国際聯盟というものに就ては分ったようで分らぬものが多い。英国は聯盟を創設する当時、あれほど熱心に主張した国でありながら、同国人中にはいまだにその性質を充分に理解せぬものが多い。国際聯盟の本場ともいうべき瑞西スイッツルのジュネーヴに於てさえもこれを知らぬものが多いのであるから、日本では分ったようで分らぬものの多いのは不思議でない。
 国際聯盟とは英語のリーグ・オブ・ネーションスまたは仏語のソシエテ・デ・ナチヨンを翻訳した言葉で、我国には全く新しいものである。数多あまたの国がその代表者を出して共通的に利害関係あることを討議し、国際正義の確立、世界平和の助成、人類協力の増進という三大使命を行わんとするものである。これを国家の機関に譬えれば議会の如く、万国のための議会のようなものである。詩人が歌った The Parliament of men 即ち The Federation of the World が実現されたものである。代表を送る国は年々に増加し、聯盟規約の作られた時は原聯盟国が三十二国、加盟を招請せられた国が十三国で、米国大統領は聯盟創設の主張者でありながら、議会が規約を批准せなかったから合計四十四国であったが、今は五十五ヶ国となり、加盟せぬ国は極めて少数しかない。我輩今回帰朝の途次、上海シャンハイに上陸したので、同地在留の外国人に対し国際聯盟に関する講話を試み、世界の大国中でいまだ加盟せぬのは米、独、露である、露国は公使のようなものを送って聯盟を研究させており、独逸も加盟を希望して片足位は入ったようなものであるが、全く入ろうとしていないのは米国、メキシコ、土耳古トルコ、アフガニスタン等であると述べた時、在留の米人中には「私共の国はアフガニスタン等と同列にあるのか」とおもておおうているのを見た。ともかく大国中で加盟せぬのは右の三国だけである。
 我輩は大正八年九月、国際聯盟がいまだ公然成立せぬ時入ったので、いわば聯盟の歴史以前プレ、ヒストリックの人である。後藤子爵の一行と欧米視察の途に上り、英国に滞在中、ふとしたことから聯盟の事務局に入らぬかとのノッピキならぬすすめを受け、九月に帰朝する予定の身を以て八月から入ったのである。したがって聯盟に関する出来事は、その歴史以前のことより我輩が出発した十月末までのことは大概知っているはずである。この関係に基き、聯盟の目的、事業等に就きやや詳細に説明してみたい。

 国際聯盟の機関は大体四種より成っている。聯盟総会、聯盟理事会、聯盟事務局及び諸種の委員会である。
 聯盟総会は聯盟国の代表を以て組織せらる。代表は各国一人ないし三人で、外に三名までの代表代理を出席させることが出来る。総会の出席者は時によりてことなるが、大概四百名内外である。
 代表者として出て来る者は前大臣が三分の一位、外交官が三分の一位、しかして残りの三分の一は大学教授という状態である。第一回の総会の時、英国の某氏ぼうしが紙片に「教授が多過ぎる」(There are too many professors)と書いて次ぎ次ぎに廻わした時、某博士かが「プロフェッサース」を「ポリチシアンス」に改刪かいさんしたので大笑となったことがある。それほど教授の肩書を持つものが多い。欧洲の新興小国には前大臣、前外交官というものがない、従て大学教授を挙げるの外ないのであろうが、その間には有為の人物が多いのである。
 国際会議に於て各国の席順を決めるということは非常に重大な問題であって、外交史上にも席順の上下を争い席を蹴って退去した例もある。個人としてはともかく、自分の代表する国家の威厳ということを思うからである。今より二百五十年も前に英国の政治家宗教家なるウイリアム・ペンが国際会議の計画を描いたときに、会場につき詳細な設計を作っている。それによると、国際会議に争の起るのは席順の上下である。この争を絶つためには席順に上下の区別をなくするにくはない。しかして上下の区別なからしめるためには円形の卓子テーブルとするがよい。さすれば上もなければ下もない。しかし入口に近い方は下で、遠い方は上のように見られるから、入口を各所に設け、建物そのものも円形となし、何処どこからでも入り、何処にも上下の区別なからしめたことがある。席順はかく重大であるので、聯盟総会でもこれを如何いかに定めるかは一の問題であった。結局国名のABCによることに決した。しかしABC順とするも、英国語を以てするかまたは仏語を以てするかによって上下の別が分れる。英語にすれば英国は England でEの席となるが仏語を以てすれば Angloterre のAになる。結局仏語のABC順によることとしたからアルバニヤ国は一番上席にいる。
 議長は毎年の会議に新に選ぶので、小国より選ぶことが慣例となっている。例えば第一回は白耳義ベルギー、第二回は和蘭オランダ、第三回は智利チリ、第四回はキューバ、昨年の第五回は瑞西スイッツルというがごとし。

 総会は毎年九月に開会し、会期の長短は議案によって多少異るも、大体四週間ないし五週間である。議事の方法は各国の議会と大同小異である。ただその異る点は議会に於ける如き醜弥次もなければ、聞き苦しい皮肉もなく、極めて静粛である。反対意見を発表するにも怒号せず、おもむろに某国代表の御意見は御尤ごもっともであるが、しかし他方にはまたこういうこともあるから、御再考を願いたいというような、婉曲に対手あいての感情を害せぬように叮嚀ていねいに争うのである。
 用語は英仏語を以てすることにした。これを決定する場合、伊太利イタリーは自分の国語はラテン語の系統を引いているものであるから、これを使用せよと主張し、西班牙スペインもまた同国語は南米十ヶ国に行われ、使用の範囲が広いからこれを採用せよといい、一時はやかましい問題であったが、老巧なバルフォーア卿がいて円滑にこれをさばき、結局英仏語を公用語 official language とするのでなく、便利のためにこれを使用語 Language in use としよう、後日不便があればこれを改めてもよいが、今は差当さしあたり便利上英仏語にすると決し、仏語は英語に翻訳することになっている。通訳者は非常に熟達したもので、自由自在、自国語を操ると異ることなく、従て他より借りに来ることもある。
 国粋論者は何故日本語を会議の用語に認めさせなかったかと青筋をたてて憤慨するものがあるかもしれぬ。無論英仏語は公認用語というのではないから日本人が日本語で述べることは少しも差支ない。今日まで日本語で述べたものが幸にして一人もなかったからいが、もしやれば、それはかえって日本の損となり、日本の威観はかえってこれがためにさがることになる。それに就て想い起すことは西班牙の総理大臣が西班牙は歴史的の国家であり、その文字は豊富であるというので、大にその立派さを発揮するために美辞佳句を連ねて滔々とうとうとして述べた。最初の二、三分間は議場も緊張して聞いていたが、間もなくがやがやと騒がしくなり、これを英語と仏語とに翻訳する時は議場は空席のみとなり、折角せっかくの大演説も各国人に徹底するを得ずしてかえって大に損したことがある。故に我々としては日本語を使用したい感があるとしても、実際には日本語を遠慮するのがかえって我国のために得策となるのである。

 聯盟総会で決議した事を実行に移す機関として聯盟理事会(Council)というのがある。これは十ヶ国の代表者によりて構成されている。その内、英、仏、伊、日の四国は常置理事国で、あとの六ヶ国が年々の総会で選ばるるのである。現在の選出理事国は白、ブラジル、西班牙スペイン、ウルグワイ、瑞典スエーデン、チェッコ・スロバキヤとなっている。総会を議会とすれば、理事会は政府の如きものである。内閣会議は毎週一回開くのが常であるが、理事会は定期は三ヶ月に一回開き、一ヶ年四回で、会期は一週間位である。最初はより頻繁に開いたこともあり、今後も必要に応じて随時開くが大体は上記の如くである。日本の代表は巴里パリー駐在の石井菊次郎いしいきくじろう大使で、大使に差支さしつかえある場合、白耳義ベルギー安達峰一郎あだちみねいちろう大使が代って出席する。
 会場は巴里とか羅馬ローマ(昨年十月は同市)とかに開くことあるも、そは例外にして、普通はジュネーブに開く。
 会議に於ける用語その他のことは総会に於けると同じである。理事席のそばに二、三人の書記官の席があって、理事の参考に供する。また事務局の人々も出席していて、各種の質問に応ずる。
 理事会の決議は総会と同じく原則として同会一致を必要とする。表決は一国一票で、議決すればこれを事務局に廻わして実行に当らせる。事務局の総長はこれを関係の部に送りて、実行に必要な方法を立案させ、それが再び総長の手許てもとに帰ってきたり、それにより実行するのである。

 聯盟事務局には一人の事務総長がいる。ジェームス・イーリック・ドラモンド卿がその人である。卿は英人――というよりも蘇蘭スコットランドの最高貴族の一人で、いわゆるクランの大なるもので、兄が家長で、マークィスを称している。マークィスには子がないから兄百年の後は卿がその後をぐことになるであろう。しかし卿が総長にげられたのは無論家柄のためでない。巴里の講和会議の際、卿も英国の委員として出席し、すこぶる機敏に活動しかつ公平な人であったので、大統領ウィルソン氏の厚き信頼を受け、第一次の事務総長にされ、その他の事務局員は卿の選任に任ぜられたのである。総長のもとに三人の次長がある。仏、伊、日の三国から出ている。これらの人々はその本国を代表するものでなく、一種の国際人インターナショナル・マンであって、本国の利害を離れて国際事務を処理している。従てまた本国より俸給その他の手当も受けないのである。各国人にしてジュネーブに来り、聯盟を研究する者さえこの点を諒解するにくるしみ、やはり事務局員を各国の代表者と思っている。
 事務総長及び次長の下に十人の部長がある。経済財務、軍備縮少、社会問題、保健、交通、情報会計等の各部に部長があり、英、仏、伊、日、蘭、波蘭ポーランド和蘭オランダ加奈陀カナダ諾威ノルーウェー、等の国人より成り、毎週一回二時間位の部長会議を開き、各種の問題を打合せまたは討議する。用語は総会と同じく英仏語であるが、いずれも英仏語に熟達しているので、前の人が英語で話せば、次の人もそれに釣られて英語で話すが、ちょっとつかえると自分の仏語に戻り、次の人もそれにつれて仏語で話し、つかえるとまた英語に戻るというようなふうである。
 部長の下に事務官、書記があって、それぞれの事務をっている。事務局の局員総数は四十ヶ国、四百七十人より成っている。従来国際会議の事務所というものが設けられてあるが、その事務員は少きは二、三人、多くも五十人に上らぬ少数で事務を処理しているが、国際聯盟の事務局はこれに比すれば堂々としたものである。この内英国人は六、七十人、仏人は五、六十人、瑞西人スイッツルじんは本国であるだけに四、五十人もいる。日本人は我輩のほかに三人あるのみである。

 過去の歴史をひもとけば国際聯盟のようなものを案出したことは少くなかったのである。各国間の戦争を防止せんとする計画は百年前に学者がこれを説いたことあり、また前記ウィリアム・ペンの案の如きもその一である。しかし戦争防止を実行せんとした最も有名なものは前世紀の初頭に於ける神聖同盟である。各国の国王や総理大臣が出席して、列国の君主は互に同胞のように交り、永く相親睦して争わぬことを誓った。しかもその誓約は日本でいえば弓矢八幡、八百万やおよろずの神々というが如く天にします神の御名おんなに於て厳格に約束したのである。然るに会議して帰国すれば直ちに軍備を修めて戦争の用意をしていた。従来列国の間に戦争を防止し平和を保つために相集まって議論を交え約束に調印しても、散会すれば忘れてしまう、記憶していても、進んで約束を履行りこうしようとしない。列国会議の成功しなかったのはただ決議または約束するだけで、これを督促とくそくし実行せんとするものがなかったからである。再度集まることは面倒であるから、結局決議のしばなしということになった。故に国際聯盟が出来た時も、世人の多数は従来と同じく失敗するものと信じていたのであるが、しかし聯盟には事務局というものがある。総会でも理事会でも一定の時に開会するだけであるが、事務局は常置の局で、ある決議を総会が行ったとすれば、局からその実行を督促する。あの決議は何時いつから実行するか、あの仕事の成績はどうであったかと、局は常にめいめい加盟国の政府に督促している。例えば国際司法裁判所を構成する時の如き批准の催促状を各国政府に出すことが局の重要な仕事であったことがある。局が催促するから加盟国政府も実行せざるを得なくなる。要するに事務局は国際聯盟を成立せしめ、その効果を発揮せしむる重要機関の一である。昔の国際会議はこれを欠いた故に失敗し、今の国際聯盟はこれを有するために成績をげている。事務局を常設したことは国際問題を解決する上に最も大なる発明の一である。
〔一九二五年二月一五日『実業之日本』二八巻四号〕

底本:「新渡戸稲造論集」岩波文庫、岩波書店
   2007(平成19)年5月16日第1刷発行
底本の親本:「実業之日本 二八巻四号」実業之日本社
   1925(大正14)年2月15日
初出:「実業之日本 二八巻四号」実業之日本社
   1925(大正14)年2月15日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※表題は底本では、「国際聯盟とは如何(どん)なものか」となっています。
入力:田中哲郎
校正:ゆうき
2010年7月6日作成
2011年4月12日修正
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