今春、思いがけない大雪が降って、都下全体交通ストップ、自動車などは一夜に皆エンコして一歩も前進できない因果な時、拙作陶の展示会を催すことになった。この大雪では誰一人見る人はなかろうと悲観していたが、意外! 数百人の目で拙作は静かに見おろされた。
 私の作品は例の如く勝手気儘で、どんどん移りゆく現実の世界に解されていこうなどとは、てんで望んではいない。私が切望しているのは、どうか自分の柄にあったことを一途いちずにしていきたいというだけなのである。だから現代のグループには干与しない。あたかもスネ者のように独歩している。気に入らない過去を見てはつくり直すことに少しもひるむ者ではない。伝統に打たれることも多々あるが、伝統と乳兄弟になっても双子になりたくない。さりとてケンカ別れもしたくない。生活に合法と言われる西洋建築の美の如きはコーヒー茶碗ぐらいにしか私は認めない。それより生活に不合理と言われている空間だらけ、ムダだらけの床の間を持つ古典日本建築に生甲斐を感じる、有数の抹茶碗の持ち味に近い超道美をである。しかもこれだけで満足せず、これを如何いかに創り直すかが今後の仕事ではないかと考えている。この考えはどうやら及第であるらしい。
 私は直接干与しないが、国立博物館か文部省かは知らないが、私の作品を諸方の持主から集めてフランス・パリにて催された日本陶器展に仲間入りされたとのこと。ところが私の作品が人気の中心であった如く評判されている。ピカソのいる陶器村でも志野八寸の如きは場中第一との賞賛を受けたといわれる。
 私からすればフランスの目も甘いものだと思っているが、イタリアでも感動しているらしい。イサムノグチが語るところも、私の作品がニューヨーク、ワシントンなどで評判だとある。現につい先日東京でのダイジェスト日本陶器展で私のやや大作長方鉢をリッジウェイ大将夫人が目にとめて持ち帰られたという。これでみると、日本陶器に於ても勝手気儘の挙措に出た人間の自由思想が世界的に感動を受けるものであることを物語っているかである。すなわち芸術の力こそ人種を超え、国籍を問題にせず、相抱いて楽しみを共にし、共に生きる道を発見するものなのであることを今更の如く感ずる。各自個性に生きることだ。

底本:「魯山人の美食手帖」グルメ文庫、角川春樹事務所
   2008(平成20)年4月18日第1刷発行
底本の親本:「魯山人著作集」五月書房
   1993(平成5)年発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2009年12月4日作成
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