私は平生毛筆を使はない。墨をするのが面倒なのと、硯箱が場所を取るからである。それよりも第一、手が自由に動かない厄介さを知つてゐるからであらう。
 私はまた万年筆を好まない。ペン先をインキ壺に浸す、あの伸びやかな気持がなく、書かれた文字の濃淡がもつ、あの特殊なリズムを失ふからである。それよりも第一、買ふしりからどこかで落して来ることがわかつてゐるからかもしれない。

 私は洋服を長く著てゐることができない。外国で暮した間でも、自分の部屋へはひると、すぐに日本服に著かへた。
 私はまたドテラといふものを著たいと思はない。一二年の間、冬になると家のものが著せるので著てゐたこともあるが、今年から御免蒙らうと思つてゐる。
 洋服は便利だが、窮屈でいやだし、ドテラは寛いだ感じはするが、なんとなく隙だらけといふ気がして落ちつけない。

 この筆法で行くと、私は何事でも中間を行く人間らしい。古典主義者たるべく、あまりに規範を厭ひ、近代主義者たるべく、あまりに刺戟を忌むといふ類ひの人間である。
 そのくせ、生温い味噌汁と、灰色の空と、わけても、Je-m'en-foutisteドウデモイイニスト は大禁物である。

 私は性陰鬱にして、社交に慣れず、短気なれども関心薄く、夢を抱いて夢を追はうとしない。

 私はまた、無作法を恐れてぎこちなくなり、殺風景を軽侮して野暮に陥つてゐる。都会に育つて都会生活のスタイルを解せず、待合とカフエエへは一人ではいれない。
 私はまた、小学校の運動会を見に行つて胸をつまらせ、代議士の演説を聴いて吹き出し、経師屋が約束の日を守らなかつただけで、額に青筋を立てるのである。
 私は、小児の如く感じ、老人の如く考へる。かういふと自慢のやうだが、それ故に、それ故にのみ、単純にして分別臭い。言ひ換へれば、幼稚でくどい。

 私は、自分の作品で、自分自身を語らうと思つたことはない。自分の求めてゐるものを現はさうと努めてゐる。自分の求めてゐるものは、自分に欠けてゐるものである。それが自分自身を語ることになるのなら仕方がない。
 私は、自分の作品の中に自分の姿を見ることを恐れはしないが、自分の姿を透して、ある一つの影を、ある一つの醜い影を見ることを恐れてゐる。この影を消しおほせた時に、自分の作家としての仕事は完成するのだと思つてゐる。

 私は、未だ嘗て、どういふ意味に於いても、英雄を、非凡な人物を描かうといふ慾望を起したことはない。
 私は、「目の届かない」ことを恥ぢる。凡人は――誰か自分を凡人に非ずと云ひ得よう――凡人を識るだけが関の山である。
 私は英雄の英雄たる半面に興味はない如く、その凡庸な半面にも興味はない。凡人の凡庸な全面にのみ興味をつないでゐる。それは自分の姿であるからばかりではない。そこに全き一人の人間がゐるからだ。見えるからだ。

 私は、自分の理想とする人物を考へたことはない。それは危険なことだ。「かくあらねばならぬ人物」を、今の世に「存在させる」ことは不可能である。

 私はまた「人間的価値」といふものにも疑ひをもつてゐる。そんな絶対的なものはあり得ないではないか。故に、自分の「価値づけ」が他人に興味があらうとは思はない。
 凡人とは、所謂「質」に関係のある呼び方ではなく、「量」に関係のある呼び方である。

 遠いものを近くし、重いものを軽くし、深いものを浅くするところに文化の歩みがある。
 濃いものを淡くし、太いものを細くするなど、これは文化の戯れだ。
 その証拠に……その証拠はいくらでもある。

 なぜこんなことを云ふかといふと、私は、深いものを深く見せる文学なら兎も角、浅いものまで深さうに見せる文学に感心しないからである。
 深いものを浅く見せる文学、これは、ざらにあるわけはない。
 深くして濁れるより、浅くして澄みたる方、私の好みからいへば有りがたい。
 おれもその方が有りがたいなんて、誰でも云ひさうだ――いやさうでもあるまい。

 私は、これで、自分を語ることを当分見合せよう。(一九二七・一二)

底本:「岸田國士全集20」岩波書店
   1990(平成2)年3月8日発行
底本の親本:「時・処・人」人文書院
   1936(昭和11)年11月15日発行
初出:「文芸春秋 第六年第一号」
   1928(昭和3)年1月1日発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年11月25日作成
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