工藝の諸問題のうちで、過去に対しても将来に向っても、一番意味深い対象となるのは民藝の問題なのです。美の問題からしても経済の問題からしても、これ以上に根本的な工藝問題はないのです。何故なら工藝の鑑賞に浸る時、またはその真理を追求する時、誰もこの領域に帰って来るからです。「民藝品たること」と「工藝品たること」との間には、密接な関係が潜むからです。工藝が実用を生命とする限り、民藝をこそ工藝中の工藝と呼ばねばなりません。それ故何人なんぴともこの問題に触れることなくしては、工藝論を組み立てることができないのです。
 しかるに今日までこの領域が真理問題として明確に取り扱われたことはないのです。もし正当にその意義が認識せられたら、工藝の歩むべき方向について、またそれを顧みるべき批判の原理について、一つの標的を捕え得るでしょう。だが多くの人々にとって、それは見慣れない世界であるに違いないのです。それ故私はできるだけ平易な言葉のうちに、順を追って目撃した真理を記してゆこうと思うのです。恐らく何事よりも字句の意味から筆を起すのが至当かと思われます。
 民藝とは民衆が日々用いる工藝品との義です。それ故、実用的工藝品の中で、最も深く人間の生活に交る品物の領域です。俗語でかかるものを「下手げて」な品と呼ぶことがあります。ここに「下」とは「並」の意。「手」は「たち」とか「類」とかのいい。それ故民藝とは民器であって、普通の品物、すなわち日常の生活と切り離せないものを指すのです。
 それ故、不断ふだん使いにするもの、誰でも日々用いるもの、毎日の衣食住に直接必要な品々。そういうものを民藝品と呼ぶのです。したがって珍らしいものではなく、たくさん作られるもの、誰もの目に触れるもの、安く買えるもの、何処どこにでもあるもの、それが民藝品なのです。それ故恐らくこれに一番近い言葉は「雑器」という二字です。昔はこれ等のあるものを雑具ぞうぐとも呼びました。
 したがってかかるものは富豪貴族の生活には自然縁が薄く、一般民衆の生活に一層親しい関係をもっています。それ故、実用品の代表的なものは「民藝品」です。例えば御殿は王侯の造営物であり、民家は民衆の建物でいわば建物の中の民藝です。例えば金地襖きんじぶすまの彩画は貴族的な絵ですが、大津絵おおつえの如きは「民画」とも呼ぶべくいわば民間の画です。民家、民器、民画、私はそれ等のものを総称して「民藝」と呼ぼうと思います。
 しかし民藝品はごく普通のもの、いわゆる上等でないものを指すため、ひいては粗末なもの、下等なものという聯想れんそうを与えました。実際高級な品、すなわち上等品に対してこの言葉を用いる時が多いため、雑器など云うと侮蔑の意に転じています。つまらぬもの、やくざなもの、安ものを意味しています。このためか今日まで民藝品は工藝史の中に正当な位置をつことができず、愛を以て顧みる者がほとんどなかったのです。
 ですがこれは官尊民卑の余弊よへいとも云いましょうか。富貴なものにのみ美を認める見方は、極めて貧しい習慣に過ぎないのです。ごく並のものであるから、外形の上や用途の上では、上等でないかも知れませぬが、美から云っても粗末だというのは、許し難い不注意なのです。私はこれからそういう粗悪だという聯想が、はなはだ間違っているということを、漸次に述べようとするのです。それ故「つまらぬもの」という粗雑な見方を取り去るために、どうしても民藝の性質を正しく解しておかねばなりません。
 さて、民衆的工藝と貴族的工藝と、どういう区別があるか、その性質の違いはどこにあるか。大体左の通りに考えてくださっていいのです。民藝品は民間から生れ、主に民間で使われるもの。したがって作者は無名の職人であり、作物にも別に銘はありません。作られる数もはなはだ多く、価格もまた低く、用いられる場所も多くは家族の住む居間やまた台所。いわゆる「手廻り物」とか「勝手道具」とか呼ばれるものが多く、自然姿も質素であり頑丈であり、形も模様もしたがって単純になります。作る折の心の状態も極めて無心なのです。とりわけ美意識等から工夫されるものではありません。材料も天然物であり、それも多くはその土地の物資なのです。目的も皆実用品で、直接日々の生活に必要なものばかりなのです。製作の組織は多くは組合。これが民藝の世界なのです。
 これに対し貴族的なものは、上等品であり貴重品です。したがって数は多くできず、また金額も高価になります。作る者は多くは名工。それ故、器には在銘のものが多いのです。用いる人は貴族や富者です。実用品というよりも飾り物が多く、必然置かれる場所も客間や床の間。姿は絢爛であり、丹念であり、複雑なのです。技巧は精緻を誇り、作る者も工夫し加工し、意識して作ります。材料も珍らしきもの、精製したものをと選びます。製作の組織は多くは官や富者の保護によります。こういうものがいわゆる貴族品の性質なのです。俗語でこれ等のものを「上手物じょうてもの」と云いますが、これはもとより「下手物げてもの」に対する言葉なのです。
 一方が「民」なら、一方は「官」です。一方を民本的と云い得るなら、他は貴族的なのです。前者を協団的と云い得るなら、後者は個人的とも云えます。一つは「通常」の世界に住み、一つは「特殊」の世界に活きます。一方は「無想」に生れ、一方は「有想」に発し、前者は「平常心」を示し、後者は「分別心」を語ります。
 あるいはこれ等の対比を、実用を旨としてできる「工藝」と、美を旨としてできる「工藝美術」とに分けてくださってもいいのです。前者は生活と直接関係があるものであり、後者はむしろ生活を遊離したものとなってきます。したがって一方は民衆の生活と交り、他方は富貴の生活に入ってゆきます。自然前者が民藝の世界であり、後者が特別品の領域となります。
 または作る者の側から見て、これ等の区別を職人の作と、美術家の作とに分けて考えてくださってもいいわけです。例えば同じ茶器と云いましても、いわゆる「井戸いど」は前者であり、「らく」は後者なのです。よしその二つの間に形の近似があっても、全く出発が異るのです。一方はその地方の、またはその時代の誰でもが携わったものであり、他方は美意識をった特殊な作者のみの世界なのです。私達はそれ等の二つを一つの世界で説くことはできないのです。
 あるいはこれを心の側から見て、伝統的な心と、自由な心とに分けてくださってもいいわけです。それ故前者はその背後に積み重ねられた過去の智慧ちえを負います。後者はどこまでも自己を中心として歩みを進めて行きます。例を西洋にとればゴシックの心は伝統の心でした。だがルネサンス以後は自由の心が主張されました。仮りに東洋の彫刻に例をとるなら、同じ仏像でも推古すいこのものは伝統的です。ですが今日展覧会に出るものは個人的です。一方は自我が従であり、他方は主となるからです。同じように民器と然らざるものとは心の置き場が異るのです。私達は工藝の美を見る上において、まずこれ等の区別をつけることが緊要なのです。
 これ等の対比によって、ほぼ民衆的な器物と貴族的なものとの差異やその特質が分明にされたことと思います。しかしこれ等の二つのものを前に見て、今の歴史家や鑑賞家達が、いずれに多く工藝美を認めているかというと、全く後者なのです。前者を見る場合でも後者の眼で見ているのです。また個人作家がその製作によって吾々に示すものも、必然後者すなわち高価な特別な品物なのです。
 この趨勢すうせいの間に伍して、閑却せられた民藝の価値を私は語ろうとするのです。なぜ語るに足りるか、語るべきであるか、語らねばならぬか。私は続く幾つかの章で、それ等の理由を逐次に述べようと思います。

 なぜ沈黙を破って、あえて民藝の意義を語らねばならないのであるか。四つの理由を私は挙げたいのです。
(一)民藝品の美しさがほとんど全く認められていないからです。ましてそれが示す性質とか意義とかが、少しも注意されていないからです。工藝史を見ても蒐集を見ても、民藝品がいかに顧みられていないかに驚きを感じます。民藝品は何も珍らしいものではありませんから、誰もそれを見また知っているはずなのです。それなのに未だに正しい認識がそれに向って加えられてはいないのです。一つには余り見慣れているが故に、特に見なおさないのだとも思えます。加うるに、一般の美への見方は因襲的であって創造がありません。私があえて民藝の世界を語るのは、人々が余りにその美に向って眼を開いていないからです。明かな美しさがあるにもかかわらず、専門的批評家すらそれを歴史に語ろうとはしていません。ましてそれが示す深い工藝上の意義を闡明せんめいした人はないのです。進んではそれ等のものを粗野とか粗末とか云って、退けるようにさえ見えます。この許し難い盲目が跋扈ばっこするが故に、私は虐げられた民器のために弁護の位置に起ったのです。それ故これは当然認めらるべきであって、しかも認められない不遇なものへの弁明なのです。
 温室の花をのみ美しい花と見る時、人々はしばしば野の花の美しさを忘れました。その加工せられた贅沢ぜいたくな富貴を誇る花にもある美しさはあります。しかし自然の光に浴するあの活々いきいきした野花の美を忘れるのは、正しい見方でしょうか。あの虫に犯され易く、冷気に堪えない温室の花のみを賞むべきでしょうか。私は見棄てられた自然の花を工藝の世界で弁護しようとするのです。誰も見ていながら見忘れているが故に、あえて筆を執ろうとするのです。
(二)続いてはいわゆる上等の品が余り不当な過信を受けているが故に、それを修正しようとするのです。今日の工藝史を見ると多くの讃辞に包まれながら、高い位置を得ているのは、大概は貴族的な品物なのです。また人々が競って集めようとしているものも同じなのです。これはその市価が極めて高いのによっても知ることができます。これに反し民藝品の大部分には、ほとんど市価らしいものさえ未だないのです。(私はいかにもったいない気持ちを以て、それ等のものをおびただしく非常に安く手に入れ得たでしょう!)
 もとより幾種かの美しい上等な品を私も熟知しています。特に初期に属する単純なものに卓越したものをしばしば見かけます。だが後世の大部分のものは人為的作物であるため、疾病しっぺいがはなはだ多いのです。意識の超過や作為の誤謬ごびゅうに陥っていないものは稀の稀だと云わねばなりません。有想の域に止って加工の重荷に悩んでいます。いわゆる上等品に見られる通有つうゆうの欠陥は技巧への腐心なのです。したがって形も模様も錯雑さくざつさを増して来ます。そこには丹念とか精密とかはありましょうが、それは直ちに美のことではないのです。よし美があっても華美に陥る傾きが見えています。したがって大概は繊弱に流れて生命の勢いが欠けてきます。大部分が用途には堪えませぬ。しかし用を離れて工藝の意義がありましょうか。用い得ないことにおいて、美もまた死んでくるのです。
 あの技巧がますます複雑になった後代の蒔絵を見てください。不自然な工程と無益な労力と、生命の枯死とよりほか何ものもないのです。あの官窯かんようであったしん朝の五彩ごさいを見てもそうです。単に驚くべき技巧の発達のみが示されて、美は埋没されてしまいました。あの抹茶器として作られたものを見てください。ひねくれた形、わざとらしき高台こうだい、人はその作為を風雅と誤認しています。そこには病菌の展覧よりほか何ものもありません。初代の茶人達が愛した茶器は実に素直な物のみでした。形の歪める場合でも、自然が歪めたので、わざと歪めたのではありません。人々はあのお庭焼の如き官窯を推賞し、在銘の作に耽溺します。ですが技巧の歴史直ちに美の歴史ではありません。また個人の歴史すなわち美の歴史ではありません。人々は器を見ずに、名を見、技巧を見ているのです。もし銘をけずり取ったら、いかに多くのものが彼等の讃辞から離れるでしょう。人々の見方には充分な直観の基礎がないのです。いかにそれ等の人々は箱書はこがきに頼っているでしょう。民衆の器物が、受くべき価値以下に忘れられているのに対し、富貴な品は、受くべき価値以上に認められているのです。これは修正されねばならぬというのが、私の主張なのです。
(三)以上はなぜ私が特に民藝を語るかの消極的理由です。もとより直観の前には上下の差別はありません。それが何物であろうとも、美しい物は美しく醜い物は醜いのです。今直観の鏡の前にすべてのものを素裸にして示す時、私はいかに貴族的なものに美しいものが少く、かえって民器に美しいものが多いかを見誤ることができません。焼物にせよ、織物にせよ、木工品にせよ、真に美しいほとんどすべての作は無銘品なのです。在銘のものでそれ等のものに比べ得るものは真に稀有だと云っていいのです。このことは私に次の明確な事実を教えてくれます。富貴の品物たることにはいかに病いが多いかを。そうして民衆の品物たることにはいかにすこやかさが多いかを。
 進んではこうも云えます、民藝の中にこそ工藝の美が、より安定に保証されているのだと。したがって「民藝品たること」と「美しい作たること」とには堅い結縁けちえんがあるのです。これに反し貴族的な品が美しい作となるのは極めて困難なのです。今日まで蔑まれてきた民器にこそ、かえって高い美が約束されているのです。美への見方の驚くべき一顛倒ではありませんか。あえて民藝について語る積極的理由を、私は隠匿することができないのです。
 なぜ特別な品物よりかえって普通の品物にかくも豊かな美が現れてくるか。それは一つに作る折の心の状態の差違によると云わねばなりません。前者の有想よりも後者の無想が、より清い境地にあるからです。意識よりも無心が、さらに深いものを含むからです。主我の念よりも忘我の方が、より深い基礎となるからです。在銘よりも無銘の方が、より安らかな境地にあるからです。作為よりも必然が、一層厚く美を保証するからです。個性よりも伝統が、より大きな根底と云えるからです。人知は賢くとも、より賢い叡智えいちが自然にひそむからです。人知に守られる富貴な品より、自然に守られる民藝品の方に、より確かさがあることに何の不思議もないわけです。華美よりも質素が、さらに慕わしい徳なのです。身を飾るものよりも、働くものの方が常に健康なのです。錯雑さよりも単純なものの方が、より誠実な姿なのです。華かさよりも渋さの方が、さらに深い美となってきます。なぜ民藝品が「美しい民藝品」となる運命を受けるか、そこには極めて必然な由来があると云わねばなりません。工藝の美を語る者が民藝を解することを怠っていいでしょうか。
(四)私は眼を転じていわゆる上等品のうち、美しい作を取り上げてみましょう。何がそれを美しくさせているかを省みてみましょう。この時私は次の事実を見出さないわけにはゆかないのです。実にそれ等の美しいものに限って、その所産心が全く民藝品と同じ基礎に立っているのを発見します。無駄をはぶいた簡素、作為に傷つかない自然さ、簡単な工程、またはそこに見られる無心の豊かな模様、健実な確かな形、落ち着いた深みある色、全体を包む単純の美、それは民藝品を美しくさせているその同じ原理が働いているからではないでしょうか。貴族的なものでは古い時代のものにいいものが多いのです。それは技巧がまだ進んでおらず、稚拙なあじわいがあるからだと云えるのです。
 私は一例を高麗焼こうらいやきりましょう。高麗焼は官窯かんようであって、貴族的な品物のうち最も美しいものの一つを代表します。何がそれを美しくさせているか。省みて次の性質を数える時、いかに民藝品と共通の基礎が多いかが気附かれるでしょう。(イ)何処にも銘はありませぬ。それは無名な多くの職人達の合作なのです。(ロ)主な製産地たる康津かんじん郡は、一大窯業地であって、当時は非常に数多くできた品なのです。(ハ)大部分が実用品であって、単なる装飾物に作られたものはほとんどありません。(ニ)その美は極めて繊細な優雅な処があって、一見すると高い天才の美意識から産出されたものと思うかもしれません。しかしそれは高麗人の心情そのものの発露であって、決して個人的美意識から工風くふうせられたものではないのです。当時万般の器物皆そうであって、独り窯藝のみが優雅なのではありません。(ホ)それは官窯ではありますが、実に支那の民窯を手本として作られたのです。青磁はあの南方の龍泉窯りゅうせんようを、模様はあの北方磁州系統のものを。いわば民器がその美の目標でした。何がその民器を美しくさせたかの、不思議なしかも自然な原理をここに学ぶことができるのです。
 私はもう一つ例をとってこの事実を明かにしましょう。日本の陶工の中で、作からいって一番傑出している一人は穎川えいせんです。私は彼の赤絵の素敵な美しさに心を引かれます。個人陶であり在銘陶でありますから、必然上手物じょうてものなのです。だがどうして彼の作が美しいか。実に明清みんしん下手げてな赤絵が彼の美の標的でした。そうして彼の驚くべき才能がよくその真髄を捕え得たからと云わねばならないのです。彼が見、愛し、摸したのは支那の民器で、当時の貿易品たる安ものでした。もし穎川がこれに代るにあの華美な官窯の五彩を摸していたら、私は彼を愛する何等の因縁をも持つことなく終ったでしょう。あの光悦こうえつが捕えたいと腐心したのも、南方朝鮮の下手げてな茶碗に潜む美でした。あの木米もくべいが、鋭くねらった煎茶茶碗の美も、明清の下手げてな蒔絵に宿る風格でした。
 これを想い彼を想うと、「民藝の美」と「工藝の美」とは、ほとんど同意義になってくるのです。美しい「上手物」に限り、その所産心が民藝品と同じであるとは何を語っているか。あの個人的天才すら下手の美を追い求めたとは何を語っているか。工藝の美の焦点が民藝品の中に発見されてくるのです。私達は民藝への理解なくして、正当に工藝を理解することはできないのです。ここに民器の世界を「民藝」と呼ぶなら、民藝を理解することと、工藝を理解することとには密接な関係が生じます。このことは実に新しく提出せられる公理なのです。私達は美しい「上手物」を民藝の心から説明することはできます。ですが「民藝」の美を「上手物」の心で説くことはできません。私達は工藝美の法則を「民藝」に求めねばならないのです。この驚くべき真理は、今日まで一般の人々から充分に認識されずに過ぎてきました。私が工藝を論ずるに当って、何故「民藝」を重要視し、あえて批評家の注意を喚起しようとするかの充全じゅうぜんの理由をここに発見せられるでしょう。
 工藝史家は今日までほとんど貴族的なものにのみ過重な注意を払うことによって、工藝そのものへの理解を喪失してしまいました。彼等には全く美の標的がないのです。いかにしばしば等しい讃辞を、美しいものと醜いものとに平等に献げてきたでしょう。これほど不平等な歴史観がありましょうか。就中なかんずく個人的在銘の作に彼等の注意が集っています。しかしそれは工藝史を極めて狭い一隅に追いやるのと同じなのです。それも工藝史の一部を占めるでしょうが、むしろ傍系に属すべきものと云っていいのです。民藝が公道なのです。工藝の正史は民藝史なのです。
 ちょうど宗教の精髄が、複雑な神学に在るよりも無心な信仰に在るのと同じなのです。信仰史が宗教の正史なのです。信仰の前に神学は二次なのです。同じように無心な民藝の美に対して、個人の意識的な作は二次なのです。なぜなら無心は意識よりも、もっと深いものを捕えるからです。民器の美に向って官器の美は二次なのです。民衆より生れ民衆に役立つ雑具にこそ工藝の正道があり大道があるのです。それ故、民藝の問題が工藝の根本問題なのです。工藝論は新しく出発せねばなりません。工藝美の歴史は書き改められねばなりません。私達は工藝の正史を綴るべき任務を帯びているのです。

 事新しく民藝の意義を今日述べねばならないほど、その美が少しより認められてはいないのです。たまにあってもただ「面白さ」程度の鑑賞を出ないでいます。しかし過去をふり返ると、その美が深く味われていた一時期があったのを気附かないわけにはゆきませぬ。それは今から三百年ほど前に帰ってゆきます。私は今初代の茶人達を想い回しているのです。私は民器の美をはっきりと最初に見届けた人々が、日本人だということに、抑え得ぬ誇りと悦びとを感じます。彼等には工藝の美に対する真に稀有な直観と、卓越した鑑賞とがありました。
 あえて「初代の茶人達」と云います。私は紹鴎じょうおうとか利休りきゅうとかを指して云うのです。ややおくれては光悦の如き例外を多少は挙げ得るでしょう。中期以後、特に遠州えんしゅうあたりから茶道は下落する一方です。ただ形骸を抱いて習慣に枯死する今日の茶人達を見る時、真に末世の観を禁ずることができませぬ。
 私が初代の茶人達を引き合いに出すのは、民藝の意義が充分に了得されていないこの啓蒙期には、その例が一番読者を納得させるに有効であると考えられるからです。人々は私の見解を信用しない場合でも、初代の茶人達を信用してくれると思えるからです。私の主張を主観と評し去っても、茶道には客観的に価値を認めてくれると思うからです。
 私は民藝の美を最初に見つめた人として、初代の茶人達を偉大な先駆者と呼びたいのです。もっとも私の考えと彼等との間には、外面的に何等の史的連絡はありません。私は茶道によって美への見方を教わったのではないからです。否、もし私が今の茶道に捕えられていたら、今の茶人達のように、何一つ民藝の美が分らなくなっていたでしょう。見方に自由な開拓がなくして終ったでしょう。私は省みて誇るべき先駆者を、日本の歴史に見出したというまでなのです。
 さて、私は云いましょう、「茶」の美は「下手」の美であると。因襲に捕われた今日の茶人達には、この平易な真理すら不思議な言葉に聞こえるでしょう。ですがこれはおおい得ない事実なのです。茶器も茶室も民器や民家の美を語っているのです。だがこの清貧は忘れられて、茶道は今や富貴の人々のもてあそびに移ったのです。茶器は今万金を要し、茶室は数寄すきをこらし、茶料理は珍味をととのえています。かくなった時すでに茶の道があるでしょうか、あり得るでしょうか。
 元来あの茶入ちゃいれは、支那から渡った薬壺であったと云われます。そうして茶碗は多く南朝鮮の貧しい人々がつかう飯碗でした。あの水指みずさしや花瓶も、もとはあるいは塩壺とかあるいは種壺とかであったのです。
 それ等のことごとくが元来は実用品で、全くの民藝品でした。何一つ美術品として工風くふうせられたものではないのです。ですが初代の茶人達は鋭くもそれ等のものの美に打たれました。その美の中に「道」をすら建てたのです。人々は今それ等の器を呼んで「名器」とあがめます。だがもしそれ等のものが民器でなかったら、決して「名器」とはならなかったでしょう。民器なるが故に彼等の眼から逃れることがなかったのです。民藝品あっての茶道なのです。私は彼等の並ならぬ眼と心とを慕わしく感じます。
 もし器の作者に、今それ等のものが「名物」と称えられて、金襴きんらんの衣を着、幾重の箱に納められていると聞かせたら、どこにその言葉を信ずる者があるでしょう。それはあの一番安いたくさんある民藝品ではありませんか。誰でも作り得た簡単な品物ではありませんか。
 私がかく云う時、今の茶人達はこうなじるかも知れません。それは雑器であるかも知れないが、たくさんの中から選び出したごく珍らしい少い貴重なものだと。しかし選ばれたものも要するに民器たることに何の変りもありません。たくさんできた雑品でなくば、選ぶということすらできないでしょう。まして元の産地にはいかにまだ、選ばれていない幾多のものがあったでしょう。茶人は茶碗を眺めて「七つの見処みどころ」があると云います。そうまでに美しい個所を数えてくれた最初の人を私はあがめます。だがもし作者が「七つの見処」を意識して作っていたら、その「見処」はたちまち消えていたでしょう。そうして初代の茶人達はこれには一つの見処もないと云って棄てたでしょう。後代この「見処」に捕えられてわざわざできた茶器に一つとして美しいものがないのは無理はないのです。それはもう民藝品ではなくして、病いにかかった贅沢品になっているからです。「七つの見処」は見る方にあるので、作る方にあるのではないのです。「楽」と銘打たれる茶碗の如きは民器を手本としながら、心はすでに「上手じょうて」なのです。もうあの「井戸」の茶碗に見らるる如き無心さはどこにもありません。もし紹鴎等がそれを見たら速刻そっこくに棄て去るでしょう。どこにも茶道の美がないからです。どこにも民器の美しさがないからです。初期のものだけが比較的いいのは、心がまだ素朴であり素直だったからです。あの「楽」を大事がる時、茶人達は茶祖の真意をけがしているのです。
 さすがに「大名物おおめいぶつ」は美しい器物です。すべてが真の民器だからです。かつて茶人達はあの華美な、技巧の複雑な貴族的なものを、茶器に選んだことがあったでしょうか。あの雅致とか渋さとかは、民藝品のつ特有の美なのです。茶人は高台の美に眼を止めましたが、かつて意識的な作為の品にどれだけ美しく確かな高台があったでしょうか、そうしてかつて民器の無心な品に弱い不確な高台があったでしょうか。私達は、ほとんど安全にその高台の美しさで、民器かそうでないかを分類することさえできるのです。
 茶室の美も云わば「下手げて」の美です。それは元来贅沢な建物ではなく、範を民家にとったのです。それも小さな貧しい粗末な室なのです。今も古格を保つ田舎家は美しい。あの納屋や、水肥みずごえ小屋や、または井桁いげたの小窓があけてある便所すらも、形が美しいではありませんか。私は特に朝鮮を旅する毎に、あの民家に茶室の美を見ない場合とてはないのです。あのきたないとか、むさくるしいとか、暗いとか、見すぼらしいとか云われる小さな田舎家こそ茶室の美の手本でした。初代の茶人達はあり合せの木や竹や土で心ゆくばかりの茶室を建てる力があったのです。「茶」の美は清貧の美なのです。今のように金に頼って数寄をこらす時、もう茶室は死んでしまいます。私は新しい茶室によいのを見たことがありません。鷹ヶ峰を訪うてみてください。あの思い出深い丘に、無遠慮に建てたたくさんな新立ちの茶室を見て、地下の光悦は嘆息しているでしょう。冒涜ぼうとくでないと誰が云い得るでしょう。
 茶料理とても同じなのです。今は山海の珍味を旨とし、しいて季節はずれのものを誇ります。したがって価は極めて高いのです。だが真の茶料理はそうではないはずです。その土地のもので季節の品を選ぶのが本筋なはずです。それも田舎の手料理がよく、そこには土地の香りがあり、自然の健康な味いがあります。京に入らば茶料理で名高い瓢亭を訪うて見てください。今も民家を装い、旅の人に売ろうとて掛けた草鞋わらじを見るでしょう。風情には古格がよく残っています。だが今の料理にもう正格はありません。すでに都びて富者の客を待つばかりなのです。草鞋は飾りとしてのみ淋しく残っています。用いる器とても全く民衆の品から離れました。
 茶道の深さは清貧の深さなのです。茶器の美しさは雑器の美しさなのです。読者はあの「大名物」の美を信じてくださるでしょう。そうして渋さを美の最後と解してくださるでしょう。それならその信頼は民藝品への信頼だと考え直してくださらないでしょうか。もし茶人達の、世にも優れた眼を慕われるなら、民藝品への眼をこそ愛されていいはずです。私の直観が民器に美を見出したのを、なおも独断だと思われるでしょうか。茶人への信頼はすべての疑惑を解いてくれるでしょう。幸いにも読者の敬慕する初代の茶人達がその並ならぬ茶道において、民器の深さを説いてくれているのです。私は安心して次の章に移ろうと思います。

 もし民藝品たる「大名物」に、美しい器という烙印らくいんが押されているなら、なぜ他の多くの民藝品にも大名物格の美を認めないのであるか、私はこの問い方を極めて合法的であると思うのです。
 茶器だから美があるのではないのです。まして美が茶器に限られているのではないのです。茶器と同じ所産心から生れたものがいかにまだたくさんあるでしょう。たまたま初代の茶人達の眼に触れたものは、外来の民藝品のわずかな種類に過ぎないのです。残る幾多のものが彼等の眼に入る折なくして終ったのです。これは茶祖が他の民器の美を認め得なかったからではありません。想うに諸般の工藝が栄えてきた後代に彼等がいたら、いかに豊富な材料を茶器として取り入れたでしょう。だが独創と自由とのない後代の茶人達は、茶祖が見ることを得なかった幾多の美しい民器が、彼等の周囲にあったにもかかわらず、定められた茶器以外に茶器はないと誤認するに至ったのです。ついには全く形式化して、「茶」の精神を忘れ、ただ古い型のみを襲踏するに至りました。
 だが私達はそれでいいでしょうか。かくも豊かにそれ以後にできた美しい民器に取り囲まれながら、いつまでもそれ等のものに盲目であっていいでしょうか。「大名物」だから崇めて、無銘のものだから省みないその不見識と不自由とを、恥じないでいいでしょうか。そもそも茶祖は在銘のものを茶器に選んだことがあったでしょうか。彼等が私達に与える一つの驚異は、彼等が茶器を定めたということにあるのではないのです。省みられぬ民器に、茶器の美を見出したその自由さにあるのです。あの貧しい質素な器の中に、限りない深い美を見ぬいた点にあるのです。そうしてその清貧と静寂との内に、任運無碍にんぬんむげ三昧境さんまいきょうを味い得たことにあるのです。その真意を忘れ、形式に枯死する今の茶道と、心において何の連絡があるでしょう。もし茶祖が今甦ったら、あの禅林で説かれる「婆子焼庵ばししょうあん」の物語りのように、早速茶室に火を放って茶人達を外に追いやるでしょう。禅が文字に堕した時、大慧は憤って「碧巌録へきがんろく」を焼き棄てたと云います。
 もし茶入や茶碗が美の玉座に就いているなら、同じ所産心でできた各種の民藝品の中にも、「大名物格」の美があると、安全に断定していいでしょう。「大名物」が美しいのは茶器だから美しいのではないのです。美しいから茶器になり得たのです。茶器でないために他の民器を見忘れる如きは、見方に力がないしるしなのです。茶祖は全く茶器でないものから、茶器を選んだではありませんか。あの「井戸」の茶碗を茶器だから褒めるのは、見方がまだ表面的です。私達はそれをかつて貧しい者が使った飯碗として一層讃えねばならないのです。「大名物」となるより前に、彼等は雑器であったのです。否、先にも云ったように民藝品であったからこそ「大名物」になり得たのです。いかに多くの見棄てられた民藝品に、来るべき茶器がかくれているでしょう。私達は何等なんら躊躇ちゅうちょを感ずることなく、それ等のものの随所に、茶器の美を発見することができるわけです。そうして茶器として最初から作られた品物には、ほとんど茶器としての美を見る場合がないのです。あの茶道の初期におけると同じように、私達は来るべき真の茶器を、茶器ならざるものの中から見出しましょう。かくして私達は何等の困難なく「大名物」の数を限りなくふやすことができるのです。私はこの福音を多くの人々に伝える悦ばしい任務を感じるのです。
 在来の「大名物」を崇めて、他の民器を愛さないのは、彼等が美をじかに観ていない証拠なのです。もし美をじかに感じているなら、歴史家は今日のように不見識ではあり得ないはずです。鑑賞家はかくまでに鈍重ではあり得ないはずです。「型」とか「極め」とか「銘」とか、かかるものは美の本質的な標準とはなりません。それ等のものなくしても器の美に変異はないのです。例えば「茶」に用いる鉢は何寸でなければならぬという如きは、あまりに不自由な考えです。それは茶室の大きさに準じて変えていいはずです。短くとも長くとも美しきものはこれを活かしたいのです。また活かす道が限りなく残っているのです。真の茶道は無限の形式と内容とに展開するものであっていいはずです。かかる自由さにこそ茶道の真の古格があると云えないでしょうか。茶祖はかくなしたではありませんか。否、それ以外に茶道の正格はないはずです。
 省みられない世界から、私が集めてきた多くの民器、私はそれ等を顧みて、ことごとくが茶器だと云いたいほどなのです。人はそれ等のものを最も適宜な場所において、最も有効に用いる自由を許されているのです。私はその自由を躊躇なく受けようと思うのです。私は今それ等のものを誰に見せるよりも、初代の茶人達に見せたいのです。どんなにか悦んでくれるでしょう。工藝の美が存する所、どこにも茶道が存すると、そう云えないでしょうか。何も在来の茶器と茶室とにそれが封じられているのではないのです。今日の生活の中に、「茶」を活かす余地は限りなく残っています。かくすることにこそ茶祖の真意があったでしょう。
 一般に見る者も作る者も民藝品たる茶器の理解に対し二重の錯誤に落ちています。それが「大名物」と称えられ貴重視せらるる結果、あたかも特別な品物の如くそれを感じ、本来の性質が見失われてしまったのです。実際後代茶器として作られるものは、ほとんど皆意識の過ぎた作であって、全く民藝の分野から離れてしまいました。あの初代の茶人達が決して選ばなかった作為された器を作ったのです。そうしてそれを風雅な器だと信じるほどに盲目となりました。だがそれは民器であった大名物と同列の格に置かるべきものではありません。形は似るとも所産心は全く相反しています。そもそも無想から出る民衆の器物を離れて、雅致とか渋さとかが器にあり得るでしょうか。有想の作が玄の世界にまで高まることがあるでしょうか。後代の茶器に美しいものがないのも無理はないのです。
 この錯誤からして第二には民藝品への全き忘却が伴ったのです。私は工藝史に民藝の美が正当に論じられた個所を未だ見出すことができません。否、実際は民器を取扱っている場合でも、いかにそれを「上手じょうて」の心において解しているでしょう。例えばあの古赤絵や龍泉の青磁や磁州の絵高麗えごうらいや、それ等の美が民藝品として正しく解されている記事を私は見たことがありません。日本の民藝品に至っては、まだ一つの史的位置をも得てはいないのです。
 今の歴史家には玉石に対する明確な区別がないのです。否、有名なものなら何でも讃辞を惜しまないのです。したがって上等の品物ならほとんど何でも美しいと書かれるのです。否、高貴な品と解されるもののみが歴史に入っているのです。もしあの有名な茶人達が茶器を選んでいなかったら、今の批評家達は決して茶器を讃美する機会をち得なかったでしょう。なぜならそれ等の名器は彼等の疎んずる民器に過ぎないからです。
 民藝の美への正しき認識、このことなくして茶祖の衣鉢を伝えることはできないはずです。あの「大名物」と共に、同じ民衆から生れ、同じ無想から発した美しい器が、数限りなく私達を待っているのです。それはすでに余りに多いとさえ云うことができます。器はすでに準備しているのです。ただ私達にそれを見、愛し、用いる自由が不足しているだけなのです。茶道の将来は多忙なのです。工藝史の未来もまた多忙なのです。忘れられた民藝の広汎な領域を顧みる時、そこにはあまりに多量な美しい器が累積されているからです。因襲的な鑑賞と歴史とが覆えされる時は来るでしょう。そうしてかつて虐げられたものと讃えられたものとが、その位置を顛倒てんとうする時は近づいています。私は少しの躊躇もなく、かかる革命を安全に予言しましょう。

 なぜ民器が私の心を強く引くか。私は短く「美しいから」とそう答えるより外はないでしょう。「なぜ美しいのか」と反問される方もあるでしょうが、すべて美への認識は直観のことであって、「なぜ」という知的反省から美が認識されるのではないのです。その問いは何故恋人を恋するかという問いの愚かなのと同じなのです。「なぜ」というような二次的な理由で解されるものは、美への直接な知識とはなりません。直観においては観ることは思うことよりも先なのです。
 ですが、かかる直観的認識を働かす機縁が、何故吾々に与えられるに至ったか、その事情についてのみは語ることができるでしょう。私は次の三つの場合を問うことによって、一層明晰に答えを言い現わすことができましょう。(一)なぜ初代の茶人達は民藝の美を見ることができたか。(二)これに反し、どうして後代の人々が民藝の美を認めることができなかったか。(三)最後に何故私達に至って民藝の意義が注意されるようになったか。歴史上におけるこれ等の変移から、興味深い一つの結論に達することができるでしょう。
 初代の茶人達にどうして美へのよい認識があったか。もとより彼等に鋭い直観があったことが、それを可能ならしめた基礎であるのは云うまでもないのです。ですが同時に直観を充分に働かし得るような境地にいたからと説くこともできるのです。その大きな理由は、主に茶器が外国のものであるため、とりわけ新鮮な印象を受け得たことに因るのです。特に窯藝はその頃日本ではまだ発達してはいませんでした。あの「大名物」となったものは外国からの将来品なのです。他国の作であるから、第三者として充分それを顧ることができたのです。後代あの蒹葭堂けんかどう等が支那明清みんしんのものに驚きの眼を開いたのも同じでした。彼等にとってそれは死んだものでなかったのです。活々いきいきした姿においてその美が眼を打ったのです。ちょうど吾々の浮世絵が異常な注意を欧州で起したのと同じなのです。方処の間隔は、美への認識を新鮮にします。だが時代が過ぎて、その新鮮さが薄らぐ時、ものへの見方は鈍り停止し、ただ因襲に沈んできます。後代の茶人達が何故民藝の美を認めるに至らなかったか。彼等の見方が自由を失ったからです。認識は直観の基礎を失い、概念が代ってその位置を占めたからです。見方は型を出でず、美は形式化されてきました。だがその頃美しい民藝品が絶えたのではないのです。かえって時代と共にその種は増し、質は豊富にせられていたのです。特に徳川期のなかばにおいて、日本の民藝品はその絶頂に達したかの感があります。なぜその時代の茶人達がそれにひややかであったか。一つには見方が形式に捕われていたからですが、一つにはそれが当時のあまりに普通な品だったからです。さかんに生産せられ、誰でも用いていたからです。あまり普通であり安ものであったから、人々はとりわけそこに美を見ようとはしなかったのです。花園に住むものはその香を忘れるに至ります。民衆は作るものが美しいことを知らずして作り、また美しいことを知らずして用いていました。茶道にこそ沈滞はありましたが、その時代は真に工藝時代であったと云わねばなりません。人々は美しい民藝品に囲まれて住んでいました。囲まれていたが故に認識の世界に出る機縁がありませんでした。ただ少数に作られる貴重な品物のみが反省に入りました。そうして今日までこの惰性は持続せられているのです。そうして個人作家の名と官器とのみが歴史に記載せられるようになったのです。
 だが最近資本制度の勃興につれて、民藝の美が急速に沈み、私達はほとんどすべての器に美しさを失ってしまいました。就中なかんずく問屋の制度は生産者を極度に疲弊ひへいさせました。商業主義は誠実を棄てて利慾に飢えています。機械主義は手工を奪ってすべてを凝固させてしまいました。さなきだに競争の結果はすべての器を粗製と俗悪とにおとれました。民藝はかくしてその美しい歴史を閉じたのです。作る時代、用いる時代は過ぎて、今は省る時代へと移りました。すでに過去と現代とには、はなはだしい時間の間隔が生じたのです。私達は創作の時代を失うと共に、認識の時代へと入りました。今日まで見慣れた民藝品も目新しい民藝品なのです。私達は歴史的推移の不可思議な命数のもとに、あの初代の茶人達が外来の民藝品に驚きの眼を張ったように、在来の民藝品を新しい驚きを以て注視します。なぜ私達が彼等を認識するに至ったか。それは時代の力によると私は答えましょう。時代は創造から批判へと転廻しました。今は代表的な意識の時代なのです。
 今日まで、誰も充分に民藝の美を認識し得なかったのは、彼等の直覚が鈍っていたとはいえ、一つには時代が批判の時期に到達していなかったからです。私達はたまたま反省の時代に生れ、意識の環境に育ちました。すべての物は見なおされるために吾々の前に置かれています。古いものもさながら新しいものの如く吾々の前に現れます。すべての場面は私達の直観を新鮮にしてくれます。だが目覚めざる多くの者はなおも認識の怠慢に陥っています。習慣的見方を出ることができず、時代の恵みに叛いてなおも自由な認識を封じています。多くの民藝品がその美しさを吾々の目前に示すにかかわらず、なおもそれに無関心なのです。否、見るに足るべきものがないと考えているのです。だが真理は早晩明るみに出されねばなりません。私は今かかる時代の恵みを受けて、人々の前に発言の自由を選ぼうとするのです。あの尊敬すべき茶祖の美に対する理解を再び復興しようとするのです。
 だが真の復興は復古ではなく発展でなければなりません。私達は民藝の美に関する認識を、初代茶人達の理解に止めてはならないのです。何が私達と彼等とを区別するか。何が新しく私達の進み得る点であるか。時代が何を私達に追加させたか。第一は茶器や茶室に対する考えの拡大なのです。彼等は規定する茶道に適する室や器のみを選びました。だが私達の視野は拡げられています。美しき家や器に、約束せられた一定の法寸はなく形体はないのです。茶器とならずば美しさがないのではないのです。美しき器ならば新しき茶器に選ぶことができるのです。無数の茶器があり、無限の茶道があると云えないでしょうか。先にも云ったように各々の人は、数多くの民器の中から「大名物」を選び出す自由を得ているのです。私達は茶祖が見得ずして終った無数の美しい民藝品を見る悦びを得ているのです。もし彼等が今の世に活きていたら、誰よりもゆたかな自由の持主であったでしょう。
 だが時代はさらに一つの転向へと私達を誘います。彼等は茶道のみに専念志したが故に、鑑賞は「味う」とか「愛玩」とかに集中しました。ここに愛玩とは、ただ弄ぶ意味ではありません。彼等はその静寂な美に即して禅三昧に入りました。鑑賞もここまで進めば真の生活であり、信仰であります。茶道は常に美の宗教でした。だが認識の時代に住む私達は、鑑賞をさらに真理問題へと進めてゆきます。美は味わるる美であると共に考えらるる美なのです。美はまた真であると云えないでしょうか。民藝とは何か、何がそれを美しくさせたか。その美はいかなる美を示しているか。どんな世界からそれが生れているか。いかなる心がそれを生んだか。なぜ「下手げて」と云われるものに美が宿るか。普通の品たることにどうして美があるか、かかる美はいかなる社会を要求したか、いかなる経済を保障するか、その美がどんな関係を私達の生活に持ち来すか、なぜかつてできたのに今できないか、どうしたら未来にもできるか。これ等の疑問から大きな真理の展望が吾々の前に開かれてきます。
 そこには美の法則や心の法則や社会の法則が見出されてきます。かかることへの熟慮は古人にではなく、吾々に負担せられた使命なのです。それは単なる知的遊戯ではありません。すでに民藝が廃頽した今日、私達は再び時代を甦らすために、真理を探求して行かねばならないのです。創造への転向を工藝に来すために、私達は認識的準備を整えねばならないのです。
 民藝へのこれ等の反省において、工藝に関する誰も予期しなかった驚くべき真理が顕現されます。工藝は美の問題であると共に精神の問題であり、物質の問題であり、兼ねて社会の問題なのです。そうして、これ等のことへの追求が、いかに工藝に対する在来の見方に向って、一つの価値顛倒を呼び起すかを、以下の各節は明確に語るでしょう。いかなる境界から工藝の美が発するか、またその美は何事を語るか、私の筆は本論に入るわけです。
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 民藝品から私が何を学び得たか、いかなる真理をそれが目前に示してくれたか。私は真に驚くべき幾多の価値顛倒を、そこに目撃しないわけにはゆかないのです。新しい世界の限りない展望が私の前に浮んできます。因襲の眼にとってはいかに信じ難い光景でしょう。だが私は誤解を恐れることなく、学び得た真理を逐次に数え挙げようと思うのです。
 誰も異常な世界から、異常なものが生れてくると考えています。だが民藝品は私達に何を告げているでしょうか。通常なものから異常な美が出ることを明示してくれるのです。あの普通とか平凡とか蔑まれるその世界に、かえって美が宿されていることを物語ってくれるのです。これこそ新しい視野の展開ではないでしょうか。この内には二つの命題が含有されます。通常の世界にも限りない美が現れ得ること、この第一の真理だけでもいかに大きな福音でしょう。だがこれに止っているのではないのです。通常の世界でなくば深い美が現れ難いこと、この第二の命題に至っては真に驚異だと云わねばなりません。読者のある者は到底とうていこのことを信じ難いでしょう。だが私はこう云いましょう。もし初期の茶器があの平凡な民藝品でなかったら、あの非凡な「大名物」には決してならなかったと。普通であるということほど実際偉大なる場合はないのです。一般の人々は非凡なもののみ偉大であると思うほど平凡になっているのです。
 老子は道の極致を「玄」と呼びました。「玄」はいわゆる「聖暗」なのです。その「玄」の美を私達は「渋さ」と云い慣わしてきました。美に様々な相があろうとも、その帰趣は「渋さ」なのです。だがかかる最高な美、「渋さ」の美を工藝に求めようとする時、私達はついに民藝品に帰って来ることを悟るでしょう。あの茶人達がそれ等のものに茶器を見出したのは偶然ではないのです。いわゆる「上手物じょうてもの」にかかる「玄」の美を求めることは至難の至難なのです。「上手物」のうち美しいものは、大部分初代のものに属し、はなはだ単純であり無心であって、その所産心も工程も技法も民藝品と共通があることは前にも記しました。
 通常の世界に、かえって異常の美のたしかな保証が潜むこと、そうしてこれが夢想ではなくして工藝における真個の事実であること、このことより驚嘆すべき摂理があるでしょうか。またこれより希望に充ちた福音があるでしょうか。仮りに異常な稀有な世界にのみ美があるなら、衆生の手になる作は凡俗に生れ凡俗に死すでしょう。どこにも民藝品たることに美は生じないわけです。しかし摂理は彼等に美を約束しているのです。そうしてこの約束に誤謬ごびゅうはないのです。もし花の美が稀有なある種の少数のものに限られていたら、自然は荒野に帰るでしょう。だが無数の野花が健康な美を以て自然をいろどっています。彼等にでなくば見られぬ美が、私達の心を打っています。
 稀有なものは公道ではないはずです。あの誰でも歩む大通りこそすべての者を迎えて、都にと導くのです。稀有なものにも特殊な美しさは見えます。しかしそれは本道ほんどうの美ではないのです。精細とか華麗とかの美はあるでしょう。しかしそれは美の極致ではないのです。民藝こそは美の公道なのです。この素朴な民器にこそ最も広い工藝の本道があるのです。貴族的なものは優れている場合でもどこか弱く、実用的な民器は貧しい場合でもどこかに健かさが見えます。そこには活ける生命の美が現れています。
 あの平凡な世界、普通の世界、多数の世界、公の世界、誰も独占することのない共有のその世界、かかるものに美が宿るとは幸福なしらせではないでしょうか。否、かかる世界にのみ高い工藝の美が現れるとは、偉大な一つの福音ではないでしょうか。平凡への肯定、否、肯定のみされる平凡。私は民藝品に潜む美に、新しい一真理の顕現を感じるのです。
 私はこの偉大な平凡の中に、幾多の逆理が啓示されてくるのを順次に見守っています。第一はあの教養ある個人をして、なお無学たらしめる凡庸の民衆を。なぜなら、どの個人の作も民器の前には愚かに見えてくるからです。またはあの豪奢な富貴をして、なお貧しからしめる清貧の徳を。なぜならどの華麗な作も素朴なものの前には淋しく見えるからです。またはあの細密な知識をすらなお無知ならしめる無心の美を。なぜなら、知の働きも無想の前には幼穉ようちさを示したに過ぎないからです。またはあらゆる作為の腐心をしてつたなからしめる自然さの力を。なぜなら、一つとして工夫をこらしたもので素直な作を越え得たものがないからです。またはあの美的考慮をして、なお醜からしめる用への誠実を。なぜなら美のために作られたものが、かつて用のためにできたものより美しかった場合がないからです。またはあの装飾の華美をして、なお淋しからしめる質素の姿を。なぜなら渋さに向って競い得るはでやかさは何処にもないからです。またはあの複雑さをしてなお単調たらしめた単純の深さを。なぜならかつて単純さに優る複雑な美を示し得た作がないからです。またはあの強い自我をして、なお弱からしめた無我の強さを。なぜならどの在銘の作も、無銘品の前に名を恥じていないものはないからです。またはあの自由への求めをして全く不自由たらしめている伝統への服従を。なぜなら、伝統の美よりさらに自由な創造を示し得た作はないからです。または際立った個人の存在をすら、なお乏しからしめる協団の力を。なぜなら、秩序ある結合の美よりさらに美しい孤立の美はあり得ないからです。また個性の主張をしてなお言葉なからしめる自然の意志を。なぜなら、すべての焦慮も自然の摂理の前には沈黙を余儀なくされてくるからです。
 すべての工藝の美はこの驚くべき逆理を告げています。続く幾つかの章で、私はこれ等の秘義の数々を平易な言葉において説きたく思うのです。

 誰があの「大名物おおめいぶつ」を造ったのであろうか、誰の手にあの雅致とか渋さとかの美が、托されていたのであろうか。不思議にもそこには何の某という者がないのです。誰もがそれを作ったからです。驚くべき出来事ではありませんか。誰にもできた器、それが最も深い美をつとはいかなる出来事でしょうか。善き者、悪しき者、悲しめる者、笑える者、または老いたる者、若き者、男も女も子供さえも、皆たずさわった仕事、その容易の仕事から、容易ならざる美が生れるとはいかなる摂理でしょうか。明かに一つの位置顛倒てんとうが起ってきます。人々はあの天才とか名工とか、またはあの知識とか技巧とかが、器の美を生むのだと考えます。そうして誰々の作ということを尊ぶようです。ですがあの「大名物」の何処にも作者の名は記してないのです。それは民衆の作なのです。名もなく学もない貧しい大衆の作なのです。だがその民衆の手を離れて、あの「大名物」の美はあり得ないのです。あの雅致とか渋さとかは、貧しい質素な世界からの贈物なのです。このことは何を示すでしょうか、あの凡庸と蔑まれる民衆への限りない肯定を語ってくれます。民衆あっての深い美なのですから。
 天才を崇め、非凡を讃える心に誤りはありません。ですが一度それが天才ならざる者、凡庸な者への否定を伴うなら、許すべからざる誤謬ごびゅうに陥るのです。人に上下はあろうとも、彼等を守護する自然の意志に上下はないのです。「処に南北あらんとも、仏心に東西あらんや」と慧能えのうは言ったと伝えます。否、凡庸の運命に陥る者に、自然はより多くの加護を準備すると云えないでしょうか。宗教は善人のみへの福音でいいでしょうか。否、悪人をも摂取する準備なき個所を浄土と云えるでしょうか。宗教は民衆に限りない肯定を与えるのです。同じその肯定が、民藝にも示されていると云えないでしょうか。何よりも作物の美が、肯定されたその姿だと云わねばならないのです。私は救われていない民器を見出すことができません。時としては過ちや粗に落ちたものもあるでしょう。しかしそれは病いから来たのではないのです。その貧しさは不自然なものではないのです。その粗末さにもどこか自然な美しさが見えるのです。あの茶人は「ゆがみ」にも「傷」にも美を認めました。あの如来の衆生済度しゅじょうさいどの誓願が果されなかった場合がないのと同じなのです。民藝品たることと「救わるること」とを、二つに分けて考えることはできません。救わるる世界の中で彼等が作られているからです。思えば民藝品は絶大な他力の中に抱かれているのです。
 私は安全にこう云いましょう。あの無学と云われ凡庸と云われる民衆も、無限に美しい作を生み得るのであると。彼等自身は無力であろうとも、無力なる彼等を庇護する自然の意志には異常な力があるのです。進んではこうも云えるでしょう。民衆ならでは、あの民藝品の美を産むことはできないのだと。それ故彼等には最も豊に渋さの美、玄の美を生む機縁が托されているのだと。私はなおも進んでこう云えるでしょう。天才の作には時として誤謬がある。有限な自我に立つからである。だが民衆の作に誤謬はあり得ない。自然に従順だからであると。私は最後にこう云いたいのです。民衆は天才より、なお驚くべき作を造り得るのだと。
 人々はあの知識がついには一切を支配すると考えます。誰が無学を讃美することができるでしょう。ですけれど同時に私達は知識を過信するほど無知であってはならないのです。いかなる知が無心の深さを越え得たでしょう。かつてあの民藝品であった「大名物」よりさらに偉大な茶器を作り得た個人があったでしょうか。否、偉大な天才は、それ等の民器をこそ目途として、それに達しようと希っていたのです。試みに美しい工藝品の数々を選んでくる時、そのほとんど大部分が無銘の作であるのを気附くに至るでしょう。今の人々はこぞって在銘のものを愛します。だがそれは「銘」を愛し、「人」を愛し、「極め」を愛しているのであって、美そのものを見つめているのではないのです。直観が彼等の判断の基礎ではないのです。しかし一度美に帰る時、いかに在銘の作が、無銘の作に劣るかを目撃するに至るでしょう。
 民衆への否定は常に誤謬なのです。工藝の美を支える力は名もなき民衆なのです。あの天才すら及び難い無心の作を産む民衆なのです。読者よ、もしここに在銘の作と無銘の作とがあったら、躊躇ちゅうちょなく後者を選ばれよ。いかに美的鑑賞が進む日が来ても裏切られる場合は決してないでしょう。在銘の作はいつか飽きてきます。これに引きかえて無銘のものは、生涯貴方の友達となるでしょう。
 このことは何を語るでしょうか。工藝の美と民藝との間に固い結縁けちえんがあることを示してくれます。この真理は将来とても変りがないはずです。もし民衆を無視して、工藝の道をただ少数の個人に托そうとするなら、美の正しい歴史はその幕を閉じるでしょう。民衆にこそ美の道が許されているその秘義を、感謝を以て受けることなくして、どこに輝かしい未来の工藝史を予期することができるでしょう。天才を讃美することも吾々には一つの悦びなのです。ですが民衆を肯定し得る場合ほど、幸福なことがあるでしょうか。民藝品はこの悦ばしいおとずれを語ってくれる使いなのです。

 民藝品から私達が学び得る一つの真理は、健全な工藝の美は何処から来るかの教えなのです。また美がどうして健全となるかの教えなのです。
 今日まで工藝の美は「どれだけそれが美術的であるか」によって評価されてきました。したがって美のために作られた物が最高の作と考えられてきました。それ故「美術品」である「貴族的なもの」が高く評価せられ、またそれが美の標準とさえ考えられるに至りました。しかし民藝品に示される美は、かかる標準に根本的修正を迫ってきます。それは私達に次のように教えます。工藝の美を決定するものは、それがどれだけ美的に作られているかということではなく、それがどれだけ用途のために作られているかということであると。
 かくして私は安全に次の公理を規定することができるでしょう。美しさのために作った器よりも、用のために作った器の方がさらに美しいと。またはこうも云えるでしょう。上等のものにしろ普通のものにしろ、用のために作らずば美しくはならないと。なぜ前者よりも後者の方に、美しい作がより多くあるか。それは性質上普通の品が、より多く用途と結合するからと答え得ないでしょうか。
 一般に「美術的」と云う時、それは現実を遊離し実用の世界を超越したものと考えます。かくして美と用とを分離し、用を離れる時美に近づくと考えるに至ったのです。今の多くの工藝家は用を二次にして、ひたすら美のみを求めているのです。ですがこのことは美術と工藝との混同に過ぎないでしょう。実用を離れて工藝があり得るでしょうか。用途に即さずして工藝の美はあり得ないのです。美を目的として作られるあの高価な品の多くに、工藝としての美が乏しいことに、何の不思議もないわけです。真の実用品たることと真の工藝品たることとは同意義であるからです。用に叛いて美を迎える時、用をも美をも失うと知らねばなりません。
 だが私は注意深く言い添えておきましょう。ここに用というのは、単に物への用のみではないのです。それは同時に心への用ともならねばなりません。ものはただ使うのではなく、目に見、手に触れて使うのです。もし心に逆らうならば、いかに用をそぐでしょう。ちょうどあの食物がきたなく盛られる時、食慾を減じ、したがって営養えいようをも減ずるのと同じなのです。用とは単に物的な謂のみではないのです。もし功利的な義でのみ解するなら、私達は形を選ばず色を用いず模様をも棄てていいでしょう。だがかかるものを真の用と呼ぶことはできないのです。心に仕えない時、物にもなかば仕えていないのだと知らねばなりません。なぜなら物心の二は常に結ばれているからです。模様も形も色も皆用のなくてならぬ一部なのです。美もここでは用なのです。用を助ける意味において美の価値が増してきます。
 工藝美はかくして二つの面よりなる一つの真理を語っています。(一)もし用から美が出ずば、真の美ではないと。(二)もし美が用に交らずば真の用にはならないと。工藝においては用美相即そうそくなのです。用を離れて美はないのです。これは工藝における根本的約束なのです。この法規を乱すものは美をも乱すと云っていいのです。あの用を忘れて美をのみ求める時、それは「美術」と呼ばれても、「工藝」と名のることはできないのです。用途なくして工藝の世界はないからです。そうして「工藝たること」なくして工藝美はあり得ないからです。今のいかに多くの工藝品は美によって用を殺しているでしょう。否、用を無視しているが故に真の美をも殺しているのです。「美だけ」というが如き怪物は工藝の世界にはないのです。
 なぜ民藝品が美しいか、それが用品中の用品だからと云えないでしょうか。人々はそれ等のものを用いずしては、日々を暮すことができないのです。しかもそれは一般民衆の日常生活に最も多く関係してくるものです。私達は民藝品において全き用の姿を見るのです。かくして用に交ることにおいて、ますます美にも交ってくるのです。民藝品は自から美しい民藝品たる運命をうけているのです。用は美を育くむ大きな力なのです。
 用とは奉仕なのです。仕える者は着飾ってはいられません。単純な装いこそ相応ふさわしいのです。自からひかえめがちな、しずかな素朴な姿に活きています。人々は呼んでかかる美を「渋さ」と云うのです。奉仕する日々の器でありますから、自然丈夫でなければなりません。繊弱では何の用にも立たないからです。民藝品が何故健康の美を示すか。それは働き手であるからと云えないでしょうか。一番病いに遠いということ、これが美を保障する力なのです。用はものを健全にさせる力でもあるのです。
 なぜ貴族的な品が多く病いにかかるのでしょうか。用を務めないからです。働き手ではないからです。それは多く床に据えられて働くことを厭っています。働くにしては余りに着飾り過ぎているのです。錯雑さがなぜ美を乏しくするか。それは働くに邪魔だからです。働かずば必然体は弱くなります。彼等はおおむね繊弱なのです。錯雑を去り華美を棄て、すべての無駄をはぶいて、なくてならぬもののみ残ったもの、それが民藝品の形であり色であり模様なのです。「なくてならぬもの」、これこそ美の基礎であると云えないでしょうか。
 かくして私は何故民藝品が健康な美を示すか、また健康な美が何処から来るかについて明かな答えを与え得たでしょう。用に交ることが美に交る所以ゆえんなのです。そうして用を離れる時、美をもまた離れてくるのです。しかも美が生じて用はますます活きてくるのです。私は用と美との間にひそむ結縁に、讃嘆の叫びを抑えることができませぬ。工藝における醜は用と美との分離によるのです。今日の作が悪いのは用を忘れて美を盛ろうとするからです。もしくは用を次にして利を先にするからです。真に用に仕えるものに、悪いものはあり得ないはずです。用が美を生むからです。事実日常品であった民藝品に不健康なものがあったでしょうか。それが悪くなったのは近代での出来事に過ぎません。
 用が生命であるため、用を果す時、器は一層美しくなってきます。作り立ての器より、使い古したものはさらに美しいではありませんか。「手ずれ」とか「使いこみ」とかが、器に味いを添えてきます。それ等のものこそ床に飾っていいのです。飾って眺めるのは、長い間の彼等の労役を讃えるためです。その美には奉仕の歴史が読まれるのです。なすべき仕事をなしたその功が積まれているのです。私達がその美を語り合うのは、よく用いられたその生涯の美を語っているのです。
 私はここになぜ一つの器に美が現れるかの秘義を学びます。用い難いもの、用に堪えぬもの、それは器ではなく、器の資格はなく、器の意味がないのです。それ故器の美しさもありません。工藝においては用美一如いちにょです。
 民藝品、それは最も貧しい器物なのです。真に日々の生活に必要なもののみなのです。すべての持ち物のうち一番実際に役立つもののみなのです。そうしてそれは誰もが共通に必要とする普通なものなのです。それなら彼等はすべての私有物のうち、最も平易な罪なきものではないでしょうか。かかるものに美があり、かかるものでなくば深い美が現れ難いとは、何たる冥加みょうがでありましょう。私達は財物的悪から最も遠く逃れる領域において、最も厚く美の世界に入るのです。この真理こそは新しい啓示と云えないでしょうか。

 民藝品のつ一つの特色は、多産の品でありかつ廉価だということです。この二つは一つの基礎に立つと云うことができます。多いが故に安く、安きがためには多く作らねばなりません。これは民藝品の性質であって、多くできずば広く民衆の役には立ちません。また安くなくば雑器として使うことができません。
 しかし今日では安い品は「安もの」と云われ、「安っぽいもの」と考えられ、数多くば「ざらにある品」とて軽蔑的意味を受けます。そこには美がないと考えられます。実際粗製品と濫造品とによって代表される今日の工藝から見れば、多産と廉価とは、美への恐るべき反逆に過ぎないわけです。それは醜とこそ結合すれ、美と一致する性質とは考えられません。安価な品が呪いを受けるのは無理がないのです。
 ですがかかる現象は、最近の誤った時代に酵されたのであって、かつては「多」と「廉」とが真に美の保障であったことを見逃すことができないのです。私はすでに稿を重ねて低い民藝品に高い美があることを書き記しました。かつてあったこの事実こそは、来るべき社会に、経済的理想と美的理想とを結合せしむる輝かしい暗示を投げてくれます。したがってこのことは美に対していつも聯想れんそうされる富貴とか贅沢とか高価とかの概念を根本的に修正する原理を与えるでしょう。
 貴族的な品物に見出す二つの性質、僅少と高価とは、それ自身不完全さを示すと云えないでしょうか。わずかよりできず、わずかの人にのみ与えられるということ、すなわち高く価し、富者のみが購い得るということ、そこには明確な社会的ならびに経済的欠陥が現れています。私達はかかる欠陥の上に、今後も工藝の美を依存させていいでしょうか。そこには許し難い矛盾が起ってきます。私達は多く安く作る世界へと工藝を進めねばならないのです。しかもかくすることのみが美を産む所以となるように私達を進めねばならないのです。そこには反撥があると人は云うでしょうが、事実過去の民器ほど、「多」「廉」「美」の三を一に結合し得ているものはないのです。その相互の関係には極めて必然な結縁が潜んでいます。これを破壊したのは許すべからざる近代的罪過でした。
 そもそもあのわずかな高価な貴族的な品物の、ほとんどすべてに見られる通有つうゆうの欠点は、一つに意識の超過により、一つに自我の跳梁ちょうりょうによるのです。一言で云えば工風くふう作為の弊なのです。ですが民藝品には最初からまた最後までこの弊が起らないのです。なぜ民藝品には作為がないか。私はこう答えることができましょう。多く作り安く作るからだと。多産は技巧の罪を忘れしめ、廉価は意識の弊を招かないからです。
 あるものは一日に何百となく作られます。それも分業であるため、同じ形、同じ模様、同じ色への繰り返しなのです。人はこの反復の単調を呪うでしょうが、摂理はこのことに酬いとして技量への完成を与えます。この完成は技巧をすら忘却せしめるのです。人々は何を作り何を描くかをすら忘れて手を動かしています。そこにはもはや技術への躊躇ためらいがなく、意識への患いがないのです。この繰り返しこそは、すべての凡人をして、熟達の域にまで高めしめる力なのです。
 多く作る者はまた早く作ります。早さにおいていよいよ技巧への係わりがなくなってきます。それも不安定な早さではなく、確かな早さなのです。否、確かなる故に早いとも云えるでしょう。人々は語らいつつ笑いつつ作るのです。何ができるかさえすでに念頭を離れてきます。ちょうど私達が慣れた道路を歩むのと同じです。そこには工風がなく焦慮がありません。人は安らかな心に住みます。そこは「平常心」の境地なのです。この自然さからすべての美が生れるのです。民藝品の美は生るる美であって、作らるる美ではないのです。この生るる美より、さらに平和な美があるでしょうか。安い器ほど安らかな器はないのです。
 自然な美、ここに人々が讃える雅致の美が生ずるのです。あの奔放なこだわりのない活々した美は、ここから生じるのです。初期の茶人達が粗末な民器に雅致を見出し、これを茶器に選んだのは全く正しいのです。ですが後に雅致をねらって、いて器を工風した時、すべての雅致は死んでしまったのです。それは故意であって、自然の美ではないからです。雅致は多く早く安く作ることなくしては与えられないのです。あの強いて雅致を試みた少量よりできぬ高価な茶器に、美しいものがないのも無理はありません。後代の茶人達は、あの名器がたくさんにできた安ものであったことを忘れてしまったのです。彼等を形でのみ真似る陶工達には、すでに美しい茶器を作り得る心の準備がないのです。後にできた沓形くつがたとか傘形とかの茶碗は、例外なく醜いものです。
 続いては廉価であるということが、実に美を増す大きな基礎なのです。安いものであるから、強いて美を盛ろうとは工夫していません。あの雑器を作る職人達に何の美的反省があったでしょう。彼等はむしろかかるものを作ることを恥じてさえいたでしょう。だが摂理の車は不思議に廻ります。展覧しようとして工夫したものよりも、見せることを恥じた作の方に、さらに美しい姿を与えました。廉きもの故、とりわけそれに向って作為が加えられていません。彼等はごく普通のものを作るのです。平凡なものを作るのです。彼等は美意識に悩まされずして作ることができたのです。美に向ってはいかに無心であったでしょう。無心とは自然に打ち委せる心です。作るのではなく生れるのです。それ故に美しいのです。自然の知は常に人の知に勝るからです。無想に優る有想はありません。安く作るような事情に自らを入れることは、やがて美に近づく所以だと知らねばなりません。人々は安いものを数多く作る時ほど、素直な安らかな気持でいられる場合はないのです。
 安いものを作るのは工藝の趣旨にかなっています。そうしてこれが美にも適うとは、いかに意味深い摂理でしょう。安いものに無限の美を現わすことができるということだけでも充分な感謝です。しかるに安いものでなくば、むしろ工藝の美は現れ難いというに至っては、さらに讃嘆すべき驚異ではないでしょうか。高価なものを作るのは、買い難くせしめることにおいてのみ罪があるのではないのです。かかる作を造ることにおいて、私達は種々な心の病いに入るのです。そうしてこのことは必然に作の美を痛めてきます。高価なものに美しい作が少いのは、天然の罰を受けているからです。私達がもし安くものを作り得る事情に自分を入れるなら、それはやがて心を安らかにし、器を美しくさせるでしょう。
 歴史を省ると時代の下降と共に漸次すべての分野において、美が沈んできます。複雑さが増し、技巧に陥り、繊弱に流れてきます。だがこの間にわたって、比較的この流れに染まなかったのは、独り民間の作物だけなのです。幕末の作を見られよ、高価な工藝には早くも堕落が来ましたが、民器ばかりはほとんど昔の正気を止めています。それは美術的に作るほどの価値がないとされていたが故に、美術的意識の病魔から脱れることができたのです。今も荒物屋の店頭を見ますと、一番下働きの粗末な品々のみには、昔ながらの健康を保っているものが多いのです。
 今日の機械生産はさらに安く多く作るではないかと云われるかも知れません。しかしそれは元来用のために作られるよりも利のためでありますから、悲しいかな美と離れてくるのです。そこには多が美と一致する機縁がないのです。今のは多産というよりも濫造であり、廉価というよりも粗悪とこそ呼ばれねばなりません。今日の多と廉とは利を得んとする競争より生じたので、安く売るためではないのです。競争がなくば必ず同じものを高く売るでしょう。言い換えれば今日の安ものは常に最高の価なのです。値段は安くとも質が悪き故、実際に安いのではないのです。裏より云えば安く売ることによって損をしているのではなく、それによってなおも利を得ているのです。それ故時に応じて価は上下します。中世紀のごとく公価であった場合はなく、全く私価であると云わねばなりません。商業主義のもとに、正しい民藝品はあり得ないのです。私的な利と、公な美とが一致することはあり得ないのです。
 かくして真理は次のことどもに帰してゆきます。ものが経済的無に近づく時審美的有に結ばれてきます。かくて財的無価値は美的価値に転じてきます。事実あの「大名物」より安かりし器はなく、またそれ等より今において高価たかくなった器はないのです。清貧においてでなくば、富有はないと説かれるのと同じなのです。かえすがえすも運命は、計り知れない深さにおいて廻りつつあるのです。

 正しい民藝品はいかなる社会から生れたか、なぜ現代の雑器はかくも醜いか、どうして過去の民藝品に悪いものがほとんど見当らないか。これ等のことを省る時、私は彼等の背景をなす社会組織に想い至らないわけにはゆかないのです。
 否定できない顕著な事実は、資本制度の勃興と共に、工藝の美は堕落してきました。すべての資本主義は商業主義であって、何事よりも利得が主眼なのです。利の前には用も二次なのです。粗雑なもの醜悪なものが伴うのは、必然の結果に過ぎません。まして商業主義は競争の結果、誤った機械主義と結合します。ここに創造の自由は失われ、すべてが機械的同質に落ちてゆきます。作られるものはただ規則的な冷かなものに過ぎないのです。これを想う時営利主義のもとにおいては、正しい民藝品がつくられる機会はないわけです。もしこのままに制度が続くなら、正しい工藝の未来はあり得ないでしょう。
 これに対し美しい民器が作られたその時代の背景を見るならば、場面は一変するのです。処の東西を問わず、よき工藝が栄えたところには、常に協団の制度があったのです。あるいはこれをギルド Guild と呼び慣わし、また組合とも呼んできました。それは一種の自治体であって、共通の目的を支持する相愛の団体でした。主我に立つ個人の世界ではなく、結ばれたる人間の社会なのです。そこでできるものは今日のような意味での商品ではなかったのです。売るとも利が第一なのではなく、用途が眼目でした。信用は彼等の商業的道徳だったのです。信用され得る誠実な品、使用に堪え得る健実な品、この精神から器のつ健康な美が生れていました。
 この史実から何を学び得るでしょうか。美に義とせらるる世界は協団においてのみ可能なのを示すでしょう。あの利己に基く商業主義と、無我より出ずる美とが反撥はんぱつするものであるのを誰も気附くでしょう。正しい美は正しい社会の反映なのです。私達は上下相叛く世界から、健全な工藝を期待することができません。工藝の将来は単に美への理解によって進むのではないのです。組織への理解なくしては何等の発展も望まれないのです。工藝美は社会美を示すからです。かく考える時工藝の問題は美の問題であるより、むしろ人類の道徳問題なのです。あのラスキンは美を道徳であるとさえ考えました。
 民藝の美は協団的美なのです。その背後には結合せられた人間がいるのです。その基礎は個人の力より遥か大きなものです。私達は再び正しい民藝品を甦らすために、今の組織を改めねばなりません。砂上に楼閣を築く者は愚だと云われます。それなら利己的な商業主義の上に工藝の建築を試みる者も愚かなのです。しかしかかる愚かな努力が、今も無益に繰り返されているのです。
 協団は結合なのです。結合を来るべき時代の理念と云えないでしょうか。私達はもう個人主義を脱せねばならないのです。個性の表現は工藝における美の目標ではないのです。結ばれたる人間の表現、私達はそれを一層偉大な目標と考え得ないでしょうか。自分がよき作を造るということも悦びです。しかしそれは各自の最少の悦びであっていいのです。大勢と共に救われる道に出ることこそ最大の歓喜でなければならないはずです。万般の目途は自我を越えた大我へと進んでゆきます。その大我にこそ統一せられた人類の影像が見えるのです。優れたる作を熟視してみます。その美がかつて一個性の表示に終っている場合があるでしょうか。そこには結合せられた衆生がいるのです。それは普遍的な美なのです。特殊美は正しい工藝美ではないはずです。その意味で工藝は大道なのです。それは一切の者の世界なのです。私は美しい民藝品の中に、かかる公有の美を発見します。無銘の作に心が引かれるのは、そこに一個性よりさらに大きな衆生の美があるからです。そこに個性の焦慮は休んでいます。私達は安らかな親しみを以て、それ等のものと暮すことができるのです。
 まして各種の工藝は個々に進んではならないのです。建物からすべての調度に至るまで、綜合そうごうがなければならないのです。一つの家は一つの有機的存在なのです。そこには統一せられた美がなければならないのです。すべてが互を支持して美を示さねばならないのです。個々の美よりも綜合の美、これが工藝の追うべき目標なのです。だがこのことは人間と人間との結合なくしてはあり得ないのです。近代においてすべての工藝は互に何の連絡もなく歩いているのです。これを正しい歩き方と呼ぶことができるでしょうか。過去の作を見られよ。個人個人の作ではなく、それは統一ある一時代の作なのです。結ばれる一民族の作なのです。そこには結合せられた人類が活きています。それ故工藝のすべての分野によき連絡が保たれてくるのです。よき工藝には秩序の美が見えるのです。かかる美は協団的基礎なくして可能でしょうか。反撥を余儀なくする個人的制度において可能でしょうか。すべての器物に統一を与えるために、吾々はもっと正しい社会を用意せねばならないのです。
 最後に私は附け加えましょう。正しい労働はただ協団においてのみあり得るのであると。よき作は仕事への精進と、創造の自由とを切要します。単なる労働の苦痛から何の美が現れましょうや。今日の如き労働の苦痛は間違った資本制度とそのもとにある未熟な機械制度とが酵した罪なのです。もし協団の世界へと移るならば、人は進んで労働に意義を見出すでしょう。ただ労働を呪い、その時間を短縮しようとは試みないでしょう。働きに甘んずる時、仕事は誠実に活きてきます。しかしかかる境地は協存の志がなくば不可能です。結合せられた社会のみが真の仕事を産むのです。そうしてかかる世界から生れた廉価な工藝ほど、美的に高く評価されるものはないでしょう。命数は不可思議なのです。少なき酬いに甘んずる品物がかえって絶大な酬いを得るのです。このことを可能ならしめる力は、ただ人間と人間との相互の敬愛に潜むのです。
 かつて茶人達は鋭くも民藝品の美を見ぬきました。そうしてその質素な美の中に禅三昧を観じたのです。私達もまた美への鑑賞をそこまで高めねばなりません。ですがもう一歩彼等の触れ得なかった世界に入らねばならないのです。彼等は美の背後にいかなる組織の美があったかを見ないで終ったのです。ですが私達は工藝品の美が協団の美であることを見ているのです。美しいものには組織の美があるのです。協団こそは将来の人類の理念なのです。茶道が美の宗教であったように、私達には協団の宗教が悟得されねばならないのです。私達は協団によって義とせらるる美の世界を、大衆の中に樹立せねばならないのです。協団なくして工藝の美は不可能なのです。協団は救いなのです。民藝品は私にかく教えています。私はそこに新しい工藝の宗教を切に感じるのです。

底本:「民藝とは何か」講談社学術文庫、講談社
   2006(平成18)年9月10日初版発行
   2009(平成21)年10月27日第5刷
入力:Nana ohbe
校正:仙酔ゑびす
2012年6月1日作成
2012年8月22日修正
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