あらすじ
都を追われ、鬼界ヶ島に流された俊寛。彼はかつて栄華を誇った日々を思い出し、絶望と郷愁にさいなまれている。共に流された丹波少将成経は、父の無念を晴らしたいと願うが、俊寛は「父は神を冒涜した」と告げ、成経を深く傷つける。一方、熊野権現を信仰する平判官康頼は、二人が絶望に沈むのを案じて、神への祈りを続ける。やがて、彼らの元に都からの船が近づいてくる。それは、彼らの運命を大きく変える船となるのか。
 人

法勝寺執行俊寛(ほっしょうじのしゅぎょうしゅんかん)
丹波少将成経(たんばのしょうしょうなりつね)
平判官康頼(たいらのはんがんやすより)
有王(ありおう)(俊寛の昔の家僮(かどう))
漁夫(ぎょふ)(男、女、童子ら数人)
丹左衛門尉基康(たんざえもんのじょうもとやす)(清盛(きよもり)の使者)
その従者 数人
船頭 数人

 時

平氏全盛時代

 所

鬼界(きかい)が島
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   第一幕

鬼界(きかい)が島の海岸。荒涼(こうりょう)とした砂浜(すなはま)。ところどころに芦荻(ろてき)など乏(とぼ)しく生(お)ゆ。向こうは渺茫(びょうぼう)たる薩摩潟(さつまがた)。左手はるかに峡湾(きょうわん)をへだてて空際(くうさい)に硫黄(いおう)が嶽(たけ)そびゆ。頂(いただき)より煙をふく。ところどころの巌角(いわかど)に波砕(くだ)け散る。秋。成経浜辺(はまべ)に立って海のかなたを見ている。康頼岩の上に腰をおろして木片(きぎれ)にて卒都婆(そとば)をつくっている。

成経 あゝとうとう見えなくなってしまった。九州のほうへ行く船なのだろう。それとも都(みやこ)へのぼる船かもしれない。わしの故郷(こきょう)のほうへ。
康頼 どうせこのような離れ島に寄って行く船はありませんよ。そんなに毎日浜辺に立って、遠くを通る船を見ていたってしかたがないではありませんか。
成経 でも船の姿(すがた)だけでもどんなになつかしいか。灰色にとりとめもなく広がる大きな海を見ているとわしは気が遠くなってしまう。わしとは何の関係もないように、まるで無意味(むいみ)で、とりつくしまもないような気がする。せめて向こうに髪(かみ)の毛ほどでもいいから、陸地の影が見えてくれたら。
康頼 それは及びもつかない願いでございます。ここからいちばん近い薩摩(さつま)の山が、糸すじほどに見えるところまで行くのでも、どんな速い船でも二、三日はかかると言いますから。
成経 でも船の姿(すがた)がほんのちょっとでも見えるとわしには希望の手がかりがつくような気がします。
康頼 それで毎日毎日海ばかり見ているのですか。
成経 十日に一度くらいは白帆(しらほ)のかげが見られます。でもはれた日でないと雲がかかって見えません。だからしけの日はわしにとって実に不幸な日です。朝起きて見て雲が晴れていると、あゝ、きょうもまた浜辺(はまべ)に立って船の見えるのを待とうと思って希望がわきます。
康頼 希望という言葉はほんとうにわしたちにとってありがたい、けれど身をきるような響(ひび)きを持って聞こえますね。
成経 希望、そうだ希望だ。船の姿はわしの一縷(いちる)の希望だ。だってそれででもなくて何をたのしみに生きるのだろう。もしも何かの不思議であの遠くを通(かよ)う船がこっちにやってくるかもしれない。
康頼 それは神仏(かみほとけ)の力でなくてはとてもできることではありません。
成経 それであなたは毎日卒都婆(そとば)をつくって流すのですか。
康頼 きょうでもう九百九十五本流しました。もう五本流せば、熊野権現(くまのごんげん)様にたてた誓(ちか)いのとおり、千本という数になります。
成経 あ。また白帆が見える。ほんとにかすかで、よく見なくては鴎(かもめ)とまちがうくらい小さいけれど。来てごらんなさい。
康頼 わしは見ますまいよ。
成経 早く見ないとかくれてしまう。あなたは初めはわしといっしょに毎日船を見にいらしたではありませんか。
康頼 けれどとてもこの島へは来ないとあきらめたのです。あの船の姿(すがた)が雲にかくれて見えなくなるときの気持ちが恐ろしくなったのです。わしは何だかあの帆を見ると、葬(とむ)らいの行列の幡(はた)のような気がしてなりません。
成経 何をほうむるのですか。
康頼 わたしたちの希望を!
成経 (悲しげに)あゝ、よしてください。わしのただ一つの希望に、そんな不吉な想像を描(えが)くことは。
康頼 わしはそれよりも、日頃(ひごろ)念ずる神様の不思議の力によって、都(みやこ)へ帰ることの許さるるよう祈ったほうがいいと思うようになりました。
成経 けれど考えてごらんなさい。その小さな卒都婆(そとば)が何百里という遠い海を漂(ただよ)うて都のほうの海べに着くということがありましょうか。
康頼 でも千本のうち一本くらいは。
成経 とても九州までも行きはしますまい。潮風(しおかぜ)に吹き流されて。この島の磯(いそ)にでも打ちあげれば、蜑(あま)の子が拾うて薪(たきぎ)にでもしてしまうだろう。
康頼 しかしあれには二首の歌が彫(ほ)りつけてあります。故郷(こきょう)をしたう歌が。心あるものはまさか焚(た)いてしまいはしますまい。
成経 文字(もんじ)など読めるような人がこの島にいるものですか。言葉でもろくに通じないくらいだのに、男は烏帽子(えぼし)もかぶらず女は髪(かみ)もさげず、はだしで山川を歩くさまはまるで獣(けもの)のようではありませんか。
康頼 あゝ。わしはあの優雅(ゆうが)な都(みやこ)の言葉がも一度聞きたい。あの殿上人(てんじょうびと)の礼容(れいよう)ただしい衣冠(いかん)と、そして美しい上※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)(じょうろう)の品(ひん)のよい装(よそお)いがも一度見たい。
成経 この島の女は猿(さる)のように醜(みにく)い。
康頼 わしはけさ卒都婆(そとば)を流しにいって、岸辺(きしべ)に立ってさびしいことを考えました。わしはわし自身が丹精(たんせい)してほりつけた歌を今さらのように読み返しました。何たるさびしい歌だろう。卒都婆は波にもまれて芦(あし)のしげみにかくれてしまいました。わしはそれをじっと見送っていたら涙(なみだ)がこぼれた。しかし神様には何でもできないことはないはずだ。千本の内一本でも中国あたりの浜にでも着いて心ある人に拾われたら、きっと清盛(きよもり)の所へ送ってくれるだろう。清盛だって鬼神(きじん)でもあるまい。あのさびしい歌を読んで心をうごかさぬことはあるまい。あゝ。われわれがこの孤島(ことう)でどんな暮らし方をしているかを知ったら。どんなにふるさとをしとうているかを知ったら。むかえの使いを送ってくれまいものでもない。
成経 しかしそれはあまりにおぼつかない希望だ。
康頼 神を疑(うたが)ってはいけません。熊野権現(くまのごんげん)は霊験(れいげん)あらたかな神でございます。これまでかけた願(がん)の一つとして成就(じょうじゅ)しなかったのはありません。
成経 しかしここは紀州ではなし、那智(なち)の滝もないではありませんか。
康頼 神はどこにでもいられます。わしがあの奥深い森を選んだのは、あたりの様子がどことなしに那智(なち)の御山(みやま)に似ているからです。あれは本宮(ほんぐう)、これは新宮(しんぐう)、一の童子(どうじ)、二の童子とかりに所を定(き)め、谷川の流れを那智の滝と思い、そこに飛滝権現(ひりゅうごんげん)を形ばかりにまつりたてまつったのでございます。どんなにさびしい孤島(ことう)に流されても、拝する神のないのは堪(た)えられません。あの鬼(おに)のような清盛だって厳島明神(いつくしまみょうじん)に帰依(きえ)しているではありませんか。
成経 (あざけるように)ではわしは天魔(てんま)でもまつりましょうよ。そしてあの清盛を呪(のろ)ってやりましょう。
康頼 わしはこの間も権現様に通夜(つや)をして祈りました。そして祈り疲(つか)れてうとうとしました。するとわしは不思議な夢を見たのです。沖(おき)のほうから潮風(しおかぜ)に吹かれて木の葉が二枚ひらひらと飛んできて、わしの袖(そで)にかかりました。それを手に取ってみると御熊野(みくまの)の山にたくさんある栴(なぎ)の葉なのです。よく見るとその葉に歌が一首書いてあるのです。「ちはやふる神に祈りのしげければ、などかみやこへかえらざるべき」とありあり読みました。あゝありがたいと思ってその栴(なぎ)の葉をいただいて目がさめたのです。
成経 それはあなたがいつも都へ帰りたい帰りたいと思っているから、そんな夢を見たのでしょう。
康頼 しかしありありと歌まで覚(おぼ)えているのです。霊夢(れいむ)に相違(そうい)ありません。たとえそうでなくっても、わしはそうと信じたいのです。
成経 それであの卒都婆(そとば)流しを思いついたのですね。
康頼 (さびしそうに)はい。
     間。
成経 俊寛殿はどこへ行きましたか。
康頼 きょうも熊野権現(くまのごんげん)にお参りなされました。
成経 あの人は神など拝むような人ではなかったが。
康頼 人間は苦しい目にあうと神を拝むようになるものですよ。今でも時々こんなことをしたって何になるなどと自暴(やけ)になってわしにあたったり、それかと思うと絶望したように、ため息をついたりなさいます。そのくせやはり毎日お参りしていらっしゃるようです。
この時雷(らい)のとどろくごとく、大いなる音響(ひび)きわたる。
成経 あゝ、また山が荒れるな。
康頼 ではあしたは雨ですぞ。あの山が荒れるときっとふもとには雨が降るのだから。
成経 あしたは船の姿(すがた)も見られますまい。雨降りの日ぐらいわしは不幸な気のすることはない。わしはあなたのように信心はなし、雨の漏(も)るあばら家で衣の袖(そで)をぬらしながら、物思いにふけると、さびしいことばかり考えられます。希望の影も見失うて、いちばんさびしいことをさえ考えますよ。……死のことをさえ。
康頼 (身ぶるいする)それを言うのはよしてください。わしはそれを考えるのを恐れているのですから。きっといい日が来ますよ。成経殿。わしたちは希望を失いますまい。権現(ごんげん)様のご利生(りしょう)でもきっと迎えの船が来て、都(みやこ)へかえることができるでしょう。
成経 それはあの山から煙の出ない日を待つよりも、はかないことかもしれない。
康頼 でもあの山で硫黄(いおう)を取って、集めてそれを漁師(りょうし)の魚や野菜と交換しなかったら、わしたちはどうして生きてゆくのでしょう。
成経 あの年に一度九州から硫黄を取りに来る船に頼んで、せめて九州の地まで行くことはできますまいか。九州の地にさえ着けばそこからは都へ通う船は多いのだから。
康頼 わしらが飛ぶ鳥も落とす清盛(きよもり)に謀叛(むほん)して、島流しになってる身であることを、知らない者はありません。とても船にのせてはくれません。島の漁師たちさえわしらを恐れて近づかぬではありませんか。
成経 何とかして商人(あきんど)をだまして九州まで行けば、どこかに隠(かく)れて時期をうかがうこともできるだろう。
康頼 草の陰(かげ)、洞(ほら)のすみを捜しても、あの清盛が見つけ出さずにはおきますまい。そうなったら今度はとても生かしてはおきますまい。
成経 (絶望したように)あゝ。わしは人間というものがこのようなさびしい、乏(とぼ)しい状態に陥(おちい)り得るものとは思わなかった。いや、それよりもかような寂寞(せきばく)と欠乏とに耐(た)えてもなお生(せい)を欲するものとは思わなかった。わしがもし死を願うことができたなら! わしはたびたびそう思うのです。もしわしがわしのただ一つの希望を失ってしまったら、も一度都(みやこ)へ帰れるかもしれないという、かすかな、何のよりどころもないこの空想を。(悲しげに)あゝこの空想を[#「空想を」は底本では「空想(えが)を」]描(えが)く勇気をもはや失ってしまったなら、わしは泥(どろ)のようにくずれて死んでしまうであろうと。そしてそのほうがかえって幸福かもしれないと。けれど浜辺(はまべ)に立ってたまさかに遠くの沖をかすめて通る船の影を見ると、わしには再び希望が媚(こ)びるように浮かんでくるのです。わしをからかうように、じらすように、幸福をのせてゆく船、やがて恋しいふるさとの岸辺(きしべ)に着く船、疲(つか)れた旅人はあたたかい団欒(まどい)に加わるうれしさに船を急がせているのだろう。
康頼 (顔をおおう)妻や子のことを考えるのは恐ろしい。
成経 わしの子はもう髪(かみ)を結(ゆ)うほどになっているはずです。別れる時に三つだったから。乳母(うば)の六条の膝(ひざ)にのって、いつも院の御所(ごしょ)に出仕(しゅっし)する時と同じように、何もしらないで片言(かたこと)を言ってわしに話しかけていました。門の外にはいかめしく武装した清盛(きよもり)の兵士らがわしの車を擁(よう)して待っていた。彼らのある者は剣(つるぎ)や槍(やり)で扉(と)をこわれるほどたたいて早く早くと促(うなが)していた。妻はまっさおな顔をしてふるえていた。わしの袖(そで)をつかんで、おゝ妻は妊娠(にんしん)だったのだ。わしは無礼(ぶれい)な野武士らの前にひざまずいて、乞食(こじき)のごとくに哀願(あいがん)した。ただ出発をほんの五分間延ばすことを。ただ一口妻をはげます言葉をかけてやるために、そして伜(せがれ)の頭髪(かみ)を別れのまえにも一度なでてやるために!
康頼 あゝ、わしがあの時に受けた屈辱(くつじょく)を思えば胸が悪くなる!
成経 野武士らはわしの懇願(こんがん)を下等(かとう)な怒罵(どば)をもって拒絶した。そして扉を破って闖入(ちんにゅう)し、武者草鞋(むしゃわらじ)のままでわしの館(やかた)を蹂躪(じゅうりん)した。わしはすぐに飛び出て馬車に乗った。彼らが妻を侮辱(ぶじょく)することを恐れたから。
康頼 北(きた)の方(かた)はどうされました。
成経 母は父の安否(あんぴ)ばかり心配して泣いていました。そしてなぜわしがかかる恐ろしいことを企(くわだ)てたかをかきくどきました。父はその朝院に出仕(しゅっし)する途中を捕(とら)えられたのです。
康頼 あゝ。成親殿(なりちかどの)はどうされたやら。
成経 父のことを思うのはわしの地獄(じごく)です。清盛(きよもり)は謀叛(むほん)の巨魁(きょかい)として父をもっとも憎(にく)んでいました。清盛が父を捕えていかに復讐(ふくしゅう)的に侮辱したか。わしはそれを聞いた時むしろ死を欲しました。わしは馬車の中で警固(けいご)の武士らに父の安否をききました。彼らは詳しく詳しく語りました。不必要な微細なことまで。わしをはずかしめるために。清盛は西八条の邸(やしき)で父を地べたにけり落としたそうです。その時父が冠(かんむり)をたたき落とされて、あわてて拾おうとしたことまで彼らは語りました。その時清盛がまたけったので父は鼻柱(はなばしら)が砕(くだ)けて黒血がたれた。その時清盛は二人の武士に命じて左右から父の手を捕えて地べたにねじ伏せさせ、「彼にわめかせろ」と言ったそうです。二人の侍(さむらい)はさすがに気の毒になって、小さい声で耳もとにささやいて「何とでもいいから声をたてなさい」と言った。するとおゝ何たることでしょう。父はつくり声で悲鳴をあげたそうです。清盛は大笑いして勝ち誇(ほこ)ったようにふすまをあけて出ていった。その時の父には無念の表情よりもむしろ責苦(せめく)をのがれた安堵(あんど)の色が見えた。こういうことをはたで見ていたと言って、明らかにわしをからかう意図(いと)を見せて詳しく詳しく語りました。そして彼らは父がかかる怯懦(きょうだ)なる器量(きりょう)をもって、清盛(きよもり)を倒そうともくろんだのは、全く烏滸(おこ)の沙汰であると放言しました。むろん、わしは彼らの話の細部(さいぶ)は信じなかった。しかし黙って聞いていなくてはならなかったのです。
康頼 いつもは私の車の先払(さきばら)いの声にもふるえあがった青侍(あおざむらい)が、急に征服者のように傲慢(ごうまん)な態度をもってのぞみだした。彼らと車を同じくすることだけでも堪(た)えられない恥辱(ちじょく)と思っていたのに!
成経 わしは同志の安否(あんぴ)を気づかいました。しかしだめだった。彼らは何ごとをも隠(かく)して語らなくなったから、わしは牢獄(ろうごく)の中で幾たびも壁(かべ)に頭を打ちつけて死のうとしました。彼らはわしの武器を取り上げてしまったから、しかし死にきれなかった。わしは死にきれない自分を恥じた。しかし骨肉(こつにく)の愛と清盛に対する復讐心(ふくしゅうしん)とがわしを死にきれさせなかった。
康頼 侮辱(ぶじょく)されながら、しかも自殺できないほどの苛責(かしゃく)がありましょうか。それは実に一種言いようのないわるい状態です。
成経 清盛めは父とわしとを同じ備前(びぜん)の国に流しました。
康頼 さすがに気の毒に思ったのでしょう。
成経 重盛(しげもり)が懇願(こんがん)したからです。しかし結果は残酷(ざんこく)ないたずらと同じになりました。ちょうど中を隔(へだ)てた一つの檻(おり)に親子の獣(けもの)をつなぐように。わしの配所(はいしょ)の児島(こじま)と父の配所の有木(ありき)の別所とは間近いのです。しかも決してあうことは許されないのです。その欠乏と恥辱との報知だけはしきりに聞こえるけれども。(間。顔色が悪くなる)ついにわしは父が殺されたといううわさを聞きました。しかしその真否(しんぴ)を確かめることができないうちに、この鬼界(きかい)が島に移されてしまった。
康頼 それはきっと虚報(きょほう)でしょう。重盛(しげもり)が生きている限りはよもや成親殿(なりちかどの)を殺させはしますまい。自分の愛する妻の兄を! たとえ清盛(きよもり)が何と言いはっても。
成経 (頭を振る)いや虚報ではありますまい。虚報にしては、あまりに細部(さいぶ)にわたった報知だったから。清盛は父をひどく憎(にく)んでいました。彼は自分の憎悪(ぞうお)を復讐(ふくしゅう)せずに制することのできるようなやつではありません。西光(さいこう)殿をあらゆる残酷(ざんこく)な拷問(ごうもん)によって白状させたあとで、その口を引きさいて首をかけたほどの清盛です。あゝ彼らは父を殺すのにどんな恥ずべき手段を用いたことか!
康頼 重盛に秘して、暗夜(あんや)に刺客(しかく)を忍(しの)び込ませましたか。
成経 彼らは鼠(ねずみ)をたおすに用いる毒薬を食に盛って、父を毒害しようとしました。父が病死したと言って重盛をあざむくために。しかしそれが成功しなかったので、(よろめく)あゝ、ほとんど信ずることのできないような残酷な方法です、芦(あし)の密生している高い崖(がけ)の上に連れ出して、後ろから突き落としたのです。父は芦に串刺(くしざ)しにされて悶死(もんし)したそうです。そして父が踏(ふ)みすべって落ちたと言いふらさせたのです。
康頼 (耳をおおう)あゝ。わしは聞くに耐(た)えない。
成経 その残酷な父の最後を聞きながら、一指(いっし)をも仇敵(きゅうてき)に触れることのできない境遇にあることは恐ろしい。その境遇にありながら、死にきれない身はなお恐ろしい。(顔をおおい、くず折れる)
     間。
康頼 (森のほうより通ずる道を見る。いたく心を動かされたるさまにて)俊寛殿が帰って来られます。
成経 (顔を上げ、向こうを見る)何か考え込んでいられますね。
康頼 まるで蜻蛉(かげろう)のようにやせている。
成経 ひょろひょろして今にも倒れそうな足どりをしている。
康頼 あゝ、影のような力ない人間の姿(すがた)だ。
成経 わしはまるで人間のような感じがしません。木の株(かぶ)が歩いているような。それとも石のきれか。
康頼 あゝ、立ち止まりました。岩にもたれてため息をついている。疲(つか)れたのでしょう。
成経 沖(おき)のほうを見ています。
康頼 いや、何も見ているのではありません。空虚(くうきょ)な目つきをしています。
成経 あゝ墓石だ。ああしてじっとして動かないところはまるで墓石だ。
康頼[#「康頼」は底本では「頼康」] (身ぶるいする)あゝ。
俊寛 (登場。ため息をつきつつ、海を見入る)
成経 呼んでやりましょう。わしらにも気がつかないのだ。
康頼 (二、三歩あゆむ)俊寛殿。
俊寛 (じっとしている)
成経 (声高く)俊寛殿。
俊寛 (二人のそばに近づく)わしに力を与えてください。わしをはげましてください。わしは絶えいりそうです。
成経 (俊寛を抱(だ)く)今希望を失う時ではありません。
康頼 あゝ神々よ。
俊寛 わしはその名を呼ぶのがいやになりました。われわれにこの悲運(ひうん)を与えた神に祈るのが。正しきものの名によって兵をくわだてた勇士をかかる悲惨(ひさん)な境遇に陥(おちい)らしめ、そして王法の敵にかかる栄(さか)えをあたうるごとき不合理な神々の前に、乞食(こじき)のごとくに伏してあわれみを求めることが!
康頼 神々は正しく照覧(しょうらん)していられます。耐(た)えしのんで祈ってあきなかったらいつかはわれわれの日がきっと来るでしょう。
俊寛 あなたはほんとうにそう信じるのですか。
康頼 信じています。
俊寛 ほんとうですか。
康頼 ほんとうに信じています。
俊寛 (康頼の顔を見る)うそではありますまいね。
康頼 (顔をそむける)うそではありません。
俊寛 どうぞきょうばかりはほんとうにいってください。わしは一生懸命なのですから。わしを慰(なぐさ)めようと思って偽(いつわ)りの証(あかし)をたてないでください。わしはきょうも熊野権現(くまのごんげん)に日参(にっさん)して祈りました。しかしだめです。わしはほんとうに信じていないのですから。祈りの心はすぐにかれます。わしは宮の周囲にはえた不格好(ぶかっこう)な樹立(こだち)と、そしてちょろちょろと落ちる谷水を見ていると、何とも言えない欠乏の感じにうたれました。その感じは祈りとか望みとかいうような、すべての潤(うるお)うた感じを殺してしまうようないやなものでした。いったいこの島にはえている草や木はどうしてこんなに醜(みにく)いのでしょう。わしはすべての陰気なものを生み出すような祠(ほこら)の陰の湿地(しっち)にぐじゃぐじゃになって、むらがりはえた一種異様な不気味(ぶきみ)な色と形をした無数の茸(きのこ)を見つけました。その時わしはたまらなくなって立ち上がりました。わしは餓鬼(がき)の祠(ほこら)を拝んでいるのではないかという気がしたのです。
康頼 (力なく地面を見つつ)地獄(じごく)の底にも神はいられます。
俊寛 あゝ、あなたがそのとおりの言葉をもっと自信をもって言ってくだすったら!
康頼 法華経(ほけきょう)の中にも入於大海仮使黒風吹其船舫飄堕羅刹鬼国其中一人称観世音菩薩名者是諸人等皆得解脱羅刹之難(じゅおたいかいけしこくふうずいきせんぼうひょうだらせっきこくきちゅういちにんしょうかんぜおんぼさつみょうしゃぜしょにんとうかいとくげだつらせつしなん)とかいてあります。
俊寛 権威(けんい)をもって言ってください。それはうそではありませんか、あなたは信じますか。
康頼 (うつむく)わしはそれを信じます。
俊寛 (ため息をつく)あゝ、あなたは囚徒(しゅうと)のごとく不安な態度で仏の名を呼ばれます。このたいせつな証(あかし)をたてるのにわしの顔をも見ないで――あゝ。
成経 (堪(た)えかねたるごとく)康頼殿の唯一の希望をこわすのはよしてください。
俊寛 いや。わしはわしの唯一の希望をこわしました。
成経 (俊寛の肩をたたく)われわれは今絶望する時ではありません。われわれは最後の瞬間まで勇士としての覚悟(かくご)を失いますまい。勇士の子孫としての誇(ほこ)りを。あなたはあまりに衰えました、わしたちがいかにあなたに信頼しているかを思ってください。
俊寛 わしはもうその誇りを失いそうです。
成経 蘇武(そぶ)は胡国(ここく)との戦争に負けて、異域(いいき)の無人(むにん)の山に飢(う)えた獣(けもの)のようになって、十五年間もさまよい暮らしました。しかしその困苦に耐(た)えきってついに漢王の都(みやこ)に帰ることができたではありませんか。
俊寛 あゝ、都よ、都よ、私はその都という言葉を聞いただけでも恋しさにふるえるようだ。
成経 帰れますよ、きっとも一度その都の地を踏(ふ)む時が来ます。
俊寛 もし清盛(きよもり)がも一度都へかえしてくれたら、わしは清盛がわしに加えた罪悪をも許してやり、清盛の武運を祈ってでもやろうものを。
成経 おゝ、わしはわしの耳を信ずることができない、あなたの口からそんな言葉の出るのを聞くとは思わなかった。
康頼 俊寛殿はもはや何も反省することはできないのです。夢中で言っているのです。故郷(こきょう)を慕(した)うほかには何も考えられないのです。
俊寛 (耳を傾けず)妻はどうしているだろう。あの気の弱い妻は。娘はどうしたろう。もう今年は十一になるはずだ。おゝあのよく泣いて母を困らせた伜(せがれ)はどうしたろう。あの小さな、かわゆいやつは無事(ぶじ)に育っているだろうか。(間)もしや清盛(きよもり)が。(ふるえる)いや、そんなことは決してない。彼だって人間の心は持っているだろう。重盛(しげもり)もついている。あゝそれよりももしやあの純潔な、誇(ほこ)りをもった妻が、侮辱(ぶじょく)されるのを恐れて、子供を刺(さ)し殺して、自害(じがい)しはしなかったろうか。いや決してそんなことはあるまい。わしの安否(あんぴ)も定(き)まらぬうちに、自害する勇気はとてもあるまい。それに有王(ありおう)がついている。あの忠実な勇敢な下僕(しもべ)が。他のすべての家来(けらい)が皆そむき去っても、有王だけはきっと最後まで守護していてくれるだろう。(間)しかし、もしも、もしも。(間)わしの苦しみは決定(けつじょう)することのできない苦しみだ。決定する材料の得られない苦しみだ。しかも死んでいるか、生きながらえて恥を忍(しの)んでいるか、二つの凶事(きょうじ)の中(うち)から、決定しなくてはならないのに! わしは人間に想像力があるのが恐ろしい。不吉な想像よ。わしを放(はな)ってくれ。わしに息をつかせてくれ。
康頼 神様にすがりましょう。霊験(れいげん)あらたかな熊野権現(くまのごんげん)の利益(りやく)によって――
俊寛 もうよしてください。神の名をきくのもいやな気がする。私は信じません。われわれの神はすでにわれらを見捨てたのではないか。正しきわれらを。そして清盛の悪を祝しているのでないか。
康頼 神のことをそんな言い方なさっては――
俊寛 ちょうど暴虐(ぼうぎゃく)な主人に仕(つか)える犬が、幾たび鞭(むち)で打たれても、今度は、今度はと思って、媚(こ)びるように尾を振っては、あわれみを乞(こ)うような眼つきをして、泣き声をたてるのを聞くようないまいましい気がする。
康頼 (力なく)あなたはわしを犬にたとえるのですか。
俊寛 主人はほかに気にいる犬を手に入れたので、もうその犬を殺そうと無慈悲(むじひ)に決心している。主人の興味はもはやいかにおもしろく殺そうかということにのみかかっている――
康頼 神の名のために、俊寛殿。
俊寛 (ののしるように)われわれはもはや神を捨てて外道(げどう)を祭ったほうがいいかもしれない。
成経 (耳をおおう)わしはたたりを恐れます。
俊寛 (この前後より山鳴動することはげしくなる)みなたたりかもしれない。(何ごとかを思いだす。おののく)われら一味はもうとくからたたられているのだ。わしは今ほんとうにそう思う。わしはきょうまで隠(かく)していたことを話してしまおう。わしはひとりでこの重荷(おもに)を心に負うているのにもはや堪(た)えきれなくなった。
成経 もはやこの上けがす言葉を吐(は)くのはよしてください。
俊寛 (成経の顔を見る)あなたは何も知りませんな。成親殿(なりちかどの)はわが子に語ることをも恐れていたとみえる。
成経 父が何といたしました。
俊寛 成親殿は神をけがしました。
成経 少しお慎(つつし)みなされい。いかに自棄(やけ)になっているとは言いながら。
俊寛 このことを知っているのはわしとあなたの父上よりほかにはない。成親殿は恐ろしいことをたくらみました。わしは一生懸命とめてみたのだ。しかし成親殿はまるで何ものかにつかれているように頑固(がんこ)だった。わしは力の限り抵抗したけれども、彼の欲望に征服されてしまった。彼の欲望は奈落(ならく)の底に根を持っているように強かった。
成経 この上聞くのは恐ろしい。しかしわしの耳は聞かずにはいられない。
俊寛 わしは短く話します。思いだすのも恐ろしいから。あなたは成親殿(なりちかどの)が宗盛(むねもり)と左大将(さだいしょう)の位を争ったのを知っていますね。
成経 父は宗盛をひどく憎(にく)んでいました。法皇(ほうおう)は父にその位を与えたいと思っていられるのに、あの清盛(きよもり)がそれを妨(さまた)げましたから。
俊寛 あの時成親殿は八幡(はちまん)の甲良大明神(こうらだいみょうじん)に百人の僧をこもらせて、大般若(だいはんにゃ)を七夜(ななよ)の間行(ぎょう)じさせました。その時宮の前の櫺(れんじ)の木に、男山(おとこやま)のほうから山鳩(ばと)が三羽飛んできて怪(あや)しい声で鳴きつつ食(く)らい合いをはじめました。それがいかにもしつこく、憎み合っているように、長い長い間。ついに三羽ともたおれて死んでしまうまで。わしはその時恐ろしくなって、これはきっと凶兆(きょうちょう)だからと言って彼をとめました。しかし彼はききいれなかった。しかしあの青二才の宗盛が多くの位を飛び越えて、ついに左大将になった時に彼の怨恨(えんこん)は絶頂に達しました。彼は上賀茂(かみがも)の神社の後ろの森の中に呪詛(じゅそ)の壇を築いて、百夜(ももよ)の間※(「咤−宀」、第3水準1-14-85)幾爾(だきに)の密法(みっぽう)を行じました。宗盛を呪(のろ)い殺すために。夜陰(やいん)の森中(もりなか)に、鬼火(おにび)の燃える鼎(かなえ)の中に熱湯(ねっとう)をたぎらせて、宗盛(むねもり)に似せてつくった藁(わら)人形を煮(に)ました。悪僧らはあらゆる悪鬼の名を呼んで、咒文(じゅもん)を唱えつつ鼎(かなえ)のまわりをまわりました。まるで夢中で、つかれたもののように、しつこくしつこく繰(く)り返して。
成経 父はむろんその場にいなかったのでしょうね。ただ命じてやらせたのでしょうね。
俊寛 いや。成親殿(なりちかどの)は夜陰(やいん)にまぎれて毎夜賀茂の森まで通いました。大杉の洞(ほら)の下の壇の前にぴたりとすわっていました。顔はまっさおでしかも燃えるような目で僧らの所業(しょぎょう)を見ていました。
成経 わしの知らぬ間(ま)にそんな恐ろしいことが人知れずなされたとは!
俊寛 それを秘密にするために彼は恐ろしいことをしました。わしはそれを一生懸命とめたのだが。※(「咤−宀」、第3水準1-14-85)幾爾(だきに)の密法は容易ならざる呪詛(じゅそ)であって、もし神々がそれを受けない時には還着於本人(げんちゃくおほんにん)と言って詛(のろ)ったものに呪詛がかえるのだからといって。
康頼 あゝ、よしてください。この上もはや成経殿を――
成経 言ってください。早く言ってください。
俊寛 満願(まんがん)の夜成親殿は秘密の露顕(ろけん)することを恐れて七人の僧侶を殺して、その死骸(しがい)を地の中に埋めました。
成経 おゝ。(石のごとくかたくなる)
俊寛 それからは彼の企てることは恐ろしいことばかりになった。宗盛は死ななかった。そして平家の一門がますます栄えるにつれて、彼の怨恨(えんこん)はいよいよつのるばかりだった。彼はいかにして平家を転覆(てんぷく)して恨(うら)みを復讐(ふくしゅう)すべきかをばかり考えるらしかった。彼はまるで怨恨の権化(ごんげ)のようにわしには見えた。
成経 あゝ悪魔が父を魅(み)入ったのか。
俊寛 (ふるえる)あゝ今恐ろしい考えがわしの心に起こった。まるで陰府(よみ)からわき上がりでもしたように。
康頼 (堪(た)えかねたるごとく制するごとき手つきをしつつ)俊寛殿。俊寛殿。
俊寛 (つかれたもののごとく)怨霊(おんりょう)だ。怨霊だ。
康頼 成経殿の心臓の止まらないために!
俊寛 わしはこの思いつきにふるえる。信頼(のぶより)の怨霊が成親殿(なりちかどの)にのりうつったのだ。あの平治(へいじ)の乱に清盛(きよもり)に惨殺(ざんさつ)された信頼の怨霊が。
成経 あゝ呪(のろ)われたる父よ。(よろめく)
俊寛 保元(ほうげん)の乱に頼長(よりなが)の墓をあばいた信西(しんぜい)は、頼長の霊に呪(のろ)われて平治(へいじ)の乱には信頼に墓をあばかれた。信西の霊は清盛について、信頼を殺させた。今信頼の霊は成親殿にのりうつった。
成経 おゝ神々よ。
俊寛 しかし成親殿は世にもみじめな最後をとげた。父の恨(うら)みを相続するものは子でなくてはなるまい。成親殿の怨霊はあなたにつくに相違ない。
成経 あなたは悪とたたかって難にあったわれわれをいたずらに醜(みにく)い復讐心(ふくしゅうしん)を満たそうとして失敗したあわれむべき破産者におとしてしまおうとするのか。正義に殉(じゅん)じた父をただの犬死にさせ、あの堪(た)えられないほどな恥(はじ)な最後にも相当していたような、醜い人間にしてしまおうとするのか。(俊寛につめ寄せる)
康頼 (なだめるように)成親殿(なりちかどの)は今は平和に眠っていられるとわしは思います。
俊寛 (苦しそうに)その正義の観念の上にはっきり立っていられなくなりだしたのがわしの苦しみなのだ。いかなる困苦(こんく)と欠乏とに悩(なや)もうとも自分は正しきものである! かく考えることによってわしは自分の不幸を支えていた。しかしわしはそれがあやしくなりだした。わしは勢いに巻き込まれたのだという気がする。他人の欲望――というよりも、むしろ無始(むし)以来結ぼれて解けない人間の怨讐(おんしゅう)の大渦(うず)のなかに巻き込まれたのだという気がする。わしたちがもしことを起こさなかったらだれかがきっと起こしたろう。われわれはただ選ばれたのにすぎない。三界(さんがい)をさまようている怨霊(おんりょう)につかれたのにすぎない。
康頼 あなたは自分でつくりだした恐ろしいまぼろしで自分を苦しめていられるのだ。
俊寛 わしはわしのしぶとい性質を呪(のろ)う。しかしわしはだめだ。わしは人間の悪が根深い根深いものに見える。二人や三人の力で抵抗しても何の苦もなく押しくずされるような気がする。わしの父、父の父、またわしのあずかり知らない他人、その祖先、無数の人々の結んだ恨(うら)みが一団になって渦巻いている。わしはその中に遊泳(ゆうえい)しているにすぎない。わし自身の欲望はその大いなる霊の欲望に征服される。そしてその欲望を自分の欲望だと思ってしまう。あゝわしはこの間恐ろしい[#「恐ろしい」は底本では「恐しい」]夢を見た。いや、夢ではない。まぼろしだ。わしは白昼(はくちゅう)に見たのだから。それは無数の霊の空中に格闘(かくとう)する恐ろしい光景であった。わしは武器の鏗鏘(こうそう)として鳴る音を空中に聞いた。そのあるものは為義(ためよし)のようであった。そのあるものは信西(しんぜい)のようであった。彼らは叫び、呪(のろ)い、刃(やいば)をもって互いに傷(きず)つけた。その争闘ははてしないように見えた。ついに幻影の群勢(ぐんぜい)は格闘しながら海の中へ没した。そしてわしは地に倒れた。
康頼 あなたは頭が変になりかけているのだ。夜も眠らずにあまり思いつめるから。心を静めるようにしなくてはあなたが狂気することをわしは恐れる。
俊寛 わしはむしろ気ちがいになりたい。そしてこの昼夜間断(かんだん)のない苛責(かしゃく)から免(のが)れたい。
成経 あなたはわしの誇(ほこ)りをも、康頼殿の信仰をもこわしてしまおうとするのだ。そして自分の心をもかき乱してしまおうとするのだ。
俊寛 あゝ、わしはだめだ。わしは自分を支(ささ)えることができない。支えるものが一つもない。わしの魂(たましい)が亡(ほろ)んでゆくのをはっきりした意識で見ているのは堪(た)えられない。
成経 わしはあなたを見ているのは堪えられない苦痛になりだした。あなたはだんだん荒くなられる、あなたと毎日いっしょに暮らさなければならないことはわしの重荷になりだした。あなたはわしたちに不幸と絶望との息を吐(は)きかける。そしてわしたちに慰(なぐさ)めを与えてくれないばかりでなく、わしたちから何の慰めをも受け取ろうとしない。
俊寛 おゝ、あなたは何を言いますか。これほど慰めに飢(う)えているわしに! ([#「! (」は底本では「!(」]いらだつ)ただわしは知ってきた。あなたがたはもはやわしに送る何の力も持っていられない。餓鬼(がき)は餓鬼に求めても何ものをも与えられない。
成経 (くちびるをふるわす)あなたは餓鬼かもしれない。だがわしは名誉ある武士のすえだ。正義の殉教者(じゅんきょうしゃ)の子だ。
俊寛 七人の僧を暗殺し、神をけがしたものの子だ。
成経 あなたは父の墓をあばいて、死骸(しがい)に唾(つば)を吐(は)きかける気か。(俊寛にせまる)
俊寛 (自暴的に)わしは、わしの顔に唾を吐きかけたい。
康頼 (涙ぐむ)よしてください。よしてください。何というあさましいことだろう。わしたちが争い合わなくてはならないとは。わしは思い出さずにはいられない。わしたちのこの島に着いた当初(とうしょ)のあの美しい一致を! わしたちはあたたかくかたまって一団となっていた。不幸とさびしさは三人の心をかたく結合していた。わしはその愛のために死にたいとさえ思っていた。わしたちはこの欠乏と艱苦(かんく)との中にあって、友情をさえ失わなければならないのか。わしはあなたがたがだんだん不和になってゆくのを見ているのは実に苦しい。いつも仲裁(ちゅうさい)者の位置に立たねばならぬのはたまらない。わしがいなかったらあなたがたは互いに飛びかかるようになりはしないかと思うと恐ろしい。檻(おり)の中の獣(けもの)のように。
成経 (涙ぐむ)わしはあまりの侮辱(ぶじょく)には耐(た)えられない。わしはいつも忍耐(にんたい)を用意しているにはあまりに余裕のない心でくらしている。わしはそれどころではないのだ。わしは不平でくずれそうなのだ。
俊寛 わしはなぜこうなのだろう。わしは呪(のろ)われた人間だ。わしの魂(たましい)の中には荒らす要素がある。わしの行くところはきっと平和がなくなる。わしは小さい時からそのために皆にきらわれてきたのだ。その気質を自分でどんなにきらったろう。しかし変えることができなかったのだ。わしの祖父の血がそうなのだ。わが氏(うじ)の遺伝(いでん)なのだ、わしの運命は不幸になるにきまっていたのだ。いやわしの魂をつくっている要素、わしそのものが不幸なのだ。わしの魂は鎌首(かまくび)をもたげていつもうろうろしている。心の座(ざ)が[#「座(ざ)が」は底本では「座(き)が」]定まらない。わしは失われる人間なのか。地獄(じごく)におちる人間なのか。(ほとんど慟哭(どうこく)に近いため息)あゝ。
康頼 (傍白)あゝ何という不幸な目つきだろう。暗い影が一ぱいさしている。
三人沈黙。山鳴りいよいよ激しくなる。
成経 あゝまた山が荒れるな。
康頼 明日(あした)はいよいよ雨だな。(空を仰ぎ嘆息(たんそく)す)あのしつこい。退屈な。
成経 (力なく)明日はしけだ。船の姿(すがた)も見られぬわい。
俊寛 (山のほうを見る)あゝ。あの山くらいいやな山はない。まるでわしたちを呪ってでもいるようだ。(ふるえる)わしの魂の来世(らいせ)の行く先を暗示してでもいるようだ!
康頼 おゝ。神々よ。(ひざまずく)やわらぎたまえ。
三人沈黙。も一度激しき山の鳴動。その後を単調な弾力(だんりょく)のない波の音ひびく。
――幕――
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   第二幕

     第一場

第一幕と同じさびしき浜辺(はまべ)。熊野権現(くまのごんげん)の前。横手に貧(まず)しき森。その一端に荒き丸太(まるた)にてつくれる形ばかりの鳥居(とりい)見ゆ。
第一幕より二年後の春の暮れ。

康頼 (浜辺(はまべ)に立って海を見入る)あゝ、この離れ島にも春が来たのか。海の色も濃(こ)くなってきた。このふくれるように盛りあがって満ちてくる潮(しお)の香(か)の悩(なや)ましさ! わしはこの島の春がいちばん苦しい。わしの郷愁(きょうしゅう)を堪(た)えがたいほど誘(さそ)うから。乏(とぼ)しい草木(くさき)も春の装(よそお)いをしている。わしは昨日(きのう)森の中を終日(ひねもす)花を捜して歩いた。都(みやこ)にあるような花は一つもなく、皆わしの名を知らぬ花ではあったけれど、それでもわしに春のこころを告げてくれた。交野(かたの)や嵐山(あらしやま)の春を思えばたまらない。桜(さくら)の花のなかに車をきしらせた春を思えば。つんだ花を一ぱい車の中にまいて、歌合わせをして遊んだ昔の女たちを思えば。わしはむしろ死を願う。彼の女らは皆わしに好意を持っていた。わしはやさしくて趣味がすぐれていたから、わしがたわむれに袖(そで)を握って言い寄った時に、あの機知のある歌をつくってわしをたしなめた美しい藤姫(ふじひめ)はどうしたろう。(間)あゝ、わしの幸福は過ぎてしまったのだ。(浜辺(はまべ)を歩む)何というさびしい春だろう! きょうもまた砂浜を走って波とたわむれて遊ぼうか。(汀(みぎわ)をつたう)あゝ浜千鳥(はまちどり)よ。わしの思いをお前が故郷(こきょう)にはこんでくれたら!
成経 (叫びながら登場)餓鬼(がき)だ。これほどあさましくなれば申し分はない。
俊寛 (手を振りつつ成経を追うて登場)待て。あなたはまちがえている。もしあなたの獲物(えもの)なら、わしはあえて取ろうとは思わない。(小鳥の死骸(しがい)を投げつける)
成経 (康頼に)わしは驚いた。わしはあきれた。
俊寛 (康頼に)わしは無理にわしの獲物だというのではないのだ。
康頼 (悲しげに)あなたがたは獲物の争いまでしだしたのか。
成経 わしがたしかに射落(いお)とした鳥を横取りしようとするのだ。わしの矢が立っているのに!
俊寛 わしはわしが射落としたと思ったのだ。たとえわしが射落としたにせよ、わしがこんなに飢(う)えていなかったら、成経殿に譲(ゆず)っただろう。たかが小鳥一羽ぐらい!
成経 わしは他人の惜(お)しみのかかった獲物をほしいとは思わない。(俊寛の前に小鳥をたたきつける)持ってゆけ!
俊寛 持ってゆけ! (弓ではね飛ばす)
成経 わしはいらない。呪(のろ)われでもしたらたいへんだ。
俊寛 (あざけるごとく)あなたの父ではあるまいし。
成経 (火のごとく怒る)もう一度言ってみよ。墓場に眠っている父を侮辱(ぶじょく)されるのが子にとってどんなものだか! (弓を取って詰め寄せる)
俊寛 わしを射(い)る気か。(身構えする)
成経 武器を取れ。わしはお前の言葉の価(あたい)をお前に知らせてやる!
康頼 (成経を抱(だ)きとめる)成経殿。軽はずみをしてあとで悔(く)いないために! あなたは敵をほうるようにして友をころす気か!
成経 彼がわしの友だろうか。この荒い言葉と呪(のろ)いの言葉を吐(は)き出す餓鬼(がき)のようなやつが。
俊寛 わしを殺せ。わしは死を願う。わしの境涯(きょうがい)は餓鬼道より少しもまさってはいない。
康頼 (成経と俊寛との間に身を投げる)あゝ、あさましい何たることだ! あなたがたは正気を失ったのか。わしは信じられない。愛する友が互いに呪い合い、汚(けが)す言葉を吐き合い、互いに殺し合おうとする! 名誉ある武士のすえが、食物を争い合う。あゝ、そんなあさましいことをするよりわしは餓死(がし)を選ぶ。わしらの間にはもう平和(へいわ)は失われた。いっしょに暮らすことは互いの重荷(おもに)になった。もはや何の慰(なぐさ)めも励(はげ)ましも互いに期待することはできないのか。あゝ、凱歌(がいか)をあげているものはただ清盛(きよもり)だけだ! あなたがたは知っていよう。檻(おり)につないだ二頭の獣(けもの)の間に食物を投じればどうなるかということを! それとあなたがたとどこが違うのか。あゝ、わしが今見たことは恐ろしいことだ。(泣く)
成経 (涙ぐむ)康頼殿。あまりに心を痛めないでください。わしは優(やさ)しいあなたの心を傷(きず)つけたのを悔(く)いる。あなたはどんなにいい友だったろう。わしの寂寞(せきばく)はいつもあなたの平和な、あたたかい友情でなぐさめられているのだ。わしの今したことをあなたに恥じる。(康頼の肩に手をおく)わしはもはや決してあなたの目に荒々しいふるまいは見せまい。このやさしいあなたの心の平和を保つだけにでも! 許してください。
俊寛 わしをきらってくれ、きらってくれ。わしはそれに相当している。わしは荒々しい人間だ。わしは平和を恵まれない人間だ。どうぞわしを捨ててくれ。憎(にく)んでくれ。あなたがたは仲よく慰(なぐさ)め合って暮らしてくれ。わしはそれを望む。わしはそれをねたんではならない。(慟哭(どうこく)す)
康頼 (俊寛を抱(だ)く)俊寛殿。わしはあなたを悪い人とは思いません。あなたは憎(にく)むべき人ではない。むしろあなたは感じやすい心を持っていられる。もしあなたが荒々しくなったとしたら、それはあなたがあまりに不幸だからだ。
成経 (和解を求めるように)そうだ。われわれはこの上もなく不幸なのだ! その不幸を三人で分け持たなくてはならない。われわれの心が少しでもかろくなるために、われわれが苦しみに負けてくずれてしまわないために、力をあわせなくてはならないのだ。
俊寛 (嘆息する)わしはあなたがたがだんだんわしをきらうようになるような気がする。そしてそうなるのは無理はないと思う。わしは実際いっしょに暮らしよい人間ではない。自分でそれを認める。わしはきらわれてもしかたがない。あゝ、しかしわしはさびしいのだ。きらわれたくはないのだ。愛されたいのだ。それだのにわしは荒いことを言う、ひねくれたことを考える。気まぐれな小鬼(こおに)めがわしの生命中に巣を食(く)っているようだ。わしの気質は自分の自由にならないのだ。わしは孤立無縁(こりつむえん)の霊魂(れいこん)だ。人とやわらぐことのできない粗野(そや)な性格だ。わしはわしを呪(のろ)う。わしを憎(にく)む。おゝわしをあわれむ。
康頼 俊寛殿。心を平らかにしてください。わしはあなたを責(せ)める気は少しもない。あなたはあまりに痛ましい。困苦寂寥(こんくせきりょう)の歳月(さいげつ)があなたの忍耐(にんたい)力を奪ってしまったのだ。あなたは心の平衡(へいこう)を支える勇気を砕(くだ)かれてしまったのだ。だれがわれわれのような境遇にあって自暴(やけ)にならないでいられよう。わしはわしの心が砂のように崩壊(ほうかい)するのを防ぐために必死の力をつくしている。しかも踏(ふ)みしめても、踏みしめても、足下の大地のずり落ちるような心を制することができないのだ。
成経 わしは昨日(きのう)巌(いわ)の上に立って、一そうの船も見えない、荒れ狂う海を見ていたとき、強い強い誘惑(ゆうわく)を感じた。わしは足がすべって前にのめりそうな気がした。しかもわしはそれにほとんど抵抗する気力を欠いていた。もしあの時康頼殿が、とぼとぼと波打ちぎわを歩いて、首をたれて考えに沈みながら、わしのほうへ、おそらくわしのいることも知らずに、近づいてこられるのを見なかったら、わしはどうなっていたかわからない。その姿(すがた)はわしに何とも言えない、愛と憐憫(れんびん)の情を起こさせた。同悲(どうひ)の情をわきたたせた。わしは涙がこぼれた。わしはこのさびしき友をなぐさめるためだけにでも、生きていたいと思って、走りだした。
康頼 (涙ぐむ)わしはあなたの姿に気がついた時ふるえた。わしはあなたの心をすぐ知った。今あなたがいかなる危険な状態にいるかを直覚した。そしてあなたを抱(だ)きとめに走ろうとする刹那(せつな)、わしはあなたが両手を広げて涙をいっぱい目にためて、わしのほうに走ってくるのを見た。
成経 わしらは抱き合って泣いたのだ。
     間。
俊寛 わしはさびしい気がしてならない。昨夜(ゆうべ)から変に心細い気がしてならない。こんな気のすることはこの島に来てからはじめてだ。不幸が近づいてくるような……
成経 白帆(しらほ)だ! (急に元気づく)あの姿(すがた)がどんなに希望をわしに与えてくれることか。
康頼 (沖(おき)を眺める)この島に来るのなら! (考える)来るかもしれないぞ。わしは昨夜から不思議に胸騒(むなさわ)ぎがしていたのだ。何か大きな幸福が来るような……
俊寛 (顔色が悪くなる)どうしたのだ。あの白帆を見ると寒い影がサッとわしの心にさしてくるのは!
成経 幸福の船よ! いやいや。わが心よ、軽はずみにおどるな。あとであまりにさびしいから。わしは幾百度(いくひゃくたび)裏切られたろう。しかも今度は、今度はと思って希望をかけないではいられない。きょうもまた無慈悲(むじひ)に方角(ほうがく)を変えてしまうのかもしれない。そして結果は船の姿を見なかった前よりも、悪くなるのかもしれない。あの気ぬけのした、いまいましい、なぶられたような、不幸な心に!
康頼 (船より目を放たず)わしの愚(おろ)かな妄想(もうそう)だろうか。いや、どうもいつもとは違うようだ。わしに与える気もちがちがっている。いつもは気まぐれな鴎(かもめ)のどちらに飛ぶか見当のつかないような、あてにならない気がするのに、きょうは信ずべきものの渡来を待つような気がする。あの船は決心したようにまっすぐにこの島に向かって来るように見える。
成経 わしもどうもそんな気がする。初めてあの船の姿を見た時から、待っていたものが、ついに来たような気がしてならない。
康頼 わしはまだ童子であったとき、兄の花嫁(はなよめ)の輿(こし)を迎えに行ったことがあった。国境(くにざかい)でわしたちは長く待った。輿は数百の燈火(ともしび)に守られて列をつくってやって来た。あれでもない、これでもない。けれどほんとうに花嫁の輿が来たときに、わしらは皆申し合わせたようにそれを直覚した。わしの今の心持ちはそれに似ている。
俊寛 (傍白)ほんとうにわしはどうしたのだ。棺(ひつぎ)を迎えるような気がするのは!
成経 もう半時(はんとき)すればはっきり見込みがつく。この島にまっすぐに来るとしても、到着するまでには二、三時はかかるだろうけれど。
康頼 恐ろしい半時だ。わしはじっとして船を見ているのに堪(た)えられない。わしは熊野権現(くまのごんげん)の前にひざまずいて一心不乱に祈ろう。祈りの力で船をこの島に引き寄せよう。神々よ。あの船をこの島に送りたまえ。神風(かみかぜ)を起こしてあの帆(ほ)をふくらせ、水夫(かこ)の腕(うで)の力を二倍にし、鳥のごとくにすみやかにこの岸に着かしめたまえ。(鳥居(とりい)のほうに走り出そうとする)
俊寛 (康頼の袖(そで)を握(にぎ)る)待ってください。ごしょうだからわしのそばを離れずにいてください。わしはさびしくてたまらない。さびしいさびしい考えがさっきからわしの心に起こってきた。
康頼 あなたはどうしたのです。あなたの顔の色は! この希望に痙攣(けいれん)するような瞬間に、あなたはなぜそのようなさびしい顔をしているのです。
成経 (傍白)まるで喪(も)のような顔つきをしている。
俊寛 わしを捨ててくれな。きらってくれな。
康頼 あなたは何を言うのです。今、幸福が、信じられないほどな幸福がわたしたちに向かって近づきつつある。見なさい。あの穏(おだ)やかな[#「穏(おだ)やかな」は底本では「隠(おだ)やかな」]春の海を、いっぱい日光を浴びて、金色(こんじき)に輝いて帆走(ほばし)って来る船を! あの姿(すがた)があなたをおどりあがらせないのは不思議というほかはない。
俊寛 わしは不安で不安でたまらない。
康頼 大きな幸福が来る時には、そしてその幸福がまだ確定しない時には人間は不安を感ずるものだ。その不安ならわしも同じことだ。あまり幸福が大きいから。わしといっしょに行きましょう。いっしょに祈りましょう。
俊寛 (哀願(あいがん)にみちたる調子にて)誓(ちか)ってくれ。愛を誓ってくれ。
成経 (和睦(わぼく)と愛憐(あいれん)の表情をもって)あゝ、あなたはそれを気にしているのか。人間は幸福が来る時には人とやわらぎたくなるものだ。俊寛殿。安心なされ。さっきのことなら、わしはすっかり忘れている。わしに来かかっている幸福はわしのすべての憎悪(ぞうお)をもみ消してしまった。わしは心からあなたに和睦の手を差しのべよう。
俊寛 わしはまだまださびしいことが考えられる。あなたがたがわしを捨ててしまいはせぬかというような気がしてならない。わしを振り捨てて、二人だけ都(みやこ)へ帰ってしまいはしまいかというような気がしきりにする。
康頼 あなたはどうしたのです。あなたは凶事(きょうじ)を自分で描(えが)いてはまねき寄せようとするように見える。凶事についてのあなたの異常な想像力にわしはまったく驚いてしまう。それがあなたの不幸の原因だ。わしが一度でもあなたを捨てると言いましたか。
成経 わしはあなたを一人この島に捨てて帰るほどなら、むしろ三人でこの島で餓死(がし)するほうがいい。
俊寛 (涙ぐむ)あなたはほんとうにそう思ってくれますか。
成経 何しにうそを言いましょう。われわれは同じ日にこの孤島(ことう)に流された。同じ船で。それゆえに同じ日に、同じ船でこの島を去らねばならない。われわれはいかほどの困苦(こんく)をともにしてきたことか。われわれの間に不和が生じたとすれば、それは、われわれの受けている運命の苛責(かしゃく)があまりに厳(きび)しかったからだ。
俊寛 (成経を抱(だ)く)わしはあなたのひろい心がありがたい。わしはあなたにとって確かに平和な、親切な友ではなかった。わしの気質は荒くて、ゆがんでいるから。もっとも平和な時でさえも、わしはあまり陰気だったから。あなたがたには、長い歳月(としつき)の間さぞわしが堪(た)え難(がた)い重荷(おもに)だったろう。でもわしをきらってくださるな。わしはあまりにさびしい。(沖(おき)を見る)あゝ、あの船を見るとわしは変にさびしくなる。初めてあの帆影(ほかげ)を見た時暗い陰(かげ)がわしの心をおおうてきた。あの船には何かわしを不幸にするものが乗っているような気がする。「死」が乗っているような気さえする。わしは今本能的(ほんのうてき)に助け手を求める。忠実な友がそばにいてくれることが、今のわしには絶対的に必要だ。
康頼 わしはあなたの最後までの助け手だ。死に到るまでかわらぬ忠実なる友だ。
俊寛 あゝ、あなたは心強いことを言ってくださる。(康頼の顔を見る)どうしてあなたがたのかほどの強い励(はげ)ましが、わしの不安を払いのけてくれぬのだろう。
康頼 わしはあなたをあわれむ。あなたはきょうはどうかしていられる。あまり異常な幸福が近づいたために、心がその喜びをにないきれなくなって、平衡(へいこう)を失ってしまったのではないか。
俊寛 ほんとうに、ほんとうにわしを見捨てませんか。
康頼 わしの目をごらんなさい。あゝ、あなたは泣いていますね。どうしたと言うのだろう。
俊寛 (康頼の足もとに崩(くず)れて泣く)
成経 あなたはあまりに衰(おとろ)えました。風雨が樹木(じゅもく)を打つように、長い間の不幸があなたを打ったのだ。あなたはあわれな老人のごとく、幸福なときにも泣くことしかできないのだ。あなたの姿(すがた)はあまりにも痛ましい。わしは思いださずにはいられない。われわれが昔あの鹿(しし)が谷のあなたの山荘に密会したころのことを。あのころのあなたのあの鉄のような意志と、鷲(わし)のような覇気(はき)とを。われわれは皆あなたにいちばん信頼していた。
康頼 われわれの意気はすでに平氏をものんでいた。われわれは恐ろしい陰謀(いんぼう)をたくらみながらも、軽い諧謔(かいぎゃく)をたのしみ得(う)るほどに余裕があった。わしは忘れることができない。あの法皇(ほうおう)をひそかに山荘に迎えた夜、清盛(きよもり)をたおす細密(さいみつ)な計略(けいりゃく)を定めたあとで、さながらわれわれの勝利の前祝いのように、期せずして生じたあの諧謔を!
成経 あの機知にみちた、天来(てんらい)の猿楽(さるがく)を!
康頼 成経殿がふと狩衣(かりぎぬ)の袖(そで)に引っかけて、法皇の前にあった瓶子(へいし)を倒したのが初めだった。
成経 平氏が倒れた! とあなたが叫んだ時には、私(わし)はその思いつきに笑わずにはいられなかった。
康頼 西光殿(さいこうどの)が横合いから口を入れて言った。あまりに瓶子(へいし)(平氏)が多いので酔(よ)ってしまった。この目ざわりな瓶子(平氏)をどうしたものだろう、と。
俊寛 (黙然(もくねん)として目を閉じている)
成経 俊寛殿。あなたは覚(おぼ)えているでしょう。その時あなたがひじょうに機知のある、不思議なほどに甘いつづめをつけたのが、この一場の猿楽(さるがく)に驚くほどいきいきした効果を与えたのを。(俊寛苦しそうに首をたれる)あなたは瓶子の首を取って立ちあがりざま、心地(ここち)よげに一座を見回して叫びましたね。平氏の首を取るがいいと。
俊寛 (顔をおおう)わしは恥じる。わしは失敗者だ。すべて愚(おろ)かな愚かなことだった。あなたがたは今いちばん悪いことを思いだしてくれた。わしはこうして立っていられないほど恥ずかしい。あなたがたはわしをこの思い出で元気づけようとしたのか。この皮肉な思い出で……あゝ呪(のろ)われたるわしよ。(痙攣(けいれん)する両手で頭をかかえて砂上(さじょう)に伏す)
康頼 (気の毒に堪(た)えざるごとく)わしが愚かなことをしたのならわしは悔いる。許してください。わしは今あなたを慰(なぐさ)めることならどんなことでもしたい。俊寛殿、今、われわれの時が来つつあるのだ。この幸福の予感の中(うち)にあって、わしが少し軽い心になっても許してください。わしは足が地につかないような気さえしている。あなたといえば、どうしてこんなに不幸そのもののような顔をなさるのだろう。あなたの内に不幸を吐(は)き出す魔でもすんでいるのか。あなたはわしとともによろこんでくださるはずだ。われわれが長い長い間待った日が来かけているのではないか。あなたはその日をあれほど待っていられたではないか。
成経 (沖(おき)を見る)あの船はいよいよこの島に来るらしいぞ。
俊寛 (苦しそうに)なぜこんなさびしい考えがわしにだけ起こるのだ。去ってくれ。去ってくれ。(船を見る。身ぶるいする)だめだ。わしは凶兆(きょうちょう)を感じる。わしの運命は、わしの星は凶だ。(地に倒れる)
康頼 俊寛殿。気が狂ったか!
成経 何かついたのか! (刀を抜く)外道(げどう)よ、去れ!
俊寛 (起き上がる)わしに必要だ。一つのことがわしに保証されねばならない。わしを見捨てて帰らぬということが!
成経 安心なさい。俊寛殿。わしはあなたに何のわだかまりも持ってはいない。持っていたものは皆消えた。わしはあなたを慰(なぐさ)めたい心で一ぱいになっている。鬼神(きじん)も今のあなたの姿(すがた)を見てはあわれみを起こすだろう。
康頼 あなたはあり得ぬことを想像してひとりで苦しんでいられる。二人だけ都(みやこ)へかえして、あなただけをこの島に残すというはずがないではないか。わしらは同じ罪に座して配流(はいる)されたのだから。
俊寛 もしあったとしたら。
成経 わしはも一度くり返してあえて言おう。あなたを一人見捨てて都へ帰るほどなら、わしはこの島で餓死(がし)することを選ぶ。
康頼 生きるも死ぬるも三人いっしょだ。
俊寛 それを誓(ちか)ってくれ。誓ってくれ。
成経 (弓を天にささげる)わしは名誉ある武士のすえだ。わしは弓矢にかけて誓う。あなたと生死をともにすることを!
康頼 わしは神々の名によって誓う。天神(てんじん)よ。(天に息を吹く)地祇(ちぎ)よ。(地に息を吹く)わしは永久に友を見捨てませぬ。
俊寛 (静かに泣く)
長き沈黙。
成経 (突然沖(おき)を見て叫ぶ)いよいよきまった。あの船はもうこの島に必ず来る。あすこまで来たからにはもうだいじょうぶだ。いつも方角(ほうがく)をかえるのはもっとずっと遠くの沖(おき)だから。わしの考えでは、あの船はなかなか大きいらしい。
康頼 (沖を凝視(ぎょうし)す)あれは都(みやこ)から来た船だ。(渚(なぎさ)に走る)あの帆柱(ほばしら)や帆(ほ)の張り方や櫓(ろ)の格好(かっこう)はたしかにそうだ。いなかの船にはあんなのはない。(波の中に夢中でつかり、息をこらして船を見る)
成経 (康頼のそばに走る)旗(はた)だ! たしかに赤い旗が見える。平氏の官船(かんせん)だ。
康頼 迎えの船だ!
成経 (夢中に叫ぶ)追い風よ。吹け。吹け。吹け。
康頼 まっすぐに、こぎつけよ。一刻も早く、この岸に! わしらはここにいる。ここの岸に立っている。餓鬼(がき)のようにやせて! (急にむせび泣く)わしはどんなに待ったろう。
成経 あゝ。長い長い間だった。
康頼 神々よ。きょうの恵みはわが子孫に書きのこして伝えられましょう。
成経 わしの心がこのよろこびに持ちこたえられるように!
沖(おき)の船より銅鑼(どら)の音(ね)ひびく。
康頼 合い図だ! 船着き場へ! (はせ去る)
成経 (無言にて康頼のあとを追うてはせ去る)
俊寛 (前のところに不安そうに立ったまま)あの船は陰府(よみ)から来たように見える。(心の内にさす不吉の陰を払いのけるように首を振る) わしはばかげた妄想(もうそう)に悩(なや)まされているかもしれないぞ。そうであってくれ。そうであってくれ。わしのこの恐ろしい考えには少なくとも根拠(こんきょ)はないのだ。たしかに根拠はないのだ。ただわしにそういう不安な気が何となくするというのにすぎない。そんなことが何のあてになろう。(沖を見る。ふるえる)どうしたのだ。(打ち負かされたるごとく)あの船の帆は死骸(しがい)の顔にかける白い布(きれ)のようにわしに見える。(墓標のごとくにじっと立ちたるまま動かぬ)
ながき沈黙。やがてやや近き沖にて銅鑼の声つづけざまにひびく。

     第二場

船着き場。まばらなる松林。右手寄りに小高き丘の一端見ゆ。そのふもとにやや大なる船泊(と)まりいる。正面に丹左衛門尉基康(たんざえもんのじょうもとやす)その左右に数名の家来(けらい)槍(やり)をたてて侍立(じりつ)す。その前に俊寛、康頼、成経ひざまずく。

基康 (家来に目くばせす)
家来 (雑色(ぞうしき)の首にかけたる布袋より赦文(しゃもん)を取り出し、うやうやしく基康に捧げる)
基康 つつしんできけ。(赦文を読む)重科遠流(おんる)を免(めん)ず。早く帰洛(きらく)の思いをなすべし。このたび中宮(ちゅうぐう)ご産の祈祷(きとう)によって非常のゆるし行なわる。しかる間、鬼界(きかい)が島の流人(るにん)、丹波(たんばの)成経、平(たいらの)康頼を赦免(しゃめん)す。
成経 (康頼と顔を見合わす)
基康 つつしんでおうけなされい。
俊寛 (声をふるわす)その赦文をも一度お読みください。
基康 (も一度読む)命(めい)によって迎えにまいった。両人ともしたくをなされい。
俊寛 あなたは俊寛という名を読み落としなされたようだ。
基康 この赦文(しゃもん)には俊寛という名は記してない。
俊寛 (青ざめる)そんなはずはありません。
基康 自分で見るがよかろう。(赦文を康頼に渡す)
俊寛 康頼殿。早く見てください。
康頼 (黙読(もくどく)し、成経に渡す)
俊寛 成経殿。わしの名は?
成経 (黙読し、俊寛に渡す)
俊寛 (ふるえる手にて受け取り読む。まっさおになる)礼紙(らいし)を見てくれ。礼紙を!
基康 (無言(むごん)にて家来に礼紙を渡す)
俊寛 (家来より礼紙を受け取り、裏を返し、表を返して見る)執筆(しっぴつ)の誤りだ。基康殿。あなたは都(みやこ)を出発する時三人を連れ帰るようにとの命令を受けられたに相違ない。
基康 わしの役目はこの赦文に記されたとおりを行使(こうし)するのにある。
俊寛 もし執筆の誤りだったら。
基康 (冷ややかに)あなたを残して帰っても、責(せ)めはわしにはかかるまい。
俊寛 (せき込む)しかし清盛(きよもり)殿の意志が三人を都(みやこ)へ呼び戻(もど)すにあるとしたら。主人の意志を果たすがほんとうの忠実なる使者でしょう。あなたは主人の意志を熟知(じゅくち)していられましょう。
基康 (皮肉に)わしがそんな高い身分のある者だったら、こんな役目はおおせつからなかっただろう。主人の意志を知ることなどわしなどには思いもよらぬことだ。わしはただこの紙に記されてあることを忠実に遂行(すいこう)することを上役から命じられたにすぎない。
俊寛 われわれ三人は同じ罪によって、同じ日にこの島に流されたものだ。二人だけを都へ帰して、一人だけを残すというのは法にかなわない処置ではありませんか。
基康 あなたの訴えは正しいかもしれない。しかしそれはこの命令を発した人に向かって言われるべきだろう。
俊寛 清盛はなぜ特別にわしを憎(にく)むのだ。わしから二人の伴侶(はんりょ)を無慈悲(むじひ)に奪(うば)い去ろうとするのだ。
基康 それはわしからききたいくらいだ。
俊寛 刑には理由がなければならない。その理由を示さずに、ただわしだけに重い刑罰を課するのは非法ではないか。
基康 あなたの申し立ては道理でもあろう。しかしわしはそれを裁(さば)く権利を持っていないのだ。
俊寛 あなたは悪い人ではないようだ。わしはあなたに乞(こ)う。わしを都(みやこ)へ連れて帰ってください。
基康 わしはあなたに何の憎(にく)みもない。わしはお気の毒に思う。もしわしにとがめがかからないものなら、わしは連れて帰ってあげてもいいのだが。
俊寛 もしあなたがそうしてくれたら、わしは十倍にしてきっとあなたに報(むく)います。
基康 (考える)どうもわしの身に難儀(なんぎ)がかかりそうだ。
俊寛 もしあなたにとがめがかかったら、わしが立派に申し開きをしよう。その責任はわしがきっとになう。だがそんなことはきっとない。主人の意志は三人を都へ帰すにあるのはわかりきったことなのだから。
基康 その点もあなたが言うほどわしにははっきりしていないのだ。少なくとも赦文(しゃもん)の意味を文字どおりに行使(こうし)するのが最も賢(かしこ)いことがわしにはっきりしているほどには。
俊寛 しかし一度都へ帰ってから、またはるばるこの島まで迎えに来なくてはならないとしたら。
基康 (ある感動をもって)あなたがそういうのはもっともだ。わしは長い船旅(ふなたび)には実際弱ってしまった。都を出てから想像もつかないほどの長い日数がかかっている。それに都を去るにつれてだんだん航路が荒くなった。その上九州の本土を離れてからは何という退屈だったろう。都(みやこ)にかえってから、も一度この島に来るというようなことはとても耐(た)えられないことだ。(考える)だがわしは長い間の役目の経験で知っている。一番安全に役目を果たす方法は、いかなる場合にも文書の文字どおりに行使(こうし)することだということを。わしはもう長い間そういうことに決めているが、やはりいちばん無難(ぶなん)なようだ。それにも一度この島に来なければならないことになれば、わしは上役に懇願(こんがん)して、このありがたくない役目をだれかに代わってもらうこともできるだろう。
俊寛 しかしそれは区々(くく)たる小役人(こやくにん)のすることだ。大いなる役人は文書の意のあるところをくみとるべきだ。
基康 (皮肉に)あなたは初めからわしをあまりに高い身分のものと買いかぶりすぎたようだ。わしは平凡な、一人の役人にすぎない。またそうでなくてだれがこんな役目をおおせつかるものか。わしは実際今度の役目にはこりごりした。わしは疲(つか)れている。わしは一日も早くこの役目を果たして、都へ帰りたいと願うほかには何も考える気はなくなっている。
俊寛 しかしわしにとっては大きな大きな問題だ。わしの一生の運命が決まるのだ。
基康 わしはその大きな問題を引き受けるにはあまりに地位も低く、力が乏(とぼ)しい。
俊寛 わしをあわれんでくれ。
基康 わしはあなたに同情する。しかしわしの一身の安全も計(はか)らずにはいられない。
俊寛 (嘆息する)あゝ、あなたは悪い人間ではない。しかしただそれだけにすぎない。
基康 成経殿、康頼殿、出発のしたくをなされい。
成経 わしからあなたに改めてお願いする。なにとぞ、俊寛殿をもわれわれといっしょに都(みやこ)へ連れ帰っていただきたい。
康頼 われわれは長い間この島で困苦をともにしました。今俊寛殿だけをこの島にひとり残して帰るに忍(しの)びません。
基康 あなたがたの気持ちはあなたがたとしてしごくもっともに思われる。しかしわしの立場としては前いったことをくり返すほかはない。
成経 あなたの立場はわからないではありません。だがこのわれわれにとって千載一遇(せんざいいちぐう)の非常の時機に際して、あなたの一身の安全をはかるよりほかに、われわれのためにあえてしていただくことは願えないものであろうか。
基康 (不愉快そうに)わしには妻子があるのだ。わしの思いだす限りでは一家の安全をかけてまで、あなたがたのためにつくさねばならぬほどの恩を受けてもいないようだ。
成経 しかし、あなたにとっては一家の運命を賭(と)するほどの大事とは思われない。ただあなたの役目の解釈に少しばかりの自由を保つのにすぎないことではあるまいか。
基康 その少しばかりの自由から、どれほどの大事がまたわしの身に起こってくるかしれたものではない。あなたがたはこの命令の発布(はっぷ)者がどんな性格の人であるかを忘れはすまい。獅子(しし)の意志は鼠(ねずみ)にはわからない。
成経 わしは同じ弓矢をとる武人(ぶじん)としてあなたの義気(ぎき)に訴(うった)えたい。
基康 (気色(けしき)を損じる)この場合わしに対してあまり押しつけがましく出ることは、あなたがたの利益でないことはないか。
成経 (怒りをおさえて沈黙す)
康頼 わしはただあなたに乞(こ)うほかはありません。われわれのみじめな姿(すがた)があなたにあわれみを起こさせぬであろうか。あなたがもし俊寛殿の地位に立ったとしたら!
基康 わしはあなたがたに同情しないのではない。だが、ながい間の職務上の経験から同情と役目とを別々に考えることにしているのだ。
康頼 窮鳥(きゅうちょう)がふところに入る時は猟師(りょうし)もこれを殺さないと申しますが。
基康 わしはこういう立場に立ったのは初めてではないのだ。わしには結果の見越しがあまりにつきすぎる。わしがいかほどの同情を起こしたにしても、結局わしがどうしなければならないかということはあまりにはっきりとしているのだ。わしは片時(かたとき)も早くこの不愉快な役目を終わりたい。
康頼 わしたちをあわれんでくれ。わしはひたすらあなたに助けを乞(こ)う。あゝ仏様があなたの心に慈悲(じひ)を催(もよお)さしてくださるように!
基康 (もどかしそうに)幾度言っても同じことだ。わしはほかに選ぶみちがないのだ。わしを無慈悲な人間として考えねばならぬ地位にいつまでも立っているのはたまらない。わしにも人間の心はある。わしは一人の平凡な役人にすぎないのだ。
俊寛 ではわしはあえていうが、あなたの役目は果たされますまいぞ。成経殿も康頼殿もわしを残してこの島から帰られないのだ。けさわしに対して誓言(せいごん)をしたのだから。
基康 (両人に)それに相違ありませぬか。
成経 わしは弓矢にかけて誓(ちか)いました。俊寛殿と生死(せいし)をともにすることを。
康頼 わしは神々の名によって誓いました。永久に友を見捨てませぬと。
基康 (沈黙)
俊寛 この上は三人を連れ帰ったほうがあなたの役目にもかないはしますまいか。はるばるこの島まで来たことがむだにならないためにも。
基康 (黙ってしばらく考える。やがて信ずるところあるがごとく)では念のため、も一度だけお尋(たず)ねする。ご両人俊寛殿を残しては都(みやこ)へ帰る気はありませぬな。
成経 俊寛殿を一人残してわしだけ帰る気はありません。
康頼 わしは友を見捨てるに忍(しの)びません。
基康 では三人の意志はたしかに聞き届けました。都にたち帰ってその旨(むね)を清盛(きよもり)殿に伝えましょう。
俊寛 (恐怖を隠(かく)そうとつとめつつ)それではあなたの役目がたちますまいが。
成経と康頼、基康を凝視(ぎょうし)す。
基康 わしはこの命令の執達吏(しったつり)にすぎないのだ。わしは清盛殿の意志をあなたがたにお伝えすればそれでいいのだ。あなたがたがそれを受けようと受けられまいと、それはわしの立ち入る限りではない。
三人沈黙す。
基康 (家来に目配(めくば)せす)出発のしたくをしなさい。
成経 (狼狽(ろうばい)す)しばらくお待ちください。
康頼 そのように急がれるにはおよびますまい。
基康 (冷ややかに)あなたがたの意志を聞いた以上は、もはやわしの役目はすんだというものだ。わしは片時(かたとき)も早くこの荒れた島から離れたい。何か都(みやこ)にことづてはありませんか。わしがあなたがたへのただ一つの親切にそれを取りついであげましょう。あゝわしは忘れるところだった。都をたつ時あなたがたにことづかった物があった。故郷(こきょう)からの迎えの使いを拒絶(きょぜつ)するほどのあなたがたに、たいした用はないかもしれんが。(家来に)かの品を。
家来 (文(ふ)ばこを基康に渡す)
基康 (文ばこを成経と康頼に渡す)
成経 (ふるえる手にて文ばこを開き、手紙を手に取り裏を返し、表を返しして見る。おのれを制することあたわざるごとく)母上の手蹟(しゅせき)だ。(感動に堪(た)えざるごとく)あゝ。
康頼 (手紙を握(にぎ)りしめ)わしはどんなに飢(う)えていたか!
俊寛 (われを忘れたるごとく)わしへの手紙は? 故郷の便りは?
基康 わしのことづかったのはこれだけだ。(俊寛、顔をおおう。家来に)出発の用意をしろ。
成経 (あわてる)待ってくれ。わしがもっとよく考えるために。
康頼 今しばらくの猶予(ゆうよ)が願いたい。
基康 あなたがたの意志はもはや確かに承(うけたまわ)ったはずだが。
成経 いや、わしはもっとよく考えて見なければならない。あなたに聞きたいこともある。
康頼 われわれがもっとよく考えて決心するために、今しばらく待っていただきたい。あなたはあまりにあわただしい。
俊寛 (不安に堪(た)えざるごとく。成経に)成経殿、わしはあなたを信じている。あなたが誓(ちか)いを守ってくださることを。
成経 (俊寛にむけてではなく)わしは考えねばならない。考えねばならない。
俊寛 康頼殿、わしはあなたの誓いを最後の頼みとしていますぞ。
康頼 わしたちはよく考えて見ましょう。今はあまりに大事な時だ。
俊寛 (天に向かって両手をのばす)神々よ、汝の名によってたてられた誓いは守られねばならぬ!
基康 わしの前で内輪(うちわ)の争いは、見るに堪(た)えぬわい。申(さる)の刻(こく)までに考えを決められい。猶予(ゆうよ)はなりませぬぞ。(退場。家来つづく)
成経 (基康の去るやいなや、飢(う)えたるもののごとく手紙の封を切りて読み入る)
康頼 (手紙を読みかけて、俊寛を見てやめる)
成経 (かたわらに人なきがごとく)なつかしい母上よ、あなたの恩愛(おんない)が身にしみまする。(今ひとつの手紙を読む)妻よ、お前の苦しみは察するにあまりある。どんなに会いたかったろう。(他の手紙を見る)乳母(うば)の六条の手紙に添(そ)えて、わしの小さな娘の手紙も入れてある。何という可憐(かれん)な筆つきだろう。六条よ、あゝおまえの忠義は倍にして報(むく)いられますぞ。(手紙を読みつづける)
俊寛 (堪(た)えかねたるごとく)わしの前でその手紙を読むのはよしてください。わしは不安で不安でたまらない。成経殿、あなたは考えを変えてはなりませぬぞ。きょうあなたが弓矢にかけてたてた誓(ちか)いを忘れてくださるな。
成経 (われに帰りたるごとく)わしはあまりに苦しい、今はわしの一生の運命の定(き)まる時だ。わしに考えさせてください。
俊寛 あなたは名誉ある武士のすえだ。あなたはいつもそれを誇(ほこ)っていられた。わしはあなたの誇りに望みをかける。
成経 故郷(こきょう)の便りはわしの臓(ぞう)をかきむしるような気がする。不幸なわしの家族はどんなにわしを待っているだろう。彼らに一度会う日の夢は、わしのこの荒いみじめな生活のただ一つの命であった。今や時が来た。そしてわしは帰ってはならぬのであろうか。
俊寛 あなたの心持ちはもっともだ。だがわしのことを考えてください。あなたがたがそばにいて不幸を分けてくださったればこそ、この言いようのない苦しみにも堪(た)えることができたのだ。が、もしわし一人この島に残らねばならなかったら、わしはどうしてこの先を暮らしてゆくことができよう。それはあまりに堪えがたい。考えただけでも恐ろしい。
成経 わしはあなたのことを思わないのでは決してない。だがわしとして、わしの境遇になって、はたして故郷への迎えの船をむなしく帰すことができるだろうか。
俊寛 わしはこういう時の来ることを予感したのだ。それを思えばこそけさあれほどあなたに念を押したのだ。そしてあなたのあの心強い誓言(せいごん)を得たのだ。あなたはそれを忘れはなさるまい。
成経 (心の内に戦いながら)時機は二度と来ぬのだから。
俊寛 わしはあなたに要求する気はない。ただあなたの友情にすがって折り入って頼む。なにとぞわし一人をこの島に残さないでください。
成経 わしは一度だけ母に会いたい。妻に会ってその苦しみをねぎろうてやりたい。一生に、も一度だけわしの子供が抱(だ)きたい。
俊寛 それはみなわしの願うところだ。わしの朝夕の夢だ。今その夢を実(まこと)にすることのできるあなたの幸福と、この荒れた島にただ一人残る自分の運命とを較べるのは堪(た)えがたい。わしの恐ろしい運命を考えてください。
成経 わしはただ一度だけ故郷(こきょう)の土が踏(ふ)みたい。ただ一度だけ家族と会えばまたこの島に帰ってもよい。だがただ一度だけは。
俊寛 わしを助けてくれ。
成経 わしは苦しい。何も考えられない。わしの心は顛倒(てんとう)するようだ。
俊寛 あなたはどうしても帰る気か、誓(ちか)いを破り、わしを捨てて。
成経 (苦しそうに沈黙す)
俊寛 きょうからわしはあなたを名誉ある武士とは思いませぬぞ。困苦をともにした友に危難の迫(せま)った場合、無慈悲(むじひ)に見捨て去るとは、実に見下げた人だ。八幡(はちまん)のたたりを恐れられい。わしはいうがわれわれがこんなみじめな境遇に落ちたのも、もとはあなたの父上のためだ。
成経 (顔をおおう)
俊寛 あなたの父を鼠(ねずみ)のごとく殺した清盛(きよもり)のところへ、あわれみを乞(こ)うて帰る気か。
成経 (あたりをはばかりつつ)わしは復讐(ふくしゅう)することができる。都(みやこ)へ帰れば機会をうかがうことができる。
俊寛 (不安に堪(た)えざるごとく、康頼に)康頼殿、今はわしの頼みはあなた一人となりました。わしはあなたの愛と誠実とに依頼する。あなたはながい間どんなにわしを愛してくださったろう。あなただけはわしを見捨ててくださらぬだろう。
康頼 私はあなたの運命を思えばたまらない気がする。あなたはじつに苦しかろう。
俊寛 わしは恐ろしい。わしのそばにいつまでも離れずにいてください。
康頼 わしはあなたをあわれむ心でいっぱいだ。あなたの今の地位の恐ろしさは言い表わす言葉もないほどだ。
俊寛 (哀願(あいがん)に満ちたる調子にて)あなたはわしを見捨ててはくださらぬだろう。
康頼 わしはあなたを見捨てて去るには忍(しの)びない。
俊寛 ではわしとともにこの島に残ってくださるのですね。
康頼 (力なく)わしはそうしたい。そうしなければならぬと思う。けれども――
俊寛 (不安の極度に達す)わしはあなたの信心に依頼する。
康頼 迎えの船の来たのは熊野権現(くまのごんげん)の霊験(れいげん)と思われる。
俊寛 あなたは神々にたてた誓(ちか)いを忘れはすまい。あれほど信心深いあなたが、天地の神々の名によってたてた誓いを破ろうとは信じられない。
康頼 (沈黙)
俊寛 (あわれみを乞(こ)うごとく)康頼殿、あなただけはわしを見捨ててくださるな。あなたは成経殿の例にならってくださるな。この長い困苦の年月あなたがわしのためにどんなに忠実な友であったか、わしは感謝の心でいっぱいだ。今一人の友が無慈悲(むじひ)にわしを捨てて去ろうとする時、あなただけはわしを助けてください。わしはあなたに救(すく)いを求める。
康頼 (沈黙)
俊寛 (康頼の袖(そで)を握(にぎ)り地にひざまずく)あわれな友の最後の願いをしりぞけてくださるな。
康頼 わしはあなたを見るに忍(しの)びない。わしの心はちぎれるようだ。
俊寛 わしを地獄(じごく)から救ってくれ。(地に伏して慟哭(どうこく)す)
康頼 (苦しげに)わしはあなたのそばにいたい。あなたを見捨てる気にはなれない。
俊寛 わしはあなたを最後の頼みといたしますぞ。
基康 (家来をしたがえて登場)もはや時は来た。決心を承(うけたまわ)ろう。(家来に)出発の用意をしろ。
家来数名船のほうにゆく。三人沈黙。
基康 (成経に)あなたの決心は?
成経 わしは迎えをお受けする。
基康 (うなずく。康頼に)あなたは?
康頼 (力なく)わしは友を見捨てるに忍(しの)びません。
基康 よろしい。ではあなたはこの島に残るがよかろう。成経殿だけ伴(ともな)って帰ろう。成経殿、出発の用意をなされい。
成経 (康頼に)わしは苦しい立場ではあるが思いきって一足(ひとあし)先に都(みやこ)へ帰ります。あなたはとどまって俊寛殿を慰(なぐさ)めて時機を待ってください。わしは都へたち帰ったらきっと再び迎えの使いを送ります。(俊寛に)あなたはわしが憎(にく)かろう。だがわしの立場を思ってゆるしてください。わしが都へ帰ったらきっと清盛(きよもり)殿にとりなして、あなたも帰洛(きらく)のかなうよう取りはからいます。それを頼みに苦しみに堪(た)えて待っていてください。
俊寛 (答えず)
成経 何か形見(かたみ)に残したいがわしに何もあろうはずがない。この衾(ふすま)をあなたにのこします。わしはこれで雨露(あめつゆ)をしのぎました。
俊寛 (衾(ふすま)を地になげうつ)わしはあなたを友とは思わぬ。早く都(みやこ)に帰るがいい。そして自分の敵に追従(ついしょう)するがいい。
家来 船の用意はできました。
基康 ではお別れする。(船に乗る。成経つづく)
成経 (船の上より康頼に)おことづてはありませぬか。
康頼 (何か言いかけて感動のあまりやめる)
基康 すぐに出発しろ。
家来 (ともづなを解(と)く)
俊寛 (顔をそむける)
成経 (康頼に)ではお別れいたしまする。
康頼 (堪(た)えかねたるごとくに)基康殿、お待ちください。
基康 何かごようか。
船少し動く。
康頼 待ってくれ。わしは考えて見たいから。
基康 船を止めろ。(家来船を止める)
俊寛 (不安の極に達し)康頼殿、わしはあなたを信じますぞ。
康頼 (苦しみに堪えざるごとく)神々よ。わしに力を与えてください。
基康 船を出せ。(船動く)
康頼 待ってくれ。わしは迎えをお受けする。
俊寛 (まっさおになる)康頼殿、あなたもか※(疑問符感嘆符、1-8-77)
康頼 俊寛殿、ゆるしてください。わしはあなたのそばにいたい。最後まであなたの慰(なぐさ)めの友でありたい。けれど、わしは今自分を支えることができなくなった。あなたはわしがどれほど故郷(こきょう)を慕(した)っていたか知っていられよう、そのために頼むべからざるものをも頼みとしていたことを。熊野神社(くまのじんじゃ)に日参(にっさん)したことも、千本の卒都婆(そとば)を流したことも。今やその日が来た。ほとんど信じられない夢のような日が。けれどわしはあなたをあわれむあまり、今の今まで堪(た)えてきた。けれど今はわしの力もつきたような気がする。この船を逸(のが)したら二度と機会は来ないかもしれない。あの荒れた乏(とぼ)しい、退屈な、長い長い日が無限につづくことを思えばたまらない。わしはこの船が地獄(じごく)に苦しむ罪人を迎えに来た弘誓(ぐぜい)の船のような気さえしているのだ。
俊寛 (康頼の袖(そで)をつかむ)永久に地獄(じごく)に残るわしの運命を思ってくれ。それもただ一人で! あゝ考えてもぞっとする。残ってください。残ってください。
康頼 わしが帰ったらきっと清盛(きよもり)殿に取りはかろうて迎えの船を送ります。それを信じて待ってください。
俊寛 それがあてになるものか。このたびの処置で清盛がわしをどれほど憎(にく)んでいるかがわかる。わしはこの島にただ一人残って船の姿(すがた)が見えなくなる瞬間が恐ろしい。わしの命がその瞬間を支え得るとは思われない。
康頼 きっと迎えにまいります。その日を待ってください。わしを帰らせてくれ。
俊寛 (康頼を抱(だ)く)残ってくれ、残ってくれ。
康頼 (苦悶(くもん)の極に達す)あゝ。神々よ。
基康 船を出せ!
康頼 待ってくれ。(決心す)わしは帰らねばならない。(俊寛を放(はな)す)
俊寛 わしを無間地獄(むげんじごく)に落とすのか。
康頼 ゆるしてくれ、ゆるしてくれ。
俊寛 (康頼にしがみつく)助けてくれ。
康頼 (躊躇(ちゅうちょ)す)
基康 (いらだたしく)船を出せ!
康頼 待ってくれ。(俊寛を押し放(はな)ち船に乗る)
俊寛 (よろめく)あゝわしは。待ってくれ!
家来船を止めんとす。
基康 (声を励(はげ)ます)出発しろ。
船動く。
俊寛 基康殿。わしは犬のごとくひれ伏してあなたに乞(こ)う。わしをただ九州の地までつれて帰ってくれ。
基康 (顔をそむける)
成経 俊寛殿、きっと迎えにまいります。
康頼 心を確かに俊寛殿。わしは誓(ちか)ってもいい。きっと迎えをよこすことを。(無意識にふところより法華経(ほけきょう)を取り出す)誓いのしるしにこの法華経をあなたにのこします。わしのただ一つの慰(なぐさ)めであったこの経を。わしのかたみに!
俊寛 (法華経(ほけきょう)を引き裂(さ)く)
基康 (声を励まし)すぐ出せ!
船、岸を離る。
俊寛 (船にすがりつく)わしもつれて帰ってくれ。(船、動く。俊寛水の中に浸(ひた)る)待ってくれ。(船、動く。俊寛水に浸りたるまま、一間ばかり船に引きずられてゆく)
基康 手を放(はな)させろ。
家来 (俊寛の手をつかんで放す)
俊寛 (またしがみつく)
基康 (刀を抜き背(むね)にて俊寛の手を打つ。俊寛、手を放す)急いで漕(こ)げ。
船、岸を離れる。
俊寛 (ずぶぬれになったまま)船を戻(もど)せ! 船を戻せ!
基康 (家来に)急げ。(俊寛に)わしのせいではないぞ。
成経 きっと迎えにまいりますぞ。
康頼 ゆるしてくれ。ゆるしてくれ。(手を合わす)
俊寛 助けてくれ! わしを一人残すほどなら、むしろわしを殺してくれ。
答えなし、船退場。
俊寛 ただ九州の地まで。一生の願いだ。そしたら海の中に投げ込んで殺してくれてもいい。
答えなし。
俊寛 (水ぎわを伝って走る)船を戻(もど)せ! わしを助けてくれ。
答えなし。
俊寛 (丘の上にはい登り沖(おき)をさしまねく)おーい、康頼殿。
沖(おき)より呼ばわる声聞こゆ。
俊寛 船を戻せ! 船を戻せ!
沖より銅鑼(どら)の音(ね)響く。
俊寛 船を戻せ! 船を戻せ!
答えなし。
俊寛 (衣を引き裂(さ)く。狂うごとく打ちふる)おーい。康頼殿。
答えなし。この時雷(らい)のとどろくごとく山の鳴動(めいどう)聞こゆ。
俊寛 (ふるえる)助けてくれ!
答えなし。
俊寛 (絶望的に)だめだ! (地に倒れる。立ち上がる)鬼(おに)だ。畜生(ちくしょう)だ。お前らは帰れ。帰って清盛(きよもり)にこびへつらえ、仇敵(きゅうてき)の前にひざまずいてあわれみを受けい。わしは最後まで勇士としてただ一人この島に残るぞ。この島で飢(う)えて死ぬるぞ。
も一度激しき山の鳴動。
俊寛 (思わず叫ぶ)助けてくれ! (地に伏す。間。必死の力を出して立ち上がりよろめきつつ)わしはこの島の鬼となるぞ!
波の音、松風の音、その間を時々山の鳴動。
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   第三幕

     第一場

舞台、第一幕に同じ。岩多き荒涼(こうりょう)たる浜辺(はまべ)、第二幕より七年後の晩秋。

俊寛 (やせ衰(おとろ)え、髪(かみ)をぼうぼうとのばし、ぼろぼろに破れ、風雨のために縞目(しまめ)もわからずなりたる着物をきている。岩かどに立ちて、嘆息しつつ海を眺める)あゝだめだ。まただまされた。何百度だまされればいいのだ。康頼めがなまじいに迎えによこすと言ったばかりに! 苦しまぎれにいいかげんなことをいったのだ。その場限りの慰(なぐさ)めだ。それが何のあてになるものか。それをお前は知ってるくせに。愚(おろ)か者! 未練(みれん)なわしよ。あゝわしはもう自分に頼る気もなくなった。どうしてわしは死んでしまわないのだ。この岩かどに頭を打ちつければ、この悪夢のようなわしの生涯(しょうがい)は閉じるのではないか。あゝ想像もつかない恐ろしい七年が経った。わしはどうして生きてくることができたのだろう。四季の移り変わりと月の盈虧(みちかけ)がなかったら、どうして月日さえ数えることができたろう。何よりも苦しいのは食物がないことだ。わしはいつも餓鬼(がき)のように飢(う)えていなければならない。もう弓を引く力もなくなった。水くぐる海士(あま)のすべも知らない。(ふと岩陰(いわかげ)を見る)見つけたぞ! (岩陰(いわかげ)に飛びゆき)待て。かにめ。(あわて捕(とら)えんとす)えゝ逃げおったわい。(がっかりする。考える)あゝわしは餓鬼(がき)だ。少しの食物を得るためにどんなにあさましいことをしなければならないか。
この時岩かどにとまりいたる兀鷹(はげたか)空を舞い、矢のごとく海面(うみづら)に降(お)り魚を捕えたちさる。
俊寛 あゝわしはあの兀鷹がうらやましいわい。
漁夫(ぎょふ)一登場、※(びく)[#「土へん+累」、311-6]を岩の上に置き網(あみ)を打つ。
俊寛 (おずおずと漁夫のそばに近寄る)
漁夫一 (気味悪そうに俊寛を見る。網をあげ、捕えたる魚を※[#「土へん+累」、311-8]の中に入れ、再び網を打つ)
俊寛 (※[#「土へん+累」、311-9]の中をのぞきこむ。何かいいかけて躊躇(ちゅうちょ)す。やがて思いきりたるごとく)この魚をわしの硫黄(いおう)と換(か)えてくれまいか。
ふところより硫黄の塊(かたまり)を出す。
漁夫一 (俊寛を軽蔑(けいべつ)したように見る)わしはそんなものはいらない。(網を引き上げる)
俊寛 そうであろうが二、三尾でいいから換えてくれまいか。
漁夫一 九州から硫黄を買いに来る商人(あきんど)に持ってゆくがいい。
俊寛 いつくるかわからない。わしは飢(う)えているのだから。
漁夫一 それっぱかしの硫黄をもらったってしかたがないや。
俊寛をさけるごとく、少し離れた所に行き網を打つ。
俊寛 (※[#「土へん+累」、311-18]の中を物欲しそうにのぞきこむ。やがて隙(すき)をうかがい手を突込み魚をつかみ、ふところに入れる)
漁夫一 (それを見つける)盗(ぬす)みやがったな。太(ふと)いやつだ。
俊寛 わしは知らぬわい。
漁夫一 うそをつけ。魚を出せ。(俊寛に詰め寄せる)
漁夫二とその妻登場。
漁夫二 どうしたのだ。
漁夫一 こいつ、わしの魚を盗(ぬす)みやがったのだ。
漁夫二 この流人(るにん)めが。とっちめてやれ。
漁夫二の妻 (背中の子供をゆすぶりながら)こいつはいつもうろうろして物盗みをするということだよ。
漁夫二 ぶちなぐってやれ。(俊寛逃げんとす)
漁夫一 待て! (俊寛を地にねじ伏せる)
漁夫二 盗人(ぬすっと)め! (俊寛の顔を打つ)
俊寛 (顔をおおうて地に伏す。漁夫の子供火のつくように泣く)
漁夫二の妻 (けんどんに子供をゆすぶりながら)ほえまいぞ、ほえまいぞ。ほえるとこの流人のようにぶたれるぞ。
漁夫二 (俊寛を突きやり)失(う)せろ、流人め。二度とこんなまねをしやがったら、生かしてはおかないぞ。
漁夫一 二度とこの界隈(かいわい)にうろつくな。
漁夫二の妻 いやなやつだね。あんなのを餓鬼(がき)というのだろうよ。
三人退場。
俊寛 (立ち上がり、あたりを見回す)あゝ、何というみじめさだ。(走り行き岩かどに頭を打ちつけんとして躊躇(ちゅうちょ)す)あゝ死ね! 死ね! (地に伏す)あゝだめだ。これでもわしは死ねないのか。(慟哭(どうこく)す。やがて岩かどに腰をかける。ふとそこに落ちいたる魚を見つける。無意識に拾い上げて食わんとす。この時犬の群れのほゆる声起こる。ぎょっとしてあたりを見回す)しっ。しっ。(犬ますますほえる。俊寛、石を拾う)畜生(ちくしょう)! (石を投げる。犬の声静まる。魚にかじりつく)
有王登場。俊寛人の気配(けはい)に岩陰(いわかげ)に隠(かく)れる。
有王 (あたりを見回しつつ)なんと言う荒れた島だろう。都(みやこ)にいる時鬼界(きかい)が島のさびしいことは聞いていたが、これほどだろうとは思わなかった。ほんとうに鬼(おに)でも住むような島だ。この島で一日と暮らせようとは思えない。あゝご主人さまはこの島で、七年もただ一人で暮らさなければならなかったのだ。もしやもはやお果てなされたのではあるまいか。この島中を山をよじ浜辺(はまべ)を伝って捜したけれどもそれらしい人も見あたらない。もしか絶望のあまり岩かどに頭を打ちつけて自殺でもなさりはすまいか。いやいやそんなことはあるまい。奥方や若君の安否(あんぴ)もわからぬ先にそのようなことはなさるまい。(岩のほうに行く)
俊寛 (岩陰よりいで去らんとす)
有王 (俊寛の姿(すがた)を見て驚き、二、三歩後ろにさがる。小声にて傍白)あれはなんだろう。あの恐ろしい姿は! わしは餓鬼(がき)道へでも迷って来たのではあるまいか。いや、やはり人間のようだ。尋(たず)ねてみよう。(俊寛の後ろより声をかける)ちょっと、物をお尋(たず)ねいたしたい。
俊寛 (後ろを振り向く)
有王 わしは都(みやこ)から来た者だが、(俊寛、都と聞いて驚いて有王を見る)この島に法勝寺(ほっしょうじ)の執行(しゅぎょう)俊寛僧都(そうず)と申す方が十年前よりお渡りになっているはずだが、もしやご存じあるまいか。
俊寛 (驚きのためまっさおになる。何か言いかけてくちびるをひきつける。やがてつくづく有王を見る)有王だ! (有王に抱(だ)きつく。やがて反射的に有王を放(はな)し顔をおおう)あゝ、わしは恥ずかしい。
有王 (驚きて俊寛を見る)お前はだれだ。わしの名を知っているお前は。
俊寛 有王よ。わしだ。俊寛だ! (有王に抱きつく)
有王 (驚き、つくづくと俊寛を見る)あゝ、ご主人様だ! (俊寛を抱く)
俊寛 あゝ、わしはわしは。(慟哭(どうこく)す)
有王 おなつかしゅうございました。(愛憐(あいれん)の情に堪(た)えざるごとく)あなた様のこのお変わりようは!
俊寛 わしの姿(すがた)を見てくれい。
有王 あゝいたわしや、ご主人様。よく生きていてくださいました。どうしてこの十年をお過ごしなされました。この荒い島で、ただ一人で。(泣く)
俊寛 わしは餓鬼(がき)のように暮らしてきた。どうして生きてきたか自分にもわからない。すべては困苦と欠乏と孤独と、そして堪えられない侮辱(ぶじょく)だった。
有王 ここでお目にかかろうとは!
俊寛 夢だ! 悪い、長い夢だ。
有王 今生(こんじょう)でふたたびお目にかかれるとは。あゝありがたい。
俊寛 この変わりはてたあさましい姿(すがた)をあわれんでくれ。
有王 ご主人様、もはやご安心なさいませ、私がまいりました。あなたの手足のように忠実な有王めでございます。
俊寛 (有王を抱(だ)きすすりなく)
有王 私の心は昔と寸分(すんぶん)変わりませぬ。あなたが都(みやこ)をおたちなされてから、苦しい長い日がつづきました。あゝ長い長い日が、わたしはどんなにあなたのことをお案じ申したか、先年鬼界(きかい)が島の流人(るにん)たちがきょうは都へ上ると聞いた時、私は夢かとよろこんで取るものもとりあえず鳥羽(とば)までまいりましたけれども、康頼殿と成経殿の輿(こし)は帰ったけれども、あなた様は一人鬼界が島に取り残りなされたと聞いた時、私は絶えいるばかりに悲しみました。それから七年の間あなたの赦免(しゃめん)のことがある日をあけくれ待ちわびていました。けれど七年がむなしく過ぎました。待ちあぐんだ末、私は堪(た)えきれなくなって人目を忍(しの)びこの島に尋(たず)ねてまいりました。せめて今生に一度だけでもお目にかかりたいと思って。
俊寛 あゝ、お前にふたたび会えようとは! はるばると来てくれたか。わしのすべての友、すべての家来がわしを見捨てたのに。この島の漁師(りょうし)さえわしをあなどり、餓鬼(がき)を恐れるようにわしを避(さ)けようとするのに。
有王 私の尊いご主人様、私はあなたのために命を惜(お)しみませぬ。幼い時からあなたに受けたご恩を思えば、私はよろこんであなたのために死にまする。
俊寛 わしは絶望のあまり幾度も幾度も死にかけた。深い海やけわしい岩かどは、絶え間なくわしを死に誘(さそ)うた。だがわしの妻子の愛着がわしを死なせなかった。この地上のどこかで妻や子が生きているのだと思えばわしは死ねなかった。しかもきっと不幸と恥辱(ちじょく)との中に。有王よ、わしは妻子の安否(あんぴ)を気づかった時、いつもお前のことを頼みにしていた。すべての家来はそむき去っても、お前だけはきっと最後まで命をかけても彼らを守ってくれると信じていた。わしに聞かせてくれ。聞かせてくれ。わしの妻はどうしていますか。
有王 (何かいいかけてやめる。あわれむごとく、俊寛の顔を見、顔をそむける)
俊寛 言ってくれ! 有王よ。わしはたいてい想像している。どんな恥な暮らしをしていてもわしはもはや驚きはしない。
有王 (苦しそうに)あゝ、私の申し上げることはもっと悪いことでございます。
俊寛 (青ざめる。心を確かに保とうとつとめつつ)わしは覚悟している。
有王 (堪(た)えかねたるごとく)西方(さいほう)におわします奥方様。ご主人様のお心をお支えくださるように!
俊寛 あゝ亡(な)くなったか。自害(じがい)したか。
有王 (思いきりたるごとく)幾たびかそれをくわだてられました。そのたびごとに私が必死になっておとどめ申さなかったら、あなたが西八条に捕(とら)われていらっしたあと、平氏の役人どもが館(やかた)に押し寄せて近親のかたがたをことごとくからめとり、連れかえって拷問(ごうもん)し、謀叛(むほん)の次第(しだい)を白状させてことごとく首をはねました。もし重盛(しげもり)が命乞(いのちご)いをしなかったら、女や幼い者さえも免(のが)れることができなかったでしょう。奥方は若君と姫(ひめ)君とを伴(ともの)うて鞍馬(くらま)の奥に身をお隠(かく)しなされました。深いご恩をこうむっている数多くの郎党(ろうどう)は自分の身にとがめのかかるのを恐れて皆逃げ去ってしまいました。私一人おともをいたしご奉公申し上げましたけれども、そのご不自由さは申すもおいとしいほどでございました。絶えず敵の追手(おって)を恐れ、ことに恥と侮(あなど)りとを防ぐためにあの気高い奥方がどんなに心を苦しめられたか、あなたがこの島にご流罪(るざい)になられたと聞いてから奥方のお嘆(なげ)きははたの見る目も苦しいほどでございました。康頼殿、成経殿のご赦免(しゃめん)があってあなたのみお残りなされたと聞かれてから、奥方の悲しみはもはや私の慰(なぐさ)め申すにはあまりに深くなりました。そしてついに病の床におつきなされ種々手をつくしてご看病(かんびょう)申し上げましたけれどもそのかいなくついにお果てなされました。
俊寛 あゝあわれな妻よ。(目を閉じる。力なく)二人の子供は!
有王 そのあとを申し上げるのはあまりに苦しゅうございます。
俊寛 言ってくれ。言ってくれ。わしの心はもはや悲しみにしびれている。
有王 若君は夜も昼も父母をお慕(した)いなされ、「母上はいずくにゆかれた! 鬼界(きかい)が島とやらへ連れてゆけ。」とおむずかり遊ばしましたが、六年前の二月ごろその時はやった痘(もがさ)という病気におかかりなされついにお失(う)せなされました。
俊寛 (石のごとく硬(かた)く冷たき表情にて)ただ一人残った娘は?
有王 姫君さまはこの世をはかなみ奈良の法華寺(ほっけじ)にて尼(あま)になって、母上や若君の菩提(ぼだい)をとむろうていられましたが、去年の秋の暮れふとおゆくえがわからなくなり、手をわけて捜しましたところ。(俊寛を見る。堪(た)えかねたるごとく顔をそむけ口をつぐむ)
俊寛 言ってくれ。ひと思いに。この場におよんでもはや私に悲しみをおしんでくれな。
有王 さる谷間に姫(ひめ)君のおなきがらが見つかりました。
俊寛 (ほとんど無感覚になりたるごとくうつろなる目つきにて)無だ! すべてが、すべてが亡びていたのか、わしの氏(うじ)を根こそぎ奪(うば)ってゆくのか。
有王 気をおたしかに!
俊寛 (われにかえりたるごとく)清盛(きよもり)はどうしている? 平氏の運命は? わしに信じられないほど残酷(ざんこく)な運命が平氏をどう扱うか、わしはそれが知りたい。
有王 世は澆季(すえ)になったと思われまする。平氏はますます栄えはびこり、その荘園(しょうえん)は天下に半ばし、一族ことごとく殿上(てんじょう)に時めき「平氏にあらざるものは人にあらず」といわれております。清盛が厳島(いつくしま)に参詣(さんけい)する道を直(なお)くするために切り開かした音戸(おんど)の瀬戸(せと)で、傾く日をも呼び返したと人は申しまする。法皇は清盛の女(むすめ)の胎(はら)から生まれた皇子(おうじ)に位を譲(ゆず)られる、と聞いております。あらゆる暴虐(ぼうぎゃく)に飽(あ)いた身を宮殿をしのぐような六波羅(ろくはら)の邸宅の黄金(こがね)の床に横たえて、美姫(びき)を集めて宴楽(えんらく)にふけっております。天下は清盛の前に恐れ伏し、平氏にこびへつらい何人もあえて対抗しようとするものはありませぬ。
俊寛 成経はどうした。都(みやこ)に帰れば隙(すき)をうかがって復讐(ふくしゅう)することができるといった成経は?
有王 成経殿はこのたび宰相(さいしょう)の少将に昇(のぼ)られるといううわさでございます。平氏に刃向(はむ)かうことなどは思いもよらぬように見受けられます。
俊寛 父を清盛(きよもり)に殺された成経が! 康頼はどうしている。
有王 康頼殿は東山双林寺(ひがしやまそうりんじ)の山荘にこもって風流に身をやつしていられます。鬼界(きかい)が島での生活を材料にして宝物集(ほうぶつしゅう)という物語を世に出されるといううわさでございます。
俊寛 犬だ! 鼠(ねずみ)だ! わしは最後まで勇士として立つぞ。自分を売らぬぞ。有王船を用意しろ、船を!
有王 お心を静かに!
俊寛 ただ一矢(ひとや)を! わしの腕(うで)にまだ力があるうちに!
有王 船は急にはありませぬ、私がこの島に来ることができたのも不思議なほどでございます。赤間(あかま)の関で役人に捕(とら)えられすでに危(あやう)きところをのがれ、船頭(せんどう)をだましてようやくこの島に着くことができました。
俊寛 九州まで! いかなる手段をつくしても! 九州まで着けば身を忍(しの)ばして都に入り、時機をうかがうことができる。
有王 たとえ九州まで帰り着いても、清盛が草をかきわけても捜し出さずにはおきませぬ。
俊寛 ただ一太刀(ひとたち)! わしの憎(にく)みを清盛(きよもり)の肉にただ一太刀刻(きざ)みつけるために!
有王 (つくづくと俊寛を見る)あゝご主人様何ごとも時でございます。われわれの運は去りました。
俊寛 (倒れんとす)
有王 (俊寛を支えあわれみに堪(た)えざるごとく)お気をたしかに! 栄枯盛衰(えいこせいすい)は人間の力に測(はか)りがたき天のさだめでございます。今時を得て全盛の極(きわ)みにある平家の運命もいつかはきっとつきる時が来るでしょう。
俊寛 (夢中にて)残っている! まだわしの腕(うで)に力が残っている。
有王 一人や二人の力で刃向こうても、今時を得ている平氏をくつがえすことはできませぬ。天が平氏を滅(ほろ)ぼすのを待ちましょう。
俊寛 清盛よ、お前がわしに課した苛責(かしゃく)の価(あたい)をお前に知らさずにはおかぬぞ!
有王 あの清盛の前代未聞(みもん)の暴逆(ぼうぎゃく)が天罰を受けずにはおきますまい。
俊寛 今わしが流すこのあぶらのような涙をお前の歓楽の杯(さかずき)に注ぎ込んで飲まさずにはおかぬぞよ。
有王 無間地獄(むげんじごく)の苛責とても今のあなたの苦しみにまさりはいたしますまい。
俊寛 この苦しみを倍にして、七倍にしてきっとお前に報(むく)いるぞ! わしの足がまだわしの体を支える限りは。えゝ。船を出せ。船を!
有王 (力つきたるごとく、ぐったりとして)船はとても得られませぬが。
俊寛 たとえ生きながら龍となって大海を越ゆるとも! (衣を裂(さ)く)わしは憎む。わしは憎む。(狂うごとく)えゝ、この頭が張り裂(さ)けるわい! (ほとんど無意識に頭を岩かどに打ち当てんとす)
有王 (まっさおになり、俊寛を抱(だ)き止める)ご主人様。ご主人様。
俊寛 (有王の腕(うで)の中にて)清盛(きよもり)よ。わしの死骸(しがい)をお前の死骸に重ねるぞ! (失神して倒れる)
有王 (俊寛を抱(だ)きかかえたるまま)ご主人様、お気をおたしかに! あゝ、いたわしや。あまりに苦しみがすぎました。鬼神(きじん)もおあわれみくだされい。かかる苦しみが歴史の記録にもありましょうか。
俊寛 (われに返り、抱かれたるまま、無限の感情をこめて)あゝ、有王よ。
有王 ご主人様。気をおたしかに! 有王は最後まで宮仕えいたしますぞ。海をくぐり、山によじても食物をあさり求めあなたを養い守りますぞ。(俊寛を抱きしめる)
     第二場

俊寛の小屋。いそに漂着(ひょうちゃく)したる丸太や竹を梁(はり)や桁(けた)とし、芦(あし)を結(むす)んで屋根を葺(ふ)き、苫(とま)の破片、藻草(もぐさ)、松葉等を掛けてわずかに雨露(あめつゆ)を避(さ)けたるのみ。すべて乏(とぼ)しく荒れ果てている。俊寛、藻草を敷き破れたる苫をかけてねている。第一場より一か月後の夜、隙間(すきま)より月光差し入る。小屋の外はあらし吹く。

俊寛 (突然苫をおしのけ、起き上がり、あたりを見回す)魔道(まどう)に落ちているのか。妻よ。今に、今に恨(うら)みを晴らしてやるぞ! ([#「! (」は底本では「!(」]われにかえりたるごとく)あゝ夢か。(急に自分の地位をはっきりと意識したるごとく)あゝわしはどうして死にきれないのだ。すでに三七日も飲食(おんじき)を断(た)っているのに! わしは干死(ひじ)にすることもできないのか。わしの生命(いのち)の根は執念(しゅうねん)深く断ちきれない。このあさましいわしの業(ごう)をいつまでもさらさせようとするのか。食を断っても断っても死にきれぬ蛇(へび)のように。わしの力はわしの四肢(しし)からもう失せたのにわしの根はいつまでも死にきらないのか。運命はあくまでもわしを責(せ)めさいなもうとするのか。わしは死にたい。死にたい。ただ恨(うら)みだけがわしの生命を燃(も)やしているのだ。わしは死んでただわしの恨みだけが生きているのだ。わしは恨みそのものだ。わしは生きながらの怨霊(おんりょう)だ。(耳をそばだてる)あゝ風の音か。わしの子どもが泣いているような気がしたのだが。
有王 (登場、魚と荒布(あらめ)とを持っている)ただいま帰りました。
俊寛 (なお何者かのあとを追うごとく)あゝ帰ったか。
有王 ご気分はいかがでございます。(俊寛のそばによる)
俊寛 わしの根はますますはっきりするばかりだ、わしの身体(からだ)は日に日に衰(おとろ)えてゆくのだが。
有王 (つくづくと俊寛を見る)ご主人様、なにとぞ私の申すことをお聞きください。今夜は心を静めて何か召し上がりませ。ここに魚と荒布とがございます。
俊寛 わしはもはや飲食はたったのだ。わしははやく死にたい。
有王 なぜそのようなことをおっしゃいますか、私が生きている限りはたとえご不自由とは申せ、海山をあさってもあなたを飢(う)えさせはいたしませぬ。
俊寛 あゝわしは生きていてどうするのだ。わしの手足にまだ力が残っていた間は、いかにもして一度都(みやこ)に帰って敵(かたき)に一太刀(ひとたち)報(むく)いる望みがあった。お前からあの恐ろしい凶報(きょうほう)を聞いた時、わしがすぐに死ななかったのはただその希望のためのみであった。があまりに激しい悲しみはわしを打った。衰(おとろ)えきったわしの体を病気がむしばんだ。わしはもはやふたたび都の土を踏(ふ)む望みはない。一指(いっし)を加えることができないで敵とともに一つの天をいただくことは限りない苦しみだ。
有王 病気はなおすことができるではありませんか。命さえあればふたたび都に帰れないとは限りません。
俊寛 (苦しそうに)有王。この期(ご)に臨(のぞ)んでもはやまやかしごとを言ってくれな。
有王 でも寿命(じゅみょう)のある限りは。
俊寛 (さえぎる)わしはもはや再び立つことはできない。
有王 どうしてそのようなことがありましょう。なにとぞ飲食(おんじき)をおとりください。私が苦心してあり求めてきたのでございますから。
俊寛 わしは干死(ひじ)にするのだ。わしの呪(のろ)いが悪魔の心にかなうために。わしの肉体の力はつきた。わしに残っているのはただ魂魄(こんぱく)の力だ。わしのこの力で復讐(ふくしゅう)して見せる。清盛(きよもり)はわしからすべての力を奪(うば)った。しかしこの力を奪うことはできないのだ。人間の魂魄の力がどれだけ強いか。わしはそれを知らせてやる。清盛を呪うてやる。ともに魔道に伴(ともの)うてゆくぞ!
有王 あゝ恐ろしい。ご主人様、あなたは静かにこの世を終わってください。私は争いに飽(あ)きました。あゝこの年月私の見てきたことはあまりに恐ろしいことばかりでありました。思えば思うほどあさましい。私はこの恐ろしい世を惜(お)しいとは思いませぬ。その渦(うず)の中からのがれたい。たとえこの荒れた島はいかにさびしくとも、ここで静かに余生(よせい)を送りましょう。私が朝夕心をつくしてご奉公申し上げますから。つくづくあなたのご生涯(しょうがい)を思えばただごとではない気がいたします。目に見えぬ悪業(あくごう)があなたの氏(うじ)につきまとっている気がいたします。静かに業(ごう)のつきるのを待ち平和な来世(らいせ)をお迎え遊ばすよう、私はひたすら祈ります。今あなたの心に起こっていることは世にも恐ろしいことでございます。あなたの来世を魔道に落とさぬよう。
俊寛 わしのこの、この骨髄(こつずい)に徹(てっ)する恨(うら)みをどうするのだ。あゝわしの受けた苛責(かしゃく)がどれほどのものだったか! わしはよい人間ではないかもしれない、だが、かほどの苛責がわしに相当しているだろうか。少なくともわしは清盛(きよもり)ほど悪虐(あくぎゃく)ではないつもりだ、彼ほど人を傷つけてはいないつもりだ。天はその清盛をどのように遇しているか!
有王 あゝ私もそれはわかりませぬ、が、清盛の積んだ悪業はきっと罰(ばち)を受ける時が来ると思います。
俊寛 あゝわしはその罰を呼び起こすのだ。その罰を七倍にしてやるのだ。彼を地獄(じごく)に引きずり落としてやるのだ。
有王 ご主人様、なにとぞお心を静めてください。清盛の懲罰(ちょうばつ)は魔王(まおう)に任(まか)せてください。この世では記録にないほどの恐ろしい苛責(かしゃく)を受け、死後もまた地獄(じごく)におちて永劫(えいごう)につきない火に焼かれなくてはならなかったら!
俊寛 たとえ地獄の火に焼かるるとも清盛(きよもり)を呪(のろ)い殺さずにはおかないぞ。彼を火の中に呪い落として永劫に責(せ)めさいなまずにはおかないぞ。
有王 (耳をおおう)あゝ恐ろしい。仏様が主人の心をお静めくださるよう!
沈黙。あらしの音が過ぎる。
俊寛 有王よ。お前は都(みやこ)へ帰ってくれ。
有王 (驚く)ご主人様。何をおっしゃいます。
俊寛 お前はまだ若い。わしとともにこの島で朽(く)ち果てさすに忍(しの)びない。都へ帰ってよき主に仕え、世に出る道を計(はか)ってくれ。
有王 私は世をいといます。この島で一生あなたに仕えるほか何の望みも持ちません。
俊寛 都へ帰れ。都へ帰れ。
有王 私は死ぬまであなたを養い守ります。
俊寛 わしはお前にとっていい主人ではなかった。お前になんの栄(さか)えをも与えることもできないで。恥と煩(わずら)いとのみ負わせた。お前がわしの妻子に最後までつくしてくれたことは、わしの肝(きも)に銘(めい)じている。お前の一生をこの島にうずめさせてはならない。立ち帰ってお前の栄えを求めてくれ。
有王 お言葉が身に余りまする、私はあなたのためによろこんで死にます。この島に朽(く)ち果てることは物の数ではありませぬ。ただいかに心をつくしてもあなたのあまりに深い心の手傷(てきず)を慰(なぐさ)めることができないのを悲しむばかりでございます。
俊寛 わしを捨ててくれ。この島で一人死なせてくれ。
有王 私は最後まであなたのそばを離れませぬ。あなたとともに死にます。
俊寛 わしの死はもう手の届くほど近づいている。
有王 あゝ私は無常を感じます。静かにこの世を終わりましょう。来世(らいせ)の平安を祈りましょう。主従(しゅじゅう)は三世(さんぜ)と申します。
     間。
俊寛 (何ごとかを思いつきたるごとく急に立ち上がり、やがてまっさおになりて、くずれるごとく寝床にすわる)
有王 どうかなさいましたか。急にお顔の色が悪くなりましたが。
俊寛 (平気を装(よそお)う)わしは寒い。有王、火をたいてくれ。
有王 あゝあまり夜風がきついのがさわったのでございましょう。すぐに火をたきましょう。すぐ薪(たきぎ)を拾ってまいりますから。(退場)
俊寛 (寝床の上に倒れる。やがて決心したるごとく立ち上がる)有王よ。お前の忠義はいつまでも忘れぬぞ。(よろめきつつ藻草(もぐさ)をかきわけて小屋をいであたりをうかがい浜辺(はまべ)のほうに向かって退場)
舞台しばらく空虚(くうきょ)。
有王 (登場)すぐに火をたきますぞ。ひどいあらしだ。(俊寛の姿(すがた)の見えざるに気づいて、驚き薪を投げる)ご主人様。(小屋の中を捜す。藻草(もぐさ)のかきわけてあるのを見る。急にまっさおになる)あゝ。(驚きあわて小屋を走りいで、月明りに浜辺(はまべ)のほうを透(す)かし見つつ急ぎ退場)
     第三場

舞台第一場に同じ。時。第二場の直後。烈風(れっぷう)吹き、波の音高し。荒れ狂う海の上に利鎌(とがま)のごとき月かかる。雲足(くもあし)はやく月前をかすめ飛び舞台うす暗くなり、またほのあかるくなる。俊寛よろめきながら登場。幾たびか岩かどにつまずきては倒れ、また起きあがる。息を吐(つ)きつつ後ろを透かしながめ、よろめきつつ岩をよじ上(のぼ)り、けわしき巌(いわ)かどに突き立つ。手足、顔のところどころ傷つき血痕(けっこん)付着す。月雲を離れ、俊寛の顔を照らす。

俊寛 (月をにらみつつ)いかに月天子(げってんし)、汝(なんじ)の照らすこの世界をわしは呪(のろ)うぞよ。汝の偶たる日輪(にちりん)をも呪うぞよ。かつては汝らの名によってこの世界に正しき律法あることを証(あかし)したこともあったが、今は悪魔の名によってそれを取り消すぞ。あゝこの世界をわしは憎(にく)む。わしが生きている間、わしをいかに遇(ぐう)したか。それをわしは永劫(えいごう)に忘れぬぞ。この世界はゆがめる世界だ。善が滅び悪が勝つ世界だ。あゝ、なきに劣(おと)る世界だ。かかる世界は悪魔の手に渡すがいい。悪魔よ来たれ。わしは汝に今こそ親しく呼びかけるぞ。わしは三界(さんがい)に怨霊(おんりょう)というもののできる理由を今こそ知った。わしのごとく遇(ぐう)せられて死んだものの霊が、怨霊(おんりょう)にならずして何になるのだ。(月雲にかくる)あゝ信頼(のぶより)の怨霊よ。成親(なりちか)の怨霊よ。わしにつけ。わしにつけ。地獄(じごく)に住む悪鬼(あっき)よ。陰府(よみ)に住む羅刹(らせつ)よ。湿地(しっち)に住むありとあらゆる妖魔(ようま)よ。みなその陰気なる洞窟(どうくつ)をいでてわしのまわりにつどえ。わしはわしの霊を汝らの手に渡すぞ。わしはわしに生を与えたるものにそむき、永劫(えいごう)に汝らに属することを誓(ちか)うぞ。わしの誓いのしるしを受けい。(俊寛石を拾いおのれの胸、顔等をうつ、皮膚(ひふ)破れて血ほとばしる。地に倒れ、また立ち上がりて狂えるごとく衣を裂(さ)く)あゝ悪魔よ。わしの呪(のろ)いをいれよ! (岩かどに突立つ。烈風蓬髪(ほうはつ)を吹く。俊寛両手を天に伸ばす)わしはあらゆる悪鬼の名によって呪うたぞ! 清盛(きよもり)は火に焼けて死ね。宗盛(むねもり)の首は梟(きゅう)せられよ。維盛(これもり)は刃(やいば)にたおれよ。わしは清盛の女(むすめ)の胎(はら)を呪うたぞ。その胎よりいずるものは水におぼれよ。平家に禍(わざわい)あれ。禍あれ。平家の運命に火を積むぞ。平家の氏に呪いをおくぞ。たねのたね、すえのすえまで呪うたぞ。清盛よ、汝を地獄に伴いゆくぞ。(月雲を離れ俊寛の顔を照らす。月をにらんで)汝、僭冒(せんぼう)者よ。天の座よりおちおれい。(天に向かって唾(つば)を吐く。風のため唾ことごとく俊寛の顔にかかる。俊寛狂うがごとく)悪鬼よ。羅刹よ。妖魔よ。来たってわがまわりにつどえ。すべて汝らの族(やから)に属するものことごとく来たってわが呪いに名を署(しょ)せよ。わしは今わしの魂魄(こんぱく)を永劫(えいごう)に汝らの手に渡すぞ。おゝ清盛よ。奈落(ならく)の底で待っているぞ。(岩かどに頭を打ちつける。倒れる)
     間。
有王 (登場)ご主人様。(うろうろ捜す)あゝどこにゆかれたか。あゝわかっている。わかっている。何をあなたが思いつかれたか! あゝ恐ろしい。ご主人様。(砂の上に血の痕(あと)を見つける)おゝ。(血の痕をたどり、岩の上によじ、俊寛の死骸(しがい)を見つける)おゝご主人様。(俊寛を抱(だ)き起こす。すでに絶息(ぜっそく)しおるを知る。地に倒れる。やがて起き上がり俊寛を抱きしめる。慟哭(どうこく)す。沈黙。やがて俊寛の死骸を抱きつつ)あゝ、いたわしいご主人様。苦しい苦しいご生涯(しょうがい)でございました。なにゆえにあなたはこれほどの苛責(かしゃく)をお受けにならなければならなかったのか。それは私にもわかりません。あゝしかしあなたの悪夢のような、ご生涯(しょうがい)は終わりました。静かな平和な来世(らいせ)があなたを待っているように! (つくづくと俊寛の顔を見る)何という恐ろしい死に顔だろう。あゝご主人様、あなたは呪(のろ)うて死なれましたか。天を恨(うら)み、世を憎(にく)み、敵を呪うて、恐ろしい、恐ろしい考えを死ぬる際(きわ)まで持ちつづけて! あゝあなたの未来が恐ろしい。あゝ私がこの十年の間見てきたことは実に恐ろしい人生の相(すがた)であった。(沈黙。やがて決心したるごとく立ち上がる。死骸に向けて)有王はどこまでもどこまでもお伴いたしますぞ。(俊寛の死骸を負う)あゝ仏様。私はこの世をいといまする。この恐ろしい世界から一時も早くのがれとうございます。私は主人とともに死にまする。私は何もわかりません。私の今することがたとえ間違っていようとも、なにとぞゆるしてくださいませ。あゝ主人の来世をお救(すく)いくださいませ。主人の霊を地獄(じごく)より救い出してとこしえの平和を恵みたまえ。(死に場所を選びつつ)今私の霊をあなたの御手(みて)に託(たく)しまする。(俊寛の死骸を負いたるまま岩の上より海に身を投げる)
あらしの音。波の音。月光ほしいままに浜辺(はまべ)を照らす。
――幕――
了

底本:「出家とその弟子 他一編」旺文社文庫、旺文社
   1965(昭和40)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第25刷発行
初出:「新小説」
   1919(大正8)年12月
入力:藤原隆行
校正:川山隆
2006年9月21日作成
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