凡てが小生にはまたと得難いかなしい省察の時を与へて呉れました。色々と小生の近状を御配慮下さる方々に、ただ小生が健全で如何なる苦痛と羞辱とにも耐え忍び得る程、敬虔な勇気ある状態に自己のたましひを温めつゝある事をお伝へしたいと思ひます。
 文芸の汚辱者として高品な某文芸新聞の譏笑を受けた事に就きましては、それらの凡てが真実で無かつたにせよ、小生は今更何等の弁解も致し度く御座いません。哀れな芸術の追求者たる小生にただ軽い微笑と小さな寛恕とを彼等一団の文芸記者――詩人文士達にお送りする丈の光栄を有しさへすれば凡てが無事なやうに思はれます。
 小生は何事も有の儘に申上ます。或る人――の告訴に依り、身を斬られるほど耻かしい奸通被告事件の一方の被告として、某分署長及某主任検事の再三の同情ある取做しがあつたに拘らず、色々の事情から改めて検事局の摘撥を止むなく受けるやうに為つた事も事実です。先月の六日の第一回の裁判を受け、女と共に他の窃盗人殺印鑑偽造等の囚徒達と因人馬車に同車して市ヶ台の未決監に送られたのも事実です。其処で小生は第八監十三室「三八七」といふナンバーに名を改めました。第二回の裁判には編笠に手錠を篏められた儘他の犯罪人と一緒にぞろぞろ曳かれて出なければなりませんでした。而して在監二週日の後同月の二十日に保釈の許可を得て帰宅、同二十八日に第三回の公判延期となり、本月十日の公判に簡単に無罪免訴の言渡しを受けて、刑事上には全く此の事件と関係を絶つ事になりました。此の苦しい数十日の間にも小生はたゞ小生が悲しいほど凡てに信実であつたといふ事と、些かでも自分自身のデリケエートな優しい気持ちを失はないで居られたといふ難有い事実とをお知らせ出来ます事はこれも悲しい芸術家の些細な矜待の一つで御座います。
 斯うなる迄の消息を簡略にお伝へするには事情があまりに錯綜してゐます上、強ひて世間の同情と憐憫を仰ぐやうな弁訴の致方は小生のやうな浅はかな者の瞳にも決して好ましい事には映りませんので凡てを人々の判断にお任せしたいと存じます、尚又自己の利益の為めにこの上他の人に不愉快な内省の時間を与へたり、少しでも自己を美くしいものに見做したり致しますのは如何にも男らしく無い様にも思はれますので、ここには何等の相当な弁解も致しません。また強ひて試みたところで何時の世にもその当時に於ける民衆の正しい理解は到底求め得られるものでは御座いません。芸術家の立場としてはたゞ敬虔にして信実な高い芸術の力に頼る外に最上の謙徳は無い、――と、かうしみじみと小生には考へ得られましたのです。
 兎に角、小生が他の妻女たる人と苦しい恋に堕ちかかつてゐて猶旦二人共長い間耐え忍んでゐた事も事実ですし、激しい盲目的な愛情の為に夫も棄てその子も棄て真に棄身すてみになつて縋りついて来た女に対して終に自己の平時の聡明に自ら克ち得なかつた事も極めて浅ましい最近の事実で御座います。小生も全たくまよひました。而して愚かな狂熱の坩壺るつぼの中に一切の智慧も理性も哀楽も焼け爛らして了つたのです。冷酷な自己批判のしもとは一々哀れな霊魂を鞭ちます――如何にも小生は立派な倫理道徳の汚辱者に相違御座いません。刑事上は一罪因に相違御座いません。既に社会の醜汚なる一員として相応な社会の制裁は当然甘じて受くべきものに相違御座いません。凡てがまた美しい因襲の範囲内に於てかかる道ならぬ恋の破滅は無論其の当初から覚悟して居らなければならなかつたのです。曾てある仲介者自身の何等かの陋しい目的の為に彼女の自殺を虚構した時、苦しさと耻かしさと不憫さとに愈自分も自殺と覚悟した朝迄朱欒七月号の原稿整理と「桐の花」の編輯とを急速に仕上げねばならなかつた悲しい詩人の意気地に母を泣かしたのも事実に相違御座いません、而してその死が虚偽の策略であつたといふ事も駆けつけて行つた小生の友人の靴の中にそつと忍ばしてあつた女の密書で判然した時、気落ちした様に「桐の花」の原稿を投げ棄てて小生と母と二人欷歔ききよしたのも――それから如何に逃れ難い悲哀のおもてに面接したとはいへ、貴重なるべき自己の一身を斯程迄に安々と弱々しく悲しく所決するといふ事は、如何にも人間としてまた芸術家として、男として余りに卑怯な所業だつたと気を飜へした時、あらゆる苦痛と迫害と屈辱の凡てに対して必要な勇気と忍耐とを美くしい謙譲のかげに用意して、見識を有つた詩人の哀しい意気地を立て貫かうといたしました。――それから日ならずして市ヶ谷に送られましたのです。
 ――東京監獄の二週日は浅はかな小生の為には何よりの貴い省察と静思の時間を与へて貰ひました。これが為に若し今後の芸術上の作品に真に信実な感情の光と曾て見なかつた新らしい思想の芽生とをもたらす事が出来たら、小生は全く此度の関係者達にまたとない美くしい感謝の涙を献げねばなりません。名誉も幸福も天の恩恵も凡て目下の小生は路傍の石くれと同一、何らの身を飾るべき宝玉のたしにも為つては呉れない。さり乍ら、小生にはあらゆる讚辞と輝やかしい彩花とに生き甲斐のある一少詩人の万歳を祝つて載いた「思ひ出会」の当夜よりも、今は却て一層の安静な自己の霊魂の面に尊い而して親しみ易い哀楽の諸相を味ふ事が出来さうに思はれます。この一片の偽らざる有の儘の告白も凡て繊弱な自己に対する適当なひとつの鞭撻に過ぎませぬ。然しまた時として、強くあるべき筈の心にもなほ赤裸々な人間の悲しさと果敢なさとをしみじみと思ひしめては今更らしくけふ日の新らしい涙に咽ぶ事が無いでも御座いません。何事も凡てを哀しいまたとえ難い懐かしい経験と思はねばなりません。小生は凡てを覚悟致して居るつもりで御座います。
 終りに諸氏の御健康と霊魂の幸福とを、改めて寂しいこの一罪囚に祈らして下さいまし。
大正元年八月二十八日午前三時

底本:「日本の名随筆 別巻55 恋心」作品社
   1995(平成7)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「白秋全集 第三五巻」岩波書店
   1987(昭和62)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:浦山 敦子
校正:noriko saito
2009年5月5日作成
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