わたくしが子供の頃から身につけた習慣といえば、一般日本人なみの習慣以外になにもこれといつて取り立てて言うほどのことはない。たゞ、今から考えて、これだけはもつと多くの日本人がそうであつたら、と思うような、ごく些細なことだが、案外人の気のつかない習慣を、わたくしは少年期青年期を通じて植えつけられた。現在、老年に達しても、その習慣がさほどの無理もなく続いていて、人から不思議がられることがある。
 それはなにかというと、一時間や二時間は立つていることがすこしも苦にならないことである。
 乗物のなかなどで、人々が争つて席を占めようとするのを見ていると、わたくしは、なぜそんなに争つてまで腰をかけたいのかと思う。また、若い男が腰をおろし、そのそばに老人や女がつつ立つているのを見ると、どうもおかしいような、恥かしいような気がする。立つて席を譲るのが当り前で、そんなことは文明人なら、みんなやることである。若い男が道徳を知らないわけではない。そういう習慣、ことに、立つことが平気だ、という習慣がないためだと思う。
 少年時代に、わたくしの両親が、男の子はどんな場合でも、ぐつたりしないで、しやんと立つているものだと厳しく教えこんだのである。瘠せ我慢と、すこしばかりの「おしやれ」がついに、この習慣を生んだのである。

底本:「岸田國士全集28」岩波書店
   1992(平成4)年6月17日発行
底本の親本:「それいゆ 第十六号」
   1951(昭和26)年2月15日発行
初出:「それいゆ 第十六号」
   1951(昭和26)年2月15日発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2011年2月8日作成
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