彩色せぬ面もある。其は三つの鬼の面である。十年ほど前の夏、私が此村を訪うて、種紙屋と間違へられた事があつた。其後、この伊豆権現が焼亡した相である。其頃天井にあげてあつたお面祭器類も、持ち出す事が出来ないで了うた。其後お祭りの為に、お面を神事役の年よりが、皆より集つて彫刻したのである。鬼などは、精巧過ぎる程に出来てゐる。此が素人の手になつたとは思へぬ程である。でも、どの面と、どの面とは、誰の作と言ふ事が訣つてゐる。而も、当事者以外には、わかつても知らぬ顔でゐるらしく、又そんな事を考へるのはわるいと思ふ為か、大した年月も経ないのに、今では問題にもなつて居ない。さうして、年役の人々は、皆それ/″\のお面の形相を評して、不思議な事には、どれもこれも、皆昔のお面に生きうつしだと言うてゐる。中には、自分自身刻んだお面に対して、さう言ふ風に言うてゐる人もあるのだ。さう考へねばならぬのか、祭りになつて愈、お面がはたらき出すとさう感じるのか、私には判断はつかぬが、ともかくも、気むづかしさうな、ひそ/\声で、神秘さうに話して聞かした。私は、村々の古典生活の調査に当つて、過重な感激に囚はれる事を、避けたい態度だと思うてゐる。其私すらも、此時は変な気がして、早川さんと、顔を見あはせた。其後も度々、二人で此を一つ話にした。
この村などは、明治初年この辺一帯に行はれた、奴隷解放運動に似た、被官廃止の騒動の余波を激しく受けて、旧来の歴史を随分に一蹴した事実もあるのである。伊豆権現を携へて、茲に居を占め創めた、村の古い開発者の後の、伊東家を逐うた記憶を、あれは、村の為によい事をした、と感じてゐる人々もある位の処なのであるが、其で居て、かう言ふ気持ちも、失はずに居るのである。此村の春祭りについては、村の有識仲藤さんの記述を得て、読者のお目にかけたいと考へてゐる。
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
1995(平成7)年4月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第一部 民俗学篇第二」大岡山書店
1930(昭和5)年6月20日
初出:「民俗学 第一巻第四号」
1929(昭和4)年10月
※底本の題名の下に書かれている「昭和四年十月「民俗学」第一巻第四号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月8日作成
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