一、快楽と実用

 明治文学も既に二十六年の壮年となれり、此歳月の間に如何いかなる進歩ありしか、如何なる退歩ありしか、如何なる原素と如何なる精神が此文学の中にわだかまりて、而して如何なる現象を外面に呈出したるか、是等の事を研究するは緊要なるものなり、而して今日まで未だ此範囲に於て史家の技倆を試みたるものはあらず、唯だ「国民新聞」の愛山生ありて、其の鋭利なる観察を此範囲に向けたるあるのみ。余は彼の評論に就きて満足すること能はざるところあるにも係らず、其気鋭く胆大にして、幾多の先輩を瞠若だうじやくせしむる技倆に驚ろくものなり。余や短才浅学にして、敢て此般しはんの評論に立入るべきものにあらねども、従来「白表女学雑誌」誌上にて評論の業に従事したる由来を以て、いさゝか見るところを述べて、明治文学の梗概を研究せんと欲するの志あり。余がさきに愛山生の文章を評論したる事あるを以て、此題目に於て再び戦を挑まんの野心ありなど思はゞ、此上なき僻事ひがごとなるべし。之れ余が日本文学史骨を著はすに当りて、あらかじめ読者に注意を請ふ一なり。
 余は之れより日本文学史の一学生たらんを期するものにて、もとより、この文学史を以て独占の舞台などゝせん心掛あるにはあらず、く断りするは、つて或人に誤まられたることあればなり、余は学生として、誠実に研究すべきことを研究せんとするものなれば、縦令たとひ如何なることありて他人の攻撃に遭ふことありとも、之に向つて答弁するものと必せず、又容易に他人の所論を難ずる等の事なかるべし。且つ美学及び純哲学に於て極めて初学なる身を以て、文学を論ずることなれば、其不都合なる事多かるべきは、呉々くれ/″\も予め断り置きたる事なり。加ふるに閑少なく、書籍の便なく、事実の蒐集しうしふ思ふに任せぬことのみなるべければ、独断的の評論をなす方に自然傾むき易きことも、た予め諒承あらんことを請ふになむ。
 特に山路愛山先生に対して一言すべきことあり。こゝにて是を言ふはしと思ふ人あらんかなれど、余は元来余が為したる評論に就きて親切なる教示を望みたるものなるに、愛山君は余が所論以外の事に向て攻撃の位地に立たれ、少しも満足なる教示と見るべきはあらず、余は自ら受けたる攻撃に就きて云々するの必要を見ざれば、其儘に看過したり。本より、文学の事業なることは釈義といふ利刀を仮り来らずとも分明なることにして、文学が人生に渉るものなることは何人といへども、之を疑はぬなるべし。愛山先生しこの二件を以て自らの新発見なりと思はゞ、余輩其の可なるを知らず。余は右の二件を難じたるものにあらず、余が今日の文学の為に、いさゝか真理を愛するの心より、知交をかたじけなうする愛山君の所説を難じたるは、に虚空なる自負自傲じふじがうの念よりするものならんや。これを以て、余は愛山君の反駁はんばくに答ふることをせざりし。然るに豈図らんや、其他にも余が所論を難ぜんとしてか、或は他に為にする所ありてか、人生に相渉らざるべからずといふ論旨の分明に解得せらるゝ論文の、然も大家先生等の手に成りて出でしを見るに至らんとは。若し此事にして余が所説に対して、或は余が所説に動かされて、出でたるものなりとするを得ば、余は至幸至栄なるを謝するにやぶさかならざるべし。然れども、極めて不幸なりと思ふは、余は是等の文章に対して返報するの権利なきこと是なり。文学が人生に相渉るものなることは余も是を信ずるなり、恐らく天地間に、文学は人生に相渉るべからずと揚言する愚人は無かるべし。但し余が難じたるは、(1)[#「(1)」は縦中横]世を益するの目的を以て、(2)[#「(2)」は縦中横]英雄の剣をふるふが如くに、(3)[#「(3)」は縦中横]くうの空を突かんとせずして、或まとを見て、(4)[#「(4)」は縦中横]華文妙辞を退けて、しかして人生に相渉らざるべからずと論断したるを難じたるなり。故に余は以上の条件を備へざる人生相渉論ならば、奈何いかなる大家先生の所説なりとも、是に対して答弁するの権利なきなり。然れども余自ら「山庵雑記」に言ひし如く、是非真偽は容易に皮相眼を以て判別すべきものならざるに、余が文章の踈雑そざつなりしが為め、或は意気昂揚して筆したりしが為か、かくも誤読せらるゝに至りたるは極めて残念の事と思ふが故に、余は不肖を顧みず、浅膚せんぷを厭はず、是より「評論」紙上に於て、出来得る丈誤読を免かるゝ様に、明治文学の性質を論ずるの栄を得んとす。之を為すは、本より愛山君の所説を再評するが為にはあらざるも、若し余が信ずるところに於て君の教示を促すべきことあらば、請ふ自らゆるうして、之を垂れよ。

 余は先づ明治文学の性質を以て始めんとす。而して、明治文学の性質を知らんが為には、如何なる主義が其中に存するかを見ざるべからず。純文界にも、批評界にも、或は時事界にも、済々たる名士羅列するを見る。然れども余は存生中の人を評論するに於て、二箇のおもしろからぬ事あるをおもんぱかるなり、其一は、もし賞揚する時に諛言ゆげんと誤まられんか、若し非難する時に詬評こうひやうと思はれんか、の恐れあり。其二は、自らの主義、人間は Passion の動物なれば、少くとも自家の私見、善く言ひて主義なるものに拘泥こうでいすることなき能はず、故に若し一の私見と他の私見と撞着したる時に、近頃流行の罵詈ばり評論に陥ることなきにしもあらず。之を以て余は敢て現存の大家に向つて直接の批評を加へざるべしといへども、もし余が観察し行く原質エレメントの道程に於て相衝当する事あらば、避くべからざる場合として之を為すことあるべし。
 余は「明治文学管見」の第一として、「快楽プレジユーア」と「実用ユチリチー」とを論ずべし。
「快楽」と「実用」とは疑もなく「美」の要素なり、必らずしもプレトーを引くには及ばず。
 マシユー・アーノルドは、「人生の批評としての詩に於ては、詩の理、詩の美の定法にかなふかぎりは、人生を慰め、人生を保つことを得るなり」と云へり。
 文学が一方に於て、人生を批評するものなることは、余も之を疑はず。然れども、アーノルドの言ふ如く、人生の批評としての詩は又た詩の理と詩の美とを兼ねざるべからず。吾人文学を研究するものは、単に人生の批評のみを事とせずして、詩の理と詩の美とをも究むるにあらざれば不可なるべし。
 人生を慰むるといふ事より、Pleasure なるものが、詩の美に於て、欠くべからざる要素なる事を知るを得べし。人生を保つといふ事より Utility なるものが、詩の理に於て、欠くべからざる要素なる事を知るべし。真に人生を慰め、真に人生を保つには、真に人生を観察し、人生を批評するの外に、真に人生を通訳することもなかるべからず。人生を通訳するには、人生を知覚せざるべからず。故に天賦の詩才ある人は、人間の性質を明らかに認識するの要あるなり。然らざればヂニアスは真個の狂人のみ、靴屋にもなれず、秘書官にもなれぬ白痴のみ。
 人生(Life)といふ事は、人間始まつてよりの難問なり、哲学者の夢にも此難問は到底解き尽くす可らずとは、古人も之を言へり。若し夫れ、社界的人生などの事に至りては、或は鋭利なる観察家の眼睛がんせいにて看破し得ることもあるべけれど、人生の Vitality に至りては、全能の神の外は全く知るものなかるべし。故に詩人の一生は、黙示の度に従ひて、人生を研究するものにして、感応の度に従ひて、人生を慰保するものなるべし。
 快楽と実用とは、主観に於ては美の要素なりと雖、客観に於ては美の結果なり、内部にありては、美を構成するものなりと雖、外部の現象に於ては美の成果なり。この二要素を論ずるにさきだちて吾人は、
人生何が故に美を要するか
に就きて一言せざるべからず。
 音楽何の為に人生に要ある。絵画何が故に人生に要ある。極めて些末さまつなる装飾品までも、何が故に人生に要ある。何が故に歌ある。何が故に詩ある。何が故に温柔なる女性の美ある。何が故に花の美ある。何が故に山水の美ある。是等の者はすべて遊惰いうだ放逸はういつなる人間の悪習を満足せしむるが為に存するものなるか。もし然らんには、人生は是等のすべての美なくして成存することを得べし。然るに古往今来、尤も蛮野ばんやなる種族に、尤も劣等なる美の観念を有し、尤も進歩せる種族に、尤も優等なる美の観念を有するは、何が故ぞ。尤も蛮野なる種族にも、必らず何につけてか美を求むるの念ある事は、明白なる社界学上の事実なり、或は鳥吟を摸擬し、或は美花を粗末なる仕方にて摸写するなどの事は、極めて劣拙の人種にも是あるなり。又た、尤も幼稚なる嬰児にても、美くしき玩弄品トイスを見てはく笑ひ、音楽の響には耳を澄ます事は、普通なる事実なり。之を以て見れば文明といふ怪物が、人間を遊惰放逸に駆りたるよりして、始めて美の要を生じたりと見るの僻見なることは、多言せずして明らかなるべし。美は実に人生の本能に於て、本性に於て、自然に願欲するものなることは認め得べきことなり。斯の如く美を願欲するには、人生の本能、人性の本性に於て、然り、といふ事を知り得たらば、吾人は、一歩を進めて、
人生は快楽を要するものなりや否や
の一問を解かざるべからず。
 快楽は何の為に、人生に要ある。人生は快楽なくして、生活し得べきものなるべきや。ピユリタニズムの極端にまでぢ登りて見ても、唯利論の絶頂にまで登臨して見ても、人生は何事か快楽といふものなくては月日を送ること能はざるは、常識といふ活眼先生に問ふまでもなく、明白なる事実なり。
 快楽は即ち慰藉ゐしや(Consolation)なり。つまびらかに人間生活の状態を観よ、蠢々しゆん/\※(「口+禺」、第3水準1-15-9)ぎよう/\として、何のおもしろみもなく、何のをかしみもなきに似たれど、其実は、個々特種の快楽を有し、人々異様の慰藉を領するなり。放蕩なる快楽は飲宴好色なり、着実なる快楽は晏居あんきよ閑楽なり、熱性ある快楽は忠孝仁義等の目的及び希望なり、誠実なる快楽は家をとゝのへ生を理するにあり。然れども是等は、特性の快楽を挙げたるのみ、若し通性の快楽をいふ時は、美くしきものによりて、耳目(Sight and hearing)を楽しますことにあり。耳には音を聞き、目には物をる、れ快楽を願欲するの最始なり。然れどもマインド(智、情、意)の発達するに従ひて、この簡単なる快楽にては満足すること能はざるが故に、更に道義モーラル生命ライフに於て、快楽を願欲するに至るなり。道義の生命に於て快楽を願欲するに至る時は、単に自然の摸倣ネーチユーア・イミテーシヨンを事とする美術を以て真正の満足を得ること能はざるは必然の結果なるが故に、創造的天才クリヱチーフ・ジニアスの手に成りたる美を愛好するに至ることも、た当然の成行なり。美は始めより同じものにして、軽重増減あるものにあらざれど、美術の上に於ては、進歩すべきものなること是を以てなり。而して此観察点より推究する時は、尤も進歩したるモーラル・ライフ(道義の生命)を有つものは、尤も健全にして、尤も円満なる美を願欲するものなることは、判断するに難からじ。而して、社界進歩の大法を以て之を論ずる時は、尤も完全なる道義の生命を有する国民が尤も進歩したる有様にある事は、明白なる事実なれば、従つて又た、尤も円満なる快楽を有し、尤も完全なる美を願欲する人種が尤も進歩したる国家を成すことは、容易に見得べき事なり。吾人は更に、
道義的生命(ライフという字は人生と訳するも可なり)が快楽に相渉る関係
に就きて一言せざる可からず。
 道義モーラルといふ字を用ふるには、宗教及哲学に訴へて、其字義を釈説すること大切なるべし、然れども吾人は序言に於て断りしたる如く、く平民的に(平民的という言、爰に用ふるを得るとすれば)、雑誌評論らしき、普通の諒解にうちまかせて、この字を用ふるなり。
 人生は、フ※(小書き片仮名ヒ、1-6-84)ジカルに於て進歩すると同時に、モーラルにも進歩するものなり、Phisical world の拡まり行くと共に Moral world も拡まり行くものなり。故に其必要とする快楽に於ても亦た、単に耳目をよろこばすといふのみにては足らぬ様になるなり。加ふるに智情意の発達と共に、各種各様の思想を生ずるが故に、其の必要とする快楽も彼等の発達したる智情意を満足せしむる程の者たらざるべからず。かるが故に、道義的人生に相渉るべき適当の快楽なくしては、道義自身もれ、人生自身も味なきに至らん事必せり。こゝに於て、道義の生命の中心なる霊魂を以て、美の表現の中心なる宇宙の真美を味ふの必要起るなり。宇宙の真美は、或はサブライムといひ、或はビユーチフルと言ひ、審美学家の孜々しゝとして討究しつゝある問題にして、容易に論入すべきものにあらず。但し、余は、「人生に相渉るとは何の謂ぞ」と題する一文の中に其一端を論じたる事あれば、就いて読まれん事を請ふになむ。是より、
「快楽」と「実用」との双関
に就きて一言せむ。
「快楽」と「実用」とは特種の者にして、極めて密接なる関係あるものなり。実用を離れたる快楽は、絶対的には全然之なしと断言するも不可なかるべし。快楽の他の意味は慰藉コンソレーシヨンなる事は前にも言ひたり。慰藉といふ事は、孤立アイソレーテツドしたる立脚点スタンドポイントの上に立つものにあらずして、何物にか双対するものなり。ヱデンの園に住みたる始祖には、慰藉といふものゝ必要は無かりし。之あるは人間に苦痛ありてよりの事なり。故に、
人生何が故に苦痛あるか
の一問を解くの止むべからざるを知る。
 曰く、パツシヨンなる魔物が、人生の中に存すればなり。凡ての罪、凡ての悪、凡ての過失は欲あるが故にこそあるなれ。而して、罪、悪、過失等の形を呈せざる内部の人生に於て、欲と正義と相戦ひつゝある事は、いやしくも人生を観察するに欠くべからざる要点なり。この戦争が人生の霊魂に与ふる傷痍は、即ち吾人が道義の生命に於て感ずる苦痛なり。この血痕、この紅涙こそは、古昔より人間の特性を染むるものならずんばあらず。かるが故に、必要上より、「慰藉」といふもの生じ来りて、美しきものを以て、欲を柔らかにし、其毒刃を鈍くするの止むなきを致すなり。然れどもすでに必要といふ以上は、慰藉も亦た、多少実用の物ならざるにあらず。試に一例を挙て之を説かん。
梅花と桜花との比較
 梅花と桜花とは東洋詩人の尤も愛好するものなり。梅花は、其のに於ては、単に慰藉の用に当つべきのみ、然れども、其に於ては、実用のものとなるなり。斯の如く、固有性に於て慰藉物なるもの、附属性に於て実用品たることあり(之と反対ヴアイス・ヴアーサの例をも見よ)。桜花はを結ばざるが故に、単に慰藉のに供すべきのみなるかと問ふに、貴人の園庭に於て必らず無くてならぬものとなり居るところよりすれば、幾分かは実用の性質をも備へてあるなり。(梅桜と東洋文学の関係に就きては他日詳論することあるべし)これと同じく家具家材の実用品と共に或種類の装飾品も亦た、多少実用の性質あるなり。屏風びやうぶは実用品なり、然れども、白紙の屏風といふものを見たる事なきは何ぞや。装飾と実用との相密接するは、之を以て見るべし。之より、
実用の起原
に就きて一言すべし。
 この問題は至難なるものなり。然れども、極めて雑駁ざつぱくに、極めて独断的に之を解けば、前に「快楽」の起原に就きて曰ひたる如く、人間はの動物なるが故に、そのと調和したる度に於て、自家の満足を得る為に、意と肉とを適宜に満足せしむるが為に、必要とする器物もしくは無形物を願求するの性あること、之れ実用の起原なり。而して人文進歩の度に応じて「実用」も亦進歩するものなる事は、前に言ひたると同じ理法にて明白なり。人文進歩とは、物質的人生※(小書き片仮名ヒ、1-6-84)ジカル・ライフと、道義的人生モーラル・ライフとの両像に於て進歩したるものなるが故に、「実用」も其の最始に於ては、単に物質的需用を充たすに足りし者が追々に、道義的需用を充たすに至るべき事は当然の順序なり。他の側面より見る時は野蛮人と開化人との区別は、道義性の発達したりしと否とにありといふも、不可なかるべし。爰に於て道義的人生に相渉るべき文学なるものは、人間の道義性を満足せしむるほどのものならざるべからざる事は、認め得べし。之より、
道義的人生の実用
とは何ぞやの疑問にうつるべし。
 人間を正当なる知識に進ましむるもの(学理)其一なり、人間を正当なる道念に進ましむるもの(倫理)其二なり、人間を正当なる位地に進ましむるもの()其三なり。
 斯の如く概説し来りたるところを以て、吾人は、快楽と実用との上に於て吾人が詩と称するものゝ地位を瞥見べつけんする事を得たり。快楽即ち慰藉は、道義的人生に欠くべからざるものたると共に、実用も亦た道義的人生に欠くべからざるものなる事を見たり。但し慰藉は主として道義的人生に渉る性を有し、実用は客観に於ては物質的人生に渉ると雖、前にも言ひし如く、到底主観に於ては道義的人生にまで達せざるべからざるものなり(此事に就きては恐らく詳論を要するなるべし)。
 余は「快楽」と「実用」との性質に就き、及び此二者が人生と相渉れる関係に就きて、粗略なる解釈を成就したり。是より、
「快楽」と「実用」とが文学に関係するところ如何いかん
に進むべし。
 快楽と実用とは、文学の両翼なり、双輪なり、之なくては鳥飛ぶ能はず、車走る能はず。然れども快楽と実用とは、文学の本躰にあらざるなり。快楽と実用とは美の(Aim)なり。美の結果(Effect)なり。美の功用(Use)なり。「美」の本躰は快楽と実用とにあらず。これと共に、詩の広き範囲に於ても、快楽と実用とは、其、其結果、其功用に過ぎずして、他に詩の本能ある事は疑ふ可からざる事実なるべしと思はる。
 若し事物の真価を論ずるに、其、其結果、其功用のみを標率とする時は、種々なる誤謬を生ずるに至るべし、本能本性を合せて、其結果、其功用、其、を観察するにあらざれば、余輩其の可なるを知らず。故に文学を評論するには、少くとも其本能本性に立ち入りて、然る後に功用結果目的等の陪審官はざるべからず。
 快楽と実用とは詩が兼ね備へざるべからざる二大要素なることは、疑ふまでもなし。然れどもポエトリーが必らず、この二大要素に対して隷属すべき地位に立たざるべからずとするは、大なる誤謬なり。
 吾人が日本文学史を研究するに当りて、第一に観察せざる可からざる事は、如何なる主義プリンシプル、如何なる批評眼、如何なる理論セオリーが、主要ヲーソリチーの位地を占有しつゝありしかにあり。而して吾人は不幸にも、世益主義(世道人心を益せざるべからずといふ論)、勧懲主義(善を勧め悪をらすべしといふ論)、及び目的主義(何か目的を置きて之に対して云々すべしといふ論)、等が古来より尤も多く主要の位地に立てるを見出すなり。斯の如くにして、神聖なる文学を以て、実用と快楽に隷属せしめつゝありたり。むべなるかな、我邦の文運、今日まで憐れむべき位地にありたりしや。
 余は次号に於て、徳川時代の文学に、「快楽」と「実用」との二大区分クラシフ※(小書き片仮名ヒ、1-6-84)ケーシヨンある事。平民文学、貴族文学の区別ある事。倫理と実用との関係。等の事を論じて、追々に明治文学の真相をうかゞはん事を期す。(病床にありて筆を執る。字句尤も不熟なり、請ふ諒せよ。)

     二、精神の自由

 造化万物を支配する法則の中に、生と死は必らず動かすべからざる大法なり。およそ生あれば必らず死あり。死は必らず、生をうて来る。人間は「生」といふ流れに浮びて「死」といふ海に漂着する者にして、其行程も甚だ長からず、然るに人間の一生は「生」より「死」にまで旅するを以て、最後の運命と定むべからざるものあるに似たり。人間の一生は旅なり、然れども「生」といふ駅は「死」といふ駅に隣せるものにして、この小時間の旅によりて万事休する事能はざるなり。生の前は夢なり、生の後も亦た夢なり、吾人は生の前を知る能はず、又た死の後を知る能はず、然れどもわづかに現在の「生」をうかゞひ知ることを得るなり、現在の「生」は夢にして「生」の後がなるべきや否や、吾人は之をも知る能はず。
 吾人が明らかに知り得る一事あり、其は他ならず、現在の「生」は有限なること是れなり、然れども其の有限なるは人間の精神スピリツトにあらず、人間の物質なり。世界は意味なくして成立するものにあらず、必らず何事かの希望を蓄へて進みつゝあるなり、然らざれば凡ての文明も、凡ての化育も、虚偽のものなるべし。世界の希望は人間の希望なり、何をか人間の希望といふ、曰く、個の有限の中にありて彼の無限の目的にかなはせんこと是なり。有限は囲環の内にありて其中心に注ぎ、無限は方以外に自由なり、有限は引力によりて相結び、無限は自在を以て孤立することを得るなり、而して人間は実に有限と無限との中間に彷徨はうくわうするもの、肉によりては限られ、霊に於ては放たるゝ者にして、人間に善悪正邪あるは畢竟ひつきやうするに内界に於て有限と無限との戦争あればなり、帰一ユニチーを求むるものは物質なり、調和をもとむるものは物質なり、而して精神に至りては始めより自由なるものなり、始めより独存するものなり。
 人間は活動す、而して活動なるものは「我」をめぐりて歩むものにして、「我」を離るゝ時は万籟ばんらい静止するものなり、自己の「我」は生存を競ふものなり、法の「我」は真理に趣くものなり、然れども人間の種族は生存を競ふの外に活動を起すこと稀なり、愛国もしくは犠牲等の高尚なる名の下にも、究極するところ生存を競ふの意味あり、人は何事をか求むるものなり、人は必らずを離れざるものなり、人は自己をするものなり、倫理道徳を守る前に人間は必らず自己の意欲に僕婢たるものなり、斯の如くの世界に於て人間は禁囚せられたる位地に立つものなり。
 人生は斯の如く多恨なり、多方なり、然れども世界と共に存在し、世界と共に進歩する思想なるものは、羅針盤なくして航行するものにあらずと見えたり。吾人は夢を疑ふ、然れども夢なるもの全く人間を離れたるものにあらず、吾人は想像力をいぶかる、然れども想像力なるもの全く虚妄なるものにあらず、吾人は理想を怪しむ、然れども理想なるもの全く人間と関係なきものにあらず、夢や、想像力や、理想や、是れ等のものはスフ※(小書き片仮名ヒ、1-6-84)ンクスに属する妖術の種類にあらずして、何事をか吾人に教へ、何物をか吾人に黙示し、吾人をして水上の浮萍うきくさの如く浪のまに/\漂流するものにあらざるを示すに似たり。且つ吾人は自ら顧みて己れを観る時に、何の希望もなく、何の目的もなく、在来の倫理に唯諾ゐだくし、在来の道徳を墨守ぼくしゆし、何事かの事業にはまりて一生ををはるを以て、自ら甘んずること能はざるものあるに似たり。怪しむべきは此事なり。
 倫理道徳は人間を覊縛きばくする墨繩ぼくじように過ぎざるか。真人至人の高大なる事業は、境遇と周辺と塲所とによりて生ずるに止まるか。人間の窮通消長は、機会チヤンスなるものゝ横行に一任するものなるか。吾人は諾する能はず。別に精神なるものあり、人間の覚醒は即ち精神の覚醒にして、人間の睡眠は即ち精神の睡眠なり、倫理道徳は人間を盲目ならしむるものにあらずして、人間の精神にうつたふるものならずんばあらず、高大なる事業は境遇等によりて(絶対的に)生ずるものにあらずして、精神の霊動に基くものならざるべからず、人間の窮通は機会の独断すべきものにあらずして、精神の動静に因するものならざるべからず。精神はみづから存するものなり、精神は自ら知るものなり、精神は自ら動くものなり、然れども精神の自存、自知、自動は、人間の内にのみ限るべきにあらず、之と相照応するものは他界にあり、他界の精神は人間の精神を動かすことを得べし、然れども此は人間の精神の覚醒の度に応ずるものなるべし。かるが故に人間を記録する歴史は、精神の動静を記録するものならざるべからず、物質の変遷は精神に次ぎて来るものなるが故に、之を苟且かりそめにすべしといふにはあらねど、真正の歴史の目的は、人間の精神を研究するにあるべし。人生実に無辺なり、然も意味なき無辺にあらず、畢竟するに精神の自由の為に砂漠を旅するものなり、希望爰に存し、進歩爰にきざすなり、之なくんば凡ての事皆な虚偽なり。
 文学は人間と無限とを研究する一種の事業なり、事業としては然り、而して其起因するところは、現在の「生」に於て、人間が自らの満足を充さんとする欲望をふさぐ為にあるべし。文学は快楽を人生に備ふるものなり、文学は保全を人生に補ふものなり。然れども歴史上にて文学を研究するには、そを人生の鏡とし、そを人生の欲望と満足の像影として見ざるべからず。人生は文学史の中に其骸骨を留むるものなり、その宗教も、その哲学も、文学史の中に散漫たる形にて残るもの也、その欲望も、其満足も、文学史の上には蔽ふべからざる事実となるなり、而して吾人は、その欲望よりも、其満足よりも、其状態よりも、第一に人生の精神を知らざるべからず、吾人は観察なるものゝ甚だ重んずべきを認む、然れども状態ステートを観察するに先ちて、赤裸々の精神をざるべからず、認識せざるべからず、然かる後にその精神の活動を観察せざる可からず。
 精神は終古一なり、然れども人生は有限なり、有限なるものゝ中にありて無限なるものゝ趣きを変ゆ。東洋の最大不幸は、始めより今に至るまで精神の自由を知らざりし事なり、然れども此は東洋の政治的組織の上に言ふのみ、其宗教の上に於ては大なる差別けぢめあり。始めより全く精神の自由を知らず、且つ求めざるの国は必らず退歩すべきの国なり、必らず歴史の外に消ゆべきの国なり。政治と懸絶したる宗教に向つて精神の自由を求むるは、国民が政治を離るゝの徴なり。宗教にして若し政治と相渉ることなくんば、其邦の思想は必らず一方には極端なる虚想派を起し、一方には極端なる実際派を起さゞるべからず。吾人は他日、日本文学と国躰との関係を言ふ時に於て、此事を評論すべし、今は唯だ、日本の政治的組織は、一人の自由を許すといへども、衆人の自由を認めず、而して日本の宗教的組織は主観的に精神の自由を許すと雖、社界とは関係なき人生に於て此自由を享有するを得るのみにして、公共の自由なるものは、此上に成立することなかりしといふ事を断り置くのみ。
 爰に於て、吾人は読者を促がして前号の題目にかへらんことを請ふの要あり。人間は精神を以て生命の原素とするものなり、然れども人間生活の需要は慰藉と保全とに過ぐるなし、文学も其直接の目的は此二者を外にすること能はず。文学の種類は多々ありとも、この、直接の目的に外れたるものは文学にあらざるなり、而して何をか尤もこの目的にかなひたるものとすべきかは、此本題の外にあり。
 徳川時代文学の真相は、其時代を論ずるに当りてつまびらかに研究すべし、然れども余は既に逆路より余の研究を始めたり、極めて粗雑に明治文学の大躰を知らんこと、余が今日の題目なり。父を知らずして能く児を知るは稀れなり。之を以て余は今日に於て、甚だ乱雑なる研究法を以て、徳川文学が明治文学に伝へたる性質の一二を観察せんと欲す。
 文学の最初は自然の発生なり、人に声あり、人に目あると同時に、文学は発生すべきものなり、然れども其発達は、人生の機運に伴ふが故に長育するものなり、能く人生を楽ましめ、能く人生に功あるものは、人間に連れて進歩すべき文学なり。之を以て一国民の文学は其時代をいづること能はざるなり、時代の精神は文学を蔽ふものなり、人は周囲によりて生活す、其声も、其目も、周囲を離るゝことは断じて之なしと云ふも不可なかるべし。
 徳川氏の前には文学は仏門の手に属したり、而して仏門の人間を離れたりしは、当時の文学の人間を離れたる大原因となりて居たりき。徳川氏の覇業を建つるや、あたかも漢土に於て儒教哲学の勃興せし時の事とて、文学の権を僧侶の手より奪ひ取ると同時に、儒教の趣味を満潮の如く注ぎ込みたり。然るに徳川氏の覇業は、性質の革命にあらずして形躰の革命に止まりしが故に、従つて起りたる文学の革命も、僧侶の手より儒者の手に渡りたるのみにして、其性質に於ては依然として国民の一半に充つべきものにてありたり、疑もなく文学は此時代に於て復興したり、然も其復興は仏と儒との入れ代りに過ぎずして、要するに高等民種に応用さすべきものたるに過ぎざりし。之に加ふるに徳川氏は文学を其政治の補益となすことに潜心したるが故に、儒教も亦た一種の徳川的儒教と化し了し、風化を補ひ世道を益し、徳川氏の時代にかなふべきものにあらざれば、文学として世にたふとばるべからざるが如き観をなせり。これ即ち徳川氏の時代にありて、高等民種(武士)の文学は甚だ倫理の圏囲に縛せられて、其範囲内に生長したる主因なり。
 然れども倫理といふ実用を以て、文学の命運を縮むるは詩神の許さゞるところなり。爰に於て俳諧のにはかに、成熟するあり、更に又た戯曲小説等の発生するあり。戦乱んで泰平の来る時、文運は必らず暢達ちやうたつすべき理由あり、然れども其理由を外にして徳川時代の初期を視る時は、一方に於て実用の文学大に奨励せらるゝ間に、他方に於ては単に快楽の目的に応じたる文学の勃として興起したるを視るべし。武士は倫理に捕はれたり、而して平民は自由の意志ウイルに誘はれて、放縦なる文学を形成せり。爰に至りて平民的思想なるものゝ始めて文学といふ明鏡の上に照り出づるものあり、これ日本文学史に特書すべき文学上の大革命なるべし。
 吾人は此処こゝに於て平民的思想の変遷を詳論せず、唯だ読者の記憶をこはんとすることは、斯の如く発達し来りたる平民的思想は、人間の精神が自由を追求する一表象にして、その帰着する処は、倫理と言はず放縦と言はず、実用と言はず快楽と言はず、最後の目的なる精神の自由を望んで馳せ出たる最始の思想の自由にして、遂に思想界の大革命を起すに至らざれば止まざるなり。
 維新の革命は政治の現象界に於て旧習を打破したること、万目の公認するところなり。然れども吾人はむしろ思想の内界に於て、遙かに偉大なる大革命を成し遂げたるものなることを信ぜんと欲す。武士と平民とを一団の国民となしたるもの、実に此革命なり、長く東洋の社界組織に附帯せし階級の繩を切りたる者、此革命なり。而して思想の歴史を攻究する順序より言はゞ、吾人は、この大革命を以て単に政治上の活動より生じたるものと認むる能はず、自然の理法は最大の勢力なり、平民は自ら生長して思想上に於ては、最早旧組織の下に黙従することを得ざる程に進みてありたり、明治の革命は武士の剣鎗にて成りたるが如く見ゆれども、其実は思想の自動多きに居りたるなり。
 明治文学は斯の如き大革命に伴ひて起れり、其変化は著るし、其希望や大なり、精神の自由を欲求するは人性の大法にして、最後に到着すべきところは、各個人の自由にあるのみ、政治上の組織に於ては、今日未だ此目的の半を得たるのみ、然れども思想界には制抑なし、之より日本人民のかんと欲する希望いづれにかある、愚なるかな、今日に於て旧組織の遺物なる忠君愛国などの岐路に迷ふ学者、請ふ刮目くわつもくして百年の後を見ん。

     三、変遷の時代

 残燈もろくも消えて徳川氏の幕政空しく三百年の業をのこし、天皇親政の曙光漸くのぼりて、大勢にはかに一変し、事々物々其相を改めざるはなし。加ふるに物質的文明の輸入堤を決するが如く、上は政治の機関より、下万民の生活の状態に至るまで、千枝万葉こと/″\く其色を変へたり。
 旧世界の預言者なる山陽、星巌、益軒、息軒等の巨人は、或は既に墳墓の中に眠り、或は時勢の狂濤に排されて、暁明星光薄く、而して、横井、佐久間、藤田、吉田等の改革的偉人も亦た相襲あひつぎて歴史の巻中に没し去り、長剣をよこたへて天下を跋渉せし昨日の浪人のみ時運の歓迎するところとなりて、政治の枢機を握り、既に大小の列藩を解綬かいじゆし、続いて武士の帯刀を禁じ、士族と平民との名義上の区別は置けども、普天率土同一なる義務と同一なる権利とを享有し、均しく王化の下に沐浴もくよくすることゝはなれり。
 文学は泰平の賜物なり、戦乱の時代にありては文学は必らず、活動世界を離れたる塲所に潜逸するものなり、足利氏の末世に於て即ち然り。然れども維新の戦乱は甚だ長からず、足利氏の末路に於て文学の庇護者たりし仏教は、此時に至りては既にその活力を失ひて、再び文学の庇護者たる名誉をになふ能はず。文学はかへつて活動世界の従僕となりて、勤王家、慷慨家等の名士をして其政治上の事業に附帯せしむるに至りぬ。此処にて一言すべきことあり。吾人は文学なる者をして何時の時代に於ても、必らず政治と離隔せしめざるべからずと論ずるものにあらず。文学は時代の鏡なり、国民の精神の反響なり、故に天下の蒼生が朝夕を安ずること能はざる時に当りて、超然身を脱して心を虚界に注ぐべしとするにあらず。畢竟するに詩文人は、其原素に於ては兵馬の人と異なるなきなり、之を詩人にかたちづくり、之を兵士に形るものは、時代のみ。国民は常に活動を欲するものなり、国民は常にその巨人を造るなり、国民は常にその巨人によつて其精神を吐くものなり、国民は常に其精神を吐きて、盛衰の運を迎ふるものなり、精神の枯るゝ時、巨人の隠るゝ時、活動の消ゆる時、国民は既に衰滅の徴を呈するものなり。之を以て、巨人は必らず国民の被造者にして、而して更に復た国民の造物者たらずんばあらず。国家事多ければ、必らず、能く天下を理する人起るなり、国家徳乏しければ、必らず、聖浄なる君子世に立つなり、国家安逸ならば、必らず、彼の一国の公園とも云はるべき詩文の人起るなり、若し此事なくば国家は半ば死せるなり、人心は半ば眠りたるなり、希望全く無き有様に近きなり。読者よ誤解するなかれ、吾人は偏狭なる理論に頑守するものにあらず、吾人は国民をして、出来得る丈自由に其精神を発揮せしめんことを希望するものなり。宗教に哲学に、た文学に、国民は常に其耳を傾けてあるなり、而して「時代」なる第二の造化翁は国民を率ゐて、その被造物なる巨人の説教を聞かしむるなり。
 明治初期の思想は実に第二の混沌たりしなり。何が故に混沌といふ。よ、従来の紀綱は全くゆるみたりしにあらずや、看よ、天下の人心は、すべての旧世界の指導者を失ひて、就いて聴くべきものをたざりしにあらずや、看よ、儒教道徳の大半は泰西たいせいの新空気に出会ひて、玉露のはかなく朝暉てうきに消ゆるが如くなりしにあらずや。然れども此混沌は原始の混沌の如くならず、速に他の組織をはらまんとする混沌なり、速に他の時代に入らんとする混沌なり。而して此混沌の中にありて、外には格別の異状を奏せざるも、内には明らかに二箇の大潮流が逆巻き上りて、一は東より、一は西より、必らず或処にて衝当るべき方向を指して進行しつゝあるを見るなり。
 吾人をして、此相敵視せる二大潮流を観察せしめよ。
 極めて解り易き名称にて之を言へば、其一は東洋思想なり、其二は西洋思想なり、然れども此二思想の内部精神をたづぬれば、其一は公共的の自由を経験と学理とによりて確認し、且握取せる共和思想なり、而して其二は、長上者の個人的の自由のみを承認して、国家公共の独立自由を知らず、経験上にも学理上にも国家には中心となりて立つべきものあるを識れども、各個人の自己に各自の中心あることを認めざる族長制度的思想なり。
 明治の革命は既に貴族と平民との堅壁を打破したり、政治上既に斯の如くなれば、国民内部の生命なる「思想」も亦た、迅速に政治革命の跡を追躡つゐでふしたり、此時に当つて横合より国民の思想を刺撃し、頭を挙げて前面を眺めしめたるものこそあれ、そを何ぞと云ふに、西洋思想に伴ひて来れる(寧ろ西洋思想を抱きて来れる)物質的文明、之なり。
 福沢諭吉氏が「西洋事情」は、寒村僻地へきちまで行き渡りたりと聞けり。然れども泰西の文物を説教するものは、泰西の機械用具の声にてありき、一般の驚異はおのづからに崇敬の念を起さしめたり、文武の官省は洋人をへいして改革の道を講じたり、留学生の多数は重く用ひられて一国の要路に登ることゝなれり、而して政府は積年閉鎖の夢を破りて、外交の事漸くしよに就くに至れり、各国の商賈しやうこは各開港塲に来りて珍奇実用の器物をひさげり、チヨンマゲは頑固といふ新熟語の愚弄ぐろうするところとなれり、洋服は名誉ある官人の着用するところとなれり。天下をあげて物質的文明の輸入に狂奔せしめ、すべての主観的思想は、旧きは混沌の中に長夜の眠をむさぼり、新らしきは春草未だ萌えいづるに及ばずして、モーゼなきイスラヱル人は荒原の中にさすらひて、静に運命の一転するをてり。
 斯の如き、変遷トランジシヨンの時代にありては、国民の多数はすべての預言者に聴かざるなり、而して思想の世界に於ける大小の預言者も亦た、国民を動かすに足るべき主義の上に立つこと能はざるなり。之を以て思想界に、若し勢力の尤も大なるものあらば、其は国民に向つて極めて平易なる教理を説く預言者なるべし。再言すれば敢て国民を率ゐて或処にまで達せんとするてきの預言者は、斯かる時代に希ふ可からず。巧に国民の趨向すうかうに投じ、つまびらかに其の傾くところに従ひ、或意味より言はゞ国民の機嫌を取ることを主眼とするてきの思想家より多くを得る能はず。爰に於て吾人は小説戯文界に於て、仮名垣魯文翁の姓名を没する能はず。更に高品なる戯文家としては成島柳北翁を推さゞるべからず。けだし魯文翁の如きは徳川時代の戯作者げさくしやの後を襲ぎて、而して此の混沌時代にありて放縦を極めたるものゝみ。柳北翁に至つては純乎たる混沌時代の産物にして、天下の道義を嘲弄し、世道人心を抛擲はうてきして、うろたへたる風流に身をもちくづしたるものなり。吾人は敢て魯文柳北二翁を詰責するものにあらず、唯だ斯かる混沌時代にありて、指揮者をもたざる国民の思想に投合すべきものは、悲しくもかゝる種類の文学なることを明言するのみ。
 眼を一方に転ずれば、かの三田翁が着々として思想界に於ける領地を拡げ行くを見るなり。文人としての彼は孳々じゝとして物質的知識の進達を助けたり、彼は泰西の文物に心酔したるものにはあらずとするも、泰西の外観的文明を確かに伝道すべきものと信じたりしと覚ゆ。教師としての彼は実用経済の道を開きて、人材の泉源を造り、社会各般の機務に応ずべき用意を厳にせり。故に泰西文明の思想界に於ける密雲は一たび彼の上にあつまりて、而して後八方に散じたり。彼は実に平民に対する預言者の張本人なり。前号にも言ひし如く、維新の革命は前古未曾有の革命にして、精神の自由を公共的に振分けんとする革命にてあれば、此際に於て尤も多く時代にもとめらるべきは、此目的に適ひたるものなるが故に、其第一着として三田翁は皇天の召に応じたるものなり。然れども吾人を以て福沢翁を崇拝するものと誤解すること勿れ、吾人は公平に歴史を研究せんとするものなり、感情は吾人の此塲合に於て友とするものにあらず、吾人は福沢翁を以て、明治に於て始めて平民間に伝道したる預言者なりと認む、彼を以て完全なる預言者なりと言ふにはあらず。
 福沢翁には吾人、「純然たる時代の驕児けうじ」なる名称を呈するをはゞからず。彼は旧世界に生れながら、徹頭徹尾、旧世界をげたる人なり。彼は新世界に於て拡大なる領地を有すると雖、その指の一本すらも旧世界の中に置かざりしなり。彼は平穏なる大改革家なり、然れども彼の改革は寧ろ外部の改革にして、国民の理想を嚮導きやうだうしたるものにあらず。此時に当つて福沢氏と相対して、一方の思想界を占領したるものを、敬宇先生とす。
 敬宇先生は改革家にあらず、適用家なり。静和なる保守家にして、然も泰西の文物を注入するに力をいたせし人なり。彼の中には東西の文明が狭き意味に於て相調和しつゝあるなり。彼は儒教道教を其の末路に救ひたると共に、一方に於ては泰西の化育を適用したり。彼は其の儒教的支那思想を以てスマイルスの「自助論」を崇敬したり。彼に於ては正直なる採択あり、熱心なる事業はなし、温和なる崇敬はあり、執着なる崇拝はなし。彼をして明治の革命の迷児とならしめざるものは、此適用、此採択、此崇敬あればなり。多数の漢学思想を主意とする学者の中に挺立して、能く革命の気運に馴致じゆんちし、明治の思想の建設にあづかつて大功ありしものは、実に斯る特性あればなり。改革家として敬宇先生は無論偉大なる人物にあらざるも、保守家としての敬宇先生は、少くも思想界の一偉人なり。旧世界と新世界とは、彼の中にありて、奇有けうなる調和を保つことを得たり。
 福沢翁と敬宇先生とは新旧二大潮流の尤も視易き標本なり、吾人は極めて疎略なる評論を以て此二偉人を去らんとす。爰に至つて吾人は眼を転じて、政治界の変遷を観察せざるべからず。

     四、政治上の変遷

 族長制度の真相は蛛網ちゆまうなり。その中心に於て、その制度に適する、すべての精神をあつむるなり。而して数百数千の細流は其中心より出でゝ金環を周綴しうていし、而して又た再び其の金環より中心に帰注するものなり。
 斯の如き真相は吾人、之を我が封建制度の上にも同じく認むるなり。欧洲各国の歴史が一度経過したる封建制度と我が封建制度との根本の相違は、蓋し此点に於て存するなり。然れども尤も多く族長制度的封建を完成したるは、之を徳川氏に見るのみ。足利氏は終始事多くして、制度としては何の見るべきところもなし、北条氏は実権は之を保有せしにせよ、其状態は恰も番頭の主家を摂理するが如くなりしなり。源家に至りては極めて規模なく、極めて経綸なきものにして、藤原氏の如きは暫らく主家を横領したる手代のみ。藤原氏の時代には政権の一部分なほ皇室に属したり。源氏北条氏の時代に於ては、政権は既に大方武門に帰したりと雖、なほ文学宗教等は王室の周辺にあつまれり。くだつて徳川氏に至りては、雄大なる規模を以て、政治をも、宗教をも、文学をも、悉くその統一権の下に集めたり。徳川氏は封建制度を完成したり、その「完成」とは即ち悉皆しつかい日本社会に当篏あてはめたるものにして、再言すれば日本種族の精神が其制度に於て「満足」を見出すほどに完備したるなり。
 徳川氏は封建としては、斯の如く完備したる制度を建設したり。故に徳川氏の衰亡は、即ち封建制度の衰亡ならざるべからず。日本民権は、徳川氏に於て、すべての封建制度の経験を積みたり、而して徳川氏の失敗に於て、すべての封建政府の失敗を見たり、天皇御親政は即ち其の結果なり。
 徳川氏の失敗は封建制度の墜落となれり。明治の革命は二側面を有す、其一は御親政にして、其二は聯合躰の治者是なり。更に細説すれば、一方に於ては、武将の統御に打勝ちたる王室の権力あり。他方に於ては、一団躰の統治乱れて聯合したる勢力の勝利あり。征服者として天下を治めたる武断的政府は徳川氏を以て終りを告げ、広き意味に於て国民の輿論の第一の勝利を見たり。而して之を促がしたるものは外交問題なりしことを忘るべからず。
 およそ外交問題ほど国民の元気を煥発するものはあらざる也。之なければ放縦懶惰安逸虚礼等に流れて、覚束おぼつかなき運命に陥るものなり。徳川氏の天下に臨むや、法制厳密にして注意極めて精到、之を以て三百年の政権はほとんど王室の尊厳をさへ奪はんとするばかりなりし、然るに彼の如くもろくたふれたるものは、し腐敗の大に中に生じたるものあるにもせよ、吾人は主として之を外交の事に帰せざるを得ず。而して外交の事に就きても、蓋し国民の元気の之に対してぼつとして興起したることを以て、徳川氏の根蔕を抜きたる第一因とせざるべからず。
 国民の精神は外交の事によつて覚醒したり。其結果として尊王攘夷論を天下に瀰漫びまんせしめたり、多数の浪人をして孤剣三尺東西に漂遊せしめたり。幕府衰亡の顛末てんまつは、桜痴あうち居士の精細なる叙事にて其実況を知悉ちしつするに足れり。吾人は之を詳論するの暇なし、唯だ吾人が読者に確かめ置きたき事は、斯の如く覚醒したる国民の精神は、たゞに徳川氏を仆したるのみならず、従来の組織を砕折し、従来の制度を撃破し尽くすにあらざれば、満足すること能はざること之なり。
 明治政府は国民の精神の相手として立てり。国民の精神は明治政府に於て其の満足を遂げたり、爰に至つて外交の問題も一ト先づ其の局を結びたり、明治六七年迄は聯合したる勢力の結托鞏固きようこにして、専ら破壊的の事業に力を注ぎたり、然れども明治政府の最初の聯合躰は、寧ろ破壊的の聯合組織にして、破壊すべき目的の狭まくなりゆくと共に、建設すべき事業に於て、相撞着どうちやくするところなき能はず。爰に於て征韓論の大破綻あり、佐賀の変、十年の役等は蓋し其の結果なるべし。之よりして政府部内にあるすべての競争は、聯合躰より単一躰に趣かんとする傾向に基けり、凡ての専制政躰に於て此事あり、吾人は独り明治政府を怪しまざるなり。
 吾人の眼球を一転して、吾国の歴史に於て空前絶後なる一主義の萌芽を観察せしめよ。
 即ち民権といふ名を以て起りたる個人的精神、是なり。この精神を尋ぬる時は、吾人くしくも其発源を革命の主因たりし精神の発動に帰せざるべからざる数多の理由を見出すなり。かれは革命の成功と共に、一たびは沈静したり、然れども此は沈静にあらずして潜伏なりき。革命の成るまでは、皇室に対し国家に対して起りたる精神の動作なりき。既に此目的を達したる後は、如何なる形にて、其動作をあらはすべきや。
 国民は既に政治上に於ては、旧制を打破して、万民ともに国民たるの権利と義務をになへり。この「権利」と「義務」は、自からに発達し来れり、権義の発達は即ち個人的精神の発達なり。材能あるものは登用して政府の機務を処理することゝなれり。而して材能なきものと雖も、一村一邑いちいふに独立したる権義の舞台となりて、個人的の自由を享有するものとなれり。富の勢力はにはかに上騰したり。アビリチーの栄光漸くあらはれ来れり。必要は政府を促がして、法律の輸入をなさしめたり。之を要するに個人的精神は長大足の進歩を以て、狭き意味に於ける国家的の精神の領地をかすめ去れり。国民の自由を保護すべき武器として、言論集会出版等の勢力漸くにして世に顕はれたり。政府未だ如何にして是等の新傾向に当るべきかを知らざりしなり。明治政府はひたすら聯合より単一に趣かんことに意を鋭くしたり。十年の役はいさゝか其目的を達したりと雖、なほ各種の異分子のあひ疾悪しつをするもの政府部内に蟠拠はんきよするあれば、表面は堅固なる組織の如くなれど、其実極めて不安心なる国躰なりと云はざるを得ず。
(明治二十六年四月)

底本:「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」筑摩書房
   1969(昭和44)年6月5日初版第1刷発行
   1985(昭和60)年11月10日初版第15刷発行
初出:「評論 一號〜四號」女學雜誌社
   1893(明治26)年4月8日、4月22日、5月6日、5月20日
入力:kamille
校正:鈴木厚司
2005年1月27日作成
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