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真赤なお天道てんとうさんがあがらつしやる。やつこらさと
鍬を下ろすと、ケンケンケンケン……
鶺鴒みそつちよめが鳴きくさる、
がけの上の麦畠むぎばたけ
天気はし、草つぱらに露がいつぱいだで、
そこいらぢゆうギラギラしてたまんねえ。
九右衛門くゑもんさん、麦は上作だんべえ、
蚕豆そらまめもはぢきれさうだ。

ええら、いい凪だな、沖ぢやまだ眠つてゐるだが、
おれちの崖の下は真蒼だ、
――そうれ、また、さらさら、ざぶん、ざぶん、んん……
んがり岩に波がぶつかる、
おつかねえほど静かぢやねえかよ、
まるで、はあ、鮑の殻見たいにチラチラするだね。

南風はえが吹きあげる。
やれ、やれ、今日けふも朝つぱらからむんむんするだぞ。
何でも構うこたねえ、
胸をづんと張りきつてな、うんとかう息を吸ひ込んで見るだ。
れ返つた麦の穂がキンラキラして、
うねつたり、くぼんだり、
扁平ひらべつたくつかぶさると、
阿魔女あまつちよでも、何でも、はあ、つ倒してやつたくなるだあ。

真赤なお天道さんが燃えあがる、
雲がむくむくわめき出す、
狂ひ出すと――吃驚びつくらしただが、
くろ仔牛こうしが鳴き出す、
わあといふ声がする、
村中で穀物をしごき出す、
ぢつとして居らんねえ、
おれちも豆でも※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)もぎるべえ。

赤ちやけた麦と蚕豆、
ぐんぐん押しわけてゆくてえと、
たまんねえだぞ……素つ裸で、
地面ぢべたにしつかり足をつける、うんと踏んばろ、――
まん円いお天道さんが六角にとがつて
四方八方真黄色に光り出す。――
そこで、俺ちも小便せうべんをする。

赤ちやけた麦と蚕豆、
ほうれ見ろ、旦那さあが
手に一杯いつぺえ何だか拡げて
読んで行かつしやるだ、旦那さあ、
でつけえ新聞だね、東京の新聞けえ、
紙がぷんぷん匂ふだ。

おやあ、蝉が鳴いてるだな、
どうしただか、これ、ふんとに奇異ふしぎだぞ、
れ返つた麦ん中で真面目まじめくさつて鳴いてるだ、
あつはつはつ……これ、ふんとに不思議ふしぎだぞ、
何んでも、はあ、地面ぢべたにかぢりついて
一生懸命に鳴いてるだ。

夏が来ただな、夏が来ただな、
海から山から夏が来ただな。

あつはつはつはつ……
あつはつはつはつ……

真赤なお天道てんとうさんが沈まつしやる……それだのにまだ、
紅雀べにすずめが鳴きしきる。
輝く崖の上の麦畠、
くわつと燃え立つ杉の木、松の木、朱欒ざぼんの木。
うねつた坂から、
刈穂かりほ背負せおつた大きな火の玉をとこがをどつてゆく。
やつこらさ、やつこらさ。……

おれちがはたけ窪地くぼちの日かげ、
薄暗い三角はたけのゆきまつり、
が明けても、日が暮れても、陰気なはたけ
辣韮らつきよう蚕豆そらまめと、
ずりちた崖土がけつちに、無性むしやう矢鱈やたらまはつたおいもつる
地がじめ/\、風がじめ/\、
たまさか、真黄色まつきいろに照りかへ
大船たいせんの帆は見えても、
海も見えずよ、
なまじひ、波の音ばかりが
ぐわうすきぱらを掻きまはす、
おれちのはたけ窪地くぼちの日かげ。

真赤なお天道てんとうさんが沈まつしやるだに、
いつまで、そんなか※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)もぎつてるだ。
重い暗い蚕豆、
影のふかい蚕豆、
蚕豆がわれか、さういふ俺ちが蚕豆か、
はや、わけがわかんねえ。
日が暮れるだあに、何時いつまでおほしになつてるだ。

影のふかい蚕豆、
青臭い蚕豆、
蚕豆にさはれば、
睾丸きんたまの下から、リリリリ……
鈴虫が鳴きしきる。
やれ、いたや、勿体もつたいなや、
思はずおがめば、たまんねえで、
涙がながるる、
ええ、畜生め、
なけなしの霊魂たましひづらまでが
光るやうだぞい、蚕豆。

青臭い蚕豆、
鬱陶うつたうしい蚕豆。
日が暮れるだあに、
いつまで※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)もぎつても※(「てへん+劣」、第3水準1-84-77)りきれぬ蚕豆、
蚕豆は三段歩さんだんぶ
俺ちの畑で、
俺ちがいて、育てて、
やしたのによ、
何がふさぐことのあるべえ、
寂しいか、せつねえか、
わけはわかんねえだが、涙がながるる。
小便でもしてけつかれ。

真赤なお天道てんたうさんが沈まつしやる……三崎の丘から
海のどん底まで鐘がごうんと落つこちる。
くわつと燃え立つ杉の木、松の木、朱欒ざぼんの木。
麦が煽つて照りかへすと、
火のやうな裸馬はだかうまが、
や、や、や、や、手綱たづなを振りもぎつて崖の上を飛んでゆく、
怪我けがはしねいか権作ごんさくさん。
大丈夫だいぢやうぶだ、大丈夫だ、大丈夫だ。

暗い坂から坂の頂辺てつぺんを見れば、
だい」の空火事じや、野は火事じや。
山の段々畑だんだんばたみな火事じや。
やつこらさつさ、やつこらさ。
白髪しらがのおばゞらがやつこらさ。

もう日が暮れるぞ、あぶないぞ、
石ころ坂ののぼり坂、
木の葉はきらめく、麓は真つ闇、
時雨はさんざと、
崖土がけつちやこぼれる、やつこらさ。

栗鼠りすの眼が光るぞ、
暗い坂、のぼり坂、山葡萄えびどろの実がれた。
涙垂らすな、お勘婆かんばゞ
やれ、われも尻拭け、お時婆ときばば
よくばれ、気ばれ、白髪染しらがぞめれ、お熊婆くまばば

やれ、上見りやりやなし、下見りやりやなし、
あきらめさんせの、因果いんぐわなもんだよ、
泣いてもれても、ちたらお陀仏おだぶつ
やつこらさつさ、やつこらさ、
長命ながいきまいぞ地獄の夕焼。

天竺てんぢくは火事じや、は火事じや、
わしらが一生はなほ火事じや、
やれ、もひとつくだれ、くだざか
やれ、もひとつあがれ、のぼざか
やつこらさつさ、やつこらさ。

くわつとた、はたに出た、
粟穂あはぼ真赤まつかに。ふもとの女郎屋にやがついた。
畑道はたみちやうねり道
こほろぎはこほろころ、
やつこらさつさ、やつこらさ、

やれ、蜻蛉とんぼが飛んだ、火が飛んだ。
電信柱でんしんばしらに燃えついた。
いもはころげる。はたけぢや逃げ出す、
追つかけてつちめろ、おばばきだよ、お若いの。
ふはつはつは、いつひつひ。

天竺てんぢくは火事じや、は火事じや、
長命ながいきや、はぢかい、地獄の夕焼、
やれ、もひとつくだれ、下り坂
やれ、もひとつあがれ、上り坂
やつこらさつさ、やつこらさ。

鍬打つ、鍬打つ、
裸で鍬打つ、
空は円天井、
地面ぢべたは三角、
光は薔薇いろ、藍いろ、利休茶。

鍬打つ、鍬打つ、
並んで鍬打つ。
とべらの木は山形やまがた
反射てりかへしは三角、
光は銀いろ、薔薇いろ、灰いろ。

鍬打つ、鍬打つ。
離れて彼方此方あちこち
だまつて鍬打つ、
向うにライ麦、こちらに人参。
光は利休茶、緑に、金色こんじき

鍬打つ、鍬打つ、
うしろむきに鍬打つ、
一心に鍬打つ、
打たずにやゐられぬ、
とべらの木の周囲まはりを廻つて鍬打つ。
光は薔薇いろ、空いろ、利休茶。

鍬打つ、鍬打つ、
近寄つて鍬打つ、
キラキラするのは巡査のサアベル、
はたけの上では蒸汽が旗振る。
光は薔薇いろ、湾内わんない真青まつさを

鍬打つ、鍬打つ、
振りかへつて鍬打つ、
とべらの木の下ではあかんぼがすやすや、
鶏がコケツコツコ。
光は薔薇いろ、藍いろ、利休茶。

鍬打つ、鍬打つ、
向きあつて鍬打つ、
おがんで鍬打つ、
打たずにやゐられぬ、しんから鍬打つ。
光は薔薇いろ、向日葵ひぐるま金色こんじき

ぎあとあかんぼが啼き出した。

道路だうろしゆのやうにうねつてゆく。
南は高い粟ばたけ
重く垂れ下がつた穂波がしみじみ、
雉猫きじねこ尻尾しつぽを振る、
無数に寂しく、あつく。

道路は照りかへる。
一方は牛蒡、人参、里芋畑、
爽かな野菜がぷんぷん、
地からうねから真つさをだ。
こほろぎも鳴く。……

田舎だね、鍬をかついで、
四角な西洋館のかげから
大きな百姓の姿が躍つて来る、
顔から胸までうつぴろげて
かがやく秋の空をふり仰ぐ。『今日は』

もう日が暮れるのだ、老年としよりの異人さんが
白いヘルメツトに、気がるな紺背広の
ふとつ腹を突き出して、
向ふの松林をぎつてゆく、
犬が二匹火の玉見たいに飛んでゆく。

百舌が鳴く、くゐい、くゐい、くゐい、りりり……
まん円い真赤まつかな太陽が、今、
うねつてあがつた段々畑の珊瑚樹に
くわつと燃えあがる、――
海には帆が光る、光る、光る。

朱のやうな道路がをどつてゆく、
丘から丘へ、谷から畑へ、
まるで、人間なら泥酔漢よつたんぼだ。
それでも、しんから輝く一本路いつぽんみち
野菜がぷんぷん、粟がそよそよ。

日が愈々暮れてゆくのだ、怪しい馬糞には、
絹灑きぬごしの余光がかへり、
露が早やしんみりと草つ葉をよぢのぼる。
而してがけの暗いかづらに
玉虫がぢつと、来てとまつた、凄いほど美しい凝視ぎようし

がけやゝ倦みそめぬ、つたかづらの
厚く青き悲みは満ちかたぶきぬ。
光は十方じつぱう無碍むげなげきつつ、まづ、
最上層さいじやうそうの大きなる葉にふりそそぐ。

葉は今驚く、光の重みに堪へかねつつ、
下なる円葉まろばに照り傾く、その光
こぼれもあへず、下葉したはおもてをゆり動かせば、
そのつぎの葉は更に強く、光り、且つ、れくつがへる、
葉よりは葉へ、かづらみながら
ただ燦爛さんらんと流るる如く、躍る如く。

そのも、銀のゑがくもの
空に響く、何ともわかず、
麗らかに甘く、くるしく、湿気しめりさへ帯びて、
その輪は次第に一てんに縮まらんとす。
静けさや、かづらの葉、
光はあふれつくして、また元のままに落ちつけば、
数しれぬ鈴なりの葉もまた静まる。

時にてんとなり、うつくしき虫となり、
光りつつ、熟視みつめつつ、
その中の青く青く最も厚く
光沢つやふかき葉の中心ちうしんにぢつととどまる。
微妙びめう端厳たんごん緑玉エメロウド
正午すこし前
虫はいまきんとなる。

不思議なるゆふべかな、その光は、
高く、あつく、遠近をちこちを染め、
そしてかすかに、
今し、思ひがけなき坂の上に
つゝましき馬を立たす。

馬は光る珊瑚樹さんごじゆ
照りかへる村のあひだに見ゆ。
小さく赤く、
をりをりに耀かがやくは息つけるにか。
馬は動く、いつくしく。
静かなり、ただ遥かなり。
なにものの響をか、その中に
馬はたましひかたむけて聴入きゝいる如し、
金色こんじきに閃めくはその智慧ちゑか、
馬は赤くやすらひぬ。

その時雲間くもまより、
大きなる日輪にちりんなかば現はれ
へりくだる馬の上に虹ふりそそぐ。
赤き赤き赤金光しやくきんくわう
あなあはれ、馬はほのほとなる。

かしこくもうつくしきゆふべかな、悲しき馬は
微妙びめう端厳たんごんなるその馬は
見るまに不浄の五体より光を放ち
仏の如きまばゆさにしばしわななく。
南無馬頭観世音、頓生菩提。
馬は赤く浮かびあがる。
何たる法悦。馬は燦爛と天へ昇る。

秋なり、ゆたかなる、掻きわけ難きかなしみは
草ときん毛莨きんぽうげと、
もろもろの悪の麝香にぞかもさるる。

こは路傍なり、猫目石ねこめいしの奢りかがやく
夕暮の崖の下なり、
あつくちらばる花の中に、流石さすが女の
いとけなけれどなまめかしく、而も無心むしんに、
わらべ薔薇色ばらいろ薄きシヤツをかきあげつる、
尻も真白く、
病める、悲しき、取りみだしたるその溜息ためいき

大きなる朱の太陽は空にかがやく。
凡ては歎き、小躍りし、光り、驚き、飛び去れり、
さてかんばしく鳴り響く、子供ごころに。

その児はこの時、叢に顔さしあてつ、
ただ一心にさしのぞく、
美くしき譬へがたなき恍惚くわうこつの奥のかをりを。

挑むは季節、るるは鋭き草のさき
沈まむとする太陽光はますます赤く。
わらべが髪にえつきてほとけの如く透徹とほらしめ、
またしばし、輝かす、ふくらかに臀部しりまろみの
すべりよく、白く、つめたきにくづきを、ぎんのうぶ毛を。

墓場はかがやく、何かを感ず。
墓場は銀光ぎんくわう燦爛さんらんたり。

秋なり、絶えず微風びふうはきたる、
うるはしき息の如く。

墓場は銀光ぎんくわう燦爛さんらんたり。
ひややかに、よろこばしく。

草は光り、ねあがる、
一心の弾機ばね

墓場は銀光燦爛たり、
驚きは拡がる。

そが中にただひとつ、飛びぬるもの、
そは誰が愛せし白猫ぞや。

つつましき一時ひととき、墓場は何かを感ず、
墓場は銀光燦爛たり。

どぜうはいま赫耀かくやく燦爛さんらんたる光に住む。
鰌のをどるは苦しきなり。
耀かがやく沼は彼らを一団いちだんほのほちぢむ。
深く燃え立つ悲哀かなしみは彼らをみだす。

鰌はをどれり、葦はそよがず、
ただしゆの太陽円く閃めく。
鰌のをどるは苦しきなり、
耀くぬまは彼らを一団いちだんの焔と縮む。

黒く、いみじきちから重なる。
泥沼どろぬまはこれ金銀瑠璃こんごんるり
あく驕奢おごりは言葉なくして
幻想界に身をうねらす。

鰌は一時いちじあひつるむ、如何なる波も
狂へる彼らを離すことなし、
歓楽くわんらくあまらば彼らはおのづと解けむ。
鰌のをどるは一心なり。

鰌の五感は鳴り響けり、
彼らは粗野そやなり、しんに驚く、
鰌のをどるは苦しきなり、
彼いま燦爛かくやくたる光に飛ぶ。

遠樹ゑんじゆは金のかぶとなり、
あかるけれどもかげふかく
高きにゐれども眼に低し、
ただ秋風ぞ彼を吹く。

遠樹にかゝる三日の月、
遠樹にのこる昼の雨、
遠樹のれてかゞやくは、
かうかうとしてかつさびし。

遠樹のかげをゆく人は、
身も金色こんじきに光るらん、
遠樹の雨を眺むれば
かすけき煙、野にぞ沁む。

遠樹の上にちらばるは、
これ釣舟の銀のかい
消ゆかにしてはまたいくつ、
光りて鳥も飛びゆけり。

遠樹にかかる三日の月、
遠樹にのこる昼の雨、
遠樹の空にわだつみの、
波かぎりなくうちつゞく。

遠樹の赤さ、野のくらさ、
かうかうと吹く秋の風。
遠望ゑんばうの中かげゆれて、
祈るがごとし、いつくしく。

遠樹は遂に遠樹なり、
明るけれどもゆめふかく、
高きにゆらげどなほ重し、
遠樹のにぞにじかかる。
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太陽が落ちかゝつた。大きな大きな大火輪だいくわりんが、
炎々えん/\と思ひあまつて廻転する。
雲は微塵気みぢんけも無いが、虚空こくうにはたゞ、
うづまく黄金色わうごんしよくの光ばかりが響きまはる。
その下に真碧まつさをな海が波うつ。輝き返る。
無窮に無辺際むへんざいに円く円く遥かに。

さく/\、さく/\、※寂ひつそり[#「門<兒」、U+49A7、432-8]するとまた、
さく/\、さく/\、……
山の下では一心いつしんに誰かゞ草を刈つてゆく。
波の音にもうち消されないで、その音が
四辺あたりに響き返る、さく/\、……
刈らずにゐられないで刈る、鎌が
さはりさへすれば火が出さうに動いてゆく。
夕方ゆふがただし、ほかに人間はゐないし、まつた
心の底から、ちからいつぱいに動いてゆく。さく/\……

なぎだね、まるで海がならした地面ぢべたのやうだ。
こんな上天気じやうてんきはこのじやうしまにも滅多めつたえ。
彼岸ひがんだといふのに、暑いことはこれ、
うで両足りやうあしあせでびつしよりだ。
やあ、えゝら、でつかいお天道てんたうさんだなあ、
なんこと、まるで朱盆しゆぼんをぶん廻すやうだぞ。』
をとこ網小屋あみごやの横から手をかざす、と海には
の鳥がすう
雌鳥めんどりを追つかけて一直線にけてゆく、
たちまち、しゆの波のなかに吸はれる。
くわつと四方八方が明るくなる。

不思議な日だ。たつた舟が一つ、
前面を一心に漕いでゆく。波が飛沫しぶきをあげる。
大きな大きな人間が
くつきりと黒く、金色こんじきに浮きあがる。と、
遥かに目路めぢから細い岬がとがりだす。
日輪にちりんまはる、廻る、廻る、おつそろしいほど真赤まつかな太陽が
今こそしんしんから輝く。三つ四つ五つ、
二十、三十、五十、
はては空いつぱいに飛び廻る真蒼まつさをな太陽の幻覚げんかく
海を見れば海にも団々だん/″\
山を振りかへれば山には更に緑色りよくしよく大火輪だいくわりん団々だん/″\閃々せん/\
輝く草の傾斜けいしやころがりまはる。何たる壮観さうくわん

をとこはやつこらさと、刈草かりくさを脊負つた。
幻覚げんかくをさまると、朱紅しゆべにのやうに
おちつきかへつた太陽がまんまるく、ひらべつたく、
大きく大きく、伊豆の岬へ落ちる。
今まで輝き狂つてゐた空の下から
在る可き山が在る可き処に確乎かくこと姿を曳きはへる、
太陽があかく/\、そのむかふにはつてゆく。……
悲しい悲しい底光そこびかり赤金光しやつきんくわう
三角さんかく頂点ちやうてん

波が一時いちじざわめいてなぎさに寄せる。……
さうして何時いつかしらなにかを計画たくらむでゐたある力が
周囲まはりから暗く、鼠色ねずみいろし寄せる。
灰と赤ののこぎりのギザ/\雲が一線ひとすぢ
遠い岬に曳きはへる、と、余光よくわう火焔くわえん
更にパツと虚空こくう八方はつぱう反射はんしやする。
愈々いよ/\しづまつしやつたゞ、南無阿弥陀仏なむあみだぶつ。』
をとこをかの上へ登りきつて了ふと、
今まで目にも見えなかつた沖の小舟が、
黒胡麻くろごまのやうにチラ/\、チラ/\、
はるかに一列いちれつつづられてゆく、千も万も、幽かに幽かに、
――生活くらしむきが立たねば、も遅くまで、
泣いて烏賊いかつる、その舟の火の、やゝありて、イルミネエシヨン。

断崖きりぎしの松の木に
月ほそくかゝりたり、
ほそき月、
金無垢きんむくの月。

入海いりうみ波間なみまにも
また、月はしづきゆく
沈々ちん/\
きんはり

金無垢きんむくのするどさよ、
絹灑きぬごしの雨ののち、
しんじつに
走りいづるそのあをさ。

島黒く、海黒き
しんの闇、
舟ひとつすゝみゆく、
そのうへにほそき月。

なにかわかね、
魚族うろくづは目をさまし、
鈴虫は一心いつしんに鳴きしきる。
つつしみきはまり。

闇の夜は断崖きりぎしも、松の木も、
かげわかず、ゆく舟も見えわかず、
ただ光るほそき月、
金無垢きんむくのほそき月。

金光燦爛たるの海のほとり、
つゝましき胸壁のうち、いと暗き芝生のあたり、
鰻はめざめつ、囚はれの身より逃れて
今こそ動け、幽かなる声の声、響の響。

空には金無垢のほそき新月、
大きなる銀星れて走りゆく、気も澄むばかり、
その時鰻はころび出づ、鰻ならでは
そのうれしさを誰か知らむ、鰻はすべる。

鰻のすべるは蛇のすべるに異ならねど、
こはもと海のものなれば、くがには馴れず、
凡て寂しく、痛々いたいたしく、草につまづき、
闇に燃え立つくれなゐの花にからまる。

鰻はさあれ一心にゆり動く、驚喜のあまり、
花より花をすりぬけつ、泣かむばかりに、
現はれ歎けばをりをり金の鰻となり、
をりをり消えては草葉の露をこぼす。

深く深く、現世うつしよに命あり叡智あるもの、
皆真に光りいづべきえにしあり、ただの鰻も
ここに万歓極まりて涙を落す。
この時彼方に燦爛とかがやくは大海の波。

静けさや、壮厳微妙の夜の鰻、
彼こそはに光りこぼるる力の電池、
渾身これすべりながるる精霊の姿そのまま、
闇を飛び越え、また、燃え立つくれなゐの花を飛び超ゆ。

雨はふる、ふる雨の霞がくれに
ひとすぢのけぶり立つ、たれ生活たつきぞ、
銀鼠ぎんねずにからみゆく古代紫、
その空に城ヶ島近く横たふ。

なべてみなあだなりや、海のおもて
をかくは水脈みをのすぢ、あるは離れて
しみじみと泣きわかれゆく、
その上にあるかなきふる雨のあし

遥なる岬には波もしぶけど、
絹漉きぬごしの雨のうちあま小舟をぶねゆたにたゆたふ。
棹あげてかぢめりゐる
北斎の蓑と笠、中にかすみて
一心に網うつは安からぬけふまどひ。

さるにてもうれしきは浮世なりけり。
雨のうち、をりをりに雲を透かして
さ緑に投げかくるきんの光は
また雨に忍び入る。にはきざめど
絶えて影せぬ鶺鴒せきれいのこゑをたよりに。

波は高くうねる、をりをり、
曇つた燻銀いぶしぎんの中から
金のあしのうらをちらつかす。
可憐に、寂しく。

白い太陽が
海の空にある。
限りもない波は波のうへに重なり、
光は光のうへに暗く、
倦怠けんたいうれひが重なる。

ゆるく吹いてくる風にも、
恍惚うつとりと、
悩ましいものがある。
人間のえしらぬにほひが。

波がなだれる、無数の
女が仰向あほむけになる、
ふくらかな胸が白く
はばいつぱい反りあがる、と、そろつて
うしろへなだれる、
もゝが浮く、あしのうら
きんいろにちらつく。

いつまでもいつまでも、
波は波にかさなり、
光は光に重なる、
陰影かげの上に暗く。

波は高くうねる、をりをり
曇つた燻銀いぶしぎんの中から
きんあしのうらをちらつかす、
可憐に、寂しく。

海雀うみすずめ海雀うみすずめ
ぎん点点てん/\、海雀、
波ゆりくればゆりあげて、
波ひきゆけばかげする、
海雀、海雀、
ぎん点点てん/\、海雀。

帆がすべる、その数が凡そ七八十、
はじめ白く、閃閃せん/\黄色きいろく、赤く、
晴れわたつた大海の真中まんなか
帆がすべる、自然しぜんと一つのが出来る。
何時か、大きな帆の女王ぢよわうを中心に
遂に白く白く旋転せんてんする。
その上に日光の五色の反射はんしや

帆がすべる、遥かの鋸形のこぎりがた連山れんざんから、空には、
薔薇いろの霞が流れこみ、夏の雲が、
むくむくと銀と灰とに湧きあがる。
帆が辷る、だんだん沖の方へ走つてゆく、

帆がすべ無窮むきうに、無辺際むへんざいに。
藍碧の円い海が拡がる。
その間を帆が走る、輪を作つて、一斉に、
独楽こまのやうに廻りす。
なにらかの力が底からくははる。

帆がまはる、廻るうちに、帆の側面が
何か強い力で内にひかれる……、波が時時とき/″\
思ひあまつて飛沫ひまつをあげる。
而も日中、晴れわたつた壮厳さうごん微妙びめうの海に、
一心に帆が廻る。光ととの舞踏ダンス

帆がすべる、何処どこへゆくのか、すべつてゆく。
恐ろしい力ですべつて行く。
密集みつしふし、旋転し、
離れ去らむとし
今や今や廻り澄まうとして
言葉も、色も、光も、
感極まつたたましひ法悦はふえつ

帆がすべる、何処どこへゆくのか、すべつてゆく、
恐ろしい力ですべつてゆく。

燦爛さんらんと世界が光る、さうして
深くもだした油壺あぶらつぼ入江いりえ
青いぎんわらひがはぢぎれると、また
さざなみは心の底から
岸辺きしべの小舟をうちゆるがす。
いつまでもいつまでもゆるがす、
不変ふへんにうつくしく。

あつ、はつ、はつ、は、
あつ、はつ、はつ、は。

ただ寂然ひつそりと、無言むごん
大きなわらひが空に伝はる。……
其処そこには白金はつきん日輪にちりんちひさく
ただ光つて廻るばかし、
時折ときをり微風びふうはねをかへして
雪のやうに散乱さんらんする。
いつまでもいつまでもあるかなく、
いつまでもうつくしく。

はだかの子供も心の底から
あづけた身体からだをうちゆるがす、
たつた、ひとり。もやつた舟から
すべりかかつた櫓櫂ろかいが波をくすぐる、
いつまでもいつまでも擽ぐる、
不変ふへんにうつくしく。

あつ、はつ、はつ、は、
あつ、はつ、はつ、は。

何処どこかでくわんが鳴る、
きしと舟とをもやつたつなが、
何かのくわんをひつぱるのだ。
心がゆらげばゆらぐほど、
小舟がゆらげばゆらぐほど、
くわんが鳴る、何かしら鳴る。
いつまでもいつまでもたよりなく、
何かしらうつくしく。

あつ、はつ、はつ、は、
あつ、はつ、はつ、は。

さざなみは心の底から
子供の小舟をうちゆるがす。
あたまの上には暗い大きな松が
むかしむかしの話をする。
その松には鳥がゐる。
いつまでもいつまでもうつくしく、
たつた一羽いちは、うつくしく。

あつ、はつ、はつ、は、
あつ、はつ、はつ、は。

小舟がゆらげばおへそがゆらぐ、
へそがゆらげば小舟がゆらぐ、
いつまでもいつまでも恐ろしく、
いつまでもただ一人ひとり

子供はふいと泣き出した、
声を放つて。……

燦爛と海は今光りかがやく、
何ものぞ、空を飛びかけるは、
ただ、これ一面のうねりなり、泣くによしなき
銀の油の溶け合はむ、照りかへさんと狂ふのみ。

凡てはまぶし、痛々いた/\し、笑ふよしなし、
小船は動き、輪にまはり、また一線いつせんに歎けども
落ちつかむ、ねらたむとぞあせれども、
照星は照尺を超え、
ぎんの櫓櫂は日輪光にちりんくわうに欺かる。

光りかがやく何物かまた飛びめぐる、
雲母摺きららずりなる空高く、また、低く、
恐怖おそれは銀のつばさより響を拡げ、
声なき舟は一心に波にきらめく。

銃音つつおと響く、弾丸たまは光れり、――
こころよごたへは空に驚く、
耀かがやきは矢と飛び下る。
擾乱ぜうらん水面すゐめんに起つ。

凡てはまぶし、痛々し、笑ふよしなし、
傷ける鳥と狂へる舟は
燦爛赫耀くわくやく
今こそ互に相憎め、言葉なき言葉激しく、
さてしばし、
深くひそめる鳥はまた飛び去らむとし、
たちまちにをつらぬかる。

玲瓏れいろうたり、燦爛さんらんたり、不尽ふじの山、
うららや大海はるかに辷りあがる。

消防渚に整列し、
まづ不尽山に一礼す。

まとひ金的きんてき、梯子は青竹、
てつぺん玲瓏、人間さんらん、
はつとさかさで大の字なり

耀く人数にんずはかたまりころげて
しみじみ喞筒ポムプをうち動かす。
喞筒ポムプは一台、一念、一向
喞筒ポムプの水はりうりうたり
玲瓏たり、さんらんたり、不尽の山、
喞筒の筒口つゝぐちりうりうたり。

水はひとずぢ、真実一心、
もつぱ目的めあては不尽の山、
はぢき飛ばした、ぶん流せ。
よしか、それきた、
動かす喞筒ポムプは飛び切り上等。
りうりうたり、さんらんたり。

驚き飛び立つ千鳥と鴎。
それ、雪がけし飛ぶ、
霊山おやまが流れるぞ。
玲瓏たり燦爛たり、相模灘、
もう一息だぞ、えんやらえんや。

真実一念、十方玲瓏、
喞筒ポムプの水はりうりうたり、
れいろうたり、さんらんたり、
えんやらえんや、えんやらえんや、

消防整列、一心一向、
えてくなれ不尽の山、やあれ、やあれ、えんやらな。……

たらひは数知れず光に動く。
盥の上には子供すはれり、
裸の子供は腕をひろげて
盥を廻す。晴れわたる海の面に。

正午なり、深くひそめる
精霊せうりやうの醒めゆく時なり、
銀星は空にあらはれ、
うるはしき人ごゑは湾にあつまる。

盥はしづかにはやさを増す。
盥は光れり、独楽こまのごとく、
一斉いつせいに、燦爛たるその飛沫しぶき

夏なり、碧瑠璃へきるりの海は
円く、みどりの崖をうつす、
天心てんしんにかゞやくは、いち日輪にちりん

その時ふと、笑ごゑは中より起る。
大きく大きく、笑ひくづるゝ純真じゆんしん

小笠原にて
大きなる月は
まんまろくころび出でたり。
護謨ゴムの葉はゆたかに動く。
いざや歩まん、二人ふたりして。

生洲いけすには瑠璃るりのさゞなみ、
ゆれゆれてきんとなる、
ああいまし、
うつくしき玳瑁たいまい
の上にそつと重なる。

静かなれ、深くめかし、
月はいまあをかさきる、
磯煙草いそたばこみどりにゆらぐ。
ああ、しばし
玳瑁たいまい幸福しあはせに住む。

声もなし、さあれ、うつくし、
何物なにものか、光りとろけて
たましひをゆするがごとし、
玳瑁たいまいはふたつ重なる。
護謨ゴムの葉は豊かに動く。
いざや眠むらん、二人ふたりして。


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大正二年九月某日、相州三崎は諸磯神明宮祭礼当日の事、上層に人形、下段にお囃子の一座を乗せた一台の山車は漁師と百姓とを兼ねた素朴な村人の手に曳かれてゆく。先づその山車は鎌倉街道から横にそれて、一小岬の突鼻の神明宮まで、黍畑や粟畑の高い丘道をうねつてゆく。而も日中、日は天心にかかつてゐる。径は緩い傾斜を登つたり下りたりしてゆく。崖の高みを行くのでその両方に真碧な海が見える。径が山車の幅より狭い位なので、松や蜜柑にぶつかつたり何かする。而して畑の上でも何でも溝はず曳いてゆく。ぶつつかる時は人形の背後に居る奴が高い処からぽきぽきと松の枝でも木槿でも手当り次第にへし折つたり、押し曲げたりする。馬鈴薯は馬鹿囃子に浮かれて大喜びだが、立樹は可哀想だ。山車が進んでゆくと、そこから神明宮と相対した油壺の入江が見え、向ふの丘の上に破れかかつた和蘭風の風車が見えてくる。その下に大学の臨海実験所の白い雅致のある洋館がある。芝生が見えキミガヨランが見え、短艇が二三艘浮いて見える。まるで南伊太利あたりの風景にでも接するやうである。愈丘の畑をすべり下りると平たい、かつと明るい渚に出る。右も左も渚である。ここに神明宮の鳥居がある。そこから円い穏かな丘の登り道になつて、その向ふが愈海になつてゐる。社前の渚には漁船が幾艘も引揚げてある。その間であかい西瓜店や何かが出る。ここで山車を休まして、一同は赤々と日が暮れるまで盛んに酔つぱらつて踊つたり唄つたりする。中には白痴もゐるし、剽軽者もゐる。万祝衣きた大禿頭もゐる。而してここの神主は平素は三崎遊廓の検黴のお医者である。凡てが如何にも馬鈴薯式なので村の祭とか田舎とか云つたりするより却て「畑の祭」とした方が適当かも知れない。この俗謡調はその山車のお囃子として作つて見たのである。

やれやあ引、さの、せえい、せえい、せえええい、
三浦三崎は女の夜業よばひ、男後生楽ごしやうらくてまちる、
ようい、ようい、よやさのせえい。
ええ、そりや、なあ、
秋が来たぞよ、三崎みさき諸磯もろいそ段々畑だんだんばたけから百舌もずが出たで、
えええ、や、ほろほにや、や、ほろほ、
くゐくゐいろうにや、くゐろうにや。
やあれ、日はよし、はよし、海や凪ぐし、
今年や豊年歳、穂に穂が咲いた、
やあれ、テケテケ、チヤンチキ、チヤンチキナ、
ありやりや、こりやりや、これわいさのせえい。
五郎作よ。太郎兵衛よ、杢十よ、ちよいと来なせ、
丘や畑は万作じや、おや、おらちの陸穂おかぼもやつとれた。
やれ、南瓜かぼちやも飛び出せ、牛蒡も踊り出せ、
枝豆、隠元いんげん、ささぎ豆、
なた豆、落花生に胡麻の種、
さやがはぢけた、赤ちやけた、
化猫ばけねこ雉猫きじねこ、かまいたち、粟が尻尾しつぽを黄に垂れた。
ひえ真黒まつくろ、真黒、くろんぼ、玉蜀黍たうもろこしや赤髯、赤髯毛唐人が股くら毛。
蜻蛉とんぼがからんだ、※(「虫+斯」、第3水準1-91-65)ばつたがセ、栗鼠りすが駈け出す、とんびがセ、
いももころげ出せ、馬鈴薯じやがいも、里芋、つくね芋。
子を生め、子を生め、山の芋。
こちのおかかもどんとふやせ、
おれちも壮健がんぢやうで、うんとこやせ、
種蒔け、種蒔け、蒔かずにやゐられぬ、蒔かねばさやの、子種はどつさり、畑は上々で、畝高うねだかで、
水もよくきく、肥料こやしもよくきく、
種蒔け、種蒔け、づんとふやせ、
そこら一面鋤いて返せ。
子をうめ、子をうめ、つちの芋。
やれ、その子はだれが子だ、おらが子だ、
おめちの畑にできた子だ、
それでも誰が子か知んねえだ、
麦だか、粟だか、芋だか、稗だか、子種はどつさり、畑はひとつよ、
だれが子でもよかんべ、出来た子はおれが子。
やあれ、なあ、三崎やよいとこ、女の夜ばひ
ええ、凪にやええ、凪にやふか釣り、夜中は寝まる、
たまに風吹きや畑うち、
うんとこしよ、どつこいしよ、
惚れたその時や命もいらぬ、
いやで別れりやれよとままよ、
あすの晩にはまたできる、
おおさ、やれ、やれ、三崎よいとこ、男の後生楽、
子を生め、子を生め、つちの芋。
やあれ、曳け、笛吹け、かねうてよ、
太皷どんどと打つて囃せ、
子供はさき地主ぢぬしどんの音頭で、
花笠そろへた、団扇をそろへた、よいと曳けよ、
ばば、おかかも後押せ、
畑の真中まんなか、お囃子はやしや、チヤンチキ、チヤンチキ、
浮かれて、はしやいでべ酔うて、
しか生真面目きまじめで泣いてとほろ。
やあれ、曳け、山車だしよ曳け、海が見ゆる、
沖はええ、沖はてるてる、風車かざぐるまは廻る、磯の神明様しんめいさま片時雨かたしぐれ
ようい、ようい、よういとなあ、
ええ、そりや、退ずらした、
巡査まはりさんが逃げ出す、
神主かんぬしさんも笑ひ出す、
つかえる、支える、松の木に、木槿むくげ邪魔じやまだよ、
切ろやれ、すちよやれ、やあ、
蜻蛉とんぼがからんだ、※(「虫+斯」、第3水準1-91-65)ばつたがセ、栗鼠りすが駈けだす、鳶がセ、
お薯もころげ出せ、馬鈴薯じやがいも、里芋、つくね芋、
子を生め、子を生め、山の芋、
南瓜かぼちやも飛び出せ、牛蒡も踊り出せ、この冥加めうがえな、
あれわいせの、これわいせの、この冥加。
さあさ、浮いた。浮いた。

逢ひたかんべ、見たかんべ、添つたらよかんべ、
うちに知れたらやかましかんべ、
世間がわるかんべ。
おさ、やれ、やれ。
何だつべこべ、惚れたがどうしただ、
家で知つたちゆて添はずにやをかねえだ、
世間が何だんべ。
おさ、やれ、やれ。
草の葉つぱは風吹きやそよぐ、
地からしんしん揺り動く。
切合切さいがつさい投げいだせ、
わたしももとより泣き上戸。

草の葉つぱは雨降りやきる。
地までさんざと濡れしとる。
一切合切づぶ濡れだ、
わたしももとより一もの。

草の葉つぱは日が照りや躍る、
地から底からみ光る。
一切合切照りかへせ、
私ももとより命がけ。

その日ぐらしの山樵やまがつ
斧鉞まさかりよかついでたゞ涙。
通草あけび真赤まつかにはぢきれた、
鳥もケンケン飛んでゆく、
うんとこどつこい、よいとこな。
急いでりなきや日が暮れる。
うんとこどつこい、よいとこな。

朝は元気な船頭衆も
夕日がころがりや空矢声からやごゑ
浮気な沙魚ふかめにや逃げられる、
漕いでも漕いでも波の上、
えんやらほいほい、えんやらほい、
急いであがらにや子がわめく、
えんやらほいほい、えんやらほい。

郵便飛脚は命がけ、
いつさん走りに、豆畑、
三浦三崎にやがついた。
小便しよんべんするも気が揉める、
えつさつさ、えつさつさ、
急いでけなきや首が切れる、
えつさつさ、えつさつさ。

むすめ、むすめ、城ヶ島の娘、
おまへは裸で海のそこ、
朝も早うから海のそこ、
素足すあしちらちら、真逆様まつさかさま
波をもぐれば、青波ばかり。

むすめ、むすめ、城ヶ島の娘、
あはび取ろとて海のそこ、
潜水眼鏡もぐりめがねで波のそこ、
あちらこちらといのちをちぢめ、
泳ぎ廻れど青波ばかり。

むすめ、むすめ、城ヶ島の娘、
海はしんしん、おへそはひえる。
息がつまれど波のそこ、
岩にべつたりしがみつく、
しがみついても青波ばかり。

むすめ、むすめ、城ヶ島の娘、
さぞやいたかろ、虎魚おこぜの針に、
足を刺されて、揺りあげられて、
浮いて上れど青波ばかり、
前もうしろも青波ばかり。

むすめ、むすめ、城ヶ島の娘、
おまへは裸で海のそこ、
波にや揉まれる、生活くらしはたたず、
鮑取ろとてもぐつて見たが、
鮑取らいで子ができた。

雨はふるふる、城ヶ島の磯に、
利休鼠の雨がふる。
雨は真珠か、夜明の霧か、
それともわたしの忍び泣き。
舟はゆくゆく通り矢のはなを、
濡れて帆をあげたぬしの舟。
ええ、舟は櫓でやる、櫓は唄でやる。
唄は船頭さんの心意気。
雨はふるふる、日はうす曇る。
舟はゆくゆく、帆がかすむ。

〔『白秋詩集 第二巻』「畑の祭 補遺」より〕
小鳥は飛ぶ、彼はその飛ぶことすらも
曾て悟らざるがごとし、
小鳥は飛ぶ、金色の光に飛ぶ。

小鳥はただ飛ぶ、形なき一線に飛ぶ。
さながらはねつけし独楽こま
とめてとまらぬそのはやさ。

かぎりなき大海の上、
ただひとつころがれる日輪の
朱紅しゆべにまろさ。

小鳥は飛ぶ、一線にそのめんを横ぎる。
かなしくも突き抜けむとす。
小鳥はこの時まさしく小鳥の姿となる。

底本:「白秋全集3」岩波書店
   1985(昭和60)年5月7日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:飛鷹美緒
校正:岡村和彦
2012年11月24日作成
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