなことばで――
玉日は、生れてまだ二歳の房丸を、胸に抱いていた。
「はい、存じあげておりました」
「かねて、上人にも、期しておられたことだ。驚くにはあたらぬ」
「心はいつも決めております」
「それでこそ」と善信はにこと笑って、
「――むしろよろこんでいいことだとさえわしは思う」それは少し意外に感じたのであろう、玉日は、解きかねたような眉を上げて、良人の顔を見た。善信は、低くことばを続けて、
「なぜならば、今までは、都会の中の吉水禅房であった、都会人へ多く呼びかけた念仏であった。したがって、われらの説く声――わたしたちの信も――都を中心として思うままには行きわたらなかったが、このたびの御停止と処罰によって、上人を初め、われらの末弟までが、諸州の山間僻地、流罪に科せらるるにおいては、これよりはいやでも、念仏信者が日本の全土にわたってその信を植えることになる――」こういいながら、善信は、眼に何ものかを見ているように頭をすこし下げて、
「これは、まったく、御仏のお計いじゃ、これを天祐といわずして何ぞや。――小さな都の一箇所に、多年、跼蹐りこんでおったわしたちに、さらに眼界を宇内にひろくし、そして、赴く所に、仏果の樹を植えよ、念仏の華を咲かせよ、浄土をたがやせという御仏のお心でのうてなんとしよう。……されば、善信は上人へも申しあげたことじゃ。――このたびの儀は、こよなきおよろこびでござりましょうとな。……すると、上人もほほ笑まれて、善信ようこそ申されたと、お賞めのおことばを戴いたことであった」
玉日は、乳をすう幼児の顔をじっと見ていた。自分が一つの母胎であると共に、良人が、億万の民衆に愛と安心の乳をそそぐ偉大な母胎でなければならないことがよく分った。
――だが、女としては、まして若い母としては、胸の傷むことであった。良人の話に、うなずきながらも、睫毛の先には、白い露がかすんでこぼれかけた。
「すこし見ぬ間に……」と、善信は、房丸を抱きとって、頬ずりした。
「――重うなったの、さだめし、そなたは丹精なことであろう。だが、風にもあたれ、雨にも当れ、弥陀の子は、きっと育つ」
生信房は次の間の物蔭に手をついていたが、善信のことばが、いちいち腸に沁みてくるように思った。
善信が岡崎へもどって来たのは、決して罪がゆるされたからではない。
むしろ、その重罪が決定したからである。
越後の国府へ流罪とさだまると、彼は一先ず、評定所の門から出され、その日の来るまでは、岡崎に蟄居と決まった。
勿論――上人を訪れることも、官のゆるしがなければできない。同門の友との往来も厳禁されている。
それでも不平はいえないことだった。遠国へ流されるまでのたとえ幾日でも、こうして、妻と共に、子と共に、起居がゆるされることになったのは、その裏面に、舅の月輪禅閤のどれほどな運動があったか知れないのである。あのよき舅御がなかったら、こういう寛大があるどころではない、善信の死刑は、念仏停止の宣下があった後、三日を待たずに行われていたにちがいない。その禅閤も、やがて、岡崎を訪れ、
「わしはもう嘆かぬ」といった。
善信は、師の法然上人の消息を舅から聞いて、
「さもござりましょう」と、安堵の笑みを泛かべ、
「ただ、このうえの慾には、上人御流罪のまえに――またこの善信が配所に下される前に――たった一目でもお目にかかってゆきたいことです」禅閤は、もっともであるとうなずいて、それもなんとか、朝廷の人々にすがって、願ってみようといった。また、玉日と房丸のことについては、
「わしが護っておる、必ず、案じぬがよかろうぞ」といいたした。善信は、何事も、吹く風にまかせて咲いている蘭のように、
「どうぞ」と、いうだけであった。なんの苦悩らしいものもその眉には見あたらない。わが娘の聟ながらさすがと禅閤は思うのであった。そして、法然のことばをも思いあわせ、
「これがなんの悲しみぞ」と過去数ヵ月の自分の悲嘆が今ではおかしくさえ思えた。
二月か――と巷でもうわさしていた上人の配流の日は、その二月には沙汰が下らず、三月に入った。
都の杉並木の間には、もう彼岸桜の白っぽい花の影が、雪みたいに見える。春を揺らぐ洛内の寺院の鐘は、一日一日、物憂げに曇っていた。
若い一人の僧が、急ぎ足に、青蓮院を出て行った。善信の弟、尋有である。
兄の善信や、吉水の上人の配所護送の日が、いよいよこの三月の十六日と師の慈円から聞いたので、
「一目、兄のすがたを」と、或いは警固の役人に追い返されるであろうかも知れないことを覚悟して、師にもゆるしをうけて、出てきたのであった。案のじょう、白川のほうから行く道にも、神楽岡から降る道にも、すべて、岡崎の草庵へかよう道には、鹿垣が囲ってあって、
「ならぬ!」と、そこにいる武士に、剣もほろろに一喝されてしまった。
事情を訴えても、大地に手をついても、許されなかった。やむなく尋有は日の暮れるのを待って、道のない崖道から、岡崎の松林の奥谷へ、生命がけで這い降りて行った。
風ではない――ほとほと戸を打つ者がある。今ここを訪れる者は絶対にないはずであるがと思いながら、
「生信房」と、善信は呼んでみた。
もう夜更けであった。答えがないところを見ると、生信房も眠っているらしい。玉日も嬰児を寝かしつけている。
「――どなたでおざるの」善信は自身で立って行った。戸の外では、
「わたくしです」と誰かいう。何気なく、草庵の戸をあけて、善信はびっくりした。
「おお弟っ……」
「兄上……」
「どうして此庵へは……。まあ上がれ」手を取って一室へ。
坐ると、もう兄弟は、胸がいっぱいだった。
同じ都の、すぐ目と鼻の先にいながら、二人の会う折は極めて稀れだった。会うごとに、何から話し出してよいかと思い惑うほどに……
「近いうちに、越後へお立ちなされますそうな」
「む。――十六日というお沙汰じゃ」
「十六日。……ではもう間近に」
「されば、お汝とも、これがお別れじゃ。ひたすら、修行をされい」
「はい」
「お汝の師、慈円僧正は、わしにとっても、幼少からの恩師。思えば、お手をとって童蒙のお導きをして賜うたころから今日まで、憂いご心配のみかけて、その後のご報恩とては何一つしていなかった。……この兄の分も共々に尽してたもるようにの」
「きっと、励みまする。そして今のおことば忘れませぬ。……けれど、遠流の日が、十六日ということでは、兄上には、もう慈円僧正にお会いあそばす折も」
「むずかしかろうの。……吉水の上人にも、一目お会い申しとうて、月輪の老公におねがいしてあるが、どうやら官のおゆるしはならぬらしい。……しかし弟、この善信は遠国へ流さるるとても、決して、悲しんでたもるまい。念仏弘世のため、衆生との結縁のため、御仏の告命によって、わしは立つのだ。教化の旅立ちと思うてよい」
「お心のうち、そうあろうかと、尋有も考えておりまする」
「重ねていうが、お汝はまだ若年、都にあっても、くれぐれ勉強してあれよ」
「はい、その儀は、お案じ下さいますな。いささか平常の修行を認められまして、私も、近いうちには、叡山の東谷善法院へ下されて一院を住持する身となりました」
「ほう……叡山の東谷へ移られるか。奇しき縁じゃ。兄は、叡山の大衆より、法魔仏敵のそしりをうけて追われてゆくに」
「善信の血縁の者とあって、反対もあったようにござりますが、師の慈円様のお計らいで」
「よいことだ、そういう中にやって、そちの人間を作ってやろうという師の房のお心にちがいない」
「闘います、百難と」
「兄は、他力門の弘通に北国へ。――弟のお身は、自力聖道門の山へ。こう二つの道は、西と東ほど違うようだが、辿り登れば、同じ弥陀の膝なのじゃ。……弥陀のお膝でまた会おうの」奥で――その時、なにをむずかり出したか、嬰児の房丸が泣きぬいていた。尋有は、ふと、そこから洩れる甘い母乳の香に、自分の幼いころを思いだした。
「――十六日のお時刻は」
「卯の刻に出立する」
「その朝の鐘は、尋有が撞きます。青蓮院の卯の刻の鐘が鳴りましたら、弟が、見えぬ所から見送っていると思うて下さいませ」といって、尋有はやがて、初更のころ、山づたいに忍んで帰って行った。
ゆうべは、小松谷の小御堂には夜もすがら念仏の声が揚っていた、念仏をおくびにいっても、厳科に処すという禁令が出て以来、官の取締り方も民衆の自戒も、針のような神経質になっている折なのに。
十六日の暁方は、刻々と、小御堂をつつむ暗い樹々の風と、白い星のまたたきに、近づきつつあった。
法然は、宵のうちに、わずかの間を眠っただけで、まだ初更の鐘も鳴らないうちから起きていた。そして起きているまは、一秒一瞬のあいだも、念仏を怠らないのである。
(今朝はおわかれぞ――)と、庵のうちには、いっぱいな人が詰めていた。俗の人、沙門の人、官途にある人、遠国から馳せつけた人々など、雑多に宿直していた。その人たちは、時折、上人の居間から念仏が洩れるので、
「垣の外へ聞こえては」と、他聞を惧れて、開いている妻戸やふすまも閉て籠め、
「……もちっと、お低い声音で仰っしゃって下さればよいが」と、ささやいた。
恟々として、官を恐れる気持が、このごろの日常であった。――たった一声、南無とつぶやいただけで、牢獄へ打ちこまれたり、河原へひきすえられて、鞭で打ちすえられている老人などを、毎日のように目撃しているのである。
柴垣の外には、それでなくとも、絶えず獄人を見る眼で、牛頭馬頭のように、槍をひっさげている官の小者たちがここを警戒していて、時折、中へずかずか入ってきて覗きこんだり、つまらぬことを取り上げて威張り散らしたりしているのだった。
「――あまり官を憚らぬようにある。上人が、きょうぞ名残と、一念御唱名なさるお気持はわかるが、つい、禁令をおわすれになって、お唇から高く出てしまうのであろう。誰か、ちょっと、ご注意申しあげてはどうか」と、いう者があった。
「さ……」誰も、顔を見あわせて、上人へそれをいいに行く者はなかった。すると、やはり流罪を命じられて、今朝、上人と共に、配所へ護送される善恵房が、
「では、てまえが」と起った。
「オオ、善恵房どのからなれば、上人も、お気にかけられまい。月輪の老公のご奔走で、なにかと、護送のことまでも、ご寛大になってきたところ――ここでまた、法令にたてつくようなことが官へ聞こえては上人のお不為になるで」
「それとなくご注意申しあげて来ます」善恵房が、上人の前へ出て、畏る畏る一同が案じているよしを述べると、上人は、もってのほか機嫌を損じたらしく、厳しく、膝を革めてこういった。
「たとえこの法然房が舌を抜かれ身を八ツ裂きの刑にせんと御命あっても、わしは念仏勤行を止めることはいたさぬ。よし新羅百済の海の果てへ流さるるも、死を賜うも、大聖釈尊をはじめ無量諸菩薩が、われら凡愚煩悩の大衆生のために、光と、証とを、ここにぞと立て置かれたもうた念仏の一行であるものを。――何ぞや、権力、詐謀、威嚇、さようなものでこれを阻め、その不滅の大御文章を、人類のうちから抹殺することなどできようか。わろうべき人間の天に向ってする唾でしかない。――そちたちも、夢、法然が信をさまたげ給うな」
夜はまだ明けない――ほの明るいのは桜並木だ。咲いている花のうえには残月があった。
「いそいで――」と、月輪の館から、老公をのせて、ぐわらぐわらと曳き出した牛車のうしは、手綱に泡をふいて、小松谷の法勝寺小御堂へ駈けつけてゆく。
「待てっ」
「どこへ行く」小御堂の近くへ来ると、小具足を纒った武者たちが、牛車のまえに立ちふさがって咎めた。
「――通ること相ならん。官符を持ちおるかっ」老公は牛車の裡から、
「誰の御人数であるか」と、たずねた。武者の一人が、
「領送使清原武次が手の者と、奉行周防判官元国が家臣」という。老公は、うなずいて、
「ご両所を、ここへ召されい。儂は、月輪禅閤でおざる」
「や、月輪の御老公におわすか」驚いて、武者が走ってゆく。
法勝寺の別院に屯をしていた領送使の清原武次は、すぐ老公を迎えて、仮屋の一室へ迎えた。
「このたびの役目、ご大儀である」と、老公は、一応の挨拶をした後、
「火急、未明のうちに参ったのは余の儀でもおざらぬ。上人がこのたび下向の命を沙汰された土佐国は、御老躯に対し、あまりにご不便。で――儂が所領する讃岐国小松の庄へお預かり申したいと、実は、先ごろから朝廷へお願いいたしてあったところ、昨夜おそく、評定所において、願いの儀ゆるすとの御決定がござった。――それゆえ今暁の土佐下向は、讃岐へ変更と相成るによって、篤おふくみくださるように」武次は驚いた。
「はっ、承知仕りました」とはいったものの、
(そういう寛大な変更がどうしてあったか?)と、疑問を挟まざるを得ない。
老公が、そこを去って、小御堂のほうへ足を運ばれてゆくのを送ってから、すぐ奉行の周防元国と相談して、
(讃岐中郡へ、変更の儀は、実か訛伝か)と、官へ急使をやって、問いあわせた。
それと入れちがって、評定所から、騎馬の使者が飛んできた。にわかに、上人の配所先が、変更されたのは事実だった。
うっすらと、そのころ、朝の薄浅黄いろの空が、花の梢に明るみ初めていて、そこらの篝火は、燃えつきている――
寅の刻。まさに定めの時刻だった。
法然上人は、静かに、法衣を脱いで、俗服の粗末な直垂衣に着かえていた。十幾歳のころから今日まで、およそ六十年のあいだ、一日とて、脱いだことのない法衣を官へ返上して、名も、今朝からは俗名の藤井元彦と呼ばれることになったのである。
白い髪が、綿のように伸び、顎にも、伸びた髯が光ってみえる。それへ、梨子地の烏帽子をかむり、領送使のすすめる輿のうえに身をまかせた。輿へ移る前、
「月輪どの」と、法然は、自分を取り囲んで今朝を見送る人々のうちに、老公のすがたを探していた。
「ここに――」と、月輪の老公は、混みあう人々の間から、上人の前へすすんで出た。
「おお」と、さすがに法然もその人のすがたを見ると、名残が惜しまれて、しばらく、老眼にうるみをたたえ、
「おわかれが参った」と、いった。
「…………」老公は、無言だった。いわぬはいうにまさる悲しみだった。
「永い間、月輪どのには、陰に陽に、念仏門のために、一方ならぬお力を貸して賜われた。偏に仏陀と衆生のためとは申せ、浅からぬご法縁、たとえ法然、遠国に朽ち果てようとも、ご高誼のほどは忘れませぬぞ」と、法然は、老公の手をとっていった。――そしてまた、
「善信が出立も、卯の刻の由に承る。もう時刻もやがてに迫っておろう。くれぐれも、身をいとうように仰せ伝え賜われ。――同時に、法然が身には、仏の御加護あれば、必ず、案じるに及ばぬことをも」
「承りました」
「では」輿は、その言葉の終るのを待って、舁き上げられた。
法勝寺の門を出てみると、そこには、多年、上人から直接に間接に、教えを受けた受学の僧俗や、檀徒や、ただ徳を慕うて群れ集まってきた洛中の男女が、
「オオ……」思わず、口のうちに唱える念仏が、涙となり、声となって、輿も通れぬほど、立ちふさがる。
「お退き下さい」
「念仏は、おつつしみ下さい」弟子のうちでも、大力の聞こえある角張成阿随蓮が先に立ち、そのほか十二、三名の随身が、群集の涙の中を、頻りに宥めて道を開かせていた。法勝寺から半町もすすむと、
「その輿、われに舁かせ給え」と、弟子たちは、領送使の輿舁たちから、それを奪うようにして、自分たち、随身の者ばかりの手で、師の輿を捧げて行った。
――七条を西へ。大宮を下って、鳥羽街道を真っすぐに進んでゆくのであった、その途中の辻々や、畷や、民家の軒や、いたる所に、上人の輿を見送る民衆が雲集して、
「おいたわしや」
「勿体ない」
「なむあみだ仏――」貴賤のべつなく押し合って、中には輿の前へ走り寄り、
「あなたのお体は、遠国へながされても、あなたの生命は――念仏は――この日ノ本の大地から失われません」と、絶叫する若者だの、
「これを上人様に――」と、真心こめた餅や、紙や、花などの供物を捧げる老媼だの、
「せめて、お足の痕の土を」と、輿の通った後の砂を紙にすくっている女だの、名状し難い哀別のかなしい絵巻が、到るところで描き出された。
「――さらば」と、大地に坐って伏し拝む人々とまじって、月輪の老公は、大宮口まで従いてきて、その輿を見送り、すぐ牛車を返して、岡崎のほうへ急いだ。
――もう一刻後の卯の下刻には、上人を見送ってまだ乾く間のない涙の目で、さらに、わが息女聟の善信を、こんどは、北の雪国へ向って送らなければならなかった。
花明りであろう、ほのかに廂の外は白い。音もなく、まだ人声もなく、ただ微かにうごく花の香のうちに、暁は近づいている。
「……吉水の上人には、はや今ごろは」善信は、持仏堂を出て、縁に立った。未明の空を仰ぎながら、ふとつぶやいて、憮然となった。
「…………」遠心的に、彼のひとみは、今朝、都を離れてゆく上人の前途をそこから見送った。――と共に、自分もこれから間もなく、この岡崎の草庵から、雪の越路へ立って行かなければならない身であることを思う。
乳のみ児の世話や――配所へ送られる良人への心遣りに――妻の玉日の前は、ゆうべは、一睡もしなかったはずである。
だのに――せまい厨のほうでは、もう貧しい燈をともして、彼女が、乳のみ児の房丸が眠りからさめない間にと――朝餉の支度をしているらしい。
陶器ものを洗う音やら、炊ぎの支度する気配が、静かに、そこで聞えた。もうこのごろは、水仕業に馴れているとはいっても、月輪の前関白家に生れて、まったく深窓にそだった彼女が――と思うと、
(不愍な)と、ふと、あたりまえな人間のもだえるような悶えを、善信も感じずにはいられなかった。
――と、草庵の外に、二つの人影が、跫音をひそめて近づいて来たかと思うと、
「師の房ではござりませぬか」と、声をかけて、縁先の大地に、ひたと両手をつかえた。
見るとそれは、今は東塔の無動寺にいる木幡民部と、性善坊の二人だった。
「おう」善信の顔に、微笑が泛いた。刻々と明るんでくる夜明けの光が、彼の顔からすがたを見ているうちに鮮やかにしてきた。
「久しいのう。……それにしても、勅勘の流人が門出へ、よう参ることができたの」
「月輪の老公が、さまざまなおとりなしによって」
「では、舅様にも」
「今朝、吉水の上人をお見送り申しあげて後――すぐこちらへお越しあそばされるはずでござります」
ところへまた、太夫房覚明もみえ、そのほか、十名ほどの近親の人々が、それだけと、人数を制限された上で、この草庵へ別離を惜しみに集まってきた。
室には、妻の玉日が手ずからした名残の膳が、もう整えられてあった。善信を上座にして、近親の人々が、さびしいうちにも、なにか、爽やかな潔い心地にも打たれて、その膳についていながれた。すこしも、不吉らしい、不安らしいものは、人々の胸になかった。――なぜならば、善信は今日の出立を、
(御仏の命のもとに出で向く晴れの聖使――)と、願うてもない幸いと考えているのであるし、裏方の玉日も、
(良人は、辺土の北国へ、念仏をひろめ賜うために立って今朝は教化の旅の門出――)と信じているので、そこに悲惨らしい影や、流人的な傷心みとか悶えなどは、見られないからであった。
白々と、朝の光はほっとした人々の面に、明るさを加えてくる。
玉日も、髪を櫛けずって、房丸を抱いて、良人のそばへ、給仕に坐った。――と、生信房が、
「月輪の老公が、お見え遊ばされました」と、次室から知らせた。
そこへ通ってきた老公の顔も、決して暗くなかった。
「おお」
「おう」見あわせる顔ごとに、言外の感慨が、いっぱいに胸へせまってくる。善信は、あらためて、
「なんのご孝養もせず、今日まで、お舅君には、わずらいのみおかけ申し、その儀ばかりは、玉日とも、申し暮しておりました。その上、かような御命を下されて、越路へ旅立つからには、ふたたび善信が、生命のあるうちに、朝夕の御見も望み得ぬことかと思われます。なにとぞ、老後をいとい遊ばされて、善信がことは、心ひろく、なるがままに、世の波へおまかせ置き下さりますように。――また、玉日が身と、房丸が身とは、かように勅勘を蒙って流さるる私が、配所へ連れ参ることもかないませぬよって、何ぶんともに、ご不愍をおかけ賜わりませ」
月輪の老公は、黙然と、何度もうなずいて、聞くのであったが、
「玉日や、房丸が身は、わしが手にひきとって、守ろうほどに、必ず、お案じなさらぬがよい」といった。善信は、にっこと笑って、
「それをうかがって、私も、なんの心がかりもありませぬ」
「ただ、おん身こそ、気候風土の変る越路へ下られて、身を害ねぬように」
「お気づかい下さいますな、幸いにも、善信は、幼少から身を鍛えておりますほどに」
「む。……おん身が歩まれてきた今日までの艱苦の道を思えばの」
「このたびの流難などは、ものの数でもございませぬ」思わず話し込んだことに気づいて――
「玉日」と、善信は妻をかえりみ、
「支度いたそう」といって、奥へ入った。
一室のうちで、善信は法衣を脱いだ。朽葉色の直垂衣に着かえ、頭には、梨子打の烏帽子を冠る――。
玉日は、その腰緒を結んだり、持物をそろえて出したりしながら、さすがに涙があふれてきてならなかった。こうしている間が、二人だけの別れを惜しむ間であったが、何も、いえなかった。
「……お健やかに」と、だけいって、良人の足もとへ、泣き伏した。
「房丸をたのむ」
「はい……」
「お舅君へ、わしに代って、孝養をたのみますぞ」
「はい」
「配所からでは、便りもままにもなるまい。たとえ幾年、便りがのうても、この善信には、御仏の加護がある、必ず案じぬがよい。……憂いのおこる時は、念仏の怠りを思え。越路の空で善信がいう念仏に、心をあわせて、おもとも、都にあって念仏を申されよ。毎日を法悦のうちに、楽しんで送られよ。――それが善信にとっては、なによりもおもとへたのんで置くことじゃ」
――遠く、花の神楽岡の空を越えて、その時、鐘がなった。
「お……卯の刻」善信は思い出した。いつぞやここへ別れに来た時の尋有のことばを。――弟が撞く青蓮院の鐘の音を。
鐘は、鳴りつづいていた。その――一撞一韻ごとに、善信は、青蓮院の鐘楼に立っている弟の尋有の気もちを、胸にうけ取っていた。玉日は、そっと、
「抱いてやって下さいませ」と、房丸を、良人にわたした。善信は、子を抱いて、
「オオ」と、無心なその顔に、頬ずりを与えた。
「――すこやかに、よい和子に、育ってゆけよ。父は今朝、遠い国へ旅立つが、心はいつも、そなたの上に、父としてあろう」
その間に、戸外のほうは騒めいていた。室内にあった人々も、すべて戸外へ出ていた。
「時刻っ」と、大きな声が、草庵の門で聞えて――
「時刻でござるっ。疾くお立ちなされ」ふたたび荒々しい声音がひびく。
迎えの武者たちの群れだった。馬蹄の音や、草摺の音が、にわかに、仮借ない厳しさをそこに漲らせ、
「まだかっ」
「なにを猶予」などと、雑言を吐きちらしているのも、手にとるように聞えた。
流人護送の追立役、小槻蔵人行連は、
「退けっ」と、駒のまま、馳せつけて、鞍の上から草庵の墻越しに、
「善信っ。――いや今日よりは俗名の日野善信に申し入れる。はや、卯の刻限であるぞ。妻子の別離に暇どるのをのめのめ待ってはおられぬ、はよう、支度いたせっ」善信は、同時に、
「おう」と答えて、表へあらわれた。門には、罪人の張輿が舁きすえてあり、領送使の右衛門尉兼秋の部下が、
「これへ召されい」万一を固めるのか、善信の左右を鉄槍や刀の柄で囲みながら、そういった。
「ご苦労です」善信は、官の人々へ、静かに一礼して、輿のうちへかくれた。
すすり泣く声が、その時、誰からともなく流れた。――嗚咽する者もあった。粛とした一瞬に、
「輿を上げい」と、右衛門尉兼秋がいう。玉日は、われを忘れて、
「もしっ……」房丸を抱いて、輿の下へよろめいた。
「ひと目、もうひと目」
「邪魔だっ」と、官人たちは罵って、
「歩め、歩め」と猶予する輿を急きたてた。
房丸が――母のふところでいつまでも泣いていた。――その声をうしろに、どやどやと人馬の列は草庵を離れて行く。
性善坊や木幡民部や覚明、弟子の人々も、遠くまでは許されないまでも、せめて行ける所まで、師のおん供を――とその後から慕って行った。だが、生信房ひとりは、
「裏方さまが」と、後へも、心をひかれて、泣きぬく房丸をあやしながら、自分も共に泣いている玉日の姿を見ると、そこを去りかねていた。
「さ、裏方さま。お嘆きはさることながら、それでは、師の房のお心にもとりまする。内へお入りあそばして、生信房と一緒に、静かに念仏を申しましょう」手をとって、彼は、涙の母と子を、庵のうちへ誘い入れた。――もう大風の後のように寂として、どの部屋も、空虚を思わせる岡崎の家だった。
輿には、墨黒々と、
善信は、その輿のうちに揺られていた。戛々と、おびただしい蹄の音や、草摺のひびきや、その人馬の足もとから揚るほこりにつつまれながら――
(玉日……)と、心にさけび、さすがに、わが子の声が、まだ後ろに聞える心地がして、幾たびか、岡崎の林を振りかえった。
禁柵の外へ出ると、そこには、知縁の人々が、百人以上も待っていた。輿に添って来た覚明や性善坊を介して、人々は、わっとむらがり寄って、
「善信御房っ」
「おすこやかに――」
「また来る時節をお待ちなされ」
「おさらば」
「おさらば」
輿を追って、無数の人が、手を振って見せる。善信は、その群れに、目礼していた、その一つ一つの顔に、さまざまなる過去の記憶を呼び起されつつ、
(おわかれだ)と、つよく思った。
月輪の老公から特に付けられた伊賀寺貞固と、朝倉主膳の二人は、騎馬で、前駆の万一に備えて、前駆のうちにまじっていた。――万一というのは、叡山の荒法師や、無頼な僧のうちに、不穏な行動に出ようとする者があるという風聞が、この朝、伝わっていたからである。
(流罪は軽い。善信を途中で引きずり下ろせ。そして、ぞんぶんに私刑を与えてから、都から追ん出してやるがよろしい)そういう煽動をしている者があるという専らな風説なのだ。――しかし、官の警士や、領送使の侍や、そのほか、善信の徳をしたう人々が、輿の見えないほど取り囲んで、その上にも、進んでゆくほど、五十人、七十人と途々人数が増してゆくので、たとえそういう計画があったにせよ、手の出せる余地はまったくなかった。
岡崎から粟田口へ――そして街道を一すじに登って蹴上の坂にかかるころは、もう、道路のかきも、樹々の間も、人間で埋まっていた。
民衆は黙然と、眼で輿を見まもっていた。だが、心のうちでは、念仏を思わないものはなかった。声に出せないので、胸のうちでとなえていた。
逢坂山の関へかかると、追立の役人たちは、役目をすまして、引返した。都からついて来た多くの人々も、思い思い別れの言葉を残して戻ってゆく。
大津へ着く。――船は帆を寝せて一行を待っていた。
性善坊も、民部も、すべての側近者もまた、いよいよここで師を捨てて帰らなければならなかった。
だが、太夫房覚明だけは、どこまでも師の善信に附随してゆきたいと、役人たちへ言い張って、とうとう願いを通してしまった。
「生信房は、どうしたろう」
彼は、初めから、師の給仕人として、お供をゆるされていたはずなのに、その姿が見あたらないので、人々は、いぶかっていた。
領送使の侍たちは、
「帆をあげい」猶予をゆるさなかった。
「さらば――さらば――」呼び交わす船と陸との間は、見るまに波の距離がひろがってゆく。
――すると、笈を背にして旅支度をした生信房が、息をきって後から追いついてきた。彼は、後に残った裏方の玉日をなぐさめていたために、輿の列におくれたのであった。
「待ってくれっ、オオウイ、その船待ってくれっ」生信房は、ザブザブと腰の辺まで水に入って、湖をすべってゆく流人船へ手を振りあげた。
ひゅうっ――と風の翔けてゆくたびに、万樹は、身ぶるいをし、木の葉が、雨のように天地に舞う。
日が暮れると、裏日本の海は、漆のような闇につつまれるが、月のある夜は、物凄い青味をもって、ここの廂の下から望まれるのであった。
「曇ってきたなあ」弟子のひとりは、あまりの淋しさに、声を出してこういった。
庵室の中で、しきりと、さっきから燧打石を摩っていたべつな僧が、舌打ちして、
「だめだ、いくら骨を折って、明りを燈そうとしても、こう風がひどくては、ひとときも灯が持っていやしない」
「やめたがいいだろう」
「でも……闇では」
「そのうちに、月がのぼるよ。――月明りで間に合せておいたほうがいい」
「ところが、あいにくと、今夜は時雨雲だ」
「この庵の北口が、垂れ薦でなく、せめてどんなでもよいから板戸であったら、風も防げるし、夜もすこしは暖かに眠れるのだがなあ……」
「もう夏のころから、願書を出してあるが、あの依怙地な代官の萩原年景が、今もって、許すとはいわぬ。――これでは獄舎よりもひどい住居じゃ」
「しっ……あまり声高に何か申されぬがよい。番人の耳へでも入って代官の年景に告げ口されたら、これ以上、酷い所へ移されようも知れぬ」
松の――皮の付いたままの柱に、粗雑な茅を葺き、板壁は少部分で、出入口は裏も表も薦を垂れているに過ぎない。
雨でも降れば、廂の下の竹簀子は元よりのこと、奥の床まで吹きこむので、身の置き所もない庵室だった。
ここは、越後国の国府で竹内という土地だった。都から遠くながされてきた流人善信の師弟は、もう二年の歳月をここに送っていた。
領送使右衛門尉兼秋は、善信の一行をここへ送りとどけると、国府の代官萩原年景へ、当然、その身がらを渡して、すぐ都へ還ったのである。
(――飛んだ厄介者が来おった)年景は、つぶやいた。
越後の文化は、都と比較にならないほど遅れていた。したがって、人間は粗野であり、学問はうとまれ、ただ、権力だけが、なによりも絶対的な威力をもってものをいう。
代官の萩原年景は、その権力をここで握っている男だった。強慾でわがままで、都の顕官などよりは、はるかに威張っていた。
(なに、あれが噂にきいた、念仏僧の善信なのか。おれは念仏など大っ嫌いだ。――その大嫌いなおれの支配下へ流されてきたのは、よくよく仏罰のあたった坊主。ずいぶん粗末に扱ってやれ、不愍などかけるとゆるさぬぞ)
初めからこういう調子の年景であったから、部下の態度はおよそ推して知ることができる。――情けというようなものは、みじんも今日までかけられなかった。
で――そろそろ青黒い裏日本の冬の風が波立ってきても、彼のゆるしがないために、板戸一枚造ることができないのだった。
「……おお寒い。日が暮れると、とたんに陽気が変る。――今日は誰が、町へ托鉢に出られたのか」
「生信房どのと、教順どののお二人じゃ」
「はやく帰ればよいにな。……わるくすると、今夜あたり、時雨でのうて、雪になるかも知れん」人々は、灯りのない室の中に、風の音を聞いてかたまっていた。
その三人の弟子たちは、皆、善信が京都からこの越後へ送られてくる途々の間に、善信の徳を慕って従いてきた新弟子たちであった。
大町の如道とか、和田の親性とか、松住の円貞などという人々も、善信と知りあう機縁を得て、みな旧教をすてて念仏門の帰依者になった。
彼のあゆむ所には、必ず彼の信仰が、何かの形でこぼれて行った。それは、無心な風が、花粉を撒いて、土のある所には必ず次の花となる母胎を作ってゆくように、善信の身に、自然に備わっている力のようにみえる。
越前の新川村へ来た時には、こういうことがあった。
その土地の常願寺村には、慧明院という寺の住持で、おそろしく問答好きな和尚があって、
(こんど、都の流人で、法然門下の善信という者が、ここを通るそうな)と聞くと、
(そうか、かねて、法然房と善信の名は、聞き及んでいる。ここを通ったら、思い上がった念仏門の鼻ばしらをくじいてくれよう)手ぐすね引いて、待ちかまえていたものである。
そして、善信の一行が、百貫橋という所へかかると、立ちあらわれて、種々な問答をしかけた。善信は、彼の稚気を、おかしく思いながら、彼の過った信念を、事ごとに説いて聞かせ、凡夫直入の真髄を噛んでふくめるように諭してやると、和尚は、善信の輿の前にひざまずいて、
(世には、かかるお人もあるものか、まだ年ばえもお若いのに)と、衷心から恥じ入ったふうで、そこから越後の国府まで、一行に従いてきてしまったのみか、以来、配所のあばらやに侍いて、ひたすら念仏教に参じていた。
これが――ちょうど今日は、相弟子の生信房といっしょになって、国府の町へ托鉢に出ている教順房と呼ぶ人物なのである。
彼が元いた越前宮崎の慧明院には、末寺があって、教順房に学んでいた三名の弟子たちはそこにいたが、師の教順房が、流人の僧に従いて、そのまま越後へ行ってしまったので、
(狐にでもつままれたのではないか)と、後を追ってきた。
そして国府へ来て、善信につかえている師のありさまを見ると、彼らも、心服して、配所の庵室にとどまってしまった。
一人は、定相、一人は石念、もう一人は念名房といった。こうして、ここの配所も、今では、善信をかしらにして、いつのまにか、七人の家族になっていたのである。
「おや」定相は、竹窓へ、顔をよせて――
「とうとう、白いものが落ちてきたぞ、――雪が」
「ほ……」と、ほかの二人も、顔をあつめて、
「ことしの初雪じゃ」
「それにしても、教順房と生信房どのは、なんとなされたことか、いつになく帰りがおそいではないか」案じているところだった。庵室の入口のほうで、物音がした。そして外から帰ってきたらしい教順房の声が――
「どなたか、急いで、水をくだされ、――洗足ではない、生信房どのが、怪我をなされたので、やっと抱えて戻ってきたのじゃ。――はやく一口、水をあげて下されい」
教順房の声なのである。
何事かと驚いて、人々が出てみると、その教順房と共に托鉢に出た生信房が、どうしたのか、両手で顔をおさえたまま、友の脇に抱えられて、よろよろと、縁端へ来て、俯伏した。
「あっ、どうなされたっ、生信房どの」人々が、騒ぎ立てると、
「しっ……静かにしてくれ。……師の房のお耳に入る、……静かに」と、生信房は、血しおで真っ赤になった手を振って、またそこへ俯伏してしまう。
「水を――」
「生信房どの、水をおあがりなさい」取り囲んでいたわる法の友たちの背へ、粉雪が、さやさやと光って降りそそいでいる。ある者は、薬をさがし、ある者は布を裂いて、彼の額の血しおを拭いてやる。
「ひどい傷だ。――一体これはどうなされたのです」
「な、なに……大したことはありません。戻る途中、滑川の崖で転んで、石で打ったのだ」
生信房は、いぶかる人々へ、こう打ち消して、暗い部屋の中へ、苦しげに這いこんだ。
傷口へ寒風を入れてはいけないと気遣って、人々は、筵や破れ屏風をもってきて、そのまわりを囲んだ。
――やや風がやむと共に、雪もすぐやんで、今までの空もようは嘘みたいに霽れてきた。裏日本の海が、松の森と山鼻のあいだに、染め出したように鮮明に見えてきたのは、どこかに、月が出ているからであろう。
「……有難い、やっと、風がやんだらしい」ほっとして、人々は、燈火を点けるのをわすれて、白い月明りに、夜の静寂を見まもっていた。
――と、奥の師の房の一室で、善信の声がひびいた。
「誰か、いますか」
「はい」
「よい月夜になったらしい。この垂薦を揚げて賜もらぬか」
「はっ……」生信房の枕元に坐っていた石念が立ち上がって、そこへすすんだ。
「これでよろしゅうございますか」
「おお……それでよい。……まことに今宵は、後の月ではないか。都の今ごろとは、大きな相違。……この冴えた月に、もう初雪がこぼれてくるとは」
「なにかにつけ、都におわした日ごろのことが、思い出されましょう」
「なんの――都の秋には都の趣があれば――越路の秋には越路の風物がある。――自然と共に生きんとすれば、人間はおる所に楽しめるものじゃ」
「ご書見でござりましたか」
「む……書を読んでいるうちのたのしさはかくべつ。没我、無我、身なく、古今なく、思わず長い夜も忘れる」
「お燈が持ちませぬので、さだめし、読書にも暗うて、ご難儀でござりましたでしょう」
「いや、この真如の月と、この雪明りとに向えば、盲心も、眼をひらく心地がする」
「夕のお斎をさしあげましょうか」
「そうそう、忘れていた、わしはまだ夕餉をいただいていなかったの。――生信房や教順はもう托鉢からもどられたかの?」
「教順どのと、生信房どのは、今し方もどられましたが、まだ、西仏房どのが、帰られませぬ」と石念が答えた。
西仏房というのは、太夫房覚明が、都を離れる時に改めた名で、そのむかし木曾殿の猛将として三軍を叱咤した彼も、今では、まったく善信の法相をうけて、この配所では、誰よりも彼が高弟であると共に、またいつも同室の者たちを賑わしていた。
「道理で――」善信はうなずいて、
「静かな宵じゃと思うたら、まだ西仏がもどらぬせいよの」
「こよいは、お師さまへ、栗粥をあげたいといって、山へ入ってゆきましたが、あの気軽な御房のことゆえ、先刻のこぼれ雪に遭って、また炭焼き小屋へでも入って、話しこんでしもうたのでございましょう」
「そうかも知れぬ」配所にいても、少しも配所にいるらしい拘束もうけなければ、不平も感じていない西仏の生活ぶりを、善信は心のうちで、
(さすがに)と、微笑まれていた。石念はふと、
「お師さま、お机の端に、雪が積もっております、すこしお立ち遊ばして下さい、掃除いたしましょう」
「机ばかりか、膝までもじゃ。夜半にはもっと降るかも知れぬ、このまま溶けねば、よい燈火になる、そっとして置こう」善信には、机の雪が愛されて、払い捨てるに惜しい気がした。雪を見ていると、叡山の苦学や、法隆寺の苦行や、若年の修学時代が思い出されるのだった。――今もその心は失ってはいないが、幸いにまた、失うまいとする心がけもあった。
その時、磊落な声が表の軒下で聞えた。――と思う間に足音大きく上がってきたらしい。
「や、西仏どの、お帰りなされませ」と、室内の者がいう。西仏は、
「寒いのう、今夜は」と言って、すぐ思い出したように、
「そうだ、町の者に聞いたが、生信房が怪我をしたというではないか。生信房は、どうしてござるの」と、何気なく言った。
「しっ……」と、そこにいた者は、奥の師の耳を憚って、手を振った。
「え? ……」西仏は、眉をひそめ、
「怪我は、そんなにおもい様子か」困った顔して、
「奥には」と、もいちど、手を振って見せた。だが、その声はすぐ、善信の耳へはいってしまった。
「石念」
「はい」
「生信房が怪我をしたというておるが、真かの」
「は……はい」
「なぜ、わしに黙っているか」
「申しわけございませぬ、ご心配をかけたくないと、当人が申しますので」
「どんな容子じゃ」
「落着いておられます」
「呼んでおいでなさい――苦痛でなければ」そう告げて、善信は、皆のいる夕餉の部屋へ、自身も出て来た。
師は、
「呼べ」という。かくしていたことが、つい西仏のことばの端からわかったのである。どんなお叱りをうけるか。弟子たちは、しいんと黙りこんで、にわかに起つ者もない。善信はかさねて、
「呼びなさい」と、いった。
「は」もう否まれなかった。
定相が立って、暗い一間の中へ入って行った。やがて、恐縮そうに教順が出てきた。その後から、生信房は、布で巻いた額の傷口を抑えながら、悄々と出てきて、師のまえに坐った。
――俯向いている。一同は、気の毒そうにその姿を見、また、きびしい師の面をそっと仰いだ。
「痛そうな」自然に師の唇から洩れた声であった。――そして次にいった。
「深傷か」
「いえ、ほんの浅い傷でございます」いつも元気な生信房が、元気なく答えた。
「どうなされたのじゃ。おもとはまたあれほど、御仏へ返し参らせてある我心を出して、むかしのような悪業をしたのではないか」
ぎくと、生信房は、顔いろをうごかした。――むかしのという一語ほど彼にとって痛みを感じるものはなかった。天城四郎という異名で、怪力と大盗の業を誇りにして、世人を怖れしめていたころの自分が――その当時の自分のしたことの怖ろしさ浅ましさが――いまだに頭のすみに絶えず悔いているのであった。
「ちがうか」
「はい」
「では――」と、師のことばは追求する。
「馬に蹴られたのでございまして、べつに」
「馬に?」
「はい」
「うかつな」善信は、なおじっと、俯向いている彼を見つめて、
「それだけではおざるまい」
「それだけです」
「かくされな」
「はっ……」
「およそ、察しはつくが、かくしていては、おもとがかえって苦しもう、いっておしまいなさい」
しばらく、手をつかえていたが、
「――悪うございました、実は今日」と生信房は唇をひらいた。
「かようでござります、あの新川村へ托鉢に廻りますと、いつかお師様がお寄りになられて、御勧化をしておやりになった、因果つづきでまことに不倖せな三日市の源左衛門夫婦が、私を見かけ、まろぶように、往来へ出て参りました」
「む」
「夫婦の申すには、聖人様に、念仏の道を諭していただいてからは夫婦の気持もすっかり変り、家は明るく、良人はよく稼ぎ、病人も絶えて、近ごろは、以前のわが家は、夢のようにおぼえ、朝夕、聖人様のお徳を拝んでおりまする。――かようにうれし涙を流して申しまして、こんな有難い教えを、どうかして、近所の衆、近郷の衆へも知らせてやりたい、どうか、私に今日は善根をさせてやると思し召して、説教をしてくれとせがみまするゆえ、かねて、お代官から布教はならぬと禁じられてはおりましたが、あまり熱心に乞われるままに、その家の近くの松の木の幹へ、所持の御名号を掛けて、拙ない法話を初めたのでございました」
生信房の真面目な話しぶりに、人々も耳をすましていた。
そして、彼の前身を知っているほどの者はみな、心のうちで、
(この御房も、よくここまで変ったもの――)と密かに感じ入っていた。
生信房は、そっと、師の面へ眸を上げ、
「そうして、私が、説教をしておりますと、その説教なかばのことでございます」と、話しつづけてゆく。
「折わるく、もう稲田の検見でもございますまいが、代官の萩原年景が、七、八名の家来をつれて、そこの並木へさしかかって参りました。――武士たちの装束を見ると、どうやら、狩猟の帰りでもあったかもわかりません」
「む……。そして」と、善信は初めてつよくうなずいた。
「みな騎馬でした。威勢におそれている百姓衆は、みな、説教をよそにして、逃げちります。――するとそれを侍たちは鞭を上げて追いかけ、勅勘の流人が布れる説教を聞くやつ輩は同罪に処すぞ! ――こう呶鳴りながら、追いまわすのでございました」
「ムム……」人々は、無念そうに眼を光らして、うめき合った。
生信房もまた、そこでしばらくことばを句切って、拳を膝にかためていたが――
「あれよ――あわれなことを――と私が見ておりますと、私の前にも、ハタと駒のひづめを止めた者がございます。見ると、それがうわさに聞く代官の萩原年景であったとみえます、馬上からはったと私を睨めつけ、――これッ囚僧! ――そうです囚僧と呼ぶのでした。聞けよ、そちは都にて邪教をいいふらし、罪を得てこの北国に流されたものではないか。しかるに、それにもなお懲りず、この地へ来てまでも、なお邪教を道へ撒こうといたすか、代官をおそれぬ致しかたである、かような物など見るも嘔吐が催す――と、そう罵りまして、私が、松の木にかけておいた御名号を、いきなり鞍のうえから手をのばして、かように、引きむしッて……勿体ない……だ、大地へ」いつか自分の話に自分でつり込まれて、生信房の顔には、大粒のなみだがぽろぽろとながれていた。
はっと、気づいて、彼はあわてて法衣のたもとで顔を拭いた。
「――私は、ほかの物とはちがいますので、やおれ待ち給え、と立ち塞がって、その乱暴を止めようとしたのです。――とたんに、蹴仆されていました。アッと、自分の額に手をやった時には、黒い血が、顔を染めていたのでございます。――馬のひづめで、どこかを蹴られた上、鞭で、二つほど打たれたとみえます」
「…………」傷ましげに、人々は、生唾をのんだ。しいんと、声もないうちに。と、生信房は、くわっと大きな眼を一方に向け、
「おのれッ! ……。わたくしはそう叫びました。以前は天城四郎である私です。むらむらっと起てば、代官の素ッ首ぐらいは、すぐ引ン捻ってしまったでしょう。――だが、そのとき、ふと見ると御名号は彼の手に奪られずに、まだ松の幹に、風にヒラヒラしていたのです。――それをふと見ましたとたんに、私は、はッと思って眼にながれこむ血も知らず、仰向けに倒れたまま、虚空をにらんで念仏をとなえておりました」
なんにもいわなかった。善信はただ黙然と聞き終って、
「傷口に風を入れてはならぬ。大事にされよ」と、いった。師の房がなにもいわないにしても、その夜の人々は、生信房の話を聞いて、大きな感激につつまれたらしい。みな敬虔な面持ちをたたえて、
「さ、お寝みなされたがよい」と、生信房をいたわった。
幾日かたつと、その傷口も癒え、体の熱もさがった。生信房は、はればれと床を出て、あしたはまた、町へ布教に出たいなどと友と話していた。
「生信房どの、お師さまが、お呼びになっていますぞ」
「え、お部屋で」
「いや、あの岩にお腰をすえられて」
「あ……」と、生信房は、庵室の裏のほうへ眼をやって笑った。師の房は、外で、初冬の陽ざしを楽しんでいるのだった。
「およびですか」そこへ行くと、
「お掛け」と、気がるである、師の房の顔までが、きょうは小春日の太陽のようにかがやかしい。
「もう傷口は」
「すっかり癒りました。ご心配をおかけしてすみません」
「さて、それについてじゃ」――と、善信はことばを改め、
「生信房、おことの身にも、ようよう念仏の光がついて参られたの。いつぞやの話――善信もありがたく聞きました。よい御修行をなされたことを、わしも共々に欣びましょう。このうえとも、その心を、忘れてくださるな」と、手をとって、わが子がよいことをした折によろこぶ母のように、善信はよろこぶのであった。
「はい……」生信房は、眼が熱くなった。どうしてこのごろは、こう涙っぽくなったのかと自分でも思う。しかし、その涙は、ただごとの涙とも思われない。
(――随喜)それだ、随喜の涙である。生信房は、涙にまたたきながらそう思った。
「そこで――わしもこの間うちから考えていたが」と、今日はいとも寛いだていで善信は何か述懐しようとするらしい、眼をふさいで、空へ顔を上げていたが、
「――善信。……これはわしの名だが、わしに取ってはなんとのう実しやかで、あまりに浄い名でもありすぎる。何かこのごろは、わしにはこの名がぴったりしないように思われてきたのじゃ。――やがて年も四十の坂にちかいのでの、三十九歳となったこの身に、なにやら、心にも変化が起ってきたのかも知れん。――とにかく、善信は、わしをあらわすには、ふさわしい名でないように思う」めずらしいことを話し出される――と生信房は、師の顔を見て、
「そうでしょうか。私などには、すこしもそんな気はいたしませぬが」と、いった。
心境に大きな変化が起っていたのである、たえまなく自己を考え、また真理を究握しようとしてやまない善信の内省のうちに、このごろ、ふと、今も生信房にいったような気持がたしかにわいてきている。
「……おもうてみると、自力聖道の門から他力易行の道へかかるまで、そのあいだの幾多のまよい、もだえ、苦行、またよろこびなど、三十九歳の今日となって、振りかえってみれば、実にただ愚の一字でつきる。おろかしや――われながら今、その愚かさにおどろかれる」つぶやくように、善信はいうのである。
師のことばに、生信房はおのずと頭が下がった。そして、賢しくも、自分などが近ごろ、やや念仏門の真実がわかったような顔をしていることが、恥かしくなった。善信は、なおいう。
「このごろ、しみじみとわしは自分がわかってきたような気がする。――飽くまで凡夫を出でない人間じゃと。――さきの夜、あの生信房がいうのを聞くにつけて思いあわせられたのじゃ。極悪無道の大盗四郎であった彼が、たちまち、なんの苦行や迷いや悶えもなく、嬰児が這って立つように、素直に念仏を体得している様を見ると、そこに、凡夫直入のわが念仏門の真理が手近にある。――三十年の懊悩をみぐるしゅう経てきたわしと、ついきのう念仏に帰依した生信房と――較べてみよ、どれほどの差があろうぞ。……わしはむしろ彼に教えられている。
わしも本体の愚のすがたに帰ろうと思うのじゃ。そして、いっそう真の念仏を――凡夫直入の手びきしようと存ずる。――名も今日よりは、愚禿とかえる。昨夜ふと真如の月を仰ぎながら、親鸞という名もよいと思うたゆえ、その二つをあわせ、愚禿親鸞とあらためた。――愚禿親鸞、なんとふさわしかろうが」
「はい……」生信房もふかい内省にひき込まれていた。それ以上答えができなかった。善信はその日から、自分を愚禿とよび、名を親鸞と改めた。一同へも、告げた。
冬になる。やがて――春がくる。伸びた黒髪に、網代の笠をかぶって、親鸞はよく町へ出て行く。着のみ着のままの破れ法衣――見るからに配所の人らしくいぶせかった。だが、彼の頬には、いつも誰に対しても、人なつこい親しみぶかい、愚禿の微笑みがかがやいていた。
国府を中心にして、新川や頸城あたりから、ある時は、赤石、小田の浜の地方まで、親鸞は、ひょうひょうと布教にあるいた。
彼のすがたが、道の彼方から来るのを見かけると、
「おお、愚禿さまがお出でだ」
「お上人がおいでだぞい」浜の童も、畑の女たちも、彼を見知っていて、彼をとり巻いた。
「きょうは、なんのお話をしようかの」と、親鸞は、畑にも、砂の丘にも、坐りこんだ。
彼の坐るところには、手をあげて呼ばなくても、人が集まってくる。いつのまにか、一家族のような丸い輪になるのだ。
「この間の法話も、もういちどお聞かせしてくらっせ」仏の法話を、漁民も農夫も、聞くのを楽しんだ。なぜならば、親鸞の話は、誰にもよくわかったし、このお上人様は、自分たちへ高僧として臨むのでなく、まるで友達のようになって、親しく、なんでも教えてくれるからであった。
妬もちやきの女房も、極道者の亭主も、彼には服した。飢餓や病魔のお化けにとッつかれて多年不幸の底にあった因果な家庭も、そこへ、親鸞の明るい顔が訪ねてゆくと、
(このごろ、おめえちの家は、どうしてそんなに皆が機嫌よく働くようになったのけ?)と、隣り近所がいぶかるほど、打って変って、健康で明るい家族たちの住む家となってしまうのだった。
ある部落では、親鸞のすがたが三日も見えないと、
(ご病気ではないのか)
(なんぞ、お慰め申さでは)と、竹内の庵室へ、草餅を持って来たり、そっと野菜を置いて行ったり、親鸞も弟子たちもみな留守だと、
「ここが壊れている」
「垣も荒れている」と、屋根の繕いもしたり、雑草をむしったり、掃除までして、奉仕することをよろこぶのだった。代官の萩原年景の部下が、配所の見廻りに来て、
「こらっ、下民ども、都から流されて来た流人の小屋を、さように、手入れいたしたり、立ち寄ってはならん」と叱って追い払うと、
「それ、鬼の子が来た」と、彼らは争って逃げるが、もう翌朝にはまた来て、
「これを、お上人様へ上げてください」と、温かい食物など置いて行く。親鸞は、いつも、
「ここはありがたい仏国である。都のうちでは、こういう仏果にめぐりあうことはすくない」といって、彼らの喜捨に手をあわせたが、極く質素な朝夕の衣食に足るものだけを受けて、後は貧しい家の病人のいる家へ、弟子たちの手でわけてとらせた。代官の萩原年景は、
「売僧めが、愚民をたぶらかしおる」と、意識的に、いよいよ配所の人々を苛酷に取り扱ったが、親鸞も弟子たちも、少しも意にかける様子はなくて、国司の法には何事もよく従うので、憎んではいるものの、危害を加えることはできなかった。
――親鸞は、今日も、国府から四里ほどある漁村をすぎて、裏日本の青い海ばたを歩いていた。
すると、この辺には見馴れない眉目のよい女房が、磯べを悄んぼり彼方から辿ってくる――摺れちがって、ふと、
「はて、どこかで――」と、親鸞は、小首をかしげながら振り向いた。女は、摺れちがった人も気づかずに、波打ち際を、俯つ向いて行きすぎた。
「もし……」こう声をかけると、女は初めて驚いたようにこっちを見て、
「あ……」眼をみはった。
親鸞が歩み寄って行くと、どう考えたものか、女は突然、まっしぐらに反対の方へ走り出した。親鸞は手を振りあげた。
折よく、彼方から二、三名の漁師の姿が見えたので、親鸞は、それへ声をかけたのである。
漁師たちは、逃げてくる女をつかまえた。人々にかこまれると、女は砂の上へ打ち伏して、泣きくずれた。
「オオ、山吹さまだ」漁師たちは、その女性をよく見知っていた。
驚いた顔つきで、口々に、
「このお方は、お陣屋のお側妾さまだが――お上人様――どうしたわけでございます」
「わしも知らぬが……ふとすれちごうた折に、ぞっと、わしの心に寒いものが触れた。この女子は死に場所をさがして歩いているな――と、こう感じたゆえ、呼びとめると急に走りだした」親鸞は、漁師たちが、好奇な眼をあつめて、泣き伏している彼女をながめているので、
「――だが、それはわしだけの考えたこと、間違うているかも知れぬ。おことたちは、仕事もあろう、どうか退いてくだされ」彼が頼むようにいうと、
「そうだ、わしらはこれから沖へ出にゃならぬ。ではお上人様――」
一人一人が、ていねいに頭を下げた。そして漁船へ乗ると、やがて、後ろの浜辺には、親鸞と――山吹とよぶその女性と、二人きりになった。
「ここは風があたる」親鸞は、山吹を導いて、砂丘の陰へ歩いて行った。
「坐りなされ」といって、自分も坐る。うしろは砂丘にかこまれて、晩春のあたたかい陽に静かに抱かれている。山吹はくずれるように、砂へ坐って、さし俯向いた。
「お坊さま、あなたは竹内の配所へ来ていらっしゃる都の上人様ですか」
「そうです、親鸞といいます」
「元は、善信様と仰っしゃいましたね」
「ご存じか」
「吉水の禅房で、一、二度」
「それで思いあたりました。どこかでお見かけしたように思われたのは、都であったか。それでは、吉水の房へ、聴聞に来られたこともあったのじゃな」
「まだ私が京都にいた折、しきりと、念仏はよいものと、町の衆がうわさしますので、おもしろ半分に――」と、いって、あわてて、
「人に連れられ、見に参ったことがございました。その折、あなた様の御法話をうかがいましたので」
「それで、わしの眼にも残っていたものとみえる。――あなたは、その折、他人が念仏にゆくので、流行ものでも見るような気持で参られたのであろうが、そういうかりそめの人にさえ、御仏はきょうの慈縁を結んでくだされた」
「ほんとに……」と山吹は初めて、沁々と、親鸞のことばに耳を傾けだした。
「――もしわしが、あの時、おん身を振り向かずに、そのまま行き過ぎてしもうたら、あなたは、ふたたび明日の陽を見ない人だったでしょう」
「そうです、仰っしゃるとおり、きょうこそは、死のうと覚悟して、家へ遺書まで残して出てきたのでございました。――ですが、上人さま、ただ私とすれちごうただけで、どうして私が死ぬ気持でいたことが、あなた様にはわかりましたか」
「わからなくてどうしましょう。おん身のたましいも、わしのたましいも、人間のたましいに二つはありません、ひとつものであるのです、自他無差別、本来無垢、澄みとおって純なるものです。――ただそれが肉体というものの、貌容とか、身装とか、うわべのものにつつまれているので、おん身とわしとが、べつな者に見えたり、敵に思われたり、憎んだり、嫉んだり、あらゆる愛憎の霧がかかってきて、そこに他人という観念が起って参るに過ぎません。自分という我執もそこからわいてくるしの……」
山吹は聞き入っていた。あたたかい砂丘の陽なたは、彼女の寒々と硬ばっていた暗い顔を、やや明るくしてきた。
「……では、上人様、わたくしはあなた様に、どんなことを申しあげても、あなた様は、自分のことのように聞いてくださいますか」すると親鸞はむしろ待っていたように、
「オオ、なんなと話されい」
「ありがとうございます、わたくしには、この胸にいっぱいな苦しみを、話す人さえこの世にないのでございました。――さびしい世の中、あるのは皆、私を呪う邪智の鬼や、羅刹ばかり……。それゆえ、死のうと思い決めたのでした」
「死ぬ……それはいつでもできることじゃ、まあ、その理をいうてみなされ」
「醜い――恥かしい――それはもう上人様のまえで申すも面映ゆいことでござりますが、実は」と、山吹は、坐っている海砂をまさぐりながら――
「わたくしは元、京都の六条で、白拍子をしておりました。そのころこの国府の代官萩原年景によばれ越路へ来ぬか、国府の館へ来れば身の妻として、終生安穏に暮らさせてやろうにと、ことば甘くいわれましたので、後前の考えもなく年景について参りました。――ところが来てみると、年景には、妻子もあるばかりか、国府の住居には、幾人もの側女がいて、その人々が、めいめい、年景の寵を争うので、嫉みぶかい女同士の争いが、絶えたこともございませぬ」
「そうか……」親鸞は、領民たちの呪詛の声と、年景の生活のさまとを思いうかべて、うなずいた。
「――でも、この遠い国へ来ては、どうする術もございません。幾年かを忍んで参りました。けれど、忍ぶにも忍べない日がついに参りました。年景は、わたしに飽いて、酷くあたります、ほかの側女たちも手をたたいて事毎に告げ口する。あろうことかあるまいことか、年景の召使で、蜘蛛太という侏儒と、わたくしが、不義をしているなどと云いふらすではございませぬか」
「蜘蛛太?」と親鸞は小首をかしげた。
「お上人様など、ご存じある者ではございません。その侏儒の蜘蛛太という者は、わたくしが京の六条にいたころから、よく町をうろついていた者で、主人を失って、路頭に迷っているので年景にたのんで、その越路へ来る折、雇い入れてもらった男なのでございます。――ですから、蜘蛛太は、わたくしには親切にしてくれます、共に泣いたり心配してくれます。それがかえって悪かったので、あらぬ噂を立てられたのでございますが、気だてこそ、そんな可愛い所のある人でも、顔はおどけているし、背は四尺ぐらいしかない片輪者、なんでわたくしが不義などいたしましょう」
「およそわかった。それで、死のうとなされたのか」
「いッそ! ……と口惜しまぎれに……」山吹は、砂の上へ、打ち伏して泣いた。
「……かわいそうに、蜘蛛太は、わたしのために、仕置小屋に抛りこまれて、これも、覚えのないことを、責め折檻されているそうでございます」
国府の丘の小高いところに、良い庭木や石をあつめて、戦いでもある折は、小さな砦ぐらいな役には立とうと思われる豪奢な一構えの屋敷がある。
代官の官衙とその住宅であった。萩原年景は、ここの中心として、絶対の権力を振舞った。住居も、一廓のうちに、家族たちのいる奥とよぶ所と、彼の愛妾たちを置く、下の棟とよぶところと、ふた所にわかれている。
したがって、その一廓のうちで、年景をめぐって、いろいろな媚や、讒訴や、排撃や、嘘や、あらゆる小さな争闘が毎日行われている。
だが、年景は、家庭とその女たちの群れへも、自分の政治的な手腕を信頼していた。
「萩の井さま」と、一人の女がいう。
寝そべっていた女が、
「なあに」甘ったるい返辞をし、敷物から顔をあげた。
窓から、外をながめていた女が、二人の会話にふり向いて、これも話にまじろうとするように、坐り直す。
この下の棟には、五、六人の女たちが、棟つづきに住んでいるのだった。
彼女たちは皆、ひとりの年景に飼われている美しい動物の境遇であった。年景をめぐって、彼の寵愛を争う時には、おのおのが、爪を研ぎ、毒舌に火をちらすのであったが、無智で節操のない彼女たちは、昼間の長い退屈にわずらうと、いつかこうして一間に寄り集まって冗談をいったり、物を食べ合ったり、奥の悪口をいい合ったりしてその無聊をなぐさめ合いもするのだった。
「きょう、山吹さまは、見えないじゃありませんか」
「……そういえば、ほんに」
「あの人の部屋、見た?」
「いいえ」
「誰か見てこない?」
「でも」
「かまわないよ」一人が長い板縁をわたって姿をかくした。しばらくすると、帰ってきて、
「いない」と、顔をふっていう。
「なにも変ったことはない」
「きれいに部屋が掃除してあって、小机のうえに、香が焚いてあっただけ」
「香が焚いてあった。おかしいね。香など焚いたことのない人が」
「行ったんじゃない」
「どこへ」
「死出の旅路へ」
「ホ、ホ、ホ」盗むように一人がわらって、
「――そうかも知れない。毎日、泣いてばかりいた様子だから」
「でも、身から出たさび――仕方がないもの」
「ものずきな――あんな侏儒の片輪者を、殿様の目をぬすんで、閨へ入れるなんて、気がしれない」
「あれ……ほんとのことなのかしら」
「だって、みながそういうもの、火のない所にけむりは立たないでしょう」
「けれど、誰が先に、そんな煙を立てたのか」
「どうだって、いいじゃありませんか。どうせあの人は、ふだんから、死にたいが口癖だったんだから、本望でしょうに」そういって、よそごとのように、戯れ口をきいていたが、それでもどこかに気がかりになるとみえ、
「ほんとに、帰ってこないらしい……」と少し不安な眼をしだした。
「もいちど、見に行ってみましょうか」と、一人がいう。女たちは、皆立った。そして、山吹の部屋をのぞいてみると、香のにおいがまだ残っていて、小机の下を見ると、何か、手紙らしいものがあった。頓狂に、一人が、
「あっ、遺書」と、さけんだ。
「え、遺書ですって」
「ま……」
「おおいやだ」身ぶるいして、そして、にわかにあわてた顔いろを見あわせ、
「どうしましょう」
「どうって……」
「殿様へ、お知らせしておかなければ――」その部屋にいるのが、何か、怖いもののように、女たちは外へ出て、
「誰か来てください」と呼び立てた。お下婢が駈けてきた。小侍もそれへ来た。
すぐ、役所のほうへ向って、一人が走って行った。
間もなく、代官の年景が、やや狼狽した顔色を湛えて、
「なんじゃ、山吹がいない?」と、それへ上がってきた。
女たちは一ヵ所にかたまって、みな自分のせいではないように黙っていた。年景は、自分にあてた山吹の遺書をひらいていたが、それは呪いの文字にみちていた。たちまち、裂いて袂へ丸めこんだが、血相は濁りきって、何か、憤ろしいものを、そこらへ打っつけたい眼つきをしていた。
「馬鹿っ」それがついに爆発して、突然こう呶鳴りだしたのである。彼の狂暴性を知りぬいている女たちは、びくとしたように、小さな眼をすくませた。
「なぜ、お前たちは、気をつけていないのだ。誰も、知らなかったのか」
「…………」
「この間うちから、様子がおかしいから、気をつけておれといったのに、どいつもこいつも」と、睨めつけて、跫音あらく、女たちの前を踏んで通ってみせた。
「これっ、おいっ」
「はい……」側女の一人が答えると、
「おまえなど呼んだのじゃない。源次、源次」と、家来を縁先へよんで、
「きょうはすこし頭のぐあいがわるい。役所のほうの仕事は、いいつけておいたように、ほかの者と片づけてくれ。いいか、わしはここですこし休んでおるからな」
「はい」と、家来が行きかけると、
「おいおい、奥へはそういうなよ。役所におるようにいうておけよ」ごろりと、年景は、大きな体を部屋のまん中に横たえた。焦々とした眼を、開いたりふさいだりしているのだった。さすが、愉快ではないらしい、どこかで、自分を責めたり、また惑ったり怒ったりするものが、顔の皮膚をどす黒く濁していた。
「酒を持ってこないか。おいっ……酒を」と、呶鳴って、額へ手をあてた。――奥の棟にいる妻だの子だのが、げらげらどこかで笑っているような声がする。むっくりと、彼は起き上った。
「これ、誰か、山吹をさがしに行っておるのか?」
側女たちは顔を見あわせた。誰も黙りこんだまま答えずにいると、年景の額に、青筋が膨れあがった。
「だまっているところを見ると、誰も、彼女の身を案じて、見に行った者はないのだな。――遺書をのこして、出て行った者を、おまえらは、笑って見ているのだな」
「…………」
「どいつも、こいつも、なんという薄情な奴ばかりだ。山吹は、もう死んでいるかもしれない」年景は、こううめいて、自悶に耐えられぬように、
「――ああっ、彼女は、もう死んでいるかも知れない。おれは心から彼奴が憎いわけじゃなかった。おまえらがなんのかのと讒訴をするので、おれも疑いの目で見初めたのだ。山吹はおれを恨んで死んだに違いない」また――ごろりと仰向けになる。そして側女が出した杯を引ったくるように取った。こういう場合の年景に、酒が入ることは、炎に油をそそぐようなものであることを、側女たちは常に知っているので、めいめい、眸のそこに、おどおどと戦慄を持っていた。
「つげッ」と、飲みほした杯をつき出すので、ひとりがこわごわ、銚子を近づけると、
「この、おべんちゃら」ついだ酒を、その側女の顔へ、浴びせかけた。
杯はまたすぐ、べつな側女の顔へ、独楽みたいに飛んで行った。
「この毒草め、どいつもこいつも、皆、毒の花だ。みすみす、おまえたちと朝夕ひとつに暮していた山吹が、遺書して出て行ったのに、のめのめ見ごろしにするという法があるか。なぜ手分けして、探しに行くなり、召使たちを走らせて、心配しないか。――気に喰わない奴らだ。薄情者めが、よくもそうしゃあしゃあした面ばかりが揃ったものだ」と、年景はまるで、この不愉快な事件が、すべて他人のせいであるように罵って、
「出て行けっ」と、部屋を揺るがすような声でわめいた。
「きょう限り、みんな暇をくれる。誰の彼のといわず、一人残らず出て行けっ。女など、世間に降るほどある。年景はもう実をいえば、貴さまたちには、あきあきしている所だ。そこへ持ってきて、貴さまたちの醜い冷酷な根性を見せつけられては、なおさら、嫌になってしまった」手がつけられない怒り方である。理窟ではない、これが年景の遊びなのだ、何事も意のままになり過ぎて、これくらいな刺戟を起こさないと、年景の気だるい神経はなぐさまないのである。それまた初まったというように、側女たちは、隅のほうへ避けて青白いおののきを集めていた。年景は、銚子をつかんで、
「出て行けっ」と、それへ投げつけた。すると、家の外である。廂を蔽って、ずっと聳えている大きな樹のうえで、誰か、年景の口真似をしたものがある。
「そうだっ、出て行け!」年景が気づかずに、
「出て行かんかっ」と、身を起たせて、足蹴の形を示すとまた、
「――出て行かんかっ」と、谺のように、樹のうえから同じ声がした。
「……や、どいつじゃ」縁へ出て、年景がこずえを仰ぐと、老人か子供か、見当のつかない顔した怪異な小男が、葉陰に白い歯を剥いてわらっていた。
その侏儒は、京都から雇ってきた蜘蛛太とよぶ男で、庭掃除の小者として使っていたが、側女の山吹とのあいだに、おかしな噂があったので、年景が怒って、先ごろ、牢へ押し籠めてしまった者である。その蜘蛛太が? ――
年景は、驚いた。アッと顔を上げたまましばらくは眼を奪われていた。どうして、牢内から出てきたのか。猿みたいに、樹の上にあがって、こっちを見ているのだ。自分を嘲笑うように歯を剥いている。
「おのれっ」年景は、縁板を踏み鳴らし、
「化け物っ、降りろッ」――すると蜘蛛太は、
「化け物っ、眼をさませ」と口真似して、
「やい代官」
「な、なんじゃと」
「使われているうちは主人と敬め奉っていたが、もうこうなれば、主でもねえ下僕でもねえ、おれはむかしの天城四郎の手下になってみせるぞ」
「やっ、おのれは、賊か」
「オオ、以前は、泥棒を商売にしていたが、自分の頭領が発心して、僧門に入る時、てめえも真人間になれと懇々いわれたので、それ以来、泥足を洗って、てめえのような凡くらに、きょうまで、おとなしく仕えていたが、もう止めた。真人間になるなんて、こりごりした。いったいこの世の中のどこに真人間なんて者がいるかってんだ。てめえのような悪代官を見ると、おれたちの昔の友だちのほうがはるかに正直で涙がある」
「よくもいうたな、おのれ、引きずり降ろして、鋸引きの刑にしてくれる」
「わらわすな」と、蜘蛛太は、依然としてそこに落着きこんで――
「おれが逃げようと思えば、こんな田舎の陣屋の牢ぐらい、幾らでも破ってみせる」
「よしっ、その舌の根を」憤然と、年景は、家の内へ走りこんだと思うと、弓と矢を持って、ひらりと、縁先から跳び降りた。酒気のある顔に、血をそそいで、弓に矢をつがえ、キリリと引きしぼって、こずえの空を狙うと、
「やい待てっ。――おれを射る気か」
「…………」ぴゅっと、返辞のかわりに矢は空へ翔けた。――しかしあわてたので蜘蛛太の体を外れていた。ただ二、三枚の若葉がばらばらと散ってきただけである。
「なんていう下手な弓だ、そんなヘロ矢で人を射落そうなどというのは、量見ちがいだぞ。――それよりはヤイ代官、なぜその矢で、自分の胸を射ないか、てめえの胸のうちには、おれより怪異な魔ものが住んでいるじゃねえか。その魔ものの名を、増長というんだ。よくも、この蜘蛛太と山吹さまに汚名を着せやがったな、その返報は、きっとしてやる、覚えていろ」いうことばのうちに、年景は、二の矢をつがえていた。ぷつんと、弦が高く鳴った。矢はたしかに前よりも正しく飛んだ。――けれど、蜘蛛太はとたんに、ほかの梢へ跳び移っていた。
「出合えっ、家来どもっ、破牢者をとらえろッ」
年景の声に、廓内は跫音にみだれ合った。だが、役所の屋根のうえを、一度、勢いよく躍り駈けてゆく姿が見えただけで、蜘蛛太の影は、どこへ失せたか、それきり幾ら探しても見出すことができなかった。
家来や下僕の者を叱咤して、
「蜘蛛めを探せ」と、年景は、庭に出ていた。
屋根へのぼってゆく者がある、床下を竹竿でかき廻している者がある。そこへどこからか、小石が降ってきた。
「――痛いっ」と叫んで、人々はまた、樹の上を仰いだ。鴉の群れがパッと立つ。――しかし、蜘蛛太の影は見あたらない。
「まだ、外へ失せてはいない。どこかに潜んでいるに違いないぞ。探しだして、たたき伏せい」年景は、自分も狂奔していた。そして、いつか、妻子たちの住んでいる奥の棟のほうまで走ってくると、
「あなた」と、針をふくんだような――冷たい甲ばしった声が――ついそこの住居から走った。
(妻だな)すぐ年景は、その声の主を、振向かないでも感じていたが、
「なんだ」よいほどに答えると、
「ちょっと、話があるから来てください」と、彼の妻がいった。
彼の妻は、田弓の方といって、七人もの子供を育んでいた。年景は、舌うちして、
「それどころじゃないっ」呶鳴ると、
「何が、それどころでないんですか。妻の私が、たまに話があるというのに、話も聞いて下さらないのですか」
「昼中は、お役目が忙しい。妻の相手になぞなっておれるか」
「ふん……」と、田弓は良人の挙動をながめて笑った。
「公のお役目がせわしいなどとよくいわれたものです。――あなたは、側女の山吹がいなくなったので、それで狼狽えているのでしょう」
「ばッ、ばかっ。――何をいうか」
「そうです、そうに違いありません。――今、私のところへ使いに来た浜辺の女房が、ちゃんと告げて行きました。山吹は、浜へ行って身を投げようとしたそうですよ。そこを、親鸞という配所のお坊さんに救われて、泣く泣く町を歩いて行ったそうです。――なんという恥さらしでしょう」
「なに、親鸞が、連れて行ったと……」
「それごらんなさい、それでも、山吹のことでなく、お役目で忙しいのですかっ」
「うるさいっ」立ち去ろうとすると、田弓が縁から庭へ追ってきた。そして、良人の袂をつかまえて、
「どこへ行らっしゃるんです」
「離せっ」
「いい加減に、あなたも、眼をさましたらどうですか。――そんなことで、一国のお代官が勤まりましょうか」
「だまれっ、良人に対して、何をいうか。女は良人に従って、子どもに乳さえやっていればいいのだ」
「その子供さえ、もう皆、大きくなっています。父の行状を見て、眉をひそめるほどになっているのです。――なんですか、もう白髪のふえる年配をして」
「ちッ、こ、こんな所で、見苦しいっ」
「見苦しいのは、あなたという人間の行いではありませんか。あんな牝の獣のような白粉の女たちを、五人も六人も飼いちらして」
「まだいうかっ」頬を一つ、ぴしゃっと打つと、
「打ちましたね」と、田弓も負けずに、良人の胸へむしゃぶりついた。
こういう家庭の常として、田弓ももちろん、貞淑な妻ではあり得なかった。多分に、女に多い女のやまいを持っていた。
「ええ、この牝の獣め」と、年景が、こんどは平手を拳にして、もう一つ、頬へ加えると、
「口惜しいっ」田弓は、盲目になって、
「さ、殺しなさい。……さ、もっと、お打ちなさいっ」と、身を押しつけて行った。年景は、もてあまして、
「気ちがいっ」と、罵った。
「気ちがいに、誰がしたんですか、五人も、六人も、眼の前に側女を飼われておいて、気のちがわない妻がありましょうか。それで、一国の代官といわれるんですかっ。領民たちは、あなたを怨んでいますっ」
「な、なんでわしを」
「いいえ、多くの女に贅沢をさせるために、百姓たちの膏血をしぼることは、隣国の国司にまで聞えています。――今にごらんなさい、隣国の兵が攻めてきますから、その時には、自分の領民だと思っている百姓や町人が、皆、あなたに叛旗をひるがえして、この館へ襲せかけてくるでしょう」
「こいつめが! いわしておけば存分な囈言を」
「でも、それが、悪因悪果というものです、妻や、子の呪いだけでも」
「おのれは、良人がそうなる日を待っているのかっ」
「そうなったら眼がさめるでしょうから」
「出て行けッ」蹴とばすと、ひいっと、田弓は泣き仆れた。――と同時に、彼女は眼をつり上げて、わが子の寝ている部屋へ走りこんだ。
「――あっ」と、年景は、後を追って行った。なぜならば、もういつもの半狂乱のていになった田弓は、そこに仲よく遊んでいる頑是ない二人の幼児を、縊め殺しかねない血相で抱きしめ、手に、懐剣を抜いているからだった。――飛び込んで行って、
「な、なにをする」年景が、懐剣を引ッたくって庭のかなたへ遠く抛ると、そこの樹陰にたたずんでいた一人の僧が、
「……あぶない」と、静かにいって、飛んできた懐剣の光から、そっと身を交わした。破れ笠をかむって、竹の杖をついていた。――年景が、ぎょっとして、その僧を睨めつけた。
「……ご主人でござりますか」僧は、いんぎんに、笠のまま頭を下げた。
「誰だっ……何者だっ、そのほうは」年景は、見も知らぬ他人に、見られたくない所を見られて、腹立たしかった。縁へ突っ立って、傲然と叱りつけたのである。
「――なんで、無断でこんな所へ入ってきたかっ。どこの乞食じゃ」
「わしは、配所の親鸞でござる……。お裏口にて、先ほどから、しきりと訪いましたが、どなたも出てお越しがない。それによって」
「なに、親鸞?」と、年景は、さっき妻から聞いたことばをふと思い出して、
「その親鸞が、何しにやって来たかっ」と、鬼のような顔を作った。
どんな烈しい人間の悪感情に向っても、親鸞は親鸞の気の持ち方に、さざ波ほどの揺るぎもうけなかった。澄んだ湖のように、彼の眸は穏やかなのである。
「托鉢に参ってござる」こう彼がその面のような静かなことばでいうと、
「なに、托鉢に」と、年景の声は、よけいに荒々しく棘立って、
「ば、ばかなっ。ここはただの民家でない、かりそめにも、代官萩原年景の役宅と住居のある所、流人僧の出入りなど相成らん」
「ご存じないか、出家には門がないことを。――権門も、富者の門も、貧者の門も、すべて僧には同じものでしかない」
「貴さま、この年景に、理窟をいいに来たのか」
「ちがいます、托鉢のためでござる。そして、わしが布施を受けると共に、おん身にも布施したいものがあって」
「乞食坊主から、なにを貰おうぞ、無礼者め」
「仰せられな、この親鸞の眼から見れば、おん身は気の毒な貧者でしかない」
「おれが、貧者だと」
「眼に見える物の富の小ささを、年景どの、ご存じないか。なんと、この北国の貧村と、痩せたる民の膏血で作った第宅の見すぼらしさよ。京の朱雀、西洞院のあたりの官衙や富豪の邸ですら、われらの眼には、ただもののあわれを誘う人間の心やすめの砂上の楼閣としか映らぬものを。――いわんや北国貧土の小代官が奢り沙汰、片腹いたいというほかはない」
「罪囚!」年景は、大地を蹴って、怒った。
「おのれ、流人の身をもって、代官たるこの身を、罵ったな」
「あたりまえなことを申しあげたのです。今わからなければ、後になって分りましょう。――そういう折へ、無駄な説法、わしもやめにする。……だが用向きは果たしてもどらねばならぬ。年景どの、お身が養っていた山吹という女子、海辺から親鸞が連れて参った、どうぞ親鸞がたのみを聞き入れて下さるまいか」
「人を悪しざまに罵って、その上の頼み事、聞き入れる耳はない」
「では、多年、寵愛した女子が、死のうと生きようと、お身はかまわぬというか。親鸞ですらかなしいものを」
「よけいな世話をやくな」
「わしがやくのではない、御仏が世話をやかれるのじゃ。山吹は、わしが庵室へかくれて剃髪したいというが、親鸞は今、かくの通り、流人の身のうえ。――朝命に対して、憚りあること。その願いは聞かれぬによって、山吹の縁者たちの住む土地――京へもどって、願いを達したがよいといい諭して連れてきたのじゃ。おん身の手をもって、どうぞ、山吹を元の京都へ返してやって欲しい。……どうじゃ、その頼みなら聞いてくださるであろうが」
「……置いて行けっ」年景は、噛んで吐き出すようにいった。自分の側女が、彼の手によって届けられたことは、感謝するどころではなく、むしろ忌々しくて堪らなかった。
「頼みもせぬに、山吹を連れてきたか。連れてきたなら仕方がない、その女を置いて、疾く立ち帰るがよかろう。物欲しげに、うろうろいたしておると、承知せぬぞ」てれ隠しである。年景はそういって、まだ騒いでいる家来たちへ、何か当りちらしながら、住居のうちへ姿を消した。
石念は眠ると歯ぎしりをする癖がある、よく定相や念名などに注意されるが癒らない。
もう隣の室の西仏も教順も眠っていた。奥の師の房の室もしいんとして暗い。生信房ひとりは、常に、寝る間もその師のそばを離れないのが彼の勤めであって、師のやすんでいる部屋の垂薦のすぐ外に、ごろりと、薄い衾をかぶって寝ている――
この配所の一棟は、雨の日は雨こそ洩るが、風の日は風にこそがたがた揺れるが――実に幸福そうな寝息を夜ごとにつつんでいる。
今は、ことに幸福らしかった。
ほのかな月が、破れ廂から映しこんでくる。裏の菜種畑の花から、甘いにおいもしのび込む――
「むむむ……」昼間は托鉢のために、何里となく歩くので、石念だの定相だの、若い者は寝相がわるい。しきりと、あばれるのである。石念はまた、歯ぎしりを噛む。
「これ」ふと、そばに寝ていた定相が、石念の肩を突ッついた。
「風邪をひくぞ、夜具の外にまろび出しているじゃないか」
「あ……ありがと」眼をさまして、石念は、間がわるそうに夜具を担ぎ直したが、
「――おや」首をもたげて、
「定相」
「なんじゃ」
「外がいやに明るいじゃないか」
「月の光だろう。この冬の雪で、すっかり廂も雨戸も壊れてしまったから、月の夜は、家の中まで明るい」
「まあ、起きてみい。月明りではない、赤いぞ」
「赤い?」定相も、むっくり身を起して、
「……あっ、火事じゃ」
「そうだ」
「どこだろう」二人は出て行った。ガタガタと建付けのわるい雨戸を繰り開ける音がする。そこから立って見まわすと、ちょうど西のほうに当る空がいちめんに赤く、チラチラと、金の屑を噴くように火の粉が夜空にうごいていた。
「ほんに……。町とすれば、いつもわしらの托鉢に行く家が軒並に焼けているのではあるまいか」
「皆も、起そう」師の眠りはさまたげたくないが、西仏や教順には告げようと思った。すぐ人々は起きそろって来た。
「懇意の衆が多いから、わしはちょっと見舞ってくる」気のはやいのは、西仏であった。――また、炎を見ると、なにかうずうずと血管が唆かされるような眼をしているのは、生信房であった。
その二人は、いつのまにか、炎を目あてに、町のほうへ走って行ってしまった。
竹内から国府へ通じている丘の道へ来ると、炎は、眼のまえに見えた。
「あっ、代官の館だ」
「えっ、年景の」生信房は、しばらくの間、立ちすくんで火災の美しさに見恍れていた。――そして、いつであったか、ずっと以前に、代官の萩原年景のために、鞭で打たれ、馬に蹴られて、御名号を奪われかけたあの時のことをふと思いうかべ、(仏罰じゃ)ちょっと、小気味よい気がしたが、生信房は、すぐ自分のその気持を、自分で蔑んだ。
「そうだ」もう西仏はそばにいなかった。――何を感じたか、彼もまた、まっしぐらに西仏の後から赤い空の下を走って行った。
場所が小高い丘であるし、正面海の風をうけるので、国府の代官所と年景の住居をくるめたそこの一廓は、焔々と、紅蓮のほしいままな勢いにまかされていた。
「――魔火じゃ」
「どうして、火の気もない、御文書庫から?」と、役人や小者たちも、手をこまねいて、猛火のすごい勢いに、気をのまれたかのように、傍観していた。
火事だっ――と誰かさけんだ時は、もう役所の奥の書類のつまっている一棟が完全に火の中にあったのである。原因のわからない火だった。
夜なので、役所のほうには、三、四人の小役人が宿直をしていたに過ぎなかった。丘の東の麓に、代官所の部下がだいぶ住んでいるが、そこへも火がかぶるので、めいめいが、わが家のことや家族の処置にいっぱいで、誰も、ここへは駈けつけて来ない。
国府の領民も、初めは、
(たいへんだ)と、驚いたが、すぐ、
(なんじゃ、代官所か)と、すぐ冷静になってしまった。
(日ごろ、わしらを、牛か馬のように思うて、苛税を取り立てた酬いじゃ、あの赤い火は、代官所を呪うている貧しい百姓たちの思いが燃えるのじゃ、常々、威張りくさってばかりいる代官の顔を笑うて見てやれ)そういう感情が、領民の誰にもあった、口にいう者はなかったが、他国の火事でも見るように、この人々も、そこへ走せつけて行こうとはしない。
大きな火ばしらは、音をたてて今、一棟を焼き仆していた。廓内の大樹にもみな火がついて、火の葉、火の華が、宙に咲いた。
――その下に、女たちや、幼子の悲鳴が聞えた。年景の側女だの、家族たちのいる棟へも、とうに火は移っていたのである。
「おいッ……おいッ……」煙のうちから、泣くようなわめきが響く。それは、年景の声らしかった。
「――小者っ、こっちだっ、こっちへ助けに来いっ」咽せながら、呼んでいる。
だが――奥に仕えている小侍や小者たちも、いったいどこへ行ってしまったのか、半分も影が見えなかった。そのくせ、真っ先に、暴徒のような勇気を奮って、奥の金目な物や、大事な什器などを、争って外へ担ぎ出していたのは彼らであったが、その品物も見あたらなければ、奉公人たちも見えないのである。年景はようやく気づいて、
「ふッ、不埒者めッ。主人の難儀を幸いに、あの奴らはみな、家財を盗んで逃亡しおったな。……ど、どうするか、後で見ておれ」
地だんだ踏んで、煙の中で、ただ二、三の召使と、必死になって、右往左往していた。
彼は、役目上、役宅のうちから、領土の検見張だの、京都との往復の文書だの、政治上の大事な書類などを、死んでも担ぎ出さなければならなかった。
――だが、火の手はもう、逃げ口をふさいでいた。自分の狼狽よりも、彼は、煙の中から聞えてくる家族たちの悲鳴に、逆上してしまった。抱えている書類の束にも、火がついていた。
「――誰かいないかっ、おれはいいが、妻だの、幼い子たちを、炎の中から出してくれっ。誰かっ……誰かっ……」絶叫すると、どこかで、
「代官、代官。――泣き代官」と、笑い声がした。
「やっ」仰ぐと――その声のする空もいちめんの煙であったが、そこに、まだ火をうけていない大きな楢の木があった。
「おい、泣き代官、今にみろといったおれのことばが、今夜は思い知ったろう」声は、その梢からするのであった。――じっと見ると、猿のような人影が葉がくれに登っている。
「アッ、おのれ」萩原年景は、樹の下へ駈け寄って、
「蜘蛛太だなっ」
「そうだ、おれは蜘蛛太だ」
「こよいの火放けは、おのれの仕業か」
「いうまでもあるめえ。人われに辛ければ、われまた人に辛し。――火はおれが放けたんだが、今夜の憂き目は、てめえの自業自得というものだ」
「ムムッ……悪魔め」
「悪魔とは、てめえのことじゃねえか」
「残念だ」年景は、部下を呼んだ、召使の名をさけんだ。
しかし、答えもない、聞えるものは、ただごうごうと炎のすさまじい音が、いよいよ風に猛っているだけだった。
「ざまを見ろ。――あれを見ろ、親の因果は、子にまで祟るというが、火の中で、てめえの子や妻が、悲鳴をあげて、逃げ口をさがしている。……アア綺麗な火だなあ」
「悪魔っ、外道っ」
「なんとでもいえ、おれの眼には、この火事が綺麗に見えてこたえられねえ。酒があれば、肴にして、一杯飲みてえくらいなものだ」
ぴゅっ――と年景の手から白い光が梢へ走って行った。彼の帯びていた短剣だった。それが外れると、太刀のほうも抜いて投げた。
キキキキと、猿のような笑い声がして宙の木の葉が騒いだ。
石、瓦、木片、手当り次第にひろって、年景は宙へ投げたが、みな自分の頭上へ返ってくるだけだった。蜘蛛太は、どう逃げたのか、もうその樹にいなかった。
――すると、もういちめんの焔になっている館の囲いを躍りこえてきた勇猛な一つの人影があった。
彼の家来でも、役所の者でもなかった。真っ赤な火光の中を走ってくる影を見ると、明らかに、それは僧形の人だった。
「おうっ……」年景は、振りかえって、ぎょっとした。――それは忘れもしない――かつて領下の田を、狩猟に出た帰り途に見廻ってくる途中で、松並木に、念仏の名号をかけて、村民たちに説教をしていた配所の流人僧である。――その時、自分は大の念仏ぎらいであるし、自分の通過も怖れず、突っ立っているその僧を憎い奴と思って、馬上から名号の掛物を引きやぶッてやろうとすると、それを拒んで、自分の馬蹄の下に倒れ、顔かどこかに怪我をしたあの僧である。後に聞けば、それは親鸞の弟子僧のうちでも、最も、前身にすごい経歴を持っている人物で、以前は天城四郎といっていた強悪の賊であったが、今では、念仏の行者になって、名も生信房と改めている男だと聞いている――
その生信房が、今、忽然とこの炎のなかへ駈けつけてきたのである。年景は、ぶるぶると体がふるえてしまった。――刹那に、彼の頭を突き抜くように走ったのは、
(復讐に来たな)という恐怖だった。
すでにその前から、憤怒、滅失、狼狽、あらゆる感情のみだれに、われというものすら失っている萩原年景である。
(いつかの流人僧だな)と、眼のまえに生信房のすがたを見ると、彼は蒼白になり、体はふるえ、口は渇ききって、恐怖のさけびも出なかった。
(――今こそおれは、復讐されるのだ、存分に、苦悶を味わわせられて、ここで人間の終りを告げるのだ)と思うと、生への未練やら、なんとか生きたいと思うもだえやら、悔悟やら、またさまざまな人間的の弱さがこぐらかってきて、醜い眼を、うつつにキョロキョロうごかし、隙を見たら、逃げそうな挙動をした。
「年景どのか」と駈け寄ってくるなり生信房は喘いだ息でいった。それすら、年景の耳には、うつつなのであった。
「…………」
「代官の萩原殿ではないか。――オオそうだ、あなたは年景殿にちがいない」
「…………」
「なにを茫然としているのだ」生信房は、叱咤するようにいって、彼の肩をたたいた。
「官衙のうちの、大事な書類はすっかり持ち出されたか。……やっ……焔のかなたには、女子供の悲鳴が聞えるが、あれはご家族ではないか」
「……そ、そうじゃ」危害を加える様子がないので、年景はやっとこううなずいた。生信房は、愕然として、
「ええ家族の者も、まだ救い出されずにいるのか。……ええっ、ぐずぐずしていては焼け死んでしまうわ、あなたは一体、何をしているのだッ、あの悲鳴は、あなたの子ではないか、妻ではないか」
「――じゃが、まだ、役宅のうちに、大事な書類があるし、あちらへも救いに行けず、ここも炎」
「炎がなんだッ。信念をもって行くところには炎も避けるわ。――そうだ、わしは奥の棟へ行って、おぬしの子や妻たちを抱え出して進ぜるほどに、おん身は代官として、公の文書や、印鑑、絵図など、政に要る大事なものを火の裡から持ち出されい」いいすてると、生信房は奥の館へ向って、煙をくぐって行った。
役所と、奥の棟とよぶ住居のあいだに、板塀があった。そこには門もあるはずだが煙で見つからない。恐らく中で悲鳴をあげている女子供らも、うろたえて、そこの木戸が見つからずに、右往左往しているのではあるまいか。そう考えたので、生信房は、その辺りにあった太い栗丸太を横にかかえて、板塀を突き破った。二ヵ所も三ヵ所も、同じ手段でたたき壊した。仆れた塀のうえには、わっと、多勢の女たちが、煙に追われてなだれてきた。仆れる者の上へ、仆れる者が重なった。
「――年景どのの奥方ッ」生信房は、さがし廻った。逃げまどってくる者は、みな召使の下婢や側女たちばかりで、子を抱いているはずの年景の妻は見あたらなかった。
すると、煙の裡に、泣きさけぶ嬰児の声が聞えた。見ると、年景の妻が、幼子の手をひいて、発狂したように、炎へ向って、なにかさけんでいるのだった。
生信房のすがたを見ると、
「――助けてくださいっ」年景の妻は、しがみついた。ふところの乳のみ子が泣く、手をつないでいる数名の子たちも泣く。
「……あれっ、あの棟の奥の部屋に、まだ一人、逃げおくれた和子が、母の名を呼んでいます。あれ、影が見えるっ……。どうしようぞ……和子がようっ……和子よう……」半狂乱になっている彼女なのである、乳ぶさの子も、袂にしがみついている子たちも、みな振りすてて一人の子を救うために、紅蓮のうちへ駈けこみそうにも見える血相だった。
「だいじょうぶです」生信房は、彼女の肩をつかまえていった。
「あの棟にはまだ、火がまわっていないらしい。私が、抱いてきてあげる」ことばと共に、生信房は、焔のうちへすすんで行った。年景の妻は、
「おおっ、御仏っ」泣いてさけんだ、焔へ向っても狂わしいほど感謝した。まったく、赫光の大紅蓮のうちに見える生信房の男々しい働きは、生ける御仏としか見えなかった。
やがて、生信房は、法衣のすそも袂も焦された姿で、三歳ばかりの幼子を引っ抱えて駈け戻ってきた。その上に彼はまた、ほかの七歳ばかりの子を背中に負い、
「さっ、早く」と、以前の大樹の下までのがれてきた。年景の妻は、
「忘れませぬ、忘れませぬ、死んでもこのご恩は――」と、手をあわせた。子たちは、まだ泣いていた。
「父様あ」
「父は……父は……」いじらしいほど、小さい瞳に真剣をもって探しまわる。そこへまた、西仏のすがたが見えた。西仏に聞けば、萩原年景は、生信房が奥の家族を救いに行ったのを見ると、敢然と、燃えさかっている役所のうちへ駈けこみ、火達磨のようになって、今や内部の重要な書類を廓外へ持ち出しているという。
「そうか、じゃあわしも」と、生信房が、助けに駈け行こうとすると、
「いや、お身はこの女子どもを、もっと安全な所まで連れて行ってくれい。年景どのへは、わしが手伝っているから」と、西仏はあちらへ駈け去ってしまった。
そのうちに、風はいよいよ烈しくなって、乾ききった地上を、板のような火の粉が、ぐわらぐわらところがり廻る。子は泣きさけぶ。年景の妻の髪の毛にまで、火が落ちて、燃えかかる。
生信房は、彼自身さえ、ともすると煙に巻かれそうになったが必死になって、その一人一人を、曲輪の外へ、かかえ出した。
そして、熱風をうしろに、火から遠い野原まで逃げ走ってきながら、万一多勢の子どものうちの一人でも、途中で迷らせてはと、時々、振りかえって、頭数を読んでいた。
――すると、後から従いてくる子たちの中に、背の短い、眼のぎょろりとした侏儒が一人まじっていて、足弱な女の子のうちの一人を、その侏儒が背に負って駈けつづいてくるのであった。
多くの召使もあるうちで、続いて来る者といってはその侏儒しかなかった。生信房は、
(奇特な男)と思っていたが、やがてだいぶ火の手からも遠ざかり、この辺りならばと思われたので、とある辻堂に人々をやすめさせ、
「これ、そこの男、負うている和子を、御堂の縁へ下ろしたがよい」と、ことばをかけた。
「はい」と、侏儒は素直に背に負っている子どもを下ろし、そして、生信房の前へつかつかと歩いてきて、
「お頭領、しばらくでございました」と、あいさつした。
「えっ」愕然と、生信房は、とたんに自分の過去をも思い出した。
「蜘蛛太か」
「へい」
「ど、どうして、こんな所へ……」蜘蛛太は、自分が以前からここに来ていた境遇を話して、こよいの火は、自分が悪代官の年景へ向ってなした復讐だと、これも昂然と、憚かる色もなくいった。
おどろきと――悲しみの深い吐息のうちに――生信房は聞き終って、やがて、ほろりと涙を流した。
「蜘蛛太……。おまえはまだ、そんな怖ろしい心を持っているのか。あれほどわしがいったのに、まだ、悪行をやめてくれないのか」
「頭領――いや生信房様、あっしはあなたが坊さんになる時の意見を、決して忘れていやしません。……だけど、あまりといえば憎い奴――悪い代官――それにおれが恩人とも思っている山吹さまを、酷い目にあわすので、つい復讐をしてやる気になったんです、悪いことは重々知っておりましたが」
「ああ、怖ろしいことをしたものだの。……今となっては追いつかぬが」
「…………」
「だが蜘蛛太、それほどなおまえが、なにゆえに、自分で火を放けておきながら年景どのの家族について、和子を負ってここへ逃げてきたのか、解せぬ仕業ではないか」
「あなた様が、あの炎のうちに入って、女子どもを救ったり、また、西仏という坊さんが、年景を助けて、共に役所の大事な物を持ち出しているのを見て、なんだか、急に自分が済まなくなったんです。……そしてつくづく考えたのは、やはり火を放けて人の難儀を見ているおもしろさより、火の中へ自分を捨てて人を助けることのほうが、ずっと、おもしろいというのもおかしいが、いい気持がするってことが、初めて分った気がするんです」
「そこへ気がついてくれたか。――だが、遅かった……もう少し早くそこに気がつけば」といったが、生信房はすぐ、自分があれほどの罪業をなした身ですら、一滴の悔悟のなみだの後には、法然上人と師の親鸞から、そのままのすがたですぐ往生仏果が得られるものだと説かれたあの時のことばを思い出して――
「いや、遅くない、蜘蛛太、さきほどの心があるならば、おぬしはすぐ引っ返して、年景どのの手にかかって、ご処罰をうけたがよい」
「望むところです」蜘蛛太はいさぎよくいって、再びかなたの炎の下へ向って駈け去った。そのすがたにはもう仏の光があった。――生信房は掌をあわせて、彼の行く先に御仏の慈悲あれと心から祈った。
農家の女房らしい女が、
「お上人様」と、縁から奥をさしのぞいて、
「きょうは、死んだ嬰児の日でござりますで、供養に餅をすこしばかり拵えましたで、召し上がってくださいませや」
「おう、鷺の森のご家内か」奥で親鸞の声――
「かたじけない、おそれ入るが、親鸞は後で頂戴するほどに、仏前へお供えください」
その女房が、仏前に餅をささげて、ちいん――と小さい鉦をついていると、
「上人様、あまり草が伸びたで少しばかり、草を採らせてもらいますが」と断って、村の男たちが三、四人来て、配所の家のまわりの夏草を刈り初めた。
一人はまた、いつ見ておいたのか、上人の居室の窓に西陽があたるので、そこへ高い垣を結って、糸瓜の苗を植えようかなどと話している。
親鸞は、縁へ出てきた。一同のほうへ向って、彼は仏陀に礼拝するのと同じように、おごそかな礼儀を施して、
「みなの衆、ちと待ってくだされ、お心のほどは辱けないが、親鸞は勅勘の流人、この家は罪を慎む配所でござる。されば、冬は寒いがよく、夏は暑くてこそ、流人の糾明になりまする。人なみに夏草を刈って、すずやかに朝夕を楽しんではなりませぬ。――朝命に反きまする、どうぞ、さようなことはせずにおいてくだされい」
「なんの、お上人様は、あまりにご遠慮ぶかい、草ぐらい刈ったとて」
「いや、そうでない、よしお上でお咎めなくとも、親鸞の心が苦しみます。――また、そもそも人間は、家の中に棲むものか、心のうちに棲むものか、それを思うて御覧ぜられい。親鸞は常に心のうちに住んでおるゆえ、心のうちの雑草は刈ろうと思うが、家のまわりの草などはどうでもよいのじゃ」
「ほほおもしろいことを仰っしゃる。心のうちに住むとは、どういうものでございますな」
「今もろうた餅がござる、皆して、おやつにあれを食べ、ここで一休みしたがよい。わしも食べながらそれを語ろう」
もうこの国も青葉の六月だった。梅雨を越えると急に暑くなって、草も木も一日に何寸ずつ伸びるのかと思われる。
春――魔火の禍いにかかった国府の役所は、もう前の丘に、新しい壁と建物とを見せている。再建築は、意外に早かった。うわさに聞けば代官の萩原年景は、あれ以来、帯も解かず焼け跡に立って、大工や左官たちを督励し、またたくうちに先に役所のほうを建て直し、焼け失った書類を再調したり、領内の政治一新に心がけて、
(すこし、あのお代官、このごろ変だぞ)といわれるほど、以前とはまるで態度がちがってきたということであった。
「上人様、今日は、皆さま一人のこらず、托鉢でござりますか」
「そうと見える。皆いないようじゃ」
「さだめし、ご不自由でございましょうな、お一人では」
「なんの……不自由と考えたこともない。親鸞の心はいつも、自由無碍でござるゆえな」
「そうじゃ、今の、人間は家のうちに住むのでなく、心のうちに住むものだというお話をうかがわせてくださいませ」
「おお、みんな寄れ」と、彼が縁先へ人々をさし招いて、語り出そうとすると、一人がふいに逃げ腰になって、
「あっ、代官が来よった」と、おどおどした眼で告げた。
代官が来たと聞くと、百姓たちは、垣の間や裏の方から、われ勝ちに逃げ散ってしまって、縁には、親鸞ただ一人取り残されていた。
表のほうで、その時、
「上人はご在宅か」と、訪れが聞えていた。
供も連れていなかった、馬も曳いてきた様子がない、代官萩原年景は、藁草履一つの粗朴な身装で、
「上人ご在宅なれば、お目にかかりたいと存じてうかがいました。当所の支配をなす萩原年景にござりまする」と、まだ主の声もすがたも見えないうちから、年景は、荒れ果てた配所の破れ廂へ向って、いんぎんに頭を下げている。
「はい」と、親鸞は立った。ずっと出て――
「どなたで在すか」
「お忘れにござりますか、年景です。折入って、ご拝顔を得とう存じて、参上いたしました」
「やれ、ようお越された、案内もいらぬ風ふき通すこの住居、ささ、おあがりなされ」
「御免を」と、年景は身を屈めたまま屋根の下へ入ったが、この暑さに腐れている筵や、壁の穴や、屋根から洩る陽の光を見て、暗然と、そこへ坐ったまま、しばらく顔も上げ得なかった。
改めて、親鸞が、
「愚禿でござります」あいさつすると、年景は、はっと後ろへ身を退いて、平伏した。
「ここへかく真昼中、参上できた面でもござりませぬが、きょうは改めてのお詫び――また、あわせて年景が慚愧を吐いてのお願いの儀あって推参いたしました。なにとぞ、宏大なご仁慈を垂れ給って、お聞き届けを」と、満身に汗を流しての言葉なのであった。
「なにか知らぬが、身にかなうほどのことなれば承ろう」親鸞がいうと、
「今も、御覧ぜられたでござりましょう、上人のおすがたを見れば、親のごとく慕い、この年景のすがたを見れば、鬼かのように逃げてゆく領民どもを――。年景は、あれが淋しゅうなりました」
「ウム」親鸞は初めて大きくうなずいた、なにか心にかなう時にする大きな眸をぱっと見ひらいて、
「おもとは、この親鸞に、何を求めに来られたか」
「はっ……」年景は、わなわなと肩をふるわせ、双眼からは湯のような涙をこぼしていた。
「……何か? ……さ、それがなにかは、分りませぬ。ただ、この身をお救い賜わるおん方は、上人おひとりこそと思いきわめ、この幾十日、日夜懊悩いたした末、恥をしのんで参ったのです。なにをつつみましょう、私は七名の側女を置いておりました。それを皆、あの火災の翌る日、それぞれの国元親もとへ帰しました。また、山吹も仰せのように計らいました。妻へは両手をついて、過去を詫び、この後も誓いあいました。わが子たちへも、多年の父らしからぬ行いを謝しました。領民には、来る年より、年貢を下げるつもりでおりまする。側女の衣装や身のぜいたくに費やす金をもって、召使の功を賞し、貧しい民をうるおしたいと思い出しました。――だが、まだ私の心は、それだけでは慰みません。――上人、どうしたら過去の償いができましょうか。それを教えていただきたいのです」
親鸞は黙然と眼をふさいで聞いていた。初めのうれしげな面のかがやきが次第に沈黙に変ってゆく――。明らかに年景のことばが何か胸を重くふさいできたのである。
「ようわかりました」こういうと、またしばらく黙っていた。年景は、悔悟の涙の中に顔をしずめたままであった。
「おん身が、そうした心に責められているらしいことは、あの火災の後よそながら愚禿もながめておった。――したが、その悔いに責められるのあまり、善根にいそぐお心はうれしゅうござらぬ。幾つの悔いをなしたゆえ、幾つの善をなして埋めようなどという心は仏心でありませぬ。さような形に囚われた振舞いは自分で蔑んだがよい。――悪を浅ましいというが、善根のための善をしようとする人間の心根はなお浅ましゅうはおざらぬか」
「はっ……はい……」
「流人の親鸞を見れば親のように慕う領民が、代官のすがたを見れば鬼のように逃げてゆくが、淋しいと先刻いわれた――あのお心が菩提じゃ、それだけでもう御仏はおん身の胸に宿られ給うに、なんで事にわかに、石を積むように悩まるるか」
「ただ、慚愧でござります、悔悟の念でござります。そして一時もはやく、自責の苦悶からのがれたいために」
「そのためにまた、悩みの中へ入ってゆくを、愚とは思されぬか。心とは、そうしたものでない。発菩提の一瞬から、心は爽かに、眉すずやかに、寝るも起きるも、この浄土でのうてはならぬ」
「そのようになれましょうか」
「おん身は、生半可な知識があるので、かえって仏の御座の一歩まえにこだわって、ずっと、安心の座にお着座ができぬ。たとえば、この親鸞のおる屋の下へ通られたように、何ものもない気持で、ずばと仏のお膝まですすまれい。――それには、小智、小惑、すべて小人の痴愚を脱って、裸々たる一個の人間のままでお在せ」
「はい」
「役人である、代官である、父である、そうした雑念も無用じゃ。ただ、こう掌をあわせ、念仏をお称えあるがよい。そのままついとお帰りあって、妻に会い、子を抱えてごらんぜよ、また、役所にあって政を見られるがよい――そしてふと思い出されるごとに、また、こうして念仏されい。心がけてなされようとすることは仏に対するそれだけの勤めでよいのじゃ」
「分りました。……かえすがえす恥じ入りました。この掌は上人に合せていただいたものです、必ず、こう生涯を仕ります」
「おん身のゆく先には仏光がある。怠られな、それだけを」
「いたしまする。――ついては、この機縁をもって、私を在家の帰依者の一人と思し召し下さりませ。妻もやがて、ご拝顔を得て、お礼を申しあげたいといいおります」
話しているうちに、西仏も教順も、生信房たちも、托鉢から帰ってきた。
年景は、生信房のまえに、両手をついて、いつかの年、並木で馬上から御名号へ無礼をした罪をわびた。
「あのお怨みも深かろうと思うていたに、いつぞやの危難の折には、炎の下より、私の家族どもを救い出してくだされた……あの時のおん身の姿の神々しさ……有難さ、忘るることのできないものでありました」
「いや、そう、そんなに、礼をいわれては」と、生信房は恐縮して、年景のあまりに大きな感激に対して、彼はかえって羞恥ましげな顔さえした。
年景はまた、西仏にも先ごろの礼をいって、
「おかげで、大事な書類も、大半は炎のうちから救い出し、役向きのことも、そのため、滞りなく運び直しておりまする」と告げた。
――そのうちに、貧しい灯りが燈る。一日の托鉢からもどって、いとも質素な夕飯を楽しみ合っているこの人々の中にあると、年景は帰るのを忘れてしまった。
「そうそう、まだお告げしたいことがある。それはあの蜘蛛太です」思い出して、年景がいうと、そのことは、生信房も胸につかえていたとみえ、
「……あの蜘蛛太は、どうしましたか」
「自首して来ました」
「む……。自首しましたか」
「役目ですから、私は彼を縛りました、しかし、その縄目をかける時に、私は疑ったのでござる。――いったいこの縄目は蜘蛛太にかけるのがほんとか、この年景にかけるのがほんとかと」
「…………」一同は眼をかがやかして、そういう代官の顔を見入っていた。こうも人間は心の一転から、その姿の持つ光までがちがってくるものか――と感じ入りながら。
「――が、やはり私は、代官でござる、縛るのは国法です、蜘蛛太は牢に入れました、所へ折よく佐渡へ渡る僧がござりましたゆえ、その僧に托して彼を流しました、怖らく蜘蛛太も、私以上に、前非を悔いておりますことゆえ、やがて仏弟子となるか、真面目な町人となって、幾年かの後には、訪ねてくる折がござろう」生信房は、ほっとしたように、眉に明るいものをたたえた。
「ありがとうございました」自分のことのように礼をいう。
「では、夜も晩うなりましたゆえ……」と、やがて彼は、上人にも暇を告げて、暗い道を歩いて国府へ帰っていった。――その晩は楽しかった。
「わしらの住む所、みな浄土になる」と人々はいったが、
「いや、わしらというのは、誇りがましい、念仏の声のわく所――じゃ」こんなひどい茅ら屋と食物とに生きながら、夏も一人の病人も出なかった。
盆が来る――草からのぼる夏の月は、夜ごとに配所の人々をなぐさめた。[#「なぐさめた。」は底本では「なぐさめた」]
村々の踊りには、剽軽な西仏もまじって踊り、生信房も、歌をうたった。――その歌にはいつの間にか、上人のことだの、念仏のよろこびが流れこんで、郷土の人々の血の中にまで、仏の精神が入った。
秋になって、桔梗の芯に朝ごとの露が美しくなると、
「どうぞ、小丸山のほうへ、お住居をお移しねがいたい」といって、国府代官所の役人たちが年景の使者として、鄭重に迎えにきた。
誰も知らなかったのである。そこから数里離れた小丸山の明るい土地に、先ごろから、寺のような物が新築されているとは聞いていたが、それが、年景が私財をもって建てて親鸞へ寄進になる住居であろうとは、夢にも考えられていなかった。
親鸞は、勅勘の身と、一度はかたく辞退したが、すでに京都へは年景から文書をもって届け出てあるとのことに、
「それでは――」と、六、七名の弟子を連れて、竹内の配所から小丸山の新しい木の香のする家に移った。何年目かで、初めて人の住むらしい屋根の下に彼の体と机が置かれたのであった。
冬となると想像もできないような雪となった。あらゆるものが、この北国では、雪の下だった。その万丈の雪の下にも、微かに念仏の声はしていた。
そうした冬を幾めぐりか体験すると、ここの師弟たちにとって、冬はむしろ内省的な修練をする好ましい期間でさえあった。貧しさと寒飢にさえ感謝することができた。
(はやく春が来ればいい)とか、
(こう寒くてはやりきれぬ)とか、そんな弱い、今日を空しくして先ばかりを空望するような声は、この小丸山の法室ではまったく聞かれなかった。
一日一日が、法悦の日だった。どうしてここが流人の住む配所だろうかと疑われるくらいに。そうして、今年も、また、幾年目かの春は巡ってきた――
「石念、だいぶ採れたな」
「もうよいでしょう」師の御房は、韮がお好きだ。
「冬ごもりの間は、乾物ばかり召しあがっておいでだから、こんな青々した木の芽や菜をさし上げたら、きっとおよろこびになるだろう」
まだ渓谷には雪があったが、南へ向っている傾斜の崖には、朽葉の下から蕗や若菜がわずかに萌え出ていた。
「ひと休みしよう」籠に摘んだ韮や蕗をそばへ置いて、石念と西仏は、崖の中途に腰をおろした。山すその部落は紫いろに煙っているし、木々の芽はほの紅く天地の力を点じている。
「西仏どの」まばゆげな眼をして、陽を仰いでいた石念がふいにいった。
「春は苦しいものですね」
「どうして」
「どうということなしに、春になると、私は苦しい気がします。若い血が暴れ出して」
「そうか……」西仏は年老っていたが、二十六、七歳の石念のそういったことばには、思い当るところがあった。
「その気持はわかるよ。わしなどは、若い時代を、木曾殿の軍に加担して、ぞんぶんに合戦の中で果してしまったが……」
「僧の生活には、気を吐くとか、腕力を出すとか、汗をながすとかいう生活はありませんから、常人の若い者より、よけいになにか、こう体のうちに鬱屈している元気とでもいうようなものが、血の底に溜って、それがひどくなると、暗鬱にさえなってくるのじゃないかと思います」
「ひとつ、そんな時には、うんとこさと、暴れるんだな」
「暴れるったって、どういうことをしていいか分りませんし」
「なんでもいいから、汗と鬱気を出してしまうんだ。……そうだ」と、後ろを仰いだ。里の者が粘土でも採った跡であろう、崖の中腹から上へ真っすぐに二丈ばかり山肌が削ぎ取られてあった。
西仏は指さして、
「あの上まで登って行っては下へ飛び降りるんだな。それを何十遍でもくりかえしてやる。――登るのは行心、飛び降りるのは破心、闘いの生活だと思って、倒れるまでやってごらん。若い暗鬱なんてものは、汗の塩になってしまう」
「なるほど」石念は、よほど深刻に考えていることとみえて、真面目になってそれを実行する気らしく、立ち上がった。すると西仏もまた、一緒に腰を上げて、
「おや……誰だろう」麓のほうへ眸をこらしていたが、何か驚いた表情をし、
「石念、あれ見よ」と、指さしていった。
「何をです? ……私には何も見えませんが」
「見えるじゃろうが、あれへ来る人影が」
「どこに」
「ふもとの方に。……いやいやそんな方角じゃない。もっと、部落から先の国府へ通う街道のほうに」
「お……」
「わかったろう」
「ほんに」巨きな白樺の幹へ手をかけながら、石念と西仏は、そこの崖からじっと遠い麓の街道を見ていた。
国府の方からうねうねと山や丘や林や耕地を繞って、この小丸山の山ふところへ続いてくる一すじの道に、ぽちと、小さな人影が二つ辿ってくる。
「はて」西仏はいぶかしげに、
「この辺の風俗とは見えぬ。どこの女性であろう」
「都の女子にちがいありません。笠の緋の房、衣の袂、都の女性にしても、町家の女ではございますまい」
「したが、どこへ行くのであろう。この街道の先には、山家ばかりだのに」
「もしや……裏方様の」石念が、西仏の顔を見ていうと、
「わしもそう思うのだ。もしかしたら、師の房のもとへ、都の裏方様からのお便りでもと――」
「そうかも知れません……。いやそうだ」石念は、韮や野芹を摘み入れてある籠を抱えた。
西仏はもう崖の下へ向って、雑木にすがりながらずるずると先へ、辷り降りていた。――と、その山裾までさしかかった二人の旅の女性も、西仏と石念の姿を見つけて、道の辺に、杖を止めて待っていた。
「もし、女御たち」西仏が声をかけつつ近づいてゆくと、
「オオ、あなたは」と、一方の女性は走ってきた。
「西仏さまではございませぬか」
「えっ……オッ、万野どのだったか」
「お久しゅうござりました」
「もう一方は」
「やはり月輪のお召使で、裏方様に侍いておりました鈴野というお方」
「ああ、やはり都の」
「上人様のお住居は、もうこの辺りでございますか」
「この鳥屋野という里からわずかばかり。――それあの山のふところに竹林が見えましょう、小丸山の里のお住居の裏手にあたる竹林です」と、振向いて、
「石念、後からご案内してきてくれ、わしは先に走って、一刻もはやく、都から見えた裏方のお使いたちのことを、ご披露しておこう。――師の房にも、さだめしびっくりなされよう」
いい残して、西仏は先に駈けて行った。彼は自分の欣びよりも、師の親鸞の欣びを思って胸がおどるのだった。この越後へ来てからすでに四年のあいだの別離となる都の消息を――裏方やお子たちのその後のことどもを――月輪の老公や、友や、知己の様子もさだめし聞かれるであろうし、師の房も、口へは洩らされた例もないが、どんなにお胸のうちではそれを欲しておられるであろうと思って――。
「生信房、おられるか」庵室の前まで来ると、西仏は奥へ向って、思わず呶鳴った。
ここは以前の竹内の配所とちがって、萩原年景が心を尽して寄進した建築だけに、貧しいながらも一つの僧院らしい形はしていた。
「なんじゃ、西仏」庵室の横を走っている細い流れのそばから生信房は歩いてきた。
「オオ、そこにいたのか、今のう、この御庵室へ都から二人のお使いが見えるによって、師の房へお告げしてくれい」
「えっ、ご赦免のお使いでも?」生信房は早合点して、体の肉がぶるぶると顫えるような心地がした。
「いや――お使いといっても、公卿たちではない。月輪殿の御内に仕えている局たちが来られたのだ」
「女か」と、すこし落胆したが、それでもこの配所へは空谷の跫音だった。
「一刻もはやく」と、西仏にいわれて、生信房はいそいで師の室へ上がって行った。振りかえると、後に残してきた石念を案内にして、月輪家の万野と鈴野の二人はもうそこへ姿を見せている――
彼女たちは、ようやく目的地へ辿りついたと思うと、張りつめていた心が急にゆるんだように、茫然とそこに杖をとめ、
「ああ……」と、息をついて、顔を見あわせていた。
石念は、そうしている二人のすがたを、物珍らしげに眺めていた。彼は都を知らない若僧だった。この北国の山や樹や田舎人しか見ない眼には、眩ゆいように二人のすがたや肌が美しく見えたらしい。――が、はっと気づいて、
「ここが、上人のおいで遊ばす小丸山の御庵室です、さ、どうぞ」というと、万野は建物の様をしみじみとながめて、
「配所と申せば、どのようなひどいお住居かと思うて来ましたが、思いのほかおおきな」
「いやいやここへ移ったのは後のことで、それまでの竹内のお住居は、物乞いの寝小屋のような物でございました」
「お師さまは、ご在室でいらっしゃいましょうか」
「おられまする。……さ、こちらで足をお洗ぎなさいませ」声を聞いて、親鸞は自分の室から縁へ出てきた。二人が流れへ寄って足を洗っている様子をだまって見ていたのである。
万野は、玉日の前が未婚のころから侍いていた忠実な侍女であった――親鸞のまだ若い日の事どもを何かとよく知っている女であった。
「……万野も老けてきたことよ」と、親鸞はふと自分の若い日を胸に忍び浮べた。万野はふと振りかえって、
「まあ!」と、親鸞のすがたを見あげた。そしてなつかしげに、
「お変りものう」と、走り寄った。すぐ語尾は涙にかすれてしまうのであった。親鸞は手を取って、
「――はるばると、この遠国へ、さてもよう参ったのう。疲れたことであろう、ともあれ、体をやすめたがよい」と何も問わずに、ふたりの労をいたわった。
室は明るかった。
都から来た二人の女性の客をそよそよ吹いて、春のにおいを持つ微風が、静かにそこへ坐った親鸞との間を通って、裏の竹林をそよがせる。
「――まず何より先に承りたいのは、師の法然御房の御消息、月輪のお館へは、讃岐の上人より折々のおたよりもあろう、その後のご様子はどうおざるか……。お変りもおわさぬか」親鸞は訊ねた。
埃にまみれた髪を梳き、旅衣の腰紐を解いて、彼の前に坐った万野と鈴野の二人は、
(なにから先にいおう)と、胸がつまってしまったように、ややしばらくの間、俯目に指をつかえていた。
次の間には、西仏や生信房などの人々が、これも、都の消息を聞きたさに、膝をかたくして控えていた。
「――はい、讃岐の上人様には、お館の御領地、讃岐国塩飽の小松の庄とやらいう所に、新たに一寺を建てて生福寺と申しあげ、お変りもなくご教化の由にござりまする」万野の答を聞くと、
「おお、そうか」親鸞は、ほっと深いうなずきをした。その安心が顔いろに現われて明るい眉になった。
「それをうかがって、まず安堵した。――さて、次には、お舅君の月輪老公にも、さだめしおすこやかでおられましょうな」
「……はい、その禅閤様は」万野のことばが濁ったので、親鸞はふと膝をゆるがせて、
「お病気でもあるか」
「おかくれなさいました」
「なに」はっと胸を上げて、
「老公には、御死去とか。……してまた、それはいつ?」
「去年の――承元四年の四月五日のことでございます。その前からのかりそめのお病が因となりまして」
「ああ知らなんだ……」と、親鸞は思わず声を落して――
「この身、配所にあるとは申せ、きょうまで、何も知らずにおった。――念仏門の大恩人、讃岐におわす師の法然御房もさだめしお力を落されたことであろう」
「そればかりではございませぬ……。まだまだ、お耳を驚かさねばならぬことが」もうこれ以上の悲しいことを、親鸞へ告げるにたえない気がしてきたのである。万野は、怺えていたものを瞼からはふりこぼして、袖口を眼に押し当てた。
「この上にも、親鸞が驚くこととは何か。……はて心がかりな。万野、まだ誰ぞその上に凶事でもあるか」
「は、はい……」
「親鸞は何事にも驚かぬことを誓う。気づかいなくいうがよい」
「裏方の玉日様が……」
「玉日が?」
「お師さまの御流謫の後は、和子様を護り育てて、青蓮院の叔父君から名も範意といただき、行く末は、お父君にもまさる名僧になれかしと、ひたすら和子様のお育ちをたのしみながら、また朝夕に、越後の空を恋い慕うておいでなされましたが、月輪様の御逝去やら、何かの憂さが、積もられて、この冬、ふとお風邪をひいたが因となって――」そこまでいうと、万野はわっと、顔に袂をおおって咽び泣いてしまった。
……よよと嗚咽に沈んだまま、万野は後のことばを継げないのである。
親鸞の面は、はっと驚きを湛えて白く冴えてしまう。
また――次の部屋にひかえて、都の消息はいかにと耳を澄ましていた弟子の人々も、氷室のようにしいんとしてしまった。冷たいものがすべての人の姿を撫でた。その中に、万野はなおすすり泣いていた。
「――ちょうど、霜月の二十六日でござりました」万野に代って、鈴野が後の話をつづけた。
「看護の方の心づくしも医薬のかいもなく、裏方様には、とうとうお亡くなり遊ばしました。まだご幼少の範意様を残して。――そのお胸のうちを偲びますと、どのようであろうかと私どもまでが」と、鈴野のことばもすぐ涙のうちに乱れてしまう。
その玉日の最期まで、枕元に侍いて、看護をしていたこの二人であった。二人はどうしてもこのことを越路の親鸞に親しくお告げしなければならないと思った。――で、越路の雪の解けるのを待って、裏方の遺物をたずさえ、はるけくも、都を立ってきたのであった。
「……玉日も。……また月輪の老公も。……ムム、そうであったか」親鸞はつぶやくようにいった。かえりみれば自分の生涯もすでに初老の坂へかかっていた。はっきりと時の流れが眼に見える心地がする。
無言の裡に親鸞の胸へ湧きあがってくるものは、悲愁ではなくて念仏であった。――念仏がふと胸にやむとき、悲愁の思いが、堤を切って溢れる水のように、彼を涙に溺らせかけた。
憂いに重い春の一日は暮れた。人々は心を遠く都へ送って、幾月かを、裏方のために――また、亡き月輪禅閤のために、冥福を祈って送った。
万野と鈴野のふたりは、幾日かをここに送るうちに、ふたたび都へ帰る気持を失ってしまった。――帰っても今では仕える人のない都はあまりに闘争の巷だった。
「どうぞ、この御庵室の端になと置いてくださいませ。――お弟子としてお許しなければ、しばらくはお下婢の者としても」ふたりの願いを、親鸞はゆるした。もちろん、代官の萩原年景へ事の仔細をとどけ出た上で。
ほととぎすが啼く。春から夏のはじめにかけて、流人親鸞の髪は蓬々と伸びていた。――何とはなくこの幾月を、彼は病む日が多かった。
「ご無理でない」と、西仏も生信房も、そっと涙をうかべてつぶやいた。師のかなしみは弟子の悲しみであった。師の心もちを考えるとき、彼らも胸が痛くなって、裏の山に鳴く昼時鳥の声にも腸を断たれるような心地がした。
――だが親鸞は、そうした弟子たちの沈んだ顔いろを見ると、それが自分の悲しみの反射だと知って、心を取り直したものとみえる。彼は、髪の伸びた頭へ網代笠をいただいて、また、近郷の教化に出歩いた。
その姿は、いよいよ、ただ念仏の道へひた向きに生きようとする尊い光を加えていた。やがて四十になろうとする親鸞のうしろ姿は、はっきりと、この越後へ来る前の親鸞とは違った高さをその人品にも持ってきた。
教化につかれた夏の夕べを、鈴野と万野のふたりは、畑の野菜を煮て、親鸞や弟子たちの終日の労をなぐさめた。――そんな夕餉時の一瞬には、誰の胸にも、信仰生活の悦びが溢れて、この小丸山の家は、さながら夕顔の花に囲まれた浄土そのもののようであった。
「はての?」今気がついたように、定相はつぶやき出した。
三人の弟子は、縁先で、榧の枯れ木を蚊遣りに焚いていたのである。
「なんじゃ、定相」と、教順が不審がる。念名も共に、
「なにを思い出して?」と、笑った。定相は真面目な顔つきで、
「いや何、石念のことだが……石念は夕餉のときに、皆と共に、斎の膳についていたろうか」
「さ、いたようにも思うし、おらなんだようでもあるが……」
「怪しい男じゃ」
「どうしての」
「どうしてというて、おのおのには、石念のこのごろの様子が、いぶかしいとは見えぬか」
「そういわれれば、なにやら、妙なふしもあるが」
「あるが――どころじゃないわ。あれは近ごろ、どうかしておる、よほどどうかしておる。憑きものにでも憑かれたような」
「ふむ……。なんぞ、そうした原因があるのかの」
「それはあろうとも」
「なんじゃ、一体、石念の憑きものというのは……」
「いや、それはいわれぬ、滅多に口にすることじゃない」定相はにがり切って、蚊遣りの煙のうちに、唇をむすんでしまった。
暗黙のうちに、他の二人もうなずいた。やはり口に出せなかった気持なのである。それは、彼らの潔癖にとって、最も忌わしく感じられることなので、それを是認することは、自分たち法の同胞の醜悪を認めるような気がするからだった。
もっとも、石念のそれは、あの都から来たふたりの女性がここに共に住むようになる前から、本質的に、なにか焦々しているふうが見えた。
それが、火となって鈴野への恋となっていることを、こう三人はうすうす知っていた。
恋を――女への仏弟子のそういう態度を、極端に冷蔑し、むしろ醜にさえ考えている三人には、石念のそれからの挙動が、ことごとにおかしくて、馬鹿らしくて、そしてこんな男が同房のうちにいるということだけでも、何かしら、腹立たしかった。
この教順を初め、三名の弟子は、元々、京都から従いてきた親鸞の古い弟子ではなかった。親鸞が北国へ来る途中からの随縁であった。それだけに、この人々のどこかに旧教の――聖道門の観念とにおいが強くこびりついていた。
「また、あの竹林の奥へ入って、ぽつねんと考え事に耽っているのじゃないか」と、人々は、すずしげな夏の月を見あげた。
月光の下には、深い篁が夜露に重くうなだれていた。
「そうかも知れぬ……」定相は、苦笑した。そして、
「救われぬやつだ」と、嘆くような眼をした。
「見てこようか」
「いや、よしたほうがよい。魔に憑かれているうちは、人のことばなど耳に入るものか。いずれそのうちに、師の房からお叱りがあるだろう」
その親鸞の室には、もう灯りが消えていた。三名もまた、あしたの炎天の托鉢を考えて、戸を閉めて、眠りについた。
石念はおそくなってからこっそり帰ってきた。もう同房の者が皆、眠りについてからだった。
(……どこへ行っておったのか?)定相は気がついて、うす眼をあけて彼が臥床へもぐり込むのを見ていたが、わざと言葉はかけなかった。
「……ああ」それは石念のつぶやきだった。彼は臥床へ横になってからも、しばらく寝がえりばかり打っていた。
ふいと、身を起して、またどこかへ立って行く様子だった。定相は、
(おやっ?)と怪しんで首をもたげかけたが、厨のほうで石念が水をのんでいる様子なので、また眠りを装っていた。
そのうちに、定相は彼に対する注意も気懶くなって、ぐっすり眠りに落ちてしまった。
ほかの教順や、念名などは、その前から高鼾を掻いているのだった。……だが石念だけはいつまでも寝つかれないで、悶々と自分を持てあましているかに見えた。
側に熟睡している人々の寝息が、羨ましくもあるしまた、
(動物のような奴だ)と、その単純さを腹立たしげに軽蔑しても見た。けれど結局、自分の眠られないのは、何としても苦しかったし、それに決して、正しい悶えでないことも彼自身知っていた。
(――どうしてだろう、おれはこのままで自分を抑えつけていれば発狂するかもしれない)
かっかっと耳たぶは血で熱くなるばかりだった。――ふいに枕から顔を上げてどこかを見まわす彼のひとみは底光りがしていた。何か夢遊病者のように彼のたましいが彼をあやつっていた。
(……そうだ、もうおれは、どうなってもいい、地獄へも落ちろ、この今の炎に焦かれて苦しむよりは)何か怖ろしいことに意を決したらしいのである。あたりの者の寝息をうかがって、彼は這い起きた。
みしりと、棟の梁が軋む。そのかすかな物音にも、彼はギクッと身をすくめるのだった。
(いや……よそう……)われに返って、彼は醜い自身を恥じるよう、ふたたび寝夜具のうちへ身をひそめた。けれど、所詮、それは理性と本能のたたかいを血管のうちでくりかえしているに過ぎなかった。
ずいぶん長い間のそれは苦悶だった。一刻ほどたつと、彼はまた、そうっと自分の体を起して、やどかりが這い出るように、手さぐりで真っ暗な房のうちからどこかへ忍びかけていた。
「……ム……ウムム……」うしろで、念名がこううめいた。石念は白い盗人のような眼をギョッと振向けたが、何事でもなかったのを知ると、こんどは、全身の勇をふるい起すように――しかし針ほどな物音にも心をくばって、一尺か二尺ほどずつ、手さぐりでその部屋の外へ出た。
彼はついに、寝所の外へ出てしまったのだ。もうそこには常の反省も常の石念もなかった。――柱、戸、壁などを撫でまわしながら、廊下をつたわって、一歩一歩、足音をぬすんで行った。その突当りの一間に、鈴野が寝ていた。
ふるえていた。がたがたと、熱いような寒いようなふるえが、石念の全身を走っていた。
眼をつぶって、石念は、突当りの板戸へ手を触れた。それはもう、鈴野の寝息のかおりを肌に感じさせるに足るものだった、彼の手は、恐ろしいものと、甘い夢みる興奮とに、錯雑と逸りおののきながら、ついに、板戸の引手をさぐり当てた。
満身の血が、毒のように頭にだけ逆上っていたのである。――彼はそこへ耳をつけた。
寝息が聞える……
黒髪と、やわ肌の、蒸れた丁字のような異性のにおいがする。
ズ、ズ、ズ……と二、三寸ほど石念の手がそこを開けたのである。――と、その刹那に、白い電のような光が、彼の眼をさっと射た。
鈴野の寝すがただけあるとのみ思っていた暗い部屋の中に、そんな顕然たる光があったのである、仏陀の光のように石念は心を打ちのめされてしまった。
「あッ――」と、思わず眼を抑えたのである――。次にわれ知らず口から走った慚愧のことばは、
「南無阿弥陀仏!」という無意識のさけびだった。物音に、眼をさまして、
「誰です! 誰ですかっ」鈴野が起きた様子。
あわてて、どどどと、廊下の壁へぶつかりながら逃げてくると、
「なんじゃ」
「なんの音……」同房の友だちも、みな、夜具を刎ねて、突っ立っていた。
「……あっ、石念」人々は、板敷のうえに雑巾のように平べたくなっている彼のすがたを見つけて、太いため息をつくばかりだった。
「こ、こ、この馬鹿めっ」いちばん年上の教順が、怒りに引ッつれた顔をふるわせて、思わず拳をかためながら彼の側へせまった。
「呆れ果てた外道。……ウム、外道の夢、醒ましてやる」むずと、襟がみを引き寄せて、打ちすえようとすると、なに思ったか、石念はパッと起って、厨の戸を突き破るようにして外へ逃げ出してしまった。
――その朝は、朝から重い不愉快なものに人々の顔色はつつまれていた。鈴野はなにもいわなかった。けれど、その小さな胸が、不気味な、なんともいえない恐怖と懐疑につつまれていることは、誰の眼にも読めた。
「……申し上げてしまおうか」
「いや、こんなことを、どうして、師の房のお耳に入れられるものか」
「どこへ行ったか、あいつめ」
「抛っておいたがよい」人々は、囁き合っていたが、やがてさり気なく、それぞれ日課としている托鉢へ出て行った。
親鸞は、きょうは奥に籠っていた。べっして、体のわるいようなせいではない――。鈴野はなにかしら秘密を抱いたようで、独りで胸が傷んでならなかった。
――蝉の音が、午の窓へすずやかに啼いていた。芭蕉の葉が、時折大きく風に揺れる。
その蔭へ、石念は、いつの間にか来ていて、じっとかがみこんでいた。
「――誰じゃ」ふと窓の外へ眼をやった時、親鸞が静かに芭蕉の蔭へ訊ねた。
「石念ではないか」
「は……はい」
「何しておる」
「……私は……お師さま! ……御庵室の床に上がれない不浄な人間でございます、外道へ落ちた人間です」
「何をいう」ほほ笑みが親鸞の顔に泛かんだ。他愛ないことでも聞くように、
「お上がりなさい」と、それだけいった。
「…………」石念はなおそこにじっとかがまり込んでいたが、やがて思い切ったように、
「よろしゅうございましょうか」おそるおそる立った。
そしてやがて、縁から科人のような卑屈な眼を俯せて、親鸞の室へ坐り、自分の頭に下るであろう罪の鉄槌を待っていた。
「……なんじゃ、どうしたのか」親鸞はまだ何も知らないらしいのである。だが、それはかえって石念の苦痛であった。
何も知らない師の房へ、新しく口を切り出すのが辛かった。――だが、石念は思い切って、事実を告げた。
「私は幾たびも、自分で自分の心をいやしみ、一心に、念仏をもって、邪心を退けようとして、幾日もたたかいました。――けれど、一度、鈴野様の美しさに囚われた煩悩は、何としても去らないのでございます」親鸞は眼を閉じていた。――じっと聞き入って、次のことばを静かに待っていた。
「それで――」
「昼間は、炎天を、教化して歩いているので、かえって胸の苦しみはわすれました。けれど、夜のすず風に、わが身にかえってくつろぐと、身内の炎は、昼間の炎天どころではありません」
「むム……」
「いけない! そんなことで、どう修行がなろうぞ! そう我を叱って、水を浴びたり、竹林の中で、夜もすがら念仏したり、岩に伏したりしましたが、克つことができません。――とうとう私は、犯してならない垣を踏み越えてしまいました。――鈴野様の部屋へ忍んで行ったのでございました」
「…………」
「その時の心は、自分ではわかりません……われながら、まったく夢中の仕業でありました」
「石念、待ちなさい」
「はい」
「おことの声に、真実がある、嘘のないその声を、鈴野にも聞かそう」
「え、鈴野どのへ」
「……誰ぞおりませぬか、鈴野をよんで下さい、ここへ」後ろの部屋へ向って、こういうと、誰かが鈴野を呼びに行ったらしい。――そこに石念と師の房との対坐しているすがたを見ると、鈴野はさっと顔を紅めてしまった。
「お師さま、何か御用事でございますか」
「そこへ坐っていて下さい。……石念のいう言葉を聞いておればよい。……わしも聞こう、石念、話しなされ」
「はい」といったが、さすがに、そこに鈴野がいては、穴にも消え入りたい気がするのであろう、石念は硬くなって、しばらく両手を膝についたまま沈黙していた。
「――なにもかも懺悔いたしまする」と、こう石念はまた、素直にことばを継ぐと、もう邪げるもののない気持で、いおうとすることがすらすらいえた。
「その時の私は、情火の獣でした。もし鈴野どのが私の愛を拒んだら力ずくでもという気持でした。戸に手をかけました。そして二、三寸ばかりそこを開けたのです。すると同時に、ハッと私は眼が眩んで両眼を抑えたまま俯伏してしまったのです。なぜならば鈴野どのの部屋に、一道の白い光が、仏光のように映して見えたからでした」沈痛な声である。[#「沈痛な声である。」は底本では「沈痛な声である」]
筧の水の音がどこかでして、鈴野も親鸞も、そこになく、彼一人が独りで口走っているかのように静かであった。
「――後でよく考えて見ますと、その光というのは、鈴野どのの部屋の窓が隙いていたので、夜明けの光が射し込んでいただけのことだったのです。……けれど夜もすがら、熱病のように悶々としていた私は、夜が明けていたとも考えておりません。真っ暗な部屋の中とばかり思っていた眸を、不意に、怖ろしい光明で射られたので、そのまま、うッ伏してしまうと、思わず、念仏をさけんでしまいました。次には、しまったと思う悔いと涙とでうろたえながら、逃げ出しました。身の置きどころもないように」
「…………」
「どうぞ、お師さま、私を今日かぎり、破門して下さいませ、私は、外道に落ちました、改めて修行をし直した上、ふたたびお膝下へお詫びしに参ります」親鸞は瞑目していた眸をうすく開いて、そういう石念のすがたを愛し子のように見入った、彼はまだ道念の至らないこの若僧の悔いに打ちのめされて慚愧している有様を見ると、あだかも二十歳だいのころの自分を見ているような気がするのであった。
「石念」
「は……はい」
「泣かでもよい、さてさておことはまたとない不思議な仏陀の示顕にお会いなされたの」
「えっ、示顕とは」
「おことが、罪の戸に手をかけたとたんに、その眸を射た光こそ、弥陀本体の御光でのうてなんとするぞ」
「……?」
「わからぬか、おことはそれをもって窓にさしていた夜明けの光というたが、おことはそのせつなに念仏をさけんだというではないか。窓の明りではない、それこそ弥陀本体の御光じゃ、尊い弥陀の示顕に試されたのじゃ、その折に出た念仏こそ、真の念仏、生涯忘れまいぞ」
「わかりました、お師さま!」と、石念は合掌して、
「私は、なんたる、果報者でしょう、この眼で御仏を見ました」と、狂喜した。親鸞は、ことばをかさね、
「そなたはまた、この草庵を出て、修行し直すというたが、それにも及ばぬ、他力易行の行者は、ありのままこそ尊い、配所の囚人であれば囚人のままで、在家にあれば在家のままで、ただいつも、本体の弥陀のすがたを、しかと見て、見失わずに――」
慈父のような教えだった。石念の心の傷は洗われた、いや大きな欣びにさえなった。
それからまもなく、石念と鈴野とは、師の媒介で添うことになった。親鸞の寛大と英断に驚く者もあったが、それからの石念の道行はたしかに一歩も二歩も進んでいた。同房の法友たちは、彼のために、また念仏門のために、この一組の若い夫婦を心から祝福した。
夕餉の煙が露草に這う。万野は、厨の竈に火を焚き、鈴野はもうほの暗い流れで野菜を洗っていた。
もう初秋である。暮れると急に、この山間は陽かげになって、寒かった。
「……はての?」里人に道を教えられて、一途にこの小丸山へ来たらしいのであったが、旅の老武士は、そこに働いている卑しくない女性をながめて、ここが配所であり僧の住居とは考えられないようにいぶかって佇ずんでいた。
狩衣のすそを旅支度にくくり、襟の下には鎧の小実が煌めいていた、長やかな銀作りの太刀を、革紐で横佩きにし、それでいて烏帽子をいただいた髪の毛は真っ白なのである、年齢はもう六十がらみに違いないのだ、けれど足もとも身体も、壮者のようにがっしりしていた。
「ちと、もの承りたいが――」こういって、鈴野のそばへ老武士は寄って行った。めずらしくその言葉は、上方の語音である。鈴野はハッと思って、濡れ手のまま立った。
「はい……何ぞ」
「つかぬことを承るが、親鸞上人のご配所は」
「こちらでございますが」
「オ……やはり」と、老武士は安堵したように、
「上人は、ご在宅かの」
「おいでなされます」
「あれが、お入口か」
「いえ、厨でございます、どうぞこちらへお越しなさいませ」小走りに、鈴野は先へ駈けてゆく。――駈けつつも、
(どなたであろうか)不審でならなかった。
玄関を教えると、老武士は、裾を解き、塵を払って、烏帽子のゆがみをも正しながら、
「たのむ」おごそかに訪れた。いあわせた教順房が、
「どなた様でいらっしゃいますか」と、眼をみはった。
老武士は慇懃な――どこやらに卑しくない教養と世に練れたものごしで、
「突然おたずねして参って、ご不審に思し召そうが、それがしは近江の住人佐々木三郎盛綱とよぶ者――折入って上人に御意得とう存じて、はるばるこれまで身ひとつで参った者でござる。――おつとめの折とあらば、他の室にてお待ち申すも苦しゅうござらぬ、お取次だけを」と、行きとどいている会釈。
はっ――と教順は胸に大きなものをぶつけられた気がした。近江の佐々木盛綱といえばこの辺土にも知れ渡っている源家方の豪族である。
あわただしく、奥へ告げに行くと、ちょうど廊下でぶつかった西仏房がそれと聞いて、
「なに、佐々木殿が見えたと」つかつかと彼は玄関へ出てきたのである、そしてほの明るい夕暗の軒端に、その人の影を透かして見て、
「やあ」と、なつかしげにいった。
「三郎盛綱どのか。珍らしい珍らしい、元の木曾の幕下太夫房覚明じゃ」
「えっ?」と、盛綱は、意外な旧知を見出して驚きながら、
「木曾の覚明じゃと。……オオなるほど、世も変ったが、おぬしがかような所におろうとは、さてさて時の流れは、思いがけないことになるのう」
「まず上がれ」と、西仏は遠来の旧友に、昔の武者言葉を出して、
「師の上人もご在室、ゆるりと昔語りもしよう」先に立って、いそいそ奥の室へ案内して行く。三郎盛綱は、太刀の緒を解いて、左手に提げ、
「さらば」と、彼の後に従いた。
広くはないが、配所とも見えぬほど閑寂な幾室かがある、短い二間ほどの橋廊架を越えると、そこには何か非凡人のいるものの気配が尊く感じられて、三郎盛綱は、いわれぬうちから、
(ここが上人のお住居であるな――)と感じて、おのずから襟を正しめられて控えていた。
西仏は、妻戸の外にひざまずいて、両手をつかえ、
「師の房様。おさしつかえござりませぬか」くんくんと何かのにおうそこの室の内から、親鸞の声がすぐ答えた。
「どなたか」
「西仏です。――じつは只今、私の旧友で、師の房にもとくご存じでおわしましょうが、近江佐々木の庄の住人、佐々木三郎盛綱が、なにか親しくご拝眉を得たうえで、お願いのすじがあると申し、はるばるこれまで訪ねてござりましたので、お会い下さるなれば、有難う存じますが」
「…………」何か黙考しているらしくもあるしまた、机のうえでも片づけているのか、しばらく返辞がなかったが、やがて――
「どうぞ」と、いうのが聞えた。
西仏は振向いて、三郎盛綱のうれしげなうなずきを見た。そして、静かに妻戸を引いてそこを窺うと、朽葉色の法衣のすそがすぐ盛綱の眼に映った。
(ああ多年、会いたいとお慕い申していたおん方、今こそ会えるか)と、盛綱は若者のような胸のときめきを覚えて、屈み腰に、そっと進む。
――すぐ後ろから、鈴野が短檠を持ってきて、主客のあいだへ、静かに明りを配る。――そしてこの老武者が有名な源氏のさむらいであるかと、尊敬と物めずらな眼を客に向けて、退がって行った。
時の流れはあわただしかった。治承、寿永という風雲乱世は、つい昨日のようであったが、今はもう鎌倉幕府という言葉さえ、民衆には新しいひびきが失くなっている。鎌倉幕府自体にさえ、種々な弊政やら、葛藤やら、同族の相剋やら、醜いものの発生が醸し出されて、そろそろ自壊作用の芽をふきだしていた。
その源氏が、隆々と興って、治承、寿永の世にわたって、平家を剿滅して行ったころには、源平両軍が戟を交えるところに、佐々木三郎盛綱の名が功名帳に輝かないところはなかった。
――だが、そうした武運のめでたい男も、鳥坂城に城資盛を討った老後の一戦から、ふッつりと、明けても暮れても血の中の武士生活に無常を感じて、
(何がゆえに?)と大きな悩みと迷いを生じ、子のある親を討ち、親のある子を討って、それを兜の八幡座のかがやきと誇る武者のこころが忌わしくなり、武具馬具打物などのすべてのそうした血なまぐさい物に囲まれている日常が、耐えられない苦痛になっていた。
武者の生涯ほど、一刻一刻が、真剣で血まみれなものはない。
五十余年は夢の間だった。なんであんな血なまぐさい生涯を、獣のように働いてきたか。――人を斬っておのれが生きる道としてきたか。
果たしてそれが、国家のため、民くさのためだったろうか。
主君はそう受け取ってくれたろうか。平家が亡んだ後の源家の政治は、果たして国民の幸福を増してきたろうか。三郎盛綱はもだえた。
(怖ろしい、浅ましい。人は知らず、自分の肚の奥底を割ってみれば、そこには華やかな武者の道があって、ひたぶるに、君家のおんためという気持もあったが、何よりも自分を猛く雄々しくさせたものは、領地や位階であった、出世の欲望だった)こう考えつくと、彼はたまらなくなった。そしてついに、
(せめて、老後の一日だけでも、阿鼻叫喚の中からのがれて、こころのどかに、人らしく生きてみたいものだが――)そう気づいてから先の三郎盛綱は、往年の烈しい気性を、急角度に向きかえて、ひたぶるにそれを望み出した。――実に、多年のあいだの宿望だった。
(領地が何か? 位階が何か。――あさましやおれはこれで釣られて、一生を屠殺で送ってきた)
館も財宝も、もう彼の眼には、芥としか見えなかった。――だがすでに、彼の身は由々しき所領の大名となっていた、一族門葉も少なくはない、鎌倉との交渉も、簡単には参らない。彼はそれを捨てることに、どんなに長い腐心を費やしたか知れない。
――すると、すでに鎌倉では、彼のそうした憂悶のあらわれを、敏感に知っていた。三郎盛綱は、鎌倉に対して近ごろ不満をいだいているらしいと沙汰する者があったり、それに尾ひれを付け加えて、彼こそは油断のならぬ男で、今のうちに処置をせねば乱をなす者であろうと流言する者がある。
突然、鎌倉幕府では、彼が四十年に近いあいだ、幾千の部下の血と、自己や一族の刃の働きで築き上げたところの城地を、何の理由も明示しないで、強制的に没取してしまったのである。元の三郎盛綱なら、
(理不尽な致し方)と、激情して、一戦にも及んだであろうが、盛綱は、その権謀術策の人々のすることを、笑って見ていることができた。
(この機に!)彼は、身一つになって、所領、位階、一族妻子、あらゆるものに袂別を告げ、そしてまっしぐらに、多年のあいだよそながら慕っていた親鸞を遠くこの北国まで訪ねてきたのであった。
「この身の発心をあわれみ給うて弥陀がお手びき下されたことと存ずる。何とぞ、お慈悲をもってこの後の安住を老骨へおさずけ下されい」
親鸞の前へ出た三郎盛綱の偽らない物語りはこうだった。――終始、じっと聞いていた親鸞は、
「無自覚の四十年五十年は夢中の一瞬です。おん眼をひらかせ給わば、一年も百年千年の生き心地を覚え給うに相違ない。何日なとご発心はおそくはない。ようこそ来るべきところへ参られた、いでこの上は親鸞が、ご仏縁の仲だちをお授け申しあぐるであろう」
その夜すぐ、親鸞は彼のために剃刀を取った。そして、法善房光実という名を選んで授けた。
「どうじゃ盛綱どの……いや光実御房。生れかわった気がするじゃろうが」四、五日たって、西仏は新しくここに加わった佐々木三郎盛綱の光実にこう話しかけた。
「ありがたい、ただありがたさで、今は胸がいっぱいだ」と、光実は心からいった。
「どうして今までおれは、あんな絆に惑ったり悶えたりしていたのか、ふしぎでならない」
「そこが、俗世間だ、濁流の中に住んでいるうちは、濁流から出る道もわからない」
「そればかりか、上人から聞かされる一語一語が、いままで、鎌倉の将軍家から貰った武功の恩賞より身に沁みてうれしい。――頼朝がおれに与えたものは、皆自己のわけ前であり、自己のため以外のものでなかった。――然るに上人は何もご自身に求めるのではない、あのお眸に映るすべての者を、ひとしく倖せにしてやろうというほかに、他意はない。――またこの御庵室のなごやかな朝夕を見ても、なぜ今まで、あのように刃と鉄と人馬で囲んでも、枕を高くして寝られない所領や城にかじりついて生きてきたのかと、初めて、無明の闇から出てきたように思う」
「おそいぞおそいぞ、今ごろ、さようなことに気づいて、この西仏などは――」と、西仏は自分が発心したことの早さを、快活に自慢したが、
「はははは、それは、おぬしの大将の木曾殿が早く滅び、おぬしも志を武門に得なかったからではないか」と、盛綱に反駁されて、
「や、いかにも、そのせいも幾分かあるな。あはははは」と、哄笑した。夜になると、
「馴れぬうちは淋しかろ、田舎酒でも温めようか」と、西仏は飽くまで友に親切であった。炉を囲んで、初秋の夜の静心をたのしみ、
「――時に、いつか訊こう訊こうと思っていたが、ご舎弟の四郎高綱どのは、近ごろ、どうしているな?」
「さ……久しゅう会いもせぬが、世上の沙汰では、やはりこの兄同様に、怏々として楽しまずに暮しているらしい」
「備前児島の城へ当てて、この春ごろだったか、手紙を出してみたが、何の便りも返ってこぬ」
「あれの一徹にも困る、わるくすると、この兄とは逆に行って、鎌倉どのへ、忿懣の矢を引きかねぬ男でな」
「さ……そういう噂を世間でちらと耳にしたので、万一の事でもあってはと、昔なじみの誼みで、この西仏が胸を打ち割って存分なこと認めてやったのだが……あの利かぬ気の四郎高綱、手紙を見て立腹し、引き裂いてしもうたかも知れんな」
「――いや、烈しい一徹ではあるが、心の底には情誼にふかい所もある弟――というと弟自慢になるが、旧友の気もちが分らぬような男ではない」
「では、何かの都合で、返事を忘れてござるのかな」
「書けんのじゃろう、気持を偽われない質なので。……だが、何事もなくてくれればよいが」わるいことをいい出したと西仏は軽く悔いた。弟思いの光実は、うつ向いて、遠く弟四郎高綱の児島の城を案じているらしい。六十歳になっても、骨肉の情愛はすこしも幼少の時と変っていなかった。
「……さ、温まったぞ、もう一杯過ごさぬか」
もう秋くさが秋風の戸を撫でて戸外は雨かのような虫の声だった。
南海の潮は鯖の背のようにぎらぎら青かった。――時はまだ夏の初めだった。
備前児島の城の本丸。
城主の佐々木四郎高綱は、兄の盛綱よりも武者としては勇武があった、髪もまだ白くはない、骨ぶしもまだ強弓を引くに耐える、それだけに満ち溢るる覇気もあった。
その覇気へ、彼は、大杯で酒をそそいでいるのだった。彼の血潮と酒とは、燃え合うと、多分な危険のあるものだった。それは家臣もはらはらしていることであったが、主君のことなので、どうにもならないのである。
「聞けっ、玄蕃」語気に癇癖がほとばしっている。こういう癇癖は、戦いがあれば戦場で散じてしまうだろうが、もう世の中は泰平だった。
「はっ……うかがっております」と、重臣の浅倉玄蕃は、この殿のこころの底を充分に知っているだけに――またその良い性格の半面もわかっているだけに――ただ涙ぐましくて、困惑に暗くなるのだった。
「わしはの……」と高綱は唇の乾きを舐めずりしていう。
「……わしはの玄蕃、ただ理由なく欲望を募らせていうのじゃないぞ。天下の将軍家たるものが、そういう態度であっていいものか――また、武門のことばの誓いというものが、そんな不信なものでいいか、正義のためにいうのだ」
「わかっております。――殿のお気持は、玄蕃めも充分に」
「わかっているなら、なぜ意見などするか。――よう昔を考えてみろ、わしのいい条が無理か否か」
「は」
「そもそも――石橋山の合戦だ。あの時わしは、兄三郎盛綱とともに、まだ二十歳にも足らぬ生若い頼朝を助けに馳せ参じた。あの旗挙げの第一戦に、頼朝はさんざんにやぶれ、石橋山から土肥の杉山へと落ちのびた。付き従う郎党とても指折るほどじゃった。この小冠者を大将にかついでも、大事は成らぬと見限りをつけ、生命からがら逃げたのが多い。――彼は孤立した。ほとんど自刃するほかなかったのだ。――そこへこの四郎高綱、三郎盛綱、二人の兄弟が千余騎をひきつれてご加勢に駈けつけた時、頼朝は、わしら二人の兄弟に何といったか!」
「……殿、もう仰せられますな、そのことは、天下の誰もよく知っていることでございます、余りにも有名なお話です。殿が仰せなくとも」
「だまれ。わしがいわんで誰がいうか。北条や梶原のおべッか者や、またその権力に怯じ怖れている小心者の大名輩に、どうして、これがいえるか。――あの時の小冠者頼朝が、わしら兄弟の手を取って、加勢を欣んだ顔つきは、今に眼に見えておるわ。そして頼朝はこういったのだぞ――(もしもこの身が天下を取ったあかつきには日本半国は二つにして、兄弟の者に取らせる)と……。玄蕃」
「はっ」
「どこにこの誓言が行われたか。――わしは今もって、この中国七州しか持たぬ」
「しかし……殿」
「口返しするか。――そちは頼朝の肩持ちか。高綱のことばは偽りと思うか。弓矢八幡も照覧、北条時政もその他も、確かに側で聞いていたことだ。……だが、頼朝が天下を取ってからは、あのおべッか者は、一人として

「ごもっともです」
臣下として、玄蕃はそういうほかなかった。
「しかし殿……すでに鎌倉の右府もおかくれ遊ばした今日、今さら事新しゅう、亡き将軍家のおことばを取り立てて……」
「いうて悪いか」
「怖れながら、潔白な御心事を、天下の俗衆が、誤解することを、玄蕃は怖れまする」
「いうな、わしは、まだ頼朝が在世のうちから、このことは申していたのだ。――(天下を取ったら日本半国二つにして佐々木兄弟に取らせる)と申したあの一言を、旗差物へ書いて、鎌倉へ登ろうと幾度かいっていた、その度ごとに、汝を初め、老臣どもが、とやかく申して遮ったために、千載の機を逸して、いつまでも高綱の胸中に、鬱々とこの不快なものを抱かせているのではないか」
「お家のためを存ずればこそでござります。不肖も老臣衆も」
「なに、これが」
「殿のご不平は、小者の端にいたるまで、よっく胆に銘じてはおりますなれば」
「玄蕃玄蕃。――分った面がまえせずとわしの胸中をよく聞け。わしは今、中国は七州の太守だ、何の不自由もなし、近江源氏の末として恥かしい身分でもない。……だがの、宇治川の晴れ場で、梶原源太の先駈けしたこの四郎高綱が、武門には長けて、智恵は浅い男よと、末代まで笑い者にされては口惜しい。――頼朝めの肚をいえば、自分が天下の権を握ったからには、高綱に不平があろうと、約束を反古にしようと、手出しはなるまいと、この佐々木家を見縊ッてそらうそぶいたのだ。何と、気色のよくないことか。――たとえ頼朝、実朝の亡い後でも、この名分は明らかにせねばならぬ。大将の嘘が、かくのごとく堂々と通っては、戦場においての武士の信義は地に堕ちてしまうわ。――武門のためわしは主張するのだ」
「今日まで、お怺え遊ばしたものを、何でまた、俄かにさまで仰せあるか。玄蕃も、この儀には、ほとほと困じ果てました」
「わしばかりではない、命を槍先にかざして働いた多くの大名、武士たちの末路を見ろ! 泰平の後は皆、片田舎の荒れ地へ追いやられ、ただ口先の弁巧で、ぬらりくらり身を這い上げた諂い者が、廟に立ち、政治を私しているのではないか。――近くは兄の盛綱は何の科があってか、所領を没取されているではないか。――やがてはその手がわしへ来ることは見え透いておる。こうしているのは自滅を待っているにひとしい」
「さような事のある場合は、殿のおことばを待つまでもなく、われら臣下が、四ツ目の御旗を陣前に押し立て、北条、梶原の輩を一挙に懲らしめてくれますれば」
「それでは遅い、後手だわ」
「では、どう遊ばします」
「こなたから、不意に軍勢をのばすのじゃ、彼奴らの虚を突くのだ」
「かえってそれこそ、鎌倉方の策にのるものです、反逆の軍と呼ばれましょう」
「な、なに」と、四郎高綱は、面に朱をそそいでいった。
「盟約を正す軍を反逆というか!」
「たとえ、君命にござりましてもさような不利な軍は」
「よし、老臣どもの手はからぬ、陣ぶれの状を廻せ!」
「殿っ――」と玄蕃は涙をたたえて、
「泰平をよろこぶ民を憐れみ遊ばせ。――軍は私憤をもってするものではございませぬ。……ご賢慮を」と、袖にすがって諫言しているところへ、小侍が、一個の文筥を捧げてきて、
「御状でございます」と、そこへ差し置いた。ふと見ると――
沙門西仏
「――沙門西仏、沙門西仏、はてのう――どうも覚えのない名じゃが」四郎高綱はつぶやいた。
手にとった書面の名に、酔眼をぼうとみはって、小首をかしげているていであったが、やがて封を切ってみると、中の書状には、太夫房覚明という別名が記してあった。
「なんじゃ、あの覚明か」大きく笑ったのは何か懐かしい者を思い出したものであろう、玄蕃のほうをちらと見てこういった。
「そのむかし木曾殿の手についておった荒法師じゃ。今では西仏と名を変えて北越におるものとみえる。……何を思い出して書面をよこしたか」杯を片手に、気懶い体を脇息にもたせかけながら高綱はそれを読んでいた。
初めは、昔なつかしい戦場の友を偲んで、微笑をたたえてこれに向っていたが、ふと、苦いものでも噛みつぶしたように唇をむすんでしまうと、同じ所を何遍もくりかえしつつ、
「ウーム……」と、心を抉られたように呻いているのであった。
さっと酔のひいた眉には、深い苦悶と自省の皺が彫り込まれていた。引き裂いて嘲笑ってしまおうとする気持と、そうできない本心の重圧とが、ややしばらく彼の顔いろの中に闘っていた。
食を貪って
時に渇くを知らず
糞中の穢虫
居を争って
外の清きを知らず
「――残水の小魚、糞中の穢虫とは――心憎くも喩えおったな。忌々しい奴、北越でもこの高綱のうわさは伝えられているものとみえる」睨むように天井を仰いだ。その顔にはもう酒の気はなかった。充血していた眼には涙があふれかけていた。
「……だが、違いない! 西仏に喝破されたとおり、思えばこの高綱も糞中の穢虫、世の中にうごめく蛆の中にもがいていたこの身もまた蛆であった。……ああつまらぬ物に、永いあいだ業を煮やしたものよ」卒然と彼は身ぶるいした。涙のすじが頬を下って止めどなかった。
「――蛆、蛆、蛆。……ああ外の清きを知らぬ蛆」
ふいと、彼は起ち上がった。――玄蕃や近習が呆ッ気にとられている間にである。つつつと、奥の一室へかくれてしまった。
そのまま――誰も彼の居室へ近づくことを許されなかった。四郎高綱は、およそ四日ほどの間、ほとんど、そこから出なかった。
めずらしくも、そこには酒杯を絶った高綱の寂然たる瞑想のすがたがあったのである。――しかし、六日目の朝には、そのすがたもついに城内には見えなかった。
城主の失踪! 備前児島の城は、一時、城下城内ともに、覆るような騒ぎであった。――四郎高綱の消息はそれきり分らなくなってしまったのである。
――だがやがて、一ヵ月ほど経って、誰からともなくこういう噂が備前をはじめ中国へ伝わってきた。
(さすがは近江源三秀義の子四郎高綱ほどあって、怒りもするが思い切ったあきらめもする。頼朝の不信は責めたが、卒然と何か悟って、中国七州を弊履のごとく捨ててしまい、先ごろから高野へ入って出家しているそうじゃ……。何といさぎよい、侍らしいやり口ではないか)――と。
世間ではそれを、
「心地よいことだ」と噂したが、城主を失った家臣と一族の人々は、
「すわ」と、あわてて、高綱が上ったという高野へさして走せつけた。四郎高綱は、そこにいた。
しかしもう先ごろの高綱ではなかった。剃髪して、高野行人の一人となっている沙門高綱であった。家来たちが、その姿を見て、
「あまりといえば……」と、恨みまじりに嘆き合うと、高綱は、彼らのそうして嘆くことさえ、今ではおかしく見えるように、
「所領も、児島城の財産も、すべて一同でよいように頒けてくれい。――勝手な主人と思うであろうが、わしは再び武門へは帰らぬ。永いあいだを、そちたちには、無駄な奉公させたように思われて、それが何より済まぬと詫びておるぞ。これへ参らぬ旧臣どもへも、ありのままに、今のことばを、伝えておくりゃれ」そういったきりであった。
うごかない決心のほどを見て、何とかもいちど児島の城へ帰ってもらおうと考えて来た家臣たちも、断念するほかなかった。悄然として、佐々木家の人々は、武名天下に聞えた四郎高綱ともある人を、山に捨てて帰らなければならなかった。
高綱は、一個の新沙弥となって、当年の高野行人派のひとりとなって、修行を志した。
居を争って
外の清きをしらず
「こここそは、蛆の棲家の外だ――」と思って、大きな呼吸をついて独り天地に感謝した。
ところが、ここにも彼の想像し得ない世間があった。そのころ、この山では行人派の一派と学頭派とよぶ一派とが、事ごとに対立していて、学問の上ばかりでなく勢力の抗争が烈しかった。そしてその奉持する宗教では、飽くまで禁慾的な――難行苦行主義な――自力聖道の道を極端にまでやかましくいっていたが、高綱が見たところでは、それは形の上にだけ行われていて、僧たちの個人生活には、それと矛盾している無数の醜が隠されていた。
隠されて行われているために、それはよけいに人間の醜を感じさせるものになる。――のみならず高綱自身も、その外面的な禁慾主義と難行主義に、迷いと疲れが重るばかりで、真の出家のたましいはここでは得られそうにもない気がした。
「だめだ」彼は山を見まわした。
「ここも糞中の外ではなかった。――ああどこにそれがあるのか?」ふと、彼は西仏の居どころを思い出した。
北越――小丸山の草庵。
そこには、高野のような金堂宝塔の美はないが、何か慕わしいものがあるように思われた。その慕わしいものの心根をさぐってみると、高綱もまたいつとはなく世上で耳にしていたところの親鸞という名であった。
「そうだ」彼は高野を下りた。――何の惜し気もなく七堂伽藍の善美や九百余坊の繁昌仏国をすてて、北へ北へ、たましいの住み家を求めて、孤影を旅の風にまかせて歩いた。
裏日本の風にはもう冬の訪れが肌を刺してくる。越後ざかいの山脈は、すべて銀衣をかむっていた。
薪をかこい、食糧を蓄え、そして雪除け廂の下に、里では冬を籠る支度だった。
「もの申す、もの申す……」たそがれ刻である。小丸山の庵室のまえに、四郎高綱は網代笠を脱いで立っていた。
親鸞――その名を慕って、高野を下り、幾山河の長途をこえて、ようやく今、ここに辿り着いてきた彼だった。
(ああ、ここがお住居か)高綱は、そこはかとなく見まわして、高野の七堂伽藍の金壁と――ここの粗朴な荒壁だの貧しげな厨だのを心のうちに対照していた。
親鸞という名は、今ではこの国において、いつのまにか大きなものとなっているが――何とその名の大きさに較べて、その住む家の小さくて粗末なことだろう。しかも高野の金堂宝塔には、すでに真の仏教は失われてしまって、この石を乗せた茅の屋根と荒壁のうちに、日本の民衆苦をすくう真の弥陀光がつつまれているかと思うと四郎高綱は、そうして、訪れの答えを門口で待っている間も、なんとなく有難くて――うれしくて勿体なくて――思わずそこへひざまずいてしまった。
そして彼は、奥へ向って、まず掌をあわせて瞑目した後、ふたたび、こういった。
「――もの申します、これは紀州高野の山よりまかり下りました行人にござりますが、当所の上人に拝顔を得とう存じて参じてござる。お取次の衆より上人まで、よろしゅうお願い仕る」ついさきごろまで、備前児島の城主であった彼である、鎌倉の覇主頼朝に対してすら、ついに頼朝の死ぬまで屈しなかった彼の膝であった。
その高綱が、大地に手をつかえて、こういった。――と、厨のほうから、縁づたいに、紙燭を持って通りかけた石念の妻鈴野が、ふと、門口にうずくまっている人影を見て、
「どなた様ですか」こういうと、高綱は起って、ふたたび来意を述べ直した。
その声が、奥へ聞えたのであろう、誰か出てくる足音が聞えたと思うと、
「旅のお人」と、ほの暗い家のうちの端に、六十ばかりの僧が佇んで、鈴野のほうへ向いて訊いた。
鈴野の手にある紙燭の小さい灯が、老僧の顔にゆらゆらとうごいた。
四郎高綱は、何気なく門口からその人を仰いで、
「あっ!」さけぶとともに、身を弾ませて、飛びついてきたのである。
「兄者人っ」
「ええ?」老僧は、愕として、自分の法衣の袂をつかんでいる旅人をじっとしばらくのあいだ見つめていた。
眸と眸――それはとたんに血縁のつよい情愛をたぎらせあい、眼たたきもせず、しばらくはお互いが呼吸さえもせずにいたが、やがて四郎高綱の眼からも、三郎盛綱の眼からも、滂沱として、湯のような涙があふれ下ってきた。
「お……おう……四郎か」
「高綱です」
「弟」
「兄者人」ふたつの体は、かたく抱き合った。
兄弟は、何年ぶりかで会ったのである。戦場から戦場の生涯に行き迷れたままのように――久しぶりの邂逅だった。しかも、変った姿で。
もう六十になる兄の盛綱と、五十という人生を越えてきた弟の四郎高綱と、二人は、幼少ごろの兄弟の血をそのまま覚えて、いつまでも、抱き合っていた。やがて――
「兄者人、どうしてここには? ……」と、高綱は不審がる。盛綱もまた、
「どうして、おん身こそ、ここへは来たか。……しかも沙門の姿で?」と、これも夢かのように、弟のすがたに見入るのだった。鈴野が告げに行ったのであろう。
――奥のほうから、西仏が、
「なに、佐々木の舎弟が見えられたと。――それは真か」あわただしく出てきて、紛れない四郎高綱の姿を見るなり、
「おお」と、手をのばした。
「やあ、太夫房覚明か」と、高綱も手をさし出す。
「いや、今では、念仏門の西仏房じゃ」
「そうそう、ここの御弟子とな。うらやましい」
「高綱どの、ずっと前に、わしから児島の城へさし出した手紙、見てくれたか」
「見たっ」と、強く答えて、四郎高綱は、沈痛にいった。
「――持つべきものは友達だ、あの書状がなかったら、わしはまだ児島の城の業火の中に、みすみす昼夜の苦患にわずらっていたかも知れぬ。……糞中の穢虫も、おぬしの喝破に眼がさめて、やっと、外の清さを知ってここへ来たのじゃ。……兄者人、西仏房、どうかこのことを、上人へお取次をたのむ、残水の小魚を、宏大無辺の慈泉にすくい取らせたまわるよう、二人から、おとりなしの程をたのむ」真実が声にもあふれていた。
盛綱は、そっと、眼をふいていた。もちろん、西仏も、自分のやった一片の手紙が、この仏縁をつくったと思えば、うれしくてたまらなかった。
その翌る朝――朝のすがすがしい気持をもって、四郎高綱は、渇仰していた親鸞に会った。もちろん、親鸞は、
「ようござった」と、ことばは短いものであったが、高綱の発心に対して、共々、よろこんでくれたし、その日から、弟子のひとりとして彼を許すことに何のためらいもなかった。
釈了智。それは四郎高綱がこの朝、親鸞から与えられた再生の名であった。
兄の盛綱は、そのまえに、光実という名を授けられていた。――光実と了智と――ふたりの名だたる源氏の武将が、今では、よそ目にもうらやましい睦まじさで、親鸞のもとに、法悦の日を送っているのを見ると、この越後や隣国の人々は、さらに親鸞に帰依の心を厚くした。
そうして、小丸山の庵室は、一夕の法話でもあると、真冬の大雪を冒しても、聴聞に寄ってくる人々が、目立って数を増してきた。――万丈の白雪の下から、蕗の芽のように、念仏の声は萌えていた。
雪に明け、雪に暮るる日ばかりがつづいた。灰色の空には、いつ仰いでも、白いものが霏々と舞っていた。
小丸山の庵室は、万丈の雪の底に丸く埋まっていて、わずかに朝夕炊煙が立つので、そこに人が住んでいることが分る――
しかし。北国特有の月が、ふと、吹雪の空に冴える夜など、ふと、そこから朗々と、無量寿経の声が聞えることがある。
親鸞が起っているのだ。弟子たちも、それに和して、寒行をしているのだった。
建暦元年の十一月――ある日の昼間であった。めずらしく、雪がやんで、青い空が見えていた。
「オオ、麓から、見馴れぬお方が見える」万野と鈴野が、こういいながら佇んでいた。
――と、藁沓を穿いた三名の武士が、息を喘いで登ってきたのである。萩原年景の家来だった。
「鈴野どの! 万野どの! 房の方々に、はやくお告げしてあげなされ、吉報がある」と、呶鳴った。
「え……吉報とは」
「お勅使だ。――お勅使が着いて今すぐこれへおいでなさる」
「えっ、御下向ですか」ふたりは、転び込むように、奥の房へ駈けこんだ。
年景の家来たちは、表へ廻って、庵室のうちへ春を告げるように、大声でいって廻った。
「――皆さま皆さま。お欣びあれ、勅使岡崎中納言範光卿が御下向なされ、主人の年景が案内してただ今これへ見えられましょうぞ」そういって、雪を蹴立てながら、人々はすぐ麓へ引っ返して行った。伝え聞いて、
「さては、御赦免の宣下」と、房の人々は、にわかに色めき立った。
西仏などは、子どものように、雀躍りして、
「御赦免じゃ、御赦免じゃ」と、はしゃぎ廻った。まだ何も知らなかった生信房は、西仏があまりはしゃいでいるので、
「この、おどけ者」と背をどやした。だが、その理を聞くと、
「えっ、御赦免の勅使が? ……そ、それはほんとか」と、どっかと坐ってしまって、うれし泣きに、泣き出した。
静かなのは――依然として親鸞のいる――奥の一室であった。
勅使の一行が通ってきた北国の駅路には、綸旨下向のうわさが、当然、人々の耳目からひろがった。そして、念仏門の栄えが謳歌された。
やがて、そのよろこびのうちに、建暦二年の初春は来たのであった。
――こういう新春を迎えようとは、親鸞をはじめ、誰も予測していない年であった。
赦免の御綸旨をおうけしたからには、いずれ近いうちに都へご帰洛なさることであろう――
弟子の人々は、そう臆測していた、もちろん、親鸞のこころにも、慕郷のおもいは燃えていた。
(玉日が生きていたら)彼は、妻に一言、このよろこびを聞かせたかった。
添う日までは、お互いにあらゆる苦患と闘い、添うての後は、身も心もやすらぐ間もなく流別して、そして、離れたままこの世を去ってしまった薄命なあの妻に――また、次には、
(月輪の舅御殿にも)と、思った。
かの人はどうして在るか。都の様はいかに。
さて――こういうよろこびに遭えば親鸞も凡夫である。さまざまに、人を想い、郷を想い、年暮の日と共に、心も忙しない。
だが――そういう彼の気ぶりや、弟子たちの支度を見て、慈父を失うように悲しみだしたのは、国司の萩原年景をはじめ、この国の頑是ない土民たちであった。
「上人さまは、お帰りになるそうじゃ」
「ほんまか」
「どうして、この片田舎に、御赦免の後まで、お在でになろう」彼らは、そう聞くと、日ごとに庵へやって来て、
「せめて、もう一年」と、拝むばかりに、引き止めるのであった。
親鸞は、そういう頑是ない土民には、何とも振り切り難い弱さを持っていた。土着の人々の切ない気持も無下にできない気がして、初春には、北国を立つつもりでいた予定を云い出しかねていた。
そしてつい、正月は、小丸山の庵室で迎えた。
ここへ来てから四年になる罪の黒髪は、もう肩にかかるほど伸びていた。今は、晴れてそれを剃り落すことのできる身となった。その剃刀の日を、親鸞は、元日に選んだ。
西仏が、剃刀を取った。弟子たちは、居ながれて、劇的な感激に打たれながら、新しい親鸞のすがたを見出していた。今年、親鸞は、四十の年を迎えたのである。孔子のいった――四十にして不惑の年へ彼もかかったのである。
二日の朝、都にある叡山の横川の旧友から、赦免を祝う手紙がとどいた。そのほかの人々からも急に、ここへ届けられる書状が殖えだした。
それらの消息から親鸞は知ることができたのである。――行住坐臥、心のうちで、気にかけている師の法然上人の安否を。
で――彼が知り得たところによると、師の法然は、去年の十一月下旬には、早くも、恩命に接して、配所の讃岐を船で立たれ、元の吉水禅房へ帰っておられるということであった。
「お目にかかりたい」師を思う時、親鸞は甘える子のように、自分を抑えきれなかった。
(一刻も早く)と思い、
(越しかたのつもる話を)と、矢もたてもなく、慕わしくて会いたくて、じっとしていられなかった。
「わしは、都へ立つ。――すぐに立つほどに、支度してくだされ」急に、こういい出したのが、正月の二十五日だった。雪で里の者も通えなくなったころである。
「えっ、すぐに?」と、人々は疑ったほどだった。
親鸞の決心は固い。
「そうじゃ、どうしても、師の法然御房にお会い申したい。雪解けを待っていては、三月になろう。同じ雪のあるうちなら、今の間に――」と、いうのであった。
供には、生信房と西仏と――また、新しく弟子となった佐々木光実、釈了智の兄弟。
師弟あわせて五人。
小丸山の庵室の留守居としては、教順房をかしらにして、石念夫婦や、そのほかの者をすべて残した。支度といっても、笠と藁ぐつ。
「この雪では、とても国府の町までも、お歩いはかないますまい」と、佐々木了智は、侍のたしなみとして、すぐ思いついた駒を曳いてきて親鸞にすすめた。そして、光実と了智の兄弟が、馬の口輪を取ってすすむ。
雪は、この日も、小やみなく降っていた。師弟の影は、すぐ雪の中へ埋みこむように白くかくれてしまう。
「お気をつけて――」
「お師さま」
「皆様」小丸山に残る人々は窓や門口に集まって、その影が、豆つぶのように小さくなるまで見送っていた。誰とはなく、
「上人様が、都へお立ちなされたそうな――」
と里へも伝えられて行ったとみえて、国府の町へ来ると、もう、彼の駒の前には、雪など物ともしない民衆でいっぱいだった。萩原年景は、雪の中を駈けてきて、
「何とて、一夜のお名残も賜わずに」と、恨むばかりに、別れを惜しがった。
「またのご縁もあろうに――親鸞の慕師の情をゆるしたまえ。親鸞は去るとも、仏果の樹は、もうこの土に成長して見えた。後の守りをたのみまするぞ」年景は、そういわれて、涙をふいた。そして二、三の郎党と共に街道を何里となく従いてきたが、
「尽きぬおわかれ……」と、暇を告げて、やっと元の道へもどって行った。
古多の浜からは、路は南へかかる。裏日本を背にして、次第に信濃路へ入ってゆくのだった。
国境を越える難路のなやみは、とても想像のほかだった。親鸞の手も、弟子たちの手も、凍傷で赤くただれていた。
やっと、善光寺平へ出て、人々はややほっとした。しかし、あれから松本の里へ出て、木曾路の通路をたずねると、今はまだ、猟師さえ通れない雪だというのである。生命がけで行っても福島まで行けるかどうかという者があった。
(大事なお体に、もしまちがいでもあっては――)と、佐々木兄弟もいうし、木曾路に明るい西仏も、
(引っ返して、東海道へ出たがよい)という意見なので、一行はまた、むなしく善光寺へもどって、さらに、道をかえて、浅間山のけむりをあてに、碓氷越えを指してすすんだ。
そして、辛くも、峠をこえ、眼の下に、上野領の南の平野をながめた時は、すでに暦は、二月の下旬で、にわかに暖国の風につつまれた五名は、春に酔うような気持がした。
かすみの上に、妙義の山の峨々とした影が、淡むらさきに眺められた。
碓氷川の水にそって、松井田をすぎ、四辻という部落まで来ると、
「おや」摺れちがった一人の旅僧が、踵を回してきて、
「もし――」と、声をかけた。親鸞と弟子たちの五名も、その旅僧のすがたが、念仏僧らしかったので、何とはなく、振向いている所だった。
「オオ!」眸と眸とを見合すと、旅僧は飛びつくように、親鸞の脚もとへ来て、
「もしや、あなた様は、越後路からご上洛の途中にある親鸞御房ではござりませぬか」といった。
親鸞は、見忘れていたが、西仏は思い出して、
「あっ、そう仰っしゃるは、明智房ではないか」
「おお、西仏御房か。……あやうくお見違え申すところでした」
「久しいのう。これにおいであそばすは師の上人じゃ」
「では、やはり」と、明智房は、あわててそこへ両手をつかえかけた。――が、人々に誘なわれて、傍らの地蔵堂の縁へ寄り、思い思いに足をやすめた。親鸞は彼にたずねた。
「おもとには、何ぞ、都のたよりを聞いておられぬか。何より知りたいのは、師の法然御房の消息じゃが」
「さ……そのことでござります。実は私は、念仏停止のため、都を追い払われてから、この先の赤城の麓に草庵をかまえておりましたが、このほど、恩師法然様が讃岐よりご帰洛と聞いて、すぐ都へ馳せ上り、そしてまたも、この地へ帰ってきたばかりの所でございます」
「ホ……恩師ご帰洛のために、都へ上ってお帰りの途中とか。……それは、よい者に会いました。――して法然様には、都へご安着の後、いずれにお渡りあらせてか。元の吉水にお住いか、それともほかに」親鸞の懐かしむ様子に、
「ちょっとお待ち下さい」と、明智房は、暗い顔して、うつ向いた。
「……その儀につきまして、実は、都において席のあたたまる遑もなく、あなた様へ、お使いを齎すために、私はすぐ東海道をいそいで下ってきたのでございます。――あなた様のご一行が、木曾路の雪に引っ返して、碓氷へ出たという善光寺からの便りを手にいたしましたので」
「え?」親鸞は、いぶかしげな眼をみはって、
「――では、おもとが下られたのは、この親鸞へ、お使いのためにですか」
「そうです」
「師の法然様から?」
「いえ――」と、明智房は、いよいよいい難そうであったが、
「法然上人からではございませぬ。――安居院の聖覚法印から」といって、あわてて旅包みを解き初めた。そして、取り出した一通を、親鸞の手へ差し出すと、
「仔細は、このお文に」と、口をつぐみ、そのまま、後へ退がって、ぱらぱらとこぼれる松の雫を背に浴びていた。
はっ――と白けたものが弟子僧たちの顔いろに走った。何事にもかつてものに動じた例しのない親鸞の眉にすら、
「なに、聖覚法印から……このお文とな?」
不安の影がちらと曇って、やがて読み下してゆくうちに、書状をくりかえしている手がかすかに顫えを見せた。
(唯事ではない)と、人々の胸には重いものがのしかかった。
親鸞のまつ毛には、明らかに、涙が光っていたのである。――誰が、この上人の涙ぐんだ睫毛を今まで一遍でも見た者があるであろうか。
「……お哀傷はさることながら、御赦免の天恩を浴み、おなつかしい京都の土をお踏み遊ばしてからおかくれなされたことが、せめてものことでござりました」明智房のことばに、
(さては、大祖法然様には)と、弟子僧たちは、初めて、安居院の聖覚法印の書面が、法然の死を報じてきたものであることを知った。明智房は、さらにことばを継いで――
「初めて、お病床におつき遊ばしたのは、ちょうど正月二日でございました。ほんの風邪ぐらいなご様子であったのが、にわかに、おわるくなって、お年もはや八十のご老体とて、重るままにお息も弱り正月二十五日、眠るがように、大往生をおとげ遊ばされました」といって、瞼を抑えた。
「――その、ご書面にも、つぶさに法印からお認めございましょうが、大谷に集まった法弟の人々は、この後の念仏興法の道を、いかにしたものかと、評議もまちまちに迷っておりまする。今はただ、越後の親鸞が、帰洛の上に、よい策もあろうぞと、人々はひたすらあなた様の都に入る日をお待ち申しておる有様、何とぞ、一刻もはやく、ご帰洛下さいますよう、安居院の法印からも、くれぐれお言伝てでございました」化石したように、親鸞は瞼をふさいだ面を空に上げていた。
蕭々と並木の松は鳴っていた。つき上げて胸にせまるものが、容易に心を落着けさせなかった。――同時に、大祖法然という中心の巨星を失った都の念仏者たちのかなしみや失望や彷徨や、あらゆる周囲も彼の眼にはありありと映ってくる。明智房は、膝をすすめ、
「さだめし、ご落胆もあろうぞと、安居院の法印も申されておりました。しかし、ここぞ、念仏門の浮沈、せっかく、御大赦の天恩が下ったと思えばこの悲報に、人々は、暗黒の中に迷う思いをしておりまする。おつかれもござりましょうし、定めし、お力落しでもございましょうが、何とぞ、一刻もはやく京都へお出まし下さいますよう、私からも、お願い申しまする。どうぞ、皆様にも、ともども師の御房をお励まし下さって、お急ぎ下さいますように」
と、西仏、生信、光実、了智などの人たちへも顔を向けていった。――が、親鸞は、
「いや……」と、かすかに顔を横へ振って、こういった。
「小松谷のおわかれに、この法然の舌はたとえ八ツ裂きになるとも、念仏は止めまいと仰せられた――あのお声は、もう二度と聞かれぬことになったのじゃ。――その京都に何たのしみあって参ろうぞ、この上は、親鸞はもう上洛をいたしませぬ。……ああ、深くて、うすい現世のご縁であった」
大祖の法然上人が亡い後の旧吉水禅房の人々が、これからどううごくか――また、叡山やその他の旧教の徒が、それを機会にどう策動するか。
親鸞は今、かなしさでいっぱいである。さびしさで身も世もない。そういう紛乱の巷のことを、思うてみるだけでも煩らわしかった。
――もう京都へ帰る張合いもない――といったことばは、彼の真実であった。ありのままな気持だった。
(一刻もはやく)と、親鸞を急ぎ迎えるために、安居院の法印聖覚から、文使てを持って下って来た明智房は、それでは、自分がまったく意味をなさないものになるし、また、京都で親鸞を待ちかねている人々の失望のほども思いやられて、
「何とか、お考え直し下さいませぬか、大祖法然様を失って、悲嘆にくれている念仏宗の方々が、今また、あなた様も、都を見限ってお帰洛にならぬと聞いたら、もう大谷の法燈は、真ッ暗なものになり終ってしまうでしょう。――どうぞお師法然上人のご遺志を、ふたたび都において、赫々と弘通あそばすというご勇気をもって、これより東海道をお上りくださいますように、吉水一門の遺弟を代表いたしまして、私からもおねがい申し上げまする」
「いや、それは、親鸞の任ではありませぬ、都において、そういうご遺志をついで賜わるお弟子は他に幾人もおります。――親鸞は、むしろ、これから、文化に恵まれない辺土の田舎人のあいだに交じって、土と共に生きもし、自分の心も、もっと養いたいと思います。そのほうが、愚禿には性が合ってもおるし……」と、ことばはおだやかであるが、信念はひるがえしそうもないのであった。
やむなく、明智房はまた、そこから親鸞のことばを伝えるために、京都へ引っ返してゆくほかなかった。
師弟五人の旅は、にわかに、その日から的を失ってしまった。ひょうひょうと風にまかせて流浪をつづける親鸞の心らしいのである。二日も三日も、黙々として、その的のない道を、五名は歩いた。
「もしもし……それへおいであるのは、角間の蔵人殿ではおざらぬか」碓氷川のほとりで、こう声をかけた一群の旅人があった。三頭の荷駄を曳かせて、四、五人の男を連れた郷士ふうの男だった。
「角間の?」と、親鸞に付き添うている人々は一様につぶやいて、
(誰のことをいうのか?)と、いぶかった。
駒の上から下りた郷士ていの男は、西仏房のそばへ来て、肩をたたいた。
「ウム、やはりそうじゃった、角間の蔵人うじ、わしらは、穂波村の者だよ、あんたの若いころから知った者だ、まア何年ぶりだか分らねえが」西仏は思い出した。彼の故郷は信州角間村である、そのころは、角間の蔵人と呼ばれていたが、あまり遠い昔のことで、自分の名とも思われなかったのである。
この人々に出会ったのが機縁で、親鸞と西仏と、光実、了智の四名は、ふたたび碓氷を越えて、信州佐久郡へ行くことになった。
そのうち、生信房が一人ぬけたのは、彼もこの機に、久しぶりで郷里へもどって、多年の悪名を洗い、郷土のために、これからの半生を念仏の弘通にささげたいという心願を訴えたので、親鸞もそれをゆるして、碓氷川から北と南へ袂を分ったためであった。
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一粒の胚子がこぼれる所、やがて青々と仏果の穂がそよいでゆく。
花はまたおのずからな花粉を風に撒き、自然の命によって自然に行為する昆虫がまた実をみのらせ胚子を落とし花のかずを地に満たした。
山水の因果、四季の因果、人のあいだの因果も、かわることはない。
ひとりの聖者が、そこの土に住む力、それは偉大な精神の花の繁殖だった。
親鸞が、北信濃の山村に移ってから、わずか二年とたたないうちがそうであった。角間から佐久郡一帯は、田に野に山に、生きるをたのしむ人の顔がどこにも見られた。人生を生々とたのしむ歌、それが念仏の声になってながれ、菜畑、麦の色、馬小屋そのものが浄土に見えた。
――親鸞さん。といえば、木樵も、百姓も、市人も、自分たちの慈父のようになつかしみ、彼のすがたは、地上の太陽のように、行く所にあたたかに、そして親しみと尊敬をもって迎えられた。
その地方の布教に、努力の効を見た親鸞は、暇があると、山をこえて、越後や越中の国々へもよく杖をひいた。――また、碓氷を越えて、上野や下野の方面へもたびたび出た。
「しばらくでございました」突然、二年ぶりに、こういって角間の草庵へ顔を見せたのは、故郷の天城へもどっていた生信房であった。
「おう、生信房か、きのうも噂していたところ、よう戻ってこられた」西仏や光実は、いつも変りのない温情で彼を迎えた。
「上人は」と、何よりも先に訊く。
「お変りもない。いよいよお元気でいらせられる」
「それ聞いて、安心した」と、生信房は落着いて、やがてその後での話だった。
彼は、故郷の天城に、一人の老母をのこしていたが、母の生家が元々、常陸の下妻なので、そこで老後を養いたいというので、母を背に負って、何十年ぶりかで、常陸へ帰って行った。
下妻の人々は、老母を背に負って帰ってきた生信房をながめて、誰も彼も驚き顔をした。――なぜならば、この老母のひとり息子というのは、天下に隠れもない兇悪な大盗で、天城四郎といわれている者だという噂を前から聞いていたからである。
(その悪名隠れもない一人息子の四郎が、頭をまるめ、しおらしい真似事して、老母の故郷の者を騙そうというつもりであろう。誰が、そのような手にたぶらかされようぞ)と、相手にする者もなかったが、やがて半年経ち、一年経っても、彼の母につくす様子に少しも怠りがみえないのみか、世間の人々に対しても、思いやり深く、老幼にやさしく、身は奢らず、人には施すという風なので、
(はてな?)と、人々の視る眼がようやくちがってきたところへ、その老母が病んで逝去ると、生信房のなげきは傍目にも痛々しいほどで、幾日も食を断って、母の墓掃に余念なく暮している様子を見、
(いよいよ本ものだ)と、彼の今日を、世間で認めてきたのであった。そして同時に、
(いったい、あのすごい悪党の頭領が、どうしてあんな人間に生れ変ったのか?)という疑問が人々の胸にのぼりだんだん彼に今日までの経過を糺す者があって、その結果、親鸞上人に師事しているということがわかると、(そういえば、近ごろ、信州に草庵をむすんで、時折、下野の辺りまで布教に来る高徳なお上人があると聞いているが、そのお方ではあるまいか)と伝え合う者があって、やがてその評判が、常陸国真壁の代官小島武弘の耳へも入った。
また常陸の下妻という土地には、そのほかにも念仏宗には浅からぬ縁故がある。
それは、親鸞の同門の――法然上人随身のひとりである熊谷蓮生房の親友宇都宮頼綱もその地方の豪族であった。――そしてその頼綱はまた、蓮生房のすすめで、早くから念仏一道に帰依して、名も実心房といっている。
なお、その実心房以外に、稲田九郎頼重とか、笠間長門守時朝などという関東の武門において名のある人々のうちにも、吉水禅房の帰依者が少なくないので、
(そのむかしの天城四郎が、今では生信房といって、親鸞門下の有徳者になっている)という評判は、民間ばかりではなく、そうした上級にまで、大きな感動を与えながら伝わった。その結果、
(ぜひとも、親鸞上人を、この常陸へお迎え申したい)という希望が、声となり、運動となって、やがてついに実現せずにいられなくなったのである。
生信房は、真壁の代官小島武弘から旨をうけて、
「ぜひ、上人をお請じ申しあげてこいと、以上のような縁故から、わたくしがお迎えのため、その使いをいいつけられて来たのでございます……何とぞ東国の衆生のために、常陸へ御布教を賜わりますように」と、親鸞に会って告げた。
親鸞は、その機縁に対して、感謝した。また、そのむかしは郷里からも肉親からも、悪蛇のように指弾されていた生信房に、そういう余徳が身についてきたことを、どんなにかうれしく思った。
「聞けば、よほど宿縁のある地とみえる。ぜひ参らずばなるまい。――この信濃の教化も、後は、佐々木光実と釈了智の二人に頼んでおけばよかろう」親鸞は、快諾した。そして、
「わしはまた、明日から、次の新しい荒地を耕やそう。仏の御光のとどかぬ所を、またその法悦を知らぬ衆生を導くのが、この愚禿にふさわしいお勤めでもある」と、いった。
すぐその翌日だった。何という身軽さであろう、親鸞は、生信房を案内として、西仏、光実、了智の五人づれで、もう角間の草庵を引き払い、みすずかる信濃を後に――浅間の煙のなびく碓氷の南へ――峠を越えているのだった。
もっとも、佐々木光実と了智の兄弟は、碓氷峠のあたりまで見送って、元の地へ引っ返した。もちろん、親鸞によって開拓された信濃地方の帰依地をなお培い守るためである。
親鸞と生信房と西仏は、間もなく、常陸の下妻にわらじを解いた。
そしてこの地方の――大利根のながれと、赤城おろしと、南は荒い海洋に接している下総境の――坂東平野をしずかにながめ、ここにまだ、文化のおくれている粗野な人情と、仏縁のあさい飢えたる心の民衆を見出して、
(われここに杖を立てん)と、親鸞はひそかな誓いと覚悟とを抱いた。
下妻に、三月寺という、もう荒れ果てた廃寺があった。
彼を請じた第一の檀徒である小島郡司武弘が、さっそく、お住居をといって、住院の結構を心配するのを退けて、親鸞は、「あれに住もう」と、廃寺の三月寺を乞いうけて師弟三人が、雨の漏る茅屋根の下に、生活を初めた。
晴れた日は、西仏と生信房が、梯子を架けて屋根へのぼり、何年も手入れをしたことなく腐ってる茅屋根へ、新しい茅を葺きたして、屋根を修繕した。
また、大工道具を持って本堂の破損している所や、野盗に踏み荒らされている内陣を繕って、とにかく住めるだけの屋根の下と、御仏を置く壇だけを作った。
「野に働く百姓衆――」親鸞は、そこから呼びかけた。
「あなた方は、太陽のもとに食し、汗の中に働いている。体はよく肥え、力は逞しい。――けれどかなしいかな、あなた方の生きている内面をうかがうと、あなた方もまた、人間である。人間と人間とが一つ棟に住み、村に営み、一つの社会というものを作って、その中に生活していると、必然に起ってくるのは、邪智、嫉視、反感、陥穽、迷い、悶え、あらゆる人間の持つ――生きとし生けるものの宿命的な悩みというものがやはり何家の中にもあるだろう。――富める者は富めるがゆえに、貧しき者は貧しきがゆえに、心の悩みは形こそちがえ、誰の胸にも巣をつくるものだ。――心に病のない者でも、肉体に病魔があるとか、骨肉のうちに生活力のない者があるとか、また、嫁と舅の仲、親と子の仲、あによめと兄弟の仲、近所隣り同士の争い、およそ人間とはそうした煩いばかりに罹って喘ぎ悩むのが持ち前なのである。――それがために、あなた方は、よく働き、よく肥えて、いかにも逞しくは見えるが、心のうちというものは皆さびしくて暗い。衣食に貧しい上に、心までが貧乏人である。――心の富むすべを――心はいつも幸福で無碍自由にこの世を楽しむことができるのが常であるのを――それを知らないあなた方は、それを宿命のように、鈍々と、牛か馬のようにただ喰って働いている。まことにあわれな生活といわなければならない。食物は鳥獣でさえ天禄というものがあるのに、万物の霊長といわれる人間が、ただ喰うためにのみ働いて、この世を楽しむすべも知らないというのは、情けないことではないか。楽しまずして何の人生ぞや――である。ではこの毎日を、どうしたら楽しんで、この大地と生命に、生きる感謝を持って生きることができるかというならば、お互いのこの世間を、まず浄土にしなければならない。この世間を浄土にするには、まずその前に人間であるおのおのが、心の病巣を取り除かなければその実現はむずかしい。われのみひとり幸福になろうとしても幸福にはなれない。そこに気づいた衆は、妻をも誘い、舅もさそい、隣の衆も誘い合って、昼間の野良仕事が終ったら、ほんの半刻の暇をさいて、この親鸞の寺へござれ、親鸞はいかなる重い苦患になやむお方とも、御仏に代って、心の友となろうほどに――」
噛んでふくめるように、平易なことばをもって、親鸞は説く。
彼の声は、野の人々へひびいて行った。
だが、文化もおくれているし、精神的にも、かさかさしているここの民衆の耳には、彼のそうした声もうるさいことにしかひびかなかったとみえ、
「おいおい、このごろ、下妻の三月寺に、変な坊主が来て、寝言みたいなことを云い出したが、聞いたか」
「聞くほどもねえわさ、一文にも金になるわけじゃなし、念仏さえ唱えていれば、倖せになるっていうなら、歌を唄っても、長者になれそうなもんじゃないか」
「そうとも、欠伸をしていても、如来様になれるわけだ」
「念仏いうひまに、縄でもなえば、寝酒の銭ぐらいは溜る。そのほうが、ご利益があらたかだて」野の反響は、そんなふうであった。
親鸞は、根気がよかった。偉大な彼の根気は、あらゆる嘲罵や、無智の者の無自覚に対しても、叡山や南都の知識大衆と闘ったような、不屈さを示して、意力を曲げなかった。
機縁があれば、たとえ一人でも二人でも、それに対して、噛んで含めるように、教えて行った。
彼の根本義は、もとより凡夫直入の道だった。「その姿のままでの信心」であった。
だが、由来、この地方にも、聖道門の形式的な仏教が、先入主になっているので、親鸞のいわゆるありのままの仏果を得ている――という易行道の教えは、説いても容易に、人々の理解に受け容れられなかった。
在りのままな姿の信心――在家往生の如実をどうしたらそういう人々に解らせることができるだろうか。
理論ではだめだ。学問や知識のうえからそれを野に働く土民たちに教えることは、かえって、厭われることになるだろう。――親鸞は考えた。
説くよりも、実際の生活をして見せることだ――と。
だが、玉日はすでに世を去っていた。一子の範意は京で育てられている。法衣を着て、孤独の身を寺のうちに寂然と置いていては、口に、在家仏果を説き、在りのままの易行極楽の道を説いても、自身の生活は、やはり旧来の仏家の聖道門の僧と何らの変りなく見えるにちがいない。一般の人たちは、ここに矛盾を見出して、
(あの坊主が、何をいうか)と、多分な狐疑を感じているのも無理ではないと思った。
まず、自分の生活から、この百姓たちと、何らの変りのないことを示さなければならないと気づいて彼は、
「妻をもちたい」と、周囲の者にもらした。
西仏と、生信房は、師の房の気持にはやくから共感していたので、さっそく檀徒の小島武弘に話した。武弘は聞くと、
「まことに、そう仰っしゃったのか」と欣んだ。
その前から、武弘のところに、縁談があったのである。真岡の判官三善為教の息女で朝姫という佳人がその候補者であった。
そういう話が――親鸞の身辺に起りかけていると――すべての人間の運命というものの動いてゆく機微な時節が、いろいろな方から熟してきているように、同時にまた念仏門の帰依者の稲田九郎頼重とか、宇都宮一族などの地方の権門たちが、
「いつまでも、上人のおん身を、あのような廃寺においては、ご健康のためによろしくない。お心を曲げても、ぜひとも、もすこし人の住むらしい所へお移し申し上げねばわれらの心が相済まぬ」そう結束して、下妻の庄からほど近い稲田山の麓――吹雪ヶ谷に新しく一院を建てて、そこへ、移住するようにすすめてきたのである。
建保二年の春。菜の花の咲きそめる坂東平野の一角に、力ある大工たちの手斧初めの音から、親鸞が四十二歳の人生のさかりにかかる稲田生活の一歩は初まった。
間もなく、庵室はできあがった。木の香のにおう新院へ、三月寺のほうから親鸞師弟は移ってきた。
間もなく、小島郡司武弘の媒介で、嫁御寮は、嫁いできた。真岡の判官兵部大輔三善為教の息女といえば、里方も里方であり、媒人も媒人であるが、親鸞の目的は、身をもって、凡夫直入の生活をして見せるのにあった。在家往生の本願を実践するのにあった。――で、もちろんその華燭の典は、いとも質素に行われた。
親鸞にとって、朝姫は、第二の玉日であった。
嫁ずいてきてからすぐ翌年に、その裏方は、後に、小黒の女房とよばれた昌姫を生み、やがてまた、二年おいて、男子の明信を生んだ。
親鸞の望みどおりな、一庶民の生活図がそこに広がって行った。
嬰女のお襁褓の乾してある稲田の草庵の軒先からは、いつもうす紫に霞んでいる筑波の山が見えた。窓からは、加波山の連峰が見え、吾国山の襞が、澄んだ日には、あきらかに手にとるように見える。
裏方は、子を抱いて、よく陽の下に出ていた。そして、彼女のうたう子守唄は、すぐ庭先をながれている吹雪ヶ谷の渓水に乗って、ひろい沃野へ聞えて行く――
稲田、福原をあわせて何千石という広茫な青田をわたって来るすず風が、絶えず、この僧俗一如の家庭を清新に洗っていた。
建保の六年六月には、後に善鸞といった男の子が生れた。その翌年の八月には、有房が生れ、はやくも四十九歳になった親鸞は、京にのこしてある長男の範意をあわせると、ちょうど五人の父となったわけである。
(いつの間に――)と、自分でも思うことがある。こんな子沢山になろうとは、自分でも予期しなかったのであろう。
だが彼は、それらの子たちの生い育ってゆく間に、幾多の新しい学問と生きた教えを見出した。やはり妻をもってよかったと思った。子を持ってありがたいと思った。そして、その法恩を、弥陀に感謝せずにはいられなかった。
「お父さま、お父さま。……アノおもしろい何日もの田植歌をうとうて」
七歳になった昌姫は、父の法衣のたもとに絡んでよくこうせがむ。
裏方は、有房に乳をふくませながら、その他愛ない子と自然の父とを、幸福そうにながめていた。
「ホホホホ。昌姫は、お父様の田植歌が、ほんにお好きじゃの」
すると、男の子らしく、ひとりで悪戯していた善鸞も、
「お父さま、歌うて、はやく聞かせて」と、一緒になって、父の肩へ取りついた。
「はははは、ははは……」と、親鸞は、ただもううれしいのだった。どうして、人間というものは、かくも楽しくあるものかと、今の幸福が勿体ないほど、ただ笑いが出る。
「離せ。……歌うてはやろうが、あの田植歌は、昌姫やそなたらのお守り歌ではない。……それ、野良にあって、ああして働いておりましょうが。……あの百姓衆に聞かせてやろうためじゃ」
「でも、お父様、お百姓たちは、みんな大人でしょ、子どもじゃないのに、どうしてお父様が歌をうたってあげるの」と、昌姫はもう、そんな疑いを父にたずねたという。
「なんの」と、親鸞は、この子にも、法の悦びを知る芽が宿れと祈りながら答えた。
「お百姓たちも、この父にとっては、皆、そなたたちと変りないわしの子じゃ。……どれ、きょうも好い日和、わしの可愛い子たちのために外へ出て、田植歌をうたおうか」親鸞が起ちかけると、
「お父さま、昌姫も、連れて行ってくだされ」
「わたしも」と、善鸞と昌姫は、両方から父のたもとにぶら下がった。
「そちたちも行くか」と、親鸞は、二人の子に手を引っぱられて、藁草履をはいた。裏方の朝姫も、
「どれ、お父さまのお出まし、お門までお送りしましょうかの」乳のみを抱いて、裏口へ出た。
親鸞は、草庵の裏へ出て、少し歩むと、井戸のそばに草履をぬいで、跣足になった。そして、法衣のすそを高くからげると、毛のふかい脛が剥き出されたので、子どもたちは、父のそうした姿をよろこんで、
「お父さまが、お百姓になった。お父さまが、田植しにござる」と、手をたたいた。親鸞は、僧房の窓を振向いて、
「生信房はいるか」するとすぐ、生信房は外へ出てきて、
「おお。……今日もお出かけなされますか」
「大地を素足で踏むと、一日も踏まずにはおられぬような気のするほど、よい心地じゃ。西仏にも、後から来よと告げてくだされ」
「はい」と、生信房が、あわてて支度にもどってゆくと、その間にもう、親鸞は、檜の大きな笠をかむって、すたすたと田の方へ出て行った。
稲田数千石の田の面は、一眸のうちに入ってくる。植えられた田――まだ植えられない田が――縞になって見えた。あなたこなたには、田植笠が行儀よく幾すじにもなって並んでいるのである。その笠の列も、空を飛ぶ五位鷺の影も、田水に映っていた。
「お上人さまがいらっしゃったげな」田の者が、彼の姿を見つけて、すぐ伝え合った。
「おお、ほんとに」
「あんなお姿で来る所を見ると、さっぱりわしらと見分けがつかんわ」
「都にあれば、尊いお身でいられるというのに、なんで、わしらと一緒になって、この泥田の中へ、好んでお入りになるのじゃろ」
「お上人さまの功徳でも、この秋は、ふッさりと穂が実ろうぞや」そういうことばの下から、はや晩の教えを思い出して、念仏を口にする声もながれた。親鸞は、そこへ来て、
「みなの衆」と、にこやかに呼びかけた。
「また、お邪魔に来ましたぞ、手伝いといえば、ていさいはよいがの、お百姓仕事には、親鸞はまだ未熟ゆえ、お邪魔にというたほうがほんとであろう」
「さあさあ、お上人さま、ここの列へ入って、植えて下され」
「苗をくだされ」親鸞は、深々と、泥田の中へ脛を入れていた。
そして、苗束を持って、四、五本ずつ田へ植え込んでゆきながら、
「だんだん巧みになる。――生信房の植えた苗より、わしのほうが行儀がよいようじゃ」などと戯れた。
生信房は、負けない気になって、
「お師さま、そのかわりに、私はあなた様よりも、ずっと植え方が早うございます」
「はははは、でも秋になって、どちらが稲穂がよけいにつくじゃろか。……生信房も皆の衆も、ただこう苗の根を泥の中へ突っ込んでいるだけらしいが、親鸞のはそうでない、一念一植のこころを持っていたしておる。それゆえに、秋になれば、わしの植えた苗は、暴風雨にも倒れず、必ず、稲穂もよけいに実るであろう」と、いった。
「はての」生信房にも分らなかった。百姓たちには元より親鸞の今のことばは、難かしい。
「お上人様、一念一植とは、いったいどういうことでございますか」
「されば……同じこうして田に苗を植えるにしても、ただぼんやりと植えたり、仕事を厭うて嫌々植えたりしていては、苗も、確乎と大地に根を張って、お陽さまの恵みをいっぱいに吸うて育つはずがない。――わしが植えるには、ただ手を動かしているのみでなく、一つまみの苗の根を田へ下ろすごとに、有難や、この苗のために、わしらは今日飢えもせず、日々幸福に生きている。――しかのみならず、親鸞を養い、子を育てている。もっと大きくいえば、この日の本の国民を、この汗とこの苗の功徳をもって養うているのじゃ。――思えばかたじけなや苗の恩、何とぞ、わが家族たち丈夫に肥え、この日の本の国民の糧やすらかにあるように、伸びて賜もれ、実って賜もれ、たのみ参らすぞ――と心に念じて、一つ植える」と親鸞は田を植えながら、泥によごれた脛を、蛭に食われているのも気がつかずに、熱心に話した。
そして、ことばを切って、腰を少し持ち上げると、蛭が脛にかみついていたのに気づいて、あわてて泥の手で蛭を取りのけた。
「あはははは」
「はははは」
「さすがに、お上人様は、やはり都人でござらっしゃる」と、並んでいる百姓たちは、皆田植笠の下から笑った。
「そのような長い文句を仰っしゃって、一念しては、一植なさってござらっしゃるゆえ、なるほど、それでは田植がおそいはずじゃ――。百姓どもが、そのようなことをしていた日には、飯になりませぬわい」
「いやいや、皆の衆、それは聞きちがえじゃ。――親鸞とても、一つまみの苗を植えるたびに、胸のうちで、そういうのじゃござらぬ、今申したのは、田の中へ足を入れる時に、心で念じ申すので、苗を植える手を動かすには、もっと短いことばでよいのじゃ」
「もっと短いことばというと、どんなことを念じまするか」
「それ、晩に、わしがいつも話しておるではないか。なむあみだぶつ。――ただそれだけ」
「なむあみだぶつと申せば、今、お上人様の仰っしゃったような長い文句を念じる代りになりまするか」
「なりますとも、なむあみだぶつの六音のうちには、もっと宏大無辺な感謝と真心と希望とがこもっておりますのじゃ」
「では易いことじゃ、わしらも、苗を植えながら申しまする」人々は、笠をそろえて、親鸞のいわゆる一念一植を行念した。仕事に対する不平不満、生活の懈怠や憂鬱も、すべてその声念のうちに溶かされて、百姓たちは、心から働くよろこびに浸りきった。
その時、親鸞は、左に苗の束を持ち、右の手にそれを少しずつ頒け取っては、田水へ植え下ろしてゆきながら、心のどかに――静かなよい声で、農民のために彼が自分で作った田植歌を歌った。
兆載永田のしろとして
一念帰命の苗を植え
念々称名の水をかけ
往生の秋になりぬれば
実りを見るこそうれしけれ
親鸞の歌う楽しげな節につり込まれて、百姓たちも、
念々称名の水をかけ
往生の秋になりぬれば
実りを見るこそうれしけれ
「ああ、自分も教えられるし、人にもこの教化は生かされてゆくだろう」
親鸞は、泥田に感謝した。この泥田こそ、どんな荘厳な教殿にも七宝の伽藍にも勝る教化の道場であるぞと思った。
――こういう生きた道場があるのに、前人有徳の聖者たちが、誰ひとりあって、土と汗の中で、こういう生きた教化に従事した例があるだろうか。
師法然の訃を途上で聞いて、都へ上洛るのを断念して、野へ去った親鸞の本願は、今こそ届いた。
ありのままに――愚のままに――衆と共に――と願った彼の生活にも、今は焦躁もない。
百姓たちは、自分たちの群れの中に、上人を交えているのさえ大きな歓びだったのに、昨日までは、働くことは厭なことであり、辛いことだとばかり考えていたのに、汗というものに対して、
「これで安心して食えるばかりでなく、この汗のために、家族が肥え、世間が富む。働きもせずぐちをいってるなんて馬鹿なことだ。百姓こそは、国の宝じゃ、百姓は国の大みたからだ。なるほど嘘じゃない。働いて働いて――念々称名していれば、この大安心があるものを……」
農の仕事は、いやしい仕事と、自分で自分の天職を卑下していたものが、彼らのそれは誇りとなってきた。幸福感と張合いにみちてきた。汗は希望となり光となり、一日のあいだ、仕事の嫌悪を、思い出す間がなかった。
腰を伸ばして、ふと空を仰ぐと、いつの間にか、夕月があった。
「おお、もう手元が暗い、田から上がって、嬶や子と、晩飯じゃ。飯がすんだら、お上人様のところへお邪魔に寄って、なんぞまた、有難いお話しを聞きたいものよの」そのうちに一人が、
「お上人様、お上人様」と、呼んだ。
「おい」と、上人は泥によごれた足を、畦の流れで洗いながら、百姓ことばで答えた。
「なんじゃの、与茂作どの」
「あれごろうじませや、あちらの田ン圃の向こうから、裏方様の背におぶさった姫さまが、こちらを見て、可愛いお手々を振ってござらっしゃるではないか」
「ほ、ほ……ほんにの」親鸞も、微笑を送った。
「可愛や、お父さまの姿を見て、はよう田から上がりなされと呼んでござらっしゃるのじゃ、お父様も、手を振っておあげなされ」
「こうか、こうか」親鸞は、いわれるまま、手を振りまわした。
往生の秋になりぬれば
「――なむあみだぶつ」と、御堂の中の阿弥陀如来へ向って、外から礼をして通った。
筑波の山の影が、田水に落ちていた。親鸞は、泥足を洗って、
「アア、今日もよい一日を送らせていただいた」と、腰を伸ばした。草庵へ帰っても、
「愚禿の親鸞には、いとも覚つかない大任ですが、今日も御力をもって、よい教化の一日を暮らさせていただきました」弥陀如来の壇に灯を燈して、そう感謝しつつ、念仏していた。その灯影をのぞいて、
「お上人さま、有難うございました」
「お上人さま、おやすみなされませ」
帰ってゆく百姓たちも、声をかけ、礼拝して、散々に、宵暗の中へ消えて行く。と――そこへ。
蓮位という弟子の取次であった。
「柿岡在の者が、折入って、お願いの儀があると申して参りましたが……」というのである。
親鸞は振向いて、
「そちらの涼しい端へ、通してください」親鸞が、そこへ起つと間もなく、柿岡の庄屋と、二、三人の者が恐る恐る庭先へ廻ってきた。
「ずっと、お上がりなされ、なにを遠慮してござる」庄屋たちは、縁の端へうずくまって、
「いえもう、夜になりましたゆえに、ここでお願いだけをいわせてもらいまする」
「この親鸞に、おそろいで、願いとは何事な」
「先ごろ、世間のうわさでは、お上人様が、大沢の池に棲んでいる恐ろしい魔主を、念仏の功力でお払いくだされたとかで――えらい噂でございます。わしのほうの柿岡でも、念仏でなければ極楽へは行かれぬと、皆がにわかに説教場をこしらえ、そこへぜひお上人様に時折来てもらって、有難い法話を聞かせていただきたいものじゃと申しまするので。……いかがでござりましょうな、村の者一同のおねがいでござりますが」と、こもごもに頼むのだった。親鸞は、すぐ承知して、
「参りましょう」と答えた。
あまりにかんたんに承知してくれたので、使いにきた庄屋たちは、かえって意外な顔をしたが、親鸞は、それは当然自分のするおつとめであって、頼まれるまでもなく、そういう気持を抱いている人々のいる村なら、どんな都合をくりあわせてもすすんで行くというので、庄屋たちは、
「なるほど、うわさに違わぬ上人様じゃ」と、よろこんで日やその他の打合せをして、いそいそ帰った。
と、須弥壇のある一室には、いつものように、上人を囲んで夜語りを聞こうとする百姓たちが、もう八、九名つめかけていたが、柿岡の者が帰ってゆくと、すぐ親鸞を囲んで、
「お上人様、なぜ柿岡へゆくことを、承知してやったのでございますか」
「なんとかいって、後からでも、お断りなされたほうがようございます」と、不安に満ちた眼をしていった。
親鸞は、顔を振って、
「なんの、ああいう頼みでは、千里の旅でも、断れぬ。――あなた方はまた、なんでわしを止めなさるのか」
「でも……」と、口籠っていたが、顔を見あわせた後、一人が膝をすすめて言った。
「お上人様のお命を狙っている者がござりますでな。……ご油断はなりませぬぞ」
「ほう、わしの生命を」親鸞は、もの珍らしいことでも聞くように、微笑をうかべて、
「それは何かの間違いでおざろう。この愚禿の頭など狙ったとて、なんの手柄になるものぞ」
「いえ」と、その時まで、黙っていた蓮位が、今度は、村の者たちに代って膝をすすめた。
「お師さま、その噂は、真らしゅうございます。私も疾うから耳にしておりましたが、近ごろは、ご遠方へお出ましもなく、また御気色を損じることも無益と考えて今日まで黙っておりましたが……」百姓たちは、蓮位のことばに裏書を得たので、口を揃えていい足した。
「――なんでも、那珂郡の塔の尾とやらに住んでいる山伏じゃそうな。役の優婆塞の流れを汲む豊前の僧都と自分から名乗って、あの辺では、信者も多く、偉う権式ぶっている修験者だそうでござります」
「ホウ……その修験者が、なんでまた、この親鸞の生命をうかごうているのですか」
「私の聞きましたところでは――」と蓮位が述べた。
「お師さまに対して、宗門の恨みを抱いているのではないかと存じます。――もと、その修験者は、京都の聖護院の御内にあって、学識も修行も相応にすぐれた先達のように承っております。――で、那珂領の国主佐竹末賢殿が、はるばる領下の祈願所へ京都から召し呼ばれ、国中の山伏の総司として崇め、末派十二坊の支配をさせているのでござります」
「む……なるほどのう」
「そのため、当の修験者は、数年来、諸人の尊敬をあつめ、飛ぶ鳥も落す勢いにござりましたが――折から、お師様がこの稲田へお越し遊ばされ、ひたすら念仏弘通の教化にお尽しなされましたので、それからというものは、一日ごとに、この地方一帯に、念仏者は殖えて行くばかりですし、修験者の一派は、十二坊ともに、目に見えて衰微して参りました」
「…………」親鸞はかろく顎をひいて苦笑した。さてこそ、ここにも小人の嫉視かと、蠅のようなうるささを感じるだけだった。
――が蓮位も百姓たちも、いつかは上人の耳に入れて、その対策を講じようとしていたものらしく、
「衰微したと申しても、なにぶん、国主佐竹家の庇護もあり、末派十二坊の勢力は、なかなか侮り難いものの由にござります。――のみならず、極く、近ごろのうわさによれば、その豊前の僧都をはじめ、十二坊の優婆塞の輩が、かくては安からじと、この稲田の草庵を法敵と見なし、街道や諸郡へは、邪教を調伏せよと、愚民をそそのかし、一方、板敷山には、呪詛の壇をしつらえて、日々夜々、山伏の群れが、念仏滅亡、上人調伏の護摩を焚き、精と根のあらんかぎり、親鸞を呪殺せずばおかぬといっているそうでございます」村の人々も、蓮位のことばの後を継いで、
「何せい、怖ろしい修験者でござりますな」
「役の小角の再来じゃと、人もいい、自分もいうておりますげな。一度、呪いの行にかかれば、大地を打つ槌は外れようとも、豊前の僧都が調伏は外れぬとは、前からいうておりますことでの」
「どうぞ、柿岡へお越しあそばすことは、お見あわせ下さいませ」
「その板敷山を越えて、どうして、柿岡へ無事で参れますものか」口々にいって案じる人たちへ、親鸞は、いちいちうなずいて謝しながら、こういった。
「――だが、皆の衆。あなた方が、田に苗を植える時、田に蛇がいるからといって、蛇のいる田を残して行かれるか。今日も話したとおり一念一植、その信業のまえには、何物があろうと恐れることはない。――ご心配なさるな、親鸞は一人で参るのではありません、御仏と二人づれじゃ、ははは……御仏と二人づれでおざるぞよ」
「おういっ」岸々と肩をいからしている声だった。すると、木魂のように、
「――おういっ」と、どこかで答える。
ここは板敷山の胸突坂である。
その坂道から、岩の上に向って小手をかざしている男があった。
柿いろの笹袿に、黒い脛巾を穿いて、頭には兜巾を当て、足には八ツ目の草鞋をきびしく固めている。
いうまでもなく優婆塞の一人である、同じ姿の山伏が、そこから切ッ立てに聳えている岩の上にも一人突ッ立っていた。それは、笈を負い、手に半弓を掻い挟んで、じっと、麓の道をさっきから見すましているのだった。
「小川坊っ、まだ見えないか」下の者がいうと、
「まだ!」と、上の山伏は頭を振る。しばらくしてまた、
「おウウい」
「なんじゃ」
「甲賀坊は、どうしたか」
「あれか、甲賀坊は、万一の場合にと、筑波の野武士を狩り集めに行った。そう、人数はいるまいと思うが、水も洩らさぬ手配はしておいたほうがいい。……やがてもうその甲賀坊も戻ってこようが」
「そうか、ではそこの見張りは、しかと頼むぞ」
「峠の者こそ、抜かるなといってくれ」乾からびた笑い声をながして、下の者は、すたすたと胸突坂を登って行った。すると、不意に、
「常陸坊」と、高き松の樹の上から誰かが呼びとめる。
振り仰ぐと、その樹の上にも、一人の山伏が、蝉のように止まって物見をしていた。
「オオ、なんだ」
「まだ来ぬか――親鸞は」
「物見の役が、人にものを訊くのはおかしい。そこから、渓川道はよく見えるはずだが」
「あまりいつまでも見えないので、もしやほかの裏道へでもかかりはせぬかと気をもんでいるのだ」
「なに、峠の上で、貝が鳴らぬうちは、懸念はない」常陸坊はいいすてて、なおも先へ足を早めた。
と――峠の絶巓に、四方へ竹を立て、注連縄を結い、白木の壇を供えた祈祷場が見えた。
先ごろから親鸞調伏の護摩を焚いて、一七日のあいだ、必死の行をしていた那珂の優婆塞院の総司――播磨公弁円は、銀づくりの戒刀を横たえて、そこの筵に坐っていた。
京都の聖護院から国守の佐竹家に招請されて下ってきたという豊前の僧都というのは、この弁円であった。
彼のまわりには、同じ装いの山伏が、ものものしく居ながれていた。ざっとそこだけでも、十二、三名はいる。その他、あちらこちらに潜んでいる者をあわせたら、どれほどの人数が、この板敷山の樹や岩かげに息をひそめているものか分らない。
「オオ常陸坊か。――途中の物見や合図は、手ぬかりはあるまいな」
「もう、親鸞の師弟どもが、見えてもよい時刻ですが」
「焦心るな、今日あいつが柿岡へ出向くことはたしかなのだ。……七日の祈祷は顕然と効があらわれたものといえる、前祝いに、一杯飲め」
素焼の酒瓶と、素焼の盃が、山伏たちの手から手へ移されていた。
「まず、物見の報らせがあるまで、英気を養っておくがいい」と、弁円も、幾杯か傾けて、朱泥のように顔を染めていたし、他の者も、毒がまわったように、酔いしれているのだった。
その酒の気が、言葉となって、一人がいう。
「思えば、業の煮える奴は、あの親鸞。――越後の片田舎から流れてきて、わずか、八、九年のあいだに、優婆塞の聖壇十六坊の信徒を荒らし、われわれの行法の光をこの近国から奪い去ってしもうた」
「そればかりでない」と、いったのは、総司の弁円だった。
「この播磨公弁円ともあろう者が、親鸞ごとき堕落僧に、行力及ばぬものと噂され、この近国の地盤をかすめられては、何よりも、本山聖護院へ対して、この弁円の顔向けがならぬ。大きくは、日本国中の修験者の恥辱ともいえる。――今日こそは、孔雀明王も照覧あれ、この身が帯びる破邪の戒刀をもって、売僧親鸞の首根を打ち落し、生き血を壇にお供えする」
「一七日のあいだに、一万度の護摩を焚いて、祈りに祈り、呪いに呪った験もなく、なおこの上柿岡へ立ち越えて、愚婦愚男をたぶらかそうとする親鸞も、この板敷山の嶮路へかかるが最期」
「そうよ! 摂政関白の聟になったことのあるのを鼻にかけて、白昼、都の大路をあるいた気で、この東国は歩かせぬ。――あの折は、この弁円も見のがし、また、次の河内の太子廟でも、むなしく彼奴を取り逃がしたが、今日はそうはさせぬ。――あのころは、まだ、弁円一人の私怨であったが、今日となっては、私怨ではない。――修験道と念仏道との争いなのだ。彼の他力と、われの行力と、いずれが勝ち、いずれが敗るるか、分け目となった――やれ在家往生の、念仏なんのと、有難なみだに曇っている痴呆どもに、この板敷山の谷底で、鳥、狼の餌となって食い荒らさるる親鸞の終りを見せてくれたなら、少しは、念仏の末路と、極楽往生の夢がやぶれて、よい薬になるだろう、これこそ真の衆生済度というものだ」
飽くなき罵詈だった。舌の先からめらめらと紫いろの毒焔が見えるような――。
折もあれ、遠く――
「やっ……法螺の音」皆、黙った。
麓のほうからかすかに貝の音がながれたのである。
「合図らしいぞ」杖をつかみ、戒刀のつかを握って、山伏たちは一斉にそこを立った。
――だが、それきりで、貝の音はすぐ止んだ。そこから見える松の上の物見は、手を振って、
(まだ、まだ)という意味を示していた。そこへ、稲田の禅房へ、朝から密偵に行っていた一人が、杖を横にかかえて、喘ぎ喘ぎ駈け登ってきた。
「どうだった様子は」と、面々は急いて訊く。
「見届けてきた。――例によって、親鸞は、今日も夜明け方に稲田の草庵を出、柿岡の説教に参って、やがて帰る時刻はいつも陽のあるうちの夕刻ということ。稲田の弟子どもは、首を長くして、待っている様子であった」
「では否おうなく、笠間新治かけて、この剣の関所は通らねばならぬはずだな」
「陽あしの様子――追ッつけ間もあるまい、そろそろ、手わけにかかろうか」
「待て待て、柿岡の説教場へも、こっちの密偵が行っている、何か報らせてくるだろう」と、弁円は、刻一刻と、血相に殺気をたたえてきて、
「甲賀坊、矢頃の所へ逆茂木は」
「抜かりはございませぬ。――しかも逆茂木打った道へは、八重十文字に素縄を張りめぐらし、その上に、墜し穽まで仕掛けてありますれば」
「ウム、入念だな。多年の鬱懐もこの一瞬に晴らすか。そのせいかあの雲、血のように筑波の空をかけて赤い――。オオ、筑波といえば、あれへ来るのは柿岡へやった野武士たちらしい」待ちかまえている所へ、毛皮の胴着に、野刀を佩いた荒くれ男が四、五人、息をせいて、
「弁円殿、ここにか」
「待ちかねていた。柿岡は」
「説教が終って、もう立った。念のため、途中まで見えがくれに尾行ながら来たのだ。今しも、この先の渓間を、野馬に乗って参るのが親鸞」
「なに、もう下の渓道まで来たと? ……して、親鸞の身を守る弟子どもは、五人か、十人か」
「一人」
「えっ、一人?」
「生信房というて、元、京都から中国九州にまでわたって、悪名をとどろかせた天城四郎が成れの果――今では頭をまるめている弟子坊主が、親鸞の手綱を取って、毎日、ここを越えて柿岡まで通うている」
「あっ……四郎がか」と、播磨公弁円は、遠い過去の彼を思い、また、最後に四郎とわかれた加茂川堤の時の宿怨を胸に新たにした。
親鸞といい――その四郎の生信房といい――共に弁円の心頭をあおる毒炎の中の仇敵である。その怨みのふかい人間が、共に、連れ立って来るというのも、何か、今日という鬱懐をはらす日の特異な宿命のように考えられる。
「ウーム、そうか」弁円は太くうめいて、もう体を武者ぶるいが走ってならないように、手に持っていた半弓を、ぶん、ぶん、と二、三遍弦鳴りを試みながら、
「一の手は、甲賀坊。――二の手、三の手、みな抜かるな」と、下知した。
鹿を狩るように、一同はわらわらと駆け散って、おのおのの部署へ身をひそめた。
筑波の野武士たちは、三の手になって、野刀を閃めかせながら、岩蔭や、草むらへ、影をかくした。
――かくて親鸞の来るのを、今か今かと板敷山の草も木もみな息をひそめたかのように、しいんとして待ち構えていた。
「――すわっ」弁円は、肋骨の下に、どっと血を搏たせた。
彼は、第一の柵、第二の柵、第三の柵とこの峠の通路をかためて潜伏している人々とはべつに、小高い所の岩に乗って、背よりも高い熊笹をかぶっていた。
そして、鉄弦のような半弓に、毒矢をつがえ、鏃下がりに、峠道を狙いすましているのである。
(今日こそ)心のうちに、孔雀明王の加護を念じて――
がさっ……と今、音がしたのである。
曲がり道になっている熊笹の崖と林の間に。
だが、それは、親鸞の来た跫音ではなかった。
虹のように尾を曳いて、笹むらから雉子が飛び立って行ったのであった。
ざ、ざ、ざ……とどこかで土の音が静寂を破る。
(今度こそは)弓をしぼっていると、その音は後ろの谷間へいつまでも続いている。自然の土崩れなのであった。
今か、今か――とそうして心気を緊りつめているうちに、弁円は、疲れてきた。疲れを感じると、なんとなく焦躁してきて、根気よく鳴りをしずめている他の者へ、何か、大声で呶鳴ってみたい気がしたが、もし親鸞にさとられてはと、なおも、じっと、疼きを抑えつけていた。
からかうように、山鳩が、ばたばたと無遠慮につばさを鳴らして、谷へ舞って行った。――空しい水音が、ぐわうとその谷底を揺すり流れている。すると、
「おのれッ」声が揚った。一喝、山に谺をさせ、二の手の柵から躍り出した者がある。
甲賀坊だった、脱兎のように、一の手のほうへ、戒刀を引っさげて駈け出して行った。
「来たっ」
「逃がすなっ」先駆した甲賀坊につり込まれて、二の手の者五、六人、皆穂すすきが流れるように太刀をひっさげ、
「――どこだっ」すさまじい旋風をつくって、われがちに飛ぶ。
「どこだっ」同じような言葉を返して、一の手の者も、どっと、一斉に起ち上がった。そして、走ってきた二の手の者とぶつかって、混乱しながら、
「どこだどこだ」わめき合った。
弁円はこなたからその様子を見て、さては、矢にも及ばなかったかと半弓を投げすてて、そこへ駈けつけた。
だが、怪しからぬことには、彼がそこまで来る間にも、まだ一の手の者、二の手の者、すべてが一致を欠いて、林の中へ入ったり、崖を登ってみたり、谷間を探したり、ただうろついているに過ぎないのである。
「たわけ者めが、なにを猶予しているのだ。――親鸞は、親鸞は」
「さがして居申す」
「ばかっ。逃がしたのか」
「いや」
「ではどうしたのだ。先に、起ち上がったのは誰だ」
「甲賀坊でござる」
「甲賀坊、親鸞を見たのか」
「見ました」
「――見たというても、その親鸞の姿がどこにも見えぬのは何としたものだ」
「いや、たしかに」
「ではどこに――」
「あの爼板岩の辺りから――そういえば沢辺のほうへ降りたのかも知れぬ」
弁円と甲賀坊の押し問答を聞きながら、その親鸞の影を、きょろきょろ眼で探しているほかの者たちは、
「不審な」と、つぶやきあって、
「幻ではないか」迷路の辻に立ち迷っているような気がして、何か自身の錯覚に、背すじを寒いものに襲われた。
――すると、その錯覚感と静寂の不気味な空気をやぶって、どこかで、馬のいななきが高く聞えた。
明らかに、それは馬のいななきであったし、また、小石を弾くような蹄の音と共に、
「しいッ……しい」と呶鳴る馬方の濁す声が、はるか谷の下の加茂部へ行く道の辺でひびいた。
そこは、また、石岡へ出る道路でもある。当然、そこへも万一を慮かって、逆茂木を仕掛けておいたはずであるのに――
「しまった!」と、樹の上から谷街道のほうを見下ろして、一人があわてて叫んだ。
「ばかな奴、あれは石岡へ炭を積んで出る荷駄馬だ。落し穽へ落ちた馬を、大汗掻いて引き出しておるわ。こっちで仕掛けた逆茂木を滅茶滅茶にしてしまいおった」
「忌々しい馬子め」
「血祭を与えろ」
ピュッ――と誰かの手から弦唸りを切って毒矢が飛んだ。けたたましい馬の悲鳴が、ふたたび谷間に谺して、腹に矢を突き立てた馬は渓流の中へ飛びこんで、渓水を真っ赤にした。
馬子は驚いた様子で、盲走りに、向側の絶壁へかじりついた。見ていると、そこにも杣道があるらしく、馬子の姿は、たちまち見えなくなった。弁円は、歯がみをして、
「察するところ親鸞と生信房のふたりは、どこか、俺たちの気づかぬ間道を廻ったと見えるぞ。それっ、手わけをして、谷の下、峰の上、八方の細道をさがして引っ捕えろ」
猟人のように、山伏たちは、熊笹や木の中へ飛びこんだ。陽はいつか山の端にかくれて、冷たい気が白々と降りてくる。衣の袖は湿っぽく濡れ、はなればなれになった人数は、おのおの道に迷って、おおウいと仲間を呼んでも、谺のほかの答えはしなかった。
「弁円殿っ。――播磨公殿っ」
声では返事がないので、そうしきりに呼んでいた一人の山伏は、岩の上から法螺貝をふいた。――大きく二度、三度、四度と。
(何事やある)
(さては、親鸞を)と山伏は方々から再び峠の一ヵ所に群れ集まった。その中には、眉間に青白い焦躁を刻んでいる弁円の顔もあった。
「なんだ、相模坊」
「残念です」
「どうしたと」
「ただ今、麓からの報らせです。親鸞と生信房のふたりは、もう疾くに、稲田の庵室へ立ち帰って、弟子どもや妻子と和やかに笑いさざめいているとのこと。……いったいここや谷道の幾重もの柵は、何に備えていたのでござるか」
「げッ、親鸞は、もう稲田へ帰っていると……そ、それは真か」弁円は、信じられないような顔をしていった。
疑っても疑いようのない事実が、麓から弁円の前へ、次々に注進された。
どうして、水も漏らさぬこの備えを潜り抜けたか、この板敷山の嶮を無難に通って行ったか?
弁円を初め、山伏たちには、不審でならなかったが、親鸞がすでに稲田の草庵に帰り着いているという事実はもう動かせない。
「やはり、あの僧には、ふしぎな霊覚があるのではないか」
「こっちで、法力をもってすれば、親鸞も法力をもって覚り、こっちで呪殺の縄を張れば、彼も破邪の呪を行って、吾々の眼をくらましたに違いない」山伏たちは、今日の失敗を招いたことから、かえって親鸞に対する恐怖と畏敬を高めてしまった。やはり彼は非凡人であったと心から考え出して、そういう有徳の僧に毒矢をつがえた身のほどが恐ろしくなってしまった。平常は冷笑してた天譴とかいうことも、真剣に思い出されて、初めの元気を喪失してしまったばかりでなく、寒々と峠の笹むらを渡る夕風の中に、ぶるぶるっと心の底からおじけに似た戦慄を抱いた。
「――出し抜かれた」独りこう呻いて、やり場のない憤怒に、眉をあげているのは弁円であった。
「かくまで、吾々を愚弄して、なにおめおめと十六房の主権、播磨公弁円といわれて人に面をあわされよう。――よしっ、この上は、稲田の売僧小屋を踏み破って、親鸞の首捻じ切ってくれる。――見ておれっ」
ガラリと、手の弓を投げ捨てて一散に麓へ向って駈けて行った。
すでに、怯気に襲われ、最初の気勢を失ってしまった他の山伏たちは、呆っ気にとられて、魔王弁円のすさまじい後ろ姿を、ただ見送っている。
板敷山から三十余丁を、弁円は、一気に駈けてしまった。火焔のような息をきって、彼方に見えた灯影へ向って近づいて行った。
「――ここだな」
稲田の庵室と見るや否、弁円は、柴の折戸を土足で蹴って、案内もなく、つかつかと庭の闇へ駈け込んだ。そして、仁王立ちとなって、
「親鸞はおるかっ」と、呶鳴った。
こよいは村の者も寄っていなかった、いやもう夜も深いので、それらの者も帰り、禅房の弟子たちも室に眠り、親鸞の妻子も夢の中に入っているのかも知れない。
寂として――庵室のうちは静かなのである――ただ短檠の一穂の灯が、そこの蔀簾のうちで夜風に揺れていた。
満顔を汗に濡らし、声は百雷の墜つるように弁円は、全身を怒気に満ちた瘤にして再び呶鳴った。
「親鸞はおらぬかっ、愚禿はどこにおるかっ。すでにここに立ち帰っておろうが。常陸一国の修験の司、播磨公弁円が、破戒無慙の念仏売僧に、金剛杖の灌頂をさずけに参った。われこそは正しき仏陀の使者、破邪顕正の菩薩、孔雀明王がお旨をうけて参った者。――出てこずば、踏みこんで、愚禿の素首を打ち落すがよいか。――会おう、親鸞っ、出てきませいっ」
横たえている三尺の戒刀に反りを打たせ、大魔の吼えるように、ひっそりした庵室の中の一つ灯へ向っていった。
「おう」と、垂れこめた簾を徹して、その時、明らかな親鸞の答えがひびいた。次に――
「誰じゃ」それも親鸞の声であった。
静かに、簾の内の灯のあたりからその人が、起ってくる気配がした。弁円は、
「うぬっ、ここへ出てうせたが最後――」
八ツ目のわらんじをじりじりと縁近くへ踏みすすめ、手をかけている戒刀の柄は、もう血ぶるいをするかのようにガタガタとおののき鳴る。
――サラと簾を片手で上へかかげて、親鸞はそこから半身を見せた、そして、朱泥で描いた魔神のような弁円の顔をじろと眺め、その眦に、ニコリと長い笑み皺を刻むと、
「オオ」と、なんのためらいもなく――なつかしい人にでも接しるようにいって――つかつかと竹縁の端まで踏み出してきたのであった。
「――誰かと思うたら」手をさし伸ばさないばかりな親鸞の様子なのである。弁円は、春風のような彼の姿と――その手の先から、思わず一歩退いて、
(そんな欺瞞に)と、呼吸のうちで叱咤し、
(そんな甘手にかかるおれではない)と、満身の殺気を眸にあつめて、炬のように睨まえたが、なんとはなく、体の筋を抜かれたように、眸にも、ここへ来るまでの憎悪や兇暴な勢いを断ちきれなくなった。
「…………」
「…………」親鸞は、それなりものをいわないし、弁円も黙ってしまった。――ただ呼吸をしているのみで、じっと、縁の上と下で、対し合っているのだった。――火と水のように。
燃えるだけのものを、弁円は今、五臓から四肢全体に燃やしきっていた。毛の一すじまで、針のごとくさせて汗をふき、内面の毒炎を、湯気のように立てていた。
「ウウーム」爪を怒らせて迫った猛虎が、はたと、何かにためらって、その飛躍を遮られているように、弁円は、いたずらに自分の威嚇に持ち疲れてきた。
この一瞬、弁円の眼に映っている親鸞は、まったく、常々彼が思い憎んでいた親鸞ではなかったのである。彼の憎悪は、とたんに鉾を鈍らせてしまったのである。
板敷山の呪壇に、一七日のあいだ、護摩を焚き、呪念をこらして、眼に描きだしていた怨敵親鸞は、さながら自分を呪う悪鬼とばかり見えていたが――今、眼のまえにある親鸞を仰げば、三十二相円満な如菩薩の笑顔そのままではないか。
弁円は、踏みしめている踵の裏から、だんだんに力の抜けてゆく自分をどうしようもなかった。
彼も、仏者である、聖護院の御内に僧籍のある仏子である。菩薩の顔と、邪人の顔と、見わけのつかない人間ではない。――なんで親鸞は前からこんなよい顔を備えていたろうか。このほほ笑みが一体人間のものだろうか。彼の殺意は、だんだんに冷えて行った。
「……ああ……」思わずうめいたものである。――京都の巷で見たころの親鸞の顔には、もっと険しいものがあった、勝ち気があった、世に負けまいとする鋭い眼があった、物いえば烈々と人を圧しる唇あり、起てば、群小を睥睨する威風があった。
けれど今のすがたには、そんな烈しい強いものは微塵もない。これは、弁円にして初めて思い出される記憶であった。――今の親鸞の和やかな顔は、十八公麿と呼ばれていたころの幼顔にそっくりである。四十を超えてからの親鸞は、いつの間にか幼少の顔のほうへ近くなっていたものと見える。
「――ああっ、おれは過っていた」ぐわらりと、大地に地ひびきさせて、弁円は坐っていた。両手で顔を蔽うてさけんだ。
「……不覚不覚、一生の不覚だった。何十年のあいだ、おん身を敵と見ていたのは、この弁円の心に棲んでいた魔のしわざ。……ああ返らぬ年月を仇に送った、四十年を空しく迷路にさまよってきた」
憤怒の眼に血ばしっていたものは、潸然と下る涙に変った。
慈悲温光のなごやかな眸を、じっとそれへ向けていた親鸞は、
「どうなされた弁円どの、おん身が佐竹侯に迎えられ、修験の司としてこの地方へ下られていると聞き、いつかは折を得て、ゆるりと話したいと思うていたが、つい機縁ものう打ち過ぎてあった。……だが、ようぞござった、幼顔はお互いに幾歳になっても忘れぬもの、なつかしや……ご無事で在したの」そういう彼の言葉には、少しも策とか上手とかいうものは認められなかった。心からいう言葉だった。弁円のあれほどな意気込みを挫いたものもその親鸞の素裸な態度にほかならない。
弁円は、愚に返った老人のように――また、稚に返った成人のように――両手で顔をかくして泣き入りながら、
「お覚えがあってか――その昔は成田兵衛の遺子――寿童丸といわれた者。アア、消え入りたい心地がする。――そもそもおん身とおれとは、なんの宿縁か、まだ上人が日野の里で、十八公麿と仰せられていたころからの学びの友でありながら――すでに、あのころから、おれは、おん身が嫌いだった、虫が好かなかった、おん身の学才が小癪にさわっていた、そして事ごとに、おん身を苦しめることのみ考えていた」
「そうだ……もうあれは四十年のむかしになる、しかし、瞼をふさげばまた、きのうのような心地もする」
「三ツ子のたましいは百までもというが、その後、おれは父を亡い、町にさまよい、叡山を追われ、家はなく、ただ知るのは、世間の人の冷たさのみで……おれの心はひねくれるばかりだった。――そのころすでにおん身は、範宴少納言といわれ、北嶺の麒麟児の聞えたかく、若くして、聖光院の門跡となってゆくのを見、ねじけ者のおれは、いよいよ、陰に陽に、おん身を呪詛しはじめた」
「……ウム」親鸞はうなずいてみせ、
「わしは、なんとも思うてはいない、むしろおん身のために、励まされたことがあろうとも」
「――いや、その蔭は、むしろおれのほうが受けている。それを今、はっきりと気がついた。常におん身を呪詛しつつも常におん身を仮の敵と見、おん身の進んでゆく道を、自分も負けまいという目標にして励んでいた。今思えば、おん身が他力門の真の聖者であったればこそ、ねじけ者、怠け者のこの弁円も、とにかく孜々として鈍才に鞭打ち、聖護院の御内から少しは頭角を出して、播磨公弁円といわれるまでになったのだ。……その余のことすべて、今となっては、詫言もない、五十になって、弁円は初めて、おん身を知り、自分の愚鈍を知り申した。――迷いの夢がさめたとは、このことでござろう。ゆるされい。親鸞どの、このとおり手をつかえ……弁円が初めて、おん身の足もとにこう手をつかえて、詫び入るのだ。……どうか、今日までの大罪をゆるしてくれ」
大地へ顔を伏せて、弁円は嗚咽していった。
親鸞は慰めるに困ったように、縁を下りて、なお慟哭してやまない弁円を、いたわった。
「なんの……なにを嘆かれることがあろう。――弁円どの、おん身の今のことばは、あまりにこの親鸞を高く見過ぎている。親鸞とても、もう四十九になるが、今もって、真俗二諦のあいだに、多分な迷いを抱いて、一心の帰教する所は、決して定まったとは申されぬ。ともすれば、愛慾の広海に溺れ、ともすればまた、名利の大山に踏み迷っている凡夫なのじゃ、聖者などとは、滅相もない過賞、幼なじみのおん身にいわれては、この愚禿こそ、穴にも入りたい」
「親鸞どの」弁円は、しかと、その人の手をにぎりしめて、
「幼少から、これほどのおん身を、友として持ちながら、なぜ弁円は、早くからおん身のその真実と徳に触れることができなかったであろうか。今さらながら口惜しい。……のみならず、このよい年ごろをしてまで、この稲田の草庵の栄えを嫉み、自己の行法や道門の衰えを、ただおん身あるがためと憎み、板敷山に待ち伏せて、お生命をちぢめんものと、つい今日も、毒矢を研いでいたのであった。……怖ろしい、思えば、怖ろしい自分の心であった」
「だが――親鸞を害めなさろうとしたその心が、真の宿縁となって、ここにおん身が真実を吐き、わしが真実の手をのぶることとなったと思えば、その害心に、わしは掌をあわせる。まことをいえば、親鸞は、いつかおん身がこうして訪ねてくる日のあることを信じていた」
「えっ、それまで、この弁円の心が、わかっておいでであったか」
「何か、通ずるものがあったとみえる。わしの心には、おん身の心が映って、ぼんやりそんな気持がしていた。――その日が来たと思えばよろこばしい」
「おれの果報は、まだ尽きなかった。――そういって下さるからには、弁円の願いも聞き届けて下さろう。思えば得難い生を同じ時にうけ、得難い明師におれはめぐり会ったのだ。――親鸞どの」と、弁円は大地に膝を改めて、両手をついた。
「今日から、この弁円を、どうか御弟子の端になりと、加えてくだされまいか。――いやと仰せあっても、おれはすがりつく、しがみつく。……それよりほかに、弁円の生きる道は見あたらない。お願い申しあげる、お聞き下されい」真実の声だった。
親鸞は、かろく、顔を横に振ってみせ、
「いやいや、おことばが違う。――若年のころは知らず、近ごろに至って、親鸞がひそかに思うに、この愚禿が、人に何を教えてか、弟子を持つなどといわれるより、それゆえに親鸞は一人の弟子も持たぬ者と思いおります。身のそばにいる人々は、みな如来の御弟子、本願の同行」
「オオ」飛び退って、
「そのおことば……そのおことばこそ……」
弁円は、掌を合せて、いつまでも身を伏していたが、やがて、兜巾や戒刀を身から取り除けて、
「この場を去らず」と、頑固な意志を示して誓った。――だが、親鸞は、その手をすくい取って、
「まあ、部屋へござれ。四方の話、越し方の訪れ、語り明かそうほどにの――」
そして奥へ向って、親鸞は、ただの百姓家の翁のように、無造作に呶鳴った。
「これよ、誰ぞ出てこんか、わしの親しい幼友だちが見えてござる。ここへ洗足を持ってきてくだされ」
そこはつい昨日まで、ぼうぼうと芦の生えていた沼だった。所々の水田も、地味が悪くて、稲は痩せていた。
人の数より、はるかに、五位鷺のほうが多かった。灰色の害鳥の群れが、わが物顔に、田を占め、木の実を盗んで、人間は鷺以下の者としか見えないほど、文化の光がなかったのである。
下野国芳賀郡の大内の庄とよぶ土地だった、そこの柳島に、一粒の念仏の胚子がこぼれたのは、二、三年前だった。
事はその胚子の結果である。
このころになって、常陸とか下総、上総あたりの念仏の諸弟子が踵をついで、この柳島の地方へ入ってきた、遠くは、陸奥の果てからさえ、聞き伝えた門徒が来て、旅装をここで解いている。
小屋が建った。人々は、そこへかたまって、炊事の煙を立て初めた。
土工や石工が集まってくる。大規模な土木が興ろうとするものらしい。たちまち、附近の山が削り取られて、赤土の肌が南向きにだんだんに拡がってゆく。
蟻が物を運ぶように、山を切り崩した土は、柳島の芦の沼地を埋めて行った。原始人の踏んだままにひとしかった茅原や青い沼水が、またたくうちに新しい土で盛り上げられて行った。その地盤の上に十二間四面の伽藍の礎が、さながら地軸のように置かれた、堂塔内陣の墨縄は張りめぐらされ、やがて檜の太柱と、巨大な棟木と、荘重な梁も組まれた。
「人の力は偉いものだのう……いや仏のお力だ。――ついきのうまで、ここが五位鷺の巣であった古沼とは、もう思うてみても、考えられぬ」大内国時はつぶやいた。
普請場の新しい大地に床几をすえ、側にいる建立奉行の藤木権之助忠安へ話しかけたのである。
国時は、当国の下野城の城主だった。いつか親鸞の徳に帰依して、そこへ参室していたが、稲田の上人の庵室は、あまりに手狭くもあり、裏方や子たちの生活にも不便が多いので、自分の領地の宮村へ、上人を迎えたほどの彼であった。
けれど大内国時は、それではまだ満足しなかった。近国はおろか、陸奥にまで、すでに上人の徳はあまねく行きわたっているし、念仏宗に対する人々の信仰は、日に月に旺になってきている。そして、その敬礼の中心を求めてやまない勢いにもなっていた。
国時はそこで、自分の手によって、東国念仏門第一の伽藍の建立を発願したのである。――もちろん、親鸞もそれをゆるすところとなって。
「権之助」
「は」
「この分では、案外、棟上げもまたたくうちだの。すくなくも、竣工には二、三年はかかろうというていたが」
「御意にございます」
「そちの精励じゃ」
「滅相もない」と、建立奉行の藤木権之助は、恐れるように手を振った。
「畏れながら、かように工事の早く運んだのは、殿のご威光もさることながら、ひとえに上人の徳が人をうながすものと思われます。――御覧じませ、あちらの作事場を――あのように幼い女子供から、髪の白い老人までが、賃銀も求めずに、しかも嬉々として、石を運び、材木の綱を曳いております。なお、この近郷の者ばかりでなく、伽藍建立の噂がつたわると、招かずして、遠国から、無数の信徒が集まってきて、お手伝いをさせて賜われと、これも、慾得なく働いているのでございます。――これには私も、心のうちで、実は驚き入っておりまする」
「そうだ……」城主の大内国時はうなずいて、
「わしの国が今、かりに戦いに亡んで、二度ここに下野城を築こうとしても、武力や財力では、この真心を集めることはできない」
「この工事を奉行いたしてから、私も、心から、念仏に帰依いたしました」
「権之助、おまえも、そう考えてきたか」
「あの真心のもとに打つ手斧の音――あの信念そのものの姿で働いている法師たちや門徒の者を見ては」
「そちは、そちの胸にも、たましいの伽藍を建てたのだ」
「殿にも近いうちに、ご帰依の上人から、得度をおうけ遊ばせられる由をうかがいましたが」
「ウム、家督は舎弟国行に譲ると決めた。で――この柳島の造営は、わしが武家の生涯をすてて、僧門に入る手はじめの御奉公として、上人へ寄進らせたのじゃ」
「や……」権之助は、城主の前につかえていた手を大地から離して、起ち上りながら、
「おうわさをするうちに、あれへ、上人がお見えなされました」
「なるほど……」と、国時も、床几を離れて、彼方へ笑顔を送りながら、
「やはり、お楽しみであると見えて、普請場へは、度々お運びだの」
「ある時は、大工どもの中にまじって、物をおさげなされたり、左官どもへ、土の手伝いをなされたり、あまりお気軽くなされるので、初めは、職人どももおそれ入っておりましたが、近ごろでは馴れて、上人のおすがたを見ると、普請場は華やいで、老人や子供までが綱曳き唄の声をいちだんと張り上げまする」
「もう五十四というお年ながら、なんとお元気で若うあらせられる……。や、わしの顔にお気づきなされた、笑いながら、こちらへお足を向けられてくる」
国時を初め、家来の人々が、そこを立ち開いていると、親鸞は、朽葉の古法衣に、そこらで付けた鉋屑をそのまま、いよいよこの東国の土と人間とを、その姿のうちに渾然と一つのものにして無造作に歩いてきた。
「おお、おそろいだの」国時は、礼儀をして、
「上人にも、度々」
「うむ……なんとのう、来てみたくなるでの」と、後ろをふり向き、
「証信」と、呼んだ。
「はい」と、従いてきた弟子のひとりが、上人の顔をのぞいた。
「……喉がかわいた。あの湯のみ場から、白湯を一碗もろうてきてくれ」
「お待ちください、すぐ持って参ります」証信は、湯のみ小屋へ向って、駈けて行った。
その後ろ姿を見て、権之助が、
「上人。――今あれへ行ったお弟子は、三、四年前まで、この地方の修験者の司として怖ろしい勢力を持っていた播磨公弁円ではございませぬか」
「そうだ、あの弁円じゃよ」
「変りましたなあ」権之助がつぶやくと、城主の国時も、
「あれが、元の弁円か」と、彼方の湯呑み小屋から、土瓶の湯と盆をさげてくる証信のすがたを眺めて、感じ入っていた。
そこで白湯を一碗のむと、親鸞は、もう八分どおりまで竣工かけている伽藍の足場の下まで行って、
「見事な棟木、結構な欄干、これはちと贅沢じゃの」と、つぶやいたり、
「来るたびに、眼にみえて、作事が進んでいる。これ皆、有縁の方々の尊い汗、贅沢とはいわれまい、信仰の集積、ただ、この伽藍が親鸞ひとりの隠居所となっては、いかい贅沢じゃ、そうならぬように、親鸞はこの棟木を負うた気で住まねばならぬ」そんなことも、独り言のようにいった。
証信房は、側から、
「先ごろ、京都へのぼられた真仏御房が、勅額をいただいて参られるころには、伽藍の普請も、悉皆、成就いたしましょう」
「うム……」うなずいて、
「そう、そう」親鸞は、城主の国時をかえりみ、急に思い出したようにいった。
「――この親鸞も、近々に、いちど信州路まで出向かねばならんのう。国時どの、しばらく、宮村の庵を、留守にいたしますぞ」
「ホ……それはまた俄かな、急に、ご巡錫でも思い立たれて」
「いやなに、この伽藍に安置して、末世まで、衆生を導かせたもう本尊仏を請い受けに」
「あ、では善光寺へ」
「お迎えに行って参る」
「お供の方々は」
「本尊仏のお迎え、親鸞ひとりでもなるまい。これにおる証信房、鹿島の順信房、そのほか二、三名は召し連れましょう」
話の半ばだった。
大工棟梁の広瀬大膳と、その部下の者が、血まみれになった一人の男を抱え、ばらばらと駈けてきて、
「権之助殿、これにか」と、いった。
奉行の藤木権之助が、その様子を見て、なにか仕事の上の急用かと、
「オオ、何事」
「また、例の――」と、大膳や部下たちは、なにか喋舌りかけたが、そこの丸太足場の蔭に、城主や上人のすがたがちらと見えたので、
「あ……殿も、上人もこれに」急に、はばかって、大地へひざまずいてしまった。
国時は、ずかずかとそこへ来て、
「なんじゃ、何事が起ったのか」
「は……」口籠って――
「お奉行までご相談に参りましたので、殿のお耳を煩わすほどの儀ではございませぬ」と、恐縮する。
「何か、大工どもの、賃銀のもめごとでもあるのか」
「さようなことではございませぬ」
権之助が側から、
「大膳どの、殿のお耳へ入ってしまったこと、お隠し申しては、かえってよろしゅうない、なんなりと、申し上げられい」
「……実は、これへ連れて参った屋根葺の職人」
「オオ、怪我をしているな」
「鋭い鑿で、片腕を傷つけられ、それを交わそうとして、只今、あれなる足場から転び落ちたのでございます」
「職人どもの喧嘩か」
「は……」
「下手人は何者じゃ。……不埒な、下手人は誰だ」と国時は激怒していった。
大工棟梁の広瀬大膳は、自分の不取締りを恥じ入るように、平伏して、
「されば――この屋根葺は、至って、おとなしい人間でござりますが、なにか、仕事の上で、ちょっと口返しをしたというのが、相手の癇にさわったらしく、いきなり乱暴をしかけられ、足場から傷を負って落ちたものにござります」
「しからば、いよいよもって、不埒な奴は、その相手の者、下手人はどうした」
「引っ捕えて、ただ今、あちらに縛しめておきましたが、その処分を、いかがいたしたものかと……ただ今、お奉行まで、ご相談に参ったわけでござります」
「む」と、国時は、峻厳な面持ちをして――
「その相手も、屋根葺か」
「大工組の職人で、河和田の平次郎という者です」すると、奉行の藤木権之助が、
「あっ、またあの平次めが、そんな乱暴をしおッてか」と、口走った。
国時は、苦りきって、
「しからば、こういうことは、一度ならず、幾度も、重ねておる奴じゃの」
「は……この先の河和田に住んでおる若い職人で、平常、酒ばかり飲んで、喧嘩ばかり仕かけ、村でも仲間でも、手におえぬ厄介者とされておる奴でござります」
「たわけが」と、国時は、棟梁へも、奉行へも、叱りつけるようにいった。
「さような身持ちのわるい無頼な人間と分り切っていながら、なぜ、伽藍建立の清浄なお作事に使っておるかっ、そのほうどもの人事の不行届きでもあるぞ」
「はっ……その儀は、重々私どもの責任と思うて恐れ入っておりまする。……がしかしその河和田の平次郎という職人の性質は、今も申し上げた通り、酒乱、無頼、凶暴、何一つ取得のないやくざ者にはござりまするが、ただひとつ、鑿を持たせては、不思議な腕を持っていて、天稟と申しましょうか、格天井の組みとか、欄間細工などの仕事になると、平次郎でなければほかの大工にはできないというので、仲間の者も、つい、憎みながらそれには一目おいておりますので」
「だまれ」国時は、叱咤して、
「たとえ、建立の仕事の上で、どのように必要な職人であろうと、畏れ多くも、勅額を奉じ、衆生のたましいの庭ともなろうこの浄地に、しかも、まだ普請中から、血をもって汚すようなさような無頼の徒を、なぜ、使用しているか。ゆるしておるか。――他の職人どもへの見せしめにも相成らん、きっと、厳罰を申しつけい」
「恐れいりました」
「すぐにせい。――そうじゃ、この地域の内では刑罰はならん、あちらの草原へ曳き出して、首を刎ねい」
「はっ」
「猶予するなっ」
「かしこまりました」城主の命である、奉行の藤木権之助も、大工棟梁の大膳も、色を失って、蒼惶と立ちかけた。すると、
「あ……お待ちなされ」静かな親鸞のことばであった。
人々のあいだへ歩み寄って、
「もいちど、今のお話を、聞かせてもらいたいが――」と、その辺の材木の端へ腰かけた。
大膳と権之助のふたりから、平次郎の常々の行状やきょうの出来事を、改めて、もいちど審さに話すと、親鸞はいちいちうなずいて聞いていたが、
「どうじゃろ」と、親鸞は、領主の大内国時へ謀った。
「その平次郎とやらいう者、なんとか、このたびだけ、免じてやるわけにはなりませぬかの」国時は、意外な顔して、
「せっかくながら、今も家来どもの怠慢を、叱っておったほどの者でござる。上人のご広徳をもってしても、救われがたい無頼の徒、お聞きながしてくだされい」
「だがの……」親鸞は、未練のように、
「招いても、縁のない衆生さえあるに、この伽藍の造営に、柱の穴一つ穿った者でも、わしの眼から見ると、まことに浅からぬ仏縁のある者」
「悪を懲らし、罰を明らかにせねば国守の法も立ちませぬ」
「ごもっともでござる」親鸞は、国時のことばを大きく肯定しながら、すぐにまた、
「しかし、国法のこころは、人を罰するをもって、最高なりとはせぬものでおざる、罰法は元、それによって、兇悪の徒も真の道に生き直るための罰でなければなりません。――この御堂が、真の生きた、伽藍であるならば、此堂をめぐって、造営に働く人たちも、いつか必ず仏縁のご庇護によって、精神のうちに、弥陀の慈光をうけねばならぬはずと存じます。……宥しておやりなされ、親鸞に免じて、お聞き届け願わしゅうござる」
「…………」国時は、考えこんだまま、即答を与えなかった。親鸞は、足を運びかけて、
「では、大内殿。旅の支度もあるで、わしは、今日はこれで戻ります」
「お戻りか」国時は、顔を上げて、五、六歩親鸞のあとに尾いて送って行きながら、
「ただ今のおことばによって、今日の罪人は、宥してつかわすことにいたしまする」といった。親鸞は、自分のことのように、
「かたじけない」と、足を止めて、国時へ向って頭を下げた。
親鸞が戻って行くと、間もなく、城主の国時も館へ帰って行った。
大工棟梁の広瀬大膳と、奉行の藤木権之助は、
「命冥加な奴めが」と、捕えておいた河和田の平次郎の側へ来て、懇々と、説諭を加え、
「上人の有難いお旨を、忘れるでないぞ」と、いい聞かせた上、縄を解いて、放してやった。
「へい」平次郎は、神妙そうに、頭を下げて、逃げるように、丸太足場の上へ登って行った。――だが、役人たちの眼から離れると、彼はすぐいつもの兇悪なひねくれ者に返っていた。
「ちぇっ、ふざけやがって。誰も生命を助けてくれとはいやあしねえ、おれがいなくっちゃ造営の仕事に困るから助けて置くんだろう、それを恩着せがましくいやがって笑わせるな」
その日は、ろくに仕事もしなかった。彼を使っている大工頭も、彼にだけは、叱言もいえないで、見ぬ振りをしているのである。
楊柳のみどりを煙らして、春の陽はうすずきかけていた。
広い造営の庭には、傍目もふらずに、多くの者が汗にまみれていた。その雑工の中で働いている者は、たいがい賃銀を求めずに、自分たちの家事や畑仕事の暇を見ては、半刻でもと奉仕の労働に来ている人々だった。
苗をうえ
念々称名の水をかけ
雑行、雑修の
草をとり――
巨材の木口には、かすがいを打って、鎹には、綱がくくり付けられてある。その綱に、三十人余りの老人や女や童がつかまって、
「えいやあ、えいやあ」と、蟻のように曳いては、
苗をうえ――
単に、自分たちの、飢えをふさぐためや、酒をのむために流す安価な労働では得られない、何かしら大きな幸福感につつまれて、彼らは、声を張りあげていた。
すると、一人若い女房が、かいがいしく、着物の裾を端折って、
「もし、皆さま。どうか私にも、その綱の端など、つかまらせて下さいまし」といいながら駈け寄ってきた。皆は、振向いて、
「やあ、河和田のお吉さんか。――また、見つかると悪いぞ、止したがいいぜ」と、遮った。
年老りたちも、皆いった。
「ほんに、お前さんの良い心もちは不愍じゃが、見つかると、わしらまで、後で怖ろしい目に会わされるでの」
「そうじゃ、やめなされ、やめなされ」お吉は、拝むように、そういって拒む人たちへ、なお縋った。
「いいえ、今日はもう、洗濯物もすみました。夕餉の支度から、うちのお良人のお酒まで買っておいて、なにからなにまで済まして、ほんに用のない体でございます。昼寝などしていては勿体ないし……どうぞ後生でございますから、私にも、ご造営のお手つだいなどということはできませんが、せめて、その綱の端でも持たせて下さいまし……。この通り、拝みまする、たのみまする」涙さえ浮かめていう。その気持にうごかされて、
「では、なるべく早う、家へ帰っておらっしゃれ」と、人々はいたわりながら、彼女を仲間に入れてまた、材木を曳いていた。
「ありがとうございます」と、お吉は、心のそこからうれしそうだった。そして、奉仕の綱にすがって、懸命に、働いていると、その青白く面窶れした頬に、若い娘のような紅潮がさしてきて、世帯痩せの苦労も何もかも、その間は、忘れているように見えた。
「この阿女っ」不意だった。ぐわんと、鼓膜がやぶれるほど、お吉の横顔を撲りつけて呶鳴った者がある。
二十七、八の壮んな筋肉を持っている男だった。職人烏帽子を後ろへ落し、仕事着の片肌を脱いでいて、汗の光っている毛穴には、鋸屑がたかっていた。お吉の亭主の平次郎なのである。
「あっ――皆さん」お吉は、隼に見込まれた小鳥のように、よろめきながら、綱曳きの仲間の者のかげにかくれ、
「謝ッて下さいっ、皆さん、良人のひとへ」と、もう泣き声だった。
「うぬ」と、平次郎は、女房のそばへ寄ってきた。
「性なしめが」と、平次郎の手は、すばやくお吉の襟がみをつかんでいた。そして、大地を引きずり廻しながら、
「いってもいってもこの阿女は、碌でもねえことをしやがって、おれのいいつけを、なんだと思っていやがる」足を上げて、蹴飛ばした。
「すみません、もう決して、ここへは参りません」
「ここばかりじゃねえ、おれの念仏嫌いを承知のくせに、亭主のいやがることを、うぬは、故意にするのだっ。さっ、きょうはもう勘弁できねえからそう思え」腹巻から鑿を抜いて、右の手にひらめかせた。
「あれっ、助けてっ――」お吉は逃げ廻った。人々も、うろたえて、
「あぶないっ、平次さん、そ、そんな乱暴なことをしないでも」
「何をいやがる」平次郎は、眼をつりあげて、自分を遮る者を睨めまわし、
「おれの女房を、おれが折檻するのだ、自体、てめえ達が、ばかなお手本を出すからよくねえ」そういって、
「やいっ」とまた、お吉の方へ、怖ろしい形相を向け直してわめくのだった。
「あれほど、いっても懲らしても、また家を留守にしやがって、こんな所へ来てよくも粋狂な真似をしてやがるな。……ははア分った。この普請場にゃ、和介の野郎が仕事にきているので、てめえは、信心にことよせて、和介の顔を見に来やがるのだろう。……いや、そうだ、そうに違えねえ」
「ま……なにをお前さん」
「いいや、てめえが、和介の奴に、妙な素振りを見せていることは、おらあとうに知っているんだ。――さもなくて、べら棒め、その日暮しの貧乏人が、駄賃も出ねえタダ働きをなんでする」
「…………」
「なぜその閑に、亭主の晩の酒代の足しにでもなるように、魚でも漁るとか、縄でも綯うとか、他人の仕事の縫物でもするとか、小費いの多足になることを考えねえのだ――この浮気者め」鑿を振りかざしたので、お吉は必死にもがいて、平次郎を突きとばした。
「こいつ」一度、よろめいて、腰をつきかけた平次郎は、起ち上がって、女房の帯際を後ろからつかんだ。
蹴る、撲る、そして鑿をふりかざして、お吉を追う。
元よりこれは脅しにすぎないと人々は思っていたが、兇暴になると手のつけられない平次郎のことだし、何か、お吉に対して嫉妬らしいものを含んでもいる様子なので、辺りの者は、どうなることかと、色を失っていた。
「おいッ、兄哥、何をばかな真似をするのだ、あぶねえじゃねえか」普請場の方で、この態を見て飛んできた、仲間の大工の一人だった。うしろから平次郎に組みついて、
「離しねえ」と、鑿を持っている利き腕をねじあげた。
平次郎は、暴れ狂って、
「誰だっ、邪魔するな」
「誰でもねえ、和介だよ」
「なに、和介だと」
「オオ、おめえは何か、おれとお吉さんと、変なことでもあるように邪推しているってえことだが、それじゃ、お吉さんがかわいそうだ」
「離せっ、畜生」
「いや、そいつがわからねえうちは、離さねえ。なるほど、おれはお吉さんの相談相手にはなってやるが、決して色恋の沙汰じゃねえ、おめえというれっきとした亭主のある女――なんでおれがそんなばかなまねをするものか。よしまた、おれにそんな気持があったって、貞女のお吉さんが、おめえを裏切るようなことは、死んだってあるはずはねえ。お吉さんの貞操ただしいことや、亭主に尽しなさる行いは、この近郷で、誰だって、感心なものだといっていねえ衆はねえんだぜ。それをおめえが、事ごとに、邪険にしたり辛く当るので、お吉さんは、泣き痩せている。そこへ持ってきて、毎日の稼ぎ以上に、おめえは大酒を食らっているじゃねえか。その酒代をこしらえるのでも、人知れぬ苦労をしているお吉さんだ。そんなことから、何かとおれの家へも相談にくるので、おれも不憫と思って、小費いの都合をつけてやったりしているのに、それを、おかしい方へ気を廻して、おれとお吉さんとが、妙な仲ででもあるようにいわれちゃ、おれも、男が立たねえ」
「……痛えっ……おい和介。……痛えじゃねえか、手を離しやがれ」
「わかったかい、今の話は」
「わ、わかったよ」
「じゃあ、お吉さんの今日のこともおれに免じて、勘弁してくれるだろうな」
「女房のことあ、亭主の一存だ。他人のさしずはいらざる世話じゃねえか」
「それあ、兄哥のいうとおりだ。おめえとは、元からの兄弟子、その弟弟子が、小生意気な真似をして済まねえが、これも、どうかして、お吉さんとおめえと、仲よく暮してもらいてえためにやったこと、腹を立てないで宥しておくんなさい。……それに、ここはただの普請場とちがって、御城主様の発願による大事な御造営の場所――しかも勅額までいただくことになっている建立だ、そんな場所へ、万一、不浄な血でもながすようなことがあったら……」同じ大工仲間ではあったが、弟弟子の和介は気だてのやさしい男だった。涙さえ浮かめて、諄々と説いて聞かせたので、さすが兇暴な平次郎も、やや落着いて、
「離せよ、やいっ。……もう手荒なことはしねえから離せっていうのに」
「じゃあ、堪忍してくれるか」
「腹の立つ阿女だが、今日のところは、助けてやら。早く家へ帰って、酒の支度でもしやがれ」と、いいすてて、ぷいと、平次郎は普請場の蔭へ走ってしまった。
「さ、お吉さん……はやく家へもどったがいい」和介も、他の者も、ほっとしながら、彼女をいたわって、着物の土など払ってやった。
「お上人様も、いつか仰っしゃった。念仏の功力は、寺へ来ていうからよいというものじゃない、剃髪して僧侶になったから、念仏の功力が増すわけでもない。在家の衆も、心さえ、そこにあれば、どこで申そうと、仏の御加護はあるものじゃと……。のう、お吉さん、ご亭主が念仏ぎらいなら、ご亭主の眼や耳にふれない限りでいうたがよい。……さ、また晩に、文句をつけられないように、早く帰って、酒など買っておかっしゃれ」
「ご心配をかけました」お吉は、悄々と、そこから立ち去った。
河和田の家は、遠かった。田の畦や、森の蔭を、俯向いて――自分の一足一足を見つめながら歩いてゆく。
「ああ、どうして、私はこう……」つい身の不運が、涙をさそってくる、歩む足もとへ、涙がこぼれて、道の草も枯れるかと思う。
――嫁にきたころは、良人の平次郎も、あんな気荒な人ではなかった。信心こそ持たない人だったが職人として腕はあるし、気だてもよい良人だった。
それが、二人の仲にできた一つぶだねの男の子が、やっと、笑ったり這いだしたりする可愛いい年ごろに、ふと病みついてしまった。――その時またちょうど、村へ来ていた修験者が、病気ならわしにまかせろ、きっと癒してやるというので、加持祈祷に、夫婦も共に、精を打ちこんで、病児の恢復を祈っていたところ、病気は日ましに悪くなって、とうとう死んでしまった。
それからである――平次郎の気が急に変ってしまったのは。
(神も、仏も、あるものか。あいつらあ、神とか仏とか、ありもしねえ嘘ッぱちをいい触らして、飯のたねに、食い歩く山師だ)
仏壇も、神棚も、平次郎は川へ運んで行って流してしまった。
それからというものは、急に、酒は飲むし、飲めば酒乱になる。そして、仕事はろくにせず、すこし余裕があれば、博奕、女狂い、喧嘩、手がつけられない人間になった。
お吉は、良人の気持を、無理もないと思って、初めは素直にしていたが、元より貧しい職人の世帯である。折にふれて何かいうと、平次郎は、ふた言めには、
(出て行けっ)であった。彼女の体には、生傷がたえなかった。けれど、
(今に――今に、眼がさめる日も……)と、お吉は、貞節を守りとおしてきた。なんと怒られても、疑われても、彼女は、心のうちに、じっと涙をのんできた。
それも久しい年月である。いちど毒をあおった良人は、このごろは、心までその毒にまわされたように、直るどころか、いよいよ荒んでゆくばかりに見える。
他人の家庭を見ると、お吉はうらやましかった。誰も皆、生々と、楽しげに働いている、また、その人たちの生活を見ていると、働く暇には皆、近くの宮村にある上人の庵室へ通って、一体になって、念仏をとなえていることがわかった。
ふと、彼女の真っ暗な胸へも――その念仏の一声がながれ込んで、微かなる光のように思い初めた。
けれど、良人は、神仏を仇敵のように呪っている人である。お吉は、平次郎の眼をぬすんでは、宮村の上人の庵室へ行って――それも庵室の中へは入らないで――垣の外へ佇んで中から洩れる法話の声や念仏に耳をすましていたのであった。
秋の収穫も終っていた。
「――お上人様がお帰りになった。信州からおもどりになったげな」稲田から宮村の辺りへかけて、その日、人々はこぞって出迎えに出ていた。
親鸞が、自身信州へ赴いて乞い請けてきた一光三尊の善光寺如来の御分身を出迎えたのである。
帰依の大檀那たる大内国時も城を出て親鸞たちの一行をむかえた。小栗の城主尚家もきていた。相馬、笠間などの大小名をはじめその家臣、郷士、町人、それを観る雑多な民衆――なにしろおびただしい人出である。この地方の文化が興ってから始めての盛観だという老人もある。
一光三尊の御分身は、伽藍の建築が完成するまで、先ず宮村の庵室へ、仮に安置することになった。
夜になると、田や畑の者が、それを礼拝したさと、ここの法話を聞こうとして、狭い庵室に入りきれないほど押しかけた。毎夜のように、草庵は、明々とかがやく灯と、そうした人々の膝でいっぱいに埋められた。
――秋も暮れてくる。野や田や、木々の葉は、蕭々と冬枯れを告げてくるが、宮村の草庵の灯は、いよいよ、常世の光明にみちていた。
年が明け、春が来る。さながらここは法の万華の咲きみだれた浄土曼陀羅であった。
「ありがとうござりまする」
「また、あした参りまする」
「どなた様も、御免なされませ」
「どれ、わしらも――」
その日の集まりは、たそがれに終って、昼間の法筵であったので、多くは野に出て働かない町方の女房だの、老人だの、病人や子どもたちであった。
みな、よろこびにあふれて、庵室からぞろぞろもどってゆくのである。――今、法話を終って、ほっと、ほの紅い顔して白湯をのんでいる親鸞の前へ一人一人出て、こう挨拶をしながら――
その中に、一人の女が、壁のすみにうつ向いていた。すべての人が、立ってから出ようとするもののように、つつましやかに、まだ坐っていた。
もう庵室のうちは暗かった。そこらには、灯りがきている。夜風に明滅する明りの影に、その女の削ったように痩せている顔のおくれ毛が、淋しげに、うごいていた。
「……あ」女は、気がついたように、眸を上げた。もうまわりに人はいなかった。急に恥かしくなったように、女は、上人の前へおそるおそる両手をついて、
「ありがとうございました」そして、一光三尊仏の壇へ向って、白い手をあわせ、
「なむあみだぶつ」何遍かとなえて立ちかけた。
親鸞は、さっきから、その女を見ていたのである。――いやその夜に限らなかった。もう幾度となく法筵のある時には、いつでも、壁の隅のほうに小さくなって、熱心に自分の話に聞き入っているこの女のあることを知っていた。――ふと姿の見えない時は、親鸞も心のすみで、
「きょうはどうしたか」と、軽く案じられるほど、いつでも注意していた女性なのである。
「――お内儀、ちょっと、お待ちなされ」と、親鸞は今までことばをかけたことのないその女に向って、初めてその日、こう声をかけた。
思いがけなく、上人にこう呼びかけられると、女は、冥加におののいて、
「は、はい……」と、綿のようにやわらかに、そのまま、ひれ伏した。
「同行衆は、もはや皆、おもどりなされた。おさしつかえなくば、もすこし、話して行かれぬか」
「もったいないお言葉でございまする」
「そう、堅うならずともよろしい。親鸞は、誰とも親しい仲じゃ、お寄りなされ、隔てのう、もそっと、こちらへお寄りなされ」
「はい」
「お内儀。――お帰りは遠いのでおざるか」
「河和田の者でござります」
「それでは近い……。して、主どのは?」
「平次郎と申しまして、柳島の御造営に働いている大工でございます。わたくしは、平次郎の女房で、吉といいまする」
「ほ……平次郎……。あの酒ずきでよう喧嘩をする男のお内儀か」
「さようでございまする」お吉は、顔をあからめて、聞き取れないような小さい声になった。
「ようお上人様にも、良人のひとの噂をお聞きでございましょうが、おそろしい一徹者のうえに、大の念仏ぎらい。そのため、御庵室へ詣でたいと思っても、有難いお教えを聞きたいと願っても、良人のひとの手前、いつも思うにまかせませぬ」
「ム……」親鸞はうなずいて、
「さだめし、良人の気に入るには、なかなかご苦労がお在そうのう」
「い、いいえ……」お吉は、こんなやさしい言葉を初めて人の口から聞いた。村の人々も、自分を知ってくれる者は皆、なぐさめてはくれるが、親鸞の短いことばのうちには、何か胸を衝くような慈悲大愛の温かい息がこもっていた。張りつめていた胸の氷が溶けるように、彼女はつい、ほろほろと涙をこぼしてしまった。
「お内儀」
「はい」
「お身ひとりが、苦患の底に苦しんでいると思われるなよ。お身の貞節、お身の苦しみ、みな御仏も御覧ぜられている、この親鸞も、よう見ております。……なんぞ思いあまることなとあるなら、ちょうどよい折じゃ、わしに話してみるがよい」
「……有難うございます」お吉は、畳へひれ伏したまま合掌して、
「この身に負わされた約束事と思うておりますから」
「それではならぬ、約束事、宿命と諦め、ただそれのみで抑えていては容易に、心は安らぐまい、かよわい女の身、もっと心持を楽におもちなされ、この親鸞とて、そなたと変りのない凡夫じゃ、愚人じゃ、ただ何事も御仏と二人づれなればこそ、こうして、気づよくもおられまする。……その御仏の力をお借りなされたがよい、なんぞ、胸に思いあまることがあれば、縋って、申されたほうがよいのです」
「お上人様……思いあまることというのは、信心をすれば、良人の心に逆らい、信心を離れては、今の私は、生きているそらもないのでございます。この女の道と、人の道とを、一体、どうしたらよいのでございましょうか、それをお教えなされて下さいませ」
「そうか、よう解った」親鸞はうなずいて――
「良人の心に添おうと思えば弥陀に離れ、弥陀のおむねにすがろうとすれば良人の意志に反く。――そういわれるのじゃの」
「はい……」お吉は、頬に涙をまろばせながら、膝を、前へにじり寄せた。
「お上人様」
「おう」
「それはもう言葉にもいいようのない辛いことや恐ろしいことが、朝にも夜にも、この身を責め折檻するのでござります。……おねがいでござります、お上人さま、どうぞ私を、尼にして、お弟子の末の末にでも、おつかいなされて下されませ」
「尼に?」眼をみはって、泣きおののく黒髪を見つめながら、
「まて。……尼になられたらどうなると思うておざるか」
「この黒髪さえ断りましたならば、あの恐ろしい良人も、眼をさまして、心を持ち直してくれるかもわかりません。――また、私も永い年月、どんな辛抱しても、うちの良人が真人間になってくれるよう、そして、世間のよい夫婦のよう、行く末に、今日の辛さや悲しみも、語り草にしてと思うて参りましたが……もうこのごろはその望みも持てなくなりました。身には生傷が絶えません、心には、暗いものがとれません、明けても暮れても眼を泣き腫らしているようでは、うちの良人の気持も荒ぶばかりでございます。所詮、二人が一つ軒下に添っているのは、この世ながらの地獄を作っているようなもの、あの人のためにも、疲れた、私の身にも、尼になるのが、いちばんよい道だと存じます。どうぞ、お慈悲と思うて、お剃刀をいただかせてくださいませ」
「うむ、一応はご無理のないおたのみじゃが、しかしの、外の姿は尼と変えても、心のすがたをなんで変える」
「え……」
「黒髪を剃ろしただけでは、心のすがたまで変えたとはいわれぬ。真実、今いうたようなお内儀の心ならば、まず黒髪はいつでもよい、なぜ、その心から先に変えようとはなさらぬか」
「お教えくださいまし、それが分れば、私は、お上人さまの仰っしゃるとおりに行います」
「よういわれた。真、御仏に仕えようというご発心ならば、いつも親鸞が申すとおり、朝念暮念、ただ念仏を忘れぬことです。念仏を申すことならば、血の池の底、針の山のいただきからでも、いえることじゃ。声を出していうて悪ければ、口のうちでいう一声の念仏は、寺入りして千万度いう唱名よりは尊いのでおざるぞよ。その日その日の生活の苦労のうちに申してこそ、その念仏は生ける人の声として、御仏のお耳へもきっと届く。――疑いたもうなお内儀。雑業俗生の生活の忙しきうちから申す念仏とて、きっと弥陀は受けたもうにぞ。……そうじゃ、親鸞が今、よい物を進ぜよう」そういって、
「蓮位、蓮位」と、呼んだ。
弟子僧に、硯や筆や紙を運ぶようにいいつけて、親鸞は、六文字の名号を書き、それをお吉に与えて、
「これからは、ここへもお出でにならぬがよい。御仏は今かりに、平次郎の身にやどって、お身の信心を試しておられる。良人の平次郎を御仏と思うて仕えたがよい」と、諭した。
「お吉っ、お吉っ」
朱を捺すったような顔に、青すじを膨らませて、河和田の平次郎は、こよいも、仕事袴も脱らずに、帰るとすぐ膳の酒に向ってまた例のわめきだった。
「やいっ、いねえのか」
暮れたばかりのほの暗い所では、お吉が、何か野菜でも刻んでいるらしく、細かい庖丁の音がしていた。
「はい」答えると、
「だって今、おまえさんが、漬物を持ってこいとおいいだから、漬物を出しているんじゃありませんか」
「べら棒め、漬物を出したって、酒のほうがもう空っぽだ。酒はあるか」
「ま、もうおしまいですか」
「買ってこいっ。……何かそこらの物を持って行って、市で叩き売ってしまうなり、借りるなりして、酒を持ってこい」
「そんな算段をしないでも、もッと召し上がるなら、お酒はまだたんと買ってございますから、安心しておあがりなさいませ」
「ふうむ……このごろはいやにいつでも断れたことがねえな。いったい、その酒の金はどうしているのだ」
「ですから私が、あなたの寝た後も、昼のうちも、こうして一生懸命に、機を織ったり、櫛を削ったり、賃仕事をしているではございませぬか」
「普請場の綱ッ引きには出ず、説教を聞きにゆく様子はなし、歯の浮くような念仏もふッつり止めて、このごろは気味のわるいように嫌に素直になりやがった。……やッぱり女って奴は、時々、半殺しの目に会わせてくれるのが薬だとみえる」
「さ、暖めて参りました、お酌をいたしましょう」
「ばかっ」一口飲んで、
「何だ、まだぬるいじゃねえか。酒飲みの亭主を持ったら、酒の燗ぐらいはおぼえておけ」
「すみません、暖め直してきますから」
「いいいい。後のやつを、もっと熱くしておくんだぜ。それに、肴といやあ、毎晩、芋か蓮根だ。あしたは弓を持って、裏山の小鳥でも猟って焼いておけよ」
「いつも、そう思いながら、つい織仕事の暇も惜しいものですから」
「云い訳は止せ、酒がまずくならあ。気のきかねえ阿女を嬶に持つと、こうも世話が焼けるものかなあ」
「さ、こちらのが燗きました。熱いのをお酌ぎいたしましょう」
「熱ッ。……どじめッ、こぼさねえように酌げねえのか」
「あ、かんにんして下さい」
「う、うーい」平次郎は、おくびをしながら、
「ここんとこ、久しくこの腕ッぷしを振り廻さねえから、癇の虫が退屈しやがって、なんだか、こううずうずしているのだぞ」
「あまり過ぎると、体にこたえますし、あしたの仕事もありますから、もう横になってお寝みなさいませ」
「この横着者め、おれを寝かせて、てめえも早く楽をしてえのだろう。……ま、まだいくらも飲んじゃいねえ、もう少し燗けてこい」
良人の酔いは、もう充分の度を超えているし、あしたの仕事に出る体のためにも気づかわれたので、
「お酒はもうございませぬ、それよりも、もうお寝みなさいませ」臥床へ夜具をしきかけると、その顔をかすめて、いきなり一枚の小皿が飛んできた。小皿は、幸いに彼女の顔へはあたらなかったが、うしろの壁へぶつかって、烈しい音と共に、粉になって砕けた。
「この嘘つきめ」と、平次郎は険しい顔を向けてわめいた。
お吉は、何を怒られたのかちょっとわからなかった。その、呆っ気にとられたような顔がまた、酒乱の良人の気持をさらに焦だてたものらしく、
「たった今、いくらでも酒は買ってあるから安心して飲めと吐かしやがって、もう無えとは、なんのいい草だ」突っ立ってくると、何を云いわけする間もなかった。もっとも、こんな場合、云いわけをすることは、よけいに良人の兇暴癖を募らせるものであることもお吉はよく知っている。
「畜生っ」黒髪をつかんで、平次郎は妻の体を前へぐっと引いた。そして、左右に振り廻したと思うと、烈しく、平手で妻の横顔をなぐった。
「……あっ、か、かんにんして下さい」
お吉は、それだけしかいわなかった。平次郎は、睨めすえて、
「すべためッ」自身も息がきれたのであろう、肩で大きく息を吐いて、しばらく、拳をかためていたが、酔いにたえかねたものとみえ、彼女の敷きかけている蒲団のうえに斃れると、そのまま、野獣のように、大きな鼾をかいて眠ってしまった。
「……もし、枕を、枕を」お吉は、酒顛童子のようになって寝入った良人を、怖々とのぞいて、そっと、その顔を木枕へのせてやり、足の上へ夜の具をかけて、ほっと自分に回った。
それから、勝手元の片づけものを済まし、それが片づくと、土間の機織台の前に腰をかけた。
松の根を焚いて、お吉は、それから夜のふけるまで、あしたの良人の酒代を稼ぐのであった。自分の体に生傷をこしらえたり、苛責の毒舌をあびせる酒を、寝ずに働いて、求めなければならなかった。
――だが、そうした不合理な苦役も、しんしんと夜が更けて、涙もわすれ、愚痴もわすれ、心に念仏を置いて、一念に筬をうごかしていると、その筬の音は、いつか自分のかなしみを慰める音楽のように、一つの諧調を持って、苦役も苦役とは思わなくなってしまう。
「そうだ……こんな時に」彼女は、そっと奥をのぞいた。良人の鼾を聞きすまして、彼女は、肌着の奥から何か大事そうに取り出した。――それはいつか稲田の親鸞上人が、彼女のために書いてくれた六文字の名号であった。お吉はそれを、良人の眼をしのんで、小さな軸に仕立て、自分の心のまもりとして常に肌に秘めていた。
ふと、生きる力を失った時、ただ独りで泣きじゃくりたいような時――お吉は名号を取り出して、それに掌をあわせる。すると、親鸞の慈悲にみちあふれた姿に会う心地がしてくる。親鸞の手にみちびかれて、無碍光如来の膝近くへ連れてゆかれる心地がしてくる……。
今も、彼女はそれを思い出したのである。すると、かたと、奥の暗い中で物音がした。ハッと心の騒ぐほうが先で、お吉は、あわてて名号を巻きもせずに懐中へかくした。
「何を見ていたっ」良人の平次郎が、いつの間にか恐ろしい形相を持って、後ろに立っていたのだった。
「出せっ、今見ていた物を見せろっ」良人の怒号を浴びて、お吉は、紙のように白くなってしまった。
「かくしたなっ、何か」
「いえ……」
「なんだっ、今、ふところへ隠した物はなんだ」
「……これは」胸を抱いて、彼女はすくんでしまった。
「ははあ、読めた。どうもこのごろ、おれに向って、てめえの様子がやさしすぎるわいと変に思っていたが、さては、隠し男をこしらえていやがるな」
「めっ、滅相もない」
「うんにゃ、そうに違いねえ。うぬが隠し男を持っているので、なんとか、おれを甘口に乗せて誤魔化していやがるのだろう」
「ど、どうしてそんな、大それたことを私が……。あまりといえば、情けないお疑いでございます」お吉は、鬢の毛をふるわせて、良人のことばを、恨めしく思った。
「じゃあ見せろ。――見せられめえが、それは、男からきた艶文にちげえねえ」
「とんでもない……そんな物ではございません」
「いうなっ、もう何も吐かすなっ。おれにはちゃんと解っている。てめえの相手は、仲間の和介だろう」
「えっ?」
「どうだ、おれの眼に、くるいはあるめえ。弟弟子の和介の野郎と、てめえは、艶文を交わしているのだろうが」
「なんで私が……ええあんまりな」
「しぶとい阿女めが」平次郎は、猜疑の鬼になっていた。妻のやさしい情けも、苦役して稼ぐ小費も、みなその和介にむすびつけて日ごろから邪推していたものである。
「よくも……男のつらに泥を塗りゃあがったなっ。……ウウム、見ていやがれっ、うぬも、和介の野郎も」どん――とお吉を一つ蹴放しておいて、平次郎は、奥へ駈けこんで行った。そして片肌を脱いで、逞しく盛り上がっている筋肉を見せ、再び躍り出してくると、
「この不貞腐れめっ」振り上げたのは、彼の仕事道具である磨ぎ澄ました大手斧だった。
「――キャッ」お吉は、自分の身をどううごかしたか知らなかった。機の陰へ、俯ッ伏したのであった。平次郎が振り下ろした手斧の刃は、その機に懸けてある千すじの糸をばらばらに切ったので、糸は蜘蛛の巣のように、彼の体にもお吉の髪の毛にも乱れかかった。
「――待って」と、お吉は絶叫したが、
「くそっ」平次郎の眼はまったく夜叉仮面のように吊り上がって、酒と、邪推と、白刃の三つに毒を仰飲ったように狂っているのであった。
「い、いいますッ――いいますから――まって、待って」
「ええ、今さら、聞く耳はねえ、思い知れ」手斧の光は、せまい土間の中を大きく二振り三振り、風を斬った。
お吉は、壁にぶつかった、機にぶつかった。また、雨戸にぶつかって、転げた。
外へ、どんと仆れた雨戸は、彼女の体をまろばせて、次に、平次郎の荒い足にベリベリッと踏み破られた。
「――あれッ、どなたか、どなたか、来てくださいっ」闇へ向ってさけびながら、お吉は、家の外へ走っていた。何もかも夢中であった。
「――うぬっ」平次郎は夜叉になっていた。その手に提げられていた手斧は、彼女のすぐ後ろへ迫って、
「思い知れっ」と、また烈しい力で振り下ろした。
仏の加護といおうか、紙一重の差で、鋭い手斧の刃は、お吉の黒髪をかすめたのみで、横へ反れた。
「ちぇッ」平次郎は、悪鬼の舌打ちをならした。そしてなお逃げ転ぶお吉を追って、
「阿女っ、逃がしゃあしねえぞっ」と、さけんで躍った。
――お吉は走った。どこへどういう目的などは元よりないのである。藪や畑や雑草の中を、ただ怖ろしさに駆けられるだけ駆けたのだった。
「……アア」しかし、女の足には限りがあった。心臓が圧しつぶされるように苦しい。お吉は、大きな息をあえいで、べたと大地に坐ってしまった。
と――その大地を打って、ばたばたと追いかけてくる者の跫音がひびいてくる。お吉はハッとしてまた起った。――起ち上がったが、もう、肺はそれ以上に走ることに耐えなくなっていた。よろよろと蹌めいてしまう。
「待たねえかっ、畜生っ」平次郎の声だった、声までがもう夜叉の叫びのように物凄くしゃがれているのである。
「ど、どうしよう」お吉は髪の根まで熱くなった。息は喘れるし、助けを呼ぶにもこの深夜に誰がいよう。
もう後ろから来る荒い跫音は、すぐ近くまで追いついてきた。――彼女は前にはもう何も見えなくなっていた。真っ暗な足の先が、たとえ淵でも、崖でも、池でも、駈けずにはいられなかった。
と――彼女の眸のまえは、谷間の壁のような高い影に塞がれてしまった。お吉は、何物かにつまずいた。手をついた触感で、それが階段であると分ると、再び無我夢中にそれを駈けのぼった。
よろめく身を支える弾みに、なにか冷たい金属の肌が手にふれた。それは階段の上の擬宝珠柱であった。
「オオ、ここは柳島の御造営の伽藍じゃな。……オオ新しい御堂の縁」ほとんど無意識に近いうちに彼女はふと仏のふところを思った。慈悲の御廂の下ならば、同じ死ぬにも――狂乱した良人の刃物で殺されるにしても――幾分かなぐさめられる心地がする。
その時、平次郎がもう御堂の下まで来ていた。ドギドギと光る手斧の刃が、闇の中をうろついている。獣に似た恐い眼が、御堂の床下をのぞいていた。それから廻廊の横のほうへ廻りかけたが、気配を感じたものとみえ、やがてのしりと、お吉の上がった階段を彼も上がってきた。
つよい木の香が鼻を打つ。柳島のこの御堂も、昨日ですっかり落成していたのである。丸太足場も、筵掛もすっかり取払われて、きのうの夕方は、かんな屑一つないようにきれいに掃き浄められていた。そして、御堂の庭には、敷砂まで撒いてあった。
「いッ、いやがったなッ」吠えたける一声がしたかと思うと、平次郎は、お吉の影を見つけて、タタタタタと躍り上がって、駈けてきた。
「――あッ、あれっ」
「うるせえっ」二十幾間かある廻廊を、お吉は黒髪をながして逃げまわり、夜叉の手斧はあくまでそれを追いつめにかかった。
――もうだめだ。お吉はそう観念した。
全身が、死をおもうて硬ばってしまった。妙に、走る意力もくじけて、
(御仏さま……お上人さま)とのみ心で叫んでいた。――と彼女は眼の先に、深い死の谷間を見た。ちょうど――御堂の廻廊の曲り角であった――お吉は欄干の角へ仆れるように手をかけた。
「ざまを見ろッ」
だっ――と躍ってきて、後ろから振りかざしてきた平次郎の手斧は、彼女の肩骨から頸へかけて、柱でもけずるように、ぴゅッ、とななめな光を描いた。
「――きゃッ!」これが――彼女が良人へ残して行った悲愴な終りの一声であった。それと共に、彼女のからだは、欄干からのめり落ちて、御堂の真下へもんどり打った。
ずうん――とその闇の下に、不気味な地ひびきを聞くと、
「斬ッたっ」平次郎は青白い笑みをゆがめて、さけんだ。
「キ、斬ッた……」手斧をだらんとぶらさげたまま、彼はよろりと御堂の扉へよりかかった。そして、しばらくは茫然と眸をひらいて白痴のような口を開いていたが、何か、冷やっこいものが、額から顔へかけて、たらたらと流れているのに気づいて、
「血……血だッ……」掌で、彼は顔をこすった。――と、彼の酒気はすっかり醒めていたのである、ぶるるッと、背ぼねから慄いを立てて、
「――オ、オ吉っ」と、うつろな声でよんだ。
急に、身の毛がよだってきたらしい。平次郎は、きょろきょろと鋭い眼を闇にくばった。――手にさげている手斧の白い刃をながめた。
「あーっ、おれは」大変なことをしてしまったと彼は初めて気がついた。自分のすがたが自分の眼に見えてきたのである。
「……わ、わ、わ、……われアあ、どこへ行った、お吉っ」怖々、欄干からのぞいてみると、永年、連れ添ってきた妻は、暗い墓場の穴みたいな闇の底に、死骸になって仆れている。
よろよろと、平次郎はあゆみだした。――眼も、耳も、口も、ぽかんとうつろにしたまま。
一段一段、彼は、悔悟の階段を下りてゆく。
――しかしもう悔いも男泣きも間にあわない。
大地は、冷々していた。――ひょっとして、自分のあるいている今の闇が――あの世という冥途の国ではあるまいかなどと思った。ぞっとして、うしろを振返った――亡妻の顔が――血みどろになって――黒髪のあいだから怨みの眼を光らせて、自分の襟元へ、青白い手を伸ばしてきそうな心地が幾度もするのだった。
「そ、そうだ」柳島の境内を出ると、彼は、後も見ずに韋駄天のように駈け出した。息をきって、わが家へ帰ってきた。裏の蓮根の古沼へ、どぼっと手斧を投げすててしまった。そして、家の中へ入るなり戸をかたく閉め込んで、頭から夜具をかぶって眠ろうと努めた。
どこか遠くの方で、嬰児の泣く声がする。平次郎は、夜具の中で、ふと、数年前に死んだお吉と自分との間にできた――亡き児の声を思い出した。
「……似ている」彼はぞっとした。
嬰児の泣き声は、地の底からするように聞えた。――また、ともすると、手斧の刃で、ぱんと、後頭部を一撃に斬って殺したお吉の亡霊が、血みどろな顔をして、自分と共に、この家に帰ってきているような気がしてならない。
(――ゆるしてくれ)必死に叫んだと思ったら、それは夢だった。――びっしょりと冷たい汗の中に身は硬ばって眠っている。
死んだ児の泣き声――亡妻のうらめしげな顔――火の車、地獄、鬼、赤い火、青い火。
怖ろしい幻覚ばかりが、眼がさめても、瞼の前を往来している。がたがたと骨ぶしがふるえる。夜の明けるのが、刻々と、待ちどおしい。
「おッ」ふと寝床から顔を上げると、窓の破れ戸の隙間が赤く見えた。日の出だ、と彼は救われたように飛び起きた。そしてガラリと戸を開けてみたのである。
「――あっ」だが、空はまだ真っ暗だった。そして彼方の原を、十二、三名の僧形の人影が、おのおの、真っ赤な焔をかざして――それはもちろん松明であるが――粛々と無言を守って通って行くのが眼に映った。
「な、なんだろう」行列の先には、白木の箱を担ってゆく者だの、きらきらとかがやく仏具や幟をささげて行く者もあった。
「……そうだ。わかった。すっかり忘れていたが、今日は柳島の御堂の建立が成就したので、その入仏供養がある日だった」――まアよかったと安心したように、平次郎は戸を閉めたが、すぐ次の不安に襲われて、そわそわしだした。
「待てよ……お吉のやつの死骸を……あのまま捨てておいたが、今日は入仏の供養に、朝早くからたくさんな人が集まる。……すぐ死骸が見つけられて、お吉とわかると……それにつれて、下手人も」すこしもじっとしていられないような彼の眼つきだった。
「まずいぞ」つぶやくと、帯をしめ直して、家の外へ駈けだした。
「人が集まってからじゃあ間にあわねえ。誰も知らねえうちに、お吉の死骸を……そうだ死骸さえかくしてしまえば」そしてふたたび、柳島のほうへ駈けて行ったが、その時、彼のうしろから、赫々と大きな太陽の光が、下野の山々を朱にそめてかがやき出していた。
「……しまった、夜が明けてしまった……。ええ、どうなるものか」太っ腹をきめて、平次郎はなお先へ急いだ。もう、伽藍は暁のさえざえした光の中に浮き出していた。ちらほらと、廻廊や広庭には人影もあるいていた。新しい御堂の大扉はすでに開かれて、内陣の壇には、先刻の僧たちが、仏具や帳や蓮華や香台などをせわしげに飾っていた。
「……はてな……この辺だったが……たしかに、この角の欄干から」平次郎は、自分で殺した女房の死骸を、血眼でさがしていたが、死骸はもうそこに見あたらなかった。
「こいつあ、いけねえ」彼は、自分の危急を感じた。
お吉の死骸を、他人の手に持って行かれたとすると――平次郎の身に嫌疑のかかってくるのは当然である。
ぱっと、彼はそこを逃げだした、家の方へも行かなかった。そのまま足を他国へ向けて、永久にこの土地を捨てるつもりだった。
だが――村境まで来て、すこし落着くと、それもまずいと思った。自分から土地を捨てて逃げれば、お吉の殺害を、自分で証明していることになる。
いくら脛を飛ばしても、領主の令が伝われば、郡境や村境の木戸で、すぐ捕まるにきまっている。半日とは逃げきれないかも知れない。
「――山へ」と、眼を上げたが、意地わるく、胃の腑は空になっていた、それに、炭焼や木樵まで、自分の顔を知らない者はない。
「……そうだ」彼は、その時もう高くのぼっている朝の陽で、初めて、自分のすがたを見直した。さだめし血みどろになっているであろうと思った、着物にも、何も血らしいものはついていないのだ。
だんだん腹がすわってきた。平次郎は、田へ下りて水で顔や手足を洗い、農家の裏にあった藁草履を足に履いた。そして、わが家へも廻らずに、そのまま元の柳島へ引っ返してきたのである。
――入仏式の鐘はしきりに鳴りだしていた。この日は、嘉禄元年の四月の半ばであった。沃野には菜の花がけむっていた、筑波も、下野の山々も、霞のうちから、あきらかに紫いろの山襞を描いていた。
もみ烏帽子や市女笠や、白い頭巾――桃いろの被衣などが、野や畦を、ぞろぞろとあるいてゆく。
山家の娘や、老人や、若い者たちまで、新しい衣裳を着て、芳賀郡の大内へ――柳島の建立を見に――詣でに――たいへんな人出なのである。
平次郎は、びくびくとして、その人たちの中にまじって入って行った。自分の袂にさわる人間にもぎょっとした。しかし、人に馴れるに従って、大胆になってきた。彼は、いつのまにか、にこやかな笑い顔を作り、平然と装って、
「よいあんばいですな」と、そばの者に話しかけたり、
「よう、おはよう」と、仲間の者を見ると、こっちからわざと挨拶して行ったりしていた。
「平次、おめえは、仕事着のままじゃねえか。どうして今日は、垢のつかねえ衣裳を着てこねえんだ。お吉さんといういい女房もついているのに、気がきかねえ」大工仲間の老人にいわれて、平次郎は、ぎょっとしたが、
「ところがね、あのお吉が、ゆうべ隣村の身寄りの者の家へ行ったきり、どうしたのか、今朝まで帰ってこねえんでさ。……で、面倒だから、つい、いつもの仕事着で来てしまったんですが、これじゃいけねえんですか」
「わるいことはないが、今日は、仕事は何もありゃあしねえ、みんなお上人様のお式を拝みに来ているのだから……」
「あっしも、きょうは、御本堂へ坐って、ありがたい入仏供養のありさまを、拝ませていただこうと思うんで」
「ふウむ、おめえ急に、信心家になったんだな」
平次郎は、そんな軽いことばにも、すぐ顔色をうごかした。
平次郎は空虚だった、人浪と念仏の声にただふらふらと押されているに過ぎない。心のどこかでは絶えず自分の犯した大罪の発覚をおそれ、あらゆる人間に向って鋭い警戒と神経が休まらなかった。
「ホウ、御本堂じゃ」
「なんとお見事な」
「あれに、御勅額も」群衆の顔がみな上を仰いで、眼をみはりながらつぶやいているので、平次郎も初めて、本堂の正面に来て立っている自分に気づいた。
十二間四面の新しい木の香にかがやいている伽藍には、紫の幕が張りまわされ、開かれた内陣の御扉には、おびただしい灯りが耀いて見える。
下野の城主大内国時の一族をはじめ、久下田太郎秀国、真壁の郡司や相馬の城主高貞など――そういった歴々の帰依者も、きょうはすでに家臣をひきいて、本堂の左右にいながれ、伽藍成就のよろこびを囁き合っていた。
平次郎は、遠くからその光景を仰ぎ見たが、太刀を帯びている国主や武士は皆、やがて自分を縛る鬼のように見えて、じっとしていられなかった。
「――誰か今朝のことを、噂していないか」
猜疑に尖った眼は、群集をかき分けて、ふたたび廻廊の角にあたる所の――自分が殺人を犯した場所へ――怖々と行ってみた。
けれど、そこにも、人がいっぱいにいるだけで、なんの異状も見出されないし、
(河和田のお吉さんが殺された――)と、ささやいている者もない。
平次郎は、独り合点に、
「アア分った」と、胸のうちでつぶやいた。
「きょうはめでたい伽藍開きと共に、入仏供養という、この村創まって以来の日だ。……それで、お吉の死骸を、寺の者があわてて始末して、伽藍が血によごれたなんてことも、そっと隠しているにちがいない」こう自分勝手に解釈をきめると、平次郎は、なんだか不安心でもあるし、安心したような気もしてきた。
(落着いていろ、口を拭いていろ)と、彼は自分へつよくいって聞かせた。
急に、辺りの者が、一斉にべたべたと大地へ土下座し始めたので、平次郎もあわてて坐った。
いや、その辺りばかりでなく、山門から境内の者すべて、一人として、立っている者がなくなったのである。萱の風に伏すように、すべての人々が、頭を下げ、念仏を唱和し、やがて、撞き出された梵鐘の音と共に、しいんとした静寂が見舞った。
「……親鸞さまじゃ」
「……お上人様じゃ」ひそかな囁きに、平次郎はそっと首をのばして本堂のほうを見た。その時本堂の内では今しも稲田の草庵から移された善光寺如来の御分身が、金堂厨子の内ふかく納められ、導師親鸞がおごそかな礼拝を終っているところだった。
「――やっ」突然、こう頓狂なさけび声を揚げて、平次郎は、すべての人が頭を下げている中から、たった一人、発狂したように飛び上がった。
導師親鸞聖人のそばには、大勢の御弟子たちが従いていたが、その中に――親鸞のすぐうしろに、俗体の女すがたが、ただ一人まじっているのであった。
「――お吉だっ。……オオお吉にちげえねえっ」彼はふらふらと歩き出したが、すぐ群集につまずいて群集の中へ仆れた。
「なんじゃ、この男は」
「怪態な」
「気が狂うてか」
「癲癇じゃろ」人々から眉をしかめられて、平次郎はハッと思った。
(気のせいだ)なんで、お吉が生きているはずがない。しかも、国主、城主、侍衆などのいならんでいる本堂の上に、親鸞の側近くに従いているわけなどが絶対にない。
(しまった……自分で自分の罪を口走るようなものだ)彼は、こそこそと、人の後ろへかくれ込んだ。しかし、どうしてもまだ気にかかるのであった。またそっと首をもたげて――じっと気を落着けて――本堂のほうを窺った。
親鸞のすがたの側に、やはりお吉の姿が明らかに見えるのである。導師親鸞は、式事をすまして、中央に坐っていた。お吉はうしろのほうに、両手をひたとつかえている。
国司と親鸞とのあいだに、なにか話が交わされているらしい。お吉も時々、おそるおそる顔をあげて、親鸞のうしろで答えているかのように見えた。
「生きてるっ――。おう、おう、お吉。――お吉じゃあねえか」憑き物でもしたように、平次郎は両手をあげてまた狂った。もうこんどは止らなかった。群衆の頭の上を踏みつけて、本堂の階段のほうへ遮二無二近づいてゆくと、前後もわすれて、
「女房っ、女房っ」唸きながら、そこを駈け登ってしまった。
「無礼者っ」廻廊にいながれている国司の家来たちがいちどに立ち上がり、群衆もこの異様な狼藉者に、わっと、驚いて立ちくずれた。
「ま、おまえ様は」お吉は、真っ蒼になって、絶叫した。
平次郎は、群衆へ何か告げ知らせたいような手振りで、
「生きていたっ、生きていたっ――」と、さけびつづけた。
「ひかえろ」飛びかかってきた侍は、左右から彼の狂いまわる腕をつかまえて引き据えた。藤木権之助と広瀬大膳の二人であった。
「言語道断な奴めが」
「お場所がらをわきまえぬか」と、叱咤して、
「こりゃ平次、いつもの仕事場とはちがうぞ、ゆるし難い狼藉、きょうこそ、その素っ首を打ち落してやるから立てっ」襟がみを引摺ると、平次郎はもう痩せ犬のように身を縮めているだけだった。
すると、凜として一方から、
「お待ちなされ」
つと、声がひびいた。
何者が遮るのかと、権之助が振り向いた。法名を乗念房という尾張守親綱の声だったのである。権之助は心のうちで、
(なぜ止めるのか)と、問い返すような眼を彼へ向けた。親綱は、
「上人の御意です」と、次にいった。
その一言に、誰もみな黙った。しいんと鳴りをしずめて、眸は上人のほうへ集まっている。親鸞は、やおら法衣のたたずまいを改めて、
「その者を、これへ」と、さし招いた。
そこに、彼は初めて、ありありと、うわさに聞いていた親鸞の姿を眼に見た。
「ヘ……ヘイ……」どうしても、面をあげることができないのである。
「おもとが、木匠の平次郎か、わしが稲田の親鸞でおざる、よい折に会った、おそろしいことは何もない、いやむしろよろこばしいことすらある」
人の声か、仏の声か。
平次郎の耳の垢の隙間から諄々と入ってくる上人のことばは、皆平次郎にとって救いであり慰めであり、そして温かかった。
「――おもと、ふるえているの。そうか、おそらくはなんぞ勘ちがいしてござるのじゃろう、それでは、その恐怖から先に取り除けてあげよう」親鸞は、諭して聞かせた。
「今朝方じゃった――まだ夜の明けたばかりのころ、この御堂の角に、不愍や、一人の女房が悶絶している。誰ぞやと手当してやれば、それはおもとの内儀――このお吉どのだった。お吉さんは、よく稲田のわしの所へも信心に見えられたが、良人の心に逆ろうてはと、ふっつり、足を止めていたのじゃ。わしがその折、御名号を書いて与えたが、見ると、今朝気を失うている折も、確乎と、それをふところに抱いていた。――やがて、弟子衆の介抱で、われに回ると、さめざめ泣いてばかりおる。で――きょうのお式の前にと、別室へよび、仔細をつぶさに話してもらいました。平次郎どの、わしが証を立ててもよい、お吉さんは、おもとの疑うているようなそんな女子では決してない。世にもめずらしい仏性の女子じゃ、許してあげてくだされ、そして、愛しんでおやりなされよ」
「…………」
「のう、よいか」
「……ヘ、ヘイ……」
「お内儀、念のため、良人に疑われた品、ここへ出して見せてやりなさい」
「はい」お吉は、摺り寄って――
「おまえ様……おまえ様は……」人々の前もわすれて泣き濡れていたお吉であった。磐石にひしがれたように首をうつ向けている平次郎の前に、名号をくりひろげて、良人の手をつかみ、良人の茫然としている意識を揺り醒ますようにいった。
「わたしが不義をしている――男からの手紙を内密で見ていると――おまえ様が邪推をまわしたのは、この名号でございまする。……勿体なくも、上人様のお筆でございますわいな、拝みなされ、良人のひと、これ、よう拝んで、お前様が人殺しの罪に墜ちなかったお礼をいうてくださんせ」恐々と、平次郎は、顔をもたげ、名号の文字をじっと見つめた。
「おお……」
「わかりましたか」
「……ウム」うなずいて、初めて彼は、妻の手をにぎり返した。
「……だが、お吉、おらあどうしても、おめえを手斧で斬った覚えがあるんだが……どこにも、おめえは怪我をしていないか」
「いいえ……。ああわかりました――それではお前様は、御堂の大廂から廻廊の角へ下がっている太竹の雨樋を斬ったのじゃ、それがわたしの身代りになって、今朝までは二つに斬れてぶらんとしておりましたが、お坊さんが、供養式の目ざわりというて外しておしまいなされたのじゃ」
「……あ、じゃあおれが手斧でたたっ斬ったと思ったのは」
「雨樋じゃ、それを、わたしと思うて、勘ちがいしていたのでござんしょう」
「……ウウウ……そ、そうだったか」肚の底からうめきながら、平次郎は初めて、人間らしい眼が開いた心地がした。
すべてが自分の心から映して、心を恐怖させたり、呪わせたりしていた錯覚だった。
水に映っていた形相の悪い影だった。
平次郎は、水に返った。まだ澄みきったそれにはなれないが、本来の性が心の底から湧きあがって、
「すまない……お吉……すまなかった……」
両手をついて、自分の妻へいったのである。お吉は、夫婦となってから、初めて良人の口から、こんな真実の声を聞いた。
「あれ……勿体ない」良人の手をすくい取って、
「女房に向って、すむもすまぬもござんせぬ。その詫びなら、なぜ、わたしよりも、御仏さまへいうては下さいませぬか」
「? ……」平次郎は、唖のように、黙ってしまった。慚愧にふくれあがっている額の青すじが、彼の性格の中でありありと苦悶していた。
「のう、お前さま」お吉は、今こそ、良人の年来の気もちをここで一転させようとするのだった。
「? ……」だが、平次郎は、うなずかなかった。
じっと、圧し黙っている。強情な一徹な気性を、さながら二つの拳にあらわして、膝にかためたまま、黙っている。
「のう……」お吉のやさしい耳元のささやきにも答えないで。
前には、上人がいる。弟子たちがいる。
また、城主、郡司、その臣下、そして、集まっている無数の民衆がいる。
そのすべてが、仏の帰依者である。けれど、平次郎にはまだ、
(ウム)と、素直にいえないらしい。
なぜ。それを平次郎は今、あたりの人々に憚って口にいえないらしかったが、彼の気持をもし率直にいわせるならば、
(仏なんてない)と、自分に教えたのは、仏に仕える人であり、
(神もない)と、自分の頭脳へ沁みこませた人も、また、神に仕える人だったのである。
彼が、お吉との間にもうけた愛児は、ない神をあるように思い、ない仏をあるように信じたから、死なしてしまったのだと考えていた。
いいかげんな僧侶だの、怪しげな山伏だの、そういう類の者に信仰へ導かれて、彼は、たった一人の可愛い子を死なすために、夫婦して、食べる物も食べず、着るものも着ず、稼いだ金や、ささやかな蓄えを、みんなそれらの祈祷料だのなんだのに捧げてしまったのである。
そのあげく、子は死んだ。お神札だの、お水だの、仏壇だの、なんだの、すべては彼の眼に忌わしく見える物を、一抱えも持って行って、溝川へ芥のように打ちすててしまった時に、平次郎は、
「――笑わかしゃアがる、これで罰があてられるものならあててみろ」と、天へ向って罵った。
それからは、
(神だと、仏がだと、ふふん……)彼の性格は、また信念は、そうなってしまった。
誰にだって、彼は、そう信じていることでは、退かずにいい争ったものである。――だが、親鸞だけは、さっきから、なんとなくべつもののような気はしていた。
「――いってください、後生です。女房へ下げるその手を、どうして御仏さまには下げられないのでござんすか」
「お……お吉」
「いってくれますか」平次郎は、突っ張っていた肩を、がたっと落して、
「……いう、いう……」と、顔をおおった。
「オオ、お前様」お吉はうれしさに、われを忘れて、良人の手を引っ張った。
二人は、かがやく灯へ向って、並んで坐った。善光寺如来の分身が、新らしいお厨子の内に、皎々と仰がれた。
平次郎は、ふと、羞恥むように、妻のほうを見てたずねた。
「……だが女房、なんというて、お詫びをいうたらよいのか」
「さ……」彼女は考えて、
「やはりただ、なむあみだ仏――と、そう仰っしゃればようござんす」
「それだけでよいのか」
「ええ」
「たったそれだけで、おれが今日までやったいろんな悪いことが、みんな、お詫びになるだろうか」
「先の願いにもなりまする」
「では……」ふたりの掌がいっしょに揃って、合掌した。
燦として、外陣内陣の仏燈が、いちどに、光を改めた。
「なむあみだ仏――」
「なむあみだ仏――」
「おお、おいいなされた」お吉のほほ笑みは、さながら、菩薩の笑みに似ていた。平次郎は、やめなかった。
「なむあみだ仏、なむあみだ仏――」ぼろぼろと涙がやまない。
「もう、ようござんす、ここは、家ではございませぬから」心から、笑って、夫婦は急に、親鸞のうしろへ退がった。
城主も、侍たちも、二人をながめている間、平次郎の過去の罪を考えている者はなかった。ただ美しいものを見るように見惚れていたのである。藤木権之助がすすんで、
「追ってお上よりも、何かのお沙汰があろうという仰せであるぞ。ようお礼を」と、二人のそばへ来てささやいた。
平次郎は、あわてて、武士たちの居ならんでいるほうへ頭を下げた。それは、家来たちの席であると注意されて、急いで、城主のほうへまた、お辞儀をし直した。
梵鐘が鳴り出した。人々は、座を立つ。供養の式は終ったのである。
だが、群衆はまだ去らないで騒いでいる。御堂へ向って前栽の両側に、これから、城主と親鸞とが手ずから鍬を持って、双つの樹を植える式があるというので――。
その樹は、一方に柳樹、一方には菩提樹であった。
下野の城主国時と、親鸞とは、大地へ下り、東西にわかれて、鍬をとった。
植えられる樹のうえに、もう無数の禽が舞って来て、浄土の歌を囀っていた――。
いつまでも、境内を去らない群衆は、鳴りひびく梵鐘のあいだに、念仏を和して、
「あの平次郎でさえ、お上人さまは、お救いくだされた」
「親鸞さまのようなお方こそ、生ける御仏さまというのであろう」
「ありがたい」
「これでわしらの精神の曼陀羅もできるというもの」
「安心して働こうぞ」
「楽しんで世を送ろうぞ」
「楽しみがのうてなんの人生ぞや、といつかも仰せなされた。ありのままの相をもって、念仏し、世をたのしめとも仰っしゃった」
「こんな歓ばしい日はない」
「吉い日じゃ」
「めでたい日よの」百姓たちは百姓たちと、工匠らは工匠たちと、商人は商人たちと――またその家族たちと――人々はこぞって親鸞の徳を称え、国主の善政に感謝し、法悦の諸声は、天地に盈ちあふれていた。
城主の大内国時も、
「政治のための政治ではいけない――まことの民心をつかむのは、まことの心になって、支配者も、一体になることにあるということを今日わしは教えられた。上人は、仏法最高の真理の把握者であると共に、経世救民のうえからも、共に偉大な民治の父でいらせられる――」と、いった。
相馬の城主高貞や、久下田太郎秀国や、真壁、小栗などの近国の領主たちも、当日の参会によって、みな、少なからぬ感銘をうけていた。
そして、おのおのが、この新しい伽藍へ、応分の寄進を約して、いとも満足げに、やがてそれぞれ帰館の途について行った。
「おまえ様――」お吉は、そっと、良人の手をとって、ささやいた。
「……もう御堂の内には、どなた様もおりませぬぞえ。お式はすんだのでございます。……さ、さ、おまえ様も、階下へ降りて、お上人様へ、まいちどよく、お礼をいうてくださいませ」
「……ウム、ウム」素直な唖のように、平次郎はただうなずくばかりだった。
御堂の両側に、柳と菩提樹を植えて、手を洗いでいた上人の前へ、夫婦は、おそるおそる来て、大地に両手をつかえ、
「ありがとうございまする。……お上人様、なんとお礼を申しあげてよいやら、今はまだ、あまりうれしゅうて、ことばもございませぬ」といった。
上人は夫婦のよろこび以上に、大きな歓びにつつまれて、ほほ笑んだ。
「みなも帰った。おもとたちも、はよう家へ戻って、きょうから、家の中も、明るくするように努めたがよい。良人、妻、どっち一人の力だけでも、家は明るうならぬ。よいかの、心を共に協せて――」
「わすれませぬ」お吉は掌をあわせた。
すると、平次郎は、大地を摺り寄って、泣き濡れた顔を上げながら上人の袂へすがってさけんだ。
「――お救い下さいまし……お救い下さいまし。末永く」
「平次郎は何を悩む、おもとはもう充分に御仏の救いに会っておらるるのじゃ」
「では……私を、御仏のお弟子に加えてくださいまし。上人様のお弟子の端に」
「よし」――とすぐ上人はうなずかれた。そして、唯円房という法名を、彼のために選んで与えた。
唯円房――
唯円房――
いくたびも平次郎は口のうちでくりかえしてみる。救いの師、親鸞に名づけられて、きょうから在家の弟子となった自分の名を――。
お吉も、共に、
「よい名でござります」と、よろこびにかがやく。平次郎は、改まって、
「お吉よ」と、やさしく呼んだ。
「あい」
「おまえのお蔭だ、おれがこうなって生れかわったのは――」
「勿体ない」
「二つにはまた、死んだ児のおかげだ。――こうして、御仏に導かれる縁を作ってくれたのは」
「ほんに……」
「また、仲ようして、よい子を生もう、お吉、生んでくれ」
「はい」
「そして、きのうまで、おれのしたことはすべて忘れてくれ。――きょうからは、生れかわった唯円房、きっと、人いちばい働いて、貧乏も取り返すぞ、おまえにさせた苦労も埋め合せしてやるぞ」
「そのおことばだけで、私はもう、なんといってよいか分りません。……私も、きょうの暁、いちど死んだも同じ体です。これからは、唱名一念、夫婦して、御仏さまへおつとめをいたしましょう」
「オオ、お上人様が手ずから植えて――やがてあの御堂の両側に伸びてゆく――柳と菩提樹のようにな」
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九条殿の執奏によって、弟子の真仏房がはるばる、都から奉じてきた、後堀河の帝の勅額は――
今ものこる高田専修寺はこの寺である。――親鸞が稲田にあっての農田生活十年のあいだに、こうして建立された伽藍なのであった。
もっとも、その十年のあいだには、ここばかりではなく、親鸞の師弟が杖をついた地方――たとえば越後、信州、上州、武州などの各地にも、蒔かれてあった胚子が、春に会ったように、簇々と芽となり、ふた葉となり樹となり花となって、念仏曼陀羅の浄地を、各地に生み殖やしても行った。
それは、あたかも大地が植物を伸ばして行くあの自然の力にも似た必然の勢いで――。
この勢いと時代のまえには、多年念仏門を呪詛していたあらゆる呪詛も、声をひそめてしまった。権力も、それには従うほかなかった。
だが――親鸞も、人間である、いつの間にか、よいお爺さんになってきた。
もう六十にちかいのである。そして五、六人の子供たちの父であった。――その以前に、前の玉日の前とのあいだに生げた一つぶ種の範意は、京都で、父の顔を知らずに亡くなってしまったけれど――とにかく彼は今、一個の家庭の父としても幸福であった。
しかし、彼は、その幸福の中に、綿帽子をかぶって、屈んでしまう人でなかった。体力もまだ旺なものだった、異常な精神力は、六十ぢかいとはどうしても、見えないくらいな艶のいい皮膚にもみなぎっている。
「雪が解けたら、また教化の旅に出かけたいの。――信州へも、越後へも。――久しぶりに東海道も遊行してみたい」ことしの冬は、云い暮している。この分では、まだまだ裏方の朝姫との間に、次の嬰児が二人や三人は生れない限りもない。