吾々は皆個人主義時代に生れた子供達です。個人の意識が擡頭たいとうしてから歴史はすでに数世紀を経ました。藝術の領域では文藝復興期に始まり、哲学ではデカルトに起ったと云われます。中世時代の「神中心」‘Theo-centric’の思想が廃れて、「人間中心」‘Homo-centric’の思想が勢いを得ました。それ以来力のある個人を中軸として世界の歴史が動き始めました。私達は英雄崇拝の教えに育てられてきました。
 個人主義は個人の自由を標榜する主張です。それ故これは自由主義と深く結合しました。経済においても哲学においても文学においても個人主義にもとづいた自由主義がすべてを風靡ふうびする概がありました。私がこれから述べようとする美の領域においても近世に関する限り、この思潮が圧倒的な力でした。誰も知る通り個性の表現ということに藝術家の目標が置かれました。そうして個性に立つかかる作家を人々は「美術家」と呼びました。ですから近世において「美術家」という言葉は重い意義をち、したがって社会に高い位置を占めるに至りました。
 かかる美術家の作ったものを、特に「美術品」‘Fine art’という言葉で現わし、職人達の作るものと区別するに至りました。云うまでもなく、これは個人作家が美の表現を第一の眼目として作った自由な作品を意味するのです。ですからかかるものを「純粋藝術」‘Pure art’と呼びました。それは「実用品」‘Practical art’と同一視するべきものではないと考えられているからです。私はこれ等の趨勢すうせいが、時代の要求として成し遂げた大きな働きについて疑うものではありません。幾多の個人的天才が立派な仕事を残しました。
 ですがモリス William Morris 以降、造形美の領域は、「美術と工藝」‘Arts and Crafts’という二つの言葉に分離され、また「藝術家」‘Artist’に対し「職人」‘Artisan’という言葉を対峙たいじ的に用いるようになりました。見る美術と用いる工藝とは格が違うと考えられました。もとより人々の尊敬を集めているのは美術家の作る美術品です。
 しかしここに注意しなければならないのは、これ等の対立する言葉は歴史が未だ浅く、古くは同一の意味があったのです。Art も Craft も共に技能 Skill を意味し Artist も Artisan も共に工人‘Artsman’を意味しました。しかし近世において個人主義が美の領域を支配するにつれ、その間に漸次区別ができ、工藝に対して美術は上位にあり、また職人に対して藝術家は高い階級を獲得するに至りました。
 ですから美の標準は「美術」の上に置かれました。ものが美しい時、人々は「美術的」‘Artistic’という形容詞を用いるに至りました。人々は決して「工藝的」‘Craftistic’という字を用いません。工藝は実用と交る一段位の低いものに考えられているからです。
 かかる趨勢を要約すると、人々が尊んだ近世の作品は、三つの基礎の上に立っていることが分ります。
 第一は個人の上に立っていることです。自己の表現をおいて、深い美はないと考えられているのです。
 第二は自由を出発としていることです。一切の拘束から解放されずして、真の美はないと考えられているのです。
 第三は純粋に美を追えば追うほど、その作品が藝術度を増すに至ると考えられているのです。ですから実用性からの離脱が求められてくるのです。
 これ等の三個の性質を具備したものを、純粋美術として崇めました。ですが果してこれ等の事柄が最も正しい美の基礎でしょうか。美の目標をこれ等の性質に置いていいでしょうか。
 第一に個性の美も一つの美を形造るという事を否定することはできません。しかし美における個人主義は果して最上の立場でしょうか。また最後の立場でしょうか。少くとも美を個性の表現に止めるのは狭い見方に過ぎないでしょう。歴史は吾々に非個人的な美しい作品の数々をかつて示し、今も示しているからです。個人的美術家が現れる以前の中世時代においては絵画も彫刻も音楽も個人的なものではありませんでした。あの美しいバンベルグやシャートル寺院の彫刻は個人主義から発したものではありませんでした。あの支那六朝の仏像はどんな卓越したものにも作者の名は記してありません。例を農民工藝のようなものに取るならなおさらです。それは何も個人的天才の所産ではありません。それを想うと個人的性質は何も唯一の美の基礎とはならないのです。個人的なものより超個人的なものにもっと大きなもっと深い美があるでしょう。自己に局限された個人は小さなものではないでしょうか。私は十四世紀の独逸ドイツの神秘家の一人であるエックハルト Meister Eckhart の次の言葉を忘れることができません。

「我あり」という言葉を真に用い得るのは神のみである。
 さて、第二には近世の美術に示された自由主義です。美が伝統の弊害のために固定化してきた時、これを解放してくれた自由主義の功績を忘れるものではありません。しかし自由は常に正しい意味での自由ではありませんでした。それはしばしば気儘な個性を意味しました。自由な振舞は美術家の特権であるかの如く考えられてきました。その自由の主張はしばしば極端に広げられました。近世の美術を通覧すると異常なものがいかに多いかに気附くでしょう。多くの天才は悪魔的なもの、廃頽的なもの、虚無的なもの、神経的なもの、時としては醜悪なものにさえ、美の対象を求めました。しかしこれ等の自由藝術が吾々に示したものは、畢竟ひっきょう変態的なもの、病的なものに外ならないでしょう。これ等のものも一種の美ではあり、ある時代に存在理由をつものではありましょう。しかしこれ等の美によって人間の幸福が約束されたわけではありません。またかかる異常な美が最高のものとか最後のものとかいう意味にもならないのです。ある過渡期の特殊現象というまでに過ぎないのです。美の世界での自由主義は、多くの秩序を破壊しました。多くの貴い伝統を犠牲にしました。私達は自由美学に満足することができないのです。
 第三に美術の観念は美を実用性から隔離させました。このことは美と生活との離婚を意味しました。そうして一般の民衆と美との間柄を疎遠なものにしました。しかし中世紀以前のものを省みますと、かつては実用から深い美が生れたことを示してくれます。それらの時代の絵画も彫刻も音楽も皆宗教的実用性から発したものでした。純粋に美を追う美術ではなく、生活に最も必要なものばかりでした。それは人間の生活そのものを深め温める日々の伴侶でした。しかも実用性はそれ等の美を決して卑しいものにしませんでした。グレゴリアンの頌歌は当時のジャズではありませんでした。実用性と美とを背反するものの如く考える美学に、吾々は満足することができないのです。美の標準を「用途」から遊離した世界に置くことは、生活を深める所以ではありません。
 かく考えてくると、美術に対し今まで低い位置に追いやられていた工藝が重い意義をもたらすではありませんか。私は文化問題において、工藝問題の意義が極めて重要であることを信ずる者の一人です。将来の美学は工藝学に依るところが大きいのを疑うことができません。
 ここでちょっとお断りしておきたいのは、工藝という言葉の内容です。御承知の通り産業革命以来、工藝は二分野に分れ、機械製品と手工藝とが対立するに至りました。前者はある意味では進歩した道ではありますが、不幸にも貪慾な商業主義と深く結合したため、品物を粗悪にしました。それに機械が発達すればするほど人間がそれに支配されるため、工人達から責任の念や仕事への歓喜の情を奪い取りました。ですからできたものは多くの場合冷たくまた粗末なのです。それ故工藝の正しい性質は今なお手工藝の方に保有されているのです。労働への悦びも、仕事への道徳も、手工藝の方にはゆたかに見出すことができるのです。それ故工藝と呼ぶ時、私は手工藝を以てこれを代表さすことが至当だと考えます。
 美術よりも工藝の方が将来重大な意味を齎らすということは、ただに美学の方からのみではありません。工藝品は美術品よりも、もっと多く社会的意義を有するからです。美術品は少数の才能ある美術家達が少量に作る製作に外なりません。したがって高価であって、購う側も少数の金持に限られてくるのです。かかる非社会性は、美の王国を実現するためには力弱いものに過ぎないでしょう。私達は美と民衆との結合を計らなければならないのです。工藝の宣揚せんようをおいてどうしてこのことが可能となるでしょう。美の社会性を想う時、工藝は特別に重大な存在となってくるのです。しかし工藝と云っても一様ではありません。そこには明かに二つの大きな流れがあるのです。
 第一は貴族的工藝であり第二は民衆的工藝です。今日まで尊ばれてきたのは前者です。何故ならそれは工藝界における美術品と呼んでもいいからです。貴族的工藝はしばしば個人の作品でした。または名人の所産でした。材料を精選し、技術を凝らし、装飾を尽し、色彩を豊にし、贅沢を極めた高価な品物でした。もとより数多くはできないのです。それ故上等品と考えられ、また美術的なものとして尊ばれました。これに比べるなら一般民衆が用いる民器の如きは低級な美より示し得ないものとして侮蔑されました。ですがこの美の標準は正しいでしょうか。果して貴族的工藝を工藝の大通りと考えていいでしょうか。
 私の考えではこの種の工藝を偏重するのは、やはり個人主義的見方の惰性に過ぎないと思えるのです。いわゆる美術品を上位に置く見方に拘束されているからです。貴族的な作品にまつわる著しい欠点は装飾の過剰ということです。技巧の不必要なる跳梁ちょうりょうです。形態は錯雑さくざつとなり、色彩は多種になり、全体として軟弱な感じを免れることができません。これも明かに一種の病状を示した藝に過ぎないのです。そうして工藝品とはいうものの、用途から離れて、ただ見るための品物に傾くのを如何いかんともすることができません。かかるものはむしろ傍系のものであって、そこに工藝の本流を見出すことはできないのです。
 かく考えてくる時、いかに今日まで見下されてきた一般民衆の日常の用具、すなわち私が「民藝」‘Folk-craft’と呼ぶものが、美の領域において重要な意義をもたらすかを見られるでしょう。民藝は民衆のために民衆の手で作られる日々の用具なのです。いわば生活と切っても離れぬ存在なのです。かかるものは普通の品であり、数も多く価も安いために、今日まで卑賤なものとしてその価値を深く省る人がありませんでした。
 ですが日常の用品だというこの性質に積極的な意義がないでしょうか。その質素な謙虚な性質の価値は見直されていいのです。宗教においてこの真理は早くから説かれていました。イエスは知識に誇るパリサイ人よりも、無学な漁師や農父に好んで話しかけました。または謙遜深い女達を相手にしました。また金持よりも嬰児えいじの方がいかに天国に入り易いかを説きました。あの聖フランチェスコは貧の徳を何よりも尊びました。仏教においても道教においても無心なる者の深さが説かれました。真理は美の世界においても変るところはありません。民藝は器物の領域において質素なもの謙遜なもの無心なものを代表します。私は何も特殊な見方で美を論じているのではなく、多くの優れた宗教家達が体験したことを美の領域で説こうとしているのです。不思議ですが人類は幾つも宗教的聖典をっているにかかわらず、美の聖書は未だ一冊も書かれたことがありません。多くの人がこれがために美の目標を見失っているのではないでしょうか。
 それなら民藝の美の特質はどういう点にあるのか、この質問は少なからぬ重要性を有つのです。何故ならこのことを明かにすることは、やがて美の本質、進んでは美の標準を規定することになるからです。そうしてこれは新しい美学を要求しないではおかないでしょう。
 第一は実用性ということです。美が用途と結合しているということです。いわば生活に即して生れてくることです。このことこそ美を健実なものになすのです。美を生活の外に追いやるべきではなく、その内面に見出さねばならないのです。「神は汝爾なんじの心の裡にある」といった宗教の教えは同じことを述べているのです。日本では幸い茶道がこの真理を吾々に教えました。茶道は「生活の美学」と称してもよく、用いる器物の中に美を示しました。そうして茶人達が選んだ美しいそれ等の器物はことごとくが民藝品であったことに注意せねばなりません。
 第二に実用品であることは常に多量に作られることと、それが廉価であることとを求めます。これ等のことは今まで美を低級なものにする条件のように思われていましたが、これは間違った考え方でしょう。多く作ることや安く作ることがかえって美を生む場合がたくさんあることを知っていいのです。少くとも少量よりできないことや、高価なものよりできないことは、社会的に経済的に満足すべきことではないのです。吾々の理念としては美しいものをたくさん安く作ることです。進んではたくさん安く作ることでますます美を生む道を見出すことです。民藝はこの要求に答えるものです。
 さて、第三の民藝美の特長は、平常性ということです。さきにも述べた通り、近世は驚くべき雑多な美を産みました。そうして何か変ったものを求める結果、ついには極端な異常なものに美を見出そうとしました。そうしてしばしば病的なものに陥りました。しかし人類はもう一度美を常態に戻さねばならないのです。私が民藝に心を惹かれる一つの大きな理由は、そこに豊富に「常態の美」を見出すからです。
 昔支那に南泉という坊さんがいました。ある時弟子が彼に「道とは何か」と尋ねました時、南泉は「平常心是道なり」と答えたと云います。私は日常の器物にこの教えを聞く想いがします。私の経験と理論との到達した結論は平常美が結局美の最後の標準だということです。今の多くの人はこの尋常ということの価値を認識し難くなっているのです。それは今まで余りにも異常なものが讃美されてきたからです。しかし尋常ということの方がもっと深い根底を有つことは、つとに禅宗等の説く所でありました。民藝は‘Normal art’と呼ばれていいのです。もしも‘Normal’という言葉に親しさがないなら、これを‘Natural’という字に替えてもいいでありましょう。最も自然な状態にある美は結局最も美しいのです。
 第四にこれにつれて民藝の美の著しい特色は健康性ということに外なりません。美に様々な姿があろうとも、健康美は結局最も多く社会の幸福を約束するものだと云わねばなりません。幸いにも様々な工藝品の中で、一番働き手である民藝品は、必要上一番健康に作られているのです。人間の場合と同じく健全な肉体や精神の所有者でなくば、充分な働きをなすことはできないのです。これに比べるなら用途を離れた飾り物や、神経の端でできた繊弱なものは、一番不健康な姿を示しているのです。それ等は、労働に堪えない軟弱な存在に過ぎないのです。そういうものに美の標準を置くことはできないのです。健康であることは自然の意志そのものに適うのであると云わねばなりません。
 第五の特色は単純性ということです。民藝品たることは質素な簡単なものであることを要求してきます。単純美は民藝美の特権であるとさえ云えるのです。豪奢ごうしゃな着飾った高価な器物は、時として人間界においては高い位を得るかも知れませんが、神の国ではきっと低い位置より与えられないでしょう。質素なものは美の世界においても讃えられていいのです。私達は単純性と美との間に深い結縁があるという摂理を感謝せねばならないのです。この福音を教えるものは民藝なのです。
 第六は協力性の美をここに見出すということです。近世の美術品は作者の名を誇ります。他の誰にもできないような仕事であってこそ個性の表現を示すものだと考えられます。それ故仕事は自己の名において作られるのです。ですが元来かかる習慣は個人主義が発生した後の現象で、誰も知る通り、東洋でも西洋でも昔はどんな優れた作にも名は記してありません。宗教時代のことでしたから、吾が名を誇る気持ちはなかったのです。民藝の世界に来ると再び無銘の領域に来るのです。作者は一々自己の名を記しません。このことは作者の不浄な野心や慾望を拭い去って、それを無心な清浄なものにしてくれるのです。しかもそれは大勢の人の協力の仕事なのです。これは工藝の性質自身が要求することなのです。焼物の例を取れば轆轤ろくろを引く者、削る者、描く者、焼く者、各々持ち場があって、それ等の人達が協力して仕事が完成されるのです。民藝品は個人の所産ではなく、多くの人の協力的所産だということに大きな意義があるのです。将来の美学は、個人で美を産むということより、大勢で協力して美を産むということの方が、もっと大きな理念だということを教えねばならないと思います。個人の名誉よりも全体の名誉をもっと重く見るべきです。それ故人々は無銘品の価値をもっと見直さねばなりません。
 かくして私は民藝品の最後のまた最も重要な特色について語る場合に来ました。それは国民性ということです。民藝は直ちにその国民の生活を反映するのですから、ここに国民性が最も鮮かに示されてくるのです。ですから民藝に乏しい国家があったら、それだけ国民的特色が弱い国なのを暗示します。それ故強大な国家を形造ろうとする国民は、民藝の発達を企図せねばなりません。これなくして国民的表現はないからです。そうして一国の民藝はさらに地方的工藝に依存してきます。ですから地方的工藝の存在は重大な意義を有ってくるのです。地方こそは特殊な材料の所有者であり、また独特な伝統の保持者なのです。国民的伝統の上にこそ、強固な国民的美が発露されるのです。
 工藝は国民的でなければなりません。しかも国民的なものは互に反目するものではないのです。興味深いことには国民的な作品ほど普遍的要素を含むものはないのです。最初から国際性をねらったものは、結局どこの国のものにもならないでしょう。これに反し国民的なものは、どこの国のものとも並在し調和する国際性を有っているのです。かかる意味で将来の美は国家的でなければなりません。そうして国家的なるものを互に尊敬し合うことに将来の世界の平和があると思います。民藝の美学は私にかかる信念を呼び起してくれるのです。

底本:「民藝とは何か」講談社学術文庫、講談社
   2006(平成18)年9月10日初版発行
   2009(平成21)年10月27日第5刷
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2012年6月30日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。