私小説というものがあって、その評判は好悪相半ばしているようだが、それは私という自分であるものにしか判らない小説、自分だけが面白がるための小説、を意味する心算ではないらしい。それで私論というのも、自分にしか通用しない論文という意味ではあるまい。もっとも私語というものもあって之は自分だけに聞えるもので、他人に聞えては悪いものであるが、印刷にする私論が、他人の眼に触れて悪いという筈はないから、そういう意味では恐らくあるまい。さてそこで大学私論とは、私大学論とでもいうことであろう。つまり私という独特な条件を有った人間が、大学に対してどんな気持を有っているかを、論じようというのだ。
 私は学生や教師として官私にわたって約四つ程の大学に関係した。併し学生としても優良でなかったし教師としても勢力ある位置にはなかったから、結局責任ある大学関係者であったとは言えない。講演や大学出版物への執筆、学生との学外における接触が、残りの私の対大学関係である。私の大学についての知識は之につきている。私が大学に対して持つ尊敬も軽蔑もこの材料の外へは出ない。
 然るに私は往々アカデミシャンを以て目されているのではないかと考える。アカデミシャンとは他ならぬ大学味に富んだ人間のことである。今では大学に対して経済的な利害をほとんど全く有たぬ私であり、仕事の上でもあまり大学の影響を蒙っていないと思う私であるが、夫がなおアカデミシャンの性質を失わないとすると、大学の力は実に大きいと言わねばならぬ。
 勿論私はジャーナリストを職業としている。H・G・ウェルズは自らジャーナリストを以て誇りとしているが、そういう意味でもさし当りはよいし、レーニンが党員名簿にジャーナリストと書き込んだというから、そういう意味ならなお更光栄である。ところがこのジャーナリストがアカデミシャン風なものだというのはどういうことだろうか。私の風采が最も貧弱な大学教授に類似しているからでは、よもやあるまい。恐らく私の書くものにどこかそういう特色があるからだろう。なる程私は例えば労働者風には物を書かない、又文壇の文士のような書き方でも物を書かない。それは慥かに、良いにつけ悪いにつけ、大学のお蔭である。
 私は物を書くのに、物を考えずに書けない。と言うのは出来合いの言葉で話しを進めて行くことはどうも不得手である。之が話しをややこしくする原因だろう。私の考え方にはいつも微量のフィロロギー(文献学)とカテゴリー論とがある。だから知性と言わずに知能とか理性とか言いたくなるのだし、「ファッショかマルクスか」などとは言う気にならずに「ファッシズムかコンミュニズムか」といい直さなければ落ちつかないのだ。ここがアカデミックな点なのだろう。アカデミズムとジャーナリズムという対語も、この見方で行くと気に入らない。アカデミー(大学の如き)とジャーナリズム(報道現象)との対語でなくてはカテゴリー論の虫がおさまらない。
 さてこうしたフィロロギーとカテゴリエン・レーレとは大学のアカデミーの絶大な価値を生むものだと私は信じている。今日の大学は、それがブルジョア科学の大学であっても、文化技術の素養的習得を与えるというアカデミー機能に於ては、尊重すべき存在なのだ。私のように大学と縁の薄くなっている者は、学術図書館の一つもない日本では、この点甚だ文化的に苦境に立たざるを得ない。一寸ものを調べるのにも大変骨が折れるわけだ。
 だが私はアカデミー至上主義に対しては判然と反対せざるを得ない。今日の大学は文化的技能の技術的な素養的な訓練をしか与えない。ばかりでなくそれ以上に出ることをアカデミシャンは色々の言いがかりでみずから禁止しているのだ。思想の文化技術的獲得に就いては、今日の大学の機能はほとんど全く無力であることを私は忘れることができない。生きた史的認識の代りに思想的定位のないただのフィロロギー、時局認識の代りに思想目標のないただのカテゴリー分析、之が今日の大学アカデミー機能の精々の仕事である。今やジャーナリストや文士には多少の思想はあっても思想を整理し進展させる文化的技術がない。処が又大学アカデミーは、文化的技術は有っていても使い途が明らかになっていないから、盲目的なテクニシャンしか産まない。研究室の若い学生達がそのいい例だ。――だが之を裏から言えば、半分アカデミシャンで半分ジャーナリストである私の書く大学論は、実は痛し痒しの態なのである。

底本:「戸坂潤全集 別巻」勁草書房
   1979(昭和54)年11月20日第1刷発行
初出:「三田新聞 第三七〇号」
   1937(昭和12)年5月
入力:矢野正人
校正:Juki
2012年7月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。