それというのも、一方的な西欧礼賛が多く、ほんとうのところは分ったものではないと、私はひそかに考えていた。フランスがどうの、アメリカがどうのと、親切に話してくれる人たちが、日本のこととなると、実はよく知らないのだから、話が初めから狂っている。
日本人にして、日本を知らない連中が向こうへ行くものだから、外国へ行っても日本のことを教えることができない。
これは日本のために大変な損失である。また外国のためにも損失である。
名物と言えば、フジにゲイシャ、奈良では鹿にセンベイをやることしか、自慢し教えないのだから、向こうの人間は日本について知る由もない。いわんや、日本料理など分るわけがないのである。
例えば、ニューヨークのすき焼きが昔から有名であるが、行ってみると、すき焼きでもなんでもない。桶のようにふちの高い鉄なべの中で、菜っ葉を山のように盛り、見るからに不味そうな肉の幾片かを載せ、グチャグチャ煮ている。それを日本通のアメリカ人がよろこんで、家鴨が餌を食うみたいにガボガボ食っている。
主人なる男は新潟在の出身で、どこをどうやってか移民船にもぐり込み、ニューヨークで人夫などしているうちに、人の入れ知恵で、すき焼き屋を始めたらしい。
話してみると、新潟の町も東京も知ってはいない。そんな具合だから、道具などなにも持ってはいない。店構えはとみれば、まるで田舎の博覧会みたいに飾りたて、部屋にはいかがわしい複製の錦絵などを貼りめぐらしてある。
主人を呼び、私がほんとうのすき焼きのつくり方を教えると、
「ヘエー、すき焼きというものはそういうものですか」
と、感心している始末であった。
フランスの鴨の話にしても、話す人間が話に聞くだけで、実際に行ってはいないらしい。なにしろ一羽一万円するのであるから、初めから敬遠しているのである。趣味も食道楽もあったものではない。向こうで日本人が行くところと言えば、場末の居酒屋みたいな小さな店である。しかも、その小さなお店で“学ぶ”という気持だから、自由な注文も質問もできはしない。
鴨料理の店「ツール・ダルジャン」のように堂々とした造りで、正装のボーイが鷹揚に構えているようなお店では、声も出ないのだろう。
私が「ツール・ダルジャン」を訪ねたのは、画家の荻須高徳氏夫妻、それに小説家大岡昇平氏といっしょの時であった。見渡したところ、フランス人よりも外国人の方が多いようだった。こちらは旅先のことでもあるし、高いと言ったって、一羽とって皆で分けて食べればいいというつもりで入って行くと、タキシードを着用に及んだボーイが、銀盆の上で丸裸の鴨をジュージューやってスープを取っている。
早速、ボーイが私たちのところへ持って来た鴨は、半熟にボイルしてあり、二十四万三千七百六十七番という由緒を示す番号札が添えてあった。ボーイは見せるだけ見せると、番号札を残して鴨を持ち去った。
私は案内の者に、
「あんなことをしていちゃあ美味く食えない。食ったところで肉のカスを食うみたいなもので、カスに美味い汁をかけているに過ぎない。ほかの客のはあれでよかろうが、こちらは丸ごと持ってこいと言ってくれ」
と頼んだが、案内人の荻須氏の言葉を聞いたボーイはただ笑っているだけで、ボーイ長に伝える気振りもない。重ねて、
「料理屋で、身銭を切って食べるのになんの遠慮がいるものか。こちらがお客だ。もっと堂々と言ってくれ給え」
そこで、私は生まれて初めてのお芝居をやった。案内人を通じて、
「このお客は日本の東京近郊に住んでいて、家の前に大きな池があり、その池に大中小の鴨を何千羽も飼っている。音に聞えた鴨の研究家で、鴨の食い方、鴨の料理にやかましい人だ。特に研究家としては有名だが『自分ではあの焼き方が気に入らぬ』と言っている」
と、通訳してもらった。
上手に言えたかどうだか分らないが、ともかく、存外素直に持って来た。果せるかな、半熟でちょうどうまい具合に処理してあった。
これでよし。私はポケットに用意していた播州竜野の薄口醤油と粉わさびを取り出し、コップの水でわさびを溶き、卓上の酢でねった。私の調理法がどうやら関心を買ったらしく、タキシードに威儀を正したボーイたちがテーブルの前に黒山のように並んで、成り行きいかにと見つめていた。敢えてうぬぼれるわけではないが、かかる格式を重んじる店で、こんな仕方で調理したのは前代未聞のことであろう。並んでいるボーイ連中の関心も当然のこととうなずかれる。
大岡氏は長らくニューヨークに滞在した後だったので、
「久し振りの日本の味だ。蘇生の思いがした。日本趣味のよさを改めて考えさせられた」
と、たいへんよろこんでいた。
ところが、出された葡萄酒が不味い。これが葡萄酒かと言いたいほど不味い。それもそのはず、一本七十円ぐらいの安物だ。
こんな安い葡萄酒を好かぬ私は、
「上等のブランデーはないか」
と、たずねた。すると、
「良いのがあるからどうぞ」
と、地下室に案内された。
見ると、葡萄酒の壜が、ほこりにまみれて何万本も寝ころんでいる。その酒倉のちょっとした席で待っていると、
「わざわざこんなところに来てくださって光栄に存じます」
というようなことを言って、マネージャーのような人が持ち出したのがたいへん美味かった。彼は、
「お気に召したら、どうぞ、いくらでもお飲みください。プレゼントいたしましょう」
と言う。さすがにそのブランデーは上等であった。そこで同行の士が珍しがって杯を重ねるとよろしくないので、
「プレゼントだからと言って、いい気になって飲むのは日本人の恥だ」
と、たしなめた。
フランスでも、やはりエチケットがあるのだから、有名なレストランだからと言って、わけもなく怖れることはない。
ちなみに、先ほどから鴨、鴨と言うが、それは昔の日本人が家鴨を鴨と間違えたのであろう。
ツール・ダルジャンの鴨も実は家鴨なのである。わさび醤油で食った家鴨は、家鴨としては相当に美味かった。
(昭和二十九年)