あらすじ
君子さんは、お友達のノリ子さんに見せるために、庭にチューリップの球根を植えました。ノリ子さんは病気で学校を休んでおり、君子さんは春になったら咲いたチューリップを届ける約束をしていました。しかし、冬の寒さが過ぎ、春が来た頃も、ノリ子さんは学校へ来ませんでした。ある日、君子さんはノリ子さんの家の前で、お姉さんに手を引かれてゆっくりと歩くノリ子さんの姿を見かけます。
 學校の歸りに君子さんはお友達のノリ子さんにうちのチユーリツプの自慢をしました。
「うちで咲いたチユーリツプは、お花屋さんが賣りに來るのより五倍も綺麗なのよ。」
「あら、いゝわね。」とお友達のノリ子さんは羨しさうにきいて首をかしげました。
「クレイヨンの赤とどつちが赤いかくらべて見たのよ。そしたらクレイヨンの赤の方がづつとうすくつて汚いの。」
「あらそをを。」
「うちの母さんがいつてたわ、この花から口紅がとれやしないだらうかつて。」
「そをを。」

「ノリ子ちやんがあの花寫生なさつたら最優等よ、きつと。」
「あら、そんなことありませんわ。」
「昨日球根を埋めたんだけど、まだ二つか三つ殘つてたから、母さんにきいてノリ子ちやんにあげてもいゝわ。」
「頂いてもよくつて。」
「きつと母さんいゝつていふわよ。」
 ちやうどその時ノリ子さんのお家の前に來ました。
「それぢや明日の朝持つて來てあげるわね」といつて君子さんはノリ子さんと別れました。家に歸つてお母さんにきくと、あげなさい、と仰言いました。そこで次の朝ノリ子さんを誘ひにいく時二つの球根を乾葡萄の空箱に入れて持つていきました。
「ノーリ子ちやん。」と君子さんは垣根越しに呼びました。するとノリ子さんの代りに、ノリ子さんのお姉さんが、
「はーい」と返事なさいました。あら、と思つてゐるとお姉さんが玄關から出ていらして、
「ノリちやんはお熱があるので學校へいけませんのよ。」と仰言いました。あまり驚いたので君子さんはチユーリツプの球根のことも忘れてしまつて「そをを」といつたきり、何もいはないで學校へ來てしまひました。
 お家に歸つてから君子さんはチユーリツプの球根を庭のゆすら梅のかげに埋めました。そして春になつて花が咲いたらノリ子さんにあげようときめました。
 ノリ子さんはご病氣が癒らないらしく、一週間たつても二週間たつても學校へ來ませんでした。そのうちに寒い冬が來て、クリスマスが來てお正月が來て、それからたうとう春がやつて來ました。梢が見えないほど高い欅に、細い芽がちよくちよく顏を出して來ました。
 或日學校の歸りに君子さんがノリ子さんのお家の前を通りかゝると、生垣の中で聲がしてゐましたので、隙間から覗いて見ました。
 庭にはピジヤマを着たノリ子さんがお姉さんに手をひかれて、そろりそろり歩いてゐました。縁側にはお母さんが立つて見てゐらつしやいました。
「姉さん、もう一ぺん垣根のとこまでいきましよう。」とノリ子さんがいひました。
「そんなに歩いてもいゝの?」と姉さんはあやぶまれました。でも、ノリ子さんがこんなに歩かれるやうになつたことがうれしくてたまらないらしく、赤ん坊みたいに兩手をとつてノリ子さんを垣根の方へ歩ませて來られました。
「あら、姉さん、とつてもきれいな夕燒ね。」とノリ子さんが立ち止りました。姉さんも空を仰いで、
「本當。」とおつしやいました。姉さんの美しい眼が涙で光つてゐることが垣根の蔭で覗いてる君子さんにすぐ解りました。君子さんも何だか泣きたいやうな氣持になりました。
 もう十日もたつたらノリさん、學校へいかれるかも知れない――と思ひながら家へ歸つて見ると、ノリ子さんにあげる筈のチユーリツプの蕾がゆすらうめのかげで綻びかけてゐました。

底本:「校定 新美南吉全集第四巻」大日本図書
   1980(昭和55)年9月30日初版第1刷発行
   1987年(昭和62)年2月15日第3刷発行
初出:「ひろった らっぱ」羽田書店
   1950(昭和25)年5月1日
入力:高松理恵美
校正:川向直樹
2005年3月17日作成
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